阿部正信編揖「駿國雜志」(内/怪奇談)正規表現版・オリジナル注附 「卷之二十四下」「僞の橋」
[やぶちゃん注:底本はここから。句読点・記号を附加・変更し、段落を成形した。和歌は、文字の間が、すべて、半角、空いているが、再現しなかった。その代り、上句と下句を分離して字下げを大きくした。句読点があるのは、ママ。]
「僞《いつはり》の橋《はし》」
益頭郡《ましづのこほり》藤枝驛にあり。傳云《つたへいふ》、
「當村、僞の橋は、徃昔《わうじやく》、縉紳某《しんしんなにがし》、當國に左遷し、老母を伴ひ下《くだ》れり。常に紡績《ばうせき》を以て、命を保つ。
其子、是を視るに忍びず、遠く出《いで》て、資《かて》をもとめ、月を經て還らず。
母、獨り、悲《かなし》み、煩《わづらひ》て死せり。
子、家に歸り、深く、是を歎き、貯《たくはへ》る所の財を、木匠《もくしやう》に與へて、橋を作り、大覺禪師【禪師の諱《いみな》、詳《つまびらか》ならず。】に告《つげ》て、追善に備《ととの》ふ。
此橋、一夜のうちに、蟲《むし》、喰《くひ》、一首の和歌を現《あらは》す。
いきてたに、かけて賴《たのま》ぬ、露の身を、
死しての後《のち》は、僞の橋。
此橋は、白子町《しろこまち》・長樂寺町の境の橋を云《いふ》。國府より、西、五里計《ばか》りに當れり。」。
[やぶちゃん注:この橋は現在の静岡県藤枝市本町の「白子通り」と「長楽寺通り」の交差点(グーグル・マップ)である。「ひなたGIS」の国土地理院図の方を見ていただくと、交差点の南西外に小さな川が確認出来る。
「藤枝驛」当該ウィキに拠れば、『東海道五十三次の』二十二『番目の宿場である。現在の静岡県藤枝市の山沿い、同市本町および同市大手にかけての一帯に』当たる、とある。
「縉紳」小学館「日本国語大辞典」に、『(「搢」「縉」はさしはさむ、「紳」は大帯の意。礼装の際、笏(しゃく)を大帯にさしはさむところから)官位が高く身分のある人。また、貴族一般の称。』とある。
「藤枝市郷土博物館・文学館」の「藤枝の伝説・昔話」の「偽り橋のいわれ」を引用しておく。
《引用開始》
昔、若いお公家さんが年老いた母と一緒に藤枝に落ち延び、ひっそりと暮らしていました。お金を使い果たしてしまったお公家さんは、母を残してお金を得るために旅に出ました。しかし、1年たっても、2年たってもお公家さんは帰ってくる気配はありません。待ちわびていた母も、ついには寂しくて死んでしまいました。それから間もなく、お公家さんは大金を稼いで藤枝に帰ってきました。せっかくお金を稼いできたのに、もう母はこの世にはいません。そこで、親不孝のせめてもの償いになればと、稼いだお金で立派な橋を造りました。その夜のこと、虫が橋の柱を食って、「生きてだに、かけて頼まぬ、露の身を、死しての後は、いつわりの橋」という和歌を刻みつけました。これは、生きているうちは孝行しないで、死んでから孝行の真似事をしても、それは偽りの孝行だという意味なのだそうです。
《引用終了》]
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