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カテゴリー「日本山海名産図会」の49件の記事

2021/08/25

「日本山海名産図会」内標題・序(木村蒹葭堂孔恭)・跋(作者事績不詳)・附記(絵師蔀関月の記名)・広告文・奥書/「日本山海名産図会」オリジナル電子化注~完遂!

 

[やぶちゃん注:「国立国会図書館サーチ」の本書書誌の「注記」によれば、『木村蒹葭堂の漢文序によれば、物産の学については、稲生若水の著書『採薬独断』があったが、秘書としたため』、『人間』(じんかん)『に伝わらなかったことを遺憾とし、同書に擬して『名物独断』数巻を編んだが、家の多難に遭い』(これは蒹葭堂が過醸の罪により寛政二(一七九〇)年から同五年まで、伊勢川尻村に退隠したことを指す旨の補注が入る。同人のウィキによれば、寛政二年五十五歳の時、『密告により』、『酒造統制に違反(醸造石高の超過)とされてしまう。酒造の実務を任されていた支配人宮崎屋の過失もしくは冤罪であるか判然としないが、寛政の改革の中で』、『大坂商人の勢力を抑えようとする幕府側の弾圧事件とみるべきだろう』とあり、『蒹葭堂は直接の罪は免れたが』、『監督不行き届きであるとされ』、『町年寄役を罷免されるという屈辱的な罰を受け』、『伊勢長島城主増山雪斎を頼り、家名再興のため』、『大坂を一旦』、『離れ』、『伊勢長島川尻村に転居』したことを指す。但し、『二年の後に帰坂し、船場呉服町で文具商を営』み、『その後、稼業は栄え』、『以前にも増して蒹葭堂は隆盛となった』とある)、『公にすることが出来ずにいたところ、書肆某が本書を携えて訪ね』、『序を請うた旨を記す』とある。この内容だと、「日本山海図会」の作者は木村蒹葭堂孔恭であるということになる。

 ところが、本書には最終第五巻の末尾に「跋」があり、そこには本文の著者は別人であるという記載があるのである。これについて上記「注記」では、「みち」或いは「ミち」或いは「三古」(?)なる『人物による難読難解の和文跋文には、「こよ、補世ありしほとにおもひはしめにたる木の下露を、みなの川波のかす++[やぶちゃん注:「++」は原文を見るに踊り字「〱」を変えたものと思われる。]になん、かきなかしぬる関月かいさほし也けり」「かくてまなひ子藍江その名残につきて、露けし袖の外に、ほころふるふしををきぬひ侍り、おのれ亦かたはらのことかきをたちいらへつ、つゐによるせありて、いつもの花の五巻とはなりぬ」とあり、補世』、『つまり』、この「日本山海図会」は、『大坂の書肆作家、平瀬輔世(徹斎)こと』、『千種屋新右衛門』『の編著で』あって、『同人の没後、画工の蔀関月(千種屋一統の書肆千種屋柳原源二郎)が業を継ぎ、その没後には』、『関月門人の画工中井藍江が補い、跋者が解説を補』って『完成させたもの』と読める旨の記載があるとある。則ち、「日本山海図会」は大阪の書肆の主人で千種屋新右衛門こと平瀬徹斎輔世(「すけよ」か)が原著者であるというのである。

 「朝日日本歴史人物事典」に拠れば、この真の著者とする平瀬徹斎(生没年不詳)は江戸中・後期の大坂の書肆「赤松閣」の主人で、名は「補世」(これだと「ほせ」か)、通称「千草屋新右衛門」、「徹斎」は号。各地名産物の生産・採取の技術を図示解説した「日本山海名物図会」宝暦四(一七五四)年に著した。他に「放下筌」(ほうかせん)などの著作がある(国立国会図書館デジタルコレクションのこちらで原刊本らしきものが読める)。徹斎は大坂の金融業者平瀬家の一族ともみられているが、確証はない、とあり、講談社「日本人名大辞典」の「平瀬徹斎」には、やはり生没年未詳とし、江戸中期の版元で、大坂の人。「赤松閣」の主人。自身も「売買出世車」(恐らく国立国会図書館デジタルコレクションの「通俗経済文庫巻一」所収の東白著とある「米穀売買出世車附図式」が同じものである。書肆はここで平瀬の活動期と一致し、大阪での出版である)や「書林栞」(しょりんしおり:明和五(一七五八)年刊。国文学研究資料館のここで原本が視認出来る)などを書いている。編著に日本各地の産物の採取法,製法などを絵図でしめした「日本山海名物図会」(長谷川光信画)がある。宝暦(一七五一年~一七六四年)頃に活躍した。名は輔世。通称は千種屋(ちぐさや)新左衛門、とある。 

 取り敢えず、「序」「跋」他を活字に起こすが、蒹葭堂の「序」は漢文であるが、日本漢文としては、やや破格部分が見られ、よく判らない人物になる「跋」に至っては、上記の書誌を書かれた方が述べる通り、判読さえ難しく、しかも文意が極めて採り難いものである。私の翻刻を信用せず、各々、原画像で挑戦されたい。

 底本とした国立国会図書館デジタルコレクションの画像では、

内標題と「序」はここから(六丁に及ぶが、一丁目だけを内標題とともに示す)

「跋」はここから

であるが、一部、私には判読しかねた部分があるので、「序」と「跋」は総てを国立国会図書館デジタルコレクションからトリミングして掲げた。どうか、御自身で判読された上で、私の誤判読や、判読不能字が読み解けた方は、どうか、御指摘願いたい。心よりお待ち申し上げる。

 なお、第一巻の表紙の題箋は、

山海名產圖會   一

で、ここだが、特に画像では示さない。

 「序」では字に横に圏点「◦」があるが、通常の句点に代えた。「■」は判読不能字。]

 


Jyo1

 

法 橋 關 月 画

 

                

 山海名產圖會

                

 


Jyo2

 

Jyo3

 

Jyo4

 

山海名產圖會序

中古人士之於物産也。率本於本草。而山產海錯。認而無遺漏者。自向觀水稲若水松怡顏彭水之徒。才輩實不匱焉。余預其流。于今既費數十年之苦心。見人之所未見。辨人之所未辨。實爲索隱探竒之甚焉。曽聞。稲氏若水著採藥獨斷。示平生所深致意也。然終爲幃中禁秘耶。抑成蔵諸名山奥區耶。竟不傳人間。上可惜也。余不勝慕藺。因竊擬其意。著書數巻。號曰名物獨斷。愈勤愈詳。猶泉源袞々出而不休焉。故其名物品類之無窮。亦隨四序節。蔵蓄之冝。奥造釀之法。然及藁甫脱也。値家多難。災厄兼到。幾流離塗炭。在今固爲一憾事矣。間者書肆某。携一部画册。殷勸徵序文。題曰山海名產圖會。取而繙之。輙擧吾 [やぶちゃん注:字空けはママ。]東方各従其地產。竒種異味。而特名者。一一見之図。乃至其制作之始末事實之證據。則後加附釋。雖婦児輩。使通知之。頗似有酬余之始顚者。畫上成於亡友蔀關月手。於是乎不可以不序。因備。論辨之本意。而及此書緣起如此。嗟乎雖芥珀磁䥫。其理皆出于自然。不可得而強也。天地間產類千万以辨博爲要。否則自百藥物。而至瑣瑣食品。不免謬採焉。况於君子藏天地之韞匱。與天下共者乎。

寬政戊戌午臘月旦浣

      木邨孔恭識

        [落款][落款]

 

[やぶちゃん注:以下、「序」「跋」等は本文で加工用に使用させて貰った「ARC書籍閲覧システム 検索画面 翻刻テキストビューア」にも電子化されておらず、私は一切の参考に出来る補助資料を持たない。されば、全くの我流のみで訓読する。

   *

「山海名產圖會」序

中古の人士の物産に於けるや、本(もと)を本草に率(よ)りて、山產・海錯、認めて、遺漏の無き者なり。自ら向ふは、觀水・稲若水・松怡顏・彭水の徒なり。才輩の實、匱(とも)しからず。余、其流に預り、今に既に數十年の苦心を費す。人の未だ見ざる所を見、人の未だ辨ぜざる所を辨ず。實(まこと)に索隱探竒の甚しきを爲す。曽つて聞く、稲氏若水「採藥獨斷」を著すと。平生、深く意を致す所を示せるなり。然れども、終(つひ)に幃中(ゐちゆう)の禁秘と爲すや、抑(そも)、諸名・山奥の區々(くく)たるを蔵(かく)し成すや、竟(つひ)に人間(じんかん)の上に傳はらざる、惜しむべきなり。余、慕藺(ぼりん)[やぶちゃん注:優れた人を慕い敬うこと。]に勝へず、因りて、竊(ひそ)かに其の意を擬(なずら)へ、書數巻を著はす。號づけて曰はく、「名物獨斷」。愈よ、勤め、愈よ、詳かにす。猶、泉源、袞々とし出でて、休まず。故に、其の名物・品類、窮み無し。亦、四つの序節に隨ひ、蔵蓄の冝(ぎ)、奥(おくぶか)き造釀の法、然も、藁甫脱[やぶちゃん注:意味不明。稲穂の実を採る方法か?]にも及べるなり。家、多難に値(あ)ひ、災厄、兼ねて、到れり。流離塗炭すること、幾(いくば)くぞ。今に在りて、固(もと)より、一つの憾み事と爲れり。間者(このごろ)、書肆某、一部の画册を携へ、懇ろに、序文を徵(しる)さんことを勸む。題して曰はく、「山海名產圖會」、取りて之れを繙(つまびら)けば、輙(すなは)ち、擧げて、吾が東方の、各(おのおの)の其の地の產により、竒種・異味、而して、特に名あるをば、一一(いちいち)、之れを見、図し、乃(すなは)ち、其の制作の始末・事實の證據に至れり。則ち、後(あと)に釋(しやく)を加へ附す。婦児の輩(はい)と雖も、通じて之れを知らしむ。頗る、余の始顚に酬ひる者有るに似たり。畫上(ぐわじやう)[やぶちゃん注:「上」は語素で、漢語名詞に付いて「~に関する」の意を示す。 ]、亡友蔀關月が手に成れり。是れに於いてか、不可以つて序せざるべからず、因つて、逑(あつ)むる所の牚(はしら)を備へ、論辨の本意、而して、此の書の緣起に及ぶこと、此くのごとし。嗟乎(ああ)、芥(あくた)・珀(はく)[やぶちゃん注:宝石。]・磁[やぶちゃん注:磁器。]・䥫(てつ)と雖も、其の理(ことわり)、皆、自然より出づ。得べからずして強なり。天地が間の產類、千万、以つて博(ひろ)く辨じて要と爲せり。否、則ち、百藥物より、瑣瑣たる食品に至れるも、謬りて採ることを免かれず。况んや、君子の天より藏するの地の韞匱(うんい)[やぶちゃん注:「韞」は「藏」に同じで「収蔵する」の意で、「匵」は「箱」の意。]に於いてをや。天下に與(くみ)して、共(きやう)する者なり。

寬政戊午臘月旦浣(たんくわん)[やぶちゃん注:寛政十年戊午十二月一日、或いは、十日、或いは、その間の意。グレゴリオ暦では、この十二月一日は、既に一七九九年一月六日である。

      木邨孔恭(きむらこうきやう)識

        [落款][落款]

   *

「邨」は「村」の異体字。落款の上のものは「木孔龔」(本名の孔恭の別字であるが、「龔」の歴史的仮名遣は「きよう」となる)、下のものは「木世肅」(蒹葭堂の別号)と思われる。孰れも唐風名である。

【2021年8月26日:本文及び訓読の修正と追記】早速、私の古参の教え子S君がFacebookで、末尾の判読不能の一字と私の誤判読(数字有り)の指摘とともに、末尾部分を現代語訳して呉れた。以下に示す。『天地の千万もの産物を弁別して役に立てる。さもないと、百薬の類から瑣瑣たる食品に至るまで、誤って採取してしまうぞ。ましてや、君子が天地から得た貯蔵品にも(間違いが生じてしまう)。(だからこの著作を)天下に対(与)して、共(供)するものだなあ! 』。心より感謝申し上げるものである。なお、これに伴い、注の一部も修正してある。【2021年9月2日:本文及び訓読の修正と追記 】今朝、同じS君が上記全文について、判読と以上の全訳を試みて呉れた。やはり複数の誤判読があったので、即刻、訂正した(訓読も修正した)。また、S君の現代語訳は非常に判り易いので、少し私が割注を入れたものを以下に示す。

■S君の現代語訳(一部の表現に私が手を加えた。S君の了解を得てある)

 一昔前の人が物産に対するに、「本草綱目」に導かれ、山海の夥しい産物を認識して、漏らすところがなかった。向観水(こうかんすい)にはじまり、稲若水(とうじゃくすい)・松怡顔(しょういがん)・島彭水(とうほうすい)などの人々は、まことに秀でたもので、物産を網羅するに欠けるところがなかった。

[やぶちゃん注:「向観水」向井元升(むかいげんしょう 慶長一四(一六〇九)年~延宝五(一六七七)年)は江戸前期の医師・儒学者。肥前国神崎(かんざき)生まれ。初名は玄松で、晩年に元升と改めた。号に観水子があり、ここはその唐風名。二十歳で医業を始め、筑前の黒田侯や皇族の病気を治療して、名声を揚げた。私塾「輔仁堂」を開き、堂内に孔子の聖廟を建てて、儒学を教えた。門人に貝原益軒がいる。松尾芭蕉の高弟向井去来は彼の次男である。

「稲若水」初名は稲生若水(いのうじゃくすい 明暦元(一六五五)年~正徳五(一七一五)年)は江戸中期の本草学者。名は稲生正治或いは宣義で、号を若水としたが、後に唐風に稲若水を名乗りとした。父は淀藩の御典医稲生恒軒で、江戸の淀藩の屋敷で生まれた。医学を父に学び、本草を福山徳順に学んだ。元禄六(一六九三)年に金沢藩に儒者役として召し出され、壮大な本草書「庶物類纂」の編纂を命ぜられた。同書は三百六十二巻で未刊に終ったが、後に丹羽正伯が引き継ぎ、一千巻とした。著書はほかに「食物伝信纂」・「炮灸全書」・「詩経小識」・「本草綱目新校正」などがあるが、ここで蒹葭堂の言及する「採薬独断」という書は、調べても、見当たらない。現存しないものと思われる。

「松怡顔」松岡恕庵(じょあん 寛文八(一六六八)年~延享三(一七四六)年)は江戸中期の本草家で京都出身。名は玄達。別号の怡顔斎(いがんさい)で知られ、ここはそれと姓と結合した唐風名。儒学を山崎闇斎・伊藤仁斎に、本草を前に注した稲若水に学んだ。享保六(一七二一)年、幕府に招かれ、薬物鑑定に従事した。門弟に、かの小野蘭山がいる。

「島彭水」津島恒之進(つねのしん 元禄一四(一七〇一)年~宝暦四(一七五五)年)は江戸中期の本草家。越中国高岡の酒屋照成の三男として生まれた。名は久成で、後に恒之進と変えた。彭水は号の一つで、ここは姓との結合縮約した唐風名。京都に出て、先に注した松岡恕庵に入門し、その塾頭となった。宝暦元(一七五一)年頃から、毎年、大坂に下り、本草会を開催している。この会は数年しか続かなかったが、後に本草家によって、江戸や関西各地で開かれる「薬品会」(物産会)の先駆けとなり、「薬品会」は自然物の展示のみに留まらず、広い意味での知識の交流、啓蒙の場となり、明治中期まで続いた。門下から、この木村蒹葭堂や「雲根志」で知られる石フリークの木内石亭らが出た。以上の注は総て信頼出来る辞書や資料を、複数、見て、合成した。]

 私は、その伝統を預かり、今まで、数十年の苦心を費やし、人がまだ見たことのない物を見、人が判断したことのない物を判断し、まこと、隠れた道理と、世の不思議の探求を極めたのであったよ。

 聞くところによると、稲氏若水(とうしじゃくすい)は「採薬独断」を著したという。平生から深く思いを致し、最終的に帳の内深くに隠され、秘書とされたのだった。

 そもそも、あらゆる物が山奥に秘匿され、人の世に伝わらないというのは、実に惜しいことだ。

 私は先人たちを慕う心に堪え切れず、彼らのやり方を密かに真似て、数巻の書を著し、「名物独断」と名付けたものの、勉めれば勉めるほど、事実は複雑で、泉のように滾々と湧き出でて、これ、尽きることがないがゆえに、産物の名を挙げきることは、できなかった。

 また、四つの序節に於いて、保存の方法、発酵させる方法、さらには脱穀の方法にまで記述が及んだ。

 しかし、まさに家が多難を受け、災厄が立て続けに襲い来たって、幾度、塗炭の境遇に落ちたことか! 今、その一事を、甚だ、遺憾に思うのである。

 そうしている頃に、書肆某が、画帖一部を携えて現われ、

「序文を、ものしてくれ。」

と求めてきた。

 その題は「山海名産図会」というものだった。

 これを繙いてみれば、吾が東方の産物や、奇種や、特産品などを挙げ、新たに名付けたりしている。

 一つ一つの図を見てみれば、その制作の成り行きの実際の証左となっており、注釈までつけて、相手が婦女子や子供であっても、これを知らしめるようにしてある。

 ここには、すこぶる、私自身の取り組みに報いてくれるものがあるようだし、さらに言えば、絵は、今は亡き友の蔀關月の手になるものなのだ。そうであってみれば、序文を書いてやらぬ手はない。

 冊子に添えて支えとするものとして、思うところを論じてやった。この書の縁起は斯様なものである。

 ああ! 塵芥(ごみ)も宝石も磁器も金属も、みな、自然から来たったものであり、それだけで永遠に存在する強い物では、ないのだ!

 天地の千万もの、産物を弁別して、役に立てるべきだ!

 さもないと、百薬の類から、瑣瑣たる食品に至るまで、誤って採取してしまうぞ!

 ましてや、君子が天地から得た貯蔵品にも間違いが生じてしまう!

 だからこそ、この著作を天下に対して、供するものである! 

 

 以下、「跋」と附記(絵師蔀関月の記名)及び広告文と奥書。「跋」は私には判読できない部分が多いが、力技でやっつけた(唯一、先の書誌情報のみが前半の判読の頼みの綱である)。画像と比較して読まれる読者のために、「□翻刻1」では底本通りに読点を打ち、改行も同じにした。意味は無論、ところどころしか判らないが、「□翻刻2」では、牽強付会の謗りを気にせず、ゴリ押しで意味の通りそうな部分を試みに読み換えてみた。

【2021年9月1日追記:今朝方、判読不能字を再度、検証し直してみた(現在まで援助者は上に示した教え子の一つきりである)。崩し字の判読によく使う「人文学オープンデータ共同利用センター」の「くずし字データベース検索」を利用し、判読不能字(私の勝手な判読でである)を一字だけにすることが出来た。】

 以下、「跋」。画像は後の絵師蔀についての補記と広告文を一緒に載せた。]

 

Batu1

 

Batu2

 

□翻刻1

 

こよ、補世ありしほとにおもひはしめにたる木の

下露を、みなの川波のかすかすになん、かきなかしぬる

関月かいさほし也けり、そも、遠つ國のことうかまは、

かこのよすかもとむなとしつゝとしこすのへおく

をめさるものにて、なとなとまうさんきはになん、あから

さまにあつめぬるか、ゝつ、おもはすかし云とそ聞ゝぬ、

かくて、まなひ子藍江その名殘につきて、露けし

袖の外に、ほころふるふしをきぬひ侍り、おのれ

亦かたはらのことかきをたちいらへつ、つひによるせありて、

いつもの花の五卷とはなりぬ抑むかし、高く好すに

しられ、をさして、寶のくにと聞ゝしはそかことや、あかれ

りしよの心のヿしらねと、そのかみ、とうへて、はちめし

らぬ、稲田のひえにて、もし、■にあらはし字は、なく、

人わろけにもやあらんかし、ましてかしこくも、なよたけ

恋よしになんふりにたる、みをくのあまりて、四民のとれる

なるわさにまれ、おのれまちにさらんと、みをつくし

ふかふかたとり、山の井とあさはかなる事たにつゆたらさる

時なし、さるは、人のくにの方物をは、ゝかにひえ田のあ

れのみなかかす事をへす、されはあめの下にして、

寶のくにといはんまて、こゝをおきて、いつれか、後つかふ、

蓬萊の玉の枝、つはめの巣の子やす貝なともいてき、

なを、此編のゝちのことことさふのて、あしふきのもく

さたるらん、

  寛政十嵗、むまのとし 勢都都、那尓波江

  迺、みち、しるす

 

□翻刻2(無理矢理に段落を成形し、推定で歴史的仮名遣で読みを添えた。思うに、この筆者は原著者と言っている人物の妻かと思われる。但し、仮託の可能性を否定出来ない。)

 

 こよ[やぶちゃん注:「此世」或いは「今宵」か?]、補世[やぶちゃん注:「朝日日本歴史人物事典」では平瀬徹斎の名を「補世」とする。輔世と同じで、「すけよ」と読むか。]、ありしほどに、憶ひは、しめに[やぶちゃん注:「濕に」。]、たる木[やぶちゃん注:「垂木」「椽」。]の下露を、みなの川波の[やぶちゃん注:「みなの川」は「男女川」で現在の茨城県つくば市を流れる利根川水系の河川。筑波山から南流して、つくば市で桜川に注ぐ。「水無川」とも称し、歌枕として知られる。ここは「數々」を引き出すための枕詞。]、かずかずになん、かきながしぬる関月[やぶちゃん注:本書の絵師。]がいさほし[やぶちゃん注:歴史的仮名遣は「勳(いさを)し」。功績。この文は歴史的仮名遣の誤りもあって、何重にも読み難い。]也けり。そも、

「遠つ國のこと、うかまば[やぶちゃん注:「浮かまば」。]、かこ[やぶちゃん注:「浮く」に掛けた「水主」(船頭)であろう。]のよすがもとむ[やぶちゃん注:「縁(よすが)求む」か。]などしつゝ、としこすのへ[やぶちゃん注:「年越すの端」か。]、おくを、めざるものにて[やぶちゃん注:意味不明。]などなど、まうさんきはになん、あからさまに、あつめぬるが、かつ、おもはずかし。」

云ふとぞ、聞きぬ。

 かくて、まなひ子[やぶちゃん注:愛弟子。蔀関月の、である。]藍江、その名殘(なごり)につきて、露けし袖の外に、ほころぶるふしを、きぬひ侍り[やぶちゃん注:「絹地で補綴致しました」の意か。]、おのれ、亦、かたはらの、ことがきを、たちいらへつ[やぶちゃん注:この筆者が補注を「截(た)ち入れた」というのである。]。

 つひに、よるせ[やぶちゃん注:「寄る瀨」。「援助して呉れる人物があって」か。]ありて、いつもの[やぶちゃん注:書肆としての常の仕事として。]、花の五卷とは、なりぬ。

