酒詰仲男先生の卒業論文がJ.M.シング“Riders to the Sea”であったという僕の驚き
僕の父の考古学の師であった酒詰仲男先生は、実は同志社大学英文科卒である。それは先生の土岐仲男名義の詩集「人」にも示した通り、知っていたが、今回、先生の御子息で甲南女子大学のフランス文学教授であられる酒詰治男先生から父に贈られた資料を借りて読み、不思議の感に打たれたことがいくつかある。
先生は特高の拷問を受けて前歯を4本折られたのであるが、その容疑が、かの右翼に刺殺された生物学者山本宣治の一グループと疑われたためであったこと、それで開成中学校英語教諭の職を解かれたこと、その後に考古学への道を歩まれた際に、國學院大學文学部史学科の学生たちと交流を持って発掘調査に従事したこと(僕は國學院大學文学部文学科卒である)など、興味深く読んだのであるが、特に酒詰仲男先生の英文科の卒業論文がJ.M.シングの“Riders to the Sea”(「海に騎り行く者たち」)であったという酒詰治男先生の文章を読んで、正直、吃驚したのである。
僕はアイルランドの作家シングが大好きである。搦め手からのアプローチではあるが、既に芥川龍之介の愛した『越し人』片山廣子訳のシングの「聖者の泉」、芥川龍之介の著作中、レア物である「シング紹介」もテクスト化している(どちらも、ネット上でのテクスト化は僕が最初のはずである)。廣子は後にシングの戯曲全集の翻訳群があり、勿論、この“Riders to the Sea”も「海に行く騎者(のりて)」として納められている。因みに芥川龍之介の生涯の畏友恒藤恭(当時の姓は井川で、京都大学法学部へ進学していた)は、芥川の勧めで第三次「新思潮」に載せるために正にこのシングの“Riders to the Sea”を「海への騎者」 として翻訳してもいるのである。
――父の遠い昔の師酒詰仲男先生が二重螺旋のように僕に繋がっておられるような気がして、正に不可思議な感に強く打たれた――