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カテゴリー「沢庵宗彭「鎌倉巡礼記」【完】」の40件の記事

2013/04/24

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 38 ~ 沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」完結

以下の漢詩を以って沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」は終わっている。

今回、電子テクスト公開に従って、これを読んだ僕の古い教え子の一人は、頻りに、沢庵の文章を名文と称揚していたが、私も全体を通して、その表現も、その選び取る景物も、そして沢庵の血の通った感懐も、どれも頗る附きで優れたものであると再認識した次第である。



   覺園律寺尊氏將軍再興有棟銘、

  覺園律寺日苔生  木葉鳴風布薩聲

  八十呉僧不言戒  只依床壁睡爲榮

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   覺園律寺、尊氏將軍再興の棟の銘有り、

  覺園律寺 日に苔(こけ)生ず

  木の葉 風に鳴る 布薩の聲

  八十呉僧 戒を言はず

  只だ床壁に依りて 睡(すゐ)を榮(えい)と爲(す)

わざわざ天井にある尊氏の梁の銘(現存)を題に出しているのであるから、この詩自体にも尊氏に絡んだ何らかの含意があるのであろうが、不学な私は読み解けない。識者の御教授を俟つものである。

「布薩」修行者たちが月に二度(旧暦の満月の十五日と新月の三十日)に集まっては、自身の犯した罪を告白懺悔(さんげ)し、清浄な生活を送ることを確認しあう儀式。説戒とも言う。サンスクリット語のウパバサタ“Upavasatha”の俗語形を音写したもの(以上は平凡社「世界大百科事典」に拠った)。但し、ここでは山の梢の鳴る音を諸僧の布薩に譬えている。寂寞にして睡るように座禅する老僧ただ一人のみが、そこには「在る」のである。

「呉僧」とあるが、沢庵が実見した僧は勿論、渡来僧ではない。「八十の老僧一兩人うち眠りて壁によりたる有樣いづくにたとへむ閑さとも覺えず、いさゝかも世中をばしらぬがほ也」という俗世を超越したこの老僧に、恰も俗臭紛々たる当代の僧侶にない、異界性を見ているのであろう。だからこそ、それにこがれた沢庵は「心にまかせなば爰にとゞまりて生ををくらまほしくぞおもふ」とさえ吐露したのである。されば結句の「榮」は「誉れ」若しくは「光明」の意を孕む、有り難い一字の眼目をと私は詠むのである。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 38

   拜大鑑禪師淸拙和尚於建長寺禪居庵、

  盤結乾坤作草廬  大唐日本一禪居

  出無門矣入無戸  塔樣直看先劫初

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   大鑑禪師淸拙和尚を建長寺禪居庵に拜す、

  乾坤 盤結して 草廬を作る

  大唐 日本 一禪居(ぜんご)

  出づるに門無く 入るに戸無し

  塔樣 直看して 劫初(こふしよ)に先んず

結句には底本では送り仮名がない。

「盤結乾坤作草廬」は「碧巌録」の「第四則 徳山挟複子」に基づくものと思われる。その本則の終盤に、

潙山云、此子、巳後向孤峰頂上盤結草庵、呵仏罵祖去在。

潙山(いざん)曰く、「此の子、巳後、孤峰頂上に向(お)いて草庵を盤結し、仏を呵(かつ)し、祖を罵り去らんぞ。」と。

「盤結」は蟠踞と同じで、本来は蛇がとぐろを巻いて蹲ること、しっかりと根を張って動かぬことを言う。「劫初」この世の初め。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 37

   拜佛國禪師之塔先問塔主山風暗答、常寂塔者無香燈之備、

   雖法門之正統、庵缺提綱之任否、空房而老鼠白日行野狐

   入夜宿、禪扉不閉風霜飽浸慈顏、吁時乎命乎、聞昔年之

   盛事見今日之頽廢、感慨非一卒賦俚語云、

  土曠人稀一塔荒  禪扉不鎖飽風霜

  可憐此法今墜地  佛國光輝有若亡

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   佛國禪師の塔を拜し、先づ塔主を問ふに、

   山風、暗(やみ)に答ふ。

   常寂の塔は香燈の備へ無く、

   法門の正統と雖も、

   庵、提綱(ていこう)の任を缺くや否や、

   空房にして、老鼠、白日に行き、

   野狐、夜に入りて宿す。

   禪扉、閉さず、風霜、飽くまで慈顏を浸ほす。

   吁(ああ)、時か命か、

   昔年の盛事を聞き、今日の頽廢を見て、

   感慨、一つに非ず、

   卒(にはか)に俚語を賦して云はく、

  土 曠(あら)く 人 稀れに 一塔 荒る

  禪扉 鎖さず 風霜に飽く

  憐れむべし 此の法 今 地に墜つ

  佛國光輝 有れども亡きがごとし

「佛國禪師」高峰顕日。

「土曠人稀」は「書経」の巻之二の、

 今水患雖平、而卑濕沮洳、未必盡去、土曠人稀、生理鮮少。

(今、水患、平らぐと雖も、而して卑濕沮洳、未だ必ずしも盡く去らず、土、曠く、人、稀にして、生理、鮮少なり。)に基づくものと思われる。「卑濕沮洳」「ひしつしよじよ」と読み、土地が低く水はけが悪くて常にじめじめしていること。「生理」暮し向き。「鮮少」頗る少ない、窮貧の謂い。

