□大正六(一九一七)年
[やぶちゃん注:大正五年パートには短歌がない。]
左手に椿の花を右に繪をもちてかけれる美しき子よ
男爵の小さき姫(ひめ)とそばを食(は)みをかしき晝をすごしける
[やぶちゃん注:「男爵」不詳。後の二首も連作のように思われる。]
美しき少女の頰の紅(べに)いろにまずこの春のうたのはじまる
[やぶちゃん注:「まず」はママ。]
淸ちやんと自が名を明したる美しき子の口のよさかな
たそがれの星にまがへる眼はわれを物狂ほしく夢にいざなふ
金色の帶しめて飛ぶ小鳥あり苦しき夢のまなかを過ぎり
蒸し暑き夢は腦天打ちこめて泣き笑さす哀れなるわれを
哀れにも醜(し)くゆがみし顏もちて木の葉の中をかけ走るわれ
もうろうとたのしみを欲する哀れなるわれとわが身をながめてをかし
酒瓶十二わが腹に入る事のみを幻(まぼろし)に見て街をたどれり
哀れなる色狂の眞似事を森の中にてたくらめるわれ
色狂にならんとするをおしなだめわれとわが身を連れてゆくわれ
狂ほしき神經衰弱癒え難く渦の中へとわれ落ち深む
酒の癖たばこの癖その他の諸々惡しき癖に呑まれし
ああ大地とどろき渡りわが墮落怒れるを見て心かなしも
朦朧の境に身をば投げ入れんわが運命の餘り惡しきに
意志よわく情も薄き蟲けらに似たる男と自らを知る
藝の慾あまりにわれに馴れにけり煙草の味に馴るる如くに
頽廢の底に跳び入るわが心美しき故惜しみわれ泣く
大なる鷲の羽ばたき花園にきこゆときけば心をどりぬ
むごたらしき破壞(はくわい)をわれはまちのぞむ美しき物見る度每に
たくましき中年の女新富町の河岸に美しくそりかへりき
[やぶちゃん注:東京都中央区新富町であろう。東が月島、西が銀座、南が築地、北が八丁堀で、花街として賑わった。当時は松竹の経営に移った新富座もあった。osampo-ojisan氏のブログ「東京地形・湧水さんぽ」の「第17回 新富町駅~月島駅」には、『明治時代の地図を見ると、この入船橋交差点から八丁堀駅に続いている新大橋通りはかつて運河があり、新富河岸という舟入り場があったようだ。それゆえ、ここは入舩町と呼ばれたのだろう』ともあるが、果してこの時代に、その河岸が残っていたかどうかまでは確認出来なかった。識者の御教授を乞うものである。]
アメリカの百姓女うれしげに銀座を過ぎぬ五月の夕べ
樂器屋にピアノのひびき溢れ滿つ淚に充ちしよろこびをなす
ああ女その美しさめづらかさ果物のくだける樣に笑ひし女
苦しみを藥の如く時定めてあたへられたりあつきこのごろ
いつまでも運勢に身をあそばせて天候の如くうつりゆかまし
野の百合と同じいのちを持つものはこのわれなりと主に申しける
さびしさもひもじさも皆世をえどる色の一つとわれをながめん
[やぶちゃん注:「えどる」はママ。「繪どる」であるから、「ゑどる」である。全集はかく訂してある。]
すてばちのさびしき上にをどりたるいのちよ汝の美しきかな
物曰はず日ぐらしければわがのどはしやがれ果てぬさびたる如くに
一日に三十本のたばこのむきまりとなりて頭重たし
女はればれと語るよ大空の底にいきするわかき口もて
――(千代ちやんのうた)――以下三首
[やぶちゃん注:「千代」不詳。]
その顏をまともに見るをはばかるは弱き男と自らに言ふ
あまやかに世はまたせまくなりにけり愚かしき事をくりかへすかな
汗ばみし紫の花の値を問へる夏の女を夜の店に見る
――(神樂坂のうた)――以下七首
