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カテゴリー「小酒井不木」の27件の記事

2022/01/04

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) 「マクベス」の硏究 /「七」~「十一」 / 「マクベス」の硏究~了

 

        

 かくてマクベスは、非道な方法によつてスコツトランド王となつた。然し彼はいふ迄もなく、自分の身が安全であるとは思はなかつた。バンコーはマクベスが不正な手段によつて王位を得たであらうと想像し、マクベスに對して一種の恐怖を感じた。從つて二人の仲が妙にちぐはぐして、わざとらしいものとなつた。一方に於てマクベスは、三人の妖婆の豫言が耳に殘つて居て、バンコーの子孫に王位を奪はれやしないかと氣が氣でなかつた。バンコーには子があるのに彼には子がなかつた。それが一層彼の恐怖心を强めた。

『果して然うだとすると、予は、バンコーの子孫の爲に、この手を血で汚したのだ。奴等の爲に慈悲深いダンカンを殺したのだ。心の平和の盃へ[やぶちゃん注:底本は「さへ」。国書刊行会本で訂した。]苦いものを注ぎ込んだのだ。ただ彼奴等の爲に。さうして予の此不死の靈寶を惡魔の有に歸せしめてしまつたのだ。彼奴等《きやつら》を王にするために、バンコーめの子孫を王にするために! そんな事をする位なら、さア運命め、自分でやつて來い、汝か、己《おれ》か、必死の勝負をしてくれよう!』[やぶちゃん注:最後は底本では「くれう!」。国書刊行会本で訂した。以上は第三幕第一場のマクベスのモノローグの台詞。]

 まさにこれ大犯罪者の所謂自己耽溺の始まつた證據である。卽ちマクベスは妖婆の豫言を自分の力で氣に入らぬ部分だけ訂正しようと決心したのである。バンコーをその子と共に亡きものにすれば、それで氣に入らぬ部分は除かれる譯である。

 こんどはマクベスは單獨でこれを計畫した。彼はバンコーに向つて、是非卽位の祝宴に列席するよう賴んだ。それから、この目的のため、雇ひ入れた二人の刺客に向つて、言巧《ことばたく》みに敎唆した。さうして、二人に、バンコーとその一子フリヤンスを殺害することを納得させた。

 マクベス夫人は、良人が王冠の幸福を少しも享樂しないで却つて深い暗い物思ひに沈んで居ることを知つた。マクベスは夫人に對して、自分の苦惱を少しもかくさなかつたから、夫人もまたバンコー父子が生きて居てはならぬと考へた。『ですけれど、いつまでも死なゝい父子でもありますまい。』と夫人はいふ。マクベスは、自分のこの陰謀だけはなるべく夫人に知らせともなかつた[やぶちゃん注:ママ。国書刊行会本も同じ。「とうもなかった」の脱字であろう。]。けれどもそれは成功しなかつた。はじめ夫人に向つて、『就中バンコーに氣をつけて、目でも言葉でも、特に彼を優待するやうにして下さい。』といひ乍ら、つひには、『蝙蝠が寂しく飛出し、甲蟲《かぶとむし》が凄い魔女神に呼出されて眠さうな羽音を立てゝ、夜の欠伸を促し顏に鳴渡る前に容易ならん怖しいことが爲遂《なしと》げられる筈だ。』といひ、更に『目を掩ふ夜の闇よ、さア早く、慈悲心を起させ易い晝の優しい目を包んでしまつてくれ。さうして汝の殘酷な、目に見えん手で、予を蒼醒《あをざめ》させる彼の大縛り繩を取除けてくれ、寸々《ずたずた》に裂《き》つてくれ……だんだん暗くなる、鴉が塒《ねぐら》へ急ぐ。白日を主《あるじ》とする善良なものが、悉《ことごとく》皆首を垂れて眠りかけると、夜を專らにする邪《よこしま》な者共がその餌食を得ようとて競ひ起《た》つ。』といつて居る。實際、殺人者が、かやうな殘酷な感情をもつて兇行に向ふことは珍らしいことで、この點から考へて見ても彼は一種の精神病者である。

 夫人はマクベスの心の中を察しながらも『え、と仰《おつし》やるのは?』ときく。マクベスは薄氣味惡く笑つて、『ま、知らないでいらつしやい。ね、事が果てゝから賞めて下さい。』と答へる。嘗て夫人が彼に向つて言ひ惜しみをしたやうに、彼は今夫人に向つて言ひ惜しんだのである。彼は卽ち、夫人がこの新らしい兇行に倫理的の責任を分つてはならぬという妄想を持つて居たのである。

 

        

 暴君は他人を信用しない、マクベスもさうであつた。彼は二人の刺客だけにその仕事を任せたくなかつたので、第三の剌客を派遣した。さうして、かうすれば萬事思ひ通りに運ばれるであらうと思つたが、事實はかへつて、これが成功を妨げた。バンコーだけが城外で殺されて、息子のフリヤンスが逃れたのは決して偶然でなかつた。卽ちシェクスピアは、息子の逃走を偶然として取り扱ふを欲しなかつたのである。妖婆の豫言の實現を、マクベスの性格及び行爲の必然的結果たらしめようとしたのである。緊張して居た二人の刺客の精神は、第三の刺客の出現によつて亂されてしまつた。指揮者が自分たちに不信任の心を抱いて居ると知つた彼等は、もはや愼重の態度を失はざるを得なかつた。かくて二人で成功すべき事が却つて三人で不成功に終つたのである。息子のフリヤンスが侍者と共に逃げたとき、三人はそれぞれ强い不滿の心を抱き、追跡しようといふ考へさへ起さなかつた。さうしてバンコーを殺したことだけで滿足したのである。而もこのことは、マクベスの性格から來る不安、不信の產み出した必然的の結果である。こゝに沙翁の偉大なる心づかひを明かに窺ふことが出來るのである。

 かくして後、この戲曲に於ける最頂點卽ち酒宴の場が始まるのである。さうして、こゝにマクベスの計畫が如何に支離滅裂なものであるかゞ完全にさらけ出されるのである。マクベスはバンコーに是非酒宴に列席してくれといひ、又、お客樣たちの前で、バンコーの缺席を非常に殘念がりながら、バンコーの座席を設けることを忘れた。さうして、バンコーの來ないのを見て、何か兇變があつたのではないかといふやうな言はでものことを口外する。彼の愼重な計畫に對して何といふ矛盾であらう。王妃はその時、客と共に座席を占めて居た。で、たつた一つ彼のために殘された座席に愈々つかうとしたとき、彼は思ひがけなくも、その座席がバンコーの幽靈によつて占領されて居ることを認めたのである。[やぶちゃん注:第三幕第四場。]

 これこそはこれまでマクベスのかゝつた幻覺のうちの最も强烈なものといはねばならない。卽ち彼は、うす暗い沼地や梟鳴く夜とちがつて、城内にあかるい大廣間で、貴族たちの居ならぶ場所で見たのである。先の幻覺は王位を得た夜に起つたが、今や、王位を確立せねばならぬ大切の時に當つて再び彼ははげしい幻覺を起した。彼の王位に對して最も危險な敵の運命はどうなつたであらうかと全身の神經が緊張して居たとき、最初の刺客はバンコーが死んで息子の逃げたことを告げた。それをきいて彼の全神經は怖ろしく激動した。然し、バンコーの確實な死を思ひ、『逃げた子蛇は、早晚蝮にやなるだらうが、さしあたり牙に毒を有つちやいない。』と思ふと、驚きながらも樂觀せざるを得なかつた。

 ところが、バンコーの幽靈は彼のこの樂觀にとつて、恐ろしい打擊であつた。唯一の空席が幽靈のために占領されて居ることを見たマクベスは、始めて、バンコーのために席を設けて置かなかつたことに氣附いて少なからず狼狽し、愈々彼の心は亂されたのである。マクベスは幽靈の存在を信じて居た。彼の迷信は彼獨特のものではなくスコツトランドの人民に共通したものであつた。この迷信は今日に至るもなお根强くわだかまつて居るのであつて、妖婆を見たマクベスが幽靈を見ることは當然のことゝいはねばならない。

 マクベスは宴會の席で二度バンコーの幽靈を見た。その間の時間は少しであるが、二度目の時は、

最初の時よりもはげしく彼の心を搖り動かした。既に最初の時にすら、幽靈を指して、『誰がこんなことをしたんだ?』とたづねて居る。さうして貴族達が、何も見えないので、あきれて居ると、マクベスは幽靈に向つて『よもや予が爲《し》たとは言へまい。そんなに血みどろの頭髮を棹《ふ》り立てるな。』といふ。そこで、ロツスが立つて、『諸君、お起ちなさい。陛下は御不例のやうです。』といふと、夫人が立ち上つて人々を制した。

『いいえ、お掛けなさい。皆さん。折々斯ういふことはあるのです、幼い時分からです。何卒席に着いて下さい。發作は一時の事です。すぐ囘復《なほ》りましせう。あんまり皆さんが目をお附けですと、尙と機嫌がわるくなつて、惱亂が長引きます。見ない振をして物を召食《めしあが》つて下さい[やぶちゃん注:底本は最後は「食つて下さい。」だが、国書刊行会本で訂し、その読みを添えた。]。』

 かういつて客をしづめてから、彼女はマクベスに『あなたは男ぢやないの?』といふ。マクベスが勿體ぶつて答へると、彼女は彼の幻覺をさますために、『おや、ま、お立派だことね!』と嘲笑する。さうして、『そりや貴郞の臆病心が見せる畫姿ですよ、(中略)ねえ、そんなものに慄えるのは、怖《こはが》るにも事を缺いて、贋物です、(中略)何故そんな韻をなさるんです? つまる所、ただ椅子を睨んでいらつしやるんぢやありませんの?』と嘲つた。

 然し彼女は、彼の幻覺をよく知つていても、彼がその時、どんなものを見たかを知らなかつた。だから、彼女は彼を嘲つて見たのであるが、彼の幻覺はなほも去らなかつた。さうして、だんだん幻覺が衰へて行つたとき、彼は始めて我に還つて、『こゝに予が立つてゐるのが確かなら、確かに見た。』といふ。そこで夫人は『ま、馬鹿なことを!』と叫ぶが、彼はまだそれだけで安心することが出來なかつた。『……だが、昔は、腦漿が地に塗《まみ》るれば、人間は死んで、それで事が終るのであつたが、今は頭に二十ケ所の致命傷を受けながら、又起上つて來て、人を椅子から排除《おしの》けようとする。……』と、彼はなほも言ひつゞける。そこで夫人は嘲笑が效を奏しないことを見て取つて、『あなた』とやさしく聲をかけると、はじめて彼はすつかりもとにもどり、客に向つて、『どうか諸君氣に掛けて下さるな。わたしには妙な持病があるのです、知つてゐる人達には何でもないのだが。』といつて先の夫人の言葉を裏書きし、バンコーのために慶賀の盃を擧げるのである。

 ところがバンコーのことを口にするや否や、彼の全身の神經は再び激動を受けて、バンコーの幽靈を見るのである。乾盃をしたゝめ、アルコホルの作用によつて、幻覺は一層はげしいものとなつた。マクベスは全く亂心してしまひ、幽靈を驅逐するために、全精神力を緊張させた。さうして幽靈に向つて虛勢を張らうとする。『人の敢てすることなら、何でもする。すさまじいロシア熊の姿で來い、角の生えた犀なり、ヒルカニアの虎なりの姿で來い。その姿さへ止《よ》してくれゝば、此堅固した筋肉が假にも慄へるやうなことはないのだ。でなくば生返つて來て、荒地で眞劒勝負を挑め。其時若し慄へて引籠つて居るやうだつたら、予を小娘の人形だと惡口しろ。退《さが》れ! 退れ怖しい影め! 空《しら》な僞物《ぎぶつ》め、退れ!………』[やぶちゃん注:「ヒルカニア」Hyrkania はカスピ海南東沿岸の古代地方名。主都はザドラカルタ(現在のイランのゴルガーン(グーグル・マップ・データ))。メディア・アケメネス朝ペルシア・セレウコス朝シリア・パルティアが、相次いで支配した。ペルシア時代にはバルカナ(Varkana)と呼ばれた(「ブリタニカ国際大百科事典 」に拠る)。ウィキの「トラ」の分布図を見て戴くと、当該地に現在もトラが棲息していることが判る。]

 こゝに於て彼の發作はその最高點に達するのである。マクベスはもはや直立することが出來ない。

マクベスは一時氣絕する。バンコーの幽靈は消失する。彼は立ち上つて客に止まるやう願ふ。が、幻覺の後作用は依然として去らず、『實にわたしは自分で自分を異《あや》しむ程に駭《おどろ》かざるを得ない、君たちが彼物《あれ》を見ながら、どうして平氣で……わたしは怖しさに眞蒼《まつさを》になつて居るのに……頰の赤みを失はんでをられるかと思ふと。』[やぶちゃん注:「異しむ」は底本では「異む」であるが、国書刊行会本と逍遙訳に拠って訂した。なお、国書刊行会本では最後が『思う』で終わっているが、逍遙を確認したところ、「思ふと」が正しい。]といつて居る。彼は自分で幽靈なるものが畢竟影に過ぎぬことを心で認めながら視神經だけが異常に興奮して居るのに氣づかない。これがこの程度の幻覺の特色であつて、この點は醫學的に見ても正しいのである。

 さて、夫人は、もうかうなつては事態收拾すべからずと認めて、立ち上つて客に散會を乞ひ、客は、王の健康の恢復を希望したが、マクベスはそれに對して返答することが出來なかつた。さうして人々が去ると、『血を流したがつて居るのだ。血を流した者は血を流したがるといふ言ひ傳へだ。石が動き木が物を言つた例もある。……』と、なほも迷信的な心情に虜にされてしまつて居るのである。

 

        

 こゝで私はマクベスのこの病的發作に就て一言を費して置かねばならない。沙翁はこのマクベスの持病が何であるかを明言しなかつたけれどもマクベスが癲癇患者であることは否み得ない。饗宴の場に於ける夢のやうな氣持と一時的の人事不省とは、所謂癲癇性朦朧狀態に特有なものといつて差支ない。

 シーザーや、ナポレオンのやうな癲癇患者と同じく、マクベスも、その理性の力に障害が認められなかつた。その代り癲癇患者の特徵として、强い精神的の興奮と、感情の刺戟性とを多分に持つて居た。ことに彼は不安と恐怖とに惱まされ易かつた。さうして彼は憤怒と狂暴に陷り易く、それがアルコホルのために一層刺戟されるのであつた。彼の見た錯覺はやがては一種の强迫觀念卽ちバンコーに追跡されて居るといふ精神的狀態に陷らしめるところであつた。

 かくの如く、マクベスを癲癇患者と認めるときは、マクベスの性格を一層よく理解することが出來るのである。癲癇患者に於ては、自我が精神の表面にあらはれ易く、自我意識はやがて宗敎的乃至迷信的性情を培ひ、段々進んで行くと、遂には他人の苦痛に對して全く無感覺となるのである。マクベスの異常なる功名心もシーザーやナポレオンのそれと同じく癲癇がその根本となつて居るのである。さうして癲癇患者は良心の呵責に對して甚だ鋭敏なものであるが、それは自分の敵によつて、自分の安全が脅かされて居るときに限つて居る。ダンカン王を殺す前に起つた彼の恐怖は卽ちこの性情に基居たものである。なお又癲癇患者は血とか焰とか、惡魔の幻視を起し易いものであつて、彼が勇將である一面に幻覺を起して極めて臆病な人物であるやうに見えるのはこれによつて說明することが出來る。

 癲癇の發作又は朦朧狀態以外の時に於ける患者が、極めて强い意志を有して居ることは醫學上證明されて居るところである。彼等は又、道德的感情をも失ふものではないのである。然し長い月日の間に精神障害が起り、屢々所謂性格の變動を起すことがある。さうして變質が起り、理性の活動が鈍り、道德的感情が減退し又は消失する。なほ又自我狂的性情と興奮性の昂進は犯罪性を釀すもので、マクベスが先から先へ犯罪を重ねて行くのはこれによつて說明し得るのである。

 マクベスの癲癇が先天性のものか後天性のものかはもとより知る由がない。先天性と云へば、親の變質、癲癇、アルコホル中毒などが原因となり、後天性といえば、本人の頭部の外傷や生れつきの變質などがその原因となつて居る。沙翁はかかる醫學的說明を加へなかつたけれども、沙翁が癲癇患者の性質をよく知つていて、マクベスを癲癇患者として取り扱つたことは明かである。沙翁が好んで病的狀態を犯罪の動機としたことは、他の戯曲例へば『リア王』『オセロ』等にも見られて居るのである。