 この前書を含む全体を支配する己が禅の源流たる建長寺の完膚なきまでの荒廃への、烈しい悲憤梗概の情は、これ、ただならぬものを感じさせる。さればこそ、私はこの詩を沢庵の名吟の一つと数えたいのである。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 37

   拜報國寺開山佛乘禪師、題門曰漸入佳鏡、

  認題門字入佳境  枯木囘岩裹古蹤

  想見祖師行道日  其聲今聽意中鐘

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   報國寺開山佛乘禪師を拜し、門に題して曰く、「漸入佳鏡」、

  門に題するの字を認め 「佳境」に入る

  枯木 囘岩 古蹤の裹(うち)

  想見の祖師 行道(ぎやうだう)の日

  其の聲 今 聽く 意中の鐘

「古蹤」「蹤」は足跡で、古の人の歩いた跡の意。但し、禅語では、古人の優れた行いの意があり、それも含めた謂いではあろう。実際の報国寺訪問の際のパートで注した如く、沢庵はこの寺に感銘していないと私は読む。さればこその「漸入佳鏡」の題字を詠んで、鐘の音のみによって触発される仮想の禅境をのみ夢想して詩を作したものと私は断ずるものである。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 36

   拜稻荷山淨妙寺開山塔、曰光明院行勇禪師

  月沈野水光明院  峯披靑雲祖塔婆

  當昔決竜蛇陣處  看來今日一僧伽

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   稻荷山淨妙寺開山塔を拜し、光明院行勇禪師を曰(よ)ばふ、

  月 野水に沈む 光明院

  峯 靑雲に披く 祖塔婆

  當昔(たうせき) 竜蛇陣を決する處

  看來 今日 一僧伽(そうぎや)

底本では標題の「曰」は「日」。勝手に「曰」と判断した。また、標題及び漢詩全文には送り仮名が全くなく、「曰」を「よばふ」(呼ばふ)と訓じたりしたのも私の独断である。大方の御批判を俟つ。

「當昔」往昔。古え。

「竜蛇陣」兵法の陣立ての一つ。「碧巌録」の第七十一則「百丈併却咽喉」〔百丈、咽喉(のど)を却(ふさ)ぐ〕の「頌」等に用例がある。ここでは禅の祖師らの公案の発問を言い、「決する」はそれを喝破し、悟達したことを指すものと思われる。

「看來今日一僧伽」「僧伽」は教団を言うが、ここは単に寺の堂のことであろう。先の浄明寺訪問記載を見れば――見たところ、今日只今は、ただの寂れた堂があるばかり――という謂いであることが分かる。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 35

   金峯山淨智寺開山塔、

  門庭不設祖師禪  淨智莊嚴松竹旋

  見麼我宗直建立  草深一丈法堂前

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   金峯山淨智寺開山塔、

  門庭 設けず 祖師の禪

  淨智の莊嚴 松竹旋(せん)

  見麼(けんも) 我が宗 直建立(ちよくこんりふ)

  草は深し 一丈法堂(はつたう)の前

「見麼」は「見たか?」「見たか!」の意。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 34

   入龜谷壽福寺拜千光國師於逍遙院、

  照暗千光本一光  逍遙大宋止扶桑

  請看黑漆崐崘耳  敬爲祖師燒作香

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   龜谷(かめがやつ)壽福寺に入り、千光國師を逍遙院に拜す、

  暗(やみ)を照らす 千光 本(もと) 一光

  大宋を逍遙し 扶桑に止まる

  請ふ 看よ 黑漆崐崘耳(こくしつこんろんじ)

  敬す 祖師たり 燒けて香と作(な)る

底本では結句は「敬 祖師(と)爲(り) 燒 香を作る」〔( )は私が補った〕とでも読むか。私には意味不全なので、かく訓じた。大方の御批判を乞う。

「千光國師」は栄西。

「崐崘」は現在のベトナム・カンボジア地域にあった国名であるが、知られた寿福寺蔵の栄西の頂相を見ると、焼けて黒焦げになった如く真っ黒で、背が低く、巨頭にして耳が異様に長い。そうした異形のうちに、逆に仏教伝来の大陸の、往古の聖人の再来の風貌を読み取ったものか。これも大方の御批判を乞うものである。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 33

   拜瑞鹿山圓覺寺開山佛光禪師、

  圓覺伽藍包大千  大千日月這中旋

  展虛空手禮三拜  宇宙横身老鉅禪

[やぶちゃん注:以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   瑞鹿山圓覺寺開山佛光禪師を拜す、

  圓覺伽藍 大千を包む

  大千 日月 這中(しやちゆう)に旋(めぐ)る

  虛空手を展して 禮 三拜

  宇宙 身を横ふ 老鉅禪(らうきよぜん)

