蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 人魚の海 / 蒲原有明 有明集(初版・正規表現版)~完遂
人魚の海
『怪魚(けぎよ)をば見(み)き』と、奧(おく)の浦(うら)、
奧(おく)の舟人(ふなびと)、――『怪魚(けぎよ)をか』と、
武邊(ぶへん)の君(きみ)はほほゑみぬ。
『怪魚(けぎよ)をばかつて霧(きり)がくれ
見(み)き』と、寂(さび)しうものうげに
舵(かぢ)の柄(え)を執(と)る老(おい)の水手(かこ)。
武邊(ぶへん)の君(きみ)はほほゑみぬ、
水手(かこ)またいふ、『その面(おもて)
美女(びぢよ)の眉目(まみ)濃(こ)く薰(かを)りぬ』と。
水手(かこ)はまたいふ、『人魚(にんぎよ)とは
げにそれならめ、まさめにて
見(み)しはひとたび、また遇(あ)はず。』
船(ふね)はゆらぎて、奧(おく)の浦(うら)、
霧(きり)はまよひて、光(ひかり)なき
入日(いりひ)惱(なや)める秋(あき)の海(うみ)。
『げにかかりき』と、老(おい)の水手(かこ)、
『その日(ひ)もかくは蒼白(あをじろ)く
海(うみ)は物(もの)さび呼息(いき)づきぬ。
『舷(ふなばた)ふるへわななきて、
波(なみ)のうねうね霜(しも)じみの
色(いろ)に鈍(にば)みき、そのをりに――』
武邊(ぶへん)の君(きみ)はほほゑみぬ、
水手(かこ)の翁(おきな)は舵(かぢ)とりて、
また呟(つぶや)ける、『そのをりに――』
武邊(ぶへん)の君(きみ)は眼(め)を放(はな)ち
海(うみ)を見(み)やれば、老(おい)が手(て)に
馴(な)れたる舵(かぢ)の軋(きし)む音(おと)。
船(ふね)はこの時(とき)脚重(あしおも)く、
波間(なみま)に沈(しづ)み朽(く)ち入(い)りて
ゆくかのさまにたじろぎぬ。
水手(かこ)の翁(おきな)もほほゑみぬ、
凶(まが)の時(とき)なり、奧(おく)の浦(うら)、
ああ人(ひと)も人(ひと)、船(ふね)も船(ふね)。
昔(むかし)の夢(ゆめ)ぞほほゑめる。――
『そのをりなりき、たちまちに
波(なみ)は燃(も)えぬ』と、老(おい)の水手(かこ)。
つぎてまたいふ、『海(うみ)にほひ、
波(なみ)は華(はな)さき、まどかにも
夕日(ゆふひ)の臺(うてな)かがやきぬ。
『波(なみ)は相寄(あひよ)りまた歌(うた)ふ、
熖(ほのほ)の絹(きぬ)につつみたる
珠(たま)のささやく歌(うた)の聲(こゑ)。
『そのをりなりき、眼(ま)のあたり
人魚(にんぎよ)うかびぬ、波(なみ)は燃(も)え、
波(なみ)は華(はな)さき、波(なみ)うたふ。
『黃金(こがね)の鱗(うろこ)藍(あゐ)ぞめの
潮(しほ)にひたりて、その面(おもて)
人魚(にんぎよ)は美女(びぢよ)の眉目(まみ)薰(かを)る。』
昔(むかし)の夢(ゆめ)ぞかへりたる、――
凶(まが)の時(とき)なり、奧(おく)の浦(うら)、
ああ時(とき)も時(とき)、海(うみ)も海(うみ)。
『瞳子(ひとみ)は瑠璃(るり)』と、老(おい)の水手(かこ)、
『胸乳(むなぢ)眞白(ましろ)に、濡髮(ぬれがみ)を
かきあぐる手(て)のしなやかさ。――
『武邊(ぶへん)の殿(との)よ、かかりき』と、
言(い)へば諾(うなづ)き、『見(み)しはそも――』
