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カテゴリー「芥川龍之介「北京日記抄」【完】」の28件の記事

2023/02/28

西播怪談實記 佐用鍛冶屋平左衞門幽靈に逢て死し事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注凡例は最初回の冒頭注を参照されたい。底本本文はここから。【 】は二行割注。]

 

 佐用鍛冶屋平左衞門幽㚑(ゆうれい)に逢《あひ》て死(しせ)し事

 延寶年中の事成しに、佐用郡佐用邑に「いと」いへる女(おんな)、嬬(やもめ)にて暮しけるが、朝夕の煙(けふり)も立兼(たてかね)、元來(もとより)、立《たち》よるへき一家もなく、又は、一飯(うつはん)を施す人もなくて、おもひわづらひしが、比(ころ)は卯月の末つかたなれば、あそこの川辺(《かは》へ)、爰《ここ》の渚(なきさ)にも、麥、多く刈干(かり《ほし》)て有けるを見置《みおき》て、其夜、密(ひそか)に行《ゆき》て、穗切(ほきり)をして歸れば、翌日、食物(くい《もの》)のいとなみに、心づかひ、なし。

 かくしつゝ、度(たひ)かさなれば、後《のち》には、人も、それぞとは知《しり》ぬれど、

「貧(ひん)の盜(ぬすみ)なれば。」

とて、誰(たれ)あつて訴出(うたへ《いづ》[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。])る人もなく打過《うちすぎ》けるが、猶、いやましの盜に、町内も《ちやうない》、せん方なく、打寄(うちより)、談合して、いとが組頭(くみかしら)の方《かた》へ盜の次第を申遺《まをしつかは》し、

「今より、堅く止《やむ》るならば、是迄の事は、堪忍すへし。左もなくば、町中《ていちゆう》として御公邊(ごこうへん)へ、訴(うたへ)申べし。」

と、いひ遺す。

 組頭、「いと」を呼寄(よびよせ)て、右の子細を申渡し、折檻するに、「いと」、氣色(けしき)を損じ、

「更々、身に、覚《おぼえ》なし。難題をいひ懸(かけ)て、我を所に置(をく)まじきとの企(くはたて)なるへし。此上は、是非もなし。さ、いひける人の家々を、燒(やき)て恨(うらみ)をはらさんものを。」

と過言(くはこん)して、立歸る。

 組頭、思ふやう、

『虛言にもせよ、「火を付《つく》る」といへば、其分に、ならず。』

と、町中《まちぢゆう》へ件(くたん)の趣を返荅して、共々に御公儀へ訴出(うつたへ《いで》)ければ、早速、搦捕(からめとら)れて入牢しけるが、

「かゝる所存のものは、追放しても行末、覚束なし。」

と、死罪に一決して、辰巳谷《たつみだに》といふ所にて【佐用より平福《ひらふく》へ行道の右の谷なり。】、打首(うちくび)にしられけるが、其後(そののち)、

「『いと』が幽霊、出《いづ》る。」

と、專(もはら)、いひふらしける。

 慥に見たる人はなけれども、聞おちして[やぶちゃん注:「聞き怖じして」。]、暮ては、往來の人も、なし。

 ほどへて、鍛冶屋平左衞門といふもの、所用の事ありて平福へ行《ゆき》、夜(よ)、更(ふけ)ぬれども、元來、大膽なるものにて、恐しともおもはず、立歸る。

 折しも、彌生十日あまり、村雨、打そゝぎて、いとゞ朧(おほろ)の月影に、そろそろと、辰谷[やぶちゃん注:「近世民間異聞怪談集成」には『辰(巳)谷』とする。後の割注から脱字であることが判明する。「たつみだに」。]の口へ懸《かか》る。

 道の下、谷川(たにかは)の邊(へん)に、白きものを着たる女、手を洗ふ風情に見へければ、平左衞門、思ひけるは、

『夜更て、此所《このところ》に、女の居るべきやう、なし。世上の噂の「いと」が幽㚑なるへし。』

と、足はやに行過《ゆきすぐ》るに、跡より、

「のふ、かなしや、待《まち》給へ。」

と呼《よび》かくる聲を、聞とひとしく、身の毛も弥竪(よたち)、手足もふるひ、漸(やうやう)に大願寺《だいぎわんじ》村【辰巳谷、少《すこし》、南也。】知人の宅へ走入《はしりいる》と、忽(たちまち)、氣絕すれば、亭主、驚き、いろいろ介抱しければ、正氣になり、問ヘども、聲、ふるひて、さだかに聞(きこへ)す[やぶちゃん注:ママ。]。

