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カテゴリー「和漢三才図会抄」の18件の記事

2022/09/02

「和漢三才圖會」卷第二十一「兵器 征伐」の内の「長脚鑚」

「和漢三才圖會」卷第二十一「兵器 征伐」の内の「長脚鑚」

[やぶちゃん注:〔○○〕や〔→○○〕は、表字・訓読が不完全で私がより良いと思う表字・訓読、或いは送り仮名が全くないのを補填したものを指す。]

 

Sasumata

 

[やぶちゃん注:キャプションは、右から「鐵把(ツクボウ)」・「長脚鑚(サスマタ/コトヂ)」・「狼牙棒(モジリ)」。「ジ」はママ。]

 

さすまた    長脚鑚

ことぢ     【左須末太

長脚鑚     又琴桂棒】

        鐵把

        【今云釚棒】

        狼牙棒

        【今云毛知利】

三才圖會有長脚讃鐵把狼牙棒之圖曰植釘於上如狼

牙者名狼矛棒又無刄而鉤者曰鐵抓

△按長脚鑚有叉可以挾敵【曰剌叉】形似琴柱【故名古止之】鐵

 把今云釻棒也鐵抓今云熊手【詳于農具項】狼牙棒今云錑

 棒也以上關守門番必用之不强傷抮捕以徽索可虜

 

   *

 

さすまた    「長脚鑚〔(ちやうきやくさん)〕」。

ことぢ     【「左須末太〔(さすまた)〕」。

長脚鑚     又、「琴桂棒〔ことじぼう〕」。】

        「鐵把〔(てつは)〕」。

        【今、云ふ、「釚棒〔(つくぼう)〕」。】

        「狼牙棒〔(らうが)〕」。

        【今、云ふ、「毛知利〔(もぢり)〕」。】

「三才圖會」、「長脚讃」・「鐵把」・「狼牙棒」の圖、有りて、曰はく、『釘を上に植ゑ、狼の牙のごとき者、「狼矛棒〔(らうむぼう)〕」と名づく。又、刄〔(は)〕無くして、鉤(ひつか)くる者、「鐵抓〔(てつさう)〕」と曰ふ。』と。

△按ずるに、「長脚鑚」は、叉(また)有りて、以つて、敵を挾む【「剌叉(さすまた)と曰ふ。】。形、琴柱(ことぢ)に似たり【故に「古止之」と名づく。】。「鐵把」は、今、云ふ「釻棒(つく《ぼう》)」なり。「鐵抓」は、今、云ふ「熊手」〔なり〕【「農具」の項に詳らかなり。】。「狼牙棒」は、今、云ふ「錑り〔→(もぢ)り〕棒」なり。以上、關守・門番、必〔(かならず)〕、之れを用ふ。强〔(しひ)〕て傷せず、抮捕〔(ねじりとらへ)〕、徽索(はやなわ[やぶちゃん注:ママ。])を以つて虜(いけど)るべし。

 

[やぶちゃん注:「三才圖會」本書が明の李時珍の「本草綱目」以上に引用・体裁を意識した絵を主体とした類書(百科事典)。明の一六〇七年に完成し、二年後の一六〇九年に出版された。王圻(おうき)と、その次男の王思義によって編纂された。全百六巻。本篇の指示するそれは、「器用」第六巻及び八巻。国立国会図書館デジタルコレクションの原本で、「長脚讃」と「鐵把」はここ(後者は「鐵扒」(「扒」(音「ハツ」は「搔く」の意)となっているのがそれであろう)、「狼牙棒」の図はここである。

「釻」この「つく」は訓であるが、「突く」の意ではなく、「担ぎ棒の両端にある突起」を指す。]

「和漢三才圖會」卷第二十四「百工具」の内の「錑(もぢり)」

 

[やぶちゃん注:〔○○〕や〔→○○〕は、表字・訓読が不完全で私がより良いと思う表字・訓読、或いは送り仮名が全くないのを補填したものを指す。]

 

Mojdiri

 

[やぶちゃん注:下方の螺旋のあるスクリュー釘附きの図の上にキャプションで「南蠻錑」。]

 

もじり    錑

【音戾】 【和名毛遲。】

ルイ

 

△按錑大鑚也柄橫於頭如丁字樣先以三稜錐次敲入

 之以柄紾捩

南蛮鍍 捻如眞糕餠形功倍於常

 

   *

 

もぢり    「錑」

【音戾】  【和名、「毛遲〔(もぢ)〕」。】

ルイ

 

△按ずるに、錑は大〔きなる〕鑚〔(きり)〕なり。柄は頭〔(かしら)〕に橫〔→にあり〕、「丁」字樣〔ちやうじやう〕のごとく、先〔(ま)づ〕三稜錐〔さんりようきり〕を以つてし、次いで、之れを敲〔(たた)〕き入〔→れ〕、柄を以て、紾-捩(もぢ)る。

南蛮鍍〔(なんばんもぢり)〕 捻〔(ねぢ)〕ること、眞糕餠〔(しんこもち)〕の形のごとし。功、常に倍す。

 

[やぶちゃん注:「錑」は「錑錐(もぢりぎり(もじりぎり))」のこと。現行では初めから先が螺旋状を呈し、丁字形(ちょうじがた)の柄を回しながら穴を開ける錐を言う。但し、図の右手上方の物は螺子山が視認出来ないので通常の釘の太いものが附いているようである。特に螺旋の捩子山(ねじやま)のあるものを、ここでは「南蠻錑」と呼んで区別していることが判る。謂わば、ワインのコルク開けをごくごく小型にしたような、打ち込んだら、反対方向に回さない限り抜けない固定具である。他に割注にあるように、「もぢ(もじ)」とも呼んだ。

「眞糕餠」「志んこ餅」「新粉餅」「糝粉餅」などと表記し、上新粉(「うるち米」を引いた粉)を用いて作られる餅菓子の一つ。「もち米」作られる「餅」と比べ、弾力があり、歯切れがよく、すぐ固くなりにくいのを特徴とする。主に新潟県などで作られ、食べられており、新潟県の郷土菓子・地方銘菓として知られる(サイト「日本の食べ物用語辞典」のこちらに拠った)。]

