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カテゴリー「毛利梅園「梅園介譜」」の179件の記事

2022/09/10

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 車渠・シヤコ / シャコガイ類

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここと、ここと、ここの見開きで三箇所となる。最後の部分は図のみでキャプションはない。なお、この最初の見開きの前の、ここの見開きの二図は、本カテゴリで、当初、ランダムにやっていた時に、二図ともに『毛利梅園「梅園介譜」 老海鼠』と、『毛利梅園「梅園介譜」 ダンベイキサゴ』とで、電子化注済みである。個人的には前のマボヤの図は、本「梅園介譜」中の白眉の図と感じている。]

 

Syakogai1

 

《見開き第一図》

[やぶちゃん注:左右を殻を合わせて、恐らくは右殻を上にし、腹側から写した図。]

車渠【「しやこ」。】 通名。

 𤥭磲・硨磲【「雀甕」條下。】

 阿札噶【「中山傳信録」。】

[やぶちゃん注:「噶」の字は(つくり)の下部の「人」が「匕」であるが、別人の写本のここでは、「噶」となっていること、「中山傳信錄(ちゆうざんでんしんろく)」(「中山」は「琉球」の異称。清代に書かれた独立国琉球の地誌。全六巻。琉球王尚敬への使者の副使として派遣された徐葆光(じょほうこう)の著。一七二一年成立。前年に清の外交使節として訪れた際の見聞を、皇帝への報告書として纏めたもので、琉球国の王府の事情や、中国との外交関係及び王系・地理・制度・風俗・言語などを記す)の原本に当たったところ(早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらの右丁の六行目)、「硨磲【阿札噶(アサカ)】」とあったので、この字を用いた。]

 

   保丁酉年孟春初五日、眞寫す。

 

《見開き第二図》

 

Syakogai2

 

[やぶちゃん注:左右の殻を合わせて、右殻を上にして蝶番を手前にした図。]

車渠【卽ち、「海扇」、「をほみ貝」。】

 

○「夣溪筆談」(むけいひつだん)に曰はく、『海物に、「車渠」有り、蛤(がふ)の屬なり。大なる者、箕(み)のごとし。背、渠壟(きよろう)有り、蚶(あかがひ)の殼のごとく、故に以つて噐(うつは)と爲(な)す。緻(きめこまやか)なること、白玉のごとし。南海に生ず。』と。

[やぶちゃん注:「夣」は「夢」の異体字。一番近い字を採用した。書名からも「夢溪筆談」(北宋の沈括(しんかつ)による随筆集。全二十六巻。特に科学技術関係の記事が多いことで知られる)で、「中國哲學書電子化計劃」のこちらの影印本で確認した。]

○「月令廣義(がつりやうかうぎ)」に曰はく、『「霏雪録(ひせつろく)」に『海中に甲物(かうぶつ)有り、扇のごとし。其の文(もん)、玳瑁(たいまい)のごとし。惟(ただ)、三月三日の潮盡(しほひ)、乃(すなは)ち、出づ。「海扇」と名づく。』と。

○「綱目」に、「海扇」を「車渠」の一名とす。葢(けだ)し、「海扇」、二種あり。「車渠」をも「海扇」と名づけ、「帆立貝」も、「海扇」と云ふ。「月令廣義」の、『紋、玳瑁のごとし。』と云ふは、又、別種なり。

○車渠は、極めて大なる者あり。其の貝、磨(す)り琢(みが)きて、玉(ぎょく)とし、「緖(を)じめ」とし、又、釣花生(つりはないけ)とし、壓尺(けさん)とす。

○「丹鈆録(たんえんろく)」に曰はく、『車渠、盃に作(な)し、酒を注(い)れ、滿(み)てゝ、一分(いちぶ)を過ぐるも、溢(あふ)れず。』と。

 

《見開き第三図》

 

Syakogai3

 

[やぶちゃん注:左殻の蝶番を前にした内側の図。キャプションなし。]

 

[やぶちゃん注:所謂、

斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目ザルガイ上科ザルガイ科シャコガイ亜科 Tridacnidae に属するシャコガイ類

であるが、図の個体は左右殻の腹側の辺縁の形状は、所謂、現存する二枚貝の世界最大種として知られ(殻長は二メートル近く、重量二百キログラムを超えることがある。これまでに記録された最大のものは体長一・三五メートル、重量二百三十キログラムに達したとされ、寿命は、自然状態で百年以上とされ、中には四百年以上生きた個体も存在すると当該ウィキにはある)、沖縄以南に棲息する、

シャコガイ亜科オオシャコガイ Tridacna gigas

ととるには、湾曲の波状の形状の波長部分が、緩やかで、違うように思われ(梅園は殻のサイズを全く述べていないのに憾みがある。しかし、例えば、横幅が三十センチを超えるような大型個体ならば、梅園は忘れずに、そのサイズを書くであろうと思うのである)、私は、

オオシャコガイの幼体

か、或いは、横幅が十七センチメートル前後で、奄美大島以南に棲息する、

シャコガイ亜科オオシャコ属ヒメシャコガイ Tridacna crocea の成体個体

ではないかと感じた。

「車渠」は本来は「シヤキヨ(シャキョ)」で「車の轍(わだち)」を意味する。本来は後に出る「硨磲」の「硨」は「家畜に曳かせる二輪或いは四輪の大型の荷車を指し、「磲」(=「渠」)は「溝」を意味する。李時珍の「本草綱目」では、巻四十六の「介之二」「蛤蚌類」に、「車渠」で立項し、「釋名」で、『海扇。時珍案、「韻會」云、『車渠、海中大貝也。背上壟文如車輪之渠、故名車溝曰渠。』とある。所持する相模貝類同好会一九九七年五月刊の岡本正豊・奥谷喬司著「貝の和名」(相模貝類同好会創立三十周年記念・会報『みたまき』特別号)では、以上を「目八譜」で武蔵石寿が引用していることを示された後で(コンマを読点に代えた)、『どうしてこの貝が車輪に見えるのか不思議だが、殻を180°完全に開いた状態で表面側を見ると、左右殻の腹縁が車の外側、各5条の深い溝(渠、壟=あぜみち)が放射状の車輻と見えないこともない。』と述べておられる。

