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2026/06/13

甲子夜話卷之九 二 又同人の事

9―2 又同人の事

 又、此侯のことを聞(きき)たるは、在職中の事なり。

 中澤道二(なかざはだうに)とて、心學の一流を唱へ、一時、都下に鳴(な)れり。

 當時、權門勢家(けんもんせいけ)も、多く、延致(ゑんち)す。

 又、假字(かな)の著述、多し。

 曰(い)ふ、

「人は、とかく、堪忍(かんにん)第一なり。堪忍を旨(むね)とせざれば、事成らず。」

と、書(かき)て、道歌(だうか)を載(の)す。

 堪忍がなる堪忍が堪忍か

      ならぬ堪忍するが堪忍

 世、以て、賞傳(しやうでん)して、皆、相誦(あひじゆ)す。

 一心齋、心に悅ばず。

 一日(いちじつ)、道二を其邸(そのやしき)に招く。

 期するに、巳牌(みのこく)を以てす。

 道二、至(いたり)て謁を通ず。

 謁者(えつしや)、不ㇾ出(いでず)。

 やゝありて、出(いで)、道二、來(きた)れることを告ぐ。

 謁者、入(いり)て、又、不レ出(いでざる)こと、良(やや)、久(ひさ)し。

 日、已(すで)に午(ご)に及べども、如ㇾ初(はじめのごとし)。

 道二、やゝ空腹になり、人を呼べども、人、無し。

 とかくする中(うち)に、自鳴鐘(じめいしよう)の音、聞(きこ)ゆ。

 申時(さるどき)なり。

 道二、しきりに、人を呼(よぶ)こと、厲(はげ)し。

 而後(しかるのち)、用人(ようにん)、徐徐(ゆるゆる)として、出づ。

 道二、乃(すなはち)、

「應召して來れる。」

ことを、言ふ。

 用人、入(いり)て、

「やがて、奧に通らるべし。」

と云(いふ)。

 道二は、

『主人、出邀(いでむかふ)にや。』

など、心中に思(おもひ)ながら入(い)るに、案外に、酒宴の席にて、盃盤(はいばん)、狼籍(らうぜき)たり。

 道二、至ると、坐客の中(うち)、卽(すなはち)、

「一盃(いつぱい)を獻(けん)ぜん。」

迚(とて)、數合(すがう)を容(いるる)べき大盃(おほさかづき)を傾(かたむけ)て、道二に、さす。

 少婦(せうふ)、起(たち)て、滿酌(まんしやく)す。

 道二は、

「下戶(げこ)なり。」

と、言(いひ)て辭(じ)す。

 客、强(しい)て、不ㇾ止(やまず)。

 道二、固く辭す。

 客、怒りて、

「人のさす盃を飮まざるは、不敬なり。」

と云(いひ)て、盃酒(はいしゆ)を道二の頂(いただき)に濯(そそ)ぐ。

 道二、大(おほい)に嗔(いか)り、

「道(みち)の爲(ため)に人を招き、かゝる擧動は。」

と、云(いひ)て、坐を起(たた)んとす。

 時に、一坐の諸人(しよじん)、同音に、

「ならぬ堪忍、するが堪忍、」

と、高聲(かうしやう/たかごゑ)に唱へ、

「足下(そくか)の心學、未熟なり、未熟なり、」

とて、

「どつ」

と、笑(わらひ)たり。

 道二、大(おほひ)に愧(はぢ)て逃還(にげかへ)れり、と。

 

■やぶちゃんの呟き

「又、此侯」前話の池田治政を指す。

「在職中」治政の在職は明和元(一七六四)年から寛政六(一七九四)年。

「中澤道二」(なかざわどうに 享保一〇(一七二五)年~享和三(一八〇三)年)は、当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『江戸時代中期から後期にかけて活躍した石門心学』(せきもんしんがく)『者』(江戸中期の思想家石田梅岩(一六八五年~一七四四年)を開祖とする倫理学の一派。平民のための平易で実践的な道徳教であった。単に「心学」とも呼ぶ。様々な宗教・思想の真理を材料として、身近な例を使って判り易く忠孝信義を説いたもの。当初は都市部を中心に広まり、江戸後期にかけて、農村部や武士を含めて全国的に普及した。以上はウィキの「石門心学」に拠った)。『道二は号で、名は義道。京都西陣』の『織職の家の出身で、亀屋久兵衛と称した』。『一度』、『家業を継いだのち、40歳ごろから手島堵庵に師事して石門心学を学んだ。その後江戸に下り、1779年(安永8年)に日本橋塩町に学舎「参前舎」を設け、石門心学の普及に努めた。道二の石門心学は庶民だけでなく、江戸幕府の老中松平定信をはじめ、大名などにも広がり、江戸の人足寄場における教諭方も務めている』とあった。

「延致」丁寧に人を招くこと。

「假字」「假名」に同じ。「眞名」(日本漢文)の反対語。一般には片仮名(カタカナ)・平仮名(ひらがな)を指すが、広義には万葉仮名を含めても言う。但し、実際に彼の板本を見たが、普通の漢字かな(カナ)混じりである。

「堪忍がなる堪忍が堪忍か ならぬ堪忍するが堪忍」知られた格言だが、「道二翁道話」に載る、彼の作である。

「相誦」あまり見かけない熟語であるが、意味は取れる。「二人以上で声を合わせて一緒に唱えること」「互いに唱え交(か)わすこと」である。

「巳牌」巳の刻。凡そ午前九時から十一時相当。

「自鳴鐘」歯車仕掛けで、自動的に鐘が鳴り、時刻を知らせる時計。十二世紀の末ごろ、日時計・砂時計に替わってヨーロッパで発明され、日本には室町時代に伝えられた。

「申時」凡そ午後三時から五時相当。

「厲し」この漢字は音「レイ」で、訓は「といし・とぐ・はげしい・はげむ・えやみ・やむ・わざわい」である。

★なお、高木元先生のサイト内のここで、本テクストの現代語訳が載り、さらに、柴田嶋翁「鳩翁道話」壱之上の石崎墓園「暁牌漫筆」(『昭和詩文』第22峡第7集掲載)の訳(こちらの話は中沢の優れた一面を書いたもの)が読める。

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