 癲癇患者が一つの犯罪から他の犯罪に移つて行くところを、沙翁はかの饗宴の後、マクベスが貴族の一人マクダフを殺さうとする計畫をたてるところに巧みにあらはして居る。彼はマクダフが饗宴に列席するのを斷つたのに腹を立て、『予は明日早期に、例の巫女の許へ往つて、もつと詳しく將來を言はせることにしよう、斯うなつた以上、どんな惡い手段を行つてでも、どんな惡い事までも知りたいと思ふから。自分の利益の爲に何もかも犧牲にするのだ。血の河の中へ、斯う深く踏込んでしまつて見れば、涉《わた》り果《おほ》せるより外にしようがない、……』と、所謂『毒喰はば皿』の心になつて明かに殺意をほのめかして居る。これが所謂犯罪の陶醉狀態といふべきものである。[やぶちゃん注:本段落の以上の台詞は第三幕第四場の最後のマクベス夫人との対話の一節。]

 沙翁が今日の醫學によつて明かにされた癲癇の臨床的徵候を知らなかつたのはたしかであるが、彼は少なくとも彼の時代の醫學には精通して居た。これは後に說く如く、マクベス夫人の疾病の取り扱い方からも察することが出來るし、バツクニールの著わした、『沙翁の醫學的知識』という書によつても明かである。その時分スコツトランドには癲癇の迷信的療法などが盛んに行はれて居たのであつて、沙翁は巧みに疾病を按排《あんばい》して劇的效果を多くしようとして居るのである。第四幕に、マクダフがイングランドの王城をたづねて、マクベスに反旗を飜すべく助けを乞うた時、醫師がイングランド王の疾病治癒力を述べて居るのも、やはり深い理由がある。その昔英國では、『王の病』 King's Evil (主として瘰癧を意味する)と稱して、この病にかゝつたものは、王が手を觸れさへすれば治癒するといはれ、いはゆる Royal Touch と稱して國王は治癒に從事したものである。後には手を觸れる代りに、王の像を刻んだ貨幣を與へたのであるが、沙翁は特にこのことを醫師に物語らせて居る。多くの沙翁硏究者は、この部分が直接劇の進行と關係のない所から、多分時の國王ジエームス一世に敬意を表したのであらうと解釋して居るが、さう解釋する代りに、イングランドの王はこれ程の偉大なる力をもつて居るのに、スコツトランド王マクベスは神に見放されて居るといふ對照に應用したと解釋するときは、一層この劇全體が引き立つて來るのである。

[やぶちゃん注:「バツクニールの著わした、『沙翁の醫學的知識』」イギリスの精神科医ジョン・チャールズ・バックニル(John Charles Bucknill 一八一七年~一八九七年)が一八六〇年に刊行した「The Medical Knowledge of Shakespeare 」。彼は他にも多くのシェイクスピア関連の精神医学的アプローチをした著作をものしている(英文の彼のウィキを参照)。

「瘰癧」(るいれき)は結核性頸部リンパ節(腺)炎の俗称。咽頭や扁桃などの初期感染巣からリンパ行性を経て、或いは、肺初期感染巣から血行性を経ることで感染する。頸部リンパ腺は、多数の腫脹を呈し、数珠状・腫瘤状・瘤状に連なる。慢性へと経過するが、初期の活動性の時期には、発熱やリンパ節の圧痛などが著しく、状況によっては次第に悪化し、膿を持ち、終には破れて膿汁を分泌する場合もある。]

 

        

 さて、戲曲的構成はいよいよ大團圓に近づいて來た。マクベスは再び妖婆の幻覺に遭遇するのである。しかも今囘は前囘の如く偶然に遭遇するのでなくて自から求めて幻覺にかゝるのである。彼の精神的變質は段々强くなり、迷信的性情は愈々高まつた。マクベスに從つて洞窟の入口に待つて居た貴族レノツクスは妖婆たちの通るのを見ることが出來なかつた。マクベスのいやまさつて行く心の不安は、彼をして遂にこの洞窟に走らしめたのであつて、この洞窟の中で彼は怖ろしい幻像を見た。さうしてその第一の幻像は『マクダフに警戒しな。フアイフの領主に警戒しな。』と叫ぶ。マクベスは、ぎくりとして、『何者だか知らんが好《よい》忠告をしてくれた、有難う。汝は予の内々怖れてることを言い中《あ》てた。が、もう少し聞きたいことがある……』といふ。すると、その時マクベスの殺意をそのまゝ反映したと見るべき、血まみれの小兒の幻像があらはれ、『思ひ切り酷《ひど》く、大膽に、勇敢にやんな。人間の力なんか關《かま》ひなさんな、女に生落《うみおと》された者で、マクベスを害し得るものはないんだ』といふ。卽ちここに癲癇患者の自我狂的陶醉が始まるのである。犯罪に臆病だつた彼もはやその正反對になつてしまつた。さうして癲癇患者の特性として、その誇大妄想狂ははるかに人力以外の點まで及ぶ。卽ち第三の幻像は『獅子の心になつて傲然としていな。だれが怒らうとむづからうと、謀叛を企もうと、關ふな、マクベスは、あの大きなバーナムの森がダンシネーンの高い丘の上へ、攻寄せて來ないうちは戰に負けるといふことはないから。』と叫ぶ。こゝに於てマクベスは有頂天にならざるを得なかつた。何となれば、バーナムの森が移動するといふことは、絕對に不可能なことであるからである。たゞしかし、氣にかゝるのは王位の問題であつた。彼は果してバンコーの子孫がこの國に君臨するものかゞ聞きたかつた。然し、幻像はそれに答へなかつた。その代りに、王の服裝をした八人のものが徐《しづ》かに列をなしてあらはれ、最後の一人が手に鏡を携へ、その後にバンコーの幽靈があらはれた。『中には玉を二つ、笏を三本持つて居るのが見える。あゝ怖しい現象だ!……ぢや、いよいよさうだな、血みどろのバンコーが此方《こちら》を向いて、にやにや笑つて己の子孫だといふらしく指ざしをして居る。……』卽ち、彼の心配が、そのまゝ幻覺となつてあらはれたのであつた。丁度、そこへ、洞窟の外に居たレノツクスがはいつて來て幻覺は忽然として消え、レノツクスはマクダフがイングランドに逃亡したことを知らせるのである。

 これをきいたマクベスは大に怒り、マクダフの居城を襲つて、罪のない妻子を殺さうと決心した。

かくて、遂にマクベスは殺人鬼になり終り、癲癇患者特有の血を見るための犯罪が決意されたのである。さうして遂に戰慄すべき虐殺が行はれた。而もそれは暴君の常套手段である暗殺によつて遂げられたのである。

 いよいよマクダフは叛旗を飜へしてマクベスを攻めに來りこゝに天下分け目の戰が始まつた。その時マクベスは、再び、劇の最初に見られたやうな大將軍となつてあらはれるのである。ことに自分が人力によつては傷つけられぬといふ信念が、强く彼を支配した。然し、それと同時に、多くの英雄に見られるごとく、彼が自分の生涯を振りかへつて見ると、寂しさはひしひしと迫つた。『予は最《も》う末路だ。予の生《うまれ》の春は、最早《もうはや》黃葉《くわうえふ》となつて凋落する秋に入つた。しかも老年に伴ふ筈の名譽も、愛敬も、柔順も、信友の群も、予には到底得られる望はなくつて、其代りに、聲は低いが根深い呪咀や口先だけの尊敬や追從《ついしよう》が附𢌞つて居る。』

 が、然し、彼は飽くまでその勇敢な氣象を失はなかつた。『此肉が骨から削り取られてしまふまでは戰ふぞ。甲冑をよこせ。』と叫ぶ。其處へ醫師が來て、マクベス夫人の病氣の容態について報《しら》せる。マクベス夫人の病氣についてよく知つて居た。その病氣は彼の惱んだものと同じであつた。たゞマクベスは夫人より身體が丈夫であつたゝめに抵抗することが出來たのである。醫師が、夫人について、『御病氣よりも神經作用で御覽遊ばされまする幻影の爲にお惱みで、お休み遊ばしません。』といふと、彼は、『それを治してやつてくれ。汝は病んで居る心を介抱して、其記憶から根深い愁を拔去り、腦髓に記錄してある苦痛を擦消《すりけ》し、何か快い忘れ藥で以て、心が、一ぱいに壓へ附けられて、今にも破裂しそうになつて居るのを、晴々と透いてしまふやうにしてやることは出來んか?』といふ。いづれにしても彼は夫人の病氣が可なりに氣になつた。さうして敵の攻擊を待ち受けて居る時に、夫人が死んだことを報ぜられると、その驚きははげしかつた。『やがて死なねばならなかつたのだ。いつかは一度然ういふ知らせを聞くべきであつた。』と喟然《きぜん》として[やぶちゃん注:「溜め息をついて」の意。]歎息する。夫人は突然不自然な死に方をするのであるが、それに對して彼はもうとくに覺悟して居た。さうして、夫人が彼を今のやうな運命に導いたことに不平をいふことなく、『やがて死なねばならなかつた。』といふ愛情のこもつた言葉を發したのである。同時に彼は、人間の榮華の束の間なるを思つて、『人生は步いてゐる影たるに過ぎん、只一時舞臺の上で、ざつくりばつたりをやつて、やがて最早噂もされなくなる慘《みじめ》な俳優だ、白痴《ばか》が話す話だ、騷ぎも意氣込みも甚《えら》いが、たわいもないものだ……』と呟くのであつた。

 そこへさして、使者は、バーナムの森がこちらへ動き出して來たと告げる。それは實はマルコム卽ちダンカンの王子が兵士たちに、森の木の枝を折つて、それをかざして進ませたためであつた。然しマクベスははじめて妖婆の豫言が二重の意義を持つて居たことに氣附居た。そこで彼はもはやこれ迄と、死に物狂いひに戰ひ、ぱつたりとマクダフに出會つた。マクベスは彼を避けようとしたがマクダフは直らに劍を拔いて切りかゝる。二人の戰は始まる。マクベスは女に生み落された男の手では自分は死なんと豪語する。すると意外にもマクダフは、自分が、『母の腹を裂いて生れる前に取り出された人間』である旨を告げる。マクベスは愕然とする。さうして今迄の自負心をすつかりなくして、マクダフのために斬り殺され、この一大悲劇は終るのである。

 

        十一

 以上の如く觀察して來ると、マクベスの性格の發展に、從來認められたやうな矛盾は少しも認めることが出來ぬのである。換言すれば彼を癲癇患者と見倣すとき、戰場に於ける勇ましい行動と、幻覺になやむ臆病な點を、少しの撞着もなく受け容れることが出來るのである。だからマクベスに扮裝する俳優は沙翁の書き下したその儘を忠實に演ずればそれでよいのである。手心を加へると其處に却つて多くのスキが發生し、折角の完璧を滅茶々々に傷けることになる。

 さて次に、マクベス夫人の性格に就て考へて見るに、なほ二三の特種な點が發見せられるのである。彼女は王妃としての役割を、マクベスよりも多くの威嚴をもつて演ずることが出來た。ことに饗宴の席に於ては、夫人の光彩は一段高かつた。さうしてその場では、彼女のみが主權者を代表した。

 こゝに於て、當然、マクベスとマクベス夫人の性的生活に就て考察する必要が起つて來る。何となれば彼女のさうした性質は、彼女の中に存する男性的分子の然らしめたところであると考へねばならぬからである。そもそも、すべての生物はその原始狀態に於ては所謂『兩性』である。人間の胎兒もその始めは兩性である。だから、すべての人間には男女の兩性が必ず備はつて居るのであつて、從つて男らしき女があり女らしき男のあることがはつきり理解されるのである。マクベス夫人は卽ち男性的女性的分子を多分に持ち合せて居た。彼女の勇氣、彼女の秩序ある行動、彼女の決斷、及び彼女の進取的氣象は、むしろ男性的性質といつてよいものであつた。だからマクベスは、夫人に向つて、その不敵な精神では男の子しか生めまいと言つて居る。

 夫人は、良人に對する愛情からのみ行動したと言はれて居るが、不思議なことに饗宴の場に至るまでは、マクベスに向つての會話の中に愛情の表現が見つからない。マクベスが幾度か愛情を表現したに拘はらず、彼女はたゞ彼の偉大なことのみを說いた。愛情そのものに就て語つたことはあるけれど自分の彼に對する愛情は言ひ表はすことをしなかつた。饗宴の席でマクベスが取り亂したとき、はじめは大に嘲弄したが嘲弄の效を奏せぬことを知つて、遂にやさしい言葉を用ふるに至つたのである。この邊がいかにも男性的分子の表はれであるといへるであらう。

 これに反して、マクベスには女性的分子が多分に存在して居る。彼の心のやさしさと被暗示性の强いことなどその例である。英雄で女性的性格を有つたものは古來決して少なくはなかつた。さうしてマクベスのこの性質は彼と夫人との戀をよく理解せしめるものである。何となれば女性的分子を持つた男子は、男性的分子をもつた女性を求めようとするからである。

 夫人の各種の行動は、夫人のこの生理的根據の然らしめたところであると同時に、また夫人の病理的根據の然らしめたことを見逃がしてはならない。卽ち夫人の行動を病理學的に觀察するとき、夫人は明かにヒステリー患者であつた。『マクベス』劇の一場面に、夫人が夢遊狀態を起すところがあるがそれもあきらかなヒステリーのあらはれである。[やぶちゃん注:第五幕第一場の最初のシークエンスを指す。]

 ヒステリーに特有な發作は、彼女には見られなかつた。然し、夫人がかのダンカン王殺害の翌日、

衆人の前で卒倒したことは、强ち純然たる虛構の動作と見られない。ヒステリー患者が半ば本當に半ば僞つて人事不省に陷ることは醫學的に認められて居るところであつて、沙翁があの場合男まさりな勝氣の夫人を卒倒せしめたことは、夫人が後に至つて段々弱い人間になつて行く徑路を理解させるに極めて有效であつたと謂はねばならない。

 すべてヒステリー患者の行動は、いわゆる精神分析學的に考へて見ると、壓迫された性的希望の代償と見倣すことが出來る。夫人の女としての性的生活は、彼女の中に存する男性的要素のために壓迫され侵害されてしまつた。夫人は自分の男性的な性質をよく自覺して居たから、悲劇の重要な時期にその性質を、無理やりに表面へ引つ張り出して、マクベスの弱々しさを補はうとしたのである。『さアさ怖しい企事《たくみごと》の介添をする精靈共よ、早く來て予《わし》を女でなくしてくれ。』といふ彼女の獨白は明かにその心持ちを語つて居る。さうして彼女にそのやうな行動をさせたものは、押しのけられて居た性的要求から發生した一種のエネルギーに外ならなかつた。

 從つて夫人はあの困難な犯罪を、良人のために喜んで遂行することが出來た。自分の本來の能力以上のことを行おうとする現象はヒステリー患者に屢々見られるところである。彼女は眠つて居るダンカンの姿がわが父に似て居たため、殺すことが出來なかつた。又、兇行の翌日は前に述べたやうに人事不省に陷つた。さうして最後に、ダンカン殺しが良人を幸福にし得ないのみか却つて不幸にしたといふことを知つたとき、遂に精神病にかゝつてしまつたのである。さうして彼女の夢遊狀態が起つたのである。夫人の夢遊中の言葉は、主としてダンカン殺しに於て良人と共に經驗したところのものであつた。然し、それよりもなほ特に目立つことは夫人の覺醒狀態には見られなかつた現象が夢遊中に見られたことである。『こゝにまだ血の臭ひがする。アラビア國中の香料を使つたつて、此小さい手の厭な臭ひは消されさうにない。おう、おう、おう!』と叫ぶ、弱いやさしい感情がこれである。このやさしい本來の感情がヒステリー發作によつて、兇行の夜には外見上極めて冷淡な感情に轉換されて居たのである。然し、それは、彼女の精神的能力以上のことであつた。そうして時がたつに連れ、遂に維持し切れなくなつたのである。同時に、本當の女でありたいといふ性的欲求が、非常な勢で頭をもたげて來たのである。いはゞこの二種の鬪爭の結果が彼女の病氣としてあらはれたのである。だから夫人を冷酷な毒婦と見るのが誤りであると同時に、良人のためには何ごとも犧牲にしようとするやさしい女性と見倣すのもまた誤りである。彼女はその中間に位するのであつて、この兩極端を沙翁は極めて人間的な方法をもつて結びつけたのである。

