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カテゴリー「「明恵上人夢記」」の104件の記事

2024/01/02

明恵上人夢記 107

107

一、同十一日の夜、坐禪の後(おち)に眠る。

 夢に云はく、故行位律師(こぎやうゐのりつし)は、大師の「梵網經(ぼんまうきやう)」を以て、高尾に於いて、暫く、籠居(こきよ)して、高辨に對(むか)ひて言はる、

「此の疏(しよ)を讀み奉れ。」

 高辨、之を領掌し、其の本を取りて、之を見るに、不思議なる靈本也。夢の中の其の本に云はく、

『「冒地(ばうち)」の梵語、之(これ)、在りと思ひて、此(これ)を見るに、

Bodai

[やぶちゃん注:底本の編者割注で以上の梵(サンスクリット)語二字の意味を『菩提』することが示されてある。同語を音写すると「ボウチ」であるから、ここに出る「冒地」はそれへの当て字であろう。画像は所持する底本の「明恵上人集」(一九八一年岩波文庫刊)のものをOCRで読み取り、トリミング補正した。]の梵字也。又、菩薩の名、在る處は、卽ち、繪圖也。不動尊等(とう)の如く、大きなる火聚(くわじゆ)の中に處(を)り。其の炎(ほのほ)、紺靑色(こんじやういろ)也。』

 心に思はく、

『此(これ)は、眞言の宗骨(しゆうこつ)の、此(かく)の如くしなしたる本か。』

と思ふ。

『都(すべ)て、此(かく)の如き證本(しやうほん)の、有りける。』

と思ふ。

 都て、書躰(しよたい)も薄香(うすかう)の表紙にて、能筆を以て、書(かき)ける也。

 

[やぶちゃん注:梵字は底本のものをOCRで読み込み、トリミング補正したものを挿入した。本夢は、順列からも、承久二(一二二〇)年八月十一日の夢と考えてよい。

「行位律師」空海を指すか。明恵は華厳宗であるが、空海に対して、非常に強い関心を示していた。「栂尾明恵上人伝記 11 十三歳から十九歳 二つの夢記述」の二番目の夢に、やはり、弘法大師が登場している。

「高尾」京都高尾山の神護寺。空海は、当時は和気氏の私寺であった「高雄山寺」であった、ここに入った。また、明恵は孤児となってから、この高雄山神護寺の、文覚の弟子で、叔父の上覚に師事(後に文覚にも師事)し、「華嚴五敎章」・「俱舍頌」(くしゃじゅ)を読む一方、移った仁和寺では、真言密教を実尊や興然に学んでいる。

「高辨」幾つかある明恵の法諱の最後のそれ。

「大師の梵網經」正しくは「梵網經盧舍那佛說菩薩心地戒品第十」。大乗仏教の経典であり、鳩摩羅什訳とされる漢訳が伝わる。上下二巻本。下巻を特に「菩薩戒經」と呼び、本書全体が大乗菩薩戒の根本経典として重んじられている。因みに、空海は、真言密教の立場から、この「梵網經」を解釈した「梵網經開題」を著しているが、この夢で「疏」(注につけた注釈)というのは、その「梵網經開題」を念頭においた、架空の書であろう。

「眞言の宗骨」「仏教の真言(深い意味の籠った絶対の教え)の核心部」の意か。

「此(かく)の如くしなしたる」の「如く」の下の「し」は「する」の意のそれではなく、強意の副助詞と採る。

「薄香」色の名の一つ。白茶(しらちゃ)に、少し、赤みがかった薄い茶色。香料の丁字(ちょうじ)を染料に用いた色の一つで、丁字色を薄くしたのが「香色(こういろ)」で、その香色を、やや薄くした色を指す。平安朝以来の伝統的な色名で、和服などによく用いられる。丁字は生薬や香辛料として知られるが、かぐわしい香りのする香木でもある。]

 

□やぶちゃん現代語訳

一、同じく承久二年八月十一日の夜、座禅の後(のち)に眠った。……

――こんな夢を見た……

 故(こ)行位(ぎょうい)律師は、大師の「梵網經(ぼんもうきょう)」を以って、高尾に於いて、暫く、籠居(こきよ)されて、私(わたくし)、高弁に対座されて言われた。

「この『疏(しょ)』を読み奉るがよい。」

 高弁、これを領掌し、その本を取って、これを見るに、まっこと、不思議な霊本なのであった。

 夢の中の、その本に曰わく、

『「冒地」(ぼうち)の梵語、これ、在(あ)ると思って、これを見るに、

Bodai

の梵字であったのである。また、菩薩の名が記されてある箇所は、即ち、絵図であったのである。不動尊等(とう)の如く、大いなる火の聚(あつま)りの中に、居(い)られるのである。その炎(ほのお)は、優れて紺靑色(こんじょういろ)なのである。』

 心に思ったのは、

『これは、まさに「真言」の核心部分を、かくの如く、厳然と示した本なのだろうか?』

と思った。

『すべて、このような、信証を鮮やかに示した本が、あるものなのだなぁ!』

と思った。

 すべて、書体も、薄香(うすかう)の表紙にて、能筆(のうひつ)を以って、書かれてあったのである。

2023/12/31

明恵上人夢記 106 兜率天に到る夢

106

一、同初夜坐禪の時、滅罪の事を祈願し、戒躰(かいたい)を得たり。

「若(も)し好相(かうざう)現(げん)ぜば、諸人(しよにん)に戒を授けむ。」

と祈願す。

 其の禪中、前(さき)の六月の如く、身心、凝然たり。

 空より、瑠璃(るり)の棹(さを)、筒(つつ)の如くにて、

『其の中(なか)、虛しき也。』

と思ふ。

 其の末(すゑ)を取りて、人、有りて、予を引き擧(あ)ぐ。

 予、

『之に取り付きて、兜率(とそつ)に到る。』

と覺ゆ。

 其の筒の上に、寶珠、有り。

 淨(きよ)き水、流れ出でて、予、之(この)遍身に灑(そそ)く。

 其の後(のち)に、心に、

『予、之(この)實躰(じつたい)を見む。』

と欲す。

 其の面(おもて)、忽ちに、明鏡(めいきやう)の如し。漸々(ぜんぜん)に、遍身、明鏡の如し。卽ち、圓滿なること、水精(すいしやう)の珠(たま)の如し。

 動き、轉じて、他所(たしよ)に到る。

 又、音の告げ有るを待つに、卽ち、聲、有りて云はく、

「諸佛、悉く、中(うち)に入(い)る。汝、今、淸淨を得たり。其の後、變じて大きなる身と成り、一間許(ばか)りの上に、七寶(しつぱう)の瓔珞(やうらく)、有りて、莊嚴(しやうごん)す。」

