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カテゴリー「和漢三才図会抄」の7件の記事

2021/07/12

「和漢三才圖會」巻第六十一「雜石類」より「砥(といし)」

 

Toisi

 

といし   磨刀石 礪石

【音紙】 羊肝石

      【砥阿乎止

       礪阿良止】

本草砥磨物也細密者爲砥粗糲者爲礪人若死蹋之患

帯下未知所由又磨刀垽名龍白泉粉用塗瘰癧擦核

三才圖會云砥首陽山有紫白粉色者出南昌者最善

△按古者用木磨物故字作搘【音支】今則用蓋非眞石此

 凝土也堀山取之如瓦土然有数種

庖丁刀砥 蒼色謂之青砥山城之產爲上丹波及防州

 岩国產次之

刀劔砥 淡白色參州名倉之產爲最上山州嵯峨之内

 曇次之越前常慶寺村之產又次之

剃刀砥 淡白色山州鳴瀧及上野之產爲上丹波近江

 次之

礪石 肥前天草之產赤白襍有橒文謂之天草砥出於

 豫州者淡白或淡赤色有橒文並磨諸刀之新刀或作

 硯亦賤也紀州神子濵肥州唐津皆出礪其他不盡述

凡砥山中甚軟黏未爲砥者取之日乾細末水飛作團子

 名之砥粉𣾰工家復硏末和𣾰飯糊水塗𣾰噐下地謂

 之地鏽其上以𣾰可塗否則肌不密

龍白泉【砥水】以可染黑茶色【俗云憲法染】布帛藍染而柘榴皮

 五倍子煮熟以其汁再染浸龍白泉【陳久者良】一宿則純黑

 勝於鐡漿染而帛不易敗

○やぶちゃんの書き下し文

といし   磨刀石 礪石〔(れいせき)〕

【音紙】 羊肝石

      【「砥」は「阿乎止〔(あをと)〕」、

       「礪」は「阿良止〔(あらと)〕」。】

「本草」に、『砥は物を磨くなり。細密なる者を「砥(あをと)」と爲し、粗糲〔(それい)なる〕者を「礪(あらと)」と爲す。人、若し、之れを蹋(ふ)めば、帯下〔(こしけ)〕を患ふと〔いへど〕、未だ、〔その〕所由〔(よるところ)〕を知らず。又、刀を磨きたる垽(をり)を「龍白泉粉」と名づく。用ひて、瘰癧結核〔(るいれきけつかく)〕に塗る。』と。

「三才圖會」に云はく、『砥は首陽山に紫白粉色の者、有り。南昌に出づる者、最善なり。』と。

△按ずるに、古〔(いにしへ)〕は、木を用ひて物を磨(と)ぐ。故に、字、「搘」に作る【音「支」。】。今は則ち、石を用ふ。蓋し、眞の石に非ず、此れ、凝(こ)りたる土なり。山を堀り、之れを取ること、瓦〔の〕土のごとし。然り、数種有り。

庖丁刀(ほうちやう)砥 蒼色。之れを「青砥(あほと)」と謂ふ。山城の產、上と爲し、丹波及び防州岩国の產、之れに次ぐ。

刀劔砥 淡白色。參州名倉の產、最上と爲す。山州嵯峨の「内曇(うちぐもり)」、之れに次ぐ。越前常慶寺村の產、又、之れに次ぐ。

剃刀(かみそり)砥 淡白色。山州の鳴瀧及び上野〔(かうづけ)〕の產、上と爲す。丹波・近江、之れに次ぐ。

礪石(あらと) 肥前天草の產、赤に、白、襍(まじ)りて、橒文(もくめ)有り。之れを「天草砥」と謂ふ。豫州に出づる者、淡白〔(あはしろ)〕く、或いは、淡赤色、橒文(もくめ)有り。並びに諸刀の新刀(あらは)を磨(と)ぐ。或いは、硯に作る〔も〕亦、賤(やす)し。紀州の神子濵(みこの〔はま〕)・肥州唐津、皆、礪を出だす。其の他、盡く〔は〕述べず。

凡そ、砥、山の中、甚だ軟黏(やはらか)にして、未だ砥に爲らざる者、之れを取りて、日に乾し、細末にして、水を飛ばし、團子(だんご)と作〔(な)〕す。之れを「砥粉〔(とのこ)〕」と名〔(なづ)〕く。𣾰工家(ぬしや)に、復た、硏末して、𣾰・飯糊(ひめのり)・水を和えて、𣾰噐の下地を塗る。之れを「地鏽(ぢさび)」と謂ふ。其の上に𣾰を以つて塗るべし。否(しからざ)るときは、則ち、肌、密(こまや)かならず。

龍白泉(とじる)【砥水〔(とみづ)〕。】以つて黑茶色を染むべし。【俗に云ふ、「憲法染〔(けんぱふぞめ)〕」。】布帛、藍をもつて染めて、柘榴〔(ざくろ)の〕皮・五倍子〔(ごばいし)〕を煮熟して、其の汁を以つて、再たび、染め、龍白泉に浸し【陳久〔(ちんきう)〕の者、良し。】、一宿すれば、則ち、純黑〔たり〕。鐡漿染(かねそめ)に勝りて、而〔(しか)〕も、帛(きぬ)、敗〔(やぶ)〕れ易からず。

[やぶちゃん注:『「本草」に……』「本草綱目」巻十の「金石之四」の以下。囲み字は太字に代えた。

   *

越砥【「别錄中品」。】

 釋名磨刀石【藏器。】・羊肝石【「綱目」。】・礪石【時珍曰はく、「尚書」に、荆州厥の貢は砥礪と。注に云はく、砥は細宻を以つて名と爲す。礪、粗糲を以つて稱となす。俗に稱する者は、羊肝石と爲す。形色に因るてなり。景曰はく、越砥は今の細礪石なり。臨平に出づ。】

 氣味甘。毒、無し。

 主治目盲の痛みを止め、熱瘙(ねつさう)[やぶちゃん注:熱を持った皮膚の瘡。]を除く【「本經」。】。磨りし汁を目に㸃じて、障翳を除く。赤(しやく)に燒きて、酒に投じ、飲みて、血瘕痛切[やぶちゃん注:血が凝り固まって激しい痛みを生ずる症状か。]を破る【藏器。】。

 礪石主治宿血を破り、石淋[やぶちゃん注:膀胱結石。]を下し、結瘕を除き、鬼物惡氣を伏す。赤に燒き、酒中に投して之れを飲む。人、言之れを蹋(ふ)めば、帶下を患ふと。未だ由る所を知らず【藏器。】。

 磨刀垽(またうぎん)【一名「龍白泉粉」。】主治蠼螋尿瘡(かくさうにねうさう)[やぶちゃん注:現行ではサソリ刺傷の症状とされる古病名。]に傅(つ)效有り【藏器。】瘰瀝結核に塗る【時珍。】

   *

「粗糲〔(それい)なる〕者」粒子が粗い物。

「蹋(ふ)めば」「踏めば」に同じ。

「帯下〔(こしけ)〕」これは女性性器の分泌物又はその分泌異常を含む語でありから、踏む対象が女性に限られる禁忌となる。山中への女性の入山を嫌った旧習の名残ではあるまいか。

「垽(をり)」澱・滓(おり)のこと。

「瘰癧結核〔(るいれきけつかく)〕」平凡社「東洋文庫」版では『結核性の頸によく出る腫れもの』とする。

『「三才圖會」に云はく、『砥は首陽山に紫白粉色の者、有り。南昌に出づる者、最善なり。』と』国立国会図書館デジタルコレクションの一六〇九序の刊本では、ここと、ここ。但し、そこでは冒頭の図のキャプションは「礪」であり、本文の「首陽山に」以下の主語は「礪石」であって、「砥」ではない。「首陽山」周の武王を諌めた伯夷・叔斉が隠棲して餓死した山として知られるが、現在の山西省の西南部にあったとも言われ、別に河南省洛陽市の東北に同名の山も現存し、比定地は複数ある。「南昌」江西省南昌市。

「搘」この字は「支える」或いは「枝」の意で、特定の樹木を指さない。「東洋文庫」版では、『搘とは柱氐(どだい)のこと。氐は砥とも書く』とあるが、注が不親切で、「柱氐」の意味が判らない。「柱のようにそそり立っている石」の意のようではあるが、それでは、本文の意が通じない。

「庖丁刀(ほうちやう)砥」「青砥(あほと)」色が青く、肌理(きめ)の細かい粘板岩で作った砥石。中研ぎに用いる。

「刀劔砥」刀剣用砥石は複数のものを段階によって使用する。サイト「日本刀研磨 楽屋」の「刀剣研磨工程写真集」を参照されたい。

「參州名倉」サイト「鉋、鑿、大工道具の曼陀羅屋」のこちらに、『名倉砥の産地は全国の天然砥石産地の中でも一地域にしか無く(愛知県北設楽:きたしたら)』、同『郡』の旧『三輪村砥山であって』、『従来』、『言われている様に名倉村とか名倉山から出ているのではない。三輪村の隣が振草村で振草村に隣接して名倉村があるけれども、名倉村の方からは砥石が出ていない』。『恐らく』、『昔』、『此の辺一帯が名倉村といわれたか、或は砥石は名倉村へ運び出されて此処から諸国へ売り出された為に其名を得たものと思われる。土地の伝説では平家の落武者、名倉左近が刀を研いで見て発見したと言われており』、『現在は閉山されてい』るとある。この附近か(国土地理院図)。

『山州嵯峨の「内曇(うちぐもり)」』砥石の一種。京都市右京区の鳴滝山(この附近(グーグル・マップ・データ。以下同じ)か。山名は確認出来ない)から産出する。黄白色に紫色の模様がある。刀剣を砥ぐために用いる。鳴滝砥。

「越前常慶寺村」諸本で地名が異なるが、現在の一乗谷の奥の福井県福井市浄教寺町(じょうきょうじちょう)のこと。

「剃刀(かみそり)砥」剃刀やナイフ様の小型のそれを砥ぎ上げるのに用いるもの。

 淡白色。山州の鳴瀧及び上野の產、上と爲す。丹波・近江、之れに次ぐ。

「橒文(もくめ)」木の木目に似た紋のこと。

「新刀(あらは)」新しく鉄を鍛えて作り上げた研ぎが成されていない刀。新身(あらみ)。

「賤(やす)し」購入価格が安いの意。

「紀州の神子濵(みこの〔はま〕)」和歌山県田辺市神子浜(かみこはま)。

「盡く〔は〕述べず」各地で各種あり、産地・石質などを総て述べ上げる暇はない。

「水を飛ばし」「東洋文庫」版では、『水を打ち』とある。

「𣾰工家(ぬしや)」漆細工をする者。

「飯糊(ひめのり)」澱粉糊。姫糊(ひめのり)・続飯(そくい)、正麩糊(しょうふのり)などとも呼ばれるが、本来の「姫糊」と「続飯」は飯粒(めしつぶ)を潰して練って作った糊で、「正麩糊」は小麦澱粉から作った糊のことを指す。よく知られるように、接着剤・粘着剤として用いる。私は、昔、亡き母と障子を貼るのに、それを用いたのを想い出す。

「𣾰噐」漆器。

「地鏽(ぢさび)」錆漆 (さびうるし:水で練った砥粉 (とのこ) に生漆 (きうるし) を混ぜたもので、漆塗りの下地のほか、絵模様の輪郭を描いたり、肉を盛り上げたりするのに用いる。単に「さび」とも呼ぶ) を下地に塗ること。錆塗り。

「龍白泉(とじる)」砥汁。砥石で金属を砥いだ際に出る汁、或いはそれを専ら売るために砥石を研いだ滓り汁。

「憲法染」黒茶色の地に小紋を染め出したもの。慶長(一五九六年~一六一五年)の頃に吉岡流(本来は室町後期に興隆した剣術の一流派。当主は憲法 (けんぼう) の名を世襲し、小太刀 (こだち) を得意とした。憲法流)四代目憲法 の考案という。「吉岡染め」とも。刀剣研ぎの過程で得たそれを、染め物に用いたものであろう。

「柘榴〔(ざくろ)の〕皮」フトモモ目ミソハギ科ザクロ属ザクロ Punica granatum の樹皮・根皮・果皮は広く漢方生薬(特に駆虫薬)として用いられてきた。

