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カテゴリー「柴田宵曲」の496件の記事

2023/09/30

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐茶碗」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐茶碗【きつねじゃわん】 〔耳袋巻五〕松平与次右衛門御使番勤めし頃、御代替りの巡検使として上方筋へ至りしに、深草へ至りしに、与次右衛門より家来何某と名乗りて、土器にて坪平(つぼひら)迄揃へし家具を廿人前あつらへしとて、焼立て差出しけるが、与次右衛門方にても一向覚えこれなく、家来の内にも申付けし者なし。不思議なる事なりと思へども、かの商人《あきんど》はあつらへものとて異約を歎きける故、詮方なく買ひ調へて、今に狐茶碗とて所持せし由。されど火事の節過半焼け失せけれど、未だ残りありと、かの与次右衛門子なる人語りぬ。

[やぶちゃん注:正規表現は私の「耳嚢 巻之五 狐茶碗の事」を見られたい。]

2023/09/29

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐浄瑠璃を聴く」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐浄瑠璃を聴く【きつねじょうるりをきく】 〔兎園小説第七集〕和泉国日根郡佐野村<現在の大阪府泉佐野市日根野か>といふ処に(世にしられたる食野《めしの》佐太郎といふもの、この村に住す。岸和田にて食野を佐野と称す)浦太夫とて義太夫節の浄瑠璃をよくせる者有り。五畿内にて十人のかたりての一なり。常にこの佐野村より大坂の座へかよひて業《なりはひ》とせしが(佐野村は、岸和田城をさる事五十丁、道弐里とぞ。大坂をさる事おなじ。道法《みちのり》九里ばかり)一日浪華よりの帰途、夜に入りて、同国泉郡布野といふ所を通りしに(布野は浪華より紀州への往還にして、高石といふ所の三昧寺《さんまいでら》の有るところなり。三昧といふは※1※2所をいふ[やぶちゃん注:「※1」=(上)「𠆢」+(下)「番」。「※2」=「土」+「毘」。通常、「三昧」とは「墓地」の意である。この熟語も、その意であろう。則ち、寺院があるわけではない埋葬場のことであろう。]。高石は古《いにしへ》たかしといふ。即ち高しの浜なり)ふと人と道づれに成りしに、一人のいふ、先刻より説話を承るに、音に聞きし浦太夫のよし、自分はこの布野の下在《したざい》なる(この辺にては、山の在方を上(うへ)と云ひ、浜の方を下(した)といふ)某の村の者なるが、此所《ここ》にて行き逢ひしは幸《さひはひ》のことなり。何卒今より我方に来りて、一曲をかたり聞かせ給はるべしといふ。浦太夫何ごころなくうけあひて、その家に伴ひ行きしに、大《おほい》なる農家にて、座しきへ通し休足させ置き、その内に大勢あたりの者寄り来りて座に満つ。主人盛に杯を持ちて酒肴を勧む。浦太夫いへるは、あまりに多く飲食をなせば、飽満して浄瑠璃をかたるに迷惑なり、先づ語りて後に給はらんとて、一二段かたりければ、座中ひつそりとして感に堪へし有りさまなり。また暫く飲食して大いに興に入りしに、座客又々かたらん事を望む。則ちその乞《こひ》に任せて数段《すだん》を語りしが、席上実《げ》に感服せしにや。息もせずひつそりとせしに、心をつけて見過《みすご》せば、人ひとり居《ゐ》ず。眸を定めて四方を見るに、夜少ししらみて、東の方《かた》明けかゝるに、今迄座敷なりとおもひし所は、あらぬ布野の三昧なりければ、仰天して帰らんとせしに、夜はほのぼのと明けはなれたり。草ばうばうたる墓所なりけるに、ぞつとして早々家に帰り、狐に魅《み》されしと心付くに、夢のごとくに飲食せしものは、さだめて世にいふ馬勃牛溲《ばぼつぎうし》にこそとおもはれて、何となく胸悪しく、心も心ならず。恍惚としてただしからず。数日《すじつ》わづらひて打ち臥したり。その頃、和泉国中にて佐野の浦太夫は、狐に化《ばか》されしか、狐に浄瑠璃を望まれしかと、一国の評判になる折しも、或人のいひけるは、その夜浦太夫に饗せしものは、あらぬ不潔の物にはあらず。その夜近村に婚姻の礼ありしに、その用意の酒肴膳部のこらず失せてあとかたなし。さだめて狐狸などの所為ならんとて、その家には別に飲食をとゝのヘしと聞く。されば布野の三昧に魚骨杯盤引散らして、さながら人の飲食せし如く狼籍たりしとぞ。これをきけば、浦太夫が食せしは実《まこと》の食品にて、野狐、その芸を感じ、酒食をもてなし、浄瑠璃を聞きしならんとの取り沙汰にて、浦太夫追日《ついじつ》[やぶちゃん注:「日ましに」の意。]平癒せしが、その後は太夫をやめ、外のなりはひして世を送り、程へては折にふれて、人の望に応じてかたりしこともあれど、たえて業とはせざりし。実に安永年中の事なりとぞ。(岸和田藩中茂大夫談、同藩三宅定昭が筆記)

