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カテゴリー「蒲原有明」の55件の記事

2019/03/06

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 人魚の海 / 蒲原有明 有明集(初版・正規表現版)~完遂

 

 人魚の海

 

『怪魚(けぎよ)をば見(み)き』と、奧(おく)の浦(うら)、

奧(おく)の舟人(ふなびと)、――『怪魚(けぎよ)をか』と、

武邊(ぶへん)の君(きみ)はほほゑみぬ。

 

『怪魚(けぎよ)をばかつて霧(きり)がくれ

見(み)き』と、寂(さび)しうものうげに

舵(かぢ)の柄(え)を執(と)る老(おい)の水手(かこ)。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)はほほゑみぬ、

水手(かこ)またいふ、『その面(おもて)

美女(びぢよ)の眉目(まみ)濃(こ)く薰(かを)りぬ』と。

 

水手(かこ)はまたいふ、『人魚(にんぎよ)とは

げにそれならめ、まさめにて

見(み)しはひとたび、また遇(あ)はず。』

 

船(ふね)はゆらぎて、奧(おく)の浦(うら)、

霧(きり)はまよひて、光(ひかり)なき

入日(いりひ)惱(なや)める秋(あき)の海(うみ)。

 

『げにかかりき』と、老(おい)の水手(かこ)、

『その日(ひ)もかくは蒼白(あをじろ)く

海(うみ)は物(もの)さび呼息(いき)づきぬ。

 

『舷(ふなばた)ふるへわななきて、

波(なみ)のうねうね霜(しも)じみの

色(いろ)に鈍(にば)みき、そのをりに――』

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)はほほゑみぬ、

水手(かこ)の翁(おきな)は舵(かぢ)とりて、

また呟(つぶや)ける、『そのをりに――』

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)は眼(め)を放(はな)ち

海(うみ)を見(み)やれば、老(おい)が手(て)に

馴(な)れたる舵(かぢ)の軋(きし)む音(おと)。

 

船(ふね)はこの時(とき)脚重(あしおも)く、

波間(なみま)に沈(しづ)み朽(く)ち入(い)りて

ゆくかのさまにたじろぎぬ。

 

水手(かこ)の翁(おきな)もほほゑみぬ、

凶(まが)の時(とき)なり、奧(おく)の浦(うら)、

ああ人(ひと)も人(ひと)、船(ふね)も船(ふね)。

 

昔(むかし)の夢(ゆめ)ぞほほゑめる。――

『そのをりなりき、たちまちに

波(なみ)は燃(も)えぬ』と、老(おい)の水手(かこ)。

 

つぎてまたいふ、『海(うみ)にほひ、

波(なみ)は華(はな)さき、まどかにも

夕日(ゆふひ)の臺(うてな)かがやきぬ。

 

『波(なみ)は相寄(あひよ)りまた歌(うた)ふ、

熖(ほのほ)の絹(きぬ)につつみたる

珠(たま)のささやく歌(うた)の聲(こゑ)。

 

『そのをりなりき、眼(ま)のあたり

人魚(にんぎよ)うかびぬ、波(なみ)は燃(も)え、

波(なみ)は華(はな)さき、波(なみ)うたふ。

 

『黃金(こがね)の鱗(うろこ)藍(あゐ)ぞめの

潮(しほ)にひたりて、その面(おもて)

人魚(にんぎよ)は美女(びぢよ)の眉目(まみ)薰(かを)る。』

 

昔(むかし)の夢(ゆめ)ぞかへりたる、――

凶(まが)の時(とき)なり、奧(おく)の浦(うら)、

ああ時(とき)も時(とき)、海(うみ)も海(うみ)。

 

『瞳子(ひとみ)は瑠璃(るり)』と、老(おい)の水手(かこ)、

『胸乳(むなぢ)眞白(ましろ)に、濡髮(ぬれがみ)を

かきあぐる手(て)のしなやかさ。――

 

『武邊(ぶへん)の殿(との)よ、かかりき』と、

言(い)へば諾(うなづ)き、『見(み)しはそも――』

殿(との)はほほゑみ、『何處(いづこ)ぞ』と。

 

『殿(との)よ、ここぞ』と、老(おい)の水手(かこ)

眼(め)をみひらけば、霧(きり)の墓(はか)、

ただ灰色(はいいろ)の海(うみ)の面(おも)。

 

昔(むかし)の夢(ゆめ)はあざわらう、――

『何處(いづこ)』と問(と)へば『ここ』と指(さ)す

手(て)こそわななけ老(おい)の水手(かこ)。

 

船(ふね)は今(いま)しも帆(ほ)を垂(た)れぬ、

人(ひと)囚(とら)はれぬ、霧(きり)の海(うみ)、

ただ灰色(はいいろ)の帷(とばり)のみ。

 

『げにかかりき』と、老(おい)の水手(かこ)、

『船(ふね)も狹霧(さぎり)も海原(うなばら)も、

胸(むね)のとどろき、今日(けふ)もまた――』

 

またいふ、『あなや、渦(うづ)まきて、

霧(きり)は狹霧(さぎ)を吞(の)み去(さ)りぬ、

殿(との)よ、沒日(いりひ)は波(なみ)を焚(た)く。』

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)は身(み)じろがず、

帆(ほ)は、――老(おい)の水手(かこ)『見(み)じ』とただ――

帆(ほ)は紅(くれなゐ)に染(そま)りたり。

 

『あな見(み)じ』とこそ老(おい)の水手(かこ)、――

人魚(にんぎよ)うかびぬ、たちまちに

武邊(ぶへん)の君(きみ)が眼(ま)のあたり。

 

二(ふた)つに波(なみ)はわかれ散(ち)り、

人魚(にんぎよ)うかびぬ、身(み)にこむる

薰(かをり)も深(ふか)し波(なみ)がくれ。

 

人魚(にんぎよ)の聲(こゑ)は雲雀(ひばり)ぶえ、――

波(なみ)は戲(たはぶ)れ歌(うた)ひ寄(よ)る

黑髮(くろかみ)ながき魚(うを)の肩(かた)。

 

人魚(にんぎよ)の笑(ゑみ)はえしれざる

海(うみ)の靑淵(あをぶち)、その淵(ふち)の

蠱(まじ)の眞珠(またま)の透影(すいかげ)か。

 

人魚(にんぎよ)は深(ふか)くほほゑみぬ、――

戀(こひ)の深淵(ふかぶち)人(ひと)をひき、

人(ひと)を滅(ほろぼ)すほほゑまひ。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)は怪魚(けぎよ)を、きと

睨(にら)まへたちぬ、笑(ゑみ)の勝(かち)、――

入日(いりひ)は紅(あか)く帆(ほ)を染(そ)めぬ。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)は船(ふね)の舳(へ)に、

血(ち)は氷(こほ)りたり、――海(うみ)の面(も)は

波(なみ)ことごとく燃(も)ゆる波(なみ)。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)は半弓(はんきゆう)に

