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カテゴリー「萩原朔太郎」の770件の記事

2021/10/20

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 遍路道心 / 現在知られた「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「遍路道心」とは別原稿と推定される

 

  遍 路 道 心

 

きのふにかはるわれの身のうヘ

ゆびはゆびとて十字をきりし

手にも香華(かうげ)はおもたくしをれ

いちねん供養の山路をたどる

ああ道心の秋の山みち

こほろぎの死は銀を生み

つめたく岩魚(いはな)はしりて

遠見(とほみ)に瀧みづのすだれを掛く。

この山路ふかみ

日のぼるれども光を知らず

いちねん供養の坂みちに

われただひとり靑らみて

絕え入るまでも目を閉づる。

絕え入るまでも目を閉づる。

 

[やぶちゃん注:底本では制作年を大正三(一九一四)年九月九日と限定し、『遺稿』とする。筑摩版全集では、「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の中に、同義題名と判断出来る非常によく似た一篇を見出せる。以下に示す。誤字・歴史的仮名遣の誤りはママ。

 

 偏路道

 

いかなればこそ

きのふにかわる我の身のうヘ

ゆびはゆびとて十字をきりし

手にも香華は重たくしほれ

いちねん供養の山路たどる

ああ道心の秋の山路

こほろぎの死は銀を生み

つめたく岩魚はしりて

遠見に瀧水のすだれを懸く

この山路ふかみ

日のぼるれども光を知らず

いちねん供養の坂路に

われたゞ一人靑らみて

絕え入るまでも瞳をとづる

絕え入るまでも瞳をとづる。

 

しかし、これ、比較して見ると、細かな部分で表記の異同が異様に多い。誤字・歴史的仮名遣・踊り字は補正(三ヶ所ある)としても、尋常ではなく、神経症的に、ある、のである。以下の前の頭の数字は削除を含めた上記のノート版の行数を指し、後者は本篇のそれである。

3「きりし」→2「切りし」

4「重たく」→3「おもたく」

5「山路たどる」→4「山路をたどる」

6「山路」→5「山みち」

8「岩魚」《ルビなし》→7「岩魚(いはな)」《ルビあり》

9「瀧水」→8「瀧みづ」

9「懸く」→8「掛く。」《漢字の相違と句点の有無》

12「坂路」→11「坂道みち」

13「一人」→12「ひとり」

14「瞳」→13「目」

14「とづる」→13「閉づる。」《漢字の相違と句点の有無》

15「瞳」→14「目」

14「とづる。」→13「閉づる。」

もある(十三箇所で、先の補正箇所を含めると、実に十六箇所にも及ぶ)。これは、いっかな、いい加減な編集者でもやらかしようのないものであり、本篇は現在知られている「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」と同じものを起こしたものとは、到底、思えない代物であるのである(なお、筑摩書房版全集では、校訂本文で「日のぼるれども光を知らず」を「日のぼれども光を知らず」と消毒している)。これは、今は失われた別な草稿によるものと考えるのが自然である。

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 合唱

 

  合   唱

 

にくしん

にくしん

たれか肉身をおとろへしむ

すでにうぐひす落ちてやぶれ

石やぶれ

地はするどき白金なるに

にくしん

にくしん

にくしん

にくしんは蒼天にいぢらしき涙をながす

ああ なんぢの肉身。

                  ―吾妻にて―

 

[やぶちゃん注:底本では、大正三(一九一四)年八月の作とし、翌大正四年一月の『水甕』初出とする。筑摩版全集でも、当該雑誌の同年一月号とする。初出を示す。歴史的仮名遣の誤り・誤字(誤植)はママ。

 

  合唄

 

にくしん、

にくしん、

たれか肉身をおとろへしむ、

既にうぐゐす落ちてやぶれ、

石やぶれ、

地はするどき白金なるに、

にくしん、

にくしん、

にくしんは蒼天にいぢらしき淚をながす、

ああ、なんぢの肉身。

             ――八月作――

 

当初、底本の「にくしん」の後半の単独の三連呼は、編集者の誤りの可能性が高いようにも思われたが、後書の「吾妻にて」は初出とは異なる別原稿である可能性をも示すものである。実際、筑摩版年譜を見ると、この大正三年八月に例の群馬県吾妻郡中之条町四万の四万温泉積善館に避暑しているからである(十三日に前橋に帰った)。]

