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カテゴリー「和漢三才圖會卷第三十八 獸類【完】」の54件の記事

2019/05/29

和漢三才図会巻第四十(末) 獸之用 皮(かは) //十二年半かけた「和漢三才図会」動物パート全十八巻のオリジナル電子化注を完遂した!!!

Kawa

 

かは   皮【和名加波】

     革【豆久利加波】

【音脾】

     韋【奈女之加波】

     靻【同右】

 

釋名云皮被也被覆體也剥取獸皮生曰皮理之曰革【音格】

去其毛革更也柔之曰韋【音爲】韋相背也獸皮之韋可以束

物枉戾相韋背故借以爲皮革【俗作※一字作非也】

[やぶちゃん注:「※1」は「韋」の「口」以下の下部を「吊」とした字。]

鞄人【柔革之工】柔革曰※2【奈女須】用稻藁灰汁和米糠畧煖之革

[やぶちゃん注:「※2」=(上)「比」+(中)「穴」+(下)「瓦」。「東洋文庫」訳では(上)「北」+(中){「穴」の第一画の点を除去した字}+(下)「瓦」であるが、私の原典は以上の通り。]

 表裏能揉洗以※3張晒之俟稍乾以竹箆刮去肌肉

[やぶちゃん注:「※3」=「籤」の(たけかんむり)の下部部分に(きへん)「木」を添えたもの。]

凡洗韋垢※4者以糯糠揉洗之不糠去晒乾可揉

[やぶちゃん注:「※4」=「耳」+「黒」。]

凡皮褥夏月不宜藏置可見風日否則毛脫

肉【音辱】

[やぶちゃん注:以下の二行分は、原典では上記「肉」の標題の下に二行で載る。]

 月【同】宍【古文】△按肉肥肉也月字中二畫竝連兩

 傍與日月之月不同俗用完字者宍字謬矣完

 【音桓】全也

 

 

かは   皮【和名「加波」。】

     革【「豆久利加波〔(つくりかは)〕」。】

【音「脾」。】

     韋【「奈女之加波〔(なめしかは)〕」。】

     靻【同右。】

 

「釋名〔しやくみやう)〕」に云はく、『皮は「被」なり。體を被〔(かぶ)〕り覆ふなり』〔と〕[やぶちゃん注:「體を被〔(かぶ)〕り覆ふなり」は和文としてはちょっとおかしい。「體を被覆せるものなり」あたりがよかろう。]。獸の皮を剥(は)ぎ取〔れる〕生を「皮」と曰ひ、之れを理(をさ)むる[やぶちゃん注:皮製品として毛を除去して(後述している)調製加工する。]を「革」【音「格」。】と曰ふ。「其の毛を去りて、革(あらた)め、更〔(か)へ〕る」〔こと〕なり。之れを〔さらに〕柔(やはらかにす)るを「韋」【音「爲」。】と曰ふ。「韋」は「相ひ背〔(そむ)〕く」なり。獸皮の「韋」〔は〕以つて物を束(たば)ねるべし[やぶちゃん注:物を束ねることが出来る。]。枉〔(ま)げ〕戾〔しても〕、相ひ韋-背〔(そりかへ)る〕。故に〔この字を〕借りて以つて「皮革」と爲す【俗に「※」の一字に作〔るは〕非なり。】[やぶちゃん注:「※1」は「韋」の「口」以下の下部を「吊」とした字。]。

鞄人〔(はうじん)〕【革を柔かにするの工〔(たくみ)〕[やぶちゃん注:職人。]。】革を柔かにするを、「※2[やぶちゃん注:音不詳。]」[やぶちゃん注:「※2」=(上)「比」+(中)「穴」+(下)「瓦」。]【「奈女須〔(なめす)〕」。】と曰ふ。稻藁の灰汁(あく)を用ひて、米糠に和(ま)ぜて、畧〔(ほぼ)〕、之れを煖〔(あたた)〕め、革の表裏〔を〕、能く揉み洗ひ、※3(たけぐし)[やぶちゃん注:「※3」=「籤」の(たけかんむり)の下部部分に(きへん)「木」を添えたもの。竹串。]を以つて張りて、之れを晒〔(さら)〕し、稍〔(やや)〕乾くを俟〔(ま)〕ちて、竹箆(〔たけ〕へら)を以つて、肌肉を刮(こそ)げ去る。

凡そ、「韋」の垢-※4(よご)[やぶちゃん注:「※4」=「耳」+「黒」。]れたる者を洗ふに、糯糠(もちぬか)を以つて之れを揉(も)み洗ひ、糠を去らずして、晒し乾し、揉むべし。

凡そ、皮の褥〔(しとね)〕、夏月、藏(をさ)め置く〔は〕宜しからず。風・日を見すべし[やぶちゃん注:風通しがよく、一定時間は太陽光線が射す場所に置いておくのがよい。]。〔かく〕否(〔せ〕ざ)れば、則ち、毛、脫(ぬ)ける。

肉【音「辱〔(ニク)〕」。】

「月」【同。】。「宍」【古文。】。[やぶちゃん注:同義字を掲げているので、通常項のように改行した。]

△按ずるに、肉は「肥肉」なり。「月」の字、中の二畫、竝びに〔→びて〕兩傍に連なる。「日月」の「月」と〔は〕同じからず。俗に「完」の字を用ひるには〔→用ひるは〕、「宍」の字の謬〔(あやま)〕り〔なり〕。「完」【音「桓」。】は「全きもの」〔の意〕なり〔→なればなり〕。

[やぶちゃん注:「釋名〔しやくみやう)〕」後漢末の劉熙が著した辞典。全八巻。ウィキの「釈名」によれば、その形式は「爾雅」に似るが、『類語を集めたものではない。声訓を用いた説明を採用しているところに特徴がある』。『著者の劉熙については、北海(今の山東省)出身の学者で』、『後漢の末』頃『に交州にいた』『ということのほかは』、『ほとんど不明である』「隋書」の「経籍志」には、『劉熙の著作として』本書の他に「謚法」(しほう:普通名詞としては「諡(おくりな)をつける法則」のことを指す)及び「孟子」注を『載せている』。『成立年代は不明だが』、二七三年に『韋昭が投獄されたときの上表文に「又見劉熙所作釈名」とある』。清の官僚で歴史家でもあった畢沅(ひつげん 一七三〇年~一七九七年)は、『釈州国篇の地名に建安年間』(後漢の献帝(劉協)の治世に用いられた元号。一九六年から二二〇年まで)『以降のものがあることなどから、後漢末から魏のはじめにかけての著作としている』が、清中期の考証学者銭大昕(せんたいきん 一七二八年~一八〇四年)は『三国時代』(「黄巾の乱」の蜂起(一八四年)による漢朝の動揺期から、西晋による中国再統一(二八〇年)まで。狭義には後漢滅亡(二二〇年)から晋が天下を統一した二八〇年までを、最狭義には三国が鼎立した二二二年から蜀漢が滅亡した二六三年までを指す)『の作とする説に反対し』、『後漢末の作とする』。なお、「後漢書」には劉珍の著書にも「釈名」が『あったことを記すが』、『劉熙とは時代が異なり、どういう関係にあるのか不明である』とある。以下は、同書の「釋形體」に、

   *

皮、被也、被覆體也。

   *

とあるものである。

「枉〔(ま)げ〕戾〔しても〕、相ひ韋-背〔(そりかへ)る〕」東洋文庫訳では『反対に巻き戻してもすぐもとに背(そり)かえる』とあり、私の添え文もそれを参考にさせて貰った。

『「※2」(「※2」=(上)「比」+(中)「穴」+(下)「瓦」)【「奈女須〔(なめす)〕」。】』現在の「鞣」(なめす)である。動物の皮は柔軟性に富み、非常に丈夫であるが、そのまま使用すると、すぐに腐敗したり、乾燥すると、板のように硬くなって柔軟性がなくなってしまう。この大きなデメリットの属性を、樹液や種々の薬品を使って変化させる方法が「鞣し」である。ここは製革業者団体「日本タンナーズ協会」公式サイト内の『「鞣す(なめす)」とは』に拠った。

「糯糠(もちぬか)」「糯(もち)」とはイネ(単子葉植物綱イネ目イネ科イネ亜科イネ属イネ Oryza sativa)やオオムギ(イネ科オオムギ属オオムギ Hordeum vulgare)などの作物の内で、アミロース(amylose:多数のα-グルコースス(α-glucose)分子がグリコシド結合(glycosidic bond:炭水化物(糖)分子と別の有機化合物とが脱水縮合して形成する共有結合)によって重合し、直鎖状になった高分子。デンプン分子であるが、形状の違いにより、異なる性質を持つ)を全く或いは殆んど含まない特定品種を指す。対義語は「粳(うるち)」で、組成としてアミロースを含む通常の米飯に用いるそれを「粳米(うるちまい)」と呼ぶ(以上はウィキの「糯」に拠った)。]

 

*   *   *

 

本項を以って、私の「和漢三才図会」の動物部の総て、全十八巻のオリジナル電子化注を遂に完遂した(別に藻類の一巻がある)。

 

 思えば、私が、その中、最初に電子化注を開始したのは、私が幼少時からフリークであった貝類の「卷第四十七 介貝部」で、それは実に凡そ十二年と半年前の、二〇〇七年四月二十八日のことであった。

 その時の私は、正直、偏愛する海産生物パートの完成だけでも、自信がなく、まさか、総ての動物パートをやり遂げられるとは、実は夢にも思っていなかった。

 海洋生物パートの貫徹も、幾人かの方のエールゆえ、であったと言ってよい。

 その数少ない方の中には、チョウザメの本邦での本格商品化飼育と販売を立ち上げられながら、東日本大地震によって頓挫された方がおられた。

 また、某国立大学名誉教授で日本有数の魚類学者(既に鬼籍に入られた)の方もおられた。「あなたの仕事は実に楽しく、また、有意義です」というメールを頂戴し、また、私の『栗本丹洲「栗氏千蟲譜」卷九』では、この先生の伝手で、無脊椎動物の幾つかの種の同定について、専門家の意見を伺うことも出来たのであった。

 ここに改めてその方々に謝意を表したい。

 以下、サイト「鬼火」と本ブログ「鬼火~日々の迷走」に分散しているため、全部に就いてリンクを張っておく。

 

ブログ・カテゴリ「卷第三十七 畜類」(各個版)

ブログ・カテゴリ「卷第三十八 獸類」(各個版)

ブログ・カテゴリ「卷第三十九 鼠+「動物之用」(ブログ各個版。「動物之用」は本来は以下の「卷第四十 寓類 恠類」の後に附録するパートであるが、ここに添えた)

卷第四十  寓 恠サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 鳥★各個版で以下の四巻総て★

卷第四十一 禽部 水禽類

卷第四十二 禽部 原禽類

卷第四十三 禽部 林禽類

卷第四十四 禽部 山禽類

卷第四十五 龍蛇部 龍 蛇サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十六 介甲部 龜 鼈 蟹サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十七 介貝部サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十八 魚部 河湖有鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第四十九 魚部 江有鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第五十  魚部 河湖無鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

卷第五十一 魚部 江無鱗魚サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

ブログ・カテゴリ「和漢三才圖會 蟲類」★各個版で以下の三巻総て★

卷第五十二 蟲部 卵生類

卷第五十三 蟲部 化生類

卷第五十四 蟲部 濕生類

 

が動物部の総てであり、それに附録して、私のフリーク対象である海藻類を含む

卷第九十七 水草部 藻 苔サイト「鬼火」の「心朽窩旧館HTML版)

が加えてある。

 

 なお、私は植物は苦手で、向後も纏めてそれをやる意志は今のところ、ない。

 

 一つの私の「時代」が終わった――という感を――強く――しみじみと感じている。……では……また……何時か……何処かで…………

2019/04/27

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獵虎(らつこ) (ラッコ) / 巻第三十八 獣類~完遂

Rakko

 

 

 

らつこ 【正字未詳】

獵虎

 

△按獵虎蝦夷島東北海中有島名獵虎島此物多有之

 常入水食魚或出島奔走疾如飛大如野猪而頸短亦

 似猪頸脚矮島人剥皮待蝦夷人交易其毛純黒甚柔

 軟左右摩之無順逆有黒中白毛少交者爲官家之褥

 其美無比之者價最貴重也其全體無見生者人以皮

 形察之耳其皮送長崎而中華人争求疑此本艸綱目

 所謂木狗之屬也【木狗見于前】

祢豆布

△按此亦蝦夷海中有之大四五尺黒色

 毛短疎其皮薄不堪爲褥止毛履或爲

 鞍飾亞熊障泥然不上品

[やぶちゃん注:「山祢豆布獺」の前には、通常、附録項の場合に必ず附帯する縦罫がなく、「獵虎」本文から直に繋がっている。また、以上の前の二行は底本では「山獺」の大項目の下に一字下げ二行で記されてある。最終の「鞍飾亞熊障泥然不上品」のみは上辺から一字下げである。]

 

 

らつこ 【正字、未だ詳らかならず。】

獵虎

 

△按ずるに、獵虎、蝦夷(ゑぞ)が島の東北の海中に、島、有り、「獵虎島」と名づく。此の物、多く、之れ、有り。常に水に入りて魚を食ひ、或いは島に出でて、奔走す。疾〔(はや)〕きこと飛ぶがごとし。大いさ、野猪(ゐのしゝ)のごとく、頸、短く、亦、猪(ゐのしゝ)の頸(くび)に似たり。脚、矮(ひき)し[やぶちゃん注:低い。]。島人、皮を剥ぎ、蝦夷〔の〕人を待ちて、交易す。其の毛、純黒、甚だ柔にして、左右〔に〕之れを摩(なづ)るに、順・逆、無し[やぶちゃん注:どちらから撫ぜても全く毛が逆立つことがなく、手に滑らかに従う。]。黒き中に、白き毛、少し交じる者、有り、官家〔(かんけ)〕[やぶちゃん注:通常は朝廷を指すが、ここは幕府も含めて考えるべきであろう。]の褥〔(しとね)〕と爲す。其の美、之れに比する者、無し。價〔(あたい)〕も最も貴重なり[やぶちゃん注:非常に高価である。]。其の全體、生きたる者を見る人、無し。皮の形を以つて、之れを察するのみ。其の皮、長崎に送りて、中華(もろこし)の人、争ひ求む。疑ふらくは此れ、「本艸綱目」に、所謂〔(いはゆ)〕る、「木狗〔(もくく)〕」の屬なり【「木狗」、前に見ゆ。】。

祢豆布(ねつぷ)

△按ずるに、此れも亦、蝦夷の海中に之れ有り。大いさ、四、五尺、黒色にして、毛、短く、疎〔にして〕[やぶちゃん注:粗くて。]、其の皮〔も〕、薄く、褥〔(しとね)〕と爲るに堪へず。止(たゞ)毛の履〔(はきもの)〕、或いは鞍の飾りと爲す。熊(くま)の障泥(あをり)に亞(つ)ぐ。然れども、上品ならず。