[やぶちゃん注:正規表現(注附き)は私の『曲亭馬琴「兎園小説」(正編) 野狐魅人』を見られたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「狐打善九郎」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 狐打善九郎【きつねうちぜんくろう】 〔甲子夜話巻十七〕蕉廬実家の老臣味岡杢岡之允と云ふが話なりと云ふ。濃州岩村<岐阜県恵那郡岩村町>城下荒市場組の足軽に善九郎と云ふものあり。鳥銃《てつぱう》は時に聞えたる打手なりしとぞ。大国寺村と云ふには、昔より首黒く形の白き老狐あり。常に人を化《ばか》すとて、人々甚だ怖るゝことなりき。善九郎一日その村に行きて処々捜しければ、石の陰より彼《か》の黒首の狐頭《かしら》を出せり。善九郎大言《だいげん》して、おのれ善九郎を知らずや、今《いま》一打にこそすべき者とて、玉薬込め一発するに、狐速かに石の陰に頭を匿し、砲声止むとまた頭を出だす。善九郎込め返して早打にするに、元の如く石に隠るゝこと都合三度にして当らず。その時善九郎云ふやう、明日の夕《ゆふべ》またこゝに来らん、必ず出《いで》よと狐に誓ひて去れり。翌日夕方善九郎至れば、昨日の如く石より頭を出す。善九郎一発すれば、また石に隠れて当らず。二発の時ねらひたるときの足を組みかへて打出しければ、丁ど一遍頭を隠してまた出す所の図になりて出る頭にその儘当りけり。これより永くその地狐患《こげん》を免れしとなり。また或時山より狐児《きつねのこ》を捕へて家に帰り、調理して喫《きつ》す。その親狐屋上に来りて悲啼《ひてい》す。善九郎またこれを打たんとて、鳥銃を持出《もちいづ》れば狐驚き去れり。それより善九郎が妻に狐憑《よ》りて、種々の怪状《くわいじやう》あり。医薬祈禱さらに験《しるし》なし。善九郎怒りてその妻を角場《かくば》[やぶちゃん注:坂などの崖下を削って作られた鉄砲の稽古所を指す語。]へつれ出し、的にして打たんとて、既に鳥銃を以てねらひよる。妻啼き叫んで、免し玉へ、今立ち去らんとて狂走しけるを、追かけて押し留めければ、只今落行くべし、但しこの後狐に返りて長く打つことを赦されよと云ふ。善九郎云ふには、何を以てするや。答ふるに、鳥銃にて向はるゝとき、必ず跡脚《あとあし》を揚ぐべし、そのときは赦さるべしと請ふ。善九郎然諾《ぜんだく》しければ狐すぐに落ちたり。程へて善九郎殺生に出て暮帰《ぼき》するとき、田疇《はたけ[やぶちゃん注:二字でかく読む。]》に一狐あり。鳥銃を以て追へば、狐は徐々《ゆるゆる》と歩みながら回顧して、跡脚を揚げて示す。善九郎合点ぢやと云ひながら打斃《うちたふ》しけり。その強性《がうしやう》なること如ㇾ此《かくのごとし》。また藩士雉子打《きじうち》に出ける野路《のぢ》にて善九郎に逢ひ、今日はいかなる日にや、一向に人を寄せざれば、一羽も打得ずと云ふ。善九郎曰ふ、ふせて打つときは必ず得べしと。同行して一所に到れば、田の中に雉子餌《ゑ》をはみて在りしを、程遠かりければ如何があらんと士の云ひしを、善九郎はふせて打つを見られよと云ひ、士を其所《そこ》に残し置き、我一人鳥銃に玉薬を込《こむ》るや否や、その雉子を注視して目ばたきもせずして進みよる。その雉子立たず。遂にづかづかと近寄りて一打留たりとなり。このふせて打つと云ふこと、何事かは知らねども、譬へば猫の鼠を捕る如く、始めより精神を凝らし、見つめて目を離さゞれば、鳥もその一念にて立つことならぬやうになる者なる可し。鍛錬の技になりては神妙のことあるものなり。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷之十七 9 岩村侯の足輕善九郞、强性の事」を正規表現注附きで公開しておいた。

