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カテゴリー「中島敦漢詩全集 附やぶちゃん+T.S.君共評釈」の16件の記事

2013/08/29

中島敦漢詩全集 十六

  十六

 

 贈安田君 三首

 

平生獨訝閑人意

攀柳折花非我事

月夕花朝屑々過

壯年未識佳人涙

 

侃々悲歌慷慨人

※々諤々激聲頻

精根滿溢歎無事

可惜春來未識春

 

營々黽勉無他思

勤恪直言廉吏類

短矮無髯似少年

斯兒未習三杯醉

 

[やぶちゃん補注:底本解題に『「贈安田君」とあるのは横濱高等女學校時代の同僚である安田秀文氏のことで、昭和九年四月から十四年六月まで同校で國語を教へてゐた。同氏によれば、以下の同僚教師に宛てた漢詩』(後に続く十四・十九・二十一・二十二・二十五の漢詩五首を指す)『は、昭和十年末から十一年にかけて、折々に教員室で披見されたといふ』とある。安田秀文氏については現在のところ、これ以上の情報を入手し得ない(筑摩版新全集別巻には「中島さんと一緒に勤めて」という文章が載るが、私は所持しておらず、未見である。T.S.君も評釈の最後で述べておられるように、その文章の中に本詩を正統に解釈するための重要な何かが潜んでいる可能性はすこぶる高い。向後、機会を見て披見し、T.S.君と再考察しようと考えている)。]

[やぶちゃん字注:「※」=「口」(へん)+「如」(つくり)。本来は語釈で述べるところであるが、この漢字、「廣漢和辭典」にも所載せず、ネット上で検索をかけてみても、それらしいものが見当たらず、私には全くのお手上げ状態であった。但し、これではまず素読自体が出来ないのが癪に障る。そこでここについては、先にT.S.君による本字についてのみの考証を掲げ、これを誤植と判断し、T.S.君の推定に基づいた正しいと思われる(これならば素読して意味が分かる)ものに改稿した全首を再度掲げて進行させたいと考える。以下、当初の彼との遣り取りの来信から、T.S.君からの『※々」についての考察』を全文引用する(下線部や一部の鉤括弧等は私が施した)。

   《引用開始》

   「※々」についての考察

 まず口へんに如という字を、現代から古典にわたる中国語の中で調べてみましたが、見出すことができませんでした。そこで意味を推定してみました。前後の詩意や、直前の句と対を成すこと、などを考え合わせると、ここは『正論を吐いている安田君の勢いの盛んなさま』を表す言葉が来ると思われます。そこでもう一度辞書を眺めていると、似ている字形で「呶」nao2という字があり、重ねて「呶呶」nao2nao2 としても用いられることが判りました。意味は、「一文字で、やかましいこと」で、二つ重ねて「呶呶」とすると、「話がくどいさま」を表わします。この字の誤植ではないだろうかという疑念が脳裏を掠めます。「直情でまじめ一点張りの」正義漢も、度が過ぎると、「ごく軽い反感」と、「滑稽」と、「哀愁」さえ漂います。ただし、実はこんな安田君に対して、詩人は本当はどうも親しみと愛情を感じているらしいそうでなければ詩など贈らないでしょう)。従ってここで新たに、「やかましい」という負の感覚を付加したところで大きな問題はないと思われます。よくよく考えれば詩の内容から見て、何事も論理で「直線的に切り分け」たり、「義を基準にものごとの正否を裁断した」りし、それを「堂々と」主張するようなタイプと推察される安田君のことを、詩人は時に「やかましく」も感じたでしょうし、誰もが分かるような正論を長々と聞いていれば、「くどい」とも感じたでしょう。ですから、あくまで愛情が籠められているという条件で、この「呶呶」を用いることも許されると感じています。いかがでしょうか。

   《引用終了》

 私は以上のT.S.君の考証に全面的に賛同するものである。万一、この「※」の字が存在する、若しくは「呶々」の誤植ではなく別字の誤植であると主張される方があられる場合は、T.S.君と三者で検討させて戴きたく、まずは私藪野直史に御連絡頂きたい。よろしくお願い申し上げる。

 それでは、以下、改めて「呶々」とした形で、三首全文を示す。

 

 贈安田君 三首

 

平生獨訝閑人意

攀柳折花非我事

月夕花朝屑々過

壯年未識佳人涙

 

侃々悲歌慷慨人

呶々諤々激聲頻

精根滿溢歎無事

可惜春來未識春

 

營々黽勉無他思

勤恪直言廉吏類

短矮無髯似少年

斯兒未習三杯醉

 

○やぶちゃんの訓読

 

 安田君に贈る 三首

 

平生(へいぜい) 獨り訝(いぶか)る 閑人(かんじん)の意

攀柳折花(はんりうせつくわ) 我が事に非ず

月夕花朝(げつせきくわてう) 屑々(せつせつ)として過ぐ

壯年たるも 未だ佳人の涙を識らず

 

侃々(かんかん)として 悲歌慷慨の人

呶々諤々(だうだうがくがく) 激聲(げきしやう) 頻(ひん)たり

精根(せいこん)滿溢(まんいつ) 無事(むじ)を歎ず

惜しむべし 春 來るも 未だ春を識らざるを

 

營々(えいえい)たる黽勉(びんべん) 他思(たし)は無く

勤恪(きんかく)たる直言(ぢきげん) 廉吏(れんり)の類(るゐ)

短矮(たんわい) 無髯(ぶぜん) 少年に似(に)たり

斯(こ)の兒(じ) 未だ三杯の醉(ゑひ)を習(し)らず

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

「閑人」字義からいえば暇な人のことであるが、ここでは季節の移ろいや人生の様々な出来事の中で、折に触れ自ら進んで美しいものを愛でては、その感興に浸るような人を指す。

「攀柳折花」字面からは、柳によじ登り花を折る、となるが、ここでは「閑人」と同様、季節を愛で、美しいものを積極的に味わう態度のこと。

「月夕花朝」中国語で「花朝月夕」といえば佳節の美景を指す。また文字通り解釈すれば、月の夜と佳き日のことである。しかしここは、その時々の美しさに満ちた季節の移ろいのことであろう。

「屑々」バタバタと忙しい様子。

「佳人涙」広義に捉え、恋愛の情趣そのものと解釈したい。

「侃々」話が理にかない、勢いがよく、堂々としているさま。

慷慨」義憤に燃えて激昂すること。

・「呶々」底本は「※々」〔「※」=「口」(へん)+「如」(つくり)〕。[やぶちゃん注:「呶々」とした経緯や意味については前掲のT.S.君の『「※々」についての考察』を参照されたい。]

「諤々」直言するさま。

・「營々」行ったり来たりするさま、齷齪するさま。

「黽勉」努力。

「勤恪」慎み勤しむさま。

「廉吏」清廉潔白な役人。

・「三杯醉」表面上は酒を三杯飲んだだけで酔うこと。もともとは、すぐに酔ってしまうというニュアンスを籠めた言葉である。ただしここでは、単に酒に酔うことであると解釈してよいだろう。なお、「三」は、特に深い意味はないものの、数としての切れの良さと言い回しの快さのために使われやすい数字である(日本にも「駆け付け三杯」などという言い回しもあることが想起される)。

 

T.S.君による現代日本語訳

 

 安田君に贈る 三首

 

風流生活 そんなの知らない

花鳥風月 カンケイなさそう

節季や節句も 変わらず多忙

いい歳なのに 恋も識らない

 

言葉は真直ぐ 嘆いて怒って

いつでも口から 熱いほのお

やる気満々 二の腕をさすり

春が来たって 気にも留めず

 

願いはいつも たゆまぬ努力

勤勉 正直 まさに模範官吏

髯無しちびっこ まるで少年

この男 いまだに酒を知らず

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 今更ながら思う。

 中島敦……なんという自由な明るい詩魂であろうか。

 中国古典に取材した幾篇かの小説によって彼を識った私にとって彼の肖像は、運命の嵐に翻弄されながらも歯を食いしばって自分の足で立つ人間、そんな人間の、か弱いけれども崇高な魂を讃える者のそれであった。さらには、持病の喘息と闘う悲壮感に満ちた漢学者のそれであった。

 ところが、この詩を見よ!

 同僚の人となりを、肩の力を抜き、ごく軽い揶揄を籠めて軽妙に描写している。悲壮な漢学者の面影はほとんど見られない。

 さらには、図らずも露わになった人生に対する詩人の態度にも注目したい。

 安田君に欠けている、と詩人が判断するものは何であろうか。

 それは、花鳥風月を愛でる心、恋、酒の三つである。

 対する詩人は、魂を痺れさせるところのそれらの味を、十二分に知っている。それらの何事にも換え難い価値も、また知っている。詩人はこれらを識ることの意味や大切さを、漢詩中で大胆にもしっかりと肯定的に表明しているのである。

 実は私にとっても、これら無しの人生など考えたくない。

 百歩譲って酒や花鳥風月は措くとしても、恋のない人生など、想像しただけで恐ろしい。私は信じる。中島敦も同様であったと。なぜなら、魂の深みを覗き込む恋という深刻な体験がなければ、人間の弱さと強さを同時に描く彼の鋼のような文学は到底生まれなかったはずだから。

 

 しかし誤解してはならない。

 詩人は決して安田君を批判しているのではない。憐れんでいるのでもない。人がこれらを知るべきだなどという不遜な言葉を、彼は決して口にしない。

 人生を彩る(というよりも、人生の謎さえ内包する)これらの体験から生まれる喜びには、それ以上の哀しみが、必ず付き纏うであろう。

 これらを知らないままに義や理想を熱く語る安田君に対して、詩人はかすかな羨望を抱きながら(と言い切ってしまっても、いいかもしれない)、彼の姿を清清しく捉えるのだ。

 読者は、行間から立ち上る、かの同僚に対する暖かい思いを感じないであろうか。私には詩人の微笑が目に見える。

 

 この詩に接して即座に思い出される歌がある。読者の多くも必ずや想起されたに違いない。

 

 やは肌のあつき血汐にふれも見でさびしからずや道を説く君

(与謝野晶子「みだれ髪」)

 

 これは女性の歌だからであろうか、生殖を司る不思議な艶かしい力や、哺乳類の体温を、どこか強く感じさせる。

 男性にとっての恋は、往々にしてこれとは異なるものだ。

 いわば観念の世界で完結してしまいがちなのだ。

 この漢詩も例外ではない。

 男性の言及する恋らしく、どこか観念的に勝ったものを感じさせる。

 とはいえ、だからこそであろうか、私自身は与謝野晶子よりも中島敦により強く共鳴してしまうことを自白する。

 男性と女性の差異を簡単に総括してしまうことに対して、首を傾げる方もおられよう。それでは、この一首を現代女性が詠じたものも挙げておこう。

 

 燃える肌を抱くこともなく人生を語り続けて寂しくないの

(俵万智「チョコレート語訳みだれ髪」)

 

 男性は決してこんな風に歌わない。

 歌いたくても、歌えないのである。

 それでも乱暴だとおっしゃる方のために、最後に男性による強靭なる応援歌を頼もう。

 

 それ程女を見縊(みくび)つてゐた私が、また何うしても御孃さんを見縊る事が出來なかつたのです。私の理窟は其人の前に全く用を爲さない程動きませんでした。私は其人に對して、殆ど信仰に近い愛を有つてゐたのです。私が宗教だけに用ひる此言葉を、若い女に應用するのを見て、貴方は變に思ふかも知れませんが、私は今でも固く信じてゐるのです。本當の愛は宗教心とさう違つたものでないといふ事を固く信じてゐるのです。私は御孃さんの顏を見るたびに、自分が美くしくなるやうな心持がしました。御孃さんの事を考へると、氣高い氣分がすぐ自分に乘り移つて來るやうに思ひました。もし愛といふ不可思議なものに兩端(りやうはじ)があつて、其高い端(はじ)には神聖な感じが働いて、低い端(はじ)には性慾が動いてゐるとすれば、私の愛はたしかに其高い極點を捕(つら)まへたものです。私はもとより人間として肉を離れる事の出來ない身體(からだ)でした。けれども御孃さんを見る私の眼や、御孃さんを考へる私の心は、全く肉の臭を帶びてゐませんでした。

(夏目漱石「こゝろ」より。引用は藪野先生作成になる同初出版「心」の「先生の遺書(六十八)」を用いた)

 

 私が男だからであろうか。私は、中島敦の言う『佳人の涙』を、「こころ」の先生の言うところの意味において明確に想像できるのである。

 

 ところで愛すべき安田君は、この後、どのような人生を過ごしたのであろうか。いつの日か、ついに恋を覚えることになったであろうか。酒の味にも親しんだであろうか。彼をも例外なく待ち受けていたであろう人生の悲哀によって、彼の心はささくれ立つこともあったであろう。その心の傷口に、花鳥風月が沁み入る陶酔の機会は、果たして巡ってきたであろうか。

 彼はこの詩を贈られて、どう感じただろう。温かみを持つ適確な指摘に苦笑したことだろうか、それとも密かに顔を赤らめたであろうか……。私は中島敦から詩を贈られた安田君に対し、僅かながらではあるが、嫉妬を禁じえないのである。彼が中島敦を回想した文章というものがあると聞いた。いつか読む機会があれば、と願っている。

2013/07/31

中島敦漢詩全集 十五

  十五

 

 日曜所見

 

落葉空林徑

相逢碧眼孃

嬌嫣牽狗去

猶薰素馨香

 

○やぶちゃんの訓読

 

落葉 空林の徑(こみち)

相ひ逢ふ 碧眼の孃

嬌嫣(けいえん)として狗(いぬ)を牽きて去んぬ

猶ほ素馨香(そけいかう)の薰んずるがごとし

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「空林」悉く落葉した林。

・「碧眼」ここでは白色人種の青い瞳を指す。

・「」ここでは年若い女性を指す。

・「嬌嫣」「嬌」は愛くるしい。「嫣」は容貌が美しい。従って、美しく愛くるしいさま。

・「」犬

・「」「~のようである」との意の他に、「いまだに」との意がある。この詩では前者の意で捉えることもできるが、読者に陶酔をもたらす詩の余韻が増幅されることを期待し、敢えて「いまだに残り香が漂っている」というニュアンスを大幅に意識したい。

・「」「草花の香り」という名詞的用法もあるが、動詞として「熏」と同音同義で用いられることもある。すなわち、いぶすこと、鼻をつくこと。ここでは動詞として解釈し、「香る」という意に捉えたい。

・「素馨」ソケイ、別名ジャスミン。なお、現代中国語で花の名としてのジャスミンは「茉莉花」である。

 

T.S.君による現代日本語訳

 

 ある日曜の邂逅

 

幹と枝だけの疎林に冬陽が射し込む キラキラと――梢に透ける天空――

落葉散り敷く小径で行き遇ったのは――異国の少女 ブルーの瞳輝く――

犬を引く――その愛くるしい顔 スラリと伸びた手足 ステップ軽く――

擦れ違う――刹那私の顔を撫でたジャスミンの淡い夢 消えぬ残り香――

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 顔に当たる微風の、透明な、乾いた、肌に心地よい冷たさ――。

