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2026/06/19

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その5) 貽貝

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]

 

  貽貝

貽貝(いかひ)ハ、「倭名鈔」に『伊加比(いかひ)、一名、黑貝(くろかひ)』とす。「海味索隱(かいみさくいん)」に『淡菜(たんさい)、土名(どめい)ハ、穀菜(こくさい)と名(なつ)く』とあり。或(あるい)は、『東海夫人(とうかいぶじん)』、『海蜌(かいへい)』等(とう)と名く。「延喜式」宮內部(くないぶ)に載する所の往古(わうこ)の朝貢品(てうこうひん)たり。「舊事記(くじき)」に『黑貝(くろかい[やぶちゃん注:ママ。])』とし、又、『けかひ』『からすかひ』の名あり。今、中國[やぶちゃん注:本邦の山陰山陽地方を指す。]にて『せとかひ』、三陸地方にて「ひよりかひ」といふ。「本朝食鑑」に曰く、『殼ハ、蚌(ぼう)に類(るい[やぶちゃん注:ママ。])し、肉、微赤(びしやく)、蚶肉(かんにく)に似たり。海人(あま)、之を食(しよく)す。細(こまか)に切り、曝乾(さらしほし)て、四方(よも)に送る【中略。】。今、參・勢(さんせい)[やぶちゃん注:三河と伊勢。]の守令(しゆれい)、之を貢獻す。「本朝式」にも亦、『若狹・三河、之を貢す。』とありて、往古よりの朝貢品たり。而して、淸俗は、之を『淡菜(たんさい)』と稱し、嗜好するを以て、本邦より輸出する、年々に、增加せり。

[やぶちゃん注:これは、

斧足綱翼形亜綱Pteriomorphiaイガイ(貽貝)目イガイ科イガイ属イガイ Mytilus coruscus Gould, 1861

である。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『外見は同属の外来種ムラサキイガイ M. galloprovincialis に似るが、イガイは日本沿岸の在来種で、より大型で殻も厚いこと、殻頂が鷲鼻状に曲がること、表面が青みを帯びないことなどで区別できる。またムラサキイガイは』、『波が穏やかな内湾に多いので、生息域でも区別できる』。『日本での地方名は多く、イノカイ、セトガイ、シュウリガイ、カラスガイ、ニタリガイなどがある。なお、カラスガイはイシガイ科(Unionidae)の一種であるCristaria plicataの標準和名であるので注意を要する。また、本種の学名のシノニムに』Mytilus crassitesta Lischke 1861『がある』。『北海道南部から九州にかけて。その他、朝鮮半島および中国北部(渤海・黄海・東シナ海)にも分布』(因みに、「維基百科」の同種の臺灣正體では、現在では「絲綢殼菜蛤」であり、中國大陸では、「厚殼貽貝」(簡体字「厚壳贻贝」)である)。『南西諸島には分布していないとされてきたが、1996年1月、西表島の海岸に殻が漂着したという報告がある』。『成貝は殻長12-15センチメートル・殻幅6センチメートルに達する。殻は厚く、やや膨らむ。殻の表面は褐色を帯びた黒色で光沢がある。なお、殻皮の光沢はそれほど強くない。殻表に毛は』、『ない』。『殻の内側は』、『青色を帯びた白色で真珠光沢が強い(真珠が入っていたという報告もある)。後筋痕は丸く、大きい』。『外洋に面した潮間帯から水深20メートルくらいまでの岩礁域に生息する。足から多くの足糸を出し、自分の体を岩などへ固定する。産卵期の中心は3月-6月である。8ヶ月で3センチメートル、2-3年で10センチメートルに達する。大型のものは雌が多く、性転換をすると考えられている。宮城県水産研究開発センターの実験によると』、『水深3メートルの水中に垂下した本種の生存率は良好で、田邉徹は、潮間帯における干出は本種の生残にとって必ずしも必要条件ではないと考察している』。「毒性」の項。『毒を持つ藻類アレキサンドリウム・カテネラ(旧学名: Gonyaulax catenella )』(☜ これは誤りである。Gonyaulax catenella が現在の新分類基準に於ける正式学名であり、旧学名はアレキサンドリウム・タマレンセ Alexandrium tamarense である。)『の食物連鎖によって、致命的となりやすい麻痺性貝毒』『を持つようになる。季節的に毒の貯蓄量が異なり、A.catenellaが大量に発生して赤潮になったりすると』、『連動して毒化する。消化管や中腸腺などの内臓の毒性は強いが、貝柱や外套膜などの筋肉には毒性がほぼ見られない』。『日本語の「イガイ」は、中国語の「貽貝」からの借用であり、「貽」の発音は「イ」であり、意味は「赤い身の貝」でる。また、天保』六(一八三五)『年刊行の』「名言通」(服部宜の手になる辞書)『では「異貝(イガヒ)の意」』とし、「日本語源原學」(林甕臣(はやしみかおみ)著・昭和七(一九三二)年刊)『では「否貝(イナガヒ)の義」と記されている』。『日本では地方名も多く、以下の様なものがある』。

