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カテゴリー「梅崎春生」の324件の記事

2021/07/30

ブログ1,570,000アクセス突破記念梅崎春生 朽木

 

[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年十二月発行の『文学 季刊』第五号に初出、翌年八月刊の講談社「飢ゑの季節」に所収された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。文中に注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本未明、1,570,000アクセスを突破した記念として公開する。【2021730日 藪野直史】]

 

   朽  木

 

 ……ときどき誰かが私にはなしかける。それはあつい膜を隔てたように、意味も内容もわかちない。遠くはるかな国から流れてくる声のようだ。しかしその度に私はうなずいたり、唇のはしであいづちをうったりしながら、そしてまたとろとろと眠りに入ってしまう。何か堅くつめたいものが、始終私の脇腹を押している。掌を額にあて、それによりかかって私は眠っているらしい。身じろぐたびにどこかで堅く重いものが軋(きし)るらしく、ぐるぐる同心円を描きながら次第に私はうすらあかりに浮びあがって来る。深い霧のなかからぼんやり物の形が現われるような風で、昏迷におちていた私の意識も、すこしずつ黒白をはっきりし始めてくるらしかった。

 抵抗を感じながらけだるく開いた瞼のあいだで、外象がそれぞれぼんやりと形をとりはじめた。掌にあてていた顔の半分がねばっこく濡れていて、そして気がつくと私は妙な車のようなものに身体を曲げるようにして腰かけていた。

 トロッコから三方の外蓋をとり外したような形で、くろずんだいろのその手車は、鉄の把手(とって)のついた外蓋を一方だけ残していた。脇腹をつめたく押していたのはこれである。身体を動かすたびに軋るのは、腰かけた台をささえる古びた車輪であるらしい。眼の前から混凝土(コンクリート)の床がぬめぬめとひろがり、電燈のひかりの及ぶもっともっとむこうまで、細長く帯のように連なっているらしい。彼方はふかい闇である。闇をながい天蓋がささえている。その下に梱包(こんぽう)がところどころ積んであるのを見れぱ、これは駅の歩廊にまぎれもなかった。

(そうだ)と、とつぜん私は頭のすみで憶い出した。(あれから電車に乗って、そのまま眠りこんだらしい。起されたのが此の終点で、おれはあの長い歩廊を、ぶったおれそうになるのを耐えながら、此処まで歩いて来たのだ)

 口の中に酒精のにおいがのこっていて、からだの内側は熱っぽく乾いていた。先刻こちらにあるいてきながら、もう戻りの電車は出ないのかと訊ねたら、帚(ほうき)をもって歩廊にいた若い駅員がじろりと私を見返して、終電はとっくに出たよ、と無愛想に答えたのだった。私を乗せて来た空の電車は、車庫に入るらしく、人気の絶えた車内にあかあかと燈をともして、そのとき私のそばをゆるゆると逆行していた。吊皮だけが同じように揺れているのが、へんに印象的だった。そして私はぼんやり眼をひらいて遠くをながめていたのだ。改札のちかく荷受台のところが鍵の手になっていて、そしてそこに五六人のうずくまったちいさな人影を、私の視線は茫漠ととらえていた。ここで一夜をあかすとすれば、やはり風とひかりを避けたあのような片すみが適当なのだと、酔いでみだれた頭で私はしきりに合点した。それからがたぴしよろめきながら、私はここまであるいて来たのだ。ずいぶん長い時間がかかったような気がする。そして逆行する電車のおとも、何時までも何時までもつづいていたような気がする。それから此の手車にこしをおろして、隣にいる男となにか話しあったような記憶がある。男の話をききながら、うとうとと私はねむりこんだのだろう。「眼が覚めたかい」そのとき隣から声がした。「煙草もってたら一本お呉れよ」

 軽く舌のさきで流すような口調である。この声と眠る前まで私ははなしこんでいたのだった。そうだ。それは船や波止場や熱い風のことを話していたのだ。だんだんはっきりしてくる。ポケットを探りながら私はからだをその男の方にむきかえた。車輪がギイと鳴った。

「何時ごろだろうな」

「さあ」男は軽くあくびをした。「もうそろそろ夜明けだろう」

 押しつぶれて板のようになった箱をひらくと、平たくなった莨(たばこ)の棒が四五ほん、麻雀の籌馬(チューマ)みたいにならんでいた。マッチをすって火をつけ、しばらくだまって煙を吸った。ざらざらになった舌に、煙はへんないやな味がした。男は胸のひらいた派手ないろの襯衣(シャツ)をきている。鼻のしゃくれた浅黒い顔をしている。しだいに記億がもどってくる。――[やぶちゃん注:「籌馬(チューマ)」読み方は「チョーマ」が一般的のようだ。麻雀で用いる点棒のこと。]

 鍵の手になった白い壁にそって、四五人がよりかかってうずくまっている。そろって膝な抱き、頭をふかく埋めている。荷受台の下にもひとり横になっている。ほとんどが襤褸(ぼろ)のかたまりだ。裾から見える両脚は、まるで牛蒡(ごぼう)のようだ。煙をふかぶかと吸いこみながら、私は暫くそれをながめていた。酔いがまだからだをみたしている。部分部分の感覚は正気にちかづいているのに、ぜんたいとしてはまだぶよぶよと呆けているのだ。前の夜からの記憶がさだかでないのが不安なので、頭や皮膚にのこる後感を心の中で手さぐりしていると、なにか幽(かす)かにつきあたるものがあった。それはそして記憶の形をなさないままながれてしまう。[やぶちゃん注:「後感」「こうかん」と読んでいるか。ある体験の後の感覚という意味であることは分かるが、私は使ったことがないし、小学館「日本国語大辞典」にも載らない。]

「で、それからどうしたね」

 なんだかそれではっきりしたようなつもりになって、私は男に話しかけた。そして短くなった莨をしきりに吸いこんだ。煙の影が白い壁にうすくみだれる。男は莨のすいさしを指で器用にはじきとばした。混凝土の床で赤い火は吸いこまれるように消えてしまう。

「それで出撃というわけさ」

 男は満足したような落ちついた声で答えた。

「擬装だというのでね、馬鹿な話さ、マストから甲板から木の枝をうえてよ。島にみせかけようというんだ。だいいち島が動くかい。波止場をはなれて一時間たらずさ。まだ港が見えていたんだ。そこに空から飛んできたというわけなんだ」

「何という船だったっけ」

「そら、海二十九さ」

 そうだ。この男は第二十九号海防艦の乗組兵だったのだ。そう私は思いだした。思いだしたつもりになっただけで、他への聯想(れんそう)はなにもうかんでこない。[やぶちゃん注:「第二十九号海防艦」「海防艦」は日本海軍の沿岸防御用の軍艦のこと。小型で喫水の浅い小戦艦や、大型砲艦のようなものもある。「第二十九号」のそれは、昭和一九(一九四四)年八月八日竣工(日本鋼管製)で、昭和二十年五月二十八日、触雷して航行不能となり、戦後の昭和二十二年、佐世保で解体された(ウィキの「丙型海防艦」に拠る)。以下の展開は、しかし、事実に基づいていない。]

「おれは高射機銃の第一射手だろう。かまえて見ていたんだ。ゆっくり旋回する。丁度(ちょうど)真上をゆきすぎる。一回目はおとさないんだ。いつもあいつはそうなんだ。二回目がこわいのだ。おれはそれを知っていたんだ。ぐるっと向うの方まで行って方向を変えようとする。おれはそのとき身体がつめたくなるような気がして、顔をあげてあたりを見廻したんだ。甲板を右往左往して叫んでいる。手すりのむこうは海だわな。おっそろしく青い海だ。どこまでもどこまでも拡がっている。みんなは気ちがいのような眼になって、飛行機をながめているんだ。大きく旋回して機首をこちらに向けた。それから――おれはどうしたと思う」

 舌をまるめるようにして軽やかにわらった。

「おれはぱっと走りだしたさ。手すりをこえるとき、甲板士官がなにか大声でさけんだっけ。何とさげんだかわからない。まるでしめころされる女みたいな声だった。何かに二三度ぶつかりながらおれは落ちて行った。海面でぴしゃっと身体をたたかれて、それから水飴みたいにねばっこい水の中を、おれはむちゃくちゃにもがいたさ。スクリュウに巻きこまれては大変だからな。口から鼻から塩水がはいる。苦しくてしかたがないのに、いくらあばれても海面に浮びあがらないのだ。どのくらいもぐっていたのか知らないが、ほっとあたりが明るくなって、ぽっかりおれは浮きあがったという訳なんだ。おれは無茶苦茶に空気をすいこんだよ。見るとおどろいたねえ、二百米位先で、海二十九がそのとき爆発したところなんだ。只一発で命中したんだ。あれじゃあ乗組員も逃げる間もありやしない。皆こなごなだろう。またたく間に焰のかたまりが沈んでしまって、旋回していた飛行機も行っちまって、それからへんにしんとしちゃってねえ。日がぎらぎら照っているし、海は鏡みたいに静かだし、おれは背中を下にしてぼんやり浮いていたんだが、顔のところが変な感じなんで、ふと手をやってみたら、真紅な血だ。びっくりしてねえ、それが何でもありやしない。ただの鼻血だったんだ」

 男は鼻をちょっとすすって、また軽やかなわらい声をたてた。

「それ以来、鼻血がでる癖がついて仕様がねえや」

「それじゃお前」視線を壁の方にうつしながら私はこたえた。「敵前逃亡としうわけじゃないか」

「そんなことになるかな」と男はまた短くわらった。

「あとで大発にひろわれたとき、ごまかすのにほんとに骨折ったよ。皆死んじゃっているのに、海に浮んでたのはおれだけだからな。しかもかすり傷ひとつ負ってねえ。爆風で吹きとばされたとかなんとかねえ」[やぶちゃん注:「大発」大発動艇(だいはつどうてい)の通称。一九二〇年代中期から一九三〇年代初期にかけて開発・採用された大日本帝国陸軍の上陸用舟艇。は大発(だいはつ)。また、陸軍と同型の大発を相当数運用した海軍においては、十四米特型運貨船の名称が使用されていた(ウィキの「大発動艇」に拠った)。]

 壁によりかかって眠っている四五人のひとりは女であった。九月だというのに、まだ白い浴衣(ゆかた)を着ている。顔をうずめているから顔は判らないが、豊かな体つきであった。頭をうずめてかるく割った膝の、もっとおくは白瓜のような腿のいろで、私が眺めているのはそれであった。その女によりかかるようにして寝ているのは、十四五になるらしい少年である。これは顔を埋めていない。手足の割に大きな顔を、女の肩と壁に半々にもたせて、白眼をわずか開いて眠っているらしいのが、なにか脅えたように突然からだを動かして、くるしそうな声で何か叫んだ。その声に自分でびっくりしたらしく、ごそごそと起きなおった。

「あにき。あにき」

 今度ははっきりとそう言った。そう言いながら手を前に伸ばして、空間を手さぐるような形をした。

「ふん。ねぼけてら」

 隣の男がひくい声で呟いた。そして少年は意識をとりもどしたらしい。ぼんやり開いた瞳にしだいに暗くずるそうな光がもどってきて、しきりに背中を壁にこすりつけた。そのたびに女の体が邪険にゆれて、女は少年の方からしりぞくように肩をずらし、ゆっくり頭をもたげた。

「なぜそんなに動くのよ。なぜあたしを起したりするのよ」

「ナマ言ってらあ」[やぶちゃん注:「ナマ」「生意気」の略。]

 少年はいやしく口をゆがめて、はぎすてるように言った。それは何か憎しみをおびていて、そのくせ少年の視線は弱々しく女から外れた。女の眼はそれを追って不安定にうごくらしかった。ちょっと見るとととのった感じの顔だが、視線に光がなくて、口辺にうかんでいるのは痴呆めいたうすわらいであった。

「こいつ、馬鹿なんだよ。兄貴」

 少年は私達の方にむかってそんなことを言った。ずるそうな口調であった。隣の男がふと興味を感じたように女に話しかけた。

「ここに長いこといるのかい」

 女はびっくりした顔になったが、すぐもとの放心した表情になって、抑揚のない低い声でこたえた。

「――そんなに長くはないわ。ずっと弱ってたからね。そら、お母さんが死んじゃったでしょう。着物だってこれっぎり、あとは屋根うらにかくしといたんだけれど、お祭りの晩におまわりさんが来てね。ねえ、あんたおまわりさん?」

「おれはおまわりじゃないよ」

「そう」女は急に安堵したような表情になった。「それで安心したわ。高い塀(へい)が立っててね、向日葵(ひまわり)なんかが咲いているのよ。窓から首を出して歌なんかをうたってるの。おなかがとってもすいたのよ。泣きながら線路づたいに走ったわ。八王子に兄さんがいるからね。食べるものが芋(いも)でしょう。芋だって高いのよ。だから呉れというの。そうするといくらでも持ってけとくるでしょう。そして頰ぺたなんかくっつけて来るの。あんた食べるものなにか持ってない?」

「ちょっとおかしいな」男は誰にともなくそう言った。

「おれは梨をもっているんだが、こいつは商売ものだよ」

「売りに行くのかね」と暫くして私が聞いた。

「そうだよ」男は手を伸ばして、足もとにおいたこぶこぶにふくらんだ袋を撫でるようにした。「ゆうべは一足ちがいで終電車をにがした」

「梨ひとつ呉れない?」女が突然口をはさんできた。「あたしとてもひもじいのよ」

 男はそれに返事をしなかった。なにか考えこんでいる風(ふう)だった。

 やがて沈んだような声になってぽつんと私に問いかけてきた。

「昨夜は酔っぱらっての乗越しかい」

「まあそんなものだ」

「どこで飲んだんだね」

 昨夜のことを考えるのは苦痛なので、私は黙って女の方に視線をうつした。それを感じたらしく女は指で膝前をかき合せるようにした。私はそのとき兇暴な眼付をしていたのかも知れなかった。女は肩をすくめるようにして身ぶるいをしたらしい。その側で少年はふたたびうとうとと眠りかかっていた。隣で男が軽くあくびをした。

「さあ、一眠りすれば夜明けだい」

 女の白い脚のいろが残像のようにのこっていて、ふしぎな嫉妬がしだいに私の胸をいっぱいにしはじめていたのである。

(ふじ子もあんな白い肌を写真にとられたにちがいないのだ!)

 男は身体をかがめて袋の紐(ひも)をしっかりむすびなおしながら、斜にちらと私の顔を見上げた。陰翳(いんえい)をふくんだ妙な笑いが頰をかすめるようにはしった。

「眠ってるうちにかっぱらわれると大変だからな。こいつらはほんとにやくざな奴たちだからな」

「ひとつ分けてやれよ」と私はそっけなく言った。

「いやだよ」男は結びあげた袋を脚ではさみ、おおいかぶさるように眠る姿勢になった。

「やったって何にもなりゃしねえ。そんなことをおれはしねえたちなんだ」

 女は梨のことなどすっかり忘れはてた顔になって、ぼんやり遠くの方をながめているらしかった。よごれた白い壁が女の背にあった。乏しい光のなかで、それはさまざまのしみを浮ぺていた。何故白い壁には、人間がかんがえつかないような形のしみや模様が、いつのまにかできてしまうのだろう。ふじ子の部屋の階段から登り口のところにも、白いよごれた壁があった。それに赤いしみと青いしみがついていた。赤いインクと青いインクのしみであった。それがふしぎに、赤いのは女の立った形に、青いのは男の立った形に酷似していた。それらはむき合って立っていた。どうしてこんな形にインクをこぼしてしまったのだろう。ふじ子の部屋に泊るたびに、私は枕に顎(あご)をのせて、此の壁の像に見入っていた。昨夜もそうだった。私は赤い女のレインコオトや、青い男の鳥打帽までも、はっきりその輪郭から感じとっていた。それはふたつとも、言いようもなく感傷的なポオズだった。私がそれに見入っている心の感じから言えば、私はあるかすかな嫌悪をおさえつけているようであった。その輪郭はうすれて、むしろ色褪せた感じであった。ふじ子が誤ってふりかけたインクの筈ではなかった。幾代も幾代も前のこの部屋の住人がこぼした跡にちがいなかった。色はぼんやり古びていて、リトマス試験紙のいろを聯想させた。その色あいに私が嫌悪をそそられているのかも知れなかった。その壁つづきにふじ子のまずしい家財があった。ふるぼけてがたがたになった食器棚や、壁にかけたくすんだ色の着物。ふじ子はまだ若いのに、何故こんな地味なものを着るのか。派手な着物は売りつくして、死んだ母親のものを着ているのに相違なかった。着物ひとつ買ってやれないという程度でなく、着物を売食いしているのをすら、手を束ねて私は眺めている他はなかったのだ。私は収入の乏しい小役人だったし、ふじ子はある個人商会の女給仕だった。二十四にもなって女給仕だなんて。ときに私がいぎどおろしく、また惨めな気持にそそられてこんなことを口走ると、ふじ子は真面目なかおになってそれをさえぎった。

「だってあたし、小学校も卒業していないのよ。みんなみんな良い人なのよ」

 ふじ子の肌はしろくて熱かった。私が泊ると翌朝は必ず、階下の家主から厭味を言われるということであった。それをふじ子は辛がった。

「でも一緒になったら、あたしたちもっと不幸になるわね。今のままが一番いいのよ」

 だから時期が来るまで待てぱいいという私の言葉を、ふじ子はうたがわず信じていた。ふじ子は私を信じているだけではなかった。世の中にあるものをすぺて信じていた。また将来にきっと暮し良い時代が来て、そこで人々の善意にかこまれて生きている自分を空想していた。その空想はふじ子にとっては言わば確信であるようだった。だからふじ子のいつもの表情に暗いかげはなかった。ただ金に困って何か着物でも売りたいと私に相談したりするときだけ、ふじ子の顔には暗く翳(かげ)がさした。私がだまって腕をくんでいると、ふじ子はあわてたように言葉をつぐのだ。

「いいのよ。いいのよ。私なんかもうこんな派手なのは似合わないのよ。今売ってしまったって、また金が出来たとき買いもどせばいいわね」

 そしてそれが金にかわると、昔五十円で拵(こしら)えたのが、九百円にも買ってくれたと、びっくりしたように私に話すのだ。ふじ子はもうその喜びをかくすことが出来ない。マアケットの古着屋のおじさんがどんなに好意にあふれた善良な人物であったかを、私に判らせようとしてふじ子はどんなに言葉をつくすことか。そしてだんだん私が不機嫌になってくるのを見て、ふじ子はわけがわからない途惑(とまど)った表情になって、かなしそうに私を見上げながら言うのだ。

「ではこれで御馳走を買って来て食べましょうね」

 そして私達はしみのある壁にふたつの影法師を投げながら、うすぐらい燈の下で、貧しい食事をしたためる。ふじ子はおいしそうにたべる。どんなものでも私と一緒にたベるときはふじ子はおいしいというのだ。ふじ子の顔は色がしろくて円い。頰がふっくらしている。食事をするときはなおのことそうだ。会社に出入するある「お客さん」が「空飛ぶ円盤」という綽名(あだな)をつけたと言って、ふじ子は時々思い出して笑うのである。ふじ子の写真をとったのはそのお客であった。それを昨夜私はふじ子を間いつめて知ったのだった。[やぶちゃん注:「空飛ぶ円盤」今は知らぬ者とてないが、実はこれは出来立てほやほやの新語であったのである。この半年足らず前の一九四七年六月二十四日、アメリカ人実業家ケネス・アルバート・アーノルド(Kenneth Albert Arnold 一九一五年~ 一九八四年)が、アメリカ西海岸のワシントン州のレーニア山附近上空を自家用機(単発プロペラ機)で飛行中、当時としては信じられないほどの高速で、編隊飛行をする九つの「三日月形」の奇体な物体を目撃したというのが始まりである。彼は新聞記者の取材を受けた際、「水面を ‘saucer’(受け皿)が跳ねながら飛んでゆくような独特の飛び方をしていた」(所謂、水面に石を飛ばして遊「水切り」のような運動を想起するとよい)と語ったことから、‘flying saucer’ という名称が独り歩きした結果、生まれた語で、その後に大発生するそれが、何故か円盤になってしまうという点で都市伝説の形成として面白いのである。因みに、私は小学校六年から高校時代まで、自分で「未確認飛行物体研究調査会」という会を作って漫画雑誌に募集をかけ、私を含めて僅か三人でやらかしていた人間である。]

「でもあの人は芸術家なのよ。ほんとうに芸術的な立場から写真をとりたいと言ったのよ」

 着物をすっかり脱いで撮らせたのかと、詰問しようとする声調がふいに力弱くなるのを感じながら私が言ったとき、ふじ子は子供のように素直にうなずいた。

「上半身だけじゃ金を払えないと言うんですもの」

 私が黙っていると、やがてふじ子も悲しそうに黙ってしまった。ふじ子の給料が自分の口をやしなうにも足りないこと、段々売りに出すものも底をついてきたこと、それらのことを私は身体の熱くなって米るような衝動に耐えながら考えていた。そのことも私の責任であるのかも知れなかったが、私としてはどうするすべもなしことだった。ふじ子がつとめている会社は、ある新興の個人店であった。そのことだけで私はその会社の内容が想像出来た。したがってそこに出入する客というのも、派手な洋服やぞろりとした和服をきた卑しげな顔つきの男たちを、私は想像のなかにうかべていた。ふじ子の身体の写真をとった男というのも、やはりその類の男であるに違いなかった。その男のふじ子に対する、舐(な)めるような興味や嗜欲(しよく)をかんがえたとき、私は憤怒に似た暗く濁った亢奮(こうふん)が胸のなかに湧きあがって来るのを感じていた。やがてふじ子はふと思いついたように呟いた。

「金をもらったから、これで御馳走買って来ましょうね」

 買物包みをもってもどってきたころは、ふじ子はすっかり明るさを取りもどしていて、自分の肌を見せたことなどすっかり忘れはてた風だった。そしていそがしく膳ごしらえをした。押入の中からビイル瓶につめた液体を膳の上に立てた。これもそのお客が帰りに呉れたというものだった。

「これ本物のウィスキイよ、本物だっていう話なのよ」

 膳の上にごたごたならべられたのは、マアケットで売っている一個五円のコロッケや、黄色いわさび漬や、佃煮(つくだに)や、昨日のものと思われる揚物(あげもの)などであった。それらは膳いっぱいにひろがっていた。膳の上にのりきれない程であった。ふちの欠けた湯呑にウィスキイを注いだ。口にふくむとへんに舌ざわりが刺激的で、酒精のにおいがするどく口腔の中にひろがった。ふじ子は膳の上のものに箸を迷わしながら、喜びにあふれたような声でひとりごとのように言った。

「まあすてき。こんな豊富な夕食は天皇さまだって召し上らないわね」

 そうだ、ふじ子。ソロモンの王様だって、こんなに高価な代償をはらった豪華な食事はとらなかっただろう。何故かはげしい羨望の念をふじ子にたいして感じながら、その瞬間私はそう胸のなかで呟いていた。ふじ子は円い顔をたのしそうにほころばせて、自分も湯呑のウィスキイを少し舐めたりした。

「まあ、本物ね。此のウィスキイはほんとに本物だわ」

 そして私はもはや酔っていたのだ。飲んで飲んで酔いたおれたい気持だけが、しきりに私を駆っていた。写真機の前にたったふじ子の裸のすがたが、酔った頭の中をしきりに去来した。羽毛をむしられた鶏を私は思い浮べていた。やがて私はふじ子に、どんな風の部屋だったとか、どんな風に着物を脱いだとか、そのとき男はどうしたかとか、そんなことをくどくどと執拗(しつよう)に問いただし始めていたのだ。――

 深夜の此の駅の白い壁を、そして今私は眺めているのであった。少年も女も、またもとの姿勢にかえって、しんしんと眠りに入るらしかった。隣の男もからだを伏せて、もう微かないびきを立てはじめるらしい。眼を覚ましているのは私だけであった。駅の構内はがらんと静まっていて、ときどぎ風のおとがした。歩廊の天蓋に点々とともる燈から、光の輪がつぎつぎならんでおちていて、その輪のひとつずつを順次に、塵埃(じんあい)がかろやかに騰(のぼ)った。風の速度がそれで判った。脚をふと手車の下にずらすと、靴の踵(かかと)がなにかぶよぶよしたものに触れた。車輪がぎいぎいと鳴った。身体を曲げて手車のしたをのぞきこんだ。

 顔の長い小柄な犬が手車のしたにねそべっていた。

 私の気配をかんじたのか薄眼をあけてこちらをちらと見たらしい。かすかに身動きしてまたふかぶかと瞼をとじた。曲げた脚が骨のままに細く、皮の毛は地図を描いたように処々すりきれていた。垂れた耳には毛は一本もなくて、まるでブリキみたいに堅そうな感じであった。うすくらがりの中で、その灰色の犬の形を私はまざまざと見ていたのであった。頭をさかさに垂れているせいで、顔中がはじけるように熱苦しくなって来る。しばらくして私は顔をあげた。もとの風景がまた眼の前にあった。頭に一斉に血がのぼったせいか、風物があからみを帯びていて、吹いてゆく風のおとが耳鳴りにまじって、へんに倒錯した感じであった。そして冷気がするどくせまって来た。

 まだ夜明けは遠いらしい。此のしずかさの中で私ひとりが目覚めているということ、それが次第に私にはおそろしいことに思われ出した。手車の外蓋に腕をおき、しめって冷たくなった服の袖に顔をおしあて、やがてこみあげてくる混乱した想念を、私はひとつひとつ押しつぶしながら、麻をひっかきまわしたような断続した悪夢のなかに、うつつとも知れず引入れられて行った。……

 

 しきりにぎいぎいと車輪がきしむ。重くつめたく執拗にその音は、ぼんやりと意識のなかにはいって来る。昏迷した意識で私は、あのごわごわした犬の耳の感じを、嘔(は)きたいような感じと共に思い浮べていた。そんなに手車を押したら、あの犬は轢(ひ)かれてしまうではないか。薄明のなかで私は懸命に気をもんでいる。意識が混濁したままするどく尖って、しきりにそこに走るらしい。あの冷たく重い鉄輪に轢殺(れきさつ)される感覚を、私は疲労した肉体のどこかにまざまざと感じとりながら、そこから脱出しようと必死に身もだえしている。ある現実的な気配がそのあつい腰をやぶって、いきなり皮膚を冷たくする。私はそしてどろどろした沼の中から浮き上るようにして目が覚めた。

 女が私の前にいた。

 私に横姿をみせて、白い浴衣の脇あけから軟かそうな皮膚が鳥肌になっていた。女の手がかすかに、そして素早く動いている。手のさきは、隣の男の果物袋の口に触れているのだ。紐がずるずると解かれる。女の手が男を目覚まさないように、ふしぎなくねり方をしながら、袋の中に入って行く。淡黄色のすべすべした大粒の梨が、ゆっくり引出されて来る。そしてまたひとつ。その梨の肌になにか電燈の光とちがう白っぽい光があると思ったら、天蓋のかなたに夜がしらじらと明けはなつらしかった。女はぎょっとしたように身をすくめた。眠っている男が何か言いながら身体をうごかしたからである。女はそしてゆっくり私の前をはなれた。男はそれきり動かない、幽(かす)かないびきがふたたび始まる。

 女はもとの場所にもどって腰をおろした。胸をはだけて梨を入れ、両手でかたく襟(えり)をあわせるようなしぐさをする。安堵したような笑いが頬にうかぶ。あたりを見廻した視線が私にとまった。襟をおさえた女の指にふと力が入ったらしいが、そのくせ顔にはほのぼのと笑みをたたえて私をみつめて来る。その側で少年が薄眼をあけたような眠り方で壁によりかかっていた。

(あの笑いなんだな!)と何故ともなく私はいつまでも考えている。考えているだけで何も判りはしないのだ。ただ心の内側をなで廻しているだけだ。女はすでに私から視線かそらして、ぼんやりあちこちを眺めまわしているのに、私は何故か放っておけないような気がして、じっと女に視線をとどめている。口の中がねばねばして気持がわるい。酔いの醒めぎわのあの厭な悪感が、絶えず背筋をはいまわっている。歩廊にともった燈がしだいに光をうすれはじめ、遠くの森や家がくろく浮きあがって来た。女のすがたはしろっぽい暁方のひかりの中で、夜の感じを失って、だんだん生気をとりもどしてくるらしい。

 隣でとつぜん男が唸り出す。しぼりだすような沈欝な声で、ちょっととぎれてはまた呻きはじめる。袋を脚ではさんだまま、上半身をそれにうつむけているのだが、手指が袋の外側を搔くようにしながら、段々苦しそうな声が高まってくる。額が汗でびっしょりだ。うつむいた顔に眉根をよせて、海防艦二十九号の旧乗組員は暗い翳(かげ)を顔いっぱいにたたえて、しきりに袋をかきむしる。呻声(うめきごえ)はひとをおびやかすような響きを帯びて、しだいに切迫して来る。女はふしぎそうな面もちでそれを眺めている。私はだんだん耐えがたくなって来る。少年やその他の連中も眼をさますらしい。欠伸(あくび)の声がする。

「おい。おい」

 肩に手をかけて私はゆさぶった。男の首ががくんと揺れて、はっとしたように顔をあげた。表情を失った放心した眼が私におちる。やがてその眼にゆっくりと光が戻ってきた。

「……夢をみていた」

 吐息と一緒に男はしばらくしてそんな言葉をはきだした。まだ夢が身体にのこっているような具合で、男は派手な襯衣(シャツ)の袖をしきりにひっぱった。

「ずいぶん苦しそうだったよ」

「……くるしかったなあ。ほんとにくるしかった。海の中におっこちてさ――海ん中におっこちて、それから無茶苦茶にもがいたんだが、なんだか海藻みたいなものにからんでさ、脚や手にべたべたまきついて来てさ、どんなにしても浮き上らねえ。呼吸がくるしかったなあ。ほんとにほんとにくるしかった」

 男はだんだん調子を取りもどしてくる。額にばらばら乱れ落ちた髪を乱暴にかきあげた。

「うん、そうだ」舌を丸めるような元の口調になる。「さっきお前にあんな話をしたからだ。それできっと思い出したんだ」

「そう。そんなことはよくあるよ」

「――まったくそっくりだった。死ぬかと思った位だ」

 男はゆっくり顔をうごかして遠くを眺める眼つきになった。

「夜があけたんだなあ。もう始発がやってくるよ」

「で、そんな夢をときどき見るのかい」肩にのしかかるにぶい苦痛を押えながら、暫くして私が聞いた。

「え。ああ夢のことか」男は手巾(ハンカチ)を出して首筋のへんを拭いた。「あまり見ねえな。見てもすぐ忘れてしまう」

「戦友のことなど思い出さないかい」

「戦友って軍隊のか」

「海二十九に乗ってた連中だよ」

「うん」急に冷淡な口調になって男はうなずいた。「思い出しもしねえな。思い出そうにも名前なんか忘れてしまった。ああ、あの甲板士官は何て名前だったっけ。四国の男だと言ってたが――」

 夜明けの光に浮き上った男の健康そうな顔が、突然言葉を止めて凝縮した。

「おかしいな。紐が解けている」

 急に兇暴ないろが瞳にあふれて、男は袋の口を押しひろげて中をのぞぎこんだ。そして紐をかたくしめなおしながら、四辺をぐるりと見廻した。

「たしか紐を締めておいたと思ったがなあ]

「締めわすれていたんだよ」と、私はふとこみあげてくる嘔気(はきけ)をおさえながらそう答えた。「忘れることはよくあることだ」

「そうかも知れないな」男はなぜか弾けるような声を立てて短くわらい出した。「お前食いたいなら、ひとつやろうか」

「そうだな」私は自分の食欲をちょっと確めてみた。「食いたくないけれど、呉れるなら貰うよ」

 よし、と言いながら男は堅くむすんだ紐を、また力を入れてほどいた。生気にあふれたその横顔を眺めながら、ある茫漠たるものが、しだいに胸の中で形をとりはじめて来るのを私は感じていたのである。私は低い声で言った。

「皆にも分けてやんなよ。みんな腹へらしてんだろ」

「いやなこった。腹なんぞへらしているものか」

 男から受取った梨ひとつを、私は掌にのせていた。それは実質のある重量感であった。私はそれをポケットにしまった。

「しかしこんな重いものを毎日かついで動き廻るのも大変だな。ずいぶんもうかるのかい」

「そんなでもないさ」紐を再び締めて男はむきなおった。

「見せてやろうか」

 男はなにか真面目な顔つきになって、ポケットから厚い革の金入れをとりだした。それを開いて私の眼の前につきだした。その中に束となった紫色の紙幣を、私はある戦慄に似たものと共にはっきり見た。それは一寸位の厚さであった。すぐ金入れは鈍い皮のおとをたてて閉じられた。男の顔はむしろ堅く沈んだ色を浮べていた。だまって金入れをポケットに戻した。

「――おれは、朝という時刻がすきなんだ。さっぱりしていて、あかるくて」

 暫くして男がそう言った。

 駅の事務室に泊りこんでいたらしい駅員が、歩廊の水道で顔洗うのが見えた。ざわざわした朝の物音が、すでにあちこちから起りはじめて来るらしかった。男は靴のひもをしめなおすと、勢よく立ち上った。手車が強くきしんだ。

「おれはあっちで姶発を待つぜ。おまわりなんかが来るとうるさいからな」

 袋をかつぎあげると私に背をむけたまま、また会おうぜ、と言いのこしたままあるき出した。靴裏が混凝土(コンクリート)に触れるたしかな音が、反響しながら歩廊の方に遠ざかって行った。私は軽く眼を閉じてそれを聞いていた。眼のふちが幽かにふるえて、それまで耐えていた悪感がしきりに背をはしった。

(あれはきっと悪いアルコオルだったにちがいない)

 昨夜から千切れ千切れになった記憶をむすびあわせようとしながら、私は次第に今日という日を負担に感じはじめていた。昨夜ふじ子は泥酔した私につきそって駅まで送って来たのだ。そのあたりをところどころ思い出せる。それから電車にのって終点まで眠りつづけて来たにちがいないのだ。そしてこんなに酔っぱらった私にたいして、あの男がどんなきっかけで軍隊のおもいで話などを始めたのか。それを酔った私がどんな具合に受答えたのか。何故昨夜はこんなに酔っぱらってしまったのだろう。

 そうだ。あのときはまだラジオがなっていたのだ。膳のものは食べてしまって、私ひとりがしきりに湯呑のウィスキイを傾けていたとき、ふじ子は窓にこしかけてぼんやり外を眺めていた。はっきり覚えていないけれども、裸になったという事をわざと執拗にふじ子に問いただしていた記憶もあるから、あるいはそれを避けるためにふじ子は窓の方に立って行ったのかも知れない。はっきりと胸に残っているのは、そのとき私はしめつけられるような哀憐の情で、窓にいるふじ子を眺めていたのだった。そして私は、ふじ子が裸を売って得た金で今私が酔い痴れていることを、はっきり意識にきざんでいたのだ。ふじ子を眺めるその気特を、此の意識が二重に裏打ちをしていた。頭のかたすみで私はなにかをせせら笑いながら、そのくせ腹の中をまっくろに凝りかたまらせ、肩を張ってわざとその状態を育てるように、しきりにやけつくような液体を咽喉(のど)に流しこんでいたのだった。そのとき遠い町の光に影絵のように浮んだふじ子の顔が、何か口ずさんでいるのにふと私は気づいたのだ。私は飲む手をやすめて耳を立てた。それは幽(かす)かな無心なうた声だった。

 

  夕やけ小やけのあかとんぼ

  追われてみたのはいつの日か……

 

 むこうの家のラジオがなっていて、それがふじ子の歌声に重なるのを見れば、ふじ子はラジオにつられてふと此の歌をうたい出したものにちがいなかった。ある言いようのないむなしさが私の身体を奔(はし)りぬけた。私はそれをごまかすために、あわててまたウィスキイを口の中に流しこんでいた。――それから記億がぼんやりしてしまう。ふじ子の背につかまって、暗い道をあるいていた。私は何かくどくどとあやまっていたような気もするし、また厭がらせを言っていたような気もする。そうだ。金などはつくってやるから、明日にでも沢山もってきてやるから、もうあんなことをやめるがいい、と何度も私はくりかえしてふじ子に言ったのだ。あんなことをやれば一生こころに傷を負うから、それは止めたがいい。そうするとふじ子は私を見上げてあえぐように言った。

「何でもないのよわたし。あなたはそんなに苦しまなくてもいいのよ」

 そのときは明るい街に来ていたような気もする。私はふじ子のその声と見上げた円い顔をぼんやり思いだす。それから暫くして、何故泣いているの、と私の背をしきりに撫でていたのだ。私は電信柱の根元にしやがみこんでいた。記億がそこらで前後しているのかも知れない。私はなぜしやがんでいたのか。嘔(は)きたくてそうしていたのか、それは何もわからない。その瞬間のふじ子の声と私の姿勢が頭にうかんで来るだけだ。それから駅の明るい燈や、電車を待っている人々や、そんなものが瞼にちらちらしたようだ。いつ改札を通りぬけたか覚えがない。足もとがむやみにふらつくから、今日はずいぶん酔ったのだなと、階段をのぼりながら考えたようでもある。歩廊に風に吹かれて立っていた。ふじ子とむかい合って立っていた。そうだ。私はそのとき、その姿勢のままで、ふじ子の部屋の壁のインクのしみを頭にうかべていたのだ。何故かそのとき私は非常に露悪的な気持になって、わざとふじ子の顔に私の顔をちかづけてみたりしたような気がする。ずいぶん長い間そうしていたような気がする。ふじ子はその間にこにこと笑みをふくんで私をみつめていたのだ。壁のしみのように私たちはむきあっていたのだ。いや、そうじゃない。わらっていたのはふじ子じゃない。それは梨をぬすみおおせた女が、壁にもどって私にわらって見せたのだ。一瞬前にぬすんだことすら忘れ果てたような、あかるいほのぼのとした笑いだった。少しも傷つかないレンズのように透明なわらいだった。……

「兄貴。おい。兄貴」

 耳のそばでそんな声がする。私はすこしうとうとしていたらしい。私を呼びさましたのはあの少年の声である。私のとなりに何時しか腰かけて、脚をゆすってわざと車輪をぎいぎいきしませながら、幅のひろい顔で私の方をのぞきこむようにした。そして私ははっきり眼がさめた。

「兄貴。病気じゃないのかい。顔色がひどくわるいよ」

 気がつくと待合室のあたりにちらほら人影が見えて、歩廊にはすでに制服の駅員の姿が隠見して、床に積まれた梱包(こんぽう)を次々動かしているらしい。天蓋の稜線に断(き)りとられた空は、鈍い灰色に曇り、やがて始発車がホオムに入って来るような気配であった。少年は汚れた襯衣(シャツ)を着こんでいて、私にわらいかける瞳はなにかずるそうに光った。

「ああ、病気なんだ」

 私は素直にそう答えた。視界がどこか白々しいと思ったら、壁にうずくまって寝ていた連中は、私の知らないうちに皆どこかに行ってしまったらしく、少しはなれた荷受台によりかかって、さっきの女がひとり梨をかじっているだけであった。さくさくと嚙む音がここまで聞えて来た。唾液にぬれた白いすこやかな歯を、私は女の唇の間に見た。

「病気かい。病気だろうなあ。おれも先刻からどうも変だと思っていたんだ」

 脚にぶよぶよするものがさわって、ぎいぎい鳴る手車の下から、そのときやせて惨(みじ)めな犬の首がのぞいた。少年の足先がその耳のあたりをしたたか蹴とばした。犬は弱々しい声で一声啼(な)くと、すこしよろめきながら歩廊の方に出て行き、脚を前後につっぱるようにして伸びをした。少年は乾いた声をたててわらった。

「ねぼけてやがら。あいつ」

 そして更に脚を揺って手車をぎいぎい鳴らした。

「お前、今からどこに行くんだい」

「今日かい。今日はねえ、仕方がないから田舎廻りだよ」

 どんな意味か判らなかった。問い返すのもものうく私がだまっていると、

「あいつ、淫売なんだぜ」すりよって低い声でいった。「あいつ頭が馬鹿になってんだけど、あれでいい稼ぎやるんだぜ」

「淫売がどうしてこんな処で夜を明すんだね」

「昨夜はあぶれたのさ、あいつ」少年ははげしく舌打ちをした。「ちぇっ。梨なんか食ってやがら。先刻のやみやが呉れたのかい」

 女をみつめる少年の眼はきらきら光っていた。女は身体でその視線を感じたらしく、こちらをふりむいた。おびえたように手の梨をうしろにかくすと、すこしずつ後ずさりはじめた。

「ふん、馬鹿にしてやがら」

 少年はそして私にふり向くと、心配そうな声で言った。

「病気なら早くなおしたがいいぜ」

「うん。わかってるよ」

「ふん。やっぱり病気だったんだな。病気なら、ねえ、兄貴。兄貴はさっきの梨は食わねえだろ」

 暗い可笑しさがふとこみあげて来て、私は頰をゆるめながらポケットを探った。冷たい梨の肌が手にふれた。私はそれをつかむと少年の方にさしだした。

「やるよ」

 少年は有難うとも言わずそれを受取り、だまって口に持って行った。歯が梨に食いこむ音がした。上眼使いに私を見ながら、少年は更に次の部分を嚙んだ。私はぼんやり少年の顔をながめていた。そのとき何故か私は、先刻軽く眼を閉じてあの男の靴音が遠ざかって行くのを聞いていた気持を、漠然と胸によみがえらせていたのである。梨を嚙むさわやかな歯音と、堅く確かな靴のひびきが、ある気持を橋としてひとつにかさなった。私は少年から視線をそらして、遠く歩廊の方に瞼をあげた。線路の遙かから電車がゆるゆる逆行して来る。あれが始発電車になるらしかった。私は立ち上った。長い間腰をかけていたせいか、腰のへんが凝るように痛んだ。

(別れるときあの男は、どんなつもりで金入れの中などを見せようと思ったのだろう?)

 紫色の紙幣の束を瞼のうらにあざやかに浮べたとき、不快な濁った亢奮(こうふん)が急速に湧きあがるのを感じながら、私は歩廊の方に足をひきずりひきずり歩き出していた。

 

 盛り場のまんなかがぽっかり脱落したように建物にかこまれた小広場になっていて、そこに今日も聴衆がぐるりと輪をつくっていた。その輪の中央に不思議な容貌の青年が大きな身ぶりで手摺(ず)れのした手風琴をひいていた。午前の曇天の鈍色のひかりが、そこにも静かにおちていた。

 青年の顔の中央にある鼻は、粘土のように黄色いセルロイドの代用鼻であった。顔全体を巨大な灼熱した物体が擦過(さっか)したような趣きがあって、あるべきところに器官が歪んでいたり、また無かったりした。髪だけが不気味なほど漆黒に、つやつやと光っていた。韻律は乱れながら小広場の果てに消えて行った。

 輪をつくって囲んでいる人々は、皆おなじようなひとつの表情をうかべていた。彼等の耳がその手風琴の曲目にとらわれるよりもっと激しく、彼等の眼はその青年の顔にそそがれていた。人々の表情はみな眉根をかるくよせて、ある感じを露骨にただよわせていた。その感じは非常に複雑で、一口ではうまいこと言えない位であった。単に哀傷でもなく、単に憐憫(れんびん)でもなく、まして単に好奇でもなく、単なる嫌悪でもなかった。それらのものがみんな入り組んで、そしてそれが露骨にひとつの表情をつくっていた。そしてその表情が自然のものでなく、自分で無意識に強いたものであることに、人々は誰も自ら気付いていない風であった。人の輪からぬけでて来ると、人々はそこらに唾(つば)をはいたり、空を眺めたりして、それからトットッと何処かヘ急ぎ足で消えて行った。また通りかかった人々が新しい聴衆となって、人の背にとりついた。背伸びをして内をのぞきこむと、早速同じ表情を露骨につくり、青年の大げさな身振りとその顔に瞳を据えて見入るらしかった。

 私もそのひとりになって聴衆の輪にまじって立っていた。あれから始発電車に乗ってこの盛り場にやって来て、そこらをやたらに歩きまわった揚句、ここに止っているのであった。私は一夜のために草臥れてしわだらけになった洋服を着て、よごれた顔をして楽師の顔をながめていた。

 此の異相の楽師の姿を見るのは、私は今日が始めてではなかった。此の数年の間に、あちらの街角やこちらの広場で、何度も何度も私は此の楽師を眺めていた。特徴のある手風琴のおとが聞えれば、すぐそれとわかった。近頃では音楽が聞えずとも、その人の輪から離れてくる人の顔をひとめ見るだけで、そこに浮んでいる表情で判ることが出来た。今日もそれであった。私は吸いよせられるように人の輪にとりつき、いつもと同じように、なにものかをはっきり確めるような気持で、私は楽師の顔から眼をはなせないでいた。

 顔?

 それは顔ではなかった。顔の輪郭であるにすぎなかった。それにも拘らずそれは表情をもっていた。静かな曇り日のひかりのなかで、手風琴を大きく引き伸ばしながら、上半身を反らす。空を斜にあおぐ顔の痕跡には、たしかに一つの陶酔にまぎれもない表情がみなぎっているのだ。あの陶酔をささえているものはなにか?

