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カテゴリー「毛利梅園「梅園魚譜」」の16件の記事

2017/07/05

毛利梅園「梅園魚譜」 松魚(カツオ)+鰹魚烏帽子(カツオノエボシ)


Katuo_katuonoebosi

 

     【海魚類】

「東醫寳鑑」出

 
松魚(カツヲ)

 

【寳鑑曰性平味甘無毒。

 味極珍肉肥色赤而

 鮮明如松節故爲松

 魚生東北海云々】

〔【「寳鑑」に曰く、『性、平。味、甘。毒、無し。味、極めて珍にして、肉、肥え、色赤くして鮮明。松節のごとし。故に松魚と爲す。東北海に生ずと云々。』】〕

「常陸国志」出

 
鰹魚(カツヲ)【或曰】肥滿魚

「古事記」及「萬葉集」出

 
堅魚(カツヲ)

順「和名抄」曰

 
鰹魚【加豆乎(カツヲ)式文用堅魚二字】

〔【加豆乎(かつを) 「式文」、堅魚の二字を用ふ。】〕

「雜字簿」

 
鉛錘魚【カツホ「東醫寳鑑」の松魚に充《(あつる)》は非也。】

        保四【巳】四月

        廿有七日眞寫

 

 

○松魚は「本草」に載せず、「東醫宝鑑」に始めて出る。

切割《(きりわり)》て蒸し、なま干《(ぼし)》なるを、生干※(なまりぶし)と云。

[やぶちゃん字注:「※」=「魚」+「節」。]

干乾《(ほしかはか)》したるを土佐州及び鎌倉・熊野より

多く出《(いだ)す》。鰹節、土州より出るを上品と爲《(な)す》。相州

小田原、又、伊勢より出るを鰹の鹽醢(しほから)と云《ひ》、

名産と爲す【今、土佐より煮取を出すナマリブシを製したる跡の煮こゞりを醢とす。】

○乾鰹 五六月間土人採松魚

用鹽水蒸乾爲脯味勝生者

倭俗呼鰹節無毒能調和百

古事記萬葉集及淡海公作所令

順「和名抄」等書作堅魚後世合

爲一字用鰹字堅魚非生松

魚日本上古無食生松魚只無爲

脯而其堅如石故作堅魚以徒

然草之説可證鎌倉松魚昔

下民無食後世況貴人皆多

食珍調年四月朔日定初松

魚最賞玩

〔○乾鰹(かつをぶし) 五、六月の間、土人、松魚を採り、鹽水を用ひ、蒸し、乾し、脯《(ほじし)》と爲す。味、生者《(なまもの)》に勝れり。倭俗、鰹節と呼ぶ。毒、無く、能く百味を調和す。「古事記」「萬葉集」及び淡海公の作る所の令《りやう》、順《(したごふ)》の「和名抄」等の書、堅魚に作る。後世、合《(がつ)》して一字と爲し、鰹の字を用ふ。堅魚は生の松魚に非ず。日本上古、生松魚を食ふこと無し。只、脯《(ほじし)》と爲す。而して其の堅きこと、石のごとし。故に堅魚に作れり。「徒然草」の説を以つて證とすべし。鎌倉の松魚、昔、下民も食ふこと無し。後世、況や貴人をや、皆、多く食ひ、珍調す。年に四月朔日を初松魚と定め、最も賞玩す。〕

 

 

鰹魚烏帽子

[やぶちゃん注:頭の「鰹」の字は実際には「土」が「虫」となっている。]

  【ヱボシウヲ】

烏帽子魚 堅魚、多く集る時、

魚に先たつて、遊行《(ゆぎやう)》すと云。乾《(ほし)》たる者、

之を得《た》り、故に其まゝ記す。

 

 

 

乙未八月廿九日

眞寫 

 

[やぶちゃん注:「梅園魚品圖正 卷一」より。掲げた画像は国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の保護期間満了画像の当該頁(周囲をトリミングした)と、私が視認して活字に起こした(キャプションは右下の「松魚」(キャプション含む)から左上の「鰹魚烏帽子」の後の「松魚」の記載へ行き、次にその前の「鰹魚烏帽子」のキャプションへ、最後に右上の「鰹魚烏帽子」のクレジットの順に活字化した)。割注は【 】で示し、書名は「 」で囲った。読み易さを配慮して、漢文体の部分は白文で活字化した後に句読点や記号及び読みの一部を加えた書き下し文を〔 〕でオリジナルに追加した。読漢字の読みの一部や送り仮名を推定して《( )》や《 》で加えた。和漢混交の甚だしい一部は白文をやめて訓読(私の推定)したものをそのまま示した箇所もある(左上部分の最初の条など)。字配は原則、無視した。基本的に原本の一行字数と一致させたが、訓読した箇所では、そうなっていない箇所もある。

 本図は「松魚(カツヲ)」が、

脊索動物門Chordata 脊椎動物亜門Vertebrata 条鰭綱Actinopterygii スズキ目Perciformesサバ科Scombridae マグロ族Thunnini カツオ属Katsuwonus カツオKatsuwonus pelamis

で、その上部に描かれたものは、呼称・形状及び触手の様態から見て、

刺胞動物門Cnidaria ヒドロ虫綱Hydrozoa クダクラゲ目Siphonophora 嚢泳亜目Cystonectae カツオノエボシ科Physaliidae カツオノエボシ Physalia カツオノエボシ Physalia physalis

の完全乾燥品かとも思われるのであるが、やや疑問が残る。それは、触手が如何にも実際の烏帽子(この泳鐘体(浮袋)の形状はあまりにも揉(もみ)烏帽子に似過ぎている)の緒とこれまたそっくりに描かれている点、群体性で器官的分化の特化しているカツオノエボシは乾燥すると青いプラスチック・ケースのようにはなるものの、触手体の長い部分は、乾燥してもこのように綺麗に真っ直ぐな二本の直状形状を呈することはまずないのではないかと思われるからである。

 寧ろ、この名筆の毛利の筆致に少しも立体感が感じられない泳鐘体部分は、まさに事実、立体感がない堅い扁平なものなのであり、取って附けたような緒のような二本の触手様のものは実際の触手ではなく、人工的に青く染めた植物性の紐のような偽物を毛利に持って来た誰かがまさに取って附けたのではないかと疑われるのである。その場合、捏造加工素材として格好のものとなるのは、本物のカツオノエボシ Physalia physalis の泳鐘体ではなく、生体自体のそれが、同じく青みを帯び、しかも堅い板状を呈して、まさしく揉烏帽子そっくりな、しかし、カツオノエボシとは全くの別種である

ヒドロ虫綱花クラゲ目Anthomedusae 盤泳亜目Disconectae ギンカクラゲ科Porpitidae カツオノカンムリ属 Velella カツオノカンムリ Velella velella

であると私は思うのである(但し、カツオノカンムリにはごく短い触手しかない)。私としてはそうした人為的捏造疑惑を完全払拭出来ない限りは、敢えてこれもこの「鰹魚烏帽子」の今一つの同定候補として示さねば気が済まないのである。

 なお、私の寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「堅魚(かつを)」も参照されたい。

「東醫寳鑑」(とういほうかん:朝鮮語音写:トンイボガム)は許浚の著になる李氏朝鮮時代の医書。二十三編二十五巻。一六一三年刊。出版されるや、朝鮮第一の医書として高い評価を得るとともに中国・日本を含めて広く流布した。日本では官版医書として徳川吉宗の命で享保九(一七二四)年に日本版が刊行されており、寛政一一(一七九九)年にも再版本が刊行されている。中国では清代の乾隆帝の一七六三年に乾隆版が、光緒帝の一八九〇年には日本から版木が輸出されて日本再版本を元とした復刻本が出ている(以上はウィキの「東医宝鑑」に拠った)。

「常陸国志」著者・成立年代不詳の地誌「常陸國志草」(ひたちこくしそう)のことか。

「順」既出既注の字書「和名類聚抄」の作者源順(みなもとのしたごう)。「和名類聚抄」の「卷第十九 鱗介部」には、

   *

鰹魚 「唐韻」云く、鰹【音、堅。「漢語抄」に云く、加豆乎。式文、堅魚の二字を用ゆ。】は、大鮦也。大を鮦と曰ひ、小を【音、奪。】と曰ふ。野王[やぶちゃん注:南梁から陳にかけての学者顧野王(こやおう 五一九年~五八一年)のことか。]、按ずるに、鮦【イ音、同。】は蠡魚(れいぎよ)なり【蠡魚、下の文に見えたり。今、按ずるに可の堅魚と爲すは、之の義、未だ詳らかならず。】。

   *

とある。「唐韻」は、唐代に孫愐(そんめん)によって編纂された「切韻」(隋の文帝の六〇一年の序がある、陸法言によって作られた韻書。唐の科挙の作詩のために広く読まれた。初版では百九十三韻の韻目が立てられてあった)の修訂本。七五一年に成ったとされるが、七三三年という説もある。参照した当該ウィキによれば、『早くに散佚し』、『現在に伝わらないが、宋代に』「唐韻」を『更に修訂した』「大宋重修広韻」が『編まれている』。『清の卞永誉』(べんえいよ)の「式古堂書畫彙考」に『引く』中唐末期の『元和年間』(八〇六年八月~八二〇年十二月)の「唐韻」の『写本の序文と各巻韻数の記載によると、全』五『巻、韻目は』百九十五『韻であったとされる。この数は王仁昫』(おうじんく)の「刊謬補缺切韻」に『等しいが、韻の配列や内容まで等しかったかどうかはわからない』。『蒋斧旧蔵本』の「唐韻」『残巻(去声の一部と入声が残る)が現存するが、韻の数が卞永誉の言うところとは』、『かなり異なっており、元の孫愐本からどの程度の改訂を経ているのかは』、『よくわからない。ほかに敦煌残巻』『も残る』。「説文解字」の『大徐本に引く反切は』「唐韻」に依っており、かの「康熙字典」が、「唐韻」の『反切として引いているものも』、「説文解字」大徐本の『反切である』とある。……しかし……以上の文章、正直、よう、判らんわ。

