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カテゴリー「畔田翠山「水族志」」の37件の記事

2022/12/26

畔田翠山「水族志」 イソダヒ (アカマンボウ)

 

(二四)

イソダヒ

大者二三尺形狀棘鬣ニ似テ濶厚鱗胭脂紅色ニ乄淡黃ヲ帶腹色淺シ尾鬣倶ニ紅色也㋑マン子ンダヒ【萬年鯛ノ義】一名イソダヒ【熊野九木浦】カナカブト【紀州若山】形狀棘鬣ニ似テ潤厚アブラ魚ニ似タリ背紅色黑ヲ帶腹色淺シ尾鬣黃褐色大者三四尺冬月出

○やぶちゃんの書き下し文

いそだひ

大なるは、二、三尺。形狀、棘鬣(たひ)に似て、濶(ひろ)く厚く、鱗、胭脂(えんじ)・紅色にして淡黃を帶ぶ。腹の色、淺し。尾鬣(おびれ)倶(とも)に紅色なり。

まんねんだひ【「萬年鯛」の義。】。一名「いそだひ」【熊野、九木浦。】・「かなかぶと」【紀州、若山。】。形狀、棘鬣(たひ)に似て、潤く厚く、「あぶら魚(うを)」に似たり。背、紅色、黑を帶び、腹色、淺し。尾鬣、黃褐色、大なるは、三、四尺、冬月、出づ。

[やぶちゃん注:底本のここ。この「イソダイ」という異名は現在、所謂、「マンボウ」型の(見た目が似ているだけで、分類学上はマンボウの仲間では全くない。マンボウは条鰭綱フグ目マンボウ科マンボウ属 Mola に属する。但し、食性はクラゲを食べているらしい点では似ている)、側扁して体高が高く円形に近く、鰭が鮮やかに赤く伸び(特に背鰭・腹鰭・胸鰭が長い)る(私の、驚異的な栗本丹洲自筆巻子本(国立国会図書館所蔵・第1軸)「魚譜」の「マンダイ (アカマンボウ)」の図群を、是非、参照されたい)、

顎口上綱硬骨魚綱綱条鰭亜綱アカマンボウ上目アカマンボウ目アカマンボウ科アカマンボウ属アカマンボウ Lampris megalopsis

の異名として、宇井縫蔵の「紀州魚譜」ではここ(「マンダイ」を筆頭標題和名としてある)に、まず、載り(但し、採取出典は本書である)、宇井氏はまた、別に、

棘鰭上目スズキ目ベラ亜目ブダイ科ブダイ属ブダイ Calotomus japonicus

の異名としても、こちらに載せている(採集地を和歌山県『湯淺』とする)。しかし、本文の記載とこの二種を比較するに、色彩は二種ともに似ているように見えるものの、ブダイは全体にブダイの♀は赤みが強いが、これは全体に及び、「腹の色」は「淺」くはない。個体変異があっても、こう記すほどの通性はない。さらに広義の「棘鬣(たひ)」=現行の我々が勝手に「~タイ」と呼んでいる、タイとは縁の遠い魚類も多数含むそれと同じ)に比べて、有意に「濶(ひろ)く厚く」というのはブダイに当たるかというと、私は、全く当たらないと思う。体幹の「厚さ」は「厚い」と言えるが、体高は寧ろ低く、それを「潤い」とは決して言わない。されば私は、今、畔田が目の前に置いて観察している前者「イソダヒ」は、絶対にブダイではなく、アカマンボウであると断言するものである。

「まんねんだひ」「萬年鯛」は現在、アカマンボウの他に、スズキ目スズキ亜目キントキダイ科クルマダイ属クルマダイ Pristigenys niphonia や、棘鰭上目キンメダイ目イットウダイ科アカマツカサ亜科アカマツカサ属アカマツカサ Myripristis berndti の異名でもある。二種ともに全体が有意な赤みを帯び、前者は側扁性がやや強く、側面から見ると、アカマツカサと異なり、有意に丸く見える。

「熊野、九木浦」現在の三重県尾鷲市九鬼町(くきちょう)であろう。

「かなかぶと」宇井氏と同じく、「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のアカマンボウのページでは、本記載をもとに同種の異名とする。

「あぶら魚(うを)」「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の異名一覧の「アブラウオ」には、実に十三種が載るが、以上に掲げた種は含まれない。この内、強く側扁するもので、和歌山の異名とする(宇井氏の前掲書による)のは、スズキ目スズキ亜目チョウチョウウオ科チョウチョウウオ属シラコダイ Chaetodon nippon であるが、体色は大部分が黄色である。]

2022/12/25

畔田翠山「水族志」 コセウダヒ (コショウダイ)

 

(二三)

コセウダヒ【紀州若山】一名タノキヅラ【紀州湯淺浦】京ガレ【阿州海部郡日和佐浦】コセウゴロ【備前岡山】チシヤダヒ【筑前福間浦】クロクチ【備後四島】トモヽリ【土佐浦戶】ビンクシ【讚州八島】ビングシ【淡州都志備前兒島】テングウチハ【勢州阿曾浦】チヒロイヲ【紀州田邊】タモリ【備前兒島】エビウヲ【熊野三老津】淡州都志浦漁人云「ビンクシ」「タモリ」「コセウダヒ」同物也小ナルヲ「ビンクシ」ト云中ナルヲ「タモリ」ト云大ニナレバ「コゼウダヒ」ト云

形狀「コロダヒ」ニ似身扁口細シ唇邊微紅色ヲ帶背淡靑色ニ乄淡黃ヲ帶背ヨリ腹上ニ至リ淡黑條五六道アリ腹白色鱗細ニ乄極テ薄風乾スレハ起リテ薄キ紙屑ノ如シ背鬣刺巨ク陰陽刺アリ淡黑色ニ乄黃ヲ帶黑斑アリ背下鬣ハ本黃色ニ乄端黑色喉下翅淡黑ニ乄黃色ヲ帶黑斑アリ脇翅黃色腰下鬣本淡黑色黑斑アリテ尾ノ方ハ本黃色末黑尾劔狀ヲナシ本黃色端黑シ冬月味美也

○やぶちゃんの書き下し文

こせうだひ【紀州、若山。】 一名「たのきづら」【紀州、湯淺浦。】・「京(きやう)がれ」【阿州海部郡、日和佐浦(ひわさうら)。】・「こせうごろ」【備前、岡山。】・「ちしやだひ」【筑前、福間浦。】・「くろくち」【備後、四島。】・「ともゝり」【土佐、浦戶(うらど)。】・「びんくし」【讚州、八島。】・「びんぐし」【淡州、都志《つし》。備前、兒島。】・「てんぐうちは」【勢州、阿曾浦(あそうら)。】・「ちひろいを」【紀州、田邊。】・「たもり」【備前、兒島。】・「えびうを」【熊野、三老津(みらうづ)。】

淡州、都志浦の漁人、云はく、

『「びんくし」「たもり」「こせうだひ」、同じ物なり。小なるを、「びんくし」と云ひ、中なるを、「たもり」と云ふ。大になれば、「こぜうだひ」と云ふ。』

と。

形狀、「ころだひ」に似て、身、扁(ひらた)く、口、細し。唇の邊り、微紅色を帶ぶ。背、淡靑色にして、淡黃を帶ぶ。背より腹の上に至り、淡黑條、五、六道(だう)あり。腹、白色。鱗(うろこ)、細かにして、極めて薄く、風に乾すれば、起(おこ)りて、薄き紙屑のごとし。背鬣(せびれ)、刺、巨(おほ)きく、陰陽の刺あり。淡黑色にして、黃を帶ぶ。黑斑あり。背の下鬣は、本(もと)、黃色にして、端(はし)、黑色。喉(のど)の下翅(したびれ)、淡黑にして、黃色を帶ぶ。黑斑あり。脇翅(わきびれ)、黃色。腰の下鬣(したびれ)、本、淡黑色、黑斑ありて、尾の方(かた)は、本、黃色、末(すゑ)、黑。尾、劔狀(つるぎじやう)をなし、本、黃色、端、黑し。冬月、味、美(び)なり。