「五倍子」ウィキの「ヌルデ」によれば、ムクロジ目ウルシ科ヌルデ属ヌルデヌルデ(白膠木)Rhus javanica 或いは変種ヌルデ Rhus javanica var.chinensis の葉にカメムシ目アブラムシ上科アムラムシ科タマワタムシ亜科 Schlechtendalia 属ヌルデシロアブラムシSchlechtendalia Chinensisが寄生して形成される大きな虫癭(ちゅうえい:所謂、「虫瘤(むしこぶ)」)から抽出した染料、或いは漢方薬を言う語である。この虫癭には『黒紫色のアブラムシが多数詰まっている。この虫癭はタンニンが豊富に含まれており、皮なめしに用いられたり、黒色染料の原料になる。染め物では空五倍子色』(うつぶしいろ:やや褐色がかった淡い灰色)『とよばれる伝統的な色をつくりだす。インキや白髪染の原料になるほか、かつては既婚女性』及び十八歳以上の『未婚女性の習慣であったお歯黒にも用いられ』、『また、生薬として五倍子(ごばいし)あるいは付子(ふし)と呼ばれ、腫れ物、歯痛などに用いられた』とある(但し、猛毒のあるトリカブトの根も同じく「付子」で「ふし」と読むので混同しないよう注意を要する、と注意書きがある)。

「陳久〔(ちんきう)〕」古いもの。この場合は、再度、浸す龍泉水のことを指している。

「一宿」一晩。

「鐡漿染(かねそめ)」生の鉄を長く水に浸して出来る黒い汁(鉄漿)を用いて紺色に染めること。]

2021/05/20

「和漢三才圖會」巻第九十七「水草類」より「菰(まこも/はなかつみ)」

 

Makomo

 

まこも     茭草 蔣草

【音「孤」】 【和名「古毛」】

 はなかつみ  又云波奈加豆美

フウ

本綱菰生江湖陂澤水中葉如蒲葦輩刈以飼馬作薦春

末生白茅如筍謂之菰菜【又名茭白】生熟皆可啖甜美其中心

如小兒臂者謂菰手【又名蓮蔬】作菰首者非也其小者擘之

内有黒灰如墨者謂之鳥鬱人又食之其根又如蘆根而

[やぶちゃん注:「鳥」はママ。「烏」の誤字。訓読では訂した。]

相結而生久則并生浮於水上謂之菰葑刈去其葉便可

耕蒔又名葑田八月抽莖開花如葦結青子長寸許霜後

采之皮黑褐色其中子甚白滑膩是乃彫胡米也歲飢人

以當粮爲餅【甘冷】香脆【又出于殼類下】菰之種類皆極冷不可過

食之

 古今まこも苅淀の沢水雨ふれは常より殊に增さる我か戀貫之

 千載五月雨に淺かの沼の花かつみかつみるまに隱れ行哉顯仲

△按菰葉織薦卽稱古毛今多用稻藁織單薦又名古毛

 本出於菰薦也又用葉裹綜

烏鬱 用爲婦人黛甚良無之時用莖根燒灰亦佳又和

 油塗軟癤痕禿者能生毛髮

○やぶちゃんの書き下し文

まこも     茭草〔(かうさう)〕 蔣草〔(しやうさう)〕

【音「孤」。】 【和名「古毛〔(こmお)〕」。】

 はなかつみ  又、云ふ、「波奈加豆美」。

フウ

「本綱」に、『菰、江湖・陂澤〔(はたく)〕[やぶちゃん注:池沼の岸。]の水中に生ず。葉、蒲(がま)・葦(あし)の輩〔(うから)〕のごとし。刈りて、以つて、馬の飼〔(かひば)〕とし、〔また、〕薦(こもむしろ)に作〔(な)〕す。春の末に白〔き〕茅〔(ちがや)〕を生ず。筍〔(たけのこ)〕のごとし。之れを「菰菜〔(こさい)〕」と謂ふ。【又、「茭白〔(かうはく)〕」と名づく。】生〔(なま)にても〕熟〔しても〕、皆、啖〔(く)〕ふべし。甜〔(あま)〕く美なり。其の中心、小兒の臂〔(ひぢ)〕のごとくなる者、「菰手(こものて)」と謂ふ【又、「蘧蔬〔(きよそ)〕」と名づく。】「菰首」に作るは、非なり。其の小さき者、之れを擘(さ)けば、内に黒き灰〔の〕墨のごとき者、有り。之れを「烏鬱〔(ううつ)〕」と謂ふ。人、又、之れを食ふ。其の根、又、蘆(よし)の根のごとくにして、相ひ結びて生ず。久しきときは、則ち、并〔(あは)せ〕生じて、水上に浮かぶ。之れを「菰葑〔(こほう)〕」と謂ふ。其の葉を刈り去りて、便〔(すなは)ち〕、耕〔(たがや)し〕蒔くべし。又、「葑田〔(ほうでん)〕」と名づく。八月、莖を抽〔(ぬきんで)〕て、花を開くこと、葦のごとく、青〔き〕子〔(み)〕を結ぶ。長さ寸許り。霜の後、之れを采る。皮、黑褐色、其の中の子、甚だ白く、滑〔らかにして〕膩〔(つやや)か〕なり。是れ、乃(すなは)ち、「彫胡米〔(てうこべい)〕」なり。歲〔(とし)の〕飢うるときは、人、以つて粮に當つ。餅と爲〔せば〕【甘、冷。】香〔(かんば)し〕く、脆(もろ)し【又、「殼類」の下に出づ。】。菰の種類、皆、極冷なり。之れを食ふ〔こと〕過ぐるべからず。』〔と〕。

 「古今」まこも苅る淀の沢水雨ふれば

      常より殊に增さる我が戀貫之

 「千載」五月雨に淺かの沼の花かつみ

      かつみるまゝに隱れ行哉顯仲

△按ずるに、菰〔の〕葉、薦(むしろ)に織り、卽ち、「古毛〔(こも)〕」と稱す。今、多く、稻藁を用いて、單薦〔(ひとへのむしろ)〕を織るも、又、「古毛」と名づく。本(もと)、「菰薦」より出づればなり。又、葉を用いて、綜〔(ちまき)〕を裹〔(つつ)〕む。

烏鬱(こものすみ) 用いて、婦人の黛(まゆずみ)と爲す。甚だ良し。之れ、無き時は、莖・根を用いて灰に燒きても、亦、佳し。又、油を和し、軟--痕(はすねのあと)・禿(は)げたるに塗れば、能く、毛髮を生(はや)す。

[やぶちゃん注:挿絵は今まで通り、平凡社「東洋文庫」版のそれをトリミングして用いた。本篇は現在、「大和本草」で電子化注している「菰」の参考に附すために、急遽、電子化した。そちらで細かく注を施してあるので、こちらは和歌だけをあさあさと注することとする。そちらの注は期待を裏切らないだけの自信がある。

「まこも苅る淀の沢水雨ふれば常より殊に增さる我が戀」「古今和歌集」巻第十二「戀歌二」の紀貫之の一首(五八七番)、

 まこも苅る淀の澤水(さはみづ)雨ふれば

    常より殊(こと)に增(ま)さる我が戀

「まこも」の「ま」は美称の接頭語。「澤水」はここでは氾濫原の湿地のことで、その荒蕪地を、顧みられぬ自身に比喩したものであろう。

「五月雨に淺かの沼の花かつみかつみるまゝに隱れ行哉」「千載和歌集」巻第三「夏歌」の藤原顕仲の一首(一八〇番)だが、沼の名がおかしい。

   中院入道左大臣、中將に侍りける時、

   歌合(うたあはせ)し侍りけるに、

   五月雨(さみだれ)の歌とてよめる

 五月雨に淺澤沼(あさざはぬま)の花かつみ

    かつみるまゝに隱れ行くかな

である。「中院入道左大臣」は藤原(源)雅定。太政大臣源雅実の次男。彼が中将に補任されたのは、永久三(一一一五)年(右中将)で、保安三(一一二二)年に権中納言に昇格している。「淺澤沼」摂津の歌枕である住吉の浅沢沼。住吉大社の近くにあった沼。現在の同大社の摂社浅澤社附近(グーグル・マップ・データ)。なお、この「花かつみ」はマコモ説以外に花菖蒲とする説もあり、女の面影をそこに比喩するなら、花菖蒲の方が分がいい。]

2021/03/26

「和漢三才圖會」巻第五十六「山類」より「地獄」

 

Jigoku

 

ぢごく  捺落迦苦噐

     泥梨

地獄    有三類

     根本  近𨕙

テイヨツ 孤獨

 

根本乃八大地獄也其一一皆有十六謂之近邊共百三

十六地獄或爲二百七十二

 一頞部𨹔 二尼刺部𨹔 三頞唽吒 四臛臛婆

 五虎虎婆 六嗢鉢羅【一名青蓮華】 七鉢特摩【一名紅蓮華】

 八摩訶鉢特摩【一名大紅蓮華】

  以上被寒逼故謂之八寒

 一等活 二黑繩 三衆合 四嘷喚 五大嘷喚

 六焦熱 七大焦熱 八無間【一名阿鼻】

  以上被熱責故謂之八熱

右寒熱八大地獄謂之根本【共十六】各其四靣門外所在者

謂之近邊【其十六之外又有各十六則謂二百七十二者合數】

在山閒曠野空中及樹下等者謂之孤獨

△按地獄之所在不知何處而就字義入地部出名目耳

 日本有地獄皆高山頂常燒温泉不絕若肥前【溫泉】

 豊後【鸖見】肥後【阿蘓】駿河【富士】信濃【淺閒】出羽【羽黒】

 越中【立山】越乃【白山】伊豆【箱根】陸奥【燒山】等之頂㶡㶡

 燃起熱湯汪汪湧出宛然有焦熱修羅之形勢

 豊後【速見郡野田村】有名赤江地獄者十余丈正赤湯如血

 流至谷川未冷定處有魚常躍游亦一異也天竺中華

 高山皆有地獄不枚擧凡嵌地獄者不能浮出

 

○やぶちゃんの書き下し文

ぢごく  捺落迦〔(ならくか)〕・苦噐〔(くき)〕

     泥梨〔(ないり)〕

地獄    三類有り。

     根本  近𨕙〔(きんぺん)〕

テイヨツ 孤獨

 

「根本」、乃〔(すなは)〕ち、「八大地獄」なり。其の一つ一つに、皆、十六、有り。之を「近邊」と謂ふ。共に「百三十六地獄」、或いは「二百七十二」と爲す。

 一 頞部𨹔(あぶだ)

 二 尼刺部𨹔(にらぶだ)

 三 頞唽吒(あしやくだ)

 四 臛臛婆(かうかうば)

 五 虎虎婆(ここば)

 六 嗢鉢羅(をんはつら)【一名、「青蓮華〔(しやうれんげ)〕」。】

 七 鉢特摩(はつとくま)【一名、「紅蓮華」〔(ぐれんげ)〕】

 八 摩訶鉢特摩(まかはつとくま)【一名、「大紅蓮華」。】

  以上、寒に逼(せ)めらるる故に、之れを「八寒」と謂ふ。

 一 等活(とうくはつ)

 二 黑繩(こくじやう)

 三 衆合〔(しゆごう)〕

 四 嘷喚(けうくはん)

 五 大嘷喚(だいけうくわん)

 六 焦熱(せうねつ)

 七 大焦熱

 八 無間(むげん)【一名、「阿鼻〔(あび)〕」。】

  以上、熱に責めらるる故、之れを「八熱」と謂ふ。

右「寒・熱八大地獄」、之れを「根本」と謂ふ。【共に十六。】各々、其の四靣の門外に在る所の者、之れを「近邊」と謂ふ【其の十六の外に、又、各々、十六、有り。則ち、「二百七十二」と謂ふは、數に合ふ。】。

山閒・曠野の空中及び樹の下等に在る者、之れを「孤獨」と謂ふ。

△按ずるに、地獄の所在は何處〔(いづこ)〕おいふことを知らず。而〔して〕字義に就きて「地部」に入るれども、名目を出だすのみ。

 日本に「地獄」有り。皆、高山の頂(いたゞき)、常に燒け、温泉、絕へず[やぶちゃん注:ママ。]。肥前の【溫泉(うんぜん)[やぶちゃん注:漢字はママ。]】・豊後の【鸖見〔(つるみ)〕】・肥後【阿蘓。】・駿河【富士。】・信濃【淺閒。】・出羽【羽黒。】・越中【立山(たて〔やま〕)。】越乃(こしの)【白山(しら〔やま〕)。】伊豆【箱根。】陸奥【燒山〔(やけやま)〕。】等のごとき、頂、㶡㶡(くはくは)と燃(も)へ起り、熱湯、汪汪(わんわん)と湧(わ)き出で、宛然(さなが)ら、焦熱・修羅の形勢(ありさま)有り。

