フォト

カテゴリー

The Picture of Dorian Gray

  • Sans Souci
    畢竟惨めなる自身の肖像

Alice's Adventures in Wonderland

  • ふぅむ♡
    僕の三女アリスのアルバム

忘れ得ぬ人々:写真版

  • 縄文の母子像 後影
    ブログ・カテゴリの「忘れ得ぬ人々」の写真版

Exlibris Puer Eternus

  • 20250201_082049
    僕が立ち止まって振り向いた君のArt

SCULPTING IN TIME

  • 熊野波速玉大社牛王符
    写真帖とコレクションから

Pierre Bonnard Histoires Naturelles

  • 樹々の一家   Une famille d'arbres
    Jules Renard “Histoires Naturelles”の Pierre Bonnard に拠る全挿絵 岸田国士訳本文は以下 http://yab.o.oo7.jp/haku.html

僕の視線の中のCaspar David Friedrich

  • 海辺の月の出(部分)
    1996年ドイツにて撮影

シリエトク日記写真版

  • 地の涯の岬
    2010年8月1日~5日の知床旅情(2010年8月8日~16日のブログ「シリエトク日記」他全18篇を参照されたい)

氷國絶佳瀧篇

  • Gullfoss
    2008年8月9日~18日のアイスランド瀧紀行(2008年8月19日~21日のブログ「氷國絶佳」全11篇を参照されたい)

Air de Tasmania

  • タスマニアの幸せなコバヤシチヨジ
    2007年12月23~30日 タスマニアにて (2008年1月1日及び2日のブログ「タスマニア紀行」全8篇を参照されたい)

僕の見た三丁目の夕日

  • blog-2007-7-29
    遠き日の僕の絵日記から

サイト増設コンテンツ及びブログ掲載の特異点テクスト等一覧(2008年1月以降)

無料ブログはココログ

カテゴリー「立原道造」の459件の記事

2026/05/15

立原道造 詩集 優しき歌 Ⅰ / 全篇一括ベタ版・附;縦書版(PDF)

[やぶちゃん注:私は既にブログ・カテゴリ「立原道造」で、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いて、「詩集 優しき歌 Ⅰ」の全篇を一篇ずつ、電子化し、オリジナル注を附したものを完遂している。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む。以下の冒頭の引用を参照されたい。)とあり、本篇はここからである。

 以下、第一回の冒頭注で、底本の「解説・編註」の一部を引用して述べた通り、本底本は――今までの全集とは異なる形で詩群が配置されている――ことが明記されており、しかも、現在、流通している立川道造の詩集中の「優しき歌 Ⅰ」は、殆んどが、新字採用であり、しかも、本底本全集刊行以前の詩集の、全く異なった「優しき歌 Ⅰ」を以って読んで、鑑賞したきりの読者が、想像以上に多いと考えられるのである。

 されば、ここで、底本編者たちや私の注を、総て除去した形で、まずは、無心に「優しき歌 Ⅰ」を鑑賞する必要性を強く感じたのである。

 今回では、完全に底本通りを採用し、総表題の一部、及び、各詩篇表題部を太字・ポイント上げとした。各詩篇の間に四行を空け、中央には、三字下げで「*」を打っておいた。

 また、表記や読み方で問題にしたものの中で、どうしても注が必要と考えたものには、後に「字注」として私の注を置いた。

 無論、私には、私なりの本「優しき歌 Ⅰ」全体を通しての感じ方がある。それは、これを元に、次回で試みるものである。

なお、本来の縦書の形態でこそ、読むべきであるからして、以下に、この横書のものをPDFで縦書にし、レイアウトを、底本に、より近づけた一詩篇一ページ別に組んだものを作成したので(ルビ化も行った。783KB・全十七ページ)、リンク(サイト内保存)させておく。

 

 

 優しき歌 Ⅰ 風信子叢書 第四篇

 

 

 燕の歌

   春來にけらし春よ春

    まだ白雪の積れども

          ――草枕

 

灰色に ひとりぼつちに 僕の夢にかかつてゐる

とほい村よ

あの頃 ぎぼうしゆとすげが暮れやすい花を咲き

山羊が啼いて 一日一日 過ぎてゐた

 

やさしい朝でいつぱいであつた――

お聞き 春の空の山なみに

お前の知らない雲が燒けてゐる 明るく そして消えながら

とほい村よ

 

僕はちつともかはらずに待つてゐる

あの頃も 今日も あの向うに

かうして僕とおなじやうに人はきつと待つてゐると

 

やがてお前の知らない夏の日がまた歸つて

僕は訪ねて行くだらう お前の夢へ 僕の軒へ

あのさびしい海を望みと夢は靑くてはてなかつたと 

 

 

   *

 

 

  うたふやうにゆつくりと⋯⋯

 

日なたには いつものやうに しづかな影が

こまかい模樣を編んでゐた 淡く しかしはつきりと

花びらと 枝と 梢と――何もかも⋯⋯

すべては そして かなしげに うつら うつらしてゐた 

 

私は待ちうけてゐた 一心に 私は

見つめてゐた 山の向うの また

山の向うの空をみたしてゐるきらきらする靑を

ながされて行く浮雲を 煙を⋯⋯

 

古い小川はまたうたつてゐた 小鳥も

たのしくさへづつてゐた きく人もゐないのに

風と風とはささやきかはしてゐた かすかな言葉を 

 

ああ 不思議な四月よ! 私は 心もはりさけるほど

待ちうけてゐた 私の日々を優しくするひとを

私は 見つめてゐた――風と 影とを⋯⋯

 

 

   *

 

 

   薊の花のすきな子に

 

  Ⅰ 憩らひ

     ―― 薊の花のすきな子に――

 

風は 或るとき流れて行つた

繪のやうな うすい綠のなかを、

ひとつのたつたひとつの人の言葉を

はこんで行くと 人は誰でもうけとつた

 

ありがたうと ほほゑみながら。

開きかけた花のあひだに

色をかへない靑い空に

鐘の歌に溢れ 風は澄んでゐた、

 

気づかはしげな恥らひが、

そのまはりを かろい翼で

にほひながら 羽ばたいてゐた……

 

何もかも あやまちはなかつた

みな 獵人(かりうど)も盜人もゐなかつた

ひろい風と光の萬物の世界であつた。

 

 

   

 

 

  Ⅱ 虹の輪

 

あたたかい香りがみちて 空から

花を播き散らす少女の天使の掌が

雲のやうにやはらかに 覗いてゐた

おまへは僕に凭れかかりうつとりとそれを眺めてゐた

 

夜が來ても 小鳥がうたひ 朝が來れば

叢に露の雫が光つて見えた――眞珠や

滑らかな小石や刃金の叢に ふたりは

やさしい樹木のやうに腕をからませ おののいてゐた

 