と云々。

 卽ち、觀(くわん)より、出で了(をは)んぬ。

 又、其の前に眞智惠門(しんちゑもん)より出でて、五十二位を遍歷す。

 卽ち、信位之(の)發心(ほつしん)は文殊也。佛智は十重(とへ)を分(わか)ち、此の空智を現ず。

 此の十住の中(うち)に一切の理事を攝(せふ)して、諸法(しよほふ)、盡きぬ。

 卽ち、文(もん)に云はく、

『十方(じつはう)、如來の初發心(しよほつしん)は、皆、是、文殊の敎化(きやうげ)の力(ちから)なり、といふは、是也。文殊の大智門より、十住の佛果を生ずるが故(ゆゑ)也。眞智に於いて、住果(ぢゆうくわ)を生ずといふは、佛果の文殊より生ずる也。信位に於いて、初住の一分(いちぶ)を生(しやう)ずといふは、文殊、佛果の弟子と爲(な)る也。卽ち、因果の相卽(さうそく)する也。此の下(しも)十行は、之(これ)、普賢の大行(だいぎやう)の具足する也。十𢌞向(じふゑかう)は理智の和合也。此より、十地を生じ、理智を作(な)すこと無く、又、冥合(めいがふ)を證得する也。佛果は此(これ)、能生(のうしやう)也。定(ぢやう)の中に於いて、忽ちに、此の義を得るは、卽ち、因果、時を同じくする也。之を思ふべし。紙筆に記し難し。』

と云々。

 同十八日に、之を記(しる)す。其の夜、同十日に、彼(か)の事あり。

[やぶちゃん注:これは、順列からも、承久二(一二二〇)年八月七日の夢と確定されている。明恵は若き日より、文珠菩薩に従って自己の信仰を揺るぎないものとする信念を持っていた。それは、彼が、建久六(一一九五)年に、東大寺への出仕を辞し、神護寺を出て、俗縁を絶って、紀伊国有田郡白上(しらかみ:現在の和歌山県有田郡湯浅町(ゆあさちょう)白上:グーグル・マップ・データ)に遁世し、凡そ三年に亙って白上山(しらかみやま)で修行を重ねた際、翌建久七年、二十四歳の時、『人間を辞して少しでも如来の跡を踏まんと思い、右耳の外耳を剃刀で自ら切り落とした』(当該ウィキより引用)直後に、文殊菩薩の示現に与(あず)かったことからの、長い個人的な確信的信仰であった。河合隼雄「明惠 夢に生きる」(京都松柏社一九八七年刊)でも、この夢を、河合氏が『心身凝然の夢』と名づけて、一章を設けておられる(278284ページ)。それによれば、『この夢は『冥感伝』にも詳しく述べられている。『夢記』には書かれていない部分もあり、極めて大切な夢であるから、重複もするが『冥感伝』の記載を次に示すことにする』とあって、同書の同夢の引用がある。私は「冥感伝」(正しくは「華嚴佛光三昧冥感傳」で明恵が承久三年十一月九日に完成させた「華厳仏光三昧観秘宝蔵」の一部であることが判っている)所持せず、原本は漢文なので(「京都大学貴重資料デジタルアーカイブ」のここから視認出来る。但し、写本)、以下、河合氏の訓読された、それを恣意的に正字化して示すことする。読みは、河合氏の附されたもののほかに、私が推定で歴史的仮名遣で付加してある。

   *

同八月七日に至り、初夜の禪中に、身心凝然として、在るが如く、亡(な)きが如し。虛空中に三人の菩薩有り。是れ、普賢、文珠、觀音なり。手に瑠璃の杖を執(と)りたまふ。予、が右の手を以て堅く杖の端を執る。菩薩、杖の本(もと)を執り、予、杖の右を執る。三菩薩、杖を引き擧げたまふ。予、杖に懸(かか)りて速(すみや)かに兜率天に到り、彌勒の樓閣の地トに着(ちやく)す。其の間、身(しん)淸涼として心(こころ)適悅(てきえつ)す。譬(たと)へ取らんに、物なし。忽ち瑠璃の杖の、寶地(はうち)の上に立つを見る。其の杖の頭に寶珠あり。寶珠より寶水流れ出で、予の遍身を沐浴(もくよく)す。爾(そ)の時に當たりて、予の面(おもて)、忽ち明鏡の如く、漸々(ぜんぜん)に遍身明鏡の如し。漸々に遍身の圓滿なること水精(すいしやう)の珠の如く、輪(わ)の如く運動す。其の勢(いきほひ)、七八間許りの舍宅の如し。禪中に心想有るが如く、奇異の想ひを作(な)す。時に、忽ち空中に聲有るを聞く。曰はく、「諸佛、悉く中に入る。汝今、淸淨を得たり」と。其の後、本(もと)の身に復(かへ)るに、卽ち七寶の瓔珞有りて虛空中(ちゆう)に垂(た)れ莊(かざ)る。予、其の下に在りて、此の相(さう)などを得ると與(とも)に、定(ぢやう)を出で畢(をは)んぬ。