 豊後【速見郡野田村。】、「赤江地獄」と名づくる者、有り。十余丈、正赤(まかい[やぶちゃん注:ママ。])なる湯、血のごとく、流れて、谷川に至る。未だ冷定〔ひえさだまりも〕せざる處〔にも〕、魚、有りて、常に躍り游ぶ。亦た、一異なり。天竺・中華〔の〕高山に、皆、地獄、有り。枚擧せず。凡そ、地獄に嵌(はま)る者、浮(うか)び出ずること、能はず。

 

[やぶちゃん注:かなりの異体字が使用されており、表記不能なもの(「喚」は恐らくこれ(リンク先は「グリフウィキ」)。「頂」は〔(上)「山」+(下)「項」〕であるが、良安は経験上から「頂」を「項」と書く)は諸本と校合して確定した。挿絵がなかなか凝っていて、特異点でいい感じだ(私はあまり本書の挿絵には期待したことはない。魚介類などでは、ひどい描画もままあったからである)。閻魔庁で、獄卒の鬼に引き立てられて、鏡に生前の悪業が総て映写される「浄玻璃(じょはり)」の前に跪いている亡者だ。鏡の中の左側の男が生前の亡者に違いない。右手の男を襲って剣で刺し殺そうとしているかのように見える。右の男は旅姿であり、下に落ちているのは彼の三度笠。この亡者は山賊ででもあったのかも知れない。

「捺落迦〔(ならくか)〕」地獄のサンスクリット語は「ナラカ」で(「地下にある牢獄」を指す語)、漢音写には他に「奈落迦」「那落迦」「那羅柯」などがある。

「苦噐〔(くき)〕」「苦しみの容器」で意味からの「地獄」の漢訳語。

「泥梨〔(ないり)〕」「地獄」のサンスクリット語には別に同じ意義の「ニラヤ」があり、これはそちらの漢音写。

「根本」「婆沙論」などに見られる地獄の三分類の中の一つである「根本地獄」のこと。「根本地獄」は以下の等活・黒縄・衆合・叫喚(号叫とも。次も同じ)・大叫喚・焦熱(炎熱とも)・大焦熱(極熱)・無間の八大地獄を総称する呼称。

「近𨕙〔(きんぺん)〕」「𨕙」は「邊」(辺)の異体字。「近邊地獄」。前注の三分類の一つ。煻煨増・屍糞増地獄・鋒刃増地獄・烈河増地獄の四つに分けられ、この四地獄が、先の八大地獄のそれぞれの四方に孰れにも附属して存在する。故に一大地獄に十六増の近辺地獄、八大地獄に百二十八増の近辺地獄があることになり、これに根本の八地獄を合せると、総計百三十六地獄となる。

「孤獨」「孤獨地獄」。現世の山間・曠野・樹下・空中(良安の書き方は不全で、それらの空中と樹下にあるように読めてしまう)に忽然と現われる現在地獄を指す。私がこの「孤独地獄」を知ったのは、大学四年の一九七八年十月に入手した(父の知人の伝手で岩波書店本社で社員の方から一割引きで買った。裸でスズラン・テープで六巻ずつ縛られていて、神保町から中目黒まで素手でぶら下げて帰った。三日間、両手の指が血行不良で腫れ上がったのを思い出す)「芥川龍之介全集」をその日から一月ほどかけて通読したその時だった。芥川龍之介のズバり、「孤獨地獄」だ。若書きのもので、「鼻」の発表の二ヶ月後の大正五(一九一六)年四月発行の『新思潮』初出で、大見出し「紺珠十篇」のもとに「孤獨地獄」の標題で掲載され(目次は「孤獨地獄(小品)」)、後の作品集「羅生門」及び「鼻」に収録された。当時の私の日記に異様に感動した記載がある。「青空文庫」のこちらで読めるが、新字旧仮名である。これは正字で読まなくてはだめだ。そのうち、正字正仮名でサイトで草稿も添えて電子化注したい。その一節で龍之介はこう語る(青空文庫版を加工データとして使用し、旧全集で校訂した)。「自分」というのは登場人物の一人である禅僧「禪超」である。

   *

 佛說によると、地獄(ぢごく)にもさまざまあるが、凡(およそ)先(ま)づ、根本地獄、近邊地獄、孤獨地獄の三つに分つ事が出來(でき)るらしい。それも南瞻部洲下過五百踰繕那乃有其獄と云(い)ふ句があるから、大抵は昔から地下にあるものとなつてゐたのであらう。唯(たゞ)、その中で孤獨地獄だけは、山間曠野樹下空中、何處(どこ)へでも忽然として現(あらは)れる。云はば目前の境界(きやうかい)が、すぐそのまゝ、地獄の苦艱(くげん)を現前(げんぜん)するのである。自分は二三年前から、この地獄(じごく)へ墮ちた。一切の事が少しも永續(えいぞく)した興味を與へない。だから何時(いつ)でも一つの境界から一つの境界を追(お)つて生きてゐる。勿論それでも地獄は逃(のが)れられない。さうかと云つて境界を變(か)へずにゐれば猶、苦しい思をする。そこでやはり轉々(てんてん)としてその日その日の苦(くる)しみを忘れるやうな生活をしてゆく。しかし、それもしまひには苦しくなるとすれば、死んでしまふよりも外はない。昔は苦しみながらも、死ぬのが嫌(いや)だつた。今では……

   *

そして、最後に龍之介自身が以下のように語るのである。

   *

 安政四年頃の話である。母(はゝ)は地獄と云ふ語の興味(きようみ)で、この話を覺えてゐたものらしい。

 一日の大部分を書齋で暮(くら)してゐる自分は、生活の上から云つて、自分(じぶん)の大叔父やこの禪僧とは、全然沒交涉な世界(せかい)に住んでゐる人間(にんげん)である。又興味の上から云つても、自分は德川時代(とくがはじだい)の戲作や浮世繪に、特殊な興味を持(も)つてゐる者ではない。しかも自分(じぶん)の中にある或心もちは、動(やゝもす)れば孤獨地獄と云(い)ふ語(ことば)を介して、自分の同情を彼等(かれら)の生活に注がうとする。が、自分はそれを否(いな)まうとは思はない。何故と云へば、或意味で自分も亦(また)、孤獨地獄に苦しめられてゐる一人だからである。

           ――五年二月――

   *

この最後のクレジットが正しいとすれば、芥川龍之介は未だ満二十三歳である。この最後のメランコリックな告解は、二年前の大正三年秋の龍之介の初恋であった吉田彌生との外的な要因による破局が根にはある。しかし、後の芥川龍之介の自死に至る過程を知っている我々には、いわく言い難い凄絶な不吉な予言として響いてくるではないか?

「テイヨツ」現代中国語では「地獄は「dì yù」(ネイティヴの発音の音写は「ディー・ユゥー」といった感じである)。

『「二百七十二」と爲す』これは、後で良安が言っているように、八大地獄を「八寒地獄」と「八熱地獄」に分けて、先の「百三十六地獄」の倍するとなるから、『則ち、「二百七十二」と謂ふは、數に合ふ』というわけである。

「頞部𨹔(あぶだ)」八寒地獄の第一。寒さのあまり、鳥肌が立ち、身体に痘痕(あばた)を生じる。「痘痕」という語の語源自体が、この「あぶだ」に由来する。ウィキの「八大地獄」に拠った(以下同じ)。

「尼刺部𨹔(にらぶだ)」八寒地獄の第二。鳥肌が潰れ、全身に皸(あかぎれ)が生じる。

「頞唽吒(あしやくだ)」上記リンク先では、「頞哳吒(あたた)地獄」とある。八寒地獄の第三。名は、寒さによって「あたた!」という悲鳴を挙げること由来する。これは以下の「虎虎婆」まで共通である。「頞」は現代中国語では「è」(ウーァ)、「唽」は「」(シィー)、「吒」は「zhā」(ヂァ)である。

「臛臛婆(かうかうば)」上記リンク先では、「臛臛婆(かかば)地獄」とある。八寒地獄の第四。寒さのあまり、舌がもつれて動かず、「ははば!」(引用元のママ)という声しか出ない。しかし、「臛」は現代中国語では「huò」(フゥオ)で、「婆」は「」(ポォー)である。

「虎虎婆(ここば)」八寒地獄の第五。寒さのあまり、口が開かず、「ふふば」という声しか出ない。「虎」は現代中国語で「」(フゥー)で一致する。

「嗢鉢羅(をんはつら)【一名、「青蓮華〔(しやうれんげ)〕」。】上記リンク先では、「嗢鉢羅(うばら)地獄」とある。八寒地獄の第六。嗢鉢羅は「青い睡蓮」を意味するサンスクリット「utpala-」の音写。全身が凍傷のためにひび割れ、青い蓮のように、めくれ上がることから「青蓮地獄」(引用のママ)とも呼ばれる。

「鉢特摩(はつとくま)【一名、「紅蓮華」〔(ぐれんげ)〕】」同前で「鉢特摩(はどま)地獄」とする。意訳で「紅蓮地獄」(引用のママ)とも呼ばれる八寒地獄の第七。鉢特摩(はどま)は「蓮華」を意味するサンスクリット「padma-」の音写。ここに落ちた者はひどい寒さにより、皮膚が裂けて流血し、紅色の蓮の花に似るという。

「摩訶鉢特摩(まかはつとくま)【一名、「大紅蓮華」。】」同前で「摩訶鉢特摩(まかはどま)地獄」とする。意訳で「大紅蓮地獄」(引用のママ)とも呼ばれる八寒地獄の第八。八寒地獄で最も広大で、「摩訶」は「大」を意味するサンスクリット「mahā-」の音写。ここに落ちた者は、紅蓮地獄を超える寒さにより、体が折れ裂けて流血し、紅色の蓮の花に似るという。

「等活(とうくはつ)」堕獄理由は殺生(せっしょう)。「想地獄」の別名がある。徒らに生き物の命を断った者が堕ち、螻(けら)・蟻・蚊(か)・虻(あぶ)の小さな虫を殺した者も、懺悔しなければ、必ず、この地獄に堕ちると説かれている。また、生前争いが好きだった者や、反乱で死んだ者もここに堕ちるとされる。閻浮提(地上の人間界)の地下一千由旬にあって、縦横の広さは斉等で一万由旬ある。『この中の衆人たちは互いに害心を抱き、自らの身に備わった鉄の爪や刀剣などで殺し合うという。そうでない者も獄卒に身体を切り裂かれ、粉砕され、死ぬが、涼風が吹いて、また獄卒の「活きよ、活きよ」の声で等しく元の身体に生き返る、という責め苦が繰り返されるゆえに、等活という』。但し、『この「死んでもすぐに肉体が再生して何度でも責め苦が繰り返される」現象は、他の八大地獄や小地獄にも共通することである』。『この地獄における衆人の寿命は』五百『歳である』が、地獄のそれは『通常の』五百『歳ではなく、人間界の』五十『年を第一四天王(四大王衆天)の一日一夜とした場合の』五百『年が等活地獄の一日一夜であり、それが』五百『年にわたって続くので、人間界の時間に換算すると』、一兆六千六百五十三億千二百五十万年に亙って『苦しみを受けることになる』(一年を三百六十五日とした換算。以下も同様)。『しかし、それを待たず』、『中間で死ぬ者もいる。そこにいる衆生の悪業にも上中下の差別があるので、その命にもまた上中下の差別がある。業の多少・軽重に応じて、等活地獄の一処だけで』受けるか、『もしくは二処、三処、四処、五処、六処と、最後は十六処まで』、『悪業が尽きるまで苦痛を受ける。この一処、二処というのが、十六小地獄を順番に回っていくことなのか、それとも時間の区切りなのかは判然としない』とある。ウィキの「八大地獄」に拠った(以下同じ)。

