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カテゴリー「和漢卷三才圖會 蟲類(全)【完】」の127件の記事

2019/05/29

和漢三才図会巻第四十(末) 獸之用 皮(かは) //十二年半かけた「和漢三才図会」動物パート全十八巻のオリジナル電子化注を完遂した!!!

Kawa

 

かは   皮【和名加波】

     革【豆久利加波】

【音脾】

     韋【奈女之加波】

     靻【同右】

 

釋名云皮被也被覆體也剥取獸皮生曰皮理之曰革【音格】

去其毛革更也柔之曰韋【音爲】韋相背也獸皮之韋可以束

物枉戾相韋背故借以爲皮革【俗作※一字作非也】

[やぶちゃん注:「※1」は「韋」の「口」以下の下部を「吊」とした字。]

鞄人【柔革之工】柔革曰※2【奈女須】用稻藁灰汁和米糠畧煖之革

[やぶちゃん注:「※2」=(上)「比」+(中)「穴」+(下)「瓦」。「東洋文庫」訳では(上)「北」+(中){「穴」の第一画の点を除去した字}+(下)「瓦」であるが、私の原典は以上の通り。]

 表裏能揉洗以※3張晒之俟稍乾以竹箆刮去肌肉

[やぶちゃん注:「※3」=「籤」の(たけかんむり)の下部部分に(きへん)「木」を添えたもの。]

凡洗韋垢※4者以糯糠揉洗之不糠去晒乾可揉

[やぶちゃん注:「※4」=「耳」+「黒」。]

凡皮褥夏月不宜藏置可見風日否則毛脫

肉【音辱】

[やぶちゃん注:以下の二行分は、原典では上記「肉」の標題の下に二行で載る。]

 月【同】宍【古文】△按肉肥肉也月字中二畫竝連兩

 傍與日月之月不同俗用完字者宍字謬矣完

 【音桓】全也

 

 

かは   皮【和名「加波」。】

     革【「豆久利加波〔(つくりかは)〕」。】

【音「脾」。】

     韋【「奈女之加波〔(なめしかは)〕」。】

     靻【同右。】

 

「釋名〔しやくみやう)〕」に云はく、『皮は「被」なり。體を被〔(かぶ)〕り覆ふなり』〔と〕[やぶちゃん注:「體を被〔(かぶ)〕り覆ふなり」は和文としてはちょっとおかしい。「體を被覆せるものなり」あたりがよかろう。]。獸の皮を剥(は)ぎ取〔れる〕生を「皮」と曰ひ、之れを理(をさ)むる[やぶちゃん注:皮製品として毛を除去して(後述している)調製加工する。]を「革」【音「格」。】と曰ふ。「其の毛を去りて、革(あらた)め、更〔(か)へ〕る」〔こと〕なり。之れを〔さらに〕柔(やはらかにす)るを「韋」【音「爲」。】と曰ふ。「韋」は「相ひ背〔(そむ)〕く」なり。獸皮の「韋」〔は〕以つて物を束(たば)ねるべし[やぶちゃん注:物を束ねることが出来る。]。枉〔(ま)げ〕戾〔しても〕、相ひ韋-背〔(そりかへ)る〕。故に〔この字を〕借りて以つて「皮革」と爲す【俗に「※」の一字に作〔るは〕非なり。】[やぶちゃん注:「※1」は「韋」の「口」以下の下部を「吊」とした字。]。

鞄人〔(はうじん)〕【革を柔かにするの工〔(たくみ)〕[やぶちゃん注:職人。]。】革を柔かにするを、「※2[やぶちゃん注:音不詳。]」[やぶちゃん注:「※2」=(上)「比」+(中)「穴」+(下)「瓦」。]【「奈女須〔(なめす)〕」。】と曰ふ。稻藁の灰汁(あく)を用ひて、米糠に和(ま)ぜて、畧〔(ほぼ)〕、之れを煖〔(あたた)〕め、革の表裏〔を〕、能く揉み洗ひ、※3(たけぐし)[やぶちゃん注:「※3」=「籤」の(たけかんむり)の下部部分に(きへん)「木」を添えたもの。竹串。]を以つて張りて、之れを晒〔(さら)〕し、稍〔(やや)〕乾くを俟〔(ま)〕ちて、竹箆(〔たけ〕へら)を以つて、肌肉を刮(こそ)げ去る。

凡そ、「韋」の垢-※4(よご)[やぶちゃん注:「※4」=「耳」+「黒」。]れたる者を洗ふに、糯糠(もちぬか)を以つて之れを揉(も)み洗ひ、糠を去らずして、晒し乾し、揉むべし。

凡そ、皮の褥〔(しとね)〕、夏月、藏(をさ)め置く〔は〕宜しからず。風・日を見すべし[やぶちゃん注:風通しがよく、一定時間は太陽光線が射す場所に置いておくのがよい。]。〔かく〕否(〔せ〕ざ)れば、則ち、毛、脫(ぬ)ける。

肉【音「辱〔(ニク)〕」。】

「月」【同。】。「宍」【古文。】。[やぶちゃん注:同義字を掲げているので、通常項のように改行した。]

△按ずるに、肉は「肥肉」なり。「月」の字、中の二畫、竝びに〔→びて〕兩傍に連なる。「日月」の「月」と〔は〕同じからず。俗に「完」の字を用ひるには〔→用ひるは〕、「宍」の字の謬〔(あやま)〕り〔なり〕。「完」【音「桓」。】は「全きもの」〔の意〕なり〔→なればなり〕。

[やぶちゃん注:「釋名〔しやくみやう)〕」後漢末の劉熙が著した辞典。全八巻。ウィキの「釈名」によれば、その形式は「爾雅」に似るが、『類語を集めたものではない。声訓を用いた説明を採用しているところに特徴がある』。『著者の劉熙については、北海(今の山東省)出身の学者で』、『後漢の末』頃『に交州にいた』『ということのほかは』、『ほとんど不明である』「隋書」の「経籍志」には、『劉熙の著作として』本書の他に「謚法」(しほう:普通名詞としては「諡(おくりな)をつける法則」のことを指す)及び「孟子」注を『載せている』。『成立年代は不明だが』、二七三年に『韋昭が投獄されたときの上表文に「又見劉熙所作釈名」とある』。清の官僚で歴史家でもあった畢沅(ひつげん 一七三〇年~一七九七年)は、『釈州国篇の地名に建安年間』(後漢の献帝(劉協)の治世に用いられた元号。一九六年から二二〇年まで)『以降のものがあることなどから、後漢末から魏のはじめにかけての著作としている』が、清中期の考証学者銭大昕(せんたいきん 一七二八年~一八〇四年)は『三国時代』(「黄巾の乱」の蜂起(一八四年)による漢朝の動揺期から、西晋による中国再統一(二八〇年)まで。狭義には後漢滅亡(二二〇年)から晋が天下を統一した二八〇年までを、最狭義には三国が鼎立した二二二年から蜀漢が滅亡した二六三年までを指す)『の作とする説に反対し』、『後漢末の作とする』。なお、「後漢書」には劉珍の著書にも「釈名」が『あったことを記すが』、『劉熙とは時代が異なり、どういう関係にあるのか不明である』とある。以下は、同書の「釋形體」に、

   *

皮、被也、被覆體也。

   *

とあるものである。

「枉〔(ま)げ〕戾〔しても〕、相ひ韋-背〔(そりかへ)る〕」東洋文庫訳では『反対に巻き戻してもすぐもとに背(そり)かえる』とあり、私の添え文もそれを参考にさせて貰った。

『「※2」(「※2」=(上)「比」+(中)「穴」+(下)「瓦」)【「奈女須〔(なめす)〕」。】』現在の「鞣」(なめす)である。動物の皮は柔軟性に富み、非常に丈夫であるが、そのまま使用すると、すぐに腐敗したり、乾燥すると、板のように硬くなって柔軟性がなくなってしまう。この大きなデメリットの属性を、樹液や種々の薬品を使って変化させる方法が「鞣し」である。ここは製革業者団体「日本タンナーズ協会」公式サイト内の『「鞣す(なめす)」とは』に拠った。

「糯糠(もちぬか)」「糯(もち)」とはイネ(単子葉植物綱イネ目イネ科イネ亜科イネ属イネ Oryza sativa)やオオムギ(イネ科オオムギ属オオムギ Hordeum vulgare)などの作物の内で、アミロース(amylose:多数のα-グルコースス(α-glucose)分子がグリコシド結合(glycosidic bond:炭水化物(糖)分子と別の有機化合物とが脱水縮合して形成する共有結合)によって重合し、直鎖状になった高分子。デンプン分子であるが、形状の違いにより、異なる性質を持つ)を全く或いは殆んど含まない特定品種を指す。対義語は「粳(うるち)」で、組成としてアミロースを含む通常の米飯に用いるそれを「粳米(うるちまい)」と呼ぶ(以上はウィキの「糯」に拠った)。]

 

*   *   *

 

本項を以って、私の「和漢三才図会」の動物部の総て、全十八巻のオリジナル電子化注を遂に完遂した(別に藻類の一巻がある)。

 

 思えば、私が、その中、最初に電子化注を開始したのは、私が幼少時からフリークであった貝類の「卷第四十七 介貝部」で、それは実に凡そ十二年と半年前の、二〇〇七年四月二十八日のことであった。

 その時の私は、正直、偏愛する海産生物パートの完成だけでも、自信がなく、まさか、総ての動物パートをやり遂げられるとは、実は夢にも思っていなかった。

 海洋生物パートの貫徹も、幾人かの方のエールゆえ、であったと言ってよい。

 その数少ない方の中には、チョウザメの本邦での本格商品化飼育と販売を立ち上げられながら、東日本大地震によって頓挫された方がおられた。

 また、某国立大学名誉教授で日本有数の魚類学者(既に鬼籍に入られた)の方もおられた。「あなたの仕事は実に楽しく、また、有意義です」というメールを頂戴し、また、私の『栗本丹洲「栗氏千蟲譜」卷九』では、この先生の伝手で、無脊椎動物の幾つかの種の同定について、専門家の意見を伺うことも出来たのであった。

 ここに改めてその方々に謝意を表したい。

 以下、サイト「鬼火」と本ブログ「鬼火~日々の迷走」に分散しているため、全部に就いてリンクを張っておく。

 

ブログ・カテゴリ「卷第三十七 畜類」(各個版)

ブログ・カテゴリ「卷第三十八 獸類」(各個版)

ブログ・カテゴリ「卷第三十九 鼠+「動物之用」(ブログ各個版。「動物之用」は本来は以下の「卷第四十 寓類 恠類」の後に附録するパートであるが、ここに添えた)

卷第四十  寓 恠サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 鳥★各個版で以下の四巻総て★

卷第四十一 禽部 水禽類

卷第四十二 禽部 原禽類

卷第四十三 禽部 林禽類

卷第四十四 禽部 山禽類

卷第四十五 龍蛇部 龍 蛇サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十六 介甲部 龜 鼈 蟹サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十七 介貝部サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十八 魚部 河湖有鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十九 魚部 江有鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第五十  魚部 河湖無鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第五十一 魚部 江無鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 蟲類」★各個版で以下の三巻総て★

卷第五十二 蟲部 卵生類

卷第五十三 蟲部 化生類

卷第五十四 蟲部 濕生類

 

が動物部の総てであり、それに附録して、私のフリーク対象である海藻類を含む

卷第九十七 水草部 藻 苔サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

が加えてある。

 

 なお、私は植物は苦手で、向後も纏めてそれをやる意志は今のところ、ない。

 

 一つの私の「時代」が終わった――という感を――強く――しみじみと感じている。……では……また……何時か……何処かで…………

2017/10/29

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 𧌃臘蟲(しびとくらひむし) / 虫類~完結!