「式文」平安期の法令集「弘仁式」「貞観式」「延喜式」などの法文。

「雜字簿」「雜字簿」は中国から伝わった漢字俗字単語集で、ここのそれは嘉永三(一八五〇)年に書写された「譯官雜字簿」(やっかんざつじぼ)か。

「保四【巳】四月廿有七日」天保四年癸巳(みずととみ)。グレゴリオ暦一八三三年六月十四日。

「本草」「本草綱目」。確かに、同書にはそれらしいものは載らない。

「土佐州」土佐国。これで「とさのくに」と訓じているかも知れぬ。後の「土州」(どしゅう)も同じ。

「鰹の鹽醢(しほから)」所謂、現在もある魚の内臓を主体とした塩辛「酒盗」であるが、ここに書いてある通りだとすると、現在のそれとは製法が異なるが、実際には身を漬け込んだそれもあるので不審ではない。

「醢」「しほから」と訓じておくが、「ししびしほ」と読んでいる可能性も排除は出来ぬ。

「脯《(ほじし)》」干物。

「淡海公」藤原不比等(斉明天皇五(六五九)年~養老四(七二〇)年)の諡号(おくりな)。

『「徒然草」の説を以つて證とすべし。鎌倉の松魚、昔、下民も食ふこと無し』鎌倉末期に成立した卜部兼好の「徒然草」のよく知られた第百十九段を指す。

   *

 鎌倉の海に、鰹といふ魚は、かの境(さかひ)には、雙(さう)なきものにて、このごろ、もてなすものなり。それも、鎌倉の年寄の申し侍りしは、

「この魚(うを)、己(おのれ)らが若かりし世までは、はかばかしき人(ひと)の前へ出づる事、侍らざりき。頭(かしら)は、下部(しもべ)も食はず、切りて捨(す)て侍りしものなり。」

と申しき。

 か樣(やう)のものも、世の末(すゑ)になれば、上樣(かみざま)[やぶちゃん注:上流階級の食卓。]までも入(い)りたつ[やぶちゃん注:美味い食材として入り込む。]わざにこそ侍るなり。

   *

「況や貴人をや」この部分の訓読には自信がない。「貴人」のカタカナの送り仮名は「ウ」に見える。或いは「ニシテ」の約物か。しかし「況」への返り点がある。

「珍調」珍重に同じい。

「烏帽子魚 堅魚、多く集る時、魚に先たつて、遊行《(ゆぎやう)》すと云」本州の太平洋沿岸に鰹が到来する時期、たまたま同じ海流に乗ってくることから、鰹の豊漁の予兆とされた。激しい刺胞毒を持つが故に実際には漁師は怖れ、忌み嫌ったはずであるが、そうした有毒性や特異な泳鐘体の形状が、あたかも鰹を先導し守る、鰹の霊性をシンボライズする式帽たる「烏帽子」にも見えたのであろう。この名は一般には三浦半島や伊豆半島で起った呼称と考えられている。

「乾《(ほし)》たる者、之を得《た》り」梅園先生、本当にそれがカツオノエボシだとしたら、気をつけないといけませんよ! すっかり乾燥させたものであっても、刺胞の物理的機能は湿気を帯びれば、正常に作動し、毒成分も、干したからといって、消滅しないからです! 何? 『お前の言っている「鰹の冠」の方だったら平気だろう?』ですって?! だめだめ! カツオノカンムリも触手は短いですが、やはり強く、同じく危険なんですって!

「乙未八月廿九日」天保六年の八月二十九日は閏七月があったため、グレゴリオ暦では一八三五年十月二十日となる。]

2017/05/25

毛利梅園「梅園魚品圖正」  章魚


Madako

海魚類

 「本草」曰

章魚【タコ】 章擧(キヨ)【韓文】

「臨海志」

𠑃(キツ)【タコ】

 

 

癸巳(みづのとみ)十月十二日

眞寫

 

 

「和名鈔」

 海蛸子(かいしやうし)【和名太古(たこ)】

 今按(あんずる)に、蛸、正に鮹に作る。

 俗にの字を用ふ。出づる所、詳らかならず。

 「本草」に云はく、『海蛸子は

 貌(すがた)、人の裸(はたか)なるに似て圓

 頭なる者なり。長さ、丈余なる

 者、之を海肌子と謂ふ』。

 

 

章魚(たこ)に大章魚(をほだこ)

---魚(くもだこ) 意志距(あしながたこ)

井々八梢魚(いゝだこ)等あり。

但馬の大梢魚甚(はなはだ)大也。

人馬及(および)獸(けもの)を食ふと云(いふ)。

丹波・熱海(つまつ)の章魚

又大也。蟒(うはばみ)を取りし

説あり。畧(ほぼ)之(これ)、盲説

矣ならん。

 

[やぶちゃん注:最初に注した通り、「梅園魚譜」は本来は「梅園魚品圖正」二帖と併せて三帖一組で描かれたものであったのが、後に分割されてしまったものである。従って、ここに「梅園魚品圖正」のものを載せることは私の確信犯である。掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の保護期間満了画像の当該頁(周囲をトリミングした)と、私が視認して活字に起こしたキャプション(右上から右下、左上から中央下)。割注は【 】で示し、書名は「 」で囲った。本種は

軟体動物門 Mollusca 頭足綱 Cephalopoda 八腕形上目 Octopodiformes 八腕(タコ)目 Octopoda マダコ亜目 Incirrina マダコ科 Octopodidae マダコ亜科 Octopodinae マダコ属 Octopus マダコ亜属 Octopus マダコ Octopus vulgaris

と同定してよかろう。吸盤の描き方が上手いが、各吸盤内の襞のそれは今一つである。

「本草」通常は李時珍「本草綱目」を指すが、同書にこのような記載を見出せない。これは内容を比較したところ、後に出る引用が本邦の「本草和名」(ほんぞうわみょう)と一致した。ウィキの「本草和名」によれば、本書は醍醐天皇に侍医・権医博士深根輔仁の撰になる日本現存最古の本草書(薬物辞典)で、延喜年間(九〇一年~九二三年)に編纂された。唐の「新修本草」を範に取り、その他、『漢籍医学・薬学書に書かれた薬物に倭名を当てはめ、日本での産出の有無及び産地を記している。当時の学問水準より比定の誤りなどが見られるが、平安初期以前の薬物の和名をことごとく記載しておりかつ来歴も明らかで、本拠地である中国にも無いいわゆる逸文が大量に含まれ、散逸医学文献の旧態を知る上で、また中国伝統医学の源を探る上でも貴重な資料である。また、丹波康頼の『医心方』にも引用されるなど後世の医学・博物学に影響を与えた。また、平安時代前期の国語学史の研究の上でも貴重な資料である』。『その後、長く不明になっていたが、江戸幕府の医家多紀元簡が紅葉山文庫より上下』二巻全十八編から成る『古写本を発見して再び世に伝えられるようになった。多紀元簡により発見された古写本の現時点の所在は不明であるが、多紀が』寛政八(一七九六)年に校訂を行って刊行された版本があり、本草学者がよく引いている。

𠑃」は漢語で「タコ」の義。

「癸巳十月十二日」本書は天保六年完成であるから、天保四年癸巳でグレゴリオ暦一八三三年十一月二十三日に当たる。

」は「魪」と同義で「鰈」(かれい:脊索動物門 Chordata 脊椎動物亜門 Vertebrata 魚上綱 Pisciformes 硬骨魚綱 Osteichthyes カレイ目 Pleuronectiformes カレイ科 Pleuronectidae)を指すので誤用。

「長さ、丈余なる者、之を海肌子と謂ふ」細かいことを言うと、「大和和名」では「海蛸子」ではなく、「海蛸」で割注で「所交支貌似人躶而圓頭」と解説し、その下に「海肌子」を掲げて割注で「長丈餘名海肌子 長尺餘名海蛸子」と載せるので、この梅園は下方のそれを引き上げて名称としていることが判る。以下、「髑妾子【江東名之】小鮹魚【頭脚并長一尺許者出崔禹】和名多古」と続いている(因みに「崔禹」というのは唐代に書かれたと目されている「崔禹錫食経」という現在は失われた本草書の名である)。

「大章魚(をほだこ)」本邦どころか、世界最大種のタコである、マダコ科ミズダコ属 Enteroctopus ミズダコEnteroctopus doflein としてよかろう。別名をマジで「おおだこ」と称する。

「小---魚(くもだこ)」四字で「クモダコ」とルビしている(そのために熟語記号を附しているものと思われる)。マダコ属クモダコ Octopus longispadiceus を挙げておくが、或いは後掲するイイダコの異名である可能性も高い。

「意志距(あしながたこ)」マダコ属テナガダコ Octopus minor であろう。福岡県柳川市では同種をアシナガダコと現在も呼称している。

「井々八梢魚(いゝだこ)」これは浅海に棲息する小型の蛸、沿岸域では古代から食用としてされてきた馴染みの、マダコ属イイダコ Octopus ocellatus のことと考えてよかろう。

「但馬」現在の兵庫県北部で、現在の豊岡市と美方郡(みかたぐん)新温泉町(ちょう)の日本海沿岸域となる。

「人馬及獸を食ふと云」意外なことに、非常に信じられた伝承である。私の「谷の響 二の卷 一 大章魚屍を攫ふ」「想山著聞奇集 卷の參 七足の蛸、死人を掘取事」をご覧あれ。しかしなんと言っても、最高傑作は蛸馬の死闘と驚天動地の大爆笑の顛末を迎える「佐渡怪談藻鹽草 大蛸馬に乘し事」にとどめを刺す。

「丹波・熱海(つまつ)」不詳。「つまつ」(「あつまつ」か?)の読みも不審。識者の御教授を乞うものであるが、そもそも「丹波」は陸内国(現在の京都府中部・兵庫県北東部・大阪府北部相当)で海と接していないし、「丹波熱海」という地名も確認出来ない。すこぶる不審。「蟒」を取り喰らうんだからそこまで来るんだと言われりゃ、黙るしかないが。ともかくもこれは、全国的に見られる蛇が蛸に化生するという伝承の逆転伝承ではなかろうか? 私の「佐渡怪談藻鹽草 蛇蛸に變ぜし事」「谷の響 二の卷 三 蛇章魚に化す」を参照されたい。

「盲説」「妄説」の誤字。差別的で厭な感じだ。]

 

2016/12/31

毛利梅園「梅園魚譜」 黃穡魚(ハナオレダイ)


Kandai

「閩書」

黃穡魚【ハナヲレダイ 別一種同名】

瘤鯛【カンダイ 佐渡

   ハナヲレダイ 黒色ノ者ヲスミ

   ヤキト云黒鯛名同】

烏頰魚【「釈名」】燒炭鯛【和名】

 寒鯛【同上】鼻推鯛【同上】両類魚

  寒鯛之魚臘月盛出故亦名

  寒鯛 「日東魚譜」

 

     丁酉如月三日求

     之眞寫

 