   *

河合氏は、この後に以下のように解説されておられる。

   《引用開始》

 これらを見ると、『夢記』には「前の六月の如く、身心凝然たり」とあって、六月の「兜率天に登る夢」[やぶちゃん注:私の「92」がそれ。]のときも、同様の状態になったことが解るが、この「身心凝然」とはどのような状態を言うのだろうか。これについては『冥感伝』の「身心凝然として、在るが如く、亡きが如し」という表現が理解を助けてくれる。おそらく身も心もひとつになり、しかも、それは極めて軽やかな、あるいは、透明な存在となったのであろう。明恵の場合は、修行を通じて、その身体存在が心と共に変化するところが特徴的である。身体は、彼にとって幼少のときから常に問題であった。空から降りてきた瑠璃の棹によって、明恵は兜率天へと上昇するが、そのとき棹をもって明恵を引きあげてくれたのが、普賢、文殊、観音の三菩薩であることを、『冥感伝』の記述が明らかにしてくれる。兜率天に到達するときの感じが、そこには「身清涼として心適悦す」と表現されている。

 杖の上に宝珠があり、そこから流れでる宝水によって明恵の全身が洗われるのは、前の「兜率天に登る夢」と同様である。このときに明恵の体には大きい変容が生じ、まずその顔が鏡のようになり、続いて体全体が水精の珠のようになる。まさに「透体」というべき状態である。そのときに声がして、「諸仏、悉く中に入る。汝今、清浄を得たり」と言う。この「諸仏、悉く中に入る」というところが、[やぶちゃん注:中略。]まさに華厳の世界の体現という感じを与える。

 これに対する明恵のコメントは、前の「天よりの棹の夢」[やぶちゃん注:私の「97」がそれ。]のときに述べたことを、もっと詳しく論じている。つまり、十信の位の達成は、文殊の智によってする五十二位の遍歴に通じ、成仏に到っているという彼の考えを開陳している。このコメントの結びとして、「定の中に於いて忽ちに此の義を得るは、即ち、因果、時を同じくする也」と述べているところも、いかにも華厳らしい考えである。[やぶちゃん注:中略。]

 このような夢に接すると、明恵という人にあっては、その宗教における教義の理解、修行の在り方、またそれによって生じてくる夢想などのイメージが一体となり、統一的に把握され、それに今までに示してきたような彼の生活の在り方も関連してきて、「行住坐臥」のすべてが、深い宗教性と結びついていたことが解る。

   《引用終了》

「初夜」六時の一つ。戌の刻(午後八時頃)。宵の口で、その時刻に行う勤行をも指す。

「戒躰」「戒」の「実体」の意。戒を受けることによって得られる、悪を防ぎ止め、善を行なう、ある種の法力。

「好相」「相好(さうがう(そうごう))」に同じ。仏の身体に備わっている三十二の相と八十種の特徴の総称。

「身心、凝然たり」一種のトランス状態であろう。

「水精」水晶。

「一間」約一・八二メートル。

「五十二位」菩薩が仏果に至るまでの修行の段階を五十二に分けたもの。「十信」・「十住」・「十行」・「十回向」・「十地」、及び、「等覚」・「妙覚」をいう。「十信」から「十回向」までは「凡夫」で、十地の初地以上から「聖者」の位に入り、「等覚」で仏と等しい境地となる。

「信位之發心」「三種発心」、「信成就発心」・「解行(げぎょう)発心」・「証発心」の初回である「信成就発心」。業(ごう)の果報、或いは、大悲を信じることによる発心であり、また、護法の因縁による発心を指す。参照した「WEB版新纂浄土宗大辞典」の「三種発心」によれば、『また』、元暁の「起信論疏」に『よれば、信成就発心は』、『信心が成就して決定心が起こること、解行発心は六波羅蜜の修行が熟して回向心が起こること、証発心は法身を証得して真心が起こることである。これら三種の発心は、菩薩の階位と対応して理解され』、『信成就発心が十信・十住、解行発心が十行・十回向、証発心が初地以上とされる。良忠は』「東宗要」の一に『おいて、義寂の説を用いて』、『法蔵の発心を』、『この三種に分類するが、これは』「悲華経」と「無量寿経」との『二経典に説かれる説を合わせた上で、前者を初住の発心、後者を地上の発心と理解したものである』とある。 

「文(もん)に云はく」以下は「華厳経」の引用かと思われる。

「同十八日に、之を記(しる)す。其の夜、同十日に、彼(か)の事あり。」意味深長な附記である。河合氏は同前の章でこれについて、以下のように述べておられる。

   《引用開始》

 ここで少し楽屋話めくことを一つ。『夢記』を通読しているうちに、この「身心凝然の夢」のすぐ後に続いて、

 「同十八日に之を記す。其の夜、同十日に彼の事あり」

という記録があり、これが心に残った。そして続いて読みすすむうちに、前章で取りあげた「毘廬舎耶の妃の夢」に至り、ここで明恵が「彼の事」と書いたのは、女性との関係において、記録しておくべきだが明らさまには書かぬ方がいいと判断されることがあったのではないかと考えた。「毘廬舎那の妃の夢」については既にコメントしたが、このように考えるとすると、これらは承久三年のことである方が、承久の乱後の明恵が女性と接触をもつ機会が多かっただけに、蓋然性が高いのである。ところが、当時は『夢記』に関する一番信頼し得る資料は『明恵上人資料第二』であり、そこでは奥田勲がこれらはすべて承久二年のこととしていた。

 ところで、『夢記』の影印本文を見ると、前記の「彼の事あり」の記録は、極めて小さい字で、おそらく余白に後で書き込んだのではないかと思われ、筆者の推察を強化するような感しを与えた。ここで女性に関することというのは、既に前章に論じたとおり、明恵にとっては極めて深い意味をもつことであり、戒を破りかけたときに「不思議な」ことが生じたことを、彼は大切に考えているので、そのような体験についての心覚えを、ここに留めておこうとしたのではないかと推察したのである。