「黑繩(こくじやう)」罪状は殺生・偸盗(ちゅうとう)盗『殺生のうえに』『盗みを重ねた者がこの地獄に堕ちると説かれている』。『等活地獄の下に位置し、縦横の広さは等活地獄と同じである(以下、大焦熱地獄まで広さは共通)。獄卒は罪人を捕らえて、熱く焼けた鉄の地面に伏し倒し、同じく熱く焼けた縄で身体に墨縄をうち、これまた熱く焼けた鉄の斧もしくは鋸(のこぎり)でその跡にそって切り、裂き、削る。また』、『左右に大きく鉄の山がある。山の上に鉄の幢(はたほこ)を立て、鉄の縄をはり、罪人に鉄の山を背負わせて縄の上を渡らせる。すると罪人は縄から落ちて砕け、あるいは鉄の鼎(かなえ)に突き落とされて煮られる。この苦しみは、先の等活地獄の苦しみよりも』十『倍である。人間界の』百『年は、六欲天の第二の忉利天(とうりてん)の一日一夜である。その忉利天の寿命は』一千『歳である。この天の寿命』一千『歳を一日一夜とし』たそれで、『人間界の時間では』十三兆三千二百二十五億年に相当する。『ここにも十六小地獄があるはずだが、「正法念処経」には三種類の名前しか伝わっていない』とある。

「衆合〔(しゆごう)〕」罪状は殺生・偸盗・邪淫。「堆圧地獄」の別名がある。『先の二つに加えて淫らな行いを繰り返した者が落ちる』。『黒縄地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。多くの罪人が、相対する鉄の山が両方から崩れ落ち、圧殺されるなどの苦を受ける。剣の葉を持つ林の木の上に美人が誘惑して招き、罪人が登ると今度は木の下に美人が現れ、その昇り降りのたびに罪人の体から血が吹き出す』(これは私の好きな地獄でこの林は「刀葉林」と呼ばれる)。『鉄の巨象に踏まれて押し潰される』。人間の』二百『歳を第三の夜摩天の一日一夜として、さらにその』二千『年をこの地獄の一日一夜として、この地獄での寿命は』二千歳『という。これは人間界の時間に換算すると』、百六兆五千八百億年に相当する。因みに「東洋文庫」の訳ではこれに「しゅうごう」とルビが振られている。「あり得ません。誤りですよ!」。

「嘷喚(けうくはん)」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒。「飲酒」というのは、ただ酒を飲んだり、売買した者ではなく、『酒に毒を入れて人殺しをしたり、他人に酒を飲ませて悪事を働くように仕向けたりすることなどが叫喚地獄に堕ちる条件』とされる。『衆合地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。熱湯の大釜や猛火の鉄室に入れられ、号泣、叫喚する。その泣き喚き、許しを請い哀願する声を聞いた獄卒はさらに怒り狂い、罪人をますます責めさいなむ。頭が金色、目から火を噴き、赤い服を着た巨大な獄卒が罪人を追い回して弓矢で射る。焼けた鉄の地面を走らされ、鉄の棒で打ち砕かれる』。『人間の』四百『歳を第四の兜率天の一日一夜とする。その兜率天の』四千『年を一日一夜として、この地獄における寿命は』四千『歳という。これは人間界の時間で』八百五十二兆六千四百億年に相当する。

「大嘷喚(だいけうくわん)」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語(噓をつくこと)。『叫喚地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。叫喚地獄で使われる鍋や釜より大きな物が使われ、更に大きな苦を受け叫び喚(な)く』。『人間の』八百『歳は、第五の化楽』(けらく)『天の一日一夜として、寿』八千『歳という。その』八千『歳を一日一夜として、この地獄での寿命は』八千『歳である。これは人間界の時間で』六千八百二十一兆千二百億年に相当する。各地獄に十六の小地獄が附属すると言ったが、『理由は不明』だが、この「大叫喚地獄」のみは十八『種類の名が伝わっている』とある。しかし、そうすると、総数に異同が生じることとなるが?

「焦熱(せうねつ)」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見(仏教の教えとは相容れない考えを説き、或いはそれを実践すること)。『大叫喚地獄の下に位置し、その』十『倍の苦を受ける。常に極熱で焼かれ焦げる。赤く熱した鉄板の上で、また鉄串に刺されて、またある者は目・鼻・口・手足などに分解されて』、『それぞれが炎で焼かれる。この焦熱地獄の炎に比べると、それまでの地獄の炎も雪のように冷たく感じられるほどであり、豆粒ほどの焦熱地獄の火を地上に持って来ただけでも地上の全てが一瞬で焼き尽くされるという』。『人間界の』千六百『歳は、他化自在天の一日一夜として、その寿』一万六千『歳である。その』一万六千『歳を一日一夜として、この地獄での寿命は』一万六千『歳という。これは人間界の時間で』五京四千五百六十八兆九千六百億年に相当する。

「大焦熱」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人(尼僧・童女などへの強姦)。『焦熱地獄の下に位置し、前の』六『つの地獄の一切の諸苦に』十『倍して重く受ける。また』、『更なる極熱で焼かれて焦げる。その炎は最大で高さ』五千『由旬、横幅』二百『由旬あるという。罪人の苦しみの声は地獄から』三千『由旬離れた場所でも聞こえる。この地獄に落ちる罪人は、死の三日前から中有(転生待ち)の段階にも地獄』(この地獄はどこの地獄なのかなあ?)『と同じ苦しみを受ける』。『この地獄における寿命は、人間界の』三千二百『歳を一日一夜とした場合の』三万二千『歳を一日一夜として』三万二千『歳であり、人間界の時間では』四十三京六千五百五十一兆六千八百『億年に当たる。また、この期間を半中劫とも呼ぶ』とある。

「無間(むげん)【一名、「阿鼻〔(あび)〕」。】」罪状は殺生・偸盗・邪淫・飲酒・妄語・邪見・犯持戒人に加えて、父母や阿羅漢(聖者)を殺害した罪。『地獄の最下層に位置する。大きさは前の』七『つの地獄よりも大きく、縦横高さそれぞれ』二『万由旬』(八万由旬とも)。『最下層』であるため、『この地獄に到達するには、真っ逆さまに(自由落下速度で)落ち続けて』二千年『かかるという。前の七大地獄並びに別処の一切の諸苦を以て一分として、大阿鼻地獄の苦』の一千『倍もあるという。剣樹、刀山、湯などの苦しみを絶え間』『なく受ける。背丈が』四『由旬』もあり、六十四個の『目を持ち』、『火を吐く奇怪な鬼がいる。舌を抜き出されて』百『本の釘を打たれ、毒や火を吐く虫や大蛇に責めさいなまれ、熱鉄の山を上り下りさせられる。これまでの』七『つの地獄でさえ、この無間地獄に比べれば夢のような幸福であるという』。『この地獄における寿命は、人間界の』六千四百『歳を一日一夜とした場合の』六万四千『歳を一日一夜として』六万四千『歳であり、人間界の時間では』三百四十九京二千四百十三兆四千四百億年に相当する。『また、この期間を一中劫とも呼ぶ』。『この一中劫の長さに関する説明としては、「この人寿無量歳なりしが』、百『年に一寿を減じ、また』、百『年に一寿を減ずるほどに、人寿』十『歳の時に減ずるを一減という。また』十『歳より』、百『年に一寿を増し、また』、百『年に一寿を増する程に』、八『万歳に増するを一増という。この一増一減の程を小劫として』、二十『の増減を一中劫という」とする表現』があることから、『これは人間界の年月に換算すると』三億千九百九十六万年となる』とある。『また、一説によると、この地獄における寿命は、人間界の』八千『歳を一日一夜とした場合の』八『万歳を一日一夜として』八『万歳とも言われ』、『この場合は人間界の時間で』六百八十二京千百二十『兆年に相当する計算になる。いずれにせよ、この地獄に落ちた者は気が遠くなるほどの長い年月にわたって、およそ人間の想像を絶する最大の苦しみを休みなく受け続けなければならない』。『この他、一中劫の長さを表す喩えとしては、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な正方形の石を』、百『年に一度ずつ柔らかな木綿の布で軽く払い、その繰り返しで石がすり減って完全になくなるまでの時間である」とか、「縦横高さがそれぞれ一由旬の巨大な城にケシ粒がぎっしり詰まっており、その中から』百『年に一粒ずつ』、罌粟(けし)『粒を取り出していって、城の中の』罌粟『粒が完全になくなるまでの時間である」などとも言われる。この地獄に堕ちたる者は、これほど久しく無間地獄に住して大苦を受くという』とある。最後に言っておくと、以上の通り、仏教は極めて細かく数理的に規定されているものの、その現在の度量衡換算は一定しない。

「肥前の【溫泉(うんぜん)】」現在の長崎県雲仙市小浜町雲仙にある雲仙岳(グーグル・マップ・データ航空写真。以下同じ)。標高九百十一メートル。この「うんぜん」を「溫泉」と表記するのは誤りではなく、しばしば行われたもののようで、先般電子化した譚海 卷之四 肥前國溫泉ケ嶽の事」でもそうなっている。

「豊後の【鸖見〔(つるみ)〕】」これは大分県別府市にある活火山鶴見岳のことで、東側山麓の扇状地に「別府地獄」で知られる別府温泉(別府八湯)が広がる。標高千三百七十五メートル。

「阿蘓」阿蘇山。

「越乃(こしの)【白山(しら〔やま〕)。】」この場合の「越乃」は講義の北陸地方で、ここでは加賀を指す。現在の石川県白山市と岐阜県大野郡白川村に跨る標高二千七百二メートルの活火山白山(はくさん)。西山麓の石川県白山市白峰にある「白峰温泉」が知られる。

「陸奥【燒山〔(やけやま)〕。】」秋田県の北東部に位置し、鹿角市と仙北市との境界にある活火山秋田焼山(あきたやけやま)であろう。標高は千三百六十六メートル。西麓に強烈な酸性温泉である玉川温泉がある。私は一泊したが、柔らかな皮膚部分に激しい痛みを感じ、まともに入浴することが出来なかった。

「㶡㶡(くはくは)」不詳。光を放って燃え上がるさまか。

「汪汪(わんわん)」ここは熱湯が豊かにいつまでも湧き出し、常時、湛えられているさまを指す。

『豊後【速見郡野田村。】、「赤江地獄」と名づくる者、有り』大分県別府市大字野田にある温泉が湧出する池で、現在は「血の池地獄」という名で知られ、国の名勝に指定されている。サイド・パネルの画像を見られたい。現存する最も古い記録は八世紀前半に編纂された「豊後国風土記」の「速見郡」の項にある。岩波文庫(一九三七年刊)武田祐吉編「風土記」より引く。

   *

赤湯泉(あかゆ)【郡の西北にあり。】

この溫泉の穴、郡の西北の竈門山(かまどやま)に在り。その周(めぐ)り十五丈許なり。湯の色赤くして埿(ひぢ)り。用(も)ちて屋の柱を塗るに足れり。埿(ひぢ)、外に流れ出づれば、變りて淸水(しみづ)と爲り、東を指して下り流る。因りて赤湯泉(あかゆ)といふ。

   *

「十五丈」は四十五・四九メートル。これだと、現在の大きさ(一辺が約四十五メートルの三角形の「おむすび」型を成す)より小さいが、一辺十五丈ならば、ほぼ同じである。この最後の部分は「別府温泉地球博物館」公式サイトの「血の池地獄」を参考にした。

「正赤(まかい)なる湯」こういう読みは始めてみたが、意味は「真っ赤」で判る。

「一異」一つの不思議。

「枚擧せず」ここではそれらをいちいち挙げない。

「地獄に嵌(はま)る者、浮(うか)び出ずること、能はず」これは良安の確信犯のシンボライズされた教訓であろう。彼が如何なる信仰を持っていたかは判らぬが。しかし――さればこそ――最後に引用しよう。芥川龍之介の「侏儒の言葉」からだ――

   *

 

       地獄

 

 人生は地獄よりも地獄的である。地獄の與へる苦しみは一定の法則を破つたことはない。たとへば餓鬼道の苦しみは目前の飯を食はうとすれば飯の上に火の燃えるたぐひである。しかし人生の與へる苦しみは不幸にもそれほど單純ではない。目前の飯を食はうとすれば、火の燃えることもあると同時に、又存外樂樂と食ひ得ることもあるのである。のみならず樂樂と食ひ得た後さへ、腸加太兒の起ることもあると同時に、又存外樂樂と消化し得ることもあるのである。かう云ふ無法則の世界に順應するのは何びとにも容易に出來るものではない。もし地獄に墮ちたとすれば、わたしは必ず咄嗟の間に餓鬼道の飯も掠め得るであらう。況や針の山や血の池などは二三年其處に住み慣れさへすれば格別跋渉の苦しみを感じないやうになつてしまふ筈である。