「和漢三才圖會」卷第二十四「百工具」の内の「千斤(くぎぬき)」

「和漢三才圖會」卷第二十四「百工具」の内の「千斤(くぎぬき)」

[やぶちゃん注:〔○○〕や〔→○○〕は、表字・訓読が不完全で私がより良いと思う表字・訓読、或いは送り仮名が全くないのを補填したものを指す。本篇は、訓点や読みが、かなり杜撰である。]

 

Kuginuki

 

くぎぬき  千斤

千斤   【久岐奴木俗云万力】

類書纂要云千斤起舊釘之噐

△按千斤方寸半許鐵噐隨透穴別長尺許鐵梃大應穴

 嵌之如鐔而鐔與梃之間挾舊釘拔起之千斤万力之

 名共取強剛之義矣

一種形如鋏而肥其頭圓以挾舊釘拔之

 

   *

 

くぎぬき  「千斤」。

千斤   【「久岐奴木〔(くぎぬき)〕」。俗に「万力〔(まんりき〕)」と云ふ。】

「類書纂要」に云はく、『千斤は舊釘〔(ふるくぎ)〕を起〔→こす〕の噐〔(き)〕なり。』と。

△按ずるに、「千斤」は、方〔(はう)〕寸半〔(すんはん)〕許〔(ばかり)〕の鐵噐〔→にして〕、隨て〔→ふに〕穴を透し、〔→したり。〕別に長さ尺許〔→(ばかり)の〕、鐵の梃〔→(てこ)あり〕。大いさ、穴に應〔→じ〕、之れを嵌(は)めて鐔(つば)のごとくにして、鐔と梃の間に、舊釘(ふるくぎ)を挾んで、之れを拔〔→き〕起〔→こす〕。千斤・万力の名共〔(なども)〕、「強剛」の義を取〔→るなり〕。

一種、形、鋏のごとくにして、肥〔(ふとく)〕、其の頭〔(かしら)〕、圓く、以つて、舊釘を挾〔(はさみ)〕、之れを拔く。

 

[やぶちゃん注:図の、右側のものは、多くの人が実際に見たこともあるもので、使用法も「一種、形……」以下の解説なしでも判るのだが、左手のそれは、訳さないとちょっと判り難いかも知れない。現行ではこうした分離した釘抜きというのを見ることはまずない(私自身も見たことがない)。『「千斤」は、……』以下を判り易く敷衍訳しておく。

   *

「千斤(くぎぬき)」は、四方が一寸半ほど(約四センチ五ミリ)の正方形の鉄器で、中央に穴が開いている。それとは別に、長さ一尺ほど(約三十センチ)の鉄の棒状(一方が箆(へら)状に平たくなっている)の挺(てこ)があって、その箆型の部分の太さは、前者の穴の大きさに、丁度、応じている。まず、刀の鐔のように、これを嵌め込み、前者と後者との間に抜くべき対象である古釘を挟み込んで、而して、梃子(てこ)の原理を用いて、抜き超こすのである。

   *

「類書纂要」二種ある中国の類書(百科事典)。一つは十二巻本の明の璩崑玉(きょこんぎょく)の撰。今一つは、三十三巻本の清の周魯の撰で。一六六四序刊。]

2022/08/26

「和漢三才圖會」卷第十九「神祭」の内の「鰐口」

 

[やぶちゃん注:〔→○○〕は、表字・訓読が不完全で私がより良いと思う表字・訓読、或いは送り仮名が全くないのを補填したものを指す。]

 

Waniguti

わにくち  俗云和尒久和

鰐口

△按鰐口以鐵鑄之形圓扁而半裂如鰐吻懸之社頭従

 上垂下布繩【長六七尺】俗名鉦緒而參詣人必先取繩敲其

 鐵靣未知其㨿恐是好事者本於鉦鼓而欲令異其音

 裂口形偶似鰐首故名之乎

   *

わにくち  俗に云ふ、「和尒久和〔→知〕(わにくち)」。

鰐口

△按ずるに、鰐口は鐵を以つて之れを鑄る。形、圓(まどか)にして、扁(ひらた)く、半(なかば)は、裂けて、鰐〔の〕吻(くち)のごとし。之れを社頭に懸けて、上より垂(たら)し、布繩を下(おろ)し【長さ、六、七尺。】、俗に「鉦の緒(を)」と名づく。而〔して〕、參詣人、必ず、先(ま)づ、繩を取りて、其の鐵靣(てつめん)を敲(たた)く。未だ其の㨿(よるところ)を知らず。恐らくは、是れ、好事(こうず〔→かうず〕)の者、鉦鼓(しやうこ)に本(もとづき)て、其の音を異ならしめんと欲し、口を裂く形、偶(たまたま)、鰐の首(かしら)に似たり故に、之れを名づくか。

 

[やぶちゃん注:当該ウィキによれば、『鰐口(わにぐち)とは仏堂の正面軒先に吊り下げられた仏具の一種で』、『神社の社殿で使われることもある。金口』・『金鼓とも呼ばれ』、『「鰐口」の初見は』正応六(一二九三)年の銘を持つ『宮城県柴田郡大河原町にある大高山神社のもの(東京国立博物館所蔵)』。『金属製梵音具の一種で、鋳銅や鋳鉄製のものが多い。鐘鼓を』二つ『合わせた形状で、鈴(すず)を扁平にしたような形をしている。上部に上から吊るすための耳状の取手が』二つ『あり、下側半分の縁に沿って細い開口部がある。金の緒と呼ばれる布施があり、これで鼓面を打』って、『誓願成就を祈念した。鼓面中央は撞座と呼ばれ』、『圏線によって内側から撞座区、内区、外区に区分される』。『現存する最古のものは、長野県松本市宮渕出土の』長保三(一〇〇一)年の銘の『もの』とある(最古のそれは東京国立博物館蔵で画像がある)。]

2022/08/02

「和漢三才圖會」卷第六十「玉石類伊」の内の「玻瓈(はり)」

 

