河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その16) 乾帆立貝並貝柱
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。]
乾帆立貝並貝柱《ほしほたてかひならびにかひはしら》
帆立介(ほたてかい)は、漢名『海扇(かいせん)』にして、本邦、從來、帆立介を『車渠(しやこ)なり。』と誤り、野必大(やひつたい[やぶちゃん注:ママ。「やひつだい」。])は「本朝食鑑」に『帆立蛤(ほたて)者(は)、車渠(しやこ)なり。』とせり。「日東魚譜」曰(いはく)[やぶちゃん注:後注で原文を示すが、河原田氏は、適当にチョイスして、勝手に他のどこから持って来たか判らぬ言説を混ぜてしまっている。そのため、以下のような複雑な引用符(二重鍵括弧)を配せざるを得なかった。]、『海扇【「霏雪錄《ひせつろく》」。】』『あふきかひ』、『ほたてかひ』、『いたやかひ』、『かひしやくし』、『扇蛤(あふきかひ)』。『此(この)蛤(かひ)、一片ハ、蛤《かひ》の如く、一片ハ、頭《かしら》、扇《あふき》、聚(あつ)めし如く、故に名《なづ》く。「霏雪錄」に云』ふ、『海中、甲物《かうぶつ》あり、扇の如し。其《その》文《もん》、瓦壟《ぐわろう》の如し、「海扇《かいせん》」と名(な[やぶちゃん注:ママ。「なづ」。])く。』≪と≫。又、『一片』を記(しる)し、舟帆の如し、海上に浮ぶを以て、『帆立蛤(ほたてかひ)』と名づく。又、爲『匕』《さじと なし》、『肉味不佳《にくのあぢ かならざる》』也《なり》≪と≫。人、食はず。但、殼は諸毒を解す。而(しか)して、此ものハ、本邦各地に產すと雖ども、捕獲の多きは、北海道にして、靑森、之に亞(つ)ぎ、該(がい)地方產に、二種、あり。『白乾(しらほし)』、『黑乾(くろほし)』、是なり。共に淸國輸出に適(てき)す。惜(おしい)かな、製法、宜しきを得ざるが故に、販賣價格、甚だ、廉(れん)なり。然(しか)れども、製法を改良せば、素より、風味、佳なるを以て、必らず、廣く販賣するを得(う)べし。從來の製法は、海水を湧(わか)し、肉を投じ、煎熬(せんがう)[やぶちゃん注:汁が無くなるまで煮詰めること。]すること、少時間(すこしばかり)にして、引上(ひきあ)げ、肉柱(にくはしら)の中心に、小孔(こあな)を穿(うが)ち、藁繩に繫(つな)ぎ、或(あるひ[やぶちゃん注:ママ。])は、竹串に刺して、數日間、乾(ほ)し、猶、爐上(ろじやう)に懸けて、烹乾(はうかん)[やぶちゃん注:「熱を加えて乾燥させること」。]す。此法、北海道其他に於て、普通、施(ほどこ)す所なりと雖ども、近時は、肉柱(にくはしら)に、穴を穿(うが)たずして、乾製せし品(しな)、最も、販路、多し。何者(なんとなれば)、穴を穿ち、繩を貫く時は、食するの際、肉柱、破壞し、且、穢物(おぶつ)、混入するの憂(うれい[やぶちゃん注:ママ。])あり。故(ゆへ[やぶちゃん注:ママ。])に、單に肉柱を白乾とするか、又は、切片(せつへん)して、乾かすの法を、宜(よろ)し、とす。白乾海扇肉柱(しらほしほたてかひにくはしら)、生鮮にして、大(だい)なる海扇(ほたてかい[やぶちゃん注:ママ。])の肉柱を取りて、橫に切斷し、淸水(せいすい)にて、能(よ)く洗ひ、䀋(しほ)を加減し、簀上(すのこうへ)に排列し、押付け、廣げ、乾(ほ)すなり。此法は、札幌縣下の法にして、切乾(きりほし)なり。然(しか)れども、肉柱を丸乾(まるほし)となすは、同法を用(もちひ)て、可(か)なるべし。製造家、能(よ)く、此法に注意せば、或(あるひ)は、板屋介(いたやかい)の如く、將來、內外需用、多きを、加(くわへ)んこと、掌(たなぞこ)を指(さ)すが如し[やぶちゃん注:「たなそこをさす」「掌(たなごころを指(さ)す)」と同義で、「掌中にあるものをさすように」に「 物事が極めて明白で、且つ、正確であることのたとえ。また、単に、「極めて容易であることの喩え」としても使われる。]。
