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カテゴリー「芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔」の50件の記事

2023/07/22

佐藤春夫譯「支那厯朝名媛詩鈔 車塵集」正規表現版 芥川龍之介遺稿詩篇一篇

[やぶちゃん注:書誌・底本・凡例等は初回を見られたい。以下は、訳詩本文が終わったページを捲ると、右ページ中央に、本篇が最小ポイントで載る。以下では、ポイントは落とさず、一字下げで示した。]

 

 ひ た ぶ る に 耳 傾 け よ。

 空 み つ 大 和 言 葉 に

 こ も ら へ る 箜 篌(くご) の 音(と) ぞ あ る。

            芥 川 龍 之 介

 

[やぶちゃん注:本詩はサイト版「やぶちゃん版芥川龍之介詩集」に収録させてある。五七・四七・五七の三行分かち書きの文語定型詩であり、標題は「修辭學」である。そちらで底本とした岩波書店旧全集の編者の「後記」によると、元版全集(岩波版芥川龍之介全集の最初に出版された全集(自死の年の昭和二(一九二七)年十一月に刊行が始まり、昭和四年二月に全八巻で完結した)を指す)には『(大正十五』(一九三六)『年十一月)』とあるとする。「空みつ」は「大和」の枕詞である。佐藤のこの訳詩集は、扉標題の裏側に『芥川龍之介が』『よき靈に捧ぐ』とある通り、亡き芥川龍之介への献辞がある。而して、ここに芥川龍之介の遺稿詩篇が示されることで、この佐藤春夫の訳詩集全体が芥川龍之介への追悼詩集の体裁を持っていることが判然とするのである。而して、これは、後の芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」へと発展するものであると言ってよい。「澄江堂遺珠」は昭和六(一九三一)年九月から翌年一月まで雑誌『古東多万(ことたま)』(やぽんな書房・佐藤春夫編)第一年第一号から第三号に初出し、二年後の昭和八年三月二十日に岩波書店より『芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠 Sois belle, sois triste.」』として刊行されたものである。リンク先は私のサイト版である(不全だが、PDF縦書版もあり、また、私は「澄江堂遺珠」に強い拘りがあり(特に最後に芥川龍之介が愛した片山廣子に関連してである)、ブログ・カテゴリ『芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔』も設けてある)。]

2021/08/19

芥川龍之介書簡抄123 / 大正一四(一九二五)年(四) 修善寺より小穴隆一宛 「歎きはよしやつきずとも 君につたへむすべもがな 越の山かぜふきはるる 天つそらには雲もなし」

 

大正一四(一九二五)年四月二十九日・修善寺発信・東京市小石川區丸山町三〇小石川アパアトメント内 小穴隆一樣・四月二十九日 靜岡縣修善寺町新井うち 芥川龍之介

 

原稿の居催促をうけて弱つてゐる。この間例の大男の話を急行にかいてしまつた。勿論書けてゐるかどうか心もとない。今泉鏡花先生滯在中、奧さん中々世話やきにて、僕が仕事をしてゐると、「あなた、何の爲に湯治にいらしつたんです?」などと言ふ。屋前屋後の山々は木の芽をとほり越して若葉なり。一夜安來節芝居を覗いたら、五つになる女の子が「蛸にや骨なし何とかには何とかなし、わたしや子供で色氣なし」とうたつてゐた。大喝采だつた。うちの子も五つになるが、ああ言ふ唄をうたつて大喝采をうけぬだけ仕合せならん。この間又夜ふかしをして、湯がなくなつた故、溫泉で茶を入れたら、變な味がしたよ。ちよつと形容の出來ぬ、へんな味だ。その癖珈琲に入れると、餘り變でもない。僕はいつも溫泉へ來ると肥るのだが今度はちつとも肥らん。遠藤君によろしく。前の家だと尾張町だけでも手紙が出せるが今度はさうも行かない。又今樣を作つて曰く、

   歎きはよしやつきずとも

   君につたへむすべもがな

   越(コシ)の山かぜふきはるる

   天つそらには雲もなし

    二十九日           龍

   隆   樣

 

二伸 惡錢少々同封す。支那旅行記の裝幀料と思はれたし。

 

[やぶちゃん注:室生犀星とこの小穴隆一、そして弟子格である堀辰雄の三人は、芥川周辺でも、廣子への龍之介の執心の核心を理解していた数少ない人々であった。無論、この書簡も「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」の「■書簡12」として採用しているが、ここで再掲する。これは私のカテゴリ『芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔』に当然の如く掲げるべきものであったが、見落としていたようなので、そちらのカテゴリにもこの記事をリンクさせておく。

「例の大男の話」既注であるが、再掲すると、大正一四(一九二五)年六月一日発行の雑誌『女性』に発表した修善寺の民話を素材とする「溫泉だより」を指す。作中に「丈六尺五寸、体重三十七貫」の大工萩野半之丞が登場する。「温泉だより」起筆は四月十六日。

「今樣」これも廣子への恋情切々なるを詠じた一首。

「遠藤」既出既注だが、再掲すると、遠藤古原草(明治二六(一八九三)年~昭和四(一九二九)年 本名清平衛)。俳人・蒔絵師。「海紅」同人。小穴を通した共通の友人で俳句仲間でもあった。

「支那旅行記の裝幀料」この六ヶ月後の大正十四年十一月三日に改造社から刊行される中国紀行集成「支那游記」(私の「心朽窩旧館」にはこの全篇の注釈付テクストが完備してある)。装幀は小穴隆一。この時、既に小穴から装幀案が示されていたのものかも知れない。]

