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カテゴリー「原民喜」の308件の記事

2023/03/13

――七十二年目の花幻忌に――原民喜「心願の國」(昭和二八(一九五三)年角川書店刊「原民喜作品集」第二巻による《特殊》な正規表現版)

 

[やぶちゃん注:原民喜は昭和二六(一九五一)年三月十三日午後十一時三十一分、国鉄中央線吉祥寺駅―西荻窪駅間の鉄路に身を横たえて自死した。満四十五歳であった。本「心願の國」は彼の死後、二ヶ月後の同年五月号『群像』に初出し、書籍では底本とした以下の角川書店版作品集に初めて収録された。

 国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で正字正仮名版の昭和二八(一九五三)年角川書店刊の「原民喜作品集」第二巻の画像が入手出来たので、当該作を見たところ、本書の「心願の國」はその編纂委員によって、他では見られない驚きのエンディングを示していることが判明した。まず、誰にも想像出来ないものであり、しかもそれは確信犯の仕儀である。人によっては、こうした処理やり過ぎだ、と思うかも知れない。私は、しかし、冷徹な全集・作品集の書誌学的厳格は、当の民喜自身が最も嫌ったものだったのではないかと思う。白玉楼中の人となったダダイスト民喜は、この終りを読んで、悪戯っぽい笑みを浮かべたに違いないと感ずる。されば、これは、大いにあっていいものだ、と私は思うのである。これは、是が非でも、電子化したいと感じた。

 当該部はここから。加工データとして、所持する青土社版「底本 原民喜全集Ⅱ」の「心願の国」本文(新字正仮名)他を加工データとした。

 本文終りの方にある「灝氣」は「かうき(こうき)」と読み、「広々として澄み渡った大気」の意。

 ネタバレにならぬように、ここでは、ここまでにしておく。兎も角も、お読みあれかし。――七十二年目の花幻忌の未明――【二〇二三年三月十三日 藪野直史】]

 

 

 心 願 の 國

 

 

 <一九五一年 武藏野市>

 

 夜あけ近く、僕は寢床のなかで小鳥の啼聲をきいてゐる。あれは今、この部屋の屋根の上で、僕にむかつて啼いてゐるのだ。含み聲の優しい銳い抑揚は美しい豫感にふるへてゐるのだ。小鳥たちは時間のなかでも最も微妙な時間を感じとり、それを無邪氣に合圖しあつてゐるのだらうか。僕は寢床のなかで、くすりと笑ふ。今にも僕はあの小鳥たちの言葉がわかりさうなのだ。さうだ、もう少しで、もう少しで僕にはあれがわかるかもしれない。……僕がこんど小鳥に生れかはつて、小鳥たちの國へ訪ねて行つたとしたら、僕は小鳥たちから、どんな風に迎へられるのだらうか。その時も、僕は幼稚園にはじめて連れて行かれた子供のやうに、隅つこで指を嚙んでゐるのだらうか。それとも、世に拗ねた詩人の憂鬱な眼ざしで、あたりをぢつと見まはさうとするのだらうか。だが、駄目なんだ。そんなことをしようたつて、僕はもう小鳥に生れかはつてゐる。ふと僕は湖水のほとりの森の徑で、今は小鳥になつてゐる僕の親しかつた者たちと大勢出あふ。

 「おや、あなたも……」

 「あ、君もゐたのだね」

 寢床のなかで、何かに魅せられたやうに、僕はこの世ならぬものを考へ耽けつてゐる。僕に親しかつたものは、僕から亡び去ることはあるまい。死が僕を攫つて行く瞬間まで、僕は小鳥のやうに素直に生きてゐたいのだが……。

 

 今でも、僕の存在はこなごなに粉碎され、はてしらぬところへ押流されてゐるのだらうか。僕がこの下宿へ移つてからもう一年になるのだが、人間の孤絕感も僕にとつては殆ど底をついてしまつたのではないか。僕にはもうこの世で、とりすがれる一つかみの藁屑もない。だから、僕には僕の上にさりげなく覆ひかぶさる夜空の星星や、僕とはなれて地上に立つてゐる樹木の姿が、だんだん僕の位置と接近して、やがて僕と入替つてしまひさうなのだ。どんなに僕が今、零落した男であらうと、どんなに僕の核心が冷えきつてゐようと、あの星星や樹木たちは、もつと、はてしらぬものを湛へて、毅然としてゐるではないか。……僕は自分の星を見つけてしまつた。ある夜、吉祥寺驛から下宿までの暗い路上で、ふと頭上の星空を振仰いだとたん、無數の星のなかから、たつた一つだけ僕の眼に沁み、僕にむかつて頷いてゐてくれる星があつたのだ。それはどういふ意味なのだらうか。だが、僕には意味を考へる前に大きな感動が僕の眼を熱くしてしまつたのだ。

 孤絕は空氣のなかに溶け込んでしまつてゐるやうだ。眼のなかに塵が入つて睫毛に淚がたまつてゐたお前……。指にたつた、ささくれを針のさきで、ほぐしてくれた母……。些細な、あまりにも些細な出來事が、誰もゐない時期になつて、ぽつかりと僕のなかに浮上つてくる。……僕はある朝、齒の夢をみてゐた。夢のなかで、死んだお前が現れて來た。

 「どこが痛いの」

と、お前は指さきで無造作に僕の齒をくるりと撫でた。その指の感觸で目がさめ、僕の齒の痛みはとれてゐたのだ。

 

 うとうとと睡りかかつた僕の頭が、一瞬電擊を受けてヂーンと爆發する。がくんと全身が痙攣した後、後は何ごともない靜けさなのだ。僕は眼をみひらいて自分の感覺をしらべてみる。どこにも異狀はなささうなのだ。それだのに、さつき、さきほどはどうして、僕の意志を無視して僕を爆發させたのだらうか。あれはどこから來る。あれはどこから來るのだ? だが、僕にはよくわからない。……僕のこの世でなしとげなかつた無數のものが、僕のなかに鬱積して爆發するのだらうか。それとも、あの原爆の朝の一瞬の記憶が、今になつて僕に飛びかかつてくるのだらうか。僕にはよくわからない。僕は廣島の慘劇のなかでは、精神に何の異狀もなかつたとおもふ。だが、あの時の衝擊が、僕や僕と同じ被害者たちを、いつかは發狂ささうと、つねにどこかから覘つてゐるのであらうか。

 ふと僕はねむれない寢床で、地球を想像する。夜の冷たさはぞくぞくと僕の寢床に侵入してくる。僕の身躰、僕の存在、僕の核心、どうして僕はこんなに冷えきつているのか。僕は僕を生存させてゐる地球に呼びかけてみる。すると地球の姿がぼんやりと僕のなかに浮かぶ。哀れな地球、冷えきつた大地よ。だが、それは僕のまだ知らない何億萬年後の地球らしい。僕の眼の前には再び仄暗い一塊りの別の地球が浮んでくる。その圓球の内側の中核には眞赤な火の塊りがとろとろと渦卷いてゐる。あの鎔鑛爐のなかには何が存在するのだらうか。まだ發見されない物質、まだ發想されたことのない神祕、そんなものが混つてゐるのかもしれない。そして、それらが一齊に地表に噴きだすとき、この世は一たいどうなるのだらうか。人人はみな地下の寶庫を夢みてゐるのだらう、破滅か、救濟か、何とも知れない未來にむかつて……。

 だが、人人の一人一人の心の底に靜かな泉が鳴りひびいて、人間の存在の一つ一つが何ものによつても粉碎されない時が、そんな調和がいつかは地上に訪れてくるのを、僕は隨分昔から夢みてゐたやうな氣がする。

 

 ここは僕のよく通る踏切なのだが、僕はよくここで遮斷機が下りて、しばらく待たされるのだ。電車は西荻窪の方から現れたり、吉祥寺驛の方からやつて來る。電車が近づいて來るにしたがつて、ここの軌道は上下にはつきりと搖れ動いてゐるのだ。しかし、電車はガーツと全速力でここを通り越す。僕はあの速度に何か胸のすくやうな氣持がするのだ。全速力でこの人生を橫切つてゆける人を僕は羨んでゐるのかもしれない。だが、僕の眼には、もつと悄然とこの線路に眼をとめてゐる人たちの姿が浮んでくる。人の世の生活に破れて、あがいてももがいても、もうどうにもならない場に突落されてゐる人の影が、いつもこの線路のほとりを彷徨つてゐるやうにおもへるのだ。だが、さういふことを思ひ耽けりながら、この踏切で立ちどまつてゐる僕は、……僕の影もいつとはなしにこの線路のまはりを彷徨つてゐるのではないか。

 

 僕は日沒前の街道をゆつくり步いてゐたことがある。ふと靑空がふしぎに澄み亙つて、一ところ貝殼のやうな靑い光を放つてゐる部分があつた。僕の眼がわざと、そこを撰んでつかみとつたのだらうか。しかし、僕の眼は、その靑い光がすつきりと立ならぶ落葉樹の上にふりそそいでゐるのを知つた。木木はすらりとした姿勢で、今しづかに何ごとかが行はれてゐるらしかつた。僕の眼が一本のすつきりした木の梢にとまつたとき、大きな褐色の枯葉が枝を離れた。枝を離れた朽葉は幹に添つてまつすぐ滑り墜ちて行つた。そして根元の地面の朽葉の上に重なりあつた。それは殆ど何ものにも喩へやうのない微妙な速度だつた。梢から地面までの距離のなかで、あの一枚の枯葉は恐らくこの地上のすべてを見さだめてゐたにちがひない。……いつごろから僕は、地上の眺めの見をさめを考へてゐるのだらう。ある日も僕は一年前僕が住んでゐた神田の方へ出掛けて行く。すると見憶えのある書店街の雜沓が僕の前に展がる。僕はそのなかをくぐり拔けて、何か自分の影を探してゐるのではないか。とあるコンクリートの塀に枯木と枯木の影が淡く溶けあつてゐるのが、僕の眼に映る。あんな淡い、ひつそりとした、おどろきばかりが、僕の眼をおどろかしてゐるのだらうか。

 

 部屋にじつとしてゐると凍てついてしまひさうなので、外に出かけて行つた。昨日降つた雪がまだそのまま殘つてゐて、あたりはすつかり見違へるやうなのだ。雪の上を步いてゐるうちに、僕はだんだん心に彈みがついて、身裡が溫まつてくる。冷んやりとした空氣が快く肺に沁みる。(さうだ、あの廣島の廢墟の上にはじめて雪が降つた日も、僕はこんな風な空氣を胸一杯すつて心がわくわくしてゐたものだ。)僕は雪の讚歌をまだ書いてゐないのに氣づいた。スイスの高原の雪のなかを心呆けて、どこまでもどこまでも行けたら、どんなにいいだらう。凍死の美しい幻想が僕をしめつける。僕は喫茶店に入つて、煙草を吸ひながら、ぼんやりしてゐる。バッハの音樂が隅から流れ、ガラス戸棚のなかにデコレイションケーキが瞬いてゐる。僕がこの世にゐなくなつても、僕のやうな氣質の靑年がやはり、こんな風にこんな時刻に、ぼんやりと、この世の片隅に坐つてゐることだらう。僕は喫茶店を出て、また雪の路を步いて行く。あまり人通りのない路だ。向から跛の靑年がとぼとぼと步いてくる。僕はどうして彼がわざわざこんな雪の日に出步いてゐるのか、それがぢかにわかるやうだ。(しつかりやつて下さい)すれちがひざま僕は心のなかで相手にむかつて呼びかけてゐる。

 

 我我の心を痛め、我我の咽喉を締めつける一切の悲慘を見せつけられてゐるにもかかはらず、我我は、自らを高めようとする抑壓することのできない本能を持つてゐる。(パスカル)

 まだ僕が六つばかりの子供だつた、夏の午後のことだ。家の土藏の石段のところで、僕はひとり遊んでゐた。石段の左手には、濃く繁つた櫻の樹にギラギラと陽の光がもつれてゐた。陽の光は石段のすぐ側にある山吹の葉にも洩れてゐた。が、僕の屈んでゐる石段の上には、爽やかな空氣が流れてゐるのだつた。何か僕はうつとりとした氣分で、花崗石の上の砂をいぢくつてゐた。ふと僕の掌の近くに一匹の蟻が忙しさうに這つて來た。僕は何氣なく、それを指で壓へつけた。と、蟻はもう動かなくなつてゐた。暫くすると、また一匹、蟻がやつて來た。僕はまたそれを指で捻り潰してゐた。蟻はつぎつぎに僕のところへやつて來るし、僕はつぎつぎにそれを潰した。だんだん僕の頭の芯は火照り、無我夢中の時間が過ぎて行つた。僕は自分が何をしてゐるのか、その時はまるで分らなかつた。が、日が暮れて、あたりが薄暗くなつてから、急に僕は不思議な幻覺のなかに突落されてゐた。僕は家のうちにゐた。が、僕は自分がどこにゐるのか、わからなくなつた。ぐるぐると眞赤な炎の河が流れ去つた。すると、僕のまだ見たこともない奇怪な生きものたちが、薄闇のなかで僕の方を眺め、ひそひそと靜かに怨じてゐた。(あの朧氣な地獄繪は、僕がその後、もう一度はつきりと肉眼で見せつけられた廣島の地獄の前觸れだつたのだらうか。)

 僕は一人の薄弱で敏感すぎる比類のない子供を書いてみたかつた。一ふきの風でへし折られてしまふ細い神經のなかには、かへつて、みごとな宇宙が潛んでゐさうにおもへる。

 

 心のなかで、ほんとうに微笑めることが、一つぐらゐはあるのだらうか。やはり、あの少女に對する、ささやかな抒情詩だけが僕を慰めてくれるのかもしれない。U……とはじめて知りあつた一昨年の眞夏、僕はこの世ならぬ心のわななきをおぼえたのだ。それはもう僕にとつて、地上の別離が近づいてゐること、急に晚年が頭上にすべり落ちてくる豫感だつた。いつも僕は全く淸らかな氣持で、その美しい少女を懷しむことができた。いつも僕はその少女と別れぎはに、雨の中の美しい虹を感じた。それから心のなかで指を組み、ひそかに彼女の幸福を祈つたものだ。

 

 また、暖かいものや、冷たいものの交錯がしきりに感じられて、近づいて來る「春」のきざしが僕を茫然とさせてしまふ。この彈みのある、輕い、やさしい、たくみな、天使たちの誘惑には手もなく僕は負けてしまひさうなのだ。花花が一せいに咲き、鳥が歌ひだす、眩しい祭典の豫感は、一すぢの陽の光のなかにも溢れてゐる。すると、なにかそはそはして、じつとしてゐられないものが、心のなかでゆらぎだす。滅んだふるさとの街の花祭が僕の眼に見えてくる。死んだ母や姉たちの晴着姿がふと僕のなかに浮ぶ。それが今ではまるで娘たちか何かのやうに可憐な姿におもへてくるのだ。詩や繪や音樂で讚へられてゐる「春」の姿が僕に囁きかけ、僕をくらくらさす。だが、僕はやはり冷んやりしてゐて、少し悲しいのだ。

 あの頃、お前は寢床で訪れてくる「春」の豫感にうちふるへてゐたのにちがひない。死の近づいて來たお前には、すべてが透視され、天の灝氣はすぐ身近かにあつたのではないか。あの頃、お前が病床で夢みてゐたものは何なのだらうか。

 

 僕は今しきりに夢みる、眞晝の麥畑から飛びたつて、靑く焦げる大空に舞ひのぼる雲雀の姿を……。(あれは死んだお前だらうか。それとも僕のイメージだらうか)雲雀は高く高く一直線に全速力で無限に高く高く進んでゆく。そして今はもう昇つてゆくのでも墜ちてゆくのでもない。ただ生命の燃燒がパツと光を放ち、既に生物の限界を脫して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃燒し、すべての刹那が美しく充實してゐたなら……。)

 

佐々木基一への手紙   

 ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思ひます。僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だつたやうな気がします。

 岸を離れて行く船の甲板から眺めると、陸地は次第に点のやうになつて行きます。僕の文学も、僕の眼には点となり、やがて消えるでせう。

 去年、遠藤周作がフランスへ旅立つた時の情景を僕は憶ひ出します。マルセイユ號の甲板から彼はこちらを見下ろしてゐました。棧橋の方で僕と鈴木重雄と冗談を云ひながら、出帆前のざわめく甲板を見上げてゐたのです。と、僕にはどうも遠藤がこちら側にゐて、やはり僕たちと同じやうに甲板を見上げてゐるやうな氣がしたものです。

 では御元気で……。

 

U……におくる悲歌   

濠端の柳にはや綠さしぐみ

雨靄につつまれて頰笑む空の下

 

水ははつきりと たたずまひ

私のなかに悲歌をもとめる

 

すべての別離がさりげなく とりかはされ

すべての悲痛がさりげなく ぬぐはれ

祝福がまだ ほのぼのと向うに見えてゐるやうに

 

私は步み去らう 今こそ消え去つて行きたいのだ

透明のなかに 永遠のかなたに

 

 

[やぶちゃん注:言わずもがな、「心願の國」の本文は『ただ生命の燃燒がパツと光を放ち、既に生物の限界を脫して、雲雀は一つの流星となつてゐるのだ。(あれは僕ではない。だが、僕の心願の姿にちがひない。一つの生涯がみごとに燃燒し、すべての刹那が美しく充實してゐたなら……。)』で終わっている。

 ここで、その次に出る「佐々木基一への手紙」は底本全集(青土社版全集も)の編者の一人にして、友人で義弟(貞恵夫人の弟)の文芸評論家佐々木基一(大正三(一九一四)年~平成五(一九九三)年)への遺書の一部である。但し、所持する青土社版全集(新字正仮名)の「遺書」パートのそれは、以下の通りで、異なる。

   *

 

 佐々木基一宛

 

 ながい間、いろいろ親切にして頂いたことを嬉しく思ひます。僕はいま誰とも、さりげなく別れてゆきたいのです。妻と別れてから後の僕の作品は、その殆どすべてが、それぞれ遺書だつたやうな気がします。

 岸を離れて行く船の甲板から眺めると、陸地は次第に点のやうになつて行きます。僕の文学も、僕の眼には点となり、やがて消えるでせう。

 今迄発表した作品は一まとめにして折カバンの中に入れておきました。もしも万一、僕の選集でも出ることがあれば、山本健吉と二人で編纂して下さい。そして著書の印税は、原時彦に相読させて下さい。

 折カバンと黒いトランク(内味とも)をかたみに受取つて下さい。

 甥(三四郎)が中野打越一三 平田方に居ます。

 では御元気で……。

 

   *

編者の一人であるから、何とも言えないが、やはり、以下の前年の遠藤周作のフランス遊学出帆のシークエンスがあってこそ、前文の謂いが、明確に映像化されるから、確かに、遺書にはそれがあったと考えるのが、自然である。或いは、佐々木は、この角川版でやらかした驚天動地の「心願の國」との一般常識から言えば、とんでもない掟破りのカップリング底本の目次には「心願の國」としかないから、やはり確信犯の編者らの共同正犯である。因みに編纂委員は扉の裏のここにある通り、「佐藤春夫・坪田讓治・中島健藏・伊藤整・丸岡明・山本健吉・佐々木基一」である。因みに、その左ページには民喜自筆の、現在、原爆ドームの側に建つ絶唱「碑銘」(私のブログ記事で碑の写真もある。また、その初期形も「原民喜・昭和二五(一九五十)年十二月二十三日附・長光太宛書簡(含・後の「家なき子のクリスマス」及び「碑銘」の詩稿)」で電子化してある)の詩が書かれてある)というこの仕儀を後に後悔し、青土社版では遺書の全公開も、かくつまらなくカットして控えてしまったようにも感じられるのである。

 次に「U……におくる悲歌」であるが、これは、初出は昭和二六(一九五一)年七月細川書店刊の「原民喜詩集」であるが、実はこの詩は「U」こと祖田祐子さん宛遺書と、友人の詩人藤島宇内宛遺書に同封された(青土社全集Ⅲの編者注記に従った)詩篇あった。しかも、祖田祐子さんは晩年の民喜が最後に想いを寄せていた女性でもあったのである。現行、一般にこの「悲歌」と標題する詩篇は彼女に捧げられた惜別の一篇であったと考えるべきものとされている。彼女宛ての遺書本文を青土社版で示す。

   *

 祖田祐子氏宛

 

