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2026/06/15

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その3) 乾揚卷

河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その3)

[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。]

 

   乾揚卷《ほしあげまき》

 揚卷貝(あげまきかい[やぶちゃん注:「かい」はママ。以下、この注はしない。])は一《いつ》に『總角介(そふかうかい/あげまきかい)』とも書(しよ)し、漢名は『蟶(てい)』にして、其肉の乾(ほし)たるを『乾揚卷(ほしあげまき)』といふ。淸國人、之を『蟶干(ていかん)』と稱し、本邦より淸國へ輸出の重要品たり。然(しかる)に、古來、本邦人は『蟶』と『竹蟶(ちくてい)』とを誤傳(あやまりつたふ)る、久(ひさ)し。「新撰字鏡(しんせんじきやう)」に『蟶』を『萬天(まて)』と訓し、「倭名鈔」亦、同訓を以て、一名を『馬蛤(まて)』とす。

「大和本草」「本草綱目啓蒙」「貽顏齋貝品(いがんさいかいひん)」「目八譜(もくはちふ)」「六百貝品(《ろく》ひやくかいひん)」等(とう)、皆(みな)、『蟶(てい)』を『まて』とし、『竹蟶(ちくてい)』を「あけまき[やぶちゃん注:ママ。]」とせり。「大和本草」「蟶(てい)」の條下(でうか)に曰(いは)く、『筑後にて「あげまき」と云ふ物あり。「まて」に似(にた)り。是亦、同類異物なり。「玉筋蟶(ぎよくきんてい)」は「まて」の小(しやう)なるもの、又、七、八寸ある大(だい)なる「まて」あり。』と。然(さ)れども、『蟶(てい)』は『あげまき』にして『竹蟶(ちくてい)』は『まて』なること、明(あきらか)なり。

