愛蘭土の詩を語つてくれる老人は、私がその中から作つた幾つかの飜譯を妙に喜んでゐる。彼の云ふ處では、私がそれを讀んでゐる間、聞いてゐるにも少しも退屈せず、それ等は古い詩の方よりずつと立派ださうである。
これは、その中の一つだが、私は出來るだけ愛蘭土語に近く飜譯してみた。――
ルカード・モール
私は破滅の悲しみを不運ゆゑと諦める、
否むは不幸となるだらう。
それはわが身につきまとふ、
淋しさゆゑの憂き歎き。
さすらひの身となつたのも、
持ち物すつかり失くしたのも、
みんな妖精達の成した業。
こんなむごい振舞ひが私に爲されたのは、
マニスティル・ナ・ルアイエであつた。
フィン・ヴァラやその一味の妖精が、
私の可愛い馬を鞄の下からつれて行つた。
皮を殘して行つたなら、
三月分(みつきぶん)の煙草錢にはなる物を、
殘して行つたものとては、
此の年とつた僕(しもべ)ばかり。
可哀さうぢやないか私は?
思ひ切れないあの牝馬、
まだ馬代は拂はれず、
淋しさ辛さ憂き歎き。
山でも谷でも愛蘭土の、
一番高いとりでの上も、
くまなく牝馬を探したが、
私の歎きは盡きはせぬ。
朝は早目に起き出でて、
パイプに赤い火をつけて、
嬉しいことを聞くために
クノック・モイエへ行つてみた。
私の牝馬を取り戻す
よい手立はないものかと
そこの人達に聞いてみた。
なければ考へなほさうと。
「御存じないか、ルカード・モール?
お前の牝馬は此處には居ない。
男の妖精に連れられて、三月前、
グレナスモイルに行つたのだ。」
私は道を大急ぎ
まつすぐ駈けて行つたらば、
お晝にならぬその先に
グレナスモイルに行き着いた。
私の牝馬を取り戻す、
よい手立はないものかと
男の妖精に聞いてみた。
なけれぼ考へなほさうと。
「御存じないか、ルカード・モール?
お前の牝馬は此處には居ない。
笛吹く騎手に連れられて、三月前、
クノック・パワー・ブリシュロ-ンに行つたのだ。」
私は道を大急ぎ
まつすぐ駈けて行つたらば、
日もとつぷりと暮れた頃、
クノック・パワー・ブリシュローンに行き着いた。
其處には大勢人が居て
皆んな手袋編んでゐる
編み手のやうに思はれた。
こんな處で噂を人は聞くだらう。
私の牝馬を取り戻す、
よい手立はないものかと
騎手の男に聞いてみた。
なければ考へなほさうと。
「御存じないか、ルカード・モール?
お前の牝馬は此處には居ない。
クノック・クルーハンの宮殿の
裏のはづれにそれは居る。」
私は道を大急ぎ
まつすぐ駈けて行つたらば、
休みもしないで、私は、
宮殿の前に行き着いた。
其處には大勢人が居て、
男も女も國中の
人が皆んな集まつて、
お祭り騷をやつてゐた。
アーサー・スコイル(?)が立上り、
音頭を取つて初めれば、
皆んな面白さうだ、愉快だ、活潑だ、
私も一緒に踊り出さうとした程に。
足をぱつたり踏み止めて、
皆んなは笑ひ出してゐた。――
「御覧よ、ルカード・モールを、
あいつは小さい牝馬を探してゐるんだ。」
私が話しかけたのは
醜い顏のこぶ男、
牝馬を出さねば肋骨を
折つてやらうと思つてた。
「御存じないか、ルカード・モール?
お前の牝馬は此處には居ない、
私の母に手綱をとられ、
レンスターのアルビンへ行つたのだ。」
私は道を大急ぎ
レンスターのアルビンヘやつて來た。
其處で婆さんに出逢つたが――
私の言葉を聞いて喜ばぬ。
私は婆さんに尋ねたが、
英語でどんどん云ひ出した。
「行つてしまへ、馬鹿野郎、
お前の云ふことが氣に食はぬ」
「これこれもうし、お婆さん、
私に英語はよしてくれ、
誰が聞いてもわかるやうな、
言葉で私に話してくれ。」
「牝馬のことなら教へてもよいが、
お前の來方が遲かつた。――
私は昨日あの馬で、
コナル・カーに鳥打帽子を造つてやつた。」
私は道を大急ぎ
寒い汚い思ひして、
男の妖精に出くはした。
彼はルアイエで寢轉ろんでゐた。
「牛を失くした奴は可哀さう。
羊を失くした奴も可哀さう。
だが、馬を失くした奴だけは
世界の遠くへ行かねばならぬ。」
*
The
old man who tells me the Irish poems is curiously pleased with the translations
I have made from some of them.