 

[やぶちゃん注:掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚譜」の保護期間満了画像の当該頁と、私が視認して活字に起こしたキャプション。割注は【 】で示し、書名は「 」で囲った。

 本種はキャプションに出る異名に誘惑されると、とんでもない別種に間違える。まずは図譜を虚心に眺めることから、真実は自ずと見えてくる。吻部周辺と額にかけてが、通常の魚類に比して鈍角であり、明らかに垂直性を示している(図では分かり難いが、左右に膨満しているというよりは寧ろ、頭部は側扁して平たいように見える。ここも比定の特徴とし得る)。前額上部がやや隆起しており、異名の一つにある「瘤」(こぶ)のそれはここを指していると読め、「鼻」折れ「鯛」もそれに由来すると採れる。但し、ここで、その隆起を妄想的に大きく捉えてしまい、その異名として羅列されている「瘤鯛」や「カンダイ」「寒鯛」などから、安易にコブダイ(条鰭綱棘鰭上目スズキ目ベラ亜目ベラ科タキベラ亜科コブダイ属コブダイSemicossyphus reticulatus )と比定してしまっては誤りである。よく見ると、頭部の眼の上の隆起は、コブダイ(正確には同種の)のような異常な腫瘤状を呈してはいない。次にかなり薄いが、胸鰭の基部上部から後方の背鰭尖端前部下にかけて、黒い帯が入っており、さらにその少し離れた後ろに同じ基部から斜めに走る白い帯が走っていることも判る。これが大きな本種の特徴であることに着目出来る。今一つ、鱗が各々有意に大きく、しかも全体の体色が鮮やかな紅色や褐色を呈し、体部後半には紫色がそこに混じってより強く出ていること、さらに腹部の色が有意に薄いこと、そして、尻鰭と尾鰭が濃い暗色を呈していることが特徴的で、こうした華やかな色彩傾向はベラ科 Labridae によく見られるものである。図もちょっと見ではベラの類と誰もが思うものと言える。以上の観察から見ると、これは、異名には挙がっていないが、

条鰭綱スズキ目ベラ亜目ベラ科タキベラ亜科イラ属イラ Choerodon azurio

と比定するのが至当と私は考える。首を傾げる方のために謂い添えておくと、魚類学者望月賢二氏の監修になる「魚の手帖」(小学館一九九一年刊)でも本図が採用されているが、そこで望月氏も、このイラに同定されておられる(但し、そこで『胸鰭から上後方へ向かう黒色帯の位置がやや不正確である』と注しておられる)。

 以下、ウィキの「イラ」より引く(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した。下線はやぶちゃん。本図とのさらなる一致部分が確認出来るはずである)。分布域は『南日本(本州中部地方以南)・台湾・朝鮮半島・シナ海(東シナ海・南シナ海』で、全長は約四〇~四五センチメートル、『体は楕円形でやや長く、側扁である。また、イラ属はベラ科魚類の中では体高が高い。額から上顎までの傾斜が急で、アマダイ』(スズキ目スズキ亜目キツネアマダイ(アマダイ)科アマダイ属 Branchiostegus の類)『を寸詰まりにしたようである。老成魚の雄は前額部が隆起・肥大し、吻部の外郭は垂直に近くなるアマダイより鱗が大きい。両顎歯は門歯状には癒合せず』、『鋸歯縁のある隆起線をつくる。しかし』、『ブダイ科魚類のように歯板を形成することはない。前部に最低一対の大きな犬歯状の歯(後犬歯)がある。側線は一続きで、緩やかにカーブする。前鰓蓋骨の後縁は細かい鋸歯状となる。尾鰭後縁はやや丸い』。『体色は紅褐色から暗紅色腹側は色が薄く尾鰭は濃い。口唇は青色で、鰭の端は青い。背鰭と腹鰭、臀鰭は黄色。背鰭棘部の中央から胸鰭基部にかけ、不明瞭で幅広い黒褐色の斜走帯が走るその帯の後ろを沿うように白色斜走帯(淡色域)がある』が、『幼魚にはこの斜走帯はない』(というより、イラの幼魚は成魚とは模様が大きく異なる。リンク先に画像有り)。『雌雄の体色や斑紋の差が大きい』。『沿岸のやや深い岩礁域や』、『その周りの砂礫底に見られ、単独でいることが多い。日本近海での産卵期は夏。夜は岩陰や岩穴などに隠れて眠る』。『雌から雄への性転換を行う』ことでも知られる。『付着生物や底生動物などを食べる肉食性。これはイラ属の魚類に共通する』。『食用だが、肉は柔らかく』、「普通」或いは「まずい」とされ、また、事実、『水っぽい。他種と混獲される程度で漁獲量も少なく、あまり利用されない。煮つけなどにされる』とある。和名「イラ」は「伊良」或いは「苛」「苛魚」と書くようで、しばしばお世話になっている「ぼうずコンニャクの市場魚貝類図鑑」の「イラ」によれば、『つかまえようとすると』、『逆にかみつきにくる。そのために「苛々する魚(いらいらするさかな)」の意』であるとし、和歌山県田辺や串本での呼び名が標準和名となったものらしい。

 なお、この「イラ」は現行でも地方名で「アマダイ」・「イソアマダイ」・「オキノアマダイ」・「カンダイ」・「カンノダイ」、果ては「ブダイ」(但し、これはベラ亜目ブダイ科ブダイ属ブダイ Calotomus japonicus と混同誤認している可能性もある)などと紛らわしい異名で呼ばれ、しかも、面倒臭いことに、最初に出した「コブダイ」の地方名にも「カンダイ」を始めとして「イラ」・「カンノダイ」(寒の鯛)・「コブ」があるから、これは大いに困るのである。

 

・「閩書」「びんしよ」。既出既注であるが再掲する。「閩書(びんしょ)南産志」。明の何喬遠(かきょうえん)撰になる福建省の地誌。

・「黃穡魚」現代仮名遣の音なら「オウショクギョ」であるが、どうも不審である。何故なら「穡」は「農作物を収穫する・農業」や「惜しむ・物惜しみする」「吝嗇(けち)」の謂いでどうも意味としてピンとこないからで、私は実は、この「穡」は「檣」(ショク:ほばしら:イラの鼻筋の屹立しているさまを喩えているのではあるまいか?)の梅園の誤記(他にも見出せるから、複数の本草家のというのがより正しい。例えば寺島良安和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚の「黄魚(はなをれだひ)」。リンク先は私の電子テクストである)ではあるまいかと深く疑っているのである。)

・「ハナヲレダイ」「鼻折れ鯛」。同じく、イラの鼻筋の屹立しているさまに拠る命名であろう。

・「別一種同名」「イラ」でない別な一種にも「ハナヲレダイ」という同名が使われているという意。これはもう、高い確率でコブダイSemicossyphus reticulatus のことと私は思う。

・「瘤鯛」「こぶだひ」。

・「カンダイ」「寒鯛」コブダイSemicossyphus reticulatus 同様、旬が脂ののる寒い時期(現行では旬は晩秋から初夏と長い)だからであろう。「佐渡」とするが、当地での「カンダイハ」は「イラ」ではなくて「コブダイ」のことを指すものと私は思っている。

・「スミヤキ」「炭燒」。炭焼きの面(つら)のように真黒の謂いであろう。

・「黒鯛名同」「黒鯛」という名も同じ。しかしこれではスズキ目タイ科ヘダイ亜科クロダイ属クロダイ Acanthopagrus schlegelii が怒る、基、と区別がつかん!

・「烏頰魚」「うきやうぎよ(うきょうぎょ)」と音読みしておく。

・「釈名」「釋名(しゃくみょう)」。後漢末の劉熙(りゅうき)が著した辞典。全八巻。

・「燒炭鯛」「やきすみだひ」と訓じておく。

・「同上」前の割注の「和名」と同じことを指す。以下、同。

・「鼻推鯛」「はなおしだひ」と訓じておく。「ハナヲレダイ」と同起原であろう。私は推して潰れて上に膨らんだとするこの名の方がしっくりくる気がする。

・「両類魚」読みも意味も不詳。雌雄の形状の違い(性的二型)を言うとしたら、大した生物学的知見と言えるが、ちょっとな。

・「寒鯛之魚獵月盛出故亦名」「臘」は「獵」のように見えるが、これでないとおかしい。訓読すると、

 寒鯛。之の魚(うを)、獵月(らふげつ)、盛んに出づる故、亦、名づく。

であろう。「獵月」(ろうげつ)は陰暦十二月の異名である。

・「日東魚譜」全八巻。江戸の町医神田玄泉(生没年及び出身地不詳)著になる、本邦(「日東」とは日本の別称)最古の魚譜とされるもので、魚介類の形状・方言・気味・良毒・主治・効能などを解説する。序文には「享保丙辰歳二月上旬」とある(享保二一(一七三六)年。この年に元文に改元)。但し、幾つかの版や写本があって内容も若干異なっており、最古は享保九(一七一九)年で、一般に知られる版は享保一六(一七三一)年に書かれたものである。私はブログ・カテゴリ神田玄泉「日東魚譜」を置いているが、未だ二篇で停まっている。これは今一つ、絵が上手くなく、正直、それで触手が動かないからである。悪しからず。来年は少しはやろうと思う。

「丁酉如月」天保八年二月。西暦一八三七年で、同年二月一日はグレゴリオ暦では三月七日。]

2015/06/25

毛利梅園「梅園魚譜」 柔魚(ケンサキイカ?)