[やぶちゃん注:「揚卷貝」軟体動物門斧足(二枚貝)綱異歯亜綱Heterodontaマルスダレガイ(丸簾貝)目マテガイ(馬刀貝)上科ユキノアシタガイ(雪の朝貝)科Pharidaeアゲマキガイ(揚げ巻貝)属アゲマキガイ Sinonovacula constricta 当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『別名としてチンダイガイ(鎮台貝)等がある。またマテガイと混称されるので注意が必要である』。『学名は中国のカミソリの意で、英名は』Jack knife clam『、和名は揚巻の形に似ていることに由来する』。『自分の殻長の7~8倍の穴を掘り、その中で生活する。海水中の餌を』濾し採って『食べる。産卵期は10月~11月上旬、盛期は10月中旬頃である』孵化『後』、『海中に漂う期間は6日間ほどで、貝類としては短い』。『外殻は細長く』、『両端は円形で』、『殻頂は』、『やや左側へ寄っている。成長線ははっきりしており、表面は黄緑色であるが、殻皮が脱落している場合は白色を呈する』。『分布域は、日本、中国の遼寧省、河北省、山東省、 浙江省、福建省、広東省等の海域で、河口や汽水の内湾の潮間帯下部付近の干潟に多く見られる』とあるが、どうも食い足りない解説だ。まず、「佐賀県有明海漁業協同組合」公式サイト内の同種の記載を見よう(末尾に『佐賀県水産課「佐賀のさかな図鑑」より』とある)。「地方名(方言)」に『アゲマキ、チンタイガイ、ヘイタイガイ』とあり、「主な漁場」は『河口の岸近くや護岸堤防周辺の砂泥、軟泥干潟域(最干潮線以浅)』とし、「漁期」は『5~9月』、「主な漁法」として『手堀り、釣り(鉤型金具)』とする。『有明海のほか、八代海にも分布し、泥や砂泥質の干潟の地盤の高い所に多い』。『アゲマキは揚巻と書くが、聖徳太子の耳の横でB字に束ねられた髪型』(この場合は「総角」と表記する)『、あるいは花魁(オイラン)の髪型、カブトの結び目をいずれも揚巻といい、これらの形に似ているところからきている。学名は中国のカミソリの意、英名はジャックナイフといい、和名の典雅な由来に比べて』、『いささか素気ない』。『干潟の中でも最も岸より(地盤の最も高い所)に、深さが自分の殻の長さの7~8倍もある穴を掘って、その中で生活しているが、マテガイに似た前後に細長い体形は、穴を掘ったり、その中を移動したりするのに適している。潮が引いているときは、この穴の下の方にいるが、満ちてくると、干潟表面近くに上がって海水を吸い込み、その中の餌をこしとって食べている。海水に浸かっている(冠水)時間が長いほど、餌を食べる時間も長くなるので、当然、成長もよくなる。アゲマキ養殖は、この性質を利用し、春先に岸よりにいる稚貝をとって、冠水時間が長い沖合に蒔きつけ、成長を促しているのである』。『産卵期は10月~11月上旬、盛期は10月中旬頃である。ふ化後海中に漂う期間は貝類の中では短い6日間ほどで、殻長0.22mm前後で、底生生活を始める。浮遊期には普通の二枚貝のような丸い形をしているが、干潟に潜り始めると、急速に細長くなる』。『独特の風味があり、バター焼き、塩焼き、煮物、吸い物などにしておいしく、まさに有明海の味がする』(私は上海で食したが、まことに美味である)。而して、本邦での危機状況は、実は、深刻である。そこをしっかり突いているのは、何時もお世話になっている「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページがよい(太字は私が附した)。画像キャプション『貝殻は薄く長さ9cm前後になる。黄色、茶褐色の殻皮をかむり、後方(蝶番を上にして向かって左)で縮れる』とあり、「由来・語源」の項。『『渚ノ丹敷』(1803年享和3年 曾永年)より岩川友太郎。アゲマキは有明海周辺での呼び名。「あげまき」とは古く子供の髪型のひとつ。髪を左右で分けて角状に巻き上げたもの。この2つの角状のものがアゲマキガイのふたつの水管に似ているためだろう』とされる。「地方名・市場名」は、『マテガイ ヘイタイサンガイ ヘイタイギャー ヘイタイガイ[兵隊貝] チンダイギャー チンダイガイ[鎮台貝] チンタイガイ カミソリガイ キヌガイ タチガイ チンポガイ ヘコギャー ホウネンガイ マテ ヨコガイ ヨコメガイ』とある。『汽水域、海水生。瀬戸内海、九州から朝鮮半島、中国。干潟の潮間帯』とされるが、直下に『有明海に残存する可能性はあるが、国内ではほぼ絶滅したのではないかと思う』とあるのである。「生態」の項。『産卵期は10月〜11月』で、『岸に近い干潟の高い周辺に貝殻長の7倍〜8倍の深さの穴をほって生息』とある。以下の「基本情報」でも、『古くは瀬戸内海、有明海などでたくさんとれていたもの』で、『クセがなく煮ても硬くならないので人気のある二枚貝であった』が、『それが』、『瀬戸内海では』、『ほぼ絶滅』であり、『有明海でもほとんど見られなくなっている』。『現在市場流通しているほとんどが韓国産』で、『市場などではマテガイと呼ばれているが、科を異にする』と明らかにされておられ、『市場で見かけるのは』、『ほとんどが韓国や中国からの輸入もの。国産は非常に希。国内では有明海に少ないながらも生息しているだけ』とある。但し、漁業関係の複数の記載には、有明海では回復の兆しが見られ、限定的であるが、漁獲再開しているともあった。何んとも判断し難いが、私は「ぼうずコンニャク」氏の見解を支持したい。さらに、★下方の「歴史・ことわざ・雑学など」で、『■ナタマメガイ科で唯一国産種(ナタマメガイ科の貝はアゲマキガイ一種類しかいない)。大陸性貝類の残存種(ユーラシア大陸とつながっていたときの種で、大陸から分離したときにも残った種)。』と、ウィキの出す学名が科タクソンで異なる記載がある。

