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2026/06/23

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說 / 残りの「乾潮吹」から「玉珧介柱」までの本文(私の割注附)のみのフライング版

[やぶちゃん注:残りの「乾潮吹」から「玉珧介柱」までを、取り敢えず、本文を電子化してみたところが、本文内に、とんでもないおかしな引用を中心に、かなり多くの疑義・不審が散見されたため、この際、ここで、まず、その本文のみを校訂・割注したものを、先に公開することとした(向後、各個の本文を修正した場合は、その都度、その部分を順次、書き換えて更新しておく)。但し、以下を再検討し、注を附して、総てが終わったところで、このフライング版は削除する。各項の間は、三行空けた。

 

   乾潮吹《ほししほふき》

潮吹貝(しほふきかい[やぶちゃん注:ママ。])は「本朝食鑑」に『潮吹蛤(しほふきはまぐり)』とし、『此の蛤(かう)、最(もつとも)、潮(しほ)を吹く故に、名(なづ)く。白貝(しろかい[やぶちゃん注:ママ。])と殊(こと)なり、小(しよう[やぶちゃん注:ママ。])なるものは、淺蜊(あさり)に似て、白く、紋、なく、殼、紫黑(しこく)』色(しよく)とす。而して、此ものは、諸國の沿海中、泥沙(でいしや)にして、干潮(ひかた)[やぶちゃん注:ママ。「干潟」の誤記か誤植。]の場所に產するものなれとも[やぶちゃん注:ママ。「ども」。]、煑食(しやしよく)には、細沙(さいしや)を含みて、味、佳ならざるを、以て、下等のものとす。下總(しもふさ)の海岸、撿見川(けみかは)等(とう)には、夥しくあれども、東京には買ふもの、なく、僅かに野州(やしう)地方に賣(うる)なり。然(しか)るに、近年、肥前・筑後・肥後等(とう)にてハ、「ほしうばかひ」と稱し、淸國へ輸出せり。其價(あたひ)、昨(さく)十八年十月、長崎にて、百斤七、八圓なり。此ものは、十月より翌年の四月頃までは、殼付(から《つき》)、七、八石にて、乾貝(ほしかひ)百斤を得らるヽも、五月よりは、十石以上の數(すう)より、百斤を得るものとす。乾燥器を以て製したるは、殊に美にして、價(あたい[やぶちゃん注:ママ。])、貴(たつと)し。上海(シヤンハイ)・香港(ホンコン)ともに、輸出し、販路、極めて廣きものなれば、諸國に於て製するを、よろし、とす。其製法は、殼のまヽ煑て、殼を去り、能(よ)く洗ひ、乾燥するに過きす[やぶちゃん注:ママ。「ぎず」。]。

 

 

 

   蛭貝[やぶちゃん注:「姥貝《うばかひ》」の誤記。]

蛭貝(うばかひ)[やぶちゃん注:✕「姥貝(うばかひ)」の誤記。] は【九州の「うバかひ」といふハ、「汐吹貝《しほふきがひ》」にて、是と、異《ことな》る。】、一《ひとつ》に、「ほつきかひ」とも、いひて、東海、及び、北海道の各地に產するものにて、從來、これを、乾製して、販賣するものなる[やぶちゃん注:ママ。「が」。]、近年、折々、淸國に輸出すること、あり。古(いに)しへ、常陸國には、此もの、なかりしに、水戶黃門の移殖(うつしふや)せしめられたること、「西山遺事(せいさんいじ[やぶちゃん注:ママ。「せいざんいじ」が正しい。])」に見えたり。又、上總(かつさ[やぶちゃん注:ママ。])九十九里にて、數年前(すねんぜん)に、多額の收獲ありしも、其後(そののち)、大(おほい)に減少して、此一兩年、再(ふたヽ)ひ[やぶちゃん注:ママ。]、又、增殖せり、といふ。乾製法は、殼を放(はな)して、竹串(たけくし)を貫(つらぬ)き、糸(いと)にて、簀(す)を編む如く、くヽりて、太陽に乾燥すること、六、七日、能(よ)く乾きたるを、貯ふべし。

 

 

 

