河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その17) 玉珧介柱 「乾貝並貝柱の說」本文~了
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。
これで、長くかかった「乾貝並貝柱の說」の本文注を終わる。後は、七枚の図版を残すのみとなった。]
玉珧介柱《たひらきかいはしら》
『玉珧《ぎよくてう》』ハ、『多比羅岐(たひらき)』と訓ず。「本朝食鑑」、『𧌊(たいらき[やぶちゃん注:ママ。])』の字を用ひたれども、「大和本草」にハ、『和俗の『𧌊(たひらき)』の字は出處(しゆつしよ)なし』とす。今、世俗、『平貝(たいらかひ)』ともいひ、[やぶちゃん注:ここより以下の部分は、「大和本草」ではなく、前の「本朝食鑑」の引用であるので、注意されたい。後注で、それを示す。]『殼は蚌(ぼう)に似て、黑色皮紋(こくしよくはもん[やぶちゃん注:ママ。「こくしよくひもん」と読んでおく。])あり。大なるものは、廣さ、五、六寸あり、長さ尺餘に過ぐ。白肉(はくにく)ハ、圓狀(えんけい[やぶちゃん注:ママ。])、大(だい)なるもの數寸(すうすん)、味(あぢはい[やぶちゃん注:ママ。])、極(きはめ)て、甘美、其肉、細く切(きり)て、片(へん)と作(な)し、炙食(くわいしよく[やぶちゃん注:ママ。「しやしよく」が正しい。])、烹食(ほうしよく)、生食(せいしよく)、共(とも)に佳(か)なり。此れ、海錯中(かいさくちう)の珍賞なり。』とありて、本邦にて、鮮肉を貴(たつと)べり。然(しか)れども、往古(むかし)は、此名を稱することなく、「本朝食鑑」を按ずるに、『古來、末だ、名を稱するを聞かす[やぶちゃん注:ママ。「聞かず」。]。近世、多く、之を賞す。海人(かいじん)も亦、其大なる者を探(さぐり)て、以て、之を貨(くわ)す。』と、ありて、元祿の頃に至りて、世に賞せられたるものと見へ[やぶちゃん注:ママ。]たり。本草書を按ずるに、『江瑤(こうよう[やぶちゃん注:ママ。「かうえう」が正しい。])』、及び、『玉珧』等(とう)と稱し、又、「閩書」に『江瑤柱(こうえうちゆう[やぶちゃん注:ママ。])』とす。而して、其說に曰く、『韓退之馬甲柱(かんたいしばかうちう)』と謂ひ、『蘇子膽(そしたん)、以て、茘枝(れいし)に配(はい)し、福州の人、之を馬𪿖(ばげん)と謂ひ、萬震(まんしん)の賛(さん)に「肉柱膚寸江瑤柱(にくはしらりよすかうようちう[やぶちゃん注:ママ。トンデモ和訓としても、この読みは、全くおかしい。「にくちゆうふすんかうようちゆう」の誤植であろう。])」と名(なつ[やぶちゃん注:ママ。])く。又、『今の馬甲柱(ばかうちう)は古(いにしへ)の玉珧(ぎよくてう)』といふ。『昔人(むかしのひと)、之を賞(しやう)す。美(び)、涯(かぎり)なし。』と、あり。而して、方今(はうこん)[やぶちゃん注:「現在」。]、淸國人は、此(この)介柱(かひはしら)の乾製したるを、『帶子(たいし)』と稱し、交州(かふしゆう[やぶちゃん注:ママ。])に產するもの、百斤の價(あたへ)、五拾弗(どる)の高價(かうか)にて、年々、香港(ホンコン)に輸入するもの、壹萬斤、香港より分輸(ぶんゆ)する地方は、金山(きんざん)・厦門(あもゐ)・寧波(ねいは)・鎭江(ちんこう[やぶちゃん注:ママ。])・廣東(カントン)等(とう)なり。又、此他(このた)、漢口(ハンコウ)等(とう)より、分輸するもの、少(すくな)からす[やぶちゃん注:ママ。「ず」。]。然(しか)りと雖(いへ)ども、從來、本邦より、之を輸出せしこと、なし。近年、試製品を出(いだ)せしものあるも、槪(おほむ)ね、生乾(なまほし)なるが故に、淸國人の嗜好に適せざるなり。