BISMaLの分類ツリーでも、それを示す記載になっていた(和名記載は無し)。「日本のレッドデータ」で調べたところ、

ナタマメガイ科Pharellidae である。「刀豆貝・鉈豆貝」であろう。

「新撰字鏡」「鰑の說(その1)」で既注。

『萬天(まて)』マテガイ上科マテガイ科マテガイ属マテガイ Solen strictus であり、全くの別種である。それは次の「乾馬刀」で詳説する。

『「倭名鈔」亦、同訓を以て、一名を『馬蛤(まて)』とす』「卷十九」の「鱗介部第三十」の「亀貝類第二百三十八」に載る。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)板の当該部で推定訓読して示す。

   *

馬蛤(マテ) 「唐韻」に云はく、『蟶【音「檉」。「弁色立成」に云はく、「萬天(まて)」。】は蚌(ばう)の屬(たぐ)ひ。』。「本草」に云はく、『馬刀(まて)、一名は、馬蛤(まて)【和名、上に同じ。】。』。

   *

「大和本草」これは、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蟶(マテ)」で電子化注済みなので、参照されたい。

「貽顏齋貝品(いがんさいかいひん)」「怡顏齋貝(介)品」が正しい。但し、「怡顏齋櫻品(いがんさいあうひん」或いは、単に「櫻品」の呼称で呼ばれることが多い。本草学者(博物学者と言ってよい)松岡恕庵(寛文八(一六六八)年~延享三(一七四六)年:名は玄達(げんたつ)。恕庵は通称、「怡顏齋」(いがんさい)は号。門弟には、かの「本草綱目啓蒙」を著わした小野蘭山がいる)が動植物や鉱物を九品目に分けて書いた「怡顔斎何品(なんぴん)」の中の海産生物を記したもの。

「目八譜(もくはちふ)」旗本で本草学者で、江戸の博物研究会「赭鞭会」(しゃべんかい)の主要メンバーであった武蔵石寿(むさし せきじゅ 明和三(一七六六)年~万延元(一八六一)年)が、天保一四(一八四三)年に完成させた全十五巻十三冊からなる本邦の貝類書の大作。九百九十一種を収録した図鑑。図は服部雪斎の筆になる。採集場所は五十一ヶ国二百五十余所に及ぶ。現在の日本における貝の和名は、この図鑑で命名されたものが多い。]

 

「本草綱目」によれば、『蟶(てい)は、閔粤人(みんおうのひと)、田(た)を以て、之(これ)に種(う)ゆ。其肉を呼(よん)で蟶膓(ていちやう)と爲《な》す。』とあり。其他府縣志等(とう)の說も、皆、同一にして、之を「蟶(てい)」・「竹蟶(ちくてい)」・「石蟶(せきてい)」の三種に分(わか)てり。「閩書」に、『福州連江福寧州(ふくしうれんこうふくねいしう)に、最(もつとも)大(だい)なるもの、あり。又、竹蟶あり、蟶に似て、圓く、小竹節(せいちくせつ)に類す。其殼、文(もん)あり。石蟶あり。海底石孔中(せきこうちう)に生(せう)す[やぶちゃん注:ママ。「ず」。]。長さ、蟶に類(るゐ)し、圓(まる)く、尖(とが)り、上(うへ)、小さく、下、大きく、殼(から)、竹蟶に似て、紅紫なり。』とす。本邦、之を產する地方は、甚だ、少なく、獨(ひと)り、肥前・筑後・肥後三國に亘(わた)る『有明海』と稱する裏海(うらうみ)[やぶちゃん注:陸地に入り込んだ海。但し、普通は「りかい」と読む。]の泥濘(どろうみ)には、夥(おびたゞ)しく生殖(せいしよく)せり。而して、其生育の地は、泥濘の干潮(ひかた)[やぶちゃん注:ママ。「東洋文庫版」もママ。ここは「干潟」の誤記であろう。まあ、干潮で干潟になるから、意味は判る。]となる所の二十丁[やぶちゃん注:約二・一八二キロメートル。]內外の所にありて、近年に至りては、一年、凡(およそ)壹百萬斤の多きを淸國へ輸出するに至れり。然るに、此ものは、產卵後三ケ年を經るに非ざれば、長大に至(いたら)ず、乾製(かんせい)するも、利、少しと雖ども、小民(しようみん)、目前の利に走り、濫獲・粗製して、殆ど、聲價(せいか)なきが如し。元來、此ものヽ採收期の最も適度とするハ、產卵後三年目の四月より、八月の間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])にあり。九、十月の侯(こう)は、產卵の季にして採收の好季にあらざるなり。之を採捕するや、泥濘(どろうみ)を堀[やぶちゃん注:ママ。](ほり)て捕り、又、一種、『蟶突(あげまきつき)』なるものにて、採捕することもあり。而して、之を製するは、泥土を洗除(あらひのぞ)きて、釜に入れ、煮て沸騰するの度(ど)を量(はか)り、掬揚(すくひあ)げ、殼を放ち、肉を取り、再び、洗(あらひ)て淸淨(しやうじやう)ならしめ、又、之を煮て、取り出(いだ)して、莚(むしろ)に散布して、大陽[やぶちゃん注:ママ。](たいやう)に乾(ほす)こと、四、五日、極めて堅くなりたるとき、黴(かび)の生ぜぬ樣、壺、又は、箱に收(をさ)むべし。但(たヾし)、大・中・小を選別して、品位の差等(とう)を立(た)て、販賣すべし。然(しか)れども、大陽にて乾すの法(ほう)たる、若(も)し、雨天に際(さい)すれば、腐敗せしむるの憂(うれひ)あり。依(よつ)て、乾燥器を以(もつ)て乾製するの得策にしかざるなり。

