立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ 薊の花のすきな子に Ⅰ 憩らひ ――薊のすきな子に――
[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、「憩らひ 立原道造」である。これは、現在の国立国会図書館デジタルコレクションの、昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いたもので、編者に拠る読みのルビが、多数、加えられてある。
今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、本篇はここで、編註はここから次のコマにかけてである。それに拠れば、初出は『「コギト」第44号 昭和11年1月号(1月1日刊)』で、『*本篇に句読点は初出のママ。』とあり、さらに、『*「夏花の歌その一」の初出副題』の同様の表記は、『「薊のすきだつたひとに」』であるという記載がある。この「夏花の歌」(二パート構成)は、二〇一五年九月に私が電子化したものが、「夏花の歌 立原道造」として、ある。それは国立国会図書館の旧近代デジタルライブラリーの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を視認したもので、本底本のもの(リンク先は総標題ページ)とはリーダに異同がある。当該の全集の編註に拠れば、「夏の花」の「その一」は、『四季』第十九号(昭和一一(一九三六)年七月号・六月十日発行)であるから、本詩篇よりも五ヶ月後に発表されたものである。しかし、「夏花の歌 立原道造」の私の注でも示した通り、初出は、詩題が「ながれ」で、添え題「薊の花のすきだつたひとに」という酷似から、強い連関性がある詩篇として鑑賞する価値が非常に高いので、未読の方は、是非、見られたい。しかし、五ヶ月後のそれは、最後の聯が、
*
あの日のをとめのほほゑみは
なぜだか 僕は知らないけれど
しかし かたくつめたく 橫顏ばかり
*
であり、強い翳りが濃厚に出ているのである⋯⋯。]
薊の花のすきな子に
I 憩らひ
―― 薊の花のすきな子に――
風は 或るとき流れて行つた
繪のやうな うすい綠のなかを、
ひとつのたつたひとつの人の言葉を
はこんで行くと 人は誰でもうけとつた
ありがたうと ほほゑみながら。
開きかけた花のあひだに
色をかへない靑い空に
鐘の歌に溢れ 風は澄んでゐた、
気づかはしげな恥らひが、
そのまはりを かろい翼で
にほひながら 羽ばたいてゐた……
何もかも あやまちはなかつた
みな 獵人(かりうど)も盜人もゐなかつた
ひろい風と光の萬物の世界であつた。
[やぶちゃん注:私は編者である堀內達夫氏に快哉を叫ぶものである。初出にあった句読点を復元している点に於いて故に、である。この初めて見る句読点――完全なスラーの四聯構成ではない、四つの句読点に拠って――微妙な翳りが生成されているから――である。これこそ――真の本篇の姿だったのだ!!!⋯⋯⋯
なお、私は、先の「憩らひ 立原道造」で、以下の注を添えた。特に変更を加える意思はないので、当該部は、再度、以下に転写(差別化するため、一部を太字とした)しておいた。その後に、簡単に追加をした。
*
「薊の花のすきな子」底本の中村氏の注によれば、道造の多くの『物語詩の中で「鮎」「アンリエット」と呼ばれている』少女、と断定されておられる。とすれば既注の関鮎子ということになる。但し、ネット上の諸評釈を見ると、これを別な女性とする見解も示されてある(例えば最後の恋人とされる水戸部アサイと道造の写真をこの詩篇を並べておられる方もおられる)。しかし、gbcm氏のブログ「Poet's Fairies」の「立原道造と関鮎子」を読むと、『彼の詩は主に軽井沢で知った幾人かの少女との短い交流を通して美しく結晶していくが、果たして彼は少女たちの内面や生活という、生身の存在に』果たしてどれほどの『関心を示した』のだろうか? と疑義を呈された上で、『「鮎の歌」を通読すると一層その疑念は深まる』と述べられ、『女優として美しかった北麗子(今井春枝)、ふくよかな人間味と意志の強さを感じさせる水戸部アサイ、そしてエリーザベトと呼ばれた横田姉妹、初恋の少女金田久子』(下線やぶちゃん)。『「おきゃんで、ひとりでいるときは思い切り寂しくなっていられる」「黄色を好む」弁護士の娘、関鮎子』といった道造と接触を持っ女性たちを挙げられた上で、『彼女たちと生活をともにしたいと真に立原が願ったとは到底思えない』と述べておられる。但し、gbcm氏は最後に『彼にとって絶対的存在であった架空の少女「アンリエット」』という女性『はほぼ関鮎子嬢であったと信じる。「愛しつくせないほど相互に愛し合っている(略)しかし彼女にはfianceがいる」と最初から別離を予定されていたこの関係は、おそらく、立原の思慕が一方的に強かった片恋に似た状態であったと推測する』。『麗子嬢ほど美しくはない。アサイ嬢ほど包容力もない。私が鮎子嬢の写真をみたのは1枚切りだが、彼女は明らかに聡明で、鋭敏で繊細な感受性を持っている、とらえどころのない女性であることがわかる』。『彼は無理矢理鮎子嬢と「アンリエット」を分離しようと試み、失敗した』。『彼の中で鮎子嬢は永遠の女性となるのであるが、それはあくまで芸術作品を創造する上での対象としての「愛」なのである』と結んでおられる。これ以上の「薊の花のすきな子」の注、否、あらゆる変名で道造の詩篇に面影を出す架空の女――芥川龍之介の称した謎の「月光の女」と同じである――についての注は、あるまいと私は思うのである。
*
最後の『芥川龍之介の称した謎の「月光の女」』に就いては、幾つもの記事を書いてきたが、御存知ない方のために、その一番古い、ズバリ、「月光の女」をリンクしておく。]
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