 祐子さま

 とうとう僕は雲雀になつて消えて行きます 僕は消えてしまひますが あなたはいつまでも お元気で生きて行つて下さい

 この僕の荒凉とした人生の晩年に あなたのやうな美しい優しいひとと知りあひになれたことは奇蹟のやうでした

 あなたとご一緒にすごした時間はほんとに懐しく清らかな素晴らしい時間でした

 あなたにはまだまだ娯しいことが一ぱいやつて来るでせう いつも美しく元気で立派に生きてゐて下さい

 あなたを祝福する心で一杯のまま お別れ致します

 お母さんにもよろしくお伝へ下さい

 

   *

以上の冒頭に出る「雲雀になつて」……これについては、まず、同じく遠藤周作宛て遺書を示す。

   *

 

 遠藤周作氏宛

 

 これが最後の手紙です。去年の春はたのしかつたね。では元気で。

 

   *

この「去年の春」が「雲雀」と直結するのである。遠藤の文章を引くことが出来ないのが甚だもどかしいのだが、彼女と遠藤との春の玉川でのボート遊びの民喜の思い出(『新潮』昭和三九(一九六四)年五月発行に載った遠藤周作「原民喜」に詳細が描かれる。私は盟友民喜を追懐した周作の一篇を民喜論の第一の名品と信じて止まない。教員時代、一度だけ、この全文を生徒に朗読したことがある。恐らく、こんなことをした国語教師は今も昔もそう多くはあるまい、と思う)の中の民喜の肉声『ぼくはね、ヒバリです』『ヒバリになっていつか空に行きます』という呟きに、総てが、ダイレクトに繋がるのである。「遙かな旅 原民喜 附やぶちゃん注 (正規表現版)」も参照されたい。]

2023/02/23

原民喜作品集『焰』(昭和一〇(一九三五)年三月二十九東京印刷版發行・白水社發賣・私家版)原本底本正規表現版改稿終了+原民喜の他の著作の正規表現版校訂続行

カテゴリ「原民喜」で、2017年に電子化注した原民喜作品集『焰』の恣意的正字化版を、国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で原民喜作品集『焰』(昭和一〇(一九三五)年三月二十九東京印刷版發行・白水社發賣・私家版)で、本日、総て正規表現版として校正を終了した。

また、同じ国立国会図書館デジタルコレクションで、正字正仮名版の昭和二八(一九五三)年角川書店刊の「原民喜作品集」第一巻・第二巻の画像も入手出来たので、これに引き続き、それらによる過去の本ブログの電子化した恣意的正字化版も、正規表現版へ校訂を開始する。

2023/02/20

原民喜作品集『焰』原本による再校正開始

カテゴリ「原民喜」で、2017年に電子化注した原民喜作品集『焰』の恣意的正字化版があるが、国立国会図書館デジタルコレクションの「国立国会図書館内/図書館・個人送信限定」で原民喜作品集『焰』(昭和一〇(一九三五)年三月二十九東京印刷版發行・白水社發賣・私家版)の画像を入手出来たので、本日より校正を開始した。

2021/03/13

二〇一九年十一月四日附『日本経済新聞社』ウェヴ記事「原民喜の遺書発見 友の詩人宛て、北海道」より電子化せる北海道立文学館(札幌市)で二〇〇三年に長氏の遺族から寄贈された資料中より発見されたる長光太宛遺書

 

[やぶちゃん注:現存する二〇一九年十一月四日附『日本経済新聞社』ウェヴ記事「原民喜の遺書発見 友の詩人宛て、北海道」を元に原民喜の祥月命日昭和二六(一九五一)年三月十三日:満四十五歳:鉄道投身自殺)である本日、公開する。青色罫20✕20原稿用紙。冒頭一行空け。封筒は裏のみで表の宛名は不明。]

 

 

 これが君におくる最後の手紙です

 僕は誰ともさり氣なく別れて行きたいの

 です

 爲しとげなかつた文學の仕事や数々の心

 の傷手が僕にとつて殘念だらうか しか

 し僕は既に人間の眼を離れてすべてが透

 明化されてゆくやうな氣持です。

 では、お元氣で…。 長光太は長生して

 くれ。

 

              原 民喜

 

  長 光太 様

 

 

 

 

 

 

2019/04/11

ブログ1210000アクセス突破記念 原民喜「華燭」/「沈丁花」 二篇併載

 

[やぶちゃん注:「華燭」は昭和一四(一九三九)年五月号『三田文學』の初出で、後に併載した「沈丁花」は同じ年の翌月の六月号『三田文學』に初出する別々な独立作品であるが、一読されればお判り戴ける通り、内容的に続篇的印象が極めて濃厚なものであるので、特異的に併せて電子化した。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データや歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実及び原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までの私のカテゴリ「原民喜」のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。但し、「華燭」では底本自体の中で「灯」と「燈」が混在して使用されていることから、それは民喜の区別使用(但し、シチュエーションから見ると、単なる気紛れの書き癖でしかない可能性もある)と捉え、そのままで示した。

 やや読むに戸惑うかも知れない読みや躓く語、及び、作品のモデル背景その他について、オリジナルに挿入割注や後注してある。

 因みに、本篇二篇は現在、ネット上では公開されていないものと思われる。

 本二篇の電子テクストは2006年5月18日のニフティのブログ・アクセス解析開始以来、本ブログが1210000アクセスを突破した記念として公開する。【2019年4月11日 藪野直史】]

 

 華 燭

 

 その前の晚、家の座敷に嫁入道具が運ばれて來た。運んで來た人々や、親類緣者が集まつてざつと酒盛がすむと、てんでに座敷に陳列された品々を見て步き、暫く何の彼のと批評するのであつた。しかし、肝腎な明日もあることだし、あんまり遲くなつてもいけないので、一同は早目に解散した。

 駿二はぐるりと嫁入道具に取圍まれた座敷のまんなかに寢間を敷いてもらつて寢た。灯を消すと隣室の薄明りが緣側の方から洩れて來て、簞笥や長持が茫とした巨大な姿で聳えてゐるので、谷底にでも寢てゐるやうな感じであつた。駿二は酒の醉もあつたが、つとめて落着かうとしてゐたので、やがて大海原へ浮ぶ船のやうな放心狀態で、すやすやと鼾をかきだした。

 ものの一時間も熟睡んだ[やぶちゃん注:「まどろんだ」。]かと思ふと、緣側の方を誰かとんとんと忙しさうに步いてゆく音で眼がさめた。氣がつくと障子の方が大變明るく、隣室には煌々と燈が點されてゐるのだ。何かしめやかなひそひそ話が續いてゐたが、突然、「ワハハそれはその」と、學務課長の木村氏の大聲に變つた。駿二はさつきの連中がまた改めて酒盛をはじめたのだらうと思つて、あまり氣にすまいとした。ところが向の連中はとうとう「駿二、駿二」と襖越しに聲をかけた。「もう一度起きて來て飮めよ」と、兄が呼んでゐるのだつた。それで駿二はめんどくさいとは思つたが寢卷の上に著物を重ねて、のそのそと隣室へ這入つて行つた。

 やはりさつきの連中が女も男も車座になつて、大きな靑磁の皿に並べられた半透明の肉のやうなものを食つてゐるのだつた。銚子が向の壁際へ四五十本林立してゐるところをみると、駿二は何だか凄いやうな氣持がした。「これを食べると溫まるから食べておきなさい」と、母が皿の肉を箸で摘んでくれた。嚙んでみると、何だかぐにやぐにやして味は不明瞭だつた。「駿二さん」と、彼の脇に坐つてゐる彼より大分若い從弟が話しかけた。「一體、あなたはどういふつもりで結婚なんかするのですか」駿二はその男とこの前も父の法事の時やはり隣り合はせて、大變酒豪の上にしつこく絡んで來られて弱つたことがあつたので、「どういふつもりと云つて何も……」と詰つてゐると、相手はすぐに彼の言葉を繼いで、「それ見給へ、何もはつきりした見徹しもないくせに、世間並に結婚なんかする。成程、君は大學は卒業したかもしれんが、現にまだ無職ではないか。經濟的に獨立も出來ない癖に女房なんか抱へ込んでまるきし、人間がなつてはゐない」と、駿二の方へ詰寄つて來る。すると駿二の其向でうつらうつらとしながら聞耳を立ててゐたらしい木村氏が突然、赤く爛れた眼を開いて、「さうだ、さうだ」と相槌を打つた。「さうだ、駿二、貴樣は實にけしからんぞ! 愚圖で、間拔けで、無責任で、まるで零だ!」と、媒酌人の木村氏は今にも彼に飛掛りさうな氣勢を示した。「申譯けありません」と、駿二は誰にといふことなしにぴよこんと頭を下げた。「ワハハ何? 申譯ありませんか。成程なあ、こいつは乙な返答だ。まあまあ、今いぢめるのは少し時機尚早だな。なにしろ明日は芽出度いのだからなあ」すると駿二の姉が妹の方を顧みながら云つた。「ええ、まあまあ、いぢめるのはこれからぽつりぽつりで充分ですよ。何しろ私達だつて身に憶えのあることだし、今度こそは小姑の立場として腹癒[やぶちゃん注:「はらいせ」。]が出來ると思ふと、痛快よ」そして何か蓮葉な表情でお互に意を通じ合つてゐた。駿二は自分の姉妹達が實に變なことを云合つてゐるので呆然としてゐると、「駿二君」と、橫合から聲を掛けられた。さつきは來てゐなかつた筈の三等郵便局長の叔父が羽織袴で控へてゐた。叔父は駿二に盃を勸め、それから、木村氏の方へ向きながら、一人合點な口調で、「何せ、これは芽出度いですな。肉親眷屬合相寄つて、お互にいぢめたり、いぢめられたりしてゆくところに人間が練れて行くといふものでせうな」と頻りに辨じ立てた。見ると木村氏の夫人は木村氏の側で銚子を持つたまま居睡りをしてゐたが、「姐さん、お銚子」と、木村氏に頰をつつかれて、ぽつと腫れぼつたい瞳を開いた。駿二はそのあどけない姿が何だかおでん屋の娘に似てゐるなと思つてゐると、木村氏の夫人は退儀さうに小さなあくびをして、誰彼に酒を注いで廻る。そのうちに室内は轟々と笑聲や放歌や勝手な熱で充滿して來た。今、室の片隅の方では駿二の友達が四五人、一人のマダムを取圍んで何か面白さうにうち興じてゐたが、「あの、どら息子がね今度……」と、一人が話し出すと、「あんな生活力のない男が結婚するかと思ふと俺はまさに憂鬱だ」と、一人は忌々しさうに顏を顰め、「それにしても、あんな野郞のところへ來る女房はさぞ悲慘だらうな」「ええ、それは全く女のひとが可哀相だわ」と、マダムが大溜息をつくと、「義憤に燃えるぞ」と、一人は氣色ばんで起立しかけたが、「まあ待ち給へ」と一人が頤を撫でながら制し、それから低い聲で何か打合はせてゐたが、突然一同はワハハハと痛快さうに笑ひだした。すると、この時まで駿二の脇でぐつたり頭を垂れて睡つてゐた從弟が急にブルブルと醉が覺めたらしく眼を開き、「おい! 何だと! とにかくビール持つて來い!」と、呶鳴り散らした。そのためにあたりの空氣はすつかり白らけて來た。「さあ、これからもう一ぺん花嫁の衣裳でも見せてもらひませう」と、駿二の姉は妹を誘つて立上つた。それをきつかけに人々はみんな坐を立つて、ぞろぞろと隣の座敷の方へ行つた。何時の間にか駿二の寢間はとりかたづけてあつて、座敷は眞晝のやうに明るい電球が點されてゐた。駿二の姉と妹はそこに集まりて來た女達に兢賣の品でも示すやうな調子で、勝手に簞笥の中から衣裳を引張り出して、景氣よく振舞つた。姉は刺繡入りの丸帶を掌に繰展げて、「これはどう。疵ものではありません」と、云ふと皆は面白さうにワハハと笑つた。「でも、その帶の模樣はモラルがないと思ふわ」と、妹は口を插んだが、その言葉は反響を呼ばなかつた。姉は今度は簞笥の戸棚から湯婆を發見した。「おや、おや、まあ、まあ、ゆ、た、ん、ぽ」と、姉は嬉し相に湯婆を搖すぶつてみた。どうも不思議なことにはその湯婆はばちやばちやと音がするのであつた。かういふ發見に刺戟されたためか、今迄ぼんやりと見物してゐた駿二の弟が、今度は單獨で本箱の中を引搔廻した。中學生の弟は一番にアルバムを持出して忙しげにパラパラとめくつてゆく。駿二はその側へ行つて覗き込んだが、同じやうな制服を着た女學生の寫眞はかりが現れ、どれが自分の嫁になる人物なのかわからなかつた。その時まで何といふことなしに、陳列品をこまごまと見て步いてゐた母が、駿二の耳許へ來て、「大槪よく揃つてはゐるが、盥が無いね」と呟いた。駿二は自分の落度のやうにちよつと情ない氣持がした。そこへまた從弟がやつて來て、「ね、ね、君、君、こんなに嫁入仕度ばつかし派手であつても、肝腎かなめの君が素寒貧では何にもならないではないか。この嫁入道具を收めて置くだけの家もない身分では結局、簞笥、長持、下駄箱の類など、ここの家の倉であくびをするばつかしだ。この矛盾を君はてんで氣づかないのか」と難詰して來る。駿二は今更のやうに座敷の品々を見渡したが、何とも返答が出來なかつた。恰度その時、家の老婆が箒を持つて來て、座敷を掃きだした。「さあさあ、何時までもそんなところへ突立つてゐないで、歸つておやすみなさい」と老婆に云はれると、從弟は案外素直に引退がつた。まだ誰か二三人寢呆け顏で簞笥の前に佇んでほそぼそと話してゐたが、それらも何時の間にか自然と姿を消した。そこで駿二は老婆が延べてくれたらしい蒲團の上に、漸く手足を伸して橫はることが出來た。灯はもう消されてあつたが、隣室の薄ら明りがどういふものか少し氣になり、今度は芯からは睡れさうになかつた。それでも眼は自然に塞ぎ、早春の深夜のなまめいた空氣の中にうつらうつらと氣持は遙かになつて行つた。

 暫くすると、突然玄關脇で電話のベルがけたたましく鳴出した。駿二は夜具の下でふと目を見開いたが、皆よく熟睡してゐるためか、ベルは何時までたつても鳴歇まない。とうとう彼はまた寢卷の上に著物を引掛けると、座敷の方から出て行つて受話器をとつた。「もしもし、駿二さんですか」と、受話器は駿二がまだ何とも云はないうちに喋り出した。「一體、あなたは誰です」と、駿二はむつとした聲で訊ねた。「あら、わかんないの、ひどいわ」と、女の聲は浮々してゐる。「名前をおつしやい、名前を」と、彼が焦々して訊ねると、「ハハハ、名前なんか御座いませんよ、わたしはただの女です」さう云つて、ぷつんと電話は切れてしまつた。彼は何だか愚弄された後の味氣なさに暫く悄然と玄關に佇んでゐると、表の戶にどたんと何か突當たる音がした。その瞬間、彼はピクつと背筋に冷感を覺えた。ぢつと聞耳を立ててゐたが、しかし、誰もやつて來る氣配はなかつた。駿二は再び座敷に引戾し[やぶちゃん注:「ひきかへし」と訓じていよう。]、頭からすつぽり夜具を被つて睡つた。

 朝がたふと素晴しい夢をみて駿二は目が覺めた。何だか昨夜は隨分といろんな奇怪があつたやうだつたが、その割りには睡眠も足りてゐた。今日はどうやら天氣も快晴らしく、屋根の方で雀の囀りが聞える。暫くぼんやりと床の中で怠けてゐると、まるで駿二は少年の昔へ還つてゆくやうな氣持がした。枕邊にある昨夜運ばれて來た夥しい嫁入道具を寢た儘眺めてゐるとそれがまた姉の昔の嫁入を想はせた。すると、その時するすると襖が半分開いて、姉の顏が現れたので、駿二はおやと思つた。姉は何時の間にか丸髷を結つてゐて、大層氣張つてゐる容子だつた。姉は駿二がまだ寢てゐるのを何か珍しさうに眺めてゐたが、やがて無言のままその襖を閉ぢた。

 間もなく駿二は着物を着替へて起上つた。洗面所の方へ行くと、そこでは妹がこれも何時の間にか丸髷を結つてゐた。妹は自分の髮恰好に腹が立つらしく、顰面してすぢやりで鬢を修繕してゐたが[やぶちゃん注:「すぢやり」は不詳。或いは「筋」は細い「髪」の意で、「やり」は「遣り」或いは「槍」で、単独一本の簪或いは簪状の髪撫で・髪直しをする道具のことか。識者の御教授を乞う。]、その側では妹婿がいかにも嬉しさうに丸髷の手入れを見物してゐるのだつた。妹婿は駿二を見ると齒を剝出して笑つた。その時、緣側の方から近所に住んでゐる叔母がやつて來たが、駿二にむかつて大きな聲で、「おめでたう」と云つた。駿二はぴよこんと頭を下げた。次いて、今度は玄關の方から郵便局長の叔父夫妻がトランクを提げてやつて來た。叔母同志は早速何か喋り合つて賑々しく着物を着替へたり足袋を穿いたりした。二人の叔母の盛裝が出來上つた頃には、家の内は人々が入替り立替り現れた。遂に木村氏も現れた。木村氏はモーニング姿で駿二に輕く微笑した。從弟も紋附姿でやつて來た。彼は駿二を認めると格式ばつて、「おめでたう」と挨拶した。昨夜とは形勢がまるで變つてゐて、駿二は何とはなしに嬉しいやうな奇妙な感じがした。絕えず家の内が騷然としてゐるので一時間はずんずん過ぎて行つた。姉も妹も叔母達もみんな交互に鏡の前へ行つては熱心に風采を整へてゐた。駿二はそれを手持無沙汰に見物してゐると、兄が側へやつて來て、「おい、おい、婿さん、婿さん、婿さんの支度がまだ出來てゐないぢやないか。早く紋附を着給へ。もう式の時刻が來ぞ[やぶちゃん注:ママ。「來るぞ」の脱字か。]」と急きたてた。そこで駿二は妹に手傳つてもらつて、袴や羽織を着けた。鯱張つた身に着かない感じで扇子などを弄つてゐると、表にはもう自動車がやつて來た。

 一番に兄と義兄と義弟と駿二とが自動車に乘込んだ。自動車は街はづれの公園の中にある神社の方へ對つて[やぶちゃん注:「むかつて」。]走り出した。「まだ時間はありますか」と、義弟が訊ねた。義兄は腕時計をめくつて見せ、「まだ大丈夫」と、大きく頷いた。自動車は橋を渡つて、向うに公園の老樹や靑い小山が見えて來る。路傍や空地に枯草の黃色い日南[やぶちゃん注:「ひなみ」或いは「ひなた」で「日向」のことである。]が出來てゐて、澄んだ空氣の中には何か鋭い線が光つてゐた。やがて自動車は小さな堀の中の石橋を渡り、山麓にある神社の境内で停まつた。四人が地面へ降りると、向の社殿の方には恰度今、式が濟んだらしい他所の二組が屯してゐて、花嫁とおぼしきものと、介錯の女の姿は目立つたが、その他の連中はみな一樣な服裝で、どれが婿なのか遠くから見わけもつかなかつた。駿二達は控所の方へ上り、白い布を掛けたテーブルの前に陣どつた。神社のすぐ後が山の崖になつてゐるので冷えるらしく、義兄は火鉢で掌を炙りながら頻りに寒がつた。そのうちに二臺の自動車が入口の方へ來て停まつた。一臺はシルクハツトの木村氏や山高帽の郵便局長などで、もう一臺は駿二の母や丸髷の姉や妹達であつた。それからまた一臺やつて來たが、今度は駿二の叔母や叔父達であつた。かうして婿の方の人員は既に揃つたらしかつたが、嫁の方の軍勢はまだ一向姿を現さなかつた。さつき式の濟んだ連中が今自動車で歸つて行つた。「遲いなあ」と、木村氏は時計を捻りながら呟いた。すると、自動車が二臺境内に現はれた。皆の眼は一樣にその方角に注いだ。白い衣裳を着て、白い被衣[やぶちゃん注:「かづき」或いは「かつぎ」。]を被つてゐる女と、それに附添ふ黑衣の女がまづ駿二の眼にも這入つた。誰が誰やらわからないながら紋附姿の男女が八九人威勢よく步き、こちらとは反對側の控所の方へ進んで行き、白い被衣を被つた女と介錯はのろのろとその後から步いてゐた。