 抑(そも)、むかし、高く好ず[やぶちゃん注:「好事」。]にしられ、をさして[やぶちゃん注:「長」であろう。代表の先導者となって。]、

「寶のくにと聞ゝしは、そがことや。」

あかれりしよ[やぶちゃん注:意味不明。「上がれり書」で板行した本の意か。]の心のこと、しらねど、そのかみ、とう、へて[やぶちゃん注:「薹、經て」か。]、はぢめしらぬ[やぶちゃん注:「始め知らぬ」か。]、稲田のひえ[やぶちゃん注:「稗(ひえ)」か、]にて、

「もし、■[やぶちゃん注:「猥」(みだり)を想定してみたが、(つくり)の部分がしっくりこない。]にあらはし字[やぶちゃん注:「事」の可能性もあるが、崩しとしては「字」に分がいい。]は、なく、人わろげにもや、あらんかし[やぶちゃん注:転じて、謙遜で、『人によっては、「たいした作品でもなく、体裁や外聞が悪いね」とも感ぜらるるかも知れぬ。』という意か。]。まして、かしこくも、『なよたけ』、恋し。」[やぶちゃん注:全体に意味不明。「なよたけ」(細くしなやかな竹)が如何なる対象を指すか不詳。この筆記者を指す愛称ととると、腑には落ちる。]

よしになん、ふりにたる。

 みをく[やぶちゃん注:「身奥」で「内心の深い執着の思い」か。]のあまりて、四民のとれるなるわざにまれ、おのれ[やぶちゃん注:自然に。]、『まちにさらん』[やぶちゃん注:意味不明。]と、みをつくし、ふかぶか、たどり、山の井ど、あさはかなる事だに、つゆ、たらざる時、なし[やぶちゃん注:「みをつくし」は「身を盡し」に「澪標」を掛けて「山海」の「海」を匂わせ、「深々」とそこを辿って行くと、陸の水脈から「山の井戶」へと導かれて、「山海」の「山」に通ずるという趣向となっている。]。

 さるは、人のくにの方物[やぶちゃん注:その地「方」で知られる「物」産の意か。]をば、はかに、ひえ田のあれの[やぶちゃん注:「稗田阿禮」。「禮」の崩し字を縦覧したところ、悪筆の場合、「豐」だけの崩しとしたものに酷似したものがあり、更に「れ」の「連」の崩しの中にも酷似したものがあったので確定した。]、みな[やぶちゃん注:「皆」或いは「御名」か。孰れでも意味は通るから、掛詞かも知れない。]、かかす事を、へず[やぶちゃん注:「得(え)ず」の意であろう。かの「古事記」の筆録者とされる稗田阿礼に譬えた謂いである。]。

 されば、あめの下にして、「寶のくに」といはんまで、こゝを、おきて、いづれか、後(のち)、つかふ、「蓬萊の玉の枝」・「つばめの巣の子やす貝」なども、いでき。

 なを[やぶちゃん注:「猶」(なほ)。]、此編のゝちのことごと、さふのて[やぶちゃん注:意味不明。「双(さう)の手」か?]、あしふきのもくさ[やぶちゃん注:「足吹きの艾(もぐさ)」か? 枕詞「あしびきの」のパロディであろうが、何を言いたいのか判らぬ。「両の手足に灸を据えては、頻りに頑張ってはみるけれども。」の意か。]、たるらん[やぶちゃん注:「足るらん」。「効果があるかどうか?」の意か。全体に朦朧な表現だが、この掉尾の部分は本書の続編(後注参照)を出版する予定があったことを示唆しているようには読める。]。

  寛政十嵗 むまのとし 勢都都(せつつ)[やぶちゃん注:「攝津」。最初の字は「勢」の、最後の字は「都」の、それぞれの甚だしい崩し字に似ており、以下の「浪華江」の前にあるべきものでもある。] 那尓波江(なにはえ)[やぶちゃん注:「浪華江」。]迺(の)「みち」 しるす。[やぶちゃん注:当初、「しはす」で「師走」と判読していたが、どうもここで頭の年から離れて末尾に月を出すのはおかしいこと思い、よく見ると、この二つ目の字は「波」の崩しであることに気づいた。されば、「記す」で擱筆に相応しくなる。]

[やぶちゃん注:癖の激しい崩し字で、地下文書として見てもかなり難物である。筆者は総合的に見て、女性で、相応の和歌の知識なども持ち合わせている。素直に読むなら、千種屋新右衛門こと平瀬徹斎輔世にごく親密であった妻かとも思われてくるのだが、 女性とするのは、仮託の可能性もある。そもそも木村蒹葭堂が「序」の中で、この跋文に全く触れていない(それが唯一の本跋文筆者を明らかにする唯一の場所であるのに、である)ことが、大きな不審であり、蒹葭堂が販売促進のために(「不思議な一文が載ってるぜ」と噂が立てば、当然、売れ行きは上がる)知られた書肆主人の平瀬を想起させるようにでっち上げた文章である可能性も否定出来ないように思われる。

 

――――――――――――――――――――――――

 

 𤲿圖   法 橋 關 月 [落款]

 

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[やぶちゃん注:落款は蔀関月の名の「德基」である。

 以下、広告。解説部は字下げが行われてあるが、無視した。]

 

日本山海名物圖會 長谷川光信画全五冊

金銀銅鉄の仕製(しせい)、漁人の鯨をとるの擡功(だいこう)なる、有馬細工の竒巧なる、凡そ山川(さんせん)毎陸(まいりく)の產物を画圖にし、これに注釋を加ふ名產圖會となし、はせ見るへき、ひとへに世の宝とすべきの業(しよ)也。

 

[やぶちゃん注:酷似した書名であるが、全くの別物で、本書「日本山海名産図会」の真の作者ともされる平瀬徹斎著で長谷川光信画。「文化遺産オンライン」の当該書の解説に、『日本各地の産物の生産や捕採の技術を図示し』、『解説を加えた本。全』五『巻からなり』、一『巻に鉱山』、二『巻に農林系加工品』、三・四『巻に物産』、五『巻に水産に関することが記されており、その中には豊後の物産として「河太郎」(=河童)のことも紹介されている。所収された画図は全部で』九十三『図におよび、採鉱用の諸道具、製鉄用のたたら、樟脳製法の図などは技術史上貴重なものとされている。なお本書は』、宝暦四(一七五四)年の『初版から』、実に四十三年も経った、本書刊行の前年の寛政九(一七九七)年に『再版された』とある。その寛政九年版は国立国会図書館デジタルコレクションで全巻を視認出来る

 なお、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の文政一三(一八三〇)年版では、版組みが異なっていて、こうなっているが、そこには、この広告ではなく、「山海名産圖會 續編 近刊」とあり、本書の再版と思われる寛政十一年版の時点では、続編が予定されていた(これは「跋」の終りの部分にも仄めかされている)ことが判る。但し、実際には続編は刊行されなったものと思われる。

「擡功」高々と掲げるに足る鯨捕りの勇猛果敢さの謂いであろう。

「はせ見るへき」「馳せ見るべき」の意でとった。書肆に駆け込んで見るに値する本というキャッチ・コピーと読んだ。

「業(しよ)」読みは書(しょ)の当て訓。

 以下、奥書。画像はリンクのみとした。字の大きさは再現していない。]

 

寬政十一未年正月發行

 

               吉 田 松林堂

             梶木町渡邊筋

               播磨屋 幸兵衛

  浪華書林      心齋橋南久太郎町

               鹽 屋 長兵衛

             

               鹽 屋 卯兵衛

[やぶちゃん注:改丁。]

 

 和漢

   書籍賣捌所

 西洋

――――――――――――――――――――――――

    大阪心齋橋通北久太良町

  積 玉 圃  栁 原 喜 兵 衛

 

[やぶちゃん注:町名表記の違いはママ。おや? この「南久太郎町」は知ってるぞ! 芭蕉が最期を迎えた花屋仁左衞門の家のあったところじゃないか。偽書であるが、長く一級資料とされてきた私のPDF縦書版電子化注である文曉「芭蕉臨終記 花屋日記」を見られたい。4コマ目中央より少し前に出る。]

2021/08/23

日本山海名産図会 第一巻 造醸 本文(2) / 日本山海名産図会 本文電子化注~了

 

釀酒★(さけのもと)【米五斗を「一★」といふ。「一つ仕𢌞(しまい)」といふは、一日、一元づゝ、片た付け行くを、いふなり。其余倚(よはい)余倚[やぶちゃん注:後者は底本では踊り字「〱」。しかし、「余倚」の意は不明。以下の述部を見るに、「その他にオプションで必要とする処理・作業」の謂いであろうか。]は酒造家(さかや)の分限に應ず。】[やぶちゃん注:「★」=「酉」+「胎」。酒造段階での隠語の漢字ではあろう。しかし、実際、この後でも前に出た判読不能字の「※」と同様に「もと」と読んでおり、読者の中には、『「※」と「★」は同じ「酉」+「胎」なのではないか?』と思われる方も多いかと思う。但し、「胎」の字の崩しを見たが、「指」のようになったものは、見受けられないことと、さらに言うなら、現在の底本頁を見て戴きたいのだが、右頁三行目の項名の「釀酒★(さけのもと)」や、割注のごく小さい「一★」の「★」は、はっきりと「酉」+「胎」であるのに、その解説文内の右頁後ろから三行目下から八字目の「※」は、明らかに「酉」+崩した「指」のような字体で彫られてあるのである。彫り師が違うならまだしも、どう見ても、同一人が彫った版木の中で、しかも同じ頁の中で、同じ字をこんなに違った彫り方をするとは、私には思えなかったのである。「字の大きさで違うんじゃない?」と言われるなら、「割注の小さな字は、何故、崩しでないのか?」と逆に問おう。しかし乍ら、叙述の内容からは、確かに、この「※」と「★」は同じ「もと」で別な「もと」とは思われない。しかし、私は本電子化では、あくまで表記には拘って濁音であるべきところも、清音のママなら、そうしてきた。されば、私は「※」と「★」を使い分けておくこととする。しかし、言っている傍から、「※」=「★」であることが証明される一字が出現してしまうのであるが。]

定(しやう)日三日前に米を出し、翌朝(よくてう)、洗らひて、漬(ひた)し置き、翌朝、飯に蒸して、筵へあげて、よく冷やし、半切(はんきり)[やぶちゃん注:「はんぎり」。「半桶」「盤切」とも書き、盥(たらい)の形をした底の浅い桶。「はんぎれ」とも呼ぶ。以下の「其三」に描かれた大きな丸い桶のことであろう。]八枚に配(わか)ち入るゝ【寒酒なれば、六枚なり。】。米五斗に麹一斗七升・水四斗八升を加ふ【増減、家々の法あり。】、半日ばかりに水の引くを期(ご)として、手をもつて、かきまはす、是れを「手元」と云ふ。よるに入りて、械(かひ)にて摧(くだ)く、是れを「やまおろし」といふ。それより、晝夜(ちうや)、一時に一度宛(づゝ)拌(か)きまはす【是れを「仕こと」ゝいふ。】。三日を經(へ)て、二石入の桶へ、不殘、集め収め、三日を經(ふ)れば、泡を盛り上(あぐ)る。是れを「あがり」とも、「吹き切り」とも云なり【此の機(き)を候(うかゞ)ふこと、丹練の妙ありて、こゝを大事とす。】。これを、復た、「※(もと)をろし」の半切二枚にわけて、二石入の桶ともに、三となし、二時にありて、筵につゝみ、凡そ六時許には、其の内、自然の温氣(うんき)を生ずる【寒酒は、あたゝめ、桶に湯を入て、「もろみ」の中へ、さし入るゝ。】を候(うかゞ)ひて、械(かい)をもつて、拌(か)き冷(さま)すこと、二、三日の間(あひだ)、是れ又、一時、拌(かき[やぶちゃん注:ママ。「かく」の誤刻か。])なり。是までを「★(もと)」と云ふ。

(そへ)【右※(もと)の上へ、米麹・水を、そへかけるをいふなり。是を「かけ米」、又、「味(あじ)」ともいふ。】

右の※(もと)を、不殘、三尺桶へ集め收め、其の上へ、白米八斗六升五合の蒸飯(むしはん)、白米二斗六升五合の麹に、水七斗二升を加ふ、是を「一★(=※)」[やぶちゃん注:これが「※」=「★」の証拠である。底本のここの左頁の四行目下から十二字目。この字は「酉」の右手(漢字の中央)に「子」の崩しのような字が挟まり、その右手には明らかに「台」があるからである。但し、以下でも字体の識別は行う。]といふなり、同じく晝夜、一時、拌きにして、三日目を「中(なか)」といふ、此の時、是れを、三尺桶二本にわけて、其の上へ、白米一石七斗二升五合の蒸飯、白米五斗二升五合の麹に、水一石二斗八升を加へて、一時拌(か)きにして、翌日、此の半ばを、わけて、桶二本とす。是れを「大頒(おほわけ)と云ふなり。同く、一時拌きにして、翌日、又、白米三石四斗四升の蒸飯、白米一石六斗の麹に、水一石九斗二升を加ふ【八升は「ほんぶり」といふ桶にて、二十五盃なり。】。是れを「仕廻(しまい)」といふ。都合、米・麹とも、八石五斗、水、四石四斗となる。是より、二、三日、四日を經て、氳氣(うんき)[やぶちゃん注:発酵による熱と蒸気。]を生ずるを待ちて、又、拌きそむる程を候伺(うかゞ)ふに、其の機發(きはつ)の時あるを以て、大事(たいし)とす。又。一時拌として、次第に冷まし、冷め終るに至つては、一日、二度、拌とも、なる時[やぶちゃん注:「馴る」か。攪拌しても、発酵が有意に怒らなくなる時か。]を、酒の成熟とは、するなり。是を三尺桶

 

S3

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした(以下同じ)。キャプションは、

其三

★おろし

である。]

 

四本となして、凡、八、九日を經て、あげ、桶にてあげて、袋へ入れ、醡(ふね)[やぶちゃん注:この字は「酒を搾る」の意だが、ここでは入れ物の意で用いている。]に滿たしむる事、三百餘より五百までを度(ど)とし、男柱(おとこはしら)[やぶちゃん注:搾酒機の突き出た太い棒。「其五」の右上に雲の下に隠れて少しだけ見えるそれ。]に、數々の石をかさねて、次㐧に絞り、出づる所、淸酒なり。これを「七寸」といふ。澄(すま)しの大桶に入て、四、五日を經て、その名を「あらおり」、又、「あらばしり」と云。是を四斗樽につめて出だすに、七斗五升を一駄として、樽二つなり。凡、十一、二駄となれり。○右の法は、伊丹鄕中(がうちう)一家(か)の法をあらはす而已(のみ)なり。此の余は、家々の秘事ありて、石數(こくすう)・分量等(とう)、各(おのおの)、大同小異(たいとうしやうい)あり。尤(もつと)も、百年以前は八石位より、八石四、五斗の仕込にて、四、五十年前は、精米八石八斗を極上とす。今、極上と云ふは、九石余、十石にも及へり。古今、變遷、これまた、云いつくしがたし。○「すまし灰(はい)」を加ふることは、下米酒(しまひしゆ)・薄酒(はくしゆ)、或ひは*酒(そんじさけ)の時にて[やぶちゃん注:「*」=「罃」-「缶」+「酉」。行程を仕損じた酒の謂いであろう。]、上酒に用ゆることは、なし。○間酒(あひしゆ)[やぶちゃん注:初秋に造る酒。今で言えば、九月下旬の残暑の厳しい折りに醸造する酒を指す。乳酸菌の発酵が容易であるなどのメリットはあったが、強烈な臭気を放ったとされる。]は、米の増し方、むかしは新酒同前に三斗増なれども、いつの頃よりか、一★(もと)の酘(そへ)[やぶちゃん注:「そひ」とも読む。「添」の意で、清酒の醸造過程で、酴(もと)[やぶちゃん注:濁り酒。どぶろく。]を仕込んで、一定期間後に加える、蒸した白米と麹と水との総称。]、五升増、中(なか)の味(み)、一斗増、仕𢌞(しまい)の増、一斗五升增とするを、佳方(かはう)とす。「寒前」・「寒酒」、共に、これに准ずべし。「間酒」は、「もと入」より、四十余日、「寒前」は七十余日、「寒酒」、八、九十日にして、酒を、あくるなり。尤も、年の寒暖によりて、増減駈引(かけひき)・日數(かず)の考へあること、専用なり、とぞ。○但し、昔は「新(しん)酒」の前に「ボタイ」といふ製ありて[やぶちゃん注:ウィキの「菩提酛」に詳しい製法が記されてあるので見られたいが、非常に古い醸造法で、『平安時代中期から室町時代末期にかけて、もっとも上質な清酒であった南都諸白のとりわけ奈良菩提山(ぼだいせん)正暦寺(しょうりゃくじ)で産した銘酒『菩提泉(ぼだいせん)』を醸していた』。『時代が下るにつれ、やがて正暦寺以外の寺の僧坊酒や、奈良流の造り酒屋の産する酒にも用いられ』、『室町時代初期『御酒之日記』、江戸時代初期『童蒙酒造記』などにその名を残し、当時の日本酒の醸造技術の高さを物語っている』。『今日でいうザルの一種である笊籬(いかき)を使うことから「笊籬酛」とも呼ばれた』とあり、近年、再現に成功しているそうである。]、これを「新酒」とも云ひけり。今に山家(やまか)は、この製のみなり。大坂などゝても、むかしは、上酒は、賤民の飲物にあらず、たまたま嗜むものは、其家に、かの「ボタイ酒(しゆ)」を釀せしことにありしを、今、治世二百年に及んて、纔(わづ)か其日限りに暮らす者とても、飽くまで飮樂して、陋巷(ろうこう)に手を擊ち、「萬歲」を唱(との)ふ。今、其時にあひぬる有難さを、おもはずんば、あるべからず。

(こめ)

★米は地𢌞(ちまは)りの古米、加賀・姫路・淡路等(とう)を用ゆ。酘米(そへまい)は、北國(ほつこく)古米、㐧一にて、秋田・加賀等を、よしとす。「寒前(かんまへ)」よりの元は、高槻・納米(なやまい)[やぶちゃん注:前後から見ると、現在の大阪府内にあった地名と推理はするが、ネットでは全くヒットしない。]・淀・山方(やまかた)[やぶちゃん注:並列地名から見て、江戸時代から明治の初頭にかけて美作国大庭郡にあった村名か? 古見村が古見村山方と古見村原方に分村したとされる。ここは個人サイト「民俗学の広場」の「地名の由来」の『「やまがた」の地名』に拠った。]の新穀を用ゆ。

 

S4

 

[やぶちゃん注:キャプションは、

其四 酘中大頒(そへなかおほわけ)

である。]

 

舂杵(うすつき)

酛米(もとまひ)は、一人、一日に四臼(ようす)【一臼(ひとうす)一斗三升五合位。】。酘米(そへまひ)は、一日、五臼、上酒(じやうしゆ)は四臼、極めて精細ならしむ。尤も古杵(ふるきね)を忌みて、これを継(つ)くに、尾張の五葉(ごよう)の木[やぶちゃん注:杵材には樫や檜が用いられるが、マツ類には五葉のものがあり、後者の檜は裸子植物門マツ綱マツ目ヒノキ科 Cupressaceae であるから、それか。]を用ゆ。木口(こくち)、窪(くぼ)くなれば、米、大きに損ず故に、臼𢌞(うすまは)りの者、時々に、是を候伺(うかゞ)ふ也。尾張の木質(きしつ)、和らかなるを、よしとす。

洗浄米(こめあらい)

初めに井の經水(ねみづ)[やぶちゃん注:漢字はママ。ここは滞留した古い汚れた水の意であろう。]を汲み涸(か)らし、新水(しんすい)となし、一毫(いちごう)の滓穢(をり)も去りて、極々、潔(いさき)よくす。半切一つに、三人がかりにて、水を更(か)ゆること、四十遍、寒酒は五十遍に及ぶ。

家言(かけ)[やぶちゃん注:醸造業者の専門用語の意であろう。]

○杜氏(とうじ)【○酒工(しゆこう)の長(てう)なり。また、「おやち」とも云。周の時に杜氏の人ありて、その後葉(こうよう)杜康(とこう)といふ者、よく酒を釀(かも)するをもつて、名を得たり。故に擬(なそら)えて号(なづ)く。】

○衣紋(ゑもん)【○麹工の長なり。「『花を作る』の意をとる」と、いへり。一說には、中華に麹をつくるは、架下(たるのした)に起臥して、暫くも安眠なさざること、七日、室口(むろのくち)に「衞(まも)る」の意にて「衞門(えもん)」と云ふか。】

釀具(さかだうぐ)

「半切」、二百枚余【各(おのおの)、一つ、「仕廻(しまい)」に充てる。】。○「酛おろし桶」、二十本余。○「三尺桶」、三本余。○「から臼」、十七、八棹。○「麹盆」、四百枚余。○「甑(こしき)」[やぶちゃん注:日本酒の原料米を蒸すための大型の、蒸籠(せいろ)に似た蒸し器。]は、かならず、薩摩杉の「まさ目」を用ゆ。木理(きめ)より、息の洩るゝを、よしとす。其の余の桶は「板目」を用ゆ。○「袋」は、十二石の醡(ふね)に三百八十位。○「薪」、入用は一酛にて、百三十貫目余なり。

製灰(はいのせひ)

「豊後灰」壹斗に、「本石灰」四升五合、入れ、よく、もみぬき、壺へ入れ、さて、はじめ、ふるひたる灰粕(はいかす)にて、「たれ水」を、こしらへ、「すまし灰」の、しめりにもちゆ。尤も、口傳あり。

なをし灰(はい)

「本石灰」壹斗に、「豊後灰」四升、鍋にて、いりて、しめりを加へ、用ゆ。○「圍酒(かこひさけ)」[やぶちゃん注:一般には、清酒を火入れの後、貯えておくこと。また、その酒を指し、仕込み期間の最後の火入れ工程の後に、一定期間「囲い酒」として貯蔵される。但し、以下の「入梅」とあることから、これは「夏囲(なつがこ)い」で、火入れをした清酒を夏期に貯蔵することで、当時は「夏囲い桶」という真新しい大桶に入れられたが、夏場の保存は困難を極めたであろう。]に火をいるゝは、入梅の前を、よしとす。

味醂酎(みりんちう)

 

S5

 

[やぶちゃん注:キャプションは、

其五

もろみを拌(か)く

袋にいれて醡(ふね)に積む

酒「あげすまし」の図

である。]

 

燒酎十石に糯白米(もちこめ)九石貳斗、米麹二石八斗を、桶壹本に釀す。翌日、械(かい)を加へ、四日目、五日目と、七度ばかり、拌きて、春なれば、廿五日程を期(ご)とすなり。昔は、七日目に拌きたるなり。○「本直(ほんなを)し」[やぶちゃん注:味醂の醪(もろみ)に焼酎や酒精(アルコール)を加えて製した甘い酒。「なおし味醂」「柳陰(やなぎかげ)」などとも称した。]は、燒酎十石に糯白米貳斗八升、米麹壹石貳斗にて、釀法、味醂のごとし。

 

釀酢(すつくり)

