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カテゴリー「土岐仲男」の25件の記事

2011/12/21

酒詰仲男先生の卒業論文がJ.M.シング“Riders to the Sea”であったという僕の驚き

僕の父の考古学の師であった酒詰仲男先生は、実は同志社大学英文科卒である。それは先生の土岐仲男名義の詩集「人」にも示した通り、知っていたが、今回、先生の御子息で甲南女子大学のフランス文学教授であられる酒詰治男先生から父に贈られた資料を借りて読み、不思議の感に打たれたことがいくつかある。

先生は特高の拷問を受けて前歯を4本折られたのであるが、その容疑が、かの右翼に刺殺された生物学者山本宣治の一グループと疑われたためであったこと、それで開成中学校英語教諭の職を解かれたこと、その後に考古学への道を歩まれた際に、國學院大學文学部史学科の学生たちと交流を持って発掘調査に従事したこと(僕は國學院大學文学部文学科卒である)など、興味深く読んだのであるが、特に酒詰仲男先生の英文科の卒業論文がJ.M.シングの“Riders to the Sea”(「海に騎り行く者たち」)であったという酒詰治男先生の文章を読んで、正直、吃驚したのである。

僕はアイルランドの作家シングが大好きである。搦め手からのアプローチではあるが、既に芥川龍之介の愛した『越し人』片山廣子訳のシングの「聖者の泉」、芥川龍之介の著作中、レア物である「シング紹介」もテクスト化している(どちらも、ネット上でのテクスト化は僕が最初のはずである)。廣子は後にシングの戯曲全集の翻訳群があり、勿論、この“Riders to the Sea”も「海に行く騎者(のりて)」として納められている。因みに芥川龍之介の生涯の畏友恒藤恭(当時の姓は井川で、京都大学法学部へ進学していた)は、芥川の勧めで第三次「新思潮」に載せるために正にこのシングの“Riders to the Sea”を「海への騎者」 として翻訳してもいるのである。

――父の遠い昔の師酒詰仲男先生が二重螺旋のように僕に繋がっておられるような気がして、正に不可思議な感に強く打たれた――

2011/09/11

土岐仲男(酒詰仲男) 詩集 人

本トップ・ページ「父のアトリエ」の下に『土岐仲男(酒詰仲男)詩集「人」』を公開した。ブログ版の完全版で、ルビ化を施し、ほんの少し僕の注にも手を加えた。先生の詩は、忘れ去られるには勿体ない。是非、多くの方に読んで戴きたい詩群である。

キリスト 土岐仲男 / 土岐仲男詩集「人」完

キリスト

キリストはある朝便所の中で考えた
自分は朝めしも食わねばならぬ
それに女の膚に触れても見度い
いや それは迷夢だ
おれの糞は人のとは違った匂がする
弟子どもがみなそう言う
その方が真実だ
おれの頭は狂ったのかな
そんなことはない
ただ異常に
神が
在天の大神が
このおれを目にかけて下さるのだ
まてよ
しかしあの時
おれは無我夢中で祈ったが
魚はもと通りただの一匹だった!
それだのに
ああ奇蹟が現われた
魚が十匹にふえた
魚が千匹にふえた
弟子どもが叫びおった!
そんなことを言っているうちに
誰かが皆に魚をくばった
「奇蹟の魚だ」
「奇蹟の魚だ」
人びとは口々に叫び
争うてこのおれを礼拝した
おれは詐欺師ではないか
おれはペテン師ではないか
いや!
弟子共には一匹の魚が百匹に見えた
千匹に見えた
何故だろう!
あいつらは迷っているからだ
このおれだけがあいつらよりすこし強い
このおれが迷いだしたら
人類の破滅
世界の破滅だ!
人類の善意が破滅する
人類の道徳が破滅する
そして
世界はなくなる!
その直前に
このわしと言う細い綱によって
皆が
人類全体が
神の国にぶら下がろうとする
このおれが切れたら
世界はつぶれるのだ
人類はつぶれるのだ
おれは糞なんかしていられない
いや
またどこかで野糞でもひればよいのだ
おれは出発しよう

[やぶちゃん注:――酒詰先生、先生は芥川龍之介と同じように、キリストにジャーナリストを見たのではありませんか?――いえ、そして先生もキリストとなられたのですね――ジャーナリスト・キリストとして現世に復活された、のですね――]