2016/12/25

やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅴ ■5 現在知られる芥川龍之介の詩歌及び手帳並びに未定稿断片の内に於いて「澄江堂遺珠」との親和性が極めて強いと私が判断するもの(1)

 

[やぶちゃん注:まず、ネット上で最も知られていない「手帳」類から拾い始めることとする。

 まず、「手帳6」(旧全集「手帳(六)」)の末尾に載る六篇を示す(リンク先は私の最新の芥川龍之介「手帳」の電子化注の末尾部分である)。本「手帳6」の記載推定時期は、新全集後記に『これらのメモの多くは中国旅行中に記された、と推測される』とある(芥川龍之介の大阪毎日新聞社中国特派員旅行は大正一〇(一九二一)年の三月十九日東京発で、帰京は同年七月二十日である(但し、実際の中国及び朝鮮に滞在したのは三月三十日に上海着(一時、乾性肋膜炎で当地の病院に入院)、七月十二日に天津発で奉天・釜山を経た)。但し、構想メモのある決定稿作品を見ると、大正一〇(一九二一)年(「影」同年九月『改造』)が最も古い時期のもので、最も新しいのは「湖南の扇」(大正一五(一九二六)年一月『中央公論』)であるが、それは創作素材としてであって、以下の詩篇はやはり、大正一〇(一九二一)年の中国特派の旅行中或いは帰国後の同年中に記されたものと考えてよいと思う。これはしかし、実は非常に重要な問題を提起するものである。それは最後に記す。なお、先のリンク先を見て貰うと判るが、この六篇の後に、

人食ふ人ら背も矮く ひそと聲せず 身じろがず

という不気味な七・五・七・五の定型文語詩が載っているが(「矮く」「ひくく」と訓じているか)、これは分かち書きもしておらず、内容面(如何にも不気味で鬼趣と言える)からも、私は前の六篇の詩群とは別個なものと採って、「澄江堂遺珠」との親和性は低いと判断し、採らなかった。] 

 

光はうすき橋がかり

 か行きかく行き舞ふ仕手は

 しづかに行ける楊貴妃の

 きみに似たるをいかにせむ

[やぶちゃん注:以下、六篇の定型文語詩は、恐らく、「澄江堂遺珠Sois belle, sois triste.」の詩群の最初期草稿と採ってよい。次の一篇の私の注も参照されたい。そうすれば、これらが原「澄江堂遺珠Sois belle, sois triste.」の詩群であることを否定しようという人は誰もおらぬはずである。] 

 

光はうすき橋がかり

 靜はゆうに出でにけり

 昔めきたるふりなれど

 きみに似たるを如何にせむ

[やぶちゃん注:この一篇は、「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste. 」に収められた、抹消されていると佐藤が言う一篇、

光は薄き橋がかり

靜はゆうに出でにけり

昔めきたるふりながら

君に似たるを如何にせむ

と酷似している。しかも、前の一篇は一行目が本篇と全く一致している。だからこそ、これらは明らかに「澄江堂遺珠Sois belle, sois triste.」の詩群の最初期草稿なのである。] 

 

女ごころは夕明り

 くるひやすきをなせめそ

 きみをも罪に墮すべき

 心強さはなきものを

[やぶちゃん注:この一篇は、私が本『「澄江堂遺珠」関係原資料集成』の『■2 岩波旧全集「未定詩稿」』(末尾に『(大正十年)』という編者クレジットを持つ詩群)の中に、

女ごころは夕明り

くるひやすきをなせめそ

きみをも罪に堕すべき

心強さはなきものを

相同の一篇が載る。但し、■2 岩波旧全集「未定詩稿」』の冒頭注で既に述べた通り、この詩群は旧全集編集者(恐らくは中でも堀辰雄)による操作が加えられた可能性が極めて高い、問題のあるテクストである。] 

 

遠田の蛙きくときは(聲やめば)

 いくたび夜半の汽車路に

 命捨てむと思ひけむ

 わが脊はわれにうかりけり

[やぶちゃん注:この一篇も、「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste. 」に収められた、抹消されていると佐藤が言う一篇、

遠田の蛙聲やめば

いくたびよはの汽車路に

命すてむと思ひけむ

わが夫はわれにうかりけり

(「■」佐藤が一字不明とするものを、かく示した)と酷似している。さらに言えば、先のの中にもこれがあり、そこでは実に最終行に、「わが夫(せ)はわれにうかりけり」とルビが振られているのである。] 

 

松も音せぬ星月夜

 とどろと汽車のすぐるとき

 いくたび

 わが脊はわれにうかりけり

[やぶちゃん注:前の一篇と最終行が完全に一致している。] 

 

墮獄の罪をおそれつつ

 たどきも知らずわが來れば

 まだ晴れやらぬ町空に

 怪しき虹ぞそびえたる

[やぶちゃん注:この一篇は、「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste. 」に収められた、抹消されていると佐藤が言う断片(完全でない)、

たどきも知らずわが來れば

ひがしは暗き町ぞらに

怪しき虹ぞそびえたる

などと、よく似ている。特に「怪しき虹ぞそびえたる」は芥川龍之介の好んだフレーズで、「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste. 」草稿と思しいものに複数箇所、発見出来るのである。