[やぶちゃん注:〔→○○〕は、訓読が不完全で私がより良いと思う訓読、或いは送り仮名が全くないのを補填したものを指す。]

 

Hari

 

はり  頗黎 水玉

玻瓈

ヲ リイ

本綱玻瓈出南番有酒色紫色白色瑩澈與水精相似碾

開有雨㸃花者爲眞藥燒成者有氣眼而輕也玻瓈玉石

之類生土中或云千歲氷所化亦未必然

△按玻※未曽見之疑南蕃硝子乎【今唐人呼硝子稱波宇利伊乃琉※字音】

[やぶちゃん注:二ヶ所の「番」は第一画目がないものだが、「番」の異体字。表字出来ないので「番」に代えた。最後の二ヶ所の「※」は上部が(「王」+「利」)で、下部が「木」である。意味は「玻璃」=「玻瓈」と同じと思う(「東洋文庫」はそのように訳している)が、良安が明らかに違った字として書いているので、かく処理した。]

   *

はり  頗黎〔はり〕 水玉〔すいぎよく〕

玻瓈

ヲ リイ

「本綱」に、『玻瓈〔はり〕、南番に出づ。酒色・紫色・白色。瑩-澈(すきとほ)り、水精〔すいしやう〕と相ひ似たり。碾(き)り開ひて、雨㸃花〔うてんくわ〕有る者を眞〔しん〕と爲〔な〕す。藥にて燒成〔やきなし〕たる者は、氣眼〔きがん〕有りて、輕〔かろ〕し。玻瓈の玉は石の類〔→なり〕。土中〔どちゆう〕に生ず。或いは云ふ、「千歲〔せんざい〕の氷〔こほり〕の化〔くわ〕せる」と云ふ[やぶちゃん注:訓点にある。]。亦、未だ必〔→ずしも〕然らず。』と。

△按ずるに、玻※〔はり〕は、未だ曽つて之れを見ず。疑ふらくは、南蕃の硝子(ビドロ)か【今、唐人、硝子を呼びて、「波宇利伊〔ハウリイ〕」と稱す。乃い〔→ち〕、「琉※〔はり〕」〔→の〕字の音〔→なり〕。】。

[やぶちゃん注:「玻瓈」水晶を指すが、「本草綱目」では「水精〔すいしやう〕と相ひ似たり」と言っているので、近縁の物にも見えるが、別種なものと認識している。さればこそか、良安は未だ嘗つて見たことがないと断言しており、次の項目が「水精」であることから、別物として、「硝子(ビドロ)」=ビードロ=ガラスではないか? と疑義を示しているのである。

「南番」「南蛮」に同じ。

「雨㸃花」当初は内部に空気が泡状になって散在することを言うと考えたが、それでは次の「氣眼」とダブってしまうので不詳と言わざるを得ない。それとも、丸い泡状ではなくて、雨の雫(💧)型の内部空洞が花のように美しく並んでいるものを言うか? 判らん。

「氣眼」は平凡社「東洋文庫」の訳では、割注で『細かな泡点』と解説している。

「波宇利伊〔ハウリイ〕」「玻瓈」は現代中国語では「ボオ・リイ」。]

「和漢三才圖會」卷第六十「玉石類伊」の内の「寶石(つがるいし)」

[やぶちゃん注:〔→○○〕は、訓読が不完全で私がより良いと思う訓読、或いは送り仮名が全くないのを補填したものを指す。]

 

Tugaruisi

 

つがるいし

         津輕石之類

寶石

パウ◦シツ

本綱出西番囬鶻雲南遼東有紅綠碧紫數色大者如指

頭小者如豆粒皆碾成珠狀其紅者名刺子碧者名靛子

翠者名馬價珠黃者名木難珠紫者名蠟子山海經云騩

山多玉凄水出焉西注於海中多采石采石卽寶石也

△按奥州津輕今邊地海濱有奇石大者如拳白質帶微

 赤色碾成珠狀則精瑩玲瀧可愛小者如豆粒白色有

 光澤以爲津輕舎利藏小塔頂禮恭敬而偶有殖生者

 蓋此寳石之類矣

一種有淺黒色大小不均共肌理不濃石而小石數百散

 生如米粒而光澤或時落焉是疑可母石乎希有之物

   *

つがるいし

         津輕(〔つ〕がる)石の類。

寶石

パウ◦シツ

「本綱」に、『西番〔せいばん〕・囬鶻〔くわいこつ〕・雲南・遼東に出づ。紅・綠・碧・紫の數色、有り。大なる者、指頭のごとく、小さき者は豆粒のごとし。皆、碾(き)りて、珠の狀〔かたち〕を〔→に〕成す。其の紅なる者を刺子〔しし〕と名づく。碧なる者を靛子〔ぢやうし〕と名づく。翠なる者を馬價珠〔ばかしゆ〕と名づく。黃なる者を木難珠〔ぼくなんしゆ〕と名づく。紫なる者を蠟子〔らうし〕と名づく。「山海經」に云はく、『騩山(きざん)、玉〔ぎよく〕多し。凄水〔せいすい〕は焉〔ここ〕を出でて、西の方[やぶちゃん注:訓点通り。]、海中に注(そそ)ぎ、采石〔さいせき〕、多し。』と。采石は、卽ち、寶石なり。』と。

△按ずるに、奥州津輕(つがる)今邊地(いまべち)の海濱に、奇石有り。大なる者、拳(こぶし)のごとく、白質〔しろぢ〕、微赤色を帶ぶ。碾(き)りて、珠の狀〔かたち〕に成せば、則ち、精瑩玲瀧(〔せいえいれいろう〕/すきとほり[やぶちゃん注:後者は右に振る。])として愛しつべし。小さき者、豆粒のごとく、白色、光澤有り。以つて「津輕舎利〔つがるしやり〕」と爲〔な〕す。小塔に藏〔をさ〕めて頂禮恭敬して、偶(たまたま)、殖-生(ふ)へる者有り。蓋し此れ、寳石の類か。

