橋本多佳子全句集 附やぶちゃん注(PDF縦書β版)
「橋本多佳子全句集 附やぶちゃん注」(PDF縦書β版)を公開した。ルビ化とポイント調整で精一杯で、全文校訂する余裕がなく、本文内の注もリンクも機能しないβ版であるが、句を鑑賞されるにはよろしいかと存ずる。2・39MBあるが、ダウンロードしてお読みあれ。
「橋本多佳子全句集 附やぶちゃん注」(PDF縦書β版)を公開した。ルビ化とポイント調整で精一杯で、全文校訂する余裕がなく、本文内の注もリンクも機能しないβ版であるが、句を鑑賞されるにはよろしいかと存ずる。2・39MBあるが、ダウンロードしてお読みあれ。
明朝には「橋本多佳子全句集」PDF縦書β版(2・39MB)を公開出来る予定である。
現在、橋本多佳子全句集の縦書PDF版のために原稿のルビ化とポイント修正を行っているが、やってもやってもなかなか進まぬ。今、暫く、お時間を下されよ――
昭和三十八(一九六三)年
熟柿ありわが寝室(ねや)の冷えとめどなし
ゆげつつむ燈のその下に雉子煮ゆる
熟柿吸ふ咽喉(のど)より冷えが直下して
病者・蟷螂・蜂十一月の日向
昼臥(ひるぶし)やちちろは鈍(にぶ)き疼みに似
豊年の一穂(すゐ)ぬすみぬけ通る
重きに馴腰(なれこし)柿籠を負ひ下る
[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。]
仰向けの手鏡雪の降りつづく
幽かにてともりたしかに万燈は
万燈会一つ一つの火を点(つ)けて
[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。多佳子はこの年の五月二十九日午前零時五十一分、満六十四(誕生日は明治三二(一八九九)年一月十五日)で息を引き取った。]
[やぶちゃん注:底本ではこの後、最後に「凩の巻」という西東三鬼と平畑静塔との連句(『俳句研究』昭和二二(一九四七)年九月・十月刊)が所収されているが、平畑静塔の著作権が存続しているので掲載しない。
それを除き、これを以って底本に載る橋本多佳子の全句の電子化注を終了した。実に2014年1月1日の開始から一年十一ヶ月弱を要した。
来年度中には「橋本多佳子全句集やぶちゃん一括版」として縦書PDF化を施す予定である。
因みに本公開を「橋本多佳子全句集附やぶちゃん注」の完結とし、2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、ブログ740000と750000アクセスを一日で突破した(怪しいアクセス者が今日だけで一万数千アクセスしてきたためである)記念ともすることとする。【2015年11月23日 藪野直史】]
昭和三十七(一九六二)年
着ぶくれておのれを珠のごともてなす
三日来訪の風彦さんに独楽習ふ
独楽習ふかたくな独楽に紐まきては
[やぶちゃん注:「風彦」俳人丘本風彦(おかもとかざひこ)。後に平畑静塔の後を次いで『天狼』編集人となっている人物である。但し、年譜には「三日」ではなく、『元旦』とあり、句集「命終」にも、
元旦、丘本風彦氏来訪。独楽を習ふ。
頭をふつておのれ止らぬ勢ひ独楽
何の躊躇独楽に紐まき投げんとして
掌にまはる独楽の喜悦が身に伝ふ
掌に立ちて独楽の鉄芯吾(あ)をくすぐる
と前書する句が並ぶ。不審である。]
石段をきざみのぼりて泉あり
泉深く尼が十指のかくれなし
日輪が深く全し沼萠ゆる
つくしんぼぞくぞく泣きたければ泣く
桜日日夜は寝昼覚め生残る