・『植物のシウリに由来する語』とする『シウリ、シュリガイ、シウリガイなど』。

・『貝殻が黒いことに由来する語』とする『カラスガイ』『クロガイ』『クロクチ』『セクロ』『ツバクラカイ』など。

◎『軟体部が女性器に似ることに由来する語』とする『ソックリガイ』『ツボ』(これは『女性器の隠語の』一『つ』である『「壺」から』)『ニタリガイ』『ヒメガイ』『ボボガイ』(「ボボ」はウィキの「ボボ」の第一説にある通り、『女性器や性行為を表す言葉』で『江戸時代には喜多川歌麿の浮世絵にも登場した女性器を表す古語であるが、九州では現在も方言として使用されている』ものである。有名な話に、昔、「ボボ・ブラジル」というアメリカのプロレスラーがいたが(実は、本来は“Boo-Boo Brazil”(ブーブー・ブラジル」であったが、プロモーターが誤って、この名で広告に印刷してしまい、そのままとなったというオチがあった)、九州地方では「ボボ」が放送禁止用語であったため、「ポポ・ブラジル」に変えていた)『ヤリガイ』(『性行為を意味する「遣る(やる)」から』)、『ヨシワラガイ』『吉原遊廓にちなむ』もの。

・『獲れる地名に由来する語』とする『セトガイ』(『瀬戸貝(瀬戸内海)』)、『センダイガイ』(『仙台貝(仙台湾)』。

・『その他』『サンバシガイ』は『桟橋に付着することが多いから』、『タチガイ』は『立貝』で『殻を立てるように付着することから』、『トビノクチ』は『形状をトンビの嘴に見立てたもの』、『ネコノミミガイ』は『貝の形状を猫の耳に見立てたもの』、『ハシバシラ』は『橋』桁(げた)『に付着することが多いから』。

本種は、『日本では古くから食用に利用されており、貝塚から出土例がある。また』、「土佐日記」の承平五(九三五)年一月十三日『の条に』、『イガイとアワビのいずし』(貽鮓)『について記述がある』。

   *

★ここで、ちょっとブレイクして、私の十三年前の『海産生物古記録集■2 「筠庭雜錄」に表われたるホヤの記載』を読んでもらおう。イガイに言及しており、私の大学時代の卑猥系の「土佐日記」の論文(ちゃんと「優」を貰った)の話も添えてある。

   *

ウィキに戻す。『現在でも分布域沿岸では食用に漁獲される。春は特に美味だが』、『大規模な流通はせず、主に漁獲地周辺で消費される。新しいものはナマで酢の物などで食べるほか、煮物、焼き物、揚げ物、シチューなどに利用する。素焼きの』焙烙(ほうろく)『で蒸し焼きにした』焙烙『蒸しが』、『特に美味』である(私は、南紀白浜で、この焙烙焼きで食したが、非常に美味かった)。『鳥取県では』、『炊き込みご飯(いがい飯)に利用される』(今度、行ったら、絶対食うぞ!)。『養殖の可能性についても研究が行われており、田邉徹によると3歳の個体は1個100グラム以上で出荷できる。また、単価も期待されることから震災からの復興のための新規養殖品目としても期待できるとしている』。『中国でも海紅、東海夫人などと呼び、食用に利用する。また、乾燥したものを淡菜と呼び』、『生薬の一種として利用する。白帯下に効果があるという』。なお、『清少納言は徳島県鳴門市で亡くなったという伝説がある』が、一説に『地元の漁民に』、『着物や持ち物を奪われ』、『凌辱されそうになった清少納言は、自らの貝を切り取って海に捨て命を絶った。それ以来』、『この地ではイガイを産するようになったという』(凄絶!!!)。『クロダイ、石鯛などの釣りエサとして利用されることもある』とあった。

 さても。私の記事では、流石にワンサカある。古い順に、ビジュアルなものも選んで示しておく。

『カテゴリ 武蔵石寿「目八譜」 始動 / 「東開婦人ホヤ粘着ノモノ」 ――真正の学術画像が頗るポルノグラフィとなる語(こと)――』

『武蔵石寿「目八譜」 烏介藤壶粘着ノモノ』

「大和本草附錄巻之二 介類 淡菜 (イガイ)」

「大和本草卷之十四 水蟲 介類  淡菜(イガイ)」

「土名」聴かない熟語だが、「各地地方の土俗での呼称」の意であろうことは、推定される。

 