一種、淺黒色、大小、均(ひと)しからざる有り。共〔とも〕に、肌理(きめ)濃(こまや)なならざる石にして、小石、數百、散生〔さんせい〕して、米粒のごとくにして、光-澤〔つや〕あり。或る時に、落つ。是れ、疑ふらくは母石〔ぼせき〕なるべきか。希有〔けう〕の物なり。

[やぶちゃん注:「津輕石」「津輕舎利」はメノウ(瑪瑙。縞状の玉髄の一種で、オパール(蛋白石)・石英・玉髄が、火成岩或いは堆積岩の空洞中に層状に沈殿してできた、鉱物の変種)のこと。後者の「舎利」は本石が釈迦の遺骨の代わりとして、多くの寺院に祀られたことに由来し、「津輕」は、そのメノウが古くより多く現在の青森県東津軽郡今別町(いまべつまち:グーグル・マップ・データ本文の「今邊地(いまべち)」に同じ)の海岸で採れたことによる。グーグル画像検索「津軽舎利」をリンクさせておく。

「西番」「西蕃」に同じ。「吐蕃」とも書き、「本草綱目」を書いた李時珍の生きた明代には「西蔵」(現在のチベット)を、かく蔑視して呼んだ。

「囬鶻」ウイグル。]

2022/05/18

「和漢三才圖會」卷第七十一「伊勢」の内の「當國 神社佛閣各所」内の「長源寺」の記載

 

長源寺    在安濃郡内田村【天台】

  本尊 十一靣觀音【長三尺三寸】傳教大師以菩提樹作

 相傳曰昔當地人與日向國旅人會避暑於堂之檐互

 不知熟睡日既暮有人倉卒呼起之兩人周章覺其魂

 入替而各還家靣貌其人而心志音聲甚異也家人不

 敢肯兩人共然故再來于此復熟睡則夢中魂入替如

 故諺曰伊勢也日向之物語者是也

 或紀曰【推古天皇三十四年三月壬午日】五瀬國并日向國言五瀬國

 黃葉縣佐伯小經來死三日三夜而蘓日向國小畠縣

 謂依狹晴戸者同日死同日蘓不知妻子及所柄鄕村

 名五瀬者語日向日向者語五瀬父子鄕村名分明其

 子弟互至相問符合何以然也兩人同時死共至冥府

 黃泉大帝議曰兩人命未宜還於鄕冥使率之來誤差

 其魂尸兩家子弟深不審之問焉縣社明神託巫告曰

 冥使通明何有所誤人不知魂鬼又多疑冥府冥帝知

 之證之教之如此而已其身雖我等父心卽非我實父

 心非父身無由父亦以不爲子願欲替父朝庭下府任

 父子願仍小經來至於日向晴戸至五瀬如故而行業

 鄕名亦替之

△按二說相似而趣異共是恠談而已蓋日向佐伯伊勢

 小畠其名與昔互替乎不知

   *

長源寺    安濃郡(あのうのこほり)内田村に在り。【天台。】

  本尊 十一靣觀音【長け、三尺三寸。】傳教大師、菩提樹を以つて作る。相ひ傳へて曰はく、『昔、當地(ところ)の人と、日向國の旅人と、會(たまたま)、暑(しよ)を堂の檐(ゑん)に避(さ)く。互ひに、知らず。熟睡して、日、既に暮るる。人、有りて、倉-卒(にはか)に之れを呼び起す。兩人、周章(あはて)て覺(めざ)め、其の魂(たましひ)、入れ替りて、各(おのおの)、家に還る。靣貌(めんばう)は其の人にして、心志(こころざし)・音聲、甚だ異(こと)なり。家人、敢へて肯(うけが)はず。兩人、共に、然(しか)り。故(ゆゑ)、再(ふたゝ)び,此(ここ)に來りて、復(ま)た、熟睡すれば、則ち、夢中に、魂、入れ替りて、故(もと)のごとし。諺(ことわざ)に曰はく、「伊勢や日向の物語」とは、是れなり。

或る「紀」に曰はく【推古天皇三十四年三月壬午(みづのえむまの)日。】、五瀬(いせ)の國、并(ならびに)、日向國より、言(まふ)す。五瀬の國黃葉縣(きえふのあがた)、佐伯小經來(さへきのこふく)、死して、三日三夜にして、蘓(よみがへ)る。日向の國小畠縣(こはたのあがた)、依狹晴戸(よさむのはれと)と謂ふ者、同日、死して、同日、蘓り、妻子及び柄(す)む所の鄕村(さとむら)の名をも知らず。五瀬の者は、日向のことを語り、日向の者は、五瀬のことを語るに、父子・鄕村の名、分明なり。其の子弟、互ひに至つて、相ひ問ふに、符(わりふ)合(あ)ふ。何を以つて然(しか)るや。兩人、同時に死して、共に冥府に至る。黃泉(よみぢ)の大帝、議して曰はく、「兩人の命(いのち)、未だし。宜(よろ)しく鄕(さと)に還へすべし。」と。冥使、之れを率(ひきい)て、來り、誤(あやま)ちて、其の魂と尸(かばね)を差(たが)ふ。兩家の子弟(こども)、深く、之れを不審(いぶか)り、縣社(あがたのやしろ)に問ふ。明神、巫(みこ)に託(か)りて、告げて、曰はく、「冥使は通明なり。何の、誤る所、有らん。人、魂鬼を知らず、又、多く、冥府を疑ふ。冥帝、之れを知りて、之れの證、之れを教ふること、此くのごとくなるのみ。」と。[やぶちゃん注:「両家の遺族は」が省略されている。]「其の身(むくろ)は、我等ら父と雖も、心、卽ち、我が實父に非ず。心、父に非る身は、由(よし)無し。父も亦た、以つて、子を爲(おも)はず。願はくは、父を替へんと欲す。」と。朝庭(みかど)[やぶちゃん注:「朝廷」に同じ。]、府(ふ)[やぶちゃん注:「官符」のことか。]を下して、父子の願ひに任(まか)す。仍(すなは)ち、小經來(こふく)は日向に至り、晴戸は五瀬に至り、故(もと)のごとくにして、行業(すぎわい)して鄕(さと)の名も、亦、之れを替ふ。