 このような点と、承久二年の夢があまりに多いこともあって、おそらく承久三年の夢が錯簡によってはいりこんでいるのではないかと考えていた。そのときに『冥感伝』のなかに、既に述べたような「承久三年」という日付を見出したので、これで疑問が晴れたと思ったが、そうなると「身心凝然の夢」や「善妙の夢」などまでが承久三年のものとなる可能性が生じてくる。筆者の考えとしては承久二年に、このような深い宗教的体験を成就したからこそ、明恵は承久の乱のなかで冷静に対外的に対処できたのだ、としていたので、これらの夢も承久三年となると、そのへんの理解が困難となってくるのである。そのようなとき、奥田勲の新しい研究に触れ、まさに「同十八日に之を記す。其の夜、同十日に彼の事あり」の行より承久三年のことと判定されていることを知り、理解の筋が通ったようで嬉しく思った次第である。もちろん、この「彼の事」について、あるいは「毘廬舎那の妃の夢」について、女性との実際的な関係を考えるのは、筆者の当て推量に過ぎないのではあるが。

   《引用終了》

私は河合氏の説を全面的に支持するものである。]

 

□やぶちゃん現代語訳

 同じ初夜の座禅の際、滅罪の事を祈願し、戒体を得た。そこで私は、

「もし好相(こうぞう)が現(げん)じたならば、諸人(しょにん)に戒を授けんとする。」

と祈願した。

 その禅の最中、先の六月の如く、身心が、凝然となった。

 夢が始まった……

 空より、瑠璃(るり)の棹が、筒の如くにして下ってくるのを直感した。

『其の筒の中は、誰もいない。』

と、やはり、直感した。

 虚空に、人があって、その筒の端(はし)の部分を取って、私を、

「すうっ」

と引き挙(あ)げた。

 私は、

『これに取りついて、私は、兜率天に到るのだ。』

と直感した。

 そのの筒の上には、宝珠がある。

 清浄な水が流れ出でており、その浄水が、私の遍身に灑(そそ)がれた。

 その後(のち)に、心に、

『私は、この実体を見たい。』

と欲した。

 その筒の表面は、瞬時に明鏡のようになった。

 すると、徐々に、私の遍身もまた、明鏡のようになる。

 筒も、私も、まさに円満なること、水晶の珠(たま)のようになる。

 筒と私は、ともに動き、転じて、別な所に到った。

 又、声の告げがあるのを待っていると、即座に、声があって曰わく、

「諸仏、悉く、中(うち)に入(い)った。汝は、今、清浄を得たのだ。その後(のち)、変じて、大なる身体となって、一間ばかりの上に、七宝(しっぽう)の瓔珞(ようらく)があって、汝の存在を荘厳(しょうごん)する。」

と……。

 その瞬間、観(かん)から脱して、夢は終わった。

 因みに、言い添えると、その前に、真智恵門(しんちrもん)から出(い)でて、五十二位を遍歴していた。

 則ち、「信位の発心」は文殊である。

 仏智は十の階梯を分かって、この「空智」を現じたのであった。

 この十住の内に、一切の理(ことわ)りを、悉く、摂取して、諸法も、これ、悉く、完遂していたのである。

 則ち、経文(きょうもん)に曰わく、

『「十方(じっぽう)の如来の初発心は、皆、これ、文殊の教化(きょうげ)の力(ちから)である。」と言うのは、これを指すのである。文殊の「大智門」より、十住の仏果を生ずるが故である。「真智に於いて、住果(じゅうか)を生ず。」と言うのは、仏果の文殊より生ずるものなのである。「信位に於いて、初住の一分(いちぶ)を生ずる。」と言うは、文殊の、仏果の弟子となることなのである。即ち、因果の相即(そうそく)することを指すのである。この下(しも)十行は、これ、普賢の大行(だいぎょう)の具足することを指すのである。「十回向」は「理智の和合」を意味する。これにより、十地を生じて、理智をなすこと、なく、また、冥合(めいごう)を証得するということなのである。仏果はこれ、能生(のうしょう)である。定(じょう)の中に於いて、忽ちにして、この義を得ることは、即ち、因果が、時を同じくすることに等しい。これをしっかりと思うがよい。紙筆には記し難きものなのである。』

と……。

 因みに、訳(わけ)あって、以上は、夢を見た日から十五日経った、八月十八日に、これを記(しる)した。

 ああ、そうだ。その夜――則ち、夢を見た日から丁度、四日後の八月十日の夜のこと、まさに――「あの事」――が、あったのだった。

2023/10/15

明恵上人夢記 105

105

一、同八月七日の朝、禪より起(た)ちて、臥息(ぐわそく)す。夢に云はく、一人の聖人有り。

『是(これ)、「迦葉尊者(かせふそんじや)」。』

と思ふ。予、一聚(ひとむら)の瓔珞(やうらく)を持ちて、其の上を覆ひ奉る。迦葉、其の後に、此(ここ)を過ぎて還り給ふと云々。是、祈請具戒之(の)間(かん)の夢也と云々。

 

[やぶちゃん注:これは夢の記載が順列ととるなら、承久二(一二二〇)年八月七日が時制となる。

「迦葉尊者」釈迦の十大弟子の一人大迦葉(だいかしょう)。サンスクリット語「マハーカーシヤパ」の漢音写。仏教教団に於ける釈迦の後継(仏教第二祖)とされ、釈迦の死後、初めての結集(第一結集、経典の編纂事業)の座長を務めた。「頭陀第一」といわれ、衣食住にとらわれず、清貧の修行を行った。「摩訶迦葉」「摩訶迦葉波」「迦葉」「迦葉波」とも呼ばれる(当該ウィキに拠った)。

「一聚(ひとむら)の瓔珞」「瓔珞」は、珠玉や貴金属を編んで、頭・首・胸に懸ける装身具。仏・菩薩などの身を飾るものとして用いられ、寺院内でも天蓋などの装飾に用いる。元はインドの上流階級の人々が身につけた飾りであった。「一聚」はここでは、一つの完璧な欠けるところがない完成された一つのそれを指す。音では「いつじゆ」「ジユ(ジュ)」は呉音。慣用音で「いつしゅう」と読んでもよい。