[やぶちゃん注:一属一種の食肉目イタチ科カワウソ亜科ラッコ属ラッコ Enhydra lutris。三亜種いるが、本邦に関わるのは、Enhydra lutris lutris(基亜種。千島列島・コマンドルスキー諸島(カムチャツカ半島の東百七十五キロメートルに位置する諸島)に分布。大型で頭骨が幅広く、吻部が短い)と Enhydra lutris kenyoni(アリューシャン列島からアラスカ州南部に原産。基亜種に比べて頭骨が短く、吻が長い)の二亜種である(私が後者を挙げる理由は宮澤賢治の名作「銀河鉄道の夜」のジョバンニのお母さんの台詞「お父さんはこの次はおまへにラツコの上着をもつてくるといつたねえ。」やザネリらが彼を冷やかすのに言う「ジヨバンニ、お父さんから、ラツコの上着が來るよ。」のラッコが或いは後者のそれである可能性を考えるからである)ウィキの「ラッコ」によれば、『イタチ科』 Mustelidae『のうちで水棲に進化したのが』、『カワウソ類(カワウソ亜科)』Lutrinae『であるが、その中から海洋に進出して、陸に依存』せずとも、『棲息可能なまでの本格的な適応』『を遂げた唯一の現生種』『が、ラッコ属であり、ラッコである。氷河期を迎えた北太平洋西部海域におけるコンブの出現と適応放散がもたらした新たな生態系が、ラッコの出現および適応放散と密接に関係すると考えられている』(但し、以上の以上の引用部全体に要出典要請がかけられており、個人の意見である可能性がある)。体長は一メートルから一メートル三十センチメートル、尾長二十五~三十七センチメートルで、体重は♂で二十二~四十五キログラム、♀で十五~三十二キログラム』と、『イタチ科』では現生で『最大種』である。『尾は短く』、『扁平』で、『尾の基部には臭腺(肛門腺)を持たない。体毛密度が高く、哺乳類のなかでも最も高い部類に入る』。一『平方センチメートル』当たり十『万本以上の柔らかい下毛(綿毛)が密生』し、全身で八億本にも及ぶ『体毛が全身に生えている』。『潜水する時も綿毛の間に空気の層ができることで、寒冷な海洋でも生息することができる』。『これは』六立方センチメートル『の皮膚にヒトの頭髪すべてが生えているのと同等である。全身をくまなく毛繕いするために』、『柔軟な体』と『皮膚を具えている。体色は赤褐色や濃褐色・黒と変異が大きく、頭部や喉・胸部は灰色や黄白色』。『吻部には洞毛』(血洞毛。哺乳類の、主に口吻にある、毛状の感覚器官。所謂、犬や猫の「ヒゲ」と呼称する感覚毛のこと)『が密生する。幼獣は全身が黄褐色、亜成獣は全身が濃褐色の体毛で被われる』。『吻端の体毛がない裸出部(鼻鏡)は菱形』。『臼歯は扁平で幅広く、貝類や甲殻類を噛み砕くことに適している』。『大臼歯は大型で丸みを帯び、固い獲物を噛み砕くことに適している。前肢は小型で、指の境目は不明瞭』。『爪は引っ込めることができる』。『後肢は鰭状』。『水分は海水を飲むことで補い、浄化のため』、『腎臓の大きさはカワウソ類の平均的な大きさの』二『倍にもなる』。『海洋の沿岸部に生息し、主に海岸から』一『キロメートル以内の場所に生息する』。『主に岩場が近くにあり、海藻が繁茂した環境に生息する』。『海岸から』十キロメートル『以内の沿岸域に生息する。陸上に上がることは稀であるが、天候が荒れた日には上がることもある。単独で生活するが』、『繁殖期にはペアで生活する』。『休息時には数十頭から数百頭の個体が集合することもある』。『数十頭からなる群れを形成し、生活する。昼行性で、夜間になると』、『波のない入江などで』『海藻を体に巻きつけて海流に流されないようにして休む』。『生息密度が高く』、『人間による攪乱のない地域では、陸上で休むこともある』。『防寒効果を維持するため、頻繁に毛繕いをし、毛皮を清潔に保っている。幼獣の毛繕いは母親が行う。主に水深』二十『メートルまで潜水するが、水深』九十七『メートルまで潜水した例もある』。『主に』五十二~九十『秒間の潜水を行うが、最長で約』四『分の潜水を行った例もある』。『貝類、甲殻類、ウニ類などを食べる』。『これらがいなければ』、『魚類を食べることもある』。『獲物は前肢で捕えることが多い』。『硬い獲物は歯や前肢を使い、中身をこじあけて食べる』。『貝類やウニ類は胸部や腹部の上に石を乗せ、それに叩きつけて割り中身だけを食べることもある』。『このため』、『霊長類を除いた道具を使う哺乳類として紹介されることもある』。『魚を捕らえるのは苦手とする説もある』。『亜種カリフォルニアラッコ』(Enhydra lutris nereis:カリフォルニア州に分布するが、以前はチャンネル諸島(フランスのコタンタン半島(映画で知られたシェルブールや人類が破滅する事故を起こしかけた核廃棄物貯蔵施設のあるラ・アグーがある)西方沖合の英国海峡に浮かぶ諸島)やバハ・カリフォルニア(メキシコ)にかけても分布していた。頭骨の幅が狭く、吻が三亜種の中で最も長い)『では道具を使い』、『貝類を割る行動が』、『比較的』、『確認されているものの、主に柔らかい獲物を食べる亜種アラスカラッコでは』、『道具を使って貝類を割ることは稀とされる。なお、動物園などで飼育されているラッコの場合は自然界には無い道具を使用するほか』、『水槽のガラスに貝殻を叩きつけることも確認されており、日本の豊橋総合動植物公園では強化ガラスを叩きつけすぎて』、『強化ガラスにヒビが入った例も確認されている。また』、『貝類を食べる際の石等の道具や食べ切れなかったアサリ等は』、脇『腹のたるみをポケットにして、しまいこんでおく癖がある』。『ラッコが長く生息する海域ではウニが食い尽くされて、主に貝類を捕食するようになるといわれる。そういった生態から漁業被害を訴えられることもあるが、ウニが増えると』、『コンブなどの海藻が食い尽くされる弊害があり、ラッコが生息することでそれを防ぐ効果もある』。『交尾、出産は海上で行う。春になると』、『雄は雌に交尾のアピールをし、雌の承諾が得られると』、『並んで仰向けになって波間に浮かぶ。雄は交尾の際、体勢を維持するために雌の鼻を噛む。たいていはすぐに治る軽症で済むが、稀に傷が悪化し、食物を食べられなくなることなどで命を落としてしまうケースもある。雄は交尾が済むと』、『別の雌を探しにいき、子育てに参加することはない。妊娠期間は』六ヶ月半~九ヶ月で、一回に一頭、まれに二頭の『幼獣を産む』。『腹の上に仔を乗せながら、海上で仔育てを行う。幼獣は親が狩りをしている間、波間に浮かんで親が戻ってくるのを待つ。このときは無防備になり、ホホジロザメ』(軟骨魚綱板鰓亜綱ネズミザメ目ネズミザメ科ホホジロザメ属ホホジロザメ Carcharodon carcharias)『に約』一『割の幼獣が捕食されてしまう。幼獣は親から食べられる物の区別や道具の使い方を習う。成長したラッコは気に入った特定の石を保持し、潜る際には錘(おもし)に使う』。『属名Enhydra』(エンヒドラ)『は「水に棲む」』の意で、『古代ギリシア語の「〜の中で、中に」』と「水」を意味する語を合成したものであり、種小名lutris』(ルトリス)『は「カワウソに似た」の意』である。『現在の標準和名「ラッコ」は、近世の日本における標準的な本草学名に由来し、さらにそれは』、『アイヌ語で本種を意味する』rakko『にまで起源を辿れる』。『その「ラッコ」』の本来の『発音の高低アクセントは頭部にあったが、現在は平坦ないし語尾に付ける事例が多い』。『^高低アクセント表示が特徴となっている』三省堂の「明解国語辞典」の一九八九年刊の第四版では、『両方』のアクセントが併記されているが、『現在はNHKなどにおいても頭部に高低アクセントをつけることは僅少である』。『毛皮が利用されることもあった』。十八『世紀以降にロシア人が東方進出した理由の一つに本種の毛皮採集が挙げられる』。十八~十九世紀の乱獲により、二十『世紀初頭にはラッコの個体数は絶滅寸前にまで減少した』その後、海世界的には海洋汚染・異常気象・感染症の蔓延などにより、個体数が減少したが、種々の保護政策によって、現在は『生息数を徐々に回復し』つつある。『アラスカやアリューシャン列島ではキタオットセイ』(食肉目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科キタオットセイ属キタオットセイ Callorhinus ursinus)『・トド』(アシカ科トド属トド Eumetopias jubatus)『・ゼニガタアザラシ』(鰭脚下目アザラシ科ゴマフアザラシ属ゼニガタアザラシ Phoca vitulina)『などの鰭脚類が減少したことにより』、『それらを捕食していたシャチ』(哺乳綱鯨偶蹄目マイルカ科シャチ亜科シャチ属シャチ Orcinus orca)『が本種を襲う』ケース『が増加し』、九十%近くが捕食されてしまう事態となった。二〇〇四から二〇一二年に於ける生息数は十二万五千八百三十一頭『と推定されている』。但し、『再定着した歯舞群島では』、一九九〇『年代以降』、『生息数が増加し、ここから北海道東岸へ来遊する個体もいると考えられ』、『生息数は増加傾向にある』。『第二次世界大戦以降は』一九七三『年に浜中町』(北海道釧路総合振興局管内の厚岸郡にある町。ここ(グーグル・マップ・データ))『で発見例があり』、一九九〇『年代以降は北海道東岸・襟裳岬でも発見例が増加している』。二〇〇二『年以降に襟裳岬近海で』二~三頭、二〇〇九年以降に釧路川河口で』一『頭が定着し、浜中町・大黒島』(北海道厚岸郡厚岸町にある島。ここ(グーグル・マップ・データ)。面積は約一平方キロメートル、標高百五メートル。現在。定住者はいないが、コンブ漁期のみ、番屋で過ごす世帯が一軒のみ存在する)『・納沙布岬では』一~二『頭の継続的な観察例』が、二〇一〇『年に納沙布岬で』六『頭の観察例がある』。『一方で』、一九九〇『年代以降は定置網や刺網による混獲も増加し、死亡例も発生している』。『鰭脚類などと比べると』、『体が小さく皮下脂肪が相対的に薄いため』、タンカー事故の油などで『体毛が汚染される』と、『防寒効果が低下して凍死し、また、体毛の間に蓄えられた空気がなくなり、浮力が減少して溺死した』りもする。『アワビ、ウニなどを捕食する害獣と見なされることもある』が、『国際条約などで保護動物となっている場合が多いので』、『地域の都合で駆除など』は『できない』。「シートン動物記」では、『本来は海辺で生活する陸棲動物であり、日光浴をしている群れをごく当たり前に見ることができたらしい。その頃は』、『人間に対する警戒心も無かったため、瞬く間に狩り尽くされてしまい、現在のような生態になっ』てしまった『と記されている』。『日本では平安時代には「独犴」の皮が陸奥国の交易雑物とされており、この独犴が本種を指すのではないかと言われている。陸奥国で獲れたのか、北海道方面から得たのかは不明である。江戸時代の地誌には、三陸海岸の気仙の海島に「海獺」が出るというものと』、『見たことがないというものとがある』。『かつて千島列島や北海道の襟裳岬から東部の沿岸に生息していたが、毛皮ブームによ』る『乱獲によって』、『ほぼ絶滅してしまった。このため、明治時代には珍しい動物保護法』「臘虎膃肭獣(らっこおっとせい)猟獲取締法」(明治四五(一九一二)年)『が施行され、今日に至っている』とある。……あぁ……昔……江ノ島水族館のマリンランドにいた……芸までしていたなぁ……教員になった始めの頃に訪ねてきた高校時代の後輩の女性と見たなぁ……可愛かったなぁ……あぁ……遠い遠い思い出だ…………

『蝦夷(ゑぞ)が島の東北の海中に、島、有り、「獵虎島」と名づく』現在の千島(クリル)列島南部にあるロシア統治下の火山島である得撫島(ウルップとう)の日本での古名。ロシア名はウループ(Остров)島、英語表記は Urup。日本では古くは「得生」の字を当てたり,「ラッコ島」とも呼ばれた。択捉(えとろふ)島の北東に位置し,長さ百十七キロメートル、幅二十キロメートル、面積は約千四百二十平方キロメートル。ここ(グーグル・マップ・データ)。以上は主文を平凡社「世界大百科事典」に拠った。

『「木狗〔(もくく)〕」の屬なり【「木狗」、前に見ゆ。】』「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 木狗(もつく)(インドシナヒョウの黒色変異個体)」を見られたい。私の同定比定からは絶対にあり得ない。良安の誤りである。

「障泥(あをり)」既出既注であるが、歴史的仮名遣は「はふり」が正しい。馬具の付属具の名で、鞍橋(くらぼね)の四緒手(しおで)に結び垂らし、馬の汗や蹴上げる泥を防ぐためのもの。下鞍(したぐら)の小さい「大和鞍」や「水干鞍」に用い、毛皮や皺革(しぼかわ)で円形に作るのを例としたが、武官は方形とし、「尺(さく)の障泥(あおり)」と呼んで用いた。場所と形が頭に浮かばぬ方は、参照した小学館「デジタル大辞泉」の「あおり」の解説の下の画像をクリックされたい。

「祢豆布(ねつぷ)」「祢」は「禰」の略字であるが、生物種は分らん! 良安の書き方からは何らかの文献記載があるだろうに、検索で掛かってこない!! クソ!!! これで「巻第三十八 獣類」は終わるってえのに!!!! 識者の御教授を切に乞う!!!!!

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 水豹(あざらし) (アザラシ)

Azarasi

 

 

 

あさらし

      【和名 阿左良之】

水豹

 

本綱豹有水陸二種而海中豹名水豹文選西京賦謂搤

水豹者是也

△按蝦夷海中有水豹大四五尺灰白色有豹文剥皮販

 于松前其皮薄毛短而不堪用

 

 

あざらし

      【和名「阿左良之」。】

水豹

 

「本綱」、豹に水陸の二種有りて、海中の豹を「水豹」と名づく。「文選〔(もんぜん)〕」の「西京の賦」に『水豹を搤〔(とら)〕ふ』と謂ふは、是れなり。

△按ずるに、蝦夷(ゑぞ)の海中に水豹有り。大いさ、四、五尺。灰白色にして、豹の文、有り。皮を剥ぎて松前に販〔(う)〕る〔も〕、其の皮、薄く、毛、短くして用ふるに堪へず。

