フォト

カテゴリー

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 吾輩ハ僕ノ頗ル氣ニ入ツタ教ヘ子ノ猫デアル
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から
無料ブログはココログ

カテゴリー「毛利梅園「梅園介譜」」の33件の記事

2022/01/24

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 團扇蟹(ウチハガニ) / 不詳(識者の御教授を乞う)

 

[やぶちゃん注:底本のここからトリミングした。キャプションは位置を変更した。このクレジットの「两品」は恐らく上記全図の左手にある「ケンガニ」との二種を指すものと思われる。]

 

Utihagani

 

團扇蟹(うちはがに)

 

甲表

 

腹裏

 

两品天保七(かのえさる)年五月十五日、指谷先生、之れを送らるを、圖す。

 

[やぶちゃん注:種同定が全く出来なかった。識者の御教授を乞うものである。

「天保七年年五月十五日」一八三六年六月二十八日。

「指谷先生」不詳。]

2022/01/23

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 鞍掛鰕(クラカケヱビ) / ボタンエビ

 

[やぶちゃん注:底本のここからトリミングした。左下方は「ケンガニ」のキャプションの一部と同種の鋏、右手下方の「腹」は「團扇蟹(ウチハガニ)」のキャプションで無関係。]

 

Kurakakeebi

 

鞍掛鰕(くらかけゑび)

其の形、此くのごとく、脊(せ)の甲、馬に鞍を置きたるがごとし。故、名づく。「あをりゑび」とも充(あ)つ。此のゑび、其の身、甲の皮、「あをり」のありて、水を遊(およ)ぎ行く時、「あをり」て、以つて、鰭[やぶちゃん注:底本は「魚」の下方を「大」にし、「曰」を下方全体に配した字体。]のごとく、つこう[やぶちゃん注:「使ふ」の口語。]と云ふ。

 

[やぶちゃん注:この和名異名は生きていないが、形状の細部描写から、

十脚目タラバエビ科タラバエビ属ボタンエビ Pandalus nipponensis

ととってよい。私は毎週、行きつけの寿司屋で必ず刺身で食う、エビ・カニの中では特異的に好きな種である。当該ウィキを引く。『海洋生物学者であった東京帝国大学農学部の横屋猷(よこや ゆう)博士』(明治二四(一八九一)年~昭和四四(一九六九)は、昭和八(一九三三)年の東京帝国大学『農學部紀要』で、『日本周辺の大陸棚に生息している多数の十脚目甲殻類を報告した』が、『本種』Pandalus nipponensis Yokoya, 1933も『そのひとつである』。『体長は』十三センチメートルから二十センチメートルを『超える大型のものもいる。体色は濃いオレンジ色である。鮮度が落ちると、次第に黄色っぽくなる。額角(がっかく)の中央部付近と背部の赤味が濃い。殻から内臓が透き通って見える』。第一~五『腹節の側面に各』二『個の赤い不定形の斑紋(はんもん)がある』。『この斑紋が牡丹の花びらを散らしたように見えることが名前の由来であるという説と、体色が全体に赤く』、『牡丹色が連想されたことが由来であるという説が見られる』。『額角は頭胸甲(とうきょうこう)の』一~一・五『倍と長い。頭胸甲の背面の隆起は』同属のトヤマエビ Pandalus hypsinotus『と比べると低い』(なお、トヤマエビは本種と異なり(後述)、日本海全域からベーリング海にかけて棲息し、富山湾で最初に漁獲されたことから「トヤマエビ」と名付けられ、漁獲高も多い)。ボタンエビは『日本海には分布せず、太平洋側の宮城県沖以南にだけ分布する日本固有種で、大陸斜面の水深』三百~五百メートルに『生息する』。『かつては福島県の小名浜沖、東京湾、高知県の土佐湾などでも獲れたが』、『沖合底曳網漁の衰退により、現在では千葉県の銚子沖や静岡県の駿河湾、三重県の尾鷲沖などで少し獲れるだけになってしまった。市場には「牡丹海老」の名で複数種の赤いエビが出回っている』。十月から五月に『かけて、底引き網漁で捕獲される。ボタンエビは傷みやすいので、生きたまま持ち帰るためには鮮度を保ついろいろな工夫が必要となる』。『卵は青緑色でプチプチして美味。その大きさは』三・四×二・三ミリメートルで『タラバエビ属では最大である』。『卵が大型であり、幼生は短縮発生』(浮遊幼生期が短いことを指す語であろう)『するので、分散力は弱いと考えられる。一度に』五百~千二百『個程度を産卵し、メスが約』一『年に渡って抱卵する』。『幼生の成長は「卵黄依存型」で、研究環境で』六『段階が確認されていて』、『幼生段階が』一から四『期、後期幼生段階が』五乃至六『期である』。『雌雄同体』で『雄性先熟、すなわち』、『若い個体は繁殖期がやってきた時に』は、まず、『オスとして繁殖に参加するが、成長するとメスに性転換する。このため、体長』十三センチメートル『前後を超える大型の個体はすべてメスとなる』とある。

「あをり」「あふり」が正しい。漢字は「障泥」「泥障」と書く。馬具の付属具で、鞍橋(くらぼね)の四緒手(しおで)に結び垂らして、馬の汗や蹴上(けあ)げる泥を防ぐもの。下鞍(したぐら)の小さい大和鞍や水干鞍に用い、毛皮や皺革(しぼかわ)で円形に作るのを例とするが、武官は方形として、「尺(さく)の障泥(あおり)」と呼んで用いた。馬具のそれらは、引用元である「デジタル大辞泉」の同語の解説に添えられた解説図を参照されたい。]

2022/01/22

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 貝蟹(ヤドリガニ) / カギツメピンノの♀か

 

[やぶちゃん注:底本のここからトリミングした。以下の解説中の下線は底本では二重右傍線で、「「たすき」と」で「と」まで引かれているのはママである。]

 

Yadorigani

 

貝蟹【「やどりがに」。】

 

「南越志」に曰はく、『璅蛣(さうきつ)、長さ、寸餘り、大なる者、長さ二、三寸、腹中、蟹の子、有り、楡莢(ゆけふ)のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱(とも)に蛣と爲りて、食を取る。』と。今、常の文蛤(はまぐり)に蟹ある者、徃々あり、蟹ある蛤(がふ)は、肉、必ず、瘦せたり。『蠣の肉、亦、蟹となる』

 

此の蟹、「馬訶貝(ばかがひ)」のむき身の膓(はらわた)より、二つ、出でたり。其のむきみ、各(おのおの)、舌、なし。蟹、肉中より生ずるや、亦、外より、貝に入り、肉を食ふや。然らず。此の蟹、其の甲・腹、甚だ柔らかなり。肉ゑ、入りたると、思はず。肉より生じ、肉を食ふならん。蛤(ごふ)のみに限らず、いづれの貝にも有りぬべし。其の狀(かたち)、大いさ、圖のごとし。乾して、之れを藏す。又、曰はく、此の「小がに」、むき身の、ひらひらしたる処を、「たすき」と云ひ、「はかま」とも云ひ、其の「たすき」「はかま」の薄き皮との間に、此の「かに」、出入りす。口を開けども、殻の外ゑ、出て遊ぶにや。全躰、入るべき餘地、なし。

 

丙申(ひのえさる)十一月十六日、之れを採り、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:これは、

甲殻亜門軟甲(エビ)綱真軟甲亜綱ホンエビ上目十脚(エビ)目抱卵(エビ)亜目短尾(カニ)下目原始短尾群 Thoracotremata(トラコトレマータ)亜群カクレガニ上科カクレガニ科 Pinnotheridae カクレガニ亜科 Pinnotherinae のカクレガニ類

の内、バカガイ(斧足綱異歯亜綱バカガイ上科バカガイ科バカガイ Mactra chinensis 。恐らく江戸湾産)から出現したことと、背甲の見た目の模様や腹部側の図からは、最も普通に見られる、

シロピンノ属カギヅメピンノ Pinnotheres pholadisの♀

ではないかと思われる。「長崎歴史文化博物館」公式サイト内の、ライデン国立自然史博物館蔵の同種の博物画()を見られたい。梅園の絵と、よく似ていることが判る。

『「南越志」に曰はく、『璅蛣(さうきつ)、長さ、寸餘り、大なる者、長さ二、三寸、腹中、蟹の子、有り、楡莢(ゆけふ)のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱(とも)に蛣と爲りて、食を取る。』と。今、常の文蛤(はまぐり)に蟹ある者、徃々あり、蟹ある蛤(がふ)は、肉、必ず、瘦せたり。』ここまでは、実はまたしても呆れた孫引きで、貝原益軒の「大和本草卷之十四 介類 海蛤」の一節である。結構、リキを入れて注釈したので、そちらから私の注を転載する。

「南越志」晋代の作とされる沈懐遠撰になる南越(広東・広西・ベトナム北部域)の地誌。

「璅蛣(さうきつ)」「廣漢和辞典」の「蛣」の項に、蛸蛣(ソウキツ)・璅蛣(ソウキツは「蟹奴(カイド)」ともいい、腹の中に蟹の子を宿して共同生活をする一種の虫とある。そこで……「璅蛣」の日本語で検索をかけたら……あらまぁ……僕のテクストやがな、この「生物學講話 丘淺次郎 第五章 食はれぬ法 (二)隠れること~(5)」は……。まあ、ええわ。ともかくも、この「蟹奴」から連想するのは確かに最早、リンク先で私が注している通り、カクレガニ科 Pinnotheridae に属するカニ類しかあるまい。同科の種の殆んどは貝類等の他の動物との共生性若しくは寄生性を持つ。甲羅は円形乃至は横長の楕円形を呈し、額は狭く、眼は著しく小さい。多くの種は体躯の石灰化が不十分で柔らかい。本邦には四亜科一四属三〇種が知られる。二枚貝類の外套腔やナマコ類の総排出腔に棲みついて寄生的な生活をする種が多く、別名「ヤドリガニ」とも呼称する。一部の種では通常は海底で自由生活をし、必要に応じてゴカイ類やギボシムシなどの棲管に出入りするものもいる。基準種カクレガニ亜科オオシロピンノ Pinnothres sinensis などの属名 Pinnotheres から「ピンノ」とも呼ぶ。宿主の体を食べることはないが、有意に宿主の外套腔や体腔等の個体の内空間域を占拠するため、宿主の発育は阻害されると考えられ、この点から私は寄生と呼ぶべきであると思っている(以上の記載は主に保育社平成七(一九九五)年刊「原色検索日本海岸動物図鑑[Ⅱ]」及び平凡社「世界大百科事典」の記載を参考にし、以下の種記載は主に前者に拠る)。

「長さ寸餘り、大なる者、長さ二、三寸」長さ約三センチメートル、大きなものは六~九センチメートル強。

「腹中、蟹の子有り。楡莢(ゆけふ)のごとく、體を合はせ、共に生ず。俱に蛣と爲りて、食を取る」「楡莢」はバラ目ニレ科ニレ属Ulmus の実を包む羽のような形の莢(さや)のことを指す(なお、これは食用になる)。――さて、ところが実は、私はこの叙述を読みながらふと、これはカクレガニなんかではなく、カニ類に寄生する顎脚綱鞘甲亜綱蔓脚下綱根頭上目Rhizocephala のケントロゴン目 Kentrogonida 及びアケントロゴン目 Akentrogonida に属する他の甲殻類に寄生する寄生性甲殻類であるフクロムシ類のことを言っているのではなかろうかと感じたことをここで述べておきたい。それを説明し出すと、これまた、注がエンドレスになりそうなので、これについては、フクロムシを注した私の電子テクストである「生物學講話 丘淺次郎 四 寄生と共棲 二 消化器の退化」をリンクするに留めおくが、私は実は、何かまさしくモゾモゾゾクゾクするぐらい探りたい好奇心を禁じ得ないでいることは最後にどうしても述べておきたいのである。