 もう間もなく式が始まる時刻で、今迄小聲で話し合つてゐた人々も暫し沈默した。駿二は何がなし木村氏の口鬚を眺めた。チツクでよく揃へて尖らせてゐる鬚がいかにも改まつた感じであつた。それから今度は母を眺めた。人中へ出るとのぼせる癖のある母は頻りにハンケチで紋附の膝のあたりを拂つてゐた。廊下の方から足音がして、白い裝束をした男が「どうぞ」と一同へ挨拶した。一同は立上つて、ぞろぞろとその男の後から從いて行つた。板の間の白い布を掛けた二列のテーブルの片方の端へ駿二の席があつた。正面は開け放しになつてゐて、山の崖の一部が見え、岩の中に神棚はしつらへてあつた。何處からともしれず琴の音がして、天井の色紙や榊がさらさらと搖れてゐた。そこは控への間より更に冷々としてゐた。間もなく、白裝束の男に導かれ先頭に白い被衣を被つた女と介琶それ違いて八九人の紋附がぞろぞろと入場して來た。それらの人々は駿二と向ひ合はせのテーブルに着席した。白衣の女は被衣の下に顏を伏せてゐて、薄い被衣が重たさうに見えた。駿二が向のテーブルの男達の顏を見ると、向でも駿二をじろじろと眺めてゐるのだつた。初めて見るやうな顏や、何處かで見たことのあるやうな顏が並んでゐた。神主が現れて、儀式は徐々に進行して行つた。駿二がぼんやりと神主の立居振舞を見てゐると、神主はやがて大きな紙を展げて朗讀しだした。次いて木村氏が誓詞を讀み上げた。それが終つたかと思ふと、緋の袴を穿いた白衣の少女が何か捧げて駿二の前に置いた。それから又何か運んで來た。見ると土器の盃が据ゑてある三方であつた。神主の合圖に從つて、駿二はその上の盃を掌にした。少女は銚子から盃の上にかすかに土器が濕る程度の液體を注いだ。それを駿二が唇にあてて下に置くと、少女は向のテーブルの新婦の方へ持つて行つた。それから再び駿二のところへ持つて來て、また新婦の方へ持つて行つた。漸く土器の持運びが終ると、今度は榊の枝を駿二の前に持つて來た。神主が新郞新婦に起立を命じた。どうなることかと駿二は起立してゐると、神主が號令を掛け、駿二は岩の方の神棚へ對つて、ぴよこんとお叩儀をして席に戾つた。

 儀式はそれからまだ暫く續いた。一段落終つて、席の入替りがあり、又盃が運ばれて來た。兩方の親戚の姓が木村氏によつて、次々に紹介されて行つた。その頃になると、皆の顏もいくらか寬ぎの色が漾ひ、駿二も吻としたやうな氣持だつた。そして式は當然終つたのであつた。

 控への間に引返すと、皆は急に活氣づいて、次に控へてゐる宴會のために動作も浮々して來た。宴會は神社と道路を隔てて向ひ合はせになつてゐる料理屋で行はれるので、皆はてんでにその家の方へ步いて行つた。駿二も兄達に從いて行くと、玄關には下足番が控へてゐて、廊下には火鉢と座布團が一盃並べてあるので、これは大變な盛會らしかつた。控への座敷へ這入ると、そこの部屋には式の時には居なかつた人の顏が段々現れた。近所の人の顏や、駿二が久振りに憶ひ出すやうな顏で狹い部屋は賑はつた。やがて、女中の案内で大廣間の方へ皆は導かれた。

 大廣間の舞臺の脇に金屛風が立てられ、そこに駿二の席があつた。その左右が嫁と母の席らしかつたが、どうしたものかなかなか姿を見せない。それで駿二ひとりがぽつねんと屛風を背にしてその離れ島のやうな坐蒲團の上に坐り、小さな火鉢で掌を炙つてゐると、向の席ではもう笑聲や盃のやりとりが始まつてゐた。見渡せばずらりと並んだ人々の顏が遠くまでぐるりと大廣間を取卷いてゐて、何千ワツトのシヤンデリアが煌々と輝いてゐる。駿二はどうも自分の結婚式にしてはあまり盛大すぎるので稍不安になつて來た。そのうちに舞臺の方では幕が上つて、舞踊が始まり、大廣間は賑はひに滿ちて來た。駿二は自分の前の膳を見下したが、伊勢海老、鯛など贅美を極めた料理も、どうも窮屈で箸がつけられない。すると遙か斜橫の方の席から今迄彼を觀察してゐたらしい叔母連中や姉妹が駿二に聲を掛けて、にこにこ笑ひ出した。「少しはお飮みなさい」と、姉は駿二の方へ盃を運ばせた。駿二が四つの盃を一つ一つ乾してゐると、何時の間にか母がやつて來て、「あんまり飮むといけませんよ」と、注意した。それから母は駿二をしみじみと眺めて、何か云ひたげであつたが、「はじめて主人からきかされる言葉は生涯、身に沁みるものだから、お前も今夜は何か云ふことがあつたら、云ひきかせておやりなさい」と、云ひ殘すと、忙しげに席を立つて何處かへ行つてしまつた。駿二は、それでは一つ何か立派な格言でもないかしら、と思つたが、思ひつかず、それに、前に一度見合ひの席で逢つた時も遂に口もきけなかつた相手に、そもそも今夜は何といつて話を始めたらいいのか頻りと思ひ惑つた。

 暫くすると、駿二の正面に郵便局長の叔父がやつて來てぺつたり坐つた。叔父はもう大分御機嫌らしく、德利をふらつかせながら駿二に盃を勸めた。「飮み給へ、駿二君。なにしろ芽出度い。なあに遠慮はいらん。しつかり勇氣を出して人生を邁進することぢや」と、叔父はひとり合點に頷いては駿二に盃を勸める。すると、その橫に學務課長の木村氏がやつて來てこれまた昨夜以上に矍鑠たる醉顏で、「處世訓を云つてきかせる。先んずれば則ち人を制し後るれば則ち人に制せらる、だ。君のやうに愚圖愚圖してゐると女房にまで侮られるぞ。いいか、結婚は格鬪だ。見給へ、向ふに並んでゐる幾組の夫婦たちだつてみんな火の中、水の中を潛り拔けた猛者だ」と、木村氏もまた駿二を激勵するのであつた。駿二も盃を重ねてゐるうち大分醉つたらしかつたが、見渡せば丸髷の重さうな妹はまだ若かつたが、そこに並んでゐる多くの連中は大槪年寄で、夫婦喧嘩の數を重ねて來たらしい錚錚たる面構へであつた。そのうち今迄、姿を現さなかつた花嫁が駿二の母に連れられて座敷にやつて來ると、一人一人に挨拶して廻つてゐたが、その衣裳がさつきとは變つてゐるので駿二は珍しげに遠くから眺めてゐた。挨拶がすむと花嫁と母はまた、すつと消えて行つたが、間もなく母が駿二のところへやつて來て、手招いた。

 駿二が母の後に從いて廊下を曲り、別の小さな部屋へ行つてみると、そこには花嫁と駿二の姉がぺたんと坐つてゐた。駿二が這入つて行くと、花嫁は橫眼を使つて彼を眺めた。この前見た時より、彼女は大變別嬪のやうに思へた。「それでは、さきに三人で歸つてゐなさい」と、母が云つてゐるうちに、「自動車がまゐりました」と、女中が云つて來た。駿二と花嫁と駿二の姉は並んで自動車に腰掛けた。夜の闇の中に樹木の肌がライトに照らし出されて白く現れた。駿二は側にゐる花嫁をなるべく意識すまいとして先んずれば人を制すを繰返してゐた。

 それから間もなく自動車は駿二の家の前に停まつた。老婆や嫂や中學生の弟達がみんな珍しさうに花嫁を出迎へた。どういふものか駿二の嫁は家へ上つてからも、ぢつと淋しさうに口をきかず俯向いてゐるので、間もなく人々は退散し、駿二と彼女だけが應接室に殘された。大きなテーブルを隔てて、無言のまま腰掛けてゐると、駿二は段々氣まりが惡くなつて來た。早く何とか云はなければ、一生ものが云へなくなるかもしれない。それなのに相手は相變らず眼を伏して、高島田の首を重さうに縮めてゐる。ああして相手はぢつとこちらを觀察してゐるのかもしれないし、腹の中ではもうそろそろ侮りだしたのだらうと、駿二は氣が氣でなかつた。火の中、水の中だと、駿二は自分の踵で自分の足を蹴りながら、

「オイ!」と呶鳴つた。あんまり大きな聲だつたので自分ながら喫驚したが、もうどうなりとなれと思つた。

「君は何といふ名前だ?」

 その瞬間、阿呆なことを聞く奴と腹の中で思つたが、花嫁は默々と顏をあげて彼の方を見るばかりだつた。駿二はまた氣が氣でなかつた。よろしい、それならば格鬪だ。

「オイ!」と、今度は前よりもつと大聲で呶鳴つた。

「何とか云へ! 何とか!」

 花嫁は猶も平然として駿二を眺めてゐたが、やがて紅唇をひらいて、

「なんですか! おたんちん!」

 と、奇妙な一言を發した。

 おたんちん、それは今日はじめて聞く言葉であつて、どういふ意味なのか駿二にはわからなかつたが、ああ、遂に自分はおたんちんといふものなのかなあ、と、駿二はキヨトンとした顏で、怒れる花嫁をうち眺めた。

 

[やぶちゃん注:原民喜は本篇の書かれる六年前の昭和八(一九三三)年三月に貞恵と見合結婚している(但し、実は民喜は少年時代、少女の頃の彼女に逢っている。『吾亦紅 原民喜 (恣意的正字化版) 附やぶちゃん注 「葡萄の朝」』を読まれたい)。]

 

 

 

 沈丁花

 

 三日目に春二は結婚式の時と同じ服裝で、その上にトンビを着て、朝の街を步いてゐた。花嫁は春二の母に連れられて、お禮まはりをしてゐて、それが濟んでから寫眞屋で彼とおちあふことになつてゐた。春二は家を出る時、その寫眞屋が何處にある町かと母にしつこく訊ね、さきに寫眞屋へ行つたら何といつたらいいのかと、そんなこともひとから敎へてもらはねば安心出來なかつた。往來に出てみると、朝日が薄すら照つてゐて、氣持は爽やかになつてゐた。それでずんずんいい加減な方角にむかつて步いてゐると、靑山寫眞館といふ看板がある前を通り越して、暫くして氣がついた。急に春二は硬直した氣持になり、玄關先のベルを押した。

「どうぞ、お二階へお上り下さい」と黑い上張を着た男が出て來て、春二を二階へ導かうとした。

「まだ、あとから連れが來ますから」と、彼は辨解した。

「承知致しました、とにかくお二階でお待ちになつて下さい」と、寫眞屋は頷いて引退つた。

 控への間では小さな女學生が二人腰掛けてゐた。春二はその女學生に冷やかされはすまいかと思つたが、もうその時にはトンビを脫いでゐた。紋附袴のぎこちない姿で、春二はソフアに腰掛けた。彼は焦々して落着かず、頻りにタバコを吸つてみた。花嫁はなかなかやつて來なかつた。今、母に連れられて近所を囘禮してゐる、さわ子のことを思ふと、春二はかすかに氣が揉めるのだつた。

 その時、誰か二階へ上つて來た。視ると女學生の連れらしい一人がやつて來て、「今日はやめて、この次にしませうよ」と話し合つてゐたが、やがて二人を誘ふて出て行つた。春二はテーブルの上の寫眞帳をめくつて、ぼんやり眺めだした。漸く母の聲が階下できこえた。彼は晴れがましい氣持にかへつた。母に從つて、さわ子はなよなよと裳をひきずるやうにしてやつて來た。食慾がないといつて殆ど何も食べようとはしない彼女は、別に衰へもせず、お白粉で整へられた、高島田の顏はおつとりしてゐた。

 寫眞屋がやつて來て、準備を始めた。春二とさわ子は並んで立たされた。ふと見ると、隣の室の入口のカーテンが四、五寸開いてゐて、そこに鳥籠があつた。窓から射す陽の光を浴びて、二羽の小鳥はうれしさうに羽ぶるひをしてゐる。春二はそれをさわ子に見せてやりたいと思つたが、彼女は眞面目くさつて、寫眞師の方を向いてゐた。寫眞機はもう用意されてゐた。黑衣の男は春二の側へやつて來て何度も姿勢を訂正した。彼はだんだん窮屈になつた。愈々撮影といふ際になつて、寫眞師はまた春二の正面にやつて來た。それから彼は春二の胸の邊を眺めてゐたが、

「どうもこれは裏がへしになつてゐますな」と、羽織の紐に掌をかけた。再び寫眞師は位置に戾つた。輕い唸りがして、撮影は終つた。

 寫眞が濟むと、春二達はさわ子の里へ出掛けて行くことになつてゐた。春二は家に戾つて、紋附を洋服に着替へた。晝餉が濟むと、もう自動車がやつて來た。

 母とさわ子と叔母と春二の四人は急いで驛のホームを步いた。列車は空いてゐて、四人は一處に席をとつた。窓から這入つて來る風は淸々してゐたが、母は不安げに車内を見渡してゐた。さわ子はうつとりと沈默してゐた。春二はかうして母や叔母達と旅をした記憶が子供の昔にあつたやうに思へた。汽車は新鮮な空氣の中を走り、靑く尖つた溪流がすぐ側に見えて來た。母と叔母はお喋りをつづけ、春二とさわ子は默りつづけてゐた。二時間あまりして、汽車は山間の小驛に停まつた。そこが春二のはじめて訪れるさわ子の里であつた。

 ホームに降りると、先日式の時居た男の人や、見知らぬ人々が近づいて來た。廣場に自動車が待たされてゐて、春二達はそれに乘せられた。

「窓が少しあきませんかしら、どうも顏が火照りますから」と春二の母は辛らさうに云つた。同車した男の人が栓を捻つて、窓から少し風が這入つて來た。自動車は寂れた家並の中をぐるぐる走りだしたかと思ふと、五分と經たぬ間に、一軒の家の門で停まつた。そこがさわ子の實家であつた。

 家に着いた途端にさわ子の姿は見えなくなつてゐたが、春二と彼の母は座敷の方へ導かれて行つた。簷の深いどつしりした家で、夕刻近い座敷に坐らされてゐると、冷んやりして來た。暫くして、さわ子の母親が茶菓を運んで來た。彼女はテーブルの上に茶碗を置くと、

「粗茶で御座いますが召上り下さい」と、鄭重な口調で春二の母に勸め、それから春二にも同じ文句ですすめた。彼は何かかしこまつた氣分でお茶を飮んでみた。

 やがて春二はさわ子の母親に案内されて、長い廊下を廻り風呂へ這入つた。湯はひつそりとしてゐて、近くで沈丁花の匂ひがしてゐた。着物に着替へて座敷へ戾ると、片隅で母と叔母が火鉢にあたつてゐた。

「暗くならないうちに少し外の景色を見せてもらひませう」と、叔母は春二と母を誘つた。裏口から下駄を穿いて、細い露次を通り拔けると、すぐに畑道に出た。麥畑が淡く暖かい色を橫たへてゐる向に小川の白い石崖が見え、大きなトタン屋根の上には岩に似た小山がによつと聳えてゐて、空が紫色に變つてゐた。なだらかな低い山の方に星が二つ三つ輝いてゐた。すぐ近くで牛の啼聲がしてゐた。家の方を振向くと、土藏のむかふに酒造會社の煙突があつた。

 座敷へ引返すと、電燈が點いてゐて、食膳が整へられてゐた。もう、さわ子の家の家族はみんな坐つてゐたが、さわ子だけは姿を見せなかつた。義兄は頻りに春二に酒をすすめた。

「この土地で造る酒は決して飮んで頭が痛くなりません」と、云はれるので、春二もいい氣になつて飮んだ。

「春二さん、あんたが五つか六つの頃でしたでせう、私がその叔母さんのところへ下宿してゐたのは」と、義兄は話しだした。さういへば、春二は最初から見憶えのある顏のやうに思へてゐた。春二は醉ぱらつた頭で遠い昔を囘想してゐた。叔母の家の机の上にある懷中時計の秒針がチクチク動くのを不思議に思つて視守つてゐたことがあるのだつた。春二がぼんやりして、座敷を眺めてゐると、廊下の方にはしやいだ聲がして、さわ子が現れた。見ると、何時の間に變つたのか、高島田の花嫁であつた彼女は、今は束髮の娘になつてゐた。動作や言葉も急に活々(いきいき)してゐた。

「お飮みなさい、お酌してあげます」と、さわ子は銚子を持つて春二の前に坐つた。何だか春二は恐縮しながら盃を受けた。

 氣がつくと、もうかなり夜更らしく、外はしーんとしてゐた。

「さあ、離れの方へ行きませう」と、さわ子は春二を誘つて、裏口から下駄を揃へた。

「溝があるから足もとに注意しなさい」と、さわ子は懷中電燈で露次の闇を照らした。春二は何處へつれて行かれるのやら、今は朦朧とした氣分で從いて行つた。水の音がしてゐるやうであつた。間もなく石段があつて、そこを上ると小さな庭のむかうに燈の點いた障子が見えた。そこが離れであつた。壁も天井も荒屋の趣で、中央にはぬくぬくと炬燵がしっらへてあつた。

「炬燵へあたりませう」と、さわ子は嬉しさうに炬燵へねそべつた。春二は今更珍しさうにあたりを見廻した。さわ子のほかには誰もゐない夜更のあばら屋であつた。さわ子は小娘のやうにお喋りになつてゐた。

 その翌日、義母の案内で春二はそこから數里奧の山寺を見物した。妻は家で留守番をしてゐた。春二と母と叔母達は自動車に乘り、うねつた山道を搖られた。山頂に近づいた頃、微雨が落ちて來た。自動車を降りると、澄んだ山の靈氣が匂つて來た。靜かにせせらぎの音が聞え、春さきの黃色つぼい樹の花が點々と煙つてゐた。

 

 春二の家へ戾つて來た翌朝、さわ子は座敷で母や嫂と一緖に旅先へ送り出す荷拵へをしてゐた。持つて來た嫁入道具の中から春二の貧しい住居に應はしいだけの品々が選ばれてゐた。春二は炬燵にあたつてぼんやりしてゐた。翌日はもう春二達は旅に出る手筈であつた。

 晝食後、春二がまた炬燵に引込んでゐると、さわ子がやつて來て、

「これからお父さんのお墓へまゐりませう」と、云ひだした。春二はちよつと妙な氣がしたが、默つてトンビを着た。門を出ると中學生の弟が從いて來た。三人はぶらぶら麗かな街を步いた。寺へ來ると、さわ子はハンドバツクの中から珠數をとり出して、父の墓に合掌した。春二は帽子をとつてぴよこんとお叩儀をした。

「少し散步してみようか」と、春二は云つた。寺から少し行くと橋があつて、その川を渡ると公園になつてゐる。先日、結婚式が行はれた神社もそこにあるのだつた。その邊は昔から春二がひとりでよく散步した場所だつた。神社の前を通り過ぎてみると、今日は結婚式もなささうで、ひつそりしてゐた。そこから少し行くと練兵場がある。もう柳も芽ぐんでゐた。遠くの山脈は靑かつた。その邊の景色は昔と少しも變ってゐなかつた。それから春二達は川の堤に出て、橋の袂まで來た。ふと、橋の下を見ると貸ボートの旗が出てゐた。

「ボートに乘つてみようか」と、春二は突然云ひだした。日はもう傾きさうだし、水はまだ寒さうだつた。

「乘つてみませう」と、さわ子はすぐに同意してしまつた。三人は橋の脇の石段を下りて、貸ボートのところへ行つた。春二の弟が默々とオールを漕ぎだした。春二は對ひ合つてゐるさわ子の顏が風に吹かれてゐるのを眺めた。移動する兩岸の上の空が淡く暮色に染められてゐた。ポシヤつと方向を變へようとしたオールが水を跳返した。水はさわ子の袂に散つた。「大丈夫」と云ひながら、さわ子は袂の水を絞つた。ボートを降りると、日はとつぷり暮れてゐた。

 

 その日は何となしに朝から忙しい氣持であつた。重な荷物は昨日發送されてゐたが、汽車に持つて乘るこまごましたものをさわ子は取揃へてゐた。姉妹や親戚からの餞別の品がトランクのまはりに束ねてあつた。春二はぼんやりと二階の窓に腰掛けて、外を眺めた。よく晴れた空がうらうらと續いてゐて、瓦の上には陽炎が感じられるのだつた。