[やぶちゃん注:これは、
翼形亜綱Pteriomorphiaイタヤガイ目Pectinoidaイタヤガイ上科Pectinoideaイタヤガイ科Pectinidaeミズホペクテン( Mizuhopecten ) 属ホタテガイ Mizuhopecten yessoensis(ミズホペクテン エッソエンシス)
である。属名は「瑞穂の国の櫛を有する」の意で、種小名は「蝦夷の」の意である。
当該ウィキを引く(注記記号はカットした。私の判断で、本書に注として必要と見做せないものはカットした。一部の太字は私が附した)。『通称はホタテ(帆立)。寒冷海洋性』で、『食用としても重要な貝類の一つ。江戸時代には、海扇などの字も見られる』。『開国を要求するために日本に来航したマシュー・ペリー率いるアメリカ海軍東インド艦隊(黒船)が』嘉永七(一八五四)『年に函館湾で採取したサンプルを、同国の医師ジョン・クラークソン・ジェイ(英語版)が』一八五七『年に Pecten yessoensis の学名で新種として記載した。これは』昭和三八(一九六三)『年に古生物学者の増田孝一郎』『により ホタテガイ属 Mizuhopecten に改められた』(後、化石貝の研究によって和名属名は正式な学名属名に改められた)。『日本語では、標準和名「ホタテガイ」の元となっている帆立貝が古くから呼称としてあり、これは、約10〜15cmぐらいの貝殻の一片を帆のように開いて立て、帆掛舟(ほかけぶね』・『帆船)さながらに風を受けて』、『海中』或いは『海上を移動するという俗説に由来し』。「和漢三才圖會」『においても記載が見られる』(私のサイト版「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」の「車渠 ほたてがひ いたやがひ」を見よ)。『「貝」を省略した帆立(ほたて、ホタテ)の名でも呼ばれることも多』い。『その他、板屋貝や、殻の形からそれを扇に見立てた海扇(うみおうぎ)との雅称もある。また、秋田藩佐竹氏の家紋に似ていることから』、『秋田貝(あきたがい)とも呼ばれる。まれに車渠』(しゃきょ)『とよばれることもある』。『なお、日本に限っては、この貝から取れる主たる食材が貝柱であることから、代名詞的用法をもって貝柱と俗称されることがある』。『日本で初めてホタテガイが記述されたのは、正徳』五年(一七一五)年『に出版された寺島良安編』「和漢三才圖會」『であるが、ホタテガイとイタヤガイの混同が見られる』。『中国語では』、『イタヤガイ科の殻を扇に見立てて』「扇貝」(『拼音:shànbèi(シャンベイ)』)『と総称し、種としてのホタテガイは』「蝦夷盤扇貝」『とする』。『英語では scallop (イタヤガイ類)の一種である』本種『を Japanese scallop と呼ぶ。また、日本で「ホタテガイ(帆立貝)」と翻訳されることも多い scallop は、分類学的にはイタヤガイ形(ホタテ形)の貝類(イタヤガイ科とワタゾコツキヒ科』(海底月日科Propeamussiidae)『)を大雑把に言うときの総称であり、種としてのホタテガイを特に指すわけではない。日本語でも一般の人々が「ホタテ貝」や「帆立貝」というとき、厳密に生物種としてのホタテガイを指しているとは限らないのと同様である』。『キリスト教圏では英語で言うところの scallop (特にその一種であるイタヤガイ属)の貝殻は、中世以来、聖ヤコブの象徴物とされており、フランス語では「聖ヤコブの貝」を意味する “coquille Saint-Jacques 』(コキーユ・サン-ジャッキュ)『” の名で呼ばれている』。