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カテゴリー「梅崎春生」の346件の記事

2022/09/25

ブログ・アクセス1,820,000突破記念 梅崎春生 莫邪の一日

 

[やぶちゃん注:本篇は三部からなる連作で、それぞれは別な時期に異なった雑誌に発表され、昭和三〇(一九五五)年六月山田書店刊の作品集「山名の場合」に収録された際、三部が題名を章題として残す形で一篇として纏められた。それぞれの初出は後述する底本の解題によれば、

第一章「是好日」  昭和二六(一九五一)年二月号『改造』

第二章「黒い紳士」 昭和二六(一九五一)年四月号『文藝春秋』

第三章「溶ける男」 昭和二六(一九五一)年五月号『別冊文藝春秋』

にそれぞれ発表されたものである。

 底本は「梅崎春生全集」第三巻(昭和五九(一九八四)年七月刊)に拠った。

 傍点「﹅」は太字に代えた。文中に注を添えた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日未明、1,820,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]

 

  莫 邪 の 一 日

 

     是 好 日

 

 失業者人見莫邪(ばくや)は、その朝も、午前六時きっかりに、眼が覚めた。

 莫邪は毎朝いつも、この時刻に目覚める。くるっても、五分とずれはしない。天体運行の機微を感応したかのように、ふしぎなほど正確に、彼の意識はとつぜんはっきりと、薄明に浮び上ってくる。それはこの数年来の、彼の動かない生理的習慣になっていた。それから彼は頸(くび)を捩(ねじ)って、枕もとの置時計の文字盤に、習慣的な視線をはしらせる。時刻を確かめ終ると、また元の姿勢にもどり、しずかに眼を閉じながら、手足をながながと伸ばす。猫が寝床にもぐり込んでおればおったで、ついでに外に蹴(け)り出してしまう。さしたる用事もないというのに、きっかり六時に目覚めるのは、すこしばかり迷惑でもあり、またすこしばかり忌々(いまいま)しくなくもない。ずっと若い頃は、こんなことは決してなかった。この戦争末期に、ほんの短い期間だが、軍隊に引っぱられて、そこでこんなやくざな習慣がついたに違いない。莫邪はなかば本気で、そう信じている。なにしろあの頃は、「総員起し」の寸前になると、声なき声に脅(おび)えたように、ひとりでに眼が覚めたものだ。その習慣が、五年後の今でも、彼につづいている。まるで火傷(やけど)の痕跡のように。

 五分間。瞼(まぶた)は閉じたまま、意識だけは安心して醒(さ)めている。今見ていた夢の後味や、昨夜就寝時に読んでいた本の後味を、思いかえすともなく反芻(はんすう)している。この短い時間が、莫邪にはひどく甘く香(かん)ばしい。じっさい彼は、三十五歳になるというのに、小説を読んだり夢を見たりして、涙を流すことがしばしばあった。その時だけの涙だけれども、それは彼に切なく甘美な瞬間であった。眼覚めの五分間に、それらのナッハシュマックを反芻することで、莫邪は今日という一日を、すっかり生きてしまったような気持になる。やがて五分間経つ。莫邪は眼をひらいて、狐がおちたようにむっくりと起き上る。そして廊下に出て、つき当りの浴室に入る。

[やぶちゃん注:「三十五歳」梅崎春生自身は、この発表当時、三十五、六歳であるから、この主人公人見莫邪と年齢はほぼ一致する。しかも、「戦争末期に、ほんの短い期間だが、軍隊に引っぱられて、そこでこんなやくざな習慣がついたに違いない」と言い、「総員起し」に神経症的拘りがあるところなども、海軍に召集された春生の経歴と一致する。後で莫邪が海兵団に属していたことも出る。

「ナッハシュマック」よく判らないが、ドイツ語の“nachschmach”(ナーックシュマーク)で「残光」か。]

 二間しかない手狭な家なのに、浴室だけは不似合に立派につくってある。彼は裸になって、湯槽(ゆぶね)に身を沈める。この家だけが、莫邪の唯一の財産であった。この家は、かつては彼の母の家であったし、それに妾宅(しょうたく)でもあった。浴室などを手厚につくってあるのは、そのせいである。母は戦争中に、肝臓癌(かんぞうがん)であっけなく死んでしまった。それでこの家は、彼のものになった。彼ひとりのものになって以来、この家は急速に荒れてきた。

「おおい。今朝のおつけの実は、なんだね」

 肩まで湯にひたって、莫邪は大きな声を出す。湯から突き出た莫邪の丸い顔は、もう普通の中年の、無感動な表情になっている。

「今日はお豆腐ですヨ」

 浴室の壁をへだてた向うが台所になっていて、そこで女中のお君さんが、コトコトと何かを刻んでいる。声がそこから戻ってくる。お君さんというのは、莫邪より三つ四つ歳上で、ずっと昔からこの家に居付いている。莫邪に属しているというより、この家の付属品にちかい。顔がひらたく、眼がちいさな女である。何をふだん考えているのか判らないけれども、莫邪に縁談がありそうになると、いつも頑強に陰険に、それに反対する。莫邪がいまだに独身でいるのは、ひとつはその所為(せい)でもある。彼女は夜は、廊下ひとつ隔てた四畳半に眠り、昼間はこまごました家事や炊事に従事する。あまり身体を動かすたちではなく、その日その日のことが済むと、あとはぼんやり昼寝をしたり、古雑誌を丹念に読みふけっていたりする。莫邪は時折この女を、疣(いぼ)のように意味のない存在だと思い、なにか無気味な感じにおそわれることがある。じっさいこの女は、馬鹿になった塩みたいなところがあった。彼女は莫邪から金を受取り、それでもって一月の家計を切り廻し、その点においてこの家全体を支配している。莫邪に保留されているのは、それに叱言をいう権利だけであるが、それに対しても、お君さんは、なかなか負けていない。不死身に切り返してくるのである。

[やぶちゃん注:「馬鹿になった塩」安い食塩でも精製度が高くなった現代ではあり得ないが、不純物が混入していたり、或いは湿気を吸収して、味がおかしくなった塩のこと。

「叱言」「こごと」。咎めたり、非難したりする言葉。 小言。 なお、「小言」と表記する場合には「不平を漏らす」といった意味合いを持つこともある。]

 しかし莫邪も、失業して以来、叱言をいう回数が、しだいに少くなった。失業して暇になり、よく考えてみると、自分の叱言も習慣にすぎないことを、うすうすと感じたからである。ある夜ラジオで偶然、落語の小言幸兵衛というのを聞いて、なおその感じが強くなっていた。その代りに、叱言が言いたくなってくると、それに先立って、覚えずにやにやと笑ってしまう癖がついてきた。自然と頰の筋肉が、そうなってしまうのだ。そんな笑いを、自分でも不潔だとは思うのだが、その不潔さすら自分に許そうと、莫邪は近頃は思っている。ほかのことはそのままにしておいて、そこだけ厳しく咎(とが)めだてするのも、変なことではないか。まったく妙な話ではないか。そう考え出して以来、莫邪の肉体はすこしずつ肥り始め、十五貫から十六貫となり、この頃では十八貫近くにもふくらんできた。いま湯槽の中にながめても、莫邪の乳は女みたいにぼったりして、湯のなかでゆたゆた揺れている。まさしく安易な恰好(かっこう)で、その贅肉(ぜいにく)は揺れうごいている。莫邪はなるたけそこらを見ないようにして、タオルをばちゃばちゃと使う。

[やぶちゃん注:「十五貫」「十六貫」「十八貫」順に五十六・二五、六十、六十七・五キログラム。]

 

「なに、ヒッカキ板だって?」

 味噌汁椀を口にもって行きながら、莫邪はそう反間した。

「そうよ。ヒッカキ板ですよ」

 お君さんはお膳の向うに坐って、貧乏ゆるぎをしながら、落着いた声で答えた。彼女はどんな場合でも、驚いたり激したりしたためしがない。いつも同じ調子で抑揚のない話し方をする。

「どこにそれをしつらえたんだね?」

「あそこの、廊下のすみですよ」

 お君さんは手をあげて、その方を指さした。飼猫が近頃大きくなって、むやみと気が荒くなり、襖(ふすま)や壁や障子などを、しきりに爪を立てて引っ搔く。もともと迷い込んできた仔猫で、お君さん一存で飼っているのだから、その被害を黙っている訳にも行かず、彼女に注意したのは、つい二三日前のことであった。廊下に面する障子の紙などは、ほとんど下辺はぼろぼろになっている。今朝も豆腐汁をなめながら、莫邪が言い出したのはそれであった。ところがお君さんの答は、ヒッカキ板というのをつくったから、もう大丈夫だと言うのである。どこかを引っ搔こうとする度に、猫をそこに連れて行くようにすれば、ついには猫も習慣になってしまって、なにかを引っ搔きたい衝動にかられると、ひとりでに、自発的にそこに行って、その板をガリガリと引っ搔くという仕組みである。彼女の落着いた説明では、そうであった。その度に猫を板の前に、誰が連れて行くのか。それをまじめに反問しようとして、莫邪は急に口をつぐんだ。そしてにやにやした笑いが、やがて莫邪の頰にぼんやり浮び上ってきた。

「どれ。ひとつ、見て来ようかな」

 汁椀を下に置くと、莫邪はゆっくり立ち上り、障子をあけて廊下に出た。廊下のすみのくらがりに、一尺四方の板が立てかけてある。そこらの板塀から折り取ってきたような、へんてつもない粗末な薄板である。含み笑いをしながら、その前にしゃがんで、莫邪はしばらくそれを眺めていた。その表面には、まだ爪跡はついていないようであった。

 莫邪がお膳の前に戻ってくると、お君さんは彼をまじまじと見詰めながら、しずかに口を開いた。

 「猫のことは猫のこととして、もうお金がなくなりましたよ。電気代も二三日中にくるし、薪(まき)もそろそろ買い足さねばならないし、八百屋さんにも、ずいぶん借りができたんですよ」

「もう金がなくなったのかな。そこらに何か質草(しちぐさ)でもないかな」

「質屋にもって行けるようなものは、もう家にはありませんよ。それにあたしの今月の給金も、まだ貰っていないし。とても困るんですよ」

「それは困るだろうなあ」

「そうですよ。ほんとに大困りですよ。今日はどこからか、すこし都合つけてきて下さいよ」

 お君さんは経済の一切を握っているくせに、自分の給金は別にきちんきちんと請求して、それをごっそり溜め込んでいる。自分の身の廻りのことは、一家の経済でまかなうから、給金だけは手つかずで、そっくり貯金に廻っているらしい。その額も、長年のことだから、数万数十万にのぼっている筈だと、莫邪はかねてから漠然と推定している。しかしどんなに人見家の経済があぶなくなっても、彼女は自分の貯金を放出しようとはしないし、給金の遅滞をも決して許さない。失業このかた、莫邪身辺の金廻りは、頓(とみ)に悪くなってきているが、彼女のその方針と態度は、当初とすこしも変りなかった。それならそれでもいい。莫邪としても文句はないが、それでも一週間に一度くらいは、彼女を巧妙な方法で亡きものにして、貯金をごっそり横領することを、空想に描かないでもない。今も莫邪はなにか考えこむ顔付になって、黙って箸をうごかし、飯粒を口にはこんだり、豆腐汁をすすったりしている。今朝の豆腐は、ごりごりと固く、妙ににがい。苦汁(にがり)を入れすぎたんだな、などと頭のすみで仔細らしく莫邪は考えている。やがてすっかり食べ終ると、彼はお茶を注がせながら、独白のように言った。

「兄貴のところにでも行って、少しばかり貰って来ようかな」

「それがよございましょ。そうなさいませ」

 お君さんが膳を下げてしまうと、莫邪は大きく伸びをして、莨(たばこ)に火をつけた。とにかく今日は用事がひとつできた。そのことが莫邪に、すこしの安心をあたえた。兄貴というのは、莫邪の異母兄で、つまり莫邪の父親の正妻の子なのである。父親は漢学者のくせに、なかなかの粋人で、女遊びもしたし、妾(めかけ)をたくわえもした。そしてもうずっと前にオートバイに轢(ひ)かれて死んでしまったが、子供はその正妻の子と莫邪と、ふたりしかない。莫邪などという変った名前をつけたのも、この父親の趣味であった。莫邪というのは、古代の名剣の名だそうであるが、父親の望んだほど、実物の子は切味はよくない。むしろ正妻の子の方が羽振りがよくて、丸の内に事務所などを持ち、とにかく一家の風(ふう)を保っている。莫邪より五つ歳上にあたる、やせた機敏そうな男であった。

 莫邪は立ち上って、のろのろと服を着けた。近頃肥ってきたので、ひどく窮屈である。毎朝これを身につける毎に、彼は狂人用のストレートジャケットを着せられたような気分になる。服から出た部分が充血し、眼球もすこし飛び出したような感じになる。どこか自分でないような気がしてくる。しかしはたから眺めると、なかなか血色が良くて、思いわずらうことのないような人に見える。

 靴をはいて、外に出ると、莫邪は背骨をまっすぐに立てて、霜柱をさくさく踏みながら駅の方にゆっくりと歩いてゆく。

[やぶちゃん注:「狂人用のストレートジャケット」“straightjacket”。拘束着。凶暴な状態の人を拘束する手段として、腕を胴体に固く縛りつけるために使われるジャケットのような衣服。]

 

 人見経済研究所所長・人見干将(かんしょう)は、事務所の扉を排して入ってくる人見英邪の姿をみとめると、やせた眉目をかすかに曇らせて、かるく舌打ちをした。莫邪は肥った頰の筋肉をやや弛(ゆる)め、まっすぐに干将のデスクに歩いてくる。干将は眉根を寄せたまま、じっとそれを見ていた。

[やぶちゃん注:既に主人公莫邪の名の由来で語られているが、「干将」・「莫耶」は本来は「干將」、「莫耶」は「鏌鋣」とも表記し、中国の伝説上の名剣、もしくはその剣の製作者である夫婦の名。剣については、呉王の命で、雌雄二振りの宝剣を作り、干将に陽剣(雄剣)、莫耶に陰剣(雌剣)と名付けたとされる。この陰陽は陰陽説に基づくものであるため、善悪ではない。また、干将は亀裂の模様(龜文)、莫耶は水の波の模様(漫理)が剣に浮かんでいたとされる(「呉越春秋」に拠る)。なお、この剣は作成経緯から、鋳造によって作成された剣で、人の干将・莫耶については、干将は呉の人物であり、欧冶子(おうやし)と同門であったとされる(同じく「呉越春秋」に拠る)。この夫婦及びその間に出来た子(名は赤、若しくは、眉間尺(みけんじゃく))と、この剣の逸話については「呉越春秋」の呉王「闔閭(こうりょ)内伝」や「捜神記」などに登場しているが、話柄内の内容は差異が大きい。近代、魯迅がこの逸話を基に「眉間尺」(後に「鋳剣」と改題)を著わしている。なお、莫耶、莫邪の表記については、「呉越春秋」では莫耶、「捜神記」では莫邪となっているが、本邦の作品では、孰れも莫耶と表記することが多い。以上はウィキの「干将・莫耶」に拠ったが、より詳しい話柄は、私の『柴田宵曲 續妖異博物館 「名劍」(その1)』と、『柴田宵曲 續妖異博物館 「名劍」(その2)』を見られたい。]

「また、金かね?」

 莫邪がデスクのむこうに腰をおろすと、干将はすぐに言った。感情を殺したような、職業的な低目の声であった。

「実はそうなんだよ。よく判るね」

「お前さんが来るのは、いつもそうじゃないか」

「そうだったかな。それほどでもないよ」

 干将は匂いのいい莨(たばこ)に火を点(つ)けながら、莫邪の方から眼をはなさないでいた。英邪は窮屈そうに椅子(いす)にかけて、顔だけはにこにこと笑っている。莫邪の全身にただようその無能な感じを、干将はあまり好きではなかった。こんな男なら、おれでもクビにしたくなると、干将は莫邪を眺めながら、ぼんやりと考えている。天気や家族のことについて二言三言話し合ったあと、女給仕が運んできた渋茶を、莫邪は唇を鳴らして飲んだ。カラーにしめつけられた咽喉仏(のどぼとけ)が、苦しそうに、ごくごくと上下するのが見える。死んだ父親の咽喉仏の形に、そっくりだと思いながら、干将も無意識にごくんと唾を呑みこんで、そしてしずかな声で言った。

「それで、あの復職の件は、一体どうなったんだい?」

「ああ。あれもいろいろ、やっているんだけれどね、署名なんかも、もう相当集まったし――」

 莫邪は茶腕をおいて、服の袖口で唇を拭きながら、語尾をあいまいに濁すようにした。そして何となく、眼を窓の方向に外(そ)らした。窓枠に截(き)りとられた曇り空には、無数の白い鳩が、白濁した汚点のように飛び交(か)っている。莫邪はそれを確かめるように、眼を二三度しばたたいた。

 莫邪が先頃まで勤めていたのは、ある小さな雑誌社で、社長がレッドパージに籍口(しゃこう)して社員を整理した際、彼もその人員の中に入っていたのである。同調者だという名目であったが、莫邪には身に覚えがないことであった。そこで旧(もと)の同僚が、莫邪の身上に同情し、復職嘆願書をつくって呉れ、それを莫邪が持ち廻り、その雑誌社関係の文化人の署名を貰って歩くことになったのだが、どうもこの仕事には彼はさっぱり身が入らなかった。むつかしい仕事ではない。持って行けば、誰でもすぐ署名して呉れるのである。文化人というものは、金を出す用件でないと判れば、急にやさしくなって、親切にしてくれるものであることを、莫邪はしみじみと知った。そしてこの仕事に身が入らないというのは、その際署名者たちの瞳の色の中に、必ずなにか過剰な光があってそれが莫邪を重苦しくさせるからであった。単に署名するだけで、ひとつの運命が好転する。その意識がすべての署名者の心の底を快くくすぐり、それが彼等の表情や動作に、ある過剰なものを付加してくるらしかった。それを見るのが辛いし、また徒労だという感じもやがて強くなって、十人ほどの署名を貰ったまま、莫邪はその嘆願書を茶簞笥(ちゃだんす)の上にほうり放しにしている。その間(かん)の事情を干将に聞かれるのは、ちょっと辛いことであった。

[やぶちゃん注:「藉口」口実を設けて言い訳をすること。かこつけること。]

「署名が集まれば、早く社長に提出すればいいじゃないか」

「うん。そうしようと思うんだけどね」

 莫邪は身体を捩りながら、話題をそこから外(そ)らそうとした。

「なにしろ、急に金廻りが悪くなってね。お君さんも、不機嫌なのさ」

「そりゃ不機嫌だろうな」

「まさかの時は、あの家も売ろうと思っているんだが――」

 干将が鼻で笑うような音を立てたから、莫邪は口をつぐんでしまった。そこへ向うの机から若い所員がやってきて、書類をデスクに拡げて用談を始めたので、莫邪は俄(にわ)かに手持無沙汰になって、窓の外を眺めたり、事務室の内部を見廻したりして、用談の済むのを待っていた。その間に卓上電話が二度もかかったりして、用談はなかなか済まなかった。干将は莫邪の存在を忘れたように、てきぱきと事務に没入していた。

 やがて所員が去ってしまうと、干将はぎいと廻転椅子を廻して、莫邪の方に向き直った。莫邪はさっきと同様に、窮屈そうに腰をおろして、顔をすこしあおむけてにこにこと頰をゆるめていた。この肥った男と父親を同じくしているという意識が、その瞬間妙な違和感となって、干将を不快にさせた。

「なかなか忙しそうだね」

 遠くから聞えてくるような声で、莫邪がぽつんと言った。干将はそれにすぐ返事をしないで、頭の中でいろんなことを考えめぐらしていた。莫邪がクビになったのも、同調者だというのは口実で、莫邪が無能だったからに過ぎないと、干将は察知している。しかしそのことについて、莫邪はどう考えているのだろう。あのにやにやと弛んだ顔のむこうで、この男は一体、何を考えているのだろう。そう思うと、ふとこみ上げてくるいらだちを押えながら、干将はやっと重々しく言葉を返した。

「忙しいね。暇のある人間が、しみじみとうらやましいよ」

「そうでもないだろ。暇なんてものは、疣(いぼ)みたいなもんで、あまり役にも立たないよ」

 それから二人は、さり気ない顔貌をむけ合ったまま、忙しさということについて、二三の意味のない会話を交した。その間に干将は、はっきりと自分の気持を決めてしまっていた。ある気まぐれな、すこし意地の悪い興味が、ちらと干将の心をかき立ててきたのである。

「金のことだがねえ――」

 会話がとぎれたとき、わざと退屈そうな口調を使って、干将は口を開いた。

「毎度々々のことだから、タダで上げるのも、実は僕は気がすすまないんだ。だからね、お前さんに今日一日の用事を頼んで、その分の日当を払おうと思うんだが、それでどうだね?」

「日当?」

「そう。日当さ」

 干将は落着いた声で答えた。莫邪は少し黙りこんで、椅子の上で二三度大きな呼吸をした。それから低い声で訊(たず)ねた。

「仕事って、どんなのだね?」

 干将はおもむろに胸のポケットから、小さな皮手帳を取出した。そしてばらばらめくりながら、今日の予定表を探しあて、ちらと上目で莫邪を見た。

「僕の名代で、会合に出て貰いたいんだ。ただ出席するだけでいい」

「何の会合だね」

「ええと」

 干将は手帳を眼に近づけて、丹念にメモを調べるふりをした。

「――二つあるんだ。ひとつは山形家の婚礼の祝賀会。山形ってのは、おれの軍隊時代の戦友さ。もうひとつは、川口家の告別式。これはおれの高等学校のときの友達。酔っぱらって、崖から落ちて死んだんだ。運の悪い奴だね。この二つだ。――どうだい。引受けるかい?」

「――引受けてもいいな」

 すこし経って、莫邪は無感動な声で、そう答えた。干将は紙入れを取出し、その中の紙幣束(さつたば)を狼のような手付きでバサバサと数え始めた。そしてその一部分を、莫邪の方へ、デスクの上にふわりとすべらせた。紙幣はデスクの端で、あぶなく落ちそうになって止った。見ているような見ていないような視線で、莫邪はそれを眺めていた。

「そこに一万円ある。香奠(こうでん)とお祝いの品を、その中から出して呉れ」

「僕の日当は?」

「日当もその中だ」

「そうすると――」莫邪の指が伸びて紙幣束にちらと触れた。「どんな割合になるんだね。この中から、日当と、香奠と、お祝いを出すとすればさ」

「それはお前さんに任せるよ」瞬間、意地悪い快感が湧きおこるのを感じながら、しかし干将は強(し)いてつめたい声で答えた。「その按分(あんぶん)はまったく、お前さんの宰領にまかせるよ。三三四だって二三五だって、一一八だって、何だっていいんだよ。いいようにおやり」

 莫邪はとたんにぶわぶわした笑いを頰にうかべた。すると干将も唇を曲げて、笑いに似た翳(かげ)をそこにはしらせた。瘦せた兄と肥った弟は、お互いに顔を見合わせたまま、しばらく声なき声を含んで笑い合っていた。やがてどちらからともなく笑いを収めると、莫邪の掌は紙幣束を摑(つか)んで、ポケットにそろそろと入って行った。

「じゃ、そう言うことにしよう。どうもありがとう」

「いえいえ。どういたしまして」

 干将は切口上でそう答え、あり合わせた紙片に、忙しげに両家の地図を書き始めた。莫邪は椅子から不安定に腰を浮かせ、そのすらすらしたペンの動きに、見惚(みと)れたような顔になっている。

 

 午後一時。

 町角の売店で、香奠袋を買った。二枚十円だというので、二枚買った。それから酒屋に寄り、猫印ウィスキーの箱入りを買った。それを小脇にかかえ、莫邪はせまい露地に曲りこみ、小さな中華料理屋の扉を押して入って行った。注文したチャーシュウメンが運ばれるまで、莫邪は卓に頰杖をついて、一万円の按分方法を考えたり、ウィスキーのラペルをぼんやり眺めていたりした。店の中に、客は彼ひとりであった。日が翳り、店内は薄暗く、うすら寒かった。告別式に出ることも、結婚祝いに出ることも、まださっぱりと現実感がない。時間がじりじりと経つとともに、自分自身が死んだ章魚(たこ)のように無意思になって行くのが判った。

[やぶちゃん注:「猫印ウィスキー」明治四(一八七一)年に横浜山下町のカルノー商会が輸入したアイリッシュ・ウィスキー、通称「猫印ウヰスキー」。バークス(“BURKES Fine old Irish Whiskey”)。本邦に輸入されたウィキスキーの最古参に属する。ブログ「たらのアイリッシュ・ウイスキー屋さん」の「日本に輸入された最初のウイスキーはアイリッシュ? 猫印ウイスキー」を参照されたい。猫マーク入りのボトル写真もある。そこに『バークス・ウイスキーがいつ頃まで販売されていたのかは分からなかった』とされつつ、『会社自体は創業が 1848 年、廃業が 1953 年』とあるから、本篇当時、まだあったものと思われる。なお、さらに、このウィスキーが『2017年に復活を果たした』ともある。但し、サイト「WHISKY Magazine Japan」の「戦前の日本とウイスキー【その2・全3回】」によると、『ジャパン・ヘラルドに記載されていた「WHEAT SHEAF」が』、このバークス『より7年早』く日本に舶来しているという記載があったことを言い添えておく。]

「ヒッカキ板、か」

と莫邪は呟(つぶや)いた。瓶のラベルには、猫が躍っている絵が印刷してある。その猫の四股の先は、内側へ丸くぐんにゃりと曲り込んでいる。うちの飼猫と毛並みが似ている。沈みこんでいるところから、両手を伸ばしてずり上るような気持で、彼はふたたび呟いた。

[やぶちゃん注:以上のように猫を描写しているが、グーグル画像検索「BURKE’S Fine old Irish Whiskey」では、躍っているようには見えず、座った後部は、尻尾を手前に巻き込んで後方に立てているように見受けられる。]

「おれにも、ヒッカキ板というものが、ひとつ欲しいもんだな」

 呟いてみたものの、それはどういう意味なのか、自分にもよく判らなかった。ただ莫邪は、一間四方もある板を眼の前に想像し、それをしきりに引っ搔いている自分自身を想像した。そしてためしに、両手を胸の前にそろえ、ちょっと空(くう)を引っ搔く仕草をしてみた。そこへ給仕の男がチャーシュウメンを運んできて、莫邪を見て妙な顔をした。そこで莫邪はその仕草をやめた。

「お待遠さま」

 この給仕男は、誰かに似ている。そう思いながら、莫邪は箸(はし)をとった。二箸三箸食べたとき、彼はそれを卒然として思い出した。軍隊で会ったある衛生兵に、この給仕男は似ているようであった。

 海兵団の医務室で、治療の順番を待っていたとき、莫邪の一人前の兵隊が、足指の瘭疽(ひょうそ)を手術されていた。手術しているのは、色の黒い若い衛生兵である。乱暴にメスを使って爪をごりごりと切り、クギヌキでそれをはさんで、ぐいと引抜く。見ているだけで、莫邪は脳貧血をおこして、ふらふらとしゃがみこんだ。すると手術を終った衛生兵が、莫邪の肩を引っぱり上げて、したたか頰を殴りつけた。

「なんだ、この野郎。貴様が手術されてるんじゃねえぞ。生意気な!」

[やぶちゃん注:「瘭疽」手足の指の末節の急性化膿性炎症。この部分は組織の構造上、化膿が骨膜・骨に達し易く、また、知覚が鋭いので、激痛がある。局所は化膿・腫脹・発赤・熱感を起こす。「ひょうそう」とも読む。]

 あの衛生兵の言葉は、一応理窟にあっていたなと、かたい肉を奥歯でかみながら、莫邪はぼんやりと考えた。あんな具合に割り切ってしまえば、世の中も渡りやすいだろう。しかしとても俺にはできそうにもない。そんなことを考えているうちに、莫邪はすっかり食べ終った。

「――さて」

 丼をむこうに押しやり、香奠袋を出してウィスキーの横にならべ、彼はひとりごとを言った。そしてしばらく考えて、紙幣束をとり出し、その中から五千円を数えて、また自分のポケットに収め、残りを香奠袋の中に押し込んだ。香奥袋は二枚ある。さっき何気なく買ったのだけれど、両方とも使わねば悪いような気になって、彼はまた考えこむ顔付になった。少し経って、彼はポケットからまた千円札を一枚つまみ出し、それをも一つの香奠袋の中に入れた。そして二つの袋にそれぞれ、人見干将、人見莫邪と署名した。そうするとすっかり落着いた気持になって、莫邪はにやと頰をゆるめた。

(兄貴もちかごろ、なかなか意地悪になってきたな)

 代金をはらって外に出ると、寒い風が顔に吹いてきた。町の遠くで、拡声器の試験をしているらしく、機械の声がきれぎれに風に乗って聞えてくる。

「――本日ハ、――晴天ナリ、――本日ハ、――晴天ナリ――」

 空は曇って暗かった。今日の一日に、祝賀の表情と、追悼(ついとう)の表情を、うまく使い分けねばならない。うまく行くかどうか、莫邪は少し心もとなかった。街には人があふれていた。すれ合う人々の表情や、街全体の表情に、莫邪はある歪(ゆが)みをかんじた。そして彼は、二三日前雑誌で読んだ、宇宙が歪んでいるという説を、突然思い出した。宇宙が歪んでいるなら、地球も当然歪んでいるだろう。その歪みの中で生きるには、人間もすこしは歪む必要があるだろう。

(そういう点からして――)

と彼は思った。どういう点からかは、彼にもよく判らなかった。

(今日という日も、なかなか好い日にちがいない)

 思考の尖端が、ぶわぶわと分厚なものに埋没している感じで、莫邪はウィスキーを胸にかかえ、無感覚な人形のように、人波をぬってまっすぐ駅の方に歩いて行った。

[やぶちゃん注:「宇宙が歪んでいる」中学時分に読んだ科学書では、アインシュタインは宇宙を綺麗な球体と予想したが、当時の宇宙物理学の観察では、馬の鞍の様な形をしていることが提唱されていたのを覚えている。しかし今、ネットを調べると、果てしなく彼方に広がり続ける平坦なものというのが優勢であるようだ。]

 

     黒 い 紳 士

 

 人見莫邪が最初にその男の姿を見たのは、くすんだ色調の杉の生籬(いけがき)にはさまれた、せまい路上である。

 赤土まじりのその小路の地肌は、濡れてじっとりと湿り、またいくらかぬかるんでもいた。莫邪がふと眼をあげると、二十米ほど前方を、その男はひとりであるいていた。ぬかるみを避け避け、生籬に肩を摺(す)るようにしながら、気ぜわしそうに背を丸め、ヒタヒタヒタと脚を動かしている。

 空は曇ってくらかった。雲の厚みに漉(こ)されたにぶい光が、まばらな電信柱や生籬や、煤色(すすいろ)の屋根瓦の上に、しっとりとひろがっている。その風景は光線の具合か遠近感がなく、なんだかひらべったい感じがした。そして莫邪の視界に狭隘(きょうあい)な路上をうごいているものは、その男の黒い後姿だけであった。

「まるでクロコみたいだな」

 ぬかるみを飛び越しながら、莫邪はふとそう思った。書割りじみた平板な風景のなかに、なにか人目をはばかる様子で、男の小さな輪郭が、ちらちらとうごめいている。黒具をつけた芝居の後見の動作をそれは何となく聯想(れんそう)させた。男は黒い服を着て、黒い中折帽を頭にのせている。はいている長靴も黒色であった。中折帽子はすこし大きすぎると見え、耳たぶまでスッポリかぶさっている。童話の黒い蕈(きのこ)があるいているようにも見える。妙に非現実的な感じであった。背丈も生籬の半分ぐらいしかない。対比の関係か四尺そこそこの高さにしか見えない。そのミニアチュアめいた奇妙な後姿が、なにか無気昧な滑稽さを瞬間に莫邪に伝えてきた。

「ええと――」

 へんに不安定な感じがやってきて、足がすくんだように、莫邪は立ち止っていた。電柱の下から、腐った木の葉のにおいが、ぼんやりと立ちのぼってくる。立ち止ったつじつまを合わせるように、莫邪の手はいそがしく動いて、やがてポケットの中から、干将が描いてくれた地図をとり出している。男の後姿からその紙片へ、莫邪は落着かない視線をうつした。

「道はこれでよかったのかな」

 異母兄の人見干将の依頼で莫邪は今から、山形家の結婚の祝賀会に出席するのである。山形というのは、干将の軍隊時代の戦友だというのだが、もちろん莫邪はその男の顔も素姓(すじょう)も全然知らない。知っているのは、その会が午後四時から始まるということだけである。なにかお祝いの品を持って行くように、と言ったのみで、他にはなにも干将は説明も指示もして呉れなかった。日当を出すというのでウカウカと引受けてきたのだが、いくら兄の代理とは言え、見も知らぬ男の祝宴に出るのはあまり面白そうなことではない。しかもそのあとで、午後の七時から、これも干将の名代として、川口という男の告別式にも出席しなくてはならないのである。日当を貰ったからには、これもすっぽかす訳にも行かないだろう。やせて神経質そうな干将の顔をちらりと思い浮べながら、莫邪はかすかに舌打ちをして呟いた。

「判りにくい地図だな、これは」

 スベスベした紙片に、万年筆で道順が書いてある。整然と書いてあるようだが、それをたどってここに来て見ると、実際の地形や距離とははなはだしく相違している。げんにこの狭い赤土の小路も、干将が書いた地図の上では、ひろびろとした鋪装路のような印象をあたえる。地理の感覚がないのかしら。紙片を縦にしたり横にしたりして、あやふやな道順をも一度たしかめ終ると、莫邪は面白くなさそうな顔付になって、また足を踏み出した。靴の裏でぬかるみがピチャリと音をたてる。見るとさっきの男の姿は、もう見当らなかった。

「ふん結婚祝賀会か」

 祝い品に買い求めた箱入りウィスキーを、けだるく左手に持ち換えながら、莫邪は足をひきずるようにして歩いた。そして地図が指示する通り、赤いポストから右に折れ、高さ二尺ばかりの地蔵のある辻を、さらに左に折れた。干将の地図では、その地蔵の位置に矢印をして、石造彫刻物などと書きこんである。石造彫刻物とは、いかにも干将らしい名付け方だ。この干将の地図に間違いなければ、山形邸はもう直ぐ近くの筈である。道は相変らずビチョビチョと濡れていて、冷たさがひたひたと靴下にもしみとおってきた。

「ちょっと道をききますが――」

 突然そういう声が近くから聞えたので、莫邪はぎょっとした。道端につみ上げた古材木のかげに、黒い人の姿がひとつ立っていた。

「山形という家は、どこらあたりですか」

 ウィスキーの箱を両手で胸に抱きかかえるようにして、莫邪は立ち止っていた。近頃肥って窮屈なチョッキの下で、動悸がごとごとと不規則に打っている。

「ごぞんじないかな。山形。山形という――」

「それは、そこです。すぐそこ」

 莫邪はあわてて答えた。眼の前に立っているのは、先刻の男である。古材木のかげにかくれて、莫邪が近づくのを待ち伏せていたらしい。さきほどはひどく矮小(わいしょう)に見えたが、向い合って見ると、それほどでもない。五尺二三寸[やぶちゃん注:一メートル五十八センチから一メートル六十一センチ。]はある。黒い帽子と服を着け、手にも黒い風呂敷包みを持っている。帽子も大きすぎるし、服もやはり身体に合っていない。帽子のひさしの奥から、南京玉(ナンキンだま)みたいな小さな黒い瞳が、じっと莫邪を見詰めている。そして色艶のわるい唇がやや開いて、黄色い歯列がのぞいている。動悸がややおさまってくると、莫邪はなにかすこし忌々しくなってきた。この男の顔の印象は、外国の漫画によく出てくる日本人の顔に、どことなく似ていた。

「あんたもそこに行くのかな」

 視線をウィスキーの箱にはしらせながら、男がふたたび訊ねた。なんだか腹話術師みたいに、唇をあまり動かさない。抑揚のない含み声である。そして急に言葉がぞんざいになってきたようだ。男の黄色い歯屎(はくそ)をながめながら、気押(けおさ)されたように莫邪はだまっていた。

「そうだろ。あんたも山形の家に行くんだろう」

 さっき見た後姿も、どことなく異様な感じであったが、今まぢかに相対しても、それと同じ感じが男の全身を、うっすらと膜のようにつつんでいる。歳も莫邪よりはすこし上らしい。そして男の視線は舐(な)め廻すように、莫邪の全身にうごいた。なぜか急に嘔(は)きたいような気分になって、それをこらえながら、莫邪はこっくりとうなずいて見せた。

「それならば話は早い」

 よく聞きとれなかったけれど、そんな風に言ったようである。そして男はくるりと向きを変えて、大き過ぎる長靴をガバガバと鳴らしながら、いきなり先に立って歩き出した。その音にうながされたように、莫邪もつられて足を踏み出している。どこかでラジオの長唄が鳴っている。

 

 祝賀会と言っても、大したことはない。天井の低い八畳の部屋に、机やチャブ台を継ぎあわせ、それにしいた白布の上に、皿や碗や盃やコップが、ごたごたと並んでいる。床の間の大きな壺には、松竹梅が不器用に活(い)けてある。道具立てはそれだけである。卓の上の器物も不揃いだし、白い卓布もうすよごれた感じであった。そして十二三人の男たちが目白押しに居並んで、それぞれの恰好で飲んだり食ったり、私語し合ったりしているのである。その一番すみっこの場所に、人見莫邪は中途半端な表情をこしらえて、窮屈そうに坐っていた。

 莫邪のところからガラス越しに、猫の額ほどの此の家の庭が見える。庭の半分は畠になっていて、ネギみたいな植物が五六本、そこらにヒョロヒョロと立っている。曇天のせいか庭もくらいし、部屋の中はもっとくらい黄昏(たそがれ)どきのような感じである。

「生憎(あいにく)と停電でございまして――」

 主人役の山形夫妻は、縁側の方から出たり入ったりしで、酒や料理をはこんだり、またそこに坐りこんで、酒を注いだりしている。この宴が済むと、午後七時何分の汽車で、新婚の旅に立つという話であった。新婦は度の強い眼鏡をかけた二十四五の女で、新郎は四角な顔をした朴訥(ぼくとつ)そうな男である。やはり一世一代のことだから、顔色もどことなくはればれとして、動作もいくらか生き生きとしているようである。こんな男といっしょに兄貴は軍隊に行ってたんだな、などと仔細らしく考えながら、莫邪は遠慮がちに料理に箸をつけたり、コップに手を伸ばしたりしている。莫邪が持参したウィスキーは、すでに二本とも栓をぬかれて、卓の上に立っているのである。酒はともかくとして、料理は冷えて不味(まず)かった。べつだん食慾はないのだが、黙って坐っているのも手持ぶさたなので、三十秒に一度くらいは、どうしても卓の方に手が伸びてしまう。

「どうも何から何まで行き届きませんで」

 料理がすっかり運び終ったと見えて、山形新婦が縁側に両手をついて、丁寧にお辞儀をした。客は一斉(いっせい)に箸の動きを止めて、そちらを向いて頭を下げたり、うなずき合ったりしている。光線が乏しいので、皆の顔は何だか怒ったような、憂鬱そうな感じをたたえている。座もはずんで来ないし、すこしも祝宴らしい感じがしなかった。

(やはりおれみたいに、お義理で来ている連中が多いのかな?)

 そんなことを考えながら、莫邪は無責任な視線でちろちろと薄暗い一座を見廻している。客の種類は、六十ぐらいの老人から、学生服の若い男まで、いろいろ雑多に並んでいる。客の間に横のつながりはあまり無いらしく、あちこちにぼそぼそと私語が起ってはいるものの、座全体の笑声歓語はすこしも聞えてこない。晴れやかな顔をしているのはだいたい主人役だけで、あとはさむざむとした顔でもっぱら飲食に没頭している。時間の動きがのろのろしていて、なんだか一向にはっきりしなかった。ひどく大儀なような、また肩の凝るような気分を持て余しながら、莫邪はコップに何度目かの手を伸ばしている。

(今夜おれが告別式に出席して、おくやみなどを述べる際に――)莫邪はコップのウィスキーをぐいと乾し、こんどは汁碗をとりあげて蓋をとった。(この一対の男女は宿屋の一室に入り、接吻などを交していることになるのかな)

 莫邪は頭の遠くで、派手な夜具や脱ぎ捨てられた下着の赤い色や、またむれたような炬燵(こたつ)のにおいなどを、ぼんやりと空想した。空想はしてみたものの、なんだかよそごとみたいで、眼前の山形夫妻の存在と、一向に結びつかなかった。腸のあちこちが急に熱くなって、ウィスキーがそこにひりひりと沁(し)み込んでゆくのが判る。莫邪はもったいらしい顔になって何となく低くせきばらいをした。

「さあさあ」

 新郎は中腰になって、やがて客の間に割り込みながら、酒やウィスキーを注いで廻っている。新郎の顔もすこし赤くなっている。弁当箱みたいな四角な顎を、嬉しそうにがくがくと動かしながら、

「さあさあ。たんと飲んで下さいよ。酒はもっともっと用意してあるんだから」

「これはなかなか、良い酒だね」

 盃を透かすようにしながら、そこらで誰かのとってつけたような声がした。

「良い酒ですよ。わざわざ故郷(さと)から取りよせたんだから。こんでも故郷ではね、村雨(むらさめ)という名の通った銘酒だ」

 汁腕に入っていた蓴菜(じゅんさい)が、どろりと気味わるく莫邪n舌をすべってつめたく咽喉に流れこむ。しばらく経つと酒の減りに比例して、座もすこしガヤガヤと浮き立ってくる気配があった。

[やぶちゃん注:「村雨」不詳。現在、非売品の特別醸造で、この名を持つ日本酒(熊本)があるが、この当時、あったとは思われない。「村醒」或いは「村雨」は、強く降ってすぐ止む雨に掛けて、「すぐに酔いが醒めてしまう酒(村を出る前に醒めてしまう酒)」という意から水を割ったような「アルコール度数の低い低品質の酒」のことを言う隠語としてあり、同時に、真逆の「村を離れたところまで来て、やっと酔いが醒める酒」と言う意で、「上等な酒」のことをも指すともされる。酒好きの梅崎だから、お遊びで前者の意で用いたものととっておく。]

「なあ。山形戦友」

 莫邪のすぐ近くの席で、ざわざわした私語の中から、こんどは別の声がとび出した。

「今日はお前はなかなか立派だぞ。死んだ井上戦友に見せたかったぞ」

 なんだか聞き覚えがあると思ったら、さきほどの黒服の紳士の声である。黒い紳士は莫邪から一人おいてむこうの席に坐っている。見るとその横顔は酒がはいったのか、いささか黄黒く変色している。大あぐらをかいて、しきりに盃を乾しているらしい。

「はあ。戦友でいらっしゃるか。それは大変でございましたな」

 莫邪の隣に坐っている老人が、指で焼竹輪をつまみながら、もごもごした声で相の手を打った。この老人も話し相手がほしかったらしい。この黒男が山形の戦友なら、干将の戦友にもなる訳だな、と思いながら、莫邪は横目でそのやりとりを観察している。黒男は掌をくにゃくにゃ動かしながら、いつか老人の方に向き直っている。

「そうですよ。――全くそんなもんだ。生き残った奴は、結婚も離婚もできるが、死んだ奴はとにかくなんにもできやしない。そんなもんですよ」

「はあ。それは道理だね。もっともだ。はあ」

 一座のうごきもだんだん活潑になってくるらしかったが、あたりが薄暗いから、和(なご)やかに浮き立ってくるという風ではなくて、酔いが陰にこもってイライラとふくれ上ってくる様子である。すこしずつ高まってくる濁ったざわめきの中で、莫邪の右手も惰性のように伸びたり縮んだりして、卓のものを口に運んでいる。いささか酔いが廻ってきたので、先刻のような手持ぶさたな退屈な感じは、やっとなくなってきた。そのかわり失業して以来の、久しぶりの酒だから、五体が妙にけだるくなり、眼球が瞼の底に沈下してゆくような感じがする。見も知らぬ男たちと膝を交えて、酒を飲んでいることも、さほど気にはならなくなってきた。とにかくこうやって飲んだり食ったりするだけで、名代としての役目は果たしていることになるのだから、他になにを思い煩(わずら)うことがあるだろう。ただひたすら飲めばいいのだ、と莫邪は心の中で自分に言い聞かせる。

 (日当だからな。なにはともあれ、日当仕事だからな)

 莫邪は肥った頰の筋肉をぶよぶよと弛(ゆる)め、口の中でしきりにそんなことを呟いている。それは本(ほんね)音でもあった。ほんとに山形夫妻が結婚しようと離婚しようと、こちらとは大した関係もないことだ。それよりも卓上の焼竹輪や酢ダコの味の方が、当面上の問題としては、ずっと莫邪に関係がふかいのである。

「ひどい戦争でしたね、あれは」

 黒い男は箸で卓上をなぞりながら、しきりにとなりの老人に説明している様子である。その声がふと耳に入ってくる。

「弾丸はヒュウヒュウ飛んでくるし、戦車はゴトゴトやってきくさるしさ。こちらは小銃だけで、その上弾丸も欠乏しかかっていると来る――」

「はあ。やっぱりね」

「そこですよ。井上戦友はヤケになって、とたんに発狂したんだ。まず銃を投げすてましたな。そしていきなり帯剣を引き抜いて、自分の眼につっこんで、眼玉をけずり落しましたな」

 老人はぽかんと口をあけて、傷(いた)ましそうにうなずいている。黒男は唇の間から舌をちろちろ見せて、憑(つ)かれたように眉根をよせて説明をつづけている。

「見えなきゃ済むと思ったんだね。それが凡人のあさましさ。とてもそうは行かない。耳がある。ちゃんとあるんだ。おっそろしい音が四方から聞えてくるちゅうんだ。だから井上戦友は、憤然と刃(やいば)をふるって、こんどは自分の耳をスポリと切り落しました」

「はあ、はあ」

「ところがまだ、それでは足りない。まだまだ。戦争には臭いというものもあるということだ。忘れちゃいけない。硝煙の臭い、ものの灼(や)ける臭い、血の臭い、言うに言われぬいろんなものの臭いなどが、うようよとだ」

「鼻も切りましたか」

 つまんで口まで持って行ったカマボコを、あわてて皿に戻しながら、老人が情けなさそうな声で反間した。黒い男は黄色い歯をむき出して深刻そうにうなずく。

「切りましたな。もっとも力が足りずに、半分しか切れなかった。あとに残るのは、味だけか。ふん。戦争には味はなかったようでしたなあ。タマは砥(な)めるわけにもいかんし――」

「それでその、井上戦友さんというお方は、一体どうなりました?」

「私らは彼の体を引きずって、土囊(どのう)のかわりにしましたです。もう呼吸もなかったし、なにしろ敵さんのタマがはげしくて、遮蔽物(しゃへいぶつ)のひとつも欲しい状況だったから。人間も五官をなくせば、もうせいぜい土囊ですな。――」

 ウィスキーを舌の先でころがしながら、莫邪は鬱然(うつぜん)たる表情でその問答を聞いている。

「その井上戦友に、この祝賀会を見せたかったという訳ですさ。なあ山形兵長」

 その山形新郎は大きな体を、なだれるように莫邪の傍に割りこませてくる。新郎はもはやいい機嫌になっている。酒でいい機嫌になったと言うより、こんなに大勢が自分を祝ってくれる、その意識に酔っているように見える。実際打ち見たところでは、客のみんなは祝いの感情でなく、その他の感情で酒を酌(く)んでいるように思えるのだが。そして新郎の分厚い掌が、莫邪の肩を親愛の情をこめたようにつかむ。

「兄上が来れなかったのは、じつに残念ですなあ。しかしお兄上もさぞかし、お忙しいことでしょうなあ。なかなか羽振りがきくそうで」

「はあ。なかなか忙しいようです」

「お帰りになったら、山形もやっと幸福な結婚の旅路に出たと、そうお伝えして下さいよ。しかしなんですなあ。人見の奴は瘦せているが、この弟御さんはご立派な体格ですなあ」

 莫邪はすこし顔をあおむけて、頰をにたにたとゆるめている。他人から褒(ほ)められると、莫邪の顔はいつもこんな表情になってしまうのである。縁側の方から、新婦が心もとなさそうな顔付で、しきりにこちらを眺めている。時間が心配なのじゃないかしら。座がようやく乱れてきて、向うの方では人影が立ったり坐ったり、皿や小鉢がふれ合って鳴ったり、またとげとげしい語調で議論が始まったりしている。電燈がつかない上に、日が傾いたらしく、あたりは俄(にわ)かに蒼然とくらくなってきたようだ。

「おい、山形。山形戦友てば」

 れいの男が黒い南京豆のような眼で、怒ったようにこちらを見て言った。

「ローソクぐらいはとぼせよ。暗くってこれじゃ飲めやしないじゃないか。今もこの御老人が、酒と間違えて醤油を飲んでしまったよ」

「ナミコ。おい、ナミコ」新郎は首をのばして、縁側の方を呼ぶ。

 縁側で新婦の姿がそそくさと動いて、やがて黄色い蠟燭(ろうそく)の光が、四つ五つ入ってくる。卓上のあちこちに立てられると、四方の壁に人々の影が、幽鬼のように揺れる。途絶えていたざわめきが、それにあおられたように、また部屋の内にひろがってくる。

「それにしても、なんだなあ。あ。ちょいと失礼」黒男は手足も使った様子もないのに、老人の膝をぐにゃりと乗り越えて、いつの間にかもうこちら側に坐っている。そして山形に盃をつき出しながら「ひょっとすると今夜は雨になるなあ。いや、この調子では雨になる。きっとなるな。すれば旅行も難儀だなあ。全くご愁傷さまなことだ」

「天気予報じゃ、晴れる見込みだというんだけどね」盃を受けながら、新郎は当惑した風(ふう)ににこにこして、朴直(ぼくちょく)な受け答えをする。

「晴れるもんか。それで宿屋はどこだい。もうきまっているのか」

 男の黒い洋服の膝が、莫邪の膝にひたひたとくっついている。それは風袋(ふうたい)だけで中味がないような、妙に手応えのない無気味な感触である。あかぎれの膏薬を熱した臭いに似た、へんに鼻にこもってくるような体臭が、男の体からただよってくる。服のにおいかしら。それともこの男の肌のにおいかしら。急に吐き出したくなるのを我慢して、莫邪はやっと口の中のコンニヤクを呑みこみ、あわててウイスキーの方に手を伸ばす。男はその莫邪を無視したように、言葉をつづけている。

[やぶちゃん注:「風袋」通常は品物の外観・見かけを言う。]

「宿屋についたら、用心しなさいよ。近頃の宿屋は妙なのがあるそうだからな。新婚部屋なんかは、外からのぞかれるような仕掛けになっているのが、時々あるという話だぞ」

「ほう。そんなものですかな」またさっきの老人が、性こりもなく横からもぐもぐと口を出す。

「そうでもないだろう」

「いや。そうでもある。おれも一度見たことがあるが、ありゃあなかなか、巧妙な仕掛けだった。ふん」

「嘘(うそ)ばっかり。嘘だろう」

 新郎はやや苦い顔になって、持て余したように言う。黒男は舌なめずりしながら、しきりに手酌で盃を重ねている。何だかイライラしたような飲みっぷりであった。莫邪は身体の半分だけが酔い、半分だけが醒めているような感じで、じっとそれを眺めている。すると急に追っかけられるような気持になって、下腹がきゅっと収縮し、小便が出たくなってくる。

 「なあ。山形戦友」黒男の声はすこしずつうるさく、すこしずつ高くなっている。無責任な厭らしさがその語調にはただよっている。「あの寒い守備隊でさ、お前といっしょにピイ屋に行っただろう。あのピイ屋の女でさ、蛙みたいな妓がいただろう。手足が細っこくってさ、お腹にはぜんぜんお臍(へそ)がなくってよ。そら、お前さんといっしょに、あの妓を真っ裸にしてさ、あれは滅法面白かったなあ――」

[やぶちゃん注:「ピイ屋」サイト「アクティブ・ミュージアム 女たちの戦争と平和資料館」の「日本軍慰安所」のこちらの証言に、中国の広東省の部落として、『語源は定かではないが、古参兵達は慰安所のことをピイ屋と呼び、慰安婦のことをピイと呼んでいた』とある。]

音となって、便所まで追っかけてきた。

 「妙な祝賀会だな」勢よく尿を放出しながら、莫邪は思ったままをひとりごちてみる。「祝賀会だというのに、みんなあんまり愉しそうでもないじゃないか。もっともそれは俺の責任でもないが」

ら、莫邪はしっかりと頭を働かしたつもりで呟(つぶや)いた。

「そしてあの黒服の男は、どうも他人事(ひとごと)じゃないようだぞ」

 他人事でなければ、何なのか。それは莫邪にもよく判らなかった。脈絡もなくそう呟いてみただけである。しかしただそれだけで莫邪は一応納得したような顔付になって、やがてトコトコと便所から出てきた。手を洗って手巾(ナンカチ)を探そうとして、ふとポケットの中から、がさがさしたものが指にふれてきた。香奠の紙包みなのである。一寸引き出して見て、莫邪はあわててそれをポケットの奥深く押し込んだ。そして自分に言い聞かせるように口の中で言った。

「これはここでは、出すんじゃなし、と」

 便所のすぐ横にうすぐらい三畳間がある。手巾で指をぬぐいながら莫邪は障子のすきまから、なんとなく内部を覗(のぞ)きこんでいた。ごたごたしたものがうっすらと眼に入ってくる。すばらしく大きな棺桶だと見えたが、よく見ると、それはどうも真新しい長特ちのようである。きっと新婦の嫁入道具なのであろう。その上に男物らしい黒い紋つきが、屍衣のようにだらりとかぶさっている。ナフタリンの香が、便所の臭気にまじって、妙に不吉な感じの臭いとなって、莫邪の鼻にながれてきた。

「もうこれだけ居たのだから、そろそろお暇(いとま)しようかな」

 隙間から眼を離してぐふんと鼻を鳴らしながら、莫邪はぼんやりとそう考えた。何だかここは変にチグハグで、どうもうすら寒い感じばかりがする。早くここを辞去して、明るい街の燈の下に行きたい。その思いがちらと莫邪の心をけしかけてきた。

 宴会場の八畳から、なにか甲高(かんだか)い声が聞えてくる。言い争っているような声音である。

 

 便所に立っていたので、その間にどういうことが起ったのか、よく判らない。莫邪がしばらくして部屋に戻ろうとすると、宴席は妙に険(けわ)しく殺気だっていて、人影がものものしく立ちゆらいでいる。狭い座敷にお客も主人役も総立ちになっているらしい。そこらで皿小鉢がチャリンところげ落ちる音がした。たかぶった声で、

「だからさ。話の筋はチャンと通っているんだ。それに君が口を出すいわれは、ないじゃないですか」

「そ、それが失礼だと言うんだ。何だい。今日は山形君のお祝いの席上だぞ」

「まあまあ」

 山形新郎がそこらに割り入って、しきりにあたりをなだめている風である。蠟燭の焰が人の動きにあおられて、ゆらゆらとゆらめいている。様子があぶないと見たのか、ナミコ新婦ももう主婦じみた智慧をはたらかせて、手早くビール瓶などを片付け始めている。別の声が、

「それじゃあこの家に申し訳ない。まあまあみんな落着いて。とにかく話せば判るというこんだ」

「何だよ。こいつが最初に生意気な口を利いたんですよ。しっぱたくよ、ほんとに」

「お、おい。よせやい。鞄(かばん)を、ど、どこに持って行くんだ、よう」呂律(ろれつ)の廻らない別の声が混ってきたりする。

「よう、兄ちゃん。兄ちゃんったら」

「なに。ひっぱたいてみろと言うんだ。やい、そこのきたない黒坊主」

「よせよ。よせってば。ほんとに判らねえのかよ」

 声ばかりが三重にも四重にも乱れ飛んで、誰と誰とがいさかっているのか、いっこう判然としない。とたんにうすっぺらな座布団がヒュツと風を切って飛んできて、莫邪の肩にぐしゃりと当った。急に声が切迫してごちゃごちゃに入り乱れる。

「まだ言うのか。お前たちは」壁ぎわに立ちはだかるようにして、あの黒服の男が服の袖をぐいとまくっている。強いて虚勢をはったような声で「そんならコナゴナにしてやるぞ。こっちに出てこい」

 人々の肩の間から黒男のまくった腕の形が、ちらと莫邪の眼にはいる。この男がいさかいの主体なのかな、と莫邪はひょっと考える。筋ばった牛蒡(ごぼう)のようなその腕には、剛(こわ)そうな黒い毛が一面に生えている。北海道はタラバ蟹(がに)の脚にそっくりじゃないか、と思った瞬間、押えつけたような声とともに、そこらで影がはげしく揺れ動き、何かがぶつかり合うにぶい音がして、莫邪の身体もはずみをつけて、いきなり横ざまに突き倒されていた。誰かの足がぐいと背中を踏みつけたような気もする。こぼれ酒に濡れた畳に両手を支え、しゃにむに体を捩るようにして莫邪ははね起きていた。

「よして。およしあそばして」

 そして短い悲鳴とともに、はね起きた莫邪の眼前で、こんどはナミコ新婦が畳の上に斜めにひっくりかえっている。やはりあおりを食って突き飛ばされたのだろう。派手な裾が勢よくまくれて、ハンペンみたいに真白い両脚の形が、瞬時にして莫邪の網膜に灼きついた。その時床の間でガチャンと音がして松竹梅を活(い)けた壺も倒れたらしい。そして飛んできた新郎にたすけられて、新婦はやっと起き上ろうとしている。切なく悲しそうな声で、

「――眼鏡。あなた、あたしの眼鏡がないわ」

 その声で騒ぎはしゅんとしずまったようである。みにくい昂奮のあとの、こわばったようなしらじらしさが、急に部屋全体を支配してきた。うろうろと立っている者。いっしょに眼鏡を探す者。マッチをともして蠟燭につけようとする者。床の間の壺を置き直そうとしている者。さまざまに動いている人々の上で、いきなり電燈が明るくパッとともる。やっと停電が直ったのだ・みんなの顔が一斉(いっせい)に電燈をまぶしそうに見上げている。わざとまぶしそうな表情をつくることで、うしろめたい感情を全部ごまかそうかとするかのように。

「やれやれ」

「点(つ)きましたか」

 そしてみんなガッカリしたような姿勢になって、そこらの畳をのろのろと拭ったり、皿や小鉢をわざとらしく並べ直したりしている。新婦をつきとばしたのは、どこの誰だか判らない。眼鏡は刺身皿のなかから、ワサビをくっつけて発見された。それから新郎が立ち上って、きまりのつかないような声を出して、一座を見廻した。

「さあ。さあ、どうぞ。一応お坐りになって。どうぞお静かに」

 しかしその声に応じて坐ったのは三四人だけで、あとは思い切り悪く、天井や庭を眺めたり、何となく非難がましい顔を見合わせたりして立っている。莫邪がふと気がつくと、あの黒い紳士の姿は一座のどこにも見えなかった。さっきの騒ぎの最中にうまく姿を消したのか。見ると部屋のすみに置いてあった筈の黒い帽子や風呂敷包みも、そっくり形を消しているようである。どさくさまぎれに巧く逃げてしまったにちがいない。

「汽車の時間のこともおありでしょうから」やがて和服の老人があたりに気兼ねをするような口調で口を切った。

「私どもはこれで失礼つかまつります。このたびはいろいろと、おめでとうございました」

「おめでとうございました」

 五六人の声が口々にそれに和した。そしてそそくさと自分の持ち物をとり上げて、どやどやと玄関になだれ出る。もはや用は済んだという感じである。莫邪の姿もその中にあった。せまい玄関は靴や下駄をはこうとするもので、たちまち大混雑になっている。莫邪はまっさきに玄関に飛び出たので、靴をはき終えるのも一番早かった。見渡すと、居並んだ下足のどこにも、れいの男の黒長靴はやはり見当らないようであった。莫邪の背後では、あとからの客ががやがやとひしめいている。

 (まるで寄席(よせ)のはね時みたいだな)表に出て、一応家内をふりかえりながら、莫邪は気持を引離すようにしてそう思った。(それにしても、あまり愉快な茶番じゃなかったようだが――)

 割り切れない顔で土間にひしめく客達のむこうに、送りに出てきた新郎新婦が並んで立っている。取ってつけたように、済まなさそうな表情をつくろうとしているが、その善良らしい二つの顔はやはり、嬉しさを押え切れない風にゆるむ気配である。瞬間なぜともなく、莫邪はその二つの善良な表情に対して、かすかな憎しみに似た嫉妬の情を、はっきりと意識した。憎まれ口をたたいてみたいような衝動が、矢のように莫邪の胸をひらめいて走り抜ける。しかし莫邪はその二人の顔に、あいまいな笑顔で遠く黙礼をすませただけで、くるりと背を向けて、黄昏(たそがれ)の赤土路を歩き出している。これで日当仕事の半分は済んだじゃないか。もう一方の自分自身に強いてそう納得させながら。

 頭の芯(しん)がかすかに痛かった。

 

 午後七時。

 明るい盛り場のなんとか酒蔵という酒店の片すみに、人見莫邪はぽつねんと腰をおろしていた。酔いが中断されたまま醒めかかってきたので、やがて気持もしらじらしく、身体もぎくしゃくと硬(こわ)ばっている。随意筋が不随意筋に入れかわってゆくような、そしてそのまま板のように凝(こ)ってゆくみたいな違和感が、仝身にひろがってくる。莫邪はポケットに手をつっこんだまま、しきりに背筋をゴリゴリと壁にすりつけていた。告別式に出席するのも、ひどく億劫(おっくう)な感じであった。

 「どうして人間は、何か事があれば、直ぐにあんな風(ふう)に集まりたがるんだろうな」気持を引き立てようとしながら、莫邪はそう呟いていた。「やはりあれも一種の群居本能(グレガリアスハビット)というやつかな」

[やぶちゃん注:「グレガリアスハビット」英語“gregarious habit”。音写は「グレギャリアス・ハビット」に近い。“gregarious”は「群居する・群居性の・群生する・叢生する・集団を好む」の意、“habit”は「気質・性質」の意。]

 立てこんだ客の間を縫って、やっと小女がコップを運んできた。莫邪は不精たらしく背を曲げて、億劫な唇をコップの方に持って行く。一口ふくむと予想通り、それは迎い酒のようににがかった。それから彼はおもむろに手を出して、コップをわし摑(づか)みにする。顔をしかめて残りを一息に口に流し込む。そして大きく呼吸(いき)をはき、しばらく考え込むような、また反応を確かめようとするような顔付になって黙っていた。やがてそこへ二杯目が運ばれてきた。

「やはり行かなくちゃならないだろうな」

 身体のしこりがゆるゆるとほぐれてくるのを感じながら、莫邪は柱時計を見上げる。通夜(つや)はもう始まっている時刻であった。莫邪はうるんだ眼をコップに戻し、干将のことや、自分の家のことや、猫のヒッカキ板のことや、自分の就職運動のことなどを、暫(しばら)くあれこれと考えた。コップの中に入っているのは、透明な焼酎(しょうちゅう)である。「やはり行くことにしよう」二杯目をすっかり飲みほした時に、莫邪はやっと決心したように呟いた。もっともこれは初めから、チャンときまっていた事で、本当は呟くまでもないことであった。「行くだけでいいんだからな。ラクチンな仕事だ」

 足を引きずるようにして店を出ると、夜気がひやりと頰にふれる。しかし駅につく頃には、酔いが快く内側から弾いてきて、身体も軽くなっていたし、情緒もいくらか浮き立ってくるようであった。電車はかなり混んでいた。目的の駅につくまで、莫邪は吊皮にぶら下って、窓ガラスにうつる自分の顔ばかりを、しげしげと眺めていた。ガラスの中の顔の感じた、莫邪の表情の動きに呼応して、さまざま微妙に変化する。結局、うつむき加減に眼をするどくした表情が、莫邪には一番気に入ったと見えて、目的駅のエンジンドアが開くと、彼はその表情をくずさないように保ちながら、しずしずと歩廊に降り立っていた。そして改札口の方にあるくとき、人混みの間二十米ほど前方に、見覚えのある姿を見たような気がして、彼はぎょっとその表情を変えた。

 その小さな姿は、人混みの間をすりぬけるようにして、芝居の黒子(くろこ)みたいにチョロチョロチョロと動いていた。莫邪は思わずそこに眼を据えて、急ぎ足になった。

「あいつだな!」

 うす暗い歩廊の前方を、それは不吉な黒い翳を引いて、ちらちらと隠見している。帽子の恰好や服の感じからして、それはあの黒い紳士の後姿にまぎれもない。と思ったとき、ごちゃごちゃと改札を通る一団にまぎれこんで、その黒い姿はふっと見えなくなったようである。追っかけるように急ぎ足で改札口を通り抜け、莫邪は明るい売店の前に立ち止って、油断なく四周(あたり)をきっと見廻した。へんてつもない商店街が三方に伸びているだけで、黒服の後姿はもうどこにも見当らなかった。だまされはしないぞという眼付になって、莫邪はなおもあちこちの薄暗がりを、暫くにらみつけていた。

[やぶちゃん注:「俺は大探偵リングローズだぞ!」イギリスの作家(インド生まれ・プリマス育ち)イーデン・フィルポッツ(Eden Phillpotts 一八六二年~一九六〇年)の二篇の探偵小説「闇からの声」(“A Voice from the Dark”:一九二五年)と、Marylebone Miser(「メアリルボーンの守銭奴」。邦訳題では「密室の守銭奴」「守銭奴の遺産」)で主役を演ずる探偵John Ringrose。私は推理小説を特には好まないが、前者は擬似怪奇談仕立てで、一九七〇年の夏、中二の時、NHKの銀河ドラマで翻案放映されたの見て、直後に訳本を読んだのでよく覚えている。]

 犯人を探索する大探偵のような表情をつくり、莫邪ははっきりと声に出して、そう独り言を言った。それはつい二三日前読んだ小説に出てくる探偵の名であった。そして肩をぐいとゆすり上げると、おのずからものものしい歩き方になって、明るい街路に足を踏み入れた。干将の高等学校の友人で、酔余(すいよ)崖から落ちて死亡したという、川口某氏宅の方向である。酔いが適当に自分を鼓舞してくるのを感じながら、莫邪はサッサッと空気を切るようなおもむきで、道をその方向にぐんぐんと進んで行った。そして目じるしの洗濯屋の角から、身体をひるがえすようにして右へ曲りこんだ。その狭い凸凹道の入口には、夜だというのに、まだ近所の女の子たちが集まって、わらべ歌を唱和して遊びさざめいている。

 

  かってうれしい花いちもんめ

  まけてくやしい花いちもんめ

  みかんまとめて東京へおくる

  ふるさとまとめて田舎におくろ

 

 女の子の輪が、小さくすぼまったり、道いっぱいに拡がったりして、莫邪の進行の邪魔をした。莫邪はあぶなく溝(みぞ)板からころげ落ちそうになって、やっとそこをすり抜けた。女の子たちはそんなことには無関心に、しきりに道びに打ちこんで歌い呆けている。その唱和は澄みきって夜気を徹って流れた。

 

  いちりっとらん

  だんごくってし

  しんがらほっけきょ

  となりのナミコちゃんちょっとおいで

 

 (あいつらはもう汽車に乗りこんだかな)突然その歌の文句にうながされたように、ナミコ新婦の真白い両足の瞬時の映像が、はっとするほど鮮やかに、莫邪の網膜によみがえってきた。その幻の二本の映像は、赤や緑の色彩の中からパッとおどり出して、一瞬切なくわななきながら捩(よじ)れ合っている。そして次の瞬間、憎しみに似たどろどろしたものが、その映像をじわじわと隈(くま)どってくるのを、莫邪はぼんやりと感知した。頭をふってその妄想からのがれようとしながら、今度は新婦ナミコの白い丸顔が、さきの肉体の映像から切りはなされた形で、ぽっかりと記憶の中から浮び上ってきた。それはとりすました新婦ナミコの顔ではなく、眼鏡をふっ飛ばされたときの、瞼がぼったりとふくらんだあの表情である。そのむきだしになった双の眼は、なにかを求めるように、たよりなげにまたたいている。(あれは好色そうな眼付だったな)気持がそこにつながるのを忌々(いまいま)しく感じながら莫邪はそう思う。しかし眼付それ自身が好色なのか、それを眺めている自分が好色なのか、ふと彼はとまどう気持になっている。そして莫邪はわざとらしい空ぜきをしながら、ポケットから仔細らしく地図をとり出して道をたしかめた。(しかし近眼の女が眼鏡をはずすと、一律に好色な眼付になるのは何故だろう?)

[やぶちゃん注:先の二つの「花いちもんめ」の前者の歌詞の後半は、私は唄った記憶がないのだが、調べたところ、長野県在住の女性のブログと思われる「桔梗原」の「花いちもんめ」の記事に、よく似た『♪みかんキンカン東京に送る ♪ふるさとまとめて田舎に送る』とあった。後者は本篇のシークエンスとしての繋がりから、最後の「となりのナミコちゃんちょっとおいで」から「花いちもんめ」の続きの歌詞ととったが、前三行の歌詞は、所謂、少女の手毬唄のそれを少女たちが流用した合成ものと思われる。サイト「世界の民謡・童謡」の「いちりっとらい(いちりっとらん) らいとらいとせ しんがらほっけきょ 夢の国♪」を参照されたいが、本歌詞と似たものでは、静岡県焼津市採取の、『いちりっとら らっきょうくってし』/『しんがらほっけきょの とんがらしんがらほい』というのが近いか。]

 歩いてゆくにつれて、道はますます暗くなり、夜気はいよいよ冷えてくるようであった。また生籬ばかりがつづく小路となったらしく、燈影はあたりからほとんど射してこない。真黒な路面は凸凹のまま、靴の下で凍った音を立てている。もはや大探偵リングローズの面影は消え、異土に迷いこんだ旅人みたいなあやふやな表情になりながら、莫邪は一歩々々を探るようにして、暗い露地を進んでいた。そこらの暗がりから、あの黒い紳士の化物じみた姿が突然現われそうな予感が、やがて莫邪の神経をじりじりとおびやかしてきた。その予感に対抗するように、闇にむけて眼を大きく見開きながら、莫邪は自分の考えの脈絡を、ふたたび昼間のあの奇妙な祝賀会の方へ引きもどそうとする。(あるいはみんな無意識裡に、新郎新婦のありかたを嫉妬したり憎悪したりしていたんじゃないかしら)その思いつきが突然莫邪にやってきた。その考えはいくらか彼の胸を苦しくもし、また同時に彼の頰をぶよぶよとゆるめてもきた。精虫を欠如した精液みたいに、たんに不潔なだけで全然無意味などろりとしたものを、そして莫邪は自分の内部にありありと感じ、また人々のなかにありありと感じた。咽喉(のど)の内側の軟肉が収縮したように、ギュツという生理的な音をたてた。(それにしてもあの奇妙ないさかいは、どうして起ったのだろう?)便所から戻ってきた時の、あの宴席のささくれだった不毛な感じの雰囲気を、莫邪はなにか嗜虐(しぎゃく)的な気分におちながらまた憶い出している。人生というものは、何も知らないで通り抜けてゆくのが大部分だから、その設問もほとんど無意味な筈であった。しかし莫邪は手探るようにその情景を反芻(はんすう)し、いきりたった声々の響きや、こぼれ酒を吸い上げた灰色の雑巾(ぞうきん)のにおいや、黒服の男のタラバ蟹の脚に似た腕の印象などを、しみじみと反芻した。それはやがて酔余の嘔吐(おうと)のときのような収縮性の苦しさと放散的な快感を、同時に莫邪の胸にもたらしてきた。つづいて思いつくままを彼は声にしてつぶやいてみた。

「光というものは、あれはいやらしく奇妙なもんだな。ことにあの人工の光線ときたら――」

 電燈がパツとともったあの瞬間の感じを、莫邪はありありとよみがえらせながら、闇の中でわざとらしく顔をしかめている。あの寸前に黒服の男は、鼠のように遁走(とんそう)してしまったのだ。いや遁走という感じはあたらない。ウミを持った傷口が、いよいよ熟し割れて、おのずからトゲを排出するように、あの男は宴席から自然と排出されてしまったんだ。そうだ。するとあの電燈の下に残っていたのは、このおれも含めて、もう御用済みのウミ共ばかりだった訳かな。だからあんな風(ふう)に、ぬけがらみたいにうつけた顔をして、どろどろどろと玄関に流れ出てきたわけだな。酔った頭の遠くの方で、なにかがしきりに合点々々しているのを感じながら、その時莫邪はふと顔を上げて立ちどまった。闇のなかにくろぐろとつづく屋並みの、眼前の一軒だけがあかあかと燈を点じて、黄色い光がその前の露地をほの明るくしているのである。干将の地図の見当からしても、その家が目的の川口家らしい。見ると立ちどまったすぐ傍の電柱に「川口家」と書いた紙片が貼られ、その下に描かれた指さしている手の形が、まさしくその家の玄関を指している。莫邪の眼はそれを見た。あたたかそうな光がその玄関から流れ出て、その燈色はいきなりやわらかくしっとりと莫邪の眼に沁み入ってきた。暗闇の妄想から解き放たれて、楽章の休止のように、思いがけない素直な平静さがとつぜん胸にみなぎってくるのを感じながら、莫邪はしずしずと足をうごかして、自然石の石階をのぼった。先刻のわらべ歌のかろやかな韻律が、その歩調とともに、彼の皮膚にしずかによみがえってきた。その幻の歌声は現実のそれよりも、はるかに縹渺(ひょうびょう)と澄みわたっていた。

 

  いちりっとらん

  だんごくってし

  しんがらほっけきょ

  となりのナミコちゃんチョットおいで

 

 しかし石階をのぼり切って、玄関のガラス扉をそっと引きあけたとき、莫邪の胸はどきんと波打って、思わず足が立ちすくんだ。玄関のコンクリートの床の上、ずらずらと並べられた通夜の客の靴の中に、見覚えのあるれいの黒い長靴が、男のガニ股の形そのままに、傲然(ごう)と突っ立っていたからである。その時玄関の奥の方から、なにかたのしそうな男たちの笑い声が、どっとあふれるようにこちらに流れてきた。通夜の宴がたけなわなのであろう。

「ここにも黒い紳士がいる!」

 莫邪はそっと敷居をまたぎ、肥った自分の身体を玄関の内に運び入れた。靴の裏皮に食いこんだ小石が、コンクリートの床面に摺(す)れて、ギチギチと厭な音を立てる。駅の歩廊でみとめたのは、莫邪の酔眼の見違いではなく、やはりあの黒服の後姿にちがいなかったようである。山形某も川口某も人見干将の友人であるのだから、黒い紳士が両者に対して、同じく友人であるということもあり得るだろう。それを厭らしい偶然だとは、莫邪は毛頭考えなかった。ただそこに脱ぎ捨てられた黒い長靴の形に、莫邪は胸の内側に一瞬ぼんやりした不快な焮衝(きんしょう)のようなものを感知して、思わず眼をそこから外らした。この通夜の宴席で、この長靴の主は、どんな役割を果たそうとしているのだろう。頭のすみでチラとそんなことを考えながら、莫邪は姿勢をととのえ、奥の部屋にむかって低い声で案内を乞うた。なんだか自分の声じゃないような気がしながら、莫邪はその呼び声を二三度くり返した。

[やぶちゃん注:「焮衝」本来は「身体の一局部が赤く腫れて、熱を持って痛むこと・炎症」の意。換喩。]

 

     溶 け る 男

 

 川口玩具製造工場主・川口真人(まさと)は、ある夜、自分の工場宿直室において、小使夫婦を相手に、約三時間にわたり、焼酎一升を酌(く)みかわした。小使老夫妻の勤続五周年をねぎらうためである。

 川口真人は学生時代、水上競技の選手をやった位だから、体軀も堂々として、酒も相当につよい。しかしその夜は、小使夫婦があまり飲まなかったし、川口自身の空(す)き腹のせいもあって、酔いの廻りがなかなか早く、瓶が残り少なになる頃から、呂律(ろれつ)が廻らなくなってきた。身体も言うことをきかなくなったらしく、便所の行き帰りなどにウオオウオオと唸(うな)り声をはり上げて、工場の板の間をごそごそと這(は)い廻ったりした由である。その揚句、宿直部屋を妓楼の一室と思い誤り、妓(おんな)を三四人呼べと強要し、小使夫婦をたいそう困らせた。

 工場の宿直室から、宵(よい)果てて、川口真人がどの道を通り、どんな風(ふう)にして帰って行ったかは、一切わからない。

誰も知らない。

 そして翌朝早く、この川口工場主の身体は、方角違いの某駅近くの崖下に、横たわって発見された。墜落(ついらく)したままの姿勢で、彼は顔を半分泥に埋め、すっかり息絶えていたという。

「保線工夫の方がそれを見、つけて――」黒い絹地の袖口から、白い襦袢(じゅばん)のふちを引出して、トミコ未亡人は眼の下をちょっと押えて見せた。黒白の布地はふれあって、さらさらと乾いた音を立てた。「すぐ警察に連絡して、それで警察からこちらへ、電話で知らせがありましたのですの」

 窮屈そうに膝をそろえて、人見莫邪はそれを聞いている。肥っているので、坐ると洋服の膝が盛り上ったようになる。その膝にのせた掌の血色もよすぎるし、額や頰の皮膚もほのぼのとあからんでいる。この男はここに来る前に、どこかで一杯飲んできたに違いないと、トミコ未亡人はとっさに見当をつけてしまっていた。莫邪は手をもじもじと上げて、カラーと頸(くび)筋の間に指をさしこみ、それを弛(ゆる)めるような動作をしながら、チラチラと祭壇の方を眺めていた。祭壇の正面には、故川口真人の大きな引伸し写真が、取澄ました顔をこちらに向けていた。低いわざとらしいせきばらいが二つ三つ、莫邪の咽喉(のど)から洩(も)れて出た。

「それで、やはり――」器用に追悼の表情がつくれなくて、莫邪は困ったような声を出した。「やはり、その、ずいぶんお酔いになったんで、それで――」

「間違って、おっこちたんですわ。それに生憎(あいにく)とあの夜は、闇夜でございましたし」と未亡人はくやしそうな声でひきとった。「工場の方で気を利かせて、引きとめてさえ呉れれば、まさかこんな羽目にはねえ――」

「そうです。そうです」初めて共感できた顔つきになって、莫邪はしきりに合点々々をした。そしてそれでもすこし言い足りない気持になって、急いで言葉をついだ。「こんなことは、はたの者が、よく気をつけて上げなくちゃあ。とにかく、板の間を這ってあるくほど、お酔いになっていらっしゃったそうだし――」

 三間つづきの部屋の、仕切りの唐紙(からかみ)を全部とりはずして、細長い通夜の座となっている。祭壇がしつらえてあるのは、その一番奥である。祭壇のそばに、黒金紗(きんしゃ)の喪服をまとって、トミコ未亡人がきちんと坐っている。喪服がよく似合って、頸筋がぬけるように白い。そのつややかな皮膚のいろは、人世の幸福とでもいったようなものを、瞬間何となく莫邪にかんじさせた。それをごまかすように莫邪は眼をパチパチさせ、頭をかるく下げながら、ことさら殊勝な声を出した。

「本来ならば、兄が参上する筈でございましたが、今夜はとりあえず、私が代理といたしまして――」

 しびれた膝を横にずらして、莫邪はやっと祭壇にむきなおった。香炉からは焼香の煙が、幽(かす)かにゆらゆらと立ち昇っている。ポケットから香奠(こうでん)包みを二つとり出して、作法通り台の上にそっと積み重ねた。兄のぶんと、自分のぶんのつもりなのである。そして莫邪は両掌を合わせ、顔をすこしあおむけて、額に入った写真をしばらく眺めていた。写真の川口真人氏の顔は、口を真一文字にむすび、アザラシみたいな表情でじっと莫邪を見おろしている。

(――なんてリアリティのない顔だろう!)

