河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その14) 板屋貝柱
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの右ページから。]
板屋貝柱《いたやかひはしら》
板屋介(いたやかい)は「倭名鈔」は「新抄本艸」を引(ひき)て、『文蛤』を『伊太夜加比(いたやかひ)』と訓ず。此ものハ、主として、肉柱(にくはしら)を食(しよく)に供(きやう[やぶちゃん注:ママ。「きよう」でよい。])す。是、其味、佳良(かりやう)なるに由(よ)るなり。而して、之を乾製するには、介の肉を出(いだ)し、黑肉(くろにく)を去り、川水(かはみず[やぶちゃん注:ママ。])にて、洗淨し、釜にて、暫時、煑立(にた)て後(のち)、取出(とりいだ)し、廣げ、日に乾(ほ)すこと、二日《ふつか》、肉柱外(ぐわい)の物を、除去し、後日(のち《の》ひ)に乾すこと、二日、都合、四日間を以て、之を最良製品とす。然(さ)れども、乾燥中に降雨(かうう)あれば、下等品となるものなれば、最も、注意すべし。之を保存するに、箱に密閉するを、良(よし)とす。每年、梅雨(つゆ)の後(のち)、取出(とりいだ)し、乾せば、何ケ年(なん《か》ねん)をも、貯藏し得るものなり、と。此法は、天保年間、鳥取縣下、因幡氣多郡(いんばけたこほり)靑谷村(あをやむら)中濱六兵衞(なかはまろくへうゑ[やぶちゃん注:ママ。「なかはまろくひやうゑ」が正しい。])なるもの、長崎に於て、支那人(しなじん)より、傳習(でんしう)受(うけ)しものなり、と云ふ。「通商彙編(つうしやういへん)」に依(よれ)ば、香港市塲(ホンコンしじやう)に於ては、『江瑤柱(こふやうちう[やぶちゃん注:ママ。正しくは「かうえうちゆう」である。])』と稱す。此物は、元來、上海地方(シヤンハイちほう[やぶちゃん注:ママ。「ちほう」は「ちはう」が正しい。])に於ては、貴賤の別なく、一般(いつぱん)、嗜好(しかう)するものなれども、廣東(カントン)に在(あつ)ては、常食に供せざるが故に、價格、少しく騰貴(たうき[やぶちゃん注:ママ。「とうき」でよい。])すれば、需求(じゆきやう[やぶちゃん注:ママ。「じゆきう」が正しい。])、項(にはか)に[やぶちゃん注:ママ。東洋文庫版ではルビを振っているが、「項」の字には「にはか」の意味はなく、その注も、ない。一般には「俄」「卒」「遽」「勃」を想起したが、一つ、気づかなかった。「頓」があった。この誤植であろう。]、減却(げんきやく)し、一周年間、販賣の增減價格の昂低(こうてい)も、動搖(どうよう[やぶちゃん注:ママ。「どうえう」が正しい。])、尤(もつとも)常(つね)なきの、甚しき者とす。扨(さて)、市塲販賣の品位は、因州產(いんしゆうさん[やぶちゃん注:ママ。])を以て、第一とし、豐《ぶ》[やぶちゃん注:旧豊前国・豊後国。福岡県東部及び大分県全域。]・薩摩產、之に次ぐ。而して、此三種の區別ある所以(ゆゑん)は、唯(たヾ)、其(その)肉中(にくちう)に含蓄する鹹味(かんみ)の濃淡に由る耳(のみ)にて、鹹味、稀薄なるに隨ひ、價格、又、貴(たつと)し。明年(めいち[やぶちゃん注:ママ。「明治」の誤記であろう。])十六年二、三月の相塲は、因州上品、百斤四十九元、薩州上品、三十八元なりし、となり。明治十五年の輸出高は、拾萬〇三千二百五十一斤、此價(このあたひ)、三萬二千四百七十四圓、十六年は六萬六千七百九十九斤、此價二萬〇二百九十六圓十四錢なり。
[やぶちゃん注:これは、
翼形亜綱イタヤガイ(板屋貝)目イタヤガイ上科イタヤガイ科イタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans
