河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その5) 田作
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここから。]
田作(たつくり)
田作は鯷(ひしこいわし[やぶちゃん注:ママ。以下、「いわし」は本文でも何度も出るので、注はしない。「いはし」が正しい。])を乾したるものにて、「延喜式」に『小鰯腊(こいわしきたひ[やぶちゃん注:ママ。])』と、ありて、俗に『伍眞米(ごまめ)』といふ。「漢語抄」「和名鈔」共に、『鯷魚(しぎよ)』を『比師古以和之(ひしこいわし)』と訓ず。『ひしこ』、一名『かたくち』、又名(またのな)『せぐろいはし』。此(この)小魚(こうを)は、『鰮魚科(をんぎよくわ)』に屬す。身の長さ、五寸位(くらい[やぶちゃん注:ママ。])を極度(きよくど)とす。其形(そのかた)の「いわし」に、較(やヽ)、類(るい)するを以て、世人(せじん)、之を混同して『「いわし」の兒(こ)』とし、又、『小鰛(こいわし)』と云ふ等(とう)、各地、皆、同(おな)し。然(しか)れども、『ひしこ』の名は『ひしこいわし』の畧(りやく)にして、『かたくち』の名は、下顎(したあご)、小《せう》にして、無(なき)が如きより、名(なつ)けたり。故に、俗は「ごまめのはぎしり」と云ふ諺(ことわざ)あり。是は、『齒ぎしりするも合(あ)ふことなし』との義にして、齟齬(そご)することを云ふ。是は『ひしこ』を形容すと云(いふ)へし。『ごまめ』は『田作』のことにして、乾物(ほしもの)を云ふ。又、「せぐろいわし」の名は、背部、深藍色(しんらんしよく)、幾(ほとん)ど、黑色(こくしよく)の看(くわん)をなすにより、名(なづ)く。是亦(これまた)、「いわし」と異(ことな)る所なり。此「ひしこ」の長(ながさ)、寸許(ばかり)の者を乾(ほし)たるは、『いりぼし』・『にぼし』・『ちりめんざこ』等(とう)の名あり。然(しか)れども、此內(このうち)には、『いわし』の兒(こ)も、交(まじ)りて、あり。故に、必ず、『ひしこ』のみとは、云ひかたし。又、『たゝみいわし』と云(いふ)は、『「いわし」兒(こ)』なれども、亦、『ひしこ』も交(まじ)るならん。『しらすほし』は、『しらす』の乾物(ひもの)にして、『しらす』は『ひしこ』と異(ことな)り、鱒科(まんくわ[やぶちゃん注:ママ。「ますくわ」の誤植。])に入(い)るべき小魚(しようぎよ[やぶちゃん注:ママ。「せうぎよ」。])にして『しらうを』と(ことな)り。以上、示す如きも、世人、之を混科(こんくわ)するのみならず、往々(をうをう[やぶちゃん注:ママ。「わうわう」。])、混淆(こんこう)するにより、遂(つい)に、辨別(べんべつ)しがたきに至るが如し。此ものは、本邦、往古(むかし[やぶちゃん注:二字へのルビ。])より、歲賀(さいが)、又ハ、婚儀の賀膳(かぜん[やぶちゃん注:ママ。一般には「がぜん」。])に供(きやう)し、民間日用の常菜(じやうさい)に用ひ、亦、稻粟(いなあは)の肥料とも、なし、水產物中の貨殖(くわしよく)[やぶちゃん注:「利殖」に同じ。]たり。而して、『ひしこ』の小(しよう[やぶちゃん注:ママ。])なるを、『ちりめんいわし』とも、いふ。之を、生のま〻、簀干(すぼし)にしたるを『たゝみいわし』といふ。『ひしこ』を『ひらご』といふ所も、あり。