[やぶちゃん注:底本のここから。本種は特徴的な黒斑点の記述からも、また、現在も同名の標準和名を持つ、

スズキ亜目イサキ科コショウダイ属コショウダイ Plectorhinchus cinctus

である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページには、漢字表記の箇所で『胡椒鯛』・『小正だい』・『鰭白魚』・『古世宇(京俗)』を挙げられた後で、『由来・語源』の項で、昭和一三(一九三八)『年の魚類検索では、旧仮名遣いではコセウダヒ属コセウダヒだった』と前振りされた上で、これは、東京『に江戸時代からある呼び名を標準和名にしたもの』とされつつ、平成一二(二〇〇〇)『年前後までの水揚げから考えても』、『江戸時代に江戸湾(東京湾)に大型はほとんど生息していなかったと考えられる。むしろ』、『斑点や斜めに背から腹に横切る帯が目立つ若魚、幼魚が多かっただろう。この若い個体に対してつけた呼び名だと思う。とすると』、『黒く丸い斑紋からの「胡椒鯛」ではなく、小さい割りに目立つ柄をした「小姓鯛」だった可能性も捨てられない』と述べておられるのである。歴史的仮名遣では「胡椒」は「こせう」で、「小姓」は「こしやう」ではあるから、国語学的には「胡椒鯛」に分(ぶ)があり、胡椒は生薬として早く奈良時代に伝来し、平安時代には調味料としても利用されるようになり、江戸時代には饂飩(うどん)の薬味や「胡椒飯」として用いられていたりはする(ここはウィキの「コショウ」に拠った。そこには)『江戸期を通』して、実は『唐船を通じて平均』で『年間』五・七『トン』、『オランダ船を通じて』寛永一五(一六三八)『年の記録では』七十八『トン』『のコショウを輸入していた』とある)のであるが、どうも、私はこの「ぼうずコンニャク」氏の仮説を支持したい気が大いにするのである。既にして「小姓」は江戸の口語で「こしょう」と読まれていたに間違いなく、それを聴く江戸の庶民の大半は、ブラック・ペッパーの「胡椒」なんぞではなく、直ちに美少年の大名の「小姓」をこそ連想しただろうからである。

「紀州、若山」和歌山に同じ。

「たのきづら」私は「狸面」だろうと思っているが(コショウダイの白地に黒のポイントがタヌキらしく見えるように感ずるから)、不詳。★畔田は後の(三一)の「タルミ」の異名として「タキノヅラ」を『紀州田邊』採取として載せている。なお、この「タルミ」「タヌキノヅラ」は、宇井縫蔵の「紀州魚譜」では、スズキ亜目フエダイ科フエダイ属ヨコスジフエダイ Lutjanus ophuysenii (リンク先の学名「Lutjanus vitta」(斜体になっていないのはママ)はシノニム。標題の「キンセイフエダイ」は「キンセンフエダイ」の誤植かと思ったが、同書の「索引」でもそうなっていたので不審但し、同属の別種「キンセンフエダイ」Lutjanus kasmira に与えられてある)に比定されているが、同魚(「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見られたい)がタヌキに似ているとはさらさら思わない。さらに★宇井氏は同書で「タキヅラ」を、①硬骨魚綱条鰭亜綱ウナギ目ウツボ亜目ウミヘビ科Ophichthidae(和名科名では爬虫類のそれと同じになってしまうが、無論、真正の爬虫綱ウミヘビ科Hydrophiidaeとは全くの同名異名である)ウミヘビ属ホタテウミヘビ Ophichthus zophistius の異名、及び、②スズキ亜目イサキ科ヒゲダイ属ヒゲダイ Hopalogenys sennin の異名としてそれぞれ挙げている(後者については真っ黒に近い口の尖った異形でタヌキとの親和性はあるように思う。リンク先は孰れも「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の写真入りページ)。

「湯淺浦」和歌山県有田郡湯浅町の東に接する湾(グーグル・マップ・データ。以下無指示は同じ)。

「京(きやう)がれ」不詳。

「阿州海部郡、日和佐浦」徳島県海部郡美波町(みなみちょう)日和佐浦

「こせうごろ」この「ごろ」は「小姓」との連語による濁音化で「ころ」→「ころだひ」で、既に注で出した、スズキ目スズキ亜目イサキ科コロダイ属コロダイ Diagramma picta であろう。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のコロダイのページを見て戴きたいが、その「由来・語源」の項に、「ころだい」という和名は「胡廬鯛」で、『「ころだい」は和歌山県での呼び名を標準和名にしたもの』とあり、『和歌山県では猪の子供を「ころ」と呼び、コロダイの稚魚にある斑紋が』『その猪の子供のものに似ているため』とあり、メインの写真の下に、幼魚の写真が二枚あるので確認されたい。コショウダイは瓜坊のそれと、それほどには似ていないけれども、目立つという点で親和性がある。「小姓コロ鯛」で私は腑に落ちる。

「ちしやだひ」チシャダイは現在もスズキ亜目イシダイ科イシダイ属イシダイ Oplegnathus fasciatus の異名としてある。私は勝手に思っているのだが、この「チシヤダヒ」とは「稚者鯛」ではあるまいかと考えた。イシダイの横縞は老成するとぼやけてくる。だから、イシダイの比較的小さな個体をかく呼んだのではなかったか? それと同じように、ちんまい癖に派手な格好の「小姓鯛」と読み替えれば、よく肯けるのである。

「筑前、福間浦」福岡県福津市西福間の福間地区の沿岸

「くろくち」コショウダイは個体によっては、口唇部の直上部が黒い。

「備後、四島」当時の備後の国に属した四つの瀬戸内海の島という条件では、私は軽々に指示出来ない(例えば、知られる「大三島」は旧松山藩領であり、現在、愛媛県今治市町宮浦で、旧備後ではない)。

「ともゝり」最後まで、平家を事実上、指揮し。自ら最後に身を海底に没し去った名将平知盛。

「土佐、浦戶」高知県高知市浦戸

「びんくし」「びんぐし」「鬢櫛」。コショウダイの背鰭を喩えたものであろう。

「讚州、八島」「源平合戦」の著名な「屋島の戦い」の舞台となった、香川県高松市屋島東町に属する屋島。江戸時代までは陸から離れた島であったが、江戸時代に始まる塩田開発と干拓水田は、後の時代に埋め立てられ、陸続きとなった。但し、相引川を瀬戸内海に繋がる「水路」と見做した場合には、四国本島と切り離されているという見方も出来る。海上保安庁では屋島を「島」と定めているが、現在の法定区分では高松市を形成する四国本島の扱いである(後半説明は当該ウィキに拠った)。

「淡州、都志」兵庫県洲本市五色町(ごしきちょう)都志

「備前、兒島」岡山県岡山市中区の南の見る影もなく変貌してしまった児島湾沿岸

「てんぐうちは」背鰭がばっと立ったのと、ツー・トン・カラーに見える魚体は、確かに「天狗の団扇」とミミクリーである。

「勢州、阿曾浦」三重県度会郡南伊勢町(ちょう)阿曽浦

「ちひろいを」「千尋魚」であろうが、意味不詳。大きくもならないし、棲息するのも磯や近海の沿岸である。

「たもり」「田守」で、コショウダイの漁期の始まりが稲の稔りの秋から始まることに由来する農事異名であろう。

「えびうを」「海老魚」だろう。思うに、背鰭の棘鰭などを海老の外骨格のトゲトゲの感じに擬えたものであろう。

「熊野、三老津」和歌山県すさみ町(ちょう)見老津(みろづ)

「陰陽の刺」棘部が黒白の斑になっているからか、或いは、棘の先が白い箇所では、よく見えずにうっかり刺されて痛い目を受けるのを、「陰」に喩えているのかも知れない。]

2022/12/24

畔田翠山「水族志」 ヘダヒ (ヘダイ)

 

(二二)