 

   *

引用は『芥川龍之介「侏儒の言葉」(やぶちゃん合成完全版 附やぶちゃん注釈) 地獄』より。]

2021/03/25

「和漢三才圖會」巻第五十八「火類」より「靈䰟火(ひとだま)」

 

Hitodama

 

ひとたま 人䰟火

靈䰟火

 

△按靈魂火頭團匾其尾如杓子樣而長色青白帶微赤

 徐飛行去地髙三四丈遠近不定堕而破失光如煑爛

 麩餅其堕處小黒蟲多有之形似小金龜子及鼓蟲未

 知何物也偶有自身知魂出去者曰物出於耳中而不

 日其人死或過旬余亦有矣凡死者皆非魂出也畿内

 繁花地一歲中病死人不知幾万人也然人魂火飛者

 十箇年中唯見一兩度耳【近年聞大坂三四箇墓所葬年中髙大槪二万人許他處

 亦可以推量也】

  玉は見つ主は誰ともしらねとも

        結ひとゝめん下かへのつま

[やぶちゃん注:和歌は前行末に約四字空けて一行で示されているが、ブラウザでの不具合を考えて、改行して引き上げ、さらに上句と下句を分かち書きにした。]

 拾芥抄云見人䰟時吟此歌可結所著衣裙【男左女右】

 

○やぶちゃんの書き下し文

ひとだま 「人䰟火」。

靈䰟火

 

△按ずるに、靈魂火〔(ひとだま)〕は頭、團(まる)く匾(ひらた)く、其の尾、杓子〔(しやくし)〕樣〔(やう)〕のごとくにして、長く、色、青白、微赤を帶ぶ。徐(しづ)かに飛行〔(ひぎやう)〕し、地を去ること、髙さ、三、四丈、遠近、定まらず。堕ちて、破(わ)れ、光を失ふ。煑爛(〔に〕ただ)れたる麩餅〔(ふもち)〕のごとく、其の堕つる處に、小さき黒き蟲、多く、之れ、有り。形、小さき金龜子(こがねむし)及び鼓蟲(まひまひむし)に似〔るも〕、未だ、何物といふことを知らざるなり。偶(たまた)ま、自身、魂(たま)、出で去るを知る者、有りて、曰はく、

「物、耳の中より、出づる。」

と。日ならずして、其の人、死す。或いは、旬余(とうかあま)り過ぐるも、亦、有り。凡(すべ)て、死する者、皆、魂〔(たましひ)〕、出づるに非ざるなり。畿内繁花の地、一歲の中〔(うち)〕、病死する人、幾万人といふことを知らず。然るに、人魂の火、飛ぶは、十箇年の中、唯だ、一兩度を見るのみ。【近年、大坂、三、四箇の墓、葬ふる所の年中の髙〔(たか)〕を聞くに、大槪、二万人許りなり。他處〔(よそ)〕も亦、以つて推量すべきなり。】

  玉は見つ主〔(しゆ)〕は誰〔(たれ)〕ともしらねども

        結びとゞめん下かへのつま

 「拾芥抄〔(しふがいせう)〕」に云はく、『人䰟〔(ひとだま)〕を見る時、此の歌を吟じて、著る所の衣の裙(つま)を結ぶべし。』と。【男は左、女は右。】。

 

[やぶちゃん注:冒頭から一気に良安のオリジナルな解説に入り、恐らくは、概ね、自身の体験や資料によって語って、最後に人魂による災厄封じの和歌を引用して終わるというのは、少なくとも今まで私が電子化注した「和漢三才図会」の諸記事の中では、特異点中の特異点である。しかも、そこでは冷静な人魂観察の実体験が記されてあり、そこでは落下して破裂して消え、その消失した地面には、コガネムシ或いはカタツムリに似ているが、知っているそれらでは決してない奇妙な黒い虫が数多く蠢いていた、という未確認生物の目撃証言附きなのだ! これは人魂の目撃記載でも出色のリアリズムと言える! さらには、人魂が身体から抜けていった(幽体離脱)と述べた直話の人物が、ほどなく亡くなったという発言、逆に、魂が抜けたという証言が本人や周囲からあっても、十日余りも生きていたという事例を挙げた上で、「人が死ぬ場合、誰もが霊魂が抜けて(少なくとも可視的な)人魂となるわけではない」として、その証拠に、「私は今までの人生の中で実際に人魂を見たのは、ただの二度しかない」と述べ、畿内の都市部だけでも一年の間に病死する者の数は幾万人とも知れない。近年の当時の大坂(寺島良安は大坂城入医師で法橋であった)の幾つかの墓地の年平均の、正式に葬送された死者の数の総数を照会したところが、たった一年でも約二万人であった(こんな調査を真面目にした人物は後にも先にもそういるもんじゃあるまい)。他の地方も推して知るべしで、人魂が必ず死者から一つ出るとしたた、それこそ我々は毎日、数え切れぬほどの人魂を目撃しているはずだと、ミョーに現実主義的なキビしー批判を加えているのもまことに興味深いのである。片や、動植物の解説では平気で、「無」からそれらが生成したり、山芋が鰻に変ずるような化生説を平気で大真面目に述べている良安先生が、である。面白い! 実に、面白い! なお、「ひとだま」「人魂」は語としては非常に古くからある。「万葉集」の第第十六の巻末に「怕(おそろ)しき物の歌三首」の掉尾の一首(三八八九番)が、

   *

 人魂の

   さ靑なる君が

  ただ獨り

    逢へりし雨夜(あまよ)の

   葉非左し思ほゆ

   *

「葉非左」は難訓でよく判らないが「はひさ」という人の名ととっておく。

「團(まる)く匾(ひらた)く」玉の部分は丸いが、球体ではなく、平たい円盤なのである。

「髙さ、三、四丈」約九メートルから十二メートル。かなり高い。

「煑爛(〔に〕ただ)れたる麩餅〔(ふもち)〕のごとく」落ちた状態の物理的な様子ではなく、弾けて落下して光を失うまでの、その様子は、麩で作った非常に柔らかい餅菓子が解けてぐにゃぐにゃになったような感じであったということであろう。

「其の堕つる處に、小さき黒き蟲、多く、之れ、有り。形、小さき金龜子(こがねむし)及び鼓蟲(まひまひむし)に似〔るも〕、未だ、何物といふことを知らざるなり」これは非常に重要な証言である。場所がどこであったのか、その虫の正確な形状を良安が記していないのは非常に不審である。せめても、死骸を採取しておくべきだった。本書で動物類の細かな記載をしている彼にして、大いに不満である。まあ、きっと、本書を企画する前の、若き日のやんちゃな時代の経験だったのだろう、と好意的にとっておく。

『「物、耳の中より、出づる。」と。日ならずして、其の人、死す』って、何らかの重篤な脳の疾患だったんではなかろうか?

「拾芥抄」正しくは「拾芥略要抄」。南北朝時代の類書で、実用生活便覧とも言える百科事典のようなもの。当初は全三巻であったらしいが、後に増補されて六巻本となった。編者は洞院公賢 (とういんきんかた) とする説と、洞院実煕 (さねひろ) とする説があるが、公賢原編・実煕増補とみる説が有力。但し、実煕以後の記事も含まれていることから、順次、増補されてきたものと思われる。内容は九十九部門に分かれ、生活百般・文芸・政治関係その他と、凡そ貴族として生活していくために必要な最低限の知識・教養を簡単に解説したものである。室町時代に最も重宝がられたが、江戸時代にも広く使われた。国立国会図書館デジタルコレクションのここに当該部を見つけた。

   *

見人魂時歌

 玉ハミツ主ハタレトモシラ子トモ結留メツシタカヱノツマ

 誦此歌結所著衣妻【云男ハ左ノシタカヒノツマ云女ハ同右ノツマヲ

   *

但し、この歌は、もっとずっと昔の平安後期の保元年間(一一五六年~一一五九年)頃に公家で六条家流の歌人の藤原清輔が著した歌論書「袋草紙」に、既に、霊魂が憬(あくが)れ出でてゆくのを鎮め留(とど)める咒(まじな)いの古い呪歌として記載されてある。鎮魂歌であり、古来より、人魂や霊的な対象に遭遇した際、この歌を三誦し、男は左、女は右の褄を結んでおき、三日経った後、これを解くという風習があったことに由るといわれている。]

「和漢三才圖會」巻第五十八「火類」より「㷠」(燐・鬼火)

 

Onibi

 

おにひ   燐【俗字】 鬼火

㷠【音鄰】

 

本綱云 田野燐火人及牛馬兵死者血入土年久所化皆

精靈之極也其色青狀如炬或聚或散來迫奪人精氣

但以馬鐙相戛作聲卽滅故張華云 金葉一振遊光斂色

△按螢火常也狐火亦不希鼬鵁鶄蜘蛛皆有出火凡霡

 霖闇夜無人聲則燐出矣皆青色而無焰芒也

 比叡山西麓毎夏月闇夜㷠多飛於南北人以爲愛

 執之火疑此鵁鶄之火矣七条朱雀道元火河州平岡

 媼火等古今有人口相傳是亦鳥也然未知何鳥也

 

○やぶちゃんの書き下し文

おにび   燐【俗字。】。鬼火。

㷠【音、「鄰」。】

 

「本綱」に云はく、『田野の燐火、人、及び、牛馬の兵、死する者の血、土に入りて、年久〔しくして〕化す所。皆、精靈〔(しやう)りやう〕の極みなり。其の色、青く、狀〔(かたち)〕、炬(たいまつ)のごとし。或いは聚(あつ)まり、或いは散じ、來〔たり〕迫(せま)りて人の精氣を奪ふ。但〔ただ〕、馬の鐙(あぶみ)を以つて、相ひ戛(う)つて聲を作〔(な)〕すときは、卽ち、滅(き)ゆる。故に張華が云ふ、「金葉、一たび、振るつて、遊光、色を斂(をさ)む」と』と。

△按ずるに、螢火は常なり。狐火も亦、希(まれ)ならず。鼬(いたち)・鵁鶄(ごいさぎ)・蜘蛛、皆、火を出〔(いだ)〕すこと、有り。凡そ、霡霖(こさめふ)り、闇夜〔にして〕、人聲、無きときは、則ち、燐〔(おにび)〕、出づ。皆、青色にして、焰-芒(ほのほ)無し。

比叡山、西の麓、毎夏月、闇夜、㷠〔(おにび)〕、多く、南北に飛ぶ。人、以つて「愛執の火」と爲す。疑ふらくは、此れ、鵁鶄の火ならん。七条・朱雀の「道元の火」、河州平岡の「媼(うば)が火」等、古今、人口に有り。相ひ傳ふ、「是れも亦、鳥なり」と。然れども、未だ何鳥というふことを知らざるなり。