   尾斧貝《ををのかひ》

尾斧貝(ををのかひ)は、「延喜式」に『白貝(しらかひ)』とし、「本朝食鑑」に、『白貝』の字を『於保乃貝(おほのがい)』と訓(よま)しめ、又、『尾斧貝』の字を以てす。此ものは、『殼(から)、淡菜蛤(たんさいかう)に似て、而(しか)して、小(ちいさ)く、肉も亦、淡菜蛤に似て』、『味、佳ならす[やぶちゃん注:ママ。「ず」。]。海俗(かいぞく)、これを食(しよく)するのみ。勢(いせ)・尾(をはり)・參(みかわ[やぶちゃん注:ママ。])・豆(いづ)・相(さがみ)・武(むさし)・房(あは)の海濱、多く、これを采(と)る。古(いにし)へは、これを、賞すること、尤(もつとも)深し。』。而して、此乾製品は、淸國に輸出する乾貝類(ほしかいるい[やぶちゃん注:ママ。])の一(いつ)に居(を)れり。此を乾製するは、殼を放ちて、吊(つ)り乾(ほ)しとなすに、過(すぎ)ざるなり。

 

 

 

   乾蠣《ほしかき》

蠣(かき)は「倭名鈔」に『「本草」に云(いわく[やぶちゃん注:ママ。])、『蠣蛤(れいがう)は、和名(わみやう)、加木(かき)。』とす。これを乾(ほ)したるを、『乾蠣(ほしかき)』といふ。淸國にて『蠔豉(がうし)』と稱す。元來、牡蠣(かき)に、種類、多く、本邦產中、之を大別すれば、『ながかき』・『かき』・『ころびかき』・『いたぼかき』等(とう)にして、此他(このた)、品類、甚(はなはだ)、多し。「まかき」は、能(よ)く、竹、及び、柴(しば)等(とう)の麁朶(そだ)を立(たて)て、養作(やうさく)するを、よろし、とす。卽ち、安藝(あき)の廣島、磐城(いはき)の松川浦(まつかはうら)等(とう)なり。淸國人は、『蠣田(れいでん)』を作るに、岩石を、二個づゝ合(あは)して、龜脊狀(かめのせかた)に臥(ふ)せ、各(かく)一畝(ひとせ)に𤲿別(くべつ[やぶちゃん注:ママ。恐らく「區別」の意味を利かせた意味訓であろう。])し、大豆油(だいづあぶら)の搾滓(しぼりかす)を、養餌(やうじ)に施(ほどこし)て作る故に、『蠔豉(がうし)』の名(な)あり。

 蠣を養ふは、河水流末(かすいりうまつ)の海濵にして、滿潮の際、常に、瀨、早き、水損風害(すいそんふうがい)のなき場所を、撰(えらぶ)べし。濵質(ひんしつ)は、泥砂(でいしや)をよろしとすと雖(いへども)、願(ねがわ[やぶちゃん注:ママ。])くは、砂地を、良(よし)とす。又、簱立設方(《ひび》たてまふけかた)

[やぶちゃん注:特異的に改行してブレイクし、重要な注を附す。これ以降の叙述を慎重に検証するに、東洋文庫版も、全く、そのままで、致命的矛盾があることに気づいておらず、そのままにしてあるのであるが、まず、

私が不審に思ったのは、この読みの頭の「簱」のみ、ルビがない

ことであった。一応、この後の暫くは、「はた」で躓かないように読めるしまうように感じたものの、途中で、

★★突然、「簱(ひヾ)」と、異なるルビが出現する

のである。しかも、さらに、その後に、

★★★よく見ると、漢字が異なり、さらに読みも違う「篊竹(ひヾたけ)」が出現する

のである。而して、ここで、次の大誤謬に完全に気づいたのである。

★★★★――この「簱」は、漢字も読みも、これ、総てが「篊(ひび)」の誤字+誤ルビなのであった

のである。読者が、それに、気づかず、なんとなく読めて違和感を感じなかったのは――「簱」が牡蠣養殖の「ひび」であることは判るのだが、「海苔ひび」等の「ひび」を私たちは漢字でどう書くか、まず、御存知の方は少なく、私も知らなかった。そして、私は、漠然と

『「海苔ひび」等から推定して、カキ養殖の固定の立て棒には、目印として「簱(はた)」を掲げてあるんだろうな。だから、「簱(はた)」なんだろう。』

と勝手に解釈して読み進めてしまったのである。天下の平凡社東洋文庫版の編者も、悲しいかな――それに全く以って――気づいていなかったのである!]