 沙翁はもとよりヒステリーの最新の學說を知つて居た譯ではない。ヒステリーが女子の性的生活と關係があるといふ昔からの學說ぐらゐはもちろん知つて居たであらうが、ヒステリーの新學說によつて、はじめて夫人の行動が理解し得ることから察すると、沙翁は實に驚嘆すべきメンシエン・ケンネルであつた。夫人が女らしさを呪ひながら、なほ且つ子を產まねばならぬと思つて居たといふ所謂性的鬪爭を、沙翁は遺憾なく描寫することが出來た。

[やぶちゃん注:「メンシエン・ケンネル」本書電子化第一回の小酒井の「はしがき」で注したが、再掲すると、「Menschen kennr」(メンシェン・ケンナァ)で、「人間鑑定家・精神鑑定人」の意であろう。]

 夫人のこの性的鬪爭は夫人の自殺によつて終結を告げた。自殺はヒステリー患者の精神的平衡障害の際に起るものである。第五幕第五場に於て、マクベスと士官のシートン等が軍旗を持つて出て來ると、奧で女らのけたゝましく叫ぶ聲がする。若し夫人が自然的な死に方をしたのならば、そんな大きな泣き聲を發しなかつたであらう。夫人が何で死んだかは一言も述べられてなく、マクベスもまたそれを尋ねなかつたが、彼はもうとくにさうなることを覺悟して居たのである。

 なほ最後に注意すべきことはマクベスと夫人との性的關係である。マクベスは良人であるといふよりも、夫人の情夫と見るべきが至當であつて、夫婦仲は至つてよく子供の生れることを非常に待ち焦れて居た。マクベスは、凡ての癲癇患者に共通であるごとく、その性欲は熾烈であつた。しかも二人の性的親密が、犯罪を重ねるに從つて一層濃厚になつて行つたといふことは頗る興昧ある現象である。犯罪と性的生活との關係が、この戯曲に於て極めて明白に描かれてあるのである。

 以上述べ來つたところによつて、私たちはマクベスに、善惡の中間に位する一個の人格を認めることが出來る。中等度の道德線にある人間でも、ほんの一寸したことから犯罪の軌道に入り得るものであるといふことがしみじみと理解される。さうしてこの戯曲に於て犯罪者にもその一面に物やさしい愛情のあり得ることが立派に說明されて居るのである。

[やぶちゃん注:私は大学時代以降、好きな「マクベス」につき、幾つかの評論を読んできたが、恐らく本篇以上に興味深く、しかも、面白く読めたものは一つもなかった。優れたマクベスとマクベス夫人の病跡学と言える。なお、公開当時の認識の限界ではあるが、精神医学者としての小酒井の以上記載の内には、癲癇疾患を呈する患者に対して、やや差別的なニュアンスや、現在は誤った認識が示されている点は批判的に読む必要がある。これは、通り一遍のありがちな差別表現注記なんぞではない。私の小学校時代の親友で、終始一貫して、私を悪餓鬼連中から守って呉れた、癲癇症状を持っていたために、周囲から避けられていた忘れられぬ故芥川忍君を思い出すからである。私の「忘れ得ぬ人々 8 A君」を読まれたい。

2022/01/02

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) 「マクベス」の硏究 /「四」~「六」

 

           

 マクベス夫人は、一寸見ると、マクベスよりも遙かに犯罪性に富んで居るやうに見える。彼女は獨白に於て、まわりくどい言葉を使わないで、手つ取り早く、ありの儘を述べて居る。良人の功名心をして目的を達せしめようとするならば、良人をして惡心を持たしめなければならない。たつた一つだけ犯罪を敢てしさへすれば、王冠は必ず得られるのだから。かう考へた彼女は何の躊躇もなく良人の共犯者にならうと決心したのである。『さ、早く此處へおいでなさい。わたしの精神を貴郞[やぶちゃん注:ここは底本は「當郞」。直ぐ後の表記と国書刊行会本で訂した。]の耳の中へ注込むから。さうして、運命や不思議な援助が貴郞に授けようとしてゐる黃金の冠りの邪魔になるものを此舌の力で、叱り飛ばしてくれるから……』ただこゝに注意して置かねばならぬことは、彼女もまた、運命の力を信ずるが如き迷信的性情を持つて居たことである。

 さて使者役のものは國王の突然の行幸を夫人に告げる。夫人は驚いてそんな筈はないといふ。すると使者は、『失禮ながら、全くで御座います。殿さまもお歸りでございます。同役の者が一人、大急ぎでお先觸に參りましたが、殆ど息を切て、やつとの事で、お使ひの趣旨だけを申し述べました。』と答へる。これによつてマクベスは、手紙と使者と自分自身との三重の手段で夫人の協力を求めたことがわかる。さうして夫人は初めて、國王の行幸が容易ならぬ報道であることを知つたのである。知ると同時に彼女は國王暗殺を心で決しその獨特な感情がむらむらと湧いて來た。『鴉さえ嗄《しやが》れ聲をして、不運なダンカンが予の城へ來るのを知らせる。……さアさ怖しい企事《くはだてごと》の分添《かいぞへ》をする精靈共よ、早く來て予を女でなくしてくれ、頭から足の爪先まで、酷い、殘忍な心で充溢《いつぱい》にしてくれ! 予の血を凝結《こごら》せてくれ、憫む心なんかゞ働いて酷い企《くはだて》をぐらつかせたり、實行の邪魔をしたりしない爲に! さあ、この女の胸へ入つて來てくれ、やい、人殺《ひとごろし》を職《しごと》にする精靈共よ、此の甘たるい乳を苫い膽汁に變ツちまつてくれ、目に見えない姿をして、人間の惡事を手傳ふ汝等、今何處《どこ》に居るか知らんが! さあ、眞闇《まつくら》な夜よ、汝も來て、黑闇地獄《こくあんぢごく》の黑煙で、押包んでしまつてくれ、予の鋭い劍に己《おの》が切る創口《きずぐち》を見せないために、天が黑闇《こくあん》の幕越しに隙見をして、「待て待て!」と呼ぶようなことのないために……。』

 殺人に就てのかやうな自己敎唆は、(ことに女の口を籍《か》りての)沙翁獨特のものである。この婦人の獨白を通じて私たちは、マクベス劇に高調されて居るぺーソスを見逃してはならない。沙翁はスコツトランドの高地の人々の感情生活を、翁自身のさびしさ、憂欝さをもつて遺憾なきまでに表現して居るのである。これを讀むと、私たち自身がスコツトランドの迷信的雰圍氣を彷徨するやうな氣持になるのである。幽靈や殺人鬼や地獄が引つ張り出されて頗る複雜な言葉になつて居るが、要するに、夫人が自分の手にあまることを精神力によつて敢行しようとして居ることがわかる。

 マクベスはいよいよ歸つて來た。彼女は『コードアどの』と昇進した名で呼んで狂わしげに抱擁する。その抱擁の中には犯行の成功を祈る心が充ちて居る。マクベスもその心を知つて『なあ、お前さん。』と呼び、『ダンカン王が今夜ここへ來られるんだ。』と告げる。

 夫人が『さうして何時《なんどき》御立ちなさるのです?』ときくと、マクベスは、いかにも彼女をそゝのかすように、『明日《あす》といふ豫定だ』。と答へる。『おゝその明日をば、決して太陽に見せますまいぞ!』と叫び、マクベスの顏付を見て『目にも手にも舌にも歡迎の意を示して、罪のない草花と見せかけて、其蔭の蝮《まむし》になつてゐなくちやいけません。』と忠告する。さうして、『さ、來る人の待受けをせにやなりますまい。今夜の大切な仕事は萬事わたしにお任せなさいまし。』といふのである。夫人のこの言葉によつてマクベスは國王殺しの凡ての準備が整つたことを知つた。然しそれはあまりに早かつた。彼自身はそれ程突然決心することが出來なかつたのである。彼はそれ迄考へに考へて來たのであつて、彼は夫人のこの言葉をむしろ意外に思つたにちがひなかつた。むしろゆつくり夫人が相談してくれたら、或は彼はもつと積極的な態度を取つたかも知れなかつた。けれど夫人はさうしたことの無益であることをよく知つて居た。彼女は良人の弱點を知り拔いて居たからである。こゝに於てマクベスは聊かたじろぎ氣味であつたが、夫人の言葉に深く動かされ、『尙とくと相談しよう。』といい放つたのである。

 

        

 さて、マクベスは、心の重荷のために國王を迎ひに出ることが出來ず、夫人が挨拶に出ねばならなかつた。王はこれを見て不審に思ひ、『コードアの領主は?』とたづね『奧さん、今夜は御厄介になりますぞ。』というと、夫人は妙な、まるで木に竹をついだやうな返事をする。やがて歡迎の宴が開かれると、マクベスは王がまだ食事最中であるにも拘はらず食卓を離れる。卽ちこれ、彼が自制心を失つた證據である。

 それから有名な彼の獨白が始まるのである。暗殺という一網で、一切の結果を掬《すく》つてしまふことが出來れば未來なんか少しも關《かま》はないから敢てやつつけるべきであるが、さう思ひ乍ら彼は現世に於ける應報が恐ろしかつたのである。さうして彼は前に述べた如く、外觀に重きを置く性質であるから、心か靜めて考へると、自分の從兄であり國王であり又賓客であるダンカンを殺すことは如何にも忍びなかつた。而もダンカンは寬仁《くわんじん》で穩和な性質であるから、もし彼を殺した日には、王の德が、喇叭舌《らつぱじた》の天使のやうに怨《うらみ》を述べるに違ひない。かう考へて彼は陰鬱なぺーソスに陷るのである。然し彼は自分の功名心だけは、どうしても抑へつけることが出來ず、自分の野心の跳飛を認めざるを得なかつた。卽ちその獨白の最後に彼は、『予が乘つて居るこの企謀を剌戟する拍車は一つもない、ただ跳上《とびあが》る大野心めが、おのが分際を超越して、とんでもない方へ墜落《お》ちようとしてゐる……』と叫んで居るのである。

 このことは沙翁の作中にあらはれるすべての大犯罪者に特有な性質である。彼等は決して自分自身を欺かないのであつて、いつも客觀的に自己判斷をやつて居る。が、これは沙翁の作物全體に亙る批評であるから、ここでは省略するとして、さて、マクベスに續いてマクベス夫人があらはれ來り、先づ王樣の食事のすまぬうちに食卓を離れたことを非難し、次で有名な口說を始めるのである。丁度、マクベスの心が澄んで居たときであるから、夫人の言葉は强く彼の心に響いた。彼は夫人に向つて、王がいろいろの榮譽をくれたから、むざむざ棄《すて》るのも惜しく、あのことはもうやるまいよといつたが、夫人はその理由の極めて薄弱なことを知つた。さうして夫人は彼の意志に反對で三箇條の急所を擧げて彼を說服しようとしたのである。

 第一に、王にならうといふ望みを抱いて居りながら、實行をしないで、たゞその望みに陶醉して居るといふのだつたらマクベス夫人に對する愛情もそれと同一視すべきであつて、たゞ戀愛といふ觀念に溺れて居るに過ぎないので、眞實夫人を愛しては居ないのだ。とかう解釋しなければならぬと夫人は詰《なじ》るのであつた。

 第二に夫人は、英雄としての彼を非難した。望みだけ抱いてそれを實行する勇氣がなかつたならば、英雄ではなくて臆病者といはなければならぬといふのである。それに對してマクベスは、『まゝ、しづかに、男子のすべきことなら、何でもやつて見せるが、その以外のことをするのは男子でない。』と答へる。『人非人である。』と彼は言ひたかつたのであらう。この反對論はさすがに夫人を弱らせたと見え、彼女はずつと低い標準から良人を攻めにかゝつた。卽ち、『ぢや獸《けだもの》か何かでしたか。』と彼女はいふのである。この皮肉にはさすがに彼もたぢろがざるを得なかつたが、その時更に夫人は世にも恐ろしい言葉を述べ立てたのである。『わたしは乳汁《ちち》を飮ませたことがありますから、赤兒の可愛さは善く知つています、けれども、若しわたしが、貴郞がお誓ひなすつたやうに、一旦斯うしようと誓つたなら、其赤兒がわたしの顏を見て、莞爾《にこにこ》して居る最中にだつて、そのぶよぶよした齒齦《はぐき》から無理やりに乳首を引奪つて、その腦髓を叩きつけて微塵にして御覽に入れます。』

 この言葉も前の『愛情』に關する言葉と等しく、夫人の性的生活の一端を示すものであつて、マクベスが夫人の計畫の委細をきいて、『男の兒ばかりをお生みなさい、その不敵な精神ぢや男性の他を製《こしら》へることは出來まい。』と答へたところを見ると、夫人が心理的には男性的女性であつたことを見逃してはならない。マクダフ(マクベス劇中の人物)の言葉から察すると、マクベスには子がなかつたといふのであるのに、夫人が赤兒に授乳した經驗のあることを物語るのは、夫人がマクベスに嫁する前に他の軍人に嫁して居たといふ沙翁硏究者たちの說を信ずべきであるかも知れないけれど、沙翁は劇中にそのことを一言も述べていないから、むしろ、マクベスとの間にかつて赤兒を設け、それが早世したと考へる方が妥當であるかも知れない。

 女にとつて最も神聖なる母性愛をも犧牲にするといつた夫人の言葉は、たしかにマクベスを動かすことが出來た。彼は今や兇行を敢てすべく餘儀なくされることを感じ、『だが若し仕損じるといふと?』と、心配の言葉を洩すに至つた。

 そこで夫人は第三の急所を述べたてたのである。卽ち彼女は、さやうな仕損じのないやうな計畫の委細を物語つたのである。王がよく眠つた時分に二人の侍從に藥酒をすゝめて、醉倒れさせれば、王の命は私たちの手のうちにあるのも同樣。又侍從どもに弑逆罪を被《き》せることも出來る。といふのが夫人の計畫なのである。

 これをきいたマクベスは、しつかりした地盤の上にのせられた氣持がした。さうして、『同じ室に臥て居る其二人に血を塗附けてさうして短劍も其奴らのを使ふことにすれば、奴等がした事のやうに思はれさうなもんぢやないか?』と、もはやその決心もついてしまつたのである。夫人は愈よ良人を說服し得たことを喜び、『さう思ひませうとも、わたしたちは業々《げふげふ》しく聲を揚げて王の變死を歎いて騷ぎ立てましせうから。』といふ。これでマクベスの心配はすつかりなくなつた譯である。二人の神經は異常に緊張した。

 

          

 愈よ凶行の夜が來た。マクベスは極度に興奮した。彼は柄が此方へ向いて居る短劍の幻影を見た。卽ち、彼はさういふ道具を使はなければならぬと思つて居たからである。幻影はなほもそのまゝ留まつたばかりか、刄《は》や欛《つか》には生血《なまち》がついて居るのが見えるやうになつた。然し乍らマクベスは、それが錯覺であることをよく知つて居た。『いや、そんな物ありはしない。殘忍《むご》い事をしようとしてゐるからあんな物が目に入るのだ。』と、彼はその錯覺を自分で支配するやうになつた。そして兇行に對する内外兩方面の準備に移つた。『今世界の半面では萬物が死んだようになつて居る。帳中の眠《ねむり》も惡夢に襲はれて居る。魔術使の女共は、蒼白《あをざ》めた顏のヒカトに供物をする、樵悴《やつ》れた殺人者は、その見張役を勤めて吠える狼の聲に促されて、ま、こんな風に拔足して、荒淫無慚なタークインの足附《あしつき》で、其目的の方へ、幽靈のように近づく。……やい、堅牢な地面よ、予の足が何方《いづこ》へ往かうと、其音を聞くなよ、其邊の石共が予の居處を口走つて恰《ちやう》ど今の場合にふさはしい此物凄さを失《しつ》してしまつてはならんから。』この最後の言葉は殘忍性に陶醉するものの心を遺憾なくあらはして居つて、マクベスの心の進展が目に見えるやうである。

[やぶちゃん注:以上は第二幕第一場の最後のマクベスの台詞。「ヒカト」はギリシア神話のティタン神の一人で大地母神。後に冥界と結びつき、夜・魔術・妖怪の支配者とされ、三つ辻には三面三体の像が立てられ、犬の肉などが供えられた。月神セレネやアルテミスと同一視されることもある。「タークイン」は「タークィン」(Tarquin)で、ローマ王タルクィニウス・スペルブスの子セクストゥス・タルクィニウスの英語表記。ウィキの「ルークリース凌辱」によれば、紀元前五〇九年、『彼は王の家臣で貴族のルキウス・タルクィニウス・コッラティヌス(コラタイン)の妻ルクレーティア(ルークリース)を強姦した。ルクレーティアは自殺し、王の甥ルキウス・ユニウス・ブルートゥスはその遺体を公共広場フォロ・ロマーノに運んだ。このことでタルクィニウスに対する反乱が起き、王族は追放され、共和政ローマが確立した』とある。]

