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カテゴリー「小泉八雲」の663件の記事

2025/06/09

小泉八雲「若返りの泉」(『ちりめん本』原英文+藪野直史拙訳)――これを以って、私のブログ・カテゴリ「小泉八雲」は、唯一の来日以後の全作品の電子化訳を完遂した。――

[やぶちゃん注:本作が第一書房版「小泉八雲全集」に収録されていないことは、既に述べた。なお、今回、調べた結果、この謎を孕んだ作品について、優れた考証を展開しておられる石井花氏の論文「 小泉八雲とちりめん本――『若返りの泉』の成立過程を中心に――」(『ヘルン研究』第四号・富山大学ヘルン(小泉八雲)研究会・二〇一九年三月刊・「富山大学学術情報リポジトリ」のここでPDFで入手可能・論文+資料編)を、まず読まれるにしくはない、ことが判ったので、是非、読まれたい。従って、原拠探索や、死後に刊行された経緯等も、そちらに詳しい。石井氏の骨折りに敬意を表し、ここでは、そうした背景への注は、一切、行わない。

 以下、サイト「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」のこちらのラベル「富山大学蔵書」蔵書番号「1230124737」の画像、及び、そこにリンクされた二番目のもの英文を参考底本とし、英語嫌いな私の拙訳を添えた。一切の他者の訳したものを参考にすることなく、完全にオリジナルなものである。

 

[やぶちゃん注:表紙。]

 

JAPANESE FAIRY TALE

 

THE FOUNTAIN

            OF  YOUTH

 

Rendered into English

   by Lafcadio Hearn

 

[やぶちゃん注:裏表紙。奥附相当ページ。邦文は縦書。紙質の関係上、字のように見えるところもあるが、判読出来ず、本来の意味を想到出来ないので、空欄とした箇所があり、また、旧字か新字か判読出来ない場合は、旧字を採用した。]

 

All Rights Reserved

Hasegawa,

Tokyo

 

 著作權所有

大正十一年十二月十日 㐧一版發行

同十四年十一月十日 㐧二版印刷

 

 英 譯 者

   故 ラフカヂオ ヘルン

 

 編輯幷発行者

     長谷川武次郞

 

 印 刷 者

     西 宫 與 作

  右同所

 

[やぶちゃん注:以下、本文。“Readered”のミス・スペルはママ。本文冒頭の“L”は原本では二行目にかけて配された特大活字である。]

 

 

THE FOUNTAIN OF YOUTH

 

Readered into English by

LAFCADIO HEARN

━━━━

LONG, long ago there lived somewhere among the mountains of Japan a poor woodcutter and his wife. They were very old, and had no children. Every day the husband went, alone to the forest to cut wood, while the wife sat weaving at home.

 

   One day the old man went further into the forest than was his custom, to seek a certain kind of wood; and he suddenly found himself at the edge of a little spring he had never seen before. The water was strangely clear and cold, and he was thirsty; for the day was hot, and he had been working hard. So he doffed his huge straw-hat, knelt down, and took a long drink.

 

   That water seemed to refresh him in a most extraordinary way. Then he caught sight of his own face in the spring, and started back. It was certainly his own face, but not at all as he was accustomed' to see it in the bronze mirror at home. It was the face of a very young man! He could not believe his eyes. He put up both hands to his head which had been quite bald only a moment before, when he had wiped it with the little blue towel he always carried with him. But now it was covered with thick black hair. And his face had become smooth as a boy's: every wrinkle was gone. At the same moment he discovered himself full of new strength. He stared in astonishment at the limbs that had been so long withered by age: they were now shapely and hard with dense young muscle. Unknowingly he had drunk of the Fountain of Youth; and that draught had transformed him.

 

First he leaped high and shouted for joy; then he ran home faster than he had ever run before in his life. When he entered his house his wife was frightened; because she took him for a stranger; and when he told her the wonder, she could not at once believe him. But after a long time he was able to convince her that the young man she now saw before her was really her husband; and he told her where the spring was, and asked her to go there with him.

   Then she said: "You have become so handsome and so young that you cannot continue to love an old woman; so I must drink some of that water immediately. But it will never do for both of us to be away from the house at the same time. Do you wait here, while I go." And she ran to the woods all by herself.

   She found the spring and knelt down, and began to drink. Oh! how cool and sweet that water was! She drank and drank and drank, and stopped for breath only to begin again.

   Her husband waited for her impatiently; he expected to see her come back changed into a pretty slender girl. But she did not come back at all. He got anxious, shut up the house, and went to look for her.

    When he reached the spring, he could not see her. He was just on the point of returning when he heard a little wail in the high grass near the spring. He searched there and discovered his wife's clothes and a baby, a very small baby, perhaps six months old.

   For the old woman had drunk too deeply of the magical water; she had drunk herself far back beyond the time of youth into the period of speechless infancy.

   He took up the child in his arms. It looked at him in a sad wondering way. He carried it home,murmuring to it, thinking strange melancholy thoughts.

━━━━

 

[やぶちゃん注:この後には、“JAPANESE FAIRY TALE SERIES.”(「日本の妖精譚シリーズ」)“ENGLISH EDITTION”(「英語版」)と標題し、“ON CRLPE PAPER WITH ILASTRAYTIONS IN COLOURS.”(「カラー版挿絵附きの『縮緬(ちりめん)本』」)という添え辞を持った“1”番から“22”番までのリストが載るが、それは電子化しない。

 次が、原本の裏表紙で、鉞(まさかり)に海石榴の花枝を結び付けた挿絵が中央にあり、右手下に絵師の署名があるが、私には読めない。私の書道に堪能な教え子同士の御夫婦に判読を依頼してあるので、それを待って、捜索してみようと思っている。

 以下、私の拙訳であるが、本邦を舞台としたおとぎ話の形式であることを鑑みて、本邦の同型の語彙や文体に似せたものにしてある。無論、読者は子どもであることを考えて、全体のコンセプトは、小泉八雲の訳したワン・フレーズには束縛さない形で読点を入れたり、時に文を切り、敬体の近代的な口語型とした(翻案にはならないように細心の注意はした積りであるが、英文はシチュエーションを、子どもたちに判るようには十全に叙述していないので、私がその部分を添えておいた。いや、今や、小学生でも英文の方がよく読めてしまうのだろうが)。子どもが読むことを考慮して、読みを大幅に入れ、シチュエーションが判るように一部の表現を附加した(間接表現を直接表現にして改行した箇所もある)。実際、展開上、中には、一段落でなく、段落を新たにした方がいいと強く思う箇所もあったが、それは、八雲先生の呼吸として、厳に守った。但し、本ブログ・カテゴリ「小泉八雲」で電子化したものに合わせ、漢字は正字を用い、歴史的仮名遣を用いた。なお、本文の冒頭にあるものは、表紙と同じものであるので、カットした。]

 

◆藪野直史オリジナル譯

 

 日本(につぽん)のおとぎばなし集(しゆう)

       若返(わかがへ)りの泉(いづみ)

 

  ラフカディオ・ハーン による

             英語譯(えいごやく)

 

 

 昔々(むかしむかし)、日本の山の奥(おく)に、貧(まづ)しい樵(きこ)りと、そのおかみさんが住んでゐました。彼ら二人は、たいさう年老(お)いてをり、子どもも、をりませんでした。おぢいさんは、每日、おばあさんが家で機織(はたお)りをしてゐる間(あひだ)、獨(ひと)りで、森へ、木を伐(き)りに行きました。

 或(あ)る日のことです。おぢいさんは、とある木を探(さが)すため、何時(いつも)より更(さら)に森の奥深(おくぶか)くまで行きました。すると、突然(とつぜん)、今まで見たこともない、小さな泉(いづみ)に辿(たど)り着(つ)きました。

 そこの泉の水は、不思議なほど澄(す)んでゐて、冷たいのです。おぢいさんは喉(のど)が渇いてゐました。暑(あつ)い日でしたし、一所懸命(いつしよけんめい)に働いてゐたからです。そこで、おぢいさんは大きな麥藁帽子(むぎわらばうし)を脫(ぬ)ぎ、跪(ひざまづ)いて、一氣(いつき)に水を飮みました。

 その水は、おぢいさんが吃驚(びつく)りするほど、元氣づけて吳(く)れたやうでした。

 ところが、その時、おぢいさんは、泉に、ちらと映(うつ)つた自分の顏(かほ)を見て、思わず、泉のたもとに引き返しました。それは、確(たし)かに自分の顏ではあつたのですが、家の銅(あかがね)で出來た鏡(かがみ)で見慣(みな)れてゐる顏とは、これ、全(まつた)く違(ちが)つてゐたからです。それは、とても若い男(をとこ)の顔だつたのです! おぢいさんは、自分の目が信じられませんでした。おぢいさんは兩(りやう)の手で、頭を押さえてみました。ほんの少し前までは、何時(いつ)も持ち步(ある)いてゐる小さな手拭(てぬぐ)ひを頭を覆(おほ)つたばかりで、すつかり禿(は)げ上がつてゐたはずだつたからなのです。しかし、今は、何んと、濃(こ)い黑髮(くろかみ)に覆(おほ)はれてゐたのです。そして、おぢいさんの顏はといふと、少年のやうに滑(なめ)らかになつてゐて、皺(しは)は消えてゐたのでした。同時に、おぢいさんは、自分が新しい力(ちから)に滿(み)ち滿ちてゐることにも氣づきました。おぢいさんは、嘗(か)つては、あんなに堅(かた)くて不自由だつた手足を、驚(おど)いて見つめてゐました。年を取つたことで、すつかりしなびてゐた腕(うで)は、今や、若く張(は)りのある筋肉(きんにく)の形(かたち)を見せて、がつしりしてゐるのでした。おぢいさんは、知らず知らずのうちに、「若返りの泉」を飮んでゐたのです。そして、その、水のわづかな一杯(いつぱい)が、おぢいさんの姿を、すつかり變(かへ)たのでした。

 まづ、おぢいさん――もう、「おぢいさん」ではないので、「彼(かれ)」と言ひませうね。――彼は、高く飛(と)び上がり、よろこびの叫び聲(ごゑ)を擧(あ)げました。――それから、生まれてこの方(かた)、そんな速(はや)さで走つたことのない驚くべき速さで、家まで走つて歸つたのです。家に入(はひ)ると、おばあさんは、彼を『見知らぬ他所者(よそもの)ぢや。』と思ひ、怯(おび)えました。彼が、自分が感じた驚(おどろ)きを話しても、おばあさんは、直(す)ぐには信じられませんでした。しかし、長い時間をかけて、彼は、おばあさんに、今、目の前にゐる若い男が、本當(ほんたう)におばあさんの夫(をつと)であるおぢいさんだ、といふことを納得(なつとく)させることが出來ました。さうして、泉の場所を敎へ、

「一緖(いつしよ)に行かう。」

と誘(さそ)ひました。

 すると、おばあさんは言ひました。

「あなたはすつかり若く美しくなられましたから、この年老いたばあさんを愛し續(つづ)けることは出來ません。だから、私は、すぐ、その水を飮まなければなりません。でも、私たち二人(ふたり)が一緖(いつしよ)に家を離れるのは物騷(ぶつさう)で出來ません。私が行つて歸つて來るまで、ここで待つてゐて下(くだ)さいな。」

 さうして、おばあさんは、獨りで森へ走つて行きました。

 おばあさんは、彼(か)の泉を見つけると、跪(ひざまづ)いて、水を飮み始めました。

「ああつ、この水は、なんて冷たく、甘いのでせう!」

と、おばあさんは、飮み、そして、飮み、ひたすら、飮み、息をつくための一度(ひとたび)の休みさへ、もどかしさうに、再(ふたた)び、飮み始めたのでした。

 さて、彼女の夫は、彼女が歸つて來るのを、待ち焦がれてゐました。――『きつと、美しい、細(ほつ)そりとした娘になつて、戾ってくる。』と待ちに待つてゐました。しかし、幾(いく)ら待つてゐても、彼女は一向(いつかう)に戾(もど)つて來ないのでした。夫は心配になつて、しつかりと家の戶締(とづ)まりをして、彼女を探しに出かけました。

 泉に辿(たど)り着いた時、彼女の姿は見えませんでした。立つたまま、何處(どこ)を見渡(みわた)して見ても、見えません。仕方(しかた)なく、彼が丁度(ちやうど)、家に戾(もど)ろうとしたその時、泉の近くの背の高い叢(くさむら)の中から、小さな泣き聲が聽(き)こえて來ました。彼が、其處(そこ)を探して見たところが、おばあさんの着てゐた衣服(いふく)と、赤(あか)ん坊(ばう)を見つけました。――それはそれは、とても小さな赤ん坊で、生まれて六ヶ月くらいの赤ん坊だつたのです。

 さうです、おばあさんは、泉の魔法(まはう)の水を飮(の)み過ぎてしまつたのでした。若い頃を遙(はるか)に越え、喋(しやべ)ることも出來ない赤ん坊の時間に到(いた)る時まで、彼女は、すつかり醉(よ)ひ痴(し)れてしまつてゐたのでした。

 彼は赤ん坊を腕に抱き上げました。赤ん坊は悲しさうに、不思議そうに、彼を見詰(みつ)めてゐました。彼は赤ん坊に何かを囁(ささや)きつつ、奇妙で、もの哀(がな)しい思ひを巡(めぐ)らせながら、家へと、連れて歸つたのでした。

 

 

2025/06/04

ブログ・カテゴリ「小泉八雲」の来日後の作品を一篇を除いて正字化不全修正と全面改訂を終了した

 

 今年秋の朝ドラ「ばけばけ」の関係かららしく、私の小泉八雲の作品群(私は2020年1月15日にブログ・カテゴリ「小泉八雲」――現在は全659記事――で、彼の来日後の作品集全十二冊総ての電子化注を完遂している(但し、理由は不明だが、旧第一書房版「小泉八雲全集」に収録されていない“ The Fountain of Youth ”(「若返りの泉」)は除く)。小泉八雲の来日後の以上の作品を活字で日本語で読めるのは、現在、私のこのカテゴリのみである)へのアクセスが有意に増えている。しかし、その大半は、Unicodeを使いこなすようになる前のものであったため、正字表現が甚だ不全である。されば、諸電子化注の合間に、少しずつ、古い物から、本気を出して、正字への変更を始めている。完全に視認で確認し、底本を確認して打ち換えるため、かなりの時間が必要であるが、ドラマの開始までには、その作業を終えたいと思っている。無論、ミス・タイプ(かなりあった)は無論のこと、読み直して、注に不満がある箇所も大幅に補正している(よくアクセスされる一部は、既に、多少は修正済みではある)。御希望を下されば、フライングして修正しようとも思っている(実際、二、三年前からそうしたメールを戴き、修正している)。