『「雀甕」條下』意味不明。前に書名を出さずに、こう書かれても、判らない。「甕」は「大きな瓶(かめ)」を意味するから、これは親和性があるが、例えば、本草書類では、これは「雀甕(すずめのたご)」で、危険がアブナい鱗翅(チョウ)目 Glossata 亜目 Heteroneura 下目ボクトウガ上科イラガ科イラガ亜科イラガ属 Monema に属するイラガ類或いはその近縁種の作る繭である。「和漢三才圖會卷第五十二 蟲部 雀甕」の私の注を見られたい。試みに「本草綱目」を調べて見たが、圧倒的に上記の繭であり、貝類の条々に出るものが、数箇所あったものの、シャコガイとの関連性は私には見出せなかった。識者の御教授を乞うものである。

「保丁酉年孟春初五日」天保八年一月五日。一八三七年二月九日。

「海扇」後で梅園は、これには、『二種あり。「車渠」をも「海扇」と名づけ、「帆立貝」も、「海扇」と云ふ』とある通りで、これは、実は、彼が好きで、何度となく描いているイタヤガイ、例えば、『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 錦貝(ニシキガイ)・イタヤ貝 / イタヤガイ・ヒオウギ』でも言及している。そこで注したように、恐らくはホタテガイ・アコヤガイ、さらには、本シャコガイ類を広汎に指していると考えてよく、二種どころではない(というか、梅園は「二種」を「複数の異種」の意で用いていると考えるべきである。この辺の混淆は、既に、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第四十七 介貝部」でも見られるからで、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 海扇」の本文及び私の注も参照されたい。

「をほみ貝」『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 酌子貝(シヤクシガイ)・イタラ貝 / イタヤガイ(四度目)』で注した通り、私は「大身貝」の意と思う。

「渠壟」前に注した通り、「溝」と「畝(うね)」である。

「蚶」少なくとも、彼がこれを「あかがひ」(或いは「きさ」)と訓じているであろうことは、先行する『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 𩲗蛤(アカヽイ) / アカガイ』で明らかである。

「白玉のごとし」古くより、シャコガイ類の殻は、切って磨くと、細かな文理(もんり)が浮き出し、仏寺の荘厳(しょうごん)や、広く装飾品として、仏教の七宝(しっぽう)に於いて、「玉」(ぎょく)に次ぐものとして重用された。

「月令廣義」明の官僚で学者の馮応京(ふう おうけい 一五五五年~一六〇六年)が万暦年間(一五七三年~一六二〇年)に著した、中国の伝統的な年中行事・儀式・仕来りなどを解説した本。当該ウィキによれば、『先秦時代の一年間の行事を理念的な観点から紹介した』「礼記」の「月令篇」を『補足するという形式をとる。そのため』、『古書からの引用が多く、古くは六朝・梁代』(六世紀中頃)『の、すでに原典が失われてしまっている文言小説』『などからの説話を傍証として多く収録しており、中国の民間伝承を研究する上での貴重な資料となっている』。『例えば』、『七夕の「織姫と牽牛の恋愛譚」が、現在知られているストーリーとほぼ同じ型になった最も古い時期を考証できる史料も、本書に引用されている梁代の殷芸(いんうん)が著した』「小説」(「殷芸小説」)の中の一節であるほか、『慣用句「一年の計は元旦にあり」の原典らしきもの』『や、「花咲か爺」の原典のひとつとされる説話』『など、今日の日本における身近な慣用句・諺や説話の出典にもなっている』とある。なお、「がつりょう」の読みは、私の大学時代の漢文の先生たちが、一様に、そう読んでいたことに基づくもので、私には「げつれい」では、凡そありがたい感じがしないのである。

「霏雪録」明の文人鎦績(りゅうせき:劉績とも)の撰になる随筆。

「玳瑁」カメ目潜頸亜目ウミガメ上科ウミガメ科タイマイEretmochelys imbricata 『毛利梅園「梅園介譜」 龜鼈類  瑇瑁(タイマイ) / タイマイ(附・付着せるサラフジツボ?)』を参照されたい。梅園は後で、シャコガイ類ではないと否定しているが、タイマイの甲羅の様子を眺めていると、オオシャコガイ辺りとの仄かに親和性を感じてしまうのは、私だけであろうか?

「三月三日の潮盡(しほひ)、乃(すなは)ち、出づ」大潮の時に海中から年に一度だけ、姿を現わすというのは、どデカいオオシャコガイにこそ相応しい気はする。

「緖(を)しめ」「緒締(をじ)め」。袋や巾着(きんちゃく)などの口に廻した緒を束ねて締めるための具。多くは球形で、玉・石・角・貝殻・練り物などで作る。

「釣花生」花生(はない)けの一種。上から吊るすようにしたもので、竹・金属・陶器・貝殻などで、船形や月形に作る。「釣り花瓶」。

「壓尺(けさん)」文鎮のこと。「けさん」は、別名の「卦算」の当て読み。文鎮が易に用いる算木(さんぎ)の形に似ているところから、かく言ったもの。

「丹鈆録」「鈆」は「鉛」の異体字であるから、「本草綱目」も引く明代の楊慎撰の「丹鉛録」(幾つかの作に分かれた博物書のようで、本編は正しくは「丹鉛総録」というらしい)のことかと思われる。

「一分」縁の部分から三ミリメートルほど表面張力を起こして零(こぼ)れないというのである。]

2022/09/08

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 海膽・ウニ・香箸貝(コウバシガイ) / ムラサキウニ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここ。見開き全部。細部を観察し易いように百%のものをダウン・ロードし、四方をカットして、そのままの大きさで掲げた。]

 

Uni_20220908150701

 

「福州府志」。

   海膽【「うに」。「うにかい」。】

 

甲螺【「延喜式」。】

霊螺子【「和名抄」。】

 