Sibitokuraimusi

しびとくらひむし

𧌃臘蟲

 

本綱廣州西南數郡有之食死人蟲也有甲而飛狀如麥

嗜臭肉人將死便集入舎中人死便食紛々滿屋不可驅

惟殘骨在乃去惟以梓板作噐則不來或用豹皮覆尸則

不來其蟲雖不入藥而爲人害不可不知

△按𧌃臘蟲本草有三説異同今取其一記之

 

 

しびとくらひむし

𧌃臘蟲

 

「本綱」、廣州西南の數郡に、之れ、有り。死人〔(しびと)〕を食〔ら〕ふ蟲なり。甲、有りて、飛ぶ。狀ち、麥のごとく、臭き肉を嗜(す)き、人、將に死せんと〔するに〕、便〔(すなは)〕ち、舎(いへ)の中に集〔まり〕入〔り〕、人、死すれば、便ち、食ふ。紛々として屋に滿つ。驅〔(か)〕らるべからず。惟(たゞ)、殘骨在〔(あ)〕るのみにして、乃〔(すなは)〕ち、去る。惟だ、梓(あづさぎり)〔の〕板を以つて噐〔(うつは)〕に作れば、則ち、來らず。或いは豹の皮を用ひて、尸(しかばね)を覆へば、則ち、來らず。其の蟲、藥に入れずと雖も、人の害を爲す。知らずんばあるべからず。

△按ずるに、𧌃臘蟲、「本草」に、三説の異同、有り。今、其一つを取りて、之れを記す。

 

[やぶちゃん注:本項はまさに「蟲部」の掉尾なのだが、良安先生、やらかしゃって呉れました。人間の遺体を食ったり、その腐敗液を吸う虫は沢山いるが(言っとくが、蝶でさえ吸う)、これは殆んど志怪小説のようだ(中間部は明らかに作話的である)。しかしここはやはり、最後まで生物学的な注でなくてはなるまい。念頭に浮かぶのはまあ、好んで動物死体を食うとされて有り難くない和名を戴いている「死出虫(しでむし)」だよな。動物界 Animalia 節足動物門 Arthropoda 昆虫綱 Insecta 鞘翅(コウチュウ)目 Coleoptera 多食(カブトムシ)亜目 Polyphaga ハネカクシ上科 Staphylinoidea シデムシ科 Silphidae に属するシデムシ類だ。而してやはりここは荒俣宏氏の「世界博物大図鑑」の第一巻「蟲類」(一九九一年平凡社刊)の「シデムシ」を開いて見る。英名はburying beetlecarrion beetlesexton beetles でそれぞれ『〈埋葬する甲虫〉〈腐肉をあさる甲虫〉〈墓掘り人の甲虫〉』、フランス語では nécrophore 『ネクロフォルは〈死体を運ぶもの〉』ドイツ語の AaskäferTotergräber は『〈死体の甲虫〉〈死者を埋葬するもの〉』とあり、何より、『中国名の𧌃臘虫は〈肉を食う虫〉の意』とこの名をズバリ挙げてあるのである(下線太字は私が附した)。但し、中文ウィキでは科名を「葬甲科」とし、俗称を「埋葬蟲」とする。「埋葬」というのは、本種が動物死体の腐肉の摂餌を好む以外に、ウィキの「シデムシ」によれば、特にモンシデムシ属 Nicrophorus のシデムシ類は亜社会性昆虫で家族を持つ。♀♂の番いで、小鳥や鼠などの小型脊椎動物の死体を地中に埋めて肉団子状に加工した上で、これを餌として幼虫を保育するという習性を持っていることによる。また『親が子に口移しで餌を与える行動も知られており、ここまで幼虫の世話をする例は、甲虫では他に見られないものである』「ブリタニカ国際大百科事典」の「シデムシ」から引く(コンマを読点に代えた)。『小~大型の甲虫で、外形は幅広く扁平なもの、細長いもの、角形のものなどかなり多様である。色彩は黒みがかったものが多いが、赤や黄色の斑紋のあるものも少くない。頭部には大きな複眼があり、前方に突出して基部が頸状にせばまるものと、前胸背前縁下部に隠れるものとがある。触角は短く、11節から成り、先端の34節は拡大して棍棒状または球稈状になっている。大腮は大きく、口枝は発達している。上翅は大きく、腹部を完全におおうものと、翅端が切断状で腹部の先端が露出するものとがある。後翅は発達しているものが多い。肢は強壮であるが比較的短く、跗節は通常5節であるがまれに4節のものもある。ハネカクシ(科)に近縁で、世界に約 250種が知られ、そのうち日本産は約 30種。大部分の種は腐敗した動物の死体を食べるが、虫食性、草食性のものもある。ヤマトモンシデムシ Nicrophorus japonicus』(モンシデムシ亜科モンシデムシ属)『は体長 20mm内外、頭部は大きく、複眼後方は頬状に肥大し、顕著な頸部をもつ。上翅に幅広い赤色横帯が2本ある。雄の後肢脛節は弓状に湾曲する。本州、四国、九州、朝鮮、台湾、中国、モンゴルに分布する。オオヒラタシデムシ Eusilpha japonica』(シデムシ亜科Eusilpha 属)『は体長 23mm内外、体は扁平でやや青みを帯びた黒色である。頭部は小さく、前胸のくぼみに入る。上翅には各4条の縦隆起がある。北海道、本州、四国、九州、台湾に産する普通種で、腐敗動物質に集る』とある。

 

「廣州西南」「廣州」は現在の広東省広州市一帯であるから、その西南部はこの附近(グーグル・マップ・データ)。

「麥のごとく」シデムシの一部の種の幼虫は小麦色を呈した麦の穂のような形をしている。私はこの幼虫ちょっとダメな口の形状なので、リンクはしないが、グーグル画像検索「Silphidae」をかけると、それらしい写真が見られる。

「驅〔(か)〕らるべからず」追い出すことも出来ぬほどに急速に多量に群がってくるというのである。有り難くない虫系ホラー!

「殘骨在〔(あ)〕るのみにして、乃〔(すなは)〕ち、去る」超早回し「九相図絵巻」じゃ!

「梓(あづさぎり)」和名をこう呼ぶ木本類は幾つかあるが、棺桶板(私は「噐」はそれで採る)にするような材木の採れる高木となると、シソ目ノウゼンカズラ科キササゲ属キササゲ Catalpa ovata か同属のトウキササゲ Catalpa bungei であろう。現代中国では前者に「梓」の字を当てている。

「其の蟲、藥に入れずと雖も、人の害を爲す。知らずんばあるべからず。」東洋文庫訳では『この虫は薬に入れないが、人に害をなすものなので、よく知っておかなければならない』とするが、何だかよく判らぬ訳である。有毒だというのでもない。『人に害をなす』というのは死んだ人間の肉を喰らう行為を指すのか? だからよく理解しろというのか? だったら、人間の死体に最も早く、最も多量に発生する蠅の幼虫である蛆をこそ忌避すべきであろう? どうもここには何か言いたそうで、隠していることがあるような気がしてならない。いやな、感じ!

𧌃臘蟲、「本草」に、三説の異同、有り。今、其一つを取りて、之れを記す』「本草綱目」の「蟲部 濕生類」の掉尾にある「附錄諸蟲」の冒頭に、

   *

唼臘蟲

時珍曰、按裴淵「廣州記」云、『林任縣有甲蟲、嗜臭肉。人死、食之都盡、紛紛滿屋、不可驅』。張華「博物志」云、『廣州西南數郡、人將死、便、有飛蟲。狀、如麥、集入舎中、人死、便、食、不可斷遣、惟殘骨在乃去。惟以梓板作器、則、不來。林邑「國記」云、『廣西南界、有唼臘蟲。食死人。惟豹皮覆尸、則、不來。此三説皆一物也。其蟲、雖不入藥而爲、人害、不可不知。

   *

良安センセー、嘘ついちゃいけませんぜ! 三説のカップリングやないカイ!!!

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蚘(ひとのむし)


Kaityuu

ひとのむし 蛔【同蚘】 蛕【同】

      人龍

【音爲】

 

本綱蚘人腹中長蟲也人腹有九蟲一切癥瘕久皆成蟲

凡上旬頭向上中旬向中下旬向下服藥須於月初四五

日五更時則易効也其九蟲如左【出巣元方病原】

――――――――――――――――――――――

伏蟲 長四分群蟲之主也

蚘蟲 長五六寸至一尺發則心腹作痛上下口喜吐涎

 及清水貫傷心則死

白蟲 長一寸色白頭小生育轉多令人精氣損弱腰脚

 疼長一尺亦能殺人

肉蟲 狀如爛杏令人煩悶

肺蟲 狀如蠶令人咳嗽成勞殺人

胃蟲 狀蝦蟇令人嘔逆喜噦

弱蟲 【一名鬲蟲】狀如瓜瓣令人多唾

赤蟲 狀如生肉動作腹鳴

蟯蟲 至微形如菜蟲居胴腸中令人生癰疽疥癬

 痔瘻疳齲齒諸蟲皆依腸胃之間若人臟腑氣實則

 不爲害虛則侵蝕變生諸疾也又有尸蟲【與此俱十蟲也】

尸蟲 與人俱生爲人害其狀如犬馬尾或如薄筋依

 脾而居三寸許有頭尾

――――――――――――――――――――――

凡九蟲之中六蟲傳變爲勞瘵而胃蚘寸白三蟲不傳其

蟲傳變或如嬰兒如鬼形如蝦蟇如守宮如蜈蚣如螻蟻

如蛇如鼈如蝟如鼠如蝠如蝦如猪肝如血汁如亂髮亂

絲等狀不可勝窮要之皆以濕熱爲主

△按人吐下蛔蟲抵五六寸如蚓淺赤色有死而出或

 活而出者脾胃虛病癆下蛔蟲者不治

 小兒胃虛蚘蟲或吐或下其蟲白色長一二寸如索麪

 者一度數十晝夜至數百用錢氏白光散加丁字苦楝

 根皮煎服癒【白色帶黒者不治】

 正親町帝時【天正十三年】武臣丹羽五郎左衞門長秀【年五十一】

 嘗有積聚病甚苦不勝其痛苦乃拔刀自裁死火葬之

 後灰中撥出積聚未焦盡大如拳形如秦龜其喙尖曲

 如鳥刀痕有背以告秀吉公【秀吉】見之以爲奇物卽賜

 醫師竹中法印

 

 

ひとのむし 蛔【蚘〔(くはい)〕に同じ】

      蛕〔(かい)〕【同じ。】

      人龍

【音、「爲〔(イ)〕」。】

 

「本綱」、蚘は人の腹中の長き蟲なり。人の腹に、九蟲、有り。一切〔の〕癥瘕〔(ちようか)〕、久しくして、皆、蟲と成る。凡そ、上旬には、頭、上に向かひ、中旬には中に向かひ、下旬には下に向かふ。服藥、須〔(すべか)らく〕月の初め、四、五日の五更の時に於いてすべし。則ち、効〔(ききめ)〕しあり易し。其の九蟲、左のごとし【「巣元方病原〔(さうげんぼうびやうげん)〕」に出づ。】。

――――――――――――――――――――――

伏蟲 長さ、四分。群蟲の主〔(しゆ)〕なり。

蚘(くはい)蟲 長さ、五、六寸より一尺に至る。發するときは、則ち、心・腹、痛みを作〔(な)〕し、上下の口、喜〔(この)み〕て、涎(よだれ)及び清水を吐く。心を貫き傷むときは、則ち死す。

白蟲 長さ、一寸。色、白く、頭、小さく、生育〔すること〕、轉〔(うた)〕た、多し。人をして、精氣損弱し〔→せしめ〕、腰・脚、疼(うづ)かせしむ。長さ、一尺〔に〕なれば、亦、能く人を殺す。

肉蟲 狀〔(かた)〕ち、爛〔れたる〕杏〔(あんず)〕のごとし。人をして煩悶せしむ。

肺蟲 狀ち、蠶(かいこ)のごとし。人をして咳嗽〔(せきがい)〕して〔→せしめ〕、勞〔(らう)〕と成さしめ、人を殺す。

胃蟲 狀ち、蝦蟇(かへる)のごとし。人をして嘔逆し〔→せしめ〕喜〔(この)み〕て噦(しやつくり)せしむ。

弱蟲 【一名、「鬲蟲〔(かくちゆう)〕」。】狀ち、瓜の瓣(なかご)のごとし。人をして唾〔(よだ)〕り、多からせしむ。

赤蟲 狀ち、生肉のごとし。〔その〕動作に〔したがひて〕、腹、鳴る。

蟯蟲 至つて微〔(こま)〕か。形ち、菜の蟲のごとし。胴腸〔(どうちやう)〕の中に居て、人をして癰疽〔(ようそ)〕を生ぜしむ。疥癬・癘〔(くわれい)〕・痔瘻・疳〔(はくさ)〕・齲齒〔(うし)〕の諸蟲、皆、腸胃の間に依りて、若〔(も)〕し、人、臟腑〔の〕氣、實するときは、則ち、害を爲さず、虛するときは、則ち、侵蝕す。變じて諸疾を生ずるなり。又、「尸蟲〔(しちゆう)〕」有り【此れと俱に〔せば〕十蟲なり。】

尸(し)蟲 人と俱に生じて、人の大害を爲す。其の狀ち、犬馬の尾のごとく、或いは薄筋〔(すぢ)〕のごとし。脾に依つて居〔(を)〕る。三寸許り、頭尾、有り。

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凡そ、九蟲の中〔(うち)〕、六蟲は傳變して勞瘵〔(らうさい)〕と爲る。而して、胃〔蟲〕・蚘・寸白〔(すはく)〕の三蟲は傳(つたは)らず。其の蟲の傳變すること、或いは嬰兒のごとく、鬼形〔(きぎやう)〕のごとく、蝦蟇〔(か〕へる)のごとく、守宮(いもり)のごとく、蜈蚣(むかで)のごとく、螻蟻〔(らうぎ)〕のごとく、蛇のごとく、鼈(すつぽん)のごとく、蝟〔(はりねづみ)〕のごとく、鼠のごとく、蝠(かはほり)のごとく、蝦(えび)のごとく、猪肝〔(ちよかん)〕のごとく、血汁ごとく、亂髮亂絲等のごとし。狀の勝〔(た)へ〕て窮むべからず。之れを要するに、皆、濕熱を以つて主〔(しゆ)〕と爲〔(す)〕。

△按ずるに、人、蛔蟲を吐き下するに、大抵、五、六寸〔にて〕、蚓(みゝづ)のごとく、淺赤色、死して出でて、或いは活(い)きて出でる者、有り。脾・胃の虛の病ひ〔にて〕、癆(つか)れて蛔蟲を下す者、治せず。

小兒、胃虛にして、蚘蟲、或いは吐き、或いは下す。其の蟲、白色、長さ、一、二寸、索麪〔(さうめん)〕のごとき者、一度に數十、晝夜に數百に至る。「錢氏白朮散〔(ぜんしびやくじゆつさん)〕」を用ひて、丁字〔(ちやうじ)〕・苦楝〔(くれん)〕の根皮を加へ、煎〔じて〕服して、癒ゆ【白色〔に〕黒を帶びたる者は治せず。】。

