和漢三才圖會卷第九十二之本 草類 山草類 上卷・長松
まつばぐさ 仙茆
長松
【其功如松脂
及仙茆故有
二名】
チヤン ソン
本綱生山谷古松下其葉如松葉上有脂根色如齋苨長
三五寸氣味類人參清香可愛山人服其葉云長年
氣味【甘微苦温】 能治大風悪疾眉髪堕落百骸腐潰毎以一
兩甘草少許水煎服旬日卽癒
*
まつばぐさ 仙茆《せんばう》
長松
【其の功、松脂《しやうし》、
及び、仙茆のごとし。故《ゆゑ》、
二名、有り。】
チヤン ソン
「本綱」に曰はく、『山谷の古≪き≫松《まつ》の下≪に≫生≪ず≫。其《その》葉、松の葉のごとく、上《うへ》に、脂《あぶら》、有≪り≫。根≪の≫色、齋苨《せいねい》のごとく、長≪さ≫、三、五寸。氣味、人參に類《るゐ》≪し≫、清香≪にして≫、愛≪す≫べし。山人《さんじん》、其《その》葉、服≪せば≫、云《いはく》、「年《とし》、長《ちやう》ず。」と。』≪と≫。
『氣味【甘、微苦、温。】 能《よく》、大風《たいふう》・悪疾《あくしつ》≪にして≫、眉《まゆ》・髪《かみ》、堕落し、百骸、腐潰《ふくわい》するを、治《ぢす》。毎《つねに》、一兩《いちりやう》[やぶちゃん注:三・七五グラム。]を以《もつて》、甘草《かんざう》、少≪し≫許《ばかり》、水煎《すいせん》≪して≫、服《ふくす》。旬日《じゆんじつ》、卽《すなはち》、癒《いゆ》。』≪と≫。
[やぶちゃん注:これは、東洋文庫訳及び注では、探し得なかったのであろう、当該相当種を全く示していない。「百度百科」に「仙茆」があるのだが、学名が出ない。そこで、「百度百科」の日本語版「BaiduWiki」を見たところ、記載内容が全く異なっており、
モクレン綱キジカクシ目『仙芽科』『仙茅属』で学名は Curculigo orchioides
とあった。本邦のサイトでは、この学名検索で、「国立科学博物館」の「琉球の植物データベース」のここに、
キンバイザサ科キンバイザサCurculigo orchioides
とあり、「広域分布」として、『本州(紀伊半島)~九州,屋久島,種子島,トカラ列島; 台湾,中国,マレーシア,インド,オーストラリア』とあり、「文献に基づく分布」には、『奄美大島・徳之島・沖永良部島,沖縄群島,先島諸島』とする。
ウィキでは「キンバイザサ科」があり、漢字表記を「仙茅科」とする。そこには、『キンバイザサ科』『は単子葉植物の科の1つ。ヒガンバナ科やユリ科に含められることもある。日本にはキンバイザサなど数種が自生するが、アッツザクラ』(アッツザクラ属アッツザクラ Rhodohypoxis baurii :アッツ桜。これは同種のウィキがあり、『原産地は南アフリカ共和国のドラケンスバーグ山脈周辺の高原で、アッツ島ではない。』とし、「和名の由来」の項があるので見られたい。なお、注意が必要で、前の「キンバイザサ科」に掲げられているピンクの花の写真は、このアッツザクラである。本キンバイザサは、学名でグーグル画像検索をしたものをリンクするが、花は黄色である)『など園芸植物として導入されたものもある。現在の呼称が使われるようになったのは、21世紀になってからで、植物図鑑などには旧称のコキンバイザサ科で出ていることが多い』。『線形の根出葉に長毛がある、花被片の外側が緑みを帯びることで近縁の科と区別される。子房は下位。周北極や旧熱帯、新熱帯、ケープ植物区、オーストラリアなどに分布する』――以上の分布の最後は誤記レベルである。これでは、本邦には分布していないことになる。この科の記載には、どこにも日本に分布する種があることを述べていないからである。――以下、「分類」の項。