「味岡杢岡之允」私の拠った東洋文庫版では、『味岡杢之允』である。これが普通であり、後の「岡」は宵曲の拠った本の衍字か、宵曲の誤記であろう。読みは「あぢをかもくのじやう」「あぢをかもくのすけ」辺りである。

「一打留たりとなり」ママ。「一打」と「留たり」の間に「に」が脱字か誤植したものであろう。正規表現版を参照。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「貴重の陣太鼓」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 貴重の陣太鼓【きちょうのじんだいこ】 〔耳嚢巻二〕これも越後の者にて、在所にて身上没落して、拠(よんどころ)なく江戸へ出けるが、生業《なりはひ》にさし支へ、持来る道具類も残らず売代(うりしろ)なし、残る者は先祖より持伝へし陣太鼓一つ、箱に入れありしが、これは買請(かひう)くべき相手なきゆゑや、持居たりしを、或時張替候て奇麗にもならば、望むものも有るべしと、太鼓張職人のもとへ持参《もちまゐり》、この太鼓を拵ヘ直し、売払ひ度《たし》と申しければ、彼《かの》亭主これを見て、これは一通りの道具にあらず、古《いにし》へれきれきの人の所持と見えたり、しかれども我目には及ばず、某の師匠の許へ参り給はり候様に申して同道致し、右師匠といへるその職の頭《かしら》なるや、立出て右太鼓一覧の処、これは世に二つ三つの古物なり、払ひ給ふや、持伝へ給ふならば、秘蔵なし給へといひしが、我等先祖より伝へぬれど、段々不身上《ふしんしやう》になり、持居《もちをり》たりとも、その光輝もあらじ、これに依り払ひ申度《たき》旨《むね》申しければ、然る上は暫く待ち給へとて、勝手に入り、金子弐百両台に乗せて、この太鼓の代り、不足ながら進上申す由申しければ、案外の事ゆゑ、これ程の謝礼に及ばざる旨、申し断りけれど、さな宣ひそ、古物にはかゝる事ありと、鋲を抜きて、この通り金《きん》を埋めて鋲を打ち候事なり、右金子にて不足なくば、貰ひ請くべきと答へし故、かの田舎人も右金子請取りて、身上をもかためけると、或人の咄しけるなり。

[やぶちゃん注:私の正規表現の電子化訳註「耳嚢 巻之九 陣太鼓の事」(私の底本は宵曲のものとは別親本のため、巻数が違う)を参照されたい。]