 正親(おほぎ)町の帝の時【天正十三年。】、武臣丹羽(には)五郎左衞門長秀【年五十一。】嘗て積聚〔(しやくじゆ)〕の病ひ有り、甚だ苦しむ。其の痛苦に勝(た)へず、乃〔(すなは)〕ち、刀を拔き、自ら、裁死〔(さいし)〕す。火葬の後、灰の中より、積聚を撥(か)き出だす。未だ焦〔(こが)〕れ盡きず。大いさ、拳(こぶし)の形のごとく、秦龜(いしがめ)のごとし。其の喙〔(くちばし)〕、尖り曲り、鳥のごとく、刀痕(〔かたな〕きず)、背(せなか)に有り。以つて秀吉公【秀吉。】に告(まふ)す。之れを見て、以つて奇物と爲す。卽ち、醫師竹中法印に賜ふ〔と〕。

 

[やぶちゃん注:線形動物門 Nematoda 双腺綱 Secernentea 旋尾線虫亜綱 Spiruria 回虫(カイチュウ)目Ascaridida 回虫上科 Ascaridoidea 回虫科 Ascarididae 回虫亜科 Ascaris カイチュウ属 Ascaris ヒト回虫 Ascaris lumbricoides を代表とする、ヒトに寄生する(他の動物の寄生虫による日和見感染を含む)寄生虫類ウィキの「回虫」によれば、回虫は『「蛔虫」とも書き』、広義の回虫類は『ヒトをはじめ』、『多くの哺乳類の、主として小腸に寄生する動物で、線虫に属する寄生虫である』。『狭義には、ヒトに寄生するヒトカイチュウ Ascaris lumbricoides を指』し、『ヒトに最もありふれた寄生虫であり、世界で約十億人が感染している』。以下はヒト回虫(本文の「蚘(くはい)蟲」に同じい)について記す。『雌雄異体であり、雄は全長1530cm、雌は2035cmと、雌の方が大きい。環形動物のミミズに似た体型であり、 lumbricoides (ミミズのような)という種名もこれに由来するが』、『回虫は線形動物であり、環形動物とは全く異なるので体節も環帯もなく、視細胞などの感覚器も失われており、体の両先端に口と肛門があるだけで、体幹を腸が貫通する。生殖器は発達し、虫体の大部分を占める。成熟した雌は110万個から25万個もの卵を産む』。『最大25万個の回虫卵は小腸内で産み落とされるが、そのまま孵化する事はなく、糞便と共に体外へ排出される。排出された卵は、気温が15くらいなら1か月程度で成熟卵になり、経口感染によって口から胃に入る。虫卵に汚染された食物を食べたり、卵の付いた指が感染源となる場合が多い。卵殻が胃液で溶けると、外に出た子虫は小腸に移動する。しかしそこで成虫になるのではなく、小腸壁から血管に侵入して、肝臓を経由して肺に達する。この頃には1mmくらいに成長している。数日以内に子虫は気管支を上がって口から飲み込まれて再び小腸へ戻り、成虫になる。子虫から成虫になるまでの期間は3か月余りであり、寿命は2年から4年である』。『こうした複雑な体内回りをするので「回虫」の名がある。このような回りくどい感染経路をたどる理由ははっきりしていない。一説によれば、回虫はかつては中間宿主』『を経てヒトに寄生していたためではないかという』。『回虫は、古くから人類の最も普遍的な寄生虫であった。紀元前4世紀から5世紀のギリシャの医師ヒポクラテスや中国の紀元前2700年頃に記録があり、日本では4世紀前半とされる奈良県纏向(まきむく)遺跡の便所の遺構から回虫卵が発見されている。鎌倉時代頃から人糞尿(下肥)を農業に利用する事が一般化したので、回虫も広く蔓延した。人体から排泄された回虫卵が野菜等に付き、そのまま経口摂取されて再び体内に入るという経路である。こうした傾向は20世紀後半にまで続き、1960年頃でも、都市部で寄生率30 - 40%、農村部では60%にも及んだ。しかし、徹底した駆虫対策と衛生施設・衛生観念の普及によって急速に減少、20世紀末には実に0.2%(藤田紘一郎)から0.02%(鈴木了司)にまで下り、世界で最も駆虫に成功した例となった。ただし、同じ頃に広まった自然食ブームによって下肥を用いた野菜が流通するようになり、また発展途上国からの輸入野菜類の増加に伴い、回虫寄生の増加が懸念される。更に、駆虫が余りにも徹底したため、回虫に関する知識が忘れられるというような場合もあり、医師でさえ』、『回虫を見た経験がなく、検査方法も知らない例もあって、回虫の増加が見逃される恐れもある』。『世界的にも回虫の寄生率は高く、アジア・アフリカ・中南米などの発展途上国・地域ではなお40%程度あり、欧米でも数%となっている。発展途上国・地域では、人口の激増と都市集中、衛生施設・観念の不足、衛生状態や経済の悪化等により駆除が困難となっている』。『回虫による障害は多岐にわたり、摂取した栄養分を奪われる、毒素を分泌して体調を悪化させる、他の器官・組織に侵入し、鋭い頭で穿孔や破壊を起こす、等である。1匹や2匹程度の寄生であればほとんど問題はなく、肝機能が強ければ毒素を分解してしまうが、数十匹、数百匹も寄生すると激しい障害が起こる。幼少期なら栄養障害を起こし、発育が遅れる。毒素により腹痛・頭痛・めまい・失神・嘔吐・けいれんといった症状が出る。虫垂に入り込んで虫垂炎の原因になる場合も稀ではなく、多数の回虫が塊になって腸閉塞を起こす事もあり、脳に迷入しててんかんのような発作を起こす例もある』。『衛生環境を整備しなければならないのはもちろんである。かつての日本で寄生率が著しく高かったのは、人糞尿を肥料に用いていたと共に、それで栽培した野菜類を漬け物などとして生食いしていたのが大きな原因である。回虫卵は強い抵抗力を持ち、高濃度の食塩水中でも死なないので、食塩を大量に使用した漬け物でも感染は防げなかった。第二次大戦後は化学肥料の普及が回虫撲滅の一端を担った。回虫卵は熱に弱く、70では1秒で感染力を失う。従って野菜類は充分熱を通して食べれば安全である。有機栽培の生野菜を摂取するのであれば、下肥の加熱処理をしなければならない』。『だが、大量の食品が海外から輸入されている現状では、そこから感染する恐れもあり、注意しなければならない。発展途上国では人糞尿を肥料にする事は少ないが、衛生観念や施設の不充分から回虫の蔓延が見られる。便所の位置や構造が不衛生で、地面にそのまま排泄する場合には、乾燥した便に含まれる回虫卵が風に乗って空中に浮遊して感染する。糞便にたかる昆虫やネズミなどの小動物も感染源となっている』。『回虫は毎日大量に産卵するので、1匹でも寄生していれば必ず糞便に卵が混じる。よって検便をすれば寄生の有無がわかる。駆除にはかつてはサントニン・マクニン・カイニンソウなどが用いられたが、最近はパモ酸ピランテル、メベンダゾールなどが用いられる』。『根本的には便所の改善、人々の衛生観念の向上、社会の貧困撲滅など、多くの課題がある。発展途上国・地域でも、日本はじめ先進諸国の援助もあってそれらの問題の解決に取り組んでいるが、なお困難な事業である』。以下、私の好きな寄生虫博士藤田先生絡みの「アレルギー症との関連」の項で、是非、ここだけは読んで戴きたい(下線太字はやぶちゃん)。『東京医科歯科大学名誉教授の藤田紘一郎は、回虫(ヒト回虫)の寄生が花粉症などのアレルギー性疾患の防止に効果があると説いている。それによると、花粉症は花粉と結合した抗体が鼻粘膜の細胞に接合し、その結果としてヒスタミン等の物質が放出されて起こるが、回虫などの寄生虫が体内にいる場合、寄生虫は人体にとって異物であるので対応する抗体が大量に産生され、しかもそれらの抗体は花粉等のアレルギー物質とは結合しないので、アレルギー反応も起こらない。近年アレルギー性疾患が激増しているのは、回虫保有率が極端に減少したためであるという。少数の回虫寄生であれば、むしろ人体に有益な面も見られると考えられる。ヒト回虫とヒトには安定した共生関係が成立している可能性も考えられる』。『これに対し』、『東京慈恵会医科大学元教授の渡辺直煕(熱帯医学講座)は、ヒトへのブタ回虫寄生によりアレルギー物質に対するIgE抗体産生が増強する結果』、『アレルギー疾患が増悪することを示し、藤田の説を否定している』(これっておかしくない? 渡辺氏のそれは日和見感染の限定的結果論であって、それを通常のヒト回虫に敷衍するのはどうなの?)。『豚回虫・牛回虫・馬回虫・犬回虫・猫回虫など各種の回虫は、それぞれの哺乳類に固有であり、異種間では成虫になれない。そのため産卵することは無いので、糞便の虫卵検査では検出出来ない。時おり話題になるアニサキス症も、クジラ類の回虫に当たるアニサキスの幼虫がヒトの消化管(胃)へ迷入して起こる。ただし、人体に入ってもすぐ死んでしまい、寄生する事はない。もっとも、回虫は、かつては異なる宿主には寄生しないと考えられて来たが、実際にはヒトにイヌ回虫などの幼虫が寄生した例が多くあり、そのような場合は各種臓器への迷入が起こりやすく、重篤な症状を引き起こすので充分な注意が必要である』。

 

「癥瘕〔(ちようか)〕」腹中のしこり。この場合、本草家は寄生虫症による体内病変以外の寄生虫に依らない腫瘍等を含むものを主に想定していることに注意。「久しくして、皆、蟲と成る」とある通り、彼らは、そうした腫瘍から寄生虫が発生するというとんでもない勘違いを確信しているのである。

「上旬には、頭、上に向かひ、中旬には中に向かひ、下旬には下に向かふ」月の満ち欠けに従っているというのである。

「五更」凡そ、現在の午前三時から午前五時、或いは午前四時から午前六時頃。寅の刻。

「効〔(ききめ)〕しあり易し」「し」は強意の副助詞と採った。

「巣元方病原」隋代の医師で大業年間(六〇五年~六一六年)中に太医博士となった巣元方が六一〇年、煬帝の勅命によって撰した医術総論「巣氏諸病源候論」。全五十巻。

「伏蟲」現行の研究では、これはヒトに寄生する十二指腸虫(線形動物門双腺綱桿線虫亜綱 Rhabditia 円虫目 Strongylida 鉤虫上科 Ancylostomatoidea 鉤虫科 Ancylostomatidae 十二指腸虫属Ancylostomaズビニ鉤虫 Ancylostoma duodenale 及び鉤虫科 Necator 属アメリカ鉤虫 Necator americanus)に比定される。十二指腸虫という名称はたまたま剖検によって十二指腸で発見されただけのことで、特異的に十二指腸に寄生するわけではないので注意されたい。なお、犬や猫を固有宿主とするセイロンコウチュウ・ブラジルコウチュウ・イヌコウチュウなどもヒトに寄生することがある。ウィキの「鉤虫症」によれば、『感染時にかゆみを伴う皮膚炎を起こす。幼虫の刺激により』、『咳・咽頭炎を起こす。重症の場合、寄生虫の吸血により軽症~重症の鉄欠乏性貧血を起こす。異食症を伴う場合もある』。『亜熱帯から熱帯にひろく分布する。戦前までは日本中で症例が多数みられ、埼玉県では「埼玉病」と呼ばれており、大正期に罹病率の高かった地域は水田の多い北葛飾郡・南埼玉郡・北埼玉郡の三郡であったとされる。これは近世中期以降、この地域が江戸からの下肥需要圏であり、河川を利用した肥船による下肥移入が多かったためとされる』。本種群はヒトからヒトへの『感染はない。糞便とともに排出された虫卵が適切な条件の土壌中で孵化し幼虫となる。通常裸足の皮膚から浸入し、肺、気管支、喉頭を経て消化管に入り、小腸粘膜で成虫となり、排卵を開始する。生野菜、浅漬けから経口感染することもある』とある。

長さ、四分。群蟲の主〔(しゆ)〕なり。

「上下の口」寄生(それも多量に)された人間の口と肛門。

「喜〔(この)み〕て」訓読に苦労したが、これで「頻りに」「甚だしく」という意味に問った。東洋文庫訳では『たえず』と訳してある。

「心を貫き傷むときは、則ち死す」これは回虫による死ではなく、別な心疾患によるものを誤認していると私は思う。

「白蟲」これと後に出る「寸白」(すばく)は、現行の研究では、条虫(所謂、「サナダムシ(真田虫)」)類、例えば、ヒトに寄生する扁形動物門 Platyhelminthes 条虫綱 Cestoda 真性条虫亜綱 Eucestoda 円葉目 Cyclophyllidea テニア科 Taeniidae テニア属 Taenia 無鉤条虫 Taenia saginata 等の断裂した切片ではないかと考えられている。ウィキの「無鉤条虫」によれば、感染しても、通常は『無症候性だが、多数寄生では体重減少・眩暈・腹痛・下痢・頭痛・吐気・便秘・慢性の消化不良・食欲不振などの症状が見られる。虫体が腸管を閉塞した場合には手術で除去する必要がある。抗原を放出してアレルギーを引き起こすこともある』とある。真性条虫亜綱擬葉目 Pseudophyllidea 裂頭条虫科 Diphyllobothriidae 裂頭条虫属 Diphyllobothrium 広節裂頭条虫 Diphyllobothrium latum でも主な症状は下痢や腹痛であるが、自覚症状がないことも少なくない(但し、北欧では広節裂頭条虫貧血と称する悪性貧血が見られることがある)。但し、テニア科 Cysticercus 属有鉤嚢虫(ユコウノウチュウ)Cysticercus cellulosae が、脳や眼に寄生した場合は神経嚢虫症など重篤な症状を示すケースがある。なお、ここでは「長さ、一尺〔に〕なれば」などと言っているが、実際には無鉤条虫や広節裂頭条虫は全体長が五メートルから十メートルにも達する