[やぶちゃん注:食肉目イヌ亜目鰭脚下目アザラシ科 Phocidae のアザラシ類。十属十九種から成る。ウィキの「アザラシ」によれば、『北海道ではアイヌ語より「トッカリ」とも呼ばれている』。『アザラシには』成獣でも体重五十キログラム程度にしかならない、ワモンアザラシ(アザラシ科 Pusa 属ワモンアザラシ Pusa hispida):輪紋海豹。背中側に灰色の地に灰褐色から黒色の斑紋があり、斑紋は明灰色が縁取りされており、この点でゴマフアザラシ(後出)の模様とは異なる)から、三・七トンにも『及ぶミナミゾウアザラシ』(ゾウアザラシ属ミナミゾウアザラシ Mirounga leonina)『までおりその体は変化に富む。体格については多くの種で雌雄にそれほど顕著な差は無いが、ミナミゾウアザラシではオスの体重はメスの』十倍にもなる甚だしい性的二型として知られるが、『逆にモンクアザラシ』(アザラシ科モンクアザラシ属Monachus)『やヒョウアザラシ』(一属一種。ヒョウアザラシ属ヒョウアザラシ Hydrurga leptonyx)『ではメスのほうがオスより大きい』。『首は短く、四肢には』五『本指があり』、『指の間には水かきが』あって、鰭に『変化している。アザラシの前』鰭『のうち』、『空気中に露出している部分はヒトの手首より先の部分にあたる』。『アザラシは優れた潜水能力をもつことで知られている。キタゾウアザラシ』は実に千五百メートルの超深海にまで『潜水した記録がある。鼻腔を閉じることができ、肺の中の空気をほとんどすべて吐き出すことで』、『高い水圧に耐えられるなど、潜水に適応した特徴をもつ』。『かつて、アザラシはイタチ』(イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属 Mustela)『との共通祖先から分岐し、アシカ』(イヌ亜目鰭脚下目アシカ科アシカ亜科 Otariinae)『はクマ』(イヌ亜目クマ下目クマ小目クマ科 Ursidae)『との共通祖先から分岐し、収斂進化によって類似した形態を獲得したとする』二『系統説が主流であったが、近年は分子系統学的研究により、いずれもクマに近い共通の祖先をもつという単系統説が主流になっている』。『北極圏から熱帯、南極まで幅広い海域に生息』し、『頭蓋骨や四肢骨の特徴からモンクアザラシ亜科』Monachinae『とアザラシ亜科』Phocinae『に分けられる。モンクアザラシ亜科に属する種は主に南半球に、アザラシ亜科に分類される種は北半球に生息する』。『アザラシはホッキョクグマ』(クマ科クマ亜科クマ属ホッキョクグマ Ursus maritimus)『の主食となっており、その食料の』実に九『割をアザラシが占める』。『ホッキョクグマの嗅覚は優れており』、十キロメートル程度『離れた場所からでも』、『アザラシの匂いを嗅ぎつけることができるとする説もある』。『日本近海では北海道を中心にゴマフアザラシ』(ゴマフアザラシ属ゴマフアザラシ Phoca largha:胡麻斑海豹。背面が灰色の地に黒い斑(まだら)模様が散らばる)・ワモンアザラシ(前掲)・『ゼニガタアザラシ』(ゴマフアザラシ属ゼニガタアザラシ Phoca vitulina:和名は黒地に白い穴あき銭のような斑紋を持つことに由来する))・『クラカケアザラシ』(ゴマフアザラシ属クラカケアザラシ Phoca fasciata:成獣の♂には、暗褐色から黒色の地に首・前肢・腰を取り巻く白い有意に太い帯があり、これが、馬具の鞍を掛けたように見えるので「鞍掛海豹」の和名がついた)・『アゴヒゲアザラシの』(アゴヒゲアザラシ属アゴヒゲアザラシ Erignathus barbatus:名の通り、他のアザラシに比べ、ヒゲがよく発達しているが、このヒゲは実は顎からではなく、上唇付近から生えている)五『種のアザラシが見られる』(太字は私が附した。以下同じ)。なお、『日本近海』の『彼らは「すみわけ」をしているように見える。大雑把に言うと』、『ワモンアザラシは氷や流氷の多い地域に多く、大型プランクトンと小型魚類を食べている。アゴヒゲアザラシは流氷の移動する浅い海域を好み底性の魚類やカニ・貝を食べている。ゴマフアザラシとクラカケアザラシはこれらより南に分布し、冬から春にかけては』、『流氷上で出産する。流氷期が終わると』、『ゴマフアザラシは分散して沿岸で生活するが』、『クラカケアザラシは外洋で回遊する。ゼニガタアザラシはその南に分布し』、『流氷のあまり来ない北海道から千島列島の』、『結氷しない地域で暮らす。以上が日本近海のアザラシの分布の定説であるが』、二〇〇二『年に東京都の多摩川に出現し』て『日本を騒がせたアゴヒゲアザラシのタマちゃんのように』、『定説どおりに動かないアザラシの個体も少数おり、日本各地に出現するケースも稀にある』。『アザラシの夫婦形式は一雄一雌型のゴマフアザラシのような種もいる一方、ミナミゾウアザラシは一夫多妻型、ハーレムを作る種もおり』、『多様である』。『アザラシは陸上』若しくは『海氷上で出産する。一産一仔で妊娠期間はほとんどの種で一年である。新生児の産毛は保護色になっている種も多い。すなわち』、『海氷上で出産する種(ゴマフアザラシ・ワモンアザラシなど)は白色の産毛を持って産まれてくる』。『アザラシは一般的に魚やイカなどを食べている』が、『種によって食物に偏りがある』。『アザラシを含む鰭脚類の眼球は陸生の食肉類に比べて大きい。南半球ではロスアザラシ』(ロスアザラシ属ロスアザラシ Ommatophoca rossii)が、『北半球ではクラカケアザラシが特に大きい。網膜には色を識別する錐体はなく』、『明るさを感じる桿体だけなので』、『彼らに色の概念は無い。なお』、『陸上にアザラシがいる際、目の下が濡れて泣いているように見えるときがあるが、これは涙を鼻腔に流す鼻涙管が無いためで』、『ヒトのように泣いているわけではない』。『両極地方の暗い水の中で魚を取らなければならない種もおり、視覚以外の感覚も鋭い。アザラシには耳たぶは無いが』、『目の横に耳の穴がある。ゴマフアザラシなどのいくつかの種では』、『水中でクリック音を発してエコロケーション』(echolocation:反響定位)『を行っている。また』、『飼育下のアザラシでも』、『周囲の物音に敏感に反応する様子を観察する事ができる』。『アザラシの母親が自分の子供を見分けるための重要な情報』は『匂いであると言われている。なお』、『アザラシと近縁のアシカ科でも親が子を確認するのに嗅覚が使われている』。『アシカとは外見がよく似ているが、いくつか明確な相違点が見られる』。まず、『アシカには耳たぶがあるが、アザラシの耳は穴が開いているだけである』。次に、『アシカは後肢に比較して前肢が発達している。泳ぐ際の主たる推進力は前肢から得て左右の後肢を同調させて泳ぐ。逆に、アザラシは後肢が発達しており、泳ぐ際には前肢は体側に添えるのみで、左右の後肢を交互に動かして推進力を得る』。第三に、『陸上における移動を見ても異なっている。アシカは後肢を前方に折り曲げ、主に前肢を使って陸上を『歩く』ことができる。一方、アザラシは後肢を前方に折り曲げることはできず、前肢もあまり発達していないので『歩く』ことはできない。前肢を補助的に使いながら全身を蠕動させ、イモムシのように移動する』のである。『このような差異もあって、かつてアザラシ類とアシカ・セイウチ類は異なる祖先からそれぞれ独自に進化したとみられていたが、研究が進んだことで』、鰭脚類は古第三紀(漸新世前期:六千六百万年前から二千三百三万年前まで)から中新世(二千三百万年前から約五百万年前)前期に棲息していた『アンフィキオン類』(食肉目アンフィキオン科†Amphicyon)『(クマに近い化石種の系統)から進化した共通の祖先を持ったグループであることがわかっている』。『日本では古くからアザラシ猟が行われてきた。北海道の先住民であるアイヌ民族や開拓期の入植者も利用した。皮は水濡れに強く、馬の手綱やかんじきの紐に好んで使われた。また脂肪は照明用に燃やされた』。『昭和以降になると』、『皮が』スキー・シール(ski seal:スキーによる登行時、スキー板の底面に貼り付け、後方に滑らないようにする毛羽だったテープ状の物。クライミングスキン(climbing skin)とも呼ぶ)や鞄の『材料になったり、脂肪から石鹸が作られたりした。昭和』三十『年代以降は』土産物の『革製品の材料として多く捕獲された。この頃になると』、『猟も大規模になり』、『北海道近海からサハリン沖にまで及んだ。最盛期の年間捕獲頭数は』二千五百『頭ほどと推定されている。その後、環境保護の流れが盛んになり』、『ファッションの材料としての需要の低迷、ソ連の』二百『海里水域経済水域宣言、輸入アザラシ皮の流入等の理由により』、『昭和』五十『年代には商業的なアザラシ猟は終わりを迎えた』。『現在では北海道の限られた地域で有害獣駆除を目的としてわずかな数が捕獲されているのみである』とある。

「文選」六朝時代の梁の昭明太子の編になる詩文選集。全六十巻。五三〇年頃成立。周から梁に到る約一千年間の詩文の選集で、収録された作者は百三十名、作品は七百六十編に上ぼる。「賦」・「詩」・「騒」(韻文体の一種。社会や政治に対する憂憤を述べたもの。屈原の「離騒」に由来する呼称)に始まり、弔文・祭文に到る、三十九の文体に分類し、各文体内では作者の年代順に配列されている。編集方針は、編者の序によれば。道徳的実用的観点よりも、芸術的観点から文学を評価して選んだもので、その結果として賦五十六編・詩四百三十五首が選ばれ,この二群だけで全体の六割以上を占める。本書はその後、文学を志す人の必読の書として広く流布し、唐の李善の注を始め、多くの注釈が出て、「文選」学が出来たほどで、日本にも早く伝わり、王朝文学に大きな影響を与えた(以上は「ブリタニカ国際大百科事典」に拠った)。

「西京の賦」後漢代の政治家で科学者でもあった張衡(七八年~一三九年)の作品。全文はこれ(中文ウィキソース)。

「搤〔(とら)〕ふ」この漢字は「摑む」「捕える」「押さえる」の意。]

2019/04/25

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 胡獱(とど) (トド)

Todo

 

 

 

とゝ   海驢【天木集】

     【別有海驢與

      此不同】

胡獱

   【胡者夷之名獱

    者大獺之名也】

     【俗云登土】

[やぶちゃん注:「獱」は底本では、総て、(つくり)が「濵」の(つくり)であるが、正字で示した。「獺」も今までと同じく正字で示した。]

 

△按胡獱松前海中有之形色氣味共似膃肭而大也

 但以齒辨之【膃肭下齒二行胡獱齒如尋常】好眠常寢於水上亦奇也

 本草所謂海獺【出於前】一類乎蓋海獺膃肭阿茂悉平胡

 獱之四種同類異物也特以膃肭人賞之故以胡獱僞

 充膃肭獸

               衣笠内大臣

  夫木わが戀はとどのねなかれさめやらぬ夢なりなから絕えやはてなん

 

 

とゞ   海驢【「天木集」。】

     【別に「海驢」有る〔も〕、

      此れと同じからず。】

胡獱

   【「胡」とは「夷」の名なり。「獱」とは

    大獺〔(おほかはうそ)〕の名なり。】

     【俗に云ふ、「登土」。】

 

△按ずるに、胡獱、松前の海中に之れ有り。形・色・氣味、共に、膃肭〔(をつとつ)〕[やぶちゃん注:オットセイ。]に似て大なり。但し、齒を以つて、之れを辨ず【膃肭は、下の齒、二行〔(ふたくだり)〕、胡獱は齒は尋-常(つね)のごとし。】好んで眠る。常に水上に寢るも亦、奇なり。「本草」に謂ふ所の「海獺〔(うみうそ)〕」【前に出づ。】、一類か。蓋し、海獺(うみうそ)・膃肭(をつとつ)・阿茂悉平(あおもしつぺい)・胡獱(とど)の四種、同類異物なり。特に膃肭を以つて、人、之れを賞す。故に、胡獱を以つて僞り、膃肭獸に充〔(あ)〕つ。

               衣笠〔の〕内大臣

 「夫木」

   わが戀はとどのねなかがれさめやらぬ

      夢なりながら絕えやはてなん

[やぶちゃん注:一属一種の食肉目アシカ科トド属トド Eumetopias jubatusウィキの「トド」によれば、「トド」という和名は、アイヌ語の「トント」に由来するもので、『これは「無毛の毛皮」つまり「なめし革」を意味する』。『トドそのものは、アイヌ語で』「エタシペ」と『呼ばれる。日本各地にトド岩という地名も散見されるが、過去においては日本ではトドとアシカ(ニホンアシカ)は必ずしも区別されておらず、アシカをトドと呼ぶ事も度々みられ、本州以南のトド岩の主はアシカであったようである』とある。北太平洋・オホーツク海・日本海(朝鮮半島北部から北海道島牧郡以北)・ベーリング海に分布し、『繁殖地は千島列島やアリューシャン列島』から『カムチャツカ半島東部、カリフォルニア州にかけての地域に点在する』。『日本には』十月から翌年五月に『千島列島の個体群が、北海道沿岸域(礼文島』から『積丹岬にかけて、根室海峡など)へ回遊する』。最大全長は三メートル三十センチメートルで、体重は♂で一トンにも達するが、♀は三百五キログラムで極端な性的二型を示す。アシカ科では最大種。『背面の毛衣は淡黄褐色、腹面の毛衣は黒褐色』、『四肢(鰭)は黒く、体毛で被われない』。『出産直後の幼獣は全長』一メートルで、体重は十八~二十二キログラム、♂の『成獣は額が隆起し、後頭部の体毛が伸長し』て、鬣(たてがみ)状を呈し、『種小名 jubatus は「たてがみがある」の意』である。『上半身が肥大化する』。『海岸から』三十『キロメートル以内の海域に生息』し、『昼間は岩礁海岸で休む』。『食性は動物食で、魚類(カサゴ、シシャモ、スケトウダラ、ヒラメ、ホッケ、マダラ、メバルなど)、軟体動物(イカ、ミズダコ)などを食べる』。五~七月に『なると』、♂が『上陸して縄張りを形成し、数頭から数十頭の』♀と『ハーレムを形成する』。『主に』六『月に』、一『回に』一『頭の幼獣を産む』。『授乳期間は』一~二年で、♂は生後三~四年、♀は生後四~五年で『性成熟する』とある。

「天木集」「夫木集」の誤字。何度も出、本項の最後にも出している「夫木和歌抄」のこと。

「別に「海驢」有る〔も〕、此れと同じからず」小学館「日本国語大辞典」では、これに「あしか」と当て訓し、一番目に狭義のアシカ(ニホンアシカ)に当て、他に「うみおそ」「うみうそ」「みち」という呼称を示す。しかし、二番目に、鰭脚目アシカ科の哺乳類の総称とし、トド・オットセイなども含まれる、としている。後者は多分に近世以降の意義規定のように思われるものの、寺島良安がここを敢えて「とど」としたのは、江戸初期に於いて、「海驢」を「とど」と読むのが普通の一解釈としてあったことを示している。但し、最後の注も必ず参照されたい。

「胡」「夷」孰れも国境外の未開地の意。

「大獺〔(おほかはうそ)〕」先行する「獸類 獺(かはうそ)」には「大獺」はない。カワウソの大型個体と採っておく。

「海獺〔(うみうそ)〕」「【前に出づ。】」先行する「獸類 海獺(うみうそ)」を見よ。そこの注で考証した通り、アシカ類或いは、本邦産ならば、ニホンアシカに同定した。

「阿茂悉平(あおもしつぺい)」前の「獸類 膃肭臍(をつとせい)」に膃肭臍の『小さき者を「阿毛悉乎(あもしつぺい)」と名づく』とある。キタオットセイの若年個体と採る。

「同類異物なり」以上から、必ずしも異物という良安の見解には賛同しない。

「特に膃肭を以つて、人、之れを賞す」ここは肉ではなく、毛革を指していよう。

「衣笠〔の〕内大臣」「夫木」「わが戀はとどのねなかがれさめやらぬ夢なりながら絕えやはてなん」衣笠(藤原)家良(建久三(一一九二)年~文永元(一二六四)年)は鎌倉時代の公卿で歌人。正二位・内大臣に至った。藤原定家に師事し、「万代和歌集」を藤原光俊と共撰し、「続古今和歌集」の撰者にも加わり、「新勅撰和歌集」以下の勅撰集に百十八首が入集している。但し、「夫木和歌抄」のそれは、「日文研」の「和歌データベース」では、巻三十六の「雑十八」にある(同ページの通し番号17063歌)、

 わかこひはみちのねなかれさめやらぬゆめなりなからたえやはてなむ

で、これは、

 我が戀は海驢(みち)の寢流れ覺めやらぬ夢なりながらえや果てなむ

であって「とど」とは読んでいない。この「みち」に後世、「海驢」を当てたものが流布し(小学館「日本国語大辞典」の「馬驢」に引かれた本歌がまさにそうなっている)、それを良安は「とど」と読んだのである。

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 膃肭臍(をつとせい) (キタオットセイ)

Otutosei

 

 

 

をつとせい 骨豽 海狗

      【肭豽貀

        三字同】

膃肭臍

      【胡人呼之曰

       阿慈勃他伱】

 

本綱膃肭臍諸説區多女直國撒馬兒罕朝鮮突厥國等

北海有之又如三佛齋國南海亦有之毛色似狐尾形似

魚足形似狗而無前兩足呼其外腎曰臍者連臍取之也

膃肭臍【甘大溫】 補中益腎氣暖腰膝又治驚狂癇疾

△按膃肭奧州松前海中有之大者二三尺全體魚類而

 有毛乃此魚與獸半者矣頭似猫而口尖有眼鼻而無

 耳埀止有小孔其齒上一行下二行相双長短齟齬其

 尾有岐如金魚尾而黒色耑各有五岐其表中間有三

 針而堅似爪其毛色似鼬毛而根稍黒無手足而近尾

 兩脇有鰭蹼而黒色宛如足然此鰭而非足本草諸註

 爲有足而無前足者未見生者憶見之誤也有牡牝難

 辨以外腎有無別之其外腎長四五寸太如小指陰乾

 黒色性好睡眠土人以小者最賞美之五六月生子此

 時泛海上食小鰯蓋外腎連臍取之說亦不然矣凡狗

 食之則毛脫皮爛至死以可知性大温也其小者名阿

 毛悉乎虛寒人食其肉暖腰足松前人以爲美饌猶是

 肥前人嗜鼈也

 

 

をつとせい 骨豽〔(こつどつ)〕

      海狗〔(かいく)〕

      【「肭」「豽」「貀〔(どつ)〕」

       の三字、同じ。】

膃肭臍

      【胡人、之れを呼びて曰ふ、

       「阿慈勃他伱〔(あじぼたに)〕」。】

 