殿(との)はほほゑみ、『何處(いづこ)ぞ』と。
『殿(との)よ、ここぞ』と、老(おい)の水手(かこ)
眼(め)をみひらけば、霧(きり)の墓(はか)、
ただ灰色(はいいろ)の海(うみ)の面(おも)。
昔(むかし)の夢(ゆめ)はあざわらう、――
『何處(いづこ)』と問(と)へば『ここ』と指(さ)す
手(て)こそわななけ老(おい)の水手(かこ)。
船(ふね)は今(いま)しも帆(ほ)を垂(た)れぬ、
人(ひと)囚(とら)はれぬ、霧(きり)の海(うみ)、
ただ灰色(はいいろ)の帷(とばり)のみ。
『げにかかりき』と、老(おい)の水手(かこ)、
『船(ふね)も狹霧(さぎり)も海原(うなばら)も、
胸(むね)のとどろき、今日(けふ)もまた――』
またいふ、『あなや、渦(うづ)まきて、
霧(きり)は狹霧(さぎ)を吞(の)み去(さ)りぬ、
殿(との)よ、沒日(いりひ)は波(なみ)を焚(た)く。』
武邊(ぶへん)の君(きみ)は身(み)じろがず、
帆(ほ)は、――老(おい)の水手(かこ)『見(み)じ』とただ――
帆(ほ)は紅(くれなゐ)に染(そま)りたり。
『あな見(み)じ』とこそ老(おい)の水手(かこ)、――
人魚(にんぎよ)うかびぬ、たちまちに
武邊(ぶへん)の君(きみ)が眼(ま)のあたり。
二(ふた)つに波(なみ)はわかれ散(ち)り、
人魚(にんぎよ)うかびぬ、身(み)にこむる
薰(かをり)も深(ふか)し波(なみ)がくれ。
人魚(にんぎよ)の聲(こゑ)は雲雀(ひばり)ぶえ、――
波(なみ)は戲(たはぶ)れ歌(うた)ひ寄(よ)る
黑髮(くろかみ)ながき魚(うを)の肩(かた)。
人魚(にんぎよ)の笑(ゑみ)はえしれざる
海(うみ)の靑淵(あをぶち)、その淵(ふち)の
蠱(まじ)の眞珠(またま)の透影(すいかげ)か。
人魚(にんぎよ)は深(ふか)くほほゑみぬ、――
戀(こひ)の深淵(ふかぶち)人(ひと)をひき、
人(ひと)を滅(ほろぼ)すほほゑまひ。
武邊(ぶへん)の君(きみ)は怪魚(けぎよ)を、きと
睨(にら)まへたちぬ、笑(ゑみ)の勝(かち)、――
入日(いりひ)は紅(あか)く帆(ほ)を染(そ)めぬ。
武邊(ぶへん)の君(きみ)は船(ふね)の舳(へ)に、
血(ち)は氷(こほ)りたり、――海(うみ)の面(も)は
波(なみ)ことごとく燃(も)ゆる波(なみ)。
武邊(ぶへん)の君(きみ)は半弓(はんきゆう)に
矢(や)をば番(つが)ひつ、放(はな)つ矢(や)に
手(て)ごたへありき、怪魚(けぎよ)の聲(こゑ)。
ああ海(うみ)の面(おも)、波(なみ)は皆(みな)
をののき氷(こほ)り、船(ふね)の舳(へ)に
武邊(ぶへん)の君(きみ)が血(ち)は燃(も)えぬ。
痛手(いたで)に細(ほそ)る聲(こゑ)の冴(さ)え、
人魚(にんぎよ)は沈(しづ)む束(つか)の間(ま)も
猶(なほ)ほほゑみぬ、――戀(こひ)の魚(うを)。
むくいは强(つよ)し、眼(め)に見(み)えぬ
影(かげ)の返(かへ)し矢(や)、われならで、
武邊(ぶへん)の君(きみ)は『あ』と叫(さけ)ぶ。
人魚(にんぎよ)ぞ沈(しづ)むその面(おも)に
武邊(ぶへん)の君(きみ)は亡妻(なきつま)の
ほほゑみをこそ眼(ま)のあたり。
亡妻(なき)の笑(ゑみ)、怪魚(けぎよ)の眼(め)と
怪魚(けぎよ)の唇(くちびる)、――悔(くい)もはた