『これも「ホタテ貝」や「帆立貝」と呼ばれることがあるが、厳密には』イタヤガイ科イタヤガイ亜科イタヤガイ属『ヨーロッパホタテ Pecten maximus であり、種としてのホタテガイとは別属別種である』(グーグル画像検索「Pecten maximus」をリンクしておく)。『殻径は20cmほどになる大きな二枚貝である。貝殻はふくらみが強い殻と弱い殻とが合わさっているが、ふくらみが強い方が右殻である。殻の中央には大きな閉殻筋(貝柱-断面円形の横紋筋と』、『その傍らに断面三日月形の平滑筋)がある。また、外套膜(ヒモ)の周囲には、およそ80個の小さな眼点(眼)があり(参考画像を参照のこと』(ここ)『)、明るさを感じることができる。水管や砂に潜るための足は発達せず、砂底で右殻を下にして砂に潜らずに暮らす』。『生息に至適な海水温は +5〜+19℃の冷水であるが、−2〜+22℃の間なら生きていける(稚貝はさらに4℃ほど高温でも耐えられる)。浅海の砂底に生息し、自然分布域は極東ロシア、日本列島および朝鮮半島の北部で、カムチャツカ半島、千島列島、樺太、沿海州、北海道、本州の東北地方・北陸地方など。日本での南限は日本海側が能登半島、太平洋側が千葉県とされているが、大規模な商業的漁業が可能なのは東北地方の三陸海岸以北である』。『中華人民共和国やアメリカ合衆国の一部でも養殖され、乾物に加工されて流通しているが、養殖場はいずれも日本以上に水温が高い海域であるため、イタヤガイなど、別の種であると考えられている』(☜)。『天敵はヒトデ、オオカミウオ、ミズダコなどである。襲われた際は閉殻筋で力強く殻を開閉させて』、『外套膜から海水を吹き出し、泳いで逃げることができる』。漁獲は『ほとんどが北海道(オホーツク海側・道東、日本海側沿岸)で行われ、一部は青森県の陸奥湾の沿岸で行われている』。『天然稚貝を漁業海域又は国内の他の海域で採捕し、静穏な海域で1年程度』、『成長させた稚貝を海底に撒き(地撒き(じまき))、放流後3~4年程度自然成長させた貝を、小型底引き網で漁獲する』。『江戸時代の主産地は陸奥湾で、ほこつき』(鉾突き:「ほこ」は「水産省」公式サイト内の「やす・ほこ突き」の図を見よ)、『手操網による漁業であった。採取されたホタテは干して俵にまとめた俵物にして中国(当時は清)へ輸出もされた』。明治一九(一八八六)年四月二十八日『に乱獲防止のため』、『取締規則が布告され、資源保護が考慮され』、明治二六(一八九三)年『から』明治二九(一八八六)年『にかけて』は、『帆立保護区が各所に設けられた』とある。本書の刊行は明治一九(一八八六)年四月五日(ここに「刻成」とある)であるから、まさに乱獲防止の公的取締規則が布告される二十四日前であり、まさにアップ・トゥ・デイトな事実であったことが判る。『ホタテガイの養殖技術が開発されたのは』敗戦後で、昭和三〇(一九五五)年『以降である。天然採苗は』昭和九(一九三四)年『に道東のサロマ湖で木下虎一郎』『によって行われたのが』、『最初とされる』。昭和三九(一九六四)年『には』、『付着基質に玉葱袋を被せるホタテガイ用採苗器が青森市奥内の工藤豊作によって考案されたことで、大量のホタテガイ種苗が得られるようになった。そのため』、昭和四〇(一九六五)年『以降からホタテガイ養殖が急激な発展を遂げた』。『養殖は』、『北日本の静穏で栄養分が豊富な海域で行なわれている。北海道ではサロマ湖、寿都湾、岩内湾、内浦湾、函館湾西部。東北地方では陸奥湾と三陸海岸が挙げられる』。『採捕した天然稚貝を自然環境で育成する方法で行われ』ている。二〇一二年『以降、量・金額とも、日本からの水産物輸出の過半を占め』二〇一四年『の輸出額は446億6500万円に達する。農林水産省による統計では、2022年』一『年間の農林水産物と食品の輸出で品目別のトップを占め、円安の影響もあって同年は前年比で40%以上増加の910億円となった』。