黑米(くろこめ)二斗、一夜、水に漬たして、蒸飯(むしはん)を和熱(くわねつ)の侭(まゝ)、甑(こしき)より、造り桶へ移し、麹六斗、水壹石を投じ、蓋(ふた)して、息の洩れざるやうに、筵(むしろ)・菰(こも)にて、桶をつつみ纒(まと)ひ、七日を經て、蓋をひらき、拌(か)きて、また、元のごとく、蓋(ふた)して、七日目ことに、七、八度宛(づゝ)、拌きて、六、七十日の成熟を候(うかゞ)ひて後(のち)、酒を絞るに同し【酢は、食用の費用は、すくなし。紅粉(へに)・昆布・染色(そめいろ)などに用ゆること、至つて夥し。】これまた、水(すい)・圡(ど)、家法の品、多し。中(なか)にも、和刕小川[やぶちゃん注:現在の大阪府松原市小川か。]・紀の國の粉川(こかわ)[やぶちゃん注:和歌山県紀の川市粉河(こかわ)。]・兵庫北風(きたかぜ)[やぶちゃん注:後注参照。]・豊後舩井(ふない)[やぶちゃん注:不詳。大分県大分市府内町なら行ったことがあるが?]・相州・駿州の物など、名產、すくなからず。

[やぶちゃん注:「兵庫北風」これは地名ではなく、兵庫の海浜部一帯に上古より勢力を持った「北風家」一族の内の、最初に北国廻船(ほっこくかいせん)を開いた北風六右衛門家系の一属とその関係者のことであろう。ウィキの「北風家」によれば、第四十七『代良村の後、本家は』二『家に分かれ、宗家は六右衛門』を『嫡家は荘右衛門』『を代々』、『名乗った。宗家は酢の販売』(☜)を、『嫡家は海運業を主に取扱い、張り合いながら』、『繁栄した。今は生田裔神八社の』一『社とされているが、七宮神社は出自が敏馬神社か長田神社といわれ、元々会下山に北風家が祀っていた。また、菩提寺については』、『元々』、『西光寺(藤の寺)であったが、荘右衛門家は能福寺を新に菩提寺とした。北風家は江戸時代、主要』七『家に分かれ、兵庫十二浜を支配した』。『江戸時代、河村瑞賢に先立』って、寛永一六(一六三九)年に『加賀藩の用命』を受けて、『北前船の航路を初めて開いたのは一族の北風彦太郎である。また、尼子氏の武将山中幸盛の遺児で、鴻池家の祖であり、清酒の発明者といわれる伊丹の鴻池幸元が』、慶長五(一六〇〇)年、『馬で伊丹酒を江戸まで初めて運んだ事跡に続き、初めて船で上方の酒を大量に江戸まで回送し、「下り酒」ブームの火付け役となったのも北風彦太郎である』(☜)(☞)『さらに、これは後の樽廻船の先駆けともなった。なお、北風六右衛門家の『ちとせ酢』等の高級酢は江戸で「北風酢」と呼ばれて珍重された。また、取扱店では』、「北風酢颪」(きたかぜすおろし)という『看板を出す酢屋もあったという』(☜)とある。]

[やぶちゃん注:以下は底本では、有意な字下げが行われてある。発句を除いて、総て引き上げた。]

袋洗(ふくろあらひ)○新酒成就の後(のち)、猪名川(いなかわ)[やぶちゃん注:伊丹を南北に貫流する。]の流れに、袋を濯(あら)ふ。その頃を待ちて、近郷の賤民、此の洗瀝(しる)を乞(こ)えり。其の味、うすき醴(あまさけ)のごとし。これまた、佗(た)に異なり。俳人鬼貫、

  賤づの女や 袋あらひのみつの汁

[やぶちゃん注:死後刊行の明和六(一七六九)年刊の「鬼貫句選」に所収し(本「日本山海図会」は寛政一一(一七九九)年刊)、

     伊丹帒洗(ふくろあらひ)

   賤(しづ)の女や帒あらひの水の汁

とある。上島鬼貫(うえじまおにつら)は万治四(一六六一)年生まれで、元文三(一七三八)年に没している。]

愛宕祭(あたこまつり)○七月二十四日、「愛宕火(あたこひ)」とて、伊丹本町通りに、燈を照らし、好事(こうす)の作り物など營みて、天滿天神(てんまてんしん)の川祓(かわはらひ)にも、をさをさ、おとること、なし。この日、酒家(さかや)の藏立(くらたて)等(とう)の大(おほひ)なるを見ん、とて、四方より、群集(くんじゆ)す。是れを題して、宗因、

   天も燈に醉ていたみの大燈篭

[やぶちゃん注:俳人で連歌師の西山宗因(慶長一〇(一六〇五)年~天和二(一六八二)年)は大坂天満宮連歌所の宗匠であった。]

酒家の雇人(ようにん[やぶちゃん注:当て読み。])、此日より、百日の期(こ)を定めて、抱(かゝ)へさだむるの日にして、丹波・丹後の困人、多く、愊奏(ふくそう)すなり。

[やぶちゃん注:「困人(きうしん)」ここは仕事がなく困っている人で、読みは「窮人(きゆうじん(きゅうじん))」を当てたもの。歴史的仮名遣は誤り。

「輻輳・輻湊」が普通。車の輻(や:放射状に出て車輪を支える部分)が轂(こしき:車輪の中央にある「輻」の集まる部分)に「集まる」の意から、「四方から寄り集まること・物事が一ヶ所に集中すること」を言う。]

 

[やぶちゃん注:以下、第一巻の最終頁。「伊丹莚包(いたみむしろつゝみ)の印(しるし)」の図版と、「池田薦包(いけだこもつゝみ)の印(しるし)」図版。それぞれ最後に「餘畧」とある。]

 

Smk

 

[やぶちゃん注:なお、後は本第一巻の標題と木村蒹葭堂孔恭の「序」、及び、第六巻掉尾の「跋」だけを残すが、判読が甚だ困難で(特に後者は難物な上に、文意も採り難い)、暫く、時間がかかる。悪しからず。]

2021/08/22

日本山海名産図会 第一巻 造醸 本文(1)

[やぶちゃん注:非常に長い(第一巻全部)ので、分割する。語注も、もう、精神的に疲れたので、手取り足取りはやめた。悪しからず。]

 

   ○造釀(さけつくり)

酒は、これ、必ず、聖作(せいさく)なるべし。其の濫膓は宋の竇革(とくかく)が「酒譜」に論じて、さだかならず。日本(にほん)にては、「酒」の古訓を「キ」といふ。是れ、則ち、「食饌(け[やぶちゃん注:二字へのルビ。])」と云ふ儀なり。「ケ」は「氣」なり【字音をもつて和訓とすること、例(れい)あり。「器(き)」を「ケ」といふがごとし)。】。神に供し、君に献(たて)まつるをぱ、尊(たつと)みて、「御酒(みき)」といふ。又、「黑酒」(くろき)・「白酒(しろき)」といふは、「淸酒」・「濁酒(だくしゆ)」の事と、いへり。○「サケ」といふ訓儀は、「マサケ」の畧にて、「サ」は助字、「ケ」は、則ち、「キ」の通音なり。又、一名(いちめう)、「ミワ」とも云。是れは、「酒を造る」を「釀(かも)す」といへば、「カ」を畧して「味」の字に冠(かんむ)らせ、古歌に、「味酒(うまさけ)の三輪(みわ)」、又、「三室(みむろ)」といふ枕言(まくらことば)なりと、「冠辭考」には、いへり。されども、「味酒(うまさけ)の三輪」・「味酒の三室」・「味酒の神南備山(かみなみやま[やぶちゃん注:「備」にはルビがない。以下のルビ配置から見て、「び」は前の「み」に吸収されている。]」とのみ、よみて、外に用ひて、よみたる、例、なし。神南備(かみなみ)・三室とも、これ、三輪山の別名にて、他(た)には、あらず。是れによりて、おもふに、「萬葉」の「味酒神奈備(うまざけかみなみ)」とよみしを、本歌として、三輪・三室ともに、神の在(いま)す山なれば、「神(かみ)」といふこゝろを通じて、詠みたるなるべし【「ちはやふる神」と云うを、「ちはやぶる加茂(かも)」「ちはやふる人(うち[やぶちゃん注:「氏(うぢ)」の当て訓。])」と、よみたる例のごとし。】。これによりて、「三輪の神(かみ)」・「松(まつ)の尾の神」をもつて、酒の始祖神とするも、その故なきにしもあらず。又、「日本紀」崇神天皇八年、高橋邑人(さとひと)「活日(いくひ)」をもつて、「大神(おほかみ)の掌酒(さかひと)」とし、同十二月、天王(てんわう)、「大田田根子(おほたたねこ)をもつて、倭大國魂(やまとおほくにたま)の神を祭らしむ。「大國魂」は「大物主(おほものぬし)」と謂ひて、三輪の神なり。されば、爰(こゝ)に掌酒(さかひと)をさだめて、神を祭りはじめ給ひしと見えたり【今、酒造家に帘(さかはた)にかえて、杉をば、招牌(かんばん)とするは、かたがた、其の緣なるへし。】。又、此の後(のち)、大鷦鷯(おほさゝき)の御代(みよ)に、韓國(からくに)より參來(まうき)し、兄曽保利(えそほり)、弟曽保利(おとほり)は、「酒を造るの才あり」とて、麻呂(まろ)を賜ひて、酒看良子(さかみいいらつこ[やぶちゃん注:「い」のダブりは恐らく衍字。])と號し、山鹿(やまか)ひめを給ひて、酒看郞女(さかみいらつめ)とす。酒看酒部(さかみさけべ)の姓、是れより始まる。是より、造酒(さうしゆ)の法、精細と成りて、今、天下日本の酒に及ぶ物なし。是れ、穀氣(こくき)最上の御國(みくに)なればなり。それが中(なか)に、攝刕・伊丹に釀(かも)するもの、「尤も醇雄なり」とて、普(あまね)く、舟車(しうしや)に載せて、台命(たいめい)[やぶちゃん注:貴人の命令。]にも應ぜり。依つて「御免」の燒印を許さる。今も遠國にては諸白(もとはく)をさして、「伊丹」とのみ稱し呼べり。

 

S1

 

[やぶちゃん注:底本からトリミングした(以下同じ)。キャプションは、

 伊丹酒造(いたみしゆさう)

 米あらひの圖

である。]

 

されば、伊丹は、日本上酒(じやうしゆ)の始めとも云うべし。是れ又、古來、久しきことにあらず。元は文祿・慶長[やぶちゃん注:一五九二年から一六一五年まで。]の頃より起こって、江府(かうふ)に賣り始めしは、伊丹隣鄕(りんごう)鴻池村(かうのいけむら)山中氏(やまなかうぢ)の人なり。その起こる時は、纔か五斗一石を釀して、擔(にな)ひ賣りとし、あるいは、二十石・三十石にも及びし時は、近國にだに、賣りあまりけるによりて、馬に負ふせて、はるばる江府に鬻(ひさ)き、不圖(はからず)も多くの利を得て、其の價(あたひ)を、又、馬に乘せて帰りしに、江府、ますます繁盛に隨ひ、石高も限りなくなり、富、巨萬をなせり。繼いで起こる者、猪名寺屋(いなでらや)・升屋と云て、是は伊丹に居住す。舩積(ふなづみ)運送のことは、池田滿願寺屋を始めとす。うち繼いで、釀家(さかや)、多くなりて、今は伊丹・池田、その外、同國西宮・兵庫・灘・今津などに造り出だせる物、また、佳品なり。其の余、他國に於いて、所々、その名を獲(え)たるもの、多しといへども、各(おのおの)、水圡(すいど)の一癖(いつへき)、家法の手練(しゆれん)にて、百味(ひやくみ)、人面(にんめん)のごとく、また、つくし述べからず。又、酒を絞りて、清酒とせしは、纔か、百三十年以來にて、其の前は、唯(たゞ)、飯籮(いかき)[やぶちゃん注:糯米を蒸したりする際に用いる竹製の米揚げ笊(ざる)。]を以、漉したるのみなり。抑(そもそも)、當世、釀する酒は、新酒(しんしゆ)【秋彼岸ころより、つくり初(そ)める。】・間酒(あいしゆ)【新酒・寒前酒の間に作る】・寒前酒(かんまへさけ)。○寒酒(かんしゆ)【すへて、日數も、後程、多く、あたひも、次第に高し。】等なり。能中(なかんつく)、新酒は、別して、伊丹を名物として、其の香芬(かうふん)、弥(いよいよ)、妙なり。是れは、秋八月彼岸の頃、吉日を撰(えら)み定めて、其の四日前に、麹米(かうしこめ)を洗ひ初(そ)める【但し、近年は九月節「寒露」[やぶちゃん注:秋分の後の十五日目、現在の新暦で十月八、九日頃。露が寒冷にあって凝結しようとするの意で、秋の深まりを意味する命名。]前後より、はしむ。】。

[やぶちゃん注:「酒は、これ、必ず、聖作(せいさく)なるべし。其の濫膓は宋の竇革(とくかく)が「酒譜」に論じて、さだかならず」中国由来の酒は天が人に与えたものとする「酒星酒造説」。「中国における酒文化の発展と酒市場の現状」(PDF・二〇一四年十月自治体国際化協会・北京事務所製作)によれば、『中国では古来より、酒は天の酒星が作ったという伝説がある。晋の歴史を記した『晋書』の中に「軒轅の右角南三星を酒旗と曰う、酒官の旗なり、宴饗飲食を主る」と、酒旗すなわち酒星に関する記載がある。なお、軒轅も星に付けられた名前である』。『酒旗星の発見は、今から』三千『年近く前に書かれた儒教経典の一つである『周礼』に記載があり、古代祖先はこの星が宴饗を司る星と考えたため、酒旗星という名を付けている』。『唐代の詩人、李白の『月下独酌・其二』に、「天若し酒を愛せざれば酒星天に在らず」と、天がもしも酒好きでなければ、天に酒星という星はなかったであろうという詩句がある』。『また、宋の時代の竇苹は『酒譜』の中で、「天に酒星有り、酒の作らるるや、其れ天地と并べり」と、酒造りは酒星に始まり、天地が誕生するとともに存在したと述べている』とある。

「松(まつ)の尾の神」古来、酒の神松尾神(由来不明。ウィキの「松尾大社」によれば、『松尾大社側の由緒では渡来系氏族の秦氏が酒造技術に優れたことに由来するとし、『日本書紀』雄略天皇紀に見える「秦酒公」との関連を指摘する』。『しかし、酒神とする確実な史料は上記の中世後期頃成立の狂言「福の神」まで下るため、実際のこの神格の形成を中世以降とする説もある』。『それ以降は貞享元年』(一六八四年)『成立の『雍州府志』、井原西鶴の『西鶴織留』に記述が見える。社伝では社殿背後にある霊泉「亀の井」の水を酒に混ぜると腐敗しないといい、醸造家がこれを持ち帰る風習が残っている』とある)を祀る、現在の京都府京都市西京区嵐山宮町にある松尾大社(グーグル・マップ・データ)。小原隆夫氏のサイト内の謡曲「松尾」に解説に、『この社は賀茂神社と並び京都最古の神社といわれる。現在の松尾大社の後方にある松尾山中頂上近くにある巨岩を信仰の対象とし、一帯の住民の守護神としたのが神社の起源とされているようである。朝鮮から渡来した秦氏がこの地に移住し、農業や林業を興したが、大宝元』(七〇一)年『に現在の地に社殿を建立し、一族が社家をつとめたという。中世以降、醸造の神様として、全国の酒造家などから信仰を集めている。これは、天平』五(七三三)年『に社殿背後より泉が湧き出たとき、『この水で酒を醸すとき福が招来し家業繁栄する』との松尾の神の御宣託があったことに由来しているという。社殿には沢山の酒樽が寄進されている。また亀がこの社の神使とされ、松尾山から流れた渓流が「霊亀の滝」となり、霊亀の滝の近くに「亀の井」と名付けられた霊泉がある。酒造家はこの水を持ち帰り、醸造時に混ぜて使うという。また、この水は長寿の水として知られているようで、多くの人がこの水を汲みに訪れているようである』とある。

「鴻池村」兵庫県伊丹市鴻池。]

酒母(さけかうじ)【むかしは、麥にて造りたる物ゆへ、文字(もんじ)「麹」につくる。中華の製は、甚だ、むつかしけれども、日本の法は便(びん)なり。】

彼岸頃、※入定日(もといれじやうじつ)四日前の朝に[やぶちゃん注:「※」は判読不能。底本のここの左頁の五行目四字目。ただ、「もと」という読みから、酒母=「酛(もと)」と思われる。但し、「酛」の字の異体字には見あたらない。見た感じは、「酉」+「指」の崩し字のように見える。後の文に出る「★」の私の注も参照されたい。 ]、米を洗ひて、水に漬す(ひた)こと一日、翌日、蒸して、飯となして、筵にあげ、柄械(えかひ)[やぶちゃん注:「其二」の図の、右側中央の男が持って均すのに使っている長い柄で先が太い櫛状(恐らく五本櫛)になった木製具の名であろう。]にて拌(かきま)せ勻(なら)し、人肌となるを候(うかゞ)ひて不殘(のこらす)、槽(とこ)に移し【「とこ」とは、飯(めし)いれの箱なり。】、筵をもつて、覆ひ、圡室(むろ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])のうちにおくこと、凡そ半日、午の刻ばかりに、塊りを摧(くた)き、其の時、「糵(もやし)」[やぶちゃん注:次項参照。食べる「もやし」ではない。]を加ふ事、凡そ、一石に、二合ばかりなり。其の夜(よ)、八つ時分[やぶちゃん注:午前二時頃。]に槽(とこ)より、取り出たし、麹盆(かうじふた)の眞中へ、「つんぼり」と盛りて、拾枚宛(づゝ)かさね置き、明くる日のうちに、一度(いちと)、飜(かへ)して、晚景(はんかた)を待ちて、盆(ふた)一ぱいに拌(か)き均(なら)し、又、盆を、「角(すみ)とり」にかさねおけば、其の夜(よ)七つ時には、黄色(わうしよく)・白色(はくしよく)の麹と成る。

麹糵(もやし)

かならず、古米(こまひ)を用ゆ。蒸して飯(めし)とし、一升に欅灰(けやきはい)二合許[やぶちゃん注:「ばかり」。]を合せ、

 

S2

 

[やぶちゃん注:キャプションは、

 其二

 麹釀(かうじつくり)

である。]

筵、幾重(いくへ)にも包みて、室の棚へ、あげをく事、十日許りにして、毛醭(け)[やぶちゃん注:黴(かび)。酒や酢の表面にできる白黴。]を生ずるをみて、是れを麹盆(かうじぶた)の眞中へ、「つんほり」と盛りて後、盆、一はいに搔きならすこと、二度(と)許りにして、成るなり。

2021/08/21

日本山海名産図会 第一巻 造醸 目録・「酒樂歌」の図

 

[やぶちゃん注:これより、残っている冒頭の第一巻に戻って、電子化注を行う。本書全体の標題・見開き・序は最後に電子化する。]

 

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日本山海名産圖會巻之壹

 

   〇目 録

 

  攝刕伊丹酒造(せつしういたみさけつくり)

 

 

             藍江■

[やぶちゃん注:画像は底本の国立国会図書館デジタルコレクションからトリミングした。非常に雅趣のある竹の絵。「藍江」は本書の挿絵全部を担当している蔀関月の弟子の絵師中井藍江(らんこう明和三(一七六六)年〜天宝元(一八三〇)年)と思われる。大阪出身の画家で、関月に日本画を学んだ。他に詩文を中井竹山に学び、茶の湯も嗜んだ。署名の下に落款があるが、判読不能。但し、藍江の名は「直」又は「眞」であり、その孰れかと推察する。「直」の方がそれらしい。]

 

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[やぶちゃん注:底本からトリミングした。以下、キャプション。]

 

酒 樂 歌(さかほかひのうた)

 

此の御酒(みき)を釀(かも)す人人は、其の鼓臼(つゞみうす)に立てて、うたひつゝ、釀すれるも、舞ひつゝ、釀すれかは、この御酒のみ、

あやに、轉(うた〔[やぶちゃん注:下の「楽」に引かれて「うたた」を脱字してしまったものか。])、楽(たの)し。サヽ

 

[やぶちゃん注:以下は画像の通り、底本では全体が前の文よりも一字下げ。]

 

是れは應神天皇、角鹿(つのか)より還幸(かんかう)の時、神功皇后(しんくうかワウこう[やぶちゃん注:ママ。])、酒を釀し侍りて、いはひ奉り、哥(うた)うたはせ給ふあり。武内宿祢(たけうちすくね)、天皇に代はり奉り、荅(こた)へ申歌なり。是れを「酒楽(さけほかひ)の歌」といふて、後世、大嘗會の米(こめ)、舂くにもうたふと也。

   右、「古事記」。

 

[やぶちゃん注:「古事記」のそれは、原文ではとても私には読み切れないので、加藤良平氏の「上代におけるヤマトコトバの研究論文集」という副題を持つブログ「古事記・日本書紀・万葉集を読む」の『「酒楽の歌」とは』を読まれたい。驚くべき詳細な解説が載り、およそ、私の如き「古事記」に冥い人間には注を附す資格がないほど凄い。なお、以上の部分は加工データとしているARC書籍閲覧システム」の翻刻(新字)にはないので、総て底本を視認して作成した。]

2021/07/29

日本山海名産図会 第二巻 捕熊(くまをとる) / 第二巻~了

 


Kuma1

 


Kuma2

 

Kuma3

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像を三枚をトリミングして、纏めて前に出した。キャプションは一枚目が「※弩捕(おううて、くまをとる)」[やぶちゃん注:「※」=「陞」の「升」を「在」に代えた字体。]。二枚目「捕洞中熊(とうちうのくまをとる)」。三枚目「以ㇾ斧擊熊手(おのをもつてくまのてをうつ)」。孰れも残酷な印象を与え、本書の蔀関月の挿絵で、私は初めて、生理的に厭な感じを持った。そうして、私は実は私が熊が好きだということに、この年になって初めて気づいたのである。]

 

   ○捕熊(くまをとる) 熊の一名「子路」

熊は、必ず、大樹の洞(ほら)の中(うち)に住みて、よく眠る物なれば、丸木を、藤かづらにて、格子のごとく結ひたるを以つて、洞口(どうこう)を閉塞し、さて、木の枝を切りて、其の洞中へ多く入るれば、熊、其の枝を、引き入れ、引き入れて、洞中を埋(うつ)み、終に、おのれと、洞口にあらはるを待ちて、美濃の國にては、竹鎗、因幡に鎗、肥後には鐵鉋、北國にては「なたき」といへる薙刀(なきなた)のごとき物にて、或ひは切り、或ひは突きころす。何れも、月の輪の少し上を急所とす。又、石見國の山中(さんちう)には、昔、多く炭燒きし古穴(ふるあな)に住めり。是れを捕るに、鎗・鐵炮にて頓(すみやか)にうちては、膽、甚だ小さし、とて、飽くまで苦しめ、憤怒(いか)らせて打ち取るなり。○又、一法には、落としにて捕るなり。是れを豫洲にて「天井釣(てんじやうつり)」と云ふ【又、「ヲソ」とも云。】。阿州にて「おす」といふ【「ヲス」は「ヲシ」にて、古語也。】。其の樣、圖にて知るべし。長さ二間[やぶちゃん注:約三・六四メートル。]余(よ)の竹筏(いかだ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])のごとき下に、鹿(しか)の肉を、火に燻べたるを、餌(え)とす。又、柏の實、シヤシヤキ實(み)なども蒔く也。上には大石(おほいし)二十荷(か)[やぶちゃん注:大人一人が肩に担えるだけの物の量を単位として数えるのにいう助数詞。]ばかり置く【又、阿州にて七十五荷置くといふなり。】。もの、きよれば、落つる時の音、雷(らい)のごとく、落ちて、尚、下より、機(おし)を動かすこと、三日ばかり、其の止む時を見て、石を除き、機(おし)をあぐれば、熊は、立ちながら、足は、土中に一尺許り、踏み入りて死すること、みな、しかり。○又、一法に、「陷(おと)し穴」あれども、機(おし)の制(せい)に似たり。中にも飛騨・加賀・越の國には、大身(おほみ)、鎗を以つて、追ひ𢌞しても、捕れり。逃ることの甚しければ、「歸せ。」と、一聲、あぐれば、熊、立ちかへりて、人にむかふ。此の時、又、「月の輪。」といふ一聲に、恐るゝ躰(てい)あるに、忽ち、つけいりて、突き留(とゞ)めり。これ、獵師の剛勇、且つ、手練(しゆれん)・早業(はやわざ)にあらざれば、却つて、危きことも、多し。