[やぶちゃん注:まず、ウィキの「田作」を引く(注記記号はカットした)。『田作、または田作り(たづくり、たつくり)は、カタクチイワシ』(条鰭綱ニシン(鰊)目ニシン亜目カタクチイワシ(片口鰯)科カタクチイワシ亜科カタクチイワシ属カタクチイワシEngraulis japonicus )『の幼魚』(成魚は最大長で十八㎝、標準体長は十四㎝であるが、田作を製造している複数の業者の記載を見るに、傾向としては、より小さいものの中でも乾燥後に戱色に輝くものを上品とし、概ね四、五~七㎝のものを選んでいるようである)『の乾燥品、および』、『それを調理した料理。別名、ごまめ(鱓、五万米、五真米、古女)、ことのばら。正月のおせち料理、祝い肴』(ざかな)『として欠かせないものの一つである』。『乾燥させた小さいカタクチイワシを乾煎りし、冷ましてから、醤油、みりん、砂糖、赤唐辛子少量を煮詰めた液を絡めてつくる』。『健全』『を意味する「まめ」の字が入ること、豊作を祈念する祝い肴であることから』、古く『京都御所において年始の儀式用に用いられたことが、正月祝いや祝儀としてのはじまりとされる。田植祝い(さなぶり)』(平凡社「百科事典マイペディア」に拠れば、『田植終了後,田の神を送る行事。〈さのぼり〉とも,西日本では〈しろみて〉とも。田や水口(みなくち),屋内の荒神や竈(かまど)神に苗を供え,田植に参加した人を招いて祝宴をはり(早乙女(さおとめ)を特に上座にすえた),のち』、『忌』(いみ)『ごもりを行った。今日では』、『その祝宴が消滅し,忌ごもりが転じた単なる休息の日としている所も多い。』とあり、同社「世界大百科事典」には、『〈さ〉は田植もしくは田の神を意味し,サナブリはこの神が昇天するサノボリの転訛といわれる。地方ごとの呼称も多く,サノボリは四国,九州地方に,サナブリは東北,関東地方に多い。北陸,中国地方にはシロミテという地域もある。シロは植田,ミテは完了の意味で,神事としての意識が薄れてからの呼称と思われる。』とあった。)『でも』、『豊作を祈念し』、『食べられた』。『田作りという名称は、干したイワシ(主にカタクチイワシ)を「干鰯(ほしか)」と称して、田畑の高級肥料(金肥)として使われていた事に由来し、豊作を願って食べられた』。『別名のごまめの語源は「細群」(こまむれ)だが、祝い肴であることから「五万米」「五真米」の文字があてられたとする説、目がゴマのように黒いことからごまめの名がついたとする説、豊穣を祈ったことから「五万米」と名付けられ、転訛したとする説などがある』。『ごまめという単語を使ったことわざとして』『ごまめの歯ぎしり』『がある。実力の無い者が、無闇に悔しがったり』、『ジタバタとすることの例えである。』とあった。
「鯷(ひしこいわし)」はカタクチイワシの異名。「干小鰯(ほしこいはし)」のハ行内の音転訛によるものであろう。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のカタクチイワシのページの「地方名・市場名」に「ヒシコイワシ・ヒシコ」(青森県・三重県鳥羽市答志島)・「イシコイワシ」(東京)・「シコ・シコイワシ」(東京・神奈川県江ノ島)とある。なお、似て非なるものに「へしこ」があるので言っておくと、これは、青魚に塩を振って塩漬けにし、さらに糠漬けにした郷土料理、及び、水産加工品で、福井県若狭地方・京都府丹後半島・石川県の伝統料理・越冬保存食である。当該ウィキに拠れば、『名前の由来については、漁師が魚を樽に押し込むことを「へし込む」と言ったことから』、『「へし込まれた物」が略されて「へしこ」となったという説、魚を塩漬けにする際に滲み出てくる水分のことを「干潮(ひしお)」と呼んだことから、これが訛ったものであるとする説、アイヌ語で「へしこ(pe-si-kor)」=「滲み出てくる水分が・それ(味、保存性)を・産む」に由来する説(萱野茂『アイヌ語辞典』)などがある。』とある。私は、二〇〇七年の冬に行った左京区花背(はなせ)の美山荘(みやまそう:私の永遠の一押しの宿である)で初めて食し、大好物となった。
