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カテゴリー「柴田宵曲」の998件の記事

2024/01/17

ブログ・カテゴリ「柴田宵曲Ⅱ」新規作成(カテゴリ内バック・ナンバーは1,000件までしか表示されないため)

本ブログのカテゴリ内バック・ナンバーは1,000件までしか表示されないため、ブログ・カテゴリ「柴田宵曲Ⅱ」新規作成して、現在の柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」の作業を続ける。私は「随筆辞典 奇談異聞篇」終了しても、後、少なくとも、柴田の俳諧関連随筆を電子化する予定であるからでもある。

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「夜発の怨霊」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 夜発の怨霊【やほつのおんりょう】 夜発は賤娼 〔耳袋[やぶちゃん注:ママ。本書では、「耳袋」と「耳囊」の二つが使用されているが、これは最後の『引用書目一覧表』のここに、宵曲が注して、『芸林叢書六巻・岩波文庫六巻。』(これは現在の一九九一年刊の三巻本とは異なる)『巻数は同じであるけれども各巻の編次は同じでない。『耳囊』(芸)と『耳袋』(岩)と文字を異にするより、これを別つ。』とある。 ]巻一〕聖堂の儒生にて今は高松家へ勤仕《きんし》せる、苗字は忘れ侍る佐助といへる者、壮年の時深川辺へ講釈に行きて帰る時、日も黄昏に及びし故、その家に帰らんも路遠しとて、仲町の茶屋に泊り、妓女を揚げて遊びける。この仲町・土橋は妓女多く繁昌しける。さて夜《よる》深更に及び、二階下にて頻りに念仏など申しけるに、階子を上《のぼ》る音聞えしが、佐助が臥《ふ》しゝ座敷の障子外《しやうじそと》を通るものあり。頻りに恐ろしくなりて、障子の透間より覗き見れば、髪ふり乱したる女の両手を血に染めて通りけるが、絶え入る程に恐ろしく、やがて※(よぎ)[やぶちゃん注:「※」=「衤」+「廣」。]引冠《ひつがぶ》り臥し、物音静まりし故、ひとつに臥したりし妓女に、かゝる事の有りしと語りければ、さればとよ、この家の主《あるじ》はその昔夜発の親分をなし、大勢抱へ置きし内、壱人の夜発《やほつ》病身にて、一日勤めては十日も臥《ふせ》りけるを、親分憤り度々折檻を加へけるが、妻は少し慈悲心も有りしや、右折檻の度々、彼が病身の訳を言ひて宥《なだ》めしに、或時夫殊の外憤り、右夜発を折檻しけるを、例の通り女房取押へ宥めけるを、弥〻《いよいよ》憤りて脇差を抜きてその妻に切掛けしを、右夜発両手にて白刃《はくじん》をとらえ支《ささ》へける故、手の指残らず切れ落ちて、その後右疵にて墓《はか》なくなりしが、今に右亡霊や、夜々《よよ》に出《いで》てあの通りなり。かゝる故に客も日々に疎く候と咄しけるが、夜明けて暇《いとま》を乞ひ帰りし由。その後《のち》幾程もなく右茶屋の前を通りしに、跡絶えて今は右家も見えずとなり。

