七十四津女多介〔「渚ノ錦」。〕○光螺〔「薬名備考」。〕○酥螺〔「質問品目志」。〕○油螺〔仝。〕○砑螺〔「怡顔斉介品」。〕
○スリ貝〔仝〕○玉介〔「貝盡浦錦」。〕○ウツボ介〔「前哥仙」云。〕○紫背螺〔「福州府志」。〕
○薩摩貝〔「渚錦」。〕○紙摺貝〔「六百介品」。〕
「貝盡浦の錦」百介品中、玉介の條下に云、『俗称、「つへた」。「前哥」に入、「うつほ介」也。艶、よくあり。はだ、滑なり。多き介なり。うすかひと云也。』。
○「怡顔斉介品」云、「紫背螺・ツメタ貝・スリ貝、「福州府志」に『田紫背螺。紫色有班點俗謂之砑螺。』。玄達、按に、俗に「ツメタ貝」と云。越後新泻にて「スリ貝」と云。此貝、形、圓にして、底、光らず。殻、厚くして、肌、細也。口の内へ曲りて、底、尖らず。帷子・袴・紙等を摺磨に佳也。又、「室町殿日記」に、『細川幽齊、豊臣太閤の前に持れしに、ある大名より、牡蛎・生鼠腸・ツメタ三種を献す。太閤此三の肴に付て一首せよと有しに、幽齋、即「かきくれてふる白雪のつめたさをこのわためしてあたゝめそする」と詠せられしかは、太閤及ひ滿坐、大に感しられし。』とそ。今はツメタを下品の物として食せず、右は高貴の人も賞翫せられたりと見ゆ。」。
○「丹敷の浦裏」云、『「玉黍介」と同種。色、淡褐色。光艶有て、滑澤也。津邉太と云。「前歌仙」に「宇津保介」と有る、熊野海辺より出る者、殻、厚し。「甲香」「邉奈太利」と云。』。
○「渚の錦」に云、『「つめたかひ」また「薩摩かひ」。形、正圓、層平にして、旋に稜なく、表は樣色あり、銅色あり。裏はしろく、児、貝のなべて白を「白玉」と云。』〔石壽云、此末附會の説、多に因て畧して不記。〕。
○石壽云、形、白玉。椿に似て、圓く脹れ、殻、至て厚く、巻目頭に寄、三、四巻有り。背、廣く、生活の時は鈍色にして、巻留、紫黒色。腹、平にして正中に横長の一孔有り。口の如し。其辺に唇の如く或は舌の如き厚き者、出張あり。其色、黒紫色。唇、不厚。口の内、鈍紫色を帶、表裏ともに光あり。又、巻留、少し尖りて長くして、鼠介に等しき者あり。即、雌雄の差別なるへし。雄津免多介と云。厴、蟬の羽の形にして薄く、あめ色或は鼈甲の如、透哲す。縱理文脉あり。是「六百介品」にて、「蟬の羽介」と云。又、殻干枯の者、水白色・朱褐色濃淡、班文、巻留、靑黒色巻文あり。腹、白色・淡朱・黒班文あり。紋彩班文、巻留、靑黒色巻文あり。腹白色、淡朱黒文あり。紋彩班文、一ならず。
又、雪白色・紅褐色、班文、腹口の内迠、潔白色の者あり。波に洗たる者也。光なし。惣て頭より腹迠、筋違の粗條理、繁くあり。大さ、五、六分より三寸斗の者あり。即、机上に置て紙を摺に勝れて好し。故に紙摺り介とも云。惜らくは、多く有者也。房州其外諸国より産す。又、古は專ら、食用とす。近来は食ふもの少し。下人・漁夫なと是を食ふ。
七十五花津免多介〔通称「牡津女多」。仝。〕
○石壽云、則津免多介同種にして、巻留、張出し、長し。肌、紅褐色・白色班文の者、或は淡靑色・靑黒色斑紋の者あり。大さ五、六分より二寸前後の者あり。光艶美麗。稀品也。紋彩一ならず。
七十六玉介〔「六百介品」。〕
○石壽云、即、津辺多介同種にして、形、圓く※れ、長く、腹、平にして、口、大く、腹、正中に横長の一孔辺、舌の如者あり[やぶちゃん字注:「※」=「月」+「亭」。恐らくは「脹(ふく)れ」であろう。]。其余、津辺多に同し。背、廣く、巻目、口の辺より起り、二、三、巻、頂、黒褐色或は靑黒色。其辺、紅褐色或は黄褐色巻文あり。又、巻留、
紅色・朱色の者あり。稀也。肌、茶褐色。光艶、美也。宝珠とも云へき者也。腹、雪白色。口の内、紅褐色にして光艶あり。頂より筋違の微條、繁し。紋彩濃淡、一ならす。大さ、一、二分より寸余にして、形状、條理なく、光滑、上品の者也。條理有るものは下品也。大小差別なく、「津免太介」とも、又、「紙スリ介」とも云。厴、津辺多介の條下に委し。
又、肌、朱褐色・黒褐色紋彩、巻留、黒色の者、光耀美麗。腹、雪白色・朱褐色班文、口の内、朱褐色、光瑩、美也。
又、肌、表裏ともに淡紅褐色、口の内、又、同、巻尻、濃紅褐、光艶、美なり。則、「瑪瑙介」と云。