は、簱竹(《ひび》たけ)は、凡(およそ)、廻(まわ[やぶちゃん注:ママ。])り、三寸位(くらゐ)にして、枝(えだ)の儘(まヽ)、四尺位に切り、五、六本宛(づヽ)、數所(すかしよ)、揷(さ)し、之を、汐(ひは[やぶちゃん注:読みの意味、不明。恐らく、直下の「干際」のルビの誤りから推して、「しほ」の誤植であろう。])の干際(ひきわ[やぶちゃん注:ママ。「干潮(=引潮)の引(干)き際」。「ひきは」が正しい。])まで、二行に倂立(へいりつ)す。簱(ひヾ)[やぶちゃん注:★「ひび」の読みの最初の箇所である。]と簱(ひヾ)との間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])に、凡(およそ)、縱三尺、橫一尺五寸位を隔(へだて)て、立設(たてもふ)くべし。篊竹(ひヾたけ)は、專(もつは)ら、三年竹(さんねんちく)を用ゆべし。篊立(ひヾたて)の季節、及(および)、育養法は、篊竹(ひヾたけ)を、凡そ、每年、四、五月の頃に揷(さしはさ)み、六月頃に至(いたり)て、自(おの)づと、篊竹(ひヾたけ)に、種子、付着す。之を、九月に至り、篊(ひヾ)の儘(まヽ)、抽採(ちうさい)し、汐(しほ)の淺灘(せんなん)へ、立替(たてかへ)【之を「とや」と稱す。】、又、翌年九月に至り、竹より、打落(うちおと)し、潮(しほ)の深き處へ、廣(ひろ)め置き、而して、翌年三月より九月頃まで、汐水(しほみづ)の溜(たま)らざる干潟の高き場所へ移し替置(かへおく)べし。汐水の溜れば、炎天の際、氣(き)を釀(かも)し、腐敗するを恐(をそ)る故に、深(ふかし)といへども、滿干(みちしほ)に汐水の溜らざる場所は、移し替へざるも、妨げなし、とす。梢(やヽ)生育すれば、十一月頃より獲(とり)て、食用とす。倂(しか)し、生育の遲きものは、又、九月より再び、元の深き處へ移すべし。凡(およそ)、蠣の生育は三年を以て、極(きよく)とす。

『乾牡蠣(ほしかき)の根室縣下に產するものは、其(その)廉價(れんか)なるを以て、大(おほひ[やぶちゃん注:ママ。])に海外輸出に適すべし。』とは、橫濱の商(しやう)、串田八百吉(くしだやほきち)の見込なりしか[やぶちゃん注:ママ。「しが」。]、「通商彙編(つうしやうをへん)」に由(よれ)ば、『蠔豉(がうし)、卽ち、我(わが)北海產は香港(ホンコン)市上(しじやう)に、夥多(くわた)[やぶちゃん注:非常に多いさま。夥(おびただ)しいさま。]、輸入し、之を試賣(しばい)せしに、膏脂(がうし[やぶちゃん注:ママ。「かうし」でよい。])、稀薄なるより、味、亦、隨(したがつ)て、饒(じやう)ならず。』との評說にて、自然、廣東產(カントンさん)に壓抑(あつよく)せられ、十分の聲價(せいか)を得(う)るに至(いたら)ざりし。扨(さて)、其膏味(かうみ)、饒多(ぎやうた)なりしといふ廣東產を見るに、形狀は、我產(わがさん)より、稍(やや)大(だい)にして、全肉面(ぜんにくめん)に黃色の脂油(しゆ)を帶(おび)たり。然(しか)るに、其膏脂(がうし[やぶちゃん注:ママ。「かうし」。])は、牡蠣固有の物に非(あら)ずして、乾燥製作上に塗抹(とまつ)せし者の由(よし)なり。蓋(けだ)し、北海道厚岸(あつけし)には、牡蠣を出(いだ)す、多し。若(も)し、此製法を摸倣(もこう[やぶちゃん注:ママ。「もはう」の誤植。])せんには、必ず、當市上(とうしじやう)に於(おい)て、淸產と拮抗(きつかう)するを得(う)べし。價格、淸產、明治十六年に百斤十七、八元なり、と。この試賣品(しばいひん)は廣業商會(かうぎやうしやうくわい[やぶちゃん注:ママ。「かうげふしやうくわい」が正しい。])か[やぶちゃん注:ママ。]、厚岸にて試製せしものなりしなり。然(しか)るに、昨十八年、厚岸にて製したるものは、淸國產と、色澤(しよくたく)・形狀、少しも異(ことな)ることなく、大(おほい)に聲價(せいか)を得たり。當(たう)業者が、能く製法に注意して、かヽる良品を出(いだ)すあらば、輸出品中の上位を占るに至るや、必(ひつ)せり。然(しか)れども、安藝の廣島等(とう)にて養殖するものは、高價、且(かつ)、形質の小(しやう)なるとによりて、乾製に適せず。紀伊・伊勢等(とう)に產する『長蠣(ながかき)』、及び、『いたぼ』等(とう)は、形質、肥大にして、輸出品に製するを得(う)へし[やぶちゃん注:ママ。「べし」。]。