 翌朝、駕籠に乘《のせ》て、送り歸しぬ。

 それより、ぶらぶらと煩(わつらひ)て、終(つい)に死《しに》けり。

 其子孫、今に有《あり》て、折々、右の噺を聞《きき》ける趣を書傳ふもの也。

[やぶちゃん注:「延寶年中」一六七三年から一六八一年まで。徳川家綱・綱吉の治世。

「組頭」江戸時代の村の「五人組」(惣百姓、町では地主・家持を、近隣毎に五戸前後を「一組」として編成し、各組に「組頭」と呼ばれる代表者を定め、名主・庄屋の統率下に組織化したもの)の筆頭の百姓。「五人組頭」と称し、「五人組」に属する百姓の統轄に当たり、質地などの連判役も行った。「五人組」内の百姓から最有力者が選ばれた。

「死罪に一決」江戸時代の「火付け」重罪で、ただ「火をつける」と言っただけでも、未遂罪に問われた。この場合、窃盗の見逃しを提案してやったのに、無実と反論したばかりか、「五人組」の上級責任者にそうした暴言を吐き、結果して村中を脅迫したわけであるから、一向に過重刑とは言えない。但し、奉行も一度は躊躇はしたではあろうが、知った町民(その中には哀れに思って盗んでいるのを知らんふりしていて呉れた優しい人々も含まれている)の恐慌・パニック状態を考えれば、これはもう彼女が悪いとしか言えない。

「荅」「答」の異体字。

「辰」『巳』「谷」思うに、グーグル・マップ・データ航空写真の中央を南東に抜ける谷なら、その先の方向が名前の「辰巳」にまさぴったりだからである。現在の金近川(かねちかがわ)沿いに並行する横坂下徳久線県道「547」号である。ここは谷を東に向かったあと、急激に辰巳(南東)に向かう谷道だからである。この推理には「ひなたGPS」の戦前の地図も参考にした。そこでは辰巳(南東)に向う谷道は、当時、そこしかないことが判るからである。ここはストリートビューで見ても、田に沿った尾根の間の長い谷になっていることが判り、当時の処刑場としても、これ、相応しかったであろう。

「平福」現在の兵庫県佐用郡佐用町平福。佐用町の中心から北へ少し行ったところ。五キロ圏内。

「大願寺村【辰巳谷、少、南也。】」先の現在の地図で、実は旧村名を残す大願寺公民館をポイントしてある。再度、見られたい。戦前の地図でも「大願寺」地名があって複数の家屋が認められる。]

2017/08/24

岩波文庫ニ我ガ名ト此ノぶろぐノ名ノ記サレシ語(コト)

先週、近代文学研究家の山田俊治氏(現・横浜市立大学名誉教授)より、自筆の御葉書を戴いた。

山田氏の名は芥川龍之介新全集の諸注解で存じていた。最近では特に、ブログでの「侏儒の言葉」のオリジナル注企画で頻繁に引用させて戴いたが、無論、終生、巷間の野人たる小生は面識もない。何か誤ったことでも私がブログで書いているのを注意されでもしたものかと思うて読んでみたところが、そこには、

『この度 芥川龍之介の紀行文集を岩波文庫から出版することになり、注解にあたっては、ブログを拝見して、大いに刺激されるとともに、一般書のため、逐次 注にできませんでしたが、大変 参考にさせていただきました。そこで、一部献本させていただきますので、御受納いただければ幸いです』

とあって、驚いた。

昨日、それが届いた。

2017年8月18日発行・山田俊治編「芥川竜之介紀行文集」(850円)
 

Aku1

 
である。中国特派の際の五本は「Ⅱ」として纏められてあるが、それ以外の「松江印象記」(リンク先は私の初出形)に始まる九本の選択も非常に面白い。注を縦覧したが、語句や表現要所が非常によく押さえられており、「Ⅱ」パートでは地図なども附されてあってお薦めである(数年前に他社の文庫でもこれらは出ていたが、本屋で立ち読みしただけで、その注のお粗末さに呆れた果てたのを覚えている)。
特に、あの時代にあって稀有のジャーナリストたらんとして――芥川龍之介は自らを「ジヤアナリスト兼詩人」(「文藝的な、餘りに文藝的な」(リンク先は私の恣意的時系列補正完全版)の「十 厭世主義」)と称し、遺稿の「西方の人」(リンク先は私の正・続完全版)ではキリストを「古い炎に新しい薪を加へるジヤアナリスト」と評している――書かれた中国特派のそれらは、もっと読まれるべきものであると私は強く感じている(芥川龍之介の「上海游記」「江南游記」「長江游記」「北京日記抄」はそれぞれブログ分割版(全)があり、それらの一括版及び「雜信一束」はHTML横書版で「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」の「芥川龍之介」パート内の「§ 芥川龍之介中国紀行関連作品 §」に収めてある)。

さて。山田氏の解説の最後を読んで、さらに驚いた。
 

Aku2


 
何と! その末尾、参照先行文献の一覧の最後の最後には、天下の岩波版「芥川龍之介全集」(新全集)がずうっと並んだその終りに……『および、藪野直史「Blog鬼火~日々の迷走」』とあるではないか!?!