「肉蟲」不詳。或いは先に述べたように、寄生虫とは関係のない、腫瘍疾患かも知れない。

「肺蟲」扁形動物門 Platyhelminthes 吸虫綱 Trematoda 二生亜綱 Digenea 斜睾吸虫目 Plagiorchiida 住胞吸虫亜目 Troglotremata 住胞吸虫上科 Troglotrematoidea 肺吸虫科 Paragonimidae Paragonimus 属に属する肺吸虫類が念頭には上ぼる。特にヒト寄生として知られるウェステルマン肺吸虫 Paragonimus westermaniiの場合、血痰・喀血などの肺結核(本文の「勞〔(らう)〕」は「労咳」で、それ)に似た症状を引き起す(また、迷走て脳その他の器官に移って脳腫瘍症状や半身不随などを引き起こすこともあり、生命に関わる重篤なケースも出来(しゅったい)することがある)。本種の体型はよく太った卵円形を呈し、体長は七~十六ミリメートル、体幅は四~八ミリメートルではあるが、肺に寄生したそれが、咳や喀血とともに体外に出ることは、ちょっと考え難く、ここで「狀ち、蠶(かいこ)のごとし」と言っているのは、本種を正しく比定出来るのかどうかは怪しい。死後に剖検して肺腑の寄生状態を見たというならまだしも、中国の本草家がそこまで出来たとは私には全く思われないからである。

「胃蟲」胃壁に咬みついて激しい痛みを起す、回虫上科アニサキス科 Anisakidae アニサキス亜科 Anisakinae アニサキス属 Anisakis のアニサキス類が頭に浮かぶものの、あれは線虫樣で「蝦蟇(かへる)」なんぞには似ていない。ここも寧ろ、胃癌を比定した方が、腑に落ちる。

「弱蟲」「鬲蟲〔(かくちゆう)〕」不詳。

「瓜の瓣(なかご)」うりの中の種。

「赤蟲」不詳。

「蟯蟲」旋尾線虫亜綱蟯虫(ギョウチュウ)目 Oxyurida 蟯虫上科 Oxyuroidea 蟯虫科Oxyuridae Enterobius 属ヒト蟯虫Enterobius vermicularis。以下、諸病の現況の如き書かれようであるが、ウィキの「ギョウチュウ」によれば、『仮にヒトがヒトギョウチュウに寄生されたところで、そのヒトが特段に栄養状態の悪い環境に置かれていなければ、腸内でギョウチュウに食物を横取りされることなどによって起こり得る栄養障害などについては、ほぼ問題になることは無いとされる。しかしながら、ヒトの睡眠中にギョウチュウが行う産卵などの活動に伴って、かゆみなどが発生し、これによってヒトに睡眠障害が誘発され得る。睡眠障害の結果として、日中の眠気や、落ち着きが無く短気になるなどの精神症状の原因となる場合があることが問題視されている。また、かゆみのために、ほぼ無意識に肛門周辺を掻いた跡が炎症を起こしたり、解剖学的に汚れやすい場所であることから掻いた跡が細菌などの感染を受ける場合がある』という程度のものでしかない。

「形ち、菜の蟲のごとし」ギョウチュウは雌雄異体で、で二~五ミリメートル程度なのに対し、は八~十三ミリメートルに達する性的二型である。外見は乳白色で「ちりめんじゃこ」のような形に見える(ここも上記のウィキに拠った)。

「胴腸〔(どうちやう)〕」東洋文庫の割注で『大腸』とある。

「癰疽〔(ようそ)〕」悪性の腫れ物。「癰」は浅く大ききなそれ、「疽」は深く狭いそれを指す。

「疥癬」皮膚に穿孔して寄生するコナダニ亜目ヒゼンダニ科Sarcoptes 属ヒゼンダニ変種ヒゼンダニ(ヒト寄生固有種)Sarcoptes scabiei var. hominis によって引き起こされる皮膚疾患。

癘〔(くわれい)〕」東洋文庫の割注で『悪瘡による手足の痛痒』とある。

「疳〔(はくさ)〕」読みは東洋文庫訳のルビに拠った。次が「齲齒」であることを考えると、「齒臭」で強い口臭症状を指すものか? 小学館「日本国語大辞典」によれば、歯茎にできた腫れ物のことか、とし、歯肉炎の類、とする。

「齲齒〔(うし)〕」虫歯。

「尸(し)蟲」不詳。ただ、この「尸蟲」を見、「人と俱に生じて、人の大害を爲す」となると、私は真っ先に道教由来の人間の体内にいるとされる「三尸(さんし)の虫」を思い浮かべるのだが。ウィキの「三尸」より引いておく。六十日に『一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる』。『日本では平安時代に貴族の間で始まり』、『民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった』。『道教では人間に欲望を起こさせたり』、『寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている』。『上尸・中尸・下尸の』三『種類があり、人間が生れ落ちるときから体内にいるとされる』。「太上三尸中経」の『中では大きさはどれも』二『寸ばかりで、小児もしくは馬に似た形をしているとあるが』、三『種とも』、『それぞれ』、『別の姿や特徴をしているとする文献も多い』。『病気を起こしたり、庚申の日に体を抜け出して寿命を縮めさせたりする理由は、宿っている人間が死亡すると自由になれるからである。葛洪の記した道教の書』「抱朴子」(四世紀頃成立)には、『三尸は鬼神のたぐいで形はないが』、『宿っている人間が死ねば』、『三尸たちは自由に動くことができ』、また、『まつられたりする事も可能になるので』、『常に人間の早死にを望んでいる、と記され』、他の書で『も、宿っている人間が死ねば三尸は自由に動き回れる鬼(き)になれるので人間の早死にを望んでいる、とある』とする。本邦では、「大清経」を『典拠とした三尸を避ける呪文が引かれており』、「庚申縁起」などに『採り入れられ』て『広まった。その中に「彭侯子・彭常子・命児子」という語が見られ』、『また、三尸が体から抜け出ないように唱えるまじない歌に、「しし虫」「しゃうけら」「しゃうきら」「そうきゃう」などの語が見られ、絵巻物などに描かれる妖怪の「しょうけら」と関係が深いと見られている』。「上尸(じょうし)」は彭倨(ほうきょ)・青姑(せいこ)・青古青服・阿呵・蓋東とも呼ばれ、『色は青または黒』で、『人間の頭の中に居り、首から上の病気を引き起こしたり、宝貨を好ませたりする』。「中尸(ちゅうし)」は彭質(ほうしつ)・白姑(はくこ)・白服・作子・彭侯とも呼ばれ』、『色は白または青、黄』で、『人間の腹の中に居り、臓器の病気を引き起こしたり、大食を好ませたりする』。「下尸(げし)」は彭矯・血姑・血尸・赤口(しゃっこう)・委細蝦蟆とも呼ばれ、『白または黒』で、『人間の足の中に居り、腰から上の病気を引き起こしたり、淫欲を好ませたりする』という。『道教では、唐から宋の時代にかけてほぼ伝承として固定化された』。但し、「抱朴子」の三尸の記載には特に三体で『あるという描写は無く、のちに三尸という名称から』三『体存在すると考えるようになったのではないかともいわれている』。「瑯邪代酔篇」など、『庚申のほかに甲子(あるいは甲寅)の日にも三尸が体から抜け出るという説をのせている書籍も中国にはある。庚申と甲子は道教では北斗七星のおりてくる日とされており、関連があったとも考えられる』。『日本で庚申待と呼ばれるものは中国では「守庚申」「守庚申会」と言われており、仏教と結びついて唐の時代の中頃から末にかけて広がっていったと考えられる。平安時代に貴族たちの間で行われていたものは中国の「守庚申」にかなり近いものであった』。『清の時代にかけては行事の中での三尸や道教色は薄れて観音への信仰が強く出ていった』とある。中国の民俗学的寄生虫の元祖みたようなものであるからして、ここはやはり「三尸虫」で採っておきたい。

「傳變」ヒトからヒトに感染するという意味という意味ではなく、寄生の後にその寄生虫が「勞瘵〔(らうさい)〕」=労咳=肺結核のような病気の病原虫に変化するという意味であ「其の蟲の傳變すること、或いは嬰兒のごとく……」以下の「如」の羅列はもの凄い。ゴシック怪奇小説を読むようなインパクトがある。

「螻蟻〔(らうぎ)〕」ケラ(螻蛄)と蟻(アリ)。

「猪肝〔(ちよかん)〕」文字通り、猪の肝臓のことであろう。反射的にヒト寄生し幼虫が移行迷入性が強い厄介なカンテツ類(吸虫綱二生亜綱 Digenea 棘口吸虫目 Echinostomida 棘口吸虫亜目 Echinostomata 棘口吸虫上科 Echinostomatoidea 蛭状吸虫(カンテツ)科 Fasciolidae 蛭状吸虫亜科 Fasciolinae カンテツ属 Fasciola)を思い浮かべた。カンテツ(肝蛭)とは厳密には Fasciola hepatica のことを指すが、巨大肝蛭 Fasciola gigantica、日本産肝蛭 Fasciola sp. を含めて肝蛭と総称されることが多い。成虫は体長二~三センチメートル、幅約一センチメートル。本邦の中間宿主は腹足綱直腹足亜綱異鰓上目有肺目基眼亜目モノアラガイ上科モノアラガイ科 ヒメモノアラガイ Austropeplea ollula(北海道ではコシダカヒメモノアラガイ Lymnaea truncatula)、終宿主はヒツジ・ヤギ・ウシ・ウマ・ブタ・ヒトなどの哺乳類。ヒトへの感染はクレソンまたはレバーの生食による。終宿主より排出された虫卵は水中でミラシジウムに発育、中間宿主の頭部・足部・外套膜などから侵入、スポロシストとなる。スポロシストは中腸腺においてレジアからセルカリアへと発育、セルカリアは中間宿主の呼吸孔から遊出して水草などに付着後に被嚢し、これをメタセルカリアと呼ぶ。メタセルカリアは終宿主に経口的に摂取され、空腸において脱嚢して幼虫は腸粘膜から侵入して腹腔に至る。その後は肝臓実質内部を迷走しながら発育、最終的に総胆管内に移行する。感染後七〇日前後で総胆管内で産卵を始める。脱嚢後の幼虫は移行迷入性が強く、子宮・気管支などに移行する場合がある。ヒトの症状は肝臓部の圧痛・黄疸・嘔吐・蕁麻疹・発熱・下痢・貧血などで、現在では、一九七〇年代半ばに開発された極めて効果的な吸虫駆除剤プラジカンテル(praziquantel)がある(以上は主にウィキの「肝蛭」に拠った)。

「狀の勝〔(た)へ〕て窮むべからず」ヒトに感染寄生して別の遺物(疾患)に変化する様態はさまざまであって、それを総て語り尽くすことは到底、出来ない、の意。

「之れを要するに」東洋文庫訳では『しかし要するに』とある。

「主〔(しゆ)〕と爲〔(す)〕」東洋文庫訳では『すべて湿熱によって生ずるものなのである』とある。

「人、蛔蟲を吐き下するに」「蜮」の項で既に述べたが、回虫などが多量に寄生した場合には、本邦でも江戸時代、「逆虫(さかむし)」と称して、口から回虫を吐き出すケースがままあった。私の「谷の響 二の卷 四 怪蚘」も参照されたい。

「錢氏白朮散〔(ぜんしびやくじゆつさん)〕」配合生薬は人参・白朮(キク目キク科オケラ属オケラ Atractylodes japonica の根茎。健胃・利尿効果がある)・茯苓(ぶくりょう:アカマツ・クロマツなどのマツ属 Pinus の植物の根に寄生する菌界担子菌門菌靱蕈(きんじん)綱ヒダナシタケ目サルノコシカケ科ウォルフィポリア属マツホド(松塊)Wolfiporia extensa の菌核の外層をほぼ取り除いた生薬名)・甘草(かんぞう)・葛根(かっこん)木香(もっこう:キク目キク科トウヒレン属モッコウ Saussurea costus 又は Saussurea lappa の根)・藿香(かっこう:シソ目シソ科ミズトラノオ属パチョリ Pogostemon cablin の全草乾燥品)で、小児の消化不良や胃腸虚弱の体質改善に効果があり、感冒時や食あたりの口の渇き・発熱・下痢・嘔吐にも用いる。

「丁字〔(ちやうじ)〕」漢方薬に用いる生薬の一つ。丁香・クローブともいう。 バラ亜綱フトモモ目フトモモ科フトモモ属チョウジノキ Syzygium aromaticum の蕾を乾燥したもので、殺菌・強壮・胃液の分泌を盛んにするなどの作用を持ち、他にも打撲・捻挫などの腫れや痛みを抑える「治打撲一方(ぢだぼくいっぽう)」や、更年期障害・月経不順・産前産後の神経症に効く「女神散(にょしんさん)」、しゃっくりを止める「柿蔕湯(していとう)」などに含まれる。

「苦楝〔(くれん)〕」苦楝子。ムクロジ目センダン科センダン属センダン Melia azedarach の果実。ひび・あかぎれ・しもやけに外用。整腸・鎮痛薬として煎液を内服もするが、生の果実はサポニンを多く含むため、人が食べると、中毒を起こし、摂取量が多い場合には死に至ることもあることを知っておきたい。