抑(そもそも)、本邦に玉銚を產するは、尤(もつとも)、夥(おびただ)し。宜(よろ)しく捕獲季(ほかくわくき)を定めて、成育せしめ、煑乾(にほし)の精製品を出(いだ)すに至れば、淸國へ輸出して、良價(よきあたへ)を得らるべし。其製法ハ、殼付の儘(まヽ)、熱湯に投じ、煑(に)て、柱、及び、尖股狀(さんまたぜう[やぶちゃん注:ママ。「さすまた」は「さんまた」とも書き、漢字も「杈・刺股・刺又(叉)・指又(叉)」などが使われが、「尖股」とも書く。但し、「狀」は「じやう」である。])の帶(おび)をとりて、乾燥するもの、とす。此(これ)、淸國にて『帶子(たいし)』の名ある所以(ゆへん[やぶちゃん注:ママ。])なり。
[やぶちゃん注:これは、「平貝・玉珧」と漢字表記する、
斧足綱翼形亜綱イガイ(貽貝)目ハボウキガイ(羽箒貝)科クロタイラギ属タイラギ
であるが、同種については、長く
タイラギ Atrina pectinata Linnaeus, 1758
を原種とし、本邦に棲息する
殻表面に細かい鱗片状突起のある有鱗型
と、
鱗片状突起がなく殻表面の平滑な無鱗型
を、
生息環境の違いによる単なる形態の個体変異
としたり、二種ともに、
Atrina pectinata の亜種
として扱ったりしてきたのであるが、一九九六年、アイソザイム分析(isozyme:イソチーム・アイソエンザイム isoenzyme・イソ酵素とも呼ぶ。同位酵素のこと。従来は均一の成分と考えられていた酵素は、蛋白分画技術の進歩によって,いくつかの成分に分離されることが判ってきた。そこで、酵素としての働きは同じであっても、電気泳動法などの分離方法によって分類すると、分子構造や物理的・化学的性質などの異なる一群の酵素を「アイソザイム」と名付けたものである。以上は「ブリタニカ国際大百科事典」の解説を元にした)の結果、
◎有鱗型と無鱗型は全くの別種である
ことが明らかとなった。現在、前者の有鱗型は一応、
Atrina lischkeana Clessin,1891
に同定されているが、確定的ではない。
さらに加えて、これら二種間の★雑種が、
自然界には一〇%以上は存在する
ことも明らかとなっている(以上は、所持する図鑑類やウィキの「タイラギ」その他を参照した)ため、日本産タイラギ数種(中国産では、現在、四つの型が存在することが判っている)の学名は早急な修正が迫られている。
また、「たいらぎ」という和名については、無批判に「平」(たいら)な「貝」を語原と記す記事が多く、流通でも寿司屋でもその捌いてしまった貝柱のみを「平貝(たいらがい)」と呼ぶが、所持する相模貝類同好会一九九七年五月刊の岡本正豊・奥谷喬司著「貝の和名」(相模貝類同好会創立三十周年記念・会報『みたまき』特別号)の「タイラギ」によれば(コンマは読点に代えた)、『直角三角形に近い形の30㎝以上にもなる大型の食用貝。泥深い海底に尖った方を下にして立って生息しているので、漁師はタチガイといい、また貝柱は市場ではタイラガイ(平貝)と呼ばれている。このタイラガイこそ本来あるべきこの種の和名ではないかと思われる。「平ら」という理由は今一つはっきりしないが、この種の地方名にはターラゲー、タイラギャー、タイラゲェ、テェラゲェなどタイラガイの訛りが多い。従ってタイラギガイと言ってはギとガイの重複表現になる』とある。
実は、以上は、二〇二二年八月十三日に公開した『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 𧍧䗯(カンシン)・タイラキ / タイラギ』で私が注したものに、やや手を加えたものである。四年前のものだが、ウィキの記載を検証したところ、「分類」の記載部分は、新たな書き換えが行われていないようなので、採用した。
