「因幡怪談集」(恣意的旧字化・オリジナル注附き)/「重都と言盲人の妻、蛇の子を產する事」
[やぶちゃん注:底本、及び、凡例その他は、初回を参照されたい。]
重都《しげいち》と言(いふ)盲人《まうじん》の妻《つま》、蛇《へび》の子《こ》を產《さん》する事
元祿年中に、重都と云(いふ)座頭《ざとう》、有り。
藝も能(よく)、御家中《ごかちゆう》、取(とり)はやし、方々(ほうぼう《→はうばう》)へ行(ゆき)、內福《ないふく》にて、暮(くらし)けり。
されば、殊外(ことのほか)、はやりければ、晝夜《ちうや》、出行(いでゆき)けり。
女房《にうばう》は、三十《みそぢ》斗(ばかり)の女《をんな》なり。いつも、獨(ひとり)、留守をして過(すごし)けり。
いつの頃にか、夢ともなく、十六、七歲斗成(ばかりな)る、みめ能(よき)、けむふく[やぶちゃん注:底本に右傍注して『(元服)』とある。歴史的仮名遣は「げんぷく」でよい。]したる男子、來(きた)り、添伏《そへぶし》して、さまざまと、くどきけれ共(ども)、初(はじめ)の程(ほど)は、女、承引(せういん《→しよういん》)せざりけれ共(ども)、每夜、來(きた)りて、いろいろ、言寄(いひよせ)ければ、女房も、いわき[やぶちゃん注:「岩木」。]ならねば、後《のち》は、ねむごろ[やぶちゃん注:「懇ろ」。歴史的仮名遣の読みは「めもごろ」、及び、後に音変化した「ねんごろ」である。但し、「めむごろ」の表記も、しばしば見かける。「ねむごろ」も違和感はない。]に語らひけり。
隣《となり》の者、しらざりけり。
後《のち》には、隣家《りんか》も、こそこそ、さゝやきけるは、
『亭主の音《こゑ》もせざるに、夜更(《よ》ふけ)て咄聲《はなしごゑ》聞(きこへ《→きこえ》)るは、誰《だれ》ぞ、忍(しのび)ものも、有るか。』
と、おもひける所(ところ)、程(ほど)なく、くわひにむ[やぶちゃん注:底本に右傍注して『(懐妊)』とある。「懷妊」は「くわいにん」が正しい。]してけり。
やうやう、月もみたざるに、りうざん[やぶちゃん注:ママ。「流產」(りうざん)。]しけり。
座頭は、くわひにむしけるを、悅(よろこび)けるに、力《ちから》を落《おと》しけり。
其(その)りうざむ[やぶちゃん注:ママ。]のやうす[やぶちゃん注:「樣子」。]を聞(きけ)ば、小盥(こだらひ)に、大《おほ》みゝづ[やぶちゃん注:ママ。「蚯蚓(みみず)」。]のやうなる白き蛇の子を、三ッ程、產《うみ》ける、と、なむ。
おんみつ[やぶちゃん注:「隱密」。]にしけれ共(ども)、人々、其時分の物語、もつぱら也(なり)。
其(その)女房は、程(ほど)なく、死《し》しける、と、なむ。
かやうの事も、有事(ある《こと》)にや。
「彼(かの)忍《しの》びづま[やぶちゃん注:この「つま」は「夫(つま)」である。]は、蛇《へび》なりけり。」
と、なむ。
[やぶちゃん注:「重都《しげいち》と言(いふ)盲人《まうじん》」「座頭《ざとう》」所持する平凡社「世界百科事典」第二版の「座頭 ざとう」から引く(コンマは読点に代えた)。『座の頭人の意味で、中世の商業や手工業の座、村落で結成された宮座、芸能の座などの長(おさ)をいう。これらの座頭は、座に加わった年数や年齢によって座役をつとめ、その回数が功労となって座頭となるのが普通である』。『室町時代に盲人の琵琶法師明石覚一によって形成されたと伝える当道座(当道)は、雨夜』『尊』(あまよのみこと)『(仁明天皇の皇子人康親王)を始祖とするという琵琶法師の座であった。座頭は』、『この当道座に設けられた四官(検校(けんぎよう)、別当、勾当(こうとう)、座頭)の最下位。剃髪した僧体の盲人で、その名の上に〈城〉』(じょう)『、あるいは下に〈一〉』(いち)『の字を多く使用し、琵琶を伴奏として《平家物語》や《曾我物語》を語り、ときには早歌や小歌をうたった。こうして平曲』(へいきょく)『が広く貴賤に愛好された室町時代に、都や地方において公家や武家や社寺の酒席や祭礼の場にはべって、あるいは平曲を語り、あるいは遊吟したりした。また、ときには〈勧進平家〉と称して、多くの聴衆を連日あつめて社寺造営などのために勧進興行を行うなど、中世芸能史上に大きな足跡を残した。15世紀中ころ、京都だけで数百人の座頭がいたという記録もあって、彼らの活躍がしのばれる。しかし、中世末から近世に入って、平曲の人気がすたれてくると、琵琶のほかに箏や三味線や胡弓を弾いて浄瑠璃などを語る者が多くなり、さらには音曲をはなれてあんま・はりにたずさわる人も現れて、やがては』、『これらを渡世とする法体の盲人が、座頭の大多数を占めるようになった。江戸時代になって、伊豆円一という人が徳川家康の許可を得て〈当道式目〉を定め、幕府の承認のもと、琵琶法師の保護と統制が強化された。当道座で定めた検校以下の四官は売買の対象となり、芸能や治療を渡世とする彼らのなかに買官による昇進組織がつくられた。座頭になると、紫の菊綴の長絹(ちようけん)に白袴をはき、塗杖を使うことが許され、また庶民の出産、結婚、建築、葬礼、法要など吉凶17種の場合に運上(うんじよう)金を取り立て、幕府から冥加金が与えられた。こうして幕府の保護のもと、当道の四官になると社会的地位も高く、財力も豊かとなり、さらに座頭金(ざとうがね)とよばれた高利貸の営業権が認められ、その貸付金は官金』(かんきん)『と称して他の債務に対して取り立ての優先権が保障された。座頭金は高利と過酷な取り立てで、民衆を苦しめる場合も多かった。この座頭のもつ諸権利は、1871年(明治4)に廃止された』とある。