 そう思いながら、やがて莫邪はそこから眼を外らして、こんどは銀色の造花のはなびらや焼香台の上のものを、吟味するように眺め廻していた。台の端のところに、玩具の小さな象や狸(たぬき)や熊などが、五六箇ならべて飾ってある。その不似合いな配置が、ふと莫邪の視線をとらえた。それら玩具の動物たちは、そろって祭壇の方に尻をむけ、その小さく透明なガラスの目玉で、通夜の座のざわめきを無感動に見張っている。自分が見詰められているような気がして、莫邪はちょっとたじろいだ。側からトミコ未亡人のしずかな声がした。

「これが今度つくった、工場の新製品なんでございますのよ」

 次の部屋から、居並んだ弔間客たちの話し声や笑い声が、にぎやかに流れてくる。皿や盃の鳴る音もする。莫邪はぴょこんと仏前に頭を下げて、なにかあわてたように厚ぼったい座布団をすべり降りた。その動作を、未亡人の眼がつめたく眺めている。やっと役目を果たした面(おも)もちになって、莫邪は膝の上でなんとなく掌をこすり合わせた。

「ご焼香ありがとうございました。さ、どうぞこちらヘ――」

 そう言って未亡人が手をあげたので、黒い喪服の袖口からなめらかな二の腕が、しろじろとすべり出た。まぶしそうに顔をそむけて、莫邪は通夜の宴の方に眼をうつした。

そこらは莨(たばこ)の煙がいっぱいこもっていて、人影がちらちらと揺れたり動いたりしている。その中に黒っぽいひとつの姿を、彼の視線は寸時にしてとらえていた。腰をなかば浮かしながら、そこに眼を据(す)え、莫邪は思い切り悪くたずねてみた。

「あの黒い服を着た方も、やはり御主人の、学校時代のお友達かなにかで――」

「いえ。あの方は――」と未亡人の軀(からだ)がしなやかに伸び上る気配がした。「あの人はたくと、たしか御同業の方なんですのよ。やはり玩具の方の関係で――」

 莨の煙をゆるがしながら、あたらしい弔問客が部屋に入ってきたので、会話がふいにそこでとぎれてしまった。そこで莫邪は敷居ぎわまで後ずさりして、不器用に立ち上った。脚がしびれて、すこしよろよろする。そばの柱につかまりながら、この通夜の宴に加わるべきかどうか、莫邪はふととまどう表情になっている。あの黒服の男をのぞけば、見渡す通夜の客たちは、彼の見知らぬ顔ぶればかりであった。

 祭壇のそばでトミコ未亡人が、新参の弔問客にたいして、亡夫の横死の前後の事情を、再びくどくどと話し始めている。さきほど莫邪が聞いたその話と、順序から口調から、それはそっくり同じであった。喪章をつけたその歳若い客人は、先刻の莫邪と同じく、頭を垂れたかしこまった恰好で、それに神妙に聞き入っている。柱につかまったまま、よく動く未亡人のうすい唇を、莫邪は横目でチラとぬすみ見た。

「退屈な夜だな。もう帰ろうかな」未亡人の前では殺していた酔いが、じわじわと身内に戻ってくるのを感じながら、莫邪は口の中でうんざりしたように呟いた。「しかし帰るのも勿体ない話だな。香奠は払ったんだし――」

 通夜の座はすでに闌(た)けて、乱れを見せ始めている様子であった。酒盃やコップがしきりにやりとりされ、話し声や笑い声が雑然と湧き起っている。座の温気(うんき)にむされて、外気をさえぎるガラス戸の表面には、つぶつぶの水滴がいくつも宿り、するすると流れ落ちている。夜気のつめたさを、それは思わせた。莫邪はしずかに次の部屋に足を踏み入れた。

 

「どこかでお見受けしたようですな。ええと、どちらでしたかな」

 莫邪が盃を乾すと、かさねて徳利をつきつけながら、黒服の男はそう言った。貧乏ゆすりをしながら、ひどくうれしそうな、浮き浮きした声である。上機嫌に眼をあちこち動かして、落着いて返事を聞こうとする様子もない。

「ええ。さきほど、昼間にね」

 どうでもいいような気分になって、莫邪はそう答えている。そしてまた盃をぐいと乾(ほ)してしまう。安手な素焼の大きな酒盃であった。黒服の男が伸ばした徳利の口が、再びその縁にコツンとぶつかってくる。

「さあ、さ。早く飲まなくちゃ」

「大きな盃ですな。これは」

「なあにね、これは駅売りの茶瓶の蓋(ふた)ですさ」と黒服の男は肩を揺すって大声で笑い出す。「川口って奴は、ケチな男でね。旅行に出たって、そんなものを一々持って帰るんだ」

 莫邪の右手の方では、二三人の男が額をあつめて、切れたトカゲの尻尾は生きているかどうかということを、しきりに議論しているし、左手の席では、眼鏡をかけて顔のしわくちゃな男が、気狂い病院の話を、手振りを交えて相手に聞かせている。

「息子が気狂いだというんでね、その親爺さんが、息子をだましだましして、松沢病院に連れこんだとさ」

「ふん。ふん。それから?」

「そしたら診察の結果ね、息于さんは無事に帰されてさ、親爺さんが病院に入れられたという話なのさ。嬉しい話だね」

[やぶちゃん注:「松沢病院」東京都世田谷区にある精神科専門病院として古くより知られた都立松沢病院。現在は他の各診療科を備えた総合病院となっている。それまで東京市巣鴨にあった精神病院である東京府巣鴨病院が大正八(一九一九)年に現在地に移り、「東京府松澤病院」として診療を始めたのが始まりで、敷地面積も広大で、分棟式建物が並び、当時から開放病棟や作業場が建てられているなど、先進的な精神病院である。「松沢」は原立地の旧村名(当該ウィキに拠った)。]

 黒男は大きな笑い声を立てながら、莫邪にむきなおる。

 「そうだろな。なにしろケチな男さ。勤続五年のお祝いに、焼酎一本だとよ。その揚句に、崖からおっこちたりしてさ。ふふん、だ」

 それから暫く時間が経つ。莫邪はぼんやりした眼付で、向うの祭壇の方を眺めている。敷居や鴨居(かもい)にくぎられて、祭壇のある次の間全体が、額縁に入った異質な別世界のように見える。そこにトミコ未亡人が先刻と同じ姿勢できちんと坐っている。その喪服姿はふと遠近感をうしなって、べったりと平たく眺められてくる。言いようもない退屈な感じが、そこらにうすうすとただよっている。そして祭壇の奥からは、川口真人の照影が、無意思な視線をこちらにそそいでいる。莫邪は急に酔いが廻ってきて、死んだ章魚(たこ)のように身体がだるくなってくるのを、ありありと自覚した。

「板の間をゴソゴソ這ったりして、さ」莫邪は盃をおいて、誰にともなく口真似をしながら、両手で畳のケバをそっとかきむしってみる。「ふん。きっと玩具の熊の真似をしたんだな、あの工場主は」

「台湾の葬式には、泣き女というのがいてね」別の声がキンキンと耳の中に入ってくる。こちらに話しかけているのかどうかは判らない。「それが代表して泣いて呉れるんだよ。日当をもらって、葬列の先頭に立ち、ワアワア泣いて歩くんだ」

「悲しくもないのに、よく泣けるもんだね」

「そりゃ泣けるさ。ふだんから練習しているんだからね。でも、泣くってことは、大してむつかしいことじゃないさ。本来笑いと同じタチのものなんだ」

[やぶちゃん注:「泣き女」葬式に際して雇われて号泣する女性。現在の日本では職業としては存在しないものの、旧習として存在し、中国・朝鮮半島・台湾・ベトナム及びヨーロッパ・中東など、汎世界に散見される伝統的な習俗で、嘗ては職業としても存在していた。詳しくは参照した当該ウィキを見られたい。]

 時間がのろのろと動く。莫邪は柱にもたれて、鬱然とあぐらをかいている。その右の膝がいつの間にか、ひとりでに貧乏ゆるぎをしている。莫邪はそれを動くに任せながら、忌々(いまいま)しく視線をそこにおとしている。そして思っている。(すこし変だな)すり切れかかったズボンの膝頭が、そこだけ独立した生き物のように、しきりに小刻みに律動している。(これが動いていることだけが、今は確実なようだな。しかしそれにしても――)

 「日本という国は、つまり早く亡びてしまえばいいんだ」

 向う側から太いだみ声がやってきて、それがいきなり莫邪の思念を断ち切ってしまう。頭を総髪にした大きな顔の学者風の男が、小型の本のある頁を掌でピタピタと叩きながら、勢いこんでしゃべっている。

「この小説の中に、ペチェネーグ人というのが出て来るんだ。その註に、こういう説明がしてある。その説明がよ、ほんとに、おれの気に入ったんだ。いいか。読むぞ。中世ヴォルガ、ドナウの間に遊牧生活を営んだトルコ系の民族。近世に入って近隣諸民族の圧迫を受け。いいか。遂にはマジャール族と混淆して跡を絶った。な、跡を絶ったとさ。いいじゃないか。サッパリしていてさ。跡を絶つんだってさ。まことにサッパリしたいい言葉だ。そこで我が大和民族も――」

[やぶちゃん注:「ペチェネーグ人」当該ウィキによれば、「ペチェネグ」(Pechenegs:英語)は八世紀から九世紀に『かけてカスピ海北の草原から黒海北の草原(キプチャク草原)で形成された遊牧民の部族同盟』及びその構成民族の名。九『世紀末に遊牧民のハザール人とオグズ人の圧迫によって黒海北岸の草原に移住し、そこからフィン・ウゴル系の遊牧民マジャル人(後のハンガリー人)』(☜)、『ならびにスラヴ系の農耕民ウールィチ人、ティーヴェルツィ人を追い出した』。十『世紀を通じて』、『キエフ・ルーシ、ブルガリア、ハンガリー王国、ビザンツ帝国などの隣国と抗争を繰り広げた』。十一『世紀末に、遊牧民のポロヴェツ(クマン、キプチャク)に圧迫されて』、『ドナウ川を越え、ビザンツ帝国領内へ移住した。残った人々は、ポロヴェツに同化した』。『ペチェネグ人の系統に最も近い現存する民族はガガウズ人である』とあり、『「ペチェネグ」とはテュルク系の言葉で「義兄弟」を意味する』とある。]

 莫邪はしだいに瞼が重くなってくる。疲労と酔いがかさなって、全身の筋や関節から、力と張りをうばって行くらしい。時々引っぱり上げるように瞼を見開いて、彼は盃の方に手を伸ばす。祭壇のある部屋は、さっきと同じくきちんと仕切りにおさまっていて、トミコ未亡人の姿がその片隅に、象眼(ぞうがん)されたように端然とすわっている。盃をとる度に義務のように、莫邪はその方に眼を走らせる。

(辛いだろうなあ)その度に莫邪の皮膚の表面をそんな思いがちらと駆けぬける。(皆がこうして楽しく飲んでるというのに、罰を受けた生徒みたいに、あそこに坐っていなくてはならないなんて)

 しかしあの祭壇の部屋と、こちらの宴会の空気の食い違いも、もうそれほど莫邪は気にならなくなっている。古風で陰気な絵が壁にかかった居酒屋だと思えば、すっかりラクな気持ではないか。その莫邪の肩を、前に坐ったあの黒服の男の掌が、やがて勢よく叩く。

「おい。眠ってるのかあ。しっかりしろよ。おい」

 いつか座は雑然と乱れ果て、人影がそこらを行ったり来たり、またぼつぼつと櫛(くし)の歯がかけるように、立ち上って帰って行く客もあるらしい。戸をあけたてする毎に、玄関の方からひやりとつめたい空気が流れてくる。その都度莫邪はびくりと頰を動かして、柱から頭をもたげる。がやがやした騒音も、もはや大部分は素通りするだけで、いっこうに莫邪の耳の底にたまってこない。莫邪はけだるく鈍磨した心の片すみで、さっきの話の中の泣き女のことなどを考えている。日当を貰って泣いて見せるなんて、なかなかいい商売だな。こういう商売は、失業する憂いはないだろうなあ。考えがそこらあたりを堂々めぐりして、すこしも先に進んで行かない。しかし自分が失業中の境遇であることが、こんな酔いの底でも、まだ莫邪の胸をにぶく押しつけている。それがこの一座の溷濁(こんだく)した空気とあいまって、根源のない悲哀じみた感じとなって、ともすれば膜のように莫邪の全身をつつんでくる。日曜日の夜小学生がかんじる悲哀に、それはどことなく似かよっている。何しろ久しぶりに、しかも昼間からぶっつづけに飲んだんだからな、と思いながら、莫邪はなげやりな手を伸ばして、また素焼の盃をとり上げる。乱立した徳利もほとんど空になっていて、横だおれになったり、畳にころがり落ちたりしている。

 向うの方で、誰かが呂律(ろれつ)の乱れた調子で、俗謡をうたい出す声がする。

 黒服の男は歯をむき出して、間歇的(かんけつてき)に鶏のような笑い声を立てながら、しきりに洋服の袖をまくっている。

「愉快だなあ。ええ。今夜という今夜は」

 剛(こわ)い毛が密生したタラバ蟹みたいなその腕は、酔って血管がふくれ上って、全体が赤黒く変色している。なにか無責任な放恣(ほうし)をたたえ始めた一座の空気の頂角で、この黒男は唇のはしに白い唾をため、キョロキョロとあたりを見廻し、うきうきとしゃべったり笑ったりしている。

「ええくそ。こんな愉快な宴会は久しぶりだぞ。よし。ひとつ俺が、おどってやろうか」

 男が腕をふりまわす度に、アカギレの膏薬に似たにおいが、かすかにそこから流れてくる。鼻にこもってくるような、妙に刺戟的な体臭だ。そのにおいを嗅いだだけで、莫邪は突然この男を憎む気持になっている。布団のなかでふと自分の体臭を嗅ぎ当てたような、そんなやり切れなく屈折した嫌悪感が、莫邪の眉根を瞬間にくもらせている。

「人が死んだってなあ、しょげることはないさ」男の腕がはずみをつけて、莫邪の肩をがくがくと揺すぶる。「人が死んだってことは、残りの人間が生きてるってことさあ。なあ。そうだろう。なあ、おい」

「しょげてなんか、いるもんか」

 眉をしかめたまま、莫邪はそんなことを口の中で、もごもごと呟く。そしてしょげていない理由を説明しようとして、急に面倒くさくなってしまう。

 

 午後十時。人見莫邪の朦朧(もうろう)たる視界。

 そこに誰かが立って、卓をふまえるようにして、演説している。故川口真人の徳をたたえ弔意を表しているらしいのだが、あたりががやがやしているし、入れ歯が抜けたような声なので、なにをしゃべっているのかさっぱり判らない。

 れいの黒服の男は上衣を脱ぎすてて、足をぴょんぴょんさせながら、そこら中を踊り廻っていた。座についている客は、もうほとんどない。

 酒肴(しゅこう)のたぐいはおおむね片づけられて、火鉢や空膳だけがばらばらと残っている。危い足どりでその間隙を縫いながら、その黒い姿は手を伸ばしたり縮めたり、足を交互にはねあげて、出鱈目(でたらめ)な踊りをおどっている。

 ふらふらする足を踏みしめて、玄関に出る敷居の上に莫邪は立っている。もうそろそろ帰ろうと思うのだが、今眼の前のこの風景は、しごくありふれたような、また奇怪極まる状態のような気もして、どうもそこらがハッキリしない。自分がここに立っていることすら、ふしぎに現実感がない。

「――いちりっとらん。だんごくってし」と黒服の男はどら声をはり上げながら、ひょいひょいと奥の間の方に飛ぶように踊って行く。「しんがらほっけきょ。ほうほけきょ」

 川口未亡人にも一度あいさつして帰るべきかどうか、莫邪は乱れた頭でふと迷っている。むらがりおこる騒音が、頭の外側にあるのか、内側で鳴っているのか、とにかく莫邪の神経をざわざわとかきまわしてくる。……誰かがしきりに押してくれるような気がする。押されたまま無抵抗に莫邪は動いているー。――

 そしていつ靴を穿(は)いたのか、どうやって玄関を出たのか、莫邪は模糊として記憶がない。いつの間にか、ふわふわする地面を踏んで、彼はよろよろと歩いている。眼の先は悪夢のように溷濁(こんだく)して、うすぐらく揺れている。道を間違えたらしく、なんだかひろびろしたところに出たようである。夜の光がその広がりをぽんやりと明るくしている。そして莫邪の肩に、腕がかかっている。ひどく重い。誰かが莫邪の身体にとりすがるようにして、並んでよろめき歩いている。

「まだ、遠いのかあ」声がすぐ横から聞えてくる。あえぐような苦しそうな声だ。「道は、これで、いいのか」

「お前がいいって、言ったんじゃないか」

 反射的に莫邪はそう答える。隣の男は息使いを荒くして、黙って足を引きずっている。ここをまっすぐ歩けば、駅に出るのかどうか、全然わからない。莫邪の鼻に、あの膏薬を熟したようなにおいが、ぷんと揺れるようにただよってくる。あの男だな、と莫邪は思う。思っただけで、ただそれだけだ。夜気がひりひりと額につめたい。

「――もう、ここでいい」突然ふいごのように呼吸をはずませながら、その男がとぎれとぎれ言う。急にその軀(からだ)がぐにゃぐにゃと手応えがなくなって、悲鳴を上げるように、

「こ、ここでいい。ここ。が、おれの家だよ。早く寝床にねかせてくれえ」

 男の掌はそのまま莫邪の肩から、ずるずるとずれ落ちる。ぼろ布(きれ)のかたまりみたいになって、濡れた柔かい枯草の上にくずれ折れてしまう。急に莫邪の身体はかるくなる。

 草原にうずくまって、男の軀(からだ)は洋服の中でガタガタとふるえているらしい。歯がカチカチ鳴っているのが、かすかに聞えてくる。莫邪はその瞬間、ある光景を脳裡に髣髴(ほうふつ)と思い浮べている。四角に仕切られたあの祭壇のある部屋。香の煙がゆれるだけで、あとはひっそりと鎮(しず)もっている。喪服姿の未亡人が石像のように、その片隅に端坐している。でたらめなわらべ歌をうたいながら、黒服の男が手足をぴょんぴょん動かして、その部屋に入ってゆく。歯がカチカチ鳴るような音。そして未亡人のまわりをぐるぐる踊ってあるく。いちりっとらん。踊りながら男は猿臂(えんぴ)を伸ばして、端坐した未亡人の頰ぺたを一寸つつく。ぬめつくような皮下脂肪。しんがらほっけきょ。男の脚が未亡人の腰に、よろめくふりをして、ぐりぐりと押しつけられる。未亡人の姿体がくずれて、笛のような悲鳴があがる。とたんに額縁ががらがらと崩れて、水面を引っかき廻すように、その光景は微塵(みじん)に分裂し四散する。これは現実の光景なのか。倒錯した記憶がつくりあげた、虚妄(きょもう)の場面なのか。――

「――寒いよう。寒いよう」脚の下から男がかすかにうめき声を上げている。「寒いよう。早く布団(ふとん)を着せてくれよう」

 莫邪はギョツとして脚下をすかして見て、すぐ頭を上げて忙しく四周(あたり)を見廻す。布団はどこにあるのか。どこにしまってあるのか。周囲は薄暗くひろがった枯草原のように見える。どんなに眼を見張っても、町外(はず)れにぽっかり空いた小広場のような感じしかしない。ここにはだいいち、布団をしまうような押入れすらないではないか。「寒いよう」十間[やぶちゃん注:約十八メートル。]ほど先に、小さな建物らしい黒い影が見えるだけだ。薄黝(うすぐろ)いもやがかかったように、そこらもチラチラとはっきりしない。寒気が急に脚下から莫邪の膝にはいのぼってくる。なにかが追っかけてくるような気がして、思わず地団太を踏みたくなる。声がうめく。

「――早くなにか呉れえ。溶けてしまいそうだ。……ああ……おれは溶けてしまう……溶けてしまうよう」

 溶けたら大変だ。暗がりのなかで、莫邪は顔色を変え、凝然(ぎょうぜん)と立ちすくむ。溶けたら大変ではないか。早くどうにかしなくては。莫邪はピョンと飛び上って、建物らしい黒い影の方角に走り出す。枯芝が靴先にしきりにからまってくる。一目散に走っているつもりなのだが、身体の中心があやふやなので、家鴨(あひる)みたいによたよた進んでいるに過ぎない。つまずきそうになって、やっと莫邪はそこにたどりつく。窓もない暗く小さな建物。ざらざらしたセメントの壁。ただそれだけ。そこらいっぱいに排泄物の臭気がわっとみなぎっている。どう考えても、と壁に荒い呼吸をはきかけながら莫邪はつぶやく。こいつは共同便所じゃないか。押入れなんかであるものか。背後のさっきの地点から、男のうなり声が断続して、莫邪の耳にとどいてくる。莫邪はあわててふりかえる。大きな掌のような植物の葉が、ふと莫邪の手につめたく触れる。八ツ手の葉。莫邪の両手は反射的にいそがしく動いて、その八ツ手の葉をいくつもいくつも引きちぎる。そしてそれを束にして、呼吸をはずませて男のところにかけ戻ってくる。

「溶けるよう。ほんとに、溶けてしまうよう……」

 傷ついた獣のようなうなり声の上に、莫邪は大急ぎで八ツ手の葉をかぶせてやる。四枚、五枚、六枚。男の黒い躯は先刻よりも平たくなって、容積もぐんと減じている。月が雲から出たのか、四周(あたり)がすこしずつ明るくなってくる。男の軀は半分ぐらいに、減ってしまったようだ。駈けて一回往復しただけで、頭がふらふらして、前後もあやふやになっている。呼吸をはずませながら、しかし莫邪は自分では確かなつもりで、脚下の黒いかたまりに眼を近づける。そこらでプチプチプチとかすかな音がする。そして堪え難そうに男がまたうなる。これは身体が溶けてゆく音ではないか。莫邪は我を忘れて又飛び上って、黒い団子のように枯草原を便所の方に駈けてゆく。そして二分ほどして、ハアハアとあえぎながら、八ツ手の葉の束をかかえて駈け戻ってくる。そしてあわててそれらをばらばらと、男の軀の上にかぶせてやる。

「……溶けるよう。溶けてしまうよう……」

 男の声はだんだん幽かに、だんだんもの哀しくなっている。確かに更に容積が小さくなったようだ。黒い男の洋服は、中味を盗まれた米袋みたいに平たくなり、ズボンなどはほとんどぺちゃんこになっている。莫邪はぎくりとする。八ツ手の葉がその上に、不気味な掌のように、いくつも重なり合っては乗っている。莫邪は思わずはげますように口走る。

「――溶けないで。まだ溶けないで!」

「……溶けるよう。溶けるよう……」

 莫邪はまた走り出す。汗ばんできた顔で寒気を押し分けながら、一生懸命に走って行く。葉をいっぱい両手にかかえて、駈け戻ってくる。そしてまた駈け出す。心臓が破裂しそうになって、駈け戻ってくる。葉の束のまま地面にとり落して、そして、莫邪は胸郭を烈しく起伏させながら、声にならない嘆声を洩らす。

「――もう、すっかり、溶けてしまった」

 散らばった八ツ手の葉の下で、黒い姿は完全にぺちゃんこになり、もううめき声も聞えないし、身動きもしない。黒々とした枯草に吸いこまれたように、男の軀はすっかり体積を失ってしまっている。この見知らぬ草原に、唯一人になったことに気付いて、突然言いようもない寂寥感(せきりょうかん)にとらわれて、莫邪は思わずあたりを見廻している。この小暗い闇の色は、なんとしんしんとして、なんとひえびえとしていることだろう。背中や腹のべたべたした汗が気味悪く冷えてくるのを感じながら、莫邪はも一度脚下のふしあわせな同行者の残滓(ざんし)に、しみじみと顔をちかづける。散乱した八ツ手の葉の間から、小さな南京玉みたいな粒が二つ、くろく幽かに光っている。それだけを残して、あとの部分は、すっかり地面に同化し溶解し去っている。莫邪は肩をおとして、声を出して大きく溜息をつく。

「目玉だけ残ったって――」痛いような悲しいような気分になりながら彼は思う。「もう仕方がないさ。このおれだって、一生懸命にやったんだもの」

 もうこの位でいいだろう。莫邪は脚をあげて、男が溶解したそこらの地面を、八ツ手の葉の上から二三度踏みならす。そしてくるりと背をむけて、完全な孤独な酔漢の歩きかたになり、燈も見えない闇の中を、泳ぐように歩き出す。

 

2022/09/10

ブログ・アクセス1,810,000突破記念 梅崎春生 山名の場合

 

[やぶちゃん注:昭和二六(一九五一)年十一月号『群像』に発表された。既刊本には収録されていない。

 底本は「梅崎春生全集」第三巻(昭和五九(一九八四)年七月刊)に拠った。本篇は梅崎春生の作品の中では、相対的にルビが多い作品である。

 傍点「﹅」は太字に代えた。文中に注を添えた。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが、本日、先ほど、1,810,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]

 

   山 名 の 場 合

 

     

 

 まず五味司郎太のことから始めましょう。

 五味司郎太という男の頭は、ちょっと一風変った、なかなか印象的な形をしています。一目見ると忘れないほどです。どんな形かと言うと、つまり左右にだけ拡がっている。うしろは平たく切り立っている癖に、前から見ると、不自然なほど鉢が開いている。灰色がかった毛髪が、そこら一面にぼやぼやと密生していて、いわゆる巾着頭(きんちゃくあたま)というやつです。きっと赤ん坊の頃、上ばかり見て寝ていたに違いありません。これは当人のせいでなく、きっと母親の責任でしょう。

 いつか学校の忘年会の折、年寄りの博物の教師がひどく酔っぱらって、五味司郎太の頭に抱きつき、このが頭蓋骨(ずがいこつ)をどうしても土産(みやげ)に持って帰るんだ、と言い張って聞かなかったことがあります。博物の教師が言うのだから、学術的な見地からしても、珍らしい型に属するのかも知れません。その時、当の五味司郎太はといえば、さほど動ずる気色(けしき)もなく、頭を抱きつかせたまま、いくらか迷惑そうな曖昧(あいまい)な笑いを浮べて、ゆっくりと盃(さかずき)を乾(ほ)していたという話です。五味司郎太は酒は強かった。いくら飲んでも内にこもって、外に出ないような酒でした。

[やぶちゃん注:「博物学」明治・大正・昭和初期までの小・中学校に於いて現在の科目で「生物学」に当たる動植物学や、同前で「地学」に相当する鉱物学を内容とする教科の名称。なお、次の段落中に、この学校を「夜学校」としていることから、ウィキの「夜学」によれば、『第二次世界大戦前の日本では主に、旧制専門学校、中等学校(旧制中学校・実業学校)の夜間部のことを指していた。また、青年学校のように夜学が前提の学校が存在した』とある。しかし、と言っても、以下、最後まで読んでみても、本篇の作品内時制を戦前・戦中ととることは出来ない。梅崎は自身の経験上から「博物学」という教科(正確には科目)を用いているだけで、これは発表時と同時代である。次の段の「燭光」の注も見られたい。後で山名と五味の年齢も出、同い年で申年と出、しかも近い過去に兵隊に行ったという記載も出、決定打は「原子雲」「終戦後」と言う表現もあるからである。従って、舞台は既に新制となった夜間中学か高校ということになる。]

 五味は今年三十一歳になります。しかし見たところ三十五六に見えます。頭は大きいけれど顔は小さく、身体は小さいものですから、なんだかしなびたような感じで、老(ふ)けて見えるのです。背丈(せたけ)は五尺二寸ぐらい。歩くときは、ひょいひょいと拍子をとって、足が地に着かないような歩き方をします。この五味が出席簿を小脇にかかえ、学校の長い廊下を足早に歩いてゆく姿は、ちょっと特異な印象を見る人に与えました。だからここの生徒たちの中にも、その動作を真似たりあざ笑ったり、そんな不心得者も少しはいたくらいです。しかし大体において、五味は生徒の受けは悪くなかったようです。叱ったり怒鳴ったり、ひどい罰点をつけたりしないからでしょう。生徒が聞こうが聞くまいが、教えるだけ教えてさっさと教員室に戻ってくる、それが五味司郎太教諭のやり方でした。だから真面目な生徒の間には、五味先生の授業はすこし食い足りない、そんな不平の声もある程でした。この学校は夜学校でした。夜学校でしたから、本当に勉強したいと思って通ってくる生徒も、相当にいたのです。生徒の年齢もまちまちで、若いのがいるかと思うと、二十歳過ぎた生徒がいたりもしました。

 教員室は玄関の横にある、南向きの大きな部屋でした。南向きと言っても、夜間の学校のことですから、日当りがいいも悪いもありません。電燈はまんなかに二百燭光がついてはいますが、ただ一つきりなので、隅の方まで光が充分に行きわたらない。五味の席はそのいっとう片隅の、うすぐらいところにありました。

[やぶちゃん注:「五尺二寸」一メートル五十七・五センチ。

「二百燭光」「燭光」は光度の単位で、日本では昭和二六(一九五一)年以来(本篇の発表年であるから、新時代の科学的印象を与えたであろう)、同三十六年に「カンデラ」を採用するまで用いられた。一燭は一・〇〇六七カンデラ。単に「燭」とも言った。換算過程は省略するが、「二百燭光」は現在の凡そ二百五十ワットに相当する。]

 五味の隣りの席は山名申吉という、やはり若い国語の教師でした。山名申吉も五尺二三寸しかなく、人並以下の背丈ですが、その代りまるまると肥って、いくらか動作の鈍い男でした。瘦(や)せた五味司郎太といい対照をなしていました。

 日がすっかり沈んで、夕闇(ゆうやみ)がせまってくると、校門のうすら闇を押し分けるようにして、生徒が続々と登校してきます。すると教員室にも、どこからともなく教員たちの姿が、ぽつりぽつりと現われて、やがて席はいっぱいになってしまう。あまり話し声も立てません。教員室を停車場の待合室にたとえた人がありますが、まったくここは夜の待合室に似ています。ぼんやりと始業の合図を待っているだけで、活気というものがほとんどないのです。それも無理もありません。ここの教員たちの大部分は、昼間は別の仕事や用事を持っていて、ここに教えに来るのは、おおむね片手間の内職や学資稼ぎが目的なのですから。机も本当は自分の机ではないのです。この校舎も校庭も、もともと昼間の学校のもので、夜学校は夜だけそれを使わせて貰っている形なのです。ですから教員室の机の引出しや本棚には、昼間部の教員の私物や公物が入っていて、夜間部の教員が割込む隙はほとんどないのです。机は与えられていても、その前に腰を掛けるだけで、実際にそれを使用するわけには行かない。なんだかひどく中途半端な状態で、落着かないのも当然です。夜間部専用の教員室をつくれと、しばしばかけ合ってみたのですが、ここの経営者であるところの老獪(ろうかい)な学校長は、予算がないとか空室がないとか、言を左右にしてなかなか応じて呉れない。だからますます待合室じみてくる。

 山名申吉(肥って若い国語教師です)は、教員室のこの落着かない雰囲気を、あまり好きではありませんでした。皆うろうろ立ったり動いたり腰掛けたりして、いっこうに統一がなく、何となく鶏小屋を聯想させるからでした。山名は鶏が嫌いでした。山名は子供の頃、小学校から戻ってくると、鶏小屋の掃除が彼の役目になっていて、その頃から鶏という動物にはうんざりしていたのです。毎晩この教員室でじっと待っていると、なんだか自分も一羽の鶏になってゆくような気がしてくる。立ったら立ったで、そっくり鶏じみているし、坐ったら坐ったで、まるでトヤについたみたいです。しみじみとやり切れない感じです。山名申吉という男は、その風貌に似合わず、こんな風に屈折した自意識の持主でした。

[やぶちゃん注:「トヤ」言わずもがなであるが、「鳥屋」(鳥小屋)である。]

 また山名申吉は、自分の教材や書籍をしまっておく場所のないことも、あまり面白くありませんでした。彼に割り当てられた机は、古びてがたがたの机で、引出しは昼間部の教員の持物でいっぱいです。机には大きな引出しがひとつと、小さな引出しが縦に五つ、それだけついています。この机のあり場所は隅っこの方で、薄暗いところですから、山名は時々こっそりと引出しをあけて、中味を調べてみたりします。引出しの中には、宿題用紙の束だとか、使い古しのノートだとか、三ダース入りの鉛筆箱とか、教育雑誌やパンフレットの類、そんなものがごちゃごちゃと詰めこまれていますが、一番下の引出しだけは、もっぱら私物用らしく、爪切鋏(ばさみ)とかハンカチとか小説本とか、映画のプログラムとか化粧品の空瓶などが、雑然と入っています。山名はこの引出しを調べるのが好きでした。あけるとぷんと白粉や香水の匂いなどがして、後ろめたいような微妙な快感が山名の神経をくすぐるのです。この机の昼間の主は、女教師なのでした。もちろん山名は、その女教師の顔も姿も見たことはありませんが、机にぶら下った名札から、その名前だけは知っていました。島津鮎子、そういう名前なのです。授業開始までのやり切れない時間、それを紛(まぎ)らすために、山名はしばしばその一番下の引出しをそっとあけて、島津鮎子のことなどを考えるのでした。山名の空想の中では、島津鮎子はすらりとした若い女性でした。鮎子という匂やかな名前をもった婆さんなどを、山名は想像することさえ出来ませんでした。それはそうでしょう。私にだって想像できません。

 引出しをこっそりあけるなど、何程のこともないと思うでしょうが、山名申吉にとっては、これはなかなかの難事なのです。一番下の引出しに手をかけるためには、背を曲げてうんと屈(かが)まなくてはいけない。ところが山名の身体は、人並はずれて丸々と肥っているのです。椅子に掛けたままそこに指を届かせるのは、山名にとってはやっとの事なので、顔は充血し、もちろん呼吸もちょっと止めねばなりません。大っぴらに出来る仕事ではなく、隠微に迅速(じんそく)にやらねばならないのですから、ひどく気骨が折れるのです。幸い薄暗いからいくらかたすかるようなものの、やはりどこからか見られているような気がする。どうも具合がよろしくない。

 山名の机は五味司郎太の机とくっついています。隅っこの席はこの二人だけで、あとは少し離れています。そこらに衝立や書棚などがあって、うまく外からの視線をさえぎって呉れる。しかし五味との間には何もないのですから、ここは筒抜けです。そして悪いことには、山名の机の五つの縦の引出しは、五味側の方にあって、つまり丸見えなのです。五味が実際に眺めているかどうかは知らないが、山名が屈みこむ背中にいつも感じるのは、その五味司郎太の視線でした。五味のやや灰色がかったような、ぼんやりした感じの眼玉なのでした。

 五味司郎太の眼玉は、いつもどんより沈んだ色をたたえています。幅の広い額の下に、その眼はふたつ並んでいます。睫毛(まつげ)もほとんど生えていない。色の薄い眉毛がぼやぼやとかぶさっているだけです。どうもこの男には、メラニン色素か何かが不足しているのではないか、と山名はいつも五味をそんな風に考えています。そしてその眼ですが、これがちょっとばかりおかしい。なんだか妙に焦点が合ってない感じなのです。たとえば五味が机の上の花瓶を見ているとする。そうすると彼の眼は、花瓶の二米[やぶちゃん注:「メートル」。]ぐらい向うを見ているような眼付になるのです。だから対坐して話していても、視線はこちらを向いているのに、こちらの顔を透過して、背後を見られてるような気がして来るのです。それが山名には時々、なんだか放っておけないような、また何となくいまいましい感じを起させるのでした。この男の網膜(もうまく)には一体何がうつっているのだろう。その向うでこいつは一体何を考えているのだろう。時に山名は本気でそんなことを考えたりします。ひょっとするとあの網膜には、何もうつってないのかも知れないな。どうもあの眼は、病気した鶏の眼にそっくりだ、などとも考えます。とにかく山名にとっては、何だか気にかかる、あまり面白くない眼でした。授業開始前のひととき、五味はいつも短い脚を椅子からぶらぶらさせ、れいの眼であちこちを見廻しています。山名にむかって世間話をしかけることもあります。また貧乏ゆすりをしながら、ぼんやりと天井を見上げていることもあります。そんな隙をねらって、山名はさも自分の引出しみたいな表情をつくって、軀(からだ)を曲げて一番下の引出しに手を伸ばします。今日はどんなものが入っているか、その仄(ほの)かな期待を楽しみながら。

 その引出しの中味は、いつも少しずつ変化していました。たとえば書籍のたぐいにしても、フランスの近代小説が入っていたかと思うと、次には万葉集や手相の本が入っていたり、あるいは源氏鶏太と椎名麟三が同居していたり、料理の本や流行歌集や住宅設計案内書などが入っていたりする具合です。島津鮎子の読書方針には、てんで一貫性というものが欠けているようでした。また映画が好きだと見えて、よく映画館のプログラムがつっこんであります。そんなのを自分の私物のような顔をして、山名はつまみ上げ、机の上で点検したりするのです。

 やはりある晩の授業前のことでした。山名がいつものように背をかがめて、よいとこしょと引出しをひっぱりますと、白い丸まった形のものが、隅っこに押し込んであるのがちらと見えました。山名の指は何気なくそれをひょいとつまみ上げました。つまみ上げるとそれはだらりとほぐれ、山名の指からしっとりとぶら下ったのです。山名はたちまち狼狽(ろうばい)しました。その布の指触りと言い、ぶら下った形と言い、それは明かに婦人の下着だったからです。山名はまっかになって、ぶら下げた手はそのまま、あわてて周囲を見廻しました。すると隣席の五味司郎太のどんよりした眼玉が、山名の指にぶら下ったものを、ぼんやりと見ていました。

「柔かそうだね。ああ、とても良い色だ」

 と五味は独り言のように言いました。そして自分も手を伸ばして、その布地の端をつまむようにしました。薄暗い光のなかで、その白い布は軟かく微妙な陰影をはらんで、ふらふらと揺れました。五味は再び口を開きました。

「このくらいの明るさの中だと、白いものは何でも美しく見えるね」

「そうだね」

 やっとのことで山名はそう答えました。そして急に怒ったような顔になり、ぶら下ったものをたぐり上げ、両掌でくるくると丸めると、引出しの元のところにぐいぐい押し込みました。それから何時もなら手でしめるのですが、この時ばかりは靴の裏を使って、ぴしゃりと引出しを乱暴に押し込みました。そし。で大きな呼吸(いき)をふうっと吐きました。

 五味司郎太は、掌の玩具を突然取り上げられた幼児のような顔をして、その山名の横顔をしずかに眺めていました。

 この出来事は山名の胸に、いつまでも厭な後味を引いていました。時折これを思い出す度に、山名は「何をあの巾着頭(きんちゃくあたま)!」などと呟(つぶや)いて、気持をごまかそうとするのでした。あの巾着頭が、何を見、何を感じ、何を考えているか。それがうまく摑(つか)めないものですから、なおのこと山名の気特は屈折して、やり切れないのです。へんに圧迫されるような感じでした。

 山名は五味と知り合って、まだ一年になりません。山名がある先輩の世話で、この夜学校に赴任(ふにん)して一週間後に、五味が赴任して来たのです。だからここでは山名の方が、一週間先輩になる訳でした。机を並べているのも、そんな関係からです。五味は社会科を受け持っていました。同じ頃赴任してきたのだし、肥瘦(ひそう)の別はあれ背丈は同じくらいだし、席も隅っこにかたまっているし、年頃も同じなものですから、教員室の面々は、この二人を同類として取扱う傾向が多分にありました。実際にも山名がここで一番親しいのはまず五味でしょうし、五味からいっても同じことでしょう。親しいといっても、これは比較的余計に会話を交えるというだけで、特別の友情や親近感をもっているというのではありません。だいいち山名は、五味が平常何を考えているのか、それもまだよく判らないのでした。

 山名申吉も五味と同じく、申歳(さるどし)生れの三十一歳です。二人ともまだ独身であることも共通していました。そしておどろいたことには月給の額もぴたりと同じなのです。そのことをある時偶然に、山名は知りました。

[やぶちゃん注:「申歳生れの三十一歳」発表時から、彼らは大正九(一九二〇)年庚申(かのえさる)であることが判り、この年齢は未だ数え年であることが判明する。因みに梅崎春生は大正四年生まれである。]

 この夜学の会計事務をやっている魚住浪子という女が、ある月の給料日にうっかりして、二人の月給袋を間違えて渡したのです。その袋を開いて見て、山名は初めて五味と同給料であることを知ったのです。山名はその瞬間、何故だかひどくいやらしい気持がしました。自分でも説明出来そうにない妙に不快なしこりが、胸にこみ上げてくるのを感じました。そこで直ぐ、魚住浪子のところに押しかけて行ったのです。会計の部屋は教員室の隣りでした。そこは細長い部屋で、入口側の半分が校務や会計の席となり、窓側の半分は富岡という教頭の席になっています。学校長は夜は出て来ないので、富岡教頭が校長代理として、すべてを委(まか)せられているのです。富岡教頭はそれがいささか得意で、わざわざこんなところに机を据(す)えさせ、いい気持になっているのでした。魚住浪子の席は、そこから四米ほど離れたところにあります。彼女は杭にかぶさるようにして、一心に算盤(そろばん)を弾(はじ)いていました。

[やぶちゃん注:「学校長は夜は出て来ないので、富岡教頭が校長代理として、すべてを委(まか)せられている」現在も(少なくとも私が国語教師をしていた十年前までの神奈川県の公立高等学校の夜間部を持つところは)、このシステムは変わっていない。]

「なんだい。給料袋が違ってるじゃないか」

 山名申吉はその机の前に立ち、頰をふくらましてそう言いました。

「これは僕んじゃないぞ。五味君のじゃないか」

「あら。そう」

 魚住浪子は算盤の手を休め、ちらと給料袋を見ながら、無感動な声を出しました。

「じゃ五味さんと取換えといてよ」

「取換えるたって――」

 と山名はちょっと口をもごもごさせました。なるほど当人同士で取換えるのが、一番早道だったかも知れません。そうと気がついたけれども、しかし山名は行きがかり上、おっかぶせるように言葉を継ぎました。

「そんなこと出来るかい。君の手違いなんだから、改めて君から渡し直してもらう」

「あら、そんな官僚的なこと言わないでよ。忙しいんだから」

「官僚的だって?」山名はズボンのバンドをぐいと引き上げました。「僕が官僚的なんかであるものか。官僚的というのはそんなんじゃないぞ。とにかく僕が五味君の給料を貰ういわれはないんだから、これは返すよ」

 給料袋がばさりと算盤の上に落ち、魚住浪子の眼鏡がとたんにキラリと光りました。魚住浪子は度の強い眼鏡をかけていて、そのために眼が浮き上って見えるのです。金魚という綽名(あだな)がついていました。そして彼女は目に立たない程ですが、足が少しびっこでした。色は白いし、じめじめした性格ではないのに、そんなことのためか、二十八歳の今日までまだ独身です。ここに八年も勤続しているので、事務にも明るく、なかなか鼻柱の強いところがありました。若い教員なんかは、いつも彼女につけつけと言いまくられます。

「ほんとに面倒なひとね」

 しかし押問答の末、ついに彼女はそう言いました。つまり折れたのです。

「じゃ仰(おお)せの通りにしますよ。すればいいんでしょ。五味さんの方がよっぽどサッパリしてて良いわ。七面倒くさいことは言ってこないし」

 ふん、と山名は鼻の先で笑いました。

「同じ金額だから、どちらを貰っても同じなのにねえ」

 そう呟きながら、魚住浪子は算盤の上から給料袋をつまみ上げました。ぽっちゃりとふくらんだ掌です。その掌の形を見ると、山名は妙な小憎らしさをそれに感じながら、口をもごもごさせました。

「ふん。五味君と僕とは、少し違うさ」

 何が違うのか、自分でもはっきりしないまま、山名はそう口走りました。すると今度は魚住浪子が、ふん、と鼻の先で笑いました。

 山名はこの魚住浪子を、初めからあまり好きではありませんでした。女らしい優しさがなく、態度にもものの言い方にも、こちらを莫迦(ばか)にしたようなところがあったからです。まだ男を知らないせいだろう、と山名は思ってもみるのですが、富岡教頭が魚住浪子に手をつけているという噂も、教員室の一部には流れているのです。山名もそれを耳にはさんだことがあります。魚住浪子が事務の勢力を握っているのは、教頭の後楯(うしろだて)があるせいだというのです。もちろん噂ですから、真偽のほどは判りません。しかし富岡教頭がなかなかの精力家であり、好色漢であることは、その風貌から推しても、ほぼ確かなことでした。厚目の眼鏡をかけた女の顔は、とかく男の好き心をそそるものだ、そういうことを言った人がありますが、それはどんなものでしょう。

 富岡教頭は好色家であると同時に、なかなかの野心家でした。顴骨(かんこつ)の高い青黒い顔をした、五十がらみの男です。鼻下にはチョビ髭(ひげ)をたくわえています。しゃべる時に口の端に泡をためる癖があります。そして何時も、自分は若い人の味方であると公言し、自らもそう信じていました。本当は、自分自身の味方である以外の何ものでもなかったのですが。――校長代理になって以来、彼はしゃべり方まで変ってきたようです。以前のような一本調子のしゃべり方でなく、急に秘密らしく声をひそめてみたり、時には磊落(らいらく)そうな笑い声を立ててみたり、猫撫で声を使ってみたり、突然重々しい口調になってみたり、話術の変化をつくすようになりました。人心収攬(しゅうらん)のために必要だと、当人は考えているのですが、はたから見ると少しわざとらしく、また少し滑稽(こっけい)でした。

「山名申吉教諭」

 ある夜のこと、何を思ったか、富岡教頭はわざわざ山名を自分の席に呼びつけて、もったいぶった声で言いました。

「君はたしか、国文学が専攻だったね」

「はあ、そうです」と山名は不審げな顔で答えました。

「まあ掛けたまえ」と教頭は重々しくあごをしゃくりました。そして急に優しい声に変って、「――文学の研究も大へんだろうね。いや、大へんなことは判っておる。君みたいな真摯(しんし)な学究の徒が、いろんな悪条件にさまたげられて、やりたい研究も遅々として進まない。私は以前から見るに忍びなく、どうにかしたいと思っていましたじゃ」

 山名はきょとんとした顔をしていました。どうも話がおかしかったからです。教頭は唇に泡をためながら、かまわず話を続けました。

「それでじゃ、いろいろ考えた結果、君の研究を文部省に推薦して、ひとつ研究費を交付いて貰おうと思ヽっておる。むろん私の一存でじゃ。それによってますます研究を深め、本校の名誉を上げて貰わねばならん。異存はなかろうね」

「はあ」わけも判らないまま、急に世間に認められたような気がして、山名はかすかに胸を張りました。「はあ。それで――」

「そいで君の文学部門における専攻は、何時代の文学だったかねえ?」

「は。そ、それは、ええと――」と山名は少しあわててどもりました。実は研究などは、何もしていなかったからです。そして苦しまぎれにとんちんかんな答え方をしました。「ええと、それはやはり、時代的に言えば、ずいぶん昔の方でして――」

「ははあ。そうすると、古代というわけかな」

「はあ。コ、コダイ文学です」

「私は国文学は専門外じゃが――」

 教頭はおもむろに薬指の腹で、鼻下のチョビ髭のさきを満足げに撫でました。

「先頃知人にすすめられ、古事記だの日本書紀だのいう本を、ちょっと読んでみたが」そこで教頭はきたない歯ぐきを出してにやりと笑い、急に声を落しました。「――あの頃の、それ、何ちゅうか、つまり男女間の愛欲じゃね、あれはなかなか烈しくて、率直で、しかも健康なもんじゃな。あのあり方を分析研究すれば、現代人にとっても定めし有意義じゃろうと、私はその時しみじみと感じたよ。どうじゃね。私の感想は間違っておるかね」

「ごもっともな感想です」

 小さな声で相槌を打ちながら、山名はそっと額の汗をふきました。教顛はえへんとせきばらいをして、ふたたび重重しい声に戻って言いました。

「そうか。君もそう思うか。では、君のテーマは、本朝古代文学における愛欲のあり方について、とでもするか。よかろう。それは面白かろう。ではそういうことに決めて、なにぶん一生懸命にやって呉れ給え」

 それから教頭は机の引出しから、科学研究費交付金等取扱規程とか、研究助成補助金申請手続きとか、そんな書類を何枚も引っぱり出して、山名の方に突きつけました。気持もろくに定まらないまま、山名はぼんやりとそれを受取ってしまいました。そして立ち上ろうとすると、教頭が再び口を開きました。

「ええと、五味司郎太教論に、一寸ここに来るように言って呉れ給え」

 山名が教員室の方に戻ってくると、五味司郎太教論はいつものように、短い脚を椅子からぶらぶらさせて、天井の節穴を眺めておりました。それは遠くから見ると、薄暗いところに生えた蕈(きのこ)みたいに見えました。山名は今度自分が書こうと思っている小説のことを、頭の中でちらと考えました。そして今貰った書類をそっと丸めて、何となく背中の方に廻してかくしながら、そろそろと自分の席に戻って来ました。

「教頭が君を呼んでるよ」

「あ、そう」

 五味はそう答えて、おもむろに椅子からずり降りました。

 ひょいひょいと歩いて行く五味の後姿を見た時、教頭は研究交付金のことを五味にも持ちかけるつもりだな、と山名は初めて気が付きました。山名は丸めた書類をぽいと机の上に投げ出し、しずかに腕を組みながら、

「ふん。古代の愛欲か」

 と意味もなく呟きました。視線は五味の後姿に固定したままです。なにか憎しみに似たような感情が、磅礴(ほうはく)と山名の胸を満たしていました。

[やぶちゃん注:「磅礴」元は「交じり合って一つになること・混合すること」であるが、ここはそこから派生した「広く満ちること・広がり塞がること」の意。]

 

     

 

 山名申吉は五味司郎太を、いつかぼんやりと憎んでいたのです。

 何時頃からこんな感情が、胸に忍びこんできたのか、山名自身にもよく判りませんでした。初対面の瞬間から、その感じの原形があったような気もするし、またずっと後のような気もする。どうもはっきりしません。でも初めの中(うち)はやはり、憎悪という定まった形ではなく、漠然と屈折した関心、そんなものだったのでしょう。机も隣り合わせだし、年頃も独身であることも同じだし、皆からも同類項みたいに眺められている。そのことがまず山名の意識に、微妙にはたらいていたに違いありません。同類意識。競争意識。いや、それらとも少し違う。

 実を言うと最初のうち、彼はむしろ五味を軽(かろ)んじ、その頭の恰好や不器用な歩きぶりや気の利かない言動などを、莫迦(ばか)にする気持も確かにあったのです。その気持はやや形を変えて、今でも山名の胸にほのかに動いている。妙に間の抜けたところが五味にはあって、それが教員室の愛嬌のひとつにもなっていました。山名ですらふき出したくなるようなことが、時々ありました。

 それにも拘(かかわ)らず、独りで下宿にいる時などに、ふと五味司郎太の顔を思い浮べたりすると、山名は故もなく、なにか放って置けないような気持になってくるのです。大事な忘れ物をしたみたいな、思い出そうとしてもどうしても思い出せないような、咽喉元あたりがえぐいような気分です。その感じが山名には、どうもうまく摑(つか)めない。一方では憫笑(びんしょう)をかんじているくせに、他方では頰が硬ばって、笑いがそのまま笑いでなくなってしまう。そんな感じも強く胸に来るのではなく、遠くからおいでおいでをする具合に、かすかに神経の尖(さき)にからまってくるのです。

 こういう自分の気持にはっきり気が付いたのは、小説をひとづ書いてみようと、山名が思い立ってからでした。

 山名はもともと作家志望者ではありません。学校では国文学を修めたのですが、国文科が一番やさしそうだったからで、特に文学が好きだったからではありません。しかしこの一二年ほど前から、自分というものをハッキリさせるために、小説というものを書いてみようかなという気持が、少しずつ山名の胸に萌(きざ)し始めていたのでした。ぼんやりとあてもなく生きている自分が、そろそろやり切れなくなってきたのです。

[やぶちゃん注:「学校では国文学を修めた」梅崎春生は熊本五高を昭和一一(一九三六)年三月に二十一歳で卒業(二年時に落第したため。卒業時も試験の成績が悪く、卒業認定で教授会は三十分近く揉めた)し、四月に東京帝大文学部国文科に入学したが、自主留年した一年を含め、在学中の四年間は試験日以外の講義には一日も出席しなかったとされる。昭和一五(一九四〇)年三月、二十五で卒業、卒業論文は「森鷗外論」(八十枚・現代小説のみを対象としたもの)であった。卒業後は朝日新聞社・毎日新聞社・NHKなどを志願したが、総て不合格で、友人で後の作家霜田正次の紹介で、東京都教育局教育研究所の雇員(但し、教員でも何でもない、やっていることも怪しげで意味のない教育関連研究公機関の下っ端である)となっている。]

 近頃特に山名申吉は、生れて今まで、目的も志もなく、何となく生きて来たような気がしてならないのでした。やはり年齢のせいもあるでしょう。田舎の平凡な家庭に生れ、周囲のすすめるまま学校に行き、卒業して何となく会社に勤め、自分の意志でなく兵隊に引っぱられ、今はこんな夜学の教師になっている。どんな者になりたいとも思わず、人を愛したこともなく、人生の片隅でのろのろと肥り、その日その日をぼんやりと過している。どうも最初のでだしが悪かったのではないでしょうか。彼は十二人兄弟の末弟に生れ、そのせいで両親からもうんざりされ、あまり構われもせず育ってきたのです。初めから何か茫漠としているのです。麻雀(マージャン)で言えば、最初からバラバラの手が来ていたようなものでした。平和(ピンホウ)を志そうとか、清二色(チンイーツウ)をねらってみようとか、対々和(トイトイホウ)に仕立ててやろうとか、山名の人生には、そんな目的や方針は、最初から立っていなかったのです。どうにかなるだろうと、いくらかたかをくくって、他人事(ひとごと)みたいに人生の摸牌(モウパイ)を繰返しているうちに、茫々(ぼうぼう)として三十一年が経ってしまったという訳でした。

[やぶちゃん注:私は麻雀を知らないし、やったこともないので、以上の三種の役も説明しようがない。ネットのオンライン麻雀サイト「麻雀豆腐」の「麻雀の役 一覧表 シンプル見やすい!」を参照されたい。「摸牌(モウパイ)」は『盲牌(モウパイ、モウハイ)』の古い表字で、『麻雀用語のひとつ。指の腹で牌の図柄の凹凸をなぞり、その感触で牌の腹を見ずにどの牌か識別すること』とウィキの「盲牌」にあった。]

『とにかく俺という人間は――』と山名申吉は近頃考えるようになりました。『生きることに生甲斐を感じなくてはならぬ。先ず生甲斐を!』

 こうして山名は小説を書こうと思い立ったのでした。もちろん他人には秘密です。小説を書けば少しは何かがハッキリしてくるかも知れない。山名はそう思ったのです。では先ず小手慣らしに、自分の身辺に題材を求めることにしよう。

 そして彼はいろいろ考えた揚句(あげく)、島津鮎子を書くことに決めました。あの机の昼間の女教師のことです。机を共有する見知らぬ女性、なかなか小説的構想ではないか。下宿の机に殊勝に向って、山名はひそかに沈思にふけります。ジョン・モールトンの小説にも、確かそんなのがあったようだ。あれはボックス氏とコックス氏の話だったかしら。――

[やぶちゃん注:「ジョン・モールトン」Jon Moultonだろうが、不詳。従って、「ボックス氏とコックス氏の話」=「小説」というのも不詳。]

 ところが下宿に閉じこもっていても、小説はなかなか進行しませんでした。どんな風に書き出したらいいのか、一向にめどがつかないのです。だから机の前に坐って、ぼんやりと島津鮎子のことを空想しているだけ。あの引出しに入っていた白い下着、その色や感触などがあざやかに頭にうかんで、もやもやと悩ましくなってきたりする。すると意識の入口に、急にうすぐろい陰影みたいなものを感じて、山名は舌打ちをしながらペンを投げ出します。

『一体あいつは何を考えてんだろうな』

 それは何時もあの五味司郎太のことでした。この俺が近頃くよくよしたり、あせったり、気がねしたりして生きているのに、あいつは劣性遺伝の型録(カタログ)みたいな恰好をしてる癖に、平気でぬっと生きているようなところがある。あの巾着頭は、人から笑われたって貶(けな)されたって、そんなことにはてんで無関心で、自分だけでこっそりやっているような趣きだ。無感覚なクラゲみたいなとこが、あいつには確かにある。そして山名はだんだん腹がたってくるのでした。俺があやまってつまみ出した下着を見て、冗談(じょうだん)に紛(まぎ)らして呉れるのならともかく、いい色だねえとは何ごとだろう。見て見ぬふりをするのが礼儀ではないか。だいいちあの眼玉が気に食わない。見ていながら、こちらを全然認めていないような眼付だ。よし、そのうちにきっと本音(ほんね)をはかしてやるぞ。

 寝床にもぐり込んでも、山名はひとりで力みながら、そんなことをしきりに考えたりするのでした。相手が眼の前にいないので、ひとたび考え出すと果てしがないのです。五味のひとつひとつの言葉や表情などが、現実をはみ出て誇張され、なまなましく歪(ゆが)められ、そして山名の神経を剌戟してくるのでした。あるいは山名は自分でも気付かぬ心の奥底では、そういう思念や空想を愉(たの)しんでいたのかも知れません。と言うのは、実際に五味を前にすると、空想ほどは憎らしくもなく、それほどいらいらもしないのです。いくらか風変りな一人の同僚というに過ぎません。こだわりなく話し合うことさえ出来ます。ところが居ないとなると、なんだか頰がこわばるような感じで、放って置けない気持になってくる。

『俺はいつも架空の憎悪でもって他人につながっているのではないか?』

 ある夜ふと、山名はそう考えました。彼は今まで、実際の人間を愛した記憶はほとんど無く、あるのは憎んだ記憶ばかりでした。彼にとって、他人に関心を持つというのは、淡い憎悪を抱き始めるということでした。少くとも今までの例ではそうでした。些細(ささい)なきっかけで人を憎む傾向が、山名という男には多分にありました。しかし彼はそれを表現はしない。その憎しみは山名の心の中で屈折し、内攻し、いくらか変形し、そしてそこで完了する。――五味を憎み始めたというのも、つまりは五味への関心が深まってきたせいでしょうか。無意思な蕈(きのこ)みたいな五味の顔を瞼(まぶた)に描きながら、山名はぼんやりと考えます。

『それにしても、あいつは何でもって他人につながっているのだろう?』

 どうもつながっていないらしい。そう山名は漠然と感じる。すると五味の存在そのものが、急に山名の自尊心をするどく傷つけてくるのでした。自意識の強い男の例として、山名はひどく敏感な自尊心を持っていました。ふん、まるで俺だけがバタバタしているようじゃないか。

 毎晩こんなことばかりを考えているものですから、どうも寝付きが悪いし、朝目覚めても頭がさっぱりしない。季節のせいもありました。むしむしと暑苦しい気候が、とかく彼の眠りを浅くするのです。それに悪いことには、彼の部屋に春先以来、鼠がやたらに繁殖したらしく、ひっきりなしに天井を走り廻るし、部屋の中にも平気で出没する。蒲団の上を駈け抜けたり、寝ている枕を齧(かじ)ったりするのですから、おちおち眠れたものではありません。

 あれやこれやで山名申吉は、しだいに睡眠が不足し、とうとう神経衰弱気味を自覚するに到りました。

 肥った男の神経衰弱なんて、瘦せた男の股(また)ずれと同じく、しごく不似合いなものですが、おかしなことにはこんな状態になってから、山名の体軀はいよいよ肥って来るようでした。それに従って動作も鈍重緩慢となり、何をするのも大儀になってきました。肥ったのではなく、むくんできたのかも知れません。

「ますます肉付きが良くなられて、私なんかうらやましいですな」

 蟷螂(かまきり)のように痩せて骨ばったある同僚が、ある時山名に向って言いました。この同僚はユネスコ精神の信奉者で、『ホネスコ』という綽名(あだな)がついていました。

「はあ」

 と山名は悪事を見つけられた子供のような顔になり、そして仕方なさそうに笑いました。肥る原因もないのに肥って行くことに、彼はいくらか引け目を感じていたのでした。

「君が傍に坐っていると、教員室が半分しか見えない」

 別の夜の休憩時間に、椅子から脚をぶらぶらさせながらあたりを見廻していた五味司郎太が、ぽつんとそんなことを言いました。ごくあたり前の口調でです。ふと思ったままを、率直に口に出したという感じでした。よろしい。言ったな。今夜いろいろと考えてやるぞ。そう思いながら、しかし山名は強(し)いて微笑を頰に浮べ、わざとのろくさと答えました。

「そうかね。多分それは遠近の関係だろう」

 すると五味は、両掌で枠(わく)の形をつくり、自分の顔の前にかざし、その間から山名の方を無遠慮にのぞきました。視野の中に山名の体が占める大きさを測定しようと試みるらしい。山名は尻がむずむずして、立ち上りたくなってきましたが、じっと我慢しながらおだやかに言いました。

「――僕はこれでもいいけれど、君はあまり肥らないようだね。体質の関係かな」

「いや」五味は掌の枠をゆるゆると解きながら、確信あり気に答えました。「僕はしょっちゅう頭を使うんでね、それで肥らないんだ」

 山名の鼻翼がぴくりと動きました。そうすると俺はまるで頭を使ってないみたいだぞ、などと山名が考えている中に、五味はその話題に興味をなくした風にそっぽ向き、もう腕組みをして天井の節穴などを眺めておりました。言い返すきっかけもなくなり、山名はむしゃくしゃした気分になって、その五味の方をちらと横目で眺めました。原子雲に似たその頭の恰好が、へんに憎たらしく、同時にへんに遠く隔った感じとして、山名の視神経をいらいらと圧迫しました。気弱く眼をそらしながら、山名は心の中で呟きました。

『よし。この巾着頭のことを書いてやる』

 山名の下宿の肌上の原稿用紙には、まだ一字も書いてありません。島津鮎子のことを書こうと、毎晩あれやこれや空想しているうちに、空想の中ですべてが完了してしまって、何も書くことがなくなってしまったのです。つまり心の中で小説を書き終ったという訳でしょう。

 その夜遅く、山名は机の前にきちんと坐り、眼を閉じたり開いたりして、しきりに何かを考えていましたが、やがてペンをとり、原稿用紙の第一枚目に大きな字で。

『五味の場合』

 と書きました。いよいよ五味司郎太のことを書く決意をかためたのです。『五味の場合』とは、自分ながら仲々しゃれた題名だと、山名はいささか満足な気持でした。初め『五味司郎太における人間の研究』としようかと思いましたが、すこし長すぎるし、またどこかで聞いたような語呂だと思って、やめにしたのです。今度こそはあまり空想にふけらず、五味司郎太の人となりを、着実に執拗(しつよう)に描いて行かねばならぬ。前の失敗にかんがみて山名はしみじみとそう思いました。先ずこの小説の書出しは、あの巾着頭の即物的な描写から始めよう。志賀直哉みたいな文体がいいかしら。それとも坂口安吾式の奔放な文体を採用しようかしら。

 文体もまだハッキリ決めかねている中に数日が過ぎ、あの研究費交付金の通知の日がきました。この日は山名にとって、いくらか運命的な日でした。

 その夜山名が授業から戻ってくると、魚住浪子が呼びに来たのです。この間の事件から、彼女は少し彼につんつんしている傾きがありました。

「教頭さんがお呼びだわよ」

 山名が教頭室に入って行くと、富岡教頭は卓上鏡と顔をつき合わせ、伸びた鼻毛をしきりに抜いておりました。山名の顔を見るなり、磊落(らいらく)そうな大きな声で言いました。

「やあ、君、残念なことじゃったよ」

 何のことだか咄嵯(とっさ)には判りませんでした。研究費交付金のことなんか、山名はすっかり忘れてしまっていたからです。そのきょとんとした顔を見て、教頭は補足するように急いで言葉を継ぎました。

「――君のあの研究費交付金のことな、あれは駄目じゃったよ。却下されたよ」

「はあ」

 やっと思い出して、山名は気のない返事をしました。駄目なら駄目でもよかったのです。なまじ貰えば、論文をまとめねばならぬだけ面倒な話でした。そんな論文をまとめるより、『五味の場合』をまとめる方が、山名にとっては緊急事なのでした。しかしその返事を聞いて富岡教頭は、山名ががっかりしたと思ったらしく、とたんに慰めるような猫撫で声になりました。

「まあまあ、そう落胆せんでもええ。来年ということもある。君のあれは何じゃったかなあ。ええと、古代文学における色欲のあり方、と言うんじゃったな」

「愛欲のあり方、です」

「ああ、そうそう。愛欲も色欲も似たようなもんじゃ。なかなか面白いテーマだからして、ま、元気を落さず、そのまま研究を続けた方がよかろう。時になんだね、君はまたすこし肥ってきたようだね。健康第一。先ず健康。なによりのことじゃ」

「それが、その――」神経衰弱気味だと言おうとして、山名は途中で止めました。ふと頭にひらめくものがあって、そのことを訊ねることにしました。「それで、落っこちたのは、僕だけですか?」

「いや、なに」

 富岡教頭は具合悪そうに、ふたつの鼻孔を指の腹でこすりました。そして口の中で適当な言葉を選んでいる風でしたが、やがて思い切ったように重々しく口を開きました。

「五味司郎太教諭はパスした。あれは社会部門だから、志望者が少かったせいじゃろ」

 山名のふくらんだ瞼が、その瞬間ぴくりと慄えました。それから彼の体は大儀そうにぶわぶわと立ち上り、ゆっくりとお辞儀をして椅子を離れました。そして山名の顔は、向うの席に掛けている魚住浪子の顔と、ぴたりと会ったのです。彼女は机に頰杖をついて、どうも話を盗み聞きしていたらしい様子でした。視線が合うと、彼女はおもむろに頰杖を離してうつむきながら、片頰だけでにやりと笑いました。気の毒そうな笑いでもあり、照れたような笑いでもあり、憐れむような笑いでもありました。その机の前を、山名申吉はむっと表情を崩さず、しずかな足どりで通り抜けました。

 自分の席に戻ってくると、隣りでは五味司郎太が、帰り支度を始めていました。山名申吉はその側にぼんやり立ち止り、空気でも見るような眼付でそれをじっと眺めていました。なんだか歯の奥がぎりぎりと鳴ったようです。やがてかすれたような声で話しかけました。

「研究費が降りることになったそうだね。よかったね」

「うん」風呂敷を結ぶ手をやめず、五味は答えました。それほど嬉しそうな顔でもありませんでした。「まあ雀の涙みたいなもんだね」

「ええと――」山名もやっと我にかえったように帰り支度を始めながら、感情を押し殺したような声で訊ねました。「それで君の研究題目は、何というの?」

「詐欺罪(さぎざい)の研究というのさ」

「サギ?」

「そら、広告詐欺だの、ペーパー詐欺だの、土砂流しだのって、よく新聞にも出てるだろう。あれだよ。人間のインチキのことだよ」

[やぶちゃん注:「広告詐欺」当時のそれは、新聞広告や雑誌広告で求人・物品売買などを謳って、手付金だけを奪取する詐欺のことであろう。

「ペーパー詐欺」詐欺商法の一つで、「ペーパー商法」とも言う。現物紛(まが)い取引で、金(きん)などの現物を売るとして代金を受け取り、現物の裏付けのない預かり証を渡す詐欺商法を指す。

「土砂流し」詐欺の一種の隠語。「御天気師」とも呼ぶ。単独又は共謀で行うもので、一人が贋造の金品を、通行人の来る前路の上に落しておき、他の同類が、通行人と一緒にそれ拾い上げ、警察へ届けようとする途次、種々の口実を設けて、拾得した金品をその通行人に預けて、信用させ、逆に、その人の所持する金品を借り受け、逃げる詐欺を指す。]

「へええ」

 と言ったきり山名は口をつぐんでしまいました。五床司郎太と詐欺、なんだかあまり奇妙な組合わせなので、その感じが咄嵯(とっさ)に頭にすっと入ってこないのでした。そして山名はちょっと手を休め、頰の肉をたるませながら、ふと遠くを見るような眼付になりました。瞼の裡(うら)に、あの原稿用紙に書かれた『五味の場合』という文字が、ぼんやりと浮び上ってきたからです。やがて彼はぐふんと咽喉(のど)を鳴らし、椅子を机に押し込みながら、さり気ない調子で言いました。

「もうそろそろ一年になるね、お互いにここに勤め始めてから」

「そんなものになるかな」

 気のない返事をして、五味は包みを小脇にひょいとかかえました。そして二人は机の間を縫って、出口の方に歩きました。薄暗い廊下に出て肩を並べると、ふたたび山名は口を切りました。

「それで、二三日前から考えたんだけれども――」上衣なしのシヤツの肩がちょっと触れ合いました。なんだかねとねとした感じがして、山名は反射的に肩をすくめました。

「一周年記念ということで、君と一献(いっこん)酌(く)み交したいと思ったんだけれどね」

 二三日前に思い立ったということは事実でした。『五味の場合』を書き始めるには、まだまだ材料不足で、もっとデータを集めねばならぬことに気が付いたのです。

「飲むのは結構だね」

 ひょいひょいと踊るように歩を踏みながら、五味はどっちとも取れる答え方をしました。もちろん山名は、たいヘん結構だ、という風に解釈して、予定の言葉を続けました。

「この間よそから上等ウィスキーを二本貰ったんでね」これは嘘でした。「今度の日曜、そいつを君んとこにぶら下げて行くよ。僕んとこは間借りだから、ちょっとまずいんだ」

 五味が『何々方』ではなく、独立家屋に住んでいることを、庶務の名簿で調べて山名は知っていたのでした。独身で扶養家族もないのに、ちゃんと一軒の家を構えている。どんな恰好の家に住み、どんな生活をしているのだろう。『五味の場合』を書くためにも、是非それは見る必要があるのでした。しかし今はその必要だけでなく、なんだか遮二無二押しかけて見たい嗜欲(しよく)が、しきりに山名を駆り立てていました。もはやこのまま放って置くわけには行かない。

 校門で五味と別れ、侘(わび)しい下宿の部屋に戻ってくると、山名は汗ばんだシャツを脱ぎ捨て、裸になって部屋の真中にどっかと坐りました。身体は疲れている癖に、神経はいらいらとたかぶっていました。天井裏を鼠がゴトゴトガタガタと走り抜け、細かい埃(ほこり)のようなものが、山名の肩にはらはらと降りかかりました。その乱雑な部屋のさまをぐるりと見廻し、山名はやがて呻(うめ)くように呟きました。

「却下されたのは、別に口惜しかない」

 そして山名は、あの青黒い富岡教頭の顔や、魚住浪子の片頰の笑いなどを、ありありと思い浮べました。胸の奥がきりきりと疼(うず)き出すような感じがして、山名は思わず大きく息を吐き、自然と据えた眼付になりました。その視線は偶然、机上の『五味の場合』という字の上に、ぴたりととまっていました。その字のあたりにも、細かい埃がうっすらとつもっていました。その時山名の視野の端、丁度部屋の隅あたりに、黒い影のようなものがちらっと動いたようでした。

『五味の場合か。五味の場合と。そしてこの俺の場合と。俺が落っこちたのに、あの五味がパスしたということは――』と山名は唇を嚙んで思いながら、右手だけをしずかに横に伸ばし、そこに転がった古雑誌をそっと摑(つか)みました。くるっと体をひねると、その古雑誌を力まかせに部屋の隅に投げつけました。黒いものはぴょんと飛び上り、するりと唐紙(からかみ)の向うに姿を消しました。それは一尺以上もありそうな大きな黒鼠でした。

「また猫もどきの奴だな!」

 ぜいぜいと呼吸をはずませながら、山名は吐き出すように言いました。それはこの家の鼠族の王様らしく、図抜けて巨大な体と髭(ひげ)をもった一匹の老鼠なのでした。それはちょいとした猫ぐらいの大きさがありました。だから山名はかねてからこの鼠を『猫もどき』という綽名(あだな)で呼んでいたのです。この間学校の机の引出しから、苦心して持ち帰ったあの島津鮎子の下着を、たちまちくわえて逃げたのも、この『猫もどき』でした。それ以来山名はこの『猫もどき』をひどく憎んでいるのです。鼠にすれば巣をつくる材料にくわえて行ったのでしょうが、山名にしてみれば、自尊心をも犠牲にし、疑われるかも知れない危険まで犯してやっと手に入れたものを、あっさり持ち逃げされて、腹に据(す)えかねるのも当然でした。現物は手から離れ、思い出すと身もすくむ恥かしい罪の引け目だけが、そっくり残っているのです。とてもやり切れた話ではありませんでした。

『とにかく何かを早く調整しなければならぬ。このまま放って置く手はない』

 山名はむっと顔を硬(こわ)ばらせ、乱暴に押入れの戸をあけて、布団を引きずり出して、バタンバタンとしきながら思いました。

『このままでは俺は、何のために生きてるのかも判らない』

 燈を消して布団のなかに山名はまるまると転がり、やがて息苦しく眼を閉じていました。暗い瞼の裏に、いろんなものの形がむくむくと動き、ふとしたはずみに鼠のような形になったり、巾着頭の形になったりしました。眠りをさまたげる幻想の小悪魔が、今夜もしげしげとおとずれて来そうな気配でした。

「先ず生甲斐を。とにかく生甲斐を!」

 れいの架空の憎悪が、今夜に限って急に距離をちぢめて、なまなましく意識にからみつくのを感じながら、山名は念ずるようにそう呟き、どたんと寝返りを打ちました。

 

     

 

 五味司郎太の住居は、郊外のしずかな場所にありました。

 どこか素人(しろうと)くさい奇妙な建て方で、家というよりも小屋に似ていました。二十坪ばかりの敷地のまんなかに、それは建坪三坪かせいぜい四坪の、出来そこなった玩具のような不器用な家でした。敷地をぐるりと囲っているのは、不揃いな棒杭とチクチクした有剌鉄線で、その一箇所に人間がやっと出入りできるだけの狭い門が設けてありました。この家も囲いも門もみんな、五味が自分ひとりでこしらえたものでした。

 五味司郎太は窓の縁に腰かけて、脚をぶらぶら揺りながら、灰色がかった眼でぼんやりと表の方を眺めていました。そして、さっきから、ちょっとセメントの空樽がころがって来るみたいだな、などと考えていました。有刺鉄線を透かした向うの道を、山名申吉の肥った姿が、午後四時頃の影を引いて、こちらに歩いてくるのです。なんだかふらふらしたような足どりで、両手には重そうにウィスキーの瓶を、一本ずつぶら下げていました。その姿が門を入ってきた時、五味司郎太はやっとこの間の約束を思い出しました。『ああ、そうそう。一周年記念とか何とか言ってたっけ』

 五味ははずみをつけて、ぴょんと窓框(まどかまち)から床に飛び降り、部屋をななめにひょいひょいと横切って、扉を内側から押し開きました。

「やあ」

 と言って山名申吉がくたびれた恰好で入ってきました。ぶら下げた瓶をだるそうに床に置き、手巾(ハンカチ)を出して顔いっぱいの汗を拭きながら、じろじろと部屋の中を見渡しました。

「まったく暑い日だね。目がくらくらする」

 その部屋は板敷になっていました。家の中はこの部屋ひとつだけなのでした。部屋の一隅が炊事場所になり、そこに吊られた低い棚の上にコンロや飯盒(はんごう)やパンのかけらや大根の尻尾などが雑然ところがっていました。手製のまな板の上には、そこらで摘んできた野草らしい植物が、ひとつかみ乗っかっているのも見えました。

「自炊してるんだね。大変なことだ」

 靴を脱いで部屋に上りながら山名が暑苦しそうに言いました。

「なに、兵隊の頃から慣れているんだ」

 と五味はそっけなく答えました。座布団がひとつしかなく、主の五味がその上に坐ったものですから、客の山名は仕方なく板床の上に尻をおろす羽目になりました。そして肥満した山名が坐ると、床がみしみしと音を立てました。

「いい家だけど、なんだか妙なつくりだね」

 物珍らしそうにきょろきょろしながら、山名は言いました。尻の下がみしみしと軋(きし)むので、なんだか落着かないのでした。

「僕がつくったんだよ。材木を買いあつめて」

「へえ。君が。そんな器用なことがやれるのかい」

「兵隊で覚えたんだ」五味は手を伸ばしてよごれたようなコップを二つ前に置きました。「僕はこれでも工兵だったんだよ。南方に三年も行ってたんだ」

 それから二人はウィスキーを飲み始めました。暑くて仕様がないので、山名は失礼してシャツを脱ぐことにしました。シャツを脱ぐと山名の上半身は、まるでビニールの風船のように、肩だの胸だのが、ぶよぶよと不恰好にふくらんでいました。五味の眼はそれをちらちらと眺めていました。裸になってもやはり汗はじとじとと流れてくるのです。ガラス窓を透して西日がしたたかさし込むからでした。

 それでも汗を垂らしながらしゃべったりコップを傾けているうちに、やがてほのぼのと酔いが廻ってくるようでした。山名は時々眼をくゎっと見ひらいたりして、出来るだけその酔いを戻そうと試みていました。今日はいろいろデータを集めねばならぬ関係上、野放図に酔うわけには行かないのでした。

 北の壁際には、本がぎっしりと高く積み上げてありました。法律の本とか、そんなかたい本ばかりのようでした。乱雑に取散らした山名の部屋にくらべると、それだけでも堂々としていて、山名は先ほどからそこに漠然たる圧迫を感じていたのでした。そしてその傍の窓ぎわには画架(がか)が横向きに据えられ、二十号ほどのカンバスがそこにかけられているようでした。さっきからそれも気にかかっていて、山名はコップを持ったままやっと立ち上り、ふらふらとその前に近づきました。

「――君が描いたんだね」

 カンバスの隅の Gomi という署名を読みながら、山名は言いました。それはこの家を表から描いた風景両らしいのでした。山名は絵のことはあまりよく判らないのですが、どうもこの絵は、構図や配置はわりに正確なのに、色の調子が変な感じでした。それはなんだかはっきりしない、色素の不足したような、ぼやけて濁った色調でした。やがて五味の声がうしろでしました。

「どうだい。いい色だろう」

 山名は咽喉(のど)の奥であいまいな返事をしながら、心の中のメモに〈色素不足の風景画〉と書き込みました。その幻のメモには既に〈元工兵のお粗末な手製の家〉だとか〈床板のみしみし〉だとか〈座布団の横着〉だとか書き込まれてあるのでした。

 最初の一本が空(から)に近くなる頃から、五味も酔ったと見えて、とたんに饒舌(じょうぜつ)になってきました。おかしなことには酔ってくると、ふだんはどこを見てるか判然(はっきり)しないぼんやりした五味の眼玉が、徐々にはっきりと焦点を定めてくるような気配がありました。つまりふつうの人間と逆なんだな、と思いながら山名はその眼を観察していました。それから五味はしきりに皿の野草のおひたしをつまみながら、詐欺の話や南方の兵隊生活の話などを始めました。この巾着頭がどんな戦闘帽をかぶっていたのかと思ったとたん、山名は烈しくウィスキーに噎(む)せかえり、飛沫をそこら中にとばして、すっかり恐縮したりあやまったりしました。詐欺の話とは、五味の父親が詐欺にかかって恨み骨髄に徹し、そこで苦労して息子の司郎太を法科大学まで通わせ、詐欺罪の研究をさせたという話でした。父親の話をする時でも、五味はれいの抑揚のない口調で、他人事(たにんごと)みたいなしゃべり方をしたので、かえって妙に間の抜けた可笑(おか)しさがありました。やはりこの巾着頭はどこか間が抜けている、南方ぼけでもしたのではないか、と山名は観察しながら、それでも感心したふりして相槌を打ったり、わざとにこにこして見せたりして聞いていました。いっぽう五味の方でも、山名のだらしなくたるんだ頰のへんを見い見い、どうもこの風船男には間の抜けたところがある、あまり肥り過ぎたので頭に血が充分のぼらないせいだろう、などと推察しながらしゃべっていたのでした。いつかあたりは薄暗くなり、ウィスキーはもう二本目に手がついていました。五味はゆらゆらと立ち上って電燈をつけました。

「ここは静かだね」瓶の方に手を伸ばしながら、山名が思い出したように言いました。確かなつもりでいても、もう相当手付きが怪しいようでした。「虫の音も聞えないじゃないか」

「静かなところじゃないと、僕は勉強できないんだ」と五味もコップを取上げました。彼も舌が怪しくなったらしく、いささか言葉がもつれる風でした。「雑音が入ると何も出来やしない」

〈雑音嫌悪の傾向〉山名はすぐにそれを心のメモに刻みつけました。酔っても忘れてはならないことでした。そしてついでに訊ねてみました。

「やはり勉強は夜なんだろうね」

「そうだね。昼間はいろいろ用事もあるし、今度の論文もどうしても夜の仕事になるだろう」

「あの文部省の交付金は、もう貰ったの?」

 と山名は何気ない表情をつくって探りを入れました。

「ああ、貰ったよ」五味はウィスキーをごくりと咽喉(のど)におとしました。「身の廻りの品を買おうと予定してたのに、皆本屋の借金の方に廻ってしまった。いろいろ買いたいものがあったんだけれど」

「貰えただけでもいいさ。僕なんか――」ウィスキーのせいだけでなく、腹の中が急に熱くなるような気がして、山名はそう言ってしまいました。「僕なんか何も貰えなかった。中請書は出してみたんだけれどね」

「そうだってね」と五味は大して興味なさそうに言いました。「魚住浪子さんが、そう言ってた」

 魚住浪子の名を発音する時、五味の舌はちょっともつれて、へんに粘っこい響きを立てました。山名はなんとなく面白くない気分になって、また瓶の方に手を伸ばしながら、呟(つぶや)くように言いました。

「どうして僕のは落っこちたのかな。別段欲しいという訳じゃないけれど、落っことすには落っことす理由がね――』

「研究費をやる価値なしと」五味はそっけなくさえぎりました。「審議会でそう認めたんだろ」

 山名は鼻翼をびくりと動かして、じろりと視線を五味にむけました。電燈の光の具合か、五味の頭の鉢は、ふだんよりひとまわり大きく見えました。その頭をうつむき加減にして、五味は掌をうしろに廻し、老成した恰好で、しきりに首筋をもんでいました。山名の咽喉(のど)の奥がグウと鳴りました。

「南方にいた時神経をやられてね」頸(くび)をとんとんと叩き終え、五味はけろりとした顔になって言いました。「あちらの暑気は大へんなもんだった。なにしろ風が熱いんだよ」

「今でも悪いのかい」じっと見詰めたまま山名は探るように訊ねました。

「いや。もういいんだ。すっかり治ったんだ」

「全然異状なしか」

「なしだね。でも、まあ医者に言わせると、なにかショックを受けたりすると、ぶりかえすおそれもあるなんて言うんだけどね」

「ショックというと精神的の?」

「いろいろだろうね。でも医者の言うことなんか、あてにならないさ。あいつらはちょっと詐欺師みたいなところがあるな。オドシやハッタリを使ったりしてさ」

「僕も近頃、すこし神経衰弱気味なんだ」頰をわざとらしくゆるめながら、山名が言いました。妙にうわずった、うれしそうな声でした。「僕にもショックは悪いかな」

 それを聞くと五味司郎太は、とつぜん咽喉を痙攣(けいれん)させるような声で、甲高(かんだか)く笑い出しました。それにつられたように山名申吉も、胸の贅肉(ぜいにく)をたぶたぶさせて、その笑声に和しました。二人は顔を見合わせたまま、しばらくの間その笑いの合唱を続行しました。やがてどちらからともなく笑いを収めると、それぞれ何か納得の行ったような顔になり、めいめいのコップに手を伸ばしました。

 それから二人のコップを傾けるピッチが、急に早くなりました。それにつれておしゃべりの声も高くなり、呂律(ろれつ)もしだいに乱れてきました。そして一時間後には、両人とも気を合わせたように、すっかり酩酊(めいてい)してしまいました。

 山名の胸の贅肉を指さして、土人女の乳房を思い出すと五味が笑いこけますと、山名は上半身をゆたゆたとくねらせて、踊りの真似をしました。床板がみしみし、きいきいと悲鳴を上げました。そしてそれからの聯想なのか、こんどは魚住浪子の名前が飛び出したりしました。なにしろめいめいでウィスキ一本ずつあけたのですから、お互いに朦朧(もうろう)となって、相手が何を言ってるのかもさっぱり判りません。それでも山名は、この訪問の目的がかすかながら頭に残っているらしく、

「なになに、魚住浪子が大好きだと。浪子ちゃんにべた惚れだと」

 などと呂律も廻らぬ口で言いながら、心の中のメモでは不安心なのか、ズボンのポケットから本物の手帳を引っぱり出して、鉛筆でメモをなすくり始めました。すると五味も何を思ったのか、よろよろと自分も鉛筆をもってやって来て、そのメモを手伝おうとしました。

[やぶちゃん注:「なすくり」「擦(なす)くる」で、「表面を撫でるようにする」の意。私は使ったことがない。]

 山名が、

「ええと。べた惚れと。べた惚れの五味の場合と」

 と手帳に何やら書き込みますと、こんどは五味がその手帳を引ったくって、

「ええと。水ぶくれと。水ぶくれの神経衰弱と」

 などと訳もわからないことを書き込む。皮手帳はあっちの手に行ったりこっちの手に渡ったりして、とうとうどの頁も乱れた鉛筆の跡でいっぱいになってしまいました。

 それから先何がどういう具合になったのか、記憶がほとんどありません。朝ふと目を覚ますと、山名申吉は自分の下宿の部屋に、布団もしかずに寝ていました。頭ががんがん痛んで、そこらあたりが一面黄色に見えました。