[やぶちゃん注:私の「耳囊 怨念無之共極がたき事」を参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「屋の棟の人」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 屋の棟の人【やのむねのひと】 〔甲子夜話巻二〕一両年前か、下谷新寺町なる松前氏の邸《やしき》の辺を月夜にとほりたる人の(その名今忘)見たると聞きしは、夜半過るとも覚しきに、彼《かの》邸の屋上に棟に跨《またが》り居《を》る人あり。怪しみ見れば、烏帽子を戴き浄衣《じやうえ》を著て風詠《ふうえい》して居たり。月いと晴れたればよく見えたるとなり。その後も度々この如き人の、彼《か》の屋上に居《をり》たるを見しと云ひしことは聞きたり。然るを去年冬、松前の旧領蝦夷迄を、官より返し給はりける。因《よつ》て人言へるは、この怪と見しは摩多羅神《またらしん》の現ぜしなるべし。その故はこの神は神祖<徳川家康>殊に御信仰の神にして、その像の所伝有るもの、浄衣鳥帽子の体《てい》なり。また奈何にして彼の邸に出現せしと云ふに、松前氏先領御取上の後、悉く神祖の御垂跡《ごすいじやく》を崇敬して、代参遙拝怠りなかりしその御祐《おたすけ》にや、本領に復せり。因て彼の異形《いぎやう》の者は、神祖常に奉崇せられし摩多羅神の出現して、加護ありしならんなど云ふ。近頃また聞く。船橋に鎮座ある神祖の御宮に、二百石の知行を永代寄附せしと云ふ。また奇異符合の談もあるなり。(文政壬午春記)

[やぶちゃん注:私のルテーィンの「甲子夜話卷之三 26 摩多羅神のこと幷松前氏神祖を奉崇の事」を参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「屋根舟漂流」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 屋根舟漂流【やねぶねひょうりゅう】 〔甲子夜話巻二〕或人云ふ。某《それがし》壮年の頃、輪王寺宮<東京都上野公園内にある東叡山輪王寺の法親王の称号>の近習を勤めたりしが、同僚と俱に乗ㇾ舟て深川の妓楼に遊ぶ。折ふし雪降いでて止まざりければ、隅田の雪望(ゆきみ)せんとて、妓二三を携へ舟を発す。横渠《よこぼり》を過ぎて大川に出で、流れに斥(さかのぼ)つて行く。時に雪ますます降りたれば、屋根舟の蔀(しとみ)を下《おろ》し、絃歌し或ひは拳《けん》を闘はし、種々の興飲《きやういん》するに、隅田に抵(いた)ること遅く覚えたれば、一人ふと蔀を揚げたるに、一孤舟渺茫(べうばう)たる海中に在り。いづれの処を弁ぜず。舟中の人驚駭(きやうがい)失色し、妓は号泣す。舡人(こうじん)[やぶちゃん注:「舟人(ふなびと)」に同じ。船頭。]はいかにと見るに、雪にこゞえ水に溺れたりと覚えて在《あ》らず。皆ますます駭きて為ん方を知らず。然れども止むべきにあらざれば、人々互に櫓を揺(うごか)し、千辛万苦してやうやく岸に著くことを得たり。これ舷人溺死して舟自ら北風に吹かれ、退潮《ひきしほ》に引かれて品川の海上に出《いで》たりしなり。著岸《ちやくがん》せしは行徳《ぎやうとく》の地なりと。笑ふべく懼(おそ)るべきの話なり。

[やぶちゃん注:私のルーティンの「甲子夜話卷之二 53 深川の妓樓に往し舟、品海に漂出る事  ~ 甲子夜話卷之二 了」を参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「宿なし狐」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 宿なし狐【やどなしぎつね】 〔兎園小説第八集〕文化六巳年の冬、加賀の備後守殿の留守居役に、出淵忠左衛門といへる人あり。ある夜の夢に、一疋の狐来りて、忠左衛門の前にひざまづきいふやう、わたくし事は、本郷四丁目<東京都文京区内>椛屋《かうぢや》の裏なる稲荷の倅《せがれ》なれども、いさゝか親のこゝろにたがひたる事のありて、この善《よき》親のもとへはかへられず。居所もこれなくいと難儀に候へば、何とも申しかねたる事には候へども、召しつかひ給ふ下女をかし給へ。しばしのうちこの事をねがひ奉る。程なく友達のものゝわびにて宿へかへるべければ、それまでの間ひとヘに願ひさぶらふ。けしてなやませもいたすまじ。また奉公の間もかゝすまじければ、許容し給ヘとなげく。忠兵衛夢にこゝろに不便《ふびん》に思ひ、なやます事もなくばかしつかはすべしといふに、狐こよなうよろこぶと見てさめぬ。忠左衛門、いともふしぎなる夢をみし事よと思ひつゝ、翌朝起き出でて下女をみれども、常にかはりし事もなかりけるが、昼頃より俄かにこの下女はたらき出だして、水を汲み真木《まき》をわり、飯をたき、常には出来かねし針わざまでなす。毎日かくのごとく、一人にて五人前ほどのわざをなし、あるひは晴天にても、けふは何時《なんどき》より雨ふり出だすべしとて、主人の他出の節は雨具を用意させ、後ほどは何方《いづかた》より客人ありなど、そのいふ事、いさゝか違《たが》ふことなく、その外万事、この女のいふごとくにて、大いに家内の益になることのみなれば、何とぞいつまでも、この狐立ち退かざるやうにしたきものなりとて、そのころあるじ直《ぢき》の物語なるよし、このあるじと懇意なる五祐《ごすけ》といふもの物がたりき。