 夫人はかねて約束して置いた合圖の鐘を鳴らす、マクベスは手に劍を携へて王の寢室へ登つて行く。夫人は階下にあらわれる。彼女は侍從共を藥酒で醉はせ、短劍を準備し、扉をさへ開けて置いたのである。若し國王の寢顏が彼女の父の顏に似て居なかつたら、恐らく自分で國王を殺したにちがひなかつた。このことは、一見、彼女の心を了解せしめ難からしめるが、沙翁は前に彼女の口から母性愛について語らしめたやうに、こゝでは兩親に對する愛情を語らしめて、彼女の心に存する人間愛を示さうとしたのである。

 マクベスは兇行を遂げて降りて來た。と、彼の身のまはりに不思議なことが起つた。次の間にドナルべインがその從者と共に眠つて居たが、彼等は惡夢にうなされ、一人が眠りながら笑ふと、もう一人が『人殺し』と叫んだ。さうして二人とも祈禱をはじめ、最後に『アーメン』と言つたが、その言葉に彼は非常な壓迫を感じた。さうして彼自身『アーメン』と言はうとしたが、どうしても言葉が出て來なかつた。と、その時彼は聽覺の幻想を經驗した。『もう安眠は出來んぞ! マクベスが安眠を殺しツちまふ』と何處かで人聲がした。ところが、こんどは彼はその幻覺を、前の短劍の幻覺のやうに支配することは出來なかつた。彼は侍從の劍に血を塗ることを忘れたり、劍を持つて降りて來るやうなヘマをやつた。夫人は彼の手から劍を奪つた。彼女は極めて冷靜であつた。『いくぢのない! 其劍をおよこしなさい。眠《ねむつ》てる者や死んでる者は、畫像同樣です。畫に書いた鬼を怖がるのは子供です。……血が出てゐたらそれを罪と一しよに侍從共の顏へ、塗附けて來よう』。さうして、戶口を誰かゞ叩く音をきいて、『室に戾りましせう。水で一寸洗ひさへすれば、爲《し》た事は消えツちまひますの。造作は無いぢやありませんか! 貴郞は、度胸を何處へか去ツちまつたんですね。』

[やぶちゃん注:以上は第二幕第二場。「ドナルべイン」は後のスコットランド王(在位:一〇九三年~一〇九四年五月、及び、一〇九四年十一月~一〇九七年)ドナルドⅢ世(Domnall mac Donnchada 一〇三三年~一〇九九年)のこと。ここで殺害されたダンカンⅠ世(Duncan IDonnchad mac Crínáin)とノーサンブリア伯シューアドの妹シビルの次男で、後に出るマルカムⅢ世(Máel Coluim III mac DonnchadaMalcolm III 一〇三一年 ~一〇九三年)の実弟。肌が白かったことから、「白皙」を意味する「ドナルド・ベイン」(Donald Bane)とも呼ばれた。悲惨な晩年は当該ウィキを参照されたい。なお、この奇体なシークエンスは総て、王を殺害した後に中庭で行き合ったマクベス夫人にマクベスが語る形で示されている。]

 然しマクベスはすつかり心の混亂に陷つてしまつた。『爲た事を憶い出すとすると……茫然しているのが一番可い。……ダンカンを叩き起してくれ! さうして貰ひたい、出來るものなら!』と彼は叫んだ。けれど彼は自制した。愈よ犯罪者になり終つたとき、彼の心の奧にまどろんで居た狡猾と欺瞞とは一時に眼ざめた。彼は自分が主犯者で、妻はほんの手助けに過ぎないことを自覺した。なほ又明かな朝の光は彼の神經を力强くした。その後に於ても、幻想が彼を襲うのは主として夜分のことであつた。

 彼は王を起す役目を仰せつかつて居たマクダフを王のところへ連れて行かうと言つた。一切の事物に對して、彼は偉大なる沈着ぶりを發揮し、これまでの種々の弱點を補はうとした。彼は酒に醉ひつぶれた侍從を刺し殺し、亡き王に對するはげしい愛情のために、思はずも殺したのであると言つた。さうして彼は、こんな悲しい目に逢ふなら、王の殺されなさつた一時間前に死んで居た方がよかつたといふのであつた。夫人はこれを、勝ち誇つた心できいて居た。そして突然人事不省に陷つた。この有樣を目擊しては誰だつてマクベス夫婦が下手人であるとは思はない。たゞバンコー一人は内心大に疑惑を抱いて居たが、彼は別に何とも言ひ出さなかつた。

 この犯罪はいふ迄もなくマクベス夫人の手で計畫されたものであるが、毒酒を作る考へは女子の犯罪として誠にふさはしいものといはねばならない。何となれば古來、毒殺は女子の一手販賣とされて居たくらゐであるからである。酩酊者に犯行を塗りつけるといふこともまた極めて巧みな考へであつた。敵に買收されて、酒の勢ひで大逆を犯すといふことは、全くありさうなことであつた。シェクスピーアがアルコホルの作用を十分理解して居たことは門番の會話の中に明かに認めることが出來る。『酒によつて三つのものが募る。小便と鼻の赤くなることゝ眠くなることである。淫情は募りもするが衰えもする』というが如きアルコオルの生理的作用を遺憾なく言ひ表はして居る。侍從たちはまつたく酩酊して、何を行つたか、又どんなことが起つたかを少しも知らなかつた。ことにマルコム、ドナルベインの二王子がそつと脫走をしたので、嫌疑がその方にかゝつて、マクベスは有利の地位に置かれた。

[やぶちゃん注:酒の効果の台詞は第二幕第三場の初めのマグダフと門番の会話で門番が語る内容である。]

 が、若しも、あの際侍從の訊問といふやうなことが行はれたならば、或は些細なことからマクベスに嫌疑がかゝるやうになつたかも知れない。侍從が血痕のついた劍を、そのまゝ自分の傍に置いて、眠りつゞけるなどといふことは、甚だ疑はしいことである。又、酒のために本當に無感覺になつて居たかどうかも怪しいことで、マクベスは、この怖ろしい缺點を償ふために、咄嵯の間に決心して、侍從を殺したのである。侍從を亡きものにすれば最早マクベスには誰も嫌疑をかけるものはない筈である。國王のために榮位を貰つたばかりのマクベスが、國王を弑しようとは誰も考へ及ばない。ただバンコー一人だけは妖婆の豫言があまりにも早く實現されたことに驚いたにちがひない。かくて、夫人の計畫は、犯罪學的にいへば決して拙いものではなかつたが、女子の計畫に屢ば見られる如く、其處に大きなギヤツプが出來て居たのである。それをマクベスが實地に當つて完全に補つた譯である。これは沙翁の周到な用意から發した描寫であつて、沙翁はこの二人の犯罪者に、どこまでも人間味を帶ばせようとしたからである。

2022/01/01

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) 「マクベス」の硏究 /「一」~「三」

 

[やぶちゃん注:『「マクベス」の硏究』全十一回に及ぶ本書の中でも長い論考である。されば、分割して示す。「マクベス」(Macbeth )はウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare 一五六四年四月二十六日(洗礼日)~一六一六年 )によって一六〇六年頃に書かれた傑作戯曲。私は彼の作品の中で「ハムレット」(Hamlet :一六〇一年頃成立)に次いで好きな作品で、舞台・映画化の鑑賞回数は数十回に及ぶ。梗概は当該ウィキを参照されたい。因みに、冒頭で小酒井は「マクベス」の引用を坪内逍遙訳に依拠したとある。こちらに電子化されたものがあるものの、これは本篇発表後の、昭和十年二月五日発行の中央公論社版「新修シェークスピヤ全集第二十九卷」を使用したもので、小酒井が引用したものとは表現・表記が有意に異なる箇所が多数ある(この年に亡くなった逍遙自身が前に手を加えて改変してあるようである)。しかし、一括版であり、大いに参考になるので、リンクさせておく。

 

      「マクベス」の硏究

           一

『マクベス』はシェクスピアの代表的傑作であつて、犯罪的方面、醫學的方面から見て多の興味ある問題が取り扱はれてあるから比較的委しく紹介したいと思ふ。『マクベス』の犯罪學的硏究を述べるためには、當然『マクベス』の梗槪を書くべきであるが、この劇の筋はさほど複雜ではないから、筋を述べながら、醫學的、犯罪學的の觀察を下して行かうと思ふ。然し、若し讀者が坪内博士の譯書を片手にしてこれを讀んで下されば、一層よく了解して頂けるだらうと思ふ。なほ文中に引用した原文の譯語は、すべて、坪内博士のそれに依つたのである。

 悲劇『マクベス』の中には、二人の犯罪者の心理的發達が巧みに寫し出されて居る。卽ちマクベス及びマクベス夫人がそれである。さうして從來この二人の性格について、その解釋が一定しなかつた。ある學者は、マクベス夫人を恐ろしい惡魔となし、又ある學者はマクベス夫人の行動を、夫婦愛の理想化されたものであると觀察した。なほ又、マクベスその人に就ても、心から犯罪者になりきつた男であるか否かの決定が容易につかなかつた。『猛將軍のマクベスどのは、運命なぞには目もくれず、武勇其者の祕藏子ででもあるやうに、血煙の立つ大太刀を揮閃《ひらめ》かして、驀地《まつしぐら》に敵中に割つて入りとうとう[やぶちゃん注:ママ。]敵將に邂逅《めぐりあ》はれました以上、いツかな告別辭《さよなら》をいはれゝばこそ、臍《ほぞ》から顎へ掛けてさツと斬割《きりさ》いて、其首をば胸壁に懸けられました。』といはれるくらいの勇者が、ダンカン王を殺す決心をしてから、血のついた短劍の幻影を見たり、兇行後、色々の錯覺を起したりするので、人々はその性格の判斷に迷はざるを得なかつたのである。然し、マクベス夫人にしろ、マクベスにしろ、生理的、心理的の立場から、その性格の發展する原因と經路とを硏究したならば、何の矛盾を感ずることなしに、劇に書かれた彼等の行動を了解することが出來るのであつて、從來の心理學者は、彼等の性格を彼等の行動からのみ判斷しようとしたために、種々の矛盾に突き當つた譯である。さうしてさういふ矛盾に突き當つた理由は、沙翁が、彼等の主要なる素質や體質をいはゞ插話的に取り扱つたためであつて、彼等を醫學的立場から硏究することが、比較的等閑《なほざり》になつて居た爲である。で、これから私は主として精神病學、性學の方面からして、この二人の犯罪心理を分析して見ようと思ふ。

 

        

 悲劇は雷鳴電光の烈しい陰欝なスコツトランドの高地に於る三人の妖婆の出現から始まつて居る。

其處へ戰《いくさ》に勝つたマクベスとバンコー[やぶちゃん注:底本は長音符がないが、後出の表記に則り、補った。]の二將軍がダンカン王に復命すべく來合せる。この妖婆の場面はマクベスの心理と極めて重大な關係を持つて居るのであつて、當時スコツトランドには妖婆の迷信が甚だ盛んに行はれて居たため、沙翁は妖婆を持ち出したのである。尤もこの妖婆の話は、『マクベス』の種本なるホリンシエツドの『編年史』にその儘出て居るのであるから沙翁の創意ではないが、沙翁はこれによつてマクベスの性格を一層はつきり浮み上らせることが出來た。

[やぶちゃん注:「ホリンシエツドの『編年史』」イギリスの年代記作家ラファエル・ホリンシェッド(Raphael Holinshed 一五二九年頃~一五八〇年頃:チェシャーのサットンダウンズの生れ。ケンブリッジ大学に学んだとされるが、はっきりしない。ともかくも、ロンドンに出て、印刷出版業者ウルフ(Reginald (Reyner) Wolfe ?~一五七三年)に翻訳家として雇われ、世界史の編集を助け、ウルフの死後、志を継いで、より小規模な形でそれ(ここで言う「編年史」)を完成した)が書いた「イングランド・スコットランド・アイルランドの年代記」(Chronicles of England, Scotland, and Ireland :全二巻・一五七七年初版・増補版一五八七年)。シェークスピアのイギリス史劇と本作「マクベス」、また、部分的には「リア王」・「シンベリン」に素材を提供している。]

 マクベスが妖婆を見て、その言葉をはつきり聞居いのは、心理學的に言えばマクベスの幻視及び幻聽であつた。どんよりと曇つたスコツトランドの風景を知つて居るものは、雨の日や雷鳴の夕に、人々が妖婆の姿を見るのは當然のことだと考へるにちがいない。況んやマクベスは戰に疲れた歸りがけであるので、その心理狀態が最も妖婆を見るにふさはしくなつて居たのである。ことにマクベスは後に述べるように、生れながら癲癇の素質を持つて居た人であるから、尙更幻視幻聽を起し易い。

 妖婆の姿はマクベスばかりでなく、バンコーも之を認めた。バンコーにはマクベスのやうな素質は無い筈であるが、これは所謂『群衆妄覺』と稱して、戰爭などの際、兵士の一人が妄覺を起すと他の凡ての兵士が妄覺を起す現象によつて說明することが出來るのである。而もその幻聽たるや、マクベスに對しては、『萬歲マクベスどの!』『萬歲、グラミスの御領主!』『萬歲、コードアの御領主!』『萬歲、ゆくゆくは王さまとならつしやるマクベスどの!』バンコーに對しては、『マクベスどのよりは小さいけれども一倍大きい』『マクベスどのほどに運が好くはないが、一倍運が好い。』『王さまにはならつしやらんけれども、王さまをば幾人も生まつしやります。』といふのであつて、二人ともダンカン王の最高の將軍で、今や謀叛人を平げ、二人を一も二もなく信賴して居るダンカン王の弱々しさを思へば、かうした幻聽の生ずるのはまことに當然のことである。スコツトランドの王位は世襲であつたけれど、若し王に丁年に達した皇太子がなくて王が崩御した場合には、法律上從弟に當るマクベスが繼承者となるのであつて、ダンカン王には實際年少の皇子しかなかつたのであるから、マクベスが王位を繼承することの可能は十分存在して居たのである。從つて彼が平素心の中に、それを望んで居たことは考へるに難くない。又、バンコーは無論マクベスが自分よりも有利な地位にあることを認めて居たが、マクベスには子が無いから、自分の子が王位を繼ぎ得る可能性はあると考へて居たらしく、さてこそ上記のような幻聽を起すに至つたのである。

 さてゆくゆくは王さまとならつしやるときいたマクベスは、嬉しさのために有頂天になつてしまつて物を言ふことが出來ず、やつとバンコーに對する妖婆の豫言をきくに及んではじめて我に返つて、待て、もう一度言へ。父シネルが亡なつたから、予をグラミスの領主と呼ぶのは分つて居るが、コードアとは何だ? コードアの領主はまだ生きてゝ榮えて居る。それから國王になるなぞといふことは、コードアの領主になるのよりも尙一層信ぜられぬことだ。……と詰問した。然し妖婆はそれに答へないで消えてしまひ、二人は耳に殘る言葉を口に繰返すだけであつた。

 ところが妖婆の豫言の一部分は數分たゝぬうちに實現されたのである。そしてこゝにマクベスの犯罪性が芽生えるのである。卽ちダンカン王の使者が來て、マクベスをコードアの領主にするといふ王の命を告げたのであつて、それを聞くと同時にマクベスの頭には、最後の豫言も實現されるべきであるといふ考がひらめき、『グラミスとコードアと! 一番大いのが殘つて居る』と獨語し、使者に對してはたゞ『いやどうも御苦勞千萬で』といふに過ぎなかつた。然し、マクベスはそれと同時に、妖婆たちのバンコーに向つての豫言も思ひ出さざるを得なかつた。さうしてそれはマクベスにとつてはかなり不愉快な豫言であつた。『君は、子供たちが、行く行く王になるだらうとは思ひませんか? わたしにコードアを與れた奴らが、君に然ういふ風に約束しましたぜ』と彼はバンコーに向つて言ふのであつた。