『タイプ属のHypoxisがコキンバイザサ属であるためコキンバイザサ科とする意見もあるが、キンバイザサ科が一般に使われる。日本では主に観賞用でアッツザクラやエンポディウムが栽培されている。また、流通はほぼ無いもののスピロキシネも栽培される』。『およそ10属160種が属する』として、十の属が、三つのクレード(clade=単系統分岐群)に分けて示されてある。最後の「過去の分類体系」の項。『クロンキスト体系では独立の科と認められていない。新エングラー体系では独立科としてユリ目に含められる』とする。さて、言っておくと、その「分類」の最後の「Hypoxis clade」の『・Hypoxis L. コキンバイザサ属 - 90種 コキンバイザサ』とあるコキンバイザサ(小金梅笹)Hypoxis aurea こそが、実は、本邦では、宮城県以南の本州から琉球列島にまで広範に分布するキンバイザサ科に属する種(この属では、これ一種のみ)なのである。詳しくは当該ウィキを見られたい。この種も花は黄色である。
話を本来のキンバイザサCurculigo orchioides に戻す。
「維基百科」を調べたところ、種で「仙茅」と立項していた。臺灣正體で見ると、別名を『地棕根、地棕、獨茅根、獨茅、獨腳仙茅、山黨參、仙茅參、海南參、婆羅門參、芽瓜子』とし(以下は機械翻訳を参考にした)、『多年生草本で、インドネシア・日本・東南アジア・台湾・中国本土(広西省・広東省・貴州省・福建省・雲南省・浙江省・四川省・湖南省・江西省)に分布する。標高五百~千六百メートルの草原・森林、又は、不毛な斜面に生育する。中国原産(これは「海外からの導入ではない」の意。同種の英文には、『ネパール・中国・日本・インド亜大陸・パプア・ミクロネシアが原産地である。』とある)。『多年生草本。高さ十~十四センチメートル。地下には分枝しない単一の根茎があり、色は濃い茶色で、断面は肉厚で白色。葉は根生し、三~六枚、葉柄があり、披針形で革質、長さ約十~三十センチメートル、幅約〇。六~二センチメートルで、まばらに長い毛が生えている。花茎は非常に短く、葉鞘の中に隠れており、花は黄色である。草の生い茂る斜面や丘陵地、低木の近くで育つことを好む。長江以南の地域に広く分布しており、主に四川省で生産されている。薬用として根茎を早春と晩夏に収穫する。繊維質の根と根頭を取り除き、洗浄し、切断した後、天日乾燥させて保存する』。「薬用」の項。『伝統的な中国医学では、苦・甘・温で、わずかに毒性があるとされている。腎臓を補い、陽気を強化し、寒さを払い、痺れを除く。西洋医学では、本種に含まれる成分がβアミロイド・タンパク質の重合を阻害するために使用可能なことが判明している』。『適応症は腎機能不全・腰痛・神経衰弱・勃起不全・婦女の更年期高血圧・慢性腎炎・原因不明の腫れ物』とある。
最後に、学名をフルに整理すると、
単子葉植物綱キジカクシ(雉隠)目キンバイザサ(仙茅)科キンバイザサ属キンバイザサ(仙茅・金梅笹)Curculigo orchioides
ということになる。
先に言っておくと、以上の「本草綱目」の引用は、「漢籍リポジトリ」の「卷十二上」の「草之一【山草類上一十三種】」のガイド・ナンバー[036-33b]の「長松」の項のパッチワークである。
「まつばぐさ」恐らく、良安の時代には、既にキンバイザザを基原とする漢方生剤が中国句から伝来していたものと思われる。而して、「長松」と「本草綱目」に立項するものが、それであると認識はしていたものと考えてよい。而して、この「長松」の以上の記事と、実際に手に入れた漢方製剤の見た目から、この和名を充てたものであろう。