「此」明恵の寝ていた所。

「祈請具戒」「希求祈請具足戒」(けぐきせいぐそくかい)のことであろう。通常は、涅槃を一身に求め(希求)ることを心に誓って祈り請け(祈請)、そのための僧が守らなければならない戒律(比丘には二百五十戒、比丘尼には三百四十八戒あるとされる)を守ることを誓う修法(しゅほう)。

「祈請具戒之間の夢」「この夢は、全体が「希求祈請具足戒」を守ることを誓った夢の中の一部であった。」というのである。明恵は眠っていても、修法を行っている夢を見るのである。則ち、睡眠中でも、脳が常識を超えた恐るべき覚醒をしていることを意味するのである。]

 

□やぶちゃん現代語訳

 同年八月七日の朝、禅の修法(しゅほう)を終えて、立って、少し横になって休息した。その折り、こんな夢を見た――

 一人(ひとり)の聖人が、おられる。

 その瞬間、私は、

『これは! 迦葉尊者さまだ!』

と思う。

 私は、一連の瓔珞(ようらく)を持って、その迦葉尊者さまの御身の上を、覆い奉った。

 迦葉さまは、その後(のち)に、ここを過ぎ行きて、お還りになられる、と……

 これは、祈請具戒(きせいぐかい)の間(あいだ)の夢の中で、見た夢である、と……

 

明恵上人夢記 104

104

一、又、好相(がうさう)に晴天の星を見ると云々。

 

[やぶちゃん注:これは夢の記載が順列ととるなら、これは夢の記載が順列ととるなら、次の「105」から、承久二(一二二〇)年八月四日以降、八月七日の前が時制となる。

「好相」「相好(さうがう(そうごう))」に同じ。仏の身体に備わっている三十二の相と八十種の特徴の総称。ここでは、「晴天の星を見る」という観想が、即、真(まこと)の仏の相好とイコールになったのである。]

 

□やぶちゃん現代語訳

 また、こんな夢を見た――

 相好を見ている。それは、即ち、「晴天の星を見る」ことであったのである、と……

 

明恵上人夢記 103

103

一、同八月三、四日、禪中の好相(がうさう)に、一(ひとり)の佛、有り。予に親近し、之を守護す。乳母(めのと)の如く思ふ。

 

[やぶちゃん注:これは夢の記載が順列ととるなら、承久二(一二二〇)年八月三日から四日までが時制となる。

「好相」「相好(さうがう(そうごう))」に同じい。仏の身体に備わっている三十二の相と八十種の特徴の総称。

「乳母」明恵の仏観には常に女性性(アニマ)が認められることが多いことは注視してよい。]

 

□やぶちゃん現代語訳

 また、同年八月三日から四日にかけて、禅を修(しゅ)して観想している最中、真(まこと)の仏の相好が感得された際――

 一人(ひとり)の仏(ほとけ)があられた。

 私に親しく近づき、私を守護して下さった。

 私は心に、

「私の亡き乳母(うば)さまのようだ!」

と思うのであった。

 

明恵上人夢記 102

102

一、又、貴人數多(あまた)、之(これ)、在り。共の中に一人、冠を著けたる僧、若くして、其の衣服、直(なほ)しと云々。

 予、

「大光王(だいくわうわう)にておはしますか。」

と曰ふ。

 答へて曰はく、

「尓(しか)也。」

 又、白(まを)して言はく、

「生々世々(しやうじやうせぜ)、値遇(ちぐ)し奉るべきか。」

 答へて曰はく、

「疑ふべからず。必ず、値遇すべき也。」

 其の余も、

『善知識也。』

と思ひて、適(たまたま)悅び、覺(さ)め了(をは)んぬ。

 

[やぶちゃん注:前回同様、クレジットはないが、日付のある「100」を承久二年七月三十日未明と私は指定した。そしてこの次に「同八月三」、「四日」と頭に記す夢があので、これも承久二(一二二〇)年七月三十日(同月は大の月)から八月三日までの閉区間が時制となる。

「大光王」「光明王佛」のことであろう。「観無量寿経」に説く、最も上方にある無相妙光明国の仏の名。

「値遇」縁あってめぐり逢うこと。 特に「仏縁あるものにめぐり逢う」こと。「ちぐう」と読んでもよい。

「生々世々」「しょうじょうせせ」とも読む。生まれ変わり、死に変わって、経るところの多くの世。転じて「未来永劫」の意。

「余」大光王以外の連衆。]

 

□やぶちゃん現代語訳

 また、こんな夢を見た――

 貴人が数多(あまた)、そこに、在られた。

 供の中に、一人、冠(かんむり)を被られた僧がおられ、若くして、その衣服は、まさに正しきものであった、と……

 

 ……さて、そこで、私が、

「光明王仏さまにて、おわしますか?」

と尋ねる。

 お答えになられて仰せられることには、

「そうである。」

と。

 続けて、仰せられることには、

「生々世々(しょうじょうせぜ)――未来永劫――値遇(ちぐ)し奉ることが出来るか?」

と。

 私が答えて申し上げる。

「疑うべからず。必ず、値遇致す所存で御座います。」

と。

 光明王仏さまに従う他の連衆(れんじゅ)の方々も、

『これも善知識であられる!』

と思うて、考えるまでもなく、瞬時に、歓喜し――その瞬間――目覚め終わった。

 

2023/02/11

明恵上人夢記 101

 

101

一、式を撰ずる間、夢に、此の本堂の後(うしろ)の戶に、二、三人の僧、有り。黑き色の鶉衣(ずんえ)なり。心に『聖僧(ひじりそう)なり。』と思ふ。卽ち、問答し奉りて曰はく、「住處(すみか)を白(まう)すベし。」。問ひて云はく、「住處は如何(いかん)。」。答へて曰はく【木丁(きちやう)へ、斯(か)く論ず。】、心に、『天竺は此(かく)の如き處に、之(これ)、在り。』と思ふ。尙、强ひて名字を問ひ奉る。頻りに、之(これ)を祕し給ふ。切々(せつせつ)に問ひ奉る。外(そと)の戶に、諸人(しよにん)、有る心地す。予、之に近づき、卽ち、憚り付き奉る。予之(の)左の耳に當りて、答へて曰はく、「賓頭盧(びんづる)也。」。予、深く哀傷し、「不審を問ひ奉るべきに、此(これ)にて足るべく候。無禮に候へば。」と申して覺め了(をは)んぬ。『餘の、二、三人も、十六羅漢の隨一也(なり)。』と思ふ。