He
would never be tired, he says, listening while I would be reading them, and
they are much finer things than his old bits of rhyme.
Here
is one of them, as near the Irish as I am able to make it:--
RUCARD MOR
I put the sorrow of destruction on the bad luck,
For it would be a pity ever to deny it,
It is to me it is stuck,
By loneliness my pain, my complaining.
It is the fairy-host
Put me a-wandering
And took from me my goods of the world.
At Mannistir na Ruaidthe
It is on me the shameless deed was done:
Finn Bheara and his fairy-host
Took my little horse on me from under the bag.
If they left me the skin
It would bring me tobacco for three months,
But they did not leave anything with me
But the old minister in its place.
Am not I to be pitied?
My bond and my note are on her,
And the price of her not yet paid,
My loneliness, my pain, my complaining.
The devil a hill or a glen, or highest fort
Ever was built in Ireland,
Is not searched on me for my mare;
And I am still at my complaining.
I got up in the morning,
I put a red spark in my pipe.
I went to the Cnoc-Maithe
To get satisfaction from them.
I spoke to them,
If it was in them to do a right thing,
To get me my little mare,
Or I would be changing my wits.
'Do you hear, Rucard Mor?
It is not here is your mare,
She is in Cnoc Bally Brishlawn
With the fairy-men these three months.
I ran on in my walking,
I followed the road straightly,
I was in Glenasmoil
Before the moon was ended.
I spoke to the fairy-man,
If it was in him to do a right thing,
To get me my little mare,
Or I would be changing my wits.
'Do you hear Rucard Mor?
It is not here is your mare,
She is in Cnoc Bally Brishlawn
With the horseman of the music these three months.'
I ran off on my walking,
I followed the road straightly,
I was in Cnoc Bally Brishlawn
With the black fall of the night.
That is a place was a crowd
As it was seen by me,
All the weavers of the globe,
It is there you would have news of them.
I spoke to the horseman,
If it was in him to do the right thing,
To get me my little mare,
Or I would be changing my wits.
'Do you hear, Rucard Mor?
It is not here is your mare,
She is in Cnoc Cruachan,
In the back end of the palace.'
I ran off on my walking,
I followed the road straightly,
I made no rest or stop
Till I was in face of the palace.
That is the place was a crowd
As it appeared to me,
The men and women of the country,
And they all making merry.
Arthur Scoil (?) stood up
And began himself giving the lead,
It is joyful, light and active,
I would have danced the course with them.
They drew up on their feet
And they began to laugh,--
'Look at Rucard Mor,
And he looking for his little mare.'
I spoke to the man,
And he ugly and humpy,
Unless he would get me my mare
I would break a third of his bones.
'Do you hear, Rucard Mor?
It is not here is your mare,
She is in Alvin of Leinster,
On a halter with my mother.'
I ran off on my walking,
And I came to Alvin of Leinster.
I met the old woman—
On my word she was not pleasing.
I spoke to the old woman,
And she broke out in English:
'Get agone, you rascal,
I don't like your notions.'
'Do you hear, you old woman?
Keep away from me with your English,
But speak to me with the tongue
I hear from every person.'
'It is from me you will get word of her,
Only you come too late—
I made a hunting cap
For Conal Cath of her yesterday.'
I ran off on my walking,
Through roads that were cold and dirty.
I fell in with the fairy-man,
And he lying down in the Ruadthe.
'I pity a man without a cow,
I pity a man without a sheep,
But in the case of a man without a horse
It is hard for him to be long in the world.'