改めて、現在の当該ウィキを「分類」の部分が信じられない方のために、重複を厭わず、引用する(注記記号はカットした)。『内湾の砂泥底に生息する大型の二枚貝で、重要な食用種である。標準和名のタイラギは「平貝(たいらがい)」が転訛したものであり、マスコミなどで「タイラギ貝」と表記されることがある。季語、三冬。寿命は6〜7年とされる』。『日本に生息するタイラギには、殻の表面に細かい鱗片状突起のある型(有鱗型)と、鱗片状突起がなくて殻の表面の平滑な型(無鱗型)の2型が存在する。これら二型は生息環境の相違による同一種内の形態変異とみられていたが、アイソザイム分析によって遺伝学的に調べた結果、有鱗型と無鱗型は別種であることが判明した。さらに、これら二型間の雑種も自然界にかなり普通に(10%以上)存在することも明らかとなった。雑種は有鱗型と無鱗型の中間的な形態を示し、そのためにあたかも有鱗型から無鱗型への連続した形態変異のように見え、それが両者が同一視されていたひとつの理由である』。『タイラギは、無鱗型が Atrina pectinata japonica (Reeve)、有鱗型が A. pectinata lischkeana (Clessin) として亜種の扱いをされることがあるが、これら2型が別種であるのは明らかであり、亜種としての扱いは不適当である。今後、これらの原種である A. pectinata Linnaeus や』、『その他のシノニムの模式標本を調べた上で』、『学名の再整理を行なう必要がある。タイラギの学名については』、『このように今後の研究を待たねばならないので、本項では最も古い学名である Atrina pectinata を暫定的に使用する』。『和名に関して、日本の多くの地域において両型の相対的な資源量は有鱗型の方がかなり卓越しており、一般的に知られるタイラギは有鱗型である場合が多い。そこで、有鱗型には一般名である「タイラギ」、無鱗型には兵庫県、岡山県、香川県、山口県、大分県、佐賀県などで共通した「ズベ」という呼称から「ズベタイラギ」という種名が提唱された』(この異名「ズベ」は「スベスベ」している「スベタイラギ」の縮約異名である。「マグロ君」のブログ「世の中のうまい話 魚のプロ~マグロ君が全国食べ歩き~~」の「平貝(タイラガイ)・タイラギ」に『平貝には2種類あって、殻の表面がザラザラしているを「タイラギ」と、スベスベしている「スベタイラギ」に分けることが出来ます。潜水夫の方達は、前者を「ケン」。後者を「スベ」と呼ぶそうです。かつては、住む場所によっての違いと思われていましたが、遺伝子からみると』、『違う種であるという事がわかったようです。』とある)。『近縁種』に『ハボウキガイ Pinna bicolor Gmelin, 1791』がある。これは『タイラギに似ているが』、『殻は細長い。砂底に刺さって生活し、貝殻の半分くらいが砂底の上に出ている。タイラギと同じく閉殻筋を食用にするが、閉殻筋が小さい。また外套膜も肉付きが薄く、強いて食用にはしない』。タイラギの別名は『エボウシガイ(烏帽子貝)、タイラガイ(平貝)、テエラゲエ、ババトリ(関西地方)、バチガイ(北海道)、ハシラ、タチガイ、タテガイなど』がある。『「ババトリ」は、糞便をすくい取るのに』、『タイラギの大きな貝殻を使っていたことに由来する』。『中華料理では、「江珧」(ジアンヤオ、jiāngyáo)という標準名よりも、「帯子」(ダイズ、dàizi)と呼ばれる事が多い。中国の地方名に「割猪刀」、「殺猪刀」、「割紙刀」(広東)があり、貝殻の形がブタを屠殺する時や紙を切る刃物に似ることによる。他に「大海紅」、「海鍁」(遼寧)、「海蚌」(浙江)などの地方名もある』。