[やぶちゃん注:「さくら/ひび//よはね/ひるさめ//いきのこる」と訓じておく。個人的に好きな句である。]
桜花にて昼灯つつむ死が過ぎて
生き残り万来の桜身に重く
死に遭ひしあとの重ね着桜の夜々
吾も仔猫捨てたりき戦時なりき
びしよびしよと雨雀ども巣をつくる
盲眼にこの鵜篝の炎えゐるか
盲眼を瞠る鵜篝過ぐるとき
鵜の声すその方へ手を盲鵜匠
[やぶちゃん注:この前年の底本年譜(昭和三六(一九六一)年の七月の条)に、『岐阜長良川河畔の鵜匠山下幹司邸の前庭に、誓子との師弟句碑立つ。両句共に、三十一年七月、鵜舟に乗った時の句。
鵜篝の早瀬を過ぐる大炎上 誓子
早瀬過ぐ鵜飼のもつれもつれるまま 多佳子
除幕式に、誓子、波津子、多佳子、かけい、双々子、薫ら出席。また、東京より三人の娘と三野明彦、武彦。奈良より美代子、稔』とある。山下幹司は既注。この「盲眼」の鵜匠「盲鵜匠」とはこの山下氏を指している。時に誓子満五十九、多佳子満六十二であった。
露の中われは青虫殺し殺し
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。多佳子、六十三歳。]
昭和三十六(一九六一)年
息かけて何も為さざる手をぬくめる
[やぶちゃん注:この一句は『天狼』掲載分。二年後(昭和三八(一九六三)年)の亡くなる直前の年譜記載に、『右半身の麻痺障害増加』とあり、既にこの頃からそうした症状が出ていたものか。]
枝みかん枝柿ベッドいよいよ狭(せま)
[やぶちゃん注:前年の七月からの入院生活は、十二月十五日の退院で終わっているから、この句は位置的に見ても前年の入院中の詠である(但し、この年も九月の条に『身体の調子、悪くなる』とある)。以下の始めの方の四句ばかりも、季節から、前年末入院中のものとも思われる。]
仔猫かたまる日溜り落葉吹き溜り
婆婆恋や瞼に秋雨ざんざ降り
冬日雀しやべる嘴(くちばし)実にたのし
冬日浴触れれば蜂の生きてゐる
瘦身を起す爛々除夜の鐘
医家への道焼山が一夜に立つ
鬼追はれつゝ酒の香人の香吐く
鬼平らぎ節分月夜吾立てり
たゆたひて身につく雪一片の大
危を告げる鶯杣の一人仕事
干梅の熱きを天へ投げてうける
干梅の笊西の日に傾けよ
愛母におよばねど梅漬けて干す
道堰きてここにをどりの輪がめぐる
洗ひ髪ゆくところみなしづくして
手足恍惚顔なきをどりの衆
踊り唄太鼓が追うて月の空
ひとの眼も天もまぶしき鵙の朝
青き青き片足ばつた寝屋わけん
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。]
夜の河を遡航エンジン冬来向ふ
こそかさと壁のごきぶり顔見知り
[やぶちゃん注:以上、『俳句』掲載分。多佳子、六十二歳。]
昭和三十五(一九六〇)年
寒港を見るや軍港下敷に
[やぶちゃん注:「軍港」呉軍港。次の私の注も参照されたい。この句、句集掲載句ではないが、多佳子が亡くなって五ヶ月後の昭和三八(一九六三)年十月に呉市警固屋音戸の瀬戸公園内に、師誓子の、
天耕(てんかう)の峯に達して峯を越す
の句碑とともに師弟句碑として建っている。なお、参照した「ひろしま文化大百科」のこちらの記載に、この誓子の句については、『山口誓子句集「青銅」の』「広島行」と題する昭和三七(一九六二)年作の一連十六句の中の一句であるとし、『「倉橋島」の詞書があるので』、この句碑のある場所の対岸の、『今の音戸公園辺りから島の段々畑を遠望しての感慨か』と推定、さらに、『誓子は後に「自選自解」の中で、「天耕」は造語で「耕して天に至る」をつめたものと語り「倉橋島を裾からてっぺんまで見上げると、すっかり耕されている。それどころか、峯を越して裏側にもおよんでいる。そのような天耕ぶりに私は感動した」と述べている』とある。]
