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カテゴリー「「進化論講話」丘淺次郎【完】」の114件の記事

2018/07/31

進化論講話 丘淺次郎 附錄 進化論に關する外國書・奥附 / 「進化論講話」やぶちゃん注~完遂

 

     附錄 進化論に關する外國書

 

 外國語で進化論及び遺傳・變異等のことを書いた書物は、今日の所では非常に數が多いが、その中で最も有名なものと、最も讀むに適するもの若干を選み出せば、凡そ次の通りである。

[やぶちゃん注:以下、既に本文に複数回、出て、注を附したものも多いので、作者については既出或いは既注の場合は附さない。但し、最低、刊行年は示した。

 

 1 DARWIN, Origin of Species.ダーウィン著、種の起源)

 

 之は進化論の書物の中で最も有名なもので、今では殆ど總べての西洋語に譯せられてある。已に古い本ではあるが、苛も進化論を學ばうと思ふ人は、是非とも之を讀まなければならぬ。近來安い版が出來て居るから、壹圓位で買へる。

[やぶちゃん注:初版刊行は一八五九年十一月二十四日(安政六年相当)。本書刊行の大正一四(一九二五)年当時の一円は現在の千円強から二千四百円ほどになろう。]

 

 2 DARWIN, Descent of Man.ダーウィン著、人の先祖)

 

 之も前書と同樣で、學者の必ず讀むべき書物である。後半の雌雄淘汰に關しては今日種々の議論もあるが、大體の點は決して誤でなからうと信ずる。また前半は進化論を人間に當て嵌めたもの故、恰も前書の續篇とも見るべきものである。

[やぶちゃん注:一八七一年二月二十四日刊(明治四年相当)。]

 

 3 HUXLEY,Man's Place in Nature.ハックスレー著、自然に於ける人類の位置)

 

 自然に於ける人類の位置を明に述べた三回の講義の筆記で、小さな本であるが、「種の起源」の直ぐ後に出版せられたから、一時は非常に評判の高かつた書である。

[やぶちゃん注:一八六三年刊。]

 

 4 HAECKEL, Natürliche Schöpfungsgeschichte.ヘッケル著、自然創造史)

 

 講義體に書いた解り易い書物で、通俗的の進化論の書物としては、この位全世界に弘まつたものはない。日本語を除いた外は、總べての文明國の國語に飜譯せられ、原書も已に十版以上となつて居る。

[やぶちゃん注:一八六八年刊。]

 

 5 HAECKEL, Anthropogenie.ヘッケル著、人類進化論)

 

 之も講義體に書いたもので、人類の進化と胎内發育とを通俗的に述べてある。前書も本書も最新版は上下二卷となつて、插圖も頗る多い。

[やぶちゃん注:一八七四年刊。]

 

6 WALLACE, Darwinism.ウォレース著、ダーウィン説)

 

 表題は「ダーウィン説」とあるが、中にはダーウィンの考と餘程違つた所がある。それ故次のローマネスの書物などと倂せて讀むが宜しい。この書一册だけを讀んだのではたゞウォレースの説が解るばかりである。

[やぶちゃん注:一八八九年刊。]

 

 7 ROMANES, Darwin and After Darwin. ローマネス著、ダーウィン及びダーウィン以後)

 

 三册になつて居るが、第一册はダーウィンの述べたまゝの進化論を平易に説明し、第二册にはダーウィン以後の學説を批評的に論じてある。進化論の書物を何か一册だけ讀んで見たいといふ人には先づ此の書を勸める。

[やぶちゃん注:一八九二年から一八九七年にかけて刊行。]

 

 8 STERNE, Werden und Vergehen.ステルネ(實名クラウゼ)著、生滅の記)

 

 是はヘッケルの「自然創造史」と同樣に、太古から今日に至るまでの進化の有樣を書いた書であるが、通俗的に書いてあつて面白くて解り易い。

[やぶちゃん注:ドイツの生物学者エルネスト・クラウゼ(Ernst Krause 一八三九年~一九〇三年)。Carus Sterne (カルス・シュテルネ) はペン・ネーム。一八七六年初版で、一九〇七年までに十一版を重ねている。]

 

 9 WEISMANN, Vorträage über die Deszendenzlehre.

     (ヴァイズマン著、進化論講義)

 

 初め二册であったが、新版では一册に改めた。自然淘汰に關する事實が多く揭げてあるが、理論の方面はたゞヴァイズマンだけの説である故、その積りで讀まねばならぬ。また、細胞學上のことも多くある故、その邊は初めて讀む人には了解が困難であるかも知れぬ。

[やぶちゃん注:一九〇二年刊。]

 

 10 PLATE, Selectionsprincip und Problemen der Artbildung.

     (プラーテ著、淘汰説と種の起り)

 

 淘汰説に反對する學説を批評的に論じたもので、眞に公平である如くに感ずる。他の新説を讀むに當って、倂せ讀むには最も適當なものであらう。

[やぶちゃん注:一九一三年刊。]

 

 11 CUÉNOT, La Genèse des Espèces Animales.

     (キュエノー著、動物種屬の起り)

 

 進化論及び近頃の遺傳硏究を短く明瞭に書いた好い書物である。

[やぶちゃん注:フランスの生物学者・遺伝学者ルシエン・クエノ(Lucien Cuénot 一八六六年~一九五一年)。一九二一年刊行。]

 

 12 DELAGE, L'Hérédite et les grands Problèmes de la Biologie générale.

     (ドラージュ著、遺傳と生物學理論の大問題)

 

 議論のすこぶ頗る精密な書物で、各種の遺傳學説を比較し批評してある。二十年許前の出版であるが、今日の雜種硏究のみの遺傳學の書物とは全く趣が違ふから、眼界を廣くするためには頗る有益なものであらう。

[やぶちゃん注:フランスの動物学者・解剖学者イヴ・デラージュ(Yves Delage 一八五四年~一九二〇年)。一八九五年刊。]

 

 13 LOCK, Recent Progress in Study of Variation, Heredity and Evolution.

     (ロック著、變異・遺傳・進化に關する硏究の最近の進步)

 

 表題の通り、近年の進步を知るには適當な書物である。主として雜種に關する硏究が記載してある。出版は今より已に二十年前。

[やぶちゃん注:イギリスの植物学者ロバート・ヒース・ロック(Robert Heath Lock 一八七九年~一九一五年)。一九〇六年刊。]

 

 14 THOMSON, Heredity.トムソン著、遣傳)

 

 遺傳に關する各方面の硏究が悉く書いてある。英書の中では、初めて讀む人に對して、先づ最も適當の書であろう。第二版は十年前に出來た。

[やぶちゃん注:ジョン・アーサー・トムスン(John Arthur Thomson 一八六一年~一九三三年)はスコットランドの生物学者。アバディーン大学博物学教授。科学と宗教の関連性や生物学の普及に務めた。ソフト・コラール(刺胞動物門花虫綱八放サンゴ亜綱ウミトサカ目 Alcyonacea)の専門家でもあった。初版は一九〇七年刊。]

 

 15 BATESON, Mendel's Princeples of Heredity.

     (ベートソン著、メンデルの遺傳法則)

 

 表題の通り近年有名になつたメンデルの遺傳法則を新規の實驗で擴張したもので、この方面の硏究を始めようと思ふ人に取つては最も參考になる書である。

[やぶちゃん注:私が注で述べた(本文には出ない)イギリスの遺伝学者ウィリアム・ベイトソン(William Bateson 一八六一年~一九二六年)。メンデルの法則を英語圏の研究者に広く紹介した人物で、英語で遺伝学を意味する「ジェネティクス:genetics」という語の考案者でもある。但し、彼はダーウィンの自然選択説に反対し、染色体説にさえも晩年までは懐疑的であった。一九一三年刊。]

 

 16 MORGAN, Experimental Zoology.モルガン著、實驗的動物學)

 

 各方面の實驗の結果が書いてあるが、その中には遺傳・雜種等に關することもなかなか多い。兎に角一讀する價値のある書物である。

[やぶちゃん注:トーマス・ハント・モーガン(Thomas Hunt Morgan 一八六六年~一九四五年)はアメリカの遺伝学者。一九〇〇年、メンデルの法則の再発見とともに遺伝学に進み、一九〇七年頃からキイロショウジョウバエを実験材料として研究を行い、染色体が遺伝子の担体であるとする染色体説を実証した。一九一〇年には突然変異体を発見し、以後、精力的に伴性遺伝や遺伝子連鎖などの現象を解明するなど、遺伝学の基礎を確立、本「進化論講話」十三版刊行の八年後の一九三三年には、これらの業績が認められ、ノーベル生理・医学賞を受賞している。本書は確認出来ないが、或いは一九〇三年に発表したEvolution and Adaptation(「進化と適応」)のことか。]

 

 17 GOLDSCHMIDT, Einfürung in die Vererbungswissenschaft.ゴールドシュミット著、遺傳學入門)

 

 近頃數種相續いて出版せられたドイツ語の遺傳學書の中では、是が一番宜しいやうである。新版は今年出版になつた。著者は今年日本へ來て暫く滯在して居た。

[やぶちゃん注:原本は「Vererbungs=Wissenschaft」となっている(「=」以下は改行)が、ネットで調べた形で訂した。フランクフルト生まれのドイツ人で、後にアメリカに渡った遺伝学者リチャード・ベネディクト・ゴールドシュミット(Richard Benedict Goldschmidt 一八七八年~一九五八年)。一九一三年刊か。]

 

 18 DARBISHIRE, Breeding and Mendelian Discovery. ダービシャヤー著、培養とメンデルの發見)

 

 雜種による遺傳硏究の實地の方法を説明し、實物の寫眞を多く入れた書物である。

[やぶちゃん注:イギリスの生物学者・遺伝学者アーサー・デューキンフィールド・ダービシャー(Arthur Dukinfield Darbishire 一八七九年~一九一五年)。遺伝子学説の論客だったらしいが、脳髄膜炎のために若死にしている。一九一一年刊。]

 

 19 HAECKEL, Welträtsel.ヘッケル著、宇宙の謎)

 

 是は前數種の實驗的の書物とは性質が全く違ひ、著者が進化論を基として總べての方面を論じた宇宙觀・人生觀である。出版早々非常に評判の高くなつた書物で、忽ち各國語に飜譯せられ、英譯の如きは、英國純理出版協會から僅に二十五錢位で出して居る。

[やぶちゃん注:一八九九年刊。]

 

 20 HAECKEL, Lebenswunder.ヘッケル著、生命の不思議)

 

 此の書は體裁も内容も前書に似たもので、全く前書の續篇と見做すべきものである。生物學的のことは、此の書の方に却つて多い。之も今では殆ど總べての國語に飜譯せられ、英譯は前書と同じ値で賣つて居る。二册ともに極めて面白い。

[やぶちゃん注:一九〇五年刊。]

 

[やぶちゃん注:以下、奥付。字配は再現していない。国立国会図書館デジタルコレクションの画像をちらを参照されたい。初版発行の「明治三十七年」は一九〇四年で日露戦争の年であり、本新補十三版発行の「大正十四年」は一九二五年は普通選挙法が成立し、治安維持法が公布され、日本初のラジオ放送が開始された年であった。]

 

明治三十七年一月一日印刷

明治三十七年一月七日發行

大正十四年九月十五日十三版印刷

大正十四年九月十八日十三版發行

 

新補進化論講話 定價金五圓

    著作権所有

 

著作者           丘 淺次郎

 

發行兼  東京市石川區小日向水道町八十四番地

印刷者         株式會社 東京開成館

              社長  西野輝男

 

發行所  東京市石川區小日向水道町八十四番地

            株式會社 東京開成館

       〔振替貯金口座〕東京第參貮貮番

 

販賈所  大阪市東區心齊橋通北久寶寺町角

                  三木佐助

     東京市日本橋區數寄屋町九番地

                  林平次郎

 

進化論講話 丘淺次郎 第二十章 進化論の思想界に及ぼす影響(五) 五 進化論と宗教 / 「進化論講話」本文~了

 

     五 進化論と宗教

 

 進化論は生物界の一大事實を説くもの故、他の理學上の説と同じく確な證據を擧げてたゞ人間の理會力に訴へるが、宗教の方は單に信仰に基づくものであるから、この二者の範圍は全く相離れて居て、共通の點は少しもない。尤も、宗教に於ても、信仰に達するまでの道筋には多少學問らしい部分の挾まつて居ることはあるが、その終局は所謂信仰であつて、信仰は理會力の外に立つものであるから、宗教を一種の學問と見倣して取扱ふことは素より出來ぬ。されば進化論から宗教を論ずる場合には、たゞ研究或は應用の目的物として批評するばかりである。

 人間は獸類の一種で、猿の如きものから漸々進化して出來たもの故、人間の信ずる宗教も、一定の發達・歷史を有するは勿論のことであるが、之を研究するには、他の學科と同樣に、先づ出來るだけ材料を集め、之を比較して調べなければならぬ。現今行はれて居る宗教の信仰箇條を悉く集めて比べて見ると、極めて簡單なものから隨分複雜なものまで、多くの階級があつて、各人種の知力發達の程度に應じて總べて相異なつて居る。「人間には必ず宗教がなければならぬ、その證據には世界中何處に行つても、宗教を持たぬ人種は決してない」などと論じた人もあつたが、之は研究の行き屆かなかつた誤で、現にセイロン島の一部に生活するヴェッダ人種の如きは、之を特別に調査した學者の報告によると、宗教といふ考の痕跡もないとのことである。これらは現今棲息する人種中の最下等なものであるが、それより稍進んだ野蠻人になると、靈魂とか神とかいふ種類の觀念の始[やぶちゃん注:「はじまり」。]が現れる。自分の力では到底倒すことの出來ぬやうな大木が嵐で倒れるのを見れば、世の中には目に見えぬ力のい或る者が居るとの考を起すことは、知力の幼稚な時代には自然のことで、自分より遙に力のい或る者が居ると信じた以上は、洪水で小屋が流れても、岩が落ちて家が壞れても、皆この或る者がする所行であらうと思つて、之を恐れ、自分の感情に比べて、或はその者の機嫌を取るために面白い踊をして見せたり、或は願事を叶へて貰ふために賄賂として甘い食物や、美しい女を捧げたりするやうになるが、神とか惡魔とかいふ考は恐らく斯くの如くにして生じたものであらう。また一方には、昨日まで生きて敵と擲き[やぶちゃん注:「たたき」。]合うて居た父が、今日は死んで動かなくなつたのを見て、その變化の急劇なのに驚いて居るときに、父の夢でも見れば、肉體だけは死んでも魂だけは尚存在して、目には見えぬが確に我が近くに居るのであらうと考へるのも無理でないから、肉體を離れた靈魂といふ觀念も起り、父の靈魂が殘つて居ると信ずる以上は、我が身の狀態に比べて、食事の時には食物を供へ、敵に勝つた時には之を告げ知らせるといふやうな儀式も自然に生ずるであらう。靈魂といふものが實際あるかないかは孰れとも確な證據のないこと故、我々現今の知力を以ては有るとも斷言の出來ぬ通り、ないといふ斷言も出來ぬが、靈魂といふ考は恐らく斯くの如くにして生じ、その後漸々進化して今日文明國で考へるやうな程度までに達したものであらう。