 晝餉が終つたかと思ふと、もう時刻が迫つてゐた。家には姉夫妻に妹、叔母などが見送りのためにやつて來た。母も兄も嫂もあわただしげに外出着に着替へた。春二は緊張した面持で、重いトランクを提げてみた。そのうちに自動車が來て一同はどかどかと乘込んだ。今、見殘してゆく巷はピカピカ光つてゐた。驛はひどく混雜してゐたが、人混の中に親戚の顏もあつた。列車に乘込むまで春二は頰が火照りつづけてゐたが、やがて席が定まつて窓の外を見ると漸く見送りの人々の顏に氣づいた。大勢の顏に對つてさわ子は一人一人聲をかけてゐる。春二は默々と明るい眼ざしになつてゐた。發車のベルが鳴り、汽車は構内を出て行つた。

 急に窓の外が明るくなり、もう見送りの人々も見えなかつた。空いた二等車の席に春二はさわ子と對ひ合つて腰掛けてゐた。さわ子の膝の上の派手な着物の模樣や、帶どめに明るい外光は降灑いだ。彼女は急に快活になり、よく喋りだした。春二も今吻とした氣持であつた。さわ子はトランクを開いて、今朝妹から餞別に貰つた菓子箱の水引をはづした。金、銀、赤、綠、紫の紙に包まれたチヨコレートであつた。彼女はそれを掌で掬ひハンケチに包んだ。

 急行列車は先日さわ子の里へ行つた際と同じ軌道を走つてゐた。あれはまだ一昨日のことだが、もう大分前の出來事のやうにも思へた。外の景色も今日は眩しすぎる位だつた。

 やがて見憶えのある靑い溪流が見え隱れした。さわ子は上氣したやうな顏になり、通過する小驛を數へた。

「そら今度は私のところの驛よ、誰か見送つてゐてくれるかもしれないから、ちよつと向へ行つてみますよ」

 さう云つて、さわ子は席を立つて昇降口の方へ行つた。列車は速度を緩め、今その驛を通過するらしかつた。春二は窓から外を凝視めたが何もわからなかつた。間もなくさわ子は笑ひながら席に戾つて來た。

「誰かゐた?」

「ゐましたよ、弟が家の外で手を振つてゐたのよ」

「それでわかつた?」

 彼女は滿足さうに領いた。

 空が靑く潤んで睡むさうになつてゐた。汽車は山間を拔けて、海岸附近の家並が見えて來た。そして間もなく一つの驛に停車したが、すぐに發車のベルが鳴響いた。すると誰かあわただしく車内に乘込んで來た。

「お母さん」と、さわ子は歡聲をあげた。

「やあれのう」と、彼女の母は嵩張つた風呂敷包を抱へて、息をきらせながらさわ子の前へやつて來た。そして彼女の母は忙しさうに風呂敷包を披いた。

「この海苔はあまり上等でないから焚いて佃煮につくるといいよ、奈良漬も持つて來たげた、汽車辨當二つ買つておいたよ、葉書もある、さいさい便りを貰ひたいから持つて來ましたぞ」

 さう云ひながら彼女の母は一つ一つさわ子に手渡した。それからも絕えず急いでいろんなことを喋りつづけた。

「すぐに便りを頂戴」

「さわ子は理窟屋ですが、まあまあよろしく賴みます」

 そのうちに汽車は間もなく次の驛へ停車した。「さよなら、元氣でね」と、云ひ殘すとさわ子の母は立上つて降りて行つた。さわ子の母はホームから汽車の方を眺めてゐたが、ふとアイスクリーム屋をみつけると、呼びとめて、二つのクリームを窓の方へ差出した。

 

[やぶちゃん後注:貞恵は本「沈丁花」が発表された三ヶ月後の昭和一四(一九三九)年九月に喀血した(推定。糖尿病(発症年齢と症状からⅠ型と推定される)も患っていた)。それ以降、民喜の作品発表は減ってゆくこととなる。貞恵は昭和一九(一九四四)年九月、重い糖尿病と肺結核のために亡くなった。そして、その十一ヶ月後、民喜は広島の実家で被爆した。以下は、「原民喜についての私のある感懐」で既に記したものであるが、ここに再度、掲げておく。

 原民喜の被爆を綴った「夏の花」の冒頭は、

   *

 私は街に出て花を買ふと、妻の墓を訪れようと思つた。ポケツトには佛壇からとり出した線香が一束あつた。八月十五日は妻にとつて初盆にあたるのだが、それまでこのふるさとの街が無事かどうかは疑はしかつた。恰度、休電日ではあつたが、朝から花をもつて街を步いてゐる男は、私のほかに見あたらなかつた。その花は何といふ名稱なのか知らないが、黃色の小瓣の可憐な野趣帶び、いかにも夏の花らしかつた。

 炎天に曝されてゐる墓石に水を打ち、その花を二つに分けて左右の花たてに差すと、墓のおもてが何となく淸々しくなつたやうで、私はしばらく花と石に視入つた。この墓の下には妻ばかりか、父母の骨も納まつてゐるのだつた。持つて來た線香にマツチをつけ、默禮を濟ますと私はかたはらの井戸で水を吞んだ。それから、饒津(にぎつ)公園の方を廻つて家に戾つたのであるが、その日も、その翌日も、私のポケツトは線香の匂がしみこんでゐた。原子爆彈に襲はれたのは、その翌々日のことであつた。

   *

で始まる。これは無論、事実であるが、彼が被爆当日から起筆しなかったのは、決して題名「夏の花」のための小手先の伏線ではなかったことは言うまでもない。

 彼の中の、後の「遙かな旅」(『女性改造』昭和二六(一九五一)年二月号初出。民喜はこの翌月の三月十三日に鉄道自殺した。リンク先は私の電子化注)で回顧されて告白されている、

   *

もし妻と死別れたら、一年間だけ生き残らう、悲しい美しい一冊の詩集を書き残すために……

という被爆以前の遙か前からの思いこそが、この書き出しを確かに選ばせたのである。

 我々は原民喜を、専ら、「被爆文学者」「『水ヲ下サイ』の被爆詩人」として認知し、多くの読者はそれを当然のこととしている。恐らく、向後も彼はそうした《原爆の詩人》として認識され続け、「被爆体験を独特の詩やストイックな文体で稀有の描出を成した悲劇の詩人」として記憶され続けることは間違いない。

 彼の盟友であった遠藤周作が四十年以上前のTVのインタビューの中で、原民喜のことを回想し――戦後、一緒に神保町を歩いていた時、彼がいなくなったので振り返ってみたら、立ち止まった彼が、交差点の都電の架線から激しく迸る火花を、固まったようになって、凝っと、見つめ続けているのを見出し、被爆の瞬間が彼の中にフラッシュ・バックし続けている、と強く感じた――といった思い出を述べておられたのを思い出す。

 原民喜は妻貞恵の死によって激しい孤独と悲哀のただ中に突き落とされた。それは、『一年後には死のう』という嘗ての自身の思いを呪文のように心内で繰り返し呟き、しかもそれを現実の目標とするほどに、鞏固な、痛烈な、《確信犯の覚悟》であったのだと私は思う。

 しかし、その一年後の、彼の定めた《生死の糊代(のりしろ)》の場面に於いて、彼を恐るべき原爆体験が襲ったのであった。

 しかも、戦後、彼は「夏の花」以後の著作を以って、文壇や読者や文化人らから「被爆詩人」「原爆文学者」という名を奉じられてしまった。

 愛妻貞恵の死から生じた死への強い傾斜志向に加え、それに、意識上、不幸にしてダイレクトに繋がる形での、被爆の地獄絵を超絶した体験は、彼をして激しいPTSDPost Traumatic Stress Disorder:心的外傷後ストレス障害)に陥らせたことは、最早、誰も否定しないであろう。遠藤の見たそれは、まさにその病態の一つであると私は思っている。

 私は何が言いたいのか?

 それは、彼を自死に追い込んでしまった責任の有意なある部分は、彼を純粋な詩人・小説家としてではなく、悲惨で稀有な被爆体験をした「悲劇的被爆文学作家」としてレッテルし、彼に対し、意識的にも無意識的にも、そうした「被爆文学」の「生産」を要請し続けた文壇や文化人、ひいては、そうしたものを求め続けた読者――人間たちにこそあったのだと私は思うのである。

 彼は確かに被爆以前から愛妻を失ったことによる強い自死願望があったし、さらに溯れば、それ以前の独身時には、放蕩の末、昭和七(一九三二)年の夏、長光太宅での発作的なカルチモン自殺未遂なども起している。

 しかし、だからと言って、我々の恣意的な彼への被爆詩人レッテル化という彼にとっての致命的決定打が正当化されるわけではない。

 彼は決して著名な「原爆詩人」などにはなりたくはなかったし、そんな素振りは彼の一言一句にさえ現れてはいない

 彼は

「悲しい美しい一冊の詩集を書き残した一人の孤独な――或いは人々から惨めとさえ言われるような詩人」

としてこの世から消えて行きたかったのである。「雲雀」のように…………

それをかくも祭り上げてしまったのは我々、読者、戦後の日本人なのである。

 我々は

――詩人原民喜を虐殺した一人――

なのである。

 我々はその償いのためにも――《被爆以前の詩人原民喜》を――原爆関連作品以外の作家原民喜にもスポットを当て――味わい――後代へと伝えてゆくべき義務と責任がある――

と私は今、大真面目に考えているのである。]

2019/03/31

本日の原民喜はこれまで

後、二篇を原民喜の忌月に電子化するつもりであったが、「夜景」の衝撃が激し過ぎ、それは後日とすることとした。

原民喜 夜景

 

[やぶちゃん注:昭和一四(一九三九)年五月号『三田文學』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データや歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実及び原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までの私のカテゴリ「原民喜」のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。

 因みに、本篇は現在、ネット上では公開されていないものと思われる。

 それにしても――このブラック・ユーモアの幻想譚は、後の、驚くべき忌まわしいカタストロフの予言の書となっているではないか!?!

【2019年3月31日公開 藪野直史】]

 

 夜 景

 

 深夜の街の上には、南風が煽り出す眞綿のやうな白い薄雲が、三日月の光に照らされてふわふわと動いてゐた。塀から突出たポプラの枯木が、淡い影を落してゐる往來を、輕い塵が街燈の下へ流されてゐた。街燈の燈は睦むたさうに微かな瞬をした。その、ひよろひよろの柱を、小さな蜘蛛が這ひ登つて行つた。蜘蛛が這ひ登つて行く柱の裏側には、糸屑のやうな蟲が弱々しげにぢつと留まつてゐた。遠くの方で猫の妖しげな呼聲が聞えた。もつと遠くの方では犬の狂ほしげな聲が、時々休止をおいては續いてゐた。

 しかし、今耳を澄すと、誰か人間の跫音がこちらへ近づいて來る。草履を穿いてゐる人間らしいのだが、どうも陀しげな跫音だ。と思ふうちに、その人間の姿は向の角から現れた。そして今度は何か決然たる調子に跫音が變つた。ポプラの影の突出たコンクリートの塀の處まで來ると、彼はちよつと頭を上にあげて頤で、塀の高さを見計つてゐた。が、やがて事もなげにするすると身を飜へして、巧みに塀に登つて行つた。泥棒らしくもない細つそりした優男なのだが、到頭、塀のてつぺんに腰を下したかと思ふと、どうしたものかそれからさきは身動きをしなくなつてしまつた。もう向側へ飛降りさへすればよささうなものを、急に安心でもしたのか悠々と兩足を塀のてつぺんに掛けたまま動かないのである。ところが更に奇妙なのは、さうしてゐるうちに、塀の上の泥棒は微かに鼾をかき出した。その鼾ほ始めは靜かに絃を搖さぶるやうな響であつたのが、忽ち熟睡へ陷つたのか、轟然たる砲聲の如くあたりに鳴渡つた。その時には、しかし、もう四方八方から鳴渡つて來る家々の鼾の渦卷のために、泥棒の鼾も卷込まれてしまつた。今、鼾といふ鼾、屋根といふ屋根が、この街に棲む人間達の吐く物凄い鼾によつて搖れ出してゐた。

 そして、泥棒が熟睡してゐる塀から三〇米と離れてゐない角の交番でも、そこでも、四角な小さな建物が一人の巡査の發する鼾によつて滿たされてゐた。交番の硝子窓は四方八方から響いて來る鼾のために、メリメリと壞れさうになつてゐた。ここのテーブルに打伏せてゐるお巡りさんは、さつきまでは頻りに大きな帳面を繰つてペンで何事かを書入れてゐたのだつたが、不意と趾の方からこみ上げて來るあくびをした拍子に、まるで頤がもげさうな大あくびになつてしまひ、それからさきは、どうにもかうにも、不可抗力の魔睡に襲はれてしまつた。

 交番から東の方へ一直線の道路が停車場へ走つてゐたが、途中にコンクリートの橋が架けられてゐた。その橋の中程では、ダツトサンが一臺、橋の欄杆に衝突したまま留まつてゐた。運轉臺には若い男が手袋を嵌めた兩手をだらりとハンドルの上に投出して、圓い肩を波打たせながら鼾をかいてゐた。その鼾を叱陀するやうに、坐席の方からはもつとすさまじい鼾が發せられてゐた。鼻の尖つた、尖鋭な顎をした醫者が、端然として坐席に於いて熟睡してゐるのだつた。彼は急病人のために呼起されてさつき家を出た時から、うつらうつらし勝ちであつたので、睡氣を覺ますために端然とした姿勢で腰掛けてゐたのであるが、自動車が橋の手前まで來かかつた頃どうやら運轉が怪しげになつたと意識するうちにも、何時の間にか氣分は朦朧となつてしまつたので、ここで欄杆に衝突してゐるのを知つてゐなかつた。ダツトサンから發する二人の鼾は互に應呼して物凄かつたが、しかし外部の鼾に比べればものの數ではなかつた。今、橋の下を流れてゐる水は、兩岸の家々から洩れ出した鼾を湛へて、それはまるで洪水のやうに轟々と橋桁に突當つて渦を卷いた。また橋の上を通過する鼾の大群は、押合へしあひして橋から墜ちると、一種異樣な悲鳴をあげてゐた。

 橋の上をうまく乘越した鼾の群は一直線に停車場の廣場の方へ走つて行つた。そこには旅客を待ちうけてゐた自動車の一列が、てんでに好きな恰好をして、鼾を發散してゐるのだつた。驛の白堊の二階建の外壁に嵌められてゐる時計のダイアルの燈も、それらの鼾の溫氣のためにか茫と霞んで魘れてゐた[やぶちゃん注:「うなされてゐた」。]。そして驛の建物の内部は、天井が高くて音響がよくとほるために、ここでは鼾どもが自在に飛廻つてゐるのだつた。次々に壁を這登る鼾は天井にとどくと電燈の下をぐるぐる駈づり廻り、天井は絕えず雷鳴のやうな響を發した。改札口の方に吊されてゐる黑板の時間表は、それにも鼾が絡みつくために、今は白い文字が飴のやうにだらりと溶けてしまつてゐた。その下では一人の驛員が立つたまま熟睡してゐた。餘程最後まで魔睡と爭つたものらしく、彼の指は自分の瞼を摘んであけようとしてゐるのだつた。

 待合室の中央の大テーブルにはトランクや行李が積まれてゐたが、それらの間に頭を投出して、いろんな人物の姿態があつた。赤い鞣革の大きなトランクを大切さうに兩肘で庇ひながら[やぶちゃん注:「かばひながら」。]熟睡してゐるのは、肥滿した紳士だが、常にいい場所を獨占し、一秒と雖も自分の權利を主張することを怠らない、大變逞しい人格の持主らしかつた。その紳士のチヨツキのポケツトから金時計がぶら下つてゐるのに、さつきまで氣を奪られてゐた人相のよくないハンチングの男も、その男ときたら、まるで今は鐵槌で首を捻られてゐるやうな哀れな恰好で熟睡してゐた。口紅を圓く塗つた若い女は、鼻を天井の方へ向けてのびのびと睡つてゐたが、その隣にゐる母親らしい女は、萎れた夕顏の花のやうな顏であつた。二人は手と手を握り合つてゐるところをみると、娘の方が母親に甘え、母親が多少それをもてあました折、魔術に陷つたものらしかつた。この親子と向ひ合つたところに、眼鏡をかけた神經質さうな男が一人忙しさうに腕組して睡つてゐた。見たところ失業者でもなささうだが、さりとて歲もあんまり老けてはゐないのに、生活に疲れはてたやうな顏附をしてゐるのはあらそはれなかつた。そのほか、景氣のよささうな商人や、無意味にハリキルことを好むらしい若い三人づれの會社員や、神信心に凝りすぎて多少氣が變になつてゐる學生など、どれもこれも、今は正體もなく睡らされてゐた。

 全體として、それらの人間の寢顏は、黃色な深夜の電燈の下で、陶器のやうに佗しかつた。けれども、彼等の放つ鼾は、彼等とはまるで別個の存在のやうに、てんでにすさまじく活躍してゐた。それはまるで喧嘩のやうであつた。赤い揉革のトランクの肥滿した紳士の鼾がガガアと突進すると、圓く口紅を塗つた若い娘の鼾がキキとこれと衝突した。かと思ふと、三人づれの會社員の三種三樣の鼾の如きは、機關銃の音に似てしまつて、終に周圍を壓倒した。

 この華やかな待合室にひきくらべて、そこの窓口から向に見えるところの線路の方は、いささか見おとりする風景であつた。幾條もの軌道が闇の地面を匐つてゐて、電燈がしよんぼりと點在してゐた。一番近くの線路の上に、一人の驛員が懷中電燈を持つたまま、栗石[やぶちゃん注:「くりいし」。鉄道の床部分に用いる小石。]の上に蹲つてゐた。懷中電燈の明りは彼の靑い上着のポケツトの邊を照明してゐた。ところが今、彼の全身にパツと強烈な光線の洪水が襲つた。と見るや否や、何か黑い塊りが彼の上を通過し、やがていくつもの窓のある箱が次々に見え出した。そして、その列車はどうしたものか、そこの驛には留まらうとしないで、矢のやうな速力で素通りしてしまつた。その上、不思議なことには列車が素通りして暫くたつてから後始めて、線路の上に轟然たる鼾の大群が反響して來た。忽ち鼾は線路の上空に龍卷を生じ、さつき通過した列車の乘客達の殘して行つた鼾は、一頻り荒れ狂つた。鼾と鼾の摩擦する度に發する音は無數の蛙の啼聲のやうに、せつぱつまつて物狂ほしさうだつたが、やがて騷ぎは一つ減り一つ減り終に雨滴のやうに杜絕え勝ちになつて、何時ともなしに飮んでしまつた。すると線路の上は闇と靜寂が領した。[やぶちゃん注:このシークエンスは原民喜の最期の映像と異様に重なる。民喜はこの十二年後の昭和二六(一九五一)年三月十三日、吉祥寺・西荻窪間の鉄路に身を横たえ、鉄道自殺を遂げた。同日午後十一時三十一分のことであった。]

 しかし街の方では今、鼾は增々たけなはになつて行くばかりだつた。屋根も道路も電信柱も、人々の發する鼾によつて、ぐらぐらと煮えくり返つてゐた。つまり街全體が今は大きな鼾の坩堝の底に投げやられた相(かたち)であつた。一番物凄いのは街の中央にある練兵場だつた。そこにはすぐ脇に兵營があつたが、兵舍の屋根は巨大な馬の胴腹のやうに、ふわりふわりと伸縮してゐた。練兵場の一角にある紀念碑の邊には、市民の鼾が押寄せて來て、もう立錐の地もない程であつた。鼾はてんでに紀念碑の石のてつぺんへ登つたり、松の木の枝に引懸つたりしてゐた。

 練兵場の砂原では、濠々として砂塵が渦卷いた。立昇るその砂塵の底では、喇叭や馬の嘶きや、大砲の炸裂する音、劍銃のかち合ふ響に混つて、ワワワワと突貫の聲が聞えた。そして、砂塵は增々大きく、いよいよ濃くなつて、練兵場の上の空に擴がつて行つた。遠くから見ると、それは眞白な大入道の顏に似てゐた。

 そして街全體の吐く鼾のために、溫度は刻々に高騰して行つた。そのためにであらうか、羽蟲や蛾が何處からともなしに現れて來ると、見る見るうちに數を增し、辻から辻へ眞白な流れとなつて擴がつて行つた。それらの群は鼾の大群のために追捲られて、苦しまぎれに卵を産むので、アスフアルトの道路は粉雪のやうに白くなつた。街が茹つて來るに隨つて、鼾はいよいよ金屬的な音響となり、それは救ひを求めてゐる悲鳴や、癲癇のあまり發する咆哮と化してゐた。[やぶちゃん注:このシークエンスも驚くほど、六年後に広島を襲う原爆の地獄絵を予感させているではないか! ロケーションは示されていないものの、「練兵場」とは明らかに、原民喜の作品群に馴染みの場所として登場する、広島の陸軍西練兵場(現在の広島市民病院や広島県庁から東の八丁堀京口門公園・広島YMCA附近までの一帯を占めていた)に違いないからである。]