俗に「雲丹(うに)」・「海丹(うに)」の字、用ゆ。又、「海栗(うみぐり)」と云ふ。其の形、栗の「いが」に似れり。

「がぜ貝」【佐州方言。「がぜ」は「海膽」の古名なり。】

「をきのかんす」【阿州。】

「しほちがぜ」【遠州、荒井。】

   兠貝(かぶとがひ)【「かぶと貝」。「星かぶと」。】

 

   表 仰圖

 

                裏 俯圖

 

[やぶちゃん注:以上二つは、図のキャプション。音で読んでいる可能性が高いやも知れぬが、私は「おもて、あふぐ、づ。」、「うら、うつむける、づ。」と読みたい。なお、ここで注してしまうが、この表の中央部に穴が開いているのは、この描いた個体が、最早、死ウニであることを意味する。生体のウニには、こんなぽっかりとした開口部は、無論、ない。則ち、この生物学的に頂上系と呼ばれる領域には、正常の生個体では、小さな生殖板・多孔板・終板・囲肛板によって覆われおり、そこにまた疣が点在し、而してそれらに微細な生殖孔・終板孔と、それらに比すると、やや大き目な肛門があるからである。本個体は、死んでそれらの部位が、ざっくりと抜けてしまっているのである。 

海膽、殻、圓(まろ)く、外に密刺(つの)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]あり。毬(まり)をなす。漂轉(され)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]たるは、刺(つの)、落ちて、狀(かたち)、星に似たり。兠に似れり。故に「甲貝(かぶとがい)」と云ふ。其の落ちたる角(つの)を「香(かう)ばし」と云ふ。海膽、内に、肉、無し。皆、膓(はらはた)のみなり。海膽の醤(しほから)、越前福井の産、最上とす。肥前大村、奥州仙臺の産、次(つぎ)とす。

  催馬樂(さいばら)の歌に、

「みさかなには 何よけん あはび さだをか かぜ よけん」と云へり。 

     香箸介(こうばしがい) 

倉橋勝尚、所持、之れを乞ふて、丙申八月廿六日、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:棘の感じからは、

棘皮動物門ウニ綱真ウニ亜綱ホンウニ上目ホンウニ目ホンウニ亜目ナガウニ科ムラサキウニ属ムラサキウニ Heliocidaris crassispina

と思われる。因みに、私が食したウニの記憶は、一九七〇年の夏、志布志湾のホテルの敷地内の岩場で、伯父と一緒に、二、三時間もの間、採りに採った、ムラサキウニ四、五十個のこれ以上ない満腹感、それと、二〇〇九年夏、訪れた礼文島のホンウニ亜目オオバフンウニ科バフンウニ属バフンウニ Hemicentrotus pulcherrimus の養殖場の主人が、私が妻にいろいろとウニの生物学的蘊蓄を聴かせているのを傍で聴いて、「あんた、よっぽど、ウニ好(ず)きだな!」と言われて、「特別だ!」と奥から出し来て呉れた、自分用の塩水一夜漬けの卵巣が、至上の味だったことである。

「福州府志」明代の「福州府志萬歷本」の方で、著者不明。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで、以下の通り、確認出来た(手を加えた)。

   *

海 膽 殼圓如盂、外結密刺、肉有膏黃。土人以爲醬。

   *

「うにかい」「海膽(胆)貝」。

「甲螺」これは「棘甲蠃」(音(現代仮名遣)「キョクコウラ」)或いは「甲蠃」(同前「コウラ」)の誤り国立国会図書館デジタルコレクションのの活字本の「延喜式」巻二十四「主計上」のここの五行目に、

   *

--蠃(ウニ)・甲蠃(カゼ)各六斗。

   *

という記載を見出せる。

「延喜式」平安中期の法典。全五十巻。延喜五(九〇五)年に醍醐天皇の命により、藤原時平、継いで、弟忠平らが編修し、延長五(九二七)年に完成。「弘仁式」・「貞観式」及びそれ以降の式を取捨し、集大成したもの。康保四(九六七)年に施行された。

『霊螺子【「和名抄」。】』これも「靈蠃子」(同前「レイ(リョウ)ラシ」)の誤り。「倭名類聚抄」巻第十九「鱗介部第三十」の「亀貝類第二百三十八」に(国立国会図書館デジタルコレクションのこちら)、

   *

靈蠃子(ウニ) 「本草」に云はく、『靈蠃子【「漢語抄」に云はく、『𣗥甲蠃は「宇仁(うに)。」と。】、貌(かたち)、橘(たちばな)に似て、圓(まど)かなり。其の甲、紫色にして、芒角(ばうかく)を生ずる者なり。』と。

   *

「雲丹(うに)」「海丹(うに)」通常は、これらはウニの卵巣を加工した塩蔵品(塩辛)を指す。

『「がぜ貝」【佐州方言。「がぜ」は「海膽」の古名なり。】』「佐州」は佐渡国。ウニの古語「がぜ」の語原はよく判っていない。現在、地方によってはヒトデもガゼと呼ぶ。私は古くは棘(とげ)の短いものも長いものも(普通のヒトデでも体表に細かな凸部を持つ)、皆、かく呼んでいたのではないかと考えている。触ってツンツンした感触があるものから、刺せば、激しく痛む棘の長い種をひっくるめて、かく呼んだのではなかろうか。

『「をきのかんす」【阿州。】』「阿州」は阿波国。「沖の管子」か。細い尖った折れやすい中空の棘を針治療の「管」に擬えて、かく言ったか。

『「しほちがぜ」【遠州、荒井。】』「遠州、荒井」現在の静岡県湖西(こさい)市新居町(あらいちょう)か(グーグル・マップ・データ。浜名湖の海開部の西部分)。

『兠貝(かぶとがひ)【「かぶと貝」。「星かぶと」。】』図の下方の、棘が抜け落ちた死殻を見れば判る通り、また、梅園も説明するように、鋲を、さわに打って強化した兜(かぶと)の鉢に似ていることから。

