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カテゴリー「ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」【完】 」の86件の記事

2012/04/09

ブログ360000アクセス及び藪野直史野人再生記念 『ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部』(ウィリアム・バトラー・イェイツ挿絵 附やぶちゃん注)公開 「アラン島」全巻完結!

4分前、滋賀のリモート・ホストの

2012/04/09 21:16:32 Blog鬼火~日々の迷走: 自然界最強の毒は?

を訪問されたあなたが2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、僕の記念すべきブログ360000アクセス者でした。

ありがとう――

ついては――

ブログ360000アクセス及び藪野直史野人再生記念として――

 『ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部』(ウィリアム・バトラー・イェイツ挿絵 附やぶちゃん注)を公開した。

これを以ってシングの「アラン島」は全巻完結した。

自在な野人ならではのアップ・トゥ・デイトな公開が出来たことを、僕は嬉しく思う。

今後とも超在野人(スーパーサイヤ人)藪野直史のHPとブログ――御笑覧あれかし――

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」 訳者あとがき及び復刊の辞

[やぶちゃん注:以下、底本岩波文庫の最後に附された訳者姉崎正見氏の「あとがき」及び「復刊にあたりて」を添えて終わりとする。]

 

     あとがき

 

 愛蘭土の劇作者ジョン・ミリングトン・シング(John Millington Synge, 18711904)は劇作のほかに、幾つかの散文の作品を殘してゐる。それ等は主に愛蘭土の諸地方を旅行して書いた紀行乃至隨筆であるが、その中でも此の「アラン島」(The Aran Islands)は比較的初期のもので、彼の生涯に於ける重要な轉換期に書かれたといふ點に於いて、また書かれた土地が歐洲の西端にある孤島として近代文化からかけ離れた特殊な風俗人情を持つてゐるといふ點に於いて興味あるスケツチとして珍重される。

 彼がアラン島に來たのは先輩イェーツの同情的な勸告に從つたと云はれるが、愛蘭土の一方言ゲール語を習ふこともまた一つの目的であつた。一八九八年五月彼がアランの一島アランモアに來て島民たちと寢食を共にする生活にはひつてみると、その荒涼たる岩石から成る島の間に營まれてゐる彼等の生活の中には、古代ゲール族から殘されて來たと思はれる純樸な風俗、剛健な氣風、古い傳説や迷信などがあるのを發見した。比の發見は又一面に於いて彼自身の藝術的才能の素地を發見したとも云へるので、その後、彼が劇を作るに當つて此のアラン滯在中に得た見聞が如何に役立つたかは、その劇、例へば The Shadow of the Glen Rider to the Sea 等の中の插話や事件や登場人物までも「アラン島」中の隨所に認められるに依つても明かである。

 此の旅行記は全體が四部から出來てゐるが、第一部は最初の滯在、即ち一八九八年の滯在の時の事を、第二部はその翌年、第三部は又その翌年、第四部はそれから更に一年置いて一九〇二年の滯在の時を書いたものである。そして各部は一年乃至三年の後、何れ愛蘭土や英國の雜誌に寄稿され、一九〇七年に一册にまとめられて「アラン島」と題して出版された。

 原文中、島民の會話には所謂アングロ・アイリッシュが多く使つてあるが、私は強ひてそれを是の日本の特定地方の方言に寫て表現して見るやうなことをせず、普通の口語に譯するに止めた。殊に民話には背景に傳説が含まれてゐると思はれるものがあるが、それを精細に調べるのは私の力の及ぶ所でなかつたのでそのまま散文體にした所もある。讀者の寛恕を乞ふ。

 また此の譯を爲すに當つて、野上豐一郎先生の御世話になり、ゲール語は市河三喜博士、特に勝田孝興氏の御助力を仰いだ事を附記して、此處に感謝の意を表する次第である。

   昭和十一年十月       譯 者

 

[やぶちゃん注:「市河三喜」(いちかわさんき 明治191886)年~昭和451970)年)は英語学者。東京帝國大学名誉教授。日本英語学の祖と呼ばれる。

「勝田孝興」(かったたかおき 明治191886)年~昭和511976)年)はアイルランド文学者・語学者。東京帝国大学英文科卒業後、1925年より二年間、文部省から推薦されてアイルランドに留学、後、旧制神奈川県立横須賀中学校(現在の横須賀高等学校であるから、同県の高校教師であった私にとっては先輩に当たる)教諭や旧制山形高等学校(現在の山形大学)の各教授を経て同志社大学教授、戦後は滋賀大学教授、大阪工業大学教授となった。アイルランド文芸復興運動に関わる演劇及びアングロ・アイリッシュの発音に関する研究を専門とした(以上はウィキの「勝田孝興」に基づく)。]

 

 

 

   復刊にあたりて

 

 久しく絶版になつていた本書は、戰爭後再び世に現はれた。丁度、今年はシングの死後五十年に當るのも、何かの意義があるような氣がする。

 此版で内容は少しも改訂はしなかつた。序文の「アラン島について」の野上先生の文もそのまま載せて頂いた。今は亡き先生の本書に對する御好意の記念として。

   昭和三十四年四月廿二日   譯 者

 

[やぶちゃん最終注:本テクストへの注釈に当たっては、元同僚の英語教師や海外で活躍する元教え子の協力を得た。ここに挙げて感謝の意を表する。……さて、私が底本とした私の所持する岩波文庫版の最後のページの下に、私は本書を買った日附を記している。それは「1979.7.3.」である。私が神奈川県の高等学校教員になって丁度三ヶ月後の夏、私はこの本に出逢ったのであった……

……その頃、私はいまだ22歳であった……

……そして、妻と一緒に44歳の私はアラン島へ行った……

……さても、本書入手の33年の後に……

……まさか、野に下った55歳の私が……

……この姉崎正見氏訳「アラン島」を英語の原文と暴虎馮河のオリジナル注を附して全世界に発信しようなんどとは……

……想像だにし得なかった……

――姉崎先生、心より、ありがとう御座いました。――

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (22) 本文完結

 皆が行つてしまふと、私は暫く、酒場の椅子に腰掛け、愛蘭土語の新聞を讀んでゐる幾人かの靑年たちと話をした。それから學者と二人の物語師――二人共老人で船乘り――と一緒に物語や詩を書き寫しながら、長い夜を過した。殆んど六時間近くを勉強したが、事柄を段段と調べれば調べるほど、此の老人達は多くを憶ひ出してくるやうであつた。

 「私は今夜、漁に出かける筈だつたのだ。」さう云つて一人の若者がはひつて來た。「併し、私はあなたに來ると約束をした。あなたは禮儀正しい人だから、私は約束を破るよりも五ポンドを捨てることにした。さあ、」――ウィスキーの盃を取り上げながら――「あなたの健康を祝します。グスベリの木であなたが棺を造るまで、またお産の床であなたが死ぬまで、生きていらつしやるやうに。」

 皆も私の健康を祝つて飮み、また我我の勉強が初つた。

 「あなたは詩人のマックスウィニーの話を知つてゐますかね?」と私の傍に坐つて、その男が聞いた。

 「ゴルウェーの町で聞いた事がある。」私は答へた。

 「さうかね、」彼は云つた。「『盛んな結婚式』といふ一篇をあなたに話してみよう。それは美しい一篇で、知つてゐる人は澤山ないだらうから。田舍に、或る可憐な召使の娘がゐて、その娘が或る可憐な召使の男の子と結婚した。マックスウィニーは二人を知つてゐたが、その時、遠方にゐて、歸るまで一ケ月かかつた。歸つて來ると、彼はペギー・オハラ――娘の名をさう云つた――に逢ひに行き、盛大な結婚を擧げたかと聞いた。ペギーはほんの中位であつたと答へ、矢張りよく忘れずにゐたと見えて、戸棚にウィスキーの瓶をしまつておいた。彼は爐邊に坐り、ウィスキーを飮み初めた。二三杯飮んでしまつて、爐で温かくなると、一つの歌を作り初めた。それがペギー・オハラの結婚式について作つた歌なのだ。」

 

 

When they had gone I sat for a while on a barrel in the public-house talking to some young men who were reading a paper in Irish. Then I had a long evening with the scholar and two story-tellers--both old men who had been pilots--taking down stories and poems. We were at work for nearly six hours, and the more matter we got the more the old men seemed to remember.

'I was to go out fishing tonight,' said the younger as he came in, 'but I promised you to come, and you're a civil man, so I wouldn't take five pounds to break my word to you. And now'--taking up his glass of whisky--'here's to your good health, and may you live till they make you a coffin out of a gooseberry bush, or till you die in childbed.'

They drank my health and our work began.

'Have you heard tell of the poet MacSweeny?' said the same man, sitting down near me.

'I have,' I said, 'in the town of Galway.'

'Well,' he said, 'I'll tell you his piece "The Big Wedding," for it's a fine piece and there aren't many that know it. There was a poor servant girl out in the country, and she got married to a poor servant boy. MacSweeny knew the two of them, and he was away at that time and it was a month before he came back. When he came back he went to see Peggy O'Hara--that was the name of the girl--and he asked her if they had had a great wedding. Peggy said it was only middling, but they hadn't forgotten him all the same, and she had a bottle of whisky for him in the cupboard. He sat down by the fire and began drinking the whisky. When he had a couple of glasses taken and was warm by the fire, he began making a song, and this was the song he made about the wedding of Peggy O'Hara.'

 

[やぶちゃん注:以下、底本では続くが、原文では行空けがある。

「學者」は注既出の通り、「郷土史研究家」。「物語師」は「語部」と訳したい。私は約束を「あなたは禮儀正しい人だから、私は約束を破るよりも五ポンドを捨てることにした。さあ、」原文は“you're a civil man, so I wouldn't take five pounds to break my word to you. And now”で、これは別に彼が漁に出ていれば、その収穫で「五ポンド」を手に入れていた、それを捨てた、という意味では、あるまい。「あんたは礼儀正しい人だ、だからどんなことがあったって――たとえ誰かが俺に五ポンドくれてやると言ったとしたって――俺は約束を破らねえ、さあ、」という意味である。

「グスベリの木であなたが棺を造るまで、またお産の床であなたが死ぬまで、生きていらつしやるやうに。」 “and may you live till they make you a coffin out of a gooseberry bush, or till you die in childbed.'”「グスベリ」はグース・ベリーでバラ目スグリ科スグリ属セイヨウスグリRibes uva-crispa。漢字では「西洋酸塊」と書く。和名の異名はマルスグリ・オオスグリ。イギリスでは音写すると一般には「グズバリ」。甘い果実をジャムに加工する。3メートルほどの落葉低木でとても棺桶の材料にはなりそうもない。なりそうもないから長寿の祝言となるのではなかろうかと推測する。「お産の床であなたが死ぬまで、生きていらつしやるやうに」とは、あなたが死ぬとすれば――それはあなたが生まれたばかりの時、ベビー・ベッドの中で死ぬまで――あなたの死はやってこない――あなたは今や大の大人になってぴんぴんしている――だからあなたに死はやってこない」という論理矛盾を用いた長寿の祝言と読む。

「詩人のマックスウィニー」“the poet MacSweeny”。シングも知っているからアイルランドでは相応に有名な吟遊詩人なのであろうが、不詳。識者の御教授を乞う。]

 

 

 

 彼はその詩の英語と愛蘭土語の兩方を持つてゐたが、それは何處にでもあり、且つ他の通俗詩人の作と看做されるれてゐるので、此處に掲げる必要もないであらう。

 私たちもう一遍、黑ビールやウィスキーを一廻りさせた。そしてマックスウィニーの結婚式の詩を持つてゐた老人は酒飮みの歌の一篇を見せてくれた。學者はこれを書き寫し、後で私が彼と一緒に飜譯した。――

 

 

He had the poem both in English and Irish, but as it has been found elsewhere and attributed to another folk-poet, I need not give it.