 

 しかし、この切羽語つた鼾の大群のなかにも、やはり氣の輕い、いたづら好きな連中がゐることはゐた。彼等は自分達が單なる鼾である分限をも忘れて、あべこべに睡つてゐる人間を一つ調弄つてやらう[やぶちゃん注:「からかつてやらう」。]と相談し始め、その揚句、四五の輕卒なる鼾どもは、あらうことか、片目の新一の家へ飛込んだのである。

 鼾どもは新一の枕頭をとりまいて、新一の耳をビリビリ引張つたり、塞いでゐる方の目の上を撫でてみたりしたが、新一も今は岩のやうに堅固な睡りをつづけてゐた。そのうちに身輕な鼾は新一の鼻の腔へ潛り込んで、そのなかでサクラ音頭を踊り出した。到頭、新一は口をひらいて、ハックショイ! と一喝した。それに誘はれて嚏[やぶちゃん注:「くしやみ」。]はたてつづけに放たれた。新一はギロリと片目を開いて、闇のなかに坐り直つた。まるで自分が何處に居るのやら、今何時頃なのやら、一切がわからなくなるほど轟々たる音響であつた。

 新一はたつた今、塞いでゐる方の眼が遠かにパツと開く夢をみてゐたのだが、どうも氣持が浮々して、これはほんとにさうなつたのではないかと思はれた。そこで電燈をつけて、柱の方の鏡に自分の顏を持つて行つた。そして慇懃な表情で、恐る恐る鏡のなかの自分を覗いた。すると忽ち、耳許にワイワイワイと猛烈な嘲笑が襲つて來た。新一はびつくりして、部屋の中央に立ちはだかつた。依然としてワイワイワイと嘲笑は煩さく[やぶちゃん注:「うるさく」。]聞えて來た。

「默れ!」と新一は咽喉から血走る聲を發した。けれども、さつきからひきつづいてゐる何者ともわからぬ喚きは一向に歇まなかつた。それは、すぐ隣の襖越しに聞えて來るかと思へば、また屋根の上や床の下からも洩れて來るのであつた。この正體の解らない音響は到頭、新一を滅茶苦茶に苛々させた。

「どうしようつてのだ!」と、新一は天井に對つて[やぶちゃん注:「むかつて」。]呶鳴つてみた。と、音響は今、ドカンドカンドカンと攻擊して來た。「ああ、耳がもげる」と、新一は悲鳴をあげて、兩手で耳朶を塞いでしまつた[やぶちゃん注:「耳朶」は「みみたぶ」(音なら「じだ」)であるが、ここは二字で「みみ」と当て訓していると読む。]。

 暫くして、もう止んだかしらと、恐る恐る耳にあてた掌を緩めてみると、忽ちザザザザと響は大海原の波のやうに搖れてゐるのだつた。新一はぼんやり向の襖に目を留めてゐたが、ふと氣がつくと、襖紙の破れて新聞紙のはみ出してゐる部分が、不思議なことに風船玉のやうに脹らんだり縮んだりしてゐるのだつた。こいつだな、と新一は音の發源地を發見したやうに前へ乘出して、その新聞紙へ指を突込んでみた。すると、忽ち小さな旋風が新一の指に突當つて、それと同時にガガガガ……と雜音が突擊して來た。新一はあわてて、そこの襖を開放つた。

 隣室には新一の母が睡つてゐたが、年寄つた母親は何の異狀もなく今も睡つてゐた。しかし、この大騷動のなかで睡つてゐられるのはどうも合點がゆかなかつた。その時、何だか生溫かい響が新一の足許へやつて來た。それはどうやら母の鼻から出たものらしいのであつた。

「お母さん、お母さん」と新一は母の寢顏に呼掛けてみた。すると、また烈しい音響がゴロゴロと生じた。新一はびつくりして壁の方へ身を寄せた。どうしてもこれは母を起さなければいけなかつた。

「お母さん、どうしたのです」と新一は母の肩に手をかけて搖さぶつてみた。けれども母は何の反應もみせなかつた。その癖音響ばかりは新一の頭上でパリパリと火花を發した。新一は段々手荒く母の瘦せた肩を小突いて行つた。

「起きて下さい、起きて」と、口調とともに怒りがこみ上げて來た。母はまるで新一を嬲りものにするやうに目を閉ぢてゐた。

「何故、起きないのだ」と新一はとうとう母の肩に鐵拳を加へた。「こいつめ、こいつめ、誰が、俺を片輪者にしたのだ」と、新一は片方の目からパラパラと淚を落しながら、亂打を續けて行つた。それでも母は眞白な顏で睡つてゐた。「これでもか、これでもか」と新一は母の肩に馬乘りになつて、無我夢中で母の頭を撲りつづけた。

 そのうちに草臥れて、暫く手を休めようとすると、その時になつて、ハツと新一は大變なことをしでかしてゐるのに氣づいた。今、轟々と咆哮する嵐の底から、「やつたな!」といふ聲が聞えた。新一はそれが死んだ父親の聲に似てゐるので、びつくりして、ガタガタと戰き出した。「違ふ、違ふ、違ふよ」と新一は必死の聲をあげて辯解しようとした。それから、ぐるぐると母のまはりを步いてゐたが、恐る恐る母の顏を覗くと、新一は母の胸許に手をやつて、そつと心臟の上を探つてみた。心臟はまだ溫かく、ドキドキと動いてゐた。それで新一は急に嬉しくなつた。

「とんでもない心配させて」と、新一は睡つてゐる母にむかつて苦情を云つた。ワハハハハと若々しい笑聲が新一の耳にはいつた。それは母の鼾にちがひなかつた。新一はこの強情な鼾には呆れ返つて、もうものが云へなかつた。

 この時玄關の方に何かどかりと重いものがぶつかる音響とともに、けたたましい犬の啼聲や、馬の嘶きや、鳥の叫びが一時に家のまはりを取卷いた。して、玄關の硝子戶はガタガタと搖れ、「開けろ! 開けろ! 開けろ!」と、一齊に人々が叫んでゐるのであつた。新一は遠かに怕くなつて、寢床のなかに潛り込んで、頭からすつぽり夜具を被つてしまつた。しかし、外の騷ぎはいよいよ大きくなつた。玄關の戶や雨戶は人々の手に手に亂打され、時々ワーワーと歡聲があがつた。

「開けろ! 開けろ! 開けろ!」と、今度は誰か一人の代表者が呶鳴つた。「開けなきや壞してはいるぞ!」と他の人が云つた。「火事だ、火事だ、火事だ」と彌次馬らしい聲もした。「出ておいでよ、新ちやん」と馴々しげに呼ぶ女の聲もあつた。はじめ新一はビクビクしてそれらの聲を聞いてゐたが、段々度胸が据つて來た。いい加減なことを云つて冷やかしてるな、と新一は却つて腹立たしくなつた。何だい、畜生、と新一は遂に起上つて、玄關の戶を開けた。

 すると、新一の顏をめがけて、澤山の羽蟲がむんと飛掛つて來た。新一は兩手でそれを拂ひ退けながら、あたりを見廻したが、人間は愚か猫の子一匹もゐなかつた。しかも、さつきから耳に馴れてゐる、ギヤギヤギヤといふ不可解な叫びは一層たけなはに續いてゐた。ふと、屋根の彼方の空を眺めると、恰度練兵場の上あたりに、大きな大入道の顏がにたにた笑つてゐた。

 ハハハハと新一は不意に大聲で笑つてみた。しかし大入道は消えなかつた。そこで大入道の方へむかつて拳固を擬し、「これでもかつ!」と呶鳴つてみた。すると大入道は眼玉をぐるぐる動かして急に怖氣づいたやうな顏に變つた。「それみろ」と新一は得意さうに呟いたが、その時また目の前を羽蟲がうるさく衝當つて來た。新一はあわてて片目を庇つた。と、今、新一のすぐ頭上を何か飛行機のやうな唸り聲がぐわんと通過して行つた。見ると、隣の塀の上に誰か腰掛けてゐて、唸りはそこから發してゐるのだつた。

「おーい、おーい」新一は塀を見上げてその男に聲を掛けてみた。が、相手は身動もせず頻りに爆音を發してゐる。

「君は誰だ、泥棒かい」と、新一は不審に耐へず猶も塀の男を凝視してゐた。

 そのうちに暫くすると、何か白い膜のやうなものが、その男の身體全體を包んでしまつた。と、思ふと、その膜はふわりと男の身體から離れて、路上に降りてゐた。

「えへん、君は誰だい」と、いま白い膜が落ちたところに入替つて正服の巡査が立つてゐた。新一はちよつとびつくりしたが、直ぐ氣をとりなほして、

「馬鹿にするな……」と呶鳴りつけた。すると、巡査はキヨトンとして鬚を捻つてゐたが、とうとう指で口鬚を捩ぎとると[やぶちゃん注:「もぎとると」と訓じていよう。]今度は新一の方へ手を差伸べて、

「御面倒さまです、切符を拜見させて戴きます」と、車掌になつて調弄つて來た。

「切符なんかない」と新一はそつぽを向いて相手にしなかつた。すると、相手は急に無賴漢の姿に變つて腕組みした。

「やいやいやい、一つ目小僧、面白くもねえ面しやがつて!」と、相手は凄さうな聲で新一に迫つて來た。

「やるか!」と、新一はさう叫ぶや否や、塀のところにある大きなポプラの枯木を片手でひつこ拔いた。新一は身の丈數倍もある枯木を輕々と縱橫振廻した。もう相手はすつかり氣を吞まれてしまつたらしく、パタパタ羽擊きながら路上を逃惑つた。

 新一が相手の頭上目掛けてポプラの枯木をパツと叩き据ゑると、その怪物はすーつすーつと空氣枕のやうに息が拔けて縮まり始めたが、やがてコトリと小さな響とともに路上に轉がつて落ちたのは、蝸牛であつた。しかし、猛りたつた新一はそれを眺めても氣は收まらなかつた。足で蹈拉かうか[やぶちゃん注:「ふみしだかうか」。]と思つたが、ふと、向の露次にある塵芥車を片手で引寄せると、箱の蓋を開けて、そのなかに蝸牛を放り込んでしまつた。それから彼は片手で大きな荷車を牽き、片手でポプラの枯木を背負ひながら、大きな地響をたてて進んで行つた。

 すると向の角から市會議員の松村氏がやつて來た。新一の親類にあたる男だつたので、選擧の時には彼が極力應援してやつたのだが、相手は當選してしまふと、もう新一なんかには見向もしてくれなかつた。ところが今は何の風の吹き廻しか、松村氏は大變にこにこと笑ひながら遠くから新一の方へ近寄つて來る。どうも樣子が變だと、新一が疑つてゐると、はたして相手の步き振りはまるで女のやうになつてしまつた。そして、顏もそつくり今は女だつた。その奇妙な女は一生懸命しなを作つて、厚釜しさを押包んでゐる。何が面白くて松村氏は今やこんな女になりはてたのか、新一は啞然として立疎んでゐた。すると相手は得々として、新一の傍までやつて來ると、

「お兄さま」と、甘つたれた聲を放つた。

「馬鹿にするな」と、新一は片手の枯木を大上段に振落した。ポプラの枯木で叩き伏せられた女は暫くは、じたばたやりながら、種々雜多の罵詈雜言を世にも恐しい早口で喚き立ててゐたが、やがて、おとなしくなつたと思ふと、其處にはまた蝸牛が轉つてゐた。新一はそれを拾ひあげると、塵芥車の箱に放り込んだ。

 それから再び片手で荷車を引き、片手で枯木を背負つた姿勢にかへると、もう目の前には新たな怪物が現れかけてゐた。新一は片目にちよつと笑みを浮べて相手を眺めた。隣の家の若い娘が拔足差足でこちらを覘つてゐるのであつた。娘はハンチングなんか目深にかむつて、刺客めいた上衣を着てゐる。と、いよいよ機會は到來したやうに眉をピクリと釣上げたかと思ふと、後に隱し持つたピストルを新一にむけて擬したのである。新一は娘の思ひあがつた恰好がをかしくて、にこにこ笑つてゐたが、娘はそれでも眞劍だつた。忽ちピストルの彈丸は新一の方へ飛來したと見るより、それは一匹の蝸牛と化し、娘の姿はもう吹消されてゐた。新一は樂々とその蝸牛を掌に取上げた。

「暫く待つた」と屋根の上で聲がした。見上げると、そこには街でよく出喰はす乞食の躄(ゐざり)が、兩脚でピンと瓦をふんまへて、大きな梯子を振上げながら新一に挑み掛らうとしてゐた。

「相手にとつて不足はあるまい」と乞食は勝手に決めてしまふと、梯子を薙刀のやうに構へた。新一がづしんと枯木で打込んで行くと、梯子はミシミシと音をたてて折れさうになつた。「龍虎相搏つ」と乞食はのん氣なことを喋つてゐる。新一はこいつも早く蝸牛にしてしまひたいので、猛然とポプラの鉾先で相手の胸許を突刺した。

「遺憾千萬」と乞食は目を白黑させながら、まだそんなことを喋つてゐたが、終にころりと屋根から墜落すると、もう小さな蝸牛になつてゐた。

 新一がそれを拾つて箱に投入れるや否や、もう彼の前には別の相手が現れてゐた。今、蹄の音もかつかつと白い駿馬に跨りながら彼の方へ驀進して來るのは、金光教教會の裏に棲んでゐる盲者の按摩だつた。盲者はかつと兩眼を見開いてゐて、偉風堂々と帽子には雞の羽根を著けてゐるので、これは屈強な敵のやうに思へ、新一は何故とも知れず無性に腹が煮えくり返つた。

「目をつむれ、目を、卑怯だぞ」と、新一は大聲で叫んだ。

「默れ、新一、さあどうだ」と、相手はバツと外套を脫捨てると、細長い劔を夢中で振廻した。しかし、どうしたはずみか、やがて相手の劔はポキリと折れてしまつた。すると、按摩は「おやつ」と呟いて、不審さうに折れた劔に見入つてしまつた。そのうちに鞍上の主人が弱つたためか、馬は見るまに四本の脚がぐにやりとなり、長い首をだらりと垂れて、馬はぺつたりと路上に坐つてしまつた。新一は難なく相手を蝸牛にしてしまつた。

 片手に抱へ持つポプラを路上に下して、新一が一息ついてゐると、今、彼方から水母のやうな塊りがふわりふわり[やぶちゃん注:ママ。]と飛んで來るのだつた。それはたしか、新一の姪の高子がこの間産んだ赤ん坊にちがひなかつた。新一ははたと困惑の表情で相手を睥んだ[やぶちゃん注:「にらんだ」。]。しかし、この半透明な怪物は新一の顏の前まで來ると、オワア、オワア、オワアと奇聲をあげて煩さかつた。新一は片手で相手を拂ひ退けようとしたが、赤ん坊は新一の肩の上に留まつてしまつて、頻りにオワア、オワアと喚きつづけた。

「やかましいぞ」と、突然新一は兩肩を震はせて、地蹈鞴[やぶちゃん注:「ぢたたら」「ぢただら」「ぢだたら」と読むが、これで「ぢたんだ」と当て訓しているかも知れない。]を踏んだ。と、赤ん坊は猫のやうに新一の肩から滑り降りると、今度は荷車の上に留まつてミヤオミヤオ、ミヤオと啼き出した。新一は荷車を搖すつて、赤ん坊を振落したが、相手はまだ逃げ出さうともしないで路上に蟒局[やぶちゃん注:「とぐろ。]を卷いてしまつた。そして今度はコケコツコオと雞の啼き聲を發した。

「馬鹿にするな」と、とうとう[やぶちゃん注:ママ。]新一の怒りは爆發して、ポプラの枯木をむんずと振上げた。すると相手はすーつと靑白い光を放つて飛立つたかと思ふと、振上げたポプラの枝に留まつてしまつた。

「えツ、いまいましい」と、新一はポプラの木を自棄に[やぶちゃん注:「やけに」。]振り動かせたが[やぶちゃん注:ママ。]、ポプラの梢にゐる相手は今は螢に化けてしまつてゐた。新一が暫く口惜しさを我慢して、手を休めてゐると、梢にゐる赤ん坊はジジジジジと蟬の啼聲を放ち出した。それでも新一は今は相手に油斷さすために素知らぬ顏をしてゐた。蟬は新一をじらすやうに、いよいよ調子づいて啼きつづけた。新一は突然飛上つて、梢の蟬を掌で押へつけた。掌に捕へた蟬はまるで茹卵のやうに熱かつた。新一はもう少しでびつくりして放すところだつたが、顏を顰めてぐつと掌で握り潰した。急に掌のなかの物體が冷たくなつたと氣づいた時、それはやはり蝸牛にされてゐた。

 しかし、新一が赤ん坊との戰爭で夢中になつてゐる隙に、他の強敵が今のそのそと彼の方へ匐つて來てゐた。新一はビクリとして今度は少し靑ざめてしまつた。山ほどもある大きさの蜘蛛が、無數の足を擴げて、今刻々と新一の方へ接近して來る。あんなに巨大な腹をしてゐるのは、子持蜘蛛にちがひなかつたが、何よりも困つたことには、新一は生れつき蜘蛛が怖かつたのである。暫く息苦しい睥み合ひを續けてゐたが、怖さに堪へかねて、今はキヤツと叫ぶと同時に、無我夢中で枯木を叩きつけた。と、簡單に手應へはあつたのか、蜘蛛はぐらぐらと山嶽の崩れ落ちるやうな音響とともに消え失せてしまつた。そして路上は見渡すかぎり蝸牛の群で滿たされてゐた。殘念なことに、その時、新一の姿はもうなかつた。

原民喜 夢の器

 

[やぶちゃん注:昭和一三(一九三八)年十一月号『三田文學』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データや歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記がないという事実及び原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までの私のカテゴリ「原民喜」のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。

 幾つかの気になる語に先に注を附す。

 第一段落。

「米搗螇蚸」は「こめつきばつた(こめつきばった)」と読む。コメツキバッタは、①捕まえて後脚を揃えて持つと、体を上下に動かすのが、米を搗く姿を思わせることから、お馴染みのショウリョウバッタ(昆虫綱直翅(バッタ)目雑弁(バッタ)亜目バッタ下目バッタ上科バッタ科ショウリョウバッタ亜科Acridini 族ショウリョウバッタ属ショウリョウバッタ Acrida cinerea)の別名であるが、一方で、②やはりお馴染みの、仰向けにすると、頭部と胸部の関節を急速に動かしてパチンと振り上げて跳ね、元に戻る能力を有する小型甲虫コメツキムシ類(鞘翅(コウチュウ)目多食(カブトムシ)亜目コメツキムシ上科コメツキムシ科 Elateridae。この動作が米を搗くそれに似ていることに由来するが、種群の総称通称であってコメツキムシという種はいない)に属する多数のコメツキムシ類の別名でもある。ここでは孰れとも判然としないが、私はコメツキムシ類をコメツキバッタと呼んだことは経験上無く、一読した際は前者のショウリョウバッタととった。複数の個人記事を確認すると、広島地方では後者コメツキムシは、恐らくその音から「ペキン」と呼ばれることが多いこと、やや西の福岡ではショウリョウバッタを「コメツキバッタ」と呼ぶとする記載を確認出来たので、私はやはりショウリョウバッタでとることとする。

・その直後に出る「孩子」は中国語で「子供」の意で、サイト「ふりがな文庫」の「孩子」では「あかご」「わらし」「おさなご」「がいし」の複数の著名作家の用例を掲げるが、文脈上、後の二つはそぐわず、「あかご」もおかしい感じがする。「わらし」は主に東北地方の方言であり(同用例の作者佐左木俊郎は宮城出身)、これもピンとこない。私はシークエンスからも「こども」と読んでおく

・やはりその直後に出る「膃肭臍」は「おつとせい(おっとせい)」で、哺乳綱食肉(ネコ)目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科オットセイ亜科 Arctocephalinae のオットセイ類を指す。因みに、本邦で現認し得る(日本海及び太平洋側は銚子沖辺りから以北)野生のそれは、キタオットセイ属キタオットセイ Callorhinus ursinus のみである。

・「ボイル」voile。強撚糸(きようねんし)で粗く織った薄地の布。夏服やシャツに使用する。

 最終段落。

・「セル」「セル地」のこと(但し、「地」は当て字)。「セル」はオランダ語「serge」の略で、布地の「セルジ」のこと(「セル地」という発音の偶然から「セル」と短縮された)。梳毛糸(そもうし:ウールをくしけずって長い繊維にし、それを綺麗に平行にそろえた糸)を使った、和服用の薄手の毛織物。サージ。