[やぶちゃん注:私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 狐囑の幸』を参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「屋敷町の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 屋敷町の怪【やしきまちのかい】 〔続蓬窻夜話〕紀州の城下に宇野仙庵といへる外科《ぐわいれう》の医あり。或る夜宇治辺の諸士の方へ行きて、夜深けて本町の己れが宅へ帰りけるが、近処なりければ供をも具せず。ちひさき手挑灯《てぢやうちん》を自ら提げて、何心なく帰りけるに、新道と云ふ町家の筋を東へ行き当りて、左の方へ折れ行かんとて、北の方を屹《きつ》と見たれば、小笠原氏と森川氏との屋敷の辺に、何かは知らず、高さ三間[やぶちゃん注:五・四五メートル。]ほどに横の間半(まなか)[やぶちゃん注:前の「高さ」の「三間」の半分の意であろうから、二・七三メートル。]も有るらんと覚ゆる物の、路の真ン中にすつくりと立ちて見えたり。その様《さま》大木の茂りたる如くなり。宇野氏何となく身の毛竪(たち)てぞつとしけるが、日頃は有りとも覚えぬ大木の路の真ン中に有るべ様《やう》なし。何様《いかさま》これは吾が目のあしくて、挑灯の光に物影がうつろひ、かゝる怪しき物の見ゆるにやと思ひて、挑灯を後(うしろ)の方《かた》へ廻し、光を隠してすかし見るに、形は何とも見分けず。只ぬつぽりとして鼠色なる物の動き行くとぞ見えし。仙庵頻りに身の毛竪《たち》て気味あしく覚えけれども、今通り行くべき路なれば、何にもせよ様子を見ずしておかんも残り多しと思ひて、そろそろと歩み近づけば、かの物も吾が行くに随《したがひ》てそろそろと動き行けるほどに跡について物をも言はず、地に躋(ぬきあし)して従ひ行けば、彼の物漸々に薄くなりもてゆきて、軈《やが》て本町へ出づべき前の四ツ辻にて、忽ち消えて見えざりけり。狸などの所為にや有りけんと、仙庵後に人々に語りけるとぞ。

[やぶちゃん注:「続蓬窻夜話」「蟒」で既出既注だが、本書の「引用書目一覽表」のこちらによれば、作者は「矼(こう)某」で、享保十一年跋。写本しかないようである。原本に当たれない。

「宇治」現在の和歌山県和歌山市宇治藪下か(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「本町」和歌山市本町(ほんまち)。

「新道」和歌山市鷺ノ森新道(さぎのもりしんみち)があるが、ここか。本町通りの西直近にある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「屋敷の怪」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 屋敷の怪【やしきのかい】 〔耳囊巻二〕黒田の奥に勤めし女、桂木某の妻となりしが、黒田の屋敷にも、色々怪有《ある》事あり。広き住居なれば、古狸の類《たぎひ》のなす事ならんと思へば、強て恐るゝ事もなし。雨の降りし日、通ふ道に生首などある事あり。怪しきと思はず立よりぬれば、行方なく失せぬるよし、植木が同役咄しける。

