■原稿146(147)
十四
[やぶちゃん注:「十四」は4字下げ。本文は2行目から。]
僕に宗教と云ふものを思ひ出させたのはか
う云ふマツグの言葉です。僕は勿論物質主義
者ですから、〈宗教《的》→《にはさ?》→などと云ふこと〉*眞面目に宗教を考へ*たことは一
度もなかつたのに違ひありません。が、この
時はトツクの死に或感動を受けてゐた爲に一
体河童の宗教は何であるかと考へ出したので
す。僕は早速学生のラツプにこの問題を尋ね
て見ました。
「〈基〉それは基督教、佛教、モハメツト教、拜火
■原稿147(148)
教なども行はれてゐます。まづ一番勢〈■〉力のあ〈る〉*る*
のは何と言つても〈近〉*近*代教でせう。生活教と
も言ひますがね。」(「生活教」と云ふ訳語は当つて
ゐないかも知れません。〔この〕原語は Quemoocha で
す。cha は英吉利語の ism と云ふ意味に〈とれば
よろしい〉*当るでせう*。quemoo 〈は「生きる」と《訳》→訳するもの〉*の原形(げんけい) quemalは單に「生きる」
と云ふよりも「飯を食つたり〔、〕酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。)
「ぢやこの国にも教会だの寺〈(てら)〉(じ)〔院〕院だのは〈ない〉*ある*訣(わけ)〈ではない〉*な*のだね?」
[やぶちゃん注:
●「まづ一番勢〈■〉力のあ〈る〉*る*のは」は初出及び現行では、
まづ一番勢力のあるものは
となっている。
●『quemoo 〈は「生きる」と《訳》→訳するもの〉*の原形(げんけい) quemalは單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり〔、〕酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。』は整序すると(読みは除去する)、
quemoo の原形 quemalは單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり、酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。
とある。しかし現行では(初出は「交合」が「……」になっているので問題にしないが、恐らくは初出もそこを除けば以下と同じと推測される)、
quemoo の原形 quemal の譯は單に「生きる」と云ふよりも「飯を食つたり、酒を飮んだり、交合を行つたり」する意味です。
と、「譯は」が入っている。これはゲラ校正での芥川の追加指示の可能性が高い。]
■原稿148(149)
「常談を言つてはいけません。近代教の大(だい)寺
院などはこの国㐧一の大建築で〈よ〉すよ。どうで
す、ちよつと見物に行つては?」
或〈妙に〉生温(なまあたたか)い曇天(どんてん)の午後、ラツプは得々と僕と
一しよにこの大寺院へ出かけました。成程そ
れは〈《その国でも》→■■〉*ニコライ堂*の十倍もある大〈健〉〔建〕築(だいけんちく)です。のみ
ならずあらゆる建築樣式を一つに組み上げた
大建築です。僕はこの大寺院の前に立ち、髙
い塔や円屋根(まるやね)を眺めた時、何か無気味にさへ
感じました。實際それ等(ら)は天(てん)に向つて伸びた
[やぶちゃん注:
●「〈《その国でも》→■■〉*ニコライ堂*」非常に悔しいのであるが、抹消字が判読出来ない。最初の字はカタカナの「コ」のようにも見えるが……(当初、「ヨーロ(ツパ)」と書こうとしたのかとも考えたが、拡大して見ると「ヨ」ではなく、その下の縦線を長音記号と採るのにも無理があり、何より「ロ」では書き順がおかしくなる)。どなたか推理を試みてみて戴きたい。芥川はなんと書き換えようとしたのか?]