 バンコーはマクベスよりも遙かに用心深い性質であつたので、その時、すでに錯覺の後作用から脫して居た、そこで彼は極めて冷靜に『それを本氣でお信じなさると、ついコードアだけでなく、王冠までも欲しくなりましせうぜ。……が、こりや不思議なことだ。どうかすると、惡魔が、人間を邪道へ誘はうとしてわざと眞實の事を告げることがある。一寸した驗を見せておいて、重大な事でおとしいれようために』といつて、うまくその場を取りつくらふのであつたが、マクベスは心中に湧き出て來る想像と欲望とのために全く我を忘れてしまつた。さうして遂に奇怪な胸騷ぎを起し、最も怖ろしい考へにまで突き進んで行つたのである。『……善い事なら、何故如是《こん》な誘惑が萠《きざ》して、怖しい幻影が目に見えるか? それを想像すると、身の毛が彌立《よだ》つて、例になく心の臟が、肋骨へぶツつかるやうに鼓動する。現在の怖しさは想像の怖しさ程ではない。今は只空想だけで殺人を行つて居るのだが、それが爲に予の心肉は擾亂を極めて、いろいろな臆測が分別を窒息させてしまつて、ただ空な考への外は何も働かん』卽ち彼の心の中に王を弑するといふ考へがむらむらと燃え上つたのである、而も彼のその考へは彼にとつては恐怖であつた。卽ちその考へは彼の心の中にある弱い人間、性の悉くを戰慄せしめたのである。殺人を考へてさへぞつとするやうな人間がどうして殺人を敢てするに至つたか、こゝがマクベスの性格の最も興味ある點だといふことが出來る。

 彼はマクベス夫人に宛てて、妖婆の豫言を書き送つた。『約サレタル行末ノ光榮ヲ分ツベキ卿ガ、

其慶ビヲ知ラデ在スルヨウナル事アリテハト、此事知ラセ申スナリ。トクト考ヘタマヘ。サラバ。』といふ手紙の最後の文句は、彼が妖婆の豫言を信じ切つて居ることがわかる。彼とマクベス夫人との所謂夫婦仲は極めてよく、二人の間には少しの秘密もなかつた。あらゆる幸福は二人で分たうと決心したがために、彼は自分の確信した幸福を、妻に告げ知らせたのである。

 國王ダンカンは戰に勝つて大に喜び、嫡子マルコムを後嗣と定めて、カンバーランドの公子と呼ぶことにし、これと同時に、功績ある人達の頭上にも、榮譽の章を與へようと、マクベスの居城のあるインヷーネスに行幸しようと言ひ出した。これを聞いたマクベスは、『御役に立たんと思ひますと、休息しておるのが却つて苦勞でございます。小官が先觸役を勤めまして、お成の事を妻に知らせて喜ばせませう。では御免蒙ります。』と表面では何喰はぬ言葉を用ひ、心の中では戰鬪準備をせんがため、夫人に一刻も早く告げたいと思つたのである。人のよい國王は、自分を厚遇するために早く歸るものと心得て居た。然しマクベスは、カンバーランドの公子の設立が氣になつた。『カンバーランドの公子! この踏段で蹉躓《つまづ》くか、それを跳越《とびこ》すかだ、行く先に橫はつて居るのだから。……星よ、光を蹈《ふ》んでくれ、予の此眞黑な、重大な陰謀を照すな、手を目には見せんやうにしておいて、爲果《しはた》せた時になつて、見るのを目が怖れるやうな事をしよう。』と彼は獨語した。この『見るのを目が怖れるやうな事をしよう。』といふ考へはいつまでも彼の心に喰付いて離れなかつた。從つて愈よ王を殺すときに當つても、彼はなほこの幻想の中に在つたのである。

 

        

 さて、手紙を受取つたマクベス夫人は、手紙を讀むなり、マクベスを是非國王にしなければならぬと思つた。彼女のその時の獨白はよく夫の性格を物語つて居る。『グラミスの領主でもありコードアの領主でもある、して見れば豫言通りの身分にもお成りだらう。けれども貴郞《あなた》の氣質が心配になる。手取早くやつてのけるには、甘過ぎる。柔和し過ぎる。偉い人にならうといふ希望もあるし、大望もないではないけれどそれを遂げるには、是非共なくちやならん橫道な心が無い。無上に欲しがつてゐながら不淨な手段は用ひまいとなさる、不義を行ふのを厭がつて居ながら不正な望を抱いておいでだ。グラミスどの、貴郞の手に入れたがつてゐなさるものは「これが欲しければ、斯う斯うしなければいけない」と呼んでゐますよ、けれども貴郞には、それを實行する勇氣は無いんだ。實行したくないのではないけれど。……』實際この言葉の中にはマクベスの性格が完全に寫し出されてあつて、マクベス夫人ほど、良人をよく知つて居た妻は世の中に無いといつても差支ないくらゐである。マクベスの心の中には人間愛が充滿して居たため、國王を感動せしめることが出來たのであるが、その氣高い心に直接して、大犯罪に對する用意が橫はつて居たのである。近世犯罪學の敎へるところによると、どんな大犯罪者もその心が全部犯罪性で充滿されて居ることはないのである。同じく沙翁によつて描かれたリチャード三世の如き大犯罪者すらも、その心が全部犯罪性になり切つては居なかつた。

 マクベスは立派な英雄であつた。生えぬきの兵士でもあり、又、生えぬきの戰士でもあつた。英雄にはある種の功名心が必ず附き纏ふものであつて昔から英雄と稱せられる人はいづれもその長上の人又は臣下の者から賞められたいと希ふのが常であつた。さうしてマクベス夫人は良人に存するこの功名心をよく承知して居たのである。

 かやうな功名心は多くは愛他的のものであるが、それが利己的色彩を持つて來ると、愛他的色彩は當然薄くならなければならぬ。否、薄くなるばかりか、全部消し去られてしまふのである。さうして愛他的功名心が利己的功名心に方向轉換をするのは極めて徐々であるから人目にはつき難いものである。マクベスの功名心は卽ち愛他的から利己的に移つたものであるが、かくの如き方向轉換をなさしめた原因は、明かに彼の性格の中に見出し得られるのである。彼は内心の高尙な欲望を持つた人であると同時に、やはり外觀のよきを欲する人であつた。而もその外觀のよきを欲する點が彼には獨特のものであつた。卽ち彼は不義は働きたくないと思ひながら心では不正を念じて居たのである。彼は不法な行爲に對して幾分か臆病であり乍ら、出來ることなら、不法な行爲の結果を驅使したかつた。然し、かくの如き性格は、私たちがお互ひにわが身を振り返つて見るならば、決してマクベスのみに限られたものでないといふことがわかる。若し私たちが、人から尊敬されるやうな人になりたいと思ふ時、それに從つて行つた動作の結果を振り返つて見るならば、善良な意志から發してなされたときよりも外觀のよさを目的としてなされた時の方が、より多くの善の完成の行はれて居ることを發見するにちがひないのである。かう考へて見ると、マクベスの性格はむしろ定型的なものといふことが出來、かやうな性格を描き出した沙翁の偉大さが沁々感ぜられるのである。

 

2021/11/25

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (21) 近松巢林子とシェクスピア

 

      近松巢林子とシェクスピア

 

        

 前章までに私は、探偵味と怪奇味とに富んだ日本の犯罪文學を紹介したから、これから私は、犯罪心理の描寫にすぐれた犯罪文學を紹介しようと思ふのであるが、さうなるとその範圍が極めて[やぶちゃん注:底本は「柄」。国書刊行会本で訂した。]廣くなつて、殆んど手のつけ樣がないから、先づ德川時代の『大衆文藝』とも稱すべき淨瑠璃を選び、その最も秀れた作者であつた近松門左衞門翁の作品の解剖を試み、それと同時にシェクスピアの作品をも紹介して置かうと思ふのである。近松を日本のシェクスピアと呼ぶことの當否は、もとより私の關しないところであつて、私はたゞ何となしに二人を並べて見たのに過ぎないのであるが、兩者の作品を比較硏究することは、犯罪心理學上決して興味が少なくないのである。

[やぶちゃん注:「近松巢林子」(さうりんし)は近松門左衛門(承応二(一六五三)年~享保九(一七二五)年:本名は杉森信盛)の号の一つ。

「シェクスピア」ウィリアム・シェイクスピア(William Shakespeare 一五六四年四月二十六日(洗礼日)~一六一六年 )。]

 さて、巢林子もシェクスピアも隨分澤山の作品を遺して居るので、その中の犯罪を取り扱つたものを一々紹介するのは不可能であるから、巢林子の作では『女殺油地獄』シェクスピアの作では『マクベス』を選んで、兩巨匠の描いた犯罪者を考察して見ようと思ふのである。『女殺油地獄』の中には、河内屋與兵衞という環境によつて生じた犯罪者が取り扱はれ、『マクベス』の中にはマクベスといふ先天的犯罪者が取り扱はれてあるので、彼等が殺人の前後に於ける心的經過を比較するに頗る好都合である。

[やぶちゃん注:「女殺油地獄」享保六(一七二一)年、人形浄瑠璃として初演。当該ウィキによれば、『人気の近松作品と言うことで』、『歌舞伎でも上演されたが、当時の評判は芳しくなく、上演が途絶えていた。ちなみに、実在の事件を翻案したというのが定説だが、その事件自体の全容は未詳である』とある。私は文楽で二度見たが、どうも世話物の悪漢物としては、与兵衛の天性の極悪非道情け無しの絶対の非人間的悪党性が、全く感情移入を拒否して、頗る後味が悪く、奇体なアクロバティクな演出を含めて、あまり好きな作品ではない。梗概は当該ウィキを参照されたい。なお、以下で引用される本文(台詞)へ私が振った読みは、主に国立国会図書館デジタルコレクションの明治二四(一八九一)年文学書院刊の「女殺油地獄」を参考にした。

「マクベス」(Macbeth )は一六〇六年頃に書かれた傑作戯曲。私は彼の作品の中で「ハムレット」(Hamlet :一六〇一年頃成立)に次いで好きな作品で、舞台・映画化の鑑賞回数は数十回に及ぶ。梗概は当該ウィキを参照されたい。なお、以下の二人の参考紹介作品に就いては注さない。]

『女殺油地獄』は、巢林子の六十九歲の作であつて、晚年に於ける三名作(『心中天網島』と『心中宵庚申』とを併せて)の一つであるばかりでなく、巢林子のあらゆる作中、最も優れたものであるとさへ言はれて居る。それと同じく『マクベス』も、シェクスピアの三傑作(『ハムレット』と『オセロ』とを併せて)の一つであつて、五十二歲で死んだ作者の、四十二歲の時の作物であるから、いはゞ作者の腕の圓熟した頃のものである。だから『油地獄』と『マクベス』はそれぞれ巢林子と沙翁の代表作と見倣すも差支なく、實際、犯罪文學の立場から言つても、この二つは傑作中の傑作といひ得るのである。ことに巢林子には、『油地獄』の外に取り立てゝいふ程の犯罪文學はなく、『源氏冷泉節』の毒殺心理や『丹波與作』の窃盜心理などは『油地獄』ほど深いところまで立ち至つては居らないのであるから、巢林子の『犯罪觀』をうかゞふべき作品は、『油地獄』より外に無いといつてもよいのである。尤も『心中』卽ち複自殺の心理を廣義の犯罪心理と見倣せば、いふ迄もなく、近松翁の作品には、應接に遑のないほど取り扱はれて居る。

 『油地獄』の中には、極めて我まゝに育つた靑年が、金に困つて知人の細君を殺すといふ突發性の犯罪が描かれてあり、『マクベス』には、癲癇を持つたマクベスが、幻視によつて王位を奪い得るものと確信し、國王を弑するといふ、計畫された殺人が描かれてあつて、前者は當時の市井の出來事からヒントを得、後者はホリンシェツドの『編年史』から題材を得たのであつて、ことに『油地獄』に關しては、作者が別段の用意もなく、今日の新聞の三面種を取り扱ふほどの輕い氣持で書いたらしいといふ說をなす學者もあるが、すべて、天才は、たとひ不用意のうちに筆を執つても、人間を觀察する眼に狂ひがないから、やはり立派な作品が生れるのであつて、丁度、兩親の不用意のうちに作られた天才その人が、硏究に値すると等しく、その天才の不用意な作品もまた深重に硏究すべきものであると思ふ。

[やぶちゃん注:「ホリンシェツドの『編年史』」イングランドの年代記作家ラファエル・ホリンズヘッド(Raphael Holinshed 一五二九年~一五八〇年)。一般的に「ホリンズヘッドの年代記 」(Holinshed's Chronicles )として知られる彼の作った年代記はシェイクスピアが数多くの戯曲を書く上で重要な情報源として利用している。]

 

          

 

『女殺油地獄』は上中下の三卷からなつて居る。上卷には野崎詣り、中卷には山上詣《やまがみまひ》り、下卷には端午の節句を鹽梅して舞臺效果を多からしめて居るが、劇としての『油地獄』を論ずるのが目的でないから、こゝではたゞ大たいの筋書きを紹介するにとゞめる。

 大阪、本天滿町、豐島屋七左衞門の妻お吉(二十七歲)が、三人の娘をつれて、野崎詣りの道すがら、ある茶店に休んで居る、とお吉の家の筋向ひに住む當年二十三歲の河内屋與兵衞(主人公)が二人の色友達とやつてくる。お吉は與兵衞に向つて『お前さんには、新地の天王寺屋小菊、新町の備前屋松風といふ御馴染がある筈、こんなときに何故一しよに連立つて御出でにならぬか』[やぶちゃん注:底本では最初の二重鍵括弧がないが、国書刊行会版で加えた。]とカマをかける。すると與兵衞は『連立つて來るつもりであつたけれど、松風は先約があるといふし小菊は方角が惡いと逃げ居つたが、きけば小菊は會津の客につれられて、野崎詣りに來たといふことだから、小菊を待伏せして一出入するつもり』だと答へる[やぶちゃん注:ここも二十鍵括弧閉じるが欠落している。国書刊行会版の位置に加えた。]。それをきいてお吉は『かねがね私はあなたの御兩親から、與兵衞に意見をして下さいと賴まれて居ます。どうぞ人前で恥をさらさないやうにして御兩親を安心させてあげるやうにして下さい』

 といつて去る。

 間もなく小菊が會津の客とこちらへやつて來る。與兵衞たち三人は、その前に立ちはだかつて、小菊を貰ふからさう思へと言い渡す。すると會津の客は、案外物に驚かず、與兵衞の二人の友だちの一人を川に蹴こみ、一人を追ひ散らしてしまつたので、遂に與兵衞は組打ちを始め、二人とも小川の中へまろび落ちてしまふ。丁度そこヘ一人の武士が郞黨を連れ馬に乘つて代參に來たが、與兵衞のために泥水をかけられたので徒士頭の山本森右衞門が、與兵衞を捕へて見ると、與兵衞は自分の甥に當る故、一且はびつくりしたが、身うちのものとあれば尙更容赦はならぬと、討ち捨てようとすると、馬上の武士は、參詣の濟む迄は怪我をさせてはならないと押しとどめ、一行は與兵衞を殘して去つてしまふ。

 與兵衞は、『南無三伯父の下向に切るゝ筈、切られたら死のう[やぶちゃん注:底本は『死う』。国書刊行会本で補った。]、死んだらどうしよ』と氣も轉倒せんばかりに怖氣つき、兎にも角にも逃ようと思つたが、さて何處へ逃げたらよいだらうかと迷つて居ると折しも其處へ最前のお吉が戾つて來る。これ幸と與兵衞はお吉に向つて、『いゝところへ來て下さつた、わたしはかうして居れば切られてしまふから、大阪へつれて行つて下さい』と賴む。お吉は『いゝえ、私はまだ歸るのではありません。七八町行つたところ、あまりに人が多いので、良人を待ち合せるために引き返して來ただけです。だが一たいその泥はどうなさつたのです?』といつて、事情をきゝ、『それでは洗濯をしてあげませう』と茶店の奧へはひつて行く。そこへお吉の良人七左衞門がきて、姉娘から、お吉と與兵衞とが、茶店の奧で衣服を脫いだり、帶を解いたりして居ることを聞いて大に嫉妬の情にかられるが、やがて奧から二人が出て來て、與兵衞が申譯をすると、七左商門は碌に返事もしないで妻子を連れて去つてしまふ。と、折あしくも先前の武士の一行が歸つて來て、森右衞門が刀の柄に手をかけようとすると、武士は鷹揚にかまへて肋けてやれといふので、與兵衞はほつとする。以上が上卷の梗槪である。