「つねの文蛤などに蟹あるも徃々あり、蟹ある蛤(がふ)は、肉、必ず、瘦せたり」上記カクレガニ(ピンノ)類は宿主の体を食べることはないが、宿主の外套腔や体腔等の個体の内空間域を占拠するため(特に私がアサリで実見したある個体は吃驚するほど巨大で、その宿主のアサリは有意に軟体部が小さかったことをよく覚えている)、私は「必ず瘦せ」ているとは思わないものの、宿主の発育は相応に阻害され得ると考えており、この点から私は彼らは寄生と呼ぶべきであると考えていることを申し添えておく(これには反論される研究者もあるとは思われる)。因みに、そちらでも私が述べているが、「蛤(がふ)」は二枚貝の広称ではなく、「はまぐり」と読んではならない。日本人はすぐにこれを「はまぐり」と読みたがる悪い癖がある。

「蠣の肉、亦、蟹となる。」この部分も、やはり「大和本草卷之十四 水蟲 介類 牡蠣」からの孫引き。但し、最後に「云々」とあるから、梅園はこれで孫引きであることを示しているとは言えるが、ちゃんと「大和本草」が元だと断るのが筋だ。

「肉より生じ、肉を食ふならん」トンデモ化生説の宙返り版である。

「たすき」「襷」。

「はかま」「袴」。土筆の「はかま」と言うでしょ。

「口を開けども、殻の外ゑ、出て遊ぶにや。全躰、入るべき餘地、なし。」なんとなく言い方がおかしく、意味が判らない。

「丙申十一月十六日」天保七年。グレゴリオ暦一八三六年十二月二十三日。]

2022/01/21

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 大脚蝦(テンボウヱビ)・白タヱビ・田ヱビ / テッポウエビ(概ね図のみ)・テナガエビの第二歩脚の欠損個体(解説内)・シラタエビ・ヤマトヌマエビ(最後は再出か)

 

[やぶちゃん注:三種、描かれているが、「白タヱビ」(恐らくは「しらたえび」と読む)に対応する解説は見当たらない(恐らくは長い解説の後半に出る芝エビ云々がそれらしい)。しかも面倒なことに、その「白タヱビ」の触角が「田ヱビ」の解説文にかかってしまっているため、三種を纏めて電子化することにした。]

 

Tenbouebihoka

 

「邵武通志(しやうぶつうし)」に出づ。

   大脚蝦(タイキヤクカ[やぶちゃん注:左ルビ。])【「てんぼうゑび」・「てんごう」(備前)・「堅田(かたた)ゑび」(江州)・「泻(かた)ゑび」(賀州)。】

 

「湖中産物圖證」、蝦の條下に曰はく、『一種、小なる有り、頭尾共(とも)に二寸許り、又、五、六分の者あり。其の頭身半(なか)ばをなす鬚に、條あり、長く、足(あし)は、長短なり。皆、同じ。惣身(そうみ)、灰色にして、眼、大なり。夏秋の間、鮞(はららご)あり。腹外、脚手の間に、此れを抱(いだ)く。「松原ゑび」と云ふ。名品とす。松原は地名。湖邊の一湊(いち、みなと)なり。又、「堅田ゑび」と呼ぶ。其の形、「松原ゑび」と同じくして、一手(いつて)、大にして、一手、小なり。其の外、異なること、なし。此れ、「邵武府志」に出だす「大脚蝦」なりと、蘭山先生の説なり。此のゑび、勢多の獅子飛(ししとび)へ落ち、宇治川・伏見・淀・橋本邊へ落ち下りて、大いさ、頭尾共に、三、四寸。足の長さ、四寸許り。鬚は、足より短く、肉、太くして、甚だ美味となる。此れ、五、六月の候なり。右の邊、名産とす。鹽に製して、夏日、遠くに寄す』。 予、曰はく、「大脚蝦」、則ち、「堅田ゑび」なり。江戸芝浦の名産「芝ゑび」の中に、ま〻、あり。前説、『鬚、足より短く』と云ふ者、未だ見ず。此者、茲(ここ)に圖するは、何れの國の産や知らず。好子某氏所藏、之れを乞ひ、天保十亥年二月七日、之れを寫す。

 

此者、出水(でみづ)の後、田の中に生ず。干-乾(ほ)し、多く市中(いちなか)に賣る。「てゑび」とも、「はかりゑび」とも

 

丁酉三月十二日、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:これは非常に困った。図されたものと、下方に書かれた解説に、生物学上、合致得ない乖離があるからである。まず、大振りの赤いザリガニのように描かれた図のそれは、テッポウエビ科 Alpheidae の最大級の種である(体長は五~七センチメートルほどであるが、さらに第一歩脚は大きな鉗脚として発達し、これを含めると、大型個体は十センチメートルを超える。第一歩脚は左右で太さと形態が異なり、大きい方は掌部(中ほどの関節から鋏の付け根まで)は指部(鋏部)の三倍ほど長く、重厚で、指部は、短いものの、太くて、鋭い。小さい方は逆に指部が掌部の凡そ三倍あり、咬み合わせ部分に隙間がある細長い鋏となる。大きい方の鋏を、一旦、開いて急速にぶつけ合わせ、「パチン!」という大きな破裂音を出すことが出来る。これは敵に遭遇した時の威嚇や、獲物を気絶させる際に、この行動を行う。以上は当該ウィキに拠った)、

十脚目抱卵(エビ)亜目コエビ下目テッポウエビ上科テッポウエビ科テッポウエビ属テッポウエビ Alpheus brevicristatus

にしか見えない(なお、同種の生時の体色は淡緑褐色で、背面には淡い白斑が散らばる。しばしばお世話になる鈴木雅大氏のサイト「生きもの好きの語る自然誌」の同種のページに生体写真があるので参照されたい。本図がザリガニのように赤いのは、乾燥標本にするために茹でてあるからであろう。但し、近縁種のフタミゾテッポウエビAlpheus bisincisus は生時でもピンク色或いは褐色を呈してはいる個人ブログ「田中川の生き物調査隊」の「フタミゾテッポウエビ」及び「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の当該種のページをご覧あれ)。ところが、テッポウエビは日本を含む東アジア沿岸海域の内湾・浅海の砂泥底、則ち、干潟にのみに棲息する海産エビで、内陸の「堅田(かたた)ゑび」「江州」=近江国や、「泻(かた)ゑび」という呼称は「潟エビ」で如何にもテッポウエビでいいのだが、その地方名が、完全な内陸の「賀州」=伊賀国、ひいては、後に延々と解説されている琵琶湖と、そこから流れ出る河川域にはテッポウエビは棲息しようがないので、違う。但し、「てんぼうゑび」「てんごう」(備前)というのは、テッポウエビを指している可能性が頗る高いから、ここで同定の一候補として挙げてよいと私は判断した。「てんぼう」とは「手ん棒」で、「てぼう(手棒)」の音変化で「怪我などのために指や手がなく、棒のようになっていること」を言う古語である(但し、差別的ニュアンスがあるので、廃語とすべきものである)。

 さて、では、

この琵琶湖産(本文で引く「湖中産物圖證」(こちゅうさんぶつずしょう:現代仮名遣)は藤居重啓なる人物によって文化一二(一八一五)年に書かれた、琵琶湖の水棲動物についての図説。国立国会図書館デジタルコレクションで写本(複数巻)が視認でき、その「下」の「卷三上」のここで、梅園の引用した箇所が読める)の――純淡水産エビで――左右の歩脚の内の一対の片方の長さが短い種――とは一体、何か?

ということを考えねばならなくなった。しかし、だ。本邦に棲息する淡水エビで、左右の鋏脚が有意に長短になっている種というのは、調べた限りでは――いない――のである。

 困った。いろいろ調べる内、少年の頃、よく採ったアメリカザリガニのことを連想した。彼らは脱皮をする。脱皮直後は我々は「こんにゃく」と呼んだが、非常に柔らかく、外敵に直ぐ襲われる。すると、片手を食われることがあり、片手のない個体をよく見かけた。脱皮前の成体でも同種間の共食いや外敵によって、片手を捥ぎ取られて、再生中の個体もいた。そんなことを考えてみて、

「川エビ類も、脱皮直後にそうした事態となり、片手がなかったり、半分食われて短くなったりする個体が、生物群の圧が大きければ大きいほど、有意に出現することになるのではなかろうか?」

と思ったのであった。さらに、先に示した「湖中産物圖證」の解説の前の部分にエビの絵があった。それは、しかも、どう見ても、下方のそれは、既出のテナガエビにしか見えないのだった(参考図としてトリミングして以下に示す。左下のふにゃふにゃは、原本写本の虫食い穴である。上部の図の種は不明だが、触角が目立って長いのは、関西で「シラサエビ」「湖産エビ」と呼ばれて釣り餌になるテナガエビ亜科スジエビ属スジエビ Palaemon paucidens と考えてよいか)。

 

Kotyusanbutuzusyouebi

 

江戸時代当時の琵琶湖の水棲生物は非常に種に富み、固有種も沢山いた。しかも、テナガエビは同種個体間でも縄張り意識が強く、他の個体と遭遇すると、積極的に戦って排除をする。だとすれば、それだけ、テナガエビが鋏脚の一方を欠損する確率は高くなることになる。とすれば、普通のエビよりも片手という印象が甚だ強くなるわけだ! さればこそ、私はこれは、

節足動物門軟甲綱ホンエビ上目十脚目テナガエビ科テナガエビ亜科テナガエビ属テナガエビ Macrobrachium nipponense 片方の鋏脚の欠損個体

を指していると断じたいのである。

 なお、そんなことを考えつつ、ネットの川エビ類の記事をも縦覧していたところ、ab3mai氏のサイト「淡水エビの飼育と観察『蝦三昧』」の『淡水エビの見分け方 基本の「き」』を読んだところ、通常の淡水産のエビ類も、脱皮直後の個体が、共食いや外的などによって鋏脚を食われてしまい、片方を持たない個体が結構出現することが、はっきりと書かれてあった。特に肉食性の強いテナガエビでは、テナガエビでありながら、『両腕とも取れてしまっている個体もたまに見掛け』るあったのである。

 次に、中央下の「白タヱビ」であるが、これは文字通りの、

抱卵亜目テナガエビ科スジエビ属シラタエビ Exopalaemon orientis

である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを見られたいが、そこには体長は七センチメートル『前後になる。生きているときには透明で』、『死ぬと白くなる。額角が長く鋭い』とあり、漢字表記は『白太蝦』で、『「白太」とは白いということで、赤の反対語。これから』、『熱しても赤くならないということか。もしくは白いエビという意味合い』とする。分布は『浅い汽水域』で、『函館以南〜九州。韓国、台湾、中国』とし、『汽水域でとれる小エビのひとつ』で、『有明海周辺では干しエビにもな』り、『かき揚げに、だしなどに産地では人気が高い』と記されてある。梅園の『江戸芝浦の名産「芝ゑび」』(十脚(エビ)目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科ヨシエビ属シバエビ Metapenaeus joyneri既出)『の中に、ま〻、あり』とあるのが、シラタエビのことであろう。

 最後の左手の「田ヱビ」であるが、これは『毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 車ヱビ(クルマヱビ)・泥蝦(ノロマヱビ)の二種/ 前者「クルマエビ」・後者「ヌマエビ」の一種或いは「ヤマトヌマエビ」』で、バイ・プレーヤー「ノロマヱビ」の名で、小っちゃく、ちょこっと出た、

十脚目コエビ下目ヌマエビ科ヒメヌマエビ属ヤマトヌマエビ Caridina multidentata

と図がよく似ているのが判る。これに同定したい。

「邵武通志(しやうぶつうし)」既出既注。邵武府(しょうぶふ)は元末から民国初年にかけて、現在の福建省南平市西部と三明市北部に跨る地域に設置された行政単位。この附近(グーグル・マップ・データ)。ばっちり、内陸で、閩江が貫流する。同書は明代に陳譲によって編纂された同地方の地誌で、一五四三年の序がある。従って、「大脚蝦(タイキヤクカ)」は少なくとも、海産のテッポウエビではなく、淡水産のテナガエビ或いは近縁種かと思われる。ここ以下は、やはり、『毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 車ヱビ(クルマヱビ)・泥蝦(ノロマヱビ)の二種/ 前者「クルマエビ」・後者「ヌマエビ」の一種或いは「ヤマトヌマエビ」』の注で、「重修本草綱目啓蒙」の「四十 無鱗魚」の「鰕」から(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの同原本の当該部)引いておいたので、そちらを見られたい。