2023/09/27

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「喜多院鐸振るを禁ず」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 喜多院鐸振るを禁ず【きたいんすずふるをきんず】 〔甲子夜話巻五十二〕或人語る。仙波の喜多院は境内に十六坊あり。然るに寺内にて鐸(レイ)を振る間鋪《まじき》との制札建てあり。かゝれば寺内の者は皆々心得て有れど、回国の行者など知らずして、寺内に於て仏前の拝礼などに鐸を振へば、寺坊か、または門前の民家に必ず火《ひ》発して禍《わざはひ》を為す。これ故に寺内にこれを禁ずと云ふ。如何なるゆゑ有て然る乎《か》。 〔同巻五十三〕前に第五十二巻に喜多院にて鐸を振るを禁ずることを云ふ。然るにまた異聞あるは、天海僧正住持のとき、如何なる故にや、庭前に蛇出ること有れば、必ず食を与へらる。因《よつ》て鐸を振《ふり》て呼ぶときは蛇即ち来る。これより歳霜《さいさう》を歴《へ》て蛇漸々《やうやう》大きくなり、出《いづ》るときは即ち護摩壇の辺に及ぶ。然る故に加持修法等のとき、鐸を振ること能はず、因て禁と為すと云ふ。茲《ここ》を以て火の禍あると云ふもの不審にして、蛇の為に禁ずること然る歟《か》。

[やぶちゃん注:事前に、正字表現で注も附した「フライング単発 甲子夜話卷之五十二 13 仙波喜多院鐸を禁ず / 甲子夜話卷之五十三 2 喜多院禁鐸【再起】」を公開してあるので参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「奇石」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 奇石【きせき】 〔九桂草堂随筆巻八〕先兄[やぶちゃん注:亡き兄。]棣園《ていゑん》、余<広瀬旭荘>と同じく江戸四日市にて、水晶中に水あると青草あるとを買へり。水は転倒に従うて上下し、草は藻の類《るゐ》にして、青色《あをいろ》真物《しんぶつ》よりも美なり。明の王延喆(《わう》えんてつ)なるもの豪士なり。或人《あるひと》琥珀の中に蜘蛛《くも》の形ちあるを持ち来りて、百金に売らんと云ふ。延喆蜘蛛生《い》けりやと云ふ。生けるに違《たが》ひなしと答ふ。乃《すなは》ち賭《かけ》にして砕《くだ》きしに、蜘蛛躍り出て、机上を遶《めぐ》ること数返《すへん》、風《かぜ》に逢ひて水と化《け》すと記に見えたり。洋人の説に、物は気をとづれば即ち死す、併し気の洩れざる処は千歳を経ても腐れずと云ふ。今思ふに水晶の中は気《き》通せざるなるべし。その生けるが如きは勿論なり。破りて後なほ生きたるは何の理《ことわり》ぞや。洋人は必ず詐《いつは》りならんと云ふべし。南唐の李後主《りこうしゆ》の硯《すずり》のさけて、中より小魚《こうを》躍り出て、而して死すとあり。また近江の人の蔵せし石《いし》中《なか》に二小魚あり。破りしに魚出で、暫く躍りて死し、常に異なることなしと聞けり。理の必ずなきところにして、事の或ひはあるもの、洋人は何と云はんや。

[やぶちゃん注:「九桂草堂随筆」広瀬旭荘(ぎょくそう 文化四(一八〇七)年~文久三(一八六三)年)の随筆。彼は儒学者で漢詩人。豊後国日田郡豆田町(現在の大分県日田市)の博多屋広瀬三郎右衛門桃秋の八男として生まれた(兄の淡窓も知られた儒学者で漢詩人である)。生来、記憶力が抜群に良く、師亀井昭陽に「活字典」と称えられ、交遊を好んで各地に旅をした。勤王の志士との交わりも知られ、蘭学者も多くその門を訪れている。詩作にすぐれ、詩文の指導には規範を強いず、個性を尊重した。清代末期の儒者兪曲園は旭荘のことを「東国詩人の冠」と評している。著述も多く、とくに二十七歳から始めて死の五日前まで書き続けた日記「日間瑣事備忘(にっかんさじびぼう)」は江戸後期の貴重な資料とされる(以上はウィキの「広瀬旭荘」に拠った)。「九桂草堂随筆」は安政二(一八五五)年~同四(一八五七)年成立で、大阪で書かれた。(安政二(一八五五)年~同四(一八五七)年成立)は大阪で書かれた。国立国会図書館デジタル化資料の国書刊行会大正七(一九一八)年刊「百家随筆」のここで、正規表現で視認出来る。