We had another round of porter and whisky, and then the old man who had MacSweeny's wedding gave us a bit of a drinking song, which the scholar took down and I translated with him afterwards:--

 

[やぶちゃん注:以下、底本では行空けがあるが、原文では続く。

「彼はその詩の英語と愛蘭土語の兩方を持つてゐた」は、言わずもがなであるが、「彼はその詩を英語とアイルランド語の両方で歌うことが出来た」という意。「酒飮みの歌の一篇を見せてくれた」も同様に「酒飲み歌の一節(ふし)をかまして呉れた」の意。ここにきて全体に姉崎氏にはちょっと訳の生硬さが目立ってくる。どうされたのだろう。]

 

 

 

 「お婆さんがベアラカで、のろまな男に出逢ふと、こんな事を云ふ。――

 「お前さんは前に、蒸溜所に行つて其處から一杯ひつかけた事があるかね? 葡萄酒でもビールでも、それほどおいしい物はない。だが、飮んだ後、私がスローパーさんの爐の傍で倒れた時、火傷しなかつたのは何よりだつた。

 「オーエン・オハーノンを愛蘭土一のお醫者さんと、私は褒める。大麥の中へ水をさし、その中へ藥を入れるのはあの人だ。

 「若しその一滴だけでも、杖をついて世の中を歩く婆さんにやつたなら、素晴らしい安息所が出來たと、お婆さんは一週間ぐらゐは考へるだらう。」

 

 

'This is what the old woman says at the Beulleaca when she sees a man without knowledge--'Were you ever at the house of the Still, did you ever get a drink from it? Neither wine nor beer is as sweet as it is, but it is well I was not burnt when I fell down after a drink of it by the fire of Mr. Sloper.

'I praise Owen O'Hernon over all the doctors of Ireland, it is he put drugs on the water, and it lying on the barley.

'If you gave but a drop of it to an old woman who does be walking the world with a stick, she would think for a week that it was a fine bed was made for her.'

 

[やぶちゃん注:「ベアラカ」“Beulleaca”不詳。

「オーエン・オハーノン」“Owen O'Hernon”不詳。

「大麥の中へ水をさし、その中へ藥を入れるのはあの人だ。」原文は“it is he put drugs on the water, and it lying on the barley.”。これは「オオムギの中で寝かせて造る――そんでもって出来たそのヤクは――こっそり仕込むんだ、水ん中――」と言ったニュアンスではなかろうか? また、これは私の直感であるが、オオムギに生じた麦角アルカロイドの抽出とそこから精製した堕胎薬を指しているように思われる。麦角菌はバッカクキン科バッカクキン属Clavicepsに属する子嚢菌の約五十種の菌類の総称。特によく知られる種は Claviceps purpurea でオオムギ・ライ麥・コムギ・エンバクなど多くの穀物に寄生し、本種が作る菌核は黒い角状或いは爪状を呈し、西洋では「悪魔の爪」などとも呼ばれる。この麦角の中には麦角アルカロイドと総称される物質は含まれており、これは麦角中毒という循環器(血管収縮による手足の壊死)や神経系(手足が燃えるような異感覚)に対する様々な毒性を示し、脳への血流の不足による精神異常・痙攣、意識不明から死に至ることもある。子宮収縮による流産なども引き起こすが、そこから古くは微量の麦角が堕胎や出産後の止血剤としても用いられた(以上はウィキの「麦角菌」に依った)とあり、この「藥」はカトリックが厳しく断罪する堕胎のための秘薬の謂いではなかろうか? 更に言えば、最後の歌は一種の姥捨伝説を語っており、精製したアルカロイドを一振り盛れば、免疫機能の低下した老人ならば一週間程度で死に至るということ、麦角アルカロイドによる毒殺を暗に意味しているのではなかろうか? とすれば――この最初の歌は……強いスピリッツを殺したい奴に酔うまで飲ませて、後は暖炉のそばに放置して置けば、過失による焼死で処理される、という完全犯罪のススメの意が隠されているのではなかろうか?! 私のとんでもない誤解かも知れない。識者の御教授を乞うものである。]

 

 

 

 その後で私はヴァイオリンを取り出さして、皆がウィスキーを飮んでゐる間、幾つかの曲を彈かねばならなかつた。今朝は、黑ビールの新らしい貯藏品が部屋の下の酒場に出された。私たちの話す合間に、中の島から來た人達をもてなす爲に來てゐる幾人かの男たちが色色の歌を歌つてゐるのが聞こえてゐた。或る者は私の書いたやうな英語であつたが、大概の者は愛蘭土語で歌つてゐた。

 暫くして、一行が階下で解散すると、此の老人達は妖精達――それは少し行つた處に住んでゐる――を氣味惡がりながら、砂山を越えて立ち去つた。

 その翌日、私は汽船で出發した。

 

 

After that I had to get out my fiddle and play some tunes for them while they finished their whisky. A new stock of porter was brought in this morning to the little public-house underneath my room, and I could hear in the intervals of our talk that a number of men had come in to treat some neighbors from the middle island, and were singing many songs, some of them in English or of the kind I have given, but most of them in Irish.

A little later when the party broke up downstairs my old men got nervous about the fairies--they live some distance away--and set off across the sandhills.

The next day I left with the steamer.

 

[やぶちゃん注:これが“The Aran Islands”「アラン島」の掉尾である。栩木氏によれば、この第四回目のアラン離島は19011019日である。実はこれが最後ではなく、シングはこの一年後の19021014日から11月8日まで、五回目のアラン滞在を果たしており、実にシングは27歳の時から30歳になるまでの毎年、アランに「帰って」いたのであった。因みに、シングは最初のアラン訪問(1989年5月10日)の二年前、189725歳の時に血液の癌の一種“Hodgkin's lymphoma”ホジキンリンパ腫を発症していた(白血球中のリンパ球が悪性化する癌で、全身のリンパ節が腫れ、腫瘤が形成される。当時は有効な治療法はなかった。私の愛するルーマニアのピアニスト、ディヌ・リパッテイもこの病いのため、1950年、33歳で夭折している)。シングは1909年3月24日、様態が悪化、37歳の若さで帰らぬ人となった。

……アランの島人らが何時も心配していたこと……

……それはいつもシングの結婚のことであった……

……シングはこの亡くなる直前に……

……彼がディレクター兼アドバイザーをしていたダブリンの劇場アベイ座の女優モリー・オールグッドと婚約している……

2012/04/05

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (21)

 今夜、旅館の客間で、爐に火をともし、椅子を片隅に寄せて、踊りの會を催した。誰も司會者がなかつた。私はヴァイオリンで二つ三つの舞踏曲やその他の曲を彈いてしまつた時、私は皆が私の音樂をどの位に望んでゐるか、また誰か他に歌ひ或は音樂をする人があるか、わからなくなつたので、中止となつた。一寸の間、行詰まりが來たやうな氣がしたが、私のよく知つてゐる若い娘が此の窮境を見てとつて、會の進行係を引受けた。先づ最初に海上警察署の娘にハーモニカで踊の曲を吹くやうに賴んだ。その娘は直ぐに、それを立派な元氣と音律でやり遂げた。それから、小さな娘は私に何を選んでもよいから又彈いてくれと云つた。此のやうな調子で、彼女は家に歸らなければならないと思つた時まで今夜の進行係を續けてゐた。それから彼女は立上つて、私に愛蘭土語で禮を述べ、誰の方をも見ずに、戸口から外へ出て行つた。そして殆んど直ぐ後から、會衆の全部が續いた。

This evening we had a dance in the inn parlour, where a fire had been lighted and the tables had been pushed into the corners. There was no master of the ceremonies, and when I had played two or three jigs and other tunes on my fiddle, there was a pause, as I did not know how much of my music the people wanted, or who else could be got to sing or play. For a moment a deadlock seemed to be coming, but a young girl I knew fairly well saw my difficulty, and took the management of our festivities into her hands. At first she asked a coastguard's daughter to play a reel on the mouth organ, which she did at once with admirable spirit and rhythm. Then the little girl asked me to play again, telling me what I should choose, and went on in the same way managing the evening till she thought it was time to go home. Then she stood up, thanked me in Irish, and walked out of the door, without looking at anybody, but followed almost at once by the whole party.