「白色〔に〕黒を帶びたる者」こんなヒト寄生虫は私は知らない。

「正親(おほぎ)町の帝」正親町天皇(永正一四(一五一七)年~文禄二(一五九三)年)は第百六代天皇。在位は弘治三(一五五七)年から天正一四(一五八六)年。

「天正十三年」一五八五年。

「丹羽(には)五郎左衞門長秀」(天文四(一五三五)年~天正十三年四月十六日(一五八五年五月十五日)は元織田氏の宿老。本能寺の変では豊臣秀吉と共に明智光秀を討ち、賤ヶ岳の戦でも秀吉に属した。越前国足羽郡北庄城主。ウィキの「丹羽長秀」によれば、「秀吉譜」によると、本文にある通り、長秀は平生より「積聚」(症状としては「さしこみ」を指す。漢方で、腹中に出来た腫瘤によって発生するとされた、激しい腹部痛を言う(本来はその腫瘤そのものの呼称であろう)。現在は殆んどの記載が胃痙攣に同定しているが、私は癌、胆管結石や尿道結石及び女性の重度の生理通等を含むものではあるまいかと思っている)に『苦しんでおり、苦痛に勝てず』、『自刃した。火葬の後、灰の中に未だ焦げ尽くさない積聚が出てきた。拳ぐらいの大きさで、形は石亀』(本文の「秦龜(いしがめ)」。爬虫綱カメ目イシガメ科イシガメ属ニホンイシガメ Mauremys japonica)『のよう、くちばしは尖って曲がっていて鳥のようで、刀の痕が背にあった。秀吉が見て言うには、「これは奇な物だ。医家にあるべき物だろう」と、竹田法印』(竹田定加(たけだじょうか 天文一五(一五四六)年~慶長五(一六〇〇)年)は豊臣秀吉の侍医。秀吉の生母大政所や丹羽長秀らを治療し、文禄二(一五九四)年に来日した明の使節の治療にもあたっているが、慶長二年には秀吉の病中に役目を怠って罰せられてもいる)『に賜ったという。後年、これを読んだ平戸藩主・松浦静山は、この物を見たいと思っていると』、寛政六(一七九三)年『初春、当代の竹田法印の門人で松浦邸に出入りしていた者を通じて、借りることができた。すると』、内箱の銘は「秀吉譜」に書かれたものとは『相違があり、それによれば』、『久しく腹中の病「積虫」を患っていた長秀は、「なんで積虫のために殺されようか」と、短刀を腹に』刺し、『虫を得て』、『死去した。しかし、その虫は死んでおらず、形はすっぽんに似て歩いた。秀吉が侍医に命じて薬を投じたが、日を経てもなお』、『死ななかった。竹田法印定加に命じて方法を考えさせ、法印がひと匙の薬を与えると、ようやく死んだ。秀吉が功を賞してその虫を賜り、代々伝える家宝となったとあった。外箱の銘には、後の世にそれが失われることを恐れ、高祖父竹田法印定堅がその形を模した物を拵えて共に今あると書かれていた(内箱・外箱の銘は』天明七(一七八七)年『に竹田公豊が書いたものであった)。しかし、静山が借りたときには、本物は別の箱に収められて密封されていたため持って来なかったというので、年月を経て朽ちて壊れてしまい、人に見せることができなくなってしまったのだろうと静山は推測し、模型の模写を遺している』。『これらによると、石亀に似て鳥のような嘴をもった怪物というのは、寸白の虫』(但し、「真田虫」ではなく「蛔虫」)『と見るのが妥当。証拠の品を家蔵する竹田譜の記事に信憑性が認められるからである。割腹して二日後に死亡したことから判断して、いわゆる切腹ではなかった』とある。]

2017/10/28

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 砂挼子(ねむりむし)


Nehurimusi

 

ねむりむし 倒行狗子

      睡蟲

砂挼子

      【祢無里無之】

本綱砂挼子【有毒】生砂石中作旋孔大如大豆背有刺能

倒行性好睡生取置枕中令夫婦相好

ねむりむし 倒行狗子

      睡蟲

砂挼子

      【「祢無里無之」。】

「本綱」、砂挼子【毒、有り。】、砂石の中に生ず。旋孔を作〔(な)〕す。大いさ、大豆のごとく、背に刺〔(とげ)〕有り。能く倒(さかさま)に行く。性、睡ることを好みて、生〔(いか)〕して取りて枕の中に置けば、夫婦をして相ひ好〔(よ)か〕らしむ。

[やぶちゃん注:記載から見て、昆虫綱内翅上目アミメカゲロウ目ウスバカゲロウ上科ウスバカゲロウ科 Myrmeleontidae に属する一部の種の幼生であるアリジゴク(ウスバカゲロウ類の総てがアリジゴク幼生を経る訳ではない)に同定する。但し、アリジゴクも初齢幼虫の時には前進して餌を捕える。中文サイトでも「砂挼子」をアリジゴクに比定している(こちら(「地牯牛」を参照されると、英名を“antlion”(アントライオン:アリジゴクのこと)とし、別名に「砂挼子」とある。「挼」は「揉む」「もみくちゃにする」の意。]

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 𧔎(みがら)


Migara

みから

𧔎【音魯】

     【和名美加良】

 

蒋妨切韻云𧔎井水中小蟲也

△按夏月井水中有白蟲大二三分形似衣魚而多足體

 畧屈匾者是矣

 

 

みがら

𧔎【音、「魯」。】

     【和名、「美加良」。】

 

蔣魴〔(しやうばう)〕が「切韻」に云はく、『𧔎井の水の中の小蟲なり』〔と〕。

△按ずるに、夏月、井の水中に、白〔き〕蟲、有り。大いさ、二、三分。形、衣魚(しみ)に似て、多き足。體、畧〔(ほ)〕ぼ屈んで匾(ひらた)き者、是れか。

 

[やぶちゃん注:「日本国語大辞典」には「みがら」漢字表記「𧔎」で『井戸水の中にいる虫という。ぼうふらのことか』とあり、「和名類聚抄」「名義抄」を例示する。しかし、ボウフラならば、既出項「孑(ぼうふりむし)があり、明らかに良安も区別している。とすれば、可能性の一つはボウフラの幼虫の次の最終ステージである蛹のオニボウフラか? 脚が多いとあるのは、蚊類の幼虫であるボウフラの各体節に生える毛はまさに「多くの足」に見え、オニボウフラに比すと明らかに「白」いし、シミに似ているのはそれが、しかし、「畧ぼ屈んで匾(ひらた)いというのは、それこそオニボウフラに相応しい表現ではないか但し、多くの脚というのを触手と採るならば、今一種、有力な候補がいる。刺胞動物門 Cnidaria ヒドロ虫綱 Hydrozoa 淡水水母目 Limnomedusae ハナガサクラゲ科Olindiasidae マミズクラゲ属 Craspedacusta マミズクラゲ Craspedacusta sowerbyi である。暫く、この二つを「みがら」の同定候補としておく。

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 鼓蟲(まひまひむし(みずすまし))


Maimaimusi

まひまひむし  鼓母蟲

        【俗云末比

         末比無之】

鼓蟲

       【又云古末

        比無之】

スウ チヨン

 

本綱鼓蟲【有毒】正黒如大豆浮遊水上也人中射工毒有

用鼓蟲一枚口中含之便差已死亦活【射工乃蜮也】

△按鼓蟲處處池中多有之常旋游周二三尺爲輪形正

 黒色似螢離水則飛

 

 

まひまひむし  鼓母蟲〔(しもちゆう)〕

        【俗に「末比末比無之」と云ふ。】

鼓蟲

       【又、「古末比無之(こまひむし)」と云ふ。】

スウ チヨン

 

「本綱」、鼓蟲【毒、有り。】、正黒にして大豆のごとく、水上に浮遊す。人、射工の毒に中〔(あた)〕る有る〔とき〕、鼓蟲一枚を用ひて、口中に之れを含めば、便ち、差〔(い)〕ゆ。已に死するも、亦、活(い)く【射工は乃〔(すなは)〕ち、「蜮〔(こく)〕」なり。】。

△按ずるに、鼓蟲、處處の池中に多く、之れ、有り。常に旋游し、周〔(わた)〕り二、三尺、輪の形を爲す。正黒色、螢に似たり。水を離るるときは、則ち、飛ぶ。

 

[やぶちゃん注:鞘翅(コウチュウ)目 Coleoptera 飽食(オサムシ)亜目 Adephagaオサムシ上科 Caraboidea ミズスマシ科 Gyrinidae のミズスマシ類。「水澄まし」を正統に名にし負い、我々が普通に見るのは、ミズスマシ科 Gyrinus 属ミズスマシ Gyrinus japonicus で、北海道・本州・四国・九州,朝鮮,台湾に分布する。体長は七ミリメートル内外と小さい。体は楕円形を成し、背面は隆起するが、腹面は平ら。全体が黒色を呈し、背面には強い光沢を持つ。前肢は長く、獲物を捕捉して保持するのに適している以外に、雄では跗節が広がり、吸盤を持っている。中・後肢は櫂状で短く、水面歩行に適している(先のアメンボ類が六脚の先で水面に立ち上がるように有意に浮いて運動するのに対し、ミズスマシ類は水面に腹這いになって浮いて運動する。因みに、アメンボは幼虫も水面で生活するが、ミズスマシの幼虫は水中で生活する)。複眼が上下に二分している点(水中・水上とも同時に見えるように、それぞれ背側・腹側に仕切られてある)も水面生活に適応した結果である。触角は非常に短く、第二節は大きく特異な形状を成す。池沼や小川などに棲息し、水面を高速で旋回して小動物を捕食する。なお、ミズスマシ科 Gyrinidaeは、その総てが肉食性である。ミズスマシ類は世界に広く分布し、約七百種が知られているが、日本では三属十七種類ほど。中でも南西諸島に分布するDineutus属オキナワオオミズスマシ Dineutus mellyi は体長が二センチメートルに達し、世界最大級のミズスマシとされる。九州以北での最大種は体長一センチメートルほどになる同属のオオミズスマシDineutus orientalisである(以上はブリタニカ国際大百科事典の記載とウィキの「ミズスマシその他マヌキアン氏の「動物写真のホームページ」のミズスマシ記載ページに拠った)。荒俣宏氏の「世界大博物図鑑 1 蟲類」の「ミズスマシ」の項によれば、学名の Gyrinus 属の「ギリヌス」とはギリシア語の「環」を意味する“gyros”或いは「オタマジャクシ」を指す“gyrinos”に由来するとあり、和名の「水澄まし」は一説では「水を澄ます虫」(水が清くなって透き通るようにさせる虫)を表わすと言われるとあり(丸括弧内は私の補足)、『水面を旋回する姿が』、『水が澄むのを念じているまじない師のように見えるからだという』ともある。但し、他に、『水面につむじ風をおこす虫という意味で』「みずつむじ」『を語源とする説もある』と記しておられ、『まおミズスマシは古くからアメンボの異名ともされ』、『とくに俳諧では〈水馬〉と書いてミズスマシと訓をあてる』ともある。

 

「射工」「蜮」先行独立項蜮」の本文及び私の考証を参照されたい。

「鼓蟲一枚を用ひて、口中に之れを含めば、便ち、差〔(い)〕ゆ」「差」は「癒」に同じい。「瘥」とも書く。荒俣氏の前掲書には『喉が渇いて尿が通じない場合には』、『ミズスマシを生きたまま』三~四匹、『水で吞みこむと治るという』とあり、九州地方の民間療法では、『熱病の』際、『生のミズスマシを酒に浮かべて飲む習慣もあ』り、『さらに黒焼きじゃ小児のよだれ止め』として、また、ミズスマシの『糞町は風邪薬とされる』ともある。

「已に死するも、亦、活(い)く」これは東洋文庫訳では「射工」「蜮」の毒を受けて仮死状態になった患者でも、この処置を受ければ、息を吹き返す、というような意味合いで訳してある。

「水を離るるときは、則ち、飛ぶ」ミズスマシの成虫は水面を滑走しながら翅を開いて飛ぶことも出来、現在の水場から別な水域へも飛翔することが可能である。]

2017/10/27

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 水馬(かつをむし)


Amenbo

 

かつをむし 水黽

      【俗云鰹蟲
       又云鹽賣】

水馬

しほうり

本綱水馬羣游水上水涸卽飛長寸許四脚非海馬之水

馬也有毒殺雞犬

五雜組云水馬逆流水而躍水日奔流而步不移尺寸兒

童捕之輙四散奔迸惟嗜蠅以髮繋蠅餌之則擒抱不脱

釣至案几而不知

△按水馬處處池川皆有頭尾尖兩髭曲高脚長身其色

 赤黑而似鰹脯故曰鰹蟲小兒以蠅之釣也和漢相同

 此蟲有酒氣以爲異人唾吐着之輙蟲如醉稍醒則復

 弄水

――――――――――――――――――――――

一種有水蠆 能變蜻蜒本初蜻蜒生卵於水際成水蠆

 還成蜻蜒【詳于蜻蜒下】

かつをむし 水黽〔(すいばう)〕

      【俗に「鰹蟲(かつをむし)」と云ひ、
       又、「鹽賣(しほうり)」と云ふ。】

水馬

しほうり

「本綱」、水馬は水上に羣游す。水、涸れり〔→るれば〕、卽ち、飛ぶ。長さ、寸許り。四つ脚。海馬(たつのおとしご)の水馬に非ず。毒、有りて、雞・犬を殺す。

「五雜組」に云はく、『水馬、流水に逆らひて、水に躍り、日に奔流して、步むこと、尺寸を移らず。兒童、之れを捕るに輙〔(すなは)〕ち、四散・奔迸〔(ほんはう)〕す。惟だ、蠅を嗜〔(す)〕く。髮を以つて蠅を繋ぎ、之れを餌〔とすれば〕、則ち、擒(と)り、抱きて、釣〔(つりいと)〕を脱せず。案-几(つくへ)に至りても、知らず。