[やぶちゃん注:栩木氏は主人公の名を『リカード・モア』と音写されている。本詩ではゲール語の架空と思われる地名が多く出現するが、その殆どが音写されるばかりで分かり難い。以下、地名の意味の多くを栩木氏の訳に頼った。引用部はすべて引用であることを明記した。
「マニスティル・ナ・ルアイエ」原文“Mannistir na Ruaidthe”。栩木氏は『ルア修道院村』と訳されて、ルビで『マナスター・ナ・ルア』と音写されている。英語で男性の修道院は“monastery”で、自動翻訳機にこれを掛けるとゲール語で“mainistir”と出る。“n”がダブっているが、確かにこれである。但し、“Ruaidthe”という地名は同定出来なかった。
「私の可愛い馬を鞄の下からつれて行つた。」原文も“Took my little horse on me from under the bag.”となっているが、この日本語は意味不明だ。これは何かの性的なスラングなのではないか? 栩木氏は『おれのかわいい牝馬攫(さら)い、残ったものはずだ袋ひとつ。』と訳されておられる。この訳は、勿論、腑に落ちる。“on me from under the bag”というのがそうした英語の慣用句なのだと言われれば腑に落ちねばなるまい。なるまいが、それでも何となくやっぱり腑に落ちない部分が残る。それはそもそものこの詩全体の持つ、何やらんぷんぷんする性的なメタファー臭によるものなのかも知れない。怪しげな修道院村――悪の妖精どもに奪われた私の可愛い牝馬――その牝馬への異常な思い切れない愛情の連綿たる告解――「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」みたような永遠に漸近線的にすれ違いするルカード・モールと牝馬――鳥打帽(馬の皮製)に加工される牝馬というサディスティックなコーダ――最終章の謎めいた男の妖精王(次注参照)のノストラダムス見たような呪言……牝牛……皮――これはフランス民話に現れる『皮っ子』のモチーフと何らかの関係を持っているのではないか? 則ち、これらのシンデレラ型に類似した美女流離譚にあっては、ヒロインは自身の美貌を隠すために「牝牛の皮」を被って醜く変装するするのである――私は西洋の昔話に疎いのでこれが限界である……しかし、何故か知らないが、私はこの詩を読んでいると、なにやらん、あやしくものぐるほしくなってもくるのである……
「フィン・ヴァラ」前掲したミユシャ氏のHP「妖精辞典 夜明けの妖精詩」に、アイルランドのコナハト地方の妖精の王とあり、「神様コレクション@wikiフィンヴァラ」には、『ケルト神話の神。ダグザに妖精の王を命じられ、妖精の最高王となった。地方の女王たち(クリオズナ、イーヴィン、アーネ)を従える。キルワン王の妻エタインを誘拐したこともあるが無傷で返し』、『キルワン家の後援者にして守護霊となった』とある。どうもフィン・ヴァラには女性誘拐癖があるらしい(それを配下に用いるためか)。女王たちを統括するとあるが、フィン・ヴァラ自身は男性の妖精である。前の注で述べた通り、最終場面で実際に彼フィン・ヴァラが登場する。彼が妖精の王ならば、やはり最終連の呪言は重いメタファーを含んでいると読むべきである。
「此の年とつた僕(しもべ)」“the old minister”。年老いた司祭。ということは、ルカード・モールは『ルア修道院村』(栩木氏訳)の実質的な最高実力者若しくは村長(むらおさ)ででもあったものか。
「思ひ切れないあの牝馬、」“My bond and my note are on her,”。姉崎氏の訳は恐らく、“bond”を絆、“note”を大事な存在の意で採り、意訳したものと思われる。但し、前の一切合財持って行かれてすっからかんという事実の提示と、次のフレーズの『まだ馬代は拂はれず』の極めて現実的な物謂いから考えると、この“bond”は「債券」、“note”は「約束手形」か「紙幣」(有り金)を意味していると考えた方が自然か(栩木氏も『公債証書』と『現金』で訳しておられる。しかし、一読、姉崎氏のセンチメンタルな訳も捨て難くはある。