 さて、これらの詩篇が問題なのは、これが推定で、大正一〇(一九二一)年の中国特派の旅行中或いは帰国後の同年中に記されたものである点にある。

 一般的には、「澄江堂遺珠 Sois belle,sois triste. 」は芥川龍之介が最後に愛した歌人片山廣子に捧げられた詩篇であると信じられている向きがあり、私自身も、概ね、そう理解してきたのであるが、それはこの六篇には適用出来ないのである。

 芥川龍之介が片山廣子に強い恋愛感情を持つようになるのは、現在では大正一三(一九二四)年七月の避暑に行った軽井沢での本格的な邂逅以後のことであり(但し、大正五年六月に廣子の歌集「翡翠(かわせみ)」の評を龍之介は『新思潮』に書いており、翌年の七月以降には最初の接触はあった)、これらの詩篇は実にそれよりも三年も前に書かれたものである可能性が高いからである。

 即ち、少なくとも、これら六篇をものした折りの詩人芥川龍之介の、「月光の女」、恋愛対象の女性は片山廣子ではないということである。

 私はそれが誰だったかについては、例えば、鎌倉の料亭「小町園」の女将野々口豊(とよ)辺りを想起は出来るが、断定はし兼ねる(しかも私は芥川龍之介が愛した女性では海軍機関学校教官時代の同僚の物理教師佐野慶造の妻佐野花子(彼女の書いた「芥川龍之介の思い出」を私は最近、ブログ・カテゴリ「芥川龍之介」で全電子化注し、注を外したベタ・テクストも公開してある)と片山廣子以外の女性には、実はあまり興味が湧かないことをここで告白しておく)。ただ、大正八年に不倫関係を持った歌人秀しげ子ではなかったと断言は出来るように感ずる。何故なら、龍之介はこの時既に、秀しげ子には失望し、憎悪さえ抱いていたと推定され、彼が中国特派に出たのも、一面ではストーカー的な秀しげ子からの逃避感情があったからではないか、とさえ私は感じているからである。

 孰れにせよ、私がこのブログ・カテゴリを『「澄江堂遺珠」という夢魔」』としたのは、そうした一筋繩ではいかない芥川龍之介の複雑な人間関係や恋愛感情抜きには、「澄江堂遺珠」を全解析することは出来ぬからなのである。

 但し、「手帳6」(旧全集「手帳(六)」)の末尾注で記した通り、除外したこの後に出る、

○人食ふ人ら背も矮く ひそと聲せず 身じろがず

という一篇は私に直ちに、「湖南の扇」のエンディングで、名妓玉蘭が処刑された愛人黄老爺の血を滲み込ませたビスケットの一片を「あなたがたもどうかわたしのやうに、………あなたがたの愛する人を、………」と言って「美しい齒に嚙」むコーダのシークエンスを想起させる。そうして、そういった視点からフィード・バックすると、実は前の六篇の詩篇も含めて、これらは「湖南の扇」のモデルとなった、先に出る「支那人饅頭を血にひたし食ふ」という聴き書きのエピソードを元に創作した仮想詩篇であるような気もしてくる、即ち、これら六篇の詩篇は実在する芥川龍之介の愛した誰彼を設定したものではなく、そうした空想した強烈な愛と性(生)に生きる女傑へのオマージュであるように思えてもくるのである。大方の御叱正を俟つ。 

2015/04/12

芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠Sois belle, sois triste.」附やぶちゃん注(PDF版) プチ・リニューアル

芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠Sois belle, sois triste.」附やぶちゃん注(PDF版)

に画像(龍之介のデッサンの原画と思われる蘇軾の「枯木竹石図」)や注を追加し、削除線の脱落や誤字を訂正、プチ・リニューアルした。前の版を保存されている方は差替えをお願いしたい。

「澄江堂遺珠」を検索してみたら……

「澄江堂遺珠」を検索してみたら……

トップに出るのは僕のページ……

これこそ……

そのまま本邦の芥川龍之介研究の停滞と愚劣さを如実に示している!!!――

2015/01/25

やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第三號册子」(Ⅺ) 頁47~頁61 推定「第二號册子」 了

《頁47》

明るき雨のすぎ行けば

虹もまうへ まうへにかかれかし

 

[やぶちゃん注:ここに特に編者によって、『以上二行は前頁から連続している』という注が記されてある。そこでここも空行を設けずに連続させた。]

 

(夢むはとほき野のはてに

(穗麥刈り干す老ふたり

(明るき雨のすぎゆかば

(虹もまうへにかかれとそらじや

 われらにかかれと       かし

 

[やぶちゃん注:「虹もまうへに」に始まる行と最後の「われらにかかれと」の抹消との間に編者注があって、『以上四行、上方に印あり』とあるので、前例通り「(」を附した。抹消の「われらにかかれと」と「かし」の間の空白部分は何字分かは不詳。

 

(ひとり胡桃を剝き居れば

(雪は幽かにつもるなり

(ともに胡桃は剝かずとも

(ひとりいぬあるべき人ならば

 

[やぶちゃん注:ここには編者によって、いつものように『以上四行、上方に印あり』とあるのであるが、これは実は「澄江堂遺珠」の初版四十五頁のものであることが分かる。そこには佐藤春夫の注が附される。以下に引く。佐藤の注は詩より三字下げポイント落ちである。解説の改行は「澄江堂遺珠」のままである。なお、解説の行末が不揃いになっているのは原本では読点が半角で打たれているためである。

   *

 

