甲子夜話卷之九 三 肥前佐嘉にては火毬降ることある事
9―3 肥前佐嘉にては火毬降ることある事
吾が永昌寺(えいしやうじ)の隣(となり)の宗源寺(そうげんじ)の住持(ぢうぢ)を、順道(じゆんだう)と云(いふ)。肥前佐嘉(さか/さが)領(りやう)の人なり。
「永昌寺に、語れり。」
とて、聞く。
「佐嘉にては、時として、天より、火毬(ひまり)、降ること、あり。里人、「テンピ」と謂ふ【「テンピ」は「天火」なる當(べ)し。】。
火毬、おつると、地上を轉(てん)ず。
人、これを視れば、卽(すなはち)、簇(むらが)り、逐(お)ふ。
逐(おふ)とき、念佛を高唱(かうしやう)す。
逐へば、乃(すなはち)、囘轉して、逃(にげ)るが如(ごと)し。
因(よつ)て、郊外に逐行(おひゆき)て、野に轉(ころ)び入(いれ)ぱ、災(わざはひ)、なし。
逐(お)はざれば、人家(じんか)に轉び入(いり)て、火を發す。」
と云ふ。
奇(き)なること也(なり)。
■やぶちゃんの呟き
「吾が永昌寺」サイト「浄土宗寺院紹介」の「永昌寺」に拠れば、当初、永禄元 (一五五八) 年に浅草『下谷に下谷長者が開創した寺』で、寛永一四 (一六三七) 年に『現在の地』(台東区東上野のここ。グーグル・マップ。)『に移っているが、近辺は大名屋敷が多く、肥前藩主松浦壱岐守の妻、永昌院が開基となり、寺名に由来している』とあった。なお、この寺は、かの講道館柔道の発祥の地であることが書かれてある。
「宗源寺」永昌寺の西北西の直近にある、同じ浄土宗寺院。前のマップ・リンクで確認出来る。
「肥前佐嘉領」ウィキの「佐賀郡」に拠れば、『文献における初出は』「肥前國風土記」『(奈良時代初期・』八『世紀前半頃)で、佐嘉郡(さかのこおり)と表記された。一方』、「日本靈異記」(平安初期・』九『世紀前半頃)では肥前国佐賀郡とあるように』、『古代から江戸時代まで「佐嘉」「佐賀」両方の表記があった』とある。
「天火」「国際日本文化研究センターデータベース」の「怪異・妖怪伝承データベース」のこちらの「検索ページ」で、筆頭の「検索対象事例」に「テンピ」として本篇内容と同一内容が掲げられ、詳細カードには「地域(区町村名)」を『東松浦の山村』とし、『正体の知れない怪火で、大きさは提灯ほど。人玉のように尾を曳かない。佐賀県東松浦の山村では、これが落ちると病人が出るといって、鉦を叩いて追い出したといわれる。』とある。以下、「類似事例(機械学習検索)」に、熊本県(三件)・佐賀県・高知県(三件)(ノビ・ケチビ)・愛知県(オクリビ)・静岡県(グヒン・アキバシンカ)・静岡県(オチカビ)・京都府(タヌキノヒ)等が列挙される。それぞれの怪火の名のリンク先で詳細が読める。
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