△按ずるに、二說、相ひ似て、趣き、異(い)なり。共に是れ、恠談のみ。蓋し、「日向の佐伯(さへき)、伊勢の小畠(こばた)と、其の名、昔と、互ひに、替りしや、知らず。

[やぶちゃん注:「長源寺」現在の三重県津市安濃町(あのうちょう)内多(うちだ)に現存(グーグル・マップ・データ)。

「伊勢や日向の物語」「事の前後がはっきりしないまとまりのない話」や、また、「見当はずれなこと」などにいう慣用語。この語の由来については、「伊勢物語知顕抄」は「伊勢(三重県)と日向(宮崎県)の男が死んだ時、閻魔の庁で、寿命のある伊勢の男を生き返らせようとしたが、すでに灰になっていたので、日向の男の体に生き返らせたところ、体と心が別人で、言うことがちぐはぐであった。」といい、また、「諺草」(ことわざぐさ)は「天鈿女命(あめのうずめのみこと)の問いに、随行者の猿田彦神が、「皇孫は日向の高千穂に、自分は伊勢の五十鈴川上に下る。」と答えた説話に拠るとする(小学館「ことわざを知る辞典」に拠る)。また、「東洋文庫」版「和漢三才図会」の注には、『「伊勢人は僻事(ひがごと)す」ともいう。『雑話集』に同話がある』とあるが、確認出来なかった。

『或る「紀」に曰はく【推古天皇三十四年三月壬午(みづのえむまの)日。】、……』出典未詳。南方熊楠は偽書である「先代旧事本紀」の記載と記憶すると、「睡眠中に靈魂拔出づとの迷信 一」で述べているが、版本と活字本二種を調べたが、推古天皇の記事は推古天皇二十九年までしかない。本紀以外に出るのであれば、お手上げ。探す気はない。識者の御教授を乞う。]

2022/05/16

「和漢三才圖會」卷第十八 樂噐類 壎(けん) / べッセル・フルート(土笛)

 

Ken

 

けん      塤【俗字。】

【音「暄」。】

ヒヱン

 

事物起原云世本壎謂暴辛公所造者非也德音之音而

聖人作爲也拾遺記言庖犧爲壎蓋壎燒土爲之大如鵝

卵鋭上平底似稱錘六孔俗作塤字非

 

   *

 

けん      塤【俗字。】

【音、「暄」。】

ヒヱン

 

「事物起原」に云はく、『「世本(せいほん)」に、『壎、暴辛公(ぼうしんこう)の造る所なり』と謂ふは非なり。「德」音の音にして、聖人(せいじん)の作爲なり。』と。「拾遺記」に、『庖犧(はうぎ)、壎を爲(つく)る。』と言へり。蓋し、壎は土を燒きて、之れを爲(つく)る。大いさ、鵝(がてう)の卵(たまご)ごとく、上を鋭(するど)にし、底を平(たひら)にし、稱(はかり)の錘(おもり)に似、六孔あり。俗に、「塤」の字に作るは、非なり。

 

[やぶちゃん注:ウィキの「塤」によれば、『中国の伝統管楽器のひとつで、粘土や陶磁で作られたべッセルフルート(英語: vessel flute、オカリナの仲間)のこと。土笛の一種。八音では「土」に属する』。『中国では陶器製のものを「陶塤」(タオシュン、táoxūn)と言い、他にも材質によって、石器製の「石塤」(シーシュン、shíxūn)、磁器製の「瓷塤」(ツーシュン、cíxūn)、獣骨製の「骨塤」(グーシュン、gǔxūn)、漆器製の「漆塤」(チーシュン、qīxūn)、貝殻製の「貝塤」(ベイシュン、bèixūn)などがある』。『朝鮮半島には塤から派生したフン(朝鮮語: 훈、塤、hun)がある』。『日本では、同じタイプの陶器の楽器は土笛(つちぶえ)と呼ばれ、「塤」の字訓もつちぶえである』。『大きさはさまざまだが、形状は卵形である。大きいものは低い音が出る。現在の代表的なものでは、いちばん上に吹き穴があり、指穴は通常』、『吹き穴より小さいものが』八『つあり、両手の人差し指・中指・薬指・親指で押さえる』。『起源は、狩猟の際に獲物を呼び寄せたり、反応を探るために使った管楽器と考えられている。骨で作る管状の呼び笛を「骨哨」といい、陶器製の「陶哨」も作られるようになった。中国浙江省の河姆渡』(かぼと)『文化や河南省の仰韶』(ぎょうしょう)『文化の新石器時代遺跡から、吹き穴だけの陶器の管楽器が出土しており、音色からこのような用途であると考えられる』。『夏代には指穴』二『つのものがあり、音が』四『種出せたと伝えられている。殷代には陶器、石、骨で作られ、多くは底が平らな卵形に作られている。戦国時代には指穴』四『つになり、多くは平底卵形となった。漢代の』「爾雅」の記述からも、『陶器製で、大きさは大きい物ではガチョウの卵ほどで、上部は尖り、底は平らで、はかりのおもりの様な形で、穴が』六『つあり、小さいものでは鶏卵ほどの大きさであったことが分かる。多くの音が出せるようになったことから、秦、漢以降は、主に宮廷音楽(雅楽)に用いられるようになった』。『その後廃れたが』、一九七〇『年代以降、出土された楽器から再び注目されるようになり、新たに作成されたり、演奏が行われるようになった。現代のものでは穴が増やされ』、七『個から』十『個の指穴が開けられている』とある。以上の解説に出た「八音(はちおん)は、当該ウィキによれば、『特に儒教音楽で使われる、八種類の楽器を表す語』で、『古代中国では、楽器は』、金・石・糸・竹・匏(ほう)・土・革・木(ぼく)の『八種類の素材からつくられると考えられ、区分されていた。楽器の総称を表す「金石糸竹」という四字熟語はこれに由来する』。『「発音原理」を楽器分類の重要な基準と考えたインドと違い、中国では、楽器区分は、「楽器の素材」によった』。『西洋音楽では管楽器を木管楽器、金管楽器に分けるが、これは素材によった分類からきており』(但し、現在では発音原理による分類である)、『八音と類似点がある。正倉院に保存されている種々の楽器はこの分類によって分けられていると考えられている』。『また、朝鮮半島に伝わる、孔子廟の祭祀楽は八音すべてを含むような楽器編成になっている。日本の雅楽でも同様の分類が行われた』。以下、