である。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、漢字表記を『板屋貝、半辺蛤、魁蛤』とし、『食用。和名の漢字表記の1つである「板屋貝」の由来は、木の板で葺いた家屋・板屋。平らなほうの殻が板で葺いた屋根のようだから。別名:ヒシャクガイ』(柄杓貝)。『日本国内では北海道南部から九州。ほかに朝鮮半島、中国沿岸』。『右の殻は左の殻よりも大きく、強く膨らむ。白色または黄白色。内側は白色、しばしば暗褐色の斑を持つ。これに対し』、『左の殻は扁平で赤褐色。殻長10センチ。8 -10本の放射肋あり』。『100個の眼』点『を持つ。雌雄同体である』。『水深10 - 80メートルの砂底または砂泥底に生息。平らな側を上に向けて海底の砂の上にいる。敵に襲われると』、『殻の隙間(前後の端、腹縁部)から水を噴き出して逃げる。植物プランクトンなどを濾過して摂食する』。『食用。ホタテガイやヒオウギガイのように、大きな貝柱を賞味する。焼き物、煮物、フライ、干物などが美味』。『鹿児島県ではツキヒガイ』(イタヤガイ亜科Amusium 属 Amusium japonicum japonicum :以上の学名はBISMaLのものを参考にした)『に混獲されることがあるが、ツキヒガイに比べて小型で知名度も低く、市場にはほとんど出荷していない。伊勢湾でも底曳き網などで漁獲するが、水揚げは少ない』。『本種の漁は、大量発生した際に』、『これを漁獲し』尽くす『という形で行われるため、従来』、『資源管理が困難であった。島根県では』、『本種の天然採苗が可能であると分かったことから、1979年から養殖の対象となっている。養殖用稚貝は天然採苗により入手』している。『ほかに、貝杓や灯明皿に利用された実績』がある、とする。どうも、以上は、頗る食い足りないので、以下、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを示す。漢字は『板屋貝。車渠』を示し、「由来・語源」の項には、「本草和名」に基づくとし、『板屋とは板で葺(ふ)いた屋根のこと。この板屋葺きの屋根に似た貝殻の文様から。』とし、さらに『車渠』の他に『板屋貝・海扇』を添え、『車渠という名の玉がある。この蛤はそれに似ている。それでこう名づけられた』とされ、『車渠は「ほたてがい」とも読む。〔俗に帆立貝ともいう。また板屋貝ともいう〕。「ほたてがい」、「いたやがい」ともイタヤガイのことだ。〔そもそも車輪の溝のことを渠というが』、『この背の文様が車の溝に似ている(ので車渠)〕。〔また板屋葺の形にも似ているので板屋貝とも〕。〔形は扇のようなので海扇(かいせん)とも〕。』とされるが、これは、「和漢三才図会」に拠ったことが示されている。私の寺島良安の「和漢三才圖會」卷第四十七 介貝部」の「車渠 ほたてがひ いたやがひ」を見られたいが、標題の通り、良安はホタテガイとイタヤガイでさえ区別していない為体(ていたらく)なのである。『いたらがい また古くは「いたらがい」。また漢字で書くと「板屋貝」すなわち、板葺き屋根のような貝ということ。下の写真を見るとわかるが右側の貝殻が深いのを利用して柄杓(ひっしゃく)をつくることから「柄杓貝(ひしゃくがい)」とも言われる』とある。「生息域」は『海水生。水深10〜100メートルの砂地。北海道南部〜九州。朝鮮半島、中国沿岸、東シナ海。』とされ、「生態」の項には、『雌雄同体』で、『産卵期は冬』とされ、『ときに大発生したり、まったくいなくなったりする』とあり、『幼貝は岩などに足糸で固着』するが、『成貝になると』、『自由生活をする』とある。『北海道南部から九州までの浅い砂地にいる貝で、古くから美味で知られていた』が、『国内では産地が限定的である上に、資源が不安定であるので』、『食用としてはローカルな存在』であるとされ、『島根県などでは養殖が試みられているが、難しいためかあまり盛んではない』。