△按ずるに、水馬、處處の池川に、皆、有り。頭尾、尖り、兩髭〔(ひげ)〕、曲り、高き脚、長き身、其の色、赤黑にして鰹脯(かつをぶし)に似る。故に「鰹蟲」と曰ふ。小兒、蠅を以つて之れを釣ることや、和漢、相ひ同じ。此の蟲、酒の氣(かざ)、有り。以つて異と爲す。人、唾(つばき)吐きて之れに着くれば、輙ち、蟲、醉ふがごとし。稍〔(しばら)〕く〔して〕醒むれば、則ち、復た、水に弄〔(はし)〕る。
――――――――――――――――――――――

一種、「水蠆〔(たいこむし)〕」有り。 能く蜻蜒(とんばう)に變ず。本〔(もと)〕、初〔め〕にして、蜻蜒、卵を水際に生〔(うみ)な〕して、水蠆と成り、還(ま)た、蜻蜒と成る【「蜻蜒」の下に詳〔(くは)〕し。】

[やぶちゃん注:主節部分は節足動物門 Arthropoda 昆虫綱 Insecta 半翅(カメムシ)目 Hemiptera 異翅(カメムシ)亜目アメンボ下目アメンボ上科アメンボ科 Gerridae のアメンボ類。本邦で最も普通に見られるのはアメンボ(ナミアメンボ)Aquarius paludum である。アメンボは「飴ん棒(ぼう)」の約で「棒」は体幹は細長いことからで、「飴」は人が捕えた際、カメムシの仲間であるからして、臭腺から臭いを発するのであるが、それが焦げた飴のような臭いに感じられるからという。実は私は嗅いだことがないので、事実そうかどうかは知らないので「という」としておく。なお、印象からは想像し難いのであるが、アメンボは肉食で、餌は水面に落ちてしまった昆虫などに針状の口吻を挿して体液を吸って栄養としている。

「水黽〔(すいばう)〕」「黽」は蛙・青蛙の意。中脚と後脚を四足に擬えたものであろうが、似ているとは思えない。現代中国音ならば「シゥイミィン」或いは「シェイミィン」か。

「鹽賣(しほうり)」確かに本邦のアメンボの異称であるが、由来は不詳。スマートな体幹を塩売りの天秤棒に譬えたものか? ただ、「飴ん棒」の異称の対局性が気になる。臭いは飴売りだが、姿は塩売りという洒落かも知れないと、ふと思った。

「しほうり」中国音ではなく、異名がその位置に配されてあるのは特異点。

「水、涸れり〔るれば〕、卽ち、飛ぶ」「れり」では繋がりが悪いのでかく言い代えを添えた。アメンボの殆んどの種は飛翔能力を持ち、現在いる水溜まりが干乾びかけると、飛んで、別の水辺に移動をする。他にも繁殖時や越冬のため、或いは、現在位置では餌が得られなくなりそうになると、飛ぶことがある。但し、飛んでいるアメンボを実際に見ることは必ずしも多くない。私も画像で見たことがあるだけである。 

「四つ脚」無論、昆虫であるから三対六脚である。ただ、アメンボの場合、身体を水上に浮かせて支える有意に長い、中脚と後脚が極めて近接して存在するのに対して、前脚は頭部近くに有意に離れてあって、しかも短い。それを無視したか、それを顎の一部とでもとったか、或いはまた、後脚を腹部端にある鋏と錯覚したものかも知れない。さらに言えば、その「顎」や「鋏」に「毒、有りて、雞・犬を殺す」と錯覚したものかも知れぬ。無論、アメンボに毒など、ない。

「海馬(たつのおとしご)の水馬」海産魚類であるトゲウオ目 Gasterosteiformesヨウジウオ亜目 Syngnathoideiヨウジウオ科 Syngnathidaeタツノオトシゴ亜科 Hippocampinaeタツノオトシゴ属 Hippocampus のタツノオトシゴ類。私の電子化注「和漢三才圖會 卷第五十一 魚類 江海無鱗魚」の「海馬」の項を参照されたい。

「水馬、流水に逆らひて水に躍り、日に奔流して、步むこと、尺寸を移らず」これはアメンボが水上に脚を使って器用に浮いてスイッスイッと走る(脚に生えた細かな毛の水面張力によって滑走している)のを見て、流れに逆らっているように見え、水の上で躍り上りっているように見え、常に流れに逆らっているのであれば、一日経っても、殆んど同じ位置に居続けている(そんなことは実際にはないが)ように見え、さればこそ一日で三十センチどころか、三センチも動かない、と見たのである。

「奔迸〔(ほんはう)〕」素早く走り逃げること。

「擒(と)り」「獲り」。

「釣〔(つりいと)〕」髪の毛製の釣り糸。を脱せず。

「案-几(つくへ)」「机(つくゑ)」。陸の、家屋内の机。

「鰹脯(かつをぶし)」「鰹節」。

「酒の氣(かざ)」甘い酒のような匂い。

「人、唾(つばき)吐きて之れに着くれば、輙ち、蟲、醉ふがごとし。稍〔(しばら)〕く〔して〕醒むれば、則ち、復た、水に弄〔(はし)〕る」やったことがない。何時か、やってみようとは思う。

「水蠆」トンボ(「蜻蜒(とんばう)」)の幼虫のヤゴのこと。

『「蜻蜒」の下』先行するトンボの項名は蜻蛉ばう)。「蜻蜒」はその異名の一つとして挙がっている。但し、それよりなにより、その「蜻蛉」の次に独立て「水蠆たいし)があのだから、ここはこちらへの「見よ割注」とすべきところである。]

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 沙虱(すなじらみ)


Sunajirami

すなしらみ  𧍲 蓬活

       地牌

沙虱

 

スアヽスエツ

 

本綱沙虱山水間多有甚細畧不可見色赤大不過蟣人

雨後入水中及草中踐沙必着人鑽入皮裏令人皮上如

芒針刺可以針挑取之正赤如丹不挑入肉三日之後寒

熱發瘡蟲漸入骨則殺人凡遇有此蟲處行還以火炙身

則出隨火去也今俗病風寒者皆以麻及桃柳枝刮其遍

身蓋始於刮沙病也其沙病初起如傷寒頭痛壯熱嘔惡

手足指末微厥或腹痛悶亂須臾殺人者謂之攪腸沙也

一種有沙蟲 卽毒蛇鱗甲中蟲蛇被苦毎入急水中碾

 出人中其毒三日卽死此亦沙虱之類也

△按近頃【康熙年中】有書題號痧脹玉衡曰治痧症救人數万

 而万病皆有交痧各修方甚詳仍知沙病流行也蓋異

 國毒蛇毒蟲多也

 

 

 

すなじらみ  𧍲〔(べんせん)〕

       蓬活

       地牌

沙虱

 

スアヽスエツ

 

「本綱」、沙虱は山水の間に多く有り。甚だ細にして畧ぼ見えるべからず。色、赤くして、大いさ、蟣(きかせ)に過ぎず。人、雨後、水中及び草の中に入りて沙を踐(ふ)めば、必ず、人に着きて、人に〔→の〕皮の裏〔(うち)〕に鑽(も)み入り、人の皮の上をして芒-針(はり)にて刺(さ)すがごとくならしむ。針を以つて之れを挑(は)ね取る。正赤なりこと、丹のごとし。挑ねざれば、肉に入りて、三日の後に寒熱し、瘡を發す。蟲、漸く骨に入れば、則ち、人を殺す。凡そ、此の蟲、有るの處に遇へば、行〔き〕還りに、火を以つて身を炙れば、則ち、出づ。火に隨ひて去るなり。今、俗、風寒を病む者、皆、麻(あさ)及び桃・柳の枝を以つて其の遍身を刮(こそ)げる〔は〕、蓋し、沙病を刮〔げる〕に始むるなり。其の沙病、初起〔は〕、傷寒のごとく頭痛・壯熱・嘔惡〔(わうあく)〕、手足の指の末、微かに厥〔(くゑつ)〕し、或いは、腹痛、悶亂して、須臾に人を殺すは、之れを「攪腸沙」と謂ふなり。

一種、「沙蟲」有り。 卽ち、毒蛇の鱗甲の中の蟲なり。蛇、苦しまらるれば、毎〔(つね)〕に急水の中に入りて碾(きし)り出だす。人、其毒に中〔(あた)〕れば、三日にして卽死す。此れも亦、沙虱の類なり。

△按ずるに、近頃【康熙年中。】、書、有り、題して「痧脹玉衡〔(さちやうぎよくかう)〕」と號す。曰く、『痧症を治して人を救ふこと、數万にして而〔(しか)も〕、〔そが〕万病に皆、痧を交〔(まぢ)〕ること有り』〔と〕。各々、修方、甚だ詳かなり。仍りて知んぬ、沙病〔の〕流行〔せることを〕。蓋し、異國には毒蛇・毒蟲、多ければなり。

 

[やぶちゃん注:私はこれを本邦産種に当てはめるならば、所謂、ツツガムシ(恙虫)病を媒介する、節足動物門 Arthropoda 鋏角亜門 Chelicerata 蛛形(クモ)綱 Arachnida ダニ目 Acari ツツガムシ科 Trombiculidae の特定のツツガムシ類に同定したい。但し、ツツガムシは日本だけでも八十種類以上(上位のツツガムシ科タクソンでは約百種)が棲息しているものの、ツツガムシ病を発症させるリケッチアを保有し、且つ、ヒトに吸着する性質を有する種はその中の数種類に過ぎないので、ツツガムシ全種を凶悪犯に仕立てぬようにしなくてはならないウィキの「ツツガムシ」によれば、『主に東アジア、東南アジアに分布する。成虫は赤色、幼虫はオレンジ色をしている。幼虫は野鼠の耳に寄生していることが多い。幼虫は脊椎動物寄生性で孵化後、生涯に一度だけ哺乳類などの皮膚に吸着して組織液、皮膚組織の崩壊物などを吸収する。十分摂食して脱落、脱皮した後の第一若虫、第二若虫および成虫には脊椎動物への寄生性はなく、昆虫の卵などを食べる』。〇・一%から三%『の個体が経卵感染によってツツガムシ病リケッチアを保菌しており、これに吸着されると』、『ツツガムシ病に感染する。保有するリケッチアの血清型は、種との関連性があることが知られ』る。『日本では、感染症法に基き』、『ツツガムシ病の症例を集計している』が、例えば二〇〇九年の報告症例は四百五十八件で死亡例は三件である。注意しなくてはならないのは、『俗に、ツツガムシが「無事である」という意味の「つつがない」(恙無い)という慣用句の語源とされるが、それは誤りで』、『「恙」(つつが)はもともと「病気」や「災難」という意味であり、それがない状態を指す言葉として「つつがない」という慣用句が生まれた。それとは別に原因不明の病気があり、その病気は「恙虫」(つつがむし)という妖怪に刺されたことによって発病すると信じられていた。後世になってからこの病気がダニの一種による感染症(ツツガムシ病)であることが判明し、そこから逆にこのダニがツツガムシと命名されたものである』ことである(下線太字やぶちゃん)。「国立感染症研究所」公式サイト内の解説によれば(アラビア数字を漢数字に代え、記号の一部を変更・省略した。下線はやぶちゃん)、『患者は、汚染地域の草むらなどで、有毒ダニの幼虫に吸着され』、『感染する。発生はダニの幼虫の活動時期と密接に関係するため、季節により消長がみられる。また、かつては山形県、秋田県、新潟県などで夏季に河川敷で感染する風土病であったが(古典型)、戦後新型ツツガ虫病の出現により北海道、沖縄など一部の地域を除いて全国で発生がみられるようになった』(私が若い頃の記憶に、流行地に行ったことがなく、山歩きなどもしていない愛知の若い女性の死亡例を思い出す。感染源は父親が新潟から購入した盆栽に着いていたツツガムシであったという驚きの真相が忘れられない)『ツツガムシは一世代に一度だけ、卵から孵化した後の幼虫期に哺乳動物に吸着し、組織液を吸う。その後は土壌中で昆虫の卵などを摂食して生活する。わが国でリケッチア(以下、菌)を媒介するのは』ツツガムシ科アカツツガムシ属『アカツツガムシ(Leptotrombidium akamushi)、タテツツガムシ(L. scutellare)、およびフトゲツツガムシ(L. pallidum)の三種であり、それぞれのダニの〇・一〜三%が菌をもつ有毒ダニである。ヒトはこの有毒ダニに吸着されると感染する。吸着時間は一〜二日で、ダニから動物への菌の移行にはおよそ六時間以上が必要である。菌はダニからダニへ経卵感染により受け継がれ、菌をもたないダニ(無毒ダニ)が感染動物に吸着しても』、『菌を獲得できず、有毒ダニに』は『ならない。したがって、自然界で』齧歯類『などの動物はヒトへの感染増幅動物とはならず、ダニのライフ』・『サイクルを完結させるために重要となる』。『新型ツツガムシ病を媒介するタテツツガムシ、およびフトゲツツガムシは秋〜初冬に孵化するので、この時期に関東〜九州地方を中心に多くの発生がみられる。また、フトゲツツガムシは寒冷な気候に抵抗性であるので、その一部が越冬し、融雪とともに活動を再開するため、東北・北陸地方では春〜初夏にも発生がみられ、そこではこの時期の方が秋〜初冬より患者が多い。したがって全国でみると、年間に春〜初夏、および秋〜初冬の二つの発生ピークがみられる。また、古典型ツツガムシ病の原因となったアカツツガムシは現在』、『消滅したと考えられ、夏期に発生ピークはみられない』。『我が国では一九五〇年に伝染病予防法によるツツガムシ病の届け出が始まり、一九九九年四月からは』、『感染症法により』、『四類感染症全数把握疾患として届け出が継続されている。感染症法施行後の患者数をみると、一九九九年(四〜十二月)には五百八十八人、二〇〇〇年(一〜十二月)には急増して七五四人が報告された。二〇〇一 年には四百六十人に減少したが、今後の動向が注目される。また、毎年数人の死亡例も報告され、依然として命を脅かす疾病であることがうかがえる。また、ツツガムシ病は広くアジア、東南アジアにも存在しており、輸入感染症としても重要である』。「臨床症状」の項。『潜伏期は五〜十四日で、典型的な症例では』摂氏三十九度『以上の高熱を伴って発症し、皮膚には特徴的なダニの刺し口がみられ、その後』、『数日で体幹部を中心に発疹がみられるようになる』。『発熱、刺し口、発疹は主要三徴候とよばれ、およそ九十%以上の患者にみられる。また、患者の多くは倦怠感、頭痛を訴え、患者の半数には刺し口近傍の所属リンパ節、あるいは全身のリンパ節の腫脹がみられ』、『治療が遅れると』、『播種性血管内凝固をおこすことがあり、致死率が高い』。『発生時期がその年の気候により影響を受けること、わが国には夏〜秋に発生の多い日本紅斑熱が存在することなどから、年間を通して、本症を含むダニ媒介性リケッチア症を常に疑うことが重要である。また、ヒトの移動に伴い、汚染地域に出かけて感染し、帰宅後発症する例もあるので、汚染地域だけでなく広く全国 の医療機関で注意が必要である』とある。

