「因幡怪談集」(恣意的旧字化・オリジナル注附き)/「法美郡國府村神職の娘、死て其はか所もゆる事」
[やぶちゃん注:底本、及び、凡例その他は、初回を参照されたい。【2026年9月9日修正・追記】再見したところ、杜撰な箇所が多くあったので、仕切り直して、全部を修正し、注も増加した。お詫び申し上げる。]
法美郡《はふみのこほり》國府村《こくふむら》神職《しんしよく》の娘《むすめ》、死《しし》て其(その)はか所《しよ》もゆる事
法美郡國府村に、元祿六、七年の頃、山田何某《なにがし》、在宅して居(をり)けり。
同村に、何《なん》の主膳《しゆぜん》といへる神職《しんしよく》、有(あ)り。子共(こども)、二、三人有りて、兄は、權《ごん》の少輔《しやうすけ》といゝ[やぶちゃん注:ママ。「いひ」(言ひ)が正しい。]、妹《いもうと》は、長《たけ》と言(いひ)て、十六、七歲也(なり)。生付(うまれつき)も、人なみにて、あしからず。
常《つね》に、近所なれば、山田方《かた》へ出入《でい》りして、客來《きやくらい》の時分、又は、月待(つきまち)・日待(ひまち)は、呼寄(よびよせ)、小うたなど所望(しよまう)するに、聲、よく、面白く、うたひけり。又(また)、はやり踊(おどり《→をどり》)など、しなよく[やぶちゃん注:「品良く」。「上品に」の意。]してければ、皆々、興《きやう》じけり。
然(しか)るに、此女(この《をんな》)、内《うち》に、かくし夫(つま)、有(あり)けるにや、くわゐにむ[やぶちゃん注:底本に右注して『懐妊』(歴史的仮名遣「くわいにん」)とある。]して、未(いま)だ、月も、みちざるに、流產《りうざん》して、死(し)しけり。
父母(ふぼ)、兄弟、なげゝども、歸らず。
是非なく、村より、一丁斗(ばかり)[やぶちゃん注:約百九メートル。]有(あり)ける所に、土葬《どさう》して置(おき)たり。
まだ、一日も過《すぎ》ざるに、
「此《この》はか所《しよ》、靈火《れいくわ》、もへ[やぶちゃん注:ママ。「燃え」。以下も繰返し出るが、注さない。]ける。」
とて、村中《むらぢゆう》、こぞりて、女子共(《をんな》こども)、おそれあへり。
山田氏居所《きよしよ》、奧の閒《ま》、壹閒《いつけん》[やぶちゃん注:一・一八メートル。]斗(ばかり)の、まど、有り。
それより、向(むかひ)、長《たけ》がはか所は、三十閒《けん》[やぶちゃん注:五十四・五メートル。]斗(ばかり)有りて、ちかちか[やぶちゃん注:「強い光が、目を刺激するさま」を表わす。なお、一般に「暗い中で目立つさま」をも、言う。両義でよいが、錯覚や、何らかの見間違いではないことをはっきりと示すものである。]と、見ゆる。
元(もと)より、神子《みこ》の事なれば、白紙《しらがみ》のへい[やぶちゃん注:「御幣」(ごへい)のこと。]など、能(よく)、あかあかと[やぶちゃん注:ここは「赤々と」の火炎の色ではなく、「はっきりと」の意であると、私は、採る。]見ゆるほどなれば、人々、ふしぎの思ひをなし、又、常々、人々、なれちかづき[やぶちゃん注:「馴(な)れ近づき」。「馴れ親しんでいたこと」を言う。]なれば、皆々、
「不便《ふびん》[やぶちゃん注:「不憫(ふびん)」に同じ。]なり。」
と申(まうし)あへり。
はや、廿日斗(はつかばかり)も、もへけるうち、家臣某(なにがし)も見て、
「さてさて、靈魂、まよひ居(をり)けるが、ふびんの者也(なり)。」
とて、
「我、聞傳(きゝつたへ)たる事、有(あり)。『側(そば)へ行(ゆき)、見屆《みとど》け、言葉を、かくれば、其まゝ、靈火、消(きへ《→きえ》)て、二度《ふたたび》、もへず。』と聞(きけ)り。さらば、行(ゆき)て、ためし見む。」
とて、件(くだん)の長《たけ》がはか所へ行(ゆき)、とくと、見るに、はかを、はなれ、火氣《くわき》、もへ、上《のぼ/あが》りけり。
『是(これ)、則(すなわち《→すなはち》)、靈火なり。』
と、思ひて、言葉を、かけ、
「いかに、長《たけ》。扨々(さてさて)、不便《ふびん》の事也(なり)。氣をしづめおさめて[やぶちゃん注:ママ。「をさめて」。]、佛ち[やぶちゃん注:「佛地」。]に、至れ。」