 やがて私はあわてたように楽師から眼を外らすと、押しわけるようにして人混みをぬけだした。土埃を踏みながら広場をよこぎった。広場の果ては建物の壁となり、それをヘだてる有剌鉄線の垣根があった。その根もとに材木が一本横たわっていた。湿気を吸って黒く沈んだ色であった。私はそれに腰をおろした。ふかぶかと肩につみかさなる宿酔の疲労をはらいのけるように、私はポケットからつぶれた莨をとりだすとライタアで火を点じた。ライタアの錆色(さびいろ)のはだに、髪の乱れた私のかおがぼんやりうつった。

 莨(たばこ)の煙をふかく肺まで吸いこんで、私は何となく眼を閉じた。あの楽師の前にはふるぼけた帽子があって、それには聴衆が入れた紙幣がたくさん入っていた。それを前にして楽師は大きく身体を反(そ)らして手風琴をひいていたのだ。その旋律は幽(かす)かに乱れながら、今ここに腰をおろしている私の耳にまで届いてくる。私はふと昨夜のふじ子のかすかな歌声を思い出していた。今頃ふじ子は何をしているだろう。やはり弁当をかかえてあの会社に出て行ったにちがいない。みんなにお茶をついで廻ったり、銀行に使いに行ったり、皆から「空飛ぶ円盤」などとからかわれたりして、そして裸になって写真をとられたことなどすっかり忘れはてているだろう。昨夜私に酒をのませたことも、私が酔っぱらって厭味をさんざん言ったことも、ときどき微笑しながら思い出すだけだろう。たとえ着物の最後の一枚を脱ぐとき、耐えがたい苦痛をしのんだとしても、それはそのときですっかり終ってしまったのだ。今から先ときどきそのときのことを夢にみて、あるいは苦しそうな声を出して呻くだろうが、覚めてしまえばそれだけで忘れてしまうにちがいない。――

 材木に深く腰をおろし、いらだたしく莨の煙をはき散らしながら、私はすこしずつ気持がたかぶりはじめるのを感じていた。それはなぜか判らなかった。こんな日のこんな時刻に、こんな場所に私がぼんやり腰かけているという、得体のしれない不安から来ているのかも知れなかった。しかし今ここに尾を引く気持の後感としては、私はむしろ誰かを憎んでいた。誰を憎んでいるのか。その気持を手探って行けぱ、突きあたるものは私の眼前に輪をつくっている人々であり、その中にいる異相の楽師であった。私は楽師をひっくるめた此の広場の群集を心のそこからにくんでいるのかも知れなかった。

(不幸というものは、あんなものではないだろう)

 私は吸いさしを地面にぎりぎりこすりつけた。今日も人の輪にまじって、長いこと楽師を眺めていたというのも、私にははっきり判っていることであった。それは此の楽師の容姿をながめることが、私にいつもある刺戟をあたえるからであった。その胸を逆にこすりあげるような切なさが、むしろ私には甘美なものとして感じられるのだった。だから今日も長いこと立って見ていたのだ。しかし不幸というものがあんな形で肉体にあらわれ、あんな具合に人眼にさらされ、そして人々がそれに打たれるものとすれば、それは何と通俗で退屈なことだろう。まるで不幸の登録商標みたいに、あの楽師は立って手風琴をひいている。私は知っている。人の輪をくぐり出た人々の、眉をしかめた複雑な表情が、ものの一町もあるかないうちに次第に和んできて、やがて深い満足のいろがしたたか顔中にひろがり始めて来るのだ。人々は排泄(はいせつ)を終了したときのように、そこでほっと肩をおとすのだ。――

 ふと気がつくと、私の手の甲を脚の沢山ある小さな赤黒い虫がゆるゆると這っていた。一匹かとおもうと洋服の胸のところにも膝のところにも、その小さな虫は無数にはいのぼっていた。ぎょっとして私は立ち上った。あわてて掌をふってあちこちからばたばたと払いおとした。虫たちは赤黒い点になって掌につぶれたり、地面に飛びちったりした。見るとその湿った材木は古くくされて、すでに朽ち果てているのであった。赤黒い虫は層をなしてむらがり動いていた。[やぶちゃん注:「赤黒い虫」所謂、「木食い虫」「蠹」であろう。赤黒いとなると、鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目(亜目) Cucujiformia 下目ゾウムシ上科ナガキクイムシ科ナガキクイムシ亜科 Platypus 属カシノナガキクイムシ Platypus quercivorus か。]

「――ふん」

 肩のところを這っているのを横眼で見つけて、忌々しくそれをはたきおとしながら、私はのろのろと歩き出した。

 堅い舗装路を人々は無表情なかおでぞろぞろあるいていた。私は柵を越えて路に出た。なにもかもむなしい気がした。人混みにまじって私は歩き出していた。背中に手風琴のおとがだんだん遠ざかる。今晩のあの終点の駅の風景は、もはや遠い世界のようにも感じられたけれども、またおそろしく身近にも感じられた。此の一夜が、朝が好きだという闇屋の男や、梨をぬすんだ女や、少年や犬が、しかし私にどんな関わりがあるのだろう。何にもないにきまっていた。しかし私は此の行きずりの人々を、今後ときどき思い起しては激しく嫉妬したり羨望したり憎悪したりするのかも知れない。それは愚かなことだ。しかし愚かといえば、酒に酔って前後不覚になって終点まで運ばれたことからして、全然おろかなことなのだ。そんなおろかなことを性こりもなく積みかさね積みかさねして、そしてそこで傷だらけになることで今までも、また今から先もすごして行くのだろう。正常な市民にもなれず、その反対のものにもなれず、自分の露床につきあたるのをおそれながら、毎日を身ぶりで胡麻化(ごまか)して行くのだろう。胡麻化そうとすることで剣は皆するどく、私のむねに刃を立ててくるだろう。揚句のはては自分の眼や心をも傷だらけにして、やがて私は一本の材木のように健康な感動をなくしてしまうだろう。そしてあの材木のように朽ちてしまうだろう。そのときになって朽木のような私を、どうして私は彫ることが出来るだろう。赤黒い小さな陰惨な虫たちだけが、私のむくろに根強く執拗に巣くうだろう。そしてそのときは私は生きながら死んでいるのだろう。――

 両手をポケットにつっこみ、人通りの少い道へ曲りこみながら、昨夜ふじ子に明日金を持って来ると約束したことを私は思い出していた。日がかげっているので時間は判らなかった。遅刻はしても今から勤め先に行ってみようか、このまま下宿にもどって眠ろうかと、ぼんやり考えなやみながら、曇り日の下を私は欝々とうなだれてあるいて行った。

2021/07/10

ブログ1,560,000アクセス突破記念 梅崎春生 麵麭の話

 

[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年十二月発行の『別冊文藝春秋』第五号に初出、翌年八月刊の講談社「飢ゑの季節」に所収された。「麵麭」は「パン」と読む。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 標題及び本文内の「麭」の字は「麥」の最終画が(つくり)の下に延びない字体であるが、表記出来ないので通字を用いた。

 文中に注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが先程、1,560,000アクセスを突破した記念として公開する。【2021710日 藪野直史】]

 

   麵麭の話

 

 日曜だというのに、なぜこんな混むのだろう。あいにく窓際に立ったばかりに、背後から押しつけられると、かたいかたい窓枠がいたく胸を衝きあげてくるのだ。外套を着ているとはいえ、それはじかに肋骨(ろっこつ)にひびいてくる。ぐっと押されるたびに呼吸がとまりそうだ。辛うじて腕で身体をささえ、眼の前にある窓ガラスに映った自分の顔を、彼は額に許をにじませたまま見つめていた。窓外を飛びさる風景のなかに、それは白日の幻のようにうすく浮び上っている。頰のこけた輸郭のなかに、眼だけが大きく見開かれている。その眼が彼を見ている。顔をそらしたいと思っても、押しつけられてしるからどうすることも出来ない。そしてまた、ぐぐっと押しつけられる。悪意あるもののように背後の圧力は、彼ひとりをめがけてあつまって来る。呼吸を止めた彼の顔に、ほの赤く血の気がのぼってくる。彼の背中の一部分を、なにか堅いものが押しているのだ。背に食いこむ感じからいえば、四角な箱の稜角である。うしろの人の荷物にちがいないのだ。

(荷物なら網棚にあげればいいではないか、網棚に――)

 怒りがこみあげてくるのを感じながら、彼はそんなことを考えている。ぎっしり詰っているので、ふりかえって背後を確める余裕がないのだ。全身のいらだちをそこにあつめて、彼はガラスの中の自分の顔に見入っていた。

 電車がきしみながらとまる。揺れが一時おさまるので、すこしばかり楽になる。扉が開くと人々が降り、また新しい人々が乗って来る。それが見えるわけではない。背中につたわる気配だけでそれを感じているのだ。あらあらしい身じろぎや烈しい声。そして扉のしまる音がして、がくんと電車が動き出す。

(まるで犬にそっくりだ!)

 ガラスの中の顔に視線をさだめながら、彼の胸に突然そのような観念が走る。それはいやな聯想をともなって来るので、彼の頰のあたりは苦渋をおびてすこし痙攣(けいれん)する。こけた頰や長い鼻。眼窩(がんか)が暗くおちこんでいる。段々ちかごろ瘦せてきて、今朝もズボンのバンドに新しく穴をあけた位だ。去年はそうでもなかったのに、今年は外套が風をはらんだようにぶかぶかだ。大き目の帽子の廂のしたの病犬のような顔。

 突然下腹のあたりがぐうと鳴る。腹が減っているのだ。腸のなかが乾いてくっついている感じだ。押しかえそうとりきむ力が、膝のへんで急に抜けてしまう。今朝彼は朝飯を食わなかったのだ。自分の丼はその息子にやってしまった。息子はまぶしそうな、そしてちょっと厭な顔をしてそれを受けとり、それでも全部かきこんでしまった。彼は空腹を忍びながら、じっと息子の食べ方を眺めていた。息子は食べ終ると、彼の眼をさけるようにして立ち上り、玄関の土間にしやがんで、あの犬の顔を一心に見詰めていた。犬は息子のまえで、長い舌をだして、しきりに自分のあごを砥(な)めた。あの子は切れ長の眼を一心不乱にそれにそそいでいたのだ。それによって父親の執拗な視線をのがれでもするかのように。そして彼も同じく犬の姿を、その時ある意味をもってじっと見詰めていたのである。

 ――あの子はそれほどあの犬が好きなのか?

 彼はしばらくして静かにそんなことを考えた。学校の戻りに魚の頭などを拾ってきて、あの子はだまってエダに食べさせたりしているのだ。エダとは彼の家に数年来かわれているその犬の名であった。エダはすさまじく瘦せている。飼いはじめの頃は毛なみがつやつやしていて、もっと肥っていた。ところが近頃では皮膚があちこち地図のようにすり切れ、肋骨が蒼黒く胸にあらわれているのだ。ろくに餌を食べないせいだ。眼ばかり大きくぎろぎろしている。あの子がどこからか拾ってきた魚の頭を、エダはほとんど血相を変えるようにして貪りたべる。その食い方は、まるでエダの全身が食慾のかたまりになったみたいだ。その光景をあの子は黙りこくって、しゃがんでじっと眺めている。自分の息子ながらその眼は妙に無気味で、なにかに憑(つ)かれたもののようだ。あの子はそれほどあの犬が好きなのか。それとも、――それとも自分の満たされない食慾を、エダの食慾に仮託して満足しようとしているのか? 此の前の日曜日のことであった。多田がある用件でやってきて、帰りしな玄関で靴の紐(赤皮のぴかぴかした立派な靴であった)を結び終えると、たたきにうずくまっているエダの姿を暫(しばら)くながめていたが、やがて片頰に笑いをうかべながらこう言った。

「――面白い恰好(かっこう)の犬だね。ほんとに面白い恰好だ。泰西名画に出てくる犬みたいだ。ぼくにこいつをゆずらないかね」

 あの子はやはり玄関にたってその言葉を聞いていた。

 その夜の食事どきのことであった。あの子はへんにぐずって、時には白い御飯も食べたいなどと無茶を言って、彼や彼の妻をこまらせた。彼のうちでは長いことそんなものは食卓にのぼせていないのだ。米の配給がたまにあっても、食いのばすために他のものと混ぜてしまう。そんな家計のくるしさもうすうす感じている年頃なのに、何故こんなに聞きわけのないことをいうのだろう。彼は次第に腹が立ってきて、その時言葉をあらくして叱りつけたのだが、すぐ可哀そうになって自分の丼を子供の方に押してやった。丼のなかに入っているのは、何やかやをどろどろに煮込んだ汁である。たった今白い飯を食べたいと言ったくせに、子供は涙をぽろぽろ流しながら彼の分もそのどろどろ汁を平げてしまった。だからその夜も彼は空腹のまま寝なければならなかったのだ。子供がこんなにぐずったというのも、単に発作的な物悲しさにおそわれたためか。あるいは昼間、多田が犬をゆずってくれと言ったのを、へんに気に病んでいたのかも知れない。しかし気に病んだとしても、たかが飼犬のことではないか。もし今日にでも彼がエダを手放したとしても、子供のことだから一週間もすれば忘れてしまうに違いないのだ。とにかく日曜日の夜というのは、彼も経験があるけれども、小学生にとっては一番ものがなしい気分のするものなんだから。――それから昨夕のことだ。

 昨夕、彼は役所から戻ってきて、誰もいないので何気なく台所の障子をあけたのだ。台所のすみで、急にあわてたように小さな人影が立ち上ったと思うと、それが彼の息子であった。乏しい光のなかで、その顔はまっさおであった。不自然にのばした右手の先から、なにか白いかたまりがぼとりと落ちた。短い時間のあいだに、彼ははっきりそれを見た。それは真白なコッペ麵麭(パン)であった。子供は彼の方に真蒼な表情をむけていたが、両掌を顔にかぶせると、静かな低い声を立てて突然泣き始めた。彼もそげた頰を紙のようにまっしろにさせて、しばらく身体を硬くしていたが、やがて障子を音のしないようにしめて、膝ががくがくするのを辛抱しながら居間に戻って来た。居間に戻って卓の前にすわってみても、脚のふるえは止らなかった。

「――どうにかしなくては。どうにかしなくては」

 痴呆のように彼はこんな言葉をつぶやいていた。どうすればいいのか。彼はきちんとそろえた膝がともすれば躍(おど)りだそうとするのを押えながら、閉じた瞼のうちに灼きついた一瞬の光景を想い返していた。まずしい、すすけた台所。乾いたまないたや庖丁。その光の射さない隅に、ぎょっとしたように立ちすくんでいる子供の姿。古びてぼろぼろのつぎがあたった小さな小倉の服から、小学校の三年にしては細すぎる手足が出ていて、それが不均衡に大きい頭蓋を支えているのだ。そして――子供の掌から生き物のように離れて落ちた真白な麵麭(パン)。それがしめった土間に音なき音をたてて落ち、一回転して横ざまにころがった。その土間のはしにエダが黒い影のようにねそべっているのを、その時彼は無意識に視野の端に収めていたのである。それが嘔きたいような生理的の収縮感とともによみがえってきた。

(あの麵麭はどうしたのか?)

 彼がただ障子をあけただけなのに、何故あのようにおびえたのか。そしてなぜあんなに泣きだしたのか。すべてを諦(あきら)めた死刑囚のように静かに。彼にはなにも判らなかった。判らなかったけれども、その感じからいえば正常でないものがそこにあった。暗い影をともなった歪んだものが彼の全身にいきなりぶつかってきたのはそれであった。――

 電車が駅に入るらしく、いやな音をたてて速度をおとした。背中に四角なものがぐっと食いこみ、彼は思わず窓枠に支えた腕に力を入れた。そのまま電車は止った。ふたたびあらあらしい波動を伴って、押しだされるように何人かが歩廊に降りて行くらしい。僅かにできた間隙を利用して、彼は顔を歪ませたまま身体をひねった。背中を圧していた箱は、持主といっしょにはずみを食って彼の横によろめいて来た。それは髪が灰白にみだれた六十歳ほどの小さな老婆であった。老婆は身を窓枠で辛うじてささえると、汗が滲みでた額を彼にふりむけ、かすれた声であえいだ。

「――すみ、ません、ねえ、ほんとに」

 老婆が手にしっかと持っているのは、盲縞(めくらじ)[やぶちゃん注:縦横とも紺染めの綿糸で織った無地の綿織物。紺無地。グーグル画像検索「盲縞」をリンクさせておく。]の風呂敷につつまれた箱であった。彼の背中をいままで執拗に圧していたのはそれである。眉のあいだの影をいっそう濃くさせて、意地わるく老婆にからだをぶっつけてゆきながら、ほとんど反射的に彼は険しく口走っていた。

「なぜそいつを網棚にあげないんだ。あたりが迷感するじゃないか」

 無意識に彼の指先は憎悪をこめてその風呂敷の端にかかっていた。その瞬間老婆のからだは、ぎょっとしたように包みを守りながらちぢこまるらしかった。しかしそれは身体の姿勢だけで、老婆の小さな眼にはある必死な笑みが彼にむけられて浮んでいたのだ。それを見ると彼は衝動的に、発車のあおりを利用して、更につよく肱で老婆を突きやるようにしながら、そして勢に抗しかねて彼もよろめいた。老婆のよろめき方はもっと惨(みじ)めであった。よろめいたまま窓枠に押しつけられ、それでも老婆は懸命ないろを顔ににじませて、包みを抱きしめたまま起きすがって来た。彼にむけられていた笑みは、老婆の頰に硬(こわ)ばったまま貼りついていた。

「すみ、ません、ほんと」呼吸(いき)をぜいぜい切らせながら、老婆はやっとのことで口を開いた。「息子、がねえ、この先の、国立病院、にいて、食事がひどくて、おなかがすく、と言いますんでねえ」

 額のあたりをうす赤く充血させたまま、彼は老婆から険しい顔をそむけて、彼の指は食いこむように窓枠をにぎりしめていた。窓ガラスの中の山犬のような彼の映像は、ぼんやりした輪郭のまま彼を見つめているらしかった。老婆をよろめかすためにひねった腰のへんに、老婆を意識的に突きとばした肱(ひじ)のあたりに、いやな後味が筋肉にのこっていて、彼はことさら老婆から顔をそむけていたのだ。しかしあの何ともしれぬ怒りはおさまったわけでなかった。彼は身体をかたく構えたまま、頰に老婆の視線を感じながら、陰欝な表情になって硝子窓に対していた。生まの風景が幻の顔のなかをうしろへうしろへと飛びぬけて行った。

(あと二つとまると俺の降りる駅だ)

 頭の中からすべてのものを振りはらうようにして彼はそう考えた。その駅の近くに国立の病院があることも彼は知っていた。身よりや家のない復員病兵がそこに収容されていて、待遇のことなどで悶着をおこしているらしいことも、彼は新聞で読んだ記憶があった。彼がいま訪ねて行こうとする多田の家は、国立病院とは反対側にあった。彼はつめたいガラスに額を押しあてて、蒼ざめた頰をわずか動かして呟いた。

「――おれは何のために多田の家に訪ねて行こうとするのか? そしてほんとうに犬を売るつもりなのか?」

 一瞬ころがりおちた真白な麵麭(パン)の影像が、あの時からずっと彼の胸を貫きつづけているのであった。昨夕、それから暫(しばら)くして戻って来た彼の妻と、三人で貧しい食卓をかこんだ。彼は黙々として食卓にむかった。腹が減っているにも拘らず、食慾はほとんど無かった。子供は眼をあかくしたまま、これも黙って食べた。彼の妻は子供の眼のあかいのを見て、寒いのにまた遊び廻ってきたのだろう、と邪険に叱ったりしたが、その時でも彼はだまって沈欝に箸(はし)を動かしていただけであった。食卓に乗っているのは、葉を浮かせた団子の汁であった。団子は赤黒くかたまって丼の底にしずんでいた。彼は半分ほどで箸をおくと、妻が怪訝(けげん)の瞳(ひとみ)をむけるまでじっとしていた。そして低いおさえた声で聞いた。

「もすこしどうにかしたものがこさえられないのか?」

「配給だけではこれでせい一ぱいなのよ」

 妻もほつれ毛をかきあげながら、低い無感動な声で答えた。彼はだまって、黒い汚染[やぶちゃん注:「しみ」と読んでおく。]を浮かせた妻の眼のあたりから、視線をその横の息子の方にうつした。息子のこめかみは、赤黒い団子を歯でかみ合せる度にひくひくと動いていた。それは変におとなびた感じであった。細い土色の頸(くび)筋からこめかみにかけて、老人のように静脈が浮いていて、息子は彼の視線を意識するらしく、なにかぎごちなく眼を伏せて団子を嚙みしめるらしかった。ある荒々しいふるえが、その時するどく彼の背筋を奔り抜けた。彼はあたりまえの声を出そうと努力しながら、それでもかすれた声になって言った。

「――今日、白麵麭(しろパン)の配給があったんじゃないのか?」

 息子がぎくっと身体をすくめたのを、瞬時にして彼は瞳に収めていた。妻の無感動な答えが直ぐにもどってきた。

「ありませんでしたよ」

 ――彼をちらと見上げた息子の眼に、おびえたような暗い翳(かげ)がはしった。彼は呻(うめ)きたくなるのを唇の中で押えて、重い右手を努力しながら再び自分の箸の方にのばしていたのだ。

 ――線路がカアヴに入るらしく、またしてもぐぐっと倒れかかってくる。老婆のもった箱の角が、いきなり彼の脇腹をえぐる。彼の掌は必死に窓枠を支えながら、ふたたび冷たい汗が額に滲みでてきた。老婆の灰白色の髪が彼の外套を押しているのだ。彼の眼はとつぜん憎しみを帯びてきらきら光った。視線は老婆の頭におちているのだ。伜(せがれ)が国立病院に入っていて、それに食物をもって行ってやるということが、その食物の入った重箱で他人の脇腹を押す言いわけになるというのか。だいいちこんな年寄りが満員電車に乗りこんできたりして、始めから一台待てばいいではないか。一台待って空いたのに乗ればいいのだ。それを無理して乗りこんで、当然のような顔をして人を押しまくるのだ。またもぐっと脇腹をえぐって来る。窓枠にあてた掌が血の気を失うほどに耐えながら、とつぜん兇暴なものが彼を満たした。脇腹から背にかけて骨がこりこりと鳴って、灼けつくような圧痛が走ったとおもうと、彼は身体中が火のかたまりになったような憤怒とともに、ある感情の抵抗を烈しく意識しながらも、顔をまっさおにしてまた身体をぐいとひねった。窓ぎわの間に彼が必死にすかした隙間に、老婆ははずみを食ってはまりこみ、そのまま足がなえたように無抵抗に埋没しかかった。灰色の髪の下の小さな額を、べっとり汗に滲ませて老婆は絶え入るような悲鳴をあげる。

「旦那。且那さん。こ、これを、この膝を、あ、ああ」

 足をとられているのだ。上半身を無理な形に曲げて、片手を伸ばして何かを摑もうとあせっている。彼の膝頭と壁板の間に、かたいものがはさまる。彼の脇腹をえぐったあの箱だ。彼は顔をまっさおにしたまま、老婆を見おろしている。黄色くしなびたその顔が、起き上ろうとしてみにくく歪んで、それはまるで猿だ。絶望的な努力のために、しなびた額が汗でびっしょり濡れている。あの猛然たる衝動が胸のなかを貫いて、彼は歯を食いしばったまま、背後の力を利用して、そのままぐっと膝頭に力を入れた。膝頭と壁板のあいだで、箱がめりめりと音を立てる。そしてもう一押し。ぱりっと箱板がするどく亀裂する音。老婆のあえぐような悲鳴。そしてその瞬間、嘔(は)きたいような不快な衝動を咽喉(のど)に耐えながら、彼は膝頭に集めていた力をゆるゆると抜いて行った。――

 駅に近づくらしく、レエルに軋(きし)みを残しながら、電車は見る見る速度をおとし始めてきた。

 

 人柵の間から押しだされるようにして歩廊に降り立った。外套が押された形のままずれていて、彼は立ちどまったまましきりに両腕を動かした。彼につづいて次は五六人降りた。そして最後に押しだされてきたのは、あの老婆であった。老婆の着付はむざんに崩れていて、鼠色の下着が裾からはだけていた。茶褐色の細い脛(すね)がその間から見えた。そして手には大事そうに先刻の風呂敷包みをもっていた。その四角な形も、なんだか歪んでいるらしい感じであった。彼はあわてたように視線をそれから外らしながら、追われるように出口の方に歩き出した。すりへった靴の裏が歩廊の砂利にぎしぎしときしんだ。何もかも忘れようとするかのように、彼は更に歩を早めながら、頭を二三度つづけざまに強く振った。そしてポケットから切符をつまみ出しながら、前よりもいっそう険しい眼付になって、急ぎ足で改札口を通りぬけた。駅前の白く乾いた道をちょっと見廻して、彼は自分の胸のなかを探るように先刻とおなじことを唇の中でつぶやいた。

「――おれは何のために多田の家を訪ねようとするのか?」

 歩度がふとゆるんだが、すぐ彼は頭を立てて踏切をわたり、黄色い馬糞があちこちにおちている凸凹道をまっすぐに歩きだした。靴の踵(かかと)が地面を押すたびに、バンドでしめうけたからっぽの腹にずきずき響いた。そしてこんなことを考えた。それは今朝家を出るときから、何度か彼の胸に水泡のように浮び上ろうとしていた考えであった。

(あの申し入れを、俺は引きうけようと思っているのではないか?)

 そうはっきり考えると、顔中がつめたくなるような気がして、彼は外套のポケットにつっこんだ手をぎゅっと握りしめた。その申し入れをする時、多田はお茶を啜(すす)りながら、ごく何気ない調子で言ったのであった。それが此の前の日曜日のことであった。多田がわざわざ彼の家を訪ねて来たのも、それを打診したかったからに違いなかった。ざしきに上って暫く世間話など交していた時、その申し入れはあたかも世間話のつづきのようにして言われたのだった。彼は顔が急に充血してくるのを感じながら、いきなり掌を振っていた。

「そりや駄目だ。僕には出来ないよ」

「駄目なら駄目でいいんだよ」

 多田は肉付きのいい顔にちょっとずるそうな笑みを走らせて、探るような眼付で彼を眺めながら直ぐそうこたえた。それは彼の属する役所関係の建物の入札に関したことであった。そして彼はその係りをしていたのである。その係りは仕事の関係上、ことに誘惑の多い勤務であった。

「僕にはそんなことは出来ないよ。そんな――」

 曲ったことは、と言いかけて彼は力弱く口をつぐんでいた。恰幅のいい身体をゆすりながら、もうその時は多田はさり気なく話題を転じていた。多田の肥った片頰は、贅肉(ぜいにく)のせいか何時も笑いを浮べているような印象をあたえた。それから暫くして話題はいつのまにか役人の生活におちていた。それは彼が出した話題ではなかった。なにか押えつけられるような圧迫を感じながら、彼は多田の言葉に受けこたえていた。

「そりゃ苦しいことは苦しいな。ろくに闇(やみ)米も買えないしな」

「千八百円ベースといっても、なにやかや役得があるんだろうね」

「そんなものはありゃしないさ。役所から貰うものだけだよ」

「だってそれじゃ生活出来るわけがないじゃないか」

 身体を動かす度に、多田の胸にかけた時計の鎖が黄色く揺れうごいた。多田がしいている座布団は破れていて、汚れた綿がのぞいていた。彼の家にはそんな座布団しか無かったのだ。いつもはそう気にもならないが、多田がすわっているのを見ると、しんから惨めな気持が彼の心を衝き上げてきた。彼は自分の膝をのり出すようにして、無意識のうちに自分がしいている座布団を多田の眼からさえぎろうとしていた。それは多田のよりもっと汚れているのであった。そうしながら彼はふと気をそれにとられて、上の空で返事をしたりした。多田は時々探るような視線で彼を眺め、その話題から執拗に離れなかった。まるで役人の生活に特別の興味をもっているかのようだった。それは役人一般の生活として話がすすめられていたにも拘らず、彼は自分の生活を手探りされているような不快な圧迫を感じはじめていた。唐紙ひとつへだてた向うの部屋には、彼の妻と息子がいる筈であった。そこはしんとして物音はなにもしなかった。

(あの話を隣で聞いていたのかしら?)

 ――彼は肩をそびやかすような恰好で、凸凹道から右手に折れた道に曲りこんだ。曲りながら彼は突然唇をかんで、長くやせた鼻を幽かにならした。さっきの電車の中での濁った怒りがまだ身体の芯にのこっていて、それがある一つの苦痛を逆につきあげてきたのだ。かよわい老婆を押したおして苦痛をあたえたことが、ふと彼の胸にするどく錐(きり)を立ててきたのである。彼はその瞬間膝頭に、老婆の箱を押し割った瞬間の感覚を、なまなましくよみがえらせていた。膝の皮膚がそのとき傷ついたらしく、足を踏みだすたびにズボンの裏にふれてひりひりした。意識からそれをもみけすために、彼は再びつよく頭をふりながら、考えを他のことにふりむけようとした。そして彼の記億は、老婆のもっていた箱をとらえた。

(あの箱のなかにはどんなものが入っていたのだろう?)

 そう考えると彼はとっさの間に、ほかほかしたふかし芋やふくらんだ麵麭(パン)を想像した。舌の根からその時、唾がすこし流れてきた。外套のポケットの中の握りこぶしを脇腹に押しあて、あわててそのなまなましい想像からのがれようとあせりながら、彼はしきりにたまった唾をはき散らした。唾のひとつが低い石垣にとんだ。そこは小さな教会になっていて、多田の家はそこからまた曲るのであった。入口にはめられた色硝子と黒い掲示板が彼の眼に映った。掲示板には白いペンキでなにか文句が書きしるされてあった。小路に曲りこんだ彼の背後から、讃美歌をうたう声が流れてきた。

 それはその会堂の窓からであった。彼は胸の中に一種の衝動がその時湧きおこるのを感じながら、すこし足をゆるめた。それは子供の斉唱(せいしょう)であった。その衝動はなにか甘い亢奮(こうふん)になって彼の身内にひろがってくるらしかった。彼はほっと肩をおとして歩きながらつぶやいた。

「なるほど今日は日曜学校なんだな」

 彼が卒業した学校も、やはり基督教系の学校であった。その中学部で彼は多田と同級だったのである。彼の心を甘い亢奮となって動かしたその衝動も、そんな学生時代の追憶とその瞬間底でむすびついていた。多田はその頃から身だしなみのいい少年であったが、今みたいに肥ってはいなかった。彼が肥りはじめたのは、戦争中に建築会社を経営してからだった。昔は多田も品のいい顔をしていて、今のようなへんに複雑な笑いかたはしなかった。なぜあんな年配になると、あんないやな笑いかたをするのだろう。あの日戻りがけに玄関でエダを見て、此の犬をゆずれ、と言った時の多田の表情を、彼は今ありありと思いうかべていた。それは片頰だけをゆるめるようなわらい方で、そのくせ眼はさげすむような光を帯びて彼におちていたのだ。その時の多田の言葉を、彼は今すがるようにふたたび記憶の底からたぐり上げていた。

(ゆずって呉れと言っても、あいつはいくら位出す気なのだろう?)

 エダを多田に売ろうと決心したのは、今朝彼が眼をさました時だった。朝食のときも彼がじっと考えつづけていたのはこの事であった。しかし身仕度をして電車にのりこんだ頃から、彼はしだいにあるおそれを感じはじめていたのである。それは巨大な粘着力のある膜に抵抗して行くような不快なものを伴っていた。電車の中のあのいらだちも、奥底には此の不快感が横たわっているのを彼は絶えず意識していたのだ。

 ――犬をゆずれと言った言葉を、おれは真底から信じているのか?

 此の一週間、あの多田の申し入れにたいして、烈しい反撥と同時にある甘美な誘感を彼はずっと感じ続けていたのだった。ともすれば頭をもたげようとするのを、その都度つぶしてきた想念がこれであった。そして昨夕、息子の掌からはなれて土間に落ちた白麵麭(しろパン)を見たとき、彼が肉体の上だけでなく、心のどん底でもするどくよろめいたのも、すべてはそこにかかっているのであった。あの白麵麭を、息子がどこで手に入れたのか。貰ってきたのか、あるいは――。

 しかしそれはどちらでもいいことであった。彼の眼を忍んで台所のすみで食べていたということ、そしておびえて泣きだしたということ、彼に重くのしかかって来るのはその事だった。親子という関係をすら破壊しようとするのに対して、彼が言いしれぬ憤怒を覚えるものも、すべては彼自身にするどくはねかえって来るらしかった。腹の中がどろどろしたもので真黒になったような感じで、今日彼はここまでやって来る気になったのであった。

 歩くにつれて讃美歌の斉唱はだんだん遠ざかり、そして羽音のように幽かに消えてしまった。彼はふと、あの土間にころがった麵麭(パン)はどうしただろう、と考えた。考えるとすぐ、猛然たる食慾が彼の胃を刺激した。彼の想像の中でそれは焼きたてのようにふかふかして暖かった。歯でかんだ時の香ばしい匂いと味が、ほとんど現実的な感触とともに、その想像に加わった。前にのめりそうになるのをこらえて、前方の家と家のあわいに見える鉛色の空に瞳をさだめ、身体のなかに板みたいなしこりを感じはじめながら、彼はまっすぐに歩いて行った。

 

「それで――」鈍く光るライタアをかちりと鳴らして莨(たばこ)に点火しながら、多田が錆(さ)びた声で言った。ほんとに何気ない調子であった。

「決心はついたのかね」

 此の戦争で焼けてしまった母校の校舎のことを、彼は多田と話していたところであった。ざしきへ通ってから一時間ほども経っていた。それまで彼は用件を切り出さずにそんな話をしていたのだった。ふと話がとぎれて、冷たくなった茶に手を出そうとした時、多田のそんな言葉がそれをさえぎったのだ。彼はぼんやり顔をあげた。煙がゆらゆらと揺れて多田の表情をかくしたが、次の瞬間その言葉の意味が胸におちて、彼は顔がはっと青ざめてゆくのが自分でもはっきり判った。それでも茶碗をとると、ふるえる手でそれを唇にもって行った。茶碗のふちがかちかちと歯にあたって、にがい冷たい茶が唇をすこし濡らした。一口ふくむと彼はまたそれを卓の上にもどした。尿意をこらえる時の悪感が、腹の辺から膝へ走った。

 隣の部屋では多田の家族がいま食事をしているらしく、箸(はし)の鳴る音や茶碗のふれる音がしていた。物を煮る匂いは、彼が此の部屋に通されたときから絶えずしていたのである。ともすれば神経がそちらに行こうとするのをこらえながら、彼は先刻から早く犬の話を出してしまいたいとあせっていたのであった。あせりながらまだ機会をとらえないでいた。尿意を伴った空腹感が、波状的に彼をおそって来て、彼は気持が遠くなるような錯覚におちながら、そのくせ隣室の食卓の情況を、目も覚めるように鮮かな白い飯だとか、赤黒くちぢれた牛肉の形とかを、はっきりと頭のすみで想像していた。その時その言葉がおちて来たのだ。

 口に含んだ茶をぐっと飲みくだすと、彼は卓に片手をかけて、しばらく青い顔をしてだまっていた。多田は煙をうまそうにはき出しながら、うながすような眼付でちらと彼をみた。老獪な微笑が多田の片頰にふと浮んで消えたのを彼は見た。彼は膝に力を入れながら視線をおとし、しゃがれた低い声になって、何かを断ち切るようなつもりで言った。

「実は今日お伺いしたのは、犬のことなんだがね」

「犬?」多田の不審気な視線にすこしたじろぎながら、乗り越えるように彼は言葉をついだ。

「犬が、いただろう。うちの玄関にさ。君が帰るときに見て、売って呉れと言ったじゃないか」

 だんだん気持が惨めに折れ曲って来るのを感じながら、彼はそれを胡麻化すように早口になった。

「あの犬さ。あの犬は、もとは良い犬なんだ。素性も正しいんだ。貰ったやつなんだけれどね。芸当も出来るし、猟にも使えるんだよ。使ったことはないけれど――」

「ああ。あの瘦せた犬か」

 暫(しばら)くして多田はやっと思い出したようにそう答えた。そして、それきり黙って火箸でしきりに灰をかきならした。ある屈辱とひとつの期待で、彼は全身が熱くなってくるのを感じながら、多田のもつ火箸の動きをじっと追っていた。多田は灰をならしてその上に、犬という宇をいくつも書いているらしかった。そしてまたごちゃごちゃにかきならしながら、暫くして低い声で言った。その声はひどく冷酷にひびいた。

「僕は、犬をゆずって呉れとは言ったが、売ってくれとは言わなかったよ」

 多田は灰の方に視線をおとしたままそう言った。彼はその言葉を聞いた瞬間、みるみる顔がしろく血の気を失って来るのを感じた。彼は両膝に力を入れてぎゅっとしめ合せながら、片手で座布団の端をしっかり握っていた。やわらかい絹地の座布団であった。そのままの姿勢でしらじらしい時間がすこし流れた。そして多田がふと顔をあげた。

「あんまりあの犬がやせてたんでね、ゆずってもらってうちで肥らせてやろうかと、そう思ったんだよ。でも、そんな良い犬ならやはり君の家で飼ってた方がいいんだろう」

 おだやかな薄わらいが、やはり多田の頰にうかんでいた。彼は手や膝から急激に力が抜けて行くような気持になって、だまってうなずいた。それまで忘れていた尿意がさむざむと彼をそそってきた。彼は手を伸ばして、も一度冷えた茶を啜(すす)ると、何だかいたたまれないような羞恥を覚えながら、かすかに身ぶるいをした。そして語調を変えて聞いた。

「はばかりはどちらだね?」

 火箸をあげて指した通り、彼はすべりのいい唐紙をあけて廊下に出た。廊下はさむざむ光っていた。彼は誰もいない廊下にむかって思い切り舌を出してみたい衝動に駆られながら、唐紙を閉じた。物を煮る甘ったるい匂いが廊下にも流れていた。下腹が鳴るのを押えながら、彼はすべらないように一歩一歩廊下をあるいた。口の底からしきりに味のない唾が出て来た。教えられた便所は台所とむき合っていた。台所は廊下からあけ放されていた。棚にはごちゃごちゃと道具がならんでいて、大きな電熱器に鍋がかかっていた。そこでもなにか煮えているらしく、それには茸(きのこ)の香ばしい匂いが混っていた。電熱器のそばには籠があった。

 彼が見たのはそれであった。その籠には真白なコッペ麵麭(パン)がうずたかく積まれてあったのだ。昨夜土間にころがりおちた麵麭と同じ種類のそれであった。その色と形が、いきなり圧倒的な量感をもって、彼の視野にせまってきた。それはひとつの力ある実体として、いきなり彼の胸をかきむしって来た。彼はほとんど呻き声を洩らしながら、眼を据(す)えて凝然(ぎょうぜん)と立ちすくみ、そして振りはらうように頭を反らして便所の扉をあけた。スリッパがなかなか爪先にかからなかった。やっとかけると彼は二三歩よろめくように踏みこんだ。

 ある静かな戦慄に耐えながら、彼は首を垂れて、一筋の茶褐色のほとばしりを眺めていた。その先端は白い便器にあたって、やはり茶色の泡のかたまりになった。身体の暖かみをそれがそのまま持って行くらしく、臭いの強い湯気が彼の鼻にのぼってきた。彼はやせた長い鼻を神経的にすすって、茶褐色の一筋をじっと見守っていた。

「――何のためにはるばる俺はここまでやって来たのだ」

 頭を壁にぶっつけたくなるような自己嫌悪と共に彼はつぶやいた。たちまち昨夜から今にかけての出来事が、断続しながら記憶の中でひらめいた。薄暗い電燈のもとでどろどろの団子汁を啜っている妻子の姿や、歪みこわれた箱を抱いてやっとのことで電車から押しだされた老婆の泣き笑いに似た表情や、先刻隣室から聞えていた食事の音などが、連絡なく浮んで消えた。彼はぶるっと身ぶるいすると、顔をゆるゆる上げた。顔の前の小窓にはガラスが入っていて、そこにも鉛色の雲を背景にして彼の顔がぼんやり映っていた。

 ある兇暴な衝動がその時彼を走りぬけた。彼は呼吸をとめて、内臓の一部がぎゅっと収縮するのをありあり感じながら、ガラスの中にしばらく眼を据えていた。そして急にふりかえった。ひとつの予想が彼の動作をひどくぎごちなくするらしかった。しかし彼は用心して扉をそっと押し開くと、音のしないように廊下にすべり出た。廊下の前には、あけ放たれた台所の広がりがあった。

 彼はも一度舌を思いきり出してみたい露悪的な別の衝動におそわれながら、鈍い光をうかべた廊下を血走った眼で見とおした。そこにはさっきと同じく人影は見えなかった。そのとき再び彼の血走った視野のはしを、あの籠につんだ真白な麵麭(パン)のいろがするどく弾いた。彼は眼をきらきらさせながら、突然台所の方に身体の向きを変えた。

「よし!」

 それは言葉にならぬまま唇の端で消えた。彼はそのまま爪先を立て、不安定な姿勢のまま台所へ足をふみ入れた。ひやりとした空気がそこにあった。心臓がのどまで上ってきたようで、彼ははあはあと呼吸をはずませながら更に五六歩踏み入った。そこは麵麭の籠のところであった。ワイシャツの釦(ボタン)を外しながら、彼ははっとふり返った。ふりかえった姿勢のまま、急に全身を燃え出すような灼熱感がつらぬいで、彼はぎごちなく両手を伸ばして籠の中につっこんだ。ぶわぶわとした物体が指にふれたとき、彼は突然がたがたとふるえだしてそれを摑(つか)み、いきなりワイシャツの下にぐいぐいと押しこもうとした。手が定まらぬせいか、うまく入らなかった。彼は腹を凹めて、更にワイシャツをぐっと引っぱった。微かな音を立てて釦のひとつが弾け飛んだ。麵麭は変な形にねじれたまま、やっと脇腹の皮膚をこすって押しこまれた。彼は寒天のようにふるえつづけながら、まっさおな顔になって、身体ごとむきなおった。頭がいつもより五倍にもふくれ上ったようで、ふらつく足をしのばせて彼は一歩ふみ出そうとした。足の下で上げ板がカタリと鳴った。ぎょっと立ちすくんだまま、彼はびくびく動く指を忙しく動かしてワイシャツの釦をかけた。そしてその部分を掌でしかとおおった。

(人が来たら、手を洗いに入ったといえばいい)

 ふるえながら、乱れた頭で彼はそんなことを考えた。そしておおった掌で、脇腹にじかにくっついている麵麭を力まかせにぐりぐりと押しつけた。麵麭が平たくつぶれて拡がるのが、腹の皮膚にはっきり感じられた。

(これで大丈夫だ!)

 彼はそしてじっときき耳を立てた。何も物音はしなかった。

 ただ電熱器にかけた鍋がしゅんしゅんと律動的な音を立てているだけだった。その匂いが今になって彼の嗅覚にのぼってきた。

 上げ板を避けて用心してあるき、やっとなめらかな廊下の床をふんだとき、自分が背中にびっしょり汗をかいていることに彼は始めて気がついた。

 彼はも一度自分の上衣やワイシャツの具合をしらべて、そして廊下のはしをざしきの方に歩き出した。

 

 玄関まで多田が送って出た。彼は靴のひもがうまくむすべなかった。すり切れた自分の外套の背中に、彼は多田の大きな身体を感じていて、そのせいか指がすべって何度もしくじった。多田はなにかひっきりなしにしゃべっていた。彼が帰るといいだしてから、多田はへんに饒舌(じょうぜつ)になって、時々わらい声を立てたりした。彼が紐をむすび終えて立ち上ると、多田はふと言葉をつぐんだが、彼が立ったままでいるのを見て、妙にやさしい声音になってささやくように言った。

「困ることがあったら、いつでも相談においでよ」

 なぜか急に泣きだしたいような気持になって、彼は唇をゆがめていた。それはその言葉のためではなかった。むしろその語調は、彼の胸の中にはげしい憎悪をかきたててすらいたのである。彼は袖から出た多田の手首が、よく肥って紅い斑点があるのを、何となくじっと瞳に収めながら、ちょっと頭を下げた。そして外に出た。冠木門(かぶきもん)をくぐると道には風が吹いていた。風に顔をさらしながら、彼はもと来た道を逆に歩き出した。

 先程から持続していた緊張が、歩度につれてゆるんで来るらしく、丁度酒が醒めてゆくときのような不快な味が彼にかぶさってきた。肩の辺がきりきりと痛んで、口の中がからからに乾いて行くような感じであった。外套のポケットにつっこんだ指の先で、彼は苦痛を伴う背徳感を忍びながら、脇腹のあたりをときどき押えてみた。膚のあたたか味でなまぬるくなった麵麭(パン)の形がそこに感じられた。突然いいようもなく隔絶した孤独の思いが、彼の胸いっぱいに茫漢と拡がって来た。彼は顔をわざと冷たい風に吹かせながら、よろめくように足を進めて行った。

 曲角の教会では、いま日曜学校が終ったばかりらしく、子供たちが三々五々門を出てくるところだった。色ガラスの扉のところに、背の高い黒服の男が立っていてゝそれが何故かじっと彼の顔をみつめていた。それは牧師らしかった。非常にするどい眼付をした男であった。彼はその視線を頰にうけながら、子供たちにまじって角を曲った。子供たちがばらばらにうたっている歌も、やはり讃美歌だった。その声の中を彼もいっしょに歩きながら、も一度下腹の麵麭の形を恐いものをさわるようなやり方で押えていた。

(俺はなぜ麵麭などを盗んでしまったのだろう。しかも二個か三個の麵麭を?)

 身もすくむようないやらしいものを口の中に押しこまれたように、彼はぞっと肩をふるわせた。腹の中はからからに乾(ひ)からびた感じになっていて、もはや先刻の空腹感は跡かたもなく消えていた。感覚がすでにそれを通りすぎてしまったらしかった。腹部にあたためられたあの麵麭を口にすることを想像しただけで、彼は嘔きたいような気がした。彼の横を子供が二三人駈けて行った。子供たちは皆ととのった良い服装をしていた。ちゃんと靴下をはいて皮の靴をはいていた。かけて行った子供の一人が立ち止って、からかうような眼付で彼を見上げたりした。彼は沈欝な顔をくずさず、黙々とその子供のそばを通りぬけた。その子供はうす赤い皮帽子をかぶっていた。その色が彼に、さっきの多田の手首の色を思い出させた。

(あのとき多田はなにを考えていたのだろう?・)

 犬を買ってくれと彼が言葉を切ったとき、多田はうつむいてしきりに灰をかきならしていた。

 そのときのことを彼は今思い出したのだった。他人に借金を申しこむときと同じような屈辱と期待で、彼は身体をかたくして、少しうすくなった多田の前額部を一心に眺めていた。うつむいた感じからいえば、多田は笑いたいのを懸命にこらえていたのかも知れなかった。

(最も効果的におれを絶望させる言葉を、あのとき多田は探していたのではないのか)

 多田のそのときの冷酷な調子を思い出しながら、彼は漠然とそんなことを考えた。彼を絶望させることが、しかし多田にとってどんな意味があるのか、ということがつづいて直ぐ頭に来た。その先にもはや彼は、暗いおとし穴みたいなものを、ぼんやり感じはじめていた。彼は身ぶるいしながら、その想像を断ち切った。曲角がそこにあった。

 広い凸凹道へ出ると、風は再び正面から吹いてきた。鉛色の雲がゆるやかに形を変えていて、風はしっとりと湿気を帯びてつめたかった。彼はこの道をまっすぐ歩んで行くことに、なにかいやな抵抗があるのをはっきり感じていた。彼は歩きながら、その抵抗感の元を探ろうとした。そして彼は直ぐに、あの傾いた部屋の、汚れた寝衣をきた妻の姿と、老人みたいに背が丸い息子の姿を思いうかべた。

 そしてまた同時に明日から始まる勤務を、あの長い役所の階段をのぼって行くときの脚のだるさを、物憂(う)く思い浮べていた。そうしながら彼は外套の中の指で、確めるように麵麭の部分を探っていた。

 彼が歩いて行くにつれて麵麭はだんだん下の方にずりおちて行くらしかった。脱落して行くいやな感覚が、脇腹の皮膚を絶えずつめたくした。

 踏切がそこに見えた。遮断機が降りていて、立ちどまった彼の鼻づらを、風を巻きながら青黒い車体が奔りぬけた。そして遮断機はゆるゆる上った。彼は片掌で脇腹を押え、うつむきながら踏切をわたった。切符を求めて改札を通り、歩廊の上に立った。

 向うの歩廊にも人が群れていた。その人々の間を、さっきの子供たちが縫いながら追っかけっこをしているのが見えた。彼は駅名板によりかかって、深い深い疲労がいま全身を領して来るのを覚えながら、改札の方を沈欝な瞳で眺めた。改札を白い着物を着た男たちがそのとき入って来るところであった。今頃白い着物をきていることから、それはこの付近の国立病院の患者たちにちがいなかった。その瞬間彼の胸にさっきの老婆のことが、真黒な一点のようにあざやかに浮び上って来た。べっとりとほつれ毛を汗で貼りつけた老婆のちいさな顔貌が、錐(きり)になって彼に突きささってきた。

(入院しているという息子を、なぜ自宅に引取らないのか?)