『第二次世界大戦前には中国での干し貝柱の需要が主であったが、寿司の海外普及によって冷凍品の需要が増加し、また北アメリカが一大消費地となった。少量だが』、『航空便による生鮮品や活貝の輸出も行われている』。『調理方法にもよるが、日本では近年、生後一年程度の稚貝から』、三~四『年ほどかけて大きくしたものまで、幅広く流通している。北海道や東北地方北部のスーパーマーケットでは、貝が生食(刺身)用か否かを区別して売られていることも見られる』。『貝柱は肉厚で淡白だがほぐれやすく、舌触りと風味がよい。刺身や寿司ネタ、煮込み、バター焼き、スープ、フライなど様々な料理で使用される。また、乾燥して干貝(干貝柱)にも加工し、一部は日本から輸出もされ、具材や調味料として利用される。また、ヒモ(貝ヒモ)と呼ばれる外套膜も生食したり、燻製や塩辛などに加工したりして食べられている』。『貝殻以外は』殆ど『の部位が食べられるが、「ウロ」と呼ばれる中腸腺は』、『えぐみが強く』、『一般には好まれない上、生物濃縮により、貝毒や重金属(主にカドミウム)が集中する。正規の販路のホタテであればサンプル検査で基準値を超えた場合は流通差し止めとなるが、念のため』、『食べない方がよい。ウロは黒緑色で目立つため、素人でも手で容易に取り除くことができる。取り除かずに調理すると』、『内容液が料理全体に広がることが多いため、通常は調理前に取り除く』。『蝶番近くの側面にある隙間にヘラを差し込むと容易に解体できる』。『貝柱は』、『そのまま刺し身で食す。殻は網焼きなどの際にフライパン代わりとして重宝し、バターや醤油なども満遍なく染み渡る』。『代表的な加工品は冷凍貝柱、ボイルホタテ、干し貝柱である。日本料理のほか、フランス料理や中華料理の食材として日本国内で消費されるだけでなく、日本国外にも盛んに輸出される。乾燥品は近年中国での需要増により価格が生鮮品の数倍に跳ね上がる。対して生鮮品は庶民でも気軽に買える』ほど、『安い』。以下、「干貝」の項。『貝柱のみを乾燥して製造する。貝柱は水分が8割近くを占めるため、干貝は非常に収縮する。日本国内では酒肴として供することが多いが、中華料理では水戻しや粉末状にしてスープや炒飯などの具材として用いられる高級食材である。また、うま味成分に富むため、XO醤の材料としても使用され、高級オイスターソースに入れられる例もある』。『干貝は非常に硬いことから、軟らかく製造した半乾燥の製品。おやつや酒肴などにそのまま供される。一玉ずつ真空パックされているものが多い。調味は塩と燻油漬けの二種類がある』。「半成貝(ベビーホタテ)」の項。『水温が上昇し、斃死する可能性のある夏季を避けた半年』から『 9か月程度の貝をボイルし、ウロを除去した製品。炒め物、揚げ物、味噌汁など多様な用途で広く食されている』。『貝殻は』、『日本などの料理店等で野趣を演出する鍋代わりに使用されることも多い。日本の青森県では』、『居酒屋で貝焼き味噌(ホタテガイの貝柱やヒモ、刻みネギ、削り節を味噌で煮て玉子で綴じる)と言えば』、『一般的な料理である。貝焼き味噌用に大型の貝殻も販売されており、刺身の盛りつけや、なかには灰皿などにされることもある』。『また、カキの垂下式養殖にも一般的に使われている。カキの幼生が浮遊している時期に多数のホタテ貝殻を連ねたロープをイカダから海中に吊るすと幼生が付着するため、これを海中で肥育させる』とある。