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 墓參 /詩集「蝶を夢む」の「輝やける手」の初出形

 

  墓   參

 

おくつきの砂より

けちえんの手くびは光る

かがやく白きらうまちずむの屍蠟の手

指くされども

らうらんと光り哀しむ。

 

ああ 故鄕(ふるさと)にあればいのち靑ざめ

手にも秋くさの香華おとろへ

靑らみ肢體に螢を點じ

ひねもす墓石にいたみ感ず。

 

みよ おくつきに銀のてぶくろ

かがやき指はひらかれ

石英の腐りたる

我れが烈しき感傷に

けちえんの らうまちずむの手は光る。

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。なお、最終行の「らうまちずむ」には傍点はない。底本では、大正三(一九一四)年八月二十日の作とし、翌大正四年一月の『異端』初出とする。筑摩版全集でも、当該雑誌の同年一月号とする。初出を示す。歴史的仮名遣の誤り・誤字はママ。

 

 墓參

 

おくつきの砂より、

けちゑんの手くびは光る、

かゞやく白きらうまちずむの屍臘の手、

指くされども、

らうらんと光り哀しむ。

 

ああ故鄕(ふるさと)にあればいのち靑ざめ、

手にも秋くさの香華(かうげ)おとろへ、

靑らみ肢體に螢を點じ、

ひねもす墓石にいたみ感ず。

 

みよ、おくつきに銀のてぶくろ、

かゞやき指はひらかれ、

石英の腐りたる、

われが烈しき感傷に、

けちゑんの、らうまちずむの手は光る。

           ――一九一四、八、二〇――

 

さて、この詩篇は、後の萩原朔太郎の第三詩集「蝶を夢む」(大正一二(一九二三)年七月十四日新潮社刊)に、「輝やける手」と改題して、以下のように載る。ルビは一切ない。

 

 輝やける手

 

おくつきの砂より

けちゑんの手くびは光る

かゞやく白きらうまちずむの屍蠟の手

指くされども

らうらんと光り哀しむ。

 

ああ故鄕にあればいのち靑ざめ

手にも秋くさの香華おとろへ

靑らみ肢體に螢を點じ

ひねもす墓石にいたみ感ず。

 

みよ おくつきに銀のてぶくろ

かゞやき指はひらかれ

石英の腐りたる

われが烈しき感傷に

けちゑんの、らうまちずむの手は光る。

 

やはり最終行の「らうまちずむ」に傍点はない。]

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 空中樓閣

 

  空 中 樓 閣

 

みそらに都會あり

靑は衣裝

紅は音樂

黃は聖母

菫は榮光

 

みよ魚鳥遠(とほ)きに商(あきな)はれ

ふんすゐをせきめぐるの小路

往來風ながれ

紙(かみ)製の果物ぞならぶ

 

ああしばし

わが念願は鈴をふり

遊樂はみどりなす出窓にいこふ

 

音もなきみ空の都會

しめやかに みなみへながれ行方を知らず

はれるや。

 

[やぶちゃん注:底本では制作年を大正三(一九一四)年八月とし、『遺稿』とする。筑摩版全集では、「未發表詩篇」にある。以下に示す。

 

  空中樓閣

 

みそらに都會あり、

靑は衣裝、

紅は音樂、

黃は聖母、

菫は榮光、

 

みよ魚鳥遠(とほ)きに商(あきな)はれ、

ふんすゐをせきめぐるの小路、

往來風ながれ、

紙(かみ)製の果物ぞならぶ、

 

ああしばし、

わが念願は鈴をふり、

遊樂はみどりなす出窓にいこふ、

 

音もなきみ空の都會、

しめやかにみなみへながれ行方を知らず、

はれるや。

 

とある。同一の原稿と考えてよかろう。]

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 交歡記誌

 

  交 歡 記 誌

 

みどりに深き手を泳がせ

凉しきところに齒をかくせ

いま風ながれ

風景は白き帆をはらむ

きみはふんすゐのほとりに家畜を先導し

きみは舞妓たちを配列し

きみはあづまやに銀のタクトをとれ

夫人よ おんみらはまた

とく水色の籐椅子(といす)に酒をそそぎてよ

みよ ひとびときたる

遠方より魚を光らし

遊樂の戯奴は靴先に鈴を鳴らせり。

ああいま新らしき遊戯は行はれ

遠望の海さんさんたるに

われ諸君とゆびさし

眺望してながく塔下に演說す。

 