[やぶちゃん注:以下は、原文では行空きはない。
「今夜、旅館の客間で、爐に火をともし、椅子を片隅に寄せて、踊りの會を催した。」原文は“This evening we had a dance in the inn parlour, where a fire had been lighted and the tables had been pushed into the corners.”である。この直前まで、シングは採録のためにイニシーア島(南島)へ行っていた。しかし、ここに登場するのは「旅館」はどうもイニシーアとは思われない。ここは島を離れる最後の宴の描写であり、本土への船はアランモアのキルローナンから出る。何より、この場面は我々に第一部の最初のシーンを容易に想起させよう。則ち、
『私はアランモアにゐる。泥炭の火にあたり、部屋の下の小さな酒場から聞こえて來るゲール語の話し聲に耳傾けながら。』
この描写は美事にこのエンディングの舞台と一致する。さすれば、この最後の宴の場所は、シングが「アラン島」の最初のシーンとして取り上げた、このアランモアの酒場の二階なのである。何と素晴らしい額縁であろう!
「海上警察署の娘」は注既出の通り、「沿岸警備隊員の娘」。]

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (20)

 私は彼に、中の島のパット・ディレイン爺さんを知つてゐるか、そして常に話す面白い話を聞いたことがあるか、と聞いた。

 「私ぐらゐあの人をよく知つてゐる者はないだらう。」彼は云つた。「私は時時、あの島の人達にカラハを造つてやりに行く事があるから。或る日、私が丁度新しいカラハにタールを塗つて居ると、彼は私の處へやつて來て、ズボンの膝頭に雨がしみないやうに少しタールを塗つてくれないかと云つた。

 私は刷毛を取つて、私が何をやつてゐるかわからないうちに、彼の足の所までタールを塗つてしまつた。『さあ、あつちを向いてごらん。何處でも今度は腰掛けられるだらう。』【と】私は云つた。するとタールが肉に熱く感じて來たので、私を怨み出した。惡い事をしちやつたと思つたね。」

 此の爺さんは愛蘭土の何處ででも出逢ふ快活な、茶目氣のある型の人で、イニシマーンに目立つた地方的の特質を持つてゐなかつた。

 私たちは語り疲れたので、私は手品のいくつかをやつてみせると、いくらか見物人が集まつて來た。皆んな行つてしまふと、今一人の老人が入れ代りにやつて來て、妖精に就いて語り初めた。或る晩のこと、彼が燈臺から家へ歸る途中、後から人が馬に乘つて來るやうな氣がしたので、立止つて待つてゐたが、誰も來ない。それから岩の上で、人が丁度馬を捉へてゐるやうな音が聞こえたが、直ぐ止んでしまつた。後の方でする物音は、行くに從つて段段大きくなつて來た。それは恰かも廿匹位の馬と思へたが、少しすると、百匹或ひは千匹の馬が後から驅足で來るやうであつた。道が盡きて踏段の處へ來ると、何か彼に突き當り、そして彼は岩の上に打ち倒され、手に持つてゐた鐵砲は身體より向うの野原に落ちてゐた。

 「私はその當時の受持の坊さんに、それは何だらうと尋ねてみたら、」彼は云つた。「それは墮落した天使だと云つた。さうより他にわからない。」

 「又或る時のこと、」彼は續けて云ふ。「私が、崖になつてその下に小さな穴のある處へ來かかると、その傍で或ひはその中で、笛の音が聞こえた。その時は、夜明け前だつたがね。とにかく、不思議なことはあるものだ。三十年前だつたが、或る晩、-人の男が來て、その人のお内儀さんがお産すると云ふので、私の女房を連れて行つた。

 その男は燈臺や海上警察署に何か關係を持つてゐて、プロテスタントだつたが、そんな事は何も信じてゐない人たちの一人で、我我を馬鹿にしてゐるのだ。さて、その男が私の女房の支度をしてゐる間に、一クォートの酒を取つて來てもらひたい、若し怖かつたら一緒に行つてやる、と云ふ。

 私は怖くないと云つて獨りで出かけた。

 その歸り途で、道に何かゐるやうだ。私も馬鹿でなかつたら、砂の上からためつすがめつ行くところだつたが、いきなりその方へ行つて、遂にそれに近よつた――つい餘り近より過ぎた――その時、「デ・ブロフンディス」[聖書の詩篇にある祈りの言葉で此處では魔除けの言葉として用ひる]と云へばこのやうな生き物は向つて來られないと、よく人が云ふのを憶ひ出したので、さう云つてみたら、件の物は砂原を越えて逃げて行つたので、私は家へ歸つた。

 道にゐたのは、年取つた牡の驢馬ぢやないかと、よくさう云ふ人もあるが、「デ・ブロフンディス」と云つたからとて、牡の驢馬が逃げて行つたといふ話はまだ聞いたことがない。」

 私は、中の島で開いた話であつたが、十字を切つたら消えたといふお化け船の話をした。

 「海の上には、不思議なことがある。」彼は云つた。「或る晩のこと、私は貴方にも見えるだらうが、あの下の方の靑くなつた所に居たら、一艘の船がはひつて來るのが見えた。あんなに岩に近づいて來て何をするのだらうと、不思議に思つてゐたが、それはまつ直ぐに私のゐた方へ向いてやつて來る。私はびつくりして、家の方へ逃げて行つたが、船長が私の逃げるのを見ると、進路を變へて、行つてしまつた。

 その頃、私は時時船乘りとして出かけることがあつた。――ただ二三囘出かけたに過ぎないが。さうだ、或る日曜のこと、大きな船が瀨戸にはひつて來たと人が云ふ。三人の男と一緒に驅け下りて、カラハに乘つて出かけた。わし等は船の居たといふ處まで來たが、一艘の船も居やしない。日曜で仕事はないし、おまけに晴れて靜かな日ではあるし、わし等は船を探しに遠く漕ぎ出て、遂に後にも先にも行つたことのない遠くまで來てしまつた。漕ぎ返さうと思つて、見ると、海の上に鳥の大群がゐる。それは全部黑い色で、白いのは一羽もゐない。鳥はわし等を少しもお恐れてゐる樣子がない。一緒の男たちは行かうと云ふので、もつと行き、殆んど觸れさうになる迄に近づくと、それがパット飛び立つた。[やぶちゃん注:「ト」はママ。]空が眞黑になるほど澤山だつた。そしてまた百ヤード、或ひは恐らく百廿ヤードも沖に鳥はまた下りた。わし等は又その後を追つかけ、一人の男は一羽を橈栓で殺さうと云ひ、もう一人は漕桿で殺さうと云ふ、私はそれ等はカラハを覆すのではないかと思つたが、他の男は尚追つかけて行きたがる。

 殆んど觸れさうになるまで近づくと、一人は櫂栓を投げ、もう一人は漕桿で打つた。すると二羽がカラハの中へ落ちて來て、そして舟は横樣に引つくり返り、若し海が全く靜でなかつたら、わし等は皆溺れただらう。

 思ふに、その黑い鷗と船は同じものだつたらう。それから後、私は船乘りとして出かけた事はない。カラハが船まで出かけて、船が居なくなつてしまふ事はよくある事だ。

 此の間、大島からカラハが一艘の船へ向つて出かけたが、船は居ず、カラハに居た人は皆溺れた事がある。後でそれを歌つた立派な歌が出來た。私はそれを聞いた事はないが。

 また或る日、此の島からだつたが、カラハが漁に出かけた。ところが、さう遠くない處に一艘の船が見えた。その人達はパイプの火を借りようと――その當時はマッチがなかつたので――その大きな船に近づくと、そのゐた場所から船がなくなつてゐたので、大そう恐ろしくなつたさうだ。」

 それから、彼は本土で聞いた話をした。それは或る男が夜、馬車を驅つて田舍を通つてゐると、一人の女に逢つた。その女はこつちの方へやつて來て、馬車に乘せてくれと云ふ。怪しい女と思つたので行過ぎて、少し行つてから後を振返つて見ると、一匹の豚が道の上に居て、女の人は誰も居なかつた。

 彼は一杯食はされたと思つたが、尚も行き續けた。それから森を通り拔けて尚進んで行くと、二人の男が一人づつ道の南側から出て來て、馬の手綱をしつかりと抑へ、馬を間に挾んで連れて行かうとする。その男と云ふのは粗い羅紗の着物を着、昔風な裝(なり)をしてゐて、年取つた力のなささうな人であつた。彼等が森から出ると、大道の市場で賣買をしてゐるやうな人だかりとなつた。而かもその人達は生きてゐる人間ではなかつた。老人は群集の中を通り拔けて、彼を連れて行き、それから別れた。彼が家に歸つて、此の二人の老人の身の周りの風やら所作やらを年寄達に話したら、年寄達はそれは二人のお祖父(じい)さんで、彼等は孫を可愛がつてゐたから、成人したその男を護つてくれたのだと言つた。

 

 

I asked him if he had known old Pat Dirane on the middle island, and heard the fine stories he used to tell.

'No one knew him better than I did,' he said; 'for I do often be in that island making curaghs for the people. One day old Pat came down to me when I was after tarring a new curagh, and he asked me to put a little tar on the knees of his breeches the way the rain wouldn't come through on him.

'I took the brush in my hand, and I had him tarred down to his feet before he knew what I was at. "Turn round the other side now," I said, "and you'll be able to sit where you like." Then he felt the tar coming in hot against his skin and he began cursing my soul, and I was sorry for the trick I'd played on him.'

This old man was the same type as the genial, whimsical old men one meets all through Ireland, and had none of the local characteristics that are so marked on lnishmaan.

When we were tired talking I showed some of my tricks and a little crowd collected. When they were gone another old man who had come up began telling us about the fairies. One night when he was coming home from the lighthouse he heard a man riding on the road behind him, and he stopped to wait for him, but nothing came. Then he heard as if there was a man trying to catch a horse on the rocks, and in a little time he went on. The noise behind him got bigger as he went along as if twenty horses, and then as if a hundred or a thousand, were galloping after him. When he came to the stile where he had to leave the road and got out over it, something hit against him and threw him down on the rock, and a gun he had in his hand fell into the field beyond him.

'I asked the priest we had at that time what was in it,' he said, 'and the priest told me it was the fallen angels; and I don't know but it was.'

'Another time,' he went on, 'I was coming down where there is a bit of a cliff and a little hole under it, and I heard a flute playing in the hole or beside it, and that was before the dawn began. Whatever anyone says there are strange things. There was one night thirty years ago a man came down to get my wife to go up to his wife, for she was in childbed.

'He was something to do with the lighthouse or the coastguard, one of them Protestants who don't believe in any of these things and do be making fun of us. Well, he asked me to go down and get a quart of spirits while my wife would be getting herself ready, and he said he would go down along with me if I was afraid.

'I said I was not afraid, and I went by myself.

'When I was coming back there was something on the path, and wasn't I a foolish fellow, I might have gone to one side or the other over the sand, but I went on straight till I was near it--till I was too near it--then I remembered that I had heard them saying none of those creatures can stand before you and you saying the De Profundis, so I began saying it, and the thing ran off over the sand and I got home.

'Some of the people used to say it was only an old jackass that was on the path before me, but I never heard tell of an old jackass would run away from a man and he saying the De Profundis.'

I told him the story of the fairy ship which had disappeared when the man made the sign of the cross, as I had heard it on the middle island.

'There do be strange things on the sea,' he said. 'One night I was down there where you can see that green point, and I saw a ship coming in and I wondered what it would be doing coming so close to the rocks. It came straight on towards the place I was in, and then I got frightened and I ran up to the houses, and when the captain saw me running he changed his course and went away.