[やぶちゃん注:クレジットはないが、日付のある「100」を承久二年七月三十日未明と私は指定した。この二つ後に「同八月三」、「四日」と頭に記す夢があるので、これも承久二年七月三十日(同月は大の月)から八月三日までの閉区間が時制となる。なお、この夢は明恵の心内表現の間に、明恵の三つの台詞と、聖僧(ひじりそう)の囁く一と声とが、極めて印象的に響いてくるSE(サウンド・エフェクト)で、タルコフスキイの映画の一場面のように素敵である。

「鶉衣(ずんえ)」「じゆんえ」とも読む。継ぎ接ぎだらけの着衣、或いは、破れ、擦り切れて短くなった弊衣(へいい)。「うずらぎぬ」とも言う。鳥のウズラの斑模様に喩えたもの。厳しい行脚をしてきた結果のそれで、だからこそ、明恵は「聖僧」と直感したのである。

『問答し奉りて曰はく、「住處(すみか)を白(まう)すベし。」。問ひて云はく、「住處は如何(いかん)。」。答へて曰はく』どうもこの部分、錯文か衍文のようにも感じられる。しかも、応じた返答が全くなかったりと、ちょっと不自然である。しかし、「强ひて名字を問ひ奉る。頻りに之を祕し給ふ。切々に問ひ奉る」という明恵の畳み掛けた表現から、僧らは不詳の一応答と囁きを除いて、他には声を発しなかったものととってよいと断ずる。訳では、不詳部を「□…………□」と仮に置いて訳しておいた。

「木丁」「几帳」に同じ。古文でお馴染みの屏障具の一つ。室内に立てて隔てとし、また、座側に立てて遮るためのもの。台に二本の柱を立て、柱の上に一本の長い横木を真横に渡し、その横木に帳(とばり)を懸けた簡易のパーテーション。「へ」は「几帳へ向かって」「几帳を隔てて」問答したことを意味する。

「天竺」明恵はこの11年後の建仁二(一二〇二)年満二十九歳の時、天竺(インド)へ渡来する計画を立てている。但し、翌年正月に春日明神の神託により中止しており、元久二(一二〇五)年にも再度、計画したがも、同年中に、やはり中止している。

「賓頭盧」釈迦の弟子で、十六羅漢の一人。サンスクリット語「ピンドーラ・バーラドバージャ」の漢音写「賓頭盧頗羅堕(闍)(びんづるはらだ(じゃ))の略。優陀延(うだえん)王(生没年不詳)の大臣の子として生まれ、出家し、「獅子吼(ししく)第一」と言われるほど、人々を教化し、説得する能力が頭抜けていた。王は、彼の法を聞いて、深く仏教に帰依したともされる。後世、仏の教えを受けて、末世の人に福を授ける役を担当した人物として造形され、法会の際には、食事などを供養する風習が生じ、中国では、彼の像を造って食堂(じきどう)に安置した。日本では、本堂の外陣(げじん:堂の縁の上)に像を安置し、信者が病気している部分と、同じ部分を撫でると、平癒するという「撫で仏」(なでぼとけ)の風習が俗信として広がって今に至っている。古い像はそのために同時代のものよりも各部位の損耗が激しい。]

 

□やぶちゃん現代語訳

 修法を選んでいる間、こんな夢を見た――

 今、私がいる神護寺の本堂の後ろの戸に、二、三人の僧が、おるようである。

 彼らは皆、黒い色の鶉衣(じゅんえ)である。その姿や形相(けいそう)から、心の内で、『彼らは正しく厳しい修行を経た聖僧(ひじりそう)である。』

と思った。

 されば、心惹かれて、即座に問答し奉らんとて、曰わく、

「貴僧らの住処(すみか)を、これ、おっしゃって下されい。」

と。

 しかし、返事は、ない。

 されば、再び、問うて曰わく、

「住処は、これ、何処(いづこ)か。」

と。

 すると、答えて曰わく、

「□…………□。」

と[明恵割注:以上の応答は几帳(きちょう)を介してかくなされたものである。]

 私は心の内で、

『天竺は、現にこの日本に居ながらにして、眼前に見えるようなところに、それは、在るのだ。』

と思うた。

 なおも、私は、強いて、僧たちの名字(みょうじ)を問ひ奉った。

 しかし、頻りに、これを秘密にし遊ばされるのである。

 心で詰め寄るように、切に切に問ひ奉った。

 戸の外(そと)に、複数の聖僧の方々おられる心地がした。

 私は、これ近づき、即座に、憚り乍ら、供奉し奉った。

 私の左の耳に誰かが口を寄せた気配がし、答えて曰わく、

「――賓頭盧(びんづる)。」。

と呟いた。

 私は、それを聴くや否や、深く悲しみ、傷ましい思いにかられ、思わず、

「不審を問ひ申し上げるべきところで御座いましたが、これにて、満足致しまして御座る。御無礼申し上げましたことを、切にお許しを……。」

と申し上げた――と――思ったところで、覚醒しきって、夢は終わっていた。

 覚醒した私は、

『他におられた、二、三人の方々も、これ、十六羅漢の随一のお方衆であったのだ。』

と思うたのであった。

 

2022/12/24

明恵上人夢記 100

 

100

一、同廿九日、後夜(ごや)、坐禪す。禪中の好相(かうざう)に、佛光の時、右方に續松(ついまつ)の火の如き火聚(くわじゆ)あり。前に、玉(ぎよく)の如く、微妙(みみやう)の光聚(かうじゆ)あり。左方に、一尺、二尺の光明、充滿せり。音(こゑ)、有りて云はく、「此(こ)は『光明眞言(かうみやうしんごん)』也。」。心に思はく、『此の光明の躰(てい)を「光明眞言」と云ふ也。本文(ほんもん)と符合す。之を祕すべし。』。