■原稿148(149)
〈にさへ感じました。実際それ等(ら)は天に向つて
伸びた〉無数(むすう)の觸手(しよくしゆ)のやうに見えたもの〔で〕す。僕
等は玄関の前に佇んだまま、(〈その又僕《は》→等〉*その又玄関*に比
べて見ても、どの位僕等は小さかつたでせう
!)暫らくこの〈健〉*建*築よりも寧ろ途方(とはう)もない怪
物に近い稀代(きだい)の大寺院を見上げてゐました。
大寺院の〈中(なか)〉*内部*も亦廣大です。〈《美》→コ〉*そのコ*リント風の
円柱(ゑんちう)の立つた中(なか)に〔は〕參詣人(さんけいにん)が何人も歩いてゐま
した。しかしそれ等は僕等(ら)のやうに非常に小
さく見えたものです。〈《僕》→ラツプは〉*そのうち*に僕等は〈嘴(くちばし)の〉*腰の*
[やぶちゃん注:
●この原稿の冒頭にはやや不審がある。前の原稿末から単純に続けてみると、
實際それ等(ら)は天(てん)に向つて伸びた〈にさへ感じました。実際それ等(ら)は天に向つて伸びた〉無數(むすう)の觸手(しよくしゆ)のやうに見えたもの〔で〕す。
であるが、さらに単純に整序して初期原稿に復元してみると(読みは除去)、
實際それ等は天に向つて伸びたにさへ感じました。
がそれとなる。しかし「伸びたにさへ感じました」というのは芥川らしからぬおかしな謂いである。もしかすると、芥川は単に頁替えの際に書き損じただけなのかも知れない。ただ極めて類似した書き換えを正式マス上で立て続けにしているというのは、やはり普通ではないとは言っておきたいのである。]
■原稿150(151)
〈反(そ)〉*曲(まが)*つた一匹の河童に出合ひました。するとラ
ツプはこの〈前?〉河童にちよつと頭(あたま)を下)さ)げた上(うへ)、丁
寧にかう話しかけ〈たのです。〉*ました。*
「長(ちやう)老、不相変御〈がま〉*達者*な〈い?〉のは何より〈も〉*も*で
す。」
相手の河童〈は〉*も*お時宜をした後(のち)、やはり丁寧に
返事をしました。
「これはラツプさんですか? あなたも不相
變、―――(と言ひかけ〈な〉*な*がら、ちよつと〈狼狽〉言葉を
つがなかつたのはラツプの嘴(くちばし)の腐つてゐるの
[やぶちゃん注:
●「長(ちやう)老、不相変御〈がま〉*達者*な〈い?〉のは何より〈も〉*も*です。」この部分、初出及び現行は、
「長老(ちやうらう)、御達者(ごたつしや)なのは何よりもです。」
で、「不相變」が、ない。ゲラ校正で芥川が削ったものか?
さて、私は何故、芥川がこれを削ったのかを推理してみたくなった。何故ならこの原型を見ると、以下のように別なラップの挨拶の台詞が立ち現われてくるように思われたからである(判読不審の「い」を「い」と確定する)。それは
「長老、不相変御がまないのは何よりも」
という始まりを持つものである。そうしてこれを凝っと見ていると、この章の後文の(現行本文から引用)、
《引用開始》
それからラツプは滔々と僕のことを話しました。どうも又それはこの大寺院へラツプが滅多に來ないことの辯解にもなつてゐたらしいのです。
《引用終了》
おという箇所、また、ラップが長老から「僕」に生活教の聖書を見せて差し上げたか、と問われたのに対して、ラップが(現行本文から引用)、
《引用開始》
「いえ、……實はわたし自身も殆ど讀んだことはないのです。」
ラツプは頭の皿を搔きながら、正直にかう返事をしました。が、長老は不相變靜かに微笑して話しつづけました。
《引用終了》
と答えるシーンの描写などが思い出されて来るからである。即ち、ラップは上辺では生活教の信者ではあるものの、聖書さえ碌に読んだことのない、すこぶる附きの不勉強で不信心な信徒であることが暴露されるのである。とすれば、このラップの最初の挨拶の原型は、現行のような長老の長寿の言祝ぎなどではなく、ラップ自身の不信心、具体的には教会に永く参っていないことを詫びる、
「長老、不相變拜まないのは何よりもお詫び申し上げます。」