'Sometimes I used to go out as a pilot at that time--I went a few times only. Well, one Sunday a man came down and said there was a big ship coming into the sound. I ran down with two men and we went out in a curagh; we went round the point where they said the ship was, and there was no ship in it. As it was a Sunday we had nothing to do, and it was a fine, calm day, so we rowed out a long way looking for the ship, till I was further than I ever was before or after. When I wanted to turn back we saw a great flock of birds on the water and they all black, without a white bird through them. They had no fear of us at all, and the men with me wanted to go up to them, so we went further. When we were quite close they got up, so many that they blackened the sky, and they lit down again a hundred or maybe a hundred and twenty yards off. We went after them again, and one of the men wanted to kill one with a thole-pin, and the other man wanted to kill one with his rowing stick. I was afraid they would upset the curagh, but they would go after the birds.

'When we were quite close one man threw the pin and the other man hit at them with his rowing stick, and the two of them fell over in the curagh, and she turned on her side and only it was quite calm the lot of us were drowned.

'I think those black gulls and the ship were the same sort, and after that I never went out again as a pilot. It is often curaghs go out to ships and find there is no ship.

'A while ago a curagh went out to a ship from the big island, and there was no ship; and all the men in the curagh were drowned. A fine song was made about them after that, though I never heard it myself.

'Another day a curagh was out fishing from this island, and the men saw a hooker not far from them, and they rowed up to it to get a light for their pipes--at that time there were no matches--and when they up to the big boat it was gone out of its place, and they were in great fear.'

Then he told me a story he had got from the mainland about a man who was driving one night through the country, and met a woman who came up to him and asked him to take her into his cart. He thought something was not right about her, and he went on. When he had gone a little way he looked back, and it was a pig was on the road and not a woman at all.

He thought he was a done man, but he went on. When he was going through a wood further on, two men came out to him, one from each side of the road, and they took hold of the bridle of the horse and led it on between them. They were old stale men with frieze clothes on them, and the old fashions. When they came out of the wood he found people as if there was a fair on the road, with the people buying and selling and they not living people at all. The old men took him through the crowd, and then they left him. When he got home and told the old people of the two old men and the ways and fashions they had about them, the old people told him it was his two grandfathers had taken care of him, for they had had a great love for him and he a lad growing up.

 

[やぶちゃん注:「此の爺さんは愛蘭土の何處ででも出逢ふ快活な、茶目氣のある型の人で、イニシマーンに目立つた地方的の特質を持つてゐなかつた。」原文は“This old man was the same type as the genial, whimsical old men one meets all through Ireland, and had none of the local characteristics that are so marked on lnishmaan.”であるが、やや問題があるように思われる。則ち、素直にこの邦訳を読むと、この話者である老人は一般的なアイルランドでは、しばしば頻繁に見受けられるところの「快活な、茶目氣のある型の」よくある老人である。しかし、そういう老人はイニシマーン島では滅多に見当たらない、という謂いにしか採れない。しかし、これは今まで読んできた我々には、それでは奇異に感じられるのである。シングはイニシマーンの人々をこそアランの原型としての素朴な民として称揚していることは最早、明らかだからである。そういう疑義を持って原文を見ると、“genial”と“whimsical”の対称性に気付く。ここは「愛想がいい」⇔「むらっ気のある」で、妙に人懐っこいものの、その実、ぷいっと機嫌が変わるといったかなりいい加減な性質(たち)、という意味であろう。さすれば、ここは「この爺さんはアイルランドを行くとしばしば出逢うところの、謂わば――愛想はいいが、むらっ気のある――妙に人懐っこいものの、その実、ぷいっと機嫌が変わってしまうような――どこか今一つ、信頼を置くことの出来ぬ、いい加減な――老人で、私が愛してやまない、かのイニシマーンの人々に特徴的な稀有の地方的な人品――驚くべき純朴と誠実に溢れた稀れなる性質(たち)――を遺憾ながら、全く持ち合わせていない、軽薄な老人であった。」と言っているように、私には思われる。

「さあ、あつちを向いてごらん。」原文は“"Turn round the other side now,"”で、これは「さあ、ぐるっと回って。反対側にも(塗って)進ぜよう。」で、タールをズボンの反対側(後ろ側)にも塗ろう、という意味である。

「踏段」アランでよく見かける、所有地を示し、また強風から家屋や作物などを守るための人工の石組みの垣根のこと。

「墮落した天使」原文は“the fallen angels”で複数形。

「海上警察署」“the coastguard”。沿岸警備隊。正式には“Her Majesty's Coastguard”、「王立沿岸警備隊」である。

「そんな事は何も信じてゐない」の「そんな事」は悪魔や妖精といった超常的存在や現象を指す。

「一クォートの酒」原文“a quart of spirits”。現在のイギリスの単位1 クォートは1.1365225リットル。約一リットル強。“spirits”で、お産の消毒用の蒸留酒である。

「私も馬鹿でなかつたら、砂の上からためつすがめつ行くところだつたが、」原文は“and wasn't I a foolish fellow, I might have gone to one side or the other over the sand,”。「私が馬鹿な輩でなかったなら、私はその何かのいるところと有意に反対側か、若しくはもっと向こう側にある砂浜を行ったかも知れないが、」で、結果的には「儂は馬鹿で、ずんずんそいつに近づいてっちゃった」のである。「ためつすがめつ」(矯めつ眇めつ)という日本語は「色々な角度からよく観察すること」を意味し、ここの訳としても、民俗学的な習俗としても相応しくなく、逆にこうした場合のタブーでさえある。凝っと見てはいけない。逆に魅入られる、のである。

「デ・ブロフンディス」“De Profundis” ラテン語で“out of the depths”、「深き淵より」の意で、旧約聖書「詩篇」第129番に現われる言葉。古くから死者の典礼を行う際に歌われ、悲しみや絶望などのどん底からの叫びの意を持つ。「主よ、我れ、深き淵より主を呼ばはる。主よ、わが声を聴き容れ給へ。願はくは我が願ひの声に御耳傾け給へ……」と始まる呪言である。

「或る晩のこと、私は貴方にも見えるだらうが、あの下の方の靑くなつた所に居たら、」原文は“'One night I was down there where you can see that green point,”の部分。この“point”は岬で、あそこに「ある夜のことじゃ――ほれ、あの下の方に緑色の岬が見えるじゃろう、あそこに儂は居った――」の意。ここで老人との会話のロケーションの位置が、かなり高い位置で、尚且つ、海と岬の見える場所での聴き取りであることが明らかになる。広角レンズに変えたような上手い効果である。

「船乘り」原文は“a pilot”で、ここは水先案内人と訳したいところだ。

「百ヤード、或ひは恐らく百廿ヤード」91mから110m弱ほど。

「橈栓」は「かいせん」と読み、「櫂栓」と同じい。原文“thole-pin”は“tholepin”で櫂を船端に固定するための器具。櫓べそ。恐らく抜けば固定部分が尖っているものと思われ、それを槍のように投げつけて鳥を射落とすということと推測する。

「漕桿」「さうかん(そうかん)」と読むか。原文“rowing stick”は櫂・オールのことであるが、海事用語としては一般的な表現ではない。

「わし等は又その後を追つかけ、一人の男は一羽を橈栓で殺さうと云ひ、もう一人は漕桿で殺さうと云ふ、私はそれ等はカラハを覆すのではないかと思つたが、他の男は尚追つかけて行きたがる。」以下の部分は、まさに話者の爺さん以外の二人は、完全に魔に魅入られている。海上にあって櫂栓を失えばオールは漕げず、オールを失えば命とりとなるという当たり前のことをこの海の男たちは全く認識出来ていない。ということはまさに幽霊船や不吉な黒鳥の群れの背後にある邪悪なるものに完全に魅入られていると言ってよいのである。命を落とさなかったのは幸いであった。幾分、この話柄には老人だけは正気であったことを自慢するニュアンスが感じられる。

「此の間……後でそれを歌つた立派な歌が出來た。私はそれを聞いた事はないが。」の「此れの間」の原文は“A while ago”で、確かに「少し前に、数分前、先程」という意味であるが、この成句は必ずしも短い時間限定する訳ではなく、歴史的時空間的な大きなレンジでの相対的な、実はもっと長い時間を意味する「暫く前」の方がしっくりくる。何故なら、その幽霊船とカラハの乗組員全員溺死という恐ろしくも哀しい出来事は、民俗的伝承の中に取り込まれて、それを詠んだ名悲歌が作られるまでには、相応の時間が必要だからである。これは「新しい歌」だからまだ聴いたことがないのではなく、寧ろ逆に古い伝承で、最早、そのエレジーを知っていて歌える者がいなくなったということを意味していると考える方が自然ではあるまいかと私は考えるのである。

「大道の市場で賣買をしてゐるやうな人だかりとなつた。而かもその人達は生きてゐる人間ではなかつた。」“When they came out of the wood he found people as if there was a fair on the road, with the people buying and selling and they not living people at all.”は最大の怪談の真骨頂で、これは中国で言う所の、死者たちが商いをする「鬼市」である。]

2012/04/04

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (19)

 朝の間中、私は或る爺さんと一緒にゐた。爺さんは家のための藁繩を作つてをり、働きながら私と話した。彼は若い時、船乘であつて、最初、ドイツ人、イタリヤ人、ロシヤ人のことに就き、或ひは港町の有樣に就いて澤山話をした。それから話は中の島のことになつて行き、こんな話をしたが、それは島と島の間にある妙な嫉妬心が覗へる。――

 昔、わし等はずつと異教徒だつた。それで教父達が來て、神に就いてまた世界の創造に就いて、わし等に教へるのが慣ひだつた。中の島の人達は一番後までも拜火教の、或はその當時あつた何かの信仰を持ち續けてゐた。だが、結局彼等の中にも教父が來て、その云ふことに耳傾けるやうになつた。尤も、晩には信ずると云つておきながら、その翌朝は信じないと云ふ有樣だつたが。終に教父は彼等を説き伏せ、一軒の教會を建てることになつた。教父は石で仕事をする時、皆と一緒に使ふ道具を持つてゐた。教會が半ば出來上つた時、島の人達は教父が寢てしまふと、ひそかに相談して、本當に信仰して間違ひのないものかどうかを試さうとした。
 頭株の男が立ち上つて云ふには、さあ出かけて行かうぢやないか、そして道具を皆、崖から投げ捨ててしまはう。若し神といふやうな者があつて、教父が、その云ふやうに神に知られてゐるなら、我我が道具を投げ捨てたやうに、彼はそれを海から拾ひ上げることが出來るだらうから。
 そこでその人達は出かけて行つて、その道具を崖から投げ捨てた。
 朝になつて、教父が教會に來ると、仕事する人達は皆石の上に坐つて、仕事をしてゐない。
 「何故、お前達は怠けてゐるのか?」教父が尋ねた。
 「わし等は道具を持つてゐないのです。」 皆はさう云つて、それから自分達のした事をすつかり話した。
 教父は跪いて、道具が出て來るやうにと祈り、また何處の人達も中の島の人達ほど、馬鹿でないやうに、そして神は世の終りまで彼等の愚かな暗い心を守護して下さるやうにと神に祈つた。そのために、あの島の人達は口ごもらずには話を全部云ふことが出來ず、或ひは間違ひなく、どんな仕事でも最後までやり通すことが出來ない。