私のような凡愚の野人の仕儀が、誰かの役に立つとならば、逆に、恩幸、これに過ぎたるはないと言うべきで、ここに山田俊治先生に深く謝意を表したい。
 
 

2017/02/15

北京広安門外天寧寺壁面レリーフ

北京在住の教え子が還暦の今日の僕に贈ってくれた北京広安門外の天寧寺の壁面レリーフの写真――慄っとするほど美しい!

 

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2014/08/27

北京日記抄   芥川龍之介   附やぶちゃん注釈

芥川龍之介「北京日記抄」附やぶちゃん注釈に、教え子のT.S.君の探勝になる文天祥祠の写真その他を注に追加した。芥川龍之介の誤認(「楡」ではなく「棗」)が彼によって発見された。

2013/08/08

北京 天寧寺 レリーフ

芥川龍之介「北京日記抄」に教え子T.S.君の探勝になる天寧寺及び東配殿の写真を注に追加。特に天寧寺のレリーフは慄っとするほど素晴らしい!

Tenneijitou

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2012/08/17

北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈 二 辜鴻銘先生 T.S.君探勝詳細写真附報告追加

「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「二 辜鴻銘先生」の辜鴻銘の注に、私の教え子で中国在住のT.S.君が探査した詳細な写真附き報告を追加した。

2012/08/07

芥川龍之介 芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈 教え子T.S.君探査報告追加

芥川龍之介「芥川龍之介中国旅行関連書簡群(全53通) 附やぶちゃん注釈」の六一四号書簡の注に、芥川が北京で泊まった「扶桑館」について、私の教え子で中国在住のT.S.君が探査した詳細な写真附き報告を追加した。古い北京の写真の中に……僕は道を行く芥川龍之介の姿がしっかり見える気が……した……

2012/07/13

和製S・ホームズと相棒直史・ワトソン・藪野、遂に芥川龍之介の立った三門閣を発見せり!

私の教え子が芥川龍之介の「北京日記抄」に現れる幻の「三門閣」を遂に発見! それを含む新知見と画像を「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「窑臺」及び「三門閣下」の注に追加した。

【二〇一二年七月十三日追記】

《和製S・ホームズと相棒直史・ワトソン・藪野、遂に芥川龍之介の立った三門閣を発見せり!》

つい先日のこと、件のT.S.君から、以下のような内容の消息を貰った。
――彼がネット上で見かけ、私に送って呉れた先の「謝文節公祠」の注に掲げた地図画像を拡大して見てみると、陶然亭(地図下辺の中央寄りやや左寄りの位置にある四つの池――東のものは独立し、西側の三つは水路様のもので繋がっている――)の北に延びる道の途中に、東側に南北に細長い建物があって、そこからこの道のところを塞ぐような形の建物が見えるが、それをよく見てみるとどうも三文字で、且つその最初の二文字は「三門」とあるように見える――
というのである。私も試みて見たが、確かに「三門」に見え、三文字目はそれらより複雑な画数で「閣」であって可笑しくないと思えた。ただ残念ながら画像の解像度が低く、断定は出来ないと返信したところ、本日、中国よりT.S.君が、民国十(一九二一)年作製の「新測北京内外城全図」(中国地図出版社二〇〇八年復刻)を送って呉れた。そこには――
『先生 支那服を着た笑顔の彼に遂に会えました。』
という附箋が、地図に貼り附けてあった。
――勿論、「彼」とは芥川龍之介、そうしてその附箋の示す箇所にははっきりと「三門閣」とあったのである!
以下に、地図の当該部分を示す。

Sannmonnkaku

――T.S.君と私と芥川龍之介の三人が――今、一緒に三門閣に立ったのだ――

2012/07/08

教え子の芥川龍之介追跡になる「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」謝文節公祠/窑臺 注追加

私の教え子が芥川龍之介の「北京日記抄」とそこに附した私の注を読みながら、北京の芥川龍之介の現在を追跡して呉れた手記と写真を「北京日記抄 芥川龍之介 附やぶちゃん注釈」の「謝文節公祠」及び「窑臺」の注に追加した。是非、御覧あれ。

2009/08/30

芥川龍之介中国土産浴衣

芥川龍之介が中国で買い求めた浴衣である……

 

Siyukata

 

――そうして この浴衣……

――この浴衣を着て 彼は自死したのであった――

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