 間借りか何かで、病人を引取る余裕がないのかも知れなかった。またあの老婆はどこかに住込みで働いている身分なのかもしれなかった。彼は想像のなかで、明日は伜(せがれ)に会えるというので、せっせと食物をつくっている老婆の姿を組み立てていた。そしてこわされた重箱を息子の前で泣き笑いしながら開く情景がそれにつづいた。彼はかすかに声を立てて、背中を駅名板にぐりぐりと押しつけた。

 改札を通りぬけた患者たちがこちらに近づいてきて、彼の前を通った。彼は眼を見開いてそれを見た。それは四人がつながった行列であった。先頭に立つ男は両腕がないらしく、その白い袖が風にふらふらと揺れた。この男が先導であった。次の男は黒い眼鏡をかけて、両掌で先導者の腰につかまっていた。その次の男も最後尾の男も同じだった。三人とも真黒な眼鏡をかけて、あぶなげに足を踏んでいた。眼が見えるのは、先頭の男だけであった。ときどき掛声をかけながら、背後の列に注意したりした。三人の盲者は、それに応じながら足並を小刻みにして蛇行した。三人とも神経を掌と脚先にあつめるせいか、口はぽかんとあけて呼吸をしていた。唇の中に汚れた歯が見えた。曇り空の下で、唇のいろは黄色に見えた。白くぼたぼたした患者衣は節目(ふしめ)節目が黒くよごれていた。この人間列車は彼の前をがたぴしと通りすぎた。鉛色に垂れ下った雲を背景にして、それは人世の病める結節に似ていた。

「――これでいいのか。これで?」

 彼は突然顔からつめたい汗が滲みでるのを感じながら、

そう口に出してつぶやいた。

 あの老婆の息子というのが、この中にいるかも知れないということを彼は考えてもいたのだった。そして向う側の歩廊にむれた人々が、あるいは背伸びしたり、ささやき合いながらこちらを眺めているのを、彼は乾いた眼をみひらいて眺めた。人と人の間を縫い走っていた子供たちが三四人集って、もうこの人間列車の真似を始めだしたのを、彼はそのときはっきりとらえていた。昨日から今日にかけての、彼を含めた人間の構図のなかに、重苦しく歪んだものがあることを、彼は今ある兇暴な戦慄とともに歴然とつかみとっていた。

 しかしそれがどんな原因で、どんな形に歪んでいるのか、それは彼には判らなかった。脇腹に密着していた麵麭のひとつが、そのときゆるんだようにずれて、股の部分にかさなった。そしてじわじわと辷(すべ)りおちるらしかった。外套の中でこぶしを固く握ったままつめたい駅名板に背をもたせ、自らも一枚の板となって、彼はしぱらくじっと呼吸をこらしていた。

2021/06/26

サイト「鬼火」開設二十一周年記念 梅崎春生 鬚

 

[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年十二月号『文芸大学』初出で、翌年十二月に刊行された作品集『B島風物誌』に収録された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 文中にも注を附したが、最初に言っておくと、本作は小説の体裁をとっているが、主人公「私」の体験内容は梅崎春生の履歴とほぼ完全一致している。中井正義著『梅崎春生――「桜島」から「幻化」へ――』(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊)の年譜によれば、昭和一五(一九四〇)年三月(満二十五歳)、東京帝国大学文学部国文科を卒業(卒業論文は現代時制の小説のみに限定した「森鷗外論」)し、朝日新聞・毎日新聞・NHKなどを志願するも、総て不合格で、弱り切っていたところを、旧友の霜多正次の紹介で東京市教育局教育研究所の雇員(こいん:正式職員ではなく、事務・技術的仕事の手伝いなどのために雇われた雇用人)となった。給料は七十円。現在換算で一万三千五百円前後か。二年後の昭和十七年、陸軍対馬重砲隊に召集されたが、軽度の気管支カタルであったのを肺疾患と診断されて即日帰郷となり、その年一杯、療養生活を楽しんで、職に復したものの、まさにこの昭和十九年春三月には、『徴兵をおそれて教育局を辞職、東京芝浦電気通信工業支社に入社。一ヵ月勤務したが、役所と違って仕事がきついので三ヵ月の静養が必要であるとの診断書を医者に頼んで書いてもらい、月給だけ貰って喜んでいたところ、六月、海軍に召集され、佐世保相ノ浦海兵団に入団』することとなってしまうのであった。本篇作品内の時制では、梅崎春生は満二十九歳で、この年の三月から六月というのは作品内時制とも齟齬が全くなく、創作とは言え、梅崎春生には珍しい私小説風のものとも考えられる。

 なお、本テクストは私のサイト「鬼火」(二〇〇五年六月二十六日開設)二十一周年記念として公開する。サイト版でPDF縦書ルビ版も同時に公開した。【二〇二一年六月二十六日 藪野直史】]

 

   

 

 口鬚(ひげ)を立てようと思った。昭和十九年春のことである。しかしそれについても大いに迷ったと見えて当時の日記を読むと次のようなことを書いておる。

「一般的に言って人間の顔には、崖の似合う顔と似合わぬ顔がある様だ。誕生のときから生えているのではないかと思われる程しっくりした鬚の人も居るし、地の鬚のくせに付鬚みたいにそぐわぬ感じの人もいる。街を歩いて眺めて見ても、大きな鬚や小さな鬚、美しく刈り込んだ鬚や赤茶けて汚れた鬚、皆それぞれの趣好で顔に付着しているが、その似合う似合わないはひとえに顔の造作と微妙な関係があるようだ。顔の面積、鼻の高さや角度、頰と顎(あご)の比率、そんなものが鬚を立てる適不適を決定するのであって、鬚の似合わぬ人は自分の顔について計算誤りをしたと言う外はない。今まで見た範囲では、大鬚を立てた人に限って小さな眼を持っているようだが、あれはどういう訳(わけ)であろう。近頃感じた不思議のひとつである」[やぶちゃん注:底本全集の第七巻に抜粋の「日記」があるが、昭和十九年分はない。なお、近々、梅崎春生の当該「日記」パートを総て特殊な処理を施して電子化する予定である。お待ちあれ。

 変に気取った文章で、此処に書き写すのも気がひける。日記に此のような文体を使用することは精神が堕落している証拠で、当時の私は全く贋者の生活をして居った。気持の荒れは必ず顔貌に出るもので、鏡で見ると、色艶の悪い髪は額に乱れ落ち、眼には光なく、顔色蒼然として贋者(にせもの)に酷似している。これに鬚を立てればどういう顔になるのか、想像する勇気も出ない程不安であったが、しかし当時の私はどうしても鬚を立てねばならぬ訳があったのだ。顔の造作を顧慮することなく口鬚を生やさねばならない破目に追い込まれていたのである。その事情を今から書く。

 その頃私は東京都の役人であった。

 足掛四年の勤めであったけれども、地位から言えば極端に下っ端であった。そしてどの下っ端役人にも同じように、傲慢で、不親切で、見栄坊で、けちで、怠惰で、そして卑屈であった。唯私が周囲と違っていたことは、私が出世を念願しないということだけであった。それも都会議員などに手蔓(てづる)を求めて出世をたくらむ才覚を持合せないからであった。仕事にも情熱を持っていなかったから、勤務成績は極めて悪く、四年経っても雇員という半端な身分でぴいぴいしていた。そしてぴいぴいしていることに腹を立てて酒ばかり飲んでいたのである。それなら辞職すればいいのに、依然として毎朝通って居たというのも、役所を離れたら生活して行く方途が立たないからであった。もっと美しいもの、輝かしいもの、目の覚めるよぅなもの、そんなものを切に欲しながら、しかもそんなものが現実の世界にあってたまるかというのが、私の不潔な呟きのすべてであった。

 

  すべてさびしさと悲傷を焚(た)して

  ひとは透明な軌道をすすむ

 

 と詩人はうたったが、私はそんなものを焚くこともせず、濁った軌道をよたよたとたどって居るに過ぎなかった。ところが昭和十九年に入ると、事情が俄(にわか)に変って来たのだ。[やぶちゃん注:上記の詩は宮沢賢治の「小岩井農塲 パート九」のもの。但し、正確には「すべてさびしさと悲傷とを焚いて」/「ひとは透明な軋道をすすむ」である。全体は私のブログの当該詩篇の電子化注「小岩井農塲 パート九」を参照されたい。]

 徴用が始まるというのである。今までは役所は徴用の対象から除外され、それが私が役人として止っていた理由の一半ででもあるのだが、徴用すべき遊休市民も種切れになったと見えて、ついに当局は下級役人に目を着け始めたのである。これには困った。同僚の誰々に白紙令状が来たという話を聞く度に、私は次第にあわて始めていた。今迄は立身出世を侮蔑する気持が私の日常を辛うじて支えていたのだが、こうなると遮二無二(しゃにむに)出世を計って置けばよかったと後悔の臍(ほぞ)を嚙む思いであった。今更油にまみれて機械をいじるなど、誠に迷惑な話である。徴用。言葉からして現世の快楽から隔離された感じである。この事が私には一番いやだった。一体どうしたら良いかと思い悩んだ末、私は女のところに相談に行った。

「辞めてしまえば良いじやないの」

 女は冷然と言下に答えた。

「辞めてしまえばなおのこと徴用がくる」

「だから徴用の来ない処にはいるのよ」

 それもそうだと、女のアパアトから夜道を戻りながら私は考えた。しかし私のような人物は役所だからこそ勤まるので、よその処で勤務し得る自信はない。だがそんな事を考えている余裕は無かった。伝手(つて)を求めて他処(よそ)に移ることに決心して、私は辞表をしたためて役所に持って行った。そして再び踏むこともないだろうところの役所の玄関を、私はさっぱりした気持で出た。まことに晴れ晴れした心持であった。徴用が厭だったから辞めたに違いなかったが、私は周囲の小役人どもの体臭がそしてそれに染んだ自分の体臭が厭だったのだ。自分をなだめなだめして勤めていたのだが、常住それから抜け出たいという無意識の願望が、徴用という機会を捕えて爆発したに過ぎない。まこと徴用こそは、私の脱出の良きスプリングボードであった。ところが愚かな私は此の踏切板を利用して泥沼を見事に飛び出したまでは良かったけれど、方向を誤ってまた新しい泥沼に飛び込んでしまったのである。

 川崎市にある、今は焼けてしまったが、通信機を製造する大きな会社に私は入り込んでいた。此処を紹介して呉れた布川さんという人が、自分も営業部にいるから君も営業部に入ったが都合良いだろうと言うので、訳も判らずに営業部の一隅に席を据えて、毎日朝早くから通い始めたのである。朝は寒いのに暗いうちから起きて仕度をし、夕方は暗い頃でなければ家に帰り着かぬ。長い間住み慣れた本郷から余儀なく大森に引越して来た。弁天池の畔(ほとり)にあるマッチ箱のような素人(しろうと)下宿である。池に面した四畳半の部屋で、毎晩疲れ果てて眠った。[やぶちゃん注:「弁天池」東京都大田区山王四丁目(グーグル・マップ・データ)に現存する。]

 新参の勤めの気持は、経験のある人なら誰にでも判って貰えるだろうと思う。白々とした手持無沙汰な気持も、また誰からも相手にされない癖にどこからか執拗(しつよう)に監視されているような気持も、やり切れぬとは思ったが運命と思って辛抱した。しかし九日十日経ち、此処の空気が次第に判り始めるにつけ、段々私は自分の軽はずみを後悔するような気持になり始めたのである。

 役人という人種も誠に愚劣であったけれど、会社員というものがこんなに愚劣な人種であるとは私の予期しなかったところであった。ずるい癖に卑屈で、不親切で、そして最も私を驚かしたことは彼等は役人よりももっともっと官僚的であったことであった。一々例を上げるのは止(よ)すけれども、とにかく私はだだっぴろい部屋の一隅で、おあずけを食った犬のような顔をして、毎日爪を嚙んでぼんやりすわって居たのである。何も仕事がなかった。そして皆私に冷淡であった。私とかかわり合うと損をするといった風(ふう)であった。一間に閉じこめて何の仕事もさせないという刑罰が昔あったそうだが、これは辛いだろうと思う。こんなことなら徴用されて機械とにらみ合って居た方がましなような気になっていると、布川さんというのは気が良い男で、私が神妙に勤めているかどうか時々やって来て、元気をつけて呉れる。折角紹介して呉れたんだからと私もその時だけは気を取り直すが、布川さんが向うに行ってしまうと忽(たちま)ち気が滅入ってしまう。

 しかし、これ程とは思わなかったにしろ、現実世界に美しく楽しい仕事がある筈がない事は、いくら私でも知っていた事だから我慢して行く積りであったが、私が辛抱出来なかったのは私のささやかな快楽からすらも遮断(しゃだん)された事であった。役所に居た頃は、それでも勤務をさぼって国民酒場に並んだり、牛込の濁酒(どぶろく)屋に昼頃から行列することが出来た。処が此の会社は退けが五時半だから、とてもそんな事は出来やしない。だいいち女に逢いに行く事すら出来ない。私はもともとストイックな趣味は持ち合せないし、現世の快楽と言うと大袈裟(おおげさ)だがそんなものから自分を隔離するという事は、人生に対する冒瀆(ぼうとく)であり、ひいては神に対して冒瀆であるという信念を持って居たから、もはや私が此の軍需会社に席を置く意味は根底から失われて来たのである。で、辞めようと思った。

 辞めようと思ったものの、まだ一箇月も経たないのに辞表出したら、皆変に思うだろうし、第一紹介者の布川さんがいくらお人好しとは言え、面目玉を潰して厭な思いをするだろう。他人と感情の摩擦を起すことは生来私の好む処ではない。しかし辞めないことには女にも逢えないし、先ずあんな冷たいところはいやだ。あんな愚劣な世界はない。昭和十九年頃に於ける大日本帝国の一流軍需会社の内情は、こんなにも愚劣であったということを記録して後世に残さねばならぬ。そう思って原稿用紙を買って来て下宿の机上に置いてある程だ。どうにかして布川さんの面子(メンツ)を潰さずに辞める方法はないものかと、あれこれ思案しているうちに、私はふと病気ということを思いついた。そうだ、病気なら辞めても可笑(おか)しくないだろう。私は病気になる決心をした。

 私は生れつき智意は余り無いくせに、そんなことには頭が良く働くたちだ。その夜暗い大森の街をあちこち歩き廻り、すぐ診断書を書いて呉れそうな医院を探しあて、さまざまの贋の自覚症状を申し立てて、首尾よく診断書を手にすることが出来たのである。自覚症状は本屋で肺病の本を十分間ほど立ち読みして覚えた。医師が問うまま自覚症状を答えているうちに、何だか本当に自分が病気に冒されているようなものものしい気分になって来た。だんだん悲痛な顔色になって来たんだろうと思う。医師は私を慰めながら、用紙にさらさらと次のように書いて呉れた。

 右側肺尖加答児(カタル)四箇月ノ休養ヲ要スルモノト認ム

 それを読んだ時、にがいものが口腔の中にたまって来るような気がした。[やぶちゃん注:「肺尖加答児(カタル)」(「カタル」はオランダ語catarrhe・ドイツ語Katarrhで、粘膜の滲出性炎症。粘液の分泌が盛んになって上皮組織の剝離や充血などが見られる症状を言う。ここは肺尖部の結核性病変で、肺結核の初期症状である。]

 で、そういう事情だから辞めさして頂きたい、入社早々病気欠勤してその間月給を只貰うのは心苦しいし、だいいち私の気に済まない。

 そう言ったところが布川さんは人の好さそうな眼をしばしばさせて、そんな事はないでしょう、会社から月給貰ってゆっくり養生すればいいじゃないですか、と私をなだめるように肩をたたいて呉れた。いやそういう訳には、私の良心が許さないのです、入社しなかったと思えばそれで済むのですから、などと押問答しているうちに、布川さんはふと思いついたように、

 「しかし辞めると言っても君は此の会社に現場徴用になっている筈ですよ」

 何ですか現場徴用というのは、私はあわてて聞き返した。診断書は布川さんに事のいきさつを話す前に、もはや部長の手に提出してあるのである。辞表だけは布川さんの諒解を得て、部長に出そうという私の腹であった。そして布川さんの説明によって、戦争の終る迄は死にでもしない限り、私は此の会社と縁を切る訳には行かぬことが呑み込めて来た。まことに私は狼狽した。

 もはや事態は私の計算をはみ出て進行し始めたのである。あわててあちこちと折衝したけれども後の祭りであった。そしてとうとう不幸にも私は向う四箇月間養生しなければならない事に決ってしまったのだ。そんな恐い病気に私が犯され、そして長い間休養しなければならぬことが周囲に知れ渡ると、いつもは冷たく仕事の上では不親切な人人が、掌を返すように親切になったのは、今もって私には不思議である。他人が不幸になると人間は寛大になるものらしかった。お大事になさいとか、僕も昔やったことがあるがなどと、なおる秘伝を教えて呉れたり、始めからこんなに親切なら或は私も病気にならずに済んだにと、私は腹の中で毒づきながらあいさつを済まし会社の門を飛び出した。駅の方にてくてく歩きながら、どうにでもなれと思った。

 翌朝も何時ものように早く眼が覚めた。今日は会社に行かなくて良いのだということがすぐ頭にきた。嬉しいような不安なような気持で、蒲団をかぶって又眠った。色々な夢を次々に見て昼頃ぼんやり眼が覚めた。起き上って部屋の中を見廻した。見廻してもさて何することもない。

 これが私の克ち得た境遇なのか?

 猿をつないだ繩の端を猿廻しが持っているように、私を繋いだ紐(ひも)の端を会社がしかと握っている。一応私は身軽になったように見えて、その実身軽には動けないのだ。何をしたら良いのか判らない。又蒲団に私はもぐり込んだ。

 夕暮になった。私は起き上り窓際に腰かけて、池の端に咲いている桜を眺めていた。よごれた桜の花片が細い道を埋め隠している。池の面に浮んだ花片を鯉が時々顔出してくわえてもぐって行く。眠り足りて身体が重く、春の愁いのかたまりになったような気がした。

 翌朝も早く眼が覚めた。窓の下の道を、いずれあちこちの工場に徴用されたりして出勤する人々の跫音(あしおと)であろう、次々に近づいては遠ざかって行く。飛行機を造るために猫の手でも借りたい此の時局に、心身共に健全な私が手を束ねて無理矢理に朝寝をしなければならない。まこと後ろめたい感じである。しかし之(これ)も私の微妙な計算違いから来たもので、誰を怨むすべもない。しかしせめて三日に一度なりとも東京に出て、お酒を飲んだり本郷のアパアトにいる私の女に逢いに行ったりしてはいけないだろうか。そうでもしないことには、いくら安逸無為を愛する私といえども生きて行けないような気がする。

 ところがそう簡単に行かなし事情があったのだ。会社の本社が日比谷にあったし、また陸軍省や造兵廠に連絡に行く為(ため)、営業部の連中はしょっちゅう川崎東京間を往復しているのである。その為の定期券が何枚も用意されている程だ。大森から省線に乗るとすれば、顔を合せる危険が多分にある。絶対安静にして居る筈の私が、血色の良い顔で省線に乗ったりして居るところを見られたら、結果が思いやられる。どうにか解決の方法はないかと、窓の下を通る跫音を数えながら思い悩んでいると、天啓のように私の頭にひらめいたひとつの考えがあった。

 そうだ。口鬚を立てよう。

 口鬚を立てれば判るまい。勤めた間が短かったから、うまく行けば彼等は私の顔を忘れてしまうだろう。忘れないにせよ印象はぼやけて来るに違いない。そこでもって顔形を少し変えれば、あの連中は頭が悪そうだから胡麻化(ごまか)しが利くのではないか。

 しかしそれにしても鬚は一朝一夕にして生ずるものではない。それは仕方のない事だ。その代り生え揃ったら酒も飲めるし女にも逢える。私は愉しさのため急に胸がふくらんで来るような気がした。

 忙がしい会社の生活と打って変ってのんびりした日々が、こうして始まったのである。朝はゆっくり起き、昼から夜にかけて煙草すったり本を読んだり、夜中にはこんこんと眠っていた。そのうちに私は段々と肥って来るようであった。胸の辺に肉が付き、身体全体がぼとぼとしまりが無くなって来たのである。その上自分でも判る位に万事挙動にくぎりが無くなって来た。暇になったら書こうと目論(もくろ)んでいた小説が、机の前に坐っても一句も浮び上って来ないのである。机上にのべた原稿用紙の第一行には、軍需会社、と題名が書かれたきり、あとは余白のまま日が経つにつれて薄いほこりを重ねて行った。そのうちに小説を書こうなどという気持も忘れてしまった。日記もつけなくなった。掃除も怠るようになり、寝床の上げ下げも省略した。物憂(う)い春の空気の満ちわたる部屋の中で、昼間でも寝床に入って、近くの貸本屋から借りて来た小説を読みふけった。読み疲れると天井をむき、煙草をふかしながら女のことを空想する。

 相談に行った日以来私は女に逢っていない。床の中で女を考えると変になまなましく思い出されて来る。私が訪ねるときまってすぐチャカチャカと台所仕事を始めたり、しないでもいい洗濯を始めたがるのが女の癖であった。そんな癖を想起しながら私の指は鼻の下を撫でて居る。此の鬚さえ伸びればと思う。近頃肥って来たから、うまい具合に行けば私の鬚はハアトのキングみたいに高雅な感じになるかも知れない。私の好みからすれば、レオナルド・ダ・ヴィンチや佐久聞象山のような破局的な鬚が好きだが、あんな鬚を立てるまでには三年や五年はかかるだろう。やはりハアトのキング程度で我慢するほかは無かろうといったような事を私はとりとめもなくうつらうつらと考え続ける。

 此のような境遇に追い込まれたら、私ならずともこんな阿呆な具合になると思う。こんな状態を何と呼ぶべきだろう。頽廃と言うには筋金が入っていないし、安逸と呼ぶには悲しみがあり過ぎた。脳の外側にぐるりと不透明な膜がかかったようで、例えばまっとうな小説を借りて来て読み出すと、頁半ばにして眠気を催してしまうのだ。あの若い頃の俊敏な文学青年であった私はどこに行ったのであろう。頭の片隅で鈍い悔いを意識しながら、それでも夕暮になると大森駅近くの貸本屋から探偵小説を借りて来て、蒲団の中で深刻な顔をして読みふけった。もう文学も何もなかった。探偵と一緒に犯人を探すことだけが私の生甲斐であった。未だ見知らぬ異国の、シヤンデリヤの下で、街のアパアトで、河岸のくらがりで、宿命の如く突然人が殺される。私は直ぐさま名探偵と一緒に現場にかけつけ、巧妙にたくらまれた迷路に、擬似の興奮と戦慄を強いられながら入って行く。言わば私は心身をなげうち捨身となって犯人の探索に従事したのである。漠然とした悲哀とにがい反省をひとつひとつ潰して行きながら。

 窓の外に桜の花は咲きほうけ、やがて一ひら一ひら散り池の端を埋め尽し、散り果てた後からは鮮やかな緑の若葉が勢よくふくれ上って来た。もう良い頃だろうと私は窓に腰かけ手鏡を取り出して前に据えた。

 汚れた手鏡の面に、葉桜を背景として鬚もじゃに荒んだ私の顔がぼんやり映っていた。暖かい春風がそよそよと顎の鬚をそよがせている。眼が赤く濁り皮膚はたるみ、ことのほか陰惨に見えた。鏡を横にずらしたり、かざしたり、下から映してみたり、あらゆる角度から調べ終ると、私は窓をしめ跫音を忍ばせて下宿の玄関を出て行った。

 暫(しばら)くして私は理髪店の椅子台に、白い布で顎から下をおおわれて腰掛けていた。明るい雰囲気の中で無精鬚に埋まった私の風貌は、大きな白い鏡面の中でいっそう孤独に見えた。何か見るに堪えない気持があって私はわざと横を向いたりせきばらいしたりなどして胡麻化した。

 いよいよ鬚を剃る段取りになったとき、私はふと危惧を感じて薄眼を開き、掌をひらひらと動かした。「ここは残すんだよ」

 うっかりして剃り落されたら今までの苦労が水の泡になる。

 やがて剃り終った。椅子の上に起き直り鏡を眺めたとき、私は少からず失望せざるを得なかった。鼻の下には何も無かったのだ。いや、何も無いと言っては嘘になる。何か薄黝く、丁度鼻の下が垢じみて汚れた感じである。無精鬚としては道行く人も振り返る位堂々としていたのに、いざ本物になった時には影みたいにたよりないのであった。何だかだまされた感じである。がっかりしてとぼとぼと下宿に戻って来た。これではまだ当分女には逢えそうにもない。

 またしても懶惰(らんだ)なる生活が始まった。鬚などというものはまだ伸びないか伸びないかと毎日心配していると、仲々思うようには伸びて呉れないものらしい。むしろ鬚のことなどは念頭に置かないがいい。そう気付いたから鏡をのぞくことも出来るだけつつしむことにした。指でさわる時も人さし指や親指では触らない。薬指の腹で撫でるのである。これが私の鬚に対する無関心のせい一ぱいの表情であった。薬指の腹で撫でると、奇妙な触感が私の心をほろ苦くした。まだ撫でていたい欲望をねじふせると、急いで私は探偵小説の読み方に取りかかる。春が次第に闌(た)けて行った。女から葉書が来た。

 近頃顔を見せないがどうしているか、という文面であった。その葉書を読み返し読み返し、又取り出してはやさしい筆遣いを打ち眺めていると女の顔や身体のことを思い出してますます思慕の情が募った。

 朝早くと夕方遅く、相変らず窓の下の道を跫音がつづいて通る。その時刻だけは私はふしぎに寝床の中で目覚めている。だらけた一日中のうちで、何かが私の意識を叩きに来るのは此の瞬間だけであった。私はその瞬間身を硬くし、じっと跫音を聞いている。それは自責とか反省を超えた言いようのない孤独感であった。あの跫音はそのまま森森と機械が唸る荒びた世界に通じているのだ。そしてそれと同時に、南海派遣とか濠北派遺とか名付けられる灼けた弾丸と人血の臭いがするあの荒涼たる人間の現実にも――私は急いで聯想(れんそう)を断ち切ると蒲団をかぶり、莨(たばこ)のやにに染った指で鼻の下を撫でている。そして鬚を立てた私の顔を必死になって想像している。外の跫音から心を外らすために。――[やぶちゃん注:「濠北」オーストラリア北方のインドネシア東部とニューギニア方面。]

 友達と雑談している時、一度ふざけ出すととめどがないのが私の癖であった。相手が段々不快になって行くのが判っていても、そして自分でも不快になってしまっても私は悪ふざけが止まらなかった。私とは関係なくふざけ方が進行して行くような具合だった。それに似ていた。止めても止まらぬものならば、私は人もふり返るような見事な鬚を完成するほかはない。蒲団の中で私は一心に自分にそう言い聞かして居た。

 その中に日が経った。もうそろそろ大丈夫だろうと思って、抽出しの奥から鏡を取り出した。また窓縁に腰かけ幾分の期待をもって鏡をのぞき込んだ。

 明るく晴れ上った空を背にして、無精鬚が再び顔中に密生していた。ひいき目のせいか鼻の下は一段と濃く、外の部分の無精鬚を剃り落しても結構独立の存在を保っているように見えた。しかし眺めて居れば居る程気持が悪くなりそうなので、私は鏡を置いて立ち上り、衣を更えて出て行った。此の前の理髪店で、此の前と同じ理髪師が同じ服装と表情で私を椅子台の上に招じた。

 暫く経(た)って私は誠に落胆し、嫌悪の情で腹が真黒になって理髪店をよろめき出て来たのである。ハアトのキングなど飛んでもない話であった。日記にまで書いて危惧した通り、私の顔は鬚など生やすべき顔ではなかったのだ。今見た大鏡面の中の私は、ぶわぶわとふくらんだ顔の中央に絡印のように哀しい鬚をつけ、そして照れくさくわらっていた。何という哀しい鬚であろう。崖にとりついた不潔な蔓草のように赤茶けて鬚がしがみついている。とり返しのつかない失敗をした時の感じにそっくりであった。鏡にうつっているのが私の顔だからこそ私は我慢して眺めていたのだが、之が他人の顔なら思わず戦慄するに違いない。私は鏡面の顔から心弱くも視線を外らしていた。

 翌朝になった。それでも眼が覚めた時最初に頭に来たのは、今日は女に逢えるという濁った喜びであった。私は半ば爽快に半ば自棄(やけ)に勢良く床を離れた。東京に出るとしても鬚をつけただけでは駄目である。鬚というのは人間の印象の一部分に過ぎない。鬚を中心として全体の印象を調ベなければならない。

 私は押入れの中から古ぼけた鳥打帽と春の合服を取り出した。両者とも会社勤めの時に使用したことはない。ネクタイも赤い大柄のを選んだ。手鏡の中で次第に私の風采(ふうさい)が変化して行く。最後に鳥打帽を斜に乗せ、手鏡を顔に近づけた。

 これは何という顔であろう。まるで出来損なった探偵である。日に焼けた鳥打帽のひさしの下に、黄色くむくんだ顔が見るからに厭らしい鬚をつけ、それがじっと私を凝視している。これが私の青春の姿か。次第に高まって来る嫌悪をねじふせかねて、思わず私は呟(つぶや)いた。

「いい加減にしなよ。ほんとに」

 悪ふざけも、もう沢山ではないか。しかし私は人間らしく生きたかったのだ。悪ふざけすることで自分を確めたかったのだ。私といえども胸を張って悔いない透明な軌道をすすみたい。ただそんな生き方が今の時代には出来ないのだ。私は傷ついている。傷口をわざと押し拡げ、自ら感ずる苦痛だけが私には真実であった。ますます傷は深くなって行く。傷だらけになって、そして私の青春も間もなく終るのだろう。それまでは此の傷口のような鬚を曝(さら)して進んで行く外はない。

 ふと涙が出そうな気がした。私はあわてて立ち上り部屋中を二三度歩き廻り、そしてそのまま玄関から出て行った。

 女のアパアトは本郷の露地の奥に傾いて立っていた。

 私が扉をノックすると暫くして女が出て来た。私の顔を見て、何とも言いようのない表情をした。入れとも言わず扉の間から首だけ出して私をみつめた。

「やって来たよ」と私が言った。言いながらにやにや笑ったんだろうと思う。女が微かに身ぶるいをするのがはっきり判った。暫(しばら)くして私を見つめたまま女が言った。

「何なの、それは」

「鬚だよ」

「ひげ?」女は痛苦に堪えないような顔をした。「何故鬚なんかをくっつけているの?」

「だって鬚を生やさなければ君に逢えなかったんだよ」

 私は廊下に立ったままで、都庁を辞めた以後のいきさつをしどろもどろしゃべり始めた。女は冷たい表情で私の話を聞いていた。

「で、そういう訳なんだよ」

 女は視線をゆっくり私の頭から足先に移動させ、又ゆっくり私の顔に戻した。

「いやだわ、ほんとに」女ははっきりした声で言った。「あなたの顔や恰好は、まるでサアカスよ、そんなのいやよ」

 サアカスという言葉を聞いた時、大粒の涙が私の瞼からころがり出た。私は悲しくて悲しくてたまらなかった。私は廊下に膝をつかんばかりにして女に私の気持を訴えた。私が熱すれば熱する程、女はますます冷たくなって行くらしかった。此の女に見離される位なら、私は何の為に鬚を生やしたのか判らなかった。

「鬚を剃ったら又いらっしゃい。それまではお断りよ」

 冷然と女は言い捨てて、扉を音立てて閉じた。

 話はそれだけである。

 それから二三日経って私に召集令状が来た。即日私は荷物をまとめて、二十四時間汽車に揺られて九州に帰った。鬚は海兵団に入団する前日、佐世保の床屋で剃り落した。それから一年有三箇月、私は終戦まで海軍の下級兵士として人並みな苦労をなめた。

 今私の手許に一葉の写真がある。東京を離れる時撮った写真だ。赤だすきを肩にかけてひどく力んだ感じだが、記億の中では此の時は勿論(もちろん)充分鬚の形をとって居た筈にもかかわらず、此の写真の鼻の下にはほとんど鬚らしいものは認められない。写真の具合によるのでもあろう。また生毛のかたまりに過ぎなかったものを、私だけが鬚のつもりに思い込んでいたのかも知れない。もしそうだとすると此の数箇月間は私は全く独角力(ひとりずもう)を取っていたということになる。まことに佗しい話だと私は思うのである。

 先日暇があったので行ってみたら、本郷は焼野原になっていて、アパアトの付近は麦畑となり、春風の中を雲雀(ひばり)のみがピイチク啼いて居った。女はどうしたのか判らない。

 

2021/06/20

ブログ1,550,000アクセス突破記念 梅崎春生 亡日

 

[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年十一月号『光』初出。翌年の講談社刊の作品集「餓ゑの季節」に収録された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。文中に注を附した。

 標題は私は亡日(ぼうじつ)と読みたい。所謂、陰陽道が元の易暦で凶日とされる一つに「往亡日(おうもうにち)」があるが(外出を忌み、特に出発・船出・出征・移転・結婚・元服・建築などに不吉な日とし、一年に十二日ある)、どうも「もうにち」は響きが悪く、本作の題名としては、出征絡みではあるが、それを象徴するほど意味を持つようには思われない。彼の「幻化」と同じで、これはシンボライズされた「失われた日」であり、「失われた太陽」「失われた日々」の意であるように思われるのである。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが今朝、1,550,000アクセスを突破した記念として公開する。【2021620日 藪野直史】]

 

   亡  日

 

 エンジン扉(ドア)が暑苦しいおとをたてて、いっせいに閉じた。停車中しばらくしゃべりやめていた座席の老人が、それにうながされたように甲高い声で叫び出した。

「だから日本は神国というのじゃ。あらぶる神々のしろしめす国じぅあ。二千六百年もつづいた尊いくにがらじゃ」

 乗客のからだを揺って、がたんと電車は動き出した。歩廊の号笛がふたつ重なって、ホオムをへだてた向う側の線の電車も、これと同時に動き出すのが窓硝子ごしに見えた。老人は防空服の小柄な肩をいからして、あたりを見廻しながらしゃべりつづける。その眼は義眼のようにへんにキラキラして、そのくせ視線は何ものもとらえていないらしかった。真中からふたつに割れたあの厭な恰好の大きな国民帽を、此の老人はしなびた頭にのせていた。両掌で弁当箱のふたを支えていて、その中には砕いた氷の破片がなかば溶けかかっていくつも乗っていた。老人は言葉の合間にそのひとつを口に含むと、銅板を小槌でたたくような声でまた忙がしげにしゃべり出すのだ。[やぶちゃん注:「国民帽」グーグル画像検索「国民帽」をリンクさせておく。]

「……それで神風が吹かんというのか。そんなに吹いてはたまらんわい。いつもわしが言うとるではないか。あれはけんこんいってきということじゃ。建国祭の旗がばたばたじゃ。そら、真珠湾の特別攻撃隊じゃ……」

 此の暑いのに脚絆(きゃはん)を巻いたり、防毒面包をさげたり、モンペを着けたりしている乗客たちは皆、言いようのない冷淡な無感動な顔つきで、老人のくるった饒舌(じょうぜつ)を聞き流している。私は扉口の脇によりかかって、老人の座席を視野の端にぼんやり入れながら汗づく眼を見ひらいてした。

 電車は次第に速度を増して、歩廊の端を切捨てるように走りぬけ、線路の砂利の上に明確な陰影を飛ばし始めたと思うと、先刻駅を同時に発車した向うの線路の車体が、吸いよせられるように見る見るこちらに近寄って来て、そして三尺ほどの幅をへだてて平行して走り出した。それはぴったり同じ速度に重なった。向うの車体の内部が手に取るように近く眺められた。そこにはこちらと同じ服装の人々が、腰かけたり吊皮に下っていたりした。誰もこちらに注意をはらっていなかった。ただ無関心に揺られていた。腰かけに立って外を眺めている子供がひとり、興味深そうにこちらを眺めているだけだった。頭の鉢のひらいた五つ位の子供であった。何を思ったのか両掌を窓枠に支えて、顔を窓硝子に押しつけた。……顔が白っぽくへんにふやけて、アルコオル漬の胎児みたいになる。そしてそれは動く。鼻がひらたくつぶれて、なまなましい皮の断面になって行く。子供は押しつけたそのままの顔で、或る表情になった。……一一つの車体はきしみながら同じ速度で奔(はし)りつづけた。同じ方向に行く線ではない。しばらく雁行してそこらあたりから九十度の角度に分れて行く筈であった。それは私も知っている。しかしその束の間の併行の中で、向うの車の無心な子供や大人が、ゆるぎなく連結されたみたいに、私の位置と同じ速力で動いている。ある生理的な不安がふと私をとらえた。その不安は急激に私の肉体にひろがって来る。白いエナメル塗りの把手(とって)をにぎりしめたまま、私はそれに堪えようとする。――

 その瞬間、むこうの薄墨色の鋼鉄の車体はちょっと振動して、そのまま少しずつ下にずれて行くらしい。等高にあった窓々が、一寸、二寸とさがって行く。それは沈下して行く世界のように、窓硝子に畸形な子供の顔を貼りつけたまま、皆おなじ姿勢のまま沈んで行く。一尺。二尺。そしてぐっと沈み込むと、灰色にすすけた車の屋根、平たい通風孔、折り畳まれたパンタグラフ。その彼方にはすでに家家の黒い屋根が連なり見えて、視野からふりおとすように此の同伴者のすがたは消えてしまう。重復した音の流れが急に単一の轟音にかわり、そのあいだを老人の甲高い声が縫って聞えて来る。

「それが蝙蝠(こうもり)傘の骨じゃ。墓場のしきみの匂いじや。やがて空から火が降って来るぞ。みんなみんな火の中に凍えてしまうぞ」

 老人は口に含んだ氷片を勢よくはき出した。氷は床をすべって私の足もとでとまり、やがて紙のように薄くなり、そのまま透明に溶けてしまった。私はそれを眺めていた。片掌で把手を支え、片掌で内かくしを確めていた。あんな薄い紙片なのに、布地をへだてても核のように探りあてられる。それはまるで内臓の痛みのようだ。

 ――今朝私は此の紙片を受取った。それを私にわたしたのは年寄りの郵便脚夫みたいな男であった。受取った瞬間に私はその紙片が何であるかをはっきりと察知した。その男の身振りがそれを教えたからである。動悸(どうき)をおさえながら私はそれを開いた。薄い印刷面に、私の名前と参集すべき年月日だけがにじんだインクで書きこまれてあった。末尾のひときわ大きい活字は、佐世保鎮守府という活字だった。[やぶちゃん注:召集令状は各役所役場の兵事係吏員が応召者本人に直接手渡しするのが普通であった。中井正義著『梅崎春生――「桜島」から「幻化」へ――』(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊)の年譜によれば、梅崎春生は東京市教育局教育研究所の雇員(こいん)であった昭和十七年、陸軍対馬重砲隊に召集されたが、軽度の気管支カタルであったのを肺疾患と診断されて即日帰郷となり、その年一杯、療養生活を楽しんで、職に復したものの、昭和十九年三月には、『徴兵をおそれて教育局を辞職、東京芝浦電気通信工業支社に入社。一ヵ月勤務したが、役所と違って仕事がきついので三ヵ月の静養が必要であるとの診断書を医者に頼んで書いてもらい、月給だけ貰って喜んでいたところ、六月、海軍に召集され、佐世保相ノ浦海兵団に入団』することとなったとある。]

(そうするとこの俺が、海軍水兵になるという訳だな)

 先刻から数十度も考えたこのことを、また意識にあたらしく浮べながら、私はぼんやり車中を見渡していた。何故みんなこんなに沈欝な顔をしてゆられているのだろう。ひとりひとりが自分の内部に折れこんだような表情をつくって、まるで仮面で外気を拒否しているようだ。あの防毒マスクを腰に下げた会社員風の男も、その隣のだぶだぶのモンペを着けた四十女も、あるいはここに寄りかかっている私も同じかも知れないのだ。それは同じなのだ。あの狂老人の言葉を、私もつめたく聞き流しているではないか。顔にわらいも浮べず、軽蔑のいろを浮べることすらしていないのだ。私はただ私のことだけ考えている。私の運命を一瞬にして変えた此の紙片すら、此の乗客たちにとっては老人の叫び声ほどの重量もありはしないのだ。

 電車ががたんと揺れて曲路(カーブ)に入るらしい。壁ぎわの床においた私の酒瓶を、私は足でぐっと支えた。いっぱい詰った酒瓶の実質的な重量感が、私の足首をやわらかく押しもどして来る。壁板に背をささえて、私は眼を窓外にはなっていた。ふと気がつくと、二百米ほどの遠方を再び高架線となって、先刻沈下した電車が微かな傾斜を奔(はし)りのぼるらしい。ひとつの車体だけでなく、七八輛の全長として眺められた。それに群がり乗った人々の姿は、もはや遠く豆粒ほどの大きさであった。そのむこうに家々がかすみ、家並の果てる彼方に巨大な積乱雲が立ちのぼり、白くあかるくかがやいていた。黄金色にはじける太陽の直射光の下を、その電車は音もなく、淡黝(あわぐろ)い柩(ひつぎ)をいくつもつらねたように、遠く線路のかなたに小さくなって行った。窓硝子だけが陽を反射してチカチカと光った。そのきらめきすらだんだん小さく幽かになって行く。まるで遠い昔に帰って行くように。……

 荒涼とした孤独の感じが、それを眺めたとき波紋のように私の胸いっぱいにひろがってきた。

 

 改札のふきんには、なにか酢に似た匂いがうすくただよっていた。私から受取った切符を指にまきつけ、その若い女駅員は視線を私の酒瓶におとし、なんだと言うような表情をした。駅のスピイカアが時々思い出したように、きしんだ声をはり上げる。

 「今日は防空服装日であります。皆さま。今日は防空服装日であります」

 駅前のアスファルトがやわらかく轍(わだち)のあとを残していた。斜陽がじりじりとそれを照りつけていた。踏切を渡って曲ると、道はしばらく線路に沿ってつづく。道の右手は二間ほどの崖になっていて、その下を線路が青黒く走っていた。蓖麻(ひま)が生えている。そして左手は雑草地となって来る。此の道をいままで私は何度か通った。通るたびにある抵抗がある。そして今日も。私は手にした酒瓶をわざと勢よく振りながら歩いた。今朝受取った召集令状を区役所に提示し、出征用酒配給切符を貰い、そして酒屋から現物を手に入れる。今日の昼はそのことで終ったのだ。何かいらいらしながら、私は役所や酒屋をかけまわっていたのだが、こうやって手に入れてしまうと、不思議にそれは落着いた重さとなって、私の腕にしっとりとしずみ込んで来る。たのしい酩酊(めいてい)の予感さえ、いま私にはあるのだ。しかしそれは感官の皮膚面だけのことだ。いらだつものは胸の奥の奥に折れ曲り、そこで眼をくらく光らせているのだ。ある終末的な感じに耐えながら、私はしらずしらず崖の縁をあぶなく歩いていた。遠く電車の音がレエルを伝ってにぶく羽音のようにひびいて来る。額の汗はふいてもふいてもしたたり落ちた。[やぶちゃん注:「蓖麻(ひま)」下剤「蓖麻子(ひまし)油」でしられるキントラノオ目トウダイグサ科トウゴマ属トウゴマ Ricinus communis の異名。種子には猛毒であるリシン(Ricin)が含まれている(解毒剤なし)。推定で東アフリカ原産とされる。]

 二町ほどもあるくと、やがて左手の雑草地が尽きるところ、小さな屋根が見えて来る。あれが天願氏の家である。近づくにしたがって屋根のトタンの照返しが、黒くぎらぎら眼を射たりした。その小さな庭の伸び切った玉蜀黍(とうもろこし)のかげに、椅子に腰かけた裸の男が見える。頭をうつむけて何か手を動かしているらしい。草いきれの小径をよぎり、破れた背戸を押したとき、気がついたように背を起した。

 「なんだ」と私はすこしおどろいた声を出した。「居たんですか。居ないのかと思った」

 ふと呆けたような眼付になって天願氏は立ち上った。かぶさった髪のしたの顔。裸の上半身は何か見ちがえるほど肉の落ちた感じであった。立ち上った膝から竹屑が散って地面に落ちた。けずり上げたのは一尺ほどの細い筆筒らしい。掌に握っているのは、よく磨ぎすまされた鋭い形の鑿(のみ)である。なにか対峙(たいじ)するように私は背を堅くして、じっと天願氏を眺めていた。大儀そうなわらいが天願氏の頰に一寸浮んだ。[やぶちゃん注:「天願氏」戦前の小説「風宴」(昭和一四(一九三九)年八月号『早稲田文学』発表。リンク先は「青空文庫」)にも登場するが、これは五高時代以来の友人で作家の霜多正次(大正二(一九一三)年~平成一五(二〇〇三)年:元日本共産党員)である。がモデルとされる。但し、彼は昭和十五(一九四〇)年に応召し、外地を転戦した後、ブーゲンビル島に配属され、日本の敗色が濃厚となった昭和二十年五月、オーストラリア軍に投降して、捕虜となったから、設定は全くの架空である。]