吹きすぎる風の ほほゑみに 撫でて行く

朝のしめつたその風の……さうして

一日(ひとひ)が明けて行つた 暮れて行つた

 

おまへの瞳は僕の瞳をうつし そのなかに

もつと遠くの深い空や晝でも見える星のちらつきが

こころよく こよない調べを奏でくりかへしてゐた

 

 

[やぶちゃん字注:第二聯三行目の「刃金」の「刃」は異体字で、「刅」の右側の「ヽ」を除去した「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので「刃」とした。「刅」なら表示出来るのだが、私は生理的に、この異体字が極めて嫌いであり、また、「刅金」を素直に「はがね」と一瞬には読めずに戸惑う若い読者のことを考えて、「刃」としたものである。なお、この「刃金」については、このベタ版の作業中に、各篇の確認校正をしていたところ、この語を道造が用いた理由を、是が非でも注しなければならなかったと気がつき、急遽、後注に大々的に追補したので、当該詩篇記事を見られたい。

 

 

   *

 

 

  Ⅲ 窓下樂

 

昨夜は 夜更けて

步いて 町をさまよつたが

ひとつの窓はとぢられて

あかりは僕からとほかつた 

 

いいや! あかりは僕のそばにゐた

ひとつの窓はとぢられて

かすかな寢息が眠つてゐた

とほい やさしい唄のやう! 

 

こつそりまねてその唄を僕はうたつた

それはたいへんまづかつた

昔の こはれた笛のやう! 

 

僕はあはてて逃げて行つた

あれはたしかにわるかつた

あかりは消えた どこへやら?

 

 

[やぶちゃん字注:第一聯一行目の「昨夜」は、私は、うっかり「さくや」と読みかけたが、所持する昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造刺繡のルビの「ゆふべ」が、確かに、しっくりくる。]

 

 

   *

 

 

  IV 薄明

 

音樂がよくきこえる

だれも聞いてゐないのに

ちひさなフーガが 花のあひだを

草の葉のあひだを 染めてながれる

 

窓をひらいて 窓にもたれればいい

土の上に影があるのを 眺めればいい

ああ 何もかも美しい! 私の身體の

外に 私を圍んで暖く香(かほり)よくにほふひと

 

私は ささやく おまへにまた一度

――はかなさよ ああ このひとときとともにとどまれ

うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ! 

 

やまない音樂のなかなのに

小鳥も果實(このみ)も高い空で眠り就き

影は長く 消えてしまふ――そして 別れる

 

[やぶちゃん字注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)の編註(ここ)に拠れば、『第二聯第四行 ルビママ〈かほり〉』とある。底本全集の横断検索でも、詩集・物語・雜纂に、この表記があり、道造の慣用誤記であることが判る。]

 

 

   *

 

 

  Ⅴ 民謠

     ――エリザのために

 

絃(いと)は張られてゐるが もう

誰もがそれから調べを引き出さない

指を觸れると 老いたかなしみが

しづかに歸つて來た⋯⋯小さな歌の器(うつは)

 

或る日 甘い歌がやどつたその思ひ出に

人はときをりこれを手にとりあげる

弓が誘ふかろい響――それは奏でた

(おお ながいとほいながれるとき)

 

――昔むかし野ばらが咲いてゐた

野鳩が啼いてゐた⋯⋯あの頃⋯⋯

さうしてその歌が人の心にやすむと

 

時あつて やさしい調べが眼をさます

指を組みあはす 古びた唄のなかに

――水車よ 小川よ おまへは美しかつた

 

 

   *

 

 

  鳥啼くときに

    式子內親王《ほととぎすそのかみやまの》による Nachdichtung

 

ある日 小鳥をきいたとき

私の胸は ときめいた

耳をひたした沈默(しじま)のなかに

なんと優しい笑ひ聲だ!

 

にほひのままの 花のいろ

飛び行く雲の ながれかた

指さし 目で追ひ――心なく

草のあひだに 憩(やす)んでゐた

 

思ひきりうつとりとして 羽虫の

うなりに耳傾けた 小さい弓を描いて

その歌もやつぱりあの空に消えて行く

 

消えて行く 雲 消えて行く おそれ

若さの扉はひらいてゐた 靑い靑い

空のいろ 日にかがやいた!

 

 

   *

 

 

  甘たるく感傷的な歌

 

その日は 明るい野の花であつた

まつむし草 桔梗 ぎぼうしゆ をみなへしと

名を呼びながら摘んでゐた

私たちの大きな腕の輪に

 

また或るときは名を知らない花ばかりの

花束を私はおまへにつくつてあげた

それが何かのしるしのやうに

おまへはそれを胸に抱いた

 

その日はすぎた あの道はこの道と

この道はあの道と 告げる人も もう

おまへではなくなつた!

 

私の今の悲しみのやうに 叢には

一むらの花もつけない草の葉が

さびしく 曇つて そよいでゐる

 

 

   *

 

 

  ひとり林に⋯⋯

 

  Ⅰ ひとり林に⋯⋯

 

だれも 見てゐないのに

咲いてゐる 花と花

だれも きいてゐないのに

啼いてゐる 鳥と鳥

 

通りおくれた雲が 梢の

空たかく ながされて行く

靑い靑いあそこには 風が

さやさや すぎるのだらう

 

草の葉には 草の葉のかげ

うごかないそれの ふかみには

てんたうむしが ねむつてゐる

 

うたふやうな沈默(しじま)に ひたり

私の胸は 溢れる泉! かたく

脈打つひびきが時を すすめる

 

 

   *

 

 

  Ⅱ 眞冬のかたみに⋯⋯

            Heinrich Vogeler gewidmet

 

追ひもせずに 追はれもせずに 枯木のかげに

立つて 見つめてゐる まつ白い雪の

おもてに ながされた 私の影を――

(かなしく 靑い形は 見えて來る)

 

私はきいてゐる さう! たしかに

私は きいてゐる その影の うたつてゐるのを⋯⋯

それは淚ぐんだ鼻聲に かへらない

昔の過ぎた夏花のしらべを うたふ 

 

⦅あれは頰白 あれは鶸 あれは 樅の樹 あれは

私⋯⋯私は鶸 私は 樅の樹⋯⋯⦆ こたへもなしに

私と影とは 眺めあふ いつかもそれはさうだつたやうに 

 

影は きいてゐる 私の心に うたふのを

ひとすぢの 古い小川のさやぎのやうに

溢れる泪の うたふのを⋯⋯雪のおもてに――

 

 

   *

 

 

  淺き春に寄せて

 

今は 二月 たつたそれだけ

あたりには もう春がきこえてゐる

だけれども たつたそれだけ

昔むかしの 約束はもうのこらない

 

