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カテゴリー「梅崎春生」の338件の記事

2022/05/05

ブログ・アクセス1,720,000突破記念 梅崎春生 傾斜 (未完)

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二三(一九四八)年八月号『世界文化』に発表され、後の作品集「ルネタの市民兵」(昭和二十四年十月月曜書房刊)に所収された。なお、底本解題によれば、『雑誌掲載のとき、末尾に「第一章終」と記されていたが、これ以後書きつがれてはいない』という注記があったので、標題には、上記の通り、未完表記をし、末尾には上記のそれを丸括弧附きで加えておいた。

 底本は「梅崎春生全集」第二巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。文中に注を添えた。なお、これを以って底本である沖積舎版「梅崎春生全集」第二巻は「風宴」・「蜆」・「黄色い日日」を除いて総ての電子化注を終えた。「蜆」は、偏愛する「幻化」「桜島」を除き(以上のリンク先は私のPDF縦書版オリジナル注附き)、梅崎春生の名品五本指に入れるほど、好きな作品だが、この三篇は向後も電子化はしない。何故なら、「青空文庫」で先に電子化されてしまっているからである。私は単なる私個人の私の慰みとしての電子化は、する気が、全く、ないのである。「幻化」と「桜島」はそちらにあるが、これはパブリック・ドメインになった二〇一六年一月一日から独自に満を持して電子化注をこのブログで開始し(「幻化」はここ、「桜島」はここ)、「青空文庫」のデータは、私の本文では、一切、使っていない。正直、「青空文庫」の「梅崎春生」というと、個人的な恨みがあるのである。その二〇一六年の半ば過ぎ頃だったが、私のブログを批評したネット上の無名ページを発見し、そこでは、私のブログ版「桜島」の、オリジナル注附けを批判し(注の中身に対しての批評ではなくて、詳注を附けること自体が悪いというのだから、失笑物さね。じゃあ、来なきゃいいし、見なきゃいいんだから。というより、『こんなブログを読まないで「青空文庫」にいらっしゃい』感が、これ、見え見えだった訳だ)、それどころか、今じゃボケ過ぎていて大笑いだが、私のことを『「青空文庫」に梅崎春生があるのに、わざわざ梅崎春生の作品を電子化している』暇人呼ばわりしてあったのだ。そんなこたぁ、上のリストの全十六篇という恐ろしい乏しさでは、もう逆立ちしても、言えねえよな? 要はあのブログ(タイトルなし・プロフィルなし)主は同文庫のシンパの、文字通りの闇の「工作員」だったのだろう。因みに言ってやる! 「私の梅崎春生の電子化注は今や、悪いな、工作員! 三百四十篇近くになるぜよ! クソ野郎!」。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが近日内に、1,720,000アクセスを突破する記念として公開する。正直、公開を待つのに飽きただけさ。悪しからず。【二〇二二年五月五日午後八時五十四分:藪野直史】]

 

   傾  斜

 

 その家には玄関がなかった。その上奇妙なことには、便所というものが何処にもついていなかった。

 母家の方は三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]で、それにひろい縁側がついており、家族は其処から出入していた。時にお客があることがあってもその縁側で応対した。どういう大工が建てたのか判らないけれども、とにかく家としてはあらゆる虚飾を切り捨てた裸のままの家であった。ただ住むだけを目的として建てた家のかたちであった。玄関を切りすてた精神は彼にも判らないことはなかったが、便所を省略した気持がどうしても解しかねた。あるいは大工がぼんやりしていて造り忘れたにちがいないとも思ったが、それにしては間取りや採光にこまかい注意がはらわれていた。不注意な大工にはとてもできそうもない配慮があった。

 そこには鬼頭鳥子一家が住んでいた。

 母家からすこし隔てて離れがあった。離れといっても藁葺(わらぶき)の、もとは納屋(なや)かなにかに造られたらしい一棟だが、それを板でふたつに仕切って、片方が厩(うまや)、のこり半分に畳を入れて小部屋となっている。その部屋に彼は住んでいた。そして月額二百円の部屋代を鳥子に払ってした。もちろん納屋造りだから母家にくらべて造作が粗末で、窓だって格子(こうし)はあるが引戸が無く、雨の日は自由に降りこんできた。仕切の板の節穴からは厩がのぞかれた。押入れも棚もなかった。むろん便所など気の利いたものはついて居なかった。だから彼は特別の場合をのぞいて使所は勤め先に着くまで辛抱した。

 母家の前は広い空地で、花苑になっていた。そこには花花がみだれ咲いていた。華麗な季節のいろがみなぎってした。花苑のすみに板を二枚わたし、その下に大きな甕(かめ)が埋めてあって、それが便所であった。板がこいも何もなかった。ただその前に躑躅(つつじ)が二本植えてあったけれども、完全な遮蔽(しゃへい)の役は果してはいなかった。道路とは密生した杉垣でくぎられていたから、見えるおそれはなかったけれども、庭のなかからだと、角度によってはそんなわけには行かなかった。

 鳥子の家は、三人家族であった。鳥子には、花子と太郎というふたりの子供があった。この家族のなかで、彼が初めて逢(あ)ったのは、娘の花子であった。

 革手帳の所書きをたよりに、この家を訪ねあてたとき、玄関らしいものが見当らなかったので、彼は家の前ですこしまごついた。どこで案内を乞うていいのかと、ためらって立っていると、縁側の方から、どなたですか、という声がした。そして、人影がそこにあらわれた。それは女の姿であった。

 縁側に立った女をひとめ見たとき、彼は思わず視線を浮かした。女の顔は、火傷のために、醜くひきつれていた。皮膚に茶褐色の凹凸があって、表情がそれで消えていた。戦野でも、顔を焼いた兵の顔は、たくさん見てきたが、これが女の顔であるだけに、彼は平気になれなかった。すこしたじろいで視線を外(そ)らしかけたが、外らすことがかえって相手を侮辱することになると、彼は気持をひきしめた。そのとき女がかさねて言葉をかけた。

「なにか御用なんですか」

 それは明るく澄んだ声であった。

 彼がこの家を訪ねてきた理由を、すこしずつ話し始めたとき、とつぜん女が彼のことばをさえぎって、口早に問いかけた。

「それでお父さんと、どこで逢ったの。いつごろのことなの?」

 この女が花子であると判ったとき、彼はある烈しい衝動を胸にうけて、思わずだまりこんだ。そうすると花子は、彼の沈黙を落胆と感じたらしく、すこし身体を乗りだすようにして、沈んだ口調になって言った。

「お父さんは死んじまったのよ。船が沈没して――」

 お父さんと逢ったのはどこか、と花子が問いかけた瞬間、それは彼にも感じられたことであった。花子の語調には、あきらかにそのようなものを含んでいたのである。彼は佇立(ちょりつ)して、なおしばらく花子の顔を、こんどはためらわず眺めていた。ある贖罪(しょくざい)に似た気持が、彼の胸にいっぱいになってきた。花子にたいして、償うべきどんな罪も、現実には彼は犯していなかったのだけれども。

 あるいは部屋を貸してもらえるかと思って来たんだという彼の言葉を、花子が素直にうけたらしいのも、彼のこの引け目の気持をまっすぐ感じ取ったせいかも知れなかった。花子はその声と身のこなしで、急に彼の気持に近づいてきた。

「部屋はないこともないのよ。しかしひどい部屋よ」

 花子にみちびかれて、離れの部屋をみたとき、彼はすこしおどろいた。漠然と部屋というものに対する概念が彼にあったから、彼はこの部屋の荒れかたにおどろく気持がおこったので、南の島での生活を考えれば、おどろく筈のことはなかった。それは細長い変な形の部屋で、板仕切でむこうと隔てられていた。今のところが仮住居で、今日明日にも出なければならぬことでもあったし、他にあてもないことであったから、彼はわらでも摑(つか)む気持でいた。

「貸していただくとしても、あなた一存で」

「いいのよ。どうせあいてるんですもの」

 花子はそう答えた。

 その夜荷物をはこんで、彼はひっこして来た。荷物といっても、ほとんどなかった。そして母親の鬼頭鳥子とあった。

 もう四十を少し越えたように見える頑丈な婦人であった。肩の幅など彼よりももっと広いように見えた。坐っている膝の厚みも一尺は確かにあった。きちんと両掌を乗せて、自分達一家のことを簡単に話した。鳥子の眼はキラキラ光り、人を射すくめるような強い光があった。彼は膝もくずさず畏(かしこま)ってその話を聞いた。

「神様の御導きによりまして――」

 家族三人が餓えもせず大過なく現在を暮して居るという話なのであった。離れの部屋も別段貸す必要はないけれども、此の住宅難の時代に空部屋があることは神の意志に反するから、困って居る人に貸すことに決意したということであった。それにしては部屋代二百円は高いと思ったけれども、復員後金に対する観念が彼には混乱して判らなくなっていたから、或いはこの程度が相場なのかも知れないとも思った。

 それから彼は離れに行き、夜具をしいて横になった。この部屋はなにか臭いがすると彼は思った。嗅ぎ慣れた臭いだと思ったが、何の臭いか思い出せなかった。寝がえりをうとうとした時、板仕切になにか固いものがぶっつかる音がした。その音は一寸やんでまた二三度続けて聞えた。彼はおどろいて布団の上に起き直った。板仕切の向うに何者かがいるに違いなかった。彼は暫(しばら)くそうしていたが、またひとつ音がしたので思い切って立ちあがり、土間におりて扉をあけ、月明りの庭をこの棟の反対側に足を忍ばせて廻った。此の離れは何だか細長い造りだった。横木が一本渡してあってそこから首を出しているものは、月の光に照らされて、紛れもない馬の顔であった。

 「馬が!」

 叫びかけて彼はあわてて口を押えた。

 馬はながい頸(くび)を横木にもたせかけ、立ちすくんだ彼の姿を怪訝(けげん)そうな横目で見つめていた。たてがみが耳の辺や頭にふかぶかとかぶさっているが、小さな月の輪の形を宿した瞳のいろはむしろ温く光っていた。彼はやっと驚きから恢復(かいふく)して馬の方に近づいた。

 それは夜の光の中でもかなり老廃した馬の姿であった。彼が近づくと餌でも持って来たと感違いしたものか、顔を彼の方にすりよせながら、しきりに足踏みしはじめた。後脚の蹄(ひづめ)が時折板仕切に触れてかたい音を立てた。先程の音はこれに違いなかった。おれは馬と同居している、という奇妙な感慨が彼の胸をよぎったのはこの時である。馬の鼻息を裸の胸にかんじながら、それがやがていいようもない不思議な感覚となって彼の身体中に拡がって来た。ある過去から現在にわたる長い悲喜を、今この一点に凝集したような切なさがあった。ただその切ない感じだけが、彼にははっきり判った。その他の事はなにも判らなかった。彼は馬の真似のように自分も足踏み始めながら、次第に気持がいら立って来るのを感じはじめた。

 しかし彼は翌日から平凡な顔をして勤めに通いはじめた。都心の事務所まで電車で二時間近くかかった。出勤時刻はさほど厳格ではないのであったが、然し厠(かわや)の関係があるので彼はたいてい早く家をでた。庭の厠を遠慮なく使うよう鳥子は言ったが、夜分ならともかく白日の光の下では彼は其処を使う気になれないのである。軍隊にいる時でも彼は過敏にその意識をまもって来た。見通しのきくところで肉体を曝(さら)すことが、彼には堪えがたい生理的な不安を起させるのであった。此の不安はしかし、彼の内部にひそむ或る意識と頑強にからみ合っていた。それは彼にはっきり判っていた。

 勤めに出るため庭を通るとき、彼の視線はどうしても独りでそこに行く。それは強迫観念みたいに避けられなかった。誰もいないことが確められると彼はほっと肩を落すが、躑躅(つつじ)の花かげにしろい姿体を見出すと、にわかに頭に血がのぼり彼は視線を宙に外らす。恥かしがるべきはおれではなく向うではないかと思っても、顔のほてりが自然にそれを裏切った。鳥子や、花子ですらも、その事には平気で無関心に見えた。羞恥を超えた自然の営みに見えた。

 事務所は京橋にあった。昼間の何時間かを彼はそこですごした。

 郊外の駅からまた歩いて鬼頭家の門をくぐる時、それでも彼の眼は迷ったように花苑の方に流れる。躑躅は紅い花を、藤は青い花房を夕昏(ゆうぐれ)に垂れていた。彼はそれを瞳に収めて離れの方に足を運ぶ。花々は日に日に美しかった。此処だけが別の世界のようだった。此の苑は花子が作ったのかと彼は始め漠然と考えていたが、そうではなかった。花を植え花を育てるのは息子の太郎だった。

 太郎は頭の大きな、黙りこくっているとむしろ陰欝な感じのする子供であった。彼が離れに住むようになっても、太郎はほとんど彼に興味を示さないように見えた。ある日彼が少し早く家に戻って来る途中、道を切れた草原の土管のかげで、四五人の子供が集って賭博(とばく)に耽(ふけ)っているのに気がついた。南の島で彼は退屈まぎれに賭博に熱中した時期があったから、人が四五人集って、それが賭博をやっているかどうかは、感じで敏(さと)く見分けられた。それは雰囲気で判った。草原に入って彼はその群に近づいた。子供達は彼を見てもおそれる気配はなかった。おそろしい人とそうでない人を彼等は本能的に弁別するらしかった。その中に太郎がいた。

 南方で彼はやはり此の年頃の少年たちが賭博に耽っている情景を、何度となく見て来た。しかし内地の風物の中で日本の子供達が骰子(さいころ)を振っているのを見ると、何だか奇妙な感じだった。太郎のような子が骰子の目の動きに一心に打ち込んでいる顔付は少し恐い気もした。南方の子供をながめた眼と、ここの子供をながめる今の彼の眼は、たしかに変化していた。そのことを彼はぼんやり感じていた。その時太郎が顔を上げて彼を手まねいた。

「小父さんもやらないか」

 曖昧な笑いをつくったまま彼はそこを離れて歩き出した。すると太郎は立ち上って追って来た。

「離れのおじさん。俺とやんねえか。あんな子供たちとやっても面白くないんだよ」

「あんな子供たちって、お前も子供じゃないか」と彼は笑いながら言った。太郎は両手を彼の腰に廻して、身体ごとぐいぐい押すようにした。

 しかし暫くの後、馬のいない厩(うまや)で藁(わら)に埋もれ、彼は太郎と向き合って賭博を始めていたのである。始めは彼も退屈しのぎのつもりだったが、だんだん此の遊びに引き入られ始めていた。太郎はなかなか手強かった。勝つと太郎は揶揄(やゆ)するような短い笑声をたてた。彼は本気に殷子をふった。やがて厩から出て来た時には、彼は若干の金を太郎から捲きあげられていたのである。しかし彼は久しぶりに実のある仕事をしとげたような寛(ひろ)やかな感じが、彼の身体を領していることに気付いた。此の感じは長乍・忘れていたものだった。別れるとき太郎は、その中に綺麗(きれい)な花をやるから又やろうな、と言った。

 花は欲しいと思ったが彼は部屋に花をさすべき瓶すら持たなかった。彼はただ咲き乱れた花苑を勤めの行き帰りに一瞥することだけで満足していた。そしてその度に、太郎の丹誠への情熱はどこから来るのかとぼんやり考えた。しかしその事よりも、鳥子が此の庭を菜園とせずに太郎の花苑に任し切りであることが彼には不思議だった。

 鳥子が馬を買い運送の仕事をはじめるについての資金は、夫の兵太郎の殉職に対する船会社の見舞の金であった。しかし運送の仕事は表業で、鳥子は今はもっと利の多い所業に専心しているらしかった。運送業の儲(もう)けだけでも馬鹿にならなかった。朝八時頃になると鳥子はすっかり身仕度して厩(うまや)にやってくる。古い船員服を改造した服をまといゲートルを脚に巻いていた。頑丈な体軀(たいく)だからそれがまた良く似合った。空気を押し分けるようにしてあるいて来る。馬を叱咜(しった)して厩から引き出して荷車の轅(ながえ)につけると、やがて車輪の音を響かせながら何処かへ出て行く。

 夕昏になると鳥千と馬は戻って来る。荷は空の時もあるが、筵(むしろ)におおい隠された荷物が積んであることもある。鳥子はひとりでそれをかついで奥の八畳の間に運び込む。それが米俵らしいこともあったし、塩の袋でもあったし、また何を詰めたか判らない梱(こおり)のこともあった。近隣の話では鬼頭家に聞けばどんなものでも売って呉れるという話であったし、その売買の場を彼は見かけた事もある。それならば運送屋は表むきで、実は闇屋ではないかと始めて彼は気付いたが、しかしもうそんな事には彼は驚かなくなっていた。復員後そんなことには麻痺していた。人を疑うことはなかったが、人を信ずる気持からは離れていた。それで裏切られる驚きはなかった。すっかり八畳に運びこむと鳥子は馬を轅からはなして厩に追いいれる。[やぶちゃん注:「梱」ここは行李に同じ。]

 馬は実にたくさん食べた。

 朝は六時になると鳥子が厩に餌桶(えおけ)を持って来る。それから出発。昼の餌は車に積んで行き、帰って来て直ぐに一度。六時。八時。十一時に食わせる。これはみな鳥子がやった。そして真夜中の二時頃彼が眼をさますと、厩に餌箱を持ってきた音がする。この真夜中の餌だけは花子の役であった。仕切の節穴から覗くと、花千がもつ提燈(ちょうちん)の光のなかで馬は懸命に食べている。花子は薄い寝衣のままそれを見ながら、何時も小声で歌をうたっている。讃美歌であった。それは何時も同じ旋律の同じ文句であった。暗い感じの節だった。

 

  のどけきそらと  みるがうちに

  やがてほのおは  ふりきたれり

 

 馬は温和な表情で、しきりに顔を餌箱に出し入れした。提燈の薄い光のなかでも、馬の影は毛が伸びすぎて脚が畸形にみじかい感じであった。夜みても老廃のいろが濃かった。昼間の光の下で初めて彼がこの馬をながめたときの驚きは、いまでも彼の頭に残っている。それは衰順そのままの影だった。一眼見るなり彼はかすかな嘔気(はきけ)がこみ上げてきたほどであった。夜の馬のすがたの方が彼には親しみやすかった。

 夜になると馬はときどき仕切板を蹴った。最初の中は彼はそれが気になって眠れないのであった。此の馬は昼中あんなに働いてくる癖に、夜中になってもほとんど眠らないらしかった。馬は眠らなくとも彼は眠る必要があるので、彼は馬に対してあまり面白くない気特であった。ある日彼は勤めの帰りに睡眠剤を買いもとめて来た。馬に服用させる心算(つもり)なのである。四辺(あたり)が寝静まってから彼は薬を湯でとき、人参のはだに塗りつけた。厩に行って、横木から首をだしている馬の鼻面にもって行った。そうしながら、此の薬を馬に服用させるより自分が服用した方が早いのではないかと、ふと気付いた。

 馬は白い歯を見せてそれをくわえ、そしてパリパリと嚙みくだいたが、急に嚙むのを止めてじっと彼の顔を見た。食べるかといくぶん危惧(きぐ)の念でながめて居た彼は、青く澄んだ馬の視線をとつぜん受けて、少しばかりたじろいだ。いいようのない羞恥が彼の胸いっぱい拡がってきた。彼はそれを辛抱しながら、じっと馬の顔を見返してレた。すると馬はやがてかすかに頸(くび)を振って、顎を動かし始めた。嚥下(えんげ)してしまうと長い舌を出してゆっくり口の端を砥めた。そして首を垂れた。彼は部屋の方にとってかえしながら、馬は何もかも悟ったに違いないとかんがえた。

 しかしその夜も馬は眠らぬらしかった。何時もよりかえって板仕切を蹴った度数は多いようだった。薬の量が少かった為にかえって逆に亢奮(こうふん)させる結果になったのかも知れないと思ったが、もいちど試みる気持はもはや失せていた。馬を誑(たぶ)らかそうとしたこと、そしてそのことで馬に羞恥を感じたことが、彼の心にある意識となって強く作用していた。

 この瞬間からこの馬は、たんに彼の棟の同居人だけではなく、ひとつの親近な存在として彼の心の一部に投影しはじめていた。彼は勤め先のうすぐらい室でぼんやりしている時など、ふと馬のことをおもいだした。おもいだしさえすれば、あの澄んだ瞳や老いぼれた毛並が、現実に眼の前にあるときよりももっと鮮烈にうかんできた。

 朝起きると直ぐ彼は床を離れて厩の前に廻る。横木に頸をもたせた茶色の馬の眼球のなかに、朝の花苑の風景が凝縮されて映っていた。その風景の中でも花々は朝風に小さく小さく揺れていた。それを見ると彼は何とはない親しさと安らぎが胸に湧きおこってくるのを覚えるようになった。

 

 鬼頭鳥千という女は、誠(まこと)に風変りな女のように彼には思えた。

 まず最初のうちは彼は鳥子の働きぶりに驚いた。終日馬を引いて歩きまわり、戻ってくると手まめに馬を世話し、それがすむと家事のきりもりや客の応対に従事する。夜中の餌だけは花子の仕事らしかったが、その他のは全部鳥子がした。疲れを知らぬ風であった。これに彼は圧倒された。

 背は五尺三寸ほどもある。和服を着ているときも堂々としているが、男の古服をきて馬車の先にたつと、にわかに凛(りん)として来て、動物精気とでもいいたいものが身体中に漲ってくる。眉が濃く、切れながの瞼からくろい瞳が力づよく動いた。誰と話すときでもこの瞳はぜったいにたじろがない。顔の皮膚も油を塗ったように艶やかにひかった。声はわざとおさえたような裏声だが、言葉遣いは気味悪くなるほど丁寧(ていねい)であった。あるいはその逆効果を意識して使っているのかもしれなかった。

 奥の八畳間は鳥子がどこからか運びこんだ物資でいっぱいらしい。夜になると食料をもとめに来た近所の内儀(おかみ)やブローカーらしい身なりの男と、鳥子は縁側で折衝している。鳥子は和服をきちんと着こなして、両掌を膝の上にそろえ大きな座布団の上にすわっている。あがれと言わないから買手は足を沓脱ぎに置き、尻をなかば縁にかけた姿勢で、身体をねじって応対しなければならない。鳥子の姿勢はすでに地の利を得たという感じであった。応対に際しては鳥子は自分の言いだしたことは絶対に曲げないのである。しかし言葉はきわめて鄭重であった。

「さようでございますか。さようでございましても、私どもの方はこれ以下の御値段ではお分けできないんでございますのよ。お宅様の御事情もお察し申すんでございますけれどねえ」

 鳥子の頰にはそんな時ふしぎな笑いがうかんでいる。それはつくった笑いでもなければ、得意そうな笑いでもない。心からうれしげな微笑である。買手はそれでまごついてしまうのだ。鳥子の売値はけっして安くない。時とすると市価を上廻る。買手がそれを言いだすと鳥子の顔にふと当感の色が浮ぶ。それは自分の売価と市価と、どんな関係があるのか判らないといった表情であった。

「それは大変でございますわねえ」

 そして溜息をつく。溜息をつくのも、相手が市価などを言いだす蒙昧(もうまい)さに溜息をついているので、鳥子としては自分の商品が市価に左右されるということが心から解せない風であった。

 鳥子が基督(キリスト)教徒であることは、最初の日会った時の口なりで彼は知っていた。朝仕事に出かける前に縁側に卓を据(す)え、鳥子は仕事着のまま大声で聖書の一節を朗読したり讃美歌をうたったりする。その声は彼の部屋まで聞えてくる。格子窓から覗(のぞ)くと縁側にいるのはいつも鳥子と太郎だけであった。祈禱(きとう)をする鳥子のまえに太郎がおおきな頭をたれて神妙にすわっていた。花子は姿を見せないか、苑の花卉(かき)の前にしゃがんで指でさわっていたりする。しごく無関心に見えた。時にその横顔が彼にも見えた。花子がこの異相になりながら、母親の祈禱に背をむけているのは彼には一応ふしぎに思えたが、しかし花子がその風貌で祈禱をささげる情景をもし見たら、おれは顔をそむけるに違いないと彼は思った。

 しかしそれよりも彼には鳥子の信心が不思議でならなかったのだ。あのように聖書を読んだ後できわめて平然と馬車をひき闇商売にでてゆく鳥子の心理が、彼には解釈できないのであった。彼はしかし鳥子の信仰は疑わなかった。鳥子が大声で聖書をよむ声をきいても、彼はその声から誇示とか擬装とかは感じとれなかった。没我の境にあることが肉体で感じられた。贋の声ではない。そして鳥子は信仰について語りだす時、その眼がひとしお強くキラキラと輝いて来る。

 夜厩に餌箱を持ってきて、馬がそれを食べ終るまでの間、時に鳥子は気紛(まぐ)れのように彼の扉をたたくことがある。夜はたいてい和服なので、恰幅は田舎の女地主みたいな感じをあたえる。窓に引戸がないので雨に畳のはしが濡れてふやけているのを避けながら、鳥子はどっかと坐りこむのだ。せまい部屋が鳥子がひとりで一ぱいになったように見える。彼は一つの感じが胸にあるから、もし寝転んでいればそのままの姿勢で起き直ろうとしない。はじめは意識して冷淡なポーズを取っている。

 気紛れのように来るといってもそれが初めからその積りであるらしい事には、鳥子はいつも蒸したパンや蜜柑(みかん)をたもとから出すのだ。そしてそれを彼にすすめる。それから色々彼に話しかける。兵太郎と会った時の話を聞きたがったり、彼の過去を根ほり訊ねたり、また自分の一家の話をしたりする。声は相変らぬおさえつけた裏声だが、話し振りにへんに浮ついた抑揚がまじる。幽(かす)かだけれども彼はそれを敏感に感じとっていた。

 「信仰の道にお入りなさいませよ。不破さん。こんな世の中になりましては、神様だけがほんとにおたより出来るものでございます」

 鳥子が持って来たパンなどを食い欠きながら、彼はそんな話を聞いている。勿論彼は信仰にはいる気特など全然ないので、始めのうちはいい加減に聞きながして居るが、そんな場合の鳥子の態度はなにか年歯もゆかぬ子供にたいするような変に訓(おし)えるような優しさを帯びて来るので、彼は自分でわかっていながら段々いらだって来るのだ。わざと鳥子の言葉に反対したりする。どんなに意地悪く反撥しても鳥子が怒らぬことは、肉体的な直覚として彼は感じ取っていた。

「しかし小母さん。そう言うけれど、僕は今の世の中を悪いとはおもわないな。僕には信仰は要らないのだよ」

 突っぱねたような彼の言葉を、鳥子はれいの微笑をたたえて聞いている。不破の言いかたが判らないといった笑いである。しかし眼だけは強い光を帯びて執拗に彼にそそがれている。

「此の世はほんとに濁っておりますのよ」

 此の世を悪くするのも鳥子たちが闇をやるからではないのかと、彼は心の中で忌々(いまいま)しがるのだが、流石にそれは口には出さない。ただ言葉尻だけで反撥するだけだが、自然自分の反対の仕方が子供の駄々じみてくるのが判るのだ。

 やがて鳥子が部鼠から出てゆくと、彼はやっと解放された気になる。疲れているのが判る。肩臂(かたひじ)張って相対したあとの感じであった。鳥子がきたあとのこの部屋は、いつもの厩の臭気にまじって、なにか一種の香がただよっている。鳥子の体臭と香料の匂いが微妙にいりまじっていた。その匂いはなにか予感じみた戦慄を彼に与えた。彼は毛布に横たわり燈を消してじっと眼をつむっている。

「こうしては居られない」

 そんな気持であった。とにかく今のままの中途半端な気持では過して行けないことだけが彼にははっきり判っていた。しかしどうしていいのか判らなかった。彼は暗闇のなかからするどく鳥子の体臭だけを引出して嗅ぎながら、ふてくされた自分の姿勢を持てあましていた。その体臭は、南の島で彼の肉体を愛したある曹長の体臭に似ていた。

 彼は少年時をストイックな家庭で育った。学校を出るとすぐ会社に勤め、そして召集を受けた。自分がそんな対象になり得るということを自覚したのは、此の荒くれた世界のなかであった。それは受身にしろ彼には背徳の感じが強かった。しかし彼は拒み切れなかったのである。それを拒むということが軍隊の中でどの位住みにくくすることか、同時にそれを受け入れるという事がどんな利益になるものか、彼は本能みたいに嗅ぎとった。心の弱さであると言えば言えたが、どの途(みち)戦死するのだという気持がそれを支えていた。しかし破倫の感じは執拗に残った。

 部隊をかわると必ず新しい相手ができた。腐臭を遠くから知る蠅(はえ)のように、それは正確に彼に近づいた。相手同士の鞘当(さやあ)てもあった。それらを彼はひややかに眺めていた。そして彼も南の島に渡った。

 その頃から感覚的な喜びが彼にないでもなかった。それは尾を引く背徳不倫の感と一緒になって、背に粟(あわ)立つような感じであった。彼は時に背囊(はいのう)に秘めた手鏡を取出して眺めた。毛穴の立ったような此の容貌のどこが良いのかと自らを嫌悪する気特に陥ちたが、それは戦争末期の孤島の荒涼たる世界の中では、そんな気持も感傷に思えた。その頃彼はある曹長に愛されていた。

 そんな経験の中で、彼はその意図をもって近づいて来る男をひとめで弁別できる直覚をつくりあげていた。多数のなかから一瞥(いちべつ)で指呼し得た。その瞬間に彼の全肉体は、不知不識(しらずしらず)の中にそれに呼応するようにうごいた。自ら気付いて浅間しいと思うのだが、肉体がそれを裏切った。肩の力をおとし、四肢からだるく力が抜けて来る。もちろん現実の肉体の形には出ず、気持の姿勢に過ぎなかったが、相手は生物の敏感さでそれを感知するらしかった。この男とのこれから先の経過を、彼はもはやひややかな心で計量し始めている。そして同じような態度と言葉遣いで近寄ってくる逞(たくま)しい肉体を、手練手管を知りつくした娼婦の心で彼はさげすむのであった。しかも自分の冷たさが充分の魅力であることも、それ故にかえって相手の心をかき立てることもはっきりと知っていた。

 ――烏子と最初会った時もある感じがあった。それは体臭から来るあの曹長への類推が、鳥子の頑丈な体軀の印象にたすけられて、彼にそんな錯覚を起させたものらしかった。それは倒錯した感じではあったけれども、背徳の感じはなかった。彼は四肢がぬけて行くようなあのだるい感じを遠くかんじながら、鳥子の強い視線を受けていた。此の女は組しやすいという考えが頭のどこかで動いていた。

 しかしそれも完全な錯覚にちがいなかった。鳥子がそんな簡単な女でないことは、判るのに日時を要さなかった。そして彼は無意識の中に鳥子の本態を知りたいと努めていることに気付いた。夜の対座で彼はわざと鳥子に冷淡な態度をとっていた。女から見透されまいと思うからであった。そんな彼を鳥子はふしぎな微笑で眺める。すると彼は独相撲(ひとりずもう)だと判りながら変にいら立って来るのであった。

 しかし鳥子への関心は、彼が鳥子と逢(あ)っている時だけであった。姿が見えないと彼はこの更年期の女の存在を忘れてしまう。想い出すことがあるとすれば、それは花子の母親としてであった。その意味では、あの異相を持った花子の存在は、当初から大きく彼の心を占めているようであった。

 

 此の家のある一帯は焼けた様子もないのに、何故花子にだけ顔に火傷の跡があるのかと、彼は初めからそれを疑間におもっていた。ある夜鳥子が空襲の話をした時彼はさり気なく言葉尻をとらえてそれを聞いてみた。そのとき鳥子はふと緊張した表情をつくった。鳥子は彼の部屋で色々話しこむくせに、不思議に娘の花子の事にはほとんど話題をふれなかった。彼はその時鳥子がその表情の中で、ある強い感情を押えようとする気配を見た。

 その時の鳥子の話はこうであった。花子にはもともと許婚(いいなずけ)みたいな男があって、ある爆撃の日にその男のすむ町ヘ沢山焼夷弾が落ちた。それと知って花子は男を救うつもりか、厳重に身装(みごしらえ)してその町へ出かけたというのである。花千が着いた時はそのあたりは一面の火の渦で、うろうろしているうちに火が背後からもあがり退路を絶たれ、ついに顔を焼かれる程の怪我をうけて誰かに救い出されたのだという。

 「何という馬鹿な娘でございましょうね、ほんとに」

 鳥子は溜息とともにそうつけくわえて微笑をうかべた。彼はある痛烈な感じでその話を受取った。彼が黙っていると鳥子がかさねてつけ加えた。

「あんな顔になりましてから、神の道にでも入れば宜しゅうございますものを、昔を忘れようという積りでございますか、アルバムのなかから自分のもとの写真だけを全部剝(は)ぎとりまして、庭先で皆燃してしまったんでございますのよ」

 彼は鳥子の祈禱(きとう)に背をむけている花子の姿を思い浮べていた。神の道に入ればいいといった鳥子の口調は、匙(さじ)を投げたといった風の詠嘆があったが、彼の瞼裏に浮んで来るその花子の姿勢は拗(す)ねたという感じではなかった。縁側にむけた背には意志的な冷淡さがあった。そこには一脈の哀れさがあるとも見えたが、心理的な類推から生ずる哀れさではなかった。何か昆虫などが持つような、非情の哀れさであった。

 同じ家の中に起居する同居人として彼は花子に近づき、そして隔てなく話したり冗談をすら取りかわす間柄に今はなっていた。最初の日花子に会った印象、あの理由のない贖罪(しょくざい)の感じはほとんど彼の心から消えかかっていた。消えかかるというよりは外の感じに変形しはじめていた。花子は自分の容貌がこんなになった事を、少しも悲しんでは居ないようであった。少くとも今は彼にはそう見えた。花子の声が明るい声だと思ったのは顔の印象が暗いからそう感じたので、つき合ってみると本当は冷たい澄み切った声だった。表面だけはすべてを言葉でそして人を小馬鹿にした口吻(こうふん)で割切っていた。いわば花子はこの家の形のように、自分の心からも玄関や厠(かわや)を切捨てた感じであった。しかし彼は時折花子と冗談を交しながらも、何か確めたい念でことさら視線を花子の顔に置いた。しかし花子の表情にはすこしも不幸の影はないょうであった。ないにも拘らず彼は花子から不幸の臭いを嗅ぎ出そうと努めている自分に気付いた。俺はやくざな犬みたいだ、と彼は思うのであった。

(此の女は仮面をかぶったつもりで安心しているのではないか?)

 躑躅(つつじ)の花蔭で肉体をあらわして恥じないのも、花子の童女的な無心からきているのではないかと彼は思ったことがある。そのような無心さに見えるものは確かに今の花子にあった。しかし花子が顔を焼いたのも許婚の男故だという話を聞いて以来、その無心さも彼には疑わしい気がしていた。けれども花子は何の身振りもないさばさばした態度で彼に立ち向っていた。

 それにも拘らず彼は花子が不幸であるに違いないという念を捨て切れないでいたのである。それは単に花子の異形から来るのではなかった。彼の胸の中に造り上げられた過去の花子の像と、現在の花子の姿の間に横たわる空白の距離を思うゆえであった。花子が写真を全部焼いたという話が、鋲(びょう)のように彼の胸に突きささっていた。花子はそれで過夫を全部消したつもりでいる。そう思うと彼は痛烈な喜びとも悲しみともつかぬ感情が胸につき上げて来るのを感じるのであった。花子は全部焼き尽した積りでいるが、少くとも一枚だけは地上に残っている。それを花子は知らない。その一枚を、彼が持っている!

 離れの部屋の行李(こうり)の中に、彼は一枚の手垢(あか)に黒ずんだ写真を初めからひそかに秘め隠していた。それは花子の十七歳の時の写真であった。大きな綺麗(きれい)な眼をしたその花子は、ふくよかにわらっている。それは三年前南の島の酒場で、その夜初めて会った鬼頭兵太郎の船員服のポケットから、兵太郎の泥酔に乗じて盗みとったものであった。勿論一夜の行きずりの一船員からそんな写真を掠(かす)めとる気になったのも、彼のすさんだ悪戯(いたずら)心に過ぎなかった。けれども彼はそれからの長い荒くれた生活の中でも、不思議に此の写真だけは手離さないで来た。彼は時々それを取り出して眺めた。それは再びもどって行げない世界への郷愁を伴って、彼の瞼に次第に色濃く焼きついて来るようであった。戦局が苛烈になり死が間近に意識されて行くのに比例してその感じは募った。死への不安を韜晦(とうかい)する為にも意識を他の一事に凝集することが兵隊の本能的な必要事であったが、彼の場合は此の写真がそれであった。山中に追い込められて飢餓に苦しみながらも、彼は之を守袋のように身体に秘めていた。そして戦争は終った。

 此の家にやって来て、花子がこんな異相になった事を知った時の感じを、彼は今でもはっきり想い出せる。それは形あるものが頽(くず)れ壊れて行くのを探りあてたような感じであった。自分がこうして生き残るためには、こんな犠牲が必要であったのかと、その夜彼は乾いた口の中で呟(つぶや)いたが、その感傷も彼の胸の中だけに投影し、胸の中だけで散乱した。それは彼だけの問題であった。現実の花子とは何の関係もなかった。現実の肉体を具えた花子に対して、彼は新しい関心をもって接触し始めていた。

 鳥子から花子の話を聞いてから一週間ほどもたった。どんな話のきっかけだったか忘れたが、彼は花子にその事を訊ねてみた。花子は苑にしやがんで花卉(かき)をいじっていて、彼はその側に立っていた。花子の背中の白い筋肉が彼の眼から見下せた。

「空襲の中を許婚(いいなずけ)の人を探しに行ったそうじゃないか」

「誰がそんなことを言ったの」

「大した情熱だと感心したんだよ」

「お母さんだ。きっとお母さんだ」

 使っていたちいさな花剪(はなきり)を取りおとして立ちあがろうとしたが、又思い直したように腰をおろした。花剪を拾いあげて小さな花をパチンと切り落した。そして平静な声で言った。

「あれはね、そんなんじゃないのよ。私は火事を見るのが好きなのよ。私は火事を見物にいったんだわ」

「だってそこに許婚はいたんだろう」

「お母さんだね、そんな事を言ったのは」

 彼は花子のしろい襟(えり)筋を這う一匹の黒蟻をながめていた。しろくなめらかな襟足であった。花子は暫(しばら)く黙っていたが、とつぜん早口で言った。

「あの男のことだって、お母さんは私を嫉妬していたのよ。私はその男は好きでもなんでもなかった。お母さんは誤解しているのよ。私があの男にかかわると気狂いみたいに怒ったわ。そんなのあるかしら。あの日だって火事見にゆくと言ったら、カンカンになって私をとめようとしたのよ。とめるから私は行っちまった。あの男の町が燃えてるということ、そんな事は私は心配じゃなかった。ただ街が壮烈に燃え上るところが見たかったのよ。その男のことを心配してたのは、むしろお母さんよ。心配して心はおろおろしている癖に、平気そうに落着いたりして、そして私が行こうとすると怒るの」

「で、男は焼け死んだの?」

「どうだか知らない。その後訪ねて来ないから死んだんでしょう。私も危く死ぬところだったのよ」

「どうしてそんな危いところまで行ったんだね」

「だってしかたがなかったわ。いつの間にか火が取り巻いていたのよ。気がついた時は病院にいたわ。お母さんがやってきたけれど、お母さんの顔ったらよその人みたいな気がしたわ」

 彼は花子の横顔を探るようにながめていた。花子は掌を上げて蟻(あり)を払いおとすと、ゆっくり立ち上った。そして花を手にそろえたまま縁側の方にあるいた。絹靴下に包まれた脚の形はすんなりと美しかった。縁に腰をおろすと彼の方に顔を振りむけた。

「私何だか詰らない事をおしゃべりしたようね。詰らない事聞くんじゃないわよ」

「お母さんが基督(キリスト)教になったのは、その時からなんだね」

ふと思い付いて彼は訊ねた。

「あら、何故? それはずっと前からよ。お父さんが生きてるときからよ」

「お父さんはまさか、基督教じゃなかっただろう」

 花子は短い笑声をたてた。

「お父さんはね、そんなものを信じるものですか。もっと立派なの。私に色んなことを教えて呉れたわ。でも船にばかり乗っていて、ほとんど家によりつかなかったわ。神戸にお妾がいたの。それを知ってからお母さんは基督教になったのよ」

 彼は沓脱石(くつぬぎいし)の上に立ったまま、ぼんやり家の内部を見廻していた。縁側に沿って六畳と四畳半がある。奥の八畳はからかみに隔てられて見えない。彼は今ずかずかと上り込んでそこを開き、内部を一眼見たい欲望にかられていた。

「此の家はお父さんが造ったんだね」

「そうよ。自分で設計したのよ」

「お父さんは何故、厠(かわや)を造り忘れたんだろうね」

「忘れたんじゃないわ。忘れるもんですか。初めからわざと省(はぶ)いてあったのよ」

「何故省いたのだろう」

「そのうちにつくるつもりだったんでしょう」

 事もなげな口調であった。此の言葉は、ふと鮮かに兵太郎の俤(おもかげ)を彼の頭によみがえらせていた。

 暫くして彼は離れに戻って来た。しき放した毛布の上にあおむけになり、彼は眼を閉じた。

 ――花子は鳥子を憎んでいるな。

 彼は冷やかにそう思った。自分と関係ない愛憎を眺める時、彼は本能的に距離をつくるのが習慣であった。そのことは彼に氷のような喜びをもたらすのであった。彼は鳥子が花子のことを話した時の、表情の緊張を想起していた。それは鳥子の方も花子に対してひとつの構えを持っているしるしであった。

 彼の目に大きく今鬼頭兵太郎の俤が浮び上って来る。

 それは南方の或る島の、小さな港にあった酒場であった。酒場というより居酒屋といった方が良い位の汚ない所だったが、そこで彼がひとりへんな臭いのする地酒を飲んでいると、すでに酔っぱらった兵太郎が入ってきた。防暑服を着た大きな体に薄いレインコートをひっかけていた。身体のこなしに船員特有の無雑作さがあった。いきなり彼の卓に近づくと、

「酒を飲む時は胸を張って飲むんだ、胸を」

 彼の肩を頑丈な掌でぴしぴしと打った。それから二人は同じ卓で飲んだ。初対面でそんな態度だから、初めは粗暴な男かと思ったが、一緒に飲んでみるとそうでもなかった。もう相当年配らしかったが、笑うと眼尻のあたりが無邪気だった。こんな事も飲みながら言った。

「日本は敗けるね。どの途(みち)勝ちっこは無い」

 此のような言葉を弄するのは兵隊の中にも間々(まま)いたから、その類の逆説をよろこぶ単純な露悪家かとも思ったが、次の言葉をきいて彼は少し驚かされた。

「そして俺はそれを望むんだ。早く日本が亡びてしまえばいいと思っている」

 何故と不破が問い返したら、兵太郎は、日本は嘘(うそ)付きだからだ、と答えた。

「領土が欲しいなら、そう言って戦争始めたら良いんだ。それに共栄圏とか領土に野心を持たぬなどとか、偽善だよ。偽善はいけないよ。本当の事言わなくちゃならん」

 それから色々話をした。兵太郎はひどく酔っぱらって軍人の悪口をずいぶんした。軍人だって人間ではないか。大義に生きる、などという言辞を誰が信ずるのか。死ぬのに何故そんな言い訳(わけ)が必要なのか。

「俺はまわりくどい事は全部嫌いさ。単純でないものは全くやり切れん。自分の此の眼で見るんだよ。(彼は自分の眼を指さした)此の眼で捕えたものだけが本当だよ。その他のものは信用出来ん」

 俺は鬼頭兵太郎だ、船員の兵太郎だと、その時始めて名乗った。そして彼の革手帳に東京の住所を書き付け、帰還したら遊びに来いと言った。

 ポケットから娘の写真を出して見せびらかしたのもその時である。それから彼は娘の自慢をした。そんな時は楽しそうであった。兵太郎はそして不破の顔を見ながら、君は女みたいな顔をしているな、と言った。

「ほんとに女みたいな身体つきをしているな。兵科はなんだね。あててやろうか。衛生科だろう。衛生科には、よく君みたいのがいる」

 泥酔した兵太郎をかかえて、酒場を出て船着場まで歩き、其処でわかれた。花子の写真はその時抜き取ったのである。その後彼は兵太郎と再び会わなかった。――

 一夜会っただけにしては、兵太郎の印象は彼の胸に深く残っていた。あの時兵太郎は花子の自慢をしたついでに、ふと淋しそうな自嘲の色を浮べて、俺はしかし結婚には失敗したよ、と呟(つぶや)いた。聞き取れない位低い呟きだったが、不破はそれをはっきりと心にきざんでいた。

 兵太郎の肖像画はしかし、鳥子のあの八畳間に額となって掛けられている筈である。不破はそれを眼で見た訳ではない。しかし知っている。太郎が書いた綴方で読んだのである。その綴方というのは、彼が太郎から賭博でまきあげたものだ。

 勤めの方も、だんだん彼は情熱をなくしていた。なんだか事務所も戦前とちがって、おそろしく内容が乱れているらしく、ほとんど仕事らしい仕事も、彼には与えられなかった。余計者という感じが、つねに彼にまつわっていた。この感じは、すくなからず彼をくるしめた。

 昼過ぎには家に戻り着く日が、こうして多くなった。鳥子は勿論何時も留守だが、花子も何処かへ出かけて居ないことがある。そんな時太郎は何時も彼の部屋にやって来た。扉を細目に開いて太郎の大きな頭がのぞく。太郎が覗(のぞ)く時は決って二人が留守の時だから、彼も安んじて厩(うまや)の中に入って行く。藁(わら)に半身埋もれて代る代る骰子(さいころ)を振るのであった。

 子供を相手にしてという自嘲が時に湧かぬでもないが、それを圧するひそかな楽しみがそこにあった。賭博をやって居る時の太郎はふしぎに彼に子供を感じさせなかった。大人の感じかといえばそうでもなかった。沈欝な容貌で巧妙に骰子を振る。彼も一所懸命だが、大抵勝負は同率であった。

 その日は彼の勝ち番であった。彼は太郎の金を全部捲き上げていた。太郎は憂欝そうにポケットをあちこち探し、そして折り畳んだ紙片を彼に差し出した。

「よし、これを賭けた」

 骰子を振ってそれも捲き上げた。紙片を拡げて見たら、稚ない字で文が綴ってある。僕の家という題の太郎の綴方であった。

 

 ボクノ家ニハ庭ガアル。イチジクノ木ガアリマス。オカアサンハ毎日ハタラキニ行キマス。ネエサンハ色ノシロイ女デス。オ父サンノシャシンガカケテアリマス。八丈ノヘヤノカベノ上デス。馬ゴヤニハウマガイマス。畠ハボクガツクルガネエサンハカッテニ切ッテシマウ。

 

 これで終っていた。欄外に赤インキで、平仮名で書きなさい、と教師の字で書いてあった。彼が読んでいる間太郎は少し照れてもじもじしていた。

「お母さんを好きかい」

「きらいだよ」はっきりした返事だった。

「何故」

「嘘ばかりついてるからさ」

「嘘って、君につくのか」

「ううん」曖昧に首を振ったが急に怒ったように「それ返してくんねえか」

 彼はも一度綴方の上に眼を落し、それを丁寧(ていねい)にたたんでポケットに入れた。太郎の眼がそれを追った。

「姉さんは好きかね」

 太郎は眉間に皺(しわ)を寄せて黙っていたが、何か思い付いたように言った。

「姉さんが小父さんのことを言ってたっけ」

「へええ。何と言ってたね」

「姉さんは昔はあんな顔じゃなかったんだぜ」急に声をひそめて秘密を語るような顔であった。

「知ってるさ。で、何と言ったんだ」

 太郎はずるそうな笑い声を立てた。そして言った。

「綴方返して呉れるなら教えてやるよ」

「あんなことを言ってる。姉さんが何も言うもんか。太郎も嘘付きだからな。何も言やしないんだろう」

 太郎はふと顔を彼にむけて、まっすぐに眼を据えた。眼が濡れたようにキラキラ光って彼を押した。それはあの鳥子の眼にそっくりだった。怒ったのかと彼はひるみ、なだめる言葉を思わず口にしようと思った時、急に太郎は立ち上って出口の方に後すざりしながら表情を卑しく歪めた。しかし眼は彼に釘付けしたままだった。卑猥に唇を曲げて嘲弄するような口調であった。

「やあい。気にしてら。やあい。教えてやろうか。ほんとに教えてやろうか」

「ああ、教えて呉れ」

 彼は静かに言ったつもりだった。太郎は午後の日射しに影を黒く地上に躍(おど)らせながら、そのまま後すざりして逃げて行った。彼は藁(わら)に半身埋めたままそれを見送った。藁の温(む)れた臭いが身体の四辺に立てこめていた。

 しかしそれからも太郎は、皆が留守になると平気な顔で大きな頭を扉口にのぞかせた。そして彼も平気な顔で太郎を連れて厩(うまや)の中に入って行った。綴方の事は太郎はもう忘れたように見えた。

 時々彼は夜が更けて太郎の綴方を取り出して読んだ。そして何時も、姉さんは色が白い、という箇所まで来ると、花子の顔は代赫色(たいしゃいろ)ではないかと思うのであった。しかし太郎が言うのは花子の身体の色のことかも知れなかった。そう考えると直ぐ、彼は代緒色の仮面に似た顔の下に続く花子の肉体を聯想(れんそう)した。形の良い脚や蟻のはっていたしろい背筋や、夜中厩に来るのを節穴から覗いた情景が、なまなましく浮び上って来る。彼は行李(こうり)の中から垢(あか)染んだ写真を出して長いこと眺める。花子の肉体に激しい興味を持ち始めていることを、今彼は一種の戦慄を伴って自覚するのであった。しかしそれは現実の花子に対してなのか。それを思うと彼は惑乱した。

 最初花子を見た時のあの感じは、既に彼の心の中で形を変えていた。それは奇妙なことだったが、憎悪の感情に酷似しているのだ。彼は花子の異相を見ると何か復讐じみた気持が幽(かす)かに起って来るのを感じていた。しかしその気持は一皮剝(は)げばあの贖罪(しょくざい)の思いに他ならぬことも彼は肉体でもって感じていた。

 あの南の島の汚辱に満ちた生活の間、彼は花子の写真に対して、しばしばある罪を犯していた。しかし彼の今の感じでは、その瞬間だけは純粋であった。それは汚辱の記億としてではなく、清冽(せいれつ)な高揚として彼の気持にとどまっている。何故あの数々の汚れた行為が清潔に思い出されて来るのか。彼はそう考えると、もはや破局的な予感なしには花子の肉体を思い浮べることは出来なかった。

 戦場にあった時と同じように、ふたたび自分をじりじり辷(すべ)りおとす傾斜のようなものを、彼は感じはじめていた。彼はひとりでいるときなど、そこから脱出する自分を思いふけっていたりした。その意図のなかでは、彼は奇妙なことだが、あの老馬にまたがって、ドン・キホーテのように果てしなく歩きつづけていた。そのような空想に乗っているのを意識すると、彼はなんとなくいやな気がした。(第一章終)

2022/04/10

ブログ・アクセス1,710,000突破記念 梅崎春生 ある男の一日

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二三(一九四八)年六月刊『文体』第二号(但し、底本解題によれば、同初出誌は『裏表紙の奥付が五月三十日発行、裏表紙が六月十日発行となっている』とある)に初出され、後の同年十二月河出書房刊の作品集「B島風物誌」に所収された。

 底本は「梅崎春生全集」第二巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。最後に私の感想と注を添えた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、一時間半程前に、1,710,000アクセスを突破した記念として公開する。【2022410日 藪野直史】]

 

   ある男の一日

 

 坂道を降りたところに、魚の配給所があった。その前にトラックがついていて、四五人の雨合羽(あまがっぱ)を着た男たちが、荷をおろしているところであった。両側に繩(なわ)の輪がついた木の箱が、次から次へ地面におろされた。トラックの上にも人がいた。木箱はつぎつぎに、配給所の軒下に積まれた。

 絹糸のような雨が、そこにも音もなく降っていた。

 木箱のなかには、黒い背をした平たい鰈(かれい)がたくさん積みかさなっていた。魚のにおいがそこら中にながれていた。木の箱を乱暴にうごかすので、鰈が二三匹宙をとんで電柱のそばに落ちたりした。

 こんなに朝早くから大変だな、と思いながら、彼は洋傘をかたむけてその側を通りぬけた。通りぬけるとき、洋傘の骨のさきが、木箱をうごかしている男の雨合羽にちょっとふれた。雨合羽は朝の光にぬれて、ごわごわとひかっていた。そして魚くさいにおいがぷんとした。彼は洋傘をなお傾けて、すこし足早にあるいた。

(ハリバットと言ったかな。鰈は)

 そんなことを考えながら、水たまりを飛びこえた。水たまりには油が浮いていた。七彩の色がうつくしくひろがっていた。

 駅の近くまできて、曲角にある外食食堂に彼は入って行った。登録票に捺印してもらって、ひきかえに食事をうけとった。

 うすい味噌汁をすすりながら、彼はあたりを見廻した。客は彼の他に三人しかいなかった。汚れた卓には、飯粒がこびりついてのこっていた。客は向うの卓で、皆彼に背をむけて食べていた。一人は女であった。三人とも同じような背の曲げ方をして、飯を食べていた。自分もうしろから見ると、あんな恰好(かっこう)をして食べているにちがいない。そう思いながら、彼はまずしい膳を食べ終えた。彼が食堂を出るとき、同じく食事を終ったその女が、口を手巾(ハンカチ)で拭きながら出てきた。彼はその女と前後しながら、道をあるいた。女も駅の方に行くらしかった。

 私鉄のその駅は黄色いペンキ塗りの、小さな建物であった。

 歩廊のベンチに腰かけて、彼は顎(あご)を洋傘の柄で支えていた。彼の前には、むこうむきになって、さっきの女が立っていた。うすい靴下が見えた。底の平たい靴の、外側がへっていた。彼は先刻見たこの女の歩き方を思い出した。その靴の減り方が、妙に歴然と女の歩きぶりを髣髴(ほうふつ)とさせた。(どこかの女事務員というわけだな)

 短いレインコートを着ていて、スカートがその下から出ていた。風がすこし吹いて雨がしぶいたので、女は二三歩うしろに下りながら、身体をかたむけた。女の横顔が彼に見えた。ごく善良そうな眼で、女は彼をちらと見た。まだ二十を越えていないような顔かたちであった。美しい顔ではなかったが、ととのった表情をしていた。雨をさけた眉の辺が、どこか良子に似ていた。

 彼はふと視線を外(そ)らせて、駅のむこうに生えている大きな柳の木をながめた。たくさん垂れた枝は風にすこし揺れながら、雨にぬれていた。それを見ながら、彼はふとかんがえた。

(今日良子にあったら、良子は何かと言うだろうか?)