 Ika
 
Ika2  
 
 
柔魚(いか)〔ナガスルメ。コモソウイカ。〕

 壽曰く、

 柔魚、風乾(すぼし)するを「閩書(びんしよ)」に「明府(めいふ)」と云ひ、

 又、「螟」に作る。「本朝式」文に、「鯣(するめ)の孚(ふ)」

[やぶちゃん字注:「」=「虫」+「府」。]

 を用ひ、「延喜」の「神祇」に、「民部主計」等

 の式に若狹・丹後・隱岐・豊後より

 烏賊(イカ)を貢(こう)すと云ふは、則ち、「スルメ」なり。

 今、肥前五嶌(ごたう)より出だすを最上とす。

 伊豆の國及び丹後・但馬・伊豫より

 出だすを次ぎとす。長門より出だすもの、其の

 大いさ、尺に至る。肉厚く、美佳(みか)也。古へより

  賀祝の席に用ゆ。

  河豚(フグ)にあたりたる者、スルメを炙(や)く

  とも、煎じるとも、早く是れを食はしむ。

  河豚の毒、制伏(せいぶく)なすはこれに過ぎたるはなし。

  故に河豚の振る舞ひには必ず向附(むかうづけ)にス

  ルメの鱠(なます)・茄子の塩漬けを用ゐること、

  良方なり。

 

   同腹ノ圖

 

    乙未(きのとひつじ)十二月十日、

    眞寫す。

 

[やぶちゃん注:少々迷ったが、「全国いか加工業協同組合公式」サイト内のウェブ版の奥谷先生新編 世界イカ図鑑」を主に参考にするに、ずんぐりとした全体とヒレの形状及び分布域(江戸の梅園にもたらされた、捕獲からそう長い時間が経っていない個体といった様子)から判断すると、軟体動物門 Mollusca 頭足綱 Cephalopoda 鞘形亜綱 Coleoidea 十腕形上目 Decapodiformes 閉眼(ヤリイカ)目 Myopsida ヤリイカ科 Loliginidae ケンサキイカ属 Uroteuthis ケンサキイカ(メヒカリイカ型)Uroteuthis Photololigo edulis Hoyle, 1885)ではなろうか。迷った最大の理由は体色で、ネット画像を見ると全体に強い赤褐色を示すものが多いが、これらは基本、興奮時のそれで、生体時の体色は多分に透明度が高い。キャプションの「ナガスルメ」や前半の叙述からは、開眼(ツツイカ)目 Teuthida スルメイカ亜目 Cephalopoda アカイカ科 Ommastrephidae スルメイカ亜科 Todarodinae スルメイカ属 Todarodes スルメイカ Todarodes pacificus としたくなるのであるが、スルメイカにしてはヒレが大き過ぎ、こんなに寸詰っていない。しかもそもそもがこのキャプション、広くイカ類全般に亙る概説と読め、この前後には他のイカの絵がないことからも、かく同定しておいた。使用した二枚の画像は国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の中の保護期間満了画像である。

「コモソウイカ」不詳。形状から「虚無僧烏賊」か?
 
「閩書」「閩書南産志」。明の何喬遠撰になる福建省の地誌。

「明府」中文サイトを見ると、現在でも寧波(福建省の北の浙江省の沿岸都市)の特産として「明府鯗」(「鯗」は音「ショウ」で「干物」の意)が挙がっており、そこにはこれは烏賊を指す旨の記載がある。

「本朝式」後の「延喜」と同じく「延喜式」のこと。

「鯣の孚」乾したスルメイカの皮・殻の意であろう。人見の「本朝鑑」の「烏賊魚」の「鯣」の条に(リンク先は私の原文訳注附テクスト)、

   *

 古へは混じて「烏賊」と稱す。「延喜式」の神祇・民部・主計等の部に、『若狹・丹後・隠岐・豊後烏賊を貢する者の有り』と。是れ皆、今の鯣なり。近世、肥の五嶋より來たるを以つて上品と爲(な)し、丹後・但馬・伊豫、之に次ぐ。古來、賀祝の饗膳に用ゆ。今、亦、然り。源順、崔氏が「食經」を曳きて曰く、「小蛸魚」を「須留女」と訓ず。此れも亦、同じ種か。

   *

とあり、どうも梅園は、この必大の記述を参照したようにも見える。

「河豚にあたりたる者、スルメを炙くとも、煎じるとも、早く是れを食はしむ。河豚の毒、制伏なすはこれに過ぎたるはなし」下関の「いちのせ水産」の公式サイト内のふぐ中毒・迷信あれこれに、フグ毒由来の嘔吐に対しては、『スルメを焼いて煙をかがせる』と『烏賊魚の墨をのませる』と効果があるとする。因みに本文では以下に別な解毒効果を期待出来る食材として「茄子の塩漬け」が一緒に添えるとあるが、これも同頁の解毒効果として『茄子のヘタを食べる』とある。梅園先生、「良方なり」なんどと宣うておられるが、無論、効果は――ない。

「乙未十二月十日」天保六年十二月十日で、グレゴリオ暦では一八三六年一月二十七日である。季節的にも、水揚げ後、変色腐敗するまでは比較的持ちそうな時期である。]

2015/06/17

毛利梅園「梅園魚譜」 鬼頭魚(オニオコゼ)

 
 Oniokoze


 
鬼頭魚〔一種。〕鬼カサゴ。山神〔ヲコゼと云ふ。〕。

此の者、漁人、風雨(しけ)のつゞく時、兼ねて家にて

乾かして藏へ置き、其の時、取り出だし山神を祈り

て大猟の有ることを願ふ。山神を祭る

ことは風雨を晴らしめんが爲(ため)なり。魚商、

尤も、外に説をなす。非なり。

 

乙未十二月廿七日、倉橋氏より

之を送る。眞寫す。 

 

[やぶちゃん注:「梅園魚品図正」巻二より(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正の中の当該保護期間満了画像。下図のハコフグ既に電子化済み)。条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カサゴ目カサゴ亜目フサカサゴ科 Scorpaenidae(或いはオニオコゼ科 Synanceiidae )オニオコゼ亜科オニオコゼ Inimicus japonicus 。漢字では「鬼鰧」「鬼虎魚」、地方名では「アカオコゼ」(東京)、「オクジ」(秋田県男鹿)、「シラオコゼ」(小田原)、「ツチコオゼ」(和歌山県田辺)の他、「オコシ」「オコジョ」「オコオジン」「アカオコゼ」があり、一般的には単に「オコゼ」と呼ぶことが多い。関東以南の太平洋と新潟県以南の日本海及び東シナ海に分布する暖海性種。浅海性で生息範囲は沿岸の岩礁域から水深二百メートルの砂泥地まで広く棲息する。食性は肉食性で、底生性で通常はあまり泳ぎ回らず、海底に潜んで体色によって砂や石に擬態、知らずに近づいて来る小魚などを素早く捕食する。体色は黄色から赤紫褐色まで、不規則模様から模様のない単色のももまで多様な色彩変異を示す。頭部は縦扁し口は上向きにつき、体部は側扁する。体表は他のカサゴ類と同様に、疣状・房状の突起が発達し、特に頭部の凹凸が著しく、場合によっては皮膚が剥がれているかのようにも見える。体長は二十~二十五センチメートル程度であるが、最大長では二十九センチメートルに達する個体もある。背鰭は毒腺を備えた十六~十八本の棘条と五~八本の軟条で構成されるが、この毒腺は刺されると激しく痛む。旬は冬から春。私の好物で唐揚げにして余すところなく食え、非常に美味であるが、近年漁獲高が減少しており、高級魚扱いになりつつある。以上は、主に望月賢二氏の「魚の手帖」及びウィキオニオコゼに拠ったが、後者には『ヤマノカミという俗称は、本種の干物を山の神への供物にする風習があったことによる。山の神は不器量なうえ嫉妬深い女神で、醜いオコゼの顔を見ると、安心して静まるのだという』。南方熊楠は随筆「山神オコゼ魚を好むということ」でこのことに触れていて、『それによると和歌山県南部にはオコゼを山の神に奉って儲けた伝承が幾つか知られ、たとえば山奥で木を伐採したが川の水量が少なくて運べなかったとき、オコゼを奉ると大雨が降って運べるようになったという。日向地方では漁師が懐にオコゼを隠し持ち、『これを差し上げるのでイノシシを出してほしい』と願うと取れる。その後、同じ魚を持って同じように願うと、山の神はオコゼほしさに何度でもイノシシを出してくれるとも』いうとある。詳細は私の古い電子テクスト、南方熊楠山神オコゼ魚を好むということをお読み頂ければ幸いである。ここで梅園が「魚商、尤も、外に説をなす。非なり」というのは、熊楠が「舟師山神に風を禱るにこれを捧ぐ」以外に縷々述べているところの、多様な伝承(特に熊楠が詳しく述べている山の神を女神とするあまたの性的なニュアンスの部分であろうと推測される。この「非なり」という強い拒否に私はその雰囲気を強く感じるのである)を流言飛語の類いとして退けているものであろう。和名の「オコ」とは、容貌が痴(おこ)である――思わず笑い出してしまうほどに醜く滑稽なこと、形が奇っ怪極まりないことを意味し、「シ・ジ」や「セ・ゼ」は魚名語尾で、オニオコゼは「鬼の如く醜い容貌の魚」の意である。なお、「魚の手帖」で望月氏は本図について、『毒を持つ背棘(はいきょく)と棘間(きょくかん)の鰭膜(きまく)の切れ込み、凹凸のはげしい頭部の形状など本種の特徴がよく描かれている。しかし、背鰭(せびれ)と尾鰭(おびれ)の後部にあたる軟条はやや不正確のようである』とある。特に背鰭後部は独立した鰭の様に特異的に孤立して大きく、図は明らかに小さ過ぎる。

「乙未十二月廿七日」天保六年十二月二十七日で、グレゴリオ暦では一八三六年二月十三日である。

「倉橋」不詳乍ら、「鸚鵡螺」及びハコフグに出る倉橋(尚勝)なる人物と同一人物と思われる。]

2015/06/13

毛利梅園「梅園魚譜」 海鷂魚(ツバクロエイ)

〔海産。無鱗。〕

海鷂魚(ヱイ)〔一種。〕

 〔ヨマサヱイ。〕

 

  脊圖

Tubakuroei1

 

同 腹圖

Tubakuroei2

 
 乙未南呂(なんりよ)廿二日、行德の

 魚商、善、持り來たる。之を得て、

 眞寫す。

[やぶちゃん注:「梅園魚品図正」巻二より(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の中の当該保護期間満了画像)。軟骨魚綱トビエイ目ツバクロエイ科ツバクロエイ Gymnura japonica 。成体では体盤全長(前後の尾先までの長さ)約一メートルに達し、盤状の体は横に長い菱形を呈する。体盤幅は全長の凡そ一・五から二倍になる。背・腹面ともに円滑で、毒棘を持った尾部は非常に短く(体盤全長の半分しかないことを特徴とする)、鞭状を成しており、尾部腹部側には五~六本の黒色帯がある。暖海性のエイで、南日本から東シナ海にかけて分布する(本邦には他に近縁種のオナガツバクロGymnura poecilura (尾部が長く、体盤の長さとほぼ同長であることで判別は容易である)の計二種が分布する。以前、別種とされていたメガネツバクロはツバクロエイと同物異名であることが判明している)。両種とも胎生で春に八尾程度の子を産む。底引網で漁獲され、本邦では練り製品の原料にする。和名は体盤が広く、燕が飛ぶように見えることに由来する(英名は“butterfly ray”。以上は複数の辞書類を参考にした)。