しかし、『味のいいことは知られており、大発生したときには食用として出回り、それなりに高値で取引される』とあり、『ヒオウギガイ、ツキヒガイとともに味ではイタヤガイ科中の最高峰だと思う』とある。私も、そう思う。「珍魚度」の項には、『古くから知られている食用貝ではあるが』、以上の通り、事実上では、『産地は限定的。しかも好不漁があるので探さないと手に入らない』と添えておられる。また、「歴史・ことわざ・雑学など」の項で、「貝殻節」について、『鳥取県の貝殻節は本種を粉に引くことで生まれたというのを聞いたことがあるが、それほど漁獲されていたのだろうか? と本種のことを調べるうちに』、『駿河湾、土佐湾などで』、『今現在』、『ほそぼそと漁獲されていることが判明した。そして普段、生息数の少ないはずの本種が何年かに一度』、『大量発生する。鳥取の貝殻節もそんな豊漁年の歌であろうか?』と添えられ、また、『イタヤガイの貝殻の深い方を杓子(しゃくし)にする。これを貝杓子という』と記されておられる。ぼうずコンニャク氏の語りを読むと、いつも通り、私は、やっと落ち着いたのである。
『「倭名鈔」は「新抄本艸」を引(ひき)て、『文蛤』を『伊太夜加比(いたやかひ)』と訓ず。』国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板の当該部(右丁初行)をリンクしておく。因みに「新抄本艸」は「本草和名」の異名である。「本草和名」は「煎海鼠の說(その1)」の私の注を見られたい。
「黑肉(くろにく)を去り」節足動物や軟体動物の消化管の中腸に開口する、盲嚢状の器官である中腸腺(ちゅうちょうせん)を指す。私の貝類フリークは、よく知っているもので、これは、食すると、危険な場合があるので注意が必要なのである。やや、書き方がやや不全だが、ウィキの「中腸腺」の「食用」を引用する。太字は私が附した。『日常の食生活で認識されるものとしては、カニのいわゆる蟹味噌、イカの塩辛を作るときに用いられる』、『いわゆるワタの部分(ゴロ)などがこれに相当する』。『食品としては』、『美味で栄養の豊富な部分でもあるが、二枚貝の場合には』、『渦鞭毛藻などの有毒植物プランクトンを摂食したときに吸収された貝毒などが』、『ここに蓄積して食中毒の原因となったり、その中でもホタテガイなどでは』、『カドミウムやヒ素といった重金属の濃縮が認められる、あるいは』、『サザエやアワビのような海藻食の巻貝では』、『季節によりポルフィリンなど葉緑素の分解産物が蓄積して光過敏症の原因となるなど、扱いに注意を要する場合がある』。この最後の部分は、直前の「鳥貝」の私の注の最後のリンク先、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 鳥貝」が、まさに、それなのである。
「天保年間」一八三一年から一八四五年まで。徳川家斉・徳川家慶の治世。
「鳥取縣下、因幡氣多郡(いんばけたこほり)靑谷村(あをやむら)中濱六兵衞(なかはまろくへうゑ)なるもの」現在の鳥取県鳥取市青谷町(あおやちょう)青谷(グーグル・マップ)である。なお、この「靑谷村」であるが、ウィキの「靑谷町」によれば、古く、町制前の名称は「あをやそん」と呼んでいた、とある。この「中濱六兵衞」に就いては、ネットは勿論、国立国会図書館デジタルコレクションでも、記載が見当らなかったので、不明である。しかし、「長崎に於て、支那人(しなじん)より、傳習(でんしう)受(うけ)しものなり」とあるからには、相応の人物であろうに⋯⋯。
「通商彙編(つうしやういへん)」前の「乾蠣」の私の注を見よ。
「拾萬〇三千二百五十一斤」「〇」は念のための配置。六十七・九五〇六トン。
「六萬六千七百九十九斤」四十・〇七九四トン。]
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