「本綱」、膃肭臍、諸説、區〔區(まちまち)にして、又、〕多し。女直國〔(ぢよちよくこく)〕[やぶちゃん注:「女直」は「女眞」(ジュルチン)に同じ。中国東北部、満洲の松花江一帯から外興安嶺(スタノヴォイ山脈)以南の外満州にかけて居住していたツングース系民族の当時の現有支配地域。]・撒馬兒罕〔(サマルカンド)〕[やぶちゃん注:ウズベキスタンの古都。但し、内陸(ここ。グーグル・マップ・データ)でおかしい。]・朝鮮・突厥〔(とつけつ)〕國[やぶちゃん注:六世紀に中央ユーラシアにあったテュルク系遊牧国家。但し、当が国家の占有域は海洋に面していないので前ろ同じく、おかしい。前と合わせて、交易品の集合地・経由地として挙げたものであろう。]等、北海に之れ有り。又、三佛齋(サフサイ)國[やぶちゃん注:七世紀にマラッカ海峡を支配して東西貿易で重要な位置を占めるようになったスマトラ島のマレー系海上交易国家であったシュリーヴィジャヤ王国。]のごとき南海にも亦、之れ有り。毛の色、狐に似て、尾の形(なり)魚に似る。足の形、狗〔(いぬ)〕に似て、前の兩足、無し。其の外腎(へのこ)[やぶちゃん注:陰茎。]を呼んで「臍〔(せい)〕」と曰ふは、臍〔(へそ)〕を連〔(つら)ね〕て、之れを取ればなり。

膃肭臍【甘、大温。】 中[やぶちゃん注:中胃。消化器系。]を補し、腎氣を益し、腰・膝を暖かにし、又、驚狂[やぶちゃん注:痙攣などを伴う心身性の劇症型発作のようである。]・癇疾[やぶちゃん注:神経過敏による痙攣など、特に小児に多い「癇の虫」等の精神疾患を指す。]を治す。

△按ずるに、膃肭、奧州松前の海中に之れ有り。大なる者、二、三尺。全體、魚類にして、而〔れども〕、毛、有り。乃〔(すなは)ち〕、此れ、魚と獸と〔の〕半ばなる者なり。頭、猫に似て、口、尖り、眼・鼻有りて、耳埀(みゝたぶ)、無く、止(たゞ)、小孔有るのみ。其の齒、上(〔う〕へ)に一〔(ひと)〕行(くだ)り、下に二行〔(ふたくだり)〕、相ひ双〔(なら)び〕て、長短、齟-齬(くいちが[やぶちゃん注:ママ。])ふ。其の尾に岐〔(また)〕有り、金魚の尾のごとくして、黒色、耑〔(はし)〕[やぶちゃん注:「端」に同じ。]〔に〕各々、五〔つの〕岐(また)有り。其の表の中間に三〔つの〕針有りて、堅くして、爪に似たり。其の毛色、鼬(いたち)の毛に似て、根、稍〔(やや)〕黒し。手足無くして、尾に近き兩脇に、鰭(ひれ)・蹼(みづかき)有りて、黒色、宛(さなが)ら、足のごとく然り。此れ、鰭にして、足に非らず。「本草」の諸註、『足、有りて、前足、無し』と爲るは、未だ生きたる者を見ざる、憶見の誤りなり。牡牝、有る〔も〕、辨じ難く、外腎の有無を以つて、之れを別〔(わか)〕つ。其の外腎、長さ四、五寸。太(ふと)さ、小指のごとく。陰乾にして黒色〔たり〕。性、好みて睡眠す[やぶちゃん注:彼らは実際、海中でも眠ることが出来る。後注の引用部の最初の太字部を参照。]。土人、小さき者を以つて、最も之れを賞美す。五、六月、子を生む。此の時、海の上に泛〔(うか)〕んで[やぶちゃん注:ママ。]、小鰯〔(こいわし)〕を食ふ。蓋し、外腎、臍を連ねて之れを取るの說、亦、然からず。凡そ、狗〔(いぬ)〕、之れを食へば、則ち、毛、脫(ぬ)け、皮、爛(たゞ)れて、死に至る。以つて、性〔(しやう)〕、大温なることを知るべし。其の小さき者を「阿毛悉乎(あもしつぺい)」と名づく。虛寒の人、其の肉を食ひて、腰・足を暖む。松前の人、以つて、美饌〔(びせん)〕[やぶちゃん注:御馳走。]と爲す。猶ほ、是れ、肥前[やぶちゃん注:現在の佐賀県。]の人、鼈〔(すつぽん)〕を嗜〔(たしな)む〕がごときなり[やぶちゃん注:現行も佐賀はスッポンの名産地で料理も有名。]。

[やぶちゃん注:食肉目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科オットセイ亜科 Arctocephalinae のキタオットセイ属キタオットセイ Callorhinus ursinus、及びミナミオットセイ属 Arctocephalus(八種)を指すが、本邦には前者のみで、しかも日本はキタオットセイの南限とされる。但し、ミナミオットセイ属は調べる限りでは、生息域が限定されており、「本草綱目」の引用のそれも概ねキタオットセイ(或いはお得意の海棲哺乳類一緒くた)のように思われる。ウィキの「オットセイ」を引く。『一匹のオスが複数のメスを独占しハーレム』(トルコ語:harem:イスラム社会における女性の居室の意)『を形成する。ハーレムは一般に海岸に近い場所に形成される。メスをめぐる戦いに敗れたオスは、まとまって群れを作って生活する。その場合、居住地は内陸に入った不便な場所となる場合が多い。若いオスでは戦いに敗れても、戦いの訓練を積み体格が大きくなるまで待ち』、『改めて戦いに挑む場合もあるが、多くのオスは再挑戦をする気力を失い、メスとの交尾の機会を持てずに』、『同性の集団生活において生涯を終える』。『耳たぶがある、四脚で体を支えて陸上を移動できる、前脚を鳥の翼のように羽ばたくことによって遊泳するなど、アシカ科特有の特徴をもつ』。『アシカよりは若干小ぶりで、ビロード状の体毛が密生していることがオットセイの特徴である。オットセイの毛は、ごわごわとしたアザラシと異なり、つやつやとして柔らかく、暖かく、防寒性、装飾性に優れている』。『食性としては魚、タコ、エビを主食としているが、地域的にはペンギンを捕食する場合もあることが報告されている』。『陸上だけでなく、水中でも睡眠を行う。この時、右脳を覚醒させたまま、左脳を眠らせることができる。陸上で眠る時は、人間と同様の方法で眠る』(太字下線は私が附した。以下同じ)。『海の生き物だが、海水ではなく淡水でも生育可能である。いくつかの水族館では、オットセイを淡水で飼育している場合もある』。『高価な毛皮や、さらには陰茎や睾丸(生薬名:海狗腎)が精力剤などの漢方薬材料として珍重されたため、乱獲により生息数が激減した。江戸時代初期の慶長』一五(一六一〇)年と、二年後の慶長十七年、『蝦夷地の松前慶広が徳川家康に海狗腎を二回に』亙って『献上し、家康の薬の調合に使用されたという記録も残っている』(「当代記」)『オットセイはアイヌ語で「onnep」(オンネプ)とよばれていた。それが中国語で「膃肭」と音訳され、そのペニスは「膃肭臍」(おっとせい)と呼ばれ精力剤とされていた。現代の中国語ではオットセイは膃肭獣 wànàshòu ワナショウと呼ばれていて、アイヌ語onnepに由来する膃肭 wànà ワナの部分は』、『もっぱら「(身動きも不自由となるほどの)デブ」という意味で使われている。後に日本ではペニスの部位だけを指す「膃肭臍(おっとせい)」という生薬名が、この動物全体を指す言葉になった』らしい。『また、英語ではfur seal(毛皮アザラシ)と呼ばれ、アザラシよりも質の良い毛皮が取れるため、この名前がついたといわれている』。『日本海や銚子沖の太平洋が、キタオットセイ属の南限といわれる。たまに日本海側や北海道、東北地方の海岸に死体や、生きたまま漂着することがある』とある。

 なお、ヴィジュアルに識別法を覚えたい方のために、動物サイト「マランダー」の「これはちょっと難しい?アシカとオットセイの違いを比べてみよう」と、序でに、より基本の「似てると思ってたら意外と違う?アザラシとアシカの違いについて学んでみよう」をリンクさせておく。

「阿慈勃他伱〔(あじぼたに)〕」最後の「伱」は「儞」「爾」と同字だが、意味不明。ただ、調べているうちに、既知のサイト「山海経動物記」の「鯥(ロク)」に非常に興味深い記載を見出した。「鯥」は幻想地誌「山海経」の「南山経」に、

   *

東三百里祗山、多水、無草木。有魚焉、其狀如牛、陵居、蛇尾有翼、其羽在下、其音如留牛、其名曰鯥、冬死而夏生、食之無腫疾。

   *

という、トンデモ怪魚なのだが(訳はリンク先にある)、サイト主はこのモデル動物にオットセイを候補として挙げている。中国の古文献の膃肭臍の記載を調べた上での堅実な仮説で、非常に面白い。是非、お読みあれ!

「阿毛悉乎(あもしつぺい)」松江重頼編の俳論書「毛吹草」(正保二(一六四五)年刊)にも載るが、語源不詳。]

2019/04/24

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 海鹿(あしか) (前と同じくアシカ類・ニホンアシカ)

Asika

 

 

 

あしか 阿之加

 

海鹿

 

△按海鹿卽海獺也但本草謂頭如馬者差耳紀州有海

 鹿島多群居毎好眠上島上鼾睡唯一頭撿四方若漁

 舟來則誘起悉轉入水中潜游甚速而難捕其肉亦不

 甘美唯熬油爲燈油耳西國處處亦有之其聲畧似犬

 如言於宇蓋海獺海鹿一物重出備考合

                  仲正

  家集我戀はあしかをねらふゑそ舩のよりみよらすみ波間をそ待

 

 

あしか 阿之加

 

海鹿

 

△按ずるに、海鹿、卽ち、海獺〔(うみうそ)〕なり。但し、「本草」に『頭、馬のごとし』と謂ふは差(たが)ふのみ。紀州に「海鹿島(あしかじま)」有りて、多く群居す。毎〔(つね)〕に眠りを好みて、島の上に上がり、鼾-睡(いびきか)く。唯だ一頭、四方を撿(み)て、若〔(も)〕し、漁舟、來たれば、則ち、誘(さそ)ひ起(をこ[やぶちゃん注:ママ。])して、悉く、水中に轉(ころ)び入る。潜(〔も〕ぐ)り游(をよ[やぶちゃん注:ママ。])ぐこと、甚だ速くして、捕(とら)へ難し。其の肉、亦、甘美ならず、唯だ、熬〔(い)〕りたる油、燈油に爲るのみ。西國、處處にも亦、之れ有り。其の聲、畧(ち)と、犬に似て、「於宇〔(おう)〕」と言ふがごとし。蓋し、海獺・海鹿〔は〕一物〔なれど〕、重ねて出だして、考〔へ〕合〔はす〕に備ふ。

                  仲正

  「家集」

    我が戀はあしかをねらふゑぞ舩の

       よりみよらずみ波間をぞ待つ

[やぶちゃん注:前の「海獺」の注でさんざん考証したように、ここは最早、良安の評言のみであり、良安の認識を支持して、本邦の本草書記載として「海獺」と同じ食肉目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科アシカ亜科アシカ属ニニホンアシカ Zalophus japonicus に比定同定する。

「海鹿島(あしかじま)」和歌山県日高郡由良町(ゆらちょう)大引(おおびき)にある海鹿島(グーグル・マップ・データ)。谷川健一の「列島縦断地名逍遥」(二〇一〇年冨山房インターナショナル刊)によれば、『享保十五年(一七三〇)には百頭、安政三年(一八五六)には二百五十頭が確認された(二本歴史地名大系『和歌山県の地名』)』が、『このアシカも明治十年』(一八七七)『年頃にはまったく姿を消してしまった』とある(「和漢三才図会」は正徳二(一七一二)年の成立)。

「仲正」「家集」「我が戀はあしかをねらふゑぞ舩のよりみよらずみ波間をぞ待つ」「中正」は、かの鵺退治で知られ、以仁王(もちひとおう)の宣旨を得て平家に最初の反旗を挙げた功労者源頼政の父である源仲政(生没年未詳)の別名である。家集としては「蓬屋集」があったが、現存せず、今、伝わり、良安が参照したのであろう「源仲正集」は後世の編輯になるものである。但し、この一首は「夫木和歌抄」の「巻三十三 雑十五」に再録されていたので、「日文研」の「和歌データベース」で校合出来た。水垣久氏のサイト「やまとうた」の「歌枕紀行 蝦夷」に採り上げられており、そこでは「寄舟戀」という題詠であることが判る。水垣氏の解説に、本歌は『「えぞ」という語が用いられた最初期の例』で、『作者は源三位頼政の父、白河院の時代の人である。平安時代後期、和人と蝦夷の交易は盛んになっていたが、蝦夷にまつわるさまざまな風聞が都人の耳にまで届いていたことが窺える』とある。]

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 海獺(うみうそ) (アシカ類・ニホンアシカ)

Umiuso

 

 

うみうそ  川獺海獺山獺

       之三種有之

海獺

    【卽是此云海鹿也

     重出于後】

[やぶちゃん注:良安は「獺」の(つくり)を総て「頼」とするが、総て正字で表記した。]

 

本綱海獺生海中似獺而大如犬脚下有皮如胼拇毛着

水不濡頭如馬自腰以下似蝙蝠其毛似獺大者五六十

斤肉可烹食又有海牛海馬海驢等皮毛在陸地皆候風

潮猶能毛起

△按海獺處處有海中狀獸與魚相半者其大者六七尺

 頭靣至肩類牝鹿而耳小眼大有利齒背身毛細密而

 短微赤土器色美兩䰇末黒似手是以下腹大肥尻

 窄有尾長二寸許似龜尾而黒夾尾有䰇黒色縱有五

 㽟近耑前一寸許處有黒刺爪欲立行則開擴之以爲

 足出肩以上於水靣則似獸也欲潜游則窄伸之如魚

 尾然

山獺

 一名挿翹出廣州其性淫毒山中有此物凡牝

 獸皆避去其陰莖以爲補助要藥然不載形狀

[やぶちゃん注:「山獺」の前には通常附録項の場合に必ず附帯する縦罫がなく、「海獺」本文から直に繋がっている。また、以上の二行は底本では「山獺」の大項目の下に一字下げ二行で記されてある。]

 

 

うみうそ  川獺(かはうそ)・海獺・

       山獺の三種、之れ、有り。

海獺

    【卽ち、是れ、此〔(か)く〕

     云ふ、「海鹿〔(あしか)〕」なり。

     重ねて後に出づ。】

[やぶちゃん注:「海鹿」は次項で「あしか」とルビする。ここの割注も無論、良安の注意喚起のそれで、次の「海鹿」では、その冒頭で良安は、『海鹿卽海獺也(海鹿(あしか)は、卽ち、海獺(うみうそ)なり』として、本種と同一であると断じているのである。]

 

「本綱」、海獺、海中に生ず。獺に似て、大いさ、犬のごとし。脚の下に、皮、有り、胼拇〔(べんぼ)〕[やぶちゃん注:胼胝(たこ)のような親指のようなものの謂い。]のごとし。毛、水に着きて〔も〕濡(ぬ)れず。頭は馬のごとく、腰より以下は蝙蝠(かはもり)に似たり。其の毛、獺に似る。大なる者、五、六十斤[やぶちゃん注:明代の一斤は五百九十六・八二グラムであるから、三十キログラム弱から三十六キログラム弱。]。肉、烹て食ふべし。又、海牛・海馬・海驢等、有り。皮毛、陸地に在りて、皆、風潮〔(ふうてう)〕を候〔(うかが)〕ふ。猶ほ、能く、毛、起つがごとし。

