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カテゴリー「夢野久作」の74件の記事

2017/12/13

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅹ) 昭和一〇(一九三五)年(全) / 夢野久作 日記内詩歌集成~完遂

 

昭和一〇(一九三五)年

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年から昭和九(一九三四)年の日記は底本にはない。]

 

 一月八日 火曜 

 

仰ぎて門を出づれば天の川

霜白く旭黃色し廣野原

 

[やぶちゃん注:この一月に十年余の推敲を経た畢生の奇作「ドクラ・マグラ」が出版され、この一月二十六日に「ドクラ・マグラ」出版記念会が大阪ビル・レインボーグリルで開かれており、日記にもその様子が如何にも喜びに満ちた様子で記されてある。]

 

 

 

 一月三十一日 木曜 

 

向ひかくれグツチヨ星やござらんか

星こそ御座れ

何人御座る

三人御座る

そりやチツクリヨカロが何々喰はすか
小豆飯に鯛の魚(イオ)

秋摺八升鯖八さし

イカイ入るたる大喰ひ

つるんだる引つぱんろ

 

[やぶちゃん注:新今様風の意味不明の歌。「秋摺」とは秋摺米であるが、これはよく判らぬ。収穫直後に精米した米のことか。籾で貯蔵したものを玄米としたものを「今摺米」と称するらしく、秋摺米は炊くと硬めに出来るらしいことぐらいしか判らなかった。「向ひかくれ」「グツチヨ星」「イカイ入るたる」「つるんだる引つぱんろ」はお手上げ。福岡方言か? 識者の御教授を乞うものである。]

 

 

 

 三月十一日 月曜 

 

春寒く夜靜かなり汽車の音

 

 

 

 五月十一日 土曜 

 

小雨降りて蛙高鳴き薄日照りて

 松蟬の聲波打つ谷々

 

[やぶちゃん注:「松蟬」半翅(カメムシ)目頚吻亜目セミ型下目セミ上科セミ科セミ亜科ホソヒグラシ族ハルゼミ属ハルゼミ(春蟬)Terpnosia vacua の異名。松林に棲息し、林から出ることは少ない。「松蟬」は俳句で晩春や初夏の季語として好んで用いられる。

 なお、この七日前の五月四日には郷里の福岡市中洲にある中華園で、有志による「ドグラ・マグラ」出版記念会が開かれ、日記には『集まる人々四十人皆久作をコキ下す』と記している。]

 

 

 

 七月十八日 木曜 

 

畑打つ女の飛白日に匂ひ遠山脉に雨雲迫る

新しき橋架け終へてかへり行く山男等にカナカナなく

何處迄も草つゝきなる堤果に松一本あり雷雲迫る

桐の花校庭に搖ぎ耀くを寫生してみる七月の末

ひつそりの草深き野を急き行く遠山脉をに雨雲迫れば

 

[やぶちゃん注:「カナカナ」の後半は底本では踊り字「〱」。「草つゝきなる」「急き行く」はママ。「遠山脉」は「とほやまなみ」と訓じたい。なお、この前日、父杉山茂丸が脳溢血で倒れ、重体となり、急遽、福岡香椎より上京、以上の短歌はその車中での詠吟で、歌を並べた後、『など和歌いくつも出來てねむられず。此の心理狀態われながら不思議なり。歌をやむれば又限りなく心配なり。愚かなる事のみ思ふ故又歌を作り心を靜めてゆく』と記している。東京にはこの日の夜に着き、意識不明の父と対面した。翌日の日記に『七月十九日午前十時十五分意識不明のまゝ父上絶命し給ふ』とある。]

 

 

 

 十月二十九日 火曜 

 

疲れて尻を撫づれば皺タルミ指に觸る吾老いたり。

 

[やぶちゃん注:句点はママ。日記本文より一字下げで、これはただの感懐ではなく、短歌である。これを以って昭和十年の日記内の詩歌は終わっており、これ以降の日記は底本にはなく、遺族も所持していないようである。

 夢野久作は、この翌年昭和一一(一九三六)年三月十一日、『渋谷区南平台町の自宅で、父の負債処理を任せていたアサヒビール重役の林博を出迎え、報告書を受け取った後、「今日は良い日で」と言いかけて笑った時、脳溢血を起こして昏倒し、そのまま死亡した』。未だ満四十七歳であった。(引用はウィキの「夢野久作に拠る)。

 以上を以って、二〇一五年七月二十八日に開始したオリジナルな孤独なタイピングによった「夢野久作 日記内詩歌集成」を、二年半で無事、終了することが出来た。数少ない方々ではあったが、奇特な読者からの本プロジェクトへのエールには、心から深く感謝するものである。]

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅸ) 昭和五(一九三〇)年九月~十二月 / 昭和五年~了

 

 九月三日 水曜 

 

◇われとわが頭の隅にたたずみて

  おろかなる心をはるかに見下す

 

 

 九月二十六日 金曜 

 

◇考えるたびに自働車屁をたれる

 

[やぶちゃん注:「考える」はママ。]

 

 

 

 十月二十二日 水曜 

 

ストーブの火を見て居れば

昔のことを思ひ出す

私の昔の祕めごとを

知つてゐるのか火の色も

黃色く赤くほのぼのと

うれしなつかしやるせなや

ストーブの火は消え果てゝ

はかなく白い灰ばかり

くづれ殘れどくら暗に

 

[やぶちゃん注:珍しい流行歌風詩篇であるが、どうも翌日の日記は頭の三行は続きらしい。]

 

 

 

 十月二十三日 木曜 

 

なほもありあり燃え殘る

胸のおのほをなんとせう

ひとりみつむるわが心

 

◇うつくしき衣かゝれりなつかしき

  衣かゝれり小春の椽

◇遠里に打つとしもなく打つきぬた

  きくとしもなく身にしみてきく

 

[やぶちゃん注:「ありあり」の後半は底本では踊り字「〱」。前日の注で述べた通り、頭の三行は、前日の詩篇から続いていると読むべきである。煩を厭わず、繋げて示しておくと、

 

ストーブの火を見て居れば

昔のことを思ひ出す

私の昔の祕めごとを

知つてゐるのか火の色も

黃色く赤くほのぼのと

うれしなつかしやるせなや

ストーブの火は消え果てゝ

はかなく白い灰ばかり

くづれ殘れどくら暗に

なほもありあり燃え殘る

胸のおのほをなんとせう

ひとりみつむるわが心

 

と、実にしっくりくるのである。また、後の十一月十九日と二十日の条にも酷似した詩篇が現れる。]

 

 

 

 十月二十四日 金曜 

 

◇とうとうと役場の太鼓鳴り出でぬ

  又鳴り出でぬ秋のまひる日

◇まひるなから夢の心地になりてきく

  とうとうと鳴る役場の太鼓

 

[やぶちゃん注:二箇所の「とうとう」の後半は底本では踊り字「〱」。「まひるなから」は「まひるながら」の意であろう。]

 

 

 

 十月二十五日 土曜 

 

赤き旗靑き旗ふる踏切の

 ゆき來の心春めきにけり

 

踏切番のま白き旗もいつしかに

 よごれ老いつゝうなだれにけり

 

 

 

 十月二十六日 日曜 

 

カレンダーを赤い心臟に貼りつけた

 納税デーのすごいポスター

マントルピースに紙のラッパが遠方の

 人とおんなじ歌をしたふも

 

 

 

 十月二十七日 月曜 

 

遠き山々近き山々ヒツソリと

 物云ひかはす秋のまひる日

 

 

 

 十一月十二日 水曜 

 

◇海を吹き山を吹き野を吹き越えて

  わが家の庭の消えてゆく風

◇ひそやかに母艦は港にかへり來ぬ

  しみじみ白き秋のまひる日

 

 

 

 十一月十八日 火曜 

 

◇都合よき返事のみして世を送る

  四十男のなめらかな頭

 

[やぶちゃん注:夢野久作は明治二二(一八八九)年一月四日生まれであるから、この昭和五(一九三〇)年十一月当時、満四十一歳ではある。但し、本歌が自身を揶揄したものであるかどうかは不明である。]

 

 

 

 十一月十九日 水曜 

 

ストーブのほのほみつめて

思ひ入る その思ひごと

もえさかる ほのほの色の

わが祕めし 思ひ知るかも

黃に靑に ほのぼのとして

やるせなや 又なつかしや

 

[やぶちゃん注:前の十月十二日及び十三日頭に記された詩篇の再稿。]

 

 

 

 十一月二十日 木曜 

 

ストーブのほのほに思ふ

ありし日の 夢のひとゝき

黃に靑に もゆるたのしさ

火はいつか 灰となれども

消えのこる 胸のほのほよ

かきいだく われとわが胸

 

 

 

 

 十一月二十一日 金曜 

 

博多小女郎の波まくら

寄する思ひに濡れぬる

袖の港はどこかいな

あゆむ細腰柳腰

にくい博多の帶しめて

キユーと泣くのはどこかいな

三すぢの川の末かけて

ちぎる絞りの意氣姿

ツンとするのはだれかいな

 

[やぶちゃん注:流行の小唄のようでもあり、「正調博多節」の「博多小女郎浪枕入り」(藤田正人作詩)及び東海林太郎の「博多小女郎波枕」も聴いてみたが、違う。享保三(一七一八)年大坂竹本座初演の近松門左衛門作「博多小女郎波枕」という世話物があるが、私は知らないので、この台詞があるかどうかも判らぬので、取り敢えず、夢野久作がそれらを受けて自作したものとして、ここに採用しておくこととする。何方か、これが別人のてになるものであることを御存じの方は、お教え願いたう。さすれば、この条はカットする。]

 

 

 

 十一月二十二日 土曜 

 

◇うつゝなきうつゝなりけり夢の世の

  夢より出でゝ夢に入る身は

◇心なき風にも心ありげなり

  この山蔭の薄吹く風

◇今のわが心を探る心かも

  色々の歌かきつけてみる

 

 

 

 

 十二月五日 月曜 

 

◇忽ちに海を埋むる器械の力

  ヂツトみつむる秋の夕暮れ

 

 

 

 十二月十六日 火曜 

 

◇秋になるとなぜに木の葉が赤くなると

  子供に問はれて答へ得ぬ心

◇巨大なる紳士が一人乘り込みぬ

  秋の雨ふる名嶋驛より

◇ズブ濡れの巨大な紳士が步みゆく

  濡れた顏もせぬ巨大なその心

 

[やぶちゃん注:「名嶋驛」現在の福岡県福岡市東区名島(なじま)にある西日本鉄道貝塚線の名島駅の前身であろうが、大正一三(一九二四)年(年)五月に博多湾鉄道汽船の駅として開業された後、二〇〇四年に駅は移設新築されているので、附近(グーグル・マップ・データ)としておく。]

 

 

 

 十二月十七日 水曜 

 

◇その昔海原なりし筑紫野を

  今さながらに秋風吹きわたる

◇風の音身にしめてきくその昔

  海原なりし筑紫野の秋

 

[やぶちゃん注:「身にしめて」はママ。]

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅷ) 昭和五(一九三〇)年五月~八月

 

 五月六日 火曜 

 

山畑の菜種の花に寄る蜂の

  一つ一つに消ゆる夕ぐれ

愚かなる心よりけり思ふ事と

  かゝわりもなく闇をみつむる

 

[やぶちゃん注:「一つ一つ」の後半は底本では踊り字「〱」。「かゝわり」はママ。]

 

 

 

 

 五月九日 金曜 

 

靑空をヂツと見つめて渡天しつゝ

  線路の草に寢ころぶ男

 

 

 

 五月十五日 木曜 

 

おろかなる心なりけり春空の

  花火の煙見つめて立ちしは

眞夏の日靑葉の蔭の憂欝を

  通り過ぎてもうなだれて行く

 

 

 

 五月十六日 金曜 

 

何故にサウンドトーキーは

  人間を突き刺す音だけきゝえないのか

ことし亦つばなの風にゆらぐ見ゆ

  かの草山も老いにけらしな

 

[やぶちゃん注:「サウンドトーキー」sound talkie。映像と音声が同期した、今、我々が普通に見ている映画のこと。ウィキの「トーキー」によれば、『talkie という語は talking picture から出たもので、moving picture movie と呼んだのにならったもので』、『無声映画の対義語としては「発声映画」と呼ばれた』りしたが、『音声が同期した映画が一般的な現在では、あえて「トーキー」と呼ぶことはない』。『発声映画の商業化への第』一『歩はアメリカ合衆国で』一九二〇『年代後半に始まった。トーキーという名称はこのころに生まれた。当初は短編映画ばかりで、長編映画には音楽や効果音だけをつけていた(しゃべらないので「トーキー」ではない)。長編映画としての世界初のトーキーは』一九二七年十月に現地で公開されたアメリカ映画「ジャズ・シンガー」』(The Jazz Singer:アラン・クロスランド(Alan Crosland)監督ワーナー・ブラザース(Warner Bros. Entertainment, Inc.)製作・配給)『であり、ヴァイタフォン方式』(Vitaphone:ワーナー・ブラザースが開発したフィルム映像と録音された音を同期させるためのシステム。映写中に映画と同調された音声を収録した七十八回転レコードを使用し、同時再生するものだった。しかしこの当時のレコードは壊れやすかったことに加え、正確に同期を継続させることが困難であった)であったが、『その後はサウンド・オン・フィルム方式(サウンドトラック方式)』(sound on filmsoundtrack:映画のフィルム上に音声が収録されている。フィルムの長手方向に画像コマとは独立に設けた音声用トラックを持つ形式)『がトーキーの主流となった。翌』一九二八年に、この『サウンドトラック方式を採用したウォルト・ディズニー・プロダクション製作の』「蒸気船ウィリー」(Steamboat WillieThe Walt Disney Productions)が公開されている。一九三〇『年代に入ると』、『トーキーは世界的に大人気となった。アメリカ合衆国ではハリウッドが映画文化と映画産業の一大中心地となることにトーキーが一役買った』。『ヨーロッパや他の地域では無声映画の芸術性がトーキーになると失われると考える映画製作者や評論家が多く、当初はかなり懐疑的だった。日本映画では』昭和六(一九三一)年公開の「マダムと女房」『(松竹キネマ製作、五所平之助監督、田中絹代主演)が初の本格的なトーキー作品である。しかし、活動弁士が無声映画に語りを添える上映形態が主流だったため、トーキーが根付くにはかなり時間がかかった』とある。本日記は昭和五(一九三〇)年の条。

「つばな」既注であるが、再掲する。単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica の初夏に出る穂のこと。細長い円柱形を成し、葉よりも高く伸び上がって、ほぼ真っ直ぐに立つ。分枝はなく、真っ白の綿毛に包まれており、よく目立つ。種子はこの綿毛に風を受けて遠くまで飛ぶ(ウィキの「チガヤ」に拠った)。個人的に私の大好きな花である。]

 

 

 

 五月十六日 金曜 

 

殺人の動機は別にありませぬ

  彼女が灯を消しましたので

 

 

 

 五月二十日 火曜 

 

あの上に飛び降りたらばと思ひつゝ

  四階の下の人ごみをのぞく

針金で次から次へ繫がれて

  地平線の方へ電柱が行く

硝子瓶蠅を一匹封じこめて

  死んだら勉強初めやうと思ふ

 

 

 

 五月二十一日 水曜 

 

何ものか飢えた心が暮れるまで

  線路の草に寢ころんでゐる

 