○又、一法に、駿州府中に捕るには、熊の巢穴の左右に、両人、大ひなる斧を振り擧げ持ちて、待ちかけ、外(ほか)に一兩人の人して、樹の枝ながきをもつて、窠穴(すあな)の中(うち)を突き探ぐれば、熊、其の樹を巢中(すちう)へ、ひきいれんと、手をかけて引くに、橫たはりて、任(まか)せ、されば、尚、枝の爰かしこに、手をかくるをうかゞひて、かの両方より、斧にて、兩手を打ち落とす。熊は、手に力多き物なれば、是れに、勢ひ、つきて、終に獲る。かくて、膽(きも)を取り、皮を出だすこと、奧刕に多し。津輕にては、脚(あし)の肉を食ふて、貴人(きにん)の膳にも、是れを加ふ。○熊、常に食とするものは、山蟻(やまあり)・笋(たけのこ)・ズカニ。凡そ、木(こ)の實(み)は、甘きを好めり。獸肉も喰らはぬにあらず。蝦夷には、人の乳(ちゝ)にて養ひ置くとも云へり。

○ 取膽(きもをとる)

熊の膽(ゐ)は加賀を上品とす。越後・越中・出羽に出づる物、これに亞(つ)ぐ。其の余(よ)、四國・因幡・肥後・信濃・美濃・紀州、其の外、所々(ところところ)より出(いた)す。松前。蝦夷に出たす物、下品、多し。されども、加賀、必す、上品にもあらず。松前、かならず、下品にもあらず。其の性(しやう)、其の時節、其の屠(さは)く者の、手練(しゆれん)・工拙(こうせつ)にも有りて 一概には論じがたし。加賀に上品とするもの、三種、「黑樣(くろて)」・「豆粉樣(まめのこで)」・「琥珀樣(こはくで)」、是れなり。中にも、「琥珀樣」、尤とも勝(まさ)れり。是れは、「夏膽(なつのゐ)」・「冬膽(ふゆのゐ)」といひ、取る時節によりて、名を異(こと)にす。夏の物は、皮、厚く、膽汁(たんじう)、少なし。下品とす。八月以後を「冬膽(ふゆのい)」とす。是れ、皮、薄く、膽汁、滿てり。上品とす。されども、「琥珀樣」は「夏膽」なれども、冬の膽に勝(まさ)る。黄赤色(わうしやくしよく)にて、透き明(とほ)り、「黑樣」は、さにあらず、黑色(こくしよく)、光りあるは、是れ、世に多し。

○試眞僞法(にせをこゝろみるはう)

和漢ともに、僞物多きものと見へて、「本草綱目」にも試みの法を載せたり。膽(ゐ)を、米粒許り、水面に黙[やぶちゃん注:ママ。「㸃」の誤字であろう。以下同じ。]ずるに、塵(ちり)を避けて、運轉し(うんてん/きりきりまわり[やぶちゃん注:右/左のルビ。])し、一道(ひとすぢ)に水底へ線(いと)のごとくに引く物を「眞なり」と。按ずるに、是れ、古質(こしつ)の法にして、未だ、つくさぬに似たり。凡て、獸(けもの)の膽(きも)、何(いづ)れの物たりとも、水面に運轉(めく)ること、熊膽(くまのい)に限るべからず。或ひは獸肉を屠(ほふ)り、或ひは煮𤎅(しやがう)などせし家の煤(すゝ)を、是れ亦、水面に運轉(うんてん)すること、試みて、しれり。されども、素人業(しろとわざ)に試みるには、此の方の外、なし。若(も)し、止むことを不得(ゑず)、水に黙[やぶちゃん注:ママ。「㸃」の誤刻であろう。]して水底(すいてい)に線(いと)を引くを試みるならば、運轉(めくること)、飛ぶがごとく、疾(はや)く、其の線(いと)、至つて細くして、尤も疾勢物(をとるときのもの)を、よしとす。運轉(めくること)遲き物、又、舒(しつか)にめぐりて止(とゞ)まる物は、皆、よろしからず。又、運轉(めくること)速きといへとも、盡(ことごと)く消へざる物も、佳(よ)からず。不佳物(よからさるもの)は、おのづから、勢ひ、碎(くだ)け、線(いと)、進疾(すみやか)ならず。又、粉(こ)のごとき物の落ちるも、下品とすべし。又、水底(すいてい)にて、黄赤色(わうしやくしよく)なるは、上品にて、褐色(ちやいろ)なるは、極めて、僞物(ぎぶつ)なり。作業者(くろうとぶん)は、香味の有無を以つて分別す。およそ、眞物(しんぶつ)にして、其の上品なる物は、舌上(ぜつしやう)にありて、俄かに濃き苦味を、あらはす。彼(か)の苦甘(くかん)、口に入りて、黏(むちや)つかず、苦味(くみ)、侵潤(しだひ)に增さり、口中(こうちう)、分然(ふんぜん/さつはり[やぶちゃん注:右/左のルビ。])として淸潔(きよ)し[やぶちゃん注:二字へのルビ。]。たゞ、苦味(くみ)のみある物は僞物(ぎぶつ)なり。苦甘(くみ)の物を良しとす。また、羶臭(なまくさ)き香味の物は、良らずといへども、是れは、肉に養はれし熊の性(せい)にして、必ず僞物(ぎぶつ)とも定めがたし。其の中(うち)、初め、甘く、後(のち)、苦(にが)き物は、劣れり。又、焦氣(こげくさき)物は、良品なり。是の試法(しはう)、教へて教ゆべからず。必ず、年来(ねんらい)の練(れん)、妙たりとも、眞僞(しんき)は辨(へん)じやすくして、美𢙣(びあく)は辨(べん)じがたし。

○制僞膽法(にせをせいするほう)

黄柏(わうばく)・山梔子(さんしし[やぶちゃん注:ママ。])・毛黄蓮(けわうれん)の三味(み)を、極(ご)く、細末とし、山梔子(さんしし)を、少し、𤎅りて、其の香(か)を除き、三味、合せて、水を和して、煎(せん)し詰(つ)むれば、黒色(こくしよく)光澤(ひかり)、乾はきて、眞物(しんふつ)のごとし。是れを裏むに、美濃紙二枚を合はせ、水仙花(すいせんくわ)の根の汁をひきて、乾かせば、裏(うゝ)みて、物を洩らすこと、なし。包みて、絞り、板に挾みて、陰乾(かげぼし)とすれは、紙の皺(しわ)、又、藥汁(やくこう[やぶちゃん注:ママ。「やくじる」の誤刻であろう。])の潤(うるほ)ひ入(し)みて、實(じつ)の膽皮(たんひ)のごとし。尤も冬月(ふゆ)に制すれば、暑中に至りて、爛潤(たゝれ)やすし。故に、必ず、夏の日(ひ)に製す。是れは、備後邊(へん)の製にして、他國も、大抵、かくのごとし。他方(たはう)、悉くは知りがたし。○又、俗說には、『「こねり柿(かき)」といふ物、味、苦し。是れを、古傘の紙につゝむもあり。』と云へり。或ひは眞(しん)の膽皮(たんひ)に、僞物を納(い)れし物も、まゝありて、是れ、大ひに、人を惑はすの甚だしき也。

 

  附記

熊は黒き物(もの)故(ゆへ)に「クマ」といふとは云へども、さだかには、定めがたし。是れ、全く朝鮮の方言なるべし。「熊川」を「コモガイ」といふは、即ち、「クマカハ」の轉(てん)したるなり。今も朝鮮の俗、熊を「コム」といへり。

 

 

日本山海名產圖會巻二終

 

[やぶちゃん注:本邦に棲息するのは、

食肉目クマ科クマ属ツキノワグマ亜種ニホンツキノワグマ Ursus thibetanus japonicus(本州及び四国。九州では絶滅(最後の九州での捕獲は一九五七年で、二〇一二年に九州の絶滅危惧リストからも抹消されている。二〇一五年に二件の目撃例があったが、アナグマ或いはイノシシの誤認かとされる)

及び、北海道の、

クマ属ヒグマ亜種エゾヒグマ Ursus arctos yesoensis

である。本文で「蝦夷」の熊も語られてあるので、後者も含まれる。「和漢三才圖會卷第三十八 獸類 熊(くま) (ツキノワグマ・ヒグマ)」を参照されたい。

『熊の一名「子路」』私の好きな暴虎馮河の気骨の人で義を重んじて最後には塩漬けにされえ食われてしまった子路を異名とするのは、いかにも尤もだ、などと勝手に一人ごちたのだが、サイト「Yoshimi Arts」の上出惠悟氏の「熊について」に、熊をテーマとして作品を発表された理由について(平成二八(二〇一六)年の記事)、

   《引用開始》

私は昨年から突如として熊のことが気にかかり彼らのことを頻繁に考えるようになりました。しかし思い出してみますと私が熊に興味をもった発端は、たまたま「子路(しろ)」という熊の異称を知った時のことだったように思われます。陶淵明による六朝 時代の志怪小説集「捜神後記(続捜神記)」の中に、「熊無穴有居大樹孔中者 東土呼熊子路」という記述があり、また江戸時代の獣肉屋でも子路と書いて「くま」と読ませていたことを知りまし た(寺門静軒著「江戸繁盛記」)。論語に詳しい方はご存知と思いますが、子路とは孔門十哲の一人仲由のことで、子路という異称の由来は、熊が住処とした樹の「孔」と孔子の「孔」をもじった言葉遊びからの洒落です。子路のことなら中島敦の小説「弟子」(昭和十八年発表)で主人公として描かれており、私はこの小説を幾度と読み感動しています。子路は子供がそのまま大人になった 様な直情径行な性格から度々孔子に叱られます。激越でしかし素直な子路はまこと獣のように美しく、これを読むと熊と子路を結びつけた人の気持ちが腹に落ちるように理解できます。物語の最後、子路は主君を救う為に反逆者のいる広庭へと単身跳び込み、気高くも無残に殺されてしまいます。孔門の後輩、子羔[やぶちゃん注:「しこう」。]と共にその場から遁れることも出来た子路が子羔に声を荒げた「何の為に難を避ける?」という言葉が私の心の中で何度も反復されました。「何の為に難を避ける?」。里に現れる熊は一体どのような気持ちで里に降りて行くのだろう。私の中でその熊と子路の姿が妙に重なり始めました。日常生活でも植木を熊と見間違えたり、車のヘッドライトの影に熊を見たり、空に浮かぶ雲を見て熊を思ったり、実際に会えないかと山へ行ってみたり、北海道を旅したりと熊の痕跡をっています[やぶちゃん注:ママ。「追っています」「辿っています」か。]。結局のところ私はなぜ熊なのかと自分でも判らないまま熊を心に宿してしまったのです。

   《引用終了》

元は字遊びか。ちょっと残念。「搜神後記」(續搜神記:陶淵明の作とされるが、後世の偽作)のそれは、第十一卷補遺の以下。

   *

 熊居樹孔

熊無穴、居大樹孔中。東土呼熊爲子路。以物擊樹云、「子路可起。」。於是便下。不呼、則不動也。

   *

で、寺門静軒(寛政八(一七九六)年~慶応四(一八六八)年:幕末の儒学者)の「江戶繁盛記」(天保二(一八三一)年より執筆・板行。但し、天保六(一八三五)年三月、青表紙本検閲の最終責任を負う昌平坂学問所林述斎の助言を受けた江戸南町奉行筒井伊賀守の命により、本書の初篇と二篇は「敗俗の書」として出版差留の処分を受けた。しかし、その申し渡しを無視して第三篇以降の刊行を継続、天保十三年には悪名高い江戸南町奉行鳥居甲斐守(鳥居耀蔵)に召喚され、第五篇まで書いていた本書は『風俗俚談を漢文に書き綴り鄙淫猥雑を極めその間に聖賢の語を引證」、『聖賢の道を穢し』たとされ、「武家奉公御構」(奉公禁止)という処分を受けた。この際、鳥居は、「儒学者の旨とするところは何か」と問い、静軒が「孔孟の道に拠って己を正し、人を正すところにある」と答えると、すかさず本書を突きつけ、「この書のどこに孔孟の道が説かれているか答えよ」と迫り、返す答えのない静軒は罪に服したという。ここはウィキの「寺門静軒」に拠った)、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで原本の当該部(「山鯨」(猪肉のこと)の条の一節を見ることが出来る(右頁三行目に「子路(クマ)」とある)。

「なたき」不詳。

「おす」「ヲス」「ヲシ」最初のそれは歴史的仮名遣から、「押す」「壓す」でああろう。後者二つはその訛りであろう。

「柏の實」ブナ目ブナ科コナラ属コナラ亜属 Mesobalanus 節カシワ Quercus dentata の実。クヌギ(コナラ属クヌギ Quercus acutissima )に似て丸く、殻斗は先がとがって反り返る包が密生する。アク抜きすれば、人も食することが出来る。

「シヤシヤキ實(み)」「シャシャキ」はツツジ目モッコク科ヒサカキ属ヒサカキ Eurya japonica の異名。漢字は「柃」「姫榊」。他に「ビシャコ」「ビシャ」「ヘンダラ」「ササキ」などの別名がある。その実は五ミリメートルほどで、黒い。染料に利用されることもあるという。

「機(おし)」やはり「押し」「壓し」で、広く罠の一つ。知らずに踏むと、「おもし」が人や動物を打ち、圧死させる仕掛けを言う。ただ、そうした構造の仕掛け(機械)としての当て字かとも思われる「機」だが、第一図を見て貰うと判る通り、この字を当てたのは、その様態が「機(はたおり)」のそれに似ているからのように思われる。

「越の國」越前・越中(殆んどが実質的には加賀藩)・越後。

『「月の輪。」といふ一聲に、恐るゝ躰(てい)ある』相手の名を名指して呼称すると、相手を支配できるという古い呪術的な言上(ことあ)げである。

「駿州府中」現在の静岡市葵区相当(グーグル・マップ・データ航空写真)。南部の静岡市街を除いて大半は山間である。

「脚(あし)の肉」四肢の謂いであるが、前肢の、所謂、「熊の手」であろう。

「山蟻(やまあり)」膜翅(ハチ)目細腰(ハチ)亜目スズメバチ上科アリ科ヤマアリ亜科ヤマアリ属クロヤマアリ亜属クロヤマアリ Formica japonica

「ズカニ」短尾下目イワガニ科モクズガニ属モクズガニ Eriocheir japonica 「大和本草卷之十四 水蟲 介類 津蟹(モクズガニ)」を参照されたい。

「蝦夷には、人の乳(ちゝ)にて養ひ置くとも云へり」イオマンテの儀式で知られる通り、アイヌの人々にとってエゾヒグマはカムイ(神)の変じたものとして尊崇される。

「屠(さは)く」「捌(さば)く」。

「三種」「黑樣(くろて)」・「豆粉樣(まめのこで)」・「琥珀樣(こはくで)」は、胆嚢の外見上の色による分類のようである。「豆粉樣」は黄色の強いものか。

『「本草綱目」にも試みの法を載せたり』巻五十一上の「獸之二」の「熊」の項の「膽」に以下のようにある(囲み字は太字に代えた)。

   *

 頌曰はく、「熊膽(ようたん)は隂乾しして用ゆ。然れども、僞せ者、多し。但(ただ)、一粟(いちぞく)許りを取り、水中に滴らして、一道、線のごとく散らざる者を眞と爲す」と。時珍曰はく、「按ずるに、錢乙が云はく、『熊膽の佳なる者の通明(つうめい)[やぶちゃん注:明るい光を通すこと。]する每(たび)に、米粒[やぶちゃん注:ほどの大きさの意であろう。]を以つて、水中に㸃じて、運轉して、飛ぶがごとき者の良なり。餘の膽、亦、轉じて、但(ただ)、緩(ゆる)きのみ。』と。周宻齊が「東埜語」に云はく、『熊の膽、善く塵(ちり)を辟(さ)く。之れを試みるに、浄水一器を以つて、塵、其の上を幕(おほ)ひ、膽の米許りを投ずるときは、則ち、塵、凝りて、豁然として開くなり。』と。

   *

「古質(こしつ)の法にして、未だ、つくさぬに似たり」古びた判別法であって、未だ、それで決定的とは思われない。

「煮𤎅(しやがう)」煮たり、炒ったりすること。

「疾勢物(をとるときのもの)」「をとる」は「劣る」であろう。ゆっくりとしか動かないもの。

「舒(しつか)に」「靜かに」。「舒」には「緩やか」の意がある。

「作業者(くろうとぶん)」「玄人分」。実際の「熊の胆」を扱う専門の職人。薬種屋なども含まれる。

「黏(むちや)つかず」「ねちゃつかず」(ねちゃねちゃと粘(ねば)らず)の意であろう。

「侵潤(しだひ)に」「次第に」。

「苦味(くみ)」「苦甘(くみ)」この後者は読みの誤刻(「くかん」或いは「にがあまし」)が疑われる。

「羶臭(なまくさ)き」「腥(なまぐさ)き」に同じ。

「教へて教ゆべからず」「(こうして書いたものの)実際には非常に微妙なもので、教えて判るレベルのものではない」というのである。

「年来(ねんらい)の練(れん)、妙たりとも」長年、熊の胆に関わった専門家で業師(わざし)であっても。

「美𢙣(びあく)は辨(べん)じがたし」本物の熊の胆の良し悪しは弁別し難い。

「黄柏(わうばく)」落葉高木アジア東北部の山地に自生し、日本全土にも植生する、ムクロジ目ミカン科キハダ属キハダ Phellodendron amurense の樹皮から製した生薬。薬用名は通常は「黄檗(オウバク)」が知られ、「黄柏」とも書く。ウィキの「キハダ」によれば、『樹皮をコルク質から剥ぎ取り、コルク質・外樹皮を取り除いて乾燥させると』、『生薬の黄柏となる。黄柏にはベルベリンを始めとする薬用成分が含まれ、強い抗菌作用を持つといわれる。チフス、コレラ、赤痢などの病原菌に対して効能がある。主に健胃整腸剤として用いられ、陀羅尼助、百草などの薬に配合されている。また強い苦味のため、眠気覚ましとしても用いられたといわれているほか、中皮を粉末にし』、『酢と練って』、『打撲や腰痛等の患部に貼』り、『また』、『黄連解毒湯、加味解毒湯などの漢方方剤に含まれる。日本薬局方においては、本種と同属植物を黄柏の基原植物としている』。『アイヌは、熟した果実を香辛料として用いている』とある。

「山梔子(さんしし)」「さんざし」で、リンドウ目アカネ科サンタンカ亜科クチナシ連クチナシ属クチナシ Gardenia jasminoides の異名。その強い芳香は邪気を除けるともされ、庭の鬼門方向に植えるとよいともされ、「くちなし」は「祟りなし」の語呂を連想をさせるからとも言う。真言密教系の修法では供物として捧げる「五木」(梔子・木犀・松・梅花・榧(かや:裸子植物門マツ綱マツ目イチイ科カヤ属カヤ Torreya nucifera )の五種の一つ。

「毛黄蓮(けわうれん)」キンポウゲ目メギ科タツタソウ(竜田草)属 Jeffersonia dubia 。現行では園芸品種として知られる。NHK出版「趣味の園芸」のこちらを参照されたい。

「水仙花(すいせんくわ)の根」単子葉植物綱キジカクシ目ヒガンバナ科ヒガンバナ亜科スイセン連スイセン属スイセン変種ニホンズイセン Narcissus tazetta var. chinensis 。全草有毒で死亡例もある。但し、ウィキの「スイセン属によれば、『民間療法で、乳腺炎、乳房炎、咳が出るときの腫れに、鱗茎を掘り上げて黒褐色の外皮を除き、白い部分をすりおろしてガーゼに包んで外用薬として患部に当てておくと、消炎や鎮咳に役立つと言われている』。『身体にむくみがあるときも同様に、足裏の土踏まずに冷湿布すると方法が知られている』とある。

「こねり柿(かき)」「木練り柿」で、枝になったままで甘く熟する柿のこと。味はともかく、形状は腑に落ちる。

『熊は黒き物(もの)故(ゆへ)に「クマ」といふとは云へども、さだかには、定めがたし。是れ、全く朝鮮の方言なるべし。「熊川」を「コモガイ」といふは、即ち、「クマカハ」の轉(てん)したるなり。今も朝鮮の俗、熊を「コム」といへり』関岡東生氏のブログ「川場の森林(やま)づくり」の「熊の名の由来」に、加納喜光著「動物の漢字語源辞典」(二〇〇七年東京堂出版刊)から、以下のように『同書よりかいつまんで紹介』されておられる(行空けは詰めた)。

   《引用開始》

“熊”の文字は、見たままに“能”と“火”が組み合わされてできている。

“能”の下に位置する四つの点は、“連火(れんが)”という部首名が付けられているとおり“火”を表すのだ。

“能”は、粘り強い力があるという意味の文字で、ここから“能力”などという言葉も生み出されたという。

クマが食べ物とても強い執着をみせることなどを考えると、とても説得力があるではないか。

さらに、“連火”が合わせられることによって、火のように勢いがあり、強い様を表すのだという。

つまり、“熊”は、粘り強くそして火のような勢いがある動物であるというわけである。

また、同書では、“くま”という音(読み)については、“隈(くま)”が語源となっているとも説明している。

“目に隈(くま)ができる”といえば、目の下が窪んで見える様を指すし、“隈”は云うまでもなく、“すみ”とも読む字であるが、こちらは“すみっこ”の“隈(すみ)”である。

クマが穴に入って冬眠することから、「奥まったところに棲む動物」という意味で、この音が与えられたのだという。

   《引用終了》

朝鮮語で熊は「곰(コム)」。「熊川」は「こもがい」と読むが、これは作者の言うように、朝鮮語で「高麗 (こうらい) 茶碗の一種」を指す。口縁が反り返り、高台が大きく、見込みの底に「鏡」と呼ばれる円形の窪みがある。「真熊川 (まこもがい)」・「鬼熊川(きこもがい)」などに分けられる。朝鮮半島南東部の港、熊川から積み出されたための称と言われる。これを知ると、作者の朝鮮語由来説もそれらしくは聴こえる。]