といった台詞ででもあったのではあるまいか? 長老の彼の台詞に対する「これはラツプさんですか?」やその末尾の「が、けふはどうして又……」といった応答(特にそのクエスチョンマークに)も、実は当初の、滅多に礼拝しに来ないラップが来たことへの、やや意外な印象が決定稿の長老の台詞に残ったもののように私には読めるのである。但し、「御がまない」という表記は芥川らしくない、稚拙な表記のようには思われる。が、そもそもこれは芥川の台詞ではなく、河童青年ラップの台詞なのであるから、私はそれもアリか、とも思うのである。――大方の御批判を俟つものである。]
■原稿151(152)
にやつと気がついた爲だつたでせう。)―――〈兎〉あ
あ、兎に角御丈夫〈と見〉らしいやうですね。が、け
ふはどうして又………」
「けふはこの方(かた)〈を案内〉*のお伴を*して來たのです。この
方は多分御承知の通り、――」
〈ラツプ〉それからラツプは滔々(とうとう)と僕のことを話しま
した。どうも又それはこの大寺院へラツプが
滅〈「〉多に來ないこと〈を〉*の*弁解にもなつてゐたら
しいのです。
「就いてはどうかこの方(かた)〈に〉*の*御案内を願ひたい
[やぶちゃん注:「〈「〉」この8行目の2マス目の鉤括弧の消去は、次のような推理を可能にする。即ち、7行目で終る一文、
それからラツプは滔々と僕のことを話しました。
の後、芥川は改行し、8行目に鍵括弧を打ってラップの台詞を入れようとした。しかし、考え直して、更なるラップの内実の暴露となる、
どうも又それはこの大寺院へラツプが滅多に來ないことを
と続けたことを意味しているのではあるまいか?]
■原稿152(153)
〔と思ふ〕のですが。」
長老は大樣(おほやう)に微笑しながら、まづ僕に〈挨〉*挨*拶
をし、靜かに〈大寺院の中を見まは〉*正面の祭壇を指さ*ししました。
「御案内と申しても、何も御役に立つことは
出來ません。〈■■〉*我々*〈の〉信徒の例拝するのは〈■〉正面
の祭壇にある『生命の樹(き)』です。『生命の樹』には御
覽の通り、金(きん)と綠(みどり)との果(み)がなつてゐます。あ
の金(きん)の果(み)を『善の果(み)』と云ひ、あの綠の果(み)を『惡の
果』と云ひます。………」
僕はかう云ふ説明の〈中に〉*うち*にもう退屈を感じ
[やぶちゃん注:「靜かに〈大寺院の中を見まは〉*正面の祭壇を指さ*ししました」の部分はママ。「し」がダブっている。勿論、初出及び現行ではダブりはない。]
■原稿153(154)
出しました。それは折角の長老の言葉も古い
〈喩〉*比喩*(ひゆ)のやうに聞えたからです。〈《僕はし》→しかし〉*僕は*〔勿論〕熱
心に聞いてゐる容子を裝つてゐました。が、
時々〈大〉は大寺院(だいじいん)の〈中(なか)〉*内部*へそつと目をやるのを忘れ
ずにゐました。〈大寺院の内部は畧図(りやくづ)に《す》*す*ると、大体(だいたい)下(しも)に掲げる通りです。―――〉
[やぶちゃん注:ここ(7行目から8行目の3マス目以下8マス目まで)に以上の教会内部の簡単な図が描かれている(若しくは描きかけた状態)が、前の抹消と同時に絵全体にもぐちゃぐちゃに抹消線が引かれている。無論、初出及び現行にはない(当該画像は底本としている国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿より挿絵部分のみをトリミングしたものである。原稿153(154)及び154(155)の全体画像は後注に掲載する。なお、これらの画像転載については国立国会図書館から使用許諾を受けている。転載許可書(PDFファイル)はこちら。]
コリント風(ふう)の柱、ゴシク風(ふう)の〈フ〉*穹窿(きうりう)*、〈セセツ
[やぶちゃん注:
●「〈フ〉*穹窿(きうりう)*」「フ」と判読したのは、芥川はここで「フアサード」と書こうとしたものと推定したからである。しかし、ファサード(façade)とは建築物の外装正面(側面・背面を指すことも可能であり、若しくはそのデザインを謂う場合もある)を指すものであって内部構造の謂いではないことから(実際にファサードと内部構造は一致すする場合もあれば、全く異なる場合もある)、芥川は止めて、かくしたのではなかったかと私は推理するものである。これは英語の碩学芥川龍之介に対して失礼な推理であろうか?]