 視力の低下が進み、なかなか、物理的に時間が掛かるが、頑張りたい。無論、何より――私の愛する小泉八雲のために――である。

殆どの電子化は、底本が不全、或いは、私が日本人小泉八雲の電子化として相応しくないと判断したため、新たに、信頼出来る新底本に拠り、ゼロから検証した。

 なお、訳者によって、「!」「?」の後に一マス空ける仕儀を行っていない場合があったが(文が切れる場合は除く)、これは、やはり、躓くので、一字空けを恣意的に施した。その他、底本に再度、当たり、行空けが相応しいかどうかも、確認する。

 ★また、今回の作業では、若い読者や日本語が出来るものの、ネイティヴでない方(私が親しくしているネット上の友人には複数いる)を意識して、難読語や、意味で躓くと私が判断した(元は高校国語教師であったので、その辺りは敏感である。作品によっては、私の授業と同じく、朗読をして、そうした箇所を点検することとした)熟語や表現には、割注を入れた。私の年齢(現在六十八歳)以上の読者には五月蠅いと感じられることもあろうが、私の読者ターゲットは、明らかに私よりも若い読者を対象とするものだからである。新字新仮名でなくては読まない、読めない、という日本人が大半を占めたら、それこそ、小泉八雲先生は、淋しくなられるに違いないからである。

 以下の、「経過報告」は不定時に更新する。

 なお、私の正字化補正を甘く見られると、私の辛苦の努力が空しくなるので、言っておくと、例えば、「内」は「內」に、ちゃんと、変えているのである。正規表現を掲げるサイトでも、この「內」を用いていないところは、かなり多いと存ずる。

 但し、言っておくと、参考等として、リンクを張ったものは、事実上、いちいちは再検証していない。存在しても、アドレスが変更されている場合もあるが、既に存在しないものもあり、そこから引用したものを抹消して、またまた、その部分をソリッドに書き変えるのは、あまりにも時間が掛かり過ぎるからである。悪しからず。