詩集 人 土岐仲男 完

五条坂 土岐仲男

五条坂

街吹く白い秋風が
わたしとあなたを吹き通り
愛宕の蒼ずむ頃だった
痩せイヌが来て追いこして
あとは静かな街だった
たかなる胸の鼓動まで
きこえるほどの静けさよ
何を考え何を言い
どうしてそこまで来たのやら
前もうしろもぼけている
ただ青春の一ト時に
いつか歩いた五条坂

今日も秋澄む高空に
いつかの雲が流れてる
三十年の年月が
わたしとあなたを押しへだて
悔恨に似てほのぼのと
うずく心をかきいだき
ひとりさまよう五条坂
千里を走るトラックが
ならす警笛恐ろしや
思わず深き夢やぶれ
慌てる古都のエトランゼ
シャッポをぬいで手を振って
ぐるっとまわってサヨウナラ!

[やぶちゃん注:二行目「愛宕の蒼ずむ頃だった」は底本では「愛宕の蒼すむ頃だった」であるが、私の判断で濁音化した。この詩も、私は一読、胸がキュンとなる。]

孤影――陸奥尻尾岬に寄せて―― 土岐仲男

孤影
      ――陸奥尻尾岬に寄せて――
何と言うことだ
風と海と
岩にへばりつくいくばくかの草と
カモメが飛び
カラスがおりている
心の果てにひろがる
荒蓼たる一つの地域
「神」もなく「仏」もない
ただ砂原のおき伏し
ああ何のために私は
こんな地の果てに彷徨うて来たのだ
こんな陸(くが)果にも
遠古の人がいたと言うので
それを調べるためにやって来たのだ
この荒蕪の地に住み
獣類をおさえ魚類を漁(すなど)り
日々のたつきを立てていた者は誰
莫々としてつかみようもない
この忘却の霧につつまれて
一人立つ岬の高さ
天地の太初以来
繰り返し打つ大洋の浪が
今日もまた同じように打っている
この地の果てを駈けめぐり
虚ろなる心かき立て
風の響きに首すくめつつ
草に憩うこのひととき
遥かなる天心の太陽(ひ)が
遠い水面に微塵と砕け
蝦夷(えぞ)ケ島が雲間に隠見する
祈りも信仰も役に立たぬ
夏にして冬景色を備えた
ここ岬の一隅に心冷えて
厳かに身ぶるいつつ
孤影をまもる

[やぶちゃん注:「尻尾岬」は下北半島北東端に突き出た岬で、津軽海峡と太平洋を分けるような位置にある。本州の最北端である下北半島北西端の大間岬に対し、この尻尾岬は地元で「本州最果て地」と呼ばれている。但し、ネット検索では尻尾岬の貝塚や縄文遺跡についての記載は見出せなかった。識者の御教授を乞うものである。]

ホトトギス 土岐仲男

ホトトギス

人は会い訣かれるものと知りながら
このひとときのいとなみに
まことの生命(いのち)かけつくし
互に攻むる身のもだえ
互にみつむる涅槃境
また唇(くち)を吸い身を進め
ひとしほ強くかき抱く
長き捷毛の細き眸に
はやそのときをしるすとき
ゆめかうつつか何もなく
ただ白銀(がね)の高なりが
怒濤の如くわき返し
華火のごとく散り消ゆる
今はしづかに瞼閉じ
大きくもらす肩の吐息(いき)
互に充ちて二つ身に
ゆれもどりたるたまゆらに
ふと聞く雲間のホトトギス

[やぶちゃん注:「白銀」の「がね」は「銀」のみのルビで「しろがね」。「吐息」は二字で「いき」と読ませている。……先生、これは……もう、脱帽です!……]

「寺」  土岐仲男

「寺」

私はその名を知らない
岩山に抉ぐられた一画の土地
高く聳える樹々にかこまれ
その「寺」はある
まつります御仏は
観音か 菩薩か
信仰の衰亡も今は問うまい
ただ日本の「土地」のその一隅に
何世紀かの風雪に耐えて
厳かに存続するこの「寺」を見る
はかなき現し身の魂が指向する
「寺」と言う存在
限りなく浮き迷う
わが魂の港
民族の祈りの礎
仏をもてあそぶ僧等の恣意は
僧等の野望は
幾度かの治乱興亡を過ぎて
その庭苔に吸収され
ただこの御仏(みほとけ)と「寺」と
樹々と 碧空とが
人類の苦悩と御仏の慈悲を直結して
この上もなく健かに
この上もなく穏かに
この上もなく厳かに
この上もなく大きく
天地と共にしずもり返っている
ああ幾世紀かの
灼日と荒雪に耐え
耐え耐えて滅びざる民族の「寺」よ
大乗 小乗の教はとまれ
天地のかびにもひとしき
人間われは
今恭しくこの「寺」の姿に合掌する