I have been sitting all the morning with an old man who was making sugawn ropes for his house, and telling me stories while he worked. He was a pilot when he was young, and we had great talk at first about Germans, and Italians, and Russians, and the ways of seaport towns. Then he came round to talk of the middle island, and he told me this story which shows the curious jealousy that is between the islands:--
Long ago we used all to be pagans, and the saints used to be coming to teach us about God and the creation of the world. The people on the middle island were the last to keep a hold on the fire-worshipping, or whatever it was they had in those days, but in the long run a saint got in among them and they began listening to him, though they would often say in the evening they believed, and then say the morning after that they did not believe. In the end the saint gained them over and they began building a church, and the saint had tools that were in use with them for working with the stones. When the church was halfway up the people held a kind of meeting one night among themselves, when the saint was asleep in his bed, to see if they did really believe and no mistake in it.
The leading man got up, and this is what he said: that they should go down and throw their tools over the cliff, for if there was such a man as God, and if the saint was as well known to Him as he said, then he would be as well able to bring up the tools out of the sea as they were to throw them in.
They went then and threw their tools over the cliff.
When the saint came down to the church in the morning the workmen were all sitting on the stones and no work doing.
'For what cause are you idle?' asked the saint.
'We have no tools,' said the men, and then they told him the story of what they had done.
He kneeled down and prayed God that the tools might come up out of the sea, and after that he prayed that no other people might ever be as great fools as the people on the middle island, and that God might preserve theft dark minds of folly to them fill the end of the world. And that is why no man out of that island can tell you a whole story without stammering, or bring any work to end without a fault in it.

[やぶちゃん注:「教父は石で仕事をする時、皆と一緒に使ふ道具を持つてゐた。」原文は“the saint had tools that were in use with them for working with the stones.”であるが、妙な直訳である。因みに、ここは語部の爺さんが特に“saint”と使っているので「聖人」と訳したい。素直に「皆が教会造りの石切りに用いる道具はその聖人さまが用意した。」でよいのではなかろうか。
「そのために、あの島の人達は口ごもらずには話を全部云ふことが出來ず、或ひは間違ひなく、どんな仕事でも最後までやり通すことが出來ない。」これを読むと、イニシーアの島民の素朴なイニシマーン島民への嫉妬以前に、私はつくづく神は気まぐれだと、溜め息が出るのである。誰より素朴なイニシマーン島の民の話下手や仕事の貫徹不徹底は、愚かな彼等へのヤーハウェの神罰という解釈が否応なしにもたらされるからである――キリスト教では神を試してはいけないのは分かる――しかし、それ故に神罰をそこいら中にはびこらせる「神」は、叡山の強訴となんら変わらん――と私は思うのである。]

2012/04/03

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (18)

 私は此の群島の人達をよく知つてゐるつもりではあるが、彼等の生活の何か新しい原始的な特色に出逢はない日とては一日もない。
 昨日、或る家に行つたが、其處の内儀さんは働いてゐて、だらしない身裝(みなり)をしてゐた。その女は私が亭主と話をするやうになるまで、暫く待つてゐて、それから片隅へそつと行き、さつぱりしたペティコートを着、派手な襟卷を卷いて、また出て來て爐の傍に坐つた。
 今夜は他の家へ行き、その家の人達と夜遲くまで話してゐた。幼い男の子――その家の獨り子――が眠くなると、お婆さんはその子を膝に載せて歌ひだした。その子がうとうとしてくると、次第にその着物を脱ぎ取つて、その子の身體中をそつと爪で掻いてやつた。それから壺の水を少し取つて足を洗ひ、寢床に寢かせた。
 家へ歸つて行く途中、風で砂が顏に吹きつけ、行く手が殆んどわからなかつた。私は帽子で口と鼻を塞ぎ、片手を目に當てて、砂の穴や岩を足で探りながら歩かなければならなかつた。

Well as I seem to know these people of the islands, there is hardly a day that I do not come upon some new primitive feature of their life.
Yesterday I went into a cottage where the woman was at work and very carelessly dressed. She waited for a while till I got into conversation with her husband, and then she slipped into the corner and put on a clean petticoat and a bright shawl round her neck. Then she came back and took her place at the fire.
This evening I was in another cottage till very late talking to the people. When the little boy--the only child of the house--got sleepy, the old grandmother took him on her lap and began singing to him. As soon as he was drowsy she worked his clothes off him by degrees, scratching him softly with her nails as she did so all over his body. Then she washed his feet with a little water out of a pot and put him into his bed.
When I was going home the wind was driving the sand into my face so that I could hardly find my way. I had to hold my hat over my mouth and nose, and my hand over my eyes while I groped along, with my feet feeling for rocks and holes in the sand.

[やぶちゃん注:原文では、次に行空きがなく繋がっているが、分けた。]

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (17)

 老物語師は、鷲と戰つた男を歌つた長い吟唱曲を教へてくれた。それは少し不規則で曖昧な所はあるが、學者と一緒に飜譯した。

[やぶちゃん注:「學者」は既出のアラン島の人の中でも多少の教養を持った「郷土史研究家」の意。以下、底本では物語全体が一字下げである。]

 

     フェリムと鷲

 

 朝早く起きると、困つたことがあつたので、日曜のことだが、靴を穿いて「死者の谷」の中にあるティアニーへ行つた。其處で出建つた大きな鷲は、茨の積重ねのやうに眞黑く、いかめしさうに立つてゐた。

 

 私はそれに呼びかけた。やくざ者よ、馬鹿者よ【、】國で一番偉いならず者の、クラン・クリオパス族の女と馬鹿者の間に生れた息子よ。私の一番よく啼く可愛い牡雞を盜んだお前に、此の呪と私の七つの呪がかかり、好い運には決して逢はないだらうと。

 

 

【鷲】「お前の氣が確かなら、私に餘りひどい呪をかけてはならぬ。私は誓つて、お前から家賃を決して取らぬ。燒鳩の小屋に、お前が何を貯めようとも、私は羨まぬ。お前のやうな者は商賣人には打つてつけだ。

 

【鷲】「だが、家へ行つてノラに聞いてごらん。雞の頭をゆでてゐた若い女の名は何と云ふかと。その肋の羽は竃で燒かれた。そして皆食つちやつたが、そんなに有難くは思つてはゐないよ。」

 

【フェリム】「お前は嘘つきだ、泥棒だ。皆んなそんなうまい物を食つて、きつと有難からずには居られない。お前はそれを昨日食つたと、ノラが云つたぞ。そしてお前は、私が税を取る迄で、收穫の四分の一も使はないのだらう。」

 

【鷲】「私はフィアンナに失戀するまではよい男の子であつた。泥棒なんかする事は少しも考へず、始終手品をしたり、ゴル・マック・モルナと力競べをして遊んだりした。そして一生の終りに、お前は私をならず者にしてしまつた。」

 

【フェリム】「一つの函の、底深く祕めて、私は祖先の本の一部を持つてゐる。それを讀む度毎に、涙が流れ出る。由緒をしらべてわかつたが、假令お前は喧譁が好きで感謝するのが常であつても、お前はダルグ・モールの子孫なのだ。」

 

 鷲は武具と衣服つけて、美しく裝ひ、手には選りすぐつて一番よく切れる劍を持つた。私は大鎌を手に、身にはシャツのほかなんにも着ず、二人は互ひにその日の朝早く出かけて行つた。

 

 私たちは、山の狹間や谷間を切り分け進みながら、二人の巨人のやうだつた。暫く、どちらが偉いともわからず、私たちは取り組んで、互ひにひしめき合ひする物音は、日が暮れて、彼が仕方なく止めるまで聞こえてゐた。

 

 翌朝、私は決鬪の挑戰狀を書き、夜明けの頃に間違ひなく戰ふやうに行くと、云つてやつた。彼に與へた第二の拳で顎の骨を打ちたたき、彼は斃れて氣が付かなくなつたのは噓ぢやない。

 

 鷲は起き上がり、私の手を取つて「お前は一生の中で逢つた一番偉い男だ。さあ、家へ行け、御機嫌よう、さらばだ。お前一人で、永遠に、愛蘭土の名譽を救つたのだ。」

 

 ああ! 皆さん、フェリムの偉さと強さを聞きましたか? どんな大きな猛獸でも、彼が第二の拳を加へて顎を打てば、それはまる二日間、起【き】上れなかつたものだ。

 

[やぶちゃん注:前半部で話者が今一つ分かり難いので【 】で補った。]

 

 

PHELIM AND THE EAGLE

 

On my getting up in the morning

And I bothered, on a Sunday,

I put my brogues on me,

And I going to Tierny

In the Glen of the Dead People.

It is there the big eagle fell in with me,

He like a black stack of turf sitting up stately.

 

I called him a lout and a fool,

The son of a female and a fool,

Of the race of the Clan Cleopas, the biggest rogues in the land.

That and my seven curses

And never a good day to be on you,

Who stole my little cock from me that could crow the sweetest.

 

'Keep your wits right in you

And don't curse me too greatly,

By my strength and my oath

I never took rent of you,

I didn't grudge what you would have to spare

In the house of the burnt pigeons,

It is always useful you were to men of business.

 

'But get off home

And ask Nora

What name was on the young woman that scalded his head.

The feathers there were on his ribs

Are burnt on the hearth,

And they eat him and they taking and it wasn't much were thankful.'

 

'You are a liar, you stealer,

They did not eat him, and they're taking

Nor a taste of the sort without being thankful,

You took him yesterday

As Nora told me,

And the harvest quarter will not be spent till I take a tax of you.'

 

'Before I lost the Fianna

It was a fine boy I was,

It was not about thieving was my knowledge,

But always putting spells,

Playing games and matches with the strength of Gol MacMorna,

And you are making me a rogue

At the end of my life.'

 

'There is a part of my father's books with me,

Keeping in the bottom of a box,

And when I read them the tears fall down from me.

But I found out in history

That you are a son of the Dearg Mor,

If it is fighting you want and you won't be thankful.'

 

The Eagle dressed his bravery

With his share of arms and his clothes,

He had the sword that was the sharpest

Could be got anywhere.

I and my scythe with me,

And nothing on but my shirt,

We went at each other early in the day.

 

We were as two giants

Ploughing in a valley in a glen of the mountains.

We did not know for the while which was the better man.