   *

【経過報告2025年2月19日 8:30現在】
現在、「小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十章 美保の關にて (二) 附 折口信夫「鷄鳴と神樂と」(附注)」まで修正作業を終わった。
【経過報告2025年2月21日14:35現在】
以上の「知られぬ日本の面影」の「江ノ島巡禮」(全)を、再々度、検証したところ、不全箇所を発見し、補正した。「ゝ」と「〻」の混用に至るまで、総て、厳密に再現した。まず、「江ノ島巡禮」(全)については、まず、OKかと思われる。それ以降の再検証も、再々点検中である。
【経過報告2025年2月21日17:10現在】
「知られぬ日本の面影」の「私の極東に於ける第一日」(全)の再々校訂を終了した。
【経過報告2025年2月28日 8:15現在】
必要があって、『小泉八雲 落合貞三郎他訳「知られぬ日本の面影」の献辞及び「序」(附やぶちゃん注)』を全面改訂した。画像も追加した。
【経過報告2025年3月 4日12:40現在】 
「知られぬ日本の面影」の「第十九章 英語敎師の日記から」まで、補正を終了した。補正しながら、「(二十一)」を読み直し、またまた、落涙を禁じ得なかった。
【経過報告2025年3月 7日 8:45現在】
「知られぬ日本の面影」の 「第二十二章 舞妓について」(全六章分割)まで、補正を終了した。本文(プロローグを除く)を補正しながら再読して、またしても、滂沱してしまった。
【経過報告2025年3月11日 8:32現在】
「知られぬ日本の面影」の最終章「第二十七章 サヤウナラ」(全五章分割)の補正を終わり、取り敢えず、この「知られぬ日本の面影」の全補正を終わった。途中から、投稿原稿のブラウザを拡大して正字化修正をしたことから、その漏れは、かなり減衰したと思う。もし、私の注を含め、疑問に思われるものを発見された場合は、気軽に私にメールをお送り下さると、嬉しい。
【経過報告2025年3月11日10:18現在】
「知られぬ日本の面影」の「あとがき」(附やぶちゃん注)を、かなり、補正した。本篇に関わった三名の訳者によるもので、特に最後の大谷正信氏のものには、大谷氏に手書きで書いた、ハーンが日本に来るまでの経緯を語った、貴重な(他の小泉八雲の刊行物ではここでしか見られない)自筆年譜風の原文と、大谷氏による訳文が載る。未見の方は、是非、見られたい。
【経過報告2025年3月11日10:50現在】
小泉八雲の「神國日本」(戶川明三譯 附原文 附やぶちゃん注)の補正に入った。この電子化注は、小泉八雲の訳著作では、最も難渋した長編評論であり、されば、今までのように各章での経過報告は、しない。ある程度、ソリッドな複数章までで、補正状況を示すこととする。因みに、冒頭の「難解」は補正終了した。
【経過報告2025年3月15日 7:30現在】
思うところあって、「小泉八雲 ちん・ちん・こばかま (稻垣巖譯) / 底本「日本お伽噺」~了」と、序でだから、『柴田宵曲 妖異博物館 「小さな妖精」』を補正し、一部の注を書き変えた。但し、後に底本を変えて、再度、補正する。【2025年5月2日追記】底本を新たにして、全面改訂し、読みの一部を挿入した。
【経過報告2025年3月17日14:34現在】
小泉八雲の「神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(44) 大乘佛敎(Ⅲ) / 大乘佛敎~了」まで、補正を終了した。この最終章は、久々に正面から組み合ったが、やはり――聊か難物――であった。是非、読者諸君も挑戦されたい。
【経過報告2025年3月21日 9:35現在】
小泉八雲の「神國日本 戶川明三譯 附やぶちゃん注(100) あとがき(戶川明三) / 小泉八雲「神國日本」(戶川明三譯)附やぶちゃん注~完遂」まで、補正を終了した。私は、この電子化注テクストを作成するのに、実に、三年半かかった。今回の補正では、半ば頃から、補正スピードが急速になったが、これは、初回電子化の際、やっとUnicodeを使いこなせるようになっていたからであった(但し、「敎」等の不全や、私のミスタイプは複数あった)。どうか、リニューアルした、小泉八雲渾身の遺作であるこれを、是非、再読されんことを強くお薦めするものである。
【経過報告2025年3月21日11:28現在】
私の偏愛する小品「小泉八雲 燒津にて 大谷正信譯 附・やぶちゃん注」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月21日13:39現在】
「小泉八雲 草雲雀 大谷正信譯 附・やぶちゃん注」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月21日14:58現在】
「小泉八雲 人形の墓 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。朗読してみて、思わず、涙が出た。
【経過報告2025年3月21日15:50現在】
「小泉八雲 門つけ (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月22日 7:02現在】
「生と死の斷片 小泉八雲(LAFCADIO HEARN)(田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月22日10:05現在】
「赤い婚禮 小泉八雲(LAFCADIO HEARN)(戶澤正保譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月22日10:40現在】
「小泉八雲 振袖 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月22日13:05現在】
「小泉八雲 因果話 (田部隆次譯)」(強力な注と原拠電子化を附してある)底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月22日17:12現在】
『小泉八雲 惡因緣 (田部隆次譯) 附・「夜窓鬼談」の「牡丹燈」』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月23日 7:30現在】
『小泉八雲 蟬 (大谷正信譯) 全四章~その「一」』底本を新たにして、全面改訂した。訳者註が、当該作の最後に纏めてあるのを、適切な箇所に移動しているため、午後五時から取り掛かったが、恐ろしく時間がかかった。専心しないと、厳しそう!
【経過報告2025年3月23日 9:00現在】
『小泉八雲 蟬 (大谷正信譯) 全四章~その「二」』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月23日10:54現在】
『小泉八雲 蟬 (大谷正信譯) 全四章~その「三」・「四」 / 蟬~全電子化注 完遂』底本を新たにして、辛うじて午前中に完遂した。
【経過報告2025年3月23日15:58現在】
「小泉八雲 夢魔觸 (岡田哲藏譯)」底本を新たにして、全面改訂した。私は、本作を、怪談としてではなく、ユングを先取りした、洞察に富んだ、深層心理学的・精神分析学的小佳品として、高く評価するものである。
【経過報告2025年3月24日10:15現在】
『小泉八雲 作品集「骨董」 (正字正仮名)全電子化注始動 / 幽靈瀧の傳說 (田部隆次譯)』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月24日11:08現在】
私が偏愛する「小泉八雲 茶碗の中 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。なお、私は既に『柴田宵曲 續妖異博物館 「茶碗の中」 附 小泉八雲「茶碗の中」原文+田部隆次譯』で、英文原文と原拠の電子化を行っているので、そちらも、是非、見られたい。
【経過報告2025年3月24日13:13現在】
「小泉八雲 常識 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。なお、私は既に 『柴田宵曲 續妖異博物館 「佛と魔」(その3) 附小泉八雲“ Common Sense ”原文+田部隆次譯』で、英文原文と原拠の電子化を行っているので、そちらも、是非、見られたい。
【経過報告2025年3月24日14:52現在】
「小泉八雲 生靈 (田部隆次譯) 附・原拠」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月24日15:44現在】
「小泉八雲 死靈 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月24日16:30現在】
『小泉八雲 おかめのはなし(田部隆次譯)/附・原拠「新撰百物語」卷二「嫉妬にまさる梵字の功力」(オリジナル翻刻・完全版)』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月24日17:08現在】
「小泉八雲 蠅のはなし  (大谷正信譯) 附・原拠」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月24日17:28現在】
「小泉八雲 雉子のはなし  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月25日 5:36現在】
『小泉八雲 忠五郞のはなし  (田部隆次譯) 附・原拠 / 「古い物語」~了』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月25日 7:50現在】
「小泉八雲 或女の日記 (田部隆次譯) 附・オリジナル注」底本を新たにして、全面改訂した。未読の方には、是非、読んで貰いたい作品である。
【経過報告2025年3月25日15:28現在】
「小泉八雲 平家蟹 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日 6:37現在】
「小泉八雲 螢  (大谷正信譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日 7:05現在】
「小泉八雲 露の一滴 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日10:40現在】
「小泉八雲 餓鬼 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日11:30現在】
「小泉八雲 尋常の事 (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日14:10現在】
「小泉八雲 默想  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日14:10現在】
「小泉八雲 病理上の事  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日15:05現在】
「小泉八雲 眞夜中  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月26日16:23現在】
「小泉八雲 夢を食ふもの(田部隆次譯)~作品集「骨董」全篇電子化注完遂」底本を新たにして、全面改訂した。一部の作品は、殆んど修正が必要なかったため、ここに記さなかったものもあるが、「骨董」は全作品について底本を新たにし、全面改訂してある。
【経過報告2025年3月27日 5:35現在】
『小泉八雲「怪談」(戶川明三・大谷正信・田部隆次共譯)始動 / 原序』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月27日 8:24現在】
『小泉八雲「怪談」(戶川明三・大谷正信・田部隆次共譯)始動 / 原序』、及び、「小泉八雲 耳無芳一の話 (戶川明三譯)」底本を新たにして、全面改訂した。未明から始めたが、複数の関連リンク先の補正と、原拠の字起こしの検証をしたため、三時間もかかってしまった。【経過報告2025年3月28日 3:58現在】
「小泉八雲 をしどり (田部隆次譯) 附・原拠及び類話二種」底本を新たにして、全面改訂した。この話には、個人的に拘りがあるので、丑三つ時に目が覚めて、やりたくなった。
【経過報告2025年3月28日 6:01現在】
『小泉八雲 お貞のはなし (田部隆次譯) 附・原拠「夜窓鬼談」の「怨魂借體」のオリジナル訓読注』底本を新たにして、全面改訂し、原拠のテクストも再度、校正し、補正した。
【経過報告2025年3月28日 6:40現在】
「小泉八雲 姥櫻  (田部隆次譯) 附・原拠」底本を新たにして、全面改訂し、原拠のテクストも再度、校正し、補正した。
【経過報告2025年3月28日 7:41現在】
「小泉八雲 術數  (田部隆次譯) 附・原拠」底本を新たにして、全面改訂し、原拠のテクストをも追加した
【経過報告2025年3月28日 9:57現在】
『小泉八雲 鏡と鐘  (田部隆次譯) 附・原拠「夜窓鬼談」の「祈つて金を得」オリジナル電子化注』底本を新たにして、全面改訂した。【経過報告2025年3月28日10:56現在】
私が最も偏愛する「小泉八雲 食人鬼  (田部隆次譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。本篇は、既に何度か、修正していたのに、ミス・タイプが二箇所もあった。まさに『あ〻恥ぢ入ります、――甚だ恥ぢ入ります、――實に恥ぢ入ります』と独り、口に出していた…………
【経過報告2025年3月28日13:59現在】
「小泉八雲 貉 (戶川明三譯) 附・原拠「百物語」第三十三席(御山苔松・話)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月28日15:09現在】
「小泉八雲 ろくろ首  (田部隆次訳) 附・ちょいと負けない強力(!)注・原拠」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月28日15:45現在】
『小泉八雲 葬られたる祕密  (戶川明三譯) 附・原拠「新撰百物語」の「紫雲たな引密夫の玉章」』底本を新たにして、全面改訂した。因みに――残る正字化不全は、二百記事を切った――
【経過報告2025年3月29日 5:02現在】
「小泉八雲 雪女  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月29日 7:34現在】
『小泉八雲 靑柳のはなし  (田部隆次譯) 附・原拠「多滿寸太禮」の「柳情靈妖」』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月29日13:28現在】
「小泉八雲 十六日櫻  (田部隆次譯) 附・原拠」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月30日 6:36現在】
『小泉八雲 安藝之助の夢 (田部隆次譯) 附・原拠参考文・陳翰「槐宮記」(書き下し文)』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月30日 7:59現在】
「小泉八雲 力ばか (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月30日 8:42現在】
「小泉八雲 日廻り (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月30日 9:01現在】
「小泉八雲 蓬萊  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月31日 7:03現在】
昨日より、今朝にかけて、「小泉八雲 蟲の硏究 蝶 (大谷正信譯)」(三・四の三分割)を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月31日 8:04現在】
「小泉八雲 蟲の硏究 蚊  (大谷正信譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月31日10:04現在】
「小泉八雲 蟲の硏究 蟻 (大谷正信譯) / 蟲の硏究 蟻~了 / 作品集「怪談」~了」(二・三四・五・六・七の三分割)を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年3月31日15:39現在】
「小泉八雲 作品集「天の河緣起そのほか」始動 / 天の河緣起 (大谷正信譯) (その1)」底本を新たにして、全面改訂した。本篇は長いため四分割で電子化したものだが、当時の私の附した注に不満があったので、思いの外、時間が掛かった。
【経過報告2025年4月 1日10:01現在】
「小泉八雲 天の河緣起  (大谷正信譯) その4 / 「天の河緣起」~了」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 2日 6:53現在】
『小泉八雲 化け物の歌 序・「一 キツネビ」  (大谷正信譯)』底本を新たにして、全面改訂した。今回、小泉八雲が使用した旧蔵原本の当該箇所を示して、ヴィジュアルに対照して読めるように補正した。されば、この作品、全十四章と後書きに分割してあるので、全部を終わるのには、少し時間が掛かりそうである。
【経過報告2025年4月 2日10:18現在】
『小泉八雲 化け物の歌 「五 ロクロクビ」  (大谷正信譯)』を同前で全面改訂した。一部の崩し字の判読を修正した。
【経過報告2025年4月 2日16:50現在】
『小泉八雲 化け物の歌 (後書き部)  (大谷正信譯) / 化け物の歌~了』を同前で全面改訂した。
【経過報告2025年4月 3日 6:04現在】
「小泉八雲 『究極の問題』  (大谷正信譯)」底本を新たにして、全面改訂した。好きな評論であるので(結構、佶屈聱牙)、午前三時前から始めて、三時間みっちり検証し、注もかなり手を加えた。
【経過報告2025年4月 3日 8:08現在】
『小泉八雲 鏡の少女  (大谷正信譯) 附・原拠「當日奇觀」卷之第五の「松村兵庫古井の妖鏡」(原本底本オリジナル版)』を同前で全面改訂した。注で示した別テクストも、総て、再補訂した。
【経過報告2025年4月 3日15:18現在】
『小泉八雲 伊藤則助の話  (大谷正信譯) 附・原拠「當日奇觀」の「伊藤帶刀中將、重衡の姬と冥婚」』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 4日 4:58現在】
小泉八雲の来日後の唯一の、若き日の異国での体験を綴った「小泉八雲 小說よりも奇  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 4日 8:04現在】
『小泉八雲 日本からの手紙  (大谷正信譯) / 作品集「天の河緣起そのほか」全オリジナル電子化注~完遂』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 4日12:44現在】
『昭和六(一九三一)年一月第一書房刊「學生版 小泉八雲全集」(全十二巻)第七卷の田部隆次氏の「あとがき」』底本を新たにしたことから標題を含め、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 4日14:07現在】
『昭和六(一九三一)年一月第一書房刊「學生版 小泉八雲全集」(全十二巻)第七卷の大谷正信氏の「あとがき」 / 同第七巻全電子化終了』底本を新たにしたことから標題を含め、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 4日16:52現在】
『小泉八雲 作品集「日本雜錄」始動 / 奇談 / 「約束」(田部隆次譯)』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 4日17:30現在】
「小泉八雲 破約  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 5日 5:38現在】
『小泉八雲 閻魔の庁にて  (田部隆次譯) (原拠を濫觴まで溯ってテッテ的に示した)』底本を新たにして、テツテ的に全面改訂した。
【経過報告2025年4月 5日 7:57現在】
「小泉八雲 果心居士  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 5日10:00現在】
『小泉八雲 梅津忠兵衞  (田部隆次譯) 附・原拠「通俗佛敎百科全書」上卷』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 5日11:09現在】
「小泉八雲 僧興義  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 5日14:40現在】
『小泉八雲 作品集「日本雜錄」 / 民間傳說拾遺 / 「蜻蛉」(大谷正信譯)の「一」』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 5日 7:44現在】
『小泉八雲 「蜻蛉」のその「二」・「三」  (大谷正信譯)』底本を新たにして、全面改訂した。無名の一句の作者を探り当てた。
【経過報告2025年4月 5日11:12現在】
『小泉八雲 「蜻蛉」のその「四」  (大谷正信譯)』を全面改訂した。複数の新知見を注で追加した。
【経過報告2025年4月 5日13:04現在】
『小泉八雲 「蜻蛉」のその「五」  (大谷正信譯) / 「蜻蛉」~了』を底本を新たにして、全面改訂した。注も、全体にブラッシュ・アップした。
【経過報告2025年4月 6日 8:17現在】
「小泉八雲 佛敎に縁のある動植物  (大谷正信譯) / その1」を全面改訂した。
【経過報告2025年4月 8日 9:57現在】
『小泉八雲 佛敎に緣のある動植物  (大谷正信譯) /その3 ~「佛敎に緣のある動植物」~了』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 8日11:18現在】
『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信譯) 序・一(「天氣と天象との歌」)』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月 8日13:14現在】
『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信譯) 二(「動物に關した歌」)』を全面改訂した。
【経過報告2025年4月 8日16:01現在】
『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信譯) 三(「種々な遊戲歌」)』を全面改訂した。特に途中に入れてある私の注の一部を大幅にブラッシュ・アップした。
【経過報告2025年4月 9日 4:15現在】
『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信譯) 四(「物語の歌」)』を全面改訂した。
【経過報告2025年4月 9日 4:15現在】
『小泉八雲 日本の子供の歌  (大谷正信譯) 五(「羽子突歌と手毬歌」)』を全面改訂した。
【経過報告2025年4月11日 5:17現在】
『小泉八雲  (大谷正信譯) 六(「子守歌」)、及び、後書き部 / 日本の子供の歌~了』を全面改訂した。
【経過報告2025年4月11日 6:32現在】
「小泉八雲 橋の上  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月11日10:35現在】
「小泉八雲 お大の例  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。ひどいミス・タイプがあった。「お大さん」に心から謝罪しておく。
【経過報告2025年4月12日 4:12現在】
偏愛する小品「小泉八雲 海のほとりにて (大谷正信譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月12日 6:26現在】
勝れた漂流実話「小泉八雲 漂流  (大谷正信譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月12日 8:48現在】
「小泉八雲 乙吉の達磨  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月12日13:44現在】
『小泉八雲 日本の病院に於て  (田部隆次譯) / 作品集「日本雜記」全電子化注~了』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月12日16:16現在】
『小泉八雲作品集「影」 始動 / 献辞及び「珍しい書物からの話」の「和解」 附・原拠』底本を新たにして、全面改訂した。残る補正記事はブログ投稿記事数で七十數篇となった。
【経過報告2025年4月13日 5:07現在】
「小泉八雲 普賢菩薩の話  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月13日14:05現在】
「小泉八雲 衝立(ついたて)の乙女  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月13日14:56現在】
「小泉八雲 屍に乘る人  (田部隆次譯) / 原拠及びリンクで原々拠を提示」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月13日15:42現在】
「小泉八雲 辨天の同情  (田部隆次譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月13日17:09現在】
『小泉八雲 鮫人(さめびと)の感謝  (田部隆次譯) 附・原拠 曲亭馬琴「鮫人(かうじん)」』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月14日 8:10現在】
『小泉八雲 日本の女の名 (岡田哲藏譯) その「一」』底本を新たにして、全面改訂した。この作品、小泉八雲の作品では、かなり読み難い(意味を採り難い)作品であるので、かなり時間がかかりそうだ。今回、注を大幅に増やした。
【経過報告2025年4月14日14:17現在】
『小泉八雲 日本の女の名 (岡田哲藏譯) その「二」』底本を新たにして、全面改訂した。表画像も、新底本から新たにトリミングして補正し、差し替えておいた。
【経過報告2025年4月14日15:30現在】
『小泉八雲 日本の女の名 (岡田哲藏譯) その「三」と「四」 / 日本の女の名~了』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月15日11:30現在】
「小泉八雲 日本の古い歌  (大谷正信譯) ~ (その1)」底本を新たにして、全面改訂した。注を、より附加した。
【経過報告2025年4月15日13:38現在】
「小泉八雲 日本の古い歌  (大谷正信譯) ~(その2) / 日本の古い歌~了」底本を新たにして、全面改訂した。注を、より附加した。
【経過報告2025年4月15日14:30現在】
『小泉八雲 夜光蟲 (岡田哲藏譯) / これより作品集「影」の最終パート標題「幻想」に入る』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月15日15:33現在】
「小泉八雲 群集の神祕  (岡田哲藏譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月15日17:31現在】
「小泉八雲 ゴシック建築の恐怖  (岡田哲藏譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月16日 5:37現在】
「小泉八雲 夢飛行  (岡田哲藏譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月16日 7:58現在】
「小泉八雲 夢書の讀物  (岡田哲藏譯)」底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月16日 8:48現在】
『小泉八雲 一對の眼のうち  (岡田哲藏譯) / 作品集「影」全電子化注~了』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月16日 9:38現在】
『小泉八雲 作品集「靈の日本」始動 / 斷片 (田部隆次譯)』底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月16日14:37現在】
「小泉八雲 香 (大谷正信譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。小泉八雲の日本での作品の中で、唯一、私が、当時、全く興味を持てなかった作品であったため、今回、校正したところ、ミス・タイプが異常に多かった。
【経過報告2025年4月16日15:55現在】
「小泉八雲 占の話 (田部隆次譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月17日 5:41現在】
「小泉八雲 蠶 (大谷正信譯)」を底本を新たにして――強力に――全面改訂した。残りの未修正記事は90を切った。
【経過報告2025年4月18日 7:18現在】
「小泉八雲 佛足石 (大谷正信譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。注をブラッシュ・アップした。かなり時間がかかった。
【経過報告2025年4月18日 7:18現在】
「小泉八雲 吠 (田部隆次譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月18日15:20現在】
「小泉八雲 小さな詩 (大谷正信譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。注をブラッシュ・アップした。
【経過報告2025年4月19日15:07現在】
「小泉八雲 佛敎に緣のある日本の諺 (大谷正信譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。訳に有意に省略があるのに呆れ果て、幾つかに就いては注でそれを指摘しておいた。
【経過報告2025年4月19日16:00現在】
「小泉八雲 暗示 (田部隆次譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月19日 4:55現在】
『小泉八雲 天狗の話 (田部隆次譯) / 作品集「靈の日本」電子化注~全完遂』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月20日 7:20現在】
「知られぬ日本の面影」の「あとがき」(附やぶちゃん注)に抜けていた(私が附すつもりですっかり忘れていた)訳者分担の表を、後刊(先行する底本にはない)の記載で追加した。
【経過報告2025年4月20日 8:51現在】
『昭和一一(一九三六)年十一月第一書房刊「家庭版小泉八雲全集」第七卷「あとがき」(大谷正信・岡田哲藏・田部隆次)』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月20日 9:33現在】
「小泉八雲作品集『異國情趣と囘顧』始動 / 献辞・序」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月20日12:35現在】
「小泉八雲 富士山 (落合貞三郞譯) / (その序)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月20日16:54現在】
『小泉八雲 富士山 (落合貞三郞譯) / その「三」・「四」・「五」・「六」(訳者は原作の七章構成を恣意的に六章構成に変えてしまっている) / 富士山~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月21日 7:26現在】
『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「一」・「二」』を底本を新たにして、全面改訂した。未明の午前三時から始めたが、原文との比較によって、小泉八雲・訳者大谷定信ともに誤っている箇所を、さらに見つけた結果、注改稿に、こんなに時間が掛かってしまった。画像も新しくした。
【経過報告2025年4月21日15:55現在】
『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「三」・「四」(カネタタキ)』を底本を新たにして、全面改訂した。案の定、これだけで、七時間近く掛かった。
【経過報告2025年4月23日 4:58現在】
『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「五」の「マツムシ」・「すずむし」』を底本を新たにして、全面改訂した。昨日は、午前中、自宅の斜面の葛の一大掃討作戦を独りで三時間行ったため、更新出来なかった。
【経過報告2025年4月23日 8:19現在】
『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「五」の「ハタオリムシ」・「うまおひ」・「キリギリス」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月23日10:14現在】
『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「五」の「クサヒバリ」・「キンヒバリ」・「クロヒバリ」』を底本を新たにして、全面改訂した。トンデモない誤った注を修正した。
【経過報告2025年4月23日14:00現在】
『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「五」の「コホロギ」・「クツワムシ」・「カンタン」 / 「五」~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月23日15:50現在】
『小泉八雲 蟲の樂師 (大谷定信譯) / 「六」 / 「蟲の樂師」~了』を底本を新たにして、全面改訂した。最終段落の八雲の述懐に、再度、激しい衝撃を受け、暗澹たる思いに沈んでしまった。
【経過報告2025年4月24日 7:08現在】
「小泉八雲 禪の一問 (田部隆次譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月24日10:40現在】
先の、「小泉八雲 佛敎に緣のある日本の諺 (大谷正信譯)」の、『八二 死んだればこそ生きたれ』に重要な出典を追加した
【経過報告2025年4月24日13:29現在】
『小泉八雲 死者の文學 (大谷定信譯) / 「一」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月26日 9:40現在】
『小泉八雲 死者の文學 (大谷定信譯) / 「五」 / 「死者の文學」~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月26日14:32現在】
「小泉八雲 蛙 (大谷定信譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月27日 4:27現在】
「小泉八雲 月の願 (田部隆次譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。珍しく、ひらがなのタイプ・ミス(濁点等)三箇所と、同義熟語の熟語の漢字表記一字の誤記だけで、今までの中で、最速で補正が終わった。少しだけ、注を増補した。
【経過報告2025年4月28日 8:48現在】
『小泉八雲 初の諸印象 (岡田哲藏譯) / 作品集「異國情趣と囘顧」の「囘顧」パート(総て岡田哲藏氏の訳)に入る』を底本を新たにして、全面改訂した。注を大幅に増やした。未読の方は、訳文、佶屈聱牙なれば、御覚悟あれかし。
【経過報告2025年4月28日13:51現在】
「小泉八雲 美は記憶 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月28日16:12現在】
「小泉八雲 美のうちの悲哀 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。後半部で小泉八雲の引用した原文を、今回、発見したので、原文を掲げて、自動翻訳しておいた。
【経過報告2025年4月29日 6:30現在】
「小泉八雲 若さの香 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月29日 7:45現在】
「小泉八雲 蒼の心理 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月29日10:37現在】
「小泉八雲 晩歌 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月29日16:40現在】
「小泉八雲 赤い夕日 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年4月30日17:33現在】
「小泉八雲 身震ひ (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。一部の注を大幅に変更した。
【経過報告2025年5月 1日 8:05現在】
「小泉八雲 赤い夕日 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 2日 6:46現在】
「小泉八雲 永遠の執着者 (岡田哲藏譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 2日 9:04現在】
『小泉八雲 化け蜘蛛 (稻垣巖譯) / 「日本お伽噺」所収の小泉八雲英訳作品 始動』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 2日10:48現在】
『小泉八雲 猫を畫いた子供 (稻垣巖譯)』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 2日13:38現在】
『小泉八雲 團子を失くしたお婆さん (稻垣巖譯)』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 2日16:07現在】
『第一書房昭和一二(一九三七)年三月刊「家庭版小泉八雲全集」(全十二卷)第六卷「あとがき」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 3日 4:20現在】
『小泉八雲 生神 (田部隆次譯) / 作品集「佛の畠の落穗」電子化注始動』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 3日14:00現在】
「小泉八雲 街頭より (落合貞三郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 3日15:10現在】
『小泉八雲 京都紀行 (落合貞三郞譯) / その「一」・「二」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 5日 2:25現在】
『小泉八雲 京都紀行 (落合貞三郞譯) / その「八」 / 京都紀行~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 5日 3:58現在】
「小泉八雲 塵 (落合貞三郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 5日 5:02現在】
『小泉八雲 日本美術に於ける顏について (落合貞三郞譯) / その「一」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 5日 9:28現在】
『小泉八雲 日本美術に於ける顏について (落合貞三郞譯) / その「五」・「六」 / 日本美術に於ける顏について~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 5日13:37現在】
『小泉八雲 大阪にて (落合貞三郞譯) / その「一」・「二」・「三」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 6日 5:54現在】
『小泉八雲 大阪にて (落合貞三郞譯) / その「六」・「七」 / 大阪にて~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 6日10:37現在】
「小泉八雲 日本の民謠に現れた佛敎引喩 (金子健二譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 6日16:38現在】
『小泉八雲 涅槃――總合佛敎の硏究 (田部隆次譯) / その「一」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 7日12:29現在】
『小泉八雲 涅槃――總合佛敎の硏究 (田部隆次譯) / その「五」 / 涅槃――總合佛敎の硏究~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 8日 7:27現在】
「小泉八雲 勝五郞の轉生 (金子健二譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。注を大幅に増補した。
【経過報告2025年5月 8日 8:49現在】
『小泉八雲 環中流轉相 (金子健二譯)  / 作品集「佛の畠の落穗――極東に於ける手と魂の硏究」~完遂』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 8日10:54現在】
『小泉八雲 作品集「心――日本內面生活の暗示と反響」始動 / (序)・停車場にて (田辺隆次譯)』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 9日 8:59現在】
小泉八雲 日本文化の神髓 (石川林四郞譯) / その「一」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月 9日 9:58現在】
『本カテゴリ「小泉八雲」で電子化していない日本で書かれた一篇である小泉八雲の「若返りの泉」について視認可能とした事』を記事公開した。
【経過報告2025年5月 9日16:08現在】
小泉八雲 日本文化の神髓 (石川林四郞譯) / その「二」・「三」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月10日 6:20現在】
小泉八雲 日本文化の神髓 (石川林四郞譯) / その「四」・「五」 / 日本文化の神髓~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月10日 9:55現在】
「小泉八雲 旅行日記より (石川林四郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月10日14:49現在】
「小泉八雲 阿彌陀寺の比丘尼 (石川林四郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。……今、昨年末、旅した出雲で買った菓子の最後の一つを食べている。その名を「杣人(そまびと)好み 山の香」と言う……。
「小泉八雲 旅行日記より (石川林四郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月12日 7:30現在】
「小泉八雲 戰後雜感 (石川林四郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月12日 9:36現在】
「小泉八雲 お春 (石川林四郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月13日 5:47現在】
「小泉八雲 趨勢一瞥 (石川林四郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月13日 8:10現在】
「小泉八雲 業の力 (石川林四郞譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月14日 8:21現在】
『小泉八雲 保守主義者 (戶澤正保譯) / その「一」・「二」・「三」・「四」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月17日 5:34現在】
『小泉八雲 保守主義者 (戶澤正保譯) / その「五」・「六」・「七」・「八」/ 保守主義者~了』を底本を新たにして、全面改訂した。本改訂に時間がかかったのは、自宅の斜面に蔓延る驚異的な葛の富岳(私は勝手に「マチュピチュ」と呼んでいるが、まさに実際のそれそっくりに見えたからである。因みに、私は結婚式も新婚旅行もしていない(する必然性を感じなかったこと、というより、私自身が金を全く持っていなかった――銀行には三百八十五円しかなかった――からであり、何より、連れ合い(一つ年上で名古屋人の長女である)も「それでいい」と納得して呉れたからである。而して、直後に彼女が「夏休みに海外なら何処に行きたい?」(我々は高校国語教師であった)と聴かれたので、海外は江の島以外には行ったことがなかったので、「マチュピチュとナスカ」と答えたところ、その三ヶ月後、二週間に亙るペルー旅行に連れて行って呉れたのである)掃討作戦を間歇的にテッテ的に行ったことと、連れ合いと三十年前に行った堂ヶ島へ、再び、旅したためである。悪しからず。
【経過報告2025年5月18日 6:53現在】
「小泉八雲 薄暗がりの神佛 (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。最後に今回追記した私の本作への感想について、読者の反応を是非お聞かせ下されば、幸いである。
【経過報告2025年5月18日16:11現在】
「小泉八雲 前世の觀念 (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月19日12:14現在】
「小泉八雲 コレラ流行時に (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月20日 7:29現在】
『小泉八雲 祖先崇拝に就いて (戶澤正保譯) / その「一」・「二」・「三」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月21日 8:03現在】
前掲の『小泉八雲 祖先崇拝に就いて (戶澤正保譯) / その「一」・「二」・「三」』であるが、どうもちゃんと再検証していない気が募って来たので(訳が、かなり私には日本語として読み難いことが気にかかっていたのに、それをしっかり読み下さずにいたことに、昨日の夕刻に気づいたため)、再度、全面改訂した。実は、昨日午前中、例の「葛のマチュピチュ」の最終攻撃として、山桜の上にゴッソり残った葛の残骸(私ら夫婦は「葛のデブリ」と呼称している)の半分を4・1メートル伐採機を駆使して陥落させるため、早急に上記を公開してしまったためである。
【経過報告2025年5月22日 6:52現在】
『小泉八雲 祖先崇拝に就いて (戶澤正保譯) / その「四」・「五」・「六」 / 祖先崇拜に就いて~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月23日 4:33現在】
『小泉八雲 きみ子 (戶澤正保譯)』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月24日21:52現在】
『小泉八雲 俗唄三つ (稻垣巖譯) / (序)と「『俊德丸』の唄」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月25日 9:47現在】
『小泉八雲 俗唄三つ (稻垣巖譯) / 「『小栗判官』の唄」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月25日10:25現在】
『小泉八雲 俗唄三つ (稻垣巖譯) / 「俗唄三つ」~了 / 作品集「心」~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月26日14:06現在】
『ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集「東の國から」(正字正仮名版)始動/ 献辞・田部隆次譯「夏の日の夢」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月27日 5:04現在】
「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲) 九州學生 (田部隆次譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月27日12:28現在】
「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 博多にて (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月28日 8:15現在】
「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 永遠の女性に就て (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年5月29日 5:56現在】
「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 石佛 (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年6月 2日 9:33現在】
『小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 柔術 (戶澤正保譯)/その「一」から「五」』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年6月 2日 9:33現在】
『小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 柔術 (戶澤正保譯)/その「六」から「九」/「柔術」~了』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年6月 3日 6:42現在】
「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 叶へる願 (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年6月 3日16:45現在】
「小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 橫浜にて (戶澤正保譯)」を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年6月 4日 8:40現在】
『小泉八雲(ラフカディオ・ハーン) 勇子――追憶談 (戸澤正保譯) / 作品集「東の國から」全電子化注~了 / 来日後の作品集全電子化注完遂』を底本を新たにして、全面改訂した。
【経過報告2025年6月 4日 9:06現在】
『第一書房昭和一二(一九三七)年二月刊「學生版小泉八雲全集」第五 田部隆次氏「あとがき」』を底本を新たにして、全面改訂した。