『野必大(やひつたい)は「本朝食鑑」に『帆立蛤(ほたて)者(は)、車渠(しやこ)なり。』とせり』これは、河原田氏、「本朝食鑑」をちゃんと読んでいない結果の完全アウトである。これでは、人見必大(ひとみひつだい)が、マルスダレガイ目ザルガイ上科ザルガイ科シャコガイ(硨磲貝)亜科 Tridacninaeのシャコガイ類と間違っているように読めてしまう。国立国会図書館デジタルコレクションの当該部「帆立貝」を見られたいが(阿呆臭くて活字に起こす気にはならない。十分に視認で読める)、「車渠」を異名の一つ(中国語由来の同類の「硨磲」等の本草書から)として挙げている過ぎない。その証拠に、以下のサイズの記載を見れば、一目瞭然である。但し、分布を「集解」で『海西諸州』としていることから、これは、ホタテガイではなく、先のイタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans を示唆しているので、注意が必要である。但し、それを以って勘違いと、やり玉に当てるのは、本草学的にナンセンスである。私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 海扇」を見られたい。そこで貝原益軒は『海扇(ほたてがい) 「本草」に出でたり。車渠〔(しやきよ)〕と云ふ。』と言っているのである。河原田氏は、古書を、ちゃんと読まない悪しき癖があることは、今まで、何度も、危うく、煮え湯を飲まされるところだった、その一例である。
「日東魚譜」国立国会図書館デジタルコレクションの当該部をもとに、以下に推定訓読をする。
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海扇【「霏雪録」。】
釋名扇蛤(アツキカイ)【和名】板屋蛤(イタヤカイ)【同上】帆立蛤(ホタテカイ)【同上俗名】並《ならび》に殻の形狀を以て、之を名《なづ》く。此の蛤《かひ》、一片は平《たひら》にして、聚頭扇《しゆとうせん》のごとし。一片は深《ふか》し。以て、匕匜《ひい》と作《な》す。故に、通俗、名《よん》で「匕狗子蛤(かいしやくしかい[やぶちゃん注:ママ。])」と呼ぶ、是《これ》なり。「霏雪録《ひせつろく》」に云《いは》く、『海中、甲物《かふぶつ》有り。扇《おふぎ》のごとく、其《その》文《もん》、瓦壟《がろう》のごとし。「海扇《かいせん》」と名《なづ》く。』云云《うんぬん》。肉の味、佳《か》≪なら≫ず。以て食《くふ》べからず。
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下方に三個の貝を開いた図があり、その前の上に『アフキガイ』『イタヤガイ』、後の上に『ホタテカイ』『カイシヤクシ』とある。
後半の「霏雪錄」であるが、これは、明の文人鎦績(りゅうせき:劉績とも)の撰になる随筆である。中文サイトの「中國哲學書電子化計劃」の同書のここの、『《名戴帽洲》』の『3』に、
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海中有甲物如扇其文如瓦屋惟山月一日潮盡乃出名海扇四明任松卿嘗有詩云漢宮佳八班捷好香雲一篋秩風切網蟲蒼言恩自淺猶抱明月馮夷居荒今生怕秋風而川月跡日纔一見對人搖動不如烹肯入五雲清署殿
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とあった。
・「聚頭扇《しゆとうせん》」「折り畳み扇子(せんす)」の別称。使用時に開いて半円形になり、要(かなめ)で「頭が集まって尾が散る」ことから、の名称。本邦の平安時代に発明され、その後、中国に伝わったものである。
・「匕匜《ひい》」「匕」は「さじ」で、「匜」は漢語で、湯水を注ぐのに用いる道具を指す。容器に中空の柄をつけ、水の出口としたもの。「ひさげ・半揷(はんぞう)」とも呼ぶ。
・「匕狗子蛤(かいしやくしかい)」訓は和訓で「貝杓子貝(かひしやくしかひ)」と思われる。
以上から、例によって、河原田氏の文章は、勝手な自然流の解説であり、引用とは言えない。]
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