You could hear the shakes that were on our arms under each other,

From that till the sunset,

Till it was forced on him to give up.

 

I wrote a 'challenge boxail' to him

On the morning of the next day,

To come till we would fight without doubt at the dawn of the day.

The second fist I drew on him I struck him on the hone of his jaw,

He fell, and it is no lie there was a cloud in his head.

 

The Eagle stood up,

He took the end of my hand:--

'You are the finest man I ever saw in my life,

Go off home, my blessing will be on you for ever,

You have saved the fame of Eire for yourself till the Day of the Judgment.'

 

Ah! neighbors, did you hear

The goodness and power of Felim?

The biggest wild beast you could get,

The second fist he drew on it

He struck it on the jaw,

It fell, and it did not rise

Till the end of two days.

 

[やぶちゃん注:原文はご覧のように、分かち書きになっている。「鷲」と「雞」と「鳩」――この伝承は鳥が絡む。直前にインサートされた話にも「冠烏」が出る――シングの書き方はその構成が実は美事に計算されて、澱みなく有機的に文章が続くことに注目したい。

『「死者の谷」の中にあるティアニー』不詳。

「クレオパス」“Cleopas”不詳。新約聖書にイエス・キリストが復活した日の午後、エマオの途上でイエスに出逢った二人の弟子のうちの一人の名前として登場するが、侮蔑の文句の中にあるので無関係か。

「燒鳩の小屋」原文“the house of the burnt pigeons”。中国をはじめ、フランス・イタリア・エジプトでは通常の料理として今でもハトの丸焼きやハト料理がある(丸焼きではないが私もイタリアで食した)。イギリスでも18世紀頃までは普通に食されていた。さすれば、これはフェリムの家(自営業)は鳩の丸焼き食わせる焼き鳥屋であることを意味している。

「燒鳩の小屋に、お前が何を貯めようとも、私は羨まぬ。」“I didn't grudge what you would have to spareIn the house of the burnt pigeons,”という部分、“spare”が分からない。これを姉崎氏は「惜しんで使わない」「節約する」から、金品か何かを「小屋」(店)の中にこっそり溜め込んでいる(家賃も払わないくせに)、という意味で捉えられたようであるが、これは寧ろ、次で「お前のやうな者は商賣人には打つてつけだ」と揶揄するところを見れば、鳩の丸焼き食わせる焼き鳥屋でありながら、実は鳩を「惜しんで使わない」、鳩「なしで済ませ」ている、羊頭狗肉的な皮肉を言っているようにも取れる。そう言えば、前段のフェリムの鷲への非難に出て来るのは「鳩」ではなく、「牡雞」である。するとフェリムは鳩頭鶏肉であったということか? そうすると次の段落の不可解さも少し腑に落ちる。ハトとは真っ赤な偽りで、ニワトリを縊り、頭はこっそりゆで汁にでもし、ばれたら困るニワトリの羽は悉く爐で灰にしている、という訳である。栩木氏もほぼそうした羊頭狗肉的ニュアンスで訳しておられるが、最終行は姉崎氏の「お前のやうな者は商賣人には打つてつけだ」という訳とは全く異なっている。当該書をお読みになられたい。

「そしてお前は、私が税を取る迄で、收穫の四分の一も使はないのだらう。」これもまた、ノストラダムスの大予言並の難解さである。原文は“And the harvest quarter will not be spent till I take a tax of you.'”で、“harvest”は古語廃語で方言の収穫の「秋」で、その一年の1/4の四季支払い期の一つ“harvest quarter”を指していないか? 更に、それを消費させない、というのはそこまで待たないでという意味ではないか? そうして“tax”は税ではなく、口語の「代金」であり、全体で「お前には(鷲)には四季支払い期で、次に迫っている秋の代金請求(が終わる)その時よりも前までに、きっときっちり(お前盗んだ雄鶏の代金を)請求するぞ!」という意味ではあるまいか? 栩木氏の訳もほぼそうしたコンセプトである。

「私はフィアンナに失戀するまではよい男の子であつた。」原文“'Before I lost the FiannaIt was a fine boy I was,”。この“Fianna”は女性の名ではなく、アイルランドの神話フェニアンサイクルに登場する英雄フィン・マックールが率いるフィアナ騎士団のことである。従って姉崎氏の“lost”「失戀」というのも正しくなく、その壮大にして複雑なフェニアン・サイクル神話の最後にフィアナ騎士団が壊滅させられることを指すものと思われる。私自身、この注を附すまで全く知らない神話であったが、ここは従って「私はフィアナ騎士団が亡ぼされるまでは/一個の見目麗しい少年であったのに」という意味であろう。則ち、この老いた荒鷲はかつて伝説中のフィアナ騎士団の騎士の一人であったということであろう。栩木氏が文字通り、正にぴったりくる「若鷲」と訳しておられるのは絶妙である。

「ゴル・マック・モルナ」“Gol MacMorna”。勇者にしてフィアナ騎士団の元団長。後に団長となる英雄フィン・マックールの父は彼に殺されており、宿敵であったが、紆余曲折を経てフィンの配下となった(一説には決闘によって倒したとも)。その辺りの経緯は、参照したウィキの「フィン・マックール」を読まれたい。

「泥棒なんかする事は少しも考へず、始終手品をしたり、ゴル・マック・モルナと力競べをして遊んだりした。そして一生の終りに、お前は私をならず者にしてしまつた。」“It was not about thieving was my knowledge,But always putting spells,Playing games and matches with the strength of Gol MacMorna,And you are making me a rogueAt the end of my life.'”。“my knowledge” 「私の智」「私の能力」は前後に関わる。だから“Playing games”を「手品をしたり」とするのはいただけない。“game”と“match”が対になっているから、その頃の彼(騎士であった頃の「鷲」)は、一人でする勇壮な“game”「狩り」と、例えば最強の力持ちであった勇者ゴル・マック・モルナを相手に互角に「力競べを」する(レスリングや武術試合をする)のが彼の能力発揮の専ら、日常であったと言うのである。そんな孤高にして高潔な過去世を持つ「私を」、「お前は」この期に至って、冤罪である雄鶏の盗人として誹謗中傷し、あろうことか今まさにこの「一生の終りに」、「ならず者」扱いにしやがった、と「鷲」は逆切れしているのである。ここでも栩木氏の訳は絶好調で、「鷲」一人称を「ワシ」(儂)と訳されており、いい感じだ。

「祖先の本の一部」“a part of my father's books”はアイルランド神話が書かれた史伝類のことであろう。ここでそれが「一つの函の、底深く祕めて」(家宝として筐底深く大切にされてきた)事実、「それを讀む度毎に」、フェリムの目から「涙が流れ出る」という事実から、ここでは「鷲」「の由緒」ばかりではなく、フェルムの先祖自身も正当なフェニアン・サイクル神話の中の重要な登場人物であることが分かる。

「假令お前は喧譁が好きで感謝するのが常であつても、お前はダルグ・モールの子孫なのだ。」“That you are a son of the Dearg Mor,If it is fighting you want and you won't be thankful.'”。「ダルグ・モール」不詳。意味はゲール語で「赤い巨人」である。このフェルムの謂いからはアイルランド古神話に登場する悪役・裏切り者であり、最後には敗者となる人物であろうと思われる。スコットランドの高山に“Carn Mor Dearg Arete”カーン・モア・ジェレック・アレートと呼ばれる馬蹄形の稜線を持った山があるが、これはこの「赤い巨人」が住んだか化したものということか。最終行は「假令お前は喧譁が好きで感謝するのが常であつても、」とあるが、ここは「喧譁が好きで感謝する」と順接で続けたのでは意味が取れない。「鷲よ、意気高々にお前が私に真剣勝負を望んだとしても、しかしな、最後にゃ負けるんだ――これはフェルムの自己肥大や嚇しというより、私(やぶちゃん)には、それが恐らくダルグ・モールの運命の神話上の約束事なのではないかと思う――そうして貴様は、私の前に斃れ這いつくばって、必ずや、感謝の祈りをせざるを得なくなるのさ。」といった意味であろう。どこで「鷲」が「人型」になるのかは、意見の分かれるところであろうが、この次の段からは「鷲」も人型となり、フェルムも巨大化してウルトラ・ファイト(ウルトラ・シリーズの申し子である私は、あの番組は大嫌いである)の様相を呈する。初めっから人型であったとしても文脈上はおかしくはない。但し、私は冒頭に述べた通り、最初は鳥類の「ワシ」でないと、神話的叙事の面白味が半減するように思う。

「二人は互ひにその日の朝早く出かけて行つた。」“We went at each other early in the day.”。翌朝、それぞれが果し合いの場に出向いて互いに対峙した、の意。

「日が暮れて、彼が仕方なく止めるまで聞こえてゐた。」“From that till the sunset,Till it was forced on him to give up.”は、「日が暮れて」暗くなって互いに相手が見えなくなって「仕方なく止め」た、という意味であるが、栩木氏の訳では、相手は鷲だから『鳥目』で、夜は戦えないという設定で訳されており、実に味な訳である。

「彼は斃れて氣が付かなくなつたのは噓ぢやない。」“He fell, and it is no lie there was a cloud in his head.”であるから、「噓じゃないぜ――暫くの間、鷲は仰向けになったまま、立ち上がることが出来なくなって、彼の頭(顔面)の上を雲が流れてゆくばかりだったのさ。」といった感じか。

「お前一人で、永遠に、愛蘭土の名譽を救つたのだ。」原文は“You have saved the fame of Eire for yourself till the Day of the Judgment.”で省略がある。フェルムは古神「鷲」をうち倒した。負けた「鷲」がそれを言祝(ことほ)ぐ。新約聖書の「ヨハネの黙示録」に記された「最後の審判が下るその日まで、お前はたった一人でアイルランドの名誉を救った/救う/救うであろう男である。」という預言の祝福である。]

2012/04/02

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (16)

 愛蘭土の詩を語つてくれる老人は、私がその中から作つた幾つかの飜譯を妙に喜んでゐる。彼の云ふ處では、私がそれを讀んでゐる間、聞いてゐるにも少しも退屈せず、それ等は古い詩の方よりずつと立派ださうである。

 これは、その中の一つだが、私は出來るだけ愛蘭土語に近く飜譯してみた。――

 

     ルカード・モール

 

  私は破滅の悲しみを不運ゆゑと諦める、

  否むは不幸となるだらう。

  それはわが身につきまとふ、

  淋しさゆゑの憂き歎き。

 

  さすらひの身となつたのも、

  持ち物すつかり失くしたのも、

  みんな妖精達の成した業。

 

  こんなむごい振舞ひが私に爲されたのは、

  マニスティル・ナ・ルアイエであつた。

  フィン・ヴァラやその一味の妖精が、

  私の可愛い馬を鞄の下からつれて行つた。

 

  皮を殘して行つたなら、

  三月分(みつきぶん)の煙草錢にはなる物を、

  殘して行つたものとては、

  此の年とつた僕(しもべ)ばかり。

 

  可哀さうぢやないか私は?