 良子を彼が愛していると思っていたのは、自分の錯覚ではないのか、と近頃彼は気付き始めていた。彼はそのような気持を、数日前手紙にかいて、良子に送っていた。今日ある喫茶店で逢(あ)いたいと良子が言ってきたのも、久しく逢っていないせいもあっただろうが、直接にはその手紙のためであるに違いなかった。彼はその手紙のなかで、もう良子とは逢いたくないということを、遠廻しに書いたつもりであった。良子とこのような状態でつながっていることが、鎖のように重くるしく思われるようになったのも、彼の感じをたどってゆけば、良子と相知った当初からであるような気がした。戦争中の空白をうずめるために、行きあたりぱったりに彼は良子をとらえていたのかも知れなかった。しかしそのことは、はっきりとは彼に判らなかった。それを確める方法は、彼にはなかった。けれどもこんな風に一日一日を過してゆくことが、彼には堪え難い気がした。それは良子に対してだけではなかった。すべてのものに対して、自分が近頃中ぶらりんの位置にあることを彼は漠然と感じていた。

 歩廊には人々が立てこめてきた。濡れた布地のにおいが、そこらにただよった。彼は今

日はある事件の証人として、裁判所から呼び出しをうけていた。その呼出状には、もし出頭しなければ拘引されることがある、と記してあった。朝早くから彼が起き出したのも、そのためであった。

 

 裁判所の中庭では、幌(ほろ)を冠ったトラックが着くたびに、車体のなかから、手錠をかけた男たちが次々に飛び降りた。彼は渡り廊下にたたずんで、それをしばらく眺めていた。

 手錠は大てい二人が一組としてつけられていて、だからトラックの後尾から巡査の指示で飛び降りるとき二人がうまく呼吸を合せないとまずかった。一人が先にとび降りて、後のが引きずられて落ち、地面にかさなってよろめき倒れたりした。そういうのを巡査が手荒くたすけおこした。ひとつの車から皆が降りてしまうと、ぞろぞろと中庭を横断して、建物の方にあるいて行った。手錠をつけられた男たちは、ほとんどが良い服装をしていた。巡査の方が慘めに見えた。二人ずつの組が順々に建物の入口に消えて行った。そしてまた別のトラックが門から入ってきた。

(二人で手錠につながっているのは、いやだろうな!)

 彼はそれらを眺めながら、そう考えた。そして何故ともなく身慄いした。

(栗田もあんな具合にしてやってくるのか?)

 栗田というのが、今日彼がよび出された事件の被告であった。栗田は彼の死んだ友達の甥(おい)にあたる男であった。彼はその友達の家で、栗田に紹介された。きれいな皮膚をした、善良そうな青年であった。彼はその時、栗田の皮膚のうつくしさに、ちょっと心を動かされたことを覚えている。彼がその友達にそのことを言うと、友達はすこし妙な表情になって答えた。

「あいつは、中学生のとき、ずいぶん騒がれたそうだ」

 その友達は好男子ではなかった。むしろひどく醜い方であった。ある日ひどく酔っぱらって、そして河のなかに落ちて死んでしまったが――。

 開廷の時刻まで、十五分ほどあった。呼出状にしるされた法廷は、十三号というのである。彼は渡り廊下から一旦中庭に出て、その方向にあるき出した。手錠をつけて中庭を行く男たちは、顔や頭を雨に濡らしていた。雨はだんだん細かになるらしかった。雲は灰白色にどんより低く垂れていた。

 教えられた通り、道をへだてた建物に彼は入って行った。迷路のような廊下をたどって、でたらめに曲ったりまた戻ったりした。いくつも裁判を行う部屋があるらしく、部屋の入口のところに、今日開廷される事件の木札がさげてあった。半開きの扉から、傍聴席や法廷の一部がちらと見えたりした。

 変な造りの建物で、廊下には窓がすくなかった。ある廊下のつきあたりは水呑場になっていて、頭髪の白い使丁らしい男が、一所懸命歯をみがいていた。彼の跫音(あしおと)にふりかえると、とがめるような顔付になって彼を見た。彼は立ちどまって、また廊下を引き返した。部屋の番号をさがしながら、何度か廊下を行ったり来たりした。

 十三号法廷は、三階にあった。

 

 十三号法廷では、しばらく待った。

 彼は証人席に腰かけて、司法官たちの出廷を待ちながら、乾いた眼球をあちこちに動かしていた。ときどき頭を廻して、うしろの傍聴席をふりむいた。傍聴席は満員で、うしろの方にも立っている人影がちらちらした。その背後の縦長の窓の外に、隣接した建物の赤煉瓦(れんが)が迫っていた。その色も霧雨に沈んでいた。

(こんなところに傍聴に来ているのは、どんな連中なのだろう?)

 彼は身じろぎして、椅子の堅さを気にしながら、ぼんやりとそんなことを考えた。傍聴に来ているのは、ほとんど若い男たちで、服装も雑多であった。がやがやした話声や、扉をあけたてする音や、堅い床をふむ靴のひびきがした。彼がふりむくと直ぐ、皆の視線が彼に集まるらしかった。彼はすこし厭な気がした。彼ひとりにあつまってくる視線は、変に粗(あら)くするどかった。

(この連中は、ただの好奇心だけで、傍聴に来ているのではないか?)

 やがて弁護人入口の扉がすこし開いて、書類鞄を小脇にかかえた弁護士がすたすたと入ってきた。ちょび鬚(ひげ)を立てた瘦せた男であった。身体つきのせいか、弁護服の着け方が、妙にだらしない感じであった。がたがたと音立てながら弁護人席に腰をおろすと、鞄を卓の上にひらき、眼鏡のサックをその中から取り出した。大きな黒ぶちの眼鏡を耳にかけると、ときどき忙がしそうに貧乏ゆるぎをしながら、鞄からひきだした書類を点検し始めた。その一挙一動に眼をそそぎながら、彼は始めてこの自分の視線が、背後の傍聴人たちの視線と同じものであることに気がついた。まるで見逃すことの出来ぬもののように、彼はこの弁護士の行動に視線をそそいでいたのである。それに気づくと、彼の頰にゆがんだような笑いが、ふと浮んで消えた。

 巡査に連れられて、栗田が入ってきた。入ってくる時、傍聴席の方から顔をそむけるようにしながら、被告席についた。そこまでの挙動を、彼は見たくないような気持になりながら、その癖はっきり視野に収めていた。顔色はいくぶん青白くなっていたが、思ったよりやつれていない印象であった。被告席についた後姿は、髪をきちんと刈り上げて、きちんとした背広を見せていた。その後姿には、ある感じがあった。彼は刈り上げた襟足のあたりをしげしげ眺めながら、背後の傍聴席のざわめきが、すこし高まってくるのを感じていた。貧乏ゆるぎをする弁護人の背中にくらべて、栗田の肩はブリキのように堅く張っていた。

(入ってくるとき栗田は、俺がいることを認めただろうか?)

 使丁ががたがたと椅子の位置を直してゆくのを眺めながら、彼はそんなことをかんがえた。そうかんがえながら、栗田がこちらを見ようと見まいと、自分にはどうでもいいことを、彼自身の気持のなかに同時にさぐりあてていた。

 暫くして足を組み直しながら、彼はちらと時計を見た。予定の開廷時刻よりも、一時間あまり過ぎていた。窓の外には相変らず灰をふきちらしたような霧雨がおちているらしかった。彼はひからびた視線でそれを眺めたり、天井から下った貧弱なシャンデリヤをあおいだり、また時々栗田の方を眺めたりした。同じ眼球の動きを、彼は執拗(しつよう)にくりかえした。この十三号室は、彼の中学校時代の物理教室に、感じが似ていた。そのことを彼はここに入ってきた時から強く感じていたのであった。それは霧雨の窓を通す青ぐらい光線のせいかも知れなかった。その物理教室もうす暗かった。さっきから彼は何となく、汚れたビーカーやコップの底に乾いた薬品のかすの臭いなどを聯想した。そしてまた、長い時間が経った。

 段の上の扉を乱暴にひらいて、書記らしい男が入ってきた。あの烏帽子(えぼし)みたいな冠(かんむり)がよく似合う、背の小さな男であった。段の上から上半身を乗出して、使丁になにか低声で話しかけるらしかった。そして笑いながら、文鎮で卓の上を掃くようにした。開け放された扉にその時、法服の人影がちらちらと重なって、検事や判事らしい男たちがどやどやと入ってきた。がたがたと靴音をひびかせて、それらが所定の席につくかつかないうちに、段の端でいまの使丁が大きな号令をかけた。ざわざわと皆が立ちあがって礼をした。再びざわざわと腰をおろすと、裁判が始まった。

 栗田が立ちあがって、裁判長の前に出ていった。裁判長は顔の幅のひろい、眼付のするどい男であった。聴取書らしい書類をめくりながら、次々に訊間した。栗田の答える声は、あまり徹らなかった。響きのないような声であった。そして訊問はつぎつぎ進んで行った。

(良子はもうあの契茶店に来て、待っているかも知れない)

 そのやりとりを耳に収めながら、彼はそんなことを頭のすみで考えた。そうすると彼はひどく物憂い気がした。けれどもその物憂(う)い気持の源は、彼には茫漠として摑めなかった。契茶店の卓についている良子の姿を思いうかべながら、しかし彼の耳は裁判長と栗田の応答を、確実にとらえていた。栗田の答弁はどもったり、時にはしばらく黙りこんだりした。首をすこしうなだれて、両手を手錠で前に廻しているせいで、肩がほっそりと見えた。腰かけているときは、背中の感じがちがっていた。彼は珍しいものでも見るように、そこを暫(しばら)く眺めていた。

 局長印を盗用して書類をつくり、本局へ資金受領に行ったという事件であった。そして六万円の金を受領して、十日間に栗田は消費したらしかった。この事件の概要は、彼は一週間ほど前から知っていた。その三等郵便局に栗田の就職をあっせんしたのは、彼であった。三等郵便局長と彼とは、碁会所で知り合った友達であったから、栗田はすぐに採用された。しかしそれはもう、三年も前のことになる。三年間まじめに勤め上げて、なぜこのようなことを仕出かしたのか。その六万円も、一部を借金に戻しただけで、あとの残りは馬鹿みたいな使い方で、栗田は飲食に消費していた。何放公文書を偽造してまで、そんな金が必要であったのか。そこを裁判長からつっこまれるたびに、栗田は身もだえするように肩を動かした。借金を催促されて辛かったということを、栗田は低い声でどもりながら答えたりした。

「しかしその借金は、全部で八千円ということだな」

 裁判長はすこし身体を乗りだすようにして、そうきめつけた。

「那須鉄五郎に二千五百円。野島一作に五千五百円。お前が借金しているのは、これだけである。金額を書きこむとき、六万円という数字は、どこから浮んだのか」

 栗田は首をさらにうなだれて、暫く経って聴き取れない程の声でなにか呟(つぶや)いた。その栗田の姿を、裁判長は眼を据(す)えて見つめていた。その表情は、なにか職業的な修練といったものを、彼に感じさせた。そしてその眼は力があって、彼は自分が見据えられているような気がした。

(――なぜ六万円と書きこんだのか、栗田にも判っていないのだ!)

 彼はなんとなく、そう思った。蒼白い栗田の襟足(えりあし)から眼を外らすと、半眼になっている検事の顔や、うつむいている判事の顔をつぎつぎに見廻した。そして窓の外に視線をはなった。赤煉瓦の建物には、雨のいろが滲(にじ)んでいた。郷愁に似たものが、彼の胸にぼんやりひろがってきた。暫く彼はじっと窓を見ていた。訊問はその間にも、単調な調子でつづいていた。この公金横領が、発覚しないという自信があったのか、という裁判長の間いであった。

「発覚すると思いました」

「何故、そう思ったか」

「郵便局のそのような資金受領は、必ず月報に出るのです。それを引き合せば、すぐに判ります」

「直ぐ発覚することが判っていて、なぜお前はこんなことをやる気持になったか」

 栗田の声は急にひくくなったり、またはっきりなったりした。彼は眼を栗田の背にもどしてその言葉をききとろうとした。

 

 弁護人の発言の前に、彼は在廷証人として名前をよばれた。宜誓をすませると、彼は裁判長のいくつかの質問にこたえた。証言はすぐに終った。

 質間は、簡単であった。栗田をその郵便局に就職させた前後のことや、栗田の素行や性格についての問いであった。素行や性格については、深く知らないと、彼は答えた。

「しかし貴方は、被告の就職のさい、保証人になっておられるようだが」

「それは単に名前の上だけです」

 彼はそう答えた。そう答えるより仕方がなかった。裁判長は、急に疑わしそうな顔つきになって、しばらく、彼の顔をみつめていた。

「被告とさいきん逢われたのは、何時ですか?」

「この一年ばかり逢いません」

「名前だけであったかも知れないが――」裁判長は探るような口調になって言った。「貴方は保証人として、被告のことに責任を感じますか」

 証人台に片手をかるく置いて、彼はうつむいてしばらく黙っていた。一昨日裁判所の使丁が彼の家にきて、証人としての呼出状を渡したとき、彼は栗田について確信をもって証言することが、何ひとつとして出来ないことを、ふと感じていたのである。それは一週間前、栗田のその所業を知らされた時も、まだあそこに勤めていたのか、と思っただけで、それ以外の感動とか憐憫(れんびん)とか驚愕(きょうがく)とかの感情は、あたらしくは湧いて来なかったからだ。そのような感情は、ずっと以前に確実に彼の心のなかで死んでいた。それは栗田にたいしてだけではなかった。近頃彼は、すべてにたいしてそうであった。いま彼を栗田にむすびつけているのは、本質的には保証人という関係でなく、栗田の所業にたいする淡い好奇心にすぎないことを、彼は漠然と感じていた。

(この俺に、どんな責任をもつ資格があるのだろう?)

 彼はすこし戸惑いしたような表情になって、顔を上げ、低い声で、しかしはっきりと発言した。

 「責任は、感じません」

 彼はそのとき背中いっぱいに、栗田の視線と、在廷するすべての人々の視線をかんじると、またつけたすように言葉をついだ。

「あの保証人は、そのような意味のものではなかったのです。ただ身元を保証するというだけで――」

 もうよろしい、という風に裁判長が片手を上げた。そして質問はそれで終った。彼は軽く一礼すると証人台からしりぞいて、元の席にもどってきた。

 それから弁護士の弁論が始まった。ぶかぶかする弁護服の肩をしきりにゆすって、変に語尾を引き伸ばしたような口調であった。それを聞きながら、彼は自分の最後の答弁が、後味悪く胸にもたれてくるのを感じて、しきりに唇を嚙んだ。また元の席にもどってくるときに傍聴席からたくさんの粗(あら)くするどい視線が凝集してくるような気がして、うつむいて足早に戻ってきたことを思い出した。それをまぎらわすために、彼はまた窓から入る青い薄光に眼をむけたりした。外ではますます細かい雨が吹き散っているらしかった。弁論はなかなか終らなかった。彼の胸に、弁護士の言葉が、ときどき雫(しづく)のようにしたたってきた。

[……被告は年齢二十五歳の青年でありましてえ……]

「……甦生の機会をお与え下されたく……」

「……ひたすら寛大なる御処置今……」

 なるほど、弁論とはこのような調子なんだなと、彼は気持がそこから急に遠のいてゆくのを覚えながら、膝の上で指を組んで、ぼんやり窓の方をながめていた。

 やがて長々しい弁護がすんだ。

 検事が椅子をがたがたとずらせて、そっけない調子で求刑した。栗田は細いうなじをたれて聞いていた。その求刑は、彼が想像していたより軽かった。判決は来週ということになって、閉廷した。あたりの空気が急にざわざわとみだれ、靴の音が床にひびき、扉を開閉する音がぎいぎいと鳴った。黒い法服をきた裁判官たちが全部退席してしまうのと一緒に、背後の傍聴人たちも、潮のひくように廊下ヘ出てゆくらしかった。彼は証人席にかけたまま、その音を聞いていた。

 手錠をつけたまま、両側を巡査にまもられ、栗田が顔をあおくして被告席をたち上ったところであった。出口の方に歩きながら、彼のいる前までくると、栗田はとつぜん立ち止った。彼の顔を見ないようにしながら、しかし身体だけを曲げて、彼に深く深くお辞儀をした。それからやはり彼の顔から一寸外れたところに視線を浮かせながら、巡査に腕をとられて引かれて行った。栗田の瞼がすこし薄赤くふくらんでいたのを、彼ははっきりと見た。

 すこし経って彼はゆっくり立ち上り、壁にかけておいた洋傘をとって、扉をおして廊下に出た。頬がすこし紅潮していた。廊下には傍聴人たちがたくさん莨(たばこ)を喫っていて、彼はそれをかきわけて附段まであるいた。皆が道をあけながら、彼を見ているような気がした。空気がしめっているせいか、の煙はひくく層をなして廊下を流れていた。階段の手すりは濡れてつめたかった。階段の窓から見える中庭は、彼が階段を降下してゆくにしたがって、その風景の感じを変えて行った。中庭には幌(ほろ)をつけたトラックがいくつもとまっていて、それに人々が群れていた。

 彼はそれを見まもりながら一段一段降りた。

 外に出ると、霧雨が顔につめたくあたった。

 

 良子はすでに喫茶店にきていた。

 洋傘をたたんで硝子扉を押すとき、カウンターの上にある大きな時計が彼の眼に入った。約束の時間から、一時間半もすぎていた。帰ったかも知れない、と彼は思いながら店の内部を見廻した。いちばん隅の卓の、鉢植の棕櫚(しゅろ)のかげに良子はいた。

 良子は緑の透きとおった雨外套を着ていた。それは奇妙に美しい感じがした。うす暗い片隅にそれを見たとき、突然彼はなにか美しい昆虫を聯想(れんそう)した。彼がその卓に近づくと、良子は首をあげて、遅いわね、と低い声で言った。別段責めるような口調でもなかった。彼は椅子にかけながら、急に裁判所から証人に呼びだされたことを、だから遅れたことを簡単に説明した。そして珈琲を注文した。

 すると良子は、法廷のことをしきりに聞きたがった。いろいろと彼に質間してきた。彼は口重くそれに応答しながら、良子の顔をみたり、雨外套に視線を走らせたりした。近くで見ると、その雨外套のいろも、平凡に見えた。あの時は、鉢植の葉の色とかさなっていたから、美しく見えたのかも知れなかった。珈琲(コーヒー)をすすりながら、彼はぽつりぽつりと良子の問いにこたえていた。

「やはり裁判官たちは、威張ってる?」

「――傍聴人などからすれば、そう見えるだろうね」

「裁判って、面白いの?」

「――そう。傍聴人は、退屈していたよ」

「傍聴人、傍聴人って、あなたよ。あなたはどうだったのよ」

 彼は困ったような顔になって、すこしわらった。そして口をつぐんで、また珈琲をすすった。珈俳は不味(まず)かった。脇によせた彼の洋傘の尖(さき)から、雨が床に滲んできた。良子はすこし怒ったような表情をして、彼の方をみつめていた。その視線を彼は皮膚でいたくうけとめていた。

 それから暫(しばらく)くして彼等は立ちあがった。そして外に出た。良子が映画をみたいというので、道をその方にとった。良子は彼の洋傘に入ってあるいた。雨外套が彼の身体にふれて、さやさやと鳴った。良子と身体をくっつけてあるいていると、だんだん彼は道のはたに押されてゆくような気がした。傘をさしていても微粒になった雨が散っているので、しばらく歩くと眼鏡がくもってきた。

 映画館は満員であった。彼は入るのを止そうと言ったが、良子はすぐ空くからと頑強に主張して彼をひきとめた。映画をみる興味はなくなっていたが、彼は良子のことばに引きずられていた。少し待って切符を買い、中に入った。立見席にやっと身体を押し入れて、人の肩の間から、灰色に動くスクリーンを一目見たとき、彼はなぜかひどく退屈な気分におそわれた。平たい一枚の幕の上を、灰色の人影は正確にうごいていた。ぽっと変って風景があらわれたりした。彼は洋傘に身体をもたせて、人の肩と肩にはさまれた三角形のスクリーンを、眼を凝(こ)らしてしばらく眺めていた。物語は途中らしく、うまく関係がたどれなかった。あるいらいらした気分が、しだいに彼の胸にひろがってきた。彼が身じろぎするたびに、暗がりのなかで、レインコートや革のようなにおいがした。彼はそっと扉から廊下にぬけ出ると、喫煙室に入って行った。長椅子にふかぶかとかけて、莨に火を点じた。

(おれは何のために、こんなところで映画などを見ているのだろう?)

 莨がしめっていて、煙の味はにごっていた。喫煙室には誰もいなかった。煙をはきだしながら、彼は意識の一部でそんなことを考えた。喫煙室から廊下が見えて、半開きになった扉にも人の背が群っていた。しばらくするとそこから身体を脱けだすようにして、緑色の雨外套が廊下に現われてきた。そしてこちらへ歩いてきた。長椅子にかけている彼の姿を、その時あやまたず認めたらしかった。ためらうように喫煙室の入口で立ちどまったが、靴をこつこつ鳴らしながら入ってきた。良子はへんに青い顔をしていた。そして彼に並んで腰をかけた。

「――満員だから、見えないだろう」

 少し経ってから彼はそう聞いた。良子は黙っていた。拡声器からながれ出る濁った男の声が、かすかにここまで届いてきた。

 しばらくして良子がかすれたような声で言った。

「この間のお手紙ね」

 彼は莨をもみけしながら、微かにうなずいた。それに元気づけられたように、良子は言葉をついだ。

「もうあまり逢えないかも知れない、と書いてあったわね。あれはどういう意味?」

「意味って」彼はくるしそうな声でやがて答えた。「意味って、そのままさ」

「あたしと別れたいということなの」

 彼はだまって、また莨を取り出して火をつけた。沈黙がかたくその場にきた。しばらくして彼は低い声で言った。

「別れるって、別れるほどぼくらは一緒じゃなかった」

 彼は自分のその声が、妙に冷酷にひびいたのを意識した。次に言葉をつづけようとしたのを、その意識がさえぎってしまった。彼はすこし固い表情になって、口をつぐんだ。

 観客席の方からわらい声が聞えてきた。そのどよめきは、波状になってあとからあとから重なってきた。

 莨一本を喫い終るまで、彼等はだまっていた。莨を彼がすてるのを合図のように、良子が口を開いた。いつもの声になっていた。

「満員だから、もう帰りましょうか」

 彼はふたたび微かにうなずいたが、洋傘を支えにして立ちあがりながら、すこし意地わるい口調になって言った。

「さっきは、あんなに見たがっていたじゃないか」

「でも満員ですもの。見えはしないわ」

 廊下をぬけて外にでると、やはり雨は鋪石に音なく落ちていた。風景はさっきより色褪(あ)せて見えた。良子は再び彼によりそってきた。身体がやわらかく触れた。良子はあるきながら、自分が二三日前みた夢の話をした。それは彼が良子の部屋で、猫をつかまえてその尻尾を釘ぬきで抜こうとしているというのであった。良子はその夢の話をしながら身体をゆすってわらった。

「あたし、もう可笑(おか)しくって、可笑しくて、夢のなかだけじゃなく笑っていたのよ」

「なにがそんなに可笑しかったんだね」

「だって可笑しかったんですもの」

 良子はころころと止度(とめど)なく笑いつづけた。変な夢をみるものだな、と思いながら、彼はだまってあるいた。その気配に気づいたように、良子は急に笑い声を止めた。

 道を曲ると、掘割であった。掘割の水は黒かった。むこうは電車の高架線で、混凝土(コンクリート)の灰色の壁が、水からいきなり切り立っていた。その倒影は暗く水におちた。掘割にそった道には、ぬかのような雨が降っているだけで、ずっとむこうまで人影はなかった。

 この風景を一目見たとき、彼はひとつの感じが心をぎゅっとつかんでくるのを感じて、思わず立ちどまった。その瞬間彼はこの道を、良子ひとりに歩かせてみたいと、ふと考えていたのである。その感じがどこから起ってきたのか、それは判らなかったが、確実にはげしく彼をつかんできた。身体のなかをはしりぬけるものを感じながら、彼は気持をおさえて、低い声で呼びかけた。

「君はここから、ひとりでお帰り」

「なぜ?」良子はぎょっとしたようにふりむいた。「用事でもあるの?」

「そう。今思いだしたんだ」

 良子は歩道のはしに足をおいて、彼をじっと見つめた。洋傘からはみ出た良子の顔は、しだいに霧雨に濡れてゆくので、やがて顔め皮膚があおく艶をおびてきた。視線がまっすぐに彼にそそがれてきて、彼は洋傘をかざしたまま、暫く良子を見返していた。堀をへだてた高架の上を、轟となりひびいて電車が通った。良子は唇をすこし動かして、なにか言ったらしかった。何と言ったのか、わからなかった。良子はかすかに頭を下げた。そしてくるりとむこうヘむくと、歩道と車道の間をぬうようにあるき出した。

 彼は濡れた電柱のかげに身体をかくして、良子の後姿をまじまじと見送っていた。緑の雨外套の背がだんだん遠ざかって行った。良子はその間、いちども振り返らなかった。

(――なぜ女というものは、別れる時になると、あんなきれいな顔をするのだろう)

 良子の後姿は、電柱や並木にかくれたり現われたりしながら、次第にちいさく緑色の点になって行った。舗道(ほどう)にも、暗い水のなかにも、雨は音なく落ちていた。

 反対の方角に足をふみだしながら、どこかですこし酒を飲もうか、と彼はぼんやり考えた。

 

 小さな黄色い駅にもどってきたのは、七時をちょっと過ぎていた。まだ食堂はひらいているかなと思いながら、彼は改札を通りぬけた。

 先刻あおった二三杯の酒の酔いが、いまほのぼのと廻ってくるようで、彼は洋傘を半開きにしたまま、踏む切を通りぬけた。あたりはすっかり暮れていた。そこから始まる街に、電燈が柔かくうるんで、坂道の方角に点々とつらなっていた。道はひどくぬかるんでいた。水たまりのひとつひとつが、うすい光をたたえていた。酔いが快よく彼の身体を弾いた。

(身体と器官さえあれば、人間はどうにか生きて行けるものだ!)

 何故ともなく、そんなことを思いながら、彼は水たまりを避け、とびとびに歩いた。

 食堂は、まだ開いていた。しかしそろそろ片付けにかかるところらしく、小女が布巾で空(あ)いた卓を拭き始めていた。調理場で空樽にこしかけて、莨をすっていた男が、乱暴な手付きで膳をととのえて、彼によこした。

 薄暗い燈のしたで、客は彼ともう一人であった。他の卓には小女が椅子を逆さに乗せ始めたので、止むなくその客はむき合う椅子にかけねばならなかった。彼がむき合ったその客は、ふと気がつくと、今朝駅まで一緒になったあの若い女であった。

 女は背をまるく曲げて、一心不乱に御飯をたべていた。薄暗い燈のせいか、今朝見たときよりも、ずっと老(ふ)けた感じであった。善良そうな丸い眼をぱちぱちさせながら、女の箸は御飯とおかずの間をリズミカルに動いた。こんな若い女で、こんな食堂で朝夕食事をとっていることから、彼はある情景をぼんやり心の中で組み立てていた。

(この女が間借りしている部屋も、電燈がうすぐらくて、机の上にのせた小さな鏡台には、よく洗濯した赤い布がかかっているにちがいない)

 色の剝げた塗箸をうごかして、彼も皿をつついた。皿にのっているのは、鰈(かれい)の煮付であった、彼は今朝の配給所の風景を思い出した。彼の皿にあるのは、鰈をふたつに切った、その頭の方であった。その鰈の顔は、頭の中央からぐっと一方に寄っていて、なんだかぐしゃぐしゃと眼や鼻がかたまり、まるで泣きだしているように見えた。腹のところの身は、彼の箸の先にほぐれて、しろく脂肪をたたえていた。脂肪は、彼の舌のさきでやわらかく溶けた。

 女の皿にのっているのは、やはり鰈の切身であった。彼のとは違って、尻尾の部分であった。その大きさから言い、切り口の具合から言い、それはたしかに彼の皿のものの下半身にちがいなかった。彼は自分の皿とむこうの皿を、しきりにちらちら見くらべながら、箸をうごかした。たしかにそれは、一匹の半分ずつに相違なかった。

 どこか遠い海で泳いでいたこの鰈が、とうとうつかまえられて、いろんな人間の手を経てこの食堂に入り、二つに切られて鍋で煮られて、その半分ずつを別々の人間に食べられてしまう。そんなことが彼の頭にうかんだ。この想念は、遥かなほのぼのとしたものを彼に運んできた。――この二人の人間は、一匹の鰈を半分ずつ食べ、食べ終るとお互に口も利かず、食堂から夜の街に出て行き、そして自分の部屋を指して戻ってゆく。二三日も経(た)てば、あの夜食に鰈をたべたことなども、忘れてしまうだろう。そしてお互の顔や服装なども。雑多な記憶のなかに、なにもかも死んでしまうだろう。……

 彼は丹念に鰈の身をむしり食べて、白い骨だけにしてしまった。そして貧しい食事が終った。女は彼よりも先に立ち上って、特徴のある歩き方で食堂を出て行った。女のひろげる洋傘が、食堂の繩(なわ)のれんにあたって、ばらばらと鳴る音がした。

 生ぬるい白湯(さゆ)を丼いっぱい、ゆっくり時間をかけて飲みほすと、彼も立ち上った。酔いが少しずつ散ってゆくらしく、土間を踏む彼の靴のなかで、水気をふくんだ足指がつめたかった。

 (今日も、これで終った!)

 持ち重りのする洋傘を掌にかんじながら、彼は配給所のある坂道の方へ、ゆっくり歩いて行った。

 

[やぶちゃん注:冒頭で主人公は「鰈」の英語として「ハビバット」(halibut:ハリバット)を想起しているが、この「halibut」は、厳密には北洋産の超巨大(全長一~二メートル、大きい個体では三メートルを越えるものもざらである)カレイである条鰭綱新鰭亜綱棘鰭上目カレイ目カレイ科オヒョウ属 Hippoglossus  のオヒョウ類を指す。しかし、そんなことを言うために、ここに注をしたのでは――ない――。まず、カレイの一般的英語は「flatfish」或いは「flounder」であろうが、日本人のようには、西洋人はヒラメとカレイを区別しないから、これらはヒラメにも使われる。肉食人種の標準的外国人は、驚くほど、魚介類の名前、その種や類を指す一般名詞を、知識として全く持っていないのである。と言って、英語に堪能なあなたは、「halibut」を知っていましたか? 私はこの小説を読んだ二十代の頃、英語の教師や生徒に試みに聴いたが、誰も知らなかった。而して――そんなことを言いたいのでも――ない――。何故、彼=梅崎春生は、こんな単語を記憶していたのか? という素朴な疑問なのである。実はこのことについては、「幻化」のオリジナル注で述べているのである(『梅崎春生「幻化」附やぶちゃん注 (4)』(リンク先はブログ版。サイト一括PDF縦書版もある)の「ズルフォナール」注)である。病気を抱えて複数の薬物を服用していると、確かに薬物の名前を異様に知っている人は多い(かく言う私もその一人だ)。それはそれで不思議ではないかも知れないが、異様に長い日本語らしからぬ薬剤名をすらすら言える人というのは、そうした非日常的な奇体な語を記憶することにかけては、いい意味で言うなら、特異な才能を有していると言え、やや精神医学的に見るなら、ある偏執的な嗜好癖が感じられないとも言えなくはないだろう(かく言う私もやはりその一人で、ウルトラ第一次世代申し子である私は、「ウルトラQ」から「ウルトラセブン」までの怪獣や兵器その他諸々の単語を六十五にもなった今現在でもちゃんと総て覚えているのである。私に強い海産生物指向があって、異様に広汎な魚介類の標準和名や、一部の種の学名まで記憶しているのは恐らくそれほど異様には思われないだろうが、無価値な少年期の他愛もないそれらを、今も明確に暗誦出来るというのは、我ながら「異常」と感じる)。実は、私は梅崎春生には、そうした特定の単語(群)や言葉(群)に対する偏執的な固執的な記憶傾向があったのではないかと考えている。これが――例えば漢字を凝っと見ながら、突然、その漢字の読みや意味が判らなくなり、「へん」や「つくり」等の各部分が分解をし始める現象を「ゲシュタルト崩壊」と呼ぶが、これは正常人でも起こる。しかし、同様の症状を示した著名な人物に夏目漱石がおり、私は彼は重度の強迫神経症であったと考えている。無論、私や梅崎春生の場合、長期学習記憶が壊れるのではなく、異様に覚えている必要性が表面上感じられない長期記憶への固執が残存されるのだから、病的とは言えないのだが、しかし、或いは、これはある種、梅崎春生の病跡学に於いて、極めて特徴的なものと捉え得るものだと私はずっと思っているのである。

「外食食堂」第二次世界大戦中の昭和一六(一九四一)年から戦後にかけて、主食の米の統制のため、政府が外食者用に食券を発行し(発券に際しては米穀通帳を提示させた)、その券を持つ者に限り、食事を提供した食堂。というより、これ以外の飲食店には主食は

原則、一切配給されなかった。私が古本屋で入手した昭和二〇年(一九四五)年十月の戦後最初の『文芸春秋』復刊号の編集後記に記されていた、その外食券食堂の状況は、調理人の手洟や蛆が鍋の中で煮えている、という凄絶な不潔さを具体に訴える内容であった(当該雑誌は書庫の深淵に埋まってしまい、見出せないので、発見したら、追記する)。小学館の「日本大百科全書」梶龍雄氏の「外食券食堂」によれば、外食券は闇値で取引されることも多くなり、昭和二二(一九四七)年入浴料が二円の当時、一食一枚分の闇値が十円もしたという例もある。しかし、昭和二五(一九五〇)年ごろより食糧事情が好転し、外食券利用者は激減、飲食店が事実上、主食類を販売するようになってからは、システム自体が形骸化して、昭和四四(一九六九)年には廃止された、とある。因みに、私は昭和三十二年生まれであるが、券も食堂も記憶にはない(私の梅崎春生「猫の話」オリジナル授業ノート(PDF縦書版)」の注に手を加えた)。

「烏帽子(えぼし)みたいな冠(かんむり)」ウィキの「法服」の写真を見れば一発で判る。当該ウィキによれば、『判事、検事並びに裁判所書記の制服及び弁護士の職服は、国学者で前年に開校した東京美術学校の和文・歴史教員であった黒川真頼により考案された。古代美術や有職故実に精通し、服飾史に関しても造詣の深かった黒川は、聖徳太子像より考証した古代官服風の東京美術学校最初の制服を考案しており、出来上がったものは東京美術学校の制服に似た古代官服風となった』。『そのため、黒川が裁判所に事件の証人として召喚された際、廷丁に判事と間違えられたという逸話もあり』。刑部芳則氏は「洋服・散髪・脱刀 服制の明治維新」(二〇一〇年講談社刊)で『「古代官服風の服制は(当時でも)稀有であった」と指摘している』。『司法官らの制服及び職服は上衣と帽から成っていた。帽は黒地雲紋で、古代の官人が被っていた冠に似た形状であった』。『上衣は黒地の闕腋袍で、襟と胸に唐草模様と桐の刺繍が施され、刺繍の色で官職、桐の個数で裁判所の等級を区別した』。『服制を定めた当時、弁護士であった砂川雄峻は、「判事が職服を着て始めて(ママ)訟廷に臨んだときは、言ひ合はした如く皆極まり悪る気(きまりわるげ)に微笑を洩らして居つた」と回想』しているとある。『戦後、裁判所構成法が廃止され、裁判所法が制定されたとき、特に法服の規定はなかった。そのため、従来の法服を着用する者、法服を着用しない者とが混在した』が、『最高裁は』昭和二四(一九四九)年に、『「裁判官の制服に関する規則」(最高裁判所規則)で裁判官について新しく「制服」(法服)を定めた』とある(太字は私が附した)。本篇は昭和二三(一九四八)年発表だから、それこそその狭間のシークエンスで、裁判官は大方、けったいな旧法服だっただろう。私なんぞは、こんな注はいらない。何故なら、黒澤明の「醜聞(スキャンダル)」を見てるからさ(昭和二五(一九五〇)年四月公開)。その作品内裁判のニュース映像で志村喬扮する弁護士蛭田乙吉が旧法服を着て出廷して、観客も笑いを買うというシーンが用意されているからね。黒澤の作品の中でも、あれは映画ファンの若い人でも、見ていない(私が言っているのはちゃんと映画館で見ることだ)人も今や多いだろうなあ。]

2022/03/18

ブログ・アクセス1,700,000突破記念 梅崎春生 虚像

 

[やぶちゃん注:昭和二三(一九四八)年六月刊の『人間』別冊・第二輯に発表され、後の同年十二月河出書房刊の作品集「B島風物誌」に所収された。

 底本は「梅崎春生全集」第二巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。最後に私の感想を添えた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本未明、1,700,000アクセスを突破した記念として公開する。【2022318日 藪野直史】]

 

   虚  像

 

 硝子窓の暗い反映のなかに、高垣がみとめたのはまぎれもなく幾子の顔であった。

 地下鉄は渋谷の歩廊をはなれて、しばらく曇天の高架(こうか)の上を走りぬけ、そして外光をいきなり断ち切るようにして隧道(トンネル)へすべりこんだ。俄(にわか)ににごった轟音が車体に充満して、背後へ背後へと流れ出した。曇った空を打ち透していた窓硝子が、突然まっくらな隧道(トンネル)の壁面にさえぎられて、ほの暗い不確かな鏡面となり、車内の風景をうすぼんやりと浮び上げた。その風景も車体の動揺につれて、かすかな律動を伝え始めてきた。

 吊皮にかけた腕で額をささえたまま、高垣はなんとなく窓硝子から反映するものを眺めていた。

 正午ごろで乗客はすくなく、吊皮に下っているものは幾人もなかった。だから高垣は硝子のなかに、彼の背後の座席にずらずらとかけている乗客たちの姿を、見るともなく視野に収めていた。窓硝子がかすかな歪みをもっているらしく、それらの顔々はうすくらがりの中で微妙に伸びたりちぢんだりした。それらはひとしく伸び縮む彼の顔の影像の背後に、くらく小さく並んでいる訳(わけ)であった。そのひとつひとつに視線をうつしながら、腕に支えた額のあたりを高垣がはっと堅くしたのも、学生と背広服の男にはさまれた箇所に腰かけているひとりの女の、前むきの小さな姿があったからであった。その女の影像に幾子の顔立ちを瞬間にして見とめたからであった。無意識のうちに腕のかげに顔を寄せながら、高垣はすこし眼を大きくしてその顔に視線をさだめていた。硝子の歪みをわずか顔貌の陰翳(いんえい)にとどめたまま、それは幾子の顔にまぎれもなかった。

 その女は頭をうしろの窓枠に斜めにもたせかけていた。鈍い硝子の反射のなかでは、その眼は閉じられているのか開かれているのか定かでなかった。そのあたりはことさら陰翳をふくんで暗く沈んでいた。高垣が見ているのは、頰のあたりから唇にかけての線であった。その線は白いマフラのなかにくっきりと見えていた。そのいくぶん堅い感じの輪郭が、胸に長いことあたためていた幾子の印象を、その瞬間彼に彷彿(ほうふつ)として浮き出させていたのである。身体の内側がにわかに熱くなってくるのを感じながら、半顔を袖のかげにかくしたまま、彼はしばられたようにそこから眼を離せないでいた。それから意識の一部分をいそがしくある考えが通りぬけた。

(何故おれはこれに乗りこんだとき、腰かけている幾子に気がつかなかったのだろう?)

 この疑問が別の危惧をつぎに漠然と用意しているのを彼はかんじたが、それも形にならないままで胸のなかで散るらしかった。渋谷で発車まぎわのこの車に、彼は何気なく乗りこみ、そして偶然にこの吊皮に摑(つか)まった訳であった。空席を探すためにひとわたり車内に眼は走らせた筈だが、その女の顔をその時彼の視線はとらえないままで過ぎたものらしかった。袖のかげから眼だけを出して、いまにして硝子のなかにとらえたその女の輪郭が、車体とともに微動するのをじっと見詰めながら、彼はそしてしばらく呼吸をとめていた。うすぐらい車内燈からななめに顔をそむけた形で、硝子のなかのその女は足を組んだまま、そのあいだ姿勢を凝固させているように見えた。

(このまま顔を合わさないで、次の駅で電車を降りてしまおうか)

 呼吸をすこしずつはき出しながら、彼はふとそう考えた。そう考えたとき彼の視線のなかで、その女の影像はかすかに身じろいだ。そして組んでいた右脚を床にすべらした。形のいい脚はにぶく光を弾いて、ぴったりとそれに貼りついた絹靴下をありありと彼に感じさせた。ただ上半身をふりむけるだけで、幾子の肉体をもつ形が眼の前に現われるということが、その瞬間はっきりした実感として急に高垣のむねをしめつけてきたのである。そしてその実感は、重量ある粘体にさからうような不快な抵抗で、何故かあらあらしく彼の胸をこすり上げてきた。硝子のなかのその脚を膝からおおうものは、あたたかそうな外套であるらしかった。釦(ぼたん)がいくつかそこに光っていた。襟(えり)のところから白いマフラが顔の部分をかくしていて、顔はやはり斜めに窓にもたれていた。もたれてはいたけれども、身じろいだはずみに窓枠を横にずれたらしく、その顔はすこし変貌したようにその印象を狂わせていた。

(見違えたのか?)

 見違える筈はなかった。硝子の歪みが微妙な屈折をして、影像の顔の形を変えたものらしかった。食い入るように瞳を定めて、彼はそのままじっとしていた。その女の像の眼のあたりは、ずれたはずみで隣の背広服がひろげた新聞紙にかげっていて、もしその眼が見ひらかれているとすれば、感じからしてそれは入口の扉の方を眺めているらしかった。それは先刻彼が乗りこんできた入口であることに高垣は気づいた。

(乗りこむとぎおれが気付かなかったとしても)と彼は吊皮の腕に力を入れながら咄嵯(とっさ)に考えた。(腰かけていた幾子は、入ってくるおれに気が付いたかも知れない!)

 ある屈辱に似たものがその時するどく彼の胸に折れこんできて、彼は吊皮をきしませながらそのままの姿勢で、上半身をすこし硝子窓の方にかたむけた。隧道(トンネル)の壁面を規則ただしく間隔をおいて、小さな壁燈が光の筋になって流れて行った。その光の箭(や)はすべて正しくその女の影像の頰の部分をよぎっては消えた。

 ……十三――十四――十五……

 無意識のうちに読んでいたその数が、その時始めて彼の心に形になっておちてきた。そしてその光の箭の間隔がすこしひろがり始めたと思うと、重苦しい轟音がやや明るく浮いてきて、やがて次の駅が近づいてくるらしかった。次の駅で降りようという気持が急速に迷って行くのを感じながら、しかし彼はも一度なにか確めるように、きらきらした眼を硝子窓に固定した。

(しかしおれはこの女と生きて再会したくなかったのではないか!)

 長いあいだ暗礁(あんしょう)として意識のしたに沈んでいたこの想念が、ことばの形になって突然浮び上ってきた。それと同時に甘美な羞恥をともなった深い悲哀が、その瞬間まざまざと胸を嚙んでくるのを自覚しながら、彼はかすかに身ぶるいをした。この想念をどんなに長い間、形のない願いとして持ちつづけていたのか。それにつながるあらゆる過ぎ去った環境や心情が、実感をもった追憶としていきなりあふれてきて、彼は思わずその女の小さな影像から眼を外(そ)らして瞼を閉じた。それは炎天の下のしろっぽい道や、濡れた水牛の背や、そしてそんな風景にいる自分の追憶であった。そのような期間のどの瞬間から、こんな想念をもち始めたのか。それは彼には判らなかった。復員船が内地に近づきかけた時からのようでもあるし、あるいは宿舎で幾子のあの手紙を受取った瞬間からであるのかも知れなかった。眼を閉じた彼の頭のなかを、いろんなものがばらばらに千切れて通りすぎた。

 車体にこもった轟音が、その時ふいに拡がり散った。瞼をあかるく染めて駅の歩廊が窓外にあらわれるらしく、車体は俄に速度をおとして揺れながら烈しく車輪をきしませた。瞼をひらいた彼の前に、窓硝子から嘘(うそ)のようにもろもろの影像は消え失せ、黄色い歩廊に待つ人々の姿が点々と彼の視野をかすめてきた。

 

 その幾子からの手紙を高垣がうけとったのは、彼が台湾にいる時のことであった。彼はその時分一兵士として、東海岸にある小さな街にいたのである。戦争はすでに末期であった。

 彼はその日公用で遠くへ出かけ、その帰途を近道するために、汽車の鉄橋を半分徒歩で渡りかけた時、敵機の空襲をうけた。彼は単独であった。水の涸(か)れた白い磧(かわら)に、その鉄橋はながながとかかっていた。あぶなく橋げたを踏み渡りながら、聞きなれぬ爆音に空をふり仰いだとき、敵の飛行機はすでに彼の斜め上まで飛来していたのである。それは三機の編隊であった。鉄橋はあぶないな、そのことがすぐ凝然(ぎょうぜん)と頭に来た。身体中がふくれ上るような衝動がつぎにきて、彼は立ちすくんだままちらりと視線を足下におとした。橋梁(きょうりょう)のあわいから白く灼けた磧がべたっと拡がっていた。爆音が彼の耳のなかで急に増大した。腐蝕色の枕木をふまえた自分の軍靴が、彼の眼には妙に小さく遠く見えた。そのくせ尖端の靴墨が白っぽく剝(は)げかかった色合いなどを、彼はその時鮮かに意識に収めていたのである。その極く短い時間の間に、彼は自分の内部のものが急激に腐蝕し、つぎつぎに磨滅して行くのをありありと感知した。荒涼たる孤独感がそして彼を切迫した形でかすめた。皮膚の周囲を泡立つものがまっくろに立ちこめていたけれども、その内部で気持はしだいに異様につめたく鎮(しず)もってきた。微塵(みじん)と収縮してゆく自身と巨大にふくれ上る自身を、同時にはっきり幻覚しながら、彼は確かなつもりで爆音の方向に聴覚をかたむけていた。どれだけの時間が経ったのか判らない。彼の視野に貼りついていた白い磧の上を、輪郭のぼやけた大きな飛行機の影が、突然ふわふわと浮くように三つ近づいてきた。近づいてきたと思うとそれはほんとに、何気ない冷淡さで鉄橋の真下を通りぬけた。(たすかった!)皮膚から熱いものが吹き出るのを感じながら、彼は引ったくるように頭を上げた。三つの尾翼がきらりと光って、その上空で編隊はわずか方向を変えたらしかった。そして爆音は急に衰えて街の方に遠ざかって行った。しばらく経って、機体が見えなくなると、彼はがたがたと慄え出してくる身体をもてあましながら、それでもひょいひょい飛ぶようにして、大急ぎで橋梁(きょうりょう)を走りぬけていた。

 幾子からの手紙をみたのは、その夕方宿舎に戻ってからのことである。彼はそれを受取ると、宿舎の裏手の庭に出て行って封を切った。庭にはたくさん花が咲き乱れていて、白い鶏が三四羽静かにあるいていた。低い土塀によりかかって、彼は一字一字その文章をたどった。読んで行くうちに彼はある亢奮(こうふん)のために頰が蒼ざめてゆくのを感じた。その手紙は恋文であった。それは次のような書き出しで始まっていた。

 先生はもう帰っておいでにならないでしょう。私も生きようとは思っておりません。……

 彼は長いことかかって、その全文を二度読み終えた。そしてそれを丁寧(ていねい)にたたんで内かくしにしまい、顔を蒼くしたまま庭をまっすぐあるいて宿舎に戻って行った。

 その夜寝台のなかで、ある解明の出来ないものが長いこと彼を眠らせなかった。彼はしきりに寝がえりをうちながら、頭の内に弾け散るものをまとめようとあせっていた。しかしそれらはますます千切れてばらばらに乱れるらしかった。幾子から手紙がきたのは、彼が軍隊に入ってから始めてのことであった。移動のたびに彼の方からは通知をだしていたが、その返事は今まで一度もこなかったのである。そして突然このような手紙を、どんな心理的な過程を経て、幾子が書く気持になったのか。それは彼にたいする激しい慕情の手紙であった。しかもその慕情は、この手紙を書く寸前に幾子の胸に燃え上ったものらしかった。そして燃え上ったものを幾子は整理しきれずに、じかに文字にたたきつけたふうであった。だからその文章のなかに表現されているのは、そんな混乱した恋情だけで、幾子の身辺や東京のようすなどは、ほとんど記されてなかった。ただ終尾の二三行で、彼女が今挺身(ていしん)隊員として工場に行っていること、そこが数日前空襲をうけて、逃げおくれた同僚が二人死んだことが書かれてあるだけであった。ただそれだけであった。しかし自分も生きようとは思わぬという書き出しの気持が、そこに確実につながっていることを、彼は文面を読み終えたときにはっきり感じ取った。そして彼はその数行から、灰色に迷彩された工場の建物や、荒掘りの防空壕にうずくまっている人々や、刺すような臭いをもった火災の煙などを、直ぐ瞼のうらに思いうかぺた。そして度をうしなった群集のなかに、必死な眼付をした幾子の顔が、彼にはぎょっとするほど鮮明に浮んできた。この幾子にこれを書かせたものは、ことごとくこの日のショックからきた感傷ではないかと、彼はふと感じたが、それにも拘らず彼の心をはげしくかきたててくるものが、執拗(しつよう)に彼の眠りをさまたげていた。それは彼が行間から嗅(か)ぎとった漠然たる不幸の臭いであった。彼はそのむこうに、その昼の鉄橋での出来事が茫漠とかかっているのを、ぼんやり意識した。しかしそれがこれとどんな関連をもつのか彼には判らなかった。彼はすでに数年間征野をわたりあるいてきた。生命の危険という点から言えば、もっと危ない目になんども逢っていた。敵と数米へだてて対したことも彼の戦歴にはあった。そんな時彼がつねに感じていたのは、しかしあの鉄橋の上で体験したような言いようもなく不安定な脱落感ではなかった。

(先生はもう帰ってはおいでにならないでしょう)

 それが幾子の手紙の書出しであった。この文章をよんだとき、ここ数年間ときどきしか思い浮べなかった幾子の顔や姿が、極めて実感的な形として胸の中に座を占めてきたのである。しかしそれは統一した像として彼の意識に入ってきたものではなかった。ある偏(かたよ)りを持った顔の輪郭や、うす青く冴えた眼のいろや、すらりと伸びた脚の形などから、それはばらばらに組立てられていた。それは最後に見た幾子からちぎれてきた破片のような印象であった。

(しかしこの幾子がどんな気持で、あんな手紙をおれに書いたのだろう?)