「先兄棣園」旭荘の長兄で、やはり儒学者・漢詩人として知られた広瀬淡窓(たんそう 天明二(一七八二)年~安政三(一八五六)年十一月二十八日)のこと。当該ウィキを見られたい。そこには「棣園」の号はないが、別なネット記事で字(あざな)を「棣芳」とあった。

「江戸四日市」兄の成年から、現在の中央区日本橋一丁目(グーグル・マップ・データ)にあった元四日市町(もとよっかいちちょう)であろう。しばしばお世話になるサイト「江戸町巡り」の「【日本橋①024】元四日市町」に町名の経緯が記されてある。そこには古くは、『毎年四の日に市が立ったという』。『古くからの市の面影は』その後も『残り、草物、野菜、乾魚等の市が立ち賑わった』。『日本橋川に面した河岸に四日市河岸の他に、木更津通いの舟の発着する「木更津河岸」、切花を陸揚げする「花河岸」等があった』とある。されば、この「四日市」は町名ではなく、その「市(いち)」を指していると言うべきであろう。

「王延喆」(一四八三年~一五四一年)は本貫は現在の江蘇省蘇州。明朝の政治家。大変な愛書家であったことで有名。

「洋人」長崎出島のオランダ人。

「南唐の李後主の硯のさけて、中より小魚躍り出て、而して死すとあり。また近江の人の蔵せし石中に二小魚あり。破りしに魚出で、暫く躍りて死し、常に異なることなしと聞けり」「李後主」は十国南唐(江南)の第三代にして最後の国主であった李煜(りいく 九六一年~九七六年)。これに似た話は、先行する『柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「魚石」』を参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「鱚釣の竿」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 鱚釣の竿【きすつりのさお】 〔反古のうらがき巻一〕きす釣は工拙によりて獲物多少あれば、釣道具釣竿に至る迄、むつかしき物なり。近来は左程迄むつかしき事もなく、多く涌《わ》きたる年は、はぜ同様に釣ることもあれども、一体釣りにくき物なり。故に釣竿の好《よ》きを選みて、争ひて買ふに、価《あたひ》一竿金一歩も出るよし、これを持《も》て出《いづ》れば、衆にすぐれて獲物《えもの》ある事なり。されども此の如きは稀にて、皆三四匁位にて事を済す者多し。獲物はその日の日並によりて、大体には獲物あることぞかし。或士釣を好みて、道具も相応なるを用ひ、獲物も相応に有りて、一日快く楽しみ、酒など取出《とりいで》て数盃を傾け、気げん一倍して釣りけり。品川沖を東へと釣り行きけるに、手ごたへして引上げるに、釣ばりとおもりと一具かゝりたるにて、魚はなし。その儘に引上げて、段々と引くに、糸つきて竿出たり。またこれを引くに、余程よき竿にて、高金の道具も見ゆる。大事に引上げ、竿の元に至れば、堅く握り詰めたる片腕見えたり。その人も興醒めて見えしが、酒の力にか、胆《きも》太くもその腕をとらへ、余り好き竿なればおれがもらふと言ひざまに、腕を引離《ひきはな》ち突きやりて、船を早めて乗りかへしけり。よくよく見るに勝れし釣竿にて、つり合よし。思ふにこの人高金《たかがね》にて求めしが、如何してか過ちて溺死するといへども、この竿の借しさに、堅く握りて死けると思へば、吾も人も同じ物好きの余り、命を落すといへども、執著《しふじゃく》するならんとて回向《ゑかう》して、矢張この竿を用《もちひ》て釣りに出《いづ》るよし、語り伝へしを聞ける。