  思ひ切れないあの牝馬、

  まだ馬代は拂はれず、

  淋しさ辛さ憂き歎き。

 

  山でも谷でも愛蘭土の、

  一番高いとりでの上も、

  くまなく牝馬を探したが、

  私の歎きは盡きはせぬ。

 

  朝は早目に起き出でて、

  パイプに赤い火をつけて、

  嬉しいことを聞くために

  クノック・モイエへ行つてみた。

 

  私の牝馬を取り戻す

  よい手立はないものかと

  そこの人達に聞いてみた。

  なければ考へなほさうと。

 

  「御存じないか、ルカード・モール?

  お前の牝馬は此處には居ない。

  男の妖精に連れられて、三月前、

  グレナスモイルに行つたのだ。」

 

  私は道を大急ぎ

  まつすぐ駈けて行つたらば、

  お晝にならぬその先に

  グレナスモイルに行き着いた。

 

  私の牝馬を取り戻す、

  よい手立はないものかと

  男の妖精に聞いてみた。

  なけれぼ考へなほさうと。

 

  「御存じないか、ルカード・モール?

  お前の牝馬は此處には居ない。

  笛吹く騎手に連れられて、三月前、

  クノック・パワー・ブリシュロ-ンに行つたのだ。」

 

  私は道を大急ぎ

  まつすぐ駈けて行つたらば、

  日もとつぷりと暮れた頃、

  クノック・パワー・ブリシュローンに行き着いた。

 

  其處には大勢人が居て

  皆んな手袋編んでゐる

  編み手のやうに思はれた。

  こんな處で噂を人は聞くだらう。

 

  私の牝馬を取り戻す、

  よい手立はないものかと

  騎手の男に聞いてみた。

  なければ考へなほさうと。

 

  「御存じないか、ルカード・モール?

  お前の牝馬は此處には居ない。

  クノック・クルーハンの宮殿の

  裏のはづれにそれは居る。」

 

  私は道を大急ぎ

  まつすぐ駈けて行つたらば、

  休みもしないで、私は、

  宮殿の前に行き着いた。

 

  其處には大勢人が居て、

  男も女も國中の

  人が皆んな集まつて、

  お祭り騷をやつてゐた。

 

  アーサー・スコイル(?)が立上り、

  音頭を取つて初めれば、

  皆んな面白さうだ、愉快だ、活潑だ、

  私も一緒に踊り出さうとした程に。

 

  足をぱつたり踏み止めて、

  皆んなは笑ひ出してゐた。――

  「御覧よ、ルカード・モールを、

  あいつは小さい牝馬を探してゐるんだ。」

 

  私が話しかけたのは

  醜い顏のこぶ男、

  牝馬を出さねば肋骨を

  折つてやらうと思つてた。

 

  「御存じないか、ルカード・モール?

  お前の牝馬は此處には居ない、

  私の母に手綱をとられ、

  レンスターのアルビンへ行つたのだ。」

 

  私は道を大急ぎ

  レンスターのアルビンヘやつて來た。

  其處で婆さんに出逢つたが――

  私の言葉を聞いて喜ばぬ。

 

  私は婆さんに尋ねたが、

  英語でどんどん云ひ出した。

  「行つてしまへ、馬鹿野郎、

  お前の云ふことが氣に食はぬ」

 

  「これこれもうし、お婆さん、

  私に英語はよしてくれ、

  誰が聞いてもわかるやうな、

  言葉で私に話してくれ。」

 

  「牝馬のことなら教へてもよいが、

  お前の來方が遲かつた。――

  私は昨日あの馬で、

  コナル・カーに鳥打帽子を造つてやつた。」

 

  私は道を大急ぎ

  寒い汚い思ひして、

  男の妖精に出くはした。

  彼はルアイエで寢轉ろんでゐた。

 

  「牛を失くした奴は可哀さう。

  羊を失くした奴も可哀さう。

  だが、馬を失くした奴だけは

  世界の遠くへ行かねばならぬ。」

 

 

The old man who tells me the Irish poems is curiously pleased with the translations I have made from some of them.

He would never be tired, he says, listening while I would be reading them, and they are much finer things than his old bits of rhyme.

Here is one of them, as near the Irish as I am able to make it:--

 

    RUCARD MOR

 

  I put the sorrow of destruction on the bad luck,

  For it would be a pity ever to deny it,

  It is to me it is stuck,

  By loneliness my pain, my complaining.

 

  It is the fairy-host

  Put me a-wandering

  And took from me my goods of the world.

 

  At Mannistir na Ruaidthe

  It is on me the shameless deed was done:

  Finn Bheara and his fairy-host

  Took my little horse on me from under the bag.

 

  If they left me the skin

  It would bring me tobacco for three months,

  But they did not leave anything with me

  But the old minister in its place.

 

  Am not I to be pitied?

  My bond and my note are on her,

  And the price of her not yet paid,

  My loneliness, my pain, my complaining.

 

  The devil a hill or a glen, or highest fort

  Ever was built in Ireland,

  Is not searched on me for my mare;

  And I am still at my complaining.

 

  I got up in the morning,

  I put a red spark in my pipe.

  I went to the Cnoc-Maithe

  To get satisfaction from them.

 

  I spoke to them,

  If it was in them to do a right thing,

  To get me my little mare,

  Or I would be changing my wits.

 

  'Do you hear, Rucard Mor?

  It is not here is your mare,

  She is in Cnoc Bally Brishlawn

  With the fairy-men these three months.

 

  I ran on in my walking,

  I followed the road straightly,

  I was in Glenasmoil

  Before the moon was ended.

 

  I spoke to the fairy-man,

  If it was in him to do a right thing,

  To get me my little mare,

  Or I would be changing my wits.

 

  'Do you hear Rucard Mor?

  It is not here is your mare,

  She is in Cnoc Bally Brishlawn

  With the horseman of the music these three months.'

 

  I ran off on my walking,

  I followed the road straightly,

  I was in Cnoc Bally Brishlawn

  With the black fall of the night.

 

  That is a place was a crowd

  As it was seen by me,

  All the weavers of the globe,

  It is there you would have news of them.

 

  I spoke to the horseman,

  If it was in him to do the right thing,

  To get me my little mare,

  Or I would be changing my wits.

 

  'Do you hear, Rucard Mor?

  It is not here is your mare,

  She is in Cnoc Cruachan,

  In the back end of the palace.'

 

  I ran off on my walking,

  I followed the road straightly,

  I made no rest or stop

  Till I was in face of the palace.

 

  That is the place was a crowd

  As it appeared to me,

  The men and women of the country,

  And they all making merry.

 

  Arthur Scoil (?) stood up

  And began himself giving the lead,

  It is joyful, light and active,

  I would have danced the course with them.

 

  They drew up on their feet

  And they began to laugh,--

  'Look at Rucard Mor,

  And he looking for his little mare.'

 

  I spoke to the man,

  And he ugly and humpy,

  Unless he would get me my mare

  I would break a third of his bones.

 

  'Do you hear, Rucard Mor?

  It is not here is your mare,

  She is in Alvin of Leinster,

  On a halter with my mother.'

 

  I ran off on my walking,

  And I came to Alvin of Leinster.

  I met the old woman—

  On my word she was not pleasing.

 

  I spoke to the old woman,

  And she broke out in English:

  'Get agone, you rascal,

  I don't like your notions.'

 

  'Do you hear, you old woman?

  Keep away from me with your English,

  But speak to me with the tongue

  I hear from every person.'

 

  'It is from me you will get word of her,

  Only you come too late—

  I made a hunting cap

  For Conal Cath of her yesterday.'

 

  I ran off on my walking,

  Through roads that were cold and dirty.

  I fell in with the fairy-man,

  And he lying down in the Ruadthe.

 

  'I pity a man without a cow,

  I pity a man without a sheep,

  But in the case of a man without a horse

  It is hard for him to be long in the world.'

 

[やぶちゃん注:栩木氏は主人公の名を『リカード・モア』と音写されている。本詩ではゲール語の架空と思われる地名が多く出現するが、その殆どが音写されるばかりで分かり難い。以下、地名の意味の多くを栩木氏の訳に頼った。引用部はすべて引用であることを明記した。

「マニスティル・ナ・ルアイエ」原文“Mannistir na Ruaidthe”。栩木氏は『ルア修道院村』と訳されて、ルビで『マナスター・ナ・ルア』と音写されている。英語で男性の修道院は“monastery”で、自動翻訳機にこれを掛けるとゲール語で“mainistir”と出る。“n”がダブっているが、確かにこれである。但し、“Ruaidthe”という地名は同定出来なかった。

「私の可愛い馬を鞄の下からつれて行つた。」原文も“Took my little horse on me from under the bag.”となっているが、この日本語は意味不明だ。これは何かの性的なスラングなのではないか? 栩木氏は『おれのかわいい牝馬攫(さら)い、残ったものはずだ袋ひとつ。』と訳されておられる。この訳は、勿論、腑に落ちる。“on me from under the bag”というのがそうした英語の慣用句なのだと言われれば腑に落ちねばなるまい。なるまいが、それでも何となくやっぱり腑に落ちない部分が残る。それはそもそものこの詩全体の持つ、何やらんぷんぷんする性的なメタファー臭によるものなのかも知れない。怪しげな修道院村――悪の妖精どもに奪われた私の可愛い牝馬――その牝馬への異常な思い切れない愛情の連綿たる告解――「港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ」みたような永遠に漸近線的にすれ違いするルカード・モールと牝馬――鳥打帽(馬の皮製)に加工される牝馬というサディスティックなコーダ――最終章の謎めいた男の妖精王(次注参照)のノストラダムス見たような呪言……牝牛……皮――これはフランス民話に現れる『皮っ子』のモチーフと何らかの関係を持っているのではないか? 則ち、これらのシンデレラ型に類似した美女流離譚にあっては、ヒロインは自身の美貌を隠すために「牝牛の皮」を被って醜く変装するするのである――私は西洋の昔話に疎いのでこれが限界である……しかし、何故か知らないが、私はこの詩を読んでいると、なにやらん、あやしくものぐるほしくなってもくるのである……

