河原田盛美著「淸國輸出日本水產圖說」正規表現版・オリジナル電子化注 下卷(九)乾魚並に䀋魚の說(その6) 乾鰯幷䀋鰯
[やぶちゃん注:底本・凡例その他は、第一始動の記事、及び、「(一)鰑の說(その2)」の前注の太字部分を参照されたい。今回はここから。]
乾鰯幷䀋鰯《ほしいはし ならびに しほいはし》
鰯(いわし)は「倭名鈔」に「漢語鈔」を引《ひき》て『以和之《いわし》』と訓ず。「新撰字鏡」は、獨(ひと)り、『𩺮』の字を『伊和志』とすと雖ども、「延喜式」には『鰯』の字を用ゆ。是「閩書」の『鰮魚』あり。鰯の種類ハ、『大羽(おほは)』、一名『まいわし』、『中羽(ちうは)』、『うるめいわし』『こしながいわし』等(とう)なり。而して、鮮(なま)にて膾(なます)とし、又、炙(あぶ)りて食ひ、煑(に)ても食(しよく)し、醃乾(しほぼし)、白乾(しらほし)、目刺、鰓刺(あごさし)、開乾(ひらきぼし)、等(とう)ともなし、[やぶちゃん注:原文は読点であるが、句点に代えた。]煑(に)て搾滓(しめかす[やぶちゃん注:「しぼりかす」以外に、こうも訓ずる。])とし、肥料(こやし)に供し、又、其油をとり、收益の多きこと、本邦の海產物中、此上(このうへ)に出づるもの、なし。近年、此目刺鰯は、淸國へ輸出せり。
[やぶちゃん注:『「倭名鈔」に「漢語鈔」を引《ひき》て『以和之《いわし》』と訓ず。』国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年板の当該部を推定訓読して示すと、
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鰯(イハシ) 「漢語抄」に云はく、『鰯【以和之《いわし》。今、按ずるに、本文、未だ、詳らかならず。】。』≪と≫。
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である。「漢語抄」は「楊氏漢語抄」で、奈良時代(八世紀)の成立とされる辞書であるが、佚文のみで、原本は伝わらない。さて、ここで明確に言っておくこととするが、
★読者は、この記事が、おかしいことに気づく。
即ち、作者源順(みなもとのしたごう)は、立項した「鰯」に「いはし」と読みを記していながら、後の割注で、和訓を「以和之」としているのである。これは、まさに「いわし」であって、「いはし」とは――逆立ちしても――読めない。即ち、これが何を意味するかと言うと、
☆平安中期に成った「和名類聚鈔」(承平年間(九三一年~ 九三八年)に執筆完成)の時代にあっても、正式な歴史的仮名遣表記では「いはし」であったものの、実は、この時代にあっても、実際の当時の京都の口語上の発音では、現代仮名遣と同じく「いわし」であったことを示唆しているとしか採れないのである。
☆続いて、本文で『「新撰字鏡」は、獨(ひと)り、『𩺮』の字を『伊和志』とす』とあるが、ここも「いわし」である。「新撰字鏡」は当該ウィキによれば(注記号はカットした)、『平安時代に編纂された字書の名。現存する漢和辞典としては最古のもの』で、『平安時代の昌泰年間』(八九八年~九〇一年:醍醐天皇の治世。因みに、同四年には正月二十五日、左遷左大臣藤原時平の讒言により、菅原道真が大宰府に左遷されている。所謂、「昌泰の変」である)。)『に僧侶・昌住が編纂したとされる』。寛平四(八九二)年に三『巻本が完成したとされるが、原本や写本は伝わっていない』。後、三『巻本をもとに増補した』十二『巻本が昌泰年間に完成したとされ、写本が現存する』。十二『巻本には約』二万一千『字を収録』する。『古い和語を多く記しており、古代日本における漢字受容を知り得る資料として、日本語学史上きわめて重要である。また、平安時代になると失われた上代特殊仮名遣のうち』、『コの甲乙を区別していることでも知られる』(ウィキの「上代特殊仮名遣」を見よ)。以下、「諸本」の「享和本」の項。十八『世紀後半に村田春海によって再発見され』、享和三(一八〇三)『年に刊行された。和訓をつけた漢字だけを抜き出した抄録本で、部首を』百七『に分類している』。以下、「天治本」の項。『天治元』(一一二四)年『の写本で、唯一の完本』。安政二・同三(一八五六)年~安政四・五(一八五八)『年に発見された。和訓の付いた字は』三千『字以上あり、部首を』百六十『に分類している』。以下、「群書類従本」の項、『塙保己一』(はなわほきいち)『の』「群書類從」『に収められている抄録本』。以下、「構成」の項。『部首内の漢字は規則的に配列されてはおらず、同じ部首を持つ熟語では、二文字を』、『ひとつの項目として扱っている。読みを反切で示してから、字義を類義の漢字で説明するほか、万葉仮名で和訓を付けているものもある』。『本居宣長は』「玉勝間」『の中で「あつめたる人のつたなかりけむほど、序の文のいと拙きにてしるく」「其字ども多くは世にめなれず、いとあやし」』(卷十四)『と酷評しているが、著者は』、『部首分けの上で部類立ての字類のようなものを構想していたとみられ、配列上の混乱は彼の独創性の裏返しであったと見られている』とある。