[やぶちゃん注:「目八譜」第七巻「圓螺蛽属 百三品」の「七十四 津免多介」「七十五」「七十六」の記載である(他の箇所にも別にツメタガイと思しい種が載るが、ここが最も纏まった詳述箇所である)。国立国会図書館デジタルコレクションの画像を視認にしてテクスト化した。その際、カタカナをひらがなに直し、読み易くするために適宜、句読点を配したが、とんでもない句読点配置(誤読箇所)があるやも知れぬ。その時は御指摘頂けると嬉しい。「七十四」などの囲み数字は、底本では「○」の中に同数字が入ったものである。なお、頭に掲げたのは国立国会図書館デジタルコレクションの「目八譜」の中の当該保護期間満了画像であるが(私の翻刻と比較対象出来るように総てのページを載せた)、後に附した二枚の画像の方は、東京国立博物館所蔵の「情報アーカイブ」の「博物図譜」の「目八譜」の別な人物による写本の当該彩色図である(同画像は学術目的のページでの自由使用(トリミング以外の処理は不可)が許されているものである)。後者の方がより彩色が美しく、立体感もある(向後は、かくの如く二種を掲げることとしたいと思っている)。
腹足綱直腹足亜綱新生腹足上目吸腔目高腹足亜目タマキビガイ下目タマガイ上科タマガイ科ツメタガイ属 Glossaulax ツメタガイ Glossaulax didyma 及びその近縁種が図とともに色や斑紋(文中の「班」はママ)を煩を厭わず、詳述しており、頭が下がる。
「渚ノ錦」「渚の丹敷」。Terumichi Kimura氏の貝類サイト「@TKS」の「貝の和名と貝書」によれば(以下、引用ではアラビア数字を漢数字に代えさせてもらった)、曾永年著で享和三(一八〇三)年刊、上下二巻。『上巻は二枚貝、下巻は巻貝で、合計百二十三項、五百四十品。付録五十四品を載せている』。『緒言によれは美麗な彩色図があるはずだが詳細不明。曾永年は通称を占春といい、薩摩候 島津重豪の記室。占春は貝類を記載するに当たり、ある一個の代表種を題目に掲げ、 類似のものはその下に取り纏めて記するような方式をとっ』ているとある。
「薬名備考」「本草薬名備考和訓鈔」。丹波頼理(よりまさ)が文化四(一八〇七)年刊行した本草書。全七巻。
「酥螺」音は「ソラ」。「酥」はバターの意の他に、食べ物などがぼろぼろに砕けやすい、さくさくとして柔らかい、口に入れるとすぐとけるという意があるが、ここは殻の色からバターの意味か。
「質問品目志」類書(字書)と思われるが、不詳。
「仝」「同」に同じい。
「砑螺」音は「ガラ」。「砑」は艶出しをするの意がある。
「怡顔斉介品」松岡玄達著貝類及び蝦蟹その他百五十七種に及ぶ介類図譜(図は最後に纏められてある)。前出の「貝の和名と貝書」によれば、出版は宝暦三(一七五八)年であるが、著者序文は元文五(一七四〇)年で次に示す「貝盡浦の錦」よりも執筆は早い。『蛤類二十九種、螺類十四種、和品七十二種、蟹類十八種、蝦類十一種、その他十三種が掲載されて』おり、『介とは貝の他に蝦や蟹も含まれ、その中で漢名の不明なものを和品と称していた。主として実地の見聞に基づいて編まれており、書中四十余種の新出項目を有し』、「貝盡浦の錦」とともに『我が国貝類学上に多大の衝動を与えたものである』とある。
「貝盡浦錦」同じく「貝の和名と貝書」によれば、大枝流芳著で寛延二(一七四九)年刊。『日本における印刷された最初の貝類書。貝に関連する趣味的な事が記されている。 著者自ら後に序して、「大和本草その他もろこしの諸書介名多しといえども是れ食用物産の ために記す。この書はただ戯弄のために記せしものなれば玩とならざる類は是を載せず」 と言っている』。『記述されている貝は約』二百二十種で、上巻には「和歌浦真図」「歌仙貝遺漏百余品」「住吉浦潮干図」「前歌仙貝三十六品評」「但馬竹浦真図」「後歌仙貝三十六品評」「源氏貝配富目録」「新撰歌仙貝」が、下巻には「前歌仙貝並図」「後歌仙貝並図」「貝蓋図式並貝合わせやう指南」「相貝経」などが掲載されている』とある。
「ウツボ介〔前哥仙云〕」「前哥仙」は前の注に出る貝尽しの和歌集「前歌仙貝三十六品評」及び「前歌仙貝並図」を指すものと思われるが、原典に当たってみたが、そこでツメタガイに相当するものは「空背介(うつせがひ)」で「ウツボ介」ではないのが不審。
「福州府志」清の乾隆帝の代に刊行された福建省の地誌。
「六百介品」同じく「貝の和名と貝書」によれば五冊(又は六冊)で、約六百個に及ぶ貝を『彩色図とし、漢名や和名を付けたもの。この書は丹敷能浦裏』(にしきのうらづつみ)『とともに 日本の貝類書として重要な位置を占めるが、共に著者年代の記録が無い』とある。磯野直秀氏の論文「タコノマクラ考:ウニやヒトデの古名」によれば、寛政十二(一八〇〇)年頃までに紀伊藩で成立したものとする。因みに、現在、これを本書の作者である武蔵石寿の「甲介群分品彙」の別称として扱っているサイトがあるが、実際には著者不詳の「六百介品」を、石寿が天保七(一八三六)年(序文)に改訂したものが「甲介群分品彙」であるので注意されたい。