「居ないのかと思う位なら、何故訪ねて来るんだね」

 かすめるような視線が一瞬私の手の酒瓶におちて、台所の引手に身体を入れながら天願氏が私をふりかえった。

「玄関から上れよ。それとも井戸端で身体をふくかね」

「磯さん。磯さん」家の中からそんなこもったような声がした。その弱々しい調子にふと私は耳をとめた。それは夫人の声にちがいなかった。なだめるような男の声が、やはり障子の内側でした。押えた声音であったけれども若々しい響きであった。声はそれだけで止んだ。

 玄関に廻るとよごれた下駄箱に、骨の折れた古傘や火たたきが立てかけられ、紙袋から洩(も)れた防火砂が土間にざらざらこぼれていた。そこに無造作に脱ぎ捨てられた一足の靴のそばに、私は靴の紐を解いた。革と汗の臭いがただよった。それは私の靴からであった。私のと並んだその靴は、今日おろしたかと思えるほど真新しくて、形から言えばあきらかに軍隊用のものだった。私は何故となく自分の靴を土間のすみにかたよせた。足音をふと忍ばせて部屋に入ると、もはや天願氏は黒い大きな卓を前にして欝然とすわっていた。卓の上には空の湯呑がふたつ置かれていた。私はその前にきちんとすわり、暫く経って背後から酒瓶を引寄せ、湯呑にふたつともトクトクと酒を満たした。[やぶちゃん注:「火たたき」火叩き。消火用具で、竹竿の先に三十センチメートルほどに切った縄の束を付けたもの。これで叩いて火を消す。空襲時の火災のためのもの。]

「今日はいろいろお願いがあってね、何からしゃべっていいか、先ず、僕の荷物をね、しばらくあなたの家にあずかって貰いたいと思ってね、そう思って今日はやって来たんですよ」

 そう言いながら私は湯呑のなまぬるい酒をすこし含んだ。天願氏は無精鬚のはえかけた顔をややのり出して、探るような視線で私の方をしばらく見詰めていた。

「荷物って。何故?」

「布団や机、そんなものです」

「ふん」天願氏は湯呑をとりあげて、ゆっくりした動作で半分ほど飲んだ。「どこかに逃げるんだな。故郷にかえるのかい」

「あなた、そこにいるのは誰?」

 それは隣室から夫人の声であった。それと一緒に唐紙(からかみ)ががたがたと少し開いて、窓かけをおろした青暗いその部屋から、白い服を着たわかい男がぬっとこちらに入って来た。部屋のすみに膝をついてすわった。眼鼻だちはつめたい程ととのっているくせに、どこか変に粗暴な感じのする男だった。

「やはり医師を呼ばんければいけませんな。天願さん。それはあんたの責任だ」

 若い男は両掌をきちんと膝の上にそろえて、上目使いに天願氏をみつめながら低い声でそんなことを言った。こんなに暑いのに此の男はきちんと服を着ていると思うと、すこし身じろいだとたんに微かな音が鳴って、それは男の腰に下げられた短剣の鞘(さや)であった。男はそう言いながら卓上にふと不審気な視線をはしらせた。

「呼ばなくちゃいけないと僕も思うよ」

 天願氏は押えたような声でそう答えた。そして語尾を曖昧(あいまい)にぼかしたまま、また湯呑をとりあげた。

「奥さんにもお話しておいたが、私も四五日中に出撃するかも知れません。こんなことは秘密だが、こんな場合だから特に申上げるのです」

 唐紙がなかば開いたままになっていて、そこから見えるむこうの部屋の一部に私は気をうばわれていた。床がしいてあって、その上に夫人が布団によりかかってすわっているらしかった。うすぐらい中でその顔はお面のように蒼白であった。そして夫人は私の姿を認めたらしい。

「ああ、あんたなのね」あえぐような弱い声であった。身体を少し傾けながら「お酒をのんでるのね。わたし病気になってしまったのよ」

 何かしめつけられる思いで私はその声を聞いた。眼をそこから外らして私は卓の方に手を伸ばした。

「もちろん生還は考えてはいない。だから後に心を残したくないのです。そんなことは皆でやってくれなければ――」

「それは僕の責任じゃないよ」と天願氏はさえぎった。

「医者に見せたがらないのは僕じゃない。鳥子だよ」

「それは別間題です」

 男はふいに傲慢な口調になった。それから変な沈黙が来た。瓶を傾けて酒を注ぐおとが大きくひびいた。

「それで」と私は耐えきれないで誰にともなくそんな言葉を口に出した。「御病気なんですね。何時ごろからです」

「もう半月位前だ」沈欝な声で天願氏はそう言った。「そこの道で、暗いものだから線路におっこちてしまった」

 そして脾腹(ひばら)を打ったのだという。鋭い眼付でじっと見詰めていた若い男は、天願氏がとぎれとぎれその事情を話している途中でふと立ち上った。では、と言ったらしかった。部屋を出て行ったと思うと玄関の板の間に剣鞘がふれる音がし、暫くすると表の方に出て行く靴の音がした。

「――電車が丁度走って来た処でね、危く轢(ひ)かれるところだった。急停車したからたすかった」

「だって電車には前燈がついていたのでしょう?」

「そりや点いているだろうさ。何故?」

「では道は暗くなかった筈だ」

 天願氏はいきを引くようにして暫くだまった。湯呑の残りをぐっとあおった。

「暗かったのか、前燈に目がくらんだのか、それは僕は知らない。とにかく近所の人がせおって来て呉れたんだ。それから鳥子はずっと寝ているんだ」

 へんにつめたい顔になって天願氏は隣室の方を顎でしゃくった。

 それから暫く酒を湯呑に注いでは飲み注いでは飲んだ。そのあいまに堅いするめの脚をしきりに嚙んだ。隣室と境の唐紙は半ば開いたままになっていて、夫人はまた床に横になったらしい。私の眼からは今、うすい夏布団が体の形にふくらんでいるのが見えるだけである。私たちの会話は聞えないのか、それはじっと動かない。何かしゃべることが沢山あるような気持がするが、さて口に出そうとすると何も言うことはなかった。湧きあがるむなしいものを押えながら、奥歯で鯣(するめ)をしきりに嚙んだ。明日は荷物をまとめて天願氏のところに運びこむ。明後日は赤だすきなど肩にかけて、見送りもなくひっそりと東京を離れてしまう。それでもう帰って来ることはないだろう。私は水兵服を着こみ軍艦に乗せられ、遠い南の海で戦争し、やがて静かに青い海に沈んで行く。何もかもそれで終る。青じろくふやけた私の屍の中に、赤や青や斑の魚たちが巣をつくってしまうだろう。ぼんやり私はそんな想像に堪えながら、また瓶から酒を注ぎたしては飲んだ。ようやく酔いが熱く身体のすみずみに廻って来た。[やぶちゃん注:実際の梅崎春生は敗戦まで九州地区を転々とした内地勤務であった。]

「どうも少し変なんだ」と暫くして赤くなった顔をあげて、天願氏がぽつんと言った。まるで前からの話のつづきみたいな具合だった。「なんだかぼんやりして、役所に出たって面白くないもんだから、近頃はずっと休んでいるんだが、うちにじっとしているとへんに退屈でね。昨日はひとりで浅草に遊びに行ったのさ。おどろいたねえ、普通の日だというのに満員だ。男の歌手が舞台に出て来てね、気取った声で勇ましい軍歌をうたったよ。皆聞いてるような聞いてないようなぼんやりした顔で舞台を眺めているんだ。その中にいて、だんだん不安になって来た位だ。何のためにみんな木戸銭払って入って来ているんだろう。うたい終ると平土間の片すみから、ようハイクラス、という掛声がかかったよ。それでも誰も笑いなんかしない。歌い手もしろうとっぽい笑い方しながら引込んで行ったんだが――」[やぶちゃん注:「役所」梅崎春生に教育研究所への就職を世話したのは霜多であったから、彼も東京の役人(教育関係)であったものと考えられる。]

 湯呑をかざして西陽(にしび)にすかすようにした。

「ハイクラスだなんて、きっと国民酒場のウイスキイのレッテルでも思い出したんだよ。しかし何故そんなことばかりを僕は覚えているんだろう」

「それで」と私も調子を合せるように訊ねた。「それはそれとしてもね、先刻の若者はあれは海軍の士官?」

「そうなんだ」天願氏はちょっと厭な顔をしてうなずいた。「鳥子の遠縁にあたるというんで、近頃しょっちゅうやって来るのさ。東京通信隊付の海軍少尉さ。あれで学徒出陣と自称しているんだがね」

「学生上り、にしては一寸いやなところがありますね」

「近頃の学生って皆そんなもんだよ。変に悟ったような恰好で、その癖おそろしく俗才に長(た)けていてさ。あれでマルスに来ていたと言うんだが、君は覚えていないか?」

 珈琲(コーヒー)の香や莨(たばこ)の煙や、壁にかけたロオランサンの模写や、鉢植のかげから音楽が流れていたマルスの店を、私は今あざやかに思い出していた。そこでは角帽の学生たちが眼鏡をひからせながら珈琲をのんだり、ハイボールを飲んでいたりした。その二階のきたない部屋で、若い私達はひそかに何度も会合した。階段のところに見張りを立て、私達は熱心に議論したり、仕事を打合せたりした。天願氏と相知ったのも此の二階の一室だった。天願氏は錆(さ)びた特徴のある声で、常に私達をリイドした。此の会合がだんだん不活潑になって来たのは何時頃のことだろう。そして、私がそれから次第に情熱を外(そ)らして行ったのは。――世の中がなんだか変な具合になって来て、マルスが丸巣と改名させられたり、大学の軍事教練が必須課目となった頃から、私はむしろ階下に入りびたって酒ばかり飲むような男になっていた。その頃の仲間もみな四散し、昔のことなど忘れたような顔付で、常凡な会社員になったり、地方の中学教師になって行ったりした。生きていることがくるしく、私は毎夜マルスに通った。酒をのんだり、そこの女の顔をながめることが、その頃の私の唯一の生甲斐だった。取残されたという意識が、はなはだしく私を駆りたてていた。――そこの女に心から惚れていたのかどうか、私は今でもわからないのだ。しかしその給仕女の顔を見ると胸が押しつけられるような気がした。何時からこんな気持になったのか、それも覚えていなかった。私が丸巣の扉を押して入って行くと、何も言わないうちに黙って強い酒を注いで呉れた。めったに笑顔を見せない冷たい感じのする女だった。酒をのみながら私は遠くの卓から眺めているだけであった。その女の冷たい感じがどこか人を牽くらしく、その取巻の中に先刻の若い男の顔もあったような気もする。しかもそれもはっきりしていない。――ある夜、長い間の盥(たらい)廻しから出て来た天願氏をつれて、私は丸巣の扉をくぐった。天願氏は蒼くやつれて、変に元気をなくしていた。うしろめたい気持があって、私はしきりに天願氏に強い酒をすすめ私も飲んだ。酔ってから、あの女をぼくは好きなんですよ、と天願氏にささやいた。天願氏はきらきら光る眼でその女の方をじっと眺めていた。――それからどんな経過やいきさつがあったのか、私は全然知らない、二箇月も経(た)たないうちに天願氏は、その鳥子という給仕女と結婚したのだ。それから三年経つ。

 今更自分の気持をいたわってもしかたがないとは思いながら、酔いが廻って来るにつれて妙な感傷が私を領し始めていた。事態がこんなにせっぱつまっているのだから、沢山やるべきことが残っているような気がするのに、西陽(にしび)がかんかんあたる此の小さな部屋でぼんやり酒を飲んでいるということが、変にぴったりしない奇怪なことに思われだした。膜をへだてて撫でるように、真の感覚から遠ざかったものがある。時折私は思い出したように隣室をぬすみ見ながら、天願氏と調子の合わない会話をぽつりぽつりと交していた。天願氏は酔いが廻るにつれて、沈みこんでいた何ものかが表面にいらいらと浮び出るらしかった。

「近頃なんだか神経衰弱のような気味があるんだよ」天願氏は鯣(するめ)の胴を無意味にひきさきながら言った。「しきりに故郷のことばかり頭に浮んで来るのだ。僕の生れた石垣島という処はまことに大風の吹く島で、家はみんな鯣のように平たく地面に這ったような形なのだ。がじまる。びんろうじゅ。僕の生家は大きな家で、おやじが六十九にもなって、まだ生きている。ひとつ家に、おふくろとお妾と、ぼくの兄弟や甥たちが、ごちゃごちゃに、しかも仲良く住んでいるんだ。お互に愛情をもちながら平和に暮しているんだ。僕はそんな愛情が鎖のように重くて、若いときその島を飛び出したんだが、東京のように人と人の間が乾いた風土も始めのうちは面白かったけれど、近頃はもうやりきれなくなった。他人がどんなことを考えているか判らないということは、君、おそろしいことだよ」[やぶちゃん注:モデルとされる霜多は沖縄県国頭郡今帰仁村に生まれである。「がじまる」バラ目クワ科イチジク属ガジュマル Ficus macrocarpa 。沖縄ではこの大木に妖精キジムナーが棲むことで知られる。「びんろうじゅ」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu 。噛み煙草に似た使われ方をする嗜好品としての実、「ビンロウジ(檳榔子)」で知られる。]

「歳のせいですよ」と私はわらった。

「歳のせいだけでもないらしい」天願氏は渋い顔でこたえた。「だいいちそんなに僕は年寄りじゃない。まだこれでも四十だよ。四十になってぼんやり何にも判らないでいるのだ。ああ、ちょっと」掌を上げて耳をすますような恰好をした。「聞えるだろう。あれが」

 屋根の上でなにか軽いものをころがすような丸い断続した音がした。ぐるる。ぐるる。ぐるるる。そして止んだ。天願氏は手を伸ばして、畳の上にころがっていた先刻の竹の筒をひろいあげた。

「夕方になるといつもやって来て啼くんだ。あれは鳩なんだよ」

 鳩の啼声(なきごえ)がまた短くおちて来た。

「あの鳩を射落してやろうと思ってね、今日は昼からこれをつくったんだ。吹矢のつもりだよ。でももう此の吹矢を使う気持はなくなった。吹矢で鳩をおとせるものか。そんなこと判っていながら僕はせっせと此の竹筒をけずっていたんだよ。げずり上げた処に君がやって来たんだ。だから今安心して僕はのんでいる。いい酒だね、これは。よくこんな酒がいまどき手に入ったもんだね」

「――召集が来たんです。先刻言いそびれたけれど」

 湯呑を口に持って行こうとした手がはたと止って、天願氏は赤くにごった瞳でじっと私を見つめた。鳩の声が、ぐるぐるる、とおちて来た。窓におろしたすだれのむこうで、大きな夕陽がいま沈むらしかった。

「鳥子」しばらくして天願氏がかすれた声で呼んだ。「召集が来たってさ」

「聞いたわ」

 弱々しい声が隣から戻って来た。夫人はそして床の上に起きなおるらしい。湯呑をぐっとあおると、天願氏はまた酒瓶の方に手をのばした。

 

 陽が沈むと少し風が出たらしく、玉蜀黍(とうもろこし)の葉がさやさやと鳴り始めた。そのむこうの線路を電車が屋根だけ見せて時々走って行った。身体はすっかり酔っているくせに、皮膚だけがしらじらと醒めている感じだった。私達は何だか大きな身振りをしてしゃべり合っていた。こんなに酒をのむのも今夜だけだという気持が、なにか私をかなしくさせていた。天願氏は役所の仕事のことをしきりに話していた。天願氏のかかりというのは、国民学校の教員たちを道場につれて行って、みそぎをさせたり、講話を聞かせたりするのが仕事であるらしかった。

「霊火の行(ぎょう)というのがあるんだ。午前二時頃広場のまんなかに火を焚(た)いて、皆でそれを取巻くんだ。他愛もない話だよ。拝火教のたぐいさ。どんなことをするかというと、白い紙に自分の懺悔(ざんげ)や祈願を書きしるして、折りたたんだやつを順々に火の中に投げこんで行くという趣向なんだ。僕は火のそばにいてね、風に外れて燃えないままのやつを、此のあいだ三枚ばかり拾い上げたんだ。先生どもは皆深刻な顔付で投げこんで行く。どんなことを書いているかと、つまり僕はふと好奇心をおこしたわけなんだ」

 天願氏の舌はすこしずつもつれるらしかった。

「そして道場に戻ってそっと開いて見たんだ。どんなことが書いてあったと思う。何にも書いてないのだ。全然の白紙だった。三枚とも」

 惨めなわらいが天願氏の頰にうかび上って来た。

「それは想像できるな。で、天願さんはまさかそれ以来役所を休んでいるという訳じゃないでしょうね」

「いやなことを聞くんだな。いまさら俺にそんな感傷はないよ」

「ほんとうに無意味なことをやるもんですね。大人たちは」ふとにがいものが胸におちて来て、私は独白のようにそう呟いた。天願氏の顔は酔いのために少し蒼ざめて、やせた頰のあたりは凝(こ)ったように動かなかった。

「無意味だと思うかね」

「思うわ。無意味じゃないのですか、そんなことは」

 暫く卓の上に視線をおとして、やがてしみじみした声になった。

「僕の友達は皆、いまはいいところになっていてね。君には判るまいが、日本が必ず敗北すると信じていながら、それで八紘一宇(はっこういちう)の宣伝なんかしているやつも居るんだよ。もっともこいつも役人なんだがね。八紘一宇なんてそんな馬鹿げたことを、当人は毛ほども信用してやしないのだ」[やぶちゃん注:「八紘一宇」「日本書紀」に神武天皇が大和橿原(かしはら)に都を定めた際の神勅に「六合(くにのうち)を兼ねて以って都を開き、八紘(あめのした)をおほひて宇(いへ)と爲(せ)んこと、また、よからずや」とあるのに基づく。それは「八紘爲宇」の文字であるが、昭和一五(一九四〇)年八月、第二次近衛内閣が「基本国策要綱」で大東亜新秩序の建設を謳った際、「皇國の國是は八紘を一宇とする肇國(ちようこく)の大精神に基」づくと述べた(「肇國」は「建国」の意)。これが「八紘一宇」という文字が公式に使われた最初で、これ以降、「教学刷新評議会」で「國體觀念をあきらかにする敎育」を論ずる中などで頻繁に使用された。日蓮宗の「国柱会」の田中智学もしばしばこの文字を使った。すべて「大東亜共榮圏の建設、ひいては世界萬國を日本天皇の御稜威(みいづ)の下に統合し、各々の國をして其の處を得せしめんとする理想」の表明であったとされる(小学館「日本大百科全書」を参考にした)。]

「しかしあんただって」私は湯呑を傾けて、酒がつめたく食道を流れおちるのを感じながら言った。「同じことですからね。あなただって日本が勝つとは思っていないですよ」

「そう。俺は思わないさ」

「そして心にもない錬成を、罪もない教師たちにやっている」

「君はそう思うだろう」少し経って天願氏は沈痛な声で言った。「――そんなこと俺にはどうでもいいんだよ。何でもないことなんだよ、俺には」

「――此の戦争がどんな意味で起りどんな具合に終るか、それを私に教えて呉れたのはあなたですからね、四年前」

「戦争には行きたくないだろうな」低い声で天願氏が私に聞いた。眼はまっすぐ私に向けられ、きらきらと光っていた。「行きたくないと言っても、もう遅いけれども」

 崖の下を轟(ごう)と電車が走りぬけ、パンタグラフのあたりから眼も醒めるようなうつくしい火花がチカチカと散りおちた。すだれ越しに私の眼はそれをぼんやりとらえていた。ある感傷が切なく私をよぎっていた。あの電車にのり、そして今夜中に遠いところに行ってしまう。どこか見知らぬ田舎町に下車して、名前を変えて一生そこの住人として暮して行く。此の感じが俄に現実性のあるものとして、私の胸を一瞬ゆすって来た。頭をあげて、私はまた口の中に酒を流しこんだ。意識がようやく四方に乱れて行くのが自分でも判った。

「白紙を燃しに来るあの教師たちの深刻そうな顔を考えると、俺はなんだかこわくなって来るよ。判っているつもりで、俺には何にも判っていないのだ。街をあるいていて、君は皆の顔がおそろしくないかね」

「おそろしい。そんな感じともちがうけれども――」私は先刻の、向う側の電車のことを想い出していた。あの水の乾上った水族館みたいな、硝子越しにうごめくひからびた人人の影を。そして窓に貼りついた病理標本の蠟(ろう)細工みたいな子供の顔が、突然あざやかに記憶によみがえって来た。

「先刻電車の中でね、氷を食ってる老人がいましたよ。何だか変なことをしゃべっていてね」そして私は口をつぐんだ。あの感じを言いあらわそうとすることが、へんに面倒になって来たのだ。天願氏はしかしそれには気もとめないらしかった。鯣(するめ)のくちばしを歯にくわえて、かりかりと嚙んだ。[やぶちゃん注:「鯣(するめ)のくちばし」タコ・イカの顎及びそこに付随する顎板。「カラストンビ」(烏鳶)のこと。]

 表の方から入って来る堅い靴の音がした。そして土間を踏む音が響いて、何かいう声がつづいた。

「どなた?」

 隣の部屋で夫人が立ち上るらしい。湯呑をおくと天願氏はすこしよろめきながら、玄関の方に出て行った。床柱に頭をもたせて私は眼をつむった。瞼のうらに紅い筋が入乱れて、身体がしんしんと奈落におちて行くような気がした。(俺は何のために今日此の家に訪ねて来たのだろう。自分のさしせまった情況を天願氏に聞いて貰いたかったのか?)

 天願氏が無縁のものであることは、数年前から私はすでに感じていたことであった。私と天願氏をつなぐものは、もはや古い交情の惰性にすぎなかった。時折私が此の家をおとずれたのは、あるいは自分の脱落した感興を、私は天願氏の上に確めたかったのかも知れなかった。あさっては東京を去るというのに、しかし今私は何を確めようとするのか。ふと玄関の会話に聞耳を立てた。

「では行って参ります。お元気で。銃後の守りを果して下さい」

 それはあの若い士官の声だった。姿を見ないせいかその声は妙に暗くひびいて来た。それから天願氏が低い声で何か言うのが聞えた。扉を開く音がして、やがて再び靴の音が遠ざかって行った。しばらくして天願氏が何か包みをもって部屋にもどって来た。卓の前にゆっくりすわった。

「こんなものを呉れたよ」

 紙が破けて軍隊用らしい莨(たばこ)が畳にこぼれ出た。なにかぎょっとして私はふりむいた。半ばひらいた唐紙に身体をもたせて、白い寝衣を着た夫人がこちらを見おろしていた。障子におちかかる黄昏のいろのせいか、顔色は紙のように光がなくて、白い寝衣におおわれた腹のあたりがへんにふくらんだ感じだった。夫人はそのままくずれるように敷居の上にすわった。

「召集ですってね。みんな次々行ってしまうのね」

 それだけ言うのさえも大儀そうだった。眼が暗くくぼんで、ふと見違えるような衰えかたであった。

「磯がいま戻って来たんだ。出撃だと言っていたから、これが最後なんだろう。お前によろしくと言ったよ」

「それも聞いていたわ。私玄関に出ようと思ったのよ。そしたらもう行ってしまった」

「出なくてもよかったんだよ」

 天願氏の声はへんにやさしかった。畳にこぼれた莨を口にもって行く指が、小魚の腹のようにぶるぶるふるえていた。夫人が天願氏をちらと眺めたその視線は、なにか氷のようにひややかだった。天願氏は黙って腕をのばして電燈をひねった。薄色の花のように燈の光が散った。

「崖からおちたって、どうしたんです」視線を夫人から外(そ)らしながら、私は低い声で聞いた。「磯少尉の言草じゃないけれど、やはり医者にお見せになったがいいですよ」

「おっこちたのよ」と夫人は肩を大きくうごかした。「歩いているとね、ふらふらっとして、それっきりなの。気がついたら線路の上にいて、皆で大さわぎしていたわ」

 線路の上に横たわっている夫人の姿が、私の想像の中でありありと浮んで来た。その想像の中では、夫人はやはり真白な衣服をつけていた。青ぐろい線路が白い夫人の身体をつらぬいて走っていて、何かひやりとするような危惧の予感が一瞬私の胸をはしった。天願氏の錆びた声がふと憎しみの響きをおびて沈黙をやぶった。その声もすでに呂律(ろれつ)があやしく乱れていた。

「死ぬ時期が来なければ、人間は死なないものだよ」

「それはそうよ」と夫人がつめたい調于でそれに答えた。

「あたしだって、まだ憎まれながら生きているんですものねえ」

 背をもたせたまま私は内ポケットの辺を指で探った。酔っていてもそれははっきり感じ当てられた。酔いのための動悸がその紙片の下で打っていた。すべてむなしいものが此処のあたりから発するのかと思うと、何か嗜虐的な快感が毒のように手足の先までひろがって来た。掌で頭を押えて天願氏が私の方にむきなおった。

「あの道を歩いて来ると、必ず崖のふちを歩きたくなるのは何故だろう?」

「あなたにこれを上げるわ。これがあたしのせんべつよ」

 夫人の掌に白い小さなかたまりが見えて、弱々しい声であった。衣(きぬ)ずれがさらさらと鳴った。それは小さな布の人形であった。天願氏の視線が動いて、食い入るようにそれをとらえたらしかった。私はそれを受取って、燈の方にかざして見た。

「かわいい人形じゃないか」

 押しつぶされたような声で天願氏が言った。人形は小豆ほどの顔に、ちゃんと眼鼻をつけていた。マッチの棒の太さの脚が、裾からわずかに伸びていた。

「有難う」

 ふと瞼のうらが熱くなるような気がして、それを胡麻化(ごまか)すために私は身体をねじり、床柱の脇にそれをぶらさげようとした。具合よく人形には紐(ひも)がついているのだった。

「ニュース映両でみたのよ。みんなそんなものを腰に下げたりしているわ。だからいま思いついたの」

「多分ぼくが貰う餞別はこれっきりですよ」

 天願氏はかすれた声で短い笑い声を立てた。

 夫人はそのまま立ち上るらしい。燈のまわりを飛び廻っていた大きな燈取虫が畳に堅い音をたてて落ちた。そして畳の上に置かれた鑿(のみ)の刃の上に足音を立てて這い上った。鑿の刃が燈の光を反射してキラリと光った。夫人の白い後姿は消えるように次の間にかくれた。

「奥さんは――」私は声をひそめて確めるつもりで天願氏に問いかけた。「おめでたじゃないのですか」

 掌で頭をおさえたまま、天願氏はじっと酒瓶の方をみつめていた。もはや酒は僅かしか残っていなかった。私の言ったことが聞えたのかそれも定かでなかった。呆(ほう)けたような表情がふとゆがむと、天願氏はまたゆっくり顔を私にむけた。

「今日は何か用事があったのかね」

「だから荷物をたのみに来たんですよ。でも考えてみると、貴方も迷惑な話でしょうね」

「迷惑じゃないが、どちらでも良いんだよ」

「どのみち東京に戻って来れる見込もないから、僕もどうでもいいのです」

 燈の影で天願氏のかおは、言いようもなく苦渋(くじゅう)にみちた暗い表情であった。とつぜん声をおとして私にささやいた。

「――君は今日鳥子にあいに来たんだろう」

 背筋をつらぬく深い悲哀が、突風のように私をおそった。私は顔をうつむけたまま、湯呑をつかんだ自分の手にじっと視線を固定させていた。私は自分の手がふるえ、そして湯呑の底が卓に音を立てるのを聞いた。額から血の気が引いて行くのがわかった。私はしばらくそれに耐え、それから顔を上げた。再び天願氏のひそめた声が耳に来た。

「それならそれでも良いのだよ。俺は責めている訳じゃない」

「僕は荷物をたのみに来たんです」

「そりゃそんな積りもあっただろうさ。しかしそんなことを俺は言っているんじゃない。俺はもう鳥子と別れようかと思っているのだ。夫婦というのは形だけで、今は何でもありゃしないんだ。鳥子だってそんなことを考えているんだ。鳥子は俺をにくんでいるんだ。君には判らないいろんなことがあるんだよ。あの夜だって鳥子はふらふらと落っこちたと自分で言うのだけれども……」

「僕は荷物をたのみに来たんですよ。ほんとに」私は天願氏の話をさえぎって、同じことを繰り返した。「僕はそんなことにもう興味をなくしているんだ」

 そうか、と天願氏は低くつぶやくように言った。そして突然ぎらぎらと濁った眼を私に固定した。それは憤怒のいろでいっぱいに見開かれていた。

「俺は君をにくむよ」押えた烈しい声であった。「今日君が意味なくやって来たということだけで、俺は君をにくむ」

 私は頰をかたくしたまま天願氏の肩越に、今玉蜀黍(とうもろこし)のむこうを走って行く電車の屋根の大きな青白いスパアクのいろを追いかけていた。それは地上のものでない美しさであった。スパアクが二三度つづくと、電線から花火のように火の粉が散り、そして闇がふかぶかとかえって来た。風が吹く音が静かに聞えて来た。天願氏も私から視線をそらし、ふと弱々しい眼付になって窓をふりかえった。電車の号笛が遠くなりひびいた。次第にあるひとつの感情が私の心の中ではっきり形を定めて来たのである。私は莨(たばこ)をいっぽん拾い上げると、マッチをすった。あのマルスの薄汚ないせまい一室で天願氏と始めて会った記億から、フィルムを巻き取るように次々と記億がいま私の胸にうかんで来た。

(俺も此の男をずっと前から憎んでいたのではないか?)

 にがいものが胸にあふれた。今更そんなことを考えついても何になるだろう。他人を愛していようと憎んでいようと、いまの私にとっては、現在という時間は既に遠い過去なのだ。あの紙片を受取った瞬間から、私の生きている現在は死んでしまった。湯呑に残った冷たい液体をぐっとのみほすと、私はなにか兇暴なものを押えかねて、ぐっと卓の下に脚を伸ばした。伸ばした膝のあたりにくりくりと触れる硬いものがあった。身体を曲げて私はそれにふれた。それはあの竹の筒であった。私はそれを握りしめた。

 なにか感応するように、天願氏はぎくりと振返った。そして私の掌の竹筒を見た。あおざめた頰に冷酷な感じのするうすわらいがぼんやり浮び上って来た。

「鳥子が線路におっこちたのは、あれは自殺するつもりだったんだよ。きっと」

 抑揚のない調子だったので、なにかあたりまえのことを言っているように聞えた。天願氏の眼は私にむいているのだが、何故か遠いところを眺めているような眼付だった。さっきの電車の中の老人の眼付に、それはそっくりだった。

「自分が死ねば、俺を困らせることが出来ると思ったに違いないのだ」

 そう言いながら、天願氏の手は卓の抽出しを開いて、何か白い小さなものをかさかさとつまみ出した。円錐(えんすい)形に紙を巻いた、それは吹矢の針らしい。腕が伸びて私の竹筒をつかんだ。

「そんなことを考えるのはお止しなさい」

「――あの翌朝、俺はそこに行って見たんだ。線路のわきに夜露にぬれて、見覚えのあるあいつの腰紐がおちていた。それは輪になっていた。拾い上げると堅く結んであったのだ。何のために輪にむすんだのだろう。膝のあたりをくくったんだろうと俺は直感した。裾などが乱れないようにね。あいつはそんなことを考える女なんだ。何故あいつが死のうとするのか。俺は何にも知らない。何も見ない。見たって何も感じはしないのだ」

 天願氏の声はだんだん努力するような押えた口調になり、額から脂汗がしきりに滲み出て来た。指は絶間なくうごいて、針を筒の中に押しこむらしかった。

「しかしそんなことはどうでもいいのだ。俺がいちばん厭なのは、そんな鳥子を、俺がどうにもしないで放っておくより仕方のないことなんだ。つまり俺には何も判らなくなっているんだ。俺は自分の気持さえ判らなくなっているんだよ。今日も磯がやって来たのに、俺はあのかんかん日の当る裏庭で、一所懸命になって竹筒をこしらえていた。汗がむちゃくちゃに背中から流れた。しかし俺は、此の吹矢で射落される鳩の恰好をしきりに想像しながら、之を削っていた――」

 天願氏は急に言葉をやめて、凝結したような眼付をひとところに定めた。ある予感が突然つめたく私をおびやかした。私は天願氏の視線を追いながら身体をよじった。

 床柱のかげに白い小さな人形がふらふらと風に揺れていた。それは絞首台に下げられた人間の形にも見えた。ふと視野がぼやけると白い小さな人の形は二重にも三重にもみだれ散った。私はその瞬間、錯乱に傾こうとするものを必死に耐えていた。滲んだ視野の中で、天順氏は竹筒をゆるゆると唇に持って行くらしい。燈にかげった天願氏の顔は、仮面のように青白く表情をうしなっていた。私はひとつの終末のように、白い人形がするどい吹矢針で柱にぬいつけられる瞬間を、そしてその瞬間の戦慄を予覚しながら、次第に身体を天願氏の方に乗り出して行った。

2021/05/30

ブログ1,540,000アクセス突破記念 梅崎春生 喪失 / 恐らく、現在、読める最初(昭和九(一九三四)年五月満十九歳)の梅崎春生の小説(その2)

 

[やぶちゃん注:前回の「明日」に続き、昭和九(一九三四)年二月発行『ロベリスク』第二号に発表されたもので、梅崎春生満十九歳の若書きの一篇で、現在知られている小説としては、最も古い作品(習作)である。当時は、熊本五高二年であった。

 底本は「明日」と並置される昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集第七巻」(本巻最終巻)の「初期短編補遺」(但し、「明日」と本篇の二篇のみ)に載るそれを用いた。

 本来なら、戦前の作品であり、恐らくは正仮名が用いられ、漢字も正字であったろうが、原雑誌を見ることが出来ないので(掲載雑誌については中井正義著『梅崎春生――「桜島」から「幻化」へ――』(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊)の年譜の昭和九年のパートに『怠け癖から、三年生になる際に平均点不足で落第し』たとあり、この年、『同人誌「ロベリスク」に参加し』たとある)、この雑誌は当時の熊本五高の友人であった霜多正次(しもたせいじ 大正二(一九一三)年~平成一五(二〇〇三)年:後に左派小説家となった春生の盟友。日本共産党員でもあったが後に除籍された)とともに出した同人誌である(同誌に発表した『梅崎春生 詩 「海」(私の勝手復元版)』なども参照されたい)。詩篇とは異なり、歴史的仮名遣の手入れが異様に多くなるので、底本のままに新字新仮名とした。一部、文中に注を附した。

 本篇は梅崎春生の小説としては、主人公や脇役の設定が極めて特異点である。ネタ晴らしになるのでこれ以上言わないが、梅崎春生の知られた作品の中には、このようなキャラクターを設定をした小説を、私は、思い出せない。

なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが先ほど1,540,000アクセスを突破した記念として公開する。【2021530日 藪野直史】]

 

   喪  失

 

 目には見えない程繊細な春雨が……しかしまだうすら寒い三月の雨が黄昏の舗道をしっとりと濡らして居た。もう夕闇が色濃く立ちこめて居て、巷に時折明滅する広告燈も夢の様にうるんで居り、舗道を流れて行く、雨に光った黒塗の自動車も、微かに水をはじく音を立てるだけで警笛の響きも聞えず、丁度辷って行く影の様に思えた。道子は細い女持ちの傘を拡げて先刻から濡れて光る舗道にうつる傘の蒼白い感覚を淋しみながら歩いて居るのだが、先刻まで映画館の座席で中岡と一しょに見て居たあの銀幕の上の白い影像などがおりの様に頭の底に沈澱して居り、まだ現実と夢幻の間を漂々と彷徨して居るような茫とした気持で、丁度山の中にある大きな滝などの側に居る時、瀑音にじんと気押されて細々とした感覚は吹き飛ばされ、その後に何かしらぬ静寂を味得する――丁度あの様な感じで、此の巷の静寂をじんと感じて居るのであった。

 そうして道子は此の静寂の中に、何処かで激しく奔騰して居る様な水の音が、先刻から聞えて居るような気がしていた。空耳かしら――と、じっとりと濡れてしまって、氷片の様に神経を失いかけた右手からそっと左手に傘を待ち換えると、その瞬間そこで別れた中岡の半ば子供らしい、しかし端麗な容貌がふっと思い浮べられて来て、自分の中岡に対する気持は一体どんなものだろう、矢張り友達としての淡々とした交際かしら、それとも――それとも、もう自分程の年になると、こうやって情熱を圧迫して居ても、一寸した隙からひょっと顔を出すあの戯れ見たいに冒険を愛する気持かしらん、とぼんやり考えながら歩いて居ると、大きな広告燈の光芒が並んだ家並の唐突なとぎれに戸惑いしてちらちらとためらって居る――川だった。ああ先刻から聞えて居た水の様な音もこれだったんだな、と道子はそう思いながら着物が欄干に着かないようにそっと川面を覗いて見ると、意外なまでに水面が黝々[やぶちゃん注:「くろぐろ」。]と上って居り、橋げたにぶっつかっては幾つもの渦を作って川下へ流れて行く。では川上の方では大雨が降ったのかしら、ここじゃこんな細かな雨が降ってるのに、といぶかりながら、なおも立止まって、川上から流れて来たらしい白い木片が、可成な速力で辻って行き、ぐるぐる廻ったり、見えなくなったりして下の方に流れて行くのを見て居ると、単なる感情の戯れの中に、中心を失いかけたこまの様に廻ろうとして居る自分の裸身を覗いて居るような気がして、くらくらと眩惑見たいな気持を感じ、思わず目を川から外らして、も一度傘を持ち換えると、コツコツと橋の上を歩きながら、きっと感情の危機なんだわ、と誰に言い聞かせるともなくそう呟いて見た。

 ――道子が女学校を卒業した時、彼女はその当時まだ可愛い少女であった妹の由紀子と二人、全くの孤児になって居た。然し相当の遺産があった為に、二人は此の都の片隅にある、あるアパートに部屋を借りて、由紀子は其処から程遠くない女学校に通い、道子はまだ世間知らずの無鉄砲さで社会に飛び込もうと企てたのだけれども、結局気弱い感情が彼女の中に住んで居り、それは彼女を束縛して手も足も出ないようにしたのであった。此等の不安だった、しかし華かだった日々の事を道子は今でも、匂いの様に弱々しい感傷と共にはっきり思い出しても見る事は出来るのだが、結局そうした変遷の後現在のある同人雑誌の一員として加わるまでに、由紀子も、あの腺病質にさえ見えた蒼白い少女時代から成長して、道子に似てうるんだ瞳を持った美しい女になって居た。そうして中岡が出現したのもその頃であって、中岡も同人の一人として、時折発表する創作が未だ乳臭い感傷から脱け得ないものではあったにしろ、道子はその稚気に可成の好意を持って居り、その中岡の人柄と考え合わせて見て好もしい微笑すら感ずる事があった。そうしてその頃からごく自然に姉妹の生活に中岡は浸透し始めて来たのだったが、素直な青年でまだ二十二にしかならず、道子より二つも年下になるわけだった。しかし此の中岡に対する感情が、ともすれば友情以上に溢れ出ようとするのを意識し始めた道子が例の気弱さと、まだ世慣れない女が持つ臆病とでその感情の危機を鋭敏に感受し、警戒し始めたのも当然であったと言えよう。そんな内面の闘争を心に秘めて道子は今、橋の上をコツコツと歩みながら次第に拡がって来るらしい稀薄な憂鬱と不安とをどうする事も出来なかった。

 濡れた裾をひるがえす風も無く、霧雨だけがいたずらに降る此の道は長かった。しかし道子は、此の道の果てる所に遠くまたたくアパートの燈をみて居て、その窓の一つに点(とも)るあかりの下には、由紀子もやはり此の湿った空気を呼吸して居るだろうと思って見た。しかしそれは、無定見な白分を意識の中から放逐する事は出来ず、かえって由紀子に対する自責の念をぐっと盛り上げて来て、ああ男の人と映画なんか見て居て――と言う感情が、自然道子の足を早めるのだった。丁度幼かった日、夜までつい遊びすぎて、おずおずと家の門口近くへ歩いて行く、あの走り出したいような焦燥と、どうにもならない不安とがそこにあって、道子は身動きも出来ないように自分の心理の陥穽に陥ったと言う感じがしながらも、それを抜け出そうと努力する事は由紀子に対して何か済まないと言う決定的な肉親への感情をひた守りに守ろうとしながら、近頃急速度で深くなった中岡への交際と、詩集だに拡げて見ない自分の不勉強を由紀ちゃんは一体どんなに考えてるかしらと思って見るのであった。時折此の四五年の過去をふりかえって、由紀子を今のようにまで育て上げた自分の努力に道子はヒロイックな快感を感ずる事があったけれども、その自己陶酔の背後に巣くう淋しさ――喪失させんとする青春への哀借が急速調に感ぜられて来て、そんな時道子の心は何時も何かに合わせて没落の歌をうたって居り、また嵐の様に唐突に襲って来る情熱の衝動に虚無的な触手を異性の前に伸ばそうとする道子の心を――あたしの心を、由紀ちゃんは一体どう思ってるのかしら、由紀ちゃんと中岡との間のあたしの生活には、どこかしら足りない所があるんだ、或いはあたしが重大な根本的な錯誤をでもして居やしないか、と道子は再び自分の生活への疑問符を荒々しく自分自身へ投げつけたのだった。

 丁度アパートの前に来た時道子は一寸雨に煙る街の黄昏をふりかえって、長かった思考を断ち切るように傘をたたんだ。そうして階段を登って、部屋の扉を押し開いた時、あんなにもつれた思索を持った場合に持ついらいらした気持には、突然全然空虚な世界に投げ出されたように、そこに由紀子一人がむこうむきになって机の前に坐っている平和な雰囲気が生暖かいものの様に感じられ、あんなもつれた思索と此の平和な情景とが由紀子と言う導体を中において結び付けられて居ると言う事は、道子には全く不思議に思える程だった。しかし由紀子が、其の音にふりむくと、意外な程明るい微笑をたたえた顔で、

「面白かった?」

 と訊ねて来た時、道子は瞬間、自分の意識が、その平和な雰囲気を、先刻の思索の世界に急激に荒々しく引きずり込もうとするのが感ぜられ、その目まぐるしい流れに何も考える余裕も無く、直ぐに、

「ええ、面白かったわ。とても」

 と答えてしまったが、その後で、ふと思い出すように浮んで来たあの自責の念に、何て残酷な返事をしたものだろうと気付いて、由紀子が向うをふりむいて何か小説にでも読みふけって居るらしい姿勢に戻り、道子が傘を片隅に立てかけに行くまで、道子は心にとげでも剌さった様に感ぜられ、壁に映った由紀子の大きな影法師に、思考に疲れた空ろな瞳を投げて居るのだった。

 部屋の真中にぼんやり立って居ると、先刻から素足にまつわる濡れた裾の不快さが此の平和な情景に自分自身をそのまま融合させるのに邪魔になって居て、それが此の継ぎはぎのある気持を産み出して居るのだと言う気持が道子にはあって、それ故道子は部屋の片隅に行き、わびしいスタンドの光芒を離れて帯を解き乍ら、ふとうつむいて見ると暗さの中に傲岸と揺れている白い乳房がぼおとその輪郭を道子の瞳に投げている。それを見ると再び苦しい感情、甘い感情が乱れた線のようにもつれて来て、中岡のおもかげがつい思い出されてしまう。しかし此処では先刻のあの概念的な中岡として道子の頭に浮んで来たのでは無く、それは一人の男性として、非常に実体的な感覚的なものとして道子の頭脳に拡がって来るのであった。そうして冷えた手足をじんじんと廻り始める血球の一つ一つがナカオカ、ナカオカと叫びながら馳けめぐって居る様に見える。――ああ、ほの白き欲情のふくらみ――とその切迫した感情を道子は自嘲にも似た気持と一しょに此んな詩の言葉を口吟んで見るのだが、やはり道子は客観的な世界にまで飛躍する事は出来ず、じめじめと情欲の中にはいまわってる――駄目。飛躍も出来ない。霧雨のように沈む心、茫然と白さを凝視して居る。あたし、こんな湿っぽい日に映画なんて見て、やっぱり頭が疲れたんだわと思うのだった。

「お姉さま」

 と突然呼びかけた由紀子の声に、ふと非常に恥かしい事でもして居たようにあわててふりむくと、明るさを背景にして、暗さの中に矢張り和やかな陰影をただよわせながら。

「今日はとても面白い事聞いて来てよ」

 と先刻から言おうと思って居たんだなと言う心組みを道子に感じさせる様な語調で由紀子が話しかけて来ると、道子は意識的な飛躍の足場がやっと見つかったようなほっとした気持と、その話の内容に対する子供らしいような好奇心との入り組んだ気持で、

「どんな事?」

 と訊ねると由紀子は笑いながら、

「今日ね。信ちゃんがお姉さまたちの同人雑誌の批評してた」

「まあ。どんな風に」

「お世辞だったかも知れないけど、ほめてたわ」

 と悪戯な瞳をひょいと道子の顔からはなして壁を這わせ乍ら、

「特にお姉さまのをとてもほめてたわ」

 と再びちらと瞳を道子の瞳に戻すと、道子はそれに答える前に、由紀子の瞳の中にとぼけたような無邪気な意志を感じるとつい笑い出して居た。由紀子の無邪気に歪められた情熱と対象としての信子を道子は女らしい敏感さでさとって居て、由紀子が此の可愛い信子と一しょに持った休み時間の会話の材料として持ち出されたあたしたち。あたし。楽しい時間の流れ。あたしが此んな心持に今まで苦しんでるのに、亦何て朗らかに話せる由紀ちゃんだろう。由紀子と信子。あたしと中岡。と中岡の事が又思い出され、つい不用意に、