[やぶちゃん注:五月九日の「靑空をヂツと見つめて渡天しつゝ/線路の草に寢ころぶ男」の改稿であろう。「渡天しつゝ」は生硬な表現である。]

 

 

 

 五月二十七日 火曜 

 

彼女には何か出來たに違ひ無い

  彼女は動物を飼はなくなつた

壇上の彼女に狙ひをつけてみる

  ポケツトの中のブローニングで

 

[やぶちゃん注:「ブローニング」アメリカの銃器設計家ジョン・モーゼス・ブラニング(John Moses Browning 一八五五年~一九二六年)が設計したスライド式自動式拳銃の日本での慣例通称。本日記は昭和五(一九三〇)年であるから、ベルギーの銃器メーカーであるファブリック・ナショナル社(FNハースタル(フランス語:FN Herstal):正式社名は「ファブリケ・ナショナル・デルスタル・ド・ゲール」(Fabrique Nationale d'Armes de Guerre)で大量生産されたFN ブローニングM1900FN Browning M1900)か(一九一一年生産終了)、その改良型のFN ブローニングM1910FN Browning Model 1910)であろう。後者は、ウィキの「FN ブローニングM1910によれば、『メインとなった.32ACP弾(7.65×17mm)モデルのほかに.380ACP弾(9×17mm)モデルが存在し、前者の装弾数は』八『発(弾倉』七『発+薬室』一『発)、後者の装弾数は』同じ仕儀で七発であった。『本銃は小型軽量で携帯性に優れており、信頼性や性能も良好でかつ安価であることに加え、特徴的な美しい外観ゆえに評価が高く、世界に輸出された結果、』二十『世紀前中期を代表するベストセラー拳銃の』一『つとなり、』実に一九八三年まで七十年』あまりも生産が続けられた』とある。『日本(大日本帝国)においても、通称ブローニング拳銃として.32ACP弾モデルが多数輸入されて』おり、『民間販売のほか、主に帝国陸軍の将校・准士官の護身用拳銃として、本銃は最も人気が高かった』とある。]

 

 

 

 五月二十八日 水曜 

 

暮れて行く空をみつめて微笑しつゝ

  線路の草に寢ころぶ男

死ね死ねと鏡に書いて拭き消して

  姉の室に來てお先にといふ

 

[やぶちゃん注:「死ね死ね」の後半は底本では踊り字「〱」。前者は五月二十一日の改稿の再案。]

 

 

 

 五月二十九日 木曜 

 

麻雀の靑い小鳥が飛んで來て

  ガチヤガチヤと啼く阿片のめざめ。(夏のあさあけ)

 

[やぶちゃん注:句点はママ。「ガチヤガチヤ」の後半は底本では踊り字「〱」。「(夏のあさあけ)」は末句の別案ともとれるが、それだと一種の猟奇性は失われるから、後書ととっておく。

「麻雀の靑い小鳥」索子(ソーズ)の一索(イーソー)だけに描かれた青緑色の鳥の絵(牌)のことであろう。「索子の1索に描かれている鳥の絵の由来は・・・?!」というページから引くと、元は雀だったらしい。『主流となった鳥の図柄は最初は単純に雀のデザインでした。鳥の図柄も元は銭束という事から、雀が銭籠背負った図柄も登場しました。次第に華やかにするように銭籠を松や梅などの植物で飾り立て、そして籠には銭が一杯という事を表現する為に、側に銭がバラバラとこぼれ落ちている図柄も生まれました。その姿はまるで孔雀、飾られた銭籠やこぼれ落ちる銭が孔雀の羽に見るようになりました』。『その為』、一『索は孔雀なのではないか言われるようになったのです』とある。ここはそれをメーテルリンクの「靑い鳥」に、賭け麻雀の僥倖を掛けたものであろう。ただ、私は麻雀を知らないので、よく判らぬというのが本音である。「阿片のめざめ」は徹夜麻雀のぼんやりした感覚を比喩したものか。但し、阿片チンキ(エキス)は鎮痛・咳止め・睡眠薬として戦前は医師処方で手に入った。芥川龍之介も晩年、齋藤茂吉から処方して貰って使用している。]

 

 

 

 五月三十日 金曜 

 

刑務所が空つぽになつて行くといふ

  刑務所の外が刑務所なのだ。

 

[やぶちゃん注:句点はママ。]

 

 

 

 五月三〇日 土曜 

 

ヂレツトの古刃にバタを塗り付けて

  犬に喰はせて興ずる女

毒藥の空の瓶中へ入れた蠅が

  いつまでも死なず打ち降つてみる

 

[やぶちゃん注:後者の句は五月二十日の「硝子瓶蠅を一匹封じこめて/死んだら勉強初めやうと思ふ」の類型句。

「ヂレツト」アメリカの剃刀製品のブランド。アメリカの実業家で発明家の、安全剃刀を発明したキング・キャンプ・ジレット(King Camp Gillette 一八五五年~一九三二年)が一九〇一年にアメリカン・セーフティ・レザー・カンパニー(American Safety Razor Company)として創設し(翌年にジレット・セーフティ・レザー・カンパニーに改名)、一九〇三年に世界初のT字型替刃式の安全カミソリを製造販売開始、一九〇四年、「Gillette」を商標登録している(2005年以降、現在は、アメリカのオハイオ州に本拠を置く世界最大の一般消費財メーカーであるプロクター・アンド・ギャンブル(The Procter & Gamble CompanyP&G)が販売している)。]

 

 

 

 六月二日 月曜 

 

梟の瞳のうちの金の輪よ

  高利借する女の指輪よ

アレを見や蓬萊山で

  鶴公と龜子さんが逢引してゐる

阿片なしに生きてゐられぬ

  お藥代を惠んで下さい

 

 

 

 六月三日 火曜 

 

化けて見ろ石の地藏をステツキで

  毆つたあとでフト怖くなる

遊びに來る村の子供をべたいと

  浮かれてまはる大水車

 

 

 

 六月十日 火曜 

 

方々の森の中から何者かのぞいてゐるらし

  野原をよぎる

惡黨になり度氣もち

  眞暗な橫路次の中で小便す。

 

[やぶちゃん注:前者の分ち位置はママ。後者の句点はママ。]

 

 

 

 七月三日 木曜 

 

闇試合うしろに立つは強い奴

上つてもいゝがとチヨツと背負つゐる

人魂の噂が闇の路次を出る

山舁いてドンタクに出て博多也

 

[やぶちゃん注:久々の川柳。]

 

 

 

 七月四日 金曜 

 

博多からもう一人來る賑やかさ

叱つてゐる巡査もドンタクかと思ひ

靑電氣七三に來てけつまづき

胎兒よ胎兒よ何故躍る母親の心がわかつて恐ろしいのか

 

[やぶちゃん注:「靑電氣七三に來てけつまづき」は博多どんたくの夜景に、七三に髪を分けた洒落物を蹴躓かせた光景か。

「胎兒よ胎兒よ何故躍る母親の心がわかつて恐ろしいのか」既に見てきたように、夢野久作は作家デビューした大正一五(一九二六)年に、精神病者を素材とした小説「狂人の解放治療」を書き始め、これを後に「ドグラ・マグラ」と改題し、十年近くに亙って、徹底的に推敲増補を行っている。本日記は昭和五年であるが、夢野は昭和一〇(一九三五)年一月に松柏館書店より書下し作品として刊行、その翌年に死去しているが、この一首は、その「ドグラ・マグラ」の冒頭に「卷頭歌」と称して、載せられてある、

   *

胎兒よ

胎兒よ

何故躍る

母親の心がわかつて

おそろしいのか

   *

の初出と言ってよい。]

 

 

 

 七月七日 月曜 

 

校庭の飛越臺がお母さんの

  お腹のやうで飛び越しにくい

美しい女を見るとふりかへる

  その瞬間に殺し度くなる

殺す氣が無いのにどうして殺したかと

  問ひつめられて答へぬ心

 

 

 

 八月六日 水曜 

 

山つゝじあかあか咲きぬうすら日に

  鳥の遠音のさす丘の上

まんまんと汐みち足らひ鐡橋の

  はるかに赤く春の陽しづむ

 

[やぶちゃん注:「あかあか」及び「まんまん」の後半は底本では踊り字「〱」。この二首は昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)六月二十二日の日記に載る、

 

山つゝじ赤々咲きぬ薄ら日に鳥の遠音のさす丘の上

まんまんと汐滿ち足らひ鐵橋のはるかに赤く春の陽しづむ

 

と表記上の差はあるものの、全く同じものである。]

 

 

 

 八月七日 水曜 

 

夢に見たが眞綿で首の締め初め

思案事忘れてヘソのゴマを掘り

夢を見るやうな眼つきでゴマを掘り

 

[やぶちゃん注:本三句はまず、「南五斗会集」(西原氏の推定では「なんごとかいしゅう」と読む)という標題で載る夢野久作の作になる川柳群の、大正一五(一九二六)年六月十四日のクレジットを持つ(〔〕は私が附した)、

 

    臍、夢

思案ごと忘れて臍の胡麻(ごま)を掘り〔

正夢の話をきけば寢小便

夢ばかり見てゐると書く噓ばかり

夢に見たが眞綿で首のしめ初め〔

夢を見るやうな目つきで臍を掘り〔

夢の場面やる本人の馬鹿らしさ

 

の〔〕の三句と表記違いの相同句であり、また、昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)五月十一日の日記に載る、

 

夢に見たが眞綿で首のしめ初め

思案ごと忘れて瞳のゴミを取り

夢を見るやうな眼つきで暗を掘り

 

という奇体な川柳と異様に似ている。或いは、この「瞳」や「暗」は、失礼乍ら、底本編者の「臍」の誤判読なのではあるまいか?

 

 

 

 八月八日 金曜 

 

睾丸が咽喉まであがる大あくび

標本になつたが瘤の成功者

終電車あくびとあくび笑み

夢ばかり見てゐるとかく噓ばかり

 

[やぶちゃん注:この最初の句は、昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)六月十四日の日記に載る(順序は異なる)、

 

きんたまがのどまであがる大あくび

 

相同で、及び、

 

標本になつたが瘤の名譽也

 

酷似し、また、破格で読み方を迷う三句目は、同じくそこに出る、

 

終電車あくびとあくび二人切り

 

と似ている(改作しようとして「笑み」で筆を折ったものか)。そして、最後の句も、これまた、同じ年の五月十一日にある、

 

夢ばかり見てゐると書く噓ばかり

 

と、これまた、相同である。]

 

 

 

 八月九日 土曜 

 

大あくび前の美人をフト睨み

大あくび待合室をねめまはし

あくびして睨んでもまだ座つてゐ

湯のゆるさあくびの尻が歌になり

美味さうにあくびを喰つて睨みつけ

 

[やぶちゃん注:これらの句も、またしても昭和元(一九二六)年(正しくは大正十五年)六月十四日の日記に載る(順序は異なる)、

 

大あくび待合室をねめまはし[やぶちゃん注:二句目と相同句。]

大あくび前の美人をふとにらみ[やぶちゃん注:一句目と表記違いの相同句。]

あくびして睨んでもまだ座つてゐ[やぶちゃん注:三句目と相同句。]

湯のぬるさあくびの尻が歌になり[やぶちゃん注:四句目と相同句。]

おいしさうにあくびをたべてニツコリし[やぶちゃん注:最終句と類型句。]

 

と相同相似の川柳である。再掲して推敲しているようにはあまり見えないことから、以上の再掲性の高い記載は、或いは、夢野久作自身が以前の日記帳を、この頃、どこかに仕舞い忘れてしまって見当たらないことから、万一のための備忘として記したものででもあったのであろうか?

 

 

 

 八月十一日 土曜 

 

濃く薄く靑田のみどり風わたり

  又わかり秋立にけり

2017/09/11

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅶ) 昭和五(一九三〇)年三月・四月

 

[やぶちゃん注:昭和五年二月の日記には詩歌はない。]

 

 三月三日 月曜 

 

◇地理學者に知られてゐない國がある。

  そこ王樣は木乃伊だといふ。

 

 

 

 三月十一日 火曜 

 

◎格言を日記にいくつ書き止めて

  けふなまけたる罪をつぐなふ

 

 

 

 三月十六日 日曜 

 

◇手や足は消耗品と聞くからに

  いよいよ赤し製鐡所の空

 

[やぶちゃん注:「いよいよ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

◇世界は平たい。世界の涯はホンタウに

  泥海ですよと燕等は云ふ。

 

 

 

 三月十九日 水曜 

 

◇自殺した女の死骸に云つて遣る

  お前の虛榮に俺は敗けたと

 

 

 

 三月二十日 木曜 

 

◇デパートの倉庫の鍵を俺は持つてゐる

  賣子女の貞操の鍵を

 

◇彼女を殺した短劒を埋めて

  その上に彼女の好きな花を埋めておく

 

 

 

 三月二十八日 金曜 

 

◇心中をする馬鹿せぬ馬鹿出來ぬ馬鹿

  なんかと云( )氣取る大馬鹿

 

[やぶちゃん注:丸括弧空欄は底本のママ。これは判読不能字ではなく、実際に日記にこのように記されてある。「へば」「ふと」「ひて」などを考えあぐんだ空欄か。]

 

 

 

 四月三日 木曜 

 

◇慈善鍋に十戔玉を投げ込んで

  すこし行つてから冷笑をする

 

◇小父さんの顏によく似た樫の樹の

  瘤が小雨に眼をつぶつてゐる

 

 

 四月五日 土曜 

 

人間の顏によく似た木の瘤が

 ある夜ひそかに眼をあけてみる

 

[やぶちゃん注:四月三日のそれを改稿したもの。この対象素材は気に入っていたことが判る。]

 

 

 

 四月九日 水曜 

 

◇酒を飮んで氷の海を沖の方へ

  どこまでも行くと氣持ちよく死ぬ

 

[やぶちゃん注:これはもう言わずもがな、私の偏愛する夢野久作の小説「氷の涯」(リンク先は私のオリジナル全電子化注のPDF縦書版。本ブログ・カテゴリ「夢野久作」でも分割公開(二〇一五年六月二十七日から七月六日までの二十二回)してある)のエンディング・イメージである。しかし、同作の公開は昭和八(一九三三)年二月刊の『新靑年』であるから、実におよそ三年前には本作の構想があったものと考えて良かろう。

 

 

 

 四月十日 木曜 

 
 
◇教會入口をヂツと見てゐると

  ダンダン惡魔の顏に似てくる

 

[やぶちゃん注:「ダンダン」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

 

 

 四月十四日 月曜 

 

◇ポンペイのまだ掘り出されぬ十字路に

  惡魔の像が舌出してゐる

 

 

 

 四月十九日 土曜 

 

春の夜のそこはかとなき隈々に

 黑きもの動くわが心かも

 

 

 

 四月二十日 日曜 

 

にんげんの牡と牝とが政権を

 爭ふといふ世も末なれや

 

[やぶちゃん注:これは恐らく、この七日後の昭和五(一九三〇)年四月二十七日に市川房枝らが尽力して開催された「第一回全日本婦選大会」(当時は未だ婦人参政権はなかった)や、同年、婦人参政権(公民権)付与の法案が衆議院で可決されるも、貴族院の反対で実現に至らなかった事実を受けた感懐であろう。]

 

 

 

 四月二十五日 金曜 

 

◇米國には惡魔の塔があるといふ

  冨士山しか無き日の本あはれ

 

