《芥川龍之介未電子化掌品抄・正字正仮名版》未定稿「役の小⻆が、大島へ流された後の事である、⋯⋯」(★個人的に手入れしたベタ版)
[やぶちゃん注:底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの芥川龍之介 著「未定稿・デッサン集」(葛巻義敏編・雪華社・昭和四六(一九七一)年)を用いた。前半部分は、ここにある芥川龍之介自筆の当該部分を、私が独自に判読したものである。
実は、ここ(葛巻氏の「付録」の『続「芥川龍之介未定稿ノオト」』の中で『〔役の小角 断片〕』)から、葛巻氏が判読されたものがあるのだが、失礼乍ら、判読に多くの疑問があり、さらに漢字が新字体に変えてあり、促音になっていないのに、促音表記になってしまっている。更に、抹消した箇所・書き変えた箇所が、そこでは完全にカットされているのである。参考にはさせて戴いたものの、あくまで、私の独自判読で、原稿を再現することとしたのである。
しかし、後半部分は、原稿画像が載っていない。されば、そこでは、葛巻氏の起こしたものを元にせざるを得なかった。しかし、そのまま繋げると、明らかに前半との違和感が激しく生じてしまうので、
★漢字は前の原稿を参考に正規表現の旧字体に直し、
また、
★現代仮名遣の箇所も、歴史的仮名遣に直し、促音等に変えられている部分を機械的に改変した。
なお、後半部の〔 〕は、葛巻氏が脱落と断じて挿入したものである。
今回は、ともかくも、芥川龍之介のネット上には活字では存在していない未電子化の未定稿原稿を示すことのみに特化して、私のオリジナル注を附さない形で、まず、公開することにした。そのため、意味深な『個人的に手入れしたベタ版』という文々を最後に添えた。なるべく早く、私の注を附したものを、新たに公開するつもりではある。悪しからず。]
役の小⻆が、大島へ流された後の事である。
小⻆の親しくした藤原維遠がある日、牛車にのつて、[やぶちゃん注:二、三字分の欠字。]をすぎると、青い衣を着て
手に白い葵の花を持つた老人が、外から、声をかけた 見ると大島に流された小⻆なので、「■ ■■ 何とて都へば 深く驚きながら
「何とてうして歸つて來たのだ」と問うふと、「鞍馬の奥にさく青空色の白葵の花を、とりに來たのだ」と答へる。
「何時 大島を出たときくと、「今朝だ」と言ふ さうして、■■
役の小⻆は大和囗葛城郡茅原村の人であった。
小⻆の生れるときに、母は夢に黑龍 夢に紅の烏が胎に入るとのを見た、と云ふし 父はも云又、夢に三人の紅衣の女が■■■■
家をめぐつて家をめぐつて、歌ふのを見たと云ふ。 生まれると■眼双目に紫稜を帶ひで、口⻆が髙くあかつて
ゐ、■、て
めづらしい異相である。幼い時から情深く の、無口で いつても 独りで 地上に 目月星辰の図を描いては
靜に眼をつむつて 考ヘてゐたが 十二歲との時に剃髮して、南都の■■觀無量壽寺■の寂英法師についてにつ■に師礼をとつて、
專心佛學をおさめた それから五五六年の間は、朝は鷄鳴を先に起き夜は、ま博く、■■■■
經三藏のに涉つて、書をよんで、いつも時をつげる荒鷄の声をきくまでは 眠らなかつた。が遂に二十 十七 二十歲により■■又には、師の高英を凌ぎ
の事をむかへると ■当時の學僧の中には一人も小⻆の右に出るものがないやうになつた。⋯⋯
[やぶちゃん注:ここから後は、底本には原稿画像がないパートとなるので、葛巻義敏氏の活字化したものを元とする。]
役の小⻆が大島に流され〔て〕ゐた時の事である 從兄に、賀藤維平とゐふ人があつた、生來の跛に、右の眼が眇で、其上 酒のすきな、文字を知らぬ、大兵の、老人であつたが、ある時車から落ちて 其まま 息がとまつてしまつた、水をふきかけても、藥をのませても 眼をひらかない、處が 丁度騷ぎの最中に 見なれない、六人の紅衣の童が 一枚の朱符を持つて來て、「自分たち〔は〕師父のいいつけで來たのである、此朱符を、速に服せられるやうに、」と云ひすててそれなり、どこかへ行つてしまつた 家人は、怪しみながら、其朱符を維平の口に含ませると、やがて靜に眼をひらいて 丁度 寢てゐた人の起きたやうに、大きな缺伸をしたがそのまま蘇生して、後 十年の壽を保つたと云ふ事である、京の人は 此童を小⻆の使者だと云ひはやした、
[やぶちゃん注:以上で、終わっている。]
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