「無鱗」サメ・エイなどの軟骨魚類は鱗がないわけでは実はない。彼らのそれは楯鱗(じゅんりん)と呼ばれる退化した鱗で、真皮から突出した象牙質をエナメル質が覆っおり、構造的には歯とよく似ている。サメではこれが密集するために所謂、ざらざらした鮫肌を形成しているが、エイでは散在している。

「海鷂魚」「鷂」は音「エウ(ヨウ)」で、鳥綱タカ目タカ科ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisusを指す。形状と遊泳の様からの合字であろう。鳥の鷂(はいたか)は「疾き鷹」が転じて「ハイタカ」となった。かつては「はしたか」とも呼ばれ、元来は「ハイタカ」はハイタカのを指し、体色が異なるを別に「コノリ」と呼んだ。「大言海」によれば「コノリ」の語源は「小鳥ニ乘リ懸クル意」であるという(ハイタカについてはウィキハイタカ」に拠った)。なお、エイは漢字では他に「鱏」「鱝」「鰩」などとも書く。

「ヨマサヱイ」望月賢二監修「魚の手帖」では地方名として「アミガサエイ」(和歌山)・「チョウエイ」(富山。英名と同じである)・ヨコサエイ(和歌山)などが載るが、本記載の「マ」は良く見ると、なぞった(訂正した?)感じに墨色がこの字だけ濃く、「コ」のようにも見えなくはない。孰れにせよ、これは「ヨコサヱイ」が正しい(少なくとも「ヨマサエイ」ではネット検索が掛からない)。

「乙未南呂廿二日」「南呂」は陰暦八月の異名。従ってこれは天保六年八月二十二日で、グレゴリオ暦では一八三五年十月十三日である。

「行德の魚商、善」既出。梅園御用達の魚屋。魚善(うおぜん)の若旦那の方であろう。]

2015/06/12

毛利梅園「梅園魚譜」 ネコザメ

 
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「塩縣圖經(えんけんづけい)」に出づ。

    虎頭鯊(コトウサ)〔海産。〕

       〔猫ザメ。〕

       〔猫ヅラ。〕

       〔サヽヱワリ。〕

 

       乙未(きのとひつじ)閏七月廿六日、日本𣘺の

       魚餅店(うをもちだな)に於いて箭筆(せんぴつ)して寫す。

         改めて色を看(み)、眞圖す。

[やぶちゃん注:日本近海に生息するネコザメ科の代表種である軟骨魚綱板鰓亜綱ネコザメ目ネコザメ科ネコザメ Heterodontus japonicus と同定してよいであろう(本邦には他に、本種に比べると比較的珍しいシマネコザメ(縞猫鮫)Heterodontus zebra も棲息するが、体表面に白色地の二十二~三十六本の暗色横帯が入る)。ウィキネコザメによれば、『太平洋北西部。日本では北海道以南の沿岸で見られる他、朝鮮半島、東シナ海の沿岸海域に分布する』。水深六~三十七メートルの『浅海の海底付近に生息し、岩場や海中林などを好む』。最大全長は一・二メートルに達する。背鰭は二基で、『いずれにも前端に鋭い棘を備える。これはとくに幼魚が大型魚の捕食から逃れるのに役立っている。臀鰭をもつ。体型は円筒形。薄褐色の体色に、縁が不明瞭な』十一~十四本の『濃褐色横帯が入る。吻は尖らず、眼の上に皮膚の隆起がある。この眼上隆起を和名ではネコの耳に、英名』(Japanese bullhead shark)『ではウシの角に見立てている。歯は他のネコザメと同様、前歯が棘状で、後歯が臼歯状である。循鱗は大きく、頑丈である』。『底生性で岩場や海藻類の群生地帯に住み、硬い殻を持つサザエなどの貝類やウニ、甲殻類などを好んで食べる。臼歯状の後歯で殻を噛み砕いて食べるため、サザエワリ(栄螺割)とも呼ばれる。日中は海藻や岩の陰に隠れ、夜間に餌を求めて動き回る夜行性である。遊泳力は弱いが、胸鰭を使って海底を歩くように移動することもある』。卵生で、本邦では三月から九月にかけて産卵が行われ(三~四月が最盛期)、雌は卵を一度に二個ずつ、合計六~十二個を産む。『卵は螺旋状のひだが取り巻き、岩の隙間や海藻の間に産み落とされた卵を固定する役割がある。仔魚は卵の中で』約一年かけて成長し、約十八センチメートルで孵化する。雄は六十九センチメートルで成熟する』。『刺し網などで混獲されるが、水産上重要でない。日本の和歌山など地方によっては湯引きなどで賞味される。酢味噌をあえる場合もある』。『日本では水族館などでよく飼育、展示される。下田海中水族館(静岡県下田市)はネコザメの繁殖賞を受賞している』(私もそこで初めて直にネコザメに触れた。すこぶるおとなしい)。『人には危害を加えない』とある。掲げた画像は国立国会図書館デジタルコレクションの梅園魚品図正 巻二」の保護期間満了(自由使用許可)のものである。

「塩縣圖經」は恐らく「海塩県図経」のことであろう。同書は明末の文人胡震亨(こしんこう 一五六九年~一六四五年)が著わした、彼の生地である海塩県(現在の浙江省嘉興市海塩県)の地誌。海塩県は銭塘河口の杭州湾北岸。胡震亨は一五九七年に挙人となり、定州知州などを経て兵部職方司員外郎に抜擢された。父祖以来の蔵書家で、著書に代表作である本「海塩県図経」の他「赤城山人稿」など数多く、特にライフ・ワークである唐詩の総集で、現在知られる「全唐詩」の本(もと)となった「唐音統籤(とうせん)」の最後にある「唐音癸籤(きせん)」三十三巻(唐詩に関わる見解や資料を多く収める)が知られる(以上は主に小学館「日本大百科全書」に拠った)。

「乙未(きのとひつじ)七月廿六日」天保六年閏七月二十六日はグレゴリオ暦一八三五年九月十八日

「日本𣘺」言わずもがなであるが、後の関東大震災を契機として日本橋魚河岸は築地に移った。

「魚餅店」或いは「ぎよへい」、店「みせ/てん」と読んでいるのかも知れない。「魚餅」とは蒲鉾のことである。

「箭筆寫」矢竹製の持ち運びの容易な細い筆でデッサンしたことを指すものと思われる。矢竹とは単子葉植物綱イネ目イネ科タケ亜科ヤダケ Pseudosasa japonica で、「竹」とつくが、成長しても皮が桿(かん:イネ科の植物では茎に相当する中空の幹をかく呼称する)を包んでいることから「笹」に分類される。現在は庭園竹・盆栽として植栽されるが、古くから矢軸の材料とする他、筆軸・釣竿・キセルの羅宇・装飾用の窓枠に利用されている(以上はウィキヤダケ」に拠る)。

「改めて色を看、眞圖す」この記載から見ると、後日、同じ蒲鉾屋に出向いて、別個体を見ながら彩色を施したように読める。]

2015/06/04

毛利梅園「梅園魚譜」 ハリセンボン

 
 Harisenbon
 
〔「食物本草」。〕

 綳魚(はうぎよ)〔一種、ハリセンボン。〕〔海産。〕

〔佐渡の國界(くにざかひ)の實記。〕

 針千本

 

 本江氏所藏。之を乞ひて、保十

 〔己亥。〕年四月十日、眞寫す。

 

針千本。漢名、「魚虎」、又、「鬼頭魚」なりと

充つる者あり。非なり。「魚虎」は「簑(みの)カケフグ」なり。

針千本に似て、其の刺(トゲ)、伏して、簑を著(キ)たる

がごとし。其の刺、直立(スヽタチ)する者、則ち、針千本なり。

魚(はうぎよ)の類、猶ほ多し。盡くは知るべからず。佐

渡には三十種の異魚あり。大厩(おほむね)を記す。

針千本   箱フグ  鯛の聟源八

禿骨畢列(トコイ) 龍宮の鷄

鉦敲魚(カネタヽキ) 海馬

瘤鯛(カンダイ) 此の類三十首ありと跡は未詳。

[やぶちゃん字注:「」=「魚」+「朋」。]

 

[やぶちゃん注:条鰭綱フグ目ハリセンボン科ハリセンボン Diodon holocanthus の怒張し状態に模して乾燥させた加工品の図(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚譜」の保護期間満了画像)。ウィキの「ハリセンボン」によれば、本邦では本州以南に分布し、『腹びれがないこと、顎の歯が癒合していること、皮膚が厚いこと、敵に襲われると水や空気を吸い込んで体を大きく膨らませること、肉食性であることなど、フグ科と共通した特徴を多く持っている』。但し、フグ科の歯は上下二つずつ、合計四つになっているのに対し、ハリセンボン科の歯は上下一つずつ、合計二つである(荒俣上掲書によれば上下それぞれの二枚が癒合しているとある)。科名の“Diodontidae”というのも「二つの歯」もこれに由来する。『フまた、グによく似るが毒はな』く、沖繩では私の好きなあばさー汁にしてよく食す。『この科の最もわかりやすい特徴は皮膚にたくさんの棘があることで、「針千本」という和名も "Porcupinefish"Porcupine=ヤマアラシ)という英名もここに由来する。なお実際の棘の数は』三百五十本前後で、『和名のように千本あるわけではない。棘は鱗が変化したもので、かなり鋭く発達する。この棘は普段は寝ているが、体を膨らませた際には直立し、敵から身を守ると同時に自分の体を大きく見せるのに役立つ。ただしイシガキフグなどは棘が短く、膨らんでも棘が立たない』。『浅い海の岩礁、サンゴ礁、砂底に生息する。他のフグ目の魚と同様に胸びれ、尻びれ、背びれをパタパタと羽ばたかせながらゆっくりと泳ぐ。食性は肉食性で、貝類、甲殻類、ウニなど様々なベントスを捕食する。丈夫な歯で貝殻や甲羅、ウニの殻なども噛み砕いて食べてしまう』とある。

「食物本草」明の盧和原撰(一五〇〇年前後)・汪穎補編(一五五〇年頃)になる通常の食物となるものに限った本草書。

「綳魚」既注であるが、再掲する。寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」に「すゝめうを 海牛 うみすゝめ 綳魚」がある。良安の記載から、明の盧和(ろわ)原撰(一五〇〇年前後)・汪穎(おうえい)補編(一五五〇年頃)になる通常の食物となるものに限った本草書「食物本草」から引いた漢名であることが分かる。「綳魚」の「綳」は「繃」で、「たばねる」の意。これはまさにハリセンボンが通常時、怒張していない時の棘を畳んだ状態を指し示していると私は解く。リンク先(私の電子テクスト)も是非、参照されたい。