■原稿(154(155)
シヨン風の祈〉*アラビアじみた市松(いちまつ)*模樣の床(ゆか)、セセツシヨン紛(まが)ひの
祈禱机(きたうづくゑ)、―――かう云ふものの作つてゐる調和
は〈何か〉*妙に*野蛮(やばん)な美(び)を具(そな)へてゐま〈す〉*した*。しかし僕の
目を惹いたのは何よりも両側の龕(がん)〈にある〉*の中に*ある
〈十〉大理石の半身像です。〈それ等は何か〉*僕は何かそれ*等の像を
見知つてゐるやうに思ひました。それも亦不
思議〔で〕はありません。あの〈嘴(くちばし)の反〉*腰の曲(まが)*つた河童は「生
〈命〉命(せいめい)の樹」の説明を了(おは)ると、今度(ど)は僕やラツプ
と一しよに右側の龕(がん)の前へ歩み寄り、〈かう云〉その龕(がん)
の中(なか)の半身像にかう云ふ説明を加へ出しまし
[やぶちゃん注:以下に底本としている国立図書館蔵の「国立国会図書館デジタル化資料」の自筆原稿より原稿153(154)及び154(155)の全体画像掲げる(この画像転載については国立国会図書館から使用許諾を受けている。転載許可書(PDFファイル)はこちら
)。これによって、私が記号を附す基準や、私がどれだけ細かに原稿を再現し、注釈を加えているかということなども、国立国会図書館ホームページの底本画像を見ないでも比較出来るので、是非比較して(ブログの場合は拡大並置〈右クリックの別ウィンドウ表示〉で)ご覧戴きたいと思う。ブログのアップ可能な画像容量が1MBであるため、ぎりぎりの大きさまで縮小してあるが、それでもかなり細部まで観察出来るものと思う。
●「龕(がん)〈にある〉*の中に*ある〈十〉大理石の半身像です」この抹消は興味深い。この生活教の大教会の聖徒を、芥川が「十」人以上想定していたことが、ここで明らかになるからである。実際に語られる聖徒の数は7人(但し、7人目が誰かは語られない。因みに、この7人目を私は夏目漱石であったと推理している。それについて興味のあられる御仁は私の『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』の当該注『✞7「第七の龕の中にあるのは……」』をお楽しみあれかし)。
●「〈それ等は何か〉*僕は何かそれ*等」画像と比較されると分かると思うが、実際には「〈それ等は何か〉」の最後の「か」は抹消線が延びていない。それでも補正した「僕は何かそれ」の「れ」が「か」のマスの相当位置に字数も一致して右書きされているので、文選工は過たず、「か」も外したはずである。
●「〈命〉命(せいめい)の樹」この「せい」のルビは、前行末の「生」にではなく、抹消した「〈命〉」に「せい」と附されている。
●「了(おは)る」ルビの「お」はママ。明らかに「お」で「を」ではない。無論、初出及び現行は正しく「了(をは)る」とルビされてある。]
■原稿155(156)
た。
「これは我々の聖徒(せいと)の一人(ひとり)、―――〔あらゆるものに反逆し(はんぎやく)た〕聖徒ストリ
ントベリイです。この聖徒はさんざん苦しん
だ揚句(あげく)、スウェデンボルグの哲学の爲に〈哲〉救はれ
たやうに言はれてゐます。が、実は救はれな
かつたのです。この聖徒は唯我々のやうに生