[やぶちゃん注:「冨」の字は底本の用字。

「惡魔の塔」スティーヴン・スピルバーグ(Steven Allan Spielberg 一九四六年~)の映画「未知との遭遇」(Close Encounters of the Third Kind:「第三種接近遭遇」。一九七七年公開。本邦公開は翌年)で異星人の宇宙船が降下する場所として知られる、ワイオミング州北東部に存在する岩山、通称「デビルスタワー」(Devils Tower)のことであろう。ウィキの「デビルズタワー」によれば、『地下のマグマが冷えて固まり、長年の侵食によって地表に現れた岩頸と呼ばれる地形で』標高は千五百五十八メートルであるが、麓からの比高は三百八十六メートル程度である。頂上は九十一×五十五メートルの広さがあるという。『アラパホ族など先住民族が主に熊信仰の対象として様々な呼び名を付けていた。アメリカ先住民族の口承によると、デビルスタワーの縦筋はグリズリーベア』(Grizzly bear:食肉目イヌ亜目クマ下目クマ小目クマ上科クマ科クマ亜科クマ属ヒグマ亜種ハイイログマ Ursus arctos horribilis)『によって付けられたものという。この地を探検した米国軍人の通訳が初め「悪神のタワー」と誤訳したことで、後にデビルスタワーと呼ばれるようになった。近年、名称変更の動きがあったが、政府は観光客減少による地域経済への影響から変更に反対した』という(アメリカ・インディアンの聖地をかく名付けるアメリカ人は如何にも「野蛮」であると私は思う。今も元の意味に近い「ベア・ロッジ・ビュート」(Bear Lodge Butte:「ビュート」は米国西部の平原に孤立する周囲の切り立った丘」を指す語)や「グリズリー・ベア・ロッジ」(Grizzly bear lodge)と呼ぶ人もあるというではないか(英語版ウィキや後のリンク先等を参照))。ここはアメリカで最初に国定記念物に指定されたスポットでもある。サイト「スピリチュアブレス」の「悪魔の塔と呼ばれる聖地! デビルズタワーを満喫するポイント5選」がよく書かれてあり、写真も美しい。]

 

◇うゝつなきうつゝとなりて眼に殘る

  息づまり行く吾が兒の泣き聲

 

 

 

 四月二十六日 土曜 

 

眼を閉ぢて寢返りすれば

 あの寶石が闇にズラリと並ぶ

 

 

 

 四月二十八日 月曜 

 

◇吾が居ねば兒等と一所に草摘みて

  夕餉を作る吾妻いとしも

 

◇遠ざかる舟の行く手を見守りて

  吾れとしもなくぬる吾が心

 

[やぶちゃん注:後者の下の句は用語法が上手くない。]

 

 

 

 四月二十九日 火曜 

 

◇豆腐菩薩豆で四角でやわらかに

  白くおはせどアクで固まる

 

[やぶちゃん注:「やわらかに」はママ(次歌も同じ)。底本では「ま」が右に転倒しているが、誤植と見て特異的に訂した。]

 

◇豆腐菩薩豆で四角でやわらかに

  年寄りの齒をすくひたまふや

2017/05/24

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅵ) 昭和五(一九三〇)年一月

 

 昭和五(一九三〇)年

 

 

 一月二日 木曜 

 

◇屍体の血はこんな色だと笑ひつゝ

  紅茶を匙でかきまはしてみせる

 

[やぶちゃん注:これは翌昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、

 

屍體の血は

コンナ色だと笑ひつゝ

紅茶を

匙でかきまはしてみせる

 

の表記違いの相同歌である。]

 

 

 

 一月三日 金曜 

 

◇木枯らしや提灯一つわれ一人

 

 

 

 一月四日 土曜 

 

◇死刑囚が眼かくしされて微笑した。

  其の時黑い後光がさした。

 

[やぶちゃん注:同じく昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、

 

死刑囚が

眼かくしをされて

微笑したその時

黑い後光がさした

 

の表記違いの相同歌。]

 

 

 

 一月四日 土曜 

 

雪よふれ、ストーブの内みつめつゝ

 昔の罪を思ふひとゝき

 

[やぶちゃん注:「獵奇歌」に類似したコンセプトのヤラセっぽいものは複数散見されるが、どうもこの一首は、私には不思議に素直に腑に落ちる。それらの〈ストーブ獵奇歌〉のプロトタイプとは言える。]

 

 

 

 一月七日 火曜 

 

◇闇の中に闇があり又暗がある。

  その核心に血しほしたゝる。

 

◇骸骨があれ野を獨りたどり行く

  ゆく手の雲に血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:「血しほしたゝる」は一時期の「獵奇歌」の常套的下句の一部であるが、このような内容のものは見当たらない。一首目は特に大真面目な観念的短歌ともとれなくもない。]

 

 

 

 一月八日 水曜 

 

◇投げ込んだ出刃と一所のあの寒さが

  殘つてゐるやうトブ溜めの底

 

[やぶちゃん注:やはり昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の一首、

 

投げこんだ出刃と一所に

あの寒さが殘つてゐよう

ドブ溜の底

 

の初期稿。]

 

 

 

 

 一月十日 金曜 

 

◇ストーブがトロトロとなる

  ズツト前の罪の思ひ出がトロトロと鳴る

 

[やぶちゃん注:二箇所の「トロトロ」の後半は底本では踊り字「〱」。六日の原形から派生した〈ストーブ獵奇歌〉の一首。やはり昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』に載せる「獵奇歌」の、

 

ストーブがトロトロと鳴る

忘れてゐた罪の思ひ出が

トロトロと鳴る

 

の初期稿であろう。]

 

 

 

 一月十一日 土曜 

 

◇黑く大きくなる吾が手を見れば

  美しく眞白き首摑みしめ度し

 

 

 

 一月十三日 月曜 

 

◇赤い日に爍烟を吐かせ

  靑い月に血をしたゝらせ狂畫家笑ふ

 

[やぶちゃん注:「爍烟」音なら「シヤクエン(シャクエン)」で、意味は光り耀く煙り或いは高温で眩しく発火している烟りのことか。孰れにせよ、音数律の破格が多過ぎ、韻律が頗る悪い。]

 

 

 

 一月十五日 水曜 

 

◇自殺しやうかどうしやうかと思ひつゝ

  タツタ一人で玉を突いてゐる

 

[やぶちゃん注:この三ヶ月後の昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」の、

 

自殺しようか

どうしようかと思ひつゝ

タツタ一人で玉を撞いてゐる

 

の表記違いの相同歌。]

 

 

 一月十六日 木曜 

 

◇洋皿のカナリヤの繪が眞二つに

  割れし口より血しほしたゝる

◇人間が皆良心を無くしつゝ

  夜の明けるまで玉を撞いてある

 

[やぶちゃん注:一首目は昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、

 

洋皿のカナリアの繪が

眞二つに

割れたとこから

血しほしたゝる

 

の初稿。後者は前日のそれと同工異曲で同様のステロタイプが散見される〈陳腐獵奇歌〉の一つ。]

 

 

 

 一月十八日 土曜 

 

◇すれちがふ白い女がふりかへり

  笑ふ唇より血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:やはり昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、

 

すれ違つた白い女が

ふり返つて笑ふ口から

血しほしたゝる

 

の初期稿らしい。]

 

 

 

 一月二十一日 火曜 

 

◇眞夜中の三時の文字を長針が

  通り過ぎつゝ血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:やはり昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る一首、

 

眞夜中の

三時の文字を

長針が通り過ぎつゝ

血しほしたゝる

の表記違いの相同歌。]

 

 

 

 一月二十三日 木曜 

 

◇子供等が相手の瞳に吾が顏を

  うつして遊ぶそのおびえ心

 

◇老人が寫眞にうつれば死ぬといふ

  寫眞機のやうに瞳をすゑて

 

[やぶちゃん注:この二首、なかなかいい。特に後者はその情景の浮かぶ、リアルな一首ではないか。この一首、久作はかなり思いがあったものか、六日後の一月二十九日(水曜)の日記にも全く相同のものを書き込んでいる(この日は日記本文に「獵奇歌」の歌稿を書き直していることが記されてある。但し、この二首は孰れも「獵奇歌」にはとられていない)。こういうことは彼の今までの日記には見られない特異点である。単なる書き込んだことを忘れていたということは私には考えにくいのである。]

 

 

 

 一月三十日 木曜 

 

◇夕暮れは人の瞳の並ぶごとし

  病院の窓の向ふの軒先

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」の一首、

 

夕ぐれは

人の瞳の並ぶごとし

病院の窓の

向うの軒先

 

の表記違いの相同歌。]

 

 

 

 一月三十一日 金曜 

 

◇眞夜中の枕元の壁撫でまはし

  夢だとわかり又ソツと寢る

 

[やぶちゃん注:昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」の、

 

眞夜中に

枕元の壁を撫でまはし

夢だとわかり

又ソツと寢る

 

相似歌。]

 

◇雪の底から抱え出された佛樣が

  風にあたると眼をすこしあけた

 

[やぶちゃん注:同前、

 

雪の底から抱へ出された

佛樣が

風にあたると

眼をすこし開けた

 

表記違いの相同歌。]

 

◇煙突がドンドン煙を吐き出した

  あんまり空が淸淨なので

 

[やぶちゃん注:「ドンドン」の後半は底本では踊り字「〱」。同前の「獵奇歌」中の一首、

 

煙突が

ドンドン煙を吐き出した

あんまり空が淸淨なので……

 

の相似歌(リーダ追加と分かち書きに変更)。]

 

◇二日醉の頭の痛さに圖書館の

  美人の裸像を觸つてかへる

 

◇病人はイヨイヨ駄目と聞いたので

  枕元の花の水をかへてやる

 

[やぶちゃん注:「イヨイヨ」の後半は底本では踊り字「〱」。同前、

 

病人は

イヨイヨ駄目と聞いたので

枕元の花の

水をかへてやる

 

の表記違いの相同歌。]

 

◇水藥を花瓶に棄てゝあざみ笑ふ

  肺病の口から血しほしたゝる

 

[やぶちゃん注:昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』の一首、

 

水藥を

花瓶に棄てゝアザミ笑ふ

肺病の口から

血しほしたゝる

 

の表記違いの相同歌。決定稿の「アザミ」は花のアザミを連想させてしまうので読みの躓きを起こすが、或いはあの花をそこに恣意的にモンタージュさせる久作の確信犯かも知れぬ。]

 

◇毒藥は香なし色なく味もなし

  たとへば君の笑まぬ唇

 

◇馬鹿野郎馬鹿野郎又馬鹿野郎と

  海にどなつて死なずにかへる

 

[やぶちゃん注:「馬鹿野郎馬鹿野郎」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

◇探偵が室を見まはしてニツト笑ふ

  その時たれかスヰツチを切る

 

◇精蟲の中に人間が居るといふ

  その人間が笑つてゐるといふ

 

2016/12/12

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅴ) 昭和四(一九二九)年 (下半期)

 

 七月四日 木曜 

 

春まひるたゞ片時のうたゝねに

 花亂れ散る夢を見てしか

 

 

 

 七月十二日 金曜 

 

◇山奥の赤土の丘ぞ悲しけれ

  旅人の來て立ちて靑空をあふくことも稀なり

 

 

 

 七月十九日 金曜 

 

◇はるかなる心をいだき地に伏して

  身を切るごとき淚なかすも

 

◇ましろなる道を自働車よりゆきて

  ほこり光りて秋づきにけり

 

[やぶちゃん注:「なかすも」はママ。]

 

 

 

 七月二十日 土曜 

 

◇一直線に切り取られたる靑空の

  大建築にたふれかゝるも

 

◇二等車はイヤな氣がする

  強盜に殺されそうな奴ばかり乘る

 

[やぶちゃん注:「そうな」はママ。]

 

 

 

 七月二十一日 日曜 

 

◇あの晩の車軸を流す大雨が

  彼女の貞操を洗ひ去つた

 

◇カーキ色の武官ひとりかへり來る

  まひるの道に紫蘇の葉光る

 

 

 

 八月十二日 月曜 

 

引く蟻を見てゐる己が力瘤

 

 

 

 八月二十三日 金曜 

 

◇わが心狂ひ得ぬこそ悲しけれ

  狂へと責める便をながめて

 

 

 

 八月二十七日 火曜 

 

◇わるいもの見たろ思ふて立ちかへる

  彼女の室の挘られた蝶

 

[やぶちゃん注:「挘られた」「むしられた」。これは同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、

 

わるいもの見たと思うて

立ち歸る 彼女の室の

挘られた蝶

 

の形で発表済み。]

 

 

 

 八月二十九日 木曜 

 

◇日が照れば子供等は歌をうたひ出す

  俺は腕を組んで反逆を思ふ

 

[やぶちゃん注:これは同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、

 

日が照れば

子供等は歌を唄ひ出す

俺は腕を組んで

反逆を思ふ

 

の形で発表済み。]

 

 

 

 九月三日 火曜 

 

晴れ渡る空肌寒く星多し

 野に泣きにゆく女あるらむ

 

 

 

 九月十一日 水曜 

 

◇杉の聲夜每に近く蟲の聲

  夜每に遠く冬になりゆく

 

 

 

 九月十二日 木曜 

 

秋の夜の夢は間近く又遠し

 千切れ千切れに風の音して

 

汽車の音聞き送りつゝ佇める

 野山の涯に秋ふかみける

 

[やぶちゃん注:「千切れ千切れ」の後半は底本では踊り字「〱」。なお、この二首の後に、『雲低く風寒く、小鳥松の間を彼方こなた飛ぶ。影の如く、折々日パツと照り、鷹キツピーと啼く。夜に入り蟲の音滋し。』という文が書かれて、この日の日記(冒頭に歌とは無縁のメモランダ二行有り)は終わっている。]

 

 

 

 九月十三日 金曜 

 

◇何者か殺し度い氣持ち只一人

  アハアハアハと高笑ひする

 

◇殺しても殺してもまだ飽き足らぬ

  憎い彼女の橫頰ほくろ

 

[やぶちゃん注:「アハアハアハ」後半の二つの「アハ」は底本では踊り字「〱」、「殺しても殺しても」の後半も同。なお、第一首は同年七月号『獵奇』の「獵奇歌」に既に、

 

何者か殺し度い氣持ち

たゞひとり

アハアハアハと高笑ひする

 

で、第二首も同じ号に、

 

殺しても殺してもまだ飽き足らぬ

憎い彼女の

横頰のほくろ

 

の形で発表済み。]

 

 

 

 九月二十三日 月曜 

 

大廂鬼瓦の伸びる夕日かな

 

[やぶちゃん注:直前に「權藤氏論」とあるが、これは久作の句と判断した。]

 

 

 十月十日 木曜 

 

筋に泣かさるゝ人形多し

 人形の格に泣かさるゝ芸は些し。

 

[やぶちゃん注:文楽鑑賞の感懐か? 句点は打たれているいるものの、短歌形式で独立して書かれているので採用した。]

 

 

 

 十一月十七日 日曜 

 

鷄頭の枯れてもつゝく日和哉

 

[やぶちゃん注:「つゝく」はママ。直前の日記末に、「午后、稽固。稽固場の鷄頭、枯れ枯れなり。」と記している。謠に稽古場の前庭の嘱目吟。]

 

 

 

 十一月二十五日 月曜 

 

◇親の恩に一々感じて居たならば

  親は無限に愛しられまじ

 

◇一ツ戀かそんなに長くつゝくものか

  空の雲でも切れわかれゆく

 

[やぶちゃん注:「つゝく」はママ。第一首は二年後の昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」で、

 