 ツツガムシ病の病原体はリケッチア(Rickettsia:以下に示すリケッチア科 Rickettsiaceae オリエンティア属 Orientia(旧リケッチア属)に属する微生物の総称。ヒトに発疹チフスや各種リケッチア症を発症させる細菌で、現在、二十六種が確認されている。ダニ等の節足動物を中間宿主とし、ウイルス同様、細胞外では増殖出来ない偏性細胞内寄生体。名称は発疹チフスの研究に従事して結果的にそれが原因で亡くなったアメリカの病理学者ハワード・テイラー リケッツ(Howard Taylor Ricketts 一八七一年~一九一〇年:元ペンシルヴェニア大学教授。一九〇六年、ロッキー山紅斑熱の研究を開始し、その二年後にマダニから病原性の微生物を発見、同時に野性動物の血液中からもリッケチアと命名されたこの微生物を見出だした。また、メキシコシティで発疹チフスの調査に出かけ、同病は一度かかると、免疫性を獲得することを発見したが、地方病性発疹熱を研究中、感染して死亡した。以上は日外アソシエーツ「20世紀西洋人名事典」に拠った)の名に因む)で、

真正細菌界 Bacteria プロテオバクテリア門 Proteobacteria アルファプロテオバクテリア綱 Alphaproteobacteria リケッチア目 Rickettsiales リケッチア科 Rickettsiaceae オリエンティア属オリエンティア・ツツガムシ Orientia tsutsugamushi

であるが、多くの血清型を持ち、ウィキの「オリエンティア・ツツガムシ」によれば、『多数の血清型が報告されており、Karp 型(全感染例のおよそ 50% )、Gilliam 型(25%)、Kato 型(10% 以下)、Kawasaki 型』『の他』、『莫大な多様性が存在する。マレーシアの単一フィールドでは8つの血清型が報告されており』、『更に多くの型が報告され続けて』おり、『遺伝子的手法により、以前判明していたよりもさらに複雑であることが分かってきている(例えば、Gilliam 型は Gilliam 型と JG 型に細分化された)。ある血清型への感染は別の血清型への免疫を与えない(交叉免疫が無い)。したがって同一固体への感染が複数回繰り返されることがあり、ワクチン設計が複雑になる』のであるが、そもそもが、『ツツガムシ病の認可済みワクチンは現状』。『存在しない』。これは『Orientia tsutsugamushi の各株間には莫大な抗原多様性があること、および交叉免疫が生じないことが明らかになっており、ツツガムシ病ワクチンが許容水準の予防を得るためには、地域内で見られる全ての株を予防できる必要がある。抗原の多様性のため、ある地域向けに開発されたワクチンは別の地域では予防にならないこともある。この困難のために、現実的なワクチンの製造努力は実を結んでいない』とある。
 

「沙虱」「本草綱目」では「沙蝨」の表記。

「甚だ細にして畧ぼ見えるべからず」ツツガムシ類の大きさは一ミリ以下と極めて微細である。

「蟣(きかせ)」シラミの子或いはシラミ。生物学的には昆虫綱咀顎目シラミ亜目 Anoplura のうちで、ヒトに寄生して吸血するヒトジラミ科 PediculidaeのヒトジラミPediculus humanusの亜種アタマジラミ Pediculus humanus humanus・亜種コロモジラミ Pediculus humanus corporis の二亜種と、ケジラミ科 Pthiridae の、ケジラミ Phthirus pubis既出項「蝨」を参照。東洋文庫訳では『きざさ』とルビするが、これも「キカセ」に同じく、シラミ或いはその幼虫を指す古語(十世紀に編纂された「倭名類聚鈔」には「シラミの子」のことを「木佐々」(きささ)と称するとある)及び現行の方言。「キザシ」などとも称するから、総て同源であろう。

「踐(ふ)めば」踏めば。

「人に〔→の〕」「の」の方が読み易いので、かく、した。

「風寒」漢方で、寒冷に曝されたような症状を言う。

「初起」初期。

「傷寒」漢方で、高熱を伴う急性疾患を指す。腸チフスなど。

「壯熱」漢方で、高熱が続いたために風寒の邪気が人体の奥に入って熱を発する状態を指す。多汗や口の渇きなどの症状を伴うことが多い。

「嘔惡〔(わうあく)〕」気分が悪くなって嘔吐を伴う症状。

「厥〔(くゑつ)〕し」曲がり。東洋文庫訳割注は『ふるえることか』とするが、採らない。

「須臾に」時をおかず。

「攪腸沙」しかしこれはツツガムシ病というより、腸チフスやコレラ(後注参照)っぽい。

「沙蟲」「毒蛇の鱗甲の中の蟲なり」毒蛇に限らず、自然界に棲息する蛇類には多かれ少なかれ、ダニ類が寄生している。当該種学名を探し出すのは面倒なので、お許しあれ。

「苦しまらるれば」苦しめられると。

「急水」急流。

「碾(きし)り出だす」早い水流で、ダニを擦り落とす。

「康熙」一六六二年~一七二二年。「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年頃(自序クレジット)の完成。

「痧脹玉衡〔(さちやうぎよくかう)〕」東洋文庫書名注に、『三巻。後一巻。清の郭志邃(かくしすい)撰。伝染病』としての『痧(コレラ)の症状・治療法について述べたもの』とある。

「沙病」前注から考えると、良安はコレラ(「痧」)とツツガムシ病を混同してしまっていることになる。これは或いは単に「沙虱」と同じ「少」が構成用字である「痧」とを安易に同源の文字と考えた誤りではあるまいか?

2017/10/25

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蜮(いさごむし) 附 鬼彈


Isagomusi

いさごむし  射工 射影

       水弩 抱槍

       水狐 短狐

【音或】

       溪鬼蟲。含沙

フヲツ

本綱蜮出山林間長二三寸廣寸許形扁前濶後狹似蟬

狀腹軟背硬如鱉負甲黒色六七月甲下有翅能飛作鉍

鉍聲濶頭尖喙有二骨眼其頭目醜黒如狐如鬼喙頭有

尖角如爪長一二分有六足如蟹足二足有喙下大而一

爪四足有腹下小而岐爪或時雙屈前足抱拱其喙正如

橫弩上矢之狀冬則蟄於谷間所居之處大雪不積氣起

如蒸掘下一尺可得此物足角如弩以氣爲矢因水勢含

沙以射人影成病急不治則殺人是淫婦惑亂氣所生也

所中其毒者取鼓蟲一枚口中含之便愈已死亦活蟾蜍

鴛鴦能食射工鵞鴨辟射工故鵞飛則蜮沈

鬼彈

南中志云永昌郡有禁水惟十一二月可渡餘月則殺人

其氣有惡物作聲不見其形中人則青爛名曰鬼彈乃溪

毒之類

いさごむし  射工

       射影

       水弩〔(すいど)〕

       抱槍

       水狐

       短狐

【音、「或〔(コク)〕」。】

       溪鬼蟲

       含沙

フヲツ

「本綱」、蜮は山林の間に出づ。長さ、二、三寸、廣さ寸許り。形、扁く、前、濶〔(ひろ)〕く、後、狹く、蟬の狀〔(かたち)〕に似る。腹、軟にして、背、硬く、鱉〔(すつぽん)〕のごとし。甲を負ふ。黒色。六、七月、甲の下に翅〔(つば)〕さ有りて、能く飛びて、「鉍鉍〔(ひつひつ)〕」の聲を作〔(な)〕す。濶〔(ひろ)〕き頭、尖りたる喙〔(くちばし)〕、二つの骨眼、有り。其の頭・目、醜(みにく)く、黒くして、狐のごとく、鬼のごとく、喙の頭に、尖りたる角、有り、爪(つめ)のごとく、長さ、一、二分。六足、有りて、蟹の足ごとく、二つの足は喙の下に有りて、大にして一つ爪〔たり〕。四つの足は腹の下に有り、小にして岐ある爪〔たり〕。或る時には、前足を雙(なら)べ屈(かゞ)みて、其の喙を抱-拱(だ〔き〕かゝ)へて正に橫たはる弩の上に矢の狀のごとし。冬は則ち、谷の間に蟄(すごも)り、居〔(を)〕る所の處〔(ところ)〕に、大雪、積もらず。氣、起こること、蒸(む)すがごとし。掘り下すこと一尺にして得べし。此の物、足・角、弩のごとく、氣を以つて矢と爲し、水勢に因りて、沙を含み、以つて、人影を射て、病ひと成る。急〔(ただち)〕に治せざれば、則ち、人を殺す。是れ、淫婦惑亂の氣より生ずる所なり。其の毒に中〔(あ)〕てらる者、鼓蟲(まいまいむし)一枚を取りて、口中に之れを含めば、便ち、愈ゆ。已に死するも、亦、活す。蟾蜍〔(ひきがへる)〕・鴛鴦(をしどり)、能く射工を食ふ。鵞〔がてう〕・鴨〔(かも)〕、射工を辟〔(さ)〕く。故に、鵞、飛ぶときは、則ち、蜮、沈む。

鬼彈(きだん)

「南中志」晋の常璩(じょうきょ)撰。云はく、『永昌郡に、禁水、有り。惟だ十一、〔十〕二月に渡るべし。餘月は、則ち、人を殺す。其の氣、惡物〔(あくもつ)〕有り。聲を作(な)して其の形を見ず。人に中〔(あた)〕れば、則ち、青く爛(たゞ)る。名づけて「鬼彈」と曰〔(い)〕ふ。乃ち、溪毒の類ひ〔なり〕。』〔と〕。

[やぶちゃん注:大修館書店「廣漢和辭典」を引くと、「蜮」には『①いさごむし。想像上の動物。形は亀に似て三足。水中に住み』、『砂を含んで人に吹きかけ、害を与えるという。射工。射影』とする。以下、『②まどわす』・『③はくいむし。苗の葉を食う虫』・『④がま(蝦蟇)』・『⑤ふくろうの一種』などを主意とし、ネット上でも、水中に棲息していて人に危害を与えるとされる伝説上の怪物とするばかりであるが、私は姿が見えないこと、水中や蒸すような湿気の高い比較的高温の場所(本文)に住むとすること、その飛翔する虫の咬傷法は弓矢で射る(刺す)ことであること、刺された場合、治療しないと死に至るという点から、何らかの風土病、吸血性動物を中間宿主とする寄生虫症をずっと以前から疑ってきている。以前はツツガムシ病を深く疑っていたのであるが、悪化した病態が判然としないことや、何より、次の独立項の「沙虱(すなじらみ)」の方がそれに相応しいことなどから、ここではそれを比定候補としては出さない。但し、種々の人体寄生虫症、卵や幼虫・成虫の経口感染のみならず、皮膚から直接侵入するタイプのフィラリア症、及び、日和見感染でも重篤な症状を引き起こす他生物の寄生虫の感染症などを含むものが、この「蜮に射られる」ことの正体なのではないかという思いは殆んど確信的に、ある。今回、幾つかのネット記載を見た中で、目が止まったのは、柳小明氏の「中国崑崙山の仙人(21) 蜮」である。ここに出る(但し、年齢五百歳の平先生という仙人の話というところが、かなり気になるのだが)「蜮」は明らかに回虫(或いは回虫そのもの。多量に寄生した場合は、本邦でも江戸時代に、「逆虫(さかむし)」と称して口から回虫を吐き出すケースがままあった)である。今少し、探索を続けたい。

「水弩〔(すいど)〕」「弩」は訓ずるならば、「おほゆみ(おおゆみ)」(大弓)で「弩」は横倒しにした弓(「翼」と称する)に弦を張り、木製の台座(「臂」或いは「身」と称する)の上に矢を置いて引き金(「懸刀」と称する)を引くことによって、矢や石などを発射する中国古来の武器である。「蜮」の身体形状(しかし、ですよ、人間には見えんはずやのに、何でこないに細かく多くの本草書に形状が書かれておるんか? ようわからんわ)が、ややこの弩(おおゆみ)の形に似ていること)「前足を雙(なら)べ屈(かゞ)みて、其の喙を抱-拱(だ〔き〕かゝ)へて正に橫たはる弩の上に矢の狀のごとし」)、及び、実際にその虫が毒気をその矢と紛う嘴(くちばし)から吹いて人を射ること、射られると放置しておくと死に至ることから、この別名を持つことが判る。

「鉍鉍〔(ひつひつ)〕」鳴き声のオノマトペイア。しかし、クドイが、姿が見えんのに、何で、「蜮」の声やて断定出来るん? わけわからん。

「骨眼」このような熟語は初見。一応、「こつがん」と読んでおくが、これは眼のように見える外骨格か、有意に盛り上がった目玉模様にクチクラ層(もしこれが節足動物であったとすれば、である)ではないでしょうか?