今(いま)はおよばじ波(なみ)の下(した)。
昔(むかし)の夢(ゆめ)はひらめきて
闇(やみ)に消(き)え去(さ)り、日(ひ)も沈(しづ)み、
波(なみ)は荒(あ)れたち狂(くる)ひたつ。
暴風(あらし)のしまき、夜(よ)の海(うみ)、――
水手(かこ)の翁(おきな)はさびしげに
『船(ふね)には泊(は)つる港(みなと)あり。』
泊(は)つる港(みなと)に船(ふね)は泊(は)つ、
さあれすさまじ夢(ゆめ)のあと、
人(ひと)のこころの巢(す)やいづこ。
武邊(ぶへん)の君(きみ)はその日(ひ)より
こころ漂(たゞよ)ひ二日(ふつか)經(へ)て、
またたどり來(き)ぬ奧(おく)の浦(うら)。
領主(りやうしゆ)の館(たち)の太刀試合(たちじあひ)、
また夜(よ)の宴(うたげ)、名(な)のほまれ、
武邊(ぶへん)の君(きみ)は棄(す)て去(さ)りぬ。
二日(ふつか)を過(す)ぎしその夕(ゆふべ)、
武邊(ぶへん)の君(きみ)はそそりたつ
巖(いはほ)のうへにただひとり。
巖(いはほ)の下(もと)に荒波(あらなみ)は
渦(うづ)まきどよみ、ながめ入(い)る
おもひくるめく瑠璃(るり)の夢(ゆめ)。
帆(ほ)かげも見(み)えず、この夕(ゆふべ)、
霧(きり)はあつまり、光(ひかり)なき
入日(いりひ)たゆたふ奧(おく)の浦(うら)。
武邊(ぶへん)の君(きみ)に幻(まぼろし)の
象(すがた)うかびぬ、亡妻(なきつま)の
面(おも)わのゑまひ、――怪魚(けぎよ)の聲(こゑ)。
『幻(まぼろし)の界(よ)ぞ眞(まこと)なる』――
武邊(びへん)の君(きみ)はかく聞(き)きぬ、
痛手(いたで)にほそる聲(こゑ)の冴(さ)え。
ああ、くるめきぬ、眼(め)もあはれ、
心(こゝろ)もあはれ、靑淵(あをぶち)に
まきかへりたる渦(うづ)の波(なみ)。
武邊(ぶへん)の君(きみ)は身(み)を棄(す)てて
淵(ふち)に躍らす束(つか)の間(ま)を、
『父(ちゝ)よ』と風(かぜ)に呼(よ)ぶ聲(こゑ)す。
武邊(ぶへん)の君(きみ)の身(み)はあはれ
ゑまひの渦(うづ)に、幻(まぼろし)の
波(なみ)のくるめき、夢(ゆめ)の泡(あわ)。
『父(ちゝ)よ』と呼(よ)びぬ、奧(おく)の浦(うら)、
水手(かこ)の翁(おきな)はその聲(こゑ)を、
眠(ねぶ)らで聞(き)きぬ夜(よ)もすがら。
水手(かこ)の翁(おきな)は曉(あかつき)に
奧(おく)の浦(うら)べを『父(ちゝ)』と呼(よ)ぶ
姫(ひめ)のすがたにをののきぬ。
『姫(ひめ)よ、怪魚(けぎよ)かと魂消(たまぎ)えぬ、
は、は』と寂(さび)しう老(おい)の水手(かこ)、
『姫(ひめ)よ、さいつ日(ひ)わが船(ふね)に――』
『父(ちゝ)は人魚(にんぎよ)のあやかしに――』、
姫(ひめ)は嘆(なげ)きぬ、『父(ちゝ)はその
面(おも)わのゑみに誘(ひ)かれき』と。
『姫(ひめ)よ、武邊(ぶへん)の君(きみ)が矢(や)に
人魚(にんぎよ)は沈(しづ)み、夜(よる)の海(うみ)、
あらしの船(ふね)』と老(おい)の水手(かこ)。
姫(ひめ)は嘆なげ)きぬ、『名(な)のほまれ、
領主(りやうしゆ)の館(たち)の太刀試合(たちじあひ)、
父(ちゝ)は辭(いな)みてあくがれき。』
『姫(ひめ)よ、甲斐(かひ)なき人(ひと)の世(よ)』と