「佐渡の國界の實記」原典は「佐渡國界實記」という文字列であるが、これ、どう考えても書名とは思われない。以上のように訓読した。大方の御批判を俟つ。

「本江氏」不詳。

「保十〔己亥。〕年四月十日」西暦一八三九年五月二十二日。

『針千本。漢名、「魚虎」、又、「鬼頭魚」なりと充つる者あり」』ここで梅園は「海虎」と「針千本」は異種であるという主張をしていることに注目したい。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑2 魚類」の「ハリセンボン」によれば、李時珍の「本草綱目」に出る「魚虎」を本邦のハリセンボンに同定した最初は小野蘭山の「本草綱目啓蒙」で、「新註校定国訳本草綱目」で魚類を担当した魚類学者木村重(しげる)もこの説をとったとある。では「本草綱目」の「魚虎」を実際に見てみよう。

   *

魚虎〔「拾遺」〕

(釋名)土奴魚〔「臨海記」〕。

(集解)〔(藏器曰)生南海。頭如虎背皮如猬有刺、著人如蛇咬。亦有變爲虎者。(時珍曰)按「倦游錄」云、海中泡魚大如斗、身有刺如、能化爲豪豬。此即魚虎也。「述異記」云、老則變爲鮫魚。〕

(氣味)有毒。

   *

シャチの項でも述べたが、これを寺島良安は「和漢三才圖會 卷第四十九 魚類 江海有鱗魚」の「しやちほこ 魚虎 イユイフウ」の項で、

   *

「本綱」に『魚虎、南海中に生ず。其の頭、虎のごとく、背の皮に猬[やぶちゃん注:ハリネズミ。〕のごとくなる刺有りて、人に着けば、蛇の咬むがごとし。亦、變じて虎と爲る者有り。又云ふ、大いさ斗[やぶちゃん注:柄杓。]のごとく、身に刺有りて猬のごとし。能く化して豪豬(やまあらし)と爲(な)る。此れも亦、魚虎なり。』と。

   *

とあって、大きさはマッチするとしても、化生説から何から、とても木村氏のように平然とハリセンボンに同定する気には私はならない。そもそもが例えばこの寺島にしてからが、先に掲げた「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の冒頭の「鯨」の項ににはわざわざ「魚虎」を設けていて、これはその叙述と位置からしても、少なくともここでは高い確率で正しくクジラ目ハクジラ亜目マイルカ科シャチ Orcinus orca に同定しているものと私は考えるのである。

「鬼頭魚」これは現在、スズキ目スズキ亜目シイラ科シイラ Coryphaena hippurus の異名として本邦で通用する。さらに「シイラ」の中文ウィキを見ると、異名の中に「鬼頭刀」という名が附されてもある(現行の中国語のシイラの標準名は「鰍」)。さらに言えば、この「梅園魚譜」では実にスズキ系カサゴ目カサゴ亜目フサカサゴ科フサカサゴ亜科オニカサゴ属オニカサゴ Scorpaenopsis cirrhosa に当てているという事実をこそ押さえねばならぬ。ここで梅園が言う真正の「鬼頭魚」はオニカサゴであり、私もその同定(少なくとも鬼の頭の魚という名にし負うのは、という意味で、である)には諸手を挙げて賛同するものだからである。

『「魚虎」は「簑カケフグ」なり。針千本に似て、其の刺、伏して、簑を著たるがごとし。其の刺、直立(スヽタチ)する者、則ち、針千本なり』「直立(スヽタチ)」不詳だが、真っ直ぐに立つという意味であることは伝わる。この解説、読みながら思わず、何だ! これって、先に電子化した毛「トウジン/シマサキ/綳魚」に出てきた「綳魚の一種」「ハコフグ」「針フグ」と呼称している、条鰭綱フグ目ハリセンボン科イシガキフグ属イシガキフグ Chilomycterus reticulatus マンマじゃん! と叫びたくなった。梅園はそれをそっちの解説で全く触れていないのは極めて不審だけれど、私はこれはもう、イシガキフグに同定せずんばならず! という気になってる!

「佐渡には三十種の異魚あり」これは何に出るのかと調べて見たところが、馬琴だ! 彼の「燕石雑志」に初出し、後にやはり彼の「烹雑(にまぜ)の記」に載っていることが判明、幸い、後者は蔵書にあったので見たところが、これまた、そそる図とともにこれらが語られてあった(前者は早稲田大学図書館の画像データベースで今、ダウンロードしたが、ちょっと見る限りでは当該箇所を捜し出すのに時間がかかるので、ここでは精査を断念する【2015年6月6日追記:書庫の奥より「燕石雑志」も発掘、該当箇所を現認した。現在、二書の当該箇所の電子化作業に着手した。】)。その全貌は近い将来、電子化したいと思う。ここではともかくもここに挙がるものを取り敢えず、簡潔に検証してみよう。……しかし、これどうも……胡散臭い部分があるように私には思われもするのであるが(次注参照)……

「箱フグ」フグ目ハコフグ上科ハコフグ科ハコフグ属ハコフグ Ostracion immaculatus 

「鯛の聟源八」「烹雑の記」本文には「鯛(たひ)の聟(むこ)源八、〔鯛に似て極てちひさし。〕」とあるのみだが、譜図を見るとこれは!……かの発光魚として知られる棘鰭上目キンメダイ目マツカサウオ科マツカサウオ(松毬(笠)魚) Monocentris japonica じゃねえか! そうして……何と!――「広辞苑」「日本国語大辞典」といった辞書類の見出しにも「鯛の婿源八」という長々しい見出しがちゃんとあって、マツカサウオの別名とある!……いや! この年になるまで、知らなんだわい! 以下、ウィキの「マツカサウオ」より引く。『北海道以南の日本の太平洋と日本海沿岸から東シナ海、琉球列島を挟んだ海域、世界ではインド洋、西オーストラリア沿岸のやや深い岩礁地域に生息する』。『本種は発光魚として知られているが、それが判明したのは意外に遅く』、大正三(一九一四)年に『富山県魚津市の魚津水族館で停電となった時、偶然見つけられたものである』(この事実も今回初めて知った。面白い!)。『本種の発光器は下顎に付いていて、この中に発光バクテリアを共生させているが、どのように確保するのかは不明である。薄い緑色に発光し、日本産はそれほど発光力は強くないが、オーストラリア産の種の発光力は強いとされる。しかし、発光する理由まではまだよく判っておらず、チョウチンアンコウなどのように餌を惹きつけるのではないかという可能性がある』。『夜行性で、体色は薄い黄色だが、生まれたての幼魚は黒く、成長するにつれて次第に黄色味を帯びた体色へと変わっていくが、成魚になると、黄色味も薄れ、薄黄色となる。昼間は岩礁の岩の割れ目などに潜み、夜になると餌を求めて動き出す』。『背鰭と腹鰭は強力な棘となっており、外敵に襲われた時などに背鰭は前から互い違いに張り出して、腹びれは体から直角に固定することができる。生きたまま漁獲後、クーラーボックスで暫く冷やすとこの状態となり、魚を板の上にたてることができる。またこの状態の時には鳴き声を聞くこともできる』。『和名の由来通り、マツの実のようにややささくれだったような大きく、固い鱗が特徴で、その体は硬く、鎧を纏ったような姿故に英語ではKnight FishArmor Fishと呼び、パイナップルにも似た外観からPinapple fishと呼ぶときもある』。『日本でもその固い鱗に被われた体からヨロイウオ、鰭を動かすときにパタパタと音を立てることからパタパタウオとも呼ぶ地方もある』。『体は比較的小さく、成魚でもせいぜい』十五センチメートル程で、『体に比べ、目と鱗が大きく、その体の構造はハコフグ類にも似ている。そして、その体の固さから動きは遅く、遊泳力は緩慢で、体の柔軟性も失われている』。『餌は主に夜行性のエビなどの甲殻類だといわれる』。『本種はあまり漁獲されないことから、経済効果にはそれほど貢献しないものの、食用にされている』。『加熱すると鱗が取れ、中の肉を食べやすくなる。白身でやや柔らかく、美味な食感である』。『緩慢な動きがユーモラスなので、水族館で飼育されたり、内臓を取って干した個体を置物として売る場合もある』とある。気になるのは、何故「鯛の聟源八」かだ! 何故か知らん、軍事用語サイト」に「鯛の婿の源八」とあって、『佐渡に鯛の婿源八という魚あり。しか名づけたる故は知らず」(燕石雑志)』とある。しかし、本当にこれは佐渡の方言なのだろうか?……どうも胡散臭い。さらに調べて見ると、馬琴の「南総里見八犬伝」研究をなさっておられる冨地晃裕氏のサイト「冨地晃裕絵画館」の八犬伝関連雑文3に『鯛聟源八」』とあって、同作の登場人物『石亀屋次団太の旧名』とあり、以下、『石亀の地団駄《「雁が飛べば石亀も地団駄」の略。身の程を考えないで、他をまねようと力んでも限界があることのたとえ》浜路が旧名の正月に重点的な意味があったように、次団太の旧名である鯛聟源八に注目しなくてはならない』。『鯛の聟源八 マツカサウオの別名、と出てくる。こんな名前の魚が本当にいるんだ、と喜んではダメ。源八に注目である。源八=げんぱち=現八であり、現・八郎である。石亀屋次団太と出会う小文吾には義実の役回りがふられていることが多い。つまり八郎と義実の出会いによって物語は動いていく契機を与えられるので、ここでも同様である。八郎と義実・玉梓に対して次団太と小文吾・船虫の対になっている。こう書くからと言って玉梓と船虫が関係あるというのではない。話の構造上対になっているというだけのことだ』。『あるじは鯛聟源八と呼ばれたる(231)とサラっと流してしまうのが馬琴のいつもの手である』という如何にも意味深長な解説があるのである。私は「八犬伝」を読んだことがないから(妻は愛読者で二度通読しているようだが)、この冨地氏の語りの意味が半可通なのだが……しかし……これ、どうも……稀代のコピー・ライターであった馬琴が、佐渡方言と称して、実は自作の「八犬伝」の登場人物石亀屋次団太の旧名に引っ掛けてでっち上げた異名なのではあるまいか?……切に識者の御教授を乞うところである。……

「禿骨畢列(トコイ)」原文は「畢」に「イ」ともう一字振っているが、読めない(「列」にはルビがない)。しかし、「烹雑の記」には『禿骨畢列〔とこひれ魚〕』と詳細キャプション附きで異形の図が示されてあって、本文にも『とこひれ〔文鰡魚に似たり。六ノ稜及小刺あり。〕』とあることから、これはもう! 関東で「ハッカク」(八角)の名で知られる、現在の棘鰭上目カサゴ目カジカ亜目トクビレ科トクビレ亜科トクビレ Podothecus sachi のことと目から鱗!