『日本では房総半島以南に分布し、内湾の10m未満からおよそ50m程度の深度に生息する。特に東京湾、伊勢湾、三河湾、瀬戸内海(播磨灘、大阪湾、備讃瀬戸、備後灘、周防灘、伊予灘)、有明海などが』、『主要な生息地である。現在の主要産地としては、三河湾、播磨灘、備讃瀬戸、伊予灘である。海外では、西太平洋からベンガル湾にかけて分布するとされるが、日本での2型のような同胞種』(sibling species:形態的には殆んど差がないように見えても、交雑しない二つ以上の種を指す。「姉妹種」とも呼ぶ))『が多く存在する可能性がある』。『タイラギは朝鮮半島と中国でも水産上の重要種である。韓国でも有鱗型と無鱗型の2型が生息している。また中国では、形態的、遺伝的に区別される4型が存在するとされ、分類学的整理が望まれる』。『殻長30cm以上、殻高20cm以上に達する大型種である。殻は殻頂がとがった三角形で、殻の内面にはかすかな真珠光沢がある。殻の外面には弱い放射肋があり、有鱗型では肋上に細かい鱗片状突起が並ぶ。殻は薄質で壊れやすい』。『殻が大きいだけに』、『軟体部も大きい。2つの閉殻筋(貝柱)のうち』、『前閉殻筋は殻頂付近にあり』、『小さい。後閉殻筋は殻の中央部にあり、大型個体では直径5cm以上に達する。外套膜(ヒモ)はクリーム色から橙色をしており、長くて分厚い。足は細くて小さい』。『中にはカクレエビ』(節足動物門甲殻亜門軟甲(エビ)綱真軟甲亜綱エビ上目十脚目抱卵亜目テナガエビ上科テナガエビ科カクレエビ亜科カクレエビ属カクレエビ Conchodytes nipponensis 。但し、軟甲綱十脚目テナガエビ科カクレエビ亜科 Pontoniinaeに属する種群は約百六十種と非常に多く、彼らは、特定種にしか寄生しない傾向が認められる。)『がよく居る』。以下、「生態」の項。『貝殻のとがった方(殻頂)を下にし、海底に刺さるようにして生息する。さらに足の付近から、緑褐色で長さ10-20cmほどの、絹糸のような足糸を』多数『出して』、『砂粒や小石を付着させて体を固定する。砂泥の上には』、『殻の後端部が』、『わずかに』、『顔を出すのみである。有鱗型(タイラギ)は州や沿岸域などの浅海部の』、『主に』、『砂質に多』いのに『対して』、『無鱗型(ズベタイラギ)は』、『やや深い海域の』、『主に』、『泥質に生息する』。『産卵期は夏で、産み出された卵は海中に放出され、同じく放出された精子と受精する。孵化した幼生は』、『しばらく』、『海中を漂いながら成長し、やがて着底する。成長は早く、2年後には殻長が20cmを超える』。『有明海では1990年代まで、ヘルメット潜水によって潜水し、鎌のような漁具(手かぎ)を使って』、『砂泥底のタイラギを次々とひっかけるという漁が行われていた。漁獲されたタイラギは食用として福岡市をはじめ、全国に出荷されていたが、近年は』殆んど『漁獲されなくなった。特に諫早湾沿岸域では1993年から休漁が続いており、諫早湾干拓事業との関連を指摘する声も多い。また、有明海の漁業者の中でも水温の上昇によって、越夏できないとも言われている』。『播磨灘のある明石市では』、『フーカー潜水』(当該ウィキに拠れば、『本来、目・鼻・口を同時に覆う簡単なマスクに水上からホースで空気を供給する送気式潜水の一種を指す。その名称は、かつて阿片などの麻薬を吸うときに使用されていた器具の名前(hookah)に由来する。ヘルメット潜水との対比から、マスク潜水と呼ばれる場合もある。』とあった。)『によって潜水し』、『貝を獲っている。 他の産地では』、『さらに』、『早い時期に個体群の崩壊が起きていることが多く、今日では健全な個体群は、三河湾、播磨灘、備讃瀬戸、伊予灘ぐらいにしか残っていない』。