活〈宗〉*教*を信じてゐました。―――と云ふよりも信
じる外はなかつたので〈す。〉*せう。*〈《勿論たは》→かな〉*この聖徒の*我々
に殘した「傳説」と云ふ本を讀んで御覽な〔さ〕い。こ
の聖徒も自殺未遂者(じさつみすゐしや)だつたことは聖徒自身告
[やぶちゃん注:
●「スウェデンボルグ」「ェ」は明らかな促音表記。初出及び歴史的仮名遣版では、「スウエデンボルグ」。
●「傳説」の鉤括弧は初出及び現行では
『傳説』
と二十鉤括弧である。]
■原稿156(157)
白してゐます。」
僕はちよつと憂欝になり、次の龕へ目を〈■〉や
りました。次の龕(がん)にある半身像は口髭の太(ふと)い
独逸人です。
「これはツァラトストラ〈を〉の詩人ニイチエです。そ
の聖徒(せいと)は聖徒自身の造つた超人に救ひを求め
ました。が、やはり救はれずに気違ひになつ
てしまつたのです。若し気違ひにならなかつ
たとすれば、或は聖徒の数へはひることも出
來なかつたかも知れません。〈」〉………」
[やぶちゃん注:
●「ツァラトストラ」「ァ」は明らかな促音表記。初出及び歴史的仮名遣版では、「ツアラトストラ」。]
■原稿157(158)
長老はちよつと默つた後(のち)、第三の龕〈へ移り
ました。〉*の前へ案内し*ました。
「三番目〈は〉*に*あるのはトルストイです。この聖
徒は誰(たれ)よりも苦行をしました。それは元來貴
族だつた爲に〈苦しみを見せ〉*好奇心の多い公衆に苦しみを見
せ*ることを嫌つたからです。この聖徒は事実
上信ぜられない基督を信じようと努力しまし
た。〈が、とうとう最後には如何に〉*いや、信じてゐるやうにさへ*公言(こうげん)した〈の〉こ
〔ともあつたの〕です。しかしとうとう晩年には悲壯な譃つき
だつた〈こ?〉*こ*と〈が?〉*に*堪へられないやうになり〈ま?〉*ま*し
[やぶちゃん注:
●「〈が、とうとう最後には如何に〉*いや、信じてゐるやうにさへ*公言(こうげん)した〈の〉こ〔ともあつたの〕です。」この一文は、芥川の脳内にあった最初の表現からの推敲過程で、非常に呻吟している様子――これはトルストイがというよりも、芥川龍之介自身が最後の救いとして求め、そして放棄したキリスト教への(「キリストへの」では断じてない!)アンビバレントな感情が私には窺われてならないのである。]
■原稿158(159)
た。この聖徒も時々書斎の梁(はり)に恐怖を感じた
のは有名です。〈しかし〉*けれども*聖徒の數にははひつて
ゐる位(くらゐ)ですから、勿論自殺したのではありま
せん。」
〈僕は㐧四の龕を見ると、〉*第四の龕の中の半身像*は〈意外に《は》→も〉*我々日本人*の一人(ひとり)
です。僕はこの〈■?〉*日*本人の顏を見た時、〈意外の感に堪〉*さすがに懷し*さを感じました。
「これは国木田独歩です。〈鐡道〉轢死する人足(にんそく)の心
もちをはつきり知つてゐた詩人です。しかし
〈あなたには〉*それ以上の*説明は〈勿論〉あなたには不必要〈でせ
[やぶちゃん注:
●「この〈■?〉*日*本人」抹消字は「亻」(にんべん)である。全くの勘であるが、「作」ではあるまいか? 芥川は国木田独歩であるから「この作家」と書こうとしたのではなかったか?]