 

 

   鳥貝《とりかひ》

鳥貝(とりかひ)は、他物(たぶつ)と其(その)乾製法を異(こと)にす。先づ、手にて、殼中(からちう)の肉を、捻(ひね)り取り、刀割(たうかつ)して、腸(はらはた[やぶちゃん注:ママ。「はらわた」でよい。誤記か誤植。])を去り、煑て、簀上(すのうへ)に並べ、日乾(ひほし)して、莚囊(かます)に收(おさ[やぶちゃん注:ママ。])め、貯藏す。肉に、黑色(こくしよく)のものあり、此色なきは、味を損ずるのみならず、腐敗し易きを以て、最も之に注意すべし。之を豫防(よばう)するには、少しなりとも、沸騰の湯(ゆ)、濁(にご)るを認(みと)めるときは、速(すみやか)に、之を廢棄し、更に淸淨なる沸湯(ふつたう)に換(かへ)るを要(よう[やぶちゃん注:ママ。「えう」が正しい。])す。如斯(かく[やぶちゃん注:二字へのルビ。])すれば、黑色を傷(いため)ることなく、保存、久しきを保ち、味(あじわい[やぶちゃん注:ママ。])を變ぜず。淸國貿易に適せり。

 

 

 

   板屋貝柱《いたやかひはしら》

板屋介(いたやかい)は「倭名鈔」は「新抄本草」を引(ひき)て、『文蛤』を『伊太夜加比(いたやかひ)』と訓ず。此ものハ、主として、肉柱(にくはしら)を食(しよく)に供(きやう[やぶちゃん注:ママ。「きよう」でよい。])す。是、其味、佳良(かりやう)なるに由(よ)るなり。而して、之を乾製するには、介の肉を出(いだ)し、黑肉(くろにく)を去り、川水(かはみず[やぶちゃん注:ママ。])にて、洗淨し、釜にて、暫時、煑立(にた)て後(のち)、取出(とりいだ)し、廣げ、日に乾(ほ)すこと、二日《ふつか》、肉柱外(ぐわい)の物を、除去し、後日(のち《の》ひ)に乾すこと、二日、都合、四日間を以て、之を最良製品とす。然(さ)れども、乾燥中に降雨(かうう)あれば、下等品となるものなれば、最も、注意すべし。之を保存するに、箱に密閉するを良(よし)とす。每年、梅雨(つゆ)の後(のち)、取出(とりいだ)し、乾せば、何ケ年(なん《か》ねん)をも、貯藏し得るものなり、と。此法は、天保年間、鳥取縣下、因幡氣多郡(いんばけたこほり)靑谷村(あをやむら)中濱六兵衞(なかはまろくへうゑ[やぶちゃん注:ママ。「なかはまろくひやうゑ」が正しい。])なるもの。長崎に於て、支那人(しなじん)より、傳習(でんしう)受(うけ)しものなり、と云ふ。「通商彙編(つうしやういへん)」に依(よれ)ば、香港市塲(ホンコンしじやう)に於ては、『江瑤柱(こふやうちう[やぶちゃん注:ママ。正しくは「かうえうちゆう」である。])』と稱す。此物は、元來、上海地方(シヤンハイちほう[やぶちゃん注:ママ。「ちほう」は「ちはう」が正しい。])に於ては、貴賤の別なく、一般(いつぱん)、嗜好(しかう)するものなれども、廣東(カントン)に在(あつ)ては、常食に供せざるが故に、價格、少しく騰貴(たうき[やぶちゃん注:ママ。「とうき」でよい。])すれば、需求(じゆきやう[やぶちゃん注:ママ。「じゆきう」が正しい。])、項(にはか)に[やぶちゃん注:ママ。東洋文庫版ではルビを振っているが、「項」の字には「にはか」の意味はなく、その注も、ない。一般には「俄」「卒」「遽」「勃」を想起したが、一つ、気づかなかった。「頓」があった。この誤植であろう。]、減却(げんきやく)し、一周年間、販賣の增減價格の昂低(こうてい)も、動搖(どうよう[やぶちゃん注:ママ。「どうえう」が正しい。])、尤(もつとも)常(つね)なきの、甚しき者とす。扨(さて)、市塲販賣の品位は、因州產(いんしゆうさん[やぶちゃん注:ママ。])を以て、第一とし、豐《ぶ》[やぶちゃん注:旧豊前国・豊後国。福岡県東部及び大分県全域。]・薩摩產、之に次ぐ。而して、此三種の區別ある所以(ゆゑん)は、唯(たヾ)、其(その)肉中(にくちう)に含蓄する鹹味(かんみ)の濃淡に由る耳(のみ)にて、鹹味、稀薄なるに隨ひ、價格、又、貴(たつと)し。明年(めいち[やぶちゃん注:ママ。「明治」の誤記であろう。])十六年二、三月の相場は、因州上品、百斤四十九元、薩州上品、三十八元なりし、となり。明治十五年の輸出高は、拾萬〇三千二百五十一斤、此價(このあたひ)、三萬二千四百七十四圓、十六年は六萬六千七百九十九斤、此價二萬〇二百九十六圓十四錢なり。