「中岡さんの、どんなだった?」

 と訊ねて見ると由紀子は道子の先刻からの表情の変化をくわしく観察して居て、その予期して居た質問に思わずクックッと笑い出しながら、

「言っても良い? 姉さん怒りゃしない?」

 と道子の心理にぐさりと針を剌し込むような質問に、はっと虚をつかれた思いで、

「何言ってんのよ。信ちゃんがいくら中岡さんの悪口を言ったって、あたしと何の関係があるって言うの。悪い子ね」

 と、思わず赤らめそうになった顔をかくす為ににらむ真似をして見せると、由紀子は一寸首をかしげて、

「信ちゃんったらひどいのよ。あんな創作なんか可笑(おか)しくって見て居れないだって」

 と無雑作に結論を投げ捨てると、本当に可笑しくってたまらない様に机の上に笑い崩れるのであった。道子もついそれにつられて笑い乍ら、その言葉を聞いた瞬間、信子の子供らしい思い上りにかっとした軽蔑が心の底に動くのをどうする事も出来なかった。全然異なった世界に住む人々に対する何とはない反感、いきどおろしさが、道子にあんな乳臭い少女に何が判るものかと思わせて居り、又、道子は一方で、先刻由紀子が、言っても怒りゃしないと言って居た言葉が非常に皮肉なものに感じられ、だんだんとこわばる顔貌を意識すると――ああ、あたし仮面をかぶって居るのだわ、もう由紀ちゃんの前でとても仮面なしじゃ生活出来ないのだわ、と淋しい気持になって居た。そうして此の感情の変化をかくす為に道子はそのまま窓の方に行くと、一寸柱にかけてある鏡をのぞき何でも無かったような姿体をして窓から外を茫然と見て居た。巷は霧にうらぶれて、いくつもの燈が遠くから来る物音にふるえて居る。埋葬された街。じっと見て居ると、自分の詩を賞められた時、良い気持になって居た自分の姿が苦しくも反省される道子の耳朶に、同じアパートの住人らしいレコードの響きが、auld lang syne を乗せて湿った空気を動かすと、それは此の苦しい心の根本をぐらぐらと動かすもののように聞えて来て道子は思わず耳に蓋をしてしまう。そうして音の無い世界の中で、もう中岡さんは帰ったかしらと思ったりして居ると、じんと鳴る耳朶にまだその旋律がつきまとって来て青春への Farewell を告げる様に道子の舌も何時の間にかその auld lang syne のリズムを口吟んで居るような淋しい境地であった。[やぶちゃん注:・「auld lang syne」「オールド・ラング・サイン」(Auld Lang Syne )は、スコットランドの民謡にして非公式な準国歌。本邦では「蛍の光」の原曲としてよく知られる。・「Farewell」別れ。]

 

 その雨が晴れて翌日は朗らかに晴れた日曜であった。そうしてその午後、道子は由紀子を連れて中岡と郊外に散策を持つ事になって居り、こうして三人で出かけて来たのだが、チカチカと貝がらの様に光る海が眺められる小高い丘に来た時その丘が、此の前来た時とすっかり変って、全く青くなって居るのにびっくりする程だった。生命は此処にも萌え出るのだ。あのチカチカ光る海にも、ゆるやかな波の起伏が光線の戯れにさんざめいて躍って居よう。魚も銀鱗を輝かし始め、深海の海藻もその乏しい光の中でユラユラと身悶えして居よう。その様な光の戯れも、色彩の動きも、久しぶりに長い間忘れて居た感覚が身内によみがえって来て、今まで氷の中に閉じ込められた目高がピチピチと動き出す日のように、青い丘も、青い風も、目に、耳に、肉休に媚びるあらゆる感覚も、道子には此の上無く快いものに思えた。そうして昨日まで澱んで動かなかった血液が急に動き出し、心臓がドクドクと荒々しい調子で刻み始め、朗らかな気持がどこからともなく道子に帰って来て居た。そうしてゆるゆると青い丘の間を縫う一条の小径を爪先上りに上りながら、由紀子がずっと向うの海岸から突出て居る突堤の先にそそり立つ真白い燈台の姿を見つけて。

「まあ、いいわねえ」

 と感嘆の叫びを上げ、中岡が、それに応じて、

「本当に詩の様な景色ですね」

 と答えるのを聞くまでは、道子はその感覚に身も心もゆだねて、夢幻の中を歩いて居たと言っても良かった。そうしてそんな常套的な、春らしい言葉を聞いた時、再び、そんな月並な文句が言えるあの若い日を慕う心が油然[やぶちゃん注:「ゆうぜん」(歴史的仮名遣「いうぜん」。「ユウ」は漢音で「ユ」は呉音)。盛んに湧き起こるさま。そのように心に浮かびくるさま。]と湧き起ったのだけれども、道子はそれを意識する前に理智の扉を固くとざして、春風が裾を嬲(なぶ)る快よさにうっとりと陶酔して居るのであった。例えば心が陽炎(かげろう)となり、橙(だいだい)色の蝶々となり、片々たる塵埃となって遠く海面へ流れて行き、白い燈台を廻って見果てぬ夢に酔うように、その快よさは幾度と無く身内によみがえっては、道子は此の若さを前にして目を細める心地なのだ。

 青い丘を登り切って三人とも黙って海が目の下に見える風景に、茫然として、各々大気を吸い込んで居た。さんさんと降りそそぐ太陽の光だった。そうしてその光の中で、中岡が若々しい顔をふりむけると。

「こんな風景でも詩になりますか?」

 と微笑しながら問うのだった。道子は今まで見て居た遠い白帆の影から目を離すと、

「駄目よ、あたしなんか」

 と叫んで見たがそれは思いがけない程若々しい声音だったので、道子は急に可笑しくなって来て、つい笑い出してしまったのだが、中岡は一体此の女は今まで何を考えて居てこう突然笑い出したりしたのだろうと不審そうな瞳を道子の白い額の所に向けて居た。しかし道子は笑いながら中岡の問いが此んな風景が詩になり得るかと言う客観的な質問だったにも拘らずすぐ自分の事に取って、少し己惚(うぬぼ)れて居たような気がし、気恥かしい面持でなお笑いながらうつむき加減に中岡の視線を避けようとすると、今まで白いスカートを海から来る風にひらめかして居た由紀子が急にふりむくと、

「お姉さまは詩の評判が良いので嬉しいのよ」

 と、道子の方をちらりと見ながら、由紀子は悪い子でしょうと言ったような微笑を一寸見せると、すぐ風の様に晴れ晴れと笑って見せた。しかし道子は、それが皮肉に聞えない程明るい気持になって居て、やさしく由紀子ににらむ真似をして見せると、中岡がそれを逃さないようにすぐ、

「素晴らしい感覚を持った閨秀詩人なんて見出しで、きっと賞められるでしょうね」

 とおおいかぶせるように迫って来て、道子はそれを反撥する前にくすぐったい気持になり、つい弱気になって、応酬すべき良い言葉も失って、

「駄目、駄目。そんなに賞めても、私なんか詩人としても全く疲れてるんだから、詩人の廃業よ」

 と自分でもびっくりする程蓮(はす)っ葉(ぱ)な笑い声を立てた。しかし、その笑い声のうしろに、意識して虚偽の仮面をかぶり、空虚な姿体をよそおった自分の姿が居るような気がして、――ああ亦いつもの厭な癖が始まった――とそれを打消すように、昨日聞いた中岡の創作の批評を聞かしてやろうかとも思ったけれど、それも悪戯すぎる様な気がして、由紀子と中岡の顔を等分に見比べながら、言おうか言うまいかといたずらめいた心を持てあましながら、自分の蓮っ葉な哄笑に和して居る二人の笑い声が、煙草の煙の様に風に流れて行くのを聞いて居るのであった。

 しばらくして丘を下りて行く時、道子は再び黙って居て、先刻の夢の様な甘さをじっと味わって居るつもりだったが、しかし、そこにはもう感覚的な快よさがほとんど失せた気持がし、沈んだ心象を知って居て、これはあの根低のない浮々した気持の反撥だと思って居た。そうして中岡とはなれた時はあんなに色々中岡の事が思い出される癖に、こう接して見るといつの間にかあたしは違った性格を振りかざして居て、内部のものを見せまいと努めて居る。何故こう弱いんだろうといぶかって見たり、亦、先刻は何て詰らない事を言ったものだろう、詩人の廃業なんて、と責めて見たり――そんな時間の流れに由紀子の歌ううたが乗って、少女らしい感傷を心から味わって居る、そんな由紀子に向って中岡が、

「由紀ちゃんは何時までも若いんだね」

 とからかいかけると由紀子はすぐ歌を打ち切って、

「いやよ、中岡さんたら」

 と腰から上を後ろにくねらせて中岡の方を振りむく、濡れたような瞳が語る少女らしい媚体に見えて、その態度に道子はハッとして、そうかも知れないと言う不吉な予感に、自分の邪推にも似た敏感さを呪う心地だった。しかしその時道子の休内には姉らしい感情がふつふつとして流れ始め、そんな大胆な想像を笑いたい気持で、そんないやなもつれた考えから遠ざかりたいと思う。しかしそう思えば思う程、いやな癖で、意識の一部がその思考を追って行こうとし、道子はそれを止めようとするのに一生懸命なのだ。しかし、此の沈黙の時間に、その思考を追う事は道子に意地悪い快感を与える事は事実であろうけれども、道子の神経はそれに堪え得ないだろうと思う。由紀ちゃんはもしかしたら中岡さんに特別な感情を持ってるんじゃなかろうか。もし由紀ちゃんがそうだったら――本当そうだったら、あたしとてもそんな悲劇に直面出来ない。一体中岡さんもどんな気持かしら。一体男ってものは、年上の女に恋なんか感ずる事があるものだろうか。あたしに、あたしに――と絶句するような思いで、先刻からうっすらと汗ばんで居る白い脚が、なおも汗ばみしたたるかとも思われて、わざと中岡から離れて道の端を歩きながら、外の景色に心をうばわれて、愉しい沈黙を味わって居るふりをして居る道子だった。

 すこし後れ目になって歩いて居ると、そう言う考えの為に道子の心は耳をしっかりと抑えて居て、先刻まで聞えて居た雲雀(ひばり)の声が、雲の中へとけ入りでもしたかのように聞えなくなって居る。しかし耳をすますと遠くから来る物音が蜂の羽音の様にぶんぶんと聞えて来る。それは耳鳴りの様に道子から離れない。じんと鼓膜が圧迫されて居て、道子は此処の空気がとても密度が高いような感じを持って居る。道子は乾いた唇をそっと手でおさえる。顔がかげった。手が蒼く染った。道に青い光斑を投げている林の間を縫う小径だった。

 此の沈黙の中に道子は考えて居る。道子の沈黙は、中岡と由紀子の沈黙とは全然異った種類のものだったので、道子はあとの二人と同じ様に、此の春の風景を楽しんで居る様に装わねばならなかった。それ故、道子は、目を上げて、木の葉に反射する光線の蒼さを見たり、振りむいて歩いて来た道を眺めたり、小さい声で歌を口吟んだりしながら、中岡と由紀子が無神経にそれらを愉しんで居る様子を見ると神経の千切れる様な鋭い悲しみを感じ、来なきゃよかった、来なきゃよかったと思っている。昨日、映画館の中で二人きりになった時持ったあの安らかな気持が、由紀ちゃん一人を加えると亦なんていらだたしい心だろうと道子は考えて見るのだった。

 林が尽きて、も一度広い野原が闊(ひら)け、遠くに畠が見える所まで歩いて来ると、今まで小さな声で歌を口ずさんで居た由紀子が急に道子の方に振り返ると、

「一寸、あんな所に」

 と呼びかけて、右手にあたる方向を指さして居る。しかし道子はその方向を見るけれども、一面に黄色にまぶされた菜種の畠が見えるだけで、由紀子が何を見たのか分らない。小鳥でも飛んで居るのかしら、それとも――と道子はそれが何であるかを見極めてしまわねば、何か、とても不吉な事がありそうな気がして、手をかざし、目を細めて、陽炎の立つ彼方を眺めて見る。でも結局分らなかった。一分位経って、由紀子が感に堪えたように、

「良いわねえ」

 と嘆声を発した時、道子は、やはりその方向を茫然と見ながら、自分でも判らない気持で、

「ええ、本当良いわねえ」

 と答えて見たけれども、すぐその後で、一体あたし何を考えてるんだろうと烈しい自己嫌悪の気持で、積木のように整然と重ねられた感情が、一つ一つ崩壊して行くような感じを味わいながら、一寸中岡の方を見る。そうして中岡が促された様に、

「本当に良いですね」

 と口真似の様に答えるのを聞きながら、此の問題から早く切り離れようと、二人に先んじて歩き出して居た。それに促されたように歩き出した二人の跫音を後ろに聞いても、道子は何故かほっとした気持を持つ事は出来なかった。

 

 二三日経った日の夕方、道子は自分の部屋で、書きかけた詩の原稿を前にして、中岡と二人話して居た。窓から流れ入って来る日没の反映が中岡の顔にまわって、中岡はまぶしそうに目を細めながら道子と話して居て、日を後ろにして居るんだから、あたしの表情は、中岡さんには判りにくいに違いないと言う確信が道子の心を可成大胆にさせて居た。しかし、いつも中岡と一緒に持つ時間には安らかな気持で会話し得る道子だったけれども、今日は、いつもと違って、たった二人で部屋の中に居るせいか、かなり切迫した感じがするのを道子は不思議に思った、そうして会話を、ある方向へ、ある方向へと引きずろうとする自分の心を、悲しい事と思って見たり、或いは、これで良いんだと思って見たりして居る。しかし矢張りそれから逃れようと努力しながら、由紀子は学校から帰って信子と映画見に行った――由紀ちゃんはお友達と映画に行ったのよ、と言おうと思うのだか、あの日の事がどうしても心にこびりついて居て、之を言い出した時の中岡の表情を彼女は見るに堪えないだろうと思うのだ。そうして、先刻から由紀子の居ないのに気付かなければならない中岡が、それについて一言も発しない事が、中岡が平然と仮面をつけて居るような気もするし、亦自分とこうやって話す事に愉しさを感じて居るのかも知れない。そうするとあの午後自分の心象にうつって来たあらゆる事は、みんなうつろの事実だったかも知れない。無論そうなんだわと叫ぶものが道子の心の中にある。しかし道子は、わざと大きな瞳をして、何でもなさそうに中岡の顔を眺めて見る。何てにがいコーヒーだろうと、前に置かれてあるなめらかな陶器の茶わんに唇をつけて一寸すすりながら、道子はそう思って居た。

「昨晩はダンスに行きました」

 と今までの会話の流れと全然別の事をポツンと話し出す、それが中岡の癖ででもあったのだが、道子は、中岡がそのおしせまった空気から逃げ出そうとする為に話題を変えたように思えて、中岡にすがるように、

「そう。面白かったの」

「ええ。でも踊ってますと、あんな華かな音楽の中に居るんだけど、妙に淋しくなって来ましてね、何だこんなもの何だこんなものと、呟きたがら踊ってるんですよ。相手の女が、もうとっくの昔に感情なんか喪失した女の様な、丁度動物のような感じがしましてね」

「その人美しかった?」

「ええ、でも白痴のような美しさでした」

「そう」

 とその女と中岡が二人で踊って居る様子をちらりと頭の中に画きながら、

「あたしもダンサーになって見たいわ」

 と、ぼんやりと此んな一聯の言葉をはき出すと、遠くを見るような目付をして中岡から視線を外して居た。道子はその時、五六年前、退屈な生活に倦んで、強烈な刺激にひたりたく、ダンサーにでもなりたいと思ったあの日々の事を思い出しながらそう言って見たのだったが、言ってしまって、それが中岡には別な意味に響くだろうと言う事に気付くとあわてて目を中岡に戻すと、うつむき加滅になって居る中岡の瞳には、道子が予期した様ないぶかりもおどろきもなくて、……よかった。何も反応がなくてと道子は思った。しかし、此の身動きも出来ないひしひしとした気持。密閉した部屋に二人きりになれた機会。考えまいとすればする程道子の頭には、そんな事が考えられる。道子は部屋の中にある光線の量で、日没を知った。目を上げると鳩時計がコツコツと呟いて居り、その文字板は白い仮面をかぶって居る。道子は心の中で、中岡に知れないように仮面を外す。あたしは今空ろな眼をしてるに違いない。いけない、いけない。こんな、状態では。

「本当にあなたは疲れて居られるようですね」

 と顔を上げて、中岡は、道子の顔をまじまじと見つめながら、今までその事を考えて居たように言うのだった。道子はその目に真面目なものがあるのを感じると、先刻の言棄を素直に取って呉れた中岡に、済まないような気持と、こみ上げるような淋しさを感じると、感情危機を敏感に感受した警戒心で素早く仮面をかぶってじっと見返しながら、

「まあ。突然ね。しかしあたしが疲れてるのは事実だわ」

 そして暫くして、

「それもあたし一人じゃどうにもならないらしいのよ」

 それはほとんど聞えない程低い声で言ったつもりだったのだが、それは意外な程高い言葉となり、道子は瞬間混乱し始めた感情を感じてうつむくと、二三日前からはぐくまれて居たいろいろな悲しさ、苦しさ、淋しさが大波のようにどっと襲って来て、道子はそれにおし流されるように、押える事の出来ない涙をにじませて居た。そうして、あたりの物象が道子の意識の中にぼうと薄れて行き、ただ淋しさだけが取り巻いて居るように思える、ほとんど狂的に近い気持で涙の底に、にじみながらぼやけて行く自分の膝を見て居ると、ますます悲しくなって来て、あとからあとから涙が頬を伝い始めた。そうして中岡が、道子の此の唐突な変化に驚きながら、

「どうなすったんです」

 と顔を覗き込むように、顔をかたむけて、あわててたずねて来ると、道子は、人の前でこんなに取り乱してと言う理性の芽を摑んで離すまいともがきながらも、なお激しくなろうとする涙の中に、

「あたしもう詩も書けない。何にも出来ないのよ」

 とむせび上げるような甲高いかすれた声で言って、もう堪え切れずにそのまま中岡の膝の上に突伏すのだった。

 中岡の膝のふるえが中岡のあわて方を道子におしえた。そして涙の中にただよう男の休臭を道子は好もしいものに思った。三十秒。一分。二分。頰でしろじろと冷えて行き始めた涙を感じ始めた時、道子はやっと冷静に似た気持を取り戻した。しかし時折せぐり来る新しい涙が道子の肩をふるわせた。そうして道子は、中岡の手の重さを、肩に全神経を集めて感覚して居るのだが、それは何等積極的な働きかけを持って居ない重さである事を複雑な感じで――本屋で買いたい詩集を見て買おうか買うまいかと迷った揚句、買わないで帰る時の、あの買わないでよかったと言う気持と、何かしら淋しい気持の入り組んだあの感じ――そんな感じで自覚した。所詮お芝居だったわと、道子は思いながら、今中岡さんはどんな気持かしら、そして今、目をどこに向けているだろう。やはりあり来りのラヴ・シーンみたいにあたしの背中に向けてるかしら。それとも、空虚な目を天井に走らせてるかしら、といたずらのような疑問を空想する程冷静になって居て、今自分のやった行為をも一度頭の中で反芻する心地だった。そうして膝の上で、丁度一本道を歩いて居る時向うから人が一人来る、こっちが右へ寄ろうとすると向うも右に寄り、こっちが左へ寄ろうとすると向うも左へ寄る、どちらも相手に衝突しないで此の道を通り抜けようとして居るのだが、此の偶然の一致に二人とも全くあわてて、結局ぶっつかってしまう――その様に、先刻から会話と会話が、ついに避くべからざるもののように衝突したと言う感じだった。中岡さんは、こんな時にでも働きかけ得ない程初心なのかしら。それともあたしに対して何の興昧もないのかしらと考えながら、道子は舌の先で、流れ込んだ涙のしおからさを味わっで居る。そうして、こんな姿勢じゃいけない。所詮敗けたにしろ、起き上らなくちゃいけないと思って、まばゆいように顔を上げると、中岡の視線を避けながら手巾で涙をおさえて、「失礼しました」と話しかけようと口を開きかけると、丁度それが、中岡が何とか言おうとした言葉とぶっつかって、あわてて言葉をつぐむ、そうして中岡もはっとして小さい殼に立てこもったのを道子は感じる、お互に心の底を探り合うような瞬間、つぎはぎだらけの雰囲気、でも道子は中岡が何とか言い出す前に顔を上げると。

「すみません、つい昔の事を思い出してしまって」

 とうそをついたのだが、道子はうそを言ったような気は全然しなかった。そしてそれが中岡でも、うそと知るだろうと言う事ははっきりと道子にも分っては居るのだけれども、もはや正視出来ない様なまばゆさは感じない、それも道子には淋しく思われた。そうして中岡が、

「何か御事情でもあるのですか、聞かしていただけませんでしょうか」

 と言うのを聞いて、道子はも一度心の中を手でさぐりまわして見る、何も無い空虚の心だった。もはや冷たい仮面をかぶった心なのだ。道子は中岡の顔を見ながら、

「今日は何も言いたくないのよ。失礼するわ。一人になりたい気持がするのよ」

 中岡が一寸した別れのあいさつして立って扉の所まで行くと、道子も立って扉の所まで行って、後ろ姿に口をよせて、

「本当にすみませんでしたね」

 とささやいたが、その時再びせぐり上げて来た淋しさの為に、新しく涙する心地だった。そうして扉から一間[やぶちゃん注:約二メートル弱。]程の所で中岡がふりかえり、

「元気を出しましょうね」

 となぐさめるように微笑して廊下を向うに歩いて行く跫音の一歩一歩遠くなって行くのを聞きながら、道子は扉にすがって折り崩れたいような疲れを感じて居た。

 扉をしめると、道子は鏡台の前に行き、顔をうつして見た。化粧した頰は涙に汚れて感情の推移を示して居る。指でおさえると、亦ぷくんともどって来る。そっと微笑して見ると、黄昏のように淋しい。何年ぶりの涙だろうと道子はしみじみと思って見た。遠いもののように思えたあの中岡の姿が先刻はどれほど近いものに見えた事だろう。しかし再び遠くへ逃げて行った中岡の影像を、自分の顔になぞらえて鏡面をじっと見て居る。白い鏡だった。

 鏡から離れて窓にに立つと、もう日が沈んで居る。燈もつく頃だろう。道子は茫然としながら、家並の黝い瓦を見て居てはげしい緊張の後に来る空虚なものを感じて居た。そうして目を舗道にうつした時、人混みにまじって急ぎ足で戻って来る由紀子の姿が目にうつった。その時道子は始めて、ああ、あたしの生活には由紀ちゃんも居たんだなと感じ、一寸の間それが不思議なように思われた。あたしが、中岡と一緒に映画を見ての帰り、あの由紀ちゃんに対する自責の念を盛り上げた霧雨の夕べのように、由紀ちゃんもやはり今あたしに対して何か済まないって言う感じを持って居ないかしら、だからあんなに急ぎ足でかえって来るのかも知れない。そう考えると道子は急に由紀子に、おさえ切れないようないとおしさを感じて、帰って来たら思い切って抱きしめてやりたい程肉親の愛情に胸がたかぶって来るのだった。

 そうして、もう間近くなった由紀子のまだこちらに気付かないで歩いて居る、その黄昏の風にはためくスカートの動きを見ると、ああこれが人生だと呟きながら、それ故も一度にじみ出る淋しさを心から意識しながら、両手をそっと頰に当てると、じっと目を閉じて見るのであった。

 

2021/05/07

ブログ1,530,000アクセス突破記念 梅崎春生 明日 / 恐らく現在読める最初(昭和九(一九三四)年二月満十九歳)の梅崎春生の小説

 

[やぶちゃん注:昭和九(一九三四)年二月発行『ロベリスク』第一号に発表されたもので、梅崎春生当月で満十九歳の若書きの一篇で、現在知られている小説としては、最も古い作品(習作)である。当時は、熊本五高二年であった。

 底本は昭和六〇(一九八五)年沖積舎刊「梅崎春生全集第七巻」(本巻最終巻)の「初期短編補遺」に載るそれを用いた。

 本来なら、戦前の作品であり、恐らくは正仮名が用いられ、漢字も正字であったろうが、原雑誌を見ることが出来ないので(掲載雑誌については中井正義著『梅崎春生――「桜島」から「幻化」へ――』(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊)の年譜の昭和九年のパートに『怠け癖から、三年生になる際に平均点不足で落第し』たとあり、この年、『同人誌「ロベリスク」に参加し』たとある)、この雑誌は当時の熊本五高の友人であった霜多正次(しもたせいじ 大正二(一九一三)年~平成一五(二〇〇三)年:後に左派小説家となった春生の盟友。日本共産党員でもあったが後に除籍された)とともに出した同人誌である(同誌に発表した『梅崎春生 詩 「海」(私の勝手復元版)』なども参照されたい)。詩篇とは異なり、歴史的仮名遣の手入れが異様に多くなるので、底本のままに新字新仮名とした。一部、文中に注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが今朝1,530,000アクセスを突破した記念として公開する。【202157日 藪野直史】]

 

   明   日

 

 破れた障子に冷たい夜風が、今目も鋭い口笛を吹き始めた。冷え切った火鉢に、寒々と十六燭の電燈が映って居た。凍った指先をこすり合わせながら汚れた机の前に坐って、先刻からおし黙って谷崎潤一郎の「あつもの」に読みふけって居た私にむかって、原は原稿を書き疲れた物憂い瞳を挙げて、

「おい煙草はまだ残って居たか」

 とたずねた。私も長時間の読書に疲れた目を挙げると、乱暴に散らされた寝床や、あちこちに取り散らされた書物のうす暗い影に、おしつぶれて居るバットの箱を認めて、原の方をむいて黙ってそれを指さして見せた。原は手を伸ばしてそれを取ると、一本引き出して、あとを私の机の上にほうった。その中には、おしつぶされて平ったくなったバットが二本残って居た。

[やぶちゃん注:『谷崎潤一郎の「あつもの」』「羹(あつもの)」で、初出は明治四五(一九一二)年『東京日日新聞』に七月から連載された谷崎最初の連載長編小説であるが、五ヶ月後の十一月に中絶して連載は終わった。翌大正二(一九一三)年一月に、未完のままの「羹」を単行本として春陽堂から刊行したが、遂にその続きは書かれなかった。私は読んでいない。山崎澄子氏の論文「谷崎潤一郎『羹』論」PDF)と年譜資料に拠った。前者には『単行本「羮」刊行にあたって、「羮序」という文章が綴られ、そこには「『羮』の全編はどうしても半年か、八九ヵ月くらい連載し得る分量を持って居るやうだ。そこで一先づ三分の一を纏めて、PART Ⅰ. として刊行すると決めた。」と記されている。しかし、残る三分の二は、ついに発表されることはなかった』とあり、こちらの年譜記載では、谷崎は連載中の八月十二日の段階で、早くも『「羹」は、書いていてつまらないと零してい』た、ともあった。梅崎が読んでいるのは、その単行本か。

「原」不詳だが、冒頭注に記した終生となる友人霜多正次の可能性が高い。

「バット」「ゴールデン・バット」。煙草の銘柄。私の大学時分でも吸うことはあまりなかった。二〇一九年販売を終わった。]

 私はぐっとこみ上げて来る胴ぶるいをおしこらえると、その一本を引き抜いて点火した。そうして、その煙が、うす汚ない電燈にまつわって、美しい、妖(あや)しい夢の様な曲線を画いて流れ始めると、長い読書に吸い込まれて居た自身の形象が、今始めてコトコトと跫音(あしおと)を立てて帰って来たような気持を感じ始めた。今まで結滞を続けて居たんじゃないかと思われる心臓の微かな調子が、私の耳の側の血管でコツコツと鳴り始めて居るのであった。

「今日も矢張り暮れて行くんだ。俺の気持も考えずに暮れて行くのだ」

 と私は呟いた。先刻からかゆい頭の地から、長い毛髪がだらりと下って来て、その度毎に煙草のやにで黄色くなった指でかき上げねばならなかった。一種の倦んだ空気がこの様に寒々しい部屋の中に、豪壮な饗宴の後の様にただよって居たが、それは此の部屋の陰惨な風景にも拘らず白々しさを極めた存在であったが為に、呼吸すら出来ない程食い違った感情を私達はやっとの事でこらえて居るのであった。

「火を焚(た)こうよ。寒いから――」

 と原が火鉢の方ににじり寄って、そこらにころがって居る物を薪の材料に物色し始めた。だんだん燃やすものが無くなって行く此の部屋。木枯の中の冬の樹が、その一枚一枚をふり落して行く様に、此の部屋からも、一つ一つ金目になるものが失われて行った。二三日前までは貧しい存在ではあったにしろ、唯一つの生命あるものとして、原の机の上であわただしい鼓動を続けて居た置時計すら、一昨日以来その存在を消して居た。それを手離す時二人とも言い様のない憤どおろしさを私達の生活態度に感じたものだったが、水族館の魚群の様に、日々感情を喪失して行く私達だったので、その憤怒も一時的なものであり、もう今日は蠟の様な瞳で、今、此の部屋から姿を消すべき一つの物象を、死物狂いの捜索を続けて居るのであった。

 やがて乏しい紙片と木片が集められて、マッチをする音がわびしく障子にこだました時、私も「あつもの」を捨てて火鉢の方ににじり寄った。さっきから折々聞えて来る障子の口笛は、一筋の冷たい風となって、私達の身体を冷えびえと襲うのであった。貧しい熱量が二人の指先を少しではあったがあたため始めた時、私は此の沈滞した沈黙に堪えかねて、折れる様に話しかけた。

「原稿の方は進んだか」

「いやまだ。まだ十枚ほどしか書いて居ない」

 再び沈黙が来、紙片が燃え尽きて灰の様な感情が残った。そうして、その灰をかきわけた時、ボッと再び顔を持ち上げた焰の様に、原は腹の底から出る様な声で話し出した。

「今敏感と言う言葉の形容詞を考えて居るのだ、どんなのが良いだろうか。何か動物を持って来たいのだけれども――猫なんかどう思う」

「うん。猫も良いね。猫もペルシャ猫あたりが良い」

「ベルシャ猫か。インド猫なんかどうだろう。インド猫の様に敏感に気付いて居た。何か情熱をひそめて居てとても敏感な感じがするけれども」

 二人は、ひきつった様にほそぼそと笑い声を立てた。此の印度猫なんか見た事もないうす汚ない男がよくも考え出したものだ、と言うような空々しい笑いではなかった。此の汚れた部屋に、ペルシャ猫とか、印度猫とかを考える事は何たる矛盾であったか。豪奢な夫人の居間の番人にでもふさわしいペルシャ猫や印度猫が、此の惨めな男の手によって、安物の原稿紙の上に踊らされるなんて。泣き出したくなる様な惨めな笑いだった。とまれ此の原稿が売れなければ、二人は下宿を追い立てられて飢死凍死するより外にはないのだ。

「もう何時だろうなあ。時計の奴も居なくなってしまったし」

「もう九時近くじゃないか知らん。寒さの具合がきっとそうだと思うよ。時にお前は晩飯食ったか」

「いや、まだ食べないよ」

 再び私達は枯葉の様にかわき切ったかすれた笑い声を立てた。

 バットの吸いさしを火鉢の中につっ込むと、私は始めて猛烈な空服を自覚した。手足がじんじんと冷え切って、どうにもならない気持だった。原の故郷から送ってよこした餅(もち)の余りが二つ三つ古畳の上にわびしい影を投げながらころがって居たけれども、火の気もない此の部屋では、どうにも食うすべはなかった。近頃の下宿の私達に対する不信用は、此の寒空に火の気をすら奪い取ってしまったのだ。

「まだ金が残って居るか。一昨日のたま突きのつり銭があるだろう、きっと」

 原はごそごそと音を立てながら引出しの中をかきまぜて居たが、やっと拾いあてたものと見えて、

「うん三十銭程ある、出ようか」

「うん、しかし君の方の原稿はどうなるか」

「今神経がつかれて居るから、これ以上一字も書けないよ、第一手が凍えて書けないよ」

 私は押し啞(おし)の様に立ち上って、洋服を着始めた。

「梁園ノ日暮乱飛ブ鴉極目粛条タリ三両家」

 と節も何もない棒読みの唐詩を誦しながら矢張り洋服に着かえて居た原が突然、

「ああ、いやな生活だなあ、何故こんな生活を始めたんだろう。もうこうなりゃ堕落の一筋じゃないか」

 と独語(ひとりごと)の様に呟きながら激しい舌打をするのであった。もう感情なんて贅沢なものは捨ててしまって、土竜(もぐら)のようにこそこそとその日その日を闇黒の中に過す私達にとって、こんな人並みの友情なら破壊するであろうような言葉は日常茶飯事のように語られた。悲しい心を持ちながらことさらに他人の心を傷つけようとする傷ましい心だ。それは気紛れではなくて、苦痛に押しゆがめられた心の隙間からフッと出て来る風のようなものであった、そうして、お互はそれを悲しい気持で許容するのであった。そんな時、私達は各々孤立した感情の城砦の中に立てこもって、じっと自分自身の本当の形態を見つめて居る癖に、なおも何物かにすがろうと細々しい触角を臆病そうに四方に伸ばして居るのであった。

[やぶちゃん注:詠じた「唐詩」は優れた辺塞詩で知られる盛唐の詩人岑參(しんじん 七一五年~七七〇年)の以下。最後の方で本文にも出るが、新字なので、ここで先に正字で示す。

   *

 山房春事

梁園日暮亂飛鴉

極目蕭條三兩家

庭樹不知人死盡

春來還發舊時花

   *

  山房春事

 梁園の日暮れ 亂れ飛ぶ鴉

 極目(きよくもく) 蕭條(せうでう)たり 三兩家(さんりやうか)

 庭樹は知らず 人 死に盡くすを

 春 來りて 還(ま)た發(ひら)く 舊時の花

   *]

 此の類廃の中にひそんで、息をこらして、しかもじっと堪えて居た私ではあったけれども、時折物すごい憂鬱の圧迫に堪え切れず、ひそかにぬけ出ては独り裏街を彷徨して居たのが、いつしか習慣にまでなったと見えて、私には、悲しい放浪癖がつき始めて居た。すっぽりとマントに身をつつんで、黄昏になると蝙蝠の様に忍び出て通町筋を裏街へ裏街へと迷い込んで行き、目的もない意味もない一ときの散歩に、さなきだに疲れ果てた神経をなおが上にも疲れ果てさせるのであった。しかし、裏街の風物――ごみためや、汚物の打ち捨てられて居る細い路地を通る時、私は何かなしにほっとしたものを感じるのであった。そうした慰安らしいものを求めてする散歩ではあったけれども、その散歩途中などにおこるいろいろな事が私に恐ろしい事実を教え始めて居た。それはあんな生活の為に極度にまでとぎすまされた神経が俄かに弱って来たと見えて、時々物を判別するのにとんでもない誤りを犯し始めた事であった。スイフトが発狂する以前の彼の神経状態を思う毎に私は悚然(しょうぜん)とした。やがて此のゆるんだ絃の様な神経が狂気の水準にまで垂れ下って来る日を思うと、私は思わずどうしたら良いだろうどうしたら良いだろうと、おろおろ声になって叫び出したくなるのであった。

[やぶちゃん注:この段落以下の「私」の精神状態の叙述や彷徨行動及び神経症的な認識様式は、明らかに梶井基次郎の「檸檬」(大正一三(一九二四)年十月稿。雑誌『靑空』大正一四(一九二五)年一月創刊号に掲載、後に昭和六(一九三一)年五月武蔵野書院刊の作品集『檸檬』に所収された。リンク先は私の古い電子化。私の教師時代の「檸檬」の「授業ノート」も公開している)を意識している。

「通町」熊本県熊本市にある繁華街通町筋(とおりちょうすじ)。熊本県道二十八号に沿ったメイン・ストリート。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「スイフトが発狂する以前の彼の神経状態」『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 「人間らしさ」』を参照。

「悚然」ひどく恐れるさま。慄(ぞ)っとして竦(すく)むさま。]

 私が神経の誤算を最初気付き始めたのは次のような事からである。

 ある日、やはり部屋に居たたまれないで黄昏時分に部屋を出て行き、なけなしの財布をはたいて、通町迄の切符を求めて空ろな瞳で車内広告などを眺めて居た時に始まる。私にとっては悲壮な物語となる事件であったが、疲れ果てた表情をして病み呆(ほう)けて居た巷に電車が止って、私が降りようとした時、電車の後方約三十間[やぶちゃん注:約五十四メートル半。]位の所を可成りなスピードで流れて来る二箇のへッドライトを私は認めたのであった。そうして私はとっさの間に自動車が此の地点まで到着する時間を、そのスピードと距離とから割出して、私が下りて歩道の上に立つまでの時間を考え合わせて、いそいで歩道に駆けこもうとした時、まだ歩道に達する半ばの距離も行かないうちに、自動車はほとんど身近に迫って居て、危く私の体を突きたおそうとしてギギギと不気味な音を立てて止ったのであった。生れて以来の都会生活に此の様な訓練は充分に経て居るべき私の神経が、この様な簡単な計算に誤るなんて、私は口汚ない運転手の罵声を背中にうけながら愴惶として町のくらがりに姿を消したのであったが、その道をよろめき歩きながらも幾度私は神経の弱りを嘆じた事であろう。

[やぶちゃん注:「愴惶」「そうこう」。倉皇・蒼惶。慌てふためくさま。慌ただしいさま。]

 この様な恐ろしい錯誤は次から次へと起って来た。ある小春日和の日、縁側へ寝そべって所在なさに古雑誌を拾い読みして居た時、私はギクリとして全身が硬直する様な不安に襲われた。それは今めくってある頁の挿絵はたしか八九頁前見た挿絵と同じものと思われたからである。弱った神経が、始めて見た絵だのに、すばらしい病的な活動をつづけて、ずっと前見たものであると誤認したのだろうか。その挿絵はいかにも毒々しく画かれてあって、町人風体[やぶちゃん注:「ふうてい」。]の男が河沿いの柳の木の下で、髪をふり乱してしどけない裾の女の為に匕首[やぶちゃん注:「あいくち」。]で突かれて、後方に転倒しようとして居る図であったが、私はどうしてもそれを前一度見た事がある様な気がするのである。いや八九頁前にきっと此の挿絵はあった。私はふるえる手をおさえながら慌だしく七八枚前までめくりかえして見たが、そこには他の挿絵、全体似つかぬ図があるだけで、私の探し求めるものは無い。私は狂気の様になって、その雑誌のあっちをめくりこっちをめくって探したのだけれども遂に探し出せず、茫然として立ちすくんだのであった。冬にしてはあまり暖かすぎる日光の為に、一時頭脳がしびれたのであろうか。私はバットの吸いさし、蜜柑の皮の散らされてある便所の匂いのする此の庭の風物を愕然とした気持で凝視しながら、じっと、ぼっと黒く溶けて行く将来をみつめて居たのであった。

 亦こんな事もあった。原と所在なさの一夜、ふるえながら英語の単語の問答をして居た時、(こんな余裕ありげな生活を装いたくなる程当時の私達は疲れて居たのだ)判決 verdict と言う単語が出て来た時、それを無意識にフェルディクト、フェルディクトと発音して居たら原がすぐ気付いて

「そりゃヴァーディクトじゃないか、ヴァーディクトだよ」

 と注意して呉れたのであったが、私にはどうしてもそれがフェルディクトとしか読めなかったのだ。

「ヴァーディクトだって! フェルディクトじゃないか」

「フェルディクトは独逸読みじゃないか、英語はヴァーディクトだよ」

「英語だってフェルディクトとしか読めんじゃないか」

 と私は原の言葉を不思議なものに思ってさえぎったのだったが、ああ私は亦何と言う錯誤を犯して居た事だろう。それから小一時間もすぎてうつらうつらと眠りかけて居た私はハツとしてその誤りに気付いたのだったが、それに対する滑稽と言う感じよりは、心一杯にひろがる真黒な恐怖をひしひしと感じたのであった。

[やぶちゃん注:「verdict」英語「ヴェーディクト」。「評決・判定」の意。梅崎春生には特定の単語に対する、その発音への、やや神経症的な拘りが後の作品でもしばしば見られる。病跡学的には、かなり興味深い特異点である。]

 そんな風な一日、九時頃からマントをすっぽりかぶって無意味な彷徨を続けて居た時、きっと此の角を曲ったらあの明るい町に出るのだと思いながらも漫然と足を進めて居ると、やがて目前に、ひろびろとひらけて来たものは、明るいネオンの巷ではなくて黝々(くろぐろ)とひろがった荒れ果てた空地であった。そうしてその空地に傲岸とそびえ立つ黒い影のような建物を見て私ははっと気が付いた。ああ私は曲り角を一つ間違えて居たのだ。此のくろぐろと立って居る建物こそ、私が中学を出て一年間の浪人生活を送った予備校の夜の姿であった。それは苦しい思出と共に傷心の涙すら持って居るものであったが、その時ばかりはそのかぶさって来る様な圧迫感に茫然と立って居た私の心の中ではやがて恐怖の燈が点滅し始め、やがて心の底をしぼり出すような恐怖感におそわれると、私は身体中鳥肌を立てて、いきなりワッと叫ぶと一目散に今来た道を走り戻ったのであった。

[やぶちゃん注:「傲岸と」傲(おご)り高ぶって威張っているかのように。

「私が中学を出て一年間の浪人生活を送った予備校」梅崎春生は昭和六(一九三一)年に福岡県立の福岡県中学修猷館を卒業し、福岡高等商業学校(現在の福岡大学の前身)を受験したが、不合格となった。中井正義氏の前掲書によれば、中学卒業の頃には、『長崎高商か大分高商にでも入って、平凡なサラリーマンになるつもりでいた』らしいが、翌年、『一月、台湾東海岸で会社経営をしている母方の叔父から、学資の面倒を見てやるから高等学校を受験しろ、と言って』きたことから、『そこで、がむしゃらなにわか勉強にとりかか』り、『四月、熊本の第五高等学校文科甲類に入学』した、とある。「予備校」は不詳。なお、冒頭で述べた通り、五高では二年次に原級留置となるが、この時は『叔父からの学資供給が停止するかもしれぬという危惧に悩んだが、病気だったことにして母』貞子『が体面をつくろってくれた』とある。]

 此の黝い建物に対する訳の分らない恐怖は、実は自分の神経の没落に対する無意識な恐怖ではなかったかと考え考えしながら、私は明るい町をその日に限って撰んで帰って来たが、やはり火の気もない、原が尺取虫のように机の前に血走った目でうずくまって原稿にしがみついて居る部屋で、私は寒さと疲れにブルブルふるえながらベッタリと坐り込んで、これだけは、俺の本当の心の住家だと悲しくも慰めて居た古ぼけた日記帳を取り出して、神経の絃の節長きすすり泣きを書きうつすためにそっと開くのであった。

 私がそう言う神経の苦痛に悩まされて居た時、原も同じ様に虫歯に悩まされて居た。原稿を書きながらも、原は自分の歯に食い入って来る目に見えない力を如何に憎んで居た事だろう。湯なんか永い間飲んだ事の無い私達は、咽喉がかわけば必ず歯も氷りつく様な水をすすらねばならなかった。特に原にとっては、それが直ぐ苦痛を意味するものである事はあまりにも明白な事実であった。私達は冷たい水を飲みながらも、幾度あの明るい喫茶店の空気を恋い慕ったろう。

 時折歯の痛みが極度に上って来ると、原は狂気の様になって、

「ああ俺は原稿なんか書けないよ、書けないよ」

 とわめきたてるのであった。

 遂に或る日、私は見かねて、かねてから之だけはと空っぽの行李の中に投げ込んで居たオックスフォードをかかえ出して、質屋に走って行って金にかえて来ると、

「今日こそ歯医者に行って来いよ」

 と言って、丁度その時歯の根の鈍痛に苦しんで居た原の手に握らせると、そうそうに歯医者へと追い出したのであった。

[やぶちゃん注:「オックスフォード」「オックスフォード英語辞典」(Oxford English Dictionary)であろう。一九二八年出版。]

 それから一時間程の後、神経の狂って居ないかを心配しながら自分の指を数えて見たりして詰らぬ時間を過して居た此の部屋に、口笛と共に少しは陽気になった原が帰って来たのであったが、此の長い生活難の日々に始めて救われた様な、ほっとした気持を見出す事が出来たのであった。日の射す縁側で原と久しぶりの歓談を楽しみながらも、此の春はきっと故郷へかえって、神経衰弱もなおして来ようと思ったりした。

 そうして話が彼の書いて居る原稿の事に移った時、私は久しぶりに忘れて居た好奇心と言うものを持って、それを見せて呉れと頼んだのであった。そうして彼の貸して呉れた原稿をかかえて、うすぐらい部屋の片隅に立ててある机の前に坐りこむと、思わずしばらくの間にそれを読了したのであった。それを読んでしまった時の私の感激を何と言って表現したら良いだろう。彼の頭に此の頽廃的な雰囲気から醗酵して来る、妖しい夢を題材とした、蛞蝓(なめくじ)の様な蠱惑(こわく)感に満ちた作品であった。甘美なとろけるような雰囲気と、頽廃した腐敗した雰囲気のたくみなる調和を彼は一字一字ねばりある文字で表現して居た。

「おお何と言う素晴しさだ、俺はお前の感覚に心からの讃辞をささげるよ」

「いや有難う」

 流石(さすが)にうれしそうに笑って見せた原の顔を、私は心から嘆美の念で見かえしたのであったが、ああこんな情感は亦何箇月ぶりの事であったろう。未完成の作とは言え、このような柔軟な魅力ある筆力を持った男を今まで見出さなかった私の不明を、私は今、ほのかなよろこびの感情を以てすら思い起すのだ。

 しかしその夜、あまりにも昼間たかぶった神経の反動として、私の神経系は混乱を来(きた)し始めて居た。巷は風で一ぱいであった。私は憂鬱そのものの心をじっと抱きしめて町から町へ歩きまわった。薄汚ない路地を通る時もうこれ以上しいたげたってしいたげられない、私の神経や私の運命に、私はある意地悪い嘲笑を感じるのだった。

 暗い町であった。月が出て居なくて、曇空の下に町はうめいて居た。明るい巷に押しつぶされた路地を歩きながら、ふと私は奇妙な感覚――右の下駄と左の下駄と何かしら入れかわって居ると言う奇妙な感覚を持ち始めた。家を出る時から変って居たのだろうか。だったら何故今まで気が付かなかったろう。私は混乱した神経系統をまとめようとあせりながらも考えて見た。そうして、大きなごみ捨て場の横に立って居る電柱につかまりながら、右と左との下駄を取り代えた。そうしてのろのろと二三間[やぶちゃん注:約三~四メートル。]歩き出した。しかし、亦奇妙な感覚が再び私の足の裏をこそぐった。私はも一度脱ぎかえて見た。そうしても一度、そうしても一度、泣き出したいようないらだたしさで私は下駄を変えて見るのだ。何度変えても結局同じ事であった。足袋が次第に湿った土に濡れ始め、冷え冷えとした大地が急速に私の足裏から熱をうばって行った。ああもう駄目だ。