「足は、長短なり。皆、同じ」「前説、『鬚、足より短く』と云ふ者、未だ見ず」先に述べた通り、これは食われた結果の欠損個体と私は断ずるものである。

「鮞」卵。

『「松原ゑび」と云ふ。名品とす。松原は地名。湖邊の一湊(いち、みなと)なり』現在の滋賀県彦根市松原町(まうばらちょう:グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「堅田ゑび」現在の滋賀県大津市堅田(かたた)。現在も過去も「かただ」ではない。

「勢多の獅子飛(ししとび)」現在の滋賀県大津市石山南郷町にある鹿跳(ししとび)渓谷。私の「譚海 卷之三 鹿飛口干揚り(雨乞の事)」を参照されたい。

「橋本」京都府八幡市橋本

『予、曰はく、「大脚蝦」、則ち、「堅田ゑび」なり』既に検証した通り、完全な誤りである。

「好子」好事家。

「天保十亥年二月七日」グレゴリオ暦一八三九年三月二十一日。

「てゑび」「はかりゑび」孰れも不詳。後者は乾した微小なそれを秤(はかり)売りしたからかとも思われる。

「丁酉三月十二日」天保八年。グレゴリオ暦四月十六日。]

2022/01/20

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 江蝦(ケンヱビ)前後二圖 / ハコエビ

 

Hakoebif

 

Hakoebib

 

江蝦【「けんゑび」・「鬼ゑび」・「かぶとゑび」。】

 

江蝦、其の身・殻、龍蝦(いせえび)に非(あらざ)るに、尤も堅く、たくましく、脊、三稜(さんりやう)にして、劔(つるぎ)の脊のごとく、形、蝦姑(しやこ)に似て、鬣(ひれ)なく、角(つの)の長さ、尺に至る。角、各々(おのおの)二つに合(がつ)せるがごとく、幷(なら)びつけり。身の長さ、尺に至る。魚戶(うをと/さかなや)、「鎌倉ゑび」と呼ぶは、非なり。「かまくら蝦」は龍蝦(イセヱビ[やぶちゃん注:左ルビ。])なり。此の者、其の腹裏、口の上に女面(をみなのめん)をあらはす。後の圖を見るべし。

 

乙未(きのとひつじ)十月廿八日、倉橋氏より、之れを送るを、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:以上、底本の国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの背部からの描写図見開き丁の解説。以下は次の見開き丁の腹部側の図のキャプション。]

 

   同 腹 之 圖

 

[やぶちゃん注:この素晴らしい図は、

十脚目イセエビ下目イセエビ科ハコエビ属ハコエビ Linuparus trigonus (Von Siebolt,1824)

である。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のハコエビのページを見られたい。それによれば、全長九十センチメートルを超える大型のエビとある(但し、後に掲げる他の記載でも、そんなに大きくはない。これは触角に先端からの長さであろう。そもそも大型のイセエビでも実体長四十センチメートルを超える個体はちょっと聴かないから)。頭胸部は箱形で(それが和名「箱蝦」の由来。学名命名は、ご覧の通り、オランダ人と偽って来日潜入した、かのドイツ人医師で博物学者のフィリップ・フランツ・バルタザール・フォン・シーボルト(Philipp Franz Balthasar von Siebold 一七九六年〜一八六六年)で、模式標本を持ち帰って新種記載した)、触角が太く、棒状を成す。分布は千葉県・島根県から九州。黄海・東シナ海・アフリカ東岸・オーストラリア東南岸。先に出たイセエビが、岩礁性海岸に多いのに対し、本種は水深七十メートルから百二十メートルの砂泥地に棲んでいる。ぼうずコンニャク氏によれば、『主に産地周辺で消費されている』。『刺し網、底曳き網などでとれるもので、イセエビよりも水っぽいとされ、評価が低い』とあり、『市場での評価』は『入荷は希。あまり高値とはならなかったが、珍しさもあって時に高値となることも』あるとあり、刺し網・底曳き網で漁獲されるとある。産地は静岡県・長崎県・宮崎県。『甲羅は厚みがあり、エビよりもカニを思わせる』が、『歩留まりは悪』く、『みそは少なく、身は水分が多いものの』、『ボリュームがある』とあり、『イセエビと比べると』、『ゆでて』も『弾力がなく、旨みがやや少なく感じる。熱を通すと締まって硬くなる』とある。また、『国産ハコエビには』近縁種の『オキナハコエビ』Linuparus sordidus も『知られる』とある(オキナワハコエビは「沖縄美ら海水族館」公式サイト内の「美ら海生き物図鑑」に(写真有り)、二〇〇三年に『うるま市沖から国内初記録となる個体が採集され、体全体が白いことから』、『新和名オキナハコエビの名が付けられた。ハコエビに比べ、やや深い水深約』四百~六百五十メートルからの『採集の記録がある。通常のハコエビとは、体色が白っぽいことや、第』二『触角が短いことなどから』、『容易に』識別出来るとあった)。

 次に当該ウィキを見る。『温暖で』、『やや深い海の砂泥底に生息し、食用にもなる大型種である。方言呼称としてゾウエビ(象海老)、ドロエビ(泥海老)などもある』。『成体の体長は』三十~四十センチメートル『ほどで、イセエビに匹敵する大型種である。甲は堅く、全面に小顆粒があり、つやがない。外見はイセエビにも似るが、イセエビに比べて棘や突起は少ない。頭胸甲の中ほどに頸溝があって、前後が明らかに仕切られる。頸溝より後ろでは背面中央と左右に計』三『本の稜(キール)が走り、体の断面が五角形をなす。腹部の各節には』一『本の横溝があるが、後半の第』四から第六『腹節では背面中央の稜線で中断される。体色はほぼ赤褐色だが、生体の甲の縁や関節部は黄白色で縁取られる』。『第』二『触角は扁平で先が尖り、体長と同じくらいの長さがある。イセエビ科は第』二『触角つけ根の関節から触角を後方に曲げられるのが普通だが、ハコエビ属は触角を後方に曲げられず、常に前方に突き出している。第』二『触角の間に細く短い第』一『触角がある。また、メスは第』五『歩脚の先端に小さな鉗をもつ』。『属名 Linuparus は、イセエビ属 Panulirus と同様にヨーロッパイセエビ属 Palinurus のアナグラムである。種小名 trigonusは「三つの角を持つ」という意味で背面の』三『稜に因み、和名もまた』、『その角張った体型が箱を想起させることに由来する。英名の一つ』である“Japanese spear lobster”は、『前に突き出た触角を槍に見立てたものである』。『アフリカ東岸から日本、ハワイ、オーストラリアまで、インド洋と西太平洋の熱帯・亜熱帯海域に広く分布する。日本では島根県・千葉県以西の沿岸域に分布する』。水深二十メートルから三百メートル『ほどのやや深い海の砂泥底に生息するが、日本近海では水深』七十~百二十メートル附近に『多い』。『日本では刺し網や底引き網などで漁獲され』、『食用になるが、イセエビやウチワエビほどの漁獲量はなく、市場に出回ることは少ない』。以下、ハコエビ属には四種が属するとして、前掲のオキナハコエビを含む学名が掲げられてある。なお、他に「旬の食材百科」の「ハコエビ Linuparus trigonus:生態や特徴と産地や旬」(学名が斜体でないのはママ)も画像が豊富で(別ページにも纏まってある)、一見に価値がある。先のウィキで述べている触角を後方に曲げることが出来ない物理的構造が拡大写真でよく判る。

「江蝦」の出所は不詳。「漢籍リポジトリ」で検索しても、二冊しか出てこない。検索結果では中文サイトに「江蝦」があるが、これは「川えび」の、先に候補としたヌマエビの類のようで(検索結果で「不審サイト」扱いなので、接続していないので、「日本沼蝦」という並列された文字列から推測)、どうも本種にこれを当てのは漢籍由来ではないようである。

「けんゑび」「劔海老」。

「かぶとゑび」「甲冑海老」。「兜海老」。

「其の腹裏、口の上に女面(をみなのめん)をあらはす。後の圖を見るべし。」この最後の「乎」は強意の助字と採り、「か」とは読まないことにした。所謂、すっかり流行らなくなった心霊写真と同じシミュラクラ現象(simulacrum)である。一応、私は、頭部を上にした状態で見えるような気がする。底本から最大でダウン・ロードしてトリミングしたものを掲げておく。違う方には、別に見えるかも知れないので、頭部を下にした画像も並べておく。

 

Hukubu1

 

Hukubu2

 

「乙未十月廿八日」天保六年十月二十八日はグレゴリオ暦一八三五年十二月十七日。

「倉橋氏」本カテゴリで最初に電子化した『カテゴリ 毛利梅園「梅園介譜」 始動 / 鸚鵡螺』に出る、梅園にオウムガイの殻を見せて呉れた「倉橋尚勝」であるが、今回、彼は梅園の同僚で幕臣(百俵・御書院番)であることが、国立国会図書館デジタルコレクションの磯野直秀先生の論文「『梅園図譜』とその周辺」(PDF)で判明した。]

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 車ヱビ(クルマヱビ)・泥蝦(ノロマヱビ)の二種/ 前者「クルマエビ」・後者「ヌマエビ」の一種或いは「ヤマトヌマエビ」

 

[やぶちゃん注:底本のこちらからトリミングした。左手上部の鮮やかなそれは、既に電子化した「蝦蛄」の体幹尾部右方。大小二種だが、これ、画像を上手く分離出来ないので、二種を一緒とした。タイトルには、現在の知られたそれを採用した。二種の間には「*」を入れて記載内容を区別した。]

 

Kurumaebidoroebi

 

屋代(やしろ)「画帖」、

 斑節蝦【「くるまゑび」。「閩書(びんしよ)」。】

 蝦【一種。「くるまゑび」。】

 五色蝦【「くるまゑび」。】

 【「車ゑび」の小なるものを「さゑまき」と云ふ。「閩書」曰はく、『斑節蝦』と。】

 

申午(かのえむま)五月廿八日、眞寫す。

 

   *   *   *

 

「大和本草」曰はく、『青蝦』。

 

癸巳(みづのとみ)初夏十一日に、渚(みぎは)に、之れを捕へ、眞寫す。

 

「邵武府志(せうぶふし)」曰はく、『泥蝦。』【「のろまゑび」。】・

   【『田(た)・塘池(たうち)・沼(ぬま)の中(うち)に生ず』云〻。】

 

[やぶちゃん注:まず、右手のそれは言わずもがな、

軟甲綱十脚目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科クルマエビ属クルマエビ Marsupenaeus japonicus

である。詳しくは当該ウィキを見られたい。先にそちらの解説に注を附す。

『屋代「画帖」』江戸後期の御家人で右筆であった国学者屋代弘賢(ひろかた 宝暦八(一七五八)年~天保一二(一八四一)年)の「不忍文庫」の画譜か。現物を見たことがないので何とも言えない。

「斑節蝦」台湾ではこの名が生きており、正しく上記クルマエビを指す。サイト「台灣鮮魚網」の「澎湖明蝦(斑節蝦)」を見られたい。大陸では正式中文名を「日本囊對蝦」(繁体字表記に直した。以下同じ)とするが、俗称で「虎蝦」「花蝦」「斑節對蝦」とあった。