老(おい)は呟(つぶや)く、姫(ひめ)はまた
『父(ちゝ)は怪魚(けぎよ)棲(す)む海(うみ)の底(そこ)。』
ああ幾十度(いくそたび)、『父(ちゝ)』と呼(よ)ぶ
姫(ひめ)が聲(こわ)ねに力(ちから)なく、
海(うみ)はどよもす荒磯(あらいそ)べ。
姫(ひめ)は『母(はゝ)よ』と、聲(こゑ)ほそう、
『母(はゝ)よ』と呼(よ)べば、時(とき)も時(とき)、
日(ひ)はさしいづる奧(おく)の浦(うら)。
黃金(こがね)の鱗(うろこ)波(なみ)がくれ、
高波(たかなみ)白(しろ)くたち騷(さは)ぎ、
姫(ひめ)を渚(なぎさ)に慕(した)ひ寄(よ)る。
三(み)たび人魚(にんぎよ)を眼(ま)のあたり、
水手(かこ)の翁(おきな)は『三度(みたび)ぞ』と、
姫(ひめ)をまもりてたじろげば、
渚(なぎさ)かがやく引波(ひきなみ)の
跡(あと)に人魚(にんぎよ)は身(み)を伏(ふ)せて、
悲(かなし)み惱(なや)む聲(こゑ)の冴(さ)え。
姫(ひめ)は人魚(にんぎよ)をそと見(み)やる、
人魚(にんぎよ)は父(ちゝ)の亡骸(なきがら)を
雙(さう)の腕(かひな)にかき擁(いだ)き、
眞白(ましろ)き胸(むね)の血(ち)のしづく、
武邊(ぶへん)の君(きみ)が射(い)むけたる
矢鏃(やじり)のあとの血(ち)の痛手(いたで)。
人魚(にんぎよ)はやをらかなしげに
面(おもて)をあげぬ、悲(かな)しめど
猶(なほ)ほほゑめる戀(こひ)の魚(うを)。
人魚(にんぎよ)は遂(つひ)に絕(た)え入(い)りぬ、
姫(ひめ)はすずろに亡父(なきちゝ)の
むくろに縋(すが)り泣(な)き沈(しづ)む。
渚(なぎさ)どよもす高波(たかなみ)は
ふたたび寄(よ)せ來(く)、老(おい)の水手(かこ)、
『あなや』と叫(さけ)ぶ隙(ひま)もなく、
武邊(ぶへん)の君(きみ)が亡骸(なきがら)も、
姫(ひめ)も、人魚(にんぎよ)も、幻(まぼろし)の
波(なみ)にくるめく海(うみ)の底(そこ)。
水手(かこ)の翁(おきな)はその日(ひ)より
海(うみ)には出(い)でず、『まさめにて
三度(みたび)人魚(にんぎよ)を見(み)き』とのみ。
[やぶちゃん注:「ただ灰色(はいいろ)の海(うみ)の面(おも)。」及び「ただ灰色(はいいろ)の帷(とばり)のみ。」の「はいいろ」のルビはママ。
「昔(むかし)の夢(ゆめ)はあざわらう、――」の「わらう」はママ。
「人魚(にんぎよ)うかびぬ、たちまちに」は、底本では「人魚(にんぎよ)うかひぬ、たちまちに」であるが、例の正誤表にはない。しかし、これでは躓くので、例外的に「青空文庫」の「青空文庫」の「有明集」の(底本:昭和四三(一九六八)年講談社刊「日本現代文学全集」第二十二巻「土井晚翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」/入力・広橋はやみ氏/校正・荒木恵一氏/登録二〇一四年七月/最終更新二〇一五年十月)に従った。
「暴風(あらし)のしまき、夜(よ)の海(うみ)、――」ここ、音数律から言えば、「夜(よる)」だが、ママ。
「奧(おく)の浦(うら)べを『父(ちゝ)』と呼(よ)ぶ」ここは底本は、「奧(おく)の浦(うら)べを『父(ちゝ)と』呼(よ)ぶ」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。