ヘダヒ 一名シラダヒ マナジ【勢州慥柄浦】マキダヒ【熊野大島】

勢州阿曾浦漁人云、「マナジ」又「マキ」ト呼。長乄ハ「シラタヒ」ト稱ス形狀「チヌ」ニ似テ頭隆起シ口圓ク乄不ㇾ尖腹白色ニ乄淡黑條アリ背淡靑色淡黑條アリ眼ヨリ尾ニ至リ條ニ淡黃ヲ帶尾黃色淡黑ヲ帶脇翅淡黑色黃ヲ帶背鬣亦同色ニ乄端微黑色腰下翅黃色淡黑ヲ帶腹下翅黃色長乄ハ色淺クナル大者三尺許シマダヒ 形狀「ヘダヒ」ニ同乄背淡靑白色腹白色ニ乄背ヨリ腹上ニ至リ淡黑斑條ヲナス尾鬣淡黑黃色腹下翅黃色日東魚譜曰縞鯛似ㇾ鯛赤褐色身上有斜條故名即別種ノ「シマダヒ」也

○やぶちゃんの書き下し文

へだひ 一名「しらだひ」・「まなじ」【勢州、慥柄浦(たしからうら)。】・「まきだひ」【熊野、大島。】

勢州、阿曾浦(あそうら)の漁人、云はく、「まなじ」、又、「まき」と呼ぶ。長じては、「しらたひ」と稱す。形狀、「ちぬ」に似て、頭(かしら)、隆起し、口、圓(まる)くして、尖(とが)らず。腹、白色にして淡黑條あり。背、淡靑色、淡黑條あり。眼より尾に至り、條に淡黃を帶ぶ。尾、黃色、淡黑を帶ぶ。脇翅(わきびれ)、淡黑色、黃を帶ぶ。背鬣(せびれ)、亦、同色にして、端(はし)、微黑色。腰の下翅(したびれ)、黃色、淡黑を帶ぶ。腹の下翅、黃色。長じては、色、淺くなる。大は、三尺許り。

しまだひ 形狀、「へだひ」に同じくして、背、淡靑白色。腹、白色にして、背より腹上に至り、淡黑斑條をなす。尾鬣(をびれ)、淡黑、黃色。腹の下翅、黃色。「日東魚譜」に曰はく、『縞鯛、鯛に似て、赤褐色。身の上に斜條有り。故に名づく。』と。即ち、別種の「しまだひ」なり。

[やぶちゃん注:底本のここ。「ヘダヒ」をそのまま現在の標準和名に当てるなら、

条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目スズキ目スズキ亜目タイ科ヘダイ亜科ヘダイ属ヘダイ Rhabdosargus sarba

となる。頭部が隆起していて、口が丸く、尖らないという特徴はダイによく一致する。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの画像を見られたいが、畔田が細かく描写している体部各部の色(特に部分部分の僅かな黄色)も、だいたい似ていると私には思われる。ただ、大きい個体を「三尺」(九十一センチメートル弱)とするのは、ちょっとヘダイにしては大き過ぎる(ネットでは大きくてもせいぜい六十センチ超である)。但し、私は先行する『畔田翠山「水族志」 メチ(ヘダイ)』でヘダイを同定候補としている(しかし、「メチ」の畔田の記載は頗る貧しい)。そこでも注したが、畔田は必ずしも厳密な形での分類で本書を記載してはおらず、寧ろ、同種であっても色彩や模様の異なる個体変異を別に項立てしているので、重複はありである。

「しらだひ」「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの「地方名・市場名」の項に「シラタイ」とあり、『和歌山県田辺・周参見・太地・塩屋・白崎』とあり、また、「シロダイ」として『神奈川県小田原市など、静岡県焼津市・吉田町・御前崎町、鹿児島県種子島』ともある。

「勢州、慥柄浦」三重県度会郡南伊勢町慥柄浦(グーグル・マップ・データ。以下無表示は同じ)。

「まなじ」同前で「マナジ」があり、『三重県鳥羽市安楽島・志摩市和具町・尾鷲、和歌山県太地・三輪崎』とある。

「まきだひ」同前で「マキダイ」があり、ここでは参考資料に宇井縫蔵「紀州魚譜」とともに本「水族志」が挙がっている。国立国会図書館デジタルコレクションの宇井縫蔵「紀州魚譜」では、ここで、宇井氏も本記載をヘダイに同定していることが判る。なお、そこでは体長を『一尺内外』としており、それが一般的な成体の標準値である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページでも全長を三十五センチメートル前後としておられる。

「阿曾浦」三重県度会郡南伊勢町阿曽浦。慥柄浦の贄浦を隔てた対岸に当たる。

「日東魚譜」は江戸の町医神田玄泉(生没年・出身地不詳。玄仙とも。他の著作として「本草考」「霊枢経註」「痘疹口訣」などの医書がある)の全八巻から成る本邦(「日東」とは日本の別称)最古の魚譜とされるもので、魚介類の形状・方言・気味・良毒・主治・効能などを解説する。序文には「享保丙辰歳二月上旬」とある(享保二一(一七三六)年。この年に元文に改元)。但し、幾つかの版や写本があって内容も若干異なっており、最古は享保九(一七一九)年で、一般に知られる版は享保一六(一七三一)年に書かれたものである。私はカテゴリ『神田玄泉「日東魚譜」』を作ったものの、挿絵が今一つ私の趣味に合わないので、お恥ずかしながら、永く放置しっぱなしである。畔田の引用するそれは、国立国会図書館デジタルコレクションの写本の「巻二」のここの「※間鯛」(しまたい:下図の右手端のキャプションの読みによる。「※」は「絲」の異体字の「グリフウィキ」のこれ)の頭の部分である。

「しまだひ」現行では「縞鯛」はスズキ亜目イシダイ科イシダイ属イシダイ Oplegnathus fasciatus の幼魚の通称であるが、その『形狀』は『「へだひ」に同じくし』ないし、『背、淡靑白色。腹、白色にして、背より腹上に至り、淡黑斑條をなす。尾鬣(をびれ)、淡黑、黃色。腹の下翅、黃色』というのも、イシダイの様態とは一致しない。また、現行ではヘダイの異名に「シマダイ」はなく、「日東魚譜」のそれもヘダイではない。何故、ここに畔田がこの記載を入れ込んだのか、理解に苦しむ。「日東魚譜」の『縞鯛、鯛に似て、赤褐色。身の上に斜條有り。故に名づく』と言うのは、そこに載る図では「赤褐色」を入れておらず、不審である。「赤褐色」を成し、明瞭な「斜條」があるのは、スズキ亜目タカノハダイ科タカノハダイ属タカノハダイ Cheilodactylus zonatus が真っ先に浮ぶが、ヘダイとは取り違えようがない魚で、ますます不審である。]

2022/05/06

畔田翠山「水族志」 タバメ

 

(二一)

タバメ 一名タバミ タバミバヾク【紀州田邊】

形狀「クチビ」ニ似テ厚ク棘鬣ノ如シ背靑黑色暗ニ淡紫色ノ縱條アリ背ニ靑色ノ斑㸃アルヿ棘鬣ニ似タリ腹白色眼黑色瞳上白色觜細ク「クチビ」ニ似タリ背鬣淡黑色端紅色尾淡黑色端紅色腰下鬣淡黑色ニ乄淡紅ヲ帶脇翅淡黃色腹下翅本淡紅ニ乄末淡黑色淡黃ヲ帶頰淡紅色ヲ帶眼下藍色ノ斑アリ鼻及頭褐黑色ニ乄紅ヲ帶其長大ナル者色淺シ大者二三尺

○やぶちゃんの書き下し文

たばめ 一名「たばみ」「たばみばばく」【紀州田邊。】

形狀、「くちび」に似て、厚く棘鬣(たひ)のごとし。背、靑黑色暗(せいこくしよくあん)に淡紫色の縱條あり。背に靑色の斑㸃あること、棘鬣(たひ)に似たり。腹、白色。眼、黑色。瞳の上、白色。觜(くちばし)細く、「くちび」に似たり。背鬣(せびれ)、淡黑色、端(はし)は紅色。尾、淡黑色、端は紅色。腰の下の鬣(ひれ)、淡黑色にして淡紅を帶ぶ。脇翅(わきびれ)、淡黃色。腹の下翅(したびれ)の本(もと)は淡紅にして、末(すゑ)は淡黑色に淡黃を帶ぶ。頰、淡紅色を帶ぶ。眼の下に藍色の斑あり。鼻及び頭、褐黑色にして紅を帶ぶ。其の長大なる者は、色、淺し。大なるは、二、三尺。