[やぶちゃん注:底本では大正三(一九一四)年七月『創作』初出とする。筑摩版全集では、同年同月号の同雑誌を初出とする。初出形を示す。

 

  交歡記誌

 

みどりに深き手を泳がせ

凉しきところに齒をかくせ

いま風ながれ

風景は白き帆をはらむ

きみはふんすゐのほとりに家畜を先導し

きみは舞妓たちを配列し

きみはあづまやに銀のタクトをとれ

夫人よ、おんみらはまた

とく水色の籐椅子(といす)に酒をそそぎてよ

みよ、ひとびときたる

遠方より魚を光らし

先頭にある指もで十字を切るごとし

女は左に素脚をひからし

男は右にならびて杖をとがらす

みよ愛は行列のしりへに跳躍し

淫樂の戲奴は靴先に鈴を鳴らせり。

ああ、ともがらはしんあいなり

遊樂は祈禱の沒落

靈肉の音の交歡

いま新らしき遊戲は行はれ

遠望の海さんさんたるに

われ諸君とゆびさし

眺望してながく塔下に演說す。

 

であるが、編者注があり、『右の十二――十五行、十七――十九行を削除し、十二行目の冒頭に「ああ、」を加えている掲載誌が殘っている』とある。それに従って、整序したものを以下に示す。

 

  交歡記誌

 

みどりに深き手を泳がせ

凉しきところに齒をかくせ

いま風ながれ

風景は白き帆をはらむ

きみはふんすゐのほとりに家畜を先導し

きみは舞妓たちを配列し

きみはあづまやに銀のタクトをとれ

夫人よ、おんみらはまた

とく水色の籐椅子(といす)に酒をそそぎてよ

みよ、ひとびときたる

遠方より魚を光らし

淫樂の戲奴は靴先に鈴を鳴らせり。

ああ、いま新らしき遊戲は行はれ

遠望の海さんさんたるに

われ諸君とゆびさし

眺望してながく塔下に演說す。

 

この読点二箇所を除去し、「淫樂」を「遊樂」にすると、本篇となることから、これは、同じ修正雑誌をもとにしつつ、初期形にあった「遊樂」を「淫樂」に取り違えたもののように思われる。因みに、「戲奴」は道化で「ジョーカー」と読んでいるものと私は思う。仮にルビを想起するなら、「ジヨーカー」「ヂヤウカア」「ヂヤオカア」などがあるようである。]

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 純銀の賽

 

  第三(『月に吠える』時代)

 

 

  純 銀 の 賽

 

みよわが賽(さい)は空にあり

空は透靑

白鳥はこてえぢのまどべに泳ぎ

卓は一列

同志の瞳は愛にもゆ

 

みよわが賽は空にあり

賽は純銀

はあとの「A」は指にはじかれ

緑卓のうへ

同志の瞳は愛にもゆ

 

みよわが光は空にあり

空は白金

ふきあげのみづちりこぼれて

わが賽は魚となり

卓上の手はみどりをふくむ。

 

ああいまも想をこらすわれのうへ

またえれなのうへ

愛は祈禱となり

賭博は風にながれて

さかづきはみ空に高く鳴りもわたれり。

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「ヽ」。底本巻末の「詩作品年譜」では、大正三(一九一四)年八月三十一日の制作年月日を示し、大正三年十月の『地上巡禮』を初出とする。筑摩版全集でも「拾遺詩篇」に同雑誌同月号を初出として載る。初出形を示す。

 

 純銀の賽

 

みよわが賽(さい)は空にあり、

空には透靑、

白鳥はこてえぢのまどべに泳ぎ、

卓は一列、

同志の瞳は愛にもゆ、

 

みよわが賽は空にあり、

賽は純銀、

はあとの「A」は指にはじかれ、

綠卓のうへ、

同志の瞳は愛にもゆ。

 

みよわが光は空にあり、

空は白金、

ふきあげのみづちりこぼれて、

わが賽は魚となり、

卓上の手はみどりをくむ。

 

ああいまも想をこらすわれのうへ、

またえれなのうへ、

愛は祈禱となり、

賭博は風にながれて、

さかづきはみ空に高く鳴りもわたれり。

            ―八月三十一日―

 

本篇とは、第三連の最後が異なる。しかし、これは筑摩版の方が正しいようである。「含む」ではイメージとしてはおかしいとは言えぬものの、どうも前との連関が悪く、「汲む」ですんなりと読める。]