「密刺(つの)」全体に、概ね、密(み「つ」)に鋭い棘状の角(つ「の」)が生えているのだから、当て読みとしても、言い得て妙ではある。

「漂轉(され)たる」風波に曝された。

「香(かう)ばし」高価な香道のごく小さな香を、必要なだけ、僅かに挟むものに似ているというのは、雅びな名ではないか。

「催馬樂の歌に」『「みさかなには 何よけん あはび さだをか かぜ よけん」と云へり』「催馬樂」は雅楽の曲種名。平安時代に起こり、宴遊の際に演奏された歌曲。当時の民謡などをもとにして、雅楽風な旋律にのせて、雅楽楽器の伴奏をつけたものだが、十五世紀頃には、殆んどが廃絶した。今日、雅楽の一種として宮内庁楽部に伝承されてはいるが、これは十七世紀以降に復興されたものである。なお、催馬楽の語源については定説がない。「伊勢海》《更衣》などの曲がよく知られる。サイト「紅玉薔薇屋敷の秘密」の「催馬楽篇(その三)」の中に、

   *

我家

 我が家は 帳(とばり)帳(ちょう)も垂れたるを

 大君来ませ 婿にせむ

 御肴(みさかな)に 何良けむ 鮑(あわび)栄螺(さだを)か

 石陰子(かせ)良けむ

 鮑栄螺か 石陰子良けむ

   *

とあった(現代語訳もあり)。これを含め、全体を読むに、実は歌詞の裏に極めて性的な含みが濃厚にあることが判る。

「倉橋勝尚」「倉橋尙勝」が正しい。既注であるが、再掲すると、本カテゴリで最初に電子化した『カテゴリ 毛利梅園「梅園介譜」 始動 / 鸚鵡螺』に出る、梅園にオウムガイの殻を見せて呉れた「倉橋尚勝」であるが、彼は梅園の同僚で幕臣(百俵・御書院番)である(国立国会図書館デジタルコレクションの磯野直秀先生の論文「『梅園図譜』とその周辺」PDF)を見られたい)、

「丙申八月廿六日」天保七年八月二十五日。グレゴリオ暦一八三六年十月五日。]

2022/09/07

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 砑螺・ツメタ貝 / ツメタガイ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。本図を以って見開き丁は終わっている。〔 〕は私が添えた訓読。「𨊫」は中文サイトで「乃」の異体字とあった。]

 

Tumetagai

 

砑螺【「福州府志」。「つめた貝」。】

つめた貝【「てすり貝」。越後新潟。

    「あさかほ貝」。】

 

以上、勢州二見浦産。所藏。

丙申年二月、大生氏、勢刕、大神宮拜詣、帰〔(かへ)るに〕、𨊫〔(すなは)ち〕、土産と爲(な)して、予に之れを送〔れるを〕、眞寫す。

 

 

[やぶちゃん注:入手経緯と写生の記事は、梅園にしては、ちょっと書き方が難しくなっているが、謂うところは、「この見開きに描いた個体群は、総て、伊勢の二見ヶ浦産で、現在は私自身の所蔵になるものであるが、もとは私の知人の大生氏(読みは現代仮名遣で「おおばえ」・「おおう」・「おおぶ」・「おおしょう」などがある)が、伊勢神宮を参詣して帰るに際し、土産として私に送って呉れたもので、それを写生した。」ということのように私はとった。

 これは殻表が黄褐色ではなく、紫褐色を呈した、

腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビガイ下目タマガイ上科タマガイ科ツメタガイ属ツメタガイ Glossaulax didyma

である。本図譜では、既に一度、「蛤蚌類 片津貝(カタツガイ・ツヘタ貝・ツメタ貝) / ツメタガイ」として登場している。そちらは、比較的知られる黄褐色の個体である。『武蔵石寿「目八譜」 ツメタガイ類』(リンク先は私の二〇一五年六月の電子化注。近縁種を含めて詳細に注を施してある)も、是非、参照されたい

「砑螺」この「砑」の字は、音「ガ」で「磨く・擦る・艶を出す」の意で、本種の殻表面の平滑であるのを言ったもの。私は個人的に同種の黄褐色のそれは、生体では光沢があるように見え、ついつい拾ってしまう好きな貝である。

「福州府志」明代の「福州府志萬歷本」の方で、著者不明。「中國哲學書電子化計劃」のこちらで、以下の通り、確認出来た(手を加えた)。

   *

曰紫背螺、紫色、有斑點、俗謂之砑螺。

   *

「つめた貝」この和名は「津免多貝」などと搔き、「ツベタガイ」など、異名が多い。詳しくは「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見られたいが、その「由来・語源」の項に、「ツメタガイ」は『東京湾周辺での呼び名で』「渚ノ丹敷」『より。語源は不明だが、馬や牛の爪に似ている貝なので「爪貝」なのかもしれない』とある。私は幼少より、何か、本種の光沢が冷たい感じで美しいから、と思い込んでいた。

「てすり貝」前のページにはないものの、同サイトで異名検索すると、「テスリガイ」が掛かってきた。この異名は殻表の平滑な感じから、「手摺(磨)貝」であろう。

「あさかほ貝」これは現在は異名として残っていないか。「朝顔貝」で、アサガオの花の開いた形に擬えたか(あんまり似ていないと思うけどね)。

「丙申年二月」天保七年二月。グレゴリオ暦一八三六年で三月中旬より後。]

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 䀋(シホ)シリ貝 / タテジマフジツボ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。データとクレジットは左丁の左下に、「以上勢州二見浦産 所藏」「丙申年二月大生氏勢刕大神宮拜詣帰𨊫爲土産予送之眞寫」とある。最後の「砑螺・ツメタ貝」で考証・訓読して注をするが(「𨊫」は中文サイトで「乃」の異体字とあるのを漸く見つけた)、謂うところは、「この見開きに描いた個体群は、総て、伊勢の二見ヶ浦産で、現在は私自身の所蔵になるものであるが、もとは私の知人の大生氏(読みは現代仮名遣で「おおばえ」・「おおう」・「おおぶ」・「おおしょう」などがある)が、伊勢神宮を参詣して帰るに際し、土産として私に送って呉れたもので、それを写生した。」ということのようである。]

 

Sihosirigai

 

「百貝圖」

   䀋(しほ)しり貝

 