親の恩を

一々感じて行つたなら

親は無限に愛しられまい

 

形で発表されることとなる。]

 

 

 

 十一月二十五日 月曜 

 

◇心から女が泣くのでそれよりは

  生かして置いてくれやうかと思ふ

 

◇人間の屍體をみると何がなしに

  女とふざけて笑つてみたい

 

[やぶちゃん注:第一首は、二年後の昭和六(一九三一)年三月号『獵奇』の「獵奇歌」で、

 

梅毒と

女が泣くので

それならば

生かして置いてくれようかと思ふ

 

と改稿されて載り、第二首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に、

 

人間の屍體を見ると

何がなしに

女とフザケて笑つてみたい

 

の形で載ることとなる。]

 

 

 

 十二月六日 金曜 

 

◇飛び出した猫の眼玉を押しこめど

  どうしても這入らず喰ふのをやめる

 

◇五十戔貰つて一つお辭儀する

  盜めばせずに済むがと思つて

 

◇うちの嬶はどうして子供を生まぬやら

  乞食女は孕んでゐるのに

 

[やぶちゃん注:第一首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に、

 

飛びだした猫の眼玉を

押しこめど

ドウしても這入らず

喰ふのをやめる

 

と載り、第二首も同号に、

 

五十錢貰つて

一つお辭儀する

盜めば

お辭儀せずともいゝのに

 

と改稿して載せる。]

 

 

 

 十二月六日 金曜 

 

◇メスの刃にうつりかはりゆく肉の色が

  お伽話の花に似てゐる

 

◇新婚の花婿が來てお辭儀する

  顏上げぬうち踏み潰してみたし

 

[やぶちゃん注:第一首は、翌昭和五(一九三〇)年四月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

メスの刄が

お伽ばなしを讀むやうに

ハラワタの色を

うつして行くも

 

の初稿と思われる。]

 

 

 

 十二月二十一日 土曜 

 

草に來て草の色してスウヰツチヨ

 ある夜の月に霜に枯れしかと書き送る

 

[やぶちゃん注:「スウヰツチヨ」直翅(バッタ)目キリギリス亜目キリギリス科ウマオイ属ハヤシノウマオイ Hexacentrus japonicus の異称。私は「スイッチョン」と呼ぶ。和名は「馬追」はその鳴き声が馬子が馬を追う声のように聴こえることに基づく。本種は「スィーーーッ、チョン」と長く伸ばして鳴くが、見かけは同一でも鳴き声が「シッチョン、シッチョン」と短く鳴くのはハタケノウマオイ Hexacentrus unicolor という近縁の別種である。]

2016/09/04

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅸ) 昭和四(一九二九)年 (上半期)

 昭和四(一九二九)年

 

 

 冒頭 

 

わが胸の白く涯なき砂原に

 赤裸の女がノタうちまはる

 

兒等ねむり妻もねむりて冬の夜の

 何か悲しく風吹きわたる

 

四十越すわれと思へば冬の夜の

 風そことなく眠られぬかな。

 

遠山のまだらの雪の悲しさよ、

 日かげうら、に風のわたれば。

 

殺しても殺してもまだ飽き足らぬ

 憎い男が葉卷を吹かす。

 

[やぶちゃん注:最後の一首の「殺しても殺しても」の後半は底本では踊り字「〱」。実はこの日記冒頭には、

 

 木戸を出て空仰ふげば星靑し

  世の大なる僞りのごと。

 

という一首が記されてあるのであるが、その直後の下方には、

 

         (作者不明。淺香會員)

 

とあるので、採用しなかった(「淺香會」とは久作も参加していた福岡を活動拠点とした短歌結社)。これに続く以下は、明らかに猟奇歌の系譜で彼の短歌であるから問題ない。そもそも最初の、

 

わが胸の白く涯なき砂原に/赤裸の女がノタうちまはる

 

は前年末尾(十二月二十九日分)の、

 

胸のはてなく白き砂原に/裸身の女がノタウチまはる

 

の改稿であるからである。]

 

 

 

 一月三日 木曜 

 

天地のあらたまるらし、新玉の曉とほく雪のふりしく

 

[やぶちゃん注:この日は雪が終日降っている。日記本文内に、

 

池内君より「天地の命、ひやゝかに改まり、うつそみの我のむなしき悔ひじ」。吾が返し

 

として出る返歌である。]

 

 

 

 一月六日 日曜 

 

 あの山が、白くなつたら歸らんせ、まねく芒が穗に出たら。

 

[やぶちゃん注:単なる俚謡の一節かも知れぬが、一応、挙げておく。]

 

 

 

 

 一月八日 火曜 

 

雨風のいく日を過ぎて芒山

 けふは悲しくまだら雪積む

 

 

 

 

 一月十一日 金曜 

 

冬川の底に見付けぬ日の光り

 冬の日のとすりの倉に殘りけり

 

[やぶちゃん注:「とすり」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

 

 

 一月十二日 土曜 

 

井目が夜の明ける頃對となり

 

[やぶちゃん注:「井目」は「せいもく」で、囲碁の盤面に記された九つの黒い点のこと。「聖目」「星目」とも書く。但し、私には意味は分らない。]

 

 

 

 一月十三日 日曜 

 

これからが怖いのだよと靑くなり

 

 

 

 一月十五日 火曜 

 

霜の町議論してゆく男づれ

 

 

 

 一月二十日 日曜 

 

死にゆきし人は悲しも石塔に水打ちてやれば乾きてゆくも

 

 

 

 一月二十二日 水曜 

 

春なればなどかく妻子いとしきぞ

 雲輕らかにわたるをみても

 

 

 

 一月二十五日 金曜 

 

滿月のまひるの如し屠殺場に

 暗く音なく血潮したゝる

 

 

 

 一月十二日 土曜 

 

◇何者か殺し度ひ氣持ちたゞひとり

  アハアハと高笑ひする

 

[やぶちゃん注:「アハアハ」の後半は底本では踊り字「〱」。これは昭和四(一九二九)年七月号『獵奇』に初出する「獵奇歌」の巻頭の一首、

 

何者か殺し度い氣持ち

たゞひとり

アハアハアハと高笑ひする

 

(「アハアハアハ」の後ろの二つの「アハ」は底本では孰れも踊り字「〱」)の初稿。]

 

 

 

 一月二十八日 月曜 

 

◇人淋し吾亦淋したまさかに

  アハ……と笑ひてみれば

 

[やぶちゃん注:前の猟奇歌の本来の感懐、面目は、実はこの寂寥なのであろう。]

 

 

 

 二月十一日 月曜 

 

妻の味枕にしつゝ思ふかな

 どこかひとりで旅行してみたしと

 

 

 

 三月二日 土曜 

 

この思ひ忘れむとするこの心

 ひとり悲しも春の夜の風

 

 

 

 三月四日 月曜 

 

世知辛くなつたと甘い奴

 

 

 

 三月十七日 日曜 

 

山のあたり春の夜の風立つらしも

 ねむらむとする心はるかに

 

 

 

 三月二十九日 金曜 

 

◇雨の夜半、自分の腹を撫でまはせば、

  妖怪に似て、生あたゝかし

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年六月号『獵奇』初出の「獵奇歌」の、

 

妖怪に似た生あたゝかい

我が腹を撫でまはしてみる

春の夜のつれつれづれ

 

の初案か。]

 

 

 三月三十一日 日曜 

 

◇自殺やめて壁をみつめてゐるうちに

  ふと湧き出した生あくび一つ

 

◇こんな時ふつと死ぬ氣になるものか

  枯れ木の上を白い雲がゆく

 

◇伯父さんへ此の剃刀を磨いてよと

  繼子が使ひに來る雪の夕

 

◇埋められた、死骸はつひにみつからず

  □山おかし、靑空おかし

 

◇知らぬ存ぜぬ一點張りで行くうちに

  可笑しくなつて空笑ひする。

 

◇死に度い心、死なれぬ心、

  互ひちがひに落ち葉ふみゆく、落ち葉ふみゆく

 

[やぶちゃん注:一・三・四・五・六首目は昭和四(一九二九)年六月号『獵奇』初出の「獵奇歌」の中の、以下の五首、

 

自殺やめて

壁をみつめてゐるうちに

フツと出て來た生あくび一つ

 

伯父さんエ

此の剃刀を磨いでよと

繼子が使ひに來る雪の夕

 

死に度い心と死なれぬ心と

互ひちがひに

落ち葉踏みゆく落ち葉踏みゆく

 

埋められた死骸はつひに見付からず

砂山をかし

靑空をかし

 

知らぬ存ぜぬ一點張りで

行くうちに可笑しくつて

空笑ひが出た

 

の初稿であろう(発表順列順)。以下、四月と五月三十日までのほぼ二ヶ月間の日記には詩歌は一篇も記されていない。]

 

 

 

 五月三十一日 金曜 

 

◇昇汞を飮みて海邊に叫ふ女

  大空赤し赤し

 

◇人形の髮毛むしりて女の兒

  大人のやうにあざみ笑へり

 

◇お白粉と野菜と血潮のにほひを嗅ぎて

  吾は生きて居りカフヱーの料理番

 

[やぶちゃん注:「叫ふ」はママ。「赤し赤し」の後半は底本では踊り字「〱」。

「昇汞」「しようこう(しょうこう)」は塩化第二水銀で、ここは「昇汞水」、塩化第二水銀を水で薄めたもののこと。ウィキの「塩化水銀(II)によれば、嘗ては消毒液や防腐剤として使用されていたが、『毒性が強いために現在では使用されていない』。塩化第二水銀は『腐食性で非常に強力である。生物の血液に付着すると無機の水銀は蛋白質に結合』、『皮膚に直接触れると皮膚炎や神経系の異常を起こすことがあり、いらだち、不眠、異常な発汗などの原因に繋がる』。『水で薄めた昇汞水の致死量でも』〇・二~〇・四グラムほどで、『誤って一滴でも飲んでしまうだけでも生命にかかわる』とある。

「あざみ笑へり」の「あさみ」は「淺(あさ)む」が古形で「侮る・蔑(さげす)む」の意。]

 

 

 

 六月一日 土曜 

 

いつしかにふる出でにけむ軒の樋

 おどろに鳴りて春の夜更けぬ

 

 

 

 六月八日 土曜 

 

畠中に雲雀ひた啼く曇り空

 何かうれしくうなだれて行く

 

 

 

 六月十一日 火曜 

 

停電のともりし刹那故郷の

 妻の戀しく起きて文書く

 

 

 

 六月十三日 木曜 

 

美しき衣着てゆく人の群れ

 夜更けぬればわけて悲しも

 

 

 

 六月十九日 水曜 

 

紫のなすびの花のしみしみと

 嵐のあとのまひるはるかも

 

[やぶちゃん注:「しみしみ」の後半は底本では踊り字「〱」。「〲」ではない。]

2016/08/13

杉山萠圓(夢野久作) 「翡翠を讀んで」

 

[やぶちゃん注:杉山萠圓(はうゑん(ほうえん)は夢野久作(本名は杉山直樹)のペン・ネームの一つ。片山廣子の第一歌集「翡翠」の書評である。

 大正六(一九一七)年四月刊の『心の花』に掲載された(書誌情報は二〇〇一年葦書房刊西原和海編「夢野久作著作集6」の巻末に載る「夢野久作作品年表」に拠った)。初出以外では現在までに採録されたものはないと思われ(西原氏の「夢野久作著作集」でも書誌データのみで本文は載らない)、電子化もこれが最初であると思われる。夢野久作満二十八歳、還俗し、再び福岡香椎村の農園経営に戻った直後の頃で、エンディングのリアリズムは、まさにそうしたのっぴきならない夢野久作の夢野久作たる所以、と見逃してはならぬシークエンスなのである。

 「翡翠」は「かはせみ(かわせみ)」と読み、アイルランド文学の翻訳者としても知られる歌人片山廣子の第一歌集で、佐佐木信綱主宰の結社『心の花』の出版部門である竹柏会出版部から大正五(一九一六)年三月二十五日に『心の花叢書』の一冊として刊行されたものである(私は上記の「翡翠」以外にも、彼女の代表的歌集類及び翻訳と随筆を私のサイト「心朽窩旧館 やぶちゃんの電子テクスト集:小説・戯曲・評論・随筆・短歌篇の「■片山廣子/松村みね子」でオリジナルに公開している。興味のある方は是非、参照されたい)。

 この元データは私のツイッター上での私のこれに関わる書き込みを見られた夢野久作を研究されておられる方が、資料としてお持ちの本書評の画像部分を二〇一六年八月十二日にPDFファイルで無償で提供して下さったものを視認して電子化した。

 踊り字「〱」は正字化した。表題及び署名は底本に反して前後に空行を設けた。署名は「杉 山 萌 圓」と一字空けが施されて、本文ポイント三字上げの下インデントであるがブログでの表示不具合を考えて再現していない(最後の「(香椎園藝場に於て)」も下インデントは同じ)。短歌引用の最初の「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」の『「』の開始位置は明らかに半角分下がっているが、改行の空けとしても不自然にしか見えないので再現しなかった。引用の「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」の歌にだけ最後の句点がないのはママ。

 一ヶ所だけ、冒頭の一文中の「■い表裝」の「■」の字は原本の活字が潰れていて判読が出来ない。(へん)が「にすい」か「さんずい」のように見え、後で歌の趣きを筆者が「滋い沈んだ色彩」と述べていることや、歌集「翡翠」原本の表装はネット上の写真を見る限り、現存物は濃い青か或いは紺色で「しぶい」色には見えることなどから推すと、「しぶい」の意の可能性が高いようには思われる。ここでは、資料提供者の方の意見も伺い、「澁」「歰」「渋」或いは後に出る「滋」ではないか、と推察するに留めることとする。

 なお、引用された「翡翠」からの短歌は総てに亙って原本とは表記が異なっており、一部には問題外の誤字や脱字も認められるので、末尾に全歌の対照表を作って別に掲げた

 また、文中の「竹柏園先生」は『心の花』主宰の佐佐木信綱の別号。「ちくはくゑん」とはべつにこれで「なぎぞの」とも読み、元は同じく歌人であった父弘剛の号であり、門人組織名であった。彼の評「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」は「翡翠」の信綱の序文(大正五年二月クレジット)の一節に基づいた表現であるが、そのままではない。当該箇所を引く。下線はやぶちゃん。

   *

 自分がこの集を通讀して感じたことを率直にいふと、思ふに著者の歌は、今や岐路に立つてゐる。舊衣を破り捨てて、それに代るべき新しい衣が未だ成つてをらぬといふ狀態にある。固より舊衣は如何に美しとも、それにまさつた新衣だに得なば破り捨てても決して惜しむに足りない。著者の態度は、舊い自己にあきたらないで、而も未だ新たなる信念にそふ歌を得むとして得かねてゐると思はれる。而して著者がその歌風のかかる岐路に立つて、その現在をありのままに曝露しようとした勇氣は、また多とすべきである。而して自分の著者に待つところは、その將來の大成にある。

   *

である。続くその後の、『野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る』というのも「翡翠」の信綱に先立つ巻頭序文(英文と和文の二種)の詩人野口米次郎(署名は「ヨネ、ノグチ」)の一節に基づく(これも完全な引用ではない)。以下に当該部を示す。下線はやぶちゃん(こちらの全文は私の片山廣子第一歌集「翡翠」に電子済)。