2021/07/28

日本山海名産図会 第二巻 鳬(かも)・峯越鴨(おごしのかも)

 

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[やぶちゃん注:これ以下、底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「高縄(たかなは)をはつて鳬(かも)を捕(とる)」。本文に出る皮革で出来た「水足袋(みづたび)」を装着した「なんば」(田下駄)を履いている。少なくとも、私はこうした特殊な履物を描いたのを見たのは初めてである。而して、何より、向こうの田圃道に、鴨を掠め取らんとして来たのであろう、二匹の狐が絶妙のアクセントとして描かれて見事である。]

 

   ○鳬(かも)

○鳬は攝州大坂近邉に捕るもの、甚だ美味なり。北中島を上品とす。河内、其の次ぎなり。是れを捕るに 他國にては「鴨羅」といへども、津の國にては「シキデン」とて、橫幅、五、六間[やぶちゃん注:約九・一〇~一〇・九一メートル。]に、竪一間[やぶちゃん注:約一・八二メートル。]斗の細き糸の羅を、左右、竹に付けて立つる。又、三間程づゝ隔てゝ、三重(ぢう)・四重に張るなり。是れを「霞」共云。○又、一法に、池の辺(ほとり)にては、竹に黐(もち)を塗り、横に、多く、さし置けば、鳬、渚(みぎは)の芹(せり)など求食(あさる)とて、竹の下を潜(くゝ)るに、觸れて黐にかゝる。是れを「ハゴ」と云ふ。○又、一法に、水中(すいちう)に有る鳥をとるには、「流し黐」とて、藁蘂(わらしべ)に黐を塗り、川上より、流しかけ、翅(つはさ)にまとはせて捕らふ。○又、一法に、「高縄(たかなは)」と云ふ有り。是れは池・沼・水田の鳥を捕るが爲めなり。先づ、黐を寒(かん)に凍らざるが爲め、油を加えて、是れを、一度(いちど)、煮て、苧(お)に塗り、轤(わく)に卷き取り、さて、兩岸に(りやうきし)に篠竹(しのたけ)の細きを、長さ一間斗りなるを、間(あひだ)一間半に一本宛(づゝ)立て並らべ、右の糸を纏ひ張る事、圖のごとし。一方に向ひたる一本つゝの竹は、尖(かど)の切りかけの筈(はづ)に、油を塗り、糸の端(はし)をかけ置き、鳥のかかるに付きて、筈、はづれて、纏(まと)はるゝを、捕ふ。是を「棚が落ちる」といふ。東西の風には、南北に延(ひ)き、南北の風には東西にひき、必ず、風に向ふて飛び來たるを、待つなり。又、鴨、群飛(ぐんひ)して、糸の、皆、落るを「惣(そう)まくり」と云ふ。獵師は、「水足袋(みづたび)」とて、韋(かわ)にて作りたる沓をはき、又、下に「なんば」と云ふ物を副差(そへは)きて、沼・ふけ田の泥上(でいじやう)を行くに便利とす。又、鳥の、朝、下(お)りしと、宵に下りしとは、水の濁りを以つて知り、又、足跡について、其の夜(よ)、來(く)る・來らざるを考へ、旦(あす)、來たるべき時刻など、察するに一(ひとつ)もあたらずといふこと、なし。

○雁(がん)を捕るにも此の高縄を用ゆとは云へども、雁は、鴨より、智(ち)、さとくて、元より、夜(よる)も目の見ゆるもの故に、飼の多きには、下(お)りず、土砂(どしや)乱れたる地には、下(くだ)らず。或ひは、番(つが)ひ鳥の、其の邊(へん)を廽(めぐ)り、一聲、鳴ひて、飛ぶ時は、群鳥、隨つて去る。たまたま、高縄の邊(ほとり)に下(くだ)れば、獵師、竹を以つて、急に是れを追へば、驚きて、縄にかゝること、十(ぢう)に一度(いちど)なり。○又、一法、「無双がへし」といふあり。是れ、攝刕嶌下郡(しましもこほり)鳥飼(とりかい)にて鳬(かも)を捕る法なり。昔は、「おふてん」と高縄を用ひたれども、近年、尾刕の獵師に習ひて、「かへし䋄」を用ゆ。是れ、便利の術なり。大抵、六間[やぶちゃん注:約十・九一メートル。]に幅二間[やぶちゃん注:約三・六四メートル弱。]ばかりの䋄に、二拾間[やぶちゃん注:三十六・三六メートル。]斗の綱(つな)を付けて、水の干泻、或ひは砂地に短き杭(くひ)を、二所(ふたところ)、打ち、䋄の裾の方(かた)を結び留(とゞ)め、上の端には竹を付、其の竹を、すぢかひに、両方へ開き、元(もと)、打ちたる杭に結び付け、よく、かへるように、しかけ、羅(あみ)・竹縄とも、砂の中に、よく、かくし、其の前を、すこし掘りて、窪め、穀(こめ)・稗(ひへ)などを蒔きて、鳥の群れるを待ちて、遠くひかへたる。䋄を、二人がゝりにひきかへせば、鳥のうへに覆ひて、一ツも洩らすことなく、一擧、數十羽(すじつば)を獲るなり。是れを、羽を、打ちがひに、ねぢて、堤(つゝみ)などに放(はな)つに、飛ぶこと、あたわず。是れを「羽がひじめ」といふ。雁(がん)を取るにも、是れを用ゆ。されども、砂の埋(うづみ)やう 餌のまきやう、ありて、未練の者は取り獲(え)がたし。  ○鳬(かも)は山澤(さんたく)・海邊(かいへん)・湖中(こちう)にありて、人家に畜(か)はず。中華、綠頭(りよくとう)を上品とす。日本、是れを「眞鳬(まかも)」といふ故に、「萬葉集」、靑きによせて、よめり。又。「尾尖(をさき)」は、是れに次ぎて、「小ガモ」といふ。古名「タカへ」なり。「黑鴨(くろかも)」◦「赤頭(あかかしら)」◦「ヒトリ」◦「ヨシフク」◦「島フク」◦「※𪂬(かいつぶり)」[やぶちゃん注:「※」=「群」+「鳥」。恐らく「鸊」の誤字であろう。]◦「シハヲシ」◦「秋紗(あいさ)」◦「トウ長」◦「ミコアイ」◦「ハシヒロ」◦「冠鳥(あじかも)」【「アシ」とも云なり】)◦尾長(をなが)、此の外、種類、多し。「緑頸(あをくび)」・「小鳬(こかも)」・「アヂ」は、味、よし。其の余(よ)は、よからず。

 

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[やぶちゃん注:キャプションは一枚目は「豫刕峯越鳬(よしうおこしかも)」、二枚目は「攝刕霞羅(せつしうかすみあみ)」、三枚目は「津訓國無雙返鳬羅(つのくにむさうかへしかもあみ)」。後の二者は前に語られてあるが、底本の配置に従い、その順番通りに示した。最後の挿絵には中景に肥桶を天秤棒で荷った農夫が点景されている。こういう農夫が家にやって来て屎尿を買い取った実景を記憶に持っているのは、多分、私の世代が終わりかも知れない(小学校低学年の昭和六四(一九八九)年頃の記憶)。言っておくが、私の家が水洗になったのは、私が結婚した一九九〇年のことである。]

 

  ○峯越鴨(おごしのかも)【「鴨」の字は「アヒロ」なり。故に一名「水鴨」といふ。「カモ」は「鳬」を正字とす。今、俗にしたかふ。】

是れ、豫刕の山に捕る方術(はうじゆつ)なり。八、九月の朝夕、鳬の群れて、峯(みね)を越へるに、茅草(ちくさ)も翅(つばさ)に摺り、切れ、高く生る事なきに、人、其草の陰に、周𢌞(まはり)・深さ共に三尺ばかりに穿(うが)ちたる穴に隱れ、羅(あみ)を扇(あふぎ)の形に作り、其の要(かなめ)の所に、長き竹の柄を付て、穴の上ちかく飛來たるを、ふせ捕るに、是れも、羅(あみ)の縮(ちゞま)り、鳥に纏(まと)はるゝを捕らふ。尤も、手練(てれん)の者ならでは、易(やす)くは獲がたし。【但し、峯(みね)は両方に田のある所を、よし、とす。朝夕ともに、闇(くら)き夜(よ)を専(もちば)らとす。䋄を、なつけて「坂䋄(さかあみ)」といふ。】

 

[やぶちゃん注:「鳬」「鴨(かも)」である。但し、本邦に於ける「かも・カモ」自体は鳥類の分類学上の纏まった群ではない。鳥綱カモ目カモ科 Anatidae の鳥類のうち、雁(これも通称総称で、カモ目カモ科ガン亜科 Anserinaeのマガモ属 Anas よりも大型で、カモ科 Anserinae 亜科に属するハクチョウ類よりも小さいものを指す)に比べて体が小さく、首があまり長くなく、冬羽(繁殖羽)は♂と♀で色彩が異なるものを指すが、カルガモ(マガモ属カルガモ Anas zonorhyncha )のように雌雄で殆んど差がないものもいるので決定的な弁別属性とは言えない。また、「鳬」は本書では「鴨」の意で、「鳧」とも書き、これらは「鴨」の異体字であり、総て上記の広義な「鴨・かも・カモ」を指している。しかし乍ら、何より困るのは、この字を「かも」と和訓せず、「けり」と読んだ場合は、現行の和名では、全く異なる種である、チドリ目チドリ亜目チドリ科タゲリ(田鳧・田計里)属ケリ Vanellus cinereus を指すので非常に注意が必要である。なお、本邦で古くから食用にされたものは、主に、

カモ目カモ科マガモ属マガモ Anas platyrhynchos

で、加えて野生のマガモとアヒル(マガモ品種アヒル Anas platyrhynchos var. domesticus )との交雑交配種である、

マガモ属マガモ品種アイガモAnas platyrhynchos var. domesticus

も食用とする。但し、アヒルはマガモを品種改良した家禽品種で生物学的にはマガモの一品種であり、その交配であるアイガモもまた、学名はアヒルと同じである。「マガモ」・「アヒル」・「アイガモ」という呼び変え区別は生物学的鳥類学的なものではなく、歴史的伝統による慣例や認識に過ぎないか、或いは商業的理由によるものである。無論、ここで捕っている種はマガモやアイガモ(飼育していたものが野生化している)に限らず、他の「鴨」類も混雑するし、それらも「鴨」として食していたと考えられるから、他の種も含まれると考えねばならない。しかし、カモ科Anatidaeはガンカモ科とも言い、五亜科五十八属百七十二種もおり、リュウキュウガモ亜科 Dendrocygninae(二属九種)・ゴマフガモ亜科 Stictonettinae(一属一種・ゴマフガモ Stictonetta naevosa 。本邦には棲息しない)・ツメバガン亜科 Plectropterinae 一属一種:ツメバガン Plectropterus gambensis 。本邦には棲息しない)・ガン亜科 Anserinae(十四属三十七種)・カモ亜科 Anatinae(三十八属百二十二種)もいるから、可能性のある種を総て挙げることは私には不可能である。詳しくは「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鳧(かも)〔カモ類〕」の私の注を参照されたい。

「北中島」この附近かと思われる(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「シキデン」不詳。網を敷き張った様子が大きな屋敷のように見えることからの「敷殿」か。死語のようで、ネット検索の網には掛かってこない。

「黐(もち)」鳥黐(とりもち)。「耳嚢 巻之七 黐を落す奇法の事」の私の注を参照されたい。

「芹(せり)」日本原産の双子葉植物綱セリ目セリ科セリ属セリ Oenanthe javanica 。私の「大和本草卷之五 草之一 蔬菜類 芹(せり) (セリ)」を参照されたい。

「ハゴ」「擌・黐擌」で「はが」「はか」とも呼ぶ。竹・木の枝・藁などに黐を塗り、田の中などに囮(おとり)の傍に於いて鳥を捕らえる罠。小学館「日本国語大辞典」を見ると、全国に「はご」の呼び名があり、特定の地方方言とは言い難い。

「流し黐」小学館「日本国語大辞典」に、冬の夜、長い縄や板に黐を塗りつけて、湖沼に流し、鴨などの水鳥を捕獲すること、とある。

「高縄(たかなは)」同前に、鳥を捕えるために縄に黐をつけて高いところに張っておくもの、とある。

「凍らざるが爲め」凍らないようにするために。

「苧(お)」「お」は歴史的仮名遣の誤り。既出既注えあるが、再掲すると、苧績紡(をうみつみ(おうみつみ))ぎの網。苧(からむし:イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea)の繊維を撚り合わせて網糸にしたもの。

「轤(わく)」車木(くるまぎ)。或いは「桛・綛」で「かせ」。本来は、紡(つむ)いだ糸を巻き取るH形またはX形の道具。「かせぎ」とも呼ぶ。二本又は四本の木を対にして、横木に打ち付け、中央部に軸を設けて回転するようにしたもの。

「篠竹(しのたけ)」根笹の仲間の総称で、細くて群がって生える竹を指すが、中でも幹が細く丸く均整のとれたものを矢柄などに用いる。

「筈(はづ)」通常は、矢の端の弓の弦につがえる切り込みのある部分である「矢筈(やはず)」を指す。ここは篠竹の端をそのような切り込みを加工した部分を指す。

「なんば」漢字不詳。小学館「日本国語大辞典」に、『深田にはいる時にもぐらないようにはく田下駄』とある。

「ふけ田」「ふけた」「ふけだ」とも読む。「深田」(ふかた・ふかだ)に同じ。泥・水の多い田としては低級な田。私は直ぐに水上勉の「飢餓海峡」の「汁田(しるた)」を想起する。東南アジアなどには多く、実際、それらは異様に深く、収穫は舟を用いるのを私は映画作品の中で見たことがある。

「雁」広義のガン(「鴈」とも書く)カモ目カモ科ガン亜科 Anserinae の水鳥の中で、カモ(カモ目カモ亜目カモ科 Anatidae の仲間、或いはマガモ属 Anas )より大きく、ハクチョウ(カモ科 Anserinae 亜科 Cygnus 属の六種及び Coscoroba 属の一種の全七種)より小さい種群を総称する。「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴈(かり・がん)〔ガン〕」の私の注を参照されたい。狭義の一属一種であるノガン(野雁)目 Otidiformesノガン科ノガン属ノガン Otis tarda を扱った「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴇(のがん)〔種としての「ノガン」〕」も一緒に見られたい。

「攝刕嶌下郡(しましもこほり)鳥飼(とりかい)」現在の摂津市鳥飼の各町。淀川右岸。

「無双がへし」福岡県小郡市小郡にあるかも料理・季節料理の「さとう別荘」公式サイト内の「小郡の野鴨猟」として、「無双網」の解説が図や写真附きで載り、『小郡の野鴨猟は特徴的な狩猟法を用います』。『それが「無双(むそう)網」です。この方法は「昼とり」と「夜とり」の』二『種類があり、鴨が朝夕に餌を食べる習慣を利用したものです』。『狩猟に用いる道具は幅』一メートル、『長さ』二十メートル『程の細長い網です』。『野生の鴨は非常に敏感なため』、『鴨がため池まで飛んでくる前に餌となる籾をまき』、『無双網を仕掛けておきます』。『その後、鴨からは見えない場所に用意してある見張り小屋に隠れ』、『鴨が来るのを待ち、ころあいを見はかり、無双網の仕掛け(針金)を引くと』、『文字通り一網打尽のうちに鴨が捕らえられるというわけです』とあり、非常に参考になる。なお、同ページには、かも料理に適したカモがリストされてあり、マガモ・オナガガモ・ヒドリガモ・トモエガモ・コガモの五種が挙げられてある。

「おふてん」不詳。物自体が判らない。「覆(お)ふ天」網などを考えはした。

「羽を、打ちがひに、ねぢて」両主翼を無理に捩じって背中で交差させることを言う。

『是れを「羽がひじめ」といふ』実際に鳥類をこうすることで、飛翔出来なくなり、「羽交い締め」の語源もそれである。なお、「締め」を「絞め」と表記するのは誤りである。「絞」は「喉を絞める」の意だからである。

「綠頭(りよくとう)」これは先に示したマガモの成鳥の繁殖期の♂。黄色の嘴、緑色の頭、白い首輪、灰白色と黒褐色の胴体と、♂は非常に鮮やかな体色をしている。♀は年中、嘴が橙と黒で、ほぼ全身が黒褐色の地に黄褐色の縁取りがある羽毛に覆われている。但し、非繁殖期の♂は♀とよく似た羽色になる(エクリプス:eclipse。カモ類の♂は派手な体色をするものが多いが、繁殖期を過ぎた後、一時的に♀のような地味な羽色になるものがおり、その状態を指す。この語は日食や月食などの「食」を意味し、それが鳥類学で転訛して学術用語となったものである)が、嘴の黄色が残るので判別出来る。但し、幼鳥は嘴にやや褐色を呈する(以上はウィキの「マガモ」に拠った)。

『「萬葉集」、靑きによせて、よめり』「かも」「まかも」「みかも」「あしかも」の語で出る。二十七首を数える。他に「あいさ」(後述)も一首、「をし」「をしどり」も五首ある。

「尾尖(をさき)」「小ガモ」「タカへ」カモ科カモ亜科マガモ属コガモ亜種コガモ Anas crecca crecca 。古名は「たかべ」。こちらの鳥図鑑によれば(PDF)、古名の「たか」は「高」、「べ」は「群(め)」の転じたもので、「高く群れ飛ぶ鳥」の意であるとある。「尾尖(をさき)」の異名は確認出来ない。

「黑鴨(くろかも)」カモ科クロガモ属クロガモ Melanitta nigra。マガモ属ではないので注意されたい。以下の幾つかは、「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鳧(かも)〔カモ類〕」の私の注で同定しているものもある。

「赤頭(あかかしら)」「ヒトリ」マガモ属ヒドリガモ(緋鳥鴨)Anas penelope 当該ウィキによれば、『和名は頭部の羽色を緋色にたとえたことに由来』し、『緋鳥(ひどり)と呼ばれ、その後』、『ヒドリガモとなった』。『異名として、赤頭、息長鳥、あかがし、そぞがも、みょうさく、ひとり、あかなどがある』とあった。

「ヨシフク」不詳。但し、幕末・明治頃の自筆写本の山本渓山(章夫)の鳥類図譜「禽品」の「ヨシフクカモ」とある。「西尾市岩瀬文庫/古典籍書誌データベース」のこちらの詳細書誌を参照。

「島フク」不詳。

「※𪂬(かいつぶり)」(「※」=「群」+「鳥」。恐らく「鸊」の誤字であろう)カイツブリ目カイツブリ科カイツブリ属カイツブリ亜種カイツブリ Tachybaptus ruficollis poggei 。言わずもがな、水鳥ではあるが、カモ類でさえない。「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鸊鷉(かいつぶり)」を参照されたい。

「シハヲシ」不詳。「シハ」は不明だが、「ヲシ」はカモ目カモ科オシドリ属オシドリ Aix galericulata を指している可能性が高く、同種には見紛うような近縁種はいないから、或いはオシドリの♀や♂の非繁殖期個体、或いは双方の若年個体を指しているように私は思う。「和漢三才圖會第四十一 水禽類 鴛鴦(をしどり)」を参照されたい。

「秋紗(あいさ)」「秋沙」が普通。「あきさ」の音変化。カモ科カモ亜科アイサ属 Mergus の水鳥の総称。嘴は細長く、縁が鋸歯状を呈する。ほとんどの種は繁殖期以外は海辺や河川近くに住む。潜水が巧みで、魚を捕食する。本邦では冬鳥であるが、北海道で繁殖するものもある。「あいさがも」「のこぎりばがも」の異名もある。本邦には、概ね、冬の渡り鳥として、

アイサ属ミコアイサ Mergus albellus

ウミアイサ属ウミアイサ Mergus serrator

ウミアイサ属カワアイサ Mergus merganser

の三種が知られる。

「トウ長」不詳。

「ミコアイ」不詳。アイはアイガモか。白色個体っぽい名ではある。

「ハシヒロ」カモ科マガモ属ハシビロガモ Anas clypeata

「冠鳥(あじかも)」『「アシ」とも云なり』「アヂ」カモ目カモ科マガモ属トモエガモ(巴鴨) Anas Formosa当該ウィキによれば、『オスの繁殖羽は頭部に黒、緑、黄色、白の巴状の斑紋が入り』、『和名の由来になって』おり、『種小名formosa 』も『「美しい」の意』であるとあり、『食用とされることもあった。またカモ類の中では最も美味であるとされる。そのため古くはアジガモ(味鴨)や単にアジ(䳑)と呼称されることもあった』。『アジガモが転じて鴨が多く越冬する滋賀県塩津あたりのことを指す枕詞「あじかま」が出来た』とある。

「尾長(をなが)」マガモ属オナガガモ Anas acuta

「緑頸(あをくび)」既に出したマガモの♂。

「峯越鴨(おごしのかも)」「尾越の鴨」の漢字の当て字。晩秋の頃、峰を越えて、北から飛んでくる鴨を指す。

「アヒロ」既に出したマガモを家畜化した品種アヒル。

「茅草(ちくさ)も翅(つばさ)に摺り、切れ」「カヤに翼を擦(す)ってしまって、翅が傷つき」の意を出すだめに敢えて読点を打った。

「高く生る事なきに」不審。長い渡りのために、翼の損傷のみでなく、体力も衰え、「高く」上「る事」は出来なくなっており、の誤りかと思う。「長く生(いく)る」とは、あまりに可哀そうで、私は採れない。

「坂䋄(さかあみ)」最後に「加賀市観光情報センター KAGA旅・まちネット」の中の『「坂網猟」伝統が生んだ究極の天然鴨料理』という素敵なページを発見した! そこには、またしても写真と図入りで、『飛ぶ鳥を網で落とす名人技 伝統の「坂網猟(さかあみりょう)」』がある。そこには挿絵の「豫刕峯越鳬(よしうおこしかも)」に描かれた、アクロバティクな猟法が今も伝承されていることが判った。以下、その解説を引く。『坂網猟は石川県民俗文化財に指定された伝統猟法で、片野鴨池周辺の丘陵地を低く飛び越える鴨を、坂網と呼ばれるY字形の網を投げ上げて捕らえます』。『坂網猟が始まったのは今から約』三百『年前の江戸時代の元禄年間』(一六八八年~一七〇四年:本書の刊行は寛政一一(一七九九)年)『と伝えられ、大聖寺藩主が武士の心身の鍛錬として坂網猟を奨励したことから』、『多くの藩士がこれを行っていました』。『坂網は長さ』三・五メートル、『Y字形の先端の幅』一・三『メートル、重さ約』八百『グラムで、ヒノキと竹、ナイロン網などで作り、羽音を頼りに鴨をめがけて数メートル、時には』十『メートル以上の高さに投げ上げます』。『猟期中の夕暮れ時、鴨が近くの水田へ落穂などの餌を求めて鴨池を飛び立ち、周囲の丘を飛び越える僅か』十五分から二十『0分ほどの時間だけ』、『猟を行います』。『また、この地では、坂網猟で捕ったつがいの鴨を結婚式の引出物にするなど、鴨を活かした食文化と坂網猟を守ってきた歴史があります』とあった。私はこのページを見て、精神的にすっかり満腹になった。]