 割切ったつもりでいても、この疑問はその夜以来、ときが経つにつれて彼の胸に強くなって行った。あの手紙の便を最後として、内台の交通は杜絶(とぜつ)した。返事をだすことも不可能になって、彼は始めて幾子の存在が、彼の内部にゆるぎないものであったかに気がついていた。気がついた頃から、幾子のばらばらの印激はそれなりに凝結(ぎょうけつ)して、確として彼の心に臨んでくるらしかった。それはすでに彼の心象の一部と化してくるようであった。彼はもはや脱落した何ものかを、それで埋めようとしていたのであったが。……

 地下鉄の窓硝子のなかに見たのは、そのぼんやりした幾子の影像であった。そしてそれはほとんど一瞬であった。学生と背広服の男の間にはさまれて、白いマフラから浮き出た堅い感じの頰の線が、いきなり彼の内部にたもっていた幾子の線とかさなって、瞬間彼の胸をつきあげてきたのだ。

(しかし幾子を最後に見た日から、もう六年も経っているのだ)

 黄色い歩廊を人影がうごいて、エンジンドアの方にあつまってくるのを無意味に眼で追いながら、彼は強いて心をおちつけてそう考えた。六年という歳月が、幾子の顔かたちをもとのままで置く筈がないことを、彼はその時思っていたのである。いきなりふり返って確めたい欲望を、その時なにかが烈しくはばんだ。頰に血の色を上せながら、彼は人影のなくなった歩廊のひとところに視線を据(す)えていた。

 笛が鳴り、扉が乾いたおとをたてて閑じた。硝子窓のそとを歩廊の支柱が後方へうごきだした。やがて轟音が急におもくこもると同時に、歩廊の明るさは断ち切れて、硝子のなかに再びうす暗い世界が突然よみがえってきた。女の小さな姿の影像がふたたび彼の眼を射た。思わず彼が顔をずらすのと一緒に、硝子の凸凹が女の輪郭を微妙に修正した。それはやはり彼が長いこと保ちつづけていた幾子の印象とぴったり重なった。六年の歳月をとびこえて、ぼんやりした暗がりの底に、わかい日の幾子の姿が花のようにあった。

 

 その顔かたちを思い浮べるだけで、胸を切なくしめつけられるようになったのも、あの手紙を受取ってから後のことであった。そして戦局がますます不利になり、生還を断念せねばならぬ破目におちてから、その気特ははっきりした幾子への思慕の形となって行った。ひとすじの郷愁のようにそれは彼の心に食い入っていた。ふたたび相見ることが出来ないという思いが、彼の思慕をますますつのらせて行くらしかった。彼は夕方になると街外れの海岸にでて、荒れ濁った太平洋をながめた。そして時には内かくしからあの手紙を取出して読んだ。

 その手紙を受取った日が、あの鉄橋の上の出来事と偶然かさなっていることが、彼に妙に因果めいたものを感じさせていた。あの鉄橋でのことも、その時だけで気持が終ってしまわずに、日が経つにつれてなにか傷痕めいたものを彼の内部に深めて行くようであった。もはや祖国に帰れないという思いも、ここから発しているのかも知れなかった。そしてそれゆえの幾子への思慕も、純粋に彼のなかで結晶するらしかった。そこで結晶した幾子の幻像は、現実に肉体をそなえた幾子が眼の前にあらわれたより、もっと鮮烈な形を彼に与えていた。その持続した感情のなかで、彼はときに昔から幾子を愛していたのではないかという錯覚におちた。それは錯覚でないのかも知れなかった。それは錯覚であったにしろ、ある迫真力をもってそのときどきの彼にせまってきた。実際の記憶のなかでは、あの手紙を受取る以前は、極(ご)くまれにしか幾子のことを思い出さなかったのだけれども。幾子と相知った数箇月の記憶は、その日を起点として彼の中であざやかに再生され始めていた。

 ――その数箇月の期間、彼はただ幾子の家庭教師であるにすぎなかった。幾子が手紙のなかで先生と書いたのは、この関係のためであった。

 幾子は伯父の家に住んでいて、医者の学校をうける試験の準備をしていた。彼は週に三回この家をおとずれて、その勉強をみてやるだけであった。その頃幾子は、女学校を出たばかりで、無口な娘であった。性質は素直だとおもったが、どこか暗い陰翳(いんえい)をおびているのも、幾子が孤児であるせいかも知れなかった。その事実も、幾子の口から聞いたわけではなかった。どこからそれを知ったのか、彼の記憶から嘘のように消え果てていた。幾子の寄食先の伯父の口から聞いたのかも知れなかったが、あるいは幾子にただよう暗さから、彼がそんな想念をつくり上げたのかも知れなかった。そして彼等はただ、教えられるものと教えるものの関係だけに過ぎなかった。何故医者の学校に受験したいのか、彼は聞きもしなかったし、幾子もそれについては何とも言わなかった。それは既定の事実としてそこにあった。召集令状がきて、彼はどんな気持であったのか。その頃手に入り難くなっていた絹靴下を一足買い求め、幾子の家に最後の授業へ出かけて行った。

 平常通り授業がすむと、彼は召集がきたからもう来れないことを幾子に告げた。幾子は硬い感じのする頰をふと上げて彼を見詰めたが、しばらくしてかすかにうなずくような形をしただけであった。そして彼は黙ってポケットから靴下の包みを出して幾子にわたした。

 幾子がつけているのは、それまで何時も黒い女学生用の靴下であった。靴下だけでなく服装全体が田舎じみていて、幾子はこの方面になんの嗜慾(しよく)ももっていない風に見えた。幾子を暗く貧しく見せるのは、ひとつにはこのせいもあった。彼が絹靴下を贈る気になったのも、幾子のなかにひとつの明るさを点じたい気持からであったのかも知れなかった。しかしその気持が、自分の胸のなかでどんな位置をしめているのか。彼はその時はっきり摑(つか)みかねていた。

 生きて還ることを絶望し始めた頃から、彼に鮮かにせまってきたのは、この絹靴下をつけた幾子の脚の記憶であった。幾子はその場で彼の求めに応じて、黒靴下をそれにつけかえたのであった。新しい絹靴下をつけた形の良い幾子の脚を、彼はその時長い間だまって眺めていた。その彼を幾子は、仄青(ほのあお)く冴えた瞳でじっと見おろしていた。その脚にちょっと触れてみたい欲望をのみこみながら、彼にはその時、やっと自分が戦争に行くのだという実感が胸に来た。

 この日のことを、しかしそれから彼は長いこと忘れ果てていた。

 台湾が孤島として遮断(しゃだん)され、戦局の緊迫が彼の気持をあらあらしく乱してくるにしたがって、ふと浮んだこの日の記憶は、ますます強く彼の胸によみがえるようであった。長いあいだ意識に上せなかったにも拘らず、その日のことは細部まで歴々と彼の記憶にもどってくるらしかった。長い間思い出さなかったということも、彼が無意識のうちにそれを心の外に押し出そうと努力していたせいかも知れなかった。そう考えると幾子への思慕が、昼の炎のように静かに燃え上ってくるのを、彼は切なく意識した。あの鉄橋の上から始まったするどい空白感と併行して、それは日が経(た)つにつれて彼の内部に強烈なものとなって行った。

 そして夏のある日、突然戦争は終った。

 

 窓硝子にあおぐらい風景を沈めたまま、電車は轟々と鳴りひびきながら、やがて次の駅が近づいてくるらしかった。背後へ背後へ流れ夫る轟音のなかで、彼の想いも不協和音となって流れ去るようであった。ただ彼にわずか固定しているものは、眼の前の窓硝子から暗くてり返す幾子の姿だけであった。はっきりとらえようとすれば直ぐにぼやけてしまう、その不確かな虚像であった。

(何故おれはこの女と生きて再会したくなかったのだろう?)

 硝子のなかに眼を定めながら、も一度彼はそう考えた。硝子のなかで幾子の姿は、先刻と同じ姿勢であおぐらく沈んでいた。白いマフラとやわらかそうな外套(がいとう)が、車体の震動とともに微かにゆれていた。

(――幾子への思慕はおれにとって何であったのか?)

 生きて還れるとわかった日から、そのおもいは彼の内部に生れたらしかった。生きて故山に戻れるという現世的なよろこびが、その日々をあわただしくしていたが、そのあいだに彼の胸で、幾子の座標は大きくずれてしまったようであった。自分につながる現実の一角に、成熟した幾子がいるということが、はじめて彼に来た。それまで幾子はそんな形では彼に感じられなかったのである。それは彼になにかにがさのようなものを含んでくるので、その思いが浮ぶたびに彼はそこから逃れようとした。しかしその努力も、彼にはっきり意識されたものではなかった。胸の中でつくり上げていた幾子の印画が、再び逢えるかも知れぬ現実の幾子の予想と、うまく重なり合わぬことが、彼の意識下のある部分をしきりにかき立てていたらしかった。あの切迫した日々を辛うじて支えていたものが、すでに現実の感触を喪失した思慕であり、その思慕が凝結した幾子の静止した幻像にすぎなかったことを、彼はいまはっきりと意識した。生命を刻む時間の流れのなかで、死んだ時間のなかの幾子を、何故彼は胸にあたためようとしていたのだろう。それはもはや幾子への慕情ではなかった。自らの生命への哀惜に他ならなかった。鉄橋の上での感情も、ふかいところでそこに結びついているらしかった。

(いまこの窓硝子のなかに揺れている幾子は、おれにとって何だろう?)

 生きている幾子の姿を見逃して、窓硝子のなかに幾子を見出したというのも、あるいは硝子自体がもつ微妙な歪みのゆえにちがいなかった。しかしそのような歪みをあいだに隔てねば、もはや幾子を感じることが出来なかったことを思ったとき、歳月のいやらしい重量感がいきなり彼の現在にもたれこんできて、彼は思わず幽(かす)かな声をたててうめいた。硝子窓のなかに彼が見たのは、彼自身の古くあおざめた感興にすぎなかった。それと同時にある疑問が、にぶい戦慄をともなって彼を走りぬけた。

(幾子にしても今、それを感じているのではないか?)

 硝子のなかに彼が幾子を見たように、幾子も硝子のなかに彼を見ているにちがいなかった。一方だけが相手をとらえることはあり得なかった。そうすれば彼の顔も歪みをのせて、幾子の視線にとらえられていたのかも知れなかった。影像の幾子は頭を窓枠にもたせかけて、顔を斜めにそらしていた。眼のあたりは暗くかげっていて、あるいは瞼を閉じているのかも知れなかった。ただ頰の線だけが、稚(おさ)ない幾子の輪郭をのせて、灰色にうき上っていた。彼がこの車に乗りこんできたとき、幾子が彼の姿をみとめなかったとは断言できない。そして窓硝子のなかの彼の顔をも。彼の顔もひとしくあおざめて、すこし歪んだまま映っていたに違いなかった。

(――あんな手紙を、幾子はどうして書く気になったのだろう?)

 彼は瞬間その手紙のことを思い出していた。あの手紙を彼は長いこと持ち廻った揚句、復員してきて、内かくしに入れたままその服を売り飛ばしたのであった。うっかりしてやったことであるけれども、後で惜しい気持は強くは起らなかった。そしてそのまま彼の記憶に色褪(あ)せてゆくようであった。文章の節々も今はほとんどうすれかかっていた。ただそれを始めて読んだときの感動が、彼の胸に形だけを止めているに過ぎなかった。しかし東京の土を踏んで焼野原を眺めたときよりも、幾子の手紙で空襲の短い文章を見たときの方が、ずっと心をえぐられたことを彼は今思い起していた。あの手紙が彼に伝えてきた無形のものは何であったのだろう。

(幾子はおれに、あの手紙一本しか出さなかったに違いない)

 音の流れを乱しながら、車体はすこし傾き揺れた。そして次の駅への直線路に入ったらしかった。暗い隧道(トンネル)の壁面にかすかな明りがただよいはじめ、すこしずつ光を増してゆく気配であった。窓硝子のなかの世界は白っぽく薄れはじめた。彼は吊皮にかけた腕をぎゅっと堅くした。その白っぽい風景のなかで、女の外套がふいに動いて、幾子は急に立ち上るらしかった。瞳をそこに定めようとしたとたん、風景は吸いこまれるように消えて行って、その代りに窓いっぱいを突然歩廊の明りがぎらぎらと拡がった。車輪はきしみながら、速度をぐっと落した。

(――ここで降りるのか?)

 全神経を背中にあつめ、彼はじっと身体を硬くしていた。彼の背後をすりぬけるようにして、動くものの気配があった。軟かくかすかに触れて、香料のにおいがほのかに流れた。歩廊の風物が窓の外でゆるゆると停りかかる。電車の床板を踏んで遠ざかるものの気配が、鋲(びょう)を打つように彼の背中にはっきり感じられた。エンジンドアが乾いた音をたててひらいた。そこを出てゆく白いマフラのいろを、彼は視野の端でちらとみとめた。そしてそれは直ぐに消えた。

 混凝土(コンクリート)の歩廊の座をあつめて、小さなつむじ風が起きていた。それは巻きながら少しずつ移動して行った。幾子は歩廊をまっすぐむこうの方に歩いて行ったらしかった。その跫音(あしおと)が、聞える筈はないのに、彼の耳に感じられるような気がした。その感じが遠ざかって消えてしまうまで、彼は暫(しばら)くつむじ風のなかの座の奇妙な動きを眺めていた。

 

[やぶちゃん注:思うに、本篇は作中に一切の直接話法が出現しない点で梅崎春生の小説中でも特異点の作品と言える。敢えて言うなら、肉声が聴こえてくるのは、「彼は召集がきたからもう来れないことを幾子に告げた。」という回想のシークエンスだけであり、それも一種の要約式の間接話法でしかない。後は――高垣の心内語と――幾子の手紙の文面のみで語られ、しかも全体は、僅かに小一時間足らずのトンネルばかりの地下鉄の中だけの実ロケーションの人声(ひとごえ)の皆無なもの、なのである。而して私は、今回、電子化しながら再読した際、

――隧道(トンネル)

――駅の歩廊(プラットホーム)

――幾子のマフラー(襟巻)

――肉声が発せられない車両の中の短時間のシークエンス

という設定から、

――これは――芥川龍之介の佳品「蜜柑」の構造を遠く借りて――幽かに――ブルージ―に――インスパイアした作品ではなかろうか?――

と、今は、感じているのである。リンク先は私のサイト版の最古層の電子テクストである。

2022/02/28

ブログ・アクセス1,690,000突破記念 梅崎春生 一時期

 

[やぶちゃん注:昭和二三(一九四八)年九月号『文芸首都』に発表された。生前の単行本には所収されていない。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。太字は底本では傍点「ヽ」である。

 文中に簡単な注を入れた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本未明、1,690,000アクセスを突破した記念として公開する。【2022228日 藪野直史】]

 

   一 時 期

 

 その頃、一日一日を、僕はやっと生きていた。夢道病者のように一日中ぼんやり動いていた。しかし生活してゆくための、不快な手ごたえと、ざらざらした抵抗感は、遠くから確実に僕をおびやかしていた。とにかく一日が終ればいい、時々たちどまって、僕はそう考えた。明日のことは、明日心配したらいいだろう。

 そんな具合に、強いて自分の心の眼をつむらせる瞬間が、日に何度か来た。それはそのときの状況や行動と関係なく、いきなり胸にこみあげてきた。歩いているとき、椅子にかげているとき、便所にしやがんでいるとき、人と話しているとき、などに、それはいきなり僕の心を揺った。僕はあわてて、自分を言いなだめる言葉を、さがさねばならなかった。

 夜、眠りにつくときは、それでも大ていよかった。おおむね僕は泥酔していたから。そんな思念が胸にしのび入る余裕はなかった。しのび入っても、僕はそれをせせらわらうことが出来た。困るのはむしろ朝の寝覚めであった。

 僕は本郷のある下宿に住んでいた。高台の鼻にたてられた三階建の下宿で、二階や三階は見晴しがよかったが、僕の部屋は附下の一番日当りの悪い部屋で、帳場にごく近い、書生部屋に類する位置にあった。下宿料もそのせいで、一等安かった。その部屋で、僕は毎朝、女中に呼びおこされた。

「もう七時ですよ。起きないと役所におくれますよ」

 唐紙(からかみ)をすこしあけて、声がそこから飛びこんでくる。それで僕は眼をさます。布団の襟(えり)ごしに、唐紙のすきまから女中の顔が見える。それが僕の一日の最初にみる人間の顔であった。その顔もたいてい唐紙にさえぎられて、眼がひとつと鼻の半分位しか見えなかった。

「もう七時過ぎますよ。早く起きなさいよ」

 この下宿には、女中が三人いた。名前はそれぞれ持っていたが、何度きいても僕は覚えられなかった。だから綽名(あだな)で僕は三人を区別していた。それはウシとネズミとキツネという分け方だった。おおむね顔や身体つきの類推で、木堂がつけた綽名であった。木堂はときどき酔ったあげく僕の部屋にとまりこんだから、女中たちをすぐ見覚えて、そんな絆名をつけたのであった。そんな名前をつけられても、女中たちは別に気にする風にも見えなかった。むしろよろこんでいるようにも見えた。[やぶちゃん注:「木堂」「きどう」と読んでおく。姓にある。]

 (おネズさんの顔だな)とか(今日はおウシさんだな)とか、僕の一日の意識は、ここから始まるわけであった。

 この下宿に、僕は三年越しにすんでいた。そんなに長く住んでいるくせに、これが自分の部屋であるという実感が、どうしても湧いてこないのであった。僕はいつも一晩どまりで安宿にとまっているような気持ばかりしていた。四角なうすぐらい部屋で、床の間もなかった。狭い押入れがついているだけで、その他には何もなかった。窓をあけると黒い塀があり、窓の下には錆(さ)びたブリキの便器やこわれた牛乳瓶などがすててあるのが見えた。そして展望は全然利かなかった。

 下宿というのは停留場に似ていて、いつもいっぱい人はいるけれども、常に同じ人々ではなく、次々変ってゆくものらしかった。同宿の人たちとも、毎朝食堂で顔を合せているわけだが、いつも初めて会うような顔ばかりで、いっこう親しめなかった。昔は部屋部屋に食膳をもってきたのだから、同宿とも顔を合せる機会はなかったが、戦争に入って配給制度になると、手を省(はぶ)くために食堂をつくって、そこで皆が飯をくうようになっていた。同宿の顔に見覚えがあるのは、二三人だけであった。毎日顔を合せているのに覚えないというのも、僕の弁別力や記憶力がとみに薄弱になっているせいかも知れなかった。皆といっしょに食堂で、だまりこくって食う飯は、ひとりでぼそぼそ食う飯より不味(まず)かった。こんなに沢山いて、同じ量の飯を、同一のおかずで食べるということ、それが眼に見えているだけに面白くなかった。面白くないのは、僕だけでもないらしかった。食堂では、みな沈欝な顔で飯をたべた。

 この下宿は僕みたいな勤め人と、学生が半々位であった。毎朝玄関をでてゆく服装でそれは判った。ときどき下宿人のひとりに召集令状がきて、おウシさんかおネズさんが、餞別の回章をもって廻った。召集がくるのは、たいてい学校を卒業した勤め人の筈であった。ときには十日ほどの間に、二人も三人もつづけて来ることがあった。[やぶちゃん注:「回章」(かいしょう)順々に回して見せる回覧文。]

 僕をつめたく脅やかしているもののひとつは、たしかにこれであった。十全に生活する張りをうしなって、やっと生きているというのも、ひとつには、何時このような赤紙が、僕の現在をうちくだくかも知れないという不安があるためでもあった。回章をみる度にその不運な同宿人に、僕ははげしい同情をかんじた。その感じはそのまま、明日しれぬ僕の運命にくらくつながっていた。

 しかしそれがなんだろう。餞別を女中に手わたしながら、僕はいつもそう考えた。くよくよしても始まらぬじゃないか。とにかく一日一日が終ればいい。

 不運な同宿人がこっそりいなくなると、またあたらしい下宿人がいつの間にかその部屋を占めていた。歯がぬけるとすぐ義歯を入れるように、それは至極(しごく)なめらかに行った。そして前の人の名は、女中たちからも忘れられた。それはへんに中途はんぱな感じを僕におこさせた。

 それらはすべて、人間の生態というより、色褪(あ)せた現象のように僕に見えた。僕をとりまく現実は、あの映写幕のなかのように、ぼんやり灰色がかっていた。そのなかにうごく僕の姿も、すでに色彩をうしなっているらしかった。

 生活する感動を、いつのまにか、僕はすっかり無くしていた。

 そのような僕に、ある日木堂が言った。

「おれたちはだんだん、つまらんことばかりに興味を特ってくるような気がするな。役所の仕事は全然おもしろくなしくせに、役にたたんことには、むやみと情熱が湧いてくる」

 その時僕らは、酒場の行列に加わっていた。五時からの開場を待つために、長蛇の列をつくって待っている人々のなかに、僕らもならんでいたのである。

「そうだな。役所の仕事も、いい加減重苦しくなったな。もともと出世したいと思いもしないし――」

「そういう考え方が、役人としては落第なんだな。出世したくないなどと、役人としては大それたことだよ」

「それの方が、気楽は気楽なんだけれどね」

「だからさ。一杯の酒にありつくために、三時間も行列する方が面白いだろ。役所をさぼってまでね。おれたちはいつまで経(た)っても、雇いという身分なのさ。それをたのしんでいるようなところがあるだろう」

 木堂も、役所の雇員であった。局は異っていたが、僕同様わりあい暇なポストで(暇だといっても、仕事はあることはあったが、それをやらないだけの話であった)だから僕といっしょに、昼間から酒場の行列にも加わることができるのであった。もともと探偵小説などを書いている男だが、戦時のこんな状態では、手も足も出ないから、役所にもぐりこんで、糊口(ここう)をしのいでいるという恰好であった。このような中途半端な連中が、役所のなかに、なんとなく幾人もいた。僕と気息があうのは、おおむねこのような男たちであった。そういう連中は、ほとんど雇員という職名を頭にかぶせていた。

 

 僕が毎日勤めているところは、東京都の教育に関係した役所であった。それも事務関係というのではなく、一種の外郭みたいな、なにをしているのか判らないような、変な具合の役所で、場所も本局とは離れていて、四谷の方にあった。あそこらは今すっかり焼けてしまったけれども、混凝土(コンクリート)四階建のそれだけは、今でも残っていて、中央線を新宿の方から乗ってくると、トンネルに入る寸前に、左手の風景の高台のかげから、その一部分をちらと見せる。他の電車とすれちがうときは、さえぎられて見えない。電車であそこを通るとき、僕は今でも気になって、その建物が今にも見えるかと注意するのだが、すれちがう電車にさえぎられて見そこなう場合もあるし、その灰色の一部を、ちらと眼に収めることもある。僕にとって、電車の窓からみるこの建物の姿は、永久に jinx となるだろう。そこに毎日僕はかよっていた。[やぶちゃん注:「jinx」ジンクス。英語で「縁起の悪い人・物」を意味する語。良し悪しの区別なく、縁起を担(かつ)ぐ対象となる対象或いはその行為を指す。「東京都の教育に関係した役所」事実、梅崎春生は東京帝国大学卒業後(昭和一五(一九四〇)年三月)は東京市教育局教育研究所に勤務しており、昭和十七年一月に召集を受けて対馬重砲隊に入隊するものの、肺疾患のために即日帰郷となり、以後療養するも、同研究所に暫くいた(その後、徴用を逃れようと、昭和十九年の三月には東京芝浦電気通信工業支社に転職しているが、その三ヶ月後の同年六月に応召され、佐世保相ノ浦海兵団入りした)。]

 僕も勿論、ここでは雇いということになっていた。

 この職場における僕を決定する、この雇員という名称が、僕にはなかば気に入っていた。名前の上に雇員と刷りこんだ名刺を、多量に注文して持っていたが、それを使用する機会はなかなか少かった。名刺というものは、もすこし偉くならなければ、必要なものではないらしかった。それほど責任のある地位に僕がいないこと、そして雇員という名称の、「雇われている」という感じが、僕をほっと肩落す気持にさせていた。

 僕がそこであたえられていた仕事は、「東京都の教育」という写真のパンフレットを製作することであった。はじめ所長(ここの長は所長と呼ばれていた)から命ぜられたときは、その担当も僕と小竹主事補の二人になっていたのだが、一月も経たないのにどんな具合か小竹主事補は他の仕事にまわされて、あとは僕ひとりの担当になっていた。それはつまり、大東京の教育状況の写真をあつめ、それを一冊に編輯(へんしゅう)する仕事で、その意図はもっぱら、東亜の諸国にそれを頒布(はんぷ)し、もって教育における大東京の威容を誇示しようとするつもりであるらしかった。

 だから写真を選定するにしても、汚ない校舎や貧弱な備品や、みじめな恰好の生徒がいる場面は、厳にさけねばならなかった。視学あがりのいかにも俗物という感じの所長が、僕をよんで言った。[やぶちゃん注:「視学」ざっくり言ってしまうと、文部省の視学官や地方教育委員会の指導主事相当職。]

「つまり皇都のだね、子弟たちがこんな立派な枚舎と設備のなかでみごとに皇民として錬成されていることを、海外にもひろめてやろうというんだよ。わかったね」

 わかることにおいては、僕は聞かない前からわかっていた。どのみち役人が思いつくのはこの程度のことなので、こんなことでもして予算を費消して、一仕事した気になるのが、東京都の役人の精いっぱいの智慧であった。ことに教育関係の役人の主だった連中は、どういうものか、極めて頭のわるい連中ばかりで、皇国民の錬成だとか、ミソギ教育だとか、馬鹿のひとつ覚えにそんなことばかり言っていて、ここの所長もその例には洩(も)れないのであった。できそこなった玄米パンのような顔をしたこの所長は、野暮(やぼ)ったい眼鏡の底から、僕をみつめて、

「小竹君も仕事の関係でよそへ廻り、君ひとりにこれをやらせる訳(わけ)だが、君は雇いとはいえ、充分仕事ができる人であるとは、かねがねから思っている。そのうち折を見て、主事補にも推薦したいと思っているから、まあしっかりやってもらいたい」

 べつだん主事補にはなりたくないのだと、口まで出そうになったのを、僕はやっと我慢した。雇いで満足している心境を、こんな所長に話してもしかたがないのである。

 こんな具合で、この仕事が僕の担当ということになっていた。しかし命ぜられて数箇月経っているにもかかわらず、仕事はほとんど進捗(しんちょく)しなかった。

 僕は毎朝役所に出かけてゆく。出勤簿に印を押す。とたんに仕事への情熱がなくなってしまうのだ。今日という一日を、こんなやくざな仕事でつぶすのかと思うと、情けなくなってしまう。この「東京都の教育」は、僕にとって、極くやりがいのない仕事であった。東京都教育状況の、ありのままを写せというなら、まあ話もわかるけれども、いいところばかり写せというのでは、気持の入れようもなかった。だいいち情けないことには、どの程度の予算がこれに組んであるかといえば、お話にならないほど少くて、専属の写真屋をつれて写してあるくには、とても足りない小額であった。こんな予算でどうするのかと所長に訊ねたら、雑誌社や新聞社や写真協会から、すでに写された適当な写真をかりてきて、それでつくればいいというのである。おそろしくしみったれた仕事であった。つまり予算をとった手前の、申し訳みたいな仕事なので、しぜん担当も「雇員」の僕におしつけられたという訳らしかった。

 で、出勤簿に印を押すと、すぐ僕は都内出張の手続きをして、たとえば写真協会に資料蒐集という具合にして、四谷の建物を出てゆくのである。そして道をあるきながら、一日をどんな風に終らせようかと考えるのであった。新聞社や雑誌社を廻るのも憂欝であったし、写真協会にゆくのも気が進まない。写真協会のせまい閲覧室で一枚一枚写真を繰るのは、まったく面白くない仕事であった。そして何となく電車に乗り、何となく電車から降り、何となく木堂のいる役所の建物に足をむけるのが、僕の毎日のならわしのようになっていた。

 

 役所というものの機構や実態は、僕には今でも判然としない。四年近く役人生活かしていながら、錯綜した迷路のなかにいたような漠然たる感じがのこっているだけで、どこの仕事がどういう具合にうごいていたか、そんなことは全然理解にとどまっていない。まるで内臓のように復雑な仕組になっていて、意識して覚えようとするならともかく、僕のように興味をそこに置かないものにとっては、永遠に不可解な仕組にちがいなかった。

 しかし、それにしても役所というところは、おそろしく忙がしい部分とおそろしく暇な部分が、なんとばらばらに混っていたことだろう。まるで心臓や肺臓のように一日中いそがしい部署があるかと思えぱ、胃や大腸のように、ときどきいそがしい部署もあるという具合であった。窓口事務で執務している同僚の役人をながめたりするにつけ、僕は自分の部署が、全体からみて、極めて暇な部分にあたることを、感じないわけにはゆかなかった。僕のところはこれらに比べると、まるで扁桃腺か虫様突起みたいに暇であった。[やぶちゃん注:「虫様突起」(ちゅうようとっき)は虫垂(盲腸)の旧称。]

 このような虫様突起が、役所のあちこちに何となくぶら下っているらしく、木堂が属している課も、やはりそんな具合で、何時僕が訪ねても、誰も仕事をしている気配はなかった。みな机の前でぼんやり煙草すっているか、騒々しく雑談しているか、いつもそんな風(ふう)であった。僕のいる部署の風景にそっくりであった。戦争をやっていて、役所においても、人手が足りない足りないといっているのに、こんな空洞が何故あちこちにあるのか、僕には判らなかった。僕に判っているのは、このような空洞が確かに存在し、そのひとつに自分がいるということ、そしてそれを利用する姿勢に自分がなっていることなどであった。早瀬のなかにところどころ、嘘(うそ)のように淀みの箇所をみることがあるが、僕らの部署もそんなものかも知れなかった。そんな淀みのなかに、流れてきた藻がとどまり、そのまま腐っているのを、子供のとき、小川で、僕は何度もみたことがあった。僕はときどきそれを聯想(れんそう)した。子供の僕は、なぜあの藻がいつまでも流れないのかといぶかったものだが。

「虫様突起というものではないだろう」

 僕がそんな話をしたとき、木堂はちょっと厭な顔をして言った。そうして、しばらくかんがえて、

「耳たぶ、という具合には考えられないか」

「耳たぶも、しかし今では無用の長物なんだろう」

「しかし、虫様突起ほど、病的な感じはしないからな」

 病的とは何だろう。また健康とは、どういう形であるものだろう。今の時代において、僕はそれらを理解できなくなっていた。自らが時代からはみでたコブのようなものであることは感じていたが、そうかと言って、コブであることに腹立てたり、恥かしがったりする神経は、とっくに失っていた。しかし、生きてゆくについての、不快な手ごたえと、ざらざらした抵抗感は、おおむねそこから出ていることも、僕は同時にかんじていた。すると木堂はまた言った。

「耳たぶ自身は役には立たないが、眼鏡を通じて、眼に奉仕しているだろう」[やぶちゃん注:ここで木堂が言っている「耳たぶ」とは耳介全体を指している。]

「酒をのんだり、ばくちをうったり、奉仕もないじゃないか」

 そう言って、僕はわらった。

 僕らは執務時間中に、ばくちを打つようになっていた。それはやはり役所のなかにある倉庫みたいな建物で、椅子や机の廃棄品やこわれた立看板などが、ごちゃごちゃにおしこまれた部屋部屋の一番奥に、六畳敷ほどの広さの物置じみた空部屋があって、各局の各課から、僕や木堂みたいなあぶれた余計者が、昼週ぎになると何となくぞろぞろとあつまってきた。ばくちがそこで開帳されるというわけであった。

 しかしばくちといっても、花札や麻雀(マージャン)のような大がかりのものではなく、あぶれ者の僕たちにふさわしい、しみったれたばくちであった。新聞紙を縦に細かく切って、その一枚ずつをとり、その文字のなかに含まれた金額の大小によって、勝負がきまる仕組になっていた。予算の記事のきれはしがあたり、六百五十億円などという数字があたれば、場銭をその男が取ってしまうことになる。時には(定価一円二十銭)などという小額でも、他の連中に金額文字がなければ、勝をしめることもあった。場銭もすくなく、他愛もない勝負であったけれども、それだけに僕らの情熱をかきたてるものがあった。もしルーレットや花札のようなものであれば、僕らは興味をこれほどそそられることはなかっただろう。細長い紙片を、上から下へしらべる手付や感じから、このばくちはフィルムという名がついていた。[やぶちゃん注:「場銭」「ばせん」と読む。賭博をしているその場にあるだけの金銭を指す。]

 たいていその部屋に行けば、五六人の男たちがこのフィルムをやっていた。部屋のすみからこわれた椅子を引きよせて、だまって場銭を出して加わればいいのである。場銭は、踏みこまれたときの要心に、本物の紙幣ではなく、個人が発行する金札をあてていた。人間はなんという詰らぬところに凝るものだろうと思うが、その金札[やぶちゃん注:ここは底本は「金礼」となっているが、誤植と断じて訂した。]もいろいろ工夫をこらして、ボール紙を四角に切って毛筆で丁寧(ていねい)に書いたのもあれば、どうごまかして押したのか、自分が属する局長印をれいれいしく押したのもあるのであった。極秘などという印をおしたのもあって、それが勝負にしたがってやりとりされ、後で清算されることになる。退庁時間がくると、かならず勝負が終ることになっていた。やくざな僕らではあったけれども、役人のはしくれであるからには、この辺はきわめて几帳面(きちょうめん)であった。

 とにかく現職の役人たちが、昼日中、仕事をさぼって、こんな物置部屋でばくちを打っているということは、国民精神総動員の趣旨には至極外(はず)れたもののようであった。げんに隣の部屋には、その手の立看板の古びたのが、山とつまれてあって、ここに出入するたびに僕らはそれを眺めているわけであった。ここにあつまる連中の部署は雑多で、口うるさい男たちであったけれども、この部屋のことについては、秘密はよく保たれていた。僕らはすべて、脱落したような表情をうかべて、硝子窓に日射しがうすれるまで、フィルムをつづけるのであった。

 この部屋にあつまる常連を、しかし僕はここで見知っているばかりで、どんな仕事をしているのか、どんな経歴をもっているのか、僕は全然知らなかった。このフィルムにうちこむ情熱の点だけで、僕は彼等と親近感をわかっていた。彼等も病める虫様突起にちがいなかったし、外的な力で破れ去る予感が、こんなフィルムにうちこむ原動力になっていると、僕は漠然と感じていたから。

 

「だれも戦争に反対する、そんな強い気持はないんだ。ほんとに反対するなら、あんな顔つきでフィルムなどやっているものか。潮の流れから、自分も知らないうちに、はみでてしまっただけなのさ。そのいきさつも、自分では判っていないんだ。だから、似てるだろう。飲屋にならんでいる連中とさ。そっくりのつらつきだよ」

 いつか木堂がそう言ったように、そういえば両者はまことに似ていた。この頃酒の方はしだいに窮屈になっていて、莫大な金を出せばいざ知らず、飲食税のかからぬ範囲で飲もうとすれば、広い東京でもその数はかぎられていて、それも早くから行列しなければ不可能であった。とにかく一回の勘定が税のかからぬ金額内であるから酔うためには、二回も三回も行列の背後に廻らねばならぬ。その回数をかせぐためには、どうしても早くから行って並ぶ必要があった。

 しかし早くから並ぶ必要があるとしても、五時開店だというのに、昼ごろからならぶような情熱を、皆はどこで支えていたのだろう。実際に、嘘ではなく、正午頃には行列がすでに出来ていたのである。このような酒場はさすがに、ごく安くて、いい品質の酒をのませる店であったけれども。

 そしてそこに顔をつらねている常連が、フィルムの常連と、その感じが非常に似ているというわけであった。もちろんフィルムの常連は、一応は小役人だから、身なりにしてもそうくずれたところはなく、ちやんと「防空服装」をまとっていたが、飲屋の常連はもすこしくずれていて、吹きよせられた落葉のような連中が多かった。しかし不思議なことには、たとえば木堂にしても、この行列に混ればちゃんと処を得て、一色にやすやすととけ入るようであった。防空服装も、ここに入ればたちまち、しおたれた印象をはなってくるのである。もちろん僕自身も、そうであるにちがいなかった。僕もこの行列の中では、わらの中に寝るような気易さをいつも感じていた。酒を飲む喜びにつながる、行列の喜びといったものを、僕は確実に体得していた。正午からならぶということも、僕にはその気持がはっきりわかっていた。しばしば僕らも、昼頃から並んだりしていたから。

 僕は行列に混り、開店をまちながら、煙草をすったり、前後の人々と話を交したりする。僕はたいてい木堂といっしょであったが、時にはひとりでも出かけた。行列の会話というのも、たいてい他愛もない世間話で、どこそこの飲屋は盛りがいいとか、どこそこは札(ふだ)を何時から呉れるとか、そんな知識の交換などである。戦争末期に存在したこの種の安酒屋を、僕は今でも二十や三十憶い出せるが、浅草のカミヤバーとか新橋の三河屋のような大きな店をのぞくと、大抵(たってい)横町とか裏町とか、そんな侘(わび)しい場所にあって、自然そこにあつまる連中も、そんな風景にふさわしい男たちなのであった。身体のどこかが脱落したような、ふしぎな臭いを漠然とただよわせていて、声は酒のためか必ずしゃがれていて、木堂の言葉によると、こんな声を、gin-and-water voice と言うのだそうであった。こんな役にも立たない言葉を、木堂はいくつも知っていた。[やぶちゃん注:「浅草のカミヤバー」現存する老舗(公式サイト)で、「電気ブラン」でよく知られる。「新橋の三河屋」現在、銀座などで手広くやっている和食飲み屋と同名店かどうかは不詳。「gin-and-water voice」私は不学にしてこの成語を四十年前にこの小説で知った。]

 やがて店が開く。行列がすこしずつ勤き出して、自分が入口へゆるゆる移動してゆくのが、言いようなく楽しい感じであった。しばらくすると、飲み終えたらしい人影が店の入口から出て、こちらに走ってくる。もちろん第二回を飲むために、行列の後ろへ走ってくるのである。その走り方は、ふしぎなことには、そろって幾分身体を傾斜させ、びっこを引くような走り方であった。まっとうな走り方をする者は、ほとんどなかった。そしてそれは、連日の酩酊(めいてい)からくる身体の変調からでもあっただろうが、むしろ精神的な理由に起因しているように、僕には感じられた。やっと入場して、あわてて飲みほす。そして僕も木堂も入口を飛び出す。さて駈けるという段になると、僕らの走り方も自然とそんな具合になるのであった。そんな走り方をしながら、ずらずらとならんだ一列の眼を、逆にこすりあげながら、後ろの方にかけてゆく。ある複雑な表情を面にうかべながら。

 後方へ走ってゆく連中は、すべて僕と同じ表情をうかベているわけであった。それらの表情は、復雑なニュアンスを含んでいるのでうまく表現しにくいが、ふたつの相反したものがごっちゃになって、強く顔に出ているという感じであった。喜びとかなしみと、あるいは誇りと自卑と、また親近と反撥と、それらがなまのまま組合わさって、なにか惨(みじ)めな色をふくんでいるのであった。それはもちろん行列の眼を意識することから起るものにちがいなかったが、またそれを超えた個人個人の奥のものでもあった。このような時に、飲屋の常連は、もっとも常連らしい色を濃く打ちだした。

 この広い東京のなかから、夕方近くになると、こんな風に集ってくる人々は何だろう。そのひとりひとりを探れば、いずれ僕みたいに、その日その日の終了のみをたのしむ人々には違いないだろうが、さて街をあるいてみると、烈しい文句の立看板が立っていたり、防空壕がものものしく掘られていたりして、そんな脱落の表情をうかべているのは、僕ひとりのような気がするのであった。それが不安なので、僕はどうしても飲屋の行列に加わるために、あらゆる手段をつくさないわけには行かなかった。そして僕の内部で、酒への嗜好(しこう)が一種の倒錯をおこしていて、酒をのむために行列するのか、行列したから酒をのむのか、はっきりしなくなっていた。三時間も四時間も、じっと行列して待っていることが、自分に退屈であり苦痛であるのか、またそれに生甲斐を感じているのか、それもはっきり判らなかった。

 しかしそれは、フィルムの件についても、同じであった。

 

 フィルムに打ちこむ情熱という点で、僕は彼等と親近をわかっていたものの、その親近感も一皮むけば、ある嫌悪に支えられていることも否めないことであった。自分と同じ気持のものがいることは力強いことでもあったが、同時に不快なことでもあった。フィルムをやりながら、疲れてくると(三時間もつづけてやっていると、これはひどく疲れる仕事であった)僕は自分が不機嫌になってくるのが判った。そしてそれは、皆も同じらしかった。それをどんなにごまかしてゆくかが、いわば僕らの生き方のようなものであった。

 僕にはっきり判っていることは、とにかく今の時代が居心地よくないということだけであった。そういう最大公約数を皆と分ち合っていた。どうすれば居心地よくなるかということは、僕には判らなかった。またこんな状態がいつまでつづくかということも、判らなかった。僕をおびやかしているものも、遠くはるかな形のないものをのぞけば、下宿料がたまっていることとか、「東京都の教育」をほとんど手をつけていないこととか、そんなつまらないことばかりであった。こんな詰らないことが、僕に鎖のように重かった。「東京都の教育」についても、僕は再三所長から催促されていた。命令されてから、もう半年近く経(た)っていた。進行中だとか何とか、ごまかし切れないところまで来ていた。

 フィルムの部屋にあつまってくるのは、こんな僕と同じような中ぶらりんな位置にあるらしかった。執務時間中にこんなところに来るのも、どこかで無理をしていないわけはないので、勤務という点では皆うしろ暗いところがあるわけであった。だからこそ、フィルムに全情熱をかたむけ得るとも言えた。

「――課長がおれを呼んでね、今のままで一体どうする気か、つとめる気持あるのか、と聞きやがるから、おれは黙っていたんだ。だって返答できないからね」

 そんなことを、フィルムの常連のひとりが言った。三十四五にもなるのに、まだ雇いで、背の高いやせた男であった。

 「すると、君はなにかイズムを信じているんじゃないか。イズムをね。と言いやがった。なにもかも判ってるぞという顔をしやがったから、おれも困ってね。おれにも判りゃしねえんだ。仕方がないから、しばらくして、イズムといえば Masochism を信じていますと答えてやったよ。ヘんな顔をしてたよ」[やぶちゃん注:「Masochism」マゾヒズム。被虐嗜好性性欲。]

 僕らはそれで大へん笑ったりしたけれども、実は僕も所長にそんな目にあっていた。ある日、出て行こうとするのを呼びとめて、所長が僕を小使室につれて行った。どういうつもりで小使室に呼び入れたのか知らないが、くだけて話するという気勢を示したかったものと思う。そして、君の勤務状況はあまり良くないが、何か不満でもあるのか、と問いつめられて、僕は大へん困惑した。仕事がおもしろくないのだと答えれば、何故おもしろくないのかと聞くにきまっている。そうなれば僕の理解を絶したことだから、うまいこと答えが出来るわけはないのだ。だからだまっていると、所長は黒縁の眼鏡ごしに、

「君は、学生時代にだね、何か、その方の運動でもやったことはないかね」

「はあ」と僕はいきおいこんでこたえた。「運動は、バスケットボールの選手でした」

 所長はすこし呆れたような顔になって、僕を見ていたが、道理で背が高くていい体格なんだね、と言いながら、仕方なさそうに笑った。それでその日は済んだけれども、又いずれ問いつめられるにきまっている。「東京都の教育」の写真にしても、まだ四五枚しか集めていないことがわかったら、僕としても申し開きが立たない。半年近くも、只で給料貰っていることになる。そんな僕にむかって、木堂が言った。

「おれは近頃、ますますフィルムと酒の行列に生甲斐をかんじるようになったな。しゃにむにという感じがする」

 木堂はもともと背の小さなやせた男だが、近頃ますますしなびて、眼だけがキラキラ光るようになっていた。僕とほぼ同じ頃役所に入ったのだが、僕よりも出世がおそい風(ふう)であった。近頃、あまり勤務成績があがらないから、他の課に廻す、と課長からおどされて、面白くない様子であった。

 こういう木堂にしても僕にしても、生きてゆく情熱をすりかえて一点に凝集させるものを、毎日切に欲していた。それでいちばん手っとり早いのは、酩酊(めいてい)であった。ともすれば頭をもたげる心配をつぶす上にも、これは絶対に必要であった。

 

 僕らはたいてい毎夜酔っていた。資金をどうにか調達して、毎日いそいそと行列に加わった。

 五時に店が始まる。行列の前の方からざわめきが伝わってきて、もうその時は、前方の連中は店の内に入っている。そしてポツリポツリと傾いた人影が走ってくると、そろそろ列がうごき出す。ある陶酔が、すでに列全体を支配してゆくのが判る。

 僕らはおおむね、強い酒をこのんだ。酒の味をたのしみに行くのではなかったから。いち早く酩酊をよびよせるために、そして今日という日をそれで終らせるために、泡盛(あわもり)とか焼酎をとくに好んだ。皆も同じ気特であることには、店が開いて、その日の品物が日本酒であることが判ると、列をぬけて他の店に走ってゆく連中もいた位であった。そしてウィスキーも不評であった。値段にくらべて量がすくなく、酔うまでに大へんだったから。

 やがて一回目が終って、二回目の先頭がふたたび店に入るころから、行列はなんとなく華やいでくる。この長い大蛇のような人の列に、ひとわたり酒が行きわたって、昼の間の緊張をときほぐすような黄昏(たそがれ)のいろとあいまって、あの何ともいえない親しい温和な雰囲気にあふれてくる。この瞬間を、僕は何ものにもかえがたく愛した。黄昏とは、何といいものだろう。その黄昏の風物を――三河屋で見た夕月や、飯塚の柳や、堀留橋の蝙蝠(こうもり)や、カミヤバーの夕霧を、僕はいまでもなつかしく思い出す。今大急ぎであおった酒が、また列に加わっているうちに、ほのぼのと発してきて、風景は柔かくうるんでくるのだ。この時僕は始めて、自分を、人間を、深く愛していることに気がつく。それはひとつの衝動のようにやってくる。[やぶちゃん注:「飯塚」不詳。「堀留橋」江戸初期の神田川開削の際、日本橋川の神田川からの分流点より堀留橋までの区間が埋めたてられ、この付近が堀の終点となっていたことから「堀留」の名がある。明治三六(一九〇三)年に再びこの区間が開削され、日本橋川となった。現在の橋は関東大震災後の震災復興橋梁の一つ。「こおろぎ橋」の別名もあった。ここ(グーグル・マップ・データ)。]

 それにしても人々は、僕もふくめて、何と性急に酒をあおるのだろう。あの強い焼酎を、ほとんど二口か三口でコップを乾し(まるで飲むことの責苦から一刻も早くのがれようとするかのように)そして外にとび出して、かけ出すのである。まるで自分の身体を、カクテルセーカーにしたように、傾き揺れながら走ってゆく。ある復雑な表情をうかべながら。