   *

心揚りよろこびを以て吾が常に歌ひしむかしの歌は今いづこにある? 今吾は灰塵となれる廢墟なり。火災と共に吾が生の第三期は始まりぬ。

君も亦君が生の第三期に入りしと吾は信ず。

終局の破滅に急ぐは現代の特色なり。ああ、吾が心の廢墟の上に新しき歌を再び築かばや! 哀愁(かなしみ)と傷痍(きず)より生れいでたる色彩(いろ)と認識(みかた)とを以て、詩人の寂しく大なる城を再び築かばや! 靈妙にして自由なる吾が企圖(おもひ)を行はんためには、吾は理想と夢の歡樂を犧牲にして惜しまざるべし。

吾が友よ、君は吾が言葉を能く理解すべし。

   *

 

 追記。

 因みに、彼女のこの歌集の書評を、今一人、著名な人物がものしている。

 大正五(一九一六)年六月発行の雑誌『新思潮』の「紹介」欄に掲載されたもので、最後に附された括弧書きの署名は「啞苦陀」となっている。「あくだ」、かの芥川龍之介である。片山廣子が処女歌集を龍之介に献本したものと推測される。短いので、参考までに私の芥川龍之介による片山廣子歌集「翡翠」評から引く(リンク先には草稿も電子化してある)。

   *

 

 この作者は、序で佐々木信綱氏も云つてゐる樣に在來の境地を離れて、一步を新しい路に投じ樣としてゐる。「曼珠沙華肩にかつぎて白狐たち黃なる夕日にさざめきをどる」と云ふ樣な歌が、其過去を代表するものとするならば、「何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり」と云ふ樣な歌は、其未來を暗示するものであらう。勿論、後者の樣な歌に於ては、表現の形式内容二つながら、この作者は、まだ幼稚である。しかし易きを去つて難きに就いたと云ふ事は、少くとも作者自身にとつて、意味のある事に相違ない。そして同時に又この歌集が、他の心の花叢書と撰を異にする所以は、此處に存するのではないかと思ふ。左に二三、すぐれてゐると思ふ歌を擧げて、紹介の責を完する事にしやう。

 

   灌木の枯れたる枝もうすあかう靑木に交り霜とけにけり。

 

   日の光る木の間にやすむ小雀ら木の葉うごけば尾をふりてゐる。

 

   沈丁花さきつづきたる石だたみ靜にふみて戸の前に立つ。

 

 それから母としての胸懷を歌つた歌に、眞率な愛す可きものが、二三ある。

 

   たゆたはずのぞみ抱きて若き日をのびよと思ふわが幼兒よ。

 

   我をしも親とよぶびと二人あり斯くおもふ時こころをさまる。

 

 野口米次郎氏の序も、内容に適切である。裝幀は淸洒としてゐる。 (啞苦陀)

 

   *

 当時、芥川龍之介未だ二十四歳、片山廣子は龍之介より十四年上の三十八歳、また、この時(大正五(一九一六)年)の二人は、文学者同志の束の間の儀礼的擦れ違いに過ぎなかったものとは思われる。龍之介は同年十二月に塚本文と婚約しており、また、廣子はこの歌集刊行の四年後の大正九(一九二〇)年三月に日本銀行理事であった夫片山貞治郎と死別することとなる。

 ところが、龍之介と廣子は、この八年後の七月の軽井沢で運命の再会をすることとなる。周知の通り、「或阿呆の一生」の「三十七」に出る「越し人」、かの龍之介をして『彼は彼と才力の上にも格鬪出來る女に遭遇した』と言わしめたのが彼女、片山廣子であった。芥川龍之介の絶唱「越びと 旋頭歌二十五首」(大正一四(一九二五)年三月『明星』)も彼女の捧げられたものである。芥川龍之介が最後に愛したのは確かに片山廣子であった、と私は硬く信じて疑わない。それは私のブログ・カテゴリ「片山廣子」その他もろもろで語っているので興味のあられる方は是非、お読み戴きたく存ずる(なお、以上のリンク先は総て私のオリジナルな電子テクストである)。

 

 最後に。

 本電子化の底本データを下さった方に、再度、御礼申し上げるものである。【二〇一六年八月十三日 藪野直史】]

 


     
翡翠を讀んで

       
杉山萠圓

 

 翡翠の一卷を讀み了つて其の■い表裝をぼんやり見つめて居るといろいろの背景の前にいろいろの顏つきが浮み出て來る。

「何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり。」

「靑白き月の光りに身を投げて舞はばや夜の落葉のをどり。」

「幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時」

 など云ふ快よい滿ち足つた有樣。又は

「春雨や精進のけふのあへものに底の木の芽を傘さして摘む。」

「朝霧の底に夢見る高き木に鶯鳴けばわが心覺む。」

 など云ふ小じんまりした情趣などが眼にちらついて其他の滋い沈んだ色彩を蔽ひかくす樣な氣がする。これは自分の誤解ではあるまいかと思つて二三度くりかへして讀んで見たが矢張り同じ事で、却つて其沈んだ顏つきと浮き立つた背景とが益々はつきりと自分の眼に泌み込んで次第にある一つの顏つきに統一して來る。さうして其輕い華やかな背景に反き乍らじつと眼の前の暗いものを見つめて居る瞳其瞳の光さへ明らかになつて來て靜かに自分の眼と相會ふた時白自分は正に頭の中に翡翠といふ婦人の肖像畫を作り得た心地がした。さうして此女人の表情と背景とが朧氣ならず矛盾して居る理由を察し得て何と無く頭の下るのを禁じ得なかつたのである。

 此矛盾が作者の歌であつた。生命であつた。

「生くるわれと夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ。」

 又過去と現在と未來であつた。

「くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく。」

 併せては又其生涯の回顧と煩悶空虛と實在であつた。

「花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる。」

「つれつれにちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど。」

 とあるのを見ても疑ふ餘地が無い。

 竹柏園先生のお詞の如く「舊衣は破れて新衣未だ成らざる姿」で又野口先生の歌はれた樣に「終局の破滅に急ぐ傾向」を帶びて居る。さればこそ

「渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり。」

 と云ふ歌が殊に強く自分の腦狸に印象を殘したのであらう。

 併しもう仕方が無い。行く處まで行かねばならぬ。それならば何處ヘゆくか。自分は斯樣思つて再び翡翠を取り上げて豆だらけの手で裏表を撫で乍らぼんやりと外を眺めた。窓の前にはまだ熟せぬ水蜜桃の袋がいくつも葉蔭に並んで居る。遠くの野の低い處に雲雀が鳴いて居る。空も靑黑く地も靑黑い。何時まで眺めても考へがつかないまゝに筆を擱いた。さうして自分も亦此問題を考へねばならぬ者であると深く深く感じた。

          (香椎園藝場に於て)

 

 

■やぶちゃんによる引用歌と原本「翡翠」の当該歌との対照表

 引用中の一ヶ所を除いて総てに附されてある末尾の句点は原歌集にはないので除去して示した。

 最初に本文の引用短歌を出したが、頭に「○」「△」「×」の記号を附した。「○」は「許せる範囲」、「△」は「誤りではないが、転写引用としては問題がある」レベル、「×」は生死にかかわる緊急手術必要、という一種のトリアージとして示したものである。

 矢印(↓)の次の【翡翠】とある次の行の「◎」を附したものが、元歌集「翡翠」の正規表現である。引用の方に私が附した下線部太字は原本と異なる問題箇所である。

 

○何となく眺むる庭の生垣を鳥飛び立ちぬ野に飛びにけり

【翡翠】

◎何となく眺むる春の生垣を鳥とび立ちぬ野に飛びにけり

[やぶちゃん注:「翡翠」巻頭歌。正直、それくらいは誤らずに引用して欲しかった。以下、片山廣子は夢野久作の洞察に富んだ評言には心から感謝し乍らも、引用の杜撰さには少ししょんぼりしたような気がする。]

 

○靑白き月の光りに身を投げて舞はばやの落葉のをどり

【翡翠】

◎靑白き月のひかりに身を投げて舞はばや夜(よる)の落葉のをどり

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十三首前の歌。引用には「夜」のルビがない。頂戴したデータの前後の別な人物の記事ではルビを振った箇所は認められないものの、多量の異なった記号の傍点が沢山認められるから、『心の花』の版組上、ルビが振れなかったとは言わせない。]

 

×幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福うくるこの時

【翡翠】

◎幾千の大木ひとしく靜まりて月の祝福(めぐみ)をうくるこの時

[やぶちゃん注:引用ではルビがなく、おまけに格助詞「を」が脱落しているため、「祝福」は「しゆくふく」と読まれてしまう。

 

×春雨や精進のけふのあへものの木の芽を傘さして摘む

【翡翠】

◎春雨や精進のけふのあへ物に庭の木の芽を傘さしてつむ

[やぶちゃん注:「庭」を「底」とするとんでもない誤りであるが、どう考えても「底」では意味が通らないから、夢野久作の誤りではなく、単なる『心の花』側の誤植・校正ミスであろう。]

 

○朝霧の底に夢見る高き木に鳴けばわが心覺む

【翡翠】

◎朝霧の底に夢みる高き木にうぐひす鳴けばわが心覺む

 

○生くるわれ夢見るわれと手をつなぎ歩みつかれぬ倒れて死なむ

【翡翠】

◎生くる我とゆめみる我と手をつなぎ歩み疲れぬ倒れて死なむ

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十二首前の歌。]

 

○くだものと古き心をすてゝ見む鳥やついばむ人や踏みゆく

【翡翠】

◎くだものと古き心は捨てて見む鳥やついばむ人や踏みゆく

[やぶちゃん注:「翡翠」の最終歌から十一首前の歌。]

 

○花も見ず息をもつかず急ぎ來しわが世の道を今ふりかへる

【翡翠】

◎花も見ず息をもつかずいそぎ來しわが世の道を今ふりかへる

 

つれつれちひさき我をながめつゝ汝何者と問ひて見つれど

【翡翠】

◎つれづれに小さき我をながめつつ汝何者と問ひて見つれど

[やぶちゃん注:引用の「つれつれ」の後半は底本では踊り字「〱」であるので(「〲」では、ない)、かくした。原本でも前の引用の歌の次に配されている一首である。]

 

渦卷きに一足入れてかへり見し悲しき顏は忘れ難かり

【翡翠】

◎渦まきに一足入れてかへりみしかなしき顏はわすれがたかり

2016/03/06

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅷ) 昭和三(一九二八)年 (全)

 昭和三(一九二八)年

 

 

 

 一月六日 金曜 

 
◇かもはかや無き名を三十一文字に

  かへしまつらむことの葉もなし

 

◇はずかしやまゐらせし香のほそけむり

  白とか書きて龍年の春

 

◇八十九四十と年は違へども

  香きくはなの友となりけり

 

[やぶちゃん注:「はずかし」はママ。短歌の前の日記の末尾に、

 

堀江氏老母八十九歳、君子に茶の湯を教ゆ。余線香を送りしに、歌送り來る。

 古きものゝ香をりゆかしく老の身に

  めくみたまひてきくぞうれしき八十九、雄子、杉山樣。

 

とあるのに続く、恐らくは久作の心の内のこの老母との相聞歌である。但し、一首目の「かもはかや無き」、二首目の「白とか書きて」というのは私が馬鹿なのか、意味が判らない。識者の御教授を乞う。なお、昭和三年は「戊辰(つちのえたつ)」である。夢野久作、満三十九歳の年であった。]

 

 

 

 一月八日 日曜 

 

◇冬の日の空しき空を渡りはてゝ

  金茶の色に沈みゆくかな

 

 

 

 一月九日 月曜 

 

◇うつろなる自分の心を室の隅に

  ヂット見つむるストーブの音。

 

 

 

 二月十九日 火曜 

 

町を出て人無き草の野に寢ねて

吾が靑空よと呼びかけてみる

 

 

 

 二月二十二日 水曜 

 

春淺み厨の隅に音するは冬の名殘りの風からずか

戸の羽に物音するはぬす人か冬の名殘りの風かあらずか

 

[やぶちゃん注:「戸の羽」不詳。]

 

 

 

 二月二十三日 木曜 

 

せことわれとうたひふみゆくはるのくさ

 やまかけにほふしのゝめのころ

 

 

 

 二月二十六日 日曜 

 

風のみは冬の名殘りの心地して

 星の光りのやうにうるめき

 

 

 

 二月二十八日 火曜 

 

◇春殘みわびしいといふにあらねども雲の底を流るゝものを

 

 思ふとおふにあらねど春殘みうす雲の底を日の流るゝ

 

 

 

 三月四日 日曜 

 

窓の外の松の木ぬれを動かして

くもりの空ゆ風いでにけり

 

[やぶちゃん注:「こぬれ」は「木末」と書き、「「木(こ)の末(うれ)」の転。「梢」に同じい。万葉以来の古語。]

 

 

 

 四月十六日 月曜 

 

人格は瘠せてシヨンボリ祈りして

 冷たい寢床にもぐり込む哉

 

 

 

 五月十四日 月曜 

 

◇ピストルが俺の眉間を睨みつけた

  ズドンと云つたアッハッハッハ

 

◇黑い黑い祕密の核を春の□

 ひとり指さして赤い舌出す

 

[やぶちゃん注:「黑い黑い」の後半は底本では踊り字「〱」。前の一首は、同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の一首、

 

ピストルが俺の眉間を睨みつけて

 ズドンと云つた

  アハハのハツハ

 

の初稿。二首目の「□」は判読不能字。]

 

 

 

 五月十七日 木曜 

 

◇毎日毎日、向家の屋根のペンペン草を

  見ていた男が狂人になつた。

 

[やぶちゃん注:「毎日毎日」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

 

 

 五月十九日 土曜 

 

◇工女うたひてかへりひそやかに

  梨の花散る夜となりにけり

 

◇カルモチン紙屑籠に投入れて

  又取り出してヂツトながむる

 

◇死なむにはあまりに弱き心より

  人を殺さむ心となりしか

 

[やぶちゃん注:二首目は、やはり同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の、

 

カルモチンを紙屑籠に投げ入れて

 又取り出して

  ジツと見つめる

 

の初稿。]

 

 

 

 五月二十一日 月曜 

 

◇ドラッグの蠟人形全身を想像してみて

  冷汗流す

 

◇白く塗つた妻の横顏に書いてある戀は

  極度の誤解である

 

◇啞の女が口から赤ん坊生んだげな

  その子の父の袖を捉えて

 

◇檻獄に這入らぬ前も出た後も

  同じ靑空に同じ日が照ってゐる

 

◇闇の中から血まみれの猿がよろよろと

  よろめきかゝる俺の良心

 

◇波際に猫の死骸が齒を剝いて

  夕燒けの空を冷笑してゐた

 

[やぶちゃん注:第五首目の「よろよろ」の後半は底本では踊り字「〱」。一首目は、やはり同年十一月号『獵奇』に載った「獵奇歌」の中の一首、

 

ドラツグの蠟人形の

 全身を想像してみて

  冷汗ながす

 

の初稿。そこで注した通り、「ドラッグ」は麻薬中毒患者の部分ムラージュのこと。三首目も、同号『獵奇』の同じ「獵奇歌」の、

 

啞の女が

 口から赤ん坊生んだゲナ

  その子の父の袖をとらへて

 

の初稿。四首目及び五首目は同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

監獄に

 はいらぬ前も出た後も

同じ靑空に同じ日が照つてゐる

 

と、

 

闇の中から血まみれの猿が

 ヨロヨロとよろめきかゝる

俺の良心

 

の初稿。最後の一首は、ずっと後の昭和一〇(一九三五)年十月号『ぷろふいる』の「獵奇歌」に載る、

 