「一つ爪〔たり〕」突起状の単独の爪のような体節であることを言う。

「岐ある爪〔たり〕」まさに蟹の鉗脚のようであることを言う。

「大雪、積もらず」本虫が湿熱を持つことを意味している。

「淫婦惑亂の氣より生ずる所なり」何をかいわんや、である。化生説ならまだ許せるが、これは、ちょっと阿呆臭くて、全く、いただけないね。

「鼓蟲(まいまいむし)」カタツムリ。

「鵞〔がてう〕」東洋文庫は『とうがん』とルビするが、「トウガン」なる鳥の和名を私は知らない。識者の御教授を乞う。

「射工を辟〔(さ)〕く」この場合は「故に、鵞、飛ぶときは、則ち、蜮、沈む」とあるから、射工(蜮)が鵞鳥や鴨を嫌って避けるの意。

「鬼彈(きだん)」「捜神記」の「巻十二」に載る。前に「蜮」の記事も載るので、一緒に引く。

   *

漢光武中平中【註 中平當爲中元、因光武無中平年號。或光武爲靈帝之誤。】、有物處於江水、其名曰「蜮」、一曰「短狐」。能含沙射人。所中者、則身體筋急、頭痛、發熱。劇者至死。江人以術方抑之、則得沙石於肉中。詩所謂「爲鬼、爲蜮」、則不可測也。今俗謂之「溪毒」。先儒以爲男女同川而浴、淫女、爲主亂氣所生也。

漢、永昌郡不韋縣、有禁水。水有毒氣、唯十一月、十二月差可渡涉、自正月至十月不可渡。渡輒病殺人、其氣中有惡物、不見其形、其似有聲。如有所投擊内中木、則折。中人、則害。士俗號爲「鬼彈」。故郡有罪人、徙之禁防、不過十日、皆死。

   *

「南中志」三五五年に東晋の常璩(じょうきょ)によって編纂された華陽(巴・蜀・漢中)の地誌「華陽国志」の中の巻四。

「永昌郡」雲南省西部。この中央付近か(グーグル・マップ・データ)。

「禁水」この鬼弾の害があるために、以下の二ヶ月を除いて、水に入ることが禁じられていたと採る。

「十一、〔十〕二月」原典は「十一-二月」とする。東洋文庫の訳に従っ後半を十二月と採った。

「青く爛(たゞ)る」症状であるが、これでは如何ともし難い。]

2017/10/19

和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蛞蝓(なめくじ)


Namekuji

なめくち    蜒蚰螺。附蝸

        鼻涕蟲。陵蠡

        托胎蟲。土蝸

蛞蝓

        【和名奈女久如

クワウ イユイ  俗云奈女久知里】

 

本綱蛞蝓生太山池澤及陰地沙石垣下宗奭曰蛞蝓蝸

牛二物也蝸牛之老者而以爲一物甚謬也蛞蝓二角身

肉止一段蝸牛四角背上別有肉以負殼行其二物共主

治功用相似而皆制蜈蚣蠍故生擣塗蜈蚣傷立時痛止

△按本草集解蛞蝓蝸牛之辨異論多唯以宗奭之註爲

 的此物無殼有蜒蚰螺之名故大惑矣【蚰蜒卽蚨虶名倒之爲蜒蚰乎名義未詳】

 蛞蝓 色灰黃白洗浄則純白頭有小肉角眼纖背有

 細黑點而無足兩脇有肉裙相連行有涎大抵二三

 寸肌滑而濃蝸牛之肌滑而麁二物相似而各別也蛞

 蝓初生圓而一靣數十欑生如鮫粒然一一離形稍長

 蝸牛初生大一二分許螺也

 又有蛞蝓夏月緣于屋上變螻蛄者人往往見之然悉

 不然矣深山中有大蛞蝓長近尺者

造贋象牙法 以鹿角屑與蛞蝓煑熟擴於板上乾之薄

 爲板片任意切成爲噐飾

生蛞蝓法 用鼠尾草浸醴注于陰地不月生小蛞蝓亦

 奇術也蓋未知其始試之者

 

 

なめくぢ    蜒蚰螺〔(えんいうら)〕

        附蝸〔(ふくわ)〕

        鼻涕蟲

        陵蠡〔(りやうれい)〕

        托胎蟲〔(たくはいちゆう)〕

        土蝸〔(どくわ)〕

蛞蝓

        【和名、「奈女久如」。

         俗に「奈女久知里〔(なめくじり)〕」と云ふ。】

クワウ イユイ

 

「本綱」、蛞蝓、太山・池澤及び陰地の沙・石垣の下に生ず。宗奭〔(さうせき)〕が曰く、『蛞蝓と蝸牛とは、二物なり。蝸牛の老する者を以つて一物と爲るは、甚だ謬〔(あやま)〕りなり。蛞蝓は二の角〔(つの)〕にして身の肉、止(たゞ)一段なり。蝸牛は四の角にして、背の上に、別に肉有りて、以つて殼(から)を負ひて行く。』〔と〕。其の二物、共〔に〕主治功用、相ひ似て、皆、蜈蚣〔(むかで)〕・蠍(さそり)を制す。故に、生〔(なま)〕にて擣〔(つ)〕きて、蜈蚣の傷に塗る。立-時(たちどころ)に、痛み、止む。

△按ずるに、「本草」の「集解」、蛞蝓・蝸牛(かたつぶり)の辨、異論、多し。唯だ、以つて宗奭の註、的と爲す。此の物、殼〔(から)〕無くして、「蜒蚰螺」の名、有り。故に大いに惑ふ【「蚰蜒」は卽ち、蚨虶〔(げじ)〕の名。之れを倒〔(たふ)して〕、「蜒蚰」と爲せしか。名義、未だ詳らかならず。】。

蛞蝓は、色、灰黃白、洗浄すれば、則ち、純白なり。頭に小さき肉の角、有り、眼、纖(ほそ)く、背に細かなる黑點有りて、足、無く、兩脇に肉の裙(すそ)有りて相ひ連なり、(は)ひ行(あり)き、涎〔(よだれ)〕有り。大抵、二、三寸。肌、滑かにして濃〔(こまやか)〕なり。蝸牛の肌、滑かにして麁(あら)し。二物、相ひ似て、各々、別なり。蛞蝓、初生、圓〔(まどか)〕にして、一靣〔(いちめん)〕、數十、欑〔(むらが)りて〕生〔ず〕。鮫粒のごとく然〔(しか)〕り。一一(いちいち)、離〔れ〕、形、稍〔(やや)〕長〔(ちやう)〕ず。蝸牛の初生は、大いさ、一、二分〔(ぶん)〕許りの螺(バイ)なり。

又、蛞蝓に、夏月、屋上に緣(はひのぼ)り、螻蛄(けら)に變ずる者、有り。人、往往〔にして〕之れを見る。然れども、悉く〔は〕然からざるなり。深山の中に大なる蛞蝓、長さ尺に近き者、有り。

贋(にせ)象牙を造る法 鹿角の屑(すりくづ)を以つて蛞蝓と煑熟〔(にじゆく)〕し、板の上に擴げ、之れを乾かし、薄く板片と爲し、任意に切り成し、噐〔(うつは)〕の飾りと爲す。

蛞蝓を生ずる法 鼠-尾(みそはぎ)草を用ひて、醴〔(あまざけ)〕に浸し、陰地に注(そゝ)ぐ。月あらずして小蛞蝓を生ず。亦、奇術なり。蓋し、其れ、始めて之れを試みる者、未だ知らず。

 

[やぶちゃん注:軟体動物門 Mollusca 腹足綱 Gastropoda 有肺目 Pulmonata に属するもの内(但し、現行の知見では系統学的には異鰓類の一群と考えられており、異鰓上目 Heterobranchia の中の一目に格下げする分類体系も提唱されている)、殻が退化している種群の総称。科としては、

収眼類の、

アシヒダナメクジ科 Vroniceliidae(本科の上位タクソンは収眼目 Systellommatophora ともする)

ホソアシヒダナメクジ科 Rathouisiidae(同じく収眼目とも)

柄眼類の、

サカムリナメクジ科 Testacellidae(本科の上位タクソンは柄眼目 Stylommatophora Oleacinoidea上科 Oleacinoidea ともする)

ニワコウラナメクジ科 Milacidae

オオコウラナメクジ科 Arionidae

ナメクジ科Philomycidae

などに分かれる。また、一般的に見かけることが多く、和名としてそれを持つ種はナメクジ科ナメクジ属ナメクジ Meghimatium bilineatumである。本種は薄紫色を呈し、体側に一対の黒い縦筋有し、背面中央にはやや不明瞭な黒い縦筋を一本持つ。湿気のある場所でしか棲息できないことから、日中は木の洞や樹皮の裏などに潜んでおり、主に雨上がりの夜などに活動をする。本文でも薬効が語られているが、実際、現在も漢方ではコウラナメクジ科 Limax 属のコウラナメクジ類(原産は主にヨーロッパとされる。本コウラナメクジ科は背面に薄い皿状の殻片を残存させている。本邦には棲息していなかったが、二〇〇六年に侵入が確認されている)が止咳・解毒・消腫・通経絡作用があるとされ、喘息・咽頭炎・腫れ物・顔面神経麻痺・痙攣などで使用される。一般には火で炙って乾燥させて粉末にしたものを服用するが、本邦の民間療法では喘息や咳嗽、声を良くするなどと称して生のナメクジをそのまま食べるという方法もあった。これは頗る危険で、カタツムリの項で注した通り、寄生虫の日和見感染により、脳疾患などを引き起こす可能性が深く疑われているから、絶対にやってはならない。脅しだと思ってる輩がいると困るので、一つ挙げておくと、重症例では、脱皮動物上門線形動物門双線綱円虫目擬円形線虫上科 Metastrongyloidea に属するジュウケツセンチュウ(住血線虫)属カントンジュウケツセンチュウ(広東住血線虫)Angiostrongylussyn. Parastrongyluscantonensis に感染することによって生ずる広東住血線虫症で重症例では死亡例もある(「国立感染症研究所」公式サイトの「広東住血線虫症とは」を参照されたい)。「耳囊 卷之六 魚の眼といえる腫物を取(とる)(まじない)の事」の私の注も参照されたい。はっきり言って、これらの寄生虫の中には手で触れても侵入してくるリスクがゼロとは言えない種もいるのが事実である。だから、今では悲しいことだが、カタツムリを保育園や幼稚園では触らせないのである。

 

「奈女久如」東洋文庫版では「如」をママとし、横に『知』と訂正注する。確かに「和名類聚抄」「本草和名」でも「知」であるし、「如」と「知」は書き誤り易いから、これは良安の誤記とすべきではある。

「太山」東洋文庫版訳では『大山』となっているが、「本草綱目」そのものに「太山」とある。意味は奥深い「大」きな山の一般名詞でよくはある。

「陰地」東洋文庫版訳では『陰湿地』となっている彼らの属性上、陰地の湿気の高い場所でなくては棲息出来ないから正しい訳と言える。

「宗奭〔(さうせき)〕」寇宗奭(こうそうせき)。宋代の本草(薬物)学者。「本草衍義」を撰した。

「本草」「本草綱目」。良安が同書の記載の錯雑(実際、他の項でも錯雑しているのに)をかなりきつい口調で批判するのは珍しいことである。

『「蜒蚰螺」の名、有り。故に大いに惑ふ』良安先生に激しく同感。

「蚨虶〔(げじげじ)〕」音は「フウ」。先行する節足動物門多足亜門唇脚(ムカデ)綱ゲジ目 Scutigeromorpha のゲジ(通称「ゲジゲジ」)類のこと。

「倒〔(たふ)して〕」上下の文字を逆転させて。こういう安易な方法で別種を示していたとすれば、中国本草学のそうした部分のいい加減さは致命的に危い。

「麁(あら)し」「粗し」。

「蛞蝓、初生、圓〔(まどか)〕にして、一靣〔(いちめん)〕、數十、欑〔(むらが)りて〕生〔ず〕。鮫粒のごとく然〔(しか)〕り」「鮫粒」は「鮫の肌の粒」の意であろう。ここは、良安先生、素晴らしい! これはナメクジの発生を実地に観察したのでなければ、書けない代物であり、その描写は頗る正確である。

「螺(バイ)なり」ここは殻を持っているというのではなく、螺(にな:巻貝)の軟体部と相同であることを示していると読んでおく。

「蛞蝓に、夏月、屋上に緣(はひのぼ)り、螻蛄(けら)に變ずる者、有り」直翅(バッタ)目剣弁(キリギリス)亜目コオロギ上科ケラ科 Gryllotalpidae のケラ類であるが、ここは一応、良安の記載であるから、本邦産のそれ、グリルロタルパ(ケラ)属ケラ Gryllotalpa orientalis である。折角、前の注で褒めましたのに! 良安先生、それは酷いです!

「人、往往〔にして〕之れを見る」見ません!

「悉く〔は〕然からざるなり」「総ての蛞蝓が螻蛄になるわけではない」って、ナメクジはケラにはなりませんて!!

「贋(にせ)象牙を造る法」面白い記載であるが、こうした事実を確認出来ない。識者の御教授を乞う。

「鼠-尾(みそはぎ)草」フトモモ目ミソハギ(禊萩)科ミソハギ属ミソハギ Lythrum anceps

「醴〔(あまざけ)〕」甘酒。]

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