[やぶちゃん注:私の「反古のうらがき 卷之一 きす釣」を参照されたい。かなり入れ込んで注をしてある。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「奇子を産む」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 奇子を産む【きしをうむ】 〔耳囊巻一〕文化五辰の夏、原田翁語りけるは、麹町<東京都千代田区内>辺の由、町人の女房、血くわいを煩うて、暫くなやみけるが、或日頻りに腹痛いたし苦しみける。夥しく血を通し、右血は綿の如く玉の如くかたまりし。その数多《あまた》通しける内、何かうごきてはひ出るものありしを、夜伽《よとぎ》なる老女、その婦人の驚かんを恐れて、いそがしきに紛れ、服紗《ふくさ》やうのものに包みて、ふとんの下に押入《おしい》れて、さて婦人を介抱して、病気は快かりしに、医師の来りけるとき、別間にその容体を聞ける時、かの老女右怪物を産みしを語り、さてよく洗ひて見しに、僅かに二寸ばかりの物なりけるが、人体《じんたい》聊かかはる事なく、五体そなはらざる処なし。誠に奇なりとて、右の医師これをもらひて、人にも見せける。その人の名もしれけれど、隠してかたらざりしが、右の訳《わけ》森見隆の弟子某《なにがし》療治なし、徳田長伯も右出生の品《しな》見候由、見隆の語りしとなり。

[やぶちゃん注:私のものでは、「耳嚢 巻之八 奇子を産する事」で、正字表現である。注もそちらを参照されたい。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「紀州屋敷怪談」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

 紀州屋敷怪談【きしゅうやしきかいだん】 〔半日閑話巻十五〕文化十三子年七月下旬頃、咄しに承り候へば、喰違《くひちがひ》紀州御屋鋪内御門《うちごもん》にて、或時詰居候《つめをりさふらふ》門番、ふと咽《のど》をつき[やぶちゃん注:「咽喉の具合が悪くなり」の意か。]候ゆゑ、次の間へ出で湯をのみ候処、いづこよりか女出て、肩を喰ひ付き死す。この声に驚き、両人右の処へ出《いづ》れば、この者もその女の為に喰殺《くひころ》さるとぞ。その後また御長屋にて子供を枕蚊屋《まくらがや》の内へ休ませ置きし処、その行処《ゆくゑ》を不ㇾ知《しれず》失せたり。蚊屋はその儘にて少々も破れも不ㇾ見《みえず》、依《よつ》て夫婦驚き早々探しけれども不ㇾ知、翌日隣家縁の下より、右の子供死骸出《いづ》ると、隣家の者物語りしよし、秋田源八郎語ㇾ之《これをかたる》。

[やぶちゃん注:「半日閑話」「青山妖婆」で既出既注。国立国会図書館デジタルコレクションの『日本隨筆全集』第四巻(昭和二(一九二七)年国民図書刊)のここで当該部が正字で視認出来る。標題はそのままで『○紀州屋敷怪談』である。

「喰違」塀が、一続きでなく、互い違いになるように作ってあることを言うが、ここはは、江戸城外郭城門の一つである四谷門と赤坂門との間にあった喰違門(くいちがいもん)。清水坂から紀州家中屋敷に行く喰違土手の前に当たることからの名であるとされる。

「紀州御屋鋪」紀伊和歌山藩徳川上家屋敷跡は現在の東京都千代田区紀尾井町にあった。千代田区観光協会のサイトのここで位置が確認出来る。

「内御門」屋敷内にも門があり、そこに番人を置いた長屋門であろう。

「枕蚊屋」子どもなどの枕元を覆う小さい蚊屋。]

柴田宵曲「随筆辞典 奇談異聞篇」 「義犬」

[やぶちゃん注:本書は昭和三六(一九六一)年一月に東京堂から刊行された。この総題の「随筆辞典」はシリーズ物の一書。本書については、初回の冒頭注を、また、作者については、私の『柴田宵曲 始動 ~ 妖異博物館 「はしがき」・「化物振舞」』の私の冒頭注を参照されたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションのこちらを使用した。新字新仮名である。但し、加工データとして、所持する筑摩書房『ちくま文芸文庫』の「奇談異聞辞典」(底本を解題したもの・二〇〇八年刊)を加工データとして使用させて貰った。ここに御礼申し上げる。