■原稿159(160)
ね。〉*に違ひあ〈■〉*り*ません。*では〈六番目〉*五番目*の龕(がん)の中を御覽下
さい。―――」
「これはワ〈ア〉グネルではありませんか?」
「さうです。国王の友だちだつた革命〈家〉*家*で
す。聖徒ワグネルは晩年には食前(しよくぜん)の祈禱(きたう)さへ
してゐました。しかし勿論基督教〈〔徒〕〉よりも〈我々の
教徒〉*生活教の信*徒の一人(ひとり)だつたのです。〈」〉
〈その聖徒〉*ワグネル*の残
し〈僕らはもうその〉*た手紙によれば、〈死は何度(なんど)〉*娑婆苦は*何度(なんど)〈死の〉*この*聖徒を
死の前(まへ)〈へ立たせ〉*に驅りやつ*たかわかりません。」
僕等(ら)はもうその時には㐧六の龕の前に立つ
[やぶちゃん注:
●「生活教の信徒の一人だつたのです。〈」〉」当初は長老のワグネルの解説はここで終って、次の行が一字空けて現在の次の段落の頭、「僕等はもうその」まで書かれてあったのである。ところが、ここで芥川は鍵括弧を抹消し、ワーグナーの自死願望をわざわざ附け加えたのだということが分かるのである。私は、生活教の「聖徒」に選ばれるためには、狂的な生活史の体験者であること加えて、『自殺したかったにも拘わらず、しかも自殺出来なかった(断固として「しなかった」ではない)男』である必要があるのだと考えている(その論証は『芥川龍之介「河童」やぶちゃんマニアック注釈』に詳しく記したので参照されたい)。この部分、ここまでだとルートヴィヒ二世の「狂王」の方の印象が強過ぎて、ワーグナーが聖徒(セイント)に選ばれるための必要絶対条件が示されていないのである。]
■原稿160(161)
てゐました。
「これは聖徒ストリントベリイの友だち〔で〕す。子
供の大勢ある細君(さいくん)の代(かは)りに十三四の〈黑人の女〉*タイテイの*
女を娶(めと〈つ〉)つた〈株屋〉*商賣人*上りの佛蘭西の画家です。こ
の聖徒は太い血管(けつくわん)の中(なか)に水夫(すゐふ)の血(ち)を流してゐ
ました。が、唇を御覽なさい。砒素(ヒソ)か何かの
痕(あと)が殘つてゐます。〈」〉第七の龕(がん)の中(なか)にあるのは
………〈あとは〉もうあなたはお疲れでせう。ではどう
かこちらへお出(い)で下さい。」
僕は實際疲れてゐましたから、〈ラツプと一〉*ラツプ〈の〉**と**一*
■原稿161(162)
しよに長老に從ひ、香の匂(にほひ)のする廊下傳ひに
或部屋へはひりました。〈それはヴェヌスの像の
前に〉*その又小さい部屋の隅には*黒いヴェヌスの像の下に山葡萄(やまぶだう)が一ふさ〈■〉*獻*じてあるので〈す〉*す*。僕は何の裝飾もない僧房
を想像してゐただけにちよつと意外に感じま
した。すると長老は僕の容子にかう云ふ気も
ちを感じたと見え、僕等(ら)に椅子を薦める前(まへ)に
半ば気の毒さうに説明しました。
「どうか我々の宗教の生活教であることを忘
〈れずに下さい。我 〉
[やぶちゃん注:
●「ヴェヌス」抹消部も含めて二箇所とも「ェ」は有意な促音表記である。初出及び歴史的仮名遣の現行では「ヴエヌス」である。
●「〈■〉*獻*じてある」の抹消字は「扌」(てへん)であるから、「捧げてある」としようとした可能性がある。