 どんな小さな音をも遠くまで忠実に伝える、適度な緊張を孕んだ冬の大気――。

 ふと道端の、どこまでも明るい疎林の奥を見透かせば、冬の陽が、樹々の間を縫って、しっかり斜めに射し込み、地面に達しているのが見える。その光線の眩い燦めき――。

 気づけば、冬の雑木林の底に積もった落ち葉を踏みしめる、乾いた私の足音――。

 

 さて、そこへいつの間にか別の乾いた足音が混じる。ああ、向こうから少女がやって来たのだ。それにしては、どうも足音が多い……。そうか、犬も一緒なのか。そういえば犬の息も聞こえるではないか。彼らはぐんぐん近づいて来る。ああ、青い瞳――異国の少女! そして彼女の子鹿のような肢体と、取り澄ましながらも頬はやや上気した愛くるしいその表情が、あっという間に私と擦れ違って行く。

 

 西洋の少女が持つ、日本の少女が持ち得ない軽やかさ――言うまでもなく、肌や眼や髪の色、洋服などに起因する軽み(仮にここを日本の少女で代替してみよう。詩世界が一気に瓦解するのが、読者にもお分かりいただけるであろう)――。

 同時に、西洋の少女だからこそ詩人や読者に感得させられること……、日本の土地から遊離することで実現する夢――お伽話的な魔法による、風土への絆との一時的遮断――。

 そして、犬を連れての散策であることから生じる心理的な軽やかさ――同時に、犬の速い足に合わせるための物理的な足取りの軽さ――。

 また、愛くるしい少女に触発された詩人の泡立つ心――。

 最後に――ほのかに、しかしいつまでも漂う――淡く、軽く、心持ち華やかなジャスミンの芳香――。しかも――それは、体温を持ち、溌溂と生きている生身のその少女から発せられた微香――。

 

 全ての舞台設定がこんなにも素直に、そしてこんなにも見事に、詩世界の構築に寄与しているなんて! しかも、全ては当たり前のようにごく自然に立ち現れる。作為的な場面設定の仕儀を全く感じさせないのだ。その結果、詩人の歩む林は、いつの間にか、西洋の少女にこそ似つかわしい林、すなわち国木田独歩(中島敦が生まれた前年にこの世を去った)が発見し定着させた『武蔵野』の林――近代的景観としてのスマートなそれが、読者の心の中に見事に立ち上がる。以下、当該作中の絶唱(私はそう信じている)とも言うべき二箇所を引用する[やぶちゃん注:二箇所の引用はT.S.君の指定箇所に従い、作成した「武蔵野」初版本底本のテクストより引用した。一部にある脱字補填の記号を省略した。]。

 

   *   *   *

 

楢の類だから黄葉する。黄葉するから落葉する。時雨が私語く。凩(こがらし)が叫ぶ。一陣の風小高い丘を襲へば、幾千萬の木の葉高く大空に舞ふて、小鳥の群かの如く遠く飛び去る。木の葉落ち盡せば、數十里の方域に亘(わた)る林が一時に裸體(はだか)になつて、蒼(あを)ずんだ冬の空が高く此上に垂れ、武藏野一面が一種の沈靜に入る。空氣が一段澄みわたる。遠い物音が鮮かに聞へる。

 

       §

 

鳥の羽音、囀る聲。風のそよぐ、鳴る、うそぶく、叫ぶ聲。叢(くさむら)の蔭、林の奧にすだく虫の音。空車(からぐるま)荷車(にぐるま)の林を廻(めぐ)り、坂を下り、野路(のぢ)を横ぎる響。蹄で落葉を蹶散(けち)らす音、これは騎兵演習の斥候か、さなくば夫婦連れで遠乘に出かけた外國人である。何事をか聲高(こわだか)に話しながらゆく村の者のだみ聲、それも何時しか、遠ざかりゆく。獨り淋しさうに道をいそぐ女の足音。遠く響く砲聲。隣の林でだしぬけに起る銃音(つゝおと)。自分が一度犬をつれ、近處の林を訪ひ、切株に腰をかけて書(ほん)を讀んで居ると、突然林の奧で物の落ちたやうな音がした。足もとに臥(ね)て居た犬が耳を立てゝきつと其方を見つめた。それぎりで有つた。多分栗が落ちたのであらう、武藏野には栗樹(くりのき)も隨分多いから。

 

   *   *   *

 

 私たちは、この詩の出来事を、いかにも実際に経験しそうではないか。いや、そうではない! 本当に、昔どこかで経験したのではないだろうか? 誰にもそんなデジャ・ヴュを感じさせるものが、この詩には、確かに、ある。

[やぶちゃん注:私はこの漢詩と、次に示す中島敦の「小笠原紀行」の二首に現われる少女がオーバー・ラップすることを禁じ得ないということをここに特に注しておきたく思う(「帰化人部落」という前書を持った三首より二首。一首目の前にある前書も示した)。

  

    奧村に歸化人部落あり、もと捕鯨を業とする亞米利加人なりしといふ

小匝(こばこ)もち娘いで來ぬブルネット眼も黑けれど長き捷毛や

紅(あか)き貝茶色の貝(かひ)と貝つ物(もの)吾にくるゝとふ歸化人娘

 

リンク先は私のブログの当該歌群三首。]

 

 詩人はリラックスしている。肩に力など入っていないし、拳を握ってなんかいない。眉間に皺など寄せていないし、ため息などついてもいない。……

――冬の低い太陽に照らされた詩人の顔が

――口元にほんの少し湛えられた笑みが

見える。……

――足を止め、耳を澄ませて、少女の去った小路を振り返り

――ただ静かに佇んで眺めている詩人の姿が

見える。……

 

 中島敦という詩人が持っていた懐は、実は非常に深いのだ。こんなにも明るい、塵労を感じさせない、きらめく一種の情趣を、顔を上げて、ひたすらに自然体で歌うこともできるなんて……。そして驚くべきことに、純粋で確固たるこの詩境!

 私には、かすかに聞こえる。この情景には、他でもない、ショパンが、最も似合うのではないか……。曲は――? そう、エチュード十三番変イ長調……。

[やぶちゃん注:ショパンのエチュードの傑作中の傑作、第十三番変イ長調(Op.25-1)「エオリアンハープ」(シューマンの命名)はまた、「牧童」という別名をも持つ。これはショパンが雨宿りの牧童が静かに笛を吹く姿を想像して作ったという伝聞に基づく。リンク先は、私が選んだ“Wilhelm Backhaus plays Chopin Etudes Op.25”である。]

 

 なお、私はこの詩を、敢えて対比させることはしたくない……当時の日本の世相――頭に血が上って視野が狭まり、全世界を相手にヒステリックな喧嘩を売りまくろうとしていた世の中――とは……。そんなことは、決してしたくないのだ。この詩はこれだけでもう、完璧なのだ。ほかの何ものの付加も説明も要らない。ましてや、大上段に構えた抽象的な社会のことなど、いかなる理由があっても、何があっても、偉そうに改めて持ち出したくないのだ……。

 

 ところで、私は『詩世界の構築』と書いた。しかし、この詩世界は、殊更に作為された痕跡が殆ど見られず、この上なく自然であるように感じられる。これはまた、架空の設定ではなく、詩人が実際に経験した事実に基づくものであるからに違いない。

 彼は横浜に住んでいた。西洋人も多かった。大戦前の世情騒然としつつある時代でも、横浜には多くの外国人が住んでいた。とりわけ、彼が奉職していた学校のあった元町に隣接した山手の丘の上には、明治以来の日本にあって、独特の異国情緒豊かな一角があった。

 そして林。山手の丘の上で林といえば、我々は真っ先に根岸森林公園を想起する。しかしそこは旧根岸競馬場であった。中島敦が亡くなった一九四二年に中止されるまで、競馬は開催されていたらしいから、詩の舞台として、直接結びつける訳にはいかない。しかし、山手の丘の上は、今よりずっと長閑で、雑木林なども点在していたと考えてよかろう。少なくとも、急な傾斜地まで何かに憑かれたように宅地造成してしまう現代とは明らかに異なっていた。

 日本でありながら、日本でないような空気を、呼吸できる街――私はそんな『横浜』を想う……。ただし、誤解しないでいただきたい。私は『今の横浜』を言っているのでは、ない……。私が幼い頃、まだ現実にそんな片鱗が残っていたのではないかと思えるような、私の中に何か切なく懐かしくあるところの、『イメージとしてのヨコハマ』を、である……。

2013/07/09

中島敦漢詩全集 十三

   十三

夜寒烹藥草

風雪遶茅居

病骨空懷志

今冬復蠹魚

○やぶちゃんの訓読

夜寒(よざむ) 藥草を烹(に)

風雪 茅居(ばうきよ)を遶(めぐ)る

病骨 空懷(くうくわい)の志(こころざし)

今冬(こんとう) 復た蠹魚(とぎよ)たり

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「茅居」あばら家。茅舎。茅屋。

・「」「囲繞(いにょう)」の「繞」の異体字。巻き付くこと、回り道をすること。風雪が茅居を巻き込むように吹き過ぎていく様子を指す。

・「空」実現する見込みのない抱負。かなうことのない願い。

・「蠹魚」(とぎょ)。本ばかり読んでいる人。さらには本を読んでも真意を理解できない人を嘲って言う言葉。元来は昆虫綱無翅類のシミ目 Thysanura に属する昆虫を指す語である。体長約一センチメートル、体はやや細長く、魚を思わせ、腹端に三本の長毛をもつ。湿潤な場所を好み、人家内にも見られ、書物や衣類などの糊のついたものを食害すると考えられたために「衣魚」「紙魚」と書かれ、英名も“bookworm”であるが、確かに障子や本・和紙の表面を舐めるようにして食害するものの、それによって甚大な汚損や損壊が生じることは実はなく、古人は恐らく書物をトンネル状に食い荒らす鞘翅目多食亜目ナガシンクイ上科シバンムシ科 Anobiidae のシバンムシ類(死番虫:英名“death-watch beetle”に由る和名。この英名は本類に属するヨーロッパ産の木材食のマダラシバンムシ属 Xestobium の成虫は頭部を建材の食害孔の内壁に打ち付けて「カチカチ」「コツコツ」と音を発するが(雌雄の確認行動とされる)、これを “death-watch”(死神の持つ時計)の音とする迷信が欧米にあったことに由来する。)による食害などを、銀色に光って目立つこのシミ類によるものと誤認していた可能性が高い。なお、シミは七~八年は生き、昆虫としては長命と言える。

T.S.君による現代日本語訳

深夜ひとり薬を煎じていると…

小雪混じりの風の叫びが聞える――

虚しい志の火を病身の最奥に点しつつ…

書物を食らう紙魚(シミ)に似た冬の底の私――

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 一読――意味は取りやすい。しかしこの詩、なかなか自分の評釈を定着させることができなかった。中島敦の詩に取り組み始めて以来最大の苦戦である。一体何が原因なのか?

 それは――「蠹魚」――この一語のためである……。

 先日、生れて初めて洗面所で「蠹魚」という名の異形の虫を見た。銀色の光沢を持つ一センチほどの身体は、まるで太ったシラスのようだ。体躯は柔軟性に富んでおり、細い足を奇妙に動かして歩く。触角が神経質に顫動し、どんな暗がりの隙間でも見逃さずにもぐり込む。薄暗くて適度な湿度が維持される場所を好むという、捉えどころのない、なんとも不吉な虫。

 この「蠹魚」という語は、ここではいわば「本の虫」という意味で遣われている。別にこの虫そのものを歌いたいわけではない。単なる比喩である。しかし詩人は、この語を使用することによって生れる全ての効果を納得の上で、詩の要ともなる結句に挿入したのだ。詩人の持つ高い志、強烈な自信、ひとり病と闘う刻苦、寒い夜にも机に向かう文学への強靭な拘り。それらのいずれとも明らかに異質な、この陰湿なイメージを有する、下らない虫けらの名を――敢えて用いた――のだ……。

 私は戸惑ってしまった。起句から転句まで辿るうちに、詩人の姿がランプの光に浮かび上がり、イメージが結実しそうになる。それは、雪交じりの強風が吹く冬の闇の底で、ひとり病と向き合い、文学と対峙する詩人の姿だ。贅肉を削ぎ落とした、硬質な詩の輪郭だ。しかし――結句に到って、「蠹魚」に触れたその刹那、私の中に無視し難い不協和音が立ち上がってくるのだ。……何故、こんな言葉を用いたのだろう? この一語のために、折角のイメージが崩れてしまうではないか?!……。

[やぶちゃん注:以下の中段部の叙述は、T.S.君の心の深奥へと降りてゆく。それは私を含めた余人には語り得ぬ、また理解し得ぬものであることは彼も私も百も承知である。しかし真に価値ある評釈とは、対象の芸術作品と対峙する孤独な自己との、のっぴきならない関係性の中で/でしか生まれない。さればこそ、私はこの晦渋な意味深長な茫漠としたプライベートな述懐部を、敢えてそのままに載せることを彼に教唆したことを、敢えてここで告白しておきたいと思う。]

 私は悩んだ。二十個の漢字の前で毎日唸った。……

 ……そして、評釈が何も明らかな形を得ぬうちに……自分の関心は、少しずつ……漢詩以外の……私自身の生活上の、瑣末な物事の上に移ろっていった。……この詩に対する共鳴が未だ得られぬままであることに、どこか後ろめたいものを感じながら……。

 ……生活上の諸々の煩瑣な課題に、私は心から苦しんでいた。……そしてさらには、人と人との関係を、どうやって維持していくかということに……。

 ……私は疲れていた。……そして今日、私は……私は遂に、自分の理性を封じ込め、自分で自分を貶めてしまった。……私は心のうちで、不快な様々な出来事を耐えなければならない自分が当然受けるべき償いとして、そういう行為を正当化したのだ。……つまり、自分を誤魔化したのだ。……今、私は深夜ひとり机に向かい、自分を振り返っている。――自分で自分を辱めるとは――なんと無惨で卑しいことだったろう。まるで……まるで、暗がりに卑屈に息し、じめじめとした湿気がなければ生きられず、強烈な光を厭う――卑しい虫けらのようではないか!……

 まさか――?

 ああ、そうだ――!

 そうに違いない! これが、これこそが――「蠹魚」――ではないか!

 私はやっと自分を納得させることができたのだ!

 ただし、ひとつ注意しなければならないことは、ある。これは、あくまでも、読者である私個人にとっての「蠹魚」だということだ。詩人が一体どのような目論見を持ってこの語を用いたかということとは実は別問題であるかもしれない、という急所は押えておかねばならないということだ。

 人は、それぞれ自分自身の世界で詩を読み、自分なりの、かつ自分だけの解釈をし、理解をするものだ。その読みが高尚なものか下劣なものかは、その人が心に持つ宇宙の様相によって決まるだろう。……そう言う意味に於いて、私はこの時、明らかに下劣な時空に我が身を置いていた……しかし、同時にその瞬間に鮮やかに見えてきた『詩と真実』ででも……あったのである。

 中島敦よ。

 あなたは、自らを、書籍に巣食う陰湿にしておぞましい虫――蠹魚」――と呼んだ。

 一体どれだけ本気だったのだろう?