[やぶちゃん注:」の字はピッタリくる異体字が見つからないので、最も近いものに代えた。底本では、下部全面が「皿」、上部は=(左側:「比」の字の(へん)部)+(右側:「<」左下がりにしたものを上に、その下に「囗」の中に「タ」、そのさらに下に「亠」)である。

 まず、「しほ尻」は「塩尻」で、小学館「日本国語大辞典」に、『塩田で、砂を円錐形に高く積み上げて、塚のようにしたもの。これに海水をかけて、日にかわかして、塩分を固着させる。』とあり、ご存知の通り、富士山のなりをした海浜の砂などによって形成された自然物や銀閣寺の庭の銀沙灘の近くにある向月台のように、富士山を模倣しかのような庭園の人工物のそれなどを広く指す。また、「広辞苑」には、以上の内容に続いて、『②擂鉢(すりばち)の異称。』ともある。而して、形状を見るに、まず、

節足動物門甲殻亜門六幼生綱鞘甲(フジツボ)亜綱蔓脚下(フジツボ)綱完胸上目無柄目フジツボ亜目 Balanomorpha の周殼

であることは間違いない。しかも、白地に青紫の縦縞を持ち、表面が平滑であることから、私は、

フジツボ亜目フジツボ上科フジツボ科フジツボ( Amphibalanus :シノニム Balanus )属タテジマフジツボ

に同定してよいと思われる。殻口が鞍型になっているが、周殻上部が一様に幅を持って白くそげて見えることから、これは損壊したものと考えられる。

「百貝圖」何度も出てくるが、再掲しておくと、寛保元(一七四一)年の序を持つ「貝藻塩草」という本に、「百介図」というのが含まれており、介百品の着色図が載る。小倉百人一首の歌人に貝を当てたものという(磯野直秀先生の論文「日本博物学史覚え書」(『慶應義塾大学日吉紀要』(第三十号・二〇〇一年刊・「慶應義塾大学学術情報リポジトリ」のこちらからダウン・ロード可能)に拠った)。]

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 雲貝 / 同定比定不能

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。データとクレジットは左丁の左下に、「以上勢州二見浦産 所藏」「丙申年二月大生氏勢刕大神宮拜詣帰𨊫爲土産予送之眞寫」とある。最後の「砑螺・ツメタ貝」で考証・訓読して注をするが(「𨊫」は中文サイトで「乃」の異体字とあるのを漸く見つけた)、謂うところは、「この見開きに描いた個体群は、総て、伊勢の二見ヶ浦産で、現在は私自身の所蔵になるものであるが、もとは私の知人の大生氏(読みは現代仮名遣で「おおばえ」・「おおう」・「おおぶ」・「おおしょう」などがある)が、伊勢神宮を参詣して帰るに際し、土産として私に送って呉れたもので、それを写生した。」ということのようである。]

 

Kumogai

 

雲貝(くもがひ)

 

[やぶちゃん注:半月ばかりもペンディングしてしまったのだが、こ奴のためである。海綿動物門六放海綿綱 Hexactinellida(ガラス海綿類)の骨格かと思ったが、乾燥標本では、このような群体を示すことはないと思われた。容易に想起されるのは、伊勢土産であることから、サンゴの残骸らしきものが土産物として売られていたことは十分に考えられることから、刺胞動物門花虫綱 Anthozoa の珊瑚様の何らかの種の群体ではあるものの、しかし、どうもピンとくるものが思い浮かばない。実は私の『博物学古記録翻刻訳注 ■17 橘崑崙「北越奇談」の「卷之三」に現われたる珊瑚及び擬珊瑚状生物』の「図版Ⅴ」のこれが、

 

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やや似ているように思われるのだが、そちらで注したように、海綿動物門石灰海綿綱 Calcarea に属する種群を措定してみたものの、彼らは、『炭酸カルシウムから成る方解石やアラレ石で出来た骨針を持ち、死後も他の海綿と異なり硬い』ものの、『同綱の種群は群体を造っても小さく、高さも直径も十センチメートルほどの淡褐色で、ここに示されたような大きさにはならない。お手上げである。図を最初に見た時には、容易に同定出来ると思ったのだが。識者の御教授を乞う』とした。或いは、本図の方が、海綿動物門石灰海綿綱 Calcarea に属する種群の一種の骨格とするには、相応しいのかも知れぬが、やはり、ネット上の骨格標本を見ても、今イチなのであった。二つともに、再度、識者の御教授を乞うものである。なお、梅園のそれは、或いは海産生物ではなく、何らかの石、鉱物が変成を受けたものではなかろうか? という疑問も起ったことを附記しておく。]

2022/08/22

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 紫螺・岩辛螺(イワニシ) / イボニシ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。データとクレジットは左丁の左下に、「以上勢州二見浦産 所藏」「丙申年二月大生氏勢刕大神宮拜詣帰𨊫爲土産予送之眞寫」とある。最後の「砑螺・ツメタ貝」で考証・訓読して注をするが(「𨊫」は中文サイトで「乃」の異体字とあるのを漸く見つけた)、謂うところは、「この見開きに描いた個体群は、総て、伊勢の二見ヶ浦産で、現在は私自身の所蔵になるものであるが、もとは私の知人の大生氏(読みは現代仮名遣で「おおばえ」・「おおう」・「おおぶ」・「おおしょう」などがある)が、伊勢神宮を参詣して帰るに際し、土産として私に送って呉れたもので、それを写生した。」ということのようである。]

 

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紫螺

 

岩辛螺(いわにし)【「百貝圖」。】

 

[やぶちゃん注:古くは貝紫(かいし)の原料の一種となり、また、肉が強い苦辛味を持つところの、

腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目新腹足下目アッキガイ上科アッキガイ科レイシガイ亜科レイシガイ属イボニシThais clavigera

「疣辛螺」である。私は小学生の頃、江ノ島の岩場で白いハンカチを紫に染めた記憶と、塩茹でにして食って美味かったことぐらいしか覚えがないが、ウィキの「イボニシ」は、生態の「繁殖」のパート、及び、和歌山県田辺湾での同種の個体群の二型(C型とP型)の、形態と食性が異なり、さらに二つの群が遺伝的にも異なること、しかも、日本各地に見られる同種の多くはこのC型やP型とは異なる別の型であることなど、非常に興味深い記載があり、思わず、食い入るように読んでしまった。