今は 二月 たつた一度だけ

夢のなかに ささやいて ひとはゐない

だけれども たつた一度だけ

そのひとは 私のために ほほゑんだ

 

さう! 花は またひらくであらう

さうして鳥は かはらずに啼いて

人びとは春のなかに笑みかはすであらう

 

今は 二月 雪に面(おも)につづいた

私の みだれた足跡⋯⋯それだけ

たつたそれだけ――私には⋯⋯

 

 

 

2026/05/08

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  淺き春に寄せて / 「詩集 優しき歌 Ⅰ」各個詩篇電子化注~了

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、「淺き春に寄せて   立原道造」である。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、中パート標題はここ、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、本詩の初出は『「四季」第25号 昭和123月号(2月20日刊)』とある。

 これを以って、『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』の全詩篇の各個電子化注を終わる。次回は、全詩篇をセットで一記事で示し、その後に、底本の全篇の持つ特性を考察する。]

 

  淺き春に寄せて

 

今は 二月 たつたそれだけ

あたりには もう春がきこえてゐる

だけれども たつたそれだけ

昔むかしの 約束はもうのこらない

 

今は 二月 たつた一度だけ

夢のなかに ささやいて ひとはゐない

だけれども たつた一度だけ

そのひとは 私のために ほほゑんだ

 

さう! 花は またひらくであらう

さうして鳥は かはらずに啼いて

人びとは春のなかに笑みかはすであらう

 

今は 二月 雪に面(おも)につづいた

私の みだれた足跡⋯⋯それだけ

たつたそれだけ――私には⋯⋯

 

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  ひとり林に⋯⋯ Ⅱ 眞冬のかたみに⋯⋯

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、『カテゴリ「立原道造」創始 /「ひとり林に‥‥」(草稿) 及び その決定稿「眞冬のかたみに」 並びに 別篇「ひとり林に‥‥」』である。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、中パート標題はここ、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、『「都新聞」 昭和12年9月12日号』で、その後に、『*初出の組原型は次のようである。』として、初出の記載が、全篇、載っている。新聞の記事枠の制限から一行を十七字として改行が行われている。まず、それを、【初出「都新聞」表示形】として、その一行十七字改行と全く同じ形で示す。さらにその後に、底本本文の『テキストは山田書店版第一巻に従った。』とする。その当該書籍の当該部はここである。但し、そちらでは、三ヶ所のリーダが四点「‥‥」になっているが、そこは堀內氏は採用せずに、六点リーダとしておられる。至当である。更に、『草稿詩「ひとり林に⋯⋯」(本巻収)を異文に持つ。』とする。

 これは、先般、「立原道造草稿詩篇 ひとり林に⋯⋯オリジナルに、【初稿】・【草稿】・【最終決定稿】として電子化してある。

 更に、『*gewidmet (独) widmen 献げるの意の過去分詞。』とする。この“gewidmet”は音写すると「ゲヴィッドメット」で、原型“widmen”は「ヴィトメン」である。また、註の最後に、『Heinrich Vogeler(ハインリッヒ・フォーゲラー)は、Rainer Maria Rilke(リルケ)のヴォルプスヴェデ時代の友人画家。『風景畫論』(Worpswede)中に紹介されている。』とする。当該ウィキがあるが、日本語のそれは、杜撰である。英文ウィキを、お薦めする。

 更に戻ると、『*制作時は昭和12年2月と想定する。』とあり、加えて、『〔資料〕昭和12年1月20日付・神取』(これは「神保」の誤記か誤植である)『光太郎宛』(底本全集「第五卷 書翰」のここの「三五三」)、『同月31日付・柴岡亥佐雄宛』(同前のここの「三六六」)『および2月8日付・田中一三宛書簡。』(同前のここの「三七三」)とある。

 当初、煩を厭わず、改稿・改稿(別稿)・初出表示形・原決定稿を含む推敲の跡を追うために、「立原道造草稿詩篇 ひとり林に⋯⋯」も入れ込んだものにしようと思ったが、これは、前の『立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  ひとり林に⋯⋯ Ⅰ ひとり林に⋯⋯』と混雑し、却って、訳が分からなくなる虞れが強くあるため、取り止めとし、すっきりと、【初出「都新聞」表示形】・【最終決定稿】の順で電子化する。]

 

【初出「都新聞」表示形】

 

  眞冬のかたみに⋯⋯

     Heinrich Vogeler gewidmet

 

追ひもせずに 追はれもせずに 枯木

 のかげに

立つて 見つめてゐる まつ白い雪の

 おもてに ながされた 私の影を―

―(かなしく 靑い形は 見えて來

 る)

 

私はきいてゐる さう! たしかに

 私は きいてゐる その影の うた

つてゐるのを……

それは淚ぐんだ鼻聲に かへらない

 昔の過ぎた夏花のしらべを うたふ 

 

⦅あれは頰白 あれは鶸 あれは 樅

 の樹 あれは

私⋯⋯私は鶸 私は 樅の樹⋯⋯⦆ 

 こたへもなしに

私と影とは 眺めあふ いつかもそれ

 はさうだつたやうに 

 

影は きいてゐる 私の心に うたふ

 のを

ひとすぢの 古い小川のさやぎのやう

 に溢れる泪の うたふのを⋯⋯雪の

おもてに―― 

 

 

[やぶちゃん注:これは、一行字数以外に、改行禁則によって、送りが、微妙な形になってしまっている。

「鶸」これは簡単には注が出来ない。私の「和漢三才圖會第四十三 林禽類 鶸(ひわどり) (カワラヒワ・マヒワ)」を参照されたい。但し、軽井沢と時期から、スズメ目スズメ亜目スズメ小目スズメ上科アトリ科ヒワ亜科カワラヒワ(河原鶸)属カワラヒワ亜種カワラヒワ(或いは亜種コカワラヒワ)Carduelis sinica minor の可能性が最も高いと思われる。]

 

【最終決定稿】

 

  Ⅱ 眞冬のかたみに⋯⋯ 

         Heinrich Vogeler gewidmet

 

追ひもせずに 追はれもせずに 枯木のかげに

立つて 見つめてゐる まつ白い雪の

おもてに ながされた 私の影を――

(かなしく 靑い形は 見えて來る)

 

私はきいてゐる さう! たしかに

私は きいてゐる その影の うたつてゐるのを⋯⋯

それは淚ぐんだ鼻聲に かへらない

昔の過ぎた夏花のしらべを うたふ 

 

⦅あれは頰白 あれは鶸 あれは 樅の樹 あれは

私⋯⋯私は鶸 私は 樅の樹⋯⋯⦆ こたへもなしに

私と影とは 眺めあふ いつかもそれはさうだつたやうに 

 