2021/07/26

日本山海名産図会 第二巻 田獵品(かりのしな) 鷹

 

田獵品(かりのしな)

   ○鷹(たか)

 

Takatori

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「張切羅をもつて鷹を捕(はりきりあみをもつてたかをとる)」。本文に書かれた特殊な狩猟法である。ダミーの蛇形(へびがた)を糸で操作して、上の網の中央に杭で結い附けた生きた鵯鳥(ひよどり)を脅し、それを見た鷹が餌にせんと襲いかかったところを描いて(この絵はその瞬間を捉えたととる。ただ、上の網の底は暗くごちゃついていて、無論、鷹に搦めさせる漆塗りの針をつけた竹というのもどれやらわからぬ点は、遺憾で、後注するが、右の猟師の部分にも描き込みに不審がある)、非常に興味深いものである。]

 

甲斐山中(やまなか)・日向・丹後・伊豫等(とう)に捕るもの、皆、小鷹(こたか)にして、大鷹は、奧州黒川・上黒川(かみくろかは)・大澤・冨澤(とみさは)・油田(あぶらた)・年遣(とつかひ)・大爪(おほつめ)・矢俣(やまた)等にて捕るなり。しのぶ郡(こほり)にて捕る者、凡て「しのぶ鷹」とはいへり。白鷹(おほたか)は朝鮮より來りて、鶴・雁(かん)を撃つ者、是れなり。鷹を養ふ事は、朝鮮を原(もと)として「鷹鶻方(ようこつはう)」と云ふ書、あり。故に本朝仁德天皇の御宇、依網屯倉(よあみみやけ)の阿珥(あひ)、古鷹を獻せしに、其の名さへ知り給はざりけるを、百濟の皇子(こうし)酒君(さけのきみ)、「是れは朝鮮にて『倶知(くち)』と云ふ鳥なり」とて、韋緡(ふくさ)・小鈴(こすゞ)を着けて得馴(ならしえ)て、百舌野遊猟(もすのゆうれう)に、多く雉子を捕る故に、時人(ときひと)、其の養鷹(やふかひ)せし處を号(なつ)けて、「鷹甘邑(たかいのやう)」と云ふて、今の住吉郡(すみよしこほり)鷹合村(たかあひむら)、是れなり。されば、我國に養ひ始めし事、朝鮮の法を傳へりと見へたり。○捕り養(か)ふ者は、凡そ、巢中(すちう)に獲りて、養ひ馴れしむ。其の中(なか)に伊豫國小山田(おやまた)には、羅(あみ)して捕れり。此の山は土佐・阿波三國に跨たがりたる大山(たいさん)なり。されば、鷹は、高山を目がけて、わたり來たるものなれば 必ず、此の山に在り。凡そ、七、八月の間、柚(ゆ)の實の色、付きかゝる折りを、渡り來(く)るの期(ご)とす。

○「羅ははり切羅」といひて、目の廣さ一寸、或、二寸、すが糸にても、苧(お)にても作る。竪(たて)、三、四尺、横二間[やぶちゃん注:約三・六五メートル。]許りなるを張りて、其の下に、「提灯羅(てうちんあみ)」とて、長三尺ばかり、周徑(わたり)一釈斗の、もめん糸の羅に、鵯(ひよとり)を入れ、杭に結い付、又、其の傍らに、木にて作りたる、蛇の形(なり)の、よく似たるを、竹の筒に入れて、糸をながく付けて、夜中(やちう)より仕かけ置き、早天(さうてん)に、鷹、木末(こすへ)を出でて、求食(あさる)を見かけ、「しかき」の内より、蛇の糸を引きて、鵯のかたを目かけ、動かせは、恐れて、騷立(さはた)つを見て、鷹、是れを捕らんと、飛び下(お)りて、羅にかゝる。両方に着けたる竹の釣(は[やぶちゃん注:ママ。「はり」の脱字か。])に、漆(うるし)をぬりて、能く走る樣に、しかけし物にて、鷹、觸るれば、自(おのづか)ら、縮(しゞ)まり寄りて、鷹の纏(まと)はるるを、捕ふなり。此の羅を張るに、窮所(きうしよ)ありて、是、又、庸易(ようい)のわざにはあらず、といへり。其の猟師、皆、惣髮(さうはつ)にして、男女(なんによ)分かちかたし。冬も麻を重ねて、着(ちやく)せり。○此(こゝ)に捕る鷹、多くは、鷂(はいたか)、又、ハシタカともいひて、兒鷂(このり)の䳄(めん)なり。逸物(いちもつ)は、鴨・鷺をとり、白鷹(おほたか)に似て小也。其の班(ふ)、色々、有り。○かく、捕り獲(え)て後、「山足緖(やまあしを)」・「山大緖(やまおほを)」を差すなり。何(いづ)れも、苧(お)を以つて作る。尤も足にあたる処は、揉皮(もみかわ)を用ひ、旋(もとをり)は、竹の管、又は、鹿の角にて制(つく)る。小鷹(こたか)は、紙にて、尾羽をはり、樊籠(ふせご)に入れて、里に售(ひさ)く。○他國、又、奧州の大鷹は「巢鷹(すたか)」と云ひて、巢より、捕らふあり。其の法、未詳(つまひらかならず)。○餌(え)は、餌板(えいた)に入れて、差し入れ、飼ふ。○大鷹は尾袋(おふくろ)・羽袋(はふくろ)を、和らかなる布にて、尾羽(おは)の筋(すし)に、一處(ひとどころ)、縫ひ附ける。其の寸法、尾羽の大小に隨がふ。

○以捕時異名(とるときによりて、なを、ことにす)

「赤毛」【一名「䋄掛(あうけ)」「初種(わかくさ)」「黄鷹(わかたか)」。是れ、夏の子を、秋、捕りたるを云也。】・「巢鷹(すたか)」【巢にあるを捕りたるなり。】・「巢𢌞(すまはり)」【五、六月、巢立ちたるを捕りたるなり。】・「野曝(のされ)鷹」【「山曝(やまされ)」「木曝(こされ)」とも云。十月、十一月に捕りたるなり。】・「里落鷹(さとおちたか)」【十二月に取る物の名なり。】・「新玉鷹(あらたまたか)」【正月に捕りたる也。】・「佐保姬鷹(さほひめてう)」【「乙女(をとめ)鷹」「小山鴘(こやまかへり)」とも云ふ。二、三月に取りたる也。】・鴘(かへり)【山野にて毛をかへたるを云ふ。「片かへり」とは、一度、かへたるを云ふ。二度、かへたるを、「諸(もろ)かへり」と云ふ。】。

○鷹懷(たかをなつける)

獲(ゑ)たるまゝなるを「打ちおろし」といふ。是れに人肌の湯を以て、尾羽・觜(はし)の𢌞り、餌(え)じみなどを、能く洗らひ、觜・爪を切り、足緖(あしを)をさして、「夜据(よすへ)」をするなり。「夜据」とは、「打おろし」の、稍(やゝ)、人に馴れたるを視候(うかゞ[やぶちゃん注:二字へのルビ。])ひ、夜(よる)、塒(とや)を開き、燈(ともしび)を用ひず、手に据へて、山野を徘徊し、夜(よ)を經(ふ)るについて、燈を※(かすか)に見せ[やぶちゃん注:「※」=「凵」の中に「※」。「幽」の異体字。これ(グリフィスウィキ)。]、又、夜(よ)をかさねて、次㐧にちかくす。是れは、若始(としはじ)めに、火の光りに驚かせては、終(つひ)に癖となりて、後(のち)に、水に濡れたる羽(は)を、焚火(たきひ)に乾かすこと、成りがたき爲め也。其の外、數多(あまた)、害あり。さて、「夜据」、積りて、鷹、熟(くつろ)き、手、ふるひ、身、せゝりなどして、和らぎたるを見て、「朝据(あさすへ)」をするなり。是れは、未明より、次㐧に、朝を重ねて、後に、白昼に、野にも、出だせり。其の時、肉、よくなり、野鳥(のとり)を見て、目かくる心を察し、かねて貯へし小鳥を見せて、手𢌞りにて、是れを捕らせり。但し、其の小鳥の觜(はし)をきり、あるひは括(くゝ)る也。是れは、鷹を、啄(ついば)み、聲を立てさせさるが、爲めなり。若(も)し、聲立(こへたて)などして、鷹、おどろけば、終に癖となるを、厭へばなり。是れを「腰丸觜(こしまるはし)をまろばす」とは云へり。此の鳥、よく取り得たる時は、暖血(ぬくち)【肉のこと也。】を、少し飼ひて、多くは飼はず。多く飼へは、肉、ふとりて、惡(あ)しし。尚、生育に心を附けて、肥へる、瘦せる、又は、羽振(はふり)・顏貌(かんほう)などの善𢙣(せんあく)、或いは、大鷹は、眸(ひとみ)の小さくなるを、肉のよきとし、小鷹はこれに反し、又、屎(うち)の色をも考へ、能く調はせて【是れを、「肉をこしらへる」といふ也。】、「飛流(とびなかし)」の活鳥(いけとり)を飼ふ【「飛流し」とは、鳥の目を縫ひ、野に出でて、高く飛はせて、鷹に羽合(はあはせ)するなり。目をぬふは、高く一筋に飛ばさんが爲め也。】。是れを、手際よく取れは、夫(それ)より、山野に出でて、取り飼ふなり。

○巢鷹は、巢より取りて、籠のうちに艾葉(もくさ)・莵(うさぎ)の皮を敷きて、小鳥を、細かに切りて、あたへ、少しも、水を交じへず。○初生を「のり毛」「綿毛」共云。又、「村毛」・「つばな毛」と、生育の次㐧あり。尾の生(ふ)を以つて、成長の期(ご)として、一生(ひとふ)・二生(ふたふ)を見する、といふなり。三生(みふ)に及べば、籠中(こちう)に架(ほこ)をさすなり。初めより、籠に蚊帳をたれて、蚊の螫すを厭ふ。又、雄(お)を「兄鷹(せう)」といひ、雌(め)を「弟鷹(たい)」といひて、是れをわかつには、輕重をもつてす。輕きを「兄(せう)」とし、重きを「弟(たい)」とす。又、尾羽(おは)、延び揃ひかたまりたる後は、足緖(あしを)をさして、五日ばかり、架(ほこ)につなぎ、靜かに据へて、三日ばかり、㳀湯(ぬるゆ)[やぶちゃん注:「㳀」は「淺」の異体字。]を浴びするなり。若(も)し、浴びざれば、ふりかけて、度(と)を重(かさ)ぬ。縮(しゞま)りたる羽を伸ばし、尚、前法のごとく、活鳥(いけとり)をまろはして、後には、常のごとし。

○鷹品大概(たかのしなたいがい)

角鷹(おほたか)【「蒼鷹」「黄鷹」ともいふ。】・「波廝妙(はしたへ)」【「弟(たい)」とも「兄(せう)」とも見知りがたきを云。】・「鶻(はやぶさ)」【雄(お)なり。形。小也。】・「隼(は)」【雌(め)なり。形、大(おほい)なり。仕(つ)かふに用之(これをもちゆ)。】・「鷂(はいたか)」【雌(め)也。】・「兄鷹(このり)」【鷂の雄(お)也。】・「萑鷂(つみ)」【「𪄄」とも書きて、品(しな)、多し。「黑―」・「木葉―」・「通―」・「熊―」・「北山―」、いづれも同品なり府をもつて別かつ。】[やぶちゃん注:ダッシュは前掲字の省略。後も同じ。]・「萑𪀚(しつさい)」【「ツミ」より小也。】・「鵊鳩(さしば)」【「赤※(あかさしば)」[やぶちゃん注:「※」=(上)「治」或いは「冶」+(下)「鳥」。]。「靑―」・「底―」・「下―」・「裳濃(すそご)―」。】・鷲(わし)【全躰(せんたい)、黑し。年を經て、白き府(ふ)、種々に変ず。哥に「毛は黒く眼は靑し觜(はし)靑く脛(あし)に毛あるを鷲としるべし」。】・「鵰(くまたか)」【全躰、黒し。尾の府、年を經て、樣々に變ず。哥に「觜黑く靑ばし靑く足靑く脛に毛あるをくまたかとしれ」。】其の外、品類、多し。○任鳥(かふり)【「まくそつかみ」「くそつかみ」。】惰鳥(よたか)も種類なり。

[やぶちゃん注:以下、全体が底本では一字下げ。]

「大和本草」云、『「鷹鶻方(ようこつはう)」を案ずるに、鷹の類(るい)、三種あり。鶻(はやぶさ)・鷹・鷲なり。今、案ずるに、白鷹(おほたか)・鷂(はいたか)・角鷹(くまたか)は鷹なり。』。○隼(はやぶさ)・鵊鳩(さしは)は鶻(こつ)なり。○鷲・鳶等(とう)は鷲なり。鷹(よう)・鶻(こつ)の二類は、敎へて、鳥を取らしむ。鷲の類ひは敎しへて鳥を取らしめず。又、諸鳥は、雄(お)、大(おほ)いなり。唯、鷹は雌(めん)、大いなり。此の事、中華の書にも見たり。尚、詳かなることは、原本によりて見べし。此(こゝ)に略す。

 

[やぶちゃん注:「鷹」は新顎上目タカ目 Accipitriformesタカ科 Accipitridae に属する鳥の内で、比較的、大きさが小さめの種群を指す一般通称である。作者は、後半で明らかに現在のそれらの中の幾つかの種をも挙げている。さらに、同一種でも鷹飼いの過程の中での個体差や経年による異名も挙げており、なかなかに面白いのだが、それが、また、かなり圧縮された形で書かれてあるため、種を同定比定することは、これ、鳥類の素人である私などには、聊か難物である。ともかくも、私は思うに、作者は寺島良安の「和漢三才図会」の膨大な鷹類や鷲類の叙述を参考にしていることは間違いないと思われる。幸い、私は既にブログでそれらを総て電子化注してある。以下である。

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷹(たか)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷂(はいたか・はしたか) (ハイタカ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 雀鷂(すすみだか・つみ) (ツミ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 角鷹(くまたか) (クマタカ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵰(わし) (鷲(ワシ)類)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鶚(みさご) (ミサゴ/〔附録〕信天翁(アホウドリ))

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳶(とび) (トビ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷸子(つぶり・つぐり) (チョウヒ・ハイイイロチョウヒ)

和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵟(くそとび) (ノスリ或いはチョウゲンボウ)

但し、その総論部である最初に挙げた「鷹」だけでも、「まず、参照されたい」と言うのが気が引けるほど、異様に長いので、相応の覚悟をして貰わないと、途中でお挫け遊ばされるかも知れないということは、一言、言っておかねばなるまい。

「甲斐山中(やまなか)」山梨県南都留郡山中湖村山中附近ととっておく(グーグル・マップ・データ。以下同じ)。

「奧州黑川」特定不能。一番大きな地域名なら、宮城県黒川郡がある。但し、黒川や上黒川の地名は現行では、ない。

「上黑川(かみくろかは)」特定不能。山形県酒田市上黒川はあるが、その西に下黒川はあっても、黒川は、ない。

「大澤」山形県最上郡真室川町大沢か。

「冨澤(とみさは)」山形県最上郡最上町富澤か。

「油田(あぶらた)」地名としては、非常に多数、存在し、特定不能。ウィキの「油田(曖昧さ回避)」を参照されたい。

「年遣(とつかひ)」不詳。

「大爪(おほつめ)」不詳。

「矢俣(やまた)」旧茨城県猿島郡八俣村(やまたむら)はここだが(今昔マップ)、ここかどうか不明。この前までは東北だとすれば、違う。

「しのぶ郡(こほり)」陸奥国・岩代国(現在の福島県)にあった古代からの郡名。現在の福島市の大部分が相当する。

「白鷹(おほたか)」タカ目タカ科ハイタカ属オオタカ Accipiter gentilis 。本邦における鷹類の代表的種で、古今、「鷹」や「鷹狩りの鷹」といえば、オオタカを指すことが多いから、ここでもメインのそれは本種を想定してよい。但し、本和名のもとは「大鷹」(タカ科では中型の種である)ではなく(現行はそう書くことが多いが)、「蒼鷹」が元で、羽の色が青みがかった灰色をした鷹を意味する「蒼鷹(あをたか)」が訛ったものである。また、作者は「朝鮮より來りて」などと言っているが、「日本書紀」の記載にかぶれたものであろう。北アフリカからユーラシア大陸及び北アメリカ大陸にかけて分布し、日本列島でも、南西諸島・南方諸島を除く全域にもともと分布している。但し、ウィキの「鷹狩」によれば、江戸時代、鷹狩用の鷹は、『奥羽諸藩、松前藩で捕らえられたもの、もしくは朝鮮半島で捕らえられたものが上物とされ、後者は朝鮮通信使や対馬藩を通じてもたらされた。近世初期の鷹の相場は』一据』(すゑ(すえ):鷹の序数詞)『十両』、『中期では』二十~三十『両に及び、松前藩では藩の収入の半分近くは鷹の売上によるものだった』とはある。

「鷹鶻方(ようこつはう)」高麗(九一八年~一三九二年)時代から李王朝(李氏朝鮮:一三九二年から一八九七年。大韓帝国として一九一〇年まで存続)時代に複数の異本が製作された鷹養(おうよう)の特殊実用書。「鶻」はタカの一種であるハヤブサやクマタカを指す漢字。国立国会図書館デジタルコレクションの画像で、訓点附きの「新增鷹鶻方」(李爓(りえん)編・寛永二〇(一六四三)年南輪書堂板行本)が読める。また、サイト「大阪大学学術情報庫」のこちらで、二本松泰子氏の手になる「韓国国立中央図書館蔵『鷹鶻方 全』全文翻刻」(『日本語・日本文化』二〇一三年三月発行)がPDFでダウン・ロード出来る。

「仁德天皇の御宇、依網屯倉(よあみみやけ)の阿珥(あひ)、古鷹を獻せしに……」「日本書紀」の仁徳天皇四十三年(三五五年)九月の条。

   *

四十三年秋九月庚子朔。依網屯倉阿弭古捕異鳥。獻於天皇曰。臣每張網捕鳥。未曾得是鳥之類。故奇而獻之。天皇召酒君示鳥曰。是何鳥矣。酒君對言。此鳥之類多在百濟。得馴而能從人。亦捷飛之掠諸鳥。百濟俗號此鳥曰倶知【是今時鷹也。】。乃授酒君令養馴。未幾時而得馴。酒君則以韋緡著其足。以小鈴著其尾。居腕上、獻于天皇。是日、幸百舌鳥野而遊獵。時雌雉多起。乃放鷹令捕。忽獲數十雉。是月。甫定鷹甘部。故時人號其養鷹之處。曰鷹甘邑也。

   *

 四十三年秋九月(ながつき)庚子(かのえね)朔(つきたち)、依網屯倉(よさみにみやけ)の阿弭古(あびこ)、異(あや)しき鳥を捕へて、天皇(すめらみこと)に獻(たてまつ)りて曰(のたま)はく、

「臣(やつかれ)、每(つね)に網を張りて鳥を捕へど。未だ曾つて是の鳥の類(たぐひ)を得ず。故(かれ)、奇(あや)しみて、之れを獻らむ。」

と。

 天皇、酒君(さけのきみ)を召したまひて、鳥を示して曰はく。

「是れ、何(いか)なる鳥ぞ。」

と。

 酒君、對(こた)へて言(まう)さく、

「此の鳥の類(るゐ)、多(さは)に百濟に在り。馴(なつ)け得ば、能く人に從ひて、亦、捷(と)く飛びて、諸鳥を掠(かす)む。百濟の俗(ひと)、此の鳥を號(な)づけて『倶知(くち)』と曰ふ【是れ、今の時の鷹なり。】。」

と。

 乃(すなは)ち、酒君に授けて、養ひ馴けしむ。

 未だ幾時(いくばく)ならずして、得馴くことを得しむ。

 酒君、則ち、韋(をしかは)・緡(あしを)を以つて、其の足に著け、小鈴を以つて、其の尾に著けて、腕(ただむき)の上(へ)に居(す)ゑて、天皇に獻る。

 是の日、百舌鳥野(もずの)に幸(いでま)して、獵り、遊ばす。

 時に、雌雉(めきぎす)、多く起(た)つ。乃ち、鷹を放ちて、捕へしむ。忽ち、數十(あまた)の雉を獲りつ。

 是の月。甫(はじめ)て鷹甘部(たかかひべ)を定む。故、時の人、其の、鷹を養(か)へる處を號(なづ)けて、鷹甘邑(たかかひむら)曰ふ。

   *

作者は「韋緡(ふくさ)」(「袱紗」?)と読んでおり、昭和六(一九三一)年岩波書店刊黒板勝美編「日本書紀  訓讀 中卷」では、「韋緡(をしかはのあしを)」と一語で読んでいるが、これは「韋(をしかは)」は「鞣(なめ)し革」で、「緡(あしを)」は「細くて見えにくい釣り糸」の意であろう、というサイト「古事記をそのまま読む」の「上代語で読む日本書紀〔仁徳天皇(1)〕」の注に従って訓じておいた。そこで、「依網屯倉(よさみにみやけ)の阿弭古(あびこ)」については、『「依網(よさみ)」が氏、「屯倉(みやけ)」が名で、「阿弭古(あびこ)」が姓』とされ、『「依網阿毘古」は』『摂津国・住吉郡・大羅【於保与佐美〔おほよさみ〕】』『が本貫か』と注されている。「酒君」は講談社「日本人名大辞典」によれば、百済の王族の一人で、この二年前の仁徳天皇四十一年に紀角(きのつの)が百済に遣わされた際、角に対して無礼をはたらいたために捕えられ、日本に護送されたものの、その後、罪を許されて、ここにあるように、鷹の飼育を命じられて、鷹甘部(たかかいべ)の始祖となったとある。「百舌鳥野(もずの)」は現在の伝仁徳天皇陵とされる大山陵古墳を含む百舌鳥(もず)古墳群のある一帯に比定される。「鷹甘部(たかかひべ)」大化前代からあった職業部。鷹養部とも書く。狩猟のための鷹と犬の飼育・調教及び放鷹に従事した。彼らの居地は大和・河内・摂津・近江にあったが、全体を統轄する伴造(とものみやつこ)は見当たらず,地域ごとの伴造に率いられたようである。近江の伴造は「鷹養君」という君(きみ)姓であった(平凡社「世界大百科事典」ニに拠る)。作者は「住吉郡(すみよしこほり)鷹合村(たかあひむら)」とする。これは現在の大阪府大阪市東住吉区鷹合(たかあい)附近であろう。

「伊豫國小山田(おやまた)」愛媛県松山市小山田。しかし、ここを出しておいて、突然、直後に「此の山は」として「土佐・阿波三國に跨たがりたる大山(たいさん)なり」(これはマクロな四国山地を指している)というのは掟破りも甚だしい謂い方である。

「柚(ゆ)」柚子。ムクロジ目ミカン科ミカン属ユズ Citrus junos の実が黄色く色づく秋である。

「すが糸」絓糸。縒りを掛けずに、そのまま一本で用いる生糸。白髪糸(しらがいと)。

「苧(お)」「お」は歴史的仮名遣の誤り。苧績紡(をうみつみ(おうみつみ))ぎの網。苧(からむし:イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea)の繊維を撚り合わせて網糸にしたもの。