「閩書」明の何喬遠撰になる福建省の地誌「閩書南産志」。

「五色蝦」これはマズい。現行では、エビ上目イセエビ下目イセエビ科イセエビ属ゴシキエビ Panulirus versicolor がいるからである。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページをリンクさせておく。そもそもごく近くで観察すると、多少のグラーデションは認められるが、梅園の描いたようなそれこそ五色というのは、生体時では見られないので、ちょっと相応しい異名とは思われない。寧ろ、鮮やかな横縞と、茹でた際に紅色に変ずる過程をひっくるめての謂いならば、まあ、判らぬではない。

「車ゑび」寺島良安は「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「車鰕」で、『大いさ四、五寸。皮、厚くして、節、隆(たか)く、褐白色の橫文(わうもん)、有り。之れを煮れば、紅に變ず。形、曲(かゞま)り、車輪のごとし。故に名づく。夏より出でて、秋冬、盛んに出でて、味、最も甘美。上品たり。』(私の訓読だが、一部を修正してある)と述べている通り、和名は腹部で腰を折って丸まった際、縞模様が車輪の輻(や)ように見えるからである。

『小なるものを「さゑまき」と云ふ』既に以前に注したが、再掲すると、上田泰久氏のサイト「食材事典」の「車海老(くるまえび)」のページに「サイマキ」の項があり、業者や調理人は十五センチメートル以上を「車海老」、十~十五センチメートルのものを「マキ」、それ以下を「サイマキ(鞘巻)」と呼び、 特に大きい二十センチメートル以上のものを「大車(おおぐるま)」と呼ぶとあって、『サイマキという言葉の由来ですが、昔、武士の腰刀の鞘(さや)に刻み目が付いていて、車海老の縞模様がこれに似ていたので、車海老の略称を鞘巻き(さやまき)と言った』のが、『なまって、サエマキ、サイマキとなり、これが小さな車海老の呼び方になった、という話です』とある。

「申午五月廿八日」天保五年五月二十八日はグレゴリオ暦一八三四年七月四日。

   *   *   *

 左手のちっちゃなエビだが、ちょっと同定に困った。それは、以下に見る通り、「大和本草」で言及しているが、そこでは海産のエビということになっているからである。しかし、以下の最後の引用のそれは、どう考えても、淡水産のエビであり、それを問題視することなしに、梅園が好きな釣りに行った折りかに、水辺で捕えたと言っているところから、これは純粋な淡水産のエビであろうと踏んだ。中記載の「渚」は「みぎは」で、海だけでなく、汽水域の潟及び淡水域の川・湖・池沼の端近くをこう呼ぶから、何ら、問題はない。益軒の説には不審な箇所もあるので、海産説は採らないこととする。そうなると、小さくて、色も形もどちらかというと染みであり、無批判に受け入れるわけではないが「ノロマ」な「エビ」、動きが相対的にゆっくりしているか、陸に揚げてしまうと、跳ねることをせず、這い歩こうとするという性質などを勘案すると、一つの候補は、

十脚目コエビ下目ヌマエビ科 Atyidaeに属するヌマエビ類

が挙げられるように思う。ところが、やっかいなことに、所謂、淡水産エビ類の中で、本邦本土に棲息しており、比較的、目につきやすい、所謂、代表的な「川えび」の類九種の内、「ヌマエビ」と称する種は実に五種もいるのである(サイト「E関心」の「川エビの種類を写真で見分けよう。淡水にすむ9種類。」に拠る種数に拠った。実際には以下のウィキの記載を読むに、ヌマエビの中でもよく似た別種がいて同定が難しいとあるから、実際にはもっといる)。待ちに待って今月五日に再開した「BISMaL ビスマル Biological Information System for Marine Lifeを用いて以下に示す(これがないと、守備範囲でない生物の希少種などは、自宅では学名もツリーも調べようがないのだ)。

ヌマエビ科ヒメヌマエビ亜科ヒメヌマエビ属ヒメヌマエビCaridina serratirostris

ヒメヌマエビ属ヤマトヌマエビ Caridina multidentata

ヒメヌマエビ属トゲナシヌマエビ Caridina typus

ヒメヌマエビ属ミゾレヌマエビCaridina leucosticta

ヌマエビ科カワリヌマエビ属ミナミヌマエビ Neocaridina denticulata

これらは幸いにして総て「ウィキペディア」があるので、和名の部分にそれぞれのリンクを張った。なお、最後の「ミナミヌマエビ」の記載に、二〇〇〇『年頃から本種の自然分布域外を含む日本各地においてカワリヌマエビ属のエビが収集されるようになった』とあり、二〇〇三『年には兵庫県夢前川水系で中国固有のヒルミミズ類の』一『種であるエビヤドリミミズ Holtodrilus truncatus が付着したカワリヌマエビ属のエビが発見され、釣り餌用に中国から輸入された淡水エビが川に逃げ出したことが示唆された』。『当初はこれらの外来エビがNeocaridina denticulataの亜種とみなされたため、日本で採集されたカワリヌマエビ属が』二『つのクレード』(clade:分岐群)『から構成されることに着目し、うち』、『関東以北に分布しない』一『つを日本固有亜種「Neocaridona denticulata denticulata 」として定義するべく研究が進められたが、その後』二『つのクレードに属するハプロタイプ』(haplotype:haploid genotype:半数体の遺伝子型)が、『それぞれ朝鮮半島・台湾・中国において発見され』、『日本の在来個体群を固有亜種として定義することはできなかった。このことから、本種の自然分布域外を含む日本各地に定着したカワリヌマエビ属の外来エビは別種であると考えられている』(二〇一八年現在)とあった。遺伝子の人為的な致命的攪乱は実に見えない目立たぬ小生物でも着実に起こっているのである。

 さて、それぞれの解説は読んで貰うとして、個人的には縦覧するに、この

「ノロマエビ」に該当しそうなのはヒメヌマエビ属ヤマトヌマエビ Caridina multidentata

と考える(下線太字は私が附した)。『成体の体長は』で三・五センチメートル、で四・五センチメートルほどあり、ヌマエビ類としては大きく(「川えび」にありがちな、小さくて透明ものでは、捕まえる気も起らないし、介譜に載せるのも、先に描いたアミやシバエビと差別化がし難いから、相対的に大きいものと考えてよい)、の方が大きい性的二型で、五センチメートルを超える個体もあり、『体色が濃く、体つきもずんぐりしている』。『複眼は黒く、複眼の間にある額角』(がっかく)『はわずかに下向きで、鋸歯状の棘が上縁に』十一~二十七個、下縁に四~十七個ある。五『対の歩脚は短くがっちりしていて、このうち前の』二『対は短く、先端に小さな鋏がある』。『体色は半透明の淡青色』・『緑褐色で、尾の中央に三角形の黒い小斑、尾の両端に楕円形の黒い斑点がある。体側には線状に赤い斑点が並ぶが、オスは点線状(・・・)、メスが破線状(- - -)である。また、個体によっては背中の真ん中に黄色の細い線が尾まで走る』(☜図をよく見られたい。あるぞ! この尾まで走る線状帯が!)。『スジエビやテナガエビ類は脚や眼柄、額角が長い。トゲナシヌマエビは体型や生息地が似ているが、やや小型で体側に斑点がないので区別できる』。『マダガスカル、フィジー、日本まで、インド太平洋沿岸の熱帯・亜熱帯域に広く分布する。日本での分布域は日本海側は鳥取県以西、太平洋側は千葉県以南の西日本とされる』。『海で生活する幼生期(後述)に、海流に乗って分散するため』、『分布域が広く、海洋上に孤立した島の小河川にも生息している』。『暖流が流れる海に面した川の、上流域の渓流や中流域に生息する』(梅園は旗本で江戸在住)。『九州以北に産するヒメヌマエビ属の中ではトゲナシヌマエビと並んで遡上する力が強い。川や海の改修工事や水質悪化、熱帯魚の業者による乱獲などで、野生の個体は減少している。ダムや堰の建設によって遡上が困難になり、生息域が狭まった川もある』。『食性は雑食性で、藻類、小動物、生物の死骸やそれらが分解したデトリタスなど何でも食べる。前』二『対の歩脚にある鋏で餌を小さくちぎり、忙しく口に運ぶ動作を繰り返す。小さなかたまり状の餌は顎脚と歩脚で抱きこみ、大顎で齧って食べる』。『夜に餌を探して動き出すが、昼間は水中の岩石や水草、落ち葉などの陰に潜む』。『捕獲する際は』、『それらの中にタモ網を差し込むと捕えることができる。通常はエビ類を水から出すと』、『腹部の筋肉を使ってピチピチと跳ねるが、ヤマトヌマエビは跳ねずに歩きだすのが特徴である』ときたもんだ! こいつでしょう!

『「大和本草」曰はく、『青蝦』』私の「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 蝦」を見られたいが、そこで、

   *

河蝦〔かはえび〕、大にして足の長きあり、海ゑびより、味、よし。「杖つきゑび」と云ふ。山州淀川の名産なり。凡そゑびは腹外の水かきの内に子あり。蟹も腹の外に子あり。海中にゑび多し。凡そ蝦には毒あり、多食すべからず。瘡腫〔さうしゆ〕及び痘疹〔とうしん〕を患へる者、食ふ勿れ。久しくして味變じたる、尤も毒あり。雷公曰く、「鬚の無き者及び煮熟〔にじゆく〕して反つて白き者、大毒有り。」と。靑蝦〔あをえび〕、長さ一寸許り、海草の内に生ず。毒有り。食ふべからず。雞〔にはとり〕、之を食へば必ず死す。

   *

とあるのだが、そこで私は、

   *

「蝦には毒あり」一般的なエビ類全般には個体由来の有毒成分はない。過食に依る消化不良、本文にも出る他の病気で免疫力の低下した患者の雑菌やウィルスの経口感染若しくは腐敗毒(これも本文に「久しくして味變じたる」とある)による食中毒や寄生虫症、及び有毒プランクトン摂取によって毒化した個体の摂取、さらには甲殻類アレルギーなどの、稀なエビ食による食中毒の症例や症状を指していると考えておく。

   *

『雷公曰く、「鬚の無き者及び煮熟して反つて白き者、大毒有り。」と』の部分は中国の本草書「証類本草」(「経史証類備急本草」。本来は北宋末の一〇九〇年頃に成都の医師唐慎微が「嘉祐本草」と「図経本草」を合してそれに約六六〇種の薬と多くの医書・本草書からの引用文を加えて作ったものだが、後世に手が加えられている)の「巻第二序例下」の「淡菜」の「蝦」の項に全く同一の文が載る。「雷公曰」とあるが、これは中国最古の医学書「黄帝内経(こうていだいけい)」の元となった「素問」などで黄帝が対話する架空の神人である。

「靑蝦」この名と「一寸許り」(約三センチメートルほど)で海産とあるところからは、私などは北海道太平洋岸から根室野付半島までの浅いアマモ場などに棲息する薄緑色を呈する抱卵亜目タラバエビ科モロトゲエビ属ミツクリエビ Pandalopsis pacifica が頭に浮かんだ。大きさも一~五センチメートルで、成体の体色はすこぶる鮮やかである。但し、無論、ここに記されるような毒性はないし、これは前の「雷公」の注意書きに惹かれて、何らかの本草書からおどろおどろしい怪しげな叙述を引いたとしか私には思われない。なお、アオエビという和名を持つエビは実在するが、これは似ても似つかぬややグロテスクな(と私は思う)抱卵(エビ)亜目異尾(ヤドカリ)下目コシオリエビ上科 Galatheoidea に属する、最近は食用に供されるようになってきたところの、深海性大型種オオコシオリエビ Cervimunida princeps の仲間である Cervimunida jhoni に与えられているもので本記載とは無縁である。

   *

この注を変更する気はない。「杖つきゑび」というのは「ノロマエビ」と親和性のある異名であると思ったのだが、実は(後述)既出のテナガエビの別名だった。しかし、まあ、ここでは、益軒先生には御退場を願いたいと思う。