「ああ俺の下駄は一体どれだ」

 私は天を仰いで十二時頃の空気をビンビン動かす程叫んだ。そうして暫く耳をすまして何等の答も無いのを知ると再び大声を上げて。

「ああ俺の下駄は一体どれだ」

 と叫んで見た。そうして狂人のようになって、下駄を各各の手に握って、力まかせにかたわらにある溝の中に投げこんだ。

 私はその夜遅く、足袋はだしのまま、アスファルトを踏んで、黝い路地を踏んで、白い霜を踏んで下宿まで帰って来た。あの明るい街燈の下の八間道路のアスファルトを、人っ子一人通らない静寂の中を、私の踏む足袋はだしの音がヒタヒタと聞えて来て、それは非常に淋しいうら悲しい諧調音を作った。そうしてヒタヒタと上って来る冷気が足先は勿論、ひざ頭の辺までの感覚を奪ってしまって居て、私の耳はまだそうそうと鳴る風の音を聞く事が出来るのであった。ああ今から亦あの厭な部屋に帰るのか、此の寒い風がピュンピュン障子を鳴らすあの部屋に。こんな手足が千切れるような状態にありながら、私の頭は妙にジンとして甘い幻想を追って居たのであって、あの故郷の茶の間の陽気を吹く鉄びんなどが妙に印象的に反芻(はんすう)されるのであったが、いつしかボオッと沈んで行った寒風の街の風景に、私は初めてあつい涙を、いとしい感情の悲歌を知ったのである。

[やぶちゃん注:「八間道路」先の通町筋のことか。八間は十四・五四メートル。]

 しかし原の原稿が、ある雑誌に採用せられて、いくばくも無かったにしろ、とにかくまとまった金が私達の手もとに入った時の私達の喜びはどんなであったろう。それはある寒い日であったが、昼頃から原が飄然と出て行ったあとの空虚な部屋に私はちぢこまって、庭の泉水の水を飲みに来る犬の舌の音に耳をすましたり、ダンテの神曲を原の書棚から抜き出して拾い読みしたり(之は原の本棚に残る唯一の金になる本であったが)して居る中に、元気よく帰って来た原が真新しい緑色のバッ卜を二箱ポンと私の机の上にほうったのであった。そうして私は彼の顔色ですべてを読みとると、どっちからともなく心の底から湧いて来るような哄笑の唱和が部屋の障子を鳴らし始めたのであった。しかし、それは、数箇月笑いと言うものから遠ざかって居た私達にとって何たる快い笑いであったか。そうして二人とも新しいバットに点火して、私は久しぶりのバットの香を快く味わい、原は原でボードレールの「酔いたまえ」と言う散文詩を口吟みながら、煙の作り出す妖しい線の戯れを追って居るのであった。二人は、

「今晩は飲むんだぞ、今晩は酔うんだぞ」

 と繰返しながら、炭を買って来て幾晩か夢想したあの湯気の出る鉄瓶をそれに掛けて置いた。そうして失われた夢とばかり信じて居た風景を目の前にして、私達は子供のように喜悦の叫び声を挙げたのであった。

[やぶちゃん注:『ボードレールの「酔いたまえ」と言う散文詩』シャルル・ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire 一八二一年~一八六七年)の名詩集「悪の華」(Les Fleurs du mal )の一篇、‘Enivrez-vous ’。私の偏愛する「富永太郎詩集」(初版昭和二(一九二七)年刊家蔵版復刻版)から引く(古い電子化で正字化が不全なので、一部を訂した)。

   *

 

  醉へ!(ボオドレエル)

 

 常に醉つてゐなければならない。ほかのことはどうでもよい――ただそれだけが問題なのだ。君の肩を疲らせ、君の體(からだ)を地に壓し曲げる恐ろしい「時」の重荷を感じたくないなら、君は絕え間なく醉つてゐなければならない。

 しかし何で醉ふのだ? 酒でも、詩でも、道德でも、何でも君のすきなもので。が、とにかく醉ひたまへ。もしどうかいふことで王宮の階段の上や、堀端の靑草の上や、君の室の陰慘な孤獨の中で、既に君の醉ひが覺めかゝるか、覺めきるかして目が覺めるやうなことがあつたら、そのときは風にでも、波にでも、星にでも、鳥にでも、時計にでも、すべての飛び行くものにでも、すべての唸くものにでも、すべての𢌞轉するものにでも、すべての歌ふものにでも、すべての話すものにでも、今は何時だときいてみたまへ。風も、波も、星も、鳥も、時計も君に答へるだらう、「今は醉ふべき時です! 『時』に虐げられる奴隸になりたくないなら、絕え間なくお醉なさい! 酒でも、詩でも、道德でも、何でもおすきなもので。」

 

   *

確かに、ここで詠ずるに相応しい一篇である。]

 その夜私達は風の吹く巷を外にして、暖かい酒亭の一室で心ゆくまで酔った。そうして呂律の廻らぬ舌でもつれた会話を、どこまでもどこまでもたどって行くのであった。

「ほら巷では風が吹くよ。あの風も俺達の部屋の障子の穴を今頃は遠慮なく通り抜けてるだろうなあ」

「そうだよ、ああ、みじめな過去だったよ。しかし亦明日からはコトコトと跫音をたててあの生活に帰って行くのだよ」

「悲しい事は言いっこ無し。飲むのだ、酔うのだ、酔い給え」

 とボードレール張りの気焰を上げて二人は飲むのであった。昨日と明日の現実を忘れて心ゆくまで芳烈な酒の香にひたった。そうして原は床柱を背にして陶然とうたい出すのであった。

  梁園ノ日暮乱飛ブ鴉

  極目粛条タリ三両家

  庭樹ハ知ラズ人ノ去り尽スヲ

  春来リテ還発ク旧時ノ花

 火照(ほて)った頰をおさえながら、私はじっと硝子戸ごしに巷を行く人の姿を見つめた。彼等のはく白い息に又も寒い今夜であった。

「ああ俺には新しい世界がある、新しい世界がある」

 と原は慷慨(こうがい)の調子で叫んだ。

「そうだ、君は新しい世界をあの中から見つけ出した。俺は別に英雄主義者じゃないんだから君を尊敬しようとは思わないが、君のあの緻密な神経を俺の弱り果てた神経にくらべて羨しく思うだけなんだ」

「それでいいのだよ、きっと君の神経からも新しい神秘な世界が創造されるだろうよ、その日のために」

 かくて私達は再び華かな乾杯をするのであった。

 その夜は到頭二人とも下駄をなくして、午前二時頃足袋はだしでアスファルトを帰って来た。丁度下宿に曲る路地に来た時、原は双手をあげて叫んだ。

「ああ明日からの生活は一体どうなるのだ」

「いつもの生活にかえるんだ、俺は神経の圧迫に狂気に至るまでの生活をたどるだけだし、君はあの中から芸術を見出すのだ」

「芸術芸術って言うな、俺はもうあの苦しい現実、汚ない部屋には直面し得ない程疲れ切ったんだ」

 ヒタヒタと言う足袋はだしの音を、もう幾分酔のさめかかった二人の神経は、苦痛の予感と恐怖の襲来とに思わず身をすくませながら、じっとじっと耳をすまして居るのであった。終に恐ろしい真実にふれてしまった恐怖、私はズキズキと痛み出す神経を感じながら、長い長い此の路地の一番奥はどこだろうと空ろな眼を一ぱいに開いて居るのであった。

 

 

2021/04/15

ブログ・アクセス1,520,000アクセス突破記念 梅崎春生 ある顚末

 

[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年十月号『文芸』初出。翌昭和二十三年二月思索社刊の作品集「日の果て」に収録された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第二巻」を用いた。

 傍点「ヽ」は太字に代えた。一部、文中に注を附した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが昨日の初更に1,520,000アクセスを突破した記念として公開する。【2021415日 藪野直史】]

 

 あ る 顚 末

 

 彼は先刻ついでに買い求めて来た風邪マスクを顔にかけ、そして立ち上って背広の上に釣鐘マントを羽織った。マントは今日同僚の家を訪ねて借りて来たものである。母親が急病で北海道まで帰るからと嘘(うそ)をついて、それと共にスキイ帽まで借用して来たのだった。スキイ帽はかなり古びていて、縁についた兎の皮は白っぽく汚れていた。彼は壁からそれを取りおろして目深に冠った。机の上に斜に立てた卓鏡に彼の頰がぼんやり映った。彼は一寸身体を構えて、暫(しばら)くの間鏡面に眼を据(す)えていた。風邪マスクはおそろしく大型で、手術する時お医者さまがつけるような、頰も唇も鼻も一緒におおってしまう式のものだった。だから目深な廂とマスクのために顔はほとんど隠されて、彼が鏡で見ているのは自分の眼だけであった。眼のいろは暗く、その癖きらきら光っていた。彼はそれに視線を固定させたまま、此のたくらみが実は残酷で野卑な所業であることを、膜を隔てたようにうすうすと感じ始めていた。

 突然脅(おび)えたように彼は顔を動かした。境の唐紙(からかみ)が幽(かす)かに鳴ったからである。マスクを素早くむしり取って、身体をそちらに構えた。音はそれ切りで止んだ。マントをずり落しながら彼は忍び足で唐紙に近づいた。そして指をかけて音のしないように少し開(あ)けた。

 細長い四畳の部屋には薄暗い電燈がぼんやり点(とも)っていて、部屋のすみに積み上げた蒲団に背をもたせ、老婆がうとうとと居眠りをしていた。老婆の重みが唐紙にかかったものらしかった。彼の気配で老婆はふと眼をひらいた。まぶしげな顔で彼を見たが、直ぐ何時もの愛想笑いが皺(しわ)になって彼女の頰に浮び上って来た。

「ついうとうとしちまって」老婆は弁解するように呟(つぶや)いた。そして背を起して坐りなおした。「いいあんばいに今夜は暖くてねえ」

「いや別に用事はなかったんだよ」彼は老婆が座蒲団を動かそうとするのに、少しあわてて掌を振った。「一寸出掛けようと思ったんでね」

 此の薄暗い部屋には、蒲団と炊事道具と壁にかかった二三枚の着物だけしか無かった。着物は赤い裾裏を見せてだらりとぶら下っていた。彼の視線は二三度そこに走った。

「で、泉(せん)さんも留守なんだね」

 彼はふと苦しそうな声でそう訊ねた。泉が留守なことは、彼は先刻からはっきり知っていたのである。老婆の浮べた愛想笑いに、光線の加減かへんに狡猾な影が走ったようだった。心を見抜かれたように彼はすこし赧(あか)くなった。老婆がぼんやりした声で答えた。

「ほんとに、あの子も貴方さまにも失礼ばかり申し上げて、昔から聞かない子でござんしてな、内地に帰ってからというものは、ほんとに片意地なふるまいばかりで」

 今朝起きぬけに聞いた泉の尖った声を彼は想い出していた。それは老婆をなじる声音だったが、隣室の彼をはばかってか低く押殺した調子であった。老婆はそれに二言三言抗弁した。抗弁というより哀願するような口調だった。顔を枕につけたまま彼はその会話を聞いていた。老婆は電気按摩器を買って呉れといっているのだった。そこの露店で売っていて、売子が老婆の背中に試みて呉れたがそれがほんとに具合が良かったという話だった。泉の声が少し荒くなると老婆の声はぽつんと消えて、暫(しばら)くして寝返りを打って黙り込んだ気配であった。此の老婆は何故聞きわけのない子供のように寝覚めに物をほしがるのだろう。二三日前は洗濯盥(たらい)だった。その前はラジオに衣裳簞笥(たんす)だった。

「食べるものにも事欠いているのに、そんなもの買えるわけないじゃないの」

 洗濯盥をほしがった朝は老婆は何時になく頑強であった。小さなバケツでは洗濯し切れないというのである。着物など丸洗いする時は少しずつ漬けて、部分部分を揉み洗うから、老婆の力ではうっかりすると二三時間も一枚にかかるのだった。いくら貧乏しても盥ぐらい買えない筈はないというのが老婆の言い分であった。

 だから昨日彼が紙幣を包んで泉に渡そうとしたのは、これで盥を買うように、というつもりであった。しかし彼は黙ってそれを差出した。上げるとも貸すのだとも言わなかった。それはどちらでも彼にはよかった。泉が受取って呉れさえすれば良かった。それが紙幣であることを知った時、泉は突然硬い顔になってそれを押返そうとした。

「こんなもの頂けません」

 包みを渡そうとする手と押戻そうとする手がもつれて、泉が立ち上ろうとした時、泉の掌がはずみで彼の頰に触れたのだ。それは平手打のような音を立てた。金包みは掌から離れて畳の上に落ちた。彼は始めて真蒼な顔になった。泉は立ち上ったまま、いじめられた幼児のような切ない表情をたたえて彼を見おろしていた。そして絞り出すように叫んだのだ。

「それは侮辱というものよ。ほんとに侮辱というものよ」

 打たれた部分が熱くなって来るのを感じながら、彼はじっとその言葉に堪えていた。老婆が泉の片意地なふるまいと言ったのは、具体的にはこれを指しているに違いなかった。その時老婆はびっくりしたような顔でその争いを見ていたのだった。――

 薄笑いを浮べた老婆の顔に、では頼みます、と低く言い残して彼は再び音を立てないように唐紙をしめた。自分の部屋の風景がまた彼に戻って来た。畳にすべり落ちていたマントを拾い上げながら、彼はも一度部屋の中を見廻した。低い机が一脚と座蒲団と、洗濯した靴下をかけた衣桁(いこう)、此の部屋に見えるものはそれだけだった。壁にかかった古い星座表の真下の部分が白くなっているのは、本箱のあった跡だった。彼はそれを中身もろとも、一週間ほど前に売飛ばしていたのだった。泉に渡そうとしたのもそれの一部分であった。

 彼はマントを背にかけ、釦(ボタン)をひとつひとつとめた。修道僧が着るような長いマントで、裾は足首の近くまで垂れていた。スキイ帽を先刻から冠ったままであることに、彼はその時気付いた。老婆がへんな薄笑いを浮べていたのも、部屋の中でこんなものを冠っている彼をおかしく思ったのかも知れなかった。ふとそんなことを考えながら、彼は机の上から此の間の金包みを拾い上げ、丸めてマスクと一緒に、マントをはねて上衣のポケットに収めた。鏡の中に再び彼の顔が映った。彼は瞬間それに視線を止めた。そして呟いた。

「――囚人みたいな眼をしている」

 眼は少し血走っていて、顔を鏡に近づけると、白眼の部分に糸蚯蚓(みみず)のように走る細い血管がはっきり見えた。眼球は茶色に透っていて、電球の形が小さく映っていた。彼は手を伸ばして鏡をパタリと倒した。

 へんに荒々しい精気が身内にあふれていたにも拘(かかわ)らず、彼の気分はむしろ沈欝に折れ曲っていた。机の上に残っていた配給の焼酎の残りをコップにうつすと、彼は静かにそれをあおった。匂いのある熱い液体が咽喉(のど)を焼いて、そのまま拡がるように胃の方におちて行った。庭に出る縁側から彼は靴をつけて地面に降りた。ぼこぼこした土を踏んで表の方に廻ろうとすると、井戸端に泉の小さなバケツが置いてあって、中には布片が黒く沈んでいるのだった。月の光が水の中にも射していた。手押ポンプの木の台に、真中の部分が凹型に磨(す)り減った洗濯石鹸が置き忘れられていた。地面に溜った水たまりに靴を入れないように注意しながら、そこを廻り抜けると門をくぐって露地に出た。長い片側塀に沿って二三度折れ曲り、彼は明るい広い道に出た。生ぬるい夜風の中を、彼は顔を上げてまっすぐ駅の方にすすんで行った。

 街の両側には明るい店舗が並んでいて、人通りも可成り多かった。月は出ていたが、西の空に黒い雲がひろがるらしく、風はなまぬるく湿気を帯びていた。どの店舗にも二三人お客が入っていて、品物を眺めたり金を渡したりしていた。ラジオ屋からは音楽が街に流れ出ていた。彼が耳にとめたのは女声合唱のアンニイロウリイの終末の旋律であった。すぐそれは終ってアナウンサーの声がし、にぎやかな別の歌が始まった。彼は顔を上げたまま、急ぎ足で舗道を歩いた。靴の踵(かかと)の触れる音がカツカツと身体に響いて来た。

(あんな店に入って食事をするのは、どういう人達だろう?)

 戦争が終ってから出来た二階建の支那料理屋で、内部は八分通り客が詰って莨(たばこ)を喫ったり食事をしたりしていた。白い服を着た給仕人が調子をつけたような歩き方で皿を運ぶのも眺められた。

(こんな場所ではこんなに沢山紙幣がやりとりされているのに、何故自分たちの方には廻って来ないのだろう?)

 彼は突然、それは侮辱というものだ、と叫んだ泉の語調を鋭く思い出していた。その時泉の顔は歪(ゆが)んで今にも泣き出しそうだったが、眼だけはぎらぎらと獣のようにひかっていたのであった。憎しみに満ちたその瞳を、彼は血の気を失った顔で受止めていたのだ。

(金を融通しようとするのが、何故侮辱ということになるのか?)

 見ず知らずの男からも金を受取っているのではないかと思うと、急に不快な濁った焦噪が胸いっぱい拡がって来るのを感じながら、彼は急ぎ足で中華飯店や麻雀荘や果物屋の前を通り抜けた。釦をとめてあるので、マントの裾だけが変な形に風にふくらんだ。道の果てる処に省線の駅の燈が見えた。彼はそれに向ってまっすぐ進んで行った。

 灰色の駅の建物に彼は入って行った。まだお客が出入りしたり黒い制服の駅員が動いたりしているのに、荷受台の下にはもはや浮浪児が二人抱き合って寝込んでいたりするのだった。駅の時計は八時三分前を指していた。彼は窓口の人造石の台に金を出しながら、小さな声で或る駅名を言った。そして切符とつり銭を受取った。白い小貨幣が石の台にふれてカチカチ鳴った。

 それは十日程前、泉がそこの陸橋に居るのを彼が見た、その駅の名であった。それは此処から電車で二十分位かかる小さな駅だった。彼は役所の所用で、その方面に行き、そして遅くなったのだった。はじめ彼が泉を見つけたのは遠くからだった。少くとも車道ひとつをななめに隔てていた。泉は向う側の歩道の、燈をちょっと避けた場所にぼんやり立っていたのである。彼はふと眼を疑ったが、それは首にかけたショールの色で泉に紛れもなかった。黒い生地に暗赤色の花模様が浮き出たものであった。彼はゆっくり陸橋を渡り終えると、突然立ち止った。そして外套の襟を立て、反対側のたもとに背をもたせ、悟られないようにちらちら横目で泉のいる方を眺め始めた。何故泉がこんなところに立っているのか。ある予感のために彼の胸はすでにしめつけられていたのだ。この予感が当らないようにと、彼は心の中で何度も繰り返しながら、もし泉が何でもなくあそこに立っているものとしたら、俺はこの予感を持ったということだけであの女を侮辱した事になる、と彼はまた考えた。そう思うと急に甘い切なさが彼の胸にのぼって来た。しかし泉があそこに立っているとしても、俺までが何のために物蔭にひそんでそれを監視しようとするのか。そんな思いが胸をかすめるのを感じながら、それでも彼は頑固にそこから離れないでいた。そして彼は引下げた帽子の廂(ひさし)から、燃えるような眼で時々小さな泉の姿を眺めた。泉はショールがなびくのを気にしながら、時々不安そうに位置を換えた。陸橋の下から吹上げて来る風は冷たくて、やがて彼の足尖(あしさき)から背筋まで鈍痛を伴った冷感がひろがって来た。陸橋の下を電車が通り、歩廊の前に軋(きし)みながら止ると、暫くして階段をのぼって来た降客が次々に改札口から流れ出て、駅の前で四方に散って行った。それでも泉はぼんやり佇っていた。何か終末を見届けようとするための不安が、しきりに彼の心をおびやかしていたが、彼もまたじっと背をもたせ、そしてしんしんと長い時間が経った。電車のつくのが段々間遠になり、降りる客も次第にまばらになって行った。改札に立っている駅員が鋏をかちゃかちゃ鳴らしながら、勤め終えて帰り仕度した同僚とふざけているのが、彼の眼に小さく見えた。それは非常に平和な情景に見えた。彼の心にさむざむと喰入った想念から、へんに遠くかけ隔たっていた。彼は何となく舌を鳴らして唾をはいた。そして彼がも一度顔を泉のいる方に向けたその時、彼は全身の血がひとつに凝集したような衝動を受けて立ちすくんだ。

 泉が男と話していたのだ。彼の眼には男の幅広い後姿が見えた。薄色の春外套を着たその姿は、たしかにちょっと前改札口を抜げて来た降客の一人に違いなかった。泉の姿はそのかげにかくれていて、ショールの端だけがちらと見えた。それは極く短い時間だった。ふっと泉が先に立って歩き出すと、男の身体があわてたようにそれに続いた。二人の姿はもつれながら陸橋をむこうに渡り、そして線路の崖の上に沿った道に折れた。

 そこまで見届けた時、彼は背を冷たい橋欄から離して歩き出した。彼は駅の建物の方には行かず、ぼんやり彼等が消えた方に陸橋を渡ろうとしていたのだ。しかし彼は突然せき止められたように立ち止った。

(俺はあとをつけようとまでする積りなのか?)

 彼は歩道と車道の間に立ちすくんだまま、そう考えた。ひややかな戦慄がその時彼の背筋を奔(はし)り抜けた。あとをつけずともすべては明白な筈だった。彼が此処で監視していたのが既に一時間に近かったから、泉はその前の時間を加算すると、相当長い間立っていたことになるのだ。人と待合せるのに、こんな寒いのに、一時間以上も待っている筈がない。彼は凝然とそんな事を考えた。それはあの肩幅の広い男が行きずりの男であるに違いないということだった。

 暫くして彼はゆっくり車道を横切り、さっき泉の佇っていた場所に来た。手すりに掌をのせると、ひやりと冷たかった。彼はそして身体をのりだして線路の谷間を見下した。幾条ものレエルがキラキラ光りながら走っていた。歩廊の側は明るかったが、反対側は暗い崖になっていて、その上の道を彼等が歩いて行った筈だった。そこらあたりに燈が見えないところを見ると焼跡に違いなく、暗い空には星がいくつも光っていた。何か荒涼たるものが次第に彼を満たし始めていたのである。明るい駅の歩廊に電車を待つ人が思い思いの姿勢で動いたり立ち止ったりしていた。皆暖かそうな服装をしているようであった。そして暗い崖の上ではどんなことが起っているのか。手袋をつけていない掌に、しんしんと冷たさが沁み入って来るのを堪えながら、彼はしばらく暗い崖の上を見詰めていた。やがて彼の顔は土偶のように血の気を失い始めて来た。……

 

 改札を通る時歩廊に電車は入ってした。マントの裾が脚にからまるので急げないうちにベルが鳴って、彼が歩廊に来た時は扉がしまったばかりのところだった。電車は彼一人を残して静かに動き出した。

 それからいくらも待たないうちに、また次の電車が入って来た。今度のはかなり空いていたけれども、彼は腰掛には掛けず柱のところに立った。動き出して歩廊を拔けると、扉の外は闇となり、扉の硝子は暗く鏡のように車内を映し出した。彼は白いエナメル塗(ぬり)の支柱を握って立っている自分の姿をその硝子鏡の中に認めた。硝子の中の彼はスキイ帽をまぶかに乗せ、大きなマントをゆったりとまとっていた。彼は暗い笑いを頰に走らせた。

(これでマスクを掛けたら、泉には俺だということが判らないだろう!)

 出がけにあおった一杯の焼酎が、今ほのぼのと廻って未るらしく、兇暴な欲念がともすれば腹の底から湧き上って来るようであった。彼はひそかにそれを押殺しながら、硝子扉の中の自像に見入っていた。マントはだらりと垂れてほとんど足首までおおっていた。あいつは大男だからな、彼はぼんやり呟いた。今日会った同僚のことを彼は考えていたのだった。その同僚は畳んだマントの上に兎の皮のついたスキイ帽をのせ、彼の方に押しやりながらこんなことを聞いた。

「で、病気の方はもう良いのかね」

 もう大丈夫なんだと彼は答えた。あの日陸橋の上で長いこと立っていたからそれで風邪を引いたらしく、彼はずっと欠勤をつづけていたのである。同僚は更に重ねて言った。

「北海道に帰るのも良いが、出来るだけ早く戻って来るが良いよ」

「何故?」

「行政整理があるらしいのだ」

 此の男は彼と同じく都庁につとめていた。

「行政整理って、そんな事が出来るのか。組合があるんだからそんな一方的なことは出来ないだろう」

「ところが財政がおそろしく詰っているらしいんでね」

 同僚はそこでいろいろ説明をして、結局組合もそれを承認するだろうということを付け加えた。彼はそれを聞きながら次第に不安になって行った。

「それで具体的に言うと、どんな連中が整理されるんだね」

「そりや先ず出勤などの成績が良くないものが先になるだろうな。任意に辞表を出させる形にしてしまうのさ」

「出さねばどうなるんだね」

「それはどうなるだろう。僕は知らん。しかしその時出せば退職金がぐんと多くなるのだ。あとで整理されるより得になるように出来てるんだ」

「そいつに皆、ひっかかるんだな」と彼はその時厭な顔をして呟いた。今年に入ってからも彼は口実をつけて何や彼やと休暇ばかり瑕っていた。こんなことが整理に影響するに違いなかった。今度の風邪にしても本当は始め二日ほど寝ただけで、あとはごろごろ寝たり起きたりして暮していた。役所のことが気懸りでないことはなかったが、どうにも出勤する意力が湧いて来なかったのである。食物のせいか身体が変にだるいからでもあったが、陸橋の上で見たあの光景が少からず影響をあたえていることも彼には否定出来なかった。あの夜泉は十二時頃戻って来たのだ。土を踏む幽かな跫音(あしおと)がして玄関をそっとあける音がつづいたのを、まだ眼を覚ましていた彼ははっきり聞いたのだった。寝床の中で彼は全身を緊張させて、泉の気配を感じ取っていた。隣室でそっと床をのべる衣ずれの音がして泉はかるいせきをした。そして床にすべり込んだらしかった。そのせきの音が妙に泉の肉体を歴然と感じさせた。彼は嫉妬に似たものがありありと胸中に燃え出すのを感じながら、寝床の中の泉の白い肉体を思い浮べていた。今まではそういう想像が湧いて来ると、彼は強いてそれを打消していたのだったが。……

 泉たちが隣室に入って来て、もう半年近くなるのであった。それまでは此の六畳と四畳という二部屋の変な造りの家を、彼ひとりで占領していたのだ。家主の話では、泉たちは家主の遠縁にあたるということだった。だから彼も一部屋さく気になったのだった。あとで泉に聞くと、親類でも何でもなく、此の部屋に入るために家主に沢山の権利金を払ったという話であった。大陸から引揚げて来たばかりで、泉は髪を切って総髪にしていたが、それがかえって女らしい効果を上げているように彼には思えた。眼が大きく濡れた感じで、ちょっと映画女優のマアゴという女に似た顔立ちをしていると彼は思った。老婆と弟と三人で引揚げて来たのだが、弟は船の中で病死して、その水葬礼の話を泉は彼にして聞かせた。それは弟を思う純粋な気持にあふれていて、彼は思わず感動した。キヤンパスに包んだ屍体が青い海に沈められようとする時、老婆が惑乱して手すりを越えようとして、船員たちが背中からしっかり抱きかかえていなければならなかったことなどを、泉は少し亢奮(こうふん)した口調で彼に話して聞かせていた。[やぶちゃん注:「映画女優のマアゴ」メキシコ生まれのアメリカの女優マーゴ(Margo 一九一七年~一九八五年:本名はマリア・マルゲリタ・グアダルーペ・テレサ・エステラ・ブラド・カスティーリャ・オドネル(María Marguerita Guadalupe Teresa Estela Bolado Castilla y O'Donnell)。代表作で私が見たことがあるのはフランク・キャプラ(Frank Russell Capra)監督作品の空想冒険映画「失はれた地平線」(Lost Horizon :一九三七年)。ハリウッドの「赤狩り」で苦しめられた。当該ウィキを読まれたい。]

「お婆さんはそれからがっくり、歳を取んなすったのよ」

 大陸ではどんな暮しをしていたのか知らないが、持って来た荷物もほとんど無く、男手の弟が病死したとあっては、たちまち生活に困るのは目に見えていた。しかし泉たちは内地にたどりついたということだけで、その時は満足しているように見えた。それから唐紙ひとつ隔てて二つの生活が始まった。彼も縁側から出入するようにしたし、泉たちも唐紙をみだりに開くことなどはなく、ひっそり暮している風だった。そして半年近く経ったのだ。――

 電車がガタンととまって、彼の姿をうつした硝子扉が軋(きし)みながら開いた。身をひるがえして彼は扉の外に出た。長い歩廊にはなまぬるい風が吹いていた。彼は階段の方に歩きながら、ぼんやりと斜を見上げた。そこには陸橋が黒々とかかっているのだった。橋梁(きょうりょう)の下は暗く沈んでいたが、陸橋の上にはちらほら人や自転車が通るのが小さく見えた。泉はいないかも知れない。そんな疑念がふとその時彼の心に浮んでいた。彼女は今日黄昏(たそがれ)時に家を出て行ったのである。彼は階段を一歩一歩登りながら、ポケットからマスクを取出し、それでいそいで顔をおおった。そしてスキイ帽の廂(ひさし)をぐいと引下げた。マスクを出す時彼はポケットの中の、あの金包みにもふと触れていたのだ。

(あの時泉は、俺の顔を意識して打ったのか?)

 どんな表情をして自分があの金包みを差出したかを考えると、彼は思わずマスクの中で、后を嚙んだ。あの日以来思い出すたびに自己嫌悪に陥るのは、泉から頰を打たれたということではなくて、すべてその一点にかかっているのだった。盥(たらい)を買うように、と思って差出したけれど、それは自分の心への言訳にすぎなくて、泉が見抜いたのは彼の表情にぎらぎら露呈していた欲望であるのかも知れなかった。それは侮辱だと泉が叫んだのも、金を出そうとした彼の心をそんな風に受取ったからに違いなかった。それを思う度に何ものへとも知れぬ痛烈な憤怒が、彼の心をしたたか衝き上げて来るのであった。今夜の此の野卑で残酷なたくらみも、その底に此の気持を根深くひそめていることを、彼は始めからはっきりと意識していたのである。しかし此の卑しい所業が今度首尾よく完了したところで、自分も泉も今よりは一層惨めになるだけの話で、二人とも決して幸福になる筈がないことを考えると、背骨が冷たくなるような深い絶望感が、ふと彼を摑んで来るのだった。

 階段を登り切ると彼はマスクの中で青ざめたまま、切符を若い駅員に渡して改札を通り抜けた。そこの売店を曲ったところから陸橋が始まるのである。マントの裾を身体を曲げてはばたくと、彼はまっすぐ立って陸橋の歩道をあるき出した。さっき部屋にいた時のあらあらしい精気が、その時再び身内によみがえって来た。十五米おき位に燈が点っていて、歩いて行く彼の顔は暗い隈をつくったり又ぼうと明るみに浮んだりした。彼はするどく気を配りながら、一歩一歩すすんで行った。三分の二を渡り終えても彼は泉の姿を認めなかったのだ。あとの三分の一はしらじらと風が吹きぬけていて、人影はひとつも見当らなかった。彼は身体全体がふくれ上って来るような妙な衝動に襲われながら、それでも歩調をみださず、橋を渡り終えた。たもとの影にも誰もいなかったのだ。彼はそこで愕然としたように立ち止った。そして湧き上って来るはげしいものを押潰して呟いた。

「これは一体どうした事だろう」

 頭の内側に弾(はじ)け散る火花みたいなものを感じながら、暫(しばら)く彼は首を廻して暗い崖沿いの道を見詰めていた。突然ある言いようのない汚辱感が彼の胸にひろがって来たのである。此の場末の駅の陸橋に、借物の帽子とマントをまとい大きなマスクをかけてやって来た自分の姿が、それも只みにくい交尾慾のためはるばるやって来た自分のあり方が、我慢出来ない醜悪なものとして彼の意識に鋭く折れ込んで来たのだった。彼は微かな呻きを洩(も)らしながら短い間をそれに堪え、そして靴を鳴らして廻れ右をした。靴は舗石にすれてギシギシと厭な音を立てた。そして今来た道を戻り出した。夜風が頰をかすめた。

 半分も渡らない時、彼はふと反対側の歩道のたもとに、見覚えあるショールが風をはらんでなびいたのを視野の端にとらえて、ぎくりとして立ち止った。立ち止ったのは瞬間だけで、彼は直ぐぎごちない足どりを踏み出していた。それはあの夜彼がひそんでいたあたりであった。彼は顔をまっすぐ立てたまま、眼だけを最大限に横に廻して進んで行った。泉はあそこにいたのだ。何気ない風(ふう)に手すりにより、ぼんやり線路の谷間を見おろしている風であった。彼は動悸が高まって来るのを意識に入れながら、そして陸橋を渡り終えた。もはや先刻の汚辱感が、次第に他のものと交替して行こうとするのを、嘔(は)きたいような抵抗と一緒に感じ取りながら、彼は明るい売店の前に立ち止って顔を硬ばらせたまま、並べてある雑誌などに暫く無意味な眼を走らせていた。

(此のまま電車に乗って戻ってしまおうか)

 彼は胸の奥を吟味するようにそんなことを考えた。しかしその考えは唇の先だけで果敢なく消えた。彼はマスクの上の眼を急にたけだけしく光らせながら、泉のいる方向にゆっくりむき直った。泉の姿は先刻の位置からやや移動していた。淡い燈の光が斜に彼女の頬を照らし出していた。泉は掌を上げてほつれ毛を整えるような仕草を二三度くり返した。彼はマントの中で手を組合せると、あらあらしい動作で歩道に戻り、両側に注意するふりを装いながら車道を一気に通り抜けた。そしてふと顔を背(そむ)けて泉の側(そば)に立ち止った。腕をマントの間から出して、予定していたような動作で軽く泉の肩にふれた。

 泉はぎょっとしたように肩を引いたが、ふと彼を見た瞳が大きく濡れたように輝いて、直ぐ低い声で早口にささやいた。

「こっちよ」

 粟立つような緊迫の中で、彼はその声をはっきり捕えていた。

 泉は肩をふってショールを引上げると、そのまま小刻みな足どりで歩き出した。彼も黙ってそれに続いた。泉の髪の匂いが幽(かす)かにただよった。それは泉の部屋の匂いと同じものだった。彼は老婆ひとりがいるあの四畳間を、突然頭によみがえらせていた。泉は外套を着ていなくて、赤い毛糸の上衣だけだった。そして脚は素足だった。白いふくら脛が光をかげらせながら小刻みに動いた。ある生理的な予感が歪んだ形のまま幽かに高まって来るのを感じながら、彼はマントの釦(ぼたん)を内側からひとつ外していた。夜の塵を集めて風が走るらしく、舗石にかさかさと鳴った。

 陸橋のたもとから直角に折れると、暗い瓦礫(がれき)の散らばった凸凹道になるらしかった。千切れた黒雲の断(き)れ目から、月の光は青く落ちるのだが、道は凸凹のまま少しずつ登り坂になるらしい。泉に遅れまいと道を歩き悩みながら、彼はちらちらと眼の下の線路を隔てた歩廊に視線をおとしていた。歩廊に佇(た)つ人々は此の前見たと同じようにおだやかな形で電車を待っているのだが、此の暗い坂路をのぼる彼の今の眼には、何故かそれがおそろしく無感動な重圧となってのしかかって来るように見えるのであった。それに堪えながら、彼は瞼をあげた。ここらはずっと焼跡らしく、やがて目慣れて来た彼の視野に、瓦礫の暗みからそこだけ残った白い門柱や立ち枯れた樹々の形がぼんやり浮び上って来た。先に立った泉の後姿がほっと肩を落すと、一寸佇ちどまって彼を待ち、いきなり彼の脇に身を寄せて来た。

「風邪でもひいたの?」

 それは柔かく屈折した声だった。すべてをあずけたように身体をもたせて来て、そのまま歩調がゆるんで来た。彼はマントをはねて右手で泉の身体を半分抱きながら、その安心し切ったような泉の肉体のゆるみに、ふと激しい嫉妬がのぼって来るのを意識した。彼が黙っていると泉は首を廻して彼の顔を見上げた。

「だって、そんなマスクをかけているからさ」

 投げやりな調子だったけれども、顔は何か戸惑った表情だった。彼は次第に指先に力をこめながら、此の肉体が今日の昼間、隔絶された存在として彼の身辺にあった事を考えていた。泉が今身体の重みを彼にあずけるのも、彼を見知らぬ男と信じているからこそだと思うと、彼は二重にも三重にも錯綜(さくそう)した不思議な感情がはげしくひろがって来るのを感じてレた。しかしその情感は何か不倫の臭いを伴っていて、それが暗く歪んだまま彼の欲望をそそるらしかった。破局的な予感に脅えて、彼はその瞬間背筋をぶるっと慄わせた。泉は急に身体をはなして、危いわよ、とささやいた。道が尽きてこわれた石の階段になっていたのである。

 階段の両脇には四角な混凝土(コンクリート)の門柱が立残っていて、細長い白いエナメル塗りの門標がはめこんであるのを彼は見た。階段を登るとひろびろとした廃址(はいし)の感じは、此処はたしかに学校の跡にちがいなかった。崖に沿って茂みがつづき、やがてそれが断(き)れた処に奇蹟のようになだらかに凹んだ場所があって、泉はそこに入って行った。そして泉はぎごちなくそこにすわった。月の光は此処にも静かに落ちていた。彼は凹地の縁に立って、黙って泉を見下していた。彼は泉の顔に、ある苦痛のいろが漲(みなぎ)って居るのを見ていたのである。泉はやがて力尽きたように仰向けに上半身をたおした。彼はそれに視線を据え、悔恨に似た痛切なものをひとつひとつ潰しながら、静かにマントの釦をゆるめ始めていた。

 時間がしゅんしゅんと流れた。

 泡立った擾乱(じょうらん)が彼の意識をひたし始めていた。さまざまの想念や記億が千切れ雲のように彼の頭をよぎった。彼は泉の肉体に、感覚の全体を集中しようと努力しながら、それを邪魔する黒い影のようなものをひしひしと感じていた。それが何であるのか判らなかったが、それは冷たく確実に彼の背をおびやかしていた。彼はそれから逃れる為に、意識をぼんやりした一つの流れに乗せようとした。彼は過去に眺めた泉の影像を思い浮べた。弟の水葬礼を物語る泉の表象が、その時浮び上って来た。それを聞いた時の感動が匂いを伴うようにしてよみがえって来た。

(俺は何時から泉にある感情を持ち始めたのだろう)

 それは彼の記憶になかった。極めて徐々に確実にその感情は彼の意識下にはぐくまれていたらしかった。あの夜薄色の春外套を着た男の後姿を見た瞬間、それは嫉妬という形ではっきり彼の心に浮んで来たのだった。泉の不幸を実体として目撃した一瞬が、彼が愛情と自認するものの起点になっていた。そこに何か錯乱があるらしかった。意識下にひそんでいた泉への愛情と、不幸の形式への彼の傾倒が、何か乱れた交叉をつづけていて、彼は静かに身体を動かしながら、突然今日の同僚のことを思い出した。

(あの時の不安が尾を引いているんだな?)

 同僚の口ぶりは何気ないようでいて、どこか故意に彼をおびやかす調べを帯びていたのだ。まだ一度も欠勤した事のないという血色の良い同僚の顔には、絶えず冷たい薄笑いが浮びつづいていたのだった。暗い坂路をのぼる時歩廊を眺めおろしたあの漠然たる畏怖も、今彼の胸の中でそこに結びついていた。世俗の軌道から正に外(はず)れかかろうとしている自分が、何故泉の不幸を自ら確めようとして、マントやマスクを用意したのか。今夜のことは俺が案出した陰惨な遊びに過ぎなかったのではないか、という荒涼とした思いが突然彼の胸をいっぱい満たしてきた。彼はにがいものを口の中に感じながら、大きく瞼を見開いて泉の顔貌を真下に見詰めた。泉は眼を閉じて、薄い眉根を寄せていた。それは明かに陶酔の表情ではなかった。何かを堪え忍ぶ表情だった。月の光の中で、泉の顔は暗く歪んでふと別人に見えた。泉はその時うすく眼をひらいて彼を見た。疑惑がふと眼の中に浮んだようだった。彼はあの何物へとも知れぬ憤怒が俄(にわか)に再び胸を貫くのを感じながら、清らかなものがすべて死滅したことをその瞬間ありありと知覚した。

(泉への愛情を俺が抱いていたとしても、それはマスクを買求めた瞬間で終ってしまったのだ!)

 風がそうそうと茂みをゆるがせていた。凹地の中からはもはや柔かい若草の匂いが立っていたけれども、地面は冷たく湿気を帯びていた。崖の下の線路の遠くから、貨物列車の音らしい鈍重な響きが、幽かに空気をゆるがせて伝わって来た。それは幽かに幽かにゆっくりと、そして次第に力を増しながら調子を早めて、空気と地面をゆるがせて彼の身体に伝わって来た。彼はその時彼の感覚がひとつの流れにのって、ようやくある陶酔の座に入って行くのを自覚した。若草の匂いにまじって、茴香(ういきょう)に似た甘い体臭が大気にひろがった。貨車の響きは段々早く、段々音律を強めて近付いて来る。それは極めて徐々に。徐々に力強く。そそるような甘美な響きとなり、そして顔を反らした彼の表情に、貨物列車の前燈が血のように赤い光茫を突然投げかけた。その光茫は段々強ぐなる。タンタンタンと響く格調が、俄に轟然たる音の流れとなって、彼の全細胞を満たした時、泉の右手が豆蔓(つる)のように伸びて、彼のマスクを指にからめたと思うと、白い布片は生き物のようにひらめいて地面に落ちた。それはおそろしい瞬間だった。彼はその姿勢のまま甘美な Orgasm が急激に凝集した苦痛に取って代られるのを直覚した。赤光にまみれた表情を外らす間もなく、彼は病獣のようにうめき声を立てた。口辺に泡をふきながら彼は、その瞬間総身の苦痛をひとところに絞り上げて Spermatism 完了した。腕の下から必死に身をよじって逃れ出る泉の肉体を感じながら、彼の身体からやがて苦痛は潮のようにゆるやかに引いて行った。彼は芝草に掌を支え、凝然と瞼を上げた。貨車の響きは崖下を通過した瞬間から、急速に衰え薄れて行くらしかった。[やぶちゃん注:「茴香」セリ目セリ科ウイキョウ属ウイキョウ Foeniculum vulgare はフェンネル(Fennel)のこと。当該ウィキによれば、『ウイキョウの若い葉および果実は、甘い香りと苦みが特徴』とするが、『この芳香は女性ホルモン(エストロゲン)』(Estrogen)『と同じ働きをする』『植物性エストロゲン』である『フィトエストロゲン』(Phytoestrogens:内分泌系により産生されたものではなく、フィトエストロゲン植物を摂取したことによる外因性の物質が内分泌された女性ホルモンのように機能するところの外因性エストロゲン様の振る舞いをする物質を指す語)『が豊富に含まれている』とある。]

 泉は凹地の縁に身をもたせて、乾き切った眼を大きく見開いて彼を凝視していた。月光を正面に受けたその顔は、紙のように蒼白かった。眼だけがするどく彼の顔に突刺さって来たのだ。それは憎悪とか驚愕をのり越えた空虚な眼のいろだった。かぎりなく深く、無量のむなしさをたたえた挑線であった。彼は必死になって、それに堪えていた。錯乱しようとするものを全身で支えていた。突然表情を全く喪ったその顔は、やがてくずれ始めて来た。泉は子供のように行儀よく両掌を顔に当て、静かに泣き始めた。その頃になって彼はやっと立ち上っていた。ねばねばした感触に堪えながら、彼はすべり落ちたマントを拾い上げていた。マスクは白い塊りになって、芝草の上に転がった。

(結局俺は始めから泉の肉体がほしかっただけの話なのさ!)