   *

 以上を以って、小泉八雲の来日後の作品集全十二冊総て(但し、理由は不明だが、旧第一書房版「小泉八雲全集」に収録されていない“ The Fountain of Youth ”(「若返りの泉」)は除く)の電子化注の全改訂を終わった。

   *

 以下、その後、来日前の「支那怪談」の訳文を総て(六篇)を電子化注してあるが、この校正は後にする。また、以上の“ The Fountain of Youth ”の拙訳電子化は、既に述べた通り、近いうちにやろうとは思っている。今まで、別に私が行っている全然関係ないテクスト電子化注を、この改訂のために、かなり疎かにしてきたので、今までのようには、シャカリキにはしない。悪しからず。ない、この記事も、標題を変え、今日の時制に書き変え、ブログ冒頭への配置を止める。

2025/05/09

本カテゴリ「小泉八雲」で電子化していない日本で書かれた一篇である小泉八雲の「若返りの泉」について視認可能とした事

私は、『小泉八雲 ちん・ちん・こばかま (稻垣巖譯) / 底本「日本お伽噺」~了』の冒頭注で以下のように述べた。

   *

日本で長谷川武次郎によって刊行された「ちりめん本」の欧文和装の日本の御伽話の叢書“ Japanese fairy tale series の中の一篇である。同シリーズの第一期(英語で言うなら「First (Original) Series」)の№25(明治三六(一九〇三)年三月十五日刊)で(但し、同シリーズは第一期を完結せずに続けつつ、別に第二期を開始しているために、第二期の一部よりも後の刊行になる作品が出てきており、本編もその一つである)、編集・発行者は「長谷川武次郞」。小泉八雲は当該シリーズに五作品が寄せている。以下、同シリーズや長谷川武次郎氏及び訳者稲垣巌氏については『小泉八雲 化け蜘蛛 (稻垣巖譯)/「日本お伽噺」所収の小泉八雲英訳作品 始動』の私の冒頭注を参照されたいが、そこで書いたように、今一篇の、同シリーズに載った“ The Fountain of Youth ”(「若返りの泉」)は以下の底本には載らない。何故これが除かれているかは不明である(一部のネット記載を見ると、これは小泉八雲の創作とされているとあり、それと関係するものか? にしても、解せない)サイト「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」のこちらで“ The Fountain of Youth ”の「ちりめん本」の画像と活字化されたそれを読むことが出来る。なお、これは後日、私自身が和訳を試みたいと考えている。[やぶちゃん注:中略。]本篇は、サイト「ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集」のこちらが画像と活字化した本文を併置していて、接続も容易で、使い勝手もよい。“Internet Archive”のこちらでも、全篇を視認出来る。また、アメリカのアラモゴードの蒐集家George C. Baxley氏のサイト内のこちら(長谷川武次郎の「ちりめん本」の強力な書誌を附した現物リスト)の、Chin Chin Kobakama Japanese Fairy Tale No. 25 1903も必見である。

   *

この“ The Fountain of Youth ”(「若返りの泉」)は、平易な英語であり、自身で和訳することは容易なのだが、現在、全体の正字不全とミス・タイプ、及び、オリジナル注釈検証作業を行っており、それを終わらない限り、それに着手しないと決めている(恐らくは、この夏には、それを終えることが出来ると思う)。しかし、この一作だけが本ブログで欠けていることには、甚だ不満を持っている。

 ★但し、実は、『ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)作品集「東の國から」(正字正仮名版)始動/ 献辞・田部隆次譯「夏の日の夢」』の最終章に、この話は、同一原文ではないが、相同のシノプシスで書かれては、ある。

 而して、本日、国立国会図書館デジタルコレクションで調べたところ、

「ちんちん小袴」(中央公論社『ともだち文庫』23・小泉八雲作・光吉夏彌譯・初山滋 裝幀/揷絵[やぶちゃん注:表記はママ。]:昭和二三(一〇四八)年)のここから、本作の訳が視認出来る

ことが判った(但し、国立国会図書館に「本登録」をしないと見られない)。しかし、光吉夏彌氏は著作権継続であり(当該ウィキを参照されたい)、これを電子化することは出来ない。

 なお、同書の末尾の光吉氏の後書き「小泉八雲について」の中で、『「若返りの泉」は大正十一』(一九二二)『年に』出版された、とあった。小泉八雲の逝去から七年後のことであった。このことから、第一書房の元版「小泉八雲全集」は大正十五年から初刊刊行であるため、訳者の方々が、四年前に出版された本作を確認することを怠った結果、所収されなかったものと推定されるのである。

そこで、私が拙訳するまで、こちらで、視認されるよう、お願い申し上げる。これによって、

―――私のブログで広義の意味で――小泉八雲の本邦で書かれた作品を総て視認出来る――とすることが出来た。

と正面切って言えることとなった。

2025/03/08

ハーンが見なかった大社の稲荷神社について

『小泉八雲 落合貞三郎訳 「知られぬ日本の面影」 第十五章 狐 (二)』で、ハーンは、『日本最古の社殿――杵築――の廣い境域中に、狐の像を發見し得ないのは、注目に價する。』と述べているが、大社の広義の境内地の辺縁内には、稲荷神社は、存在する。狐の像四枚とともに追加注記をしておいたので見られたい。

2022/11/30

バーナード・リーチが愛読していたとする小泉八雲の著作の書名をご存知の方は御教授願いたい

ツイッターで相互フォローしている小泉八雲の玄孫の「あゆこ」(アイルランド在住)さんのツイートで、
陶芸家バーナードリーチがラフカディオ ハーン作品を読んでいたとの記述がWikipediaにありました。

>陶芸家バーナードリーチがラフカディオ ハーン作品を読んでいたとの記述がWikipediaにありました。
>本当なら何を読んでいたのかしら?と、気になりますがWiki 以外の情報が見つからず…💔
>ご存知でしたら教えてくださいませ。

とあったので、昨夜、取り敢えず、本文記事の検索をしてみたが、どうもどの記事も書名・小説名を出しておらず、ウィキを無批判に援用しているだけの感じが濃厚だった。
ただ、一つ、原拠を明らかにしていないが、仏教者の方の記事と思われるが、ここに、

『明治に日本にやってきた小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)は、日本人の庶民があまりにも善良で無欲で純真であることに感動した経験を作品として残している。
陶芸家のバーナード・リーチは小泉八雲の作品を読んで、日本に強い憧れを持ち、留学先で友人となった彫刻家で詩人の高村光太郎に日本行きを相談している。
高村光太郎は、小泉八雲が見た日本はすでにないから、日本行きはよした方がよいと言っている。
明治の30年、40年の間にも急激に日本は日本らしさを失ったということのようである。』

とあるのを見て、『高村光太郎! やるじゃん!』と会心の笑みを浮かべた。光太郎には、私は、その後の第二次世界大戦中の戦意高揚のおぞましい詩篇「琉球決戰」などで複雑な思いがあるが、これは、正直、凄い! 彼は、それ以前に、『日本は日本でなくなった。』と誰よりも確かに感じていたのだ――

2022/05/25

萩原朔太郎「小泉八雲の家庭生活」(正字正仮名版)に小泉八雲の玄孫の方の御協力により注を追加した

萩原朔太郎「小泉八雲の家庭生活」(正字正仮名版)に、小泉八雲の玄孫の方の御協力により、注を追加した。萩原朔太郎の誤りを指摘してあるので、再度、読まれたい。なお、それに際し、私のタイプ・ミスや正字不全も同時に訂した。