[やぶちゃん注:「ヴェッダ人種の如きは、之を特別に調査した學者の報告によると、宗教といふ考の痕跡もないとのことである」誤りウィキの「ヴェッダ人」から引く。ヴェッダ人(英語: Vedda)は、『スリランカの山間部で生活している狩猟採集民。正確にはウェッダーと発音する』が、これは他称で、『自称はワンニヤレット』『で「森の民」の意味である』。『人種的にはオーストラロイドやヴェッドイドなどと言われている。身体的特徴としては目が窪んでおり彫りが深く、肌が黒く低身長であり広く高い鼻を持つ。記録は、ロバート・ノックス(Robert Knox)著「セイロン島誌」(An Hiatorical Relation of the Island Celylon in the East Indies:一六八一年)に遡る。人口は一九四六年当時で二千三百四十七人で、バッティカロア・バドゥッラ・アヌラーダプラ・ラトゥナプラの地に『居住していたという記録が残る』が、一九六三年の統計では四百人と『記録されて以後、正式な人口は不明で、シンハラ人との同化が進んだと見られる』。『民族誌としてはSeligman,C.G. and Seligman,B.Z.』のThe Veddas,Cambridge(一九一一年)『があり、ウェッダー像の原型が形造られた。現在の実態については確実な情報は少ない。伝説の中ではヴェッダはさまざまに語られ、儀礼にも登場する。南部の聖地カタラガマ(英語版)の起源伝承では、南インドから来たムルガン神が、ヴェッダに育てられたワッリ・アンマと「七つ峯」で出会って結ばれて結婚したとされる。ムルガン神はヒンドゥー教徒のタミル人の守護神であったが、シンハラ人からはスカンダ・クマーラと同じとみなされるようになり、カタラガマ神と呼ばれて人気がある。カタラガマはイスラーム教徒の信仰も集めており、民族や宗教を越える聖地になっている』。八『月の大祭には』、『多くの法悦の行者が聖地を訪れて』、『火渡りや串刺しの自己供犠によって願ほどきを行う』。『一方、サバラガムワ州にそびえるスリー・パーダは、山頂に聖なる足跡(パーダ)があることで知られる聖地で、仏教、ヒンドゥー教、イスラーム教、キリスト教の共通の巡礼地で、アダムスピークとも呼ばれるが、元々はヴェッダの守護神である山の神のサマン』(英語: Saman)『を祀る山であったと推定されている。古い神像は白象に乗り』、『弓矢を持つ姿で表されている。サバラガムワは「狩猟民」の「土地」の意味であった。古代の歴史書』「マハーワンサ」『によれば、初代の王によって追放された土地の女夜叉のクエーニイとの間に生まれた子供たちが、スリーパーダの山麓に住んだというプリンダー族の話が語られている。その子孫がヴェッダではないかという』。『また、東部のマヒヤンガナ』『は現在でもヴェッダの居住地であるが、山の神のサマン神を祀るデーワーレ(神殿)があり、毎年の大祭にはウエッダが行列の先頭を歩く。伝承や儀礼の根底にある山岳信仰が狩猟民ヴェッダの基層文化である可能性は高い。なお、民族文化のなかで、一切の楽器をもたない稀少な例に属する』とある(下線太字やぶちゃん)。]

 

 以上述べた所は、たゞ宗教の始だけであるが、現今の野蠻人の中には全くこの通りの有樣のものもある。それより漸々人間の知力が進んで來ると、宗教も之に伴うて段々複雜になり、また高尚になり、特別に宗教のみを職業とする僧侶といふやうなものも出來るが、他の人々が世事に追はれて居る間に、僧侶は知力の方を練るから、知力に於ては俗人に優ることになり、終に宗教は有力な一大勢力となつたのであらう。比較解剖學・比較發生學によつて生物進化の有樣が解る如く、また比較言語學によつて言語の進化の模樣が解る如くに、比較宗教學によつて宗教の進化し來つた徑路が多少明に知れるが、宗教進化の大體を知つて後に現今の各宗教を研究すれば、初めてその眞の價値を了解することが出來る。

 尚宗教といふものは現在行はれて居るもので、多數の人間は之によつて支配せられて居る有樣故、人種の維持繁榮を計る點からいうても、決して等閑にすべきものではない。單に理會力の標準から見れば、現在の宗教は總べて迷信であるが、迷信は甚だ有力なもの故、自己の屬する人種の益榮えるやうにするには、この方針に矛盾する迷信を除いて、この方針と一致する迷信を保護することが必要である。人間には筋肉の發達に種々の相違がある通りに、知力の發達にも數等の階段があつて、萬人決して一樣でない。角力取が輕さうに差し上げる石を、我我が容易に持ち得ぬ如く、また我々の用ゐる鐵啞鈴[やぶちゃん注:「てつあれい」。]を幼兒がなかなか動かし得ぬ如く、物の理窟を解する力もその通りで、各人皆その有する知力相應な事柄でなければ了解することは出來ぬ。それ故、理學上の學説の如きは如何に眞理であつても、中以下の知力を具へた人間には到底力に適せぬ故、説いても無益である。ドイツの詩人ゲーテが「學問藝術を修めたものは既に宗教を持つて居る。學問藝術を修めぬ者は別に宗教を持つが善い」というた通り、學問を修めた者には、特に宗教の必要はないが、學問などを修めぬ多數の人間には安心立命のために何か一つの宗教が入用であらう。然るに宗教には、種々性質の異なつたものがあつて、その中には自己の屬する人種の維持・繁榮に適するものと適せぬものとがあるから、宗教の選み方を誤ると、終には人種の滅亡を起すかも知れぬ。人種の維持に必要なことは競爭・進步であるから、生存競爭を厭ふやうな宗教は極めて不適當で、實際さやうな宗教の行はれる人種は日々衰頽に赴かざるを得ない。諸行の無常なのは明白であるが、無常を感じて世を捨てるといふのは大きな間違であらう。樹木を見ても將に枯れようとする枝は、先づ萎れる通り、無常を感じて競爭以外に遁れようとするのは、その人種が將に滅亡に近づかうとする徴候であるから、人種的自殺を望まぬ以上は、斯かる傾のある宗教は、勉めて驅除せねばならぬ。生物は總べて樹枝狀をなして進化して行くもので、自己の屬する人種は生物進化の大樹木の一枝であることが明な上は、生存卽競爭と諦めて勇しく[やぶちゃん注:「いさましく」。]戰うやうに勵ますといふ性質の宗教が最も必要であらう。甚だしい迷信ほど信者の數が多く、今も昔も賣ト者の數に著しい增減のない所を見れば、世の中から迷信を除き去ることは容易ではないが、迷信が避けられぬ以上は、人種維持の目的に適する迷信を保護するの外には道はない。

[やぶちゃん注:『ドイツの詩人ゲーテが「學問藝術を修めたものは既に宗教を持つて居る。學問藝術を修めぬ者は別に宗教を持つが善い」というた』ゲーテの「遺稿詩集」の「温順なクセーニエン」(Zahme Xenien)第九集の一節。]

 

 從來西洋諸國では耶蘇教が行はれ、この世界は神が六日の間に造つたものであるとか、人間は神が自分の姿をモデルにして泥で造り、出來上つた後に鼻の孔から命を吹き込んだとか、アダムの肋骨を一本拔き取つてエバを造つたとか、いふやうなことを代々信じて、人間だけか一種靈妙なものと思つて居た所へ、生物進化論が出て、人間は獸類の一種で、猿と共同な先祖から降つたものであると説いたのであるから、その騷は一通りではなかつた。初めの間は力を盡して進化論を打ち壞さうと掛かつたが、進化論には事實上に確な證據のあること故、素より之に敵することが出來ず、次には宗教と理學との調和などと唱へて、聖書に書いてあることを曲げて、進化論の説く所に合はせやうと勉めたが、之もまた無理なこと故、到底滿足には出來ず、今日では最早如何とも仕樣のないやうになつた。今後は段々教育も進み、學問が普及するに隨つて、進化論の解る人も追々殖えるに違ないから、宗教の方も進化論と矛盾せぬものでなければ、教育ある人々からは信ぜられなくなつてしまふであらう。

 以上は單に執筆の際に胸に浮んだことを斷片的に書き竝べたに過ぎず、これらに就いては考の違ふ人も無論大勢あらうが、傳來の舊思想の大部分が進化論のために絶大な影響を受けて、殆ど根抵から變動するを免れぬことだけは、誰も認めぬ譯には行かぬであらう。今日多數の人々の思想は元自分の力で獨立に考へ出したものではなく、たゞ教へられたまゝを信じて殆んど惰性的に引き續いて居るに過ぎず、隨つて、學者間に如何なる新説が行はれても、そのため容易に變動することはない。然しながら、進化論の如き思想界に大革命を起すべき性質の知識が、幾分か讀書人の社會に普及して、文藝に從事する人々の間に弘まると、直にその作品の上に變化が現れるから、新しい思想が存外速に世間一般に擴がるやうになる。最近四五十年間に、西洋諸國で著された有名な小説や脚本の中には、從來の宗教的信仰や社會の風習を全く無視し、もしくは之に反抗した形跡のあるものが頗る多數を占めて居るが、之は餘程までは進化論の確になつたために、在來の宗教の權威が薄らいだ結果と見倣すことが出來よう。今日の靑年はかやうな本を讀む故、自然と、舊時代の信仰や傳説に對して、無遠慮な批評を試みるやうになるが、昔のまゝの思想を有する老人等から見ると、恰も人類の道德が破壞せられて行くかの如くに思はれ、壓制的に之を止めようとするので、どこにも衝突が起る。この先如何に成り行くかは知らぬが、知識の進步に伴うて、時代の思潮が段々移り行くのは自然の勢であつて、人力を以て之を壓し戾すことは到底不可能であらう。而して斯く新しい思想が文藝の作品の中に盛に姿を現し、ために往々家庭に於ける老若二派の間に風波を生ずることのあるに至つたのも、その原因を探れば、一つは進化論が文藝界に知られて舊思想に動搖を來したにあるを思へば、進化論が文明世界の思想方面に及ぼした影響は、實に豫想外に廣いものといはねばならぬ。

 

新補 進化論講話 終
 
[やぶちゃん注:「新補」は
横書ポイント落ち。]

進化論講話 丘淺次郎 第二十章 進化論の思想界に及ぼす影響(四) 四 進化論と社會

 

     四 進化論と社會

 

 現今の社會の制度が完全無缺でないことは誰も認めなければならぬが、さて之を如何に改良すべきかといふ問題を議するに當つては、常に進化論を基として、實著[やぶちゃん注:「じつちやく」。「実着」。「着実」に同じい。真面目に落ち着いていること。誠実で浮(うわ)ついたところがないさま。]に考へねば何の益もない。社會改良策が幾通り出ても、悉く癡人夢を説く[やぶちゃん注:おろか者が自分の見た夢の話をする如くに要領を得ない話をすることの喩え。]が如くであるのは、何故かといへば、一は人間とは如何なるものかを十分に考へず、猥に高尚なものと思ひ誤つて居ること、一は競爭は進步の唯一の原因で、苛くも生存して居る間は競爭の避くべからざることに、心附かぬことに基づくやうである。

 異種屬間の競爭の結果は各種屬の榮枯盛衰であつて、同種屬内の競爭の結果はその種屬の進步・改良であることは、前にも説いたが、之を人間に當て嵌めても全くその通りで、異人種間の競爭は各人種の盛衰存亡の原因となり、同人種内の競爭はその人種の進步・改良の原因となる。それ故、數多の人種が相對して生存して居る上は、異人種との競爭が避けられぬのみならず、同人種内の個人間の競爭も廢することは出來ぬ。分布の區域が廣く、個體の數の多い生物種屬は必ず若干の變種に分れ、後には互に相戰ふものであるが、人間は今日丁度その有樣にあるから、異人種が或る方法によつて相戰ふことは止むを得ない。而して人種間の競爭に於ては、進步の遲い人種は到底勝つ見込はないから、孰れの人種も專ら自己の進步・改良を圖らなければならぬが、そのためにはその人種内の個人間競爭が必要である。

 社會の有樣に滿足せず、大革命を起した例は、歷史に幾らもあるが、いつも罪を社會の制度のみに歸し、人間とは如何なるものかといふことを忘れて、たゞ制度さへ改めれば、黃金世界になるものの如くに考へてかゝるから、革命の濟んだ後は、たゞ從來權威を振つて居た人等の落ちぶれたのを見て、暫時僅の愉快を感ずるの外には何の面白いこともなく、世は相變らずが澆季[やぶちゃん注:「げうき(ぎょうき)」「澆」は「軽薄」の、「季」は「末」の意で、道徳が衰えて乱れた世。世の終わり。末世。]で、競爭の劇しいことはやはり昔の通りである。今日社會主義を唱へる人々の中には、往々突飛な改革論を説く者もあるが、若しその通りに改めて見たならば、やはり以上の如き結果を生ずるに違ない。人間は生きて繁殖して行く間は競爭は免れず、競爭があれば生活の苦しさは何時も同じである。