「前哥」前に注した「前歌仙貝三十六品評」及び「前歌仙貝並図」であろう。
「艶、よくあり」「貝盡浦の錦」の原本に当たったが、この部分は原典では「艶つよくあり」で脱字である。
「うすかひと云也」この部分、判読に自信がない。別写本や原典を見たが、どうもどれも字が不審である。識者の御教授を是非、乞うものである。
「室町殿日記」安土桃山から江戸前期にかけて成立した楢村長教(ならむらながのり)によって書かれた虚実入り混じった軍記物で実録日記ではない。「室町殿物語」とも。以下のエピソードは、『博物学古記録翻刻訳注 ■11 「尾張名所図会 附録巻四」に現われたる海鼠腸(このわた)の記載』に出、そこで詳細な注を施してあるので、それを参照されたい。
「玉黍介」「タマキビガヒ」と読んでいると思われるが、現行ではニナ目タマキビガイ科Littorinidae の巻貝の或いはその標準種であるタマキビガイ Littorina brevicula を指し、万一、石寿がそれを指して「同種」と言っているとしたら、形状も棲息域も異なり、非常に残念で不審な誤認と言わざるを得ない。
「樣色」「さまいろ」で、さまざまな色、色彩変異が多いことをいうか。
「唇、不厚」殻口の両側の外唇と内唇のことであろう。事実、薄い。
「鼠介」現行では盤足目タマガイ科ネズミガイ Mammilla simiae の和名であるが、グーグルの画像検索「Mammilla simiae」で分かるように、斑紋は派手であるが、ツメタガイに似ていると言われれば、似ていなくもない。
「少し尖りて長くして、に等しき者あり。即、雌雄の差別なるへし。雄津免多介と云」これは恐らく、本州の男鹿半島及び房総半島以南から南西諸島に棲息し、殻高四センチメートル程度でツメタガイと比較してやや小型であるが、螺塔がやや高いハナツメタ(ガイ) Glossaulax reiniana であろうと思われる。石寿は後で別項で「花津免多介」「牡津女多」とする。
「厴」「へた」と読む。ツメタガイ類の薄い角質の蓋である。
「透哲」透徹。
「縱理文脉」「たてのきめもんみやく」と一応、読んでおく。以下、表現し難いツメタガイの模様や色を結構、よく良く表現していると思う。
「殻干枯の者」「からほしからしのもの」と読んでおく。
「筋違の粗條理」「すぢちがへのあらきじやうり」と読んでおく。
「五、六分より三寸斗」一・五~一・八センチメートルから九・一センチメートルほど。長径であろう。
「惜らくは、多く有者也」江戸時代はとんでもないありとあらゆる者を蒐集する好事家やコレクターが一杯いた。彼らにとっては希少であることが、何より求められたことから、ツメタガイの貝殻の人気は今一つであったのであろう。後に出る条理紋のないものが「上品」で、あるのは「下品」というのも、そうしたツメタガイ・フリークの間でのことである。
「房州其外諸国より産す。又、古は專ら、食用とす。近来は食ふもの少し。下人・漁夫なと是を食ふ」新鮮ならば刺身も美味い。現在でも房総地方ではツメタガイを「いちご」と呼び、これを甘辛く煮たものを「いちご煮」と称する(通常、「いちご煮」というとウニを煮たものを指すので注意)。
「二寸」凡そ六センチメートル。
「玉介」「形、圓く※れ、長く、腹、平にして、口、大く、腹、正中に横長の一孔辺、舌の如者あり」(「※」=「月」+「亭」。恐らくは「脹(ふく)れ」であろう)これは本州の駿河湾以南から南西諸島・東南アジアに広く棲息し、殻高三センチメートル程度で、殻口内が濃褐色と淡褐色の二色に分かれて、殻底が丸みを帯び、臍穴溝は二重の螺状溝を成すのを特徴とするソメワケツメタ(ガイ)Glossaulax bicolor に同定したい欲求に駆られる。なお、他に本邦には、他に本邦には、本州の能登半島及び房総半島以南から九州に棲息し、殻高四センチメートル程度でツメタガイよりやや小型で、殻は薄く灰褐色、胎殻は赤褐色を呈するヒメツメタ(ガイ)Glossaulax vesicalis がいる。
「一、二分より寸余」三、六ミリメートルから三センチメートル強。
「瑪瑙介」「メノウガヒ」。]