波際の猫の死骸が

乾燥して薄目を開いて

夕日を見てゐる

 

がかなり酷似した類型歌で、初稿だったのかも知れない。]

 

 五月二十二日 火曜 

 

◇白い蝶が線路を遠く横切って

  汽車がゴーと過ぎて吾が戀おはる

 

◇自轉車の死骸が空地に積んである

  乘った奴の死骸も共に

 

[やぶちゃん注:以上の二首は、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(順序は逆)、

 

白い蝶が線路を遠く横切つて

 汽車がゴーと過ぎて

血まみれの戀が殘る

 

自轉車の死骸が

 空地に積んである

乘つてゐた奴の死骸も共に

 

の初稿。]

 

 

 五月二十三日 水曜 

 

◇靑空の隅からヂッと眼をあけて

  俺の所業を睨んでゐる奴

 

◇ニセモノのパスで電車に乘つてみる

  超人らしいステキな氣持ち

 

[やぶちゃん注:やはり二首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、

 

靑空の隅から

 ジツト眼をあけて

俺の所業を睨んでゐる奴

 

ニセ物のパスで

 電車に乘つてみる

超人らしいステキな氣持ち

 

の初稿。]

 

 

 五月二十四日 木曜 

 

◇見てはならぬものをみてゐる吾が姿

  ニヤリ笑ってふり向いてみる

 

◇抱きしめる其瞬間にいつも思ふ

  あの泥沼の底の白骨

 

[やぶちゃん注:やはり二首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、

 

見てはならぬものを見てゐる

 吾が姿をニヤリと笑つて

ふり向いて見る

 

抱きしめる

 その瞬間にいつも思ふ

あの泥沼の底の白骨

 

の初稿。]

 

 

 

 五月二十六日 土曜 

 

◇すれちがつた今の女が眼の前で

  血まみれになるまひるの紅茶

 

[やぶちゃん注:同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」の中の一首、

 

すれちがつた今の女が

 眼の前で血まみれになる

  白晝の幻想

 

の初稿であるが、初稿の方が遙かによい。]

 

 

 

 五月二十七日 日曜 

 

◇闇の中にわれとわれとがまっくろく

  睨み合ったきり動くことが出來ぬ

 

◇倉の壁の木の葉の影が出雲の形になつて

  赤い血汐したゝる

 

◇枕元の花に藥をそゝぎかけて

  ほゝえみて眠る肺病の娘

 

[やぶちゃん注:これらは先に示した、後の昭和五(一九三〇)年五月号『獵奇』に載る、現行の「獵奇歌」の一部にされている、十首連作の「血潮したゝる」の原型となったもののように私には感じられる。例えば一首目は同「血潮したゝる」の一首目の、

 

闇の中に闇があり

又闇がある

その核心から

血潮したゝる

 

と通底し、二首目は同「血潮したゝる」の八首目の、

 

日の影が死人のやうに

縋り付く倉の壁から

血しほしたゝる

 

と類似するし、なおも三首目は同「血潮したゝる」の七首目の、

 

水藥を

花瓶に棄てゝアザミ笑ふ

肺病の口から

血しほしたゝる

 

と響き合うからである。]

 

 

 

 五月二十八日 月曜 

 

◇心臟が切り出されたまゝ動いてゐる

  さも得意氣にたつた一人で

 

◇眞夜中に心臟が一寸休止する

  わるい夢を見るのだ

 

[やぶちゃん注:同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」の最後の一首、

 

倉の壁の木の葉が

 幽靈の形になつて

生血がしたゝる心臟が

切り出されたまゝ

 

とごく親しい臭いがする。何故なら、二首目の方はその二首前にある、

 

眞夜中に

 心臟が一寸休止する

その時にこはい夢を見るのだ

 

の完全な初稿であるからである。]

 

 

 

 五月三十日 水曜 

 

◇血だらけの顏が沼から這ひ上る

  私の曾祖父に斬られた顏が

 

◇窓の際になめくじのやうな雲が出て

  見まいとするけど何だか氣になり

 

[やぶちゃん注:「なめくじ」はママ。二首ともに同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、順序は逆)、

 

血だらけの顏が

 沼から這ひ上る

  俺の先祖に斬られた顏が

 

地平線になめくぢのやうな雲が出て

 見まいとしても

  何だか氣になる

 

の初稿。]

 

 

 

 六月四日 月曜 

 

◇水の底で胎兒は生きておりてゐる

  母は魚に食はれてゐるのに

 

◇わが首を斬る刃に見えて

  生血が垂れる監房の窓

 

[やぶちゃん注:二首ともに同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

水の底で

 胎兒は生きて動いてゐる

  母體は魚に喰はれてゐるのに

 

日が暮れかゝると

 わが首を斬る刃に見えて

  生血がしたゝる監房の窓

 

の初稿。一首目は直ちに「ドグラ・マグラ」の中の「胎兒の夢」を連想させるが、まさに、この昭和三年も久作は後に「ドグラ・マグラ」となる「狂人の解放治療」(日記本文では専ら「狂人」と記す)の改作・増筆に費やしていることが日記本文から判る。]

 

 

 

 六月五日 火曜 

 

◇あの娘を空屋で殺して置いたのを誰も知るまい……藍色の空

 

◇けふも沖があんなに靑く透いてゐる誰か溺れて死んだんだべ

 

◇棺の中で死人がそっとあくびしたその時和尚が咳拂ひした。

 

[やぶちゃん注:三首目の「拂」は底本の用字。最初の二首は同年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る(但し、逆)、

 

あの娘を空屋で殺して置いたのを

 誰も知るまい

  藍色の空

 

けふも沖が

 あんなに靑く透いてゐる

  誰か溺れて死んだだんべ

 

の初稿。三首目は翌十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

棺の中で

 死人がそつと欠伸した

その時和尚が咳拂ひした

 

の初稿。]

 

 

 

 六月六日 水曜 

 

◇一番に線香立てに來た奴が俺もと云ふて息を引取る

 

◇若い醫者が乃公の生命預つたといふてニヤリと笑ひくさつた。

 

◇くら暗で血みどろの俺にぶつかつたあの横路次のハキダメの横で

 

[やぶちゃん注:「乃公」普通は「だいこう」或いは「ないこう」で、一人称の人代名詞として、男性が目下の者に対して、或いは尊大な表現として「自分」をさしていう語で、「我が輩」と言ったニュアンスであるが、ここは後に示す決定稿から「おれ」と訓じておく。三首とも、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」に載る、

 

一番に線香を立てに來た奴が

 俺を…………

………と云うて息を引き取る

 

若い醫者が

 俺の生命を預つたと云うて

ニヤリと笑ひ腐つた

 

だしぬけに

 血みどろの俺にぶつかつた

あの横路地のくら暗の中で

 

の初稿。]

 

 

 

 六月六日 水曜 

 

◇頭の中でピチンと硝子が割れた音イヒ……と俺が笑ふ聲。

 

◇日の中に日のあり又日のありわが涙つひにあふれ出てし哉。

 

◇白い乳を出させやろうとてタンポヽを引き切る氣持ち彼女の腕を見る。

 

[やぶちゃん注:「出てし哉」はママ。

一首目と三首目は、同年十月号『獵奇』の「獵奇歌」の、

 

頭の中でピチンと何か割れた音

 イヒヽヽヽヽ

……と……俺が笑ふ聲

 

白い乳を出させようとて

 タンポヽを引き切る氣持ち

彼女の腕を見る

 

の初稿。]




 六月十日 日曜 

 

◇あんな無邪氣な女がおれは恐ろしい

  ヒヨツト殺したくなる困るから

 

◇肩に手をソツと置かれてハつとして

  ハツトして自分の心をヂツと見つむる

 

[やぶちゃん注:一首目の下句は「ヒヨツト殺したくなると困るから」の脱字か?]

 

 

 

 六月二十日 水曜 

 

◇打ち割つた皿の中から血走つた

  卵の黃味が俺を白睨んでゐる。

 

[やぶちゃん注:「白睨んでゐる」はママであるが、「白」は「睨」の誤字を抹消し忘れたものではないかと私は思う。さらにこれは実に「杉山萠圓」名義で十三年前の大正五(一九一六)年三月号の短歌雑誌『心の花』に載った、

 

血ばしつた卵の黃味のおそろしやまん中の眼のわれをにらめる

 

の「獵奇歌」風のインスパイアであることが判る。]

 

 

 

 六月二十二日 金曜 

 

◇いつの世の名殘りの夢を見るやらん

  ほのかにえみてねむるおさなご

 

[やぶちゃん注:「おさなご」はママ。]

 

 

 七月三十一日 火曜 

 

◇眼の玉を取り出すまいとまはたきす

  □□の朝のまばゆき眼ざめ

 

[やぶちゃん注:「□□」は底本の判読不能字。]

 

 

 

 八月十六日 木曜 

 

◇足の甲を蜂が刺したと思つたら

  パンのカケラがくつ付いてゐた

 

 

 

 九月十四日 金曜 

 

◇ポプラ鳴る秋空高くポプラ鳴る

  はるかに透きとほる國を戀しつゝ

 

 

 

 九月十七日 月曜 

 

◇友の來てピストルを買はぬかと語る

  その友かなし秋のまひる日

 

◇車中にて今一人向ふに煙草吸ふ男

  われ見かへれば彼も見かへる

 

 

 

 九月十八日 火曜 

 

◇誰か和歌を文字の戲れといふものぞ

  歌をしよめば悲しきものを

 

 

 

 九月十九日 水曜 

 

◇吾を見て、吾兒の笑ふ悲しさよ

  笑はむとすればいよいよ悲し。

 

[やぶちゃん注:「いよいよ」の後半は底本では踊り字「〱」。]

 

 

 

 九月二十一日 金曜 

 

◇口づけしつゝ時計の音をきいてゐる

  わが心をば彼女は知らず

 

 

 

 九月二十二日 土曜 

 

◇ベンチから追ひ立てられた腹癒せに

  ほかのベンチへの字に寢る

 

 

 

 九月二十七日 水曜 

 

◇秋つく日あかるき空の中に立ちて

  つめたき帽子冠りてみるかな

 

◇わが冠る古き帽子の内側に

  汗ひえびえと義は來にけり

 

[やぶちゃん注:「ひえびえ」の後半は底本では踊り字「〲」。]

 

 

 

 九月二十九日 土曜 

 

◇室の隅で女が髮を梳くやうな

  ため息するやうな梅雨の夜の雨

 

◇闇の中で猛獸と額つけ合って

  睨み合ってゐる惡酒の酔心地

 

 

 

 九月三十日 日曜 

 

◇戀したら相手を拷殺してしまへ

  さうしてヂツと生きてゐてみよ

 

◇眼の前を蜘蛛が這ひまはる

  まん丸い淸い明月の中を

 

 

 

 十月八日 月曜 

 

◇美しきけだものを見る心地する

  眞晝のさなかに生娘見れば

 

[やぶちゃん注:因みに、この日の日記には「押し絵の奇蹟」の原稿を清書した旨の記載がある。翌日の日記には『新靑年來る。「死後の戀」評よし』とあって、作歌としての彼の油の乗り切って居る感じがよく伝わってくる。]

 

 

 

 十月十一日 水曜 

 

◇いろいろな鬼胎の標本指して

  キタイですねと云へど笑はず

 

[やぶちゃん注:「鬼胎」奇形胎児。]

 

 

 

 十月十四日 日曜 

 

◇瞳とづれば曠野の涯に

  一本の鋭き短刀落ちたるが見ゆ

 

◇赤い血がどうしても出ぬ自烈渡さ

  いくら瀨戸物をたたきこわしても

 

[やぶちゃん注:「自烈渡さ」「じれつたさ」であるが、「焦れったさ」であるから完全な当て字である。]

 

 

 

 十月十五日 月曜 

 

◇人と馬ひやゝかに歩み秋の空

  靑ずみ渡る野のはてを行く

 

◇室の内外物音もなし秋まひる

  わが心ヂツとわがみつめ居る

 

[やぶちゃん注:日記本文に『誤て今日の日記を、十六日につける。一旦ゴマかせり。』とある。夢野久作、律義なるかな!]

 

 

 

 十月十七日 水曜 

 

秋の空あまりに淸く靜かなる得堪えで秋の花やこぼるゝ

 

[やぶちゃん注:「堪えで」はママ。歌の前の日記の最後に、『子供の病氣位、氣にかゝるものはなし、いたはしく悲しきはなし。』と記している。翌十八日の日記に、三男の「參綠」(日記では「三六」と記される)がジフテリアの診断が下されている。]

 

 

 

 十月三十一日 水曜 

 

◇秋の風眼をすがめつゝ雲を見ます

  悲しき父となり給ひしか

 

[やぶちゃん注:言わずもがな、夢野久作の父、右翼の巨魁杉山茂丸(元治元(一八六四)年~昭和一〇(一九三五)年)であるが、彼は久作の死ぬ前年まで生きている。なお、この日の日記には『終日、押絵の原稿。後半書き疲れて二字就寢。』とあり、先の清書という記事は出来上がった部分までのそれであることが判る。「押絵の奇蹟」の脱稿は日記から十一月五日で、発表は翌昭和四(一九二九)年一月の『新青年』であった。「ドグラ・マグラ」の産みに苦しみつつ、かくも同時並行であれらの名作を創造していた久作に、今更ながら、舌を巻かざるを得ない。]

 

 

 十一月十九日 月曜 

 

[やぶちゃん注:この日の日記に詩歌の記載はないが、以下の通り、「ドクラ・マグラ」の作者にしてかくありと感ずる、非常に印象的な芥川龍之介評が載るので特異的に全文を掲載する。]

 

雨しとゞ降り、又黃色なる日照り、あたたかし。井戸車の音、汽車の音、雲の下に高らかに響く。菌生えつらめ。

 芥川龍之介氏を崇拜する若き人多からむと、佐藤君云ふ。さもありなむ。氏の文には、神經衰弱が生む特有の無機的藥品の香と、靜電氣の如き感觸あればなり。

 吾に良心無し、唯、神經のみありの一語の如き一例也。殘けれど痛々し。故にわかり易し。

 

[やぶちゃん注:「佐藤君」というのは喜多流教師の、喜多流シテ方能楽師梅津只圓の弟子であった佐藤文次郎(素圓)のことか?