「鵯(ひよとり)」スズメ目ヒヨドリ科ヒヨドリ属ヒヨドリ Hypsipetes amaurotis

「しかき」「鹿垣」で「しかぎ」或いは「しかぎ」と読み、鹿などが来るのを待つ猟師が、自分の身を隠すために、立ち木に横木を渡し、柴などを結びつけたもの。挿絵では、右の糸を操っていると思しい男の向こう側に、それらしい柴らしきものが見えるのだが、蔀関月にしては、珍しく遠近感を誤ってしまっていて、おかしい。頗る惜しい。

「惣髮(さうはつ)」歴史的仮名遣は「そうはつ」でよい。男の結髪の一つ。額の上の月代(さかやき)を剃らず、全体の髪を伸ばし、頂で束ねて結ったもの。また、後ろへ撫でつけて垂れ下げただけで、束ねないものもいう。江戸時代、医者・儒者・浪人・神官・山伏などが多く結った髪型。挿絵の男がほっかむりの後ろから、垂れ下がったそれが描かれてある。

「鷂(はいたか)」「ハシタカ」タカ目タカ科ハイタカ属ハイタカ Accipiter nisus 。「疾(はや)き鷹(たか)」が語源であり、それが転じて「はいたか」となった。嘗ては「はしたか」とも呼ばれていた。また、元来、「ハイタカ」とは「ハイタカ」の♀のことを指す名前で、♀とは体色が異なる♂は「コノリ」(ここで出る「兒鷂(このり)」)と呼ばれた。「大言海」によれば、「コノリ」の語源は「小鳥ニ乗リ懸クル意」であるという(当該ウィキに拠った)。個人的には好きな鷹の一種である。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鷂(はいたか・はしたか) (ハイタカ)を参照されたい。

「䳄(めん)」雌鳥(めんどり)。

「逸物(いちもつ)」行動性能の優れた個体。

「班(ふ)」斑紋。

「山足緖(やまあしを)」「山大緖(やまおほを)」「足緖」は鷹狩りに使う鷹の足につける紐のこと。足革(あしかわ)とも言うから、後者はその厳重なものか。飼育係氏のサイト「フクロウのいる家」の「大緒(おおお)の製作_結びかた」を参照されたい。

「旋(もとをり)」前記リンク先から考えるに、紐を固定する大事な部分を指すか。

「紙にて、尾羽をはり」自ら、飛び立った際に、距離を延ばすことが出来ないようにするためか。

「樊籠(ふせご)」「樊」(音「ハン」)には「鳥籠」の意がある。

「餌板(えいた)」細い板の上に餌を置いて、駕籠を開けずに入れるための細い板状の餌やりの板か。

「尾袋(おふくろ)」鷹の尾を傷めないようにするために懸ける生絹(すずし)の袋。

「羽袋(はふくろ)」恐らくは、前注と同じく、損傷や逃走を防ぐための両主翼へ被せるそれであろう。

「赤毛」「䋄掛(あうけ)」「初種(わかくさ)」「黄鷹(わかたか)」若い鷹のことであろう。

「野曝(のされ)鷹」「山曝(やまされ)」「木曝(こされ)」「十月、十一月に捕りたるなり」生まれて三か月以内に捕らえた若鷹。一説に、秋を過ぎて冬に捕らえた鷹。「のざれの鷹」「のざらし」と、小学館「日本国語大辞典」にあるのに一致する。

「里落鷹(さとおちたか)」タカ科サシバ属サシバ Butastur indicus との親和性を少し感じる和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)を参照されたい。

「新玉鷹(あらたまたか)」これは種ではなく、言祝ぎとして広汎に使うものであろう。

「佐保姬鷹(さほひめてう)」「乙女(をとめ)鷹」、前の年の新春に生まれた若鷹を獲って、鷹養用に訓練した、その時の、或いはそれから修業をして一年目に達したものであろうか。春を司る処女の「佐保姫」に通じさせたものであろう。

「小山鴘(こやまかへり)」の「鴘」の音「ヘン」で、原義は「二歳の鷹」及び「二歳の鷹の持つ羽の色」の意。但し、「こやまかえり」(「小山帰」とも書く)は、鷹用語で、前年に生まれた若鷹が翌春になっても、羽毛がまだ完全に抜け変わらないこと。また、その若鷹のことを指す。

「鷹懷(たかをなつける)」「なつける」は「手馴づける」であろう。

「打ちおろし」鷹養用語で「訓練を始めたばかりの鷹」。後に転じて、「修行を始めたばかりの者」の意となった。

「餌(え)じみ」鷹の摂取した餌で汚れた染み。

「塒(とや)」鳥屋(とや)。塒(ねぐら)。ここは飼育小屋。

「肉、よくなり」体幹の肉付きが良くなって。

「目かくる」「目掛くる」。

「手𢌞りにて」鷹匠の手ずから。

「聲立(こへたて)などして」ここは「鷹匠自らが、餌をやるのに、声を発したりなどしてしまうと」の意であろう。

「腰丸觜(こしまるはし)をまろばす」不詳。識者の御教授を乞う。

「屎(うち)」読みの由来不詳だが、「くそ」「まり」で、鷹の体の内(うち)より出る排泄物の謂い。小学館「日本国語大辞典」にも、『鷹の糞(ふん)』とある。これは飼育上の大事な観察物である。鳥は大小便の排泄は分離せず、総排泄腔から総てが排出されるから、それを調べることは、鳥個体の体内の状態を知るに、最も重要なものとなる。先の二本松泰子氏の手になる「韓国国立中央図書館蔵『鷹鶻方 全』全文翻刻」(サイト「大阪大学学術情報庫」のこちらから入手出来る)にも(三〇ページ三行目。訓点に従って書き下した)、『鷹の鷹鶻の屎(うち)に長(なか)き虫(むし)あるは、狼牙(らうけ)草を以つて水に煎(せん)して灌(そゝ)き下す。或は細末して食に和(まつ)る』とある。「狼牙草」とは、恐らくバラ目バラ科バラ亜科キジムシロ属ミツモトソウ Potentilla cryptotaeniae (水元草:中文表記「狼牙委陵菜」。「本草経」に「狼牙」で載る)と思われる。

『「飛流(とびなかし)」の活鳥(いけとり)を飼ふ【「飛流し」とは、鳥の目を縫ひ、野に出でて、高く飛はせて、鷹に羽合(はあはせ)するなり。目をぬふは、高く一筋に飛ばさんが爲め也。】。是れを、手際よく取れは、夫(それ)より、山野に出でて、取り飼ふなり』「目を縫」うというのは、ちょっと残酷な感じだが、恐らくは、片方だけをそうしたのかも知れない。但し、さんざん探したが、ネットでは縫うという記載は見当たらない。ただ、遮眼するのは片目ではないか。立体視で視野が広がると、本能的に索敵・索餌のために下界を見渡して高く飛ばないのではなかろうか。「中森康之ブログ」の「羽合:人鷹一体」に、『鷹狩り用語に「羽合」(あはせ)というのがある』として、大塚紀子著「鷹匠の技とこころ-鷹狩文化と諏訪流放鷹術」(白水社刊)から以下を引用されておられる。『「羽合」は日本の鷹匠の独特な猟法の一つで、鷹に加速をつけてやるために、拳から鷹を獲物に向かって投げるように押し出すことをいう』とあり、さらに『鷹と鷹匠が呼吸を合わせて、これをうまく成功させたときの技の境地を「人鷹一体」といい、これが、鷹匠が追求する究極の感覚である。(略)カモ猟などで鷹匠が十分に寄せたのち、絶妙の頃合いで羽合が成功したとき、それはまるで自分の拳が伸びたかのように感じられ、鷹の動きが線を描くかのように明確に見えて一瞬で捕らえることができる場合がある。この時の感覚は「羽合拳」といわれる』とある。ちょっと私の推理とは異なるけれども。

「艾葉(もくさ)」ヨモギ属ヨモギ変種ヨモギ Artemisia indica var. maximowiczii

「のり毛」「糊毛」或いは「載り毛」か。ぺたっとしたそれか。

「村毛」「叢毛」であろう。

「つばな毛」さらに毛先が突き出始めて、「茅(ちがや)」(単子葉植物綱イネ目イネ科チガヤ属チガヤ Imperata cylindrica 。花期は初夏(五 ~六月)で、葉が伸びないうちに葉の間から花茎を伸ばして、赤褐色の花穂を出す。穂は細長い円柱形で、葉よりも花穂は高く伸び上がり、花茎の上部に葉は少なく、ほぼまっすぐに立つ。小穂は基部に白い毛がある。花は小さく、銀白色の絹糸のような長毛に包まれて花穂に群がり咲かせ、褐色の雄しべがよく目立つ。当該ウィキに拠る)の穂の綿毛のようになるということであろう。

「尾の生(ふ)」恐らくは、斑(ふ)で、翼のそれと区別するために言っているように思う。尾羽の先の方に目立つ縞状の斑点模様は、主翼のそれらよりも寧ろ目立つように思われる。

「架(ほこ)」太い止まり木。別に「鷹槊」と書いて「たかほこ」と読ませる。

『雄(お)を「兄鷹(せう)」といひ、雌(め)を「弟鷹(たい)」といひて、是れをわかつには、輕重をもつてす。輕きを「兄(せう)」とし、重きを「弟(たい)」とす』小学館「日本国語大辞典」の「しょう」(セウ)「兄鷹」と見出して、『小さい鷹。また、おすの鷹。しょうたか。⇔弟鷹(だい)』とあり、「和名類聚抄」に載るので、中古にはあった呼称である。補注があって、『鷹は、めすが大きく、おすが小さいので、おすの鷹を「小」といい、これに「兄」をあてたといわれるが、一方、「妹(いも)」に対する「兄(せ)」に関係づけて説明する説』『もある』とある。私はまさに一読、直ちに後者の説と同じ感じを持った。後の方にも出る通り、「鷹は雌(めん)、大いなり」で、タカ類は極端ではないがものの、種によって♀の方がやや大きい性的二型が多いことは事実である。

『「角鷹(おほたか)【蒼鷹」「黄鷹」ともいふ。】』既注。

『「波廝妙(はしたへ)」【「弟(たい)」とも「兄(せう)」とも見知りがたきを云。】』ハイタカ。既注。なお、辞書類を見ると、「箸鷹」(はしたか)があり、そこには、聖霊の箸を火に焼いて、その微かな火影(ほかげ)で鷹を鳥屋(とや)からり出したことを言うともあった。

『「鶻(はやぶさ)」【雄(お)なり。形。小也。】・「隼(は)」【雌(め)なり。形、大(おほい)なり。仕(つ)かふに用之(これをもちゆ)。】』ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ亜科ハヤブサ属ハヤブサ亜種ハヤブサ Falco peregrinus japonensis和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)を参照されたい。

『「鷂(はいたか)」【雌(め)也。】・「兄鷹(このり)」【鷂の雄(お)也。】』既注。

『「萑鷂(つみ)」【「𪄄」とも書きて、品(しな)、多し。「黑―」・「木葉―」・「通―」・「熊―」・「北山―」、いづれも同品なり府をもつて別かつ。】』これは、タカ目タカ科ハイタカ属ツミ Accipiter gularis 和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 雀鷂(すすみだか・つみ) (ツミ)を参照されたい。なお、「𪄄」(音「テウ(チョウ)」は「鵰」に同じで、タカ科の鳥の中でも、大形のものを指す。また、「鵰雞(ちょうけい)」はミサゴ(鶚)で、タカ目ミサゴ科ミサゴ属 Pandionの鳥、或いは、ミサゴ属ミサゴ Pandion haliaetus を指す(一種説と、亜種を立てる二種説がある。当該ウィキを見られたい)。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鶚(みさご) (ミサゴ/〔附録〕信天翁(アホウドリ))を参照されたい。

『「萑𪀚(しつさい)」【「ツミ」より小也。】』これは、前注のタカ目タカ科ハイタカ属ツミ Accipiter gularis ♂のことと思われる。「悦哉・雀𪀚」(えっさい)という語があり、これはツミの♂の呼称だからである。同種は♂の全長が二十七センチメートル、♀が三十センチメートルと、♀の方が大きい性的二型で区別してもおかしくないのである。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 雀鷂(すすみだか・つみ) (ツミ)も参照されたい。

「鷲(わし)」「全躰(せんたい)、黑し。年を經て、白き府(ふ)、種々に変ず」ウィキの「鷲」によれば、『鷲(わし)とは、タカ目タカ科』Accipitridae『に属する鳥のうち、オオワシ、オジロワシ、イヌワシ、ハクトウワシなど、比較的大き目のものを指す通称である。タカ科にて、比較的大きいものをワシ、小さめのものをタカ(鷹)と呼ぶが、明確な区別はなく、慣習に従って呼び分けているに過ぎない』とある。そこ上がった種は、

タカ科オジロワシ属オオワシ Haliaeetus pelagicus

オジロワシ属オジロワシ Haliaeetus albicilla

イヌワシ属イヌワシ Aquila chrysaetos

ウミワシ属ハクトウワシ Haliaeetus leucocephalus

で、前の三種は本邦に普通に分布し、最後のハクトウワシのみは、北アメリカ大陸(アラスカなど)の沿岸部に広範囲に分布するが、国後島・北海道で限定的に発見されている北方種である。

『哥に「毛は黒く眼は靑し觜(はし)靑く脛(あし)に毛あるを鷲としるべし」』出典未詳。識者の御教授を乞う。

「鵰(くまたか)」「全躰、黒し。尾の府、年を經て、樣々に變ず」タカ科クマタカ属クマタカ Nisaetus nipalensis和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 角鷹(くまたか) (クマタカ)を参照されたい。

『哥に「觜黑く靑ばし靑く足靑く脛に毛あるをくまたかとしれ」』同じく出典未詳。識者の御教授を乞う。前のも含め、これらは江戸時代の狂歌或いは俗謡のような気はする。

『任鳥(かふり)【「まくそつかみ」「くそつかみ」。】』声も姿も小さな時から私のお気に入りの「トンビ」、タカ目タカ科トビ亜科トビ属トビ亜種トビ Milvus migrans lineatus和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鳶(とび) (トビ)を参照されたい。但し、「くそとび」という語が古くからあるものの、それはトンビと区別されて使用されている可能性があり、「糞鳶」という蔑称は恐らくは「鷹狩り」に使えない鷲鷹類であったためかとも思われ、そうなると、タカ目タカ科ノスリ属ノスリ Buteo japonicus 及び、ハヤブサ目ハヤブサ科ハヤブサ属チョウゲンボウ Falco tinnunculus を指している可能性も排除は出来ない。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 鵟(くそとび) (ノスリ或いはチョウゲンボウ)も参照されたい。

「惰鳥(よたか)」ヨタカ目ヨタカ科ヨーロッパヨタカ(夜鷹)亜科ヨタカ属ヨタカ Caprimulgus indicus 。姿は確かにちょいと小さな鷹っぽくは見える。タスマニアに旅行した時に同属の幼鳥二羽を撮った写真がある。和漢三才圖會第四十一 水禽類 蚊母鳥 (ヨタカ)を参照されたい。

『「大和本草」云、『「鷹鶻方(ようこつはう)」を案ずるに、鷹の類(るい)、三種あり。鶻(はやぶさ)・鷹・鷲なり。今、案ずるに、白鷹(おほたか)・鷂(はいたか)・角鷹(くまたか)は鷹なり。』これは貝原益軒の「大和本草」の巻十五「山鳥」の冒頭に記された「鷹」の冒頭部分だが、引用は正確ではない。

   *

鷹 「鷹鶻方(ようこつはう)」を案ずるに、鷹の類(るゐ)、三種あり。「鶻(はやぶさ)」の類、「鷹」の類、鷲の類なり。今、案ずるに、「白鷹(おほたか)」・「鷂(はいたか)」・「角(くま)鷹」は鷹の類なり。

   *

である。この「鷹」の条はかなり長いので、電子化はしないが(面倒だかではなく、それをやりだすと、何時までもこの条を公開出来ないからである)、国立国会図書館デジタルコレクションの画像のここから視認して戴くと判るが、実は作者の種本は「和漢三才図会」の他にこちらにも拠っていることが判る。

「隼(はやぶさ)」既注。

『「鵊鳩(さしは)」【「赤※(あかさしば)」[やぶちゃん注:「※」=(上)「治」或いは「冶」+(下)「鳥」。]。「靑―」・「底―」・「下―」・「裳濃(すそご)―」。】』」タカ科サシバ属サシバ Butastur indicus 。タカの一種で、トビより小さく、全長約五十センチメートル。背面は濃い褐色で腹面に白地に褐色の横斑がある。額と喉は白く、喉の中央に一本の黒い縦条があり、尾羽に四本の黒褐色の横帯がある。山麓や平野の森林にすみ、昆虫・小鳥・蛇などを捕食する。本州以南に普通に見られ、冬は大群をなして南方へ渡る。和漢三才圖會卷第四十四 山禽類 隼(はやぶさ) (ハヤブサ・サシバ)も参照されたい。なお、異名の一つとする「裳濃鵊鳩(すすごさしは)」の「裳濃」は「裾濃」に同じで、同系色で、上方を淡くし、下方を次第に濃くしてゆく染め方や織り方を指す。また、甲冑の縅(おどし)では、上方を白、次を黄とし、次第に濃い色とするものを言う。

「諸鳥は、雄(お)、大(おほ)いなり」既に述べた通り、逆で、誤り。]

2021/07/23

日本山海名産図会 第二巻 嬰萸蟲(ゑひつるのむし)

 

Ebiturumusi

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「鷹が峯嬰萸虫(たかがみねゑつるのむし)」。]

 

○嬰萸蟲(ゑひつるのむし) 木の一名「野葡萄(のぶとう)」

山城國鷹が峯に出る物、上品とす。蔓・葉・花(はな)・實(み)ともに、葡萄(ぶどう)に異なることなし。「詩經」、「六月薁(いく)を食らふ」とは、是れなり。春月、萠芽(め)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]を出して、三月、黄白(わうはく)の小花穗(せうかほ)をなす。七、八月、實を結ぶ。小にして、圓く、色、薄紫。其の莖、吹いて、氣(き)、出づ。汁は通草(あけひ)のごとし。蔓に、徃々(ところところ)、盈(ふく)れたる所ありて、眞菰(まこも)の根に似たり。其の中に、白き蟲あり。是れ、「小兒の疳を治(ぢ)する藥なり」とて、枝とも切りて、市に售(う)る。然(しか)るに、此の莖中(けいちう)に、薬とはすれども、尚、勝(まさ)れりとは云へり。南都に眞(しん)の葡萄、なし。此の實を採りて核(たね)を去り、煎熬(せんかう/いり[やぶちゃん注:右/左のルビ。])して膏(あぶら)のごとし。食用とす。又、葉の脊(せ)に、毛、あり。乾して、よく揉めば、艾綿(よもき)のごとし。是れにて、附贅(いぼ)を治(ぢ)す故に「イホおとし」の名あり。中華には酒に釀(かも)し、「葡萄の美酒 欝金香(うつきんこう)」と唐詩に見へたるは、是れなり。

[やぶちゃん注:以下、底本ではポイント落ち。]

 【和名(わみやう)「エヒツル」とは、久しく誤り來(きた)れり。「エヒツル」は葡萄のことにて、「蘡薁(ゑびつる)」、「イヌエヒ」、又、「ブトウ」といへり。されとも、古しへより混していひしなるへし。】

 

[やぶちゃん注:まず、標題とされている「嬰萸蟲(ゑひつるのむし)」であるが、これは「葡萄蔓蟲」とも書き、蜂に見紛う形態をした蛾の一種、

ブドウスカシバ(鱗翅(チョウ)目 Glossata 亜目 Heteroneura 下目スカシバガ上科スカシバガ科スカシバガ亜科 Nokona 属ブドウスカシバ Nokona regalis )の幼虫

である。体長三センチメートルほどで、白っぽく、頭部は赤茶色を呈する。複数のブドウ目ブドウ科ブドウ属 Vitis の茎の内部に潜り込んでいる。ウィキの「ブドウスカシバ」によれば、『ブドウ園では、本種はブドウの主要害虫のため、見つけ次第捕殺される。ブドウ以外に、ノブドウ、エビヅル、ヤマブドウにも寄生するため、これらが付近にある場合、被害は深刻化する(これらのほうが寄生されやすい)』。『幼虫の被害にあった新梢は紫赤褐色に変色し、先端部は萎えて枯れる。しかし、先端部以外は枯れず、副梢が盛んに出現する』。大抵は、『被害部分からは虫糞が見られるが、部分や季節によっては、紡錘形のこぶが見られる』。『果実には、斑点が現れ、観賞価値を著しく低下させる』。一方で、小鳥の餌や、『渓流釣りにおいて良い餌であり、イワナ、ヤマメ、アマゴ、ニジマスを釣る際によく用いられ』、「かまえび」とも呼ばれるとある。現在、ここに書かれているような民間薬としての使用はないようである。

 前後するが、成虫とライフ・サイクルも引用すると、『翅の開』長は三~三・五センチメートルで、『体は黒と橙黄色帯がある。体型はハチに似ているため、ハチと間違われやすい』。『年』一『回発生する。卵は』六『月頃に葉柄の基部に産まれ』、二『週間程で孵化する。幼虫は葉柄や新梢に侵入し』、二~三『回脱皮を繰り返しながら』、新しい梢や『幹の基部へと移動する。この移動は』八『月下旬あたりに行われる』。『基部へ移動して脱皮し、老齢幼虫になったのち、秋頃より越冬の準備に入る。幼虫は越冬場所の基部に紡錘形のこぶを作り、その中で翌年の初夏まで越冬する。越冬形態は幼虫・蛹である。初夏の』五~六『月頃、成虫が羽化する』。『体型や体色がハチに似ており、ベイツ型擬態』(ベイツ(Bates)擬態とも呼ぶ。自身は有毒でも不味くもないが、他の有毒であったり、不味いの種と形態・色彩・行動などを似せて捕食を免れる擬態を指し、発見者のイギリスの探検家ヘンリー・ウォルター・ベイツ(Henry Walter Bates 一八二五年~一八九二年)に因む。詳しくは「進化論講話 丘淺次郎 第十四章 生態學上の事實(5) 四 保護色(Ⅱ)」の「6」(まさにスカシバが挙がっている)の私の注を参照されたい。私は個人的にベイツ擬態とされる一部は言われるほどの有効性(天敵回避効果)を持たないものも結構多いように思うので、必ずしも総てを認めようと思わないが、この種の成体の形態と行動には確かにベイツ擬態を感ずる。少なくとも、熟知していない人間には蜂にしか見えないからである。グーグル画像検索「ブドウスカシバ」をリンクさせておく)『の一例だと考えられている。捕らえられると』、『体を曲げてハチが針を刺すような動作をするが、実際には毒針を持っていない』とある。