『国産品および輸入品が、貝柱だけのむき身』、『生』、『あるいは』、『冷凍、粕漬け、干し貝柱で流通するほか、生の殻付きでも流通する。食材として、大きな閉殻筋(いわゆる貝柱)をそのまま、もしくは』、『薄切りにする。用途は』、『日本では』、『刺身、寿司種、焼き物、汁物など多様である。中国では、広東料理や潮州料理でよく使い、蒸したり』、『炒めて食べる事が多く、塩蒸し、ニンニク蒸し、豆豉蒸し、XO醤炒め、鉄板焼きなどが主な料理となっている。韓国では「키조개」(キジョゲ)といい、フェ(朝鮮式の刺身)、炒め物、鍋物、鉄板焼きなどの各種料理に利用される。生では柔らかくて甘いが、火を通すと歯ごたえと』、『旨みが増す。また、外套膜(ヒモ)も生食、焼き物などで食べられる。ヒモの部分は一般には』、『調理の際に廃棄されてしまう場合が多いが、バター焼きなどにすると』、『コリコリとした食感で美味である』。以下、「食中毒」の項。『腸炎ビブリオによる食中毒が』、『時折』り、『報告される。また、底生性渦鞭毛藻類の一種が原因と考えられるピンナトキシン』(Pinnatoxin:翼形亜綱ウグイスガイ目ハボウキガイ科ハボウキガイ Pinna attenuata から中国で発見されたことに拠る命名)『による貝毒(神経毒)中毒の可能性を示唆する報告がある』。以下、「価格」の項。『高度成長期、バブル期などまでは、築地市場で1個1,500円を超す高値を付けられていた。これが赤坂や築地、銀座の料亭に行くと6,000~7,000円という高値で提供されていた。また、選挙のある年や衆議院解散前になると、料亭での需要が増すために一気に値が跳ね上がった。次第に韓国産の廉価なタイラギや、ホタテガイの養殖品が大量に出回ると、徐々に値を下げていき、今では高値で1kgで6,000円くらいである。』とあった。
『「大和本草」にハ、『和俗の『𧌊(たひらき)』の字は出處(しゆつしよ)なし』とす。』古いリンクを張るだけで事足りるので、先に片付ける。私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 タイラギ」を見よ。
『「本朝食鑑」、『𧌊(たいらき)』の字を用ひたれども、』『『殼は蚌(ぼう)に似て、黑色皮紋(こくしよくはもん)あり。大なるものは、廣さ、五、六寸あり、長さ尺餘に過ぐ。白肉(はくにく)ハ、圓狀(えんけい)、大(だい)なるもの數寸(すうすん)、味(あぢはい)、極(きはめ)て、甘美、其肉、細く切(きり)て、片(へん)と作(な)し、炙食(くわいしよく)、烹食(ほうしよく)、生食(せいしよく)、共(とも)に佳(か)なり。此れ、海錯中(かいさくちう)の珍賞なり。』国立国会図書館デジタルコレクションの当該部を視認して、推定訓読する。
*
𧌊《シヤ》【「多比羅岐(タヒラギ)」と訓ず。】
釈名江瑶柱《かうようちゆう》【「本艸≪綱目≫」。○近俗、此の名を呼ぶ者、多し。『江瑶』は總稱、『柱』は、圓《まろ》≪き≫肉、柱のごときなり。今、本邦の𧌊《たひらぎ》、殻、黒潤《こくじゆん》、光《ひかり》、有り。然《しか》れども、未だ、『海月《かいげつ》』・『玉珧《ぎよくたう》』の形を知らず。若《も》し、空殻《から≪の≫から》、老枯《らうこ》≪して≫、白に變じて、美色《びしよく》を生ずるか。】。