牡蠣割女日射せば老いの眼ひらきゐし
牡蠣割の一隅ほつと乳子泣くこゑ
牡蠣割場に一歩無言につきあたる
牡蠣割女休むゴム手套五指ひろげ
なだれる牡蠣一刀もつて牡蠣割女
[やぶちゃん注:これは年譜から、前年の十二月六日に呉で行われた「『七曜』支部結成記念俳句大会」に出席した折り、矢野町の牡蠣割場を見学した際の詠吟であろう。この時、広島県呉市吉浦新町の峠で『車を止め、旧要塞の監視台跡から呉軍港を望む』とある。]
昼の苦痛に走馬燈からくり見せ
鉄格子土用赤星真直ぐに容れ
[やぶちゃん注:私はこの句、勝手に杉田久女追懐の夢想句と解していたが、恐らくは多佳子の入院中(後注参照)の嘱目吟であろう。それでもそこにはやはり久女の幻影が搖らめいているように私は感じている。
以上、『天狼』掲載分。]
川排尿友禅ざらしの水稼ぎ
めし食ふ火寒川に友禅しつめ
友禅ざらし風花にうつむく職
天地寒むしつみ友禅づかづかふみ
暗くぬくきガラス裡深雪より入る
何を叱咤寒き友禅ざらし工
母へ駆く睦火がみんな暮れ尖り
うぐひすや野は火走りし黒遺し
春枯山引きかへさざる鴉の翼(はね)
春の埠頭こゑぬける鉄管に遊び
艀溜り霞みて汚れて陽と襁褓
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「艀溜り」は「はしけだまり」で、河川・運河などの内陸水路や港湾内に於いて重い貨物を積んで航行するために作られた平底の船舶の係留場のこと、「襁褓」は「むつき」で赤ん坊の「おむつ」である。]
斑猫の誘惑病歩山へかけ
秋さだか重湯(おもゆ)にまじる米の粒
うろこ雲一(ひと)日ベッドになだれなだる
露走り病院ガラスそこが透く
黙つづけ醜きざくろつひに割る
[やぶちゃん注:多佳子はこの年の七月に胆嚢を病んで大阪中之島の大阪回生病院に入院している(三年後の死の直前の開腹手術では肝臓と胆嚢に癌があり、既に周囲リンパ節に転移していたためにそのまま閉腹したことを考えると、この時に既に癌が発症していた可能性が高いかと思われる)が、堀内薫の底本年譜には、この入院を契機として『多佳子俳句の新声、新境地の句』が作られたとして、句集「命終」所載の、
九月来箸をつかんでまた生きる
九月の地蹠(あうら)ぴつたり生きて立つ
を引き、『みずからベッドの上でしゃぼん玉を吹いて遊ぶ』として、同じく「命終」から、
しやぼん玉吹いてみづからふりかぶる
を引く。更に『大喜多冬浪が病気見舞に持参した柘榴を喜ぶ』(大喜多冬浪は「おおきたとうろう」と読む。俳人であること以外は所属など私には不明)として、
紅き実がぎつしり柘榴どこ割つても
深裂けの柘榴一粒だにこぼれず
の二句を同じく引いている(年譜では「割って」もと拗音化してあるが、「命終」に準じた)。この一句もその柘榴の最後の一つででもあったのであろう。
以上、『七曜』掲載分。多佳子、六十一歳。]
昭和三十四(一九五九)年
金魚繚乱中に一匹よわれるもの
[やぶちゃん注:同年年譜に『初夏、「七曜」吟行句会で、大和郡山市の郡上城趾、金魚養池等に吟行』とあるから、その折りの嘱目吟と考えてよかろう。]
真上より燭の穂のぞき燈籠流す
流燈を放つ放てば還らぬを
率ゐるものありて流燈率ゐられ
遅れたる距離遅れたる流燈ゆく
流燈に言葉托してつき放つ
