[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。]
或る朝
目がさめると、どうも具合がへんなんで、右の眼をとぢると、そこにある景色は、僕の眠つた部屋とすこしちがつてゐる。第一、窓の外の空はきれいすぎるし、それに天井には並の反射が搖れてゐる。だが、左の眼をとぢると、やつぱりいつもの着物だとか壁にぶら下つた僕の描いた鷄と向日葵の繪だとかよく見えるのである。よくよくへんなので、もう一ぺん右の眼をとぢたら、今度は、僕の身體が自然に天井の方へ浮き上がつてしまつた。それで、僕は、まだ眠りが半部のこつてゐるんぢやないないかしらと思ひながら、仕方なしに起きあがつたのである。
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここ、底本の注記はここから視認出来る。]
日曜日
散步する人は手にシグナルを持つてゐる
「秋」は雲の手巾をポケツトにいれてゐる
[やぶちゃん注:「手巾」私のブログ・カテゴリ「立原道造」には、現在、二百四十二篇の作品を電子化しているが、詩句の中に使用されるものは、「ハンカチ」が五作品、「ハンケチ」が一作品である。この内、後者は現在進行中の前期草稿篇の「(四月の空は……)」の【初期形】での使用で、【改稿形】で「ハンカチ」に書き変えてある。従って、「ハンカチ」の読みの可能性が強いと判断する。]
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここ、底本の注記はここから視認出来る。そこに、『原型はノートの』昭和七(一九三二)年の『9月5日のページの「秋」。』とし、同全集「第六卷 雜纂」のここからである。初稿は「☆」を入れた二パートになっている。]
【初稿】
秋
パン屋の店先に
黑犬とパン屋の主人がゐる
ポストがある ポストは赤い
僕は身輕に町に浮かんでゐた
蜃氣樓のなかの人のやうに――
魔術は四つ角がしてくれる
冬へ電報を打たねばならない
そろそろ靑空がこはれはじめると
☆
硝子屋が町を通りますから
靜かに眠つていらつしやい
【決定草稿】
秋
パン屋の店先に黑犬とパン屋の主人がゐる。ポストがある。ポストは赤い。
僕は、間ちがへて身輕に町に浮かんでゐた――蜃氣樓のなかの人のやうに。ありありと時間が見える。⦅冬へ電報を打たねばならない⦆町の靑い空を硝子屋が町を通りすぎる。この手品はそのせゐだ。
[やぶちゃん注:初稿の「魔術は四つ角がしてくれる」は、多くの軽井沢に冥い読者は、ここで、まさに「四つ角」に立ち尽くして、戸惑ってしまうであろう。旧中山道の旧軽井沢銀座商店街を知っている読者(私も知っている部類に入る。私は小学生の時、父の同僚が著名な女優の兄であったことから、ひと夏を過ごしたことがあるのである)は、高い確率で、腑に落ちるややいびつな四つ角が想起出来る。現在のパン屋や郵便局で。但し、この詩の指す「四つ角」を特定し得るわけではないから、私も、一瞬、立ち止まった。されば、やはり当地を知らない人には、どうしてもここで戸惑ってしまうと道造は思ったのだろう。さればこそ、草稿では外したのが、よく判るのである。]
[やぶちゃん注:底本は初回を見られたい。本篇はここから、底本の注記はここから視認出来る。そこに、『原型はノートの』昭和七(一九三二)年の『8月6~14日中の「蟲の午後」。』とし、同全集「第六卷 雜纂」のこれである。さらに、『原記は「六章」となっているが、同一の書き方による短詩が七篇あるので、立原の誤記と考え改めた。即ち、第一枚目第二行に総題「蟲の午後 六章」があり、詩題は第四行目に記している。そして第二枚目かた第八枚目まではすべて第三行目に詩題を置き、書体も同じである。』とある。編者の修正を採用した。]
【原型】
蟲の午後
螢
陽氣な螢は赤い襟卷をして けれどお前のマント
それは年よりじみる程お前黑すぎる
蟻
足の多すぎた牡牛に似てゐる黑い顎 黑い頰 黑い角
虻
お前のよんでゐる法律の本
ときどき大工たちのやうにお前は空と喧嘩することもある
蛇
原つぱの中の急行列車!
かまきり
これは原つぱの作曲家
草色のフロツクコートを 澄まして
未來派の散步をする
どうしてなかなか紳士です
ばつた
原つぱの艷歌師 ヴアイオリンの𥡴古
お前が一番音樂はまづいやうです
虻
ひとりで本を讀んでゐたら 誰かがはなしながらやつて來る おや ききおぼえのある聲 ふりかへつてみれば 何だ お前ぢやないか
蜂
《白い壁 蜜と花粉 東風と朝の雲
居心地のよい住居です》
そんな貸家にお前は住んでゐる
[やぶちゃん注:「東風」は「ひがしかぜ」でよい。「こち」では、この場合、前の二つの対句のリズムを乱す。]
蜂
或る日帽子のなかに ひつそり蜂が死んでゐた それがあんまりきれいだつたので 僕にはこの帽子が僕のものでないやうな氣がした
【草稿決定稿】
蟲の午後 七章
蛇
原つぱの中の急行列車!
僕を連れて
叢の郵便局へ……
虻
しよつちゆう讀んでゐる法律の本
ときどき大工たちのやうに喧嘩することもある
蟻
黑い顎
黑い角
お前の顏が
黑い牡牛に似てみえる
蜂
《白い壁
蜜と花粉
この百合の花が
けふの私のすまひです》
螢
螢は赤い襟卷をして
けれどお前のマント
としよりじみて見える程
それはお前に黑すぎる
蛾
霧のなかには古い心が住む
うつとりと夜の灯をともすな
灯のそばにおとぎ話がやつて來る
おとぎ話は黑い蛾である
[やぶちゃん注:「灯」の読みは、全体の音律から考えて、間違いなく「ひ」である。]
かまきり
これは原つぱの作曲家
草色のフロツクコートに 澄まして
未來派風の散步をする
どうしてなかなか紳士です
[やぶちゃん注:これは、まず、ジュール・ルナールの「博物誌」(Jules Renard “ Histoires Naturelles ”:私の最新版の『「博物誌」ルナアル作・岸田國士譯(正規表現版・ボナール挿絵+オリジナル新補注+原文)』をリンクしておく)が念頭にあろうかと思われるであろう。道造は、フランス語も勉強し始めていた時期であり、彼が、原文(かなり平易なフランス語である)で読んだであろうという推測は、別段、無理はない。しかし、私は、彼が親しくして貰っていた堀辰雄の師匠である芥川龍之介の、もろに「博物誌」を真似た、「動物園」(大正九(一九二〇)年一月、及び、十月発行の雑誌『サンエス』に分割掲載され、後に『夜來の花』に所収された。リンク先は私のサイト版である)をお手本にしたものとする方が、正確であると考える。道造は芥川龍之介を愛読してもいたからである。軽井沢という三者の関わりでも一致するからである。芥川の「動物園」は、私は、如何にもの「博物誌」の引き写し部分等、複雑な心境になる小品であり、芥川の作品の中では、特異的に高く評価しないものでは、ある。されば、道造のこれは、カリカチュアとして面白いには面ものの、龍之介のそれよりも、さらに、やはり、高くは、買えない。彼自身も、そうした後ろめたさがあったからか、実際の発表詩群には、含まれていない。但し、【初稿】の最後の「蜂」は、道造らしい、いい一篇と評価するものである。]
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