河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 中卷(八)乾貝並貝柱の說(その12) 乾蠣
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここの左ページから。因みに、私は強力なカキ・フリークである。]
乾蠣《ほしかき》
蠣(かき)は「倭名鈔」に『「本草」に云(いわく[やぶちゃん注:ママ。])、『蠣蛤(れいがう)は、和名(わみやう)、加木(かき)。』とす。これを乾(ほ)したるを、『乾蠣(ほしかき)』といふ。淸國にて『蠔豉(がうし)』と稱す。元來、牡蠣(かき)に、種類、多く、本邦產中、之を大別すれば、『ながかき』・『かき』・『ころびかき』・『いたぼかき』等(とう)にして、此他(このた)、品類、甚(はなはだ)、多し。「まかき」は、能(よ)く、竹、及び、柴(しば)等(とう)の麁朶(そだ)を立(たて)て、養作(やうさく)するを、よろし、とす。卽ち、安藝(あき)の廣島、磐城(いはき)の松川浦(まつかはうら)等(とう)なり。淸國人は、『蠣田(れいでん)』を作るに、岩石を、二個づゝ合(あは)して、龜脊狀(かめのせかた)に臥(ふ)せ、各(かく)一畝(ひとせ)に𤲿別(くべつ[やぶちゃん注:ママ。恐らく「區別」の意味を利かせた意味訓であろう。])し、大豆油(だいづあぶら)の搾滓(しぼりかす)を、養餌(やうじ)に施(ほどこし)て作る故に、『蠔豉(がうし)』の名(な)あり。
[やぶちゃん注:『「倭名鈔」に『「本草」に云、『蠣蛤(れいがう)は、和名(わみやう)、加木(かき)。』とす。』「和名類聚鈔」の「卷十九」の「鱗介部第三十」の「龜貝類第二百三十八」にある。国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板の当該部をリンクしておく。
「蠔豉(がうし)」北京語「ハオチー」、広東語「ホウシー」で、新鮮な牡蠣(かき)の身を塩茹でして天日干しにしたものを指す。広東地方や香港の伝統的な料理である。
「ながかき」これは、「長蠣」であるが、次の「かき」と同種で、現在では、
斧足(二枚貝)綱翼形亜綱カキ(或いはウグイスガイ)目カキ上科イタボガキ(板甫牡蠣)科マガキ属マガキ Crassostrea gigas
である。所持する「吉良図鑑」(=保育社刊「原色日本貝類図鑑」昭和三四(一九五九)年改訂第三版の昭和四九(一九七四)年二十刷)でも、独立項があるものの、『本型はナガカキまたはエゾガキ』(蝦夷蠣)『と称し, 長さ300mm以上に達する巨大なものである。大連を模式産地としてCrassostrea talienwhanensis CROSSEの名で区別されているが, 最近の研究ではマガキと同種と認められている。また鹹度』(=海水塩分)『の低い所に棲息することにおいても首肯される。北海道潮線下。』とある。前にある、「マガキ」の項では、分布を『北海道以南潮線下。』とし、謂わば、本邦では、北海道の殻の長さの異様に長い個体を、本書の刊行時には、このように別種として呼称していたのである。当該ウィキに拠れば(注記記号はカットした)、『太平洋のアジア沿岸を原産地とする。別名として太平洋牡蠣や日本牡蠣、長牡蠣等がある』。『岩などに固着生活する二枚貝。一般には中程度の大きさのカキ類で、外形は付着する基盤の形にも依るのでさほど一定していない。左側の殻で岩などに付着し、この側の殻は内側が深く窪んでいる。外面にある右側の殻は』、『左殻より小さく、ほぼ平らとなっている。順調に成長したものでは成長脉、つまり』殻の『表面に成長する縁』(ふち)『沿いに発達する薄い板状の突起が』、『よく発達し、また』、『紫色の放射状の斑紋を帯びる』。但し、『普通には』、『殻は汚れた白色の地色に紫褐色の放射彩が出る。成長段階では』、『殻の表面に葉状の突起(平たい膜状に突き出たもの)を生じるが、成長したものでは』殆ど『無くなり、粗いが』、『のっぺりした殻面を持つようになる』。『右側の殻では』、『その頂端部が突き出る。殻の内側の面は白く、筋痕、つまり貝柱の跡が1つあるのが普通で、その部分は紫色をしている』。『時に大きくなるものがあり、エゾガキ、あるいはナガガキの名で呼ばれたものはO. talienwhanensis と別種とされたことがあるが、同一種と考えられる。