と言(いひ)て、念佛十《じつ》ヘん斗(ばかり)、高《たか》ごへ[やぶちゃん注:ママ。「高聲(たかごゑ)」。]に、となへければ、其まゝ、火は、消《きえ》て、暗夜《やみよ》と、なりたり。
それより、もへざりしが、其後(その《のち》)、又、もへけるが、又、何ごとか、したりけん、其後《そののち》は、不通に[やぶちゃん注:「途絶えているさま」の意の形容動詞連用形。]、もへ[やぶちゃん注:ママ。同前。]ざりけり、となむ。
又、其所(その《ところ》)より、十丁[やぶちゃん注:一・〇九キロメートル。]斗(ばかり)過《すぎ》て、松四本、はへて[やぶちゃん注:「はへ」はママ。「生(は)ゆ」であるから、「はえ」が正しい。]、
「國分寺の犬の塚なり。」
とて、有り。是(これ)は、
「雨、降り、しめやかなる夜《よ》は、いつも、火ゑん、もへける。」
となむ、村民《そんみん》、語りけり。
[やぶちゃん注:「法美郡《はふみのこほり》國府村《こくふむら》」現在の鳥取市国府町(こくふちょう)、この辺り(グーグル・マップ:鳥取城を中心に置いた)。
「元祿六、七年」一六八八年から一七〇四年まで。徳川綱吉の治世。
「山田何某《なにがし》」職業不詳であるが、以下の行動・台詞から、相当な知的能力を有する人物である。後で「家臣某(なにがし)」と出てくるのは、その続きから見て、「山田」某の「家臣某」という別人ではなく、「山田」が鳥取藩の「家臣」の端くれであるようにも読める。さればこそ、彼の教養・言葉遣いの堅実さに納得も出来るのである。
「同村に、何《なん》の主膳《しゆぜん》といへる神職《しんしよく》、有り。」グーグル・マップで検索しても、現在、十五社を数えるので、特定不能。あくまで、父を「神職」と言っているだけなので、厳密に旧国府村内と限定出来る訳でも、ない。しかし、最後にあ文章が強力なヒントを与えている。娘長(たけ:☆但し、これは、私が勝手に私の好みで訓じたに過ぎない。他に「をさ」「つね」「のぶ」「ひさ」「まさ」「ます」等の読み方がある。読者自身の好き嫌いに合わせ、読み変えて頂いて結構である)の墓から約一キロメートルのところにある「犬塚」が、それである。サイト「とっとりリサーチ」の『2026年 6月7日「鳥取市国府の犬塚」』で確認出来た。確かに、鳥取市国府町法花寺(ほっけじ)のここである(グーグル・マップ)。ストリビューでは、ここ)解説には、『奈良時代、因幡国の国分寺と尼寺の両寺に飼われていた一匹の犬が、食事どきに鳴らす鐘の早い方へ行ってはご飯を食べていたんですっ』。『ですが』、『ある時、両寺が同時に鐘を鳴らしたところ、犬は国分寺に行こうか、尼寺に行こうか迷い、ついには両寺の真ん中で倒れてしまったんです…』『その後、坊さんや尼さんたちが塚を造って犬を葬ってやったそうなんですが…』『食いしん坊がゆえに招いてしまった、悲しいお話ですね〜』とあり、六葉の画像もある。ともかくも――この場所から東西南北の一キロ圏内に、長の墓は、あった――のである!!!
「月待(つきまち)」小学館「日本国語大辞典」より引く。『月の出を待って拝む行事。多くは』、『講の形で行なわれ、当日は』、『当番の家に仲間が集まり、念仏をとなえたり、飲食したりしながら』、『語りあう。毎月の行事であるが、正月・五月・九月に限る所もあり、地域によって行なわれる月が異なる。十三夜待、十九夜待、二十三夜待などがある。』。
「日待(ひまち)」同前。『人々が集まり』、『前夜から潔斎して一夜を眠らず、日の出を待って拝む行事。普通、正月・五月・九月の三・一三・一七・二三・二七日、または吉日をえらんで行なうというが』、『毎月とも、正月一五日と一〇月一五日に行なうともいい、一定しない。後には、大勢の男女が』、『寄り集まり』、『徹夜で連歌・音曲・囲碁などをする酒宴遊興的なものとなる』。『影待』とも言う。]
« 「因幡怪談集」(恣意的旧字化・オリジナル注附き)/「佐藤太郞兵衞うわばみを打事」 | トップページ | 「因幡怪談集」(恣意的旧字化・オリジナル注附き)/「高草郡布施の山下にて幽靈を見る事」 »