2021/10/18

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 罪の巡禮 / 本篇を含む四篇が記された原稿を復元 「第二(淨罪詩篇)」~了

 

  罪 の 巡 禮

 

われは巡禮

わがたましひはうすぎそめ

てのひらに雪をふくみて

ほの光る地平をすぎぬ。

 

[やぶちゃん注:底本では『遺稿』とし、推定で大正四(一九一五)年とするが、これは幾つかの理由から大正三年の可能性が高い(以下に述べるように、同じ原稿に大正三年に書かれたと推定される「春日詠嘆調」が記されてあるからである)。筑摩版全集では、「未發表詩篇」に以下のように載る。

 

  われは罪の巡禮

 

われは巡禮

わがたましひはうすぎそめ

てのひらに雪をふくみて

ほの光る地平をすぎぬ

 

と最後の句点を除き、相同である。編者注があり、『以上「窓」「(指と指とをくみあはせ)」「罪の巡禮」と拾遺詩篇「春日詠嘆調」の草稿の四篇は同じ原稿用紙に書かれている』とある。「窓」は、先の「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 (無題)(犯せるつみの哀しさよ) / [やぶちゃんの呟き:原稿は、これ、不思議なパズルのようである。]」の注で、「(指と指とをくみあはせ)」も「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 (無題)(指と指とをくみあはせ)」でそれぞれ電子化してある。「春日詠嘆調」の草稿も『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 述懷 (「春日詠嘆調」の草稿)』の注で電子化した。煩を厭わず、原稿を復元してみよう。順番は編者注に従い、各詩篇の間は二行空けた。無題のものは、「○」はない可能性があるが、判りにくくなるので、そのままとした。傍点「ヽ」は太字に代えた。

   *

 

 たそがれ

 窓

 

犯せるつみのかさしさよ

日もはやたそがれとき

3いえすの素足やわらかに

4ふりつむ雪のうへをふみゆけり

2うすぎの窓にたれこめて

1犯せるつみのかさしさよ

ざんげの淚せきあへず

1 2日もはやたそがれにちかけれづけば

 

 

  ○

 