[やぶちゃん注:既に注した通り、承久二(一二二〇)年説をとる。なお、河合隼雄「明惠 夢に生きる」(京都松柏社一九八七年刊)では、『承久二年七月二十九日、明恵は禅中に好相を得る。これは『夢記』にも記載されているが、『冥感伝』の冒頭に、より詳しく述べられている。そちらの方から引用してみよう』(二七六ページ)とあった。「冥感伝」(「華厳仏光三昧冥感伝」)は原文をネットで見ることは出来ないので、河合氏の引用部を概ね恣意的に正字化して以下に示す。一部に句読点・記号を追加。変更し、読みも補足した。

   *

問ふ、「何を以て、此光明眞言の、此の三昧に相應せる眞言なるを知るや。」。答ふ、「談ずること輯(たやす)からずと雖(いへど)も、冥(ひそか)に大聖の加被有り。予、承久二年夏の比(ころ)、百餘日、此の三昧を修するに、同しき七月二十九日の初夜、禪中に好相を得たり。すなはち、我が前に白き圓光有り、其の形、白玉の如し。徑(わたり)、一尺許(ばか)りなり。左方に、一尺、二尺、三尺許りの白色の光明有りて、充滿す。右方に、火聚の如き光明、有り。音(こゑ)有りて、告げて曰はく、『此は是れ、光明眞言なり。』と。出觀(しゆつくわん)の時、思惟(しゐ)すらく、甚だ深意あり、火聚の如き光明は、惡趣を照曜(せうえう)する光明なり。別本の儀軌に、いはゆる「火曜(くわえう)の光明有りて、惡趣を滅す。」とは、卽ち、此の義なり。」と云々。

   *

既に述べた通り、以下で河合氏は、『この禅中好相は、はっきりと承久二年と書かれているが、『夢記』のこの記録とのつながりで』(中略)、『他の一群の夢が承久二年のものと断定できるのである』(ここが承久二年のものとされる根拠である)。『ここに「此の三昧」と述べられているのが「仏光三昧観」であり、この好相を明恵は仏光三昧観の基礎づけのひとつと考えたのである。彼の見た「光明」は「悪趣を滅す」ものとされているが、このような光明はまた、まさに華厳の世界という感じを与える』(中略)。『明恵は「仏光三昧観」を修していて、このような素晴らしい光の世界に接したのである』。『このような「光」のヴィジョンは、最近とみに報告されるようになった臨死体験者の光の体験を想起させるものがある』と述べておられる。非常に首肯出来る見解である。

「同廿九日」「99」を受けて、七月のそれでとる。但し、以下の「後夜」という言い方から考えれば、実際には承久二年七月三十日(同月は大の月)未明である。

「後夜」六時の一つ。寅の刻(午前四時頃)。夜半過ぎから夜明け前の時間帯を指し、その暁の折りに行う勤行をも指す。

「續松」「つぎまつ」の音変化で、松明(たいまつ)のこと。

「光明眞言」「真言陀羅尼」の内でも最も有名なものの一つ。「不空羂索毘盧遮那仏大灌頂光真言経」に出ている。「オン阿謨伽尾盧左曩摩訶母捺ラ 麽ニ鉢納 麽入バラ鉢ラ韈タ野吽」 (おんあぼぎゃべいろしゃのうまかぼだらまにはんどまじんばらはらばりたやうん) がそれである。この光明を誦すると、仏の光明を得て、諸々の罪報を免れるので、この名がある。また、この真言を誦し、土砂に加持して、死骸の上に散じると、その加持力によって諸々の罪障を除いて、死者を西方安楽国土に往生させることができるとされる。天台宗や真言宗で法要や施餓鬼などの儀式に用いる。光明真言を誦する儀式を光明供 (こうみょうく) という(「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。]

 

□やぶちゃん現代語訳

 七月二十九日の後夜(ごや)、座禅した。その座禅の最中、こんな夢を見た――

 有難い映像の内に、仏の光が発し、右の方に松明の火の如き、火の塊りがある。

 その前に、玉(ぎょく)の如く、微妙(みみょう)の光の塊りがある。

 左の方には、一尺、二尺の光明が、充満していた。

 声があって言うことには、

「これは『光明真言』である。」

と。

 その時、即座に、心に思うた。

『この光明の体(てい)を『光明眞言」というのだ! 経典の本文(ほんもん)と確かに一致する! これは、秘すべきことだ!』

と。

 

明恵上人夢記 99

99

一、此の廿八日以前の夢に、板木に「彌勒經」の、二、三枚なるを、押し付けたり。經を印する時の如く、押し付けたり。『此(これ)を放ちて讀むべし。』と思ふ。覺めて後に、『「八名經(はちみやうきやう)」を讀むべきか。』と思ふ處、『後日に此の式を撰じたる以後、佛前に於いて祈請すべし。可なりや不(いな)や。』の由、之を思ふ處、案ずれば、此の夢は、卽ち、彌勒の之を印可(いんか)し給ふ夢想也。然りといへども、尙々、諸人にも志(こころざし)有るものには、之を授くべし。仍(よ)りて、大聖(たいしやう)之(の)御知見、御許し有るべき由一つを、同廿九日の朝、佛前に於いて所作之時、精誠に祈請す。其の時、所作の中(うち)に、少し、眠り入る心地す。幻の如くして、一つの大きなる門有るを見る。年來(としごろ)、人、通はず。一人の長(たけたか)き人、有り。「之(これ)に勅(ちよく)して、開くべき由。」を仰(おほ)す。一人【童子の心地す。】有りて、來りて、此の大きなる門を開く。『往昔(そのかみ)より、人、通はずして、久しく成りぬる門を、今、許可(こか)有りて、諸人、此(これ)より之(ここ)に出入すべし。』と思ふ。其の夕(ゆふべ)、道場に入る時、思ふに、此、卽ち、本尊之許可也。仍(よ)りて、一七日(ひとなぬか)許りと思ふに、此の相を得て、佛前に置く。式を取りて出で了(をは)んぬ【例時之(の)本尊に料理し奉り、釋迦・彌勒の御前にて祈請し奉る也。】。