「癸巳初夏十一日」天保四年四月十一日。グレゴリオ暦一八三三年六月一日。

「邵武府志」邵武府(しょうぶふ)は元末から民国初年にかけて、現在の福建省南平市西部と三明市北部に跨る地域に設置された行政単位。この附近(グーグル・マップ・データ)。ばっちり、内陸で、閩江が貫流する。同書は明代に陳譲によって編纂された同地方の地誌で、一五四三年の序がある。あれえ? さてさて! またしても見つけてしまったよ、梅園先生! これも孫引きですよね? 「重修本草綱目啓蒙」の「四十 無鱗魚」の「鰕」からの(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの同原本の当該部)。そこに、まず、『鰕は「かはゑび」の總名ナなり』と始まって、『ツヱツキヱビ【京。若州。】は、一名、テナガエビ【「本朝食鑑」】』とあって、「なるほど、手が長い彼らは、あたかも杖を突いているように見えるもんな。」と納得しつつ、以下を見てゆくと(一部読みを補填した。太字下線は私が附した)、

   *

一種、蕁常の「川ゑび」の形にして、色白き者を「シラサエビ」【備州。】と云ひ、一名「シラサイ」【豫州。】。是れ、白蝦なり。「八閩通志」に、『白蝦、江浦中に生ず。』と云ふ。常の「川ゑび」は淡靑黑色なり。豫州にて「テンス」と云ふ。是れ、靑蝦なり。琵琶湖の大ゑびは、大いさ、二寸に過ぎず、皮・鬚、硬く、下品なり。春・夏・秋、とると、云ふ。又、田中及び池澤に生ずる者、「ハタエビ」と云ふ。是れ、泥蝦なり。土州にて、長さ三寸許り、流水の泥中に生ずるを「ツチホリ」と云ふ。これも亦、泥鰕なり。「邵武府志」に、『蝦の小なる者、俗に泥蝦と呼ぶ。田・塘池・沼の中に生ず。之れを炒り熟せば、色の白き者は、殻、軟かに、色、紅なる者は、殻、硬し。又、食ふべし。』と云ふ。

   *

ってあるのを、見ちゃったんです……。

「泥蝦」ヌマエビの中国名としてもおかしくない。なお、「ドロエビ」は、十脚目抱卵亜目コエビ下目エビジャコ上科エビジャコ科クロザコエビ属クロザコエビ Argis lar の地方異名として各地にあるが、海産でモロ、エビエビしたもので本種ではあり得ない。「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」の同種のページを参照されたい。

「塘池」「池塘」に同じ。狭義には、湿原の泥炭層に出来る池沼を指す。]

2022/01/19

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 苗鰕(アミ) / アキアミ・アミ或いはオキアミ

 

[やぶちゃん注:底本のこちらからトリミングした。四個体が描かれてある。左手から伸びている鬚(触角)は、既に電子化した「蝦蛄」のそれで、下部にあるのは「クルマエビ」の長い鬚(触角)であって無関係である。下方の「醬蝦、細くして……」以下は「苗蝦」の補足注と考えられるので、途中に挟んだ。位置はブラウザの不具合を考えて再現していない。字の大きさも不揃いになるだけなので、以後、再現しないことにした。]

 

Ami

 

「楊氏漢語抄」に云はく、

   「細魚」は【「うるりこ」。】。「海糠魚」【「あみ」。】。

「漳州府志」及び「海物異名記」に曰はく、

苗蝦【「あみ」。又、「醬蝦」と云ふ。此者小にして、大、成らず。】

醬蝦、細くして針芒(しんばう/はりさき)のごとく、海人、醓(しほ)し、以つて、醬(ひしほ)と爲(な)す。淡紅色、云云。即ち、此の者なり。

「巻懷食鏡」、

  「海糠魚(あみ)」。

「本草」の「集解」、

  「糠蝦(あみ)」。

  「あびゆ」【総州。】。

 

壬辰八月十有四日、眞寫す。

 

[やぶちゃん注:これは図から見ても数種を含むと考えられ、

真軟甲亜綱フクロエビ上目アミ目 Mysida(糠蝦・醤蝦)

真軟甲亜綱ホンエビ上目オキアミ目 Euphausiacea(沖醤蝦)

甲殻亜門軟甲綱真軟甲亜綱十脚目根鰓亜目サクラエビ科アキアミ属アキアミ Acetes japonicus (秋醤蝦)

のエビ状を成すアミ類や、アミ類とは全くの別種であるオキアミ類、及び、アキアミのような小型のエビである。但し、細部が検証出来ないので、それぞれを同定比定することは出来ない。敢えて言うと、最上部のそれは下方の二種に比して大きく、色からも、生体ではないのであれば、アキアミの可能性が高いようにも思われる。下方は沿岸性の個体であろうから、オキアミ類よりもアミ類である可能性が高い。

 アミ目の類は、体は頭胸部・腹部・尾部に分かれ、頭部には発達した二対の触角と、可動の柄の先についた眼を持つ。また、尾部の先端は扇状に発達し、全体としてエビ類に酷似した外見であるが、アキアミのような小型のエビ類や、オキアミとは、分類学上は異なるグループに属し、分類学上、アミ目のアミ類は狭義のエビではなく、あくまで「アミ類」である。一般には「イサザ」「イサダ」とも呼ばれものの、この呼び名も、例えばツノナシオキアミ(オキアミ目ツノナシオキアミ Euphausia pacifica )のようなオキアミ類などに使われる場合があるので注意を要する。体長は最小種で二ミリメートル程で、一般には五ミリメートルから三センチメートル前後までの小型の種が殆どである。エビ類と異なり、胸肢の先が鋏状にならない。背甲は胸部前体を覆うものの、背側との癒合は第三胸節までである。アミ目は、尾肢内肢に一対の「平衡胞」と呼ばれる球状の器官を持つことで、他のグループと容易に識別出来る。大部分は海産で、一部の種が汽水域や湖沼にも棲息し、最も知られるアミ亜目アミ科イサザアミ属イサザアミ Neomysis intermedia のように、かなり塩分の低い環境にも適応した種や、純淡水産の種も存在する。但し、湖沼への出現は海跡湖に限られている。アミ目全体として見た場合の分布は、赤道から極地までの広い範囲に及ぶが、個々の種については、極めて分布域の狭いものも見られる(こはウィキの「アミ」に拠った)。

 和名が酷似するオキアミ類は、外見的には遊泳性のエビ類によく似ており、頭胸部は背甲に覆われ、腹部は六節からなる腹節と尾節から成る。胸部には八節があり、それぞれに附属肢があるが、エビを含む十脚類では、その前三対が顎脚となっているのに対して、オキアミ類では、そのような変形が見られない。第二・第三節が鋏脚として発達する例や、最後の一、二対が退化する例もある。それらの胸部附属肢の基部の節には、外に向けて樹枝状の発達した鰓を有するが、これが背甲に覆われていない点でもエビ類と大きな相違点であり、オキアミも分類学上は狭義のエビではなく、あくまで「オキアミ類」であるアミ類とはちょっと見では似て見えるものの、以上の固有の大きな器質的相違点があり、系統的にもやや遠いと考えられている。オキアミは全て海産で、その大部分が外洋の表層から中深層を遊泳して生活するプランクトンである。多くの場合、幼生はやや表層で生活し、成熟に連れて次第に深いところへ移動する傾向がある。また、浅海生の種もおり、それらは日周鉛直運動をする(ここはウィキの「オキアミ」に拠った)。

 一方、真正のエビ類であるオキアミは、日本を含む東南アジアの内湾域に生息する小型のエビで、食用や釣り餌などに利用される。標準和名に「アミ」と名がつくが、分類学上でも真正のエビの仲間であり、以上で述べた通り、イサザアミやコマセアミ(アミ目アミ科コマセアミ属コマセアミ Anisomysis ijimai )の属するアミ類ではなく、オキアミ類でもない。♂は一・一~二・四センチメートル、♀は一・五~三センチメートルで、体幹は前後に細長い。生時は体がほぼ透明であるが、尾扇に赤い斑点が二つある。死んだ個体の体色は濁ったピンク色になる。第二触角は体長の約二倍もあり、根元から四分の一ほどの所で折れ曲がる。五対ある歩脚のうち、第四及び第五歩脚が退化し、残りの三対は孰れも鋏脚である。アミ類やオキアミ類の歩脚は鋏脚ではないので、この点で区別出来る。インド南部・ベトナム・中国・黄海・日本の沿岸域に分布する。日本での分布域は秋田県以南で、富山湾・三河湾・瀬戸内海・中海・有明海などの内湾が多産地として知られる。プランクトンとして内湾の河口付近を大群で遊泳し、他のプランクトンやデトリタスを食べる。天敵は魚類、鳥類などである。生息地での個体数は多く、食物連鎖で重要な位置を占める。本邦での産卵期は五月から十月までで、♀は交尾後に六百八十個から六千八百個に及ぶ受精卵を海中に放出する。♂は交尾後に、♀は産卵後に死んでしまう。受精卵は直径〇・二五ミリメートルほどで緑色を呈し、数時間のうちに孵化し、ノープリウス(Nauplius)幼生を三期、プロトゾエア(Protozoea)幼生を三期、ゾエア幼生一期、ミシス(mysis)幼生を経た後、稚エビに変態する。本邦のの棲息地での研究によると、同種には九~十ヶ月ほど生存して越冬をする「越冬世代」と、夏の二~三ヶ月だけで一生を終える「夏世代」があり、一年のうちで二~三回、世代交代を行うことが判明している。越冬世代は五~七月に産卵し、生まれた夏世代が、七~十月に産卵して死ぬ。また、早いうちに誕生した夏世代から、もう一代、夏世代が生まれ、秋に越冬世代を産卵する場合もあり、越冬世代では、水温が下がると、成熟せずに休眠し、春に成長して産卵する。微小で弱性の性質をカバーし、子孫を残すための複雑巧妙なライフ・サイクルを持っていることが判る。現在、一九八〇年代頃から漁獲量は増え始めており、二〇〇〇年代には全世界で年間六十万トンも漁獲されている。一九八〇年代から一九九〇年代には養殖も試みられたが、現在では行われていない。曳き網などで漁獲され、漁の最盛期は八~十月頃で、和名通り、秋に多く漁獲される。塩辛にされることが多く、産地周辺で流通する。他にも佃煮・乾物・掻き揚げなどにも利用され、郷土料理として扱われることもある。朝鮮半島ではキムチの風味付けの一つとして、本種の塩辛が重要な材料となっている。嘗ては岡山県の児島湾が一大産地であり、西行の「山家集」にも(以下は所持する岩波古典文学大系を参考にして引用した)、

   *

   備前國に小嶋と申す島に渡りたりけるに、
   「糠蝦(あみ)」と申物を採る所は、おの
   おの、別々(われわれ)占(し)めて、
   長き「さを」に、袋をつけて、立て渡すなり。
   その「さを」の立て始めをば、「一のさを」
   とぞ名付けたる。なかに、齡(とし)高き
   あま人の立て初むるなり。「立つる」とて
   申(まうす)なる詞(ことば)、きゝ侍りし
   こそ、淚零れて、申すばかりなくおぼえて、
   詠みける

 立て初むる糠蝦採る浦の初(はつ)さをは

   罪(つみ)の中にも優(すぐ)れたるかな

   *

と詠まれ(正直、辛気臭い厭な歌だな)、「備前の漬アミ」として名高く、東京や関西へもさかんに送られたが、児島湾の干拓によって漁場が消滅したことで、衰退してしまった。食用以外に、釣り餌や養殖魚の飼料にも用いられる。本邦では、商品名には「アミエビ」という商品名が付くことがある。一般的には、冷凍物・塩漬物が流通の主体を占めており、冷凍物は「日本水産」等が生産し、塩漬物はキムチ料理に使用する物を流用するため、韓国からの輸入物が多い(以上は西行の歌引用以外はウィキの「アキアミ」に拠った)。