[やぶちゃん注:私のものは底本違いで、「耳嚢 巻之九 女豪傑の事」である。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「夜光珠」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 夜光珠【やこうしゅ】 〔譚海巻四〕同国<下総>相馬郡山王村<茨城県取手市内>といふ所に、三左衛門といふものの弟、庄兵衛といふもの有り。白玉をひろひて、今は弁天信仰なれば、本尊に合祀して秘蔵して伝へたり。元来この玉、天明それそれの年の夜、光り物ありてこの村を照し過ぎたる跡に落し置きた玉なり。人家の垣の境に落ちたる折節、その一方の主人病める事有りて、かやうの物祟りをなす、よからぬ事なりとて、垣の境なれば隣のものよとて、隣なる人へ譲りわたしたるに、その隣家の人、恐れおどろきて我物とせず。さる間にこの庄兵衛行きあひて、然らば我等にその玉給へとて、貰ひ来りて祀れるなり。玉の大きさ一寸ばかりにして、かしらはとがりて誠に宝珠の図の如く、色いとしろし。夜陰に書一くだりをば、よくてらしみらること燈をかる事なしとぞ。

[やぶちゃん注:私のルーティンの「譚海 卷之四 同國相馬郡山王村にて白玉を得し事」を参照されたい。なお、これは、「柴田宵曲 妖異博物館 夜光珠」でも紹介されている。]

 〔煙霞綺談巻二〕遠江国豊田《とよだ》郡百古里(すかり)村といふ所の民家の女、菜畠《なはたけ》に出て摘みけるに、何となく夕日映じて、そこら輝く様なる所あり。取てかへり畑《はた》の畦(くろ)一二寸土を穿ち見るに、卵ほどなる美しき石あり。取てかへり夫《をつと》に見せて席上《せきじやう》に置き、兎角して日も暮れたり。一町[やぶちゃん注:百九メートル。]ばかり近所の藪陰に医師の家あり。不斗《ふと》爰に来りいふ。吾居家(わがきよか)よりこの家内《いへうち》を見るに、燈《ともしび》いまだ挑げざるに甚だ光明《くわうみやう》あり、いかなる故かあると尋ねければ、向(さき)にかくのごとくの石を拾ひて、愚意《ぐい》に及ばず、怪しみ評《ひやう》するうちに、暮に至れども灯《ひ》を忘れて闇《あん》をしらず。この石の光るなりと見せければ、医頻りに所望して、巾著《きんちやく》に有りあふ金百疋を抛出《なげいだ》して、玉を持ち還る。夫婦は思ひよらぬ金を得て、悦ぶことかぎりなし。時に翌日の夜半、かの医家《いか》に出火ありて、諸道具丸焼になり、その玉も失ひける。これを聞きたる近里《きんり》の者評して曰く、伝へきく、夜光の玉《たま》にて俚民の家に止《とどま》らず、その玉の威に圧《お》されて、かゝる火難に遭ひけるにや。また雷珠《らいしゆ》とは火精《くわせい》の凝りたるものなれば、かの珠《たま》より火出《いで》たるや。いづれ不測《ふしぎ》の事なり。元文のころの事なりとかや。

 また同じころ、駿河国伊久美(いくみ)といふ山里の農人《のうにん》、ある時沢辺《さはへ》にて美しき石を拾ふ。これも鶏卵ほどあり。片鄙《へんぴ》の夫《ふ》なれば、何といふものと人に見する心もなく、煤《すす》びたる持払の笥(づし)に入れ置きたり。夜《よる》はひかりありて燈明《とうみやう》のごとくなれば、唯よきものとばかり心得て、近所の人とても何心もなく不思議ともせず。ある時その村の長地頭(をさぢとう)へ所用ありて出けるに、四方山話(よもやま《ばなし》)の序(ついで)に、この石の事を語り、下役人聞きて、かさねて用事の序に持ち来れと云ひ含めければ、安々と請合ひて、程なくこの石を借り来りて下司(げし)に渡す。下司は玉を得て大いによろこび、重ねて返すべし、先づしばらくあづかるなりとて長を返し、その後《のち》二度《ふたたび》この玉の事を云はず。片山里《かたやまさと》の長なれば、役人の威に恐懼《きようく》して、この方《はう》よりも問はずなりぬ。