 彼はよろめきながらマントを羽織ると、身体をこごめてマスクを拾い上げ、顔をゆっくりおおった。泉の肉体をそっと盗んで、代償として此の間の金包みを置いて来る。始めから漠然と計画していたのはそれであった。そうすることで彼の気特は全部整理がつく筈であった。ところがマスクを剥ぎ取られるという茶番が入ったばかりに、何か順調に行っていたものがばらばらに乱れてしまったのだ。彼は強いて自分の心にそう言い聞かせようとした。

(そんな事はざらにある話じゃないか。引揚げ娘が生活に困って淫売になったというだけの話じゃないか。隣室の小役人がそれを知って仮装してその娘を買ったというだけの事じゃないか。まったく何でもない愚劣な話じゃないか)

 彼は凹地を出て崖の鼻に立った。崖は石垣を畳んで垂直に切り立っていた。遙(はる)か下方をくろぐろとレエルが幾条も走っているらしかったが、彼の眼に映るものはただ黒い闇の茫漠とした拡がりだけであった。身体がばらばらに千切れそうな深い疲労が彼に起って来た。Spermatism はあったにも拘らず充足感は少しも残っていなかった。彼はじっと闇の底に眼を放っていた。眼球だけが脱落してその中に沈んで行くようで、彼はその感じを忍びながら、ふと太古から俺はこんな姿勢で此処に立っていたのではないか、という錯覚に落ちていた。そして此のたくらみの最初から、此の終末を予感しつづけていたことを、彼は今判然と思い起していた。彼は更に身体をすすめた。靴の先は両方とも二寸位ずつ、崖の鼻から宙に浮いた。その時冷たい笑いが自ずと彼の鼻の辺にのぼって来た。

(俺の身体は今、背中を指一本で押しても、他愛なく此の闇の中に転落してしまうじゃないか)

 背後の凹地は颶風(ぐふう)の眼のように静まりかえっていた。泉の嗚咽(おえつ)は今までとぎれながら続いていたのだが、それすらも聞えなくなってしまった。粘ったものが一滴脚をつたって流れ落ちた。彼はふと身慄いしながら、あのポンプ台の上に置き忘られた石鹸のいろを聯想(れんそう)した。月の光に照らされて、それは白っぽく透きとおっていた。側にはバケツが黒い布を沈ませていた。戸板ひとつ隔てたところでは電気按摩器の夢を見ながら老婆がうとうとと眠り呆けているのだろう。……[やぶちゃん注:「颶風」ここは台風と同義。]

 彼は背面に神経を集めながら、まだ泉は立ち上らないのかと、頭の片すみでぼんやり考えあせっていた。あの泉の眼のいろをのぞいた瞬間のおそろしさは、まだなまなましく残っていた。頭を烈しく振って彼はその感覚から逃げようとした。そして乱れた頭で彼は自分の位置を手探りしているのだった。ただ一突きで俺は飛翔(ひしょう)出来る。その時俺にはとても良いことが起るに違いない。早く辞表を出せぱどっさり退職金が貰えるように、何か素晴らしいものが俺に落ちて来るだろう。すべてはそれからの話だ。――

 崖の鼻にあやうく安定を保ち、彼はしきりにそんなことを呟きながら、そのまま瞳を定め、闇の中の虚ろな一点に見入って行った。

 

2021/03/21

ブログ・アクセス1,510,000アクセス突破記念 梅崎春生「その夜のこと」+続編「冬の虹」合冊縦書ルビ版(オリジナル注附)公開

ブログ・アクセス1,510,000アクセス突破記念として梅崎春生の「その夜のこと」と続編「冬の虹」の合冊縦書ルビ版(オリジナル注附き)を公開した。

ブログ・アクセス1,510,000アクセス突破記念梅崎春生 冬の虹

 

[やぶちゃん注:昭和二九(一九五四)年三月号『小説新潮』に発表され、後の昭和三四(一九五九)年に刊行した作品集「拐帯者」(光書房)に収録された。

 読み始めれば、そこで予告した通り、すぐにこれが二ヶ月前の昭和二九(一九五四)年一月発行の『別冊小説新潮』初出で、同じ作品集「拐帯者」に本篇とセットで所収された、前回、ブログで電子化した「その夜のこと」の続編であることが判る。未読の方は、まずそちらから読まれたい。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第五巻」を用いた。

 今回は思うところあって、文中に軽く割注を入れて、最後に、本作のモデルとなった梅崎春生自身の過去(満二十一或いは二十二歳の時)の体験(事件)について注した。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日、先程、1,510,000アクセスを突破した記念として公開する。【2021年3月21日 藪野直史】]

 

   冬 の 虹

 

 月明りの下に、白っぽい大きな四角の建物があった。入口の柱に木札がかかっていて、夜目にもそれは『駒込警察署』と読めた。

 外套の襟を立てたまま僕が佇(た)っていると、巡査がうしろからじゃけんに僕の背をこづいた。

「さあ、上るんだ」

 この巡査は背が低く、顎(あご)の角ばった男で、言葉づかいに茨城あたりのものらしい訛(なま)りがあった。歳は三十前後かと思われる。犯行現場からここまで来るのに、自動車に乗れなかったので、それで露骨に僕に対して不機嫌になっていた。こんなに寒い夜だし、僕だっててくてく歩きたくはなかった。でも無一文だから仕方がない。

 うながされるまま、僕は重いあしどりで署の階段をのぼり始めた。僕のうしろから巡査が、巡査のうしろから霜多がつづいた。

 廊下を通って扉を押すと、そこはだだっぴろい大部屋で、夜更(ふ)けだと言うのに十人ばかりの刑事が立ったり腰かけたり、ストーブに掌をかざしたりしていた。ストーブの中で薪(たきぎ)は赤い焰を立てて、勢いよく燃えていた。僕たちが入って行っても、誰もこちらに振り向かなかった。へんにガヤガヤした落着かない厭な雰囲気だった。

 僕らを入口のところに待たせて置いて、巡査はつかつかと歩み入り、主任らしい男の机の前に立ち止った。僕の方を指差しながら、何かコソコソと報告しているらしい。主任も報告を受けながら、ちらちらと僕を横目でにらみつけているようだった。酔いもすっかり醒めはてたし、すこしずつ面白くない憂鬱な気分になってくる。

「ひょっとすると、俺は留置場に入れられるかも知れないな」

 僕は傍の霜多にそっとささやいてみた。すると霜多はびっくりしたような表情で僕を見た。

「ひょっとするとって、留置場入りはきまってるよ。とにかくケガさせたんだからな」

「そりゃ困ったな」

 と僕は落胆した。僕が切に欲していたのは、あたたかい蒲団と静かな眠り、それだけだったのだ。留置場入りは始めてだが、どうもそこにそんなものがあるとは常識としても考えられなかった。

「留置場入りは困るな。どうにかならんものかねえ」

「僕らも努力はしてみるよ。してはみるけれどね――」[やぶちゃん注:「僕ら」はママ。ここには、そうした「努力」が出来る他の人間は霜多以外にはいないから、或いは霜多の慌てぶりや、留置の責任を自分のみに限定されるのを半ば無意識に嫌ったことを示すためのものかも知れない。後で、霜多と他の友人への恨みを「僕」を漏らしていることから、霜多も、或いはこの時、他の友人らへ連絡して釈放の運動をしようという意識が頭を掠めたものかも知れない。]

 その時巡査がじろりと振り返ったので、霜多は口をつぐんだ。巡査は怒ったような顔付きで僕を手招いた。僕はふらふらとそちらへ歩いた。

「お前か、下宿の婆さんを殴ったのは」

 主任がにわかに眼を据(す)えて僕に怒鳴った。主任も頰(ほお)骨が突き出て、チョビ髭(ひげ)を生やし、顎骨が左右に張っていた。どうして警察官というのは、どれもこれも顎が四角張っているのだろう。僕はキッと見据えられて、思わず視線をうろうろさせた。

「はい」

「なぜ殴ったんだ」

 そこで僕は、今夜酒を飲んだこと、終電に乗り遅れた友人の霜多を愛静館に連れかえったこと、婆さんに客蒲団を出して呉れと頼んで断られたこと、僕が腹を立てて婆さんに糊壺を投げつけ、そして椅子をふり廻して大あばれをしたこと、以上の事情をカンタンに主任に説明した。下宿料がたまっていることなどは言わなかった。僕が説明し終ると、主任は僕をじっとにらみながら、低い声で訊(たず)ねた。

「あそこに立っているのが、その友達というやつか」

「そうです」

 主任は鉄の文鎮で机のはしをコツコツ叩きながら、すこし威嚇(いかく)的な声を出した。

「お前は一体学生のくせに、かよわい老人にケガさせるとは何事だ。今の報告によれば、婆さんの傷は全治二週間だぞ。悪いとは思わんか!」

「はい。悪かったと思います」

 出来るだけおだやかに僕は答えた。謝ればもしかすると許して呉れるかも知れない。そう考えたからだ。ところが頭を下げた僕を見て、主任は無雑作につけ加えた。

「それじゃ今晩はとまって行け」

 僕はとたんにがっかりして主任の顔を見た。主任はそっぽ向いて、さっきの巡査の方に顎でなにか合図をした。巡査がつかつかと僕に近づいて来た。

 

 霜多に別れると、僕はふたたび巡査に連れられて廊下に出、その留置場の方に歩かせられた。廊下は寒かった。僕はもう観念していた。『霜多のやつ、今晩どうするつもりかな』

 ちらと僕はそんなことを考えた。霜多ももう無一文の筈(はず)だし、こんなに夜は遅いし、どこで一夜を明かすのか。僕の方はお粗末ながら寝場所だけはチャンとあるわけなのだ。

 鉄の扉ががちゃんと開かれて、僕の身体はいきなりその中に押し入れられた。そこは留置場詰めの刑事の控えの間になっているらしかった。

「学生一人、願います」

 扉の外から巡査が言った。

 刑事が二人、火鉢に当っていた。その一人が僕を見て面倒くさそうに立ち上った。この刑事の顎もやはり下駄のように角張っていた。

「何だ、お前は。アカか」

「違います」

 アカではなく傷害罪であることに、僕はなにか自分に惨(みじ)めな屈辱をかんじた。小さな声でつけ加えた。

「下宿の婆さんにケガさせたんです」

 刑事の表情が軽蔑でゆがんだように感じられた。はき捨てるような口調だった。

「持ち物を全部ここへ出すんだ」

 うす暗い電燈の光の下に粗末なテーブルがある。僕はポケットの中から、学生証や煙草やマッチ、手袋や万年筆をとり出して、その上につぎつぎと並べた。刑事はその物件の名を一々紙に書きとった。

「それだけか?」

「これだけです」

 刑事は上目使いに僕を見て、僕の外套のポケットを上から押さえ、それから掌をポケットにつっこんだ。何かを摑(つか)み出した。

「何だあ、こりゃあ」

 拡げた掌の上に、マッチの軸(じく)の折れたのがたくさん乗っている。外套のポケットに手をつっこみ、マッチの軸をポキポキ折りながら歩くのが、その頃の僕の無意識の癖だった。刑事の掌にあるのはその折屑なのだが、自分の癖を現実の形として他人から示されるのは、はなはだしくイヤな気持のものだった。

「莫迦(ばか)な癖もあったもんだな」

 僕の説明を聞いて、刑事はそう言って鼻であざ笑った。

「さあ、バンドも外(はず)すんだ」

 留置場ではすべての紐(ひも)のたぐいは取上げられる。そのことは小説その他によって、予備知識として持っていたので、僕はすぐに素直に皮帯[やぶちゃん注:「バンド」と当て読みしておく。「かわおび」と読んでも構わない。]を外した。しかしいざ皮帯を外すと、ズボンがずり下りそうで、あやふやな不安定な感じだった。外套も脱がされるかと思っていたら、これはそのままでいいらしい。

 一人が僕を処理している間、も一人の刑事は火鉢にかがみこんで、じっとしている。僕に対して全然職業的興味さえ持っていない風(ふう)だった。

 この控え所からじかにコンクリートの廊下が伸び、その両側に鉄格子がずらずらと見える。そこが留置場にちがいない。区切りの具合から見て、八つか十ぐらいの房に分れているらしかった。午前三時過ぎのことだから、勿論そこらはしんと寝静まっていて、聞えるのは僕と刑事のぼそぼその話し声だけだ。

 刑事は僕の腕を摑(つか)んで、房(ぼう)の方に歩きながら、

「お前は運が良い奴だ。これが本富士署であって見ろ」

 と言った。そして、本富士署は建物が古いから設備も悪い、この駒込署は建ったばかりだから居心地がいいんだ、と妙なことを自画自讃した。そう言えばコンクリートの壁も汚れていないし、鉄格子もぴかぴかと光を弾いているようだった。

 刑事は左右の房をのぞいて歩き、そしてその一つの前に歩を止めた。小さいくぐり扉に頑丈な錠がかかっている。刑事は合鍵をさし込んで、ガチャリとそれを外した。

「さあ、この房の一番奥にもぐり込んで、さっさと寝るんだ」

 房は奥へ細長く、極端にうす暗い。鼠色の毛布をかぶって十人ばかりの男がいびきをかいている。妙な臭気が鼻に来た。毛布と壁との狭い間を僕は爪先立ちで奥へ歩いた。

背後で刑事がガチャリと錠をおろした。

(シラミがいるかも知れないな)

 床に立ったまま僕は考えた。昭和十二年のことだから、DDTなどという気の利いたものはない。その時鉄格子の外から刑事が僕をしかりつけた。

「何をぐずぐずしているんだ。さっさと寝ろ」

 僕はあわててそこに坐り、そして毛布の中にそっと足をさし込んだ。毛布は古びて毛もすり切れていた。そこに入っていた男がすこし体をずらして、僕の入る余地をつくって呉れた。僕は外套のまま毛布の中に横たわった。枕はもちろん無かった。僕の頭はじかに木質の床に触れた。寒さと冷たさが身体のしんまで沁み入ってきて、我慢しようとしても胴や股が小刻みに慄えた。就中(なかんずく)足の裏がこごえるように冷たかった。僕は自然にとなりの男に身体を押しつけて、そこから暖をとろうという形になっていた。そうでもしなければ凍え死んでしまいそうだった。

「何だ。何で入って来たんだい」

 となりの男が眼をさまして、僕にそうささやきかけた。

「ラジオかい」

「いや、なに」

 ラジオという言葉の意味がよく判らなかったので、僕はごまかした。

「人をケガさせたんだ」

「喧嘩か」

 男はそして眠そうに小さな欠伸(あくび)をした。

「まあ、いいや。早く寝ろよ」

 僕は男に背をぴったりと接して、眼をつむった。木の床の上に敷くのは毛布一枚だから、骨がゴリゴリと鳴り、あちこちが痛く、しびれるようにつめたかった。瞼を閉じても眠れるどころの騒ぎではなかった。

[やぶちゃん注:「駒込警察署」現在の東京都文京区本駒込二丁目に現存する(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。現在は文京区の北東部と豊島区のごく一部を管轄している。明治四〇(一九〇七)年十二月に本郷警察署(現在の本富士警察署)の分署として創設され、明治四十三年十二月に駒込警察署と改称、大正二(一九一三)年八月に、廃止された千駄木警察署の管轄を統合し、本郷駒込警察署となったが、昭和一二(一九三七)年には、再び、駒込警察署と改称している(当該ウィキを参照した)。最後に示す梅崎春生自身の事件は、その昭和十二年の出来事であるから、この再改称時に庁舎の一部が改装或いは増設されているものと思われる。

「本富士署」本富士(もとふじ)警察署。東京都文京区本郷七丁目で東京大学(当時梅崎春生が在籍していた(講義には出て一回もこなかったと大学時代の友人(最後の注を参照)は証言している)東京帝国大学の真南直近にある。当該ウィキを見ると、名称は警視庁第四方面三警察署(前身)→元富士町警察署→本郷警察署→本富士警察署→本郷本富士警察署と目まぐるしく改称しているものの、やはり、この昭和十二年に元の本富士警察署に名称を戻しているので、梅崎春生の記載は非常に正確であると言える。

「ラジオ」警察・犯罪用語の隠語。後で本文で説明されるので、ここでは記さない。]

 

 この新装なった駒込警察署留置場の第六房に、僕は翌日から、今日こそは釈放されるか釈放されるかと待ちこがれ、ついに足かけ一週間ここに入っていた。その一週間のあいだ、取調べもなければ、呼出しも一度もなかった。だからここにいるあいだ中、僕は、霜多その他の友人を心中でしきりに恨みつづけていた。

(俺のことはほったらかして、毎日遊んでいるのだろう)

 そう思うと腹が立って腹が立って、いても立ってもいられないほどだった。留置場の中では何もすることはないのだから、どうしてもひとつ事ばかり考えることになるのだ。

 一体どういうことになっているのだろう。その不安と腹立ちを更にあおるのは、確かに留置場の中の生活形式の故でもあった。今生活と書いたが、これは生活というよりも、しごく緩慢な儀式と言った方が近いかも知れない。ここでは行動というものはほとんど封じられている。睡眠と掃除と食事と排便。一日の行事は大体それだけで、あとは何もすることはないのだ。私語も禁じられている。(禁じられていても、刑事の眼をぬすんで僕らはおおむね私語をかわしていたが)とにかく十六年前のことだから、現在の留置場のあり方とは少々違っていた。[やぶちゃん注:「十六年前」本篇は昭和二九(一九五四)年三月発表であるから、発表年を勘定に入れなければ、最後に示す実際の事件の昭和十二年と一致する。]

 朝六時起床の合図。ただちにはね起きて毛布を手早くたたみ、房の内の掃除。房の外の通路の掃除は、在房者の中でも古手がこれを担当した。これは身体の運動にもなるし、良い役割だった。僕の房の一番古手は、仁木という三十前後の詐欺容疑の男だったが、これもまだ外の掃除をする資格はなかった。と言うのは、思想犯で半年近くいるのが、ここにも何人かいたからだ。十日や二十日では古手だとは言えなかったのだ。

 それから食事。塗りの剝げた木箱に麦混りの南京米の飯。朝はうすい味噌汁一杯。昼と夕方はヒジキの煮付け。量はごく少い。一日中ほとんど運動しない状態でも、この量では少な過ぎた。僕は最初の朝飯こそは不味(まず)くて食えず、箱ぐるみ仁木に進呈したが、次の食からは待ちかねてむさぼり食うようになった。[やぶちゃん注:「南京米」はインドシナ・タイ・ベトナム・中国等から輸入するインディカ米を嘗ては、こう、呼称した。]

 使所に行く時間もちゃんときまっている。一日四回ぐらいだったと思う。飲食の量がすくないから、結構その回数で間に合った。もっとも便所に近い老人なんかは、やはり四回ばかりでは困るようだったが。[やぶちゃん注:「便所」現行では房内の隅に配されてあるが、ここの当時の留置房には、トイレはなく、恐らくは外の通路の奥にあるもののように読める。]

 以上それだけで、あとは何することもない。あぐらをかいて壁にもたれ、一日中向き合ってじっとしている。房内のコンクリートの壁はまだ真新しい。しかし房の収容人員は大体きまっているし、同じところにあぐらをかき、同じ箇所に頭をもたせかけているので、壁のそこらの部分だけがうっすらと黒い汚れを見せている。坐る位置は、その房の一番古手が牢名主(ろうなぬし)然として、通路に最も近い食事差入口のそばに坐り、以下古い順序に打ちならぶ。つまり一等新参は一番奥というわけだ。

 そういうわけで、僕は最初の日は一番奥にいた。小さな窓の下の、壁の稜角のところだった。通路への視野もきかず、光線にも乏しく、たいへん憂鬱な場所だった。

 しかし二日目の夕方になると、僕の位置は大躍進をして、扉の方から三分の一ぐらいの場所に昇格していた。それはこの第六房というのは、比較的廻転率の早い房らしく、酔っぱらいとか家出人とかせいぜい一日か二日どまりで出で行くのが多く、躍進はそのせいであったが、牢名主の仁木が特別に僕をバッテキしたせいでもあった。バッテキのおかげで、僕はたしか二人か三人かを一挙に飛び越したと思う。

 仁本はもう十日余りもここに留められているらしかった。背は低いががっしりした体格で、額はせまく、毛深いたちだと見えて、ハリガネのような鬚(ひげ)が頰や顎に密生していた。仁本が着用しているのはドテラだったが、帯は取上げられているので、コヨリをもって帯の代用していた。留められた翌朝の食事後、僕は仁木に手招きされて、その傍まで膝行(しっこう)した。

「おい。ダイガク。一体お前は何をやったんだね」

 私語は禁じられているから、刑事の眼をぬすんで、腹話術みたいな含み声で問いかけてくる。僕も慣れないながら同じ要領でうけ答えした。ダイガクというのは大学生という意味で、最初の日からこの房での僕の通り名になっていた。制服のまま入れられたのだから、この呼称となったのも無理はない。ダイガクすなわち僕は仁木の訊間にこたえて、事件のすべてのいきさつをしゃべらされた。刑事の耳目をはばかってのことだから、時間も相当にかかった。

 訊(たず)ねるだけ訊ねると、仁木はふたたび手をふって、僕を下座にさがらせた。仁木の僕に対する態度は、他の在房の者に対するよりも、割に親切だった。その理由としては、朝飯を供出したせいかな、とその時僕は考えたのだが、それは必ずしも当ってはいなかった。

 仁木は僕がダイガク生であることに、ある親近感を感じたのは事実のようだった。それは二日目か三日目頃に、自分はある専門学校に行ってたことがあると、仁木が問わず語りに話したことでも判る。彼はその時他の同房の連中に軽蔑的に視線を動かしたようだった。僕はその奇妙な親近感をどうも素直には受取りかねた。照れるような気持で返事をためらった。

 しかし仁木が僕をバッテキしたのは、単にそれだけでなく、確かに僕を利用する下心からだったらしい。彼は当時房内にあって身動き出来ないから、どうしても誰かを摑(つか)まえて、至急に外部との連絡をとる必要があったのだ。ところがこの房に入ってくるのは、いずれもたよりにならない奴ばかりで、折角いろいろ頼んでみても、出房するとそのまますっぽかしてしまう。イライラしているところに、この僕が入房して来たというわけだ。ダイガク生で見たところ正直そうだし、話を聞くと、微罪だから直ぐに釈放されそうだし、というところで僕に眼をつけたのだろう。おそらく破格のバッテキというのも、僕への御機嫌取りの政策だったのだ。

 そして四日目頃には僕は仁木に次いで、この房の副名主に出世していた。場所も仁木と向い合って鉄格子からすぐのところだ。そして僕の頰や顎にも無精鬚(ぶしょうひげ)が密生し、鏡はないけれども、指でまさぐった感じでは相当に堂々としていて、いっぱしの副名主面となっているらしかった。いつ出房できるか予測もつかない、そのいらだちと立腹はあったけれども、それはそれとしてこうしてぐんぐん出世してみると、なにか嬉しいような気がするのは不思議なものだった。人間というものは、ある一定の世界に入れられると、その世界の中だけの感情が別に生じてくるものらしい。

 

 一週間ほどの間に、いろんな人物が入房し、また出房して行った。平素僕があまりつき合いがないような、そんな種類の人々が多かった。

 背がひょろひょろと高い、無銭飲食で入れられた男がいた。そいつはラジオと呼ばれていた。ラジオは無線だから、無銭飲食はふつうそう呼ばれる。このラジオは背は高いくせに、皮膚は青白く瘦せていて、不健康な風貌だった。歳は三十五、六に見えたが、実はもっと若かったかも知れない。本郷肴町の天ぷら屋で、酒を三本飲み天丼を四つ平らげて、それで警察につき出されたという話だった。ラジオは僕に話して聞かせた。[やぶちゃん注:「本郷肴町」「ほんごうさかなまち」と読む。現在の文京区向丘(むこうがおか)の旧町名。現在の一丁目に「肴町旭ビル」とあるので、この附近であろう。]

「天丼の五つ目のお代りを注文したんだな。すると向うでもおかしいと見たんだろうな。金を見せてくれと言いやがる。それで五杯目はオジャンよ」

 こんな瘦せた男のどこに天丼が四つも五つも入るのか、僕はちょっと理解できかねた。やはり彼の胃は病的に拡張していたのだろう。それにどうせ警察に突き出されるのは判っているので、ここぞとばかり食い溜めする気にもなったのだろうと思う。その看町の天ぷら屋と言うのは僕も食べに行ったことがある。値段の割にうまい良心的な店だった。留置場では毎日おかずはヒジキばかりなので、その話を聞いた時、あたたかい天ぷらの幻想がにわかに頭をかけめぐって、僕はそれを押さえるのに苦労をした。

 このラジオはすでに何度も留置場入りをした経験があるらしい。房内での態度も物慣れているし、それに入房して来た時、検査をどうごまかして来たのか、タバコを五本、マッチ軸を十本ばかり持ち込んできた。房内での喫煙は厳重に禁止されているが、入房者はさかんに工夫をこらして禁制物を持ち込む。刑事も四六時中各房を見張っているわけではないので、その油断を見すまして、せきばらいと一緒にマッチをつける。すばやくタバコに点火する。吸い込んだ煙は絶対にはき出さない。全部体内に吸収してしまう。タバコ自身から立つ生(なま)の煙は、掌でばたばたあおいで散らかしてしまう。こうやって廻し喫(の)みをするのだが、そういう時の一喫(す)いは眼がくらくらとするぐらい強烈だった。ラジオのおかげで僕もしばしばその配当にあずかった。

 このラジオは、無銭飲食というものは犯罪でないと確信しているようだった。それは彼の口ぶりでも判った。犯罪ではなく、一種のスポーツめいたものとして考えていたらしい。彼はいつかこんなことを言った。

「無銭をやられるのは、やられる方が悪いんだよ。客がラジオかどうか前もって見抜けないで、それで商売人と言えるかい」

 また、ワカラズヤという仇名の爺さんがいた。六十歳前後の、わりとちゃんとした服装をしているが、とにかく聞きわけのない爺さんだった。

 ワカラズヤは二晩房に留められ、三日目息子夫婦に引取られて出て行った。息子に養われているのだが、その息子夫婦が実に仲が良く、それでいたたまれなくて家出したという話だった。夜中に街をうろうろしていたのを怪しまれ、そして巡査にここに連れられて来た。

 爺さんのつもりでは、巡査の態度も比較的親切であるし、警察の宿直か何かに泊めてくれるのだろうと思って、トコトコついて来たらしいのだ。ところがいよいよ案内された室は、頑丈な鉄格子がはまっているし、内には人相のあまり良くないのがウヨウヨ入っているし、爺さんはたちまち仰天してあばれ出した。

「イヤだよう。牢屋に入るのはイヤだよっ」

 刑事がいくらなだめすかしても、爺さんはがんとして聞かない。手足をばたばたさせてあばれ廻る。留置場というものは、懲罰のためでなく、人身保護のためにもあるものだという刑事の説得も、爺さんには全然通じないもののようだった。とうとう刑事も二人がかりで、爺さんを抱きかかえるようにして、僕らの房に押し入れた。いざ押し込まれて見ると、爺さんはもう観念したものか、あばれるのをやめて、床にへたへたとうずくまった。うずくまったまま僕らには眼もくれず、しきりにブツブツと念仏をとなえている。仁木が含み声で話しかけてもろくに返事もしない。

 それから十分ぐらい経って、爺さんはいきなり鉄格子を摑んでゆすぶりながら、大声でわめき姶めた。今度は便所に行かしてくれと言うのだ。

「便所に行きたいよう。早く便所に行かせてくれえ」

 便所行きの時刻はちゃんときまっているし、言うなりに出してはシメシがつかない。そう刑事は思っているのだろう。知らぬふりをしている。また房から出せばも一度あばれられるかも知れない。そのうれいもあったようだ。刑事が知らぬふりをしているので、爺さんは地団太(じだんだ)踏んで更に声を張り上げた。

「早く出せえ。コラア、警官、出してくれえ、署長に言いつけるぞう」

 あまりわめき立てるので刑事も放っておけず、房の前にやって来た。

「静かにせえ。爺さん。明朝まで辛抱出来んか」

「出来るもんか。早く出せ。行かせないなら、ここでやってしまうぞう」

 刑事が通路にそのままぐずぐず立っていたものだから、爺さんはすっかり腹を立てて、小量ではあったが本当に房の隅に排出してしまった。房内でやられては僕らもたまったものではない。僕らは総立ちとなり、大さわぎとなり、ついに刑事も錠をあけるの止むなきにいたった。爺さんはそれで小走りで便所に走って行ったが、用が済んだあとで刑事から二、三度頭をこづかれたらしかった。しかしこの直接行動のおかげで、爺さんは在房中あと三度か四度、時間外の便所を許可されたと思う。

 この爺さんは便所だけでなく、あらゆる点においてワカラズヤだった。つまり留置場の中の習俗を一切受けつけないというわけだ。飯時になると、こんなポロポロ飯は胃に悪いからおかゆにかえてくれとわめくし、咽喉(のど)が乾いたからお茶を一杯持って来いと叫ぶし、僕らも少からずてこずった。爺さんにして見れば、家出はして来たが、何も悪事を働いたわけではなし、こんな拘束を受けるいわれがないという気特なのだろう。それは勿論そうだが、当時の留置場の常識としては、そんな言い分は通らない。しかし爺さんが自ら信じてこんなワカラズヤをやったのか、あるいは擬態としてそうふるまったのか、僕は今でもよく判らたい。とにかく爺さんは房内でも、特別あつかいと言うか仲間外(はず)れと言うか、そんな待遇を受けていた。坐る場所はもちろん一番奥の座だ。

 一度僕らがタバコの廻し喫みをしている時、爺さんが自分も喫いたいとわめきかけて、房内は大狼狽、あぶなく刑事に感づかれそうになったことがある。もし見付かれば懲罰を受けるから放っておけない。そこで僕は奥の座まで膝行して、爺さんを前にして、含み声で懇々(こんこん)と訓戒をあたえた。二十前後の青二才の僕が六十爺に訓戒をあたえるなんて、今思えば奇怪にして滑稽な話だが、あんな世界に住むとそうなるんだから仕方がない。(だから結論としては、あんな歪んだ世界を世の中に存在させなければいい)

 どんな訓戒を与えたかと言うと、どれほど息子夫婦が仲が良いか知らないが、家出して来るなんて不心得もはなはだしいこと、一旦ここに保護されたら房内のチツジョを乱しては困ること、息子が引取りにくるまでは隠忍自重するのが得策であることなどを、僕はじゅんじゅんとして説き聞かせた。

 すると爺さんはそんな僕に反撥したのか、房内では皆仲良くせよと言うけれども、お前さんたちは私にシラミをうつして迷惑をかけたではないか、というようなことを言い出して来た。そこで僕は、この留置場は近頃建ったばかりだから、よその留置場のようにナンキン虫がいない、それだけでも感謝すべきであること、シラミぐらいは我慢すべきであることなど説明した。実際この留置場にはナンキン虫はいなかった。ナンキン虫というやつは巣をつくり、そして夜な夜な人体をおそう習性を持っている。つまり『通い』なのだ。ところがここは建ったばかりで、ナンキン虫の巣くうような隙間がまだ全然ない。ナンキン虫が出ないのはそのせいだが、シラミの方は、そうは行かない。この虫はナンキン虫と違って『住込み』だから、巣なんか必要としないのだ。常住人体にくっついている。これを根絶させるのは割合に容易で、着ているものを全部脱いで、熱湯で煮れば済む。だけど留置場の中ではそんなことは出来ない。熱湯もないし、第一寒くって真裸なんかになれっこはない。こういうわけで、シラミ族は大いに繁栄し、爺さんのみならず僕もたいそう困っていた。

 しかしこの僕の訓戒も、お爺さんにはあまり効き目がなかったようだ。爺さんは最後までワカラズヤを押し通して、三日目の朝迎えに来た息子に引取られ、いそいそとして出て行った。

 それから一年ほど経った頃、僕はこの爺さんを電車の中で見かけたことがある。偶然僕と向き合って腰掛けていたのだ。僕が認めたと同時に、爺さんも僕を認めたらしい。一時妙な表情をして、視線をさりげなく窓外にうつしたようだった。十徳をかぶり、渋い御隠居という風に眺められた。ただそれだけだった。僕も爺さんに話しかけなかったし、もちろん爺さんも僕に話しかけて来なかった。話しかけて肩をヤアヤアと叩き合うには、僕らは年齢がちがい過ぎていた。もはや僕らは鉄格子の中のワカラズヤ対ダイガクではなかった。裕福な御隠居対貧乏大学生であり、そこに通じ合うものは何もなかったのだ。そして爺さんは顔をそむけたまま、次の駅でそそくさと下車して行った。やはリ僕と出会ったのはあまり愉快なことではなかったのだろうと思う。

[やぶちゃん注:「十徳」「じっとく」であろうが、不詳。大黒天が被っているいるような、還暦の祝いに被る丸頭巾・焙烙(ほうろく)頭巾のようなものか。]

 

 特別あつかいというと、白系露人が二人入って来たことがある。僕らから通路をへだてた向いの第七房だ。どんな容疑で入って来たのか知らないが、二人ともほとんど日本語がしゃべれなかった。外人が入房して来るのは珍しいことらしく、刑事たちもその取扱いに困ったようだった。

 この二人組がワカラズヤと同じく箱弁の食事を拒否した。ワカラズヤの場合は拒否しても通りっこないが、二人は露人だから拒否する根拠がある。こんなのは咽喉に通らないと主張することだって出来るのだ。頑として食べないものだから刑事もすっかり当惑したらしい。

 一体に留置場の刑事は、房内に何か事故があると、その成績に関係するものらしい。だから何時も威嚇的に、時には懐柔的な態度に出て、間違いが起きないようにする。たとえば、喫煙はここでは厳禁されているが、刑事の方から何か褒賞(ほうしょう)の意味でタバコに火を点けて、鉄格子越しに喫(す)わせてくれることも時折あった。もっともこんなことは、人の好い刑事の場合に限っていたが。

 だから露人拒食の件も放っておくわけには行かない。うっかりすると食事を与えなかったということになりかねないのだ。それは房付き刑事の責任なのだから、僕らはどうなるかとその成行きを見守っていた。

「コレ、ダメ。クエナイ。パンヲクレエ」

 と赤毛が拳をにぎり、それを振りながらさけぶ。体も大きいから声も大きい。刑事はしきりにぼやきながら、自分のふところから金を出したのかどうかは知らないが、そこらの店から食パンを買って来た。

 露人たちはそれを受取り、今度は合唱するように、二人してわめき出した。

「スープヲクレエ。スープヲクレエ」

 パンをあてがった以上、スープか何か与えないわけには行かないだろう。だから又もや刑事はぼやきながら飛び出して行って、野菜のたぐいを少々買い集めて来た。控えのところの火鉢に鍋をかけ、それで野菜スープをこしらえるつもりらしい。一時間余りもかけてゴトゴト煮て、どうにかそれらしきものをつくり上げたようだ。もっとも武骨な男手だから、どんな味のものが出来上ったことやら。

 それを丼に入れて持って行ったところが、露人たちはそれを一目見て、ちょっと匂いをかいだだけで、また大声でわめき出した。すっかり腹を減らしたと見えて、わめき声も険を帯びてきた。

「コレ、スープデナイ。ホントノスープヲ、ハヤククレエ!」

 鉄格子に摑(つか)まって地団太を踏んでいる。極端な片言の日本語だから、よく意味がくみとれないが、こんなインチキスープでなく、本物のスープを町で安く売っている、それを買って来てくれ、とわめいているようだった。身振りも手振りもそこに入る[やぶちゃん注:「そこにいる」で「どう見ても、そういうことを意味しているようにしか見受けられない様子である」の意であろう。]。それを眺めていた房内の一人が、やっとそれを了解したらしく、鉄格子の中から刑事に進言した。

「旦那、この連中はワンタンかラーメンを食べたいらしいですぜ」

 そこで刑事の一人がすぐに電話をかけ、やがてワンタン二つが店から届けられて来た。それを見て二人の露人は手を打ち合わせて大よろこびした。

「オオ、スープ。ホントノスープ」

 僕らは遠くからワンタンの湯気を眺め、かすかなコショウの香をかぎ、彼等二人の露人を祝福すると共に、ちょっとうらやましい気にもなった。そしてワンタンやラーメンがほんとのスープであり、いわゆる病人に与えるような野菜ソップはインチキスープであると、非常に役に立つ学問をした。[やぶちゃん注:「野菜ソップ」「ソップ」はオランダ語「sop」。スープの古い呼称。個人ブログ「ラメールアリス 神秘の扉」の『江戸の「野菜ソップ」を再現』に『江戸の町に出回っていたという「野菜ソップ」なるもの』を再現してみたとする記事があり、それは『主に根菜類を入れたスープ』で、牛蒡は『乱切り』にし、ジャガイモ・ニンジンは大きさによって四つか八つに切る』。『それに』蓮根と糸蒟蒻、『大根の葉も入れて』『コトコトと煮る』。『食すときに』、『塩で』、『ちょっと』、『味をつける』。『江戸の町では、地震や火事の後の炊き出し、川に落ちた人や歩き疲れた人などに、講単位で大鍋で作ってふるまったものだそうで、滋養汁とされていた』。『町角でも、「風邪ひきや」と称して売られていたものだとか。風邪をひいたときも、熱々の野菜スープを飲んで』二『日もぐっすり眠れば、たいてい治ってしまったというサプリメントのようなスープ』であったとある。]

 そういう具合にこの露人たちも、留置場の習俗をほとんど受付けなかった。受付けるにも言葉が通じないので、受付けようがないのだ。そのせいかこの露人たちは割に陽気だった。北方民族の強さか、こんな最低の生活も、そう苦にしている気配はなかった。もっとも彼等はある目の昼頃入房してきて、一晩泊り、そして翌朝出房という、ごく短い滞在だったけれども。

 定刻の便所通いは、第一房から順々に出される。最後が女人房の番ということになる。女人房は通路の一番奥にあった。女人房の広さは僕らのと同じらしいのだが、留められているのは、僕がいた間では三人か四人平均で、ゆったりとしていた。僕らの房は多い時は十三、四人も詰められて、夜マグロのように並んで寝ると、もう寝返りも打てなかった。その点女人房はめぐまれていた。

 で、僕らが全部用便が済んで、今度は女人の番となる。女人たちは便所へ行くのに、どうしても男の房の前を通らねばならない。その姿を眺めるのは、僕はそうでもなかったが、他の男たちにとっては愉しみのようなものであったらしい。目を皿のようにして眺めたり、ひそひそとささやき交したり、わざと大きなセキバライをしたりする。彼女らも帯紐のたぐいは没収されているので、着物はだらしなく着くずれていて、それで歩こうとするのだから、ある種の艶(なま)めかしさがあると言えば言えた。

 一人だけ若くて割に美しいのがいた。その女はここでは相当に古株らしく、人気も一番あるようだった。房の前を通る時、彼女は僕らにその横顔だけしか見せないが、それは陶器のようにつめたい感じのする横顔だった。仁木がそっと僕に教えてくれた。

「あれだよ。愛人を毒殺しようとして、失敗した女さ。そら、新聞に出てただろ」

 不幸にして僕はその新聞記事を読んだ記憶はなかった。彼女が通ると、男の房内のざわめきだのささやきだのセキバライなどが、わざとらしく高まってくる。その気配に乗じて先刻の露人の一人が、頓狂な声を立てたので、係りの刑事がすっかり怒ってしまって、控え所から飛び出して来た。

「誰だ。今、へんな声を出した奴は!」

「へえ。こいつです」

 第七房の名主が露人を指差して答えた。露人はキョトンとした顔で刑事を見ている。刑事はいまいましげに舌打ちをした。

「スープじゃわめくし、女を見りゃわめくし、実際やり切れない毛唐(けとう)だな。お前らが何かそそのかしたんだろう」

「へえ御冗談を。そそのかそうたって、言葉が通じませんや」

 刑事がプリプリしていることだけは判るらしく、露人はすこし恐縮の表情だった。刑事はふたたび舌打ちをして、全房の男たちに命令をした。

「みんな格子に背を向けて、壁の方を向け!」

 僕らはその通りにした。これで皆通路は見えなくなる。次の用便の時間のときも、僕らは壁に向わされた。うっかり頭をめぐらせたのを発見された者は、通路に出されてひっぱたかれた。刑事としては、それでシメシをつけたかったのだろうし、それに在房の連中が女に関心を持つことが腹立たしかったのだろう。なんと言っても刑事たちは、在房の僕らを人間以下、自分以下に見たがっていること明瞭だった。下級の刑事というものは、上からの圧力には弱い。ぺこぺこしている。その弱さが僕らに対する時には、逆に強さとして出て来る。必要以上に僕らを蔑視する傾きがある。僕は後年軍隊にひっぱられ、下士官という階級に接した時、やはりその刑事根性と同じようなものを感知した。これはある種の地位に置かれた日本人がおち入る特有の傾向らしい。

 そういう刑事たちの傾向は、男たちに対してだけではなく、女たちにも向けられていたようだ。新しい女が送られてくる。その女から帯紐を取上げたり、身体検査をするのは、控え所の刑事の役目だった。そんな場合にやはり行き過ぎのようなことがしばしば起きる。

「おい。お前らは皆壁を向いてろ!」

 そして僕らの眼を封じておいて、何かをこそこそとやるらしい。年若いきれいな女給が一人入って来た時もそうだった。女給になり立ての、まだ初心(うぶ)らしい女だったが、それに刑事は何かぼそぼそと命令している。会話の内容はよく聞えない。そんなぼそぼその会話が断続して、その揚句、

「まあこれも脱ぐの?」

 思い余ったような、怒ったような女の声がした。僕らは面壁のままだから、彼女が何を脱がされているかは見えないが、もちろん想像はつく。

「勝手なマネをしてやがるな!」

 僕の傍でラジオがそう呟いた。僕も同感だった。そんなことがしばしばあった。それに対して僕は公然と反感を表明することは出来ない。監督者としての刑事の地位は、やはり絶大であったからだ。

 

 我が房の名主仁木某は、その点なかなか要領が良かった。

 仁木は心の中では刑事というやつを、徹底的に軽蔑していた。しばしば僕に語ったように、彼は刑事というものは泥棒以下の存在だと信じていた。

 その癖仁木は、面と向っては実にうまく刑事に取入っていて、いつも可愛がられたり便宜をはかって貰ったりしていた。刑事の気持や感情をよく知っていて、そこでうまくおだてたりするので、刑事たちも暇をもて余すと、第六房の前にやって来る。そして世間話をしかけたり、からかいかけたりする。仁木はこのからかわれ方の実にうまい男だった。からかいに応じて、適当にしょげてみたりすねてみたり、壺にはまった応対をして、刑事の自尊心を満足させてやる。それで刑事もよろこんで、仁木の求めに応じて、タバコを喫ませてくれたりする。そのやり方はタバコに火をつけて、吸い口の方を鉄格子の間から差人れる。タバコ一本をすっかり房内に渡してくれるのではない。刑事の指がタバコの胴中をちゃんとつまんでいて、僕らの方から顔をそこに持って行き、幼児が母親の乳房に対するように吸いつくのだ。

 その配当にあずかるのは、仁木以下三番目か四香目の古手までで、あとはあぶれてしまう。刑事の方で手をひっこめるからだ。

 そして刑事が控え所へ戻って行くと、仁木は何とも憎たらしい顔をして、舌をべろりと出してみたりするのだ。それは刑事に対する嘲りでもあるが、同時にそういうオベンチャラを使った自分への自嘲かも知れなかった。

 仁木は詐欺容疑だった。詐欺の内容がどんなものか、くわしくは僕は知らないけれども、仁木が留置場に入るのはやはり始めてではないらしかった。そして仁木は詐欺行為を他の泥棒や傷害などより、はるかに高級なものだと自任している傾きがあった。まあ詐欺は知能犯に入るから、その自任もある意味では当然と言えるかも知れない。僕が見るところでは、大体累犯(るいはん)者は自分の仕事に自信を持っている気配がある。あのラジオが無銭飲食をスポーッ的に考えているのもその一例だ。やはり僕らの房に強姦未遂者が入って来たが、その男も自分の所業に優越を感じている節が見えた。その男の言を綜合すると、強姦というのは何も物質的な利益はない。それだけに純粋無雑の犯罪だと言う説なのだが、そういう理窟が成り立つかどうか。その間に伍(ご)して僕は僕の犯罪に全然自信がなかった。もっとも婆さん相手の傷害罪など、あまり威張れたものではない。

 今書いたように仁木は、軽蔑すべき刑事に対してもうまくふるまっていたが、同房者に対する態度もなかなか抜け目がなかった。彼は身辺にある種の妖気のようなものを持っていて、それで同房者を威圧するようなところがあった。新しい入房者があるとする、彼は房名主の位置から、じっと新入りを観察している。そしてたちまちその新入りの性格や傾向を見抜いてしまう風だった。仁木の言葉によれば、こんなところに入って来るような奴は、大ざっぱに二つに分類出来るということだった。

「一つは骨のある奴だな、勢い余って悪いことをするやつだ」

 すなわち叛骨(はんこつ)を持った奴、意識的に罪を犯す奴、そんなのが第一の分類に入る。第二の分類はその反対の者。無気力な奴。世間から追いつめられて罪を犯す奴。自主性のない犯罪者。仁木の分類によると、そういうことになるようだった。そして仁木は前者は認めるが、後者は全然認めなかった。鼻もひっかけないという態度をとった。だから房内における地位も、前者はどんどん昇進し、後者はいつまでもウダツが上らないということになる。その点仁木ははっきりしていた。

 この僕も昇進が非常に早かったところを見ると、筋金入りの犯罪者と仁木から認められたのかも知れない。有難いような情ないような気持だった。

 さて、僕が副名主になった頃から、仁木はしきりに僕の釈放を待ちのぞみ始めた。他人の出房を待望するなんて、へんな話だと言えるが、そのからくりは簡単だ。前にも書いたように、仁木は僕の出房に託して、房外との連絡をとりたかったのだ。

「いいかい。小田急線の経堂だよ。豪徳寺という駅の次の駅だ」

 僕はその頃東京に出て一年足らず、足を伸ばしたのもせいぜい新宿どまりで、小田急なんて電車に乗ったこともない。そこで仁木の説明もなかなか骨が折れる風だった。

「経堂という駅で降りる。出口はひとつしかない。そこを出て、今来た方向と逆の方向に道を戻る」

 なにしろ刑事の眼をぬすんでの会話だし、紙もなければ鉛筆もないし、説明に時間がかかる。つまり彼の依頼か命令かを綜合すると、先ず僕は釈放され、その足ですぐ小田急経堂へ行く。そしてその付近の田辺というソバ屋を訪ね、その田辺ソバ屋に働いている富岡という男に会う。それが僕の役割の第一段階らしい。

「その富岡てえのは、俺の仲間だ。年頃も大体俺と同じ位だが、俺より瘦せてて、目がギョロギョロしている。エノケンみたいな顔だと思えばいい。え。そいつは主にソバやウドンの配達をしているんだ」

 そこで僕は客をよそおって、その店に入る。もし富岡がいなければ、ソバでも食べながら待っている。とにかく富岡をつかまえて会う。その会い方も、あまり秘密めかしてこそこそしない方がいい。と言うのは、富岡はその店では不良ではなく、カタギとして雇われているからだ。こんな具合に仁木の注意や指図は、なかなかこまかかった。

「で、富公にだな、俺がここに入っていること、ブタ箱の中で俺に知り合ったということを言う。大体富岡はそのことを知っている筈(はず)だ。そしてだな、俺から富公への頼みとして、すぐに牛込の辰長というところに行って貰う。辰長と言えばすぐにあいつは判るよ。至急に話をつけて呉れって、それだけ言って呉れればいい」

「牛込の辰長に直ちに話をつけろ、それだけ言えばいいんですね」

 僕も声をひそめで、さも熱心そうにそう反問した。実を言うとこの僕が、釈放後直ちに経堂におもむき、ウドン屋[やぶちゃん注:ママ。]の富公に会い、そんな伝達をする、考えてみても全然現実感がなかった。出房すれば、他人ごとどころか、自分の問題が山積しているに違いないのに、何がウドン屋の富公か。しかしここでうわの空の応対をしていては、仁木の怒りを買うおそれがあるのだ。

「そうだ。それだけでいいんだ」

 仁木はそれ以上の内容を僕に打明けなかった。ただそれだけのことを、暇さえあれば僕に復命させ、僕の頭に叩きこむ方法をとった。今思えば、それはずいぶん僕を踏みつけにした話だ。すなわち僕にこの内容をほとんど知らせず、口先だけの使い走りをやらせようとしたわけだ。『ダイガク』の権威もてんで認められなかった勘定となる。

 それから仁木は、僕に何もお礼が出来ないからと言うわけで、手製の小さなワラジを三箇僕に呉れた。これはコヨリでつくった長さ三センチばかりのもので、留置場生活は退屈なものだから、こんなものでもつくって暇をつぶすのだ。もっともこんなワラジをつくるのは、留置場慣れのした奴に限っている。彼等は総じて、僕みたいに暇を持て余してイライラすることなく、どうにかやりくりして充実した一日を送っているようだった。ワラジつくりもその一方法なのだ。

 そんな貴重なワラジであるから、僕もていねいにお礼を述べ、内ポケットのなかに大切にしまい込んだ。しかしこんなものを呉れたから、経堂まで出かける気になったかと言うとそれはまた別問題だ。