矢(や)をば番(つが)ひつ、放(はな)つ矢(や)に

手(て)ごたへありき、怪魚(けぎよ)の聲(こゑ)。

 

ああ海(うみ)の面(おも)、波(なみ)は皆(みな)

をののき氷(こほ)り、船(ふね)の舳(へ)に

武邊(ぶへん)の君(きみ)が血(ち)は燃(も)えぬ。

 

痛手(いたで)に細(ほそ)る聲(こゑ)の冴(さ)え、

人魚(にんぎよ)は沈(しづ)む束(つか)の間(ま)も

猶(なほ)ほほゑみぬ、――戀(こひ)の魚(うを)。

 

むくいは(つよ)し、眼(め)に見(み)えぬ

影(かげ)の返(かへ)し矢(や)、われならで、

武邊(ぶへん)の君(きみ)は『あ』と叫(さけ)ぶ。

 

人魚(にんぎよ)ぞ沈(しづ)むその面(おも)に

武邊(ぶへん)の君(きみ)は亡妻(なきつま)の

ほほゑみをこそ眼(ま)のあたり。

 

亡妻(なき)の笑(ゑみ)、怪魚(けぎよ)の眼(め)と

怪魚(けぎよ)の唇(くちびる)、――悔(くい)もはた

今(いま)はおよばじ波(なみ)の下(した)。

 

昔(むかし)の夢(ゆめ)はひらめきて

闇(やみ)に消(き)え去(さ)り、日(ひ)も沈(しづ)み、

波(なみ)は荒(あ)れたち狂(くる)ひたつ。

 

暴風(あらし)のしまき、夜(よ)の海(うみ)、――

水手(かこ)の翁(おきな)はさびしげに

『船(ふね)には泊(は)つる港(みなと)あり。』

 

泊(は)つる港(みなと)に船(ふね)は泊(は)つ、

さあれすさまじ夢(ゆめ)のあと、

人(ひと)のこころの巢(す)やいづこ。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)はその日(ひ)より

こころ漂(たゞよ)ひ二日(ふつか)經(へ)て、

またたどり來(き)ぬ奧(おく)の浦(うら)。

 

領主(りやうしゆ)の館(たち)の太刀試合(たちじあひ)、

また夜(よ)の宴(うたげ)、名(な)のほまれ、

武邊(ぶへん)の君(きみ)は棄(す)て去(さ)りぬ。

 

二日(ふつか)を過(す)ぎしその夕(ゆふべ)、

武邊(ぶへん)の君(きみ)はそそりたつ

巖(いはほ)のうへにただひとり。

 

巖(いはほ)の下(もと)に荒波(あらなみ)は

渦(うづ)まきどよみ、ながめ入(い)る

おもひくるめく瑠璃(るり)の夢(ゆめ)。

 

帆(ほ)かげも見(み)えず、この夕(ゆふべ)、

霧(きり)はあつまり、光(ひかり)なき

入日(いりひ)たゆたふ奧(おく)の浦(うら)。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)に幻(まぼろし)の

象(すがた)うかびぬ、亡妻(なきつま)の

面(おも)わのゑまひ、――怪魚(けぎよ)の聲(こゑ)。

 

『幻(まぼろし)の界(よ)ぞ眞(まこと)なる』――

武邊(びへん)の君(きみ)はかく聞(き)きぬ、

痛手(いたで)にほそる聲(こゑ)の冴(さ)え。

 

ああ、くるめきぬ、眼(め)もあはれ、

心(こゝろ)もあはれ、靑淵(あをぶち)に

まきかへりたる渦(うづ)の波(なみ)。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)は身(み)を棄(す)てて

淵(ふち)に躍らす束(つか)の間(ま)を、

『父(ちゝ)よ』と風(かぜ)に呼(よ)ぶ聲(こゑ)す。

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)の身(み)はあはれ

ゑまひの渦(うづ)に、幻(まぼろし)の

波(なみ)のくるめき、夢(ゆめ)の泡(あわ)。

 

『父(ちゝ)よ』と呼(よ)びぬ、奧(おく)の浦(うら)、

水手(かこ)の翁(おきな)はその聲(こゑ)を、

眠(ねぶ)らで聞(き)きぬ夜(よ)もすがら。

 

水手(かこ)の翁(おきな)は曉(あかつき)に

奧(おく)の浦(うら)べを『父(ちゝ)』と呼(よ)ぶ

姫(ひめ)のすがたにをののきぬ。

 

『姫(ひめ)よ、怪魚(けぎよ)かと魂消(たまぎ)えぬ、

は、は』と寂(さび)しう老(おい)の水手(かこ)、

『姫(ひめ)よ、さいつ日(ひ)わが船(ふね)に――』

 

『父(ちゝ)は人魚(にんぎよ)のあやかしに――』、

姫(ひめ)は嘆(なげ)きぬ、『父(ちゝ)はその

面(おも)わのゑみに誘(ひ)かれき』と。

 

『姫(ひめ)よ、武邊(ぶへん)の君(きみ)が矢(や)に

人魚(にんぎよ)は沈(しづ)み、夜(よる)の海(うみ)、

あらしの船(ふね)』と老(おい)の水手(かこ)。

 

姫(ひめ)は嘆なげ)きぬ、『名(な)のほまれ、

領主(りやうしゆ)の館(たち)の太刀試合(たちじあひ)、

父(ちゝ)は辭(いな)みてあくがれき。』

 

『姫(ひめ)よ、甲斐(かひ)なき人(ひと)の世(よ)』と

老(おい)は呟(つぶや)く、姫(ひめ)はまた

『父(ちゝ)は怪魚(けぎよ)棲(す)む海(うみ)の底(そこ)。』

 

ああ幾十度(いくそたび)、『父(ちゝ)』と呼(よ)ぶ

姫(ひめ)が聲(こわ)ねに力(ちから)なく、

海(うみ)はどよもす荒磯(あらいそ)べ。

 

姫(ひめ)は『母(はゝ)よ』と、聲(こゑ)ほそう、

『母(はゝ)よ』と呼(よ)べば、時(とき)も時(とき)、

日(ひ)はさしいづる奧(おく)の浦(うら)。

 

黃金(こがね)の鱗(うろこ)波(なみ)がくれ、

高波(たかなみ)白(しろ)くたち騷(さは)ぎ、

姫(ひめ)を渚(なぎさ)に慕(した)ひ寄(よ)る。

 

三(み)たび人魚(にんぎよ)を眼(ま)のあたり、

水手(かこ)の翁(おきな)は『三度(みたび)ぞ』と、

姫(ひめ)をまもりてたじろげば、

 

渚(なぎさ)かがやく引波(ひきなみ)の

跡(あと)に人魚(にんぎよ)は身(み)を伏(ふ)せて、

悲(かなし)み惱(なや)む聲(こゑ)の冴(さ)え。

 

姫(ひめ)は人魚(にんぎよ)をそと見(み)やる、

人魚(にんぎよ)は父(ちゝ)の亡骸(なきがら)を

雙(さう)の腕(かひな)にかき擁(いだ)き、

 

