沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 38 ~ 沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」完結
以下の漢詩を以って沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」は終わっている。 *
今回、電子テクスト公開に従って、これを読んだ僕の古い教え子の一人は、頻りに、沢庵の文章を名文と称揚していたが、私も全体を通して、その表現も、その選び取る景物も、そして沢庵の血の通った感懐も、どれも頗る附きで優れたものであると再認識した次第である。
覺園律寺尊氏將軍再興有棟銘、
覺園律寺日苔生 木葉鳴風布薩聲
八十呉僧不言戒 只依床壁睡爲榮
[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。
覺園律寺、尊氏將軍再興の棟の銘有り、
覺園律寺 日に苔(こけ)生ず
木の葉 風に鳴る 布薩の聲
八十呉僧 戒を言はず
只だ床壁に依りて 睡(すゐ)を榮(えい)と爲(す)
わざわざ天井にある尊氏の梁の銘(現存)を題に出しているのであるから、この詩自体にも尊氏に絡んだ何らかの含意があるのであろうが、不学な私は読み解けない。識者の御教授を俟つものである。
「布薩」修行者たちが月に二度(旧暦の満月の十五日と新月の三十日)に集まっては、自身の犯した罪を告白懺悔(さんげ)し、清浄な生活を送ることを確認しあう儀式。説戒とも言う。サンスクリット語のウパバサタ“Upavasatha”の俗語形を音写したもの(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。但し、ここでは山の梢の鳴る音を諸僧の布薩に譬えている。寂寞にして睡るように座禅する老僧ただ一人のみが、そこには「在る」のである。
「呉僧」とあるが、沢庵が実見した僧は勿論、渡来僧ではない。「八十の老僧一兩人うち眠りて壁によりたる有樣いづくにたとへむ閑さとも覺えず、いさゝかも世中をばしらぬがほ也」という俗世を超越したこの老僧に、恰も俗臭紛々たる当代の僧侶にない、異界性を見ているのであろう。だからこそ、それにこがれた沢庵は「心にまかせなば爰にとゞまりて生ををくらまほしくぞおもふ」とさえ吐露したのである。されば結句の「榮」は「誉れ」若しくは「光明」の意を孕む、有り難い一字の眼目をと私は詠むのである。]