 中卷では、與兵衞の家卽ち河内屋德兵衞の油屋の店が舞臺となつて居る。山上參り(吉野金峯山に登ること)の連中がどやどやとやつて來て、『與兵衞はどうした。今日俺達の歸つて來ることがわかつて居るに、出迎ひもせぬとは、どこか氣分でも惡いのか』といふ。德兵衞が走り出て『うちのどろめは山上參りの行者講のと、今年も自分の手から四貫六百、順慶町の兄太兵衞から四貫取つて、迎ひにも出ぬとはひどい奴どうぞ友だちとして意見してやつてくれ』と賴む。ところへ、奧から母親も茶をもつて出て、『與兵衞が山上さまへ噓をついた罰が、妹娘のおかちにあたつて、十日ばかり風邪氣で寢て居ますけれど醫者にかゝつても一向なほりません。どうか皆さま御祈禱を賴みます』といふ。すると講中の一人は、『罰ならば與兵衞に當る筈。娘御の病氣は別のことだらうがそれには白稻荷法印《しろいなりほふいん》といふ山伏を御賴みなさるがよい』といひ置いて去つてしまふ。

[やぶちゃん注:「どろめ」息子の与兵衛を指して言った卑称。他に「どろく者」とも呼んでおり、推定だが、これは「泥奴」で「泥に穢れた者」の謂いか。それは先の徳庵堤での「泥」を投げ合って、「泥」まみれになるという「穢れ」が伏線としてあり、究極の豊島屋での「どろ」りとした油に塗れて忌まわしい人殺しとなる場面への再伏線ともなっている。]

 するとそこへ、與兵衞の兄なる順慶町の太兵衞がたづねて來る。太兵衞も與兵衞も、德兵衞の生《な》さぬ仲の子である。卽ち德兵衞の舊主人の子で、彼は舊主人の死後舊主人の内儀と一しよになつたのである。太兵衞は德兵衞に向つて、『今も道で母に逢つて話したことだが、伯父森右衞門からの文面によると、先月與兵衞が御主人へ狼籍に及び、そのため居づらくなつて浪人したとの事、誠に以ての外の人間、一日も早く勘當してしまひなさい。一たい、常日ごろ、親仁樣が手ぬるい。自分の種でないといつたとて、母の良人である以上眞實の父だ。おかちを打たゝいても、あの馬鹿者に拳一つあてぬやうにしなさるので、却つてあいつのためにならない。たゝき出して來《こ》されゝば、どこかひどい主にかけて、ため直してやりませう。』といふ。德兵衞は無念顏、『親且那の往生の時はそなたは七ツ、與兵衞は四ツ、德兵衞どうせいこうせいといつたことを彼奴《あいつ》はちやんと覺えて居るのだ。伯父森右衞門殿の了簡で、是非にと言はれて、親方の内儀と女夫《めをと》になり、そなたは立派に育つたが、與兵衞めはそれと反對で、商賣の手を擴めさせようと思つても、壹匁《もんめ》もうければ百匁つかう根性、意見一言いへば、千言でいひ返す。誠にこの身の境界がつらい。』と嘆く。太兵衞はそれからしきりに勘當をすゝめると折しも奧の方でおかちが眼をさまして苦しがり、門口へは白稻荷法印が見舞にやつて來る。太兵衞が去ると、入れちがひに、空樽をかついだ與兵衞が歸つて來て、法印に挨拶し親仁に向つて、『親仁殿おかちの病より大事なことがある。跡の月野崎で伯父樣にあつたら、主人の金を三貫目つかひこんだから返さなければ切腹だ、是非調べてくれとの事。その當座母に話したが今ふと思ひ出した。これからわたしが持つて行つてあげるから、是非出して下さい。』といふ。たつた今太兵衞からきいたことがあるので、德兵衞は相手にせず、法印を案内しておかちのところへ連れて行く。法印が祈禱を始めるとおかちは顏をあげ、『私の病直すには、聟殿の話をやめて、與兵衞の戀人を請出し、この世帶を渡してくれ』と、夢中になつて口走る。法印はそれを物ともせず祈つて居ると與兵衞が出て來て追ひ出してしまひ、さて、親仁に向つて、『親仁どの、今のおかちの言葉は死んだ父の死靈が言はせたのだ。死靈の言葉どほり、この與兵衞に世帶を渡したらどうだ』といふ。德兵衞は怒つて『渡せぬ』といふ。『扨は妹に聟を取つて世帶を渡すな?』『さうとも』これをきいて與兵衞はカツと怒り、德兵衞を踏のめらし、肩や背中を足蹴《あしげ》にする。妹はびつくりして、『みんな兄樣の言いつけで死靈のついた眞似をしたのに、父さまを蹴るとはひどい』といつてとゞめようとすると、與兵衞は妹をも踏み伏せる。

 折しもそこへ母親が歸つて、與兵衞のたぶさを引つかみ、橫投げにのめらせて、目鼻の差別なくなぐりつける。さうして散々叱つたあげく、『半時も此内に置くことはならぬ、勘當ぢや出てうせう』と淚ながらに打たゝく。與兵衞はこれをきいて、『こゝを出たら、どこへも行く所がない』といふ。母が天秤棒で追ひ出さうとすると、與兵衞はそれを奪つて母に向つて打ちかゝる。德兵衞は、今は見るに見兼ね、更にその天秤棒を奪つて、息もつがせず六ツ八ツ打ち續ける。さうして自分のつらい心持ちを訴へると、母は、『うぢうぢひろがば町中《まちなか》よせて追ひ出す。』といつたので、町中といふ言葉に、さすがの與兵衞もびつくりして、ふらふらと出かける。德兵衞はその後を見送り、『あいつが顏付背恰好、成人するに從ひ死なれた且那に生寫《いきうつし》。あれあの辻に立《たつ》たる姿を見るに付、與兵衞めは追出さず、且那を追出す心がして、勿體ない悲しいわいの』と淚ながして悲しむ。といふのが中卷の梗槪である。

[やぶちゃん注:「ひろがば」「言うととなら」の意。]

 下卷の舞臺は、河内屋の筋向ひ、豐島屋の店。五月四日の夜である。女房お吉一人三人の娘を寢させて留守番をして居ると、掛取りに出た良人七左衞門が中休みに立寄り、掛金として集《あつま》つた五百八十目を預けて再び出かけて行く。と、其處へ勘當された與兵衞が、油二升入の樽をさげて來て、門の口から豐島屋をのぞきにかゝると、後《うしろ》の方で、『與兵衞ではないか。』と呼ぶ者がある。見ると上町の口入綿屋小兵衞、『あゝいゝところで出逢つた。順慶町へ行けば、本天滿町の方だといひ、本天滿町ヘ行けば勘當したといふ事だつた。お前さんが留守でも親仁さんの判、新銀一貫目、今宵延びれば明日は町へことわるからそのつもりで御いでなさい。』といふ。與兵衞は驚き、『手形の表は一貫目だが正味は二百目、今夜中に返せばいゝぢやないか。』『さうとも、明日の朝六ツ迄にすめば二百目、五日の日がによつと出ると一貫目。』かういつて綿屋は歸つて行く。與兵衞がはたと當感して居ると提燈をとぼして親仁の德兵衞がやつて來る樣子、はつと思つて、彼は平蜘蛛のようにつくばつてしまふ。

 德兵衞は豐島屋の店へはひつて、お吉に向い、『與兵衞は此頃生みの母が追出したので止められもしなかつたですが、きけば今順慶町の兄の方に居るといふこと、若し狼狽《うろた》へてこちらへ來ましたら、父親は合點だから、母にわびをして再び戾るやうに意見して下さい。ここに三百女房に内證で持つて來ましたから、私から出たといはずあなたの手で渡してやつてくれませぬか。』と賴む。[やぶちゃん注:底本は句点なし。国書刊行会本で補った。]するとそこヘ母親お澤が裏口からたづねて來て、『德兵衞殿、何しにござつた。與兵衞にやるとて三百持つてござつただらう。そのあまやかしがいけない。さあさあ早くいなしやれ。』と引立てようとする、德兵衞が言ひ譯すると、お澤はなほも追ひやらうとする。歸るなら一しよに歸らうと、德兵衞がお澤を引張ると、その途端に母の袷の懷から粽《ちまき》一わと錢五百が落ちる。お澤は狼狽し、『あゝ堪忍して下され德兵衞殿、いくら鬼子でも、母の身でどうして憎からう。けれど、母が可愛い顏をしてはいかぬから、無理につらくあたりました。私に隱して錢をやつて下さる心は、口ではけんけんいつても心では三度いたゞきました。私も實はあいつの可愛さに店の錢五百を盜んでお吉樣に屆けて貰はうと思ひました』と泣く。結局お吉の取計らいに任せて夫婦二人は歸つて行く。

 兩親の歸るのを見屆けた與兵衞は、『心一つに打うなづき、脇指拔て懷中に、さいたるくゞりとあけ』[やぶちゃん注:開始の二重鍵括弧が逆。訂した。]、『七左衞門殿はどちらへ、定めし掛もよつたことでせう?』と言ひながらはひる。お吉は與兵衞の姿を見て、『あゝ、いゝ所へござつた。この錢八百と粽が、あなたに遣れと天から降つて來ました。』といひ乍ら差出す。與兵衞は驚かず、『これが親たちの合力《かふりよく》か』といふ。『ちがひます。』『いやわかつて居る。先前から門口で蚊に喰はれて、親たちの愁嘆きいて淚をこぼしました。』『そんならよく合點がいつた筈、これからは心を入れ替なさい。』『いや、孝行したくても、肝腎の錢が足らぬ。賣溜め掛金がある筈だから三百目貸して下さらぬか。』お吉はびつくりして、『それでは必ず直つたといへぬではありませんか。金は奧の戶棚に上銀が五百目あまりあるが、良人の留守には一錢も貸すことなりません。いつぞやの野崎參りに着物を洗つてあげてさへ、不義したと疑はれ、言ひ譯に幾日もかゝりました。良人の歸らぬうちに早く去んで下さい。』與兵衞はそばへにじり寄り、『不義になつて貸して下さい。』といふ。『いけません。』『是非。』『女と思つてなぶらしやると聲を立てますよ。』『實は先月の二十日に親仁の謀判《ぼうはん》をして上銀二百匁今晚切りに借りたのです。明日になれば手形どほり一貫匁で返す約束、而も親と兄を始め兩町の五人組へ先方でことわる筈、とても才覺出來ぬので自害しようと、この通り脇指をさいて出ましたが、只今兩親の歎《なげき》をきゝ、死んだあとで親仁へ難儀のかゝることは不孝の上塗りと知り、詮方なさに賴むのです。たつた二百目で與兵衞の命が肋かります。どうか貸して下さい。』

 お吉はこれを與兵衞のいつもの手と察し、どうしても承知しない。そこで與兵衞は考へて、『そんなら、せめてこの樽に油二升取替へてくれませんか?』といふ。『それは易いこと。』とお吉が油をつめかゝると、與兵衞はお吉の後へしのび寄り、刀を取り出す。ピカリと光つたのでお吉はびつくりして、『何でした』といふ。『何でもない。』『いやいや、それ、急度《きつと》目がすわつて、恐ろしい顏色、手を出して御覽なさい。』與兵衞は刀を背後で持ちかへて手を出す。お吉は氣味を惡がり逃出さうとする。躍りかゝつて與兵衞はお吉の咽喉笛を剌す。苦しい中から、お吉は『助けて下さい。三人の子が可愛い。[やぶちゃん注:句点は私が附した。]金は入るだけ持つて行つて命だけは助けてくれ』と哀願する。『ヲヽ死にともない筈。尤々《もつとももつとも》。こなたの娘が可愛程、己《おのれ》も己を可愛がる親仁がいとしい。金拂うて男立てねばならぬ。諦らめて死んで下され。口で申せば人が聞く、心でお念佛、南無阿彌陀佛、南無阿彌陀佛。』と、たうとう殺してしまふ。かくて與兵衞は死顏を見て、心を亂し、戶棚から金を盜み出して逃げ去るのである。

 舞臺が變つて遊廓となり、與兵衞の伯父、森右衞門が近頃與兵衞の身持が一層惡くなつたときゝ、ことに女殺して金取つたのも與兵衞らしいといふ世間の評判を心配して、備前屋の松風の許をたづねると、入れちがひに一人の男が出て來る。松風が、『つい先程見えられたが曾根崎へ用事があるといつて去られた』といふと『それではもう一つたづねるが、五月の節句前か後で、金を澤山つかつたことは御座らぬか。』といふ。『金のことは知りません』といつて松風は奧へはひる。森右衞門は仕方なく曾根崎の方へ去る。

 與兵衞は小菊に逢ふため曾根崎の花屋に來ると、後家のお龜が出迎へて上らせ、それから油屋の女房殺しの芝居の話をする。與兵衞が不安を覺えて、無茶酒をのんで居ると、友人が訪ねて來て、『お前を侍がたづねて居るぞ』と告げる。びつくりして樣子をきくと叔父らしいので、逢つては面倒と、新町に紙入を忘れて來たといつはつて逃げ出す。その跡へ森右衞門がたづねて來て、花車に逢ひ、新町へ去つたときいて殘念がり、『こんど與兵衞が來たら、酒でも呑せて留め置き、本天滿町の河内屋へ知らせて貰ひたい。[やぶちゃん注:句点は私が打った。]只今來がけに櫻井屋源兵衞方へ立寄つてきくと、五月四日の夜に、大金三兩、錢八百受取つたといふことだが、こゝへ幾ら拂つたか。』『私方へも大金三兩、錢一貫文』『その夜は何を着て參つたか』。『廣袖の木綿袷、色はたしか花色だつたと思ひます。』『よろしい。』と森右衞門は去る。

 再び舞臺は𢌞つて、お吉の家では三十五日の逮夜《たいや》がつとめられて居る。同行の人々が、七左衞門をなぐさめて居る折しも、居間の桁《けた》梁《うつばり》を通る鼠が、反古《ほご》をちらりと蹴落して行つた。七左衞門が見ると、血のついた半切紙に一ツがき、十匁一分五リン、野崎の割付五月三日とある。[やぶちゃん注:句点は国書刊行会本で補った。]どうやら見たやうな筆蹟だと同行に見せると、河内屋の與兵衞の手だときまり、さては去る四月十日、與兵衞は三人づれで野崎詣りに行つたさうだが、その割付にちがひない。これでお吉を殺した犯人も知れました。亡者が知らせたにちがひありませんと喜ぶ。とその時、『河内屋の與兵衞です』と、當の本人がはひつて來て『三十五日の逮夜になつても、犯人が知れぬで御氣の毒です』と弔詞をのべる。七左衞門は、『おのれ、お吉をよくも殺した』と躍りかゝる。やがて挌鬪《かくとう》[やぶちゃん注:「格鬪」に同じ。]が始まり與兵衞が逃げ出すと、表に捕吏《とりて》が居て難なく取り押へる。捕吏の後から森右衞門が聲をかけ、『もうかうなつたら潔く往生せい。世間の風說をきいて、あらわれぬ先に自害をすゝめようと、新町や曾根崎をたづねたが、いつも後ヘばかり行つたのは貴樣の運の盡だ。おい太兵衞その袷をこゝへ持つて來い。これは五月四日の夜に貴樣の著たもの、所々のきは付こはばり、お役所からの御不審、只今その證據調べだ。誰か酒を持つて來てくれい。』酒をかけると果して朱の血潮に變つた。與兵衞も今は覺悟を極め、大聲を出して、『一生不孝放埓の我なれども、一紙半錢盜みといふ事終にせず、茶屋傾城屋の拂は、一年半年《はんねん》遲《おそ》なはるも苦にならず、新銀一貫匁の手形借り一夜《ひとよ》過ぐれば親の難儀、不孝の科《とが》勿體なしと、思ふ計に眼付《まなこつけ》、人を殺せば人の歎き、人の難儀といふことに、ふつゝと眼付《まなこつ》かざりし、思へば二十年來の不孝無法の惡業が、魔王と成て與兵衞が一心の眼を眩まし、お吉殿殺し金を取しは河内屋與兵衞、仇も敵も一ツひぐわん。南無阿彌陀佛。』といひ、繩を受けて、この一篇の悲劇は終るのである。

[やぶちゃん注:「逮夜」「大夜」などとも書き、古くは葬儀の前夜を指したが、年忌や忌日の代用語として用いられる。ここは現在は行われることがまずない、三十五日法要のこと。故人が亡くなった命日から数えて、三十五日目に行う法要を指す。]

 

        

 

 以上の梗槪からもわかるとほり『油地獄』の最後の部分には探偵的興味まで加はつて、いはゞ一種の優れた探偵文學となつて居り、作品全體が濃厚な近代的色彩を帶《お》んで居て、鋭い人生批評が加へられてあるために、當時の興行上の效果は却つてあまり良好ではなかつたといはれて居る。