△按ずるに、海獺、處處、海中に有り。狀、獸と魚と相ひ半ばする者〔なり〕。其の大なる者、六、七尺。頭・靣〔より〕肩に至〔つては〕牝鹿(めじか)に類して、耳、小さく、眼、大きく、利〔(と)き〕齒、有り。背身の毛、細密にして短くして微赤、土器(かはらけ)色にして美(うつく)し。兩の䰇(ひれ)[やぶちゃん注:「鬐」「鰭」の異体字。]の末、黒く、手に似る。是れより以下、腹、大きに肥え、尻、窄(すぼ)く、尾、有り〔て〕長さ二寸許り、龜の尾に似て黒し。尾を夾(はさ)んで、䰇、有り、黒色。縱(たて)に五つの㽟うね)有り、〔その〕耑(はし)[やぶちゃん注:端。]に近く、前一寸許りの處〔に〕黒〔き〕刺爪〔(きよくさう)〕有り。立行せんと欲すれば、則ち、之れを開(ひら)き、擴(ひろ)げて、以つて足と爲す。肩以上を水靣に出だす〔によつて〕、則ち、獸に似たり。潜游せんと欲すれば、則ち、之れを窄〔(すぼ)く〕伸ばして、魚の尾のごとく〔して〕然り。

山獺(やまうそ)

一名、「挿翹〔(さうぎやう)〕」。廣州[やぶちゃん注:広東・広西地方。]に出づ。其の性、淫毒なり。山中に此の物有れば、凡そ、牝〔(めす)の〕獸、皆、避け去る。其の陰莖、以つて補助の要藥と爲〔(な)〕す。然れども、形狀を載せず。

[やぶちゃん注:食肉目イヌ亜目鰭脚下目アシカ科アシカ亜科 Otariinae のアシカ類。漢字では現行「海驢」「葦鹿」等と表記するが、ここ以降、海棲哺乳類に入ると、呼称や良安の比定同定にもブレが生ずる。しかしこれは今でも同じなのであり、以下に引くウィキの「アシカ」の冒頭からして既に、上記の分類群をアシカ類と示しながらも、但し、『現状』、「アシカ」と呼ぶ生物対象(群)『の範囲は文脈により』、『揺らぎがある。最も広義にはアシカ科』科 Otariidae『の総称であるが、アシカ科、アシカ科には一般的にオットセイ』(オットセイ亜科 Arctocephalinae)・『トド』(アシカ科トド属トド Eumetopias jubatus)・『オタリア』(アシカ亜科オタリア属オタリア Otaria flavescens)『も含まれ、これ等(特にオットセイ)を別扱いとする場合もある。さらに狭義の意味で、アシカ属』一『属を意味することもある』とあるからである。以下、「定義」の項。『アシカの定義には揺らぎがあり、狭義』のそれ『から順に』、『次のようになる』。

 『歴史的な資料(たとえば』「日本後紀」や本「和漢三才図会」)『においてアシカ(あしか、海驢、葦鹿)に言及している場合』、それは、ほぼ例外なく、既に日本人が絶滅させてしまったと考えられるアシカ科アシカ属ニホンアシカ Zalophus japonicusであり、『これがこの言葉の原義ということになる』。

 次のレベルでは、『アシカ科アシカ属の総称』で、これには絶滅種である『ニホンアシカ』、及び北アメリカ大陸西岸を生息域とする『カリフォルニアアシカ』(アシカ属カリフォルニアアシカ Zalophus californianus)と、ガラパゴス諸島の固有種である『ガラパゴスアシカ』(Zalophus wollebaeki)の三『種が属する。なお、アシカ属に』一『種か』二『種しか認めない説もあり、それらの説に則る場合は「アシカとはアシカ科の』一『種のことである」や「アシカとはニホンアシカとカリフォルニアアシカの』二『種の総称である」(カリフォルニアアシカにガラパゴスアシカを含んでいる)と表現されることもあるが、意味するところは同じである』。

 その次のレベルが、非生物学的な、『和名に「〜アシカ」と付く種の総称』で、『アシカ属に加え、オーストラリアアシカ』(アシカ亜科Neophoca属オーストラリアアシカNeophoca cinerea)『とニュージーランドアシカ』(アシカ科ニュージーランドアシカ属ニュージーランドアシカ Phocarctos hookeri)『を含む。ただし』、これは『分類学的なグループでも』、『系統学的なグループでもない』。

 さらに汎称とされるのが、『アシカ科アシカ亜科の総称』に加えて、『オタリアとトドを含』めてしまうものである。日本人には違和感がある群だが、『英語の「シーライオン sea lion」はほぼこの意味である。ただし、アシカ亜科は単系統ではなく』、『系統学的には否定されたグループであり』、これらは『「長い体毛を持たない」以外に顕著な共通点はない』、古典的博物学的呼称と言える。

 その上のタクソンで『アシカ科の総称』となると、『さらにオットセイ』が含まれることになる。

なお、『セイウチ』(鰭脚下目セイウチ科セイウチ属セイウチ Odobenus rosmarus)『やアザラシ』(鰭脚下目アザラシ科 Phocidae)『はアシカ科にも含まれず』、『別科である。そのため、「アシカとアザラシの違い」について語られるとき、アシカとはアシカ科のことである。いっぽう、「アシカとオットセイの違い」について語られるときは、アシカとはアシカ亜科か、(アシカ亜科とオットセイ亜科の違いとして語れることはほとんどないので)もっと狭くアシカ属のことである』とある。ともかくも、良安の言っている「あしか」とは、『北海道を除く』、『日本本土近海に生息するアシカ類は、絶滅したと見られるニホンアシカのみであり、この語も本来はニホンアシカを指したものである』以上、ニホンアシカ Zalophus japonicusを限定的に指すと考えねばならない。『「あしか」の語源は「葦鹿」で「葦(アシ)の生えているところにいるシカ」の意味であるという。古くは「海(あま)鹿」説もあったが、アクセントから否定されている』。『奈良時代には「みち」と呼ばれていた。他に異名として「うみおそ(うみうそ)」「うみかぶろ」がある。うみおそは海にいるカワウソ、うみかぶろは海にいる禿の意である』。『佐渡島ではこの「うみかぶろ」(海禿)の名で妖怪視されており、両津港近辺の海でよく人を騙したという伝承がある』とある。但し、良安の引用する「本草綱目」の場合は事態が変わってくる。それは、記載内容から、まず明らかに複数の海棲哺乳類を一緒くたにして語り、しかもそれらを一種、彼ら本草学者の悪癖である〈ためにする分類〉によって、恣意的にして致命的に再分類し、別な漢名を与えてしまっているからである。私はそこまで踏み込む気持ちは全く、ない。それは中国の博物史家がやるべき仕事であるからである。

「川獺(かはうそ)」既出既注

「山獺」これは川・海とに「獺」(邦語なら「をそ」「おそ」)が居るのだから、山にも居なくてはならないという、何が何でも分類して対応させねば気が済まない中国古来の五行思想の悪しき部分が生んだ幻獣としか思えない。なお、Q&Aサイトの回答に、朝鮮語にはテン(朝鮮半島に棲息しているとならば、食肉目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科テン属テン亜種コウライテン Martes melampus coreensis か)の類又はタヌキ(イヌ亜目イヌ科タヌキ属タヌキ Nyctereutes procyonoides)を指す漢風の名称に、「山獺(サンダル)」という単語があるとあった。

「海牛」哺乳綱アフリカ獣上目海牛(ジュゴン)目Sirenia のジュゴン科 Dugongidae・マナティー科 Trichechidae の属するカイギュウ類。特にヒトが滅ぼしてしまった巨大海棲哺乳類であったジュゴン科†ステラーカイギュウ亜科ステラーカイギュウ属ステラーカイギュウ Hydrodamalis gigas を挙げずにはいられない。繰り返すのはやめるが、例えば「獸類 犛牛(らいぎう)(ヤク)」の私の注の「海牛」の部分を読まれたい。

「海馬」タツノオトシゴの異名は問題外として、これは「セイウチ」・「トド」・「アシカ科のアシカ類(上記の通り、オットセイ・トド等を含み、アザラシやセイウチ等を含まない)」・上記の二番目の「アシカ」類・最も狭義の「ニホンアシカ」の異名であったし、ジュゴンを誤ってかく呼称した事例もある。

「海驢」調べて見たが、前の「海馬」とほぼ同じで差別化する気にならなかった。

「皮毛、陸地に在りて、皆、風潮〔(ふうてう)〕を候〔(うかが)〕ふ。猶ほ、能く、毛、起つがごとし」東洋文庫訳では、『皮毛は陸地にあってはいずれも風潮をうかがって』、『よく毛が起(た)つ』とある。「風潮」は風と潮(しお)、或いは、風によって起こる潮の流れを指す。海の生き物だったから、共感呪術で陸にあってもそれを感じてそうした動きを成すという五行思想的謂いか。

「其の陰莖、以つて補助の要藥と爲〔(な)〕す」先のQ&Aサイトの答えに、陰茎や『骨水獺を薬にするとの』ことだが、『日本野生生物研究センターの江戸時代の産物帳から過去の動物の分布を研究した資料には山獺は出てい』ないともあった。実在生物種も比定し得ず、その陰茎の生薬ときた日にゃ、流石に調べる気にもならん。因みに、薬になる陰茎とすると、陰茎骨である可能性が高いように思われるのだが(まあ、海綿体組織でも生薬にはなろうが)、ウィキの「陰茎骨」によれば、『陰茎骨(いんけいこつ)とは哺乳類の陰茎の亀頭内部に存在する骨である。バキュラム(baculum)とも呼ぶ』。『陰茎骨を持つのはサル目』(=霊長目 Primates)『(ヒト』(霊長目直鼻猿亜目狭鼻下目ヒト上科ヒト科ヒト亜科ヒト族ヒト亜族ヒト属ヒト Homo sapiens)・『クモザル属』(直鼻猿亜目真猿下目広鼻小目クモザル科クモザル属 Ateles)・『ウーリーモンキー属』(クモザル科クモザル亜科ウーリーモンキー属 Lagothrix)・『メガネザル属』(直鼻猿亜目メガネザル下目メガネザル科メガネザル属 Tarsius)『などを除く)、ネコ目』(=食肉目 Carnivora)『(ジャコウネコ科』(ネコ型亜目ジャコウネコ科 Viverridae)『の一部やハイエナ科』(ネコ亜目ハイエナ科 Hyaenidae)『を除く)、コウモリ目』(翼手(コウモリ)目 Chiroptera)『(一部の種を除く)、ネズミ目』(真主齧上目グリレス大目 Glires 齧歯(ネズミ)目 Rodentia)・『モグラ目』(=食虫目 Insectivora)『などで』、陰茎骨を持たない哺乳類は、『有袋類』(=有袋上目 Marsupialia)『単孔類』(=原獣亜綱カモノハシ目 Monotremata)・『ウサギ目』(Lagomorpha)『(アメリカナキウサギ』(ナキウサギ科ナキウサギ属 Pika 亜属アメリカナキウサギ Ochotona princeps)『にはある』『)、サル目の一部』(上記を見よ)『ネコ目の一部』、『コウモリ目の一部、鯨偶蹄目(クジラウシ目)』(鯨偶蹄目 Cetartiodactyla)・『ウマ目』(Perissodactyla)・『ゾウ目』(=長鼻目 Proboscidea)・『ジュゴン目』(=海牛目 Sirenia)『などは陰茎骨を持たない』とあり、『陰茎骨は亀頭内の尿道の上付近にあり、他の骨と連結しておらず』、『孤立している。陰茎骨の形やサイズは分類群によって様々である』。『役割はまだはっきり分かっていないが、交尾時に機能すると考えられる。例えば、挿入時は未勃起で挿入後に海綿体が膨張するイヌ科では、陰茎骨があることで非勃起状態での挿入が容易になる。サル目やネコ目(食肉目)では交尾の時間が長い種は陰茎骨が長い傾向がある』、『高緯度に生息する種ほど』、『陰茎骨が長い傾向がある』。『ゴリラ』(ヒト科ゴリラ属 Gorilla)が一センチ二ミリのごく短い『陰茎骨しか持たないことに示されるように、必ずしも体躯の大きな種が長大な陰茎骨を持つとは限らない。また、陰茎における陰茎骨の割合や海綿体の大きさや陰茎の膨張率は分類群によって様々であるので、陰茎骨の長さと陰茎の長さは異なる』。『コウモリ類などでは』、『しばしば酷似する近似種間で陰茎骨の形態が著しく異なるため、形態分類学で重要視されている』とあった。まあ、この薬方も類感呪術的で、まがまがしいから私の探究心はここまでである。では。]

2019/04/23

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 獺(かはうそ) (カワウソ)

Kawauso 

かはうそ 水狗

水獺

     【和名宇曽

      今云川宇

      曾別有海

      曾宇山宇

      曾故以

シユイタ  別之】

[やぶちゃん注:良安は「獺」の(つくり)を総て「頼」とするが、総て正字で表記した。] 

本綱水獺江湖多有之狀似小狐而毛色青黒若故紫帛

似狗膚如伏翼長尾四足俱短頭與身尾皆褊大者身與

尾長三尺餘水居食魚能知水信爲穴鄕人以占潦旱如

鵲巢知風也正月十月獺兩祭魚知報本反始也熊食鹽

死獺飮酒而斃是物之性也今漁舟徃徃馴畜使之捕魚

獱獺 卽獺之大者頸如馬身似蝙蝠或云獱獺無雌以

 猨爲雌故云猨鳴而獺候

獺肉【甘鹹寒】 治疫氣溫病及牛馬時行病女子經脉不通

 大小便秘【但熱症宜冷症不佳】

獺肝【甘溫有毒但肉寒肝溫】 諸畜肝葉皆有定數惟獺肝一月一葉

 十二月十二葉其間又有退葉用之者須驗治虛勞咳

 嗽傳尸病【以肝一具陰乾爲末水服方寸匕日三以瘥爲度】

獺膽【苦寒】 治眼翳黒花飛蠅上下視物不明入㸃藥中也

 又以獺膽塗盃唇使酒稍髙于盞靣

△按獺溪澗池河之淵灣或巖石間爲穴出食魚游水上

 時以砲擊取之性捷勁牙堅故闘犬却喫殺犬或云老

 鰡變成獺故獺胸下亦有肉臼又鮎變成獺但鰡變者

 口圓鮎變者口扁也【人有見其半分變者】鰡則海魚若謂江海獺

 乃鰡之變溪湖獺乃鮎變則可矣乎恐俗說也

獺皮 作褥及履屧産母帶之易産【毛甚柔軟微似獵虎而毛短形小不堪用】 

 

かはうそ 水狗〔(すいく)〕

水獺

     【和名「宇曽〔(うそ)」。今、

      云ふ、「川宇曾」。別に

      「海宇曾」・「山宇曾」有り。

シユイタ  故に以つて之れを別〔(わか)〕つ。】 

「本綱」、水獺、江湖、多く之れ有り。狀、小狐に似て、毛色、青黒。故〔(ふる)〕き紫の帛(きぬ)のごとし。狗〔(いぬ)〕の膚〔(はだへ)〕に似て、伏翼(かはもり)[やぶちゃん注:「蝙蝠(こうもり)」に同じ。]のごとし。長き尾、四足俱に短く、頭と身と尾、皆、褊〔(せま)〕し。大なる者は、身と尾と、長さ三尺餘り。水居して魚を食ふ。能く水信[やぶちゃん注:水の変化の予兆。]を知り、穴を爲〔(つく)〕る。鄕人〔(さとびと)〕、〔それを見て〕以つて潦〔(にはわづみ)〕[やぶちゃん注:大雨。]・旱〔(ひでり)〕を占ふ。鵲〔(かささぎ)〕の巢の風を知るごときなり。正月・十月、獺、兩〔(ふた)〕たび[やぶちゃん注:年に二度の意。]、魚を祭る。知、本〔(ほん)〕を報い、始めに反〔(かへ)〕るを知るなり。熊は鹽を食ひて死し、獺は酒を飮みて斃〔(たふ)〕る。是れ、物の性〔(しやう)〕なり。今、漁舟、徃徃〔にして〕馴(な)れ畜(か)ひて之れをして魚を捕へしむ。

獱獺〔(ひんだつ)〕 卽ち、獺の大なる者。頸、馬のごとく、身、蝙蝠(かはもり)に似たり。或いは云ふ、「獱獺、雌、無く、猨〔(さる)〕[やぶちゃん注:猿。]を以つて雌と爲す。故に云ふ、『猨、鳴きて、獺、候〔(うかが)ふ〕』〔と〕」〔と〕。