集觧蝑殻《たひらぎ の から》、蚌《ながたかひ》に似て、黒色《こくしよく》、波紋《はもん》、上に大《だ》いに、下、小《ちひさ》きに、大なる者は、広さ、五、六寸、長さ、尺余に過ぐ。惟(たゞ)、柱、有《あり》て、白舌《しろき した》、玉《たま》のごとく、大《だい》なる者は、数寸、味《あぢは》ひ、極《きはめ》て、甘美なり。其の肉、腥靱《せいじん》≪にして≫、堪へず。其の帯膜《おび の まく》、白≪き≫舌《した》、味、稍《やや》好し。世俗、白柱《しろき した》を取り、而《しかして》、細切《ほそぎり》て、片《へん》と作《な》し、炙《あぶり》食《くひ》、烹《に》≪て≫食《くひ》、生食《なまぐひ》、倶《とも》佳《か》なり。此れ、海錯中《かいさくちゆう》の珍賞《ちんしやう》、鰒《ふぐ》・蠣《かき》・蛤蜊《はまぐり》と、伍《ご》を爲《な》す。専ら、上厨《じやうちゆう》の供《ぐ》に充《あ》つ。古來より、未だ、名を稱することを聞かず。近世、多く、之れを賞す。海人《あま》も亦、其の大なる者を探《さぐり》て、以て、之を貨《くわ》す。
柱氣味甘鹹《かんかむ》、平《へい》。毒、無《なし》。主治中《ちゆう》を調《ととの》へ、氣を下《くだ》し、小便を利し、宿食《しゆくしよく》を消す。疝積《せんしやく》を動《うごか》す。
*
・「𧌊《シヤ》」「廣漢和辭典」に拠れば、漢語としては、『蟹のしおから』とのみあり、国字として、『たいらぎ【たひらぎ】どぶ貝に似た一種の介虫。玉珧。』とある。
・「未だ、『海月《かいげつ》』・『玉珧《ぎよくたう》』の形を知らず。」これは、「本朝食鑑」の作者人見必大が、したり顔をすることが多い本草家の中にあって、極めて正直であり、博物学の正道で素直に記したものである。即ち、中国の本草書の強烈な矛盾を「わからない」と言っているのである。「海月」と言ったら、小学生でも『「くらげ」に決まってるじゃん。』と事も無げに言うであろう。ところが、実は、「本朝食鑑」の後の「卷之九」の「鱗部之三【江海無鱗類三十七種】」の「海月」では(ここと、ここ)、中国の本草書の記載に驚くべき記載が並ぶのである。同じく推定訓読する。「集觧」部分は、人見が、正しくクラゲ類の記載を正しく引いて解説しているので、省略した。
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海月《カイゲツ》【『久良个』と訓ず。】
釋名水母【鰕《えび》、附《つき》て、之れに從ふ。子の、母に從ふがごとし。故に『水母』と曰ふ。源順《みなもとのしたがふ》曰く、『「食經《しよくけい》」、『海月《かいげつ》、一名は水母。貌《かた》ち、月の海中に在るがごとし。故に以て、之を名《なづ》く。』≪と≫。凡《およ》そ、古《いにしへ》より、『海月《くらげ》』を以て、名くる者の、尚(ひさ)し。形、以て、色を、之に名《なづ》かれ≪しとせば≫、則《すなはち》、水母に於て、相當《あひあた》≪ら≫ず。圓形なりと雖《いへ》ども、不正なり。其の色も亦、殊《こと》なり。一種、水海月(《みづ》くらげ)とす者、有《あり》。色、白く、形、圓《ゑん》にして、之を言ふか。陳蔵器・李時珍、俱に、「江瑤」≪を≫以て、「海月」と爲す。是れ、形・色、相《あひ》當《あたる》。】
*
「凡《およ》そ、古《いにしへ》より、『海月』を以て、名くる者の、尚(ひさ)し。形、以て、色を、之に名《なづ》かれ≪しとせば≫、則《すなはち》、水母に於て、相當《あひあた》≪ら≫ず。圓形なりと雖《いへ》ども、不正なり。其の色も亦、殊《こと》なり。」ここが重大な人見が指摘している疑義ポイントである。所持する東洋文庫版(島田勇雄訳・一九八〇年刊)の訳(原文は含まれていない全訳である)の当該部を引用する。
《引用開始》
凡そ昔から海月という呼名を使って尚(ひさ)しい。形色をもって名づけたとすると、水母の文字では相当しない。円形とはいえ、まんまるではなく、その色も殊なっている。一種、水海月というのがあり、色は白く形は白く形は円い。これを言うのであろうか。陳蔵器(『本草拾遺』)・李時珍(『本草綱目』)、いずれも、江瑤(こうよう)を海月としている。形色はこれに相当している。
《引用終了》