 教育の目的は、自己の屬する人種の維持・繁榮であることは、既に説いた通りであるが、進化論から見れば社會改良もやはり自己の屬する人種の維持・繁榮を目的とすべきものである。世の中には戰爭といふものを全廢したいとか、文明が進めば世界中が一國になつてしまふとかいふやうな考を持つて居る人もあるが、これらは生物學上到底出來ぬことで、利害の相反する團體が竝び存して居る以上は、その間に或る種類の戰爭が起るのは決して避けることは出來ぬ。而して世界中の人間が悉く利害の相反せぬ位置に立つことの出來ぬは素より明瞭である。敵國・外患がなければ國は忽ち亡びるといふ言葉の通り、敵國・外患があるので國といふ團體は漸く纏まつて居るわけ故、若し假に一人種が總べて他の人種に打勝つて全世界を占領したとするとも、場處場處によつて利害の關係が違へば忽ち爭が起つて數箇國に分れてしまふ。僅に一縣内の各地から選ばれた議員等が集まつてさへ、地方的利害の衝突のために劇しい爭が起るのを見れば、全世界が一團となつて戰爭が絶えるといふやうなことの望むべからざるは無論である。

[やぶちゃん注:最後の一文で選挙の例が挙げられてあるが、本書改訂十三版「進化論講話」が刊行された大正一四(一九二五)年は普通選挙法(それまでの納税額による制限選挙から、納税要件が撤廃され、日本国籍を持ち、且つ、内地に居住する満二十五歳以上の全ての成年男子に選挙権が与えられることが規定された)が成立した年である。大正十四年五月五日法律第四十七号で、本書は同年九月十八日発行である。但し、これは、直近の大正三(一九一四)年の増補修正十一版のパートにもある(リンク先は国立国会図書館デジタルコレクションの当該部の画像)。]

 

 若干の人種が相對して生存する上は、各人種は勉めて自己の維持・繁榮を圖らねばならぬが、他の人種に敗けぬだけの速力で、進步せなければ、自己の維持・繁榮は望むことは出來ず、速に進步するには個人間の競爭によるの外に道はない。されば現今生存する人間は、敵である人種に亡ぼされぬためには、味方同志の競爭によつて常に進步する覺悟が必要で、味方同志の競爭を厭ふやうなことでは、人種全體の進步が捗らぬ[やぶちゃん注:「はかどらぬ」。]ために、敵である人種に敗けてしまふ。今日の社會の制度には改良を要する點は澤山にあるが、孰れに改めても競爭といふことは到底避けることは出來ぬ。他の人種と交通のない處に閉じ寵つて、一人種だけで生存して居る場合には、劇しい競爭にも及ばぬが、その代り進步が甚だ遲いから、後に至つて他人種に接する場合には、恰もニュージーランド[やぶちゃん注:二重傍線無しはママ。]の鴫駝鳥[やぶちゃん注:「しぎだちやう」。]の如く忽ち亡ぼされてしまふ。世間には、生活の苦は競爭が劇しいのに基づくことで、競爭の劇しいのは人口の增加が原因であるから、子を生む數を制限することが、社會改良上第一に必要であるといふやうな考を持つて居る人もあるが、前に述べた所によると、之は決して得策とはいはれぬ。今日の所で必要なことは、競爭を止めることではなく、寧ろ自然淘汰の妨害となるやうな制度を改めて生存競爭を成るべく公平ならしめることであらう。人種生存の點からいへば、腦力・健康ともに劣等なものを人爲的に生存せしめて、人種全體の負擔を重くするやうな仕組を成るべく減じ、腦力・健康ともに優等なものが孰れの方面にも必ず勝つて働けるやうな制度を成るべく完全にして、個人間の競爭の結果、人種全體が速に進步する方法を取ることが最も必要である。かやうな世の中に生れて來た人間は、たゞ生存卽ち競爭と心得て、力のあらん限り競爭に勝つことを心がけるより外には致し方はない。

[やぶちゃん注:進化論に則れば、この丘先生の言っていることは一応、理路は通っているように見えるが、例えば、今までの先生の理論に従えば、「自然淘汰の妨害となるやうな制度」と客観的に正当に判ずること自身が不可能と言えるのであって、この意見はその一点に於いて無化されると言っておく。

「鴫駝鳥」(しぎだちょう)はニュージーランド固有種(国鳥)で「飛べない鳥」と知られる、鳥綱古顎上目キーウィ目キーウィ科キーウィ属 Apteryx のキーウィ(Kiwi)類の旧和名。複数回既出(例えば。図有り)であるが、再掲しておくと、現在、中国名(漢名)でも同類は「鷸鴕屬」(「鷸」は鴫、「鴕」は「駝鳥」の意)である。現行、分類学上ではキーウィ属で一科一属とするが(五種(内一種に二亜種)。但し、種数をもっと少なくとる説もある)、実は実際にダチョウ目 Struthioniformes やダチョウ目モア科 Dinornithidae に含める説もある。「キーウィー」「キウィ」「キウイ」とも表記し、これは「キーウィー!」と口笛のような声で鳴くことから、ニュージーランドの先住民マオリ族がかく名付けていた名に由来する。お馴染みの果物の「キウイフルーツ」(双子葉植物綱 Magnoliopsidaビワモドキ亜綱 Dilleniidaeツバキ目 Thealesマタタビ科 Actinidiaceaeマタタビ属キウイフルーツ(オニマタタビ・シナサルナシ)Actinidia chinensis は、ニュージーランドからアメリカ合衆国へ輸出されるようになった際にニュージーランドのシンボルであるキーウィに因んで一九五九年に命名されたものである。主に参照したウィキの「キーウィ(鳥)」によれば、本文に出るように、かつては一千万羽ほどいたが、今では三万羽ほどまで減少して危機的な状況で、減衰の理由は、ヒトが食用とした過去があったこと、ヒトが持ち込んだ犬・猫などの哺乳類と共存適応が出来ず、雛を捕食されてしまったからとされている。]

 

 尚人道を唱へ、人權を重んずるとか、人格を尊ぶとかいうて、紙上の空論を基とした誤つた説の出ることが屢ある。例へば死刑を全廢すべしといふ如きは卽ちその類で、人種維持の點から見れば毫も根據のない論であるのみならず、明に有害なものである。雜草をかり取らねば庭園の花が枯れてしまふ通り、有害な分子を除くことは人種の進步・改良にも最も必要なことで、之を廢しては到底改良の實は擧げられぬ。單に人種維持の上からいへば、尚一層死刑を盛にして、再三刑罰を加へても、改心せぬやうな惡人は、容赦なく除いてしまうた方が遙に利益である。

 

進化論講話 丘淺次郎 第二十章 進化論の思想界に及ぼす影響(三) 三 進化論と教育

 

     三 進化論と教育

 

 教育書を開いて見ると、精神は人間ばかりに存するもの故、教育の出來るのも人間ばかりに限るなどと書いてあるが、之は確に間違で、他の動物の中にも、子を教育する類は幾らもある。而して如何なる動物が子を教育するかと調べると、皆腦髓の梢發達した高等動物で、比較的子を生む數の少い種類に限るやうである。

 動物は何のために子を教育するかといふに、凡そ動物には命の長いものもあれば、短いものもあるが、如何なる種類でも、壽命には必ず一定の制限があるから、種屬の斷絶せぬためには、常に生殖して死亡の損失を補はなければならぬ。而して若し生れた子が皆必ず生存するものと定まつて居たならば、一對の親から一生涯の間に僅に二疋の子が生れただけでも、親の後を繼いで行くことは出來る筈であるが、生存競爭の劇烈な現在の世の中では、生れた子が殘らず生長するといふ望は到底ない。魚類・昆蟲類を始め多くの下等動物では、初めから無數の卵を生むから、そのまゝ打捨てて置いても、その中二疋や三疋は生長し終るまで生存する機會があるが、梢少數の子を生む動物では、單に生んだだけでは、まだ種屬維持の見込が附いたとはいへぬ。必ず之を教育して競爭場裡に出しても、容易に敗ける患[やぶちゃん注:「わづらひ」。]はないといふまでに仕上げなければならぬ。されば教育ということは、生殖作用の追加とも見るべきもので、その目的は生殖作用と同じく、種屬の維持繁榮にあることは、少しも疑を容れぬ。

 以上述べたことは、生物學上明な事實であるが、之を人間の場合に當て嵌めて見てもその通りで、教育書には、教育の目的は完全なる人を造るにあるとか何とか、種々高尚な議論が掲げてあるに拘らず、實際に於ては總べて種屬の維持繁榮を目的として居る。尤も[やぶちゃん注:底本は「最も」であるが、特定的に訂した。]こゝに種屬といふのは動物學上の種屬ではない。人間の造つて居る種々の團體のことで、この團體に幾つもの階段があるから、教育の目的も之を行ふ團體次第で多少異ならざるを得ない。例へば一家でその子弟を教育するのは、現在の一家の主なる人々が死んでも、後に一家を繼續するものを遺すためで、一藩でその子弟を教育するのは、現在の藩士が死んでも、後に之を繼續するための立派なものを遺すためである。また一國がその子弟を教育するのは、現在の國民が死んでも、その後に世界列國の競爭場裡に立ち、立派に一國を維持し且榮えて行くだけのものを遺すためである。完全な人を造るとか、人間本來の能力を發展せしめるとかいふ文句は、如何にも立派に聞えるが、實は極めて漠然たるいひ方で、完全な人とは如何なるものか、人間本來の能力とは何かと押して問へば、その答は決して一樣でなく、その定義を定めるためにまた種々の議論が出て、益實際から遠ざかるやうになる。然るに實際に於ては議論の如何に拘らず、知らず識らず生物學上の規則に隨ひ、こゝに述べた如くに、皆種屬の維持繁榮を目的として居るのである。

 從來の所謂教育學といふものは、哲學などと同樣に、たゞ思考力ばかりに依賴して考へ出したもの故、哲學と同じく、十人寄れば十種の學説が出來、相似た説を持つたものは集まつて學派を造り、互に爭つて孰れが正しいか、分からぬやうであるが、學派が幾つもあつて相爭つて居るやうでは、孰れを取るにしても直に之を應用するのは甚だ不安心なことである。一時はヘルバルトでなければならぬやうにいふたかと思ふと、その次にはまた全く之を捨てて他の新説を取るといふやうな世の有樣を見ると、所謂教育學説といふものを學ぶのは全く無益な骨折で、之を基礎として、その上に論を立てるのは大なる誤謬の原因であると思はざるを得ぬ。生物進化論が確定して、人間の位置の明になつた今日では、單に思考力のみに依賴して考へ出した説は、先ず根據のない空論と見倣すの外はないから、教育學も今後は舊式哲學・形而上學などとは全く緣を斷ち、生物學・社會學等の基礎の上に、實驗的研究法によつて造り改めなければ、到底長く時世に伴うて進步して行くことは出來ぬであらう。

[やぶちゃん注:「ヘルバルト」ドイツの哲学者・心理学者・教育学者であったヨハン・フリードリヒ・ヘルバルト(Johann Friedrich Herbart 一七七六年~一八四一年)。少なくともドイツ語圏に於いて教育学の古典的人物の一人と見做される人物。家庭教師の教育下に幼少時より哲学への関心を抱く。私塾で自然科学を学び、ギムナジウム在学中に人間の意志の自由に関する論文を書き(一七九〇年)、卒業生代表として「国家において道徳の向上と堕落を招来する一般的原因について」の演説を行う(一七九三年)など、早くから非凡さを発揮した。イエナ大学で法律を学び、そこでフィヒテの哲学に影響を受ける一方、ゲーテ・シラー・ヘルダーの住むワイマールを訪れては、芸術的素養を身につけた。卒業後の三年間、ベルンのシュタイゲル家の家庭教師となったが、グルンドルフにペスタロッチを訪ねたこと(一七九九年)ことなどを契機として、関心が教育学へと向かい、後、ゲッティンゲン大学で教育学・倫理学・哲学を講じ(一八〇二年~一八〇九年)、主著「一般教育学」(一八〇六年)・「一般実践哲学」(一八〇七)を著した。ケーニヒスベルク大学に招かれて名誉あるカントの講座を継承し(一八〇九年)、「心理学教本」・「哲学綱要」を著す一方、教育セミナーや実験学校を付設して、教育実践面にも活躍した。一八三三年、再び、ゲッティンゲン大学に招かれ(一八三七年まで)、教育学体系を基礎づけた「教育学講義綱要」(一八三五年)を著し、教育の目的を倫理学に、方法を心理学に求めて、多面的興味の喚起を唱えた。ツィラー(Tuiskon Ziller 一八一七年~一八八二年)によって五段階に発展させられた教授法とともに明治二十年代(一八八七年~一八九六年)に日本に紹介され、谷本富(とめり 慶応三(一八六七)年~昭和二一(一九四六)年:讃岐国高松生まれ。松山公立病院附属医学所、同人社を卒業後、帝国大学文科大学の選科生となり、哲学全科を修了、さらに特約生教育学科で御雇教師ハウスクネヒトからヘルバルト教育学を学んだ。但し、彼は明治三三(一九〇〇)年から三年間、ヨーロッパに留学し、帰国後、京都帝国大学理工科大学講師に就任、一九〇六年刊の「新教育学講義」は留学の成果であったが、それまでのヘルバルト一辺倒から転じ、新教育を強く提唱している。明治三八(一九〇五)年に文学博士、翌年に京都帝国大学文科大学教授となり、新設の教育学教授法講座を担当、一九一〇年には再び海外に留学している。しかし、大正元(一九一二)年九月、『大阪毎日新聞』紙上で乃木希典の殉死を、その古武士的質祖・純直な性格はいかにも立派なるにも拘わらず、なんとなくわざと飾れるように思われて、心ひそかにこれを快しとしなかった、などと批判したことから、強い非難を浴び、翌年、兼任していた大谷大学・神戸高等商業学校を辞任、さらに同年八月には京都帝国大学総長澤柳政太郎により、谷本を含む七教授が辞表提出を強要されて辞職に追い込まれた。その後は著述家・論客として活動、龍谷大学講師・大阪毎日新聞社顧問を務めた。ここはウィキの「谷本富に拠った)を中心として大きな影響を及ぼした(以上は小学館「日本大百科全書」をベースとした)。]

