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2026/07/29

和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 山草類 上卷・黃精

 

Ousei

 

わうせい   黃芝 戊已芝

       菟竹 救窮草

黃精

       埀珠 野生薑

       米餔 重樓

ハアン ツイン   龍銜 仙人餘糧

 

本綱黃精【又名雞格又名鹿竹】山野皆有之子亦可種其葉似竹而

不尖或兩葉三葉四五葉俱對節而生莖梗柔脆本黃末

赤四月開青白花狀如小豆花結子白如黍粒亦有無子

者根如嫩生薑而黃色又其根橫行狀如萎甤俗采其苗

煠熟泡去苦味食之【名筆管菜】二八月采根九蒸九暴作

[やぶちゃん注:「煠」過去、「蓮」等にも出たが、「煠」は原文では、「つくり」の上に「云」があるのだが、このような漢字はない。但し、引用元の「本草綱目」を、「漢籍リポジトリ」の卷十二」の「草之一【山草類上一十三種】」の「黄精」で確認したところ(ガイド・ナンバー[036-34b]の四行目以降)、同[036-36a]の一行目に、この字体の字が画像で組まれてあった。しかし、この字には良安が『ユテヽ』(茹でて)と振っているので、特異的に、「煠」(その意を持つ場合の音:サフ(ソウ)/ゼフ(ジョウ))で訂した。

果黃黒色而甚甘美【忌梅實】

氣味【甘平】 補中益氣除風濕安五臟久服輕身延年不

 飢補五勞七傷

博物志云昔黃帝問天老曰天地所生有食之令人不死

者乎天老曰太陽之草名黃精食之可以長生太陰之草

名鉤吻不可食之入口立死人信鉤吻殺人不信黃精之

益壽不亦惑乎

△按黃精【和名於保惠美一名夜末惠美】形狀𬜻和相似而倭者味帶苦

 出於河州金剛山者良江州高島郡者次之武州前澤

 又次之

 今所渡者多萎甤也藥肆取肥者爲黃精瘦者爲萎甤

 又云黃色節高者黃精黃白色節低者萎甤也

 

   *

 

わうせい   黃芝《わうし》 戊巳芝《ぼしし》

       菟竹《とちく》

       救窮草《きうきゆうさう》

黃精

       埀珠《すいしゆ》

       野生薑《やしやうきやう》

       米餔《べいほ》 重樓《ぢゆうらう》

龍銜《りゆうがん》

ハアン ツイン   仙人餘糧《せんにんよりやう》

 

「本綱」に曰はく、『黃精【又の名、「雞格《けいかく》」。又の名、「鹿竹《ろくちく》」。】、山野、皆、之《これ》、有《あり》。子《み》も亦、種《うう》べし。其《その》葉、竹に似て、尖《とが》らず。或《あるいは》、兩葉《りやうえふ》・三葉《さんえふ》・四《し》、五葉《ごえふ》、俱《とも》に、節に對して、生ず。莖-梗《けいかう/くき》、柔脆《じうぜい/やはらかにしてもろく》して、本(《も》と)は黃《き》、末《すゑ》は赤し。四月に、青白花《せいはくくわ》を開く。狀《かたち》、小豆《あづき》の花のごとく、子《み》を結ぶ。白くして、黍《きび》の粒《つぶ》ごとく、亦、子《み》、無《なき》者≪も≫有り。根、嫩《わか》き生薑《しやうきやう/しやうが》のごとくにして、黃色。又、其《その》根《ね》、橫行《わうかう》の狀《かたち》≪を成し≫、「萎甤(いずゐ)」のごとし。俗、其《その》苗《なへ》を煠(ゆ)で熟し、苦味《にがみ》を泡去《あは≪とともに≫さり》、之≪を≫食ふ【「筆管菜《ひつくわんさい》」と名《なづ》く。】。二、八月、根を采《と》り、九《く》たび、蒸《む》し、九たび、暴《さら》≪して≫、果《く》はんと作《な》す。黃黒色にして、甚だ、甘美≪なり≫。【梅《うめ》の實《み》を忌《い》む。】。』≪と≫。

『氣味【甘、平。】』『中《ちゆう》を補し、氣を益《えき》し、風濕《ふうしつ》[やぶちゃん注:リュウマチ。]を除き、五臟を安《やすん》ず。久《ひさし》く服すれば、身《み》、輕≪く≫、身《み》、年《とし》を延《のば》≪し≫、飢《うゑ》ず、五勞七傷《ごらうひちしやう》を補《おぎな》ふ。』≪と≫。