「フィン・ヴァラ」前掲したミユシャ氏のHP「妖精辞典 夜明けの妖精詩」に、アイルランドのコナハト地方の妖精の王とあり、「神様コレクション@wikiフィンヴァラ」には、『ケルト神話の神。ダグザに妖精の王を命じられ、妖精の最高王となった。地方の女王たち(クリオズナ、イーヴィン、アーネ)を従える。キルワン王の妻エタインを誘拐したこともあるが無傷で返し』、『キルワン家の後援者にして守護霊となった』とある。どうもフィン・ヴァラには女性誘拐癖があるらしい(それを配下に用いるためか)。女王たちを統括するとあるが、フィン・ヴァラ自身は男性の妖精である。前の注で述べた通り、最終場面で実際に彼フィン・ヴァラが登場する。彼が妖精の王ならば、やはり最終連の呪言は重いメタファーを含んでいると読むべきである。

「此の年とつた僕(しもべ)」“the old minister”。年老いた司祭。ということは、ルカード・モールは『ルア修道院村』(栩木氏訳)の実質的な最高実力者若しくは村長(むらおさ)ででもあったものか。

「思ひ切れないあの牝馬、」“My bond and my note are on her,”。姉崎氏の訳は恐らく、“bond”を絆、“note”を大事な存在の意で採り、意訳したものと思われる。但し、前の一切合財持って行かれてすっからかんという事実の提示と、次のフレーズの『まだ馬代は拂はれず』の極めて現実的な物謂いから考えると、この“bond”は「債券」、“note”は「約束手形」か「紙幣」(有り金)を意味していると考えた方が自然か(栩木氏も『公債証書』と『現金』で訳しておられる。しかし、一読、姉崎氏のセンチメンタルな訳も捨て難くはある。

「クノック・モイエ」原文“Cnoc-Maithe”。現在のアイルランドのメイヨー郡の町“Knock”(クノック)があるが、“Cnoc”は一般名詞で「丘」の意だから、こことは言えない。この町は現在、ゲール語で“Cnoc”“Cnoc Mhuire”と綴る。一見、“Mhuire”は似ているが、「聖母マリア」のことで違う。因みに、メイヨー郡のクノックは1879年8月21日に聖ヨセフ・聖ヨハネそして聖母マリアが顕現したという伝承で知られる町であるが、老人の古歌はもっと古い時代のものと思われる。同定不能。栩木氏は『秤山』とし、『クノック・マー』と音写されている。丘であること、文脈からもこれは妖精の棲む丘なのであろう。

「私の牝馬を取り戻す/よい手立はないものかと/そこの人達に聞いてみた。/なければ考へなほさうと。」は、栩木氏の訳は丘の妖精の中に牝馬を奪った奴がいるという感じで、遙かに指弾的な強い物言いの訳となっている。人と妖精の丁々発止が面白い。是非、比較してお読みあれ。

「ゲレナスモイル」栩木氏は『焼き枯れ谷』と訳し、『グレナスモル』と音写されている。先の「クノック・モイエ」同様、妖精の棲家で、実際の地名ではないのであろう。

「クノック・パワー・ブリシュロ-ン」栩木氏は『昼飯砦山』と訳しておられる。同様に妖精の棲家であるが、ここは世界中の国に散らばっている妖精たちの集合地であるようだ。(次注参照)

「皆んな手袋編んでゐる」該当箇所は三行目の“All the weavers of the globe,”であるが、これは “weavers”の「織工」から“globe”を「手袋」としてしまった誤訳である。これは「全世界」「地球」の「織り手」たち総てが、この「ゲレナスモイル」に集まっている、だからここには私の牝馬の行方を噂として知っている人間が必ずいるはずだと、私が思うシーンである。そうすると「世界中の織り手」というのは、世界のあらゆる国の話の織り手(ストーリー・テラー)の妖精が集まっているということを言うか? 栩木氏もそのように訳されておられる。

「クノック・クルーハン」栩木氏は『焼き入れ山』と訳し、『クノック・クルアハン』と音写されている。これも妖精の棲家であろうが、宮殿とあるから、妖精の王若しくは女王の居る場所らしい。

「アーサー・スコイル(?)」この「?」は“Arthur Scoil (?)”と原文にあるもの。聞き書きの際、若しくは後に「アラン島」を活字化した際に、綴り又は記憶が不確かであったということ示しているようである。

「こぶ男」“humpy”。背むし男。脊椎奇形である。

「レンスターのアルビン」“Alvin of Leinster”「レンスター」(ゲール語 Laighin, Laigin)はアイルランドの東岸に位置し、現在はウィックロー州をはじめとして12の州からなる、アイルランドの産業の中心地。「アルビン」不詳。因みに、アルビンという名(人名)の語源は「妖精の友」である。

「コナル・カー」不詳。妖精にカーという名の者がいるが、これは女性であるので違う。

「牛を失くした奴は可哀さう。/羊を失くした奴も可哀さう。/だが、馬を失くした奴だけは/世界の遠くへ行かねばなちぬ。」“'I pity a man without a cow,I pity a man without a sheep,But in the case of a man without a horseIt is hard for him to be long in the world.'”。これは騎馬民族に於ける馬の霊性を示すものであると同時に、不吉な言上げである。牛や羊を亡くしても哀しむばかりで、その内、忘れっちまうが、馬を亡くすと、その激しい悲しみ故に死に至る、というのである。則ち、ルカード・モールは、妖精の言葉を聞いた時、自分が死を免れないことを悟ったのだ――いや、そもそもが妖精の棲家を彷徨した彼は、既にして――愛する牝馬を奪われたその直後に――死んでいるのではなかろうか? だからこそ、牝馬が攫われた後には何もかもが消え去り、残ったのは――ルカード・モールに引導を渡す司祭だけだったのではあるまいか? またここは、ケルトの古形にあっては、死んだ馬は世界の果てへと人を導く霊界の使者であると読み替えることも出来るのではあるまいか。私のこの見解はただの勝手な想像である。大きな誤りがある場合は、是非とも識者の御斧正をお願いしたい。

この長詩もオリジナルに訳したい欲求に駆られるが、栩木氏の謡曲のような「~着きにけり」が現代文に交る独特の名訳を越えることは難しそうなので、涙を呑んでやめる。栩木氏の訳書をお読みあれ(しかし、この全文を謡曲に擬古文化してみたい欲求は抑えられぬ。今度、私だけの手慰みのためだけにやってみようとは思っている)。]

ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」第四部 (15)

 朝の間は、岩の上で逢つた子供と、くじやく羊齒を掘つてゐた。その子供は一週間前、心臟麻痺で父親を急に亡くしたので、大へん悲しんでゐた。

 「世界中の金に代へても、父を亡くなしたくなかつたよ。」彼は云つた。「家は今、大へん淋しく、賴りなくなつちやつた。」

 それから海軍の火夫をしてる一人の兄が、父親の死ぬ少し前に歸つて來て、立派な葬式を出して、澤山の酒を飮んだり、煙草を吸つたりしたので、金を皆使つてしまつたと話した。

 「兄は世界中を廻つてね、」彼は云つた。「大そう珍らしい物を見たんだよ。イタリーから來た人や、スペインから來た人や、ポルトガルから來た人のことを話したよ。彼等の話す言葉は英語ではなくて――愛蘭土語みたいな言葉ださうだ。時時わかる言葉がある位だが。」

 私たちは岩の深い裂け目だけにある羊齒の根を充分澤山掘り出した時、私はその友達に幾ペンスかを與へて、家へ送り歸した。

 

 

All the morning I have been digging maidenhair ferns with a boy I met on the rocks, who was in great sorrow because his father died suddenly a week ago of a pain in his heart.

'We wouldn't have chosen to lose our father for all the gold there is in the world,' he said, 'and it's great loneliness and sorrow there is in the house now.'

Then he told me that a brother of his who is a stoker in the Navy had come home a little while before his father died, and that he had spent all his money in having a fine funeral, with plenty of drink at it, and tobacco.

'My brother has been a long way in the world,' he said, 'and seen great wonders. He does be telling us of the people that do come out to them from Italy, and Spain, and Portugal, and that it is a sort of Irish they do be talking--not English at all--though it is only a word here and there you'd understand.'

When we had dug out enough of roots from the deep crannies in the rocks where they are only to be found, I gave my companion a few pence, and sent him back to his cottage.

 

[やぶちゃん注:原文では、次に行空きがなく繋がっているが、分けた。私は個人的に、伝承歌謡採取の狭間に挿入された、この手に取るような原色の映像のシークエンス(炉辺物語の語り映像部分が視覚に暗いだけに)がたまらなく好きだ。タルコフスキイの「鏡」のワン・シークエンスのようではないか。

「くじやく羊齒」“maidenhair ferns”。シダ植物門シダ綱シダ目ホウライシダ科ホウライシダ属クジャクシダ Adiantum pedatum 。若葉は赤みを帯びるが、夏季に緑色となり、冬季に枯れる。和名の由来は、羽状の複葉になった枝を扇のように広げ、それがクジャクの尾羽を連想させることによる。英名“maidenhair”は「オトメノクロカミシダ(乙女の黒髪羊歯)」である。ここでは根を掘っているが、Siro Kurita氏のHP「草と木と花の博物誌」「シダの民族植物誌」の「クジャクシダ」の項に、『この孔雀が尾羽を広げたような美しいシダはヒマラヤから極東アジアを経て北アメリカまで分布している。インド・ネパール・中国での薬用の報告はないが、日本ではアイヌの人たちが葉を揉んで止血に使ったという。北アメリカでは原住民の多くの部族がこのシダを薬用している。例えば、ノースカロナイヤ州やジョージア州のチェロキー(Cherokee)は根茎の煎じ汁をリュウマチの腫れや痛みを和らげるために手で暖めて刷り込んだり、全草の絞り汁を悪寒を伴う発熱が出たときに嘔吐剤として飲ませる。また、喘息病みには葉を粉にして嗅ぎタバコのように鼻から吸い込むと効くという。ウイスコンシン州のメノミニー(Menominee)は赤痢の際の下痢止めや婦人病に根茎の煎じ汁を使う。東海岸沿いに居住するイロコイ(Iroquoi)は煎じ汁を肝臓病に、蛇にかまれたときには葉を叩いて潰したものを傷口に湿布する』。『数万年前、ベーリング海峡を渡って北アメリカに移住していった当時のモンゴロイドたちがすでに知っていた医療の知恵だったのだろう』とある。ここでの採取も私は薬用(の商品原料)と見た(特に先にシングはアランにリューマチが多いことを記してもいる)。もし、これが自家製の自宅用の薬用ではなく、薬用商品の原料であるなら、きっと本土からきた商人に言い値で安く叩かれて、二束三文の代金を貰うのではないか――私はかつて中国の安徽省の山里の青年からもっと悲しい実体験を聞いたことがあるから――と思うと、何だかあやしくものぐるほしくもなってくるのである。]

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