 因みに、本篇は現在、ネット上では公開されていないものと思われる。【2019年3月31日公開 藪野直史】]

 

 夢の器

 

 露子は廊下の曲角で靑木先生と出違つた。先生は「ホウ」と輕い息をして露子の前に立留まつた。すると廊下に添つた左右の教室のドアが遠くまで花瓣のやうに開いて、そこからひとりづつ女學生の顏が覗いた。みんな露子を珍しさうに眺めてゐるらしかつた。もう私はとつくに結婚して居るのに、と思ふと露子は何だか無性に腹立たしく、恥しかつた。それで耳の附根まで眞赫になりながら先生の前にもぢもぢしてゐた。「あのひとよ」と誰かが囁いた。その聲は近所のおかみさんの聲だつた。急に露子は嚇として、「あなたがいけないからです」と靑木先生の兩肩を押へつけると、ぐらんぐらん左右に搖すぶつた。先生はべらべらの紙人形のやうに搖さぶられて居た。そのうちに露子は先生を苦しめてゐるのに喫驚して[やぶちゃん注:「びつくりして」。]手を緩めた。靑木先生の眼球はほんとうに辛らさうに黑く顫へて居た。恰度、小さな弟が死ぬる時の眼つきだつた。それに紙人形になつてゐる顏から眼ばかり圓々と生きてゐるのだから。露子は半信半疑で、これは夢をみてゐるらしいとおもつた。しかし動悸が高まつてゆくと、どこかで鐘の音が聞えて來て、やがて廊下は女學生の顏で一杯になつてしまつた。もう露子もそのなかの一人になりきつて居た。露子の友達がキヤツキヤツと叫んで我勝ちに走つて行くのは、誰かが運動場の處に氣違が來てると云つたからだ。その氣違なら露子も同窓會の時一度見たのだつたが、皆が走つて行くのに誘はれて露子も走り續けた。氣違はもう一同を待兼ねて居たとみえて、皆の姿が集まると、ニコニコ笑つてお叩儀をした。これが一級上の優等生の林さんの變り果てた姿かと思ふと、露子は淚が出さうになるのだつた。ところが林さんの方は如何にも得意で嬉し相に、皆の方へ秋波を送りながら、「學校、面白いわね」と片言を喋つた。忽ち、皆はキヤツ! と大袈裟な笑ひに捲込まれ、どの生徒も、どの生徒も米搗螇蚸のやうに腰を折つては笑ひ狂つた。すると林さんはもの靜かに笑ひながら、もう次に云ふ言葉を想ひ着いてゐるらしい。一同の笑ひが靜まつたのを見計らつて、「皆さんは、孩子産みますか」と眞顏で訊ねた。そして懷から小さな枕を取出して、大切さうに抱へてみせるので、もう皆は笑はなくなつた。「あのひとも結婚してから苦勞が重なつて、到頭あんなになつたのです」と、露子の側に立つてゐる光子が話しかけた。何時の間にか女學生達は消えて、光子と二人きりで眺めてゐるのだつた。……氣違の女は運動場の砂の上に膃肭臍の恰好で蹲つてしまつた。そして、もう動かうとしないので、それは海岸の巖のやうに想はれ出した。いくらか靑味をおびた硝子が嵌められてゐるのは額緣の景色かもしれなかつた。ふと露子は自分の今居る病室の壁に掛けられてゐる額を眺めてゐるのに氣附いた。それは新綠の丘の上に茫と圓味をおびた紫色の山が姿を顏はしてゐる繪だつた。が、今、山の後にあたる靑空が時々、晴くなつて慄へるので、露子はまだ氣が遠くなるやうだつた。たしかに、山の裏側から白い靄のやうなものが匐ひ出して來た。視ると、それは彼女がむかし愛玩してゐた西洋人形とそつくりの、ボイルの服着てゐて、顏は櫻んぼうのやうに小さかつたが、限界がきちんと見え、何ともいへない優しい素振りで、今ふわりと額緣の中から二三寸拔け出して來た。露子は何だか相手が不吉な使ひのやうに思はれて、ぢつとりと汗ばみながら怕く悲しくなつた。しかし相手は恍惚とした小さな貌で露子に微笑を投げかけてゐるのだ。そして、まるで鞦韆[やぶちゃん注:「ぶらんこ」。]の綱が伸びて來るやうに無造作に露子の顏へ對つて走つて來た。

 はつと愕いた時には、もう相手は消えてゐたが、眼の前には附添の看護婦の白衣の袖が近づいて居た。看護婦の香川さんは何時ものやうに默つて檢溫器を露子の脇の下に差入れたが、ふと彼女の額を掌で輕く撫でながら、「大分汗をおかきですね」と呟いた。「ああ」と富子は少し靑ざめた聲で應へた。「さつき私は何か唸つてゐなかつた」「いいえ、靜かにおやすみで御座いました、何か怕い夢でも御覽でしたの」「ああ」と露子は子供のやうな聲で頷いた。「あのね、あそこの額緣から小さな魔法使がすーつと出て來たの」と、露子は看護婦の顏を視凝めた。看護婦は急に何かはつと驚いた容子であつたが、「その魔法使の顏はこんな顏ですか」と露子を覗き込むと、看護婦はさつきの魔法使になつてしまつた。あああ、と露子は悶絕した。すると、すぐ近くで樂隊の音がして、魔法使の鞦韆は嵐のなかの舟のやうに左右に搖られてキリキリ舞つた。その苦痛が露子にも直接響いて來るので、あああと彼女は唸りつづけた。私はまだ夢をみて魘れて[やぶちゃん注:「うなされて」。]ゐるのにちがひない……香川さんの意地わる……。露子はきれぎれにそんなことを思ひつきながら、苦しみが鎭まるのを祈つた。……やがて、不思議な鞦韆は後を絕つて、遠くの方から頻りに彼女の名を呼ぶものがあつた。今度こそほんとに目が覺めたやうな氣持だつた。しかし、眼の前がまだ雨降のやうに薄暗く、體もぐつたり疲れてゐた。そこへ光子が大變怒つた顏でふらりと現れて來た。「何處へ行つてゐたのです、人が折角話しかけてゐると、すーつと消えてしまつて」と光子は云つた。露子も喫驚して、さいぜんからの續きを憶ひ出さうとしたが、あたりの樣子からしてもう變つて居た。光子は苦情云つてしまふと[やぶちゃん注:ママ。「苦情を」の「を」の脱字であろう。]、すぐに氣が輕くなつて、今度は露子の機嫌をとらうとするのだつた。「あれ、あんな綺麗な露が」と、光子は廊下の窓から半身を乘出して、外の方を指差した。露子が光子の肩の脇から覗き込むと、そこは講堂の入口の庭で、若竹の纖細い[やぶちゃん注:「かぼそい」。底本は「纖」は「繊」で、経験上から言うと、民喜はその「繊」の字体を使用しているかも知れない。]枝に小糠雨が降灑いでゐて、枝に宿る露の玉は螢に似た光を放つてゐた。「露つてあんなに美しいものかしら、まるで生れて始めて見るやうな氣が致しますわ」と光子は柔かな聲で話しかけた。露子は不思議に惱ましく、何か胸の邊が茫として、頭も柔かくなりすぎた。すると、ふわふわの[やぶちゃん注:ママ。]靄のなかに膃肭臍の姿が閃いた。露子ははつとして林さんのことを憶ひ出した……。

 ところが、其處へ級長の林さんが先頭になつて、一級上のクラスが整列して進んで來たので、露子は茫然としてしまつた。級長の林さんはきつと薄い唇を結んで、脇目も振らず講堂の方へ步いて行き、それに續く上級生達が露子の脇を通り過ぎると、少し冷たい風が過ぎて行くやうであつた。列が杜切れたかと思ふと、暫くして、今度は露子のクラスの生徒がやつて來て、くすくす笑ふ聲が洩れた。見ると列のなかにほ、ちやんと光子の顏まである。そのうちに何時の間にか露子も列のなかに加はつてゐて、後から光子に肩を叩かれた。もう列は講堂の入口へ來てゐた。遠くの白い壁に掛けてある額が、それは露子の死んだ父の肖像だつた。ピアノの上には露子が飼つてゐた白猫が蹲つてゐた。室内は生徒の顏で一杯になり、何かそはそはと愉快さうな空氣が漾つた。氣がつくと、先生達の椅子の列のなかに、露子の夫が澄し込んで腰掛けてゐた。中央の壇上の大きな臂掛椅子の上には露子の叔父の今中さんが毛皮の外套を着て腰掛けてゐた。今中さんは行儀惡く長靴の膝を組合はせてゐて、それに外套の上に大きなダリアに似た勳章を吊下げてゐたが、露子は叔父が勳章なんか持つてはゐない筈だし、また何かいたづらをするのではないかと冷々した。しかし叔父さんは如何にも欣しさうに皆の方へ時々、懷しげな笑ひを投げかけた。すると、生徒達はもう待ちきれなくなつたやうにパチパチと盛んに拍手を送つた。到頭、叔父は椅子から巨體を浮上がらせて、テーブルの處へやつて來た。拍手はいま割れるばかりになつた。叔父は悠々と水差からコップに水を汲んで飮み、ポケツトからハンカチを出さうとしたがなかなか出て來ず、何か黑い塊りをテーブルの上に置いた。「ピストルよ、ピストル」と生徒達の囁きがあちこちで聞えた。やつと叔父はハンカチを取出して、それで口髭を一拭きすると、ちらつと惡戲氣[やぶちゃん注:「いたづらけ(いたずらっけ)」。]の笑みを浮べた。「さて、皆さん、私は本校から派遣されて、遠く、かのアフリカへ行つて來たものであります」皆はそれだけ聽くと、くすくす笑ひ出した。露子は叔父がいよいよ出鱈目を喋り出すので恥しくなつた。「アフリカと申しますと、ライオンや、虎や、獅子や、象、水牛、河馬……」と、叔父は愈[やぶちゃん注:「いよいよ」。]圖に乘つて、「ところが、なかんづく、特に、面白い動物中の動物、白熊を生捕にして持つて歸りましたから、只今卽刻御覽に入れます」……その時、ピアノ上の白猫が立上つて、叔父のテーブルの前に來た。白猫はゴロゴ咽喉を鳴らしながら頻りに叔父に對つて笑ひかけてゐる。それは何だか亡くなつた叔母の顏に似て來て、露子は奇妙にもの哀しくなつた。叔父は叔父で、白猫の動作を默つて視守つた儘、もう剽輕な表情を引込めてしまつた。次第に叔父の額には思慮の皺が寄り、瞳はしょぼしょぼと瞬いた。猫は懷しさうに叔父の胸許に身をすり寄せ、「あなた樣」と、はつきり人間の言葉を放つた。叔父はすつかり感動したらしく、「ううん」と重苦しい聲を洩らした。「お前でも人間の言葉がわかるのか」「ええ、私も立派に人間と會話が出來ます」「儂は今迄それを知らなかつた、ああ、さうだ、これも神樣の御意といふものだ」さう云つて叔父は兩手を空に擧げて祈るやうな恰好をした。講堂は今、しーんとしてしまつて、誰ももう居なかつた。……露子はすつかり叔父の動作に惹きつけられて、靜かに壇上の叔父を視凝めた。すると今迄叔父だと思つてゐたのは、先日ここの病室に訪れて呉れた牧師の今中さんだつた。牧師の方でも、露子の熱心な瞳に氣づいた。「あなたはその儘にしてゐらつしやい、起上らなくとも寢たままでもお祈りは出來ます」と、牧師は露子を靜かに瞰下し[やぶちゃん注:「みおろし」。「かんかしながら」でもよいが、硬過ぎる。]ながら語つた。「あああ、私は一體どうなるのでせう」と、露子は自分が依然としてベツトに橫はつてゐるのを知つて、悲しくなつた。「靜かな氣持でゐらつしやい、懷疑や焦躁は惡魔の侶[やぶちゃん注:「とも」。]です」牧師はゆつくりと太い眉に力を籠めて應へた。「あなたがゐらして下さる間は私も救はれたやうな氣持になれます。ですけれどお歸りになつたすぐ後で、もう私は駄目になつてしまふのです、駄目ですわ、駄目ですわ、こんなに私は弱つてしまつてゐて、淋しいのです」と露子は聲をあげて泣き出してしまつた。相手は無言のまま凝と彼女の歔欷[やぶちゃん注:「きよき(きょき)」。すすり泣き。むせび泣き。]を聞いて居て呉れた。露子は段々氣持が宥められて[やぶちゃん注:「なだめられて」。]、今はただ甘えて泣いてゐるやうに思へた。相手はまだ立去らうとしないで露子を瞰下してゐた。もう露子は泣いてはゐなかつた、むしろ何かを期待するやうな心地だつた。すると、相手は傍にゐる看護婦に輕く合圖した。檢溫器が露子から取上げられ、醫者の掌に渡された。醫者は體溫表をちよつと眺めてゐたが、やがて、露子を勞はるやうな口調で云つた。「だんだん快方へ向つてゐます、もう一週間もすれば退院出來ませう」露子は急に淚が出るほど嬉しくなつた。何も彼もが胸に痞へて[やぶちゃん注:「つかへて」。]、それで容易に言葉は出なかつた。すると看護婦が、「もう一週間すれば櫻が咲いて恰度お花見頃ですわね」と云つた。露子は目の前が眩しく、櫻の模樣がちらついた。それでは退院する時の晴着を母に云つて取寄せて貰はうかしら……と思ふと、變なことに、その着物なら既に以前からこの病室へ取寄せてあり、今も壁に掛けられてゐるのだつた。

 露子はがつかりして氣持が崩れ、息の根も塞がりさうになつてしまつた。今、病室には誰も居なくて、廊下の方も森としてゐた。夜なのか晝なのか時刻も不明で、生暖かい空氣が頻りに藻搔いてゐた。時々、キヤツ! と叫び聲がすると、後はまたしーんとしてしまふ。突然、寢てゐる寢臺が鐵の腕を伸して、後から彼女に飛掛つて來た。そして寢臺は鐵の腕を縮め、ぐんぐん彼女を締めつけて行つた。もう救ひを求めようにも、聲は出なかつた。いいえ、これはやつぱし夢にちがひない、それなら何も怕がらなくてもいいはずだ……露子はぐつたりと疲れた頭で考へてゐた。こんな氣持の惡い夢でなく、もつと面白い綺麗な夢を、あのさつきの講堂で叔父さんがお話して呉れるやうな夢でもいいし、もう一度學校へ後戾りしてみたい、……學校の講堂の、さつきは雨が降つて、笹の葉がまるで螢みたいだつた……。何時の間にか露子の背中に嚙みついてゐた寢臺は力を失つて、それと氣づいた時には、彼女の體は石塊のやうにぐらぐらした闇の底へ墜ちて行くのだつた。

 やがて、房子の體は實家の二階の瓦の上に墜ちてしまつた。非常に睡むたかつたが、彼女は瓦を踏んで窓から六疊の部屋の方へ這入つて行つた。そして疊の上に寢轉ぶと、すぐ睡れさうになつた。今度の夢はここから始まるらしく、何だか自分でそれを知つてゐるのが氣持惡く、どうにもならないことのやうであつた。ぢつと寢轉んでゐると、額の方に窓の靑空が眩しく感じられ、すぐ近所の鑄掛屋でブリキを叩く音がだるさうに響いて來た。時折、表の通りを地響をたてて自動車が通つた。隣の庭の赤松の枝で雀が頻りに囀り出したのは夕方に近づいたしるしらしかつた。そして露子はいくらか饑じく[やぶちゃん注:「ひもじく」。]なつて來た。寢轉んでゐるすぐ枕頭の方には勉強机があつて、その机の上にスケツチブツクが放つてあつた。そのスケツチブツクの白い頁がすぐ露子の瞼の上に漾つて來た。露子は寢轉んだまま、一生懸命その白い頁の上に日記を書き出した。大變みごとな文章がすらすらと綴られて行き、自づと彼女の睫[やぶちゃん注:「まつげ」。]には淚が溢れて來た。もう頁はすつかり塞がつて行つた。が、ふと彼女はこの儘その日記を夢の中で失ふのが惜しく思はれて來た。これは早く目を覺して、枕頭の日記帳へ書きとめておきたかつた。……暫く藻搔いた揚句、彼女はベットの枕頭へ手を伸して、漸く日記帳を取出した。それは入院以來つけて來た日記だつたが、もう久しく忘れられた儘になつてゐるのだつた。彼女は寢たままで、胸の上の日記帳を展げて、ぼんやり眺めた。氣がつくと、何時の間にか誰かが亂暴な文字で一杯にいたづら書をしてゐるのだ。妙に腹立たしく、頰まで火照つて來たが、亂暴な文字の意味は一向に讀めなかつた。それで氣持は惑つて來たが、ふと兩手で支へてゐる日記帳に重みがないのがをかしく思へた。すると、今迄日記帳だと思つてゐたのは、小さな玩具の草履だった。それに露子の兩手はちやんと蒲團の下に在つて、草履は勝手に彼女の顏の上に浮いてゐるのだつた。もしかすると、天井の電燈が熱の所爲で草履に見えるのかもしれない。だが草履の表にははつきりと苺の模樣が着いてゐて、緖は水色だつた。ぼんやりとも靄のやうなものが草履の後に見え出して、速かに草履は誰かの指で動かされた。「氣がついたかね」と夫の聲がした。何時の間にか夫は彼女のベツトの側の椅子に腰掛けてゐた。夫は玩具の草履をポケツトに收めると、タバコを取出して火を點けた。「あなたは何時上陸なさつたのです」と露子は訝しげに眼を細めた。夫はそれには應へないで、ぼんやりと煙草を銜へたまま、何かうつろな面持だつた。すぐ目の前に居ながら、まるで氣持は無限に離れてゐる、ただ拔け殼だけが今もここにある……その日頃からの想ひが仄かに露子に甦つて來た。すると夫も露子の氣持を覺つたのか、更に他所他所しい表情になつて行く。このままではもう間もなく消えて行くに違ひないと露子は思つた。非常に濟まない氣持がこの時になつて彼女に湧いた。しかし、既に形を失ひかけた人物は今、最後の光芒を放ちながら、ヂリヂリと蠟燭の燃え盡きる音をたてた。急に彼女の胸は高く低く波打ち出した。寢臺のまはりには暗黑の海の波が荒れ狂つた。すると、彼女の寢臺はビユーと唸りを發するとともに、高く高く天井の方へ舞上つた。それから暫くはぐるぐると病室のなかを飛移つてゐたが、やがて再び元の位置に据つた[やぶちゃん注:「すはつた(すわった)」。]。その時には夫の姿はもう完全に失はれてゐた。

 彼女は荒れ狂ふ寢臺にすつかり脅え、眼は虛しく天井を瞻あげた[やぶちゃん注:「みあげた」。]。すると今、病室はさながら水槽の底のやうに想へて、露子は刻々に溺れゆく自分を怪しんだ。物凄い速力で水は流れ、そのなかにもう體は木の葉のやうに押流された。次第に水の流れは緩くなつた。そして露子はどうやら、橋の下を今潛つてゐるやうに思へた。橋杙[やぶちゃん注:「はしぐひ(はしぐい)」。「杙」は「杭」に同じい。]の影が靑い水の層から伸び上つてゐる方は、眩しい靑空で、石崖のまはりの水は冷んやりとして渦捲いてゐた。しかし、仄かに靑い水を透して眺められる橋の姿は、何だか病室の寢臺の脚に似てゐた。さう思ふと、川底までが病室の黑光りする床に異らなかつた。だが、頭の上の方をゴロゴロと荷車が通つたり、下駄の行替ふ[やぶちゃん注:「ゆきかふ(ゆきかう)」。行き交う。]音がするのは、橋の下にゐるやうだつた。……暫くすると、露子の眼の前に小さな鮒が泳いで來た。鮒は露子の鼻先に來てとまり、それから、ひらりと身をかはして、壁に掛けてある着物の裾へ泳いで行つた。見ると、露子の晴着は小さな水の泡が一杯ついてゐて、海草のやうにゆるやかに搖らいでゐた。鮒は袂の下を潛り拔けると、まつすぐ露子の方へ泳いで來た。その眼球がたしか、友達の光子だつた。「氣がついて」と相手の鮒は話しかけた。どうやら露子も鮒になつてゐるらしいのに氣づいた。すると、全身から白い膜のやうなものが、ふわりと脫ち[やぶちゃん注:「ぬけおち」。或いは「おち」。]、急に露子は身輕さを覺えた。光子はずんずん面白さうに泳ぎ續けた。露子は自分も泳げるものかしらとまだ躊躇してゐたが、光子の後を追はうと決心すると、案外樂に泳げ出した。すると急に嬉しくなつたので、態と斜に泳いでみたり、くるりと廻轉してみたり、嬉しさはいよいよ募り、もう凝として居られなくなつた。「早く早く外へ出てしまひませう」と、光子に囁き二人は囘轉窓から廊下の方へ飛出した。廊下の向から恰度回診の醫者が看護婦や助手を連れてぞろぞろやつて來た。見つかりはすまいかしらと露子は一寸心配したが、光子は一向平氣でお醫者の鼻先を掠めて行つた。それで露子も皆の頭の上を泳ぎ拔け、早速光子の後を追つた。廊下は既に盡きて、バルコニーに來てゐた。そこからは往來の一部が見渡せるのだつた。露子はもう夢中で明るい往來の方へ跳出した[やぶちゃん注:「をどりだした」。]。後から光子の何か云ふ聲が聞えた。が、露子はもうそれに耳を貸してゐる暇はなかつた。早く、早く、逃げ出して、と風が耳朶[やぶちゃん注:「みみたぶ」(音なら「じだ」)であるが、ここは二字で「みみ」と当て訓していると読む。]で唸る。嬉しくて嬉しくて、何しろもう急がなければならなかつた。後から光子が追駈けて來るらしいことまで頻りに面白く、そして體はいよいよ速かに泳げて行けるのだつた。

