萩原朔太郞 一九一三、四 習作集第八卷 ひかげおとこ
萩原朔太郞 一九一三、四 習作集第八卷 ひかげおとこ
[やぶちゃん注:電子化注の意図及び底本の解題と私の解説は初回のこちらを参照されたい。
底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いるが、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。
当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。
直前の『萩原朔太郞 一九一三、四 習作集第八卷 寫真に添へて 歌集「空いろの花」の序に」』の後の、本篇より前の詩篇は、以下の通り、電子化注済みである。
「女よ」→『萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 女よ』の私の注
「五月」→『萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 旅上』の同前
「こゝろ」→『萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 こころ』の同前
「みちゆき」→『萩原朔太郎詩集 純情小曲集 正規表現版 始動 / 「珍らしいものをかくしてゐる人への序文」(室生犀星の序)・自序・「出版に際して」(萩原朔太郎)・目次・愛憐詩篇「夜汽車」』の冒頭詩篇「夜汽車」の私の注
「さくら」→『萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 櫻』の私の注
「△」(無題)→『萩原朔太郎詩集「純情小曲集」正規表現版 金魚』の同前]
ひかげおとこ
日かげ男の悲しさに
ひろき我が家もなにかせん
のらりくらりと緣ばたに
煙草を吸へど春の日は
しづこゝろなく暮もせず
日かげ男のためいきに
ちうまんえんだの花が咲く
日かげ男も夜となれば
人にかくれて茶屋あそび
女欲しさに來は來つれ
日かげものとて へこおびに
靑い淚がちりやちり
(一九一三、四、)
[やぶちゃん注:「おとこ」「ちうまんえんだ」はママ。
「ちうまんえんだ」は「ちゆうまえんだ」が正しい。萩原朔太郎が親しかった北原白秋の実家にあった菜園の名称である。私の『北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) (献辞)・自序「わが生ひたち」・挿絵その他目次』の序にも出、その詩集の「北原白秋 抒情小曲集 おもひで (初版原拠版) 黑い小猫」にも出る。後者では、詩篇の後に自註して、『ちゆうまえんだ。わが家の菜園の名なり。』(太字は原詩集(私のその底本である「国文学研究資料館」公式サイト内の「電子資料館 近代文献情報データベース ポータル近代書誌・近代画像データベース」のこちらで高知市民図書館「近森文庫」蔵の初版本のここでは傍点「﹅」。以下同じ)とある。前者を見ると、白秋は『ちゆうまえんだの菜園を一周回(めぐり)して貧しい六騎(ロクキユ)の厨裏(くりやうら)に濁つた澱みをつくるのであつた。そのちゆうまえんだはもと古い僧院の跡だといふ深い竹藪であつたのを、私の七八歲のころ、父が他から買ひ求めて、竹藪を拓き野菜をつくり、柑子を植ゑ、西洋草花を培養した。それでもなほ晝は赤い鬼百合の咲く畑に夜(よる)は幽靈の生(なま)じろい火が燃えた。』と述べている。語源は不詳である。]