 

 

 

   板良介柱《いたらかいはしら》

板良介(いたらかい)、一《いつ》に『にしきかひ』と名(なづ)く。「日東魚譜(につとうぎよふ)」に『錦蛤(きんがう)』と曰ふ。穀色(こくしよく)[やぶちゃん注:「殼色(からいろ)」の誤字。東洋文庫版で、漢字のみ修正注がある。]を以て、之を名(なづ)く也(なり)。『蛤(かう)の形、羽蛤に似て』、『背上に細條理《さいでうり》あり』。『沙剌《しやし》の如く』、『其色、紅(こう)、黃(くわう)、或は鮮紅』、愛すべし。『未だ、漢名を知らず。』[やぶちゃん注:以上は後注で「日東魚譜」の原文を示すが、一応、引用らしい部分のみを二重鍵括弧を添えたが、引用としては、正確さに甚だ欠けており、河原田氏が勝手に表現をいじって、追加してしまっている。]但(たヾ)、殼を以て、玩(ぐわん)と爲(な)すと在(ある)ものなるが、此貝柱を乾製したるものは、近年、「いたや介」、柱と共に淸國に輸出する少許(せうきよ)にあらず[やぶちゃん注:「少しばかり」というレベルではない(相応の輸出を行っている)。]。然(さ)れども、此介は、成長の度(ど)、甚だ、遲きを以て、捕季(ほき)を制定せざれば、每年に利を得る、なし。此板良介は、五、六月の間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])に採捕(さいほ)するものなるが、小介(せいかい)を、悉(ことごと)く捕(と)るより、四、五年、或(あるい[やぶちゃん注:ママ。])は、七、八年も、甚だ、產額を滅ずること、あり。

 乾製法は殼を去り、貝肉、凡そ、二斗五升に、食䀋(しよくえん)二升五合を和(くわ)し、入置(いれおき)しこと、一夜(いちや)にして、釜に入れ、煑ること、凡《およそ》十五分間にして、莚蓆(むしろ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])に散布し、日乾(ひほし)すべし。

 

 

 