[やぶちゃん注:以下、一段は全体が一字下げで、ポイントも、やや小さい。]

按ずるに名珠名玉《めいしゆめいぎよく》は、貴人高位の徳を感じて出生《しゆつしやう》するならんか。前段の火災の時、この玉飛行《ひぎやう》して駿河山中に至り、またその地頭の下司の手より高位の方へ飛ぶなるべし。

[やぶちゃん注:「煙霞綺談」「池の満干」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆大成』卷二(昭和二(一九二七)年日本隨筆大成刊行会刊)のここで正字で視認出来る(右ページ後ろから五行目)。多くのルビがあるので、積極的にそれを参考にした(但し、歴史的仮名遣の誤りが多い)。

「遠江国豊田郡百古里(すかり)村」現在の静岡県浜松市天竜区横川(よこかわ)地区を貫流する川の名が「百古里川」(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。但し、現行の読みは「すがりがわ」である。

「駿河国伊久美(いくみ)」静岡県志太郡にあった伊久美村。現在は島田市伊久美

「長地頭(をさぢとう)」公式な役名ではない。複数の村長(むらおさ)を統括する総元締の村長か。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「疫神同道」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 疫神同道【やくじんどうどう】 〔宮川舎漫筆巻三〕嘉永元申年の夏より秋に至り、疫病大いに流行なりし処、爰に不思議の一話あり。浅草辺の老女(名を失念)或時物貰ひ体《てい》の女と道連れになりし処、彼女いふ。私事三四日も給(たべ)申さず、甚だ飢におよび申候、何とも願ひ兼ね候へども、一飯御振舞の程願ふといふ。老女答へて、それは気の毒なれども、折悪しく持合せ無ㇾ之、しかし蕎麦位の貯へはあるべし、そばをふるまひ申すべしとて、蕎麦二椀たべさせける。彼女、大きに歓び、礼を述べ別れしが、亦々呼びかけ、さて何がな御礼致すべしとぞんじ候へども、差当り何も無ㇾ之、右御礼には我等身分御噺し申すべし、我等儀は疫神に候、若し疫病煩ひ候はゞ、早速鯲(どぜう)を食し給へ、速かに本復いたすべしと教へ別れけるよし。右は予<宮川政運>友松井子の噺なり。この趣と同断の事あり。予実父若かりし時、石原町に播磨屋惣七とて、津軽侯の人足の口入(くちいれ)なりしが、両国より帰りがけ、一人の男来り声をかけ、いづれの方へ参られ候やと問ふ。我等は石原の方へ帰るものなりといへば、左候はゞ何卒私義御同道下されかし、私義は犬を嫌ひ候ゆゑ、御召連れ下されといふ。それなれば我と一所に来れよと同道いたし、石原町入川の処にて右の男、さてさてありがたくぞんじ候、私義はこの御屋敷へ参り候、(向坂といへる御旗本にて千二百石、今は屋敷替に相成)さて申上候、私義は疫神に候、御礼には疫病神入り申さゞる致方を申上べく候、月々三日に小豆の粥を焚き候宅へは、私仲間一統這入り申さず候間、これを御礼に申上候といひて、形ちは消失(きえうせ)けるぞふしぎなれ、その日より向坂屋敷中疫病と相成候よし。予が実父へ播磨屋の直ばなしなり。右ゆゑ予が方にても、今に三日には小豆粥致し候。