これは』、『とても大きくなり、例えば』、『細長く伸びた殻の全長は340mm、靱帯部の長さが40mmという例もあり、この例では』、『その肉量は飯茶碗に山盛り一杯にもなったという』。『日本の北海道から九州、国外では朝鮮、中国、樺太に分布する』(かなり前のNHKのドキュメンタリーで、北方領土の沿海部には、巨大なマガキが筍(たてのこ)のように屹立しており、驚いた。同地のロシア人はマガキを食わないため、ニョキニョキ状態であった)。但し、『現在では』、『養殖用に持ち出されたことから』、『南北アメリカ、ヨーロッパ、オーストラリア、アフリカにまで移植されている』。『内湾から河口域に生息する。潮間帯から潮下帯に生息し、内湾性で富栄養の海域に普通に出現する。塩分濃度の低い水域を好む。消波装置に集まることで』、『動作不良を起こす事例もある』(消波装置は海面に浮かぶ形で配置するが、マガキが、多数、付着すると、その重みで沈下してしまい、全く機能を果たせなくなってしまう事態になってしまうのである)。『本種は』、『普通は』、『岩や杭など固いものに付着して成長するが、干潟では』、『時に』、『その表面に本種が集団をつくることがあり、時に広い面をなす。これをカキ床(英:Oyster bed』『)と呼ぶ。この状態になると、カキが表面を覆うために』、『その下の泥土は酸素欠乏状態とな』り、『泥は真っ黒になり、通常の干潟の生物は生存出来なくなり、岩礁の付着生物、それに低酸素で生活出来る間隙生物の生息域』が『変化』してしまう『ことになる。また』、『この環境は外来種が入りやすい場にもなっている』。『現在』、『日本の干潟でこれが増加しているとの指摘があり、環境変化について懸念されている』。『水深4-50mの岩礁を好むが、砂泥底にも棲息する。7月から8月の水温が19-23°C程度の頃に雌が5千万から1億個を産卵し、雄が放精する事で水中で受精する』。『本種を含むマガキ属は』、『水産経済動物としては』、『世界最大の年間生産量を持つとされ、その中でも本種は』、『アジアの温帯域で最も重要なものである。本種は日本の他、大西洋の北東部、特にフランス、ポルトガル、後には地中海に棲息域を広げ、また各地で養殖もされており、特にフランスでは』、『欧州での生産の75%を占め、近年の養殖場での生産量は4万トン/年となり、養殖牡蠣において世界一の生産量となる。また』、『オーストラリア等南半球でも養殖されている』(タスマニア島で食べたが、まことに美味かった)。
「ころびかき」これは単独種ではなく、小学館「日本国語大辞典」に『イタボガキ、イワガキなど浅海の海底にすむ大形の貝の称。食用とする。おきがき。なつがき。』とあった。この内、イワガキは、
イタボガキ科マガキ属イワガキ Crassostrea nippona
である。因みに、私はカキ・フリークであり乍ら、イワガキの生は、あまり好きではない。渋味があることと、強い脂(あぶら)が苦手であるからである。但し、蒸しなら、エンドレスで食える。
「いたぼかき」これは、
イタボガキ科イタボガキ属イタボガキ Ostrea denselamellosa
である。小学館「日本大百科全書」の奥谷喬司先生の解説を引く。『本州、四国、九州および朝鮮半島、中国沿岸に分布する。内湾の水深10~30メートルの海底の岩礫(がんれき)に付着したり、互いに接して団塊状になって生活する。殻長、殻高ともに13センチメートルぐらいになり』、『円板状で、右殻は平たく、殻表は成長線と一致する檜皮(ひわだ)状の殻皮で覆われ、多くの放射条がある。左殻は殻頂部で他物に付着し、やや深く粗い成長輪と不規則な放射肋』『がある。また殻頂の左右に耳状の突起が出て、殻内は白く筋肉痕』『は赤褐色。胎生種で、同一個体の性が交代する。産卵期は5~8月で、成育の好適塩分は27~34‰である。食用となり、一時』、『養殖が試みられたが、肉質が日本人に向かず継続されなかった。』とある。当該ウィキには、『別名としてボタンガキ』(牡丹蠣)『などがある』。『国内については』、『太平洋側が房総半島以南、日本海側が北海道南部以南』、『国外については』、『南シナ海のベトナム、マレーシア、大陸中国、台湾、韓国で、潮下帯から水深30m前後の浅海に多く棲息し、場合によっては』、『低潮線下数mの所にもみられる』とし、嘗つては『普通種として採取され』、『食用として流通していたが』、『近年』、『漁獲量が激減し、人工採苗による個体数回復の試みがなされている。また』、『貝殻は日本画の絵具や漢方薬、飼料として利用される』とあった。私は、とある地方で、生食用処理を施した同種を食したことがあるが、濃厚な味わいで、イケるものであった。私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 草鞋蠣・コロビガキ / イタボガキ』を見られたい。そこには、私が世界中で最も美味であったカキに就いて触れている。]