 この作に於て、作者は、如何に環境が犯罪性を釀成するかを痛烈に示さうとして居る。與兵衞の犯罪性には少しの遺傳的分子も加はつて居ない。實父、伯父、實母、實兄、すべて皆善人である。彼にはまた肉體的不具もなかつた。母親お澤が與兵衞を折檻する言葉に、『德兵衞殿は誰ぢや、おのが親。今の間に、脚が腐つて落《おち》ると知らぬか、罰あたり、おとましやおとましや、腹の中から盲《めくら》で生れ、手足かたはな者もあれど、魂は人の魂。己が五體何處を不足に生付《うまれつい》た。人間の根性何故さげぬ。父親が違ひし故、母の心がひがんで、惡性根入るといはれまいと、さす手《て》引手《ひくて》に病《やみ》の種。おのれが心の劒で、母の壽命を削るわい。』とあるのを見ても、彼が圓滿な體格を具へて居たことがわかる。さうして、これをかのシェクスピアの『リチャード三世』の中で、不具者リチャードを生んだヨーク公爵夫人がリチャードに向つて言つた言葉と比較して見ると頗る興味がある。卽ち『おのれはこの下界をわしの地獄にするために生れて來おつたのぢや。生れる當座もわしを苦しませおつたのぢやが。頑是ない頃から我儘で、剛情で、學問を始めるやうになつてからは、怖ろしい亂暴な、氣の荒い子で丁年《ていねん》[やぶちゃん注:成人。]になつては大膽不敵で、向う見ずで、それが年を取つてからは、高慢で、狡猾で、慘忍で、以前よりは外面が溫和になりおつたゞけに、口と心とは裏表の不信不義、深切《しんせつ》めかしては人を陷擠《おとしい》れるわるだくみ!』(坪内氏譯による)とあつて不具變質者の犯罪性の發達の經路が遺憾なく述べられてある。與兵衞の母親の言葉の中には、『育ち』が犯罪性を作ることが言ひ表はされ、リチャードの母親の言葉には、生れながらの犯罪性は、自然に發展して行くものであることが述べられてある。先天的犯罪者リチャードは、子供の時分から狡猾であつて世間の表裏をよく知つて居たにかゝはらず、境遇によつて作られた犯罪者與兵衞は世間といふものを少しも知らぬ『坊ちやん』であつた。氣儘に育つた彼は自分の欲望ならばどんなことでも叶ふものと思ひ込んで居たがために犯罪の何ものであるかといふことさへ知らなかつた。『まだ此上に根性の直る藥には、母が生肝《なまきも》を煎じて飮《のま》せいといふ醫者あらば、身を八ツ裂も厭はね共《とも》』といふくらゐの母親の盲目的な愛と、『此德兵衞は親ながら主筋《しうすぢ》と思ひ、手向ひせず存分に踏《ふま》れた。腹を借《かり》た生《うみ》の母に今の樣、傍《そば》から見る目も勿體なうて身が震ふ。今打《うち》たも德兵衞は打たぬ、先《まづ》德兵衞殿冥途より、手を出してお打なさるゝと知ぬかやい。おかちに入聟取といふは、跡方もないこと。エヽ無念な、妹に名跡《みやうせき》繼《つが》せては、口惜《くちをし》と恥入《はぢいり》、根性も直るかと、一思案しての方便。あの子は餘所へ嫁入さする、氣遣ひすな。他人どし親子と成《なり》は、よくよく他生の重緣と可愛さは實子一倍。疱瘡した時日進樣へ願かけ、代々の念佛捨て百日法華に成《なり》』といふくらゐの父親の義理を思ふ愛の中に育つたのであるから、彼の氣儘は極端に增長したのである。無論、同じ家に育つた兄の太兵衞が正直な人間になつたところを見れば、與兵衞には、我儘放埓に陷るべき先天的素質があつたと解釋しても差支ないけれど、少なくとも近松翁は、與兵衞を先天的犯罪者にしようとは思はなかつたやうである。

[やぶちゃん注:小酒井不木は身体に障碍があることを先天的犯罪性と結びつけようとする偏見があることを批判的に読む必要がある。

「リチャード三世」シェイクスピアの史劇。正式なタイトルは「リチャード三世の悲劇」(The Tragedy of King Richard the Third )。初演は一五九一年。そこでシェイクスピアは主人公リチャード三世を、先天的に背骨が大きく曲がって瘤があり、足を引き摺る人物として描いているが、実際の当人の遺骨の調査によって、これは創作だったことが判っている。実際の彼は、背骨が曲がる脊柱後湾の症状はあったものの、重度ではなく、衣服や甲冑を着れば、隠れる程度のものであった。]

 かくの如く、親子の眞の道を敎へられなかつた與兵衞は、成長しても子供のまゝの野蠻性を失はなかつた。その野蠻性は野崎詣りの場面に於いて喧嘩によつてはつきりあらはされてあるが、その喧嘩の當時、伯父に逢つたことを種にして、兩親を欺いて金を取らうとした奸智は、その野蠻性の發現とも見られぬでもないけれど、むしろ、惡友の感化によるといつた方が適當であるかも知れない。遊里に足を踏み入れた彼は、お定まりの金に窮し、始めて世の中が我が意の如くならぬことを知り、父母を詐《あざむ》かうと謀つたのである。さうして更にその奸智は進んで父の謀判を企て、妹に死靈のついた眞似をさせるに至つた。然しながら彼は決して盜みをしなかつた。彼が捕へられた時の述懷に『一紙半錢盜みといふ事終にせず。』とあるのを見ても、盜むことを惡いと考へて居たことは事實である。それにも拘はらず父の謀判を企てたのは、父を詐いたり、父に迷感をかけたりするぐらゐは罪惡であると思つて居なかつたのである。このことは『お坊ちやん育ち』の人が屢ば陷る危險の穴である。世間知らずの人が、他人に煽動されて、罪惡と知らず大事を取り出來《でか》すのは、法律上の罪惡を恐れて、道德上の罪惡を恐れないからである。與兵衞は卽ち、父母に對してどんな罪惡を行つても、それは當然許さるべきものであると思つて居たのである。

 ところが愈よ勘當されるとき、母が『町中よせて追出す』と言つたのをきいた彼は、始めて自分以外に世間といふものゝあることを知つてぎよつとした。天秤棒に怖れなかつた彼も、世間の『法』には恐怖を感じたのである。愈よ勘當されて見ると、彼は始めて道德の存在に氣が附いたのである。勘當された彼は、さしづめ兄の太兵衞の家に行つた。さうして『絕望』を感じて居たところへ、しみじみ意見され、兩親の尊いことを知り、ことに義理ある父は、一層尊敬せねばならぬことを悟つたのである。

 さう悟ると共に、彼は、父の謀判したことをこの上もない惡いことだと思ふに至つた。而《しか》も五月四日の晚までに返さねば五人組へも知らせるといふ貸主との契約であつたので、彼は居ても立つても居られず、金の工面が出來ねば自殺しようと決心し、豐島屋へ來たのである。來て見ると、兩親たちは、自分の罪を惡《にく》むどころか、却つて慈愛ある處置を取らうとして居たので、愈よもつて父親に難儀をかけてはならぬと思つたのである。さうして彼は、如何なる手段を講じても、三百目の金を調へねばならぬと決心したのである。彼はその時人一人殺す罪よりも、父親に難儀をかけるのが堪へられなかつた。で、お吉を殺して金を奪はうと咄嵯の間に思ひ立つたのである。お吉が血に染りながら三人の子のあることを訴へても、もはや彼の心は動かなかつた。さうして、『こなたの娘が可愛程、己も己を可愛がる親仁がいとしい』と彼は言ひ放つた。これをリチャード三世が、『亡兄の女と結婚をせにやならん。然《さ》うせんと、おれの王國は脆い硝子の上に載ツかつて居るといふ爲體《ていたらく》[やぶちゃん注:国書刊行会本では『したい』とルビを振るが、従えない。]だ。弟どもを殺しておいて、さうしてその姉娘と結婚するというのは、大ぶ際どい遣り口だ!けれども血の中ヘ踏込んだ以上、罪惡を突つき出すのも止むを得ない。淚ぽたぽたの憐憫なんかは、おれの眼中にや住んで居ない』(坪内氏譯による)といつた言葉と對比して見ると、リチャードは罪惡そのものに陶醉して居るに反し、與兵衞は、已むに已まれず罪惡を犯して居ることがわかる。

 さて、一旦お吉を殺して見ると、今まで思ひも寄らなかつた恐怖が、お吉の死顏をみた瞬間からむらむらと起つて來た。近松翁は、その時の與兵衞の恐怖を次の如き麗筆を以て述べて居る。

[やぶちゃん注:以下の引用部は底本では全体が一字下げ。]

『日比の强き死顏見て、ぞつと我から心もおくれ、膝節《ひざぶし》がたがたがたつく胸を押しさげさげ、提《さげ》たる鎰《かぎ》を追取《おつと》つて、覗けば蚊帳のうちとけて、寢たる子供の顏付さへ、我を睨むと身も震へば、つれてがらつく鎰の音、頭《かうべ》の上に鳴神の落かゝるかと肝にこたへ、戶棚にひつたり引出すうちがひ上銀《うへぎん》五百八十匁、宵に聞たる心當《こころあたり》。ねぢ込《こみ》ねぢ込ふところの、重さよ足もおもくれて、薄氷《はくひやう》を履《ふむ》火焰踏《ふむ》、此脇指《わきざし》はせんだの木の橋から川へ、沈む來世は見えぬ沙汰[やぶちゃん注:「見えぬ」は底本も国書刊行会本も「見える」であるが、二種の「女殺油地獄」版本で確認して訂した。]、此世の果報の付時《つけどき》と、内をぬけ出《いで》一さんに、足に任せて』

 これをかのフランスの大犯罪者ラスネールが、知己のシャルドンとその母を殺して寢臺を戶棚のそばに引き寄せ、戶棚の中の金をさがして居るとき、室《へや》の時計が『チン』と一つうつたのをよく覺えて居たことと比較すると、先天性犯罪者と、偶發性犯罪者の心理の差異を知ることが出來る。

[やぶちゃん注:「せんだ」栴檀(せんだん)。ムクロジ目センダン科センダン Melia azedarach 。別名、楝(おうち)。五~六月の初夏、若枝の葉腋に淡紫色の五弁の小花を多数、円錐状に咲かせる(ここから「花楝」とも呼ぶ)。因みに、「栴檀は双葉より芳し」の「栴檀」はこれではなく全く無縁の異なる種である白檀の中国名(ビャクダン目ビャクダン科ビャクダン属ビャクダンSantalum album )なので注意(しかもビャクダン Santalum album は植物体本体からは芳香を発散しないからこの諺自体は頗る正しくない。なお、切り出された心材の芳香は精油成分に基づく)。これはビャクダンSantalum album の原産国インドでの呼称「チャンダナ」が中国音で「チャンタン」となり、それに「栴檀」の字が与えられたものを、当植物名が本邦に伝えられた際、本邦の楝の別名である現和名「センダン」と当該文字列の音がたまたま一致し、そのまま誤って楝の別名として慣用化されてしまったものである。本邦のセンダン Melia azedarach の現代の中国語表記は正しく「楝樹」である。グーグル画像検索「楝の花」をリンクさせておく。但し、ここでは無論、明らかに聖なる異界のそれであり、他との並列を考えれば、仮想された実在しない芳香栴檀様の香りを放つ聖木(せいぼく)ととるべきである。

「ラスネール」ピエール・フランソワ・ラスネール(Pierre François Lacenaire 一八〇三年~一八三六年)はフランスのリヨン出身の犯罪者(窃盗・詐欺・手形偽造・殺人等)にして詩人。逮捕されて死刑(ギロチン刑)に処せられた。処刑直前まで執筆し続けていた「回想録」(邦訳有り。私は未見)が残る。以上の小酒井の言及も、その一節にあるのであろう。詳しくは当該の日本語版のウィキを参照されたい。

「知己のシャルドンとその母を殺し」フランス語版の彼のウィキに、一八二九年に窃盗罪で一年の懲役刑を言い渡された際に親しくなった友人ジャン・フランソワ・シャルドン(Jean-François Chardon)とその母を、一八三四年に冷酷に殺害している(彼は斧で、その母はベッドで窒息死させられている)。]

 殺人罪を犯した與兵衞は、良心の呵責をのがれるために、只管、痛飮して、胸中の苦悶を消さうとした。花屋の後家が油屋の女房殺しの芝居の話をすると、彼はぎくりとして、『後家、たしなめ。ちと人にも物云《ものいは》せい。生れて、與兵衞、こんなむさい床凡《しやうぎ》の上で、酒呑んだ事なけれど、今日は許す。東隣、借足《かりたし》して、與兵衞が座敷分《ざしきぶん》に一ツこしらや。材木、諸色《しよしき》、諸入目《しよいれめ》、見事に、我等、仕る。きつい物か物か。エ、げびた此蒲鉾の、薄い切樣は。』[やぶちゃん注:以上の引用は、底本では句読点が不全で、甚だ読み難いため、先の版本を参考に一部に句読点を入れた。]と、いかにも狼狽した口調で出鱈目をしやべり、さうして叔父がたづねて居るときいて甚だしく恐怖し、逃げ出してしまつたのである。

[やぶちゃん注:「材木」調度のことかと思ったが、調べると、「歳を取った歌比丘尼(うたびくに:近世に歌念仏を歌って歩いた比丘尼。のちには売春する者も現れた。勧進比丘尼とも呼ぶ)」の意があったので参考までに述べておく。

「諸色」華麗な服を着た沢山の女たちの意か。

「諸入目」もろもろの掛かる費用総て。]

 遂に與兵衞は、良心の呵責に苦しむすべての犯罪者が行ふやうに、お吉の三十五日の逮夜の晚、犯行の現場に顏を出したのである。『つい三十五日の逮夜になりましたの。殺した奴もまだ知れず、氣の毒千萬したが追付《おつつけ》知れましよ』とその時の彼の言葉は、後來の探偵小說家にも屢ば採用される筆法である。かうして灯《あかり》のまはりを飛んで居た蛾は、灯の中にはひつてしまつたのである。

 かく觀察して來ると、近松翁は、この種の犯罪者の心的經過を殆んど遺憾なきまでに描き出したといつてよい。故意か偶然かは知らぬが、與兵衞の殺人の季節に、統計上、殺人の多い五月を選んであるのも面白い。又、犯罪性を考へるには性的の煩悶を見逃してはならぬが、與兵衞は勝手次第に遊里に出入りして居たのであるからその點を顧慮する必要が無からしめてある。お吉に出金を賴むとき、『不義に成て貸て下され』といつたのは、お吉の言葉に續いて言つたゞけで、別に深い意味は無かつたのである。

[やぶちゃん注:日本に限って言えば、殺人ではないが、広義の犯罪の増加する月というのは、事実、五月のようである。「セコム」公式サイト内のコラムの「3月は犯罪が増え始める月?」に、五年間のグラフ附きで、『毎年』三『月になると』、『件数が増加に転じています』。『おおよその傾向としては』、一『年の中で最も犯罪件数が少なくなるのが』二『月で、翌月の』三『月から増加に転じて』、五『月くらいにピークとなります。その後、やや落ち着いてから』、十『月にもう一度』、『ピークを迎えるといった動きを、ほぼ毎年繰り返しています』。こうした『山形の曲線を描く犯罪』は、『窃盗犯や粗暴犯(暴行、傷害、恐喝など暴力的な犯行)が顕著です。風俗犯(公然わいせつ、賭博など社会の善良な風俗に反する犯行)も同じような動きをしています』。『 粗暴犯の中では暴行や傷害、窃盗犯の中では忍込み(就寝中の家を狙う泥棒)や居空き(住民は起きているが隙を狙って家に侵入する泥棒)や自転車盗、風俗犯の中では強制わいせつが、このような形のグラフを描いています』とあるからである。殺人(未遂)事件も五~六月に多いとする新聞記事もあった。但し、アメリカの国内統計データでは一月一日が最も多いそうである。]

 お吉を殺すとき、彼が後に自殺するつもりであつたことは前後の事情からして察せられるが、その決心が崩れてしまつたのは、お吉の死顏を見てからの恐怖のためである。彼の恐怖は全く豫期しなかつたものであつて、その點がこれから述べようとするマクベスの犯行後の恐怖と異なるところである。卽ちマクベスは、自分の行爲が大罪であることを知り、當然、殺害後の恐怖を豫期して居たのである。從つて彼はその恐怖に打ち勝たうと用意した。ところが、彼は打勝つことが出來なかつたのである。其處に卽ち、一層深刻な恐怖が見られるのであつて、その恐怖をシェクスピアが如何なる筆をもつて描いて居るかを、次章に紹介しようと思ふのである。