 そして二回目三回目とすすむにつれて、温良な和(なご)やかさが騒然とくずれてきて、あたりはすっかり暗くなってくるのだ。酔っぱらっただみ声が、あちこちで聞え、僕らの頭のなかでも、酔いがゼンマイのように弾(はじ)け上ってくる。そうして僕らもすっかり酔っている。「東京都の教育」のこともフィルムのことも、すっかり頭から消えている。

 泥酔した木堂をかかえて、僕はしばしば僕の下宿にもどったし、また僕がかかえられて、木堂の下宿にとまりに行った。そしてそのまま眠ってしまうと、朝までは何も判らなかった。朝になって眼を開いてから、昨夜の記憶をいそがしくたどり上げるのであった。それはなにかにがにがしいものを、おびただしく含んでいた。今日という一日が、また始まるという重苦しい気分が、それにかさなるのであった。すこし開いた唐紙(からかみ)のかげから、おウシさんかおネズさんの眼玉がひとつのぞいて、

「もう七時ですよ。起きないとおくれますよ。おや、昨夜も木堂さんといっしょ?」

 そんな時、木堂は僕のわきで寝ている。血の気のない、紙のように白くなって眠っている。

「早く起きて御飯たべないと、役所に間に合いませんよ」

 毎朝そうやって眼覚めるたびに、此の部屋が僕の部屋ではないような気がするのであった。壁のいろにしても部屋の形にしても、なにかなじめなく、よそよそしい感じであった。まるで他人の部屋にとまっているような感じであった。

 そしてこんな一日を、また夢遊病者のように、役所からフィルム部屋へ、また夜は飲屋へ廻る自分の姿が、もはやありありと予想されるのであった。

 しかしそれでもいいじゃないか。僕は重い頭を支えて起き上りながら考える。とにかくまた今日を過せばいい。明日は明日でどうにかなるだろう。こんな状態がいつまでつづくのか知らないが、こういう一時期を、こんな形で生きてきたということも、それ以外に生き方が見つからなかったからだ。そいつは仕方のないことだ。

 自分の心をなだめなだめしながら、僕はやっとのことで生きていた。太平洋戦争は少しずつ負けかかっていて、僕はもうすぐ三十歳になろうとしていた。

[やぶちゃん注:終戦の年で梅崎春生は数え三十一歳であった。]

2022/02/11

ブログ・アクセス1,680,000突破記念 梅崎春生 青春

 

[やぶちゃん注:昭和二三(一九四八)年五月号『小説新潮』に発表された。生前の単行本作品集には所収されなかった。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。太字は底本では傍点「ヽ」である。

 文中・文末に簡単な注を入れた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本未明、1,680,000アクセスを突破した記念として公開する。【2022211日 藪野直史】]

 

   青  春

 

 及落会議は、三時半ごろ終った。

 二階の会議室にあたる方角から、とつぜん椅子を動かす音やざわざわ立ちあがる気配がながれてきて、中庭に三々五々立ってるぼくらを、いきなり不気味な沈黙と緊張におとしいれた。時間も風物も、一瞬にして凍ってしまったようであった。やがて階段の踊り場へ、書類綴りをこわきにかかえた人影がちらと現われたと思うと、黒っぽい背広を着た教授たちの姿が次から次へ、古ぼけた階段をぎいぎいきしませながら、ぞろぞろと降りてきた。みんな疲れたようなまぶしいような顔つきになって、そろって黙りこくったまま階段を降り切ると、申し合せたように右手の渡り廊下の方にまがり、そろそろと便所の建物に吸いこまれて行った。中庭にたちこめていた緊張はうわずったように破れ、中庭に佇(たたず)んだ人々が水流にうかぶ塵埃(じない)のように、建物のひとところに吸いよせられて行くのが見えた。やがてそこに事務員の手によって、及落の発表が貼りだされる筈であった。

 ぼくは図書室の石段から立ち上って、その方に歩きだそうとしたら、ぼくのマントの裾を城田の掌が押えつけた。城田の顔は少し青くなって、眼だけがきらきら光っていた。

「たのむから」掌を頭のところで妙な形にひらひらさせながら、押しつぶされたような声で城田が言った。「鈴木も便所に入っただろう。あそこまで行って、一寸おれのことを聞いて呉れや」

「聞いてこなくても、すぐ貼り出されるよ」

「そいつが待ち切れんのだ。な。一つ頼む」

 切迫した声になった。そうまでしなくても、とぼくは笑おうとしたが、笑いにはならなかったようだ。城田の眼が青味を帯びてぼくに食い入っていたのである。そしてはきだすように言った。

「ああっ。やり切れん。ひとつたのむ」

 さんざん待って他人の頭ごしに、自分の名前を貼紙に読む城田を想像すると、ぼくも俄(にわか)にやり切れない気持になってきた。今日の及落の発表も、城田がついてきて呉れと頼むから、ぼくはやってきたのである。この気弱な男の顔を見ていることが、気の毒な感じに耐えられなくなったから、ぼくは視線をそらして彼方の職員室の建物に眼を移した。晴れあがった三月の空を背景に、その古風な建物はヘんに黒い影を中庭にひろげていた。トタンぶきの渡り廊下を隔てて、貨車のような形の便所が連なっていた。その陰影も砂利の上に暗くおちていた。あの中にいる教授たちは皆、既に事の全貌を知っているのだと思うと、城田のために、なんだか悲しいような腹立たしいような気分がぼくをかりたててきた。

「よし」とぼくはマントを肩に引っぱりあげた。「聞いてきてやる」

 中庭を斜めによこぎると、ぼくは便所の入口までつかつかと歩いた。手巾で掌をぬぐいながら出てくる人影のあいだから、入口に一番近いばしょでむこうむきになっている鈴木教授の、特徴のある後頭部の形が直ぐ眼に入った。鈴木教授はぼくらの組主任であった。なまあたたかい尿のにおいがそこらにたちこめていた。なにか気配を感じたのか、ふと鈴木老教授は顔をうしろにふりむけた。そしてぼくがすぐうしろに立っているのを見ると、急に顔をくしゃくしゃと気の毒そうにゆがませ、とぎれとぎれの口調で言った。

「君か。君の、ことは、頑張ったけれど、とうとう駄目じゃった。ずいぶん、弁護したんだが、なにしろ……」

 頭を力まかせにがんと叩かれたようで、ぼくは身動きもできなかった。身体中を音たてて血がかけめぐってゆくのが判る。言葉の一つ一つが無量の重みをもって、ぼくの耳の底にしたたり落ちた。膝のあたりから急速に力が抜けてゆくのを感じながら、ぼくは茫然と鈴木教授の尿の色を眺めていた。教授は首をふりむけてぼくに話しかけながらも、そのことは止めずに継続していたのである。尿のいろは、黄色火薬のようないやな色調であった。

 それからぼくはとつぜん身体中がふくれあがったような気持になって、白線帽を脱いでペコリと頭をさげると、ふらふらと中庭の方にとってかえした。そして中庭を校門の方にむかってふらふらと歩いた。何が何だかわからなかった。城田のことなどは、頭になかった。建物の入口のあたりでなんだかざわめいていたような気がするが、その時発表が貼り出されたのかも知れない。玉砂利をふんで大蘇鉄(おおそてつ)のそばを通り、桜並木のしたを通りぬけ校門から往還にとびだした頃には、すこしは気持がはっきりしてきた。全身がふくれあがるような厭な気持はおさまった代りに、今度はさまざまの現実的な苦痛が次第にするどく湧きおこって、身体が板みたいにコチコチに平たくなって行くような気がした。

(どうしよう。一体これは、どうしよう)

 しきりにそんなことを呟(つぶや)きながら、足早に歩いた。三月も半ば過ぎたというのに、熊本の街にはまだ斑(まだ)ら雪が残っていて、それがぼくの靴の裏でじゃりじゃり鳴った。空はすっきり晴れあがっていて、風はなかった。どうしようたって、どうなる訳(わけ)のものではなかった。軒下にたまった斑ら雪を、わざとあらあらしく踏みつけて歩く気持から探ってゆけば、僕はむちゃくちゃに腹を立てているらしかった。まるでだまし討ちにあったようである。しかし腹を立てたとしても、どうなるというものではなかった。

(なんで落っこちたのだろう。独逸(ドイツ)語か。西洋史か。それとも、教練か)

 先だっての野外演習で、銃を逆にかついで配属将校にひどく叱られたことを、ぼくは思い出した。あれだって、銃を逆にかついだら、どんな感じがするだろうと考えたからで、あの配属将校がいうようなふざけた気持など毛頭ありはしなかったのだ。

 ぼくはしだいに怒りが折れまがって、困惑に似たものに変ってくるのを感じながら、城田などは一体どうだったのだろうと考え始めていた。

 

 ぼくは夕焼けの高台をあるいていた。

 いつの間にか雲がでてきたと見えて、椅子の形をした雲や、鶏の形をした雲や、掌の形をした雲が、赤く焼けて南にながれていた。その下に、黝(くろ)い家並がずらずらと遠くまでつらなっていて、熊本城の天守閣が小さく見えた。旅情に似た切ない気持が、しきりにぼくの胸をしめつけた。夕焼けはぼくが歩くにつれて、微妙に色あいを変えるらしかった。

 坂道には、梅のにおいがした。しかし梅の花はどこにも見当らなかった。板塀(いたべい)がずっと連なっているばかりであった。この坂道を降りきれば、行きつけの飲屋があることをぼくは知っていた。あれからさんざんあてどなく歩き廻った揚句、ここの近くにやってきたということが、ふと自責となってぼくの心を痛くした。しかしその痛みも、おそってきては直ぐはかなく散るらしかった。ぼくは自分の周囲に厚い膜を強いて感じ、その内部で自分を無感動にたもちながら、坂を一歩一歩降りて行った。すると眼前の風景もぼくと一緒に沈下して行った。

 坂道が終ると、ふたたび斑ら雪の道がつづいた。ぼくは上衣の内ポケットを、さっきからなんども外側から確めていた。そこには金が入っている。東京の大学をうけるために旅費として故郷から送ってきた金であった。もう一年ここにとどまらねばならぬとすれば、すっかり意味を失ってしまった金であった。ぼくはある抵抗をかんじながら、身体をひるがえして、目指した店ののれんを肩で分け、冷たい土間に辻(すべ)りこむように入って行った。腰かけの代りにある紅がらの剝げた樽に腰をおろして、低い声でお酒を注文した。肩の張った蟹(かに)みたいな感じのする小女が、乱暴にぼくの卓にコップをおいて行った。頰杖をついたまま、ぼくはそれを見ていた。

(いったい落第するなどと、おれは予想していただろうか?)

 そしてさっきから考えつづけていたことを、ぼくはも一度頭にのぼせていた。実をいえば漠たる不安はあったとしても、現実的な形としてぼくをおびやかすものは何もなかったのだ。ぼくはぼくの運を信じていた、という他はなかった。それだけを信じていたこと、そしてそれが一挙にくつがえされたことから、すべての昏迷が始まっているようであった。

 分厚なコップから熱い酒をすこしずつ口のなかに流しこんだ。そして辛い大根おろしをつけて、瘦せた乾鰯(ほしいわし)を嚙んだ。乾鰯の焦げた部分がにがく口にたまると、また熱い酒を流しこんだ。熱い液体は咽喉(のど)をやいて胃に落ちて行った。しばらくするとぼくは卓をたたいてお代りを注文した。うすぐらい土間を小女が横にあるいて、新しいコップの酒をはこんできた。ぼくはうつむいたまま、卓の上のこぼれ酒にさかさに映る電燈のちいさな形を、いっしんに見詰めながら、思い出したように乾鰯を嚙み、そしてふたたび口に酒を流しこんだ。

 軈(やが)て戸外は蒼然と昏(く)れてゆくらしかった。

 そのうちに、酔いが弾(はじ)けるように身体中にひろがってきた。瞼の内側や膝のうらのくぼみが快よい熱感をたもち、そしてそれが次第に皮膚のうえをずれながら流れるようであった。乏しい電燈の光が軟かくうるんできた。酔いが身体の底にしずんでゆくにつれて、ある思念が黄昏(たそがれ)のようなにぶい色で、ぼくの胸にさびしくひろがってきた。

(そうすると、もうこの世界も、おれの意のままにならないんだな!)

 あの瞬間の鈴木教授の顔をぼんやり思いうかべていたのだ。それはいつもの教授の顔とちがった、すこし困惑したような憐れむような表情を浮べていた。その表情がぼくの自尊心をするどく傷つけていたことを、ぼくは今になってはっきり気付いた。今までになぜそれに気付かなかったのか。そしてこんな飲屋でコップ酒をあおっている自分の姿が、ぎりぎりと浮び上ってきた。

(こんな処で飲んでいるとは、鈴木教授だって考えまい)

 今ごろは子供たちにかこまれて、及落会議の模様などを話しているかも知れない。そして落されたぼくがこんなうらぶれた飲屋でやけ酒をあおっているなどとは想像しないだろう。そしてぼくの級友たちも――卒業できて熊本の地をはなれるために、下宿の部屋部屋で荷造りをしていて、ぼくのことなど少しも思い出さぬだろう。

 この考えは、変にこころよくぼくの頭をこすってきたのだ。ぼくはわざと不貞腐れたポーズでコップを唇にもってゆき、眼球に力をいれてぐっとあおりながら、この愚劣な悲壮感を育てようとした。感傷的になることによって酔いを充分廻らせるのが、いわば独り飲むときのぼくの癖であった。そのいつもの感傷に、今宵(こよい)は切実におちて行く予感があった。ぼくは乾鰯を横ぐわえにくわえたまま、ぼんやり顔をあげて店のなかを見わたした。

 すすけた梁木(はり)の間から、うすぐらい裸電球がぶらさがり、土間にならんだ卓のあちこちに、ばらばらと五六人の男たちがこしかけ、皆だまってコップの縁をなめていた。奥の柱によりかかって、小女はうつらうつらと居眠りしているらしかった。一番むこうの卓は薄くらがりにかげっていて、そこで背を曲げてコップを砥(な)めている男の帽子が、どうも白線らしいと思ったら、ふと顔をうごかした瞬間、それは確かに頰のそげた城田の顔であるらしかった。なんだ、あんなところで飲んでやがるのかと、あるなつかしさが、その反対の気持と急激に交錯して、ぼくがはっと身体を堅くした時、その薄暗がりの底で城田の掌が海月(くらげ)のようにふわふわ動いて、ぼくを手招いた。ぼくがいることを先刻から気付いていた風な自然なしぐさであった。ぼくは思わず鰯を口からとり落して、紅がらの樽から腰を浮かした。ある羞恥に似た感情が、みるみるぼくの顔を染めてきた。

 

 席をうつしてむかい合った瞬間、城田はあおくきらきら光る眼でぼくを見据(す)えながら、その癖うっとりしたような口調で言った。

「きれいだったねえ。何ともきれいだったねえ。子飼橋から見たのさ。家や森のずっとずっとむこうで、阿蘇が火をふいていやがるのさ。夕暮の空にちいさな火の粉が、パッと散ってさ、きれいだったねえ、あの景色は」

 そしてふと眼をひるんだように外(そ)らし、乱暴な手付でコップを口にもって行って、ぐっとあおった。ぼくもそれにならってぐっとあおった。城田のそげた頰は蒼くしずんでいて、眼だけがきらきらと獣のようにひかるところを見れば、相当に酔いが廻っているらしかった。視線の方向は卓のコップにおちていたが、それにも拘らず、どこか遠くを眺めているような眼付であった。そしてそのままむき合って、暫(しばら)く黙っていた。何か言い出すといきなり痛いところにふれそうで、ぼくは城田の顔をさぐりながら口をつぐんでコップを傾けた。城田の視線も不安定にあちこち勤いた。それからまた二人とも卓をたたいてお酒を注文した。

 遠くの方で歌をうたう声がしつこく聞えていた。その他にはコップが受け皿にふれる硬い音がときどき聞えるだけで、あとは何の音もしなかった。

 黙ってコップを重ねているうちに、やがて酔いが本式に重々しく身体を充たしてきた。頭脳が熱くぶよぶよになったような気持になって、何だかそこらあたりがはっきりしなくなってきた。そのうちに、何となくぼくらはしきりに饒舌(じょうぜつ)になって、何時のまにかいろんなことを話し合っていたようである。しかしその話し合っていることも一向とりとめがなくて、そして何か逃げ廻っているようで、話題はそれからそれへと切れたりつながったりしてつづいた。舌がどうしてももつれるので、声が自然に甘ったるくなるのが自分でもわかった。

 城田は帽子をあみだにはねあげて、髪をべっとり額にたらしたまま、舌たるい声音で、故郷の老父が町役場の小役人であることをしきりにぼくに説きつけた。うす暗い光をふくんで、城田の顔は濡れたすりガラスのような色であった。ぼくもしきりに相槌をうって、その合間にお酒をあおった。それから今度は、ぼくが故郷の老父の話をはじめたらしかった。気がつくとその話も、てんで出鱈目(でたらめ)のつくりごとであった。こんな嘘っぱちが、何故すらすら自分の口から流れ出るのか、ぼく自身にもはっきり判らなかった。何かがしきりにぼくを駆るらしかった。

「おれの親父さんは、按摩なんだよ。眼玉が牡蠣(かき)みたいに潰(つぶ)れてんだ」そんなことを、ぼくはべらべらとしゃべっていた。

「そりゃ、そうだろう」

 城田が今度は相槌をうちながら、酒をしきりにあおった。そうするとぼくは、ぼくの親爺が本当に盲(めくら)であるようなつもりになってきて、やたらに悲壮な気持がこみあげた。そしてなおのことべらべらとしゃべり続けた。

 そしてそのうちに話題がとぎれて、ふと沈黙がきた。卓の上には空のコップがずらずら並び、こぼれ酒のひとつひとつに、小さい花のように電球の倒影がうかんでいた。酔いが背骨にまでしみこんだようで、じっとしているのも大義な気分になってきた。城田が杉箸(すぎばし)の先で、卓の端にならんだ乾鰯の頭を、ひとつひとつ意味なく弾きおとすのを、ぼんやり眼で追っかけていた。そして自分では確かなつもりで、こちらから口をひらいた。

「――ええと、この二人で」それから何を言おうとしたのか、ふいに忘れてしまった。口ごもったぼくの方へ、城田が顔をとつぜん上げた。そげた頰のあたりが不気味なほど蒼かった。無精髭(ひげ)がそこらにちりちりとちぢれていた。なにか言わなければならないような気持になって、ぼくはあわてて空隙(くうげき)をみたすように意味ない言葉をついだ。

「この二人なんだな。つまりそうなんだ」

「――そうなんだ」

 遠いところから吹いてくる風のようなかなしい声で、城田がそう答えた。城田の顔を、なにもかも観念したという風な虚脱したおだやかさが一瞬ながれた。城田の眼は、次の瞬間、しかし急にぎらぎら光って、ぼくをにらみつけたらしかった。その視線を額にいたく受けとめたとき、ぼくは突然なにもかも判ったような気持がして、思わず少し声を高めた。

「この二人。二人だけか。河田や青木はどうした?」

 ぎょっとしたように城田が身体を硬くした気配であった。しばらくして吹きぬけるような声で、かなしそうに口をひらいた。

「――あいつらは、上った」

「郡山は?」

「――あれも、無事だった」

 城田の返事はだんだん苦しそうな響きを帯びてきた。

「では」と、ぼくは少しせきこんで畳みかけた。「では、那須も? 梅野も?」

 ぼくにそそがれた城田の視線が、急に憎しみをたたえたと思うと、そのままふと横に外れた。コップヘ手を伸ばしながら、肩をがっくりおとし、城田は沈痛な声になって言った。

「――それらには、先刻逢ったよ。子飼橋の上で。二人ともトランクを下げていやがった。今晩の汽車で東京へ発つとよ」

 酔いでぶよぶよになった身体のあちこちから、何かが脱落してゆくような烈しい感じが起って、ぼくは思わず眼をとじていた。瞼のうらに回転する眼花のなかに、ぼくはトランクを下げた二人の級友の姿をうかべていたのである。そして橋のたもとに佇(たたず)んでそれを見送る城田の、瘦せた長身の姿がまざまざとそれに重なった。ぼくはそれらの幻像が、ぼくの幽(かす)かな憎しみでいろどられていることを今はっきり感じていたのだ。そしてその感じを探ってゆけば、ぼくが憎んでいるのはあの二人ではなくて、むしろ城田に対してであるのかも知れなかった。しかしそのような感じを超えて、その時城田が見たという阿蘇の風景が、いきなりぼくによみがえり、胸の中のものを一瞬はげしく摑んできたのである。ぼくの背をかすかな戦慄がはしりぬけた。[やぶちゃん注:「子飼橋」ここ(グーグル・マップ・データ)。「眼花」は「がんか」と読み、小学館「日本国語大辞典」によれば、『目さきがちらちらして物が良く見えないこと。また、目さきにちらちらする火花のようなもの。』とあった。これは芥川龍之介の「齒車」に出る視覚的異常(健常者にも起こる)である「閃輝暗点(せんきあんてん)」或いは「閃輝性暗点」という、必ずしも重い病気とは限らない視覚障害症状である。私の『小穴隆一 「二つの繪」(7) 「□夫人」』及び「芥川龍之介書簡抄143 / 昭和二(一九二七)年三月(全) 六通」の「昭和二(一九二七)年三月二十八日・田端記載/鵠沼行途中投函(推定)・齋藤茂吉宛」で詳細に注してあるので読まれたい。ここはしかし、閉じた瞼の裏側に光のようなものが見える錯覚で、後者の変形的な視覚的現象である。私はもうじき六十五になるが、この熟語を使ったことはない。しかし、そうした錯覚は何度も体験したことは、ある。]

 それは浅黄色の空を背景とした、遥かにちいさな、そして厳しい山のかたちであった。その頂上から六彩の火のいろがほのぼのとふき上っていた。夢の中の風景に似ていたが、ふしぎなことに今のぼくには、それは実際の阿蘇よりもっともっと鮮かな現実感を瞼のうらにひろげていた。ぼくはとめていた呼吸をふとゆるめると、眼をしずかに開いた。コップに残った酒を、音たてて飲みほした。

「おい。今から、阿蘇に行こう」

 ぽくは押えつけたような声でそう言った。そう言ってしまうと、急に駆りたてられるような気持になって、ぼくはあわてて言葉をついだ。

「自動車で行こう。金はある。金はあるんだ。行こうじゃないか。おれだけでも行く」

 酔いのために血走った城田の眼が、だんだん大きく見開かれて、射ぬくようにぼくの顔におちた。

 

 ぼくら二人をのせた自動車は、暗い街をぐんぐん進んで行った。ヘッドライトの光茫が電柱や街路街をつぎつぎ砥(な)めて、だんだん家並がまばらになって行くのが判った。

 大きな橋を走り渡るとき、川の面に月が映り、気がつくと外界は青白い月のひかりでいっぱいであった。自動車は青白い麦畠のなかをずんずん走った。

 遅転手はスキー帽の後頭部をみせたまま、身じろぎもしなかった。ときどき肩と手がすこし動いてハンドルを廻すらしかった。青白い月光はそこにも斜めにおちていた。

 ぼくらは同じようにクッションによりかかり、腕組をしたまま揺られていた。振動につれて酔いがひとしきり発してくるようであった。はっきり身体が揺られているくせに、自分が自動車にのっていることが妙に現実感がなかった。自分だけが宙に浮いて、どこかに飛んでいるような気がした。窓のそとの青白い風景がちらちらと瞼をかすめて、切れ切れの意識の底を、しんしんと氷のようなさびしさが降りてきた。自動車はしだいに速度を増して、ぐんぐん進んで行った。車輪のしたをずんずん背後に流れてゆくのは、白々とつらなる夜の街道であるらしかった。

 ぼくらはお互にそっぽをむいて、窓の外の風景を見るとはなしに眺めながら、言葉すくなく話を交していた。相手の声はほとんど聞きとれないから、勝手にひとりごとを言っているのと同じであった。そして自分が口からはいたことも、次の瞬間には忘れはてていた。時間がしゅんしゅんと水のように流れてゆくのに、ぼくの気持はなぜかしだいにとがってきて、ひどくわずらわしい気分になってきた。

(こんな思いつきを、おれは後侮し始めたのか?)

 自動車は青白い風景を裂いて、ぐんぐん進んで行った。時々運転手の肩と手がかすがに動いて、ハンドルがゆっくり廻った。耳をかすめる城田の語調がだんだんとげとげしい響きを含んできた。何を言っているのかはっきり聞きとれないが、何だか次第に怒りを押えきれなくなってくるらしかった。

(怒ることがあるか。自分で勝手に落第したくせに!)

 ぼくはかたくなにそっぽむいて、窓の外を飛び去る夜の風物を眺めていた。眺めているとぼくの心の底でも、しんしんとした淋しさをやぶって、酔いにまぎれて怒りのようなものがいらいらと燃え上ってゆくのが感じられた。

(阿蘇に行くったって)とぼくも口に出してつぶやいた。

(始めからおれひとりで行けばよかったんだ)

 視界を満たしていた青白いひかりを、突然、バタ、バタ、バタ、と間隔をおいて黒い影がさえぎり始めたと思ったら、街道は巨大な杉並木に走り入ったらしかった。

(ついてきて呉れというから、ついてきてやったら、見ろ、おれまで落第してしまったじゃないか!)

 酔いが身体の振動のため、こじれた形のままふくれてくるようで、感覚がそこらでずれてしまったらしかった。阿蘇に行こう、と呼びかけた時の、城田への親近感が、どすぐろく形を変えて、重い鎖のようにぼくの身体にもたれてくるようであった。さっきの浅黄色の阿蘇の幻想もあとかたなく消えて、なにか真黒な巨大なものへ、この自動車が突き進んでゆくような気がした。逆なでされるような不快な抵抗が、そこにかすかに混っていた。

 疾走する音のなかから、ぼくはその時ふと呂律(ろれつ)の乱れた城田の呟きをとらえた。

「――お前は、ほんとに、ほんとに、不潔なやつだな」

 窓硝子に額をあてて、ぼくは今とらえた言葉の意味を、何とはなくぼんやりと考えた。しばらくするとぼくはなぜか急に胸が熱くなるような気持におそわれた。そしてその熱は次々に全身にひろがってきた。ぼくは唇を嚙んで、ますます額を窓硝子におしつけた。自動車は長いことかかって杉並木をぐんぐん走りぬけた。しばらくしてふと気がつくと、なだらかな丘陵の上を、自勤車はぐんぐん走っていた。あたりをとりまく草原は一面に蒼ざめて、まるで静かな海のようであった。月の光がそこにさんさんと降りそそいでいた。

 その時呂律の乱れた城田のとげとげしい呟きが、急に叫び声になって、靴をがたがた踏みならした。その声はまるで泣いているように聞えた。

「おれはここで降りるんだ。降ろしてくれ」

 自動車はぎぎぎときしんでとまった。

(降りたければ降りたらいいだろ)ぼくはそっぽむいて唇を嚙んだままそうかんがえた。酔いがぼくの気持をたすけていた。その時ぼくははっきりと、城田を純粋ににくむ気持におちていた。飲屋で出合った瞬間から、この気持は始まっていたのではないか。そう考えたとき、がたごとと音がして、城田の体はよろめきながら外に出るらしかった。車体がぎいとかしいだ。扉がばたんとしまると、自動車はまた爆音をたてて動き出した。運転手の後姿はさっきのまま、すこしも動かなかった。やがて速度がつめたく加わってきた。

 背後の窓をふりかえると、大きななだらかな丘陵の頂に立った城田の姿が、見る見る小さくなって行くのが見えた。それは青白い円盤の上にとめられた小さな鋲(びょう)みたいに見えた。小さな鋲は片手をあげてこちらに振っているらしかった。何とも言えない、不安とも悲哀とも憐憫(れんびん)ともつかぬものが、そのときぽくの胸を疾風のように通りすぎた。そして鋲は青白い風景のなかに沈んで行った。

 それから長い時間、自動車はぐんぐんぐんぐん走って行った。土手や林や燈が、飛ぶように背後に飛んで行った。ぼくはクッションの片すみに身体を埋めて、じっとしていた。気持ははげしくたぎっているにも拘らず、意識の一部がしだいに物憂(う)く凝(こ)って行くのが感じられた。自動車のつめたい無神経な速度が次第に皮膚をざらざらとけばだててくる気配があった。

(おれは何の為に、阿蘇くんだりまで出かげねばならぬのか?)

 酔いがすこしずつ醒めてくるのを感じながら、ぼくはそう考えた。そう考えると、あの草丘に残してきた城田の姿が次第になにか切実な形でよみがえってきた。ぼくは背筋をかたくして、気持をある荒涼たるもので支えていた。酔いが顎のさきや脇の下から、しらじらと醒めて行くのがはっきり感じられたが、醒めかかる意識のむこうに、もはやぼんやりと故郷の老母の小さな姿や鈴木教授の姿や級友の姿が浮んで来るようであった。

(何のためにおれはこんな自動車に乗っているのだろう?)

 ぼくは急に我慢できないような気持になって、思わず声を立てて叫んだ。

「ぽくもここで降りるんだ。とめて下さい」

 運転手の肩と手がわずか無表情にうごいて、車体は再びきしみながら速度をおとした。道に凸凹があるらしく、ヘッドライトの光茫が乱れ散った。車輪が土に食いこむように、自動車はがくんととまった。

 窓のそとに点々と燈が見えるのは、ここはたしかに街道筋の小さな部落にちがいなかった。ぼくは車のなかでよろめいた。

 

「うどん」と染めぬいた障子が燈を透して、湯気が小窓からほそく洩れていた。自動車のテイルライトが今来た道ヘ消えてゆくのを見届けて、ぼくは油障子を引きあげた。夜風でひるがえるぼくのマントは、月の光に銀いろに濡れた。

 土間に大きな卓がひとつあって、小さな男がひとりコップをかたむけていた。土間のすみには籠が伏せてあって、ぼくの姿をみてその中の鶏がコココと騒いだ。ねぎの匂いがそこらにただよっていた。竹格子のむこうの調理場から、眼の大きなわかい女の顔がのぞいた。

「焼酎しかないのよ。それとも、うどん?」

 ぼくの顔を見ながら、女の眼じりに笑いの影がはしった。

「学生さんね。どうしたの。顔色がわるいわ」

 女はごわごわした手織の着物を着ていた。腰をかけて帽子をぬぎ、ぼくは女がはこんできたコップから強い芋焼酎をすすった。咽喉(のど)を焼くようにして、それは食道におちて行った。一杯飲むか飲まないうちに、ふたたび酔いが快よくもどってきて、耳の奥をじんじんと血がはしりだすのが判った。さかなの代りに葱(ねぎ)を薬味風に刻んだのをつまんで、また焼酎をふくんだ。何もかもぼくから遠ざかってゆくような、遥かな虚脱がぼくの節々をみたしてきた。ここが何という部落なのか、それもあまり気にならなくなってきた。小窓から十七夜の月輪が見えた。自動車でひとりいた切迫した気持が、ここではゆるゆるとほぐれて行くらしかった。

 前にすわっている小さな男はもうずいぶん飲んだらしく、しやがれた声で女としきりに冗談のやりとりをしていた。詰襟から出た頸筋(くびすじ)のところが赤く染って、鶏の地肌みたいな色であった。女は男の言葉のたびに、明るくほほほと笑った。わらう毎にぼくの方を大きな眼でちらと見た。男の声は冗談いうときでも、へんにかなしそうにしゃがれていた。

 そのうちに、何が何でもいいような気分になって、ぼくもしきりにコップをあおった。男がぼくに話しかけてくるのもそう気にはならなくなった。

「阿蘇に行こうと思ったんです」

 そんなことをぼくは答えた。男は詰襟服から首を伸ばして、今は荒れているから面白いだろう、などと言った。

「うそよ。あぶないわよ」

 女の眼はやさしく笑いをふくんでぼくを見た。おれより年上らしいな、とぼくはぼんやり考えた。詰襟の男は鶏のような声を出して笑った。ぼくもそれと一緒にわらった。すると、名も知らない部落のうどん屋で、こんなに安心してわらっている自分が、奇妙にたのしく思われてきた。

「なぜ阿蘇にのぼるの? おひとりなの?」などと女が訊ねた。

 女の眼は探るようにぼくの顔におちていた。

 ぼくは先刻草丘にのこしてきた城田のことを思いうかベていた。それはぼくの想像のなかで、絵のようにほのぼのとした風景であった。その風景をぼくは素直に思い描いた。それももはやぼくには、遠く遥かなものになっているらしかった。ぼくはこの詰襟の男や眼の大きな女に、ほのかな親近の思いが湧き上るのを感じながら、うつむいて言った。

「学校を落第したからなんだよ」

 ぼくの言葉を聞いて、女は、手の甲で口をおさえて、ほほほ、と笑った。白い清潔な歯並みがこぼれた。その色が何故となくぼくの眼に沁みてきた。詰襟の男は赤黒くしなびた顔に頰杖をついて、廻らぬ呂律(ろれつ)でぼくに、自分が中学校で落第した時のことを、話して聞かせようとしていた。女は男の言葉の合の手のように、うそよ、とか、それは出鱈目よ、などと口をはさんだ。

「……おふくろからさんざん叱られて、家出してやろうかと思って、な、背戸まで出たら麦畠のむこうに半かけの白い昼の月が出ていた」

 ぼくも頰杖をついて、ぼんやり聞くともなくそれを聞いていた。その半かけの昼の月がまざまざと眼に見えるような気がした。

「わしがあるきだすと、な、うちの犬がどうしてもついてきて離れない。仕方がないからたんぼの榛(はしばみ)の木に、犬をしばりつけた。そして走り出した。犬のからだはついてこないが鳴声はどこまでもついてきた。わしは耳をおさえるようにして、どこまでもどこまでも走った。どこまでも走っていったよ。――」[やぶちゃん注:「通常は落葉低木のブナ目カバノキ科ハシバミ属ハシバミ変種ハシバミ Corylus heterophylla var. thunbergii を指すが、実は本邦ではしばしば全くの別種である落葉高木のブナ目カバノキ科ハンノキ Alnus japonica に誤って当てる。ここも犬を縛りつけるとなら、私が映画監督なら、後者を使う。]

「うそよ。大うそ」と女が笑ってさえぎった。「中学校に行ってたもんですか」

 男も赤黒い顔をくしやくしやにして笑いだした。それからまた焼酎をしきりに飲んだ。ふたりのコップが卓に入り乱れてならんだ。話がとりとめもなく乱れて、ぼくも身体が燃えるように熱くなり、そこらもはっきりしなくなってきた。歌をうたおうというので、何だか干切れ干切れに声を出した。

 女がぼくのそばに掛けて、咽喉(のど)を反(そ)らせて軽やかな声で「オテモやん」をうたった。ぼくも杉箸でコップを叩きながらそれに和した。ぼくらの声はすでに乱れて、抑揚もなにもなかった。声をだしてうたっていると、潮騒(しおさい)のように胸の奥で湧き立つものがあって、ぼくはそれから逃れようとしながら、眼をつむって更に調子を高めた。[やぶちゃん注:「おてもやん」熊本民謡の代表格とされる民謡。熊本弁が強く出た陽気な歌詞が特徴。詳しくは当該ウィキを読まれたい。そこでもリンクが張られてあるが、「熊本国府高等学校パソコン同好会」による歌詞の標準語訳を並置した詳細解説があり、それによれば、以下で歌われる一節は『そんな人たちがいらっしゃるので、後はうまくとりなしてくれるでしょう』とある。また、YouTube のこちらで「日本大衆文化倉庫」による歌詞画像とともに視聴も出来る。]

 

  〽あんひとたちのおらすけんで、あとはどうなときゃあなろたい……

 

 突然瞼に熱いものが一ぱいあふれてきて、咽喉がつまった。歌いやめてじっとしていると、女の呼吸が耳のそばにあたたかく触れて、低い声がささやいた。

「今夜はあたしのうちにいらっしゃい」

 詰襟の男はすっかり酔っぱらって、黒白もすでにわからぬらしかった。そのくせ注文したうどんを食べようとして、杉箸をしきりにうどんに突込んだ。うつむいたままの顔にしゃくい上げて、ばらばらこぼしたりした。[やぶちゃん注:「しゃくい上げて」「しゃくりあげる」(噦り上げる)の音変化(方言ではない)。本来は「声や息を何度も激しく吸い上げるようにして泣く」こと指すが、ここは、むせっているのを、かく表現しているのであって、男は泣いているわけではない。]

「鼻の、穴から、食うもんだぞ。うどんの、通人は」そんなことを言いながら、犬のように鼻を丼に押しあてた。そのような風景がぼくの眼の前で、いくつも乱れたり重なったりした。ぼくはさっきの女のささやきを、すがるように記憶にたしかめながら、また焼酎を口に含んだりした。女がそこらを片付けにかかっていたことはぼんやり覚えているが、そこらあたりからはっきりしなくなった。

 ――気がつくと、ぼくは女とならんでこうこうたる月光の道をあるいていた。

 足がどうにももつれるので、ぼくは女の肩に手をかけていたらしい。月の光が背後からさして、銀白の道にはふたりの大きな影法師がもつれながら動いている。夜風のなかで女の香料にまじって、桃の花の匂いが幽(かす)かに流れたりした。道のそばを小川がながれているらしく、水音がぼくらについてきた。

「――あれが、阿蘇よ」

 ちらちらする視界のはるか向うに、うすぐろい煙が立ち上っていた。山の形が月光のなかで、くっきりと浮んで見えた。それを眺めながら、女の肩を抱いたぼくの手の指は、女の耳たぶに触れていた。耳たぶはつめたく柔かかった。かなしみに似たものが、ぼくの胸に磅礴(ほうはく)とひろがった。[やぶちゃん注:「旁礴」「旁魄」などとも書く。原義は「混じり合って一つになること・混合すること」であるが、ここは「広く満ちること・広がり塞がること・広々としていること」で畳語表現である。]

 

 洋燈(ランプ)をつけると、部屋のなかがぼんやり浮び上ってきた。女は先に上りながら、ぼくにささやくように言った。

「これ一部屋なのよ。変な造りでしょう」

 長細い四畳の部屋に、せまい土間がついていた。部屋はこれだけであった。板で仕切られていて、天窓がひとつあるだけであった。洋燈の光が揺れて、壁板にかけた着物の影がちらちらと動いた。押入れもないらしく、夜具は部屋のすみに重ねてあった。荒れはてた情感がそこにただよっていた。洋燈のひかりの中で、女の顔は俄に歳とったように見えた。女の姿は部屋をあちこちうごいた。ぼくも戸をしめて、畳にすわった。

「お茶もなくて、ごめんなさいね」と女がぼくを見おろして言った。「こんな部屋を借りてるもんだから。電燈線もひいてないのよ」

 ぼくはぼんやりあたりを見廻していた。これは農家の中庭らしいところを通りぬけたから、庭のすみに建てられた離れみたいな一棟であるらしかった。

「――あの店は、住込みじゃないのかい」

 としばらくしでぼくが訊ねた。しかしそれは、別段ぼくの聞きたいことではなかった。なにもかも、どうでもよかった。訊ねたいことは何もなかった。十年も前から自分がここにすわっているような錯覚におちながら、ぼくは全身から力をぬいて、うすぐらい洋燈の光のなかを動く女の姿を眺めていた。洋燈の光を真下から受けるとき、女の顔はデスマスクのように見えた。風がどこからともなく入るらしく、洋燈の光がときどき揺れて、冷気が縞(しま)になって顔の皮膚をかすめた。部屋の一方の板仕切のところで、なにか堅いものが向うから触れる音がした。

 女が洋燈をふっと吹き消すと、天窓からさあっと月のひかりが降ってきた。夜具はつめたく、そしてかたかった。女の髪のにおいが強くした。女の腕は軟かかった。そして、くねくねとうごいた。女の声が耳もとをくすぐった。

「なぜ、ふるえているの?」

 しばらくして暗闇の底で、女はかすかに、ほほほ、と笑った。

 女のからだは燃えるように熱かった。そしてそれから暫(しばら)く時間が泡立ってながれた。

 ――やがてぼくは布団をふかぶかと顎(あご)までかけて、足を重ねてあおむけに寝ていた。女の寝息がそばで規則正しく聞えていた。背丈が四五寸も伸びたような変な感覚が、ぼくの体にのこっていた。天窓から入る夜のひかりで、板壁にかけた着物のかげが浮き上った。それはさっきまで女がつけていた堅い手織りの着物のかたちであった。そのときぼくの横の板仕切で、ふたたび何かがかすかに触れる音がした。それと同時に、重量のあるものがゆっくり動く気配がして、すぐに止んだ。

(この板のむこうに、何かがいる!)

 ぼくは身体を堅くして、そう考えた。女の寝息はおだやかに、規則正しく起伏していた。ぼくはじっと耳を澄ました。物音はそれきりで起らなかった。そして夜風が少しつのってきたらしく、この棟の外の喬木(きょうぼく)の梢にあたる風が、泣いているような、幽かに鋭い音になってここに落ちてきた。また硬質の陶器をこするような乾いた音をたてて、風がこの棟の屋根をかすめて通り過ぎるらしかった。天窓のあたりで月光がようやく衰えて行くようで、落ちてくる光線が女の半顔にうすれ始めていた。女はふかぶかと瞼を閉じて、まつ毛が長く伏せていた。呼吸と共にそれは微かにゆらいだ。額や頰のいろは冷たく冴えていて、先刻の女とは別人のように見えた。

 にわかに鋭いかなしみがぼくをよぎった。熊本から二三十里もはなれた、名も知れぬ部落の片すみで、こんな女と寝ているということが、突然ぼくの胸に落ちてきて、荒涼とした寂寥(せきりょう)感が、酔いをやぶってぼくの腹の底から、ゆるゆる四肢の先にひろがって行くのが判った。

 ――それからぼくは昏迷したように眠りに落ちたらしかった。重苦しい夢のかずかずが断続してゆくうちに、ほのぼのと夜明けが近づいてゆくらしかった。

 ……深い水の底から急に浮びあがるようにして眼を覚ました。一尺ほどぼくから隔たった板仕切に硬質のものがぶつかる音であった。その音でぼくは目醒めたらしい。天窓がほのぼのと明るくなって、淡青い空が四角に切りとられていた。直ぐに眼に入ったのは、それであった。朝になったのか?

(そうだ。昨夜はこんなところに寝たんだ)

 頭を起そうとしたとき、板仕切のむこうで何か踏むような重い音がして、物のすれる摩擦音がそれに短くつづいた。

 昧爽(まいそう)の明るさが、部屋のなかまで忍び入っていた。昨夜脱ぎすてたマントや服が、枕もとに黒くかたまっていた。女を醒まさないようにそっと夜具を脱け出ると、音のしないように、ぼくはてばやくそれを身に着けた。頭から酔いは脱けていたが、体のふしぶしには重く沈んで残っているようであった。[やぶちゃん注:「昧爽」「昧」は「ほの暗い」の、「爽」は「明らか」の意で、「夜の明け方・夜が明けかかっている時」を言う。]

(――やはり女が目醒めないうちに、そっと帰ってしまおう)

 ぼくは女の寝姿をながめながら、も一度そう考えた。白いうすい光のなかで、女の寝顔の輪郭はほのかに浮び、無心の童女のような表情であった。ぼくの心をとらえていたものは、あるむなしさを含んだ哀憐の思いであった。すこしずれた襟もとから、乳房の片方がのぞいていた。その乳首はちいさく薄赤かった。――

 視線を断ち切るように、ぼくは靴の紐(ひも)をむすび、引戸をそっと開いた。空気があたらしく冷たかった。そとに出て戸を閉じた。

 昨夜の記憶はほとんど死んでいて、街道へ戻る道も定かでなかった。ぼくは四辺をぼんやり眺め、柔かい土をふんで、この棟に沿って横に廻った。それは妙に荒い木組をした建て方の家であった。軒下に梯子(はしご)が横にかかっていて、細長い形の棟であった。そこに小さな梅の木があって、点点と花をつけていた。

 軒下の雨滴石(あまだれいし)を踏みながらあるいたとき、ぼくは突然おどろいて立ち止った。

「馬が!」

 その棟の、女の部屋の反対側から、馬が首を出していたのである。横木から頸(くび)だけ伸ばして、馬は不審気にぼくを眺めていた。

(だからあの部屋は、妙な感じだったのだな)

 廐(うまや)を半分に仕切って、それが女の部屋であるにちがいなかった。あとの半分は廐のままになっていて、昨夜から板仕切に触れたり身じろぎしたりしたものは、たしかにこの馬のからだであった。廐の入口のむこうはちいさな枝折扉(しおりど)になっていて、半開きのまま朝露にぬれていた。そこから細い道がかたむいてつづくらしく、右手の方にゆけば街道に出そうに思われた。

(昨夜は、この道を入ってきたのか?)