[やぶちゃん注:「タバミ」は「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」によれば、「イトフエフキ」・「クジメ」・「ハマフエフキ」・「フエフキダイ」の地方異名とする。この内、クジメイトフエフキは魚体から候補から外れる(後者はマダイには全く似ていない)。残るハマフエフキフエフキダイを比較すると、名にし負う後者の方がよりマダイ的ではある。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」をリンクさせておいた。宇井縫藏の「紀州魚譜」(昭和七(一九三二)年淀屋書店出版部・近代文芸社刊)の「フエフキダイ」を見ると、本書を指示して異名「タバミババク」を挙げる(他に本書から「タモリ」を『雜賀﨑』採取で載せるが、これは不審)から、これは、

スズキ目スズキ亜目フエフキダイ科フエフキダイ亜科フエフキダイ属フエフキダイ Lethrinus haematopterus

としてよい。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページによれば、「笛吹鯛」は『静岡県沼津市静浦での呼び名』で、『口笛を吹いているような口の形をしているため』とあり、さらに、『口美(クチミ、クチビ)』の異名については、『ハマフエフキなどとともに、クチミ、クチビ、クチミダイと呼ばれるのは口の中が赤いから』とある。写真もあるので参照されたい。なお、畔田は「クチビ」を別種としているが、推察するに、その共通点を持つ、フエフキダイ属ハマフエフキ Lethrinus nebulosus を「クチビ」に当てていると考えれば、腑に落ちる。]

畔田翠山「水族志」 メジロダヒ

 

(二〇)

メジロダヒ

大和本草曰目白ダヒ肩高ク橫濶與紅鬃魚異兩傍有紫斑其目白按「メジロダヒ」大者二尺許「タバメ」ニ似テ背淡褐色ニ乄紫斑斜ニアリ

○やぶちゃんの書き下し文

めじろだひ

「大和本草」に曰はく、『目白だひ、肩、高く、橫、濶(ひろ)く、紅鬃魚(たひ)と異(こと)なり、兩傍に、紫斑、有り』と。其れ、「目白」は、按ずるに、「めじろだひ」の大なるは、二尺許り、「たばめ」に似て、背、淡褐色にして、紫斑、斜めにあり。

[やぶちゃん注:畔田が引くのは、「大和本草諸品圖下 ムツノ魚・扁鰺(ヒラアヂ)・笛吹魚・目白鯛 (ムツ(図のみから)・マアジ(地方名)・ヤガラ類・メイチダイ)」である。目白という部分に疑問があるが、私はそこで、

スズキ目スズキ亜目フエフキダイ科ヨコシマクロダイ亜科メイチダイ属メイチダイ Gymnocranius griseus

に比定した。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページによれば、メイチは『東京・大阪など日本各地での呼び名。目を貫くように黒い一文字の帯があるから』としつつ、他に『痘痕(あばた)の方言、「めいちゃ」、「めっちゃ」の転訛』説、単に『目が大きいから』、また、目に『独特の臭みのある油があり、目を傷つけないように注意が必要だから』とされるが、以下で『実際には目の周辺は美味』ともある。

「タバメ」次項参照。]

畔田翠山「水族志」 コロダヒ

 

(一九)

コロダヒ【紀州】 一名ヒサノ魚【大和本草】カイグレ【勢州阿曾】石鯽【日用襍字母ニ石鯽ヒサト云按時珍食物本草曰石鯽生溪㵎池澤中長五六寸斑㸃身圓厚岳州名勝志曰石門縣東陽水出石鯽魚云云皆珍品廣西名勝志曰馬平縣靈泉多石鯽觀ㇾ此則石飾淡水魚也蓋「ヒサト」同名異物也】

大和本草曰久ダヒ其形如紅鬃魚黑㸃淡色味美ナルヿ如紅鬃魚或斜有紋三四條者大者一二尺按形狀棘鬣ニ似テ濶シ背淡黑色ニ乄黑斑首ニ頭ヨリ脇翅ニ至リ一條背ヨリ尾上ニ至リ一條アリ條俱ニ黑色也腹白色尾ニ岐ナシ其小ニ乄二三寸ノ者ヲ勢州阿曾浦ニテ「トシヲトコ」ト云背首頭淡黑色ニ乄靑ヲ帶斜ニ黑斑二條アリ首ニ又一黒條アリテ脇翅ニ至ル背ニ尾ノ方ヨリ黑㸃アリ背鬣淡黒色ニ乄上鬣ニ黑斑下鬣ニ黑㸃アリ尾黑色黑斑アリ腰下鬣本淡黑色端黑色腹下翅色相同脇翅淡黑色㋑サンセウダヒ 一名サンセイウヲ【泉州堺】ヱゴダヒ【尾州常滑】大サ尺許形狀「コロダヒ」ニ同乄背淡靑色ニ乄淡紅色ヲ混シ金色ヲ帶テ赤ヲ帶淡黑斑上鬣ノ下ニアリ金色ノ下ヨリ腹ニ至ルノ間淡藍色腹白色靑ヲ帶眼上黑下淡靑色頰及眼上唇上黒斑アリテ唇ヨリ眼ニ至リ一道藍色ナリ頭上ヨリ脇翅ニ至リ尾上ニ及ビ腹ヲ堺ヒ黑キ大斑アリ背ノ上鬣ノ頭ノ方ヨリ尾上至リ斜ニ巨キ黑斑アリ尾ヅヽノ下ニ黑斑アリ尾淡黑色ニ黃ヲ帶テ本ニ黑斑アリ腰下鬣黑色ニ乄半ニ淡藍色アリ其本ヨリ腹ニ至リ黑斑アリ背鬣上ハ淡黃ニ乄淡黑斑下ハ黑色ニ乄微淡黃色ヲ帶脇翅上黑色ヲ帶觜細シ大和本草曰一種ヒサノ魚黑色ノヒサノ魚ニハ異リ鮒ノ形ニ似テタテ筋アリ其筋ノ色濃淡相マジレリ口細ク背ニ光色アリ味ヨシ卽此也

○やぶちゃんの書き下し文

ころだひ【紀州】 一名「ひさの魚」【「大和本草」。】・「かいぐれ」【勢州阿曾。】・「石鯽(セキソク)」【「日用襍字母」に、「石鯽」、「ひさ」と云ふ。按ずるに、時珍、『「食物本草」に曰はく、石鯽は溪㵎・池澤の中に生ず。長さ、五、六寸。斑㸃、身、圓厚にして、「岳州名勝志」に曰はく、『石門縣の東陽水、石鯽魚を出づ』云々、『皆、珍品なり』と。「廣西名勝志」に曰はく、『馬平縣の靈泉、石鯽、多し。此れを觀るに、則ち、石飾にして、淡水魚なり』と。蓋し、「ひさ」と同名異物なり。】

「大和本草」に曰はく、『久(ひさ)だひ、其の形、紅鬃魚(たひ)のごとく、黑㸃、多し。淡色。味、美なること、紅鬃魚のごとし。或いは、斜めに、三四條の者、有り。』と。大なる者、一、二尺。按ずるに、形狀、棘鬣(たひ)に似て濶(ひろ)し。背、淡黑色にして、黑斑、首に、頭より脇翅(わきひれ)に至り、一條、背より尾の上に至り、一條、あり。條、俱(とも)に黑色なり。腹、白色。尾に、岐、なし。其の小にして、二、三寸の者を、勢州阿曾浦(あそうら)にて、「としをとこ」と云ふ。背・首・頭、淡黑色にして、靑を帶び、斜めに黑斑、二條あり。首に、又、一黒條ありて、脇翅(わきひれ)に至る。背に尾の方(かた)より、黑㸃あり。背鬣(せびれ)、淡黒色にして、上鬣(うはびれ)に黑斑、下鬣に黑㸃あり。尾、黑色、黑斑あり。腰の下鬣(したびれ)の本(もと)、淡黑色、端(はし)、黑色。腹の下の翅(ひれ)、色、相ひ同じ。脇翅、淡黑色。