 

 教育は種屬維持のために必要であるが、人間は種々の團體を造つて生活するもの故、實際教育するに當つては、如何なる團體の維持繁榮を目的とすべきかを明瞭に定めて置かねば功がない。漠然たる文句で教育の目的をいひ表して置くことは、單に理論の場合には差支がないかも知れぬが、教育は一日も休むことの出來ぬ實際の事業故、單に一通りにより意味の取れぬ極めて判然たる目的を常に目の前に定めて置くことが必要である。さて人間の生存競爭の有樣を見るに、團體には大小種々の階級があるが、競爭に於ける最高級の單位は人種といふ團體で、人種と人種との間にはたゞいものが勝ち、弱いものが敗けるといふ外には何の規則もないから、自分の屬する人種が弱くなつては、他に如何に優れた點があつても種屬維持の見込はない。それ故、實際教育するに當つては人種といふ觀念を基として、人種の維持繁榮を目的とせねばならぬ。生物界では分布の廣い生物種屬は必ず若干の變種を生ずるもので、變種は尚一層進めば獨立の種となるもの故、斯かる種屬は初め一種でも後には必ず數種に分れ、互に劇しく競爭して、その中の少數だけが、後世まで子孫を遺すことになるが、人間の如きは最も分布の廣い種屬で、既に多數の人種に分れて居ること故、今後は益人種間の競爭が劇しくなり、適するものは生存し、適せぬものは亡び失せて、終には僅少の人種のみが生き殘つて地球を占領するに違ない。この競爭は今から始まるわけではなく、既に從前から行はれて居たことで、歷史以後に全く死に絶えた人種も幾らもあり、將に死に絶えんとする人種も澤山にある。今日の所で、後世まで子孫を遺す見込のあるものは、ヨーロッパを根據地とする若干の人種とアジヤの東部に住んで居る若干の人種と僅に二組に過ぎぬ。されば如何なる種類の教育でも、常にこれらの事實を忘れず、他の生物の存亡の有樣に鑑み、進化論の説く所に隨つて、專ら自己の屬する人種の維持繁榮を計らねばならぬ。

[やぶちゃん注:丘先生が敢えてロシア(ソヴィエト)とアメリカ合衆国を挙げておられないのがすこぶる面白い。検閲を配慮したか。]

2018/07/30

進化論講話 丘淺次郎 第二十章 進化論の思想界に及ぼす影響(二) 二 進化論と倫理

 

     二 進化論と倫理

 

 倫理學も從來は人間を一定不變のものと見倣し、且宇宙間に他に類のない一種靈妙なものとして人間のことばかりを論じ來つたが、進化論によつて自然に於ける人類の位置が明になつた以上は、根本からその仕組を改めてかゝらねばならぬ。人間が獸類の一種であつて、猿と共同な先祖から降つたものとすれば、善とか惡とかいふ考も決して最初から存した譯ではなく、他の思想と同樣に漸々の進化によつて生じたものと見倣さねばならぬが、これらの點を詳細に研究するには、先づ世界各處の半開人[やぶちゃん注:「はんかいじん」。文化が未開を越えて、少し開化してきている人集団。]や野蠻人が、如何なることを善と名づけ、如何なることを惡と名づけて居るか、また實際如何なることを爲して居るかを取調べ、尚人間以外の團體生活をする獸類・鳥類が平生なし居ることをも調査し、之を基として論ずることが必要である。人間の身體ばかりを解剖して如何に丁寧に調べても、人間の身體各部の意味が解らず、他の動物と比較して見て、初めてその意味が解る如くに、人間の行爲も之ばかりを調べたのでは、何時まで過ぎても容易に意味の解るものではない。他の團體生活をする動物の行爲に比べて見て、初めてその意味が明に解るものも澤山にあるべき筈である。

 例へば、動物界には人間の外に團體生活を營むものは澤山にあつて、之を竝べて見ると、單獨の生活をなすものから、一時的團體を造るもの、少數の個體が常に集まり生活するものなど、種々の階級を經て、多數の個體が永久の團體を組んで生活するに至るまでの進化の順序を知ることが出來るが、これらの動物の行爲を調ベると、善惡の分れる具合も、多少明に解るやうである。先づ單獨の生活を營む動物の行爲は、善惡を以て評すべき限ではないが、團體を組んで生活するやうになれば、生存競爭の單位は團體であるから、その中の各個體の行爲は全團體に影響を及ぼし、一個體が團體に利益ある所行をなせば、團體内の他の個體は殘らずその恩澤を蒙り、一個體が團體に不利益な所行をなせば、團體内の他の個體は悉く損害を受ける。假に身を斯かる團體内に置いたと想像して見れば、前者の行爲を善と稱し、後者の行爲を惡と名づけるより致し方はない。されば團體生活を營む動物では、一個體の行爲が全團體の滅亡を起す場合が最高度の惡で、身を犧牲に供して全團體の危難を救ふことは善の理想的模範である。

 また數個の團體が對立して互に競爭する場合には、如何なる性質を具へた團體が最も多く勝つ見込を有するかと考へるに、それは無論各個體が全團體のために力を盡し、自己一身の利害を第二段に置くやうな團體である。上下交々[やぶちゃん注:こもごも。]利を征めては[やぶちゃん注:「せめては」ではおかしい。そういう訓はないが(人名の訓ではある)「もとめては」と読んでおく。]、到底敵である團體と相對して存立することは出來ぬから、團體聞の生存競爭に於ても、やはり自然淘汰が行はれ、團體生活に最も適する性質を具へたもののみが長く生存し、各個體には自己の屬する團體のために誠を盡すといふ性質が、益發達するわけになる。蟻・蜜蜂等の如き社會的昆蟲の動作を見れば、このことは最も明白であるが、人間の道德心の如きも或は斯くの如くにして生じ來つたものではなからうか。若しさうとしたならば、善惡といふ考も團體生活とともに起つたもので、世の中から團體生活をする動物を取り去つたならば、たゞ火が燃え、水が流れるといふやうな善でも惡でもないことばかりとなつて、善惡といふ文字の用ゐ處も無くなつてしまふ。

 尚人間には生れながら良心といふものが具はつて、惡事をなした後には心中大いに安んずることが出來ぬものであるが、この良心といふものもやはり團體生活と共に起つたものではなからうか。團體生活を營む動物では、一個體の行爲が全團體の不利益を生じた場合には、他の個體が集まつて之を罰することが常であるが、罪せられることを豫め恐れる心持は、所謂良心といふものと全く同じ性質の如くに思はれる。

 人間の道德心の起源の如きは、大問題であつて、素より一朝一夕に論じ盡せるわけのものではないが、人間が獸類の一種である以上は、之を研究する方法もやはり比較解剖學・比較發生學等と同樣に、先づ事實を集め、次に之に通ずる規則を探り出し、その規則に從つて原因を調べるといふ順序でなければならぬ。この順序によりさへすれば、恰も比較解剖學・比較發生學等によつて、人間の身體の進化し來つた徑路が多少明になつた如くに、人間の道德心の發生の徑路が、幾分か解るやうになるであらう。野蠻人の行爲や諸動物の習性を調ベることは、素より容易ではないが、今より後はこの方法により實驗的に研究して行く外に適當な法はないやうである。

 從來の倫理學は規範學科などと稱して、單に思考力のみに依賴し、高尚な議論ばかりをして居たから、人生と最も直接な關係を有すべき學科でありながら、實際に於ては最も人生と緣の遠い有樣であつたが、規範學科であれば尚更のこと、先づ人間といふものは實際如何なることをして居るか、またその行爲の原因は何であるかを詳しく調べ、之を基として議論を立つべき筈である。されば倫理學は全くその研究の方法を改め、純正學科としては單に實驗・觀察によつて人類の行爲を研究し、之を支配する理法を探り求めることだけを目的とし、更に應用學科として人間の行爲は斯くあるが最も宜しいといふ規範を種々の場合に當て嵌めて、定めることを勉めたれば宜しからう。人間が尚進化の中途にあるものとすれば、萬世不易の善惡の標準といふやうなものは、到底定められぬかも知れず、單に思考力によつて之を求めようとすれば、益空論の範圍に深入[やぶちゃん注:「ふかいり」。]して、現實の世界から遠ざかるばかりである。特に人間には團體に種々の階級があつて、小團體が集まつて、大團體をなして居るから、その中の各個人には、小團體の一員としての資格と、大團體の一員としての資格とがあり、時と場合とに隨ひ或は甲の資格を取り、或は乙の資格を取ることが必要であるから、同一種類の行爲でも、或は善となり或は惡となることもある。例へば病原黴菌といふ人類共同の敵に對する場合には、各個人は人類といふ大團體の一員たる資格であるから、黴菌撲滅上肝要な一大發見をした學者が、直に之を他國の學者に通知することは、全團體の利益となる所行故、先づ善事と見倣さねばならぬが、國と國とが戰爭をする場合には、各個人は國といふ小團體の一員たる資格であるから、兵器改良上肝要な一大發見をした學者が、之を敵國の學者に通知することは、敵の戰鬪力を增さしめる所行故、確に惡事と見倣さねばならぬ。かやうな例を考へれば、幾らでもあるが、これらを見ても、善惡の標準は時と場合とに隨つて改めなければならぬことは、明であるから、倫理學は應用學科として、常に斯かる點を研究すべきものであらう。

 

進化論講話 丘淺次郎 第二十章 進化論の思想界に及ぼす影響(一) 序・一 進化論と哲學

 

     第二十章 進化論の思想界に及ぼす影響

 

 前章までに説いた所で、進化論の大意だけは先づ述べ終つたが、進化論を認めると同時に、全く一變せざるを得ぬのは、自然に於ける人類の位置に關する考である。人間は獸類の一種で、猿と共同な先祖から降つたといふことは、單に進化論中の特殊の一例に過ぎぬから、進化論を認めながらこのことだけを認めぬといふ理由は決してない。若しこのことを認めぬならば、進化論全體をも認めることは出來ず、隨つて生物學上の無數の事實と衝突することになる。而して一旦この事を認めて、自然に於ける人類の位置に關する考を一變すれば、從來の考は無論棄てなければならず、且舊思想の上に樹[やぶちゃん注:「た」。]てられた學説は、悉く根抵から造り改めなければならぬことも無論である。

 今日學問の種類は非常に澤山あるが、その中には人間は如何なるものかといふ考に關係のないものもあれば、また殆どこの考を基礎としたものもある。物理學・化學・數學・星學[やぶちゃん注:天文学。]・地質學等の如き純正理學を始めとして、之を應用した工學・農學などでも、人間といふ觀念が如何に變つても直接には何の影響を蒙むることもないが、哲學とか、倫理學とか、教育學とかいふやうな種類の學科は、人間といふ考次第で、全く根本から改めなければならぬかも知れぬ。なぜといふに、これらの學科は進化論の現れぬ前から引續き來つたもので、進化論以前の舊思想に從つて人間といふものの定義を定め、之によつて説を立てて居るのである故、一朝この定義が改まる場合には、その上に築き上げた議論は悉く崩れてしまふからである。

 曾てアメリカの或る雜誌で、十九世紀中に出版になつた書物の中で、人間の思想上に最も著しい影響を及ぼしたのは何であるかといふ問題を出して、世界中の有名な學者から答を求めたことがあつたが、何百通も集まつた答の中に、ダーウィンの「種の起源」を擧げぬものは一つもなかつた。また先年丸善書店で十九世紀中の大著述は何々であるかといふ問題で、我が國の學者から答を求めたことがあつたが、その答の中、やはり「種の起源」が最多數を占めた。斯くの如く、内外共にこの書の尊重せられるのは何故といふに、無論人間といふ考がこの書によつて全く一變し、その結果として殆ど總べての學科に著しい影響を及ぼしたからである。近來出版になつた社會學・倫理學・心理學・哲學等の書物の中には、進化論の影響により大いに改革を試みた形跡の見えるものも既に相應にある所から推せば、尚益變化して行くであらうが、どこでもこれらの學科を專門に修めた人々には、兎角、生物學の素養の極めて不十分な人が多く、そのため進化論が今日既に學問上確定した事實であるに拘らず、之を了解することが出來ず、依然として舊思想を守り、生物學から見れば殆ど前世紀に屬すると思はれる程の誤謬に陷りながら、少しも悟らず、隨つて之を改めもせぬ有樣である。

 進化論と、かやうな學科との關係はなかなか重大なことで、本書の中に之を丁寧に論ずることは出來ぬが、全くこれを略して置くことも甚だ不本意である故、たゞ一つ二つ思ひ浮んだことだけを、この章に述べる。進化論の方が十分に解りさへすれば、こゝに書くことの如きは、必然の結論として生ずべきもので、誰の心中にも自然に浮ぶ筈のことかも知れぬが、凡そ進化論によつて從來の諸學科が如何に根本的に改良せられなければならぬかといふことは、そのため多少明に知れるであらう。

 

     一 進化論と哲學

 

 哲學といふ學問は、その歷史を調べて見ると、極古代に當つては、多少實驗を基としたこともあつたやうであるが、近來では全く實驗と離れて、單に自己の思考力のみに依賴して、一切の疑問を思辨的に解かうと勉める。達磨が九年間壁に向つて考へて居た如く、近頃までの所謂哲學者は、たゞ書物を讀むことと、考へることとによつて、總ての眞理を發見し得るものの如くに思ふて居たが、之には大きな誤謬が基となつて居る。この事は當人も少しも氣が附かぬかも知らぬが、全く人類に關する舊思想に基づくことで、先づ之から改めてかゝらなければ、到底益誤謬に陷ることを免れぬ。