●最終行の抹消は特異である。「れずに下さい。我」まで書いて(これは次の通り、復元されるのだが)、まず、その「れずに下さい。我」に薄い先行抹消の波線が認められる。その後、「さ」の位置から濃い抹消の波線がさらに加えられている。ところが、その下部「我」以下の空欄に伸びるほぼ中心をうねる抹消の波線以外に5箇所ほど、違う短い曲線抹消線断片が重なって記されている。こういう神経症的な抹消線はこれまでには殆んど見られない。これはその短いものが前だったのか後だったのかは判然としないが、何か芥川の非常な逡巡苦吟の跡のようにも見えるのである。]
■原稿162(163)
れずに下さい。我々〈は〉*の*神、―――『生命の樹』の教
へは『旺盛(わうせい)に生きよ』と云ふのですから。〈」〉………ラ
ツプさん、あなたはこの〈方〉*かた*に我々の聖書をお
覽に入れましたか?」
「いえ、………実はわたし自身も殆ど讀んだこ
とはないのです。」
ラツプは〔〈頭(かしらの〉頭(あたま)の〕皿(さら)を搔きながら、正直にかう返事
をしました。が、長老は不相変靜かに微笑し
て話しつづけました。
「〈ではでは〉*それでは*おわかりなりますまい。我々の
[やぶちゃん注:
●「我々の聖書をお覽に入れましたか?」ここは無論、初出及び現行では「御覽に」となっている。しかしここはどうみても真正のひらがなの「お」である。校正のどこかで直されたものかとも思われるが、このミスは実は芥川が当初、「聖書を御覽に入れしたか?」ではなく、「お見せしましたか?」と考えていた痕跡のようにも思われる。]
■原稿163(164)
神は一日(にち)のうちにこの世界を造りました。(『生
命の樹』は樹と云ふものの、成し能はないこ
とはないのです。)のみならず〈《■》→■〉*雌(めす)*の河童(かつぱ)を造り
ました。〈《雌の河童》→しかし〉*すると雌の*河童は退屈の余り、雄の
河童を求めました。我々の神は〈《雌の》→この願ひ〉*この歎き*を憐
み、雌の河童の腦髓を取り、雄の河童を造り
ました。我々〈《の》→は皆〉の神はこの二匹の河童に『〈生《■》き〉*食へ(く)*
よ、交〈尾〉*合*せよ、旺盛(わうせい)に生(い)きよ』と云ふ祝福を与(あた)
へました。…………」
僕は〈かう云ふ言〉*長老の言葉*のうちに詩人のトツクを思
[やぶちゃん注:
●「〈《■》→■〉*雌(めす)*の河童(かつぱ)を造りました」この抹消字が判別出来ないのは、芥川がどのように河童の国の生活教に於ける創世神話を構築しようとしたかが窺える部分であるだけに、残念である。敢えて記すと、「〈《■》→■〉雌」の最初の抹消字は「又」若しくは「女」、次に書き変えて抹消した字は「男」の書きかけのようにも見える。]
■原稿164(165)
ひ出しました。詩人のトツクは不幸にも僕の
やうに無神論者です。僕は河童ではありませ
んから、生活教を知らなかつたのも無理はあ
りません。けれども〈トツクは河童でもあり、
生に〉*河童の國に生まれたト*ツクは勿論「生命の樹」を知つてゐた筈です〈。〉*。*僕は
この教へに從はなかつたトツクの最後を憐み
ましたから、〈手短かにトツクの話をした上、〉*長老の言葉を遮るやうにト*ツ
クのことを話し出しました。
「ああ、あの気の毒な詩人ですね。」
長老は〈唯歎息〉僕の話を聞き、深い息を洩らしまし
■原稿165(167)
た。
「〈《■》→トツクさん〉*我々の運命*を〈■〉定めるものは〔〈神意〉信仰と〕境遇と偶然と〈の〉
〈よる〉だけです。(尤もあなた〈方(がた)〉*がた*はその外(ほか)に遺傳