㋑さんせうだひ 一名「さんせいうを」【泉州堺。】・「ゑごだひ」【尾州常滑。】大きさ、尺許(ばか)り。形狀、「ころだひ」に同じくして、背、淡靑色にして淡紅色を混じ、金色を帶びて、赤を、帶ぶ。淡黑斑、上鬣の下にあり、金色の下より、腹に至る間(あいだ)、淡藍色。腹、白色、靑を帶ぶ。眼の上、黑、下、淡靑色。頰及び眼の上・唇の上、黒斑ありて、唇より眼に至り、一道、藍色なり。頭上より脇翅に至り、尾上に及び、腹を堺ひとして、黑き大斑あり。背の上鬣の頭の方より、尾の上に至り、斜めに、巨(おほ)き黑斑、あり。尾づつの下(もと)に黑斑あり。尾、淡黑色に黃を帶びて、本(もと)に黑斑あり。腰の下鬣、黑色にして、半ばに淡藍色あり。其の本より、腹に至り、黑斑あり。背鬣の上は、淡黃にして、淡黑斑、下は黑色にして微淡黃色を帶ぶ、脇の翅の上、黑色を帶び、觜(くちばし)、細し。「大和本草」に曰はく、『一種、「ひさの魚」、黑色の「ひさの魚」には異(ことな)り、鮒の形に似て、たて筋あり、其の筋の色、濃淡、相ひまじれり。口、細く、背に光色あり。味、よし』と。卽ち、此れなり。

[やぶちゃん注:畔田のマニアックな細部の色の描写によって、これは百二十%、

スズキ目スズキ亜目マツダイ科マツダイ属マツダイ Lobotes surinamensis

である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のマツダイのページの画像や(異名に「石鯽」

学名のグーグル画像検索を見られたい。マツダイの生息水深は四十から二百メートルであるが、幼魚は表層を漂い、枯れ葉や木の枝に擬態し、成魚も流木等に寄って漂うことが多い。汽水域に侵入することが、たまにある。小魚・エビ・カニ・イカ等を食べる。日本では成魚はめったに獲れないが、数センチの幼魚が、夏の終わり頃、流れ藻や流木についたまま、海岸にうち寄せられることがある。背鰭と尻鰭の軟条が長いことから、倒すと尾鰭の中ほどか、それよりも後方にまで達し、まるで三基の尾びれがあるように見えることから、英語では、〝Triple-tail〟と呼ばれている。肉質は柔らかいが、美味である。本邦では南日本、太平洋・インド洋・地中海・大西洋の温帯・熱帯域に広く分布する(「デジタルお魚図鑑」の記載に拠った)。

「大和本草に曰わく、……」これは同書の本体部の「大和本草卷之十三 魚之下 棘鬣魚(タヒ) (マダイを始めとする「~ダイ」と呼ぶ多様な種群)」と、附属する図解説の「大和本草諸品圖下 馬ヌス人・赤(アカ)魚・寶藏鯛・久鯛 (チカメキントキ・カサゴ・クロホシフエダイ・イシダイ)」の記載を参照している。しかし、私はそちらでは、「ひさのたひ」「ひさだひ」を一貫してイシダイの幼魚と同定している。それを変更する気持ちは、ここに至っても、ない。但し、或いは、益軒の意識の端にはこのマツダイが含まれていたと考えることは吝かではない。しかし、後者の図はどうみても、マツダイではないと断言する。

「勢州阿曾」ここ(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「日用襍字母」既注だが、暫くサボっていたので、再掲する。不詳。本書ではしばしば引用書として挙げられる。他の箇所での記載を見るに。本邦で作られた日用(といっても上流階級の)される雑字(「襍」は「雜」の異体字)義集か。

「石鯽」「鯽」は通常、本邦では淡水魚のフナを現わし、畔田は、これを採り上げて漢籍を見てしまった結果、以下の割注の不審な異種の引用を齎すこととなってしまった。

『時珍、『「食物本草」……』不審。李時珍の「本草綱目」には、「石鯽」がただ一回だけ、「鯽魚」(鯉の一種)の状に出現するものの、この文字列は、ない(「漢籍リポジトリ」のここの[104-15a]を参照されたい)。そもそもが「食物本草」は元の李杲(りこう)の編である。それにこの文字列が載るかどうかは、ネットに電子化物が見当たらないので判らない。しかし、以下の引用は、話にならない内陸の河川上流の溪谷に棲息する純粋な淡水魚で、マツダイとは無縁である。但し、現代中国では、調べた限りでは、この「石鯽」は海産魚のスズキ目イサキ科ミゾイサキ属マダラミゾイサキ Pomadasys maculatus を指しているようである。まあ、畔田は最後に『蓋し、「ひさ」と同名異物なり』と言っているのでいいのだが、それに付き合わされるのはちょっと難儀やったな。

「岳州名勝志」不詳。

「石門縣」「東陽水」は不詳だが、現在の石門県なら、湖南省常徳市内のここである。完璧な内陸の山岳地帯である。

「廣西名勝志」明の曹學佺の撰になる広西省の地誌。但し、「中國哲學書電子化計劃」で原本影印を見たが、以下の文字列は見出せなかった。そもそも、この「石飾にして」というのは判読の誤りではないか?

「さんせうだひ」「さんせいうを」この異名、不詳。

「ゑごだひ」平凡社「世界大百科事典」によれば、和歌山では、

スズキ亜目イサキ科コロダイ属コロダイ Diagramma picta

の異名である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを参照されたいが、マツダイとは似ても似つかぬ種で、ここに類縁種として挙げた畔田の意図が判らぬ。但し、以下の記載はコロダイっぽくはある。]

2021/12/31

畔田翠山「水族志」 メチ (ヘダイ)

 

(一八)

メチ【熊野三老津】

 熊野海ニ多シ形狀「メダヒ」ニ似テ濶厚淡白色ニ乄背微淡黑色ヲ帶テ

 斑ナシ即「シロヂヌ」也

○やぶちゃんの書き下し文

めち【熊野三老津。】

 熊野の海に多し。形狀、「めだひ」に似て、濶〔ひろ〕く厚し。淡白色にして、背、微淡黑色を帶びて、斑、なし。即ち、「しろぢぬ」なり。

[やぶちゃん注:似ているとする「メダヒ」は「(一四)メダヒ」で私はスズキ目スズキ亜目フエフキダイ科ヨコシマクロダイ亜科メイチダイ属メイチダイ Gymnocranius griseus と比定した。而して、メダイのような斑点がなく、「淡白色」で「背が「微淡黑色を帶び」るとなると、私はスズキ目タイ科ヘダイ亜科ヘダイ属ヘダイ Rhabdosargus sarba ではないかと推定した。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のヘダイを見ると、この乏しい記載とよく一致するように見え、「地方名・市場名」には、最も私が頼りにしている宇井縫蔵の「紀州魚譜」から引いて「ヘヂヌ」「ヘジヌ」を挙げ、『和歌山県湯浅・辰ヶ浜』を採集地とし、さらに「ヒメチヌ」(徳島県阿南市)・「ヒジヌ」(愛媛県三津)がある。「紀州魚譜」の「ヘダイ」では、本書の(二二)の「マキダヒ」をヘダイに比定しているのだが、畔田は(二二)の基本名を「ヘダヒ」で出してある。畔田の記載は、精密な種分類立項にはなっておらず、今までも同一種と思われるものを、複数、別項目で掲げているから、それを以って私の比定が無効であるとは言えない。記載も乏しいので、取り敢えず、現時点では、ヘダイを第一候補としておく。因みに、宇井は「メチ」という名を同書では採用していない。但し、最後に記された「シロヂヌ」の名は、流通・地方名では、ヘダイ亜科クロダイ属キチヌ Acanthopagrus latus を指すようだが、「黄茅渟」であり、異名を「キビレ」(黄鰭)とすることからも判る通り、胸鰭・腹鰭・尻鰭が有意に黄色を呈する。畔田が採れた現物を、直に見ているとすれば、この鰭の黄色を漏らすことはないと私には思われる。

「熊野三老津」現在の和歌山県西牟婁郡すさみ町見老津(みろづ:グーグル・マップ・データ)であろう。]