影は きいてゐる 私の心に うたふのを

ひとすぢの 古い小川のさやぎのやうに

溢れる泪の うたふのを⋯⋯雪のおもてに――

 

2026/05/07

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  ひとり林に⋯⋯ Ⅰ ひとり林に⋯⋯

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、『カテゴリ「立原道造」創始 /「ひとり林に‥‥」(草稿) 及び その決定稿「眞冬のかたみに」 並びに 別篇「ひとり林に‥‥」』である。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、中パート標題はここ、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、『「コギト」第38号 昭和12年3月号(3月1日刊)』で、その後に、『*「火山灰ノート」に同題詩三篇があり、その一つが本篇の異文である。』とある。

 しかし、底本全集の「第四卷 評論・ノート・翻譯」の「火山灰ノート」(同巻の堀內氏の註に拠れば、『原ノート消失・山本書店版第三巻(昭和18年7月1日付刊)』とあり、『*テキストは次のような特徴を持つ。』として、『イ、冒頭に「火山灰」の大文字がある』。『その命名は、この』昭和一〇(一九三五)年『夏』、『はじめてみた火の山(浅間山噴火)からの感動にちなむものでろう。』とあり、ノートの推定時期が示されてあり、二篇とも、『昭和11年秋―12年3月』相当とある。)を見ると、同題詩は、二つしかない。同ノート全体を何度も見たが、「同題詩」は他になく、無題の同内容の詩も見当たらない。されば、これは『三篇』ではなく、「二篇」の誤記か、誤植と思われる。ノート順に画像を示すと、ここと、ここである。

 而して、本決定稿に酷似するのは、その内の、前者である。

 そこで、私は、まず、【初稿】として、前者を示し、次に採用しなかった別の後者を【別稿】として掲げ(前者よりノートの後にあるのであるから問題ない)、最後に【決定稿】として本詩篇を置くこととした。

 

【初稿】

 

  ひとり林に⋯⋯

 

だれも 見てゐないのに

咲いてゐる 花と花

だれも きいてゐないのに

啼いてゐる 鳥と鳥

 

通りおくれた雲が 梢の

空たかく ながされて行く

靑い靑いあそこには 風が

さやさや 過ぎるのだらう

 

草の葉には 草の葉のかげ

うごかないそれの ふかみには

てんたうむしが ねむつてゐる

 

歌ふやうな沈默(しじま)にひたり

私の胸は 溢れる泉! 高く

脈打つひびきが 時をすすめる

 

 

【別稿】

 

  ひとり林に⋯⋯

 

山のみねの いただきの ぎざぎざの上に

あるのは 靑く淡い色 あれは空⋯⋯

空のかげに かがやく日 空のおくに

ながれる雲⋯⋯私はおもふ 空のあちらを

 

夏の日に咲いてゐた 百合の花も ゆふすげも

薊の花も 堅い雪の底に かくれてゐる

みどりの草も いまはなく 梢の影が

葵色の こまかい線を 編んでゐる

 

ふと過ぎる⋯⋯あれは頰白 あれは鶸

透いた林のあちらには 山のみねのぎざぎざが

ながめてゐる 私を 私たちを 村を――

 

すべてに 休みがある ふかい息をつきながら

耳からとほく 風と風とが ささやきかはしてゐる

――ああ この眞白い野に 蝶を飛ばせよ!⋯⋯

 

 

[やぶちゃん注:私は、よく理解もしないで、『カテゴリ「立原道造」創始 /「ひとり林に‥‥」(草稿) 及び その決定稿「眞冬のかたみに」 並びに 別篇「ひとり林に‥‥」』で、これを採録していたのであった。なお、底本が違うので、表記に異同がある。それは、比較されたいが、決定テキストはこれとなる。⋯⋯それにしても⋯⋯ああ! 五十八歳の私をちょっと褒めてやりたくなった気は、した⋯⋯。]

 

【決定稿】

 

  Ⅰ ひとり林に⋯⋯

 

だれも 見てゐないのに

咲いてゐる 花と花

だれも きいてゐないのに

啼いてゐる 鳥と鳥

 

通りおくれた雲が 梢の

空たかく ながされて行く

靑い靑いあそこには 風が

さやさや すぎるのだらう

 

草の葉には 草の葉のかげ

うごかないそれの ふかみには

てんたうむしが ねむつてゐる

 

うたふやうな沈默(しじま)に ひたり

私の胸は 溢れる泉! かたく

脈打つひびきが時を すすめる

 

 

[やぶちゃん注:【初稿】との異同は(表題上の「Ⅰ」は除く)、

第二聯最終行目の「過ぎる」が「すぎる」に、

第四聯第一行目の「歌ふ」が「うたふ」になり、

同第四聯第一行目下部の「ひたり」の前に一字空けを置き、

第四聯第二行目の末尾を「高く」から「かたく」に変えて、

最終行が「脈打つひびきが 時をすすめる」から「脈打つひびきが時を すすめる」と字空けを変えている

の五点である。]

2026/05/06

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  甘たるく感傷的な歌

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、「甘たるく感傷的な歌   立原道造」である。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、詩の表題を『甘たるく感傷の的なうた』としているが、これは誤植である。以下、註。『「四季」第21号 昭和1110月号(9月20日刊)』とある。]

 

  甘たるく感傷的な歌

 

その日は 明るい野の花であつた

まつむし草 桔梗 ぎぼうしゆ をみなへしと

名を呼びながら摘んでゐた

私たちの大きな腕の輪に

 

また或るときは名を知らない花ばかりの

花束を私はおまへにつくつてあげた

それが何かのしるしのやうに

おまへはそれを胸に抱いた

 

その日はすぎた あの道はこの道と

この道はあの道と 告げる人も もう

おまへではなくなつた!

 

私の今の悲しみのやうに 叢には

一むらの花もつけない草の葉が

さびしく 曇つて そよいでゐる

 

 

[やぶちゃん注:「まつむし草」日本固有種である双子葉植物綱キク亜綱マツムシソウ(松虫草・山蘿蔔)目マツムシソウ科マツムシソウ属マツムシソウ Scabiosa japonica であるが、本ロケーションは軽井沢であるから、高山型変種であるタカネマツムシソウ(高嶺松虫草) Scabiosa japonica var. alpina も挙げておく必要がある。前者は、ウィキの「マツムシソウ」の画像が花のショット方向が甚だ気に入らないので、私が最も信頼するKatou氏のサイト「三河の植物観察」の「マツムシソウ 松虫草」をリンクし、後者は当該ウィキにある、大型画像をリンクする。