眞白(ましろ)き胸(むね)の血(ち)のしづく、

武邊(ぶへん)の君(きみ)が射(い)むけたる

矢鏃(やじり)のあとの血(ち)の痛手(いたで)。

 

人魚(にんぎよ)はやをらかなしげに

面(おもて)をあげぬ、悲(かな)しめど

猶(なほ)ほほゑめる戀(こひ)の魚(うを)。

 

人魚(にんぎよ)は遂(つひ)に(た)え入(い)りぬ、

姫(ひめ)はすずろに亡父(なきちゝ)の

むくろに縋(すが)り泣(な)き沈(しづ)む。

 

渚(なぎさ)どよもす高波(たかなみ)は

ふたたび寄(よ)せ來(く)、老(おい)の水手(かこ)、

『あなや』と叫(さけ)ぶ隙(ひま)もなく、

 

武邊(ぶへん)の君(きみ)が亡骸(なきがら)も、

姫(ひめ)も、人魚(にんぎよ)も、幻(まぼろし)の

波(なみ)にくるめく海(うみ)の底(そこ)。

 

水手(かこ)の翁(おきな)はその日(ひ)より

海(うみ)には出(い)でず、『まさめにて

三度(みたび)人魚(にんぎよ)を見(み)き』とのみ。

 

[やぶちゃん注:「ただ灰色(はいいろ)の海(うみ)の面(おも)。」及び「ただ灰色(はいいろ)の帷(とばり)のみ。」の「はいいろ」のルビはママ。

「昔(むかし)の夢(ゆめ)はあざわらう、――」の「わらう」はママ。

「人魚(にんぎよ)うかびぬ、たちまちに」は、底本では「人魚(にんぎよ)うかひぬ、たちまちに」であるが、例の正誤表にはない。しかし、これでは躓くので、例外的に「青空文庫」の「青空文庫」の「有明集」の(底本:昭和四三(一九六八)年講談社刊「日本現代文学全集」第二十二巻「土井晚翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」/入力・広橋はやみ氏/校正・荒木恵一氏/登録二〇一四年七月/最終更新二〇一五年十月)に従った。

「暴風(あらし)のしまき、夜(よ)の海(うみ)、――」ここ、音数律から言えば、「夜(よる)」だが、ママ。

「奧(おく)の浦(うら)べを『父(ちゝ)』と呼(よ)ぶ」ここは底本は、「奧(おく)の浦(うら)べを『父(ちゝ)と』呼(よ)ぶ」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。

「雙(さう)の腕(かひな)にかき擁(いだ)き、」は底本は、「雙(そう)の腕(かひな)にかき擁(いだ)き、」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。

 九頭見(くずみ)和夫氏の論文『明治時代の「人魚」像――西洋文化の流入と「人魚」像への影響について――』PDF)によれば、本詩篇「人魚の海」の初出は明治四〇(一九〇七)年一月発行『太陽』で、翌年、本詩集「有明集」に収録された物語詩であるが、後の「有明詩集」(大正一一(一九二二)年アルス社刊)『に付された蒲原有明自身の註によれば』、井原西鶴(寛永一九(一六四二)年~元禄六(一六九三)年)の「武道伝来記」(貞享四(一六八七)年刊の「巻二の四」である「命とらゝる人魚の海 忠孝しるる矢の根の事」を『素材として作られた翻案詩である』とされ(以下、有明の註有の引用があるが、漢字を恣意的に正字化し、促音表記を正字とし、コンマを読点に代えて示す)、

   *

西鶴の「武道傳來記」の中の一章に據つたものである。人魚の海と熟した言葉も西鶴の造句そのままを用ゐたが、人魚の出現するをりの形容などもまた一々西鶴の言葉に據つた。

   *

と有明の謂いを掲げられた上で、『この有明の付した自註を検証する前にまず両作品の梗概を記す』とされて、原点素材のかなり細かなシノプシスが述べられてある(リンク先を参照されたい)。私は同書を所持しないが、幸い、国立国会図書館デジタルコレクションの画像で岩波文庫のそれをここから読むことが出来る(凡そ五ページほどで長くない)。しかし、そこで、九頭見氏が指摘しているように、これは西鶴の翻訳詩篇化ではなく、翻案であって、西鶴の大団円型変形武辺物ではなく、原話にはない、「老」「水手」を美事に真面目なワキツレと変じさせた、一種の悲劇的なコーダを設定した夢幻能に近いものであることが判る。そこでは、諸西洋の文学を小川氏は引用され、この「老水手」が傍観者に過ぎない設定となっているという諸論を提示される。確かにそうだ。しかし乍ら、本邦の夢幻能の展開を考えると、ワキツレは常に危うい傍観者、則ち、禁断の世界にたまさか「踏み込んでしまった観客の一人」なのであり、その設定に私は何らの不満を抱かない。なお、小川氏はその後も、北原白秋の詩「紅玉」(「邪宗門」所収)や、森鷗外の小説「追儺」を対称考証材料として示され、遂には南方熊楠の「人魚の話」(リンク先は私の古い電子化仕儀)まで語られるという、実に面白い考察をなさっておられるので、是非、読まれんことを望む。

 本長詩を以って本「有明集」は詩篇本文を終わる。以下、奥附の二ページ前の左ページの著作目録。底本では全体が下方に配されてある。その後に奥附を画像で示した。]

 

 

 著作目錄

 

草わかば    

  明治三十五年一月新聲社發行

獨絃哀歌    

  明治三十六年五月白鳩社發行

春鳥集

  明治三十八年十月本鄕書院發行

 

[やぶちゃん注:以下、]

 

 

Ariakesyuokuduke

 

[やぶちゃん注:私の退屈な仕儀にお付き合い戴いた読者に心より感謝申し上げる。しかし、私は、蒲原有明の「有明集」全体をマニアックに突いた電子化データとして、私のやったことは無駄ではないと、大真面目に思う人種であることを最後に言い添えておきたい。]

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 蠅 (ウィリアム・ブレイクの訳詩)

 

 

 

さ蠅(ばへ)よ、あはれ、

わがこころなき手もて、今、

汝(いまし)が夏の戯(たはぶ)れを

うるさきものに打拂(うちはら)ふ。

 

あらぬか、われや

汝(いまし)に似(に)たるさ蠅(ばへ)の身(み)、

あらぬか、汝(いまし)、さらばまた

われにも似(に)たる人(ひと)のさま。

 

われも舞(ま)ひ、飮(の)み、

かつは歌(うた)へども、終(つひ)の日(ひ)や、

差別(けぢめ)をおかぬ闇(やみ)の手(て)の

うち拂(はら)ふらむ、わが翼(つばさ)。

 

思(おも)ひわかつぞ

げにも命(いのち)なる、力(ちから)なる、

思(おも)ひなきこそ文目(あやめ)なき

死(し)にはあるなれ、かくもあらば、

 