「大千」大千世界。三千大千世界の一つで中千世界を千集めたもので、仏の教化の及ぶ範囲の意に用いる。

「這中」は「しゃちゅう」で、この中の意。「這」は這うの意の場合は音は「ゲン・コン」であるが、「シャ」と読む時、「これ」「この」という指示語になる。同様の意で這箇(しゃこ)・這般(しゃはん:これには別に此度・今度の意がある。)、「このように」の意で這麼(しゃま)等、禅語では頻繁に見かける用字である。

「老鉅」「鉅」には尊(たっと)いの意があり、「鉅偉」(優れて大きい)・「鉅卿(きょけい)」(貴人/他者を尊んで言う二人称代名詞)・「鉅公」(「鉅卿」と同義/名人。その道の達人/天子)の熟語があり、「老」は「老師」「老台」「老爺」等と同じく年長者への尊敬の接頭語であろうから、仏光国師無学祖元の禅の三昧境を言っている。祖元の禅の指導法は頗る懇切で、実に「老婆禅」(年老いた女が世話をやくように万事洩れなく行き届いているの意であろう)と呼ばれ、多くの鎌倉武士の尊崇を受けたのであった。]

2013/04/23

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 32

   入巨福山建長寺、拜開山大覺禪師於西來院、

   經曰照于東方萬八千土云々、

  不覺從前大覺尊  照東方土破群昏

  篙師得力西來意  下載淸風月一痕

[やぶちゃん注:底本では題は改行せず一続きである。以上を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

   巨福山(こふくさん)建長寺に入りて、

   開山大覺禪師を西來院に拜す、

   經に曰く東方萬八千土を照らすと云々、

  不覺(ふかく) 從前(しようぜん) 大覺尊(だいがくそん)

  東方土を照らし 群昏(ぐんこん)を破る

  篙師(かうし) 力を得(う) 西來の意

  下載(あさい)の淸風 月一痕

「篙師」の「篙」は舟の棹(さお)で、船頭、水夫の意。蘭渓道隆大覚禅師の渡日と、仏国土への引導の意を掛けるか。

「下載の淸風」これは「碧巌録」に載る禅語、

 如今放擲西湖裏 下載淸風付與誰

  如今(じよこん)に放擲す 西湖の裏(うち) 下載(あさい)の淸風 誰(たれ)にか付與せん

に基づく。「安延山承福禅寺」公式サイトにある『今月の禅語 朝日カルチャー「禅語教室」より』の「下載清によれば、ロケーションは無論、杭州西湖。景勝西湖は水上輸送の要衝でもあったとされ、

   《引用開始》

たくさんの荷を積んだ船の船足は重く、ようやく船着き場にたどり着き、せかされるように休む間もなく荷をおろしにかかり、今やっと陸揚げを終えてた。一切の厄介なものを放擲してしまったようにすっきりした気分である。気がつくと西湖の船着き場には川風が吹き抜けてすがすがしい。任務は終わって、さぁあとは川の流れに任せ、帆をいっぱいに広げて下載(あさい)の清風にまかせて銭塘江を快適に下るだけだ。

 このすがすがしい解放感は何とも言いようがない。何の束縛もないこの爽快さ、湧き上がる喜びを誰に伝え、誰と分かち合おうか。

 だが、これだけは誰にも分け与えられるものではない。苦しみ喘ぎ、汗を流してきたものだけが味わうことができる喜びなのだ。

 因みに昔、中国では東南の風を上載といい、西北の風を下載といわれたと聞くが、また、荷物を積んで銭塘江を上がるを上載といい、荷物を下して江を下るを下載ともいわれるのだともいう。いづれにせよ荷を積み流れに逆らって船を走らせる苦労があればこそ、清風を受けて快適に下る心地よさがあるのだ。

 徳川家康の格言として知られる「人の一生は重荷を負うて 遠き道を行くがごとし」のように人は皆いろいろなことを背負って生きていることである。

 しかし、そんな俗界のしがらみも、迷いも囚われもすべて放擲してしまったときにこそ新しい人生、別天地が開けてくるらしいのだというのが、「下載の清風」の語の意図である。ところが、自らもそうだが、人様には無駄なもの余計なものは捨てなさいと言いながら、また拾って歩く自らがある。

 修行して悟りを得れば悟りにとらわれて、後生大事に持ち歩く御仁もおられる。下載の清風を感じられる人生でありたいものである。

   《引用終了》

と、丁寧な解がなされてある。]

沢庵宗彭「鎌倉巡禮記」 31

いく度もとて又々八幡宮に詣て、

  十かへりの木すゑをならす風の音に こゑをあはする鶴か岡の松

  吹千年綠鶴岡松  永翼蔽源家後蹤

  禱則感應如在扣  神宮寺裡一聲鐘

[やぶちゃん注:以上の漢詩を底本の訓点を参考にしながら、私なりに書き下しておく。

  千年の綠を吹く 鶴岡(つるがをか)の松

  永く源家の後蹤(こうしよう)を翼蔽(よくへい)す

  禱(いの)れば則ち感應して 扣(ひか)へに在るがごとし

  神宮寺裡(じり) 一聲の鐘

「扣」は「控」の意に同じい。]

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