『「博物志」に云《いはく》、『昔し、黃帝《かうてい》、天老《てんらう》に問《とひ》て曰く、「天地の生《しやう》する所、之を食《くひ》て人をして死なざる者、有るか。」≪と≫。天老が曰《いはく》、「太陽の草《くさ》、『黃精』と名《なづ》く。之を食《くひ》て、以《もつ》て、長生《ちやうせい》す。太陰《たいいん》の草、『鉤吻(いぬくさ)』と名づく。之を食ふべからず。口に入るれば、立処《たちどころ》に[やぶちゃん注:「処」は訓点にある。]死す。人、『鉤吻』、人を殺すことを信じて、『黃精』の壽《じゆ》を益《えき》すことを信せず。亦、惑《まどひ》とはせざるや✕→亦、惑《まどひ》ならずや。」。』≪と≫。』≪と≫。

△按ずるに、黃精【和名、「於保惠美《おほゑみ》」。一名、「夜末惠美《やまゑみ》」。】、形狀、𬜻和(くわわ)[やぶちゃん注:中華と大和。]、相似《あひに》て、倭の者は[やぶちゃん注:この「ハ」は、「倭」の訓点で「ノハ」とあるのを誤刻と断じて分離し、「者」に附した。]、味、苦(にが)みを帶ぶ。河州《かはち》≪の≫金剛山《こんがうさん》より出《いづ》る者、良し。江州《あふみ》高島郡《たかしまのこほり》の者、之≪れに≫次《つぐ》。武州《むさし》の前澤《まへさは》、又、之《これ》≪に≫、次《つぐ》。

 今、渡る所の者、多《おほく》は「萎甤《いずゐ》」なり。藥肆《やくし》、肥《こえ》たる者を取《とり》て、「黃精」と爲し、瘦(やせ)たる者を「萎甤」と爲《なす》。又、云《いはく》、『黃色≪の≫節《ふし》高き者は「黃精」、黃白色≪の≫節低き者は「萎甤」なり。』≪と≫。

 

[やぶちゃん注:この「黄精」は、

単子葉植物綱キジカクシ(雉隠し)目キジカクシ(=クサスギカズラ(草杉蔓))科スズラン亜科アマドコロ(甘野老)連アマドコロ属Sibirica 節カギクルマバナルコユリ(鈎車葉鳴子百合) Polygonatum sibiricum

である。日本には自生しない。しかし、本邦には、近縁種の、

ナルコユリ(鳴子百合) Polygonatum falcatum

が、本州・四国・九州、及び、朝鮮半島に分布し、本邦では平安中期には、このナルコユリが「黃精」として使用されていた(後で引用で示し、更に良安の附言部分への注で明らかにする)。

「熊本大学薬学部薬用植物園 植物データベース」の「カギクルマバナルコユリPolygonatum sibiricum Delar. ex Redouté」に拠ると、『中国,モンゴル,ダフリアに分布し,山地の低木林などに生える.』とあり(「ダフリア」はウィキの「ダウリヤ」によれば、『ダウリヤ(ロシア語:Дау́рияダウーリヤ;ダウリア、ダフリア、ダフリヤ、ダウーリアとも)とはザバイカルと沿アムール西部の17世紀以前の古称。17世紀中ごろまでダウール族の領域であったことに由来する』。当該地方は、『バイカル・ダウリヤ(Байкальская Даурия - ヤブロノイ山脈までのザバイカル地域南部』、及び、『セレンガ・ダウリヤ(Селенгинская Даурия - セレンガ川の東の領域』、『ネルチンスク・ダウリヤ(Нерчинская Даурия - ヤブロノイ山脈から東の領域』とある。)、『多年草.草丈5090 cm.根茎は横に伸び,茎は直立するが上部は他に巻き付く.葉は無柄で線状披針形,46枚が輪生する.花は腋性で,24個の散形花序となり,白か淡黄色をしている.液果は球形,熟すと黒紫色.』で、「花期」は『5月』、「生薬名」は『黄精(オウセイ)【局】』、「薬用部位」は『根茎』とある。「成分」は、『フラボノイド(nicotiflorin, rutin, sophorabioside)』である。「薬効と用途」に『滋養強壮,補気作用があり,胃腸虚弱や慢性の肺疾患,食欲不振,咳,糖尿病などに用いる.リウマチや痛風などで体が弱っている人にもよい.焼酎漬けは強壮作用があり,体力が付く.』とある。他に、「福田龍株式会社」の「オウセイ(黄精)」PDF)も、本邦のナルコユリをも示していて、江戸時代の内容も非常に参考になるので、引用する。「語源」の項。『 Polygonatum : ギリシャ語の「多い」(poly)+「膝、節」(gonu)根茎に多くの節があることにちなんでいる。falcatum : falcatus=鎌状の」という意味で、葉が鎌状であることから。和名のナルコユリは、花が並んで下垂する状態を、水田で害鳥を追い払う鳴子にたとえたもの。黄精とは、根茎が黄色の強精薬であることから名付けられたという。また、精を出しすぎて物が黄色に見えるとき、それを回復させる秘薬という説明もある』。「基原」に(学名配置の関係上、かくした)、