獺の肉【甘、鹹。寒。】 疫氣・溫病[やぶちゃん注:発熱性の急性伝染病の総称。]及び牛馬の時行(はやり)病ひ、女子の經脉不通、大小便の秘〔せる〕[やぶちゃん注:便秘。]を治す【但し熱症に〔は〕宜しく〔も〕、冷症〔には〕佳ならず。】。

獺〔の〕肝【甘、溫。毒、有り。但し、肉は寒、肝は溫〔なり〕。】 諸畜の肝葉は、皆、定數、有り。惟だ、獺の肝、一月一葉〔にして〕、十二月には十二葉あり。其の間、又、退葉、有り。之れを用ふる者〔は〕須らく驗(こゝろ)むべし。虛勞[やぶちゃん注:過労による衰弱。]・咳嗽〔(がいさう)〕[やぶちゃん注:咳や痰。]・傳尸病〔(でんしびやう)〕[やぶちゃん注:伝染性である結核性の諸疾患。]を治す【肝一具を以つて陰乾し、末と爲し、水〔にて〕服す。方寸〔の〕匕〔(さじ)〕、日に三たび、瘥〔(い)〕ゆを以つて度と爲す[やぶちゃん注:服用を止める。]。】。

獺の膽(ゐ[やぶちゃん注:ママ。])【苦。寒。】 眼〔の〕翳〔(かす)みて〕黒〔き〕花飛ぶ蠅〔のごときものの〕上り下り、物を視ること明ならざるを、㸃藥の中に入るるべし。又、獺の膽を以つて、盃〔(さかづき)〕の唇(くち)に塗り、酒をして、稍〔(やや)〕盞〔(さかづき)〕の靣より髙からしむ。

△按ずるに、獺、溪澗・池河の淵〔や〕灣、或いは巖石の間〔に〕穴を爲〔(つく)〕り、出でて、魚を食ふ。水上を游(をよ)ぐ[やぶちゃん注:ママ。]時、砲を以つて、之れを擊ち取る。性、捷勁〔(せふけい)〕[やぶちゃん注:動きが敏捷でしかも体力強靭であること。]にして、牙、堅し。故に犬と闘へば、却つて、犬を喫(か)み殺す。或いは云はく、老鰡(しくちぼら)、變じて、獺と成る。故に獺の胸の下に亦、肉〔の〕臼〔(うす)〕、有り。又、鮎(なまづ)變じて、獺と成る。但し、鰡〔(ぼら)〕の變じたる者は、口、圓〔(まろ)〕く、鮎の變じたるは、口、扁(ひらた)しとなり【人、其れ、半分、變じたる者を見たる有り〔と〕。】。鰡は則ち、海魚なり。若〔(も)〕し、江海の獺は乃〔(すなは)〕ち、鰡の變、溪湖の獺は、乃ち、鮎の變、と謂はゞ、則ち、可ならんか。恐らくは〔これ〕俗說なり。

獺(うそ)の皮 褥(しとね)及び履屧〔(くつのしきもの)〕[やぶちゃん注:靴の中の敷き物。]に作る。産母、之れを帶びて、産、易し【毛〔は〕甚だ柔軟にして微〔(かす)かにて〕、獵虎〔(らつこ)〕に似れども、毛、短く、形、小にして、用に堪へず。】。

[やぶちゃん注:「本草綱目」のそれは、食肉目イタチ科カワウソ属ユーラシアカワウソ Lutra lutra、本邦のそれは日本人が滅ぼしたユーラシアカワウソ亜種ニホンカワウソ Lutra lutra nipponウィキの「ニホンカワウソ」を引く。『明治時代までは礼文島、北海道、本州、四国、九州、壱岐島、対馬、五島列島まで日本中の陸地から島々に至るまで広く棲息していたが、乱獲や開発によって棲息数が激減』、昭和三(一九二八)年には、『狩猟の対象外となった。しかしその後も棲息数は減少を続け』、一九三〇年代から昭和二五(一九五〇)年にかけて、『棲息が確認された地域は北海道、青森県東津軽郡油川町、秋田県仙北郡角館町檜木内川、山形県朝日山地、栃木県大田原市箒川および日光市西ノ湖、埼玉県、山梨県中巨摩郡宮本村荒川、長野県、奈良県吉野郡下北山村、和歌山県、兵庫県神崎郡川辺村、揖保郡越部村栗栖川および淡路島、四国地方、大分県のみとなった。しかし、本州及び九州本土の個体群はいずれも孤立した個体群であったため』、昭和二九(一九五四)年『頃までに絶滅したとみられ』る。『本州最後の個体群は、和歌山県和歌山市友ヶ島で』昭和二九(一九五四)年に『確認された個体群であったが、特に保護されることなく』、『絶滅した』、『北海道産亜種』であるLutra lutra whileleyi(和名がつけられる前に我々が絶滅させてしまった。「エゾカワウソ」と呼ばわってやりたい)も、昭和三〇(一九五五)年に『斜里郡斜里川で捕獲されたのが最後の捕獲例であ』った。『そのため』、『ニホンカワウソの分布域は、四国地方の愛媛県および高知県のみとな』ってしまい、『最後の捕獲例は』、昭和五〇(一九七五)年四月八日、『愛媛県宇和島市九島で保護されたもので、その後は捕獲されていない。ニホンカワウソが生きた姿で最後に発見されたのは高知県須崎市の新荘川におけるもので』、昭和五四(一九七九)年六月の目撃で、この新荘川では昭和六一(一九八六)年十月に、『ニホンカワウソの死体が発見されているが、これ以降』、『棲息の確認は得られていない』。なお、『樺太(サハリン)南端部の能登呂半島には』、二〇一七年『現在でもカワウソが棲息しているが』、これを絶滅した『北海道産亜種(Lutra lutra whileleyi)と同一種であると分類する専門家も』いる。体長は六十四.五~八十二センチメートル、尾長三十五~五十六センチメートル、体重五~十一キログラムで、『外部計測値は韓国産のユーラシアカワウソとほぼ同じだが、頭骨形状に特徴があ』り、『眼を水面から出して警戒できるよう、眼と鼻孔が顔の上方にあった』、また、『鼻孔は水中で閉じることができ』、『毛皮は二層からなり、外側に見える部分は粗い差毛、内側は細かい綿毛であった。差毛は水中で水に濡れて綿毛を覆い、綿毛に水が浸入するのを防いだ。このことにより』、『水中での体温消耗を防ぐ効果があった。この良質な毛皮を目的とした乱獲が、絶滅の要因となった』。『河川の中下流域、砂浜や磯などの沿岸部に単独で棲息し』、『主に夜行性で、魚類、テナガエビ、カニ、カエルなどを食べていた』。一『頭の行動域は十数』キロメートル『にもおよび、この中に「泊まり場」と呼ばれる生活の拠点(岸辺近くの大木の根元の穴や岩の割れ目、茂みなど)を』三、四箇所持っており、『縄張り宣言のために、定期的に岩や草むらの上など目立つ位置に糞をする習性があった』。『春から初夏にかけて水中で交尾を行い』、六十一~六十三『日の妊娠期間を経て』、二~五『頭の仔を産んでいたと考えられている。仔は生後』五十六日ほどで『巣から出るようになり、親が来年に新たな繁殖を開始するころに独立していたと推定される』。『人間にとって身近な存在であり、河童伝説の原型になったと考えられているほか、カワウソそのものも伝承に登場する。また、アイヌ語では「エサマン」と呼ばれ、アイヌの伝承にもしばしば登場している。七十二候の一つ(雨水初候)で獺祭魚(春になり』、『カワウソが漁を』始め、『魚を捕らえること)とある』。『江戸時代の料理書』「料理物語」には『「獣の部」において「川うそ」の名が記載されており、かつては食用となっていたとみられる』。『ニホンカワウソは保温力に優れている毛皮や肺結核の薬となる』とされた『肝臓を目的として、明治から昭和初期にかけて乱獲が進んだ』(本文にも結核の特効薬とするそれが出る)。『そのため北海道では』、明治三九(一九〇六)年『当時』、『年間』八百九十一『頭のカワウソが捕獲されていたが』、たった十二年後の大正七(一九一八)年には、『年間』七『頭にまで減少した』。『このような乱獲が日本全国で行われたため』、昭和三(一九二八)年、遅まきながら、『ニホンカワウソは日本全国で狩猟禁止となっ』た。而して昭和二九(一九五四)年『時点で、ニホンカワウソは北海道、紀伊半島と愛媛県の瀬戸内海から宇和海にかけての沿岸部、高知県南西部の沿岸部および室戸岬周辺にわずかに棲息域を残すのみとなったが、農薬や排水による水質悪化、高度経済成長期における周辺地域の開発、河川の護岸工事等により、棲息数の減少に更なる拍車がかかった。さらに、漁具による溺死や生簀の食害を防ぐための駆除も大きな打撃となった』。『最後の個体群は当初』、『猟師だけが知っていたもので』、結局それも『密猟されていた』のであった、とある。妖怪としての妖獣「かわおそ」については、本日、私が公開した「太平百物語卷二 十一 緖方勝次郞獺(かはうそ)を射留めし事」の私の注を参照されたい。

 因みに、「獺」は「をそ(おそ)」とも呼ばれるが、小学館「日本国語大辞典」によれば、これは「かはをそ」「かわうそ」の略で、その語源説には「うををす」「ををす」(魚食)の略(「大言海」)、「おそる」(畏懼)と同根(「和句解」・「東雅」)、獣のくせに水中に入って魚を捕える獣にあるまじき「偽」(うそ)の存在の義(「名言通」)、妖獣譚でよく人を襲(おそ)うところから(「紫門和語類集」)、水底を住居とすることからの「こ」の反切(「名語記」)が示されてある。しかしどれも信じ難い。原形に獣・幻獣の「をそ」を探索すべきであろう。

「鵲〔(かささぎ)〕の巢の風を知るごときなり」東洋文庫注によれば、「淮南子」の「繆稱訓(びょうしょうくん)」に、

   *

鵲巢知風之所起、獺穴知水之高下。暈目知晏。陰階知雨。

   *

とあるとする。

「知、本〔(ほん)〕を報い、始めに反〔(かへ)〕るを知るなり」魚を殺生して生きている自分の存在を自覚し、天にその生贄を捧げて獺祭を行い、自己の無惨な生き方を自覚し、その在り方を原型に戻すことをちゃんと弁えているのである。

「熊は鹽を食ひて死し」先行する「熊(くま)」に記載があった。

「今、漁舟、徃徃〔にして〕馴(な)れ畜(か)ひて之れをして魚を捕へしむ」俄かに示せないが、カウワソを飼養して、鵜飼のように川魚を捕獲していたとする古記録を確かに読んだ。発見し次第、追記する。

「獱獺〔(ひんだつ)〕」変異個体か、幻獣であろう。同定する気になれない。

「候〔(うかが)ふ〕」東洋文庫訳は「やってくる」と訳す。採らない。

「之れを用ふる者〔は〕須らく驗(こゝろ)むべし」は以下の「治虛勞・咳嗽〔(がいさう)〕・傳尸病〔(でんしびやう)〕を治す」に係ると読んでおく。但し、中文本草書でこういう形の構文はあまりないようには思われ、或いは、前の肝臓が毎月一枚増加するが、時に、それが、減ることもある、ということを獺の肝臓を薬として、解剖して得る本草家は、剖検時にしっかりとその現象を確かめて見よと言っていると採る方が自然ではある。

「眼〔の〕翳〔(かす)みて〕黒〔き〕花飛ぶ蠅〔のごときものの〕上り下り、物を視ること明ならざる」典型的な眼疾患である飛蚊(ひぶん)症である。尋常性のそれも多いが(私も幼少期から馴染みである)、突然、多量に五月蠅く感ずるほどに発生する場合は、網膜剥離の前兆であるから、早急な治療が必要である。

「稍〔(やや)〕盞〔(さかづき)〕の靣より髙からしむ」表面張力で酒が盃から有意に盛り上がるぐらいに入れることを指す。

「老鰡(しくちぼら)」これはボラ(条鰭綱ボラ目ボラ科ボラ属ボラ Mugil cephalus)ではなく、ボラ科メナダ属メナダ Liza haematocheilus である。完全生育個体では体長が一メートルに及び大型で、背面は青色、腹面は銀白色。同属の近縁種との違いとしては、上唇が下方に曲がっていて、口を閉じると外部に露出してみえること、脂瞼(しけん)と呼ばれるコンタクト・レンズ状の器官が発達していないことがボラとの識別点として挙げられる。東洋文庫はこの「老鰡」の「鰡」にのみ『ぼら』とルビしており、老成したボラと採っていて、少なくとも個々の部分での訳としては致命的な誤りである。

「故に獺の胸の下に亦、肉〔の〕臼〔(うす)〕、有り」ボラ属 Mugil の多くの成魚は、胃が発達しており、胃の幽門部(ヒトの十二指腸に繋がる胃の部分)が体表から見ても、あたかも「出臍(でべそ)」のように突き出ている。現在も市場ではこれを「うす(臼)」と称したり、或いは、それを切り出した形が算盤の珠(たま)に似ていることから、「そろばんだま」と呼んだりする。一般的には焼くか揚げて食べる。食ったことがあるが、ホルモンの「ミノ」のような食感で私は好きだ。

「鮎(なまづ)」言わずもがな、中国語の「鮎」はナマズしか指さない。アユは「香魚」である。

「獵虎〔(らつこ)〕」食肉目イタチ科カワウソ亜科ラッコ属ラッコ Enhydra lutris。独立項として本巻の最後に出るので、そこで詳述する。]

2019/04/22

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 兔(うさぎ) (ウサギ)

Usagi

 

 

うさぎ 明眎  婏【子】

    舍迦【梵書】

★   【和名 宇

     佐木】

トウ

[やぶちゃん注:★の部分に上記の画像の篆文が入る。]

 

本綱兔處處有之爲食品之上味大如貍毛褐形如鼠而

尾短耳大而鋭上唇缺而無脾長鬚而前足短尻有九孔

趺居趫捷善走䑛雄豪而孕五月而吐子【或謂兔無雄而中秋望月中顧

兔以孕者不經之說】目不瞬而瞭然【故名明眎】兔者明月之精【白毛者入藥可】

兔以潦爲鼈鼈以旱爲兔熒惑星不明則雉生兔

㚟【音綽】 似兔而大青色首與兔同足與鹿同

肉【甘寒】補中益氣止渴去兒豌豆瘡【凡食兔可去尻八月至十月可食薑

 芥橘及雞肉忌與兔同食】

兔血【鹹寒】 凉血活血催生易産解胎毒不患痘瘡

兔腦髓 又催生神藥【以上藥方見于本草附方】生塗皸凍瘡能治

兔皮毛【臘月收之】 治難産及胞衣不出餘血搶心脹刺欲死

 者極騐【燒灰酒服方寸匕】兔毛敗筆【燒灰】治小便不通及産難

                  慈圓

 拾玉何となく通ふ兔もあはれなり片岡山の庵の垣根に

△按兔善走如飛而登山則愈速下山則稍遲所以前足

 短也毎雖熟睡不閉眼黒睛瞭然

傳燈錄云兔渡川則浮馬渡及半象徹底截流

宋史云王者德盛則赤兔見王者敬耆老則白兔見然今

毎白兎有之北國之兔白者多稱越後兔者形小而潔白

可愛毎食蔬穀而能馴尋常兔性狡而難馴

 

 うさぎ 明眎〔(めいし)〕

    婏〔(ふ)〕【子。】

    舍迦〔(しやか)〕【梵書。】

★      【和名「宇佐木」。】

トウ

 「本綱」、兔、處處に之れ有りて、食品の上味と爲す。大いさ、貍のごとく、毛、褐なり。形、鼠のごとくして、尾、短く、耳、大にして鋭なり。上唇、缺けて、脾[やぶちゃん注:漢方で言う架空の消化器系。現代医学の脾臓とは関係がない。]、無し。長き鬚ありて、前足、短し。尻に九つの孔有り。趺居〔(ふきよ)〕して[やぶちゃん注:両高気後脚の甲を股の上に置いて座り。東洋文庫訳割注を参考にした。]、趫(あし)[やぶちゃん注:実際にはこの漢字も「素早い」の意。]、捷(はや)く、善く走る。雄の豪(け)[やぶちゃん注:時珍の「毫」の誤字か。毛。]䑛めて孕む。五つ月[やぶちゃん注:五ヶ月。]にして子を吐く【或いは、「兔は雄無くして、中秋、望〔(もち)〕の月の中の兔を顧みて、以つて孕む」と謂ふは、不經〔(ふけい)〕[やぶちゃん注:常軌を逸すること。道理に外れること。]の說なり。】。目、瞬(またゝきせ)ずして瞭然たり。【故に「明眎」と名づく。】兔は明月の精〔なり〕【白毛の者、藥に入るるに可なり。】。兔、潦(にはたづみ)[やぶちゃん注:大雨の水。]を以つて鼈〔(すつぽん)〕と爲り、鼈は旱(ひでり)を以つて兔と爲る。熒惑星〔(けいわくせい)〕、明らかならざれば、則ち、雉〔(きじ)〕、兔を生ず。