さらばわが身(み)は

世(よ)にも幸(さち)あるさ蠅(ばへ)かな、

生(い)くといひ、將(は)た死(し)ぬといふ、

その孰(いづ)れともあらばあれ。

             ――ブ

 

[やぶちゃん注:これはイギリスの詩人で画家のウィリアム・ブレイク(William Blake 一七五七年~一八二七年)が一七九四年に刊行した詩画集の「無垢と経験の歌」(Songs of Innocence and of Experience)の中の「経験の歌」(Songs of Experience:これは一七八九年に彼が詩画集「無垢の歌」(Songs of Innocence)を出した四年後、その続篇として詩画集「経験の歌」の広告が一七九三年に出たが、結局、それは発行されることはなく、この一七九四年に既刊の「無垢の歌」と、その「経験の歌」が合本とされ、一つの詩画集「無垢と経験の歌」として刊行されたものであった)の中の一篇「The Fly」の訳詩である英文ウィキの「The Fly (poem)から引く。手書き彩色詩篇画像もリンクさせておく。なお、目次の「プレイク」は誤植で、本篇後書きのそれも「プ」のようにも見えるが(ポイントが小さく潰れていてよく判らない)、ここは良心的に「ブレイク」で表記しておいた。

   *

 

The Fly

 

Little Fly

Thy summer's play,

My thoughtless hand

Has brush'd away.

 

Am not I

A fly like thee?

Or art not thou

A man like me?

 

For I dance

And drink & sing;

Till some blind hand

Shall brush my wing.

 

If thought is life

And strength & breath;

And the want

Of thought is death;

 

Then am I

A happy fly,

If I live,

Or if I die.

 

   *]

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 『ルバイヤツト』より

 

   『ルバイヤツト』より

 

    其一

 

泥沙坡(ナイシヤプル)とよ、巴比崙(バビロン)よ、花(はな)の都(みやこ)に住(す)みぬとも、

よしやまた酌(く)む杯(さかづき)は甘(うま)しとて、苦(にが)しとて、

間(たえま)あらせず、命(いのち)の酒(さけ)はうちしたみ、

命(いのち)の葉(は)もぞ散(ち)りゆかむ、一葉(ひとは)一葉(ひとは)に。

 

朝每(あさごと)に百千(ももち)の薔薇(ばら)は咲(さ)きもせめ、

げにや、さもあれ、昨日(きのふ)の薔薇(ばら)の影(かげ)いづこ、

初夏月(はつなつづき)は薔薇(ばら)をこそ咲(さ)かせもすらめ、ヤムシイド、

カイコバアドの尊(みこと)らのみ命(いのち)をすら惜(を)しまじを。

 

逝(ゆ)くものは逝(ゆ)かしめよ、カイコバアドの大尊(おほみこと)、

カイコスル彦(ひこ)、何(なに)はあれ、

丈夫(ますらを)ツアルもルスツムも誇(ほこ)らば誇(ほこ)れ、

ハチム王(わう)宴(うたげ)ひらけよ――そも何(なに)ぞ。

 

畑(はた)につづける牧草(まきぐさ)の野(の)を、いざ共(とも)に

その野(の)こえ行手(ゆくて)沙原(すなはら)、そこにしも、

王(わう)は、穢多(ゑた)はの差別(けぢめ)なし、――

金(きん)の座(ざ)に安居(あんご)したまへマアムウド。

 

歌(うた)の一卷(ひとまき)樹(こ)のもとに、

美酒(うまき)の壺(もたひ)、糧(かて)の山(やま)、さては汝(みまし)が

いつも歌(うた)ひてあらばとよその沙原(すなはら)に、

そや、沙原(しなはら)もまたの天國(てんごく)。

 

   其二

 

賢(さか)し教(をしへ)に智慧(ちゑ)の種子(たね)播(ま)きそめしより

われとわが手(て)もておふしぬ、さていかに、

收穫(とりいれ)どきの足穗(たりほ)はと問(と)はばかくのみ――

『水(みづ)の如(ごと)われは來(き)ぬ、風(かぜ)の如(ごと)われぞ逝(ゆ)く。』

       オマアカイアム

 

[やぶちゃん注:間(たえま)あらせず、命(いのち)の酒(さけ)はうちしたみ、」は底本では「間(たえま)あらせず、命(いのち)の酒(さけ)うちしたみ、」であり、「安居(あんご)」のルビは「あんこ」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。中標題「其一」と「其二」の字下げの違いはママ。作者を示す後書きの「オマアカイアム」の位置は底本ではずっと下方である。

 「ルバイヤツト」(Rubā‘īyāt)(「ルバイヤート」のカタカナ表記も通用される)とはペルシア語で「四行詩集」の意。「ルバーイー」(四行詩)の複数形。イラン固有の詩形で民謡に端を発したという。第一行・第二行・第四行の脚韻はかならず押韻し、第三行の脚韻は押韻しても、しなくてもよい。十世紀の詩人をはじめとして多くの詩人たちがこの詩形を作詩したが、ペルシア文学史上とくに四行詩人として知られるのは、ウマル・アル・ハイヤーミー、アブー・サイード・ビン・アビル・ハイル、アンサーリー、バーバー・ターヒルの四詩人である。しかし「ルバイヤート」といえば、ペルシア文学代表作品としてウマル・アル・ハイヤーミーを想起するほど彼の作品は世界的に名高い。十九世紀半ばのイギリスの詩人エドワード・フィッツジェラルド(Edward Marlborough FitzGerald 一八〇九年~一八八三年)によって流麗な英訳が刊行されて以来、世界中に名声が高まり、日本語を含めて世界の主要な言語に翻訳された。人生の無常・宿命・酒の賛美・一瞬の活用などが基調となっている。「ウマル・アル・ハイヤーミー」(Abu 'l-Fath ‘Umar ibn Ibrhm al-Nsbr al-Khayym 一〇四八年?~一一三一年?)はイスラムの数学者・天文学者・詩人。通称は「オマル・ハイヤム」(Omar Khayyam)。イラン北東部ニシャプールに生まれる。現在は、愛と自由を讃えた四行詩「ルバイヤート」の作者として有名であるが、数学者・天文学者としての業績が実は大きい。その「代数学」(al-jabr)には、二次方程式の幾何学的・代数学的解法があるほかに、十三種の三次方程式を認め、それら総てを解こうと試みて、その多くに部分的な幾何学解法を与えている。ただ、その際、負の根を考慮していない。彼はユークリッドの「原論」(Stoikheia)の公準と定義とを研究している。天文学では、セルジューク王ジャラール・アル・ディーン・マリク・シャー(Jalr al-Din Malik Shh)の求めで、一〇七四年頃、イスファハーンの新しい天文台でペルシア暦(一年が三百六十五日)の改良に従事している。彼の改良した暦は「ジャラール暦」(al-Ta'-rkh al-Jlar)とよばれ、これは約五千年に一日の誤差しか生じることがなく、その点では、三千三百三十年に一日の誤差のある今日のグレゴリオ暦よりも精確な暦法であった(孰れも主文は小学館「日本大百科全書」に拠った)。私も大学二年の春以来、岩波文庫版(昭和二四(一九四九)年初版刊)のオマル・ハイヤーム著の小川亮作訳「ルバイヤート」を愛読し続けている(他に森亮氏の訳本も所持する。「森亮訳詩集 晩国仙果 Ⅰ イスラム世界」(平成二(一九九〇)年小沢書店刊)。

 以上の訳詩の内の、「其一」の第一連は、ネットで見る限り、フィッツジェラルドの英訳(複数の英文サイトの記載を見、比較対象して、ここに電子化されているものを採用した)、

 

Whether at Naishápúr or Babylon,

Whether the Cup with sweet or bitter run,

The Wine of Life keeps oozing drop by drop,

The Leaves of Life keep falling one by one.