「龍宮の鷄」「烹雑の記」には本文に『龍宮の鷄〔鬼頭魚の奇品。〕』として、図とキャプションがある。この名と図を凝っと見ていると……「龍宮の使い」みたいに長くはない……「鶏」であるからは、赤い鶏冠(とさか)があるんだろう……図では刎部の上にひょろりと特異的な突起がある(この図には頭の張り出し部分が死後に欠損したものを描いたように私には見える)……臀鰭がある、といった点から私は取り敢えず、これは深海魚の――アカマンボウ目アカナマダ科アカナマダ Lophotus capellei 或いはそれに近い種なのではないか?――という直感が働いていることを述べておこう。

「鉦敲魚(カネタヽキ)」これも「烹雑の記」本文には『鉦たゝき〔鏡鯛に似たり。〕』とあっさりしているものの、はっきりした附図とキャプションがあり、その絵と、キャプション中の『両面に黒圓(くろまろき)紋(もん)あり』という叙述、及び漁師がこの魚を『的魚(まとうを)といふ』という記載から、もう、新鰭亜綱棘鰭上目マトウダイ目マトウダイ科マトウダイ Zeus faber と見た。

「海馬」トゲウオ目ヨウジウオ亜目ヨウジウオ科タツノオトシゴ亜科タツノオトシゴ属 Hippocampus の大型種の大型成体個体と思われる。本邦産のタツノオトシゴ類は本朝食鑑 鱗介部之三 海馬の私の注を参照されたい。

「瘤鯛(カンダイ)」これは現行でもスズキ目ベラ亜目ベラ科タキベラ亜科コブダイ Semicossyphus reticulatus ♂――頭部の上下が異様に大きく瘤状に膨れあがっている♂――の呼称である(本種は成長過程で♀から♂へ性転換する雌性先熟である)……ああっ!……またまたまたまたまた……芋蔓式観念連合の電子化予約がこれ、殖えてしもうたなぁ……

毛利梅園「梅園魚譜」 ハコフグ

 
Hakohugu
 
皮籠海豚(カハゴフグ)

   〔海魚。〕

 〔ハコフグ。〕

 

 此の者、其の惣身、硬くして石のごとし。

 其の尾、鬣(ひれ)有る所、皆、穴ありて柔らかに

動く。海牛(スヾメフグ)の類なり。長嵜(ながさき)の海に

多し。東武、稀なる者。干したるは、多

く遠くより寄す。生なる者、始めて親

見(しんけん)す。

 

  乙未(きのとひつじ)十一月六日倉橋氏より、之れを送られ、

  眞寫す。

 

[やぶちゃん注:「梅園魚品図正」巻二より(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚品図正」の中の当該保護期間満了画像)。因みにこれはトリミングしたもので、上方にはピンクの発色の美しい「鬼頭魚」(オニカサゴ)の図が併載されてある。フグ目ハコフグ上科ハコフグ科ハコフグ属ハコフグ Ostracion immaculatus 。近年、紀伊半島以南には近縁種であるミナミハコフグ Ostracion cubicus の棲息が確認されているが、成魚のミナミハコフグには、ハコフグには見られない、幾つかの骨板上に小さなくっきりとした白い点が存在し、さらにその白点周縁に接してやはり小さな黒色の点或いは線が見られるので、識別は比較的容易である。幼魚では体側の黒色斑が眼径大であることでやはりハコフグと区別出来る。可能「WEB魚図鑑」のミナミハコフグ」の画像を参照)。サイト「プライベート・アクアリウム」の「イシガキフグ」によれば、ハコフグは本邦では本州以南に広く分布し、特に岩手から四国にかけての太平洋側に多く見られるが、琉球には生息していないとも言われている。『体は側扁しているが、切り口(横断面)は四角形に近い特徴的な体つきをして』おり、『全身は鱗が変形した硬い甲板で覆われていて、吻は突出している』。大きな特徴として、『歯はフグやハリセンボンの仲間のように癒合して嘴状になるのではなく、カワハギのように突出した吻にノミ状の歯が集まったようになっている』点である。『また、腹びれはなく、背びれやしりびれは小さいが、尾びれは大きく、後縁は丸みを帯びている』。『泳ぎは体が硬いこともあってうまくはない』。『体色は黄色や黄褐色などで、青や青緑色の円形の斑が見られ、幼魚では黄色地に黒色や濃青緑色の小さな斑が散在して』いる。『背と腹には一対の隆起線があり、各ひれは黄色』を帯びる。沿岸性で、通常は水深五十メートルよりも浅い岩礁域などに棲息、『ハコフグの中ではもっとも普通に見られ、普段は単独で生活し、小型の甲殻類やゴカイ類、海綿、貝類などを食べる』雑食性である。『ハコフグは皮膚から』パフトキシンという粘液性の毒を『出すが、フグ科と違って肉や内蔵には毒がなく、甲板を取り除いて食用に利用される』(刺身も美味く、五島列島の郷土料理として知られる味噌詰焼きがは絶品と聴くのだが、残念なことに私は未だ食したことがない)。但し、『中にはアオブダイやソウシハギなどのようにパリトキシンに似た毒性物質をもっていて、重い中毒を起こすこともあるので、食用には充分に注意する必要がある』ともある。……最強の海産毒マイトトキシン( maitotoxin :有毒渦鞭毛藻 Gambierdiscus toxicus 由来のシガテラ毒。テトロドトキシンン (tetrodotoxin, TTX)の二百倍とされる)に次ぐパリトキシン( palytoxin :ハワイのスナギンチャクから単離され、アオブダイ食中毒の原因に同定されており、類縁体の第一生産者は有毒渦鞭毛藻 Ostreopsis siamensis と考えられている毒素。これも無論、TTXより強い)似かいな……ウーム、悩ましいのぅ。……なお、望月賢二氏の「魚の手帖」によれば、カクフグ(高知県安芸)・コウゴウフグ(広島県賀茂郡。「金剛」の訛りであろう)・ハコマクラ(和歌山県和歌山市雑賀(さいが)崎)といった地方名が挙げられてある。また望月氏は特にこのハコフグの図について『形態、色彩とも本種の特徴をよくとらえている』と特に名指しで褒めておられる。

「海牛(スヾメフグ)」ハコフグ科コンゴウフグ属ウミスズメ Lactoria diaphana 。ネット上の記事を読むと、最近、市場ではハコフグと一緒くたにされて売買されているようであるが、ウミスズメには眼の上部や尻鰭の基部の前方に短い棘状突起があることで容易に識別出来る。

「乙未十一月六日」天保六年。西暦では一八三五十二月二十五日。

「倉橋」不詳乍ら、鸚鵡螺に出る倉橋尚勝なる人物と同一人物と思われる。]

毛利梅園「梅園魚譜」 トウジン/シマサキ/綳魚

 
 Huehukihoka3
 
元壽文政十二丑年六月九日芝髙輪の

瀕(ホトリ)待合と云へる茶屋に休息(ヤスラ)い、芝の朝河岸

より赤羽魚市え鬻(ヒサ)ぐ魚商夥(おびただし)くし、其の

中に魚荷桶(うをにをけ)ゑ此の三魚を鰈(カレイ)・牛尾魚(コチ)なぞの

中に交ゑて通り、又、予、眼に觸れたれば、僕(ボク)に是れを

調ひさし、則ち、茶店の座椽(ざえん)に於いて、小菊紙(こぎくがみ)に寫し

茶店の主(あるじ)、「何の用にならん。」と言へり。予、則ち、多

年、画筆を好みて、天下にあらゆる種品(しゆひん)眞寫せる

ことを荅(こた)ふ。主、曰〻(いふいふ)、「魚戸(サカナヤ)の運送(ハコビ)する者の中、各々(おのおの)も

知らざる魚、徃々、之れ有り。皆、毒あり、とて買はず。」と云へり。

予、時々、三田町(だいまち)寺院、又、泉岳寺に詣ず故、

芝河岸には異魚を鬻ぐ魚商の有ることを知る。

此の三魚、往還先なれば、食はざる「シマサキ」は、魚戸(さかなや)の、「食

ひし。」と云へるを聞(き)ゝ、舌味の説、其儘記す。三魚とも

何(いづ)れの産なるか、聞かず。魚は皆、茶店の小兒のもて

遊びに置く。今、玆(ここ)に其の小紙を操(と)り出し、着色清書

する。時に保十〔己亥(つちのとゐ)〕十月九日。

 

トウジン〔海魚。〕

カハセミ魚

 

シマサキ〔海魚。〕

  漢名不詳。肉、堅

  硬くして、味、美(よ)からず。皮、

  亦、至つて硬し。鱗の

  端(ハシ)、起(た)ちて鋭利(するど)く、

  肌、滑らかならず。

  冬月、稀

  に有り。

 

〔海魚。〕

 綳魚(はうぎよ)〔一種。〕

  〔ハコフグ。〕

  〔針フグ。〕

 

綳魚の類。甚だ※し。「箱フグ」と

云へる者、一種、別に有り、同名にして異(い)なり。

「魚譜」巻の二の条に出だす。「針フグ」も

前条に出、佐渡にて針千本と云ふ。河

豚(ふぐ)と同名、異(い)なり。此の圖する者、其の身

皮及硬く、針、鋭利(スルド)くして、手に觸るること

あたはず。食ふべき者に非ず。

[やぶちゃん字注:「※」=「繋」の「車」が「侖」。「身皮及」訓読不能。「身及び皮」の錯字か。]

 

[やぶちゃん注:以上の図(掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「梅園魚譜」の保護期間満了画像)は右の鮮やかな紅色を呈した個体から、