 しかしぼくは廐の入口に立ちどまって、馬の姿に視線をとめていた。横木の内側はうすぐらく、そこにふくらんだ馬の胴体がくろぐろとあった。その胴体は、毛が地図のようにところどころすり切れていた。短い脚がその胴体を支え、四つの蹄(ひづめ)が床のわらを踏んでいた。

 そこらあたりに、ほのかに獣の臭いがただよっていた。馬はぼくを見ながら、しきりに頸を上げ下げした。たてがみは房になってところどころにかたまり、生毛のぼやぼやにおおわれた短い耳が、尖って立ったままヒクヒクとうごいた。耳と耳との間から、長い茶色の毛房が馬の額に垂れていた。その毛房の尽きるところに、大きな丸い馬の眼があった。馬は頸をふるのをやめて、後脚を窮屈そうに動かした。そのはずみに蹄が背後の板仕切にふれるらしく、硬い音がかすかに響いた。あの板仕切のむこうの長細い四畳間に、女がふかぶかと瞼をとじて寝ている筈であった。

 ぼくは顔をさらに馬の方に近づけた。馬の丸い眼のなかに、暁方の風景がはっきりと映っていた。梅の木や枝哲扉や、そんなものがちいさく映っていた。そのむこうに屋根や樹々や畠の一部が、ごちゃごちゃと圧縮され、そのまた彼方に青ぐろい山の鮮かな遠景があった。その山の形の頂きから灰色の噴煙がひとすじ立ちのぼっていた。それらの風景はすべて、老馬の温良な瞳のなかに、ちいさく凝縮されて収まっていた。そしてその風景の一部を、白線帽をかぶったぼくの顔がしめていた。その顔の影像は泣きだしたいような表情を浮べて、じっとぼくの方を見詰めているらしかった。視線をそこに定めて、ぼくも暫く小さく歪んだ影像に見入っていた。……

 

[やぶちゃん注:この背景にある熊本五高の落第や卒業判定会議で揉めたというのは梅崎春生自身の実体験を改変して作られてある(実際は二年次の原級留置であり、教授会で揉めたのは卒業時のそれ)。中井正義著『梅崎春生――「桜島」から「幻化」へ――』(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊)の年譜の昭和九(一九三四)年のパートに『怠け癖から、三年生になる際に平均点不足で落第し』たとあり、二年後の昭和十一年三月の条に、『五高を卒業』したが、実は『試験の成績が悪く、卒業を認めるか認めないかで、教授会が三十分以上も揉めたと後で知った』とあるのが事実である。いや、何より、彼自身による少年期から召集されるまでを綴った特異点のエッセイ「憂鬱な青春」を読まれるのがよろしいと存ずる(なお、彼は小説以外では戦中の海軍での実体験を子細に記すことは遂になかった)。

 それにしても、我々は本篇で、既にして――落第のトラウマ――不思議な女と邂逅――阿蘇――という重大なシークエンスが、遺作となってしまう(そのつもりは春生自身には殆んど全くなかったのだが)「幻化」(リンク先は私の全注釈PDF一括縦書版)で――確信犯として――総て生かされていることに気づくのである。

 個人的に滅多に読まれることがない本作だが、梅崎春生の作品の中でも、映像的に優れて(特にコーダ部分)魅力的な佳品と思っている。

2022/01/14

ブログ・アクセス1,660,000突破記念 梅崎春生 雀荘

 
[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年六月発行の『群像』増刊号に発表された。後、昭和三〇(一九五五)年十一月近代生活社刊の作品集「春日尾行」に所収された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第三巻」を用いた。

 最初に言っておくと、読み始めれば直に判るが、この題名は「ジャンそう」ではない。麻雀好きの読者が、ロクに立ち読みもしないで、早とちりして麻雀・雀荘小説だと思い込んで買ってしまったケースも当時は相当に多かったろう。春生も確信犯で題名を附けた可能性も拭えない気がする。

 文中に簡単な注を入れた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、先ほど、1,660,000アクセスを突破した記念として公開する。最速の15日であるが、1月12日の1,012回というのは一部がbotの可能性もあるが、ともかくも相応に読まれていることには間違いなく、感謝申し上げる。【20211231日 藪野直史】] 

 

   雀  荘

 

 先ず、順序として、鬼丸修道のことから始めよう。

 鬼丸の祖先は、幕府時代の某大藩の一番家老で、鬼丸修道はその直系子孫にあたり、今でもその地方では名門とされている。と本人がまあそう言うのだが、真偽のほどは今もって判らない。最初からこの男の言うことには、一体に眉唾(まゆつば)な節(ふし)が多かった。しかし当人は、口の端に唾をいっぱいためて、さも真実らしく弁じ立てる。

「土蔵の中には、南蛮(なんばん)鉄のよろいかぶと、黄金づくりの太刀や小太刀。そりゃ豪勢なもんだったな。今でも眼に見えるようだよ。一度見せたかったなあ。もう売ったり戦災にかかったりして、なくなってしまったけれども」

 鬼丸の歳恰好(かっこう)は四十五六で、背丈も五尺七寸[やぶちゃん注:一メートル七十三センチメートル弱。]ぐらいあった。瘦せて頰骨の出た顔に、太いベッコウ縁の眼鏡をかけている。それは顔に全然似合わないし、ものものしい感じすら人に与える。声は浪花節(なにわぶし)語りみたいに潰(つぶ)れた声だ。この鬼丸夫妻がスズメ荘の最後の入居者だった。これで部屋が全部ふさがったことになる。

 鬼丸の最初のふれ込みは、自分は共産主義の信奉者だということだった。最初と言っても、入居して一週間目ぐらいの時だ。何かの話のついでに、鬼丸がそう僕に打ち明けたのだ。

「へえ。あんたがですか」

 と僕はすこし驚いて言った。終戦の翌年のことだから、共産主義に驚きはしなかったが、この男もそうだとは、やや意外だった。すると鬼丸は顎を引いて、おもおもしく頷(うなず)いた。

「そうですよ。もう三十年来の信念だ。マルキシズムは敗戦日本を牧う唯一の道だねえ」

 これはまた別の時だが、マルキシズムを信奉するに到った動機を、鬼丸が僕に話して呉れたことがある。スズメ荘の前を流れる小川のほとりで、二人並んで洗濯していた時だ。鬼丸の洗濯の仕方は、実に手慣れたもので、僕が二枚洗う間に、五枚ぐらいは洗い上げてしまう。同じ石鹼が、鬼丸の手にかかると、面白いほど泡立ってくるのだ。

「僕はその頃、高等学校の生徒でねえ、弊衣(へいい)破帽、服も帽子も破れ放題さ。ところが夏休みなどの帰省のたびに、その恰好で二等車に乗る」[やぶちゃん注:「弊衣」破れてぼろぼろになった衣服。]

 地方でも名門だから、三等車などに乗ってはいけないと、親爺から厳命されていたのだと言う。名門出は先刻御承知だから、僕は黙って聞いている。

「すると二等車には、貴婦人などが乗っているな。そいつらが僕の恰好をじろじろ見て、中には露骨に顔をしかめる奴もいる。その頃は僕も純情で気が弱かったからねえ、いたたまれずに外に出て、行くところもないからデッキでしゃがんでいる。ばかな話さ。二等切符は持ってるのに、二等車に坐れない。そして考えたね。こんな社会は改革しなけりゃいけない。是が非でも革命を起さねばならないとね」

 ちょっと奇妙な論理だとは思ったが、僕は異も立てず聞いていた。春風の音を聞いて出家遁世(とんせい)を志した人もあるそうだから、或いはそんなこともあり得るだろう。くちばしを入れるにも及ぶまい。ことに僕はその頃、人や物に逆らわず、無抵抗に生きて行こうと考えていたのだ。その方がラクだったからだ。その僕の信条が、やがて僕の生活に祟(たた)ってくるようになるのだが、それは後の話だ。

 鬼丸夫妻は終戦後の満州からの引揚者だった。引揚者のわりには、荷物をたくさん持っていた。頑丈な大行李が、七八個ほど、部屋の中にでんと積み重ねてある。遠路はるばるどうやって持って帰ったのか、よほどうまいこと立ち廻ったに違いない。とにかくこのスズメ荘の中では、鬼丸が一番の物特ちだった。スズメ荘の名にふさわしくない。スズメというのは、やはりここの住人の吉良六郎の命名で、キタキリスズメの宿というほどの意味だったからだ。僕自身も、もちろんその種のスズメだった。僕の全財産は、小トランク一つに過ぎなかった。あとの連中も似たり寄ったりだ。

 スズメ荘の住人を紹介する前に、ここの環境のことをすこし書いて置こう。この建物は小田急沿線の、稲田登戸という町の町外(はず)れにあった。以前は小料理屋かつれ込み宿だったらしく、真中に一間[やぶちゃん注:一メートル八十二センチメートル弱。]幅の廊下がつき抜けていて、六畳の間が右に三つ、左に三つ並んでいる。玄関は土間で、その横に帳場風(ふう)の三畳間がある。その部屋には以前、江草という中年の女が住んでいたのだが、僕らから入居の権利金を全部取立てると、そのままどこかに逐電(ちくでん)してしまったのだ。そこで家主が怒って、その部屋を釘付けにふさいでしまったから、立入りが不可能になっている。[やぶちゃん注:「稲田登戸」現在の神奈川県川崎市多摩区登戸(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。梅崎春生は昭和二〇(一九四五)年の敗戦の翌月、九州から上京し、出征の際に本を託していた友人が、この登戸から少し上流にある南武線の稲田堤に下宿していたのを頼って、転がり込んで五ヶ月ほどいたから、土地勘があった。]

 とにかくこれは古ぼけて、ガタガタの建物だった。天井はすすけているし、壁は落ちているし、まったく荒れ放題だ。終戦直後のことだから、修繕するにも資材がない。なんでも戦争中軍に徴用され、軍人夫[やぶちゃん注:「ぐんにんぷ」。]の宿舎にあてられていたそうで、襖(ふすま)も障子も所定の数の三分の一ぐらいしかない。と言うことは、この六つの部屋は仕切りが充分でなく、通り抜け自在だということだ。たとえば、僕の部屋は左側の一番奥の部屋で、鬼丸夫妻は左側の中央の部屋、つまり隣り合っているのだが、この二つの部屋を仕切るのは、一枚の襖だけである。部屋と部屋の仕切りは、もっぱら敷居と鴨居(かもい)によるほかはない。そんな具合だから、ふつうの下宿やアパートみたいに、隣室と隔絶して生活するという訳には行かないのだ。

 スズメ荘の前には、道を隔てて幅が五メートルほどの小川が流れている。大へんきれいな水で、しかもかなりの速さで流れているから、洗濯には好適だった。洗濯に都合がいいように、踏板なども取付けてある。洗濯屋なんてそんな気の利(き)いたものはないから、皆この川水を利用する。小魚も泳いでいたが、なかなか人ずれがしていて、糸を垂れても全然引っかからない。いつか吉良と知念(ちねん)と僕の三人で、半日釣ろうと努力したが、一匹も引っかからなかった。なにも慰みのためでなく、動物性蛋白質を得ようという意図からだったが、魚の方がすこし悧巧過ぎたようだ。

 そういう僕らの試みを、鬼丸夫人がしばらく佇(た)って眺めていたが、あとで知念を呼んで注意したそうだ。

「大の男が三人もかかって、生き物苛(いじ)めはお止し遊ばせね」

 鬼丸夫人は亭主と違って、ふかし立てのパンのように肥った女で、色も白くふかふかしている。あまり表情が動かないので、彼女が何を考えているか、彼女の情緒がどんな動き方をしているのか、ちょっと見には絶対に判らない。無表情のまま、言いにくいことをハッキリ言ったりする。あの女は頭のネジが一本抜けているのじゃないか、という見方もあったけれども、あながちそうとばかりは言えない節もあった。年の頃は三十前後で、つまり僕や吉良と同年輩だ。だからアプレ(この言葉はまだその頃流行していなかったが)という年代でもない。歳から言えば、知念の方がアプレにぴったりする。

 知念はその頃二十三歳、沖繩生れの青年で、戦争中は某自動車会社の工員だった。眉毛が濃く、なかなか精悍な顔付をしていたが、体格はそう良くない。終戦の年の八月十日に召集され、五日間軍隊生活をして、沢山の物品を背負って帰って来たという。彼の部屋はスズメ荘の一番奥で、つまり廊下を隔てて僕の部屋と向き合っている。廊下は隔てていても、襖障子がないから、やはりお互いの生活は丸見えだ。

 知念はよく僕に向って終戦後あの会社を辞めるんじゃなかったと、愚痴をこぼした。辞めて以来、生活に困りこそすれ、得をしたことは全然ないというのである。生活に困ることは判り切っているのに、じゃ何故辞めたかというと、当時その会社の労務主任をしていた吉良六郎が、こんなボロ会社は辞めてしまえ、俺が面倒を見てやる、とそう言ってそそのかしたとのことだ。だから知念青年は、吉良が辞表を出して間もなく、自分も辞表を出す決心をしたという話なのだ。

 

 ところが一方吉良の話を聞くと、絶対にそんなことを言った覚えはないという。俺が辞めると、あとを慕って勝手に辞めて来たというのだが、僕の考えでは、どうも知念の言うことの方が本当らしい。吉良六郎という男は、三十そこそこなのに親分風を吹かせる癖があって、何でも鷹揚(おうよう)にうなずいたり、頼みごとを安請合(うけあ)いしたりする癖がある。そうした関係で、知念の身柄を安請合いして、すっかり忘れてしまったらしいのだ。吉良とはそんな男だ。

 吉良は五尺一寸[やぶちゃん注:四メートル五十四・五センチメートル。]ばかりの小男で、その代りに肩が渋団扇(しぶうちわ)のように張っている。左の頰ぺたに大きな疣(いぼ)があって、それをいじくりながら訥々(とつとつ)と話す。しゃべり方に一種の癖がある。つまり右翼の青年に共通した国士風(ふう)のしゃべり方だ。左翼青年にも共通した癖があるが、右翼の方にもある。僕は最初吉良と話を交した時、直ぐそのことに気がついた。吉良の部屋は、右側中央で、鬼丸夫妻の部屋と廊下ごしに向き合っている。[やぶちゃん注:「渋団扇」表面に柿渋を塗った、丈夫で実用的な団扇。貧乏神が持つとされた。扇の上の角が角張っているものが多い。]

 表の二部屋の中、右は椿(つばき)という六十がらみの爺さん、左は河合という五十前後の婆さんだ。二人とも老人だから、僕などとはあまり生活の交渉はなかった。椿爺さんはもっぱらモク拾いで生計を立てていたし、河合婆さんはよく判らないが、小さなヤミか何かで糊口(ここう)の道を立てていたのだろうと思う。

 以上がスズメ荘の住人の全部だが、今考えるとちょっと不思議なようだが、この七人の中で正業についているのは一人もなかった。それで皆どうにか生きていたから妙なものだ。もっとも終戦翌年のことだから、なまじ正業についていれば、かえって餓死する憂いもあった。僕はと言えば、復員の時持って帰ったものを売ったり、貯金をすこしずつおろしたりして、細々と生活していた。応召前勤めていた会社は、戻って見ると焼野原に変っていて、どこへ行ったかも判らず、退職金も貰えないような有様だ。やむなく友人や親類宅を転々と居侯して歩いている中、ある日登戸付近に芋の買出しに出かけ、路傍の電柱に貼られた小さな貼紙で、このスズメ荘の空部屋を知ったわけだ。それにはこう書いてあった。[やぶちゃん注:「応召前勤めていた会社」梅崎春生自身は、昭和一九(一九四四)年三月、東京帝大卒業後、勤めていた東京市教育局教育研究所を徴用を恐れて辞職し、東京芝浦電気通信工業支社に入社したが、『役所と違って仕事がきついので三カ月の静養が必要であるとの診断書を医者に頼んで書いてもらい、月給だけ貰って喜んでいたところ、六月、海軍に召集され、佐世保相ノ浦海兵団に入団』している(引用は中井正義「梅崎春生――「桜島」から「幻化」への道程――」の年譜より)。]

 

  貨室 権利金二千円 賃五十円

 

 そして所番地、江草と記してある。当時の二千円とは、相当の大金だったが、居侯生活もイヤな顔をされるばかりなので、思い切ってここを借りることにした。江草というのは、玄関脇の三畳間にいた中年の女で、僕はもちろんこの女の持ち家だとばかり思って二千円を払ったのだが、実は家主は別にいて、江草はここの管理人に過ぎなかったのだ。本当の家主は、経堂あたりに住んでいる鈴木という老人で、この老人がやって来た時には、江草はすでに六部屋分一万二千円の権利金を持って、どこかに逃亡したあとだった。鈴木老人はじだんだを踏んで口惜しがり、かつ怒った。[やぶちゃん注:「経堂」「きょうどう」。現在の東京都世田谷区経堂。]

「そんな莫迦(ばか)な話があるもんか。これはわたしの家ですぞ。皆すぐ出て行って貰おう」

 出て行けと言ったって、こちらは多額の権利金を払ってしまったし、出ても別に住居のあてもないので、出て行かない。一致団結して拒否する。五日に一度ぐらい、鈴木家主は怒鳴り込みに来るのだが、こちらは七人、向うは一人、多勢に無勢(ぶぜい)で、老人はいつも言い負かされて帰って行く。

 これはあとで聞いた話で、真偽のほども不明だが、江草という女は本当は鈴木家主の妾で、それで戦後この家の管理を委(まか)されていたのだという。ところが戦後、鈴木の方の経済がガタガタになって、ろくに江草に手当を出さなくなったものだから、江草が怒って権利金を集め、情夫をつくってかけおちをしたという話。そう言えばそうかも知れないと僕は思う。権利金の割に、部屋代が安過ぎる。つまり江草にとっては、権利金かき集めだけが目的で、部屋代などは問題でなかったのだろう。僕が江草と同じ屋根の下にいたのは、三日か四日間に過ぎないが、中年ながら下ぶくれの顔に、ちょいとした色気があって、渋皮のむけた感じの女だった。この女が逃亡したと判った時、鈴木家主は頭から湯気を立てて、板片(いたぎれ)と釘をどこからかエッサエッサと運び込み、三畳間を釘付けにしてしまったが、あれはどういう気持からだったのだろう。江草が憎かったのか、あるいはその部屋にまた他人に入られては困るという気持からか。とにかくこの鈴木家主は、言動にも分裂症的なところが多かった。玄関でがんがん怒鳴っていたかと思うと、次の瞬間けろりとした表情になって、とことこ戻って行ったりするのだ。白髪頭の、ちょっと狸(たぬき)を思わせるような老人で、議論はしごく下手糞だった。感情的で、論理がうまく通らないのだ。鈴木老人がやって来ると、居合わせた者はすぐ玄関に飛び出して行って応対する。この時だけは、スズメ荘の居住人はたちまち一致団結して、共同の敵にあたった。一致団結するのは、この時だけで、ふつうの時はおおむねバラバラであり、時には感情の小ぜり合いのようなものもないではなかった。たとえば知念と吉良との感情のもつれなどだ。[やぶちゃん注:「分裂症」旧「精神分裂症」。現在は人格否定的な差別疾患名として、二〇〇二年八月に「日本精神神経学会」が疾患名を変更、それに伴って厚生労働省が「統合失調症」に変更するように通知した。]

 

 先に書いたように、面倒を見るからということで、知念は会社を辞め、吉良にくっついてここに入居したのだが、吉良の方では何から何まで面倒を見てやるわけにも行かない。この二人は部屋を隣り合わせ、大体共同生活をしていて、炊事や洗濯や掃除は全部知念の役目である。つまり下男か女中の待遇なのだ。食費ぐらいは吉良が持っているらしいのだが、あとは何もして呉れない。

「俺はもう厭になっちゃったよ」

 と知念は僕の部屋にやって来てこぼしたりする。

「もう吉良さんもあてにならないから、俺はカツギ屋にでもなって、独立したいよ」

「そうかい。それもいいだろうね。君がカツギ屋をやるんなら、僕も一緒にやってもいいよ」

 と僕は答えた。これは何も僕が、知念の境遇に同情したり賛同したわけでなく、そろそろ僕の経済生活も危機に瀕(ひん)していて、うっかりすると餓死するおそれもあったからだ。外食券の食事だけでは、生命を維持するには不足なので、どうしてもヤミの芋とか米とか、またヤミの外食券を買い入れねばならぬ関係上、貯金が見る見る減ってゆく。鬼丸夫人にも、米三升に芋五貫目[やぶちゃん注:十八・七五キログラム。]ばかりの借りが出来た。鬼丸の部屋のすみには、大きな茶箱があって、米だの芋だの砂糖だの、色んなものが入っているらしいのだ。僕が自分の部屋でぽつねんとしていると、夫人が顔を出して。

「外食では、お腹がお空(す)きになるでしょうねえ。いつでもおっしゃれば、有合わせでよろしかったら、お貸し致しますわよ」

 れいの無表情のまま、そんなことを言ったりするものだから、腹が減っている時には(何時も減ってはいるが)渡りに舟と、すこしずつ貸して貰う。いったん貸して貰うと、貯金をおろして現物を買い求めて返却することは、なかなか出来ないもので、ついに借りがこんなに嵩(かさ)んでしまった。まっとうな勤め口もなかなかないし、カツギ屋でも始めなければ追付かないのだ。[やぶちゃん注:「カツギ屋」第二次世界大戦の戦中・戦後、米などの統制配給物資を正規の手続きによらずに、こっそりと買い入れ、担いできて、売り渡すヤミ業者を指す。]

 一方、吉良の方は、よく出て歩き、時にはどこかに泊って来たりする。右翼関係の残存団体があちこちにあるらしく、吉良の口ぶりでは、そんなところに出かけて行くらしいのだ。金廻りもだんだん良くなってくる風で、ヤミ市から洋服などを買ったりしている。こんな時代に衣料にまで手が廻るのは、大したことだった。知念の方は、よれよれの工員服一着だけだから、面白くないに決っている。しかも仕事は下男の役割だ。

 吉良は金廻りはいい筈なのに、生活を充実させることはほとんどしない。金が入ればパッパッと使ってしまうたちらしく、時には知念からも借りたりするらしい。借りたって戻しはしないのだ。吉良の言うところによれば、彼がもくろんでいるのは、理論的右翼の再編成で、今までのようなカンナガラの道ではとても共産党に対抗出来ないのだという。だから、マルキシズムの方式などを採り入れた新国家主義の確立が彼の目標なので、あちこちの同志と会ったり話したりして、一路邁進(まいしん)に努めていると言うのだが、そんな夢のようなことをやるだけで金が入ってくるとは、僕にとっては羨しいことだった。もっとも僕は右翼思想などを持ち合わせないから、吉良の真似をするわけにも行かない。ふしぎなからくりを遠くから眺めて、感心しているだけだ。

 その中に、吉良は外廻りするだけでなく、家にじっとしていると、客が訪ねて来るようになって来た。僕らがここに入居してから、二箇月か三箇月経った頃からだ。時にはそれらの客と酒宴をひらき、そのまま客が泊って行ったりする。酒宴と言っても、ドブロクか密造焼酎(しょうちゅう)で、大いに右翼的気焰を上げるのだ。そして客が泊るともなれば、知念は布団を徴発されて、毛布一枚で畳の上にごろ寝ということになる。季節は六月頃だから、寒くはないが、せっせと肴(さかな)をつくらされ、酒は飲まして貰えず、しかも布団を徴発されるなんて、知念にとっていい役割ではなかったろう。やがて知念は、だんだんと、隠微な不服従の気配を示し始めたのだ。たとえば夕飯を自分の分だけつくり、それをさっさと食べて寝てしまう。吉良が帰って来ても、飯がないという訳だ。

 もうその頃は、知念は僕と組んでヤミ米の買出しなどに出かけていた。殺人的な列車の混み方だし、重いリュックサックをかついで歩くのも、相当な辛苦だったが、一度カツギに出掛ければ、とにかくいくらかのサヤが取れる。出掛けない訳には行かない。僕はもう貯金も使い尽し、売る物もあらかた売り尽していたのだ。いわば背水の陣の気構えだった。[やぶちゃん注:「サヤ」「鞘」。利鞘(りざや)。取引市場で売買取引によって得た差額の利益金。手数料。マージン(margin:英語の原義は「余白・余裕・余地・差」など)。江戸時代の米相場に関する説では、米相場の価格差のことを「差也(さや)」と表記した事が語源とする説、米商人の帳簿上の額と、実売額の差異を語源とする説などがあるらしいが、腑には落ちない。]

 吉良と知念の感情は、こうして少しずつ疎隔(そかく)していたが、一方吉良と鬼丸との間はと言うと、これは最初の中は親しみもせず、隔てもせず、不即不離の関係を保っているようだった。このスズメ荘においては、この二人は両巨頭という感じだったし、片や右翼のぱりぱり、片やマルクス信奉者と来るので、うっかりは近付き合えなかったのだろう。

 鬼丸修道は、入居当時は一番新参者であったし、引揚げ直後で内地の風土人情にも慣れていなかったせいもあって、僕らにもなかなか調子よく、風貌に似合わぬ気さくな小父さんという感じであったが、一箇月も過ぎる頃から、少しずつ地金が出て、横柄な傾向を示すようになってきた。どういう点が横柄かと、ハッキリ指摘も出来ないが、何となくそういう気配を示し始めたのだ。表二部屋の爺さん婆さんを除けば、鬼丸が一等年長だから、一々若い者と対等につき合うのが面倒になったのかも知れない。

 鬼丸はスズメ荘随一の物特ちとは言え、引揚者のことだから、どうして生活のめどを立てているのだろう。鬼丸修道は二日に一ペん位どこかに外出する。どこへ行くのか判らないし、もちろん正業についているとは思えない。とすれば、どこから生活の資を得ているのだろう。隣室に住んでいながら、そんなことは全然僕に判らなかった。僕は他人の生活に興味をもつ余裕や趣味もなかったし、また鬼丸も自分の生活を語るようなことはなかったからだ。まさかマルクス信奉者だとは言え、その方面から生活の資を得ていたわけではなかろう。その頃僕はそう推察していた。第一鬼丸の風貌言動は、左翼の闘士という柄ではない。むしろその生活感情は、その反対のものであった。

 先に書いたように、この六部屋の中で、二人住まいは鬼丸夫妻だけだ。しかも部屋の半分ぐらいは行李や荷物と来ている。鬼丸は長身だし、夫人は肥大しているし、窮屈であるには違いない、鬼丸は最初の頃、つまりまだ調子がよかった頃、部屋が狭いから女房と重なり合って寝る他はないなどと、冗談まじりにこぼしたりしていたが(今思うと何か下心があったらしいのだが)僕があまり取り合わないものだから、彼もそのことはあまり口に出さなくなって来た。そしてその代りに、と言うのも変だが、妙な現象が僕の部屋にあらわれて来た。

 妙な現象と言っても、それはかんたんなことだ。つまり、僕の部屋と鬼丸の部屋を仕切るのは、襖(ふすま)がないから敷居だけだが、そこに鬼丸のトランクや行李が積み重ねてある。その行李の城壁が、一日に一センチか二センチほど移動する。もちろん僕の部屋に向って、少しずつ侵入して来るのだ。初めのうちは僕も全然気がつかなかった。なんだか部屋が少し狭くなったなと感じた時には、もうその城壁は五寸ばかりも僕の部屋に食い込んでいたのだ。これには僕も、蒙古が襲来した時の鎌倉武士みたいにびっくりした。無抵抗を信条としていたとは言え、毎日注意して眺めていると、行李の城壁は一糎[やぶちゃん注:「センチ」。]ぐらいずつ侵攻してくるようなのだ。このまま放って置けば、やがて僕の部屋は半分になり、更に三分の一、四分の一になって行くだろう。これはどうしたものかと考えているうちに、鬼丸夫人と表の方の隣室の河合婆さんが大喧嘩するという事件が持ち上った。

 河合婆さんというのは、牛蒡(ごぼう)のように色の黒い、しなびたような婆さんだが、どこか偏執的なおもむきがあって、部屋の一隅に神棚を祭り、暇さえあれば鐘をチンチン叩いて、御詠歌(ごえいか)のようなものをうたっている。極度に孤立的で、スズメ荘のどの人間ともほとんど口を利(き)かない。この婆さんも、どんな境遇なのか、どうして生活の資を得ているのかさっぱり判らないが、大きな信玄袋をぶら下げて毎日ちょこちょこ外出するところを見ると、やはりヤミ的仕事に従事しているらしい。電熱器と鍋一つ、それだけでつつましやかな食事をつくり、ひとりで食べている。外界を拒否して生きて行こうというような、なかなか芯(しん)の強そうな婆さんだった。この婆さんの部屋に向っても、鬼丸の行李の城壁が侵入を開始したらしいのだ。

 

 六月の真昼のことだった。玄関の方にあたって、金切声みたいな女声がこもごも聞えてくるので、昼寝をしていた僕と知念はびっくりして起き上り、すぐ飛んで行った。吉良も鬼丸も椿老人も留守で、男は僕ら二人だけだった。

「何ですとは何だい。ここはあたしの部屋だよ。そんなに行李を押して来れば、あたしの部屋は狭くなっちまうじゃないか」

「けちけちなさるもんじゃないわ」

 と受けたのは鬼丸夫人だ。河合婆さんは玄関の土間に立ち、鬼丸夫人は上(あが)り框(かまち)に腰をおろしていた。

「少しぐらいめり込んだって、それが何ですか。あたしんとこは二人ですよ。あんたは一人で、身体も小さいし、荷物もゼンゼン無いし――」

「身体が小さけりゃ、何だってんだよっ。ちゃんとこちらも権利金払って入ったんだからね」

「でもお宅は、電熱器使ってんでしょ。あれは大へん電力を食うんですよ。おかげで皆さん、電気代に困ってるわ。少しくらい場所をよこしたって、いいじゃないの。なにさ、お婆さんの癖に」

 河合婆さんは、とたんに憤怒の叫び声を立てて、鬼丸夫人に飛びかかった。僕は知念と顔を見合わせた。とたんににやりと笑いを交して、暗黙の中にこの事件に介入しないことに決定したのだ。二人の肉体は、土間で埃(ほこり)を立ててもみ合っている。唸(うな)り声や悲鳴なども混る。鬼丸夫人はさすがに若いし、身体も大きいので、ついに河合婆さんの身体を二つに折り曲げるようにして、土間にどしんと突き倒した。婆さんはウッと呻(うめ)いて転がった。

「暴力はお止し遊ばせ。弱いくせに」

 鬼丸夫人は白パンのような頰や咽喉(のど)を、はあはあはずませながら、そう捨台辞(すてぜりふ)を残し、框(かまち)へ上ろうとした。こういう危急の場合でも、夫人の表情はほとんど喜怒哀楽を示さないのだから、感心する。

 その瞬間、河合婆さんが土間の隅から、むくりと起き上った。そして細い叫声を上げて、鬼丸夫人の背後から、山猫のように敏速に飛びかかった。婆さんの両手の指は、夫人の髪にしがみついた。夫人も流石(さすが)に悲鳴を立てて、そのまま土間に引きずり落された。髪は女にとっては相当な急所らしいのだ。

 婆さんは夫人の髪を掌に巻きつけるようにして、エイエイと懸声をかけながら、道路に出た。夫人の身体も悶えながら、それについて行く。川べりに来た。婆さんは髪から手を離すと、勢いよく夫人めがけて体当りを試みた。夫人の肥軀(ひく)はたちまち中心を失って、ふわっと風船爆弾のように空を泳ぎ、水煙りを上げて水面に落下した。この小川は流れは早いのだが、深さは三尺ばかりしかないので、夫人は一二間[やぶちゃん注:一・八二~三・六四メートル。]流されただけで、ばしゃばしゃと立ち上った。

 介入しないと言っても、こうなると放って置けないので、僕は走りよって岸から手を伸ばし、夫人を引っぱり上げた。薄いワンピースがべったりと身体に貼りついて、肉体のふくらみや線がはっきりとあらわれる。知念青年は眼をまぶしそうに外らして、そのままトコトコと家の中に入ってしまった。河合婆さんの姿は見えない。夫人を導いて、スズメ荘の内に入ると、チンチンチンと鐘の音がし、河合婆さんが部屋のすみにしゃがみこんで、一心に御詠歌を唱(とな)えている後姿が見えた。ちらと一瞥(いちべつ)したところによると、婆さんの部屋に侵入した鬼丸家の城壁は、算を乱して元の敷居の線まで押し返されていたようだ。その部屋の前の廊下を、全身から水をぼたぼたしたたらせながら、鬼丸夫人は表情を凝(こ)らして通り過ぎた。河合婆さんの後姿に、もう飛びかかって行く気持もないようだった。

「ちょっと、脱ぐのに加勢して」

 部屋に戻ると、夫人は僕に命令するように言った。布が肌に貼りついて、ひとりでは脱ぎにくいのだ。断るわけにも行かないで、僕は脱衣に協力した。やがて濡れた真白い肌があらわれ、乳房やそんなものまでがあからさまに僕の眼前にあった。手を束(つか)ねて眺めているわけにも行かないので、僕は脱ぎ捨てた濡れ衣を窓の外でしぼり、窓框(まどがまち)に干してやったりしていると、背後から夫人の声が、

「あなたには少し貸しがあったわね。お米が五升、それに芋だったかしら」

「五升も借りませんよ。たしか三升ですよ」

「そうだったかしら」

 僕はふりむいた。夫人は丁度浴衣(ゆかた)を羽織ろうとするとこだった。全身がまっすぐに白々とこちらを向いているので、僕は鼻白んだが、夫人は平気な表情で口を開いた。

「そうでしたわね。今日は力になって貰ったから、今晩御馳走してあげるわ」

 結局、夫人を川から引き上げたこと、脱衣の手助けをしたこと、そしてその晩鬼丸夫妻から御馳走になったことなどで、僕は侵入して来た鬼丸の荷物を押し返すキッカケを失ってしまったのだ。幾分か、なめられもしたらしい。

 その夜の御馳走には、知念青年も招待された。知念を呼んだのはどういう訳なのか、よく判らないが、アルコールも出て、面白いことには鬼丸修道には清酒、僕らには水割りアルコールの怪しげな代物(しろもの)だった。僕らは貧乏していて、久しぶりだったから、そんな代物だって有難かった。僕らはいい気持に酔い、鬼丸も適当に酔っぱらって、僕らに共産主義的な談話などを試みた。今思うと、その談話にははっきりした下心があったらしいが、つまりこの世には不合理が満ち満ちている、それを協力して除かねばならないという趣旨で、そのたとえとして、一人で大きな家にのさばっているのもいるし、数人が一部屋に窮屈に住んでいるのもいる、そんな状態はよろしくないから、相ゆずり相助けて平均させなくてはいけないというようなことだ。理窟の上からは僕も賛成だし、御馳走の手前反駁(はんばく)も出来ないから、適当に相槌(あいづち)を打ったりしていたが、夫人もそばから時々口をそえる。それが教え訓す[やぶちゃん注:「さとす」。]ような口調なので、どうも様子が少し変だった。とにかくいい加減に酔い、ギンメシなどを馳走になり、礼を言って引き上げた。河合婆さんの部屋は、その間終始ひっそりとしていたようだ。

 二三日経って、僕が夕方カツギから戻って来て、裸になって汗を拭いながらふと見ると、かの城壁が一挙に五寸ばかり僕の方に食い込んでいたから、びっくりした。六畳の中、一一畳近く侵略されているのだ。さてはあの夜の談話がそうだったんだな、と気が付いたが、もう気持の上でひるみが出来ているので、どうしようもない。今でこそ何でもないが、あの頃御馳走になるということは、大へんな恩恵なので、しかも夫人の裸をじろじろ眺めた弱味もある。向うでは見せびらかしたつもりかも知れないが、こちらも平静な眼で見たわけではないし、そこを突込まれたら少々困るのだ。あれこれ思案した結果、やはりここで最小限度の抵抗をしなければ元も子もないと思い、新宿のヤミ市から五寸釘を十本ばかり買い求め、畳と畳の隙間に刺し込むことにした。荷物が押し寄せても、そこで食い止めようという寸法だ。いくら鬼丸夫妻といえども、僕の部屋に入って来て、このバリケードを除去するわけにも行くまい。

 そんな風にして、一週間ほど過ぎた。行李は毎日徐々に進行して、ついに五寸釘の線に達した。あとは押しても、動かないことが判ったらしく、城壁の移動はそこでピタリと停止した。釘は押されて傷ついているが、鉄特有の頑張りを見せて、頑強に支えている。

 

 僕と知念青年を、吉良六郎が千葉県松戸のヤミ料理屋に招待したのも、そんな頃のことだ。この招待が、鬼丸夫妻のやり方と何か関係があるのか、そこらはよく判らない。吉良の言い分では、松戸に割に安く牛肉を食わせるところがあるから、スズメ荘有志で親睦の会を開こうというのだが、吉良を除けば結局有志というのは、僕と知念だけだった。費用は吉良が持つというので、よろこんで志を有したわけだ。吉良としては、近頃知念がすねているので、それを懐柔しようという心算もあったかも知れない。[やぶちゃん注:「松戸」当時、既に千葉県松戸市。現在、江戸川を挟んで東京都江戸川区及び葛飾区と隣接する。]

 松戸の料理屋というのは、料理屋らしくなく、へんてつもないしもた屋だった。スズメ荘の方がよっぽど料理屋じみている。軒の低い入口をくぐり、奥座敷に通され、そこの主人も加えて牛鍋を囲んだ。主人の話では、これは密殺の牛だけれど、素姓は確かなものだという。切り方も荒っぽい、硬くごりごりした肉だったが、けっこう旨く、僕らは大いに食べ、大いに濁酒(どぶろく)を飲んだ。主人というのは三十七八の、よく口の廻る男で、戦争中は南方に軍属として行き、いろいろ活躍したという話。南方各地の話などをして聞かせている中に、だんだん吉良と調子が合うようになり、僕らをのけものにして、しきりに旧日本軍隊の悪口を言い始めた。軍隊の悪口なら僕も一口乗りたいところだったが、その中その議論が妙な風(ふう)に発展して、戦後の日本はもちろん旧指導者ではダメだし、共産党はもってのほか、新しい理念による日本精神によるしか方法はないというところで、二人は完全に一致したようだった。僕は飲み食いに忙しく、その議論の変転や推移に一々心を止める暇はなかったが、やがてその頃から吉良も酔ったらしく、すこしずつ大きな口を利(き)き始めた。大きな口を利いても、ポーズがポーズなので、知らない人はうっかりひっかかる。

「い、いまの中に雌伏してですな、青年の教育に当ったがよろしい。私はしばらく、登戸の今の住居を開放して、塾を開こうと思っております。家主の承諾も得ているし、大体九月頃からのつもりですが――」

 ついにそんなことまで言い出したので、僕もすこし驚いた。知念はうつむくようにして、ただ食べる一方だ。しかしその吉良の話しぶりに、主人はすっかり感心したらしく、塾が出来たら自分も一度参加させてほしいとか、松戸に支部をつくるならこの建物を提供してもいいとか、すこし酔ってはいたらしいが、そんなことになってしまった。しかも、その夜飲み食いした分は、主人の御馳走ということになり、午後十時近く僕らはその松戸亭を辞した。僕は吉良の弁舌や手腕にたいそう感心したが、吉良は吉良でいい気持だったらしく、帰途僕に向って、カツギ屋などを止めてすこしこの方面の勉強でもしたらどうかと、勧めたりした。僕はいい加減に受け答えをし、知念は終始黙りこくって、月夜の道を登戸まで戻って来た。皆酔って、廊下を踏みならして歩いたものだから、鬼丸修道がびっくりしたような顔を部屋から突き出した。

 二三日後、カツギに出る途次、知念が思い余ったような表情で、もう何もかも面白くないから、いっそ共産党にでも入ろうか、などと言う。僕にも入らないかとすすめるから、鬼丸から何か言われたのかと訊ねると、そうじゃないと答える。それからこの間の吉良の話になり、塾を開くことを鈴木家主が承諾したかどうか、そのことになると、その可能性はあると知念が断言した。

 知念の言によると、一箇月ばかり前知念が一人スズメ荘にいる時、鈴木家主が訪ねて来た。そして知念一人だと知ると、急に懐柔的な態度になって、スズメ荘の住人を皆立退かせて呉れれば、一万円のお礼と、スズメ荘の一部屋に永代居住権を与えると誘ったと言うのだ。もちろん知念はそれを断った。それは一種の裏切りだし、また知念にその実力もなかったからだ。知念の推定では、そういう懐柔策乃至(ないし)離間策を、鈴木家主は個々に試みているに違いないと言う。そう言えば、そうかも知れない。以前は五日に一度は怒鳴りこみにやって来てたのが、近頃ではほとんど姿を見せない。あのタヌキのような小男は、何か企んでいるに相違なかろう。鬼丸や吉良にも、個々に働きかけているかも知れない。どうも鬼丸の侵略ぶりも露骨で、常識では解釈出来かねる節(ふし)があった。

 

 あの大喧嘩以来、鬼丸夫妻は河合婆さんの部屋に侵攻するのを一時中止したらしく、そのかわり着々と僕の方に入って来たが、五寸釘のバリケードにぶつかって、とたんにその進行は停止した。すこしは侵略されたが、三分の二は確保したんだからまあ安心だと思っていると、必ずしもそうでもないことが、だんだん判って来た。

 先にも書いたように、季節は初夏となり、毎日いい天気がつづく。あの日以来鬼丸夫妻は、僕に妙になれなれしく、ニヤニヤと近付いて来る気配がある。味方に引入れるつもりではないかと思われる節もあったが、片方では侵略をつづけていたのだから、まだ油断はならない。ことに、五寸釘にはばまれて以来、鬼丸家では城壁の一部を撤去して、三尺幅の空気抜きみたいなものを両部屋の間に設けた。夫人などはそこから自由に僕の部屋に出入して、世間話をしにやって来る。ところが、季節は季節だし、どうも鬼丸夫人は露出狂の傾向があったのか、並外れた薄着で、しかも立居ふるまいがよろしくない。これには困らされた。

 鬼丸夫人が好んで着用しているのは、生地(きじ)の名は知らないが、大へん薄地のワンピース、と言うよりアッパッパのたぐいで、本来ならばその上にボレロの類を羽織るような仕立てになっている。それなのに夫人はボレロなしで横行する。初夏ともなれば、夫人の肌はますますきめが細かく、牛乳色に脂ぎって来る風なので、三尺の通路からいきなり部屋に入って来られると、ぎょっとするほどだ。その上、肥っているせいもあって、坐り込んだりすると膝や脛(すね)が窮屈らしく、自然と横坐りになったり、時には立て膝になったりするのだ。終戦翌年のことだから、この頃は一番食物に不自由な時で、世上には栄養失調がごろごろしている時代なのに、夫人はむくむくと憎らしいほど肥っている。僕もいくらか失調気味で、色気よりもちろん食い気の方が先なのだが、やはり眼の前に見せつけられると、刺戟を受けざるを得ない。川の中から救い上げたとは言え、そんなに慣れ慣れしくされては、僕は迷惑なのだ。ことに立て膝は困る。僕の部屋にやってきて立て膝をして、仕方なく僕が窓外の景色などを眺めていると、夫人は油断を見すまして、畳から五寸釘を引抜いて持ってゆく。どうも計画的な立て膝らしいのだ。[やぶちゃん注:「アッパッパ」古く第一次世界大戦後の大正末から昭和初期にかけて普及した、日本で初めての婦人既製服に名づけられた関西風の俗称。半袖のゆるやかな夏用ワンピースで、日本の気候に合致した簡便さと合理性が人気を呼び、全国的に広まった。地味な一重の木綿製で、一般にはウエストに共布(ともぬの)のベルトが附いている。この服の普及は、女性大衆の洋装化にとって、風俗史上、意義を持つ一方、国民的創意と西欧文化への順応を示したものとして注目される(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。個人ブログ「ほばーりんぐ・とと」の「あっぱっぱってなぁに?」が解説(作り方)も詳しく、イラストもよい。]

 そんなこともあるし、また夜になると、鬼丸夫妻の交情がにわかに濃密になる風(ふう)で、そんな気配がひしひしと僕の感覚を惑乱させる。今まではそんなことはなかったのに、僕の感覚が惑乱するというのも、僕の感覚がするどくなったわけではなく、因は向う側にあるらしい。つまり夫妻の歓声狎語(こうご)[やぶちゃん注:馴れ合った戯れ言。]も、ふだんより誇張されて、わざと僕に聞かせようというおもむきがある。夫妻の寝床は、部屋の真中ではなく、行李の壁に密着して敷いてある。つまり僕に見せつけるためらしいのだ。今思うと、うまい戦術を考えついたものだ。この戦術は、河合婆さんや椿老人には利き目はないが、僕や知念などには、確実な効果を持つにきまっている。昼は昼でカツギ屋に出かけるし、夜は夜でそんな具合だから、さすがの僕も、いつしか神経衰弱的な症状となり、どうでもいいやという少しやけっぱちな気分にもなって来た。知念に事情を打ち明けて、二三度夜だけ部屋をかわって貰ったりしたが、知念だって若いのだから、やはりひどくこたえるらしく、翌朝になるとすっかり消耗(しょうもう)している。そしてしきりに僕に同情する。その同情にすがって、夜だけは知念の部屋に寝かせて貰うことに頼み込み、そういう具合な生活をしている中に、いつの間にか五寸釘は全部夫人によって持ち去られたらしい。それらの釘は全部鬼丸の部屋の鴨居(かもい)に打ちこまれ、帽子掛けや着物掛けになってしまった。折角新宿から買って来たのに、何の役にも立たなかった。釘が全部なくなった頃から、鬼丸の城壁はふたたび進軍を開始した。開始しながら、しだいに城壁は左右に展開して、つまり行李は個々ばらばらになって僕の部屋に位置を占め、二つの部屋は全然吹き通しとなり、僕の部屋か鬼丸の部屋か判らないような状態になってしまった。もちろんそこは僕の部屋だから、住もうと思えば住んでおれるけれども、鬼丸夫妻が勝手にずかずかと出入りするし、自分の部屋のような気がしない。それに夫人と来たら、一日に一度ぐらいは、あなたに米と芋の貸しがありましたね、とこと新しく念を押す。それだけならばいいけれども、僕が生来虫のたぐいを嫌いなことを知ったらしく、部屋の中にミミズや毛虫を持ちこんで、写生したりする。一度などは、鬼丸修道が大きな蛾(が)をつかまえて来て、お土産だと僕に呉れたりして、僕を戦慄させた。その他あれやこれやあって、とうとう僕は部屋を明け渡し、ついに知念の部屋にころがり込むような破目になってしまった。無抵抗主義の敗北である。

 

 この鬼丸修道がその主義信奉を捨て、吉良六郎とすっかり手を握り合ったのも、大体その頃のことらしい。それまでは、この両巨頭はにらみ合いに似た状態だったのに、急にこんなに近付いたいきさつは、僕にもよく判らない。ある日突然、吉良が知念に言ったそうだ。

「これからもう食事の支度はしなくていいよ。鬼丸の奥さんにやって貰うことになったから」

 その日から、吉良は朝晩の食事時、鬼丸の部屋に出かけて行くようになった。吉良は鬼丸を、鬼丸は吉良を、それぞれ利用価値があると認めたのだろう。

 それまでにも吉良のもくろみは着々進行しているらしく、来客も日々に多い。声をひそめて何かものものしく相談したり、盃(さかずき)を上げて共産党を罵倒したり、いよいよスズメ荘は右翼色が濃厚になって来たが、鬼丸修道がそれに加わったのは、やはり僕には意外なことだった。意外というより、心外と言った方がいい。しかし、鬼丸の部屋の乗取り方は、共産主義的方法でなく、帝国主義的方法だったことを思うと、彼の転身も当然だと言えるだろう。知念は憤慨した。

「何だい、あいつ。共産党みたいな口を利(き)いてて、もう吉良と仲良くなってる。エロ婆ぁには尻にしかれてさ」

 鬼丸修道が夫人に尻にしかれているという評言は、一面当っていないわけではない。たとえば洗濯の件だ。鬼丸家の洗濯の役割は、もっぱら修道が担当している。夫人の下着までもだ。鬼丸はすべてをきれいに洗い上げて、いそいそとスズメ荘の裏の空地に乾す。洗濯そのものが楽しい風(ふう)でもあった。

 前の小川で一緒になった時、僕はいくらか皮肉をこめて、鬼丸に訊ねてみた。

「もう鬼丸さんは、共産主義は止めたんですかね?」

「なぜ?」

 鬼丸は洗濯の手を休めて、太縁(ふとぶち)の眼鏡ごしにじろりと僕を見た。

「だって近頃、吉良君と仲良くしてるでしょう。あれはフアツショだから――」

「いや、それは間違っとる」

 と鬼丸は憤然とさえぎった。

「吉良君はフアッショじゃないよ。あれは日本的共産主義と言った方がいい。主義主張において、僕も近頃共鳴を感じてるな」

 鬼丸は夫人のシュミーズをじゃぶじゃぶとすすぎながら、僕に勢いこんで説明を始めた。たいへんむずかしい、ひねりにひねった説明なので、僕はよく理解出来なかったし、また真面目に聞く気持もなかった。その中に僕の方の洗濯が終ってしまったので、説明も尻切れとんぼになってしまった。しかし、主義を捨てたと指摘されて、鬼丸が内心怒ったのは事実のようである。ちょっと痛いところだったのだろう。

 僕のスズメ荘での生活の第一期は、ここで終る。

2021/12/31

ブログ・アクセス1,650,000突破記念 梅崎春生 春日尾行

 

[やぶちゃん注:昭和二八(一九五三)年五月号「オール読物」初出で(春生は作品内で発表誌を出してサーヴィスなんぞしている)、後の昭和三〇(一九五五)年十一月近代生活社刊の作品集「春日尾行」に標題も使用されて所収された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第三巻」を用いた。

 文中に簡単な注を挿入した。不明の二箇所で情報の御提供を願ったので、どうか、よろしくお願い申し上げるものである。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、この年末に至って、先ほど、1,650,000アクセスを突破した記念として公開する。【20211231日 藪野直史】]

 

   春 日 尾 行

 

 夕方のことです。

 二三日来うらうらと暖かく、おだやかないい天気がつづいていました。僕は所在なく縁側にあぐらをかき、庭樹を眺めたり空ゆく雲を見上げたり、こんな夕方にはビールが好適だなどと考えてみたり、うつらうつらとしているうち、ふっと人の気配がしたので、見ると長者門の下にぼんやり立っているのは、矢木君なのでした。矢木君というのは、僕の友人で、歳は僕よりも一廻り少い。職業は画家ということになっていますが、あまり画が売れてる話も聞かないし、まあ画家の卵といったところでしょう。[やぶちゃん注:「長者門」は長屋門に同じ。但し、当時の梅崎春生は借家住まいであったから、これは洒落で、普通の門であろう。「矢木君」恐らくは梅崎春生が小説でよく登場させるエキセントリックな絵描きのモデルである画家秋野卓美(大正一一(一九二二)年~平成一三(二〇〇一)年)であろう。「立軌会」同人で、元「自由美術協会」会員。「一廻り」ではないが、春生(大正四(一九一五)年生)より七つ年下である。元は春生の妻恵津さんの知り合いであった。昭和二七(一九五二)年十月発表に「カロ三代」を参照。]

 矢木君は僕の方を見て、眼をしばしばさせ、照れたようなまぶしいような、妙な笑い方をしました。そしてしずかに口を開きました。

「今日は」

「おはいりよ」

 と僕は答えました。

 矢木君は縁側に近づいて来ました。見ると彼は右手に重そうに、ビールを半ダースほどぶら下げているではありませんか。今しがたビールのことを考えていたばかりなので、僕はもう頰がむずむずと弛(ゆる)んで、にこにこ笑いがこみ上げてくるのをどうしても止めることが出来ませんでした。矢木君はビールをどさりと縁側に置き、自分も腰をおろしながら、庭をぐるりと見廻しました。

「はあ。ここの桜も満開ですな」

「こんな暖かさだから、どこの桜だって満開だよ」

「はあ。そんなものでしたな」

 矢木君はそんな間抜けな返事をしながら、急に声を低めてひとり言のように呟(つぶや)きました。

「やはり、棒引きということにしとこうかな。いや、それでは少し――」

「何の話だね?」

 と僕は聞きとがめました。矢木君という男は、日頃からどこかトンチンカンなところがあって、話の通じないことがよくあるのです。矢木君はエヘヘと笑いながら、まぶしそうに僕の方に向き直りました。

「実はね、あなたにね、六千八百円ばかり貸してあるでしょう。その金のことですけどね――」

「僕に貸してある?」

 僕はびっくりして、さえぎりました。

「僕は君から金を借りた覚えはないよ」

「覚えがなくったって、あなたは僕に借りているのです。そいつを棒引きに――」

「棒引きにもポン引きにも――」

 と僕は呆れて、嘆息しました。

「君は時々トンチンカンになるようだね。なにか夢でも見たんじゃないのかい。季節の変り目だから、用心してしっかりすることだね」

「夢じゃないですよ。うつつのことですよ」

 矢木君はすこしも騒がず、たしなめるような口調になりました。

「自分では気がつかないでも、先様の方でそんな具合になってる。よくあり勝ちなことです。今からビールでも飲みながら、説明して上げたいと思うんですが、都合はいかがですか?」

「ビールは結構なことだが、一体――」

「はあ。話の最初は、腕時計からです」

「腕時計?」

「そうです。腕時計です」

 そう言いながら矢木君は靴を脱いで、ごそごそと縁側に這(は)い上って来ました。

 以下、ビールを酌み交しながら、矢木君がめんめんと物語った、昨日一日の彼の行動です。だから、以下の文章で、僕というのは、もちろん矢木君のことです。

 

『はあ、その腕時計というのはね、四五日前、酔っぱらった僕の友人が、僕の部屋に置き忘れて行ったものなんですよ。まだ真新しくって、何でも一万五千円出して買ったんだそうです。なかなか感じのいい、しゃれた型の時計でした。

 で、友達が取戻しに来ないもんだから、この四五日、僕が重宝(ちょうほう)して使ってたわけなんですが、さて昨日の朝のことです。昨日は日曜でしたね。朝遅く起きて、井戸端で歯をていねいにみがき、さて顔を洗おうと、掌にこてこてと石鹸を塗りつけた時、ふと気が付くと、手首にその腕時計をつけたままじゃありませんか。僕はあわてて、革をつまみ上げるようにして、それを外した。外したまではハッキリ覚えてるけど、それをどこに置いたか、それが全然ハッキリしないんですよ。きれいさっぱりと記億から拭い取られているんです。

 なぜこんな妙な記億脱落があったかと言うと、それが全部じゃないでしょうが、ちょっとした理由があったのです。と言うのは、つまり、井戸端にいたのは、僕一人じゃない。顔を洗っている僕のすぐそばに、駒井美代子嬢がつつましくしゃがんで、じゃぶじゃぶと洗濯をしていたんです。

 駒井嬢というのは、僕と同じ家に間借りしている、二十前後の女性です。もちろんまだ独身で、どこか会社にタイピストとして勤めてる。ちょっと可愛い顔をしてるし、身体つきもなかなか良い。いつかモデルになって呉れと頼んで、断られたこともあるんですけどね。なかなか気性の烈しいところもある娘(こ)なんです。その娘が、日曜だものだから、シャンソンか何か口吟(くちずさ)みながら、洗濯してたというわけです。

 で、しゃがんでいる関係上、僕の位置から、その可愛い素足の膝頭が、スカートの間からちらちらとのぞけて見える。え? 膝頭だけじゃなかろうって? ええ、ええ、そんなものが、とにかくちらちらと見える。画描きだって、そんなことはありますよ。つい頭がくらくらして、とたんに記億が脱落したんでしょうな。僕は邪念を追っぱらうために、盛大な水音を立てて、ジャブジャブと顔を洗いましたよ。

 さて僕が顔を洗ってる間に、駒井嬢はさっさと洗濯を済ませて、物干場の方に行ったらしいのです。タオルで顔を拭き上げると、彼女の姿はもうそこには見えなかった。やれやれと思いながら、さっきの腕時計はと探すと、そこらに見当らないじゃありませんか。ポンプの台の上にもないし、吊棚の上にも見当らない。僕はギョツとしましたよ。なにしろ一万五千円ですからな。急いで記億を探り廻しても、どこに置いたか、ついハッキリしない。物干場の方からは、駒井嬢が口吟む″巴里の屋根の下″か何かが、ほがらかに聞えてくるんです。[やぶちゃん注:「吊棚」井戸に屋根がついており、そこに物を置く簡易な吊り棚があるのであろう。「巴里(パリ)の屋根の下」(Sous les toits de Paris )は、一九三〇年に制作されたフランスのロマンティック・コメディ映画で、同時に一世を風靡したその主題歌の題名。監督は名匠ルネ・クレール(René Clair)。ストーリー・キャスト・スタッフは当該ウィキを参照。YouTube のこちら(ghbook氏)で冒頭と音楽が視聴出来る。]