 その誤謬とは人間の思考力を絶對に完全なものの如くに見倣して居ることである。進化論の起らぬ前は、無論このことに就いては疑の起りやうもないわけで、人間は一定不變のものと思つて居る間は、その思考力の進化などに考へ及ぶ緒[やぶちゃん注:「しよ」。]もないから、たゞ考さへすれば如何なる眞理でも觀破することが出來るやうに思つたのも無理はないが、今日生物學上、人間が下等の獸類から漸々進化し來つたことが明になつた以上は、先づこの誤謬から正してかゝらねばならぬ。人間は猿類などと共同な先祖から起つたもの故、その頃まで溯れば今とは大いに違つて腦髓も小く、思考力も甚だ弱かつたに違ない。それより漸々進步して、今日の姿までに達したのである。これから先は如何になり行くか、未來のこと故、素より解らぬが、過去の經歷から推して考へると、尚この後腦髓が益發達して思考力も益進化することは、殆ど疑なからう。若し今後尚進步するものとしたならば、今日の思考力は恰も進步の中段にあるもの故、決して絶對に完全なものとはいはれぬ。されば今日如何に腦漿を搾り、思考力を凝らして考へたことも、尚一層腦髓が發達し、思考力の進步した未來の時世から顧みたとすると、全く誤つて居るかも知れず、その時に考へたことはまた尚一層後の世から見ると、誤であるかも知れぬが、かやうに考へると、今日の腦髓を以て自分の單に考へ出したことを、萬世不變の眞理であると世に披露するやうな大膽なことは到底出來ず、また他人の考へ出したことを萬世不變の眞理であると信ずることも出来ず、總べて何事をも極めて控へ目に信ずるやうになり、その結果甚だしい誤謬に陷ることも斟くなるであらう。

 腦髓が漸々發達して今日の有樣になつたことは、化石學上にも事實の證據があるが、一個人の發生を調べると、全く同樣なことを發見する。最初腦髓の極めて簡單な頃を略して、その次の時代からいへば、先づ胎内四箇月位の時には、大腦の兩半球ともに表面が平滑で、一向、溝の如きものもなく、殆ど兎の腦髓の如くであるが、漸々發達して複雜になり、大腦の表面に種々の裂溝・廻轉等が現れ、八箇月頃には全く猩々と同じ位な度に達する。尚それより少しづゝ發達して、終に生れ出るが、生れてから後に思考力の漸々進步する具合は、誰も幼兒に就いて經驗して知つて居ることであらう。發生學の所で述べて置いた生物發生の原則といふことは、人間の腦髓の發育、思考力の進步等にも實に善く適するやうに思はれるが、之によつて人間の實際進化し來つた徑路を、餘程までは推察することが出來る。

 眼・耳・鼻等の如き感覺器も無論絶對に完全なものではないが、腦髓で考へた理論が、眼・耳等で感ずることと矛盾する場合に、理論の方だけを取つて、感覺の方を顧みぬといふことは穩當でない。今日の人間の生活の有樣を見るに、主として知力の競爭で、眼・耳・鼻等の優劣は殆ど勝敗の標準とはならぬから、一人一人の相違は素よりであるが全體からいへば、知力は益進むばかりで、感覺器の發達は少しも之に伴はぬ。倂しながら知力は如何なる度まで進んで居るかと考へるに、生物の進化は主として自然淘汰に基づくもの故、たゞの競爭場裡に立つことが出來るといふ程度までに進んで居るだけで、決して遙にその以上に出て居るわけはない。されば今日我々の有して居る思考力は、同僚と競爭して甚しく敗れることがないといふ度までに發達して居るだけ故、日常の生活には僅に間に合うて行くが、宇宙の哲理を觀破する道具としては、隨分覺束ないやうに思はれる。

 哲學といふ宇の定義は幾通りあるか知らぬが、簡單にいへば、物を見て考へることであらう。烏を見て單に黑いというて濟ますのは、普通の見方で、何故黑いかと考へるのは哲學的の見方である。つまる所、物の原因に就いて疑を抱くのが、總べての哲學の起りであらうが、この疑を解かうと勉めるに當つて、取る方法に二通りの別がある。一は出來るだけ多く實驗觀察し、出來るだけ多くの正確な事實を集め、之を基として考へる方で、今日純正理學と名づけるものは皆この方法に隨つて研究すべき筈である。他の一は之に反して、眼・耳・鼻・舌等の如き感覺器には全く信用を置かず、たゞ思考力のみに賴つて疑の根元までも解き盡そうと試みるが、從來の所謂哲學といふものは總べてこの方法によつて研究せられて居る。さて人間は尚進化の中段にあるものとすれば、眼・耳・鼻・舌の感覺力も腦髓の思考力も、共に絶對に完全なものでないことは勿論であるが、孰れの方に誤謬に陷る穴が多いかと考へて見るに、眼・耳を以て見聞すること、物指・天秤等を以て測ることなどは、十人で行ふても、百人で行ふても、その結果は略一致して爭の起ることは少いが、日常生活以外の方面に用ゐる思考力の結果は、人一人で大いに異なり、五人集まれば五通りの宇宙觀が出來、十人寄れば十通りの人生觀が出來る。また自分で獨立の説を工夫することの出來ぬ人等は、他人の考へたことに縋り附くの外はないから、こゝに澤山の派が生ずる。若し眞理が幾通りもないものとしたならば、昔から多數に存する哲學派の中で完全に眞理を説いたものは、最も多く見積つてもたゞ一つだけよりないわけで、實際は、恐らく悉く誤謬であると考へざるを得ない。思考力のみに依賴すると、推理の筋の辿りやう次第で、種々の異なつた結論に達し、隨分正反對の結果を得ることもあるから、眞理を求めるために或る學派に歸依し、或は自身で一派を工夫する人は、恰も當りの少い籤を引くのと同樣で、眞理に的中する望は極めて僅である。

 これに比較すれば、感覺力の方が尚餘程確らしい。十人でも百人でも、略同一な結果を得るのであるから、今日の人間の知力の範圍内では、先づこれ以上に確なことを知ることは出來ぬ。人類共通の誤謬があるかも知れぬが、之は何とも論ずべき限でない。されば物の原因を探るに當つても、先づ觀察と實驗とによつて事實を集め、之を基として思考力によつて、その間の關係を考へ、一定の結論を得たれば、更に實驗、觀察によつてその結論が實際の事實と矛盾せぬか否かを確め、確であれば、更に之を基として、その先を考へるといふやうに、常に思考力と感覺力とを倂せ働かせて進むのが、今日の人間のなし得る最も確な方法であらう。尤も、この方法は一段每に實驗・觀察等の如き大きな勞力を要すること故、單に手を束ねて考へるのと違つて、進步は素より多少遲からざるを得ぬ。理科の進步は常にこの方法によるから、速[やぶちゃん注:「すみやか」。]ではないが、比較的に確[やぶちゃん注:「たしか」。]である。理科に於ても、事實の十分に集まらぬ中に、假想説を考へ出して、或る現象の理由を説明しようと勉めて、そのため激しい議論の起ることも常にあるが、研究の結果、事實が漸々解つて來れば、必ず孰れにか決してしまふから、何時までも數多の學派が對立して存するといふやうなことはない。

 この方法は實驗・觀察によつて先づ事實を搜し、之を基として思考するのであるから、從來の單に思考力のみにより空論を戰はして居た紙上哲學に對し、この方法で研究する學科を實驗哲學と名づけるが適當であるが、進化論により人間の位置が明になつた以上は、哲學といふものはこの方面の學科と一致するやうに改めなければならぬ。思考力のみをたゞ一の武器として、臥[やぶちゃん注:「ふし」。]ながら宇宙の眞理を發見しようといふ考は、進化論の教へる所と全く矛盾することである。

 科學に滿足が出來ぬから、哲學に移るといふ人もあるが、物に譬へて見れば、實驗・觀察と思考力とを倂せ用ゐて研究することは、恰も脚を動かして步行するやうなもので、進步は速くはないが、實際身體がそこまで進んで行く。之に反して思考力のみによつて考へることは、恰も夢に千里を走るやうなもので、進步は至極速いやうに感ずるが、實際身體は依然として舊の處に止まつて居る。今日の開化の度まで、人間の進み來つたのは、全く實驗・觀察と思考力とを倂せて用ゐる方法で事物を研究した結果である。思考力のみを用ゐる研究法の結果は、二千年前も今日も餘り著しくは違はぬ。物の理由を探り求めるに當り、實驗・觀察と思考力とを倂せ用ゐることは、大に忍耐と勞力とを要する仕事で、隨つて時も長くかゝるが、その結果は眞であるゆえ、之を應用して誤ることはない。つまり、それだけ人間の隨意にする領分が殖えたやうなもので、生存競爭の武器がそれだけ增したことに當る。知識の光を以て照せば、何事でも解らぬものはないなどと、大聲に演説すれば、そのときだけは説く者も何となく愉快な感じが起つて、意氣が大に昂る[やぶちゃん注:「あがる」。]が、實際を顧みると我々の知識はなかなかさやうなものではなく、僅に闇夜に持つて步く提燈位なもので、たゞ大怪我なしに前へ進み得られるだけに、足元を照すに過ぎない。實驗・觀察と思考力とを倂せ用ゐるのは、この提燈の光力を漸々增加せしめる方法である。今日我々の爲し得る範圍内では、これ以上のことは出來ぬのであるから、不十分な點を忍んで科學に滿足するより外に致し方はない。之に滿足せずして、舊哲學に移るのは、恰も提燈の火が小いからといふて、これを捨て大光明を夢みんと欲して目を閉じるやうなものであらう。

2018/07/29

進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(六) 七 猿人の化石 / 第十九章 自然に於ける人類の位置~了

 

     七 猿人の化石

 

 斯くの如く、人間の猿類に屬することは、解剖學上及び發生學上に明であるのみならず、血淸試驗によつて明に證することも出來るが、他の猿類と共に猿類共同の先祖から漸々分岐して生じたものとすれば、その先祖から今日の人間に至るまでの途中のものの化石が、地層の中に少しは殘つて居さうなものである。さて實際さやうなものが發見せられたことがあるか否かと尋ねるに、澤山にはないが、既に種々の階段に屬する化石が見出され、現に處々の博物館に鄭重に保存せられてある。素よりこの種の化石が十分に揃つて人間と猿類との共同の先祖から今日の人間に至るまでの進化の順序を遺憾なく完全に示すといふわけではないが、發見せられた化石は皆人間と猿類の先祖との中間に立つべき性質を具へたものばかり故、全く進化論の豫期する所と一致して居るのである。

 全體動物の死體が化石となつて後世まで殘るのは、餘程都合の好い場合に限ることで、先づ水の底に落ち、細かい泥にでも埋もれなければ、殆ど化石となる機會はないやうである。犬・猫などは昔から何疋棲んで居て、每年何疋づゝ死んだか解らぬが、その化石を見出すことは決してない。人間もその通りで、石器を用ゐて居た時代にも人間は相應に多數に生存して居たであらうが、石斧や石鏃は澤山に出ながら、それを造つた人間の骨の發見せられることは極めて稀である。それ故、今日知られて居る人間の化石は、世界中のものを悉く集めても、その數は決して多くはない。

 今より殆ど五十年ばかり前に、ドイツデュッセルドルフ市の近邊のネアンデルタールといふ處の地層から、一個の人間の頭骨が發見になつたが、その頭骨は餘程今日の人間とは違つて、頭蓋部が小く[やぶちゃん注:「ちいさく」。]、眉の處が著しく突出して居て、全體が大いに猿の頭骨に似て居た。その頃之に就いては種々の議論があつて、或る人は之を人間中の猿に近いものと見倣し、或る人は之を人間と猿との間の子[やぶちゃん注:「あひのこ」。]であらうなどと論じたりしたが、有名な病理學者ウィルヒョウが之は畸形者の頭骨であると斷言したので、一時は誰もその説に服し、この貴重な化石も暫時は學問上大なる價値のないものとして捨て置かれた。

[やぶちゃん注:「今より殆ど五十年ばかり前」ネアンデルタール人(ヒト属ホモ・ネアンデルターレンシスHomo neanderthalensis:命名は一八六四年)の頭骨化石が見つかったのは、一八五六年(本書(新補改版・第十三版)は大正一四(一九二五)年刊であるから、正しくは六十九年前で修正し忘れ)。なお、学術研究の対象とは成らなかったが、それ以前にオランダやジブラルタルの鉱山で断片骨が発見されている)。発掘ではなく、石灰岩採掘作業中に作業員によって掘り出された。

「ドイツ國デュッセルドルフ市の近邊のネアンデルタール」ドイツ連邦共和国ノルトライン=ヴェストファーレン州を流れるライン川支流のデュッセル川(Düssel にある小さな「ネアンデル谷」或いは「ネアンデルタール」(ドイツ語:Neanderthal 又は Neandertal)。この附近(グーグル・マップ・データ)。

「ウィルヒョウ」ルードルフ・ルートヴィヒ・カール・フィルヒョウ(Rudolf Ludwig Karl Virchow 一八二一年~一九〇二年)はドイツ人医師・病理学者・先史学者・生物学者・政治家。白血病の発見者として知られる。この一八五六年からベルリン大学で病理学教授を務めていた。病理学の世界的権威であった彼は、この頭骨を佝僂(くる)病や痛風によって変形した現代人の老人の骨格と主張した(ウィキの「ネアンデルタール人」に拠る)。]

 

Kagakukotu

 

[人類下顎の化石]

[やぶちゃん注:講談社学術文庫のものを用いた。これは思うに、若干、上部の形状や歯の残存状況に齟齬があるものの、以下に出るホモ・ハイデルベルゲンシスHomo heidelbergensis の下顎骨化石の杜撰な模写ではなかろうか? ウィキの「ホモ・ハイデルベルゲンシスの下顎骨のレプリカの写真(パブリック・ドメイン)