 風が後から彼女を押すやうに吹いて來ると、彼女の鰭はふわふわ[やぶちゃん注:ママ。]搖れて、身は輕く街の上を飛んだ。あんまり上に浮いてはまだ心細いので、お腹の浮袋を調節すると、今度はずんずん下に沈めた。それで、もうすつかり自信がつき、また空高く舞上つた。街はそこから一目に見渡せた。煙突や高いビルがすぐ下に、そしてアスフアルトの路は遠くに、人は豆粒のやうに緩く步いて居た。もう連れの光子は何處にも見えなかつた。彼女はやつぱし浮々して、頻りに嬉しく、向に自分の實家の庭の綠が見えて來ると、一直線に突進して行つた。だが門の少し手前まで來た時、急に呼吸切[やぶちゃん注:「いきぎれ」。]がして、動悸が烈しくなつた。まだ病氣なのに無理しなきやよかつたと思ふうちに、目が眩んで、體が石のやうになると、溝の中へ墮ちてしまつた。……やがて溝の上に人の顏が覗いた。次第に胸は烈しく痛み、露子は今、醫者に注射されてゐるやうな氣持だつた。しづかに眼をひらいて見ると、しかし、溝の上に居るのは弟だつた。露子は喘ぎながら弟の名を呼んでみたが、弟は亂暴に彼女を握締めると、家の内へ駈込んだ。それから臺所の處で彼女をバケツの中に放り込むと、家の中から皆が出て來て、てんでにバケツを覗き込んだ。皆がガヤガヤ騷ぎながらバケツを取圍むと、バケツは下の三和土[やぶちゃん注:「たたき」。]に響いて搖れた。搖れてゐる水を隔てて、母の顏や弟達の姿や亡くなつた父の顏が朧に見えた。小さな弟はバケツの柄を把へて、ガチヤガチヤ鳴らして居たが、ふと掌を突込んで水の中の露子を摑へようとし出した。露子は一生懸命逃げ廻つたが、紅葉ほどの掌はなかなか小癪に追駈けて來た。「こらツ、こらツ」と、弟の指は刃物のやうであつた。露子はぐつたり疲れて、情なくおろおろして身を縮めてゐた。すると、こんな風な身の上は何かの物語で以前讀んだことがあるのをふと憶ひ出した。それから何でもずつと昔やはりこれに似たことがあつたやうに思へた。さう思ひながら縮み上つた眼で、上の方を覗ふと、バケツの緣の處には、確かにもう一人別の露子が覗き込んでゐるのだつた。そのもう一人の露子は娘のやうなセルの着物着てゐて、何だか昔撮した寫眞に似てゐた。露子はその女が頻りに氣になり、ひそかに妬ましく感じた。そのうちに弟達が何か喧嘩し出した。下の弟はワーと大聲で泣き喚くと同時にバケツをひつくりかへしてしまつた。あつと思つた時、水はだだーと流れ去り、もう自分は何處へ消えて行つたのかわからなくなつた。……が、暫くして氣がつくと、顚覆したバケツを取圍んで、皆と臺所の處に居るのだつた。露子はそこに居る自分が何だか幻のやうな氣持がして、どうなるのやら心許なかつた。やはり露子は病院のベツトに寢てゐるらしく思へた。が、さう思ふうちにも、臺所の樣子は次第に變り、さつきから騷いでゐた人々の姿も可也異つて來た。何時の間にか中央には大きなテーブルが据ゑてあり、人々はそのまはりを取圍んで立つてゐるのだつた。テーブルの上の大きなガラスの器を長い火箸で搔き廻してゐるのは靑木先生だつた。先生はさつきから頻りに講義をしてゐたらしかつたが、ふと露子の方に目をやると、はたと口を噤んでしまつた。それからもう困つたらしく、片手で首のあたりを撫でて暫く俯向いてゐた。あちこちで忍び笑ひが生じ、靑木先生は愈まごついてしまつた。ところが、先生の後に何時の間にか校長先生がのそつと現れて來た。今度は校長先生が代つて喋り出すらしく思へた。「今度はそれではいよいよ結婚式の實習に移ります」と校長先生は氣取つて挨拶した。すると、皆はパチパチと拍手を送つた。露子は何だか羞しく、胸騷が生じてゐると、カーネーシヨンの花束を持たされた。拍手はまた頻りに湧いて、周圍が一層浮々して來た。すると彼女の前に盛裝の女が現れて、淑やかにお叩儀をした。露子は眼を伏せて自分の襟もとを視ると、白い衣裳を着せられてゐた。生徒達は一勢に讚美歌を合唱し出した。一人俯向いて、露子はテーブルの方を眺めた。テーブルの上の器からは頻りにブクブクと泡が立つてゐた。合唱はいよいよ高潮し、房子はそれを聽いてゐると、次第に昏倒しさうになるのだつた。それで彼女は一心にテーブルの方のガラスの器を眺めた。器から泡立つ液體は今、大方盡きようとしてゐた。しかし、耳許の騷ぎは愈盛んになり、彼女の名を呼ぶ聲や、笑ひ聲や、啜り泣きが入混つて聞かれた。そのうちに天井から、さーつと萬國旗が張られると、再び割れるばかりの拍手が起つた。「神樣、神樣、いいえ、私は……」露子は胸のうちで呟いたかと思ふと、忽ち全身の力が消えて行つた。

2019/03/30

原民喜 動物園

 

[やぶちゃん注:昭和一三(一九三八)年十月号『慶應クラブ』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データや歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記が殆んどないという事実及び原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までの私のカテゴリ「原民喜」のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。

 二段落目の「矢野動物園といふ巡囘興行」についは、吉村大樹氏の論文(卒業論文)「江戸時代の見世物小屋―見世物となった舶来鳥獣―」のこちらによれば、後の「矢野サーカス」の前身である「矢野巡回動物園」のこととする。『矢野巡回動物園は一八九〇年代半ばに、矢野岩太が創立し、香川県を拠点にヤマネコ一匹の見世物から始まった』。『阿久根巖(一九八八年)によると、矢野動物園を本格的にするために、矢野岩太は、ライオンを買い付けるためにドイツ行きを決意して神戸まで行くが、中田和平という動物商の紹介で、ベルグマン商会を経て、ハーゲンベック動物園からライオン購入の商談がまとまり渡航しなくても、輸入できるようになり、このライオンによって、矢野巡回動物園は大当たりするのであると言っている』。『それは、明治四十年(一九〇七年)の話で、それまでの矢野巡回動物園は、ヒョウや虎などを購入して、本格的な動物園へとしてきたが、ドイツから来たライオンにより』、『全国で人気が出て、当時の人々もライオンをいままで見た人が少なく』。『このライオンの人気によって矢野巡回動物園は第二の動物園を組織して、日本列島を二手に分けて巡回してい』った。『第二の動物園の方は、矢野岩太の甥にあたる矢野庄太郎が館主としてまかされ、本部の動物園と区別するために動物館という名称にして、看板の猛獣にキリマンジャロ産のライオンがいたのであったが』、『この二つの巡回動物園が存在したのは、明治四十二年初めから、四十五年頃までのようだった』。『この、明治四十二年から四十五年の間に本部の動物園の方は朝鮮へ渡って興行をしたとされ、第二の動物園の方は長崎の出島などで興行をしたが』、『その他に関する資料が残っていないのである』(明治四五(一九一二)年当時、原民喜は満六~七歳で、同年四月に広島師範付属小学校に入学しているから、辛うじて辻褄が合う)。『そして、大正五年(一九一六年)に矢野巡回動物園のサーカス部門をスタートをさせる』。『この矢野巡回動物園のサーカス部門は、矢野サーカスとして活動し、初代団長に第二の動物園の館主であった矢野庄太郎であり、彼を団長に置いたのは、 木下サーカス』『の団長で庄太郎の兄である木下唯助であった』。『その後、矢野巡回動物園は矢野岩太が大正十五年(一九二六年)五月七日にこの世を去ったため』、『木下唯助、矢野庄太郎の長兄の金助が動物園を継ぐことにな』ったが、『動物の死など』、『不運が重なった矢野巡回動物園は昭和三年(一九二八年)に解散してしまった』。『残った矢野サーカスの方は』、『戦後になって徐々に衰退の道を歩み』、『平成八年(一九九六年)に八十年の歴史に幕を下ろした』とある。

 また、六段落目の「二度日に動物園へ行つたのはハーゲンベツク・サーカスが來た春」とあるのは、野生動物を扱うドイツ人商人でヨーロッパ各地の動物園やサーカスなどに動物を提供し、柵のない放養式展示の近代的動物園を作ったことでも知られるカール・ハーゲンベック(Carl Hagenbeck 一八四四年~一九一三年)の名を冠したサーカス、「ハーゲンベック・サーカス」(Hagenbeck-Wallace Circus)の来日を指し、これは昭和八(一九三三)年のことであった(同年三月十七日から五月十日まで芝区芝橋(芝浦製作所跡)に於て興行が行われた。原民喜満二十七歳。貞恵との結婚はまさにこの年の三月であった)。なお、日本で「サーカス」の名が使われるようになるのは、この時以後のことである。

 最終段落にある「上野科學博物館」は関東大震災の復興事業の一環として、昭和六(一九三一)年九月に「東京科學博物館本館」として竣工したもの。現在の国立科学博物館上野本館。

 因みに、本篇は現在、ネット上では公開されていないものと思われる。【2019年3月30日公開 藪野直史】]

 

 

 動物園

 

 先日、鄕里の兄の許へ行くと「子供達が強請むから[やぶちゃん注:「せがむから」。]、この春休みには皆を連れて東京見物に行くぞ」と兄は云つてゐた。子供といふのは尋常六年と二年と一年生の三人だが、「どうして東京へ行つてみたいのか」と試みに私が尋ねたら、「動物園が見たいのだ」とたちどころに答へた。そんなに動物園が見たいかなあと私は今更のやうに感心した。

 尤も私も子供の頃には、矢野動物園といふ巡囘興行が街に來たのを、眼を輝かしながら、狹苦しい檻と板の間の通路を人混に押されて行つたものだが、夜のことで檻の動物はよく觀察出來ず、ただ動物のいきれと啼聲に滿足して歸つた。殊にライオンの啼聲は氣に入つて、その後しばしば模倣し、ある晚も往來に面した戶の處で、メガホンでそれをやつてゐると、親類の人が通りかかつて、ほんとにライオンがゐるのかと思つて呉れた。それと前後して、私はサーカスで縞馬といふものを始めて見たが、あの夏、裸で遊んでゐると急に寒氣がして目が昏み、白い湯氣のなかをその縞馬が走り出したので大變苦しかつた。

 二年生の甥は廣島から宮島まで自動車に乘せられたら、ふらふらになつて醉つてしまつたといふから、東京まで十五時間の旅はさぞ難儀だらうと思へる。六年生の甥も汽車に弱いので、「誰が今度は一番に醉ふかな」と云はれても、子供達は動物園のことで氣持は一杯らしい。さう云へば、日曜日の省線電車に、父親の手に縋つて、眼を輝かしてゐる神經質の子供は、あれは大抵、動物園へ行くのかもしれない。

 

 私も久しく東京へ住んでゐたが、その間、二度しか上野動物園を訪れなかつた。今は、千葉の方へ住んでゐるので、動物園行きも容易でないが、何故、學生時代、氣持が鬱屈した折など、單純に眼を輝かして、動物園へ行くことを思ひつかなかつたのだらう。すればきつと、動物達の素直なまなざしによつて慰められたにちがひない。

 私が最初、上野動物園見物をしたのは、受驗に上京した歲でその春塾を卒業した兄に連れられて行つた譯なのだが、――一時に受ける東京の印象が過剩だつたため――ただ池のところに金網が張つてあつて、澤山の鳥類がやかましく啼いてゐたのだけが頭に殘つてゐる。たしか、櫻が滿開だつたと思ふ。

 二度日に動物園へ行つたのはハーゲンベツク・サーカスが來た春で、恰度東京見物に來た妹を連れて、萬國婦人子供博覽會を見た序に立寄つたのだつた。嫁入前の妹は、それでなくても彼女はものごとを笑ふ癖があつたが、大槪の動物を見てはくすくす笑ふのだつた。河馬が水槽のなかで大きな口をぱくりと開いて、生のキヤベツの塊りを受取ると、忽ちキヤベツは齒間に碎かれ破片が顎から水に落ちるのを、私は面白く眺めた。それから、あの麗かな春の陽を受けて、岩の上を往つたり來たり、一定の距離を同じ動作で繰返してゐる白熊を見ると、妹はまた噴き出したが、私ははからずも或る舊友を連想してしまつた。その友は昔、私の下宿を訪れる度に、廊下のところで一度私の部屋の障子をピシヤリと開け、ピシヤリと閉ぢ、七八囘開けたり閉ぢたり、廊下と疊を交互に踏んでみて、それから始めて、部屋に道入つて來るのだがすぐには疊の上に坐らうとしないで、神祕的な眼をしながら暫く足踏をして兩手を痙攣させるのであつた。

 いろんな動物のなかでも、狐の眼は燃えてゐて凄かつた。やはり狐は化けることが出來るのかもしれないと私は思つた。妹は白い蛇がゐるのを見て笑つたが、私は『雨月物語』を想ひ出して、それもー寸不思議な感銘だつた。――私達はその日、人と動物と砂挨に醉つてしまつた。

 

 去年、私ははじめて上野の科學博物館を見物したが、あそこの二階に陳列してある剝製の動物にも私は感心した。玻璃戶越しに眺める、死んだ動物の姿は剝製だから眼球はガラスか何かだらうが、凡そ何といふ優しいもの靜かな表情をしてゐるのだらう、ほのぼのとして、生きとし生けるものが懷しくなるのであつた。

原民喜 狼狽

 

[やぶちゃん注:昭和一一(一九三六)年十月号『作品』初出。

 底本は一九七八年青土社刊原民喜全集「Ⅰ」を用いたが(底本では「拾遺作品集Ⅰ」のパートに配してある)、以上の書誌データや歴史的仮名遣表記で拗音・促音表記が殆んどないという事実及び原民喜の幾つかの自筆原稿を独自に電子化してきた私の経験に照らして(彼は戦後の作品でも原稿では歴史的仮名遣と正字体を概ね用いている)、漢字を概ね恣意的に正字化することが、原民喜自身の原稿原型に総体としてより近づくと考え、今までの私のカテゴリ「原民喜」のポリシー通り、そのように恣意的に処理した。

 太字は底本では傍点「ヽ」。踊り字「〱」は正字化した。

 因みに、本篇は現在、ネット上では公開されていないものと思われる。【2019年3月30日公開 藪野直史】]

 

 狼 狽

 

 數學の教師、山根高彦は或る朝日が覺めてみると何の異狀もなかつた。彼は何時もの癖でラヂオ體操をやり、朝飯を食べると、元氣に溢れた顏で登校し、朝禮でまた體操をやり、教員室で幾何の教科書を取ると、第一時間目の三年生の教室へ颯爽と出向いた。彼は二階の階段を昇るのに二段づつ一呼吸にやつて、そこの教室のドアの引手に指が觸れるまでに何秒かかるか計算して知つてゐたが、それはこれまで殆ど一秒も狂はなかつたほど正確な動作だつた。で、今もその正確な動作でさつと引手を引き、教壇に登ると、顎をカラーの方へ引寄せ眼をパチりと瞬くと、一勢に生徒が立上つてお叩頭(じぎ)をした。そこで彼はチヨークを執つて、黑板の方へ對つた。彼はピタゴラスの定理を教へるつもりで定規を黑板にあてがつて新しいチヨークを勢よく引いた。すると、あんまり勢がよかつたので、チョーク[やぶちゃん注:拗音表記ママ。]がポキリと折れ、定規が歪んだ。

「誰だ、今舌を出したのは、高橋だらう」と彼は電光石火の早技(わざ)で皆の方へ向きかはつた。高橋と名指された生徒は眞赤になつてぶるぶる慄へた。この生徒はクラスでもおとなしい、ごく眞面目な男なのだが、どう云ふ譯でその時舌を出したのかわからなかつた。いや、それよりも山根高彦の背中に眼が着いてゐない限り、黑板に對つて[やぶちゃん注:「むかつて」。]ゐながら後の方の樣子が手にとる如く解るはずがない。それだのに高橋あさつき片方の眼を塞ぎなから舌を出したのを見た。

「君はどうも陰日向があるね、先生が黑板の方を向いてゐれば何したつてわからないと思ふと大間違ひだよ。僕にはちやんと靈感で以てわかる」と彼はいささか得意さうに生徒達を見渡した。と、皆の顏に奇妙な感嘆の色が浮んで、一瞬水を打つたやうにあたりが靜まつた。急に彼はとんでもないことを喋り出したのに氣が着いて、また黑板の方へ向き直つた。しかし、どうも如何云ふ[やぶちゃん注:「どういふ」。]譯でああ云ふことが解つたのか、皆目彼にも解らなかつたので、實に變てこな氣分がした。彼はその考へを追拂ふつもりで、今度は靜かにチョーク[やぶちゃん注:拗音表記はママ。]でもつて線を描き始めた。ところが、それもほんの二三秒で、彼はまた不思議なことを口走つた。

「今また舌を出してるのは森田だな、先生を試(ため)さうとしたつて駄目だよ」さう云ひながら、今度は向きかはりもせず、悠々と線を引いて行つた。すると、森田と云はれる生徒は今迄出してゐた舌を氣まりわるげに引込めると、呆然として山根先生の背中を視凝めた。その背は着古されて少し光り出した黑の背廣で覆はれてゐたが、そこには何の變哲もなかつた。そのうちに山根先生は三角形を描き了へると、皆の方へ向き直つた。そして、もうその時にはすつかり平素の態度にかへつた樣子で、ピタゴラスの定理を喋り出した。その時間はこれで何ごともなく過ぎた。

 山根高彦先生はけろりとした顏で教員室へ戾り、バツトを一服やりながら運動場の方を眺めてゐた。恰度その時、博物の教師が近づいて來て、マツチを貸して呉れと手眞似をした。この教師は日頃から山根高彦を若僧扱ひにしてゐたが、今手眞似でやつたのは輕蔑からではなく、實は彼の子供が大病で昨夜も碌に睡れなかつたためひどく疲勞してゐたのだつた。博物の教師は味氣ない表情でチエリーに火を點けると、山根高彦に對つて淋しい微笑を送つた。その微笑の底には何かぞつとするものが漾つてゐるやうに想はれた。

 

「お疲れでせうね、坊ちやんが病氣では……」と山根高彦はごく平凡なことを云つて相手を慰めるつもりらしかつた。

「しかしもう追つきませんよ、お宅の坊ちやんはたつた今亡くなられましたもの」。

「え……君は……」と博物の教師は二三步後ずさりしながら、親指と人差指の間に挾んでゐた煙草に力を入れたため、煙草は折れて曲つた。その半分折れてぶらぶらしてゐる煙草を慄はせながら、彼は相手を視凝めたまま口がこはばつて言葉がきけなかつた。と、その時小使が現れた。