[やぶちゃん注:前回分の私の注で電子化済み。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「疫神退散」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 疫神退散【やくじんたいさん】 〔宮川舎漫筆巻二〕怪力乱神を語らずといへども、眼前の事ゆゑしるす。于時(ときに)天保八酉年二月下旬の事なりし。予<宮川政達>次女の乳母なるもの、日暮方《ひくれがた》俄かに寒気立《さむけだ》ち、夜著《よぎ》引《ひき》かぶり打伏《うちふ》せし処、翌朝《よくてう》申しけるは、さても不思議の事の候、昨夜より私《わたくし》枕元に風呂敷包を背負ひ、いやなる男《をとこ》来り、その男がいはく、我この家へ来りし処、爰には居《ゐ》られず。今立去るなり、その方事《こと》我と一処に来れ、連れて行かんと度々申候由、それは全く熱にて種々の事ども見ゆるものなりといへども、今以て私側《わたくしそば》に居《を》り候よし、これ世にいふ疫神《えきじん》にもやとおもひしまま、種々《しゆじゆ》貴《たふと》き御札、且また予が実家方《がた》に菅神《すがじん》[やぶちゃん注:天神。菅原道真。]の真筆持伝《もちつた》へ有りし故、右の御筆を枕元に掛けし処、殊の外恐怖し、しばらく有りて乳母がいふ。最早よろしく、彼《かれ》只今立去りしというて全快となるこそ不思議なれ。その日は上野山内《さんない》の稲荷の祭礼なれば、我等忰《せがれ》を召つれ参詣なせし処、山内より我等しきりに左の歯痛みいだし堪へがたく、漸《やうや》う戻りしが、不思議なる哉、今迄痛みし歯拭《ぬぐ》うて取りしごとく愈《なほ》りし処、またまた乳母前の如く寒気強く、堪へがたし堪へがたしといへるに、我等屹度《きつと》心づき、またもや疫神ならめ、よしよし仕方こそあれと、一刀《いつたう》をぬき放し(我持伝の刀、銘国久)咎(とが)もなき女を斯く迄悩ます事、その謂《いは》れなしと、むね打《うち》に打居《うちすゑ》し処、彼大きに恐れ、直様《すぐさま》立去り候よし答へけるにぞ、たゝみかけ立去るべしと責めければ、彼がいふ、どうぞ下の障子おあけ下さるべしといへるに任せ、障子を開(あけ)し処、障子の所にてどうと倒れしが、そのまゝ起《おき》あがり、もはや宜しく候、早く塩はらひ、また箒《はふき》にて跡を掃き清め給へといふ。それより正気とはなりぬ。かの男申しけるは、先刻爰を立さりて、いまだ行くべき方《かた》もなき所、上野山内にてこゝの主人に逢ひしまゝ、主人の左の肩に乗りて来りし処、あの刃物《はもの》の恐ろしき儘立さるなり、我立去りし跡を、直(すぐ)さま塩はらひ箒にて掃き清むべし、先刻去りし時、右の清めなどせしなば戻りはせじと申しけるよし、いと奇ならずや。妙ならずや。且この家には居られずと云ひし事は、後章《こうしやう》にも記すごとく、全く月々三日小豆粥《あづきがゆ》焚《た》くゆゑなるべしと思はれける。

[やぶちゃん注:「宮川舎漫筆」宮川舎政運(みやがわのやまさやす)の著になる文久二(一八六二)年刊の随筆。筆者は、かの知られた儒者志賀理斎(宝暦一二(一七六二)年~天保一一(一八四〇)年:文政の頃には江戸城奥詰となり、後には金(かね)奉行を務めた)の三男。谷中の芋坂下に住み、儒学を教授したとあるが、詳細は不詳。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第十巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のこちらで、正字表現で視認出来る。標題は『刀(かたな)の德(とく)』。一部の読みを参考にした(但し、ルビは歴史的仮名遣の誤りが多い)。なお、この「後章」というのは、「卷之三」の『疫神(やくじん)』を指す。以下に電子化する。句読点を追加した。読みは一部のみ採用した。

   *

   ○疫 神(やくじん)