[やぶちゃん注:ウィキの「鬼火」の「考察」によれば、『目撃証言の細部が一致していないことから考えて』、『鬼火とは』、『いくつかの種類の怪光現象の総称(球電』(雷の電気によって生じる放電(電光)現象の一種で、雷雨の後などに赤く輝くボール状の発光体が固定物に沿ってか、或いは中空を飛ぶようにゆっくり移動するもの。極めて稀れで、発生機序もよく解明されていない)・『セントエルモの火』(St. Elmo's fire:雷雨や嵐の夜、避雷針・風向計・船のマストなどのように地表からの突起物に観察される持続的な弱い放電現象(コロナ放電)。この名は、嘗て地中海の船人が、船乗りの守護聖人「セント・エルモ」(St.Elmo:エラスムスErasmusの訛り)の加護のしるしであると考えたことに由る。通常は青若しくは緑色を呈し、時に白や紫色のこともある。頭上に積乱雲が来て、放電が強くなると、「シュー、シュー」という音がすることもある)『など)と考えられる。雨の日によく現れることから、「火」という名前であっても単なる燃焼による炎とは異なる、別種の発光体であると推察されている』。『注目すべきは』、『昔はそんなに珍しいものでもなかったという点である』(私の父は敗戦後すぐの縄文遺跡調査の折り、神流川上流の山村で、向かいの山に狐火を見ており、私の母も戦前の幼少の頃、墓地で光るそれを見、歯科医であった父から「あれは燐が燃えているだけだ」と教えられていた。私は残念なことに鬼火を見たことはない)。『紀元前の中国では、「人間や動物の血から燐や鬼火が出る」と語られていた。当時の中国でいう「燐」は、ホタルの発光現象や、現在でいうところの摩擦電気も含まれており、後述する元素のリンを指す言葉ではない』。『一方の日本では、前述の』「和漢三才図会」の『解説によれば、戦死した人間や馬、牛の血が地面に染み込み、長い年月の末に精霊へと変化したものとされていた』。「和漢三才図会」刊行から一世紀後の十九世紀以降の『日本では、新井周吉の著書』「不思議弁妄」を『始めとして「埋葬された人の遺体の燐が鬼火となる」と語られるようになった。この解釈は』一九二〇年代(大正九年から昭和四年)『頃まで支持されており、昭和以降の辞書でもそう記述されているものもある』。『発光生物学者の神田左京はこれを』、一六九六『年にリンが発見され、そのリンが人体に含まれているとわかったことと、日本ではリンに「燐」の字があてられたこと、そして前述の中国での鬼火と燐の関係の示唆が混同された結果と推測している』。『つまり死体が分解される過程でリン酸中のリンが発光する現象だったと推測される。これで多くの鬼火について一応の説明がつくが、どう考えてもリンの発光説だけでは一致しない証言もかなり残る』。『その後も、リン自体ではなくリン化水素のガス体が自然発火により燃えているという説、死体の分解に伴って発生するメタンが燃えているという説、同様に死体の分解で硫化水素が生じて鬼火の元になるとする説などが唱えられており、現代科学においては放電による一種のプラズマ現象によるものと定義づけられることが多い』。『雨の日に多いということでセントエルモの火(プラズマ現象』(plasma。「電離気体」。固体・液体・気体に次ぐ物質の第四の状態で、狭義のそれは、気体を構成する分子が電離し、陽イオンと電子に分かれて運動している状態であり、電離した気体に相当する)『)と説明する学者もいる。物理学者・大槻義彦もまた、こうした怪火の原因がプラズマによるものとする説を唱えている』。『さらに真闇中の遠くの光源は止まっていても暗示によって動いていると容易に錯覚する現象が絡んでいる可能性も』あろう。『いずれの説も一長一短がある上、鬼火の伝承自体も前述のように様々であることから、鬼火のすべてをひとつの説で結論付けることは無理がある』。『また、人魂や狐火と混同されることも多いが、それぞれ異なるとする説が多い一方、鬼火自体の正体も不明であるため、実のところ区別は明確ではない』とある。また、本篇を紹介し、『松明の火のような青い光であり、いくつにも散らばったり、いくつかの鬼火が集まったりし、生きている人間に近づいて精気を吸いとるとされる』。『また』、『同図会の挿絵からは、大きさは直径』二=三センチメートルから、二十~三十『センチメートルほど』で、『地面から』一~二『メートル離れた空中に浮遊すると推察されている』。『根岸鎮衛による江戸時代の随筆耳嚢巻之十「鬼火の事」にも、箱根の山の上に現れた鬼火が、二つにわかれて飛び回り、再び集まり、さらにいくつにも分かれたといった逸話が述べられている』とする。これは私の「耳嚢 巻之九 鬼火の事」を見られたい。以下、『現在では、外見や特徴にはさまざまな説が唱えられている』として、その外観は、『前述の青が一般的とされるが』、『青白、赤、黄色のものもある』。『大きさも、ろうそくの炎程度の小さいものから、人間と同じ程度の大きさのもの、さらには数メートルもの大きさのものまであ』り、その出現する数は、一個か二個しか『現れないこともあれば、一度に』二十個から三十『個も現れ、時には数え切れないほどの鬼火が一晩中、燃えたり消えたりを繰り返すこともある』。出没時期は、『春から夏にかけて』で、『雨の日に現れることが多』く、出没場所は、『水辺などの湿地帯、森や草原や墓場など、自然に囲まれている場所によく現れるが、まれに街中に現れることもある』とし、『触れても火のような熱さを感じないものもあれば、本物の火のように熱で物を焼いてしまうものもある』と属性を記す。以下、「鬼火の種類」を引く。『鬼火の一種と考えられている怪火に、以下のようなものがある。これらのほかにも、不知火、小右衛門火、じゃんじゃん火、天火といった鬼火がある』『(詳細は内部リンク先を参照)。狐火もまた、鬼火の一種とみなす説があるが、厳密には鬼火とは異なるとする意見もある』として、各地の個別例を挙げる。「遊火(あそびび)」は『高知県高知市や三谷山で、城下や海上に現れるという鬼火。すぐ近くに現れたかと思えば、遠くへ飛び去ったり、また一つの炎がいくつにも分裂したかと思えば、再び一つにまとまったりする。特に人間に危害を及ぼすようなことはないという』。「いげぼ」は『三重県度会郡での鬼火の呼称』。「陰火(いんか)」は『亡霊や妖怪が出現するときに共に現れる鬼火』。「風玉(かぜだま)」は『岐阜県揖斐郡揖斐川町の鬼火。暴風雨が生じた際、球状の火となって現れる。大きさは器物の盆程度で、明るい光を放つ』。明治三〇(一八九七)『年の大風』の際には、『山から』、『この風玉が出没し』、『何度も宙を漂っていたという』。「皿数え(さらかぞえ)」は妖怪画集で知られる鳥山石燕の「今昔画図続百鬼」にある怪火で、『怪談で知られる』「番町皿屋敷」の『お菊の霊が井戸の中から陰火となって現れ、皿を数える声が聞こえてくる様子を描いたもの』、「叢原火・宗源火(そうげんび)」は同じ石燕の「画図百鬼夜行」にある『京都の鬼火』で、『かつて壬生寺地蔵堂で盗みを働いた僧侶が仏罰で鬼火になったものとされ、火の中には僧の苦悶の顔が浮かび上がっている』。『江戸時代の怪談集』「新御伽婢子」にも『この名が』出る。「火魂(ひだま)」は『沖縄県の鬼火。普段は台所の裏の火消壷に住んでいるが、鳥のような姿となって空を飛び回り、物に火をつけるとされる』。「渡柄杓(わたりびしゃく)」は『京都府北桑田郡知井村(のちの美山町、現・南丹市)の鬼火。山村に出没し、ふわふわと宙を漂う青白い火の玉。柄杓のような形と伝えられているが、実際に道具の柄杓に似ているわけではなく、火の玉が細長い尾を引く様子が柄杓に例えられているとされる』。知られた「狐火(きつねび)」は、『様々な伝説を産んできた正体不明の怪光で、狐が咥えた骨が発光しているという説がある。水戸の』茨城町を中心に県内外で活躍した民俗研究家更科公護(きみもり)氏は、『川原付近で起きる光の屈折現象と説明している』。『狐火は、鬼火の一種とされる場合もある』とする。

「㷠」は「燐」の小篆に基づく字体のようである。

『「本綱」に云はく……』良安の評言の前までを総て引用としたが、実際には「本草綱目」の記載はもっと乏しい。巻六の「火部」の内の「陽火隂火」の中の一節「野外之鬼燐」で(「本草綱目」ではこの「火部」は特異的に全体の記載も少ない)、

   *

野外之鬼燐【其火色靑其狀如炬或聚或散俗呼鬼火或云諸血之燐光也】

(野外の鬼燐【其の火の色、靑く、其の狀ち、炬のごとし。或いは聚まり、或いは散ず。俗に「鬼火」と呼ぶ。或いは云ふ、「諸血の燐光なり」と。】)

   *

流石に、良安もあまりにもしょぼくらしいと感じたものか、文字列で中文サイトで調べると、

同じ「本草綱目」の巻八の「金石部」の「馬鐙」の「主治」に、

   *

田野燐火、人血所化、或出或沒、來逼奪人精氣、但以馬鐙相戛作聲卽滅。故張華云「金葉一振、遊光斂色【時珍。】。

(田野の燐火、人血の化する所、或いは出でて、或いは沒し、來たり逼まりて、人の精氣を奪ふに、但だ、馬の鐙を以つて相ひ戛(かつ)して聲を作(な)さば、卽ち、滅す。故に「張華」云はく、「金葉、一たび、振るひて、遊光、色を斂(をさ)む」と【時珍。】。

   *

と相同部分があるのを見つけた。これをカップリングしたのである。

「張華」晋(二六五年~四二〇年)の名臣(呉を伐つに功あって最高職である三公の一つである司空に任ぜられた)で、学者でもあった張華(二三二年~三〇〇年)。彼が撰した博物誌「博物志」は散逸しているものの、「本草綱目」に見るように、多くの本草書に引用されて残っており、これがまた、非常に面白い内容を持つ。

「金葉」古代中国に於ける鐙は専ら馬に乗るためのもので、そこは木の葉のような楕円を成し、当初より金属製であった。

「鼬(いたち)」日本固有種食肉(ネコ)目イヌ亜目イタチ科イタチ亜科イタチ属ニホンイタチ(イタチ)Mustela itatsi は、本邦の民俗社会では、古くから、狐狸同様に人を化かすとされていたので妖火とは親和性が強くイタチの群れは火災を引き起こすとされ、イタチの鳴き声は不吉の前兆ともされてきた。「和漢三才図会巻第三十九 鼠類 鼬(いたち) (イタチ)」の本文と私の注を参照されたい。

「鵁鶄(ごいさぎ)」本来は「五位鷺」であるから、歴史的仮名遣は「ごゐさぎ」が正しい。ペリカン目サギ科サギ亜科ゴイサギ属ゴイサギ Nycticorax nycticorax であるが、彼らが発光するというのは、怪奇談の中では極めてメジャーなもので、疑似怪談も私の蒐集した怪奇談では枚挙に暇がない。私が最初に扱ったものでは、「耳囊 卷之七 幽靈を煮て食し事」である(ここでは眼が光ったのであって、発光の説明はつく)。サギ類は目が光り、また、白色・青白色の翼は他の外光がなくても、闇夜でもぼんやりと見え、それはあやしいもやもやの光りのように感ぜられることはある。それにしても、サギが妖光を放つことは、かなり古くから言い伝えられているから、或いは彼らの摂餌生物に発光性物質を含むものがいるか、胴体への何らかの発光物質(プランクトンやバクテリア)が附着する可能性も範疇に入れておく必要があると私は考えている。但し、私は有意に光る鷺を現認したことはない。「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鵁鶄(ごいさぎ)」にも光るとする記載があるので参照されたい。

「蜘蛛」私自身、経験があるが、大型種の場合、真っ暗に見える部屋でも、複数の眼が光ることは確かである。また、クモ類の出す糸には紫外線を反射する性質があり、僅かな可視光線でも夜中でも容易に光る(花弁は紫外線を反射する性質を有し、それを頼りとして多種の昆虫はそこに群がるように仕組んである。ある種のクモ類はこれを逆手にとって、紫外線を反射する糸で、幾何学的で綺麗な模様の巣を作り、それを花と錯覚させて、虫を誘き寄せて捕食している(因みにクモ類の眼もチョウやガなどと同じく紫外線を見ることが出来る)。

「霡霖(こさめふ)り」「霡」は「小雨」、「霖」は本来は「三日以上降り続く長雨」。本来はこの熟語(漢語)も「長雨」を指すが、次義で「小雨」の意もある。

『比叡山、西の麓、毎夏月、闇夜、㷠〔(おにび)〕、多く、南北に飛ぶ。人、以つて「愛執の火」と爲す』この伝承は他に確認出来ない。場所が場所だけに、破戒僧のそれかとも考えてしまう私がいる。

『七条・朱雀の「道元の火」』私の「柴田宵曲 妖異博物館 怪火」を参照。

『河州平岡の「媼(うば)が火」』「河内平岡」は現在の大阪府東大阪市枚岡(ひらおか)地区かと思われる。非常に古くは「平岡」と書いた。私の「諸國里人談卷之三 姥火」を参照。類似の怪火で火の中に老婆の顔があるというキョワい妖火が、同じく「柴田宵曲 妖異博物館 怪火」に出る。

「人口に有り」世間の人が、多く語っており、メジャーであるというのある。

 

 因みに、私のサイトや、このブログの「鬼火」は、私の偏愛するフランスの作家ピエール・ウジェーヌ・ドリュ・ラ・ロシェル(Pierre Eugène Drieu La Rochelle 一八九三年~一九四五年)の‘Le Feu Follet ’(「消えゆく炎」:一九三一年発表)及びそれを原作とした大好きなルイ・マル監督の‘LE FEU FOLLET ’(映画邦訳題「鬼火」)に基づくものであって、何ら、関係は、ない。――私の魂は鬼火にさえならぬ――]