「桔梗」キク目キキョウ科キキョウ亜科キキョウ属キキョウ Platycodon grandifloras

「ぎぼうしゆ」単子葉植物綱キジカクシ(雉隠)目キジカクシ科リュウゼツラン(龍舌蘭)亜科ギボウシ(擬宝珠:「ぎいぼうしゅ」の音の転訛)属 Hosta 当該ウィキに拠れば、四十『種ほどがあるが、種間雑種ができやすく(特に栽培品種には多い)、分類には諸説ある』とする。私は山岳部の顧問をしていた関係上、最も見かけたものは、オオバギボウシオオ(大葉擬宝珠)Hosta sieboldiana であったが、軽井沢ロケで、あの大きなものがあったのでは、ちょっと邪魔な気がする。濃い紫色から淡紫色の花を、やや下向きに附けて、筒部分に透明な線が入いるコバギボウシ(小葉擬宝珠)Hosta sieboldii が、相応しく思う。グーグル画像検索「コバギボウシ 花 Hosta sieboldii」オミナエシをリンクさせておく。

「をみなへし」マツムシソウ目オミナエシ(女郎花)科オミナエシ属オミナエシ Patrinia scabiosifolia 。]

2026/05/05

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  鳥啼くときに (★重要な私の見解を冒頭注で述べた)

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたいが、その中の、本底本の解説・編註の引用を漫然としか読まれていない読者は、今一度、しっかりと読まれたい。而して、今回の前注は、やや長めものとなる。

 さて、今まで、私は――過去にランダムに電子化注した――と述べてきたが、

★本「鳥啼くときに」は漏らしていた

のであった。それについて、私は「優しき歌 序の歌 / Ⅰ 爽やかな五月に   立原道造」(「優しき歌Ⅱ」の「序の歌」と「Ⅰ爽やかな五月に」相当。所謂、「優しき歌Ⅱ」の方は、順列で過去に電子化注済みである)の注の最後で、

   *

 因みに、岩波文庫版杉浦明平編「立原道造詩集」(一九八八年刊)では、この従来の「優しき歌」を「優しき歌Ⅱ」として、それに先立って、「燕の歌」「うたふやうにゆつくりと⋯⋯」、ここに中標題「薊の花のすきな子に」を立てて、次篇以下にローマ数字を頭に打ちつつ「Ⅰ 憩らひ――薊の花のすきな子に」「Ⅱ 虹の輪」「Ⅲ 窓下楽」「Ⅳ 薄明」と続き、「Ⅴ 民謡――エリザのために」(この「Ⅴ」が冒頭のクレジットなしの「民謡」と「鳥啼くときに」・「甘たるく感傷的な歌」の三篇から構成される)と続き、その後に中標題「ひとり林に⋯⋯」が立って「Ⅰ ひとり林に⋯⋯」「Ⅱ 真冬のかたみに⋯⋯」「浅き春に寄せて」の都合、全十二篇からなるものを「優しき歌Ⅰ」として載せている。現物の解説を読んでいないので論評は避けるが、私はこの怪しげに極めて複雑怪奇な「優しき歌Ⅰ」群の存在規定と構成を現時点では、立原道造の想起企図していたプレ「優しき歌」群として、認める気には全くならないとのみ言いおくこととする。

   *

と乱暴に吐いたのであった。

 私は選集詩集の解説を蔑ろにする癖がある。以上を吐いた直後に杉浦版を入手してからも、ちゃんと解説を読んでいなかったことを自白する。既に、初回の解説・編註で引用した通りであるが、正直、ダラダラと長くて、通し見に終わる読者も多かろうから、杉浦氏の二群の「優しき歌」についての簡潔明快な新発見・編集経緯・事実記載を引用する。

   《引用開始》

○『優しき歌Ⅰ』風信子叢書第四篇、ソネット一二篇、初出は一九二五年から二七年まで入り混じっている。戦後『優しき歌Ⅱ』が編成されたのち、立原の遺品からこの『優しき歌Ⅰ』に収録する作品を並列したメモが出現、第三次全集委員会によって集成された。

○「優しき歌Ⅱ」角川書店から、一九四七年三月十日付『優しき歌』(飛鳥新書)として刊行。堀辰雄が小山正孝、野村英夫、中村真一郎の協力によって編集した。そのさい、中村の記憶に基づいてこの『優しき歌』が編成された。ソネット一一篇、全篇生前未発表、歿後に前六篇『四季』に掲載。使用された原稿用紙などから一九三七年初めから三八年八月ごろまでの作と推定されるし、『暁と夕の詩』に接続する詩集と考えれば、ほぼ妥当な見解としてよい。

   《引用終了》

 以上から、既に賢明な読者であれば、既知の当たり前のことであろうが、「優しき歌」の「Ⅱ」は、道造が亡くなってから八年後の昭和二二(一九四七)年になって、読者に知られたものであり、「Ⅰ」に至っては、本底本の角川書店「立原道造全集」の「第一卷 詩集Ⅰ」が刊行された昭和四六(一九七一)年六月、実に、死後三十二年になって初めて、読者が目にした詩群であったのであった。私の立原道造の初体験は、明確には憶えていないが、自由律俳句の「層雲」に加わった中学二年生(昭和四五(一九七〇)年)頃以降の後のことであろうと記憶する。実際に彼の詩集を纏めて読んだのは、高校生になってからであり、所持する最も古いものが、新潮社『日本詩人全集28』の「伊東静雄 立原道造 丸山 薰」で昭和五二(一九七七)年刊だから、既に大学三年、次ぐのは、角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」は昭和六一(一九八六)年改版三十版であるから、これは、高校教師となって七年後、二十七歳であった。但し、私はそれよりも前、教員になってすぐに、「草に寢て⋯⋯」を教授しており(一般に高校国語教師は詩の授業は大半が苦手であり、「あんなものは一切やらない」と豪語する奴らがゴマンといた)、正直、この詩に激しいシンパシィを受け、三度以上、後に教え子の結婚式で失恋の詩であるのに、確信犯で朗読したものだったから、私が真正の道造フリークとなったのは、二十代の初め、一九八〇年代初期である。されば、私が、この「優しき歌Ⅰ」を通読したのは、この世に出てより、十年以上あと、下手をすると、それより後、へたをすると、四十代前半、学校図書館で垣間見したことになろうかと思う。何故かと言えば、同新全集を持っていた勤務校が極めて限られるからであり、以上の私の過去の乱暴な注の批判的謂いから、味読した訳でもなく、寧ろ、その「優しき歌Ⅰ」全体の詩群構成全体に強い違和感を持っていた、と推定されるからである。

 而して、私は、今、現在も、「優しき歌Ⅰ」には違和感を覚えている。それは、それぞれの詩篇のレベルが低いというのでは、ない。要は、

★それらの相応に異なった心理的時間空間の中で形成された複数の詩篇を――そのような「群」としての連詩とする確信犯としての意志が――各詩篇の作詩当時にしっかりと構想としてあったとは思えない