 あなたは、一体、どれほどの己の自信を持ち合わせていたのか?

 あなたは、一体、どこまで自分を律することのできる強い人だったのか?

 これは、

『毎日書物に没入していながら、俗人的な成果はまだ得られない』

という、斜に構えた自嘲のポーズだ。

 この語に表現させたいのはあくまでも自嘲の響きだ。

 間違いない。

 なぜなら、強烈な自信を持ち、古今の賢者に比肩するものの如く自らを意識していた彼だもの……。

 虫けらに喩えるという行為は、ほぼ間違いなく自嘲のポーズに違いないのだ。

 しかし私は信じたい(いや……何も証拠は、ないのだけれども……)。

 明確な自嘲の後ろ盾となっている強烈な自信の陰に、ほんの微かだが、人としての弱い部分があったに違いないと。

 そしてさらには、その弱い自分を卑しむ意識が、彼の心の深いところで、動いていたのだと……。

 なぜなら――人というのは本当に弱いもの――だから……。

 少なくとも私は――そういう弱い生き物――であるから……。

 もし、詩人が詩中でこの「蠹魚」という語を用いなかったら、どうであったろうと考えてみるがよい。

 その時この詩は――精励刻苦する、志高き、尊敬すべき『文学の僕(しもべ)』たる詩人の、清冽なる心象世界の絶対の表出のままに、まっこと、めでたく完結していた――ことであろう。

 しかし、詩人は敢えて、この奇体にして醜陋なる語を挿入した。

 それによって、この詩は、弱い人間の――否、弱いという属性を普遍的に持つ存在であるところの人間の――その心底に巣食う醜く惨めな実相をしっかり受けとめる力を与えられたのであった。

 弱き人間が、冬の雪交じりの烈風の底で、ぎちぎちと歯を食いしばって、しぶとくも生きようとせんとする姿を歌う『調べ』となった。……

 私にはそう思える……。

 私は決して弱い自分を正当化したくない。してはいけない。だから、だからこそ、この詩だけは、私の心の奥底にしまっておこう。そうしてこれからの私の生活の中で、常にこの詩を通奏低音として響かせて、いこう。……

 最後に、私の胸に想起した音楽をご紹介したい。ベートーヴェンの歌曲「蚤の歌」作品七十五第三曲。私は昔からこの歌曲を、単に風刺と滑稽を旨とする、取るに足りない作品とみなしてきたことを自白する。世の評価でも、おどけた楽しい歌曲だというのが一般的だ。しかし、今、初めて疑問に思ったのだ。――「蚤」を果たして単なる滑稽なくだらない虫と片付けてしまって良いものなのか?――と。これは、不用意に答えてはならない、すこぶる深刻な問い掛けなのではなかろうか?……。そして、この歌曲は、果たして、そんなに楽しいものなんだろうか?……。今の私には、もう、そんな無神経な通念に与することは、最早、できそうにもないのである……。

[やぶちゃん注:リンク先は、

Ludwig van Beethoven - Scherzlieder - Aus Goethes Faust Op. 75 Nr. 3

Peter Schreier, tenor. Walter Olbertz, piano. Gisela Franke, piano
になるもの。YouTube で最も再生回数の多いものを私が選んだ。]

2013/06/18

中島敦漢詩全集 十二

      十二

馥郁南廂下
薔薇赫奕奢
淺黄眞冷艶
深纏正豪華
蝶翅嬉珠蕾
蜂腰沒彩葩
可嗤貧寠士
能栽富貴花

○やぶちゃんの訓読

馥郁(ふくいく)たり 南廂(なんさう)の下(もと)
薔薇(さうび) 赫奕(かくやく)として奢たり
淺黄(あさぎ) 眞(まさ)に冷艶
深纏(しんてん) 正(まさ)に豪華
蝶翅(てふし) 珠蕾(しゆらい)に嬉(よろこ)び
蜂腰(ほうえう) 彩葩(さいは)に沒す
嗤(わら)ふべし 貧寠士(ひんろうし)
能く栽(う)う 富貴花(ふうきくわ)

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈
・「赫奕」美しく光輝く様子。「赫」は輝くさま、「奕」は盛大なさまである。
・「奢」制限なく金銭を遣うこと、若しくは度が過ぎていること。ここでは惜しみなく豪華に花が咲いている様子を指す。
・「深纏」この語は前句の「淺黄」と対を成していると取るべきである。「廣漢和辭典」の「纏」の項には、ほとんど最後、六番目の字義ではあるが、「=繵」(音、タン・ダン)とある。この「繵」という字は「単衣(ひとえ)」「纏う」「縄」の意味のほかに、紫色の意を有する。日本古来の紫が赤味が強いものであったこと、英語の“purple”が赤味がかった色であること、濃紫や江戸紫色の薔薇を一般的にはイメージし難いことなどから、ここは「深紅」と解釈する。真紅の薔薇の花弁と、その間の吸いこまれるような深く暗い紫に紛う怪しい色を想起しても、強ち作者のイメージからかけ離れているとは思われない。
・「嬉」遊ぶこと、戯れること。
・「沒」沈むこと、隠れること。
・「彩葩」「葩」は花。従ってこれは色鮮やかな花。
・「嗤」嘲笑すること。
・「貧寠」貧乏であること。
・「富貴花」中国の古典文学では、「富貴花」といえば牡丹か、もしくは花海棠(ハナカイドウ)を指す場合が多い。しかし、ここは明らかに貧乏な詩人の姿と対照的な豪華なバラを指している。

〇T.S.君による現代日本語訳[やぶちゃん注:添えた二葉の薔薇の写真は孰れもT.S.君が中国に於いて、この詩に私と彼が取り組む前に、奇しくも撮影したものである。]

 

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南の軒下に香り高く
豪華に輝く私のバラ
薄黄―― なんという冷艶……
深紅―― なんという豪奢……
蝶の羽根は珠のような蕾と戯れ
蜂の身体は花弁に深く包まれる
オイどうだ、可笑しいか?
この貧乏文士が花の主さ!

 

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〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈
 中島敦漢詩全集「二」における、四月の庭に咲き乱れる花々を歌った色盡くしの七律が想起される。庭の豪華さと詩人に対する周囲の目との落差を、若干の得意の念を添えつつ、半ば自嘲気味に指摘して詩を終える点も共通している。但し、そこに歌われていたのはバラでなく、ヒヤシンスとチューリップであった。また、そこで言及された色のイメージは、紅・紫・朱・黄・緑・蒼・金と、いわば躁状態における色彩の乱舞であった。
 かの詩に比べ、この詩における詩人の視線は対象への集注度が高い。花はバラ、色彩は薄い黄色と深紅の二種類のみである。視線は浅黄と深紅のバラに固定される。そしてその花弁を深く深く見つめる。すると……、情念を包み込むようなその妖しい色彩が詩人の心と同期し始める。

 さあ、ここからだ。詩人は色彩の奥へ奥へと入っていく。まるで無意識の深層へと降りていくように……。
 すると、どこからか蝶が舞い降りてくる。
 鱗粉にまぶされた蝶の羽根が黄色の花弁に戯れかかる。
 この羽根は紋白蝶の白なのだろうか? 紋黄蝶の黄なのだろうか? それともアゲハの白と黒の縞模様に赤や緑や紺を配した豪華な錦織なのだろうか? いや、ここに至っては……もう、何色でも構わない! 読者の想像されるがままに……
 いずれにしても造物主のつくり給うた霊妙なる深い色彩が、冷艶な浅黄や妖しい深紅と戯れるのだ。 読者は一種の酩酊状態に見舞われるに違いない。
 するとさらには、今度は蜂がやって来る。
 黄を基調に黒い陰影を帯びた蜂の身体が、取り澄ましたような優雅な黄色や、高級なビロードのような深紅の妖しい花弁に吸い込まれていく。
 ああ、なんという恍惚! クロース・アップの画面が、我々を蜂にさせ、花弁の襞の中へと吸い込まれるような強烈な眩暈に襲われるではないか!……

 詩人はこの詩で、妖しい豪華な豊饒を歌う。そんな目くるめく世界に自分で自分を駆り立てていく。そして、ひと時、この白けて色褪せた現世を去るのである。

 最後の二句。詩人は自らを貧しい文士と嘲り、その文士がこの豊饒世界を所有していることの意外性を、詩句に定着する。但し、この皮肉めいた物言いに、ひねくれた翳はどうも感じられない。それは詩人がこの瞬間に限って、豊饒な世界への耽溺、それだけで充足しているからだ……。

 この色彩の豊饒を、私は何に例えればいいのだろうか? 梅原龍三郎の「薔薇図」?[やぶちゃん注:リンク先はグーグル画像検索「梅原龍三郎 薔薇図」。それぞれに御自身の好きな一枚を選ばれよ。]――この視覚芸術は、たしかに豪華さでは決して詩に引けを取らない。この世ならぬ豊饒の世界に違いない。しかし、しかしである。果たして絵画は、豊饒を超えた向こう側にある虚無の彼岸まで表現しているかどうか?……私には感じられてならないのだ。詩こそ/だけは、豊饒の極点を超え、人をして虚無に誘い込む力まで備えているのだ、と。……私の幻覚だろうか?……そうかもしれない……そうだとしても……いや、そうであるならば尚更、私の感性を妖しく刺激して現実の崖っぷちまで誘い出し、虚無の奈落を覗き込んだと信じ込ませる力を持つ“文芸”というものの恐ろしい可能性を、私はここに見る思いがする。……

 「二」における漢詩と同様、私はこの詩によって強烈な眩暈に襲われ、この世ならぬ豊饒世界を垣間見ることができた。しかし……長居は無用かもしれない。私は苦しいのだ。酸素の濃度が高すぎるのだ。目も眩むほどなのだ。色彩が鮮烈すぎるのだ。果たして読者も、この息詰る世界に窒息しそうにならないであろうか。これほどの豊饒世界に住むことは、人間には許されていないのかもしれない。

 ふと我に返った私は、この詩の強烈な原色の世界を胸に、人情の淋しさと、人生の果敢なさという現実を改めて直視せざるを得ないのでいる。……もしかしたら、中島敦は、そこまで読者に感得させることを、想定していたのかもしれない……そんな気さえ、してくる……

 そうして――薔薇――といえば、私にはどうしても『或は病める薔薇』という副題を有する、佐藤春夫の『田園の憂鬱』が思い出されてしまうのだ。

 「おお、薔薇、汝病めり!」……

 あの薔薇は病んでいた……。
 そう、現実は常に病んでいるものだ。
 病んでいてこそ現実なのだ。
 この詩世界にあるような完璧な豊饒世界はどこにあるのか……。
 もしかしたら、人それぞれの心の中にしか創り出し得ない架空のものなのかもしれない。

 この漢詩に接した後で私が改めて感じた、人情というものの淋しさ、現実世界の虚ろな佇まい。これを表現してくれる文芸作品として、同じ佐藤春夫の詩を掲げよう。
 併せてこの漢詩と、この佐藤春夫の詩との対比によって、漢詩の息詰る豊饒を再度浮き彫りにしたいと思う……。
 私の日常は、いつもこの佐藤春夫の「うつろなる五月」のような微温的なものなのだ。
 だからこそ、中島敦の、この漢詩に、私は強く憧れてしまうのであると告白しておく。

   *

 うつろなる五月

  世に美しき姉妹ありき。わがよき友なりしが、程なく
  故ありてまた相見るべくもなしと告げ來たりしかば。

君を見ずして 何(なん)の五月(ぐわつ)
きらめける空いたづらに
いぶせき窗をひらくとも
翻(ひるがへ)るかの水色の裳(もすそ)見えず。

君なくして 何(なん)の薔薇(さうび)
みどりの木(こ)かげいたづらに
求めたづねて行き行くとも
涼かぜのかの笑ひをきかず。

うつろなる心に ひねもす
おん身たちの影を描(ゑが)き、思へ
わが薰りなき安煙草(やすたばこ)の
むなしく空に消ゆるさまを。

[やぶちゃん注:底本は岩波文庫昭和一一(一九三六)年刊の昭和三八(一九六三)年改版になる佐藤春夫著「春夫詩抄」に拠った。詩前に配された詞書風の部分は表記通り、本文よりポイント落ちで全体が二字下げで、その改行も底本に従った。]

2013/06/02

中島敦漢詩全集 十一

   十一

 

 夜懷 二首

 

自憐身計諒蹉

數歳沈痾借債多

春寒陋巷蕭々雨

燈前獨唱飯牛歌

 

 

曾嗟文章拂地空

舊時年少志望隆

文譽未身疲病

十有餘年一夢中

 

〇やぶちゃんの訓読

 

自(みづ)から憐み 身計(しんけい) 蹉(さた)を諒(ゆる)す

數歳 沈痾(ちんあ) 借債(しやくさい) 多し

春寒 陋巷 蕭々たる雨

燈前 獨唱 飯牛歌

 

 

曾つて嗟(さ)したる文章 地を拂つて空し

舊時 年少(わか)くして 志望のみ隆かりき

文譽(ぶんめい) 未だ(あが)らず 身 疲病(ひへい)せり

十有餘年 一夢の中(うち)

 

[やぶちゃん注:今回は訓読には各所で手こずった。T.S.君と何度かのやりとりを経て、二首目の転句については訓読がどうしても冗長に流れることから、反則技ながら、「文の譽れ」から「文名」と同義ととって「ぶんめい」と意読することにした(「文譽(ぶんよ)」と突っ慳貪に突き出すような仕儀は私どもには出来ないのである)。その他の訓読部も含め、大方の御批判を俟つものではある。]

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「自憐」自分を憐れむこと。

・「身計」自分のために慮ること。

・「」許すこと。

・「」無為に過ごすこと、時期を逸すること

・「數歳」数年。

・「沈痾」久しく治癒しない病い。

・「陋巷」みすぼらしい横丁。

・「蕭々」多く風の音や馬の嘶きの形容に遣われる擬音語。通常は寂しげな気分を伴う。ここでは淋しい雨音を形容している。

・「飯牛歌」中国の古い歌の名。飯角歌とも。春秋時代の衛国の人寧戚(ねいせき)が、斉(せい)の国の城門外において夜を明かしつつ、牛にえさをやりながら(「牛を飯(やしな)ふ歌」)歌ったとされる。斉国の名君桓公は夜半に城門を出て来て彼の歌を聴き、即座に彼の非凡なことを悟り、その後、重く用いたという。すなわちこの歌は、「まだ世に認められぬ者が、将来その価値を認められ重用されるのを待つ」というイメージを濃厚に帯びているのである。この詩については原詩を見出し得ぬが、個人ブログ「Manontanto」の『陶淵明の「商音」について』の「【商歌は悲しい調子の歌】」の部分に詳しい考証がある。また、個人サイト「つばめ堂通信」の「涅槃会」のページにある李白の「秋浦歌」全詩の詳細な評釈(「其十五」の「白髪三千丈」ばかりが突出して人口に膾炙するものの、この詩の全詩評釈をされている方はネット上では少ない。それだけでも非常に貴重である)の「其七」(訓読は岩波版中国史人選集の武部俊男氏のものを附したが、読みは歴史的仮名遣とした)、

 醉上山公馬

 寒歌寧戚牛

 空吟白石爛

 淚滿黑貂裘

  酔うて上る 山公の馬

  寒うして歌う 寧戚の牛

  空しく吟ず 白石爛(あき)らかなりと

  淚は滿つ 黑貂(こくてう)の裘(かはごろも)

の注で、『飯牛歌(うしをやしなう歌)または牛角歌 二首』として、以下の二首の訳詩を示しておられる(読みや注はママ。原詩などは示されていない)。

   《引用開始》

 

 その一

南山(なんざん)矸(かん、キラキラ) 白石(はくせき)爛(らん、ピカピカ)。

生まれて遭(あ)わず 堯(ぎょう、古の聖帝)と舜(しゅん、古の聖帝)とに。

短布(たんぷ)の単衣(ひとえ)は 

適(たまたま、ちょうど) 骭(かん、すね)に至る。

昏(たそがれ)より牛に飯(くわ)せて 夜半に薄(いた)り

長夜(ちょうや) 漫漫(まんまん、長い)として

何(いづれ)の時にか 旦(あ)くる。

 

 その二

蹌踉(そうろう、河名)の水は 白石燦(さん、キラキラ)たり

中に 鯉魚(りぎょ、魚名)有りて 長さ尺と半ばなり。

弊布(へいふ、ボロ布)の単衣(ひとえ)は、裁ちて骭(かん、すね)に至り

清朝(せいちょう) 牛に飯(くわ)せて 夜半に至る。

黄なる犢(こうし)は 阪を上りて 且(しばら)く休息

吾 まさに汝を舎(さしお)きて 斉の国を相(たす)けんとす。

 

   《引用終了》

これは中文サイト「中国古代詩人百科」の「寧戚」に載る以下の詩の訳と思われる。但し、三首とあり、また一部に異同がある(当該ページの簡体字を正字化して示す)。

 

 飯牛歌 三首

南山矸、白石爛、生不逢堯與舜禪。

短布單衣適至骭、從昏飯牛薄夜半、長夜漫漫何時旦?

