柳
放火、殺人、竊盜、夜行、姦淫、およびあらゆる兇行をして柳の樹下に行はしめよ。夜において光る柳の樹下に。
そもそも柳が電氣の良導體なることを、最初に發見せるもの先祖の中にあり。
手に兇器をもつて人畜の内臟を電裂せんとする兇賊がある。
かざされたるところの兇器は、その生(なま)あたたかき心臟の上におかれ、生ぐさき夜の呼吸において點火發光するところのぴすとるである。
しかしてみよ、この黑衣の曲者(くせもの)も、白夜柳の木の下に凝立する由所である。
[やぶちゃん注:「由所」はママ。筑摩版全集校訂本文では『所以』に強制消毒されてある。「白夜柳」は恐らく「びやくややなぎ」であろうが、特定の種名ではなく、「黑衣の曲者」に応じて幻想された造語と思われる。初出は大正四(一九一五)年二月号『詩歌』。標題は「柳に就て」。以下に示す。太字は底本(筑摩版全集)では傍点「ヽ」である。
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柳に就て
放火、殺人、竊盜、夜行、姦淫、及びあらゆる兇行をして柳の樹下に行はしめよ。夜に於て、光る柳の樹下に行はしめよ。
かかる塲合に於ける、すべての兇行は必ず靈性を生ず。
そもそも、柳が動物電氣の良電體なることを、世界に於て最初に發見せるもの我々の先祖にあり。
しかも極めて不徹底に無自覺に、あまつさへ、傳說的に表現せられしところに新人の增補がある。
手に兇器を所持して人畜の内臟を電裂せんとする兇賊がある。
彼はその愛人の額に光る鑛石を射擊せんとして震慄し、かつ疾患するところの手を所有する。
かざされたるところの兇器は、その生あたたかき心臟の上におかれ、生ぐさき夜の靈智の呼吸に於て、點火發光するところのぴすとるである。而して見よ、この黑衣の曲者も、白夜柳の木の下に停立凝視する由所である。
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なお、筑摩版全集の「草稿詩篇 蝶を夢む」に草稿がある。以下に示す。誤字・脱字及び誤字と思しいもの、歴史的仮名遣の誤りは、総てママである。三行目の数字群は朔太郎が打ったもの。「震りつ」は「震慄」に同じ。
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柳
いまいたむべし夜に於て光る柳の葉は薄き金屬の針碎片である、光る柳の木は畜 霜月動物心理の靈性冬幹樹心あらゆる樹木の中最も靈性を有するところの感電白金體である
およそあらゆる樹木のうち生物の微動物電氣の知感に於て鋭感すること枯霜霜かれ月の柳の如きものはない、
5兇行放火、4姦淫、3夜行、2竊盜、1殺人、云々
されば
みよ彼はつねに柳の木の下にひそみかくる、
彼は手に兇器を所持して、人類の畜の内臟を電裂せんとするところの兇賊であるがある、
彼の眼は闇夜の空に飛鳥を射殺するところの兇器である
彼の手はその愛人の額に光る礦金石を射擊せんとして震りつしその兇器はかつ發光するところの手である、を所有す、
而してみよその兇器は生あたゝき心臟のうヘにおかれ
生ぐさき夜の靈智の呼吸を
墓場より掘屈せられたるところの生膽である、
さて兇器は生れたる胎兒の述走神經である、
みよその兇器は生あたゝき心臟の上におかれ生ぐさき夜の靈智の呼吸に於て點火發光するピストルである、
而してみよこの白金の黑衣の曲者も深白夜、柳の下に停立する由所である、
殺人、强姦、詐僞、竊盜、夜行、あらゆる兇行の行はるゝところに
必ず柳をうえしめよ
あらゆる兇行はその塲合必ず靈性を生ず
かくの如きものは具體的說明は最も進步せる醫 師 學と科學哲理と科學者との說明にまつ外なし、
詩人はこれを直覺すれば足れり、
他物を凝視するとこせよとの謂は自我の心靈を凝視せよの謂なり、人若し自我心靈の發光を感知するとき外物悉く我に傾斜し光輪を有するに至るべし、
ありがたや魚にも
心外無物心内有物(オイケン)
ありがたや魚にも後光(白秋)
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・「自我心靈の」「感知するとき」は筑摩版全集初版では「自我が心靈の」「感知するごとき」となっているが、後の差し込みでかく訂正している。
・「オイケン」ドイツの哲学者でノーベル文学賞受賞者(一九〇八年受賞)であるルドルフ・クリストフ・オイケン(Rudolf Christoph Eucken 一八四六年~一九二六年)。体系的哲学者ではなかったが、生の哲学及び理想主義の立場から多くの著作をものし、日本を含め、国外にも多くの影響を与えた。但し、彼の息子でネオ・リベラリズムの代表者である経済学者ウォルター・オイケン(Walter Eucken 一八九一年~一九五〇年)の方が現行では知名度が高い。さて、この「心外無物心内有物」(「心の外には、物、無し。心の内にのみ、物、有り。」か)であるが、私は父オイケンの著作を読んだことがないので、なんとも言えぬが、これは、彼の示した思想というより、仏教の「心外無別法」(しんげむべっぽう)のことで、「認識していると信じている一切の現象世界は、総てが各自の心識から出たものに過ぎず、別にその物対象が存在するのではないということ」を指しているものと思う。
・「ありがたや魚にも後光(白秋)」不詳。朔太郎の盟友北原白秋の詩歌の一節にでもあるものか? 私は知らない。]