「楊氏漢語抄」「和名類聚鈔」にしばしば引用される、奈良時代の養老年間(七二〇年頃)に成立したと考えられている漢字辞書。漢語を和訳し、和名を附した国書であるが、現在は散逸。これも無論、「和名類聚鈔」に拠るもので、巻第十九「鱗介部第三十」の「龍魚類第二百三十六の以下(国立国会図書館デジタルコレクションのここを視認し、一部は推定で訓読した)。

   *

細魚(ウルリコ)【「海糠(アミ)」。附(つけたり)。】「漢語抄」に云はく、「細魚」【「宇留里古(うるりこ)」。】は海糠魚【「阿美」。今、案ずるに、出づる所、並(ならび)に未だ詳かならず。】

   *

この「うるりこ」については、小学館「日本国語大辞典」に「語源説」として、『捕えられ易いことから、ウルケ(癡)たコザカナ(小魚)の義〔比古婆衣・大言海〕。』とあった。「比古婆衣」は若狭小浜藩士にして国学者で本居宣長の没後の門人であった伴信友(ばんのぶとも 安永二(一七七三)年~弘化三(一八四六)年)の著になる考証随筆。全二十巻。続編九巻。一・二巻は弘化四(一八四七)年に、三・四巻は文久元(一八六一)年刊。以後の部分は明治四十年から四十二年(一九〇七年~一九〇九年)刊の「伴信友全集」に初めて収録された。古典や古代の制度・歴史・言語・故事などについての年来の研究を書きとめたもので、博引旁証が詳密を極める。死後、子の信近によって公表されたものである。以上の説は、「卷の四」の「白うるり」に中に出る。国立国会図書館デジタルコレクションの「伴信友全集」のこちらを見られたい。これを読むと、かなり説得力ある。

「海糠魚」「あみ」は小学館「日本国語大辞典」の「語源説」によれば、『⑴中国語「蝦米」から〔外来語辞典=荒川惣兵衛〕。⑵アミエビの上略〔守貞満稿・大言海〕。⑶ウナムシ(海虫)の義〔和訓栞・言葉の根しらべ=鈴木潔子』(きよこ)『〕。⑷アカムシの反〔名語記〕。⑸イマウミエビ(今産蝦)の義〔日本語原学=林甕臣』(はやしみかおみ)『〕。』とあった。同辞書では見出しを「あみ【醬蝦】」としつつ、本文で異名として、『こませ。あみえび。あみざこ。あみじゃこ。ぬかえび。』を掲げている。しかし、どうも以上の語源説は孰れも説得力を欠くように私には思われる。

「漳州府志」原型は明代の文人で福建省漳州府龍渓県(現在の福建省竜海市)出身の張燮(ちょうしょう 一五七四年~一六四〇年)が著したものであるが、その後、各時代に改稿され、ここのそれは清乾隆帝の代に成立した現在の福建省南東部に位置する漳州市一帯の地誌を指すものと思われる。同書の「介之屬」に『蝦姑【如蜈蚣而大。能食蝦、謂之蝦姑。】』とある。

「海物異名記」南唐の陳致雍に「晉江海物異名記」というのがあるが、これか? よく判らぬ。なお、「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 苗蝦」の私の同書の注を是非、参照されたい。

「苗蝦」これは、稲生若水(いのうじゃくすい)著の三百六十二巻に、丹羽正伯らが増補した六百九十二巻が加わった、実に千五十四巻から成る本邦の博物学史上、画期的な本草書である「庶物類纂」(延享四(一七四七)年完成。漢籍類などから、動・植・鉱物の記事を集成・分類し、実物によって検証したもの)の「介屬卷之十」に「苗蝦」として立項されてある。「国立公文書館デジタルアーカイブ」のこちらで同巻を視認出来るが、その16及び17コマ目を見られたい。まず、冒頭で「苗蝦」とし、『一名「塗苗」【「福州府志」】一名「醬蝦」【同上】』『俗名「挨鼻(アミ)」【備前州】』とある。以下の解説では、蝦の中でも極めて小さなものを「苗蝦」と名づけるという記載がある。これを見て私は「苗」の意味がやっと腑に落ちた。さらに、同書には、

   *

苗蝦、「海物異名記」、謂醬蝦、細如針芒、海濱人鹽シテ以爲ㇾ醬【「漳州府志」】。

   *

とあるのを見出したによって、梅園は「海物異名記」なる書に直接当たらずに書いた可能性が見えてきた。後注で、実はこれらは孫引きだらけであることが判明する。なお、私の「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 苗蝦」も参照されたい。梅園は、これも孫引き対象としていることが、またまたバレバレとなる。

「醬蝦」は「ひしほ」にする(塩漬けにする)エビの意である。

「巻懷食鏡」は「かんくわいしよくかがみ(かんかいしょくかがみ)」と読む。江戸中期の医師で後世派(ごせいは:李朱医学)の第一人者であった香月牛山(かつきぎゅうざん 明暦二(一六五六)年~元文五(一七四〇)年:筑前国生まれ。名は則実(則真とも)、牛山は号。儒学を福岡藩お抱えの本草家貝原益軒に、医学を藩医鶴原玄益に学び、三十歳で豊前中津藩小笠原氏の侍医となった。元禄一二(一六九九)年に職を辞し、京で医業を開くが、享保元(一七一六)年、招かれて小倉藩小笠原氏に仕えた。牛山は李東垣(りとうえん)・朱丹渓(しゅたんけい=朱震亨(しんこう))の医説を信奉し、また、貝原益軒の実証的研究方法の影響を受け、自らの医療経験に基づいて医説を唱え、治療においては温補の方剤を主とした「薬籠本草」ほか、多くの著書がある)が書いた本草書。早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで、没後の版だが、寛政二(一七九〇)年刊の版本が視認出来るのだが、分類が独特で、ぐちゃぐちゃにしか見えず、なんとも探し難かったが、やっと、同前のPDF一括版112コマ目に「海糠(アミ)魚」を見出した。而して、ここで、実は前の「海物異名記」云々までは、実はここからの丸写しでしかないことがバレた。そこに(訓読した)、

   *

海糠(アミ)魚 辟益[やぶちゃん注:牛山の本名の「啓益」の略字であろう。]、按ずるに、「本艸」の「集解」の「糠蝦」、是れなり。「漳州府志」に云はく、『「海物異名記」、之れを醤蝦と謂ひ、細くして針芒のごとし。海人、醓(しほ)して、以つて、醤(ひしほ)と爲(な)す。淡紅色』と云云。卽ち、此物也。其の氣味、性、蝦と相ひ同じ。便血・痔漏・瘡疥を發す。之れを患ふ人、食ふ勿れ。

   *

とあるのだ。而して、以上の記載は、梅園は、実は、それぞれの漢籍に拠ったのではなく、「庶物類纂」と、この「卷懷食鏡」から、お手軽に孫引きをしたに過ぎなかったのである。以前に述べた通り、梅園は絵は美事だが、書誌学的記載では、ボロが、これ、結構、多いのである。ちょっと残念だなぁ……。

「淡紅色」アキアミは生体ではほぼ透明だが、尾扇に赤い斑点が二つあり、しかも死んだ個体の体色は濁ったピンク色になる。挿絵の一番上のそれが、アキアミであると考えたのも、この死後変色からである。

『「本草」の「集解」、「糠蝦(あみ)」』「本草綱目」巻四十四の「鱗之三」の「鰕」の「集解」。「漢籍リポジトリ」のこちらの[104-51a]の影印画像を見られたい。そこに『凡有數種米鰕糠鰕以精粗名也』とある。

『「あびゆ」【総州。】』不詳。千葉にこの「アミ」の地方名が生き残っていたら、是非、お教え願いたい。

「壬辰八月十有四日」天保三年八月十四日。グレゴリオ暦では一八三二年九月十一日。]

2022/01/18

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 海鰕(イセエビ) / イセエビ

 

[やぶちゃん注:底本のこちら。優れて大振りに描かれた大作で、個人的には画像サイズを百%にしたかったが、かなり大きな私のものを含め、多くの方のディスプレイからは、はみ出してしまうので、五十%で我慢した(【夜に追記】実はそうではなく、このブログでは自動的にサイズが小さくなるのであった。原サイズを見たい方は、これ。やっぱ、ええな!)。電子化は右上・下方(二箇所)・左上の順に起こした。但し、今回の文章は、随所に不審があり、正常に訓ずることが難しい。かなり私自身が勝手に語を挿入した箇所も多いので、必ず図譜の記載と対照して読まれたい。

 

Bsiseebi

 

「多識」

  海鰕【「いせゑび」。「うみゑび」。「かまくらゑび」。】紅鰕【藏噐。】

    鰝(かう)【「尓雅」。】

此者、國俗、春盤(しゆんばん)の飾(かざり)に之れを用ふ。淺草及び神田、又、所々の「年の市」に多く賣る。伊勢より、多く鹽(しほ)に和して送る。故に「伊勢ゑび」と云ふ。鎌倉よりも多く出だす。故に又、「かまくらゑび」と云ふ。

 

「大和本草」曰はく、『凡そ、蝦には毒あり、多食すべからず。瘡腫(さうしゆ)及び痘疹(とうしん)を患へる者、食ふ勿れ。久しくして、味、變じたる、尤も毒あり。雷公曰く、「鬚の無き者、及び、煮熟(にじゆく)して、反(かへ)つて白く色の変ずる者、大毒(たいどく)有り。」と。靑蝦(あをえび)は、海草の中に生ず。毒、有り。食ふべからず。雞(にはとり)、之れを食へば、必ず、死す。』と。又、海江に生ずる「ゑび」と「荏ごま」と[やぶちゃん注:「合はせて」の脱か。]食ふべからず。荏胡麻の油に[やぶちゃん注:「鰕を」の脱か。]煎(いり)製する豆腐、食ふべからず。人を、大いに毒し、立つに、腹痛し、甚だしければ、死に至る。救ふ術(すべ)なし。又、傘の紙、桐油紙に包み、遠くに寄す時は、必ず、大毒有り。

 

甲午(きのえむま)正月十五日、眞寫す。

 

王世懋(わうせいぼう)「閩部疏(びんぶそ)」曰はく、「龍蝦」【「いせゑび」。「かまくらゑび」。】

蝦【「和名抄」に、『ヱビ』。「本朝式」に「海老」の字を用ゆ。「神祇式」に「魵」の字を用ゆ。「本草綱目」に出づ。鰕、和漢典に「ゑび」は惣名(さうめい)なり。諸州、有りといへども、伊勢及び相州鎌倉、名産なり。故に「いせゑび」・「かまくら」の名あり。其の殻、紅にして、冬、殻を代はる者を「ヤワラ」と云ふ。南海、大なる者、最もあり。「延喜式」に伊勢・摂津・和泉の國より貢す。古へより、賀壽の蓬來盤中に置き、又、門松の飾りとす。皆老(かいらう)をしとふ壽祝の義なり。】

 

[やぶちゃん注:抱卵(エビ)亜目イセエビ下目イセエビ上科イセエビ科イセエビ Panulirus japonicusと同定してよかろう。梅園も参照していることが判る、私の「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海蝦」を参照されたい。なお、ウィキの「イセエビ」によれば、『日本列島の房総半島以南から台湾までの西太平洋沿岸と九州、朝鮮半島南部の沿岸域に分布する。かつてはインド洋や西太平洋に広く分布するとされたが、研究が進んだ結果、他地域のものは別種であることが判明した』とある。一般人はデカい海老は、直ぐに「イセエビ」と呼ぶ傾向がある。素人目で見たって明らかに違う種であることが判る別種を、何でも「イセエビ」と言いたがるのは、一種の生物学的阿呆ファシズムの悪しき症例である。なお、私の「日本山海名産図会 第三巻 海鰕」もお薦め!