「盗られたんじゃないかな」

 とっさにそう僕が思ったのも、無理な話じゃないでしょう。僅かの時間の間に、物体が消失する。物理的にも不可能な話ですからな。僕はいきなり嫌疑を駒井嬢にかけた。あんな虫も殺さぬ顔をして、あいつ存外のしたたか者に違いない。素足を見せびらかしたのも、色仕掛で僕の頭を輝れさせようという、そんな邪悪な魂胆だったかも知れないぞ。そんなことを頭で忙しく考えながら、僕は井戸端に棒立ちになっていました。五分間も立ちすくんでいたようですな。

 しかし、立ってただけじゃ、腕時計が出て来る筈もない。じゃ駒井嬢をつかまえて詰問するか。証拠がないんだから、そんなわけにも行かない。シラを切られりゃ、それっきりですからね。

 僕は憂鬱で腹の中が真黒になって、そこで二階の自分の部屋に、しおしおと戻って来たんです。折角のいい天気なのに、何と幸先が悪いことだろう。一万五千円もする時計を失くすなんて、何という阿呆なことか。僕はもうむしゃくしゃして、外出する気にもなれず、出窓に頰杖をついて、空を眺めたり地面を眺めたりしていたのです。そして三十分も経ったでしょうか』

 

『ふっと下を見おろすと、この下宿の玄関から、駒井嬢が出て行くところじゃありませんか。アッと僕は思って、急いで窓から離れ、机の上のスケッチブックを小脇にかかえて、大急ぎで階段をかけ降りたのです。その時の気持で言えば、どうしても放って置けないような気がしたんです。

「俺の時計を、どこか古物商にでも売りに行くんじゃないかな?」

 そんな疑いが、ちらと頭に浮んだ。靴をつっかけて表に出ると、三十米ほど先を、駒井嬢がゆうゆうと歩いて行く。ひとつ尾行してやれ。パッとそれで心が決ってしまった。古物商あたりで、売買の現場を押えて、そして時計を取戻してやろう。そんな気持だったですな。そして僕は、何食わぬ顔をして、そっと彼女のあとをつけ始めたんです。

 彼女は横丁を出て、駅の方に歩いて行きます。十米ばかり遅れて、僕がついて行く。他人を尾行するということは、へんな楽しさがありますな。やがて彼女は足を止めて、とあるミルクホールに入りました。僕はと言えば、やはり足を止めて、ちょっと考え込み、そして同じくミルクホールの扉を押しました。駒井嬢の視線が、チラと僕を突き刺したようですが、しかし僕は素知らぬ顔をして、別の卓に腰かけました。

 駒井嬢が注文したのは、牛乳とトーストです。僕もお腹が空いていたので、同じものを注文しました。

 食べ終ると、彼女は手提(さ)げから金を払って、外に出る。僕も同じく外に出る。十米の距離を保ってついて行く。彼女は妙な表情で、二度か三度か振り返って僕を見たですな。それから街角の本屋に飛び込んだ。すなわち僕も飛び込む。もう尾行すると言うより、多少は厭がらせの気分もあったようです。何しろ一万五千円ですからねえ。

 彼女はちらちらと僕を横目で見ながら、それでも″オール読物″か何かを一冊買ったようです。ぐいとそれを手提げに押し込むと、ぷんぷんしたような動作で表に出た。僕も急いで表に出たら、いきなり待伏せていたように彼女が詰めよって来ました。

「あんた、何であたしのあとをつけるのよ――」

「つけてやしないよ」

 と僕は答えました。

「あんまりいい天気だから、散歩してるんだよ」

「散歩するんだったら、あたしの歩くところと、別のとこにしたらどう?」

「そりゃ僕の勝手だよ」

 僕もつけつけと言ってやりました。

「僕が歩いて行こうとすると、前をウロチョロされて、こっちの方がよっぽど迷惑だよ」

 駒井嬢の眉根がキリリと上りました。怒ったらしいんです。尾行されて、時計が売れないもんだから、怒ったんだな。僕はそう解釈して、追い討ちをかけるように言葉をつぎました。

「それとも、つけられで困るなんて、何か後暗いところでもあるのかい?」

「そら、やっぱりつけてるんじゃないの!」

 と彼女はキンキン声を立てました。

「今朝の井戸端ででもさ、変な眼付であたしの脚を見詰めたりしてさ。あんた、少し変態じゃない――」

 僕はたちまちどぎまぎしました。なにしろ真昼間の街なかでのキンキン声です。僕がたじろいだのを見ると、彼女は鼻をつんと反(そ)らして、勝ち誇ったようにくるりと向うをむき、トットッと歩き出しました。井戸端での俺の視線に気付かれていたとは不覚だったな。しかし次の瞬間、僕は直ちに狼狽から立直って、とたんに猛然たる敵意と闘志が湧き上ってきたですな。もうこうなれば、宇宙の果てまでも、どこどこまでもくっついて歩いてやる。僕もはずみをつけて、トットッと足を踏み出しました。

 駅前まで来ると、彼女はキッと振り返った。僕ははっと電柱に身をかくしたから、気付かれなかったらしいです。それから彼女は、手提げを小脇にかかえて、傍にあるパチンコ屋にそそくさと入って行きました。電柱のかげから飛び出して、僕もパチンコ屋の前に行き、内の様子をそっとうかがいました。日曜のことですから、猛烈に混んでいましたな。僕も五十円出して玉を買い求め、人混みの中にまぎれこみました。こちらも玉を弾きながら、彼女を見張ろうという寸法です。彼女は一番奥の一台にとりついて、今やパシパシと弾いている。僕は表側の手洗い台の傍にやっと空き台を見付けて、おもむろに玉を入れ、パチンパチンと打ち始めました。彼女を見張るのが主ですから、自然と指にも熱がこもらない。邪魔になるスケッチブックを台の上に乗せ、彼女の動静と玉の動きを、かたみにうかがっていたんです。そして十分も経ったでしょうか』

 

『人混みを横柄にかき分けて、奥の方から出て来る男がいたんです。そいつは、丁度空いていた僕の傍の台に取りついて、いきなりピシンピシンと玉を打ち始めたんです。

 その打ち方が、一風変っていたですな。玉を穴に入れる。ハンドルに全力をこめ、ヤッと懸声をかけて玉を弾き上げる。玉は大速力で、台の中を七八回も回転し、それからカランコロンところがり落ちる。ふつうだと、玉をあまりぐるぐる回転させないように弾き上げるのですが、この男のはめちゃです。しかも、ヤッ、ホウ、と言ったような懸声が入るんです。とてもにぎやかなやり方でした。

 そこで僕も興味をおこして、ちらちら横目でそいつを見たりした。それは縁の太い眼鏡をかけ、チョビ鬚(ひげ)を立てた、でっぷり肥った紳士です。四十五六にもなりますかな。まあ重役風と言えば、そうも言えましょう。左掌には玉を四五十、わし摑(づか)みに摑んで、懸命に玉弾きに没入している。

 そんなやり方だから、ほとんど当り玉が出ない。やり方を教えてやろうかと思ったけれど、それも差出がましい気がして、横目で見ているだけ。時たま当り孔(あな)に入って、ジャラジャランと玉が流れ出ると、男は肥った躰(からだ)を大きくゆすって、ホッホウホウと言うような奇声を出して喜ぶ。傍若無人とも言えるし、無邪気だとも思える。僕はついその男に気をとられて、注意をそこに向けてるうちに、ふと気がついて奥の方をうかがうと、駒井嬢の姿が見えないじゃありませんか。アリャアッと思って、あわててそこらを探して見たが、彼女の姿は全然見当らない。

 僕は急いで表に飛び出した。あたりをきょろきょろ見廻した。見当らなかったですな。僕がちょっと隣りの男に気をとられてる隙に、彼女は出て行ったらしいんです。突然僕は腹が立って来ましたよ。全く地団太(じだんだ)を踏みたくなった。

「畜生め」

 と思わず僕は呟いた。そしてスケッチブックを取りにパチンコ屋に戻ると、丁度(ちょうど)隣りの男は最後の玉を弾いて、それがムダ玉だったらしく、

「ほう。ほう」

 と嘆声を洩(も)らしながら、出て来るところです。てらてらした額に、汗の玉が五つ六つふき上っている。それを見たとたん、僕は急にこの男がすこし憎らしくなって来ましたね。

 僕がスケッチブックをかかえ表に出ると、男は額の汗を拭きながら、駅舎の方に歩いてゆくところでした。僕はその後姿を見た。その瞬間、ある考えが僕の胸に浮び上って来たんです。

「駒井嬢のかわりに、今日一日、この男のあとをつけ廻してやろうか!」

 どうしてこんな奇妙な考えが浮んで来たのか、僕にもよく判らない。すこしはやけっぱちになってたんでしょうな。それともう一つ、俺の邪魔をしたこの男が、今日一日どんな行動をとるか。そんな無償の好奇心みたいなものもあったようです。

 そこで僕は、瞬間に心を定めて、スケッチブックを小脇にかかえ直した。こういうことは気合いのもんですな。男は切符を買っている。傍に寄ってうかがうと、新宿までの切符らしい。僕もつづいて新宿までの切符を買いました。時間はもう正午に近かったですな』

 

『日曜日だから、電車もめちゃくちゃに混んでいました。この男は、でくでく肥ってるくせに、人混みをうまくかき分ける才能があるらしく、満員の車輛にするりとづり込んだ。同じ車輛に乗り込むのに、僕は一苦労しましたよ。それでも、エンジンドアにスケッチブックをはさまれたまま、どうにか発車した。[やぶちゃん注:「エンジンドア」自動ドアのこと。開閉動作に際して直接作動する動力装置を「ドア・エンジン」と呼ぶ。ウィキの「自動ドア」によれば、『鉄道車両用には導入当初は空気圧作動式が多く用いられてきたが、近年は電気スクリューやリニアモーター、ラック・アンド・ピニオンといった電動式も導入され始めており、空気配管の減少に伴うメンテナンスの簡素化に寄与している』とある。]

 新宿の街がまた大にぎわいでした。うらうらといい天気だし、暖かいし、休日だしという訳で、有象無象どもが家をあけて、ぞろぞろと浮かれ出たんでしょうな。おかげで男のあとをつけるのは、大変でしたよ。刑事や探偵の苦労がしみじみと判りましたよ。もっともこちらは、刑事みたいにホシを追ってるんじゃなく、意味なく人をつけてるんですけどね。

 男はつけられているとは露知らず、すっすっと人混みを縫って歩く。こちらは無器用に人にぶっつかったりして、あとを追う。男は新宿の地理にくわしいらしく、ふっと横丁に曲り込んだ。あぶなく姿を見失うところでしたよ。

 裏街にちょっとした喫茶店みたいなのがあった。扉に金文字で″喫茶軽食ワクドウ″と書いてある。ワクドウとはまた妙な名前ですな。僕の故郷の方言では、ワクドウとはひき蛙のことですが、あまり上品な名前じゃないですな。男はこのワクドウの前に立ち止り、ちょっと腕時計を見て、扉を押して内に入ったんです。そこで僕もあとにつづいて入った。

[やぶちゃん注:「ワクドウ」方言で「ワクドウ」が「蛙」や「疣蛙」(ガマガエル)を指すのは、調べたところ、前者が宮崎、後者が福岡であった。秋野の出身は判らぬが、梅崎春生は福岡生まれである。但し、小学館「日本国語大辞典」を引くと、「わくどう」があり、『蟇蛙(ひきがえる)をいう。わくひき』とあって、記載例書籍を「日葡辞書」とするから、方言と限定することは出来ないようだ。なお、人名にはちょっとないようだ。]

 食事時だから、客も割に入っていました。隅の方の卓に、赤いトッパーコートを着た若い女が、ひとり掛けていた。男は、やっほう、というような声を立てて、その卓に近づいて行きました。女はじろりと男の顔を見ました。年は二十四五見当の、ちょっと険はありますが、なかなかの美人です。男が卓につくと、女はすぐに口をききました。

「遅かったじゃないの」

「うん、ちょっと」

「あなた、いつも約束の時間に遅れるわね。この前だって、そうだったわよ」

「すまん、すまん。ついパチンコに熱が入り過ぎたもんだから――」

「パチンコだって。あたしとパチンコと、どっちが大切なのよ」

 どうしてそんな会話が耳に入るかと言うと、運良く隣りの卓が空いていて、そこに掛けることが出来たからです。両方の卓の間には簡単な仕切りがあるのですが、声はほとんど筒抜けでした。僕は耳を立てて、その会話を聞きました。

「何にする?」

 と男が聞きました。

「あたし、お腹が空いたわ。朝食を抜いたんですもの」

 男は指を立てて給仕を呼び、カレーライスとコーヒーを二人前注文しました。僕も即座に指を立て、給仕に同じものを注文しました。さっきトーストを食べたばかりで、お腹は空いてなかったのですが、行きがかり上そういうことにしたのです。どうせ尾行するからには、相手と同じものを食べ、同じ行動をした方がいいと思ったんですな。そうした方が、相手の心理の意識が良く理解出来る。まあ言ってみれば、そんな魂胆です。ところが、同じものを注文したことが、男の注意をひいたらしく、彼はくるりと振り返って、仕切り越しに僕を見ました。そして女に向って、小さな声でささやきました。

「お隣りも、カレーとコーヒーだとよ」

 やがて注文品がそれぞれ運ばれました。白飯にどろりと黄黒いカレーがかけてある。ヮクドウという言葉を思い出して、とたんにちょっと食慾が減退したですな。しかしメニューを見ると、百円と書いてある。百円の品物を食わなきゃ勿体(もったい)ないですからな。とにかく押し込むようにして食べましたよ。耳は相変らず隣席の方にそばだてながら。

 隣りではぼそぼそと、映画を見る相談か何かをしています。男はチャンバラが見たいらしいが、女の方は洋画を主張する。しきりに押問答をしていたようですが、どういうはずみか男が、ストリップはどうだ、などと言い出して、女からぴしりと掌を叩(たた)かれた模様です。僕は思わずクスリと笑いました。

「莫迦(ばか)ね、あんたは。あんなもののどこが面白いの?」

「だって、女の裸ってものは、あれでなかなか芸術的だよ。うん」

 かすかな笑い声と共に、急に声が低くなり、何かささやき合う様子でした。それから二人は、相談がまとまったらしく、立ち上って表へ出て行った。遅れてはならじと僕も支払いを済ませ、ワクドウを出ました。二十米ばかり先を、二人はよりそいながら、ぶらぶらと歩いている。

 二人は洋品店に寄りました。僕は歩道の電桂によりかかって、しばらく待っていました。やがて二人は出て来た。女は明色の手袋をつけていました。約束の時間に遅れた罰か何かで、買わせられたんでしょうな。二人が動き出したので、僕もぶらぶらと行動を起しました。人混みは相変らずだけれど、今度は向うの速力が鈍いので、つけるのはそれほど困難じゃない。ことに女のトッパーコートは、赤くて目立つので、見失う心配がありません。それから二人は洋画専門のM座の前に足を止め、男が切符を買いました。離れたところから見ていると、二人はモギリ嬢に切符を渡し、どうやら二階に上って行く様子なんです。二階は、れいのロマンスシートというやつです。これには困りましたな。ロマンスシートというやつは、二人で買うものに決っているし、僕は一人なんですからな。[やぶちゃん注:「トッパーコート」単に「トッパー」とも呼ぶ。婦人用のショート・コートの一種で、上半身を覆う程度の軽快なデザインのものを指す。一般的にはウエストからヒップまでの丈で、裾広がりのシルエットとなったものが多い。本邦では敗戦後を始めとして、昭和三十年代も流行した(サイト「アパレル派遣なび」のこちらに拠った)。]

 よっぽどここで尾行を止して、下宿に戻ろうかと思ったんですけどね。もしここで尾行を止めたら、俺は朝から一体何したことになるんだと思いましてね、一人だったけれど、思い切ってロマンスシートの切符を買い求めました。

 ええ、ええ、バカだってことは、その時も百も承知です。尾行したって、一文の得にならないことは、初めからハッキリしてるんですからね。でも人間には、気持の行きがかりってものが、確かにあるんですよ。そういうことで、人間は時々バカなことをやる。バカをやらない人間があったら、お目にかかりたいですねえ。人間のやることったら、総じてバカですよ。僕だって、そしてあなただって、同じことですよ』

 

『ロマンスシートの料金も、なかなか僕に辛かったが、皆が二人連れなのに、僕一人で腰かけているのも、相当に辛かったですねえ。

 れいの二人は、中央から右寄りの席に、肩をすりよせて掛けていました。僕はその斜め後方の席に、ひとりぽつねんと腰をおろしました。

 スクリーンの方はろくろく見ない。うっかり映画などにひき入れられると、さっきの駒井美代子嬢を取り逃したと同じようなことになる。そう思って、もっぱら二人の後姿ばかりに注意を払っていたのです。一体この二人はどういう関係にあるんだろう?

 男の方はさっき話した通り、三等重役的タイプですが、トッパーコートの女と夫婦関係にあるとは、全然思えない。しかし、恋愛関係としては、男の方が野暮ったすぎる。妾関係でもないようだし、情婦みたいなもんかな、などと考えてもみたんですが、世間知らずの僕には、そこらがハッキリとは判らない。

 すると暫(しばら)くして、暗がりの中で二人の顔が相寄ったと思うと、いきなり接吻したらしいんです。図々しいもんですな、暗がりといえども、スクリーンの照り返しで、はっきりそれと判る。男の方が積極的で、女の方は厭がってるような風情でした。映画館の席で、背後から見られてるかも知れないのに、あのチョビ鬚(ひげ)にくすぐられるのは、あまりソッとしないんでしょうな。しかし接吻したからには、この二人はある程度とある種類の色情関係にある、と考えて僕は思わず緊張しました。思えば僕も阿呆な役割でしたな。わざわざ高い金を払って、映画はろくに見ず、二人の接吻を看視してたんですからな。

 どういうつもりか、その時僕はスケッチブックをがさごそと膝の上にひろげ、その接吻のシルエットを、簡単なスケッチとして描いたりしたのです。描いたって、どういうこともない。絵描きの本能みたいなものですかな。そのうちにお見せしますよ。

 とにかく二人は、三十分ばかりの間に、四度接吻しました。それから僕は尿意を催してトイレットに行き、大急ぎで戻って来ると、丁度(ちょうど)二人は扉から廊下に出て来るころでした。危なかったですな。映画がさほど面白くなくて、出るところだったらしいんです。もう一足おそかったら、取り逃すところだったかも知れません。

 男は眼鏡ごしに、じろりと僕の顔を見ました。そして妙な表情を浮べました。何か思い出そうとして思い出せないような、そんな奇妙な表情です。女の方はトットッと階段を降りて行く。僕も何気ないふりをよそおって、階段の方に歩いた。男はそこでグフンとせきばらいをして、急ぎ足に僕を追いこし、女と肩を並べました。階段を並んで降りながら、男は女に何かささやいている模様です。僕はわざとゆっくりした足どりで、そろそろと階段を降りました。

 映画館を出て、彼等がまっすぐに歩いて行ったのは、駅です。駅で男は切符を買い求めた。某私鉄の切符だということは判ったが、どこまで買ったのか、それはついに判らなかった。男が妙な顔をした以上、あまりあつかましく近近とくっついて歩くわけにも行かなかったんです。ええ、僕は生れつき、それほど心臓が強くないんですよ。

 僕は大急ぎでポケットを探った。もう余すところ、百円足らずしかない。ワクドウとM座の支払いで、とたんに囊中(のうちゅう)が乏しくなって来たのです。二人の後姿は、すっすっと改札の方に遠ざかって行く。どこまで切符を買ったんだろう。どこかへしけこむつもりかな。そうだとすれば、相当遠距離かも知れないぞ。僕は惑乱しましたな。追うべきか諦めるべきか。次の瞬間、朝からの得体の知れない情熱の方が、ついに勝ちを占めました。是が非でもと、僕は歯をかみ鳴らすようにして、切符をせかせかと買い求めました。今日一日は、尾行の鬼となってやる!

 買った切符は、最短距離のやつです。もちろん乗越して、乗越賃金を払う覚悟でした。二人の姿は、もう見えません。でも電車が判っているから安心です。と言っても、一足違いで発車されると一大事ですから、僕は駅の地下道を小走りに走りましたよ。

 十三時五十分発各駅停車。その電車の最後尾の車輛に、二人は乗っていました。女は座席に腰をおろしていましたが、男の方は立って、吊革にぶら下っていました。僕は気付かれないように、車掌室の真鐘(しんちゅう)棒に背をもたせ、もっぱらプラットホームの方ばかりを見るようにしていました。はたから見れば、気軽に郊外スケッチに赴く若い画家、そんな風(ふう)に見えたでしょうな。尾行者などとは誰も悟らない。間もなくベルがいっぱいに鳴り渡り、発車です。

 ところが、駅を五つ六つ過ぎる頃から、男は僕の存在に気付いたらしいのです。ちらっちらっと僕の方を見るらしい。あるいは窓ガラスを鏡の代用にして、僕の動作を見張っている様子なのです。僕の方も、駅に停る度に、彼等が下車するかどうか確かめる必要があるので、どうしても視線がそちらに行く。それまで男と女は、何か話し合ったりしていたのに、僕に気付いてからは、男はすこしずつ無口になって来たようです。妙に怒ったような、不安なような、ふくれたような顔になって来ました。

 女の傍の席が空いたので、男は腰をおろしました。僕に気付いているのは男の方だけで、女はまだのようでした。気付かれたらもう仕方がない。そう思って、僕はもう窓外を眺めるふりは止して、大っぴらに二人を眺めることに心を決めました。つまり、気持の上で居直ったんですな。居直りたくもなりますよ。朝から貴重な時間と貴重な金銭を費やして、ここまでやって来たんですからな。それともう一つ、朝から傍若無人にパチンコをやったり、きれいな女性とあいびきみたいなことをやったり、こちらは生活と芸術に苦労してるのに、愉しげに人生を享楽している。金も相当豊富に所持しているらしい。すなわち僕は、この男に、もはやかすかな嫉妬と憎悪を感じていたらしいんです。それは相手の女が、大変きれいな女だったせいもあったでしょうな。

 きれいな女だったですよ。あなたにも、一度お見せしたい位です。ちょっと険を含んだ、するどい顔付の女で、身体つきもなかなか良かった。駒井美代子の比ではありません。脚なんかカモシカみたいにすらりとしていましたね。頭には形良くベレー帽をかぶっている。

 男の方でも、駅に着くたびに、この僕が降りないか降りないかと、考えてるらしいんですな、がたりと停車すると、じろりと僕をにらみつける。僕もじろりと向うを見る。僕はもちろん向うの氏素姓(うじすじょう)は知らないのですが、向うからすれば、この僕はなおのこと気味悪い存在に違いありません。絵描きみたいな風体のくせに、どこまでもついて来るんですからな。

 そして電車は、やっとQという駅に停りました。女がすっと立ち上りました。男はじろりと僕を見てつづいて立ち上りました。扉が開く。二人は出る。別の出口から、僕も歩廊に降り立ちました。男はギョツとした風に、僕の方を見ました。

 Q訳での下車客は、相当な数でした。Q遊園地が、ここにはあるんです。子供連れの客が多かったのも、そのせいでしょう。それらがどっと改札口へ押しかける。その混雑に紛れて、僕の靴をぐいと踏みつけた奴がいます。飛び上るほど痛かったですな。見ると僕の横にいるのは、れいの男なんです。混雑にまぎれて傍に忍び寄って、わざと僕の足を踏みつけたらしいんです。

「いてて!」

 と僕は思わず悲鳴を上げました。男はにやりと快げに笑い、そのまま改札口を出て行った。この野郎、と思って僕もそのあとを追った。乗越賃金でちょっと暇どったけれども。

 Q遊園地は、ここから一粁ほど隔てた小高い丘の上にあるんです。駅前から遊園地まで、子供電車が出ている。子供電車と言ったって、トロッコに色を塗り、それにテント屋根をかぶせただけの、お粗末なしろものです。二人は年甲斐もなく、嘻々(きき)としてそれに乗込みました。僕ももちろん乗り込んだ。二人のすぐうしろの座席です。もうこうなれば意地でしたな』

 

『遊園地内も、桜が満開でしたよ。

 このQ遊園地に僕は初めて来たんですが、なかなか繁昌してるんで、おどろきましたよ。うじゃうじゃの人の波です。設備も割にととのっていました。子供自動車やウォーターシュート。野球場や動物園。子供連れで遊びにゆくには、手頃のところですな。あんまり人が多いんで、砂ぼこりが立ち、折角の桜もうすよごれて、まるで紙屑か何かをくっつけたみたいに見えましたな。

 僕はまかれないように、忠実に二人のあとにくっついて歩いた。その頃から女の方も、少し変だと思い始めたらしいです。時々不審げなまなざしで、僕の方を見る。

 二人はウォーターシュートに乗ったり、吊下げ飛行機に乗ったりする。年甲斐もなく、そんなことが楽しいらしいんです。僕はと言えば、そんなのに乗ってみたいんだけど、生憎(あいにく)懐中が乏しいんで、乗れない。うっかり乗ると、帰りの電車賃がなくなるおそれがある。仕方がないから、連中が乗っている間は、スケッチブックを開いて、そこらの写生などをして暇をつぶしていました。連中が降りて来ると、またついて歩く。無償の情熱はいいけれど、さっき踏まれた足は痛いし、そろそろくたびれては来たし、イヤになって来たですな。しかし、ひるむ心を引立て引立てして、番犬のようにつきまとって歩いた。

 それはビックリハウスというやつでしたな。窓のない小さな建物で、内に入ると何かビックリすることがあるらしいんです。男は二人前の切符を買った。一枚十円だけれど、僕には買えない。だから、どんなビックリか、僕は今でも判らないです。

 建物の入口に、係の少女が立っている。そしてその前まで行って、男は女だけを建物の中に入れました。するとそれで定員だと見えて、少女が扉をしめた。そのとたんに男はくるりとふりむき、顔をきっと緊張させて、僕の方へまっすぐつかっかと歩いてくる。ちょっとばかりこちらも緊張しましたな。

「おい。君は一体、誰から頼まれた?」

 男は僕のそばにピタリとよりそい、低い声でそう言いました。やや凄味(すごみ)を利(き)かせた口調です。僕は身構えたまま黙っていました。だって返事のしようがないですからね。すると男の声は急にやわらかく、意外にも哀願の調子さえ帯びて来たんです。

「え、誰に頼まれた。トミコからか?」

 ビックリハウスから、わあわあとけたたましい混声が流れ出ました。内部の叫声喚声を拡声器で表に流しているんです。人寄せのためでしょうね。

「え。トミコだろう。な、依頼主はトミコだろう」

 僕はわけも判らないまま、重々しくうなずきました。すると男は絶望したように頭をかきむしりました。

「そうか。やはりトミコか」

 男はうなり声を上げました。そして忙しく手を内ポケットに突込むと、ワニ皮の財布を引っぱり出しました。そして左手で僕の腕を摑(つか)みました。

「な、金ならいくらでも出す。その報告を握りつぶして呉れんか。頼む」

 予想外に事態が進展したので、面食ったのは僕です。僕は思わず目をパチパチさせました。何が何だか五里霧中ながら、とにかく僕が何かと間違えられてるらしいこと、そしてそのことでこの男が絶望して、僕に金を呉れたがっている、そのことだけはやっと了解出来ました。男はおっかぶせるように言葉をつぎました。

「え。いくら要るんだ。いくら?」

「一万五千円」

 とっさにその金額が口に出て来た。やはり無意識の裡(うち)に、あの腕時計のことを心配してたんですな。そう言ってしまって、自分でもびっくりした位です。

「なにい。一万五千円だと?」

 そして男は笛のような嘆声を発しました。

「そりゃ高い。いくらなんでも高過ぎる。少し負けて呉れ」

「イヤです」

 こうなれば僕も必死です。折角金を呉れると言うのに、ここで所定の金額を頑張らなきゃ、友達に会わせる顔がない。男の顔は赤く怒張して来ました。すこし声を荒らげて、

「負けろ!」

「イヤだ」

「考え直せ!」

「じゃ金は要らん。その腕時計を呉れ」

 男はあわてたように右の手首を引っこめました。

「無茶言うな。この時計は三万円もする」

「じゃ、金よこせ」

 そして僕は、いきなりスケッチブックを開いて、接吻のデッサンを見せてやりました。男はさっと顔色を変え、それから、へなへなと身体から力を抜いたようでした。

「そうか。それじゃ仕方がない」

 男はしぶしぶと財布から紙幣(さつ)束を出し、むこう向きになって数えてる様子でしたが、直ぐに向き直って、束を僕の眼前につきつけました。そして沈痛な声で言いました。

「ここに九千円ある」

「九千円では足りない」

「だから、あと六千円は、名剌に書くから、そこで受取って呉れ」

「大丈夫でしょうな。そこは」

「大丈夫だ。それより君の方は、大丈夫だろうな。俺からしぼって、またトミコから取ったら、承知しないぞ。いいな」

「大丈夫だ。三橋とは違う」

 男はせかせかと名刺と万年筆を引っぱり出し、裏に何か書き始めました。追っかけられるような動作です。ははあ、女がビックリハウスから出て来ないうちに、事を処理してしまいたいんだな。そう僕は気付きました。ちょっと気の毒な気持でしたよ』[やぶちゃん注:「Q遊園地」このロケーションとなる遊園地がどこなのか、私にはよく判らない。多くのアトラクションがあり、動物園もあり、何より、駅から「子供電車」があるというのは、恐らく私より年上の方(私は昭和三二(一九五七)年生まれ)なら、即座にお判りになるだろう。御教授戴けると、恩幸、これに過ぎたるはない。「三橋」不詳。詐欺事件か何かの犯人の名らしいが判らぬ。出来れば、遊園地とともに、よろしく御教授あられたい。]

 

『僕は名刺を受取り、大急ぎでビックリハウスの前を離れました。早くあっちに行け、と男が言ったせいもあるのですが、ぐずぐずしてると男の気持が変って、金を取戻されそうな気もしたからです。急ぎ足で駅の方に戻りながら、僕は名刺の表を読みました。鴨志田竜平。そう印刷してあります。あの肥っちょの名前なのでしょう。裏をかえすと。『拝啓。この名刺持参人に六千円渡してやって呉れ。そちらは忙しいか。こちらはとても忙しい。アハハ。オテル殿。竜平』

 と書いてあります。せっぱつまってこれを書いたくせに、何がアハハだと、僕はいささか軽蔑と憐憫(れんびん)を感じましたな。

 男の説明では、僕が残金を受取る先方は、神田駅近くのおでん屋だということでした。オテルというのはそこの女将らしいのです。男とオテルとはどういう関係にあるのか、急いでいたもんで、その時はつい聞きそびれてしまいました。

 さて、神田駅で降り、男が教えた道筋をたどり、そのおでん屋の表に来た時は、もうあたりはすっかり暗くなっていました。七時ちょっと過ぎていましたかな。繩のれんからそっとのぞいて見ますと、五坪か六坪程度の小ぢんまりした店構えです。お客が一人入っています。台の向うには三十前後の、白粉の濃い女が、おでん鍋の中味を箸(はし)で調整しています。これがオテルだな、と思いながら、僕はガラス扉をがらりとあけました。

「今晩は」

 と僕は言いました。オテルさんはちらと僕の風体を見て、つっけんどんに言いました。

「似顔画はお断りですよ」

 僕がスケッチブックを持っているので、間違えたらしいのです。

「似顔描きじゃないよ。飲みに来たんですよ」

 そう言って僕は台の前に腰をおろしました。一杯飲んで、それから用事にとりかかろうというつもりなんです。

「あら、そう。それはそれは」

 オテルさんは急に愛想良くなって、いそいそとおちょうしをつけました。僕は莨(たばこ)に火をつけ、ちらりちらりとオテルを観察していました。どうも水商売上りらしいな。ちょっとヒステリー気味なところもあるらしいぞ。さて、どんな具合に切出してみるかな。

 おちょうしのカンがつき、おでんを一皿注文して、僕はおもむろに飲み始めました。九千円という大金がポケットにあるし、ゆったりした気分でしたな。昼間ワクドウでカレーライスを食べたきりですから、腹はぺこぺこで、おでんも旨(うま)かったし、お酒ははらわたに沁み渡ったです。適度の運動の後の酒、これはこの世の極楽ですな。

 先客は三十五六の、ちょっといなせな請負師らしい風体の男です。オテルさんと親しげに冗談口をきき合ったり、盃をさしたりさされたり、古くからの顔馴染のように見えました。男が言いました。

「今日はオテルさん一人かい。オフサはどうした」

「ありゃ一昨日クビにしちゃったわよ」

 とオテルさんは眉をひそめて、はき出すように言いました。

「へえ。何でクビにしたんだね」

「どうもこうもないよ。あの女、見かけによらず淫乱でね、店の名にかかわるからさ」

 それから二人の間で、オフサという女の話がやりとりされました。僕は黙ってそれを聞きながら、盃(さかずき)を傾けていました。オフサというのは、この店の雇い女らしく、何か男と間違いをおこして、それで追い出されたらしいのです。しかしその件については、オテルさんはあまり口にしたくないらしく、最後に不快げに眉をひそめて、嘆息しました。

「もう、男も女も、あたしゃ全然信用しないことにしたよ」

「カモさんじゃないのかい。オフサに手をつけたのは」

 男は盃を口に持って行きながら、ズバリと言いました。オテルさんはぎょっとしたらしく、顔をこわばらせたが、直ぐに忌々しげにうなずきました。

「実はそうなんだよ。ほんとに癪(しゃく)にさわるったらありゃしない」

「そうだろうね。カモさんったら、女癖が悪いからな。イカモノ食いというやつだよ。それでどうしてオテルさんは見破ったんだね?」

「オフサの日記を調べてみたのさ。どうも様千が変だったからね。すると、ところどころに鴨(かも)の絵が書いてあるのさ。あたしゃ初めニワトリの両かと思ってさ、何でニワトリが描いてあるのかと考えてるうち、ハッと気が付いたのさ。癪にさわるじゃないの。鴨志田と寝た日の心覚えに、その画を描いたってえの」

 僕は驚きましたな。カモさんというのが鴨志田の事とは、今迄思いもしなかったからです。これは少々風向きが宜(よろ)しくない様子です。

「それで、オフサを問い詰めて白状させたのが一昨日。直ぐにクビにしてやったわ」

 オテルさんはコップに冷酒を注いで、ぐいとあおりました。眼がすこし吊上っています。

「そいじゃ、ばれたことはカモさんはまだ知らないのかい」

「そうなんだよ。やって来たらとっちめてやろうと、手ぐすね引いて待ってるのだけどね。何だい、ろくに手当も呉れない癖に、ひとかどの旦那面しやがってさ!」

 僕はと言えば、おちょうしも空になったし、皿のおでんも食い尽したし、ここらで口を入れなければ、ますます具合が悪くなる予感がしたものですから、おそるおそる口を出しました。

「じ、じつは、カモさんから頼まれて、やって来たんですが――」

「え。なに。カモ?」

 とオテルさんはきりりと僕の方に向き直りました。

「一体何を頼まれて来たのさ?」

「こ、これを」

 僕は急いで名刺を差出しました。声もいくらかかすれたようです。オテルさんは名刺をひったくるようにして、忙しくそれを読み下しました。額の静脈がもりもりと盛り上ったようです。

「何だい。六千円。よくもそんなことが言えるわね。バカにしてるわ」

「でも、僕は六千円、どうしても要るんですよ」

「あんたは一体誰なの。何者なの。鴨志田とどういう関係があるのさ!」

「関係というほどじゃないけれど、僕はあの人に六千円貸しがあるんです」

「貸し? あの人は、他人様から金を借りるような男じゃないわ」

「だって、チャンと貸してあるんですよ!」

 と僕は言葉に力をこめました。

「鴨志田さんは、明晩こちらにお伺いすると言ってましたよ。その時、色々説明するって」

 これは僕がウソをついたのです。そう言えばオテルさんの気持が和んで、金を出して呉れるかも知れないと思ったのです。するとオテルさんは、軽蔑的な口調ではき捨てるように言いました。

「六千円なんて大金は、家には今ないわよ!」

「こんな店をやってて、無いわけはない。無いとは言わせませんぞ!」

 僕も腹が立ったので、つい税務吏員みたいな口を利きました。

「ないわよ!」

 とオテルさんは怒鳴りました。

「ある!」

「ない!」

 オテルさんはヒステリックに叫んで、手を棚に伸ばし、一冊の帳面を投げつけるように僕によこしました。帳面は台の上でハラリと拡がりました。

「疑うんなら、それを見てよ。それが全部のツケの帳面よ。来る客来る客、皆ツケばっかりで、現金は一文も入りゃしない。ウソだと思ったら、金箱見せてやろうか。え?」

 そのキンキンした声を聞きながら、僕の視線はその帳面の一頁に、ひたと釘付けにされていたのです。ここまで言えば、もうお判りでしょう。その沢山の名前の中に、あなたの名前と、その下に金額、六千八百円也と、チャンと記入されてあったんです。偶然も、こうピッタリ行くと、もう言うところないですな。しかし、あなたがあんな変てこりんなおでん屋の常連だとは、ちょっと驚き入りましたな。僕はおもむろに口を開きました。

「じゃ、このツケを僕が取って来て、それを僕のものにしていいかい?」

 オテルはびっくりしたように僕の顔を見、首を伸ばして帳面をのぞきこみました。僕はあなたの名のところを指差しました』

 

『オテルさんとの談合は、それでまとまったんですがね。

 僕の貸金は六千円だし、あなたのツケは六千八百円でしょう。差額の八百円を払ってゆけと、オテルさんはしきりに主張するのです。僕は素直に払いました。それと今飲んだ分の勘定。これが二百二十円です。二十円というハシタ金がなかったので、僕はあちこちポケットを探ってると、上衣の内ポケットに何かコリッとした固いものが入っている。何だろうと思ってつまみ出して見ると、僕は思わずアッと驚愕の叫び声を上げましたよ。それは一体何だったと思います? なんと腕時計だったんですよ。今朝盗られたとばかり思っていた腕時計が、チャンと内ポケットに入っていたんです。何ともはや驚きましたな。これが内ポケットに入ってる位なら、僕は一体何のために今朝からせっせと動き廻ったか、わけが判らんじゃありませんか』

 

 矢木君はそこまで話して、ぐっとコップのビールを飲みました。もうそろそろ日暮れ時です。半ダースの瓶もほとんど空になりました。いい気持に酔っぱらって、身体の節節がとろけてゆくような感じでした。

「それは一日御苦労だったね」

 と僕はけだるく口を開きました。

「しかしまあ、時計が出て来てよかったな」

「あの洗面の時、大事なものだと思って、無意識に内ポケットにしまいこんだんでしょうな。駒井嬢の膝頭のおかげで、すっかりそれを忘却してしまったらしい」

 そして矢木君は、とろりとうるんだ眼を僕に向けました。

「それでと、つまり、僕はあなたに、六千八百円の貨しがあるわけになりますな。これは一体――」

「棒引きだよ」

 と僕はたしなめてやりました。

「その上僕から金を取ろうなんて、それはむさぼりと言うもんだよ。芸術家ともあろうものが、そんな慾張りでは、絶対に大成しないよ。棒引きにしなさい。そうすれば僕もたすかる」

「それもそうですな。では、そういうことにしますか」

 矢木君はけろりとした表情でそう答えながら、残りのビールをぐっと飲み乾しました。

2021/12/13

ブログ・アクセス1,640,000突破記念梅崎春生 十一郎会事件

 

[やぶちゃん注:昭和三〇(一九五五)年九月号『小説新潮』初出で、後に同年十一月近代生活社から刊行された作品集「春日尾行」に収録された。

 中間部でロケーションとなる「杉並区東田町」は現在、統合で杉並区東田町成田東(なりたひがし)地区に編入されている。「今昔マップ」の「1965~1968年」並置版で示しておく。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、つい先ほど、1,640,000アクセスを突破した記念として公開する。【202112月13日 藪野直史】]

 

   十一郎会事件

 

 年少の友人早良十一郎君が、ある日の夕方、極上等のウィスキー瓶を一本ぶら下げて、ふらりと私の家を訪れてきた。早良君は職業は画家だが、画家としてはまだ無名の方だから、自宅で画塾を開いて子供たちから月謝を取ったり、キャバレーの飾りつけを手伝ったりして、ほそぼそと生計を立てている。この早良君がこんな上等のウィスキーを持って現われたから、私もすこし驚いて訊ねてみた。

「柄にもなく上等のウィスキーをたずさえているじゃないか。一体どうしたんだね。キャバレーでちょろまかしでもしたか?」

「そんなことをするものですか。正直一途の僕が」早良君はちょっとイヤな顔をした。「貰ったんですよ」

「貰ったって? 誰に?」

「それを今から、お話しようと思うんです」そして早良君は瓶を眼の高さに差し上げてコトコトと振り、中身を吟味するような眼付をした。「その前にこれをあけようと思うんだけど、大丈夫だろうなあ、これは」

「大丈夫?」

「いや、何ね、毒でも入ってるんじゃないかと、ちょっと考えたんですよ。でも大丈夫ですよ。濁ってもいないし、ちゃんと封印がしてある」

「イヤだよ。そんな怪しげなのにおつき合いするのは」私は思わず大声を出した。「それは持って帰れよ。僕のうちのを出すから、それで間に合わせよう。僕んちのはそれほど上等じゃないが」

「そうですか。それじゃお宅のを頂戴いたしましょう」早良君はけろりとして自分の瓶を風呂敷にしまった。「こいつは誰かに売りつけてやることにしよう。そうだ。田辺の奴に売りつけてやろうかな。個展にも来て手伝って呉れたし」

「あっ、そうそう。個展を開いたってねえ」と私は言った。「成績はどうだった。すこしは売れたかい?」

「ええ、それなんですよ」と早良君は困惑したような、まぶしそうな眼付をした。「話もそこから始まるんですよ」

 以下が、僕の家の安ウィスキーを飲みながら、早良君が物語った話だ。

 

 あなたは御存じないかも知れませんが、個展を開くというのは、案外金がかかるんですよ。とても貧乏画描きの僕なんかには、開けそうにはなかったのですが、Q画廊の主の山本氏ね、これがとても義俠心のある人物でね、僕が個展を開きたがっていることを人伝てに聞いたんですな、人を介して、十日間タダで画廊を貸してやろう、と言ってきて呉れた。嬉しかったですなあ。山本氏の義俠心も嬉しかったけれど、山本氏がそう申し出るからには、きっと山本氏が僕の実力を認めたからに違いない。そのことが無性に嬉しかったです。

 で、その日からあれこれ金策して、ええ、会場費はタダでも、他にいろいろ金がかかることがあるんですよ。期日の前の日に、作品二十五点、すっかりまとめ上げて、Q画廊に搬入した。夜を徹して壁面にかざりつけた。並べ方によって効果がぐんと違いますからな。効果が良ければ、人も感動して、ついふらふらっと買おうという気になる。いや、何も売ることばかり考えてるわけじゃないのですが、売れないより売れた方がましですからねえ。三つでも四つでも売れたら、ケチな内職をやらずに済むし、その分だけ画業に打ち込めることになるし。

 そして飾りつけ終って、僕は腕を組んで考えました。人間というものには競争心という奴がある。会場をぐるりと一廻りして、まだどれも売れていなければ、ハハア、まだどれも売れていないな、じゃあ買うのはこの次にしよう、そう思ってさっさと帰って行くかも知れない。ところが作品の一つか二つ、売約済みの赤紙が貼ってあれば、ハハア、なかなか売れ行きがいいんだな、早いとこ買わないと売り切れてしまうかも知れんぞ、てんで大あわてして売約を申し込むことになりはしないか。そう僕は考えた。よし、ニセの売約済みの赤札(ふだ)をひとつ貼っておこう。我ながら人間心理の深奥をついたアッパレな企みでした。

 で、どの絵に赤札を貼ろうか?