①「金」は『金属で作った楽器。青銅を使った編鐘(へんしょう)、鉄板を使った方響(ほうきょう)、銅鑼(どら)、鈴など』を指す。

②「石」は『石で作った楽器。編磬(へんけい)、特磬など。中国語で「玉音」とも呼ばれる』。

③「糸」は『絹の糸を張った楽器。琴(きん)、箏(そう)、瑟(しつ)、琵琶(びわ)、阮咸(げんかん)、箜篌(くご)などの弦楽器』。

④「竹」は『竹から作られた楽器。簫(しょう、排簫、洞簫)、箎(ち)、笛などの管楽器』を指す。但し、『同じ笛の仲間でもオカリナの類は』「土」に入り、笙は「匏」に入る。

⑤「匏」は「ふくべ」で、『ヒョウタン・ユウガオなどを素材として作った楽器。笙(しょう)、竽(う)など』を指す。

⑥「土」は『土を焼いて作った陶製の楽器』で、この『塤(けん、しゅん)という土笛など』を指す。

⑦「革」は、通常は、牛の『革を張った鼓』『などの楽器』を指す。

⑧「木」は『木製の楽器。柷(しゅく)、敔(ぎょ)、拍板など』がある。

『これを発音原理で分類してみると、金・石・革・木は打楽器』(この内、「革」は膜鳴楽器で、残りは体鳴楽器となる)、『糸は弦楽器、竹・匏・土は管楽器(明確に金管楽器に該当するものはない)に概ね該当する』とある。

「事物起原」宋の高承の撰になる事物の起源や由来を記した博物書。但し、現行本は後世の誰かが補填した部分の方が約九十八%を占め、原著とは言い難い。

「世本」詳細不詳。事物や事柄の創始者や氏姓の出所について述べたもので、後漢の頃に書かれたものと推定されている。南宋期に佚亡したが、清代になって多くの編輯本が作られた。

「暴辛公」蘇成公。春秋時代の蘇の国の君主。

『「德」音』儒教精神の核心たる「徳」を現わす音(おと)ということか。

「拾遺記」元は後秦の王嘉の撰になる、神話時代の伏羲(ふっき)から晉に至るまでの伝説を集めた志怪小説集。最初は十九巻あったが、散佚し、残ったものを梁の蕭綺が編輯して十巻に纏め、別に所論を附したものが残る。なお、以上の書物の注は「東洋文庫」の書名注に拠った。

「庖犧」伏羲の別名。]

2022/05/06

「和漢三才圖會」卷第八十四 灌木類 瓢樹(ひよんのき/いす) / イスノキ

 

Hyonnnoki

 

ひよんのき 正字未詳

瓢樹   【俗云比與牟乃木

いす    其木名伊須】

 

△按其木葉並似女負而厚狹長色微淡三四月開細小

 花深赤色結實大如豆自裂中子細小黒色別其葉靣

 如子者脹出中有小蟲化出殼有孔口吹去塵埃爲空

 虛大者如桃李其文理如檳榔子人用收胡椒秦椒等

 末以代匏瓢故俗曰瓢木或小兒戯吹之爲笛駿州多

 有之祭禮吹此笛供奉于神輿四國九州多有之斫木

 爲薪木心白微赤日乾者全赤堅硬爲薪之上品

一種 有唐比與乃木者花葉無異但葉小耳

 

   *

 

ひよんのき 正字、未だ詳かならず。

瓢樹   【俗に云ふ「比與牟乃木(ひよんのき)」。

いす    其の木を「伊須(いす)」と名づく。】

 

△按ずるに、其の木・葉、並びに女負(ひめつばき)に似て、厚く、狹長(さなが)。色、微(わづかに)淡し。三・四月、細き小花(せうくわ)を開く。深赤色。實を結ぶ。大いさ、豆のごとし。自裂して、中の子(たね)、細小、黒色。別に其の葉の靣(おもて)に、子のごとくなる者、脹(ふく)れ出でて、中に、小蟲、有り、化出(けしゆつ)す。殼に孔-口(あな)有り、塵埃(ちりほこり)を吹き去れば、空-虛(から)と爲(な)る。大(だい)なる者、桃・李(すもも)のごとく、其の文理(もんり)、檳榔子(びんらうじ)のごとし。人、用ひて、胡椒・秦椒(しんせう)等の末(まつ)を收む。以つて匏瓢(ひやうたん)に代(か)ふ。故に俗に「瓢の木」と曰ふ。或いは、小兒、戯れに之れを吹きて、笛と爲す。駿州(すんしう)に、多く、之れ、有り、祭禮、此の笛を吹きて、神輿(みこし)に供奉す。四國・九州、多く之れ有り、木を斫(き)り、薪(たきぎ)と爲す。木の心、白く、微赤。日に乾す者、全く赤し。堅硬にして、薪の上品と爲す。

一種 「唐比與乃木(たうひよんのき)」と云ふ者、有り。花・葉、異(こと)なること、無し。但(ただ)、葉、小さきのみ。

 