2021/03/24

「和漢三才圖會」巻第十四「外夷人物」より「飛頭蠻」

 

Hitouban

 

ろくろくび

      俗云轆轤首

飛頭蠻

三才圖會云大闍婆國中有飛頭者其人目無瞳子其頭

能飛其俗所祠名曰蟲落因號落民漢武帝時因※國使

[やぶちゃん注:「※」=「忄」+(「遅」-「辶」)。「三才圖會」原本でも同じ。「東洋文庫」版では「稺」とする。]

南方有解形之民能先使頭飛南海左手飛東海右手飛

西澤至暮頭還肩上兩手遇疾風飄於海水外

南方異物志云嶺南溪峒中有飛頭蠻項有赤痕至夜以

耳爲翼飛去食蟲物將曉復還如故也

搜神記載呉將軍朱桓一婢頭能夜飛

太平廣記云飛頭獠善鄯之東龍城之西南地廣千里皆

爲鹽田行人所經牛馬皆布氊臥焉其嶺南溪洞中徃徃

有飛頭者而頭飛一日前頸有痕匝項如紅縷妻子看守

之其人及夜狀如病頭忽離身而去乃于岸泥尋蠏蚓之

類食之將曉飛還如夢覺其實矣

△按以上數說有異同闍婆國中所有之種類乎而其國

 中人不悉然也於中華日本亦間謂有飛頭人者虛也

 自一種異人而已

 

○やぶちゃんの書き下し文

ろくろくび

      俗に云ふ、「轆轤首(ろくろくび)」。

飛頭蠻

「三才圖會」に云はく、『大闍婆國(だいじやばこく)の中、頭を飛ばす者、有り。其の人、目に瞳子(ひとみ)無く、其の頭、能く飛ぶ。其の俗、祠(まつ)る所、名づけて「蟲落」と曰ふ。因りて、「落民」と號す。漢の武帝の時、因※國〔(いんちこく)〕[やぶちゃん注:「※」=「忄」+(「遅」-「辶」)。「三才圖會」原本でも同じ。「東洋文庫」版では「稺」とする。]、南方に使ひす。解形の民、有り、能く、先づ、頭をして南海に飛ばしむ。左の手は東海に飛び、右の手は西澤に飛ぶ。暮れに至りて、頭、肩の上に還る。兩の手、疾風に遇へば、海水の外に飄(ひるがへ)る。』と。

「南方異物志」に云はく、『嶺南の溪峒の中に「飛頭蠻」有り。項(うなじ)に赤き痕(あと)有り。夜に至りて、耳を以つて、翼(つばさ)と爲し、飛び去り、蟲物を食ふ。將に曉(あけ)なんと〔せば〕、復た還りて故(もと)のごとし。』と。

「搜神記」に載(の)す。『呉將軍朱桓〔(しゆこう)〕が一婢(つかひもの)の頭、能く、夜、飛ぶ。』と。

「太平廣記」に云はく、『飛頭獠〔ひとうりやう〕は善鄯〔(ぜんぜん)〕の東、龍城の西南の地、廣さ千里、皆、鹽田たり。行人〔(かうじん)〕、經〔(へ)〕る所、牛馬、皆、氊〔(まうせん)〕を布(し)いて臥す。其の嶺南の溪洞の中に、徃徃〔わうわう〕、飛頭の者、有りて、頭の飛ぶ一日前に、頸(くびすぢ)、痕(きず)有りて、項(うなじ)を匝(めぐ)る〔こと〕紅き縷(すぢ)のごとし。妻子、看て、之れを守る。其の人、夜に及びて、狀、病(や)めるがごとくして、頭、忽ち、身を離れて、去る。乃〔(すなは)〕ち、岸泥に于(おい)て、蠏〔(かに)〕・蚓〔(みみず)〕の類を尋〔(もと)〕めて、之れを食ふ。將に曉けんと〔せば〕、飛び還りて夢の覺(さ)めたるがごとくにして、其れ、腹、實〔(み)〕つ。』と。

△按ずるに、以上の數說、異同有り。闍婆國の中に有る所の種類か。而〔れども〕、其の國中の人、悉く然るにはあらざるなり。中華・日本に於いて、亦、間(まゝ)、「飛頭人、有り」と謂ふ者は、虛(うそ)なり。自(みづか)ら一種の異人〔たる〕のみ。

[やぶちゃん注:所謂、「ろくろ首」でその起原はご覧の通り、中国「原産」である。本邦のそれは首がにょきにょきと伸びるのであるが、中華のそれは、切れて飛ぶのがオーソドックス。但し、切れた双方の断面は丸太のようなつるんとしたものらしく、その中央(推定)に糸のようなものが連絡して胴と首の間を繋げているとも言われる。それを見つけて、胴体を少しでも元の場所から移動させると、頭は永久に戻って接合合体することが不可能になるというのも、かなり一般的なお約束である。私の怪奇談には枚挙に暇がないのだが、私の注も含めて博物学的書誌学的によく纏まっているのは、まず、「柴田宵曲 妖異博物館 轆轤首」で、また、私がかなり注を拘った怪談物では、「古今百物語評判卷之一 第二 絕岸和尚肥後にて轆轤首見給ひし事」が参考になろう。そうして忘れてはならぬのが、「小泉八雲 ろくろ首  (田部隆次訳) 附・ちょいと負けない強力(!)注」である。恐らく、この怪異を世界的に日本の話として知らしめた功績は、これに尽きると言ってよい。是非、孰れも目を通されたい。失望させない自身はしっかりある。

「三才圖會」は絵を主体とした明代の類書。一六〇七年に完成し、一六〇九年に出版された。王圻(おうき)とその次男王思義によって編纂されたもので、全百六巻。本寺島良安の「和漢三才図会」はそれに倣ったもので、それを標題とするが、本草関係の記載は、概ね、明の李時珍の「本草綱目」に拠るものが殆んどである。引用は「人物第十二卷」の「大闍婆國」で、こちらこちら(国立国会図書館デジタルコレクションの原本画像)だが、飛頭蛮は後者での記載のみであり、前の図版は同国の民を描いてあるだけで、頭が飛ぶ姿は描かれていない。期待されて失望されるのは困るので、一言言い添えておく。

「大闍婆國(だいじやばこく)」インドネシアを構成する一島であるジャワ島(グーグル・マップ・データ。以下同じ)のこと。イスラム国家があった。

「祠(まつ)る所」祀っている対象の神。

「蟲落」この場合は、具体な昆虫ではなく、人に災いや病気を齎す禍々しい対象(本邦の「疳の虫」のような具合に)を「蟲」と名指しているものであろう。それに、飛頭蛮が虫類を捕食してくれるという伝承が類感したに過ぎまい。東南アジアには、飛翔する女性の首の邪悪な妖怪がいると信じられていると読んだことがあり、そうしたものとの親和性(本邦の御霊信仰と同等)もあるかも知れない。

「落民」「首が落ち離れる人」の謂いであろう。

「漢の武帝の時」在位は紀元前一四一年から同八七年。

「因※國〔(いんちこく)〕」(「※」=「忄」+(「遅」-「辶」)。「三才圖會」原本でも同じ。「東洋文庫」版では「稺」とする)不詳。「東洋文庫」訳の割注には、『西域にあったらしい国』とする。

「解形の民」自分の人体を自由に分離させることが出来る人間の意。

「海水の外に飄(ひるがへ)る」戻ることが出来なくなって、海の上に浮かんで漂流してしまう、の意。

「南方異物志」唐の房千里銭撰。一巻。

「嶺南」現在の広東省及び広西チワン族自治区の全域と湖南省・江西省の一部に相当する広域を指す。この附近

「溪峒」渓谷の洞窟。

「項(うなじ)に赤き痕(あと)有り」実はこれが江戸時代の多くのいわれなき「轆轤首」イジメの一因であった。普通の人より撫で肩で、首が少し長く見える女性や、首の咽頭部辺りに少し濃い目の筋があったり、体質的にその筋が赤みを帯びて目立つ場合、「あの娘はろくろっ首だ!」という噂を立てたがったのである。実際にそうした疑似怪談が結構ある。そうした一本に私の「耳囊 卷之五 怪病の沙汰にて果福を得し事」というハッピー・エンドの話がある。見られたい。

「搜神記」六朝時代、四世紀の晋の干宝の著になる志怪小説集。神仙・道術・妖怪などから、動植物の怪異・吉兆・凶兆の話等、奇怪な話を記す。著者の干宝は有名な歴史家であるが、身辺に死者が蘇生する事件が再度起ったことに刺激され、古今の奇談を集めて本書を著したという。もとは 三十巻あったと記されているが、現在伝わるものは系統の異なる二十巻本と八巻本である。当時、類似の志怪小説集は多く著わされているが、本書はその中でも、比較的、時期も早く、歴史家らしい簡潔な名文で、中国説話の原型が多く記されており、後の唐代伝奇など、後世の小説に素材を提供し、中国小説の萌芽ということが出来る。先のリンクの後の二つで当該話の電子化と訓読をしてあるので参照されたい。話はもっとちゃんとしていて、首が離れた胴体の観察も記されてあるのである。

「呉將軍朱桓」[やぶちゃん注:孫権の下で将軍を務めた。「三国志」に伝が載る。

「一婢」一人の下女。

「太平廣記」宋の李昉(りぼう)ら十三名が編した類書(百科事典)。全五百巻。九七八年成立。太宗の勅命によって正統な歴史にとられない古来の野史・小説その他の説話を集め、内容によって神仙・女仙・道術・方士等、実に九十二項目に分類配列されてある。同前で先のリンクの後の二つ参照。

「飛頭獠」この「獠」は「獰猛な・凶悪な」の意味や「狩をする(犬)」などの意がある。しっくりくる意味である。

「善鄯」これは恐らく「鄯善」の転倒である。所謂、かの、中央アジアのタリム盆地のタクラマカン砂漠北東部(現在の新疆ウイグル自治区チャルクリク)あった都市国家楼蘭である。紀元前七七年に漢の影響下で国名を「鄯善」と改称している。

「龍城」「東洋文庫」割注に、『現在の熱河』(ねっか)『省朝陽県』とある。これは旧省名で、現在では、現在の河北省・遼寧省及び内モンゴル自治区の交差地域に相当する。「ジェホール」の呼び名がよく知られる。現在の遼寧省朝陽県はここだが、ここで言っているのはもっと西方でないとおかしいが、以下の数値でOKだ。

「千里」宋代の一里は五百五十二・九六メートル。五百五十三キロメートル。

「行人」旅人。

「經〔(へ)〕る所」通過した時の風景の描写。

「嶺南」ここは一般名詞の「山脈の南」と採る。

「岸泥」河川・池沼の岸辺の潟。

「腹、實〔(み)〕つ」腹はいっぱいになっている。怪奇談のリアリズムのキモの部分。というか、首が食ったカニやミミズは恐らく何らかの超自然のシステムによって、空間移動をして腹に入るとするのが面白かろう。

「闍婆國の中に有る所の種類か」この良安の考証はそれぞれの引用の場所が南北に複数ばらついているのであるから、不全である。「それぞれの国や地域の中に、そうした頭を分離して飛ばすことが出来る特別な人間がいるのか?」でなくてはおかしい。

『中華・日本に於いて、亦、間(まゝ)、「飛頭人、有り」と謂ふ者は、虛(うそ)なり。自(みづか)ら一種の異人〔たる〕のみ』という言説は良安にして「よくぞ、言って呉れました!」と快哉を叫びたくなる。動植物類で彼は安易に化生説を唱えているのを考えると、ここでは非常に賛同出来る科学的な見解を述べているからである。]

2021/03/20

ブログ・カテゴリ「和漢才図会抄」始動 /「和漢三才圖會」巻第六十「玉石類」「珊瑚」

 