 

である。これについては岩波文庫版の小川亮作訳「ルバイヤート」の訳者「解の「三 邦語譯の諸本」の冒頭で

    *

 フィツジェラルド英譯本から重譯によってルバイヤートを我が國に恐らく最初に紹介した人は蒲原有明であった。明治四十一年一月東京・易風社發行の『有明集』に収められ、後わずかに訂されて、大正十年アルス發行の『有明詩集』中に入れられた六首である。香気あふれるばかり、しかもよくルバーイイの詩形をも彷彿せしめているすぐれた譯詩であった。本書の第九五歌に相當するルバーイイは次のように譯されている。

 

泥沙坡(ナイシヤプル)とよ、巴比崙(バビロン)よ、花の都に住みぬとも、

よしや酌むその杯は甘(あま)しとて、はた苦(にが)しとて、

間(たえま)あらせず、命の酒はうちしたみ、

命の葉もぞ散りゆかむ一葉(ひとは)一葉(ひとは)に。

 

    *

とある(これは小川氏の言う本詩集のものの、有明が誤植を訂し、さらに改稿した版のそれである)。小川氏のそれの訳詩を示す(同氏は昭和二六(一九五一)年没でパブリック・ドメインである)。

   *

 

     九五

 

バグダードでも、バルクでも、命はつきる。

酒が甘かろうと、苦かろうと、盃は滿ちる。

たのしむがいゝ、おれと君と立ち去ってからも、

月は無限に朔望をかけめぐる!

 

   *

 なお、小川氏はこの「バグダード」と「バルク」に注を附しておられ、『バグダード アッバス朝時代(西記七四九―一二五八年)のカリフの首都、當時イスラム文化の中心地であった。目下イラクの首府』とされ、また、『バルク 現在は北アフガニスタンの小都であるが、古代にはバクトリアの都として、また中世にはブハラやネイシャプールと並ぶ東ペルシアの中心地の一つとして文化の榮えた所』と記しておられる。

 さて、第二連以降の全四連は、同じくフィッツジェラルドの英訳の以下(であろう(引用は英文サイト「"The Rubaiyat of Omar Khayyam" (1859), translated by Edward Fitzgeraldより。これは初版のもの。或いは改版(後述)では改稿が成されているのかも知れない)。

   *

 

VIII.

And look—a thousand Blossoms with the Day

Woke—and a thousand scatter’d into Clay:

And this first Summer Month that brings the Rose

Shall take Jamshyd and Kaikobad away.

 

IX.

But come with old Khayyam, and leave the Lot

Of Kaikobad and Kaikhosru forgot:

Let Rustum lay about him as he will,

Or Hatim Tai cry Supper—heed them not.

 

X.

With me along some Strip of Herbage strown

That just divides the desert from the sown,

Where name of Slave and Sultan scarce is known,

And pity Sultan Mahmud on his Throne.

 

XI.

Here with a Loaf of Bread beneath the Bough,

A Flask of Wine, a Book of Verse—and Thou

Beside me singing in the Wilderness—

And Wilderness is Paradise enow.

 

   *

問題は第一連であるが、思うに、これはフィッツジェラルド自身の手に成る一八七九年の第四版(彼の「ルバイヤート」は全部で五版あるが、一八八九年刊行のそれは彼の死後の編集版である)に載るものではないかと思われる(第四版の英文の書誌情報を捜し得なかったのでただの私の当て推量ではある)。

 次に「其二」であるが、これも前掲の初版の中の、

   *

 

XXVIII.

With them the Seed of Wisdom did I sow,

And with my own hand labour’d it to grow:

And this was all the Harvest that I reap’d—

"I came like Water, and like Wind I go."

 

   *

とよく一致する。小川氏の訳をやはり載せておく。

   *

 

    三七

 

幼い頃には師について學んだもの、

長じては自ら學識を誇ったもの。

だが今にして胸に宿る辭世の言葉は――

 水のごとくも來り、風のごとくも去る身よ!

 

   *

 最終行の一字下げはママ。会話記号を嫌ったもの。

「ヤムシイド」「尊(みこと)」小川氏の「ジャムシード」の注に従えば、『詩人フェルドゥシイの集成したイランの國民史詩「シャーナーメ」に傳はる帝王の名。イラン創世の第一王朝ピシダーデイ朝第五世の英王で、「クタテ・ジャムシード」(ジャムシードの王座)の名のあるペルセポリスを築いた。「ジャムシード」は「日の王」を意味する』とある。

「カイコバアドの尊(みこと)」同じく小川氏の「ケイコバード」の注には、『神話時代のイランの第二王朝ケイアニイ朝を開いた』とある。

み命(いのち)をすら惜(を)しまじを。

「カイコスル彦(ひこ)」原文の綴りからみて、小川氏の「ケイホスロウ」であろう。同注には『ケイアニイ王朝中興の英主』とある。

「丈夫(ますらを)」「ツアル」不詳。初版原文では当該の固有名を見出せない。不審。

「丈夫(ますらを)」「ルスツム」不詳。孰れも武勇を誇った伝説上の人物と押さえておく。

「ハチム王(わう)」ハテム・アル・タイ(?~五七八年)、アラブ・アラビアのタイ族に属していた詩人らしい。

「マアムウド」小川氏の「マムード」であろう。注に『ガズニ王朝(西紀九七七―一一八六年)の英主スルタン・マムード(九九八―一〇三〇年)。印度を侵略して數多の財寶を掠取した』とある。]

2019/03/05

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 聖燈 (ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの訳詩)

 

  聖 燈

 

深(ふか)き眞晝(まひる)を弗拉曼(フラマン)の鄙(ひな)の路(みち)のべ、

いつきたる小(ちさ)き龕(ほくら)の傍(かた)へ過(す)ぎ

窺(うかが)へば懸(か)け聯(つら)ねたる(ゑ)の中(なか)に、

 