 (ひとり胡桃を剝き居れば

 (雪は幽かにつもるなり

 (ともに胡桃を剝かずとも

 (ひとりあるべき人ならば

 

  とあり、この最後の意を言外にのこしたる

  一章には大なる弧線を上部に記して他と

  區別し、些か自ら許せるかの觀あり。かく

  て第二號册子の約三分の二はこれがため

  に空費されたり。徒らに空しき努力の跡

  を示せるに過ぎざるに似たるも、亦以て故

  人が創作上の態度とその生活的機微の一

  端とを併せ窺ふに足るものあるを思ひ敢て

  煩を厭はずここに抄錄する所以なり。

 

   *

 この解説の中に出る『第二號册子』というのは私は『第三號册子』の誤りではないかと考えている。もしかすると、現在の新全集の『「澄江堂遺珠」関連資料』に載る「ノート1」が実は佐藤の言う『第三號册子』、「ノート2」が『第二號册子』であった可能性もあるが、それはまた後の私の考証の課題として、ここでは今までの流れを覆さないようにかく注しておく(言っておくが、これは誤魔化しでは、ない。こうしておかないと、資料としてのこれらが錯雑してコントロール出来なくなってしまうからである。ここはどうか御寛恕願いたい)。

 「澄江堂遺珠」では佐藤が注するように、巨大なスラーのような一つの「(」(弧線)となっている。そうしてこの事実によって、この新全集の『「澄江堂遺珠」関連資料』の『上方に印あり』という『印』が恐らく総てこの巨大な「(」であると推定されるのである。]

 

《頁48》

夢むはとほき野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

明るき雨のすぎ行かば

         とぞ

虹もまうへにかかれ

         かし

 

何か寂しきはつ秋の

日かげうつろふ霧の中

ゆ立ちし鵲か

ふと思はるる人の

 

夢むは遠き野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

仄けき雨の過ぎ行かば

虹もまうへにかかるらむ

夢むはとほき野のはてに

穗麥刈り干す老二人

雨も幽かにすぎ行かば

《頁49》

虹こそおぼろと虹やかかるらむ

 

[やぶちゃん注:ここに編者によって『この行は前頁から連続している』とあるので空行を設けずに繋げた。]

 

夢むはとほき野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

明るき雨すぐ

夢むはとほき野のはてに

穗麥刈り干す老ふたり

      雨はすぐるとも

われらが

われら老いなば

虹は幽

 

[やぶちゃん注:「雨はすぐるとも」の前の空白は七字分かどうかは不明。]

 

われらが末は野のはてに

穗麥刈干す老ふたり

 

虹は幽かにかかれかし

 

《頁50》

たとへばとほき野のはてに

穗麥刈り干すわれらなり

 

野もせに雨は

 

(われらはとほき今日も野のはてに

(穗麥刈り干するなる老ふたり

(           けれ

(雨は濡るるはすべなくも

(           もなし

(幽かにかかる虹もがな

 

[やぶちゃん注:前例に従い、編者注から「(」を頭に附した。]

 

穗麥刈り干すわれらなり

雨に濡るるはすべもなし

幽かにかかる虹もがな

 

《頁51》

わが戀こそはみちならね

 

雨はけむれる午さがり

實梅の落つる音きけば

ひとを忘れむすべをなみ

老を待たむと思ひしか

 

谷に沈める雲見れば

ひとを忘れむすべもなみ

老を待たむと思ひしが

 

ひとを忘れむすべもがな

ある日は 古き書のなか古き書のなか

匀も消ゆる白薔薇の

老を待たむと思ひしが

 

《頁52》

ひとを忘れむすべもがな

ある日は秋の山峽に

 

夫 scholary man

妻 model woman

敵 male

 

さあみんな支度をおし、お前は刀を持つてゐるかい

 

成程ね。お前のやうな人間が二十人もう十人もゐてくれると、宮中の廓淸が出來るのだが、

 

《頁53》

君 さやうでごさ 恐れ入ります

王 おれ おれの周圍にゐる人間一體宦官なぞと云ふやつは、みんなお前だな噓つきか泥坊ばかりだ

宦官 陛下

お前王 おやまだゐたのか

(宦官 いえ唯今參つたばかりでございます しかし決して噓つきなぞは申上げません

王(      ) た■ そり やいくらお前でもたまにさうか。そりや珍しい。

王 まあ聞けよ

は噓もつき倦るだらうさ

宮官 御言葉ではございますが、

王 兎に角お前の心がけは感心だ。

君 恐れ入ります。

王 しかし おれには難有迷惑だね。

 

[やぶちゃん注:抹消の「王 まあ聞けよ」の後に編者による『以上五行、上方に印あり』という注がある。一応、詩と同じ大きなスラー様のものと考えて、「(」を附した。但し、この『五行』とは底本(二段組)五行分ではなく、台詞の柱で五行分ととった。そうでないとおかしいからである。「噓」は総て底本の用字である。「(      )」は本文そのまま( )が本文サイズであって、そこに編者によって空白である旨の注がある。但し、空白字数は不詳である。

scholary man」は「scholarly man」の誤記か。これなら「学者気質(かたぎ)の男」となる。以下の戯曲断片と連関させるならば、儒者か道士といった感じか。

model woman」は模範的或いは貞節なその妻の意としかとれないのだが、しかし冒頭の台詞がこの人物の台詞とすると、如何にもおかしい。上手い訳が見当たらない。絵のモデルというわけでもなさそう。後の戯曲とは無関係な創作メモの可能性もある。