2021/09/12

小酒井不木「犯罪文學硏究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (16) ラフカヂオ・ハーンの飜譯

 

      ラフカヂオ・ハーンの飜譯

 德川時代の怪異小說は、前にも述べたごとくそれ自身さほどの文藝價値を持たないのに、一たびラフカヂオ・ハーン(小泉八雲)の手に飜譯されて、英米に紹介されると、世界的の名聲を博することが出來た。それはいふまでもなくハーンの天才によつて、飜譯とはいふものの一種獨得の詩味を持たされ、到底原作からは得られないやうな夢幻的な美感を與へられるからである。私は英米の怪異小說を愛好さるゝ讀者に、是非、ハーンの作物を御勸めしたいと思ふので、特にこゝに紹介して置くのである。

 怪異小說を取り入れたハーンの物語集にはKwaidan, Kotto, A Japanese Misellany,  Shadowing, ln Ghostly Japan などがあるが、この中 Kwaidan が最もポピュラーになつて居る。この中には臥遊奇談から取つた『耳なし保(ほ)一の話』夜窗鬼談から取つた『お貞の話』『鏡と鐘』怪物輿論から取つた『ろくろ首』百物語から取つた『貉』新選百物語から取つた『極祕』玉すだれから取つた『靑柳の話』の外に、ハーンが直接、地方の農夫などから聞いた話が收められている。中にも『貉』は極めて短いけれども、珠玉のような作品である。

[やぶちゃん注:『耳なし保(ほ)一の話』ママ。

 以下、底本では引用部は全体が二字下げ。但し、版組みの誤りと思われるが、エンディングに近い、長い一文「かういつたかと思ふと、蕎麥賣りの男は、その手で顏をつるりと撫でた。見ると、眼も鼻も口もない、のつぺら棒。」のみ、二行目が行頭から書かれてある。]

『京橋の某商人が、ある夜遲く紀伊國坂をとほりかゝると御堀のそばに一人の女が、頻りに泣いて居た。彼はそれを哀れに思つて、近づいてよく見ると、立派な服裝をした良家の若い娘であつた。

『お女中、どうしたのですか。』と、彼は聲をかけたが、彼女は袖に顏を埋めて、泣き續けた。

『お女中、どうしましたか。お話なさい。』

 彼女は立ち上つたけれども、相も變らず彼に背を向け、袖に顏を埋めて泣いた。やがて彼は彼女の肩に手をかけて『お女中、お女中』と頻りに呼ぶと、彼女ははじめて振り向いて袖をおとし、手をもつてその顏をつるりと撫でた。見ると眼も鼻も口もないのつぺら棒の顏であつた。

『ヒヤツ!』と言つて彼は夢中になつて駈け出した。紀伊國坂にはそのとき人一人とほつて居なかつたが、彼は驀地《まつしぐら》に走り走つた。と、前方に提燈の灯が見えたので、ほつと思つてかけつけて見ると、それは蕎麥賣りの灯であつた。

『あゝ、あゝ、あゝ』と彼は叫んだ。

『これ、もし、どうしたんです?』と蕎麥賣りの男はたづねた。

『あゝ、あゝ』

『强盜にでも逢つたのですか。』

『いや、いや、お堀のそばで、若い女に、あゝ、その顏が……』

『えゝ? ではその顏は、こんなでしたか?』

 かういつたかと思ふと、蕎麥賣りの男は、その手で顏をつるりと撫でた。見ると、眼も鼻も口もない、のつぺら棒。

 はつと思ふと提燈の燈が消えた。』

 これはもとより逐字譯ではないが、全篇がみな、かうした鹽梅に引きしめて書かれてある上に、ハーン獨特の詩的な而もわかり易い文章を以て物されてあるから、思はず釣りこまれて讀んでしまふのである。

[やぶちゃん注:私はまず、古くに『柴田宵曲 續妖異博物館 ノツペラポウ 附 小泉八雲「貉」原文+戸田明三(正字正仮名訳)』を電子化注しており、英語原文もそこに載せてある。後に、別底本を用いた電子化「小泉八雲 貉 (戶川明三譯) 附・原拠「百物語」第三十三席(御山苔松・話)」では、小泉八雲が原拠としたものも電子化して示してある。

 というより、私は、

私のブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて、小泉八雲が来日して以来、亡くなるまでに書かれた全公刊作品を、「小泉八雲全集」を元にして、それを総て、電子化注として既に、昨年の二〇二〇年一月十五日に完遂している

のである。更に言えば、もっと古くには、サイト版で、

OF A PROMISE BROKEN(英文原文)

「破られし約束」 藪野直史現代語訳

及び

JIKININKI(英文原文)

「食人鬼」 藪野直史現代語訳

も公開している。]

2021/09/10

最近とても嬉しかったことどもについて


つい先日、私が十年前に暴虎馮河で拙訳した小泉八雲の“ Of a Promise Broken by Lafcadio Hearn ”の「破られし約束」を、YouTube で朗読したいという若い方からの懇請を受けた。彼女は田部隆次氏の訳(リンク先は私の電子化注)と私の訳を比較され、朗読するに際し、私の訳を選ばれたのであった。

無論、ユビキタスをモットーとする私は、許諾した。

これは、私には、とても嬉しいことだった。

    ♡

そうして、今日は、私が、ネット上に電子化物がないことから、「芥川龍之介書簡抄」のために、急遽、先だって電子化した、放浪の俳人「乞食」井上井月の句集に添えた、

(正確には「井月の句集」で、芥川龍之介及び芥川家の主治医であり、芥川龍之介の検死の当事者でもあった下島勲の編になるものへの芥川龍之介の跋文である)に対して、井月の研究家の方から、私が上の電子化をしたことへの感謝のメールを頂戴した。

これもまた、偏愛する芥川龍之介に絡んで、私には、とても嬉しいことであった。

   ♡

私の自慰と思われるかも知れない、他者から見れば、たいしたことのないものと失笑を買っているかも知れない数多の私の電子化物が、僅か乍らも、ある人の琴線に、確かに触れていることを感じ、内心――「少しばかりは、生きていてよかったな」――と思うたのであった。

2020/06/27

今日公開された「青空文庫」の小泉八雲の「おかめのはなし」(田部隆次訳)の不審点

今日は小泉八雲の誕生日だからな。

私は以上の田部訳(底本も同じである)を既に昨年の九月六日にオリジナル注釈に原拠附きで公開している。無論、正字正仮名である。

さて。今日の公開された「青空文庫」のそれは、新字新仮名と名うってある。条規通り、

入力:館野浩美

校正:大久保ゆう

とある。しかし、ぱっと見て頗る不思議なことに気づく。

新字新仮名なのに、登場人物の「權右衞門」「八右衞門」の名が以上の通り、総てが正字なのである。固有名詞を正字で示すという絶対鉄則は「青空文庫」にはない。それはそれは面倒なことになるからな、有り得ねえ。 

よし、それは措くとしようか?

末尾を見給え! 「囘復」となっているじゃないか? 別人の校正者までいるのに、何故、気づかない?

いやさ、新字なのに手打ちのタイピングでこれは絶対にあり得ない「ミス」なのである。

私が何を言いたいかは、もうお判りのことと存ずるので、これ以上は言わぬ。

因みに、以下は独り言……私は昔から加工データとして他者の作成した電子テクストを使用する場合は、「青空文庫」に限らず、必ずそれを明記している。

まあ、さっさと直すがよかろうぞ! 天下の「權」威「青空文庫」さん、よ!

  

2020/02/26

ラフカディオ・ハーン 窯神譚 (落合貞三郞譯) /作品集「支那怪談」~全電子化注完遂

 

[やぶちゃん注:本篇(原題“The Tale of the Porcelain-God)はラフカディオ・ハーン(Lafcadio Hearn)が刊行した作品集(来日前の本格出版物の中期の一冊に当たる)「支那怪談」(これは底本(後述)の訳。原題SOME CHINESE GHOSTS。「幾つかの中国の幽霊たち」)の掉尾の第六話である。本作品集は一八八七年(明治二十年相当)二月にボストンの「ロバート・ブラザーズ社」(ROBERTS BROTHERS)から出版された全六篇からなるもので、最後にハーンによる各篇についての解題が附されてある。

 本作品集は“Internet Archive”のこちら(クレジット・出版社(左)及び献辞(右。中国人の顔のイラスト附き)ページで示した)で全篇視認出来る(本篇はここから)。活字化されたものは“Project Gutenberg”のこちらで全篇が読める(本篇はここから)。

 底本は英文サイト“Internet Archive”のこちらの(当該作品集翻訳開始部を示した)、第一書房が昭和一二(一九三七)年四月に刊行した「家庭版小泉八雲全集」(全十二巻)の第一巻の画像データをPDFで落として視認した。

 訳者落合貞三郎は「ラフカディオ・ハーン 支那怪談 始動 / 献辞・序・大鐘の霊(落合貞三郎訳)」の私の冒頭注を見られたい。

 途中に挟まれる注はポイント落ち字下げであるが、ブラウザでの不具合を考え、行頭まで引き上げ、同ポイントで示した。傍点「ヽ」は太字に代えた。一部の「?」「!」の後に特異的に字空けを施した。訳者による註が本篇本文最後に纏められてあるが、参照し難いので、適切な段落末に分散して配した(表記は原注に同じとした)。

 なお、本作品集では各篇の最後に原作の漢名或いは話柄に関連する漢字文字列が掲げられてある(本篇ではここで「大清國」)ので、底本の活字表記の後に画像で示すこととした(上記の“Project Gutenberg”版に配されたそれを使用した)。

 また、最後に纏めて配されてある「解說」は纏めて最後にあるよりも、それぞれの各篇の最後に置いた方がよかろうと判断し、特異的に【ハーンによる「解說」】として、終わりに添えることとした。

 なお、またしても、本篇の本文前(原本のここの左ページ)にある以下の引用は省略されている(平井氏もやはりカットしている)。

   *

 

   It is written in the Fong-ho-chin-tch'ouen, that whenever the artist Thsang-Kong was in doubt, he would look into the fire of the great oven in which his vases were baking, and question the Guardian-Spirit dwelling in the flame. And the Spirit of the Oven-fires so aided him with his counsels, that the porcelains made by Thsang-Kong were indeed finer and lovelier to look upon than all other porcelains. And they were baked in the years of Khang-hí,—sacredly called Jin Houang-tí.

 

   *

無力乍ら、訳すと、

   *

Fong-ho-chin-tch'ouen」には、『陶工 Thsang-Kong は疑わしい時には何時でも、彼の瓶が焼かれている大きな窯の中の炎の様子を見て、その炎の中に住もうている火を守護する精霊に対し、疑義を訴えた』と書かれてある。そして、窯の火の精霊もまた、彼の助言を以って彼をよく助けたから、Thsang-Kong によって作られた磁器は、他如何なる陶工たちの作る磁器よりも実に繊細にして情愛に溢れていた。そして、それらは清の康煕の年間[やぶちゃん注:「康煕」の現行拼音は「kāng xī」で「Khang-hí」に近く、最後の「大清國」とも附合する。一六六二年~一七二二年。]に焼き上げられ――神聖なものとして「Jin Houang-tí」と称された。

   *

正確な訳がお出来になる方や書名・陶工名・元号・呼称の正しい漢字のお分かりなる方は、是非、御教授願いたい。]

 

   窯 神 譚

 

 誰が人間界で始めて高陵註十九と磁器――美しい花瓶の骨と肉、骨骼と皮膚――の祕訣を發見したのだらう? 誰が始めて凝乳の如く白い粘土の美質を見出したのか? 誰が始めて氷の如く淸らかな石胎――老人の白髮の如く枯れた山の戴く灰白土、發掘を待つ死んだ巨人の岩骨石肉の如く、白くなつた粉塊――を調製したか? 磁器の神々しい藝術を發見する事は、誰れ人の手に授けられたのか? 

註十九 高陵 Kao-Ling ――もとは陶工に、最上の粘土を供した山巖の固有名詞であつたが、後に轉訛して今日諸國に慣用の語となつた。支那の陶工の用語によれば、Kaolin 粘土を詩的に磁器の「骨」と呼び、tun 硅岩を「肉」と呼び、また兩者を合はせて燒いたものを Pe-tun-tse と稱した。兩者ともに分解せる長石斑岩から成つたものである。

[やぶちゃん注:「石胎」原文“tun”。原文の単語も(斜体になっているので中国語が疑われる)、訳も不詳。平井氏は『白*子(はくとんし)』(「*」=「木」の頭を出さない字)とするが、ますます判らない。識者の御教授を乞う。「石のはららご」(石の原初的胎児(ヒラニア・ガルパ)という比喩か?] 