「多識」前回既出の林羅山道春が書いた辞書「多識編」。慶安二(一六四九)年の刊本があり、それが早稲田大学図書館「古典総合データベース」にあったので、調べたところ、「卷四」のこちらに「海鰕」の項があり、そこに「海鰕【「宇美恵比」。今、俗に云く、「伊世恵比」。】」とあった。

『海鰕【「いせゑび」。「うみゑび」。「かまくらゑび」。】』そうさな、私の「鎌倉攬勝考卷之一」の「物産」がいいか。ちょうど、そこは、幸いにして、ブログ版でも公開しているので、すぐに見るには、「鎌倉攬勝考卷之一 物産 / 全テクスト化・注釈完了」がよかろう。そこでは、寺島良安の「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「紅蝦」(イセエビ相当)を、原文・図・訓読及び私の注もひっくるめて引用しておいたから、こりゃ、もう、完璧だわい。

「藏噐」「本草綱目」で時珍が盛んにその記録を引用する唐の本草家陳蔵器のこと。「本草拾遺」(全十巻・七三九年成立)は本草学の古い名著とされる。

「鰝(かう)」イセエビなどの大きな海老を指す漢語である。本邦では、これで「いせえび」とも読ませているが、正しい訓とは言えない。大修館書店の「廣漢和辭典」でも意味では、あくまで『おおえび』である。こんな漢字を「いせえび」と読むんだと、ほくそ笑んでいる漢検馬鹿がいた。哀れなもんだ。

「尓雅」中国の古字書「爾雅」(じが)の略字。漢の学者らが、諸経書、特に「詩経」の伝注を集録したものとされる。全体が十九の篇から成り、「釈詁」篇は古人が用いた同義語を分類し、「釈言」は日常語を、「釈訓」はオノマトペを主とする連綿語(二音節語)などの同義語を分類しており、以後の「釈親」・「釈宮」・「釈器」・「釈楽」・「釈天」・「釈地」・「釈丘」・「釈山」・「釈水」・「釈草」・「釈木」・「釈蟲」・「釈魚」・「釈鳥」・「釈獣」・「釈畜」は、事物の名前や語義を解説している。古語を、用法と種目別に分類・解説した最古の字書で、現在も経書の訓詁解釈の貴重な史料であり、注釈書としては、晉の郭璞注と宋刑昺(けいへい)の疏を合わせた「爾雅注疏」が最も知られる。古くより、周公旦、又は、孔子とその弟子の手が加えられたという説があったが、現在は否定されている。

「春盤」「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 海蝦」の私の「春盤」の注を参照されたい。

『「大和本草」曰はく、『凡そ、蝦には毒あり、多食すべからず。瘡腫(さうしゆ)及び痘疹(とうしん)を患へる者、食ふ勿れ。久しくして、味、變じたる、尤も毒あり。雷公曰く、「鬚の無き者、及び、煮熟(にじゆく)して、反(かへ)つて白く色の変ずる者、大毒(たいどく)有り。」と。靑蝦(あをえび)は、海草の中に生ず。毒、有り。食ふべからず。雞(にはとり)、之れを食へば、必ず、死す。』と』は「大和本草卷之十四 水蟲 蟲之上 蝦」を参照されたいが、正確な引用ではない。以下の出所不明の部分など、どうも梅園はこうした書誌学的な引用の正確さに欠けるところが随所で見受けられる。そうしたバイアスをかけて読まれたい。

『海江に生ずる「ゑび」と「荏ごま」と[やぶちゃん注:「合はせて」の脱か。]食ふべからず。荏胡麻の油に[やぶちゃん注:「鰕を」の脱か。]煎(いり)製する豆腐、食ふべからず。人を、大いに毒し、立つに、腹痛し、甚だしければ、死に至る。救ふ術(すべ)なし。又、傘の紙、桐油紙に包み、遠くに寄す時は、必ず、大毒有り。』以上の引用元をご存知の方はお教え願いたい。まず、縦覧してみたが、「大和本草」ではないようである。他に「本草綱目啓蒙」なども調べたが、どうもないようだ。「漢籍リポジトリ」の「本草綱目」の四十四の「鱗之三の[104-51a]の「鰕」には毒性(但し「小毒」とする。しかし、その解説では『氣味。甘溫、有小毒。【詵曰、生水田及溝渠者有毒。鮓内者尤有毒。藏器曰、以熱飯盛宻器中作鮓食、毒、人至死。弘景曰、無鬚及腹下通黒、并、煮之色白者、並不可食。小兒及雞狗食之脚屈弱。鼎曰、動風發瘡疥冷。積源曰、動風熱有病人勿食。】』とある。しかし、そもそもイセエビで、死に至る強毒個体というのは、私は聴いたことがない)が語られてあるが、ここの内容とは御覧の通り、一致を見ない。第一、ここはエゴマ(シソ目シソ科シソ亜科シソ属エゴマ Perilla frutescens var. frutescens )の種から採った油との「食い合わせ」で、どうも胡散臭い。

「甲午(きのえむま)正月十五日」天保五年一月十五日はグレゴリオ暦一八三四年二月二十三日。

『王世懋(わうせいぼう)「閩部疏(びんぶそ)」』明の政治家王世懋(一五三六年~一五八八年)の著になる「閩」=福建省の地誌。原文は「中國哲學書電子化計劃」のここにある中の、ここの影印本の八行目下方から。

   *

而最奇者龍蝦、置盤中猶蠕動、長可一尺許。其鬚四繚、長半其身、目睛凸出、上隱起二角、負介昂藏、體似小龍、尾後吐紅子、色奪榴花、眞奇種也。

   *

中国産なので同定には慎重になるが、この内容は分布と場所からみて、イセエビと採って無理がないようには見える。イセエビは中文ウィキで「日本龍蝦」と表記している。但し、中文ではイセエビ属 Panulirus を「龍蝦屬」としており、同属は世界で二十二種を数えるから、やはり同定比定するのは躊躇される(中国産イセエビ属を調べるのは面倒なので、悪しからず)。

『「和名抄」に、『ヱビ』』「倭名類聚抄」には、巻第十九の「鱗介部第三十」の「龍魚類第二百三十六」のここに(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの寛文七(一六六七)年刊本)、

   *

鰕(エヒ)  七卷「食經」に云はく、『鰕【音「遐(カ)」。和名「衣比」。俗に「海老」の二字を用ゆ。】の味、甘、平にして、毒、無き者なり。』と。

   *

とある。

「本朝式」「延喜式」のこと。

「神祇式」「延喜式」の巻一から巻十までの神祇官関係の格式(律令の施行細則相当)。

「魵」(音「フン」元は斑(まだら)・斑点を持つ魚類を指すが、それが目立つことからエビ類の総称となった。

『「本草綱目」に出づ』これは先に示したエビ相当の「鰕」が載ることを言っているだけのこと。

『冬、殻を代はる者を「ヤワラ」と云ふ』不審。イセエビの脱皮時期は日長の影響を強く受けて決まり、日長が短い晩秋から冬は脱皮頻度が低下するからである(「三重県」公式サイト内の「今日のイセエビ」を参照した)。「ヤハラ」は恐らく「やはら」で、「やはらかし」由来と考えてよい。脱皮しばかりのイセエビの外骨格は、身と一緒に生で食べられるほど、柔らかいからである。

「しとふ」「慕(した)ふ」に同じ。]

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 蝦一種(シバヱビ) / シバエビ

 

Sibaebi

 

[やぶちゃん注:巻頭見開きの図の最後。右端・上部からはみ出している記事や図は既に前の二つの電子化注で解説してあるので略す。言っておくが(二度と言わない)、「えび」は歴史的仮名遣は「えび」でいい。「ヱヒ」(ヱビ)「ゑび」は、皆、梅園の誤りである。

 

「松江府志(しやうかうふし)」に曰はく、「青蝦」、又、「對蝦」〔しばゑび。〕

「多識扁」、「天鰕」。

蝦一種(しばゑび)〔「芝蝦」〔江戶方言。〕。〕

 

壬辰(みづのえたつ)蠟月十五日眞寫。

 

[やぶちゃん注:十脚(エビ)目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科ヨシエビ属シバエビ Metapenaeus joyneri である。当該ウィキによれば、『新潟県・東京湾以南の西日本、黄海、東シナ海、台湾までの東アジア沿岸域に分布する』が、インド洋から『太平洋に広く分布するヨシエビ属の中では分布が狭い部類とされる』。『成体の体長は』一~一・五センチメートル程度で、『クルマエビ』(クルマエビ上科クルマエビ科クルマエビ属クルマエビ Marsupenaeus japonicus )『より小さく、体型も細い。額角はクルマエビ科』Penaeidae『としては比較的短く、やや下向きにまっすぐ伸び、上縁だけに7-8個の歯がある。甲は比較的薄くて軟らかく、上面を中心に細かい毛がある。同じヨシエビ属のヨシエビ』(Metapenaeus ensis )『やモエビ』(Metapenaeus moyebi )『とは区別しにくいが、新鮮な個体は半透明の淡黄色で、全身に藍色の小斑点があり、尾肢が青緑色をしている』。『水深』十~三十メートル『ほどの、内湾の泥底に好んで生息する。シバエビという和名はかつて東京・芝浦で多く漁獲されたことに由来する』が、『和名の由来となった芝浦では埋立、汚染、漁獲過多などが重なり』、二十『世紀後半頃には殆ど漁獲されなくなった』。『夜は海底付近を泳ぎ回って活動し、昼は砂泥に潜っている。食性は肉食性で、貝類や他の甲殻類を捕食する。繁殖期は夏で、幼生から成長した稚エビが夏から秋にかけて干潟で見られる。成長した稚エビは秋が深まると群れをなして深場に移る。寿命は』一年から一年半で、『産卵後にはオスメスとも死んでしまう』。『クルマエビと同様』、『有明海や三河湾など』の『大規模な内湾が多産地として知られる。漁の盛期は冬だが、西日本で冬にまとまって漁獲されるエビは本種だけである。底引き網やエビ刺し網で漁獲される』『有明海では伝統漁法の「あんこう網」』(「佐賀市」公式サイト内の「有明海の伝統的漁法について」に、有明海は『干満の差が日本一大きいため、潮流が速くなることを逆手にとった有明海独特の漁法があ』るとした冒頭に、「あんこう網漁」が掲げられ、魚のアンコウ(鮟鱇)が口を開けた姿に似た網で、一般に大潮の引き潮時を中心に操業される。潮流に乗って移動する魚介類を漁獲するもので、主に六角川・早津江川河口とその沖合域が主な漁場となっているとあった。海中での網の模式図は島原沖におけるアンコウ網調査」PDF)にあるので見られたい)『で、ワラスボ』(スズキ目ハゼ亜目ハゼ科ワラスボ亜科ワラスボ属ワラスボ Odontamblyopus lacepedii )『やウシノシタ類』(新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ亜目ウシノシタ上科ササウシノシタ科 Soleidae及びウシノシタ科 Cynoglossidaeに属するウシノシタ類)『などと共に漁獲されている』。『クルマエビより小振りだが』、『味は良く、重要な漁業資源となっている。刺身、塩茹で、唐揚げ、天ぷら、掻き揚げなど様々な料理に使われる。また、マダイなど大型肉食魚の釣り餌として利用されることもある』。二〇一三年に、『「シバエビ」として出していたメニューが実際はバナメイエビ』(クルマエビ科 Litopenaeus 属バナメイエビ Litopenaeus vannamei 。本来は東太平洋原産でメキシコのソノラ州からペルー北部に至る沿岸であり、本邦には棲息しない。年間を通じて水温が摂氏二十度以上の海域にのみ分布するが、現在はタイやマレーシア・インドネシアなどで養殖されている。)『だったという虚偽表示』(後に実際は誤表示だったともされるが、確信犯で出していたケースもある。ウィキの「バナメイエビ」の方を参照されたい)『が日本で問題となった』ことがあるが、『バナメイエビは業界の慣例として「シバエビ」と呼ばれ』、代用種と『されることがあり、価格差もあまりなかった』とあるが、食感はまるで違う(バナメイエビの方がシバエビより大きく、ぷりぷりしている。加工物でない限り、料理人が誤ることは私はないと考える)。

「松江府志」は中国の松江県(現在の上海及び松江)の地方年代記・地誌。南宋及び元代に最初に別々なものとして書かれて以後、合本となり、後代の明や清に於いても増補されてきた。

「青蝦」「對蝦」については、「維基文庫」の「欽定古今圖書集成」の方輿彙編‎の「職方典」の第七百巻の松江府物產考二」に、この「松江府志」から引用したと思しい、『青蝦 大如掌。俗稱「對蝦」。三、四月間、有之。』という記載がある。

「多識扁」林羅山道春が書いた辞書「多識編」。慶安二(一六四九)年の刊本があり、それが早稲田大学図書館「古典総合データベース」にあったので、調べたところ、「卷四」のこちらに「鰕」の項があり、その中に「天鰕【古恵比】」とあった。「古恵比」は「こゑび」(小海老)だろう。

『「芝蝦」〔江戶方言。〕』先のウィキの引用を参照。

「壬辰臘月十五日」天保三年十二月十五日。一八三四年一月二十四日。]

2022/01/17

毛利梅園「梅園介譜」 水蟲類 蝦(モクチ) / ユビナガスジエビ?