「吾に良心無し、唯、神經のみあり」言わずもがな乍ら、芥川龍之介侏儒言葉」の中の名アフォリズム(リンク先は私オリジナルの完全合成版)、

   *

 

   わたし

 

 わたしは良心を持つてゐない。わたしの持つてゐるのは神經ばかりである。

 

   *

 

を指す。]

 

 

 

 十一月二十日 火曜 

 

◇すゝき原風いつまでも晝の月

 

 

 

 十一月二十一日 水曜 

 

◇靑山のその彼方なる靑山に

  冬のまひるの月出でにけり

 

 

 

 十二月二十三日 日曜 

 

◇逢ふて又別れし夢の路の霜

  あかつきとほき名殘なりけり

 

[やぶちゃん注:この日、知人の母の訃報があったことが日記に記されてあるが、本歌との関連があるか。]

 

 十二月二十八日 金曜 

 

◇餠をつく數を子供等皆數へ

 

 

 

 十二月二十九日 土曜 

 

◇胸のはてなく白き砂原に

  裸身の女がノタウチまはる

 

2015/12/30

夢野久作 日記内詩歌集成(Ⅶ) 昭和二(一九二七)年 (全)

  昭和二(一九二七)年

 

 

 

 一月四日 火曜 

何やらむ物音すなり春の海

 

[やぶちゃん注:句の直前に『けふより狂人治療の淨書を初めんと思にたれども小

みたしをかき止む』(「小みたし」は「小見出し」であろう)とある。これは大正一五(一九二六)年に発表した「狂人の解放治療」の改稿作業のことで、これが永い年月を経て「ドクラ・マグラ」に結実することは既に注した。]

 

 

 

 一月二十八日 金曜 

 

雪の野のしづかに呉れて夜に入れば

  松の音はげしく起る

 

ふるさとを遠くはなれて雪の宿

  夢おびたゞし

 

[やぶちゃん注:ここに二行に亙るがあるが(一行目八個・二行目七個)、底本注に『消去』とあり、判読も不能らしく、一字も起されていない。直後に『このうたわれながら不吉なれば消したり。おかし。』とある。夢野久作が不吉とする一首、これはもう、是非とも読んでみたかった。なお、この歌の前の日記は、

   *

 終日雪ふる。夜、松籟おびたゞし。

 胎兒の夢の論文のうち、夢の説明を書き直し、非常に疲れたり。

   *

と記しており、作歌が実景に基づくものであることが判る。なお、この『胎兒の夢の論文』言わずもがな、現行の「ドグラ・マグラ」冒頭から三分の一ほどのところから始まる「胎兒の夢」(約二万字)の、現行の最後の部分、『然らば、その吾々の記憶に殘つてゐない「胎兒の夢」の内容を、具體的に説明すると、大要どのやうなものであらうか』以下のプロトタイプであろうか。]

 

 

 

 一月二十九日 土曜 

 

冬の日のまく照れば遠山の雪白々と見えて

  さながらに童話の中に在る心地す

 

[やぶちゃん注:「」は判読不能字。]

 

妻の寢息子供寢息靜まれば

  床の水仙しみじみ光る

 

來し時と同じ思ひに歸る也

  人の通らぬふるさとの町

 

靴の先の泥を氣にして町を急ぐ

  モダーンボーイの冬の夕ぐれ

 

來年四十四十と思ふうちきつとドキンとするが悲しき

 

[やぶちゃん注:久作は明治二二(一八八九)年一月四日生まれ。]

 

 

 

 一月三十日 日曜 

 

約束を一錢五厘の反古にする。

 

[やぶちゃん注:「一錢五厘」言わずもがな乍ら、当時の葉書の郵便料金。]

 

 

 

 二月二日 水曜 

 

春の夜の電柱に身を寄せ思ふ。人を殺せし人のまごころ

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

春の夜の電柱に

身を寄せて思ふ

人を殺した人のまごゝろ

 

の初案と思われる。]

 

殺して果てまぶたをそっと閉ぢてやれば木枯しの聲一きわ高まる

 

[やぶちゃん注:同前の「獵奇歌」に出る、

 

殺しておいて瞼をそつと閉ぢて遣る

そんな心戀し

こがらしの音

 

の初案と思われる。歌の前の日記本文末には、『狂人の原稿、次から次へ破綻百出す。』とあり、旧作の苛立ちが伝わってくる。]

 

 

 

 二月四日 金曜 

 

ポケツトに殘り居りたる一戔が

  惡事の動機とわれは思へり

 

[やぶちゃん注:「一戔」はママ。「一箋」の誤記ではあるまいか?]

 

殺すことを何でも無しと思ふほど

  町を歩むが恐ろしくなりぬ

 

 

 

 二月五日 土曜 

 

眞黑なる大樹は風に搖れ搖れて

 粉雪飛ぶ飛ぶ粉雪飛ぶ飛ぶ

 

[やぶちゃん注:繰り返しの三箇所の後半部分は底本では総て「〱」。]

 

 

 

 二月十五日 火曜 

 

ピストルの煙のにほひのみにては何かもの足らず

  手品を見てゐる

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ピストルの煙の

にほひばかりでは何か物足らず

手品を見てゐる

 

と、ほぼ相同。]

 

地平線ましろき雲とわがふるき罪の思ひ出と

  さしむかひ佇つ

 

[やぶちゃん注:因みに、この二日前の十三日の日記に『東京に行く決心する』とある。出立は三月八日であった。]

 

 

 

 二月十七日 木曜 

 

ぐみの實の酸ゆく澁さよ小娘は

  も一人の男思ひつゝ佇つ

 

[やぶちゃん注:前文日記中に『狂人の原稿第一回校正終る』と記す。]

 

 

 

 二月十五日 火曜 

 

人體のいづこに針をさしたらば即死するかと

  醫師に問ひてみる

 

[やぶちゃん注:翌年昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

人體のいづくに針を刺したらば

即死せむかと

醫師に問ひてみる

 

と、ほぼ相同。]

 

 

 

 二月二十日 日曜 

 

靑空ののふかさよ人間に

  惡を教ふるのほさよ

 

[やぶちゃん注:二箇所のは判読不能字。次歌のそれも同じ。]

 

探偵は□□あふげり

  わが埋めし死骸の上に立ち止まりつゝ

 

 

 

 二月二十一日 月曜 

 

ひそやかに腐らし合ひてえひゆく果物あり

  瓦斯の火の下

 

わがむかし子供の時に夥しなる小鳥

 

君の眼はあまり可愛しそんな眼の

  小鳥を思はず締めしことあり

 

[やぶちゃん注:二首目の不完全はママ。三首目の上句の初案か。三首目は二年後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

君の眼はあまりに可愛ゆし

そんな眼の小鳥を

思はず締めしことあり

 

と、ほぼ相同歌である。]

 

 

 

 二月二十二日 火曜 

 

その胸に十文字かくおさな子の

  心をしらず母はねむれり

 

[やぶちゃん注:「おさな子」はママ。]

 

この夕べ可愛き小鳥やはやはと

  志め殺した腕のうづくも

 

[やぶちゃん注:前日の「君の眼はあまり可愛しそんな眼の/小鳥を思はず締めしことあり」とも似るが、これは翌昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

此の夕べ

可愛き小鳥やはやはと

締め殺し度く腕のうづくも

 

の、ほぼ相同歌である。]

 

ピストルのの手さわりやる

 なや瓦斯の灯光り霧のふる時

 

[やぶちゃん注:「手さわり」はママ。は判読不能字であるが、これは翌昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ピストルのバネの手ざはり

やるせなや

街のあかりに霧のふるとき

 

に酷似する一首ではある。]

 

 

 

 二月二十四日 木曜 

 

この夫人殺してヂツトみつめつゝ

  捕はれてもたき應接間かな

 

[やぶちゃん注:この六ヶ月後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』に載せた「うた」(後の「獵奇歌」に所載)、

 

この夫人をくびり殺して

捕はれてみたし

と思ふ應接間かな

 

と酷似する一首。]

 

 

 

 三月三日 木曜 

 

越智君と大宰府に行きし時の句

 

ひとりぬればチプタツポーと梅が散る。

 

たゞひとり默々として梅見客

 

梅が香や古井戸のぞくふところ手

 

奥に來て灯うれし梅の谷

 

ストーヴのほのほしばらくおしだまり

  又ももの云ふわがひとりなり

 

[やぶちゃん注:日記から、この三日前の二月二十八日に友人六人(底本注に幸流(こうりゅう:能楽小鼓(こつづみ)方の一流派)皷(つづみ)師範とする、謠仲間と思われる越智なる人物が含まれる)と大宰府天満宮に遊んでいる。但し、『山の上ヌカルミいて閉口す。梅早し、余、ヤキモチ十三』とある。久作さんは焼き餅がお好き! なお、最後の一首は、既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

ストーブのほのほしばらく押しだまり又ももの言ふわれひとりなれば

 

の形で出る。]

 

[やぶちゃん注:この間、詩歌記載なく、前に記した通り、三月八日に東京に発っており、以下は東京でのものとなる。]

 

 

 

 三月二十九日 火曜 

 

もろともにはるかなる世をしたひしか

  今はわれのみわびてのこるよ

 

妻を思ひわが子を思ひ冬の夜の

  都の隅に紅茶すゝるも

 

夜をふかみ妻はかへらず床の間の

  葉蘭のかげをみつゝねむらず

 

 

 

 四月一日 金曜 

 

山をのぼり山を下れば此の思ひ

 今はた更にふかみゆくかな

 

[やぶちゃん注:本歌は既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

山をのぼり山を下れば此の思ひ今はた更にふかみゆくかな

 

と出る]

 

美しき彼女をそっと殺すべく

 ぢっとみつめて眼をとづるかな

 

[やぶちゃん注:二年後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

彼女を先づ心で殺してくれようと

見つめておいて

ソツト眼を閉ぢる

 

の相似歌で、初案か。]

 

 

 

 四月三日 日曜 

 

家古し萩また古し月あかり

 

 

 

 四月九日 土曜 

 

しの崎夫人の死亡広告を見、驚きてゆく。[やぶちゃん注:中略。]

 

よを未だき歌子のきみは逝きましぬ

  その望月の花をかたみに

 

[やぶちゃん注:久作はこの前日に香椎に帰着しており、その八日の日記に『しの崎夫人病篤しときく』とある。「しの崎夫人」は既注の、久作が勤めていた『九州日報』主筆篠崎昇之介の夫人歌子。ともに川柳を遊んだ仲間であった。本歌からも分かる通り、未だ若妻であられたようである。但し、この日の月齢を調べたが、「望月」ではない。]

 

 

 

 四月十八日 月曜 

 

戀人の腹へ馳ケ入りサンザンにその腸を喰うはゞとぞ思ふ。

 

[やぶちゃん注:「サンザン」の後半は底本では「〲」。]

 

ある女の寫眞眼玉に金ペンの赤きインキを注射してみる

 

[やぶちゃん注:後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

ある女の寫眞の眼玉にペン先の

赤いインキを

注射して見る

 

の、ほぼ相同歌。]

 

人の名を二つ三つ書きていねいに抹殺をしてすてる心

 

[やぶちゃん注:後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

ある名をば 叮嚀に書き

ていねいに 抹殺をして

燒きすてる心

 

と酷似する。初案か。]

 

この夫人を殺して逃げる時は今ぞと思ふ應接間かな

 

[やぶちゃん注:二月二十四日の、

 

この夫人殺してヂツトみつめつゝ

捕はれてもたき應接間かな

 

の改作。]

 

 

 

 四月十八日 月曜 

 

劔仙にせんかうを送るとてうつゝなく

  人を佛になし給へ御佩刀近く香まゐらする

 

[やぶちゃん注:「劔仙」不詳。識者の御教授を乞う。]

 

みはかせもわが焚く香もありがたや

  斷煩惱のにほひありとは

 

いくばくの刀をにらみ殺したれば

  劔仙どのが香をたくらむ

 

人を殺す刀をにらみ殺し來て

  香焚く人の鼻の高さよ

 

この香ひ天狗の鼻がもげたらば

  どうせん香筒にしたまへ

 

 

 

 四月三十日 土曜 

 

わが胸に邪惡の森あり

 時折りに啄木鳥の來てタゝキ止ますも

 

[やぶちゃん注:「タゝキ」の踊り字はママ。「止ますも」もママ。これは後の昭和二(一九二七)年八月号『探偵趣味』の「うた」(後の「獵奇歌」に所載)に出る、

 

わが胸に邪惡の森あり

時折りに

啄木鳥の來てたゝきやまずも

 

の、ほぼ相同歌である。]

 

 

 

 五月二日 月曜 

 

蛇の仔を生ませたらばとよく思ふ

  取りすましたる少女を見るとき

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

蛇の群れを生ませたならば

………なぞ思ふ

取りすましてゐる少女を見つゝ

 

と酷似する。初案か。]

 

家もあらず妻子も持たぬつもりにて

  後家をからかふ無邪氣なりわれ

 

わが古き罪の思ひ出よみかへる

  ユーカリの葉のゆらぐ靑空

 

[やぶちゃん注:「ユーカリ」オーストラリアの原産のフトモモ目フトモモ科ユーカリ属 Eucalyptus の仲間。多様な品種を持つ。

本歌は既に出した、後の昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

わが古き罪の思ひ出よみがへるユーカリの葉のゆらぐ靑空

 

と出る。]

 

 

 

 五月三日 火曜 

 

頭無き猿の形せし良心が

  女とわれの間に寢て居り

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

頭の無い猿の形の良心が

女と俺の間に

寢てゐる

 

に酷似する。初案か。]

 

このまひる人を殺すにふさはしと

  煉瓦の山の中に來て思ふ

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

フト立ち止まる

人を殺すにふさはしい

煉瓦の塀の横のまひる日

 

の類型歌。初案か。]

 

 

 

 五月四日 水曜 

 

慾しくなけれどトマトをすこし嚙みやぶり

  赤きしづくをひたすらみる

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

欲しくもない

トマトを少し嚙みやぶり

赤いしづくを滴らしてみる

 

に酷似。初案か。]

 

 

 

 五月五日 木曜 

 

幽靈のごとくまじめに永久に人を呪ふことが出來たらばと思ふ

 

[やぶちゃん注:同じく昭和四(一九二九)年九月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

幽靈のやうに

まじめに永久に

人を呪ふ事が出來たらばと思ふ

 

の初案か。]

 

 

血々々と机に書いて消してみる、

 そこにナイフを突きさしてみる

 

ある處に骸骨ひとつ横たはれり、

 その名を知れるものはあるまじ

 

 

 

 五月六日 金曜 

 

觀客をあざける心舞ひながら仮面の中で舌出してみせる

 

[やぶちゃん注:謡曲喜多流の教授であった久作ならではの、「妖気歌」である。日記を見ると、毎日のように稽古しているのが判る。例えば次の七日は「小袖曽我」「安宅」である。]

 

 

 

 五月七日 土曜 

 

何かしら打ちこわし度きわが前を

  可愛き小僧が口笛吹きゆく

 

お母樣によろしくと云ひて實と出でぬ

  心の底の心恐れて

 

何かしら追ひかけられる心地して

  横町に曲り足を早むる

 

何故に草の芽生えは光りを慕ひ

  こころの芽生えは闇を戀ふらむ

 

[やぶちゃん注:後の昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

何故に

草の芽生えは光りを慕ひ

心の芽生えは闇を戀ふのか

 

の初案か。]

 

 

 

 五月八日 日曜 

 

◇星の光り數限り無き恐ろしき

  罪を犯して逃げてゆくわれ

 

 

 

 五月九日 月曜 

 

殺したくも殺されぬこの思ひ出よ

  闇から闇へ行く猫の聲

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

殺したくも殺されぬ此の思ひ出よ

闇から闇に行く

猫の聲

 

のほぼ相同歌。]

 

よく切れる剃刀を見て鏡見て

  わざと醜くあざわらひみる

 

[やぶちゃん注:昭和三(一九二八)年六月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

よく切れる剃刀を見て

鏡をみて

狂人のごとほゝゑみてみる

 

の類型歌。初案か。]

 

落ちたらば面白いがと思ひつゝ

  煙突をのぼる人をみつむる

 

つけ火したき者もあらむと思ひしが

  そは吾なりき大風の音

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

放火したい者もあらうと思つたが

それは俺だつた

大風の音

 

という、口語化されたものの初案か。]

 

セコンドの音に合はせて一人が死ぬといふ

  その心地よさ

 

 

 

 五月二十四日 火曜 

 

眼の前に斷崖峙つ惡の主なり

 ひて笑へるごとく

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

眼の前に斷崖が立つてゐる

惡念が重なり合つて

笑つて立つてゐる

 

という口語体の初案か。]

 

善人は此世になかれ此世をば

  ぬかるみのごと行きなやまする

 

泥沼の底に沈める骸骨を

  われのみひとの夢に見居るか

 

獸のごとく女欲りつゝ神のごとく

  火口あたりつゝあくびするわれ

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

獸のやうに女に飢ゑつゝ

神のやうに火にあたりつゝ

あくびする俺

 

の初案か。にしても「火口あたりつゝ」は不詳で、「ほくち」でもおかしい。この後の口語体のそれから察するに、底本編者に失礼乍ら、これは、

 

獸のごとく女欲りつゝ神のごとく

  火にあたりつゝあくびするわれ

 

の誤判読或いは誤植ではなかろうか?]