滄浪之水白石粲、中有鯉魚長尺半。

敝布單衣裁至骭、清朝飯牛至夜半。

黄犢上坂且休息、吾將舎汝相齊國。

出東門兮厲石班、上有松柏靑且闌。 

粗布衣兮縕縷、時不遇兮堯舜主。

兮努力食細草、大臣在爾側、吾當與汝適楚國。

 

・「」ため息をつくこと、吟ずる、和して続けること。ここは「文章を吟じる」と取る。

・「拂地」文字通り地を払うこと、すなわち、一掃されてなくなってしまうこと。

・「」「揚」と同音同義。揚がること。この詩句は、「未だに誉れが上がらない」、つまり「未だに名を成さない」という意味となる。

・「疲病」困窮・疾病若しくは疲労が溜まり病いも抱えていること。

・「一夢」ここでは「黄粱一炊の夢」すなわち「邯鄲の夢」「邯鄲の枕」という故事(道士から枕を借りて眠ったところ富貴を極めた人生を送った夢を見たが、目覚めてみるとまだ黄粱すら炊き上がっていなかった。すなわち、人生の栄枯盛衰のはかない喩え)が持つイメージを濃厚に有している。

 

T.S.君による現代日本語訳(二首の流れを恣意的に三連に分けた。これは、第一首目にある病と夜と雨のイメージが二首全体にかかるものであると判断し、これらのモチーフを用いて冒頭に独立した連を立てることにより、その影響力が隅々まで及ぶよう工夫したためである。)

 

……春寒のみすぼらしいこの路地に夜の雨が降りそぼる……。ひとり机のランプの静かな光に向かい、俺は今でも夢見る。自分の文章がいつかは世に認められることを。……

 

……俺は昔から才能がないことを恐れて自分を磨こうともせず、才能を半ば信ずるがゆえに世間に揉まれることをも避けてきた。その結果、俺は持っていたはずの才能をすっかり空費してしまった。……もう何年になるだろう。……その結末がこの通り、病いと借財に塗れた毎日さ。……

 

……かつて書き散らかした数多の文章は価値なきものとなり、風に吹き払われて、その所在はもはや分からなくなっていよう。若い頃は沸き立つ志を胸に人生の一歩を踏み出したものだった。……それが見てくれ……貧窮と病いに苛まれるこの有様。……この十数年は、まさに夢のように……失われたのさ。……

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 初見から数日間、ふたつのことがずっと心に引っ掛かっていた。

 ひとつは、私がこの詩から受ける印象、すなわち、『決して全面的な絶望を歌うのではない』という感想が本物かどうか、ということであった。

 みすぼらしい路地で淋しい夜の雨の音を聞きながら、独り机に向かう彼は、何の実りもなかった自らの十数年を自嘲する。

 そんな惨めな境遇ながらも、しかし、世に認められぬ不遇に対して不平を口にする『心の余裕』はまだ残されているのだ。

 なんと、彼が口にするのは「飯牛歌」である。

 運命に完全には打ち負かされてなど、いないのだ。今でも自分は世に認められる価値があると信じ、もしかしたら将来、いつか眼力ある人の目に留まるのではないかと期待しているだ。

 惨めな失意にくるまれているようでいて、実は内面では自ら恃むところは揺らいでいない。

 そして当然、そこから生ずるのは、己れの価値を認めない俗な世間に対する反発と侮蔑であろう。

 したがって、いくら淋しい夜の雨に押し籠められてはいても、詩人の心の中では自尊心の火が燃えているのである。

 こうした私の印象は的外れとは言えまい……。

 

 すると……今一つの私の気がかりが、俄然、意味を持って浮き上がってくるのである。

 

 それは、この詩をどこかで読んだことがある、という既視感(デジャヴ)だ。

 何だろう……。どこで会ったのだろう……。

 この詩と対峙すること三日目、私は――『あの丸眼鏡の』肖像――中島敦の肖像写真を――ぼんやりと思い浮かべていた。

 私はこんなことを思っていた。

 

「彼と初めて巡り合ったのはいつだったのか?……そう……彼と出逢ったのは高校の現代国語の教科書だ……作者の解説のところに、『あの顔写真』が掲載されていたっけ……そうだ……あれは忘れもしない「山月記」ではないか! 「山月記」……?!……あっ! そうだ。そうに違いない!」……

 私は、ここに至ってやっと気づいたのだった。

「……『この詩を心に抱いた』詩人その人に……私は遠い、あの高校時代に、一度、対面していたのだ!……そうして……そうして、この詩は……まさに、あの「山月記」のネガ・フィルムではないか!!……」

 

 なぜ、「山月記」か――。

 かの作品のあらすじを、いま一度なぞってみたい。

 主人公李徴は若くして科挙に合格し、将来を嘱望されるも、拝命した賤しい官職に満足できず、詩作の道に身を投じる。しかし文名はなかなか揚がらず、焦りが募る。自分の才能に半ば絶望した彼は、家計を支えるために再度、地方官の口に甘んじることにした。しかし、かつての秀才の名を恣(ほしいまま)にした彼には、年齢に比して余りにも低いその職務のために著しく自尊心を傷つけられ、悶々と過ごすうち、ついに発狂し、虎に変身してしまう。

 その後しばらくして、心さえ殆ど虎と化した彼は、旧友袁傪に偶然巡り合い、辛うじて残された人間としての彼が、おぞましい変身の実態を語る。しかも彼には最早、人間としてやり直せる余地は残されていない。今少しすれば心まで完全に虎と化し、全ての可能性は失われてしまう。その瀬戸際に、改めて彼が披露した即席の詩は、やはり第一級の水準を保っていた。

『……こんな素晴らしい詩を作ることができるなんて……李徴よ、お前は紛れもなく得がたい才能を持っていたのだ。それなのに……。尊大な自尊心といびつな心のために大成することができなかったなんて……。なんという悔恨か……』

 しかし、同時に袁傪は感じた。

『……それらの詩は確かに素晴らしい出来だ。だが、第一流の作品となるのには、何か、欠けるものがあるのではないか?……』、と。

 そうして、クライマックス、李徴は自分自身の実相を冷徹に告白し、己の内なる『虎』に思い至る。

 後、暁を前に、短い再会の時を終えて、虎となった李徴と友は――永遠に――別れていくのであった……。

 

 文名が容易に揚がらず、焦りが募る李徴の姿。これこそ、この詩に歌われる半ば自嘲に満ちた詩人の内面ではないか……。

 同時に、自分の才能に半ば絶望したとは言いながら、最後まで己れの文学に自信を持ち続けた李徴の姿(もし完全に自信を失った者なら、頼まれてもいないのに旧作約三十編を友に自ら披露したりなどするはずがない!)。

 これこそ、自身の才能に対する信頼を完全には失わず、「飯牛歌」を呟きつつ、運命に抗い続ける詩人の姿ではないか……。

 「山月記」と、この「十一」の漢詩を改めて並べてみることによって、この漢詩が若い詩人の純粋な自信と、なかなか世に認められない焦りを素直に詠んでいるものなのだという実感が、改めて強く湧いてくる。

 無駄にしてしまった十数年と、病いと貧窮とを、夜の闇と雨の音に包まれて、淡々と歌うのである。

 自ら恃むところ頗る厚い若い詩人の、直線的な焦りと自嘲――加えて俗な世間に対する漠然とした敵愾心を、実に素直に詠んだ詩なのである。

 

 この漢詩は、「山月記」世界に擬えるなら、李徴が虎に変身する以前、『文名容易に揚がらず、焦りが募り始めた頃の作中の李徴の詩である』と『同定』し得るであろう。

 まさに自らの潜在意識に沈んでいる〈愛〉に対して詩人は、未だ無自覚であることもその証左と言える。

 ただ自らの文学とその才能に対する信頼だけが、低い音調で計八句を通じて一貫して響いており、自嘲がところどころで小さな飛沫を上げている――そんな『李中島敦徴』の詩――なのではないだろうか?

 

 そう解釈した瞬間、この漢詩から遥か数段階進んだ位相を現出させたところの「山月記」世界が、逆にこの詩とその作者とを鮮やかに逆照射して、そこに明確なあるシルエットが立ち現れてくるのである。

 「山月記」において中島敦は、過去を振り返る李徴に、自尊心と羞恥心に囚われ、不遇に喘いでいた自分を自嘲させている。ここまでならこの「十一」の詩の世界と同じ深さに過ぎない。しかしその上で、作品の後半、殆ど虎になりかけた李徴は傲慢であった自分を十全に客体化し、絶対零度の自省を、恐ろしい深淵の中で呟いているのだ。

 そうして、自分のことよりも遺される家族を思うことこそが人としてあるべき姿であるとさえ述懐している。

 つまり、土壇場の李徴は、絶対の孤独の只中に屹立しながら、何もかも悟っていたのだ。

 そして、これはすなわち「山月記」を著したときの中島敦も、十分に悟っていた、ということをも意味していよう。

 しかし、全てを悟った李徴でさえ、虎に変身する道を引き返すことは許されなかったのだった!……

 何故だろう?……

 何という恐ろしい過酷な運命ではないか?……

 

 そこで思い合わされるのは、李徴の詩が第一流として世に残るためには、決定的に欠けていたものとは一体、何だったのかという素朴な疑問である。この疑義を私は高校時代に強く感じたことを思い出したのだった。

 この度(たび)、評釈に取り組む私は、ホームページに掲載された藪野先生の授業ノートを拝見する機会に恵まれ、この問題に関して次のようなくだりがあることを知った。すなわち、『李徴の内面の問題性があり、それが作品に表れたため』という説明は、『教師用指導書にしばしば書かれてあるが、如何にもな下らぬ言説である』というのである。やはり、そうであったのか……。そして、私は改めて考え始めた。

 

 あの頃の私が漠然と思い込んでいた、ある答えは、あった。

――欠けていたのは、周囲に対する思い遣りの心、自分を犠牲にしても他者を愛する心なのではないか――と。

 しかし、よく考えると、やはりこれは、いかにも教科書的に出来すぎた胡散臭い回答ではないか。しかも矛盾を孕んでさえいる。

 なぜなら、そもそも李徴は、そういう心の欠如をこそ自ら反省しているではないか。

『飢ゑ凍えようとする妻子のことよりも、己(おのれ)の乏しい詩業の方を氣にかけてゐる樣な男だから、こんな獸に身を墮おとすのだ。』

と。

 心が欠如した者が、諭されてもいないのに反省などしようはずもない。

 彼は、実は暖かい心をしっかりと内に秘めた人であったからこそ、この自嘲は口を衝いて出たのである。

 自分が獣に完全に変身しようというその刹那にさえ、家族のことを思い遣る彼。

 そんな彼を指して、人間らしい暖かい心が足りない、などと本当に指弾できるだろうか?!

 人生の途上で味わう様々な矛盾や葛藤をそのまま飲み込んだり、誤魔化したりしながら生きている大多数の人々と比べて、一体、彼が人間らしくないなどと、誰が言えるのだろうか?!

 私は、決してそうは思わない。

――彼はあまりにも人間らしかった

――過度に人間らしかった

のだ! ただ、

――自我に正直だっただけ

なのだ!