[やぶちゃん注:これは、

ユキノシタ目マンサク科イスノキ属イスノキ Distylium racemosum

である。当該ウィキによれば、イスノキは漢字では「柞の木」(但し、同種をこの漢字で示すのは本邦のみでの当て字であり、現在の中国名は「蚊母樹」である)で、本邦では、暖地の静岡県以西・四国・九州・琉球列島に自生し、異名に「ユスノキ」「ユシノキ」「ヒョンノキ」がある。『国外では済州島、台湾、中国南部に分布する』。葉は、しばしば、虫瘤(むしこぶ:虫癭(ちゅうえい))がつき、『大きくなると穴が開くのが特徴』とあり、『常緑広葉樹の高木で、高さ約』二十~二十五メートルになる。『樹皮は灰白色。大木になると赤っぽくなる』。『葉は互生し、長さ』五~八『センチメートルの長楕円形で、葉身は革質、深緑で表面に強いつやがある』。虫瘤は『イスノキコムネアブラムシの寄生では葉の面に多数の小型の突起状の虫こぶを』イスノキオオムネアブラムシ『Nipponaphis distychii の寄生によっては丸く大きく膨らんだ虫こぶ(ひょんの実)が形成される。どちらも非常に頻繁に出現するのでこれを目当てにイスノキが特定できるほどである。虫こぶは大きくなると』、『穴が開き、ここを吹くと』、『笛のような音が出ることから「ヒョンノキ」の別名がある』。『花期は』三~四月で、『葉腋に総状花序を出して小花をつける』。『花序の基部には雄花、先の方(上部)には両生花がつく』。『花弁はなく、萼も小さいが、雄しべが』五~八『個つき、葯が紅色に色づく』。『葯は乾燥すると』、『裂開し、花粉は風によって飛散する』。『果期は』十月で、『果実は広卵形で、表面が黄褐色の毛で覆われ』、『先端に雌蘂が二裂した突起として突き出すのが目につく。果実が熟すと』二『つに裂開し、黒色の種子が露出する』。『材は本州や四国に自生する木の中ではウバメガシと並んで非常に堅く重い部類となる。家具、杖の素材にされ、とくにイスノキ材の木刀は、示現流系統の剣術で使用されているのは有名。材や樹皮を燃やした灰(柞灰(いすばい))は陶磁器の釉の融剤とする。また、樹皮はトリモチの原料ともなる。樹皮を採取した後のイスノキを長く放置すると辺材が失われて心材のみとなるが、この心材をスヌケと呼ぶ。スヌケは濃い茶色で、磨くと光沢をもつ』。『樹木そのものは』、『乾燥に強く丈夫なので街路樹として栽培されることもある。 また、虫こぶ(ひょんの実)は成熟すると』、『表面が硬く、内部が空洞になり、出入り口の穴に唇を当てて吹くと笛として使える。これが別名ヒョンノキ(ひょうと鳴る木)の由来とも言われる。また、この虫こぶにはタンニンが含まれ、染料の材料として使われる』。『鹿児島県の「伊集院」という地名は、イスノキが多い地であり、平安朝の租税である稲穂を貯蔵する倉院が置かれたことから、「いすいん」と呼ばれるようになったことに由来する』とある。なお、良安は最後に近縁種を挙げているが、「イスノキ」のウィキには本邦では一種のみとあるので、これは誤りである。また、イスノキに寄生するアブラムシ類については、宗林(そうりん)正人氏の論文「緑化樹木のアブラムシ類 (4)」(『植物防疫』第五十七巻第十号・二〇〇三年発行・PDF)に詳しい(それでも多量の種がいるらしく、ウィキで例示している最初に出るイスノキコムネアブラムシは載っていない。なお、後者はウィキでは『イスオオムネアブラムシ』とあるが、この資料で訂した)。

「女負(ひめつばき)」標準和名でビワモドキ亜綱ツバキ目ツバキ科ヒメツバキ属ヒメツバキ Schima wallichii があるが、小笠原産であるから違う。「姫椿」は辞書では、他にサザンカの別名、或いは、ネズミモチの古名(「和名類聚抄」収載)とあり、最も普通に見られるのは、シソ目(或いはゴマノハグサ目)モクセイ科イボタノキ属ネズミモチ Ligustrum japonicum と、同属イボタノキ Ligustrum obtusifolium があり、後者は樹皮上に寄生するイボタロウムシ(半翅(カメムシ)目同翅(ヨコバイ)亜目カイガラムシ上科イボタロウムシ Ericerus pela)の分泌する「いぼた蠟(ろう)」で知られ、古くから蠟燭の原料や日本刀の手入れに用いられてきたから、この二種の孰れか、或いは、虫瘤から後者を良安は指しているとみてよいように思われる。また、否定した「唐比與乃木」(とうひょんのき)というのも、或いは、これらの種の孰れかを指しているともみられる。

「檳榔子(びんらうじ)」単子葉植物綱ヤシ目ヤシ科ビンロウ属ビンロウ Areca catechu の種子。本邦には自生しないが、漢方で古くから知られていた。

「秦椒(しんせう)」ムクロジ目ミカン科サンショウ属フユザンショウ Zanthoxylum armatum var. subtrifoliatum の別名であるが、葉や実には芳香性が無いので、サンショウのように食用にはならないから、違う。中国語の辞書で引くと、山椒とあったので、ここはサ同属サンショウ Zanthoxylum piperitum の実や葉の粉末を指すと考えてよい。

「匏瓢(ひやうたん)」「瓢簞」に同じ。

「瓢の木」ここは「ひよん」(ひょん)との音の類似性から「へうのき」(ひょうのき)と読んでおく。

「駿州(すんしう)」駿河国。]

2022/01/13

「和漢三才圖會」巻第二十一「兵噐 征伐具」(五折)より「天墜砲(ほうろくびや)」

 

Hourokubiya

 

ほうろくびや  飛擊震天雷
天墜砲  大神銃
         滅虜砲
         一窩蜂
         大蜂窠

登壇必究云天墜砲其大如斗用法外至半天墜於賊巢

震響如雷黑夜令賊自亂相殺内有火塊數十能燒賊之

營寨必不能救

△按天墜砲有數品名亦多矣本朝兵者家流著心以欲

 其用之利或以木銃放出者其玉徑一尺三寸二分四

 厘殆鉛子當百貫目之重者其至三百歩許通火機發

 出熖塊者一千丸許以秘兵家是近世之製也

   *

ほうろくびや  飛擊震天雷〔(ひげきしんてんらい)〕
天墜砲   大神銃

         滅虜砲
         一窩蜂〔(いつくわほう)〕
         大蜂窠〔(だいほう〕

「登壇必究」に云はく、『天墜砲の其の大いさ、斗〔(と)〕のごとし。法を用ひて外〔(そと)〕せば、半天に至り、賊巢〔(ぞくさう)〕に墜ち、震響〔(ふるへひびく)〕こと、雷〔(かみなり)〕のごとし。黑夜、賊をして自〔(おのづか)〕ら亂らしめ、相ひ殺す。内に、火の塊(かたまり)、數十〔(すじふ)〕有り、能く賊の營寨〔(えいさい)〕を燒き、必ず、救ふこと能はず。』と。