からである。

 長々とお附き合い有難く存ずる。果して、「優しき歌Ⅰ」群に、そうした全体としての躓きのない総譜の曲たり足り得ているか? という大問題は、最後に、予定通り、改めて全詩を並べて見て、判断をすることとする。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、『「未成年」第6号 昭和11年5月号(5月1日刊)』とあり、さらに、『*初出は物語「ちひさき花の歌」(Ⅳ)の「ひとつのソネツト」。』とある。私は道造の「物語」物は電子化していないので、同全集で当該部を示す。ここ。確認した。全く同じである。また、『*式子内親王歌「ほととぎすそのかみ山の旅枕ほのかたらひし空ぞわすれぬ」『新古今和歌集』(岩波文庫)の「雑歌上」第一四八四番。』とあり、さらに、『*Nachdichtung (独)詩文の改作の意。』とある。この“Nachdichtung”は音写すると、「ナーハ・ディヒトゥング」で、辞書を見ると、「(文芸作品の自由な)翻案」とあった。和歌の私の注は、後注でする。]

 

  鳥啼くときに

    式子內親王《ほととぎすそのかみやまの》による Nachdichtung

 

ある日 小鳥をきいたとき

私の胸は ときめいた

耳をひたした沈默(しじま)のなかに

なんと優しい笑ひ聲だ!

 

にほひのままの 花のいろ

飛び行く雲の ながれかた

指さし 目で追ひ――心なく

草のあひだに 憩(やす)んでゐた

 

思ひきりうつとりとして 羽虫の

うなりに耳傾けた 小さい弓を描いて

その歌もやつぱりあの空に消えて行く

 

消えて行く 雲 消えて行く おそれ

若さの扉はひらいてゐた 靑い靑い

空のいろ 日にかがやいた!

 

 

[やぶちゃん注:「式子內親王《ほととぎすそのかみやまの》」注では『第一四八四番』とするが、「新編国歌大観」では『1486』番に変更されているので注意されたい。式子内親王(しよくし(しょくし)/しきし《のりこ》ないしんのう 久安五(一一四九)年~建仁元(一二〇一)年)は後白河天皇の第三皇女。母は藤原成子(しげこ:藤原季成の娘)、守覚法親王・亮子内親王(殷富門院)・高倉宮以仁王(もちひとおう)は同母兄弟。高倉天皇は異母弟。詳しくは、参照した当該ウィキを見られたい。和歌は、新日本古典文学大系11「新古今和歌集」(田中裕・赤瀬信吾校注/一九九二年刊)に拠った。「卷第十六 雜歌上」の一首。漢字表記は正字に代え、読みは一部で私が添え、上句と下句を分離した。

   *

  いつきの昔を思ひ出でて   式子內親王

ほとゝぎすそのかみ山の旅枕(たびまくら)

  ほのかたらひし空(そら)ぞ忘(わす)れぬ

   *

訳を引用する。『郭公よ。その昔賀茂山で旅寝した折のこと、お前がほのかに語りかけてきた、あの空のけしきを今も忘れない。』。語注も一部をカットして示す。西暦は半角であるが、全角で示した。

・「いつきの宮」『斎宮』(いつきのみや)『・斎院(さいいん)を「いつきの宮」』『という。ここは斎院であった当時。平治元年(一一五九)十月から嘉応元年(一一六九)七月病気で退下』(たいげ)『するまでの間。』。

・「そのかみ山」『その昔の意と「其神山(賀茂山)」(上賀茂神社の北北西にある標高三百一メートルの御神体の山である神山(こうやま)。ここ(「垂迹石(すいじゃくいし)」をポイントした。グーグル・マップ・データ))と掛詞。』。

・「旅枕」『賀茂祭の当日、神館』(かんだち:見よ注の示す「182」歌の注を引くと、『神職が参籠してして潔斎する殿舎。ここは賀茂の祭(四月中の酉)の当夜、斎院が一泊する上社の神館。』とある)『に一泊したこと。』。

・「かたらひ」『睦まじく話す。郭公の鳴き声をいう慣用語。』。

・最後に『参考』があり、「源氏物語」の「花散里」の帖から、

    *

をち返りえぞ忍ばれぬ郭公

   かたらひし宿の垣根に

   *

を引いてある。サイト「源氏物語の世界 再編集版」の「花散里」の当該部のガイド・ナンバー「1.2.3」を見られたい。現代語訳附きである。

「羽虫」の「虫」はママ。道造は「蟲」の字を特に嫌う傾向はないようで(嫌う近代作家作家は芥川龍之介を始めとして、結構、多い)、他では、「蟲」の字を用いており、混用している。]

2026/05/04

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  薊の花のすきな子に Ⅴ 民謠

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、民謠   立原道造である。これは、昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」の画像を用いたものであるが、必要があって、本底本で修正してしまってある。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、『「帝國大學新聞」 昭和101014日号』とあり、さらに、『*初出は殆んどルビ付であるが、本編は山本書店版第一巻のルビのみを採用した』とあるから、原稿は残っていないものと思われる。その旧全集の当該部はここである。また、『草稿詩『夏の旅』(本巻収)の副題「エリザの記念に」』とある。その草稿詩篇は、先般、「立原道造草稿詩篇 夏の旅」として電子化してある。]

 

  Ⅴ 民謠

     ――エリザのために

 

絃(いと)は張られてゐるが もう

誰もがそれから調べを引き出さない

指を觸れると 老いたかなしみが

しづかに歸つて來た⋯⋯小さな歌の器(うつは)

 

或る日 甘い歌がやどつたその思ひ出に

人はときをりこれを手にとりあげる

弓が誘ふかろい響――それは奏でた

(おお ながいとほいながれるとき)

 

――昔むかし野ばらが咲いてゐた

野鳩が啼いてゐた⋯⋯あの頃⋯⋯

さうしてその歌が人の心にやすむと

 

時あつて やさしい調べが眼をさます

指を組みあはす 古びた唄のなかに

――水車よ 小川よ おまへは美しかつた

 

 

[やぶちゃん注:添え題中の「エリザ」については、旧版「民謠」の私の注で、『「エリザ」』『中村氏の注によれば、これは「SONATINE No.1」冒頭の「はじめてのものに」の「エリーザベト」で中村氏が注している『ドイツの作家』『シュトルム』『の小説「みずうみ」の女主人公の名、めぐりあった少女をなぞらえたもの』の『エリザベートか?』と注する。』としてある。]

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  薊の花のすきな子に Ⅳ 薄明

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、薄明   立原道造である。これは、現在の国立国会図書館デジタルコレクションの昭和二二(一九四七)年角川書店刊立原道造「詩集 優しき歌」の画像を用いたものである。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、『「文藝汎論」第66号 昭和12年2月号(2月1日刊)』とあり、さらに、『第二聯第四行 ルビママ〈かほり〉』とある。底本全集の横断検索でも、詩集・物語・雜纂に、この表記があり、道造の慣用誤記であることが判る。]

 

  Ⅳ 薄明

 

音樂がよくきこえる

だれも聞いてゐないのに

ちひさなフーガが 花のあひだを

草の葉のあひだを 染めてながれる 

 

窓をひらいて 窓にもたれればいい

土の上に影があるのを 眺めればいい

ああ 何もかも美しい! 私の身體の

外に 私を圍んで暖く香(かほり)よくにほふひと 

 

私は ささやく おまへにまた一度

――はかなさよ ああ このひとときとともにとどまれ

うつろふものよ 美しさとともに滅びゆけ! 