2021/09/27

畔田翠山「水族志」 タバミ (フエフキダイ)

 

(一七)

タバミ【紀州日高郡由良足代浦】一名タモリ【紀州海士郡雜賀崎浦】白頰

大者尺餘形狀黃翅ニ似テ觜細ク眼大也背淡靑色帶ㇾ黃腹白色頰白色

細鱗「ハカタヂヌ」ノ如シ脇翅淡黃色腹下淡黃色ニ乄黑條アリ本ノ刺

太ク二寸許白色帶淡紅縱ニ條アリ腰下鬣淡黃色本淡黑色其本ニ太

キ刺三アリ中ノ刺長ク乄二寸餘白色帶淡紅縱ニ條アリ背ノ上鬣刺

長三寸許陰陽刺アリ淡紅色ニ乄淡黑斑アリ下ナルハ本黑色ニ乄其

下淡黄色尾淡黃色ニ乄淡黑斑アリ端淡黑色漳州府志ニ烏頰全棘鬣

但其頰烏又有白頰ト云ヘハ白頰ハ棘鬣類ノ白頰也閩中海錯疏及閩

書ニ白頰魚ヲ載曰似跳魚而頰白跳魚ハ弾塗ニ乄「トビハゼ」也棘鬣類

ノ白頰ト同名異物也

○やぶちゃんの書き下し文

たばみ【紀州日高郡由良足代浦。】一名「たもり」【紀州海士郡雜賀崎浦。】・白頰

大なる者、尺餘。形狀、黃翅〔はかたぢぬ〕に似て、觜〔はし〕、細く、眼、大なり。背、淡靑色に黃を帶び、腹、白色。頰、白色。細鱗。「はかたぢぬ」のごとし。脇の翅〔ひれ〕、淡黃色。腹の下、淡黃色にして黑條あり。本〔もと〕の刺〔とげ〕、太く、二寸許り。白色に淡紅を帶ぶ。縱に條あり。腰の下の鬣〔ひれ〕、淡黃色、本は淡黑色。其の本に太き刺、三つあり。中の刺、長くして、二寸餘、白色に淡紅を帶ぶ。縱に條あり。背の上の鬣の刺、長さ三寸許り。陰陽の刺あり。淡紅色にして、淡黑の斑あり。下なるは、本、黑色にして、其の下、淡黄色。尾、淡黃色にして、淡黑の斑あり、端〔はし〕、淡黑色。「漳州府志」に、『烏頰〔すみやき〕、棘鬣、全きたり。但し、其の頰、烏〔くろ〕、又、白頰〔はくきやう〕も有り。』と云へば、「白頰」は棘鬣類〔きよくりやうるゐ〕の白き頰のものなり。「閩中海錯疏」及び「閩書」に、「白頰魚」を載せて曰はく、『跳魚に似て、頰、白し。』と。跳魚は「彈塗〔だんと〕」にして「とびはぜ」なり。棘鬣類の「白頰」と同名異物なり。

[やぶちゃん注:宇井縫藏著「紀州魚譜」(昭和七(一九三二)年淀屋書店出版部・近代文芸社刊)ではここで、

スズキ亜目フエフキダイ科フエフキダイ亜科フエフキダイ属フエフキダイ Lethrinus haematopterus

の方言の一つとして挙げる。他に「クチビ」「クチビダイ」『(紀州各地)』とし、その名は『口中赤色であるため』とし、「タバミ」は『(田邊・切目・鹽屋)』とし、「タバメ」は『(周參見』(すさみ:現在の和歌山県西牟婁郡すさみ町周参見。]『・串本』とし、「タマメ」は『串本・三輪崎』』とした後、本「水族志」では「タモリ」『(雜賀崎)』と挙げ、また、別に田辺では「タバミババク」と本書にあるとするが、少なくとも、ここではない。「WEB魚類図鑑」の同種のページによれば、『他の日本産フエフキダイ属魚類とくらべ、体高が著しく高い。胸鰭基部の内側には鱗がないか』、『あっても少ない。背鰭棘中央部下の側線上方横列鱗数(Trac)は』通常は五列。『鰓蓋後端が赤いものと』、『そうでないものがいるが、これについては現在』、『研究がすすめられている。体長』は四十センチメートル程度で、分布は、新潟県)以南、『神奈川県』から『鹿児島県、瀬戸内海、沖縄、小笠原諸島』の他、『済州島、台湾』東『シナ海』で『岩礁域』の『砂泥底にすむ。沿岸からやや沖合に見られ、水深』百メートル『前後まで見られるよう』であるが、『小型個体は浅海に多い』。「食性」は『肉食性』で『甲殻類や小魚などを捕食する』とある。『釣りや沖合底曳網で漁獲され、食用になる。標準和名フエフキダイであるが、日本の太平洋沿岸には』、『あまり多くなく、東シナ海や日本海西部などに比較的多い』とある。

「紀州日高郡由良足代浦」現在の和歌山県日高郡由良町のこの湾(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。由良町網代がある。

「紀州海士郡雜賀崎浦」和歌山県和歌山市雑賀崎のこの附近

「白頰」「しろほ」或いは「しらほ」か。「ほお」は漁師は縮約するだろうと踏んだ。

「黃翅〔はかたぢぬ〕」前回の『畔田翠山「水族志」 ハカタヂヌ (キチヌ)』に異名として出る。

「背の上の鬣の刺、長さ三寸許り。陰陽の刺あり」宇井氏の記載によれば、『背鰭は十棘九軟條』とあるので、この「陰陽」とは軟条と硬い棘条を指すものと思われる。

「漳州府志」(しょうしゅうふし)は、何度も出ているが、ここのところ、サボっているので再掲する(以下の二書も同じ)。原型は明代の文人で福建省漳州府龍渓県(現在の福建省竜海市)出身の張燮(ちょうしょう 一五七四年~一六四〇年)が著したものであるが、その後、各時代に改稿され、ここのそれは清乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌を指すものと思われる。

「烏頰〔すみやき〕」前回も注したが、「烏頰魚(すみやき/くろだひ)」というのは、前項にも注で出した、スズキ目スズキ亜目イシナギ科イシナギ属オオクチイシナギ Stereolepis doederleini を指すとしか思えないのである。畔田は真正の現在のクロダイを想起して書いているとしても、そうした部分をバイアスとしてかけて読む必要がある。

「棘鬣類〔きよくりやうるゐ〕」広義のタイ類。

「閩中海錯疏」明の屠本畯(とほんしゅん 一五四二年~一六二二年)が撰した福建省(「閩」(びん)は同省の略称)周辺の水産動物を記した博物書。一五九六年成立。中国の「維基文庫」のこちらで全文が正字で電子化されている。また、本邦の「漢籍リポジトリ」でも分割で全文が電子化されており、当該の「中卷」はこちらである。但し、三種を並べて述べているので、以下に引く(後者の画像が不具合で見れないので、恣意的に一部の漢字を正字化した。太字は私が施した)。

   *

 彈塗  白頰  塗蝨

「彈塗」、大如拇指。鬚鬛靑斑色。生泥穴中。夜、則、駢首、朝、北。一名「跳魚」。「海物異名記」云、『登物捷、若猴。然故名「泥猴」。』。「白頰」、似跳魚而頰白。「塗蝨」、生於泥中、如蝨。故名一呼「塗蝨」。有刺彈人。一名「彈瑟」。田塍潭底、往往有之、一名「田瑟」。

   *

これは面白い記述だ。「塗蝨」は特に惹かれる。これは直感だが、跳ねて、人が刺されるとなると(生息域は泥中ではなく、ごく浅い岩場だが)、スズキ目ゲンゲ亜目ニシキギンポ科ニシキギンポ属ギンポ Pholis nebulosa の仲間ではないかと考えた。鰭が結構、硬く、尖っており、中・大型個体(最大三十センチメートル)に不用意に触ると、かなり痛む。但し、現代中国語では「塗蝨」(音「トヒツ」)は調べてみるに、条鰭綱ナマズ目ギギ科ギバチ属ギギ Pelteobagrus nudiceps を指しているようである。それも確かに指すし、泥田(「田塍」の「塍」(音「ショウ・ジョウ」:現代仮名遣)は「田の畔」の意)の中にいて、刺されると、激しく痛むという点、ナマズの仲間であるが、前の二種のハゼ同様、細長いから、納得出来、違和感はない。因みにこの場合の「塗」は「(泥に)塗(まみ)れる」性質による呼称と読める。