 それは甞て人間であつたが、今や神に祀られ、陶業組合に加入せる幾萬の人々が、その雪白の像を拜する浦に授けられた。しかし彼の誕生地はわからない。恐らく、その傳說は、かの現代に於て二千萬の黑髮民族の生命を滅ぼし、また昔は Feou-linang の靑い山脈の中に火の寳玉の如く輝いてゐた景德鎭の都會――かの驚くべき磁器の都會さへも、地球の表面から抹殺し去つた怖ろしい戰爭のために消されたかも知れない。

[やぶちゃん注:「浦」後半に登場する陶工の名である。そこでは落合氏は「フー」とルビする。せめても、それをしないというのは読者に頗る不親切である。

Feou-linang」江西省景徳鎮市にある浮梁(ふりょう)県(グーグル・マップ・データ航空写真)。同市街地の東北部の山岳地帯。

「現代に於て二千萬の黑髮民族の生命を滅ぼし」、「景德鎭の都會」「さへも、地球の表面から抹殺し去つた怖ろしい戰爭」清朝の一八五一年に起こった洪秀全    (一八五一年~一八六四年)を「天王」とし、キリスト教の信仰を紐帯とした組織太平天国によって発生した大規模な内乱「太平天国の乱」のこと。「太平天国」が建国され、清軍が討伐する十三年後まで国は存在した。「長髪賊の乱」とも呼ばれる(最後のハーンの解説にも出る)。この戦火のため、景徳鎮は破壊され、御器廠の活動も停止し、一八六六年に李鴻章か蔡錦青を監督官として昔の御器廠の建物を再建、再度、御用品製作を企図したが、建物が竣工し焼造が再開されたのは、八年後の一八七四年のこととされる。因みに、同乱は本書刊行(一八八七年(明治二十年相当))の僅か三十六年前、景徳鎮の再生は実に十三年前のことであったことに注意しなくてはならない。]

 尤も彼よりも以前、既に陶窯の神靈は存在してゐて、無限の活動力から發生し、絕對最高の大靈註二十から流れ出でて現はれてゐた。何故なら、約五千年前に、黃帝は粘土を燒いて立派な器物を作ることを人々に敎へ、それから、その時代にすべての陶工は窯火の神を知つて、祈りの囁きにつれて彼等の粘土細工を營む車輪を囘はしてゐたからである。が、黃帝が死んでから三千年後に、天帝から窯神となるべき運命を授けられた人が始めて生まれたのだ。

 

註二十 太靈[やぶちゃん注:表記の違いはママ。道家思想であるからこの「太」が正しい。] Tao ――無限の實在、卽ち宇宙的生命、一切の諸相これから發する。Tao といふ文字は第一原因といふ意味に於ける「道」である。老子は道といふ語を一二の異れる意味に使つてゐるが、彼が最も重要なる哲學的意義を與へてゐる主旨は、道經の有名なる二十五章によく說いてある。[やぶちゃん注:改行はママ。]

この偉大なる支那の思想家の第一原因――不可知のもの――に關する見解と、他の東西兩洋諸哲學者の說との差異は、スタニスラス・ヂユリアン氏譯「道經」の序言、第十頁乃至十五頁に明晰に論じてある。

[やぶちゃん注:「スタニスラス・ヂユリアン」既出既注であるが、再掲すると、フランスの東洋学者で十九世紀フランスの代表的な中国学者として知られるエニャン=スタニスラス・ジュリアン(Aignan-Stanislas Julien 一七九七年~一八七三年)。ウィキの「エニャン=スタニスラス・ジュリアン」を参照されたい。

「道經」ジュリアンが一八四二年にフランス語訳した「老子道徳経」(Le livre de la voie et de la vertu:「美と道徳の書」)。]

 

 して、彼の神聖なる靈は、いつも陶房の煙と勞作の上を逍遙しつ〻、今猶ほ模型工の思考に力を、意匠工の創作力に優美を、釉藥工の手法に光輝を與へてゐる。實際、彼が天から敎へられた叡智によつて磁器の藝術は創められたのだ[やぶちゃん注:「はじめられたのだ」。]。彼の靈感によつて陶工のあらゆる奇蹟と、彼に追隨した人々の作れる一切の奇什珍器は完成されたのだ――

 すべての靑磁――明かなること鏡の如く、薄きこと紙の如く、磬の如く朗かな音を發し、欽宗帝の勅命に從つて、「雲の破れ目から見える譯者註一、雨後の空の如く靑き」色を呈してゐる。これらは實に磁器中、第一に位するもので、柴窯註二十一[やぶちゃん注:「さいよう」。]とも呼ばれ、いかに奸惡の徒も流石にこれを破碎する勇氣が出ない。高價な寳石の如くに眼を魅するから。

 

註二十一 窯 Yao ――支那の製陶の技術。歷史又は傳說に關する詳密の知識を得ようと欲するものは、ヂユリアン氏の名著「支那陶器史」(一八五六年巴里出版)を參照するがよい。私の「窯神譚」に擧げた諸種の磁器の名は、大抵該書から取つたものであゐ。是等の名に支那音にては音樂的妙味があるけれども、飜譯すれば興味索然たるを免れない。大部分は單に製造の中心地又は有名なる工場の名に因んだものである。例へば Chou-Yao Chou といふ土地の磁器である。また製造の時代によつて區別した名もある。或は役人の名を冠したものもある。直接に磁器の材料又は藝術的特質から命名したものは、遙かに稀である。

譯者註一 柴窰[やぶちゃん注:「窯」の異体字。以下、総て「ヨウ」と音で読んでおく。]の色について。形容句の原文は左の如くである。

  「雨過天晴レテ雲破ルヽ處、看顏色作スヲ將來

この窯は河南鄭州に在つて、柴世宗の創めたもの。右の句は世宗が陶器の式を欽宗帝に禀請する狀に見える。柴窰は雨過天靑を主色とし、滋潤細媚、實に古來諸客の冠冕である。

[やぶちゃん注:「磬」「けい」或いは唐音で「きん」とも読む。中国古代の打楽器で、枠の中に「へ」の字形の石板を吊り下げ、動物の角製の槌(つち)で打ち鳴らす。石板が一個だけの「特磬」と、十数個の「編磬」とがある。宋代に朝鮮に伝わり、宮廷音楽に使用され、日本では奈良以降、銅・鉄製の特磬を仏具に用いた。

「欽宗帝」原文は“Emperor Chi-tsong”。欽宗(一一〇〇年~一一六一年)は北宋の最後の第九代皇帝であるが、これはハーンの誤りか誤訳で、五代後周第二代皇帝の世宗柴栄(さいえい 九五四年~九五九年)のことである(落合氏はそれを訂する形で注を示しているが、「右の句は世宗が陶器の式を欽宗帝に禀請する狀に見える」という部分はよく意味が判らない)。五代で随一の名君とされる。「世宗」は現行のラテン文字綴りで「Shizong」。以下の「雨過……」を言ったのは彼とされている。平井氏はちゃんと『世宗』と訳しておられる。

「雨過天晴レテ雲破ルヽ處、看顏色作スヲ將來」調べてみると、世宗の命じたとされる台詞は、

 雨過天靑雲破處、諸將顔色作將來

或いは後半が、

 這般顏色做將來

で、落合氏の訓読は何だかよく判らないが、最後の「這般(しやはん)顏色將來に倣へ」だと意味が分かる。則ち、「雨上がりの空に雲と相い映ずる青天の色を成す陶器を、このたび、即刻に持って参れ!」であろう。但し、この文句、おかしい。「這般」は宋代の口語だからである。されば、この話(少なくともこの「這般顏色做將來」という文句)はずっと後代、宋以後に作られたものであろう。

「禀請」「ひんせい」或いは慣用読みで「りんせい」。上役や上部機関などに申し出て請求すること。申請。但し、前に述べた通り、意味不明で、出典も私には判らない。

「支那陶器史」“Histoire et fabrication de la porcelaine chinoise”(「景徳鎮陶録」という邦題があるようである)。

「鄭州」河南省鄭州(ていしゅう)市

「冠冕」「くわんべん(かんべん)」は本来は冕板(冠の頂きに附ける板)をつけたかんむりで、皇帝や皇太子の礼服に附属する。ここはそれ(至高の地位)から転じて「一番優れているもの・首位」の意。]

 

 それから、汝窯譯者註二――すべての磁器の中、第二に位し、時としては靑銅の模樣とその音調の朗々さを欺き、また時としては夏の海の如く靑く、厚く浮かべる粘液狀の雄魚精かと思はれるもの。

 

譯者註二 汝窰は河南の汝州にあつて、北宋時代の創設に係る。

[やぶちゃん注:「汝州」河南省平頂山市汝州(じょしゅう)市

「雄魚精」原文は“floating spawn of fish”で「魚が放卵したその浮いているような様態」。訳は「魚のオスの放った精子」の意であろう。]

 

 それから、官窯譯者註三――すべての驚くべき磁器の中、優秀の點に於て第三位を占め、朝の色彩を帶びてゐる――空の靑さを呈せる中に、黎明の薔薇色が咲いて、沼澤に住む長い脛を有する鳥の飛ぶのが朝暾に映じてゐる。

 

譯者註三 官窰は宋以來、官吏の監督を受けて製し、内府の用に供したのである。宋の大觀、政和の間、汴京(河南省開封府)にあつたもの。

[やぶちゃん注:「朝暾」(てうとん(ちょうとん))は朝日。

「大觀」北宋の徽宗(きそう)の治世で用いられた元号。一一〇七年~一一一〇年。

「政和」同前。一一一一年~一一一八年。

「汴京(河南省開封府)」「汴京」は「べんきやう(べんきょう)」と読む。現在の河南省開封市。宋(北宋:九六〇年~一一二七年)は「東京開封府」と称し、ここを首都とした。]

 

 また、哥窯譯者註四――完全なる磁器の中、第四位で、鮮魚の體の如く、麗はしき、薄い、變はり易き色を有し、或は蛋白石質に似せて作られ、乳と火を混じたやうなもの。名聲不朽の章氏兄弟の兄、生一の作品。

 

譯者註四 哥窰は宋の處州龍泉縣の人、章氏兄弟、瓷業を營み、兄の生一の作を哥窰と名づけた。

[やぶちゃん注:「哥」は「歌」の異体字でもあるが、それ以外に兄や目上や位の高い人物のを呼ぶ際にも用い、ここは「兄」の意。

「蛋白石」オパール (opal) の中国名。

「章氏兄弟」南宋(一一二七年~一二七九年)の陶工とされる。サイト「有田焼」の「竜泉窯(りゅうせんよう)」に(コンマを読点に代えた)、『中国の浙江(せっこう)省にあった窯で、宋代から明代にかけて膨大な量の青磁がこの窯で生産されていました』。『製品である青磁は東南アジア、イラン、イラク、エジプトなど広い地域に多量に輸出されていました』。『竜泉窯の青磁はおもに』二『種に大別され、白い胎土と朱色の砂の胎土を使った青磁は、「弟窯」または「竜泉窯」と呼ばれます。もう一方は、貫入と黒い胎土が特徴であり』「哥窯(かよう)」と『呼ばれています』。二つの『青磁の成り立ちは、南宋時代、浙江省竜泉県』(現在の浙江省麗水市竜泉市)『にいた、章生一と章生二という兄弟によって生み出されたという伝説があり』、『兄弟は代々製陶の家系で育ち、二人も父親の遺言によって、それぞれ窯を設け、それぞれに作品作りに励んでいました。弟である、章生二はまず陶器の色から手を』初め、『あらゆる色を観察した結果、最も優雅で高貴な色は青であると考え、青い磁器を製作しました。この青磁が南宋』の初代『皇帝、高宗に気に入られ、章生二の窯は官窯とされ、「弟窯」または「竜泉窯」が誕生しました』。『兄である、章生一も負けじと努力しましたが、彼は陶磁器の色でなく、陶磁器の製作技法にこだわり、「窯変」を、人工的な方法で作り出そうと試行錯誤を繰り返しました。ある年の』十二『月、生一の妻が夫に食事を届けにいったとき、夫である生一が窯の中に水を入れているのを見て、彼を助けるために、泉の水をかけて加勢し』、『火を消してしまいました。鎮火後の窯を見ると、なんと、すべての器に魚のうろこ状の亀裂が入り、「窯変」の陶器が生まれていたのです。こうして章生一が作り出した窯変青磁はあっという間に世間を騒がせ、皇帝への献上品となりました。章生一が兄であったことから、この窯変の青磁は「哥窯」と呼ばれるようになったそうです』とある。

「瓷業」(じぎやう(じぎょう))の「瓷」は「石焼の瓶(かめ)」であるが、ここは「窯」に同じい。]

 

 また、定窯譯者註五――完全なる磁器の中、第五位で、寡婦の喪服の如く白く、淚のやうな美しき雫が滴つてゐて、詩人 Son-tong-po が詠じてゐる磁器。

 

譯者註五 定窰は直隷省定州で作つたのを北定といふ。宋初の建設である。宋の南渡後、景德鎭で作つたものた南定といふ。

[やぶちゃん注:「Son-tong-po」かの北宋の政治家にして優れた詩人であった蘇東坡(一〇三六年~一一〇一年)のこと。現行の拼音は「sū dōng pō」。彼の賦「試院煎茶」に「定州花瓷琢紅玉」と詠まれてあるようだ。サイト「中国茶の世界」のこちらで全文が読める。

「直隷省定州」河北省保定市定州(ていしゅう)市であるが、この河合氏の言い方はおかしい。「直隷省」というのは、ほぼ現在の河北省に相当するものの、これは清代になって新たに作られた行政区画名であるからである。]

 

 また、Pi-se-yao 窯――色合が潜んでゐて、交互に出沒隱見する。日光の下に氷の色が變幻を示す如くだ。音に聞こえた詩人 Sin-in が讚へた磁器。

[やぶちゃん注:「Pi-se-yao 窯」敬愛する平井呈一氏の、恒文社版小泉八雲作品集「中国怪談集」(一九七六年刊)の「瓷(じ)神譚」の訳では『秘色窯』。以下でも平井氏の訳による漢字表記に多くを拠った。

Sin-in」平井氏は『徐寅』(じよいん)とされる。晩唐末期の詩人。「漢籍リポジトリ」の「欽定四庫全書」の「徐正字詩賦」を見たところ、「巻二」の[002-45a]の、

   *

   貢餘秘色茶盞

捩碧融青瑞色新

陶成先得貢吾君

巧剜明月染春水

輕旋薄氷盛綠雲

古鏡破苔當席上

嫩荷涵露别江濆

中山竹葉醅初發

多病那堪中十分

   *

の七律がそれらしく思われる。]

 また、驚くべき Chu-yao 窯――擊つときに哀しげな叫びを發する蒼白の磁器。偉大なる詩人 Thou-chao-ling の歌へるもの。

[やぶちゃん注:「Chu-yao 窯」平井氏訳は『蜀窯』。

Thou-chao-ling」平井氏は『杜少陵』とする。則ち、杜甫である。これは、彼の「又於韋處乞大邑瓷碗」(又、韋(ゐ)が處に於いて大邑(だいいふ)の瓷碗(しわん)を乞ふ)である。

   *

 又於韋處乞大邑瓷碗

大邑燒瓷輕且堅

扣如哀玉錦城傳

君家白碗勝霜雪

急送茅齋也可憐。

  又韋が處に於いて大邑の瓷碗を乞ふ

 大邑の燒瓷(しやうじ) 輕くして且つ堅し

 扣(たた)けば 哀玉のごとく錦城に傳ふ

 君が家の白碗 霜雪に勝れり

 急(とみ)に茅齋(ばうさい)に送らば また憐むべし

   *

紀頌之氏の強力な杜甫のブログ「杜甫詳注 杜詩の訳注解説 漢文委員会」のこちらに詳細な訳注があるので参照されたいが、その「瓷碗」の訳注に『焼き物の碗、臨邛の大邑で産出されたもの。平成都平原の西南部に位置する。成都市街からの距離は75キロメートル、臨邛は、秦の時代に置かれた県名。現・四川省邛耒県』とある。現在の四川省成都市大邑県なら、ここ。]

 また、Thsin-yao 窯――色は白或は靑。多くの鰭で激搖せる水面の如く皺がよつてゐる……しかも魚までも見える!