 方今(はうこん)、產出の地方は、伊勢・三河、多く、伊豫・筑前・周防(すはう)、之に亞(つ)き[やぶちゃん注:ママ。「ぎ」。]、其他(そのた)、志摩・伊豆・陸前等(とう)を初め、諸國の海に產するも、乾製するの地方は、甚だ、少なし。

 

 乾製法は、介殼(かひから[やぶちゃん注:ママ。])の儘《まヽ》、熱湯に入れ、凡そ一時間許(ばかり)、煮て、其介殼を取り捨て、淸水(せいすい)壹斗へ、鹽、凡《およそ》五合を混和し、此中に肉を入れ、凡そ三十分間程、煑て、筵(むしろ)のに並べ、大陽(たいやう)[やぶちゃん注:漢字はママ。]に乾し、堅くなるに至れば、永く貯藏するも、腐敗するの憂(うれい[やぶちゃん注:ママ。])なし。三河國の如きは、往古《わうこ》、之を、貢獻したりしも、中古より廢絕して、終(つゐ)に肥料となすに至りしが、弘化の頃、渥美郡(あつみこほり)日出村(ひのでむら)小久保勇治郞(こくぼゆふじらふ[やぶちゃん注:ママ。])なる者、剥身煮乾法(むきみにほしほふ)を發明したれども、尋常の煮法(にはう)なれば、貯藏して、久(ひさしき)に堪(たえ)ず。玆(こヽ)に、大坂の人、天野治平(あまのぢへい)なるもの、あり。共に力を盡し、改良して、目今(もくこん)、淸國貿易品となすに至れり。

[やぶちゃん注:「弘化」一八四五年から一八四八年まで。徳川家慶の治世。

「渥美郡(あつみこほり)日出村(ひのでむら)」現在の愛知県田原市(たはらし)日出町(ひいちょう)。「ひのでむら」は「ひいむら」の誤り。ここ(グーグル・マップ)。独身時代、数少ない独り旅で行ったところだ。恋路ヶ浜の直近である。]

 

 此ものは、輸出品從價稅の一種にして、「唐方渡俵物諸色大略繪圖(たうはうわたしひやうもつしよしきだいりやくゑづ)」と題したる書を閱(けみ)するに、『干瀨貝(ほしせとかひ)は、江戶、並(ならび)に、淡路、其外、中國、邊所々(へんしよへんしよ)の出產にして、唐方買渡直段(たうはうかひわたしねだん)、一斤に付《つき》、二匁五分八厘。』と、ありて、從來より髙價(かうか)に販賣したりといふ。淸國輸出の額は、年々に、多きに至れり。各港稅關調査(かくこうぜいくわんてうさ)によれば、去(さる)明治八年には、僅(はづか)に壹萬八千二百九十六斤、其價(そのあたい[やぶちゃん注:ママ。])千六百五十八圓なりしも、仝(おなじく)、十年に至るまで、年々、增加し、十二、十三兩年には、少しく減じ、又、十五年には、八十萬五千二百六十四斤、代價八千九百四十三圓八十二錢に至り、又、十六年には、八十七萬六千五百七十斤、代價三萬四千九百十四圓九十四錢の多きに至れり。

[やぶちゃん注:「唐方渡俵物諸色大略繪圖」これは、「からかたわたしたわらものしょしきたいりゃくえず」で、歴史的仮名遣では「からかたわたしたはらものしよしきたいりやくゐづ」が正しい。しかも、これは、サイト「ルーラル電子図書館」の『日本農書全集』の第五十巻の「収録農書」に、『中国への輸出海産物である俵物(海鼠=干しなまこ,干しあわび,ふかひれの3点)と諸色(昆布など俵物以外の乾物)の製法や規格を彩色図入りで解説』したものである、とあった。国立国会図書館デジタルコレクションの「支那貿易說」(陽其二著・明治一一(一八七八)年一〇月製紙分社出版刊)のここに、

   *

右同断[やぶちゃん注:右丁の「唐方買渡直段」を指す。]

 貳匁五分八厘

   干瀨貝《ひせがひ》

    江戶并《ならびに》淡路其外中國邊《あたり》所々《しよしよ》

    出産有之《しゆつさん これ あり》

   *

とあるのが、このイガイの剥き身の干物である。

「壹萬八千二百九十六斤」十・八二九六トン。

「八十萬五千二百六十四斤」五十一・一五八四トン。

「八十七萬六千五百七十斤」五百二十五・九四二トン。]

 

 在香港本邦領事(ざいホンコンほんはうりやうじ)の報ずる所によれば、該地方の販賣に適するは、大形(おほかた)にして、黃色を帶び、乾燥の良(りやう)なるを、『上品』とし、小形にして、濕氣を含み、且つ、鹹味(かんみ)[やぶちゃん注:塩辛い味。]、厚濃(こうのう)なるを、『下品』とす。「支那貿易指導」に、『淡菜(たんさい)は、逼羅(シヤムロ)より來(きた)る。』と、ありと雖ども、淸國亦、少しく、之を產せり。而して、古來より、淸國人の賞賛するところのものにて、「異魚圖賛(《い》ぎよづさん)」にも『帷箔(ははく)に、益(えき)あり。求(もとむ)るに、象(ぞう[やぶちゃん注:ママ。])の類(るい[やぶちゃん注:ママ。])を以てし、一(いちきよ)を爲(な)すに湛(た)ゆ。』とす。其貴(たつと)きを、知るべし。