「廓淸」「くわくせい(かくせい)」と読む。粛清と同じ。これまでに溜まった悪いもの、乱れや不正な者を払い除いて浄化すること、或いはそう称しつつ、厳しく取り締まって反対勢力を駆逐或いは抹殺してしまうこと(因みに、現在では「郭清」とも表記して、癌を切除する際に転移の有無に関わらず、周辺リンパ節を総て切除することもこう言う。これは癌細胞がリンパ節に転移し易いことから、癌の根治・予防のため、普通に行われる術式の一つである)。]

 

《頁54》

忘れ

忘れはてなむすべもがな

ある日は

 

ゆうべとなれば

物の象は

 

物の象(かたち)はまぎれ

 

物の象はしづむのごと

老さりくれは

 

の小川も草花も

夕となれば煙るなり

われらが戀も

 

《頁55》

牧の小川も草花も

夕となれば煙るなり

わが悲しみも

老ひさりくれば消ゆるらむ

 

夕となれば家々も

畑なか路も煙るなり

わが身をせむる今は忘れぬおもかげも

老ひさりくれば消ゆるらむ

 

《頁56》

われらはけふ野べの穗麥刈り

雨に濡るるはすべ

雨に濡

 

夢むわれらはとほき野のはてに

穗麥刈るなる老ふたり

雨は

幽かにかかる虹もあり

 

われらは野べの穗麥刈り

雨に濡るるはすべもなし

穗麥の末に

幽かにかかる虹もがな

 

《頁57》

ゆうべとなれば草むらも

 

ゆうべとなれば

 

われらは野べの穗麥刈り

ひと村雨はすべもなし

鎌に

幽かにかかる虹もがな

 

ゆうべとなれば草むら海ばらも

蒼海原

今は忘れぬおもかげも

老さりくれば消ゆるらむ

濡れし袂と干す時は

 

《頁58》

ゆうべとなれば葱畑家々も

畠の葱も煙るな

 

夕となれば家々も

畑なか路も煙るなり

今は忘れぬ

老ひさり來れば消ゆるらむ

 

今は忘れぬひとの眼も

 

《頁59》

ゆうべとなれば波の穗も

船の帆綱も煙るなり

 

ゆうべとなれば波の穗も

遠島山も煙るなり

今は忘れぬおもかげも

老ひさりくれば消ゆるらむ

 

われらは野べの老ふたり穗麥刈り

一村雨はすべもなし

濡れし穗麥を刈るときは

幽か

 

《頁60》

ゆうべとなれば波の穗も

遠島山も煙るなり

今は忘れぬおもかげも

何時か やがて 老いて何時かは夢にまがふらむ

 

老いなば夢にまがふらむ

ひとを殺せどなほ飽かぬ

妬み心も今ぞ知る

 

われらは野べの穗麥刈り

 

ひとを

 
 
[やぶちゃん注:ここに空白一頁あり、という編者注がある。]

《頁61》

Mr. G. Dauson

 

[やぶちゃん注:この以上の一行は横書である旨の注と、一行空け別立てで、ここに『カットあり』(描画図不詳)という注で、新全集の『「澄江堂遺珠」関連資料』の『ノート2』は終わっている。「G. Dauson」不詳。]




以上を以って、現在、公的(アカデミック)に「澄江堂遺珠」の原資料と呼ばれているもの本カテゴリ『「澄江堂遺珠」という夢魔』に於いて、総ての電子化を終了した。
 
これより未踏の――■5 現在知られる芥川龍之介の詩歌及び手帳並びに未定稿断片の内に於いて「澄江堂遺珠」との親和性が極めて強いと私が判断するもの――にとりかかる。――

やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第三號册子」(Ⅹ) 頁42~頁46

《頁42》

ひとをころせどなほあかぬ

ねたみごころもいまぞ知る

 

いづことわかぬ靄の中

かそけき月によはよはと

 

啼きづる山羊の聲聞けば

はろけき人ぞ戀ひがてぬ

遠き人こそ忘られね

かそけき月によはよはと

山羊は啼き靄の

はろけき人をおもほへば

山羊の聲

 

(いづことわかぬ靄のなか

(かそけき月によはよはと

(啼きづる山羊の聲すなり

山羊さへ妻を戀ふやらむ

《頁43》

(わが人戀ふる霧のなか

 

[やぶちゃん注:ここには特に編者によって、『この行は前頁から連續しており、これら全五行の上方には印あり』と注されてある。例の大きなスラーのような丸括弧であろうか? 試みに「(」を附して、ここのみ、《頁43》の前に空行を設けなかった。]

 

ひとをころせどなほあかぬ

ねたみごころもいまぞしる

垣にからめる薔薇の實も

いくつむしりてすてにけむ

 

(垣にからめる薔薇の實も

(いくつむしりて捨てにけむ

(ひとを殺せどなほあかぬ

(ねたみ心になやみつつ に燃ゆる日 の燃ゆる日に堪ふる日は

 

[やぶちゃん注:ここにも編者によって『以上四行、上方に印あり』とあるので、試みに「(」を附した。]

 

夜毎にきみと眠るべき

男あらずばなぐさまむ

 

《頁44》

  雪

ひとり山路を越え行けば

雪はかす幽かにつもるなり

ともに山路は越えずとも

ひとり眠(いぬ)べききみ君ならば

 