   乾帆立貝並貝柱《ほしほたてかひならびにかひはしら》

 帆立介(ほたてかい)は、漢名『海扇(かいせん)』にして、本邦、從來、帆立介を『車渠(しやこ)なり。』と誤り、野必大(やひつたい[やぶちゃん注:ママ。「やひつだい」。])は「本朝食鑑」に『帆立蛤(ほたて者(は)、車渠(しやこ)なり。』とせり。「日東魚譜」曰(いはく)[やぶちゃん注:後注で原文を示すが、河原田氏は、適当にチョイスして、勝手に他のどこから持って来たか判らぬ言説を混ぜてしまっている。そのため、以下のような複雑な引用符(二重鍵括弧)を配せざるを得なかった。]、『海扇【「霏雪錄《ひせつろく》」。】「あふきかひ」、「ほたてかひ」、「いたやかひ」、「かひしやくし」、「扇蛤(あふきかひ)」。此(この)蛤(かひ)、一片ハ、蛤《かひ》の如く、一片ハ、頭《かしら》、扇《あふき》、聚(あつ)めし如く、故に名《なづ》く。「霏雪錄」に云ふ、『海中、甲物《かうぶつ》あり、扇の如し。其《その》文《もん》、瓦壟《ぐわろう》の如し、『海扇《かいせん》』と名(な[やぶちゃん注:ママ。「なづ」。])く。』≪と≫。又、『一片』を記(しる)し、舟帆の如し、海上に浮ぶを以て、『帆立蛤(ほたてかひ)』と名づく。又、『爲匕《さじとなし》』、『肉味不佳《にくのあぢ かならざる》』也。人、食はず。但、殼は諸毒を解す。而(しか)して、此ものハ、本邦各地に產すと雖ども、捕獲の多きは、北海道にして、靑森、之に亞(つ)ぎ、該(がい)地方產に、二種、あり。『白乾(しらほし)』、『黑乾(くろほし)』、是なり。共に淸國輸出に適(てき)す。惜(おしい)かな、製法、宜しきを得ざるが故に、販賣價格、甚だ、廉(れん)なり。然(しか)れども、製法を改良せば、素より、風味、佳なるを以て、必らず、廣く販賣するを得(う)べし。從來の製法は、海水を湧(わか)し、肉を投じ、煎熬(せんがう)[やぶちゃん注:汁が無くなるまで煮詰めること。]すること、少時間(すこしばかり)にして、引上(ひきあ)げ、肉柱(にくはしら)の中心に、小孔(こあな)を穿(うが)ち、藁繩に繫(つな)ぎ、或(あるひ[やぶちゃん注:ママ。])は、竹串に刺して、數日間、乾(ほ)し、猶、爐上(ろじやう)に懸けて、烹乾(はうかん)[やぶちゃん注:「熱を加えて乾燥させること」。]す。此法、北海道其他に於て、普通、施(ほどこ)す所なりと雖ども、近時は、肉柱(にくはしら)に、穴を穿(うが)たずして、乾製せし品(しな)、最も、販路、多し。何者(なんとなれば)、穴を穿ち、繩を貫く時は、食するの際、肉柱、破壞し、且、穢物(おぶつ)、混入するの憂(うれい[やぶちゃん注:ママ。])あり。故(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。])に、單に肉柱を白乾とするか、又は、切片(せつへん)して、乾かすの法を、宜(よろ)し、とす。

白乾海扇肉柱(しらほしほたてかひにくはしら)、生鮮にして、大(だい)なる海扇(ほたてかい[やぶちゃん注:ママ。])の肉柱を取りて、橫に切斷し、淸水(せいすい)にて、能(よ)く洗ひ、䀋(しほ)を加減し、簀上(すのこうへ)に排列し、押付け、廣げ、乾(ほ)すなり。此法は、札幌縣下の法にして、切乾(きりほし)なり。然(しか)れども、肉柱を丸乾(まるほし)となすは、同法を用(もちひ)て、可(か)なるべし。製造家、能(よ)く、此法に注意せば、或(あるひ)は、板屋介(いたやかい)の如く、將來、內外需用、多きを、加(くわへ)んこと、掌(たなぞこ)を指(さ)すが如し[やぶちゃん注:「たなそこをさす」「掌(たなごころを指(さ)す)」と同義で、「掌中にあるものをさすように」に「 物事が極めて明白で、且つ、正確であることのたとえ。また、単に、「極めて容易であることの喩え」としても使われる。]。

 

 

 