 読みが振れる、若い読者が躓くかも知れぬ箇所には《 》で読みを添えた。引用文の場合は歴史的仮名遣を用いた。なお、( )は柴田自身が附したルビである。

 また、柴田のストイックな編集法を鑑み、私の注は、どうしても必要と判断したもののみとした。幸い、有意な部分は私が既に電子化注したものがあるので、それをリンクさせてもいる。但し、この原本は新字新仮名であるため、私が電子化していない引用文の原本に当たることが出来たものは、極力、視認出来るように、国立国会図書館デジタルコレクションや他のデータベースの当該部をリンクさせるように努めた。

 なお、辞典形式であるので、各項目を各個に電子化する。公開は基本、相互の項目に連関性がないものが多いので、一回一項或いは数項程度とする。

 

        

 

 義犬【ぎけん】 〔甲子夜話巻卅一〕筑前秋月の城下より一里程にして、松丸と云ふ処に十国峠と云ふ山あり。爰に古墳三あり。云ふ、一は猟夫、一はその婦、一は猟犬の墓と。そのゆゑは嘗て猟夫此処に休らひ居たるに、この犬猟夫に向ひ頻りに吠えて止まず。猟夫怒りを発し鳥銃を以て打ち殺す。そのあとにてふと頭上を見れば、蟒(うはばみ)樹上より臨みて猟夫を呑まんとす。犬はこれを告げたるなり。猟夫始めて犬を殺せるを悔い自尽せりとぞ。妻もまたこれを慕ひ遂に死す。その墓なりと云ふ。(秋月の士僧となり、大道と云ひしが談なり)またこれに似たることあり。吾領内相神浦中里村と云ふより東行道の傍に小堂あり。(吉岡村と云ふ処)これを犬堂と呼ぶ。その中には石を重ねたるのみにて他物なし。堂はこれが為に建てたるなり。その故は嘗て猟夫あり、夜鹿を打ちに山に往く。鹿の来るを待ちて睡を催したるに、率ゐ行きし犬は頻りに吠えて喧し。叱れども止まず。猟夫腹をたて、即ち犬の首を斬り落したれば、その首飛揚ると見えしが、乃ち仰ぎ見れば大なる蟒、樹上より垂れ下りたるその喉にくひつき、蟒これが為に死《しに》たりとなり。猟夫因てその怒りを悔い、且つ犬を憐み、埋《うづみ》てこの堂を建てしとなり。

[やぶちゃん注:事前に「フライング単発 甲子夜話卷之三十一 12 獵犬の忠心二事」で正字表現で電子化注しておいた。後半に附した注も参照のこと。]

〔窓のすさみ〕ある士野行して暮れかゝる頃、労(つか)れければ樹下の石に腰かけて休み居けり。飼ひける犬跡につきて来りけるが、側にそひ居たりやゝ有りて睡《ねぶ》りければ、かの犬起きあがり、一声吠えて喰ひ付く気色なれば、士目さめて、この狗われを喰ふべきにやと心附きしかば、空眠《そらねぶ》りをしたるに、また起きあがる所を、抜打に切りければ、首飛びて梢に上りつ。不思議と思ひてふりあげ見れば、樹上にうはゞみの大なるが、下をのぞき居たる咽《のんど》に喰ひ付きて、共に死せりけり。これ士を喰はんとのぞきかゝる所を、狗《いぬ》の見附けて防がんとせしが、切られけれど、勢気《せいき》のあまり、思ひ込みたる所へ、直《ただち》に喰付きたるなりけりと、思ひ知りしかば、彼が心を感じ、足ずりをして悔みけれどもかひなく、泣く泣くこれを懇ろに埋めて、為に塚を築きしとぞ。主の急を見て救はんとせしを知らずして、かヘつて疑ひ殺したるは大なる誤りにや。君臣の間、兄弟の中、朋友の交りにも、このたぐひ多し。

深く思ふべき事こそ。<『江戸著聞集巻五』薄雲の猫の話も畧〻これに同じ>

[やぶちゃん注:実は、「柴田宵曲 妖異博物館 蟒と犬」で、前の話も含めて、宵曲が紹介しており、それらの原文その他も示してあるので、是非、そちらを見られたい。]

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