「仙茆」この「茆」には「かや・ちがや」の意味があり、「仙茅」と同義ととれる。しかし、「其の功、松脂《しやうし》、及び、仙茆のごとし。故《ゆゑ》、二名、有り。」は「長松」の「釋名」時珍の言葉であるが、素人が読んでも、どうもおかしい。そこを引用する。
*
釋名仙茆【時珍曰其葉如松服之長年功如松脂及仙茆故有二名】
*
これを、推定訓読してみると、
*
釋名「仙茆」【時珍曰はく、『其の葉、松のごとく、之れを服せば、長年(ちやうねん)す。功、「松脂(しやうし)」、及び、「仙茆(せんばう)」のごとし。故(ゆゑ)に、二名、有り。』。】
*
となる。問題は、明らかに時珍が言っている引用部の「仙茆」は「キンバイザサの根」ではない。而して、素直に読むなら、この謂いは、
*
その葉は、松のようで、これを服用すれば、長生きする。その、ここで言う「仙茆」は、「松の脂(やに)」、及び、同じ漢字表記する全く違う「仙茆」と同等の功能を持つ。故に、全く違った生薬であるが、「仙茆」という同じ名を持っているのである。
*
と読まなくては通じないのである。さて核心部部は、本来の「仙茆」が何かである。「松やに」と並列し得るものは、「仙」人が霧以外に食べるとされる「松」の「やに」以外の部分とは、
「松」の「茆」=「茅」(かや)、即ち、「松の葉(花・実を含む)を含む穂」の部分の他にない
のである。その証拠に、「百度百科」の「仙茆」に附されてある画像を見られよ! モロ、それだもの!
「齋苨《せいねい》」先行する「齋苨」を見よ。
「大風」中国で歴史的に梅毒の異名として用いた語である。中文の「ハンセン病」の「維基百科」の「麻风病」の「中国歷史的情况」を見られたい。
「百骸、腐潰《ふくわい》する」身体の骨格が、がたがたに腐ったように潰瘍化する症状。
「甘草《かんざう》」先行する「甘草」を見よ。
「旬日」十日ほど。
なお、良安は、附言を一切、附していない。されば、良安は、本種は本邦に存在しないと考えていたことは、明白である。但し、それ以前(江戸中期前期以前。「和漢三才圖會」は正徳二(一七一二)年成立)に中国から薬剤としての「長松」=「仙茅」は渡来していた可能性はあるが、しかし、添えられた図の茎以上の葉が、キンバイザサとは全く異なるので、彼は実際には見ていない。しかし、実は本邦にも分布していたのであった。だが、本邦では、当時は、薬草としては使用していなかったものと思われる。では、どの辺りで、本邦にキンバイザサがあると認識されたのか? 調べたところ、岡山大学図書館公式サイト内の『所蔵資料ピックアップ(植物研分館所蔵)』の「広参存擬(こうじんぞんぎ)」に、
《引用開始》
広参存擬
大槻玄沢著, 写本, 文化7(1810)年頃成立
コレクション: 大原農書文庫(貴重資料)
広東人参に関する考察をまとめた書。後書きのうしろに、キンバイザサの彩色図とそれに関する手紙の内容が付随している。彩色図は栗本丹州によるもの。手紙は、丹州が玄沢に宛てたものの追伸部分と思われる。「キンバイザサの発見者は田村藍水(丹州の父)であり、和名の名付け親だ」と主張している。
《引用終了》
として、原本の画像三枚が載る。一番、左には、キンバイザサの掘り出した全草体図が描かれている。大槻玄澤は知られた改訳「重訂解體新書」の訳者である。田村藍水(たむららんすい 享保三(一七一八)年~ 安永五(一七七六)年)は江戸中期の医師で本草学者である。]
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