 仁木が僕に使い走りをさせる。そのやり方にヒントを得て、実は僕もある出房者に中野の霜多への連絡を頼んだことがある。その男は月給取らしい風態で、泥酔して僕らの房に一晩留置されたのだ。僕はその下心があったので、入房の晩もちゃんと介抱してやったし、翌朝飯も食わずにションボリしているのを、近づいてなぐさめてやったりした。話を聞いてみると、市役所勤務の若い雇員で、係長宅に招かれて酒を飲み、帰りにまた泡盛(あわもり)屋に寄って飲み、それっきりあとは判らないのだと言う。おそらく道端ででもひっくり返っていて、保護のためにここに連れられて来たに違いないのだ。それならば朝の十時までに出房出来るだろうというのが、僕のねらいだった。[やぶちゃん注:「雇員」「こいん」。官庁などで正式の職員としてではなく、雇われて事務などを手伝う者。]

「大丈夫だよ。直ぐ出られますよ」

 雇員があんまりクヨクヨしているので、僕は肩をたたいてなぐさめた。しかし雇員は元気を取戻さなかった。

「ええ。でも、出られても、今日は遅刻になってしまう」

 こんなところに入れられたことより、入れられたことによって役所を遅刻する、そのことの方をクヨクヨしていたのだ。僕は学生だったから、勤め人のそんな神経はとても理解出来なかった。

「ねえ、それで一つ頼みがあるんだけど」

 と刑事の眼をぬすんで、僕は忙しくささやいた。

「中野の霜多という僕の友人のところに行って呉れませんか」

「ハア」

 と雇員はきょとんとした眼で僕を見た。

 僕はそこで、僕の事件を至急解決して欲しいと霜多に伝えて欲しいこと、そして霜多の住所の地図をいそがしく説明した。厘員はかしこまったような表情で、いちいちうなずいていた。それまでの僕の親切に対する感謝や同情の念が雇員のその態度に出ているように思えて、僕の言葉にも自然と力が入った。

「判りましたね。必ず行って呉れますね」

「ハア」と雇員はちらと僕を見てうなずいた。「もし出られたら、今晩にでも行って見ましょう。中野の霜多さんでしたね」

「そうです。是非お願いします。いずれ、お礼は、僕が出てからでも――」

 それから二十分も経たないうちに、雇員は呼び出されて出て行った。出て行く時、僕にむかって目くばせのようなものをした。

 目くばせもしたし、身分が役人だから約束を守るだろうと僕は安心していたが、後で判ったことだが結局この役人は僕との約束をすっぽかしたのだ。判った時は僕ももう出房していたのだから、そう腹も立たなかった。どうも留置場の内での約束なんて、あまりあてにはならないものだ。

 後年僕は軍隊に引っぱられ、苦労の日々の中で、僚友といろんな約束したり申し合わせしたりしたが、復員と同時にそんなことはケロリと忘れてしまった。状況としては同じようなものだろう。極限された状況の中での約束だの誓いだの言うものは、解放されたとたんに効力を失ってしまうものらしい。

 イライラした気持の日がそれから二日つづき、そして三日目の朝、朝食後、刑事が突然房外から僕の名を呼んだ。僕は坐った姿勢からたちまちはね起きた。

「頼んだぞ!」

 仁木の低いささやきを耳にして、僕は背をかがめて扉を出た。いろいろお世話になりました、と言うつもりだったが、外に出ると少し浮足立って、ついに失念してしまった。

 刑事は僕を控え所まで連れて来ると、そこに僕を待たせ、やがて僕の所持品をまとめたものを手にして戻ってきた。これで出房がハッキリした、と僕の胸はおどった。

「いいか。もうこんなところにやって来るんじゃないぞ。判ったな」

「はい、判りました」

 出られるとすれば何でも言うことを聞いてやる。そんな気持で僕は返事をした。所持品をすっかり身につけると、僕は房の方をふり返った。第六房の方は薄暗く、仁木の姿もほとんど認め難かった。

「こっちに来るんだ」

 と刑事が僕の腕を引っぱった。

 刑事に引っぱられて、僕は廊下に出た。廊下を少し歩いて、刑事はそこらの小部屋の扉を押した。その部屋の中に腰かけている霜多の姿が、ちらと目に入ったとたん、どうも僕の頰の筋肉は自ずからぐにゃぐにゃとゆるんだらしい。刑事が僕の肩をぐんとこづいた。

「ニヤニヤするんじゃない。この野郎。出られるかと思って――」

 僕は頰を引きしめようとしたが、やはりうまく行かなかった。刑事は部屋に入ると、霜多にていねいな口をきいた。

「どうも御足労かけましたなあ」

 そして僕の方を見て怒鳴るように言った。

「さっさと入って来るんだ!」

 僕と霜多とは同じ学生なのに、待遇がてんで違う。でもそれもそう気にしないことにした。あと何分かでここから解放される。解放されてしまえば、もうこっちのものだ。

 霜多を前にして、刑事は僕に対して最後の短い訓戒を与えた。短かったけれども、文句があまり月並だったので、僕はすこし退屈をした。すると刑事がまた僕を叱った。

「上の空で聞くな。この野郎!」

 それから刑事は霜多に向って、この僕を引渡すけれども、以後こんな事件を起さないように呉々(くれぐれ)も監視して欲しい、という意味のことを言った。どうも僕がここを出るについて身許保証人が必要で、その役目を霜多が引受けているらしい。僕はいささかシュンとなった。霜多はまったく落着きはらって、微笑さえうかべて刑事と応対している。

 それから十分後、僕らは署の玄関を背にして、大階段をゆるゆると降りていた。

「今日は割にあたたかいようだな」

 と、感慨をこめて僕は言った。空からは日の光がおちていた。冬の陽だったけれども、それは僕に大へん豊富な感じがした。風はなかった。

「さて」階段をすっかり降りて僕は霜多に話しかけた。「とにかく煙草一本呉れ。それからテンプラか何か、油っこいものが食べたいな。あそこの食事はなにしろひどいもんだよ」

 一本の煙草は、三分の一も吸わないのに、目がくらくらした。僕はそれを溝へ投げ捨て、それから何となく肴町の方に向って歩きながら、一週間も僕を放置したことについて、霜多にうらみ言を言った。すると霜多は、心外だという表情で僕を見た。

「そんな呑気な話じゃなかったんだぜ」

 と霜多は僕をきめつけた。

「あとでゆっくり話すけれども、あの婆さんはね、どうしても君を告訴すると頑張ってね、あぶなく君は告訴されかかったんだよ」

「へえ」

「示談にして貰うのに、僕は一週間かけ廻った。やっと五拾円という金をつくって、婆さんに渡したんだ。これで勘弁してやって呉れってね」

「五拾円?」

 と僕は目を剝(む)いた。そして次の瞬間、全身から力が抜け切ったような虚脱感が来た。娑婆に出たのは嬉しかったが、出たとたんに物すごく荒い風が吹きつけて来る。あとは黙って歩いた。

 そして僕らが入ったのは、肴町のテンプラ屋だった。あのラジオが無銭飲食をしたという店だ。天丼を二つ注文して、それが運ばれるのを待つ間に、戸外がにわかに暗くなって、サアッと通り雨が路上を走った。切実な話題を避けるために、僕は霜多にラジオという男の話をした。もちろん店の人に聞えないように。低い含み声でだ。霜多はあまり興味なさそうにそれを聞いていた。そして僕が話しながら、しきりに肩を動かしたり腕を動かしたりするものだから、ついに彼は口を開いた。

「しきりに動くようだが、シラミでもいるんじゃないかね?」

 天丼は旨かった。この世にこんな旨いものがあるかと思われるほど旨かった。僕は最後の一粒もあまさず、むさぼり食べた。

 二人前六十銭を支払って、のれんをくぐって表に出た時、霜多が小さな声で叫んだ。

「虹が!」

 僕も空を見た。西の方の空に、冬にはめずらしい大きな虹がいっぱいに出ていた。それは見たこともないような大きな虹だった。大きなアーチをつくって、その裾の方は七彩のまま頽れかかっていた。僕はのれんを摑んだまま、しばらくその色に目を凝らしていた。そして意識的に感傷におもむこうとしていたようだった。

 

[やぶちゃん注:さても最後に種明かしをする。底本全集の別巻の年譜によれば、昭和十一年の条の末尾に、梅崎春生は昭和十二(一九三七)年(時期不明)に、『幻聴による被害妄想から下宿の老婆をなぐり』、『一週間留置された』とある。より詳しい年譜が載る、所持する中井正義(まさよし)著「梅崎春生――「桜島」から「幻化」への道程」(昭和六一(一九八六)年沖積舎刊)の年譜でも、同じく昭和十一年の条の末尾に『自分で勝手に留年延長した一年を含めて大学での四年間は、何となく教室に出そびれて、試験日のほかは講義に一日も出席しなかった。例の怠け癖のせいであるが多少鬱病気味でもあったらしい。十二年になると、幻聴による被害妄想から、下宿の雇い婆さんを椅子でなぐりつけて負傷させ、留置場に一週間ほどぶちこまれたりもしている』とあって、時期は特定出来ない。先の全集別巻に所収されている親友松本文雄(熊本第五高等学校の同期生らしい。個人ブログ「五高の歴史・落穂拾い」の「かざしの園」という記事に「続龍南雑誌小史」(昭和九(一九三四)年度二百二十七号より二百二十九号)という本が示されており、その編集委員に『松本文雄、北野裕一郎、梅崎春生、柴田四郎、島田家弘』とある。春生は五高には昭和七年四月入学である。「昭和二〇(一九四五)年 梅崎春生日記」にも氏名が出る)の「旧友梅崎春生」(初出は昭和四一(一九六六)年十二月新潮社刊「梅崎春生全集②」月報)の一節に、

   《引用開始》

 昭和十一年か十二年、つまり、彼の大学一年か二年の九月、夏休みあけで上京した私は、梅崎拘留事件なるものを知った。どこかで酔っぱらって、夜おそく下宿に帰った彼は、ささいなことから、下宿の婆やと口論めいたことをはじめた。そして、その婆やが、何かのはずみで敷居に転び、かるい怪我をしたそうである。興奮した婆やは、医師の診断書をとり、それを証拠に、梅崎君を訴えたので、彼は、本富士警察署[やぶちゃん注:ママ。]の留置場に入ることになった。友人の一人が、勇をふるって貰い下げに行くと、全治五日間の診断書の処置に困っていた警察は、待っていましたとばかりに即時釈放。こんなことがあって、下宿も気まずくなり直ぐに引っこすものと思っていたら、一向にその気配がなく、はたの者がやきもきしていると、彼は、「俗人には判らぬ深謀遠慮でね」とにやにや笑う。もう一度、婆さんと喧嘩して、心頭に発するまで怒らせ、今度は、梅崎君の方で傷をうけ、そのあとは、診断書、婆さんの留置所入りというコースで復讐するのだそうだ。計画どおり旨く問屋がおろすかなと、半信半疑だったが、案の定、なかなか機会がなく、ついにくたびれて転居したけれど、この拘留生活には弱ったらしい。とは言え、お互に本名を呼ぶもののないこの社会では、この作家の卵も例外でなく、牢名主みたいな男から、テイダイ(帝大)という尊称を賜り、またとない見聞をした訳である。「寄港地」の時代のことであった。

   《引用終了》

というのが、私の縦覧したものでは、情報が多く書かれている一つかと思われる(最後の部分は多分に本篇に基づく記載であると思われる)。また、動別巻には、やはり五高時代の同級生で親友の、本篇の登場人物である「僕」の友人「霜多」のモデルである小説家霜多正次(しもたせいじ 大正二(一九一三)年~二〇〇三年:沖縄県国頭郡今帰仁村生まれ)が書いた「学生時代の梅崎春生」(初出は松本文雄のそれと同じ)が載るが、その一節に(最初に言っておくが、この事件には触れていない)、

   《引用開始》

 梅崎は京大の経済学部にいくつもりだといっていたが、私は、東京にこないかと彼にたびたびすすめた。東京で雑誌を出す計画がすすんでいて、ぜひ梅崎にも加わってもらいたかったからである。

 梅崎は東京にくることになり、どの科がいちばんラクかといってきたので、私は国文科がいいだろうといい、彼は昭和十一年に東大の国文科に入った。そしてさっそく「寄港地」という同人雑誌をはじめ、彼はそれに「地図」[やぶちゃん注:私は既にPDF縦書版を公開している。]を書いた。それは、それまで詩ばかり書いていた彼のさいしょの小説だった。

 大学でも、彼は教室にはぜんぜん顔を出さなかった。昭和十五年に卒業するまでの四年間、ただの一回も講義には出なかった。

 昭和十四年に書いた「風宴」[やぶちゃん注:「青空文庫」のこちらで読める。]という小説に、そのころの彼の生活がかなりくわしく描かれている。「どのみち退屈を食ってしか生きられぬ男」の頽廃の根をさぐろうとした作品であった。

 そのころ、梅崎は毎日のように私の下宿にやってきて、私をどこかへ誘い出した。それはたいてい映画か、喫茶店か、浅草のオベラ館か、あるいは不忍ノ池の附近をぶらついて暇をつぶし、やがて酒になる、という生活だった。朝の十一時ごろ起きて下宿屋の朝食?を食っていると、いつも決ったように梅崎がひょろひょろと蒼白い顔して私の部屋に入ってきた。そしてきょうはどうして一日をすごそうかという顔で、黙って坐るのだった。私はうるさいと思うこともあったが、けっきょく彼といっしょに、そのときの懐具合に応じて、どこかへ出かけた。

 彼がやってこないときは、私が彼の下宿に出かけていったが、そういうとき、彼はいつもフトンにもぐったまま額にタオルをのせて本を読んでいた。彼は寝るとき必ず病人のように額にタオル(ぬれたのでなく、乾いたの)をのせる習癖があった。そうしないと感覚が不安定になるのだといっていた。

 そういうふしだらな学生生活を私たちが送っていたのには、もちろん梅崎と私とでは、それぞれ個人的にも理由がちがっていたと思う。しかし共通して、当時私たちにそのような生活を強いる客観的な時代の雰囲気というものもあったと思う。

 たとえば、梅崎は「風宴」で、「本郷通りの並木の蔭に街燈が灯った。相変らず白痴のような表情した帝大の学生や、小癪な面構えをした洋装の小娘が、私に逆うようにして通り過ぎる。」と書いているが、当時私たちにとって、自分たちの同僚であるはずの「帝大生」は、やがて権力の座につくことを自負している「白痴のような」俗物にすぎなかった。

 こういう感覚は、たとえば芥川や久米、菊池などの時代まではなかったものだといっていいだろう。昭和のはじめプロレタリア文学運動がおこったころから、たとえば梶井基次郎などにそれがあらわれ、そして私たちの学生時代には、太宰治や高見順などによって、それは文学青年のあいだにほぼ支配的な感覚となっていた。

 そのうえ、二・二六事件から「支那事変」へと、時代はますます暗くなるばかりであった。そういういわば「暗い谷間」でのどこにも情熱のはけ口のない鬱屈した青春を、梅崎は「風宴」で定着したのである。

   《引用終了》

とあるのは非常に参考になろう。

 なお、この公開後、直ちに、前篇に当たる「その夜のこと」と本篇を合わせた縦書PDF版を作成して公開する予定である。]

2021/02/22

ブログ・アクセス1,500,000アクセス突破記念 梅崎春生 その夜のこと

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二九(一九五四)年一月発行の『別冊小説新潮』初出で、後の昭和三四(一九五九)年に刊行した作品集「拐帯者」(光書房)に収録された。

 底本は昭和五九(一九八四)年沖積舎刊「梅崎春生全集第五巻」を用いた。

 今回は思うところあって敢えて或る核心に踏み込んだ注は附さないことにした。その〈意味〉は恐らく、凡そ、また一ヶ月後ぐらいには判るであろう。お待ちあれかし。文中に軽く割注を入れた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが今日の午前中に1,500,000アクセスを突破した記念として公開する。【2021222日 藪野直史】]

 

   その夜のこと 

 

 僕はその時、玄関の土間につっ立っていた。僕は怒りに燃えていた。婆さんは帳場の火鉢のそばに中腰になっていた。右手は火箸の頭をにぎりしめていた。そして婆さんは早口でなにかを言い返した。言い返したというより、それはもう口汚い罵声に近かった。

 次の三十秒ほどの間、僕の記億はぶっつりとぎれる。憤怒(ふんぬ)が頂点に達し、ついくらくらと分別を失ったのだろう。

 婆さんの顔が急に変って見えた。右の眼の上の部分が、見る見る青黒くせり出してきたのだ。

 婆さんは畳に尻餅をついた姿勢になっていた。顔はゆがんで、まっさおだった。灰から引抜いた火箸で僕を指しながら、乱れた声でわめきたてた。

「こいつが。この極道者。ゴクツブシが!」

 帳場の台の上にあった糊(のり)の壺を、僕の手が無意識につかんで、婆さんの顔にたたきつけたらしいのだ。それが右眼の上に命中して、その部分はごく短い時間に、急速に団子状にふくれ上ってきた。それを見て僕はますます兇暴な気持にかき立てられた。婆さんはさらに声を高めてわめいた。

「ああ、誰か来て。この極道者があたしを殺す!」

「黙れ、クソ婆あ」

 と僕も怒鳴りかえした。

「わめくなら、もっとあばれてやるぞ!」

 僕は土間を見廻した。土間のすみに小さな椅子があった。僕は急いでそこに行き、その背を摑(つか)んだ。両手でふり上げた。破滅するなら破滅しろ。僕はもう気ちがいじみたかけ声と共に、その椅子を力いっぱい帳場のガラスに叩きつけた。痛快な破裂音と共に、三尺四方もある大ガラスは無数の三角形に砕け散って、畳や台の上に散乱した。框(かまち)に残った部分は、するどい牙状になって、深夜の電燈の光にギラギラと光った。

 大きな叫び声といっしょに、廊下をどたどたと走ってくる音がした。

「クソ!」

 僕はも一度椅子の背を握りしめた。勢いよく別のガラスめがけて投げつけた。

 乱れた人声や跫音(あしおと)が、またたく間に玄関に集ってきて、そこら中が人だらけになった感じだった。皆寝巻姿だ。酒の酔いと極度の亢奮(こうふん)のために、眼がちらちらとして定まらない。茫然と土間につっ立っている、と他人眼(はため)には見えたかも知れない。玄関にうろうろと出てきたその中の一人が、足袋はだしのままそっと土間へ下りてきて、へんにやさしい猫撫で声で僕にささやきかけてきた。僕と同じ年頃のこの下宿の止宿人らしい、眼鏡をかけた男だった。

「ねえ、もうこれで、気がすんだでしょう。だからね、もう乱暴はよしなさいね」

「うん」

 と僕は割合素直にうなずいた。こう沢山集ってきては、もうあばれてもムダだし、それに婆さんがお岩みたいな顔になったので、すこしは気の毒にもなってきたからだ。

しかしまだ僕の身体は、余憤のためにぶるぶるふるえていた。男は僕の肩にそっと手をかけた。

「ね、お互いに最高学府の学生なんだから。暴力なんかふるうのは――」

 そこまで言いかけた時、帳場の中から婆さんがふたたびいきり立った。火箸をにぎりしめて、立ち上ろうとしている。その婆さんをこの下宿の女将が必死にはがいじめにして、しきりになだめているらしい。婆さんの顔はすっかり形相(ぎょうそう)が変り、双の眼はぎらぎらと憎悪に燃え立っていた。それはもう人間の顔ではなかった。

「あ、あの悪党を、つかまえて。ぶ、ぶっ殺してやる」

 向うが逆上したので、かえって僕は平静になって来た。平静になってくると、急に寒さが身に沁みてきた。僕は肩をすくめて、しょんぼりした形になった。婆さんはなおもはげしく怒号している。

 そこへ道路の方から、霜多が玄関に顔をのぞかせ、僕を見て低いあわてた声で言った。

「巡査が来たようだよ。静かにしてた方がいいよ」

 僕はうなずいて見せた。しかし静かにしていたって、もう遅い。僕が静かにしても、婆さんがさかんに騒ぎ立てているではないか。僕は観念した。

 やがて巡査が二人、のっそりと玄関に入って来た。深夜のパトロールをしていたのらしい。その巡査の一人の眼がキラリと光って、射るように僕の顔を見た。コメカミがぎりぎり痛み出すのを感じながら、僕はそっぽ向いた。

 

 その夜、その夜というのは、今から十六年前、昭和十二年の一月八日のことなのだが、僕は霜多という友人といっしょに、浅草に遊びに行ったのだ。とにかくそれは寒い夜だった。

 浅草で常盤(ときわ)座の『笑いの王国』にワリビキから入り、それが終って二人は、バスで本郷に戻ってきた。その頃、僕も霜多も『東京帝国大学』という学校の文学部学生で、霜多は中野、僕は駒込千駄木町の『愛静館』という下宿に止宿していた。三十か四十ぐらい部屋がある、通りに面したかなり大きな二階建ての下宿屋だった。僕があばれたのは、その下宿の玄関先だが、そのことはまたあとで書く。[やぶちゃん注:「常盤(ときわ)座の『笑いの王国』」浅草公園六区初の劇場・映画館として明治一七(一八八四)年十月一日に開業したのが常盤座で、大正六(一九一七)年一月二十二日に「歌舞劇協会」のオペラ「女軍出征」を上演して大ヒットし、これが「浅草オペラ」の濫觴とされ(「浅草オペラ」自体は後に「金龍館」が主な舞台となった)、かのエノケン劇団もここの舞台に立っている。大正十二年九月一日の関東大震災で関東大震災で常盤座は大打撃を受けたものの、松竹傘下に入って興行は繋がれ、大正一三(一九二四)年三月以降、常盤座は帝国キネマ演芸の封切館となった。昭和八(一九三三)年四月一日には古川緑波(古川ロッパ)・徳川夢声らが常盤座で、軽演劇劇団「笑の王国」の旗揚げ公演を行ない(絶頂期のエノケン一座への対抗馬という意味合いが強かったらしい)、それ以来、戦時下の昭和一八(一九四三)年六月の同劇団解散まで、同劇団は常盤座を根城にしていた。参照したウィキの「常盤座」に、まさに作品内時制と完全に一致する昭和一二(一九三七)年一月の写真が載る(右手前が常盤座とあり、その上によく見ると「笑の王國」の幟(のぼり)もまさに見えるのだ)。序でにYouTube の「東京節」(作曲:添田啞蟬坊・唄:大工哲弘)を視聴されたい。その2:50のところの「浅草」とテロップの出る動画内(カラー・着色か)に「WARAINOOKOKU」の看板と、次いで切り替わった画像にも「笑いの王國 公演 常盤座」の幟が見える(その少し後にも同一場所を少し引いた画像が出る。これらの画像は太平洋戦争前のものと思われる。必見!)。「ワリビキ」というのは劇場や映画館などで早朝や深夜その他の客入りの少ない一定時間内に於いて通常の値段よりも安い料金で客を入れることを指す。「駒込千駄木町の『愛静館』という下宿」現在の東京都文京区千駄木に実在した駒込千駄木町はバス停として今も残る(グーグル・マップ・データ)。大正六(一九一七)年刊の萩原朔太郎の詩集「月に吠える」の挿絵(刊行は田中の死後)で知られる和歌山市出身の版画家田中恭吉(明治二五(一八九二)年~大正四(一九一五)年:やはり同詩集の挿絵を描いている恩地孝四郎と友人であった。惜しくも結核で夭折した私の『萩原朔太郎詩集「月に吠える」ヴァーチャル正規表現版始動 序(北原白秋・萩原朔太郎)目次その他 地面の底の病氣の顏)』他(ブログ・カテゴリ「萩原朔太郎」)を見られたい)が上京直後に下宿としている。]

 で、本郷に戻ってきても、二人はひどく寒かった。そこらあたりがしんかんとつめたく、いわゆる霜夜というやつだ。そこで屋台のオデン屋で、コップ酒をかたむけることにたちまち相談がまとまった。酒を飲むのは、しかし寒かったからだけではない。他にもう一つ理由があって、つまり初めからの予定でもあったわけだ。

 屋台に入り、酒がなみなみと注がれると、霜多はコップをちょいと持ち上げ、僕の顔を見て、

「おめでとう」

 と笑いながら言った。いたわるような、からかうような、そんな妙な調子だった。そしてつけ加えた。

「ほんとによかったな」

「うん」

 僕はコップに目をつけた。何箇月ぶりかのその酒は僕の食道をじりじりとやき、しずかに胃の方におちて行った。その味は、旨いとか不味いとかいうものでなく、言わばその彼方のものの味だった。しかし僕はすこしヤセ我慢のような気持で、

「うん。酒というものは、やっぱり旨いもんだな」

 などと答えたりした。久しぶりの酒に、そんな照れかくしを言わねばならないほどに、僕には複雑な感懐があったのだ。しかしまあ、あの頃だったから複雑なので、今だったら複雑でも何でもない、カンタンな話なのだが。

 その筋道をちょっと言いておく。

 その前年の七月の末、当時二十一歳の僕はある種の病気にかかったのだ。ある種の病気というのもへんだから、この病名を仮にXということにしておこう。このXは現今においては、注射の一、二本でカンタンに治癒するらしいけれども、当時は当時、医業医薬の未発達のため、なかなか難治の病気とされていた。その難治なるXに不運にも僕がとりつかれたというわけだ。僕は夏休みの帰郷をも取止めて、大急ぎで医者に飛んで行った。

 こうして僕の憂鬱な口々が始まった。

 Xという病気ははなはだ面白くない病気で、酒はいけない、刺戟物はいけない、あまり動き廻ることもよくない、とにかくあらゆる欲望をつつしまなければならない病気なので、そこで僕は毎日下宿にごろごろして、そして医者に通う。その医者は町医者で、僕が学生だからというので、特に治療費を月極め二十五円にして呉れた。当時にしてもこれは安い方だったと思う。医院は千駄木町にあった。僕が弓町の下宿を引払い、この愛静館に引移ってきたというのも、そんな事情からだった。毎日通うのに遠くでは都合が悪いのだ。

 ところが次にむつかしい問題があった。愛静館の下宿代が一月二十五円、医者代と合わせると、月に五十円となる。それなのに僕が仕送りを受けている学資が、月額五十円なので、下宿代と医療費にまるまる消えてしまうのだ。あとは何も出来ないというわけだが、僕だって人間だから、何もしないというわけには行かない。本も読みたければ、タバコもすいたい。そんなことをするにはどうしても金が要る。

 それではも少し余計に仕送りさせればいいじゃないか、と思う人もあるだろうが、そういう訳にも行かない。Xのことは故郷には秘密になっているし、夏休み不帰郷のことは学術研究ということにしてある。だからどうしてもその範囲でやらねばならなかったのだ。僕ははなはだしく憂鬱だった。

 ところがその憂鬱にまた輪をかけることが起きて出たのだ。病状は順調に回復におもむいていると思っていたのに、九月に入ったとたん、Xがある種のこじれ方をして、大いに痛みを発し、僕はどっと床についた。痛くて痛くて動けないのだ。退屈なものだから、バスに揺られて浅草にレビューなどを見に行ったのが、覿面(てきめん)にたたったらしい。

 それから下宿に寝たっきりの三週間、医者は毎日往診して来る。動けないのだから、付添いの女を派出婦会からやとう。どうにでもなれと思って、僕はヤケッパチな安静をつづけていた。将来のことを考えると、眼の先がまっくらになるような気がするので、一日中もうひたすら無念無想とつとめている。八方ふさがりだから、僕とてもそういう擬態をとらざるを得ないのだ。

 こういう僕に対して、下宿側はどう考えていたか。それを想像すると、僕は今でも舌打ちしたくなるような面白くない気分になる。

 

 Xのことはもちろん下宿側には秘密にしてあった。しかし事態がこうなれば、向うは感づくにきまっていた。そうそう僕もかくし立ては出来ない。

 無論感づかれたって一向かまわないのだけれども、事情が事情だから、いろんな支出の関係上、どうしても下宿料がとどこおってくる。下宿料のたまった止宿人ほど肩身のせまいものはない。経験のある人には判って貰えると思うが、そうなれば女中だって鬼みたいに見えてくるものだ。

 そんな絶対安静のある日、付添いの女が食事から部屋に戻ってきて、僕に言った。ひどく不快そうな表情だった。

「御飯どきにあたしをいじめるんですのよ」

 付添いは二十四、五の素直な女だった。もちろん食事代は僕持ちのわけだが、下宿ではその食膳を僕の部屋に持って来ず、初めから女中部屋で食事をするように命じたらしい。これは僕を踏みつけにしたやり方なのだが、宿料がとどこおっているのだから仕方がない。だから付添いは食事毎に女中部屋にかよっていたのだ。

 僕は訊(たず)ねた。

「誰がだい。オカミかね?」

「いえ、オカミさんじゃない。あの婆さんです。とてもひどいことを言うのよ」

「どんなこと言った?」

「あなたのことなど、学生のくせにXなんかにかかって、仕様のないダラク学生だって」

「ダラク学生?」

「あんなのを産んだ親御の顔が見たいなんて、わざと聞えよがしに話すのよ」

 僕は寝床にじっとあおむけに横たわり、大げさに言うと、歯をかみ鳴らして悲憤の涙を呑んだ。こんなにも日常は憂鬱なのに、八方ふさがりでどうしていいのか判らないのに、何も開係のないあのババアから、なんでこんなことまで言われねばならないのか。

 ここでこの婆さんのことを、ちょっと説明をして置く必要がある。この婆さんというのは、この下宿の経営者ではない。はっきり言えば一介の雇い婆に過ぎないのだ。つれあいの爺さんと一紺にこの下宿に住みつき、それも相当古くから居付いているらしく、相当の実権と発言権を持っている風(ふう)で、仕事と言えば炊事や掃除の指図など、ちょっと女中頭みたいな地位にあるようだった。年齢はその頃五十五、六ぐらいだったかしら。色の黒い、説がぎろぎろして、いかにも頑固一徹そうな風貌だった。これに反してつれあいの爺さんは全くの好々爺だったが、婆さんの尻にしかれて影のうすい存在だった。

 僕は初めからこの婆さんから好意を持たれていないらしかった。

 今思うと、この婆さんの止宿人に対する好悪あるいは価値判断は、しごくハッキリしていたと思う。学校に毎日真面目に出席し、そして下宿代もキチンキチンと払う、そういう止宿人に婆さんは好意を持ち、その反対のものに悪意を持ったというわけらしい。彼女は雇い婆だから、下宿代を溜めようが溜めまいが関係ない筈なのに、そこが価値判断のひとつの基準になっている。つまり彼女の好悪は、彼女独特の倫理観から出てきているようだった。

 この下宿に入った早々、僕はハガキを出しに、玄関にあった誰かの古下駄をつっかけて出かけ、そしてこの婆さんにがみがみ叱られたことがある。僕も反撥した。

「ちょっとそこまでだから、いいじゃないですか。穿いて減るものじゃなし」

「だってあんたさんは、自分の下駄を持ってなさるんじゃろ」

 と婆さんは僕をにらみつけた。僕としては、ついそこらのポストまで行くのに、わざわざ下駄箱から下駄を出すのは面倒くさい。だからちょっと無断使用したわけだ。それはもうすっかりすり減って、捨てても惜しくないようなよごれた古下駄だったのに。

「ケチケチするなよ、婆さん」

 僕は捨ぜりふを残して、一気に階段をかけ上った。僕の部屋は二階の一番外(はず)れの、北向きの日当りの悪い四畳半だった。愛静館の中でも最も悪い部屋のひとつだったと思そう。

 

 その四畳半の部屋で、面白くない明け暮れをむかえ、そして僕の病気がやっと治(なお)ったのは、翌年の正月に入ってからだった。七月の末からのことだから、五箇月を越える計算となる。一夜の歓の代償としては、若い僕にとって犠牲が少々大き過ぎた、と言えるだろう、現今なら何でもない話だから、僕は十五年ばかり早く生れ過ぎた。しかしこの五箇月の忍苦の生活の中で、僕は人の世のいろいろのことを学び、またさまざまな考えや態度を身につけた。すなわち少しは図太くなってきたとも言うわけだ。図太くなったとしても苦しく憂鬱な条件にはかわりなかったのだが。

 その僕に、霜多がいつかこんなことを言ったことがある。

「君の生活が僕には大変うらやましいな。だって、君は、酒は飲めないんだろ。コーヒーも飲めないだろ。女も抱けないだろ。そうなってしまえば、勉強がいくらでも出来るじゃないか。うらやましい身分だよ。それに君の生活の全目的は、Xの治癒ということにかかっているから、つまり生活の大義名分というものがハッキリしてるというわけだ。それだけでも大したもんだよ。今の青年たちを見なさい。皆生活の目的を失って、右往左往してるだけじゃないか。この僕だってそんなもんだよ。ほんとに君がうらやましい」

 しかしこれが霜多の本音であったかどうか。後年霜多が同じくこの病にとりつかれて憂鬱な顔をしていた時、僕はわざと今の言葉をそっくり彼に言ってやった。こんな言葉は、傍観者にとって本音であるとして、当事者にとっては全然的外れの、むしろじりじりと腹が立って来るような言葉なのだ。やはりこんなことは当事者同士じゃないと判らない。そこで僕は今でも、どんな種類の病人に対しても、しかつめらしい同情や激励の言葉は絶対に出さないことにしている。

 本郷のオデン屋で霜多がコップを上げて、おめでとうと祝福して呉れた時も、だから僕は必ずしも調子を合わせて嬉々とするわけにも行かなかったのだ。と言って全然嬉しくないということはない。嬉しいにはきまっている。医者から、もう酒でもコーヒーでもいくらでも飲んでもいい、と言われた時の嬉しさはちょっと形容を絶するようなものだった。ただそれが他人から祝福されるところからは、少しずれていたというだけの話だ。それに完全に癒(なお)ったとしても、まだ色々の問題が残っている。この五箇月間の気持のムリ、生活のムリ、ことに経済上のムリは、全部現在にシワヨセになって来て、それはもうどうしようもない程度に達していたのだ。医者の払いも半分近く残っているし、親類や知友たちにも不義理の借金、下宿代にいたっては三箇月分以上もとどこおっている。前年の大みそか、つまり十日ほど前のことだが、愛静館のオカミは僕の部屋にでんと坐りこみ、是非ともここで片をつけて呉れ、片をつけねば正月から食事も出さぬとの強(こわ)談判に、僕はひたすら哀願の一手で、年があけたら必ず金を調達してお払いする、と堅い約束までさせられている。ところが今日となっても、調達のメドすらついていないのだ。

 下宿の玄関を出入りする度に、オカミや婆さんや女中たちが、じろりと僕を険をふくんだ白い眼で見る。背中に汗が滲み出るような気特で、僕は寒空に飛び出す。飛び出したが最後、下宿がすべて寝しずまってしまうまでは、全然戻る気持になれないのだ。今にして思えば、どうも僕はいくらか神経衰弱的な、強迫症状みたいなものにおち入っていたのかもしれない。

 で、その屋台のオデン屋で適当に祝杯をあげ、有り金もすっかり使い果たし、そこで中野へ帰ろうとする霜多を懸命に引き止めたのは、僕の方だった。霜多の外套(がいとう)の袖を、僕はつかんで離さなかった。

「ねえ。も少し飲もうよ。まだ早いんだから」

「だって金がないんだろ」

「紫苑に行けば、ツケで飲めるよ。とにかく飲んでしまって、金は明日持って来ると言えばいい」

 紫苑というのは、愛静館の近くにある小さなうらぶれた喫茶店の名だ。病気中時間つぶしに僕はほとんど毎日そこに行き、紅茶をのんでレコードを聞いてばかりいたのだ。

 しかし霜多はなおも渋(しぶ)った。終電を逸(のが)すと困るというのだ。

「僕の下宿に泊ればいいじゃないか」

「一緒に寝るのは寒いからイヤだよ」

「心配するな。ちゃんと客蒲団を出させるよ」

「へえ、大丈夫かい」

 霜多はそう言ってニヤリと笑った。信用がおけないという表情でだ。僕と下宿との現在の状況をうすうす知っているものだから、そんな笑い方をしたのだろう。僕は強引に彼の外套の袖を引っぱった。霜多はしぶしぶ眼いて来た。

 実のところ僕も、こんな状況において、下宿に客蒲団を出させる事が出来るかどうか、はなはだ心もとなかった。心もとないと言うより、それは不可能だと言ってよかった。しかし一旦保証した以上、戦後的表現で言えば不可能を可能としないわけには行かないのだ。そのためにも、もっとアルコール分を入れて酔っぱらう必要があった。酔ってしまえばどんな厚顔な申し出だって出来る。それで失敗すればそれまでの話だ。――そしてその時の僕の胸に、いわば破滅的な予感とでも言ったものが、たしかにあったように思う。

 屋台を出て僕らは追分の方に歩いた。半年ぶりの飲酒だから、生酔いなのかしたたか酔っているのか、自分でもはっきりしない。身体の芯(しん)はグニャグニャしている感じだが、夜風は頰にひりひりとつめたい。それはへんに確かなつめたさだった。そして僕らは横町に折れ込んだ。紫苑はその静かな横町にぽつんとあるのだ。僕らはその扉を押した。マダムが僕を見て目顔であいさつした。部屋の中はストーブでむっとあたたかかった。僕らはすみの卓に腰をおろした。卓と言っても三つか四つしかないのだから、たかが知れている。

 そして僕らはビールを注文してどんどん飲み始めた。部屋中があったかいから、ビールはひとしお旨(うま)かった。つまみものは南京豆。つまみもの付きでビール一本が五十銭だ。思えば当時は物価が安かったものだ。僕らはここでビールをきっかり十本飲んだ。後日紫苑でこの夜の借金として五円支払った記億がある。一人当り五本だから、あの年齢にしては相当な酒量だと言えるだろう。もっとも僕としては祝い酒かヤケ酒か、よく判らないような状態だったけれども。

 向うの卓でもビールをじゃんじゃん飲んで騒いでいる四、五人連れの一組があった。マダムがそっと僕らの卓に近づいて、小声で教えて呉れた。

「あれが川崎長太郎よ。その横が浅見淵。立ってるあのノッポが檀一雄よ」[やぶちゃん注:「川崎長太郎」(明治三四(一九〇一)年~昭和五〇(一九八五)年)は小田原出身の小説家。小田原中学校中退(図書館の本を盗んで退学処分を受けた)。初期にはアナーキズム・ダダイズム系の詩を書いていたが、関東大震災後、それらの動きを離れ、私小説に転じた。「無題」(大正一四(一九二五)年)や、郷里小田原の私娼窟に材をとった「抹香町(まっこうちょう)」(昭和二五(一九五〇)年)などで一時期、ブームを呼んだ。「浅見淵」(あさみふかし 明治三二(一八九九)年~昭和四八(一九七三)年)は。兵庫県神戸市生まれの小説家・評論家。早稲田大学国文学科卒。中学時代から『文章世界』に詩などを投稿し、早大在学中に『朝』同人となり、大正一四(一九二五)年に「山」を発表。以後、『文芸城』『新正統派』などの多くの同人雑誌に参加して創作・評論を多数発表した。昭和一一(一九三六)年に「現代作家研究」を出版、翌年には創作集「目醒時計」を刊行している。近代文学史の研究でも知られる。「檀一雄」(明治四五(一九一二)年~昭和五一(一九七六)年)は山梨県生れの小説家。東京帝国大学経済学部在学中、太宰治らを知り、佐藤春夫に師事した。芥川賞候補となった「張胡亭塾景観」(昭和一〇(一九三五)年)などを収めた処女作品集「花筐 (はながたみ) 」(昭和十二年) を刊行後、約十年間の沈黙の後、「リツ子・その愛」・「リツ子・その死」(昭和二五(一九五〇)年)で文壇に復帰、「長恨歌」「真説石川五右衛門」で同年下半期の直木賞を受賞した。しかし、三人とも梅崎春生(大正四(一九一五)年二月十五日生まれ)の先輩作家でありながら、彼よりも長生きしていることが何とも言えない。]

 マダムは三十過ぎの小柄な女で、ドイツ人か何かと関係があるとかあったとか、そんな噂のある女性だった。年甲斐もなく文学少女(?)で、そういう高名な文士たちがやって来たことが、なかなか嬉しいらしいのだ。そしてその嬉しさを僕ら大学生たちにも分けたかったのだろう。

 僕も東京に来てまだ一年足らずだから、文士飲酒の光景に接するのは、これが始めてだ。ちょっと珍しいことだから、時に横目でそちらを眺めながら、こちらもピッチを上げる。俺もいつかは文士となりあんな具合に酒を飲んでやろうと、僕がその時思ったかどうか、十六年も前のことだから覚えていない。そのうちに座が乱れて、酔える川崎長太郎はビール瓶をぶら下げ、ひょろひょろとこちらにやって来て、いきなり僕の肩をがしりと摑(つか)み、

「やい、大学生、ビールを飲め!」

 ビール瓶の口を僕の口にあてがい、ごくごくと注(そそ)ぎ入れた。僕は突然のことだから、ビールにむせて泡を宙にふき出したりした。

 かれこれしてカンバンになり、僕らが外に出たのは、もう午前二時を過ぎていたと思う。正確に言うと、一月九日ということになる。月が出ていた。月はつめたく本郷の家家の瓦を照らしていた。

 もちろん僕らは相当に酔っていた。愛静館まで二町[やぶちゃん注:二百十八メートル。]足らずしかない。僕らはよろめきながらその道を歩いた。

 客蒲団の交渉をしてくるから君はここで待ってろと、霜多を表の電信柱の下に待たせ、僕は勢いよく愛静館の玄関の大ガラス扉をがたがたと押しあけた。

 帳場にはれいの婆さんがひとり火鉢にうずくまっていたが、その音を聞きつけて顔を上げた。ぎろりと僕の顔を見た。

 僕はつかつかと帳場の台まで行き、その仕切りのガラス障子を押しひらいた。

 婆さんは極端につめたい眼付きで、僕をにらんでいる。僕も負けずに婆さんをにらみつけながら、押しつけるような声で言った。

「客が泊るんだから、客蒲団を出して呉れ」

「蒲団を出せって、あんた今何時だと思ってんだね」

「何時だって、時計を見りゃ判るだろ」

 と僕は大玄関の大時計の方をあごでしゃくった。婆さんは少しむっとしたらしかった。

「こんなに遅く帰ってきて、そんなムリはお断り!」

「なに。ムリだと?」

 僕もむっとした。ムリは最初から承知はしているが、僕は承知していても、僕の酔いがそれを承知しなかったのだ。それに霜多も表で待っている。

「ムリだとは何だ。ここは客商売だろう。そんなら客の言うことをきけ!」

「うちでは客蒲団は十二時までですよ。それ以後は出せません。皆寝てるんだよ」

「寝てるって、婆さんがそこに起きてるじゃないか。骨惜しみもいい加減にしたらどうだね。なんだい、俺の付添いをいじめたりしやがって!」

「おや、あたしが何時誰をいじめました?」

「付添いだよ。それに俺のことをダラク書生とか何とか、カゲ口をきいたそうだな」

「何だね、あんたは」

 婆さんは急に鎌首をもたげて、中腰になった。

「真夜中に帰ってきて客蒲団を出せとか、カゲ口をきいたとかきかんとか、そりゃちゃんと下宿料を払ってから言うもんだよ。第一あたしゃあんたに雇われちゃいないんだ」

 僕はたちまち逆上した。この一夜の酔いが一時に顔に燃え上るようで、くらくらと何もかも判らなかった。帳場の台の上には、どういうわけか小さな糊壺が一つおかれてあった。反射的に僕はそれを摑(つか)んで、婆さんめがけて力一ぱい投げつけたらしかった。

「おまわりさん。おまわりさん。その悪党をひっくくって下さい。死刑にして下さい。なんだい、あんなの、死刑にしたっていいんだ。くたばってしまえ」

 巡査たちが来ると、婆さんは更に狂乱状態になって、大声でわめき、しきりに罵り続けた。今考えると、おでこのコブがあまりにも痛いので、それをまぎらわすためにわめいていたのではないかとも思う。それならば気の毒なことをした。

 一方僕は土間にしょんぼりと佇(た)ち、小刻みにがたがたと慄えていた。巡査が恐いからではなく、寒さがひしひしと身に沁みてきたからだ。糊壺を投げ椅子をふり廻した、それだけの運動で、あれだけの酔いが一時に発散してしまったらしい。しらじらとしたものが、そのかわりに僕の胸をいっぱいに充たしてきた。

 巡査は婆さんの怒声にあまり耳もかさず、寝巻姿の連中に事情を聴取したり、糊壺を証拠品として押収したり、そんなことばかりをしている。僕のことも、逃亡のおそれなしと見たのか、あまりかまわない風だった。僕ももうジタバタしたって仕様がないので、そこにつっ立って、巡査の動作をぼんやりと眺めているだけだった。その時僕が感じていたのは、悔悟の念というよりも、むしろ開放感というものに近かったかも知れない。

(これでとにかく一応の決着がついたというわけかな)

 僕はぼんやりと、そして呑気にもそんなことを考えた。今思っても、これで決着がついたと考えたのは、呑気も甚だしいことだった。実際新しい苦労がそこから始まったようなものだったからだ。そして僕は考えた。

(俺は俺を取巻く現実を憎んでいた。ところが現実一般を漠然と憎悪するわけには行かないので、この婆さんを代表に立てて、唯一の仮想敵だと思ってたのかも知れないな)

 事件もそろそろ終ったと見極めたのか、それとも寒いのか、そこらにうろうろしていた寝巻姿の止宿人たちは、一人減り二人減り、そして皆部屋に戻ってしまったらしい。やがて婆さんもいくらか落着いて、くどくどと巡査の一人に何か訴えている。

 もう一人の巡査が急に僕に近づいて、僕の肩をごくんとこづき、そして険のある声で言った。

「おい、一緒に来るんだ」

 その巡査と一緒に、僕は表へ出た。霜多があとからついて出た。表へ出ると巡査はぶるっと身ぶるいをした。

「やけに寒いな、車でも拾うか。おい、お前、金あるか?」

「持ち合せありません」

 と僕は出来るだけおだやかに答えた。巡査は舌打ちをした。そして霜多の方をふりむいた。

「あんたは少し金ないですかね?」

 霜多に対しては言葉使いがていねいだった。そういうことかも知れないけれど、実のところ僕はあまり愉快な気持ではなかった。

「ないです」と霜多がカンタンに答えた。巡査はフンといった顔をした。

 そして僕の腕をつかんで、不機嫌な声でうながした。

「さあ、さっさと歩くんだ。手間をとらせやがって!」

 そして僕ら三人は、各々の月の影を平たく地面に引きずって、駒込警察署の方にむかって歩き出した。

 

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