あなたのとほとき奇蹟(ふしぎ)により

~~~~~~~

指と指とをくみあはせ

高くあげたるつみびとの

かゝるあはれいのりの手のうえに

まさをの雪はまさにふりつみぬ、

 

 

  われは罪の巡禮

 

われは巡禮

わがたましひはうすぎそめ

てのひらに雪をふくみて

ほの光る地平をすぎぬ

 

 

  ○

 

ああいかれはこそきのふにかはる

きのふにかわるわが身のうへとはなりもはてしぞ

けふしもさくら芽をつぐのみ

利根川のながれぼうぼうたれども

あすはあはれず

あすのあすとてもいかであはれむ

あなあはれやぶれしむかしの春の

みちゆきのゆめもありやなし

おとはてしみさろへすぎし雀の子白雀の

わが餌葉をばゆびさきに羽蟲などついばむものをしみじみと光れるついばむものを。

 

 

  述懷

     ――敍情詩集、滯鄕哀語扁ヨリ――

 

ああいかなればこそ、

きのふにかはるわが身のうへとはなりもはてしぞ、

けふしもさくら芽をつぐのみ、

利根川のながれぼうぼうたれども、

あすはあはれず、

あすのあすとてもいかであはれむ、

あなあはれむかしの春の、

みちゆきのゆめもありやなし、

おとろへすぎし白雀の、

わがゆびさきにしみじみとついばむものを。

 

   *

現在、これらを一緒に纏めて見ることは、出版物では不可能である。しかし、或いは、ここにこそ、萩原朔太郎の詩作の共時的感覚が見えてくると言えないだろうか?

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 (無題)(犯せるつみの哀しさよ) / [やぶちゃんの呟き:原稿は、これ、不思議なパズルのようである。]

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 (無題)(犯せるつみの哀しさよ) / [やぶちゃんの呟き:原稿は、これ、不思議なパズルのようである。]

  

 

犯せるつみの哀しさよ

うすぎの窓にたれこめて

日もはやたそがれにちかづけば

いえすの素足やはらかに

ふりつむ雪のうへをふみゆけり。

 

[やぶちゃん注:底本では『遺稿』とし、推定で大正四(一九一五)年とする。筑摩版全集には「窓」というちゃんと題名を持った酷似するもの(整序すると順序が異なるが、各詩句は相同)が載るが、原稿は複雑を極める。以下に示す。誤字・歴史的仮名遣の誤りはママ。

 

 たそがれ

 窓

 

犯せるつみのかさしさよ

日もはやたそがれとき

3いえすの素足やわらかに

4ふりつむ雪のうへをふみゆけり

2うすぎの窓にたれこめて

1犯せるつみのかさしさよ

ざんげの淚せきあへず

1 2日もはやたそがれにちかけれづけば

 

行頭の数字は朔太郎自身が附したもの、という注がある。しかし、この最後の詩句は朔太郎が一行目或いは二行目に配するか、並置した記号と読める。筑摩版の校訂本文では、それについて何も言わず、以下のように消毒・整序してしまっている。

 

 窓

 

犯せるつみの哀しさよ

日もはやたそがれにちかづけば

うすぎの窓にたれこめて

いえすの素足やはらかに

ふりつむ雪のうへをふみゆけり

 

編者は「1 2」を――「1」と「2」間に入れる――と解釈したとしか思われないのだが、果してこれでいいのだろうか? だったら、前の数字を削除して書き換えるであろう。先の私の推理によるなら、

   *

 

 窓

 

日もはやたそがれにちかづけば

犯せるつみの哀しさよ

うすぎの窓にたれこめて

いえすの素足やわらかに

ふりつむ雪のうへをふみゆけり

 

   *

か、或いは、

   *

 

 窓

 

犯せるつみの哀しさよ

日もはやたそがれにちかづけば

うすぎの窓にたれこめて

いえすの素足やわらかに

ふりつむ雪のうへをふみゆけり

 

の孰れかに迷ったものと考えられる。小学館版の編者は、同じ詩稿を見て、「1 2」を――1」と「2」後に入れる――と解釈したのであろう。最早、朔太郎に聴くわけにはゆかぬが、個人的には「うすぎ」(「薄黃」或いは「薄絹」の略か)「の窓にたれこめ」るものは「たそがれにちかづ」いた「日」の残光なのではなく、「犯せるつみの哀しさ」なのだと思う。さすれば、小学館版が私にはしっくりくる。とんだパズルだが、それぞれの読者にお任せしよう。にしても、「窓」という題名を記さない本篇は、或いは、最早、失われた推敲原稿なのかも知れない。]

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 行路

 

  行   路

 

わがゆくときにいぢらしく

ひとりはみなみをさしたまふ

わがゆくときにほこらしく

ひとりはみなみをさしたまふ

みんなみにあをきうみありて

われのこひびと

われのやそ

つねにみなみをさしたまふ。

 

[やぶちゃん注:太字「やそ」は底本では傍点「ヽ」。底本では『遺稿』とし、推定で大正四(一九一五)年とする。筑摩版全集では「未發表詩篇」に載る。以下に示す。

 

 行路

 

わがゆくときにいぢらしく

ひとりはみなみをさしたまふ

わがゆくときにほこらしく

ひとりはみなみをさしたまふ

みんなみにあほきうみありて

われのこひびと

われのやそ

つねにみなみをさしたまふ。

 

で、「あほき」はママである。推定年も齟齬はしないであろう位置にはあるが、大正三年の可能性もある。]

「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第二(淨罪詩篇)」 (無題)(指と指とをくみあはせ)

 

  

 

指と指とをくみあはせ

高くあげたるつみびとの

あはれいのりの手のうへに

雪はまさにふりつみぬ。

 

[やぶちゃん注:底本では『遺稿』として推定で大正四(一九一五)年作とする。筑摩版全集では「未發表詩篇」に所収するものがあるが、ちょっと問題がある。以下に示す。歴史的仮名遣の誤りはママ。

 

  ○

 

あなたのとほとき奇蹟(ふしぎ)により

~~~~~~~

指と指とをくみあはせ

高くあげたるつみびとの

かゝるあはれいのりの手のうえに

まさをの雪はまさにふりつみぬ、

 

とあり、編者注で『本稿一、二行目は第三行目以下とつながらないので、抹消されていないが』、『上欄本文には採らなかった』として、校訂本文は一・二行目と波線を除去し、歴史的仮名遣を修正、最後の読点を除去した形で載っている。本篇はこれと同じ原稿を整序したものと推定される。]

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