「小鰯腊(こいわしきたひ)」「腊」は漢語で、音は呉音「シヤク(シャク)」・漢音「セキ」で、広義の「乾し肉・よく乾燥させた肉の一片」の意である。和訓としては、現代仮名遣「ほじし・きたい」で、やはり「魚や鳥などを丸干しにしたもの」を指す。「延喜式」は平安時代中期の編纂であるが、既にこの「きたひ」は、奈良時代末期成立の「出雲国風土記」・「万葉集」に用例がある。なお、前者(「嶋根の郡(こほり)」の「朝酌(あさくみ)の促戶(せと)の渡(わたり)」の項)は「大(おほ)き(ちさ)き雜(くさぐさ)の魚」、「或(ある)は日に腊(きたひ)を製(つく)る」)は「魚の丸干し」であり、後者(巻第十六・三八八六)は「難波」の「蘆蟹(あしがに)」の塩漬けである。
「漢語抄」「楊氏漢語抄」で、別名「桑家漢語抄」(そうかかんごしょう)とも言い、奈良時代(八世紀)の成立とされる漢語辞書であるが、散佚して残っておらず、「和名類聚鈔」等に逸文で残るのみである。
「和名鈔」国立国会図書館デジタルコレクションの当該部(右丁四行目)を見られたい。
「鰮魚科(をんぎよくわ)」「鰮」は「鰛」の正字で、「鰯」と同じ。「イワシ」は、マイワシ科のマイワシ(ニシン(鰊)亜目ニシン科ニシン亜科マイワシ(真鰯)属マイワシ Sardinops melanostictus)と、ウルメイワシ(潤目鰯)科のウルメイワシ(ニシン科ウルメイワシ亜科ウルメイワシ属ウルメイワシ Etrumeus teres )、本カタクチイワシ科のカタクチイワシの計三種を指す人為的分類で、生物上の「類」の名ではない。]
淸國へ輸出するのはじめは、明治十年[やぶちゃん注:本書は明治一九(一八八六)年刊。]にして、橫濱港の商(せう)、串田八百吉(くしだやをきち)の見込(みこみ)を以て、始めて、輸出を試みしが、淸國、凶荒の際にて、大(おほい)に嗜好に適(かな)ひ、倍々(ますます)、盛んに赳(をもむ)き、一旦は、一ヶ年、大約(おほむね)、拾五、六萬圓の多きに至りしが、荷造(にづくり)の惡(あし)きが爲めに、價格を落(おと)し、去る十七年の輸出額は、二百四十四萬〇九百九十八斤[やぶちゃん注:千四百六十四・五九八八トン。]、其價(そのあたい[やぶちゃん注:ママ。])、五萬四千九百拾壹圓に至れり【十七年、長崎縣の調査は、仝港《ぜんかう》輸出高三十七萬斤[やぶちゃん注:二百二十二トン。]、價《あたひ》七萬五千圓、橫濱仝《どう》[やぶちゃん注:「同」の異体字。]百七十萬斤[やぶちゃん注:百二トン。]、價五萬〇四百九十圓なり。】)。本邦の商家は、荷造等(とう)の事に意を留(とめ)るもの少(すくな)しといへども、橫濱にて、再び、不廉(ふれん)なる[やぶちゃん注:「値段が安くない」の意。]藁繩(わらなわ[やぶちゃん注:ママ。])を買人(かいい)るゝ等(とう)の諸費を要するにより、改良せざるべからず。
[やぶちゃん注:「串田八百吉」「乾貝並貝柱の說(その12) 乾蠣」で既出既注。]
此(この)田作の乾製法は、日乾(ひぼし)するに過(すぎ)ざれども、此他(このた)、煑乾(にぼし)、鹹乾(しほぼし)の製あり。然(しか)れども、輸出するは白乾(しらほし)なり。而して、乾方(ほしかた)の不良なるものは、大(おほい)に價格を落(おと)すこと、あり。注意すべし。
« 和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 山草類 上卷・黃精 | トップページ | 《芥川龍之介未電子化掌品抄・正字正仮名版》未定稿「役の小⻆が、大島へ流された後の事である、⋯⋯」(★個人的に手入れしたベタ版) »