さて、実は、「鰯」=イワシ(類)を「いはし」と訓ずる語源は明確ではない。しかし、漢字の字面から、一般には「弱(よは)し」から「いはし」になったとの説が知られているが、これは、実は、正確な定説なのでは、ない。例えば、イワシには別に「大きなイワシ類」を意味するとされる「鰮(いはし)」の字があるが、この字素の一つである「囚」の字を穿って解釈すると、「囚(とら)はれ人(びと)」=「囚人」を想起し、恰も「獄屋の囚人に食べさせる卑しい魚」だったのではないか? という勘繰りも生ずる。実際、「いはし」の語源説には「卑しい民(たみ)のみが食べる雑魚(ざこ)」だったから、「いやし」が「いわし」になったとする説もあるらしい。即ち、このように、言語形成自体がブラック・ボックスである以上、イワシを指す歴史的仮名遣は、絶対的に「いはし」のみが正しいとする根拠は全くないことが判るのである。従って
――明治期の本書で「鰯」に「いはし」「いわし」が混淆すること自体が、実は、全く以って、有意な誤用混淆として、いちいち、指摘する価値が全くない――
のである。されば、以降は本文・ルビで、「いはし」「いわし」が混淆していても、一切、ママ注記を附すことやめることとする。]
「延喜式」によれば、神祇部に『鰯汁(いわしじる)』あり。主計部に『乾鰯(ひしわし)』、又、『鮨(すし)』ありて、紀伊・若狹・丹後・備中・備後・安藝・周防・讚岐等(とう)より貢獻し、本邦往古より種〻(しゆしゆ)の製法ありて、常陸の水戶、伊豫の宇和・肥前の松浦等を著名とす。
[やぶちゃん注:「鮨」言うまでもないが、これは、現行の鮨ではなく、馴(な)れ鮓(ずし)である。]
此魚は、性(せい)、至(いたつ)て脆弱なる故に、「いはし」の名、あり。又、「おむら」ともいふ。凡そ、漁業の大利を得ること、鯨の右に出るもの、鰯なり。「大和本草」に曰く、『最も大なるを䀋につけて、苞(むしろ)にいれて、遠(とふき[やぶちゃん注:ママ。])に、よす。賤民、朝夕(てうせき)の饌(せん)[やぶちゃん注:これは「食事」の意。]に用ゆ。又、醢(しほから)とし、糟藏(かすづけ)・飯藏(めしづけ)とす。味、よし。』とありて、從來、乾製・目刺等(とう)は、良品ありしも、䀋藏鰯(えんざういわし)は、精良の製法、なく、且(かつ)、苞(むしろ)に藏(ざう)するか[やぶちゃん注:ママ。「が」。]如き、粗造(そぞう[やぶちゃん注:ママ。])の取扱(とりあつか[やぶちゃん注:ママ。])なりしと見たり。近來(きんらい)、各地にて䀋藏するものは、槪(おほひ[やぶちゃん注:ママ。誤植。])ね、樽詰(たるづめ)にして、較(や)〻精良のものもあれども。䀋加減等(とう)、末だ、一定せずして、淸國の輸出の如《ごとき》も、「華蠻交易洽聞錄(くわいかうえきこうぶんろく)」に載(の)する如く、從前より、䀋鰯を輸出するも、僅々《きんきん》に[やぶちゃん注:ごく、わずかなさま。]過(すぎ)ざるなり。然《しか》れども、䀋量(ゑんりやう)を適度ならしめ、壓搾噐(あつさくき)を以て、搾(しぼ)めて、漬汁(つゆしる)を去り、樽に密封して、輸出せば、其需用を擴(ひろ)むるに至るべし。
[やぶちゃん注:『「大和本草」に曰く、⋯⋯』私の「大和本草卷之十三 魚之下 鰛(いはし) (マイワシ・ウルメイワシ・カタクチイワシ)」を見よ。]
此鰯は、油漬(あぶらづけ)・酢漬等(とう)とし、鑵詰(くわんづめ)にしたるは、歐州諸國に於て、甚だ、嗜好するものなれども、寧ろ、淡乾(しらぼし)・鹹乾(しほぼし)の精良品を、多く、造り出し、淸國人の需求に充つるを得策とす。
[やぶちゃん注:「淡乾(しらほし)」しらすを生のまま、または、蒸して干したもの。]
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