 

やまない音樂のなかなのに

小鳥も果實(このみ)も高い空で眠り就き

影は長く 消えてしまふ――そして 別れる

 

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 Ⅰ  薊の花のすきな子に Ⅲ 窓下樂

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、「窓下樂   立原道造」である。これは、現在の国立国会図書館デジタルコレクションの、昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いたもので、編者に拠る読みのルビが、多数、加えられてあり、道造の誤表現(後述する)も直されてある。表題は道造の造語であるが、その読みは、中村氏の「さうかがく」で適切と思われる。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、初出は『「文藝汎論」第60号 昭和11年8月号(8月1日刊)』とある。

 なお、第四聯一行目の「あはてて」は、註にはないが、道造の誤り(慣用表現)であることが判明した。底本の全集を横断して調べたところ、彼は詩篇に限らず、書簡でも、しばしば「あはてて」と誤記していることが確認出来た。

 

  Ⅲ 窓下樂

 

昨夜は 夜更けて

步いて 町をさまよつたが

ひとつの窓はとぢられて

あかりは僕からとほかつた 

 

いいや! あかりは僕のそばにゐた

ひとつの窓はとぢられて

かすかな寢息が眠つてゐた

とほい やさしい唄のやう! 

 

こつそりまねてその唄を僕はうたつた

それはたいへんまづかつた

昔の こはれた笛のやう! 

 

僕はあはてて逃げて行つた

あれはたしかにわるかつた

あかりは消えた どこへやら?

 

 

[やぶちゃん注:第一聯一行目の「昨夜」は、私は、うっかり「さくや」と読みかけたが、中村氏のルビの「ゆふべ」が、確かに、しっくりくる。

立原道造「詩集 優しき歌」再起動版 詩集 優しき歌 I  薊の花のすきな子に Ⅱ 虹の輪

[やぶちゃん注:この再起動版に就いては、初回の冒頭注(詳細なプロジェクトの経緯及びオリジナルな特徴を述べているため、かなり長い)を見られたい。過去にランダムに電子化注したものは、「虹の輪   立原道造」である。これは、現在の国立国会図書館デジタルコレクションの、昭和六一(一九八六)年改版三十版角川文庫刊中村真一郎編「立原道造詩集」を用いたもので、編者に拠る読みのルビが、多数、加えられてあり、歴史的仮名遣の道造の誤り(後述)も修正されてある。

 今回の底本は、国立国会図書館デジタルコレクションの「立原道造全集 第一卷 詩集I」(一九七一年角川書店刊)を用いる。総標題ページはここで『優しき歌 I 風信子叢書 第四篇』(下方の二つの附属表記は底本ではポイント落ち。「風信子」は「ヒアシンス」と読む)とあり、本篇はここで、編註はここである。それに拠れば、初出は『「文藝汎論」第60号 昭和11年8月号(8月1日刊)』とある。而して、その後に、『*初出副題は『夏への四つのプレリユウド』から」』であるが、その『副題の示す他の三篇は未詳である。』とある。さらに、『「文藝汎論」同年10月号の「各人各説』欄に立原の訂正文がある。「『虹の輪』がどうしたことか、第二聯の四行になる筈のところが一行にい組まれてをりましたので、ソネツトのやうに書いたのが、何か散文詩のあひのこのやうに見えました」(全文)」とあり、以下に『以上により、本篇の詩型は山本書店版第一巻に従った。』とある。この拠ったそれは、国立国会図書館デジタルコレクションのここからである。さらに、『第二聯第四行 初出ママ〈おののく〉』とある。「おののく」は「戰く・戰慄く」で歴史的仮名遣は「をののく」が正しい。最後に雑誌『文藝汎論』に就いて、『詩人岩佐東一郎によって創刊された』半『営業的月刊誌(創刊昭和6年9月・終刊19年2月)。』とある。

 なお、この註にある未詳の「夏への四つのプレリユウド」は、一つの仮説に過ぎないが、これは、先行する「詩集 優しき歌 I  燕の歌」と、「詩集 優しき歌 I  うたふやうにゆつくりと⋯⋯」と、「詩集 優しき歌 I  薊の花のすきな子に I 憩らひ ――薊のすきな子に――の三篇のそれぞれの初稿に、これを加えて纏めた初期構想詩篇である可能性が、一番、あり得るのではないか? とも思われる。心情的には、その四篇のみを並べて、電子化して見たい欲求が強く生じているのだが、これは証拠が一切ないから、涙を呑んで、やめる。

 なお、第二聯三行目の「刃金」の「刃」は異体字で、「刅」の右側の「ヽ」を除去した「グリフウィキ」のこれであるが、表示出来ないので「刃」とした。「刅」なら表示出来るのだが、私は生理的に、この異体字が極めて嫌いであり、また、「刅金」を素直に「はがね」と一瞬には読めずに戸惑う若い読者のことを考えて、「刃」としたものである。]

 

  Ⅱ 虹の輪

 

あたたかい香りがみちて 空から

花を播き散らす少女の天使の掌が

雲のやうにやはらかに 覗いてゐた

おまへは僕に凭れかかりうつとりとそれを眺めてゐた

 

夜が來ても 小鳥がうたひ 朝が來れば

叢に露の雫が光つて見えた――眞珠や

滑らかな小石や刃金の叢に ふたりは

やさしい樹木のやうに腕をからませ おののいてゐた

 

吹きすぎる風の ほほゑみに 撫でて行く

朝のしめつたその風の……さうして

一日(ひとひ)が明けて行つた 暮れて行つた

 

おまへの瞳は僕の瞳をうつし そのなかに

もつと遠くの深い空や晝でも見える星のちらつきが

こころよく こよない調べを奏でくりかへしてゐた

 

[やぶちゃん注:「刃金」に違和感を感ずる読者は多いであろうから、一言言っておくと、これは、不安感覚の換喩である。この聯は、語りの推移がポジティヴなものから、ネガティヴなものへと、途中で、微妙に順々に変容していることに気づく。