二流燈互ひに明を保ちつつ
月光界万の流燈行きつぱなし
みづうみに流燈一つだにのこらず
流燈会一精霊を老婆抱く
前燈を抜かず同速流燈にて
流燈群一流燈をまぎれしめ
炎ゆることやすし一流燈焼失
すでに火を入れて流燈重きを担ぐ
密着せる二流燈を風が押す
流燈の消ゆるを冥き湖底待つ
[やぶちゃん注:ロケーション不詳。年譜からも探れない(同年八月の記載がない。多佳子には紀州田辺で見た燈籠流しの句が「紅絲」に載るが、これは十二年も前の昭和二十二年のことで古過ぎ、しかもそれは海岸際でロケーションが全く異なる)。燈籠流しが行われ、或いは当時行われており(現在は海や河川の汚染を問題とし、自治体の中には燈籠を流すことを禁じているケースもある)、しかもそれが「湖」を持つ水系であることが特異的なヒントである。識者の御教授を乞う。
以上、『天狼』掲載分。]
掌でぬぐう泥金色の独楽誕生
天駆ける凧巻向の子が駆ける
[やぶちゃん注:「巻向」「まきむく」と読み、奈良県桜井市の三輪山の北西麓一帯、巻向川流域の傾斜地を指す、「古事記」「日本書紀」「万葉集」にも出る古くからの地名。旧磯城(しき)郡纒向村。正しくは「纒向」であるが、この「まき」の原義は「牧」であったとも考えられている。三世紀頃、弥生末期から古墳前期にかけての「纒向遺跡」がある(一帯は前方後円墳発祥の地とも推定され、また、邪馬台国の中心地に比定する説があり、「卑弥呼の墓」との説もある「箸墓古墳」などの六基もの古墳がある。飛鳥から奈良時代にかけてはこの地域に市(いち)が発達し、「大市(おおいち)」と呼ばれた(以上は主にウィキの「纒向遺跡」を参考にした)。]
〆飾の家土でぬりごめ子がわめき
友禅ざらし寒水脛に嚙みつけり
鴨渡るその端(は)の鴨の羽うち急(せ)き
寒きシテ女面の裏に眼を瞠(みひら)き
薪能莚に触る地の固さ
加速度に鎌が疲るゝ豊稲穂
入日池金色重く瘦せ河骨
[やぶちゃん注:老婆心乍ら、「河骨」は「かうほね(こうほね)」でスイレン目スイレン科コウホネ属コウホネ
Nuphar
japonicum。和名は根茎が骨のように見えることに由来する。]
芥船水尾かきたつる秋の河
ボート漕ぐ汚れたる河搏ちたのしみ
噴水の力尽きしを風が打つ
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。]
布晒し彩(いろ)をふみふむ冬の河
雁一連縁につながる葬の尾に
道おしへ道の一キロ短かからず
[やぶちゃん注:「道おしへ」は鞘翅(コウチュウ)目オサムシ亜目オサムシ上科ハンミョウ科ナミハンミョウ Cicindela
japonica のこと。人が近づくと一、二メートル程飛んで直ぐ着地するという行動を繰り返し、その過程で度々、後ろを振り返るような動作をする本種の習性をうまく詠み込んでいる。なお、「斑猫」全般については、私の「耳嚢 巻之五 毒蝶の事」の注で詳細を述べておいた。是非、参照されたい。]
脱穀機激しや妻もあふりあふり
地にあてて倒れ稲刈る女の鎌
黄落期天の五位鷺翼重(お)も
道仏白露欠けて何か欠け
冬滝山いで来る何を得たりしや
[やぶちゃん注:以上、『俳句研究』掲載分。多佳子、六十歳。]
昭和三十三(一九五八)年
春日燦潮垂る沼井(しゐ)の底おもへ