「昨晩はどういう風(ふう)にして帰って来たのかな」

 こめかみを指でぎりぎり押え、朦朧たる記憶を探りながら、山名は苦しげに呟きました。どこかの歩廊の上から線路めがけて放尿したような記憶もあるし、五味の家の門のところでつまずいて転んだような覚えもある。五味の頭に抱きついて、これを標本に持って帰るんだと、わめいたような気もする。みんな曖昧(あいまい)で断片的で、思い出すと身体が縮むような記憶ばかりでした。こんなにだらしなく酔っぱらったのは、山名は終戦後初めてでした。そして舌打ちをして体を起そうとすると、あちこちの節々がぎくぎくと痛み、山名は思わずうめきました。

「あまり良いウィスキーじゃなかったな。あんなものを飲ませやがって」

 自分が持って行ったものであることもうっかり忘れて、山名は顔をしかめてぼやきました。

 昼頃になって、表に出て濃い珈琲(コーヒー)を二杯ほど飲み、やっと人心地がつきました。それからまた宛(あ)てもないので、ふらふらと下宿にまい戻り、ぽんやり机の前に坐り込みました。漠然たる自己嫌悪でうんざりするような気分でした。そしてふと眼をおとすと、机上の大切な原稿用紙の上には、斑々(はんぱん)と薄黒い模様が散らばっているのでした。それは鼠の足跡でした。なかんずく『五味の場合』という文字の上に印された足跡が、いちばん毒々しくはっきりとしていました。自分が書こうと思った小説を侮辱されたような気がして、とたんに山名はむっとしました。

「また猫もどきの奴だな!」

 二日酔いの状態にある時、人間はとかく情緒がたかぶりやすいものですが、この日の山名もそんな具合でした。彼は心中にかたく復讐をちかいながら、それをばりばりと破り捨て、次の一枚にあたらしく『五味の場合』と書き入れました。それからふと昨夜のメモを取っておく気になって、〈雑音嫌悪の傾向〉だとか〈神経ショック〉だとか、彼は心覚えを探り探りノートを取り始めました。その仕事をつづけながらも、実は昨夜のことを考えると、山名はなにか忌々(いまいま)しく、五味にうまくしてやられたという感じもするのでした。いろいろ収穫はあったにしろ、いい加減莫迦(ばか)にされたような感じが、心のどこかに残っていました。そしてそのままメモを進めている中に、山名は濛漠(もうばく)たる記憶の底から、とつぜん魚住浪子のことを思い出しました。それに続いてあの皮手帳のことが、ぱっと頭にひらめきました。山名はあわててペンを置いてポケットを探りました。手帳は折れ曲ってそこにありました。

 手帳に書かれた文字はほとんど判読できないものばかりでした。昨夜の泥酔をそっくり描いたようなものでした。山名は顔をしかめて、一枚一枚めくって行きました。四B鉛筆で書かれたのは、五味の字です。五味の字もやはりわけが判らない。ぐにゃぐにゃした四B鉛筆の跡を、やっと『水ブクレ』などと判読して、山名は呟いたりしました。

「水ぶくれなんて、あいつ足にマメでもつくってたのかな」

 ある頁にはやはり五味の鉛筆で、乱暴に絵が描いてありました。もちろん酔っぱらいの絵だから、めちゃくちゃな線です。頁の上方に描いてあるのは、爪がついているから、どうも指のつもりらしい。その指らしいものが二本。何かをつまんでる形かな、と思った時、山名の顔はさっと赤くなりました。それは指が何かをつまみ上げたところの絵でした。指からぶら下ったものの形は、そう見るとあの時のものの形とよく似ていました。いかにも皺(しわ)くちゃな布地の感じでした。絵の横には何か文字らしいものが書いてありましたが、それは支離滅裂でとても判読できませんでした。

「やったな」頰をびくびくさせながら、山名は暫くその字をにらみつけていました。「スケベエとかなんとか書いてあるんだろう!」

 ――その夕暮れ、山名申吉は顔をむっとふくらまして、学校の教員室に入って行きました。身体の節々が痛く、不機嫌でもあったのですが、昨夜の醜態を照れる感じもいくらかあったのでした。五味司郎太はもう来ていて、いつものように自分の席から、ぼんやりと教員室を眺め廻しておりました。二人は顔を合わせて、ちょっと目顔で挨拶し合っただけでした。山名のはどう見てもふくれっ面でしたけれども、五味の顔はいつもと同じ表情でした。別に親しげな色もなければ、その反対の色もない。初対面以来相も変らぬ、あのぼやっとした無感動な顔付です。昨夜一晩の交歓も、五味の情緒に何の影響も与えていない。全くそんな感じでした。莫迦にしてやがるな。山名も椅子に腰をおろし、不味(まず)い莨(たばこ)をしきりにふかしながら、何となくそう思いました。そう思うと彼はまた腹が立ってきました。力みかえっていたところを、ふいと肩をすかされた感じ。それが彼の鬱屈した怒りを行き場のないものにしました。

『やっぱり南方暑気の関係で――』とやがて山名は屈折した気持を持て余しながら、こんなことも考えてみました。『こいつの神経はどうかなったのに違いない。治ったなんて、嘘だろう』

 するといくらか可笑(おか)しさがこみ上げてきて、山名はすこし頰の硬(こわ)ばりをゆるめました。そうでも考えなければ実はやり切れないのでした。その山名のズボンの膝のあたりを、さっきから五味は巾着頭をかしげて、じっと眺めていました。

「面白い形だね。ちょいと九州の形に似ているよ」やがて五味は背をかがめ指をそこに近づけながら、いつもの声で言いました。「鼠が食ったんだね」

 そして五味の指が膝の皮膚に直接ひやりと触れたものですから、いきなり思考が中断され、山名はびくりとしてそこに眼をやりました。すると今までは気が付かなかったのですが、そこには直径二寸ほどの不規則な穴があいていました。その穴の形からしても、あきらかに鼠の仕業(しわざ)だと思われました。昨夜脱ぎ捨てたところを、嚙み破られたに違いありません。山名は狼狽しました。

「ちくしょうめ」

 山名は思わずそこに掌をもって行きました。夏のズボンはこれ一着しか無いのでした。だからあわてるのも当然でした。その山名のあわてた指が穴のところで、五味の指にちらと触れ合いました。五味の指はへんにつめたく、湿ったゴムのような感触でした。

「ウィスキーをそこに零(こぼ)したんだろ」五味はその手を引込め、小さな欠伸(あくび)をしながら言いました。「鼠という動物は、あれで案外アルコールが好きなんだ。僕も南方で経験がある」

 その声も耳に入らないように、山名は一心に穴を点検している風(ふう)でした。やがて充血した顔をのろのろと上げ、

「君んちには、鼠はいないのかね」

 と聞きました。それはなんだか調子の外(はず)れたような変な声でした。

 

     

 

 翌日の昼間でした。

 ある盛り場の大通りを、人混みの間を縫うようにして、五味司郎太はひょいひょいと歩いておりました。買物袋を提げているところを見ると、何か買物に出て来たのでしょう。

 偶然その時、その通りのある金物屋から、山名申吉が買物をすませて出て来ました。小脇にかかえているのは、特大の鼠取り器でした。そして彼はふと、歩いて行く五味の姿をそこに見付けました。呼び止めようとして、山名ははっと思い止った風に口をつぐみました。

 五味は何も気付かない様子で、ひょいひょいと歩いて行きます。十米ほど遅れて、山名は見え隠れに五味の跡をつけ始めました。

 ある大きなデパートの前までくると、五味の姿はふいに立ち止り、それから吸い込まれるようにその中に入って行きました。山名も直ちにそのあとを追いました。

 ある売場のガラス棚の前に立ち止り、五味は頭をかしげて、その中の品物にじっと見入っておりました。買おうか買うまいかと考えている風でしたが、やがて思い直したと見え、ふっと離れて歩き出しました。

 柱の陰から様子をうかがっていた山名申吉が、そこを飛び出して、足早にその売場の前にやって来ました。今しがた五味が眺めていたそのガラス棚には、爪切鋏がずらずらと陳列されてありました。山名はちょっと考え込む顔付になり、それから急に何かを思い付いた風に女店員を呼び、その一個を買い求めました。

 その時五味は文房具売場の前に立ち、ガラス棚の中をのぞき込んでいました。そこには油絵具のチューブがきれいな配列で飾られていました。やがて五味は諦(あきら)めたように頭を振り、そこを離れました。

 すると待ちかねたようにそこらの物陰から、山名の丸っこい姿が飛び出して来て、その前に立ちました。そしてチューブの配列を眺めてちょっと戸惑ったようでしたが、やはり直ぐに店員を手招きして、レモンイェローのチューブを指さし、そそくさと代金を支払いました。そして品物を受取ると、再びいそいで五味のあとを追いました。

 今度は五味は帽子売場の前に立っていました。

 山名は万年筆売場のかげにかくれて、その五味の姿をじっと見張っておりました。そしてなんだか嬉しそうなうすら笑いを浮べて、口の中で呟きました。

「神経ショックか」

 五味が欲しそうに眺めたものを全部買い求めて、そっと気取(けど)られないように買物袋の中に入れてやる。家へ帰って買物袋をひろげると、五味は愕然(がくぜん)とするだろう。おれは心神喪失の状態で万引したのかな、と疑ったりして惑乱するだろう。などと考えて山名はうす笑いをしていたのでした。そのショックで南方の神経病がぶりかえすとなれば、なおのこと面白かろう。

「おや。あんなものが欲しいのかな」

 向うの方でさっきから、五味は台から帽子をひとつつまみ上げて、その生地(きじ)を調べていましたが、今度はそれをひょいと頭に乗せました。かぶり心地を試してみるのでしょう。それはベレー帽でした。ベレー帽をいただいた巾着頭を遠望した瞬間、痙攣(けいれん)的な笑いがいきなりこみ上げてきて、山名の咽喉はしゃっくりのような音を立てました。体をよじって笑いを忍んでいるこの肥った男に気付いて、万年筆売場の売子のひとりが、気味悪そうな顔で後しざりしました。

 五味はベレー帽を台の上にもどし、またぶらぶらと歩き出しました。

 山名は笑いを収めてかくれ場所を飛び出し、そのベレー帽を摑(つか)みました。金を払ってそれを包ませ、五味のあとを追ってまたせかせかと階段をのぼりました。五味の姿はその登り口付近には見えませんでした。

 あわててきょろきょろすると、はるか彼方に、あの特徴のある頭が、やっと見当りました。この階は、客の影がすくないので、山名は背丈を縮めるようにして、忍び足で、五味の方に近づいて行きました。

 柱のかげからそっと覗(のぞ)くと、五味は楽器売場の前に立って、一合のグランドピアノに一心に見入っておりました。

「ピアノじゃとても買い切れない」自分の財布の中味を思い、山名はがっかりしたように呟(つぶや)きました。「第一あの買物袋に入り切りゃしない」

 しかし実は五味はピアノを眺めているのではありませんでした。その黒いすべすべした楽器の肌にうつる自分の顔に見入っているのでした。この顔にベレー帽が似合うかどうか、そんなことをぼんやり考えていたのでした。やがて五味は首を振り振り、そこを離れました。

 それから五味は階段をひょいひょいと降り、ふたたび表の通りに出ました。そこから近くの交叉点の安全地帯に立ち、やがてやって来た都電に乗り込みました。都電はなかなか混んでいて、すし詰めでした。五味は窓際に押しつけられて、呼吸(いき)苦しく外の景色を見ていました。

 その五味の直ぐうしろに、山名申吉の肥った体が、人目を忍ぶようにちぢこまって立っていました。そして顔の筋肉を奇妙に硬ばらせ、電車の動揺を利用して、手をもそもそと動かしました。五味は外の景色にすっかり気を取られていたので、買物袋までには注意が廻りませんでした。まして山名がうしろに立っていることにも全然気がついていませんでした。――

 その夕暮れ、この両人は教員室で顔を合わせました。いつもの通り目顔で挨拶し合っただけでしたが、山名は昨夜のふくれっ面と違って、今夜はにこにこと生甲斐のありそうな顔をしていました。五味の方は別段変化は認められないようでした。その五味をちらちらと横眼で窺(うかが)いながら、山名は落着かない風に貧乏揺すりをしてみたり、ひょいと顔をねじ向けて、近頃何か面白いことはないかね、などと話しかけたりしました。

 五味は言葉すくなくそれに答え、あとは何時ものように脚をぶらぶらさせ、教員室を見廻したり、ぼんやりと天井を眺めたりしていました。

 それから四五日が過ぎました。

 真夜中のことでした。

 山名申吉はぱっと眼が覚めて寝床からはね起き、急いで電燈をつけました。そして部屋の一隅に眼を走らせました。

 そこに仕掛けた鼠取りに、黒いものが入っていて、がたがたと動いていました。

「しめた。猫もどきだ」

 山名はわくわくしながら、顔をそこに近づけました。それはまさしくあの『猫もどき』でした。特大の鼠取りでしたが、『猫もどき』が入るとそれだけでいっぱいでした。

「やい」

 と山名は呼びかけました。『猫もどき』はじっと山名を見返しました。もっとも顔を外(そ)らそうにも、金網いっぱいの超満員なので、首も動かせないのでした。入っているのはやっと体だけで、尻尾は全部外にはみ出ているような始末でした。山名はその顔をしばらく一心に見詰めていました。

「全く厭な眼付だ。五味の眼にそっくりだ」

 やがて吐き出すように山名はそう言いました。鼠の視線もじっと山名に固定していました。そう言えば、それはどこか五味司郎太の眼玉に、感じが似ていました。それはこちらを見ているくせに、こちらを通り抜けて向うを見ているような眼付でした。恐れも悲しみも喜びも、その眼にはないようでした。

「ほんとなら殺してやるところだが――」

 島津鮎子の下着のことやズボンの穴のことを思い出して、山名はことあたらしくその顔を睨みつけました。あのズボンの穴は、山名は一晩つぶして、不器用につぎを当てたのです。実は新しいのを買おうと思ったのですが、五味にあの奇妙なプレゼントをしたおかげで、予算が無くなってしまったのでした。やがて山名は鼠から眼をそらしながら、忌々(いまいま)しそうに呟きました。

「まあ命だけはたすけてやる」

 翌朝、病気欠勤の速達を学校宛てに出し、日が暮れるのを待ちかねて、山名は外出の支度をととのえました。そして大きな風呂敷を出し、その鼠取りを『猫もどき』ごと包み込みました。包まれると『猫もどき』は急に不安を感じたらしく、キュウキュウと啼(な)きました。それには耳もかさず、山名はその包みをしっかと小脇にかかえて立ち上りました。

『一体あいつはすこしはショックを受けたのかな?』

 三十分ほどの後、山名はしきりにそんなことに考え耽(ふけ)りながら、電車に揺られていました。あの日ベレー帽其の他を、うまく五味の買物袋に辻(すべ)りこませたにも拘らず、歴とした反応がまだ五味にあらわれてこない。それが山名にはすこし不満なのでした。

『もし俺があんな目にあったとすれば、とても平気じゃおれないんだがな』

 あいつは特別だからな、などと呟きながら、山名は包みを持ち換えました。包みは嵩(かさ)の割に不気味な重量感があるのでした。やがて電車から降りると、山名は心覚えの道をまっすぐ五味の家さしてとっとっと急ぎました。

 五味の家は燈が消えていました。主は今頃学校の教壇に立っているのでしょう。山名は体を横にしてそっと門を入り、跫音(あしおと)を忍ばせて家のうしろ側に廻りました。そこに空気抜きの小窓があるのを知っていたのです。あたりにはかすかに虫音が聞えるだけで、あとはしんと静かでした。『こんど轡虫(くつわむし)をたくさん持ってきて、この庭に放してやろうか』山名は風呂敷包みの結び目をときながら、そう思いつきました。雑音があると勉強ができない。その五味の言葉を思い出したのです。『いずれそれも実行することにしよう』

 小窓に鼠取りをあてがい、そろそろと落し戸を引きました。暗がりの中で鼠の体がじりじりと後しざりするのが見え、そしてふっと鼠取りが軽くなりました。小窓から家の中に入り込んだのです。

『さあ。あれが五味家の鼠の第一号だぞ』

 門をすり抜けて道を戻りながら、山名は声なき声をたてて笑いました。五味の家には一匹も鼠がいない。ズボンの穴に気付いたあの時、山名の質間に答えて、五味はそう言ったのです。実はそれを聞いた瞬間に、山名の胸にこのアイディアが天啓のように湧き上ってきたのでした。鼠を生捕りして、そっとこの家にほうり込む。しかしその鼠をつかまえるとしても、まさか『猫もどき』がかかろうとは、昨夜まで予想もしなかったことでした。

 その夜下宿に舞い戻り、ごろりと寝床に横たわったまま、山名は眼をぱちぱちさせて何かを考え込んだり、時々低い声で独り笑いをしたりしていました。五味の炊事場が荒される有様とか、天井をかけ廻る『猫もどき』の足音などが、山名の想像にまざまざと浮んでくるのでした。それから五味の困惑や狼狽を想像したり、今夜の自分の成功を祝福したりしているうちに、山名は突然妙なことに気が付きました。

『そう言えばこの俺もおかしいことはおかしいぞ』

 あのアイディアが心に浮んで以来、山名は自分の胸の中に、今まで感じたこともない奇妙な情熱の高まりをずっと感じていたのでした。

 生れて以来あてもなくぼんやり生きて来て、情熱などというものには自分は縁がないと思い込んでいたのに、三十一歳の今になって、とつぜんこんな情熱が湧き立ってきた。しかもその情熱が、五味司郎太という個人への厭がらせ、その一点だけに燃え上っている。そう気がつくと、山名はなんだか妙な感じがしないでもありませんでした。おかしいと言えば、少しおかしな話でした。

「しかしおかしいのは、なにもこの俺だけじゃない。人間はみんなおかしいよ」

 どしんと寝返りを打ちながら、山名はそう呟きました。おかしいたって、あれ以来の毎日を充実して過してきたのは事実だから、それならそれでいいじゃないか。山名はそう自分に言い聞かせました。実際気がつくと、あれ以来夜もよく眠れるようになったし、彼を悩ましていたあの神経衰弱気味の感じも、すっかりけし飛んだような感じでした。

 それからまた一週間ほど過ぎました。

 二人は相変らず毎晩教員室で顔を合わせていました。別段変ったところもありませんでした。五味はいつもの五味だし、山名はまあいつもの山名でした。

 ある夜の休憩時間、山名は膝に手を伸ばして、ズボンのつくろった箇所を何となく撫でていました。五味のぼんやりした視線が、ふとそこに止りました。

「修繕したんだね」

 と五味はぽつんと言いました。

「ああ。自分でやったんだ」と山名は五味の方に顔をねじむけました。何だかいそいそとした動作でした。「実際鼠って奴は仕様がない動物だなあ。うちにはぞろぞろ居るんだ。君の家がほんとうにうらやましいよ」

 実を言うと、鼠のことを訊ねてみたい欲望が、この数日しきりに胸をそそのかすのですが、山名はじっと我慢していたのでした。うっかり訊ねると尻尾(しっぽ)を出すおそれがあるからでした。しかし今は絶好の機会のようでした。それで山名はさり気(げ)なく言葉をつづけました。

「でも君の家に鼠が住みつかないのは、不思議だねえ」

「ちっとも不思議じゃないよ」

 と五味はそっけなく答えました。

「不思議だよ、やっぱり」

 山名は顔を元に戻しながら、つづけてさも自然らしく訊ねてみました。

「全然出て来ないのかね?」

「四五日前、一匹出て来たよ」と五味はあたり前の調子で言いました。「久しぶりに旨(うま)かった」

 ぐっと咽喉(のど)が詰まるような気がして、山名は五味の顔を見ました。そして思わず押えうけたような声を出しまし

た。

「君は鼠を食べるのか?」

「ああ」と五味は気のなさそうにうなずきました。「南方でもずいぶん食べた」

 山名はそれでしゅんと黙ってしまいました。南方の元工兵を忘れたのは、全くの不覚でした。これでは鼠が居付かないのも、当然の話でした。

『よし今度は轡虫(くつわむし)だ』

 そっと唇を嚙みながら山名は心の中で呟きました。

 あの一日の苦労が無駄になったことも、忌々しい極みでしたが、あの大鼠の運命を想うと、かつての憎しみも忘れて妙に可哀そうな気がするのでした。五味なんかに食べられるなんて、なんと不幸な鼠だろう。よし、俺が仇をとってやる。黙りこんだまま、むらむらと湧き上るものを体内に感じながら、山名はひそかに力んでいました。

 それからまた十日ばかり、風のように過ぎました。

 巷(ちまた)にはもう秋風が満ちていました。

 ある夜、山名は相当に酔っぱらって、よろよろと自分の部屋に戻ってきました。学校の帰途、そこらの屋台で、ひとりで一杯ひっかけたのです。実は今日は学校から月給が出たのでした。しかし山名が酒を飲む気になったのは、そのせいだけではありませんでした。あまり面白くないことが今夜あったのです。

 それは五味が今夜、しごく平気な顔をして、あのベレー帽をかぶって来たからでした。

 あの買物袋への投げこみの効果については、いくらか危惧(きぐ)はあったにしろ、山名はまだまだ充分な自信を持っていたのでした。ところが今日はその自信を全然くつがえされたような形だったのです。

 今夜ベレー帽に山名が気がついたのは、課業がすっかり終ってからでした。ふと隣りの席を見ると、五味がそれをちょこんと頭に載せていたのです。山名はぎょっとしました。

「それ、買ったのかい」

 少し経って、山名はかすれた声で、そう訊ねました。

「いや」

 と五味はかんたんに首を振りました。それだけでした。

「じゃ、貰ったのかい」また少し経って、山名はも一度訊ねました。

「いや」と五味は帽子に手をやって、位置を少し直しました。「買物から戻ってくると、僕の荷物の中に紛(まぎ)れこんでいたんだ」

「へんな話だね」

「へんでもないよ。誰かが間違えたんだろう」と手をおろしながら、五味は変哲もなく言いました。

「間違いということは、誰にでもあることだからね。珍らしくはないさ。どうだい、似合うかね?」

 君の顔に似合うわけがない。そんな言葉が山名の口から飛び出る前に、背後からとつぜん魚住浪子の声がしました。

「あら、素敵ね。よく似合うわ」

 その声を聞いて五味は嬉しそうに笑いました。五味のこんな笑い方は、山名はあまり見たことがありませんでした。

「はい。給料よ。五味先生」

 魚住浪子は月給袋を持って来て呉れたのでした。五味には先生と呼ぶのに、俺には先生をつけない。そんなことを考えながら、山名は鬱然(うつぜん)とした表情で自分の月給袋を受取りました。全く面白くない気持でした。

 こういう経緯(いきさつ)があって、山名はつい酒を飲む気持になったのでした。

 しかし飲んでいるうちに、やはり酒というものは有難いもので、ふしぎな力が山名の胸にすこしずつ盛り上ってきたようです。

「よし、魚住浪子は俺がものにしてやる」

 盃を傾けながら、山名はしきりにそう呟(つぶや)き、肩を力ませていました。五味はたしかに魚住に惚れている。その五味を打ちのめすには、確かにこれは効果的な方法だ。そう思うとあの奇妙な情熱が、ふたたびむくむくと山名に湧いてくるのでした。まったく不死身な情熱でした。

 今は真夜中です。

 山名申吉は布団の中に丸々と眠っています。酔っぱらって電燈を消し忘れたので、淡い光が彼の顔をしずかに照らしています。それは全く健康そうな、むしろ無邪気な感じの寝顔です。満ち足りた寝息が規則正しく鼻孔から出入りしています。

 四五日前の夜五味の庭にそっと投げ込んだあの轡虫たちが、生憎(あいにく)とその庭の先住者たる蟷螂(かまきり)に、すっかりその夜のうちに全滅させられたことも知らないで、この肥った男はひたすら眠っているばかりです。

 机上の原稿用紙は、『五味の場合』という題名だけが記されたまま、うっすらと埃をかぶっています。電燈の光はそこにもあわあわと落ちています。この『五味の場合』という小説は、おそらく題名だけで、中味は永久に書かれないのではないでしょうか。どうもそんな気が、私にはします。もうその必要も、山名にはなくなったでしょう。

 

2022/08/26

ブログ・アクセス1,800,000アクセス突破記念 梅崎春生 ある青春

 

[やぶちゃん注:昭和二七(一九五二)年六月号『群像』に発表された。既刊本には収録されていない。

 底本は「梅崎春生全集」第五巻(昭和五九(一九八四)年十二月刊)に拠った。

 太字は底本では傍点「﹅」。文中に注を添えた。

 本篇の話柄内時制は冒頭部の「二十歳」という記載から、熊本五高時代の、数えなら、昭和九(一九三四)年、満年齢なら、その翌年に当たる。昭和九年ならば、怠け癖によって三年生を落第した年に当たる。この頃は、校友会雑誌『龍南』の編集委員を担当するとともに、同誌に詩を発表していた(ブログ・カテゴリ「梅崎春生」に各個に電子化注してあるほか、サイトで藪野直史編「梅崎春生全詩集」(ワード縦書一括版)を公開してある)。主人公も落第しているが、或いは、本作の「N」という落第生には、実は梅崎春生自身の影が込められているのかも知れない。先に言っておくと、本篇は途中で尻切れている感がある

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日午前中に1,800,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]

 

   あ る 青 春

 

 Nがある時、こんなことを言った。食事時だ。

「おれは子供のとき、おあずけをやらせられてたんだぜ」

「おあずけって、なんだね」と私は聞いた。

「おあずけって、おあずけさ。そら、犬なんかに命令するだろう。おあずけ。あれだよ」

 よく判らなかった。きっとNはその言葉を、隠喩(いんゆ)のつもりで言っているのだろう、と私は思った。私は黙っていた。するとNは箸を止めて、顔を上げた。うすいあばたのある大きな顔だが、その時はいつもよりも、一廻り大きく見えた。

「親爺が晩酌をやっているだろう。そしておれが食卓につくんだ。箸をとろうとすると、親爺が大きな声で、おあずけ、と号令する。おれは箸を置いて、親爺の晩酌がすむまで、じっと待っている。二時間でも三時間でも、待っているんだ」

「それはたいへんだな」と私は同情した。しかしその時、そんなNの子供のときの顔を、私はうまく想像できなかった。Nは私より二つ年長で、歳の割にはたいそう大人びた顔をしていたし、眼つきにもどこか暗いところがあった。つまり子供時分を類推させない顔だったのだ。

「辛かったよ。いつからそんなしきたりになっていたのか、おれにも記憶がないんだ。たぶん、物心もつかない頃から、犬を訓練するように、親爺はおれにおあずけを仕込んだんだろうな。きっとそうだよ」

 どういうことから、こんな話になったのか、私はよく覚えていない。しかしその時下宿の茶の間で、むかい合って食事をしていたことだけは覚えている。その古ぼげた素人下宿は、私たちが通っていた高等学校の裏手の、桑畑にかこまれた一郭にあった。賄(まかない)付きで月に十六円という、当時の田舎町にしても、破格に安い下宿屋だった。そのせいか待遇も安直で、三度々々油揚げが形をかえて出でくるような賄方だった。で、その時も、油揚げの煮付けか何かで、昼食をとっていたのだと思う。

「――食いたい食いたいと思って、一心に食卓をにらみつけている。おあずけは解けない。そのうちに眼の前の食べ物が、だんだん妙な具合に見えてくるんだな。腹はグウグウ鳴るしさ。まっ白い飯の色。味噌汁や煮付けの匂い。そいつらが内臓のどこかを、痛烈にぐいぐいとつき上げてくる。それと同時に、だな。眼の前の食べ物が、ただ膳の上に並べられているだけで、全然おれと関係のない物体のように、それも大昔からそうと決まっていたもののように、子供のおれには思われてくるんだ。そういうおれを、親爺は横目で見ながら、ゆっくりと盃をかたむけている」

「君の親爺さんは――」と私は訊(たず)ねた。「なにかね。ほんとの親爺さんだったかな?」

 Nはそれには返事をしなかった。大きな顔をかすかに振り振り、御飯を口にはこびながら、やがてはき出すように言った。

「親爺は大酒飲みで、しかも酒乱なんだ。いずれ中風でヨイヨイになるだろう。前の夏休みに帰ったとき、おれが勧(すす)めて、血圧を計らせたんだ。二百にちかかった」

 私たちは勤勉な学生ではなかった。私は二十歳。Nは二十二歳。ことにNは前年度に落第して、それで私と同級になったわけだ。今度つづけて落第すると、規定にしたがって、学校を出なくてはならない。それだのに、一学期も二学期も、彼は成績が悪かった。学期々々の成績は、校舎の一隅におおっぴらに貼り出される仕組みなので、貼り出された自分の成績に、大きな顔を悲廣にゆがめて眺め入っているNの顔を、私は思い出すことができる。それは反撥と嫌悪で腹の中がまっくろになったような顔だった。

 しかしそれもその時だけで、あとは彼は忘れてしまう。三学期になっても、身を入れて勉強するそぶりは全然なかった。しょっちゅう課業を怠けて、下宿に寝ころんで小説類を耽読したり、下手な謡曲をうなったり、夜は夜でマントをかぶって、街に酒を飲みに行ったりしていた。Nは年齢の割には酒はつよかった。どんな酒でも飲んだ。銘柄や味を吟味する方の口ではなかった。

 そしてNは金使いも荒かった。彼の実家は田舎の小地主で、それで私などにくらべて、潤沢な学資を送られていたんだと思う。しかしその金をNは、私から見るとほとんど無目的な浪費の仕方で、使い果たしてしまう。ふだんはゴールデンバットしか喫わないのに高価なパイプを買い求めたり、近くの温泉地にぜいたくな小旅行を試みたりするのだ。それは年若の私にも、すこし感傷的なやり方にさえ思われた。そしてしょっちゅうあちこちに借金をつくって、ピイピイしていた。

 その下宿は、拘橘(からたち)の垣根にかこまれたうす暗い家で、その離れの二部屋を借りて、私とNとはそれぞれ棲(す)んでいた。朽ちかけた竹の濡れ縁のついた、古ぼけたつくりの部屋だ。その主は年寄りの能楽師で、時折母屋の方から、鼓をうつ音や、歯の抜けたような謡い声が聞えてきたりする。そこらあたりに湿った土の匂いや、漠方薬を煎(せん)じる匂いが、いつもうすうすとただよっている。廂(ひさし)のひくい、だだっぴろい構えの家だった。下宿人は私とNの二人だけであった。こんな下宿をとくに好んだのではなく、下宿料が安いという取柄だけで、私はここに入っていたのだが、Nも同じ気持であったかどうかは判らない。おそらく同じではなかっただろう。学資の点からしても、経費を節減する必要は彼にはなかったのだから。そんなことは彼にはどうでもよかったのかも知れない。部屋は棲むに足ればよかったし、食事は油揚げであろうとなかろうと、腹を充たせばそれでいい。彼の日常からして、そう考えているようにも、私には見えた。それは育ちの違いというものを、私にときどき感じさせた。私は貧しい官吏の伜であったし、したがって貧しさということに対して、極めて敏感に気を使っていたし、自分の生活をストイックなものに思いなす意識が、常々私を離れたことがなかったから。そういう点で、私は彼の生態を、実感としては理解できなかった。ただ規則立った学業が嫌いだという点において、私は彼と共通していた。私も学校をさぼって絵を描いたり、母屋の老人について仕舞の型をならったり、Nにくっついて酒を飲みに行ったり、毎日そんなことばかりをしていた。その日その日がのんびりと過ぎればいい。そんな気持だった。だから私も極めて成績は悪かった。学年末が迫ってくるにつれて、しだいに私は憂鬱になっていた。試験の前の莫大な努力をかんがえるだけでも、私の気持は重くなった。努力とか力行とかいうことを、私は昔から好きな方ではなかったのだ。

 私たちがよく酒を飲みに行ったのは、田島屋といううどん屋兼居酒屋の店だった。学校は町からすこし離れたところにあって、私たちは下宿を出ると、学校の横手のさびしい畠道をぬけ、馬糞のにおいのする街道に出る。街道をしばらく歩くと、町の屋並みがやがて見えてくる。田島屋はその屋並みのいちばん入口のところにあった。なぜこの店に行くかといえば、ここが多分下宿からもっとも近い居酒屋だったからだ。(他にもひとつ理由がある。)もちろんこんな店には、私たちをのぞけば、高等学校の生徒などは出入りをしやしない。皆あかるい街に出て、ビヤホールや契茶店に入ったりするのである。田島屋の客は、おおむね近所の百姓や馬方や、そんな種類の人々が多かった。土間があって卓が四つ五つおいてある。奥には畳敷きの部屋がひとつある。土間の隅を格子(こうし)で仕切って、そこが調理場になり、何時もそこに一人の小娘がいて、うどんを茹(ゆ)でたり、徳利をあたためたりしていた。十六、七の色の白い、影の淡い感じの小女(こおんな)だった。その女をいつからNが好きになるようになったのか、私はよく知らない。学年末がそろそろ迫ってくる頃ではなかったかとも思う。

「あのギンコという女を、お前どう思うね?」

 Nは私にそんなことを聞いた。ギンコという名前であることを、私はその時初めて知った。

「どう思うって――」と私は口ごもった。どんな意味の質問なのか、よく判らなかったからだ。「あれはどこか身体が、弱いんじゃないかな。眉毛が妙にうすいじゃないか。病気なのかも知れないな」

 その病気の名を私は不謹慎に口にした。Nはやや暗い眼をまっすぐ私にむけ、考え考えしながら口を開いた。

「あのこは孤児なんだぜ。生れつきのひとりっ児なんだ。身寄りがないもんだから、あそこに引取られているんだ」

「だから影がうすい感じなんだな。しかし君はそんなことを、よく知っているんだね」

「おれはギンコが、好きなんだ」

 Nははっきりした口調で、そう言った。私は気押されたように口をつぐんでしまった。めらめらと燃え上るようなものが、Nのその言葉に感じられたからだ。それは同時にある理由から、いちまつの危惧みたいなものを、するどく私に感じさせた。一年近く隣同士に生活していて、Nの性格や日常をかなり知っていたので、いまNが女を好きになったことは、それだけである破局を私に漠然と予想させた。少し経って、私はさり気なく言った。

「好きになるのもいいけれど、今度は及第する算段をした方がいいと思うな。僕もそうするつもりだし――」

「そうすりゃいいだろう」

 そっけない口調でそうさえぎると、Nは盃(さかずき)を口に特って行った。その時私たちは、田島屋の奥座敷で、向い合って飲んでいたのだ。ここではよく芋焼酎をのませたが、その夜も確かそうだと思う。隙間風が肌にひりひりするような寒い夜だった。底冷えがして、酒でも飲まなければやり切れないような気侯だった。

「おれは近頃何だか、ばかばかしくなっているんだ」しばらくして袖口で唇を拭きながら、Nが言った。「ここで踏んばって勉強して、どうにか進級したとしてもさ、また同じような生活がえんえんと続くだけだろう。そりゃあまあ、続いてもいいけれどもさ、それを続けるために、寒い中をこつこつと勉強するなんて、とにかく何だか、やり切れない感じがしないかい」

「しないね」と私は答えた。「落第する方がよっぽどやり切れないよ。君だって、実際学校を追い出されるのは、困るんだろう」

「うん。それはすこしは、困るんだ」

 言葉ではそう言ったけれども、そのNの顔には、なんだか自分の内部のものを持ち扱いかねているような、奇妙な焦噪の色があらわれていた。私はまぶしくそれを見た。

「学校を追い出されたら、家に帰らなくてはいけないしな。家での生活は、おれはあまり面白くないんだ。酒もろくには飲めないし」

「それでギンコを好きになったとは、どういうことだね」

 と私は声をひそめて訊ねてみた。座敷の障子の破れから調理場が見え、ただよう湯気のあわいにギンコの姿がちらちらと動いていたからだ。Nのうす赤く血走った眼が、なにかいどむような光をたたえて、私を見詰めた。私はたじろいだ。

「好きということは、好きということさ。他に言い方があるかい」

 Nは女色には潔癖であったし、その頃彼はまだ、童貞であっただろう。潔癖というよりは、一部の高校生に特有な、無関心という感じに近かったと思う。だからNの言い方は、おそらく本音であったに違いない。しかしそのNの言葉を聞いた時、私はなにか当惑に似たものが、ひしひしと胸にのぼってくるのを感じていた。それは顔色に出さず、私はも一度探るように、Nに確かめていた。

「あのこがみなし児だから、なんだか不幸な感じがするから、君はあれを好きになったんじゃないだろうな」

 Nは不興気(げ)にだまった。その話はそこでとぎれた。だからよくは判らないけれども、私の質間はある程度、的(まと)を射ていたのではないかと思う。Nの日常から見て、不幸への傾倒とでも言ったようなものを、いつか私は彼の内部にうすうすと嗅ぎ当てていたから。つまり、この世の約束をはみ出て揺れ動くようなもの、尖鋭な光を放ち、かぐろい翳(かげ)を隈(くま)どるようなもの、そんなものを彼は無意識裡に切に求めているらしかった。そしてそれはその底に、平板な現実にたいする不信を、根強くひそめているようだった。おあずけをくった犬みたいな眼で、彼は自分の毎日を眺めている、それが彼の性格に、あるイリタブルな調子と狷介な傾向を、しだいにつけ加えてきている。これはもちろん私の観察にすぎないし、彼自身にもはっきりした自覚はなかったのだろう。彼のギンコヘの関心の仕方も、そういう焦点のむけ方なのだろうと、その時の私には思えたのだが。そしてそれ以上、ギンコについて言及するのを、私ははばかった。[やぶちゃん注:「イリタブル」irritable。「怒りっぽい・腹を立てやすい・激しやすい・短気な」の意。]

 その時まで私は、その女がギンコという名前であることも、みなし児であるということも、ほとんど知らなかった。しかし実は私は、ギンコの身体をすでに知っていた。ギンコは田島屋の雇い女でもあったけれども、同時に半分は春婦でもあったらしいからだ。田島屋の主人がギンコに、そんなことを強制していたのかどうかも、私は未だ知らない。ある夜偶然に、私は彼女の一夜の客となったに過ぎない。それもずいぶん前のことだった。まだ夏服を着ていた頃だったから、初夏か秋口のことだったに違いない。

 ある夜遅く私はひとりで街から帰ってきた。ずいぶん夜も更(ふ)けていて、街道にも人影はなかった。そして田島屋の店の表の提燈(ちょうちん)のかげから、突然そのギンコは私を呼び止めたのだ。

「ねえ。学生さん」

 私は立ち止った。私はすこしは酔っていた。提燈の乏しい光の中に、ギンコの顔が白い花のように、ぽっかり浮んでいた。それは妙に非現実的な感じだった。その顔が言った。

「ねえ。遊んでゆかない?」

 どんな気持であったかよく覚えていない。しかしその声にすぐ応じる気特になったのは、私の酔いの気紛れだったのだろうとも思う。私は平常身を持するに臆病であったし、冒険(?)は私の性には全然合わなかった。あるいは、提燈の光に照らされたギンコの、眉のうすい混血児めいた印象に、ふと強くひかされたのかも知れない。ごくありふれた顔でも、これが春婦だと意識した瞬間に、はげしくひきつけられたりすることが、時たま男にはあるものだ。私はまだ二十歳ではあったけれども、男であることは一応男だったのだから。

「そうだな。遊んでもいいな」

 私はいっぱしの男のような口を利(き)いた。女身にたいする畏怖や警戒を、私は出来るだけかくそうと努めていた。また一面には、こんなにスムーズに機会がやって来たことを、ひそかに喜ぶ気持もあったのだ。そのことは私に既知の経験ではなかった。しかしそれを眼の前の女身に知られるのは、私の自尊心が許さなかった。今思うと、あの頃の私は現在の私より、ずっとひねくれていたようだ。

 そして女の手が私に触れた。ギンコは花模様のワンピースを着ていた。腕をからむようにして、私を田島屋の店のなかに引き入れた。その動作はやわらかで、ひどく手慣れたやり方のように感じられた。私はほとんど無抵抗にそれに応じた。燈が消され、女が服を脱ぐ衣(きぬ)ずれの音が、闇の底でかすかに鳴った。出来るだけ無恥に! なにかをいらいらと待ちながら、私は自分にそう命令したりしていた。やはり緊張に耐えられなかったからだ。時間が過ぎた。

 やがて田島屋を出て下宿の方に戻りながら、私はいくらか虎脱した気特で、女身の記憶をしきりに反芻(はんすう)していた。ちりちりした髪の感触、肌の匂い、双の肩胛骨(けんこうこつ)のぐりぐりした動きなど。それらは断(き)れ断れな印象として、私の皮膚に残っていた。女なんて貧しいものじゃないかと、月を仰ぎながら、私はふと考えたりした。それが自分の生理の貧しさとは、私は考えなかったし、また気がつきもしなかった。自分を泥土につき落したつもりでいて、そのことで私はむしろ昂然(こうぜん)としていた。

 その夜のことは、私は誰にもしゃべらなかったし、Nにも秘密にしていた。しゃべったって始まらないじゃないか。それが若い私の自分への言い訳だった。しかしやはり私はそのことを、恥じたりこだわったりしていたのだろう。

 ギンコとの身体の交渉は、それまでにはそれ一度だけだった。その夜から一箇月ほどして、私はNをつれて田島屋ののれんをくぐった。酒を飲むためだ。しかしも一度あの女の顔を見たいという気特は、私には確かにあった。ギンコは格子(こうし)のなかで、せっせと注文のうどんを茄(ゆ)でていた。私の顔を見ても、空気を見るようで、べつだん表情を動かす風(ふう)もなかった。私はやや失望したし、また軽侮されたような気にもなった。Nは始めてのこの店を、なかなかいい店じゃないかと、大きな顔を左右にむけて、吟味するように眺め廻したりした。こんな店をNはそれまであまり知らなかったので、手軽で実質的なところがひどく気に入ったようだった。それから私たちは、しばしばこの店に通うようになった。ことに寒くなってくると、遠い街まで出かけるのは億劫(おっくう)なので、自然と田島屋に通う度数もふえてきていた。もうその頃はギンコの存在も、かすかな痛みの一点として胸に残るだけで、大体酒の運び手以上にはみ出た感じは、私からはすでに消え去っていた。強いて私は自分の心の一部分を、切り捨てていたのかも知れない。そんなことで心を労するのは無益だと、いつか私は心の底で計算していたのだろうから。

 しかしNがギンコを好きだと宣言したあの時、そのギンコとのいきさつを私が告白するのをはばかったのも、たんに羞恥やこだわりのせいではなかった。私の内部にある核のようなものを、Nの言葉がなにかするどく刺戟してきたからだ。私はNの網膜を通して、ふいに新しく生き返ってきたようなギンコの姿を、その時ありありと感知していた。イリタブルな情緒が私の心をゆすぶった。はげしい当惑に似た感じも、同時に胸にきた。

『学校がうまく行きそうにないもんだから、それでヤケになって、女に惚れやがる』

 毒々しく言えば、そんな気持にもなりながら、私はNに相対していたと言ってもいい。しかしヤケになっているのは、私の方かも知れなかった。試験のことも自信はなかったし、その準備の重さを考えるだけでも、少からずいらいらしていたのだから。

 そして私は実のところ、Nを嫉妬していたのかも知れない。平板な現実への不信から、強烈な夢をよそに結び得る彼の性格、それを許す彼の育ちや境遇。それらを瞬間に私は羨望し嫉視していたと、言えば言えるだろう。つまり私はNにたいして、この一年間単なる観察者であったことに、突然やり切れなくなっていたのだ。私のような経歴や性格にとって、無感動ということが、この世に身を処するもっとも有利な方法であることを、当時の私はもううすうすと感じ始めていたが、それを裏切ったのは、やはり私の『若さ』であった。『若さ』が持つ盲目的な衝動であった。

2022/08/10

ブログ・アクセス1,790,000アクセス突破記念 梅崎春生 雨女 雨男

 

[やぶちゃん注:「雨女」は昭和三七(一九六二)年十一月号『小説新潮』に、その完全な続編である「雨男」は、同誌の翌昭和三十八年の一月号と、三月号に「(続)」として連載発表された。既刊本には収録されていない。

 底本は「梅崎春生全集」第四巻(昭和五九(一九八四)年九月刊)に拠った。「雨男」は以上の通り、二回連載であるが、底本では一本に纏められているため、どこで切れたのかは判らない。

 文中に注を添えた。なお、本篇に登場する「山名」という姓のエキセントリックな副主人公は、梅崎春生の他の小説にもたびたび登場するのだが、そのモデルは彼の友人の画家秋野卓美(大正一一(一九二二)年~平成一三(二〇〇一)年)である。「立軌会」同人(元「自由美術協会」会員)で、春生(大正四(一九一五)年生)より七つ年下である。エッセイに近い実録市井物の「カロ三代」に実名フル・ネームで登場している。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日、つい先ほど、1,790,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]

 

   雨  女

 

 縁側に腰をおろして、ぼんやりと庭の秋草を眺めていると、裏木戸の方角から瓶のようなものをぶら下げて、山名君が入って来た。彼は玄関から堂々と入って来ることもあるし、時には勝手口から、また時には裏木戸を押してスイスイと、その時の気分で入って来るのである。つまり私の家を自分の家同然に考えているらしい。ちょいと頭を下げた。

「御免下さい。長いこと御無沙汰しました」

「うん。久しぶりだねえ。まあ掛けなさい」

 私は座蒲団を押しやった。

「すこし瘦せたようだね。どこかに旅行でもしていたのか」

 いつもはふくらんだような顔をしているのに、今日見ると妙にしなびている。山名君は腰をおろして、自分の頰を撫でた。

「そうですか。やはり瘦せましたか。そう言えばいろいろ苦労したからなあ」

「夏瘦せでバテたのか?」

「いいえ。別荘に行ってたんですよ」

「別荘に? 君が?」

 私は思わず声を大きくした。

「なにか悪いことでもしたのかい?」

「え? 悪いこととは、何です?」

「別荘というのは、刑務所のことだろう。つまりムショ帰り――」

「冗談じゃないですよ、ムショ帰りだなんて!」

 彼は憤然と首をこちらへねじ向けた。

「僕が刑務所に入れられるような、そんな悪人だと思っているのですか? 善良な市民をつかまえて、刑務所などと――」

「ごめん。ごめん」

 私はあやまった。

「でもね、君が別荘を持っているような裕福な身分じゃないことを、僕はよく知っている。そこでついかん違いをしたんだ。あやまるよ。君は悪事を働けるような、そんな肝(きも)っ玉の大きな人柄じゃない」

「それ、ほめてるんですか。それとも――」

「勿論ほめてんだよ」

「それならいいですがね」

 山名君は機嫌を直した。

「もっとも別荘と言っても、友達の別荘です」

「ああ。別荘の居候(いそうろう)か」

「またそういうことを言う」

 また眼が三角になり始めた。

「一夏の主人は、僕ですよ」

「そうか。それは失言だった。つまり一夏借りたというわけだね。うらやましいな。それで借り賃は、いくらだった?」

「それがその、ちょっと複雑な事情がありましてね。僕の絵の仲間に、木村というのがいて、そいつの告別式、いや、ある酒場で送別会を二人でやりました」

 

 山名君の話によると、その木村という男は金持の伜(せがれ)で、絵はあまり上手ではない。素人(しろうと)に毛の生えた程度で、道楽に絵を描きながら、のらくらと人生を送っているのだそうだ。

 ところがこの度一念発起して、パリに修業に行くことになった。山名君に言わせると、修業とは称しているが、実は遊びに行くんだとのことだが、それはどちらでもよろしい。この物語とはあまり関係がない。

 で、その酒場で、

「パリとはうらやましいねえ」

 と山名君は木村に言った。

「おれなんか、パリどころか、当分東京ばかりで、山や海にも行けそうにないよ」

「それは気の毒だなあ」

 木村は酔眼を宙に浮かせて、しばらく考えていたが、やがて、

「君は海が好きか。それとも山の方かね」

「うん。海もいいが、夏は山の方がいいねえ。いろんな草花が咲いているし、それに静かだしね」

 山名の家の近くの土地で、近頃家の新築が始まり、電気ノコギリやハンマーの音が、毎日遠慮なく飛び込んで来る。それで彼はすっかり参り、切に静寂を求めていた。

「うん。山か。実は僕は山に別荘を持っている。帽子高原というところだ。今はニッコウキスゲの花盛りだろう。いいとこだよ」

 木村はぐっとグラスを乾した。

「そこを君に貸してやろう。どうせ僕はパリ行きで、空いている」

「貸すって、そりゃありがたいが、貸賃の方は――」

「もちろんタダだよ。自由に使いなさい」

 山名君はしめたと思った。金持とつき合っていて、損することはない。

「そりゃありがたいね。是非使わせていただこう」

「そうだ。タダと言ってもね」

 木村は膝をたたいた。

「あそこは村有地で、つまり借地なんだ。今年分の地代は、君が払って呉れ」

「地代って、いくらだね」

「たしか一年間で、坪当り十二円だったかな。安いもんだよ」

「うん。その位なら僕にも払える。それだけかね?」

「ああ。それに電燈代だ。この二つを君に頼む」

 よろしい、というわけで、タダ借りの約束が成立した。そして木村は。ペンで別荘地の略図を書いた。

「戦争前に建てた家だから、相当古ぼけているが、なかなか眺めのいい場所だよ。ただガスがないんでね、飯盒(はんごう)を持って行くといい」

「夜具のたぐいは?」

「東京からチッキで送ってもいいし、村に貸蒲団屋もある。絵の道具さえ持って行けば、その日から仕事にかかれるよ」

 山名君はすっかり嬉しくなって、無理してその日の勘定を支払ったそうである。そしてそれから一週間後、リュックを背にして、東京から旅立った。ごみごみと暑い東京を離れるのはいい気分だったが、汽車はやたらに混んでいた。リュック姿が多いのは、夏山登りの若者たちだろう。なぜ近頃の若い者たちは、ネコもシャクシも、苦労して山登りしたがるんだろう。山名君は思った。

「おれはキャンプ族ではないぞ。れっきとした別荘族だぞ」

 いい気なものだが、そうでも思って気分を高揚させていなきゃ、通路に立ちん坊は出来ないほど、混雑していたとのことだ。急行ではなく、鈍行である。急行券を惜しんだのではなく、鈍行でないとその駅にとまらないのだ。

[やぶちゃん注:「帽子高原」は不詳。「ニッコウキスゲの花盛りだろう」とあり(標準和名は「ゼンテイカ」(禅庭花)で単子葉植物綱キジカクシ目ススキノキ科キスゲ亜科ワスレグサ属ゼンテイカ Hemerocallis dumortieri var. esculenta 。群落が有名な日光に因んでそれを冠した「ニッコウキスゲ」の異名の方が遙かに全国的に通用してしまっているが、誤解のないように言っておくと、日光の固有種ではなく、本州以北から北海道まで日本各地に分布し、原産地も中国と日本である)、後で、「帽子山」と出るが、そうした条件に似たものならば、栃木県日光市川俣にある大王帽子山(さんのうぼうしさん:グーグル・マップ・データ航空写真)があるものの、どうも近くの駅に急行が止まらないという辺りは甚だ不審であり、このロケーションは春生が適当に仮想したものと思われる。]

 

 駅に降り立つと、さすがに東京と違って空気が澄明で、パクパク吸うと非常においしい。下車したのは二十人そこそこで、あまり喧伝されずにひなびているというのが、木村の説明であった。

 駅前はちょいとした商店街になっている。帽子高原はここから更にバスで一時間の行程だ。バスを待つ間、リュック姿の女三人連れに、彼は話しかけた。

「どちらに行くんだね?」

「あたし達、大帽子山に登る予定なの」

「キャンプする予定なのかい?」

「そうだけど、初めてのコースで、どこでキャンプしていいのか、見当がつかないのよ。小父さん、ここらに委しいの?」

「いや。それほど」

 女たちが気軽に応じるのも、旅の解放感からだろう。三人ともそれほど美人じゃなかった。一人は軽いすが眼だし、次のは色が黒く、もう一人はちんちくりんであった。山名君のことを小父さんと呼んだのは、そのちんちくりんで、彼は多少げっそりした。山名君は四十に垂々(なんなん)としているが、まだ自分では青年のつもりなのである。

 やがてバスが来た。数年前流行した『田舎のバスは……』云々という歌を連想させるようなボロ車で、皆はそれに乗り込んだ。これは揺れそうだと思ったら、果して大揺れで、道がてんでなっていない。穴だらけだ。穴にタイヤが入ると、がくんと腰にこたえたり、身体ごと飛び上ったりする。数時間の立ちん坊の揚句だから、彼はへとへとになったが、土地の人は平気だし、三人の女達はキャアキャアとはしゃいで、ジュースを飲んだり、菓子を食べたりしている。彼にもチューインガムを呉れたが、くちゃくちゃ食べていると舌を嚙みそうなので、辞退した。

 やっと終点の帽子村に着いた。山名君はよろよろと降りた。帽子村は帽子高原の入口で、戸数五六十軒の村である。唐もろこしの葉末を渡って来る風は、さわやかで秋のような冷気を帯びている。彼は深呼吸をした。やっと到着したという安堵感からだ。そこへさっきのすが眼嬢が近づいて来た。

「小父さんはここに泊るの?」

「いや。僕はもう少し上に、別荘を持っているんだ」

「まあ。別荘を!」

 すが眼はびっくりしたような表情になった。どう見てもくたびれた中年の薄汚れたようなのが、別荘を持っていようとは、彼女には意外だったらしい。山名君は得意げに胸を張って答えた。

「そうだよ。対山荘という名なんだ」

 それから彼は、木村が借りて呉れた地図を取り出し、部落の店の位置を探した。〈何でも屋〉と言う屋号で、日用品や食料品、貨蒲団なども貸して呉れる、という木村の話であった。三人の女は向うで何かこそこそ相談しているようだったが、彼が〈何でも屋〉の方に歩き出すと、ぞろぞろと送り狼のようについて来る。

 彼がそこで米や味噌や干魚などを買い求め、蒲団の交渉をし始めると、店の主人が、 「どちらにお住まいで?」

「対山荘だよ」

「対山荘?」

 主人は眼をぎろりとさせた。

「あのバケ、いえ、木村先生の――」

「うん。あいつは一年の予定で、パリに行ったんだよ。そこでこの一夏、僕が借りることにしたんだ。今まで木村は毎夏来てたのかい?」

「へえ」

 主人は困ったような顔をした。

「まあいらっしゃっても、一日か二日泊って、それでお帰りになるようですな。あの方は淋しいところが、あまりお好きじゃないようで――」

「一日か二日か。ぜいたくな奴だなあ、あいつも」

 主人が貸蒲団を取りに立つと、向うでごそごそしていた三人女のすが眼が、皆を代表するといった恰好(かっこう)でつかつかと彼に近づいて来た。

「小父さん。ひとつ頼みがあるんだけれど」

「何だね?」

「あたしたち三人で、蒲団を運んだげるから、小父さんの別荘に泊めて呉れない?」

「え。うちに泊りたいと言うのか」

「そうよ。立派な別荘なんでしょ。キャンプするのが面倒くさくなったのよ」

「ふん」

 山名君は考え込んだ。木村の話では三間か四間あるという話だったし、一部屋ぐらい泊らせたって、何と言っことはなかろう。かえってにぎやかで、愉しいかも知れない。

「そうだね。泊めて上げてもいいよ」

「わあ。うれしい」

「話の判る小父さんだわあ」

 女達は口々に喜んで、飛び上った。そして貸蒲団をそれぞれ肩にかついだ。大きなリュックを背負った上に、貸蒲団をかつげるのだから、戦後女性の休力も強くなったものである。

 山名君は三人の強力(ごうりき)を従えた侍(さむらい)大将みたいな気分になり、山荘の方向に意気揚々と歩き始めた。背後から女たちの会話が聞える。

「ねえ。おスガ。うまく行っただろう」

「何言ってんのさ。チビ。あたしの交渉がうまかったからよ。ねえ。黒助」

 どうもおスガとはすが眼女のこと、チビとはちんちくりんのこと、黒助は色黒い女のことらしい。男同士であだ名をつけるのは普通だけれど、女同士でつけ合って、それをかげでこそこそ使用せず、おおっぴらに呼び合うなんて、戦前にはあまりなかったことだ。

 山荘は村落から約千メートルほどの距離で、林間のだらだら坂を登る。うしろで話しているのが聞える。

「しかし、ポンと頼みを聞いて呉れるなんて、なかなかいかすおっさんだよ」

「どんな別荘だろうねえ。今日は一風呂浴びたいわ」

「物見遊山(ゆさん)に来たんじゃないよ。チビ。山登りが目的だぞ」

「知ってるよ。でも相手が別荘だろ。風呂ぐらいはありそうなもんじゃないか」

「何だね、二人とも。つまらんことで喧嘩するんじゃない」

[やぶちゃん注:「田舎のバスは……」三木鶏郎作詞作曲で、中村メイ子(旧芸名表記)が昭和三〇(一九五五)年に歌ってヒットした。YouTubeのsabo yobo氏のこちらで、蓄音機の演奏で聴け、歌詞は「J-Lyric.net」のこちらで総てが視認できる。]

 

 山名君は語る。

『ニッコウキスゲの咲き乱れた草原を横切り、別荘に近づくにつれて、僕は期待と同時に、ある大きな不安が影のように、頭上にかぶさって来るのを感じました。だって小生も彼等と同じく、その山荘を見たことがないんですからねえ。どうぞ立派な山荘であって呉れるように。快適な風呂場がくっついていますようにと、内心祈りながら歩を進めていました。これは見栄じゃない。僕自身の一夏の生活にかかわって来るんですからな。

 やがて落葉松(からまつ)や白樺や栗の木の彼方に、赤い屋根が見えて来ました。

「あっ。あれだ。あれが対山荘だ」

 と僕は思わず叫びましたよ。折しも夕陽が屋根に照り映えて、きらきらと光る。僕らは元気を取り戻し、ほとんど走るようにしてその建物に近づいた。古ぼけた木柵があって、門柱が二つ立ち、ひとつには「木村」と、ひとつには「対山荘」と書いてある。そこを入って建物の前に立った時、僕は大げさに言えば、愕然としましたね。

「あ。こりゃ相当ガタが来てるなあ」

 古ぼけていると木村は言っていたが、古ぼけているという程度のものではありません。今まで樹々に隠されてるから判らなかったけれど、ペンキは剝げ落ち、建物全休はピサの斜塔ほどじゃないが、東の方に傾いている。かなりがっしりした材木を使ってあるのですが、なにしろ戦前も戦前、三十年ぐらいは経っているらしく、それに年中ほとんど無人と来ていますから、ガタが来て傾くのも当然でしょう。屋根はトタンぶきで、ところどころサビが来て、さっききらきち光ったのも、夕陽がうまい具合に射したからで、屋根自身が光ったわけじゃありません。私はがっかり、また面目を失したような気分で、リュックを外して腰をおろすと、女の一人が呆れたように言いました。

「これが小父さんの別荘なの?」

「そうだよ」

「別荘と言うと、白樺林に取り囲まれた、もっとカッコ好い建物のことじゃない?」

「そうねえ。これ、まるで山賊小屋みたいね」

 山賊小屋とはひどいことを言いやがる、と思ったんですが、当の僕ですらそんな感じがしたのだから、仕方がない。

「山賊小屋で悪かったねえ。それじゃキャンプにすればいいじゃないか」

「小父さま。怒ったの? ごめんなさい」

 おスガがとりなしました。

「チビってあわてん坊でね、第一印象で直ぐ口をきくんだから」

「山賊小屋でもいいよ」

 チビが恐縮しているのを見て、僕は若干気の毒になりました。

「どうせとれは僕の別荘じゃないんだからな。友達のを一夏借りたんだ」

 まったく余計なことを言ったもんです。それからやっこらしょと立ち上り、木村から預った鍵で入口の扉をあけた。ぷんと古くさい空気のにおいが、そこらにただよいました。

 家の中は割合よく片付けられていました。とっつきの部屋が板の間で、卓だの椅子だのが置いてあり、暖炉の如きものもついている。そこから廊下となり、右手に畳敷きの部屋がある。突き当りが台所で、そこから鉤(かぎ)の手に曲って、アトリエ風の部屋がくっついている。これはベッドつきです。早速僕はこのアトリエを自分の部屋ときめた。僕は貸布団をベッドに運ばせて、女どもに言いました。

「ここは僕が使う。君たちは畳敷きの部屋に泊れ」

 それから窓を開くと、一望千里のすばらしい眺めで、左手に丸くそびえ立つのが大帽子山、右手になだらかに盛り上っているのが小帽子山です。庭は一面ニッコウキスゲや、名も知らぬ草花が点々と咲いています。あたりはしんと静かで、

「ああ。いいところに来たなあ。ここなら存分風景画が描けるぞ」

 と思わず呟(つぶ)いたぐらいです。

 すっかり満足して、あちこち見回していると、台所のすぐ裏手にドラム罐(かん)が立ててある。何だろうと思って、台所口から出て見ると、これがどうも風呂らしい。石を組んでドラム罐を持ち上げ、その空間が焚(た)き口で、黒くすすけています。僕は大声で女どもを呼びました。

「おおい。風呂場があるぞ。入りたきゃ自分たちで沸かせ」

 女たちは早速飛んで来ました。一目見ると、びっくり顔になって、三人で顔を見合わせています。チピが何か口を出そうとして、おスガに、

「しっ!」

 とたしなめられた。おそらく第一印象を口走りたかったのでしょう。ざまあ見ろと思って、僕はそのままアトリエに引込みました。窓からそっとのぞいて見ていると、何かこそこそと相談しているようでした』

 

「で、その別荘には、水はあるのかい?」

「ええ。村営の水道の本管が、すぐ近くを通っていてね、水源池は大帽子山の麓(ふもと)にあるのです」

 山名君は冷えた茶をがぶりと飲んだ。

「本管から水を引いて、蛇口から出ることになってるんです。つめたくていい水ですよ。東京のカルキ臭い水道の水とは、くらべものにならん」

「そりゃくらべものにならんだろう。それで風呂の方は、どうした?」

「沸かしましたよ、もちろん。それで僕が真先に入って――」

「でも、焚いたのは、女性たちだろう」

「そうですよ。しかし僕がその別荘の主ですからね。優先権がある」

 山名君は鼻をうごめかした。

「それから庭に出て、飯盒で自炊しようとすると、女たちが今から入浴するんだから、見ちゃいけないと言う。冗談じゃない。僕はこれでも画家だから、女の裸なんか見飽きていると答えると、信用しないんですな。飯はつくって上げるからと、三人がかりで僕をアトリエに押し込んでしまいました。近頃の女と来たら、力が強いですねえ。それに多勢に無勢(ぶぜい)だし――」

「いくら多勢に無勢と言っても、だらしないじゃないか。たかが女の力で――」

「いえ。彼女らが入浴しているのを、窓のすき間から、こっそりのぞいて見たんですがね。その休格のいいこと、腕や股の太いこと、まるで女金時(きんとき)みたいでした。あんたみたいな瘦せっぽちなら、一対一でもかないっこありません」

「いやだね。君にはのぞき趣味があるのか」

「趣味じゃないですよ。参考までに観察しただけです」

「さあ。どうだかね。それで、その晩の飯はつくってもらったのか」

「もちろんですよ。約束ですからね。しかしなかなか飯が出来ない。僕は腹ぺこになって、いらいらしてアトリエをぐるぐる歩き回っていると、やがて黒助がやって来て、小父さま、食事が出来ましたから、どうぞおいで下さいと言う。もう外は暗くなっていました。そこで飯だけもらって、自分ひとりで食べりゃよかったんだけれど、ついのこのことついて行ったのが、運のつきでした」

 

『ついて行って見ると、食事場は暖炉のあるれいの居間で、ふと卓を見ると、罐詰が切ってあり、でんと安ウィスキーの大瓶が乗っている。さっきの〈何でも屋〉で買い求めたのでしょう。僕は呆れて言いました。

「何だ。君たちはウィスキーを飲むのか」

「ええ。飲みますよ。飲んじゃいけないんですか?」

 とチビが言いました。

「いえ。小父さんに感謝の意味もあるのよ」

 おスガがつけ加えました。

「小父さんはアルコール、おきらい?」

「いや。きらいじゃないが――」

 僕は椅子に腰をおろした。

「君たちはあんまり飲むと、明日大帽子山に登れなくなるぞ」

「大丈夫ですよ。まあ、小父さん、一杯」

 コップにごぼごぼと注がれでは、もう飲まないわけには行きません。すきっ腹だから用心のために、台所からつめたい水を運ばせて、水割りにして、クジラの罐詰なんかをつまんで飲んでいる中に、だんだん酔いが回って来ました。高原の別荘という静かなムードが、それに拍車をかけた傾向もあるようです。女たちもよく飲み、よく食べました。その時の会話によると、女たちはどこかの劇団の女優のタマゴみたいなもので、テレビにも時々出演すると言う。何だかそれを得意にしているような口ぶりなので、僕も対抗上自分の画歴について語り、あるいは仲間の話や、木村からこの別荘を借り受けたいきさつなども、しゃべったような気がします。チビがこう言ったのを、かすかに覚えています。

「タダでこんな立派な別荘が借りられるなんて、すばらしいわねえ」

 何だい、さっきは山賊小屋みたいだと言ったくせに、などと思っている中に、僕はすっかり酔っぱらって、前後不覚になってしまったらしい。

 ふっと眼が覚めたら、アトリエのベッドの上で、蒲団にしがみつくようにして寝ていました。宿酔で頭が重く、ふらふらと立ち上って台所に行き、つめたい水をがぶがぶと飲みました。女どもはどうしているかと、居間の方に行って見たら、卓の上ににぎり飯が三箇置いてあって、

「朝のオニギリをつくりました。召し上って下さい。わたしたちは今から大帽子山に登って来ます。午前七時」

 やはり若さというのは強いものですねえ。昨夜彼女たちも酔っぱらって、ドジョウすくいやツイストを踊ったくらいなのに、今朝は早々と起き出て弁当をつくり、山登りに出かけた。乱暴なガラガラ女たちと思っていたのに、ニギリ飯を宿代に置いて行くなんて、割にしおらしいところもある。そう感心して、ニギリ飯を食べかけたが、宿酔のせいで一箇平らげるのがせいぜいでした。

 また水を飲んで庭に出ると、いい天気で、彼方に大帽子小帽子の稜線が、くっきりと見える。僕は早速スケッチブックを取り出して、スケッチを始めました。一応スケッチに取り、二三日中に本式に画布に取組もうという心算(つもり)なのです。

 そして午後二時頃でしたか、腹がへって来たので、居間に入って残りのニギリ飯を食べていると、

「ごめん」と言う声がして、若い男が扉をあけて入って来ました。

「電力会社の者ですがね、電燈代を徴収に来ました」

「ああ。そう」

 私はアトリエから金を持って、戻って来ました。

「昨日ここに来たばかりなのに、もう電燈代を取るのかね?」

「いいえ。これは昨年の八月から、今年の七月分の代金です。別荘の方はそういう決めになってますんで」

「そう。いくら?」

 男は伝票を差出しました。見ると七千八百円になっています。僕は驚いて反問しました。

「七千八百円とは、一休どういう計算だね? 木村君は一夏に一日か二日しか暮さないとう話じゃないか」

「あんた、木村さんじゃないんですか?」

「そうだよ。この夏だけ借りたんだ」

「ああ。道理で話が通じないと思った」

 男はなめたような口をききました。

「電燈代というのはね、毎月の基本料金の上に、使っただけの料金が加算されるんですよ。だからこの七千八百円の大部分は、一年の基本料金です。お判りですか?」

「ああ、判ったよ。判ったよ」

 電燈代はこちら持ちという約束なので、仕方がありません。数枚の千円紙幣が、かくして僕の手から離れて行きました。木村にとっては何でもない金だろうけれど、僕にとっては大金です。

「こりゃ倹約してやって行かねばならないぞ。地代のこともあるし」

 徴収人が帰ってから、僕は思いました。

「ここでいい作品を仕上げて、モトを取らなくちゃ」

 嚙みつくような勢いで、残りのニギリ飯を食べ終え、また庭に飛び出し、スケッチを再開しようとすると、山や空の色がもう変っていて、帽子連山の稜線がぼやけています。山や高原の気候の変化は、烈しいものですねえ。しばらく色鉛筆を置いて、雲の動きなどを眺めていると、白い雲は流れ去り、何だか黒っぽい雲が大帽子山の頂上にかかり、やがて山頂をすっぽりと包みかくすように垂れて来たですな。

「ははあ。山では雨が降り始めたんだな。だから山と言うやつは、用心しなくちゃいけない」

 あの三人女のことが少々心配でしたが、朝の七時に出発したんだから、もう山を降りて、もしかすると今頃は町行きのバスに乗っているかも知れない。そう思ってスケッチはやめ、アトリエに戻り、ベッドに横になっていました。しばらくうとうとしていたようです。急に部屋の中がしめっぽくなって来たので、驚いて起き上り、窓の外を見ると、一面に霧がかかっていて、帽子連山はおろか、五十メートル先の樹の形さえさだかに見えないくらいで、むき出しにした二の腕がつめたい。あわててリュックからセーターを出し、それをまとめて、〈何でも屋〉の方に走り降りました。炭やタバコを買うためです。買ったあとで、

「昨日の三人女、今日ここを通らなかったかね?」

 と主人に聞くと、今日は姿を見ないとの返答で、そんな世間話をしている中に、外は霧雨となりました。全くここらの気候は、予測し難いものです。やむなく番傘をひとつ買い求めた。実際別荘生活というものは、金がかかるものですねえ。何かあると、一々新規に買わなくちゃいけない。

 ぶらぶらと対山荘に戻って、台所のコンロに炭火をおこし、飯をたいて干物(ひもの)を焼いていると、入口の方でがやがやと騒がしい声がする。飛んで行って見ると、あの三人女です。アノラックは着ているけれども、全身ずぶ濡れで、まるで水から引き上げられた犬みたいに、ぶるぶるっと雨滴を板の間に弾き飛ばしていました。

「何だ。今頃帰って来たのか」

 僕はあきれて嘆息しました。

「朝七時から出かけて、今まで何をしてたんだい?」

「頂上近くのお花畑で、昼寝をしてたのよ」

 アノラックを脱ぎながら、黒助が言いました。おスガもチビも不機嫌そうに、衣類の始末をしています。

「昼寝だなんて、のんきだなあ」

「チビのやつが言い出したのよ」

 おスガがぷんぷんした口調で言いました。

「チビ助は雨女(あめおんな)のくせに、昼寝しようと言い出して――」

「何さ。雨女はお前じゃないか!」

 チビが言い返しました。

「この間高尾山に登った時も、帰りはどしゃ降りじゃないか。もうおスガと一緒に山登りするのは、御免だよ」

「まあ、まあ、どちらが雨女か知らないが――」

 僕は取りなしてやりました。

「早く着換えて、帰る準備をした方がいいよ。最終のバスは七時五十分だから」

「あら」

「そりゃ約束が違うわよ。おっさん」

 小父さまからとたんに、おっさんに転落したんですから、面くらいましたな。陰でこそこそならともかく、正面切ってですからねえ。

「な、なにが約束が違うんだ」

 僕はどもりました。

「そんな約束をした覚えはないぞ」

「昨夜したじゃないの」

 とチビがまなじりを上げて言いました。

「どうせタダの別荘だから、ゆっくりして行きなさいと、そう言ったじゃないの。少し酔っぱらっていたけどさ」

「少しじゃないわよ。酔って動けなくなったのを、三人でアトリエにかついで行ったのよ」

 アッと僕は内心驚きました。どうも記億にないと思ったら、この連中にかつぎ出されたとは、一代の不覚です。

「だからあたしたち、当分ゆっくりするわよ。そしてどちらがほんとの雨女か、はっきりさせてやる」

 おスガがチビをにらみました。

「おい。チビ。〈何でも屋〉に一走りして、焼酎を買って来い」

「イヤだよ。飲みたきゃ自分で買って来な」

 そこで一悶着ありそうでしたが、結局クジ引きということになって、買い番は黒助に当りました。黒助はうらめしそうに着換えをしながら、

「小父さん。淑女たちの着換えの場面は、男性は遠慮するのがエチケットよ」

「そうよ。そうよ。昨日も窓からのぞいてたわよ。卑怯ねえ」

 こんなのが淑女と自称するのですから、驚き入ります。僕はさんざん言いまくられて、台所に戻って来ると、干魚は真黒に焦げて、反(そ)りくり返っていました。忌々(いまいま)しいったら、ありゃしません。仕方がないので、それをポイと窓の外に放り捨て、タクアンをせっせと刻んでいると、おスガがやって来て、コンロを貸して呉れと言う。何を焼くんだと訊ねると、肉を煮るんだと言う。

「肉があるのか。うらやましいなあ。少し分けて呉れないか。タクアンだけで飯を食うのは佗(わび)しい」

「そうね。他ならぬ小父さんのことだから、御馳走して上げるわ」

 というわけで、やがて黒助が焼酎瓶やネギをぶら下げて戻って来て、コンロを居間に運び、スキヤキが始まりました。僕も飯盒(はんごう)を持ってそれに参加しましたが、また焼酎を飲まされて、飯なんかどうでもよくなりました。肉は硬くて筋があって、そのくせ脂肪があまりない。聞いてみると馬肉だそうで、焼酎を牛飲して馬肉を馬食するなんて、とんだ淑女もあればあったものです。

 そこでまた雨女談義となり、結局おスガが大帽子山、チビが小帽子山に登り、どちらが雨に降られるか、それで決定しようと言うことになりました。その判定役として、僕と黒助が途中のイガグリ峠で待機するということになり、酔っていたもんですから、僕もうっかりとその役目を引受けた。

 最初の夜のウィスキーと言い、その夜の焼酎と言い、僕を酔っぱらわせて、この別荘に居直ろうという謀略のにおいが感じられてなりません。うかうかとその手に乗ったのが、僕の不徳と言えば言えますが。――』

 

「そうだよ。君は酔っぱらうと、すぐだらしなくなるからな」

 私は山名君をたしなめてやった。

「折角静寂を求めて高原に行ったのに、何にもならないじゃないか。そんな苦労をしたせいで、夏瘦せしたと言うのかい?」

「いえいえ。こんなのは序の口ですよ」

 彼は口をとがらせた。

「ほんとの高原の災厄は、これから始まるんです」

 山名君は忌々しげに私の庭に、ぺっと唾をはいた。

[やぶちゃん注:「唾」は底本では「睡」であるが、誤字と断じて訂した。]

 

 

   雨  男

 

 

「そうか。それが災厄の序の口か」

 私は縁側から腰を上げながら言った。

「そろそろ暗くなって来たし、続きは書斎で聞こう。まあ上りなさい」

 風も少し冷えて来た。庭樹の葉がさらさらと鳴る。

「こちらは日の暮れ方が早いですなあ。帽子高原にいた時はこんなものじゃなかったです。七時になってもまだまだ明るかった」

「そりゃそうだよ。夏は一番日が長い季節だ。早く日が暮れるのは、東京の責任じゃない」

「そりゃそうですがね」

 山名君も腰を浮かせた。

「しかし、それだけじゃないですよ。空気の澄み方が違う。あちらは澄んでいるから、光線がいつまでも透き通るが、東京は空気がきたないですからな。ガラスにたとえると、東京の空気はすりガラスです。てんでくらべものにならん」

 何だ、一夏高原に過ごしたからと言って、東京をそんなに蔑(さげす)むことはなかろうと思いながら、私は書斎に入った。山名君もとことこ上って来て、私に向ってあぐらをかき、大切そうに風呂敷包みをそばに置いた。私は訊(たず)ねた。

「何だい、それは」

「酒瓶ですよ」

 彼は得意そうに、ゴソゴソと風呂敷を解いた。中からうやうやしくウィスキーの瓶を取り出した。

「なるほど。久しぶりにウィスキーを一緒に酌(く)み交そうと言うわけか」

 と私は頰をむずむずとほころばせた。彼は本来はケチなのに、それを押しての好意がうれしかったのである。

「『淋しさに宿を立ち出でて眺むれば、いづくも同じ秋の夕暮』だからな。飲みたくなるのも当然だ」

「いえ。一緒に酌み交そうというんじゃないんです」

 山名君はあわててさえぎった。

「誰もそんなことは言わない。第一これはウィスキーじゃないですよ」

「何だい? するとそれはタダの井戸水か?」

「水じゃありませんよ。焼酎です。しかしタダの焼酎じゃない」

 もったいをつけて私にその瓶を手渡した。

「中を透かして御覧なさい。何か入っているでしょう」

 私は瓶をかざして、窓の外にむけ、眼を凝らした。中にはミミズ状のものが身をくねらして、うねうねと液休にひたっている。私は少々気味が悪くなって、瓶を机の上に戻した。

「何だね、これは。回虫か?」

「回虫だなんて、そんなものを漬けて、何になりますか。薬屋の広告見本じゃあるまいし」

 憤然と口をとがらせた。

「マムシですよ。つまりマムシ酒というわけです。ホンモノですからねえ。高価なもんですよ」

「マムシ酒か。うん。水漬(みづ)くカバネでなく、酒漬くマムシか。それなら安心だ。話にはよく聞くが見るのはこれが初めてだ。なるほどねえ」

 私はふたたび瓶を打ちかざした。よく見れば回虫などでは決してなく、まさしく蛇の形である。

「ずいぶん小さな、可愛らしいマムシだねえ。子供蛇だね。君がつかまえたのかね?」

「マムシというのは元来小さな蛇ですよ。可愛いなんてとんでもない。これでも猛毒があって、嚙まれると七転八倒の苦しみの後、数時間で死んでしまう」

 彼は私の無知をせせら笑うようにして説明した。

「そんな猛毒の蛇を、素人(しろうと)がとらえられるとでも思ってんですか。帽子高原の人に貰ったんですよ」

「そうか。そうだろうと思った。しかし得をしたなあ。そんな大切な酒を僕に呉れるなんて、いつもの君にも似合わない――」

「いつ上げると言いました?」

 机の上から山名君は瓶を取り戻した。

「盃(さかずき)に一杯だけ、飲ませて上げようと思って、はるばる持って来たんですよ」

「なんだ。やっぱりケチだなあ。盃一杯だなんて。せめてコップに一杯か二杯――」

「と、とんでもない」

 彼はまた口をとがらせた。

「コップに一杯も飲めば、のぼせて鼻血が出ますよ。なにしろ精の強い蛇ですからねえ。あんたなんか、盃一杯でも多過ぎるくらいです。僕もこの間二杯飲んだら、身体中がカッカッなって、夜も眠れなかった。とにかく盃を持って来ます」

 彼は立ち上って、勝手にわが家の台所におもむき、盃二つと清酒の一升瓶、コップを出し、それから棚や冷蔵庫の中からつまみ物数種を皿に入れ、書斎に戻って来た。彼は他人のくせに、わが家の台所については私以上にくわしく、どこに何がしまってあるか、手に取るように知っている。好奇心に富んでいるというか、図々しいというか、まことにふしぎな人物である。

 つまりマムシ酒をダシにして、うちの酒を飲もうという魂胆が、これではっきり知れた。私は多少にが虫をかみつぶした表情になったのだろう。彼は盃を二つ机の上に置き、猫撫で声で私にすすめた。

「さあ、どうぞ。マムシ酒を一杯」

 私は盃を手にした。山名君は大切そうに、薄茶色の液体をとくとくと注いだ。盃を口のあたりまで持って来ると、ぷんと生ぐさいにおいがした。

「へんなにおいがするな。これ、大丈夫か」

「大丈夫ですよ」

 彼は自分の盃にもそれを充たした。

「マムシの精のにおいです。これはまだつくって三年しか経っていないので、においも味も薄いですが、十年酒ぐらいになると、蛇身がすっかりとろけて、酒にしみ込んで、水にでも割らなきゃ、とても飲めたものじゃありません。こうやって飲めばいいんですよ」

 山名君は鼻をつまんで、ぐっとあおった。そして鼻から手を離して、深呼吸をした。

「なるほど」

 私も真似をして、ぐっと飲み干した。鼻をつまんでも、生ぐさいものが口の中から食道に、パッとひろがるのが判った。私もあわてて深呼吸した。

「さあ。口直しにどうぞ」

 すかさず彼はコップに清酒を注ぎ、私に差し出した。私は飛びつくようにして、ゴクゴクと飲んだ。においが少しは消えた。

「うまいでしょう。におい消しには覿面(てきめん)でしょう」

 彼は得意そうに、また押しつけがましい口調で言い、自分のコップの分もうまそうにあおった。

「うまいでしょうたって、これはおれの酒だよ」

 私は手荒く酒瓶を引き寄せて、自分のにまた注いだ。

「君からうまいのまずいのって、説教される覚えはない」

「そりゃあんたの酒ですよ。あんたの台所から持って来たんだもの」

 頰をふくらませた。

「僕はお宅の酒の味をほめているんですよ。それなのに、何を怒っているんですか?」

 うんざりして、何も言うことはなくなって来た。他人の言葉には敏感に反応するくせに、他人には実に図々しい発言をする。これが山名君の特徴なのである。私は南京豆をつまみながら言った。

「それで、帽子高原の方は、どうなったんだ。女どもは山に登り、君はイガグリ峠まで行ったのか?」

「行きましたとも」

 もう一杯飲みたそうな風情だったが、私が酒瓶を握りしめて離さないので、未練げに視線をうつむけ、マムシ酒を風呂敷につつみ込んだ。

「これからが面白いんですがね、でも、お仕事の邪魔でしょう。これでおいとま致します」

「おいおい。待って呉れ。折角(せっかく)話が佳境に入って来たのに」

 仕方がないから手を伸ばして、彼のコップにもこぼれるほど注いでやった。彼はにやりとして、口をコップに近づけ、チュウとすすった。

「とにかく大変でしたよ。イガグリ峠と言ってもね、そんじょそこらにあるようなラクな峠じゃない。なに、野猿峠くらいだって? あんなのとは、くらべものにならんです。標高千八百メートルぐらいはあるんですからね」

「おスガが大帽子、チビが小帽子だったね」

「そうです。それでその翌朝、朝五時に起きましてね――」

[やぶちゃん注:「淋しさに宿を立ち出でて眺むれば、いづくも同じ秋の夕暮」ご存知「小倉百人一首」七十番の良暹法師(りょうぜん 生没年不詳:比叡山の僧で、祇園別当となり、後には大原に隠棲した。歌人として活躍し、長暦二(一〇三八)年の「権大納言家歌合」など、多くの歌合にも出詠している。私撰集「良暹打聞」を編み、家集も存在したが、孰れも現存しない。勅撰集には三十一首が載る)の一首。出典は「後拾遺和歌集」巻第四「秋上」(三三三番)。