〇「トウジン」「カハセミ魚」と呼称する個体

 条鰭綱トゲウオ目ヨウジウオ亜目サギフエ科サギフエ Macroramphosus scolopax

左上方から下方の個体、

「シマサキ」と称する個体

 条鰭綱スズキ目スズキ亜目ハタ科ヌノサラシ亜科ルリハタ Aulacocephalus temmincki

「綳魚の一種」「ハコフグ」「針フグ」と呼称している個体

 条鰭綱フグ目ハリセンボン科イシガキフグ属イシガキフグ Chilomycterus reticulatus

と思われる(小学館一九九一年刊望月賢二監修「魚の手帖」も三種とも同じ同定である)。

 サギフエ Macroramphosus scolopax は、強く側偏した体と長い吻を特徴とする(成魚では絵のように背部の紅が大きな特徴のように見えるが、幼魚では銀色であり、また成魚の色の変異もかなりあり、グーグル画像検索「Macroramphosus scolopaxを見ても、薄いピンクから黄褐・銀と、必ずしも鮮やかな紅色を呈するわけではないことが分かる)英名の“snipefish”は特にその刎部が鳥のチドリ目シギ科タシギ Gallinago gallinago の(英名:snipe )長い嘴に似ることに由来する。以下、ウィキの「サギフエ」によれば、全長は平均十五~二十センチメートル、その内の約六センチメートルも吻が占めている。『体の表面は、胸鰭から背鰭にかけてと腹側の縁が骨板(甲板)に覆われ』、しかも二つの背鰭を持ち、一つ目の背鰭には四~七本の棘を有し、その中でも前から二番目の棘は長く伸びて鋭く、しかも鋸状を呈している。この棘は平均四センチメートルまで伸長し、二つ目の背鰭には十~十四本、尻鰭には十八~二十本の鰭条がある(但し、梅園の絵では第一背鰭が長棘のみしか描かれていない)。『サギフエはさまざまな海域の沿岸付近で見かけられる。大西洋東部のヨーロッパ・アフリカ沿岸や北海・地中海、大西洋西部のメイン湾からアルゼンチンにかけて、さらには太平洋西部やインド洋のアジア・オーストラリアおよび島嶼部の沿岸などにサギフエが生息して』おり、北緯二十から四十度の温帯域に於いて『特に広く分布している』。砂や岩の海岸沿いの水深二十五~六百メートルの大陸棚を好んで昼間の棲息域としており、『夜になると水面近くまで上がってくる。幼魚は外洋の表層水(de:Oberflächenwasser)の中で暮らす』(「de」は「Deutsch」でドイツ語のこと。「オゥバフレヒィンヴァサ」)。『彼らは小さな渦状の群れをなして育つ。幼魚はカイアシ類を餌とし、成魚は底生生物を探して餌とする』。『サギフエは同じトゲウオ目のヘコアユと同様、頭部を下に向けて泳ぐ習性をもつ』。魚体が小さいうえに、可食部分も少なく、『食用としての価値はない』(但し、ネット上の記載を見る限りでは、干物にし、また、焼き物にして美味くないわけではないようだ)。望月氏の前掲書によれば、ウグイス(高知県浦戸)・チュウチュウ(高知県御畳瀬(みませ))・ツノハゲ(高知県須崎)といった地方名が挙げられてあり、これら、何とも微笑ましいではないか。

 ルリハタ Aulacocephalus temmincki は「瑠璃羽太」で、生体では文字通り「青褐色(あおかちいろ)」(この色名は本来は正倉院文書に既に見られる古名である)、非常に美しい瑠璃色或いは紫がかった青で、吻端から上顎を経て、尾鰭までの体の背縁に沿って、目立った鮮黄色の帯を有する(グーグル画像検索「Aulacocephalus temmincki参照)。本邦では主に南日本に分布し、体長は約二十五センチメートルで口が大きく、背鰭は九棘十二本、尻鰭は三棘九本の軟条から成る。水深十~七十メートルの岩礁域に棲息し、危険を感じたり、ストレスを受けると、防禦毒と思われるグラミスチンを含んだ海水を泡立てるような粘液を皮膚から出すことで知られるが、ヒトに中毒性はない(以上は、主にウィキの「ルリハタ」を参考にした)。ネット情報では体色からであろうか、あまり食べたという記載がないが、以外に美味いともあった。梅園の絵の体色は死後、時間が経ったそれをよく写しているように思われる。望月氏の前掲書によれば、アブラウオ(和歌山県田辺・周参見(すさみ))・イシズミ(鳥羽)・アオハタ(伊豆)といった地方名が挙げられてある。

 イシガキフグ Chilomycterus reticulatus は、ハリセンボン科 Diodontidae であるが、有意に棘が短く、梅園の言うようには鋭くない(以下の引用を参照。こうして考えると本図のそれは別種のようにも見えるが、恐らくはこの叙述、これを商っている魚商人の語りであり、その人物はハリセンボンと一緒くたにしておどろおどろしく語ったものとすれば腑に落ち、その如何にもハリセンボンのようになって自慢げに語る魚屋の大将の姿もこれ、髣髴としてくるようで、すこぶる私は楽しくなってくるのである)。ハリセンボン属ハリセンボン Diodon holocanthus 同様、世界の温帯から熱帯水域に分布しており、本邦では茨城県以南に見られる。サイト「プライベート・アクアリウム」の「イシガキフグ」によれば、『体は縦扁し、頭部は大きくて、体表には太くて短い棘を持って』おり、『体色は背面が濃灰色で、腹部は明るく、体には暗色の』四~六本の『横帯がある』。『他のフグの仲間と同様、腹びれはないが、各ひれには暗色の斑点が多数見られ』、『口は吻先にあって、案外幅広い感じがする』『また、イシガキフグは水や空気を吸い込んで体を膨らませる事は出来るが、体表の棘はハリセンボンのように鋭くはなく、立てたりすることもできない』。『水深の浅い海岸近くの珊瑚礁や岩礁域に多く生息しているが』、水深百メートル程度までの水域『にも見られ、熱帯域では更に深いところにも生息しているのでないかと言われている』。『普段は単独で生活していて、主に甲殻類や軟体動物を食べる』。通常は全長五十センチメートル程度であるが、大きいものでは八十センチメートル、体重で十キログラム近い巨大個体もいるとある。『岩穴などに潜んでいることが多いが、他のフグの仲間と同様、動きは鈍く、胸びれを使って泳いでいる姿などはユーモラスでもある』。『海面近くをのんびりと泳いでいることもあり、磯釣りなどでも、餌をついばんでいる様子が見えたりもするほど警戒心が薄い』。『イシガキフグは無毒とされているので時に食用にされるが、一般にはほとんど流通していない』。『しかし、鍋物や味噌汁にするとかなり美味しいものと言われていて、大きいものもフライや唐揚げなどにすると美味しいとされている』とあり、他サイトでは刺身では不味く、味噌汁や鍋を推奨している。無論、ハリセンボン類同様に無毒であり(但し、ハリセンボンの卵巣は毒化したものがある場合があるという報告もあるので、食さない方が無難である)、少なくとも「食ふべき者に非ず」ではないですぞ、梅園先生。望月氏の前掲書によれば、イガフグ(下関・和歌山県田辺)・イバラフグ(和歌山県周参見)・コンベ(新潟)・バラフクト(高知県沖ノ島)・トーアバター(沖繩)といった地方名が挙げられてある。

「元壽文政十二丑年六月九日」原典では「政」の字派「正」の下に「攵」を合成した字である。西暦一八二九年七月九日。

「瀕(ホトリ)待合」固有名詞と採る。

「座椽」店先の縁台のことであろう。そこでなければ、往来の魚屋の行き来を細かに観察することは出来ない。

「小菊紙」茶菓などに添えた手漉きの美濃紙。懐紙のこと。以下の主人との応答、眼の前に現前するように感じられ、とても、いい。

「三田臺町」現在の港区の三田、旧三田台町。寺院と武家屋敷が林立していた。

「保十〔己亥〕十月九日」西暦一八三九年十一月十四日。最初に書写してから、実に十年後の着色と清書である。彼の作業の実体が知られて興味深いが、恐らくは色のなどの指定が原図にはあったに違いない。

「トウジン」現在、サギフエの別名としては確認出来ないが、この「トウジン」は別に現在、深海魚の条鰭綱タラ目ソコダラ科ソコダラ亜科トウジン属ゲホウ Caelorinchus japonicus の別名として知られる。本種は深海魚(但し、深度五百メートル以内の浅い深海性)らしく異形で、頭部が突出し眼が大きい。サギフエも「鼻」が高く、「目玉」が身体に比して有意に大きい。これらから考えると、刎部の突出を「鼻」と捉え、どんぐり眼(まなこ)の異形から「唐人」と名付けたものと推定出来るように思われる。サギフエの鮮やかな紅も如何にもそれらしいではないか。

「カハセミ魚」現在、確認出来ない別名であるが、鳥綱ブッポウソウ目カワセミ科カワセミ亜科カワセミ Alcedo atthis は胸と腹と眼の前後が強い橙色を呈し、足も赤いから、この別名もおかしくはない。

「シマサキ」この別名は現在、確認出来ない。

「堅硬くして」「堅硬く」で「かたく」と読んでいるらしい。

「綳魚」寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」に「すゝめうを 海牛 うみすゝめ 綳魚」がある。良安の記載から、明の盧和(ろわ)原撰(一五〇〇年前後)・汪穎(おうえい)補編(一五五〇年頃)になる通常の食物となるものに限った本草書「食物本草」から引いた漢名であることが分かる。「綳魚」の「綳」は「繃」で、「たばねる」の意。これはまさにハリセンボン Diodon holocanthus の通常時、怒張していない時の棘を畳んだ状態を指し示していると私は解く。リンク先(私の電子テクスト)を是非、参照されたい。

「ハコフグ」現行では全くの別種であるフグ目ハコフグ上科ハコフグ科 Ostraciidae に属する、皮膚に骨板が発達し、多数が結合して全身を装甲する硬い箱状に見える甲羅を成すハコフグ類を指すので当時の和名とのずれに注意されたいが、梅園はその辺りをしっかり認識していて、本種の個体形状よりも、当時、広範に「ハコフグ」と呼ばれたそれらが、異種であることをちゃんと述べている点に着目されたい。

『「魚譜」巻の二の条に出だす』これは現在、「梅園魚品図正」と呼ばれているものの巻二を指す。本カテゴリでは向後、これも梅園の呼称に準じて、同図も「梅園魚譜」として引くこととし、当該の「箱フグ」を近日公開する。
 
『「針フグ」も前条に出』これは本篇の本「梅園魚譜」の前の方に出る。これも近日公開する。
 
「河豚と同名、異なり」「河豚と同名なるも、異なり」の意。

「其の身皮及」「其の身及び皮」の錯字か。]

 

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