 これにある人は次のように反論するかもしれない。

「変身が致命的に確定せざるを得ない直前になってやっと彼は悟ったのだろうが、昔の彼は人間として問題があったのだ。」

と。――しかし、それはおかしい。

 暖かい愛に目覚めた彼が、心の通わないような駄作を堂々と披露するというのでは、この厳粛な悲劇の中にあって、まるでぶち壊し、噴飯物の間(あい)狂言だ。

 そもそもが、彼が再就職した地方官の地位に甘んじたのは家族を支えるためであったではないか。

 いや、何より、すべてを悟った彼に対して虎への変身という最も残酷な最終処刑を――「是」たるはずの天道が――これを執行するであろうか?……

 

 それでは……『第一流の作品となるのには、何處か(非常に微妙な點に於て)缺け』ていたというそれは、一体何だったのか?……

 この問いに答えるのは、今の私の力では……到底無理なようだ。親友袁傪は、果たしてそれを特定し得たのであろうか。当然ながら物語の話者である中島敦の中では、明確なものとして、あったに違いない。それをはっきり言わなかったのは何故だろう。言わなくても読者は当然感知し得るものと判断したのだろうか。それとも……言っても無益であると考えたのだろうか。つまりそれは……まさか「理解し得る者にはそもそも敢えて説明する必要などなく、理解し得ない者には百万言を費やしても到底了解し得ない」ということなのだろうか。――もしもそうであるなら、本当にそうであるなら……私は――、文学に憧れながら文学というものを理解する力に欠け、芸術に想いを寄せながら芸術というものを自分自身の世界とすることを認められなかったあまりにも惨めな存在、ということになる……。何と恐ろしい裁断! そしてその時こそ……、この私は、哀しい厳然たる事実を、甘んじて受け入れねばならないであろう。私は今固く眼を閉じ、軽々しい言葉を弄することを、もう此処までにしたいと思うのである。

[やぶちゃん注:もうお気づきのことと思うが、T.S.君に現代国語の授業で「山月記」を教えたのは当時二十六歳であった担任の私、藪野直史である。今回の評釈のために私は私の『中島敦「山月記」授業ノートを公開したのであるが、ここで一つ断っておかなくてはならない重要な事実がある。それは、ここでT.S.君が問題にしている、『第一流の作品となるには欠けているところがあるのはなぜか?』という発問への答えの部分である。公開したノートで私は、当該箇所の板書として、

①言葉では表現できない芸術的霊感に欠けているからか?=〈才能不足〉

②李徴の内面の問題性があり、それが作品に表れたためか?=〈後段への伏線的要素〉

*所詮は①である/でしかない。

②は教師用指導書にしばしば書かれてあるが、如何にもな下らぬ言説であることを暴露しておくこと。

と記してあるのであるが(「*」は私のメモ)、実はこの当時(教員になって二度目か三度目の「山月記」の授業であったと記憶している)、私は①を示さず、教師用指導書を鵜呑みにして②を理由として板書して平然としていたことを告白せねばならないのである。しかもご丁寧に、私は「山月記」の結末近くでは、その欠けていたものは「愛」であったのかも知れない、なんどと、口頭で、まことしやかに述べていたことさえも自白しておかねばならぬ。私がこの②を否定するようになるためには、もう少し、私が無為に年をとり、私から創作者としての野心が微塵もなくなり、その結果として、私の中での「山月記」の私なりの素直な自律的な読みが熟成する必要であったのである(『授ノート』のような形になったのは四十代以降のことと記憶している)。

 因みに②を全否定するという私の立場とは難しいことではない。単に――李徴にミューズは霊感の桂冠を授けなかった――詩人の光栄は李徴に遂に訪れなかった――という世間的事実が、ここでは「山月記」の李徴という悲劇的存在を、さらに悲惨に駄目押しする効果を与えている、若しくは与えているに過ぎない――と私は今は解釈している――ということである。なお、同様の内容を持った追記をこれに先立って『中島敦「山月記」授業ノートの上記引用直後に補注として附しておいたので、それも参照して「戴けるならば、自分にとつて、恩倖(おんかう)、之に過ぎたるは莫(な)い」。]

 

 最後に「山月記」より、李徴が自分の過去を客観視しつつ、語る核心部分を引用しておく。私が現代語訳を綴る際に、この小説の幾つかの語句を意識的にそのまま借用したことは、既に読者の知るところではあろう。[やぶちゃん注:引用は私が本評釈のために公開した私の「山月記」電子テクスト(親本筑摩版全集版)からT.S.君が指示した部分を引用した。太字「ふとらせる」の部分は底本では傍点「ヽ」。]

   *   *   *

 何故こんな運命になつたか判らぬと、先刻は言つたが、しかし、考へやうに依れば、思ひ當ることが全然ないでもない。人間であつた時、己は努めて人との交を避けた。人々は己を倨傲だ、尊大だといつた。實は、それが殆ど羞恥心に近いものであることを、人々は知らなかつた。勿論、曾ての郷黨の秀才だつた自分に、自尊心が無かつたとは云はない。しかし、それは臆病な自尊心とでもいふべきものであつた。己(おれ)は詩によつて名を成さうと思ひながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交つて切磋琢磨に努めたりすることをしなかつた。かといつて、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかつた。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所爲である。己(おのれ)の珠に非ざることを惧れるが故に、敢て刻苦して磨かうともせず、又、己(おのれ)の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出來なかつた。己(おれ)は次第に世と離れ、人と遠ざかり、憤悶と慙恚(ざんい)とによつて益〻己の内なる臆病な自尊心を飼ひふとらせる結果になつた。人間は誰でも猛獸使であり、その猛獸に當るのが、各人の性情だといふ。己(おれ)の場合、この尊大な羞恥心が猛獸だつた。虎だつたのだ。之が己を損ひ、妻子を苦しめ、友人を傷つけ、果ては、己の外形を斯くの如く、内心にふさはしいものに變へて了つたのだ。今思へば、全く、己(おれ)は、己の有(も)つてゐた僅かばかりの才能を空費して了つた譯だ。人生は何事をも爲さぬには餘りに長いが、何事かを爲すには餘りに短いなどと口先ばかりの警句を弄しながら、事實は、才能の不足を暴露するかも知れないとの卑怯な危惧と、刻苦を厭ふ怠惰とが己の凡てだつたのだ。己よりも遙かに乏しい才能でありながら、それを專一に磨いたがために、堂々たる詩家となつた者が幾らでもゐるのだ。虎と成り果てた今、己は漸くそれに氣が付いた。それを思ふと、己は今も胸を灼かれるやうな悔を感じる、己には最早人間としての生活は出來ない。たとへ、今、己が頭の中で、どんな優れた詩を作つたにした所で、どういふ手段で發表できよう。まして、己(おれ)の頭は日毎に虎に近づいて行く。どうすればいいのだ。己の空費された過去は? 己は堪らなくなる。さういふ時、己は、向うの山の頂の巖に上り、空谷に向つて吼える。この胸を灼く悲しみを誰かに訴へたいのだ。己は昨夕も、彼處で月に向つて咆えた。誰かに此の苦しみが分つて貰へないかと。しかし、獸どもは己の聲を聞いて、唯、懼れ、ひれ伏すばかり。山も樹も月も露も、一匹の虎が怒り狂つて、哮(たけ)つてゐるとしか考へない。天に躍り地に伏して嘆いても、誰一人己の氣持を分つて呉れる者はない。恰度、人間だつた頃、己の傷つき易い内心を誰も理解して呉れなかつたやうに。己の毛皮の濡れたのは、夜露のためばかりではない。

   *   *   *

 しかし、もしかしたら、私は「山月記」の世界に少々立ち入り過ぎたのかもしれない。

 

 もう一度本題の漢詩に立ち戻ろう。

 

 そうして、気難しい不恰好な自尊心が、暗闇の底で夜の雨に降り籠められているというこの漢詩のイメージとして、私が真っ先に思い浮かべた音楽を最後の最後にご紹介したいのである。

 

 抜群の才能を持ち、自ら恃むところ頗る厚く、周囲の人々を常に思い切り傷つけたくせに、その実、内には人を想う炎が常に燃えていた、ある作曲家の手になるピアノ・ソナタである。

 臆病な自尊心と尊大な羞恥心の塊だった高校時代の私が、雨の夜、いつも独りきりで聴き入っていた、心の友ともいうべき懐かしい曲――

 

――ベートーヴェンの第十五ピアノソナタ ニ長調 作品二十八(やぶちゃん注*)

――その第二楽章

 

である。

[やぶちゃん注:リンク先はT.S.君が指示した“Wilhelm Backhaus plays Beethoven Sonata No.15, Op.28 'Pastorale' (mono, 1950-4)”のモノラル演奏である。重厚なバックハウスの演奏による第二楽章は6分40秒から始まる。]

2013/05/29

中島敦「山月記」 + 藪野直史「山月記」授業ノート 公開

「やぶちゃんの電子テクスト:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇」に中島敦「山月記」及び私藪野直史の「山月記」授業ノートを公開した。

教え子の諸君の中には僕の朗読を思い出して呉れる奇特な方もいると存ずる。僕の授業を、少しばかりブラッシュ・アップした教案とともに、そうした僕の愛する子らに贈る。

2013/05/23

中島敦漢詩全集 十

  十

 

 早春下利根川 二首

 

水上黄昏欲雨天

春寒抱病下長川

菰荻未萌鳧鴨罕

不似江南舊畫船

 

 

淼洋濁水廻長坡

薄暮扁舟客思多

春寒料峭催冰雨

荻枯洲渚少游鵝

 

○やぶちゃんの訓読

 

早春利根川を下る 二首

 

水上 黄昏(くわうこん)して 雨(あめ)ふらんと欲するの天

春寒 病ひを抱きて 長川(ちやうせん)を下る

菰荻(こてき) 未だ萌えず 鳧鴨(ふあふ) 罕(すく)なし

似ず 江南 舊畫船(きうぐわせん)

 

 

淼洋(びやうやう)たる濁水 長坡(ちやうは)を廻(めぐ)り

薄暮の扁舟 客 思ひ多し

春寒の料峭(れうせう) 冰雨(ひようう)を催す

荻(おぎ)枯れて 洲渚(しうしよ) 游鵝(いうが)少なし

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「長川」長い川。中国古典でも複数の用例がある。

・「菰荻」「菰」はマコモ。沼地などに群生するイネ科の多年草、高さ約二メートル。「荻」はオギ。湿地に群落を作るイネ科ススキ属の多年草。一見ススキに似ている。

・「鳧鴨」狭義にはそれぞれ「鳧」は野生のカモ、「鴨」はカモを家畜化したアヒルを指すが、転じてカモ(アヒル)、水鳥の総称として用いられる。

・「」まれであること。少ないこと。

・「畫船」画舫(がぼう)。華麗な装飾を持つ遊覧のための船。水路の多い中国江南地方において一般的であった。江南の水上を渡ってゆく古式の美しい画舫という意味であろう。

・「」水が果てしなく広がっているさま。

・「長坡」地名ではあるまい。文字の意味は長い傾斜地で、ここでは長々と横たわった河岸の傾斜地としてよい。

・「扁舟」小船。

・「料峭」「料」は「なでる」、「峭」は「厳しい・きつい」の意で、春風が皮膚に寒く感じられるさま。

・「冰雨」現代中国語では、降った雨が冷たい地面に冷やされて凍るという、春浅い頃に見られる自然現象を指す。但し、ここでは日本語でいうところの、「霙(みぞれ)になりそうな冷たい雨」と採って良かろう。

・「洲渚」水の中の小さな陸地。中州。

・「」鵞鳥。ガチョウ。

 

T.S.君による現代日本語訳

 

■自由詩訳

 

小舟が進む…

 

垂れ籠めた雲

枯果てた菰荻(こてき)

夕暮れの川面(かわも)

映るは病(やまい)の影

心をよぎる

夢の残照――

 

小舟が進む…

 

鉛のような水

鳥の影なき汀(みぎわ)

墨いろの土手

氷雨を孕む空

涯なく続く

春寒の夕(ゆうべ)――

 

■散文詩訳

 

 もうすぐ夜が来る。今にも雨が降り出しそうな黝(くろ)い空が、暮れ方の生気のない川面に映っている。コートの内に忍び寄る寒気に身を縮めながら、私はさっきから、病に蒼ざめた顔を単調に続く河辺の方に向けている。岸一面に群生する菰荻(こてき)には芽吹きの兆しさえ見えず、水鳥の姿もほとんどない。私はひとり心の中で呟く。かつて夢見た江南の画舫(がぼう)の舟遊びとは、似ても似つかぬ船旅だ……。

 

 果てしなく広がるこの濁った川は、延々と続く岸辺の堤(つつみ)を浸しつつ、ゆっくりと流れている。このたそがれ、小舟で下って行く私の胸に、様々な思いが去来する。遠くに去ってしまった人々、数々の思い出、そして不安や幽かな希望。春とは名ばかりのこの寒気に、霙(みぞれ)さえ落ちて来そうだ。河辺の荻(おぎ)の群れも見渡す限り枯れ果て、向うの中洲にも鵞鳥の姿はほとんど見えない……。

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 この詩の現代語訳には大変苦しんだ。心の中で反芻し続けること約一週間、それでもぼんやりとしか形が見えないほどであった。それは、前半と後半の七絶で描写される世界の近似に戸惑ったからだ。似たような二枚の画像。それらが微妙にずれて重なった二重映しのスクリーンの処理に躓いたからだ。

 両者はどのような関係なのだろうか。

 すぐに気づくことがある。それは、ともに同じようなことを詠っているということだ。試みに、両方に出てくるモチーフを列挙してみよう。

――川の水が遥かに広がっている様子

――今にも雨が降りそうな薄暮の空

――春だというのに寒いということ

――水鳥の姿がほとんど見えないこと

――菰(こも)や荻(おぎ)などの群落が枯れ果てた姿で広がっていること……

……もう気づかれたであろう。これらはすなわち、この詩世界を構築するための主要部材なのである。

 つまりこれらの詩は、『お互い非常に近い詩世界を構築しつつ、並び立っている』のだ。

 では、ひとつの詩世界を詠んだ、ふたつの作品なのだろうか?

 いや、そうとは言えまい。

 前半だけに出てくる大切なモチーフ(詩世界の味付けのために不可欠なモチーフ)が、まるで隠し味のように、両方の詩の味わいをひき立てているからだ。

 そのモチーフとは何か?

 それは、ふたつ、ある。

――詩人が病を抱えているということ

そして、

――心の中の華やかな江南の画のイメージ

である。

 試みに、後半の詩だけを、それだけでひとつの作品とみなして再読してみていただきたい。病いのイメージと、華やかな画舫のイメージが存在しないことによって、前半の詩より明らかに色彩が単純であることが分かる。

 後半には、様々な思いが去来するという独自のモチーフはあるものの、それだけでは前半の詩に匹敵する奥行きを出せない。つまり、後半の詩には前半の詩が不可欠なのだ。

 したがって、これはほぼ同じ世界を詠う二篇の七絶によって構成された、ひとつの作品だと結論づけることができる。

 念のために申し上げたいのだが、近似した詩境を二度繰り返して表現することは、別に問題ではない。その逆である。調子をほんの少し変化させて二度歌うことに意味があるのだ。

 私はグレン・グールドによるバッハのピアノ演奏を思い出す。彼は、ひとつのモチーフの反復に差し掛かると、二回目は必ず速度やリズムや陰翳の在り処を変化させ、まさに『そこでそう歌わなければならないもの』として音楽を創った……。そういえば彼自身も口にしていたではないか。「全く同じものなら繰り返す意味などないのだ」、と。

 

 現代語訳に苦労した理由はもうひとつあった。それは、この詩のどこかに力点を置いたり、焦点を当てたりすることができないという点にあった。

 薄暮の空――濁った水――枯れた菰荻――見渡す限りの単調な眺め――思念――寒さ――船――病い……。

 どこにも特別なスポットライトを当ててはならない。

 全て同等な重みを持つモチーフだからだ。

 同じ大きさの積み木で隙間なく組み上げられた塔のような詩……。

 どれかひとつでも欠けると、構築物としての耐久性が著しく減じて崩れ去ってしまうような尖塔……。

 しかも、それぞれの部材は『ふたつずつある』のだ。どれかの部材に、構造上、他よりも大きな力が加わることのないよう、これらを『均等に配置』しなければならない……。

 

 以上の詩人の示したふたつの公案を解決するために、私は試行錯誤の末、自由詩と散文詩の二篇を編んでみた。そこで注意したことは次の通りであった。

 自由詩について意識したのはみっつ。外見上全く同様の二篇の詩形に組み上げるということ。

 そしてひとつのモチーフを二度描く際に同じ言葉は決して遣わないということ。

 さらには、前半は視線を空から水へと導き、後半は前半の鏡像のように視線を水から空へと導くことによって、各部材に均等な力がかかるようにするということ。

 一方、散文詩で配慮したのは、全てに均一な力が加わるようにしながら、感情が平坦に進行するように配慮し、淡々と速度を変えずに叙していくことであった。

 如何であろう……果たして詩人の懐いた世界に、少しは近づくことが、できたであろうか……。

 

 ともかくもそれが私なりに成就したという前提に基づいて、改めてこの詩世界を味わってみたい。

 描写されているのは――まことに物淋しい世界である。何かを見据え、それを取っ掛かりにして淋しさを詠うのではない。

 詩人の視線はどこにも固定されない。

 空、草、水……。

 枯れ果てた、冷たい、薄暗い世界を、どこにも留まることなく、どこにも照準を合わせることなく、彷徨い続けるのだ。

 しかも、詩人自身が居る場所ですら、水に浮かび、川下へと下っていく、覚束ない船の上なのである。

 どこにも係留されず、中身が完膚なきまでに欠落したような、心が無限の空洞になったような、淋しさ……。

 そして、寒さ、だ。

 それも厳しい冬の寒さではなく、春浅い曇天の寒さ。厳しい寒気ではないだけに、かえって身体や心にしみじみと感じられる寒さ……。

 まるで虚無の川に浮いたようなこんな淋しさを、一体、どのように説明したら良いのだろうか。

 それは対位法のように示されてあるのだ。

 江南の画舫は彼の暖かい夢の象徴だ。

 ああ……、人は誰しも必ず、そうした拠り所を心のどこかに持っているものだ。

 それは懐かしい人の面影であったり、憧れであったりする。

 病いを抱えた詩人の胸に、一瞬、昔、夢見た華やかな春がよぎる。

 その幻と、眼前の世界との――落差よ!