「雙(さう)の腕(かひな)にかき擁(いだ)き、」は底本は、「雙(そう)の腕(かひな)にかき擁(いだ)き、」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。
九頭見(くずみ)和夫氏の論文『明治時代の「人魚」像――西洋文化の流入と「人魚」像への影響について――』(PDF)によれば、本詩篇「人魚の海」の初出は明治四〇(一九〇七)年一月発行『太陽』で、翌年、本詩集「有明集」に収録された物語詩であるが、後の「有明詩集」(大正一一(一九二二)年アルス社刊)『に付された蒲原有明自身の註によれば』、井原西鶴(寛永一九(一六四二)年~元禄六(一六九三)年)の「武道伝来記」(貞享四(一六八七)年刊の「巻二の四」である「命とらゝる人魚の海 忠孝しるる矢の根の事」を『素材として作られた翻案詩である』とされ(以下、有明の註有の引用があるが、漢字を恣意的に正字化し、促音表記を正字とし、コンマを読点に代えて示す)、
*
西鶴の「武道傳來記」の中の一章に據つたものである。人魚の海と熟した言葉も西鶴の造句そのままを用ゐたが、人魚の出現するをりの形容などもまた一々西鶴の言葉に據つた。
*
と有明の謂いを掲げられた上で、『この有明の付した自註を検証する前にまず両作品の梗概を記す』とされて、原点素材のかなり細かなシノプシスが述べられてある(リンク先を参照されたい)。私は同書を所持しないが、幸い、国立国会図書館デジタルコレクションの画像で岩波文庫のそれをここから読むことが出来る(凡そ五ページほどで長くない)。しかし、そこで、九頭見氏が指摘しているように、これは西鶴の翻訳詩篇化ではなく、翻案であって、西鶴の大団円型変形武辺物ではなく、原話にはない、「老」「水手」を美事に真面目なワキツレと変じさせた、一種の悲劇的なコーダを設定した夢幻能に近いものであることが判る。そこでは、諸西洋の文学を小川氏は引用され、この「老水手」が傍観者に過ぎない設定となっているという諸論を提示される。確かにそうだ。しかし乍ら、本邦の夢幻能の展開を考えると、ワキツレは常に危うい傍観者、則ち、禁断の世界にたまさか「踏み込んでしまった観客の一人」なのであり、その設定に私は何らの不満を抱かない。なお、小川氏はその後も、北原白秋の詩「紅玉」(「邪宗門」所収)や、森鷗外の小説「追儺」を対称考証材料として示され、遂には南方熊楠の「人魚の話」(リンク先は私の古い電子化仕儀)まで語られるという、実に面白い考察をなさっておられるので、是非、読まれんことを望む。
本長詩を以って本「有明集」は詩篇本文を終わる。以下、奥附の二ページ前の左ページの著作目録。底本では全体が下方に配されてある。その後に奥附を画像で示した。]
著作目錄
草わかば 絕版
明治三十五年一月新聲社發行
獨絃哀歌 絕版
明治三十六年五月白鳩社發行
春鳥集
明治三十八年十月本鄕書院發行
[やぶちゃん注:以下、]
[やぶちゃん注:私の退屈な仕儀にお付き合い戴いた読者に心より感謝申し上げる。しかし、私は、蒲原有明の「有明集」全体をマニアックに突いた電子化データとして、私のやったことは無駄ではないと、大真面目に思う人種であることを最後に言い添えておきたい。]