甲子夜話卷之八 33 諏訪備前守、尾州へ御使の途中、松山侯と爭論、石川主水正裁斷せし事 /甲子夜話卷之八~了
8―33 諏訪備前守、尾州へ御使の途中、松山侯と爭論、石川主水正裁斷せし事
近き頃のことなり。
番頭(ばんがしら)諏訪備前守、尾州ヘ、御使(おんし)、蒙りて赴(もむき)しに、東海道の何驛にてかありし、松平隱岐守が松山表(おもて)よりの飛脚、行違(ゆきちがひ)しに、上使(じやうし)の事なれば、往來の者に聲掛け、下坐させしに、其飛脚計(ばかり)、下坐せざりしかば、諏訪の徒士(かし)、飛脚を捉(とら)へけるに、下供(しもども)[やぶちゃん注:諏訪備前守の道中に付き添う下級の中間ら。]、馳集(はせあつま)り、散々に打擲(ちやうちゃく)しけり。
このこと、松山の邸吏(ていり)より、勘定奉行の道中方心得(だうちゆうがたこころえ)たる服部備後守へ訴出(うつたへいで)て、雙方(さうはう)、吟味になりける。
松山藩にては、
「上使にてもあれ、餘り、無體(むたい)の仕方なり。」
とて、大(おほい)に怒り、其(その)曲直(きよくちよく)を明白に立(たて)んとす。
又、番頭(ばんがしら)の輩(やから)は、
「此事、もし、松山の意(い)、立(たつ)ときは、上使の權(けん)の、輕重に預(あづか)ることなり。」
とて、各(おのおの)、諏訪に荷擔(かたん)して、紛々(ふんぷん)の論、起(おこ)る。
備後守も、裁判(さいはん)しかねて、數日(すじつ)を經(ふ)る中(うち)に、轉職して、小普請組支配(こぶしんぐみしはい)となり、其獄(そのごく)[やぶちゃん注:この場合の「獄」は「訴え」の意味であるので注意。]は、跡役(あとやく)の石川主水正(もんどのしやう)へ送りに成(なり)ける。
主水正は、再吟味にも及ばず、松山の邸吏を呼(よび)、
「扨(さて)。此度(このたび)のこと、曲直(きよくちよく)の論は、姑(しばら)く置き、第一、公義を憚らず、我意(がい)を立てゝ、上使の權を挫(くじか)んとするは、御普第(ごふだい)の家(いへ)の本意(ほい)に非(あらざ)るべし。此事(このこと)、定めて、隱岐守の所存(しよぞん)なるべからず。役人の心得違(こころへちがひ)なるべし。よく、此旨(むね)を家宰(かさい)に申(まうし)て、明日(みやうにち)、來(きた)り、答詞(たうし)を述(のぶ)べし。夫(それ)とも、官威(くわんい)を立(たつ)るの意なく、其藩の威(い)を立(たて)んとして、勝負を爭(あらそふ)の心あらば、我等、再吟味の上、たとひ、松山の人の、直(ちよく)なるにもせよ、奉行所にては、曲事(くせごと)に申付(まうしつく)べし。」
と、色を厲(な)して言(いひ)けるに、邸吏も、頓首(とんしゆ)して退(しりぞ)きけるが、翌朝、邸吏、來り、
「昨(きのふ)の利解(りかい)を、家宰に申聞(まうしき)けるが、松山の家においては、殊更(ことさら)、官へ對し、曲直勝負(きよくちよくしやうぶ)を爭ふこと、いかであるべき。眞(まこと)に恐懼(きようく)の至(いたり)なり。此一件、何とぞ、内濟(ないさい)に奉ㇾ願(ねがひたてまつる)。」
の旨(むね)を演說しければ、卽(すなはち)、願(ねがひ)の通り、內濟に申付(まうしつけ)しとなり。
實(まこと)に「片言析獄[やぶちゃん注:ママ。]」とも云(いひ)つべし。
■やぶちゃんの呟き
まず、最後の静山の附言の「片言析獄」は恐らく、底本(東洋文庫版)の誤判読か、誤植であろう(ママ注記はないから、静山の誤字ではない)。「片言折獄(へんげんせつごく)」で、「辞書オンライン 四字熟語辞典」のここによれば、『一言で人々を納得させる裁判の判決を下すこと。また、一方の言い分だけを信じて裁判の判決を下すこと。』とあり、『「片言」は短い言葉や一方的な言い分。』、『「折」は「断」と同じ意味で、善悪を判断して決定を下すこと。』、『「獄」は訴訟のこと。』とあり、『「片言(へんげん)獄(ごく)を折(さだ)む」とも読む。』とある。
「諏訪備前守」諏訪頼存(よりつぐ)か。判らぬ。識者の御教授を乞う。
「松平隱岐守」伊予松山藩の藩主であるが、誰かは、私には判らない。識者の御教授を乞う。
「服部備後守」後に幕府勘定奉行となった旗本服部貞勝か。判らぬ。識者の御教授を乞う。
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なお、本篇は、百合の若氏の「甲子夜話のお稽古」のこちらに、現代語訳がある(但し、注はない)。
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遅々として進まぬものの、やっと、「卷九」を終えた。私の多くに手をつけてしまった諸電子化注プロジェクトの中で、私が死ぬまでに全部を完遂することは、不可能と思っている。せめても、脳が働くなるまでに、正編は終わらせたいとは思っているが……さればこそ、「やぶちゃん注」ではなく、「やぶちゃんの呟き」と手抜きをしているのである。お許しあれかし……