[やぶちゃん注:『「本草綱目」によれば、『蟶(てい)は閔專人(みんたうのひと)、田』た)を以て、之(これ)に種(う)ゆ。其肉を呼(よん)で蟶膓(ていちやう)と爲《な》す。』とあり。』これは、私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「蟶」に出てくる。見られたいが、「閔粤」というのは、正しくは「びんえつ」と読み、「閩」は主に福建省、及び、台湾を指し、「粤」は主に広東省・広西チワン族自治区・香港・マカオ相当の広域を指す。良安は、より判り易い意訳訓読(以上の前半部のみ)をしている。以下に引いておく。

   *

蟶は、海泥の中に生ず。小さき蚌なり。長さ二、三寸にして、大いさ、指のごとく、兩頭、開く。其の形ち、長短・大小、一〔(いつ)〕ならず。其の類、多し。閩人〔(びんじん)〕、田を以つて、之れを種〔(う)〕へ、潮泥・壅沃〔(ようよく)〕を候〔(うかが)〕ふ。之れを「蟶田〔(しやうでん)〕」と謂ふ。其の肉【甘、溫。】、冷痢及び産後の虚損を治す【天行〔(てんかう)〕病の後、食ふべからず。】。

   *

 

 蟶干(ていかん)を、淸國に於て嗜好するの地方は、湖北・湖南・江西・河南・四川等の諸省にして、就中(なかんづく)、四川省を多し、とす。故に、其需用地は、甚だ、廣しと雖ども、如何せん、近年、粗製濫造の爲に、本邦產は、殆ど、價なきが如し。改良せずんば、あるべからず。

 