[やぶちゃん注:「Thsin-yao 窯」平井氏訳は『秦窯』。]

 また、Tsi-hong-khi 器と呼ばる〻花瓶――雨後の夕陽の如く赤い。それから、蠶蛾の翼の如く脆く、卵殼よりも輕い T’o-t’ai-khi 器。

[やぶちゃん注:「Tsi-hong-khi 器」平井氏訳は『吹紅器』。

T’o-t’ai-khi 器」平井氏訳は『脱胎器』。]

 また、Kia-tsing ――空虛の時は、眞珠のやうに白い茶碗であるが、不可思議な魔術的製法のために、一たび水を滿たすや否や、紫色の魚が群遊して見える。

[やぶちゃん注:「Kia-tsing」平井氏訳は『夾青』。]

 また、Yao-pien ――その色合が火の鍊金術によつて變つてくる。血の赤色で火に入つて、その中で蜥蜴の綠色に變はり、遂に天空の頰のやうな蒼色となつて出でてくる。

[やぶちゃん注:「Yao-pien」平井氏訳は『窯変』。]

 また、Ki-tcheou-yao 窯――夏の夜の如く全く靑紫色である。それから、銀と雪を混ぜたやうにきらきらする Hing-yao 窯。

[やぶちゃん注:「Ki-tcheou-yao 窯」平井氏訳は『吉州窯』。

Hing-yao 窯」平井氏訳は『清窯』。]

 また、Sieouen-yao 窯――熔爐中の鐡の如く赤いもの、透明で紅玉の如きもの、蜜柑の皮の如くざらざらした黃色のもの、桃の皮の如く柔かに紅いものなどさまざまある。

[やぶちゃん注:「Sieouen-yao 窯」平井氏訳は『宣窯』。]

 また、古い氷の如く罅燒になつて、綠色の Tsoui-khi-yao 窯。それから金龍がのたうち𢌞つて、縺れてゐる Tchou-fou-yao 窯。なほまた、淡紅色に畝だちて、蟹の爪の如くに鋸齒狀の稜角ある諸磁器。

[やぶちゃん注:「罅燒」「ひびやき」と訓じておく。

Tsoui-khi-yao 窯」平井氏訳は『砕器釉』として、窯名とせず、『青瓷』(青い瓶(かめ))とされる。

Tchou-fou-yao 窯」平井氏訳は『洪武窯』。これは明代の洪武年間(一三六八年~一三九八年)に焼造した官窯の名である。]

 また、眼晴の如く黑く、また輝ける Ou-ni-yao 窯。それから、天竺の人の顏の如く黑褐色なる Hou-tien-yao 窯。なほまた、秋の葉の如く光澤の枯れた黃金色の黃金窯。

[やぶちゃん注:「Ou-ni-yao 窯」平井氏訳は『烏金釉』(うきんゆう:清朝乾隆年間(一七三六年~一七九五年)の中国窯の中でも最も特色のある釉薬で、黒色でも最も光沢に富み、且つ透徹したもの)として、窯名とせず、『黒色の瓷器』(しき:かめ)の名とする。

Hou-tien-yao 窯」平井氏訳はここは『それからインド人の顔のような黄褐色の烏金釉』と訳され、その後に割注を入れて、『訳者注――ここに烏金釉二度出てくるが、これは八雲がテキストに用いたダントルコールの書牘』(しょとく:書簡)『に誤りがあるらしい。これについては、小林市太郎訳注ダントルコール著「中国陶瓷見聞録」を参照されたい』と述べておられる。同訳書は平凡社の洋文庫にある(私は未見)。但し、平井氏は『二度』と言っておられるが、落合氏の訳文でも判る通り、全く同じ綴りではない。ダントルコールは最後に附したハーンの解説に出るので、そちらで注する。]

 また、蜿豆の苗の如く綠色であるが、太陽に照らされた銀色の雲と天上の龍を染め出せる Long-kang-yao 窯。

[やぶちゃん注:「蜿豆」「えんどう」或いは「えんどうまめ」と訓じておく。

Long-kang-yao 窯」平井氏訳は『竜※窯』(「※」=「卸」-「卩」+「岡」)とあるが、この「※」は「鋼」の異体字(グリフウィキ)に近いので、「竜鋼窯」ではあるまいか? サイト「鶴田純久乃章」の「乾隆窯」の解説の中には、『従来絶えていた竜鋼窯および金窯の焼成を復興し』たとある。]

 また、琥珀色の葡萄の花や、葡萄の葉の靑綠や、罌粟の花を描いたり、或は鬪ひ合つてゐる蟋蟀の形を浮彫にせる Tching-hoa-yao 窯。

[やぶちゃん注:「Tching-hoa-yao 窯」平井氏訳は『宣和窯』。「宣和」は北宋の徽宗の治世で用いられた元号である。一一一九年~一一二五年。]

 また、金粉の星を散らした蒼空色の Khang-hi-nien-ts'ang-yao 窯。それから、電光の閃過する火のやうな夜にも似て、黑色と銀色の壯麗なる Khien-long-nien-thang-yao 窯。

[やぶちゃん注:「Khang-hi-nien-ts'ang-yao 窯」平井氏訳は『康煕年臧窯』。「臧窯」(ぞうよう)は、ウィキの「中国の陶磁器」によれば、康熙一三(一六七四)年に漢人武将による反乱「三藩の乱」(雲南の呉三桂・広東の尚之信・福建の耿精忠が起こした)で『景徳鎮は大打撃を受ける。その後、清朝政府は景徳鎮の復興に当た』り、七年後の康熙一九(一六八〇)年、『康熙帝は官窯の復活を決め、翌年には内務府総官の徐廷弼、工部虞衡司郎中という官職にあった臧応選(ぞうおうせん)らが監陶官(督造官)として景徳鎮に派遣された』。『この時代の官窯では、陶工の人件費、材料費、運搬費から研究開発費まで国の予算でまかなわれるようになり、陶工は生活の不安なく、技法の開発に専念することができるようになった。清代の磁器は「倣古採今」を宗とし、宋・明の古典の真に迫った模作が作られるとともに、清代独自の創造も追求された』。『臧応選は』翌康熙二十年から同二十七年までの『間、景徳鎮に駐在し、鎮の作陶の指導監督を行った。臧応選にちなみ、この時期の官窯製品を「臧窯」とも呼ぶ』とある。

Khien-long-nien-thang-yao 窯」平井氏訳は『乾隆年臧窯』。乾隆年間は一七三六年から一七九五年まで。ただ、ハーンの綴りが異なるのが気になる。前は「ts'ang-yao」なのに、ここでは「thang-yao」である。ウィキの「中国の陶磁器」には続けて、『清の官窯では、臧応選のように中央政府から景徳鎮に派遣され、製陶の監督を行った官僚である監陶官が技術開発のために大きな役割を果たし』、『「臧窯」の他に、歴代の監陶官の名にちなんだ「郎窯」、「年窯」、「唐窯」等の呼称がある』とある。例えば「唐」は現行の拼音は「táng」である。これは或いは「乾隆年唐窯」なのではなかろうか?

 尤も Long-Ouang-yao 窯は除外だ。淫蕩な Pi-hi、猥褻な Nan-niu-ssé-sie、耻づべき春晝を描いたもので、陶窯の靈は顏を隱して逃げ去つたのであるが、奸惡なる Moutsong 皇帝の命令によつて作られた忌々しいもの。

[やぶちゃん注:「Long-Ouang-yao 窯」平井氏訳は『隆慶窯』。「隆慶」は明代の元号(一五六七年 ~一五七二年)。以下で注する第十三代皇帝穆宗(ぼくそう)の在位中に使われた。従って穆宗は「隆慶帝」と呼ばれる。

Pi-hi」平井氏訳は『「秘史」』。鍵括弧附きである(次も同じ)。

Nan-niu-ssé-sie」平井氏訳は『「男女秘戯」』。前とともにどんなシロモノか見てみたかったが、如何なる画像検索にも掛かってこない。残念!

Moutsong 皇帝」平井氏訳は『帝穆(ぼく)宗』。明の第十三代皇帝(一五三七年~一五七二年死在位:一五六七年~没年)。ウィキの「隆慶帝」によれば、先代の父『嘉靖帝の晩年、明朝は内政の乱れの他に、「南倭北虜」と称される倭寇とモンゴル系タタールによる侵攻にさらされていた。即位した隆慶帝は嘉靖期の弊政を改革すべく、嘉靖帝への諫言により罪を得ていた徐階・海瑞などの人材を登用し、それまで朝廷で権勢をふるっていた道士を一掃した。また』、『疲弊する国庫を建て直すため、海外貿易を開放し、倭寇とタタールに対してある程度の貿易を認める柔軟策で、対外的にも安定した時代を現出した』。『しかし隆慶帝自身は凡庸な皇帝であり、朝政を省みず、その政務は大学士に代行されていた。また酒色に溺れ、享楽を求めた生活のため』、三十六歳の若さで『崩御した』とある。]

 しかしすべてその他の、驚くべき形狀と實質を有し、魔術的に關節を附せられ、浮彫模樣の粧飾と施された花瓶類――花の萼窩のやうな鐘形を呈したり、鳥の嘴のやうに割けたり、蛇の顎の如く牙があつたり、小女の口の如く淺紅の脣を示せる孔口を有つたのや、蕈や蓮花や蜥蜴や女面馬足の龍に似たのや、不思議に半透明で、飯粒の白い光や霜の空幻なる組紐細工や珊瑚の開花に彷彿せるものなど。

 更にまた、磁器の諸神像――竈の神、墨の十二神、生れながら銀髮の貴い老子、叡智の書卷を摑める孔夫子、黃金の百合の具眞中に雪白の足にて立てる、美はしき慈悲の女神なる觀音、人民に庖厨を敎へた神の神農、長い眼は冥想に閉ぢ、脣は最高至上なる福祥の神祕なる微笑を洩らせる佛、白翼の鶴に跨つて空を乘つて行く長壽の神 Cheou-lao、肥え太つて、夢を見てゐる滿足と富の神 Pou-t'ai、それから、仁慈の手から永遠に紅色の眞珠の雨を降らす美しい才能の女神。

[やぶちゃん注:「Cheou-lao」平井氏訳は『寿老人』。道教の神仙で、「南極老人星」(カノープス:Canopus:りゅうこつ座α星)の化身とされる。酒を好み、頭の長い長寿の神とされ、不死の霊薬を含んでいる瓢箪を持ち、長寿と自然との調和のシンボルである牡鹿を従え、手にはやはり不老長寿の霊果である桃を持っている姿で描かれることが多い(ウィキの「寿老人」に拠る)。

Pou-t'ai」平井氏訳は『布袋』(ほてい ?~九一七年)。唐末から五代にかけて明州(現在の浙江省寧波市)に実在したとされる伝説的仏僧。大きな袋を背負った太鼓腹の僧侶の姿で描かれる。ウィキの「布袋」によれば、常に頭陀袋を背負っていたことから「布袋」という俗称がついた。『出身地も俗姓も不明で』、『寺に住む訳でもなく、処処を泊まり歩いたという』。『生臭ものであっても構わず施しを受け、その幾らかを袋に入れていたという』。『その姿は風変りであったが素直な気持ちの持ち主で、人々を満ち足りた気持ちにさせる不思議な力を持っていたという』。『その最期についても不思議な逸話が伝えられており、仙人の尸解に類し』た形で去ったとも言われる。『嶽林寺で遷化したと』も言うが、『埋葬されたにもかかわらず、後日、他の州で見かけられたと』も伝える。『その没後あまり時を経ないうちから、布袋の図像を描く習慣が江南地方で行われていたという記録がある』。死に際して残した偈文から(リンク先に原文あり)、『実は布袋は弥勒菩薩の化身なのだという伝説が広まったと』もいう。『なお、布袋を禅僧と見る向きもあるが、これは後世の付会である』。『中世以降、中国では布袋になぞらえた太鼓腹の姿が弥勒仏の姿形として描かれるようになり、寺院の主要な仏堂に安置されるのが通例となった。日本でも、黄檗宗大本山萬福寺で、三門と大雄宝殿の間に設けられた天王殿に四天王や韋駄天と共に安置されている布袋形の金色の弥勒仏像を見ることができる。この像は西欧人に』は『マイトレーヤ(Maitreya 弥勒)と呼ばれる』とある。

「仁慈の手から永遠に紅色の眞珠の雨を降らす美しい才能の女神」平井氏はこの女神を『女神弁財天』と訳しておられる。但し、中国での弁財天の認識は菩薩型の強力な戦争神の女神イメージで、ここに示されたような、まさに日本人の憧れて憧憬するような、技芸のミューズ的女神のそれとはかなり異なるものである。]

 

 

 浦(プー)が人類に遣して置いた無類の藝術は、その幾多の祕訣は實際忘れられ、永久に失はれてゐることであらうが、窯神の物語は記憶されてゐる。孰れの老陶工でも、昔々終日拮据、戶外で顏料を碾いてゐる大陶房の盲目の老人達でも、浦は甞て卑賤なる支那の職工であつたのが、倦むことなき硏究と忍耐と天の靈感によつて遂に最大名工となつたことを語り得るのだ。彼は非常に有名になつたので、或る人は彼を鍊金術者と見倣し、石を金に化する『白と黃』といふ祕傳を知るものと思つた。また他の人々は彼を魔術師と考へ、屋根の瓦の下に呪文を唱へ込めた人の像を隱して置いて、夢魔の恐怖を以て、人を殺す凄い力を有するものとした。更にまた他の人々は萬物を支配する五行の神祕――星の流れの中にも、乳色の天河の中にも動いてゐる力――を發見した占星術者だと斷言した。少くともかやうに無智の輩は彼のことを噂した。しかし天子の側に侍せる、見識確固たる人々も、彼の妙技を激賞して、彼の巧みなる手觸に易々と扱はれ行く美しい材料を使用して、彼の制作の手に叶はぬといふ美術品が世にあるだらうかと話し合つた。

[やぶちゃん注:「浦(プー)」原文は“Pu”。平井氏訳は『風(ふう)』と訳しておられる。但し、「風」だと現代の拼音では「fēng」、「浦」は「」である。]

 すると、或る日の事、浦(プー)が天子へ貴い品を獻上した。それは閃めき燃えた黃鐡礦碩の實質を擬ねた[やぶちゃん注:「まねた」。]花瓶であつた――變色蜥蜴が燦爛たる花瓶の面にのたくり打つてゐた。しかも磁器の蜥蜴は看者[やぶちゃん注:「みるもの」と訓じておく。]が位置を變へる度每に色を變へた。天子は作品の壯麗に驚き、その職工のことを卿相官吏どもに尋ねた。彼等がそれは浦といふ無雙の陶工で、神か又は惡魔の靈感によつて知つたらしい祕訣を有することを答へた。そこで天子は立派な財物を待たせて官吏を彼の許へ遣はし、彼を御前へ召しよせた。