聖母(せいぼ)は御子(みこ)の寢(ね)すがたを擁(いだ)きたまへり

羊(ひつじ)を飼(か)へる少女(をとめ)らは羊(ひつじ)さし措(お)き、

晴(は)れし日(ひ)の謝恩(しやおん)やここにひざまづく、

はたや日(ひ)の夕(ゆふべ)もここにひざまづく、

悲(かな)しき宿世(すぐせ)泣(な)きなむも、はたまたここに。

 

夜(よ)も更(ふ)けしをり、同(おな)じ路、同(おな)じ龕(ほくら)の

かたへ過(す)ぎ、見(み)ればみ燈(あかし)ほのめきて

如法(によほふ)の闇(やみ)の寂(さび)しさを耀(かがや)き映(うつ)す、

かくも命(いのち)の溫(ぬく)み冷(ひ)え、疑(うたが)ひ胸(むね)に

燻(くゆ)る時(とき)、「信(しん)」のひかりをひたぶるに

賴(たの)め、その影(かげ)、あるは滅(き)え、あるは照(て)らさで。

         ロセチ白耳義旅中の吟

 

[やぶちゃん注:「弗拉曼(フラマン)の」は実は底本は「弗拉曼(ブラマン)の」となっているが、これは誤植で、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。同じく三行目の「(ゑ)」も、底本ではルビが「ね」となってしまっているが、これも誤植で、同じく正誤表によって特異的に呈した。

 

 前と同じくダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti 一八二八年~一八八二年)の訳詩。後書きは底本ではもっと下方にある。その「白耳義」「ベルギー」(België)の旅も恐らく同じ一八四九年九月から十月にかけてのものである。原詩は「Returning To Brussels」。

   *

 

Returning To Brussels

 

Upon a Flemish road, when noon was deep,

I passed a little consecrated shrine,

Where, among simple pictures ranged in line,

The blessed Mary holds her child asleep.

To kneel here, shepherd-maidens leave their sheep

When they feel grave because of the sunshine,

And again kneel here in the day's decline;

And here, when their life ails them, come to weep.

Night being full, I passed on the same road

By the same shrine; within, a lamp was lit

Which through the silence of clear darkness glowed.

Thus, when life's heat is past and doubts arise

Darkling, the lamp of Faith must strengthen it,

Which sometimes will not light and sometimes dies.

 

   *

「弗拉曼(フラマン)の」(冒頭注参照)原詩の「Flemish」で、「フランドル地方の」の意。フランドル(オランダ語:Vlaanderen/フランス語:Flandr/ドイツ語:Flandern)は旧フランドル伯伯(フランス語:Comte de Flandre)はフランドルを八六四年から一七九五年まで支配し続けた領主及びその称号)領を中心とする、オランダ南部・ベルギー西部・フランス北部にかけての、現在は三国に跨った広域地域を指す。中世に毛織物業を中心に商業・経済が発達し、ヨーロッパの先進的地域として繁栄した。]

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 眞晝 (ダンテ・ゲイブリエル・ロセッティの訳詩)

 

  眞 晝

 

眞晝時(まひるどき)とぞなりにける、あるかなきかの

軟風(なよかぜ)もいぶき(た)えぬる日盛(ひざかり)や、

野(の)のかたを見(み)やればひとつ鐘(かね)のかげ、

うねりつづける生垣(いけがき)の圍(かこ)ひの隙(ひま)を

軒低(のきひく)き鄙(ひな)の家(や)白(しろ)くかつ照(て)りつ、

壁(かべ)を背(せ)に盲(めしひ)の漢子(をのこ)凭(よ)りかかり、

その面(おもて)をば振(ふり)りかへし日(ひ)にぞあてたる。

 

停(とどま)り足搔(あが)く旅(やび)の馬(うま)、土蹴(つちけ)る音(おと)は

緩(ゆる)やかに堅(かた)し、輝(かゞや)く光(ひかり)こそ

歌(うた)ふらめ、歌(うた)あひのしじま長(なが)きかな、

眞晝(まひる)は脚(あし)を休(やす)めつつ、ひとつところに、

かにかくに過(すが)ひ去(い)ぬべきさまもなく、

濃(こ)き空(そら)の色(いろ)はかなたにうち澱(よど)み、

暑(あつ)さはたゆき夢(ゆめ)載(の)せて重(おも)げに蒸(む)しぬ。

         ロセチ白耳義旅中の吟

 

[やぶちゃん注:蒲原有明が傾倒していたイギリスの詩人で画家のダンテ・ゲイブリエル・ロセッティ(Dante Gabriel Rossetti 一八二八年~一八八二年)の訳詩。後書きは底本ではもっと下方にある。その「白耳義」は「ベルギー」(België)と読む。この旅は一八四九年九月から十月にかけてのもの。原詩は「Near Brussels」と添書きする「A Half-way Pause」。

   *

 

A Half-way Pause

 

The turn of noontide has begun.

In the weak breeze the sunshine yields.

There is a bell upon the fields.

On the long hedgerow's tangled run

A low white cottage intervenes:

Against the wall a blind man leans,

And sways his face to have the sun.

Our horses' hoofs stir in the road,

Quiet and sharp. Light hath a song

Whose silence, being heard, seems long.

The point of noon maketh abode,

And will not be at once gone through.

The sky's deep colour saddens you,

And the heat weighs a dreamy load.

 

   *]

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) おもひで

 

  おもひで

 

   (妻をさきだてし人のもとに)

 

「おもひで」よ、淨(きよ)き油(あぶら)を汝(な)が手(て)なる

火盞(ほざら)に注(そゝ)ぎ捧(さゝ)げもち、淨(きよ)き熖(ほのほ)の

あがる時(とき)、噫(あゝ)、亡(な)き人(ひと)の面影(おもかげ)を

夫(せ)の君(きみ)のため、母(はゝ)を呼(よ)ぶ愛(めぐ)し兒(ご)のため、

ありし世(よ)のにほひをひきて照(て)らし出(い)で、

かへらぬ魂(たま)をいとどしく悼(いた)める窓(まど)の

小暗(をぐら)さに慰(なぐさ)め人(びと)と添(そ)へかしな、

慈眼(じげん)の主(ぬし)はこれをこそ稱(たた)へもすらめ。

「おもひで」よ、なほ隈(くま)もなく、汝(な)が胸(むね)の

こころの奧所(おくが)ひらくべき黃金(こがね)の鍵(かぎ)を、

悲(かなし)みにとこしへ朽(く)ちぬしるしありと、

音(おと)も爽(さや)かにかがやかに捧(さゝ)げまつりね。

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 水のおも

 

 水のおも

 

いと小(ち)さき窓(まど)

晝(ひる)も夜(よ)も(た)えずひらきて、

劃(かぎ)られし水(みづ)の面(も)の

たゆたひをのみ

倦(うん)じたるこころにしめす。

 

淀(よど)める沼(ぬま)か、

大河(おほかは)か、はたや入江(いりえ)か、

水(みづ)の面(も)の一片(ひとひら)を、

何(なに)は知(し)らねど、

間(たてま)なくながめ入(い)りぬる。 

 