さらに、ここで、後に附されている島田氏の『注一』(項目「海月」に対するもの)を引用しておく。
《引用開始》
海月は『国訳本草綱目』に「和名いたやがひ」とし、頭注に白井博士[やぶちゃん注:白井光太郎(しらいみつたろう)。日本の植物病理学や本草学史の開拓者としてしられる碩学。同書の初版校注者。]「海月・王珧、元ト二物、時珍之ヲ合す誤ナリ」とされ、木村博士[やぶちゃん注:木村厚一(きむらこういち)薬学者。同書の新註校定者。]は「海月ハ扇状ノ二枚貝。左右概ネ不同ニ膨ラム。殻表ハ淡褐赤色ナリ。支那本土ニ分布ス」と解説される。『古今図書集成』にも貝を図解する。その中国における異名は次のものがある。王珧(『爾雅註』)、江瑤(『王化宛委録』)、馬頰・馬甲・角帯子(『正字通』)、江殊(『水族加恩簿』)、楊妃舌・江瑤柱(『事物紺珠』)。
《引用終了》
とある。
『「閩書」に『江瑤柱(こうえうちゆう[やぶちゃん注:ママ。])』とす。而して、其說に曰く、『韓退之馬甲柱(かんたいしばかうちう)』と謂ひ、『蘇子膽(そしたん)、以て、茘枝(れいし)に配(はい)し、福州の人、之を馬𪿖(ばげん)と謂ひ、萬震(まんしん)の賛(さん)に「肉柱膚寸江瑤柱(にくはしらりよすかうようちう[やぶちゃん注:ママ。トンデモ和訓としても、この読みは、全くおかしい。「にくちゆうふすんかうようちゆう」の誤植であろう。])」と名(なつ[やぶちゃん注:ママ。])く。又、『今の馬甲柱(ばかうちう)は古(いにしへ)の玉珧(ぎよくてう)』といふ。『昔人(むかしのひと)、之を賞(しやう)す。美(び)、涯(かぎり)なし。』と、あり。』総てではないが、「中國哲學書電子化計劃」の「福州府志乾隆本」の「卷之二十六」のガイド・ナンバー「145」に(脱字かと思われる□がある。そのまま示す)、
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江珧柱《閩書》:「韓退之謂馬甲柱,蘇子瞻以配荔枝。福州人謂之馬月去厥,甲美如珧玉,肉柱膚寸,曰江珧柱。」《閩小紀》:「江珧柱形如二三寸扁牛角,雙甲薄而脆,界畫如瓦楞,向日映之,絲絲綠玉,晃人眸子,而嫩朗又過之。文彩燦熳,不忝瑤名。子嘗語人曰:即此膚理,便足鞭撻海族,不必問其中之所有矣。肉不堪食,美只雙柱,所謂柱,亦如蛤中之有丁。蛤小則字以丁。此巨因美以柱也。味亦與蛤中丁不少異,蛤之美實在於丁;人以其無多,不省察,故獨讓江珧擅此嘉名耳。會城初無此,予至後,令蛋人索之梅花,文石間,時時得之。十年以來,遂與香螺蠣房參錯市中矣。」國朝朱彞尊《江珧柱》詩:「異味傳方域,佳名注食經。連江誰布網,獨漉忽登硎。遞自三山速,風來五月腥。羚羊贏見角,蟲只蟲墨□同形。銳比盆花鍤,圓同細帶革呈【粵呼為角帶子】。探腸先去甲,刮膜止存丁。淨洗膏猶沃,新烹火莫停。冰簷同挂鐸,雪菌乍抽釘。白嚼河豚乳,紅餐荔子廳。誰言分鼎足,試倚灶觚聽。」』
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凡そ、私の乏しい漢文力では、全体は訳せないので、機械翻訳(大分、レベルが上がってきている)を参考に、一部のおかしな部分は調べて、自然流で手を入れ、お茶を濁すこととする(欠字のある割注はカットした)。中文に詳しい方で、訳がおかしいと感じる方は、是非、御教授を乞うものである。【二〇二六年七月二十二日:追記・修正】以下について、私の秘蔵っ子の、中国語に堪能な教え子S君から、三点の指摘を受けた。一箇所は誤訳であり、一つは日本語としてダブりがあり、今一つは、「蛤」の狭義・広義の違いの用法が読者に判り難いと言う点で修正した。S君に心から感謝するものである。