㚟【音「綽〔(シユク)〕」。】 兔に似て、大なり。青色なる首〔は〕兔と同じく、足は鹿と同じ。

肉【甘、寒。】中[やぶちゃん注:脾胃。消化器系。]を補し、氣を益し、渴きを止め、兒の豌豆瘡(もがさ)[やぶちゃん注:疱瘡(天然痘)の古名。]を去る【凡そ、兔を食ふときは、尻を去るべし。八月より十月に至る〔まで〕食ひて可なり。薑芥〔(きようかい)〕・橘〔(たちばな)〕及び雞〔(にはとり)の〕肉、兔との同食を忌む。】。

兔〔の〕血【鹹、寒。】 血を凉〔しく〕し、血を活す。生〔氣〕を催(はや)め、産を易くし、胎毒を解す。痘瘡を患はず。

兔〔の〕腦髓 又、催生〔(さいせい)〕の神藥〔なり〕【以上の藥方、「本草」の「附方」に見ゆ。】。生〔(なま)〕にて皸(ひゞ)に塗り、凍瘡(しもやけ)を能く治す。

兔〔の〕皮毛【臘月[やぶちゃん注:陰暦十二月の異名。]、之れを收む。】 難産及び胞衣〔(えな)〕の出でざるを治す。餘血〔の〕心〔臟〕を搶〔(つ)〕く[やぶちゃん注:突く。撞く。]もの、脹刺して死せん欲(す)る者、極めて騐〔(げん)あり〕[やぶちゃん注:「驗」に同じい。]【灰に燒きて酒にて方寸の匕〔(さじ)ほど〕を服す。】。兔の毛〔にて製したる〕敗筆(ふるふで)[やぶちゃん注:兎の毛で作った筆が古くなったもの。]【燒き灰とす。】〔は〕小便〔の〕不通及び難産を治す。

                  慈圓

 「拾玉」

   何となく通ふ兔もあはれなり

      片岡山の庵〔(いほ)〕の垣根に

△按ずるに、兔、善く走りて、飛ぶがごとく、山に登るときは、則ち、愈々、速し。山を下るときは、則ち、稍〔(やや)〕遲し。前足の短き所以〔(しよい)〕なり。毎〔(つね)〕に、熟睡すと雖も、眼を閉ぢずして、黒睛(くろまなこ)、瞭然たり。

「傳燈錄」に云はく、『兔、川を渡るときは、則ち、浮く。馬の渡るには、半ばに及ぶ。象〔の渡るときは〕、〔川〕底に徹(いた)り、流れを截〔(き)〕る』〔と〕。

「宋史」に云はく、『王者、德、盛なるときは、則ち、赤兔、見〔(あら)〕はる。王者、耆老〔(としより)〕を敬すれば、則ち、白兔、見はる』〔と〕。然〔れども〕、今、毎〔(つね)〕に白兎、之れ、有り。北國の兔に白き者、多し。「越後兔」と稱せる者、形、小さくして、潔白、愛すべし。毎に蔬〔(やさい)〕・穀を食ひて、能く馴るゝ。尋常の兔、性、狡〔(ずる)〕くして馴れ難し。

[やぶちゃん注:南極大陸や一部の離島を除く世界中の陸地に分布している(但し、オーストラリア大陸やマダガスカル島には元来は棲息していなかった)哺乳綱ウサギ目ウサギ科ウサギ亜科 Leporinae のウサギ類。以下、今回は主に小学館「日本大百科全書」より引く(但し、分類学上の和名の一部で他の資料を参考にした)。『ウサギ目 Lagomorpha は最近まで齧歯』『目Rodentiaのなかの亜目とされていたが、齧歯類が』四『本の切歯(門歯)』『があるのに対して、上あごの大きな』一『対の切歯の背方に小形に退化した』一『対の切歯が余分にあることを最大の特徴として区別され、現在では別の目とされている』。『一般にウサギとよばれている』ウサギ亜科 Leporinae には『ノウサギやカイウサギが含まれる。イエウサギの名でもよばれるカイウサギ rabbit はこの亜科に属するが、いわゆるノウサギ hare と属を異にし』(ノウサギ属 Lepus)、『本来ヨーロッパ中部および南部、アフリカ北部にかけて生息していたアナウサギrabbit(』アナウサギ属『ヨーロッパアナウサギOryctolagus cuniculus)を馴化』させ『たもので、世界各地で改良、飼育されている』。『ノウサギ類は、アナウサギ類に比べ』、『前肢がやや長いため、座ったときの姿勢が斜めになる。穴を掘らずに地上に巣をつくり、そこに子を産む。生まれたばかりの子は、毛が生えそろっていて、目も見え、すぐに歩き回ることができる。ノウサギ類は、オーストラリア、ニュージーランドなどを除き、世界中ほとんどの地域でごく普通にみられる。たとえば、北極圏やアラスカにはホッキョクノウサギ Lepus arcticus やアラスカノウサギ L. othus が、また、ヨーロッパに共通のノウサギとしてヨーロッパノウサギ L. europaeus が分布するなど、多種が広く生息する。日本には、北海道にエゾユキウサギ(エゾノウサギ)L. timidus ainu がいるほか、ノウサギ L. brachyurus の』四『亜種、すなわち、本州の日本海側と東北地方にトウホクノウサギ(エチゴウサギ)L. b. angustidens が、福島県の太平洋沿岸地方より南の本州、四国、九州地方にキュウシュウノウサギ L. b. brachyurus が、さらに隠岐』『と佐渡島に、それぞれオキノウサギ L. b. okiensis とサドノウサギ L. b. lyoni があり、合計』五『種が生息する。エゾユキウサギ』Lepus timidus ainu『と他の』四『種とは異なるノウサギ亜属に属し、エゾユキウサギは、ヨーロッパ、シベリア、モンゴル、中国東北部、樺太』『(サハリン)など亜寒帯から寒帯にかけて広くすんでいるユキウサギ』Lepus timidus『の亜種である。ユキウサギは本種、亜種とも冬になると』、『被毛が純白になる。一方、別の亜属に分類されるトウホクノウサギ』L. b. angustidens や『サドノウサギも冬毛は純白になるが、白くならないキュウシュウノウサギ』L. b. brachyurusや『オキノウサギ』L. b. okiensis『と同一グループとされる。世界でこれと同じ亜属に属するウサギは、中国東北部の東部とウスリー地方の狭い地域に分布するマンシュウノウサギ L. mandchuricus だけである』。『アナウサギ類は、ノウサギ類に比べ』、『前肢が短いため、座ったときの姿勢が低く、体が地面と平行になる。さらにアナウサギの名のとおり、地中に穴を掘って巣をつくり、群れをなして生活する。この地下街は、「ウサギの町」と称されるほど大規模な巣穴となる。妊娠した雌は分娩』『用の巣をここにつくり、生まれた子は、目が開いて』おらず、『赤裸であることもノウサギと異なっている』。『ローマ人たちは、壁に囲われた庭に、とらえたヨーロッパアナウサギを飼育していた。アナウサギはノウサギと異なり、このような人為的な環境下でも子を産み育てるから、数は増え、食肉用として飼育された。中世になると、帆船によって広く世界の各地に運ばれていった。これは、航海中の食糧を求める手段として、各航路の島々にヨーロッパアナウサギをカイウサギとして土着させるためであった。一般的環境、つまり気候や、餌』『となる植生が適し、さらに害敵(肉食獣など)がいない土地では急速にその数を増していった。オーストラリア大陸には元来』、『アナウサギ類は生息していなかったが』、一八五九年に、『ビクトリア州に導入されると、たちまちその数を増やし』一八九〇年頃には、『この地域におけるアナウサギの数は』二千『万頭と推定されるようになった。アナウサギの餌は草や若木の樹皮、畑の農作物であるから、被害は膨大なものになり、手に負えぬ』厄介者に『なった。害を防ぐため、さまざまな手段が実施されたが、効果はなかった』が、一九五〇年頃から、『ウサギの粘液腫』『ウイルス(全身皮下に腫瘤』『を形成し、死亡率が高く、伝染力も強い)を用いた駆除法が成功し、近年はその被害も少なくなってきて』は『いる』という。『日本には、奄美』『大島、徳之島特産の』アマミノクロウサギ属『アマミノクロウサギ Pentalagus furnessi がおり、特別天然記念物に指定されている。穴を掘って巣をつくるところはアナウサギ類に似るが、耳の長さは半分以下で、体全体もずんぐりしている。アマミノクロウサギは「生きている化石」とよばれる動物の一種で、近縁としてメキシコ市近くの山にいる』メキシコウサギ属『メキシコウサギ Romerolagus diazzi と』、『アフリカ南部にいるアカウサギ属のプロノウサギ Pronolagus crassicaudatus などとともにムカシウサギ亜科Palaeolaginaeに分類されている』。『カイウサギは、ヨーロッパアナウサギを馴養することに始まった。その後、大きさ、毛色、毛の長さ、毛の手触りなど、多様な変異を利用し、選抜淘汰』『を繰り返して、多くの品種を作出してきた。用途によって、毛用種、肉用種、毛皮用種、肉・毛皮兼用種、愛玩』『用種に分けられる』。『毛用種としてはアンゴラ』(Angora rabbit)『がよく知られている。トルコのアンゴラ地方が原産といわれ、イギリスやフランスで改良されたものが現在』、『飼養されている』。『白色毛がもっとも商品価値が高く、高級な織物や毛糸に加工される』。『肉用種としてはベルジアンノウサギ Belgian hare や、フレミッシュジャイアント Flemish giant などがある。前者はベルギー原産で体重』三・六『キログラム、ノウサギに似た毛色をしているのでこの名がある。後者は「フランダースの巨体種」の名のとおりフランス原産で、体重は』六・七『キログラムにもなる。毛色は鉄灰色、淡褐色などさまざまである』。『毛皮用種としてはチンチラ Chinchilla やレッキス Rex などがある。両者ともフランス原産』である。『兼用種は肉・毛皮両方を目的につくられ』、『兼用種にはニュージーランドホワイト New Zealand white や日本白色種がある』。『後者は日本でもっとも多く飼育されている白色種で』、『起源は明らかではないが、おそらく明治初期に輸入された外来種との交配によってつくられたアルビノと考えられている。そのため』、『以前は地方によって体形、大きさに差があり、大形をメリケン、中形をイタリアン、小形を南京(ナンキン)とよんでいたが、第二次世界大戦後』、『統一され、体重は生後』八ヶ月で四・八『キログラムを標準とする。肉と毛皮との兼用種として改良されてきたため、毛皮の質と大きさの点で優秀な品種である』。『愛玩用種としてはヒマラヤン Himalayan やダッチ Dutch が』おり、『前者はヒマラヤ地方原産といわれており、体重』一・三『キログラムの小形で、白色毛に、顔面、耳、四肢端が黒色の毛色である。後者はオランダ原産で、黒色、青色、チョコレート色などの被毛であり、胸の周りには帯をかけたような白色毛がある。体重は』二『キログラム前後である』。『餌』『は青草、乾草、野菜、穀類を与える。水は自由に飲めるようにする。とくに乾草給与時や、夏季、分娩後や哺乳中には水分が不足しやすい。ウサギは体に比べて』、『大きな胃と盲腸があって』、『大食である。成長期には』一『日に体重の』一~三『割の餌を食べる。ウサギの奇妙な習性に食糞』『がある。普通にみられる糞と、ねばねばした膜に包まれた糞を交互に排出するが、後者が排出されると、自分の口を肛門』『に近づけて吸い込み、かまずに飲み込む。この糞を食べさせないようにすると、しだいに貧血症状を呈し、やがて死亡する。これからもわかるように、排出物というよりも』、『餌といえるほどにタンパク質やビタミン』B12『が多く含まれていて、ウサギの健康維持にたいへん役だっている』。『ウサギをつかむときには、背中の真ん中より』、『やや前方の皮を大づかみにする。両耳を持ってつり下げるようなことをしてはいけない。粗暴に扱ったり、苦痛を与えると、普段鳴かないウサギも、キイキイと甲高い声を出す。おそらく恐怖のための悲鳴であろう』。『ウサギは生後』八ヶ月から『繁殖に用いられる。野生のウサギには繁殖季節があるが、カイウサギには認められない。また、自然排卵をしないで交尾刺激によって排卵が誘発される。この型の排卵はネコやイタチ類にみられる。妊娠期間は』三十一~三十二日で、一回の分娩で六、七頭の『子を産む。母親は分娩後、非常に神経質になり、興奮して子を食い殺すこともあるので安静にしておく。ウサギの乳汁は牛乳より栄養に富み』、『赤裸の子も早く育』ち、六~七『週齢で離乳する』。『ウサギは暑さに対して弱いばかりでなく、病気に対する抵抗力が一般的に弱い。とくにかかりやすい病気として、原虫によるコクシジウム症』(コクシジウムはアルベオラータ上門 Alveolataアピコンプレックス門 Apicomplexa コクシジウム綱 Coccidea に属する原生生物の一群で、人間・家畜・家禽に対して重大な疾患を引き起こすものが多く含まれるが、単に「コクシジウム」と言った場合は特にアイメリア科アイメリア属 Eimeria の原虫を指すことが多く、これが腸管内に寄生して下痢を起こさせるのがそれである)、『細菌による伝染性鼻炎、ぬれた草(とくにマメ科植物)の多食による鼓張症などがある』。『日本において家畜としてウサギが飼養されるようになったのは明治時代からで、中国やアメリカなどから輸入され、当初は愛玩用として飼われていた。防寒具としての毛皮、食用としての肉が軍需用物資として使用されるようになって急激に飼育数が増大した。これはアメリカへの毛皮輸出を含めた』、大正七(一九一八)年の『農林省の養兎(ようと)の奨励による。飼育数増大とともに各地で毛皮・肉兼用種への改良が行われ、現在日本白色種とよばれるものができた。日本におけるウサギの飼育頭数は、軍の盛衰と運命をともにし、一時は』六百『万頭も飼育されていたが、第二次世界大戦の終戦とともに激減した。なお、日本ではウサギ類を古来』「一羽」「二羽」『とも数えるが、これは獣肉食を忌み、鳥に擬したためである』。『毛皮は軽く保温力に富むので』、『オーバー、襟巻などに、アンゴラの毛はセーターや織物になる。肉もよく利用されるが、ほとんどは輸入されたものである。利用面で近年忘れられないことは、医学、生物学、農学などの研究に供試されることで、年間数十万頭が利用されている』。『ウサギの肉は食用としてもよく用いられる。野ウサギの肉はやや固く一種の臭みがあるが、家ウサギの肉は柔らかく、味も淡白である。ウサギ肉のタンパク質は、粘着性や保水性がよいので、プレスハムやソーセージのような肉加工品のつなぎとしてよく使われた。ウサギの肉は、鶏肉に似ているので、鶏肉に準じて各種料理に広く用いることができる。ただ、においにややくせがあるので、香辛料はいくらか強めに使うほうがよい。栄養的には、ウサギの肉はタンパク質が』二十%『と多く、反対に脂質は』六%『程度で他の肉より少ない傾向がある』。「古事記」の「因幡の白兎」や、「鳥獣戯画」に『描かれているおどけたウサギなど、古来』、『ウサギは人間と密接な関係をもつ小動物と受け取られてきた。「かちかち山」や「兎と亀』『」などの動物説話が広く知られている一方、一見』、『おとなしそうなウサギが』、『逆に相手をだます主人公となるような類話も少なくない。その舞台を語るのか、赤兎山(あかうさぎやま)、兎平(うさぎだいら)、兎跳(うさぎっぱね)など、ウサギにちなむ地名が全国各地に分布する。また』、『時期や天候の予知にも関係し、山ひだの雪形が三匹ウサギになると、苗代に籾種(もみだね)を播』『くとする所や、時化(しけ)の前兆となる白波をウサギ波とよんでいる所が日本海沿岸に広くみられる。ウサギの害に悩む山村の人々は、シバツツミとよばれる杉葉を田畑の周囲に巡らしたり、ガッタリ(水受けと杵(きね)とが相互に上がったり落ちたりする仕掛けの米搗』『き臼』『)の発する音をウサギ除』『けとした。雪国の猟師たちは、新雪上に描かれたテンカクシ、ミチキリなどと特称される四肢の跡を目安に狩りをしたが、なかでも、棒切れあるいはワラダ、シブタなどといわれる猟具を』、『ウサギの潜む穴の上へ投げ飛ばし、空を切る音と影の威嚇』『効果によって生け捕りにする猟法は、注目に値する。また、ウサギは月夜の晩に逃げるとか、その肉を妊婦が食べると兎唇』『(口唇裂)の子が生まれる、などの俗信も少なくない』。『ヨーロッパ、とりわけフランスでは、家畜ウサギは食用としてニワトリと並び賞味されているが、一方の野生のノウサギは、世界各地で民話の登場人物として親しまれてきた。そのイメージの多くは、すばしこくて少々悪賢く、いたずら好きだが、ときには人にだまされるという共通性をもっている。アフリカ(とくにサバンナの草原地帯)の民話では、ウサギはトリック』・『スターとして活躍し、ハイエナなどがウサギにかつがれる。ナイジェリアのジュクン人の民話では、ウサギは王の召使いとして人々との仲介者となったり、未知の作物や鍛冶』『の技術を人々にもたらす文化英雄の役割を演じるほか、詐術によって世の中を混乱させたり、王の人間としての正体を暴いてみせたりする。またいたずら者のウサギは「相棒ラビット」などのアフリカ系アメリカ人の民話にも生き続けている』とある。