「野猿峠」(やえんとうげ)は東京都八王子市南東部の多摩丘陵西部にある峠。京王電鉄京王線とほぼ平行する標高百七十~二百メートルの尾根にあり、大栗川(おおくりがわ)流域を通る野猿街道が八王子市北野へ抜ける峠である。その名の如く、嘗つては、野生の猿の遊ぶ所であったが、第二次世界大戦後の急激な都市化によって、峠の周囲に住宅団地が形成されて地形をすっかり変えてしまい、昔の面影は全くない。僅かに峠の南の野鳥料理がその名残である(小学館「日本大百科全書」に拠った)。「今昔マップ」の戦前の地図の、この中央の「手平松(鳶松)」とあって標高(200.9)とある当たりが、高度からもそれらしい。お疑いの向きは、グーグル・マップ・データのここをご覧あれ。交差点に「野猿峠」とある。]

 

『五時と言っても、今時の五時でなく、夏の高原の五時ですからねえ。もう外はすっかり明るい。庭に出て見ると、昨夜の雨はすっかりやんで、空は晴れ、空気がピンと澄み通っています。大、小の帽子山が手に取るように近くに見えます。急いで御飯をたいてオニギリをつくり、え? 僕がじゃありません。つくったのは女どもです。それから登山支度をととのえて、と言っても僕は判定役ですから、何も持たず、オニギリや雨具も一切女たちのリュックに入れてもらい、〈何でも屋〉におもむき、オカズやジュースその他を買いました。

 僕はステッキ一本の軽装です。

 おスガとチビはその店で、安帽子を一個ずつ買いました。それぞれ頂上に置いて来て、登頂の証拠にしようというわけなのです。別荘にとって返し、水筒に水を入れ、いよいよ出発ということになりました。

「いくら何でも手ぶらじゃおかしいわ。水筒くらい自分で持ったらどう?」という女たちの言葉を容れて、僕も水筒だけは肩にぶら下げることにしました。

 別荘の裏手からだらだら坂の径(みち)となり、野原に出ると、ニッコウキスゲ、オミナエシ、月見草、ゲンノショーコなどが一面に咲き乱れています。女どもは植物については何の知識もないようで、

「あら。可愛い花」

 などとゲンノショーコをほめたりするものですから、僕が教えてやりました。

「それはゲンノショーコと言ってね、その根を煎じてのむと、腹の薬になるんだよ」

「あら。そうなの。薬草なのねえ」

 おスガが言いました。

「チビなんか、休が小さいくせに、大食いばかりして、しょっちゅうお腹をピーピーこわしてるじゃないの。帰りにたくさん取って帰って煎じてのんだらどう?」

「なにさ。大食いはおスガじゃないか。バカにしてるわ」

 そんなおしゃべりをしている中に、道はだんだん林の中に入り、険しくなって来ました。渓流に沿い、ジグザグ道を登るのですが、そのジグザグがえんえんと続くものですから、先ず僕が顎(あご)を出し始めた。二日酔いの気もあるし齢も齢ですからねえ。咽喉(のど)がやたらに乾くので、水筒の水を飲み飲み、後に遅れじと脚にムチ打ってつづく。

 女どもですか。やはり若さということは、元気なものですねえ。トットコトットコ、汗一粒も流さず、ぐんぐん登って行く。ついにたまりかねて、僕は大声を出しました。

「待って呉れえ。ここらで一休みしよう。水筒の水もなくなったよう」

 三人は立ち止った。黒助が戻って来て、

「まあ汗だらけじゃないの。小父さん。今からへばっちゃ、後が思いやられるじゃないの」

「だって、つらいんだから仕様がない」

「大切な水筒をもうカラッポにするなんて、常識外(はず)れだわ」

 黒助はつけつけと言いました。

「じゃ、あたいが汲んで来て上げるから、水筒をこちらにお寄越し?」

 つけつけした口はきくけれど、割に黒助は親切気のある女なのです。そこで二人に追いついて、大休止ということになりました。黒助は身軽に渓流へ降りて行った。昨夜の雨のせいか、流れは岩をかみ、白いしぶきを立て、とうとうと流れています。もうここらは林相が一変して白樺がなくなり、赤樺の巨木がニョキュョキと立っていて、水の音、まれに鳥の声以外は、何も聞えません。

 僕は苔(こけ)の上にぐったり横になっていましたが、女たちは全然消耗してなくて、じっとはしていません。林の中に入り込んで、花をつんだり、キノコを採ったりしていました。

「小父さん。このキノコ、食べられる?」

 チピがにゅっと一本のキノコを突き出したが、キノコに関しては僕もあまり知識はない。

「さあ、よく知らないが、食べない方がいいんじゃないか。山荘で皆で食べて、ひっそりと死んでたりすると、山中湖事件じゃないが、大騒ぎになるぜ」

「そうねえ。でも、もったいないから、持って帰って、ジャンケンして負けたものが食べることにしない?」

 チビは食い下りました。若さというものは、強いと同時に、無鉄砲なものですねえ。

「いっしょにゲンノショーコをのめば、食中(あた)りをしないですむんじゃない?」

「じゃ、そうすればいいだろ」

 僕はつっぱなしました。

「しかし、おれはジャンケンの仲間には入らないよ。君たちは毒キノコのこわさを知らないな。ゲンノショーコなどで追いつくものか」

 これでチビもあきらめたようです。林に向って叫びました。

「おおい、おスガ。これ、毒キノコだってさ、採るのはやめにしなよ」

 やがて黒助が渓流から崖を登って来て、僕に水筒を渡しました。見るとスラックスの裾がずぶ濡れになっています。

「ほんとに苦労させるよ」

 黒助はこぼしました。

「岩はすべるし、流れは早いしさ。小父さん、もうあんまりがぶがぶ飲むんじゃないよ」

「そうよ、そうよ。口ばっかりが達者で力はないのよ。小父さん、齢はいくつ?」

 さんざんいじめられて、僕はもう形なしです。それからまた出発。道はますます険しくなり、台風でもあったのか、道は倒木に埋められて、それを器械体操か軽業のように乗り越えて行かねばなりません。

 僕はしばしば悲鳴を上げて、小休止を要求し、やっとのことでイガグリ峠に到着しました。

 イガグリ峠は一面の草原で眺望がよくきくのです。大帽子山、小帽子山。またはるか下方にきれいな池が見えます。聞いてみると、黒髪池と言うのだそうで、それがしきりに僕の画欲をそそりました。

「僕はここで待ってるよ」

 一本落葉松(からまつ)の下に腰をおろして、僕は言いました。

「僕の食糧や飲み物、スケッチブックその他を、出して呉れ。おスガにチビは登って来い」

「もちろん登るわよ。おスガ。帽子を置いて来ることを忘れるな」

「合点だ」

 おスガは雲助のような言葉で言いました。

「黒助はどうする?」

「あたしゃ小父さんとここに一緒にいても仕様がないから、黒髪池に行って見るよ」

「そうだね。こんなとこに男性と一緒にいたら、あぶないからね。では」

 いつもは男あつかいにはしないくせに、こんな時にだけ男性あつかいにするのですから、勝手気ままもはなはだしい。何か痛烈なことを言って返してやりたかったのですが、くたびれていて、そんな元気も出なかった。

「バイバイ」

「バイバイ」

 と、僕を一本松の下に残して、女どもは三方に別れて出発。やがてその姿は小さくなり、僕の視野から消えました。

 僕は芝草の上に長々と脚を投げ出し、弁当を開き、ウィスキーの小瓶の栓をあけました。ウィスキーは咽喉(のど)をやいて胃袋に落ち、やがてほのぼのと酔いが皮膚によみがえって来ました。

「ああ。静かにして孤独なる真昼の宴!」

 と僕は心から思いました。真昼といっても、まだ十時半頃です。早起きして、相当に歩いたせいで、もう昼になったような錯覚を起したのでしょう。

「この世に女どもがいなくなると、かくまで平和に、また幸福になるものか」

 小瓶一本を飲み干し、弁当をがつがつと食べました。朝はろくに食べてないから、まさにこれは天来の味でした。こんなうまい昼飯を、僕はこの数年来、食べたことがありません。あとはごろりと横になって、白雲の去来するさまを眺めていると、そのまま仙人にでもなったような気がしました』

[やぶちゃん注:「月見草」私の大好きな本当のそれは、六~九月頃に、夕方の咲き始めは白色で、翌朝の萎む頃には薄いピンク色となる、バラ亜綱フトモモ目アカバナ科マツヨイグサ属ツキミソウ Oenothera tetraptera (メキシコ原産。江戸時代に鑑賞用として渡来)であるが、恐らく梅崎春生の言っているのは、孰れも私の大嫌いな、主に黄色の花を咲かせる同属オオマツヨイグサ Oenothera erythrosepala(「大待宵草」。原産地不明だが、北アメリカ中部が措定されている)、丈の低い同属マツヨイグサ Oenothera stricta (「待宵草」。南アメリカ原産)、同属メマツヨイグサ Oenothera biennis(「雌待宵草」。北アメリカ原産)などと推定される。

「ゲンノショーコ」漢字表記は「現(験)の証拠」。フウロソウ目フウロソウ科フウロソウ属フウロソウ節ゲンノショウコ Geranium thunbergii当該ウィキによれば、『古来より、下痢止めや胃腸病に効能がある薬草として有名で、和名の由来は、煎じて飲むとその効果がすぐ現れるところからきている』とあり、本種は『白い花を付ける白色系と、ピンク色を付ける紅色系とがあり、日本では、富士川付近を境に東日本では白花が多く、西日本では淡紅、日本海側で紅色の花が多く分布している』とある。

「山中湖事件」ちょっと調べるのに手間取ったが、mitsuhide2007氏のブログ「最近の古いモノは!」の「山中湖の怪死事件」(三回分割なので、御自分で後の二回は読まれたい)で判った。昭和三七(一九六二)年九月十三日午前十時二十分頃、山中湖畔にあった別荘が出火、十一時には鎮火したが、別荘内から十人もの死体が発見され、孰れも仰向けで、頭や首に損傷があり、「助けてくれ」という声を聞いたという証言もあった事件を指す(後にこれは出火通報をした人物の発したものと判明する)。『死体は男女の区別もできないほど、損傷が激し』かったため、後に『司法解剖にかけられ』ている。当日の新聞夕刊には『焼跡に十人の死体。山中湖の別荘。戦後第二の大量殺人?』とし、翌日の記事では『内部からカギ。殺人放火か?心中の巻き添えか?』とあったという(「第二」とは毒物によって十二人が殺害された怪事件「帝銀事件」(昭和二三(一九四八)年一月二十六日に東京都豊島区長崎の帝国銀行椎名町支店で発生)の次の「大量殺人事件」の意)。ほどなく、死体の身元は金融業者(四十三)と、その愛人(四十五)、及び、『バー「リスボン」のホステスと従業員たちであった』(バーの位置は不詳)。九月十一日夜、『金融業者と愛人はバーで飲んで、その後』、『従業員たちと』タクシー二台で『出かけ』、翌十二日午前三時三十分に別荘に到着していた。なお、その『山荘は愛人が管理していた』とある。捜査は二転三転するが、結果だけを言うと、司法解剖によって、全員の死因が一酸化炭素中毒だった。則ち、つけっ放しにしていた『フロ場のプロパンガスが不完全燃焼し、一酸化炭素』が『発生』し、『それが山荘に充満して、中毒死』したのであった。そこに空焚きしていたフロ場から出火が発生、その火災による家屋損壊の際、既に死体となっていた彼らの遺骸が激しく損傷を受けたのであった。さて。悲惨な事故事件だが、一つ興味深いのは、この「雨男」の前篇が発表されたのが、昭和三十七年の十月号、続篇が翌年の三月号なのだが、以上はどう見ても、昭和三十七年十月号分である。今の雑誌もそうだが、十月号は十月一日或いはそれ以前に発行されるのが、普通である。この事件の捜査では、実は出火の再現実験なども行っており、短期に真相が明らかになったわけではないから、梅崎はまさに九月下旬の〆切までにこの原稿を書いたはずだから、まさにアップトゥデイトな「猟奇殺人事件」としてのニュアンスを持った台詞であったと言えるのである。

 

『それからうとうとと、僕は二時間ばかり眠ったらしいのです。まぶしいので、ふっと眼が覚めた。僕をおおっていた一本松の影が、太陽の運行と共に移動して、僕の顔はむき出しの日光にさらされていたわけですな。僕は眼をぱちぱちさせながら、上半身を起した。

 見上げると、大帽子山も小帽子山も、白い雲が流れているだけで、ほんとに気持のいい好天気です。下方に黒髪池もキラキラと光り、あたりの風物は動かず、耳がジーンとするほどの静かさでした。

「あいつら、雨女などと罪をなすりつけ合っていたが、この世に雨女なんてあるものかい。バカだなあ」

 そう呟きながらスケッチブックを開き、帽子山の山容や池の形、高山植物の花の色などを、ゆっくりと写生し始めました。邪魔が入らないので、ゆっくりとスケッチが出来、二時間後に女たちが戻って来るまでに、かなりの枚数が完成しました。

 最初に黒助が戻って来て、十分後にはおスガが、

「やっ、ほう。やっ、ほう」

 などと、あらぬことをわめきながら、かけるようにして下山して来ました。いささかも疲れた様子は見えません。

「小父さん。待たせて悪かったわね。もう元気は回復したでしょう。チビはまだ?」

「まだだよ」

 スケッチブックや色鉛筆を片付けながら、僕は答えました。

「あいつ、また昼寝してるんだな。仕様がないなあ。何かあると直ぐ昼寝をするんだから」

「そうよ。そうよ」

 黒助が賛意を表しました。

「それで夜は夜で、大いびきをかいて、寝言なんかを言うんだからねえ」

 三人車座になってジュースを飲んだりしていると、三十分ほど経ってチビが小帽子山の方から降りて来ました。おスガがきめつけました。

「また昼寝してたんだろう。全くお前みたいに昼寝の好きな女もめずらしいよ」

「昼寝なんかするもんですか。イイ、だ」

 チビは顎(あご)を突き出しました。

 「あたしゃね、高山植物の採取をしてたんだよ。もともと植物には趣味があるんでね」

 見ると植物が根こそぎ引き抜かれて、チビの手に束になっています。僕は注意をしてやりました。

「おいおい。根こそぎは乱暴だよ。根さえあれば、また咲くじゃないか」

「だって、これ、対山荘に移植してやろうと思うのよ。それにこの根、食べられるかも知れないじゃないの。細いゴボウみたいでさ。少くとも酒のサカナぐらいにはなるわよ」

 空には白雲があわただしく行き交(か)って、風も少々ひんやりとして来たようです。そこで出発と言うことになりました。おスガもチビも、自分が雨女でないという証しを立てたものですから、満足して、そういがみ合うこともなく、割に和やかにリュックをかつぎ上げました。

 ところが山の天気というものは、判らないものですねえ。

 イガグリ峠を出て倒木の道を経て、キノコを採ったあたりの赤樺の林にさしかかると、ポツリと上から垂れて来たものがある。ふり仰ぐと、入り組んだ梢のあわいに見える空が、おどろおどろと黝(くろず)んで、落ちて来たのは虫や鳥のオシッコではなく、まさしく雨の雫(しずく)と知れました。

「それっ。たいへんだ」

「小父さん。走るわよ」

 と、三人の女族は呼び交しながら、素早く雨具を着用して、走り出しました。僕もビニールの雨具を着たが、御存じのように無器用なたちでしょう。ボタンをかけ終ってフードをかぶると、女たちの姿はすでになく、雨も次第に烈しくなって来るようです。直接に道には落ちて来ませんが、赤樺その他の樹々の葉にたまって、まとまって大粒になり、ぽたぽたと音を立て始めました。

 そこで僕も走り出しました。

 その時初めて発見したのですが、山道というのは、登るよりも降りる方がつらいものですねえ。前屈みになる関係上、足先が靴につまって痛いし、石ころや岩の根が足裏にひびくし、それに雨が先回りをしたらしく、つるつるとすべるのです。何度尻餅をついたわ、よろけたりしたか、判らないほどです。

「うば捨て山じゃあるまいし、このおれを放って逃げて行くなんて、何と薄情な女たちだろう」

 僕は彼女らをのろいつつ、やっと一時間後に帽子高原に到着、草原を横切って、対山荘に戻って参りました。女たちはもちろん帰着していて、着換えをすまし、食事の準備に大わらわでした。

「おや。小父さん。ずいぶん早かったわねえ」

「すっかり濡れたわね。こちらはこんな小降りなのに」

 対山荘付近はパラパラの小降りで、しかしイガグリ峠方面を眺めると、深い霧にとざされていて、つまり女たちは雨に先立って遁走(とんそう)し、僕だけが雨の中をよたよたと走っていたというわけですな。おスガが猫撫で声で言いました。

「ずいぶん冷えたでしょう。焼酎でも飲みましょうよ。でもワリカンよ」

 何がワリカンかと、僕も少々腹立ちましたが、こんな女たちを相手に喧嘩するのも大人気ないので、

「ふん。ワリカンか。じゃおれの分、ここに置くよ」

 と言い残して、アトリエに引込みました。着換えをしながら台所の方に耳を立てていると、黒助の声で、

「今日は馬肉のナマと行こうよ。サシミがうまいそうよ」

「でも、あのおっさんはナマで食べるかしら?」

「じゃ今日採って来た植物の根を、肉といっしょに煮て――」

 これはチビの声です。

「おっさんにあてがっとけばいいよ」

 着換えをすませて台所に出ると、チビがせっせと根を切っていたところでした。ゴツンと心にひっかかるところがあって、

「おい。その紫色の花、ちょっと貸して呉れないか。植物図鑑で調べるから」

 アトリエに戻って図鑑で探し当てた時、僕は体中がゾーッとして、毛が逆立ちしましたねえ。何とそれはトリカブトの花だったからです。僕はあわてて台所に突進した。

「おい。君たち。これは何の花か知ってるか?」

 僕は図鑑のその頁をぴたぴたとたたきました。

「何だか虫が知らせると思ったが、これ、トリカブトなんだぞ。こんなものを酒の肴にあてがわれて、たまるもんか」

「へえ。何なの。そのトリカブトって?」

「知らないのか。無知蒙昧(もうまい)な輩(やから)だなあ。猛毒があるんだぞ。アイヌの毒矢は皆、この毒を使ってるんだ」

「まあ、猛毒だって?」

 三人の女は大あわてして手を洗い、各々部屋に戻って、それ赤チンを、それオキシフルをと、大騒ぎです。毒が皮膚から吸収されるものか。それよりもそれを食わされそうになったおれは、一体どうなるんだと、面白くない気持で台所に突っ立っていたら、やがてチビが顔をのぞかせて、

「小父さん。それ、どこかに捨てて来てよ。気色が悪いから」

 何と勝手な言い草でしょうね。しかし言って聞かせても判る相手じゃないから、僕はそれらをひとまとめにして新聞紙にくるみ、山荘裏のくさむらにポイと捨てて来てやりました。

「あやうく毒殺されるところだったな。あぶない。あぶない」

 飯盒(はんごう)で自分の飯をたきながら、僕は思いました。

「あんな危険な女たちのつくったおかずを、もう決して口にしないことにしよう」

 アトリエに戻り、鮭罐(さけかん)をごりごり切っていると、扉をほとほとと叩いて、黒助が呼びに来ました。

「小父さん。焼酎飲みに来ない?」

 僕は一瞬ためらいました。また何か食わせられはしないかと、心配したのです。

「うん。でも――」

「でももストもないわよ。ちゃんと割前を払ったんでしょう」

 そう言えばそうであるし、〈何でも屋〉の焼酎に毒が入っている筈がない。おかずさえ食わなきゃいいんだと、ついにまた宴に参加する気持に踏み切ったのです』

 

「ずいぶんケチな動機で踏み切ったもんだなあ」

 私はあきれて嘆息した。

「そんなケチな根性だから、女にもなめられるんだよ。そんな場合、毅然とした態度をとって、女どもを追い出す方向に踏み切るべきだよ」

「そう僕も思ったんですがねえ。相手が石臼みたいな女たちでしょう。これはムリに追い出すより、策略をもって追い返すべきだと――」

「え? 策略? どんな策略だい?」

「それを申せば長いことになりますが――」

 山名君は浮かない表情となり、清酒瓶を耳のそばに持って行って、コトコトと振った。振らなくても、ガラス瓶だから、透けて見える。もう酒がなくなったというデモンストレーションなのである。

「あんたもお仕事があるでしょうから、今夜はここらで失礼して、続きは次回に――」

「おいおい。イヤな真似はよせよ。もう台所に酒はないのか?」

「ええ。これですっからかんです」

 山名君は酒瓶を置いた。

「何なら買って参りましょうか」

「仕方がない。二級酒でいいよ、二級酒で」

「何ですか。僕の話が二級酒にしか価しないというわけですか」

 彼は頰をふくらませた。

「折角面白い話だと思って参上したのに、それを二級品だとは――」

「いいよ。いいよ。君の好きなものを買っといで」

 女に対しては弱いのに、私相手では彼は俄然(がぜん)強くなるのである。

「そうですか。では、そう言うことに」

 やがて山名君は意気揚々として、一級酒を小脇にかかえて戻って来た。ポケットから牛罐を二つ取り出した。

「帽子高原ではね、ニクと言えば馬肉のことなんですよ。ブタは豚肉、鶏はトリ肉と言いますがね、肉屋に行ってニクを呉れと言うと、黙って馬肉を呉れるんです」

「ほう。牛は食わないのかね?」

「ほとんど食べないようですな。あそこらの牛は肉が固いからでしょう」

「で、その夜、君は馬肉の刺身を食ったのか?」

「食べるもんですか。馬の生肉なんて。あたったら、たいへんですからねえ。でも、東京に戻ってさる人に聞いたら、馬肉には寄生虫はいないそうですねえ。そうと知ってたら、食べればよかった」

 山名君は続切りで牛罐をあけた。

「女たちはその刺身を食べたのかね」

「ええ。粉ワサビをといてね、まるでマグロの中トロみたいだなんて言いながら、うまがっていたようです。僕にも食えとすすめたが、こちらも意地ですからねえ、鮭罐専門と行きました」

 

『その中だんだん酔っぱらって来ると、またチビとおスガが口争いを始めました。どうもこの二人は、最初から口喧嘩ばかりしていて、そんなに気が合わなきゃ、一緒に旅行しなけりゃいいのに、と思うんですが、当人たちにしてみれば、やはり張合いがあって愉しいのでしょう。つまりお互いに粉ワサビみたいな役割を果しているんだと思います。

 口争いの原因ですか。高山植物を引っこ抜いて来たという件で、

「チビ。お前は小帽子山に登らずに、麓で昼寝して、申し訳に雑草を引き抜いて来たんだろ」

 このおスガの言葉が、チビを刺戟したんですな。

「小帽子山には登りたくなかったんだろ」

「なによ、おスガ。何であたしが登りたくないわけがあるんだい」

「もし登って雨に降られりゃ、チビが雨女になってしまうからさ」

「冗談じゃないよ。おスガこそ大帽子山に登らなかったんだろ」

 そういう言い争いが、十分ぐらいも続いたでしょうか。頃を見はからって、僕はけしかけるように言いました。

「君たちは二人とも、帽子を山頂に置いて来たんだろ」

「そうよ」

「じゃ二人で明日、別々に登って、確認し合えばいいじゃないか」

 いくらタフな女たちでも、三日続けて山登りすれば、ヘばって帰京する気になるかも知れない。それが僕の策略でした。果して女たちはその餌に食いついて来た。

「そうよ。小父さんの言う通りだわ」

「よし。おスガは明日小帽子山に登れ。あたしゃ大帽子山に登るよ」

 おスガもチビも、もう意地になったようです。意地にでもならなきゃ、同じ山道を三度も登り降り出来る筈がありません。

「じゃ検査役に、小父さんもイガグリ峠に来て呉れない?」

「イヤだよ。あんなとこ。おれの足はマメだらけなんだから、それだけはかんべんして呉れ」

 結局僕は検査役を免除され、黒助がイガグリ峠で待機するということに決まりました。黒助はあんまり気が進まないらしく、

「同じとこばかりに行くのは、つまんねえなあ」

 と、愚痴をこぼしつつ、やっと承諾しました。黒助は三人の中では一番年長らしく、どちらかと言うといつもたしなめ役に回っていました。

 さて、宴果ててアトリエに引取り、僕はのうのうと眠りに入りました。明日は女どもはいない。ゆっくりと孤独が味わえると思うと、まことにのんびりした気分でしたねえ。

 朝六時頃、

「小父さん。行って来るわよっ!」

 という声に目覚めて、寝ぼけ眼をこすりながら庭に出て見ると、三人はもうリュック姿で、驚いたことには黒助が馬に乗っていました。馬と言っても毛並もよごれた、よぽよぼの駄馬でしたが。

「ど、どうしたんだ。その馬」

 と訊ねると、村の青年に頼んで、今日一日タダで借りて来たとのこと。彼女たちも一応女優の卵ですから、色目か何かを使って借りて来たに違いありません。この辺の素朴なる青年は、東京の女優と聞いて、ついふらふらとタダ貸ししたのでしょう。

「君たち、一体馬に乗れるのかい?」

「乗れるのかいって、ちゃんとこうやって乗ってるじゃないの」

 チピがつんけんと言い返しました。

「この馬はね、おとなしい馬だから、あばれたりすることは絶対にないってさ」

「そりゃそうかも知れないが、こんなよぼよぼ馬で、どうしてあの倒木地帯を通り抜けるつもりだね?」

「倒木? ああ、そうだったわね」

 何かこそこそ相談しているようでしたが、

「倒木地帯の前のところにつないで置いて、あとはあたしたち、自分の足で登るわよ」

「そうかい。それならいいけれど――」

 僕はチビに言ってやりました。

「頼むから毒キノコだのトリカブトだののお土産はおことわりだよ。まあせいぜいくたびれて戻っておいで」

「まあ。行けないもんだから、あんな厭がらせを言ってるよ。いい、だ」

 そして彼女らは落葉松(からまつ)道を通って、やがてその姿は消えました。

 ふり仰ぐと、今日も雲一つない好い天気です。これが夕方になるとザーッと来るんだからな、などと思いながら、顔を洗いに渓流の方に歩を踏み出すと、股やふくら脛(はぎ)がぎくぎくと痛む。昨日足を酷使したので、筋肉が凝ったのでしょう。仕様がないので台所で歯をみがき、まだ体全体の疲れが抜けていないようなので、ベッドに取って返して、昼頃までぐっすり眠りました。

 起き出て、散歩がてらに〈何でも屋〉におもむき、食料品を買い求め、ついでにもぎ立ての唐モロコシを六本ほど分けてもらい、対山荘に戻って茄(ゆ)でて食べていると、玄関の方から、

「ごめん。ごめん」

 という声が聞える。何事ならんと唐モロコシを横ぐわえにしたまま出て見ると、詰襟服の中年男が立っています。僕の姿を見ると、皮鞄をがちゃがちゃと開きながら、

「ええ。早速ですが、地代をいただきに来ました」

「え? すると、あんたは?」

「村の役場の者です」

 詰襟をゆるめて、タオルで首筋をごしごしと拭きました。いくら高原でも、真昼の光線はかなり暑いのです。

「ああ。坪十二円のやつですね」

「そうです」

「暑いでしょう。つめたい水でも一杯、いかがですか」

 僕はお世辞を言いました。僕は割かた役人には弱い方なのです。水をコップに入れて持って来て、

「で、総計おいくらですか?」

「ええと――」

 役人はうまそうに水を飲み、あっさりと言いました。

「合計二万四千円です」

「え? 二万四千円?」

「そうです。木村さんは二千坪借りていらっしゃる」

「二千坪も?」

 僕は思わず大声を立てました。せいぜい百坪か百五十坪借りていると思っていたのに、二千坪だなんて何と言うことでしょう。

「二万四千円、今すぐ払えと言うんですか?」

「そうです。契約は契約ですからねえ」

「払えないと言えば?」

「払えなきゃ、没収するだけです。立退(たちの)いていただくことになりますな」

「そりゃ弱ったな。せめて半額だけ今年収めて、あとは来年に――」

「そりゃダメですよ。二千坪だからこそ、坪十二円にしてあるんだ」

 役人の口調は、ちょっと横柄になりました。

「来年に回すと言うなら、村会にかけて、地代値上げということになりますよ。それでよかったら、どうぞ」

 悲憤の涙が胸にあふれて来るような気がしましたねえ。でも、地代はこちらで持つという、木村との約束は約束です。僕は足音も荒くアトリエに戻って、二万四千円という金をわし摑(づか)みにして、玄関に出て来た。

「では、払います。仕方がない」

「そうですか」

 役人は鞄の中から受取証を出し、僕の手から札束をもぎ取るようにして、コップの残りの水を飲み干しながら言いました。

「お宅の水はつめたいですな」

 僕は返事もしてやらなかった。コップを引ったくって、玄関に戻ると、もう役人の姿は見えませんでした。

 僕は俄(にわ)かに食欲が喪失し、庭に出てスケッチなどやろうとしたが、心が乱れて鉛筆を手にする気にもなれません。猛獣のようにうなりながら、そこらを歩き回っていますと、また入口の方から、

「ごめん。木村さんはいませんかあ」

 と呼ばわる声がする。行って見ると、開襟シャツを着た色の黒い青年で、これまた皮鞄を手に提(さ)げている。

「なんですか、あんたは。また役場の人ですか」

「そうです。よく判りましたな」

 青年はにやにやして、皮鞄を開きました。

「水道代を徴収に来ました。お宅はたしか蛇口が三つでしたな」

「そうですよ。それがどうしたんです?」

「蛇口一箇で五百円、あとは一つ増す度に二百円ずつですから、合計九百円いただきます」

「役場じゃ水道代まで取るんですか?」

 僕は嘆息しながら、ポケットから千円札を出しました。

「どうして思い合わせたように、今日取りに来るんですか?」

「いえ。この別荘の人は、来たかと思うとすぐ帰ってしまうんでね、情報が入り次第おうかがいするというわけなんですよ。本宅に一々連絡していては、通信費がかかるんでねえ」

 なるほど役人どもが相次いで来訪するわけは判ったが、その度に金を取られるのは僕なんですからねえ。仏頂面をするのも当然でしょう。役人はおつりの百円玉を置き、

「では」

 とか何とか、あいまいなあいさつをして、そそくさと門を出て行きました。

「ちくしょうめ!」

 僕は後ろ姿をにらみつけ、家の中にかけ込み、あらゆる蛇口を開いて、水を出し放しにしてやりました。ここの水道はメーター制じゃなく、一箇いくらの計算ですから、使わなきゃ損だと言うわけです。水は僕の復讐心みたいに烈しく、飛沫を上げてほとばしりました。

 それでいくらか気分が晴れたが、考えてみると水を出し放しにして、それがどうって言うことはありません。再び庭に飛び出して、ぐるぐる歩き回り、帽子連山の方を眺めると、今日はふしぎにいい天気で、まだ雨の気は少しもただよっていないようです。

「ほんとにあいつらと来たら――」

 僕は鼻息荒くつぶやきました。

「おれが地代や電燈代やで、三万円以上払ってるというのに、タダでのうのうと山登りなんかしてやがって。一体おれを何と思ってるんだろう」

 あんなにごっそり持って行かれては、とても一夏は持ちそうにもない。木村に手紙を出して、僕が使っているのは山荘とその周辺の土地だけだから、あとの雑木林の分の地代を至急送って呉れ、と書こうかなどと思いわずらったり、事情を女どもに話して、宿泊料として少し出させようと考えてみたり、しかしあの女たちが素直に出すだろうかと思ったり、あるいは頭を上げ、あるいは頭を垂れたりして歩き回っている中に、

「あの女たちはキャンプに来たと言ってたが、どのくらいの旅費を用意して来たのだろうか」

 という疑問にぶつかりました。十万や二十万という大金を用意して、キャンプに出かけることはあまりないことですからねえ。

「よし。今晩は巧みにポーカーに誘い込んで、あいつらの有り金全部をはたかせてやろう。無一文になれば、彼等は食うことが出来なくなって、東京に逃げ帰るだろう」

 その名案に僕はぽんと掌を打ち合わせました。僕は幼にして勝負ごとは大好きで、たいていの賭けごとには長じているのです。あの女たちは心臓は強いが、脳が弱いようなところがあるから、成功するんじゃないかというのが、僕のねらいでした。

 その思い付きに気を好くして、でもスケッチにふけるほどの気分にはならず、〈何でも屋〉に降りて行って、安い釣竿や針や糸など一式、買い込んで来ました。さっき下見した様子では、近くを流れる渓流には、魚がいるらしい。ヤマメかハヤでも取れれば、その分だけおかず代が浮く。趣味と実益をかねた暇つぶしというのが僕の目算でした。なにしろ自給自足の休制を固めなきゃ、とても一夏越せそうにありませんからねえ。

 かれこれしている中に、ふと帽子連山の方を眺めると、淡青色の空をバックに、くっきりと山容が浮び上り、なだらかな斜面がイガグリ峠に凹んでいます。

「チェツ。運のいい奴らだなあ」

 僕は思わず舌打ちをしました。ずぶ濡れになって戻って来る姿を想像していたのに、舌打ちしたくなるのも当然でしょう。

 やがて一時間ほど経って、山荘の裏手の方角から、

「やっ、ほう」

「やっ、ほう」

 と、れいの奇声が聞えたものですから、のそのそと(股やふくら脛(はぎ)がまだ痛いので)出て行くと、三人がにこにこと白い歯を見せながら、こちらに手を振っています。それだけならいいけれど、あの老馬の上におスガとチビが二人で得意げにまたがり、黒助が手綱を取って、どこで拾ったのか知らないが、シャンシャンと鈴を鳴らしたりしています。呆れて近づくと、哀れや老馬はその重みに耐えかね、全身汗みずくになって、はあはあとあえいでいます。いくら相手が女でも、二人も乗せりゃ、へたばるにきまっています。

「何だ。ひでえじゃないか」

 僕は義憤を感じて、黒助から手綱を引ったくり、大声を出しました。

「いくら何でも、これじゃ馬が可哀そうだ。早く降りなさい。降りろ!」

 馬の胴体をがさがさゆさぶったので、二人は悲鳴を上げて、ころがり落ちるようにして降りました。僕は早速馬を庭に引き入れ、バケツで水をやると、馬は喜んでごくんごくんとまたたく間に飲んでしまいました。バケツ一杯で、約一斗はあるでしょうな。それをいっぺんに飲み干したんだから、驚きです。

「こんなに咽喉(のど)を渇かせてる馬に、二人も乗るなんて、君たちにはヒューマニズムというものがないのか」

「だって約束だもの」

 チビが口をとがらせました。

「行きは黒助が一人で乗りずくめだったから、帰りはあたしとおスガが乗ったのよ」

「馬の都合も考えず、勝手にそんなことをしていいのか」

 老馬は感謝のまなざしで、しょぼしょぼと僕の顔を眺めて、合点々々しました。

「おお。よしよし。腹もすいただろう。今食べ物を持って来てやるから、待ってろよな」

 僕は台所に飛んで行って、唐モロコシと野菜の切屑を持って戻って来ました。馬は大喜びで、唐モロコシや野菜をぱりぱりと食べました。よほど飢えと渇きに苦しんでいたんですな。よりによって悪い女たちに借りられたもんです。

 僕の見幕が烈しいものですから、女たちは五六歩離れて、こそこそ話をしていました。

「あっ。もったいないわねえ。あの唐モロコシ」

「おいしそうねえ。あたしたちに御馳走しないで、馬に食わせるなんて、一休あのおっさん、どういうつもりかしら」

「あれっ。あのニンジン、あたしたちのニンジンよ。ひとの野菜を馬に勝手に食べさせるなんて、むちゃねえ。そんなことが許されていいもんかしら」

「黙れ!」

 僕は怒鳴りました。

「さんざん馬をタダでこき使って、ニンジンやるのも惜しいのか。図々しいにも程があるぞ。早く馬を持主に帰して、ていねいにお礼を言って来い。そうしないと、対山荘の恥になる!」

 少しきつく言って置かないと、何を仕出かすか知れないので、僕はことさら強く突っぱねました。すると、女たちは反発すると思ったら、案外素直に頭を垂れて、

「はい」

 と僕から手綱を受取って、馬をいたわるようなポーズを取りながら、村の方に降りて行きました。ちょっと意外でしたが、思うにこれは近頃の若い女たちの特徴で、下から出るとつけ上るけれど、頭からがっと押えると案外シュンとなるものらしいです。ことに彼女らは女優の卵なので、監督さんあたりにひとにらみされると、とたんに従順になるという傾向があるのかも知れません。嬉しくなって、僕は彼女らの後ろ姿に追討ちをかけました。

「今日は風呂をわかせよ。おれが入るんだから」

 今日のポーカー作戦はうまく行きそうだと、とたんに愉快になって、僕は家にとって返し、釣竿をかついで渓流にとことこと降りました。夕暮れ時というのは、川魚釣りには一番いい時刻なのです。一時間ほどの間に型のいいヤマメを三匹釣り上げて、アトリエに戻って来ると、連中もいくらか反省したと見え、黒助は台所仕事をし、おスガとチビはドラム罐の下の薪(たきぎ)の燃え具合をしきりに調整していました。台所の板の間には、唐モロコシ十数本と安ウィスキーの瓶が二本置かれています。僕は黒助に訊(たず)ねました。

「馬は戻して来たのか」

「戻して来たわよ。ついでに唐モロコシ十本、もらって来ちゃった」

「もらった? 買ったんじゃないのか?」

「買うもんですか。馬に食わせるほど実っているんだもの」

 黒助は庖丁の手を休めました。

「おスガったら、図々しいのよ。トリ鍋にするから、鶏一羽呉れとせがんで――」

「せがむって、タダでか」

「そうよ。そうしたらさすがに向うの青年もイヤだと言うから――」

「あたり前だ。馬をタダ借りされた上、鶏一羽をサービスするような好人物が、この世にいるわけがない」

「そうでしょ。だからあたしが、唐モロコシで我慢しましょうと、おスガをたしなめてる中に、チビがキビ畠にもぐり込んで、もうゴシゴシともいで来てしまったの」

「まるで押売り強盗のたぐいだね」

 僕は呆れて嘆息しました。

「それで、そいつを肴にして、今日もウィスキーを飲むのかい?」

「ええ。お互いに雨女じゃないことが判ったから、お祝いの会をやるんだって」

「そうか。頂上にお互いの帽子を確認して来たというわけだね。君は何をしてた?」

「イガグリ峠の一本松の下で、ぼんやりしてたわ。つまんないの」

 黒助は溜息をつきました。

「寝ころんで、雲の動きなどをぼさっと眺めて、時間をつぶしてたのよ」

「雲を見て、何か感じなかったかね」

 僕は興味をもよおして、訊ねてみた。

「何かって、何をよ?」

「うん。うまく口では言えないが、大自然の悠久さとか、人間の孤独だとか、またそれに伴うしんかんとした愉しさをとかさ」

「感じなかったわ。全然」

 黒助は小さなあくびをしました。

「感じたのは、退屈だけよ」

 僕が昨日感じたことを、彼女は何も感じていない。ふうん、そんなものかな。世代の相違というやつかな、と僕にはよく判らなかったんですが、あんたはどう思いますか?』

 

「そりゃやっぱり、世代とか年齢の相違だろうね」

 と私は答えた。

「そんなチンピラ小娘に、自然の悠久や孤独を説いたって、仕方がないやね。やはり君みたいな中年男にならないと――」

「中年男? それ、僕のことですか?」

「そうだよ」

「冗談でしょう。中年男だなんて」

 山名君はコップを手にしたまま、大いにふくれた。

「まだ青年ですよ。そりゃ生れは大正末期だけれど、育ちは昭和ですからね。あんまり失礼なことは言わないで下さい」

「しかしだね、イガグリ峠如きに登って、足腰を痛めるなんて、休力的に衰えが来ている証拠だ」

「イガグリ峠と安っぽくおっしゃいますがね、どんなにきつい峠か、登ったこともないくせに――」

「そうだな。そう言えば登ったことはないが――」

 ちょっと私も言葉に窮した。

「と、とにかく君は、人生の空しさとか、虚無を知っている。ところが近頃の若い者には、それがない。行動があるだけだ。だからむやみやたらと山に登りたがる」

「虚無は彼女らの方じゃないですか」

 ぐっと一口飲んで、彼は反論した。

「一本松の下で、何も感じないで、退屈ばかりしていたというのが、虚無、すなわち、頭がからっぽだという証拠です」

「よしよし、判ったよ」

 面倒くさくなって、私はあやまった。

「僕の言い方が悪かった。君を青年だとすれば、その女たちの精神年齢は十二三歳の子供だというわけだ」

「そうです。それなら僕も納得出来ます」

 山名君は安心したように、牛罐から一片つまみ上げて、口の中に放り込んだ。

「全く十二歳、いや、それよりも低く八歳ぐらいかも知れない」

「それでその夜は、成功したのか?」

 

『ええ。大成功でした。僕は先ず風呂に入って、アトリエで待機していると、やがて女が呼びに来た。また夕食を御一緒にしませんか、という誘いです。待っていましたとばかり、早速腰を上げました。先ほど釣ったヤマメを一匹ぶら下げてね。居間の方に行くと、女たちはすでに茹(ゆ)で唐モロコシを卓の上に山と積み上げて、もうウィスキーをちびちびとやっていました。

「よく飲むんだねえ。毎晩じゃないか」

「ええ。毎晩ですよ。小父さん。唐モロコシを御馳走するわよ」

 とチビが慈善者面(づら)をして勧める。そこで僕は、そんなかっぱらって来たようなのを食えるか、おれはこれで行く、とヤマメを見せびらかせながら、コンロの上に乗せました。とたんに彼女らの眼が猫の眼みたいに、ぎろりと光ったですな。新鮮な魚類に飢えていたのに、眼の前につき出されて、ぎょっとしたらしいのです。ふん、思う壺に入ったなと――!』

 

「何が思う壺だね?」

「敵をいらいらさせて、じれったがらせて、精神を惑乱させて、それでポーカーに勝とうというのが僕の神経戦術でした」

 精神年齢八歳の女たちと、こんなに熱心に張り合うなんて、山名君の精神年齢もかなり低いんじゃないか。そう思ったが、言えば怒るにきまっているから、言うのはやめにした。

「ふん。そこで?」

 

『そこで敵も対抗上、イワシの罐詰などをあけ、それを肴(さかな)にしていましたが、罐詰と生まではかないっこない。それに僕のヤマメは脂(あぶら)が乗って、実にうまかった。ウィスキーを片手に、またたく間に一匹食べ終えると、アトリエに戻り、一匹ぶら下げて戻って来ました。三人の眼がまたぎろりと光った。

 金網の上に乗せると、脂をジイジイとしたたらせて、うまそうな匂いを放つ。焼け上るのを待ち兼ねて、金網の上から直接片面ずつ箸でつついて食べる。女たちは面白くなさそうな顔をして、ウィスキーをあおり、唐モロコシを歯でしごいて、ごしごし嚙んでいました。

 二匹食べ終っても、まだ満足しないので、また一匹ぶら下げて戻って来た。するとたまりかねたようにおスガが言いました。

「小父さん。その魚、どこで仕入れて来たの?」

「仕入れたんじゃない」

 僕は悠然として答えました。

「裏の渓流で釣って来たんだ」

「何匹釣ったの?」

「三匹だけだよ。釣ろうと思えばもっと釣れたが、そんなに獲ったって仕方がないしね。おれの分だけ釣って、あとは明日ということにしたんだ」

「まあ、ケチ!」

 チビが舌打ちをしました。

「あたしたちがいるのを忘れたの? この唐モロコシだって、小父さんに食べさせようと思って、決死の思いでもいで来たのに!」

「唐モロコシはお昼に食べて、食べ飽きたよ」

 僕はわざとのろのろした口調で言ってやりました。

「君ら、ヤマメを食いたかったのか。それじゃ自分で釣って来ればいいじゃないか」

「でもあたしたち、山登りに忙しくて、釣る暇がないんだもの。小父さんにも判ってるでしょう」

「山登りって、遊びじゃないか」

「遊びじゃないわよ。今日の登山は」

 チビが言いつのりました。

「用事があって登ったのよ」

「何の用事だい?」

「お互いの帽子を確認しに行ったのよ」

「そんなの、用事と言えるかい?」

 僕はせせら笑った。

「用事というのは、もっと実質のあるもんだ。苦労して帽子を見に行くなんて、意味も何もない。骨折損のくたびれ儲(もう)けというやつだね」

「いい加減なことを言ってるわ。この雨――」

 とたんに黒助がシッと声をかけたので、チビは口をつぐみました。

「え? 雨って、何だい?」

「いえ。何でもないのよ」

 おスガがとりなしました。

「チビって、すぐ変なことを口走るから――」

「でも、小父さん」

 チビはおスガをにらみつけ、そして僕に食い下りました。

「小父さんは今日、大雨が降ってあたしたちが濡れ鼠になって来ればよい、と思ったでしょう」

「な、なにを根拠に――」

 図星をさされて、僕は思わずどもりました。

「そんなことを言うんだい。濡れようと濡れまいと君たちの勝手で、僕と何の関係もない」

「関係あるわよ。思っただけでなく、その思いを実行に移したでしょう」

「実行? おれが何を実行した?」

「雨乞いよ」

「雨乞いを? ばかばかしいや。いつおれが雨乞いをした?」

「したじゃないの。水道を出し放しにしてさ。あんな調子に雨が降ればいいと、蛇口をあけ放しにしたんでしょう」

 さすがの僕もあっけに取られましたな。そりゃ雨が降ればいいなとは考えはしたけれど、そんな邪推を受けるとは夢にも思わなかった。

「違うよ。水道を出し放しにしたのは、他にわけがあるんだ」

「何のわけよ?」

 僕は沈黙した。水道料を取られて、腹立ちまぎれに出し放しにしたとは、あまりにも子供っぽくて、他人に話せることじゃないですからねえ。

「それよりも降雨とおれに、何の関係があると言うんだね?」

 僕は話の方向をちょっとずらした。

「君らが着換えをするところを見て、おれが喜ぶとでも思っているのかい。それほど魅力ある体とは思わないがねえ」

「裸の話をしてるんじゃないわよ」

 体をけなされてかんにさわったらしく、チビがきんきん声を出しました。

「雨男のことよ」

 とうとう言ってしまった、という表情で、おスガと黒助は眼くばせし合いました。

「雨男? そりゃ何だい?」

「小父さんが雨男だと言うことよ」

 チビは居直りました。

「おれが雨男だって? どういうわけでそんな結論が出るんだい?」

「昨日四人で登ったでしょ。すると帰りに降られた。今日は小父さん抜きで、あたしたち三人で登ったら、全然雨に降られなかった。四引く三は一。雨を呼ぶ張本人は、まさしく小父さんじゃないのさ」

 チビは得意気に鼻翼をふくらませました。

「三人で討議した結果、そういう結論が出たのよ」

 この論理にはあきれましたねえ。三人の表情を見ると、真面目にそう思い込んでいるらしく、僕は返す言葉がなかった。

「するとおれは、自分が雨男になりたくないばかりに、雨乞いをしたりしたと言うわけか。おどろいたねえ。じゃあおれは、トランプのババ抜きのババか」

「そうよ。そのババよ。小父さん、何の趣味もない朴念仁かと思ったら、トランプなんかやれるの?」

 うまいことトランプに乗って来やがったなと、僕は思わずにやにやしました。その笑いを、僕が恐れ入ったと解釈したらしく、チピは追討ちをかけました。

「雨が降る気配がないもんだから、やけになって魚釣りして、あたしたちに見せびらかして、口惜しがらせようとたくらんだのよ。どう? 図星でしょ」

 誤解もここまで来ると、もう誤解をとくすべもありません。僕は観念しました。

「そうか。そんな結論が出たのか。それなら仕方がない。僕は雨男でもいいよ。差支えないよ。差支えないがだ、さっきの君の言葉に、気に食わないとこが一箇所ある」

「どこよ?」

「トランプが出来るかという箇所だ。トランプなんか、おれは名人だぞ。あのむつかしいゲームを知ってるか? ええと、ポーなんとか言う――」

「ポーカーでしょう」

「ああ、それそれ、そのポーカーだ」

 ポーなんとか、などととぼけたのは、僕一世一代の名演技でした。これで女たちはすっかり引っかかったようです。

「へえ。ポーカー、やれるの?」

「人は見かけによらぬものねえ」

「あんまりバカにしないで呉れ」

 僕は言いました。

「去年友達から習ったばかりだけど、筋がいいとほめられたんだぞ。何なら一丁やるか」

「でもー」

 チビは周囲を見回しながら言った。

「あたしたち、トランプは持って来なかったのよ」

「おれの部屋の押入れに一組あったよ。多分木村が置き忘れたんだろう。何なら持って来ようか」

 僕は立ち上り、わざとよろよろし、酔ったふりをしながら、画室に戻りました。しばらくベッドの上で休憩、そしてトランプを摑(つか)んで出て来た。休憩したのは、女どもに相談の時間を与えるためです。

 僕が入って行くや否や、チビが言いました。

「小父さん。ポーカー、本式のでやる? それとも略式?」

「本式って、どんなんだい?」

「現金を賭けるのよ」

「現金?」

 僕は眼をぱちぱちさせて、困ったような表情をつくりました。案の定(じょう)彼女らは相談して、昨年習ったばかりのほやほやであるし、酔ってはいるし、ここらで僕からごっそりまき上げようとの方針に一決したのに違いありません。チビが声を強めた。

「本式のでやらなきゃ、面白くないわねえ」

「そうよ」

「そうよ」

 と、あとの二人も賛成しました。

「小父さんはイヤなの? 案外度胸がないのねえ」

「よし。現金でもOKだ」

 と、僕は派手に自分の胸を叩きました』

 

「それで勝ったのかい?」

 私は頰杖をついたまま訊ねた。

「ごっそりまき上げたのか」

「ええ。もちろんですよ」

 山名君は昂然と眉を上げた。

「向うは三人とも、少し酔っぱらっているし、勝負を楽しむことよりも、賭け金にこだわっているんですからね。負けがこんで来ると、頭にかっかっ来る。頭に来ちゃ、とても勝てっこありません」

「しかしよくトランプが都合よく、押入れに置き忘れてあったもんだねえ」

「いえ。実はそれはウソで――。」

 山名君はにやにやと笑った。

「退屈しのぎになろうかと思って、僕がリュックに持参したもんです」

「え? 君のか?」

「そうです。かなり古ぼけて、すり切れたようなトランプで、こんなところで役に立とうとは思わなかったですな」

「へえ。すり切れた古いトランプね」

 ある疑念が私の胸に湧き上って来た。

「じゃ、そのトランプの裏のすり切れ具合で、何の札か判るような仕掛けになってるんじゃないか」

「冗、冗談でしょう。判れば独り占いなんか出来やしない」

「でも、だね」

 私はたたみかけた。

「女たちから金をまき上げようと考えたあと、裏を仔細(しさい)に調べて、特徴を覚えようと努力しなかったのか」

「しつこいですなあ。まるで検事の反対訊問みたいだよ。ああ、しんが疲れる」

 彼はマムシ酒を清酒の中に少量垂らし、ぐっとあおった。

「覚えようとしたって、そうそう全部は覚え切れるもんじゃないですよ」

「でも若干は覚えたり、目印をつけたりしただろう」

「そんなに疑うんなら、僕は帰りますよ」

 彼は憤然として腰を浮かした。

「折角いいタネになると思って、お話に上ったのに、そうケチをつけられちゃ、僕も立つ瀬はありません」

「まあ、まあ」

 私は頰杖を外(はず)して、頭を下げた。

「僕の言い方もトゲがあった。あやまる。も少し話して行って呉れ」

 少しインチキをしたらしいとは思うが、そこが聞き手のつらさで、私はあやまった。とにかく機嫌を取りながら話を引き出さねばならぬので、しんが疲れるのはこちらの方なのである。

「そうですか。それなら特に今回は不問に付することにして――」

 山名君はふたたび腰を据(す)えた。

 

「トランプにインチキはなかったとして――」

 山名君が腰を据えるのを見定めて、私は言った。

「大体そんなことだろうと思ったよ」

 山名君という人物は、年がら年中愚痴をこぼし、損ばかりをしたような話をしているけれども、現実にはそうそうしてやられてばかりはいない。最後にはがっちりと得をする。そういう型の男なのである。

「何がそんなことなのです?」

「いや。君ほどの人物が、三人の小娘に手玉に取られて、引き下がる筈がないということさ」

 私はお世辞を言った。

「金を巻き上げて追い返すなんて、大した知能犯、いや、知能的なやり方だったね。で、その三人、すごすごと下山したのかい?」

「下山なんかするもんですか。あのチャッカリ屋ども」

「え? 下山しない? でも金がなきゃ、蒲団も借りられないし、第一買い物に事欠くだろう」

「そう思うのが素人の浅はかさです」

 彼は私のタバコを平気で抜き取り、うまそうに紫煙をはき出した。もう窓の外は暗くなり、風の音も強くなったようだ。

「女は男と違うんですからね。生活力という点にかけては、女は断然男よりは強いです。その証拠に、終戦後のことを考えてごらんなさい。男は瘦せてひょろひょろしていたのに、女たちはほとんど瘦せず、栄養失調にもかからず――」

「おいおい。終戦後と今では違うよ」

「いえ。危急の場合に立てば、今でもそうですよ。これが男なら、敗北を意識して、おとなしく下山するところでしょうが、彼女たちは踏みとどまって、実によく頑張った。敵ながら天晴れと、ほめてやりたいぐらいです」

 

『敗色濃しと知った頃から、三人の女たちは少々あわて出したようです。それはそうでしょう。僕の技倆をすっかりなめ切って、金を巻き上げてやろうとの心算だったんですからねえ。彼女らの一人が折角いい手がつくと、僕はサッとおりるし、僕にいい手が回ると、

「弱ったな。弱ったなあ」

 と相手を油断させて、ごっそりと巻き上げるし、ついに彼女たちも変だなあと思い始めたらしいのです。

「ちょいとお訊(たず)ねするけれど――」

 とおスガが疑わしそうに、僕の顔を見ました。

「小父さん、去年ポーカーを覚えたというけれど、それ本当?」

「本当だとも。去年の冬だったかな、木村から教わったんだ」

 木村と言うのは、この別荘の持主です。今度は黒助が、

「それにしてはうま過ぎるわねえ」

「なに。ちょっとツイてるだけなんだよ」

「あたし、ずいぶんすっちゃったわ」

 嘆声を上げたのは、チビです。チビは小軀のくせに闘志があって、特攻隊のようにぶつかって来るものですから、僕の手にかかって軽くいなされてしまうのです。黒助は性格上用心深いところがあって、おりる時はおりるが、チビはおりるということをしない。損をするのは当然でしょう。

「運がついてないと、あきらめるんだね」

 僕はなぐさめてやりました。

「しかし帰りの旅費だけは、残しとけよな。東京まで歩いちゃ帰れないんだから」

「にくいことを言うわね。まだ勝ち続けるつもり?」

 それでもチビはリュックを引寄せ、眼をぱちぱちさせて何か暗算をした。旅費の計算をしたんでしょう。目尻を逆立てて、

「さあ、来い」

 と力みました。しかし力んだ甲斐もなく、それから三十分後には、チビはすっからかんになって、トランプを卓に叩きつけました。

「もうやめようっと」

 口惜しげに私をにらみました。

「あたし何だかインチキにかかったような気がするわ」

「あたしもやめる!」

 おスガもチビの真似をして、トランプを投げたところを見ると、これまた相当にすったらしい。一勝負毎の現金取引きですから、僕のポケットは紙幣でざくざくしている。黒助はそれほど負けはしなかったけれど、二人がやめると言い出したので、彼女もやめる気になったようです。トランプをそろえて、私に手渡しました。僕は退屈そうにあくびをしながら、立ち上りました。

「おれはもう寝るよ」

 おスガとチビが相談しています。

「おスガ。どうする。明日からの食事に困るじゃないか」

「――うん。あたしゃパパに電報を打って、金を送ってもらうわ」

「うん。そりゃうまい手ね。送って来たらあたしに少し貸してお呉れよ」

「イヤだよ。チビは自分で才覚しな」

 おスガはつっぱねました。パパだなんて、おスガみたいなガチャガチャ女にも父親がいるのかと、僕は何だかおかしくなり、廊下に出て、アトリエに戻って来ました。そのまま横になりましたが、数日来の鬱憤が一時に晴れたようで、よく眠れたですねえ。

 翌日の十時頃眼を覚まし、裏の水道で顔を洗って台所に入ると、居間から男女の声ががやがや聞えて来ます。耳をそばだてていると、

「へんねえ。うちに山名なんて人、いないわよ」

「でも封筒にちゃんと書いてありますからねえ」

 これは男の声です。

「あっ。あれは郵便屋じゃないか」

 僕が居間にすっ飛んで行くと、果して入口に立っているのは、制服を着た郵便集配人でした。僕はあわてて女たちを叱りました。

「おいおい。冗談じゃないよ。山名ってえのは、僕のことだ」

「へえ。小父さんが山名なの」

 チビがあきれ顔で言いました。

「小父さんにも名前があるのねえ」

「あたりまえだ。名前のない人間があってたまるか」

「でもそんなにスマートな名前を持ってるなんて、意外ねえ」

「スマートもへったくれもあるか」

 と集配人から手紙を受取りましたが、考えてみると、僕も実は彼女たちの名前を知らない。知っているのは、チビだの黒助だのというあだ名だけですから、あいこと言えばあいこです。僕は封を切って読んだ。次のような文面です。

 

 〈拝啓

  木村先輩の送行会が昨日ありまして、本日先輩は羽

 田発にてパリに旅立たれました。その節先輩の申され

 るには、自分は帽子高原に別荘を持っている。山名と

 いう男に番をさせてあるから、行きたけりゃ何時でも

 行って泊りなさい、という木村先輩の言葉でした。そ

 こで相談の上、早速おうかがいすることにしましたか

 ら、その節は万事よろしく願います。不一

                    山野生

                    水原生〉

 

「うっ!」

 と思わず僕はうなりました。土地代や電燈代その他で三万円以上も払っている。とても僕一人では持ち切れないので、半分はそちらで持ってほしいと、木村に速達を出そうと思っていた矢先、もうパリに飛んで行ったとは何事でしょう。パリの住所は判らないし、うならざるを得ないではありませんか。

「バカにしてやがら」

 山野とか水原という男を僕は知りませんが、木村が先輩風を吹かせた様子が眼に見えるようで、しだいに腹が立って来ました。

「何がバカにしてるの?」

 おスガが冷やかすような口調で言いました。

「何か悪い知らせでもあったの?」

「君らと何も関係はない」

 僕は大声で言いました。

「それよりも。パパに電報は打ったのか?」

「打ちましたよ。そして帰りにこれを農家で分けてもらって、朝飯のかわりにしたのよ」

 見ると卓の上には、唐モロコシの食べがらだらけで、芯の長さから言うと、ゆうに一尺近くもありそうな大型のものでした。

「分けてもらったというのは、タダでかい?」

「もちろんそうよ」

 チビがつんとして答えました。

「大型で、すこし粒が固いけど、とてもおいしかったわよ」

「あんまり乞食みたいな真似をして呉れるなよ」

 僕はたしなめました。

「対山荘の面目にかかわるからな」

「だって小父さんは、あたしからごっそり巻き上げたじゃないの。払おうたって、払えやしないわ」

 そして彼女は戸棚をあけました。

「まだこれだけあるんだから、二日や三日は餓えはしないわようだ」

 大型唐モロコシがその中に、わんさと積まれています。余りのことに僕はぐっと咽喉(のど)がつまって、返事が出来ませんでした』

 

「そんなに大きなのが、その高原で出来るのかね?」

 私は食欲を感じながら訊ねた。

「さぞかし食いでがあるだろうなあ」

「それがお笑い草なんですよ」

 山名君は小気味よげに、にやにやと笑った。

「後で〈何でも屋〉のおやじに聞いてみると、大型のやつは牛や馬に食わせるためのものだそうで、帽子村東方約二キロのところに牧場があり、それで栽培しているとのことです。人間用のものはもっと小柄で、粒もやわらかい。僕はそれを聞いて、思わず笑いましたな」

 そして山名君は大口をあけて、思い出し笑いをした。

「牛馬用の唐モロコシを食べて喜んでるんですから、世話はありません」

「ふうん。すると彼女等の歯も、相当丈夫なんだね。うらやましいよ」

「そ、そりゃ丈夫ですな」

「それで。パパの為替(かわせ)なるものは、直ぐに到着したのかい?」

「いえ。なかなか到着しないんですよ」

 彼は笑いを収めて、忌々(いまいま)しげに言った。

「それよりもその日の午後、山野と水原がやって来たんです」

「ほう。どんな男たちだった?」

「山野はがっしりした体格で、水原はすらりとした背高男で、そうですな、齢は二十五六と言ったところですか。両方とも木村の中学校の時の後輩だそうです。対山荘にやって来て、咽喉が乾いたというので、水をやると、うまいうまいと言って、コップで十杯近くもがぶがぶと飲みました」

「それじゃそいつらも、ちょいとした子馬並みだね」

 私は嘆息した。

「なにしろ若さというものは、貴重なものだ」

「いえ。近頃の若者と来たら、生意気なもので、僕に向って、番人の山名さんってあんたのことか、と聞くから、僕は彼等をアトリエに連れて行って、怒鳴りつけてやりました。僕はここの番人じゃないんだぞ。木村から一夏借りた、れっきとした別荘の主人だぞってね」

 

『するとさすがに彼等もしゅんとなり、

「そうでしたか。木村先輩がそんな風(ふう)におっしゃっていたので――」

「木村の言うことなんか、当てになるもんか。先輩風を吹かせただけだよ」

「それは僕たちの失言でした。なにぶんよろしくお願いいたします」

 というわけで、僕も少々可哀そうになり、

「では泊めてやるから、表の居間を君たちの部屋にしなさい。寝具その他は村の〈何でも屋〉で借りて来ればいい」

「それから――」

 水原がおそるおそる質問しました。

「庭にいた三人の女たちは、誰ですか。山名さんの友達かどなたかで?」

「友達なんかであるものか」

 三人女が入り込んだいきさつを簡単に説明し、注意を与えてやりました。

「人間には交際の自由はある。それは僕も認める。しかしあの女たちには、あまり近づかない方がいいと、僕は思う。何しろトリカブトの根を食わされそうになったぐらいだからね。危険な女たちだ」

 この注意もあまり彼等にはきかなかったようです。若いから仕様がないというとこでしょうかな。僕が裏の渓流に釣りに行った間に、彼等は三人女に案内されて〈何でも屋〉に行ったらしいのです。〈何でも屋〉の場所を教えなかったのが、僕の不覚と言えば不覚ですが、三人女にしてみれば、よきカモござんなれ、と待ちかまえていた時に、山野と水原が姿をあらわしたので、早速飛びかかったというわけでしょう。

 その途次で、三人女が青年たちに対し、如何に僕の生活を論じ、悪評を加えたか、つまびらかにしません。しかしポーカーで負けた腹いせに、散々悪口を言ったんだろうとは想像出来ます。青年たちも甘いから、どうもそれに同調したような節がある。

 僕がヤマメを十匹ほど釣り上げて、対山荘に引き上げて来ると、五人の男女はせっせと台所で食事の支度をしていました。聞いていると、もう、

「山やん」

 とか、

「水ちゃん」

 とか、青年たちをあだ名で呼び合っていたようです。で、僕は山野をアトリエに呼んで、話が違うじゃないか、となじると、

「でもね、彼女たちは金を持ってないでしょう。為替が来るまで、食事をいっしょにして呉れと頼まれまして――」

「それがあいつらの手なんだよ。そんな古い手に乗るなんて、だらしがないじゃないか」

「へええ。金がなくなったてえのも、山名さんがトランプで巻き上げたんだそうじゃないですか。すご腕だなあ」

「何がすご腕だ。去年習ったばかりだよ」

「そうですか。でも、一つ屋根の下でいがみ合っているのは、ばかばかしいですねえ。今晩は僕らがウィスキーをおごりますから、ひとつ親睦会と行こうじゃありませんか。女たちもそれを希望しています」

「へえ。あいつらがねえ」

 僕は少々あきれました。

「あの女たち、毎晩飲んでんだぜ。まだ飲み足りないのかなあ」

「ええ。小父さんがどっさり魚を釣って来るから、それをサカナにしてと――」

「あいつらがそう言ったのか?」

 女ってほんとに図々しいもんですねえ。

「よろしい。魚は提供する。そのかわりにウィスキーはたんと飲ませてもらうよ」

「承知しました。先輩。よろしく願います」

 とうとう僕は、先輩にされてしまいました。しかしこの〈先輩〉という言葉は、あまり相手を尊敬した言葉じゃないようですな。相手にたかるような時に使用する言葉で、あまりいい気にはなっていられません。

 それでその夜は、ヤマメと馬肉の御馳走で、もちろんウィスキーも並んでいます。女たちも御機嫌でした。それはそうでしょう。こんなことがなけりゃ、牛馬用の唐モロコシでぼそぼそ食事する筈だったんですからねえ。僕も年長らしい寛容さで、終始にこにこしながら、適当に面白い話などしてやり、コップをぐいぐいとあけました。何だかヘんに酔っぱらったようです。

 僕の機嫌がいいものですから、若いものたちもいい気分になったらしく、

「先輩。少し踊り狂ってもいいですか」

 と、交々(こもごも)立ち上って、ツイストなどを踊り始めました。僕はあの踊りが大嫌いなのですが、今更やめろと命じるわけにも行かず、その中酔いが回って、何もかも判らなくなってしまいました』

 

「よく君は何もかも判らなくなってしまうんだねえ」

 私は嘆声を発した。

「君ももう中年、いや、青年末期にさしかかっているんだから、タダ酒と言ったって、ほどほどにした方がいいよ」

「タダ酒?」

 たちまち山名君は聞きとがめた。

「そりゃその夜の酒は、僕にとってはタダですよ。しかしね、地代その他で僕は三万二千七百円という金を払ってるじゃないですか。それなのに彼等は――」

「判った。判ったよ」

 私は押しとどめた。

「それでその夜もベッドまでかついで行かれたのかい?」

「そうらしいです」、

 やはり照れくさいのか、彼は頭に手をやった。

「翌日また宿酔気味で眼が覚めてみると、庭にどやどやと足音がして、小父さん行って来るわよっ、先輩行って参ります、とかけ声をかけて――」

「どこに行ったんだね」

「大帽子山に登ろうというんですな」

 

『それを聞いて僕はあきれました。男どもはともかく、女たちはここに着いて以来、毎日のように帽子山に登っているのです。見ればへんてつもない、ただの山なんですからねえ。僕は言ってやりました。

「君らは一体何度あの山に登れば気が済むんだい?」

「気が済む済まないは、別ですよ」

 チビが言い返しました。

「今日はガイド、つまり案内人として登るのよ。日当ももらったし――」

「日当?」

 僕は大声を出して、男たちをにらみました。あまりの甘さに腹が立ったのです。

「いえね、この人たちが道案内をして呉れると言うんでね」

 水原が弁解をしました。

「疲れたら荷物もかついで呉れると言うので、ついその親切にほだされて――」

「判ったよ。行きなさい。どこにでも行きなさい!」

 僕は窓をぴしゃりとしめました。全く面白くない気持です。一行五人が白樺の間を縫って、遠ざかって行くのを見届けて、またべッドにごろりと横になりました。

 昼頃起き上ってかんたんな食事をすませたが、何だか関節でも抜けたように気だるく、絵を描く気持にもならず、庭に出てぼんやり帽子連山を眺めていました。今日もいい天気で、山々はくっきりと青空に浮き上っています。

「ちくしょうめ。このおれを雨男と言いやがったな」

 忌々しくタバコを踏みにじり、僕は芝草の上にごろりと横になりました。

「一体おれはここに、何をしに来たのだろう。孤独と平和を求めて、画業に専念しようと思ったのに、次々に災厄が襲いかかって、全然気分が落ちつかない」

 その時はっと心にひっかかった言葉がありました。雨男、という言葉です。

「雨男。それは現実に雨に降られる男ではなく、行く先々で災厄に見舞われる男という意味ではなかろうか?」

 その意味では、いみじくもチビが言い当てた如く、まさしく僕は典型的な用男でした。猛烈な反発が僕の胸に湧き上って来ました。

「おれだけが損をして、あいつらが得をするなんて、そんな不合理なことがあるか!」

 僕は立ち上り、熊のように行ったり来たりしながら考えました。しかし出て行けと言っても、出て行きそうにない奴らばかりです。ついに僕は結論に達しました。

「よし。あいつらから、宿泊料を取ることにしよう」

 宿泊料を取れば、連中も気がひきしまって、遊び呆けることもないだろうし、また帰心を起すことになるかも知れない。その上僕のふところにもプラスになる。そこが僕のねらいでした。

 夕方彼等はまた草花をどっさりかかえ、笑いさざめきながら戻って来ました。あんまり草花を取るなと言っておいたのに、ほんとに仕様のない奴らですねえ。見て見ぬふりをして、アトリエに引っこんでいると、やがて山野が呼びに来ました。

「先輩、食事をいっしょにやりませんか。昨夜のウィスキーも、まだ残っていますよ」

「よしきた」

 と僕は応答しました』

 

「そこで宿泊料のことを切り出したのかね」

 私はにやにやしながら訊ねた。宿泊料などを思いつくところが、山名君の本領なのである。

「一日いくらにした?」

「一日三百円ですよ」

「へえ。そりゃ高いなあ」

「あいつらもそう言っていました」

 山名君はコップをあおった。

「ウィスキーが行き渡った頃を見はからって、切り出したんですが、猛烈な女群の反撃にあいましてね。山小屋だって素泊りは三百円ぐらいなのに、ここで三百円とは暴利だって――」

「それで何と返事した?」

「対山荘は山小屋と違う。ゆったりして快適だし、水も電気もあるし、と言いかけると、山小屋というのは、わざわざ平地から営々と材木をかついで上ってつくったものだから、その労賃がこめられていると――」

「僕もその女群の説に、若干賛成だね」

「でも、山小屋の方は素泊りで、つまり夕方から翌朝までですよ。こちらは一日使いずくめですからねえ」

 彼は慨嘆した。

「すると向うじゃ、この別荘は木村からタダで借りたんじゃないかと言う。男たちも女群に同調して、木村先輩の耳に入ると具合が悪いじゃないか、なんて言い出して来たので、僕は憤然としてアトリエから領収書を持って来て見せてやりました」

 彼は講釈師のように、卓をポンとたたいた。

「どうだ。三万二千八百円。これだけおれは支払ったんだぞ。これでもタダだと言うのか!」

「連中、びっくりしただろうね」

「ええ。僕の鼻息が荒かったもんですから、しゅんとなってこそこそ相談していましたが、ここに五人いる、一日で千五百円、月に四万五千円は暴利じゃないか。半額にしろって切り出して来た」

「なかなか計算がこまかいね」

 私は酒を注いでやった。

「半額にしたのかい?」

「ええ。あっさりと半額にしてやりました。僕は実に気前がいいですからねえ」

 山名君はゆっくりとコップを口に持って行った。

「そのかわりに条件をつけてやりました。宿泊料はその日その日に払うこと。そのくらいは当然でしょう?」

「まあそうだろうな」

「するとチビが猛烈に反対しました。何故かというと、彼女は金を持たないからです。その日払いをするくらいなら、庭にキャンプを張って寝泊りをするという。そこで僕も少々意地になって、庭を使うなら、土地代を払え。坪十二円――」

「おいおい。坪十二円は年間じゃないのか」

「そうなんですよ。向うもそれに気がついて、月にすれば一円、日割にすれば三銭三厘――」

「取ることにしたのか?」

「いや。もらっても仕方がないので、負けてやることにしました。で、チビはその晩から庭にテントを張ったんですが、僕が眠りにおちるのを見すまして、窓から部屋にもぐり込んでいたようです。僕も夜中に起き出して、現場を押える情熱もないですからねえ」

「でも、君は日銭が入るようになったから、大だすかりだろう。うまいことをやったね」

 こんな具合にして、山名君はいつも敗勢を盛り返して、抜け日なく得をするのである。私も何度彼のその手にやられたか判らない。

「それで。パパの為替はついたのか?」

「ええ。五日目にね。為替でなく、本人がやって来たのです」

 

『その日僕は二キロほど散歩して、山村風物をスケッチして、三時頃戻って来ますと、居間の方で聞き慣れぬせきばらいの音が聞える。はて、連中は出かけている筈だと、そっとのぞいて見ると、見も知らぬ男が椅子に腰をおろし、新聞を読んでいました。

 丸顔のずんぐりした体つきの男で、頭のてっぺんがそろそろ禿げかかっているくせに、皮膚はつやつやしている。年の頃はいくつぐらいなのか、見当のつかない、妙な感じの男でした。僕は訊ねた。

「あんたはどなたですか?」

「え? わしですか?」

 男は椅子にかけたまま答えました。

「電報が来たから、様子見がてらやって来たですタイ」

「ああ。それじゃあなたは、おスガのパパ――」

「いや。パパというのはあだ名で、本名は丸井です。東京で画廊を経営しております」

 彼は僕に名刺を呉れました。

「おスガはどこかに出かけましたか」

「ええ。連中は今日は大滝に出かけると言って、朝早く出発しましたが――」

 そして僕はその連中がこの山荘にいるいきさつを簡単に説明してやりました。

 まったく彼等は歩き回るのが大好きで、今日は大滝、昨日は黒髪池、一昨日は帽子湿原地帯と、出かけてばかりいるのです。夜になれば酒を飲み、ツイストだのチャールストンなどを踊り、そのタフなことと言ったら、お話になりません。あのエネルギーを生産的な方に回せばいいのですがねえ。

「へえ。そんなに遊び回ってばかりいるとですか?」

 丸井は眉をひそめました。

「その男の二人とは、どんな男ですか。よか男ですか?」

「さあ。僕も今度が初めてのつき合いで――」

「どうも怪しいと思った」

 丸井は掌を拳固の形にしました。

「わしから金だけを巻き上げて、得体の知れない男たちと遊びおって。全くもって手のつけられない女だ」

 その激昂ぶりが烈しかったので、僕も興味を催して、いろいろと質問し始めました。丸井という男は見かけに似ず割にあっさりした人物で、九州出身者の特徴なんでしょうな、ざっくばらんにいろんなことを話して呉れました。

 それによると丸井は画廊を経営しながら、九州から若い嫁さんをもらったんですが、一年ぐらいでその女は家出して、今はファッションモデルになっているんだそうです。その女は十歳ぐらいの時孤児になり、丸井が学資その他の面倒を見てやっていたのですが、その恩を忘れて丸井を裏切ったわけですな。その女の名を訊ねて、僕はびっくりしました。僕ですら名を知っているような有名なファッションモデルで、どうもこの丸井という男とは結びつかないような感じがしたからです。丸井は眼を据えて言いました。

「折角小さな時から育てて、花を開かせて見ると、とんでもない毒アザミだったというわけですタイ」

 それから今晩ここに泊っていいかと聞くので、宿泊料のこと、貸蒲団のことなどを説明してやりました。するとその〈何でも屋〉に案内して呉れと言うので、いっしょに出かけることにしました。〈何でも屋〉の片隅には木の卓が二つ置いてあって、飲食が出来るようになっているのです。それを見て丸井は、

「少し早いけど、一杯やりましょうや」

 と、一級酒とサカナを注文しました。僕も嫌いな方ではないので、よろこんで相伴(しょうばん)することになりました。

 その時の話によると、おスガはそのファッションモデルの友人だそうで、家出事件に関しては丸井に非常に同情し、いろいろとなぐさめて呉れたとのことです。丸井もその情にほだされておスガが好きになり、近頃では結婚しようとまで考えたのですが、おスガの言い分では、

「あたしは。パパに同情はするわよ。でも、同情と愛情は別だわ」

 そのくせ小遺はしょっちゅうせびりに来る。その時の台辞(せりふ)は、

「少しずつ愛情が湧いて来そうだわ。その愛情が固まるまで待っててね」

 僕は一級酒をチビチビやりながら、この素朴なる人物に大いに同情と共感を感じましたな。よほどのこと、

「あんな女はあきらめてしまいなさい」

 と忠告したかったのですが、人間の愛情は自由なものですからねえ。横から口を出すべきでないと、やっと自分の気持を押えました。

 そろそろ夕方になって来たので、蒲団を借り、米その他を買い、酒を御馳走になった手前、僕が持ってやろうと思い、ためしに、

「丸井さん。あんたは齢はいくつですか?」

 と訊ねると、

「三十五歳です」

 これには僕もおどろきましたな。僕はもう四十五六になっているだろうと考えていたのです。全く女だけじゃなく、男の齢というものは判らないものですねえ。だから全部持ってやるのをやめて、半分だけかついで、対山荘に戻って来ました。

 すると連中はもう戻って来ていて、台所でごとごと食事の準備をしていました。僕のあとについて、のこのこと入って来た丸井の姿を見て、おスガは、

「あっ」

 と声を上げました。

「何だパパがやって来たの。為替だけでよかったのに」

「わしが来ちゃいけないのか?」

「いえ。うれしいのよ。うれしいけれど、パパは忙しいんでしょう?」

「いや。仕事は友人に頼んだから、わしは当分暇だよ。この山名さんに頼んで、当分ここに泊めてもらうことにしたよ」

 その時のおスガの表情は面白かったですねえ。半分うれしいような、半分困ったような微妙な表情で、丸井の肩を抱くような恰好(かっこう)をしました。女優の卵だけあって、その仕種はまことに巧妙で、丸井もすっかり満足したようです。

「おお、おお。よし、よし。小遣はたっぷり持って来たよ」

「あら。パパはすこしお酒くさいわね」

 おスガは丸井から離れました。

「どこかで飲んで来たの?」

「うん。山名さんと〈何でも屋〉で一杯やって来た」

 そして丸井はぐるりと連中を見回しました。

「皆さんとお近付きのしるしに、今日はわしが一本おごろうか」

 妙な濡れ場で、気まずいようなものがただよっていた雰囲気も、それでいっぺんに吹き飛んで、連中は歓声を上げました。ほんとに現金なものです』

 

「よく飲むんだねえ。君もその連中も」

 私はあきれて言った。

「毎晩じゃないか。よく肝臓をいためないもんだなあ」

「でもあの山荘は、テレビはないし、夜遊びに行くところはないし、夜になると何にもすることがないんですよ」

 山名君は答えた。

「飲むのも当然でしょう」

「で、その夜も大酒盛りか」

「そうです」

 山名君はうまそうにコップ酒をなめた。

「ところが宴果てて、丸井の寝る場所が問題になりましてね。丸井は板の間に寝るのはイヤだから、おスガの部屋にしたいと言い出しました。するとチビがそれを反対して――」

「そりゃそうだろう」

「ところがそういうわけには行かないんです。チビは名目上キャンプに寝泊りしてることになっていて、僕に宿泊料を払ってないんですよ。したがって発言権は何もないのです」

「なるほど」

「それを僕に指摘されて、チビはしゅんとなり、しばらくしてプッとふくれて、キャンプで寝りゃいいんでしょ、キャンプで、などと捨台辞(すてぜりふ)を残して、庭へ出て行きました」

「すると、丸井は、おスガと黒助の部屋に寝たというわけだね」

「まあそういうことですな」

「でも君は一応別荘の主だから、風紀についての監督権もある筈だろう」

 私はいぶかしく訊ねた。

「男と女をいっしょの部屋に寝かしていいのかい?」

「僕も一応そうは思ったんですがね」

 山名君は落着いて言った。

「しかし男女と言っても、二対一でしょう。黒助がいるんだし、それに丸井とおスガと結ばれることは、非難することじゃなく、むしろ祝福さるべきことですからねえ。しかし、ここに哀れをとどめたのは、チビです。皆が家の中に寝ているのに、戸外で独り寝ですからね」

 

『翌日起きると、台所はがやがやして、皆で握り飯などをつくっています。その中に丸井も入っていて、いそいそと弁当づくりにいそしんでいるものですから、僕は少しびっくりして訊ねました。

「丸井さん。どこかに行くんですか?」

「いえね、おスガが――」

 丸井は照れくさそうに答えました。

「わしを大帽子山に連れて行って呉れると言うんでね、行くことにしましたタイ」

 ははあ、と僕は思ったですな。丸井を山に連れて行って、くたくたにさせて、あるいは足腰をいためさせて、こんなところはこりごりだと、東京に帰してしまおう。そういう風(ふう)な計画を立てたんじゃないか、と僕は考えたのです。

 丸井というのは悪い人物ではないが、あまり女にもてそうな男じゃない。齢も三十五の割には爺むさく、若い連中の仲間にとけ込めそうにもない。そこでちょっと僕は丸井が気の毒になりました。

「丸井さん」

 と僕は忠告しました。

「悪いことは言わないから、村から馬を一頭借りて行きなさいよ。乗って行くとラクですよ」

「馬なんか要らないわよ。ねえ、パパ」

 おスガがそう言ったところを見ると、やはり僕の推側が当っていたようです。

「うちの。パパは山名さんみたいに、足弱じゃないのよ」

「おお。そうとも。そうとも」

 丸井はうれしそうに合点々々をしました。

「わしは足には自信があるんで、心配せんでもええです」

 そうまで言われると、僕も忠告を引っこめざるを得ません。やがて弁当がととのい、各自にリュックを背負って、

「先輩。行って参ります」

「留守頼んだわよ」

 と、手を振りながら、帽子連山の方に出発して行きました。

 

 僕は午前中アトリエを掃除、昼食をすませて庭に出ると、はるか大帽子山の方を眺めると、今日は雲行きの具合がおかしい。

「おや。雨が降るんじゃないか?」

 そう思った時、突然にやにや笑いがこみ上げて来ましたが、もし雨が降ると、雨男の名が僕から丸井に移るんじゃないかと考え、すこし気の毒な気もしました。

「雨の来ない前に、一釣りして来るか」

 僕はアトリエから釣竿を取り出し、れいの渓流に急ぎました。下流から攻めて、かなり上流まで達し、十匹ほど釣り上げた時、とうとう空はどんよりと曇り、今にも雨滴が落ちて来そうになりました。これはたいへんだと釣竿をたたみ、小走りで対山荘に戻って来ますと、やがてばらばらと大粒の雨が降って来ました。