蠣を養ふは、河水流末(かすいりうまつ)の海濵にして、滿潮の際、常に、瀨、早き、水損風害(すいそんふうがい)のなき場所を、撰(えらぶ)べし。濵質(ひんしつ)は、泥砂(でいしや)をよろしとすと雖(いへども)、願(ねがわ[やぶちゃん注:ママ。])くは、砂地を、良(よし)とす。又、簱立設方(《ひび》たてまふけかた)
[やぶちゃん注:特異的に改行してブレイクし、重要な注を附す。これ以降の叙述を慎重に検証するに、東洋文庫版も、全く、そのままで、致命的矛盾があることに気づいておらず、そのままにしてあるのであるが、まず、
★私が不審に思ったのは、この読みの頭の「簱」のみ、ルビがない
ことであった。一応、この後の暫くは、「はた」で躓かないように読めるしまうように感じたものの、途中で、
★★突然、「簱(ひヾ)」と、異なるルビが出現する
のである。しかも、さらに、その後に、
★★★よく見ると、漢字が異なり、さらに読みも違う「篊竹(ひヾたけ)」が出現する
のである。而して、ここで、次の大誤謬に完全に気づいたのである。
★★★★――この「簱」は、漢字も読みも、これ、総てが「篊(ひび)」の誤字+誤ルビなのであった
のである。読者が、それに、気づかず、なんとなく読めて違和感を感じなかったのは――「簱」が牡蠣養殖の「ひび」であることは判るのだが、「海苔ひび」等の「ひび」を私たちは漢字でどう書くか、まず、御存知の方は少なく、私も知らなかった。そして、私は、漠然と
✕『「海苔ひび」等から推定して、カキ養殖の固定の立て棒には、目印として「簱(はた)」を掲げてあるんだろうな。だから、「簱(はた)」なんだろう。』
と勝手に解釈して読み進めてしまったのである。天下の平凡社東洋文庫版の編者も、悲しいかな――それに全く以って――気づいていなかったのである!]
は、簱竹(《ひび》たけ)は、凡(およそ)、廻(まわ[やぶちゃん注:ママ。])り、三寸位(くらゐ)にして、枝(えだ)の儘(まヽ)、四尺位に切り、五、六本宛(づヽ)、數所(すかしよ)、揷(さ)し、之を、汐(ひは[やぶちゃん注:読みの意味、不明。恐らく、直下の「干際」のルビの誤りから推して、「しほ」の誤植であろう。])の干際(ひきわ[やぶちゃん注:ママ。「干潮(=引潮)の引(干)き際」。「ひきは」が正しい。])まで、二行に倂立(へいりつ)す。簱(ひヾ)[やぶちゃん注:★「ひび」の読みの最初の箇所である。]と簱(ひヾ)との間(あいだ[やぶちゃん注:ママ。])に、凡(およそ)、縱三尺、橫一尺五寸位を隔(へだて)て、立設(たてもふ)くべし。篊竹(ひヾたけ)は、專(もつは)ら、三年竹(さんねんちく)を用ゆべし。篊立(ひヾたて)の季節、及(および)、育養法は、篊竹(ひヾたけ)を、凡そ、每年、四、五月の頃に揷(さしはさ)み、六月頃に至(いたり)て、自(おの)づと、篊竹(ひヾたけ)に、種子、付着す。之を、九月に至り、篊(ひヾ)の儘(まヽ)、抽採(ちうさい)し、汐(しほ)の淺灘(せんなん)へ、立替(たてかへ)【之を「とや」と稱す。】、又、翌年九月に至り、竹より、打落(うちおと)し、潮(しほ)の深き處へ、廣(ひろ)め置き、而して、翌年三月より九月頃まで、汐水(しほみづ)の溜(たま)らざる干潟の高き場所へ移し替置(かへおく)べし。汐水の溜れば、炎天の際、氣(き)を釀(かも)し、腐敗するを恐(をそ)る故に、深(ふかし)といへども、滿干(みちしほ)に汐水の溜らざる場所は、移し替へざるも、妨げなし、とす。梢(やヽ)生育すれば、十一月頃より獲(とり)て、食用とす。倂(しか)し、生育の遲きものは、又、九月より再び、元の深き處へ移すべし。凡(およそ)、蠣の生育は三年を以て、極(きよく)とす。