[やぶちゃん注:「沼井」は調べてみると、防府市教育委員会提供の「防府市歴史用語集」に「沼井(ぬい)」とあり、『塩分のついた砂を集めて、より塩分の濃い塩水をつくるための装置です。沼井に塩分のついた砂を入れ、上から海水をかけて、染み出た塩水を釜屋[かまや]に運びます。染み出た塩水は海水よりも塩分が濃いので、効率よく塩がつくれます』とあった。所謂、上浜式塩田の鹹水(かんすい:製塩過程で濃縮した食塩濃度の高い水のこと)抽出装置である。幾つか調べて見たが「しい」の読みは出てこない。不審。少なくとも以下これらの塩田の嘱目吟は、句集「命終」の「昭和三十二年 足摺岬・新居浜 他」に出る、前年の「新居浜」での体験に基づくものと思われる。]
あやまちて穂絮下りくる塩田に
遠夕焼塩屋(しほや)塩水母液たぎち
[やぶちゃん注:「とほ(とお)ゆふやけ(ゆうやけ)/しほや(しおや)しほみづ(しおみず)/ぼえきたぎち」と読んでおく。]
千鳥ばらまく波来ては波退きては
会ふ近し海蔽ひくる渡り鳥
犬の前肢雪掘れば赤土赤土は固し
白鳥の胸下の湖昏れてゐる
友の鳥飛び白鳥の胸下昏れ
万燈群一裸火(はだかび)のへろへろと
下半身ゴム衣海苔採女(め)の授乳
[やぶちゃん注:「かはんしん/ゴムいのりとり/めのじゆにゆう(じゅにゅう)」と読んでおく。「海苔採女」は明らかに造語で一語であるが、「め」は底本では「女」の右上方で、「女」一字のルビなのかそれとも「採女」の二字分で「め」一音なのか分からぬ。「ゴムいのりめの/じゆにゆう」では「のりめ」の響きが悪く、何だか後の「授乳」の座りもひどく悪い気がする。大方の御批判を俟つものではある。]
人形師ゐて人形の菊匂ふ
香が立ち籠り菊人形完成す
声出さぬ菊人形に強燭向く
[やぶちゃん注:「強燭」読み不詳。強いライトの謂いと思われるが、「がうしよく(ごうしょく)」は如何にも厭な響きではある。但し、あからさまに照らし出してしまうそれを、かくも不快な響きで狙った可能性もなくはなかろう。暫く、それで読んでおく。調べてみると句では弟子の津田清子の句に、「こほろぎに違和の強燭深夜作業」という句があり、用例は他の見知らぬ方の俳句にも複数あって、それらは特殊な読みを附していないから、やはり「ごうしょく」と読んでいるらしい。しかしまっこと、生理的に厭な響きだ――]
塵なきに掃く菊園に雇はれて
晴天に出る菊人形見終はりて
朝倉路生さん一周忌
路生(みちお)亡き淡路に渡る林檎の荷と
[やぶちゃん注:「朝倉路生」淡路島が詠み込まれていること、朝倉という姓から、句集「海彦」の「淡路島」に出る、『七曜』同人朝倉十艸の本名かと思われる。]
青く近くなり来る淡路路生亡し
[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。]
塩凝れる灼土大切沼井に溜め
塩浜子駆ける春日入らざるうち
藤つつじ尾羽しつまらぬ庭雀
うつうつと春蟬松の一島嶼
[やぶちゃん注:ロケーション不詳。]
菖蒲園花の平らを暮れ鴉
荒地野菊折りゆく幸福溜めてゆく
百合双花盛り見つめて汚れ初む
ベンチ寝の脛に梅雨泥かつと照り
愛は凝視荒地野菊(あれちのぎく)のうすむらさき
蜂一生骸に黄の縞黒の縞
石窟仏白露世界へ蜂放つ
石窟仏露翅の蜂の飛び帰る
[やぶちゃん注:この二句は句集「命終」の「昭和三十三年」の「春日奥山」と同じ、春日山石窟仏(かすがやませっくつぶつ)での嘱目吟であろう。]
鵙高音愛厚くして生(せい)伸す
鵙高音一流水に径断たれ
鹿の毛も椎葉も雨に梳き梳かれ
削げ屑を隠さず朝寒む雀にて
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。]
浜引の鍬にぎやかに土をどり