[やぶちゃん注:「いぬ」は底本ではルビ。このルビは本冊子の中では特異点である。他には先行では《頁3》と《頁10》の「小翠花(シヤウスヰホア)」と後掲する《頁54》の「象(かたち)」にしか認められない。]

 

夜空

 

  劉 園

人なき院にただひとり

古りたる岩を見て立てば

花木犀は見えねども

冷たき香こそ身にはしめ

 

《頁45》

ひとり山路を越え行けば

ひとり川べを見てあれば

雪は幽かにつもるなり

ともに川べは

ひとり眠ぬべき君ならば

ひとり山路を越え行けば

月は幽かに照らすなり

ともに山路は越えずとも

ひとり眠ぬべき君ならば

 

ひとり

雪は幽かにつもるなり

ともに

ひとり眠ぬべき君ならば

 

《頁46》

雨にぬれたる草紅葉

佗しき野路をわが行けば

かた 片山かげにただふたり

住まむ藁家ぞ眼に見ゆる

 

[やぶちゃん注:「片山」の文字が出現するのには正直、私は激しく驚いている。しかも直前の《頁44》《頁45》の詩篇には「越ゆ」が合計五回出現している。周知の通り、龍之介は片山廣子のことを「越し人(びと)」と呼んでいた。私の電子テクスト「やぶちゃん編 芥川龍之介片山廣子関連書簡16通 附やぶちゃん注」及び芥川龍之介「越びと 旋頭歌二十五首」などを是非、参照されたい。]
 

 

 

われら老いなばともどもに

穗黄なる穗麥を刈り干さむ

われら老いなばともどももろともに

穗麥もさわに刈り干さむ

 

われら老いなばともどもに

夢むは

穗麥刈り干す老ふたり

 

夢むは

穗麥刈り干す老ふたり

やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第三號册子」(Ⅸ) 頁39~頁41

《頁39》

畫舫はゆるる水明り

はるけき人をおもほへば

わがかかぶれるヘルメツト

白きばかりぞうつつなる

 

幽に雪のつ

かに雪のつもる夜は

ひとりいねよと祈りけり

 

疑ひぶかきさがなれば

疑ふものは數おほし

薔薇に刺ある蛇に舌

女ゆゑなる涙さへ

 

幽かに雪のつもる夜は

ひとり葉卷をくはへつつ

幽かに君も小夜床に

[やぶちゃん注:この頁も自筆原稿が「澄江堂遺珠」の表紙見返し(左頁)で視認出来る。そこでは、

 

   畫舫はゆるる水明り

   はるけき人をおもほへば

   わがかかぶれるヘルメツト

   白きばかりぞうつつなる

 

   幽に雪のつ■■

   幽かに雪のつもる夜は

   ひとりいねよと祈りけり

 

   疑ひぶかきさがなれば

   疑ふものは數おほし

   薔薇に刺ある蛇に舌

   女ゆゑなる涙さへ

   幽かに雪のつもる夜は

   ひとり葉卷をくはへつつ

   幽かに君も小夜床に

 
 
 《頁39》には
私の判読不能箇所は存在しないことになっている。]

 

《頁40》

古き都に來て見れば

 

昔めきたる瀟湘の

夜雨

昔めきたる竹むらに

雨はしぶける夕まぐれ

 

夕さびしき大比叡は

比叡もいつしか影たてぬ

雪のゆうべとなりにけり

 

 

《頁41》

上野の圖書館に幽靈が出るのは、毎夜一時と二時との間である。この間は何處の部屋も、悉電燈が消されてゐる。が、幽靈はその暗い中にも、いくらまつ暗でも、決して滅多に躓いたり壁へぶつかつたり、階段の昇降に躓いたりはしない。これは彼自身の體から、朦朧と絶えず放射する燐光が、モウロウと行く手を照らしてくれするからである。幽靈

幽靈は

 

[やぶちゃん注:これは推測するに、芥川龍之介の怪談蒐集癖に基づくメモ書き或いは創作草稿と思われる。龍之介にはご存じのように怪奇談を採録集成した怪作椒圖志異があるが(リンク先は私の電子テクスト)、これは文体に龍之介の小説に特有な言い回しとリズムが認められ、口語表現で一貫している点、後者(創作物の草稿)の匂いが強い。]

やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第三號册子」(Ⅷ) 頁37~頁38

《頁37》

竹むら多き瀟湘に

夕の雨ぞ

 

大竹むらの雨の音

思ふ今は

幽かにひと

 

夜半は風なき窓のへに

薔薇は

 

古き都は來て見れば靑々と

穗麥ばかりぞなびきたる

朝燒け

 

古き都に來て見れば

路も

 

幽かにひとり眠てあらむ

 

 

わが急がする驢馬の上

穗麥がくれに朝燒くるけし

ひがしの空ぞわすられね

 

ひがしの空は赤々と

朝燒けし

 

[やぶちゃん注:この頁も自筆原稿が「澄江堂遺珠」の裏表紙見返し(左頁)で視認出来る。そこでは、

 

   竹むら多き瀟湘に

   夕の雨ぞ

   

   

   大竹むらの雨の音

   思ふ今は

   幽かにひと■

 

   夜半は風なき窓のへに

   薔薇は

 

   古き都は來て見れば靑々と

   穗麥ばかりぞなびきたる

   朝燒け

 

[やぶちゃん注:ここで下段にシフトしている。]

 

      古き都に來て見れば

      路も

      

      

      幽かにひとり眠てあらむ

 