「元祿年中」一六八八年から一七〇四年まで。徳川綱吉の治世。
「元服」以上の時代設定から、江戸中期で、数えで十五歳から十七歳前後に相当する。前者のそれは武家のもので、この男は満で十六歳前後と判断してよい。
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この蛇云々の悲劇的怪奇的な「オチ」であるが、これは、まず、五百分に一の頻度で起こるとされる異常妊娠の一種「胞状奇胎」であろうと思われる。信頼出来る婦人科サイトのみを、複数、確認したが、さらに、この胞状奇胎の一部の組織が、子宮の筋肉中や血管中へ侵入した状態を「侵入奇胎」と称し、これがさらに癌へと推移し、「絨毛癌」となるケースもある。胎児の形を成しておらず、それが、三つの大きなミミズのような白い蛇の子というのは、バラバラになって変異した胎児の器官が、そのように見えたものであろう。
問題は、本当に間夫(まぶ)が実際にいたかどうかである。
初っ端で、『いつの頃にか、夢ともなく、十六、七歲斗成(ばかりな)る、みめ能(よき)、けむふくしたる男子、來(きた)り、添伏《そへぶし》して、さまざまと、くどきけれ共(ども)、初(はじめ)の程(ほど)は、女、承引(せういん《→しよういん》)せざりけれ共(ども)、每夜、來(きた)りて、いろいろ、言寄(いひよせ)ければ、女房も、いわきならねば、後《のち》は、ねむごろに語らひけり。』と言っているが、この部分、どうも時系列が正しいかどうか、甚だ、疑問である。
そこでは、『夢ともなく』と言っている。これは、どう考えても、「重都」が、女房から聴いた語りであることを、図らずも証明していると言わざるを得ない。「謂いにくいことですけれど、毎夜、見知らぬ若い成人の男が、夢に出るのです。」と彼女自身が漏らしたのである。夫の「重都」は、それを、当然の如く、「悪い夢に過ぎぬよ。」と宥めたのが事実であろう。
ところが、その話を、彼女が亡くなった後、彼が「女房が、かく、語っておっては、おりましたが。」と、周囲にうっかり語ってしまったのであろう。
そうした時制列逆転が、この不幸な怪談話に書き換えられたものと私は断ずるものである。
そして、重要なのは、続く隣人の証言である。
『隣《となり》の者、しらざりけり。後《のち》には、隣家《りんか》も、こそこそ、さゝやきけるは、『亭主の音《こゑ》もせざるに、夜更(《よ》ふけ)て咄聲《はなしごゑ》聞(きこへ)るは、誰《だれ》ぞ、忍(しのび)ものも、有るか。』と、おもひける所(ところ)、程(ほど)なく、くわひにむしてけり。』
隣人は、一言も、若い男が夫の留守の夜にやって来たことを、全く、知らなかったのであり、程なく懐妊した、と証言しているに過ぎないのである。
この隣人の証言のうち、「亭主(=「重都」)の声もしない(=亭主は帰っていない)のに、夜更けになって、話し声が聴こえたんじゃ。」と言っているが、この「話し声」は《二人の会話の声》ではないのだ。誰かと話している女房の声だけが聴こえたのである。それを、『誰と話しているんじゃろ? 』と疑問を抱いた、という意味以上ではないのである。
私の結論を言おう。
女房には、差別されていた座頭の妻であるという事実が、相応のプレッシャーではあったに違いない。それが、無意識の中で、『普通の、見目好い若者を夫と持っていたなら、妾(わらわ)の生涯も、また、違ったものになっていたかも、知れない。』という想いが膨れ上がり、こうした架空の間夫と交接する『夢』を見ていたに過ぎないのである。話し声? それは、その夢の中で、存在しない若い男と会話をする彼女の寝言だったのだ!
無論、彼女の懐妊の相手は「重都」であった。
しかし、以上の異常出産後、程なく、彼女が異常出産、或いは、その後の予後が悪くなって亡くなった事実を、周囲の村人や夫の知人らが、面白おかしく、かく、奇体(発音相似である「奇胎」でもある)な怪奇談へと語り変えてしまった――というのが、不幸な悲しい本話の事実だったのである、と私は思うのである。反論がある方は、何時でも相手になる。]
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