をお数へなさるでせう。)トツクさんは不幸に
も信仰をお持ちにならなかつたのです。」
「トツク〔君〕はあなたを羨ん〈だ〉*でゐた*でせう。いや、僕
〈《も》→さへ〉*も*羨んでゐます。〈」〉ラツプ君などは年も若〈い〉*い*
し、………」
「僕も嘴(くちばし)さへちやんとしてゐれば或は樂天的
だつたかも知れません。」
[やぶちゃん注:「トツク〔君〕」この君は初出及び現行にはない。わざわざ後から芥川は挿入しており、後に「ラツプ」にも「君」が附いている。自殺者だから長老への会話では憚って外したというのは苦しい主張だ。ここには「君」があるのが正しいと私は思う。それが主人公「僕」の優しさであるからだ。]
■原稿166(167)
〈「〉長老は僕等にかう言はれると、もう一度深
い息(いき)を洩(も)らしました。しかもその目は涙ぐん
だまま、ぢつと〈《壁懸け》→燭台〉*黒いヴエヌス*を見〔つめ〕てゐるのです。
「わたし〈は〉*も*実は、―――これはわたしの秘密で
すから、どうか誰にも仰有らずに下さい。―――
わたしも実は我々の神を信ずる訣に行かな
いのです。しかし〈今度〉*いつ*かわたしの祈禱は、〈――〉*―――
―*」
丁度長老のかう言つた時です。突然部屋の
戸があいたと思ふと、大きい雌の河童〈か?〉*が*一
■原稿167(168)
匹、いきなり長老へ飛びかかりました。〈《僕や》→ラツ
プや僕〉*僕等*がこの〔雌の〕河童を〈《押》→*お*さへや〉*抱きとめよ*うとしたのは勿
論です。が、雌の河童は咄嗟の間(あひだ)に〈■〉*床(ゆか)*の上(うへ)へ
長老を投げ倒しました。
「この爺め! 〔けふも〕又〈《けふも酒を》→わたしを欺して行つ
たな〉*わたしの財布から一杯(ぱい)やる金(かね)を*盜んで行つたな!」
十分ばかりたつた後(のち)、僕〈は〉*等*は〈殆ど〉*實際*逃げ出さ
ないばかりに〔長老夫婦をあとに殘(のこ)し、〕大寺院の玄関を〈あと《に》→*に*し〉*下(お)りて行き*まし
た。
「あれ〈は〉*で*はあの長老も『生命の樹』を信じない〈で〉*筈*
■原稿168(169)
です〈。」〉ね。」
暫く默つて歩いた後(のち)、ラツプは僕にかう言
ひました。が、僕は返事をするよりも思はず
大寺院を振り返りました。大寺院はどんより
曇つた空(そら)にやはり髙い塔や円屋根(まるやね)を無数の触
手(しよくしゆ)のやうに伸ばしてゐます。〈建〉何か沙漠の空に
見える蜃気楼の無気味さを漂はせたまま。……
…
[やぶちゃん注:以下、2行余白。
●この原稿の罫外左上方の5~6行の上部及び7~8行の上部には、非常に大きな赤インクの、手書きの文字か記号のようなものがある。一見すると前者には、
□の上にT字型若しくは「正」の字のようなものが突出して見え、□の中には何か下部が「士」のような漢字みたようなもの
が見える。また、後者には、
〇の中に左に「忄」のような、右に下部が「士」のような漢字みたようなもの
が見える。この二つは一見異なったもののように見えるが、拡大してよく見ると、
前者の□と後者の〇の中にある文字か記号はどうも同じ、右下部が「士」のような形の文字か記号である
ことが分かる。特殊な校正記号か若しくは校正者の校了・再校(要再校)又はその担当者の名前のサインかなどとも考えたが、不思議なことにどうしても判読出来ない(画像を回転させたりしてみたがどうしてもだめである)。校正経験者の御教授を乞うものである。]