 売れそうな絵に赤札を貼ると、折角その絵が欲しい人がそれを見て、ああ売約済みか、それじゃ諦(あきら)めよう、てんで買わずに帰って行くでしょう。それじゃ困る。あんまり売れそうにない、出来の悪い地味な絵をえらぶにしくはなし。

 そこで僕は二十五点の絵をあれこれ見くらべた揚句、海老を描いた六号の絵をえらび出しました。お皿の上にエビが二匹乗っている絵で、制作年月は新しいのですが、構図が月並で、二十五点の中では僕の最も気に入らない作品でした。そんな作品だから、場所も画廊のすみっこです。その絵の下に、郵便ハガキ大の売約済みの赤札をべたりと貼りつけてやりました。ニセ札とは言いながら、売約済みの赤札を眺めるのは、割にいい気分のものでしたねえ。

 そして午前九時、個展の第一日を開いた。会場の入口には署名簿と、御感想うけたまわり帳というのを出しました。御感想うけたまわり帳というのは、絵全体あるいは個々の絵について感想を書き入れて貰おうという考えで、それで自分の画業の向上の資としようという僕の心算でした。

 で、Q画廊は場所が場所だし、割によく人が入って呉れました。学生街に近いから、学生もよく入ってきた。学生の中には無遠慮な奴がいますねえ。僕がいるのに、友達同士大声で絵の批評したりする。批評ならいいけれども、批評じゃなくて悪口ですな。海老の絵を見てこう言った奴がいる。

「へえ。これがエビかい。俺はまた赤芋とばかり思っていた」

 すると相手の奴が相槌(あいづち)を打った。

「こんな絵を買った奴の顔が見たいな。きっとそいつは鰈(かれい)みたいに眼が曲ってるんだよ」

 僕はハラワタが煮えくりかえったが、じっと辛抱しました。いくら悪口雑言されても、見に来て呉れたからにはお客さまですからねえ。襟首つかまえてぶん殴るというわけには行かない。

 こうして三日経ちました。僕は朝九時に画廊に出勤、午後五時までそこにいる。規則正しい、ちょいと勤め人みたいな生活です。一日中詰めていないことには、何時なんどき買い手が出てくるか判らないですからねえ。

 ところが三目過ぎても、売約済みはあのエビの絵だけで、内心僕もがっかり、いささかのあせりも感じ始めました。個展のいろんな雑費も、絵の三枚や四枚売れることをあてにして、あちこちに借金したんですからね。売れて呉れないと実際に困るんですよ。

 そして四日目になりました。朝からいい天気で、観覧者の入りも多く、時折感想うけたまわり帳をのぞくと、

「なかなか前途有望だ。しっかりやれ」

 だの、中には女文字で、

「とても感動しましたわ。御精進をいのります」

 などと言うのまであって、絵はまだ一枚も売れないが、僕はいくらか気分が浮き浮きとなり、やがて午後四時頃になりました。

 その頃です。林十一郎というふしぎな男が僕の前に姿を現わしたのは。

「やあ、あなたが早良十一郎画伯ですか」

とその男は帽子を脱いで、僕にピョコンと頭を下げました。僕はその時会場の隅に仕切られた狭い控え室で、椅子にぐったり腰をおろしてうつらうつらと居眠りを始めていたのです。なにしろ慣れない朝九時出勤ですからね、午後ともなればつい眠気がさしてくるのです。僕は眠りを破られて、びっくりして立ち上りました。

「そうです。僕が早良ですが――」僕はにこにこと愛想よく笑いました。ひょっとするとこの男は絵の買い手かも知れないと思ったからです。「何か御用で?」

「僕はこういう者です」男はそそくさとポケットから真新しい名刺を出しました。「偶然表を通りかかって、あなたのお名前を拝見したものですから」

 その真新しい刷り立ての名刺を見ると、林十一郎、と印刷してあり、十一郎会幹事、という肩書きがついています。僕はびっくりしてその林十一郎という男の顔を見ました。

「十一郎会? へえ、そんな会があるんですか?」

「あるんですよ」林は重々しくうなずきました。「それについてちょっと話があるのですが、そこらでつめたいお茶でもつき合って呉れませんか」

 僕も居眠り最中ではあったし、何かつめたいものが欲しかったものですから、会場に隣接した絵具売場のヒロちゃんという女の子に会場のことを頼み、林と一緒に出かけることになりました。

 さて、林の案内で近所の喫茶店に入ると、彼は直ぐにつめたいコーヒーを二つ注文しました。そしてハンカチを出して顔をごしごし拭いたが、ふとあわてたように指で鼻鬚(ひげ)をぐいぐい押えるようにした。林は鼻下にかなり見事なヒゲをたくわえていました。そのヒゲはいやらしいほど漆黒で、毛並の一本一本がそろっていて、なんだか林の顔にはふさわしくないような印象を受けました。林の年頃は四十五六と言ったところでしょうか。恰幅のいい、眼鏡をかけていて、そうですな、ちょいとした少壮重役とでも言ったタイプでした。ヒゲを押えながら、林は僕に静かな口調で言いました。

「どうですか、個展の景気は。相当に人が入っているようですね」

「おかげさまで」僕はコーヒーをすすりました。「初の個展としては大成功のようです」

「そうそう。売約済みの札なんかも貼ってありましたな」

そして林は上目使いに僕をちらりと見た。「あのエビの絵、なかなかうまく描けてますな。感心しましたよ」

「そうですか。有難うございます」

「売約済みでなかったら、僕が買いたいほどだった」林はため息をつきました。「買い手はどなたですか」

「買い手はさる貿易会社の社長さんです」ニセ札(ふだ)だと言うわけにも行かず、僕はにこにこしながら答えました。「どうですか。エビだけでなく、他にも二十四点作品がありますが」

「いや、僕が欲しいのはエビの絵なんですよ」林はまた鼻鬚を押えながら、あたりを見廻して声を低くした。「どうです、早良さん。あなたもひとつ、十一郎会に加入しませんか」

「そうですなあ」

 と僕は渋った。だって十一郎会ってどんな会か、まだ全然判らないのですからねえ。すると林はたたみかけるように言いました。

「あなたの十一郎は、どの手の十一郎ですか。十一番目に生れた十一男というわけでしょうな」

「いや、僕は三男です。大正十一年生れというわけで――」

「ああ、そうですか」林は急にがっかりした声を出しました。「それじゃ会員になる資格はないな」

「十一男じゃないとダメなんですか?」僕は興味を起して訊ねてみました。「大正十一年や昭和十一年生れじゃダメ?」

「ええ。本当は十一男じゃないと資格がないんです」

 そして林はしげしげと僕を眺め、何か考えている風(ふう)でしたが、やがてややはしゃいだ声になって、

「しかし、どっちの十一郎にしたって、十一郎は十一郎だ。奇しくも同じ名前を持っているということは、因縁というものでしょうね。どうですか。お近づきのしるしに、そこらで一緒に夕飯でも食いませんか」

「そうですね」

 僕は時計を見た。もう五時近くです。画廊に戻ってもイミないし、また十一郎会というへんてこな会にも興味を感じたものですから、ついそのままのこのこ林十一郎のあとについて喫茶店を出ました。

 林は先に立ち、そしてさっさと入って行ったところは、一軒のウナギ屋です。さっきの喫茶店でも、僕の嗜好(しこう)も聞かずいきなりコーヒーを注文したし、今度も否応(いやおう)なしにウナギ屋に案内する。この林という人物は相当身勝手で、他人の意志を無視する傾向があるな。その時僕はそう感じました。

 それで僕らはトントンとウナギ屋の二階に通された。林の注文で酒も来ました。

「どうです。イケる口でしょう」

 そんなことを言いながら、林は僕におちょうしをつきつける。僕も酒は嫌いでないので、遠慮なく盃(さかずき)をあけました。やがて頃合いを見はからって僕は訊ねました。

「先ほどのお話の十一郎会って、どんなんですか?」

「ああ、そうそう、十一郎会ね」林はウナギにぱくりと嚙みついた。「実は海老原(えびはら)十一郎という大金持のお爺さんがいましてね」

 以下林の話をまとめてみると、その海老原十一郎という金持爺さんは、福岡県の貧農の十一男として生れ、刻苦精励して中年にして炭鉱主となり、現在は億という金を持っている立身出世の典型みたいな人物だそうです。その十一郎爺さんは、自分が十一男として生れたばかりに、学校にも行かして貰えず、大へんに苦労した。だからその同苦の人々を集めて、十一郎会というのをつくり、若くて学資のない十一郎には学資を出してやり、困っている十一郎には金を融通してやり、そんな具合にして陰徳をほどこすと同時に、自分の若い日の苦労を記念したい。そう思い立ったんだそうです。そう思い立ったのが三年前だというのですが、現在では会員も全国に散在し、数も百三十名に達しているとのことでした。林十一郎は盃を傾けながら、あわれむような眼で僕を見ました。

「あんたも十一男だとよかったんだけどねえ。海老原老は絵が大好きで、だからあんたのいいパトロンになるんだがなあ」

「そうですねえ」僕も自分が十一男でなく、三男に生れたことをひどく悔やむ気持になった。「それは残念だったなあ。海老原さんという人はそんなに絵が好きなんですか?」

「うん、海老原老は自分の名にちなんで、エビの絵が大好きで、蒐集(しゅうしゅう)してるんですよ」林は鬚を押えながら言った。「だからさっきも偶然あんたのエビの絵を見てね、あなたも名前が十一郎だし、そのエビの絵だし、これは海老原老に知らせたら喜んで、直ぐ買おうと言うだろうと思ってね。でも、大正十一年生れの十一郎だとちょっと困るなあ」

「困ることはないでしょ」と僕もあわてて頑張った。「海老原老はエビの絵が好きなんでしょう。描き手が十一郎であろうとなかろうと、それは関係ないじゃありませんか」

「それもそうだねえ」林はすこし酔いが廻ったらしく、とろんとした眼で僕を見ました。

「でも十一男の十一郎画伯だと、高く買って貰えると思ってさ。それにあのエビの絵はもう売約済みなんでしょう」

「それはそうですが」僕はよっぽどあれはニセの売約済みだと告白しようとして、やっと踏み止まった。ニセの売約札をつけていたなんて、芸術家としての心根のほどを疑われますからねえ。「しかし、エビの絵なら僕はまだまだいくつも描きたいと思っているんですよ。エビというやつは僕も大好きだし、実際あの優美な姿態は何度描いても描き飽きませんからねえ。フライにして食べてもおいしいし――」

「そうだねえ。十一郎の好みにおいて、紹介状を書いて上げようか」林は眼をしばしばさせながら僕を見ました。

「一度訪ねてみますか?」

「ええ」僕は喜んでうなずいた。「個展でも終ったらお訪ねしてみます」

「ああ、それじゃまずい」林は掌を振りました。「海老原翁はね、明日の夕方、福岡の方にお帰りになるんですよ。今度の上京は今年の秋の末になると言ってたっけ」

「じゃ明日の午前中にでもお伺いしてもいいですよ」

「明日の午前? それはずいぶん性急だなあ」林は濁った声を出して笑いました。「そうですか。それじゃここで紹介状を書きましょう。くわしく書いた方がいいな。ええと、あなたの住所は?」

 僕は住所を教えるかわりに、僕の名刺を一枚渡しました。そして僕は便所に立ち、やがて戻ってくると、林は女中を呼んで封筒を持って来させたところでした。そして便箋をその封筒の中に入れ、糊をつけ、表にさらさらと万年筆で海老原十一郎様、早良十一郎持参、林十一郎拝、としたためました。僕はその十一郎づくしの紹介状を有難く押しいただき、大切に内ポケットにしまいました。それから林はポンポンと掌をたたき、女中を呼び寄せて言いました。

「お勘定を願います」

「あら。もうこちらから」女中は掌を僕に向けた。「いただきましたんですのよ」

「なんだ。トイレかと思ってたら、そんな心遺いまで」と林は僕にぺこりと頭を下げ、あわてて鼻鬚を押えました。

 今考えるとこの林十一郎のヒゲは、どうも付けヒゲだったらしいんです。インチキな奴ですな。

「ひょんなことでお近付きになれて、それに御馳走にまでなって――」

「いえいえ。こちらこそ、十一男でなくて失礼しました」と僕も頭を下げました。「で、海老原翁の東京のおすまいは、どちらですか?」

 そして林から地図を書いて貰い、ウナギ屋を出ました。もうあたりはそろそろ暗くなり、空には星が二つ三つチラチラとまたたいている。林十一郎とはウナギ屋の表で別れました。別れぎわに林は僕の手を握って、

「海老原翁に会ったら、僕のことづてとして、れいの仕事の方は着々進んでいると、そう中し上げてくれたまえ」

 と頼みました。僕は承知して、それから画廊に戻っても仕方がないから、ぶらぶらと駅に歩き、電車で家に戻ってきました。今日はひょんないきさつでひょんなことになったが、あるいはこんなことから運が開けるのかも知れないぞなどと考え、いい気持のまま寝床に入り、そのままぐうぐう眠ってしまいました。

 明けるとまた翌朝もいい天気で、見上げても一天雲ひとつありません。僕は一張羅の夏服を取出し、プレスをして着用、白いハンカチを胸のポケットにさしはさみ、家を出たのが午前九時です。いくら芸術家とは言え、身なりは大切ですからねえ。林の地図によると、海老原翁の邸宅というのは杉並区東田町というところで、そこらに着いたのが大体十時半頃でした。ところがそこらのどこを探しても海老原という家がない。大金持というからには小さな家に住んでいるわけがない。億という金を持っているくらいだから、邸宅も少くとも一町四方ぐらいはあるだろう。ところがそんな大邸宅はどこにも見当らないのです。僕は歩き疲れ、またきちんとエチケット正しく夏服を着用に及んでいるものですから、暑くて汗もたらたら流れてくるし、とうとうそこらの氷店に飛び込んで、氷イチゴを食べながら、そこのおかみさんに訊ねてみた。

「ここらに海老原さんというお宅を知りませんか。さっきからぐるぐる廻って探しているんだけれど」

「海老原さん」おかみさんは氷をガシガシかく手を休めて、いぶかしげに振り返りました。「さあ、知りませんね」

「じゃあ、十一郎会というのは?」

「十一郎会? それも初耳ですよ」

「海老原さんというのは、大金持だから、お邸も小さくない筈ですよ。それを地元の人が知らないなんておかしいなあ」

「大金持ですって? ここらにゃ大金持なんてあまり住んでませんよ。貧乏人ばかりですよ。何かの間違いじゃないんですか」

 どうも話がハッキリしないものですから、僕は氷イチゴの代金を払って店を飛び出し、折よくそこに通りかかった郵便配達夫にも訊ねてみたが、海老原なんて家はないと言う。そこで林の地図を取出して(この地図の書き方も不正確でいい加減のものでしたが)配達夫と二人で検討してみますと、その海老原邸に相当するのはヤナギ湯という銭湯で、そのヤナギ湯の主人も海老原姓ではないとのことです。まさか海老原翁ほどの大富豪が、銭湯如きに居侯している筈はないし、何だか狐につままれたような気持で配達夫にお礼を言い、それ以上探し廻る気力も尽きて、僕はとぼとぼと引っ返した。さっき食べた氷イチゴをこぼしたらしく、僕の一張羅の白ズボンの膝のところが、うす赤くシミになっている。何だかむしゃむしゃした気分で電車に乗り、そして正午頃Q画廊に着きました。

 Q画廊に着くと絵具売場からヒロちゃんが顔を出して言いました。

「やあ、いらっしゃい。今日は遅かったのねえ。朝寝でもしたの?」

「朝寝なんかするものか」僕はやや不機嫌に答えました。

「人を訪問してたんだ」

「あら、そう言えばこんな暑いのに、パリッとした服を着てるのねえ。でも早良さんにはその服は似合わないわ。やはりあなたは、よれよれのワイシャツに、コールテンのズボンなんかがよく似合うわよ。それじゃあまるで狼が衣裳を着けたみたいでおかしいわ」

 そしてヒロちゃんは掌を口にあてて、さも可笑しそうにコロコロと笑いました。ヒロちゃんというのは、ちょいとソバカスのある可愛い子なのですが、それでいて、なかなか口が悪いのです。

「今日の午前中はどうだった? 何も変ったことはなかった?」話題を変えるために僕は質間しました。「たくさん見に来て呉れたかね?」

「そうね。いつもと同じぐらいよ」そしてヒロちゃんは身体を乗り出すようにして画廊の一隅を指差した。「あのエビの絵、持って行ったわよ」

「持って行ったって?」びっくりして僕がその方を見ると、絵の列がそこだけスポッと空白になって、エビの絵が見えなくなっているじゃありませんか。「持って行ったって、誰が?」

「あら、誰がって、あなたは知らなかったの?」

「知るにも知らないにも」僕はわけも判らないまま、じりじりと腹が立ってきて、ヒロちゃんに詰め寄った。「絵を持って行くったって、黙って持って行く筈がない。君が渡したのか?」

「そうよ」事態険悪と見てヒロちゃんは少々しょげたようでした。「だって貴方の名刺を持ってるし、自分が購入主だなんて言うんですもの」

「名刺? 僕の名刺?」僕はびっくりしました。「どこにその名刺はある?」

 ヒロちゃんはポケットの中から名刺を取出しました。見ると紛れもなく僕の名剌で、裏を返すと『この名刺持参の方にエビの絵をお渡し下さい。Q画廊カントク殿。早良十一郎』と、なかなか達者な字で書いてある。もちろん僕の字ではありません。その名刺の達筆を眺めている中に、どこかで見かけたような字の型だと気がついたとたん、僕はあわてて内ポケットからあの十一郎尽くしの紹介状を引張り出していた。二つをつき並べて調べてみますと、字の太さと言いくずし方と言い、まさしくあの林十一郎の筆跡で、僕が昨夜彼に渡した名刺に相違ありません。

 僕はエビの絵のかかっていた場所に飛んで行き、またヒロちゃんのところに走って戻って来た。そしてヒロちゃんの肩を、ふくよかな肩をつかんでゆさぶった。

「この名刺を持って絵を取りに来たのは、どんな男だった? 四十五六の、眼鏡をかけた、鼻ヒゲを生やした奴かい?」

「いいえ、ヒゲなんて立てていなかったわ。それに眼鏡も」ヒロちゃんは痛そうに肩をくねくねさせながら答えました。「ああ、そうそう名刺を呉れたわ。自分はこういう者だって」

 ヒロちゃんが別のポケットから取出した名刺を見ると、まさしくあの十一郎会幹事の『林十一郎』の名刺です。僕はそれをひったくり、ヒロちゃんの肩から手を離し、まあヒロちゃんをいくら責めたって仕方がないわけなので、最後の訓戒を垂れてやりました。

「名刺なんかをウカウカと信用するやつがあるものか。責任問題になってくるんだぞ。代償に接吻の一つや二つでは追っ付かないんだよ」

「イイだ」ヒロちゃんは口をとがらせて反撃しました。「誰があんたなどに接吻なんかさせるもんか。ほんとに、イイだ」

 僕は朝からてくてく歩き廻り、またわけの判らない事件にくたくたとなり、腹も空いてきたものですから、そのままぷいと画廊を飛び出してソバ屋に行った。そしてモリソバをつるつる食べながら、昨夜から今日にかけてのことを考えました。あの林十一郎という男は昨日、あきらかに僕をだます目的をもって近づいた。僕をだまして今日の午前中、ありもしない十一郎会本部におもむかせ、そのすきをねらってエビの絵を盗み出した。そこまでは鈍感な僕もはっきり判るのですが、どういうわけでそんな手数をかけて、エビの絵を持って行ったのか。それが僕にはよく判らないのです。あのエビの絵は、僕の作品としてはそれほど上出来のものでないし、盗むなら他の作品を持って行きそうなものですからねえ。

 モリソバを三つツルッルと平らげて、四つ目に取りかかろうとした時、僕はハッとあの紹介状のことを思い出した。一体居るか居ないか判らない海老原という老人に対して、林十一郎は僕をどういう紹介の仕方をしたのか。僕は箸を置き、おもむろに紹介状を取出して封を切りました。『早良十一郎画伯』と便箋の最初はそんな呼びかけの文句から始まっていました。『貴下がこの文面を読むのは、すでにカンカンに怒っておられる時だと思いますが、あのエビの絵は決して盗んだのではない。お借りしたのである。本来ならば買うべきところを、すでに他に売約済みのこととて、こういう余儀なき手段をとった。個展の最終日までには必ずお返し致します故、決してジタバタ騒ぎ立てることなく、不問に付せられよ。もしジタバタ騒ぎ立てる節には、エビの絵は永久に返却せられざるものと心得られたし。以上。林十一郎拝』とあり、二伸として『林十一郎も余の偽名なる故、探索するはムダなり』と記してある。僕が思わず、

「やりやがったな!」

 と大声で叫んだので、ソバ屋のお客が皆箸を止めて僕の方を見た。僕は恥かしくなってこそこそと身体を縮め、ふたたびツルツルとモリソバを食べ始めた。林の奴は、昨日僕がウナギ屋の席を外した時に、すでにエビの絵の持ち出しの成功を確信して、こんな文章を書き綴ったに違いありません。そんな大それた奴のウナギの勘定まで、わざわざ自発的にこちらで支払ったなんて、なんという僕はお人好しなのでしょう。腹が立ってきたからまた箸を置いて、僕は左右の拳固(げんこ)で自分の顔をゴツゴツと殴りつけたら、またソバ屋中のお客が面白そうにまた気味悪そうな眼付で僕を見た。狂人かと思ったのかも知れません。そこで僕も自分を殴るのは中止し、それにもう食慾もなくなって来たものですから、四つ目のモリソバは半分ぐらい食い残し、こそこそと勘定を済ませてQ画廊に戻ってきた。控え室に入って腕を組み、ふうと大きな溜息をついた。今日で五日になるというのに絵は一枚も売れないし、囮(おとり)戦術の売約済みのエビの絵は、巧妙にたくらまれたペテンにひっかかって、何処かへ持ちさられてしまった。くさらざるを得ないではありませんか。

 あのエビの絵は、先ほど申しました通り僕としては上出来でなく、持って行かれても大した損害ではないのですが、だまし取られたということが面白くない。よし、警察に届けてやろうかとも思ったのですが、まあまあ事を荒立てず、しばらく様子を見て、絵が無事に戻ってくるかどうか、あわよくば僕の手で林十一郎の頸(くび)根っこをギュウと押えてやりたい、などと考えているうちに、翌日になりました。すなわち六日目です。その六日目の午後一時頃、乗用車でQ画廊にぐいと乗りつけて、そしてつかつかと入ってきた若い女性がいる。乗用車で乗りつけてくるようなのは初めてですから、僕もびっくりして控え室からのぞくと、しゃれた洋装の美人で、帽子からネットを顔に垂らしている。歳は二十四五くらいでしょうか。その女性が乗用車を乗り捨ててさっそうと会場に入ってきたから、田辺がびっくりしたらしく僕の脇腹を小突いてささやきました。

 「おい、おい。すごいのがお前の絵を見に来たぞ」

 田辺というのは僕の画の仲間で、丁度(ちょうど)その時画廊に遊びに来ていて、控え室で僕と世間話をしていたのです。僕も思わず、おお、すごいな、と口から出そうになったが、なにしろ田辺は画の仲間であると同時に競争相手でもあるのですから、ここぞとばかり丹田に力を入れて、平然たる声で、

「うん。俺の絵は割かた若い女性に人気があるんでね、あんなの、毎日三人や五人はやって来るんだよ」

 と言ってやりました。件(くだん)の女性は僕の絵を一枚一枚、気に入ったらしく首をかしげたり、近づいて絵具の効果をしらべたり、次々丹念に鑑賞して行く風でしたが、れいのエビの絵のあったコーナーまで行くと、ふっと立ち止って不審そうに両側の絵を見くらべています。配列上どうしてもそこにはもう一枚かけられてあるべきところですから、いぶかしく思ったに違いありません。あまりしげしげとそこらを見廻しているものですから、個展主としても僕は説明の義務を感じ、立ち上ってつかつかとその女性に近付いて行きました。僕の足音でその女性はふり返った。

「僕が早良十一郎です」

 と僕は名乗りました。昨日みたいな夏服の正装でなく、よれよれワイシャツの腕まくり姿だったことは、少からず残念なことでした。

「ここにはね、も一枚絵がかかってる筈なんですけれどね。事情があって取り外(はず)してあるのです」

「ああ、あなたが早良先生でいらっしゃいますか」女性は涼しげな声で言いました。「そうでしょうねえ。ここだけ壁面がポッカリあいていますものねえ。あたし、室内装飾の方をやってるもんですから、ちょっとこの壁面の空きが気になったんですのよ。で、その絵は売れたんですの?」

「いいえ。売れたならいいんですが、複雑な事情がありまして――」立ち話もなんですから、と僕は彼女を誘った。「さあ、ちょっと控え室にお立ち寄りになりませんか。貴女みたいな室内装飾の専門家に見てもらえるのは、僕としても光栄です」

 すると彼女は誘いに応じて、トコトコと控え室の中へ入って来ました。そこで僕は控え室に頑張っている田辺に、

「おい、君。そこらの喫茶店からつめたい飲物を二人前、至急運んで来て呉れ」

 もちろんこれは田辺を控え室から追い出すための発言です。田辺は僕から書生あつかいされて、頰をぶうとふくらまして、しぶしぶ控え室を出て行きました。

 彼女は僕に対して椅子に腰をおろし、暑そうに顔のネットをかき上げました。

 「実はねえ」と僕はものものしく声をひそめました。「あの絵は盗まれたんですよ」

 「盗まれた?」彼女はすっかりおどろいた様子でした。

 「ええ。そうなんですよ。それが実に大胆不敵な、細心綿密な、まるでルパンか何かのような怪盗で」

 それから僕はあの林十一郎の出現、ウナギ屋の件、十一郎会の件、杉並区東田町の件、ソバ屋において紹介状を開いた件などを、彼女にくわしく話してやりました。彼女は美しい眉をひそめたり、低声で相槌(あいづち)を打ったり、うなずいてみたり、実に熱心に僕の話を聞いて呉れました。

 僕がこんな美しい女性とじっくり話し込んでいるものですから、絵具売場の方からヒロちゃんが気にして、ちょくちょくのぞいては僕をにらんだりしています。ざまあ見ろと思って、たいへんいい気持でした。

「ツケヒゲなんかして現われたところは、全く計画的なのねえ」僕が話し終ると、彼女は嘆息するように言いました。

「でも、よくツケヒゲをお見破りになれたのねえ」

「そりゃ僕は画描きだから、物を見る眼は常人以上にするどいですよ」

「そうでしょうねえ」

 彼女はうれわしげに眉をひそめて、僕を斜めに見上げるようにした。僕は美女から感嘆されたような気がして、いい気持だったですな。

「で、この事件、警察にお届けになったの?」

「いや、警察になんか届けませんよ」と僕はしずかに煙草をくゆらした。「まるまる盗まれたとしても被害は僅少ですしね。それに相手が今後どう出て来るか、絵を戻すか戻さないか興味を持って眺めているんですよ。それに現在の警察なんか、あんまりあてになりませんからねえ」

 そう言って僕が平然と煙草をくゆらしているものですから、彼女はますます感服した風でしたが、ちらと小型の腕時計を見て、

「あら、時間だわ」と小さく叫んだ。「室内装飾の会が二時から開かれるので、今日はこれで失礼しますわ。見残した分はこの次見に来ることにするわ」

「そうですか。またどうぞ」

 彼女はネットをおろし、トコトコと画廊を出て行こうとしたが、ふと思い直したように立ち止って、感想うけたまわり帳の前に行き、何かすらすらと書きつけたようでした。そして待たせて置いた乗用車に打ち乗り、さあっと午後の街を彼方に消えて行きました。僕は直ぐ入口のところまで小走りに走り、うけたまわり帳をのぞいて見ると、

『先生の寛大にして広漠たる心境が、それぞれの絵によくあらわれていて、たいへん感心いたしました、ますます御精進のほどを。一女性』

 そう書いてあった。寛大にして広漠、とは、僕の性格をよく言い当てていて、僕の方も彼女の眼のするどさに少からず感心しましたな。

 

「それで、そのエビの絵、戻って来たのかね」と僕は訊ねた。

 我が家の安ウィスキーを、二人でほとんど一本あけたから、早良十一郎君の額や頰ももうすっかりあかくなって、言葉つきも舌たるくなっている。

「ええ戻って来ましたよ。個展の最終の日にね」

「当人が持って来たのか?」

「いや、当人じゃないです」早良君は掌をふった。

「アルバイト学生のメッセンジャーボーイだったですな。そいつがエビの絵と、化粧箱入りのウィスキー一本を運んできた。誰から頼まれたんだと訊ねたら、それが全然判らないんです。通りがかりの紳士に託されたとか何とか言うんですがね。ウィスキーについていた手紙を読んでいるうちに、そのメッセンジャーボーイはふっと画廊から姿を消してしまってね、気がついたらもう何処にもいないんですよ」

「へえ。それは早良画伯に似合わぬ不手際だったな。それでその手紙には何と書いてあった?」

「あんまり面白くないので、破って捨てましたけどね」早良君はまたグラスを口に持って行った。「まあその手紙の文言が本当かどうか判らないんですがね、実業家仲間の素人の絵の会があって、それに課題としてエビの絵というのが出たんだそうです。何だかずいぶん多額の賞金がかかっていて、その林十一郎なる人物は、その賞金が欲しかったと言うんですな。ところが自分で描くには自分の力量に自信がないし、それで偶然見た僕の個展のエビの絵を利用することを考えたが、すでに売約済みの赤札が貼ってある。そこであんな手段を弄して持ち出した。まことに済まなかったという文言でしたがね」

「へえ。たかが素人の画会に出品するために、なかなか手のこんだことをしたもんだね」と僕は疑わしく言った。「その林十一郎という奴は、実業家か重役か知らないが、そんなインチキまでして賞金が欲しかったのかな」

「そうでしょうね。今は極端なデフレで、実業家と言えども現ナマを手にしたがっていますよ」

「実際にその画会に出品したのかな。そしえその賞金は?」

「出品したことは出品したらしいです。僕のサインが消してあったから。サインを消して自分のサインを描き込み、そしてまたそれを消して送り返してきたらしいのです」

 そして早良君は面白くなさそうに舌打ちをした。

「賞金は取れなかったらしいですな。その手紙の最後に、貴下の作品はあまり上出来ならざりし為、賞金は逸したるも、絵の借用料ならびに警察に届けざりし御好意を謝して、ウィスキー一本をお届けする、なんて書いてありましたよ。全くバカにしてやがる。玄人(くろうと)の僕の絵が、素人の画会で入賞しないなんて」

「それはきっと、選者の目が利かなかったんだろう」と僕は早良君をなぐさめた。「それで林十一郎は、どうして君が警察に届けなかったことを知っているんだろう」

「それですよ」早良君は膝を乗り出した。「どうもあの翌日やって来た美人が径しいと思うんです。あの女はきっと林十一郎に頼まれて、様子を見に来たんじゃないか。警察に届けたかどうか、探りに来たんじゃないかと思うんですよ。その翌日また見に来ると言って置きながら、それきり姿を全然あらわさなかったし、前後の事情を考えると、どうもあの美女はスパイだったらしい。あんな美しい女がそんなことをするなんて、僕も考えたくないんだけれど、僕の最終的な推理としてはそうですな。全くもって油断もすきもない世の中だ」

 そして早良君は瓶に手を伸ばしたが、もうそれは空になっていたので、ちょっと眼を宙に据(す)え、そばの風呂敷からごそごそと自分のウィスキーを取出した。

「ついでにこれもあけますか。毒なんかは入っていないと思うけど」

「それがそのウィスキーか。それはしまって置きなさいよ。これ以上飲むと二日酔をするよ」と僕はさし止めた。

「それで十日間個展をやって、絵は何枚売れた?」

「一枚も売れませんでしたよ。収入としてはこのウィスキーが一本だけです。現在の不景気は予想以上に深刻らしいですな」

 早良君は憮然(ぶぜん)としてそう嘆いた。

2021/11/28

ブログ・アクセス1,630,000突破記念 梅崎春生 狸の夢

 

[やぶちゃん注:本篇は学研が発行していた高校生向け雑誌である昭和三三(一九五八)年一月号『高校コース』に発表された。梅崎春生の作品としては、かなり珍しい青少年向けの、ありがちな学園を舞台とした推理物風(梅崎春生は推理物が実は好きなのである)の短編である。しかも新年号である。春生の作品としては、ロケーション設定の特異性や、表現や言及対象に、読者対象をかなり意識して、彼なりの気をつかっている感じがよく伝わってきて、読んでいて、そういう気遣いが、かなり面白い。

 文中にオリジナルに注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、先ほど、1,630,000アクセスを突破した記念として公開する。【20211128日 藪野直史】]

 

   狸 の 夢

 

 秋葉次郎は近頃よく狸(たぬき)の夢をみます。夢のなかで狸はいつも人間の姿に化(ば)けているのです。いいえ、厳密な意味では、人間が突如(とつじょ)狸に変ってしまうというべきでしょう。

 狸が人間に化けているといおうが、人間がふと狸に変ったといおうが、同じ現象みたいに思われますが、内容的にはかならずしも同じであるとはいえません。

 冬休みにはいってからも、秋葉は二度ばかりこれを経験しています。暮れのうちにみた最初の夢は、ビキニスタイルの美女たちにとりまかれて、ターザンのような男が気どっている図柄でした。総天然色の、華(はな)やいだ光景です。これに反して二度目の夢は――事もあろうに、これが今年の初夢になりましたが――墨染めの破れ衣をまとい、とぼとぼと枯れ野をたどる雲水(うんすい)の旅姿ときています。こちらは淡いセピアのモノトーン・カラーで、孤独や暗黒の押しつけがましい象徴のようでした。

[やぶちゃん注:「ターザン」(Tarzan )はアメリカの小説家エドガー・ライス・バローズ(Edgar Rice Burroughs 一八七五年~一九五〇年)が創造した冒険小説の架空キャラクターの野生児の名。小説ターザン・シリーズ及び映画化作品の主人公としてよく知られるが、本篇発表時少し前までは、元水泳の金メダリスト(一九二八年のアムステルダム・オリンピックに於いて百メートル自由形・自由形リレーの二つで獲得)で俳優に転身したジョニー・ワイズミュラー(Johnny Weissmuller 一九〇四年~一九八四年:オーストリア・ハンガリー帝国出身でアメリカ合衆国で活躍した)が演じた映画が大ヒットしていた。私(昭和三二(一九五七)年生まれ)の幼少時の記憶でも、現在の想起に於いても、ターザンは彼以外には浮かばないほどである。]

 色のついた夢はめったにみません。でも、色つきの夢をみるのは精神病者だ、と以前聞いたおぼえがあるので、ちょっと心配になった秋葉は精神分析の入門書を調べてみたのですが、最近の学説では、かならずしもそうとはかぎらないというのです。

 それにしても、こうやたらに狸の夢ばかりみるようでは、健全な状態とはいえないでしょう。二学年の三分の二が終ったとはいえ、じつはまだ大学入試ノイローゼにかかるほど、受験勉強に精出してはいないのです。

 夢の登場人物については、主役一人だけのこともあれば、その他大勢が出て賑わうこともありますが、夢の舞台に立つ主人公は最後にきまって尻尾(しっぽ)を出します。それを待ちかねて秋葉は夢の外から、つまり画面にあらわれない観客席のかぶりつきのようなところから、やにわに両手をのばし、ふさふさした見事な尻尾をぎゅうっとつかまえると、相手は突然狸の姿に変ってしまいます。その拍子(ひょうし)に目がさめて、たいていすがすがしい気分を味わうという段取りなのです。

 気がついてみると、よじれた毛布や電気スタンドの柱などを握っていたり、あるいはまた、枕もとにおいてある肌着や英語の辞書をまるめて、汗ばんだ両手でしっかりつかまえているのでした。いつも爽快な目覚めを迎えるとはかぎりません。自分の脚(あし)に、それもくるぶしのあたりに、ここを先途(せんど)としがみついていたときは、味けないものでした。寝相のぐあいでベッドの脚をつかまえそこねて、転げ落ちたときのほうがむしろ後味はよかったのです。行為の目的をはなれて、人間は方法や派生的な結果で、のべつ心を痛めるようにできているのですから仕方がありません。

 おかしな夢をみる直接の原因はわかっています。中学二年生の妹にせがまれるまま、近所のくたびれた映画館にお伴をして、『狸の歌合戦』とかいう歯の浮くような国産ミュージカルをみたのがいけなかったのです。しかしこの映画見物は、精神分析医にいわせれば、それと気づかず胸の奥に眠っていたものを、夢のなかで映像化するのに一役買っただけなのでしょう。いいえ、秋葉はうすうす気づいていたのでした。真の原因は他にあったのです。だから、秋葉次郎はめざめたあとで、「いつかは春海鯛介(はるみたいすけ)もきっと尻尾をだす。尻尾のない狸なんて……いや、尻尾をださない人間なんてあるものか」と考えて、すっとんきょうな狸の顔を、表情の乏しい春海の顔とすげかえてみるのでした。

[やぶちゃん注:「狸の歌合戦」これは「歌まつり満月狸合戦」(うたまつりまんげつたぬきがっせん)であろう。昭和三〇(一九五五)年五月に公開されたモノクロのスタンダードで九十三分。脚本は中田竜雄、監督は斎藤寅次郎、音楽は原六郎。「新藝術プロダクション」製作で、新東宝配給。主演の美空ひばり(「お春」・「お菊」の姉妹二役)と、助演の雪村いづみ(「お雪」役)が初めて顔を合せたほか、トニー谷・堺駿二(堺正章の実父)・山茶花究(さざんか きゅう)といった当代の名コメディアンが出演している。サイト「MOVIE WALKER」の同作の「ストーリー」によれば、『讃岐の狸国夕月城主高康公』(藤間林太郎演。藤田まことの実父)は、日本の大正時代から昭和時代にかけての俳優。無声映画時代のスターの一人。本名は、原田林太郎(はらだりんたろう)。藤田まことの父。)『は老年で退く事になったが、十余年前、正室の姫君が何者かに拐』(かどわ)『かされたので、愛妾お浅の方が生んだ幼君以外に子供がない。お浅の方と密通の家老穴倉』(山茶花究演)『に実権を渡さないため、忠臣蝶七郎に姫の探索を命じた。彼は姫が持っている筈の「鼓の模様入りの守り袋」を手がかりに探すうち、人さらいが芸人一座に売った娘が姫らしいと聞き、阿波の国へ行く。そこの鼓の森の休み茶屋夢廼家にはお峯とお春の娘がいた。お春は主人甚兵衛が芸人一座から金の代りに受けとった娘で、甚兵衛に酷使されていた。蝶七郎は彼女が姫だと思うが、穴倉の配下黒左衛門の一隊も姫の命を狙っていた。お春は水の精から狸の化け方虎の巻を与えられ、その力で魔術師風天斎』(トニー谷演)『とドブ六』(堺駿二演)『に捕えられていた九州狸お雪を助けた。お雪は夕月城下青山針磨』(若山富三郎演)『の屋敷に働く姉お菊とお春が瓜二つなのに驚く。風天斎とドブ六が青山家の家宝の皿を盗んでお菊に罪をかぶせ、そのため彼女は井戸に投身自殺した。皿はお菊に惚れていた河童の五六兵衛のもとに隠された。かくして狸と河童の間に善悪入り乱れての大合戦となり、ついに正は勝利をしめ、お春は夕月城の家督をついだ。』とある。]

 あの小狡[やぶちゃん注:「こずる」。]そうな狸の顔と、ひどく無愛想な、厳しくキリッとした、そのくせどこか憂いをたたえた春海鯛介の顔とのあいだに、なにひとつ共通点はないのです。容貌や表情をあげつらっているのではありません。肝腎なのは、狸が春海に化けたかどうかではなく、春海が狸に……いいえ、つまりですな、問題は狸ではなくて尻尾のほうなのです。

 春海鯛介は転校生です。夫年の九月、東北の地方都市から東京郊外のH高校に転校してきました。秋葉がクラス委員をつとめている二年C組に編入されて、まだほんの四月ほどにしかなりません。担任の風間先生の話では、なんでも春海はお父さんが亡くなったので、上京して伯父さんの世話になっているとのことでした。

 春海は無愛想な男でした。無口でとっつきにくいのです。新しい仲間になじめないのかと思い、秋葉はクラス委員という肩書きの手前、つとめて気をくばり話しかけてみるのですが、春海はいっこうにのってきません。誰が話しかけても、動きののろい目もと口もとに心もち笑いをうかべ、ひととおり必要な受け答えはするのです。その代り誰も声をかけたければ、一日中でも、いいえ、二年が三年でも黙りこくっているでしょう。そんな感じの男でした。

「もう、だいぶなれたろうな。二週間になるかな」

 秋葉がそう話しかけると、春海は口をむすんだまま、ちょっとはにかむような笑いをうかべ、

「……まあね」

 十五秒ほど間をおいて答えます。

 二年の四クラスのうちでは、C組が一番おとなしいのでした。二学年全体が一年、三年に比べて、おとなしいのです。そもそも学校自体がもとの府立中学で、中流サラリーマンの子弟が多いせいか、おっとり構えた恰好なのです。わるくいえば趣味的で、これといった特徴はなく、自治会活動も低調ですから、秋葉のクラス委員としての仕事は単調なものでした。

 いってみれば二年C組は羊の群れを集めたようなクラスです。もっとも冬岡忠治という番長気どりの男と、数人の取り巻きがいて、異端者ぶりを発揮していますが、それも多少血の気が多いだけのことで、C組のなまぬるい空気が余計反撥させるのかもしれません。

「文化部でも運動部でも、なにかクラブにはいってやってみるかい。文化部はかなり盛んだけれど、鼻につくよ。運動部はどこもパッとしないから、経験があれば、レギュラーになれるぜ。前の学校では、なにをやってたの」

 秋葉がそう言うと、春海はまた何秒か時をおいて、

「……べつに……」

 と返事は短いのです。

「どこでも一通りやってみていいんだぜ。ひとりで行きにくいなら、話をつけてやるよ。ひやかしのつもりで、あちこちのぞいてみるといいね」

「……ありがとう」

 うなずいて春海はゆっくり答えます。

 伏し目がちに、そうです、春海鯛介はいつも半分瞼をとじていますが、ときどき目をあげて無作法なほど見つめるのです。べつに不快をおぼえないのは、目の運びに節度があって迷いがないせいでしょう。不快どころか、目の動きだけについていえば、チラチラと揺れることのない澄んだ強い光が、あとあとまで心に残るのでした。しかし、こんなでは、不快感は与えないにせよ、とてもクラスメートに好感はもたれません。

「精薄児でなけりゃ、ニヒリストの目つきだよ。イヤーな感じ」

「どうも、ズレてるね。鈍いことはたしかだな」

「オツムは弱くもなさそうだけど、つきあえないね。申しわけない。こちとらは、ツーてばカーとこなくちゃ」

 こんな陰口が秋葉の耳にはいります。クラスメートの三分の一は女生徒ですが、こちらの評判もまあ似たようなものでした。

「ブッてるわね。イカスつもりかしら」

「田舎者コンプレックスよ。ご誠実だわ」

「素朴でいいじゃない。そっとしといてあげなさいよ。気の毒に」

 春海は同情され、半(なか)ば無視されてしまいました。秋葉ものれんに腕押しみたいで、いい加減拍子ぬけがしてサジを投げた恰好です。

 こうして春海鯛介はふた月あまりもごく目立たない存在でした。その評価ががらりと一変したのは、十一月初めに教室内で起った盗難事件以来のことです。

 

 いまでも秋葉はその事件に疑問をもっています。一応解決はしたのですが、どうも釈然(しゃくぜん)としません。事の真相が判らないのです。

 この冬休みにスキーにいくのを諦めて家にいるのも、受験勉強というのは体(てい)のいい口実で、じつは春海に会って事実を聞きだそうという下心からでした。これまでのところ三遍会って探りを入れてみたのですが、成功しません。とどのつまり狸の夢をみるのが落ちです。収穫は皆無でした。

 事件の二、三日前に模擬試験の成績発表がありました。H高校では、進学志望率がわりと高いため、受験指導にはかなり力こぶを入れ、二年生の進学志望者は年四回、学年別の模擬テストを受けることになっています。

 受験者はだいたい百五十人くらいで、そのうち五十番までの成績表が廊下に貼りだされるのです。秋葉次郎の過去二回の総合成績は、十二番と八番でした。Z工大志望者としては、十番前後なら、まあまあの成績です。安心もできないが、そう心配するにも及ばない。そんな相場でした。

 春海鯛介が最初に人目をひいたのは、十月中旬に行われた第三回テストの成績が、月末に発表されたときといえましょう。

 秋葉は前回よりも二番さがって、ちょうど十番でした。そして秋葉のもとの位置、八番には春海鯛介の名がみえます。

 しかし級友のあいだに格別反応はありませんでした。

「成績が人間のすべてじゃないからな」

 成績の悪いものはそう考えます。C組には十番以内が春海のほかに四人もいるのですから、こんなことでいちいちおどろいてはいられません。春海については、精薄児という見方が妥当でないことは判りましたが、そのほかの評価が改められた様子はないのです。してみると、春海の好成績はむしろ、手ごたえのない反感に恰好をつけたきらいがあります。

 盗難事件が起ったのはそんな時期でした。

 十一月二十日の昼休みのことです。秋葉は夏川ユリに廊下に呼びだされました。

「お金がなくなったの。どうしよう」

 ユリは小声でそう言いました。

 机のなかに入れておいた財布の位置が、いま見ると変っている。中身を調べたら、五千円札が消えていたというのです。

「思い違いじゃないのかい。例えば……」

「けさ机にしまうとき、あらためたのよ」

「厄介なことになったぞ。きみ、いつもそんな金を持ちあるくの」

「あしたお休みでしょ。朝、出がけにパパにねだって、まきあげてきたのよ」

 ユリの父親は一流会社の重役だそうです。父は会社の車が使えるので、自家用車のほうは母とユリがかわるがわる乗りまわすという結構な身分でした。

 夏川ユリはC組の人気者です。ちょっとした女王格で、庭球部では花形選手の一人でした。同性にも異性にも受けがいいのは、美人で才気煥発(かんぱつ)で金持なのに、へんに気どらないせいでしょう。しかしあいにくなもので、美貌が逆にわざわいして、気さくにふるまえばふるまうほど、異和感がつきまとうふうなのです。やはり美人はうぬぼれ、才女は小才を見せびらかし、金持はお高くとまるのが、気楽なようです。

「クラスに泥棒がいるなんて思いたくないが、仕方がない。早速みんなを集めよう。夏川くん、これはぼくの考えだが、一応クラス内だけの問題として扱いたいのだけれど。どうしても解決がつかなければ、そのときは風間先生に相談することにして……」

 秋葉がそう提案すると、

「あくまでクラス内の間題にしてほしいわ。内輪のことですもの。お金は、出なければ出ないでいいのよ。間題を外部に持ちだすようなら、盗られたのは嘘だって言うわ」

 夏川ユリは美しい眉をかげらせて答えました。

 ほかのクラスには知られないように非常呼集がかけられ、校内に散らばっているクラスメートが教室に集ったところで、秋葉は事情を説明しました。すぐさま議長を選んで善後策の討議にはいったのですが、議論百出して容易に対策のメドがつきません。

「犯人は外部の人間かもしれないのになぜ、内部の問題にするのか」

 まずこんな意見が出て、しばらくもめました。

「かりに、かりにだ、このなかに犯人がいた場合、罪人にしたいか。問題を外に持ちだせば、いやおうなく罪の烙印を押されるだろう。泥棒にも三分の理窟、わけもなく罪を犯すものはいない。しいて罪を追究せず、金が戻らぬ場合は、一人百円ずつ持ち寄ればすむではないか、クラス内の問題とすべし」

「反対。校内の問題なら、法的な罪人とはならない。動機いかんにかかわらず、罪は罪だ。罪はまぬがれても、人間、犯した罪は償わなければならない。それが本人のためでもある。もし外部からの犯行なら無実の級友同士が疑い合って、厭な思いをすることはないだろう。学校の間題とせよ」

 ともに一理ある意見です。その罪を憎み、その人を憎まず、救済を願う友情の美しさ。深遠な思想も織り込まれて、なかなか有益ですが、秋葉はどちらもちょっと大げさすぎるような気がしました。第一、これは討論会ではないのです。

 結局、「暫定的にクラス内の問題とする」という秋葉次郎の意見が通って、方法論に移りました。

「不愉快な仮定を忍んでもらいます。紛失した金がこの室内にある、と仮定します。発見方法についてご意見を求めます」

 議長も苦しそうだな、と秋葉は同情しました。

「議論の余地はない。所持品検査と身休検査をするまでだ」

「室内にあるとは限らないから、手分けをして校内くまなく捜す必要がある」

 いくら不愉快な仮定を忍ぶにしても、魂の救済について激論した同じ口から、刑事の手口が提案されるとは意外でした。これにも反対の火の手があがります。

「人権無視の暴挙だ。所特品検査だなんて、許せない」と叫んだ男は、人に知られたくない恋人の写真でも持っているのでしょうか。一方、身休検査は女生徒側からのいっせい反対にあいました。

「たとえ同性でも、おのれの意志に反して、からだにふれられるのは絶対いやよ」

 そう言われてみると、判るような気がするので、男性側も無理じいはできません。といって、身休検査ぬきの所持品検査は無意味です。

 こうなれば、捜査の方法は自然、限られてくるので、誰でも思いつきます。

 「消去法だ。アリバイを調べてみよう」

 こんな簡単なことに気がつかなかったのは、本質論に心をうばわれていたからでしょう。

 この日の課業をみると、物理実験と体操がつづき、教室がからになるのはこの二課目の授業中だけです。人目があるのに他人の机はあけられません。実験室への行き帰り、運動場への行き帰り。犯人がクラス内にいるなら、この四回の機会にしぼられてきます。最後に教室を出るか、最初に教室へはいるか。こんなときには、たいてい誰かと連れ立って、もしくは前後して出はいりをするものです。

 偶然一人になることもあるので、この方法は完全とはいえませんが、犯人捜しが狙いではなく、ほしいのは全員無罪の証明です。

「では一人でもアリバイのあいまいな人が出た場合は、この方法はいさぎよく撤回することにして……」

 議長がそういいだしたとき、秋葉は何人かの目が春海のほうに注がれているのに気づきました。単独行動といえば、誰しもまず春海鯛介のことが頭にうかぶのです。

「議長、反対」

 と、秋葉は思わず叫んで手をあげていました。

 

「たとえ撤回しても、一度かけられた疑いは消えない」

 と秋葉は立って述べます。

「人けのない教室のなかに、ただ一人ぼんやり居残った経験、教室に戻って気がつくと空家同然で、自分の存在があやふやになる経験、こんな経験は誰にもある。ここでは、疑ワシキハコレヲ罰セズ、では足りない。疑ワシキハコレヲ疑ワズ、といきたいのです。要するに、全員がシロであることを証明できれば、これに越したことはないのですが、功をあせって思わぬ犠牲者を出しては困る。その意味で只今のアリバイ捜査は、不完全かつ不適当な方法だと考えます」

 秋葉は午後の始業時間が迫っているので、気が気でないのです。国会のように、審議未了につき放課後まで休会、とずるずる順延できればいいが、突然のことですから、放課後まで持ち越すと、課外授業やクラブ活動、その他もろもろの予定をもつ人々に、迷惑が及びます。いまでさえ、ドアをあけてのぞきこみ、「なんだ、秘密会議か」と、からかって立ち去るほかのクラスの生徒たちが、うさんくさげに好奇のまなざしを投げていくのですから、もう一度くりかえせば、対策の立たぬうちに事が外部に洩(も)れかねません。そうなると余計面倒です。どうしても昼休みのうちに目鼻をつけておきたいのでした。

「最初にお断りしたように、被害者の夏川ユリも、あくまで内輪の問題として、とくに捜査方法については充分慎重に……」

 秋葉がそう言いだしたとき、

「金の保管も慎重に」

 と半畳を入れた者があります。はじめて笑い声が起りました。

「その点、夏川ユリはくれぐれも無用の疑惑を生ぜしめないよう……」

 つづいて秋葉がそう言いかけると、「生ぜしめた。もうおそい」とそこでまた野次がとびました。

 その通りです。哲学者や宗教家のような口ぶりで論じあっているうちに、一同の頭上には早くも疑惑の雲がたれこめていたのでした。

 考えると馬鹿らしい。万一、これがクラス内部の犯行だとしても、夏川ユリは別にして、四十八人のうち四十七人までが潔白です。かりに一人二人、共犯者のおまけがついても、四十五、六人は無関係で、とんでもないとばっちりを食ったわけです。もしかすると四十八人の全員が潔白なのですが、困るのは、四十八人の誰もが「わたしはやらなかった」とは言えても、「きみはやらなかった」と言いきれないことでした。それに第一、こう議論が長びくばかりで、方策も立たないときては、夏川ユリの名前がでたとき、「盗まれたのが悪い」という非難もこめて、うっぷんばらしの野次がとぶのも当然でしょう。

 まもなく始業のベルが鳴るころです。

「こうしようじゃないか」

 と、秋葉はくだけたことばで言いました。

「今日はこれで打ち切りにする。もしこの中に、金を……つまり、だまって借りた人がいたら、あした登校してから……」

「あしたは文化の日」

「そうか。そんならあさってだ。教室で返してもらうことにする。元金の五千円だけでいい。利息は要りません」

 秋葉は時間に追われて、思いつきをしゃべるうちに、ふと冗談が口に出て、笑い声を聞いたとたんに、うまい手を思いつきました。

「自白と同じじゃないか。そんならいま返してもらえばいい」

 と誰かが言いました。

 そうもいかないので、口々に返済方法をもちだして、どうやら秋葉の思う壺です。いろいろと名案珍案がでて、なかでは教室のどこかに落しておく方法が最も有力でしたが、全員手ぬぐいで目かくしをしてから、室内の壁に沿って手探りで三回以上ぐるぐる歩きまわるという形式が嫌われ、結局秋葉のもちだした方法を採用することになったのです。

 それはこうです。全員が封筒を用意する。ごく普通の細長い封筒で、色は白。これを手に握れるように四つ折りにして、投票の要領で箱のなかに入れるのです。昼休みのそのときまで封筒は身につけて持ち、決して他人に見せないこと。型や色の違った封筒は厳禁。デパートの紙袋やピンクの封筒などは沙汰の限りです。封筒にインクや爪でしるしをつけないこと。要するに、金が戻った場合、自分だけの潔白を証明しようとしないこと。公平を期すためには、こんな条件も必要なのでした。

 犯人は金を封筒に入れるだけで、罪をつぐなうことができるのです。

「返す気がなければそれまでだな」

 そう言いだした男はみんなの嘲笑を買いました。

「なんのために討議したのだ。そんなことをいうと、おまえが盗んだと思われるぞ」

「封筒から金が出なければ、全員シロさ。万一出てきたら、水に流しておしまいだ」

「これだけお膳立てをととのえたら、誰だって返すわね。どっちにしても、あさってのお昼までに片づくじゃない」

 ともかく一応の対策ができたところで、うまいぐあいに始業ベルが鳴ったのです。[やぶちゃん注:以下、改ページで行空けはないが、改行をそれに転用した可能性があるので、一行空けた。]

 

 なか一日おいて四日の昼、予定通り四十八枚の封筒が箱のなかにおさまりました。被害者の夏川ユリは、クラス委員の秋葉と議長をつとめた男の両名立ち会いのもとに、一枚一枚封筒を調べていきます。お祭り気分の空気がひきしまって、静かな室内にペーパーナイフで封筒を切りひらく音だけが聞えてきます。

 四十八枚目の封筒をひらく音がひときわ高くひびきました。

「開封の結果をご報告します。紙幣は発見できません」と議長がいいました。

 溜息が洩れ、どこからともなく拍手が起ってしばらく鳴りやみません。紙吹雪をとばしたいたずら者もいます。感動的な瞬間でした。

「よって本法廷は」

 と議長がきまじめな顔でいいだしました。

「ここに次の通り判決をくだす。判決……全員無罪」

「ありがとう、みなさん」

 と夏川ユリがつづいて発言します。

「お騒がせしてごめんなさい。じつはあたし、お詫びしなければなりません。お金をとられたというのは嘘でした。この問題は今日かぎりで忘れてください」

 もう一度拍手が起りました。これでなにもかも元の白紙に返ったのです。

 しかし緊張がとけると、なにかしらじらしい感じがただよいはじめました。時がたつにつれて、室内の空気が重苦しく濁っていくようなのです。「チェッ、つまんねえの」といったのは、紙吹雪を投げた男。ご苦労千万にも紙吹雪を用意しながら、一方で五千円札がでる場面を期待していたのでしょう。そういえば、「返す気がなければそれまでだな」といったのも、この男でした。

「このままでいいのか。夏川くんはああいうけどさ。いまや全員の問題だものな」

「罪を追究せず百円持ち寄れといったのは、きみだぜ。だからおれは最初から学校の問題にしろといったのだ」

「しかしクラスの恥をさらすことはない」

「盗難にあうのが恥か」

「迷宮入りになればね。C組の全員シロを、ほかの連中が信じてくれると思うのか」

 秋葉は級友たちの会話を耳にして「勝手なものだ」と思いながら、彼らを笑えませんでした。夏川ユリには諦(あきら)めてもらえばいい。彼女の五千円は、官庁づとめの父をもつ秋葉の百円王ひとつにも当るまい。だがもし、クラスの内外にかかわらず盗難が再発したら、責任を間われるだろう。「封筒に金がはいっていればよかったのに」秋葉自身、そんなことを考えていたのです。いくつかの視線がまたチラチラと春海にそそがれているのを見ても、秋葉はなぜか今度は気になりませんでした。

 そんなときです、春海鯛介が立ち上ったのは。汚ないものでもつまむように、二本の指で胸先にささえた紙幣を、じっと伏し目に見つめたまま、春海はやっと口をひらきました。

「……封筒に……入れたつもりで……」

 