蒼白(あをじろ)く照(て)る

波(なみ)の文(あや)、文(あや)は撓(たわ)みて

流(なが)れ去(さ)り、また疊(たゞ)む

數(かず)のすがたは

一々(いちいち)に秘密(ひみつ)の意(こゝろ)。 

 

しかはあなれど

何事(なにごと)もわれは解(げ)し得(え)ず、

晝(ひる)は見(み)て、夜(よる)想(おも)ふ、

その限(かぎ)りなさ、

いつまでか斯(か)くてあるべき。 

 

わが魂(たましひ)を

解(と)き放(はな)て、見(み)るは崇高(けだか)き

天(あま)ならず、地(つち)ならず、

ただたゆたへる

水(みづ)の面(おも)、昨日(きのふ)も今日(けふ)も。 

 

世(よ)をば照(て)らさむ

不思議(ふしぎ)はも耀(かゞや)き出(い)でねと

待(ま)ちければ、こはいかに、

わが魂(たましひ)か、

白鵠(びやくこふ)は水(みづ)に映(うつ)りぬ。 

 

哀(かな)しき鳥(とり)よ、

牲(いけにへ)よ、知(し)らずや、波(なみ)は、

今(いま)、溶(と)けし熖(ほのほ)なり、

白(しろ)き翅(つばさ)も

たちまちに燒(や)け失(う)せなんず。 

 

聞(き)け、高(たか)らかに

聲(こゑ)顫(ふる)へ、『父(ちゝ)、子(こ)、み靈(たま)に

み榮(さかえ)のあれよ』とぞ

讃(ほ)めし聖詠(せいえい)、

臨終(いまは)なる鳥(とり)の惱(なや)みに。 

 

わが身(み)はかかる

ありさまに眼(め)をしとづれば、

まだ響(ひゞ)く、『みさかへ』と、――

窓(まど)の外(と)を、そと、

見(み)やる時(とき)、こは天(あめ)ならめ。 

 

夕(ゆふべ)の空(そら)か

水(みづ)の面(おも)、こは天(あめ)ならめ、

浮(うか)べたる榮光(えいくわう)に

星(ほし)は耀(かゞや)く、

しかすがにうら寂(さび)しさよ。 

 

われと嘲(あざ)みて

何(なに)ものかわれに叛(そむ)きぬ、

暗(くら)き室(むろ)、小(ち)さき窓(まど)、

倦(う)みて夢(ゆめ)みし

信(しん)の夢(ゆめ)、――それも空(あだ)なり。

 

[やぶちゃん注:「みさかへ」はママ。なお、第九連の末尾「見(み)やる時(とき)、こは天(あめ)ならめ。」は底本では、「見(み)やる時(とき)、こは天(あめ)あらめ。」であるが、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。

「白鵠(びやくこふ)」白い鵠(くくひ/くぐひ)で、「白鳥」、カモ目カモ科 Anserinae 亜科 Cygnus 属の七種の内、「白」をわざわざ冠しているから、コクチョウ(黒鳥)Cygnus atratus(オーストラリア固有種であるが、日本(茨城県・宮崎県)に移入されている)や本邦に棲息しないクロエリハクチョウ Cygnus melancoryphus などを除いた以下三種の孰れかとなる。コブハクチョウ Cygnus olor・オオハクチョウ Cygnus cygnus・コハクチョウ Cygnus columbianus。因みに、本篇はキリスト教が顕在的な詩篇であるが、仏教の「仏説阿弥陀経」の中には「浄土六鳥」称して、浄土にあっては六種の聖なる鳥が、仏・法・僧の三宝を奏でて、浄土を荘厳(しょうごん)しているとされ、その名を「白鵠(びゃっこう)」・「孔雀」・「鸚鵡」・「舎利」・「迦稜頻伽(かりょうびんが)」・「共命鳥(ぐみょうちょう)」とすることを言い添えておく。]

2019/03/03

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 鐘は鳴り出づ

 

 鐘は鳴り出づ

 

『火(ひ)はいづこぞ』と女(め)の童(わらは)、――

『見(み)よ、伽藍(がらん)ぞ』と子(こ)の母(はゝ)は、――

父(ちゝ)は『いぶかし、この夜(よ)に』と。

  (鐘(かね)は鳴(な)り出(い)づ、梵音(ぼんおん)に、――

        紅蓮(ぐれん)のひびき。)

 

『伽藍(がらん)のやねに火(ひ)ぞあそぶ、

ああ鳩(はと)の火(ひ)か、熖(ほのほ)か』と、

つくづく見入(みい)る女(め)の童(わらは)。

  (鐘(かね)は叫(さけ)びぬ、梵音(ぼんおん)に、――

        無明(むみやう)のあらし。)

 

『火(ひ)は火(ひ)を呼(よ)びぬ、今(いま)、垂木(たるき)、

今(いま)また棟木(むなぎ)、――末世(まつせ)の火(ひ)、

見(み)よ』と父(ちゝ)いふ、『皆(みな)火(ひ)なり。』

  (鐘(かね)はとどろく、梵音(ぼんおん)に、――

        苦熱(くねつ)のいたみ。)

 

『火(ひ)はいかにして莊嚴(しやうごん)の

伽藍(がらん)を燒(や)く』と子(こ)の母(はゝ)は、――

父(ちゝ)は『いぶかし誰(た)が業(わざ)』と。

  (鐘(かね)は嘆(なげ)きぬ、梵音(ぼんおん)に、――

        癡毒(ちどく)のといき。)

 

『熖(ほのほ)は流(なが)れ、火(ひ)は湧(わ)きぬ、

ああ鳩(はと)の巢(す)』と女(め)の童(わらは)、――

父(ちゝ)は『燒(や)くるか、人(ひと)の巢(す)』と。

  (鐘(かね)はふるへぬ、梵音(ぼんおん)に――

         壞劫(ゑごふ)のなやみ。)

 

『熖(ほのほ)の獅子座(ししざ)火(ひ)に宣(の)らす

如來(によらい)の金口(こんく)われ聞(き)く』と、

走(はし)りすがひて叫(さけ)ぶ人。

  (鐘(かね)はわななく、梵音(ぼんおん)に、――

         虛妄(こまう)のもだえ。)

 

『火(ひ)は内(うち)よりぞ、佛燈(ぶつとう)は、

末法(まつはふ)の世(よ)か、佛殿(ぶつでん)を

燒(や)く』と、罵(ののし)り謗(そし)る人。

  (鐘(かね)はすさみぬ、梵音(ぼんおん)に、――

         毗嵐(びらん)のいぶき。)

 

『鐘樓(しゆろう)に火(ひ)こそ移(うつ)りたれ、

今(いま)か、今(いま)か』と、狂(くる)ふ人(ひと)、――

『鐘(かね)の音(ね)燃(も)ゆ』と女(め)の童(わらは)。

  (鐘(かね)は(た)え入(い)る。梵音(ぼんおん)に、――

         無間(むげん)のおそれ。)

 