 

      わが急がする驢馬の上

      穗麥がくれに朝燒くるけし

      ひがしの空ぞわすられね

 

 

      ひがしの空は赤々と

      朝燒けし

 

と判読出来、私が判読不能とした抹消字三字は存在しないことになっている。]

 

《頁38》

水の上なる夕明り

畫舫にひとをおもほへば

わかぬぎたがすて行きしマチ箱の薔薇の花

白きばかりぞうつつなる

 

水のうへなる夕明り

畫舫にひとをおもほへば

たがすて行きし

わがかかぶれるヘルメツト

白きばかりぞうつつなる

 

はるけき人を思ひつつ

わが急がする驢馬の上

穗麥がくれに朝燒けし

ひがしの空ぞ忘れられね

 

さかし

 

[やぶちゃん注:ここに編者によって、『以下、欄外・横書き』という注が入る。]

 

Sois belle, sois triste ト云フ

 

[やぶちゃん注:この頁も自筆原稿が「澄江堂遺珠」の表紙見返し(右頁)で視認出来る。そこでは、本文罫欄外上部頭書様パートに、

 

 Sois belle, sois triste ト云フ

 

と記し、本文は、

 

   水の上なる夕明り

   畫舫にひとをおもほへば

   わかぬぎたがすて行きしマチ箱の薔薇の花

   白きばかりぞうつつなる

    水のうへなる夕明り

    畫舫にひとをおもほへば

    たがすて行きし

    わがかかぶれるヘルメツト

    白きばかりぞうつつなる

 

    はるけき人を思ひつつ

    わが急がする驢馬の上

    穗麥がくれに朝燒けし

    ひがしの空ぞ忘れられね

 

     さかし

     

と判読出来る。

白きばかりぞうつつなる」の「ぞ」が吹き出しで右から挿入、「驢」の字は原稿では「盧」を「戸」としたトンデモ字である。

《頁38》では白きばかりぞうつつなる」と「水のうへなる夕明り」の間に空行があるが、実際にはなく、字下げであることが分かる。最後の抹消字は不詳であるが、これは《頁38》稿では存在しないことになっている。以上、私が現認出来る原稿数箇所を見ても、それぞれに微妙に異同があることが分かる。もし、これが佐藤春夫の言う「第四號册子」で、同一物であるとすれば(私は基本的に同一物であると考えている)、残念ながら、新全集のこれら判読は必ずしも全幅の信頼をおくことは出来ないと言わざるを得ない。]

やぶちゃん版「澄江堂遺珠」関係原資料集成Ⅵ ■4 推定「第三號册子」(Ⅶ) 頁25~頁36

《頁25》

ひとり葉卷をすひ居れば

雪は幽かにつもるなり

かかるゆうべはきみもまた

かなしきひともかかる夜は

ひとり幽かにいねよかし

 

ひとり葉卷をすひをれば

雪は幽かにつもるなり

かかるゆうべはきみも亦

ひとり幽かにいねよかし

 

ひとり葉卷をすひ居れば

雪は幽かにつもるなり

       かかる夜は

かなしきひとも

       夜となれば

幽かにひとりいねよかし

 

《頁26》

綠はくらき楢の葉に

晝の光の沈むとき

わが欲念

わが欲念はひとすぢに

をんなを得むと

ふと眼に見ゆる

君が心

 

光は

何かはふとも口ごもりし

その

 

みどりはくらき楢の葉に

ひるの光のしづむとき

わがきみが心のおとろへを

ふとわが

 

《頁27》

ひとり

雪は幽かにつもるなり

きみも今宵はひややかに

ひとりいねよと祈りつゝ

幽かに雪のつもる夜は

ひとりココアを啜りけり胡桃を剝きにけり

きみも今宵はひややかに

ひとり寐ねよと祈りつつ

 

[やぶちゃん注:「剝」の漢字は底本の用字。以下同じ。]

 

幽かに雪のつもる夜は

ひとり胡桃を剝きにけり

君もこよひは冷やかに

ひとりいねよと祈りつつ

幽かに夜をおほへかし

 

        ひとづまも

 

幽かにひとりひとねいねよし

 

《頁28》

幽かに雪のつもる夜は

ひとり胡桃を剝きゐたり

こよひは君も冷やかに

ひとりいねよと祈りつつ

 

君の

 

幽かに雪のつもる夜は

折り焚く柴もつきやすし

きみも

幽かにひとりいねよかし

小夜床に

ひとりいねよと

 

《頁29》

幽かに雪はつもれかし

ひとなみだ

幽かにひとりいねよかし

 

幽かに雪のつもる夜は

折り焚く柴もつきやすし

 

幽かにこよひは

 

ひとり

 

こよひは君もひややかに

ひとりいねよと祈りつつ

 

[やぶちゃん注:ここに編者によって、『以下、欄外・横書き』と注がある。以下の「{」「}」は底本では一つに繋がった大きなもの。都合三パートに附くが、最後の二行は下方の閉括弧がない。]

Ibsen     Doll's House,      

Strindberg     Dol1's House 

de L’Isle  Adam    Revolt  }

 

Positive         

Negative      }

Positive but pess.