   《引用開始》

ナルコユリ Polygonatum falcatum

カギクルマバナルコユリ Polygonatum sibiricum

 Polygonatum kingianum

 Polygonatum cyrtonema

ユリ科 多年性草本

黄精は、本来中国産のカギクルマバナルコユリの根茎を指すが、日本では近縁種のナルコユリが代用として用いられてきた。

ナルコユリは同属植物のアマドコロ[やぶちゃん注:アマドコロ属アマドコロ基本変種アマドコロ Polygonatum odoratum var. pluriflorum ]とよく似ているが、アマドコロの根茎は生薬の玉竹(ギョクチク、別名イズイ[やぶちゃん注:本文の「萎甤《いずゐ》」である。])である。しかしこのアマドコロ属は非常に種類が多く、区別しがたいものも少なくない。このため薬材では太いものを黄精、細いものを玉竹として扱っていることもある。日本の民間では江戸時代に滋養・強精薬としてブームとなり、砂糖漬けにした黄精が売られていた。現在でも東北地方には黄精のエキスを入れた黄精飴が売られている。黄精に砂糖を加え、焼酎につけたものを黄精酒といい、精力減退や病後回復の滋養・強壮薬として知られている。小林一茶も黄精酒を愛飲したと書き記している。今日でも滋養・強壮の目的で家庭薬やドリンク剤に黄精が配合されている。

   《引用終了》

以下、「薬用部分」は『根茎(蒸したものを用いることが多い)』、「産地」は『日本(ナルコユリ)、中国(カギクルマバナルコユリ)』、「主な成分配」に『糖体:エピメジンフラボノイド:イカリインアルカロイド:マグノフリン』、「主な薬効」に『滋養強壮薬、虚弱者や病後の体力増強、精力減退、糖尿病、肺結核に用いる。』とし、「代表的処方」として、『【黄精湯】』『オウセイトウ』『病後の衰弱、慢性病による消耗性の栄養不良に用いる。(処方内容)』『黄精/枸杞子/生地黄/黄耆/党参』とある。最後に「文献報告」として【脂肪生成抑制】』と『【骨粗しょう症抑制】』の二件の英文論文データが紹介されてある。

「莖-梗」小学館「日中辞典」に、『“茎”は一般的な「茎」.“秆”は中空で節のあるもの(ムギ・アサなど)や根元から広がっている「茎」をさす.“梗”は,花・草・野菜の「茎」をいうが,果実のついた枝もさす.』とある。

「五勞七傷」東洋文庫後注に、『心労・肝労・脾勞・肺労・腎勞など、五臟のつかれによって、陰寒・陽萎・裏急・精漏・精少・精清・小便頻数などの症狀のでること。』とある。

「博物志」三国時代の魏から西晋にかけての政治家で文人の張華(二三二年~三〇〇年)が書いた幻想的博物誌にして奇聞伝説集。全十巻。「維基文庫」の電子化物で探したが、見当たらない。但し、同書の原本はもっと内容が多かった(一説に四百巻あったものを武帝が削除を命じたとも言う)ともされる。

「黃帝」中国古代の伝説上の帝王で、五帝の第一。炎帝(神農氏)の末に蚩尤(しゆう)の乱を平らげて天子となり、衣服・舟車・家屋・弓矢などの生活用具を初めて作るとともに、文字・音律・暦などを制定し、また、薬草を試用して人民に医術を教えるなど、人類に文化的生活を享受させた最初の帝王とされる。この黄帝伝説は「書經」「詩經」などの古文献には見えず、戦国末の五行説の流行に伴って、先行の各種の神話伝説を基に、徐々に形成された比較的新しいものである。また、道家末流によって老子に先立って開祖とされ、その所説に附会した書が作られて、漢初には「黄・老の学」が流行した。後漢以降は神仙術や道教と結んで神格化された(以上は主文を小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「天老」黄帝に仕えた高官で、知恵・兵法・天文を授けた師とされる伝説上の人物。

 さて、ここまで、「博物志」の引用を含めて「本草綱目」の引用であり、「漢籍リポジトリ」の「卷十二上」の「草之一【山草類上一十三種】」のガイド・ナンバー[036-34b]の「黄精」の項のパッチワークである。

『黃精【和名、「於保惠美《おほゑみ》」。一名、「夜末惠美《やまゑみ》」。】』ここが重大なポイントである。平安中期の貴族・医師であった丹波康頼(たんばのやすより 延喜一二(九一二)年~長徳元(九九五)年)が永観二(九八四)年に「醫心方」全三十巻を編集、朝廷に献上しているのだが、これは、唐代の医書を参考にして、当時の本邦の医学全般の知識を網羅したもので、現存する日本最古の医学書である。而して、そこに、この和名が記載されているのである。中華民國のサイト「中醫笈成」で完全に電子化された「醫心方」があり、その「諸藥和名第十」の「第七卷 草上之上四十一種」に、良安が示した通りの、