[やぶちゃん注:これも日付から前にある「97」「98」との連続性は明らかである。既に述べた通り、承久二(一二二〇)年説をとる。さて、本記載は、やや複雑である。まず、

①以前に見た夢についての記載(時間が経って意識が論理的に整序してしまった感は強い)

②その直後に覚醒して考えた分析

③その後に修法を行ったが、その途中、睡眠に似た状態に入ったような感じになって見た夢

が語れるという構造を持つ。最初に記された夢はちょっと意味が判り難い。――「弥勒経」(未来仏である弥勒菩薩について述べた経典の総称で、特に竺法護訳「弥勒下生(げしょう)経」、鳩摩羅什訳「弥勒大成仏経」、沮渠京声(そきょけいせい)訳「弥勒上生経」を『弥勒三部経』と称する)の板木に印刷するために紙を押し付けた――というのではなく、何の板木であるかは判らないが、それにあたかも摺り版をするように、既に書かれてしまっている「弥勒経」の、二、三枚の経文を何故か押しつけた――というのである。しかも、そうしながら、夢の中の明恵は――『これを剥がして「弥勒経」を読むのがよい、正しい。』と確信を持っているというのである。これは思うに、弥勒菩薩の真の在り方が世上に理解されていないこと、そこで私が弥勒本来の教えを、まっさらの版木に押しつけて、真の完全唯一の「弥勒経」を作り上げ、衆生にそれを示すのがよいと明恵が思い至ったことを意味しているように私は考えた。

「八名經」底本の注に、『八名は神呪の徳真名。八名呪を受ける者は後代の威徳を得ると説く』とある。

「印可」師が、その道に熟達した弟子に与える許可のこと。「印定許可」「印信認可」などの略。所謂、「お墨付き」のことである。

「料理」物事を整え修(おさ)めること。十全に処理すること。]

 

□やぶちゃん現代語訳

99

 七月二十八日以前にこんな夢を見た――

 板木(はんぎ)に、「弥勒経」を記した、二、三枚の一部を、私は押しつけている。あたかも経を摺り版する時のように、経自体を押しつけているのである。

『これを剥がして読むのがよい。』

と夢の中の私は思っていた。

――さて、その夢から覚醒した後(のち)に、私は即座に、

『「八名経」を讀むべきか。』

と思ったのだが、

『後日に、この式法を正しく選んで以後、仏前に於いて、祈請こととしようか?……さて、しかし、それでよいか、否か?』

といった逡巡をし、しきりに思い迷ったのではあるが、よく考えてみると、この夢は、まさに弥勒菩薩御自身が、それを私に印可なされた夢想であったのだ!

 しかし……そうは思ったものの、

『……なおなお、諸々の人々にも、志しある者には、弥勒菩薩は、これを授かるるに違いない。いやいや、大いなる聖人の御(おん)知見は、それを当然のこととしてお許しになられるに違いない。』

という、もやもやした感覚を抱きつつも、翌日の同月二十九日の朝、佛前に於いて法事を修(しゅ)する時、精魂を傾けて祈請をした。その時、修法の途中に、少し、眠りに入った心地がし、こんな夢を見た――

 幻のように、一つの大きな門があるのを見た。そこは、見たところ、長い年月(としつき)の間、人が通っていない場所なのであった。

 一人の背の高い人が、そこにおられた。

「ここに勅(ちょく)して、この門を開(ひら)くべし。」

という由(よし)を仰せになる。

 そこに一人――童子姿であったように記憶する――があって、来たって、この大いなる門を開いた。

『遙かな昔より、人が通はずに、久しくなった、この門を、今、許可(こか)あって、諸々の人々が、これより以降、ここに出入りすることになるに違いない。』

と思った。

――さて、その夢から覚醒し、その日の夕べのことである。道場に入る際、ふと思った。

『これは! 則ち、本尊の許可(こか)であったのだ!』

と。

 それより、七日(なのか)ばかりの間、それを思念し続けたところ、この真正なる相であるという確信を得て、仏前に、その思いを心に念じ捧げた。式を終えて、道場を出で、私の惑いは、きれいさっぱり消え終わっていたのである。[明恵注:以上は、見た目は、何時もの通りの仕儀で行い、本尊に十全に洩れなく法事をし奉った上、釈迦如来と弥勒菩薩の御前(おんまえ)にて祈請し奉ったものであった。]

 

2022/12/23

明恵上人夢記 98

 

98

  同七月より、一向に佛光觀を修(しゆ)す。

一、廿八日、末法尓觀(まつぽふにくわん)の時、禪中、好相(かうさう)の中(うち)に、我が身、一院(いちゐん)の御子(みこ)と爲(な)る【如來の家に生るゝ也。】。

[やぶちゃん注:「97」の注で示した通り、承久二(一二二〇)年説をとる。特にこれは、明らかに前の「六月」で始まる「97」と連続するものと考えてよく、そこに有意に共通する心理が認められると考えてよい。

「好相」「相好(さうがう(そうごう))」に同じい。仏の身体に備わっている三十二の相と八十種の特徴の総称。但し、訳では有難い映像と意訳した。

「末法尓觀」よく判らないが、「尓」は「その・それ」の指示語、「然り・そうである」の意であるから、末法であることをまずは正面から仮に認めることから始める観想法なのであろう。

「一院」底本の注に、『後鳥羽院か』とある。]

 

□やぶちゃん現代語訳

98

 同年七月より、専心して仏光観を修(しゅ)した。

 その七月二十八日のこと、その時は末法尓観(まつぽうにかん)を修していたのであるが、その禅の最中(さなか)、非常に好ましい映像の中で、私の身が、とある高貴な一りの院(いん)の御子(みこ)として転生(てんしょう)したのであった。

 ――付け加えて言い換えるならば、既にして「如来の家」に生まれ変わったという意味なのである。

 

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