[やぶちゃん注:「浜引」「はまびき」で、入浜式塩田で使用する塩田の地場の塩を掻き混ぜるための道具。防府市教育委員会提供の「防府歴史用語辞典」の「浜引」に『竹の歯がついた浜引[はまびき]で塩田の地場をかきまぜます。さらに、根太[ねだ]と呼ばれた太い木を引き回して、砂をより細かくくだき全体をならしました。太陽熱や風があたる部分がふえることで、砂が乾くのを助け、塩がつきやすくなります』とある。]
かりかりと灼くる春日塩田ふむ
浜子駈けすなはち塩田筋目つく
[やぶちゃん注:「浜子」は「はまこ」で、子供ではなく、塩田で働く労働者を指す。前記「防府歴史用語辞典」によれば、一つの浜には四人の『浜子がおり、取りまとめ役の庄屋[しょうや]・水門を開けて海水の出し入れをした上脇[じょうわき]・道具などの管理をした三番[さんばん]・炊事係の炊き[かしき]がいました』とある。]
浜引子おのが足跡おのれ消し
鹸水溝蝌蚪生き蜷の途曲る
[やぶちゃん注:「蝌蚪」「かと」で、蛙の子のおたまじゃくし、「蜷」はこの場合は腹足類(巻貝)の総称。強烈な塩分濃度の「鹹水溝」(かんすいこう)にも適応する生物がいることへの多佳子の少女のような驚嘆と感慨がある。「途曲る」の力学に、巻貝のしたたかにして確かな、個性的な力強さが良く示されていると貝類フリークの私などは感心するのである。
以上、『俳句研究』掲載分。]
雪渓に無口徹(とほ)して人を恋ふ
[やぶちゃん注:これは底本年譜の昭和三三(一九五八)年七月の条に(十八日以降)、『「流域」の松山利彦に誘われて乗鞍嶽に登る。誓子、利彦ら同行。高山で一泊し、翌朝三千米級の乗鞍三兆近くまで到着。借用の登山服、登山靴で、生まれて初めて雪渓を踏み感激する。乗鞍での二日目に台風に遭う。道路決壊し、下山路は途絶。下山不能。山上の山小屋で缶づめとなる。心臓発作おこる。新聞に「病人一人出る。」と出たが、多佳子のことであった。三日後、平湯山嶽部員やリーダーの松井利彦の力により、ザイルを伝い、六里』(凡そ二十四キロメートル弱)『の道を歩いて平湯に下りる。美濃白鳥、郡上八幡を経て岐阜に出』た、とある映画のような経験の中の一句である。「命終」の「昭和三十三年 乗鞍嶽行」の句群も参照されたい。
以上の一句は『俳句』掲載分。多佳子、五十九歳。]
昭和三十二(一九五七)年
海より直風枝纏(ま)きあひて椿林
炎天に父よぶこゑとはだしの音
棒吞みの獲もの翡翠(ひすい)の身に収まる
[やぶちゃん注:以上、『天狼』掲載分。]
泥男鹿あへぐ腹より乾きそむ
泥男鹿岐れし小爪の先までも
泥男鹿恋ひごゑ宙に放ちけり
泥男鹿ひきすゑられて角伐られ
泥男鹿泥毛一塊づつ乾く
手鏡の中に枯崖さかさにあり
雪降る視野楢の荒ラ膚ばかり立つ
寒三日月双刄鋭し信と疑と
舟漕いで渦潮に乗る妻を低く
「脚下照顧」昼虫のこゑ立ちのぼる
[やぶちゃん注:「脚下照顧」「きやつかしやうこ(きゃっかしょうこ)。禅語。「照顧脚下」「看脚下」とも。「脚下」は足元から転じて本来の自分自身、「照顧」は反省し繰り返しよく見、よく考えること。他に向かって悟りを求めずに自身の本性をまずよく見つめ尽くせという意。]
秋の蝶焼きすてしもの黒々と
虫しぐれ懐中燈に血透く指
くつわ虫崖の根ひとの燈に許す
秋蛍崖と樹にゐて照らしあふ
蒟蒻掘る夫の猫背を聳えしめ
蒟蒻太る地上に一葉大破れ
日ざらしに蒟蒻薯よ土塊よ
[やぶちゃん注:以上、『七曜』掲載分。多佳子、五十八歳。]
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