「クノック・モイエ」原文“Cnoc-Maithe”。現在のアイルランドのメイヨー郡の町“Knock”(クノック)があるが、“Cnoc”は一般名詞で「丘」の意だから、こことは言えない。この町は現在、ゲール語で“Cnoc”“Cnoc Mhuire”と綴る。一見、“Mhuire”は似ているが、「聖母マリア」のことで違う。因みに、メイヨー郡のクノックは1879年8月21日に聖ヨセフ・聖ヨハネそして聖母マリアが顕現したという伝承で知られる町であるが、老人の古歌はもっと古い時代のものと思われる。同定不能。栩木氏は『秤山』とし、『クノック・マー』と音写されている。丘であること、文脈からもこれは妖精の棲む丘なのであろう。
「私の牝馬を取り戻す/よい手立はないものかと/そこの人達に聞いてみた。/なければ考へなほさうと。」は、栩木氏の訳は丘の妖精の中に牝馬を奪った奴がいるという感じで、遙かに指弾的な強い物言いの訳となっている。人と妖精の丁々発止が面白い。是非、比較してお読みあれ。
「ゲレナスモイル」栩木氏は『焼き枯れ谷』と訳し、『グレナスモル』と音写されている。先の「クノック・モイエ」同様、妖精の棲家で、実際の地名ではないのであろう。
「クノック・パワー・ブリシュロ-ン」栩木氏は『昼飯砦山』と訳しておられる。同様に妖精の棲家であるが、ここは世界中の国に散らばっている妖精たちの集合地であるようだ。(次注参照)
「皆んな手袋編んでゐる」該当箇所は三行目の“All the weavers of the globe,”であるが、これは “weavers”の「織工」から“globe”を「手袋」としてしまった誤訳である。これは「全世界」「地球」の「織り手」たち総てが、この「ゲレナスモイル」に集まっている、だからここには私の牝馬の行方を噂として知っている人間が必ずいるはずだと、私が思うシーンである。そうすると「世界中の織り手」というのは、世界のあらゆる国の話の織り手(ストーリー・テラー)の妖精が集まっているということを言うか? 栩木氏もそのように訳されておられる。
「クノック・クルーハン」栩木氏は『焼き入れ山』と訳し、『クノック・クルアハン』と音写されている。これも妖精の棲家であろうが、宮殿とあるから、妖精の王若しくは女王の居る場所らしい。
「アーサー・スコイル(?)」この「?」は“Arthur Scoil (?)”と原文にあるもの。聞き書きの際、若しくは後に「アラン島」を活字化した際に、綴り又は記憶が不確かであったということ示しているようである。
「こぶ男」“humpy”。背むし男。脊椎奇形である。
「レンスターのアルビン」“Alvin of Leinster”「レンスター」(ゲール語 Laighin,
Laigin)はアイルランドの東岸に位置し、現在はウィックロー州をはじめとして12の州からなる、アイルランドの産業の中心地。「アルビン」不詳。因みに、アルビンという名(人名)の語源は「妖精の友」である。
「コナル・カー」不詳。妖精にカーという名の者がいるが、これは女性であるので違う。
「牛を失くした奴は可哀さう。/羊を失くした奴も可哀さう。/だが、馬を失くした奴だけは/世界の遠くへ行かねばなちぬ。」“'I pity a man without a cow,/I pity a man
without a sheep,/But in the case of a man without a
horse/It is hard for him to be long in the world.'”。これは騎馬民族に於ける馬の霊性を示すものであると同時に、不吉な言上げである。牛や羊を亡くしても哀しむばかりで、その内、忘れっちまうが、馬を亡くすと、その激しい悲しみ故に死に至る、というのである。則ち、ルカード・モールは、妖精の言葉を聞いた時、自分が死を免れないことを悟ったのだ――いや、そもそもが妖精の棲家を彷徨した彼は、既にして――愛する牝馬を奪われたその直後に――死んでいるのではなかろうか? だからこそ、牝馬が攫われた後には何もかもが消え去り、残ったのは――ルカード・モールに引導を渡す司祭だけだったのではあるまいか? またここは、ケルトの古形にあっては、死んだ馬は世界の果てへと人を導く霊界の使者であると読み替えることも出来るのではあるまいか。私のこの見解はただの勝手な想像である。大きな誤りがある場合は、是非とも識者の御斧正をお願いしたい。
この長詩もオリジナルに訳したい欲求に駆られるが、栩木氏の謡曲のような「~着きにけり」が現代文に交る独特の名訳を越えることは難しそうなので、涙を呑んでやめる。栩木氏の訳書をお読みあれ(しかし、この全文を謡曲に擬古文化してみたい欲求は抑えられぬ。今度、私だけの手慰みのためだけにやってみようとは思っている)。]