    玉珧介柱《たひらきかいはしら》

 『玉珧《ぎよくてう》』ハ、『多比羅岐(たひらき)』と訓ず。「本朝食鑑」、『𧌊(たいらき[やぶちゃん注:ママ。])』の字を用ひたれども、「大和本草」にハ、『和俗の『𧌊』の字は出處なし』とす。今、世俗、『平貝(たいらかひ)』ともいひ、[やぶちゃん注:ここより以下の部分は、「大和本草」ではなく、前の「本朝食鑑」の引用であるので、注意されたい。後注で、それを示す。]『殼は蚌(ぼう)に似て、黑色皮紋(こくしよくはもん[やぶちゃん注:ママ。取り敢えず、タイラギの貝殻外面の様子から「こくしよくかはもん」と読んでおく。])あり。大なるものは、廣さ、五、六寸あり、長さ尺餘に過ぐ。白肉(はくにく)ハ、圓狀(えんけい[やぶちゃん注:ママ。])、大(だい)なるもの數寸(すうすん)、味(あぢはい[やぶちゃん注:ママ。])、極(きはめ)て、甘美、其肉、細く切(きり)て、片(へ)と作(な)し、炙食(くわいしよく)、烹食(ほうしよく)、生食(せいしよく)、共(とも)に佳(か)なり。此れ、海錯中(かいさくちう)の珍賞なり。』とありて、本邦にて、鮮肉を貴(たつと)べり。然(しか)れども、往古(むかし)は、此名を稱することなく、「本朝食鑑」を按ずるに、『古來、末だ、名を稱するを聞かす[やぶちゃん注:ママ。「聞かず」。]。近世、多く之を賞す。海人(かいじん)も亦、其大なる者を探(さぐり)て、以て、之を貨(くわ)す。』と、ありて、元祿の頃に至りて、世に賞せられたるものと見へたり。本草書を按ずるに、『江瑤(こうよう[やぶちゃん注:ママ。「かうえう」が正しい。])』、及び、『玉珧』等(とう)と稱し、又、「閩書」に『江瑤柱(こうえうちゆう[やぶちゃん注:ママ。])』とす。而して、其說に曰く、『韓退之馬甲柱(かんたいしばかうちう)』と謂ひ、『蘇子膽(そしたん)、以て、茘枝(れいし)に配(はい)し、福州の人、之を馬𪿖(ばげん)と謂ひ、萬震(まんしん)の賛(さん)に「肉柱膚寸汪堀柱(にくはしらりよすかうようちう[やぶちゃん注:ママ。和訓としても、この読みは、全くおかしい。])」と名(なつ[やぶちゃん注:ママ。])く。又、『今の馬甲柱(ばかうちう)は古(いにしへ)の玉珧(ぎよくてう)』といふ。『昔人(むかしのひと)、之を賞(しやう)す。美(び)、涯(かぎり)なし。』と、あり。而して、方今(はうこん)[やぶちゃん注:「現在」。]、淸國人は、此(この)介柱(かひはしら)の乾製したるを、『帶子(たいし)』と稱し、交州(かふしゆう[やぶちゃん注:ママ。])に產するもの、百斤の價(あたへ)、五拾弗(どる)の高價(かうか)にて、年々、香港(ホンコン)に輸入するもの、壹萬斤、香港より分輸(ぶんゆ)する地方は、金山(きんざん)・厦門(あもゐ)・寧波(ねいは)・鎭江(ちんこう[やぶちゃん注:ママ。])・廣東(カントン)等(とう)なり。又、此他(このた)、漢口(ハンコウ)等(とう)より、分輸するもの、少(すくな)からす[やぶちゃん注:ママ。「ず」。]。然(しか)りと雖(いへ)ども、從來、本邦より、之を輸出せしこと、なし。近年、試製品を出(いだ)せしものあるも、槪(おほむ)ね、生乾(なまほし)なるが故に、淸國人の嗜好に適せざるなり。

 抑(そもそも)、本邦に玉銚を產するは、尤(もつとも)、夥(おびただ)し。宜(よろ)しく捕獲季(ほかくわくき)を定めて、成育せしめ、煑乾(にほし)の精製品を出(いだ)すに至れば、淸國へ輸出して、良價(よきあたへ)を得らるべし。其製法ハ、殼付の儘(まヽ)、熱湯に投じ、煑(に)て、柱、及び、尖股狀(さんまたぜう[やぶちゃん注:ママ。「さすまた」は「さんまた」とも書き、漢字も「杈・刺股・刺又(叉)・指又(叉)」などが使われが、「尖股」とも書く。但し、「狀」は「じやう」である。])の帶(おび)をとりて、乾燥するもの、とす。此(これ)、淸國にて『帶子(たいし)』の名ある所以(ゆへん[やぶちゃん注:ママ。])なり。

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