「大村先生、お電話です」。

 電話と聞いてこの教師の表情はさつと變つた。そこで忌々しげに煙草を放ると、彼はあたふたと出て行つた。ところがものの二三分もたたぬうちに、博物の教師はがつかりした顏で教員室へ戾つて來た。それから風呂敷包を纏めながら、一生懸命で何度も結び目を結び替へてゐるのは、淚を隱さうと努めてゐるためらしかつた。

「御愁傷でせう」と山根高彦は背後からしんみりした口調で話しかけた。すると、相手はヒヒヒヒと、鋭い笑聲を立てながら眼からパラパラと淚を落した。恰度その時授業のベルが鳴つた。

 山根高彦は心殘りの儘、廊下へ飛出したが、今度は階段を一呼吸に二段づつ昇つては行かなかつた。何故かわからないが、山根高彦は憂鬱な顏つきであつた。しかし、教壇へ立つと彼はまた顎をカラーの方へ引寄せて、眼をパチクリさせた。そして普通の顏つきで授業を開始した。幸にその時間は自分で自分に呆れたり、驚くやうな變なことがらもなく過ぎて行つた。そして、その次の時間も、また次の時間も、無事であつたため、終に山根高彦は、今朝ほどの不思泰な靈感なぞ全く何かのはずみに過ぎなかつたのだ、と安心して差程氣に留めないやうになつた。

 彼が授業が終ると、とにかく晴々して、大股ですつすつと步きながら、今始めて呼吸をするやうに樂しさうに、午後のひんやりした日蔭の空氣を吸つてみた。すると何時もながら牛肉屋の看板や、自動車のガレージなどのある見馴れた巷の光景が、何か人生の意義に充滿してゐるやうに山根高彦には感じられるのであつた。彼はそこで、戀人のことを想ひ出し、その想ひを獨樂のやうに頭のなかで廻しながら下宿屋へ戾つた。

 下宿屋の二階で山根高彦は暫くの間疊の上に寢轉んだ儘、ぼんやり天井を眺めてゐた。ところが、そこから四五丁さきの道路を今彼のところへ對つて、吉井と云ふ彼の舊友が鳥打帽を被つて、時々所在無さげに頰を撫でながら、何故か控へ目に步いて來るのが、山根高彦にははつきり感じられた。で、何故吉井がああ云ふ姿でやつて來るのかと云ふに、つまり吉井は煙草錢を借りに彼のところへ來る筈なのだが、三十錢貸して欲しいと云ふに違ひなかつた。突然、吉井はついでに五十錢借らうかなと考へたが、吉井の後からやつて來た洋裝の女が彼を追越すと、チエと舌打ちして、やはり三十錢でいいな、と決めてしまつた。――かう云ふ風に山根高彦の腦裡には一つ一つ吉井の樣子が映つて來たが、彼はここでまた自分がとんでもない狀態に陷つてゐるのを意識した。が、相手が吉井であるだけに多少の安心と興味に牽かれて、なほもさうした觀察を續けて行くと、吉井は靴の先で小石を蹴りながら速かに足並みを早めて、さつきの女を追越すと、もう彼の下宿の玄關のところまで來てしまつたのだつた。で、山根高彦はともかく起上つて、玄關先まで出て行つた。

 彼が玄關へ行つたのと、吉井が其處の格子戶を開けたのが同時だつたので、吉井は一瞬面喰つた。が、山根高彦はにこにこ笑ひながら云つた。

「今、君が來るだらうと思つてたところなのだ、まあ上り給へ」。

 吉井は部屋に入ると、默つて鳥打帽を弄(いじく)つてゐたが、眼は絕えず山根高彦の机の上にあるバットの箱に注がれてゐた。山根高彦が煙草に火を點けたのをきつかけに吉井は始めて口をきいた。

「僕にも一本呉れ給へ」。

「いや、始めからそのつもりで來たのだらう、遠慮し給ふな。それから……」と云つて、山根高彦は財布を取出すと、机の上に三十錢並べた。

「これ、とつてをき給へ」。

「? 的中だ、どうも僕この頃不景氣でね」。

「噓つき給へ、君は先週競馬へ行つて損したのだよ」。

「ハハハハ、僕がそれやつてるのをもう知つてたのか、でも妙だなあ、何處から考へたつて君に知れる筈なんかないと思つてたのに。」

「フン――」と、この時山根高彦は深い吐息をついて、何かに感嘆したやうな顏をした。するとその感嘆は忽ち吉井にも傳染した。

「フン――君には神通力が出來たな、君は神樣だよ」。

 神樣と聞くや否や、山根高彦は赫と顏面に朱を注いで怒鳴つた。

「馬鹿野郞、神樣とは何事だ! 神樣が君、中等教員の、それもこんな若僧であつて耐るか[やぶちゃん注:「たまるか」。]、神樣が君、下宿の四疊半で南京豆食つてるなぞと云ふ例[やぶちゃん注:「ためし」。]が何處にあるか」。

「いや、少くとも君は神憑[やぶちゃん注:「かみつき」と訓じておく。]になつたのだよ」。

「何だと! 神憑ぢや! 僕は巫女のやうなものになつたのか。僕は數學の教師だからさう云ふことは望んでないのだ。あんまり變なこと云ひ觸らしでもすると承知しないぞ。それでなくてもこの頃は世間がうるさくて何事も控へ目にすべき時勢だらう。それを君、僕が神憑なぞになつてるなんて、大それたことを想像してもらひたくないな、一つや二つ當推量が的中したからつて、それは君、偶然の一致と云ふものさ。とにかく、面白くないから今日はこれで歸つて呉れ給へ」と、山根高彦は不思議に怒り出した。

「まあ、さう怒らないで一勝負やらうぢやないか」と吉井は碁盤を顎で指差した。が、山根高彦は一そう嚴(いか)つい顏に化してしまつた。

「ねえ、久し振りぢやないか」と、吉井はヂヤラヂヤラ碁石を並べて彼の氣を惹かうとした。

「駄目だ、君が負けるのは解つてるから今日はもう歸れ」。

「へえ、君も妙な男だなあ」と吉井も少しむつとして座を立上つた。

 相手が去ると、山根高彦は大急ぎで抽匣[やぶちゃん注:「ひきだし」」。]から懷中鏡を出すと、自分の顏を調べ出した。山根高彦の容貌はごく類型的な、親しみ易い、賴母しさうな顏で、右の眼の下に黑子(ほくろ)があつたが、それとても無いよりかましにちがひなかつた。しかし彼が調べ出したのはそんな既知の事柄ではなかった。何か奇蹟的な變化がもしや顏に現れてはゐまいかと、暫くは呼吸を殺して鏡と睥み合つた[やぶちゃん注:「にらみあつた」。]。ところが、山根高彦は急に鏡を放ると、あツと叫んでしまつた。それは彼の顏に奇蹟が現れてゐたからではなかつた。いや、何の奇蹟も起つてゐないための恐怖であつた。これがこの際、假りに鼻が三インチ[やぶちゃん注:七・六センチメートル。]も突起してゐたとか、頭に後光が射したとか云ふのなら、山根高彦も頷けただらう。事實は平々凡々な、何の神聖さもない人間の面で、しかも、それがさつき吉井を怒鳴りつけたため額に浮んだ靜脈の跡が、みつともなくも消えてゐなかつた。

 ――これがこれとは何ごとか! と山根高彦は再び興奮しながら怒り出した。

 ――全然五里霧中だ。第一僕は一介の數學の教師で、微塵も僭越な氣持は持ち合はせてゐない。それが、かう云ふ平凡な面で神樣にならうものなら、それは神聖を瀆すと云ふものだ。神樣と云ふものは偉大な、何と云ふか、つまりその、名稱を超越し給ふ存在なのだ。ところで、今日はその自分に魔がさすとでも云ふのか、他人の餘計な事柄が見えたり、聞こえたりして困るが、どうもああ云ふ癖はよくないから徹頭徹尾抑制しなきやいかん。ああ云ふ癖が募りつのると、今に自分はとんでもない破目に陷る……。

 山根高彦が一通り自分の氣持を整理しかけた時、一人の婦人が訪れて來た。彼はその大柄な、派手な顏をした婦人を一瞥した時、奇妙に自分を恥しく思つたが、ははあ、また困つたことが出來たなと呟いた。勿論、彼にはその婦人が、今日彼が教壇から二回目に叱りつけた森田と云ふ生徒の母親であることも、彼女が息子から今日の話を開いて早速やつて來たことも、一體何を相談に來たのかも、すつかり前以て感知されてしまつたので、非常な努力を以て呆け面を粧はなければならなかつた。で、知れきつたことを尤らしい顏で、ハア、ハアと聞かされてゐるのが、如何にも彼女に氣の毒してるやうに思へたので、そいつを意識すまいと、山根高彦は相手の膝に纏(まつは)る友禪模樣の曲線を一つ一つ丹念に眺めてゐた。そのうちに森田の母親はいよいよ相談の本筋へ入つて來た。

「實は私の主人の話で御座いますが、どうもこの頃商賣が思はしくないので株に手を出してゐるので御座います。それで一つ是非先生に御智惠を拜借致したいと思ひまして今日お伺ひしたやうな次第なのです。」

「そいつは困りますなあ。僕は御存知の通り數學の教師ですが、そのことなら一つ經濟學の先生にでもお聞きになつたら如何がです」。

「いいえ、もうそんな呑氣なこと云つてはゐられないので御座います。主人はこれまで損ばかりやり通して來ましたのに、まだ性懲りもなく、今に芽を出すなんて申してゐるので御座いますが、このまま行つたら一體私達はどうなるので御座いませうか。一そのこと破産するならするでしてしまへばさつぱり致しますが、今のやうにぢりぢりと落目になつて行つたのでは何だかあんまり殘酷ぎるやうで御座います。ほんとにこの頃では先生の前でお話しするのも恥しう御座いますが、そのため私は時々癇癪が起きて自殺したくなるので御座います。」

 それから彼女は今にも癇癪を起しさうな氣配を見せながら喋り續けた。

「恰度幸なことに今日子供から先生のお話を伺ひましたので、これこそは神樣の救ひだと信じました。何でも先生は不思議な神通力をお持ちださうですが、どうかこの憐れな私どもにも少し分けてやつて下さいまし。この際のことですから私はもう絕對先生の御言葉を信賴致したう御座います」。

「ハハハ、今日のあれですか、あれはほんの座興ですよ」。

「いいえ、あれが座興なら、なほさらのことです。とにかく今私のお縋り申したい方は先生一人なので御座います。先生はつまり神樣なので御座います」。

「僕が神樣? そんな輕卒なことは云はないで下さい」。

「いいえ、いいえ、先生は神樣です。隱したつて逃げたつて、神樣は神樣です」。

「違ひます、そいつは人違ひと云ふものですよ。僕はつまり數學の先生ですよ」。

「いいえ、數學の話では御座いません。私は今こんなにお願ひしてゐるのではありませんか、どうか神樣になつ下さいまし。」

「さう矢鱈に神樣になれる筈がない」。

「いいえ、なれます、なれます、現に現に先生は神樣ぢやありませんか」。

 彼女はもう少しで泣き出しさうで、もう眼頭は興奮のために淚が潤つてゐた。その有樣を見ると、山根高彦は何時までもかうして婦人と爭つてゐるのが增々氣の毒になつた。それにもう山根高彦にはこの婦人の主人が今度は株で大儲けすることがちやんと解つてゐたので、どうしても一言云つてやり度くなつた。

「よろしい、ぢやあこれだけ申上げませう。あなたの御主人は今にきつと大成功なさいますよ、大成功、さうですね、正確なところ三十二萬圓は儲かりませう。」

 三十二萬圓と聞くと、この婦人は暫くきよとんとした顏で山根高彦を視凝めてゐたが、ハラハラと淚を落すと、急に彼の肩に抱きついて山根高彦をまるで戀人のやうに搖さぶつた。「ああ、神樣、ああ、神樣」と、彼女は恰度猫のやうに咽喉を鳴らして喚いた。そのうちにこの婦人はやつと普通の樣子にかへると、

「さきほどはどうも御無理を申上げたり、取亂したりして失禮致しました。でもどうかお許し下さいませ、ほんとに有難う御座いました。いづれ成功の曉にはきつとお禮に伺ひますとして、早速このことは早く主人の耳に入れて勵ましてやりたいと思ひますので、今日はこれで失禮させて戴きます」と、何度もお叩頭しながらいそいそと歸つて行つた。

 その婦人が殘して行つた、なまめかしい化粧品の香ひを空氣のなかに嗅いで、山根高彦は甚だ不機嫌であつた。到頭強制的に神樣にされてしまつたことや、自分の意志に反して彼女に助言を與へたことが、思へば思ふほど殘念であつた。そこで彼は窓を開けて空氣を入れ替へると、深呼吸をして、机の前に正座した。

 ――神樣! と彼は祈り出した。これは一體、どう云ふ譯なので御座いませうか。どう云ふ譯で私が神樣にならなきやならぬので御座いませうか、そいつからして解せない次第です。第一に、その、いや、どうも順序なぞ立てないで申上げたい。小生は數學の教師で因數分解とか、軌跡とか云ふことに就いてなら誰にも教授出來ます。それに小生はもともと大して大それた野心は抱かない男だと云ふことも神樣じゃ夙に御存知の筈である。もつとも、これまで折疊式下駄箱とか、ライター附蝙蝠傘とか云ふ品を發明して特許を獲らうとしましたが、どちらも間が拔けてゐると云ふので一笑に附せられたが、あれは考へてみると成程間が拔けてゐました。しかし大體に於きまして、小生は今の生活に滿足し、撥溂たる氣分で暮してゐるのであります。ただ、あそこの中學の教頭が、象像先生のことですが[やぶちゃん注:「象像」は一応、「しやうざう(しょうぞう)」と読んでおく。但し、そんな姓や名があるとは知らぬが。]、その多少、皮肉屋で黑を赤だと云つたり、猫を犬だと云つて強情で困りものですが、それもまあ比較的小生なんかには當つて來ないので感謝してゐる次第です。小生はまだ獨身ですが、その一寸恥しいやうな氣持も致しますが、つまり、その、誰にもあることで、一人の戀人が御座いまして、その娘と小生は既に婚約の間柄なので御座います。一寸こましやくれた可愛い娘で、それが小生のまあ、謂はば永遠の女性なので御座います。で、まあまあ、之を要するに、どうやら神樣のお蔭で以つてこれまでは順調にものごとが進行してゐましたので、行々は彼女の産んだ子供の教育費だけは出せるやうに精出して貯金するつもりであつたので御座います。ところが、どうも今日起りました數々の不可解な現象は一體、これはどう解釋したらいいのでせう。あれは神樣の御意志で御座いませうか。どうも、さうとは信じかねる點が多いやうに小生には感じられますが、……。第一、神樣が誰か人間の形體に於いて現はれたくおぼしめしになるなら、何も小生如き靑二才をお選びになる必要はないかと愚考致します。しかし假りそめにも神樣の御意志を拜得した以上、あくまでこの惱み多き人生に光明を與へるべく努力するのが男子の義務で御座いませうが、どうも小生は御免蒙りたいのであります。何? それが卑怯だ? いや、卑怯と云はれたつて、何と云はれたつて、小生は既に申上げた通り、つまりその、微分析分[やぶちゃん注:ママ。]とか、タンゼン[やぶちゃん注:ママ。]・コタンゼントとか云ふことを取扱つて、嬶と仲よく暮したい以上に何の野心もないので御座います。

 それに小生として最も理解に苦しみまする點は、突飛な豫感が忽ち實現すると云ふことです。大體背中に眼がない以上、後の樣子が微細に解るなぞと云ふことは、どうも穩かでない現象かと思ひます。どう云ふ譯でああしたことが解るのか自分で了解出來ない以上、結局僕はぞつとするばかりです。さうです、何だかこの人生にはぞつとするものが視え始めました。神樣、かうしてお祈りしてゐる最中にも小生には今ここの下宿屋の臺所で夕餉の支度に何を拵へてゐるかが、ありありと眼に浮んで來ます。今晚は大根の煮附に揚がついてゐて、いや、それは今焚いてゐる匂ひがするから解るのではないのです。それならもう一つ別の皿に、殼のままの卵が出る筈ですが、あれなんか解らない筈ですし、それから、ほら、今、おかみさんが頭髮が痒くなつて、簪で自棄に突(つつ)いてゐるのが見えますが、疊や天井が小生の視線を遮つてゐる以上、何と云つても不合理なことだと思ひます。とにかく、かう何もかも微に入り細に亘り、直感され出しては小生は全く神經衰弱になりさうです。病的な男なら、さうしたことも喜ぶかも知れませんが、小生としてはむしろ迷惑千万の話です。小生は既に何度も申上げました通り、全智全能なぞにはなりたくないのです。第-、いや、もう祈りだか愚痴だか、しどろもどろになつてしまひましたが、何卒この心の狼狽のほどをお察し下さい。

 山根高彦が一通り祈禱を了へたところへ、女中が夕餉の膳を運んで來た。それはさつき彼が神樣に云つてのけた通り、大根の煮附と生卵であつた。が、山根高彦はもうかうした惡魔の飜弄には多少あきらめを感じた。たつた今も、女中がその食膳を持つて來る途中、廊下の廻り角で、如何云ふ[やぶちゃん注:「どういふ」。]わけでか、その女中はぺろりと舌を出して皿の大根を舐めたのであるが、山根高彦は何だか嚴肅な顏つきをして、その女中が舐めたところの大根をむしやむしや食べ始めた。

 

 山根高彦先生は間もなく世間から神樣にされた。噂は噂を呼んで彼の豫言の名聲は赫々と輝きはじめた[やぶちゃん注:「赫々」は「かくかく」或いは「かつかく(かっかく)」で、「華々(はなばな)しい功名を挙げるさま」「光り輝くさま」を言う。]。もとより豫言は百發百中であつたが、彼はそれ故鬱陶しかつた。もともと親切な先生で、人から賴まれては餘儀なく相談相手になるのではあつたが、やれ私の姪が今度産むはずの兒は男か女かと云ふ質問や、世間にはどうも好奇心のありあまる男女が多いものとみえて、私の隣りの家の主人の顏は高慢ちきで癪で耐らないが、あいつを何とかして監獄へぶちこむ方法はないものか――なぞと云ふ猛烈なものもあつた。さう云ふ豫言を求められる度に、山根高彦は何か罪惡を犯してゐるやうな、呵責を感じ、非常に面白くない不安に惱まされるのであつた。そして人々は彼の顏や態度が嚴肅になるに隨ひ、增々彼を信仰し出すやうになつた。

 さて、人々はみな山根高彦の豫言を信賴し、利用し、感謝するのであつたが、ここに最も悲しむべきたつた一人の例外があつた、それは誰あらう、山根高彦の永遠の女、つまり彼の許嫁であつた。彼女は山根高彦の名聲が高まれば高まるほど、彼を信じなくなつた。いや、この女は始めから山根高彦先生を信じても、愛してもゐなかつたらしいのである。彼女が彼と交際し出す以前に、彼女は既に他の男達を知つてゐた。それだから彼女は非常に輕薄な氣分で彼と婚約を結んだまでで、何も山根高彦を本氣で愛してなぞゐなかつたのだ。「もし、あの男がほんとに神樣なら、私の本心がわからないなんて變だわ」と彼女は鼻に輕蔑の小皺を寄せて笑ふのであつた。ところが、既にさうした一切のことがらは、山根高彦にはすつかり遠くから透視されてゐたのであるが、彼は暫く、ぢつとその屈辱に堪へた。さうした間にも結婚の日はどしどし近づいて來た。彼は時々その女の家を訪問しては、出來るだけ彼女の魂を正しい方向へ導かうとしむけたのであるが、彼女は心にもない甘い言葉や、笑顏で彼を嘲弄するばかりであつた。山根高彦はここでもまた人生のぞつとするものに觸れ、人の世の罪深かきに泣かされるのであつたが、結婚の日はあと一日となつた。すると、彼女はどうでもかうでもあの男がこの婚約を履行しようとするなら、するで、私には考へがある、と決心してしまつた。彼女の頭にその考へが閃いたのと同じ瞬間に山根高彦はそれを知つたので、あツと聲を放つて轉倒しさうになつた。あの女は俺と結婚して、そしてゆくゆくはこの俺をそつと殺さうと考へたな! 實に恐しいことだ。何と云ふ滅茶苦茶な思想だ、もはやこれは絕體絕命の現實だ。俺はさて何處へ逃げたらいいのか、この己れ故、人一人に罪を犯さすよりか、己は己の故鄕が戀しくなつた。

 そして、翌朝、美しい秋の朝日が射す物干棚で、山根高彦は首を縊つてゐた。

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