「百貝圖」寛保元(一七四一)年の序を持つ「貝藻塩草」という本に、「百介図」というのが含まれており、介百品の着色図が載る。小倉百人一首の歌人に貝を当てたものという(磯野直秀先生の論文「日本博物学史覚え書」に拠った)。]

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 酌子貝・シヤクシカイ / イタヤガイ(六度目)

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。データとクレジットは左丁の左下に、「以上勢州二見浦産 所藏」「丙申年二月大生氏勢刕大神宮拜詣帰𨊫爲土産予送之眞寫」とある。最後の「砑螺・ツメタ貝」で考証・訓読して注をするが(「𨊫」は中文サイトで「乃」の異体字とあるのを漸く見つけた)、謂うところは、「この見開きに描いた個体群は、総て、伊勢の二見ヶ浦産で、現在は私自身の所蔵になるものであるが、もとは私の知人の大生氏(読みは現代仮名遣で「おおばえ」・「おおう」・「おおぶ」・「おおしょう」などがある)が、伊勢神宮を参詣して帰るに際し、土産として私に送って呉れたもので、それを写生した。」ということのようである。]

 

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酌子貝【「しやくしがい」。蓋(ふた)を「緋扇貝」と云ふ。】

 

「酌子貝」、其の蓋、平らにして、薄く、一葉(いちえふ)のごとく、扇を開けるがごとし。故に「ひをうぎ貝」と云ふ。其の身、薄く、貝、凹(くぼ)く、国俗、「勺子(しやくし)とす。蓋は「勺子の貝」の上に、平(ひら)にかむり、鍋の蓋のごとく、合へり。竒とす。

 

[やぶちゃん注:本カテゴリで既に五度登場している、梅園の好きな、

斧足綱翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科イタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans

(板屋貝)である。非常に古くから右の大きく膨らんだ貝殻が「貝杓子」(かいびしゃく)として利用されてきたため、「杓子貝」「柄杓貝」の名でも広く知られていた。

「緋扇貝」「ひをうぎ貝」「緋扇」の歴史的仮名遣は「ひあふぎ」である。現行、この名は色の変異が人工着色かと思われるほどに甚だしい、イタヤガイ科Mimachlamys 属ヒオウギ Mimachlamys nobilis の標準和名となっている。]

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類  櫻貝・サクラガイ / サクラガイ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。なお、この前の見開きの図群は、本カテゴリの当初にランダムに電子化した、『毛利梅園「梅園介譜」 マテガイ』『毛利梅園「梅園介譜」 ヨメガ皿(ヨメガカサ)』『毛利梅園「梅園介譜」 蟶・アゲマキ /(種考証中)』『毛利梅園「梅園介譜」 東海夫人(イガイ)』(個人的には、このイガイの図が好きだ)で電子化注を終えている。データとクレジットは左丁の左下に、「以上勢州二見浦産 所藏」「丙申年二月大生氏勢刕大神宮拜詣帰𨊫爲土産予送之眞寫」とある。最後の「砑螺・ツメタ貝」で考証・訓読して注をするが(「𨊫」は中文サイトで「乃」の異体字とあるのを漸く見つけた)、謂うところは、「この見開きに描いた個体群は、総て、伊勢の二見ヶ浦産で、現在は私自身の所蔵になるものであるが、もとは私の知人の大生氏(読みは現代仮名遣で「おおばえ」・「おおう」・「おおぶ」・「おおしょう」などがある)が、伊勢神宮を参詣して帰るに際し、土産として私に送って呉れたもので、それを写生した。」ということのようである。]

 

Sakuragai

 

櫻貝【「さくらがい」。「花貝」。】

 

「前歌仙三十六品貝」の内、

「夫木」、

 春たてばかすみの浦の

 あま人はまづひろをてん

 桜貝をや 西行

「前哥仙」、

  花貝 「浦の錦」に出づ。

   是れは「桜貝」と云ふ者也。「花貝」とも言ふべき者也。赤く薄き介なり。横に長きを「色貝」と云ふ。此(この)「歌仙」には「花貝」とす。

  「夫木」、

     枝ながらうづ巻波の折らねばや

       ちりぢり寄する千代の花貝

      「後歌仙介集」三條院御製。

        ゆきまぜに色を尽して寄る貝は

          錦

 

櫻貝、圖のごとく、五つ合はせ寄すれば、頗る櫻花のごとし。故に名づく。

 

[やぶちゃん注:最後のそれは、図の真左に配されてあり、図のキャプションととれる。『「後歌仙介集」三條院御製』の歌の下句が、「錦」で断ち切れているのはママで、これは国立国会図書館デジタルコレクションの別人の写本でも同じである。この不審な箇所は注の最後で推理しておいた。

 さて、古くからの「櫻貝」と呼ばれてきたものは、このサクラガイの他に、

マルスダレガイ目ニッコウガイ科サクラガイ属サクラガイ Nitidotellina hokkaidoensis

を筆頭として、それと類似した形と色を持つ

サクラガイ属カバザクラ Nitidotellina iridella

ニッコウガイ科モモノハナ属モモノハナガイ(エドザクラ)Moerella jedoensis

ニッコウガイ科 Macoma 属オオモモノハナMacoma praetexta

などを含んだ種群の総称ではあるが、この図の六個(或いは左五個体に右個体が含まれているとすれば、五個体)の貝群は、形状と色の合致から、まず、総てがサクラガイであると考えてよいと思われる。

「前歌仙三十六品貝」これは摂津の香道家大枝流芳(おおえだりゅうほう ?~寛延三(一七五〇)年頃)の著になる江戸時代初の本格的な板行本の介類書である「貝盡浦之錦(かひづくしうらのにしき)」に載る「前歌仙三十六種和歌」のこと。国立国会図書館デジタルコレクションの「貝盡浦之錦」に載る「前歌仙三十六種和歌」のここからで、まさにリンク先の左丁の最後に、