「夜が來ても 小鳥がうたひ 朝が來れば」/「叢に露の雫が光つて見えた」と語り出しながら⋯⋯

⋯⋯しかし、そこには「――眞珠」のような幸せの期待があるように感じさせる⋯⋯と同時に、フラットな硬い冷たい質感覚を引き出す仕掛けが隠れている⋯⋯

⋯⋯「や」(小さいメタモルフォーゼのブレイク)を挟んで⋯⋯/素敵な「眞珠」ではない「滑らかな小石」へと、暗転の仕掛けを持たせてある。⋯⋯

⋯⋯この「滑らかな」は、一見、心惹く何かの対象の形容のようでありながら、⋯⋯

⋯⋯それは、逆に、何か「小石」の持つ――硬質でネガティヴな⋯⋯ふと⋯⋯知らず知らず⋯⋯躓(つまず)いてしまう「小石」へと感性上の暗がりへと移っていく⋯⋯

⋯⋯而して⋯⋯遂に――冷たい不吉な――触れれば、ぱくりと、傷を開かせる――恐ろしい「刃金」(はがね)へと⋯⋯朝の光を――鋭く――冷たく反射するもの、冷たく突き刺すイメージへと落ちてゆくのである⋯⋯

⋯⋯だからこそ「ふたりは」/「やさしい樹木のやうに腕をからませ」て、「おののいてゐた」のである。

さても、この――おののき――は、単なる恋人たちにありがちな漠然とした二人の恋の行方(ゆくえ)の不安感なんぞではない、と断言する。ここにあるのは、道造が宿命的に背負っていたと疑っている強迫性神経症症状、或いは、双極性障害(躁鬱病)に起因する漠然とした人生そのものへの無力感・不成就の虞(おそ)れ、芥川龍之介の「ぼんやりとした不安」と同質のものであったと言ってもよいように、私は感じている。

 

より以前の記事一覧

その他のカテゴリー

Art Caspar David Friedrich Miscellaneous Иван Сергеевич Тургенев 「にんじん」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ヴァロトン挿絵+オリジナル新補注+原文)【完】 「プルートゥ」 「一言芳談」【完】 「今昔物語集」を読む 「北條九代記」【完】 「博物誌」ジュウル・ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文)【完】 「和漢三才圖會」植物部 「宗祇諸國物語」 附やぶちゃん注【完】 「新編鎌倉志」【完】 「日本その日その日」E.S.モース 石川欣一訳【完】 「明恵上人夢記」 「栂尾明恵上人伝記」【完】 「淸國輸出日本水產圖說」 「無門關」【完】 「生物學講話」丘淺次郎【完】 「甲子夜話」 「第一版新迷怪国語辞典」 「耳嚢」【完】 「諸國百物語」 附やぶちゃん注【完】 「進化論講話」丘淺次郎【完】 「鎌倉攬勝考」【完】 「鎌倉日記」(德川光圀歴覽記)【完】 「鬼城句集」【完】 アルバム ジョン・ミリングトン・シング著姉崎正見訳「アラン島」【完】  ソヴィエト映画グレゴーリー・チュフライ監督作品「誓いの休暇」論 或いは 待つ母というオマージュ【完】 中原中也詩集「在りし日の歌」(正規表現復元版)【完】 中島敦 中島敦漢詩全集 附やぶちゃん+T.S.君共評釈 人見必大「本朝食鑑」より水族の部 伊東静雄 伊良子清白 佐々木喜善 佐藤春夫 兎園小説【完】 八木重吉「秋の瞳」【完】 北原白秋 十返舎一九「箱根山七温泉江之島鎌倉廻 金草鞋」第二十三編【完】 南方熊楠 博物学 原民喜 只野真葛 和漢三才圖會 禽類(全)【完】 和漢三才圖會 蟲類(全)【完】 和漢三才圖會卷第三十七 畜類【完】 和漢三才圖會卷第三十九 鼠類【完】 和漢三才圖會卷第三十八 獸類【完】 和漢三才圖會抄 国木田独歩 土岐仲男 堀辰雄 増田晃 夏目漱石「こゝろ」 夢野久作 大手拓次 大手拓次詩集「藍色の蟇」【完】 宇野浩二「芥川龍之介」【完】 室生犀星 宮澤賢治 富永太郎 小泉八雲 小酒井不木 尾形亀之助 山之口貘 山本幡男 山村暮鳥全詩【完】 忘れ得ぬ人々 怪奇談集 怪奇談集Ⅱ 日本山海名産図会【完】 早川孝太郎「猪・鹿・狸」【完】+「三州橫山話」【完】 映画 杉田久女 村上昭夫 村山槐多 松尾芭蕉 柳田國男 柴田天馬訳 蒲松齢「聊斎志異」 柴田宵曲 柴田宵曲Ⅱ 栗本丹洲 梅崎春生 梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注【完】 梅崎春生「桜島」附やぶちゃん注【完】 梅崎春生日記【完】 橋本多佳子 武蔵石寿「目八譜」 毛利梅園「梅園介譜」 毛利梅園「梅園魚譜」 江戸川乱歩 孤島の鬼【完】 沢庵宗彭「鎌倉巡礼記」【完】 泉鏡花 津村淙庵「譚海」【完】 浅井了意「伽婢子」【完】 浅井了意「狗張子」【完】 海岸動物 火野葦平「河童曼陀羅」【完】 片山廣子 生田春月 由比北洲股旅帖 畑耕一句集「蜘蛛うごく」【完】 畔田翠山「水族志」 石川啄木 神田玄泉「日東魚譜」 立原道造 篠原鳳作 肉体と心そして死 芥川多加志 芥川龍之介 芥川龍之介 手帳【完】 芥川龍之介 書簡抄 芥川龍之介「上海游記」【完】 芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈)【完】 芥川龍之介「北京日記抄」【完】 芥川龍之介「江南游記」【完】 芥川龍之介「河童」決定稿原稿【完】 芥川龍之介「長江游記」【完】 芥川龍之介盟友 小穴隆一 芥川龍之介遺著・佐藤春夫纂輯「澄江堂遺珠」という夢魔 芸術・文学 茅野蕭々「リルケ詩抄」 萩原朔太郎 萩原朔太郎Ⅱ 葡萄畑の葡萄作り ジユウル・ルナアル 岸田國士譯( LE VIGNERON DANS SA VIGNE 1894 Jule Renard) 戦前初版【完】 蒲原有明 藪野種雄 西尾正 西東三鬼 詩歌俳諧俳句 貝原益軒「大和本草」より水族の部【完】 野人庵史元斎夜咄 鈴木しづ子 鎌倉紀行・地誌 音楽 飯田蛇笏