   *

黃精 (和名於保惠美,又阿末奈。一名也萬惠美。)

   *

とあり、そして、「斷谷方第七」に、

   *

服黃精法:

《大清經》云:取黃精根,刮去鬚毛,淨洗,細切,使得一斛,以水二斛五斗,煎之,微火,從旦至夕。藥熟出,手挼悉令破,以囊漉之,得汁還著釜中煎令可丸,取其滓,搗作末,納著釜中,和合相得,藥成,宿不食,旦服如雞子,日三,絕谷不飢。取黃精三月七日為上時矣。(中嶽仙人方。)

以春取根,洗,切,熟蒸曝乾,末服方寸匕。

採黃精,常以八月二日為上時,山中掘而生食,渴飲水,黃精生者搗取汁三升。於湯上煎令可丸,如雞子。食一枚。日再,二十日不知飢。(老子服方。)

   *

に、中華の引き写しではあるものの、具体な採取法・処理法・薬剤製法が記されている。対象疾患は病的な「飢え」を消すこと、ひいては、寿命を延ばすことに繋がる。

 この場合、まず、気になるのは、三つの和名、また、良安が選んだ二つの和名では、ある。恐らくは、これ、

本邦産のナルコユリ Polygonatum falcatum か、或いは、アマドコロ属アマドコロ基本変種アマドコロ Polygonatum odoratum var. pluriflorum か、はたまた、アマドコロ属Polygonatum の別名一種であろうか?

 いやいや、しかしだ、そもそも、平安時代にあって、外見上、似ている同属種を、別々に分別命名して認識していたと考えるより、これは、三種の異名ではなく、

一番、考えられるのは、ナルコユリの三つの異名なのではなかろうか?

「於保惠美《おほゑみ》」は「大笑み(大きく微笑むこと)」であり、「夜末惠美《やまゑみ》」は「山笑み」なのではないか?

最も深刻な「飢え」を消し、健康を保ち、「大」いに「笑み」を続ける力を与えて呉れる「山」野草に相応しい

と、私は思うのである。識者の御意見を乞うものである。

 なお、良安は、はっきりと、中国から渡来した「黄精」とは、「萎甤」とは違う種であると認識しており、和名とする「於保惠美」と「夜末惠美」も、ちょっと違うかも知れないな、と、内心、考えているように私には、見える。では、

☆「それらが、種として異なることが江戸時代の人間にしっかりと判ったのは、いつ頃なのか?

ということは、たまたま「黃精」を検索してゆくうちに、遂に、見つけた!!

「国立国会図書館 次世代システム開発研究室」の「本草図譜  1 (山草類1 48種)」(岩崎常正著・大正一〇(一九二一)年)のここに、無論、図入りで、

   *

黃精(わうせい)

 享保年中漢種渡る莖細くして

 根大なり脚葉は互生し梢葉は

 對生す花は和產と同じ淺綠色

 實ハ大豆の大さにて熟すれバ黑色也

 これ陳藏器の説に精なり

   *

この最後のそれは、「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の「黄精」のガイド・ナンバー[036-35b]の二行目以降の、

   *

藏器曰黄精葉偏生不對者名偏精功用不如正精正精葉對生鉤吻乃野葛之别名二物殊不相似不知陶公憑何說此保昇曰鉤吻一名野葛陶說葉似黄精者當是蘇説葉似柿者當别是一物

   *

を指す。而して、このキャプションから、本邦に本物の「黃精」の種子が「享保年中」に持ち込まれ、成育させた、その図なのである。一七一六年から一七三六年までの間である。寺島良安の「和漢三才圖會」の刊行は正徳二(一七一二)年であった。今、少しで、モノホンの生きた「黃精」に逢えたんだよッツ! 良安先生!!!

「河州《かはち》≪の≫金剛山《こんがうさん》」現行では「こんごうざん」とも呼ぶ。奈良県御所市(ごせし)と大阪府南河内郡千早赤阪村(ちはやあかさかむら)との境目にある山。ここ(グーグル・マップ。以下、無指示は同じ)。

「江州《あふみ》高島郡《たかしまのこほり》」現在の滋賀県高島市の大部分。

「武州《むさし》の前澤《まへさは》」現在の東京都東久留米市前沢(まえさわ)。今では、都会の衛星地帯の一角ではあるが、「ひなたGIS」の戦前の地図を見られたい。そこから、まんず、江戸時代は、一帯、全部が、殆んど平地と田圃の「武蔵野」であったと推定出来る。そこら中に「新田」を村名につけているのが判るからね。]

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