 

 誰も、幼い頃に、こんな経験をしたことはないだろうか。

 

――原っぱ

――灰色の沈鬱な雲が、そもそも雲であるとは判別できないくらい空一面に広がった、底冷えのする冬の夕暮れ

――仲間と一緒に、自分の背丈よりも高い雑草の迷路の中を探検していた、そのとき……

……ふっと一瞬

――皆の姿も声も足音も消え

――気づけば

――冷たい地面と――草と――憂鬱な空だけに囲まれ、唯ひとり

――音といえば、鳥が苛立たしく叫ぶ声だけが、遠くの方から冷気を貫いて響いてくるだけ

――その瞬間

――自分がいる場所も

――帰れば会えるはずの両親の存在も

――日常の全てが

――まるで嘘だったかのように頼りない空虚なものに暗転する

――そしてなんとも言えない淋しい塊りが

――みぞおちのあたりからこみ上げて来る

――しみ込むような淋しさ、血の気が引いたような淋しさ……

……そこから逃れるには、ただ身じろぎもせず、じっと耐えて待つしか、ない……

 

 私はこの詩に、そんな静かな深い淋しさを感じるのである。

 

 最後に申し上げたい。

 この詩を反芻する私には、

平均律クラヴィア曲集第一巻ヘ短調プレリュード

が聴こえる――。

 冒頭の右手の四つの音。三度…、三度…、四度…と気体か何かのように上昇する不思議な音型。

 ゆっくりと、しかも重力を感じさせずに高音へ向かうその虚ろな音の段差に、どこにも寄る辺のない、虚空を彷徨う魂の淋しさを感じる。

 曲は、静かに、沈潜したまま、終始歩みを変えずに、とぼとぼと、進んでいく。その旋律に、川面を音もなく沈鬱に進む小船の姿が見える。

 さらには――

 詩人の孤独な魂の佇まいまでもが、浮かんで来る……。

 人というものは、全て例外なく、こんな淋しさを抱えて生きていくしかない。

 おそらくは皆、気づきたくないだけなのだ。

 そうだ……

 きっと、そうに違いない……

 

[やぶちゃん補注:私とT.S.君とがこよなく愛するグレン・グールドによるバッハ「平均律クラヴィア曲集第一巻第十二曲(BWV857)前奏曲4声のフーガヘ短調プレリュード演奏は、とりあえず今ならば、ここで聴くことが出来る。当該ページ内の「ericinema」氏のコメントにリンクされた“Fm 12P 46:34”をクリックされたい。そこまで飛んで演奏して呉れるはずである。]

 

2013/05/13

中島敦漢詩全集 九 「春河馬」 二首

   九

 

  春河馬 二首

 

悠々獨住別乾坤

美醜賢愚任俗論

河馬檻中春自在

團々屎糞二三痕

 

 

春晝悠々水裡仙

眠酣巨口漫垂涎

佇眄河馬偏何意

閑日閑人欲學禪

 

○やぶちゃんの訓読

 

  春の河馬(かば) 二首

 

悠々たるかな 獨住(どくぢゆう) 別乾坤(べつけんこん)

美醜賢愚 俗論に任(まか)す

河馬(かば) 檻中(かんちう) 春 自在

團々たるかな 屎糞(しふん) 二三痕(にさんこん)

 

 

春晝 悠々たり 水裡仙(すいりせん)

眠酣(みんかん) 巨口(きよこう) 漫(そぞ)ろ垂涎(すいぜん)

佇眄(ちよべん)せる河馬よ 偏へに何をか意(おも)ふ

閑日閑人 禪を學ばんと欲す

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「悠々遥か長い、遥か遠い、悠然としたさま、凡庸なさま、憂愁を含んださま、自在なさまなど、多くのニュアンスを有する。ここは俗世間の瑣事から超然としたカバの悠然たる様子を形容する。なお、鈍重さや、そこに漂う可笑しみまで感じ取っても許されよう。

・「」独りで、孤独に。ひとりで自足した佇まいを見せていると取りたい。

・「別乾坤」「乾坤」は天地、世の中を指す。「別」はここでは、他のという意。すなわち、通常の世界とは異なる、まさに「別天地」のことである。

・「俗論」世俗的な議論のこと。

・「河馬」カバ。現代中国語でも「河馬」である。

・「」飼育している動物を囲う檻(おり)のこと。

・「自在」自由であり束縛されないこと、若しくは、束縛されない無碍な状態を身も心も心地良く感じている状態のこと。

・「團々」丸い様子、丸く膨れた様子、群れたさまなどを表す。ここは糞が丸く団子のように落ちているさまを表す。「團」は「団」の正字である。

・「屎糞」大便。「屎」も「糞」も、うんこ、クソのことである。

・「」本来は、元通りに治癒せず残った傷あとのこと。ここでは、糞を掃除した痕ではなく、糞『らしき』ものが二つ、三つ、丸い塊りとして地面に落ちたままと捉えたい。

・「水裡仙」水の裡(うち)の仙人。一般的熟語としては使われない。造語であろう。

・「眠」「酣眠」ぐっすり眠る、熟睡するという意味の熟語があり、その倒置形か。なお「」単体では、心地よく思うままに酒を飲むことである。

・「」水などが満ち溢れるさま。よだれが口から垂れるまで溢れ出るさまを指す。

・「垂涎」文字通り垂涎(すいぜん)。よだれが垂れること。

・「佇眄」佇んで眺めること。詩人がカバを眺めると取るのが自然であろう。しかし「佇」には長時間立つこと、「眄」には横目で見ることという意がある。じっと突っ立って横目でこちらを見るというイメージがカバに相応しいため、動作の主をカバであると理解した。

・「」カバが何かをじっと考えているようであり、その状況を「偏(ひと)へに」と形容したものであろう。

・「閑日」何も用事のないのんびりとした日のこと。

・「閑人」何もすることのない暇な人のこと、若しくは特定の事柄に対し、用のない人のこと。ここでは前者。「閑日」と併せ、カバではなく、詩人自身のことを指すと思われる。

・「欲」行動への欲求をあらわす。~したい。

・「學禪」禅の境地を知ること、学ぶこと。

 

T.S.君による現代日本語訳


Kaba3

 

おおい、カバよ――

お前はひとり悠然として

桃源郷にでもいるんかね

美醜や賢愚の議論なんぞ

俗な奴らに任せておくさ

いいなあ、ひとり別天地

気ままな春を謳歌してる

……ところで……

おおきなまあるい糞団子

そこらに二三落ちてるぞ

 

 

おおい、カバよ――

のどかな春のひるさがり

さながら水中仙人だねえ

午睡ぐっすり思うがまま

でかい口から涎も垂れる

横目で此方を見たりして

一体なにを考えてんのさ

……ところで……

することもないこの日長

禅でも教えてくんないか

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 のどかな春の昼下がりの、悠然自在たるカバへの賛歌である。

 星を詠った幾篇かの詩と異なり、詩人の身体にも心にも特に緊張の高まりは見られない。最初から最後まで肩の力は抜きっぱなしである。最後に「欲學禪」というが、ここにおける「」は、禅宗が持つ厳しい自己修練の世界ではなく、老荘思想に見るような融通無碍な世界観や生き方のことである。それも、半ば以上は人間が到達し得る禅的境地さえも超えたところにある、カバの究極的な自然体のことを指している。さらにはそれを「」と表現することにどこか漂う滑稽を感じ取っても構わないだろう。

 しかし忘れてはならない。詩人は決して冗談を言っているのではない。諧謔の言葉を口にしているのでもない。心の底では実に真摯な願いが渦巻いている。

 詩人はなぜこのカバに共感するのか、なぜカバの境地に憧れるのか。それは詩人が、生きているこの娑婆で、日頃様々な不如意に苛まれているからである。大きく言えば人生そのものに。卑近なところで言えば仕事における人間関係から家庭での小さな軋轢までのあらゆる不本意に。詩人はその都度、つい本気で、時には感情をむき出しにして立ち向かってしまう。そして後で反省するのだ、――ああするべきでなかった。こう言うべきではなかった――と。自分が取った対応によって、自分自身が更に惨めになってしまった――と。詩人はとうの昔に分かっている。宇宙は広大無辺なのだ。一時の浮付いた感情に任せてはいけない。身をかわすのだ。聞き流すのだ。それこそがあるべき姿だ。しかしそれが本当に出来れば世話はない。そんな境地に到達するのは、どれほど難しいことだろう……。

 人は、どうしてそんなことが分かるのかと私に問うかもれない。それなら私は(こっそり胸を張って)言おう。私も詩人と同じだから。詩人と同じようにくよくよ悩んでいるから……だと。

 

 これは恐らく動物園だろう。私は想像してみる。詩人は春の休日の昼下がり、動物園にやってきた。実は昼前に面白くないことがあったのだ。私がここでどうしても想起してしまうのは、漱石の「こゝろ」の以下の部分である。詩人のこの時の精神状態と、こゝろ」のこの日の先生の情緒が、私には二重映しになってしまうのである。

[やぶちゃん注:T.S.君の指定に基づき、私の初出形「心」の「先生の遺書(一)~(三十六)」の「(九)」より引用した。]

 

 當時の私の眼に映つた先生と奧さんの間柄はまづ斯んなものであつた。そのうちにたつた一つの例外があつた。ある日私が何時もの通り、先生の玄關から案内を賴まうとすると、座敷の方で誰かの話し聲がした。能く聞くと、それが尋常の談話ではなくつて、どうも言逆(いさか)ひらしかつた。先生の宅は玄關の次がすぐ座敷になつてゐるので、格子の前に立つてゐた私の耳に其言逆ひの調子丈は略(ほゞ)分つた。さうして其うちの一人が先生だといふ事も、時々高まつて來る男の方の聲で解つた。相手は先生よりも低い音(おん)なので、誰だか判然しなかつたが、何うも奧さんらしく感ぜられた泣いてゐる樣でもあつた。私はどうしたものだらうと思つて玄關先で迷つたが、すぐ決心をして其儘下宿へ歸つた。

 妙に不安な心持が私を襲つて來た。私は書物を讀んでも呑み込む能力を失つて仕舞つた。約一時間ばかりすると先生が窓の下へ來て私の名を呼んだ。私は驚ろいて窓を開けた。先生は散歩しやうと云つて、下から私を誘つた。先刻(さつき)帶の間へ包(くる)んだ儘の時計を出して見ると、もう八時過であつた。私は歸つたなりまだ袴を着けてゐた。私は夫なりすぐ表へ出た。

 其晩私は先生と一所に麥酒(ビール)を飮んだ。先生は元來酒量に乏しい人であつた。ある程度迄飮んで、それで醉(ゑ)へなければ、醉ふ迄飮んで見るといふ冒險の出來ない人であつた。

 「今日は駄目です」と云つて先生は苦笑(くるせう)した。

 「愉快になれませんか」と私は氣の毒さうに聞いた。

 私の腹の中(なか)には始終先刻(さつき)の事が引つ懸つてゐた。肴(さかな)の骨が咽喉(のど)に刺さつた時の樣に、私は苦しんだ。打ち明けて見やうかと考へたり、止した方が好からうかと思ひ直したりする動搖が、妙に私の樣子をそは/\させた。

 「君、今夜は何うかしてゐますね」と先生の方から云ひ出した。「實は私も少し變なのですよ。君に分りますか」

 私は何の答もし得なかつた。

 「實は先刻(さつき)妻(さい)と少し喧嘩をしてね。それで下らない神經を昂奮させて仕舞つたんです」と先生が又云つた。

 「何うして‥‥」

 私には喧嘩といふ言葉が口へ出て來なかつた。

 「妻が私を誤解するのです。それを誤解だと云つて聞かせても承知しないのです。つい腹を立てたのです」

 「何んなに先生を誤解なさるんですか」

 先生は私の此問に答へやうとはしなかつた。

 「妻が考へてゐるやうな人間なら、私だつて斯んなに苦しんでゐやしない」

 先生が何んなに苦しんでゐるか、是も私には想像の及ばない問題であつた。

 

この詩において、詩人は麦酒を飲む替わりに、カバを見たのだという気がする。彼はカバの檻の前で足が止まった。彼の横に妻や子供を思い描いても無理ではないだろうが、少なくとも彼の意識からは、妻が消える。子供が消える。そしてカバとの対話が始まる。

 実際に彼が到達できるのか、そもそも到達したいのかは別問題であるが、彼が理想と観じた境地とはどのようなものだったか。私は自分の中のイメージを自分の言葉で表現しきれない苦しさに数日間藻掻いた。どうか、愛しいカバよ、何か語っておくれ……。

 

……まず例として頭に浮かんだのは、山村暮鳥の長大な連作詩「雲」であった。以下に該当箇所を引用する。[やぶちゃん注:T.S.君の指定に基づき、昭和三九(一九六四)年弥生書房刊「山村暮鳥全詩集」の詩集『雲』より、当該詩を引用した。]

 

  雲

 

丘の上で

としよりと

こどもと

うつとりと雲を

ながめてゐる

 

  おなじく

 

おうい雲よ

ゆうゆうと

馬鹿にのんきさうぢやないか

どこまでゆくんだ

ずつと磐城平(いはきだいら)の方までゆくんか

 

……しかし……違う。中島敦はこの詩のような悠然たる心の平安だけを求めているのではない。もっと深い、もっと虚無さえも存分に呑みこんでしまったような、世俗が信じる美醜や賢愚の判断を全く超越した世界を、求めているのだ……。