「ついに降って来やがったな」

 僕は窓から首を出しました。帽子連山もイガグリ峠も雨にまぎれて、一面茫々(ぼうぼう)の視界です。

「連中はまさか丸井を、置きざりにして来やしないかな」

 僕も置きざりにされかかった経験があるので、それが心配でした。ところが案外だったですな。それから半時間ほどして、

「やっ、ほう。ただいま!」

 と叫びながら真先に飛び込んで来たのは、丸井でした。台所裏のサービスヤードで雨衣を脱いでいる丸井に、僕は訊ねました。

「若い者たちはどうしました?」

「競走で帰ろうというわけでね、若い者たちに負けてなるものかと、わしは懸命に走りましたタイ。あの連中ももう直ぐ着くでしょう」

「おどろいたなあ。ほんとに健脚ですねえ」

「何の、何の。ほんのお粗末な足ですタイ」

 男二人とおスガと黒助が帰来したのは、それから十分後です。

「チビはどうした?」

「チビは辷(すべ)って、足をすり剝いて、ビッコを引きながら走ってたわよ」

 おスガが言いました。

「競走だから、放って走ったのよ」

「不人情なもんだなあ」

 僕はあきれました。

 チビが到着したのは、それから三十分も経ってからでしょうか。ビッコを引き引き、顔が雨か汗か涙か知らないが、びしょ濡れになっています。他の連中が着換えてさっぱりしているので、チビは怒りました。

「何だい。迎えに来て呉れたっていいじゃないか!」

「だって競走だもん」

「いくら競走でも、あたし怪我したんだよ。たすけてくれるのが、人間の義務じゃないか。ああ、口惜しい!」

 ぷんぷん言いながら、チビは着換え始めました。夕立だったと見え、雨は小降りになり、ところどころに青空さえ見え始めていました。水原が手伝ってやろうとすると、

「何もしなくてもいいわよ。あたし、男ってきらい!」

 とヒステリー性の声を上げました』

[やぶちゃん注:「サービスヤード」service yardは和製英語で、勝手口の外側の屋外に設けられた家事スペースで、物干し場所や、ゴミ等の置き場所として活用されたり、荷物などの一時的な保管場所として使用されたりすることが多い。日曜大工を行なうスペースとして利用したり、時期によっては、植木鉢・プランターの避難場所として使用する場合もある。建物の側面や裏側など、正面からは見えにくい位置に設置されており、屋根・壁・物干し台・ウッドデッキ・コンセントなどが設けられることもある(「東建コーポレーション」の「建築用語辞典」のこちらに拠った)。]

 

「それでその夜も酒宴というわけか」

 私は訊ねた。

「もちろんそうですよ。明日は小帽子山に登ろうと、丸井のパパが張り切ってね」

「心身ともずいぶん頑丈な男だね」

 私は感心した。

「全然くたびれてないのかい?」

「そうなんですよ。その丸井が僕にも行かないかと誘ったが、僕はイガグリ峠で精いっぱいですから、断ることにしました」

 そして山名君は舌打ちをした。

「おスガと黒助が、この人は雨男だから連れて行かない方がいいだなんて――」

「雨男は君から丸井に移ったんじゃないのかね?」

「癪(しゃく)にさわることには、依然として僕なんですよ」

「なぜ?」

「なぜって言うと、丸井は小遣をたくさん持ってるでしょう。だから丸井を雨男にすれば、具合が悪いんです」

「なるほどね。現金なもんだな」

 私は了承した。

「それでチビの不機嫌さは、なおったのかい?」

「いえ。相変らずのプンプンで、酒のぐい飲みをやって酔っぱらい、明日あたしは山登りはしないと言い出しました」

「そうか。やはり足の怪我のせいか」

「いや。それだけじゃないのです」

 山名君はゆっくりと掌を動かした。

「あとで黒助に聞いたんですが、つまりチビは水原にほのかなる恋情を抱いたんですな。大帽子山頂でそれを打ちあけたところが、婉曲に水原から断られたらしい」

「なんだ。もう恋か。早いもんだね」

「その上帰りに怪我はするし、皆から置きざりにされるし、すっかり頭に来たんでしょうな」

「すると翌日は、チビは行かなかったというわけだね」

「そうなんです」

 彼はまた舌打ちをした。

「折角僕が親切心を出して、雨で地面が濡れているから、キャンプはやめて、今夜だけは特別にタダにしてやるから、家の中で寝なさいとすすめたら、イヤよと拒絶して、庭に出て行きました」

 

『翌日僕とチビをのぞく五人は、威勢よく小帽子山へ出発しました。チビはキャンプの中で、ふて寝をしていました。

 僕はひとりで朝飯をぼそぼそと食べ、弁当をつくり、スケッチブックと釣竿をたずさえ、庭に出てキャンプをのぞくと、まだその時もチビはふてくされて、穴熊みたいにとじこもっている。

「夕方までスケッチなどして来るからね」

 僕はやさしく言ってやりました。

「留守番を頼むよ」

 チビはうなずいただけで、返事はしませんでした。

 それからそこらをぶらぶら歩き、午前中はスケッチ、午後は魚釣りなどして夕方戻って来ると、もう小帽子山の連中は戻って来て、何かわいわい騒いでいます。黒助は僕の顔を見ると、

「小父さん。チビはどこかに行ったの?」

「なぜ?」

「姿が見えないのよ。それが当人だけじゃなく、荷物までもよ」

「そりゃおかしいな」

 と僕もいっしょになって探して歩くと、アトリエの外壁に、絵具を使って、

 

 〈おスガのバカヤロ。黒助のバカヤロ。皆バカヤロ。

 山名のバカヤロ。あたしは東京に帰るぞ〉

 

と落書きがしてある。僕がびっくりして皆を呼び立てると、連中は集まって来て、

「何だい。チビの奴。黙って帰るなんて」

「自分こそバカヤロじゃないか」

 と口々にののしっていました。僕は。バカヤロと書かれたって、別に腹も立ちませんが、ふっと気がつくと、その絵具の色はマルスヴァイオレットです。はっとしてアトリエに飛び込んで調べると、まさしくそれがなくなっているではありませんが。マルスヴァイオレットというのは、丁度(ちょうど)桜の幹に似たような色で、専門家じゃないと使わない絵具なのです。地方都市などでは、おいそれと手に入らない貴重なもので、僕は憤然として、

「チビの住所はどこだ?」

 とおスガや黒助に訊ねると、

「さあ、どこかしら。東京じゃ喫茶店なんかで時々顔を合わせるけれど、住所は知らない」

 との返事で、近頃の若い者の交友なんて、実際たよりないものですねえ。

 それからまたはっと気がつき、

「あいつは借金もそのままにして行きやしなかっただろうな」

 と〈何でも屋〉にすっ飛んで行くと、おやじが出て来て、

「すっかり勘定をすまして、お土産まで買い求めて、バスにお乗りになりました」

 これには僕も感心しました。案外たよりないように見えて、たよりがあるんですな。

 で、その夜もチビに悪口された残念会ということになりました』

[やぶちゃん注:「マルスヴァイオレット」Mars violet。下塗りから上塗りまで幅広く用いられる、この色(欧文グーグル画像検索結果)。明治期頃からは舶来顔料として日本画の色材にも使用されるようになった。]

 

「残念会というけれど――」

 私は聞きとがめた。

「君にとっては、同居人が一人減って、たすかったんじゃないのかい。しかもチビはキャンプ暮しで、タダ泊りだから」

「その点ではそうですがねえ」

 山名君は浮かぬ顔をした。

「こちらの損害も甚大ですよ」

「損害というと、マルスヴァイオレットだけだろう。あんまりケチケチしない方がいいんじゃないか」

「絵具の件じゃないんですよ」

 山名君は憤然として眉を動かした。

「チビの奴、東京に戻って、あちこちの連中に対山荘のことを、言い触らしたんです」

「君たちの悪口をか?」

「いいえ。悪口なら辛抱出来るけれど、とにかく〈何でも屋〉で蒲団を借りて対山荘に行けば、百五十円で泊れる。空気はいいし、水はおいしいし、ことに唐モロコシがうまい。さあ、行きなさい、行きなさいというわけです」

「なるほどね」

 私は感服した。

「それはチビの親切心からでなく、対山荘に人をごしごし押し込んで、皆を困らせようというわけだね。うまく考えたもんだな」

「そうです。チビの作戦は図に当ったわけです」

 彼は慨嘆した。

 

『最初やって来たのは、爺さん婆さんの二人連れです。僕が夕方戻って来ると、居間に腰をおろして、煙管でタバコなんか吸っていました。僕の顔を見ると、爺さんは、

「あんたさんが管理人かね。二人で二日ばかり泊らせていただくよ。はい。六百円」

 いきなり掌に押しつけられたので、ここは宿屋じゃない、と断る暇もありませんでした。一体誰からここのことを聞いたんですか、と訊ねてみたら、

「公園のベンチに休んでいたら、背の低い女の子がやって来て、教えて呉れた」

 とのことです。チビのことに違いありません。時刻も時刻で、追い帰すわけにも行かず、そのまま泊めてやることにしました。

 その老人たちが二日経って帰ったと思ったら、今度は中年女が三人連れでやって来て、

「泊らせてもらいますよ。ああ、汽車の立ちづめで、腰の痛いこと」

 と居坐ってしまいました。

 もとからいた連中、ことにおスガと黒助は大憤慨で、

「折角平和と静寂をたのしんでいたのに、チビのやつ、とんでもないいたずらをしやがって――」

 ぷんぷんのおかんむりです。しかし、平和と静寂をたのしみたかったのは、僕であって、彼女たちも一種の侵入者だから、そんなことを言う権利はないと思うんですがねえ。

 それからが大変です。千客万来とまでは行きません、が、毎日々々誰かが蒲団をかついで、対山荘目がけてエッサエッサと登って来る。今まで泊めたんですから、

「今日からはお断り」

 と追い帰すわけには行かない。

 それに風紀上の問題もあるでしょう。それで僕は最後の指揮権を発動して、表の居間に男、横の畳部屋には女と、はっきり区分けして、夜中に這って歩いてはならないと、掲示を出すことにしました。すると丸井のパパはそれが不服で、

「わしはおスガたちと寝て、一度も間違いを犯さなかったじゃないですか。わしだけは特例にしなさい」

 と食い下って来たけれど、僕は断乎としてしりぞけました。特例を認めてたんじゃ、風紀が保てないんですからな。

 東京で三十三度を越す暑い日が、何日か続いたことがあったでしょう。あの時なんかひどかったですねえ。十五人以上も、それも一緒ではなくばらばらにやって来て、収拾がつかない有様で、アロハ姿のあんちゃんあり、子供連れのサラリーマンあり、その他いろいろで、部屋に入り切れず、廊下や台所にも寝てもらいました。こんなに人が多くなると、庭には紙屑や唐モロコシの食べかすだらけで、仕方なく僕は山野や水原に加勢してもらって、ゴミを捨てるための大きな穴をいくつも掘ったぐらいです。

 さすがの丸井ももううんざりしたようで、おスガと黒助を伴って、東京に帰ることになりました。

「涼しいことは涼しいけれど、これじゃ留置場と同じこと。わしは女たちといっしょに、暑い東京に帰りますバイ」

 これが丸井の台辞(せりふ)です。

 これは僕の臆測ですが、どうもおスガは山野に、黒助は水原に(ほのかなる慕情)を感じていたらしいのですが、こう人数が殖えてはやり切れません。とうとう丸井の言葉に従って、帰京することになりました。

 山野と水原はその日、三人を見送るためにバスに乗って、駅まで行ったのですが、汽車の煙や汽笛の音を聞いて、俄然(がぜん)郷愁を感じたらしいのです。女と別れるという辛さもあったのでしょう。それから二日後、

「先輩。僕たちも東京に帰ることにしました」

「ながながとお世話になりました」

 と荷物をまとめて、対山荘を出発しました。身寄りが皆いなくなったようで、今までは荷厄介に思っていたのに、ちょっと淋しかったですな。

 それからもお客は絶えません。チビのいたずらにしては、少々しつこ過ぎると思って、やって来る連中に訊ねると、おどろきましたねえ。もうチビの紹介じゃなく、それ以後にやって来た客たちが、家に戻っては次々言い触らして、

「それならばおれも」

「あたしも」

 という具合で別の奴がやって来るという事実が判明しました。どうもチビのいたずらにしては、大げさだと思った。こんなに口から口へ喧伝されては、来訪者は幾何級数的に増加する一方でしょう。たまった話ではありません。

 一体どうしたらよかろうかと、画業にも手が着かず、アトリエに閉じこもって考えていると、それから三日経った昼間、巡査が一人庭をぐるりと回って、コツコツとアトリエの窓を叩きました。

「こんにちは」

 巡査は挙手の礼をしました。

「この別荘の主人は、あんたかね」

「はあ。僕ですが、何か――」

「ここで宿料を取って、人を泊めてるというのは、ほんとかね?」

「え。ど、どうしてそれを――」

「投書があってね、それにそう書いてあった」

 巡査は部屋の中をじろじろと見回しました。

「旅館業をいとなむなら、ちゃんと届けを出してもらわなきゃいかん。警察や保健所などにだね」

「旅館業というほどには――」

「でもちゃんと泊り賃を取っとるだろ」

「はあ。タダというわけには――」

「そら。やはり取っとるじゃないか」

 巡査は僕をにらみました。

「明日午前十時迄に、本署に出頭してもらおう。はい。これを」

 令書みたいな紙片を渡し、巡査はまた挙手の礼をして戻って行きました。

 僕はもう泣き出したいような気分でしたねえ。折角いい絵を描こうと帽子高原くんだりまでやって来たのに、がやがやした連中から悩まされ、あまつさえ警察にまで呼び出されるんですからねえ。

「ちくしょうめ。これも皆あいつらのせいだ!」

 あの三人女さえ入って来なけりゃ、平和と静かさがたのしめたのにと、僕は自分の頭をゴツゴツと二三度殴ってやりました。そして二時間ばかり考えた末、ついに夜逃げをする決心がつきました』

[やぶちゃん注:「幾何級数」等比級数に同じ。]

 

「夜逃げって、対山荘をか」

 私は大声を出した。

「折角借りた別荘を夜逃げしたのか?」

「そうですよ」

 山名君は平然として言った。

「色々考えてみたけれど、それ以外に手はない」

「日本無責任時代というが、君のやり方も全然無責任だなあ」

「だって逃げ出さなきゃ、警察に出頭せねばならないんですよ」

 彼は頰をふくらませた。

「すると旅館法違反か何かで、留置場に入れられるかも知れない。僕というれっきとした画家がですよ」

「判ったよ。それで?」

「それからひそかに荷づくりをして、黄昏にまぎれて対山荘を出、〈何でも屋〉に行きました。おやじは愛想よく、僕を迎えて呉れましたな。それでおやじに別荘の鍵を渡して――」

「そのおやじ、信用出来る男かい?」

「さあ。どうでしょう。それほどのつき合いもしなかったから――」

 彼はまた無責任なことを言った。

「僕は急用が出来たんで、東京に戻る。以後対山荘目当ての客には、蒲団は貸さないで呉れ。今六七人泊っているが、明日か明後日には帰ってしまうだろう。そうしたら鍵をしめて、その鍵は明年まで預っといて呉れと――」

「呆れたもんだね。ますます無責任時代だ」

「おやじはよろこんで引き受けて呉れましたよ」

 山名君はコップの残りを飲み干した。長話なので、夜もしんしんと更け、遠くから犬の遠吠えが聞えて来る。酒肴ももはや尽き果てたようである。

「おやじは僕にずいぶん感謝しましてね」

「鍵のことをか?」

「いえ。たくさんの人が対山荘にやって来たので、貸蒲団がよく出たし、罐詰類の売り上げもぐんと殖えた。これもひとえに且那さんのおかげだというわけで、片隅の木卓でビールを御馳走になり、その上お土産(みやげ)だと言って呉れたのが、このマムシ酒です」

 彼はマムシ酒の瓶を取り、いとおしげに撫でさすった。

「とても精力がつくんだそうですよ。これは」

「もう一杯飲まして呉れ」

 彼はためらったが、私がタイミングよく盃をにゅっと突き出したので、渋々と八分目ほど注いだ。私はぐっとあおったが、酔いが回っているので、先刻ほどはにおいも苦にならないようだ。

「それから最終バスに乗り、警察署を横目に見ながら、駅舎にかけ込みました。やがて汽車が来たんで、真先に乗り込みました。ほんとにすべてから、解放された感じでしたねえ。でも、密告の投書を出したのは、一体誰だったでしょう。何の恨みがあってそんなことをしたのか、あんたには見当はつきませんか」

「つかないね。つくわけがないよ」

「そうでしょうなあ。僕にもつきません」

 彼は溜息をついた。

「折角一夏をたのしもうと思って行ったのに、面倒はかかるし、心境は乱されるし、土地代は取られるし、それで夜逃げと来ちゃ、ほんとに僕は浮ばれませんよ。それほどの犠牲を払って得たものは、このマムシ酒一本だけです。ああ、何と僕はバカな男だろう」

「うん。相当なバカだね」

 しかし次の瞬間、私ははっと思い当った。

「でも君は、土地代などを嘆いているが、たくさんの人を泊めて、宿泊料を取ったんだろう」

「そうですよ」

「廊下や台所にも寝せたというから、延べ人数にしては相当だ。一人百五十円として、百人で一万五千円、二百人で三万円。君は何とかかとか言いながら、結構もとを取ったんじゃないか?」

「そ、そんなこと――」

 山名君は狼狽して手を振った。

「そんな悪どいことを、この僕が――」

 しかしその周章ぶりからして、また彼の性格からして、もとを取ったのみならず、相当に儲(もう)けを握って東京に戻って来たに違いない。そうその時思ったし、今でも思っている。

2022/07/26

ブログ・アクセス1,780,000アクセス突破記念 梅崎春生 黒い花

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二五(一九五〇)年二月号『小説新潮』に初出し、後の作品集『拐帯者』(同年十一月・月曜書房刊)に所収された。

 底本は「梅崎春生全集」第三巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。文中に注を添えた。太字は底本では傍点「﹅」。

 標題の添え辞の「上申書」は現行の裁判に於いて、裁判所や捜査機関などに対し、法律上の手続によらずに申立や報告を行う書面を言う。

 本篇は添え辞で判る通り、全編が「鷹野マリ子」一人称の裁判長に対して提出した上申書という形式で書かれている点で、梅崎春生の小説でも女性主人公の一方的な告白文という特異点であり、深い陰翳に終始する点でも、変わった作品である。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日、つい先ほど、1,780,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]

 

   黒 い 花

    (未決囚鷹野マリ子より裁判長への上申書)

 

 今かんがえると、戦時中挺身隊に行ってた時の方が、今よりも、もっともっと幸福だったような気がする。私は学徒として、その頃被服廠(ひふくしょう)の分工場に通っていたのです。そこでは、特攻隊の人々の外被(がいひ)を縫うのが、私たちの仕事だった。設備も不完全だったし、坐りきりなので、健康にもいいとは思えませんでしたけれど、まだ私たちの心には張りがあった。意義がある仕事をやっている、そんな気特でいっぱいでした。

 もちろん私は子供だったし、何も知らなかったんです。みんなで力を合わせて、この戦争に勝てば、すぐ絶大の幸福が自分にも来るのだと、ぼんやりそう考えていたのです。校長先生もそう言って、私たちを送り出したし、工場の主任さんもそう言って、私たちを励ましたんです。無条件で私たちはそれを信じた。

 私たちは競争で、外被縫いにいそしんだ。縫い上げたこれらの外被を、若い人たちが着る時は、もうその人たちは強制的に死ななければならないのだ、そんなことには私たちはあまり気がっかなかった。一所懸命に外被を縫うことが、すべての人々を幸福にし、また、自分を幸福にするのだと、本気で思っていたんです。わけもわからずに。思えば何という惨めな、残酷なことでしょう。

 しかし三月十日の空襲で、学校も工場も家も、全部焼けてしまった。私は煙の中を、父と母といっしょに逃げた。ほとんど着のみ着のままです。やっと危険地区から脱出して、道ばたに休んでいたとき、私は自分の体の異常に気がついた。私は晩熟で、それが初潮だったのです。友達などから教えられて、そんな知識もないではなかったが、場合が場合だから、気が顚倒(てんとう)して、どうしていいのか判らなかった。道ばたの石の角材に腰をおろして私はぼんやりしていた。

 母がそれを見つけたのです。その時の母の顔を、私は決して忘れない。軽べつとも違う、嘲笑ともちがう、異様なつめたい笑いを頰にうかべて、母は言った。

「まあ。なんてこの子は、バカな子だろう」

 私は氷の穴の底に落ちてゆくような気がした。背筋がつめたく冷えてきて、我慢しようとしても、身体がガタガタと嘸えた。そのくせ私は、痴呆みたいな薄笑いを、顔にうかべていたのです。すると母の声が飛んできた。

「ニタニタするのは、お止し!」

 着ていたものの片袖を裂いて、私は手当てをした。手当てしようとする母の手を、頑強にしりぞけて、私は自分で手当てをした。眼を吊り上げたような母の顔を、私は今でも思い出せる。

 私の母は、継母(ままはは)でした。私が六つ位の時に来たのです。母は子宮が悪くて、子供は出来なかった。だから言わば私に、かかりきりのような形になっていました。幼い時から私が花柳流の踊りを習ったのも、その頃の母の趣味だったのです。でも私も、踊りは大好きだった。――ところが小学校の五年のとき、私が学校の成績がすこし落ちると、それを理由に、母はさっさと私に踊りを止めさせてしまった。成績が悪くなったと言っても、ほんの一寸なのです。その頃から私は、母にある感じをぼんやり持つようになっていた。胸の奥の奥の、気がつかない深いところでは、それ以前から持ってたのかも知れませんけれど。

 私たちは本郷にある遠縁の家に、落ちつくことになりました。分工場は焼けたので、こんどは下町方面のある郵便局に働きに行くことになった。同級の人たちで、四人、あの夜行方不明になっていた。四人とも、炎上した地区の人達です。その一人は、二三日して、小さな池の中で死骸が見つかったそうです。お母さんらしい死骸から、抱きしめられるようにして、池の中に沈んでいたのだそうです。それを聞いたとき、熱いお湯みたいなものが眼玉の奥を走るような気がした。

 郵便局の仕事は、郵便物の整理だった。一週間のうち学校ヘ一日出るだけで、あとの五日はこの仕事。だから学生と言っても、ほとんど勉強する時間はなかった。でも私たちは一所懸命でした。

 そしていきなり、終戦です。日のかんかん当る空地に整列して、私はラジオを聞きました。私は涙がむちゃくちゃに流れて、とめどがなかった。悲しいとか、嬉しいとか、口惜しいとかいう、はっきりした気持ではなかった。涙というよりも、身体の中のものが溶けて、それが瞼から流れ出るような気がした。――そして私は、大人を憎んだ。心の奥底から。

 と言うのは、それから二三時間後です。私は裏の倉庫で、ひとりぼんやりしていたのです。そこへ局の主任さん(私たちはそう呼んでいたのです)がやってきて、私にひどい悪戯(いたずら)をしかけようとしたのです。チョビ髭を立てた、赤黒い顔の男です。いつも鹿爪らしく私たちに、もっともらしい訓示をしていたこの男が、厭らしく力んだような顔を、いきなり私に寄せてくるのです。私はびっくりして、気がちがいそうになった。モンペの紐が音立てて千切れた。私は無我夢中で、そばに落ちていた硝子の破片を拾い上げた。自殺するつもりだったのです。すると男は、あわてて手を離して、冗談だよ、本気にするなよと言いながら、表へ出て行った。私は身体は汚されなかった。しかし心にどろどろの汚物をかけられたような気がした。男の大人ってあんな気持に平気でなれるのでしょうか。二三時間前お国がこんなになったというのに。私には判らない。それだったら、私は死んだ方がいい。裁判長さま。貴方も大人だから、この男の気持も、お判りでしょうね。

 しかしこの出来事は、私は誰にも話さなかった。友達にも、まして父母にも。

 挺身隊はそれで終り、また学校に通うようになった。その年の末、父の工面で、バラックながら小さな住居と、それに棟つづきの工場が建った。父の商売は木ネジの製造で、通いの職工も四五人いました。父は近所でも、やり手だという評判でした。

 仕事が忙しいせいか、性格からか、父はお酒飲みでした。しかしお酒飲んだときの父の顔は、私はあまり好きではなかった。ひどくだらしなくなる方だったから。

 翌年の十月、私は女学校を卒業した。成績は二番でした。勉強が好きでもあったのです。しかし本当は、いい加減な成績をとって、母からつめたい眼で見られるのが、口惜しかったのです。母は成績にはうるさかった。

 そのくせ母は、私がいい成績をとっても、決して表だって喜びはしなかった。ふん、と鼻でうなずくだけだった。成績が少しでも落ちると叱りつけたり、つめたい皮肉を言ったりした。時には、私を生んだ実母の名を出したりして。

 母は私の生母を、憎んでいたのではないかしら。しかし母は生母に逢ったことはないのだから、女になった私を通して、私の中にいる生母を憎んだのでしょう。それに違いありません。

 私が大切にそっとしまっていた生母の写真が、ふと見えなくなったのも、その頃でした。そしてそれは、小さく千切られて、風呂の焚口に捨てられてありました。

 家にいて、配給を取りに行ったり、台所の手伝いをする生活が、だんだん重く、憂鬱になってきました。元の学校の友だちが、上の学校やおつとめに通っているのを見て、私は自分が惨めで、たまらない気がしました。私は暇をつくっては、浅草の常盤座(ときわざ)や松竹座へ少女歌劇を見に行った。もともと踊りは大好きだったし、そのひとときだけ、その世界に溺れちれるのが、私には強い魅力だった。[やぶちゃん注:「常盤座」。浅草公園六区初の劇場で、明治二〇(一八八七)年開業。「浅草オペラ」発祥の、また、古川ロッパ・徳川夢声らの軽演劇劇団「笑の王国」の旗揚げ公演の舞台として、戦後は昭和二三(一九四八)年に日本で初めて踊りを演出したストリップ・ショーを開催、浅草六区のストリップ興行の嚆矢ともなった。一九九一年の末、再開発のために閉鎖され、現存しない。

舞台として知られる。「松竹座」「浅草松竹座」。同じ六区にあった劇場。昭和三(一九二八)年八月開業。「国際劇場」(昭和一二(一九三七)年開業・昭和五七(一九八二)年閉鎖)が出来るまでは「SKD」(「松竹歌劇団」)のホーム・グラウンドとして知られた。映画の他に実演や演劇興行なども行ったが、昭和三八(一九六三)年五月に閉鎖された。]

 翌年の三月から、やっとのことで、私は山手のある洋裁学校に通うことになりました。こうなるにも、一騒動あったのです。父に談判して、もし行かして呉れなければ、自殺するとまで言ったのです。定期的な生理変化のために、その日は私の気持はあらくれて、兇暴になっていたのです。私の生理は、人より長くて、ひどかった。むしろ病的だった。(しかしそれを母に知られるのを、私は極度におそれていた)結局、父は許してくれた。母は父の言に反対しないたちだったから、黙っていました。こういう事になるについても、私は自分の生理期間のあらくれた気分を、利用する下心がなかったとは言えません。こういう気持の時でなくては言えないと、胸の奥底ではっきりそう感じ、それをけしかける気持にさえなっていたのですから。

 こうして私は毎日、洋裁に通うことになりました。二十二年の三月のことです。生活の変化が、とにかく私を元気づけてくれた。大勢の中に自分がいること、それが私には愉しいことに思われました。

 この学校には、洋裁の他に、ダンス科というのがありました。若い女性の社交に必要だというたて前からだそうです。四月頃、友達に誘われるまま、私はその科に入った。そして私はまたたく間に、それに夢中になって行った。

 私は上達が早かった。日本舞踊の素養があったせいもあるでしょうが、踊るということが本当に好きだったからです。踊ってる間は、何もかも忘れることが出来たから。忘れてその世界に没入出来たから。――一箇月経たないうちに、私は一通りステップが踏めるようになった。

 その私をダンスホールに誘ったのは、上級生の人でした。永木明子という人です。こうして私は、銀座のメリイゴールドヘ行くようになった。学校の粗末な教室で踊るのでも楽しかったのに、ここの床は磨いたようになめらかだし、立派なバンドさえあって、まるで夢の国のようだった。

 ホールの入場料は、一人百二十円で、同伴は二百四十円でした。私は縫紙代とか糸代とか言って、父をだまして金を貰った。私がせびると、父は細かい事は聞かずに、面倒くさそうに大きな札入れから金を出した。洋裁課程の進行状態すら、訊ねようとしなかった。訊ねて呉れれば、いろいろ答える気持は私にあったのに。金を呉れると、私と向き合っている時間も惜しいように、また工場の方に出かけて行ったりするのでした。[やぶちゃん注:「縫紙」辞書にない熟語だが、生地を裁断する前に置く型紙のことであろう。「ぬいがみ」と訓じておく。]

 午前中は学校でお講義だけ聞き、午後は明子さんに連れられて、毎日のようにホールにかよった。初めは私は、明子さんとばかり踊っていた。しかしその中[やぶちゃん注:「うち」。]に、方々の大学のダンスグループの人達と、顔見知りになってきた。毎日行ってるから、自然そうなってしまうのです。そしてその人達とも踊るようになった。大学のパーティの入場券なども、絶えず貰うようになった。六月頃には、メリイゴールドでは、お金を出さずに、ホールのボーイさんにそっと入れて貰える位になった。

 明子さんが私を憎んでいると感じたのも、その頃からでした。私のダンス熱をあおったのは、いわば明子さんなのに、私がホールで他の人と踊っていると、いやな顔をするのです。自分もときどき大学生と踊るくせに、私が踊ると、厭味を言ったり皮肉を言ったりする。明子さんは頰骨が高く、頰にはそばかすがありました。スタイルは良かったけれども綺麗(きれい)な顔ではなかった。男の人たちは、かげで明子さんを「ジラフ」と呼んでいました。

 明子さんは私より、ずっと年上だった。高慢なところがあるので、学校ではあまり好かれていませんでした。しかし私には、初めからやさしかった。学科の方の手伝いをして呉れたり、物を買って私に呉れたりした。私は明子さんに、別段どうという感じはなかった。私にやさしくなければ、むしろ嫌いな部類の人だったかも知れません。年長だから、従っていたに過ぎませんでした。しかし明子さんは、私を従えて、いい気になっていたところもあった。メリイゴールドヘ私を連れて行ったのも、そんな気持からだったに違いありません。

 ホールでそんな具合になった頃から、明子さんの親切は、へんに粘っこく、執拗(しつよう)になってきました。一緒に踊るときも、頰を必要以上にくっつけてきたり、私の腕をひどくしめつけて、私が痛がるのを気持好さそうに眺めたりした。私はだんだん、明子さんと踊るのが厭になってきた。三度に一度は、断るようにさえなった。明子さんには枯草のような体臭がありました。その臭いも、私は厭に思えた。母にそれに似た体臭があったからです。石女(うまずめ)の私の継母にも。

 明子さんが私の母に、匿名の手紙を書いたのも、その頃だったのでしょう。その頃私と明子さんの間は、変にしらけて、また幾分険しくなっていた。何でもない友達の間柄でいたいのに、明子さんは私に、とかく粘ったからまりをつけて来ようとする。私はそれをいやがった。ある夜のことでした。ホールの帰りに私は明子さんから、人民広場に誘われた。話があると言うのです。もう時刻も、暗くなっていました。[やぶちゃん注:「人民広場」皇居前広場の異称。戦後の一時期、左翼勢力から、かく呼ばれた。]

 私のことを、堕落してるとしきりに責めるのです。私は承服しなかった。男と踊るのが好きなのではなく、ただ踊るのが好きなんだ。そう言って抗弁したのです。それは事実でした。私はその頃、早くダンスが上達して、将来ダンス教師として独立したいとか、この道を生かして少女歌劇に入りたいなどと、本気で夢想していたのです。自分の好きな道で独立して、家庭から離れることが出来たら、どんなにかいいだろう。そう思っていた。

 しかし明子さんはきかなかった。しつこく言いつのった。言いつのることで、自分の内部のものを、燃え立たせようとするかのように。そしてそれが最高潮に達したとき、明子さんは獣みたいな眼付になって、いきなり私の身体にかぶさってきた。そしてうめくように言った。濡れた頰が、私の頰に押しつけられた。

「お前は、うつくしい。お前は……」

 お前、という言葉を使った。私はもう子供じゃなかったから、あの郵使局の時のように錯乱はしなかった。しかしいきなり自殺したくなるような、たまらない嫌悪感と屈辱感はあった。私は声を立てずにもがいた。彼女の枯草のような体臭が、はっきり臭いを強めてきた。女が発情すると、休臭が強くなるものだと、私はその時初めて知った。私は顔をそむけて、彼女を押しのけようとした。しかし彼女の力は強かった。

 彼女の指が下着をわけ、私の肌にとどいたとき、私の心は嫌悪でまっくろになり、生きている人間全部を強く呪い憎む気持になった。彼女のその行為を支えるものが、人間同士の愛情ではなく、むしろ動物間の憎しみみたいなものであるように、私は感じたのです。人間の奥の奥底に、どろどろに淀みうごめくもの。自分を満たし、充足させるためには、他を卑しめ、おとしめ、傷つける。ほとんど憎しみと言っていい暗い衝動。ましてこれは、女同士でした。その感じは、直接で、きわめて露骨でした。私は芝生へ押えつけられたまま、烈しくあえいだ。海水浴で溺れかかった時のように、それよりももっと苦しかった。―-そしてやがて私は、全身の力ではねのけると、脚で彼女の顔を蹴った。靴のままで力をこめて、二度も三度も。

 そして私は、汗とも涙ともつかぬものを、顔いっぱいに流しながら、燈のある方面へ駆(か)け走った。

 つまり私は無知だったのです。彼女がそういう目的で私に近づき、親切にしたということも、私は悟らなかった。ましてあちこちの洋裁学校には、そういう趣味の人がいて、洋裁もそっちのけにして、次々相手を物色していることも。そしてそういう慾望をそそるような顔貌や姿態を、私が特っているということも。女同土の頰ずりなども、単に友愛のしるしだと考えて、明子との場合も、気持の抵抗を私は打消していたのでした。そしていきなり、この夜の出来事です。明子にしてみれば、すべては熟したと錯覚したのでしょう。しかし明子の行為や仕草は、私の胸にいきなりどろどろの嫌悪を植えつけてしまった。――しかしそれにも拘らず、明子の不潔な指の動きは、ほんの一瞬ではあったが、私の胸の嫌悪と屈辱から、肉体の感覚をとつぜん裏切らせていた。これは書いておかねばならぬ。私の肌はわずか濡れた。――それを知覚した瞬間に私は彼女の顔を蹴り上げていたのです。必死の力をこめて。

 私はその夜床に入って、長いこと眠れなかった。むこうの部屋に父母が寝て、こちらに私は一人寝るのです。私は私を女の身体に産んだ父と生母のことを思い、今父に添寝する継母のことを思った。さまざまな強く烈しい感じで。また郵便局の主任の顔や、初潮の時の継母の顔を思い出した。考えて見ると、あの陰惨な煙や火焰や、溺れて水ぶくれした屍や、赤剝けして男女の別もない屍がごろごろ転がっている状況の中で、私が初めて、女になったということは、なんと暗くかなしいことだったでしょう。わめき出したいような気持をこらえて、私はいつまでも眼を見開いていた。そして私は、お前は美しいと言った明子のうめき声すら、ちらちらと思い出していたのです。倉庫で乱暴しようとした郵便局の主任も、それと同じようなことを言ったことなども。

 翌日から、私は明子さんと口さえきかなかった。明子さんは顔に擦り傷をこさえていた。彼女は私を見ると、さげすむような冷たい黙殺の仕方をした。かげでは私を中傷して歩いていたのです。学校の仲間や、ホールの人たちにも。淫乱な女だと言うのです。ホールである大学生と踊っていると、あまり変な踊り方をするので、私がなじると、その大学生はいやな笑い方をしながら、下品な口調でこう言った。

「こんな踊りが、君は好きだってえじゃねえか。ジラフがそう言ったぜ」

 母に匿名の手紙を書いたのも、明子さんに違いありません。私はそれを火鉢の引出しから見つけ出したのです。ずいぶんひどいことが書いてあった。ホールに通ってることは勿論、男に見境いなく身体を許すとか、そんなことまで書いてあった。私が慄然としたのはその手紙の内容でもなく、それを書いた明子さんの気持でもなかった。この手紙を読んで、しかも母がつめたく黙っているということでした。

 母は近頃、あまり私にかまわなくなっていた。やって呉れねば自殺すると言って、やっと洋裁に通い出したその頃からです。生理期間の私のヒステリー性を、あるいは母は見抜き、すこしおそれていたのかも知れません。それ以後は、私の動きや変化を、つめたく見守る態度に出ていました。私の直接的な反撥の機会を、母はこの意地悪い方法で封じているようでした。

 その手紙を盗んで、私は便所でそっと焼きすてた。家の中にこんな手紙があることが、私にはたまらない気がしたのです。たとい母に知れようとも。手紙に火を点けながら、私が本当に堕落するのを、母はむしろ待望しているのではないかと、私はふっと考えた。安心して生きて行ける場所が、世界中どこにもない。そういう思いが、私の胸に荒涼とひろがった。やがて私は痴呆みたいな笑いを浮べて、便所を出てきた。

 学校もあまり面白くなくなった。学科も遅れるし、親しい友達とも隔てが出来てきた。ホールには相変らずかよっていました。時間をつぶすためにも、自分を忘れるためにも、好都合な場所だったからです。しかしホールでも、古くからの友達は皆、私から離れるようになった。永木明子の中傷が、そこにも行き渡っていたのです。人間というものは、自分も悪党のくせに、他人の悪なら少しでも許容しないもののようでした。

 他人の悪を卑しめ批難することで、自分の悪を正当化し合理化しようとするのです。だから人間は自分の生活の周囲に、神様への申し訳にささげるいけにえの小羊を、かならず一匹用意し、設定しているものなのです。彼等にとって、この私は、頃あいの小羊でした。なまじ少しばかり学間して、教養をつけたとうぬぼれている人々も、皆例外なく、このような無自覚なエゴイストでした。中傷家はその心理をよく知り抜き、そして煽動するのです。私は中傷家というものを、心から憎みます。

 こうしてホールで、私とズベ公のつき合いが始まりました。[やぶちゃん注:「ズベ公」品行の悪い女性。だらしのない、素行の悪い女。「行動や性格がだらしないこと、また、そのさまや、そのような人」を意味する「ずべら」(「ずぼら」も同じ)に、罵りの意味を込めて「公」をつけた表現。「売女」や「ビッチ」「スベタ」などと同様、女性を強く罵る意味で用いられる語である。]

 ズベ公というのは、不良少女のことです。いえ、そうじゃない。ズベ公とは、自分を不良少女だと、はっきり決めた女のことです。たんに不良というならば、上品な顔をして、もっとあくどく不潔なことをしている女もいる筈でしょう。ズベ公はもっと清潔でした。たとえば永木明子のような女より、ずっとさっぱりしていました。

 ホールには、何人かこのズベ公が出入りしていました。自然に私はこの人達に近づくようになった。つき合いの、ピラピラした虚飾がないだけでも、私には気楽でした。上野のチコというズベ公と、私は仲良くなりました。チコは私と同じ歳だった。青い上衣がよく似合う顔立ちだった。お父さんは有名な洋画家だけれど、家がいやで飛び出したという話でした。そして私はチコに誘われて、やがて上野界隈まで遊びに行くようになった。上野には、また銀座とちがった、ヒリヒリするような生の刺戟があった。

 チコは私を仲間に紹介して呉れました。一度紹介されれば、気楽に友達になれた。この世のわずらわしい約束から、追い出されたり逃げ出したりした女たちだから、そういう点ではこだわりなく、透明でした。私には初めてのぞき見た、異質の世界だった。

 ズベ公たちは、日暮里(にっぽり)とか松戸とか、あちこちの宿屋に、八人十人とまとまって、泊っていた。昼は上野地下道の青柳という喫茶店に屯(たむろ)し、そこを根拠地として、お金がある時は映画を見たり、ダンスホールに行ったり、ボートに乗ったりして遊んでいた。夜になると煙草を売ったり、アイスキャンデーを売ったりして、小遺いをかせぐのです。その頃はまだ、世間に煙草が乏しい頃だった。だからズペ公たちは、近所の煙草屋にわたりをつけてピースやコロナを公定で手に入れるようにしていた。パンパンをからかったりしている男たちに、一本十円くらいで売るのです。パンパンが、あんた買ってやりなさいよ、と言えば、こんな処(ところ)にくる男はみえぼうだから、大てい黙って買う。一箱で、四五十円の儲けになるのです。

 また金がないと、グレン隊に小遺いをたかったり、ズベ公の姉御ともなれば、パンパンのかすりも入る。そのかわりズベ公たちはおのずから情報網をつくって、パンパンにカリコミの時を知らせたり、パンパンに悪ふざけをするひやかしを、追っぱらってやったりするのです。上野の山で生活している人々は、皆何かしらつながりを持ち、そのつながりの中でおのおのの職分を持っていました。女学校でならった蟻(あり)の世界を、私は聯想しました。女王蟻や、働き蟻や、見張りの役目をする蟻。ひとつの巣の中での、定められた職分。そうです。上野というところは、自然に形づくられた、ひとつの大きな巣でした。

 しかしこんなことは、ずっと後になって、私がズベ公の仲間入りをしてから、判ったことでした。その頃はなにも知らなかったのです。私はチコやその仲間の生活、自由にふるまい、誰からも束縛されない生活ぶりに接して、なにかしら羨望をかんじた。上野は恐いところと、雑誌でも読み、人からも聞かされていたのが、思いの外伸び伸びして、暮しやすい場所であることを、私は漠然と知り始めた。上野のズベ公とつき合うようになったのも、学校やホールの友達が、私をのけものにしたその反動もあったが、ズベ公たちに共通な性格や物の考え方が、私に強く共鳴できるせいもあったのです。この人たちは、精神のよりどころを失いながら、なお気持を張って生きて行こうとしていました。ズベ公はズベ公だけで寝泊りして、決してパンパンをやらないのが誇りでした。

 私がズベ公とつき合ってるという噂が拡がって、昔の友だちはますます、私から遠ざかった。しかし私はまだズベ公じゃなかった。ズベ公と自分を呼ばれたい気持も、全然なかった。ただ生活が満たされないままに、つき合っているに過ぎませんでした。

 そしてやがて夏休みがきました。夏休みに入ることは、洋裁学校から父兄へ通知がゆくので、ごまかしがきかなかった。暑い日を毎日家にいて、遊びにくる友達もなく、私は退屈な面白くない日をおくっていた。父は相変らず忙しそうだったし、母もいつもと同じくつめたかった。しかし毎日叱言(こごと)は言った。前に書いたように、この頃の母は、大本(おおもと)のところでは私を叱らなかった。黙ってつめたく見ているだけでした。そのくせ小さなことばかりを拾い上げて、私をしきりにとがめた。たとえば、足の拭き方が悪いとか、栄養があるのに大根の葉っぱを捨てたとか。行為や動作の末端ばかりを、責めたててくるのです。私たちの日常の大部分は、おおむねそんなもので構成されているのですから、それは私にやりきれない日々の連続でした。

 だから軽井沢の親戚から、引越しの手伝いに招かれたときは、ほんとに嬉しかった。

 この親戚は、戦時中そこに疎開していて、こんど東京に戻って来ようというのでした。父の許可を得て、私はすぐ出発した。八月七日のことです。

 むこうには、本郷の中野宗一さんも来ていました。三月十日に焼け出されて、半年ばかり厄介になった、本郷の遠縁の家のむすこさんです。歳も私より四つ上でした。海軍から帰ってきて、今はもとの大学に通っていました。色の浅黒い快活なひとでした。私たちが厄介になっていた頃は、海軍に行ってた訳ですから、逢うのも四五年ぶりでした。大へんなつかしい気持でした。

 荷造りの手伝いをしながら、宗一さんは戦争の話などを

して呉れました。軍艦に乗組んで、それはひどい戦争だったそうです。その艦が沈められて、たすかった八名の中に、宗一さんは入っていました。宗一さんは笑いながら、私に力強く言いました。

「もうどんなことがあっても、戦争だけは止そうな。マリちゃん」

 この四五日の間に、私は宗一さんをすっかり好きになっていた。初めは淡い思慕だったが、一日一日その思いはつのってきた。私は私の本当の苦しみを、聞いて呉れる人がほしかったのです。そして私の心の疲れや汚れを宗一さんなら救って呉れるだろうと私は率直に信じた。これは私の感傷だったでしょうか。

 しかし、この一週間ほどの私の気持の動きは、私はあまりくわしく書きたくない。書くと感傷的になったり、嘘になったりしそうだから。しかしこの期間、私は本当に素直になり、純粋な気持になり得たと思う。生れで初めての透明な幸福感が、私にみなぎっていた。そしてあの汚れた東京にふたたび帰るのが、いやになっていた。と言うより、東京での汚れた自分や環境に立ち戻って行くのが、ぞっとする程いやだったのです。何かに祈るような気持で、私は自分の心を宗一さんに近づけて行った。そしてついに宗一さんも、私の気特を知ってくれた。

 十三日のことでした。裏庭の竹垣のところで、世間話のつづきとして、私は自分の苦しみを宗一さんに話し始めた。話してる中に涙が出てきて、私はとうとう泣きじゃくりながら、すべてを打ちあけてしまった。母親のこと、ホールのこと、上野のこと。こんな自分を救ってくれということ。そして私はいつの間にか、宗一さんの広い胸幅のなかに、身を投げかけていた。私はつよく抱きしめられていた。弾力のある熱い唇が、私の唇をいきなりおおった。女と生れたことの戦慄が、初めて痛烈に、快く身体をつらぬき走った。私の全身は、火となった。

 そして翌日があの八月十四日です。荷物の整理も一段落ついて、宗一さんは朝の中に、沓掛から浅間の鬼押出を見物に行くと言って、出てゆきました。荷作りがすんだら行くんだと、宗一さんは三四日前から言っていたんです。私もついて行きたかったが、止しにした。昨日のことが、なんとなく恥かしかったからです。だから宗一さんが、どんなコースをとったか判らない。

 行ってみるとそこから浅間山が、手に取るように見えたので、きっと宗一さんは頂上まで登りたくなったのでしょう。それから元気にまかせて、独りで登って行ったのでしょう。可哀想な宗一さん!

 そして頂上についた時、あの突然の噴火でした。宗一さんはいきなり煙にまかれ、石に打たれ、火に焼かれて、そしてとうとう死んでしまったのです。[やぶちゃん注:昭和二二(一九四七)年八月 十四日、浅間山が小規模なマグマ噴火を起こし、噴石があり、降灰・山火事が発生、噴煙高度は実に一万二千メートルに達し、実際に登山者が九名死亡している。以上は「気象庁」公式サイト内の「浅間山 有史以降の火山活動」に拠った。]

 それから大騒ぎになりました。本郷の家に電報が飛びました。親戚の小父さんや私たちは、土地の人の案内で、浅間に急行しました。まだゴウゴウと山は鳴っていました。しかし私たちは登った。頂上近くなるにつれて、まだすさまじい山鳴りと共に、石が降り、灰が舞い落ちた。地につもった火山灰は、はだしで踏めないほど熱かった。鼻を刺す煙にむせびながら、三日間夜もろくろく眠らず、私たちは足を棒にして、気違いのように宗一さんの死骸を探してあるいた。四日目の朝、やっと宗一さんの死骸は見つかった。それは頂上近くの暗い岩かげでした。

 大きな岩かげに、写真にある胎児のような形で、手足を丸くちぢこめて、宗一さんは死んでいました。火熱のために衣服は焼け落ち、皮膚も変色し、変形していました。腕に埋めた顔のかたちも、そうでした。唇のあたりも、焦げた肉のかたまりに過ぎなかった。そして顔面の焦げた肉の配置に、苦痛の表情がむき出しに残っていた。あの弾力のある熱い濡れた唇は、どこに行ってしまったのだろう。そしてあの広い胸幅や、汗ばんだ体臭や、思いやりの深そうな聡明な瞳は。私はくらくらと眩暈(めまい)がして、眼先がまっくらになり、まだ熱い火山灰のなかに、ふらふらと前のめりにぶっ倒れた。もうこのままで死んでしまいたい。わずかに残った意識で、そう必死に念じながら。

 しかし私は生きていました。そして小父さんにたすけられて、やっと山を降りた。二日ほど経って、宗一さんを骨にして、みんな東京に戻ることになりました。

 それは暑い日でした。その上、汽車は満員でした。連日の疲労、暑熱、それに加えるに汽車の酔い。悪いことには、あのショックのために、身体が変調して、私に生理日が始まっていたのです。人いきれの中に、しかし私は辛抱して立っていた。宗一さんのことばかりが思い出されるのでした。あの日接吻したあとで、宗一さんは私の頰をはさみながら私の顔をとてもきれいだと賞めてくれました。その時は私は単純にうれしかった。涙が出るほどありがたかった。しかし、私は既にその頃、自分がきれいに生れついていること、自分が男から好かれる顔立ちであることを、はっきりと意識し、自覚していたのです。宗一さんに教えられるまでもなく。――それなのに、どうして宗一さんの言葉が、私に強くひびいたのでしょう。

 もちろんそれは、私が宗一さんを愛慕していたからだ。しかしその愛慕も、今思うと、決して偶発的なものではなかったでしょう。私は私の内部にみにくく折れ込んだもの、どろどろに淀んだものを、一瞬にして透明なものに変える力を、切に欲していたのです。宗一さんとの出会いは、その最も適した条件のもとだった。東京から離れた高原だし、私自身もわけの判らない混迷した危機を、感じ始めていた時だったから。だから私は、宗一さんの言葉に、強くおののき、懸命にすがる気になった。

 それなのに、その宗一さんはどうなったでしょう。あの浅間の岩蔭で、あぶられたスルメみたいに丸くなり、いまは白い骨片になって、網棚に乗せられている。汽車の暑熱のなかで私はその気持の落差を、必死に耐えようとしていた。人いきれ。むんむんする体臭。汽車の動揺。車体の軋り。寝不足からくる疲労。そして生理的変調がもたらす、下腹部の不快感。――この汽車に立ちつづけた何時間かのあいだに、私は私の心の内部のものが、つぎつぎ傷つき、出血し、つめたくなり、やがて死んでゆくのが判った。

 上野に着くと、私たちはまっすぐ本郷の家に行きました。時間が知らせてあったので、もう親類がたくさん集まっていました。家から父も母も来ていた。簡単な読経がすむと、お酒や料理がでて、お通夜みたいな形になりました。お酒がはいると、座はだんだん賑かになりました。私は疲れていたが、部屋のすみにいて、皆の様子を眺めていた。食慾も何もなかった。身体は疲れていたけれども、神経は冴えていて、遠くの人の話し声もはっきり聞えるようだった。賑かになってくると、悲しそうな雰囲気は、何時の間にかどこかに行ってしまった。宗一さんの死亡が、新聞に出たことなどが、しきりに話題になっていました。どの新聞の記事が大きかったとか、どの新聞のは一段組で小さかったとか。火山の爆発で死んで、そのため新聞に名前が出たことを、皆がよろこんでいるようにも見えました。みんな楽しそうに酒を飲んだり、料理を食べたりしていました。何故人間というものは、たとえば、結婚披露などの宴会よりも、お通夜の宴会のときの方が、楽しそうにおしゃべりになるのでしょう? そして、他のときより余計に、飲み食いしたりするのでしょう?

 私の父が酔っぱらって、端唄(はうた)かなにかをうたいました。みんなが手を叩きました。その時、親類のひとりのお爺さんが、こんなことを言いました。

「宗一君の顔かたちは、鷹野(父のこと)の若い頃にそっくりだったな。遠くても、血のつながりというものは、争われないものだなあ」

 座の老人たちは、皆それぞれにうなずき、その言葉に賛成した。父と宗一さんとは、ふた従弟(いとこ)になるのです。若い頃の父が宗一さんに似ているというその言葉は、なぜか私をぎょっとさせた。胸がどきどき鳴ってくるのが判った。――しかしその、似ているという事実は、私には初耳だった。知らなかった。いや、知らなかったのではない。気づいていなかったのです。その癖私は、家にあるアルバムで、父の若い頃の姿や顔かたちを、よく知っていたのです。そう言えば、どことなくそっくりだ。よく似かよっている。私がぎょっとしたのは、しかし二人が似ているという、その事実ではありませんでした。それは鷹野家の遺伝の因子が、分れた枝の二箇所に、偶然(?)に相似した果実を実らせただけのことでしょうから。――私がショックを受けたのは、その相似を、その時まで、気づかなかったという事でした。なぜ気がつかなかったのだろう。何でもないことかも知れませんけれど、その事はふいに激しく私の疲れた神経をゆすってきた。私はきっと蒼ざめていたのだと思う。私の側に坐っていた高井戸の従妹(いとこ)が、顔色が悪いから気つけにと、そっと湯呑みに酒を注いでくれた。私はそれを飲みました。酒を口にしたのは、これが初めてでした。その上空(す)き腹だったので、私は直ぐに酔ったのでしょう。情緒が急にするどくたかぶってくるのが、自分でもはっきり判った。

 母もすこし赤い顔になって、酒を注いで廻っていました。それまであまり気にとめなかったが、紋服を着た母の姿が、俄(にわ)かに馴染みなく、いやらしいものに感じられてきました。薄く刷いた襟白粉だの、どうかした拍子にくっきりする、黒い絹地におおわれた臀部(でんぶ)のあらわな曲線など。母は肥(ふと)り肉(じし)でした。少し酔ったためか、私はその母の肉体が、ぞっとするほど厭らしく、憎らしく思われた。おのずから私はするどい眼つきになっていたのでしょう。しかし母がそれに気づいたかどうかは知りません。私の三人むこうに、宗一さんのお母さんが坐っていました。私の母はその前に坐って、なにか世慣れた調子で、おくやみか慰めかを言っていた。

「うちのマリ子が死ねばよござんしたのに、宗一さんのような将来のある方が、あんなことにおなりになって――」

 宗一さんのお母さんも、何か答えてる風(ふう)だった。私のことに、話が移ったようだった。

「……ダンスホールなんかに――」

 母のその一句だけが、はっきり耳に入った。母は上気した横顔をみせて、頰に厭らしい笑いを浮べていた。そしてとうとう、私の方をちらと見もせずに、又立って行った。

 夜の九時頃、私は父と帰ることになった。母は残って後かたづけです。酔った父によりそって、夜風に吹かれて家の近くまで来たとき、私は急に情が激してくるのを感じ求した。私は黙りこくって、あるいていたのです。父は酔っぱらって、低声で歌などを口吟(くちずさ)んでいた。私は言いました。

「お父さん。お母さんと別れて!」

 突然だったから、父は少しびっくりしたようでした。そして立ち止って、

「なんだ。またヒステリーが起きたのか」

と半ば紛らすように、半ばなだめるように答えた。この四五日の気持の辛さが、その時かたまって、無茶苦茶にこみ上げてきて、私は泣き声を立てながら、父の身体にぶっつかって行った。

「あたし、このままだと、不良になっちまう。ほんとに不良になっちまう!」

 父は私の身体を、一度はふり払おうとした。しかし私があまり泣き声を立てたものだから、掌を廻して私を抱くようにした。瞬間私は父の体臭を嗅ぎ、そして背中に父の厚い掌をかんじた。幼い時、父に抱かれて寝た時の感覚が、急に私によみがえって来ました。しかし父は直ぐ、その私の身体を、持て余すように押しのけながら言った。

「みっともない。泣くのはお止し!」

 押しのけることで、私を泣き止ませようとしたのでしょう。酔いにもつれた声だったけれど、つっぱねたような言い方だった。私は泣き止んだ。ふっと涙が乾いて行った。父の声の中に、私の気持にはほとんど無関心な、他への体面だけを気にしている響きを、はっきりと感知したからです。工場で怠けてる職工を叱りつける声と、それはほとんど同じ響きだった。涙が乾くのと一緒に、私の心からも水気が引いて行った。私は家へ帰りつくまで、ガタガタと慄えていた。

 翌日から四五日、私は熱を出して寝込みました。医者の見立てでは、疲労からくる発熱でした。その夜のことを、父はどう思ったのか知りません。翌日からの私への態度も、別に変化はありませんでした。あるいは父は覚えていなかったのかも知れない。酔った時のことを、すっかり忘れてしまうのが、父の癖だったから。--しかし熱に伏したこの四五日の間に、家を出たいという気持だけが、ぼんやりした形で私の胸に起伏し始めていた。そしてその気持は、だんだん強まって行くようだった。家を出てどこへ行くのか、どうしたらいいのか、それは私には判らなかったし、考えもしなかった。衝動みたいな形でそれは時々私を襲った。

 そして二学期が始まった。私は再び洋裁に通い始めた。そして気がついたのですが、嘘みたいに、踊りに行きたいという気持が、私から無くなっていました。真面目になったわね、とお友達にからかわれたりしたけれど、真面目になろうと思ってメリイゴールドに行かなかったのではありません。すっかり興味がなくなっていたのです。それはふしぎなほどでした。

 そして九月十四日の朝のことでした。私は母と小さないさかいをした。犬に餌をやらなかった、というようなことです。母が可愛がっていた犬でした。餌をやるのは、しかし私の役目だったのです。へんてつもない、醜い犬でした。二言三言いいつのって、私はカッとなって口走った。

「あたし、ダンスホールなんかに、行かなくってよ!」

 どうしてそんな言葉を口走ったのか、今でも私には判らない。母はつめたく言い返した。

「犬とダンスホールと、何の関係があるんだい」

 しかし母は私の顔を見て、急に目を吊り上げたようだった。

「おや、お前。わらってるね!」

 私はわらってなんかいなかった、決して。しかし母は立ち上って、いきなり私の頰を物さしでピシリと打った。しびれるような痛みが、頰から耳にかけて走った。

 三十分後、私は父の机から三千円持ち出した。そして家を飛び出した。もう帰らないつもりでした。それなのに私は、どういう気特だったのでしょう。手帳を破って書置きをつくり、肉屋の源坊という子に託して、父のもとに届けさせようとした。内容は、家を出るということ、松戸の友達の家に泊るつもりでいること、心配しないで欲しいこと、などでした。源坊にはくれぐれも、父に直接手渡して呉れ、とたのんだのです。松戸の友達、などと書いたのも、行先きがあるということで、私は父を安心させようと思ったのかしら。それとも――松戸まではるばる探しにくる父の姿を、私は漠然と予想し、無意識にそれを待望していたのでしょうか?

 私は映画を見て時間をつぶし、夜になって松戸に行った。チコのところに行くつもりだったのです。松戸の駅に降りたとたん、私は摑(つか)まってしまった。中野の小母さんと、高荘戸の卓ちゃんです。私は両腕をしっかと摑まれて、また戻りの電車に乗せられた。

 黙りこくって電車に揺られている私に、中野の小母さんが言いました。

 「お父さんはまだ知らないのだから、安心おし」

 あれほど頼んだのに源坊は、父の姿が見当らなかったので、母に渡したらしいのです。母は父に知らせずに、親類をたのんで、松戸駅に待ち伏せさせたのでした。中野の小母さんは、なおもくどくどと、私をなだめたり、さとしたり、脅(おど)したりしました。私が父と合わなくて家を飛び出したと思ってるらしかった。その口説の果てに、お前のほんとのお母さんもこんな失敗したのだ、という意味のことを口辷(すべ)らした。私はすぐ聞きとがめた。

「小母さん。それはどんなこと?」

 小母さんはあわてたように、口をつぐんだ。そして取ってつけたように、語調を変えた。

「とにかくお父さんを怒らせないがいいよ。今まで育てて呉れた恩義もあるじゃないか」

「親が子を育てるのは、あたり前よ!」

 と私は言い返した。しかし私の生母になにか秘密があるらしい事を、私はその時うすうすと知った。しかしそれが何であるかは、この上申書を書いてる今も、私は全然知りません。生母は私が四つの時に死にました。父はその死床で、人目もかまわず、おいおいと泣いたそうです。これも人聞きだから、どこまで本当か判りませんけれど。(もっともその話を聞いた時、女学生の頃だったが、私も涙が流れて仕方がなかった)

 こうして家出は失敗に終った。父にはとうとう知られなかった。しかし中野の小母さんたちの附添いで、母の前に手をついて、以後こんなことをしないと誓わせられた。私は涙を流した。あの書置きが母の手に入ったということが、耐えがたく口惜しく、辱しめられた気持だったからです。しかし皆は、私の涙を見て、満足したようでした。

 

 父には知れなかったから、学校を止める羽目にはなりませんでした。しかし洋裁にも、私はだんだん興味をなくしてきました。洋裁を覚えたって、仕方がない。そんな気持でした。学科をさぼって、上野や浅草で遊びくらす日が、しだいに多くなってきた。

 そんなある日、上野でバッタリと、幼ななじみの男の子と逢いました。日野保という子です。荻窪に住んでいた頃ですから、七つ八つの時分の幼友達です。保は身体こそ大きくなっていたが、顔は子供のときのままでした。額の出た、目のくるくるした顔立ちです。保の身上話では、ほんとの両親は死んでしまって、継母と暮しているうちに戦災にあい、埼玉県へ継母と疎開していたのだけれども、居辛くなって飛び出してきたという話でした。後で知ったのだけれども、保は上野でチャリンコで生活していたのです。なぜ居辛かったのか、保は話さなかったし、また話したがらぬようだった。強いて訊ねると、その愛嬌のある顔に、ふっと暗いものが射(さ)して口をつぐんでしまう。[やぶちゃん注:「チャリンコ」子供(二十歳未満)の掏摸(すり)の俗称。悪餓鬼を表わす俗語「ヂャリンコ」「ジャリンコ」「邪婬児」からの訛化という。なお、子供の食い逃げを指す場合もある。]

 幼いとき仲の良かった間がらなので、私たちはすぐ親しみが戻ってきた。そして時々上野で逢って、いっしょに話したり、映画を見たりしました。またチコやその他のズベ公とも、再びつき合うようになった。学校なんかには、すっかり身が入らなくなってしまった。

 暮れが迫ってきて、寒い日のことでした。私は母から銀行の金を下げに行くことを言いつかって、昼頃銀行に行きました。そしてその帰り途(みち)、つい上野に寄って遊んでしまった。前々日から、保との約束もあったのです。そして家に戻った時は、もう暗くなっていた。私はそっと勝手口から入った。電燈はついているのに、家の中はしずかでした。

 私はそっと廊紙をあけた。そして眼がクラクラとした。父と母の厭なところを見てしまったのです。私はどうやって唐紙(からかみ)を閉めて、自分の部屋に来たか覚えていません。にがい水のようなものが咽喉(のど)にからまって、胸が熱く引裂かれるようだった。

 しばらくして、母がそっと私の背後に立ったようだった。いきなりお下げの髪を握って、うしろに引き倒された。母は蒼ざめて、手に物さしを握っていた。そして私の捲(めく)れたスカートの、裸の太股を、あざになるほど打った。

「今まで、どこで遊んでた。お父さまの工場で、直ぐ要る金じゃないか。それを今までウロウロして!」

 向うの部屋には、父がいる筈なのに、止める声もしませんでした。スカートはすっかり捲れ上り、私の太股はきつく打たれて、物さしは二つに割れた。

「またダンスをやってたんだろ。変な男と、遊んでたんだろ!」

 母は口汚なく罵った。私を罵るというより、向うの父に聞かせるような響きを感じると、怒りと屈辱が火箭(ひや)のように私を貫いた。私はぶるぶると慄えた。母がこんなにつけつけと私を罵ったのは、これが初めてだった。いつもの冷たさを、どこかに置き忘れているようだった。しかし父の部屋はしんかんとして、何の気配すら起らなかった。そのことが私を参らせた。私はあえぎながら、打たれるままにされていた。嘔吐(おうと)がこみ上げそうで、たまらない気持だった。せめて父が出てきて、止めはしないまでも、一緒になって殴って呉れた方が、まだしも私は救われただろうに!

 暮れが終って、正月に入った。静かな乾いた怒りが、私の胸の奥でつづいていた。正月も面白くなかった。三日のことでした。小遣いをためた五百円と、着換えの服一揃いを持って、私は第二回の家出をした。どこへ行くというあても無かったが、困ったら上野に行って、チコ達に相談したら、どうにかなるだろうと思った。

 浅草公園に先ず行きました。すると大勝館の前で、ぱったりと保に会った。近所の汁粉屋で汁粉をすすりながら、私は家を飛び出したことを保に打明けた。すると保は眼をくるくるさせながら、偉そうな口調で、

「家出はいかんな、家に帰った方がいいぜ」

と私に意見がましいことを言った。私はしゃくにさわって、保だって家出してきたんじゃないか、と言ってやった。すると保はかなしそうな顔をした。

「誰が何と言ったって、あんな家に帰ってやるものか。とにかくあたしを、あんたの所に連れて行って!」

 保はとても困った顔になって、腕を組んで考えていた。幼ななじみの私を、あんな世界に引き入れることを、保はひどくためらい、心を決めかねる風(ふう)だった。しかし私は強引に押し、保をしぶしぶ納得させた。[やぶちゃん注:「大勝館」(たいしょうかん)は浅草六区にあった映画館。明治四一(一九〇八)年七月開業で、昭和四六(一九七一)年に閉鎖された。]

 とにかくその夜は、平井の保の友達の家に泊めて貰った。翌日から保やその友達と一緒に、北千住や越ケ谷の宿屋を泊り歩くようになった。そして保たちがチャリンコであることを、初めて知った。しかし私はそれほど驚かなかった。保たちは、昼はチャリンコで稼ぎ、夜はバクチを打ちに行くのです。彼等の首領は、浅川と言って、二十五六の男でした。あとは皆、私と同年輩か、私より歳下でした。私より歳下のくせに、えらそうに大人ぶって、世をなめたようなことを言ってるけれども、みんな本音のところでは淋しく、人の愛情に飢えていました。浅川だけは、年長だから、別でした。

 浅川はちょっと見ても、ひややかな感じのする男でした。海軍の特攻隊の生き残りだということでした。海軍帰りだということが、私に宗一さんを思い出させた。すべすべした皮膚をした、おどろくほど機敏な動作ができる男でした。頭から耳にかけて、うすい傷痕があった。機銃弾がかすった痕(あと)だそうです。皆は浅川をこわがっていました。浅川の性格につめたいところがあったからでしょう。不思議なことには浅川の顔は、ひとりでぼんやりしてる時は、澄んで淋しそうに見えるのです。ところがその顔が笑いを浮べると、急に冷酷な感じをたたえてくるのでした。笑いの顔における位置が、ふつうの人と逆になっていました。皆はその笑いをこわがっていた。しかし、浅川は、私には割合に親切でした。

 あちこち泊り歩いている時も、保は私のことをしょっちゅう気にかけて、早く両親にあやまって家に帰れ、と暇さえあれば意見した。浅川兄貴はこわい男だから、などとも言いました。浅川が私に親切なのを、心配もしたのでしょう。とうとう或る日、そんな事で言い合いをした。

「うるさいわよ。ほっときゃ良いじゃないの。なにさ、自分もチャリンコの癖に!」

 そして私は飛び出して、上野に行った。保たちの仲間は、みんな男だから、夜バクチヘ行く時などに、私をのけものにするのが、私には面白くなかったのです。

 上野に来て、私は顔なじみのズベ公たちを探した。そして訳を話して、仲間に入れて呉れと頼んだ。松戸のチコは、その頃家に連れ戻されたという話で、上野にはいませんでした。そして私は、鶯谷(うぐいすだに)の大和寮という宿に連れて行ってもらった。そこはズベ公たちが、女だけでかたまって住んでいる溜りでした。そこでも姉さん達から、口々に、ふた親のあるものが家出なんかするもんじゃ無い、直ぐあやまって家に帰れ、と意見された。しかし私は何も言わずに、そこに居坐っていた。姉さんたちの意見も、通りいっぺんの定り文句らしく、居坐ってしまえば、誰もしつこくは言わなくなった。そんな点は、さっぱりしていた。[やぶちゃん注:「定り文句」「きまりもんく」。]

 ズベ公たちには、特別の気風や習慣があって、一緒に住んで寝起きしていても、ほんとうに自分の組の者でなければ、自分のやってる事も言わないし、他の人のことを詮索(せんさく)したりもしなかった。組をつくっていて、組以外の者にたいしては、冷淡なほど無関心でした。生活の表面でつき合い、触れ合ってるだけで、深いところまで手をさし伸べることは、決してなかったのです。(組に入れば、別ですが)

 だから、大和寮に寝起きするようになっても、ズベ公としては新米の私は、どうやって皆のようにお金を稼いで、生活をして行けるのか、てんで判らなかったし、見当もつかなかった。誰も指導して呉れなかった。結局、見よう見まねで、上野にくる虎やんというタバコ売りの男に頼んで、タバコを売らして貰ったり、上野や浅草の露店の手伝いをしたりするようになった。そんなことで、日に四五百円は入るようになりました。私一人ですから、これだけあれば、ドヤ賃もふくめて、けっこう楽に暮して行けた。金が余っても、貯めておく気にはなれなかった。みんな飲食や服装費に費ってしまった。明日のことを考えず、私は浮草のように生きていた。私にはそれが一番楽な姿勢でした。

 三月頃だったか、仲間のあるズベ公が私にあんたの彼氏が摑(つか)まって、川崎の新日本学院に入れられてる、と教えて呉れた。彼氏というのは、日野保のことです。べつだん彼氏でも何でもないのだけれども、あれからも時々逢ったり、連れ立って遊んだりしてたから、そう見られていたのでしょう。それを聞いて四五日経って、私は川崎まで面会に行きました。[やぶちゃん注:「新日本学院」旧司法少年保護団体で、現在は児童養護・保育施設として同じく川崎にある。昭和一一(一九三六)年五月に発足で、現在も川崎にある。公式サイトはこちら。]

 保はひどくやつれて、元気がなくなっていました。くりくりした眼が、なおのこと大きくなって、ぎょろぎょろしていた。その顔に似合わず、態度はたいそう神妙で大真面目でした。仲間の大半はアゲられて、あちこちに収容されたのだそうです。そして沈んだ声で、

「君もどうか家に帰って、まじめにやって呉れ。おれも今、まじめになることを、ほんとに考えているんだから」

というようなことを言った。あの愛嬌のある顔立ちや性格の幼ななじみの保が、やつれた姿でこんなことを言うのを聞いて、私はとつぜん涙が出て来そうになった。すると保は燃え上るような表情になって、その大きな眼に涙がいっぱいあふれてきたようだった。

「お、おれは、マリちゃんが好きなんだ。ほんとに心から好きなんだぜ!」

 保は掌で眼ややせた頰をごしごしこすりながら、乱れた声で言った。

「だから、だから、家へ帰って呉れ。ほんとにまじめになって呉れ!」

 言いようもない悲しさと淋しさが、いきなり私の胸に突きささって、私もすこしかすれ声になった。七つ八つの頃、鬼ごっこやメンコ遊びで無邪気に佇良かった二人が、今こんな形で会っていることが、私にはたまらなく哀しかった。歳をとるということは、大人になって行くということは、何と苦しく、残酷なことでしょう。

 それでも保の言うように、私は家に戻って真面目にはならなかった。相変らず上野で生活していました。しかし川崎の保のところには一週間に一度か十日に一度は、かならず土産をもって面会に行った。保が可哀そうだというよりは、失われそうになっている自分の内部のものを、それによって私は碓かめたかったのです。保の顔を見ている時だけは、浮草のような自分の生活に、私ははげしい自責と嫌悪をかんじることが出来たから。

 五月になりました。すっかり暖かで、いい陽気でした。そんな或る日、上野の駅内で、私はばったりと肉屋の源坊に会いました。あの書置きを頼んだ、十六の少年です。私はひどくなつかしい気がした。私が変ったのに、源坊はびっくりしたようでした。源坊は、私の父に頼まれて、私を探していたのです。父の手紙を、ポケットに持っていました。

 私は源坊をつれて、上野の山に行った。歩きながら、家のことを色々聞いた。父は私の家出いらい、すっかり元気をなくしてしまったそうです。私のことだけでなく、事業が急に不振になったせいもあるようでした。白髪(しらが)がふえたという源坊の話を聞いて、私はすこし胸が苦しくなった。父は警察に捜索願いは出さず、源坊などに頼んで、私を探させているらしかった。新聞種になるのが、父には一番こわいのでしょう。体面ということが、父の生活感情の大部分を支配しているのだ。私のことを本当に思っているのではないんだ。そうは思いながら、父の手紙を開いた時、やはり私は、ひとつの感情で切なく胸が瓢れるような気がした。

「父はお前のことで後悔している」

 手紙はそういう文句から始まっていた。特徴のあるその字を見ただけで、私は父の息吹(いぶ)きを感じ、体臭を嗅ぐ思いがした。両親とも後悔しているから、帰ってこいという文面でした。この数箇月家を離れ、家のことを忘れようとした結果、私の気持も少しはやわらぎ変化してきてはいました。しかし気持はどうともあれ、私の乾いた頭脳は、父のその文章にもはっきりと嘘をかんじた。私はするどい眼つきになって、源坊にただした。

「お父さんやお母さんは、後悔してるんだね。本当だね?」

 源坊は気押されたように、うなずいた。その様子が可愛かったので、すこし私の心も和(なご)んだ。で、その中帰る気になったら、帰るかも知れないこと、近いうちに必ず源坊の方に電話で連絡すること、などを答えて、源坊を返しました。

 こうして私の生活に再び、家のことや父の形象が新しく入ってきた。しかしそれは現実の父の形象ではなく、言わば架空の(びょう)鋲として、私の心のひとところに突き刺さっていた。そしてその鋲の根元は、自分でも判らないあの暗いどろどろした場所に、どこかでつながっていることを、私はぼんやりと感じていた。ある瞬間を転機として、私は父のもとに戻るかも知れない。そういう予感も私にあった。そして私にとっては運命的な、あの五月十五日が来たのです。

 五月十五日は、浅草の三社様のお祭りでした。お祭りの賑いを見に、私は浅草にゆきました。それは大変な賑いかたでした。ぶらぶら歩いている中に、私は露店の人達につかまった。以前から手伝いなどして、知り合いになってた人達です。大ぜい集まって、酒盛りをしていました。その人達につかまって、上手に酒をすすめられ、すっかり酔っぱらってしまった。酒を飲んだのは、宗一さんのお通夜のとき以来初めてです。私はわけも判らなくなって、クダを巻いたりした。皆は面白がって私をはやしたりした。それがまたしゃくにさわって、なんだい、世の中がこうなったのも、お前たち大人が戦争に負けたからじゃないか、などと皆に毒づいたりした。そしてすっかり酔い痴(し)れて、いつの間にか私は誰かに抱かれて、よろよろと夜道を歩いていた。酔った私は、ふっとそれを、宗一さんかと勘違いしたりしていた。軽井沢で抱かれた感じが、身体の記憶に、どこか残っていたのでしょう。しかしその男は、浅川でした。保たちの首領のあの浅川でした。

 私は浅川のために、森下の小さな宿屋に連れこまれました。そして私は、よごれた蒲団の上で、着ているものを次次、むしり取るように脱がされていた。酔っていて、身体が利かなかった。抵抗はしたが、男の力の方が強かった。浅川も酔っていました。酒臭い呼吸が私にかかった。酔っぱらったときの父の呼吸と、それは同じ臭いだった。暗闇の中で頭ががんがん鳴って、気が狂いそうだった。浅川の身体が、しっかと私の身体を押えつけていた。そして浅川のなめらかな指が、私を求めて、隠微にうごいた。

 

 やがて、激烈な痛みと激烈な快さが、瞬間にして、同時に私の身体を襲った。私は思わずうめいた。そのはげしい苦痛と快感は、同時ではあったが、並列的に走ったのではなかった。全くひとつのものとしてだった。しかし痛覚そのものが快感なのか、快感そのものが苦痛だったのか、私にはほとんど判らなかった。私は傷ついた獣のように、眼を吊り歯をかみ鳴らして、がたがたと慄えていた。あの永木明子との場合と同様な、それよりも一廻り強い隈(くま)どりをもった暗鬱な衝動が、私の内部からふき上げてきた。憎しみ。いや、もっと烈しい。何ものへとも知れぬ、反吐(へど)に似た復讐。そしてその瞬間に私は、私の内部にいる女を、ありありと知悉(ちしつ)した。そして男を。対象を傷つけることで充足しようとするすべてを。そしてその瞬間私にぴったりとのしかかっている男の重さの中に、私は遠くぼんやりと、架空の父を感じた。遠い遠い入口にうすうすと立つ人影のように。そしてその影は急速につかつかと近づいてきた。復讐。私の生母を愛してくれた父と、今継母を愛する父とが、私の脳髄の中で暗く入り乱れ、乱れたままはためいた。しかしそれとは別のものが、私の中で、熱い火の玉となって、感覚の坂をかけのぼった。そして私は突然、全身が震撼(しんかん)するのを感じた。

「お母さん、お母さん、って呼んだじゃねえか」

 しばらく経った。浅川は私から身を離しながら、ねばっこい含み声でそんなことを言った。その声音には、満足からくるいやな慣れ慣れしさがあるようだった。しかし私はそんなことを叫んだ覚えはありませんでした。絶対に。

「まだねんねだな、お前。男は初めてか」

 怒りと恥じで、私は顔をおおい、裸のまま足をよじってつめたい畳に伏せていた。心は激していたけれども、涙は一滴も出てこなかった。眼球は干葡萄(ほしぶどう)のように、しなびて乾いていました。

 翌日も一日、私はその宿屋にいた。熱が出たらしく、身体がひどくだるかった。その夜も、私は浅川に犯された。しかも私はしらふだったのに。

 その翌日の朝、熱のある身体で、宿屋を出ようとした。上野に戻るつもりだったのです。浅川は蒲団に腹這いになったまま、上目使いに私をじっと見ていた。

「お前、逃げる気かい」

 例の冷酷な笑いを浮べているのです。私は相手にならず、のろのろと身支度をしていた。すると浅川はおっかぶせるように、

「どこに行ったって、同じだぜ。これ以上いいとこも、これ以上悪いとこも、どこ探したってありゃしねえ。お前にや判らねえだろうが」

「判るわよ!」

 私ははっきりとこの男を憎んでいた。その憎しみは、一昨日の夜に発していた。その癖昨夜はしらふだったのに、ほとんど無抵抗で浅川に身を任せていたのです。

 こうして私は宿を飛び出して、上野に戻ってきた。この二日間で、見えるもの聞えるものが、ガラリと変ったような気がした。人間も変ったのでしょう。上野で私が可愛がっていた女の子の浮浪児が二人いたが、その子たちも私のことを、マリ姉さんは変った、とはっきりそう言った。私は何をするのにも、感動がなくなったのを感じていた。何か考えても、すぐ気持が白けてしまう。それがおのずから、態度に出たに違いありません。肉屋の源坊にも、電話をかける約束がありながら、どうしてもその気になれませんでした。家のことなんか、考える気もしなかった。考えようとすると、私の内のなにかが、ぴしゃりとそれをさえぎった。

 その中に私は、浅川から悪い病気をうつされたことが判った。それは激しいショックを私に与えた。そのことがなおのこと、私の気持の傾斜に拍車をかけた。しかしほっとく訳にはゆかなかった。治療費をかせぐために、私は孝子やスミ子と一緒に、上野でタバコとキャンデーを売り始めた。孝子もスミ子も、私が可愛がってた浮浪児です。孝子は新潟の子で十五歳。スミ子は横浜生れで十三歳。この子たちは駅で客にたかって食物や金を貰い、昼は西郷さんの広場で遊び、夜は山で青カンという生活をしてたのです。孝子は春ごろ栄養失調で、痩せていたのを、私ができるだけ金や食物を都合してやるようにしてたから、私にはなついていた。いつも新潟に帰りたいと言っていたから、タバコやキャンデーの売り方を仕込んで、金を溜めさせて、郷里に帰してやろうと思ったのです。スミ子は悪い仲間と一緒になって、手提(てさ)げ専門のチャリンコだったのです。それがある日、捕まりそうになって、私のところに逃げてきた。そしてお腹がすいたと言うので、もう悪いことをしなければお寿司を食べさしてやると言ったら、真面目な顔になって、もうやらないと約束をした。この二人と一緒に、私は毎日上野に立った。[やぶちゃん注:「青カン」野宿することを言う不良仲間の隠語。他に、屋外での売春も言うが、ここはそれではない。「手提げ」手提鞄や手提カゴを専門に狙う掏摸の意か。]

 六月の半ば頃でした。なんだか夏みたいに、むんむんする日でした。夕方私が山の下に立っていると、うしろから肩をたたくものがあります。ふり返ると、日野保だったので私はびっくりしました。どうしたの、と私はなじるように聞きました。

 保は少し肥って、以前よりは元気そうに見えました。新日本学院を逃げ出してきたと言うのです。困ったように眼をくるくるさせて。

「おれ、真面目な生活に入るつもりで、逃げ出しちゃったんだヨ。本当だヨ」

「じゃ、あてはあるの?」

「うん。まあ知ってる自転車屋にでも、入れて貰おうと思ってる」

 なんだかその言い方は、怪しそうだった。そしてその怪しさをごまかすように、保は口をとがらせて、私をなじってきた。

「なんだ。マリちゃんは、まだ真面目になってないじゃないか。あんなにおれが言ったのに」

「ほっといて、自分も逃げてきた癖に!」

 そう言い返すと、保はくやしそうに頸(くび)をちぢめて、口をもごもごさせた。しかしその夜は、二人で広小路を歩いたり、中華ソバを食べたりして遊んだ。保はしきりに学院からの追手を気にしていました。ソバを食べながら、保は急に気弱い口調になって、埼玉のオフクロにあやまって家に入れて貰(もら)おうかなあ、などと呟(つぶや)いたりした。保は子供の時から強情なところはあったが、シンは気の弱い子でした。そして、私の方を熱っぽい眼で眺めてマリちゃんもどこか変ったなあ、と嘆息するように言ったりした。その時私は保に、ほんの瞬間であったが、済まない、あやまりたい、という気特になった。

 しかしその保に、私はどうしてあんな気になったのでしょう。私は保と美術館前の草原にゆき、そこでいどんだのです。しかしその目的の為に、美術館前まで行ったのではなかった、決して。あまり月がきれいだったので、どちらからともなく言い出した散歩だったのです。私たちは手をつないで歩いていた。保の影と私の影が、地面に親しい黒さで動いていた。衝動みたいに、その熱っぽい気分は突然私におこった。気まぐれ、ともちがう。もっとどろどろした重い根を持っていた。私はきっと、痴呆みたいな笑いを浮べていたに違いありません。そんな気がします。草原は夜露に濡れていた。月の光の中で、その時保の顔は真蒼に見えた。

うに。

(どこに行ったって同じだぜ。これ以上いいとこも、これ以上悪いとこも、どこ探したってありゃしねえ!)