 次に作者が指示する本体の「ゑひつる」であるが、これは、

バラ亜綱クロウメモドキ目ブドウ科ブドウ属エビヅルVitis ficifolia var. lobata

である。当該ウィキによれば、本邦での漢字表記は「蝦蔓」「蘡薁」で、『雌雄異株。古名は』「山葡萄」とともに「葡萄葛(蔓)(エビカズラ)」(葡萄)と称した。但し、現在の『中国では「蘡薁」はVitis adstricta 』『という別の野生ブドウを指』おり、また、『学名にVitis ficifoliaを使われることが多い』(シノニムに Vitis thunbergii がある)ものの、『Vitis ficifoliaのタイプ標本は中国の桑葉葡萄につけられたもので、桑葉葡萄とエビヅルでは形態的な違いも大きい』とある。蔓『性の木本で』、『他の木本などに巻きひげによって』巻きついて這い上る。『巻きひげは茎に対して葉と対生するが』、三『節目ごとに消失していく。葉には葉柄があり、形は扁卵形で長さ』五~八センチメートルで、三つから五つに浅く或いは深く裂け、『葉裏にはクモ毛がある』。『花期は』六~八『月で、花序は総状円錐花穂で長さ』六~十二センチメートルに『なる。雄花、雌花ともに黄緑色。秋には直径』五~六ミリメートルの『果実がブドウの房状に黒く熟し、食すると』、『甘酸っぱい味がする。しかし、果汁にエビヅル臭という青臭いにおいを有するため、果実品質の評価は一般に低い』とある。『北海道西南部、本州、四国、九州、朝鮮に分布し、山地や丘陵地に』普通に見られる、とする。

 但し、ブドウスカシバは限定的に産卵時にエビヅルを選ぶわけではないので、当時の「嬰萸蟲」を求めた人々が必ずエビヅルを選んで採取していたということは考え難いから、本邦産の真正の「ブドウ」である、

ブドウ目ブドウ科ブドウ属ヤマブドウ Vitis coignetiae (ヴィティス・コワネティアエ。古名を「えびかづら」(葡萄葛;「えび」を「ゑび」と書くのは歴史的仮名遣の誤りである)と言い、日本の伝統色で山葡萄の果実のような赤紫色を葡萄色(えびいろ)と呼ぶのは本種に由来する)

や、

ブドウ目ブドウ科 Vitoideae 亜科ノブドウ属ノブドウ変種ノブドウ Ampelopsis glandulosa var. heterophylla

も示しておく必要があろう。というより、標題は「嬰萸蟲(ゑひつるのむし)」としながら、本文冒頭は明らかに実を食用とすることが記されているのであってみれば、作者は執拗ねく最後に否定しているが、エビヅルよりも、寧ろ、ヤマブドウ Vitis coignetiae をこそ採取し食に供するに足ると考える。

「山城國鷹が峯」京都市北区の鷹峯街道を中心に広がる地域、及び、その西南方に連なる丘陵の名称でもあり、旧愛宕(おたぎ)郡鷹峯村(たかがみねむら)の村名でもある。この広域(グーグル・マップ・データ航空写真)。

『「詩經」、「六月薁(いく)を食らふ」』「詩経」の「国風」の「豳風」(ひんぷう)の冒頭の「七月」の一節。この「七月」は「詩経」の「風」の中で最も長い詩である。yang氏のサイト「言葉と格闘する日々」のこちらに、『農事歴の歌であり、兄武王の死後、幼い甥成王の後見人となった周公が、新しい国家の出発にあたり、その遠祖たちが、まだ陝西奥地・豳の地方で農事に励んでいたころの生活を、民族の記憶とすべく、甥の成王に歌い聞かせるべく、歌ったものとされる』とある。「六月食鬱及薁」で「六月は鬱(うつ)と薁(おう)とを食らひ」。先のリンク先には訳文が載るが、私がネットをつなげて以来、最も信頼している植物サイトの一つである田英誠氏編の「跡見群芳譜」こちらに原文と訓読文が載る。そこで嶋田氏は「薁」をエビヅルに、「鬱」をバラ目バラ科スモモ属ニワウメ亜属ニワウメ Prunus japonica に比定されておられる。当該ウィキによれば、『中国語では郁李』で、『中国華北、華中、華南などの山地に自生し、日本へは江戸時代に渡来し』ており、『観賞用のために広く栽培されている』。『実は甘い香りがし』一・四センチメートル『ほどの大きさになり、パイやジャムなどに利用されることもあるが』、『味は』『酸味が強い』とある。

「通草(あけひ)」木通。キンポウゲ目アケビ科 Lardizabaloideae 亜科 Lardizabaleae 連 アケビ属アケビ Akebia quinata

「葡萄の美酒 欝金香(うつきんこう)」知られた李白の次の一篇。

   *

 客中行

蘭陵美酒鬱金香

玉碗盛來琥珀光

但使主人能醉客

不知何處是他鄕

  客中行

 蘭陵の美酒 鬱金香(うつこんかう)

 玉碗 盛り來たる 琥珀の光

 但だ 主人をして 能く客を醉はしめば

 知らず 何(いづ)れの處か 是れ 他鄕なるを

   *

どうも、この条、叙述している対象がころころ変わっていて、非常に困る。ここは、また、もとのエビヅルの実に戻って、その実で作った葡萄酒の話になっている。しかも、「鬱金香」を酒の銘柄のように扱っている。実際には、葡萄酒に単子葉植物綱ショウガ目ショウガ科ウコン属ウコン Curcuma longa の根茎を漬けて色と香りづけを施したものであろう。それならまだしも、呆けた連中はうっかり「嬰萸蟲」を漬けこんだ酒などと誤読しそうだ。]

2021/07/20

日本山海名産図会 第二巻 山蛤(あかかへる)

 


Akagaeru

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「山蛤(あかかへる)」。]

 

  ○山蛤(あかかへる)

山城嵯峩又は丹波・播州小夜の山より多く出す。又、攝津神嵜(かんさき)の邊にも出だせども、其の性(せい)、宜しからず。凡、笹原・茅野原のくまにありて、是れをとるには、小き䋄にて伏せ、又、唐䋄(からあみ)のごとくなる物の龍頭(りうづ)を両手に挾み、こまを𢌞すことくひねりて打ては、䋄、「きりゝ」と、まはりて、三尺四寸ばかりに廣がるなり。かく、し得て、腸(はらわた)を拔き、乾物(かんぶつ)として出だす。其の色、桃色、繻子(しゆす)のごとし。手足、甚だ長く、目は扇(あふぎ)の要(かなめ)に似たり。但し、今、市中(しちう)に售(う)るもの、僞物(ぎぶつ)多し。○「本草綱目」に、『山蛤(さんかう)は蝦蟇(かま)より大きく、色、黄なり。』とありて、日本の物には符合せず。國を異(こと)にするのゆへもあるか。「大和本草」に、長明「無名抄(むみやうしやう)」[やぶちゃん注:「無」は(れっか)のない異体字。]を引きて、『井堤(いて)の蛙(かはづ)、是れなり。晚(くれ)に鳴きて、常のかわづに變れり。色黑き樣(やう)にて、大きにもあらず。』といふて、山蛤(さんかう)に充てたるは、おぼつかなし。

[やぶちゃん注:乾して食用・薬用とするとあり、日本固有種の無尾目 Neobatrachia 亜目アカガエル科アカガエル属アカガエル亜属ヤマアカガエル Rana ornativentris に比定する。但し、古くは、日本固有種の平地に棲息する近縁種で嘗ては普通に見た(近年はヤマアカガエルよりも有意に減少した)ニホンアカガエル Rana japonica も同様に食用にしたから、並置する必要がある。それぞれはウィキの「ヤマアカガエル」、及び、ウィキの「ニホンアカガエル」を見られたいが、カエル類の総論である私の「大和本草卷十四 陸蟲 蝦蟆(がま/かへる) (カエル類)」がとりあえずあるものの、博物誌的には「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蝦蟇(かへる)」及び「和漢三才圖會卷第五十四 濕生類 蛙(あまがえる)」の方が参考になろう。なお、アカガエルの食味については、私の高校時代の尊敬していた生物の先生は「アカガエルは鶏肉のようにヒジョーに美味い!」としばしば仰っていた。私はニホンアカガエルを食ったことは今までない。ヒジョーに残念である。なお、江戸時代にその鳴き声を楽しんで、生きたまま贈答にすることが一般に流行った無尾目ナミガエル亜目アオガエル科カジカガエル属カジカガエル Buergeria buergeri については、作者は「第四巻 河鹿」で非常に詳細な考証を行っているので、是非、見られたい。

「播州小夜の山」これを知られた静岡県掛川市佐夜鹿(さよしか)の「小夜の中山」ととると、並置されている京阪の地域から、これだけが異質に遠く飛んでしまうので、違和感がある。当初より、私は「播州小夜」の「山」間部の意で考えていた。それは、兵庫県内の山間部に嘗て「さよ」と呼ばれた地名があるからである。現在の兵庫県佐用(さよう)郡佐用町(さようちょう)である(グーグル・マップ・データ)。「播磨風土記」には『讚容(さよ)の郡(こほり)』と出、伝承として『五月夜(さよ)の郡と號(なづ)け、神を贊用都比賣(さよつひめ)の命(みこと)と名づく。今に讚容(さよ)の町田(まちだ)あり』とある。ロケーションとしてもヤマアカガエルの棲息地として問題がない。

「攝津神嵜(かんさき)」思うにこれは、現在の地名(大阪城南西に神崎町がある)ではなく、現在は淀川と安威(あい)川を結んでいる神崎川付近を指すのではないと考える。なお、兵庫県に恰好な山間部の神崎郡があるが、ここは旧播磨国であるから、違う。

「笹原・茅野原」(孰れも一般名詞)「のくま」「くま」は「隈」で草葉の陰。

「唐䋄(からあみ)」投網の異名。以下、そうした投網様(よう)の大きな『物の龍頭(りうづ)』(網の中央にあたかも梵鐘の龍頭のように突出した輪っかがあり、そこ『を両手に挾み、こま』(独楽)『を𢌞すことくひねりて打ては、䋄、「きりゝ」と、まはりて、三尺四寸』(一メートル三センチ四方)『ばかりに廣がるなり』と、広い範囲で蛙を文字通り一網打尽にする猟法もあるということである。挿絵の左手の男がそれを持って今にも七匹ほどのそれを獲ろうしている。

「繻子(しゆす)」布面(ぬのおもて)が滑らかで、つやがあり、縦糸又は横糸を浮かして織った織物。

「僞物(ぎぶつ)多し」何を用いた偽物か記しておいて欲しかった。ヒキガエルその他の種をミイラにすれば、まあ、見分けはつかんかものね。

『「本草綱目」に、『山蛤(さんかう)は蝦蟇(かま)より大きく、色、黄なり。』とありて、日本の物には符合せず』巻四十二の「蟲之四」に、

   *

山蛤【宋「圖經」。】  校正【原(もと)は「蝦蟇(がま)」の下に附す。今、分出す。】

集解【頌曰はく、「山蛤は山石中に在り。藏(かく)れ蟄す。蝦蟇に似て、大きく、黃色。能く、氣を吞み、風露を飮み、雜蟲を食らはず。山人、亦、之れを食ふ。】

主治 小兒勞瘦及び疳疾に最も良し。【蘓頌。】

   *

とあり、風体から見ても、恐らく本邦に棲息しない無尾目アマガエル上科ヒキガエル科 Bufonidae の一種ではないかと私は踏んでいる。「蛤」という漢語にはカエルの一種或いはカジカガエルの仲間を指す意味がある。

『「大和本草」に、長明「無名抄(むみやうしやう)」[やぶちゃん注:「無」は(れっか)のない異体字。]を引きて、『井堤(いて)の蛙(かはづ)、是れなり。晚(くれ)に鳴きて、常のかわづに變れり。色黑き樣(やう)にて、大きにもあらず。』といふて、山蛤(さんかう)に充てたるは、おぼつかなし』「大和本草卷十四 陸蟲 山蝦蟆(やまかへる) (カジカガエル)」を参照。確かに、益軒の最後の『「本草」に「山蛤(さんがふ)」あり。『蝦蟆に似て、大に、黃色』とあり。是れ、「井堤のかはづ」』(これはカジカガエル特定済み)『と同じきか。』とあるのは、根拠もなく(カジカガエルはヒキガエルに似ていないし、黄色くもない)、極めて安易で受け入られない。]

2021/07/19

日本山海名産図会 第二巻 吉野葛

 

Yosinokuzu

 

[やぶちゃん注:底本の国立国会図書館デジタルコレクションの画像をトリミングした。キャプションは「吉野葛(よしのくず)」。]

 

  ○ 葛(くず) 葛穀(かつこく) 一名 鹿豆(ろくとう)

蔓草(つるくさ)なり。根を食らふ。是れを「葛根(かつこん)」といふ。粉(こ)とするを「葛粉」といふ。吉野より出だすもの、上品とす。今は紀州に「六郞太夫」といふを賞す。もつとも佳味(かみ)なり。是れ、全く他物を加わへざるゆへなるべし。草は山野とも自然生(しぜんせい)多く、中華には家園(には)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]に種えて「家葛(かかつ)」と云う。野生のものを「野葛(やかつ)」といふ。日本にては家園(には)に栽ゆること、なし。葉は遍豆(いんけんまめ)に似て、三葉(さんよう)一所に着きて、三尖(みつかど)。小豆(あづき)の葉のごときもあり。莖・葉とも毛茸(け)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]ありて、七月ころ、紫赤(むらさき)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]の花を開きて紫藤花(ふじのはな)[やぶちゃん注:三字へのルビ。]のごとし。穗を成して、下に垂れる。長さ三寸斗り。莢(さや)を結びて、是れ又、毛あり。冬月(ふゆ)、根を堀りて、石盤にて、打ち※(くだ)き[やぶちゃん注:「※」=「扌」+「叩」。]、汁を去り、金杵(かなきね)にてよく舂き細屑末(こまかきこ)[やぶちゃん注:三字へのルビ。]となして、水飛(すいひ)、數度(すど)に、飽(あ)かしめ、盆に盛りて、日に暴(さら)し、桶に納めて出だす【和方書、是を「水粉」といふ。】○葛根(かつこん)は藥肆(くすりや)に生乾(きほし)・暴乾(さらし)の二品あり。○蔓は、水に浸し、皮を去り、編み連(つら)ねて、器とし、是れを「葛簏(ふちこち)」といひて水口(みなくち)に製するもの、是なり。葛篭(つゞら)は蔓をつらねたるの名なり。○葛布(くづぬの)は、蔓を煮て、苧のごとく、裂き、紡(う)を績(つむ)きて、織るなり。「詩經」に「絺綌(ちげき)」と云は。「絺」は「細糸」、「綌」は「太き糸」にて、古へ、中華に織るもの、今の越後縮(えちごちゝみ)のごときもありと見たへり。○「クス」と云ふは、「細屑(くづ)[やぶちゃん注:二字へのルビ。]」の儀にて、「水粉(すいふん)」につきての名にして、草の本名は「葛(ふぢ)」なり。「フヂ」は即ち、「鞭(ぶち)」なり。古製(こせい)、是れをもつて「鞭(むち)」とす。故に号(なづ)けて、「喪服」を「葛衣(ふぢごろも)」といふは「葛布」なればなり。

[やぶちゃん注:以下、最後まで一字下げ。但し、後の二箇所の「○」の記号だけは下げがない。]

これ、蔓・葉・根・花(くわ)・皮ともに、民用に益あり。故に遠村の民は、親屬、手を携へ、山居(さんきよ)して、堀り食らひ、高く生ひて、粉なき時は、山下(さんか)に出でて、これを紡績(はうせき)す。皆、人に益し、救ふ事、五穀に亞(つ)げり。○蕨根(わらびのね)も亦、是れに亞(つ)きて、同しく「水粉(すいふん)」とす。其の品は賤しけれども、人の飢へを救ふにおゐては、その功用、變ること、なし。伯夷(はくゐ)・叔齋(しゆくせい)が、首陽の山居も、此れによりて生(せい)を保てり。【僞物(きぶつ)は生麩(せいふ)をくわへて、制し、味、甚だ、佳(くわ)ならす。】

○此の余(よ)、葛粉(かつふん)の功用、甚だ、多し。或ひは餠、又は、水麵(すいとん)に制し、白粉(おしろひ)に和(くわ)し、糊(のり)に適(てき)し、料理の調味なと、さまざま、人に益す。○或る書に云わく、『葛、よく、毒を除く。』といへども、其の根、土に入ること、五、六寸以上を「葛膽(かつたん)」といひて、これ、頸(がふ)なり。これを服すれば、人に吐(と)せしむ。

[やぶちゃん注:マメ目マメ科マメ亜科インゲンマメ連ダイズ亜連クズ属クズ変種クズ Pueraria montana var. lobata 。私の家の県道方向に向かった斜面は一面の葛で覆い尽くされてしまっている。亡き母が丹精込めて育てた紫陽花もすっかり覆われて、殆んど花を咲かせなくなってしまった……

「六郞太夫」このブランドは現在は残っていない模様である。

「遍豆(いんけんまめ)」我々は当然の如く、マメ目マメ科インゲンマメ属インゲンマメ Phaseolus vulgaris を想起するが、しかし、ではインゲンマメとクズは似ているかというと、私は似ていないと思う。而して、作者は恐らくは浪速大坂の人間である。さすれば、西日本では別にインゲンマメでないものを「インゲンマメ」と呼んでおり、それはマメ亜科インゲンマメ連フジマメ属フジマメ Lablab purpureus で、同種はクズに草体は勿論、花もちょいと似ている(ウィキの「フジマメ」の画像リンク)から、ここはフジマメのことととる。

「三葉(さんよう)一所に着きて、三尖(みつかど)」クズの葉は大型の三出複葉。当該ウィキの葉の写真をリンクさせておく。御覧の通り、「三尖(みつかど)」とは、一つの葉自体が小葉で三方へ尖ることを言っている。

「小豆(あづき)」マメ亜科ササゲ属アズキ Vigna angularis 。クズの若い個体の場合は、葉が似ているかも知れない。

「莖・葉とも毛茸(け)あり」葉の裏面は白い毛が密生しており、白色を帯びている。

「紫赤(むらさき)の花」当該ウィキの花の写真をリンクさせておく。うちの斜面では、もさもさ過ぎて、花一つだに見えぬ哀しさ……

「紫藤花(ふじのはな)」マメ亜科フジ連フジ属フジ Wisteria floribunda 。小さな頃は、周囲の山々に幾らも咲いて、私の好きな花だったに。裏山の直近の藤沢の渓谷は本当に藤の沢だったに。今は完璧な住宅地に変貌してしまった。ウナギもカワエビもタニシもモッゴもウシガエルもアメリカアリガニもゴマンといたのに……

「水飛(すいひ)、數度(すど)に、飽(あ)かしめ」意味不明。前に出た「陶器(やきもの)」の文中では、「水干(すいひ)」で出、「水」で精製して、後に、しっかり「水」分を「飛」ばして「干」し上げることの意で用いていた。ここもそれをこれでもかと、複数回、「飽」きるぐらいに繰り返してやることの意味でとっておく。

「和方書」日本の本草書・農学書。

「葛根(かつこん)」基原植物は本原種の周皮を除いた根を乾燥したもので、「葛根湯」で現在もお馴染みの風邪薬・解熱鎮痛消炎薬に配合されている。なお、ウィキの「クズ」によれば、『花は可食で、シロップ漬け』『や天ぷらなどにすることができる。ただし』、『他のマメ科植物同様にレクチンを中心とした配糖体の毒性が含まれており、多量に摂取すると吐き気、嘔吐、眩暈、下痢、胃痛などを起こすおそれもあるため、あまり食用には適していない。加熱されていない種子は食中毒の可能性がより高くなる。その他に、樹皮や莢にはウイスタリン(wistarin)、種子には有毒性アルカロイドの一種であるシチシン(cytisine)が存在するという報告も上がっている』とあるので、要注意である。

「葛簏(ふちこち)」不詳。「簏」は「すり」と読んで、特に上代から中古に於いて、旅行の際などに携行した竹で編んだ籠状の小箱のことである。「あまはこ」とも。ここはしかし、クズの蔓で製した繩のことのようには思われる。

「水口(みなくち)」炊事場の水を引き入れたり、放出したりする口のことか。しかし、どこにどんな風に使うのか今一つ、私には判らない。識者の御教授を乞う。

「苧」は「を」或いは「からむし」。イラクサ目イラクサ科カラムシ属ナンバンカラムシ変種カラムシ Boehmeria nivea var. nipononivea の繊維を撚り合わせて糸や紐にしたもの。

「詩經」「絺綌(ちげき)」「詩経」の「国風」の「周南」にある「葛覃(かつたん)」の一節。

   *

葛之覃兮

施于中谷

維葉莫莫

是刈是濩

爲絺爲綌

服之無斁

 葛の覃(の)びて

 中谷(ちゆうこく)に施(いた)る

 維(これ) 葉 莫莫たり

 是(ここ)に刈り 是に濩(に)て

 絺(ち)と爲し 綌(げき)と爲し

 之れを服(ふく)して斁(いと)ふ無し

   *

全篇はサイト「漢詩と中国文化」のこちらがよい。「濩」は「煮」に同じ。「斁」は「厭」に同じで「厭(いや)になる」の意。思うに、これは婚姻後に女の主たる仕事となる着物を織る労働と、婚家と実家のいやさかを言祝いだ嫁入りの民謡であろう。詩篇の終わりは「歸寧父母」(歸(とつ)ぎて 父母を寧(やす)んぜん)である。

「越後縮(えちごちゝみ)」「織布」の私の注を参照。

「水粉(すいふん)」水に溶かして食用・水白粉(おしろい)などに使うものを言っているのであろう。

『草の本名は「葛(ふぢ)」なり』古くから「藤葛(ふぢかづら)」の呼称ああり、藤やなどの茎が他の物に巻きつく性質をもった植物の総称であったから、この謂いは奇異ではない。

『「フヂ」は即ち、「鞭(ぶち)」なり。古製(こせい)、是れをもつて「鞭(むち)」とす』これは一説としてはあってもいいが、私にはいかにも怪しく感じられる。因みに、小学館「日本国語大辞典」の「藤」の語源説にはこれは出ていないから、主要な説の一つとは言えないのではなかろうか。

『故に号(なづ)けて、「喪服」を「葛衣(ふぢごろも)」といふは「葛布」なればなり』平凡社「世界大百科事典」の「藤布」に、『木綿の伝わる中世末期までは植物性繊維として』、『アサ(麻)についで栲(たえ)などとともに庶民の間には広く行われていたと思われる。藤衣(ふじごろも)というのが公家(くげ)の服飾の中で喪服として用いられたが』、『これはもともと』は『粗末なものを用いることをたてまえとする喪服が』、『庶民の衣服材料である麻布や藤布で作られたため』、『このように称したのであろう』とある。この頭の「故に号(なづ)けて」というふりかざし方が何を指しているのか判らず、却ってはったりの感じを与えてよくない。

「生麩(せいふ)」小麦粉を水で練ったもの。

『「葛膽(かつたん)」といひて、これ、頸(がふ)なり。これを服すれば、人に吐(と)せしむ』「頸(がふ)」の読み不詳。謂わば、葛の精髄(「熊の胆」みたような)(頸=脊髄)の意か。これは或いは、先に引用した皮に含まれる有毒物質を指しているのかも知れない。]

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