[やぶちゃん注:「支那貿易指導」東洋文庫版の後注に、『未詳。』とするのみ。これ、国立国会図書館デジタルコレクションの横断検索で見てみるに、本書を含め、四種(一つは同一書であるから、実際には三種)掛かってきたが、それらを見てみると、刊行された書籍ではなく、当時の中国との貿易に於ける「指導マニュアル」だったのではないか? と思われた。

「逼羅(シヤムロ)」現在のタイ王国の古称。

「異魚圖賛」これは、明の楊慎の撰になる「異魚圖贊」(四巻)のこと。同名の書名は日中に複数あるので、注意が必要である。楊愼(一四八八年~一五五九年)は、明の優れた文人。当該ウィキによれば、一五一一年『の会試に第2位、殿試では24歳で第1位(状元)となり、翰林修撰を授けられる』。一五一四年には『経筵展書官となり』、『「文献通考」を校訂する。楊慎は時の皇帝であった武宗正徳帝が宣府鎮・大同鎮・楡林鎮などを軍人訓練と称して巡回』と称して『遊蕩にふけっていたことを憂い、たびたび切諫』(せっかん:頻りに諫めること・強く諫めること・痛切に諫言することを言う)『したが』、『聴かれなかった。世宗嘉靖帝が即位し』、『経筵(皇帝に対し講義をする役職)を開いたとき』、『その講官となり』、『「尚書」を進講した』。一五二三年には『「武宗実録」を編纂』した、しかし一五二四年、『父の楊廷和が大礼の議問題のために内閣大学士を辞任し、さらに桂萼』(けいがく)『・張璁』(ちょうそう)『らが起用されたことに反対し、皇帝に再三』、『具申したため』、『平民に落とされ』、『雲州永昌衛に流刑となり』、そこで没した。『享年72。著述は百余種におよび、ほとんど』三千『巻に近いという』とある博覧強記の博学者でもあった。当該記事は、「維基文庫」のここで電子化されている(四庫全書本)。その卷四に以下のようにある(一部に手を入れた)。

   *

東海夫人【淡菜】

東海夫人淡菜有殻形雖不典而益帷箔求以象類堪爲一𠽁

   *

 訓読してみる。

   *

「東海夫人」【「淡菜」。】

「東海夫人」は「淡菜」なり。殻(から)、有り、形(かたち)、典(つかさ)どらずと雖(いへど)も、而して、帷箔(ゐはく)に益(えき)す。類(るゐ)を象(かたど)るを求(もと)むれば、以つて、一𠽁(いつきよく)を爲(な)すに、堪へたり。

   *

意味深長の朦朧体であるが、本文を訳すなら、

   *

「東海夫人」とは「淡菜」のことである。殻の形はあるが、整っておらず、立派ではないけれども、婦人の閨房の帳(とばり)の中にあっては、重宝される。敢えて、その形状が、女性のそのものの一つの大事なシンボルとして見立てることに、十全に堪えるのである。

   *

と言ったニュアンスであろう。]

 

 淸國の需用地は、其境土(きやうど)、極めて廣く、其人口、甚だ、多く、且つ、之を嗜好するところにして、既往に徴(てう)して考れば、年々、其販路を擴め、本邦、之を產するの多きを以て、將來、輸出額を數倍(すばい)に至らしむるや、必(ひつ)せり。然(しか)れども、此「いかひ」なるものは、有管類(ゆうくわんるい[やぶちゃん注:ママ。])にして、海中の巖石(がんせき)に固着生活するものにして、其成長、三年を經(へ)ざれば、較(やや)、肥大に至らじ。多少(だいしやう)[やぶちゃん注:ママ。「大小」の誤りであろう。]を滅(ひら[やぶちゃん注:ママ。「へら」。])さず、捕獲するときは、二、三年間は、細少の兒介(じかひ[やぶちゃん注:ママ。])のみにて、其利を見ざること、あり。故(さん[やぶちゃん注:ママ。「ゆゑ」の誤植。])に、產卵成長禁捕繁殖(さんらんせいちやうきんほはんしよく)の法を、設けざる可(べか)らず。

[やぶちゃん注:「有管類」体内に、水を取り込む「入水管」と、逆に出す「出水管」を持つ(それがはっきりと見える)斧足(二枚貝)類のグループに対する見かけ上の古い分類語。]

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