 そしてはげしい恐怖にも似た絶巓(ぜってん)がきた。私と保をつないでいた、あの荻窪時代の透明な思い出が、その一瞬に形をくずして、がらがらと落ちて行った。私は眼をかたく閉じ、声を呑んだ。

 やがて私たちは、ふたつの影法師と共に、惨(みじ)めにつかれて立ち上った。私は月から顔をそむけながら、今来た道を戻り始めた。私を追ってきながら、保はしきりに、済まねえ、済まねえ、と繰返して言った。その声は低く弱く、自責のひびきにも聞えたが、またその繰返しには、ひそやかな喜びをこめているようにも思われた。私はそれにも答えなかった。答えるべき言葉は、どこにもなかった。身体はしっとりと重かったのに、気分はからからにひからびていた。しかし山下まできて、明るい電燈の光のなかで、保の顔を見たとき、初めてするどく強い悔悟の念が、矢のように私の中を奔(はし)った。しかしそれも瞬間でした。黙りこくったまま、そこで私は保と別れた。

 そして保が刺されたあの日まで、私は彼に会わなかった。それまで保は、上野にいたことは事実だから、遠くから私の姿を見ても、避けていたのではないかと思います。その保の気持を思うと、私は今でも胸に錐(きり)を突き立てられるような気がする。しかし彼の噂は、ときどき私の耳に入った。病気にかかっているということや、行状がひどく荒れているということなど。病気は私からのに違いなかった。私に噂を伝えてくるズベ公や浮浪児の話では、どこで病気をうつされたか、保は絶対に口にしないとのことだった。強いて聞こうとすると、人間が違ったように、はげしく怒り出すという話でした。

 こうして私は酒の味を覚えるようになった。タバコやキャンデーの売上げも、治療代にはほとんど廻さずに、山下の屋台に首をつっこんで、酒代に費って[やぶちゃん注:「つかって」。]しまうようになった。酔っている間だけでも、酒は私の頭をしびれさせ、すべてを忘れさせて呉れた。意識の下に眠らしておかねばならぬ事柄が、私にはあまりにも多すぎたのです。ちょっと油断すると、それらはむらがり起って、私の胸に爪を立ててきた。保のことは、いちばん近いだけに、最もなまなましい爪跡を、するどく私に立てて来ようとするのでした。

 保つが刺されたということを聞いたのも、山下の屋台ででした。私は相当酔っていた。そこへ入って来た地廻りの男が、屋台のおやじにそんな話をしていた。何気なく聞いていたが、ふいに日野という名前が出たとき、私はぎょっとした。

「お兄さん。その場所は、どこなの?」

 場所を聞いて、私はすぐ駈けて行った。場所は池の端でした。保はまだ病院に運ばれていなかった。戸板の上に寝かせられていた。もう顔には死相がはっきり出ていて、意識はなかった。グレン隊とむちゃな喧嘩して、胸を深く剌されたのです。閉じた瞼はふかく落ちくぼんで皮膚はすっかり土色でした。着ているアロハシャツは、赤黒い血のりでべたべたでした。保がアロハシャツを着ていようなどとは、私には想像もできなかった。あんなに真面目になりたいと願い、あんなに善良な魂をもった保が、しおたれたぶざまなアロハシャツを、自らの血で汚して死んでゆく。私はたまらなくなって、横たわっている保にしがみついて、ゆすぶりながらその名を連呼した。[やぶちゃん注:「池の端」不忍池(しのばずのいけ)周辺の通称。]

「保さん。保さん。保さん」

 それで保はわずかに意識を取り戻した。瞼は開いたけれども、瞳にはほとんど光がなかった。しかし、死魚のような末期のその瞳にも、私の顔はぼんやりとうつったらしかった。何か言おうとして、保はしきりに唇をふるわせていた。少し経って、やっと押し出すように、しゃがれた低い声を立てた。

「マリちゃん。マリちゃんか」

 声は咽喉(のど)にひっかかって、ごろごろと鳴った。そして暫くして、今度ははっきりと、

「オレ、もう、くるしく、ないヨ」

 どんよりした瞳を私に定めて、その時そげた頰には、この世のものでないほどの静かな幽かな笑いがぼんやり浮んでいた。それから吸いこまれるように、瞼を閉じながら、ごく低い、ほとんど聞きとれない声でつぶやいた。それはもう声ではなく、最後の呼吸の慄えにちかかった。

「オレ、もう、死ぬ。もう、死んじゃったヨ」

 二分後に、保はしずかに呼吸を引きとった。月の光に顔を照らされて、医者も間に合わず、物見高い通行人や心ない弥次馬などに、がやがやと囲まれて。――そして呼吸を引きとる最後の瞬間を、しんから見守っていたのは、側にひざまずいているこの私だけでした。やがて警察医がきました。保の死顔は、すっかり血の気をおとして、子供のようにきれいでした。

 

 あの八月一日という日は、保が死んだこの日から、数えて三日目のことでした。

 その日は私は、朝からイライラしていた。月経が始まって二日目で、いちばんひどい盛りだったのです。もともとこの期間には、私の気持はひどく荒み、ヒステリーのような症状になるのですが、病気にかかって以来、その傾向はますます強くなっていました。この期間中は、神経が極度に敏感になり、何でもないことが強く心にひびいたり、一寸したことにむちゃくちゃに腹が立ったり、ふだんならやれないことが平気でやれたりするのでした。仲間のズベ公からも「あんた今アレでしょ」とすぐ悟られる位でした。

 その日の朝、ある浮浪児の女の子が、スミ子がまたチャリンコをやってる、と私に知らせて呉れた。私は腹が立った。そして昼頃、地下鉄の入口でスミ子をつかまえた。そして私は強くなじった。

「なぜスミ子はチャリンコを止めないの。なぜ私の言うことを聞かないんだい。自分がどんなことになっても、かまわないと言うのかい」

 しかしスミ子はなぜか、素直にあやまらなかった。何だかだと口ごたえをした。そしてしまいには、フンとそっぽを向いたりしたから、私はいきり立って、髪をつかんでそこに引きずり倒し、ひどくひっぱたいてやった。するとそこへ、三四人のグレン隊が通りかかって。

「何でえ。弱い者いじめするない」

と因縁をつけるつもりか、妙にからんできたから、いじめてるんじゃないわよ、お前たちが知ったことじゃないわよ、とやり返して、そこで人だかりするほど、相当派手に言い合いをした。

 それでよけい頭がむしゃくしゃして、タバコやキャンデーの仕入れもしたくなく、ましてスミ子や孝子の顔も見たくなかった。むしむしして、今にも降り出しそうな空模様でした。私は皆から離れてひとりで西郷さんの広場にのぼって、上野の街を見おろしながら、もうこんなゴミゴミした街には住みたくない。どこか遠い静かなところに行ってしまいたい、などとぼんやり空想したりしていた。保の死のことも、まだ私の心に、強く深く尾を引いていたのです。そうしているところへ、ちょっとした顔見知りの、本名は知らないがイノシシというあだ名のグレン隊の男が、私の側に寄ってきて。

「どうだい、マリ坊、今夜江の島の方へ遊びに行かないか。きれいな海で泳げるぜ。五六人で行くんだ」

と誘ったから、私は即座に、うん、と言ってしまった。するとイノシシは、今日の五時頃駅に来い、と言い残してどこかへ行ってしまった。私はこの数年間、青い海を見たことがなかったから、気持を変えるいい機会だと思って、心がすこし躍(おど)った。生理期間だから海に入れないとしても、海の青さや砂の白さを見るだけでもいいと思った。そう思うと、矢も楯もたまらなく行きたくなった。

 五時に駅に来てみると、もう皆は集まっていた。あの浅川がその中にいたのです。浅川は私の顔を見ると、ひどく驚いたような妙な表情をして。

「何でえ。マリ子。お前も行くのか」

と言ったから、私もつっけんどんに。

「誘ったから行ってやるんじゃないか。じゃあたしは止すよ」

とやり返してやったら、浅川はふと思い直したように、あの酷薄な笑いを浮べて、

「まあいいや。見張りくらいには役立つだろう」

と言った。その言葉も、私はあまり気にも止めなかった。見張りというのも、海水浴のときの着物の見張りを言ってるのだろうと思っただけで、深く考えもしなかった。前にも書きましたが、上野の山で生活していると、どんな人でも、その日その日というよりも、その時々の行き当りばったりの気持になって、他人のすることを詮索したり、他人の言うことの裏や先の先のことを、考えたりしないようになるものです。この場合もそうでした。

 そして私たちは、新宿に行って小田急に乗った。同行は私を入れて七人です。浅川、イノシシ、はちまき、エフタン、テラテラ、探海燈、それに私。女は私だけでした。男たちは、探海燈をのぞけば、皆一癖も二癖もある男たちだった。探海燈というのは、私と同いどしで、グレン隊にしては気が弱い、割に正義派肌の子でした。眼が大きいから探海燈というあだ名がついていて、感じがちょっと保に似ていた。笑うと頰にえくぼが出来る子でした。[やぶちゃん注:「エフタン」という綽名は意味不明。「探海燈」「たんかいとう」と読む。強大な反射鏡を用いて遠距離の海上を照らす灯火である「探照灯」(サーチライト)を海上で用いる時の呼名。梅崎春生は旧海軍兵であったから腑に落ちる用語である。]

 稲田登戸のすこし先の駅で、浅川を先頭にぞろぞろ下車した時も、私は別段変には思わなかった。もう夜だからここに泊り、明朝江の島に行くのだろうと思った。改札を出ると、雨がシトシトと降っていた。雨に濡れながらしばらく歩き、道を曲って家並の切れたところまで来たとき、テラテラが皆をふりかえって、

「もう直ぐそこだよ。家の者は、みんな鎌倉の別荘に行ってる筈だよ」

などと話し始めたので、空巣をやるつもりだなと、その時初めて知った。私はだまされたと判ったから、グッと癪(しゃく)にさわって顔色を変えた。するとその気配を察したのか、イノシシが私に寄ってきて、

「江の島でのドヤ銭を稼がねばならねえからな、マリ坊、今夜だけは辛抱してつき合って呉れよな」

となだめるように言った。私は腹が立って仕方がなかったけれども、こうなっては独りで帰るわけにも行かないし、ぬかるんだ道を渋々いっしょについて行った。道は暗くて歩きにくいし、着物は雨にぬれるし、むしゃくしゃしてたまらなかった。[やぶちゃん注:「稲田登戸」梅崎春生にとっては縁の深い場所である。「ブログ始動十六周年記念 梅崎春生 飢えの季節」の私の「稲田堤」の注を参照。]

 それから暗い坂をのぼったり、雑木林の中や道もない草やぶを通ったり、崖を這いのぼったりして、山の中にぽっかり立ったある一軒屋の裏手まできた。そこにある大きな栗の木の下に皆を待たせて、テラテラが偵察に行くことになった。ところがテラテラは行ったっきり、長いこと帰ってこなかった。どうしたのかと思ってると、犬がけたたましく吠える声がして、テラテラがあわてて戻ってきた。別荘に行って留守だと思ったら、燈が点いていて、家族は全部いるという報告でした。

 それから男たちが顔をよせて、電車賃を貰って帰ろうか、それともやっちゃおうか、などとコソコソ相談が始まった。その間に私はぬか雨にすっかり濡れて、湿気は下着まで通り、下腹部が石でも詰ったように重く不快になってきた。気分はイライラし、やがて頭がしんしんと痛んできた。神経が少しずつ狂ってくるのが、ありありと感じられるようでした。熱もすこし出てきたようだった。大声で叫び出したいような焦躁感が、間歇(かんけつ)的に起ってきて、私はそれを必死に我慢していた。探海燈だけはしきりに、「手荒なことは止そうよ。オレは厭だから帰りたい」と反対していたが浅川などが強硬に主張して、とうとうタタキを決行することに一致した。テラテラがそこいらから薪(たきぎ)を持ってきて、皆にくばった。そして、自分は家人に顔を知られているからここで待ってる、などとずるい事を言い出して、浅川に小突かれたりした。皆覆面することになった。私も白いネッカチーフで、自分の顔をおおった。着ているものは濡れていたけれども、身体は火のように熱くなっていました。気持の上の苦痛と、病気の悪化に加えるに生理の変調、そして肌まで雨に濡れたことのために、私の感情も神経も、すでに正常の状態ではなくなっていた。[やぶちゃん注:「タタキ」警察用語で強盗のこと。]

 浅川を先頭に、男たちは次々垣を越えた。私は一番しんがりだった。浅川がポーチからいきなり家の中におどりこむと、イノシシ、エフタンの順でそれに続いた。殺気が家の中いっぱいにみなぎった。ドタドタと音が走り、キャッと叫ぶ女の悲鳴。ガチャガチャガチャンとガラスが割れる音。そこの家の犬がけたたましく吠え出して、それに呼応して、あちこちの山かげや谷から、こんなに沢山犬がいたかとびっくりする程、方々で犬たちが吠え始めて、それらは高く低く入り乱れて夜空に反響した。やがて私はポーチに立って、内部の様子なうかがった。寝巻のまま飛び出してきたそこの主人らしい男を、丁度二三人で縛り上げてる所でした。山の中の入りこんだ一軒屋だから、皆は安心してゆうゆうと仕事をやっているようでした。探海燈だけが初心(うぶ)らしくおどおどしていて、浅川から、誰も来やしねえから安心して仕事をやれ、と叱言を言われたりしていた。家族をみんなしばり上げると、音は一応収まった。犬の声もやがて静まったようです。それから浅川の命令で、それぞれ手分けして、各部屋で金品を物色し始めたようだった。明朝までここに泊ってゆくんだから、ゆっくりと手ぬかりなくやれ、と浅川が注意をあたえているのが聞えた。しかし探海燈だけは、まだあがっているらしく、手が慄えてたんすの引手もカタカタと握れない風(ふう)でした。[やぶちゃん注:「ポーチ」porch。玄関。]

 ここで見張れと言いつけられた訳ではないけれども、私はポーチに立っていました。家の中に入る気がしなかったのです。家の中は明るかったが、外は真暗闇でした。言いようのない孤独感が、じわじわと私におちてきた。私は唇を嚙んで慄えながら立っていた。雨は相変らずしとしとと降っていました。その闇の中に眼を据えていると、肉体の不調からくる不快感が、しだいにわけのわからない兇暴な憤りに変ってゆくのを、はっきりと私は意識した。掌をあててみると、額は火のように熱かった。じっと立っているだけでも、眼がくらむような気がした。その癖神経がピリピリと張っていて、三里先の物音でも聞き分けられそうな感じでした。全身が山犬みたいなするどい感覚体になって行くのが、自分でも判るほどでした。

 そのままで二三十分ほども、私は張りつめたままポーチに立ちすくんでいたと思う。そしてどういう形の予感と危惧が、いきなり私の神経に触れてきたのか、私は今はっきりは思い出せない。突然かすかな戦慄が、電流のように、私の全身を走りぬけたのです。それは確かに、なにものかヘの予覚だった。私はほとんど昆虫のような本能で、突然ある何事かを感知した。私はぎょっと身体を堅くして、家の方をふり返った。家の中では、奥の方で、ときどき何かをかき廻すような、微かな音かするだけで、私が立っている場所からは、もう誰の姿も見えなかった。しかし私はポーチから家の中に入ろうとはしなかった。ふしぎな得体の知れぬ妙な力が、その瞬間私の足を導こうとするのが感じられた。その得体の知れぬ力にひかれて、私はそっとポーチを横に降りた。そして足音を忍ばせて、しとしと落ちるぬか雨の中を、家にそってのろのろと右手の方に廻り始めた。するとそこに黒い小さな梯子(はしご)がかかっているのが見えた。その梯子は、部屋から突き出た低い露台めいたものに連結していたのです。そとに何ごとかがある。何事かが起っている。私はとっさに、確実にそれを感知した。私はぐらつく梯子に慄える足をかけた。

 その部屋は、大きなガラス窓を、露台にひらいていました。その窓から電燈の光が、露台をぼんやりあかるく照していた。私の白い姿が、そこに浮き上った。私はその時、真白な服装をしていたのです。白い開襟シャツ、白いスカート、白いズックの靴、顔を覆ったネッカチーフも白色だった。露台に上り立つと、ためらうことなく私はその窓から、いきなりあかるい部屋の中をのぞきこんだ。そしてねばねばしたかたまりを、顔いっぱいにぶっつけられたような気がして、私はよろよろとよろめき、思わず窓枠をつかんで身体を支えた。言いようもなく激しく熱いものが、いきなり私の胸にふき上ってきた。

 この家の者らしい若い女が、その部屋の真中に倒れていました。二十一二の女でした。その上に浅川の身体がしっかとのしかかっていたのです。継母からひどく打たれたあの夜、父の部屋で私が見たその一瞬の光景と、それは形の上でほとんど同じでした。ただ違うところは、今見るこの部屋の情況には、あきらかに暴力の気配がいっぱいに満ちあふれていたのです。激しいショックのため、私は心臓が咽喉(のど)までのぼってきたような気がし、頭の鉢が五倍にもふくれ上ったような感じに襲われた。しかし、私は眼を見開いたまま、窓枠を握りしめて、そのまま視線を動かさないでいた。そして渇いた犬のように、私のあえぎはしだいに荒くなってきた。

 電燈の光の直射をうけて、その女の白い顔は、言葉で表現できないような表情をたたえていました。ふつうの女がその一生の起伏のなかで、いろんな情況下につくるさまざまの表情を、この女の顔は今の一瞬に凝集し定着させていました。痛み。苦しみ。憎しみ。さげすみ。怒り。悲しみ。ありとあらゆる感情のすべてを。しかもなお、親しみ。喜び。恍惚の感情の片鱗をすら、そこにひそやかにこめて。そしてその上に、浅川の身体がかぶさっていた。露骨な雄の姿勢で。言いようもなく醜く、同時にはげしい美しさで!

 何秒間、何十秒間、私がそこに立っていたか、私には全然覚えがありません。一瞬だったような気もするし、ずいぶん長い間だったような気もする。記憶がそこらから、混迷し分裂しかけているようです。きっと私の顔はその女の顔と同じ表情になっていたでしょう。それに違いありません。そして今思い出せるのは、その時の私の気持の一部分に、まぎれもない嫉妬の情がはっきりと動いていたことです。いえ。間違いはありません。疑いもなく、それはするどい嫉妬の感情でした。それは私の心の遠景の部分を、矢のようにひらめいて奔(はし)りぬけた。そしてその時私の全感情と全神経から、形のない重くわだかまったものが、ずるずると脱落するのが感じられた。その代りにすさまじい空白が、突如として私に降りてきた。私の行動を決定する要めのものが、急に私から遠のき、遙かな小さな一点となって、そして無限のむこうに消えて行くのが感じられた。しかしそれにも拘らず、私の五官や四肢の運動は、今思うと極めてしずかに正しく働いていたようでした。それは不思議なほどでした。

 私は双手を使って、静かに硝子窓を上へ押しあげた。鍵はかかっていませんでした。そして私は脚をあげて、音のしないように窓の閾(しきい)をまたいだ。今思い出したのですが、閾をまたぐ時私の白いスカートの一部が、ぽちりと自分の経血(けいけつ)でよごれているのに私は気がついた。いくらきれいに生れついても、女というものは、腐った血が降りる穴を一箇所持っているんだ。その時あらくれた気持で、そんなことを思ったりしたのを、私はぼんやりと覚えています。部屋に入ると、私はすぐ壁ぎわに身を寄せた。壁の上部には、古めかしい洋風の短剣がかざってあった。初めからそれを知ってたのかどうかは、私の記億にない。しかし既定の行動のように、私は手を伸ばして、それをそっと壁から外した。それは皮鞘(かわざや)で、インデアンの首が柄の尖端の飾りになっていた。妙なことばかりはっきり覚えているようですが、そのインデアンは頭に八本の羽の飾りをつけていました。たしかに八本。そして音がしないように、私は皮鞘をはらった。白い刀身が、するりと光を弾いた。私はそれをいきなり逆手に特つと、二人の営みの背後から、音を忍んで近づいて行きました。営みは終末に近づいていました。そのことは浅川の身体の動きの微妙な気配で判ったのです。浅川の上半身は、白地のうすい襯衣(シャツ)でおおわれていた。短剣の柄を両掌で握ると、私は全身の気力をこめて、微妙に起伏している浅川の背に、そのするどい刀身を力いっぱい突き刺しました。白く光る刀身の、ほとんど三分の二ほど。鮮血がパッと飛んだ。その瞬間物すごい痙攣(けいれん)が浅川の全身を走って、それきり動かなくなった。(後で聞いたのですが、検屍医のしらべでは、即死だったそうです)

 私は短剣を力をこめて引き抜いた。肉が刀身をぎゅっとしめつけていて、抜くのには満身の力が必要でした。やっと引き抜いた瞬間に、猛烈な虚脱感が私にやってきました。虚脱感もあんなに猛烈だと、強い緊張とほとんど変りありません。私は、まるで白痴みたいに、口辺の筋肉をゆるめたまま硬ばらせていた。そして――そしてその血塗れの刀身を、刀身の指す方向に、そのままぐっと押し進めたのです。今思えば、私はその刃を逆に向けて、はっきりと自分の胸に突き刺すべきだったのでしょう。しかしもう私は、その時は判断力を完全に失っていたのです。偶然に刀身の尖端がそちらを向いていたばかりに、あの女は私から刺し殺された。偶然に踏み殺された昆虫のように。もし刀身が私を向いていたならば、もちろん私はためらうことなく、私自身に突き刺したでしょう。その瞬間の私個人の意思でなく、私の歩いてきた生涯がつくり上げた、ある隈どりをもった架空の意思のために。――

 それから一時間後に、私たちは皆つかまってしまったのです。そして数珠(じゅず)つなぎになって、雨の中を原町田警察署へ引いて行かれた。刑事さんにいろいろ問いただされたけれども、私には何も答えられなかった。私は椅子にかけて黙りこんでいた。すっかり放心状態だったのです。私の側でイノシシが、私を江の島に誘って皆の相手をさせるつもりだった、と自供しているのを、ぼんやりと他人(ひと)事のように聞いていました。生きているということは何ということだろう。そんなことをしきりに自分の心に問いかけながら。

 ――それから私は八王子の少年刑務所に入れられました。そこで二箇月ほど過し、一週間前、この小菅(こすげ)の拘置所に移されてきたのです。今ここで、この上申書を書いているのです。この小菅拘置所の女区は、八王子にくらべると、ずっと暗いところのようです。八王子では、窓から小安ケ岡や富士山などが見えたけれど、ここの窓からは、ほとんど何も見えない。そのせいか、同房の女囚たちも、ひどく感傷的なようです。昨夜も同房の一人が、窓からきれいな星が見えると言い出して皆が窓に顔をあつめて眺めているところを、担当さんに見つかって、少し叱言(こごと)をいわれたりしたが、その後で、「お前たちは星も満足に見られないんだよ」とさとされて、私を除いた他の女囚は皆、掌で顔をおおったり抱き合ったりして、しばらく泣いていました。泣く気持が判らないではありませんが、私にはとても泣けません。涙が出てこないのです。しかし私はふと、そんな彼等が羨しいとも思う。彼等のように自ら悲傷して涙を流し、涙を流すことで気分を散らしてしまうような習慣を、もし私が早くから身につけていたら、私もあんな苦しい半生を過さずにすんだでしょう。その果てのこんな罪も犯さずに済んだでしょう。今となってそんな事を言っても、始まりませんけれども。[やぶちゃん注:「八王子の少年刑務所」東京都八王子市緑町にある多摩少年院(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。日本初の少年院として知られる。「小菅(こすげ)の拘置所」東京都葛飾区小菅にある東京拘置所。「小安ケ岡」不詳。但し、漢字違いだが、多摩少年院の東北の、八王子駅の南側の市街地区の地名が東京都八王子市子安町(こやすまち)である。或いは、ここに嘗つては丘陵地があって、かく呼ばれていたのかも知れない。判らぬ。]

 ここに身柄を移されてから、父も母もまだ訪ねてきません。八王子の頃は、三日をあげず、どちらかが訪ねてきて呉れました。父もずいぶん年老いたようです。私のせいもあるのでしょう。しかしあんな事件を起して以来、父にたいする気持ががらりと変化したのを、私は自分でも感じます。私の心の中のなにかが、あの瞬間を境として、はっきりと角度や方向を変えたようです。それが私には不思議でなりません。あの長い間の父に対する屈折した思いは、一体どこに行ったのでしょう。面会所で父と会っても、父に言いたいことも訴えたいことも、私には何もないのです。しかし私は、父に会うのが厭だと言うのではありません。父は以前よりも思いやり深くなり、私のことも親身に心配しているのです。それにも拘らず、私には父の姿が、私とつながりのない物体のようにふと感じられたりするのです。ただ父権をもつ物体のように。

 その父に対して、心の深層で私がこだわり、そのこだわりの核を探りあてかね、その周囲をしきりに屈折した愛情で隈(くま)どったこと、それが今の私には夢のように虚(むな)しく、遠いものに感じられます。母に対しても、同様な気持です。むこうにしたがって揺れ動く切なさがもはや私にはない。父は場末の町工場の平凡な主人であり、母はその貞淑な後妻というだけに過ぎません。今の私には、それだけなのです。その感じはいささか私に不安でなくもない。こういう具合に、私の心の中で、すでに完全に分解され、処理されでしまったものは、一体何なのでしょう。

 しかしふつうの意味で、大人になるということは、こういう過程を指すのでしょうか。もしそうだとすれば、私が殺人という犠牲をはらったところを、他の人々はどんなものを犠牲として、そこを通り抜けたのでしょう。他もそこなわず自らの身も傷つけず、たくさんの男女は安心して大人になっている。――そう思うのは、私のひがみでしょうか。私の負け惜しみでしょうか。それとも、私の独り相撲でしょうか。いえ、独り相撲なら、独り相撲でいいのです。私はその独り相撲で、慘(みじ)めにも負けたというだけの話なのですから。――

 私のこの上申書は、弁護士さんのすすめで書いているのです。弁護士さんは私にいろいろと上申書の要領を教えて下さったけれど、私はそれに従わず、とうとう本当のところを書いてしまった。罪を悔悟しているということは、一言も書かなかった。今更悔悟する位なら、初めからあんなことはやりません。しかしこれを貴方の前に差し出すのは、今となっては厭な気もします。あまり面白くない。本音を記しただけに、なおのこと、そういう感じが強いのです。貴方がこれを読んでいらっしゃる光景を、私はまざまざと想像できるような気がします。貴方は手入れのいい服を着て、日当りのいい判事室で、柔かくふかふかした椅子にもたれ、匂いのいい莨(たばこ)をふかしながら、忙しげにこれをお読みになるのでしょう。読み終ると腕を組んで三分間ばかり私のことを考え、そしてこの上申書を机の中にぽいとほうり込むのでしょう。そして数時間後には、その内容もお忘れになってるかも知れない。いえ、それがどうとも申し上げるのではありません。貴方は人を裁くのが職業だし、その職業は忙しいものだと聞いておりますから。しかし私にはそれがちょっと不思議な気がしてならないのです。貴方はいずれ私を法廷に呼び出し、私の罪状を厳しくただし、貴方の職業上の判断にもとづいて、私を死刑と決めるなり、懲役何年と決めるなりなさるのでしょう。私はどうせ裁かれる身なのですから、できるだけその日が早く来るようにと待ってはいるのですが。

 裁判長さま。

 しかし、人間が人間を裁くということは、一体どういうことなのでしょう?

2022/07/06

ブログ・アクセス1,770,000アクセス突破記念 梅崎春生 拐帯者

  

[やぶちゃん注:本篇は昭和二八(一九五三)年四月号『小説新潮』に初出し、後の作品集『拐帯者』(昭和三四年四月光書房刊)に所収された。

 底本は「梅崎春生全集」第三巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。文中に注を添えた。なお、題名は「かいたいしゃ」は、「人から預かった金や品物を持ち逃げする者」の意。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日、つい先ほど、1,770,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】] 

 

   拐 帯 者

 

 十字路は、混雑していた。

 富田商事会社の社長秘書穴山八郎は、しばらく立ち止って、道路の向うの交通信号燈を、いらだたしげに眺めていた。赤が出ている。赤の信号燈が、縦の人波をせき止めている。八郎はまたたきをした。信号燈の赤は、まだまだ赤いままで、なかなか青に変ろうとはしなかった。歳末大売出しの紅や黄ののぼりが揺れている。自動車の警笛。路面電車の車輪のきしり、広告塔から流れ出る濁った器械音。どんよりと垂れ下った雲の色。

(畜生め、俺を向うに渡さないつもりか)

 彼は舌打ちをした。そしても一度信号燈に眼をやり、憤然としたように背をむけ、今来た方向に足を踏み出した。その瞬間、信号燈の色が変ったらしく、彼を取巻く人波の空気がざわざわと揺れる。背をむけた以上、引返すのも業腹(ごうはら)であった。動く人波に逆らうようにして彼は歩いた。茶色の革鞄(かばん)を、両手で胸に抱きかかえたまま。その八郎の恰好(かっこう)は、ちょっと蟹(かに)に似ていた。

(お茶でも飲むか)

 さっきから咽喉(のど)が乾いていた。昼食に食べた中華そばの汁が、少々辛すぎたらしい。それなら汁だけ残せばよかったのだが、お腹もすいていたし、また心にむしゃくしゃすることもあって、意地汚なく、最後の一滴まで呑みほしてしまったのだ。実際あそこの汁は、いつも辛すぎる。もうこれから昼食に、あの中華そば屋に行くのはよそう。

 八郎は立ち止った。横丁を見た。二軒目の店に角燈がかかり、ガラス扉に金文字が『ロンドン』と浮き出ている。彼は革鞄をかかえ直し、つかつかとその方に歩いた。扉を押して、とっつきの卓に腰をおろし、あたりを見廻した。派手な服をつけた白茶けた顔の女が、奥からあらわれた。

「いらっしゃいませ」

 見廻した感じでは、ここは喫茶店でなく、酒場であるらしい。棚には洋酒瓶がずらずらと並び、卓上にメニューは出ていない。八郎は少し顔をあからめ、腰をもじもじさせた。しまったと思ったのだ。

「何になさいますか」

 と女が訊ねた。女の頰には職業的な微笑がぼんやりと浮んでいた。レモンティーが飲みたかったんだけれども、言い出せなくなってしまった。八郎はややまぶしげな眼付で女を見た。声はかすれてどもった。

「ビ、ビール」

 ビールが卓に運ばれて来るまで、彼は鞄を胸に抱き、眼をつむって、じっとしていた。まだ明るいので、店の客は彼一人だ。

(会社の連中、さぞかし俺の帰りを待ち詫びているだろう)

 胸に抱いた古鞄の中には百二十余万円の紙幣束が入っている。富田商事の社員に配るボーナスの全額なのだ。昼過ぎ、社長の命令で、穴山八郎が銀行に行くことになった。社長はその時、八郎の顔を見据(す)え、冗談めかした口調で言ったのだ。

「持ち逃げするんじゃないよ。な、穴山」

 八郎はちょっと困惑し、まごまごした。実を言うと、銀行に行けと言われた瞬間、彼も、その金を持ち逃げする自分の姿を、ちらと頭のすみで想像していたからだ。社長の声がかぶさった。

「もっとも君にはそんな度胸はないだろうがな。わはは」

 富田社長は、年は四十四五の戦後派社長で、内心は狡猾でケチで小心者のくせに、うわべは豪快をてらう型の男だ。その豪傑笑いを聞く度に、八郎は顔には出さないが、あまりいい気持はしない。豪傑笑いで人をごまかしておいて、かげではこそこそと狡(ずる)いことをやる。面白くない。ことに一週間前、タイピストの岡田澄子のことを聞いて以来、八郎の内心の不快はますますつのってきていた。あの富田社長が、岡田澄子をいつの間にか誘惑してモノにし、オフィスワイフに仕立てているという噂だ。八郎はその噂を、便所の中で聞いた。彼が入っている扉の外で、二人の男が用を足しながら、そんな話をしていたのだ。

「本当かい?」

「本当だとも。二人の姿が温泉マークに入って行くのを見た奴がいるんだ」

「へえ。オヤジもうまいことをやるんだな。それにしても澄公、手もなくいかれたもんだなあ」

「金だよ。金さえありゃあね。金へ金へと女はなびく――」

 八郎は息をつめ、耳をそばだてていた。それから急に声が低くなり、短い忍び笑いに変り、

「へえ。穴山がね。あの蟹(かに)公がねえ。そうだったのかい」

「そうだよ。まだ当人、知らないらしいが、知ったらさぞかしガッカリするだろ」

「知っても相手が社長だからな。泣寝入りの他ないよ。宮仕えの辛さか」

 八郎は顔を充血させ、全身を堅く凝(こ)らしていた。やがて二人の足音は、話声と笑声と共に、外の方に遠ざかって行った。怒りと屈辱のため、八郎はそのまま五分間ばかり、身動きも出来ないでいたのだが――

 ビールが来た。

 はっと我に返ったように、八郎は顔を上げた。白茶けた女の顔が、その八郎に、からかうようにほおえみかけた。

「ずいぶん深刻そうな表情ね。金でも落した人みたいだわ」

「うん。いや」

 八郎は口をもごもごさせて、コップを手に取った。鞄は両膝の間にしっかりはさんだままである。女は瓶を傾けて、とくとくとビールを注いだ。そして女は、卓の向うに腰をおろした。八郎は咽喉(のど)を鳴らしながら、一気にコップを飲み干した。

「失恋でもしたの?」

 ふたたびコップをみたしながら、女が訊ねた。八郎は口のまわりの泡を拭いた。妙に狼狽したような表情で女を見た。

「そうでしょ。そう顔に書いてあるわ」

「うん」

 八郎は二杯目のコップをとった。咽喉がからからに乾いていたので、ビールの冷たさがのどぼとけから食道に、ひりひりと沁み渡るようであった。コップを卓にがちゃんと戻しながら、八郎はやっと表情をゆるめて、椅子の背に軀(からだ)をもたせかけた。

「失恋もしたし、と」

「ボーナスも落したし、と」

 おうむ返しに女が口真似をした。

「ボーナス? そんなもの、落すもんか」

 すこし気持が軽くなって、八郎はそう答えながら、女の方をちらと見た。職業的な微笑とともに、女はまっすぐ八郎を眺めている。八郎はかすかな羞恥を感じた。

「僕は絶対に落さない。金を落したことは今までに一度もないよ」

「拾いはしてもね」

「そう」

 三杯目のコップに手を伸ばしながら、

「拾ったことは、たびたびだな。げんにここにも――」

 八郎は膝にはさんだ鞄をかるく叩いた。もちろん冗談のつもりだったが。――

「拾った金が入ってるのさ。誰か莫迦(ばか)なやつが、袋ぐるみボーナスを落しやがって」

 女の顔から急に微笑が消え、頸(くび)を伸ばして、膝の鞄をのぞき込むようにした。八郎は無意識裡に、軀をぎょっとうしろに引いた。

「ほんと?」

「ウソさ。冗談だよ」

「ああ、まるで本当みたいだったわ、あなたの言い方」

「そうかい」

 すこし顔がこわばるような感じで、視線を鞄に落した。はさんだ膝に、鞄の中の紙幣束の厚みが、ありありと感じられる。岡田澄子のことが、苦痛を伴って、ちらと頭のすみを走り抜けた。この一年来、八郎はひそかに彼女に思いをかけていて、まだ言い出せないでいた。今度ボーナスでも貰ったら、何か贈物をして、思いのたけを述べてみる心算(つもり)だったのだが。――そのボーナスが、この鞄の中に入っている。他人のボーナスと一緒に。

「おビール、召上る」

 八郎は時計を見た。四時半を指している。社長は待ちくたびれているだろう。そろそろ怒っているかも知れない。

(君にはそんな度胸はないだろうがな)社を出る時の社長のがらがら声が、突然八郎の耳によみがえってきた。何かに追っかけられるように、彼は口をひらいた。

「ビール。いや、ウィスキーを呉れ。ウィスキー」

 

 ちょっとした何でもないことが、人の心理や行動を、間間急角度に狂わせることがある。いや、この言い方は正確でない。かねて急角度に動きたがっている人間の心理が、たまたま何でもないことにぶっかって、いい機会とばかり、急旋回するだけの話だ。穴山八郎の場合も、ややそれに近かった。

 午後五時、穴山八郎はビールとウィスキーでいい気特になっていた。『ロンドン』を出ると、夕闇が街におちていた。その夕闇の色は、いくらか彼をギョッとさせた。

(もうこんな時刻か)

 彼は時計を見て、鞄をぐっと抱え直し、急ぎ足で歩き出す。夕風が熱した頰に、ひやりとつめたい。怒られるだろうなという予感と、俺にもビール飲むぐらいの度胸はあるんだぞという虚勢が、一歩一歩彼の胸に入り乱れる。歳末の夕方の大通りは、ますます人通りを増して、もうまっすぐに歩けない程だ。肩と肩とがぶっつかり、体と体がこすれ合う。八郎はやはり、鞄を胸に抱きしめるようにして、交叉点へ急いでいた。こんな人混みだから、どんな悪い奴が飛び出して、鞄を奪って逃げないとも限らない。こいつを奪われたら、天下の一大事だ。度胸どころの騒ぎではない。

「畜生!」

 八郎は口の中でつぶやいて立ち止った。交叉点まで来た瞬間、道路の向うの信号燈が、心急(せ)く彼をあざけるように、パッと赤に染ったのだ。勢い込んで来たところを、いきなり張り手を食わされたみたいで、腹が立つ。人混みに街路樹に身体を押しつけられながら、八郎は忌々(いまいま)しく背を伸ばした。電車や自動車や自転車が、あらゆる雑音を発して、八郎の視野を左右に流れてゆく。八郎は舌打ちをした。

「いよいよもってこの俺を渡さないつもりだな」

 この交叉点を渡らねば、富田商事には帰れないのである。それなのに、渡ろうとする度に、信号燈は意地悪く赤になる。百二十万円という大金を正直に持ち帰ろうとする俺の善意を、大きな何者かがせせら笑っているみたいだ。赤い信号燈を見詰めながら、八郎はそう考えた。隣りの男の肱がその瞬間八郎の鞄にふれた。八郎はぎくりとしたように体をよじり、その男をにらみつけた。にらまれたのも知らぬ気に、その男もいらいらと貧乏ゆすりをして背伸びしている。彼と同じ位の年配の善良で働きのなさそうなサラリーマンタイプの男であった。八郎は再び舌打ちをして視線を戻した。信号燈はまだ赤のままだ。

(あいつら、俺のことを蟹(かに)と言ったな!)

 一週間前の社の便所でのことを、八郎は思い出したのだ。あの男たちは、もちろん社員には違いないが、声だけでは誰とも判らなかった。しかしあいつらは、岡田澄子に対する俺の感情を、何故知っているのだろう。あいつらが知っているからには、他の者も知っているに違いない。でも、どうして判ったのだろう。今まで澄子に愛を告白したこともないし、そういう態度を示した覚えもない。向うは社でも有数の美人ではあるし、こちらは安月給の、しかもあまりぱっとしない風体だ。

(蟹!)だから今まで気おくれしていた訳だが、その俺から澄子への愛慕を、どうやって奴等は嗅ぎつけたのだろう。街路樹に背をこすりつけながら、突然八郎はうなり声を立てたくなるような烈しい屈辱と羞恥を感じた。この感情はあの時以来、一日に四五度は彼におそってきていたのだが、今はいささかの酔いといらだちのためか、直接になまなましく胸をつき上げて来た。八郎は思わず唇をかみしめ、眼をかたくつむった。巷の轟音のみが、耳にあふれてくる。

「岡田澄子――」

 眼を閉じた短い時間、八郎は澄子のことを思った。澄子は調査部付きのタイピストだ。昨年入社したばかりの、まだ少女の俤(おもかげ)を残したようなあどけない娘だ。背がすらりとしている。もしかすると、五尺三寸の八郎よりはすこし高いかも知れない。赤いセーターがよく似合う。肌は小麦色で、すべすべしている。昼休みになると、近所の小公園でバレーボールの練習をやる。学校時代に選手だったそうで、身のこなしも水際立っている。八郎はその姿を眺めるのが好きであった。彼女がボールを軽くトスする時、セーターの中で乳房が揺れ、形の良い脚が地を蹴って伸びる。スカートがひるがえって、可愛い膝頭や、もっと上の部分がちらとのぞけたりする。ボールにたわむれる彼女の顔は、かすかに汗ばんで紅潮している。あの身体は、筋肉がしまってすらりとしているが、十五貫はたっぷりあるに違いない。[やぶちゃん注:「五尺三寸」一メートル六十一センチ弱。「十五貫」五十六・二五キログラム。]

「澄子――」

 雑音の渦巻。眼をつむったまま、八郎は顔をしかめた。その清純な魅惑的な身体が、あの富田社長のでくでくした肉体によって、無慚(むざん)にもふみにじられてしまう。その情景が閉じた瞼のうらに、まざまざと浮んで来たからだ。温泉マークの一室。剛(こわ)い胸毛が密生した、山賊みたいな社長の肉体。小鳩のような澄子が逞(たくま)しい男の手で、衣服を一枚ずつ剝がれてゆく。もうすべてがあからさまな小麦色の肌。――その空想の刺戟に耐えられなくなって、八郎ははっと眼を開いた。あらゆる色彩の光が、どっと眼の中に流れ入って来た。彼は急いで視線を信号燈の方に動かした。――赤が出ている!

「よし!」

 声にならない声が、八郎の唇の端で消えた。彼は鞄を抱え直すと、肩や肱(ひじ)をそびやかすようにして、人混みをかきわけかきわけ遮二無二動いた。もちろん会社と逆の方向にである。あとで後侮するかも知れない。その思いはあった。しかしまだ踏切(ふんぎ)りがついたわけではない。そこらでお茶でも飲んで、それから会社に戻ろうと思えば戻れるのだ。

 軽い酔いが八郎の靴の爪先に、必要以上に力をこめさせていた。靴は薄暮の鋪道にかつかつと鳴った。

 

 扉のしまったビルディングの脇のうすくらがりに、易者が小さな店を出していた。白木の台に燈がともり、『手相人相運命判断』という文字を浮き出している。易者は若い女である。その女易者の眼と、八郎の眼が、ぴたりと合った。

 八郎の歩調はためらうようにゆるみ、そして吸いつかれるように台の方へ近づいて行った。この人はおどおどしている。とっさに女易者は職業的な観察眼をはたらかせた。

「見て呉れるかね、手相」

「どうぞ」

 八郎は鞄を持ち換えて、右の掌を差出した。女易者の掌がそれに触れた。

 易者の歳はまだ二十前後らしい。ルパシカみたいな灰色の上衣を着けている。無雑作な断髪なので、白いうなじが見える。八郎はぼんやりとそこを見おろしていた。視野一面の夜の色の中で、そこだけが白く生きている。[やぶちゃん注:「ルパシカ」(ロシア語:рубашка/ラテン文字転写:rubashka)ロシアの民族服・農民服の一つ。詰め襟・長袖・左前開きで腰丈の男性用上衣。襟や袖口や縁辺には刺繍が施されており、腰帯を締めて着用する。本来は厚地の白麻製で、ウエストを絞らず、緩やかにし、しかも暖かいのを特徴とする。音写は「ルバァーシカ」が原音に近い。]

 易者の指は、細くつめたかった。その指は、八郎の掌のあちこちを押して見たり、親指の関節をくねくねと曲げて見たりする。関節の硬軟や反り具合をしらべるのらしかった。まだ何とも言い出さない。仔細に調べているだけである。

(岡田澄子に似てるな)

 掌を無抵抗に易者の指にあずけながら、八郎はちらと考えていた。どこか澄子に似ている。どこがどうとはっきり似ているのではないが、顔立ちの素直さやすらりとした襟首の感じなどが、何となく澄子のそれを聯想させる。さっき、ビルのかげにちらと一目見た時、先ずその感じが八郎に来たのだ。手相を見せるなんて今まで考えたこともないのに、ふらふらと台に近づいたのも、その感じからであった。易者はまだ何も口を開かない。入郎はすこし息苦しくなってきた。白いうなじから、ほのかに若い女性の匂いが立ちのぼってくるようであった。気のせいだったかも知れない。易者がふっと白い顔を上げて、八郎を見た。

「おいくつ?」

「え?」

「年齢(とし)のことよ」

「二、二十八」

 八郎はどもった。易者はまた掌に視線を戻し、筮竹(ぜいちく)を一本とり上げた。そしてはっきりした声で言った。

「あなたは惰性で生きていらっしゃる」

 八郎はぎくりとした。もやもやしたところを、うまく言い当てられたような気がしたからだ。易者は筮竹の尖端を、運命線に沿ってゆるゆると移動させた。

「このきれぎれの運命線は、性格の弱さ、精神力の薄弱などを示し、しばしば生活に窮し、依存的な生活におちいる傾向を示していますね」

 易者の声は、やや職業的な、中性的な、響きを持った。易者は筮竹をあちこち移動させながら、八郎の意志や決断心の弱さ、怠惰な傾向、度胸の欠乏など次々と指摘した。度胸がないと言われた時、八郎は思わず反問した。

「どこにその相が出てるんです?」

 易者は心情線を指した。そこにその相が出ているのらしい。それから筮竹は小指の下へ移動した。[やぶちゃん注:「心情線」環状線に同じ。小指のやや下部から出て、横に走り、通常は人差指及び中指方向へ上行する。]

「あなたはこの抵抗丘が、兆常に弱小でいらっしゃる。これは小心翼々(よくよく)として、臆病だという相です。それから――」[やぶちゃん注:「抵抗丘」調べてみると、手相の各線の間にある掌域を「丘」と呼び、特に感情線の上の小指との間を「水星丘」と呼ぶようである。そこを指すか。とある記載によれば、水星丘が膨れている人は饒舌で商売上手が多く、営業や接客業向きとし、自然と人とのコミュニケーションをとることが上手い、他者から好かれるタイプであるなどと書かれてあった。一方、感情線を挟んだ、その下方の最初の膨らみは「第二火星丘」と呼ばれ、大胆さ・抵抗力・忍耐力・正義感・闘争心・前進力を支配するともあった。以上の部分を指しているようだが、「抵抗丘」という固有名詞はざっと見では見当たらなかった。なお、私は占いの一切を信じない人間である。]

 易者はちらと上目を使って、八郎の顔を見た。

「今あなたは、女性のことで悩みを持ってらっしゃる」

 八郎は黙っていた。易者はつづける。

「愛情丘に島状紋が出ています。これは邪恋とか、異性との相剋、愛情のトラブルを示します。あまり良い相ではありませんね」[やぶちゃん注:「愛情丘」親指の付け根の縦の広範囲部分を「火星丘」と称し、そこは愛情属性を表わすのだそうである。]

 易者は笙竹を置いた。八郎の掌は宙に浮いた。持ち重りのする鞄を、左脇にたぐり上げながら、しばらくして八郎は沈んだ声を出した。

「ぼ、ぼくは今、思い切って、あることをやろうと思っている。そ、それで――」

「おやりになった方がいいでしょう」

 と易者は断定するように答えた。

「決断することであなたの運命は大きく転換する、相に出ています」

 八郎は何か言おうとして、口をもごもごさせた。しかしそれは声にはならず、歪んだような奇妙な笑いが、やがてぼんやりと彼の頰にのぼってきた。その笑いは、光線の暗さのためか、やや邪悪な翳(かげ)を含んでいるように見えた。低い押しつぶされたような声で、

「君が責任を持つかね?」

「え?」

「僕が今踏切ろうとすることに、君が責任持てるかと言うんだ」

 易者は首を傾けて、八郎を見上げた。そして白い頰をほころばせて、短い笑い声を立てた。冗談だと思ったのだろう。それに応じた調子になって、

「ええ。大丈夫。思い切ってやりなさいよ」

「思い切って、それで悪い結果になったら、どうして呉れるんだね?」

「あたしが全身で責任持って上げるわ」

「全身で?」

 易者はいたずらっぽくこっくりしながら、また声を立てて笑った。口紅をつけない唇の間から、濡れた舌の先がちらと見えた。八郎はその瞬間、この女易者に、強烈な接近を感じた。たとえば共犯者への信頼感か連帯感とでもいったようなものを。

「全身でって、大げさな言葉だね」

「だってこれでもあたし、身体を賭けて生きてるんですもの」

「君みたい若い娘さんが、どうしてこんな職業を選んだの。家庭の……」

「それは行き過ぎよ」

 易者はたちまち真顔に戻って、ぴたりとさえぎった。

「あたしは手相を見るだけ。あなたは手相を見られるだけ。それ以上立ち入ることは、おことわりよ」

「そうかい。それもそうだね」

 八郎は掌を引込めた。

「見料はいかほど?」

「百円いただきます」

 八郎はポケットを探ろうとした。そして思い直して、ガチャリと革鞄をあけた。手をさしこんで、そろそろと紙幣をまさぐる。その感触にはひやりとした戦慄があった。

(いよいよ使い込むぞ!)八郎の指が、束の中から一枚の紙幣を、するすると引っぱり出した。

「こ、これでおつりを」

「おつりなんかないわ」

 八郎は肩すかしを食わされたような、途惑(とまど)った表情になる。そしてその千円札を未練げにポケットにしまい、別の百円札を取出す。それを台の上にひらひらと落し、外套の襟を立てながら言った。

「有難う。思い切って、君が言う通りやってみるよ。さよなら」

 

 舞台では白い裸女が、音楽に合わせて踊っていた。

 赤や黄や緑のスポットライトが、めまぐるしく交錯し、トランベットが破れたような音をはり上げる。踊り子たちは皆、白い裸身に申し訳程度の布片をつけ、客席に流し目をおくりながら、手足や胴体を思わせぶりに屈伸させていた。その中の一人が今、大きく動作を変えながら、中央の張出舞台にしずしずと出で来る。ライトがそれを追って移動する。その照明は、ついでに、舞台の両翼の客席をあかあかと照らし出した。そこらの座席は、ぎっしりと満員だ。いきなり光をぶっつけられて、てれくさそうに顔をそむける客。観念したようにじっとしている客。それらの顔顔に交って、穴山八郎の顔が、しごく無感動な色をたたえて、ぼんやりと舞台の方に視線を放っていた。れいの革鞄は、しっかと八郎の胸に抱きしめられたままである。

(これで二百五十円は高いな)

 踊り子の無意味な動きを眺めながら、八郎はふとそんなことを考えていた。さっき易者の台を離れる時、厚氷を力まかせに踏み破るような切ない戦慄があったのだが、それも束の間で、ものの一町も歩かないうちに、糸の切れた奴凧(やっこだこ)みたいな不安定な感情が、彼の全身を領してきたのだ。(さて、何をしたらいいのだろう。ここに百二十万円あるのだが――)サンドイッチマンが立っていた。人形めいた扮装で、時々わざと手をぎくしゃく上げ、劇場の入口を指差している。それを見たとたん、何か命今された如く八郎は、ふらふらと劇場に入って切符を買い求めたのだが、裸女が無意味に踊り動く同じような場面ばかりで、これで二百五十円とは高過ぎる。百二十万円も持っていることをちょっと失念して、八郎はそんなことを思う。それに、裸女と言ったって、全くのヌードでは絶対にない。ストリップ小屋に入るのは、これが初めてだから、少々の期待はあったのだが、裸であるらしく見せかけて、大切なところはチャンとおおい隠してあるのだ。おおい隠してある癖に思わせぶりな恰好と動作で、お客の目を釣ろうとしている。彼は呟(つぶや)いた。

「ふん。莫迦(ばか)々々しいったらないや」

 すぐ傍に張出した花道の、八郎の眼と等高のところに、踊り子の肉体が身悶えするようにくねくねと動いている。ライトに染ったその肌の色が、むしろ俗悪でいやらしい。八郎は小さなあくびをした。思い切って百二十万円拐帯(かいたい)する気になったのに、こんな莫迦げた場所で貴重な時間を潰すなんて、まったくの本末顚倒(てんとう)ではないか。もう先刻の酔いもほとんど醒めていて、富田社長の怒った顔や同僚たちのあざけり顔が、押えようとしてもチラチラと頭に浮んでくるのだ。それらは逃げ廻る八郎の意識を、遠くから鈍く重くおびやかしてくる。(復讐だ!)

 八郎は身体をずらして、そっと立ち上った。鞄を抱きしめ、数百の客席の視線に逆らうように、出口の方に歩く。空いた八郎の座席をねらって、二三の影がすばやく移動する。音楽は鳴りわたっている。

(復讐だ!)

 扉を押して廊下に出る。階段を一歩一歩降りる。何に対して俺は復讐しようというのか。彼はハンカチを出して、つめたい額の汗を拭う。もうこの世のものでない豪華な、目くるめくような烈しい快楽。そんなものを、彼の心は切に欲し始めている。その癖、遠くのどこかで何ものかが、冷やかすような嘲けるような声音で、彼に不断に話しかけてくる。

(まだ間に合うんだぜ。今からその金を、会社に持って帰ればさ。どうだい。え?)

 

 スタンドに肱(ひじ)をついて、酒を飲んでいた。穴倉みたいに暗い、雑然とした大衆的な酒場である。炭火の上で、焼鳥がじわじわと焼け焦げ、煙とにおいが部屋に充満している。酒は熱かった。善良そうな顔つきの女が、スタンドの向うから八郎に話しかけてきた。

「鞄、お預りしましょうか」

「いや。いいんだ」

 八郎はあわてて鞄を抱きしめるようにする。そしてその自分の動作をごまかすためにわざと調子のいい声を出した。

「うまいね。ここの焼鳥」

「自慢ですもの」

「うめえなあ、こりゃ」

 会話を引き取ったのは、先刻から八郎の隣りに腰掛けてしきりにコップを乾(ほ)している男であった。相当酔っているらしく、呂律(ろれつ)も怪しい声で、さっきから誰彼となく話しかけてばかりいる。年は八郎より少し上らしいが、やはり古鞄をぶら下げた、月給取りらしい風体だ。すり切れた外套の肱からしても、おそらく会社でも下っ端なのであろう。下っ端の気楽さと忿懣(ふんまん)が、その酔い方に典型的にあらわれている。

「なあ、オヤジ、この焼鳥は、何だい。表の提燈(ちょうちん)には、鷭(ばん)などと書いてあるが」

「ええ。鷭と申しますのは――」

 団扇をバ尺ハタさせていた年若い主人が、愛想のいい顔をこちらにふりむける。

「――鷭目秧鶏(おうけい)科のちゃぼ大の鳥で、全身灰黒色、翼は橄欖(かんらん)褐色、嘴(くちばし)は黄色で、大鷭小鷭とありまして、冬の肉がしまって、一等おいしいようで――」

「なに。オオバンコバンだと。そりゃ全く花咲爺みたいだな」

 と酔漢はからむ。

「その割にこの肉、一向にしまってないな」

「はあ。今日のは鶏の肉でございます。今度いらっしゃる時は、鷭を用意して置きます」[やぶちゃん注:「鷭」鳥綱ツル目クイナ科Gallinula属バン Gallinula chloropus 。詳しくは私の『和漢三才圖會第四十一 水禽類 鷭 (バン) 附 志賀直哉「鷭」梗概』を参照されたいが、「小鷭」はこのバンで(戦前は、以下の「オオバン」と区別するために野鳥図鑑などでは「コバン」の異名を用いた)、異種のバンに似た大型のクイナ科オオバン属オオバン Fulica atra を指す。但し、オオバンは根元が有意に赤い嘴のバンとは異なり、嘴が白く、上嘴から額にかけても、白い肉質(額板)で覆われており、一目でバンとは、全然、異なっていることが判る(リンク先はそれぞれの当該ウィキ)。]

 女たちが笑い出す。酔漢の眼は、今度は壁に貼られた短冊(たんざく)の方にうつる。

「え。なになに。乙女白息ルパシカの肩の髪ゆたか、だと。べらぼうに下手糞な川柳だな。わけ判らんじゃないか」

「あれは俳句でございます。富田直路という新進の俳人の句で」[やぶちゃん注:「富田直路」実在する俳人。富田直治(とみたなおはる 大正一一(一九二二)年~?:愛知県出身。『風』・『林苑』・『春耕』同人)の初期の俳号らしい。月刊俳句誌『獐noRoWEB版の発行人であられる方のブログ「風胡山房」の結城音彦氏の「風狂 西口界隈第二部 酒場『ボルガ』のこと」に、『富田直路(現在は直治)は当時』『小説公園』『の編集者で、ボルガに「俳人で一番初めに来たのは富田直治」(「麦」五〇〇号記念対談・俳句と人生・~現代俳句の過去と未来~と題する、「獐」主宰高島 茂と「麦」会長田沼文雄の対談から高島 茂の談話より引用)であり、石川桂郎をボルガに連れてきたのも富田直治だということである《当時の「馬酔木」に連載の『続・俳人素描(8)高島 茂』(石川桂郎著)より》』とあり、調べると、この酒場「ボルガ」は新宿の焼鳥屋で、俳人がよく出入りしていたらしい(ここの検索結果)から、或いは、このシークエンスの焼鳥屋も、その店名と掲げられた句(句自体は発見出来なかった。「白息」は「しらいき」か)からも「ボルガ」がモデルなのかも知れない。]

 主人は落着きはらってそう答える。笑声。八郎は、寝入りばなを起された子供のようにぎくりとする。富田という名前から、社長のことをはっと思い出したからだ。八郎の視線は、不安気にそこらあたりに動く。その視線がたまたま、スタンドの端の黒い電話機に、ぴたりと止る。燈の色を吸って、黒々としずもっているその受話器。八郎の眼はしばらくそこに釘づけとなっている。酔いのせいか、その眼はやや赤く血走っている。

(あの受話器を外して、ダイヤルさえ廻しさえすれば)

 その誘感に抗し切れないように、八郎は身ぶるいをする。

(今日の宿直は、誰だったかな。山田――鈴木?)

「おい。元気出せよ」

 隣りの酔漢の掌が、力まかせに八郎の肩をたたく。八郎はぎくりとふり返る。

「元気、出せよ。飲みにきてまで、クヨクヨするなよ。なあ、我が同志」

「クヨクヨなんか」

 酔漢の眼は、言葉の荒っぽさに似ず、案外しょぼしょぼとして、見るからに善良さにあふれている。言わば救いを求めるような、弱々しい眼だ。(ああ俺の眼と同じだ)瞬間に八郎は思う。

「電話掛けようかと思ったんだ」

「掛けなよ。迷うこたあない」

「じゃ、掛けようかな」

 八郎は腰を浮かした。しかし会社に掛けて何を聞こうというのか。何を確かめるのか。女が気を利(き)かせて、電話機を八郎の前に持ってくる。

「さあ、どうぞ」

 八郎は受話器をにらみつける。そしていきなりわしづかみして、ダイヤルを廻す。ペルの音がして、やがて相手が出てくる。八郎はつくり声を出す。

「もしもし。富田商事ですか?」

「そうです」

 宿直の鈴木の声だ。その声の彼方に、小さく固いものを、がらがらとかき廻す音がする。麻雀をやってるな。八郎は鹿爪らしい声で訊ねた。

「社長さんおいででしょうか。おいででしたら一寸お電話口まで」

「社長。社長はもう帰りましたよ」

 そして、ガチャンと向うから電話を切ってしまう。八郎は妙な顔をして、しぶしぶと受話器を戻す。(バカ野郎奴!)八郎はコップヘ手を伸ばす。(ボーナス持ち逃げされたってのに、呑気(のんき)に麻雀などやってやがる?)コップの残りを、ぐいと飲み乾す。(社長が出て来たら、あやまって、これから会社に戻ろうと思っていたのに)

 傍から酔漢が話しかける。

「もう、電話、済んだのかよ」

「済んだよ」

 もう一杯酒を庄文しながら、八郎はさばさばと答える。もうどうにでもなれといった気持だ。

「もう何もかも済んだ。今日は今から飲むぞ。大酒飲んで大遊びするぞ」

 

 酔漢は名刺を出した。しょぼしょぼした下っ端のくせに『大河原帯刀(たてわき)』などという堂々たる名前を持っている。人なつこいたちだと見え、別れようとすると八郎の袖をつかみ、なかなか離さなかった。

「今晩は俺とつき合えよう。袖触れ合うも他生の縁じゃないか。金はまだ、ボーナスが少しばかり残ってるぞ」

 大河原の善良さにも引かれる気持はあったし、気楽な飲み相手だったし、強いて別れたって、自分一人ではどうして遊んだらいいか判らながったし、八郎はずるずると大河原につき合った。焼鳥屋を出、(その勘定は大河原が無理に払った)それからまた二軒ばかり廻った。その一軒は、小さなキャバレーみたいなところで、派手な女たちがそばに坐り、バンドが鳴り響き、フロアでは人影がなめらかに動き、火薬を詰めた小さな紙筒が、あちこちで景気よくパンパンと破裂した。女たちが運んでくるのは、もっぱらビールである。バンドがかきならす曲目は、『ホワイトクリスマス』『ジングルペル』。八郎の酔眼には、そこらあたりは、ごちゃごちゃに引っかき廻した切紙細工に見えた。

「ねえ。クリスマスの券、買ってよう」

 傍に坐った半裸の女が、鼻を鳴らした。

「ねえ、一枚たった二千円なのよ。よう。買ってよう。社長さん」

「僕は社長じゃないよ」

 鞄を相変らず抱きしめたまま、八郎はやや呂律も怪しく答える。その会話を聞きとがめたように、大河原がそばから口を出す。

「いや、えらい。よくぞ見抜いた。この人は、我が社の社長だよ」

「よせよ」

「ねえ。社長さん、買ってよ」

 女が八郎にしなだれかかる。露出した肩の筋肉が分厚い。よく脂肪がのって、五寸位の厚みはありそうだ。強い香料が八郎の嗅覚をくすぐる。八郎は身体を引くようにして、その女の裸の肩を見る。その肌の色は逸楽的ではあるが、八郎が今夜望んでいる快楽とは、どこか異っている。彼は突然、強い退屈を感じる。(どうにかしなくては!)大河原は向うの女と、何か冗談を言い合いながら、ケラケラと笑っている。

 その次の一軒は、天ぷら屋の二階であった。二階と言っても、すすけたようなこの一部屋だけである。大河原は顔馴染(なじみ)らしく、酒や天ぷらを運んできた少女に、心易げな冗談口を利いたり、手を握ったりした。少女は丁度、色気がつき始めたという年頃で、

「いけすかないわ」

「いけすかないったら、ありゃしない。この大河原さんったら」

 口癖みたいに、ちょっと訛(なま)りのある声で発音した。田舎田舎とした顔立ちだが、もう眉黛(まゆずみ)を引いたり、口紅を濃くつけたりしている。爪も赤く染めているのだが、水仕事でふくらんだその手には、極めて不似合だ。大河原の悪ふざけを口ほどには厭がっている風でもなかった。

 少女が階下に降りてゆくと、大河原は大げさに慨嘆するように言った。

「もうあの娘も、生娘(きむすめ)じゃないんだぜ」

「どうして判るんだ?」

「そりゃ判るさ。態度や恰好でね」

 二人は天ぷらを食べた。あまり旨(うま)くなかった。大河原はここでは酒を飲まず、すこしずつ酔いが醒めてきた風である。何だかすこしずつ元気がなくなってくる様子で、口数も少くなってきた。八郎は銚子をつきつけた。

「さあ。も少し飲めよ」

「いや、もう」

 眼をしょぼしょぼさせて、海老(えび)の尻尾などをはき出している。やがて力なく坐り直すと、内ポケットから紙袋をとり出した。年末賞与と書いてある。大河原はそれを逆さに振った。百円紙幣が六七枚、ぱらぱらと畳に落ちた。大河原は八郎の顔を見て、哀しそうな声を出した。

「もうこれだけになっちゃった。どうしよう?」

「どうしようって、使えばなくなるさ」

「そりゃそうだけど、このボーナスを待っている女房子供の身にもなってみると――」

 大河原は手巾(ハンカチ)を引っぱり出して、眼尻を押えた。涙が出ているわけではないから、ちょっと恰好(かっこう)をつけてみたのらしい。

「僕は泣きたくなって来るよ」

「じゃ、使わなきゃ良かったじゃないか」

 八郎はすこし呆れて、つけつけと言った。大河原は叱られた幼児みたいな表情になって、上目使いをした。

「でも――」

「でも?」

「でも、使わずには居れなかったんだよ。あんまり癪(しゃく)にさわって」

「何が癪に障ったんだい?」

「だって、予想じゃ、最低一月半は出るというんだろう。それがさ、今日貰って封を切ってみたら、たった半月分じゃないか。こんなハシタ金、家へ持って帰れるかい」

「半月分でも、出ただけでもいいよ」

 と八郎は詰間するような口調で言った。

「ボーナスをそっくり持ち逃げされて、とうとう一文も社員に渡らないという会社もあるんだよ」

「ねえ。頼む!」

 大河原はいきなり大声を出して、坐り直した。

「今晩、俺の家に来て呉れないか」

「僕が何故?」

「さっきキャバレーで思い付いたんだが」

 と大河原はきらきらする眼で、八郎をにらみつけるようにした。

「君は女どもから、社長に間違えられたな。あのでんで、僕の会社の社長になって、僕の家に来て貰いたいんだ」

「君の家に行って、どうするんだい?」

「うちの女房に会ってさ、今期は社の事業不振で、ボーナスは出せなくて済みませんと、あやまって貰いたいんだ」

「そんなバカな」

 八郎は呆れ果てて嘆息した。

「身なりや恰好見れば判るだろ。こんな平家蟹みたいな社長があるかい」

「平家蟹?」

 大河原は瞳を定めて、しげしげと八郎の顔を見た。

「なるほどね。そう言えば君は、全く平家蟹にそっくりだ。でも、大丈夫だ。僕んちの女房は、身なりや恰好で人を判断する女じゃないんだから。頼む。大河原帯刀、一生の願いだ」

「そういうわけには行かないんだよ。僕は今から遊ばなくては。もう夜も短い」

「なに!」

 大河原はそろそろと腰を浮かせて、卓越しにつかみかかろうとする気勢を示した。

「自分の遊びと、他人の生涯の浮沈と、どちらが大切だ。そんなことを言うと、俺はほんとに怒るぞ」

 そして大河原の手がいきなり伸びたと思うと、八郎の傍の革鞄(かばん)をぱっと摑(つか)んだ。あっと言う間もなかった。革鞄は宙を飛ぶようにして、大河原の胸に抱きしめられていた。八郎は飛び上った。

「あ、それは――」

「どうだ」

 大河原は呼吸(いき)をはずませながら、勝ち誇ったように言った。

「ついて来なけりゃ、この鞄は戻さない。無理に取戻そうとするなら、窓から外に捨てちゃう。どうだ。ついて来るか」

「おともするよ」

 八郎はへたへたと坐り込みながら、観念して答えた。鞄を窓からほうり出されては、たまったものではない。もう大河原の言うなりになる他はないようであった。

 

 油断を見すまして鞄を取返す。そのチャンスをねらったのだけれども、大河原はなかなか用心深く、胸にしっかと抱きしめて離さない。代りに大河原の鞄を持たせられて、八郎は郊外電車に乗せられ、八つ目の駅でおろされた。駅員もろくに居ないような、ひっそりとした寒駅である。八郎はホームでくしゃんとくしゃめをした。そろそろ心細くなってきた。

「ここからまた歩くのかい?」

「うん。なに大したことはない。十五分ばかりだよ」

 半欠け月が空に出ていて、黒々とした樹々の梢を、夜風が音を立ててわたっている。大河原が先に立った。しらじらと伸びる畠中道である。道は泥の凸凹のまま、固く凍りついて、歩き辛い。肥料のにおいが夜気にただよっている。まことに田舎々々とした夜景の中で、大河原がふり返った。

「君は女房子供はあるのかい」

「なに、独身住いのアパート暮しだ」

「そりゃ好都合だったな。じゃ今晩は僕の家に泊って行け。酒ぐらいならごちそうするよ」

 むっとした顔つきになり、八郎は返事をしなかった。ボーナスを使い果たしたのに、まだ飲む気でいるらしい。

 やがて畠の彼方から、点々と人家の燈が見えて来た。ヘんなところに人家の聚落(しゅうらく)があると思ったら、大河原の説明によると、都営住宅だという。同じ大きさの同じ恰好の家が、お互いによりそうようにして、二三十軒ずらずらと並んでいる。

 大河原の家は、その一番端にあった。

 玄関をあける前に、大河原は八郎が持っている鞄をも取戻した。つまり八郎は手ぶらになり、大河原は鞄を二つ抱きかかえた形となる。足でがらりと玄関の扉をあけた。

「帰ったぞ」

 奥から先ず飛んで来たのは、二人の男の児である。そしてそのあとから、奥さんが悠然と姿をあらわした。瘦せて世帯やつれをしたような奥さんを想像していたのに、小型戦車を思わせるような、堂々たる体格の細君であった。八郎はあいまいに頭を下げた。

「お客さまをお連れしたよ」

 大河原の声は、少々元気がなくなってきたようである。八郎の方を指しながら、

「うちの社の、社長さん、の甥御(おいご)さんで、穴山さんとおっしゃる」

 社長として紹介するのは、さすがに気が引けたのであろう。八郎は社長からたちまち甥御に下落した。

「さようでございますか。さあ、どうぞ、どうぞ」

 細君は愛想のいい声を出した。男の児は二人とも、大河原の手にすがって、てんでにお土産を請求し始めた。それをあしらいながら、大河原は細君に知られないように八郎の方をふり返り、ちょっと片目をつぶって見せた。八郎はそのおかえしに、章魚(たこ)のように口をとがらせて見せた。

 座敷に通されて見ると、チャブ台の上に、刺身だの酢の物だの吸物だのが、主を待ち顔に並んでいる。ボーナス日だと思って、とくに細君が料理の腕をふるったらしい。あわててそれを片づけようとする細君に、大河原は声をかけた。

「そのまま、そのまま。それよりも酒をあっためろ。この穴山部長は社内でも有数の酒好きだ」

 

 鞄の中の百二十万円から、その一パーセントをさいて、大河原帯刀にボーナスとして与えよう。その考えが八郎の脳裡に浮んだのは、細君の酌でまた大いに酔いが戻り、便所に立ち、便所の窓から白い片割れ月を眺めた時であった。月は無心に照り、その光はあまねく万物におちている。感傷的な感動が、八郎の胸に瞬間にあった。

(どうせ俺の金じゃないんだ。一パーセント位で、一家の幸福が買えれば、これに越したことはないだろう)

 そういう思い付きが八郎の頭に宿ったのは、大河原一家の家庭の雰囲気のせいもあった。肥った細君は大河原を信頼しているらしく、酒のかんも程良かったし、手作りの料理もなかなか旨(うま)かった。夜遅い父親を待ちかねていた子供らも、お土産がないと判ってもすねることなく、母親の言い付け通り寝巻に着換え、それぞれ素直に寝床に入った。そういう雰囲気は、あたたかく八郎の全身をも包んだ。その家庭の中心であるべき大河原帯刀の態度が何かうしろめたく元気がないのも、ボーナスを使い果たしたせいなのであろう。八郎は月を見上げながら呟(つぶや)いた。

「どうせかっぱらった金だ」

 もし一パーセントの一万二千円を、大河原に与えてしまえば、もう完全な使い込みである。後で悔いても取返しはつかない。その気持をねじふせるようにして、八郎は座敷に戻ってきた。

 心痛をごまかすためか、大河原は盃(さかづき)をぐいぐいあおり、八郎にも、しきりに盃を強いる。細君は、八郎が部長であることを微塵(みじん)も疑わないらしく、しきりに話題を会社のことや、景気のことに持ってゆく。あやふやに受け答えしながら、八郎はそっと自分の鞄を引寄せた。ガチャリとあけて、紙幣束を手探る。一枚、二枚と、十二枚数えて引っぱり出す。すべてチャブ台の下の操作だから、大河原夫妻の眼にもふれないが、なかなかの苦労だ。その十二枚をそろえて、も一度数え直してみる。

「おい。さっきの賞与袋をよこせ」

 細君が台所に立って行った時、八郎は低声で大河原に催促した。大河原はきょとんとした顔で彼を見た。

「早くよこせったら。僕がボーナスを出してやる」

 賞与袋をひったくるように受取ると、十二枚を押し込み、大河原に押しつけた。

「これはやるんじゃないよ、貸してやるんだよ。いいか」

「済まん」

 何か訳も判らないまま、とにかく賞与袋がふくらんだのを見て、大河原は手を合わせて拝むまねをした。細君が酒徳利をぶら下げて、台所から出てきた。拝んだ恰好をごまかすために、大河原はその手をひょいと踊りの恰好に変えた。

「まあ、何ですか」

 細君は坐り込みながら、きまり悪げに八郎の方をちらりと見た。

「いつも宅は酔っぱらうと、ひょうきんな真似ばかり致しまして――」

「バカ言うな。早く酒を注げ」

 と大河原は、急にはつらつと元気が出て来たようである。

「平家蟹部長にも、早く酒を注いでさし上げろ」

「まあ、悪いわ。部長さんのことを、平家蟹だなんて」

 細君は掌を口にあてて、押え切れないように笑い出した。幸福に満ちあふれた笑い声である。手にした徳利から、笑いと共に、酒がたぶたぶこぼれる。八郎はかすかな嫉妬と羨望を感じて眼を伏せた。(この一家はこれで幸福になったが、この俺はとうとう拐帯者(かいたいしゃ)となってしまった)八郎はまた盃に手を仲ばした。成行きに任せるより仕方がない。居直るような気分である。

 

 朝食を済ませ、細君に見送られて、二人は外に出た。赤土を持ち上げたおびただしい霜柱である。二人の靴の下で、それらはサクサクと、鋭い刃になって砕けた。

 うまく応対したものだから、最後まで部長の化の皮は、見破られなかった。しかしそれにしても、何か憂鬱な重い気分である。酔いは醒めたし、寝不足で瞼はふくらんでいるし、昨夜のことが莫迦々々しくて仕方がない。貴重な一夜をムダに過してしまった。全くそんな感じである。風邪を引いたと見えて、鼻の奥が刺すように痛かった。

「昨夜はどうも迷惑をかけたな」

 家が見えなくなるまで歩いてきた時、大河原はにやにやと八郎をかえり見た。

「おかげで女房にも面目が立ったよ」

「まったく大迷惑だよ」

 八郎は笑いもせずに答えた。

「君は面目が立っていいようなものの、僕は予定が大狂いだ」

「あっそうだ。君に借用証書を書いとこう。ほんとに大助かりだったよ」

 駅について、電車が来るのを待つ間に、大河原はペンと紙を出して、急いで借用証書を作成した。見ると返済方法は、向う十二箇月間の月賦となっている。月に千円ずつ返済してゆくつもりらしい。別段異存もなく、八郎はそれを受取った。酔いが醒めた今となっては、一万二千円が惜しいというより、それを与える気になった自分の未熟な感傷の方が恥かしかった。

 郊外電車から国鉄への乗換駅は、ものすごく混んでいた。みんな鞄をぶら下げた出勤者ばかりである。その中でもまれながら、この数百数千の群集の中で、自分一人だけがどこにも行くあてがないと思い当った時、八郎は突然強い寂寥(せきりょう)と焦燥を感じた。大河原は鞄をかかえこんで、歩廊への階段を降りてゆく。八郎は人混みにまぎれるふりをしながら、そっと大河原から離れた。大河原も会社に出勤するに違いないし、いつまでもついて歩くわけには行かないのである。

 八郎はそのままふらふらと、あてもなく改札口の方に歩いた。とにかく駅を出なくては。こんなに多くの群集の中には富田商事の人間が一人や二人混っていないとも限らない。見とがめられると大変だ。

 改札を出ると、八郎は得体の知れない不安に恐怖を覚えた。誰かが遠くから、じっとこちらを監視しているような感じがする。そいつがいきなり手をあげて「拐帯者!」と叫び出しそうな気がする。八郎は外套(がいとう)の襟を立て背を丸めるようにして、あてもなく急ぎ足であるいた。人通りの多い街を外れ、人気(ひおけ)のない淋しい区画の方へ、自ら足が動いてゆく。ぶら下げた鞄は、犯した罪の重みのように、しっとりと手に重かった。

(さて今日は、どうやって時間を消すか?)