「鼈〔(すつぽん)〕」爬虫綱カメ目潜頸亜目スッポン上科スッポン科スッポン亜科キョクトウスッポン属ニホンスッポン Pelodiscus sinensis。同種は中国・日本・台湾・朝鮮半島・ロシア南東部・東南アジアに広く棲息する。本邦産種を亜種Pelodiscus sinensis japonicusとする説もある。

「熒惑星〔(けいわくせい)〕」火星の非常に古い異名。

「雉〔(きじ)〕」鳥綱キジ目キジ科キジ属キジ Phasianus versicolor。この辺り、ウサギがスッポンになり、スッポンがウサギになり、星の影響でキジがウサギを産んじゃったりと、まんず、凄いね!

「㚟」不詳。幻獣染みている。

「薑芥〔(きようかい)〕」中国の本草書「神農本草経」(「鼠實」)や東洋文庫訳の割注(「めづみ草」)によれば、シソ目シソ科イヌハッカ属ケイガイ Schizonepeta tenuifolia のこととなる。ウィキの「ケイガイ」によれば、『薬用植物』とし、『中国原産の草本で花期は初夏から夏』。『花穂は発汗、解熱、鎮痛、止血作用などがあり、日本薬局方に生薬「荊芥(ケイガイ)」として収録されている。荊芥連翹湯(けいがいれんぎょうとう)、十味敗毒湯(じゅうみはいどくとう)などの漢方方剤に配合される。「アリタソウ」という別名がある。ただし、本種はシソ科であり、アカザ科のアリタソウとは全く別の物である』とある。

「橘〔(たちばな)〕」ここは「本草綱目」の記載であるから、バラ亜綱ムクロジ目ミカン科ミカン亜科ミカン属 Citrus のミカン類としか言えない。これを種としての「タチバナ」、ミカン属タチバナ(橘)Citrus tachibana ととってはいけない。同種は本邦に古くから自生している本邦の柑橘類固有種であるからである。近縁種にコウライタチバナ(高麗橘)Citrus nipponokoreana があるものの、これは現在、山口県萩市と韓国の済州島にのみしか自生してない(萩市の自生群は絶滅危惧IA類に指定されて国天然記念物)。

「生〔氣〕を催(はや)め」ここは訓点がおかしいので、独自に読んだ。「催生〔(さいせい)〕」と同じく、健全な生気を促進させるの謂いではあろう。

「脹刺して」意味不明。腹部が膨満して、刺すような痛みがあるということか?

「方寸の匕(さじ)」東洋文庫訳では割注で『茶さじ一杯』とする。

「兔の毛〔にて製したる〕敗筆(ふるふで)【燒き灰とす。】〔は〕小便〔の〕不通及び難産を治す」何らかの類感呪術と思われるが、最早、その謂れが判らぬ。

「慈圓」「拾玉」「何となく通ふ兔もあはれなり片岡山の庵〔(いほ)〕の垣根に」本歌は「夫木和歌抄」の「巻二十七 雑九」にも所収されていたので、「日文研」の「和歌データベース」で校合出来た。

「傳燈錄」「景德傳燈錄」。北宋の道原によって編纂された過去七仏から禅僧及びその他の僧千七百人の伝記を収録している(但し、実際に伝のあるものは九百六十五人だけ)。全三十巻。景徳元(一〇〇四)年に道原が朝廷に上呈し、楊億等の校正を経て、一〇一一年に続蔵に入蔵を許されて天下に流布するようになったため、当代の年号をとって、かく呼ばれるようになった。これ以降、中国の禅宗では、同様の伝記類の刊行が相次ぎ、それがやがて「公案」へと発展したとされる。参照したウィキの「景徳傳燈録」によれば、『現在もなお、禅宗を研究する上で代表的な資料であり、必ず学ぶべきものとされるが、内容は必ずしも史実とは限らない部分もある』とある。う~ん、確かに、この兎と馬と象の謂いは、これ、博物学的というより、まさに公案っぽいがね!

「宋史」「宋書」が正しい。中国二十四史の一つで、南朝宋の正史。全百巻。南朝梁の沈約(しんやく)が撰し、四八八年に完成した。

「越後兔」冒頭解説に出た、本邦産ノウサギの亜種の一つであるトウホクノウサギ Lepus brachyurus angustidens のこと。現在も「エチゴノウサギ」の異名が生きている。本州中部以北に棲息し、頭胴長は五十センチメートル内外。]

2019/04/19

和漢三才圖會卷第三十八 獸類 檮杌(たうこつ)・獌(ばん)・猾(かつ) (総て幻獣)

Toukotu

  

 

 

たうこつ  倒壽

 

檮杌

      【頑凶而無疇匹

       曰檮杌此獸然

タ◦ウキユイ  故名之乎】

 

三才圖會云檮杌【一名倒壽】獸之至惡者好闘至死不却西荒

中獸也狀如虎毛長三尺餘人靣虎爪口牙一丈八尺獲

人食之獸闘終不退却惟而已

――――――――――――――――――――――

【音萬】

[やぶちゃん注:以下は原典では項目名の下に三行で記されてある。]

三才圖會云獌獸之長者【一名獌狿】以其長故从曼

从延大獸而似狸長百尋

字彙云貙似貍而大立秋日祭獸一名獌

――――――――――――――――――――――

【音滑】

[やぶちゃん注:同前。但し、四行目の良安の評言は頭から。]

本綱曰海中有獸名曰猾其髓入油中油卽活

水不可救止以酒噴之卽滅不可于屋下收故

曰水中生火非猾髓而莫能也【樟腦亦能水中生火】

△按猾不載形狀蓋檮杌獌之類本朝未曽有之物

 

 

たうこつ  倒壽〔(たうじゆ)〕

 

檮杌

      【頑凶にして、疇匹〔(ちうひつ〕)

       無きを、檮杌と曰ひ、此の獸、

ウキユイ  然り。故に之れを名づくか。】

[やぶちゃん注:「疇匹」とは「自分と同じ類いの仲間・輩(ともがら)」の意で、仲間がいない孤独な獣だというのである。何だか……淋しそうだな……。]

 

「三才圖會」に云はく、『檮杌【一名「倒壽」。】、獸の至惡なる者なり。好〔んで〕闘〔ひ〕、死に至るも、却〔(さ)〕らず。西荒〔(せいこう)〕[やぶちゃん注:中国西方の未開地。]

〔の〕中の獸なり。狀、虎のごとく、毛の長さ三尺餘。人靣にして、虎の爪・口なり。牙、一丈八尺。人を獲り、之れを食〔(くら)〕ふ。獸の闘ひて終(つひ)に退き却らざるは、惟〔(こ)〕れのみ』〔と〕。

――――――――――――――――――――――

〔(ばん)〕【音「萬」。】

「三才圖會」に云はく、『獌、獸の長者〔なり〕【一名「獌狿〔(ばんえん)〕」。】。其の長きを以つて、故に「曼」に从〔(したが)〕ひ、「延」に从ふ。大獸にして、狸に似たり。長さ、百尋(ひろ)あり。

「字彙」に云はく、『貙は貍に似て、大なり。立秋の日、獸を祭る。一名「獌」』〔と〕。

――――――――――――――――――――――

【音「滑」。】

「本綱」に曰はく、『海中に、獸、有り。名づけて「猾」と曰ふ。其の髓、油の中に入るれば、油、卽ち、水を活〔(わか)〕し、救ふべからず。止(たゞ)酒を以つて之れを噴(ふ)くときは、卽ち、滅す。屋の下に收むべからず。故に曰ふ、「水中に火を生ずること、猾の髓に非ざれば、能〔(よ)〕くすること莫し」と【樟腦も亦、能く水中に火を生ず。】』〔と〕。

△按ずるに、猾〔は〕形狀を載せず。蓋し、檮杌・獌の類ひ〔ならん〕。本朝には未曽有〔(みぞう)〕の物なるべし。

[やぶちゃん注:三種ともに幻獣でモデル動物は、なしとしておく。ウィキの「檮杌」には、『中国神話に登場する怪物の一つ。四凶』(聖王舜によって中原の四方に流された四柱の悪神とされる存在。ウィキの「四凶」によれば、「書経」と「春秋左氏伝」に『記されているが、内容は各々異なる。四罪と同一視されることが多いが』、「春秋左氏伝」の文公十八年(紀元前六〇九年)に『記されているものが一般的で』、そこでは、『大きな犬の姿をした「渾沌」(こんとん)』、『羊身人面で目がわきの下にある「饕餮」(とうてつ)』、『翼の生えた虎「窮奇」(きゅうき)』、『人面虎足で猪の牙を持つ「檮杌(とうこつ)」』を挙げる)『虎に似た体に人の頭を持っており、猪のような長い牙と、長い尻尾を持って』おり、『尊大かつ頑固な性格で、荒野の中を好き勝手に暴れ回り、戦う時は退却することを知らずに死ぬまで戦う』。『常に天下の平和を乱そうと考えて』おり、『「難訓(なんくん。「教え難い」の意)」という別名がある』。前漢の東方朔の作とされる「神異経」には、「西方荒中有焉、其狀如虎而犬毛、長二尺、人面虎足、猪口牙、尾長一丈八尺、攪亂荒中、名檮杌、一名傲狠、一名難訓」とある、とする。

『「三才圖會」に云はく……』檮杌のそれはこの左頁(国立国会図書館デジタルコレクションの画像)。

「獌」音の「バン」は大修館書店「廣漢和辭典」の当該字の、大きな獣とする部分の「獌狿(バンエン)」の読みに従った(同辞書にはその前で「狼の一種」及び「狸の一種」とはある)中文サイトの解説では伝説上の獣で、狼の一種とするが、「百尋」(「三才図会」の成立したのは明代であるが、「尋」は中国では古代(戦国頃まで)に使用されたきりで後には使用されなかった。使用された当時の一尋は八尺で一メートル八十センチとされるから、体長百八十メートルの狼や狸は同定することこれ能はずである。

『「三才圖會」に云はく……』のそれはこの左頁(同前)。

「字彙」明の梅膺祚(ばいようそ)の撰になる字書。一六一五年刊。三万三千百七十九字の漢字を二百十四の部首に分け、部首の配列及び部首内部の漢字配列は、孰れも筆画の数により、各字の下には古典や古字書を引用して字義を記す。検索し易く、便利な字書として広く用いられた。この字書で一つの完成を見た筆画順漢字配列法は、清の「康煕字典」以後、本邦の漢和字典にも受け継がれ、字書史上、大きな意味を持つ字書である(ここは主に小学館の「日本大百科全書」を参考にした)。

「立秋の日、獸を祭る」老婆心乍ら、獣の獌が生贄を供えて天に祭りするのである。

「猾」海棲哺乳類という設定だが、その「髓」(骨髄と採っておく)を、「油の中に」投ずると、その油(水は液体としての油のことか)を沸騰させて、手におえない状態になると言い、そうなった時には酒をそれに吹きかけると沸騰がやむ、だから昔から、「水中で火を起こさせようとすれば、猾の骨髄を用いる以外にはよい方法は他にない」というのだが、これ、何だか、言っている意味が今一つ腑に落ちない。しかし、ともかくも、その「猾の骨髄」なる物質が、油或いは水激しい化学反応を起こすというのであろう。想起したのは爆発的熱反応を示す消石灰(水酸化カルシウム)や金属ナトリウム、及び、海というところからはメタンハイドレートmethane hydrateである(私は中学生の時、理科部(海塩粒子班)で、理科教師が戸棚の奥を整理する内、古い試料の中に少量の金属ナトリウムを発見し、処分するのを見学させて貰ったことがある。小指の頭ほどで既に劣化していたようであったが、シャーレの中で少量の水に浮かべると、激しい炎を上げながら、くるくると回るのに息を呑んだのを今も忘れない)。但し、大修館書店「廣漢和辭典」の「猾」を見ると、海獣の名とし、「正字通」を引き、そこには「猾には骨がなく、虎の口に入っても、虎は噛み砕くことが出来ない。そのまま猾はやすやすと虎の消化器官の中に入り込み、その虎の内側から噛みつく」という、とんでもないことが書いてあるのである。しかし、この海獣を虎が食うというのも、ちと不自然ではなかろうかとは思う。

「樟腦」クスノキ目クスノキ科ニッケイ属クスノキ Cinnamomum camphoraの精油の主成分である分子式 C10H16Oで表される二環性モノテルペンケトン(monoterpene ketone)の一種。「能く水中に火を生ず」ることは残念ながらないけれど、思い出すよね、小さな時にやった「樟脳舟(しょうのうぶね)」「協和界面科学株式会社」公式サイト内のこちらから引用しておくよ。『小さな模型舟の船尾にショウノウの塊を付けておくと、舟を水に浮かべたときに勝手に走り回る現象』だ。『「ショウノウ」というと防虫剤の匂いを思い出す方もいらっしゃるでしょうが、最近ではp(パラ)ジクロロベンゼンなどにその役目を奪われてしまいましたので、入手しにくいかもしれません』。『(なお、いずれも口に入れると有害ですので、食べないように。)』『こショウノウの分子は、水をはじく疎水基と、水になじむ親水基を持っています。舟の船尾に取り付けられたショウノウの塊が分解して、分子が水面に移ると、疎水基を上にして単分子の膜を形成します。舟の後方ではショウノウの単分子膜ができ、舟の前方には水面があります。物質は表面張力により、その面積を少なくしようとします。この場合、水の表面張力はショウノウよりも高いため、水面の面積の方がより小さくなろうとする力が強いのです。したがって、ショウノウと水の境目は水のほうへ引き寄せられます。そして、その境目にある舟も、一緒に引っ張られてしまうため動きます。また船尾のショウノウはどんどん溶け出していきますから、ますますショウノウの表面は広げられてしまいます』。『ショウノウにはじかれて動いているように見えますが、実際は水の表面張力によって引っ張られているわけです。しかしこの舟も、水面が完全にショウノウ分子で覆われてしまうと、動かなくなります』。

「本朝には未曽有〔(みぞう)〕の物なるべし」本朝には未だ嘗つて存在したことがない動物と言ってよい。良安先生、謙虚やねぇ。そうそう、偉そうな麻生先生、「みぞう」でっせ、「みぞゆう」じゃあ、ありまへんで。

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