   *

   桜介(さくらかい) 右二

「夫木」西行

春(はる)たてはかすみのうらのあま人(ひと)はまづひろふらんさくら貝(かい)をや

   *

と載る。

「前哥仙」「花貝」「浦の錦」に出づ」『是れは「桜貝」と云ふ者也。「花貝」とも言ふべき者也。赤く薄き介なり。横に長きを「色貝」と云ふ。此れ、「歌仙」には「花貝」とす』これも同じく「貝盡浦之錦」の「前歌仙介三十六品評(ひんひやう)」の一節。国立国会図書館デジタルコレクションの先のものの前の巻のここから。歌仙貝のそれぞれの貝の解説で、当該部はここの左丁の終りから次の丁にかけてである。

   *

  花介(はなかい)左七

蛤類(ごうのるい) 是(これ)は「桜介(さくらかい)」と云もの也。「花かい」とも云べきものなり。赤くうすき介(かい)なり。横(よこ)に長(なが)きを、「色介(いろかい)」と云。これを「桜介(さくらかい)」に取(とり)ちがへ呼(よぶ)人あり。同類(どうるい)にて別種也。此の歌仙(かせん)には「花貝(はなかい)」と云り。

  *

太字にした箇所は、梅園がカットした部分である。因みに、この『横(よこ)に長(なが)きを、「色介(いろかい)」と云』というのは、私の遺愛する(しかし、皆、人にあげてしまった)斧足綱異歯亜綱マルスダレガイ目ニッコウガイ超科ニッコウガイ科ベニガイ属ベニガイ Pharaonella sieboldii のことである。そのため、わざわざ私は最初で、「この図の」と言ったのだ。

「夫木」「枝ながらうづ巻波の折らねばやちりぢり寄する千代の花貝」同じく「貝盡浦之錦」の「歌仙貝三十六種歌後集(ごしゅう)」の一節。国立国会図書館デジタルコレクションの二巻目のここからで、当該箇所はここの右丁最後。

   *

   花(はな)貝 右 二

「夫木」

枝(えだ)ながらうづまく波(なみ)のおらねばやちりぢりよする千代の花貝(はなかい)

   *

「後歌仙介集」「三條院御製」「ゆきまぜに色を尽して寄る貝は錦」前と同じ見開きに左丁の二種目の歌。

   *

   錦(にしき)貝  左 四

三條院御製

ゆきまぜに色(いろ)をつくしてよる貝はにしきの浦(うら)とみゆるなりけり

   *

梅園が、ここまで書いて、突然、断ち切った理由が、やっと判った。「櫻貝」は美しいから、「錦貝」もまた、同類だろうと、安易に考えて、彼はこの歌をうっかり書いてしまったのではないか? しかしその直後、恐らく、梅園は、同書の「後歌仙介之圖」の図を見たのだ。ここの左丁の左の最上部のそれだ。これは明らかに、現在の、斧足綱翼形亜綱カキ目イタヤガイ亜目イタヤガイ科カミオニシキ亜科カミオニシキ属ニシキガイ Chlamys squamata によく似ている。無論、サクラガイとは縁もゆかりもない。それに気づいて、ここで筆を止めたのであろう。本図譜に合わせる際にはカットしようと考えていたのを、うっかりカットせずに貼り合わせてしまったのではなかろうか?

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 赤蜆・黃蜆 / ヤマトシジミ或いはマシジミ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。]

 

Akasijiimikisijimi

 

赤蜆(あかしじみ)

 

     黃蜆(きしじみ)

 

  丙申六月廿八日、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:本邦の在来種のシジミは三種で、

異歯亜綱シジミ科上科シジミ科 Corbicula 属ヤマトシジミ Corbicula japonica

同属マシジミ Corbicula leana

同属セタシジミ Corbicula sandai

で、それぞれについては、「大和本草卷之十四 水蟲 介類 蜆」の注で並置して簡単に解説しておいたが、最後のセタシジミは名にし負う、琵琶湖及びその周縁の瀬田川などの河川に限定される固有種であるから、江戸の梅園が、それを入手するのは難しく、特に誰かのコレクションの写生とも思われないので、外してよいだろう。

 さて、では、ヤマトシジミかマシジミかということになるが、ヤマトシジミは「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページの左から二番目と三番目の画像を見るに、赤褐色の個体と、有意に黄みを帯びた種が混在している。二番目の画像のキャプションには、『比較的若い個体』群とあり、『小さいものは黄色みを帯びている』とある。しかし、一方、マシジミの方は、当該ウィキによれば、『殻の表面は若いうちは黄褐色、成長につれて黒味がかり、緑色、黒色と変化していくが、生息場所の影響を強く受ける。成長につれて規則的な同心円状の凹凸がある』とあるから、どちらかに限定比定することは難しい。ぼてぶりの蜆売りや、魚店から入手したものならば、孰れかの同一種である可能性は多少は高くはなるかも知れぬ。

「丙申六月廿八日」天保七年。グレゴリオ暦一八三六年八月十日。]

毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 海蛇・ハマガヅラ・蛇貝(ジヤガイ) / オオヘビガイ

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションのここからトリミングした。一部をマスキングした。]

 

Oohebigai

 

海蛇【「はまかずら」。】

  【「蛇貝(へびがい)」。鎌倉。】

  【「へび貝」。江戸大森。】

魚に海蛇と云者は◦「ゑらぶ鰻鱺(うなぎ)」なり。又、「海蛇」を以つて、「水月(くらげ)」と為(な)すは、誤りなり。

 

丙申四月五日、大森より求め、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:これは文句なしに、

腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目ムカデガイ科オオヘビガイSerpulorbis imbricatus

としていいだろう。私自身は、ここまで複数個体が積層している個体群を見たことがないのだが、「きしわだ自然友の会」公式サイト内の和歌山市大川(グーグル・マップ・データ)での「大川磯の観察会」のページの上から四枚目にそうした多数の個体群落が確認できた。