 

……次に浮かんだのが、人口に膾炙した宮澤賢治である。涎を垂らす『でく』のようなカバとこの詩のイメージが繋がった。詩全体を掲げるまでもなかろう。カバと並べ得て吟味し得る部分を抜き出したい。[やぶちゃん注:T.S.君の指定に基づき、筑摩書房昭和五一(一九七六)年刊「宮澤賢治全集 第六巻 補遺詩篇Ⅰ」より、当該箇所を引用したが、底本は新字体採用であるため、私のポリシーに則り、恣意的に正字化して示した。]

 

東ニ病氣ノコドモアレバ

行ッテ看病シテヤリ

西ニツカレタ母アレバ

行ッテソノ稻ノ朿ヲ負ヒ

南ニ死ニサウナ人アレバ

行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ

北ニケンクヮヤソショウガアレバ

ツマラナイカラヤメロトイヒ

ヒドリノトキハナミダヲナガシ

サムサノナツハオロオロアルキ

ミンナニデクノボートヨバレ

ホメラレモセズ

クニモサレズ

サウイフモノニ

ワタシハナリタイ

 

……いや……これは「雲」以上に、違う。積極的行動者としての『でく』になりたいなどとは、詩人は夢にも思っていない。社会との係わりを肯定的に受け入れ、自分の中の仏性に従い、無私を貫き、その結果として善根を積み重ねて生きる。そんな生き方など、左伝や史記などの、原色で正直で鮮烈な人間ドラマが無意識の深層に刻み込まれた詩人にとっては、ただ息苦しいだけだ(実は、私にとっても同様に窒息しそうだ)。……

 

 最後に私が辿りついたのは、まさに『燈台下暗し』、詩人の手になる小説「名人伝」であった。そう、これだ。これに違いない。なぜすぐに気づかなかったのだろう。そのくせ、私の無意識の中には、この詩を読んだ当初から、この紀昌の姿があったような気がするのである。

[やぶちゃん注:T.S.君の指定に基づき、筑摩書房昭和五一(一九七六)年刊「中島敦全集 第一巻」より、当該箇所を引用した。「こ」を潰したような繰り返し記号は「々」に代えた。「とぼけ」の下線は底本では傍点「ヽ」である。]

 

 雲と立罩める名聲の只中に、名人紀昌は次第に老いて行く。既に早く射を離れた彼の心は、益々枯淡虛靜の域にはひつて行ったやうである。木偶の如き顏は更に表情を失ひ、語ることも稀となり、ついひには呼吸の有無さへ疑はれるに至つた。「既に、我と彼との別、是と非との分を知らぬ。眼は耳の如く、耳は鼻の如く、鼻は口の如く思はれる。」といふのが、老名人晩年の述懷である。

 甘蠅師の許を辭してから四十年の後、紀昌は靜かに、誠に煙の如く靜かに世を去つた。その四十年の間、彼は絶えて射(しや)を口にすることが無かった。口にさへしなかった位だから、弓矢を執つての活動などあらう筈が無い。勿論、寓話作者としてはここで老名人に掉尾の大活躍をさせて、名人の眞に名人たる所以を明らかにしたいのは山々ながら、一方、又、何としても古書に記された事實を曲げる譯には行かぬ。實際、老後の彼に就いては唯無爲にして化したとばかりで、次の樣な妙な話の外には何一つ傳はつてゐないのだから。

 その話といふのは、彼の死ぬ一二年前のことらしい。或日老いたる紀昌が知人の許に招かれて行つたところ、その家で一つの器具を見た。確かに見憶えのある道具だが、どうしても其の名前が思出せぬし、その用途も思ひ當らない。老人は其の家の主人に尋ねた。それは何と呼ぶ品物で、又何に用ひるのかと。主人は、客が冗談を言つてゐるとのみ思つて、ニヤリととぼけた笑い方をした。老紀昌は眞劍になって再び尋ねる。それでも相手は曖昧な笑を浮べて、客の心をはかりかねた樣子である。三度紀昌が眞面目な顏をして同じ問を繰返した時、始めて主人の顏に驚愕の色が現れた。彼は客の眼を凝乎(じつ)と見詰める。相手が冗談を言つてゐるのでもなく、氣が狂つてゐるのでもなく、又自分が聞き違へをしてゐるのでもないことを確かめると、彼は殆ど恐怖に近い狼狽を示して、吃りながら叫んだ。

「ああ、夫子(ふうし)が、――古今無雙の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや? ああ、弓という名も、その使い途も!」

 其の後當分の間、邯鄲の都では、畫家は繪筆を隱し、樂人は瑟の絃を斷ち、工匠は規矩を手にするのを恥じたといふことである。

 

 この小説のテキストを求めてネット上を彷徨っていた時、この作品の意味するところを解説した、とある書き込みが目に留まった。そこには『究極的には、生きていることも含め、あらゆることに意味はないということだ』というような言葉があった。――ふざけてはいけない!――「名人伝」における中島敦も、この漢詩における中島敦も、生をこれっぽっちも否定してなんかいない。生きていることを満喫しなければ嘘なのだ。そもそもこの考え方自体、意味の有無を云々する価値判断の世界から一歩も踏み出してはいないではないか。有限の存在である人ごときに、一体何が分かるというのか。人は、底無しの星空のような境地で、身の程知らずのおこがましい意味づけを去って、与えられた生を伸びやかに享受しなければならない。いや……、享受したい。その思いが、詩人の心の底にしっかりとあった。そうである限り、表面でいくらのんびりとしていても、いくら滑稽な雰囲気が漂っていても、この詩の重心はあくまでも低いのである。

 

……ところで、詩人がカバを見たのはどこだったのだろうか。この詩を横浜に住んでいた時期と仮定すると、カバが見られた所といえば……。歴史ある野毛山動物園はまだ開園していなかった。上野動物園はやや遠すぎよう。……私は未だにそのカバの居場所を見つけられないでいるのだ……私も……そのカバに逢いたいのに…………

[やぶちゃ補注:可能性としては上野動物園が最有力であろうと思われる。明治一五(一九一一)年に農商務省所管の博物館付属施設として開園した日本で最初の動物園である。明治四四(一八八二)年にカバを購入し、これがカバの本邦初渡来でもあった。以上は上野動物園公式サイトの「上野動物園の歴史」に拠った。T.S.君が言うように、やや遠いとも感じられるが、中島敦が私立横浜高等女学校の教師(国語と英語)をしていた(昭和八(一九三三)年~昭和一六(一九四一)年の九年間)ことを考えると、奉職中の社会見学や家族との行楽で訪れた可能性はすこぶる高かったであろうと思われる(その場合でもT.S.君の評釈にある通り、「少なくとも彼の意識からは、妻が消える。子供が消え」「そしてカバとの対話が始ま」ってよい。いや、そうした対位法(コントラプンクト)的効果はこの詩に寧ろ、相応しいとさえ私は思う)。筆者の住所からは野毛山動物園が想起されるが、残念ながらあそこはT.S.君の記す通り、戦後の昭和二〇年代の創立である(野毛山動物園公式サイト「沿革」参照)。途中に挿入した河馬はT.S.君が上海動物園で本評釈後の2013年7月6日に撮ったもの。本詩に相応しい眼をしている。]。

2013/05/06

中島敦漢詩全集 八

  八

平生懶拙瞻星悦

半夜仰霄忘俗説

銀漢斜奔白渺茫

天狼欲沍稀明滅

 

○やぶちゃんの訓読

 

平生 懶拙(らんせつ) 星を瞻(み)ては悦ぶ

半夜 霄(おほぞら)を仰ぎて 俗説を忘る

銀漢 斜めに奔(はし)り 白(むな)しく 渺茫(べうばう)

天狼 沍(こほ)らんと欲して 明滅 稀(まれ)なり

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「平生」終生という意味と、平素という意味がある。ここでは素直に平素と取る。ただし、中島敦と星との関係には何か宿命的なものがあるため、「人生を通して、ずっと」という感覚を加味しても許されるだろう。

・「懶拙」怠惰でありかつ魯鈍なこと。往々にして、富や名誉に恬淡として大らかで悠々として迫らない態度を指す。

・「」前方もしくは上方を眺めること。

・「」愉快であること。

・「半夜」夜半、深夜零時頃。

・「」雲、若しくは天空。ここは天空を指すのであろう。

・「俗説」巷の俗説や俗諺。詩意から判断して「世間諸々の俗なこと全て」という語気である。

・「銀漢」銀河、天の川の書面語(中国語に於ける文章語。本邦でいえば文語、若しくは文語的表現というものに近い)。冬の夜空に天狼が南中するその時、銀河は南南東の地平から立ち上がり、仰角約四十五度に煌く天狼と天頂の間を抜け、北北西の地平に注ぎ込んでいる。

・「」走ること、若しくは一気に向かうこと。詩では「銀河が斜めに走る」、すなわち「銀河が天空を大胆にも斜めに横切っている」のを表現したものであろう。

・「白」白色のという意味と、明るい、清純な、夾雑物のない、相当する対価のない等、そこから派生した複数の意味を持つ。この詩では、少なくとも銀河が白くぼんやりとした光を放っている様子を指してはいる。但し、憧れだけで満たされたミルクのような白ではない。どこかで虚無に通じるイメージである。そこにこそ、「むなしく」と訓じた意味がある。

・「渺茫」曖昧模糊としていること。従って、ここでは銀河が白くぼんやりと伸び、広がっている様子を表現している。

・「天狼」シリウス。

・「」ここでは、もう少しでそのような状態になる、との意。

・「」塞がること、若しくは凍結すること。ここでは後者。

・「稀」文字通り、まれであること。なお中国語では、古今を通じて原則として空間的に離れていることを指す。もし中国語だけで理解するなら、この一字で時間的に離れていることや頻度が低いことをあらわすのは、やや無理がある。しかしここで詩人は明らかに明滅の頻度の低さをうたっている。そしてさらに言えば、天狼が凍り付いて瞬きが停止していることこそ、この詩の眼目なのである。

・「明滅」明るくなったり暗くなったりすること。

 

T.S.君による現代日本語訳

 

塵埃に塗れた俗世間から逃れ……深夜、

星に心を慰め独り現実を去る……銀河、

白く滲む帯が天空を斜断する……天狼!

 …

沈黙の宇宙に

汝の燦めきが

凝結していく

 …

ああ、何という輝度

また、何という硬度

 …

汝と私以外の

あらゆる物が

徐々に消え失せていく

 さあ!

ジリジリと燃えさかる

汝の、その蒼白い光よ

私を照射せよ!

私の胸を貫け!

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 初見、私はまず躓いてしまった。「俗説」……。何という無神経な言葉遣いだろう。俗世間から顔を背けることを述べるにしても、もっと典雅な用語を使えば良いものを……。つまり、私はまず詩世界の門にはじき返されたのだ。いや、正確には、自分から入るのを拒否してしまったのだ。そしてそのまま転結句の上っ面を撫でた私の中では、銀河と天狼が全く共鳴しなかった。というより、天狼に集中しようとすると銀河が邪魔になった。なぜこんなところに銀河を持ち出したのか。銀河に何の意味があるのか。そこから詩に一歩も近づいて行くことができなくなった。数日間の呻吟が始まった。

 この詩の眼目が結句にあることはすぐに分かった。まるで心臓が、左の心房と心室、右の心房と心室の四つの部分で機能を果たしているように、「欲」「」と「稀」「明滅」が連携して詩を生かしていることに気づくのも、時間は掛らなかった。しかし天狼は、銀河とはなかなか同居しなかった。ましてや起承句と転結句の間には、不協和音という逆説的なハーモニーすら聞き取ることができなかった。

 

 そして数日後のことである。ふと気づいたのだ。この詩を書いた彼と、私自身の一種の相似を!

 私は悩んでいた。そして粗暴で投げ遣りな自分の感情に、自分自身で傷ついていた。そんな状態に私を引き込むもの、それは心の中に蟠る様々な俗世間の悩みだった……。

――そうだ!

これこそ「俗説」ではないのか!?

『もっと典雅な用語を使えば良い』などと私もよく考えたものだ!

『無神経な言葉遣い』だって?

私の心こそ無神経にささくれ立っていたではないか!――

 私は、足元の、生々しく活きた自分自身の憤懣によって、その時初めて、詩人の息が聞える距離にまで一気に近づくことができたのだ。

 

 恐らく彼が抱えていたのは、高尚な形而上の美しい悩みなどではなかった。もっと卑近な、くだらない、日常生活の断片から生起するところの、汚濁に塗れた、腐臭を発する、低次元の苦悶から発する呻きだったに違いない。だからこその、「俗説」なのだ。

 

 そして「平生懶拙」という言葉。この、何の力も入らず、拘りない言葉に対して抱えていた違和感も、そのときふっと消えた。質(たち)の悪い現実の矛先をかわすには、鋭い刃も柔らかく受け止めることができ、決して切り込まれないような、この太平然とした呑気な物言いこそが相応しいのだ。

 

 天狼との共鳴を感ずることができずに悩んでいた転句の銀河の描写。

 これについても、天狼に視線を集中した際の効果を強めるものとして、決して欠かせないということに気づいた。結句で天狼の輝きに最大の輝度と硬度を持たせるためには、まず、全天を斜めに横断するような銀河をさえ収容してしまえる、広大で底無しの宇宙と、虚無の影を宿した、闇に柔らかく白く滲む天の川が必要であったのだ。

 誰もが幼い頃に試したことがあろう、虫眼鏡で太陽光線を一点に集めて何かに火を附けた、あの時のことを想像してもらいたい。まず、対象物と太陽の間に虫眼鏡を差し出す。始めは焦点がまるで合っていない。しかし虫眼鏡と対象物との距離を調整する。すると、虫眼鏡を通過する太陽光の丸い円が、対象物を中心としてその半径を縮めてくる。

 面積の縮小に反比例して劇的に強まる円内の輝度と熱量!

 この詩における天と銀河は、そんな働きをしている。そうであればこその、贅沢に全天をキャンバスにした天の川なのである。

 

 しかも、この詩の眼目は、そこにある天狼が凍りつき、瞬きを殆ど停止することにある。

 ジリジリと焼ける天狼は、このとき詩人の心の中で、輝度が最大になる。蒼白い光に目が眩むほどに。

 では、なぜ瞬きは止まらなければならなかったのか?

