明恵上人夢記 101
101
一、式を撰ずる間、夢に、此の本堂の後(うしろ)の戶に、二、三人の僧、有り。黑き色の鶉衣(ずんえ)なり。心に『聖僧(ひじりそう)なり。』と思ふ。卽ち、問答し奉りて曰はく、「住處(すみか)を白(まう)すベし。」。問ひて云はく、「住處は如何(いかん)。」。答へて曰はく【木丁(きちやう)へ、斯(か)く論ず。】、心に、『天竺は此(かく)の如き處に、之(これ)、在り。』と思ふ。尙、强ひて名字を問ひ奉る。頻りに、之(これ)を祕し給ふ。切々(せつせつ)に問ひ奉る。外(そと)の戶に、諸人(しよにん)、有る心地す。予、之に近づき、卽ち、憚り付き奉る。予之(の)左の耳に當りて、答へて曰はく、「賓頭盧(びんづる)也。」。予、深く哀傷し、「不審を問ひ奉るべきに、此(これ)にて足るべく候。無禮に候へば。」と申して覺め了(をは)んぬ。『餘の、二、三人も、十六羅漢の隨一也(なり)。』と思ふ。
[やぶちゃん注:クレジットはないが、日付のある「100」を承久二年七月三十日未明と私は指定した。この二つ後に「同八月四日」と頭に記す夢があるので、これも承久二年七月三十日(同月は大の月)から八月三日までの閉区間が時制となる。なお、この夢は明恵の心内表現の間に、明恵の三つの台詞と、聖僧(ひじりそう)の囁く一と声とが、極めて印象的に響いてくるSE(サウンド・エフェクト)で、タルコフスキイの映画の一場面のように素敵である。
「鶉衣(ずんえ)」「じゆんえ」とも読む。継ぎ接ぎだらけの着衣、或いは、破れ、擦り切れて短くなった弊衣(へいい)。「うずらぎぬ」とも言う。鳥のウズラの斑模様に喩えたもの。厳しい行脚をしてきた結果のそれで、だからこそ、明恵は「聖僧」と直感したのである。
『問答し奉りて曰はく、「住處(すみか)を白(まう)すベし。」。問ひて云はく、「住處は如何(いかん)。」。答へて曰はく』どうもこの部分、錯文か衍文のようにも感じられる。しかも、応じた返答が全くなかったりと、ちょっと不自然である。しかし、「强ひて名字を問ひ奉る。頻りに之を祕し給ふ。切々に問ひ奉る」という明恵の畳み掛けた表現から、僧らは不詳の一応答と囁きを除いて、他には声を発しなかったものととってよいと断ずる。訳では、不詳部を「□…………□」と仮に置いて訳しておいた。
「木丁」「几帳」に同じ。古文でお馴染みの屏障具の一つ。室内に立てて隔てとし、また、座側に立てて遮るためのもの。台に二本の柱を立て、柱の上に一本の長い横木を真横に渡し、その横木に帳(とばり)を懸けた簡易のパーテーション。「へ」は「几帳へ向かって」「几帳を隔てて」問答したことを意味する。
「天竺」明恵はこの11年後の建仁二(一二〇二)年満二十九歳の時、天竺(インド)へ渡来する計画を立てている。但し、翌年正月に春日明神の神託により中止しており、元久二(一二〇五)年にも再度、計画したがも、同年中に、やはり中止している。
「賓頭盧」釈迦の弟子で、十六羅漢の一人。サンスクリット語「ピンドーラ・バーラドバージャ」の漢音写「賓頭盧頗羅堕(闍)(びんづるはらだ(じゃ))の略。優陀延(うだえん)王(生没年不詳)の大臣の子として生まれ、出家し、「獅子吼(ししく)第一」と言われるほど、人々を教化し、説得する能力が頭抜けていた。王は、彼の法を聞いて、深く仏教に帰依したともされる。後世、仏の教えを受けて、末世の人に福を授ける役を担当した人物として造形され、法会の際には、食事などを供養する風習が生じ、中国では、彼の像を造って食堂(じきどう)に安置した。日本では、本堂の外陣(げじん:堂の縁の上)に像を安置し、信者が病気している部分と、同じ部分を撫でると、平癒するという「撫で仏」(なでぼとけ)の風習が俗信として広がって今に至っている。古い像はそのために同時代のものよりも各部位の損耗が激しい。]
□やぶちゃん現代語訳
修法を選んでいる間、こんな夢を見た――
今、私がいる神護寺の本堂の後ろの戸に、二、三人の僧が、おるようである。
彼らは皆、黒い色の鶉衣(じゅんえ)である。その姿や形相(けいそう)から、心の内で、『彼らは正しく厳しい修行を経た聖僧(ひじりそう)である。』
と思った。
されば、心惹かれて、即座に問答し奉らんとて、曰わく、
「貴僧らの住処(すみか)を、これ、おっしゃって下されい。」
と。
しかし、返事は、ない。
されば、再び、問うて曰わく、
「住処は、これ、何処(いづこ)か。」
と。
すると、答えて曰わく、
「□…………□。」
と[明恵割注:以上の応答は几帳(きちょう)を介してかくなされたものである。]
私は心の内で、
『天竺は、現にこの日本に居ながらにして、眼前に見えるようなところに、それは、在るのだ。』
と思うた。
なおも、私は、強いて、僧たちの名字(みょうじ)を問ひ奉った。
しかし、頻りに、これを秘密にし遊ばされるのである。
心で詰め寄るように、切に切に問ひ奉った。
戸の外(そと)に、複数の聖僧の方々おられる心地がした。
私は、これ近づき、即座に、憚り乍ら、供奉し奉った。
私の左の耳に誰かが口を寄せた気配がし、答えて曰わく、
「――賓頭盧(びんづる)。」。
と呟いた。
私は、それを聴くや否や、深く悲しみ、傷ましい思いにかられ、思わず、
「不審を問ひ申し上げるべきところで御座いましたが、これにて、満足致しまして御座る。御無礼申し上げましたことを、切にお許しを……。」
と申し上げた――と――思ったところで、覚醒しきって、夢は終わっていた。
覚醒した私は、
『他におられた、二、三人の方々も、これ、十六羅漢の随一のお方衆であったのだ。』
と思うたのであった。