 賤しい職人は皇帝の前へ出でた。して、最敬禮――三たび跪いて、それから額を三たび、九囘づつ地に觸れて――を行つてから、勅命を待つた。

 すると、皇帝は彼にいつた。『朕は汝の獻品を見て非常に愉快を覺えた。して、その美しい器物に對し、汝に酬ゆるに銀五千兩を以てした。しかし汝もし朕の命ずるま〻のものを完成して吳れるならば、その三倍の報酬を與へよう。よく聽け、汝、無双の陶匠! 今や晚は、汝が生ける肉のやうな色澤風趣を有つ花瓶を作ることを欲する。但し――よく朕の希望を注意するがよい!――その肉は詩人の發する言葉に應じて匍匐し、觀念によつて動く肉、思想によつて戰慄する肉なのだ。この命に服從して、違背するな。朕は既に命令したのだ』

[やぶちゃん注:前段で「無雙」の表記がここでは「無双」となっているのはママ。因みに最終段落の「無双」もママ。]

 

 

 さて、浦は顏料を混ぜ合はせる職工の中で、花瓶の裝飾圖案家の中で、釉藥の上に彩色畫を描く職工の中で、色を光らす職工の中で、窯火を監視する職工の中で、要するに一切の陶工の中で、巧妙熟練を極めた人であつた。しかし彼は銀五千兩の恩賜を受けたにも拘らず、王宮から悲しみを懷いて去つて行つた。彼は獨りで考へた。『たしかに肉の美はしさの祕訣と、また肉が動く祕訣は、太上道の幽玄である。どうして人間が死せる粘土に知覺的生命の趣を附與し得られよう? 無限絕對者でなくて、誰が靈を與へることができよう?』

 さて、浦は製陶家の祕術たる色彩の巧妙と優雅の極致を發見してゐた。彼は薔薇の魔法的光耀や、心地よい紅色や、山綠と稱する綠色や、柔かな淡黃色や、燃えるやうな黃金色の美などの祕訣を見出してゐた。彼は鰻の色や、蛇の綠色や、菫の靑紫色や、熔爐の深紅色や、西洋の琺瑯細工師が永く求めて成功し得なかつた、酒精の炎の如く微妙で捕捉し難い洋紅色と藤色を發見してゐた。しかし彼はその指定ざされた仕事に對して戰慄した。彼の陶房の勞作[やぶちゃん注:「ろうさく」。労働。作業。]に歸つて行つたときに、彼はいつた。『どうして貧弱な人間の力で、觀念につれて肉が震動するのや、思想が不可思議に戰慄するのを粘土に現はすことができよう? かの永遠の太模型師たる神の魔力を人間で眞似ができる? 私が模型車[やぶちゃん注:轆轤(ろくろ)。]の上で一個の甕を圓めるよりも、百萬の太陽を作る方が、神の大能力に取つては更に容易なのだ』

[やぶちゃん注:「洋紅色」“carminates”。深く鮮やかな紅赤色。カーマイン。この色(リンク先はサイト「伝統色のいろは」)。]

 

 

 しかし天子の命令は決して違背することはできなかつた。して、堅忍不拔の陶工は天子の希望を實現せんがために全力を發揮して努めた。が、幾日、幾週、幾月、幾季節の間、奮鬪しても徒勞であつた。また神々の助けを祈つても無効であつた。窯の靈に願ひ求めても駄目であつた。彼は叫んだ。『汝、火の精よ、私の願を聽き、私を助けてくれ。如何にせば、私が――粘土に生ける精神を吹き込むことのできぬ無力の私が――一聲の言下に躍り上がり、思想の一動一搖に感じ立つ肉の趣を、この無生物に活現し得られよう?』

 窯の精は、火の囁きを以て、奇異な答を彼に與へたのであつた。『汝の信仰は偉大で、汝の祈禱は凄い! 思想には人間がその過ぎ行く痕跡を認め得るやうな足があるか? 汝は私のために一陣の疾風を測量することができるか?』

 

 

 けれども、確固たる目的を以て、四十九囘までも浦は勅命を完成しようと試みた。惜しいかな、彼は空しく原料を浪費するばかりであつた。彼の力と彼の知職を蕩盡しても、成功は彼に笑顏を注がなかつた。して、災禍は彼の家を訪ね、貧窮は彼の室に坐し、悲慘は彼の竈に慄へた。

 時としては、試驗の際に、火に燒いてから、色彩が奇異に變つたり、或は灰臼に褪めたり、或は森林の黴[やぶちゃん注:「かび」。]の模糊たる色に煤けたりすることがあつた。すると、浦はかやうな災難を見て、窯の精に哀禱泣訴した。『汝、窯火の精よ、汝の助けがなくては、どうして私は光澤ある肉の趣と、生ける色の溫たい光を作り出せるだらう?』

 すると、窯の精は火の囁きを以て、神祕的に彼に答へた。『汝は天穹を美しくした無限の釉藥工の技術を學ぶことができるか?――彼の刷毛は光線である。彼の顏料は夕べの色彩である』

 また時としては、色彩が變はらないで、刺點を施し、丹精を注いで作つた表面が、熱の中で活きてきて、生ける皮膚の潑溂さを帶びさうになつてから――いよいよ最後に達してから、職工達のあらゆる骨折が徒爾[やぶちゃん注:「とじ」。無駄。]に歸することもあつた。何故なら、輕佻浮薄の物質は彼等の努力に叛逆して、ただ凋れた果實の皮の上にあるやうな怪奇な皺を生じ、または荒荒しく羽毛を剝がれた死鳥の肌膚に見る如き粒狀を呈するのみであつたから。して、浦は涕泣して、窯の精に叫んだ。『汝、炎の精よ、汝が助けを與へて吳れないでは、どうして思想につれて肉が竦動[やぶちゃん注:「しようどう(しょうどう)」。慎み畏(かしこ)まること。恐れて身を縮めること。]する狀[やぶちゃん注:「かたち」。]を模作し得られようか?』

 すると、窯の精は、火の囁きを以て神祕的に彼に答へた。『汝は石に魂を與へ得るか? 汝は花崗岩の山の内部に思想を浸み渡らせることができるか?』

 時としては、實際すべての勞作が失敗に了はらぬ場合もあつた。色は立派と思はれ、また花瓶の實質は、龜裂も、皺も、縮れもなくて、全く無瑕[やぶちゃん注:「むきず」。]のやうに見えた。しかし溫かい皮膚のしなやかさが見受けられなかつた。色合こそ肉のやうな表面も、金屬の粗厲[やぶちゃん注:「それい」。荒く鋭い感じであろう。]なる樣子と、硬い光を示すのみで、感覺ある物質の柔かな果肉性を模擬しようとの慘澹たる苦心は、何等の痕跡をも留むる事なく、窯火の息吹に一蹴されて了つた。浦は絕望の餘、窯の精に叫んだ。『汝、無慈悲の神よ、私は幾多の犧牲を捧げて汝を崇拜してゐるのに、私を棄てて顧みないのは、何の過失、何の罪のためであるか? 哀れなる私は、汝の救ひがなくては、どうして言葉につれて匍匐し、思想の擽る[やぶちゃん注:「くすぐる」。]ま〻に竦動する肉の趣を作り得ようぞ』

 すると、窯の精は火の轟きを以て彼に答ヘた。『汝は靈魂を分かつ事ができるか? 否! ……汝の作品の生命のためには汝の生命!――汝の花瓶の靈魂のためには汝の靈魂!』

 この言葉を聽くと、浦は胸に漲る怖ろしい決心を以て蹶起した。して、いよいよ最後の第五十囘目の試みとして、窯に入れる作品の準備にかかつた。

 百囘彼は粘土と硅岩、高陵と石胎を淘汰し、百度それを淸潔な水で淸めた。百囘位は倦むことなき手で、乳狀可粘物を捏ねて、最後に彼のみ知つてゐる顏料をそれに混じた。それから花瓶の恰好を作つては、また作り直して、遂にその柔和さは生きてゐるに見え、戰慄し、鼓動するやうに見えてきた。しかもそれは内部からの活力に發し、表皮の裏面に波立つ圓やたな肉から出でるかと思はれた。實際、生命の光澤がその面に浮たび、また量奧の實質中に滲透してゐて、血液の生々と輝いた組織のやうな紅色と、血管の網狀をなせる紫色を彷彿せしめ、全體の上には日光色に光つて、つやつやしい釉藥を着せて、女の磨き上げた肌を欺いてゐた。世界開闢以來、人間の技倆で、これに匹敵すべき作品は、未だ甞て作られたことがなかつた。

 それから、浦は手傳ひの人々に tcha の材木で盛に窯火を燃やしつづけさせた。が、誰にも彼の決心を告げなかつた。しかし窯が赫々と輝き始め、彼の作品が熱火の中に咲き出でて紅潮を呈するを見てから、彼は炎の精の前に身を屈めて呟いた。『汝、火の精、火の主よ、私には汝の言葉の眞理がわかつた。靈魂は決して分けることはできない。だから、私の作品の生命のために私の生命! 私の花瓶の靈魂のために私の靈魂!』

[やぶちゃん注:「tcha」平井氏は『松薪』と訳しておられる。但し、現在の松の拼音は「sōng」である。ハーンの綴りのもとは不明である。どうも私に何か別の種の木のように思われてならない。]

 

 

 そこで、九日と八夜の間、窯は絕え間なく tcha の薪を供給され、また九日と八夜の間、職工述は驚くべき花瓶が炎の息吹によつて薔薇の如く輝いて、晶化するのを監視した。第九夜になつてから、浦は仕事も殆ど出來上つて、成功は確證されたからといつて、すべて疲れた連中を寢に就かせた。『もし夜が明けてから私がこ〻にゐなくても、花瓶を窯爐から取り出すことを恐れるな。勅命通りに、仕事は完成されてゐると思ふから』と彼はいつた。職人達は歸つて行つた。

 しかしその第九夜に、浦は炎の中へ入つて、彼の身命を窯の精に獻げた――彼の生命を彼の作品の生命とし、彼の靈魂を彼の花瓶の靈魂としたのであつた。

 して、十日目の朝、職工達が珍妙なる陶器を取り出すためにきた時、浦の骨さへも亡くなつてゐた。しかし不思議! 花瓶は生きてゐた。言葉につれて動き、思想の擽るま〻に匍匐する肉のやうであつた。して、指で軽打する每に、聲と名を發した。その作者の聲、その作者の名――浦。

[やぶちゃん注:この後のみ、二行でなく、一行空け。]

 

 かくて、天子はこの話を聞き、また驚異すべき花瓶を見てから、側近の者どもにいつた。『いかにも、信仰の力、服從の力によつて、奇蹟が演ぜられた! しかしかやうな殘酷な犧牲の行はれることを、朕は決して欲したのではなかつた。朕はこの無双の技術家の力は、神々から來たものか、惡魔から出でたものか――天からか、地獄からか――を知らうと欲したのみであつた。今や實際浦は神々の中に位を占めたのだ』して、天子は痛く彼の忠實なる臣のために悲しんだ。しかし彼はこの驚くべき藝術家の靈に對して、神のやうな尊敬を拂ふべきこと、彼の名は永遠に崇めらるべきこと、それから、中華國のすべての都會と、すべての陶房に、彼の立派な像を設けて、幾多の職工は常に彼の名を呼び、彼等の勞作の上に彼の祝福を求むるやうにすべきことを命じた。

 

大 清 國

 

[やぶちゃん注:「清」はママ。]

 


175

 

【ハーンによる「解說」】

 『窯神譚』――始めて支那の製陶術の祕訣を歐洲へ偉傳へた宣敎師ダントルコル氏は、百六十年前に書いた――

 『支那の帝王は彼等の存命中は、最も恐ろしい神のやうなものである。して、彼等は何ものも彼等の希望を妨げ得ないものと信じてゐる…… 
 甞て或る皇帝が一つの見本通りの陶器を作るやうにと嚴命した。その製作は全然不可能であるといふ答を得たので、彼の願望は却つてますます募つてきた……半神の如き皇帝の命を受けて、その事業の監督と促進に當つた官吏は、職工輩を遇するに粗暴を極めた。可愛相にも職工達は、その資力を盡蕩し、非常なる骨折を拂つて、しかも報酬としてただ打擲[やぶちゃん注:「ちやうちやく(ちょうちゃく)」。]を受けるのみであつた。一人の職工は絕望窮策の餘、烈火の中へ跳び込んで、直ち燼となつた。しかし恰もその際窯中で燒いてゐた陶器は、完全に美麗なる結果を呈し、皇帝の嘉賞を博したとのことである……それから、かの不幸なる最期を遂げた陶工は、英雄として仰がれ、彼の像は製陶守護の神として祀られた』

 ダントルコル氏は安樂の神 Pou’t’ai の像を、眞正の竈神の像と間違へたらしい。それはヂヤツクマール氏及び他の諸氏が指摘してゐる通りだ。しかしこの誤謬はその神話の美を壞はすものではない。またダントルコル氏は景德鎭に於ける支那人の友が、彼に話したままを寫したものと思はれる。この他の諸點に關して、この天主敎宣敎師の記事の信憑するに足ることは、スタニスラス・ヂユリアン氏並びに他の諸大家の硏究が、ただますます保證して行つたばかりである。ヂユリアン氏並びにサルヴエター氏の兩大家は、その天晴れ立派なる佛譯の『景德鎭陶錄』(この書は私がこの小話を書くに當つて、非常に役に立つた)の中に、ダントルコル氏の書簡から長いことを引照し、また眞摯なる硏究家として最上の賞讃を彼に捧げてゐる。私の知り得た限りでは、この神話については、彼が唯一の典據となつてゐる。また他の事柄に關して彼が確言したことが、歲月の精嚴なる取捨によく堪へてゐのるのは驚くばかりである。して、長髮賊の亂が景德鎭を亡ぼし、その貴い工業を萎縮させてから以來、佛國宣敎師の文書と記事は、廣くその價値を認めらる〻に至つた。物語の主人公の名として、私は安樂の紳と區別するため、ただ添附字を省いて、單に浦(プー)といふ名を用ひた。

[やぶちゃん注:「ダントルコル」フランソワ・ザビエル・デントレコール(François Xavier d'Entrecolles 一六六四年~一七四一年)。中国名「殷弘緖」。イエズス会司祭で中国に伝道し(一六九八年到着)、江西省で最初に布教活動を行った後、一七〇六年から一七一九年にかけては中国フランス系イエズス会総督となり、その後、北京のフランス居留地長官を務め、北京で没した。一方で特に中国の陶磁器の研究を行ったことでも知られる。

「安樂の神 Pou’t’ai」本文で注した通り、「布袋(ほてい)」のこと。

「サルヴエター」先に示した“Histoire et fabrication de la Porcelaine chinoise”をスタニスラス・ジュリアンと共訳した、フランス人化学者で磁器研究をしていたアルフォンソ=ルイス・サルヴェータ(Alphonse-Louis Salvetat 一八二〇年~一八八二年)である。]

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