 それは、詩人が全力で、全存在をかけて、星と対峙したからである。瞬くなどという悠長な姿では、詩人の集中力、そして激情と均衡することは、決してできないからである。

 詩人は、かの凝結した、凄絶といっても良いような輝きに、彼の全存在を照射させたのだ。生きていることを、強力に、かつ劇的に燃焼させたのだ。

 このとき、当然ながら詩人の視界には、最早、俗世間はもとより――天空も、銀河も――ない。

 あるのは――天狼からの強烈な光の放射と――それに真正面から対峙する、自分の生命ばかり――であったはずだ。

 

 私は、まだ悩んでいた。私の筆力では結句の灼(や)け付くような詩人と天狼の一騎打ちを表現しきれない……。

 そこで、結句に詩の心臓があることに気づいたときから私の中に始終鳴り響いている、ある音楽をここで提示し、その詩境を私なりに再現してみることにした。

 

 武満徹の、ピアノとオーケストラのための音楽「Riverrun(*)である。この曲に初めて接した十八年前の私は、タイトルを知らなかった。そして恥ずかしいことに、川の流れをイメージしなかった。ただ、底無しの宇宙、そして生きていることの不思議を感じた。そして、全曲十二三分のこの曲の、冒頭から四、五分程度のところに現れる全楽器の強奏部分に、宇宙を司る力の集中と解放を感じた。

(*)[やぶちゃん補注:一九八四年作。「リヴァラン」と読む。意味は「リバー・ラン」で「川の流れ」の意であろう。因みに関係があるかどうかは不学にして不明であるが、ジェイムズ・ジョイス最後の小説「フィネガンズ・ウェイク」(Finnegans Wake)の冒頭はまさにこの綴りの単語で始まる。これについてウィキの「フィネガンズ・ウェイク」には、『小説の冒頭は riverrun, と小文字ではじめられるが、これは第4巻最終章「アナ・リヴィア・プルーラベル」と対応している。「アナ・リヴィア・プルーラベル」は、意識の流れの手法によりアナの独白によって構成される章である。夫や家族についてのアナ・リヴィアの呟きは、そのままにダブリンを貫流して大西洋へ滔々と流れ行くリフィー川の呟きとなり、やがて短い切れ切れの緊張した語の断片の配列となって、人類の覚醒を予感させる昂揚した ALP の意識の高まりのうちに『フィネガンズ・ウェイク』は終わるが、その最後にはピリオドを伴わずに定冠詞 the がおかれ、この定冠詞が第1巻冒頭の語 riverrun にそのまま続いており、作品全体が人類の意識の流れの終わりなき円環をなすことが示される』とある(「ALP」は登場人物の女性アナ・リヴィア・プルーラベル。小説ではこの略号で示される)。参考までに引いておく。なお、リンク先は YouTube MrBWV1080 氏提供になる小川典子ピアノ J.Mena 指揮BBCフィルによるものを私が附した。]

 そもそも宇宙の不可思議な深さを感じさせる曲想自体が、中島敦が見た星空そのもののようだ。そして、まさに四、五分程度のところの強奏部分こそ、天狼が『沍(こほ)らんと欲して 明滅 稀(まれ)』となった姿そのものに聞えないだろうか?!

 私にこの詩を紹介する映像を撮影する機会が与えられたなら、バックに必ずやこの音楽を用いるであろう。

 戦前に生き、漢学に培われたある詩人の抱えた星空と、現代日本を代表する作曲家の持っていた宇宙は、実はその性質において極めて近いものであったと、私は今思うのである。

 

 蛇足となるが、私は二十七年前の夏、旅行で訪れた山西省大同郊外で、夜汽車の窓から、生れて初めて星粒ひとつひとつに遠近感を感じるような満天の星空を目にして衝撃を覚えた。それ以来、ただの一度も、本物の星空に接していない。私たちは、本物の夜空を、実は自分たちの手で、抹殺してしまったのである……

2013/05/02

中島敦漢詩全集 七

  七

窗外風聲近

寒燈照瘦人

歳除痾未

烹藥待新春

 

○やぶちゃんの訓読

 

窗外(さうぐわい) 風聲(ふうせい)近く

寒燈 瘦人(そうじん)を照らす

歳除(さいぢよ) 痾(やま)ひ未だ癒えずして

藥(やく)を烹(はう)じ 新春を待つ

 

〇T.S.君原案(一部は藪野補筆)の中国語を踏まえた語釈

・「窗外」窓の外。「窗」は「窓」の正字。高校生でも、この字の部首を「宀」(うかんむり)ととり、四画から七画の部分を「公」と書く生徒が多かった。「窓」は活字を見ても、一目瞭然、また意味を考えて見ても合点がゆくはずであるが、「穴」(あなかんむり)である。「廣漢和辭典」の解字によれば、この字は形声で、「穴」+「悤」(声)、「悤」は「窗」の下部の「囱」に通じ、屋根に空けたまどの意。これらの字体の元となった篆書体では「穴」を付加して意味を明らかにしてあるが、最初の字体は「囱」である、とある。なお、日本語でいう『窓』は、中国語では古来より「」である。

・「風」風の音、噂話、声望などという意味があるが、ここでは普通に、風が何かに当たって立てる音、もしくは風が鳴る音。

・「寒燈」寒い夜の一灯の照明。往々にして孤独でもの寂しいさまを形容する際に使用される。中国古典での用例も比較的多い。

・「瘦人」文字通り、痩せた人である。但し、通常は必ずしも病人を指すものではない。

・「歳除」一年最後の日。大晦日。

・「」病い。

・「烹藥」「」は、煮る、沸かす、他に油を加えて炒めた上で調味料で味付けをするという意味がある。「」と合わせ、ここでは薬を煎じる(煮詰める)という意で取ってよかろう。ちなみにネットで調べたところ、喘息に効果のある漢方の処方として、薬草を煎じる場合も十分あるようである。俳句では、末期の芭蕉が絶賛したという丈草の句に「うづくまる薬の下の寒さ哉」、それをパロディ化した芥川龍之介の句に「藥煮るわれうそ寒き夜ごろ哉」などがある。

・「待新春」文字通り、一種の期待感を持ちつつ新春を待つこと。古くは唐代の詩にも用例を見出すことが出来る。

 

T.S.君による現代日本語訳

 

木枯らしが――

ふと時折、なにか

思い出したかのように

窓の硝子をひとしきり叩き

まるで私を愚弄するかのように

ガタガタとやかましい音を立てている

窓を隔てた向こう、暗闇の立ち籠める戸外では

寒風に嬲られる裸ん坊の木立が「をうをう」と叫んでいる

ほらすぐそこだ! 聞き給え、私を取り囲む冬の無神経で無慈悲な呟きを

一盞(いっせん)の灯(ともしび)が――

私の落ち窪んだ眼窩、削げた頬、尖った顎に深々と陰翳を刻む

もう大晦日だというのに、未だ病は癒えぬ

薬を煎じる音、立ち上る湯気

自分の前に横たわる

遠い運命を想い

目前に迫った

新たな年の

到来を

待つ

 

〇T.S.君とやぶちゃんの協働取組みによる評釈

 難しい用字もない素直な詩である。

 それなのに、起句と承句によって、目に見える範囲の光景を完全に捉え切ってしまう、その描写力に驚かされる。前半の二行だけから把握できることを、まずはシナリオ風に書き記してみよう。

 

――冬の夜、詩人は屋内に独り、仄かな淋しい唯ひとつの燈火の下に佇んでいる。(貧しさのためか病のためかまだ分からぬ)

――彼は非常に痩せ細っている。

――詩人の耳に届くのは、窓の外を吹く冷たい風の音ばかりだ。(密閉性に乏しい日本家屋。窓周りから戸外の騒音を十分に通してしまうような建て付け。)

――窓のすぐ向こうの木立の騒ぐ音、電線の鳴る音だって手に取るようだ。

 

 次に窓そして室内を見てみよう。イメージとしては数十年前迄なら極当たり前だった日本家屋の窓そしてその書斎を想起されたい。私と一緒に、あの頃に、戻ってみよう。

 

――全開口部を覆うような一枚硝子ではない。木製の窓枠の内側に同じく木製の幾つかの格子が設えられた窓。それらの長方形の幾つもの区画には比較的小さな硝子板がひとつずつ嵌め込まれている。それだって、当然ながら充填剤などで周囲を固定された、振動や隙間風を防ぐような洒落た代物であろうはずもない。木製の格子枠に溝が誂えられており、そこに直接、硝子板が嵌め込まれているのである。強い風が当たれば、当然それらは一斉にガタガタと音を立てる。無数の隙間からは冷気が忍び込んでくる。照明は、まさか蝋燭ではないだろうから隙間風で揺らぐようなことはあり得ぬが、現代のような、天井板や家具の蔭まで舐めるような光を投げ掛ける、のっぺりと青ざめた蛍光灯などではない。おそらく白熱電球だ。そのたった一つの光源から四方に照射される減衰率の高い光線に――詩人の身体、そして顔が――照らされている。そうして単調な、しかし彫りの深い陰翳を形作っているのである……。

 

 さて続く転句では詩人が病を患っていることが、結句では薬を煎じていることが明らかとなる。

 何の病なのだろう。

 無論、中島敦が宿痾の喘息を抱えていたことを、私は既に知ってしまっている。が、しかし、私は敢えてこの詩ひいては文学というものに、謙虚な敬意を払って、そうした周縁的予備知識を一度封じて、詩だけに体当たりすることとしたい。

 

――吹きすさぶ木枯らしの音

――薬を煎じる際の湯が煮立つ音と湯気の立ち上る音

――乾燥した冬の大気にあっという間に拡散していく水蒸気

――乾いた空気に痛めつけられる口腔や喉の粘膜

 

この映像には何処となく、呼吸器系の病いのイメージが重なる。木枯らしが直ちに喘息で咳き込む音の象徴であるとまでは言わずとも、ここで聞き取れる幾つかの音に、細い管をシュウシュウと乾いた空気が通過するイメージを喚起されても少しもおかしくない。つまり、詩人が喘息を患っていたことを知らずとも、痩せた身体と風の音に、暗に胸や気管支の疾病を連想することが許される条件が画面に立ち上ってきているのである。

 私にははっきりと、一灯の明かりのもと、

 

――綿入れか何かを羽織り、口を白い布で押さえ、胡坐をかくか正座をするなりしつつ座卓に向かう詩人

 

の姿が見えてくる。

 

 そして最も大切なこと。

 それは(実は当初、私が最も戸惑ったことなのだが)、詩全体の空気に仄かに漂うカラッとした軽妙さである。

  薬を煎じる際の立ち上っていたであろう水蒸気にも侵されることのない――乾性――である。

 その出所は、この詩の生命の在り処とも言えるふたつの語句、転句の「未癒」、そして結句の「待新春」にある。

 病いは「未」だ「癒」えていない――つまり、翻って言えば――病いはいつか癒えるかもしれない――癒えることを予想してもいい――この病は必ずしも死に至らない――のである。そんな期待が、幽かに漂ってくるのである。

 そして、いや、さればこそ、詩の末尾の「待新春」、詩人は「新春」を「待」つのである。決して遠い未来ではない。あと数時間もすれば訪れるはずの、新しい歳を、待つのである。

 しかし、正月が来ると何か変わるとでも言うのであろうか? 病いが快方に向かうとでもいうのであろうか?

 違う! そんな上っ面なことを考えてはいけない。大切なのは、彼の心の持ち様(よう)なのである。

 則ち、

新年が来るということを素直に期待できるという心の状態

である。それも、遠い将来に希望を託すという形而上的な明るさではなく、身近な明日を両手を広げて素直に待ち受けるという、いわば、

今ここに呼吸をし、生きている人間としての心の在り様(よう)

なのだ。

 

 私がこの場面を映像化するなら、最後のカットで詩人の視線と顔の向きを水平よりほんの少しだけ上向きにしたい。能楽では、シテの感情が「陽」にあるときに面(おもて)を水平よりほんの少し上に向ける。これを「テラス」という(それに対して陰にあるときは俯かせ、これを「クモラス」という)。その効果を狙いたいのだ。

 上述した二点の効果の結果、この詩には湿気のある粘着性の暗さが感じられない。

 当たり前のことであるが――魂は孤独である。

 当然ながら淋しさを噛みしめている。

 しかし自らの苦難に進んで溺れていくような弱さや、苦しむ自分を題材に涙を詠うような甘えはこの詩に一切感じられない。

 かといって決して歯を食いしばったり、力んだりもしていない。

 自然体のまま冬に耐えつつ、到来しつつある歳を淡々と想う詩人の姿が見える。

 つまり、この詩の生命は、孤独や病苦の中にあっても抱き続ける、この詩人の生に対する静謐な希望なのである。[やぶちゃん注:私はこの詩やT.S.君の訳に私の偏愛する映像詩人アンドレイ・タルコフスキイの「鏡」の面影を感じてやまない。アンドレイならきっとこの詩も訳も愛して呉れる――否――きっと喜んで撮って呉れる――そんな心躍る確信が私の中にはあるのである。]

 

 ところで、この明るさはどこから来るのであろうか。ここからは中島敦という作家を自分なりに知ってしまった後世の私という立場から言おう。

 南方を題材にした彼の幾編かの小説には、南国特有の陽光に照らされた生命の健康な代謝が感じられるが、その健やかさとこの末尾には何か繋がりがあるのではなかろうか。彼が実はその元来の体質として持っていたところの、生きて躍動する健康な生命力が核にあって、その発露としての明るさがこの結句にこそ顕われたととることは出来ないだろうか。

 ここまで記してきて、私は今、気づいた。

 そういえば、『中国物』も含めて、彼の書く小説には、屈辱や悲憤や絶望や恐怖など、負の情緒の描写が数多い。しかしそこには常に、鍛えられ弾力に富んだ『鋼(はがね)』のような、常に背筋を伸ばした、ある種の強靭な『竜骨』が通っていた。

 詩人に、もし宿痾の喘息がなかったなら、その人生の途上でどんな作品が産まれただろう? 私は独り夢想してみる。……すると……失礼ながら、恐らくは作家として名を成すことはなかったであろうことが見えてくる。なぜなら、理不尽な運命に対峙する彼の鋼のような竜骨は、恐らく彼の宿をこそ最大の糧の一つとして鍛えたものだったことが見えくるからである。

 

 最後に。この詩に関して、今一つ、私がどうしても想起してしまうのが、芥川龍之介の漢詩、芥川龍之介漢詩全集」の「十五」である(私が関わった部分は「芥川龍之介漢詩全集 附やぶちゃん訓読注+附やぶちゃんの教え子T・S・君による評釈」を参照されたい)。

 

 潦倒三生夢

 茫々百念灰

 燈前長大息

 病骨瘦於梅

 

特にその転結句について、私の現代日本語訳を以下に再録する。

 

ほら、厳しい寒気に苛まれ、色褪せて縮込まる、梅の枝のような私の身体……。一灯の下、私の長い歎息が消えていく先は、そこの闇か。それとも、未来か。そして――冬の底の静寂――

 

これはすこぶる中島敦の漢詩と共通する。――病と、痩躯と、冬と――そして冬の向こうに予感される春、控えめにしか匂わされないけれども確かに在る未来への期待――である。

……そして/しかし、そこには――龍之介にあって――中島敦にない、若しくは、殆ど嗅ぎ分けられぬものが、ある。――

……それは藪野先生による評釈を読んだ後、何となく、僅かに感得し得る程度の、頗る幽かな濃度のものではあるのだけれども――

――「梅」が仄めかすところの、在るか無きかの性的な艶(つや)めいたイメージである。

 但し、これについて私は、漢文に徹底的に浸って生きてきた中島敦の中で、無意識に働くところのストイックな抑制効果であって、彼の内部で蠢いていた『性』の生温かさは、龍之介のそれと大きな違いはなかったと思っていることは明記しておきたい。

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