 

Heidelberger_mensch_replik_rosenste

 

を掲げておく。]

 

Toukotu4

 

[頭骨四個

(右上)オーストラリア野蠻人

(左上)ヨーロッパ人

(右下)猩々

(左下)猿人]

[やぶちゃん注:講談社学術文庫のものを用いたが、同文庫の振った記号やキャプションは消去してある。「オーストラリア野蠻人」は前に出した現在のアボリジナル・オーストラリアン(Aboriginal Australians)の頭蓋骨であろう(なお、「野蠻人」は差別用語である)。「猿人」はホモ・エレクトスHomo erectus のそれに近いように思われる。]

 

 然るにその後またベルギー國のスパイといふ處から前のと略同樣な頭骨が掘り出され、尚後に至つてクロアチヤ州から之に似た頭骨が八個發見せられ、尚その他にも處々から一つ二つづゝ同樣な古代の人間の骨骼が掘り出された。その中で、先年ドイツハイデルベルヒの附近から發見せられた下顎骨、一昨年英國サセックス州のピルトダウンで掘り出された頭骨・下顎骨などは時代の稍古いために最も有名である。尚十年程前にドイツ領東アフリカで、人間の化石が一個新に發見せられたが、之に關する詳しい報告の出ない中に、戰爭が始まつたから、この人間が如何なる性質のものであるかはまだ確には知ることが出來ぬ。これらを比較して調べて見ると、些細な點では皆違つて居るが、肝要な處はネアンデルタールの頭骨と餘程似たもので、孰れも今日の人間の頭骨とは違ひ、猿の頭に似た點が著しく目に立つた。かやうに遠く相離れた國々から幾つも出て來る所から考へると、決して畸形者の頭骨であるとは思はれぬ。且その時代の地層から發見せられた人間の頭骨が皆かやうなものであるのを見れば、之は確にその頃生活して居た人間の普通の性質を示して居るものと見倣さねばならぬが、斯かる頭骨を具へて居つた以上は、その頃の人間は今日の人間とは餘程違つたもので、頭が小く、眉は突出し、顎も大に[やぶちゃん注:「おほいに」。]發達して、全體の容貌が頗る猿に類して居たに違ない[やぶちゃん注:「ちがひない」。]。生活の有樣がどうであつたかは素より今日からは確に論ぜられぬが、之も今日の人間とは著しく違つて居たらうといふだけは察することが出來る。

[やぶちゃん注:「ベルギー國のスパイといふ處から前のと略〻同樣な頭骨が掘り出され」Spyここ(グーグル・マップ・データ)。ネアンデル谷の発見から三十年後の一八八六年。

「クロアチヤ州」一八九九年当時のオーストリア=ハンガリー帝国(現在のクロアチア共和国)のクラピナ(Krapinaここ(グーグル・マップ・データ))の丘の上から、多数の骨断片(最低で十二人分、数十体ともされる)ネアンデルタール人の骨が発見された。

「先年ドイツ國ハイデルベルヒの附近から發見せられた下顎骨」所謂、ハイデルベルク人(ヒト属ホモ・ハイデルベルゲンシスHomo heidelbergensis:命名は一九〇八年)。一九〇七年にドイツのハイデルベルク近郊のマウアー村(Mauer)で発見された(ここ(グーグル・マップ・データ))。同種と思われる(或いは亜種)の化石はその後、南アフリカ・東アフリカでも発見された。ウィキの「ホモ・ハイデルベルゲンシス」によれば、『ネアンデルタール人と比べても、眼窩上隆起が非常に大きく、前脳部は小さい。このことからネアンデルタール人よりは原始的な種と見なされる』。『下顎骨は非常に大きく頑丈であるが、歯は小型で現生人類よりやや大きい程度で、同時代と思われる北京原人より小さい。そのため』、『この人類は、原人であるのか、原初的な旧人であるのかが議論されたが、巨大な下顎骨の形質や伴出した動物化石との比較などから、時代的に見て原人であろうと考えるのが一般的である』。但し、『現生人類へと繋がる系統とネアンデルタール人との分岐直前』(四十七万~六十六万年前)の時期』或いは『分岐後のホモ・サピエンスへと続く系統側で、ホモ・サピエンスに進化する前段階には旧人段階の「ホモ・ヘルメイ」にまで進化していたことも考えられる』とある。

「一昨年英國サセックス州のピルトダウンで掘り出された頭骨・下顎骨」一九〇九年から一九〇九年にかけて、弁護士でアマチュア考古学者のイギリス人チャールズ・ドーソン(Charles Dawson)によって「発見」された頭頂骨と側頭骨。この当時は類人猿と現生人類のミッシング・リンクを埋める存在として大いに期待されたが、実はオランウータンの下顎骨を素材に巧妙な加工を施した完全な捏造品であった。捏造と断定されたのはずっと後の一九五三年のことであった(本書は大正一四(一九二五)年刊(「一昨年」は書き換え損ない)。というより、丘先生は昭和一九(一九四四)年に亡くなっている)。

「尚十年程前にドイツ領東アフリカで、人間の化石が一個新に發見せられたが、之に關する詳しい報告の出ない中に、戰爭が始まつたから、この人間が如何なる性質のものであるかはまだ確には知ることが出來ぬ」「ドイツ領東アフリカ」は現在のブルンジ・ルワンダ・タンガニーカ(タンザニアの大陸部)の三地域を合わせた、アフリカ西岸ドイツ帝国の植民地。恐らくは、現在のタンザニア北部の「ンゴロンゴロ保護区」にある谷幅数百メートル・崖高凡そ百メートル・全長四十キロメートルにも及ぶ広大なオルドヴァイ(Olduvai)渓谷のことであろう(ここ(グーグル・マップ・データ))。ここからは多くの化石人骨や石器が見つかっているウィキの「オルドヴァイ」にある一九一三年に『ドイツのハンス・レック教授』(Hans Reck 一八八六年~一九三七年:地質学者)『が、現在ではオルドヴァイ人と呼ばれている化石人骨を発見した』というのが丘先生の言うそれであろう(但し、この「オルドヴァイ人」についての記載は不思議なことに殆んど見当たらない。欧文ウィキを見ると、彼はごく古い現生人類の化石と主張したものの、批判された経緯が記されている)。その後、一九五九年には、『イギリスの人類学者ルイス・リーキーとメリー・リーキー』『博士夫妻がアウストラロピテクス・ボイセイ』(パラントロプス属Paranthropus boisei:本種はヒト亜族アウストラロピテクス属Australopithecus に含める説がある)『の化石人骨(完全な頭骨)と最も原始的な石器を世界で初めて同一地点の同一文化層から発見』、『注目を集め』、さらに、その五年後の一九六四年には『同じくルイス・リーキーによってホモ・ハビリス』(ヒト属ホモ・ハビリスHomo habilis)『の化石が発見され、人類進化の研究にとって最重要の遺跡の一つとなった』とあり、化石人類のメッカとも言うべき場所である。『また、多くの石器も発見されており、礫石器を主体としたこの石器文化はオルドヴァイ文化と呼ばれ、約』百八十『万年前までさかのぼるアフリカ最古級の旧石器文化であると考えられている』とある。]

 

 近來最も評判の高い化石は、丁度二十七年前にオランダヂュボアといふ博物學者がジャヴァトリニルで掘り出したものである。そこの第三紀の地層を研究して居る中に、一個の頭骨と脚の骨とを發見したが、その形狀を調べて見ると、丁度人間と猿との中間に位するもので、人間ともいへず、猿ともいへぬから、據なく[やぶちゃん注:「よんどころなく」。]「猿人」といふ意味の新しい屬名を造り、脚の骨から考へると確に直立して步行したらしいからとて、「直立する」といふ種名を附け、この化石に「直立した猿人」といふ學名を與へた。かやうな性質を具へた化石であるから、忽ち學者間に非常な評判となり、その後の萬國動物學會にヂュボアが實物を持ち出して、大勢の批評を求めた所が、之を最も人間に似た猿であらうといふた人が二三人、最も猿に似た人間であらうといふた人が二三人あつた外、その他の人は皆之を人間と猿類との中間に位する種屬の化石であると認めた。斯くの如くそのいうたことには多少の相違はあつたが、畢竟たゞ、他の猿類と人間との境界を便宜上どこに定めようかといふ點に就いて、人々の考が違つただけで、この化石が今日の人間と今日の猿類との中間に位するといふことに就いては、誰も異存はなかつたのである。尤もこの化石を直に人間と猩々との共同の先祖の化石と見倣すことは出來ぬが、兎に角共同の先祖に最も近いものであることだけは、少しも疑がない。

[やぶちゃん注:「丁度二十七年前にオランダのヂュボアといふ博物學者がジャヴァのトリニルで掘り出したものである。そこの第三紀の地層を研究して居る中に、一個の頭骨と脚の骨とを發見した」オランダの解剖学者・人類学者であったマリー・ウジェーヌ・フランシス・トーマス・デュボワ(Marie Eugène François Thomas Dubois 一八五八年~一九四〇年)が一八九一年(本書は大正一四(一九二五)年刊だから「丁度二十七年前」は書き換え損ない)にオランダ領であったインドネシアジャワ島トリニール(Trinil(グーグル・マップ・データ))で発見した化石人類。嘗ては Pithecanthropus erectus(ピテカントロプス・エレクトス)の学名で呼ばれていたが、現在はヒト属に分類され、Homo erectus(ホモ・エレクトス)の亜種 Homo erectus erectus(ホモ・エレクトス・エレクトス)とする。百七十万~百八十万年前頃の棲息と推定される。なお、現在の知見では本種は現生人類の直接の祖先ではないとする意見が支配的である。「第三紀」新生代第三紀は六千四百三十万年前から二百六十万年前までであるから、ここは第四紀(二百五十八万八千年前から現在まで)でないとおかしい。]

 

 また猿類の化石は如何といふに、全體猿類の化石といふものは、人間の化石と同じく、餘り多くは發見せられてないが、その中或るものは確に今日の普通の猿よりは、尚一層人間に似て居る處がある。之は人間と猿類との共同の先祖から遠ざかることがまだ僅であるから、共同の先祖に尚甚だ似て居るので、斯く人間に似た如くに見えるのであらう。

 斯くの如く、人間が猿類と共同な先祖から起つたといふことは、決して單に推理上の結論のみではない。地層の中から出た化石を調べても、確にその證據のあることで、今日では最早疑ふことの出來ぬ事實である。陸上動物の化石の甚だ少いこと、特に人間・猿類の化石の極めて稀であることを考へれば、人間の進化の徑路を示すべき化石の完全に揃つて居ぬことは當然のことで、今まで發見になつた化石が一も進化論の豫期する所と矛盾せぬことだけでも、既にこの論の正しいといふ最も有力な證據と見倣さねばならぬ。

 

進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(五) 六 血淸試驗上の證據

 

     六 血淸試驗上の證據

 

 血液は無色透明な血漿と、その中に浮べる無數の血球とから成り立つたものであるが、人間或はその他の獸類から新鮮な血液を取つて、コップにでも入れて、暫時据ゑて置くと、直に膠の如くに凝固する。尚捨て置くとその表面に少し黃色を帶びた透明な水の如きものが滲み出るが、之が卽ち血淸である。初の赤い塊は漸々收縮し、血淸は漸々增して、終には血淸が赤塊を全く浸すやうになつてしまふ。

 さて人間の血液から取つた血淸を、兎などに注射するに、少量なれば兎は之に堪へる。二三日後に再び注射を行ひ、また二三目を經て注射を行ひ、六囘乃至十囘位も斯く注射をした後に、その兎を殺してその新鮮な血液から血淸を取ると、この血淸は普通の兎の血から取つた血淸とは大いに性質が違ふ。ここに述べた如くに特別に造つた血淸を便利のため人兎血淸と名づけるが、之を人間の血から取つた血淸の溶液に混ずると、忽ち劇しい沈澱が出來て濁る。普通の兎の血淸では、このやうなことは決してない。

 馬の血淸を數囘注射した兎の血から、馬兎血淸を取り、牛の血淸を數囘注射した兎から、牛兎血淸を造るといふやうにして、種々の動物の血淸を製し、また種々の動物の血液から單にその血淸を製し、これらの血淸を種々に相混じて、試驗して見ると、馬兎血淸は馬の血淸とでなければ沈澱を生ぜず、牛兎血淸は牛の血淸とでなければ沈澱を生ぜぬこと、全く人兎血淸は人の血淸と混じなければ沈澱を生ぜぬのと同樣である。卽ち甲の動物の血淸を乙の動物に數囘注射した後に、乙の動物から取つた血淸は、たゞ甲の動物種類の血淸と相合[やぶちゃん注:「あひがつ」。]しなければ沈澱を生ぜぬといふ性質を有するのである。

 馬兎血淸は馬以外の動物の血淸と合しては、少しも沈澱が出來ぬが、之には幾らかの例外がある。例へば驢馬の血淸と混ずれば、忽ち沈澱が出來る。驢馬兎血淸を馬の血淸と混じても同樣である。但し馬兎血淸と馬の血淸とを混じ、驢馬兎血淸と驢馬の血淸とを混じたときに比すれば、聊か沈澱の量が少い。豚兎血淸を野猪の血淸に混じても同じく沈澱が出來る。犬兎血淸を狼の血淸に混じてもその通りである。かやうに互に混じて著しい沈澱の出來る動物は、如何なるものかと見ると、孰れも極めて互に相類似し、その間には子[やぶちゃん注:別版や講談社学術文庫では「間(あひ)の子」。]の出來る位のものばかりで、少しでも緣の遠い動物になると、少しもかやうなことはない。