◀嘉永元申年[やぶちゃん注:一八四八年。]の夏より秋に至り、疫病、大に流行なりし處、爰に不思議の一話あり。淺草邊の老女【名は失念。】、或時、物貰體(ものもらいてい)の女と道連(みちづれ)になりし處、彼女いふ、私事三四日何も給(たべ)申さず、甚だ飢におよび申侯。何とも願兼候得ども、一飯、御振舞の程、願(ねがふ)といふ。老女答(こたへて)、夫(それ)は氣の毒なれども、折惡敷(あしく)持合せ無之。しかし蕎麥(そば)位の貯(たくはへ)はあるべし。そばをふるまい申べしとて、蕎麥二椀たべさせける。彼女、大きに歡び、禮を述(のべ)、別れしが、亦〻呼かけ、扨、何がな、御禮致べしとぞんじ侯得共、差當り何も無之、右御禮には我等身分御噺(はなし)申べし。我等義は、疫神(やくじん)に候。若(もし)疫病煩候はゞ、早速鯲(どぜう)を食し給へ。速(すみやか)に本復(ほんぶく)いたすべしと、敎へ別れける、よし。右は、予、友、松井子の噺なり。この趣(おもむき)と同譚(どうだん)の事あり。予、實父、若かりし時、石原町に播磨屋惣七とて、津輕侯の人足の口入[やぶちゃん注:「くちいれ」。斡旋業者。]なりしが、兩國より歸りがけ、一人の男、來り、聲をかけ、いづれの方え[やぶちゃん注:ママ。以下同じ。]參られ候哉と問、惣七、答て、我等は石原の方え歸るものなりといえば、左候はゞ、何卒私儀(わたくしぎ)御同道下されかし。私儀は、犬を嫌ひ候故、御召連下されといふ。それなれば我と一所に來れよと同道いたし、石原町入川[やぶちゃん注:「いりかは」であろう。人文学オープンデータ共同利用センター」の「位置合わせ地図」でここ。石原町の南(切絵図では下方)に隅田川から入る細い流れがある。ここであろう。現在の横網二丁目である。]の處にて、右の男、扨々、ありがたくぞんじ候。私義は此御屋敷え參り候【向坂[やぶちゃん注:「さきさか」であろう。]といへる御簱本にて千二百石。今は屋敷替に相成候。】。扨申上候。私義[やぶちゃん注:ママ。]は疫神に候。御禮には疫病(やくびやう)神入[やぶちゃん注:「しんにいれ」。]申さゞる致方を可申上候。月々、三日に、小豆の粥を焚(たき)候宅(たく)えは、私仲間、一統(いつとう)、這入(はいり)申さず候間、是を御禮に申上候といひて、形ちは消失(きへうせ[やぶちゃん注:ママ。])けるぞ、ふしぎなれ。其日より、向坂屋敷中、疫病と相成候よし。予が實父え、播磨屋の直(すぐ)ばなしなり。右故、予が方にても、今に、三日には、小豆粥致し候。此儀に付ては、我等方にても、疫病神をのがれし奇談あり。二の卷にしるしおくゆえ[やぶちゃん注:ママ。]、こゝに略す。

   *

なお、実は、本篇と以上の話は、「柴田宵曲 妖異博物館 道連れ」で、一度、電子化しているが、仕切り直して、再度、電子化した。

「怪力乱神を語らず」知られた「論語」の「述而」篇の孔子の言葉。「子、不語怪力亂神」(子、怪・力(りよく)・亂・神を語らず)。「力」は「腕力・暴力沙汰・武勇」、「亂」は「醜聞・乱倫・背徳」、「神」は「超自然の人智で説明出来ない霊的現象」。しかし、孔子が、かく言わねばならなかったほどに、中国人は怪奇異聞が好きだったことを逆に示唆していると言えるのである。

「天保八酉年二月下旬」グレゴリオ暦では、一八三七年三月十四日から同二十五日に当たる。

「国久」(生没年未詳)は南北朝時代の刀工。正慶年間(一三三二年から一三三四年)頃に活躍。]

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