[やぶちゃん注:私は既に江戸前・中期の医師寺島良安(承応三(一六五四)年~?:生まれは出羽能代(一説に大坂高津とも)生まれの商人の子とされる。後に大坂に移って、伊藤良立・和気仲安の門人となり、医学・本草学を学んだ。後にこの業績が評価され、大坂城入りの医師となり、法橋に叙せられた。この間、明代の医学の影響を受けた著書を多く刊行した。その最晩年の事蹟は不明であるが、享保(一七一六年~一七三六年)の頃に没したとされる)の主著である正徳二(一七一二)年に刊行した類書(百科事典)「和漢三才圖會」(「和」は「倭」とも表記する。全三百巻から成り、明の類書「三才圖會」(明の一六〇九年に刊行された王圻(おうき)とその次男王思義によって編纂された。全百六巻)の分類・構成を参考にして執筆された本邦初の絵入り百科事典である。但し、本草部は、概ね、明の李時珍の「本草綱目」を基礎記載を用いている。本文は漢文体であるが、丁寧に訓点が打たれてある。私は本書を偏愛しており、サイトで「和漢三才圖會」の水族(海藻・海草・淡水藻の他に菌類・菌蕈類・蘚苔類・地衣類・シダ類等を含む)の部全七巻、

卷第四十五 龍蛇部 龍類 蛇類

卷第四十六 介甲部 龜類 鼈類 蟹類

卷第四十七 介貝部

卷第四十八 魚類 河湖有鱗魚

卷第四十九 魚類 江海有鱗魚

卷第五十  魚類 河湖無鱗魚

卷第五十一 魚類 江海無鱗魚

及び、

卷第九十七 水草部 藻類 苔類

を、以下、一部を除いてブログで動物部の、

卷第三十七 畜類

卷第三十八 獸類

巻第三十九 鼠類

卷第四十  寓類 恠類(これはサイト版)

卷第四十一から巻第四十四 禽部

卷第五十二から巻第五十四 蟲部

を、実に十二年半かけてオリジナル電子化訓読注をし終えている。しかし、いろいろな電子化注をする中で、これは必要と思われるものを注の中で電子化することも多く、また、注が長くなるために、それを見送るケースもたまにあった。そこで、そうした部分電子化(巻ごと全部ではなく)を、独立して、気軽に電子化するために、このブログ・カテゴリ「和漢三才図会抄」を始動することにした。

 本文テキストの底本は一九九八年刊の大空社版CD-ROM「和漢三才図会」を用いた。但し、本文中に用いた各項目の画像データは、当該底本に発行者による著作権主張表記があるので、平凡社一九八七年刊の東洋文庫訳注版「和漢三才図会」が所載している美麗な画像を取り込んだものを用いている(一部の汚損等に私の画像補正を行っている)。なお、これについては文化庁の著作権のQ&A等により、保護期間の過ぎた絵画作品の複製と見做され(特に新たに描画したという記載は当該本にはない)、著作権は認められないと判断するものである(これに従えば、大空社版CD-ROM「和漢三才図会」もそれに相当するから、実際には使用して問題はないが、汚損のない「東洋文庫」版を用いることとする。言っておくと、私は大空社版の画像を使ったことは、一度も、ない)。

 最初に訓点を除去した本文を示し(改行も一致させる。判読出来ない場合は、国立国会図書館デジタルコレクションの明三五(一九〇二)年中外出版社刊で校合した。正字か略字か判断に迷った場合は正字とした。二行目以降の一字字下げは無視した)、次にそれを書き下したものを後に載せ、最後に語注を附す。訓読文では、読みは、良安の振ったものは( )で示し、一部の難読と思われる箇所を〔( )〕で添え、本文の不全と判断した箇所には〔 〕で私が添えた字を示した。但し、送り仮名等は以上の電子化で良安の癖を十全に理解しているため、かなり自由に添えてある。ネット上には幾らでも原本画像があるので、そちらと対照されたい。

 まずは、水族の補填のための「和漢三才圖會」巻第六十「玉石類」の「珊瑚」から始める。]

 

Sango

 

さごじゆ   鉢擺娑福羅【梵書】

珊瑚【山乎】

サンフウ

Saogotenn

[やぶちゃん注:古い字体で表現出来ないので、「東洋文庫」から画像でトリミングした。]

本綱珊瑚生南海又從波斯國及師子國來生海底五七

株成林作枝柯狀居水中直而軟也見風日則曲而硬變

紅色者爲上中多有孔亦有無孔者枝柯多者更難得亦

有黑色者取之人乘大舶堕鐵綱於水底先人没水以鐡

發其根繫綱于舶上絞而出之失時不取則腐蠹但生於

海者爲珊瑚生於山者爲琅玕

珊瑚【甘平】去目翳消宿血爲末吹鼻止鼻衂今人用爲㸃眼

筯【俗云眼棒】治目翳

△按珊瑚淺紅色鮮明者稱阿媽港之產上也深赤者號

血玉下品也共大者希大抵作佩幐緖鎭玉其重一二

錢目至三四錢目者最奇也凡中齒試之眞者音鏗鏘

僞者音如柔今以鯨牙齒作玉形用紅花汁煮之熟時

入梅醋少許則色染入鮮明又以鹿角作玉用紅花汁

染成者僞之僞也

青珊瑚 枝柯不異珊瑚而正青色是疑琅玕矣

猩猩石 南京玉也紅色似珊瑚而肌理濃

 

○やぶちゃんの書き下し文

さごじゆ   鉢擺娑福羅(ハヒシヤフラ)【梵書。】

珊瑚【〔音〕「山乎〔(さんご)〕」。】

サンフウ

「本綱」に、『珊瑚、南海に生ず。又、波斯(ハルシヤ)國及び師子〔(シシ)〕國より來たる。海底に生じて、五、七株、林を成し、枝柯〔(しか)〕の狀〔(かたち)〕を作〔(な)〕す。水中に居るときは、直(すぐ)にして軟(やはら)かなり。風・日を見るときは、則ち、曲(まが)りて、硬(かた)し。紅色に變ずる者を、上と爲す。中に、多く、孔〔(あな)〕有り。亦、孔、無き者〔も〕有り。枝柯多き者、更に得難し。亦、黑色なる者、有り。之れを取るに、人、大舶〔(おほぶね)〕に乘り、鐵の綱を水底に堕(をろ)し、先づ、人、水に没して、鐡を以つて、其の根を發(をこ)し、綱を舶の上に繫(つな)ぎ、絞(しぼ)りて之れを出だす。時を失して、取らざるときは、則ち、腐(くち)て蠹(むしく)う[やぶちゃん注:ママ。]。但し、海に生ずる者を珊瑚と爲し、山に生ずる者を琅玕〔(らうかん)〕と爲す。』と。

珊瑚【甘、平。】 目の翳(かゝりもの)を去り、宿血を消す。末と爲して、鼻に吹けば、鼻衂〔(はなぢ)〕を止む。今人、用ひて、眼に㸃ずる筯(はし)と爲す【俗に云ふ、「眼棒」。】。目の翳を治す。

△按ずるに、珊瑚は、淺紅色の鮮明(あざや)かなる者を「阿媽港(アマカワ)の產」と稱し、上なり。深赤なる者、「血玉」と號〔(なづ)け〕、下品なり。共に、大なる者、希れにして、大抵、佩幐(きんちやく)〔の〕緖鎭玉(をじめ〔だま〕)に作る。其の重さ、一、二錢目より、三、四錢目に至る者、最も奇なり。凡そ、齒に中〔(あ)〕てて、之れを試むるに、眞なる者は、音、鏗-鏘(さやか)なり。僞れる者は、音、柔(やはら)かなるがごとし。今、鯨の牙齒を以つて、玉の形に作り、紅(べに)の花〔の〕汁を用ひて、之れを煮、熟する時、梅醋を少し許り入るるときは、則ち、色、染-入(しみこ)みて、鮮明なり。又、鹿角を以つて玉に作り、紅花汁を用ひて染め成す者は、僞(にせ)の僞(いつはり)なり。

青(せい)珊瑚 枝柯、珊瑚に異ならずして、正青色。是れ、疑ふらくは「琅玕〔(らうかん)〕」ならん。

猩猩石(しやうじやうせき) 南京玉なり。紅色。珊瑚に似て、肌理〔(きめ)〕、濃(こまや)かなり。

 

[やぶちゃん注:サンゴ類。刺胞動物門 Cnidaria 花虫綱 Anthozoa の内で、有意な石灰質の骨格を形成する種類の総称。現生種は、

花虫綱八方サンゴ亜綱ヤギ目サンゴ科 Coralliidae

及び、

花虫綱六放サンゴ亜綱 Hexacoralli

に含まれるものが殆んどである。詳しくは昨日公開した『「大和本草卷之三」の「金玉土石」類より「珊瑚」 (刺胞動物門花虫綱 Anthozoa の内の固い骨格を発達させるサンゴ類)』の私の注を参照されたい。以下、色違いの珊瑚が出るが、特に種同定はしない。悪しからず。

「さごじゆ」ママ。

「鉢擺娑福羅(ハヒシヤフラ)【梵書。】」「本草綱目」の巻八の「金石之一」の「珊瑚」の「釋名」に「鉢擺娑福羅【梵書。】」と出る。古代サンスクリットの漢音写。

「サンフウ」「珊瑚」は現代中国音で「shān hú」(シァン・フゥー)。

「波斯(ハルシヤ)國」ペルシャ。

「師子〔(シシ)〕國」旧セイロン、現在のスリランカ。

「枝柯」本来は「木の枝」の意。「柯」は「枝」に同じか、或いは「枝」よりも太いものを言うように思われる。

「風・日を見るときは」風波や太陽光の影響を受ける浅い海中に生ずる時は。

「綱」一貫して「綱」と記すが、太い鉄製の索繩に、細かな鉄の網を附けたものの謂いととっておく。

「琅玕」これは引用された「本草綱目」の「珊瑚」の前に示されてある。『「大和本草卷之三」の「金玉土石」類より「珊瑚」 (刺胞動物門花虫綱 Anthozoa の内の固い骨格を発達させるサンゴ類)』の注で書いたが、「大和本草」では、この「珊瑚」の後に「靑琅玕」として条立てしており、その「大和本草」の「靑琅玕」では、漢籍でも、その起原を海産と主張する者、陸産(陸地或いは山中から出土)する者の意見の錯綜が記されてあり、珊瑚由来とする説もあって、益軒も困って、陸・海ともに産するのが妥当であろうと終わっている。しかし、現在、少なくとも、本邦では「翡翠石」(ヒスイ)の最上質のもの、或いは「トルコ石」又は「鍾乳状孔雀石」或いは青色の樹枝状を呈した「玉滴石」と比定するのが妥当と考えられている(個人サイト「鉱物たちの庭」の「ひすいの話6-20世紀以降の商名と商流情報メモ」に拠った)から、私はそこでは珊瑚との関係性を認めないこととした。但し、「靑琅玕」の中には、日中ともに珊瑚が一部で含まれていた可能性は極めて高いとは思われ、実は「和漢三才図会」でも、まさにこの「珊瑚」の次に「琅玕」が載り、その挿絵は殆んど珊瑚なのだが、やはり良安もこちらは山中に産するものであるとしている。

「目の翳(かゝりもの)」白内障・緑内障・視野狭窄などを指すが、これは多分に鮮やかな色彩からの類感呪術的な処方と考えられる。

「宿血」体内に残留して種々の悪さを働く古い血の謂いであろう。

「末」粉末。

「筯(はし)」『俗に云ふ、「眼棒」』。ごく細い棒状に削って、それに珊瑚の粉末を附け、眼球に点眼するということであろうか。

「阿媽港(アマカワ)」マカオ。

「佩幐(きんちやく)〔の〕緖鎭玉(をじめ〔だま〕)」「佩幐」(おびぶくろ)は古代の旅行具で、保存食の乾飯(糒(ほしいい))などを入れて、腰に附けるように作った携帯用の袋を指す。ここはその口の止め具に珊瑚を飾ったものででもあろう。ファッションというよりも、一種の緊急糧物への邪気除けとしてであると私には思われる。

「一」「錢」は重量単位。一千匁が一銭。明治になって 一貫と同じで正確に三・七五キログラムに定義されたが、良安の謂いも、それと同じとは私には思われない。「東洋文庫」は同グラム数で示してある。

「青(せい)珊瑚 枝柯、珊瑚に異ならずして、正青色。是れ、疑ふらくは「琅玕〔(らうかん)〕」ならん」先の非海産物の出土宝石とするなら、それを珊瑚に似せて加工したものであろう。

「猩猩石(しやうじやうせき)」「南京玉」人工的に赤色に染色した陶製及びガラス製(こちらは「蜻蛉(とんぼ)玉」(トンボの複眼に喩えた)とも呼ぶ)の小さいビーズ(beads)のことであろう。]

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