不公平

economical independence

suffragists

 

[やぶちゃん注:「Strindberg」何故ここでヨハン・アウグスト・ストリンドベリ(sv-August Strindberg.ogg Johan August Strindberg)の後に、またイプセンの「人形の家」が再度メモされているのかは不明。

de L’Isle Adam    Revolt」の「de LIsle Adam」はフランスの象徴主義の作家ジャン=マリ=マティアス=フィリップ=オーギュスト・ド・ヴィリエ・ド・リラダン(Jean-Marie-Mathias-Philippe-Auguste, comte de Villiers de l'Isle-Adam)の名で、「Revolt」は彼の一幕物の戯曲「La Révolte」(「反逆」一八七〇年作)の題名の英語表記。イプセンの「人形の家」(一八七九年作)と同系列の作品であるが、こちらの方が早い。

pess.」この単語のみ、最後にピリオドがあるから、pessimisticの省略形かと思われる。

economical independence」メモの流れから言うと「経済的自立」か。

suffragistssuffragist(婦人参政権論者)の複数形。]

 

《頁30》

幽かに雪のつもる夜は

君も幽かに眠れかいねよかし

ひとり

 

しら雪に夕ぐれ竹のしなひかな

君もかなしき小夜床に

ひとり

 

しら雪も

幽かに今はつもれかし

きみもこ

幽かにひとり 今はひとりいねよかし

 

《頁31》

幽かに

かかる 雪のかかるゆうべはきみもまた

幽かにひとりいねよかし

 

幽かに君はいね

 

幽かに雪もつもれかし

君もかかるゆうべはきみもまた

 

《頁32》

雪のゆうべとなりぬれば

幽かに今はのぼれかし

 

ひと

ゆうべとなればしら雪も

幽かに窓をおほへかし

さては

ゆうべかなしき

 

ゆきのゆうべとなりぬれば

幽かに君もいねよかし

 

幽かにひとりいねよかし

 

《頁33》

ひとり

雪はかそかにつもるなり

きみもこよひはひややかに

ひとりいねよと祈るなり

 

幽かに雪のつもる夜は

折り焚く柴もつきやすし

「思ふはとほきひとの上」

幽かにひとりいねてがな

 

幽かに雪のつもる夜は

折り焚く柴もつきやすし

きみもこよひは

幽かにひとりいねよかし

かなしきひとをおもほへば

雪も幽か

 

《頁34》

ゆきの夕は

 

こよひはとほきば人◆◆◆◆◆◆◆も

幽かにひとりいねよかし

 

[やぶちゃん注:「◆◆◆◆◆◆◆」の箇所には編者によって『この部分破損』とある。(七字分であるかどうかは不詳)。]

 

かなしき

 

かなしきひともかかる夜は

かそかにひとりいねよかし

 

《頁35》

ゆうべとなれば草花は

しつかに

 

みどりは暗き芭蕉葉に

水にのぞめる家あまた

杏竹桃

 

[やぶちゃん注:「杏竹桃」はママ。この誤字については「澄江堂遺珠」の「巻尾に」で神代種亮が言及している。]

 

ひとも幽かにねてあらむ

 

みづから才をたのめども

心弱きぞ

ひとを戀

君があたりの萩さけば

心しどろとなりにけり

 

《頁36》

妬し妬しと

嵐は襲ふ松山に

松の叫ぶも興ありや

山はなだるる嵐雲

松をゆするもおもしろし興ありや

人を殺せどなほ飽かぬ

妬み心をもつ身には

妬み心になやみつつ

嵐の谷を行く身に

 

雲はなだるる峯々に

■■

昔めきたる竹むら多き瀟湘に

昔めきたる雨きけど

 

嵐は襲ふ松山に

松のさけぶも興ありや

妬し妬しと

峽をひとり行く身には

 

人を殺せどなほ飽かぬ

妬み心も今ぞ知る も知るときは

山にふとなだるる嵐雲

松をゆするも興ありや

 

[やぶちゃん注:「■■」は編者によって『二字不明』とある。

「瀟湘」湖南省長沙一帯の地域の景勝地の呼称で、特に洞庭湖とそこに流れ入る瀟水と湘江の合流する附近を指す。中国では古くから風光明媚な水郷地帯として知られ、「瀟湘八景」と称して中国山水画の伝統的な画題となった。因みに、この画題の流行が本邦にも及び、金沢八景や「湘南」の語を生んだ。

実はこの頁は自筆原稿が「澄江堂遺珠」の裏表紙見返し(右頁)で視認出来る。そこでは、

 

 

   妬し妬しと

   嵐は襲ふ松山に

   松の叫ぶも興ありや

   山はなだるる嵐雲

   松をゆするもおもしろし興ありや

   人を殺せどなほ飽かぬ

   妬み心をもつ身には

   妬み心になやみつつ

   嵐の谷を行く身に

 

   雲はなだるる峯々に

   生贄

   昔めきたる竹むら多き瀟湘に

   昔めきたる雨きけど

 

[やぶちゃん注:ここで下段にシフトしている。]

 

      嵐は襲ふ松山に

      松のさけぶも興ありや

      妬し妬しと

      峽をひとり行く身には

 

      人を殺せどなほ飽かぬ

      妬み心も今ぞ知る も知るときは

      山にふとなだるる嵐雲

      松をゆするも興ありや

 

《頁36》では「■■」抹消部分は『二字不明』とあるが、私には「生贄」と書いて抹消したかのように見える。また、下段の最初の「嵐は襲ふ松山に/松のさけぶも興ありや/妬し妬しと/峽をひとり行く身には」は《頁36》稿では生きているが、明らかに一気に斜線を三本も引いて全体抹消していることが明らかである。特に後者は不審である。]

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