『乾牡蠣(ほしかき)の根室縣下に產するものは、其(その)廉價(れんか)なるを以て、大(おほひ[やぶちゃん注:ママ。])に海外輸出に適すべし。』とは、橫濱の商(しやう)、串田八百吉(くしだやほきち)の見込なりしか[やぶちゃん注:ママ。「しが」。]、「通商彙編(つうしやゐへん)」に由(よれ)ば、『蠔豉(がうし)、卽ち、我(わが)北海產は香港(ホンコン)市上(しじやう)に、夥多(くわた)[やぶちゃん注:非常に多いさま。夥(おびただ)しいさま。]、輸入し、之を試賣(しばい)せしに、膏脂(がうし[やぶちゃん注:ママ。「かうし」でよい。])、稀薄なるより、味、亦、隨(したがつ)て、饒(じやう)ならず。』との評說にて、自然、廣東產(カントンさん)に壓抑(あつよく)せられ、十分の聲價(せいか)を得(う)るに至(いたら)ざりし。扨(さて)、其膏味(かうみ)、饒多(ぎやうた)なりしといふ廣東產を見るに、形狀は、我產(わがさん)より、稍(やや)大(だい)にして、全肉面(ぜんにくめん)に黃色の脂油(しゆ)を帶(おび)たり。然(しか)るに、其膏脂(がうし[やぶちゃん注:ママ。「かうし」。])は、牡蠣固有の物に非(あら)ずして、乾燥製作上に塗抹(とまつ)せし者の由(よし)なり。蓋(けだ)し、北海道厚岸(あつけし)には、牡蠣を出(いだ)す、多し。若(も)し、此製法を摸倣(もこう[やぶちゃん注:ママ。「もはう」の誤植。])せんには、必ず、當市上(とうしじやう)に於(おい)て、淸產と拮抗(きつかう)するを得(う)べし。價格、淸產、明治十六年に百斤十七、八元なり、と。この試賣品(しばいひん)は廣業商會(かうぎやうしやうくわい[やぶちゃん注:ママ。「かうげふしやうくわい」が正しい。])か[やぶちゃん注:ママ。]、厚岸にて試製せしものなりしなり。然(しか)るに、昨十八年、厚岸にて製したるものは、淸國產と、色澤(しよくたく)・形狀、少しも異(ことな)ることなく、大(おほい)に聲價(せいか)を得たり。當(たう)業者が、能く製法に注意して、かヽる良品を出(いだ)すあらば、輸出品中の上位を占るに至るや、必(ひつ)せり。然(しか)れども、安藝の廣島等(とう)にて養殖するものは、高價、且(かつ)、形質の小(しやう)なるとによりて、乾製に適せず。紀伊・伊勢等(とう)に產する『長蠣(ながかき)』、及び、『いたぼ』等(とう)は、形質、肥大にして、輸出品に製するを得(う)へし[やぶちゃん注:ママ。「べし」。]。
[やぶちゃん注:「串田八百吉」この人物、国立国会図書館デジタルコレクションで横断検索をかけると、水産関係の書籍に、複数、登場し、当時の貝類を始めとして海産製品の改良等に尽力した人物として記されてあり、「大日本水產會報告 號外」(明治二一(一八八六)年発行・合本)のここの「水產共進會事務要錄」の『審査委員』として、本書の著者河原田氏が筆頭に『主審 學藝委員』として姓名を記した、その三番目に『副審』として『通信委員兼地方世話掛』の肩書で、『串田八百吉』と載る。また、同年発行の「大日本水產會報告 第五拾四號」(合本)のここに、『串田八百吉氏死去』の記事があり、そこに(「產」「産」の字体の違いはママ。約物は正字に直した)『橫濱海産商中殖產篤志家の聞へありたる本會々員串田八百吉氏は水産貿易上盡力尠からず曩』(さき)『に本會々頭殿下より通信委員兼地方世話掛を委囑せられ水産擴張に熱心の人なりしに去る八月七日溘然遠逝せられたるは本邦水產業の痛嘆すへきことと云ふへし因て本會幹事長より其實子信太郞氏へ吊詞を贈り追悼の意を表したり』とあった。なお、出自を調べることは出来なかったのだが、因みに、lunaticrosier氏のブログ「旦さまと私」の「坂本龍馬の許婚・千葉さな子を旅する~②」という記事の中に、『商人・串田八百吉夫婦(鳥取藩御用人も務めていた)』という記載があった。同一人物か、全くの別人か、判らぬが、参考までに言い添えておく。
「通商彙編(つうしやゐへん)」各日本領事館の報告書のこと。重要輸出品に関する海外市場調査・通商情報の収集で成果を挙げた。その刊行は,明治一四(一八八一)年以後、「第一次大戦」までのそれが、この名であった。参照した平凡社「世界大百科事典」の「領事館」に拠れば、この報告は、『政府刊行物として印刷・配布され,年を追って質量ともに充実した。過去200年以上の間,ほとんど海外市場情報の蓄積がなく,また商社活動が未発展であった明治期日本にとって,領事報告が海外市場開拓に果たした役割は大きかった』とあった。]
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