君ほほえまば 土岐仲男

君ほほえまば

君ほほえまば
よろず花
恥じらうごとしと
帝詔(の)りし
かの虞美人のほほえみも
かくはありしか
たまゆらの
かの君えみしほほえみは
瞼閉づれば
眼の底に
眸あぐれば大空に
桜色せる頰もみな
濡れしが如き唇も
象牙の如き白き歯も
焼くるがごとく鮮かに
触るるがごとく迫りつつ
うららひろごるかなしさよ
ああたまゆらの
かの君の
かくもかなしきほほえみを
胸ぬち深くひたかくし
野辺にい向い
ただ一人
すべなく口笛(ふえ)を吹けるかな

[やぶちゃん注:「口笛」の二字で「ふえ」と読ませている。]

× 土岐仲男

×

けたたましく警笛を鳴らしながら
意識の中心を車が走る
多くの概念が
慌てて道をよける

何だ
赤いさるこを着た
サルめが運転するコウノトリだ

[やぶちゃん注:「さるこ」は文字通り「猿子」で、江戸時代、綿の入った袖無しの羽織のことを言った。主に子供用であるが、女性の胴着にも用いた。猿回しの猿が着るものに似ていることに由来する呼称である。この詩、尾形亀之助詩集に潜ませたら面白い。]

天理教 土岐仲男

天理教

六百畳にも余る大広間
そこに学会人が集まって
六人づつすき焼鍋を囲んで
酒をのみ交わすその瞬間
何かを期待して
一座は急にシーンとしずまった
原始林のようなしずけさ
そうだ!
丁度原子爆弾がおちて
宇宙全体が音になりながら
ひとにはそれが聞こえない瞬間
そうした沈黙が一座を支配した
沈黙は容易にやぶれそうになかった
その瞬間
鉢巻をしてよい痴れた真柱が
盃と徳利とをもって
「ワッハッハッハッ」と
大声で笑いながら立ち上がった
「ようきぐらし!
 ようきぐらし!」
真柱は頭をたたいて一廻転した
一座はまたもとのざわめきに返った
何だ?
何でもないんだ
何でもないんだ
「ワッハッハッハッ」
どこかで小さくまた笑うものもあった

[やぶちゃん注:「真柱」は「しんばしら」と読み、天理教及び教会本部を統括する役職。真柱は「教祖の血統者の系譜に基づき、本部員会議において推戴する」とされ、現在まで教祖中山みきの子孫が世襲している。「ようきぐらし」とは、天理教のHPの「教え」の「陽気ぐらし」には以下のように記されている(段落を排除させて頂いた)。『私たちのからだはどうなっているのか、科学の発達が、次々に細部まで明らかにしてくれました。とりわけ、遺伝子に関する研究が長足の進歩を遂げ、驚かされるばかりです。考古学は考古学で、人類の歴史をどんどんさかのぼり、一枚また一枚とベールをはがしていきます。どこまでもミクロの世界へ、どこまでも太古の世界へ。探求心旺盛な人間のことですから、人類は「いつ」「どのようにして」つくられたのか、その情報はもっともっと私たちの手元へ届けられることでしょう。しかし、どうしても分からないことがあります。それは、人間は「誰が」「なんのために」つくったのか、ということです。それは、人間を創造した「元の親」に尋ねる以外に術はないのでしょうか。教祖が自ら筆を執られた書き物に、「月日(神)には人間創めかけたのは、陽気遊山が見たいゆえから」とあります。人間が陽気ぐらしするのを見て、神も共に楽しみたい、というわけです。各自勝手の陽気ではなく、ほかの人々を勇ませてこそ真の陽気とうたわれます。それは、互いに立て合いたすけ合うこと。人間はそれぞれ異なります。そのそれぞれの個性を持った人間が、互いに良いところを伸ばし合い、足りないところは補い合って、たすけたりたすけられたりしながら、共に生きることをいいます。陽気ぐらしこそが、私たち人間の生きる目的なのです』。ここで考古学が特に挙げられているのが面白い。]

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