 

[やぶちゃん注:右上の「蝦」の字は、実際には(「虫」+「殳」)の字であるが、これは「蝦」の異体略字であるので、「蝦」に代えた(後の『「本草綱目」巻第四十四』の次の行の「鰕」の字の(つくり)も同じであるが、「鰕」に代えた)。下方のやや中央寄りの文字列は対象個体の書写したクレジット。左端にある記載は、本図の一種に与えたものではなく、底本の本図全体の内の、右下の海鼠を除いた四体描かれたエビ類の総解説として記されたものであるが、ここで電子化しておく。右手の黒く突き出した二本は先のテナガエビの第二歩脚が突き出たもので、同じく右手から出ている細い二本はテナガエビの触角である。下方の背と触角を見せているエビは、本種とは異なる「蝦(シバエビ)」として、下方に描かれた二個体の内の一つで、右手の文字列もそれらへのもので関係ない。]

 

Mokuti

 

蝦〔一種。もくち。〕

 

癸巳(みづのとみ)林鐘(りんしやう)四日、眞寫す。

 

「本草綱目」巻第四十四

鰕〔えび。〕一名「何」。「長鬚公」。「曲身小子」。

鰕は「川ゑび」の惣名なり。時珍曰はく、『鰕、湖江に生ずる者、大にして、色、白し。溪地に出づる物、小にして、色、青し。其の青色なる者を「青蝦(しばゑび)」と曰ひ、白色なる者、白蝦(しらさい)と曰ふ。』と。

 

[やぶちゃん注:情報が「モクチ」という名だけで、これは困った。全図の先の右手のテナガエビ(♂と推定)と対照して見ると、同じく第二歩脚が伸びており、同じテナガエビの♀か、或いは、若年個体かとも思った。既に古くから食用にされてきたテナガエビであれば、それらに「モクチ」(この異名は今に生きていない模様である)という異なった名を附けたとしても、見かけが異なるからにはあり得ぬでもないとは逆に思う。しかし、どうもすっきりしない。「モクチ」という名を眺めていると、「モ」は「藻」かと思い、沿岸性の十脚(エビ)目根鰓(クルマエビ)亜目クルマエビ上科クルマエビ科ヨシエビ属モエビ Metapenaeus moyebi を想起したものの、同種は歩脚はここまで有意には伸びないから、違う。梅園が敢えてテナガエビの対位置にこれを描いたのは、まず、その伸びた第二歩脚による共通性からと考えてよく、体色も敢えてよく似た感じで描いている(そういうバイアスがかかったということ。実際の体色は少し違ったかも知れない)。そこで考えたのは、

十脚目テナガエビ科スジエビ属ユビナガスジエビ Palaemon paucidens

であった。彼らは、テナガエビほどではないにしても、やはり第二歩脚が長くなる。画像はサイト「浦安水辺の生き物図鑑」の「ユビナガスジエビ」を見られたい。それらしい。特にテナガエビの図と突き合わせると、私などは「いかにも!」と感じた。取り敢えず、それを第一候補としておく。

「癸巳」天保四(一八三三)年。

「林鐘四日」「林鐘」は陰暦六月の異名。天保四年六月四日は、グレゴリオ暦一八三三年七月二十日である。

『鰕〔えび。〕一名「何」。「長鬚公」。「曲身小子」。』ちょっと意外なのだが、かくも『「本草綱目」巻第四十四』とやらかしておきながら、同原本を見ても、この異名は見当たらないので少々不審に思った。而して、もしやと思ったのが図に当たった。この異名は「本草綱目」ではなく、梅園先生、これって、小野蘭山の「重修本草綱目啓蒙」じゃありませんか! 国立国会図書館デジタルコレクションの同書の巻三十「無鱗魚」の「鰕」の冒頭だ。そこに(太字は底本では囲み字)、

   *

  エビ 一名「何」【鄭樵「爾雅註」。】・「長鬚公」【「事物異名」。】・「虛頭公」・「曲身小子」【「共同」上。】・「魵」【「正字通」。】・「長髯公」【「類書纂要」。】

   *

とあって、「鰕は『かはえび』の總名なり」と始まってますな。ちょっと、それは、まずいでしょうねぇ。但し、「時珍曰」以下の部分は、確かに「本草綱目」同巻の「鰕」の「集解」からの引用ではある。「漢籍リポジトリ」のこちらの[104-51a]の影印画像を見られたい。

「湖江」大きな湖や大河(具体的には洞庭湖と長江)。

「溪地」溪谷。時珍は湖北省出身で、概ねそこで医業と本草研究に勤しんだ。則ち、彼の海産生物の記載に誤りが多いのは、実地に中国沿海の地方を見聞して対象物を調べることが殆んどなかったからである。

「青蝦(しばゑび)」次と合わせて、「本草綱目」を引いておき乍ら、それに和名の具体なエビの名を読みで附すというのは、流石にどうかと思われる。そもそも、時珍は以上に述べた通りで、純淡水産のごく内陸性の淡水エビしか指して言っていないのだから、これに和名種の名を宛がうこと自体が、とんだ仕儀であることは、当時の素人でも判ることで、甚だ以って不審極まりないことなのである。ただ、こちらは実は本図の下方にある「鰕一種」とあるのに「シバエビ」とルビを振っており、右側の異名の最初に「青蝦」を挙げていることからの、梅園の思い込みによる確信犯の仕儀ではある。現行の「シバエビ」は「芝蝦」(和名は嘗て江戸芝浦で多く漁獲されたことに由来する)で、内湾の泥底に好んで棲息するクルマエビ科ヨシエビ属シバエビ Metapenaeus joyneri である。

「白蝦(しらさい)」不詳。全く特定種を指さずに、比較的生体が白っぽい或いは半透明なエビをこう総称しているつもりなら、「シラエビ」「シロエビ」と書けばいいところを、「シラサイ」などと、特定種を指すような謂いをするのは、甚だ不審だ。特定の種を指しているとしか思われないが、判らぬ。このような異名だけをだされても困る。一つ、上田泰久氏のサイト「食材事典」の「車海老(くるまえび)」のページに「サイマキ」の項があり、業者や調理人は十五センチメートル以上を「車海老」、十~十五センチメートルのものを「マキ」、それ以下を「サイマキ(鞘巻)」と呼び、 特に大きい二十センチメートル以上のものを「大車(おおぐるま)」と呼ぶとあって、『サイマキという言葉の由来ですが、昔、武士の腰刀の鞘(さや)に刻み目が付いていて、車海老の縞模様がこれに似ていたので、車海老の略称を鞘巻き(さやまき)と言った』のが、『なまって、サエマキ、サイマキとなり、これが小さな車海老の呼び方になった、という話です』とあった。或いは、「シラサイ」というのは、「白鞘」で、白い或いは透明なエビの外骨格を言っているのかも知れないな、とは思ったことを言い添えておく。まあ、生体が透明で、死ぬと白く濁る淡水産(「本草綱目」だから)となると、本邦ならば問題なく、テナガエビ科テナガエビ亜科スジエビ属スジエビ Palaemon paucidens を名指すことが出来るけれども。昔は裏山の藤沢の貯水池の出水口で、沢山、獲れたものだったに。]

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Art Caspar David Friedrich Memorandum 又は 「私と云ふ或阿呆の一生」 Miscellaneous Иван Сергеевич Тургенев 「プルートゥ」 「一言芳談」【完】 「今昔物語集」を読む 「北條九代記」【完】 「宗祇諸國物語」 附やぶちゃん注【完】 「新編鎌倉志」【完】 「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳【完】 「明恵上人夢記」 「栂尾明恵上人伝記」【完】 「無門關」【完】 「生物學講話」丘淺次郎【完】 「甲子夜話」 「第一版新迷怪国語辞典」 「耳嚢」【完】 「諸國百物語」 附やぶちゃん注【完】 「進化論講話」丘淺次郎【完】 「鎌倉攬勝考」【完】 「鎌倉日記」(德川光圀歴覽記)【完】 「鬼城句集」【完】 アルバム ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」【完】  ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ【完】 中原中也詩集「在りし日の歌」(正規表現復元版)【完】 中島敦 中島敦漢詩全集 附やぶちゃん+T.S.君共評釈 人見必大「本朝食鑑」より水族の部 伊東静雄 伊良子清白 佐藤春夫 兎園小説 八木重吉「秋の瞳」【完】 北原白秋 十返舎一九「箱根山七温泉江之島鎌倉廻 金草鞋」第二十三編【完】 南方熊楠 博物学 原民喜 只野真葛 和漢三才図会巻第三十九 鼠類【完】 和漢三才図会巻第三十八 獣類【完】 和漢三才図会抄 和漢三才圖會 禽類【完】 和漢三才圖會 蟲類【完】 和漢三才圖會卷第三十七 畜類【完】 国木田独歩 土岐仲男 堀辰雄 増田晃 夏目漱石「こゝろ」 夢野久作 大手拓次詩集「藍色の蟇」【完】 宇野浩二「芥川龍之介」【完】 宮澤賢治 富永太郎 小泉八雲 小酒井不木 尾形亀之助 山之口貘 山本幡男 山村暮鳥全詩【完】 忘れ得ぬ人々 怪奇談集 日本山海名産図会【完】 早川孝太郎「猪・鹿・狸」【完】 映画 杉田久女 村上昭夫 村山槐多 松尾芭蕉 柳田國男 柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」 柴田宵曲 栗本丹洲 梅崎春生 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】 梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】 梅崎春生日記【完】 橋本多佳子 武蔵石寿「目八譜」 毛利梅園「梅園介譜」 毛利梅園「梅園魚譜」 江戸川乱歩 孤島の鬼【完】 沢庵宗彭「鎌倉巡礼記」【完】 津村淙庵「譚海」 浅井了意「伽婢子」【完】 浅井了意「狗張子」 海岸動物 火野葦平「河童曼陀羅」【完】 片山廣子 生田春月 由比北洲股旅帖 畑耕一句集「蜘蛛うごく」【完】 畔田翠山「水族志」 石川啄木 神田玄泉「日東魚譜」 立原道造 篠原鳳作 肉体と心そして死 芥川多加志 芥川龍之介 芥川龍之介 手帳【完】 芥川龍之介 書簡抄 芥川龍之介「上海游記」【完】 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)【完】 芥川龍之介「北京日記抄」【完】 芥川龍之介「江南游記」【完】 芥川龍之介「河童」決定稿原稿【完】 芥川龍之介「長江游記」【完】 芥川龍之介盟友 小穴隆一 芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔 芸術・文学 萩原朔太郎 萩原朔太郎Ⅱ 蒲原有明 藪野種雄 西東三鬼 詩歌俳諧俳句 貝原益軒「大和本草」より水族の部【完】 野人庵史元斎夜咄 鈴木しづ子 鎌倉紀行・地誌 音楽 飯田蛇笏