『母(はゝ)よ、明日(あす)よりいづこにて

あそばむ』と、また女(め)の童(わらは)、――

母(はゝ)は『猛火(みやうくわ)も沈(しづ)みぬ』と。

  (鐘(かね)は殘りぬ、梵音(ぼんおん)に、――

         欲流(よくる)のしめり。)

 

『父(ちゝ)よ、わが鳩(はと)燒(や)け失(う)せぬ、

火(ひ)こそ嫉(ねた)め』と女(め)の童(わらは)、――

父(ちゝ)は『遁(のが)れぬ、後(あと)追(お)へ』と。

  (鐘(かね)はにほひぬ、梵音(ぼんおん)に、――

         出離(しゆつり)のもだし。)

 

[やぶちゃん注:珍しい、仏教色の異様に濃い、叙事詩的詩篇である。

「毗嵐(びらん)」仏教用語。「毘嵐風(びらんぷう)」「毘藍婆(びらんば)」等とも言い、この世の終わりに吹いて、全てを破壊し尽くすとされる、強く激しい暴風の謂い。

「欲流(よくる)」仏教用語らしい。欲望が内心の善を洗い流してしまうことを言うか。]

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) やまうど

 

 やまうど

 

やまうどは微(かす)かに呻(うめ)く、わなわなと

胸(むね)にはむすぶ雙(さう)の手(て)や、

 をみなよ、その手(て)を………

やまうどは寢(ね)がへるけはひ。

 

やまうどの枕(まくら)を暗(くら)く寂(さび)しげに

燈火(ともしび)くもる夜(よる)の室(むろ)、

 をみなよ、照(て)らしぬ………

やまうどは汗(あせ)す、額(ひたひ)に。

 

やまうどは何(なに)をかもとむ、呼息(いき)づかひ

いと苦(くる)しげに呟(つぶ)やける、

 をみなよ、聞(き)け、問(と)へ………

やまうどの唇(くちびる)褪(あ)せぬ。

 

やまうどの眼(まなこ)は轉(まろ)び沈(しづ)み入(い)り、

きしめぐらしき惱(なや)ましさ、

 をみなよ、靜(しづ)かに………

やまうどに夜(よる)の氣(け)熟(う)みぬ。

 

やまうどは落居(おちゐ)ぬ眠(ねぶ)り、蟀谷(こめかみ)の

脈(すぢ)ひよめきて、また弛(ゆる)ぶ、

 をみなよ、あな、あな………

やまうどの面(おもて)ほほゑむ。

 

やまうどをこの束(つか)の間(ま)に、(その人(ひと)の

妻(つま)たる三年(みとせ))、いかに見(み)る、

 をみなよ、畏(おそ)れな………

やまうどの夢(ゆめ)は罅(ひゞ)きぬ。

 

やまうどの枕(まくら)をかへよ、舊(ふ)りぬるも

なほ新(あら)たなる布(ぬの)ありや、

 をみなよ、いづくに………

やまうどに燈火(ともしび)滅(き)えぬ。

 

[やぶちゃん注:総てのリーダは九点。第三連冒頭の「やまうどは何(なに)をかもとむ、呼息(いき)づかひ」は底本では「やとうどは何(なに)をかもとむ、呼息(いき)づかひ」。明らかな誤植で、底本の「名著復刻 詩歌文学館 紫陽花セット」の解説書の野田宇太郎氏の解説にある、有明から渡された正誤表に従い、特異的に呈した。同じ仕儀を「さしめぐらしき惱(なや)ましさ、」(底本は「きしめぐらしき惱(なや)ましさ、」)と、「脈(すぢ)ひよめきて、また弛(ゆる)ぶ、」(底本は「脈(すぢ)びよめきて、また弛(ゆる)ぶ、」)で施した「やまうど」は「山人」のこと。]

蒲原有明 有明集(初版・正規表現版) 序のしらべ

 

 

 序のしらべ

 

  一

 

華(はな)やかに夕日(ゆふひ)は、かしこ、

矛杉(ほこすぎ)を、檜(ひ)のつらなみを、

華(はな)やかに映(うつ)しいでたる。

 (見よ、空の遠(をち)、

  夕暮(ゆふぐれ)かけて雲(くも)すきぬ。)

 

なからより上(うへ)を木(き)の幹(みき)、

叢葉(むらは)こずゑ、ふとあからかに、

なからより樹(こ)のもと暗(くら)く。

 (今(いま)、空(そら)のうへ

  冬(ふゆ)をなやらふ風(かぜ)のおと。)

 

夢(ゆめ)なりや、木々(きぎ)のいただき、

仰(あ)ふぐ眼(め)に瞳(ひとみ)ぞ歌(うた)ふ、

夢(ゆめ)なりや、夢(ゆめ)のかがやき。

 (雲(くも)と風(かぜ)とは

  春(はる)を迎(むか)ふる夕(ゆふ)あらび。)

 

  二

 

わが脚(あし)は冷(つめ)たき地(つち)に

うゑられぬ、をぐらき惱(なや)み、

わが脚(あし)は重(おも)し、たゆたし。――

  冷(つめ)たき地(つち)は

  遁(のが)れもえせぬ「死」の獄(ひとや)。

 

かぐよへるめぐみのかげに

冥(みやう)をぬく「おもひ」の上枝(ほつえ)、

かぐよへる天(あめ)のみすがたや。――

  めぐみのかげは

  闇(やみ)の絃(いと)彈(ひ)く序(じよ)のしらべ。

 

歡喜(よろこび)のまぢかしや、わが

望(のぞみ)の苑(その)、光(ひかり)の流(ながれ)、

歡喜(よろこび)の朝(あした)をまため。――

  まぢかしや、それ

  夜(よ)は荒(すさ)ぶとも、喘(あへ)ぐとも。

 

  三

 

うつつなる春(はる)に遇(あ)ひなば

甲(かん)の黃(き)や、乙(おつ)の紫(むらさき)、

うつつなる夢(ゆめ)にわが身(み)も、――

  あはれ身(み)はまた

  魂(たま)の常磐(ときは)にしたしまむ。

 

翌(あす)となり、今日(けふ)うれひを

琴(きん)のすみれ、箜篌(くご)のもくれん、

翌(あす)となりて興(きやう)じいでなば、――

  さらばこころは

  いかが燻(くゆ)らむ、追憶(おもひで)に。

 

闇(やみ)おちぬ、今(いま)はた空(むな)し、

世(よ)や、われや、ただひとつらに、

闇(やみ)おちぬ、闇(やみ)のくるめき、――

  かくて望(のぞみ)の

  緖(を)をこそまどへ、(た)えにきと。

 

[やぶちゃん注:「二」の第二連の「めぐみのかげは」は底本では「めくみのかげは」であるが、「青空文庫」版(底本は昭和四三(一九六八)年講談社刊「日本現代文学全集」第二十二巻「土井晚翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨集」)では「めぐみ」となっており、「めくみ」では躓くので、誤植と断じ、特異的に訂した。

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