 以上は甚だ面白い現象故、特に之を研究した學者は既に幾人もあるが、その中の一人は動物の血淸を五百種も造り、猿類の血淸だけでも殆ど五十種ばかりも用意して、人兎血淸と混ぜた結果を調べたが、猿類以外の動物と混じては、少しも沈澱は出來ず、また猿類の中でも普通の猿類では或は單に極めて少量の沈澱が生ずるか、或は全く沈澱を生ぜぬが、人猿類の猩々などの血淸に混ずると忽ち著しい沈澱が出來る。この反應から考へて見ると、人間と猩々との類似の度は恰も馬と驢馬と、豚と野猪と、犬と狼と等が相類似する度と同じで、まだ實驗はないが、その間には確に間の子が出來得る位に相近いものである。語を換へれば、人間と猩々とが共同の先祖から相分かれたのは比較的餘程近い頃で、兩方の體質の間にまだ著しい相違が起るまでに至らぬのである。

 先年のドイツ國出版の人種學雜誌に、ストラオホといふ人の猩々兎血淸に關する研究の結果が載せてあつたが、やはり前と同樣である。或る動物園に飼ふてあつた牝の猩々が病死したので、直にその血液を取うて血淸を製し、之を數囘兎に注射して、後にその兎の血液から、猩々兎血淸を取り、種々の動物の血淸に混じて試驗して見た所が、その結果は人兎血淸と殆ど同樣で、人間の血淸に混ずると忽ち著しい沈澱が出來た。たゞ人兎血淸と違ふたのは、他の猿類の血淸に混じても、相應に沈澱が出來たとのことである。他の動物の血淸試驗の結果に照らせば、この事は人と猩々との極めて相近いものであることの證據で、人兎血淸を猩々の血淸に混じても、猩々兎血淸を人間の血淸に混ぜても、必ず沈澱が生じ、他の動物の血淸と混じては沈澱が出來ぬのは、卽ち全動物界中に猩々ほど人に緣の近いものはなく、また人ほど猩々に緣の近いものはないからである。今日の血淸試驗に關する知識を以ては、殆ど試驗管内の反應によつて動物種屬の親類緣の濃淡を目前に示すことが出來るというて宜しい。

[やぶちゃん注:ここに書かれた血清交差実験に始まる系統研究は現在、遺伝子やDNAレベルでの分子系統学によってより精密に分析が行われている。颯田葉子論文霊長類の系統関係と祖先集団の多型(同じ颯田氏のヒト・チンパンジー ・ゴリラの系統関係も有り)斎藤成也論文霊長類のゲノム解読と分子系統(孰れもPDF)等、幾つかの新知見の論文をネット上でも見ることが出来る。

「ストラオホ」不詳。]

進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(四) 五 人は猿類に屬すること

 

     五 人は猿類に屬すること

 

 人間は獸類中の有胎盤類に屬することは前にも述べたが、胎盤の形にも種々あつて、人間・猿類などのは蓮の葉の如き圓盤狀であるが、牛・馬では胎盤は帶狀をなして胎兒を取り卷いて居る。また牛・馬の類では胎兒を包む膜と母の子官の壁との結び付き具合が簡單であるから、子官の内面の一部が胎盤の方へ著いて、一緒に出て來ることはない。さて人間は有胎盤類の中で、何の部に屬するかといふに、無論猿類である。猿類の特徴は、齒は門齒・犬齒・臼齒ともに具はつてあること、四肢ともに五本の指を有して、指の先端には扁平なる爪のあること、眼球のある處と顳顬筋[やぶちゃん注:「こめかみすぢ」。]のある處との間には、完全な骨の壁があつて、少しも連絡なきこと、眼は前面へ向ふこと、乳房は胸に一對よりないこと、胎盤の圓盤狀であることなどであるが、この中で人間に適せぬものは一もない。次に人間は猿類中の如何なる組に屬するかといふに、猿類には三つの亞目があつて、第一は左右の鼻の孔の間の距離が少く、上下兩顎ともに門齒が四本、犬齒が二本、臼齒が十本ある狹鼻類、第二は左右の鼻の孔が遠く相隔たつて各側面へ向いて居て、上下兩顎ともに門齒四本、犬齒二本と臼齒十二本とを有する扁鼻類、第三は四肢とも猫の如くに曲つた爪を具へた熊猿[やぶちゃん注:「くまさる」。]類であるが、人間は明に第一の狹鼻類に屬する。狹鼻類は猩々・日本猿を始め總べて東半球に産する猿類を含むもので、扁鼻類と熊猿類とは全く南アメリカの産ばかりであるが、その間には著しい相違がある。齒の形・數・列び方などは、獸類を分類する場合には最も大切なものであるが、人間はこの點に於て猩々・日本猿などと一致し、扁鼻類・熊猿類とは明に異なつて居るから、人間と猿類とを合せて置いて、之を分類するには先づ猩猩・日本猿・人間など一組として一亞目とし、他の亞目と區別せねばならぬ。またこの狹鼻類に屬する猿類と人間とだけを竝べて置いて、更に之を分類すれば、尾もなく、頰の囊もなく、尻胝(しりだこ)もない人猿類と、これらを有する尾長猿類[やぶちゃん注:オナガザル上科 Cercopithecoidea のオナガザル類。旧世界猿の主群。]との二部になるが、日本猿・尾長猿・狒々[やぶちゃん注:「ひひ」。霊長目直鼻猿亜目高等猿下目狭鼻小目オナガザル科オナガザル亜科ヒヒ属 Papio。]の如きは後者に屬し、猩々[やぶちゃん注:「しやうじやう(しょうじょう)」。霊長目ヒト科オランウータン属 Pongo。]・黑猩々[やぶちゃん注:「くろしやうじやう」。ヒト科チンパンジー属チンパンジーPan troglodytes]・人間などだけが前者の中に含まれることになる。されば生物學上から論ずれば、猩々と人間との相違は、猩々と日本猿または猩々との間の相違に比すれば遙に少く、日本猿と人間との間の相違は日本猿とアメリカ猿[やぶちゃん注:丘先生の言う南アメリカ産の「扁鼻類」「熊猿類」。後注参照。]との間の相違に比すれば、尚著しく少い。文明國の高等な人間と猩々と猿とを比べて見ると、ここに述べたことは眞でないやうな感じも起るが、身體の構造からいへば、全くこの通りで、若し最下等の野蠻人を人間の模範に取つたならば、この事は初めから疑も起らぬ。南洋の野蠻國に傳道に行つた宣教師の書いたものにも、文明人とそこの土人と猿とを竝べて分類する場合には、土人と猿とを一組とし、文明人を別に離さざるを得ぬなどと載せてあるが、かやうな野蠻人から最高の文明人までの間には、無數の階段があつて、何處にも判然たる境はないから、人間全體に就いて述べるときには、文明人のみを例に取ることは出來ぬ。

[やぶちゃん注:本章には実は「黑人と猩々」とキャプションした、左右二人の黒人の少年の間にオランウータンのいる絵が載るが、私にはこれは非常に厭な挿絵であり(講談社学術文庫にも載るが、今まで幾つもの挿絵を割愛してきた同書が、何故、これを入れたのか甚だ不審である)、ここは特異的に挿絵を載せないこととする。丘先生の意図は見た目の類似性を以って文明人を区別して認識する誤りを寧ろ示唆するものなのであろうが、これでは挿絵だけが独り歩きをして差別的印象を与えるからである)。その代り、底本の国立国会図書館デジタルコレクションのその挿絵のある当該ページの画像をリンクさせておくに留める。

「人間は猿類中の如何なる組に屬するかといふに、猿類には三つの亞目があつて、第一は左右の鼻の孔の間の距離が少く、上下兩顎ともに門齒が四本、犬齒が二本、臼齒が十本ある狹鼻類、第二は左右の鼻の孔が遠く相隔たつて各〻側面へ向いて居て、上下兩顎ともに門齒四本、犬齒二本と臼齒十二本とを有する扁鼻類、第三は四肢とも猫の如くに曲つた爪を具へた熊猿類である」現行ではヒトは、

真核生物ドメイン Eukaryota 動物界 Animalia真正後生動物亜界 Eumetazoa 新口動物上門 Deuterostomia 脊索動物門 Chordata 脊椎動物亜門 Vertebrata 四肢動物上綱 Tetrapoda 哺乳綱 Mammalia 真獣下綱 Eutheria 真主齧上目 Euarchontoglires 真主獣大目 Euarchonta 霊長目 Primate 直鼻猿亜目 Haplorrhini 狭鼻下目 Catarrhini ヒト上科 Hominoidea ヒト科 Hominidae ヒト亜科 Homininae ヒト族 Hominini ヒト亜族 Hominina ヒト属 Homo ヒト Homo sapiens Linnaeus, 1758

分類学上の位置である。丘先生は「猿類」を、狹鼻類・扁鼻類・熊猿類に分けておられるが、これらの内の「扁鼻類」「熊猿類」というのは、現在では全く使われていない分類系用語である。「扁鼻類」は現在の広鼻小目 Platyrrhini でよかろうが、「熊猿類」は困った。しかし、「四肢とも猫の如くに曲つた爪を具へた」とあるところから、これは現在の哺乳綱異節上目有毛目ナマケモノ亜目 Folivora ナマケモノ類のことではないだろうか? この時代、怠け者がサルの仲間と思われていた(思われてもやや納得は出来るし、実際にサルの仲間だと思っている人も優位にいるようだ)のだろうかという不審が起こるが、そうでもしないと、ここでの疑問を解消出来ないのである。なお、ウィキの「サルによれば、『以前は主に脳が小型で嗅覚が発達し鼻面の長いキツネザル類・ロリス類・メガネザル類を原猿亜目Prosimii、それ以外の主に脳が大型で視覚が発達し』、『鼻面の短い分類群を真猿亜目Anthropoideaとしてまとめていた』が、『研究の進展により、メガネザルがいわゆる原猿類の他のグループよりも真猿類により近いことが判明した。このことから、現在ではキツネザル類・ロリス類をまとめて「曲鼻猿類(曲鼻猿亜目、曲鼻類、曲鼻亜目)」、メガネザル類を含むその他の霊長類を「直鼻猿類(直鼻猿亜目、直鼻類、直鼻亜目)」と呼び、正式な分類体系では、「原猿類」という名称は用いなくなっている』とある。]

 

 生物界現象の一大歸納的結論である進化論を、人間に當て嵌めて演繹的に論ずれば、人間と猩々とが共同の先祖から二つに分かれたのは、人猿類が尾長猿類から分離したときよりは遙かに後のことで、人猿類と尾長猿類とが分かれたのは、狹鼻類が扁鼻類と相分かれたときよりは、また餘程後のことであると考へねばならぬ。この進化の往路を時の順序に從つていひ換へれば、昔獸類の總先祖が陸上に蔓延り、この子孫が漸々幾組にも分れ、その中の一組は四肢ともに物を握る性を得て森林等の中に住み、果實・小鳥などを食つて生活し、子孫が益緊殖して各地に擴がり、後[やぶちゃん注:「のち」。]交通の路が絶えたためにアメリカに住するものは扁鼻類・熊猿類、東半球に住するものは狹鼻類となつて、三亞目に分れ、東半球に住するものはまた住處・習性等の相違によつて、漸々人猿類と尾長猿類とに分れ、人猿類の先祖から降つた子孫の中、一部は森林の中に住し、前後の肢を以て枝を握つて運動し、終に猩々・黑握々の類として今日まで生存し、他の一部は平原の方へ出で、後足だけで直立して走り廻り、前足は運動には用ゐず、他の働きに用ゐ、前後の足の間に分業が行はれた結果、後足は益走行に適するやうになり、前足は益他の精密な仕事に適するやうになり、そのため經驗も增し、且前から多少あつた言語の基が盛に發達して、眞の言語となり、終に人間となつて、今日地球上到る處に棲息して居るのであらう。

[やぶちゃん注:「人間と猩々とが共同の先祖から二つに分かれたのは、人猿類が尾長猿類から分離したときよりは遙かに後のことで、人猿類と尾長猿類とが分かれたのは、狹鼻類が扁鼻類と相分かれたときよりは、また餘程後のことである」ヒト亜科とオランウータン亜科(「猩々」)の分岐は約千四百万年前と推定されており、狭鼻下目であるそのヒト上科がオナガザル上科から分岐したのは、二千八百万年から二千四百万年前頃、さらにその前段の霊長類真猿下目の狭鼻下目(旧世界ザル)と広鼻下目(新世界ザル)とが分岐したのは三千~四千万年前と言われている。また、ウィキの「ホモサピエンスによれば、『人類が共通の祖先を持つとする仮説は』一八七一年に『チャールズ・ダーウィンが著した』The Descent of Man, and Selection in Relation to Sex(「人間の由来と性に関連した選択」)の『中で発表された。この説は』、『古い標本に基づいた自然人類学上の証拠と』、『近年のミトコンドリアDNAの研究の進展により』、一九八〇年代『以降に立証された。遺伝的な証拠や化石の証拠によると、非現生人類のホモ・サピエンスは』二十万年前から十万年前に『かけて』、『おもにアフリカで現生人類へ進化したのち』、六『万年前にアフリカを離れ』、『長い歳月を経て』、『世界各地へ広がり、先住のネアンデルタール人やホモ・エレクトスなどの初期人類集団との交代劇を繰り広げた』とある。]

 

 されば、現今生きて居る一種の猿が進化して人間になつたのでは無論ないが、人間と猿とが共同の先祖から分れ降つたといふことは、最早今日は學問上既に確定した事實と見倣して宜しい。而して猿類の中でも猩々・黑猩々などとは比較的近い頃になつて漸く分かれたことも確である。これらのことに就いては、解剖學・發生學・生理學上の證據の外に、尚後に述べるやうな爭はれぬ證據もあつて、如何に疑はうと思つても、理窟上からは到底疑ふことは出來ぬ。

[やぶちゃん注:ヒト族からチンパンジー亜族(「黑猩々」)とヒト亜族とが分岐したのは約七百万年前と推定されている。]

 