 夫(そ)れ、蟶(あげまき)は、殼、長く、兩端、開裂し、長き肉質の呼吸管を供(そな)ひ、泥濘(どろうみ)の中に生活し、卵生するものにして、適應の地には、容易に移殖し得らるヽものなれば、宜しく、繁殖を圖《はか》るべし。淸國にては、往古(むかし)より、之を、移して、繁殖せしこと、あり。「閩書」に、『蟶(てい)は、海泥(かいでい)を耘(たがや)すこと、田畝(でんほ)の若(ごと)くし、鹹淡水(かんたんすい)を浹雜(まじゆ)れば、廼(すなは)ち、濕生(しつせい)[やぶちゃん注:これは、「植物が湿潤な場所に生育すること」を言うが、蟶(てい)が米(こめ)と同じように生育することに掛けた比喩である。仏教の「濕生(しつしやう)」とは、私は関係はないと判断する。]すること、苗(なへ)の如し。移して。之を他處に種(う)ゆ。廼ち、長さ二、三寸(ずん)、殼、蒼白頭(あをしろかしら)に兩巾(りやうきん)あり、殼の外に出づ。種(うゆ)る所の畝(せ)を『蟶田(ていでん)』と名(なづ)け、或は『蟶堤(ていてい)』、或は『蟶蕩(ていとう[やぶちゃん注:ママ。])』といふ。亦、淸國人の話を聞(きく)に、『種蟶(しゆてい)』・『野蟶(やてい)』の別、あり。『種蟶』は、始め、閩人【福建地方。】、之(これ)を發明し、移殖するものを、いひ、『野蟶』は、天然(てんぜん)の產にして、閩省、浙江省、廣東省等(とう)の沿海に生ずるものにて、嶋嶼(とうしよ)の泥濘(でいど)・潮水(うしほみづ)の、至る所の低窪(ひくくぼ)の場所に生(せう[やぶちゃん注:ママ])ず、と。蟶(てい)の種は、其始め、浙江省臺州府より出で、無數米穀(むすふ[やぶちゃん注:ママ。]べいこく)の如く、これを、泥塗中(でいどちう)に散布すれば、其蟶、秩坭(ちつてい)を見(み)ば、必らず、其內(そのうち)に潜(ひ)み[やぶちゃん注:「(ひそ)み」の脱字であろう。]、朝汐(あさしほ)の後(のち)を經て、遂に泥濘(どろみづ)の中に直立し、其坭(そのどろ)を食ふに隨(したがつ)て、日々(ひヾ)、漸(やうや)く、成長す。或ときは、竹簞(ちくたん)に、髙(たかさ)尺餘の坭(どろ)を置き、蟶秩(ていちつ)を以て、之れに灑(そゝぎ)、種(うゆ)、と。是、種樫(しゆてい)の一法(いつほう)たり。

[やぶちゃん注:「秩坭(ちつてい)」全く見かけない熟語だが、私は、瞬時に理解出来た。「秩」は「人工的に作り上げ整えたもの」の意味で、「坭」は「泥」と同義ではある(「廣漢和辭典」で確認)が、これは、「どろどろではなく、やや硬めのある、蟶が安定して住み易い泥」の意であろう、と踏んだ。

「竹簞」竹で編んだ小さな入れ物。

「蟶秩(ていちつ)」以上で推定解読したように、アゲマキ住居用に工作した簡易の人工筒(と言うよりも文字通りのまさに挟み入れる「秩」である)、或いは、それらを埋め込んだ人工培地。]

 

 淸國人が蟶を採收するは、每年、兩度にして、卽ち、春種(はるたね)は夏收(をさ)め、夏種(なつたね)は秋に收む。是、其兩度の收(しう)なり。而して、收獲の期に至れば、臨時、之を取洗(とりあら)ひて釜中(かまのうち)に入れ、水より煑熟(しやじゆく)し、然後(しかるのち)に、曝(さら)し、且(かつ)、燥(ほ)せば、殼は、自(おのづか)ら脫して、肉、殘る。是、卽ち、『蟶乾(ていかん)』なり。然(しかる)を、浙江省の人は、重(をも[やぶちゃん注:ママ。])に鮮色(せんしよく)の佳(か)を知(しる)も、蟶乾の美(び)を食(くらは)ず[やぶちゃん注:底本は「す」であるが、訂した。]。福建省の人は蟶乾を好めり。而して又、湖南・湖北・江西等(とう)は、蟶乾の需用、頗(すこぶ)る廣(ひろま)り、該(がい)地方にては、重(おも)に豚肉(おんにく/ぶたのにく)と混煑(こんしや)して、其美味を貴(たつと)べり。其食法も一樣ならずと雖も、槪ね、蟶乾を水に浸し、砂を去り、能く洗ひ、豚肉を薄く切り、鍋に入れ、煎じ、其油氣(あぶらけ)にて、炒(い)り、豕肉(とんにく/ぶたのにく)ともに炒熟(せうじゆく)し、䀋梅(あんばい)をつけ、葱(ねぎ)を細(こまか)く切(きり)て入れ、煑て、汁(しる)となし、食す、といふ。