 

 ごみごみした小住宅街の、とある横丁に何気なく曲り込んだ時、八郎の耳は清らかな斉唱の声をふととらえた。幼い子供たちの合唱である。歌は讃美歌であった。

 

  もろびとこぞりて

  むかへまつれ

  ひさしくまちにし

  主はきませり

 

 八郎は立ち止って、あたりを見廻した。柵に囲まれた空地と見えたのは、幼稚園の庭らしく、声はその傍の緑色の建物から流れてくるようであった。八郎はかすかに胸がつまった。子供の頃通っていた日曜学校のことを、思い出したからだ。

(そうだ。今日はクリスマスだ)

 八郎は庭に足を踏み入れ、建物の入口をそっとのぞいて見た。靴棚には子供たちの靴が、三和土(たたき)には大人の靴や草履(ぞうり)が、足の踏み場もないほどに並んでいる。

「クリスマスをやってるんだな」

 どういう気持か判らないが、ふっと八郎はそこに入ってみる気になった。幼児の父兄みたいな顔で入れば、見とがめられることもないだろう。

 八郎はそっと靴を脱いだ。廊下に上ると、壁に大鏡がはめこまれていて、それが彼の全身をうつし出した。八郎はその自分の姿を見た。蟹(かに)そっくりの自分が、革鞄を大切そうにかかえている。八郎は眼を外らした。

 クリスマスの部屋は、廊下を曲って、突き当りの部屋であった。扉が半開きになり、母親たちらしい人影があふれている。その手前が、いろいろ準備をする控えの間らしかった。その控えの間に立っている二人の中年の女が一斉に頭を動かして、八郎を見た。その一人が、いらだたしげな手付きで、八郎を手まねきした。

 八郎は意志をなくしたように、ふらふらとその女の方に近づいて行った。手まねきした女は、縁無し眼鏡をかけていて、いかにも世話役らしいきびきびした顔をしていた。

「ずいぶん遅かったわね。はらはらしたわよ」

 と女は八郎に、つけつけした口調できめつけた。

「早く着換えなさいよ。子供たちは先刻から待ちかねているのよ」

 八郎はキョトンとしていた。何か間違えられていることは判ったが、どんな間違いなのかそれはよく判らなかった。女の右手がいらいらと卓の上を指した。

「早く、早く」

 八郎は卓上を見た。そこには赤い衣服や帽子や、大きな袋が載っている。サンタクロースの扮装である。

「僕が、この衣服を?」

「そうよ、きまってるじゃないの」

 女は八郎の外套に手をかけて、脱がせようとした。八郎はそれにあらがおうとして、すぐに力を抜いた。外套は無雑作に剝ぎ取られた。も一人の女は赤い服を持って、八郎の背後に立っている。否も応もなかった。五分後、白い綿を鼻下や頰ぺたにくっつけてサンタクロースがすっかり出来上った。二人の女は大きな袋を、八郎の背中に押しつけた。袋の中には玩具やそんなものが沢山入っているらしく、ガチャガチャと鳴った。

「バカね。この人」

 眼鏡の女が八郎の手から、鞄をひったくった。

「鞄をぶら下げたサンタクロースが、どこにありますか!」

 隣りの部屋から、可愛い合唱が流れてきた。足踏みの音も聞えてくる。

 

  あかい帽子をかぶってる

  サンタ爺さんまだ来ない

  遠い雪道寒いだろう

  静かにすると聞えてくるよ

  リンリンそりの鈴の音が

 

 眼鏡の女がリンリンと鈴を鳴らしながら、廊下に出ていった。鞄に心残りはしたが、八郎ももう騎虎(きこ)の勢いで、女のあとにつづいた。ガニマタで猫背の俺だから、サンタ爺にはうってつけだな。そんなことを考えながら、鬚の中で八郎は苦笑した。鈴の音にみちびかれて部屋に入ると、歌はしずかに止み、小さな掌を打ち合わせる拍手が、四方からまき起った。突然一粒の熱い涙が、八郎の瞼を焼いて頰に流れ出た。彼は手を上げ、鬚の先でそれを拭きながら、強いて朗かな声を出そうとした。

「皆さん。私は今日遠い国から、ソリにのってはるばるやって参りました」

 咽喉がかすれて、快活な声にならなかった。たくさんの幼い眼の注視の中で、八郎はぎくしゃくと袋を床におろした。

「さあ、ここに皆さんへのクリスマスプレゼントが……」

 

 午後十時。女易者は店を片づけ始めていた。燈をふき消し、木の台を折りたたむ。白いうなじに寒い夜風があたる。易者はちょっと身ぶるいして顔を上げた。昨夜の男がそこに立っていた。今夜もいくらか酔っているらしく、呂律(ろれつ)がはっきりしない風であった。

「もう店仕舞かね?」

「ええ。師走だから、お客が寄りつかないんですもの」

「も一度手相を見て貰いたいんだ」

「もう駄目よ。燈も消したし」

「じゃ、そこらでお茶でも飲みながら――」

 女易者はいきなり腕を摑(つか)まれた。真剣な握力である。易者は一度はそれをふりはなそうとしたが、思い直したようにその動きを止めた。

「じゃ、ちょっと待っててね」

 易者が仕事道具を片づけて、近所の店に預けてくる間、穴山八郎はビル横のうすくらがりにぼんやり佇(たたず)み、遠く近くの盛り場の燈の列を眺めていた。今宵はクリスマスイヴである。明るい燈のもとを、酔客の群がはしゃぎながら歩いてゆく。八郎の眼は、やや兇暴な光を帯びて、それを見た。易者は小走りで戻ってきた。

「お待遠さま」

 八郎は先に立ってあるき出した。易者もそれにつづいた。酔いの意識の底で、八郎はいつかタイピストの岡田澄子とつれ立って歩いているような錯覚におちている。いたわるような遠慮がちの声で、

「お茶でものむ?」

「何かあたたかい、食べものの方がいいわ」

 八郎は易者の顔を見た。易者はわるびれない視線で、八郎を見返した。

 十分後、二人は中華そば屋にいた。五目そばを食べていた。もっとも食べているのは易者の方で、八郎は二箸三箸つついてみただけである。食事は終った。待ちかねたように八郎は口を切った。

「君が言う通りにやってみたけれど、やっぱり面白くなかったよ」

「何のこと?」

「決断して踏切れってことさ。そら、昨夜そう言ったじゃないか」

 易者は手巾(ハンカチ)を出して、口のまわりを拭った。無表情な、能面にも似た静かさである。

「決断して何をしたの」

「会社の金を持って逃げたんだ」

 易者は短く笑った。しかし八郎の真面目な表情を見て、笑い止めた。食べ終った箸(はし)をポキポキ折りながら、

「面白くなかったら、戻せばいいんじゃないの。カンタンなことよ」

「カンタンにゆくものか」

「でも、持ち逃げしたって、あれから一昼夜でしょ。どうにでも言い訳はつくわ」

「どう言い訳するんだね」

 易者は黙った。沈黙が来た。少し経って、八郎は押しつぶされたような声を出した。

「君は責任を持つと言ったね、昨夜。全身的な責任を」

 易者はぎくりとしたように顔を上げた。ぎらぎらした八郎の眼がそこにあった。食い入るように見詰めている。

 やがて易者は肩を動かして、ほっと息をついた。そして視線を八郎の鞄にうつしながら低い切迫した声でたずねた。

「金は、その鞄に入ってるの」

 八郎はうなずいた。

「いくらぐらい?」

「百二十万円」

「どうしてそれを持ち逃げする気になったの?」

 八郎の顔に、ちらと困惑の色があらわれた。今度は易者の視線が、まっすぐに八郎を突き刺している。八郎はどもった。

「交叉点の信号が、赤だったんだ。だから僕は……」

 

 ちょっと電話をかけてくるから、もし厭だったら、その間に姿を消してしまいなさい。八郎が女易者にそう言う気になったのは、かりそめの遠慮心からだっただろうか。聞えたのか聞えなかったのか、易者は眉も動かさず、しずかに煙草をくゆらしていた。何か考え込んでいるふうにも見えたし、ふてくされた態度にも見えた。八郎は鞄を小脇にかかえ、奥へ歩いた。

 電話は調理場のそばにあった。肥ったコックが大きなフライパンで、しきりに料理をつくっていた。ラードやニンニクのにおいがむっとただよう。

 八郎は手帳を取出し、眉を吊上げて、しばらくその一頁をにらんでいた。記してあるのは、富田社長の自宅の電話番号である。も一度電話する気になったのも、易者のすすめからであった。もちろん受話器をとり上げるのには、密度の違う世界に入ってゆくような、烈しく不快な抵抗があった。電話口の向うに、やがて社長の声が出て来た。

「ああ、穴山君か」

 いつもの声とちがって、おどおどしたような猫撫で声である。

「どうしたんだね。心配してるよ。今どこにいるんだね?」

 八郎は黙っていた。

「ねえ、穴山君。一刻も早く帰っておいで。君のことは、まだ誰にも話してない。誰も君の行為は知らないんだ。僕の胸ひとつにたたんである。大手をふって帰っておいで。今からでも遅くはない」

 社長の狼狽ぶりと心痛ぶりが、その猫撫で声から、ありありと読み取れるようであった。八郎はしかしその口調に、かすかな反撥を感じた。

「無条件で僕を入れますか。それがうかがいたいんです」

「もちろんだよ、君」

 社長の声は日頃の豪快さを失って、いよいよ弱々しくなるようであった。

「少しぐらい使い込んであっても、僕は何とも言わない。な、戻って来てくれ。頼む。その金が戻らないと、僕は社員や株主に顔向けができんのだ。な、教えてくれ。今どこにいるんだね?」

「都内の某所に潜伏中です」

「そ、そんな意地悪なことは、いわないでくれ。君の条件は、何でも入れる。決して自暴自棄にならないで、な、人生は真面目に渡った方が、結局は得なんだ。君だって子供じゃないんだから、判るだろう」

 受話器を耳にあてたまま、八郎はコックの焼飯のつくり方を眺めていた。なるほど、あそこで塩を入れ、それからコショウを入れるんだな、そして調子よく、フライパンの中の飯をひっくりかえす。

「ねえ。どうしてそんな出来心を起す気になったんだい。え。何か僕に不満でもあったのか。不満があったら、逃げたりしないで、僕に直接言えばいいじゃないか。え?」

「よく考えてみます」

 八郎は受話器を耳から離した。何か叫ぶ社長の声が、耳から弱まった。八郎はガチャリと電話を切った。あまり愉快ではない。ひややかな笑いが、泡のように八郎の口辺にのぼってきた。(奴さん。金を持ち逃げされて、大あわてしてるらしいな)電話をかけるまでは、こんな情況は想像だにしなかった。むしろ、怒鳴りつけられる自分をすら想像していたのだ。案に反して、今のところ、こちらが絶対優位に立っている。その自覚は、突然彼の気持を兇暴にした。(矢でも鉄砲でも持って来い!)彼は肩肱をいからせて、つかつかと店に戻って来た。

 易者は煙草をくゆらせながら、じっと卓に待っていた。その白いうなじの色に、八郎はいらだたしいほどの情欲を感じた。

「帰らなかったんだね」

 うなじに断髪がゆらいで、女はかすかにうなずいた。

「なぜ帰らなかったんだね?」

 易者はやや蒼ざめた顔を上げた。片頰にはこわばったようなつくり笑いが浮んでいる。はっきりした声でいった。

「あなたが可哀そうだったからよ」

「僕を憐れむのか?」

 八郎の眉間に、暗い光が走った。

「そう。それから――」

 易者は視線を宙に浮かせながら、早口で、

「その鞄の中の金のことが、気になったからよ」

「何故気になるんだね?」

「だってあたしも、貧乏だもの」

 易者は灰色の上衣の襟をかき合わせるようにした。八郎の掌は、その肩をつかんだ。掌の下で、やわらかい肩の筋肉は、びくりと慄えた。八郎はその耳にささやいた。

「今晩、僕と一緒に行くか?」

「どこへ?」

「どこへでも」

 易者は煙草を灰皿におしつけた。火はジュウと消えた。蒼白い顔を上げた。

「行ってもいい。その代り、あたしに上衣を買ってくれるなら」

 媚びが女の全身ににじみ出た。自然のものというより、無理にしぼり出したような、苦しげな身のこなしであった。八郎は掌を肩から離した。(この俺にではない。百二十万円に媚びているのだ)しかし、それならばそれでもいい筈であった。今の八郎に、どんな異存があるというのだろう。

 

 自動車の中で、八郎は易者によりかかるようにして、幼稚園のクリスマスの話をしていた。声は上機嫌で、むしろ軽薄な響きを立てたが、八郎の心は暗く沈んでいた。沈んだ心をかき立てるために、彼の口調はますます軽燥な色を帯びた。

「誰かと間違えられたらしいんだ。――よく判らない。――それでとにかくサンタクロースになってしまった。サンタクロースの服はにかわのにおいがしたな。部屋に入ってゆくと、子供たちは皆拍手をした。――僕はどぎまぎした」

「なぜ、どぎまぎしたの?」

 易者は気のないような相槌(あいづち)を打った。

「判らない。サンタでもないのにサンタのような恰好をしてたからだろう。拐帯者のくせに、慈善者のなりをしたりしてさ」

 八郎の右手は、易者の肩にかかっていた。肩をおおっているものは、先刻店で買い求めたグレイのハーフコートである。ふわふわしたあたたかい感触であったが、それはまた血の気の通わない、不毛のあたたかさでもあった。先程の兇暴な情欲は、もう八郎の心の中で死んでいた。あるのは、義務とか責任に似た、重苦しい思いだけである。(この女も勿論同じ思いに違いない)八郎は自分の情欲をふたたびかき立てるように、しきりに女の肩をまさぐっていた。衣服が厚くないので、貝殼骨のありかが、ありあり指に感じられた。女はくすぐったそうに、肩をすくめた。八郎は低声でいった。

「こんなことするの、初めてかい?」

「そんなこと聞いても仕方ないでしょ。何故あなたはあたしと遊ぶ? 初めてだろうと二度目だろうと、関係ないじゃないの」

 女の掌が、肩の八郎の掌を押えていた。女の指は長くつめたかった。そのままの姿勢で八郎は窓の外を眺めていた。自動車は暗い夜の街を疾駆していた。窓ガラスをちらちらと白いものがかすめた。雪のようである。

「明日から――」

 明日のことを考えるのは、物憂かった。しかし明日になれば、俺は臆病になり心を萎縮させて、あれこれ惑った後、結局は鞄をぶら下げて、富田商事に戻って行くだろう。その予感が、不快なしこりのように、先刻から八郎の胸をおしつけていた。二日間の茶番。その茶番も今夜でピリオドを打つのだ。八郎はも一度力をこめて、女のほっそりした体をだきすくめるようにした。自動車は大きくカーブを切った。女の体は物体の法則にしたがって、彼の胸になだれこんで来た。女の体は生き物のにおいがした。

 

2022/07/05

ブログ始動十六周年記念 梅崎春生 飢えの季節

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二三(一九四八)年一月号『文壇』に初出し、後の作品集『飢えの季節』(同年八月講談社刊)の収録された。

 底本は「梅崎春生全集」第二巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。文中に注を添えた。

 本電子テクストは私のブログ「Blog鬼火~日々の迷走」(二〇〇六年七月六日始動。初回記事はこれ)]の十六周年記念として公開する。【二〇二二年七月五日五時三十一分 藪野直史】

 

   飢 え の 季 節

 

 その頃の私は、毎朝四時に眼がさめた。身体のふしぶしには眠りがまだ残っているのに、扉口から外へ押しだされるような具合で、意識だけが突然はっきり覚めてしまうのであった。覚めぎわの気分は、いつもひどく悪かった。蝉(せみ)のぬけがらみたいに、からからに乾いた感じであった。暗闇の沈みこんだ部屋の底で、私は布団のなかに平たく横たわり、そしてしらじらと覚めていた。寝覚めのときというものは、普通の男なら皆あらあらしく精気にみちている筈なのに、なぜ私だけがそんな眼覚めかたをするのだろう。それはなぜでもなかった。私の肉体が病んでいるわけでもなかった。精神が絶望しているわけでも更になかった。ただひとつ、私にそんな寝覚めを強要するただひとつは――つまり私の腹が極度に減っているからなのであった。ただそれだけであった。ただそれだけが、あの悪夢の果てのにがい寝覚めを私に持たせるのであった。

 季節は秋が終りかけて、そろそろ冬が近づいてくる頃だった。私は寝巻の袖から肌さむい腕をのばして電燈を点じ、そして枕許の時計をながめるのが常であった。それは必ず四時であった。印でも押したようにきまって四時を指していた。飢餓の季節にも自らなるリズムがあって、それが私の生理の日常を支配しているらしかった。それから私はふたたび布団のなかに平たくなって起き上るべき時間のくるのをじっと待っている。もはや眼覚めたそのときの私の想像に入ってくるものは、先ず白い御飯にあたたかい味噌汁をそえた朝食の幻想であった。この幻想はごく迅速に私の消化器に連結して、ある収縮感をともなった刺戟を私につたえて来るのであった。御飯はつぶつぶに真珠のように光っていた。味噌汁は――そのときの具合で、豆腐が入っていたり、若布(わかめ)が入っていたり、まれには茸(きのこ)や筍(たけのこ)が入っていたりした。それから私はしぜんに小皿を思い浮べる。豚肉の煮たものや秋刀魚(さんま)の焼きたて。また歯ごたえのある沢庵(たくあん)。烏賊(いか)のさしみ。アスパラガス。あたたかいシチウ。玉子焼。そんな具合に私の聯想(れんそう)がとらえたひとつひとつの食物を、私はじっくりと全身をもって舐(な)めまわしながら、また次ヘ移ってゆく。鰻(うなぎ)の蒲焼。肉の揚物。木の芽あえ。田楽。――それらはすべてなまなましく、そのくせ膜をいくつも隔てたようにはるかでもあった。それらは想像のなかで、匂いや舌ざわりすらも伴っていた。そして私がそれをはっきりとらえようとすると、内臓の不快な収縮感だけを私にのこして、それは急に感覚から遠のいてしまうのであった。そうすると乳首を唇から外した幼児のように、私はあわてて次の聯想の乳房にしやぶりつく。また新しい皿が湯気や匂いをたてながら、私の幻の食卓に置かれるというわけであった。そしてそのむなしい幻想をかさねてゆき、恣意(しい)の倦怠がしだいに胸におちてくると、ある名状しがたい苦痛と陶酔がまじり合いながら、私の身体を潮騒のように満たし始めてくる。その頃になって私は、この一夜の長い悪夢も、そんな食物の幻でいっぱいであったことに気がつくのであった。顎(あご)までふかぶかと布団をかぶせ、両脚をそろえて伸ばし、私はうとうとと半眼をひらいて、闇の中からしだいに光がためらうように淡くただよってくるのを、漠然たるある予感とともに待っている。起き上る時間までの数十分を毎朝こんな具合にして私はすごしてしまうのであった。それは私にとって独立したひとつの世界だった。そしてしんとした昧爽(まいそう)の大気をゆるがせて、遠くから南武線の始発電車のひびきが伝わってくる頃、確然と夢想を断ちきって、私はうす暗い部屋の底に上半身を起すのである。ひとつの世界から意識を脱出させる不快な抵抗をまざまざと感じながら。――[やぶちゃん注:「昧爽」「昧」は「ほの暗い」の、「爽」は「明らか」の意で、夜の明け方・曉・未明のこと。]

 飢えと憂いにみちた私の一日の行程が、こうして毎朝始められるわけだった。

 

 私が住んでいたのは、ちいさな農家の二階であった。そこから南武線の稲田堤の駅まで二十分位あった。身仕度をしてくらい階段を降り、まだ寝しずまっている階下を跫音(あしおと)しのばせて土間に降り、かけがねをそっと外してそとに出るのであった。土間には収穫した薩摩芋がごろごろと積まれてあった。それを横眼でみながら私はそっと戸を閉じる。庭を通りぬけ、私はわざと畠のなかの径をえらんで駅の方にあるいてゆく。[やぶちゃん注:「稲田堤」は神奈川県川崎市多摩区のJR東日本南武線稲田堤駅及び京王電鉄相模原線京王稲田堤駅周辺を指す地域名。町名としては南武線稲田堤駅が所在する菅稲田堤(すげいなだづつみ)が残る。この附近(グーグル・マップ・データ)。梅崎春生の随筆「日記のこと」にも登場する地名である。梅崎春生自身、敗戦の一ヶ月後の昭和二十年九月に上京した際、川崎の稲田登戸の友人の下宿に同居している(現在の神奈川県川崎市多摩区登戸。現在の小田急電鉄小田原線の「向ヶ丘遊園駅」は昭和三〇(一九五五)年四月に改称されるまでは「稲田登戸駅」であった。ここ(グーグル・マップ・データ)。南武線登戸駅は南武線稲田堤とは二駅しか離れていない)。そうして、かの名作「桜島」(リンク先は私の電子化注PDF版。分割の連載形式のブログ版はこちら)は、まさにこの稲田登戸で書かれたのである(春生の「八年振りに訪ねる――桜島――」を参照のされたい)。但し、以下で主人公が勤めている奇体な会社は不詳。作者自身が実際にそうした仕事をしていたかどうかという事実も不明である。]

 稲田堤から電車にのり、登戸で小田急にのりかえ、新宿できて中央線をつかまえる。そしてお茶の水まで、満員電車からはき出される頃には、日はすっかりのぼっていて、お茶の水駅の横のだらだら坂を、額に光をうけながら私はゆるゆる降りてゆく。家を出てから二時間あまりも経つわけだった。満員電車にもまれながら、私は同車の乗客たちの吐く息から、さまざまの臭いをかぎわけることができた。彼等はすべて私と同じ勤め人であった。ただ私とちがう点は、私が朝飯を食べていないのに反して、彼等はそれを済ましているということだった。その呼吸のにおいから私は、味噌汁の匂いや沢庵のにおい、また御飯や麵麭(パン)のにおいまで、ありありと感じわけるのであった。そしてそれらは一々、私の胃の腑(ふ)に鋲(びょう)をうちこむようにひびいてきた。同車の男たちのひとりひとりに私は内部に折れまがったような憎悪を感じながら、とげとげしく押したり押し返されたりした。それからやっとお茶の水でひょろひょろと電車から押し出されるというわけであった。

 昌平橋のたもとにある外食食堂に私が登録していたというのも、勤め先の位置の関係からであった。稲田堤のちかくには、そんな風の食堂はなかった。あったとしても、私が出かける時間にはまだ開いている筈がなかった。だから余儀なく私はここに登録する他はなかったのだ。前にのめりそうになるのを辛抱しながら、私は一歩一歩だらだら坂を降りて行く。坂の横は高架となって、省線電車がひっきりなしに往来する。私の眼からそれらの電車を斜下から見あげることになるのであった。すすけた鉄色の入組んだ、袋のような形や棒の組み合わさった電車の下部構造が、あらわに私の眼に映じてくるとき、私はなにか醜悪な色情をそれに感じることがあった。そしてそれは私の空腹感とまじりあって、あるやりきれない気分として私の胸にひろがってくるのであった。

(先ず朝飯を! 先ず朝飯を!)

 呪文のようにそんなことを呟(つぶや)きながら、私はそれから視線を外(そ)らして、外套の背を丸くしたまま坂を降りてゆく。

 汚ない掘割に面したその食堂は、私が着くころは大ていがらんと空いていて、そろそろ片づけにかかっている日が多かった。私は入口で登録票と金を差出して、真鍮(しんちゅう)の食票をうけとる。たいていただの一食分。どんなに私は二食分たべたかっただろう。いや、二食分だけでなく、三食分も四食分も。実際私はこらえきれなくて、二食分を買って食べたこともしばしばあったのだ。しかしそうすれば、必ず昼か晩を抜かねば勘定があわぬ筈だった。それがどんなに辛いことであるか、私自身が一番よく知っていた。だから歯を食いしばっても一食分なのであった。このきびしい戒律を自分に課しているつもりでいても、私の登録票はいつも先の日まで食いこんでいたのである。月末になればどうすればいいのだろう。そのことは不快な予覚として常住私を脅やかしていた。それにもかかわらず、食票を買うとき私の心は、一食にしようか二食たべようかと、その度にはげしい格闘をするのであった。そしてやっとのことで欲望をねじふせて、私は一枚の食票をにぎりしめてがらんとした食堂の中に入ってゆく。

 外食食堂の一食分とは、なんと僅少な分量しかないのだろう。頰張って食えば、四口か五口で終ってしまうのだ。水のようにうすい味噌汁と三四片の沢庵(たくあん)。食べ終るのに二分間もかかりはしない。四時に眼がさめて、さまざまな食物を幻想した果てに、こんな貧寒な食事しかとれないということ、それはほとんど憤怒に近い感情をいつも私に起させるのであった。私はこめかみをぴくぴく動かしながら、またたく間にそれを食ってしまう。食ってしまっても、満足などある筈はなかった。なお空腹がはっきりしてくるに過ぎなかった。入口まで戻って、もう一食分買いたいという猛然たる欲望を握りつぶして、私は眼をつぶって食堂を出てゆくのである。

 入口の近くには、そんな朝っぱらから汚ない恰好の男が五六人、何時もなんとなく立っていて、こそこそ話しあったり日向ぼっこをしていたりした。この男たちのふところには旅行者外食券が何枚もしまわれてあって、一枚三円出せば分けて呉れることを私は知っていた。どんなに私はそれを買いたかっただろう。しかし買うわけには行かなかったのだ。復員のとき持って帰った靴や外套を、私はすでに食うために売りとばしていた。あとは今着ているやつだけであった。戦争がすんでまだ四箇月も経(た)たないというのに、私はあらかた持物を売りつくして、止むなく今の勤め先に入ったという訳であった。復員後ただちに上京してみると、私がつとめていた会社のあたりは焼野原になっていて、焼けのこったくさむらの中で蟋蟀(こおろぎ)がないているだけであった。社はどこに行ったのか判らなかった。こんな具合で私はうやむやの中に失業したのであった。そして二箇月ばかり売り食いしてあそんだ。だから金銭的な意味では、私は貪窮の底にいたのだ。

 今の勤め先というのも、私は新聞広告でみて履歴書を持って行った処であった。すぐ採用ときまったけれども、給料はいくらなのかまだ判らなかった。月末になってみないことには私には見当がつかなかった。しかし給料であるからには、食えるだけは呉れるだろうと、漠然たる期待を私は胸にあたためていたのである。その勤め先の事務所は、神田にあった。焼げビルをトタン板などで修理したきたない建物の二階だった。[やぶちゃん注:「昌平橋」グーグル・マップ・データのこちらで以上に出た地名はカバーされている。]

 

 凸凹になった階段をのぼってゆくと、雑然と机が並んでいて、仕事は八時半から始まった。会長というのは体格のいい壮年の男であった。八時半になると全員があつまって、鼠みたいな風貌の庶務課長の号令で、宮城追拝と会長どのへの敬礼をおこなった。戦争も終って世の中が大きく転換しようというのに。

「宮城にたいしたてまつり最敬礼!」

「会長どのにたいし敬礼!」

 こんな号令のもとで頭を下げねばならぬことは、まことにまことに不本意なことであったけれども、給料を貰って飯をくうためには仕方がないことだ、と私は自分に言いきかせるのであった。しかしそれでも頭を下げる瞬間は、屈辱のために顔の筋肉が硬(こわ)ばるのをどうしようもなかった。それから一席会長の愚劣な訓辞があって、ばらばらに分れて自分の席にもどり、やっと仕事が開始されるというわけであった。

 此の会社の事業というのは、町角などに立看板を何枚も立てて、それを通行人に見せるという仕組のものであった。戦争中は情報局と組んで、焼夷弾はどうやって消すかとか、家庭菜園のつくり方だとか、ヒマを何のために作るかとか、そんな風なテーマを立看板の二十枚位に書いて町角にならべることを仕事としていたらしかった。もちろんその頃の金は情報局から出ていた。ところが戦争がすんで情報局が消滅してしまうと、この恰幅のいい会長は、こんどは自力で事業を運営する決心をしたらしかった。新聞広告までして人員を募集したというのも、そんな事情によるわけであった。毎朝の社長の訓辞よりすれば、この度は文化国家の建設とデモクラシイの啓蒙運動に全力をそそぐというのであるらしかったが、それにしては宮城などを最敬礼させることは少々おかしなことに思われた。しかし誰もそれについては変に思っていないようだった。皆諾々(だくだく)と最敬礼し、そしてのろのろと仕事についた。

 私の仕事というのは、立看板の構成をやることであった。入社早々私に与えられたのは、「大東京の将来」というテーマなのであった。未来の大東京が如何にあり、如何にあるべきか、ということを、二十枚の看板で都民にみせるわけであった。朝礼がすむと、私は自分の席にすわって、昨日のつづきの構成を考えはじめる。私の前は窓になっていて、そこから一面の焦土が江東の方にのびているのが眺められるのであった。ところどころ残った焼けビル、道路のはしに焼けただれた自動車の残骸、焼けトタン板の散乱、立ち枯れた樹々、そこのあたりを十一月の風がそうそうと吹きぬけている。この焦土の上に、どのような大東京がたてられるのか。そんな未来の東京を夢想することが、ここでの私の仕事であった。私は疲れた頭にむちうって、そんな夢想を組立て始める。――

 窓からつめたい風がはいってくるので、私たちは一日中外套を着たままであった。私の席の右隣は佐藤という男で、おそろしくよくしゃべるくせに、内容は何もないような感じの男であった。服の上から徴用工じみたカアキ色の上衣をかさねているので、小さな体軀(たいく)がなおのこと貧寒に見えた。左隣は長山アキ子という女で、これは私のもっとも厭な型の女だった。へんに高慢ちきなしゃべり方をする女で、彼女がもっているテーマは「アメリカ人の生活」という題目なので、ライフ誌とかそんな種類の米国雑誌を机の上に山とつんで、一日中それを眺めたり人の仕事にうるさく口出ししたり、実のところは仕事は何もしていないくせに、一番忙しそうな感じのする女であった。その他にも二三人いて、それがこの社の編輯(へんしゅう)部ということになっていた。その他に、庶務や会計や、ペンキ屋や図案部などがあることになっていた。

 仕事にかかり始めて一時間も経つと、ふたたび私は猛烈な空腹を意識し出すのだ。朝たべた飯などまたたく間に消化されつくして、胃(い)の腑(ふ)はすっかりからっぽになっているらしかった。時計の動きが何とおそく感じられることだろう。一時間も経ったかと思うのに、まだ十分しか動いていないのだ。こうなると、大東京の幻影もいちどきに消え果ててしまうのである。私は椅子の上で身体をもぞもぞ動かして貪乏ゆるぎをしながら、感覚をごまかそうと試みている。長山アキ子のふくらんだ頰ぺたが麵麭(パン)みたいに見えてきたりするのはそんなときなのだ。

 十一時半頃になると私は辛抱がしきれなくなって、そっと立ち上り、便所にゆくようなふりを装って部屋を出、凸凹の階段を一気にかけ降りる。昼飯の想像だけで腹がぐうぐう鳴っているのだ。汚ないアスファルト道を膝をがくがくさせながら私は急ぎ足であるいてゆく。今日のおかずは何だろう。そして二食分くえたらどんなにいいだろう。そんなことを熱心に考えつづけながら。――

 しかし大ていの場合、やはり私は一食で我慢する他はなかったのだ。そして他のお客たちが二食分を食べているのを眺めながら、私だけは一食で辛抱している。あんなに二食いっぺんで食べるのは、朝飯を抜いたからなのだろうか。それとも食券を買ったためだろうか、などと余計なことを考えながら、私は横目でチラチラとそれらをぬすみ見ているのだ。そんなときの私の眼付は、きっと飢えたけものの眼付をしているにちがいなかった。あるとき私がそんな風にして眺めていたとき、中年のよごれた服装の女だったが、ぎょっとしたように私の眼から膳を自分の方にひきよせたことがある。そのとき私はどんな顔つきをしていたのだろう。鏡がなかったから、自分の顔を見るよしもなかったが、そのときのことを思い出すたびに私の頭に浮んでくるあるひとつの情景がある。

 それは私が軍隊にいたときで、食卓番になって烹炊所(ほうすいじょ)に待っていると、烹炊所の片すみに残飯がごちゃごちゃ捨てられていた。その当時も私たちは極度に腹をすかしていた。ふと顔をあげて横に並んでまっているひとりの兵隊の顔をみたとき、私はある衝動が突然胸をつきあげてくるのをかんじた。それはやはり四十歳位の老兵で、無精ひげを伸ばした瘦せこけた兵隊だった。その瞳孔の開ききったような眼は、からからに乾いて、その残飯の山に吸いつけられているのであった。それは人間の眼ではなかった。ひとつの欲望だけがぎらぎらと露呈した眼であった。やせた頰の肉が反芻(はんすう)でもしているようにけいれんしていて、意識が全部それにうばわれていることは一眼であきらかだった。

短い時間ののち、ふと我にかえったように身ぶるいしながら顔を動かして、この老兵の眼が私とあったのだ。私の視線に気付くと老兵は照れたような弱々しい笑いを頰にうかベた。それはもう普通の人間の眼だった。しかし私はそのとき、何故ともなく顔をそむけたのを覚えている。

 あのような眼付を、食堂の中で俺はしているのではないか。そう思うと歯ぎしりしたくなるような焦噪が私をかり立ててくるのだった。歩いているときなどにそんなことが頭に浮ぶと、私は舌打ちしたり唾はきちらしたりしてそれから意識をのがれようとする。そのくせまた食堂に入ると、あたりを見廻す私の眼はおのずと険しい光を帯びてくるらしかった。それは自分でも判っていて、どうしようもないことであった。私の人間的なたしなみを破ってくるのもヽそのような切迫した生理であることを思うと、私は対象のないかなしい憤激を、核のように心に包んでしまうのであった。

 

 勤めは四時に終った。ところが夕食時間は五時からだから、私はその一時間をやはり自分の席にとどまっていた。ただ椅子にかけてぼんやりしているのである。

 皆が帰ってしまうと、小使がほうきをぶらさげて部屋の中をひとわたり掃除してあるく。私は腕組みをしたままじっとしている。一日のその頃になると変に疲れていて、身体を動かすのも大儀な位だった。階段の登り降りがもっとも身体にこたえた。掃除がすむと小使部屋の方から、物を煮る匂いや芋を焼く匂いがただよってきたりする。私は鼻をぴくぴく動かしながら、黙然(もくねん)としてすわっている。そのうちに五時が近づいてくるのである。

 五時五分前になると私は、やはりさまざまな食物の妄想を打ちきって、ゆっくりと立ち上る。外にはすでに夕闇がほのぼのと拡がりかかっているのだ。薄暗くなった階段を踏み外さないように一歩一歩、片手を壁に這わせて降りてゆく。そして焼けビルに一日の別れをつげる。

 夕暮の昌平橋食堂ほどわびしい風景は、あまりないだろうと思う。高い天井から裸電燈がいくつか下っていて、その底で人々は黙って手早く食事を済ますのだ。魚や大根を煮る匂いが河岸の方まで流れている。だから昌平橋を渡るときに、すでにおかずの種類の見当がつくほどであった。そして私は夜も一食だけを買うのだ。これを食べてしまえば、明日まで何も食えないと考えると、佗しさはひとしお深まるのであった。その佗しさの底にうずくまって、私は小量の食事をむさぼり食べる。

 食堂を出てから駅へ急ぐ途中にも、ふかし芋などをならべた露店が出ていて、見まいとしてもどうしても眼に入ってしまうのであった。眼に入っても、眺めるだけで私にはそれが買えないのである。月給日までの食費がやっと残っているだけなので、もしそんなものを買うためには、私は今着ている外套をでも売らねばならないのだった。だから露店のふかし芋などは、私にとっては単に食慾を刺戟するためにだけ存在するようなものだった。私の期待はただひとつ、今月末にもらえる月給の額にかかっていると言ってよかった。もしたくさん貰えれば、来月分の食費だけを取りのぞいて、残りで露店の食物を腹いっぱい食べてやろうと、私は本気で空想していた。そんなとき私の空想の対象となるものは、ふかし芋だとか黒麺鮑(くろパン)だとか、もっぱら安くて腹一杯になるものだけに限られていた。実現の可能性があるからこそ、空想の対象も現実的なものになるらしかった。朝の寝覚めの折のように、鰻(うなぎ)の蒲焼や天ぷらのイメージは、ここでは浮んではこなかった。

 またはるばる二時間も電車にゆられて、稲田堤に戻って行く途中私は、三食で済ました日は割当だけで辛抱したというかどで、ある満足を感じることもあった。しかしその満足には虚脱したような苦痛がかならず伴っていた。一日に三食分だけで我慢することを、毎日かさねて行けばどういうことになるのか。この暫(しばら)くの間で私の肉は胸から腕からごっそりと落ちていた。足首ですら指でにぎって余る位だった。だから満足というのも、翌日分に食いこむことから来る心痛がないというだけのものであった。

 そして七時半頃になって私はやっと稲田堤の駅に降り立つ。その頃は日はとっぷりと暮れていて、道をはさんでうす暗い燈のいろがあちこちに揺れているのだ。私は外套の中で身体をすくめながら、とぼとぼと家の方に戻って行く。私が家につくころは、この家のあるじたちは既に野良仕事を終えて、たいてい夕餉(ゆうげ)の最中であることが多かった。階段をのぼる前にちらと茶の間に視線を走らせると、必ず大きなおひつの中の真白な御飯がいきなり眼にとびこんでくるのであった。農家というのはいずれもそうであるらしいが、おかずは味噌汁かなにか極く簡単なもので、そのかわり鬼の牙のように真白な飯を、大きな茶碗に何杯も何杯も詰めこむらしかった。想像するだに重量感のある話であった。私はぎしぎしと階段をきしらせて二階にのぼってゆく。そして敷き放した寝床に外套のままころがりこむ。眼をぼんやり見開いて、今日一日のことを考えている。起き上って何事をもする気特が起らないのである。

 たまに、極(ご)くたまにではあったが、そんな私に階下からお茶をよびに来ることがあった。私は眼をかがやかして、そんな時とびおきて階下に降りて行く。茶の間の火鉢のそばには頑丈なあるじがすわっていて、卓の上にはふかし芋が山とつまれていたりするのだ。私ははやり立つ気持をおさえながら、先ずゆっくりと熱い茶をすする。芋の方を横目でにらみながら、ゆっくりお茶をすする。それは小便したいのをわざとこらえているような、嗜虐(しぎゃく)的な快感すらあるのだ。そしておもむろに、目星をつけておいた一番大きな芋を何気なく、ほんとに何気なくつまみあげる。しかしそれを唇のところまで持って行ったら、もう駄目なのだ。またたく間にむさぼり食べてしまう。そしてまた次のに手を伸ばしてしまうのだ。

 あるじというのは色の黒い武骨な男であった。そして大へん話好きであったことは、私のために好都合であるのかも知れなかった。というのは、彼の話を聞いてやることで、私の芋を食う時間を伸ばすことが出来たのだから。彼の話を長くさせるために、私は出来るだけ細心に、相槌打つべきところは抜目なく打ち、ときには適切な質問をはさんだりするのであった。あるじは徹底的な保守家で、自由党や進歩党の信奉者で、彼がもっとも嫌悪するのは共産主義であるらしかった。だから話はしばしば共産党の攻撃に走ったが、その場合でも私は抜目なく相槌を打つことを怠りはしなかった。あるじの言説に反対することで、私はお茶の招待を失うことが最もつらかったのである。いわば私はひとかけらの芋のために、思想をすら売りわたしたと言ってもよかった。また保守反動の輩であるこのあるじは、同時にもっとも現実家のひとりであって、彼がさげすむのはもっぱら生活力に乏しい男にかぎられていた。近所の連中の噂などをするときに、その傾向ははっきりあらわれた。このあるじの二階、つまり私がいる部屋には、以前小説家のT・I氏が下宿していたということだった。私はまだその頃T・I氏に面識はなかったが、あるじの話によればおそろしく生活力の乏しい人間であるらしかった。とにかく夏冬を通じてよれよれの国民服一着しか持たず、ちょこちょことそこらを歩き廻り、話すことといったら訳の判らないことや間の抜けた話ばかりだということだった。あるじがT・I氏のことを話すときは必ず憫笑(びんしょう)の口調を帯びていて、T・I氏をもっとも役に立たぬ人間だときめていることはまことに明かであった。

 「あんなのが芸術家だというんかね。あれで小説書けるというのがふしぎだね。読んだことはないけんど、どうせろくな小説じゃあんめえよ」

 私は、天文学のかけらが散らばったようなT・I氏の幻想にみちた小説を思いうかべながら、あわてて相槌をうって、そのついでにまた手を芋の方に伸ばす。ときにはあるじと一緒になってT・I氏を憫笑したりするのであった。やはりひとかけらの芋のために、私は芸術家のたましいも売りわたしてしまったものらしかった。[やぶちゃん注:「T・I氏」この段落の主人公の評した小説の印象から、怪作家稲垣足穂(明治三三(一九〇〇)年~昭和五二(一九七七)年)と考えてよい。私は若い頃に代表作数冊を読んだが、正直、好きな作家ではない。従って、後にも言及されるが、注をする気はない。]

 いい加減食べ終ると、まだ食べたい気持をねじ伏せ、(あんまり食べるとこの次からお茶によばれなくなるかも知れないので)私はあいさつして二階にのぼってゆく。頭の片すみに鈍い悔いと後味のわるい満足感をおぼえながら、つめたい寝床にもぐりこむ。

 しかしこんなことはほんとにまれであった。大ていの夜はそのままぐったりと寝床に入って、じっと空腹に耐えていることが多いのだ。こんなに腹が減るものなら、夕食をもう一人前余計に食べてくればよかったと思っても、もうおそいのである。食べに行こうと思っても往復四時間もかかるし、だいいちそんな時間に食堂が開いている筈がないのだ。私は電燈を消して、しらじらと寝床の中に平たくなっている。腹が減っていて、なかなか寝つけないのだ。土間に積んである芋を便所のかえりにそっと盗んできてやろうかなどと考えたり、寝覚のときのように食物の幻想のオナニーに意識的に入って行ったりする。そのうちにうとうとと、睡眠の予覚として感官の息ぐるしい錯乱が始まってくるのだ。私の幻想はそのまま夢の中に引きつがれて、私は夢の中でも食物と格闘している。そして長い夜がすぎて、水の中からいきなり引っぱり上げられるような具合に眼がさめる。晩方のひえびえした空気の中で、枕許の時計が必ず四時を指しているのである。

 

 日曜日というと私のもっとも苦心する日であった。

 先にも書いたように、私の命の綱の食堂は昌平橋にあったから、もし食事しようと思うならそこに出かけてゆく他はなかった。ところが往復に四時間かかるとすれば、朝昼晩にそれぞれ四時間を費して昌平橋に通うとしても、合計十二時間というものが食べるための往復に必要なわけであった。いくら空腹であるとしても、それではあまりにむなしい話であった。だから私は日曜日だけは苦心さんたんして自分の家で食べる工夫をこらした。うちで一日食べるということは、翌日に六食分たべられるということにもなる訳(わけ)だった。しかし実際は前からの食い込みを補充するだけにとどまっていたけれども。

 私は乏しい銭の中から十五円をさいて、あるじから芋か一貫目求めておいた。あるじはそれを私に売るときに、特別に安くしておこう、と十五円にしたのだけれども、十五円というのはその頃の相場であって、決して安いわけではなかった。私はそれを風呂敷にくるんで床の間にかざって置いた。十五円は相場で、決して安いわけでもないのだけれども、結局安いものについた。というのは、私はときどき人目をぬすんで土間からひとつふたつと芋をちょろまかして、私の凧呂敷に補充したからであった。そんな行為をなすことにおいて、私は胸がいたまなかったわけではない。しかし直接私に来るものは、良心の苛責(かしゃく)というような正統派のものではなくて、おそろしく惨めな敗北感であった。人気のないのを見すまして乾いた泥のついたままの芋をふところに押しこんで、何食わぬかおをして二階に上ってくる。そして四周(まわり)を見廻してそっと風呂敷の中にそれを押しこむ。それから部屋の真中にすわっていると、言いようもなくかなしい気持になってきて、私は掌で頭をかかえたまま、どうぞどうぞ、とか、さてさて、などと意味のないことをしばらく呟きつづけている。ふところに残った乾いた泥が、腹の肌に入りこんでじゃりじゃりと厭な感触ですベりおちるのだ。この行為が衝動的なものでなく、計画的であることが、私の嫌悪をもっともそそるのであった。

 日曜日という日は、出来るだけ長い間寝床に私は止っている。動くことによる体力の消耗(しょうもう)をさけるためであった。そしていよいよ我慢が出来なくなると、ごそごそと起き出して風呂敷包みをたずさえ、家を出てゆく。小川が流れていたり柿の実が赤く点じていたり、そんな田舎道をぶらぶらあるいて、適当な地形までくると、私は木片や枯葉をあつめてきて焚火を始める。芋をその中に埋めておくのだ。私が適当な地形というのは、人里はなれてどちら向いても人影が見えないような地形なので、私はこの貧しい饗宴(きょうえん)を人の眼からはなれた場所でやりたいのであった。何故という理由はない。ただただそんな気持だった。いつも何か食ベるときは、誰か人間が近くにいて、私はなにか対立するもののようにものを食べているのだ。それが厭だったのかも知れない。とにかく私は人気のないところで、心ゆくまで芋を食べたかった。他人を意識しないで、傷つけもせず傷つけられもしないまどかな状態で、私はゆっくり私の食事をとりたかったのだ。それは犬が食物をくわえて、遠くの方に行って自分ひとりで食べたがるのにも似ていた。

 芋が焼けてくると、私は待ち切れずに掘りおこして、手に持ちかえ持ちかえしてそれに食いつく。歯の根がじんと疼(うず)くほど熱い。ひとつ食べ終ると次を、また次を、私は長いことかかって食べ終える。ある充足感と空白感がするどくからみ合って私の胸にひろがってくる。そのときでも、この芋の中に盗んだ芋が入っているということが私にはかなしくなってくるのだ。しかしぎりぎりに切りつめた予算では、毎日曜をこんなに芋で食い伸ばすには、そのような方法を私はとらないわけには行かなかった。あんなに沢山土に積んであるのだから、と私は弱々しく心をなだめにかかる。供出の方はどうなっているかは知らなれけれども、買出し客にここのあるじが闇値でさばいているのは、私が何度も見たところであった。しかし私のやり方が計画的な盗みであることは、動かしがたい事実であるので、やり切れない感じはすべてそこから発しているらしかった。

 盗みという点では、私のやったことはそれだけではなかったのだ。まだ他にもあった。それもやはり食物であった。家から稲田堤の駅にゆく途はいろいろあって、私がわざといつもえらぶ途(みち)は、裏の方から畠のなかを通りぬける途であった。そこには柿の木が何本も生えていて、もちろんこれは自然に生えたものではなく、果樹として栽培されているものだが、それが赤い大きな実をいくつもぶら下げているのであった。朝の寝床の中の妄想のあとで、消耗した視神経にも、その艶やかないろどりは充実した生命のように圧倒的であった。並木になっていて、最初の四五本は見ぬふりして通りすぎるが、あとずらずらと並んでいるのが見ると、私は眼がすこしくらんできて、気がつくときはもうふらふらと手が柿の梢にかかっている。ぽきんと枝が折れるにぶい音がして、重くつめたい柿の果実は、もはや私のポケットに入っているのだ。私はそして顔中から汗を吹き出しながら、足早にそこを通りぬけて行くのである。

 しかしこれすらも必ずしも衝動的なぬすみとは言えないのだ。なぜというと、わざわざその途(みち)をえらばずとも、他にも駅へ行く途はあるのだから。その途をえらぶことについて、私はあらかじめ自分の自制力の弱さを計算に入れているのかも知れなかったのだから。

 畠を出外(はず)れてからおもむろに私は柿をとり出す。そしてそれを噛りながら、駅の方にあるいてゆく。駅につくまでには、種だけをのこしてあとは全部私の腹の中に入っている。食べた片端から吸収されて、私の栄養となって行くのではないかと思われるほど、それは美味で、すぐに元気がでた。その元気もわずかの間だけで、やがてもとの空腹の虚脱感がもどって来るのであったけれども。

 その柿の木は、裏の百姓の吉田さんの所有物であった。ある日曜日私が吉田さんの家にあそびに行ったとぎ、話が果樹のことなどに落ちて、吉田さんはふと思いだしたように言った。

「ちかごろ、俺んちの柿をかっぱらうやつがあるらしいんだ。枝が折れてるし、葉が散っているしさ。なに、ひとつやふたつ大したことじゃねえけどよ。かっぱらわれるとなればしゃくに障(さわ)るからな。つかまえたら足腰立たぬほどぶちのめしてやるから」

 そう言いながら、吉田さんの眼は探るように私を見たようでもあったし、それは私の気のせいであったような気もする。

「あんたもな、そんな奴めっけたら、遠慮なくしょょぴいて呉んろよな」[やぶちゃん注:「しょょぴいて」は底本のママ。「しょっぴいて」の誤植であろう。]

 私はだまってうなずいた。うなずくより手がないではないか。私はそのとき、お猿みたいにまっかな顔をしていたに違いないのだ。

 

 未来の大東京の構想は、なかなかはかどらなかった。此のテーマを最初にあたえられたときは、仲々やり甲斐のあるような気もしていたが、さて引受けてみると、さっぱり興味が湧いてこないのはふしぎな程であった。私は一日中椅子にかけてうつらうつら食うことの妄想ばかりしていて、焦土にどんな都市を建設するかということには、ほとんど心をむけていないと言ってもよかった。しかし何も構想を立てていないということは、やはり都合がよくないので、あれこれ心覚えだけをノートしたりしているのだが、しかしこの惨めに飢えた私にとって、この大東京にどんな道路をつくり、どんな集団住宅をたて、どんな交通機関を設置するか、ということがどんな関連があるというのだろう。私の頭に先ず浮んでくる理想の大東京とは、実際のところを白状すれば、おでん屋や鰻(うなぎ)屋やそば屋がずらずらとならんだ、そして安いお金でどんなにでも飲み食い出来る都市なので、それ以外には何もないのだ。緑地帯も集団住宅も何も必要ではない。東京全都が食物屋だらけになればよいのである。これが私の大東京の構想の本音であった。しかしこんな構想を提出したら、皆から笑殺されるだろうということは、私といえども充分に承知している。だんだん日限がせまってくるので、私も少しあわて出し、都の建設局などに日参して資料をあつめたりし始めた。

 新参者の私がどんな風に仕事をすすめているのか、それが気がかりなのか、又は単なるおせっかいなのか、隣席の佐藤や長山アキ子はうるさく私の進行を探りにくる。私はそっとして貰いたいのに、二人とも色々鎌をかけたりした揚句、私にむかって未来の大東京はかくあらねばならぬ、というようなことを講義までして聞かせるのだ。長山アキ子の方はことに烈しかった。三十二三歳の老嬢で、顔はむくんだようにふくれていて、一昨日の麺鮑(パン)のような趣きを呈していた。おそろしく口が達者である。彼女の意見にたいして私が異をはさもうものなら、躍気(やっき)となって言いつのって来るのだ。英語のある単語の綴りのことで私と彼女と意見を異にしたことが一度あって、そのときは物別れになったが、翌日彼女はわざわざ目宅から物すごく大きな英和大辞典をかかえてきて、自説の正しさを主張した。もちろん私の方が誤りであった。私があやまると、長山アキ子は高慢そうに鼻翼をぴくぴくうごかして、私に言った。

「あまり自信のないことは、強く主張なさらない方がいいことですのよ」

 英和大辞典をあの満員電車にもまれながら抱えて来たというのも、ただ私をやっつけるためだけなので、仕事の方で必要だという訳でない証拠には、その夕方直ぐそれをかかえて帰ったことからでも判る。

 こんなことがあったし、また色々なこともあって、私は佐藤や長山アキ子をあまり好んでいないことも、私の感情としては自然であった。しかしただ一点において、私は此の二人に親近感をかんじていたのである。それはどの一点かというと、二人の昼食の弁当がきわめて小量で貧しいということだった。私の席からぬすみ見るところによれば、弁当箱に入っているのは、小さな芋のきれはしだけであるとか、得体の知れない色をした手製の麵麭であるとか、それらが弁当箱のかたすみにちょっぴり入っているだけであった。外食食堂の食事よりもっと貪弱であった。佐藤は貧寒な顱頂(ろちょう)を弁当箱にかぶせるようにして食べていたし、長山アキ子は箱のふたを屛風(びょうぶ)のように立てて、内容をかくしながら食べた。この瞬間にだけ、佐藤も長山アキ子も対立の距離か一足とびに越えて、私と身体を接して立っていると言ってもよかった。彼女が日中いそがしそうに動き廻っているのも、あるいは私と同じく食物の妄想を払いのけようともがいているのかも知れなかった。長山アキ子のふくらんだ頰も、営養不足のためむくんでいるのかも判らなかった。佐藤にいたっては、階段をのぼるとき足ががくがくすると言って、ふしぎそうにズボンをまくり上げてじっと膝頭を眺めていたりするのだ。膝頭は蒼白くぴょこんと飛出していた。私の膝頭と同じ形で同じ色だった。私は胸があつくなるような気持で、それを眺めるのだった。なぜみんな、へんにむくんだり蒼白く瘦せたりするのだろう。この会社でいちばん血色がよく肥っているのは会長であった。ぐっと反身(そりみ)になるとチョッキがはち切れそうだった。金鎖がそこの辺にからんでいて、反身のまま会長はがらがらした声でおろかな訓辞をするのであった。体格はあまり良くなかったが、次に血色のいいのは、あの鼠みたいな感じのする庶務課長であった。それから順々に青白くやせたりむくんだりしてきて、一番どんじりの辺に私や佐藤や長山アキ子がいるという訳だった。総じて編輯部にいる連中は、顔色があまりよくないと言ってよかった。このことは、私の親近感をそこでつなぐと同時に、私にある一つの危惧をあたえることにもなっていた。それは、あのような貧しい弁当しか持参できないとすれば、編輯部の給料が極く少いのではないかという危惧であった。私が今の状態を脱して、人並みな生活を出来るかどうかという期待は、月末にもらう私の給料にかかっているわけだから、私としても彼等の生活ぶりに多大の関心を持たざるを得ない訳であった。ことに私は新参のものだから、佐藤や長山より給料が少いにきまっていた。それを思うと、さむざむとしたものが私の心の中にゆるゆる、と拡がってくるのであった。

 

 昌平橋の食堂に出入するのは、おおむね汚ない恰好のものばかりだった。ちゃんとした洋服を着ているのは、数えるほどしかいなかった。

 外食食堂にも自らなる格式があるらしく、身なりの良いのは神田でも外の店に行ってしまうようであった。ここだけは落葉の吹きだまりみたいに、なにか脱落した風貌の連中が集ってくるらしかった。しかし身なりだけは、ふところ具合と別だった。れいの表に屯(たむろ)している男たちの中でも、うすよごれた鞄の中に煙草や紙幣束や外食券などたくさん詰めこんでいるのがいて、時間になると日だまりの中で取引が盛んに行われた。寒い日は食堂の内が取引の場所になった。

 ここに出入するものの中には女もいて、女の方がかえってたくさん金を持っているように見えた。しょっちゅう見かける顔のひとりに二十歳位の若い女がひとりいて、いつも二食分ずつ食事をしていた。そのことだけでこの女は私の羨望の対象だった。二食分たべるということを除けば、この女はすべて貧しい身なりであった。いつも青いもんぺを穿いていたが、どういう訳かそれが少し破れていて、下着をつけていないのか裸の尻の一部分がむき出しにのぞかれた。いつまで経っても縫う気配もなかった。上衣もだぶだぶで、ずいぶんよごれていた。この女も品物をどこからか持ってきて、取引を上手にやるらしかった。私も一度この女から時計を買わないかとすすめられたことがある。私のように一食しかくえないものが、何時も二食たべる此の女から、どうして時計など買うことが出来るだろう。私がどぎまぎして断ると、女はさげすむような笑いをのこして、もうそれからは私のところには寄ってこなかった。斜視ぎみの、ちょっと整った顔の女であった。[やぶちゃん注:この女性とかなり酷似した女性をメインに据え、時期もロケーションも概ねそっくりな設定の短編を、梅崎春生は、後の昭和三一(一九五六)年三月号『新女苑』に発表された「ある少女」(電子化注済)で描いている。彼の敗戦直後の作品で盛んに描かれるこの外食券食堂についても、冒頭で、私の「猫の話」の授業案のそれを参考にして注してあるので読まれたい。]

 なかには一どきに三食も、ごくまれには四食分も一人で取って食べる男もいた。そういうのが前にすわると、私は自分の一食の膳がやりきれなくなるほど少く見えて来るのであった。食堂ではやはり、身なりや人格ではなくて、余計に食える力があるということが絶対であった。たとえば碁会所においては、身分の上下は間題でなく、碁が強ければ皆から畏敬されるのと同じことだった。その意味においては、私は比の食堂においては、もっとも侮蔑される階級に属しているわけであった。しかし私のように、一食宛(ずつ)しか原則として食わないのも、他にも多数いたのである。それはおおむね顔が蒼白く、弱々しい身体つきの男たちであった。私もはたから見れば、そんな風貌に見えるにちがいなかった。彼等はあるくときも、膝から力を抜いたような歩き方をした。膝頭が私もがくがくする処から見ると、私もそんな歩き方をしているものらしかった。

 肉体の不調は膝頭だけではなかった。あらゆる部分に微妙にひびいてくるものらしかった。五官の倒錯すらときには起った。あんなに腹をすかせて食堂にかけつけても、さて食べる段になると、消ゴムを噛むように味がなく、咽喉(のど)になかなか通らないこともあった。いつもは塩辛い味噌汁が、へんにあまく感じられることもあった。朝の四時にぴたっと眼がさめるというのも、なにかそれと関係があるらしかった。

 稲田堤のあるじとの交渉で、私は食事付を希望したのだけれども、あるじはどうしても首をたてに振らなかった。理由は、気を使うのがいやだということだった。しかし考えて見れば、私に食わせる米を(それも僅かな下宿料で)横に流した方がはるかに利益が多いにきまっていた。T・I氏は食事付で入っていたということだった。そのことについても、あるじは憫笑(びんしょう)的な口調で慨嘆(がいたん)した。

「あの人はね、飯食うのが早すぎるよ。チョコチョコチョコと三杯も四杯もたべて、そしてぷいと立って行くんだよ。飯というものはね、やはりゆっくり食べてこそ味が出るもんだね」

 T・I氏がなぜこの農家を出たのか、それについてはあるじは口をつぐんで語らなかったが、しかし彼の話の感じからいえば、円満退宿という訳ではなさそうな気ぶりが感じられた。T・I氏は今はD自動車会社の独身寮にいるということだった。しかし戦争が終って、もはや徴用という悪法も撤廃されたわけだから、氏もすでにその会社とは縁が切れている筈であった。しかもなおその寮に止まっているのも、家がないからに違いなかった。その点は私も同じであった。都心から二時間以上もかかるこんな草深い田舎に、誰が好んで住みたがるだろう。部屋さえあれば、そして部屋代さえ適当であれば、外食するとしても都内の方がずっと良いにきまっていた。しかし部屋を探す暇さえ私にはなかったのだ。食うことを妄想することで、私の一日は終ってしまうのであった。

(俺ならチョコチョコチョコと飯を食わないで、ゆっくりと食って見せるんだがなあ!)

 会社から疲れ果てて戻ってきて、寝床に虚脱したように横たわりながら、私はいつもそう考えた。階下からはそんなとき、常に食事の匂いや音が流れてくるのであった。眼を閉じてじっとしていると、階下の茶の間の情景が眼に見るよりはっきり感じられた。あるじの厚い唇に吸いこまれる味噌汁や、おかみさんの色褪(あ)せた唇に運ばれる真白い御飯や、おじいさんにぱりぱりと噛まれる沢庵(たくあん)のいろが、おどろく程の現実感をもって私の想像の中の座を占めて来るのだった。

 生唾をのみこみながら、現代にはふたつの階級しかない、というようなことを私は苦しまぎれに考えたりするのだ。それは充分食べている階級と、充分食べていない階級とであった。そしてそれは外見や身分からでは絶対に判らないのだ。しゃんとした恰好をしていて飢えている人もいるし、あの青モンペの女のように身なりは汚なくても充分食べている人種もいるわけだった。私にいたっては名実ともに食えない方に属していて、それははたから見てもすぐに判るものと思われた。とにかく軍隊の一年半の生活から戻ってきて、いきなりこんな世界にとびこんだわけであった。そんな風(ふう)に狂った世界には、必ずどこか抜道があるとは承知していたが、さてそれが何処にあるのか、未だ私は見当がつきかねていた。だから一番愚直な生き方をしようとして、その揚句芋や柿を盗む破目に陥り、自分を責めることでますます傷だらけになって行くらしかった。私は毎日を追いつめられた姿勢で生きていた。私の胸を寒くしてくるのは、このような日々を重ねてゆくことで、どんな風に私がなって行くのだろうという予感めいたものであった。もはや私を支えるものは何もなかった。ひとかけらの芋のために全世界を売ってもいいというような価値の転倒が、未来のある瞬間に私の胸の中に結実するかも知れなかった。佐藤や長山アキ子に対する私の親近感も、ただ貧弱な弁当というせまい一筋でつながっていることを思えば、私は人間への愛情をもはや欲望の仮託とすりかえているのかも知れなかったのだ。

 

 それでもやっとのことで、私は「大東京の将来」に関する構想をまとめ上げることができた。

 私が無理矢理に拵え上げた構想のなかでは、都民のひとりひとりが楽しく胸をはって生きてゆけるような、そんな風の都市をつくりあげていた。私がもっとも念願する理想の食物都市とはいささか形はちがっていたが、その精神も少からずこの構想には加味されていた。たとえば緑地帯には柿の並木がつらなり、夕昏(ゆうぐれ)散歩する都民たちがそれをもいで食べてもいいような仕組になっていた。私の考えでは、そんな雰囲気のなかでこそ、都民のひとりひとりが胸を張って生きてゆける筈であった。絵柄や文章を指定したこの二十枚の下書きの中に、私のさまざまな夢がこめられていると言ってよかった。このような私の夢が飢えたる都市の人々の共感を得ない筈はなかった。町角に私の作品が並べられれば、道行く人々は皆立ちどまって、微笑みながら眺めて呉れるにちがいない。そう私は信じた。だから之を提出するにあたっても、私はすこしは晴れがましい気持でもあったのである。

 会長も臨席した編輯(へんしゅう)会議の席上で、しかし私の下書きは散々の悪評であった。悪評であるというより、てんで問題にされなかったのである。

「これは一体どういうつもりなのかね」

 私の下書きを一枚一枚見ながら、会長はがらがらした声で私に言った。

「こんなものを街頭展に出して、一体何のためになると思うんだね」

「そ、それはです」と私はあわてて説明した。「只今は食糧事情がわるくて、皆意気が衰え、夢を失っていると思うんです。だからせめてたのしい夢を見せてやりたい、とこう考えたものですから――」

 会長は不機嫌な顔をして、私の苦心の下書きを重ねて卓の上にほうりだした。

「――大東京の将来というテーマをつかんだら」しばらくして会長ははき出すように口をきった。「現在何が不足しているか。理想の東京をつくるためにはどんなものが必要か。そんなことを考えるんだ。たとえば家を建てるための材木だ」

 会長は赤らんだ掌をくにゃくにゃ動かして材木の形をしてみせた。

「材木はどこにあるか。どの位のストックがあるか。そしてそれは何々材木会社に頼めば直ぐ手に入る、とこういう具合にやるんだ」

 会長は再び私の下書きを手にとった。

「明るい都市? 明るくするには、電燈だ。電燈の生産はどうなっているか。マツダランプの工場では、どんな数量を生産し、将来どんな具合に生産が増加するか、それを書くんだ。電燈ならマツダランプという具合だ。そしてマツダランプから金を貰うんだ」[やぶちゃん注:「マツダランプ」実在する電球の商標名。「MAZDA」で、一九〇九年にアメリカで創設された白熱電球などのブランドが元である。その電球は実際に「マツダランプ」(MAZDA Lamp) と呼ばれた。当該ウィキによれば、『ブランド名はゾロアスター教の最高神アフラ・マズダー (Ahura Mazdā) に由来』し、『日本では、東芝グループの照明器具メーカー東芝ライテックが標準電球を製造販売している。かつては東芝から一般電球・真空管などが販売されていた』とあり、『日本では東芝の母体の』一『つである東京電気がライセンスを受け』、明治四四(一九一一)年に『にタングステン電球「マツダランプ」を発売』、『「丸に縦書きでマツダ」のロゴで、電球のほか』、『真空管、真空管ラジオなどが製造販売された』とある。「日本郵船歴史博物館」公式サイトの「マツダランプ」にも解説と当該商品画像がある。]

 ははあ、とやっと胸におちるものが私にあった。会長は顔をしかめた。

「緑地帯に柿の木を植えるって? そんな馬鹿な。土地会社だ。東京都市計両で緑地帯の候補地がこれこれになっているから、そこの住民たちは今のうちに他に土地を買って、移転する準備したらよい、という具合だ。そのとき土地を買うなら何々土地会社へ、だ。そしてまた金を貰う」

 佐藤や長山アキ子や他の編輯員たちの、冷笑するような視線を額にかんじながら、私はあかくなってうつむいていた。飛んでもない誤解をしていたことが、段々判ってきたのである。思えば戦争中情報局と手を組んでこんな仕事をやっていたというのも、憂国の至情にあふれてからの所業ではなくて、たんなる儲け仕事にすぎなかったことは、少し考えれば判る筈であった。そして戦争が終って情報局と手が切れて、掌をかえしたように文化国家の建設の啓蒙をやろうというのも、私費を投じた慈善事業である筈がなかった。会長の声を受けとめながら、椅子に身体を硬くして、頭をたれたまま、私はだんだん腹が立ってきたのである。私の夢が侮蔑されたのが口惜しいのではない。この会社のそのような営利精神を憎むのでもない。佐藤や長山の冷笑的な視線が辛かったのでもない。ただただ私は自分の間抜けさ加減に腹を立てていたのであった。

 その夕方、私は憂欝な顔をして焼けビルを出、うすぐらい街を昌平橋の方にあるいて行った。あれから私は構想のたてなおしを命ぜられて、それを引受けたのであった。しかしそれならそれでよかった。給料さえ貰えれば始めから私は何でもやるつもりでいたのだから。憂欝な顔をしているというのも、ただ腹がへっているからであった。膝をがくがくさせながら昌平橋のたもとまで来たとき、私は変な老人から呼びとめられた。共同便所の横のうすくらがりにいるせいか、その老人は人間というより一枚の影に似ていた。

「且那」声をぜいぜいふるわせながら老人は手を出した。「昨日から、何も食っていないんです。ほんとに何も食っていないんです。たった一食でもよろしいから、めぐんでやって下さいな。旦那、おねがいです」

 老人は外套も着ていなかった。顔はくろくよごれていて、上衣の袖から出た手は、ぎょっとするほど細かった。身体が小刻みに動いていて、立っていることも精いっぱいであるらしかった。老人の骨ばった指が私の外套の袖にからんだ。私はある苦痛をしのびながらそれを振りはらった。

「ないんだよ。僕も一食ずつしか食べていないんだ。ぎりぎり計算して食っているんだ。とても分けてあげられないんだよ」

「そうでしょうが、旦那、あたしは昨日からなにも食っていないんです。何なら、この上衣を抵当に入れてもよござんす。一食だけ。ね。一食だけでいいんです」

 老人の眼は暗がりの中ででもぎらぎら光っていて、まるで眼球が瞼のそとにとびだしているような具合であった。頰はげっそりしなびていて、そこから咽喉(のど)にかけてざらざらに鳥肌が立っていた。

「ねえ。旦那。お願い。お願いです」

 頭をふらふらと下げる老爺よりもどんなに私の方が頭を下げて願いたかったことだろう。あたりに人眼がなければ私はひざまずいて、これ以上自分を苦しめて呉れるなと、老爺にむかって頭をさげていたかも知れないのだ。しかし私は、自分でもおどろくほど邪険な口調で、老爺にこたえていた。

「駄目だよ。無いといったら無いよ。誰か他の人にでも頼みな」

 暫(しばら)くの後私は食堂のかたい椅子にかけて、変な臭いのする魚の煮付と芋まじりの小量の飯をぼそぼそと噛んでいた。しきりに胸を熱くして来るものがあって、食物の味もわからない位だった。私をとりまくさまざまの構図が、ひっきりなしに心を去来した。毎日白い御飯を腹いっぱいに詰め、鶏にまで白米をやる下宿のあるじ、闇売りでずいぶん儲けたくせに柿のひとつやふたつで怒っている裏の吉田さん。高価な莨(たばこ)をひっきりなしに吸って血色のいい会長。鼠のような庶務課長。膝頭が蒼白く飛出た佐藤。長山アキ子の腐った芋の弁当。国民服一着しかもたないT・I氏。お尻の破れた青いモンペの女。電車の中で私を押して来る勤め人たち。ただ一食の物乞いに上衣を脱ごうとした老爺。それらのたくさんの構図にかこまれて、朝起きたときから食物のことばかり妄想し、こそ泥のように芋や柿をかすめている私自身の姿がそこにあるわけであった。こんな日常が連続してゆくことで、一体どんなおそろしい結末が待っているのか。それを考えるだけで私は身ぶるいした。

 食べている私の外套の背に、もはや寒さがもたれて来る。もう月末が近づいているのであった。かぞえてみるとこの会社につとめ出してから、もう二十日以上も経っているわけであった。

 

 私の給料が月給でなく日給であること、そしてそれも一日三円の割であることを知ったときの私の衝動はどんなであっただろう。それを私は月末の給料日に、鼠のような風貌の庶務課長から言いわたされたのであった。庶務課長のキンキンした声の内容によると、私は(私と一緒に入社した者も)しばらくの間は見習社員というわけで、実力次第ではこれからどんなにでも昇給させるから、力を落さずにしっかりやるように、という話であった。そして声をひそめて、

「君は朝も定刻前にちゃんとやってくるし、毎日自発的に一時間ほど残業をやっていることは、僕もよく知っている。会長も知っておられると思う。だから一所懸命にやって呉れたまえ。君にはほんとに期待しているのだ」

 私はその声をききながら、私の一日の給料が一枚の外食券の闇価と同じだ、などということをぼんやり考えていたのである。日給三円だと聞かされたときの衝動は、すぐ胸の奥で消えてしまって、その代りに私の手足のさきまで今ゆるゆると拡がってきたのは、水のように静かな怒りであった。私はそのときすでに、此処を辞める決心をかためていたのである。課長の言葉がとぎれるのを待って、私は低い声でいった。

「私はここを辞めさせて頂きたいとおもいます」

 なぜ、と課長は鼠のようにずるい視線をあげた。

「一日三円では食えないのです。食えないことは、やはり良くないことだと思うんです」

 そう言いながらも、ここを辞めたらどうなるか、という危惧(きぐ)がかすめるのを私は意識した。しかしそんな危惧があるとしても、それはどうにもならないことであった。私は私の道を自分で切りひらいてゆく他はなかった。ふつうのつとめをしていては満足に食べて行けないなら、私は他に新しい生き方を求めるよりなかった。そして私はあの食堂でみる人々のことを思いうかべていた。鞄の中にいろんな物を詰めこんで、それを売ったり買ったりしている事実を。そこにも生きる途(みち)がひとつはある筈であった。そしてまた、あの惨めな老爺にならって、外套を抵当にして食を乞う方法も残っているに相違なかった。

「君にはほんとに期待していたのだがなあ」

 ほんとに期待していたのは、庶務課長よりもむしろ私なのであった。ほんとに私はどんなに人並みな暮しの出来る給料を期待していただろう。盗みもする必要がない、静かな生活を、私はどんなに希求していたことだろう。しかしそれが絶望であることがはっきり判ったこの瞬間、私はむしろある勇気がほのぼのと胸にのぼってくるのを感じていたのである。

 その日私は会計の係から働いた分だけの給料を受取り、永久にこの焼けビルに別れをつげた。電車みちまで出てふりかえると、曇り空の下で灰色のこの焼けビルは、私の飢えの季節の象徴のようにかなしくそそり立っていたのである。

 

 飢餓の季節はこれで終ったわけではない。それから二年経った今でも私の飢えはつづいている。あの稲田堤の農家から、まもなく私も引越した。それから流転の生活が私に始まった。

 あの会社も、その後どうなったのかよく知らぬ。私がやめて二箇月程して、新聞紙上でその会社に待遇改善の争議が起ったことをよんだ。そのリーダーとして、あの佐藤と長山アキ子の名前が記されていたのである。そしてそのことで会長が激怒して、即日二人をクビにしたといったような記事であった。私はその記事を、飢餓と貧窮のどん底で読んだ。

 ほんとに私は何と長い間おなかを空かせてきたのだろう!

 

2022/06/08

ブログ・アクセス1,750,000アクセス突破記念 梅崎春生 紫陽花

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和三〇(一九五五)年七月号『文芸』に連載を開始し、同十月号で完結した。後の作品集「紫陽花」(昭和三十年九月河出書房刊)に所収された。

 底本は「梅崎春生全集」第三巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。文中に注を添えた。

 本篇の前半部は梅崎春生にしては珍しく多くの段落が有意に長めである。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが本日正午過ぎ、1,750,000アクセスを突破した記念として公開する。【藪野直史】]

 

   紫 陽 花

 

 貴島一策が死んだことを、僕は朝の十時頃知った。下宿に電話がかかってきたのだ。聞き知らぬ声が言っている。野田さんですか。野田三郎さんですね。貴島を御存じですね。貴島一策は死にました。ええ。死んだのは昨夜です。

 電話室は階段脇にあって何時もうすぐらい。そのよごれた壁はいろんな数字や、わけの判らない形の落書きでいっぱいだ。電話というやつは相手の顔が見えないから、話の間はどうしても視線がうろうろする。壁のあちこちを這(は)い廻る。這い廻るだけで、数字や形を読んだり確かめたりするわけではないが。電話の声に僕はあまりショックを受けなかった。声も初めてだったし、口調もたいへん事務的で、面倒くさそうだったから。それに僕の感じでは、まだ貴島一策が死ぬ筈がなかった。まだ当分は、二十年や三十年は(と言っても年月の実感でなく言葉の上だけでだが)、今のままで生きている筈だった。それが電話一本でかんたんに死んでしまうわけがない。だから僕は困感して、受話器を持たない方の手の爪で壁の数字を引っ搔きながら、貴下はどなたかと問い返そうとする前に、電話は突然切れてしまった。問い返す前に、ためらいの沈黙を寸時置いたせいだろう。僕は受話器をかけて電話室を出た。よく磨き上げられた玄関の床板が、光を照り返している。土間の向うに午前十時の日光がピカピカしている。僕はちょっと眩暈(めまい)を感じ、階段のとば口にうずくまった。外がまぶし過ぎたのだ。それから僕はヤッとかけ声をかけて立ち上った。眼が慣れて、もう外はまぶしくなかった。解放感に似たものが、その時ゆるゆると僕の身内にひろがってきた。あの電話の声にウソがないとするならば、いや、伊達(だて)や酔狂でそんないたずらをする奴はないから、やはり貴島一策氏は死んだのだろう。ほんとに死んだんだろう。もっとも歳が歳だからな、と僕は思った。貴島一策氏はたしか僕の親爺と同年生れだから、もう五十四五にはなっているだろう。あのくらいの年頃になると、僕らの予想出来ないような変化を時々おこすものだ。僕の親爺だって六年前、ある日突然たおれて、そのまま一箇月も経たないうちに死んでしまった。しかし、それはそうとしても、貴島一策の場合は少々突然過ぎる気がしないでもない。僕は一週間前に彼に逢っている。その時彼は病気でもなければ、怪我をしてもいなかった。ちゃんとした恰好(かっこう)で、欠けたところと言えば前歯が二本ぶっ欠けたままで、にこにこと籐椅子に腰をおろしていた。欠けた前歯は先月逢った時と全然同じだった。義歯代にこと欠くような身分ではなし、僕はへんに思って訊ねてみた。

「小父さん」僕は彼のことを小父さんと呼んでいる。それより他に呼びようがなかったからだ。「歯、前歯は修繕しないんですか」

「歯か」彼は左の中指で歯列の空洞をまさぐった。「直さないよ。面倒くさいからな」

「面倒くさいって、それじゃ食べるものに不自由するでしょう。たとえばタクアンとか南京豆だとか」と僕は言った。「面倒くさいというのは、僕たち若い者の言い草ですよ」

「なぜ若者の言い草だね?」

「つまり、若い者はですね、前歯が二本や三本欠けても」と僕は答えた。「他の歯が丈夫だから、当分はそれで間に合わせる。タクアソだって奥歯で噛んでしまう。小父さんはそういう具合には行かないでしょう」

「妙な論理だね」

 と彼は言って、余儀ないと言ったようなつくり笑いをした。笑うと欠けた前歯がことさら目立つのだ。それは醜悪というほどではないが、かなり異様な感じを与える。どういう事情で欠けたのか知らないが、彼は欠けたままで少くとも二箇月は放置している。先月、それに先々月会った時も、歯は二本欠けていた。他のところ、つまり頭髪(半白だ)や鬚(ひげ)や爪や、服装、そんなものはきちんと整備しているのに、歯だけを放置している気持が僕にはよく理解出来ない。(理解したいと、強くは思わないが)。しかし、鬚や爪や髪はある意味では消耗品で、歯は備品だ。眼球や舌や膝小僧と同じく備品だ。備品を欠かしたまま放って置くのはおかしい。しかし僕が彼の歯にそんなにこだわることの方が、もっとおかしいのかも知れぬ。僕は月に一度、第一日曜日にきちんと貴島一策宅を訪れる。そして彼から八千円の金を貰い、受領証を書く。そして何となく一日を貴島宅で過し、家事の手伝いをしたり、一策の将棋の相手をしたりする。一策と将棋を指すのは、あまり愉しいことではない。僕と彼とは、将棋においては腕前がほぼ互角だが、いや、僕の方がいくらか強いが、彼には闘志というものがない。つまり僕の王将を取ろうという気持が、彼には全然ない風(ふう)なのだ。闘志のない相手に闘志を燃やすほど困難なことはない。だから僕にも闘志は湧いて来ない。お互いに闘志のないところに勝負ごとは成立しないだろう。それにもかかわらず、彼は時折僕に勝負をいどむ。縁側に将棋盤を持ち出して、そして四回に三回は僕が勝つ。負けると彼は駒を盤に投げ、駒の形をめちゃめちゃにして、退屈そうに欠伸(あくび)をしたりする。よほど大儀なことをやってのけたようなやり方でだ。そしてまた駒を並べ始める。まるで全然時間をつぶすためにやっているような具合なのだ。彼が時間を、自分の時間を、自分だけでつぶすのなら、僕にも異存はない。しかし将棋というやつは相手が要る。彼は僕を踏台にして、僕の時間を道連れすることによって、自分の時間をつぶそうとしている。大層ぜいたくなやり方だと思う。彼が僕の時間を平気で道連れに出来るのは、ひょっとかすると彼が僕を全然バカにしているせいだろう。その貴島一策が昨夜死んだと言う。電話口の事務的な声がだ。

 僕は階段を一足飛びにかけ登り、自分の部屋に戻ってきた。

 貴島一策が死んだのなら、僕は直ぐにも貴島宅を訪ねる必要があるだろう。

 それには学生服が要る。

 学生服を着ないことには、貴島宅訪問は具合が悪いのだ。僕が毎月受領する八千円は学資という名目だし。

 その僕の学生服は、目下のところ質屋の土蔵に入っている。

 一週間前、貴島宅から戻ってきて、その夜入れてしまったのだ。

 金に困って相模屋質店に入れたわけではない。もちろんない。当日貴島から八千円受領したばかりだから。

 何故入れたかというと、今の僕に学生服は必要でなかったからだ。必要でないものが壁にぶら下っていることは面白くない。まるで自分がまだ学生であるような錯覚におちいってしまう。それが面白くない。

 僕は今年の三月限りでもう学生ではなくなっている。

 貴島一策がそれを知っていたかどうかは知らないが、僕はすでに学生じゃない。卒業をなぜ貴島に報告しなかったか。それは彼が僕に訊ねなかったからだ。訊ねたら報告するつもりだったが、彼はこの三箇月、僕にそのことについて何も質問をしなかった。質問もされないのに報告することは、僕にはとても物憂(う)いことだ。僕を物憂くさせるようなものが貴島に確かにあるのだ。貴島の風貌や表情や話しぶりや身のこなしや、その他一切の感じにおいてである。彼はまるでいつも何かを拒否しているみたいだ。その何かは僕にもまだはっきりは判らない。

 だからそんな貴島に、学生服を脱ぎ捨てた自分を、背広かジャンパー姿の自分を見せるのは、僕の本意でないし、また貴島の本意でもなかろう。その故に僕はムリをしても学生服を着て行く。学生服は今の僕にとっては学生服ではなく、訪問着だ。貴島宅専用の訪間着だ。

 その訪問着を僕はまず相模屋から出さねばならん。

 僕は身支度をして下宿の玄関を出た。好い天気で、街中はかっと明るかった。明る過ぎるほどだった。それから気温もかなり高かった。高過ぎるほどだった。つまり季節の割にはむしむしと暑かった。湿度も高いのだろう。日曜の町々はごたごたと混んでいた。日曜の午前というやつは、なにか解放感がある。田舎のお祭りみたいな感じがある。そういう日曜日の午前に貴島一策の訃(ふ)を聞いたのは、なにかピッタリした、これ以外にないといったような気分である。僕は町を歩きながら、先ほどの階段のとば口での解放感、ワラビの成長を高速度撮影機、いやあれは低速度撮影機というのかな、それで撮ったワラビのように内側からむずむずとほぐれてくる感じ、その解放感を思い出した。明るい町を往き来する若い女たちは総体に美しかった。いや、美しいというより、つやつやしていて、植物的でなく動物的だった。ワラビ的ではなくて、むしろ伸び縮みする青虫的だった。トレアドルパンツをはいているのもいた。僕は横丁に曲り込み、相模屋ののれんをくぐった。もしかすると第二日曜というやつは質屋の休日であるかなと懸念していたが、幸いにそうでなかった。僕は元金と利子を質札にそえて出し、学生服を受取った。貴島一策が死んだ以上は、学生服を着用しないでもいいのじゃないか、と僕はその時気が付いたが、でもそのまま服を小脇にかかえ外に出た。僕はそして空腹を感じた。朝飯をまだ食べていなかったし、電話のかかるまで僕はまだ寝床に横になっていたのだ。空腹感は一歩毎に強くなった。腹が減ると旨(うま)いものが食いたくなる。それが空腹の第一段階だ。折角おなかが空いたんだから、外食券食堂のボサボサ飯で腹を充たすのは勿体(もったい)ない。そういう感じが先に立つ。おなかが空いて、もう徹底的にぺこぺこになって、焼芋でも一昨日のコッベパンでもという具合になると、それは空腹の第三か第四段階になるのだろう。その第一段階の状態に僕はあった。僕は一歩毎に自分の空腹をたしかめ、且つそれをたのしんだ。この空腹を充たすべきあれこれの食べ物の形や匂いを空想してたのしんでいた。月一回の貴島家訪問、その昼食時にも僕はいつもその段階にあった。何故かというと、貴島家の昼食はたいへん旨くて、それを予想して僕は常に朝食ヌキで出かける習慣だったから。しかし単にそれだけの、旨いというだけの理由ではない。僕がその飢えの第一段階にあり、そして貴島宅の昼食をガツガツと嬉々としてむさぼり食べること、そのことを貴島の方で僕に要求していたからだ。もちろんはっきりと口に出して要求するわけではない。ある時刻において自分が空腹のどの段階にあるか、あるいは満腹や準満腹の状態にあるかは、僕の勝手であり、他人の指図を受ける筋合いのものではないのだ。だから僕は貴島から、朝飯ヌキでやって来いと要求されていたわけではない。ただ彼の家の昼飯を、さあさあと何杯も何皿も押し勧める方法により、あるいは僕が多量に詰め込む有様を喜色と同感をもって見守るという方法によって、貴島一策は僕にそのことを暗黙裡に要求していたのだ。そういう僕に反して、貴島一策の昼食の量はびっくりするほど少かった。同じく貴島夫人の量も。たったあれだけの量を口に入れるのは、昼食という名の行事に価いしないと思われるほどだ。彼等は手早く自分らの食事を済ませて、茶をすすったり楊枝(ようじ)を使ったりしながら、僕の食べるのをじっと眺めている。沢山食べれば食べるほど、貴島の顔にはしだいに満足の色が深まってくる。そして僕はだんだん判ってくる。その昼食を僕は僕のために食べているのではないことを。僕はもはや貴島のために食べているのだ。貴島を代理して僕はせっせと食べているのだ。貴島は自らの食慾を僕の口腹に仮託し、僕は自らの口腹をもって貴島の欲望の遂行者に化している。その瞬間僕は彼の代理人であると同時に、道具みたいなかたちにもなっているのだ。僕がたらふく食べ終えて箸(はし)を置く時、貴島はたいへん満足そうな、そして充足からくる倦怠の風情(ふぜい)をもって、しずかに言う。やさしく言う。いやらしいほどのやさしさで言う。[やぶちゃん注:「ワラビの成長を高速度撮影機、いやあれは低速度撮影機というのかな、それで撮ったワラビのように内側からむずむずとほぐれてくる感じ」低速度撮影が正しい。「トレアドルパンツ」toreador pants。足にぴったりした、膝より少し下までの長さのズボン。闘牛士が穿くズボンをヒントに作られた。]

「もういいのかね。もうおなか一杯かね」

 その貴島一策が死んだという。昨夜死んでしまったという。

 

 貴島宅専用の黒サージの訪問着なくしては、僕が訪問出来ないというのは、ひとつにはそこに理由があるのだ。いくら僕が従順でおとなしいとは言え、きちんとした背広でカレーライスを幾皿もおかわりをするわけには行かない。調和というものがある。芸当をやるには、背景や装置がきちんとしていなければ、とてもうまくは行かない。黒い制服ならば、黒制服の持つ一種の概念によりかかって、どうにかごまかせるのだ。[やぶちゃん注:「サージ」serge。綾織りの洋服地。羊毛・木綿・絹・ナイロン・混紡製などがある。学生服などに用いる。]

 この前の日曜日、つまり定例の訪問日だ、僕は貴島宅の庭の草むしりをした。貴島一策がそのことを僕に命令したからだ。いや、命令というより依頼というべきだろう。彼は僕に命令をしたことはない。いつも依頼という形式をとる。実質的には命令と同じことなのだが。

「三郎君。今日はうちの草むしりをやって貰えんかねえ。なんだか雑草が茂り過ぎたようだから」

 貴島宅の庭は約五十坪ほどある。ほぼ正方形で、紅葉とかサルスベリとか椿とか、そんなへんてつもない庭樹が七八本生えているだけで、あとは何にもない。花壇もなければ芝生もない。貴島夫婦には、草花趣味や盆栽趣味は全然ないようだ。だからこれは庭というより空地という方が適当だ。その空地にあまたの雑草が所狭しと茂っている。その雑草をむしって呉れというわけなのだ。僕は二つ返事で上衣をとり、ズボンをまくり上げて、庭に降りた。僕は草むしりということをあまりやったことはないけれども、それほど要領や熟練を必要とするものではなかろう。ただ引っこ抜けばいいのだから。甲斐々々(かいがい)しいいでたちになった僕に向って、貴島一策は縁側の籐椅子の上から声をかけた。前歯が抜けているから、声がそこから洩(も)って、ふにゃふにゃと聞き苦しい。[やぶちゃん注:「五十坪」畳で約百畳。]

 「草むしりは上っ面だけじゃダメなんだよ。根っこから引き抜くんだよ。地面が固けりゃ道具を使う。台所に行くと、竹のへらがあるだろう」

 僕は台所に廻り、貴島夫人から糊こね用の古竹べらを貰ってきた。そして庭の広さを目測し、仝体を四区画に分け、その一区画にしゃがんでむしり始めた。

 この日曜日、朝の十時頃からかかって夕方の六時半頃までに、この七間平方の空地の草をすっかりむしり終えたのだが、僕は草むしりという作業についていろんなことを知ることが出来た。草むしりというやつは、思ったより人間を疲労させるということ。それから草むしりというやつは、思ったよりたのしいものであることなどだ。ことに後者は僕にとっては意外だった。貴島一策相手の将棋などよりはるかに面白いし、やり甲斐がある。引き抜かれまいと抵抗するやつをぐっと引き抜く快感。むしり取った領域がだんだん目に見えて拡大して行くその感じ。一種の征服慾の充足、そんなものが基調になっているのではないかと思うが、意外だったのはそれだけでない。ふつうの作業、このような単調な繰返しの作業は、ぶっ通しにやれば倦(あ)きてしまうものだが、草むしりというやつはその反対で、どこか中毒症状的なところがあるのだ。つまり一庭をむしり終えても、一仕事をやってのけたという完了感がない。たかが雑草ごときにといった感じと同時に、意地きたない酒飲みみたいにもっともっとという気持、イライラした気持があとに残る。事実その日の黄昏(たそがれ)、貴島宅を辞し、バスの停留所でひとりバスを待つ間、僕はたいへん疲労をしていたが、またどうにもこうにも落着かない痛痒(いたがゆ)い気分になって、あたりに人気のないのを見澄まし、そっと標識柱の下にしゃがみ込み、そこらに生い茂った雑草をしきりに引っこ抜いて廻ったのだ。バスの来方が遅かったおかげで、そのバス停留所あたりの雑草は、すっかり僕の手でむしり取られて、きれいさっぱりになってしまったほどだ。そしてバスの中でも、僕は手にした雑誌の耳をしきりにむしっていたし、下宿に戻っても僕の指は何かむしるものを求めて、不随意的にびくびくと動いていた。そこで僕もやり切れなくなり、立ち上って相模屋にかけつけ、訪問着を質に入れ、そして屋台店で焼酎を飲んだ。定量以上に飲んだので、その不思議なイライラは消失したが、指や爪の間に染みこんだ青くさい草の色は、まだ二三日は残っていた。[やぶちゃん注:「七間」約十二・七三メートル。]