 これが盗難事件のあらましです。

 春海はことばすくなに謝罪し、処置をまかせました。

 処分といっても、当の夏川ユリが、二つ折りにした真新しい紙幣を春海の手から直接受けとり、むしろはにかみながら、それをまた二つに折って小さな財布におさめて、

「いいわ。許してあげる」

 といったのですから、ほかの連中がとやかく言うことはないのです。

 それに春海の態度が立派でした。卑屈にすぎず、といって、ずうずうしくもない。万引き女が泣きわめき、訴え、ふてくされるのをみると、余計醜悪で同情も消えますが、春海の場合は反対に、ふだんと変りない態度がかえって好感をもたれたようです。自白に踏み切った勇気がたたえられたのかもしれません。「じたばたしすぎたからな、みんなは」と秋葉は思いました。じっさい、みっともないのは潔白な連中のほうでした。

 結果からいえば、春海鯛介は盗みを働いて株をあげたのです。株があがったといっても、時価百円とすれば、ほんの二、三円程度でしょう。一部には「やっぱりね」といった気分がつよいのです。むしろみんなは、事件が今度こそ片づいたことを喜ぶふうでした。

 相手が春海ですから、なぜ盗んだのかは判りません。聞くだけ骨折り損だとあきらめているのでしょう。

 ともかく春海が骨のある男として見直されたのはたしかでした。しかもこの事件には、ちょっとしたおまけがついたのです。

 五日の日曜日をはさんで翌六日の朝、秋葉は春海の額にかなりのコブができているのに気がつきました。よく見ると、目尻にうすいあざがひろがり、上唇は腫(は)れていたいたしく、耳の下にもバンソウ膏(こう)が貼ってあります。

「どうした春海、その顔は」

 一時限目に風間先生が見とがめて聞くと、春海は顔をしかめて、恥かしそうに、

「……自転車に、きのう、はねられて……」

 と答えたので、失笑が湧きました。同じコブでも、トラックやバイクにとばされてできたコブなら、誰も笑わなかったでしょう。

「自動車でなくて、よかったな。みんなも気をつけてくれよ」

 風間先生は、にこりともしないで、いわくありげにみんなの顔を見まわしました。盗難事件が洩れたかな。そう秋葉は思いましたが、べつにそんな様子も見えません。

 この日はじめてユーモラスな一面をみせた春海鯛介は、コブの代償に級友の同情を買ったのです。また一、二円がところ、株をあげたわけです。

 この同情相場は休憩時間ごとにじりじりと上げて、午後の課業が終るころには、ざっと十五円ほども高値がついたでしょうか。春海の怪我はリンチによるものだと判ったからです。

 自首した日の放課後、春海は冬岡忠治とその仲間に運動場の隅へ呼びだされ、なぐる蹴るの制裁を受けたらしいのです。冬岡の番長気取りも困りものです。人権尊重の時代ですから、これが露見したら、新聞沙汰になりかねません。

 べつに街のやくざなどとのつながりはなく、「男一匹」がどうの、「男のいのちの純情」がどうやらしたとかいう歌を口ずさみ、そとでは喧嘩(けんか)のまねごともやるようですが、教室では秋葉の言いなりになるくらいですから、手に負えない乱暴者ではないのです。根は純情な感激屋でした。

 校内でもまれに、「正義のため」やら「仁義を教えるため」に、悪くすると「虫の居所」のぐあいで、ご法度(はっと)の制裁もやりかねませんが、それもせいぜい痛くないビンタを張る程度で、今度のように怪我をさせたためしはないのでした。

 こんな噂はたちまち広がります。秋葉は冬岡をつかまえて、事の真偽をたしかめました。

「春海のコブはおまえがつけたって、本当か、冬岡」

「コブはおれじゃないけどよオ……ぬすっとたけだけしいって、あんなのだよ、な。おれは引きずり倒しただけさ……うんともすんとも、言わないだろ、あいつ……AとBがアタマにきちゃって、靴でやったんだ……やりすぎたよ、な。こう、背中をまるめて、音(ね)もあげずにいるんだ、あいつ」

「バカだよ、おまえたちは。訴えられて、表沙汰になれば、退校ものだぞ」

「ぬけ目はないよ。ぬすっとは訴えやしないさ。言ってやったよ、でけえつらするなって……」

 冬岡は得意の鼻をうごめかしていましたが、一週間後には、その鼻柱をへし折られるようなはめにおちたのです。

 冬岡も、その腰巾着(こしぎんちゃく)のAもBも、柔道部員です。あまり稽古には出ないので、来年も対外試合の選手になれる見込みはありません。

 たまたま冬岡が稽古に出た日に、春海は道場にあらわれ、稽古着を借りて着換えました。

「いい心がけだ。一丁、もんでやろか」

 冬岡が声をかけると、春海は気がなさそうにうなずいて、

「……このなかでは、誰が……つまり、一番つよいのは、誰だ」

 といいました。

「そうだな、三年生はもうあまり出てこないが、あそこの五分刈り頭が、副将だった人だ」

「……あとで……よかったら、もんでくれ」

「ああ、いいとも。おやすいご用だよ」

 しかし冬岡はやがて、穴があったらはいりたいような気もちを味わいました。副将といえば、C高校では一、二を争う実力者です。それが春海との乱取りで、藁(わら)人形みたいに振りまわされているではありませんか。

 春海がもどってきて、まだ消えない額のコブを指先でなでながら、「よかったら、もんでくれ」と言ったとき、冬岡は胴ぶるいがとまらなかったといいます。

 「……いやなら、いいんだ……人はみかけによらないだろう……前の学校には、おれなんか歯が立たないのが、十人はいた……上には上があるものだ……でけえつらをするなよ、冬岡」

 口も利(き)けないでいる冬岡に、春海はそういってめずらしく白い歯をみせ、笑いかけました。

 副将がその場にきて入部をすすめましたが、春海は断りました。対外試合のときだけでいい、という頼みにも応じません。

「……やりたいけど、だめなんです。友人を……片輪にしてから……久しぶりに今日……やっぱり、だめだった。気もちが……腕がちぢんで……」

 あの日もし、なにかの拍子で腕がちぢまなかったら……と考えて、冬岡はぞっとしたそうです。

 この話が伝わると、春海の株はいっぺんに……まあ、そうですな、三十八円分ほどはねあがりました。暴落をつづけてきた兜町とはあべこべに、春海の株はあがる一方です。

 十一月末に発表された模擬テストの成績で、春海はもう一度注目を浴びました。前回の八番から四番にあがったのです。秋葉は逆に四番さがって十四番に落ちていました。

 秋葉が狸の夢か見るようになったのは、それからまもなくです。

 

 同じ模擬テストでも前回のは春海の株価に影響がなく、今度のそれは、金額にして……毎度金の話で恐れいりますが、数字はやはり便利な尺度ですからな……ざっと四十五円ほど株をあげています。理窟に合わないようですが、世の中では、現象としてはよく似た材料でも、決して同じ結果は生みません。

 今回のテスト成績は、秋葉次郎にはショッキングなものでした。席次だけについていえば、四番と十四番では、相撲の番付なら小結と前頭十枚目くらいなひらきで、まあ大した違いではない。二場所もすれば、入れ替わる可能性もあるのですが、秋葉は最近、春海鯛介が自分と同じZ工大志望であることを風間先生にきいて知ったばかりです。春海に差をつけられたのが問題ではなく、春海がたまたまZ工大志望だったことが不都合なのでした。

 席次ばかりでなく、このところ株をあげ放題にあげているあの春海鯛介が、です。いいえ、田舎者とさげすまれ、存在を無視され、出来心にせよ、級友の金を盗んでスキャンダルの種をまいたあの春海が、です。

 短期間にその変りようはどうでしょう。いまや春海は畏敬の的(まと)です。リンチの首謀者、冬岡忠治にいたっては、春海鯛介を英雄視さえしているのです。

 そのころ秋葉は風間先生に呼ばれて、妙なことを聞かされました。

「どうだい、春海と自転車は。うまくいってるようじゃないか」

「自転車ですって」

「とぼけるな。国定村の親分だよ」

 長岡ならぬ冬岡忠治のリソチ事件を、先生は知っているのでした。

「スパイがいるのですか」

「バカをいうな。勘でわかるさ。それにおしゃべりが多いしな。盗難騒ぎも判っていたが、きみたちの自治にまかせて、様子をみていた。しかしあれは一杯くわされたようだな」

 そのときはぼんやり聞き流しましたが、秋葉はあとで「一杯くわされたようだな」という一言が気になりました。

 どんな意味か。春海が騒ぎを起して、一杯くわしたのか。それとも、春海は無実で、姿なき犯人に一杯くわされたのか。

 春海以外に犯人はない、という最初の空気は、いつからともなく、五分五分に変りました。級友の見方が半々に割れている意味ではなくて、級友個人の心のなかに、二つの見方が争っていたのです。シロかもしれない。クロかもしれない。しかし間題をむしかえすのは面倒だ、といったぐあいに。

 春海が厳格清廉(せいれん)で鳴らした判事の遺児であることも、あとでわかりました。判事の息子だからシロとはいえませんが、秋葉はあのただごとでないストイシズムが判るような気がします。なにしろ、伯父さんの大きな邸宅で優遇されながら、年の瀬というのに、火の気のない殺風景な小部屋にこもって、ひざ小僧を毛布にくるみ、机に向っているのですから。

 級友たちには、春海がシロかクロかはもうどうでもいいのです。やはりクロだとしても、自白した勇気は、罪をつぐなってお釣りがきます。それに被害者は毎月二万円も小遣いをつかう夏川ユリです。口にこそ出しませんが、心ひそかに溜飲をさげた者も多いはずです。

 月野好子のように無実を信じるものさえ出てきました。春海の返した五干円札は、手の切れそうなサラの札を二つ折りにしたもの。ユリはそれをまた二つに折って財布に入れたのですが、ユリの財布は小さくて二つ折りのままではおさまらない。つまりあの五干円札はユリの財布にあったものとは違う。だから春海は無実だ、というのが好子の論法でした。

 しかし返したのは盗難のあった翌々日ですから、同じ紙幣を返すとはかぎりません。財布の大きさに目をつけたのはさすがに女性ですが「どうも女の論理には飛躍がある」と秋葉は思うのです。

 夏川ユリの春海を見る目つきも尋常ではありません。事件直後はこだわりなく話しあっていたのに、やがてユリは春海を避けはじめました。秋葉がそれとなく観察すると、ユリはときどき遠くからじっと春海を見つめています。

 いいえ、ユリのことはどうでもいい。秋葉が胸を痛めているのは、花田千枝子の心変りでした。

 駅前のひなびた商店街に、「花田屋」というソバ屋があります。千枝子はそこの娘でした。手不足なので昼のうちは店を手伝い、夜は定時制の高校に通っています。

「結婚するなら、鼻低く、愛嬌第一、料理好き」

 これは結婚相談所の広告ではなく、秋葉次郎が兄の太郎からもらった葉書の全文です。大学三年のとき年上の美人と結婚した兄から、半年後に送られたものでした。恐らく最初の幻滅を歌ったものでしょう。

 秋葉は経済的にも苦労した兄の見本があるので、学生結婚はしないつもりですが、千枝子をみていると、受験一色に塗られた心がほのぼのとあたたまる思いでした。

 はじめて「花田屋」に誘ったのは冬岡です。食べるものはいつもキツネうどんでしたが、三回目ごろから秋葉は、三角に切った油揚げが自分のだけ三枚浮かせてあるのに気がつきました。みると冬岡たちのはどれも二枚ずつです。間違えたのではなく、四回目も同じでした。そういえば、ネギの量も倍近くあるのです。ウスアゲとネギを入れるのは千枝子の役目でした。冬岡たちは軽口をいって千枝子を笑わせています。

「へえー、ゼリー雪井が結婚したの。知らなかったな。愚か」

 秋葉にしてみれば、油揚げの足りないのを知らずにいる彼らのほうこそ、愚かです。

 兄の言ってよこした三つの条件のうち、料理の点は不明ですが、さきの二つ「鼻低く、愛嬌第一」が千枝子の身上でした。ひと頃の秋葉には、キツネうどんが生甲斐といえたくらいです。

 ところが春海を誘ってから事情が変りました。はやくも二回目に春海の油揚げが三枚にふえたのです。そして三回目には、「おれはタヌキだ」と春海がいうのを、「キツネにしろよ」「タヌキが滋養になる」「この店はキツネにかぎるのだ」と説き伏せた秋葉は、自分の油揚げが二枚に減っているのを見たのです。千枝子は多分、春海にほれこんでいる冬岡の宣伝にのったのでしょう。女心はあさはかなものです。兄貴の忠告もいい加減なものだ、と秋葉は思いました。その後は「花田屋」に誘われても、秋葉はもう、「うどんかけ」しか食べません。

 冬休みにはいる前に、月野好子が秋葉にこんなことを言いました。盗難事件は夏川ユリの打った芝居だ。ユリは何度か、春海について、「いじめてやりたい衝動を感じる」といっていた。それに近頃街に出るとき、ほそい金のネックレスをつけて、聞きもしないのに、「ちょうど五千円よ」

と吹聴している。つまりあの事件は、疑いが春海にかかるのを見ぬいて計画した狂言だ。それがいまは春海にイカレているというのです。

 そうかもしれません。しかし秋葉は一方、こうも考えます。いまとなれば、春海が盗んだとは思えない。そんなら退校程度の犠牲を覚悟で、無実の罪を背負ったのか。クラス内の問題としておさまることを計算の上、「勇気」を効果的に示したのではないのか。冬岡を恨ませずに心服させたのも、老獪(ろうかい)な手口といえないだろうか。

 秋葉は冬休みになって春海を三度訪ねたのですが、あいまいに笑うだけで、春海はことばを濁すのです。「一杯食わされたようだな」といった風間先生はなにを考えていたのでしょう。

 冬休みもあとわずかです。秋葉は休みのうちにもう一度春海に、できれば夏川ユリにも会って、真相をつきとめたいのですが、もうどうでもいいような気がします。

 いくら捜しても尻尾はないかもしれません。尻尾があるものなら、無理につかまえなくとも、自然に見えてくるでしょう。たとえ尻尾をとらえても、ベッドから落ちて頓死(とんし)でもしたら、つまりません。じたばたすればするほど悪くなるのが世の中です。そう思えば、狸の夢も消えるでしょう。先は長いのです。

[やぶちゃん注:「ゼリー雪井」不詳。架空の歌手か俳優か。

 因みに、本作中で、月(十一月)日付や曜日を細かに示しているが、試みに調べて見たが、発表された一九五八年以前直近数年を遡っても、それに完全に一致する年は、なかった。簡単に出来ることを敢えて合わせようとしなかったのは、あくまで創作物という矜持からであろう。]

2021/11/08

ブログ・アクセス1,620,000突破記念 梅崎春生 拾う

 

[やぶちゃん注:初出は昭和二六(一九五一)年八月号『小説新潮』で、後の短編集等への収録はない。

 傍点「ヽ」は太字とした。文中に簡単な注記を入れた。作中に外国映画のコメディが出るが、私は喜劇映画が嫌いなので、ワン・シークエンスの台詞だけなので、作品は判らない。知りたい向きには、ウィキの「1950年の日本公開映画」或いは「1951年の日本公開映画」が参考になるかも知れない。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日午後早くに(妻の入院先に物品受け渡しに行き不在中)、1,620,000アクセスを突破した記念として公開する。【202111月8日 藪野直史】]

 

   拾  う

 

      

 

 新宿から甲府にむかう甲州街道。その新宿から一里ほども来たところに、下高井戸というへんてつもない宿場がある。そこは街道と上水の間を、ほこりっぽい空地で区切って、都心からくるバスの終点にもなっている。[やぶちゃん注:東京都杉並区下高井戸(グーグル・マップ・データ)。]

 その朝、バスの終点標識から七八間[やぶちゃん注:十二・七八~十四・五四メートル。]へだたったところ、街道面のアスファルトがそこだけえぐれて、ぽっかりと小さな凹地をなしている箇所に、こまかく折り畳(たた)んだ紙片が、ひとつポツンと落ちていた。

 なにしろここらは、近来とみに車馬の往来がはげしく、道を横切るにも一苦労するようなところだから、道ばたのそんなよごれた紙屑に、誰も目をとめはしない。だからその紙片は、いくどとなく乗用車やトラックのタイヤに轢(ひ)かれて、あやめもわかたぬ程くろずみ、ブリキ板のようになって、平たく地面に貼りついていた。初夏の太陽があかあかと照って、そこらから水蒸気がうっすらと立ちのぼっている。

 丁度(ちょうど)午前八時五十分。街道に自動車のとだえた隙(すき)をねらって、反対側の歩道から、一人の肥った男が、バスの発着場をさして一目散に駈けてきた。その大型のバスには、運転手も女車掌もすでに乗りこんで、もう発車しそうになっている。すこし動きかけて、走ってくる肥った男を待つために、タイヤを半分車道に乗り入れたまま、ゆらりと立ち止ったところだ。

 肥った男の姿は、街道の中ほどまで転がるように駈けてきた時、れいの小さな凹地に足をとられたらしく、ガクンとよろめいた。とたんに片方の靴がすっぽり脱げて、男は踊るようなかたちで、二三歩ピョンピョンと片足飛びをした。その恰好(かっこう)が可笑(おか)しかったのか、そばかすのある若い女車掌は、真鍮(しんちゅう)の手すりにすがりつくようにして、甲高く短い笑い声をあげた。誘われたように、入口近くの乗客の三四人が、濁った含み笑いで、それに和した。しかしこれら不謹慎な笑い声も、とっさの間だったから、その肥った男の耳までは、おそらくは届かなかっただろう。

 穴山八郎(というのがその男の名なのであるが)は、両手を空に泳がせて、あぶなく立ち止った。そしてやっとのことで、ふくらんだ案山子(かかし)のように、ゆらゆらと靴の方にむき直った。まるい顔がまっかに充血して、皮膚には汗が粒になって吹き出ている。

 えぐれた凹地のまんなか、靴は死んだ蛙みたいにひっくり返って、ぶざまな底革を空に向けていた。白っぽくすり減った鋲(びょう)金。斜めに歪んだゴム踵(かかと)。底革の鈍感な輪郭。彼の眼はそれを見た。顔が内側からカッと燃え出すのを感じながら、穴山八郎はふたたび不器用な片足飛びで、あわてて靴の方に近づこうとした。その瞬間、靴の直ぐそばの地面に貼りついている、折り畳まれた奇妙な紙片の色と形が、ふと彼の眼をつよくとらえた。

(紙幣だ)

 穴山八郎は咽喉(のど)の奥で、あやうく叫びをかみ殺した。黒黒と印されたタイヤの跡の隙間から、大額紙幣特有の紫色の模様が、あわあわと滲(にじ)み出て見えるのだ。折り畳まれたその厚さでは、三枚や四枚の数とは思えなかった。靴の方に軀(からだ)をかがめながら、動悸が急にはげしくなるのが判った。

(――こんなところに、こんな紙幣(さつ)束が……)

 穴山八郎のふるえる指先は、とつぜん靴から横にずれて、紙幣束の一端に触れた。灼けるような感触が、指先から彼の全身に伝わる。反射的に頰の筋肉を歪(ゆが)ませ、へんに力むような表情になりながら、素早くつまみ上げた。真黒に塗りつぶされた短い時間の流れ。次の瞬間、彼の腕は不自然な動き方をして、それをポケットの中に辷(すべ)りこませる。同じ時間に、彼の足先はくねくねともがき、元の靴のなかにスッポリと収まっている。――そして彼は、叱られた幼児みたいな顔付になって、ぐいとバスの方に向き直った。

 バスの中から無数の視線が、彼をめがけて突き刺さってくる。それらを痛く全身で受けとめながら、彼はころがるような勢いで、再びバスの方に突進した。誰も見てやしない。誰も見てやしない。混乱した頭の奥で、そんなことを、呪文のように呟きながら。――

 

     

 

(ほんとに誰も見てやしなかっただろうな)

 バスが動き出してしばらくして、やっと動悸(どうき)も収まった頃、穴山八郎はおずおずと顛をあげ、そっとあたりを見廻しながら、そう思った。並みいる乗客たちは、さっきの出来事も忘れ果てたように、しごく無感動な姿勢で、新聞を読んだり窓外の風景を眺めたりしている。八郎はやや安堵(あんど)したような表情をつくって、手の甲で額の汗をしきりにぬぐった。

(とにかく――よかったな)

 なにがよかったのか、よく判然しないまま、彼は自分に納得させるように、そう呟いた。今日も今日とてすっかり朝寝坊して、電車ではとても間に合わないから、バスの停留場に駈けつけたのであった。会社には出勤時間にうるさい主任がいて、遅刻をすると恐い顔でにらみつけるのだ。だから電車定期があるのに、わざわざバスヘ駈けつけたのだが、とたんに穴につまずいてきりきり舞いして、路上に醜態をさらした。もっともそんな醜態をさらしたおかげで、奇妙な好運みたいなものに打ち当った気もするのだが。

(――好運?)

 八郎は急に落着かない顔付になって、右手をもじもじと動かした。あたりをはばかるように、窮屈そうに肱を曲げて、そっと右手をポケットに差し入れてみる。右手の乗客とぴったり体が接しているので、うまく手が入ってゆかないのだ。右側の客は薄地のスーツを着た肉付きのいい年増女である。濃めの口紅をつけた、つんとすました横顔が見える。かすかにただよってくるのは、何という香水の匂いかしら。八郎の指先はやっとのことで、ポケットの底の紙幣の端に触れた。バスがごとんととまって、また何人かの客がのろのろと乗り込んでくる。

(間に合うかな?)

 会社の主任の不機嫌な顔をとたんに思いうかべて、八郎はちらと顔をしかめる。今月に入って、もう三回も遅刻しているのだ。今日また遅れれば、うるさく文句を言われるにきまっている。いま何時何分ごろかしら。八郎のすぐ前の吊皮には、タイピストらしい風態の若い女がぶら下がっている。その腕時計の針を見ようと思うのだが、車体が動揺するので、うまく読み取れない。それにその女は、袖の寛(ひろ)く短い卵色のセーターを着けているので、白い腕がよじれる度にゆたかな鳶色(とびいろ)の脇毛がちらりとのぞくのだ。見ているような見ていないような、曖昧(あいまい)なずるい視線で、八郎はそれをチラチラと眺めている。ちぢれて軟かそうなそのあり方が、やがて八郎の内部の奥のものを、微かにしかし執拗(しつよう)にそそってきた。

(今日は会社に出るのは、やめにするかな)

 そんな考えがふいに八郎の頭を走りぬける。遅刻よりは欠勤の方が、まだマシだろう。主任のあの苦虫をつぶした顔を思うだけでも、ぞっとする。それに今日という日は――と八郎は、ポケットの右手を微妙に動かしながら、自分に言い聞かせるように呟(つぶや)く。朝から奇妙な拾い物をした特別の日なんだから――。たしかにあれは千円札だったが、一体何枚ぐらいあるんだろう?

 ポケットの内で八郎の指は、虫のようにうごめき、重なった紙幣の耳をひとつひとつ数えていた。五枚。六枚。七枚。……その手ごたえのある感触が、ふと八郎の肥った頰をゆるめてくる。三十歳。未だ独身。しかも使おうと思えば使える巨額の金が、ここにある。自分さえその気になれば、今日という日を、誰も拘束できないではないか。――ぼんやりと弛緩した笑いが、八郎の頰にゆるゆるとのぼってきた。そうだ。今日一日ぐらいは、たまにはこの俺だって――。

「なにをなさるの!」

 突然、低いけれども、とがった鋭い声が、耳のそばで弾(はじ)けた。右側の席の年増女の顔が、キッとふりむいて、八郎をにらみつけている。指先の紙幣の感触と鳶色にうずまく脇毛に、かたみに心を奪われていた八郎は、ハッと身体を硬直させて、顔をそちらにねじむける。とげとげしい女の声が、つづいてかぶさってきた。

「へんな真似はしないでちょうだい。なんです、朝っぱらから!」

「ぼ、ぼくは何も――」

 紙幣を手探る指のうごめきを、肉体を接しているのでこの年増女は、いやらしい悪戯(いたずら)と解したのだな。咄嗟(とっさ)にそう気付くと、八郎はまっかになって、しどろもどろな声でどもった。

「ぼ、ぼくはただ、この、ポケットの中の――」

 どう説明すればいいのか。拾った紙幣を数えていたでは、通用しないだろう。八郎は混乱しながら、言葉を切り、あわてて間題の右手をポケットから引き出した。その右手は、居場所がないように、しばらく宙(ちゅう)をうろうろとした。

「ほんとに、いやらしいったら、ありゃしない」

 とどめをさすように舌打ちをして、女の顔はぷいと正面を向いた。周囲からさげすまれ、嘲笑されている自分をかんじて、八郎は口も利(き)けず頸(くび)をギュッと肩にめりこませた。なんとも完膚(かんぷ)なきまでに惨(みじ)めな気持である。周囲の吊皮の客たちも、こちらを見おろして、せせら笑っているらしい。鳶色の脇毛もくそもあるものか。ほんとに今日は、なんという奇妙な日だろう!

「御苑前。新宿御苑前。ございませんか」

 バスがとまった。反射的に八郎は腰を浮かせ、人混みをかきわけて、出口の方に突進した。さながら傷ついたイノシシみたいな恰好で。

 

     

 

 朝の新宿御苑は、芝生はなめらかにひろびろと拡がり、樹々はむんむんと緑の梢を、天高く伸ばしていた。時刻のせいか、入場者の影はほとんど見えないようであった。玉砂利をしいた遊歩道を、八郎の姿はせかせかと足早に歩いたり、また急にゆっくりした足どりになって動いたりした。日射しはすでに、午前十時を廻っているらしい。道はいくつにも枝に分れ、行けども行けども果てしがなかった。

 どういうつもりでこの御苑に入ってきたのか、八郎は自分でもよく判らなかった。どうも発作的に飛びこんだような気がする。

「さて。――さて」

 これで何度目かの意味ない呟きを口にしながら、八郎はやがて決心したように竹柵をまたぎ、こわごわと芝生に足を踏み入れた。大きな泰山木(たいざんぼく)の根元に、かくれるように腰をおろすと、彼は小学生のように両手を横にあげ、二三度大きく深呼吸をした。それから思い切りしかめた顔を、膝の間に埋めながら、乱暴な声で独りごとを言った。

「ざまあみろ。とうとう会社を休んじまいやがって!」

 芝生には見渡すかぎり、誰もいなかった。八郎はしばらく頭を垂れ、その姿勢のままでいた。やがてゆるゆると顔を上げると、急にきつい眼付になってぐるりを見廻し、ポケットからごそごそとれいの紙幣をとり出した。乾いた泥が紙幣の表面から、はらはらと舞い落ちる。彼の手はそれを拡げ、一枚一枚芝生にならべて行った。全部で十枚。十枚のその千円紙幣は、芝の緑の上に、扇形の奇怪な模様を形づくった。八郎は腕を組んだ。

「誰が落したんだろうな」

 そして彼はフンと鼻を鳴らした。誰が落したってかまわないではないか。もしかすると、捨てたのかも知れない。人間という種族は、他の動物と違って、想像できないようなこともする動物だからな。捨てるということもあり得るさ。彼はふてくされた気持でそう考え、再びフンと鼻を鳴らし、小学生的良心のかけらを踏みつぶそうとした。路上できりきり舞いをしたり、バスの中で恥をかいたりした揚句、それでこの金が使えなければ、俺は一体どうなるのか。あんまり莫迦(ばか)にするな。

「よし、今日一日で、これを全部使い果たしてしまえ」

 八郎は双手(もろて)をつき出して、サラサラと紙幣をかき集めた。一万円。それは彼の月給より、二千円も多いのだ。この金を生活のために使えば悪いが、今日一日で蕩尽(とうじん)してしまうのなら、神様も大目に見て呉れるだろう。罰せられても、今日一日の自分が罰せられるだけだ。よし。八郎は踏切るようにうなずいて、紙幣束をぐいとポケットにねじこみ、はずみをつけて立ち上った。とにかく今から時間潰しに、この天下の名園を心ゆくまで、王侯の心をもって漫歩しよう。

 足を忍ばせて芝生を出、ふたたび玉砂利の歩道を、八郎は胸を張ってゆるゆると歩き出す。胸を張ったつもりでいても、背後から見ると、八郎の背は丸くちぢかんで、目に見えない重荷を背負っているように見える。じっさい彼はしっかと踏みしめているつもりなのに、妙に心もとない足どりを感じた。ここを歩いている自分自身が、へんに現実感がない、影のような存在に思われた。その想念を追っぱらうように、彼は一歩毎に、確かめるように口ずさむ。

「一万円。一万円。――一万円」

 

     

 

 午後一時。

 穴山八郎はぼんやりした顔をして、新宿の人混みのなかを歩いている。

 そしてふと何ごとか思い付いた風(ふう)に、人混みの列を離れ、とある店の中に入ってゆく。階段をのぼる。そこに置かれた料理の陳列棚を、暫(しばら)くまじまじと眺めている。

「ボルシチ・ランチ」食券売場でそう言って、れいの千円札の一枚を差し出す。八百五拾円のおつりと、一枚の食券。[やぶちゃん注:「ボルシチ」(ロシア語борщ:ラテン文字転写borshch)はロシアスープの一種。最もロシア的色彩が濃く、公式の饗宴にも日常食にも用いられ、ロシアの各地方には郷土色豊かな種々のボルシチがある。本式のそれは赤蕪を主体に、ベーコン・トマト・人参・玉葱・キャベツ・セロリ・ポアロなどとともに、実沢山に煮込み、彩色も豊かで、サワー・クリームをかけて食べる。]

 食堂の内部はむれて暑かった。一番すみの卓に八郎は腰をおろしている。ボルシチ・ランチ。陳列棚のなかでは、これが一番高い。高いから、買う気になったのだ。しかし八郎の身体は、へんにだるく疲れて、食欲があるのかないのか、自分でもはっきりしなかった。まだあと、九千八百五拾円もある。

 やがて、ボルシチ・ランチが、運ばれてきた。赤くどろりとした肉汁。熱そうに湯気が立っている。小皿。一塊の麵麭(パン)。眼前にそれらが並べられたとき、八郎はなんだか得体の知れない、妙に重苦しい負担をかんじた。

(何かかるい、つめたいものにすれば、よかったな)食堂は満員であった。どれもこれも、アイスクリームを舐(な)めたり、ソーダ水をすすったりしているのだ。こんなものを食べているのは、八郎一人であった。皆が珍らしげにこちらを眺めているような気がする。顔じゅうから汗を吹き出しながら八郎はしきりにスプーンを口に運んだ。運んでも運んでも肉汁はすこしも減らなかった。相変らずどろりと淀んで、赤い湯気をゆらゆらと立てている。

 八郎の向いには、痩せた貧しげな大学生が一人腰をおろして、ゆっくりと饅頭(まんじゅう)を食べていた。白い饅頭の皮を食い欠きながら、八郎の肉汁をじっと見詰めている。八郎のフオークが牛肉のかたまりをとり出すと、学生の視線はそれを追って、八郎の唇までついてくる。なにか監視されてるみたいで、八郎はだんだんやり切れなくなってきた。

(好きこのんでこんなものを、食ってるんじゃないんだぞ)

 そう叫びたいのをこらえながら、顔じゅうを汗だらけにして、八郎はやっとのことで食べ終えた。胃のへんがぶうっとふくらんで、濡れた海綿でも押しこまれたような感じだ。八郎はしきりに汗を手巾(ハンカチ)で拭き拭きうんざりしたような顔になって、コップの水をガブガブと飲みほした。前の大学生はすっと立ち上ってひっそりと食堂の外に出て行った。八郎はがやがやした食堂の内部を見渡しながら、説明しようもない孤独をひしひしと感じた。

「どうも何かがハッキリしないヨ」

 と彼は呟いた。この食堂に来る度に、いつかは食べたいと思っていたのが、この料理であった。しかし彼の給料では、とても注文し切れないので、いつもは饅頭で我慢していたのだ。さっきの大学生のように。今日はゆくりなくも日頃の念願を果たすことができた。ところが食べ終えても、ゼイタクをしたあとのあの充足感が、奇妙に湧き上ってこないのだ。むなしく腹がふくらんだばかりである。八郎はやがてけだるく腰を浮かしながら、情なさそうな声でつぶやいた。

「映画でも見てやるか」

 映画なら腹にもたれないだろう。映画館のなかでゆっくりと、残金の使途について考えてもいい。そして八郎は立ち上った。そのはずみに、彼の肥った膝裏に押されて、椅子が大げさな音を立てて、床に横ざまにころがった。食堂中のすべての眼が、一瞬八郎の狼狽した姿にあつまる。

 

     

 

 スクリーンには黒白の映像が、ちらちらと動き、濁った機械音が間歇(かんけつ)的に場内に流れていた。

 一番前の座席にすわり、八郎は脚をながながと前に突き出して、スクリーンを見上げていた。途中から入ったので、話の筋がよくのみこめなかった。皆がどっと笑っても、八郎は少しも可笑(おか)しくない。八郎の側にいる女客は、笑い上戸だと見えて、要所要所にくると甘ったるい声で笑い出す。咽喉の軟かい肉や濡れた舌を、じかに想像させるような、妙に肉感的な笑い声であった。八郎は時折スクリーンから眼をそらして、ちらちらとその女の方をぬすみ見た。

 女は器械編みの赤いセータを着て、眼鏡をかけていた。画面が明るくなると、女の顔も白っぽくなり、暗くなると、とたんにくすんだ色になる。そして可笑しい場面がくると、手にしたハンカチをくしゃくしゃに丸めながら、肉感的な笑い声が女の唇からころがり出る。

(さっきは失敗したな)

 どうした聯想(れんそう)か、ふとバスの中のことを思い出して、八郎は顔をちょっとしかめる。あのことがまだ後味わるく、胸に尾を引いているのだ。それを打ち消すように八郎は口の中でもごもごとつぶやいてみる。

(どうだっていいさ。とにかく今日一日の俺というのは宙に浮き上った架空の人間なんだから、な)

 架空の人間。その思い付きが、瞬間八郎の眉を明るくさせる。――スクリーンでは、息子らしい男が母親に話しかけている。浮き上ったスーパー・インポーズの文字。

「今度女友達を家に連れてきたいんだよ」と息子。

「へえ。どこで知り合ったんだね?」と母親。

「映画館の中で、その女(ひと)がハンカチを落っことして、それを僕が拾ってやったんだ」

「まあ。ずいぶん古い手だこと。そんな古い手に引っかかったのかい、この子は」

 傍の女が身体をゆすってころころと笑い出す。ハンカチを握ったその女の手が、偶然に八郎の膝にやわらかく触れている。画面に気をとられて、女はそれを意識していない様子だ。汗と香料と混ったような匂いがかすかに動く。それに誘われたように、バスの吊皮にぶら下がっていたタイピスト風の女の、腕の付け根の印象が、突然はっきりとよみがえってくる。八郎は少しずつ息苦しくなってきた。

(九千七百何拾円だぞ)と彼は思う。(まだ三百円しか使っていない)

 一日で一万円を使い果たすには今のやり方ではダメだ。徹底的に俗悪にならねばならぬ。俗悪にふるまわねば一万円なんか使い尽せるものか。八郎はしだいに息苦しく、酒に酔ったように気分がほてってくる。バスの中の自分のぶざまに復讐するような気持だ。古い手だって何だって、かまうものか。そして八郎の腕は肱(ひじ)掛けから降りて、のろのろと自分の膝の方へ近づいてゆく。そこに女の掌がある。

 女はびくりと体をふるわせた。しかしそのまま、じっとしている。八郎の指は、しっとりしめったような冷たい女の掌を、しっかと摑(つか)んでいた。女の掌は摑まれたまま、何の反応も示さない。そして女は横目をつかって、じっと八郎の方をうかがっているらしい。

(俗悪だ!)スクリーンに見入るふりをしながら、八郎は腹の底で自嘲する。(何ともはや、俗悪きわまる!)

 その瞬間、女の掌にすこし力が入って、八郎の指から脱け出ようとするらしい。八郎は自然らしく指をゆるめた。ぬめぬめした感触をのこして、女の掌は自分の膝の方にそろそろと戻ってゆく。そしてしばらく経った。

 女は座席にかたくなって、スクリーンに顔を固定させている。可笑(おか)しい場面がきても、もう笑わなくなった。

 やがて、終りの字幕。パツと明るくなる。

 八郎が立ち上るのと一緒に、女も立ち上る。廊下に出ると、廊下についてくる。そして自然に肩が並んで、二人は表へ出る。女は平たい靴を穿(は)いて、いくらか外輪(そとわ)な歩き方をする。眼鏡の奥で目を細めて、わざとらしい独りごと。映画のプログラムをはたはたさせ、咽喉(のど)もとに風を入れながら、

 「まあ。外は暑いこと」[やぶちゃん注:「外輪な歩き方」爪先(つまさき)を外側に向けて歩くこと、及び、そうしたX脚の足の歩行様態のこと、或いは意識的にそのような歩き方をすること。]

 

     

 

 お腹が空いたと女が言うので曲り角の中華料理屋に入った。女は五目ソバを注文した。

 女は鼈甲縁の眼鏡をかけ、丸々した顔をしていた。二十三四になるかしら。唇がすこしまくれ上った感じで、そこが可愛いと言えば、そう言えないこともない。頸(くび)をちょっとかしげ、眼を細めてものを言う癖があった。なんだか舌たるいような声であった。もう動作もすっかり慣れ慣れしくなっている。

「ずいぶんロマンチックねえ、あの映画」

 ソバを唇に運びながらも、女はひっきりなしにしゃべった。映両の批評や、その原作の話など。八郎はビールをかたむけながら、それに相槌(あいづち)を打ったり、ちらちらと女の動作を観察したりした。素人は素人に違いないが、すこし頭が甘いらしい。八郎はビールを飲み下しつつ、そんなことを考えている。久しぶりのビールなのに、なまぬるく、舌ざわりも良くなかった。焼酎の方がよっぽど気が利いている、と思いかけて止(や)めた。内ポケットの紙幣(さつ)束の重みが急にズッシリと感じられた。

「あたしこれでも、文学少女なのよ」ギラギラする汁を箸(はし)でかき廻しながら、女はちょっとしなをつくって見せた。

「将来は劇作家として立ちたいの。だから映画を見ることは、とても参考になるのよ」

「そりゃ結構なことじゃないか」

 自分のことをいろいろしゃべったあと、女はちらと上眼を使って彼に訊ねた。

「あなたはなに? どこにお勤め?」

「いや」と八郎はあいまいな笑い方をした。「今日は僕は、特別なんだから――」

「トクベツ?」舌たるく女は反間した。

「そう。特別人間だ」

 ビール二本の酔いが、それでもほのぼのと廻ってきて、八郎はわざとキザな口調で答えた。そうすることに妙な快感もあった。

 壁間の大時計が、そうぞうしく六時を打った。その音が八郎の胸を、瞬間、ややいらだたしくかり立てた。今日の残りはいくばくもない。早くどうにかしなくては!

 金を払うだんになると女は、自分のぶんは自分で払うと言ってどうしてもきかなかった。そして取出した女の赤い金入れを見た時、何故だか八郎は突然自分の中から急速に欲望が衰えてゆくのを感じた。映画館で掌を握りしめたあの瞬間の気分が、急にほかのものにすり替えられてゆく。それは酔いと重なって妙にけだるい感じとして、八郎の身体にきた。

「パチンコでもやるか」

 表に出て八郎は何となく誘った。外はまだ明るく、街はひけ時でザワザワと混雑していた。

「でも――」女はちょっとためらう風(ふう)をした。「もう、帰らなくちゃいけない、とも思うし――」

「うちは何処。お父さんはいるの?」

「ううん。友達とふたりでアパート暮しよ。今夜はあたしが、晩飯の当番なんだから」

 そう言いながらも女はグズグズと、思い切り悪くついてきた。八郎は何かをしきりに確かめようとするような顔付になって、ゆるゆると人混みを歩いてゆく。肥った頸(くび)筋が酔いであかくなって、そこにぎゅっとカラーが食い込んでいる。

 裏街のパチンコ屋で、ひとしきりパチンコを弾(はじ)きながら、そこで十円札が三四枚減った。パチンコは八郎の手にしたがって、カラコロと回転した。歯の根も合わぬ、身の毛もよだつような絶大の快楽は、この世にはあり得ないのか。蒼然と衰えゆく夕光を感じながら、八郎は自分をはげますように、しきりにそう思っていた。なんだか妙に淋しく、また妙に切ない気分でもあった。今日という日が終ると、またあの物憂(う)い明日が始まるのだろう。その意識が八郎にはやり切れなかった。この金でいっそ旅に出てやろうか。そんなことも思う。れいの女は二三台向うで、憑(つ)かれたように熱心に、玉を弾いているのだ。赤いセータ。灰色のスカート。うすい靴下の色。眼鏡の下にぼったりとふくらんだ瞼。しっとりしめった冷たい皮膚。(あいつを今夜宿屋に連れこんで、裸に剝(む)きあげて――)彼はそれを横目で見ながら、けしかけるように力いっぱい玉を弾く。(そしてあの悪雲助が、かよわい女順礼をなぐさむようにして――)

 映画館の中でうす汚なく手を握り合った仲だから、そこらの落ちが似合いではないのか。強いて考えをそこに持って行こうとあせりながら、八郎はすべての気持を賭けるつもりで、最後の玉をパチンと弾き上げた。玉はカラコロと釘を縫ってむなしく底穴に吸い込まれた。

 

     

 

 

 鰻(うなぎ)屋の二附にのぼり、酒をさすと、女はいくらでも飲んだ。帰ることも忘れたような顔になり、さされるまま、つぎつぎと器用に盃を乾す。相当飲みなれた手付きであった。ほんとに妙な女だな。そんなことを考えながら、八郎も盃(さかずき)を乾した。向うでも、妙な男だな、と思ってるかも知れない。そう思っているうちに、酔いがふたたび急に廻ってきた。

(今日は俺は大金を持ってるんだぞ)

 それがしゃべりたくて仕方がなかった。しかし彼はそれは言わず、女のよく廻る舌や唇の動きばかり眺めていた。女はしきりにどこかの劇団の内幕をしゃべっていた。その合の手に、串をつまんで鰻を口に持って行く。鰻の肉はでっぷりふくらんで、ぎらぎらと不潔な色をたたえている。霜焼けした手を、それは何となく聯想(れんそう)させた。だから八郎はそれに手をつけず、塩豆ばかりつまんだ。――[やぶちゃん注:この段落の二箇所の「鰻」は実は「饅」となっており、ママ表記もないが、私は底本全集の誤植と捉え、特異的に訂した。]

「あんた、いい人ねえ。きっと善い人よ」

 その声が妙に乱れると思ったら、女も急速に酔いが廻ってきたらしかった。眼がすこし無邪気にとろけて、片肱(ひじ)を卓につき、いつか足をくずして横坐りになっている。白い下着がのぞいて見えるのだ。質素なその布地は、女の生活の陰影を彼にひたひたと感じさせた。

「なんだかあんたという人は、妙に安心できるわねえ。そうでしょ。皆そう言うでしょ?」

「――うん。皆もそう言うよ」

 じっさい会社でも、八郎はきもっ玉の小さな、善良な男として通っていた。自分のそんな性格に、八郎はいつも反撥と嫌悪をかんじているのであったが。

「そうだろうと思った。やはりあたしの眼に、狂いはないや」

 女はそんなことを言いながらしきりに手酌で盃をあけた。八郎も負けずに盃をあおる。そうすることで自分の嗜欲(しよく)をはげまし育てるかのように。女の語調が乱れて人を小莫迦(ばか)にしたような口をきき出すのが、ふしぎに耳にこころよかった。何もかも、もうどうでも良かった。深く立ち入って考えるのは面倒くさかった。そこで思ったままを、

「でも、善いっていうことは、意気地なしってことさ。な、そうだろ?」

「意気地なしだって、いいじゃないの。偉ぶってるのよりは、よっぽどマシよ」

 それからとろけた眼を据(す)え、女は何を思ったのか、ぐにゃぐにゃとなまめかしく坐り直し、両掌をついてこんなことを言ったりした。

「――この度は、ふしぎな御縁で、お近付きになりまして」

 鰻屋を出ると女はいきなり彼に腕をからませてきて、もう一軒自分が知っている店に行こうと言い張って聞かなかった。だから仕方なく彼もついて歩いた。足がすこしフラフラして街の燈がすべて茫とうるんで見える。彼はいつか腕を女の胴に廻していた。彼の腕の輪のなかで女の胴はくりくりと動いた。しかしそれは確かなようでいて不確かな感触でもあった。女は彼よりも二寸ほど背が低かった。[やぶちゃん注:段落頭の「鰻屋」も「饅屋」。同前の処理を施した。]

 女が連れて行ったのは、屋台ともつかぬ細長い小店であった。先客が二人ほどいて、なにかしきりにむつかしい議論をし合っていた。女はそこの女主(おんなあるじ)と顔見知りらしく、お互いにいくらかぞんざいな口の利(き)き方をした。

 運ばれてきたのは、焼酎(しょうちゅう)であった。コップの中でそれは透明に、ゆたゆたと揺れていた。女が先にちょっと口をつけて言った。

「あらあ。これ、焼酎じゃないの」

「だって、あんたは、いつも焼酎じゃないの」

「そりゃあそうだけどさあ」

 女は甘ったれたような声を出した。

「今日は友達を連れて来たんだからさあ」

「いいんだよ、僕も、これで」

 八郎は投げだすような口調で言った。ほんとにほんとに、どうでもよかった。店の奥手の小窓を通して、かすかな汽笛の音が八郎の耳に届いてくる。あの金で切符を買い、駅から中央線に乗って、どこか遠く遠くへ行ってしまう。八郎は粗末な板壁に頭をもたせ、そういうことを本気で空想し始めていた。青々とした山。つめたく鎮(しず)もる湖。小さな駅舎。トンネルや鉄橋。彼を乗せた汽車が、それらを縫ってぐんぐん走って行く。……

「こちら、おとなしいのね」

 女主(おんなあるじ)が糸切歯をちらと見せて、彼に笑いかけてきた。言葉の抑揚に、どこか上州方面の訛(なま)りがあった。彼はぼんやりと充血した眼を開いた。

「ああ。汽車に乗ることを、いま考えてたんだ」

「あら、どこかにご旅行なさるの?」

「旅行なんか、するものかあ」

 傍の女が乱れた声で口を入れた。もう彼女は二杯目を飲んでいて、動作もひどくだらしなくなっていた。片掌を宙に泳がせながら、誰にともなく、

「――こ、この人ねえ、あたしの手をねえ、握ったんだよう。こうやってさ、こんな具合にさあ」

 女の指がくねくねと動いて、彼の掌にからまってきた。彼は黙ってじっとしていた。あの時の女の態度と同じように。――女の指はほてって熱かった。やがて、ある虚(むな)しい哀感が、ほのぼのと彼の全身をつつんできた。彼は腕にすこし力を入れ、そろそろと女の指から掌を引き抜いて行った。この女はここに残して、おれはもう帰ろう。咄嗟(とっさ)にそう心に決めながら、その掌を伸ばしてコップを摑み、残りの液体を一息でぐっと咽喉(のど)に流しこんだ。強烈な液体は咽喉を灼いて、彼の食道に辷りおちて行った。

 

     

 

 ――夜の新宿の街を、彼はひとりでふらふらと歩いていた。残った紙幣束を片手にわしづかみにして、あてもなくよろめきあるいていた。汽笛の音がしきりに聞えるような気がするのだが、どこで鳴っているのか、頭の外側で鳴っているのか、頭の内側で鳴っているのか、それもハッキリとしなかった。そこらの時間の流れは、茫漠としてぼやけている。またどこかの店に入ったような気もするし、そうでないような気もする。

 ……ふと気がつくと、彼は輪タクのほろがこいの中に、上半身を半ば倒すようにして腰かけていた。ほろの外から、声が呼んでいる。[やぶちゃん注:「輪タク」自転車タクシーの通称。二輪車若しくは三輪車で。人力により乗客を運ぶもの。ウィキの「自転車タクシー」によれば、『終戦時の物資不足から燃料がわずかで、タクシーを走らすことができなかったことから』、『大正初期に生まれた「人働車」を新たに登場させたもので、その名称は、自転車を指す「銀輪」と「タクシー」という言葉の合成させたものからきている』。『日本における輪タク営業のはじまりは』、昭和二二(一九四七)年二月一日、『闇市を統率してきた関東尾津組が』二『人乗りの輪タク営業を東京で始めたもの』が最初『だといわれている』。『ちなみに営業当初は』二十四キロメートル十円で、その後、十月には二十円に『値上げされ』、一キロメートルごとに十円加算『となっていた。都電と都バスの料金が』五十『銭だった当時から考えると』、『高級な乗り物だった』。『その後、同じような営業が各地に広まり』、昭和二四(一九四九)年には、全国で七十(営業者・団体)を『超え、色々な種類の輪タクや業態が登場した。新潟市の厚生車では、リヤカーに一人用の幌をつけた急造的なもので、日中は駐輪場で、日暮れからは飲み屋などのある盛り場に停車場を設け、客を待つ日々だったという』。『輪タクの多くは』、昭和二六(一九五一)年から昭和二七(一九五二)年頃には殆んど姿を消し、見られなくなった、とある。本作は昭和二六(一九五一)年八月発表であるから、東京の輪タクの後・末期ということになろう。私は十数年前、ヴェトナムでバイクのそれに乗ったことはある。引用元のウィキにある、まず、本邦の昭和二十四年のものと思われる「輪タク」の写真をリンクさせておく。これで「ほろがこい」(幌囲い)の意味もお判り戴けるはずである。]

「且那、旦那。着きましたぜ。ここは下高井戸ですぜ」

 彼はもの憂く身体を起し、車体をゆるがせて、外によろめき出る。そしてポケットから紙幣のかたまりをわし摑(づか)みにとり出すと、いい加減に数えて輪タク屋にわたす。輪タク屋が車を廻して、元来た道へ戻ってゆくのを、立ったままとろんとした眼で見送っている。

「済まねえなあ。ほんとに」

 暫(しばら)くしてぼんやりと彼は呟く。

「折角一万円を落して呉れたのに、こんなダラシない使い方をしてさ」

 落し主がそこにいるかのように、彼は二三度空(くう)にむかって頭を下げる。それから上半身を曲げて、そこらの地面をうろうろと探し廻る。そして彼はやっと見つける。アスファルトがえぐれて、浅い凹地になっている。彼は紙幣束をぐっとかためて、そこに静かに置く。そしてそれを靴で踏みつける。力をこめて、何度も何度も。

「こうして置けば、明日誰かがこれを拾うだろう」

 彼は膝を上げて、ぐいと踏みおろす。

「拾った奴は、おれみたいじゃなく、うまくやれよな。ほんとに!」

 やがて紙幣束は、靴裏の泥に再びよごれて、ペチャンコになってしまう。

 それから彼の姿は、よろよろと街道を横切り、そこにある路地のなかに、ふらふらと消えてしまう。あとは人気(ひとけ)のない広い街道を、ねっとりした初夏の夜風が、ゆるやかに吹いているだけだ。

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