 人間は猿類の一種であつて、他の猿等と共同な先祖から降つたといふ考が初めて發表せられたときには、世聞から非常な攻擊を被つた。今日ではこの事は最早確定した事實であるが、尚之を疑つて攻擊する人々が決して少くない。倂しかやうに攻擊の劇しい理由を探ると、決して理會力から起るのではなく、皆感情に基づくやうである。獸類は自分と甚だ似たものであるに拘らず、特に畜生と名づけて常に之を卑み、他人に向つて、獸とか犬・猫とか畜生とかいふのは非常な惡口であると心得て居る所へ、人間は猿類と共同な先祖から降つたといひ聞かされたのであるから、自分の價値を甚だしく下げられた如くに感じ、折角、今まで萬物の靈であつたのを、急に畜生と同等な段まで引き落さうとは、實にけしからぬ説であるとの情[やぶちゃん注:「じやう」。]が基礎となつて、種々の方面から攻擊が起つたのに過ぎぬ。我が先祖は藤原の朝臣某であるとか、我が兄の妻は從何位侯爵某の落胤であるとかいうて、自慢したいのが普通の人情であることを思へば、先祖は獸類で、親類は猿であると聞いて、喜ばぬのも無理ではないが、善く考へて見るに、下等の獸類から起りながら、今日の文明開化の度までに進んだと思へば、尚この後も益進步すべき望があるから、極めて嬉しく感ずべき筈である。若し之に反して完全無缺の神とでもいふべきものから降つた人間が、新聞紙の三面記事に每目無限の材料を供給するやうになつたと考へたならば、この先何處まで墮落するか解らぬとの感じが起つて、甚だ心細くなるわけである。それ故、聊でも理窟を考へる人であれば、感情の點からいふても進化論を嫌ふべき理由は少しもない。

進化論講話 丘淺次郎 第十九章 自然に於ける人類の位置(三) 四 人は獸類の一種であること

 

     四 人は獸類の一種であること

 

 前の節に述べた通り、人間といふものは、身體の構造・發生等を調べても、精神的動作の方面から論じても、犬・猫の如き普通の獸類と比較して根本的の相違は少しもない。知力・言語だけは著しく進んで居るが、之も單に程度の相違に過ぎぬ。されば犬・猫等を動物界に編入して置く以上は、人間だけを動物界以外に離す理由は少しもない。このことは改めていふまでもないことで、動物學の書物を開いて見れば、必ず人間も動物の一種と見倣して、その中に掲げてあるが、世間にはまだ人間だけを動物界以外の特別のものの如くに考へて居る人も、甚だ多いやうであるから、動物界の中で人間は如何なる部に屬するかを、少し詳細に述べて置く必要がある。

 動物界を大別して、先づ若干の門に分つことは前にもいうたが、その中[やぶちゃん注:「うち」。]脊椎動物門といふのは、身體の中軸に脊椎を具へた動物を總べて含むもので、獸類・鳥類・蛇・蛙から、魚類一切まで皆之に屬する。人間も解剖して見れば、犬・猫とも大同小異で、猿類とは極めて善く似て居るもの故、無論この門の中に編入せなければならぬ。動物界には人間の屬する脊椎動物門の外に、尚七個或は八個の門があるが、これらの門に屬する動物は、人間とは身體の構造が著しく違つて、部分の比較をすることも出來ぬ。昔は動物學者の中にも人間は最も完全な動物である。他の動物は總べて人間の性質をたゞ不完全に具へて居るなどと唱へた人もあつたが、之は素より誤で、生物進化の樹枝狀をなした系圖に照せば、動物の各門は皆幹の根基(ねもと)に近い處から分かれた大枝に當るもの故、門が異なれば進化の方向が全く違つて、決して優劣の比較の出來るものでない。脊椎動物である人間と軟體動物である章魚[やぶちゃん注:「たこ」。]とを比較するのは、恰も弓の名人と油畫の名人との優劣を論ずるやうなもので、雙方全く別な方面に發達して居るのであるから、甲乙の定めやうがない。動物界で人間と多少比較の出來るのは脊椎動物だけで、その他は極めて緣の遠いものばかりであるが、何十萬種もある動物の中で、脊椎動物は僅に三萬にも足らぬ位であるから、種類の數から言へば甚だ少數である。倂し大形の動物は概してこの中にあるから、通常人の知つて居るのは、多くは脊椎動物で、禽獸蟲魚といふ中の禽・獸・魚の全部と蟲の一部とは總べてこの門に屬する。されば今日動物學上知れてある何十萬種の中、大部分は人間とは關係の薄いもので、たゞ脊椎を有する動物だけが人間と同一な大枝から降り、尚その中の或る種類は特に人間と密接した位置を占めて居るわけである。

[やぶちゃん注:「動物界には人間の屬する脊椎動物門の外に、尚七個或は八個の門がある」現行では、ウィキの「動物等によれば、

海綿動物門(約7000種)

平板動物門(平板動物綱平板動物目平板動物科トリコプラックス Trichoplax 属センモウヒラムシ Trichoplax adhaerens 1種のみ。海産。一八八三年発見。12mm ほどのアメーバ状の細胞の塊りで、消化管もない)

刺胞動物門(約7620種)

有櫛動物門(約143種)

直泳動物門(25種:海産の寄生性多細胞動物。0.10.8mm程で円柱状)

二胚動物(菱形動物)門(約110種)

扁形動物門(約20000種)

顎口動物門(約100種:一九五六年発見。海・汽水産で砂中に棲息。体長0.23.5mmで円筒状)

輪形動物門(約3000種)

鉤頭(こうとう)動物門(約1100種:寄生性)

微顎動物門(微顎綱リムノグナシア目リムノグナシア科リムノグナシア属リムノグナシアLimnognathia maerski 1種のみ。一九九四年発見。湧水に棲息し、0.1mm程度。知られている最小の動物の一つ)

腹毛動物門(約450種)

外肛動物門(約4500種)

箒虫動物門(約20種)

腕足動物門(約350種)

紐形動物門(約1200種)

軟体動物門(約93,195種)

星口動物門(約320種)

環形動物門(約16,650種)

内肛動物門(約150種)

有輪動物門(3種以上:一九九五年発見。真有輪綱シンビオン目シンビオン科シンビオン属 Symbion。エビ類に付着寄生)

線形動物門(約15,000種)

類線形動物門(約320種)

動吻動物門(約150種)

胴甲動物門(約23種)

鰓曳動物門(約16種)

緩歩動物門(約800種)

有爪動物門(約160種)

節足動物門(約110万種)

毛顎動物門(約130種)

無腸動物門(約130種)

棘皮動物門(約7000種)

半索動物門(約90種)

脊索動物門(約51,416種)

以上で実に三十四門を数え、分子系統解析によってさらに修正・細分化される可能性が高い

「通常人の知つて居るのは、多くは脊椎動物で、禽獸蟲魚といふ中の禽・獸・魚の全部と蟲の一部とは總べてこの門に屬する」不審に思った方もいるであろうから、注しておくと。この「蟲の一部」の「蟲」は古典的博物学上での広義のそれであって、「昆虫」の意ではない。具体的には両生類・爬虫類、及び、丘先生ならば、脊索動物門 Chordata の原索動物亜門 Urochordata の、頭索動物亜門ナメクジウオ綱ナメクジウオBranchiostoma belcheri などと、尾索動物亜門ホヤ綱ホヤ綱 Ascidiacea のホヤ類なども含んで考えておられるものと思われる。

 

 脊椎動物を、哺乳類・鳥類・爬蟲類・兩棲類・魚類の五綱に別けるが、人間は溫血・胎生で皮膚に毛が生じてあるから、明にその中の哺乳類に屬する。また哺乳類を分けて胎盤の出來る高等の類と、胎盤の出來ない下等の類とにするが、人間はその中の有胎盤類に屬する。胎盤といふのは胎兒を包む膜と母の子宮の壁とが合して出來たもので、母の血液から胎兒の方へ酸素と滋養分とを送る道具であるが、人間の子が産まれた後に臍の緒の先に附いて出て來る蓮の葉の如き形のものが、卽ちこれである。人間と犬・猫との身體構造上極めて相似て居る點は前に述べたが、動物學上哺乳類の特徴と見倣す點で人間に缺けて居るものは一つもない。それ故、人間の哺乳類であることは確であつて、哺乳類である以上は犬・猫等の如き獸類と共同な先祖から分かれ降つたといふこともまた疑ふことは出來ぬ。

[やぶちゃん注:「脊椎動物を、哺乳類・鳥類・爬蟲類・兩棲類・魚類の五綱に別ける」現行、現生の脊椎動物は、

無顎動物亜門(無顎上綱頭甲綱ヤツメウナギ目 Petromyzontiformes のヤツメウナギ類と無顎上綱ヌタウナギ綱ヌタウナギ目ヌタウナギ科 Myxinidae のヌタウナギ類のみ)

魚類亜門

四足動物亜門

に分かれ、魚類亜門は、

軟骨魚綱

硬骨魚綱

に、四足動物亜門は、

両生綱

爬虫綱

哺乳綱

鳥綱

に分かれるから、都合、現在は八綱となる。]

 

 生物學の進んだ結果として、人間が獸類の一種であることを明に知るに至つた有樣は、天文學の進んだ結果として、地球が太陽系統に屬する一の惑星であることを知るに至つたのと極めて善く似て居る。天文學の進まぬ間は、僅に十萬里[やぶちゃん注:三十九万二千七百二十六メートル。地球と月との距離は三十八万四千四百キロメートル。]と隔たらぬ月も、三千七百萬里[やぶちゃん注:一億四千五百三十万八千六百二十キロメートル。地球と太陽との距離は一億四千九百六十万キロメートル。]の距離にある太陽も、また太陽に比して何干萬倍もの距離にある星でも、總べて一所に合せて、その在る處を天と名づけ、之を地と對立せしめ、我が住む地球の動くことは知らずに、日月星辰が廻轉するものと心得て居たが、段々天文學が開けて來るに隨ひ、月は地球の周圍を廻り、地球はまた他の惑星とともに太陽の周圍を廻つて居るもので、天に見える無數の星は、殆ど皆太陽と同じやうな性質のものであることが解り、宇宙に於ける地球の位置が多少明に知れるに至つた。地動説が初めて出た頃には、耶蘇教徒の騷ぎは大變なことで、何とかしてかやうな異端の説の弘まらぬやうにと、出來るだけの手段を盡して、そのため人を殺したことも何人か算へられぬ。倂し眞理を永久壓伏することは到底出來ず、今日では小學校に通ふ子供でも、地球が太陽の周圍を廻ることを知るやうになつた。

[やぶちゃん注:コペルニクスが地動説を唱えたのは一五四三年(本格的に地動説の着想を得たのは一五〇八年から一五一〇年頃と推定されており、一五二九年頃から論考を纏め始めている。但し、その時点では発表する意思はなかったとウィキの「ニコラウス・コペルニクスにはある)、天動説では周転円により説明され、ガリレオに対する異端審問は一六一六年と一六三〇年、ローマ教皇庁並びにカトリックが正式に天動説を放棄して地動説を承認したのは一九九二年。

 自然界に於ける人間の位置に關しても、丁度その通りで、初めは人間を以て一種靈妙な特別のものと考へ、天と地と人とを對等の如くに心得て、之を三才と名づけ、殆ど何の構造もない下等の生物も、人間同樣の構造を具へた猿や猩々も總べて一括して之を地に屬せしめた有樣は、光線が地球まで達するのに一秒半もかゝらぬ月も、八分餘で屆く太陽でも、または何年も何十年もかかる程の距離にある星も、同等に思ふたのと少しも違はぬ。而して生物學の進むに隨つて、先づ人間を動物界に入れて、獸類中の特別な一目と見倣し、次には猿類と同目に編入し、更に進んで人間と東半球の猿類とのみを以て猿類の中に狹鼻類と名づける一亞目を設け、人間は比較的近い頃に猿類の先祖から分かれ降つたものであることを知るに至つて、初めて、自然に於ける人類の位置が明に解つた具合は、また地動説によつて地球の位置が明になつたのと少しも違はぬ。

 凡そ一個の新しい眞理が發見せられる每に、そのため不利益を蒙る位置にある人々が、極力反對するのは當然であるが、たとひ私[やぶちゃん注:「わたくし」。]の心が無くとも、舊い思想に慣れた人は、惰性の結果で之に反對することも多い。ダーウィンが「種の起源」を公にした頃には、宗教家は素より、生物學者の一部からも劇しい攻擊を受けたが、人も猿も犬・猫も共同の先祖から降つたといふ考は、地球の動く動かぬの議論と違ひ、人間に取つて直接の關係のあることで、人類に關する舊思想を基とした學問は、過半はそのため根抵から改めざるを得ぬことになるから、攻擊者の數は頗る多かつた。且進化論は純粹な生物學上の問題で、その根據とする事實は總べて生物學上のもの故、この學の素養のない人には、到底十分に理會も出來ぬため、生物學者間には學問上最早確定した事實と見倣されて居る今日に於ても、進化論はまだ廣く一般に知られるまでには至らぬが、その眞理であることは、地動説と少しも違はぬ故、人智の進むに隨ひ、漸々誰も之を認めるに至るべきことは、今から豫言して置いても間違はない。ガリレイローマ法王の法廷に呼び出され、地動説を取り消しながら、低聲[やぶちゃん注:「ひきごゑ」。]で「それでも動く」というたのが、コベルニクスが天體の運動に就いての論文を公にしてから九十年目であることを思へば、今日既に進化論が學者間だけにでも認められるに至つたのは、甚だ進步が早かつたといふべきであらう。

[やぶちゃん注:「コベルニクスが天體の運動に就いての論文を公にしてから九十年目」ガリレオの二回目の異端審問から溯ること、八十七年前となる。但し、ウィキの「ガリレオガリレイによれば、『有罪が告げられたガリレオは、地球が動くという説を放棄する旨が書かれた異端誓絶文を読み上げた』。『その後につぶやいたとされる “E pur si muove”(それでも地球は動く)という言葉は有名であるが、状況から考えて発言したのは事実でないと考えられ、ガリレオの説を信奉する弟子らが後付けで加えた説が有力である』とある。]

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