 一体どういうつもりで貴島一策は、僕に草むしりなんかをさせたのだろう。

 その日一日貴島一策は、縁側の籐椅子にぽんやりと腰をおろして、僕の仕事ぶりを眺めていたのだ。それは別段看視するというようなやり方でなく、ただ僕の仕事ぶりを眺めることによって時間をつぶしている、そんな風(ふう)に僕には感じられた。またしても僕は自分の労力の犠牲において、彼の時間つぶしにおつき合いさせられたわけだろう。そして午後一時頃、昼食にカレーライスが出た。僕はズボンや足がよごれていたので、植木屋みたいに縁側に腰かけて食事をすることにした。貴島夫妻も小さな折畳み小卓を縁側に据(す)え、僕のお相伴をすることになった。例のごとく彼等はすぐに食べ終り、僕が食べるのを眺めている。妙な論理だね、と貴島一策が答えてつくり笑いをしたのはその時のことだ。そこで僕は言った。

「庭の手入れするくらいなら、歯の手入れした方がいいんじゃないですか。庭はあまり人は見ないけれども、顔はしょっちゅう他人に見せるものだから」

「他人にしか見えないから、これでいいんだよ」と彼は言った。「歯を直しても、自分で見えなきゃつまらない」

 それこそ妙な論理だと僕は思う。妙というよりも何が何だか判らない。貴島夫人はうつむいてお茶をすすっていた。夫人は無口で、ほとんど会話の仲間入りをしないのだ。

「お庭だって草むしりするだけでなく」二皿目のおかわりをしながら僕は言った。「もう少し工夫をこらしたらどうですか。これじゃあまり殺風景ですよ」

「工夫って何だね?」

「草花を植えるとか」と僕は答えた。「農大に友達がいるから、種子や苗なら持ってきて上げますよ」

「草花か」彼はわらった。せせらわらった。「草花じゃ仕方がない」

「草花がダメなら、木はどうです?」と僕は食い下った。無駄に草むしりさせられてはたまらないという気持もあったのだ。「実のなる木。たとえばイチジクとか――」

「イチジクを植えると、家内から病人が出ると言いますね」無口な夫人が突然口を利(き)いた。「自然と生えてくるのなら、差支えないそうだけれど」

「じゃ、ビワはどうですか」

「ビワは、家内から死人が出ないと、ならないそうですね」と夫人が前と同じ口調で淡々と言った。「死人が出ないとね」

「死人が出ないとね」

 貴島一策が夫人の真似をしてそう繰返し、大口をあけてわらった。前歯がないから折角の笑いも、障子の破れを吹き抜ける風みたいに張りがない。そしてその笑いと共に、その話は終ってしまった。[やぶちゃん注:「イチジクを植えると、家内から病人が出る」私も知っている。私は実(実際には雌株の花嚢が肥大化した果嚢で花の集合体である)の色が爆ぜた人体の血や肉のように見えるからだと思っている。しかし「いちじく屋 佐藤勘六商店」の「いちじくは縁起が悪い!?中に虫がいる!?いちじくに関する俗説を調べてみた」によれば、漢字表記の「無花果」のイメージから「子宝に恵まれず、子孫が途絶える」という意味で縁起の悪い果物とする説があるとしつつ(これは個人的には大いに腑に落ちる)、『一つの木に多くの実をつけること』から、『いちじくの花言葉は「多産」「子宝に恵まれる」「実りある恋」』であるとあって、それも肯ずる気になった。さらに、『よく聞く迷信として「庭にいちじくの木を植えると病人が出る、害を招く」といったもの』を考察されて、『いちじくは実をもぐと白い樹液が出ます。この樹液をイボに塗布して治すという民間療法もありますが、この樹液に触れると』、『肌の弱い方は痒くなったりかぶれることがあります。また、いちじくは整腸作用があるため、食べ過ぎるとお腹がゆるくなることがあります』とまず指摘され、『野生動物や鳥』が好み、『いちじくの樹木の内部を食べてスカスカにしてしまう天敵カミキリムシも来る』他、昆虫類が集まり易いことが挙げられ、また、『いちじくの木は剪定しないとどんどん伸び、実を付けます。大人の手より大きな葉が広がるので』、『伸び放題にしておくと』、『日当たりや風通しは悪くなる』とされ、『以上のようなマイナス面から、庭木として向かない→病人が出たり害を招くといった方向に俗説ができていったと考えられます』とあった。イチジクのプロの話であるから、納得した。亡き私の母は大好物だったのを思い出す。「ビワは、家内から死人が出ないと、ならない」これも私は聴いたことがある。私はビワの果肉が死体の変色した色に似ているからであると思っていたが、「柴垣グリーンテック」のブログ「【庭に実のなる植木を植えてはいけない?】言い伝えを調べて検証してみた。~ビワ編」によれば、ビワの葉は薬効があるため、病人が採りに来る結果、病人の病気が感染するという説が載っていた。他にブログ主は「ビワの木は裂けやすい」ため、「登って落ちて怪我する」という説や、「ビワの葉っぱを売って儲けていた人が皆が育てると儲からないから流したデマ」という説を有力とされていた。]

 その貴島一策が、それから一週間後、夫子(ふうし)自らが死人になってしまったのだ。

 黒い学生服に着換えて、僕はふたたび町に出た。[やぶちゃん注:「夫子」ここは「その当人」の意。]

 路地から通りに出、通りをさらににぎやかな方にゆっくりと歩く。街は残酷なほどあかるくて、合いの詰襟服では少々暑過ぎるほどだった。飯を。まず飯を。僕は呪文(じゅもん)のようにつぶやきながら食べ物の店を物色(ぶっしょく)する。ふだんより僕はいくらか気取った歩き方をしているらしい。気取るには気取るだけの気持があるのだ。第一に僕は学生服を着ている。もう学生でないのに学生服を着ている。それが僕の気持をむずむずさせるのだ。贋(にせ)学生。学生姿に身をやつしているという感じ。そのことがうしろめたくもあると同時に、途方もなくいい気分でもある。ことに街なかはあかるい。あかるさの中でそんなことをやっているという自覚が、僕の内部のどこかにある核のようなものを、じわじわと無限に拡大させ、その結果が僕の足どりを気取った恰好にしているのだろう。飯を。まず飯を。僕はふわふわと、歩調に抑揚をつける。貴島が死んだ。貴島一策が死んだ。学生服を着ていても、空腹を辛抱することはない。空腹を示すべき相手は死んでしまったのだ。

 三町ばかり歩いて、街角のレストランに飛び込んだ。僕には初めての店だった。行きつけの飯屋は、服装の関係上具合が悪い。あまり顔馴染(なじみ)のない、広い店に限るのだ。そのレストランの二階は広かった。階段を登り切ったところに陳列棚があり、料理の見本がずらずらと並んでいる。僕はその前に立ち止り、皿をひとつずつ眺め、やがてそこを離れる。僕が腰をおろしたのは窓のそばの小卓だ。椅子の半数ぐらいは客で詰っていた。大きな窓ガラスから陽光はさし入り、僕の卓のツルツルした表面や胡椒(こしょう)や辛子(からし)入れの金具をピカピカさせた。僕は詰襟のホックを外し、煙草を吸いつけながら、窓から街筋を見おろした。頭でっかちの人々が歩道を往来する。頭でっかちの犬なども。ウエイトレスが水入りコップを持って、すぐに注文を取りに来た。僕は隣りの卓をちらと見た。隣りの卓の五十がらみの一見教師風(ふ)の紳士が、こめかみに青筋を立てて怒り始めている。よほど長い間押えていたと見え、手がぶるぶると慄(ふる)えているのだ。紳士はフォークをさか手に持ち、柄を卓上に押しつけてそこらをひっかき廻すようにした。眼がほとんど三角になっている。こもった声で、

「まだ出来ないのか。マカロニグラタン」

 フォークの柄で卓をかちんと叩く。

「一体いつまで待たせる気なんだ?」

「もう少しお待ち下さいませ」

 ウエイトレスはやさしくそう答えて、僕の前にコップを置いた。

「御注文は?」

 僕はおもむろにあたりを見廻した。客の大多数はナイフとフォークをあやつりながら、料理を口にせっせと運んでいる。飲物を飲んでいるのもいる。天井には扇風機の翼があるが、取りつけられているだけでまだ動いていない。紳士は三角の眼をほとんど白眼にして、その動かない翼をにらみ上げでいる。もちろん翼が動かないのに腹を立てているのではなかろう。きっとこの男も朝飯をぬいたのだろう。そしてこのレストランの階段をいそいそとのぼって来たのだろう。マカロニグラタンなんてものはテンピをつかう関係上、どうしても他の料理よりも遅くなる傾向があるのだ。紳士は草色の服を着け、同じ色のネクタイをしめ、こういう好い天気なのに、どういうつもりか絹張りの洋傘を持っている。その洋傘を膝の間に立て、両掌をその柄の上に組合わせている。慄えているのはその手であ  り、組合わさったその指なのだ。よほど腹を立てているらしい。空腹時に怒るのは僕にも経験があるが、と僕は思う。いくらか同情的に思う。あれは衛生的に良くないないなあ。胃液の分泌の調子が全然狂ってしまって、折角の空腹なのに、食べものの味もなくなってしまうんだ。紳士は天井から眼を僕のウエイトレスに戻して、ふたたび憤然とナイフをとり、柄で卓をたたいた。さっきよりはぐんと強目にだ。

「僕よりあとの者が、もう食べているじゃないか!」紳士が突然カマキリの顔になったので、僕はぎょっとした。

「客にえこひいきをするな。マカロニグラタン!」

「判っております。只今直ぐ持って参ります」ウエイトレスは紳士に顔を向けずに、そしていらだたしげに僕をうながした。「御注文は?」

「まさか今さらマカロニの買出しに行ったんじゃあるまいな」

 腹が減っていらいらしているくせに、草色紳士は余裕を示そうとして、こんなにまずい月並なあてこすりを言った。そして口に出してみて、あまりにも月並な冗談だったことが自分にも判ったのだろう。彼はたまりかねたようにいきり立ち、突然甲(かん)高い声を張り上げた。

「早く持ってこい。マカロニグラタン。何をぐずぐずしてるんだ」

 皆の視線が草色紳士にあつまった。紳士は怒鳴りつづける。

 「俺だけあとまわしとは何だ。支配人を呼べ!」

 「マカロニグラタン」と僕はウエイトレスに注文した。

「なるべく早いとこね」

 紳士は眼を吊り上げて、じろりと僕をにらみつけた。まるで悪事の現場を見付けたかのように。だって僕は仕方がない。にらみつけられるいわれはない。僕だってマカロニグラタンを食べる権利がある。『マカロニグラタン』ウエイトレスは伝票に書きつけて僕の卓に置いた。そのウエイトレスの後姿に紳士は憎々しげに口を開いた。

「あと三十秒だけ待ってやる。三十秒以内に持って来なきゃ、絶対に食ってやらないぞ。帰っちまうぞ。いいな!」

「はい」

 ウエイトレスはそばかすのある顔をそちらに向けようとせず、そう簡単に返事しただけで、腰を揺りながらそっけなく向うへ行ってしまった。紳士は腕を斜にかまえて、手首の時計をにらみつけた。十秒。二十秒。そして概略三十秒経った。紳士はぐっと鎌首をもたげ、調理場の方向、そして室内をぐるりと見廻した。皆の視線が彼にあつまっている。フォークやナイフの手を休め、見るような見ないようなやり方で、皆が彼の動向に注意をはらっているのだ。草色紳士はふと脅えたように頸(くび)をすくめ、僕を見た。動物園のどの檻(おり)の中だったかな、これと同じ眼付を僕は見たことがある。紳士は皆から見られているものだから、引込みがつかなくなったらしい。エイと癇癖(かんぺき)の強そうなかけ声をかけて、腰を浮かした。皆黙然として眺めている。ウエイトレスの連中もだ。紳士は腰を浮かしたまま、何を思ったか紙ナフキンを卓上からつまみ上げて、チンと鼻をかみ、それを団子のようにくるくる丸めて、力いっぱい床にたたきつけた。そして洋傘を大刀のように腰にたばさみ、胸を張ってとっとっと階段口へ出て行った。

(ああ。あれはつらいだろうな)と僕は思った。(ああいう気持の状態でここを退場し、そしてそのまま断食するわけには行かないから、別の食堂かレストランに入るだろう。そこで料理を注文しても、ここでの気分があとを引いているから、食べたって旨(うま)くはなかろう。食べること自体が自己嫌悪を誘発するだろう。彼は決してマカロニグラタンは注文しないだろうな。カツ丼かカレーライスを注文するだろう。そして別の品を注文したことにおいて、彼は更に自分を嫌悪するだろう。すくなくとも今日一日は、彼は自分の気持のやり場に困るだろう)

 階段口に紳士の姿が消えてしまったので、室内はかすかなざわめきを取戻した。よっぽど立ち上って紳士のあとをつけ、爾後(じご)の彼の行動を見たい、そういう気持が僕をそそのかしたが、やっとのことで我慢をした。ざわめきの中に、ナイフやフォークの音が混り始めた。ウエイトレスが紙ナフキンに包んだフォークを僕の卓に持ってきた。

 注文したマカロニグラタンは僕をほとんど待たせなかった。せいぜい二分か三分ぐらいなものだ。注文を受けてそんなに早く出来上る筈がない。言うまでもなくこれはさっきの紳士の注文したものだろう。そう思った時、ちょっとイヤな感じがしないでもなかった。しかし、誰が注文しようと、マカロニはマカロニだし、それ以外の味がするものではない。僕はフォークを取上げて、盛り上ったマカロニに突き刺した。このグラタンを待ち切れずにあの草色紳士は憤然と退場し、そのあとを僕が引受けることになった。ただそれだけの話だ。テンピに長く置き過ぎたらしく、焦げ色が濃いようだ。こういうことなら早いとこ取出して、あの紳士に供すればよかったのに。僕はフォークを口に運んだ。焦げ過ぎていてもそれは旨かった。なにしろ僕の空腹は、第一段階を通り越そうとしていたのだから。

 室内はすっかり元のざわめきに戻り、もう草色紳士のことなんかすっかり忘れ果てられていた。ベパーや辛子のひと撫での後味すら、室内には残さなかったように見える。僕もその例外でなく、ひたすらマカロニグラタンに没頭し始めていた。一皿の半分も食べかけた時、僕はふと僕をじっと眺めている巨大な眼のようなものを感じ、しずかに顔を上げた。眼? 紙ナフキンで口をぬぐいながらあたりを見廻した。もちろんその時僕は、僕を眺めているものが、現実の眼でないことは知っていた。あたりを見廻したのは、その幻の眼からのがれるためだった。それは貴島一策の、死んだ貴島一策の眼だったのだ。ここは貴島の家ではない。日曜日の正午近くのレストランだというのに、その幻の眼が僕を眺めているというのも、この黒い訪問着のせいなのか。僕はそれをふりはらうように頭を振り、ふたたびフォークを動かし始めた。しかしその遠くからの眼はもう僕につきまとって離れない。僕はもはや僕自身のためでなく、僕以外のある男のために、さも旨そうに舌つづみを打ちながら、舌つづみを打つことをわざとしながら、フォークをあやつっている。忌々(いまいま)しさが僕の全身をつつんだ。

(一週間前の日曜、おれはまるまる一日、あいつからたっぷり眺められたんだからな)

 あの日貴島一策は、便所行きと食事時間をのぞいて、終始縁側の籐椅子に腰をおろしていた。腰をおろして僕の草むしりをぼんやりと眺めていた。よくあんなにぼんやりと腰をおろしておれるものだ。そして三十分に一本、ふところから煙草を引き抜いて吸いつける。煙草は外国煙草で、名前は忘れたが、キングサイズの女用のやつだ。それを欠けた前歯の間にはさんで火を点(つ)ける。半分も吸わないうちに、火のついたままのそれをポイと庭先に投げ捨てる。視線はぼんやりと僕に向けたままだ。あの意志も感情も持たないような眼から、僕は朝から夕方までたっぷり眺められたのだ。ひとつの眼から絶えず眺められていることは、ラクなことでない。すくなからずつらいことだ。これがたとえば、看守と囚人なら、囚人の方が数が多いにきまっているから、看守の眼も分散される。しょっちゅう眺められているということはない。ところがその日の僕の場合は、一対一だったのだ。あの男はそんな風(ふう)に僕を眺めることによって、好天気の日曜をまるまるつぶしてしまったのだ。

(何ということだろう)

 そして貴島夫人は、貴島トミコは亭主の籐椅子のそばにきちんと坐って、きちんと身じろぎもせず坐って、その日の朝から夕方までせっせと縫物に没頭していた。似たもの夫婦という他はない。よくもまああんなに長時間、ひとつことに熱中出来るものだ。一策は一策で飽きもせず僕を眺めているし、トミコ夫人はトミコ夫人でせっせと縫物をしていた。もっとも僕だってその日は、日一日草むしりに没頭していたのだから、そんな彼等をわらったり非難したりは出来ないのだが。トミコ夫人が縫っていたのは、手拭い型の長方形の木綿布(もめんぎれ)を、その端と端とを縫い合わせてつくる一種の布の輪だ。草むしりをしながら僕がちらちら眺めたところによると、トミコ夫人はその布輪を二十余りもつくったようだ。あんなのをそんなに数多くつくって、一体何に使うつもりだろう。つくって積み重ねられた布に、貴島家の二匹の飼い猫、クロとミケがしきりにじゃれかかっていた。この二匹の猫は昼食のカレーライスの時も縁側にいて、ちょこんと坐って僕らの食事を眺めていた。僕は猫という動物を好きでない。爪を軟かな足肉の中にかくしていて、いざと言う時に引っかく点などが嫌いだ。それにあの毛が嫌いだ。あの毛はよく抜ける。抜けて飛び散って、人の口などに入る。口に入った毛は胃の中で丸くかたまってしまうという話だ。だから僕はなるべくカレーライスの皿を、猫の方から離すようにして食べていた。すると貴島一策が猿臂(えんぴ)を伸ばして、ミケの方の首筋をぐいとつまみ上げた。ミケは口をぽかんとあけ、後肢(あとあし)をだらりと垂らした。一策はそして夫人をかえりみた。

「こいつ、いつまで経っても鼠をとらないようだね。僕たちにすっかりよりかかり、甘えかかってるようだな」

 夫人は黙っていた。すると貴島は、猫をぶら下げたまま、左手で自分の皿の匙(さじ)をとり、食い残しのカレー肉をしゃくい上げた。そのままミケのあいた口にいきなり流し込んだ。

 ミケはぐっというような声を立てて、前肢でそれを払いのけようとした。

 貴島は頸(くび)筋から手を離した。

 ミケはやっとのことで肉ははき出したものの、カレーの汁が口腔内にべたっとくっついたものだから、奇妙な声であえぎながら後肢で立ち、前肢をかわるがわる口辺に持って行って、猫踊りのような恰好をした。よほど辛(から)かったのだろう。貴島は前歯の欠け目をむき出して笑いながら、クロの方にも手を伸ばそうとした。クロはその手を引っかいてパッと庭の方へ飛び出して行った。

 トミコ夫人がけたたましい声を立てて短くわらった。

 

 バスの停留所を降りた時は、もう正午を過ぎていた。

 僕につづいて若い女が一人降りた。

 バスは腰を振るようにしながら発車した。こういう発車の仕方をするバスを、僕は時々街頭に見かけることがある。後尾のタイヤ、車軸、それらと車体(ボディ)との連絡やつながり具合で、またウエイトのかかり具合で、ついそういう恰好になってしまうのらしい。それはへんになまめかしいのだ。

 僕は標識柱につかまって、ちょっとそのバスの背中を見送り、そして足下の地面を見おろした。一週間前の黄昏(たそがれ)にむしり取った雑草のあとを見たかったのだ。そして僕はすこしおどろいた。あの日すっかりむしり取ったつもりだったのに、地面のあちこちに雑草が青々と茂っている。僕がむしったあとかたなんか全然残っていないのだ。

 はて、停留所を間違えたのかな。そう思ったくらいだ。

 しかし停留所に間違いはなかった。

 僕は不審な気持でも一度あたりを見廻し、そして歩を踏み出した。そうそう雑草にかかり合ってはいられない。早いとこ貴島宅に着いて様子を聞かねばならん。

 なにしろ八千円の問題だからな、と僕はバスの中で考え続けていたことを、も一度ことあたらしく呟(つぶや)いてみた。

 貴島一策が死んだとなると、月々僕が貰っていた八千円は一体どうなるのか。その疑問が僕に来たのは、レストランでマカロニグラタンと更にメンチカツを食べ終り、ほっと一息をついた瞬間だった。その疑問は僕をどきりとさせた。

 電話口に出てからその瞬間まで、そのことに思い到らなかったこと、それも僕をどきりとさせる一因子になっていた。僕の貴島とのつながりは、月々の八千円以外には何もなかったのだから。本当なら貴島の死を聞いた瞬間に、八千円ということ仁考えを及ぼすべきであったのだ。それをそうしなかったのは、僕にそうさせなかったのは、空腹や好天気や、そんな外部の条件だったのだろう。気持がマカロニやメンチカツに一筋につながっていて、大切なところに空白が出来ていたのだろう。

 あの時僕はマカロニグラタンを食べ終り、まだ充たされないままあたりを見廻して、メソチカツを注文した。充たされないのは僕の口腹だったのか、それともあの幻の貴島一策の眼だったのか。運ばれてきたメンチカツを僕はさも旨そうに、舌つづみを打ちながら、つけ合わせのキャベツやパセリのたぐいまで全部平らげてしまった。そして煙草をふかしながら伝票をのぞいた時、八千円という金額がいきなり僕の頭にやってきたのだ。

(そうだ。この昼飯代は俺が俺の財布で支払わねばならないんだ)

 そう思った時、そう思ったためかどうかは知らないが、あぶらくさい曖気(おくび)が僕の咽喉(んど)にかすかにこみ上げてきた。すこし余計に詰め込み過ぎたのだ。[やぶちゃん注:「曖気(おくび)」げっぷ。]

 僕と同じバスを降りた若い女が、僕の前二十米ぐらいを、向うへとっとっと歩いて行く。

 その女は二十歳前後で、白っぽい洋装、何という布地か知らないが、目の荒いゴワゴワした感じのスーツをつけていた。バスでは僕の斜め前に掛けていたのだ。

 バスに果っている間、バスに乗っている時は何時もそうだが、僕の視線は、三つ乃至五つのものに、順々に移動する癖がある。移動してはまた元に戻り、移動してはまた元に戻るのだ。几帳面(きちょうめん)な巡礼みたいに、それは一から二へ、二から三へ、三から一ヘという具合に、何時の間にかそういう具合に自分の眼が動いていることに僕は気付くのだ。気付いてもその几帳面な巡礼は止まらない。

 そのバスでもそうだった。

 この若い女が、若い女の脚が、僕の視線のとまり場所のひとつになっていた。

 運転台のフロントグラスにぶら下った黒ん坊の人形、出入口の真鍮(しんちゅう)の手すり、それからこの女の脚。その三点を僕の視線はオートマティックに経(へ)めぐっていた。時々外の景色がその中に入る。

 女が掛けているところは、後尾の車輪が座席の下までふくれていて、つまり床がぐっとマンジュウ型に盛り上っていて、坐りにくい場所なのだ。どうしても膝が高くなり、したがって脚がスカートからむき出しになってしまう。

 しかしこの女は割に上手にその座席のあり方をこなしていて、ポーズとしてはそう悪い形ではなかった。しかし膝から下はすっかり眺められる状態になっていた。

 ソックスだけのその脚は、女には珍らしいほど毛が深かった。

 全体的に見ると、その女は女子学生か、なり立ての女事務員か、そんな感じに見える。ういういしい感じがどこかにあるのだ。

 そんなういういしい感じと、毛の深い脚の感じが、ちぐはぐなものとしてあった。

 僕が気がついた時から、女は膝の上に本をひろげて、ずっと読みふけっていた。停車毎にちらりと窓外に視線を走らせるだけで、あとは本に没頭している。すっかり没頭している証拠には、もっと坐りやすい席が空いたにもかかわらず、そちらに移動しようともしなかったほどだ。

(八千円。八千円)と僕は思っていた。脚と人形と手すりに視線を順々に回転させながら。(貴島一策が死んだとすると、八千円はどうなるのか。今度は夫人から支給されることになるのか。それともまさか打切りに――)

 僕は現在すでに学生でなく、ある職業についている。職業についていても、貴島からの八千円がないと困るのだ。打切られるとなると、僕の生活は大きく変ってしまうだろう。貧しい方に、悪い方にと変ってしまうだろう。

(しかし貴島一策が死んだとて、支給が打切られるのは不当だ)

 父親が死んで以来、僕は貴島からずっと学資の支給を受けている。どういうことでそうなっているのか、実のところ僕もよく知らないのだ。面倒くさくもあったし、またハッキリと知りたくない気分も僕に暗々裡(あんあんり)に動いていた。判っていないにもかかわらず、僕は彼から有難く支給を受けているのではなく、受取る権利があるという気持があったのだ。恵まれているのではなく、取り分があるといった気持。それがずっとあったし、今でもはっきりとある。学校を卒業しても、まだ引続き八千円を貰っているというのも、そういう気持からなのだ。その気持のよって来たる具体的な事実、それはない。具体的なものは何もない。あればもっと僕は強い気持になれるのだが、それがないばかりに、形式としては恵まれるという形になり、したがって僕は支給日毎に彼の将棋相手となったり、庭の草むしりをすることになってしまうのだ。なにか忌々しい感じがそこから生起してくる。僕もハッキリと知りたくないし、向うもハッキリと説明したくない(らしい)。そういうもやもやしたものがある。そういうもやもやを膜の中に閉じ込めて、月々八千円をやったり貰ったりするだけの関係、ただそれだけの関係を僕も望んだし、向うも望んでいるらしくふるまっていたのだが、その貴島一策が死んだ。突如としで死んでしまったのだ。

 若い女はカラタチ垣根の曲り角から、横丁に折れ込んだ。僕もそれにつづいて曲った。女をつけているのではなく、貴島宅がその方向にあったからだ。日は空にあって、日射しは強かった。空気は乾いていた。風もすこしあった。僕はしだいに足どりが重くなってくるのを感じた。

 

 貴島の家は満天星(どうだん)の垣根に囲まれ、へんてつもない木の門がちょんとついている。満天星の垣根というのはたいヘん高価なものだそうで、僕はそのことを貴島から教わった。ドウダンという名前もその時教えられたのだ。それまで僕はこの垣根を、なんと見栄(みば)えのしないつまらない垣根か、と思っていた。[やぶちゃん注:「満天星(どうだん)」ツツジ目ツツジ科 ドウダンツツジ亜科ドウダンツツジ属ドウダンツツジ Enkianthus perulatus 。元は「燈台躑躅」(とうだいつつじ)で、枝の分枝する形が、昔の「結び灯台」(昔の灯明台の一つ。三本の棒支柱を組み合わせて真ん中からやや上で結び、上下を開いて安定させ、その開いた頭部に油火の皿を載せるもの)に似ていることからで、「とうだい」の音が転じて「どうだん」になったとされる。私の好きな花である。]

「これまでになるには、二十年や三十年経っているんだよ」貴島は笑いながら言った。歯が欠ける前か後か、それは憶い出せない。「ばらして一本一本に売ったって、相当の値段になるんだよ」

 その満天星の切れ目につくられた木の門を、さっきの若い女が至極あたり前のように、ふっと入って行ったので、僕はちょっとまごついた。彼女も貴島宅の訪間者とは、その時まで考えてもいなかったからだ。

 僕もつづいて門に入ろうとして、門柱のところに立ち止った。

「え。おなくなりになったって?」

 その女のおどろきの声がした。門から直ぐの玄関の扉が半開きになっていて、女の姿は見えない。玄関の中に入っているのだ。それに答えるぼそぼそした男の声が聞えてきた。

「自殺?」

 その言葉が割にはっきりと僕の耳に飛び込んできた。前後の言葉は判じ取れず、それだけがはっきりと耳に入った。

「自殺?」

 僕はどきりとした。それは自殺という言葉に脅えたためで、貴島一策と自殺とが直ぐに結びついたわけではない。

(自殺なんだって? あれが?)僕は門柱によりかかったまま忙しく頭を働かせた。(一週間前の様子じゃ、そんな気配はなかったようじゃないか。あの貴島一策が自殺するなんて、一体どういうことだろう。あんな年寄りが、まるで無分別な若者のように死んでしまうなんて、おかしな話じゃないか。一体どういう具合にして自殺したんだろう?)

 玄関での会話がふっと途切れたようだった。僕は門柱から掌を引き剝がし、飛び石を踏んで玄関の前に立った。その足音で先客の女がふり返った。ふり返ったついでに下に落ちた本を拾い上げた。その本は彼女が先刻びっくりしたとたんに取落したものらしい。彼女が腰をかがめたので、玄関に立っている黒い服を着た男に、僕は短い間直接顔を合わせることになった。

「野田三郎ですが――」

 僕は名乗った。

 

 玄関からとっつきの応接間に僕らは通された。応接間に入る時、若い女は壁にへばりつくようにして、僕を先にした。僕が先に入り、女があとにつづいた。応接間はきちんとかたづいていた。しらじらしくかたづいていた。よく見廻すと、応接間の中は調度類だけになっていて、装飾品のたぐい、たとえば壁懸けやガラスケースの人形、そんなものがすっかり姿を消していた。白けたような感じはそこらから来ているらしい。

 黒服の男は窓を背にしたソファーに腰をおろした。それに向いあって、僕らはそれぞれの椅子に腰をおろした。腰をおろしてから気がつくと、絨毯(じゅうたん)も床から引き剝がされていて、角板を組み合わせた床がむき出しになっていた。黒服の男は左の掌を膝の上にひろげ、右手を拳固(げんこ)にしてそれをかるく叩(たた)きながら言った。

「貴島一策は昨夜死にました。トミコ夫人もいっしょです」

 黒服は手を打ち合わせながら、かわるがわる僕らの顔を見た。黒服男は四十がらみで、顔は青白く神経質らしく、こめかみに静脈を浮き出させている。声はシロホンをたたくような早口だ。[やぶちゃん注:「シロホン」xylophone。シロフォン。木琴と同義であるが、本邦の場合は一般的にはコンサート用シロフォンを指す。音板の材質にはローズウッド・紫檀・カリンのような堅い木材が用いられる。また、音板の下に共鳴管が取り付けられている。]

「自殺、ですか?」僕は訊ねた。「二人とも?」

「そうです」黒服はうなずいた。「覚悟の自殺です」

「どんな方法で?」

「青酸カリ」黒服は手を打ち合わせるのを止め、自分が腰をおろしているソファーを指差した。「場所はここです。ここに二人並んで、マスクをかけて、きちんと腰かけたまま」

「マスクをかけて、どうして青酸カリが呑めますの?」女が口を出した。女の手は膝の上で、さっきから白い手巾を四つ折りにしたり斜めに折ったり、そんなことばかりをし

ていた。女の口のききかたは何かなじるように響いた。

「マスクで、口をおおっているというのに!」

 黒服はじろりと女を見た。

「死んだ時の状況を、わたしは偽らずに話しているだけです。貴島氏も夫人も、ちゃんとマスクをかけていた。マスクはその前日夫人がこさえたものです」

 応接間の壁の向う側から、話し声がかすかに聞えてくる。庭に面した縁側あたりに、何人かの男女が集まっているらしい。

「それで――」何か言わなくてはいけないような気分に僕はなった。「マスクのことは判ったけれども、それは当人たちが自分でかけたのですか。つまり死んだあとで、誰か他の人がかけてやったのではないですか」

 黒服はだまって僕の口を見ている。また手を打ち合わせ始めた。

「それに、マスクだけじゃなく、その青酸カリも他の誰かから――」

「当人たちです」黒服はきんきんした声で言った。「遺書があった。その遺書の中に、自分たちの予定した死に方が、くわしく書かれてあった。マスクのこともだ」

「何故マスクをかけたんですの?」

「それは知らない。書いてなかった。見苦しいところを見せたくなかったんだろう」黒服の口のききかたは、すこしずつぞんざいに、また横柄になってきた。「トミコ夫人は十日ぐらい前から、通夜のお客のために、新しく枕カバーをたくさんつくったのだ。マスクはそのカバーの余り布だ。布地をしらべて見てそれが判った」

「ああ、それは」と僕は言った。「僕も見た」

 黒服はじろりと僕を見た。

「見たって、マスクを?」

「枕おおいの方です」

「どこで?」

「縁側で」僕はその方角を指した。「この前の日曜日、おうかがいした時、布の輪を夫人はたくさんつくっておられました。今考えると、それが枕カバーでしょう」

「日曜?」里一服は僕に眼を据(す)えた。「ああ、第一日曜か」

「そして今日が第二日曜ですわ」と女が口をはさんだ。

 黒服はそれに答えず、腕を組んだ。沈黙が来た。この黒服男は何者だろう、と僕は考えた。自己紹介もしないし、それにしだいに横柄になってくる。ちょっとそう考えただけで、それっきりだ。今朝の電話の声を僕は思い出そうとしていた。今朝僕に電話をかけてきたのはこの男か、また別の声か。早口なところは似ているが、声の質は違うようだ。もっとも電話というやつは、声の性質を狂わせることがあるからなあ。黒服は腕を解いて立ち上った。

「ここでちょっと待っていて下さい」黒服は扉の方に歩きながら言った。「お二人とも」

 黒服は応接間を出て行った。からっぽのソファーがあとに残った。残されたソファーには表情があった。昨夜このソファーで、黒服の言によれば、貴島夫妻は服毒したという。それもずっと前から計画したやり方で。弔問客のために枕カバーをたくさんつくるような、そんな莫迦(ばか)げた綿密さでだ。そして僕は突然、忌々しくなって来た。あの日一日草むしりをさせられたことを思い出したのだ。一体僕は何のために誰のために草むしりをしたのか。これも弔問客のためなのか。怒りはすぐに消えた。立腹したって仕方がないではないか。そのかわりに、けだるい倦怠が僕にやってきた。応接間の窓は閉めきってある。風が通らないので、室内の空気はどんよりと淀んでいる。気持だけでなく、身体もだるい。私は立ち上って窓のひとつをあけ、また元の椅子に戻った。乾いた風が入ってきた。

「ねえ」僕は傍の若い女に話しかけた。黙り合っているのは不自然だったから。「ローラーコースターってのを知ってる?」

「知ってるわ」女は僕に顔を向けて素直に答えた。「でも、まだ乗ったことはない。眺めただけ。あなたは?」

「僕は広告で見ただけです。どこの広告だったかな。駅のだったかしら」

「坂道にさしかかると、皆キャアキャアと騒いでたわ」女は足を組みかえた。生毛が濃すぎる。「乗ろうかと思ったけれど、行列して並んでいるのよ。学生が多かったわ。あなた、学生?」

「爺さん婆さんは乗らないだろうねえ。あんなの、生きている余りで乗るんだものね。爺さんや婆さんには余りがないんだ」

 女の質問をはぐらかすために、僕は我ながら妙なことを言った。何が余りなのか自分にもよく判らない。

「貴島の小父さんたちは何で死んだんだろう?」

「青酸カリでよ」

「そりゃ判ってるさ。何で、というのは、どういう理由で、という意味だ」

「余りがなくなったんでしょう」女は逆手を取るように強い口調で言った。「余りがなくなって、横にはみ出たんでしょう」

「シュークリームみたいだね」と僕は言った。僕たちは笑わなかった。「今日はバスで一緒でしたね。あの揺れるバス。君はタイヤのふくらみの席に腰をおろしていた」

 女は僕の顔をまじまじと見た。しかし思い出せなかったらしい。この女は人を見詰めると、かるい眇目(すがめ)になる。鼻翼にうっすらと汗をかいている。

「その時、君はまだ、貴島の小父さんが死んだことを知らなかったんだね」

「そうよ。あなたは知ってたの」

「知っていた。電話がかかってきたから」

「誰から?」

「誰からか判らない。そして僕はやって来たんだ。君は――」

「あたしは毎月、第二日曜に、ここにやってくることになってんの」

「金を貰いに?」と僕は訊ねた。そしてすぐに言い直した。「金を受取りに?」

 女は僕から視線を外らして、窓の方を見た。少し経って口を開いた。

「それはあなたと関係のないことでしょう」

「関係はない」と僕は答えた。「僕は毎月、第一日曜にここに来て、金を受取ることになっているんだ。だからさ、だから第二日曜と聞いて、そんなことを考えたんだよ」

 女は窓を向いたまま返事をしなかった。何か考え込む顔付になった。僕もそれ以上言葉を重ねることはせず、同じく窓の方に眼を向けた。窓にサルスベリの枝がのぞいている。つるつるした樹肌の、上側の方だけ、うっすらと砂ぼこりがかぶさっている。ぼんやりと時間が過ぎた。僕は椅子に深く背を落しながら、一週間前の樹木問答のことを思い出していた。イチジクとかビワを植えたらどうだというあの問答だ。それと同時に、貴島一策の笑いも。(ははあ)と僕は考えた。(死ぬつもりだったから、前歯を欠けたまま放置したんだな)その思いは、貴島一策の死をめぐって、もっともなまなましく僕の胸をついた。悲嘆とか哀傷というのではなく、その反対のもの、忌わしい頽廃として僕の胸をゆすぶってきた。

「許しては置けない。そんなことは許しては置けない」と僕は口の中でつぶやいていた。「それは許しては置けない。死ぬからといって二箇月にわたって欠け歯を治療しないなんて。たとえ死ぬにしても、その前に一応歯を直すべきだ。それじゃあまるで、ずり上ろうとするかわりに、ずり下ろうと努力するようなものだ。そういう形のずり下りは、これは許して置けない」

 扉が開かれ、大型ノートを小脇にかかえた黒服の男が、せかせかと入ってきた。ソファーにふたたび腰をおろして、ノートの頁をめくりながら言った。「これが貴島一策の遺言状です」

 僕らは思わず首を伸ばして、それをのぞき込む形になった。縦罫(けい)のノートに、インクの細字でぎっしり書き込まれ、ところどころ消したりまた書き足したりしてある。総頁の半分ぐらいがその細字で詰まっているらしい。二日や三日で書き上げたものではなかろう。口の中に溜まってきた唾を、はき出す場所もないから、僕は忌々しくごくりと呑みこんだ。僕らがのぞいているのに気付くと、黒服はノートを立てて、僕らから頁をかくした。

 「わたくしはあなた方が、貴島一策とどういう関係にあるのか、深くは知らない」黒服は低い声で言った。「ただ、あなた方に関して、遺言に記されていることだけをお知らせする」

 僕は貴島一策を、一策の気の抜けたような笑いを、じっと見詰めている視線を、ぼんやりと瞼の裡(うち)に感じていた。何日間かかったか知らないが、こんな長文の遺言を書き残す情熱とは、一体何だろう。何か忌わしいものがある。

 

「あなたが野田三郎君ですね」ノートを膝に立てたまま、黒服が僕をまっすぐに見た。僕はうなずいた。「あなたに月々渡っていた金、月額八千円でしたね、あれは貴島夫妻の死とともに打切られます」

「遺書にそう記してあるんですか」と僕は訊ねた。

 打切られたことにそれほどのショックはなかった。なかったけれども僕の反問は自ら詰問の響きを持った。

「そうです」黒服は探るような眼で、僕の顔や服装をじろじろと見た。「あなたはすでに学校を卒業しておられる。そうこれには書いてある。だから金を渡す必要はもうなくなっている、とまあこう書いてあるんですがね」

 僕は黙っていた。

「それに、私がつけ加えると、貴島氏の引受けていた仕事が、朝鮮の休戦でおもわく外(はず)れとなり、現在ではかなりの借財が残っているということです。これはあなたには関係のないことかも知れませんが」[やぶちゃん注:ここで初めて本篇内の時制が示される。朝鮮戦争は一九五三年七月二十七日、板門店で、北朝鮮・中国軍両軍と、国連軍の間で休戦協定が結ばれ、三年間続いた戦争は一時的終結をした。現在も停戦中である。本篇の発表は昭和三〇(一九五五)年七月であるから、その閉区間ということになる。]

「金の打切り、僕に関してはそれだけですか」僕はいらいらとしてさえぎった。「それだけですね」

「いや」黒服は頁に目を落した。「貴島氏の死が確認されたら、あなたに五千円を渡せとのことです。ただしこれは、葬儀やその他こまごましたことの手伝い、それをあなたがやるという条件においてです。なにか手助けする気持がありますか?」

 僕はまた黙っていた。貴島の風貌を思い浮べていた。貴島一策は今まで一度も僕になにかを命令したことはない。いつも依頼という形式をとるのだ。あの日の草むしりの時だってそうだった。草をむしっては貰えないかという持ちかけ方を彼はしたのだ。実質的には命令とそう変らないものだったけれども。

 黒服は女の方に向き返った。

「あなたが庄司ミドリさんですね」

 女はうなずいた。庄司ミドリの手はさっきから手巾を折ったり拡げたり、ほとんどオートマティックに動いている。条件とは何だ。死んでからも条件つきで僕を働かせるのか。いや、働かせるというより、おつき合いさせようというのか。

「あなたに月々渡っていた金」黒服は執行者の権威をこめて発言した。「あれも貴島夫妻の死によって、来月から打切られます」

 庄司ミドリの手巾(ハンカチ)を折る手がぴたりと止った。不快な感じが僕に来た。自分と同じ状況に他がいるということ、同じ状況を二人であわせ持っているということ、それが妙な嫌悪に僕を誘ったのだ。僕は不機嫌にせきばらいをして、わざと窓の方に眼を向けていた。サルスベリの枝を蟻が列をつくって、ぞろぞろ歩いている。僕は生れつき目がいいのだ。二・〇ぐらいは見える。

「ですから今月分の金は、今日お渡しします。例のもの。例のものは貴島の死によって不必要になったから、お持ち帰り下さい」そして黒服は顔を上げ、やや人間らしい口調で問いかけた。「例のもの。例のものって何ですか。例のものとだけしか記してないが」

「そうとしか書いてなければ、それでいいのです」庄司ミドリはぴしゃりと言った。金の打切りに対するしっぺ返しとも見られた。「それだけですか」

「手伝いの条件で五千円支給。これも野田君と同じです」

黒服はちょっと鼻白み、おとなしい口調になった。「やって呉れますか」

「手伝いって、どんなことをやるんです?」

「さあ、それはハッキリ決っていない。細々した仕事はあるでしょう」黒服はノートをぱたりと閉じて、小さな欠伸(あくび)を三つ四つつづけざまにした。「ああ、わたしは疲れた。昨夜からほとんど寝ていないんですよ。貴島から電報で呼び出されて、それからこのノート、あれやこれやでくたくただ。実際自殺というやつは人困らせですねえ。黙って自殺したら、それはそれで困るし、こんなに指図がましい遣言書――」

 黒服はノートをぱらぱらとめくった。「何から何まで指図してあるんだ。ほんとに何から何まで」黒服はうんざりしたように僕を見た。「たとえばあなたに、午前十時に電話かけろということまで、ちゃんと指定してあるんだ。死んでしまうというのに、何故そんなことまで指図する権利があるのか。アニの気持が判らない」

 アニと言うからには、これは貴島一策のオトウトかな、と僕が思った時玄関の扉ががたがたと鳴って、へり下った声が応接間に入ってきた。

「へえ。ごめんください。花屋でございます」

 黒服はソファーからぴょんとはね上るようにして、せかせかと玄関に出て行った。庄司ミドリは顔も動かさず、じっと腰をおろしたままでいた。僕は立ち上り、何となく黒服のあとにつづいた。こまごました手伝いを引受ける気持に、もう僕はなっていたのだろう。玄関には大きな花束をかかえたハッピ姿の老人が佇(た)っていた。

「へえ」と老人は頭をちょっと下げた。老人の口に歯はほとんどなかった。「花をお届けに上りました」

 花は紫陽花だった。紫陽花ばかりの大きな束だった。

「花?」黒服は両掌で自分の頭を揉み上げる仕草をした。

「謳が頼んだんだね?」

「へえ。こちらの奥様が昨日おいでになって」花屋は黒服と僕の顔をこもごも見くらべた。「明日の午後、これを束にして届けるようにと……」

 水を打って持ってきたらしく、復雑な色合いの花々から、雫(しづく)が土間にぽたりぽたりと落ちた。

 

 玄関に棒立ちになったまま、黒服の男はまじまじと花屋の顔を、そして花束を見守っていた。雫は点々と土間を濡らした。僕らがあまり黙っているので、花屋の老人はなにか不吉なものを見るような顔付になった。

「へえ。花まで自分で注文したのか。自分でね」

 黒服はうんざりした声を出した。よほどうんざりした証拠には、彼は右手を肩のうしろに廻し、そこらの筋肉をぐりぐりと揉みほぐすようにした。

「自分でねえ。それで代金は?」

「へえ。いただきましたよ」

 雫が僕の靴を濡らしている。僕は黒服のそばをすり抜けて、手を伸ばして花束を受取った。もう手伝う気持になっていたからだ。紫陽花は水を含んで、ぼったりと重かった。花弁の色はまだいくらか白っぽい。雫が廊下にしたたるので、僕は黒服の顔を見ながら少しうろうろした。

「合所!」

 黒服が僕に言った。もう命令するような口調になっている。

「へえ、ごめんなさい」

 老人は脅えたようにかるく頭を下げて、そそくさと玄関を出て行った。僕は花束を身体につけないようにしながら、台所の方に歩いた。台所もきちんと片付いていた。片付いていたというより、すっかり整理されていた。器具や道具類は百貨店の陳列棚のように、一列に配置されていた。死ぬからきれいに整頓したというわけだろう。僕は紫陽花の束を、どこに置きようもないので、そのままそっと流しの上に横たえた。いつの間に応接間から出てきたのか、庄司ミドリが僕の背から声をかけた。

「きれいな紫陽花ね」

「きれいじゃないさ」と僕は答えた。「もっと熟して、紫か淡紅色にならなきゃね。これじゃ紫陽花らしくない」

「花瓶に入れとくと、だんだん色も変るでしょ」そしてミドリは台所をぐるぐると見廻した。「花瓶、どこにあるのかしら。よく片付いているわね」

「君も手伝いする気になったのか」

 ミドリは流しに近づき、ぼったりした花に指を触れながら、ちらと僕の顔を見た。返事はしなかった。黒服が応接間から出てきた。れいの大型ノートを右手に持ち、左掌でその表紙をいらだたしげに叩(たた)いている。ミドリが黒服に訊ねた。

「花瓶は?」

「花瓶。さあ、どこだろう」黒服は花束に眼をおとした。疲れていると見えて、眼のまわりがうすぐろく隈取られている。「探してみよう。どこかにしまってあるんだろう。花束を買い込んだからには、花瓶が用意してない筈はないんだ」

「それに書いてはないんですか?」僕は大型ノートを指した。

「書いてない。書いてなかったようだ」

 黒服は手を伸ばして紫陽花にかるく触れた。庄司ミドリと同じやり方でだ。

「ああ、イヤな色だ。これは何て言う花だね?」

「紫陽花」

「自分の葬儀にかざるというのに、どうしてこんな気味のわるい花を選んだんだろう。アネの気持が判らない」

 黒服はそう言い捨てると、そのまま台所をすっと出て行った。花瓶を探しに行ったのだろう。僕ら二人は台所に残された。僕は水道の栓をひねり、蛇口の下に自分の口を持って行った。水はなまぬるく、カルキくさかった。僕は一口含んではき出した。

「あの人、紫陽花の名も知らないのね」ミドリが首をすくめてわらった。「あの人、きっと奥さんの弟ね。額の形が似ているもの」

「例のもの、って何だろう?」僕はぼんやりと訊ねた。

「君は答えたくないんだろうね。答えなきゃ、答えなくてもいいけれど」

「例のもの?」

「そら、ノートの書置きにあったでしょう。今月分の金は渡すから、例のものは持ち帰っていいってさ」

「ああ、あれ」ミドリはためらわず口を開いた。「日記よ。あたしの日記なのよ」

「日記?」

「そう。詳しい日記をつけて、毎月貴島に見せるのが、あたしの義務になっているのよ。しかし、もう今日から、あたしは日記をつけなくて済むわ」

「日記とは面白いね。小学生の夏休み日記みたいだ。あれは自分のために書くんじゃなくて、先生に見せるためだものね」

「そうよ。だからあたしも小学生みたいに、一週間分ぐらいをまとめて書くこともあったわ。どうせいい加減なものよ」

「いい加減の方を貴島の小父さんはよろこんだんじゃないか」思いついたままを僕は言葉にした。「ほんとのことじゃなくて、ウソッパチをさ」

「そうね」ミドリはちょっと暗い表情になってうなずいた。「あちらに行って見ましょうか。花瓶が見付かったかも知れないし。ここにいたって仕様がないでしょう」

 庭に面した広縁に五六人の男女がいたが、応接間と壁をへだてたこの六畳の部屋には、和服を着た四十女がひとり、まるで仲間はずれにされたみたいに、ぽつんと坐っている。この四十女が、僕を何と思ったのか知らないが、しきりになれなれしく話しかけてくる。あたりをはばかって、低い押し殺した声だ。この女が何者か、貴島とどんな関係にあるのかは、もちろん僕も知らない。

「なにしろ朝の六時でしょ、貴島さんが死んだと言うんで、大急ぎで身支度をしたんですよ。貴島さんと言うだけで、まさか夫婦そろってとは思わないし、また自殺だとは夢にも思わなかったしねえ。脳溢血か心臓麻痺か、まあ貴島さんの体質からして、心臓麻痺じゃないかと思いましてねえ……」

 女は膝の上に両掌を組み、黒い数珠(じゅず)をザラザラと鳴らしている。一々相槌(あいづち)を打つのも面倒くさいので、僕は黙って聞いている。聞きながら庭を眺めている。一週間前草むしりした庭は、もう不精鬚(ひげ)みたいに、あちこち緑の芽を立てているのだ。今が一番雑草の生長しやすい時季なのだろう。アカザ。あれは割にむしりやすかった。貴島の庭に生えている雑草で、僕が名を知っているのは、アカザというやつだけだった。名を知らないいろんな草があった。一番むしりにくかったのは、あれは何という草か、茎が四方に、地面と平行に伸びて行くやつだ。この草は、根は頑丈でしぶとい割に、茎は極度にもろくて、地表に出た部分が直ぐにポツリと切れてしまうのだ。しかしまあ、これは何という妙な草だろう。まだ人から踏まれもしないのに、もう踏まれでもしたかのように、地面にべったりと貼りついて伸びるのだ。初めから踏まれることを予期して、そんな形に伸びるのだ。何というあさましい、いやらしい草だろう。その草がもう寒のあちこちに、ちょびちょびと芽を這(は)わせかけている。僕は何かやり切れない、うんざりした気分になって、庭から視線を引き剝がした。女はまだしゃべりつづけている。しゃがれた、秘密めかした声音で。[やぶちゃん注:「茎が四方に、地面と平行に伸びて行くやつ」恐らくキントラノオ目トウダイグサ科トウダイグサ亜科ニシキソウ属コニシキソウ Chamaesyce maculata 或いはその近縁種である。地面にべったりと広がり、根を幾つも張るため、引き抜きにくい。]

「あたしが着いた時、まだ二人はソファーに坐っておられましたのよ。あたしゃその時もまだ貴島さんだけだと思ってさ、奥さんはそのショックで貧血でも起しておられるかと思ったんでね、奥さんの前を通る時、ちょっとごめんなすって、とそう声をかけたんですよ。マスクはかけているし、きちんと坐ってはおられるしねえ、間違えるのもあたりまえですよねえ。でも、奥さんは黙っているし、動かないし、なんだか様子が変なんで、ひょっと爪を見たら、もうすっかり紫色になってるんですよ。ええ、貴島さんの爪も、奥さんの爪もさ、紫色。すっかり紫色。いやになるじゃありませんか、あたしゃ死人(しびと)を生きているものとばかりカン違いしてさ」[やぶちゃん注:「紫色」不審。青酸を服用すると、細胞の呼吸機能が停止し、血液中の酸素が使われないままに循環するため、逆に血色が良くなって、唇や爪の色がピンク色になるのが特徴である。時間が経過すると、それが紫色に変ずるのだろうか。或いは、梅崎は不正確な事実(心臓病などに於いてチアノーゼを起こした場合、爪は青紫色を呈する)を青酸から誤認して紫陽花に合わせて使ってしまったものかも知れない。]

 女は興に乗ったのか、数珠を胸まで振り上げて、僕を打(ぶ)つ真似をした。そしてあわてて周囲を見廻して、数珠を膝の上に戻した。貴島夫妻の自殺よりも、死人を生者と間違えたことの方が、この女には重要らしい。しかしそれはこの女だけでない、と僕はぼんやりと考えた。僕だって庄司ミドリだって、同じような趣きがある。もちろんこれは僕らだけのせいでなく、貴島一策自身にもそうさせる要因みたいなものがあるのだ。欠け歯を欠け歯のまま放って置くことだって、仝然闘志のない将棋を指すことだって、ムダな草むしりをさせて眺めていることだって、すべて人間のつながりを物憂くさせるようなものが、たしかに貴島一策の中にあるのだ。たとえば動物で言えば、猫のような冷情と無関心。

「ああ」と僕は口に出した。「猫はどうしたんだろう。姿が見えないが」

「猫は二匹とも貴島さんがお殺しになったんですってさ」女は右手の小指でそっと庭の方を指した。「殺してあそこに埋めたんだって。やはり可愛がってたものを、人手にわたすのは、いやだったんでしょうねえ」

 僕は急に耐え難い気がした。今まぐ気がつかなかったが、庭のすみのサルスベリの樹の根元が、掘り返されたらしく新土になっていて、そこだけすこしべっとりと盛り上っている。僕はあの日の、カレーライスを口に押し込められた猫の形やその動作、それをありありと思い出した。猫は舌がヒリヒリと辛(から)いものだから、踊るような恰好(かっこう)で悶え、そして電光型に走って行ったのだ。

「どういう方法で殺したんだろう」

 あの時猫は貴島一策の手に爪を立てた。あの傷はまだ貴島一策の手に、屍体の手に残っているかしら。そんなことを考えながら、僕はそう口に出してみた。しかし、どういう方法で殺したかは、それほど興味のある問題ではなかった。屍体の手に引っ掻き傷があるかどうかの方に、その時の僕の関心は傾いていたのだ。あの掻(か)き傷を貴島は手当てしたかどうか。

「さあ、知りませんねえ」女は答えた。「やはり青酸カリかしら。オトウトさんに伺ってみなくちゃ」

 女は数珠をまさぐった。僕は落着きなく、うろうろと視線を動かしていた。空は晴れ、庭いっぱいに日光がさんさんとおちている。広縁の人々はこそこそ話を止めて、なにかこちらをじろじろと見ているようだ。女がまたしゃべり始めた。

「家の中をすっかり整理して、手紙や書類も全部焼き捨て、風呂の灰まできれいにさらってあったんだそうですよ。死ぬ前に着換えた自分たちの下着は、さっぱりと洗濯され、風呂場に乾してあった。あたし、先刻それに触ってみたら、まだすっかり乾いてませんでしたよ。イカの生乾しみたいにしとっていましたよ」

 貴島夫妻と猫がいない部屋のたたずまい、片付けられた家具や道具類、庭樹の葉の色、あかるい日の光、そこらのどこからかじっと見詰めている巨大な幻の眼を、その時僕はふたたびうすうすと感じ始めていた。その幻の視線は、しだいしだいに強くなってくる。僕はすこし息苦しくなってきた。僕は指を詰襟のカラーの中に差し込んだ。(貴島一策は死んだ。何故死んだか?)幻の眼を避けるために、僕はいそがしく頭を働かせた。(何故死んだか、その原因を、誰も話さないし、誰も質問しない。死ぬに際してのやり方や有様ばかりを話題にして、誰もその原因に触れようとしない。それはどういうわけか――)

「野田君。野田君」

 背後から黒服が僕を呼ぶ。黒服は花瓶をかかえている。かなり重そうな、濃紺色の花瓶だ。そばには庄司ミドリが立っている。僕はしぶしぶと立ち上る。

「花を持って来て呉れ。納戸(なんど)に」

 僕は台所にとって返し、流しから再び花束をかかえ上げる。納戸に貴島夫妻の屍体が置かれているのだろう。つまりその枕もとに花瓶を据え、紫陽花をかざろうというのだろう。花束を身体にくっつけないように支えながら、僕は黒服のあとにつづいた。皆の視線が僕に、僕というより花束に、一斉にそそがれる。これから何かが始まりそうなのだが、僕にはよく判らない。判らないまま侍従のように胸を張り、紫陽花をささげ持って、黒服と庄司ミドリのあとにつづいて歩む。

2022/05/05

ブログ・アクセス1,720,000突破記念 梅崎春生 傾斜 (未完)

 

[やぶちゃん注:本篇は昭和二三(一九四八)年八月号『世界文化』に発表され、後の作品集「ルネタの市民兵」(昭和二十四年十月月曜書房刊)に所収された。なお、底本解題によれば、『雑誌掲載のとき、末尾に「第一章終」と記されていたが、これ以後書きつがれてはいない』という注記があったので、標題には、上記の通り、未完表記をし、末尾には上記のそれを丸括弧附きで加えておいた。

 底本は「梅崎春生全集」第二巻(昭和五九(一九八四)年六月刊)に拠った。文中に注を添えた。なお、これを以って底本である沖積舎版「梅崎春生全集」第二巻は「風宴」・「蜆」・「黄色い日日」を除いて総ての電子化注を終えた。「蜆」は、偏愛する「幻化」「桜島」を除き(以上のリンク先は私のPDF縦書版オリジナル注附き)、梅崎春生の名品五本指に入れるほど、好きな作品だが、この三篇は向後も電子化はしない。何故なら、「青空文庫」で先に電子化されてしまっているからである。私は単なる私個人の私の慰みとしての電子化は、する気が、全く、ないのである。「幻化」と「桜島」はそちらにあるが、これはパブリック・ドメインになった二〇一六年一月一日から独自に満を持して電子化注をこのブログで開始し(「幻化」はここ、「桜島」はここ)、「青空文庫」のデータは、私の本文では、一切、使っていない。正直、「青空文庫」の「梅崎春生」というと、個人的な恨みがあるのである。その二〇一六年の半ば過ぎ頃だったが、私のブログを批評したネット上の無名ページを発見し、そこでは、私のブログ版「桜島」の、オリジナル注附けを批判し(注の中身に対しての批評ではなくて、詳注を附けること自体が悪いというのだから、失笑物さね。じゃあ、来なきゃいいし、見なきゃいいんだから。というより、『こんなブログを読まないで「青空文庫」にいらっしゃい』感が、これ、見え見えだった訳だ)、それどころか、今じゃボケ過ぎていて大笑いだが、私のことを『「青空文庫」に梅崎春生があるのに、わざわざ梅崎春生の作品を電子化している』暇人呼ばわりしてあったのだ。そんなこたぁ、上のリストの全十六篇という恐ろしい乏しさでは、もう逆立ちしても、言えねえよな? 要はあのブログ(タイトルなし・プロフィルなし)主は同文庫のシンパの、文字通りの闇の「工作員」だったのだろう。因みに言ってやる! 「私の梅崎春生の電子化注は今や、悪いな、工作員! 三百四十篇近くになるぜよ! クソ野郎!」。

 なお、本テクストは2006518日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが近日内に、1,720,000アクセスを突破した記念として公開する。正直、公開を待つのに飽きただけさ。悪しからず。【二〇二二年五月五日午後八時五十四分:藪野直史】]

 

   傾  斜

 

 その家には玄関がなかった。その上奇妙なことには、便所というものが何処にもついていなかった。

 母家の方は三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]で、それにひろい縁側がついており、家族は其処から出入していた。時にお客があることがあってもその縁側で応対した。どういう大工が建てたのか判らないけれども、とにかく家としてはあらゆる虚飾を切り捨てた裸のままの家であった。ただ住むだけを目的として建てた家のかたちであった。玄関を切りすてた精神は彼にも判らないことはなかったが、便所を省略した気持がどうしても解しかねた。あるいは大工がぼんやりしていて造り忘れたにちがいないとも思ったが、それにしては間取りや採光にこまかい注意がはらわれていた。不注意な大工にはとてもできそうもない配慮があった。

 そこには鬼頭鳥子一家が住んでいた。

 母家からすこし隔てて離れがあった。離れといっても藁葺(わらぶき)の、もとは納屋(なや)かなにかに造られたらしい一棟だが、それを板でふたつに仕切って、片方が厩(うまや)、のこり半分に畳を入れて小部屋となっている。その部屋に彼は住んでいた。そして月額二百円の部屋代を鳥子に払ってした。もちろん納屋造りだから母家にくらべて造作が粗末で、窓だって格子(こうし)はあるが引戸が無く、雨の日は自由に降りこんできた。仕切の板の節穴からは厩がのぞかれた。押入れも棚もなかった。むろん便所など気の利いたものはついて居なかった。だから彼は特別の場合をのぞいて使所は勤め先に着くまで辛抱した。

 母家の前は広い空地で、花苑になっていた。そこには花花がみだれ咲いていた。華麗な季節のいろがみなぎってした。花苑のすみに板を二枚わたし、その下に大きな甕(かめ)が埋めてあって、それが便所であった。板がこいも何もなかった。ただその前に躑躅(つつじ)が二本植えてあったけれども、完全な遮蔽(しゃへい)の役は果してはいなかった。道路とは密生した杉垣でくぎられていたから、見えるおそれはなかったけれども、庭のなかからだと、角度によってはそんなわけには行かなかった。

 鳥子の家は、三人家族であった。鳥子には、花子と太郎というふたりの子供があった。この家族のなかで、彼が初めて逢(あ)ったのは、娘の花子であった。

 革手帳の所書きをたよりに、この家を訪ねあてたとき、玄関らしいものが見当らなかったので、彼は家の前ですこしまごついた。どこで案内を乞うていいのかと、ためらって立っていると、縁側の方から、どなたですか、という声がした。そして、人影がそこにあらわれた。それは女の姿であった。

 縁側に立った女をひとめ見たとき、彼は思わず視線を浮かした。女の顔は、火傷のために、醜くひきつれていた。皮膚に茶褐色の凹凸があって、表情がそれで消えていた。戦野でも、顔を焼いた兵の顔は、たくさん見てきたが、これが女の顔であるだけに、彼は平気になれなかった。すこしたじろいで視線を外(そ)らしかけたが、外らすことがかえって相手を侮辱することになると、彼は気持をひきしめた。そのとき女がかさねて言葉をかけた。

「なにか御用なんですか」

 それは明るく澄んだ声であった。

 彼がこの家を訪ねてきた理由を、すこしずつ話し始めたとき、とつぜん女が彼のことばをさえぎって、口早に問いかけた。

「それでお父さんと、どこで逢ったの。いつごろのことなの?」

 この女が花子であると判ったとき、彼はある烈しい衝動を胸にうけて、思わずだまりこんだ。そうすると花子は、彼の沈黙を落胆と感じたらしく、すこし身体を乗りだすようにして、沈んだ口調になって言った。

「お父さんは死んじまったのよ。船が沈没して――」

 お父さんと逢ったのはどこか、と花子が問いかけた瞬間、それは彼にも感じられたことであった。花子の語調には、あきらかにそのようなものを含んでいたのである。彼は佇立(ちょりつ)して、なおしばらく花子の顔を、こんどはためらわず眺めていた。ある贖罪(しょくざい)に似た気持が、彼の胸にいっぱいになってきた。花子にたいして、償うべきどんな罪も、現実には彼は犯していなかったのだけれども。

 あるいは部屋を貸してもらえるかと思って来たんだという彼の言葉を、花子が素直にうけたらしいのも、彼のこの引け目の気持をまっすぐ感じ取ったせいかも知れなかった。花子はその声と身のこなしで、急に彼の気持に近づいてきた。

「部屋はないこともないのよ。しかしひどい部屋よ」

 花子にみちびかれて、離れの部屋をみたとき、彼はすこしおどろいた。漠然と部屋というものに対する概念が彼にあったから、彼はこの部屋の荒れかたにおどろく気持がおこったので、南の島での生活を考えれば、おどろく筈のことはなかった。それは細長い変な形の部屋で、板仕切でむこうと隔てられていた。今のところが仮住居で、今日明日にも出なければならぬことでもあったし、他にあてもないことであったから、彼はわらでも摑(つか)む気持でいた。

「貸していただくとしても、あなた一存で」

「いいのよ。どうせあいてるんですもの」

 花子はそう答えた。

 その夜荷物をはこんで、彼はひっこして来た。荷物といっても、ほとんどなかった。そして母親の鬼頭鳥子とあった。

 もう四十を少し越えたように見える頑丈な婦人であった。肩の幅など彼よりももっと広いように見えた。坐っている膝の厚みも一尺は確かにあった。きちんと両掌を乗せて、自分達一家のことを簡単に話した。鳥子の眼はキラキラ光り、人を射すくめるような強い光があった。彼は膝もくずさず畏(かしこま)ってその話を聞いた。

「神様の御導きによりまして――」

 家族三人が餓えもせず大過なく現在を暮して居るという話なのであった。離れの部屋も別段貸す必要はないけれども、此の住宅難の時代に空部屋があることは神の意志に反するから、困って居る人に貸すことに決意したということであった。それにしては部屋代二百円は高いと思ったけれども、復員後金に対する観念が彼には混乱して判らなくなっていたから、或いはこの程度が相場なのかも知れないとも思った。

 それから彼は離れに行き、夜具をしいて横になった。この部屋はなにか臭いがすると彼は思った。嗅ぎ慣れた臭いだと思ったが、何の臭いか思い出せなかった。寝がえりをうとうとした時、板仕切になにか固いものがぶっつかる音がした。その音は一寸やんでまた二三度続けて聞えた。彼はおどろいて布団の上に起き直った。板仕切の向うに何者かがいるに違いなかった。彼は暫(しばら)くそうしていたが、またひとつ音がしたので思い切って立ちあがり、土間におりて扉をあけ、月明りの庭をこの棟の反対側に足を忍ばせて廻った。此の離れは何だか細長い造りだった。横木が一本渡してあってそこから首を出しているものは、月の光に照らされて、紛れもない馬の顔であった。

 「馬が!」

 叫びかけて彼はあわてて口を押えた。

 馬はながい頸(くび)を横木にもたせかけ、立ちすくんだ彼の姿を怪訝(けげん)そうな横目で見つめていた。たてがみが耳の辺や頭にふかぶかとかぶさっているが、小さな月の輪の形を宿した瞳のいろはむしろ温く光っていた。彼はやっと驚きから恢復(かいふく)して馬の方に近づいた。

 それは夜の光の中でもかなり老廃した馬の姿であった。彼が近づくと餌でも持って来たと感違いしたものか、顔を彼の方にすりよせながら、しきりに足踏みしはじめた。後脚の蹄(ひづめ)が時折板仕切に触れてかたい音を立てた。先程の音はこれに違いなかった。おれは馬と同居している、という奇妙な感慨が彼の胸をよぎったのはこの時である。馬の鼻息を裸の胸にかんじながら、それがやがていいようもない不思議な感覚となって彼の身体中に拡がって来た。ある過去から現在にわたる長い悲喜を、今この一点に凝集したような切なさがあった。ただその切ない感じだけが、彼にははっきり判った。その他の事はなにも判らなかった。彼は馬の真似のように自分も足踏み始めながら、次第に気持がいら立って来るのを感じはじめた。

 しかし彼は翌日から平凡な顔をして勤めに通いはじめた。都心の事務所まで電車で二時間近くかかった。出勤時刻はさほど厳格ではないのであったが、然し厠(かわや)の関係があるので彼はたいてい早く家をでた。庭の厠を遠慮なく使うよう鳥子は言ったが、夜分ならともかく白日の光の下では彼は其処を使う気になれないのである。軍隊にいる時でも彼は過敏にその意識をまもって来た。見通しのきくところで肉体を曝(さら)すことが、彼には堪えがたい生理的な不安を起させるのであった。此の不安はしかし、彼の内部にひそむ或る意識と頑強にからみ合っていた。それは彼にはっきり判っていた。

 勤めに出るため庭を通るとき、彼の視線はどうしても独りでそこに行く。それは強迫観念みたいに避けられなかった。誰もいないことが確められると彼はほっと肩を落すが、躑躅(つつじ)の花かげにしろい姿体を見出すと、にわかに頭に血がのぼり彼は視線を宙に外らす。恥かしがるべきはおれではなく向うではないかと思っても、顔のほてりが自然にそれを裏切った。鳥子や、花子ですらも、その事には平気で無関心に見えた。羞恥を超えた自然の営みに見えた。

 事務所は京橋にあった。昼間の何時間かを彼はそこですごした。

 郊外の駅からまた歩いて鬼頭家の門をくぐる時、それでも彼の眼は迷ったように花苑の方に流れる。躑躅は紅い花を、藤は青い花房を夕昏(ゆうぐれ)に垂れていた。彼はそれを瞳に収めて離れの方に足を運ぶ。花々は日に日に美しかった。此処だけが別の世界のようだった。此の苑は花子が作ったのかと彼は始め漠然と考えていたが、そうではなかった。花を植え花を育てるのは息子の太郎だった。

 太郎は頭の大きな、黙りこくっているとむしろ陰欝な感じのする子供であった。彼が離れに住むようになっても、太郎はほとんど彼に興味を示さないように見えた。ある日彼が少し早く家に戻って来る途中、道を切れた草原の土管のかげで、四五人の子供が集って賭博(とばく)に耽(ふけ)っているのに気がついた。南の島で彼は退屈まぎれに賭博に熱中した時期があったから、人が四五人集って、それが賭博をやっているかどうかは、感じで敏(さと)く見分けられた。それは雰囲気で判った。草原に入って彼はその群に近づいた。子供達は彼を見てもおそれる気配はなかった。おそろしい人とそうでない人を彼等は本能的に弁別するらしかった。その中に太郎がいた。

 南方で彼はやはり此の年頃の少年たちが賭博に耽っている情景を、何度となく見て来た。しかし内地の風物の中で日本の子供達が骰子(さいころ)を振っているのを見ると、何だか奇妙な感じだった。太郎のような子が骰子の目の動きに一心に打ち込んでいる顔付は少し恐い気もした。南方の子供をながめた眼と、ここの子供をながめる今の彼の眼は、たしかに変化していた。そのことを彼はぼんやり感じていた。その時太郎が顔を上げて彼を手まねいた。

「小父さんもやらないか」

 曖昧な笑いをつくったまま彼はそこを離れて歩き出した。すると太郎は立ち上って追って来た。

「離れのおじさん。俺とやんねえか。あんな子供たちとやっても面白くないんだよ」

「あんな子供たちって、お前も子供じゃないか」と彼は笑いながら言った。太郎は両手を彼の腰に廻して、身体ごとぐいぐい押すようにした。

 しかし暫くの後、馬のいない厩(うまや)で藁(わら)に埋もれ、彼は太郎と向き合って賭博を始めていたのである。始めは彼も退屈しのぎのつもりだったが、だんだん此の遊びに引き入られ始めていた。太郎はなかなか手強かった。勝つと太郎は揶揄(やゆ)するような短い笑声をたてた。彼は本気に殷子をふった。やがて厩から出て来た時には、彼は若干の金を太郎から捲きあげられていたのである。しかし彼は久しぶりに実のある仕事をしとげたような寛(ひろ)やかな感じが、彼の身体を領していることに気付いた。此の感じは長乍・忘れていたものだった。別れるとき太郎は、その中に綺麗(きれい)な花をやるから又やろうな、と言った。

 花は欲しいと思ったが彼は部屋に花をさすべき瓶すら持たなかった。彼はただ咲き乱れた花苑を勤めの行き帰りに一瞥することだけで満足していた。そしてその度に、太郎の丹誠への情熱はどこから来るのかとぼんやり考えた。しかしその事よりも、鳥子が此の庭を菜園とせずに太郎の花苑に任し切りであることが彼には不思議だった。

 鳥子が馬を買い運送の仕事をはじめるについての資金は、夫の兵太郎の殉職に対する船会社の見舞の金であった。しかし運送の仕事は表業で、鳥子は今はもっと利の多い所業に専心しているらしかった。運送業の儲(もう)けだけでも馬鹿にならなかった。朝八時頃になると鳥子はすっかり身仕度して厩(うまや)にやってくる。古い船員服を改造した服をまといゲートルを脚に巻いていた。頑丈な体軀(たいく)だからそれがまた良く似合った。空気を押し分けるようにしてあるいて来る。馬を叱咜(しった)して厩から引き出して荷車の轅(ながえ)につけると、やがて車輪の音を響かせながら何処かへ出て行く。

 夕昏になると鳥千と馬は戻って来る。荷は空の時もあるが、筵(むしろ)におおい隠された荷物が積んであることもある。鳥子はひとりでそれをかついで奥の八畳の間に運び込む。それが米俵らしいこともあったし、塩の袋でもあったし、また何を詰めたか判らない梱(こおり)のこともあった。近隣の話では鬼頭家に聞けばどんなものでも売って呉れるという話であったし、その売買の場を彼は見かけた事もある。それならば運送屋は表むきで、実は闇屋ではないかと始めて彼は気付いたが、しかしもうそんな事には彼は驚かなくなっていた。復員後そんなことには麻痺していた。人を疑うことはなかったが、人を信ずる気持からは離れていた。それで裏切られる驚きはなかった。すっかり八畳に運びこむと鳥子は馬を轅からはなして厩に追いいれる。[やぶちゃん注:「梱」ここは行李に同じ。]

 馬は実にたくさん食べた。

 朝は六時になると鳥子が厩に餌桶(えおけ)を持って来る。それから出発。昼の餌は車に積んで行き、帰って来て直ぐに一度。六時。八時。十一時に食わせる。これはみな鳥子がやった。そして真夜中の二時頃彼が眼をさますと、厩に餌箱を持ってきた音がする。この真夜中の餌だけは花子の役であった。仕切の節穴から覗くと、花千がもつ提燈(ちょうちん)の光のなかで馬は懸命に食べている。花子は薄い寝衣のままそれを見ながら、何時も小声で歌をうたっている。讃美歌であった。それは何時も同じ旋律の同じ文句であった。暗い感じの節だった。

 

  のどけきそらと  みるがうちに

  やがてほのおは  ふりきたれり

 

 馬は温和な表情で、しきりに顔を餌箱に出し入れした。提燈の薄い光のなかでも、馬の影は毛が伸びすぎて脚が畸形にみじかい感じであった。夜みても老廃のいろが濃かった。昼間の光の下で初めて彼がこの馬をながめたときの驚きは、いまでも彼の頭に残っている。それは衰順そのままの影だった。一眼見るなり彼はかすかな嘔気(はきけ)がこみ上げてきたほどであった。夜の馬のすがたの方が彼には親しみやすかった。

 夜になると馬はときどき仕切板を蹴った。最初の中は彼はそれが気になって眠れないのであった。此の馬は昼中あんなに働いてくる癖に、夜中になってもほとんど眠らないらしかった。馬は眠らなくとも彼は眠る必要があるので、彼は馬に対してあまり面白くない気持であった。ある日彼は勤めの帰りに睡眠剤を買いもとめて来た。馬に服用させる心算(つもり)なのである。四辺(あたり)が寝静まってから彼は薬を湯でとき、人参のはだに塗りつけた。厩に行って、横木から首をだしている馬の鼻面にもって行った。そうしながら、此の薬を馬に服用させるより自分が服用した方が早いのではないかと、ふと気付いた。

 馬は白い歯を見せてそれをくわえ、そしてパリパリと嚙みくだいたが、急に嚙むのを止めてじっと彼の顔を見た。食べるかといくぶん危惧(きぐ)の念でながめて居た彼は、青く澄んだ馬の視線をとつぜん受けて、少しばかりたじろいだ。いいようのない羞恥が彼の胸いっぱい拡がってきた。彼はそれを辛抱しながら、じっと馬の顔を見返してレた。すると馬はやがてかすかに頸(くび)を振って、顎を動かし始めた。嚥下(えんげ)してしまうと長い舌を出してゆっくり口の端を砥めた。そして首を垂れた。彼は部屋の方にとってかえしながら、馬は何もかも悟ったに違いないとかんがえた。

 しかしその夜も馬は眠らぬらしかった。何時もよりかえって板仕切を蹴った度数は多いようだった。薬の量が少かった為にかえって逆に亢奮(こうふん)させる結果になったのかも知れないと思ったが、もいちど試みる気持はもはや失せていた。馬を誑(たぶ)らかそうとしたこと、そしてそのことで馬に羞恥を感じたことが、彼の心にある意識となって強く作用していた。

 この瞬間からこの馬は、たんに彼の棟の同居人だけではなく、ひとつの親近な存在として彼の心の一部に投影しはじめていた。彼は勤め先のうすぐらい室でぼんやりしている時など、ふと馬のことをおもいだした。おもいだしさえすれば、あの澄んだ瞳や老いぼれた毛並が、現実に眼の前にあるときよりももっと鮮烈にうかんできた。

 朝起きると直ぐ彼は床を離れて厩の前に廻る。横木に頸をもたせた茶色の馬の眼球のなかに、朝の花苑の風景が凝縮されて映っていた。その風景の中でも花々は朝風に小さく小さく揺れていた。それを見ると彼は何とはない親しさと安らぎが胸に湧きおこってくるのを覚えるようになった。

 

 鬼頭鳥千という女は、誠(まこと)に風変りな女のように彼には思えた。

 まず最初のうちは彼は鳥子の働きぶりに驚いた。終日馬を引いて歩きまわり、戻ってくると手まめに馬を世話し、それがすむと家事のきりもりや客の応対に従事する。夜中の餌だけは花子の仕事らしかったが、その他のは全部鳥子がした。疲れを知らぬ風であった。これに彼は圧倒された。

 背は五尺三寸ほどもある。和服を着ているときも堂々としているが、男の古服をきて馬車の先にたつと、にわかに凛(りん)として来て、動物精気とでもいいたいものが身体中に漲ってくる。眉が濃く、切れながの瞼からくろい瞳が力づよく動いた。誰と話すときでもこの瞳はぜったいにたじろがない。顔の皮膚も油を塗ったように艶やかにひかった。声はわざとおさえたような裏声だが、言葉遣いは気味悪くなるほど丁寧(ていねい)であった。あるいはその逆効果を意識して使っているのかもしれなかった。

 奥の八畳間は鳥子がどこからか運びこんだ物資でいっぱいらしい。夜になると食料をもとめに来た近所の内儀(おかみ)やブローカーらしい身なりの男と、鳥子は縁側で折衝している。鳥子は和服をきちんと着こなして、両掌を膝の上にそろえ大きな座布団の上にすわっている。あがれと言わないから買手は足を沓脱ぎに置き、尻をなかば縁にかけた姿勢で、身体をねじって応対しなければならない。鳥子の姿勢はすでに地の利を得たという感じであった。応対に際しては鳥子は自分の言いだしたことは絶対に曲げないのである。しかし言葉はきわめて鄭重であった。

「さようでございますか。さようでございましても、私どもの方はこれ以下の御値段ではお分けできないんでございますのよ。お宅様の御事情もお察し申すんでございますけれどねえ」

 鳥子の頰にはそんな時ふしぎな笑いがうかんでいる。それはつくった笑いでもなければ、得意そうな笑いでもない。心からうれしげな微笑である。買手はそれでまごついてしまうのだ。鳥子の売値はけっして安くない。時とすると市価を上廻る。買手がそれを言いだすと鳥子の顔にふと当感の色が浮ぶ。それは自分の売価と市価と、どんな関係があるのか判らないといった表情であった。

「それは大変でございますわねえ」

 そして溜息をつく。溜息をつくのも、相手が市価などを言いだす蒙昧(もうまい)さに溜息をついているので、鳥子としては自分の商品が市価に左右されるということが心から解せない風であった。

 鳥子が基督(キリスト)教徒であることは、最初の日会った時の口なりで彼は知っていた。朝仕事に出かける前に縁側に卓を据(す)え、鳥子は仕事着のまま大声で聖書の一節を朗読したり讃美歌をうたったりする。その声は彼の部屋まで聞えてくる。格子窓から覗(のぞ)くと縁側にいるのはいつも鳥子と太郎だけであった。祈禱(きとう)をする鳥子のまえに太郎がおおきな頭をたれて神妙にすわっていた。花子は姿を見せないか、苑の花卉(かき)の前にしゃがんで指でさわっていたりする。しごく無関心に見えた。時にその横顔が彼にも見えた。花子がこの異相になりながら、母親の祈禱に背をむけているのは彼には一応ふしぎに思えたが、しかし花子がその風貌で祈禱をささげる情景をもし見たら、おれは顔をそむけるに違いないと彼は思った。

 しかしそれよりも彼には鳥子の信心が不思議でならなかったのだ。あのように聖書を読んだ後できわめて平然と馬車をひき闇商売にでてゆく鳥子の心理が、彼には解釈できないのであった。彼はしかし鳥子の信仰は疑わなかった。鳥子が大声で聖書をよむ声をきいても、彼はその声から誇示とか擬装とかは感じとれなかった。没我の境にあることが肉体で感じられた。贋の声ではない。そして鳥子は信仰について語りだす時、その眼がひとしお強くキラキラと輝いて来る。

 夜厩に餌箱を持ってきて、馬がそれを食べ終るまでの間、時に鳥子は気紛(まぐ)れのように彼の扉をたたくことがある。夜はたいてい和服なので、恰幅は田舎の女地主みたいな感じをあたえる。窓に引戸がないので雨に畳のはしが濡れてふやけているのを避けながら、鳥子はどっかと坐りこむのだ。せまい部屋が鳥子がひとりで一ぱいになったように見える。彼は一つの感じが胸にあるから、もし寝転んでいればそのままの姿勢で起き直ろうとしない。はじめは意識して冷淡なポーズを取っている。

 気紛れのように来るといってもそれが初めからその積りであるらしい事には、鳥子はいつも蒸したパンや蜜柑(みかん)をたもとから出すのだ。そしてそれを彼にすすめる。それから色々彼に話しかける。兵太郎と会った時の話を聞きたがったり、彼の過去を根ほり訊ねたり、また自分の一家の話をしたりする。声は相変らぬおさえつけた裏声だが、話し振りにへんに浮ついた抑揚がまじる。幽(かす)かだけれども彼はそれを敏感に感じとっていた。

 「信仰の道にお入りなさいませよ。不破さん。こんな世の中になりましては、神様だけがほんとにおたより出来るものでございます」

 鳥子が持って来たパンなどを食い欠きながら、彼はそんな話を聞いている。勿論彼は信