「海蛇」「カイジヤ」或いは「カイタ」「カイダ」と音で読んでいるか、「うみへび」と訓じているかは、確定できない。解説冒頭の「海蛇」は、一文の内容から「うみへび」でよいかと思うが、二文のクラゲの誤りとする「海蛇」は後注する通り、漢字の誤りがあり、その場合、「カイタ」「カイダ」と読んでいる可能性が頗る高いからである。

「はまかづら」「濱葛」で、この場合の「葛(かづら)」は陸の絡み着く蔓性植物の総称のそれである。

「江戸大森」現在は干拓と人口の運河となって、梅園が赴いた大森の本来の海辺は存在しないので、「今昔マップ」で示す。

「ゑらぶ鰻鱺(うなぎ)」梅園は「魚」と言っているが、れっきとした真正のヘビで猛毒(ハブ(爬虫綱有鱗目クサリヘビ科ハブ属ハブ Protobothrops flavoviridis )の七十~八十倍とされる神経毒エラブトキシン。但し、本種の性質がおとなしいことや、口が小さいことから、咬傷事故は思ったよりも少ない。例えば、『沖縄県公害衛生研究所報』(第二十四号・一九九〇年)の新城安哲・下地邦輝・富原靖博三氏の共同論文「沖縄県における海洋性有害生物による被害」PDF)の一九二七年から一九八九年十二月まで六十余年間の内、筆者らが集計できたデータでは、105ページに載るが、確かなエラブウミヘビ属による咬症ケースは一例のみ(死亡)である)を持つ、

有鱗目コブラ科エラブウミヘビ属エラブウミヘビ Laticauda semifasciata

である。参照した当該ウィキによれば、『日本では南西諸島に分布』し、『池間島・石垣島・西表島・久高島・仲之神島・宮古島などで繁殖例があり、繁殖地の北限は硫黄島(鹿児島県三島村)』であるが、『黒潮に乗って、九州以北まで漂流することもある』とし、さらに、『最も寒い時期の海水表面温度が約』摂氏十九度『以上の海域が分布域とされる』。『本種は本来、南西諸島を分布の北限としていたが、近年では、九州や四国、本州の南岸でも生息が確認されている。これは地球の温暖化が影響していると見られている。まれに、海流に乗り』、『本来の生息海域よりも高緯度の海域で捕獲されることもあり』、一九二〇年代には『日本海で捕獲された記録も残っている』とある。

『「海蛇」を以つて、「水月(くらげ)」と為(な)すは、誤りなり』これは、例えば、私の

寺島良安「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海䖳(くらげ)」の項

を見て貰うと真相が見えてくるはずである。そうである。

「海蛇」ではなく、「海が正しく、この「」の字は正真正銘、クラゲを表わす古くからの漢語(字)

なのである。本邦の本草学のバイブルである明の李時珍の「本草綱目」では、クラゲについては、巻四十四の「鱗之三」(魚類)の中に入っている。私は、クラゲ・フリークなので、「漢籍リポジトリ」のこちら[104-50b]の影印本を参考に、国立国会図書館デジタルコレクションの寛文九(一六六九)年板行の訓点本の当該部を見つつ、訓読して電子化しておくと、

   *

海䖳(かいた)【「拾遺」。】

釋名「水母(すいぼ)」【「拾遺」】・「樗蒲魚(ちよぼぎよ)」【「拾遺」】・「石鏡(せききやう)」【時珍曰はく、「䖳」、「宅」に作る。二音。南人、訛りて「海折」と爲(な)す。或いは、「蜡鮓(しよさく)」と作(な)す者は、並びに非なり。劉恂が云はく、『閩人(びんひと)、「䖳」と曰(い)ひ、廣人(かうひと)「水母」曰ふ。「異苑」に「石鏡」と名づくなり。』と。】

集解【藏器曰はく、『䖳、東海に生ず。狀(かたち)、血䘓(けつかん)[やぶちゃん注:「血の凝固した塊り」の意か。]の大なる者のごとし、牀(とこ)のごとし。小なる者は、斗(しやくし)のごとし。眼目・腹・胃、無し。蝦(えび)を以つて、目と爲(な)し、蝦、動けば、䖳、沈む。故に曰ふ、「水母の目の蝦」と。亦、猶ほ、蛩蛩(きやうきやう)の駏驉(きよろ)に與(くみ)するがごときなり。煠(ゆ)で出だして、薑醋(しやうがず)を以つて、之れを進む。海人、以つて常の味(あじはい)と爲す。』と、時珍曰はく、『水母、形、渾然として凝結す。其の色、紅紫なり。口・眼、無し。腹の下、物、有り、絮(わた)を懸くるがごとし。羣蝦(むれえび)、之れに附きて、其の涎-洙(よだれ)を咂(す)ふ。浮-汎(う)きて、飛ぶがごとし。潮(うしほ)の爲めに、擁(いだ)かれるときは、則ち、蝦、去りて、䖳、へることを得ず。人、因りて、割(さ)きて、之れを取る。浸(ひた)すに、石灰の礬水を以つて、其の血汁を去る。其の色、遂に白し。其の最も厚き者は、之れを「䖳頭(たとう)」と謂ふ。味、更に勝れり。生熟なるものは、皆、茄柴灰(かさいばい)に鹽水を和し、之れを淹(つけ)て、食ふべし。良なり。】

氣味鹹・溫、毒、無し。主治婦人の勞損・積血・帶下。小兒の風疾。丹毒。湯火傷【藏器。】。河魚の疾(やまひ)を療す【時珍、「異苑」に出づ。】

   *

「蛩蛩」は幻想地誌「山海経」(せんがいきょう)」の「海外北経」に出る、北海の水中に棲息し、白い馬の形をした獣とする。「駏驉」は♂の馬と♀の驢馬の交雑種。以上の共生関係を言っている。

 さて、以上から判るように、日中の本草書では、概ね、クラゲを正しく「海蛇」ではなくして「海」と記しているのであるが、それを転写するに、「蛇」の字と勘違いしている記載や人々が多かったのを、梅園は「違う」と言っているのである。

「丙申四月五日」天保七年。グレゴリオ暦一八三六年五月二十日。以下の「求」の下の字は「從」の崩し字と判じ、「より」と訓じた。]

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