ほのかなるたばこの光眞夜中のおしやくの顏を紫にしぬ
さびしさと乾きし喉(のど)ともちしわれ夜の野を見んと走りゆきしも
遊蕩のちまたを苦(にが)き睨み眼し步めるわれを哀れと思ふ
愚なる家族の中のため息をわれくりかへすあつき初夏
病みし眼はわが顏にありて輝やきぬ山犬の如く寶玉の如く
物すべて愚かに見ゆる日のつづく耐へがたき事われに科せらる
椿の葉ざわめくばかり波立てる海の面の深きみどりよ
血の落ちる音のきこゆる美しき深夜の家のふしどの上に
錢なしとなりてわが身に驚ろきぬいまさらながらうらさびしきも
遊樂の心おどらせ唄ふ日も錢なくなれば消えて失せつも
[やぶちゃん注:「おどらせ」はママ。]
熱情は肉身(にくみ)と共に肥りゆく泉津(せんづ)の邑に十日くらせば
[やぶちゃん注:「泉津の邑」「邑」は「むら」(村)。現在の東京都大島町泉津。槐多はこの前年の大正五(一九一六)年七月から八月一杯と、この大正六年の夏の二回、大島に行っている(孰れも友人山崎省三が同伴。厳密には前者は山崎の旅先を槐多が訪ねたもの)。]
潛々と淚に暮す月日ありはるかの方にわれをまち居り
[やぶちゃん注:「潛々と」「さめざめと」。]
咲笑し酒亂しおどりかき抱くはげしき月日またわれを待つ
[やぶちゃん注:「おどり」はママ。]
ただひとり泉津の邑に打もだす醜き畫家のあるを君知れ
なだらかに海のおもてを靑めのう走ると波の光をながむ
[やぶちゃん注:「めのう」「瑪瑙」。但し、歴史的仮名遣では「めなう」が正しい。全集では「メナウ」とカタカナ書きにしているが、これは僭越というのものである。]
このしづかさ口もてふくみ笑ふ眞晝まなかのこのしづかさを
何しらずこのしづかさに打したり棒の葉の如輝やきて居らん
[やぶちゃん注:「打したり」全集では「打ひたり」とする。]
東京のさわぎははたととざされぬこのしづけさの扉の外に
かの小さき女を思ふ心湧きやすまりがたしいかにするべき
君ちやんの美しき眼のきらめきて夢さめにけり深き夜半に
[やぶちゃん注:「君ちやん」不詳。同年の詩篇「(無題「全身に酒はしみゆき……」)」にも登場する。]
かれ戀すときけばいかにかおどろかんかの君ちやんの淸き心は
古き戀またよみがへる美しさ泉の如く強く涼しく
――(戀の蘇生)――以下五首
このたびは微笑の女そのかみはこの眼われにそそぎし女
くらやみにひそみて居りし戀ごころ火花となりて散り出でにけれり
この秋のくだもの籠に輝やけるりんごの如く君もかがやく
眼みはりて君を眺めし新らしき物の如くにうれしなつかし
恐ろしき無力の時となりゆくか、さびしさ、あまりしげく來るゆえ
[やぶちゃん注:二箇所の読点はママ。]
わが力雷より強くほとばしる時をと常に念じる物を
――無力時代――以下七首
なす事のすべて空しく愚かしくさびしさ咽喉(のど)をつまらする時
ああ赤き肉に等しき花なきや一たびかけば□□□つ花
紅をもて身もたましひも染めつくし命をすてて畫ともならばや
□□□□□□女は世になきやあらばと高くひとりごちぬる
死に失せよ虻と女はわれに言ふこのざれごとに心寒かれり
美しきぶどうの房に似たる夜に行手をすかし道をたどるも
[やぶちゃん注:「ぶどう」底本では「ぶとう」。かく修正した。全集は歴史的仮名遣正しく「ぶだう」とする。]
恍惚に耐へせず人の泣く聲す美しき夜のかしこにここに
紫の花の重たく下るかとはだか女の肉におどろく
宦官の首うなだれしきざはしに吹上の水ちりかかりつゝ