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「江珧柱」は「閩書」に拠れば、『韓愈は、これを『馬甲柱』と呼び、蘇軾は荔枝(ライチ)と同様に評価した。福州人は、これを『馬月柱』(イタヤガイ科などの貝柱))と呼び、「厥証(けつしょう)」(突発性の気絶や手足の冷えを伴う症状)を治療するものとし、その殻は、玉のように美しく、身は薄い柱のようで、『江珧柱』と呼んだ。』と。「閩小記」には、『江珧柱は、二、三寸の平たい牛の角のような形をしており、殻は、薄く脆く、波瓦のような模様があり、日光が当たると、繊細な緑色に輝き、目を眩ませる。その柔らかさは、初々しく朗らかであり、如何なるものより、さらに上回っている。その紋彩は、まさにその名に相応しい。私は嘗つて、人に、かく言ったことがある。『この質感だけでも、海の生物を凌駕するのに十分である。中身が何であるかなどということは、この際、聞く必要はない。内臓は食べられぬが、その美味は、二本の柱にある。この柱は、蛤(はまぐり)』の「丁」に相当する。小さな蛤のそれは「丁」と呼ばれる。この江珧のそれは、巨大で、まさに美味な柱なのである。味もまた、蛤(はまぐり)を遙かに凌ぐのだ! 二枚貝[やぶちゃん注:この場合の「蛤」は狭義の「はまぐり」の意ではなく、広義の斧足類(=二枚貝)を指している。]の本当の美味しさは、その「丁」にこそ、あるのである! 人は、ただ、数が少ないから、「美味しい」と、ろくに調べもせずに、蛤(はまぐり)ばかりが最上と思っていたに過ぎなかったのだ! しかし、江珧のみが、真に、今や、この名声を得ているのである! 当初は都城では認識されていなかったが、私が到着してからは、地元の漁師たちに命じて、「梅花紋のある岩礁や、美しい模様のある岩石の間で、よく探してみよ。」と言ったところ、それ以降、よく、これを採取するようになった。而して、この十年以来、市場では、遂に、香螺(こうら)[やぶちゃん注:ニシ類等の美味な巻貝。]や、カキ類に交じって、江珧が市場に並ぶようになったものだ。』と。清の朱彞尊(しゅいそん)は、江珧について、次のような詩を詠んでいる。『その今までに知られていなかった異なった味覚は、四方に広がり、その名声は、今や、料理書にも記されている。一体、誰が、川に網を張って、待ち構えているのだろうか? 網にかかった、ただ一つの貝が、ふっと、庖丁の刃が肉の間にすんなりと入るだろうか? ところが、それが三山[やぶちゃん注:ここは伝説の霊山である蓬莱山・方丈山・瀛洲山を指していよう。]から速やかにやって来て、五月の風に乗って、香りが漂うてくる。羚羊(れいよう)[やぶちゃん注:アンテロープ。]の角のようなものが見え、その生き物は□の生き物のようではないか! その鋭さは、盆栽の花を切るように美しく、その円(まろ)やかさは、極めて細いしなやかな革の帯のようではないか! その内臓を探るに、まず、殻を取り除き、貝柱のみ残すまで、いらぬ膜を削りとる。清らになるまで、脂が、なお、豊かに湿って残っているようにし、新たに、煮焚きをし出したら、火を止めてはならぬ。軒に吊(つ)れた氷柱(つらら)の如く、雪の中から引き抜かれた氷の釘(くぎ)のような蕈(きのこ)の如く、さながら、白い河豚(ふぐ)の乳を嚙み味わうように、晩餐の赤い荔枝(ライチ)を味わうように。ああっ! 一体、誰(たれ)が、「鼎(かなえ)の足のように、美食の三種が、三つ巴の争いの構えをしているのだ?」などと言ったのだ!? 愚かな! 試しに、この貝柱を調理している竃(かまど)の傍らに寄りかかって、じっくりと、類いならざる江珧の、その煮える音に、無心に、耳を傾けてみるがよかろうぞ!』と。
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