△按ずるに、天墜砲、數品〔(すひん)〕有り、名も亦、多し、本朝の兵者・家流、心〔(しん)〕[やぶちゃん注:「芯」。雷管。]を著〔(つけ)〕て、以つて、其の用の利(と)からんことを欲す。或いは、木銃を以つて、放出す〔る〕者〔もあり〕。其の玉、徑(さしわた)し一尺三寸二分四厘。殆んど、鉛子(なまりのたま)、百貫目の重さの者に當る。其の至ること、三百歩許り。火機を通し、熖(ほのほ)の塊(かたまり)、發〔(はつ)し〕出〔(いづ)〕ること、一千丸〔(いつせんぐわん)〕許り。以つて、兵家に秘す。是れ、近世の製なり。

[やぶちゃん注:通常はある標題の左手端にある中国音カタカナ表記がない。

「天墜砲」後で砲丸に芯をつけるとあるタイプは、明らかに砲弾で、しかも時限信管装置附のものであることが窺える。「VOK Wiki」の「飛撃震天雷」を見ると、明らかにそうした高性能砲弾であることが判る。そこには『飛撃震天雷は壬辰祖国戦争の時、朝鮮人民がつくって使用した信管装置がついている砲弾です。壬辰祖国戦争は』一五九二年から一五九八年まで(天正二十年に始まって翌文禄二(一五九三)年に休戦した「文禄の役」と、慶長二(一五九七)年の講和交渉決裂によって再開されて慶長三(一五九八)年の豊臣秀吉の死によって日本軍の撤退で終結した「慶長の役」)『朝鮮人民が豊臣秀吉の侵略を退けた戦争です』。『飛震天雷、または地天雷とも呼びました。当時、飛撃震天雷は発射されると』、『その爆発の音が雷同然で、天地を揺るがしました。飛撃震天雷は三国時代から使ってきた火砲の発展の過程に作られたものですが、当時の火砲製造技術者のリ・ジャンソンさんによって始めて作られました』。『表はボールの形で、その外径と質量によって色々とありました。砲弾の中に穴を掘ってそこに火薬を入れました。火薬と鉄のかけらなどの装入が終わると、穴に鉄の蓋をして芯を結び付けました。飛撃震天雷は芯の長さによって爆発の時間を早く、又は遅くする時限爆弾のようなものでした』。『飛撃震天雷は色々な火砲を利用して発射しましたが、射程は』七百五十メートルから九百メートルまで『でした。飛撃震天雷は信管装置がついた砲弾の初の形として世界の火砲の歴史に記されています』。『この飛撃震天雷は壬辰祖国戦争の時に大きな威力を発揮し、侵略者を慄かせた火薬兵器の一つでした』。『社会科学院歴史研究所の主任である博士、助教授のカン・セグォンさんのお話です』。『「飛撃震天雷は、その以前から朝鮮の先祖たちによって使用された色々な火砲が発展して、できたものです。当時の火砲製造技術者のリ・ジャンソンによって初めて発明され、壬辰祖国戦争の時、キョンジュ城戦闘で使用されました。表はボールの形で、その外径と質量によって色々とありました」』とあり、砲丸及び打ち出す砲筒らしきものの写真もある。

「登壇必究」明の王鳴鶴の著になる兵法書。武官の昇進に必要な知識を纏めたもので一五九九年に刊行された。平凡社「東洋文庫」の注によれば、以上の引用は『第二十九巻火器』とある。「中國哲學書電子化計劃」の影印本のここで確認したが、厳密には「天墜」で「砲」はない。流星の如く天の星が墜ちるような激烈な効果を敵に与えられることを比喩的に述べている。福山岳彦氏のブログ「超凡抜俗」の『王鳴鶴「登壇必究」1599年』に写真入りで本書の紹介があり、『この書物のなかに収録された「日本国図」はユニークに描かれていて、本州・四国地方は実際の形状とはかけはなれています。しかし、九州西海岸一帯については比較的正確に描かれており、「平戸津」「五島」「男島」「衣島」「長岐(長崎)」「江津」「天草山」「坊津」「硫黄岳」などの地名が記入されています。これらの地域は「後期倭寇」の活動範囲と一致します。この「日本国図」も後期倭寇に対処するために作成されたのかもしれません』とある。

「斗」一斗樽。明代の「一斗」は十七リットルであるから、現代より一リットル小さい。

「法を用ひて外〔(そと)〕せば」決められた手技で外部へ打ち出せば。

「半天に至り」中天まで打ちあがっって。

「賊巢〔(ぞくさう)〕」反賊の巣窟。

「黑夜」闇夜。

「相ひ殺す」天地がひっくり返ったような激しい衝撃と損壊・延焼に、前後不覚の大混乱が生じて、同士討ちをしてしまうことを言う。

。内に、火の塊(かたまり)、數十〔(すじふ)〕有り、能く賊の營寨〔(えいさい)〕を燒き、必ず、救ふこと能はず。』と。

「其の用の利(と)からんことを欲す」その炸裂と破壊・延焼効果が、最大限、発揮出来るようにしようとする。

「一尺三寸二分四厘」ほぼ四十センチメートル。ちょっとこの前の部分の原文の訓点に不審があるが、ここは理屈が通るように、オリジナルに訓読した。

「鉛子」通常の火縄銃の玉。

「百貫目」三百七十五キログラム。

「三百歩」約百八十~二十一メートル。

「火機を通し、熖の塊、發出ること、一千丸許り」最大規模で短時間に一度で射出出来る実際攻撃可能なケースを示しているようである。]

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