 蟶(てい)は、七月より、卵を胎(はら)み、十二月に產卵す。其卵(そのらん)は波上(なみのうへ)に交接し、甲介(かうかい)を生ずれば、泥沙(でいしや)に着き、成長す。粟粒(あはつぶ)位(ぐらい)のものは、水面に浮漂(ふひやう)して、風波(ふうは)の流動に隨ふ。二月下旬に至れば、大なるもの、米粒許(ばかり)にて、泥中(でいちう)に入(い)ること、漸(やうや)く一寸四、五分、終(つい[やぶちゃん注:ママ。])に深く入りて、其所を變ずること、なし。尙(なほ)未だ米粒に至らざるものは、泥に入ること、僅(わづか)に二、三分なり。故に其所、定まらず、冬季風(とうきかぜ)の模樣により、意外の地に生ずることあり。一月に生じたるものは、七月、殆ど一寸位に生長す。然(しかれ)ども、周年、捕獲し、未だ滿二年以上、生育の暇(ひま)を與ヘず。四、五年間、生長すと雖も、漸(やうや)く年を經るに從ひ、生長、遲緩なり。六年目より、生長の度(ど)、止(とヾ)まり、漸次(ぜんじ)、肉身(にくみ)、縮小す、と云ふ。然(さ)れば、滿二ケ年間を以て、生長の度とす。從來は、周年捕獲の業(げう[やぶちゃん注:ママ。「げふ」が正しい。])にして、更に期節を設(まうけ)ずといへども、二年目のもの【滿十ケ月以上の者】より、捕る。之を『新蟶(しんてい)』と云ふ。三年目のものより四ケ年目のものは、大(おほい)さ二寸五、六分に至る。之を乾燥するに、斤量、最も、多し。一年の中(うち)、產卵後、即ち、十二月は、肉、瘦(や)せ、介の中に坭土(でいど)を含む。故に乾製すべからず。最良の期は、秋彼岸より產卵前(ぜん)迄とす。秋彼岸前のものは、乾して、斤量の少きのみならず、動(やヽ)もすれば、腐敗し易く、且(かつ)、小蟲(せうちう)を生ずる憂(うれい[やぶちゃん注:ママ。])あり。故に、淸國人、買進(かひすヽ)まず、價格は、漸く百斤六、七圓より、十圓以內に止(とヾ)まる。彼岸後(ひがんご)に至りたる製品は、腐敗、及び、小蟲の生ずる憂なく、肉味、最も佳なり。故に、價格は、十四、五圓より、二十圓に達せり。滿二ヶ年以上のものは、十六個、又は、十七、八個を以て、一升に充(み)つ。之を『十六蟶(《じふろく》てい)』と稱す。二年未滿のものは三十個、一ケ年以下のものは、九十個より百個を以て一升(《いつ》せう)とす。今、此年數を分(わかち)て、製すれば、滿二ヶ年以上のもの、四、五升を以て、製品一斤を得る。滿二ヶ年以下一ヶ年以上のもの、六升より八升を以て、製品一斤を得る。滿一ケ年以下十ケ月以上のもの、一斗より一斗二、三升を以て、製品一斤を得るなり。此割合を以て計較(けいかく)するときは、一ヶ年の生長は、三倍の益(えき)あるものヽ如し。而して、「產卵後、卽ち、翌年一月中に製すれば、前記の分に、一升五合より二升を增すに非ざれば、製品一斤を得る能はず。」と云ふ。一人一日の捕獲高を調査するに、平均、三斗とす。

[やぶちゃん注:「秋彼岸」九月二十二日から二十四日の「秋分の日」を中日とした前後さん日間、計七日間の期間を指す。]

 

 捕獲の器具は、板鍬(いたくわ)と釣(かぎ)との二種なり。普通、板鍬を以て、堀[やぶちゃん注:ママ。]り取(とる)と雖ども、鉤(かぎ)を使(つかふ)ものハ、十中の二、三とす。鈎取(かぎとり)は、少年より其術に熟練せざれば、多く捕得(とりえ)がたし。

[やぶちゃん注:思うに、この記事は、古き日の日中の貴重なアゲマキガイ民俗学である。貴重な内容を、電子化することが出来て、私は、内心、嬉しく思っている。

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