 

淸淨の女が此世にありといふか

  影なき花の世にありといふか

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

淸淨の女が此世に

あると云ふか……

影の無い花が

此世にあると云ふのか

 

の初案か。]

 

 

 

 五月二十五日 水曜 

 

村に住む心うれしも村に住む

  心悲しも五月晴れの空

 

[やぶちゃん注:本歌は先に出した、昭和四(一九二九)年九月二十日発行の詩歌雑誌『加羅不彌(からふね)』に掲載された「雜詠」に、

 

村に住む心うれしも村に住む心悲しも五月晴れの空

 

と出る。]

 

聖書の黑き表紙の手ざはりよ

  血つふれば赤き血したゝる

 

[やぶちゃん注:「血つふれば」不詳。]

 

ぐるぐると天地はめぐるか子がゆえに

  眼くるめき邪道にも入れ

 

[やぶちゃん注:「ゆえ」はママ。「ぐるぐる」の後半は底本では「〱」。この一首は昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ぐるぐるぐると天地はめぐる

だから俺も眼がくるめいて

邪道に陷ちるんだ

 

の初案か。]

 

 

 

 五月三十日 月曜 

 

ばくちうつ妻も子も無き身をひとつ

  ザマアみろとやあさけりて打つ

 

[やぶちゃん注:昭和四(一九二九)年十一月号『獵奇』の「獵奇歌」に出る、

 

ばくち打つ

妻も子もない身一つを

ザマア見やがれと嘲つて打つ

 

の初案か。]

 

心てふ文字の形の不思議さよ

  短劒の繪を書き添えてみる

 

惡心のまたもわが身にかへり來る

  電燈の灯の明るく暗く

 

警察が何だと思ひ町をゆく

  わがふところのあばら撫でつゝ

 

ぬすびとのこゝろを持ちて町をゆく

  月もおほろに吾が上をゆく

 

 

 

 五月三十一日 火曜 

 

村に住むことが嬉しも村に住むことが悲しも

  五月晴れの空

 

[やぶちゃん注:五月二十五日に、『村に住む心うれしも村に住む/心悲しも五月晴れの空』で出ているものの改作案らしいが、よくない。そちらで注したように久作も前作を後に採っている。]

 

バイブルの黑き表紙の手ざわりよ

  まなこつぶれば赤き血したゝる

 

[やぶちゃん注:「手ざわり」はママ。五月二十五日の意味不明の『聖書の黑き表紙の手ざはりよ/血つふれば赤き血したゝる』の改稿。腑に落ちる。先の「血」は単に久作の「眼」の誤字か。]

 

その時の妄想またもよみがへる

  日記の白き頁をみれば

 

新聞の記事讀むごとくしらじらと

  女のうらみきゝ居れり冬

 

 

 

 六月七日 火曜 

 

眼も見えぬ赤子に幟見上げさせ

 

子供だから仕方が無いと子供云ひ

 

 

 

 六月八日 水曜 

 

子を抱いた奴は洗はず湯に這入り

 

生れたが不思議のやうに子を眺め

 

ほとゝぎす歌にはちつとみしか過ぎ

 

歌にならむ句にならむ鼻毛拔きはじめ

 

助かり度い一心でよむ歌もあり

 

衣通姫小町今では晶子と來(き)

 

[やぶちゃん注:「衣通姫」「そとほり(そとおり)ひめ/そとほし(そとおし)ひめ)は記紀にて伝承される女性。ウィキの「衣通姫」より引く。『衣通郎姫(そとおしのいらつめ)・衣通郎女・衣通王とも。大変に美しい女性であり、その美しさが衣を通して輝くことからこの名の由来となっている。本朝三美人の一人とも称される』。「古事記」では、『允恭天皇皇女の軽大郎女(かるのおおいらつめ)の別名とし、同母兄である軽太子(かるのひつぎのみこ)と情を通じるタブーを犯す。それが原因で允恭天皇崩御後、軽太子は群臣に背かれて失脚、伊予へ流刑となるが、衣通姫もそれを追って伊予に赴き、再会を果たした二人は心中する』。「日本書紀」では、『允恭天皇の皇后忍坂大中姫の妹・弟姫(おとひめ)とされ、允恭天皇に寵愛された妃として描かれる。近江坂田から迎えられ入内し、藤原宮(奈良県橿原市)に住んだが、皇后の嫉妬を理由に河内の茅渟宮(ちぬのみや、大阪府泉佐野市)へ移り住み、天皇は遊猟にかこつけて衣通郎姫の許に通い続ける。皇后がこれを諌め諭すと、以後の行幸は稀になったという』とする。『紀伊の国で信仰されていた玉津島姫と同一視され、和歌三神の一柱であるとされる。現在では和歌山県和歌山市にある玉津島神社に稚日女尊、神功皇后と共に合祀されている』。より具体な伝承がウィキの「衣通姫伝説に出るので参照されたい。]

 

 

 

 六月二十三日 木曜 

 

火消壺叱られながら思ひ出し

 

壺すみれなぞと芭蕉が小便し

 

[やぶちゃん注:スミレ目スミレ科スミレ属ツボスミレ Viola verecunda 。この下世話な川柳は芭蕉の「野ざらし紀行」の、

 

 山路來て何やらゆかしすみれ草

 

に、「小便」「壺」に、植物名の「菫」と「芭蕉」を対峙させて滑稽を狙ったものであろうが、どうも下品でよろしくない。]

 

砂糖壺一番高い棚に上げ

 

糞壺でもがいてゐたらめがさめた

 

骨壺をのぞいては泣く芝居也

 

骨壺を楯に乘り合ひ追拂ひ

 

壺なぞを作つて天才飯を食ひ

 

朝鮮は壺で名高い國になり

 

長紐から小壺まで賣れぬ覺悟也

 

[やぶちゃん注:意味不詳。識者の御教授を乞う。]

 

骨壺が遺留が殖える世ち辛さ

 

[やぶちゃん注:欲二十四日の日記に、夜、川柳の原稿書き』とあり、以下に見るように、ここに始まる「壺」題の川柳群がしばらく続いている。因みに、この前日には例の友人篠崎の亡き歌子夫人の追悼川柳会が行われ、久作が参加していることが日記からも判る。この時の詠んだ川柳は先に出した(私のブログ版では「夢野久作川柳集)。]

 

 

 

 六月二十八日 火曜 

 

思ふまま壺ニヤリニヤリとわきを向き

 

[やぶちゃん注:「ニヤリニヤリ」の後半は底本では「〱」。]

 

思ふ壺大上段に打ち

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。]

 

毒藥を入れた壺だと黑いこと

 

跡の小便壺とと露知らず

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。]

 

大古の小便壺を掘り出し

 

[やぶちゃん注:「大古」はママ。]

 

貯金壺いろんなものでかきまはし

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

小姑は小壺まで□□ろげてゐる

 

[やぶちゃん注:は判読不能字。この句、バレ句の可能性が高いように思われる。]

 

 

 

 六月二十九日 水曜 

 

壺燒屋はゐっても又讀んでゐる

 

吾事のやうに壺皿ポンとあけ

 

壺燒は熱くなくても紙をしき

 

 

 

 

 六月三十日 木曜 

 

春の雨、沖合遠、煙吐舷いつまでも動かむとせず。

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

 

 

 七月一日 金曜 

 

仔細らしく時計や音をつまむでゐ

 

[やぶちゃん注:面白い。]

 

暑いこと向家も電氣まだ消さず

 

壺燒は熱くなくても紙をしき

 

 

 

 七月十五日 金曜 

 

橋渡しけふも白足袋穿いてくる

 

橋へ乘つてる奴がイツキ釣り

 

[やぶちゃん注:「イツキ」は「居付き」で、回遊せずに海底の岩の根などに棲みついている魚類の謂いか。]

 

けふも又あの狂人が町を行き

 

 

 

 八月一日 月曜 

 

父母の歸らす時の過ぐるまで

  机に凭りて腕くみて居り

 

この夜では吾あしかむ父母の床を

  ひとりこもればまた忘れつる

 

夜の風に鼻赤くして芝居より

  歸らす父よ長生ましませ

 

父と母と夕餉の箸を揃へつゝ

  ものもえ云はす笑みたまひけり

 

 

 

 八月二日 火曜 

 

禿頭の父は老いたりまばらなるこめかみ肉いたく落ちます

 

水汲まんと父呼ばします夕近くたゝみの上に汗ばみて居り

 

 

 

 八月十六日 火曜 

 

毛斷はボンノクボから風邪を引き

 

[やぶちゃん注:「毛斷」は恐らく「モダン」或いは「モーダン」と読み、大正期のモガの、ショートカットのことを指すように思われる。]

 

まあ辛抱してみろとといふ風が吹き

 

筥松まで風邪引いてねと記者が云ひ

 

[やぶちゃん注:「筥松」これは「はこまつ」で、現在の福岡市東区箱崎に鎮座する日本三大八幡宮(後の二つは京都府八幡市の石清水八幡宮と大分県宇佐市の宇佐神宮)の一つである筥崎宮(はこざきぐう)にある「筥松」のことであろう。同神社の楼門の右手に朱の玉垣で囲まれてある松の木で、神功皇后が応神天皇を出産した際、胞衣(えな)を箱に入れてこの地に納め、印として植えたとも、また、応神天皇が埋納したという戒定慧(かいじょうえ)の三学(さんがく)の箱が埋められているとも伝えられる神木である。三学とは、「涅槃経」の「獅子吼菩薩品」に説かれた、仏道修行に於いて修めるべき基本的な修行である戒学(戒律:身口意(しんくい)の三悪(さんまく)を止めて善を修すること)・定学(禅定:心の乱れを去ること)・慧学(智慧:煩悩を去って総ての実相を見極めること)の三つを指す(ウィキの「筥崎宮」及び「三学」を参照した)。]

 

鷄が風邪を引くほど世が進み

 

 

 

 八月十七日 水曜 

 

つむじ風乞食は平氣で通り拔け

 

風上に置かれぬ奴と手酌也

 

筥入りが或る夜ひそかに風邪を引き

 

[やぶちゃん注:前の「筥松」をさらに茶化したか。]

 

汽車の中で風邪引いたと噓を吐き

 

[やぶちゃん注:これも何となく艶笑川柳っぽい気がする。]

 

 

 

 八月十八日 木曜 

 

乞食風吹かせて人を睨むでゐ

 

乞食風立派な人をよけさせる

 

大學風看護婦がイツテ吹かせてゐ

 

施療患者大學風にんずる

 

[やぶちゃん注:判読不能字は「甘」か。]

 

 

 

 八月十九日 金曜 

 

女中風御用聞には吹かせてゐ

 

上は役の風が吹き止む笛が鳴り

 

橋の風忘れたものを思ひ出し

 

上官風奥樣風に寄りつけず

 

 

 

 八月二十日 土曜 

 

風を喰ひ喰ひ諸國を渡るスゴイ奴

 

[やぶちゃん注:「喰ひ喰ひ」の後半は底本では「〱」。]

 

無い風に吹きまはされて無心に來

 

女中風勝手口だけ吹かせてゐ

 

 

 

 八月二十一日 日曜 

 

煽風機行司のやうに首を振り

 

振り袖に一パイの風持てあまし

 

白切符風を喰った奴が買ひ

 

[やぶちゃん注:旧日本国有鉄道の三等級制時代に於ける最上級の一等車の乗車券。客車の帯の色に基づく呼称であるが、実際の切符の色は黄色であった(二等は「青切符」、三等は「赤切符」と呼ばれた。ここはウィキの「一等車」に拠った)。]

 

玄關の風を喰って奥へ逃げ

 

 

 

 九月六日 火曜 

 

外道祭文キチガヒ地獄

 

[やぶちゃん注:前の日記文に『終日、狂人原稿書き』とある。ここまで同じような記載が散見され、「ドグラ・マグラ」への産みの苦しみが良く分かる。示したそれについても、底本の杉山龍丸氏の註解には、『「ドグラ・マグラ」の中にある一篇、精神病院や社会での狂人扱いに多くの不詳事件があることを明らかにした章』とある。確かに「ドグラ・マグラ」の最初のブットビのクライマックスの作品内「標題」として無論、私も分かっているのであるが、この頭の『』は、久作は日記内では一貫して詩歌の頭に配しているそれであること、決定稿の「ドクラ・マグラ」ではそれは『キチガヒ地獄外道祭文』となっていることから、私は以上を一種の川柳様の一句として採ることとした。因みに、翌九月七日の日記には、『外道祭文を書く』と記されてある。大方の御批判を俟つものではある。]

 

 

 

 十月四日 火曜 

 

オホツクの海に春來り、雪解けぬれば、

南風に帆を孕ませてゆく帆綱を鳴らす風の音に

夢を破られて舳に立てば黑潮の碎くるたまさかに

わがくろ髮を濡らすあはれノーザンクルスの冷たき冴え

 

[やぶちゃん注:当日の日記の最後の一行を除いて引いた。明らかに自由詩の形式をとっており、この日記の中ではすこぶる特異点であるからである。この後には一行空けて、何時もの日記のように、『母里君來る。豚を食ひ、懷舊談をする。』というメモランダの記載をして終わっている。

 なお、以下、次の十二月二十三日までの日記中には、詩歌と認められるものは記されていない。]

 

 

 

 十二月二十三日 水曜 

 

秋深し皷に觸る袖の音

 

 

 

 十二月十日 土曜 

 

吾嬉しき夢を祕して他人の嬉しき夢をきゝたがり乙女心のおもしろさ

 

十九の娘雪の夜の怪をきゝワツと云はれてハツと眼を押へたる刹那白皚々たる雪景眼の前に展開したりと

 

[やぶちゃん注:「皚々たる」「がいがいたる」と読む。霜や雪などが一面に白く見えるさまをいう。さても「白皚々たり」を有意に「しろがいがいたり」と読むように示すネット・ページが多いが、私は従えない。これは「はくがいがいたり」と読むべきであろう。花咲か爺さんの犬じゃねえんだって。]

 

 

 十二月二十一日 水曜 

 

 猩々の囃子しらべ――

 夜節季の話をする。空晴れ、夕日キラキラと沈み、靜かなる冬の一日なりき。

 

 雲一つみかんの畠をよぎりゆきて

   靜かなる冬の日は暮れにけり

 

[やぶちゃん注:日記全体を示した。言わずもがな、「猩々」は謡曲の名である。「キラキラ」の後半は底本では「〱」。なお、これまで述べてこなかったが、底本では殆んど総ての詩歌全体が各日記内では一字分、下がっている。ここだけそれを再現しておいた。この短歌が昭和二(一九二七)年の日記中の最後の詩歌である。]

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