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「跳魚」「弾塗〔だんと〕」孰れも広義のハゼ類(条鰭綱スズキ目ハゼ亜目 Gobioidei)を指す。

「とびはぜ」現行ではハゼ亜目ハゼ科オキスデルシス亜科 Oxudercinae トビハゼ属 Periophthalmus のことを広義には指すものの、特にその中でも、和名としてはトビハゼ Periophthalmus modestus に限定される。]

2021/09/23

畔田翠山「水族志」 ハカタヂヌ (キチヌ)

 

(一六)

ハカタヂヌ 一名アサギダヒ 黃翅

形狀チヌニ似テ短濶背淡靑色腹白色腹下翅黃色腰下鬣黃色大者

二尺續修臺灣府志曰黃翅狀如烏頰肉細而味淸以其翅黃故名下淡水

重サ一二斤ナル者

○やぶちゃんの書き下し文

はかたぢぬ 一名「あさぎだひ」。「黃翅」。

形狀、「ちぬ」に似て、短く、濶〔ひろ〕し。背、淡靑色。腹、白色。腹の下の翅〔ひれ〕、黃色。腰の下の鬣〔ひれ〕、黃色。大なる者、二尺。「續修臺彎府志」に曰はく、『黃翅は、狀〔かたち〕、烏頰〔すみやき〕のごとく、肉、細やかにして、味、淸し。其の翅の黃なる故を以つて名づく。下、淡水たり。重さ、一、二斤なる者、有り。

[やぶちゃん注:暫く放置していたので、底本の当該部を示す。ここ宇井縫藏著「紀州魚譜」(昭和七(一九三二)年淀屋書店出版部・近代文芸社刊)ではここで、

タイ科ヘダイ亜科クロダイ属キチヌ Acanthopagrus latus

と同定しつつ、「方言」として、チヌ(紀州各地)・シラタイ(田辺・湯浅・白崎)と、『多く前種と混同してゐる』と注した上で、本「水族志」では「ハカタヂヌ」一名「アサギダヒ」とある、と記す。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の「キチヌ」のページよれば、標準体長は四十五センチメートルになり、『クロダイなどと比べ、全身から見て頭部が小さい。目は小さくやや前方にある。腹鰭、尻鰭、尾鰭が黄色い』。『クロダイは茅渟の海(大阪湾)でたくさんとれたので、関西では「茅渟(ちぬ)」。そのクロダイに似て』、『鰭などが黄色いという意味』の和名であるが、『どこの呼び名かは不明』とある。『比較的暖かい内湾、汽水域に生息し、ときどき河川を遡上することもあり』、『「川鯛」とも呼ばれる』。分布は、『茨城県利根川河口、千葉県外房』、『東京湾江東区中央防波堤前』から『九州南岸の太平洋沿岸』、『京都府天橋立内海阿蘇海』、『兵庫県浜坂』から『九州南岸の日本海』及び『東シナ海沿岸、瀬戸内海、小笠原諸島』で、国外では、『朝鮮半島南岸・東岸、台湾、中国東シナ海・南シナ海、トンキン湾、フィリピン諸島北岸、オーストラリア北西岸・北岸、ペルシャ湾』から『インド沿岸』に分布する。「生態」は『最初は総てが雄』で、十五センチメートル『を超える頃に両性期となり、その後、雌になる』とあって、『産卵期は秋』とし、『クロダイよりも内湾、河口域を好む』とする。但し、一九八〇年代の『関東では珍しい魚だった。関東ではほとんど見られなかったといってもいい。これが今、流通や釣り人の間では』、『当たり前の魚になりつつある。ただし、今でも関東に少なく』、『西日本に多い。もともと関東での取扱量は少ない魚種であったが、最近』(二〇一一年現在)『入荷量が増えている』とある。『透明感のある白身でクセがなく、とても味のいい魚』であり、『市場ではクロダイに混ざってくることが多いのであるが、キチヌのほうが主役ということも多い』。『クロダイが寒い時期から初夏までの旬であるのに対して、一月ほど遅れて旬を迎える』。『東シナ海で大正時代には大量に漁獲されていた。急激に漁獲量は減り、現在に至っている』とする。『旬は春から夏』で、『春になると』徐々に『筋肉が締まり、脂がのってくる』。『鱗は硬くなく取りやすい。皮はしっかりしている』。『透明感のある白身』で、『活け締めの血合いは赤くきれいだが、野締めの血合いの色合いは濃く』、『食欲をそそらない』。『熱を通すと適度に締まり、粗などからいい』ダシが『でる。微かに川魚に似た臭みを感じることがある』と評しておられる。

「續修臺灣府志」清の余文儀の撰になる台湾地誌。一七七四年刊。この「臺灣府志」は一六八五から一七六四年まで、何度も再編集が加えられた地方誌である。その書誌データは維基文庫の「臺灣府志」に詳しい。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで原本影印の当該箇所が視認出来る(右側の電子化は機械翻刻で話にならないので注意)。

「烏頰〔すみやき〕」畔田はこれに「くろだひ」という読みも与えているのだが、既注の通り、私にはスズキ目スズキ亜目イシナギ科イシナギ属オオクチイシナギ Stereolepis doederleini を指すとしか思えない。畔田は真正の現在の「クロダイ」を想起して書いているとしても、そうした現代の種別として部分的にバイアスかけて読む必要があると考えている。

「下、淡水たり」体幹の下方は白っぽいの意であろう。

「一、二斤」六百グラム~一・二キロゴラム。]

2021/03/25

畔田翠山「水族志」 チヌ (クロダイ)

(一五)

チヌ 一名「クロダヒ」【備後因島】マナジ(紀州熊野九木浦勢州松坂此魚智アリテ釣緡ヲ知ル故名紀州日高郡漁人云チヌハ海ノ巫也】

形狀棘鬣ニ似テ淡黑色靑ヲ帶背ヨリ腹上ニ至リ淡黑色ノ橫斑アリ

腹白色長乄二尺ニ及ベハ橫斑去ル大和本草曰「チヌ」「タヒ」ニ似テ靑黑

色好ンテ人糞ヲ食フ故ニ人賤之㋑カイズ物類稱呼曰小ナルモノヲ

「カイズ」ト稱ス按今秋月ニ及テチヌノ子長シテ二三寸ナルヲ通テ「カ

イズ」ト云㋺黑チヌ 一名「マナジ」【勢州慥抦浦】形狀「チヌ」ニ同乄黑色ヲ帶背

ヨリ腹上ニ至リ黑條アリ腹白色餘ハ「チヌ」ニ同シ

 

○やぶちゃんの書き下し文

ちぬ 一名「くろだひ」【備後因島〔いんのしま〕。】。「まなじ」【紀州熊野九木浦・勢州松坂。此の魚、智ありて釣緡〔つりいと〕を知る。故に名づく。紀州日高郡、漁人云ふ、「『ちぬ』は海の巫〔みこ〕なり」と。】。

形狀、棘鬣〔まだひ〕に似て、淡黑色、靑を帶ぶ。背より腹の上に至り、淡黑色の橫斑あり。腹。白色。長くして二尺に及べば、橫斑、去る。「大和本草」に曰はく、『「ちぬ」、「たひ」に似て、靑黑色。好んで人糞を食ふ。故に、人、之れを賤〔いや〕しむ』と。

「かいず」 「物類稱呼」に曰はく、『小なるものを「かいず」と稱す』と。按ずるに、今、秋月に及んで、「ちぬ」の子〔こ〕、長じて、二、三寸なるを、通じて「かいず」と云ふ。

「黑ちぬ」 一名「まなじ」【勢州慥抦浦〔たしからうら〕。】。形狀、「ちぬ」に同じくして、黑色を帶び、背より腹の上に至り、黑條あり。腹、白色。餘は「ちぬ」に同じ。

 

[やぶちゃん注:本文はここ。これはまず、

スズキ目タイ科ヘダイ亜科クロダイ属クロダイ Acanthopagrus schlegelii

としてよい(属名アカントパグルスの‘Acantho-’ はギリシャ語由来のラテン語で「棘のある」の意)が、宇井縫藏著「紀州魚譜」(昭和七(一九三二)年淀屋書店出版部・近代文芸社刊)もこちらでクロダイに同定しているが、少し気になるのは次の「キチヌ」

クロダイ属キチヌ Acanthopagrus latus

で、『多く前種と混同してゐる』と注している。但し、その直後に宇井は『水族志にはハカタヂヌ一名アサギダヒとある』(太字は原本では傍点「●」、下線は傍点「ヽ」)と記しているので、問題とする必要はない(畔田がちゃんと「キチヌ」相当を別種としていると考えられる点で、という意味でである。ただ、畔田は決して厳密な分類学的視点で項を立てているわけではなく、採取した資料を網羅的に並べている傾向もあるので、絶対とは言えない)と判断した。しかし、異名に「まなじ」を挙げているのは、やはり問題がある。「マナジ」は現行、属の異なる、

ヘダイ亜科ヘダイ属ヘダイ Rhabdosargus sarba

の異名としてよく知られているからである。ただ、「マナジ」は今も一部地域で「クロダイ」の異名でもあるし、標題とする「チヌ」は今も確かなクロダイの異名であり、形状・色彩の記載からみてもクロダイとして比定同定してよいと思われる。因みに、サイト「渓流茶房エノハ亭」の「海釣りの定番魚 クロダイ・チヌの方言(地方)名」は異名を驚くほど分類的に調べ上げてあって必見なのだが、そこでやはり、「クロダイ」の異名として「マナジ」を挙げ、このクロダイとしての異名は『静岡、三重、和歌山、岡山の一部で見られる』とした上で、「マナジ」の『「マ」は岩礁周辺、「ナ」は「ノ」、「ジ」は魚を表すので』、『磯の魚を意味するとも聞いている』とあった。なるほど!

「備後因島〔いんのしま〕」現在の広島県尾道市にある因島(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。島の北側は「安芸地乗り」と呼ばれた、古くからの瀬戸内海の主要航路であった。これは四国と大島の海峡である来島海峡が瀬戸内海有数の海の難所であったため、そこを避けるように、この島近辺に航路ができたことによるもので、中世においては、かの村上水軍の拠点として、また、近世は廻船操業、近代以降は造船業と、船で栄えた島として知られる。

「紀州熊野九木浦」三重県尾鷲市九鬼町(くきちょう)の九木浦。九鬼水軍は戦国時代に志摩国を本拠としたことで知らているが、九鬼氏の祖は、熊野別当を務め、熊野水軍を率いた湛増に遡るという説があり、彼らは紀伊国牟婁郡九木浦(現在の三重県尾鷲市九鬼町)を根拠地とし、鎌倉時代には既に志摩国まで勢力を拡大しており、南北朝時代に志摩国の波切へ進出して、付近の豪族と戦い、滅亡させて本拠をそちらに移したとされるのである。

『智ありて釣緡〔つりいと〕を知る。故に名づく。紀州日高郡、漁人云ふ、「『ちぬ』は海の巫〔みこ〕なり」と』「釣緡」は音は「テウビン(チョウビン)」。「緡」には「釣り糸」の意がある。さても。この言説はすこぶる面白い! 通常、クロダイの異名のチヌは、現在の大阪湾の古名(厳密には和泉国の沿岸海域の古称で、現在の大阪湾の東部の堺市から岸和田市を経て泉南郡に至る大阪湾の東沿岸一帯)であるが、ここでクロダイが豊富に採れたことによる。である「茅渟(ちぬ)の海」(その名の元由来は、一つは人皇神武天皇の兄「彦五瀬命」(ひこいつせのみこと)が戦さで傷を受け、その血がこの海に流れ込んで、「血(ち)沼(ぬ)」となったからとも、瀬戸内海から大阪湾一帯を支配していた「神知津彦命」(かみしりつひこのみこと)の別名「珍彦」(ちぬひこ)に由来するとも、また、「椎根津彦命」(しいねづひこのみこと)に基づくともされる)で、そこで獲れる代表的な魚がクロダイであったというのが定説である。しかし、この畔田のそれは「チヌ」の「チ」は「智(ち)」であって、猟師が釣糸を垂れて狙っていることを賢しくも察知してそれを避けて捕まらぬように「知(し)んぬ」、「智()を以って知ん」とでも謂いたいような雰囲気を醸し出しているからである。しかも、それを傍証するかのように、畔田は「紀州日高郡、漁人」の直話として、「『ちぬ』は海の巫〔みこ〕なり」と添えているのだ! 語源説としてはちょっと異端っぽいかも知れぬが、ちょっとワクワクしてきたぞ!

「背より腹の上に至り、淡黑色の橫斑あり。腹。白色。長くして二尺に及べば、橫斑、去る」クロダイは、幼魚期には銀黒色の明瞭な横縞を六、七本有するが、成長とともにそれらは薄くなっていく。あまり知られていないが、クロダイは出世魚で、関東では、

チンチン→カイズ→クロダイ

関西では

ババタレ→チヌ→オオスケ

という風に大きさで呼称が変わる(釣り人の間では五十センチメートル以上のクロダイの巨大成魚を「トシナシ(歳なし)」と呼んで釣果の目標とすると、釣りサイトにはあった。私が言いたいのは、ここでの改名ポイントが専ら魚長にあることにある。魚体の色や文様の有意な変容がないことを意味しているからである。それがクロダイに比定出来る一要素でもあると言えるからである。

『「大和本草」に曰はく、『「ちぬ」、「たひ」に似て、靑黑色。好んで人糞を食ふ。故に、人、之れを賤〔いや〕しむ』と』「大和本草卷之十三 魚之下 棘鬣魚(タヒ) (マダイを始めとする「~ダイ」と呼ぶ多様な種群)」の一節。

   *

○海鯽(ちぬ) 「閩書」に出たり。順が「和名」に、『海鯽魚 知沼』〔と〕。鯛に似て靑黒色、好んで人糞を食ふ。故に、人、之れを賎〔しむ〕。「黑鯛」・「ひゑ鯛」も其の形は「海鯽」に似て、別なり。此の類、性・味共に、鯛にをとれり。佳品に非ず。

   *

そちらの私の注も是非、参照されたい。

「かいず」個人サイト「釣魚辞典」の「クロダイ」のページに『若魚をカイズと呼ぶ』とある。

「物類稱呼」江戸後期の全国的規模で採集された方言辞書。越谷吾山(こしがやござん) 著。五巻。安永四(一七七五)年刊。天地・人倫・動物・生植・器用・衣食・言語の七類に分類して約五百五十語を選んで、それに対する全国各地の方言約四千語を示し、さらに古書の用例を引くなどして詳しい解説を付す。「かいず」は巻二の「動物」の「棘鬣魚(たひ)」の小見出し「烏頰魚」に出る。一度、「烏頰魚」(スミヤキ)で電子化していたのだが、忘れていたので、再度、零からやり直してしまった。以下の引用はPDFで所持する(岡島昭浩先生の電子化画像)昭和八(一九三三)年立命館出版部刊の吉澤義則撰「校本物類稱呼 諸國方言索引」に拠った。23コマ目。

   *

「烏頰魚  くろだひ○東武にて◦くろだひと云ひ、畿内及中國九州四國tもに◦ちぬだひと呼。  此魚、泉州茅渟浦(ちぬのうら)より多く出るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]「ちぬ」と號す。但し、「ちぬ」と「彪魚(くろだい[やぶちゃん注:ママ。])」と大に同して小く別也。然とも今混(こん)して名を呼。又小成物を◦かいずと稱す。泉貝津邊にて是をとる。因て名とす。江戶にては芝浦に多くあり[やぶちゃん注:句点なし。]

   *

「黑ちぬ」クロダイの異名。

「勢州慥抦浦〔たしからうら〕」三重県度会郡南伊勢町慥柄浦。]

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