 

2021/09/28

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (20) 御伽婢子と雨月物語の内容

 

     御伽婢子と雨月物語の内容

 

 超自然的な怪奇を取り扱つた作品の内容も、その形式と等しく頗る相似通つて居る。御伽婢子と雨月物語の内容の似て居るのは當然であるけれども、ポオの作品にも相似寄つた點があるのは興昧ある現象といはねばならない。中にも戀愛を取り扱つたものには類似の題材が多く、例ヘば御伽婢子の「眞紅の打帶」(剪燈新話の「金鳳叙記」を飜案したもの)と、ポオの「リジア」とは頗る似たところがある。

[やぶちゃん注:以下は私のブログの「伽婢子卷之二 眞紅擊帶(しんくのうちをび)」で電子化注済み。なお、以下の「雨月物語」は私は少なくとも五冊以上の注釈版本を所持しているので、わざわざ原文リンクを必要としないのだが、最初の注に従い、国立国会図書館デジタルコレクションの国書刊行会大正七(一九一八)年刊の「上田秋成全集第一」の「雨月物語」の頭をリンクさせておく。各編はお手数乍ら、ご自身で探されたい。

『ポオの「リジア」』既出既注

 以下の梗概は、底本では全体が一字下げ。]

 越前の敦賀に檜垣平次といふ士《さむらひ》があつた。その一族が織田信長に攻められたゝめに、身をかくして上洛し五年間を暮した。彼には許嫁《いひなづけ》の女があつたが、別離の悲哀のために思ひ死にをしてしまつた。彼女の親は平次が出立の際與ヘて行つた眞紅の帶を、彼女の死骸に結びつけて野邊の送りをすませた後、幾何もなく平次は歸つたが、彼女の死をきいて獨り物思ひに沈み乍ら暮して居ると、ある日彼女の妹が外出するに逢つたが、その時妹が乘り物から落したものを見ると見覺えのある眞紅の帶であつた。不思議に思ひながら家に歸ると、その夜妹が忍んで來てさまざまに搔き口說いたので、彼は妹と駈落して三國《みくに》の湊に行き一年ばかりを夢のうちに暮したけれども、良心の呵責のために、敦賀に歸り、妹を船にとどめて、妹の兩親に詫を入れると、兩親は驚いて、帶はたしかに姉娘の死骸と共に葬つたこと及び妹娘は一年このかた重病で寢て居ることを語つた。こんどは平次が吃驚して船へ人を遣はして見ると、殘して來た筈の妹娘は居なかつた。するとその時病床の妹は枕をあげて、姉そのままの聲を出し、『前世に深い緣があつたから、閣魔大王に暇を貰つて一年あまり樂しく暮しましたが、もう私は歸ります。』といつて平次の手を取り、暇乞をして父母を拜み、更に『平次さんの妻となつても必ず女の道を守つて兩親に孝行をしなさい。』といひ乍らわなわなと顫へて倒れてしまつた。皆が驚いて顏に水を灑ぐと、妹は蘇生し病は忽ち平癒したが、何事も覺えがないといふことであつた。かくて妹は平次の妻となつて共に姉の跡を弔つた。といふのが眞紅の打帶の梗槪である。

 ポオの『リジア』では、ある男が、容貌も知識も古今に稀なといつてよい位の女と灼熱的な戀をする。ところがその女は死なねばならぬ運命に際會した。彼女はジョセフ・グランヴィールの『人間は意志さへ强ければ天使にも死にも決してその身を委ねることはない』といふ言葉を三度迄繰返して絕命する。男は悲歎のあまり、ライン河畔を去つてイギリスの片田舍に渡り、阿片溺愛者となつたが、女の遺產で、東洋風な邸宅に住ふことになり、そこで二度目の妻を迎へた。この女は第一の妻とは比較にならぬほど敎養が低く、男は頻りに先妻に戀ひこがれた。程なくして第二の妻も病氣にかゝつて絕命するが、やがて甦つた姿は先妻リジアであつたといふのである。

[やぶちゃん注:「リジア」「(18) 淺井了意と上田秋成」で既出既注。]

 この二つの物語は、共に强烈な戀は死をも征服することを描いたものであるが、前者では姉の靈が妹の生靈に宿り、後者では遺志の强い女の靈が、血緣關係のない女の死體に宿つたのであつて、凄味は遙かに後者に多いけれど、ポオのような巨匠でないものが、かういふ取扱いひ方をしたならば恐らく失敗するに違いない。

 これ等の物語とその内容は少しちがふが、强烈なる夫婦の戀は雨月物語の『淺茅《あさぢ》が宿《やど》』に美しく描かれてある。零落した男が家運再興のために上洛すると、その留守中に鄕里は戰亂の巷となつた。八年振りに歸つて見ると、最愛の妻は昔のわが家に待ちわびていたので、つもる話に夜を更かし、さて曉の夢がさめて見ると、自分一人が八重葎の中に臥て居て、妻の姿もわが家も見えなかつた。驚いて附近の人にたずねると妻はとくの昔に世を去つて居たといふ筋で、甚だ簡單である。然し、

[やぶちゃん注:同前。]

『たまたま此處彼處《ここかしこ》に殘る家に、人の住むとは見ゆるもあれど、昔には似つゝもあらね、いづれか我住みし家ぞと立惑《たちまど》ふに、こゝ二十步ばかりを去りて、雷《らい》に摧《くだか》れし松の聳えて立《たて》るが、雲間の星のひかりに見えたるを、げに我軒の標《しるし》こそ見えつると、先《まづ》喜《うれ》しきこゝちしてあゆむに、家は故《もと》にかはらであり、人も住むと見えて、古戶の間《すき》より燈火の影もれて輝々《きらきら》とするに、他人や住む、もし其人や在《いま》すかと、心躁《こころさはが》しく、門に立よりて咳《しはぶき》すれば、内にも速く聞《きき》とりて、誰《た》そと咎む。いたうねびたれど正《まさ》しく妻の聲なるを聞きて、夢かと胸のみさわがれて、我こそ歸りまゐりたれ。かはらで獨自《ひとり》淺茅が原に住みつることの不思議さよ、といふを、聞知りたれば、やがて戶を明《あく》るに、いといたう黑く垢づきて、眼《まみ》はおち入りたるやうに、結げたる髪も背にかゝりて、故《もと》の人とも思はれず、夫を見て、物をもいはでさめざめと泣く。』

 の一節などは、物語の簡單な筋を文章の妙によつて補つて餘りあると謂はねばならない。ことに『雷に摧かれし松』を持つて來た技巧は非凡である。

『淺茅が宿』は主として御伽婢子の『遊女宮木野』の一篇がその題材となつて居るらしいが、この『遊女宮木野』は、剪燈新話の『愛卿傳』[やぶちゃん注:底本は『愛鄕傳』となっているが、誤植と断じ、訂した。]の飜案である。又、雨月物語の中の『夢應の鯉魚』は、古今說海『魚眼記』の逐語譯と言つてよい。かういふ點を考へて見ると、超自然を取り扱つた題材といふものは、殆んど先人によつて搜し盡されたといつてよく、これからの怪奇小說の作者は、表現に新味を求めるより外はないかもしれない。

[やぶちゃん注:「遊女宮木野」私の「伽婢子卷之六 遊女宮木野」を参照されたい。

「古今說海」(ここんせつかい)全百四十二巻。明の陸楫(りくしゅう)撰。明までの小説百三十五種を「説選」・「説淵」・「説略」・「説纂」の四部に分けて収めている。もっぱら小説のみを集めた叢書は、現存するものでがこれが最も古い。特に「説淵」部には「杜子春伝」・「李章武伝」・「崑崙奴伝」・「魚服記」・「人虎伝」などの唐代伝奇の名篇がぞろりと収録されていて、伝奇作品の後世への影響を考察する上で貴重な資料とされる。]

 雨月物語には『白峯』、『菊花の契』、『淺茅が宿』、『夢應の鯉魚』、『佛法僧』、『吉備津の釜』、『蛇性の婬』、『靑頭巾』、『貧福論』の九篇が收められてあるが、このうち『靑頭巾』はその前半には變態性慾という現實の怪奇が取り扱はれて居るし、又、秋成が理窟家であることを知るに都合がよいから、特に紹介して置こうと思ふ。この物語は衆道に墮して鬼と化した庵主が行脚憎によつて得度されるといふ筋であつて、愛する少年の死を悲しんだ庵主は、『懷の璧《たま》を奪はれ、插頭《かざし》の花を嵐に誘はれしおもひ、泣くに淚なく、叫ぶに聲なく、あまりに歎かせ給ふまゝに、火に燒き、土に葬ることをもせで、瞼《かほ》に瞼をもたせ、手に手をとりくみて、日を經給ふが、終に心神《こころ》みだれ、生きてありし日に違《たが》はず、戲れつゝも其肉の腐り爛るゝを吝《をし》みて、肉を吸ひ、骨を嘗めて、はた喫《くら》ひつくしぬ。寺中の人々、院主こそ鬼になり給ひつれと、連忙《あはただ》しく逃去《にげさり》ぬる後《のち》は、夜な夜な里に下りて、人を驚殺《おど》し、或は墓を發《あば》きて、腥々《なまなま》しき屍を喫ふありさま、實《まこと》に鬼といふものは、昔物語には聞きもしつれど、現《うつつ》にかくなり給ふを見て侍れ』といふ狀態になつたのであつた。この狂妄の人に法を說いた行脚僧は、三年の後再び庵を訪れると、その人は、昔のままに葎《むぐら》の中に端座して、敎へられた通りに證道の歌を誦し、影のやうな人の聲ばかりが、生き殘つて居るのである。僧が禪杖を振りまはすと庵主の肉身は立ちどころに消えて靑頭巾と骨ばかりが散ばつて居たといふ結末である。作者は勿論後半の超自然的怪奇の凄味を多からしめんがために、前半に現實の怪奇を述べて居るためでもあらうが、現實の怪奇を述べる筆は、上に示したごとく一こう物凄くも何ともない。して見ると超自然的怪奇を取り扱ふ時と、現實の怪奇を取り扱ふ時とでは、作者はその態度をきつぱり變へてかゝる必要があるかもしれない。

[やぶちゃん注:この「靑頭巾」は私が「雨月物語」中、最も偏愛する一篇で、高校教師時代にオリジナルに授業案を作り、何度も古文の授業で全篇を教授した。私はそれを、雨月物語 青頭巾やぶちゃん訳やぶちゃんのオリジナル授業ノートとしてサイトで公開しているので、是非、読まれたい。

 それは兎に角、この一篇中に眼だつ所は、作者が人間が鬼になつた古今の例證を長々と擧げて居ることである。卽ち、『楚王の宮人は蛇となり、王含が母は夜叉となり、吳生が妻は蛾となる』といつたり、又、『男子にも隋の煬帝《ようだい》の臣家に麻叔謀といふもの、小兒の肉を嗜好《この》みて、潜《ひそか》に民の小兒を偸《ぬす》み[やぶちゃん注:底本は『嗜み』となっているが、これは不木の誤りかと思う。特異的に原作によって訂した。]これを蒸して喫《くら》ひしもあれど』などと書いて居る。これはかのポオの『早過ぎた埋葬』の始めの部分の実例記載や、『かねごと』の中の笑と死とに關する議論と同じやうなものであつて、一方から言へば作品の效果を多からしめるかもしれぬが、うつかりするとペダンチックだといつて笑はれる。秋成も可成りに議論が好きであつたと見え『貧福論』の如きは怪奇小說にはちがひないが、始めから終《しま》ひまで議論で埋つて居て、こゝにもまたポオと秋成との類似が認められるのである。

[やぶちゃん注:「早過ぎた埋葬」知られた短編小説。原題は‘The Premature Burial ’ 。一八四四年。梗概は当該ウィキを見られたい。

「かねごと」「予言・兼言」で「前以って言っておく言葉」の意。 「約束の言葉・未来を予想していう言説」を意味する。ここはポーの「約束事(ごと)」(The Assignation :一八三四年)のこと。中間部で主人が私に彼の館の建築と室内装飾について説明する内容を指す。但し、議論というより、殆んど主人の一方的な主張である。]

 さて、雨月物語にあらはれる幽靈を通覽するに、『吉備津の釜』にあらわれる人妻磯良の生靈が多少主觀的な色彩を帶びて居るだけであつて、あとは皆客觀的な幽靈である。それにも拘はらず、十分なる凄味をあらわし得たのは偏に秋成の非凡なる手腕の然らしめたところであるといはねばならない。

2021/09/27

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (19)  御伽婢子と雨月物語の文章

 

     御伽婢子と雨月物語の文章

 

 如何に幽靈の眞の信者であつても、文章が拙くては、優れた怪奇小說を作ることが出來ない。作者が幽靈の信者であつても、讀者は十人が十人幽靈の信者でないから、讀者を强く戰慄せしめるためには、文章の力に依る外はないのである。御伽婢子や雨月物語の成功して居るのは、その美しい文章の力であつて、このことはポオの作品に就ても同樣である。『アシャー家の沒落』を讀んだものは、何よりも先にその文章の巧さに魅せられる。『雨月物語』の九篇の小說を讀んで、文章の妙味に醉はされぬ人は恐らく少ないであらう。

 特種な妙文を書くには特種の感覺を必要とする。ボードレールは散文詩を創作し、人工美に極端な憧憬をいだいたが、遂に嗅覺に新らしい詩的聯想を發見するに至つた。例へば彼は麝香をもつて緋と金色とを思ひ起させると言つたが、かうした特種の感覺は[やぶちゃん注:共感覚(シナスタジア:synesthesia)と呼ぶ。ある一つの刺激に対し、通常の感覚だけでなく、通常人では反応しない、異なる種類の感覚が自動的に同時に有意な確率で生じる知覚現象を指す。例えば、文字に色を感じたり、音に色を感じたり、味や匂いに色や形を感じたりするケースを言う。私の教え子の女性に一人いた。日本語以外の文字を見ると色が見えるとのことであった。ある程度馴れた言語ではそれがあまり発生しなくなるとも言っていた。]、やがて彼の文體に影響して、一種言ふにいへぬ絢爛な熱情的な色彩を躍動せしめたのであるが、ポオに就ても、また秋成についても同じことが言へるであらうと思ふ。尤も秋成の文章にはボードレールほどの異常感覺は認められないが、秋成が文體といふことに可なりに鋭敏な感じをもつて居たことは事實であつて、かの本居宣長との論爭にもその一端が覗はれると思ふ。その音韻假名遣の論爭の如きは、語學上の論議ではあるけれど、一面からいへば、彼が文章に對する熱情を認めない譯にはいかぬ。ロンブロソーはポオやボードレールの文章を、狂的發作の影響が然らしめたであらうと論じたが、實際狂的になる位にならねば名文章は書けぬかも知れない。

[やぶちゃん注:「音韻假名遣の論爭」本居宣長「字音仮名用格」(安永五(一七七五)年刊)に対しての秋成が吹っ掛けた古代音韻研究の論争。秋成は後の寛政六(一七九四)年の「霊語通」で時節を述べているが、この論争は輻輳したものがあって、「日の神論争」と呼ばれる。天明六(一七八六)年(年)から翌年にかけて宣長と秋成の間で書簡を通して交わされた国学上の論争で、具体的には「日の神」=「天照大御神」を巡る論争であったが、その前半戦に於ける古代日本語の「ん」の撥音の存在の有無を巡る論争である。因みに、宣長は古代には「ん」の音も半濁音も存在しなかったと立場をとり、現在それらが普通にあるようになったのは音便の結果であると主張したのに対し、秋成はそれらが古代から存在したと主張し、両者一歩も引かない頭突き合いとなった。それぞれの主張は宣長が「呵刈葭」(かかいか:寛政二(一七九〇)年頃成立:この書名は「葭刈(あしかる)」人=誤ったことを主張する「惡しかる人」を「呵(しか)る」という意に掛けた不穏当な書名らしい)で、秋成が「安々言」(やすみごと:寛政四(一七九二)年)という書で纏めている。なお、現在の言語学では「ん」の発音は漢字の伝来以降に形成されたというのが、学問上の定説らしい。しかし、「なめり」を「なんめり」と読めという非道な高等学校古文の常識を不審に思い続けた人間であり、そうであるなら、私は秋成の考えをこそ支持すべきであると考えるものである。則ち、「ん」(「n」「m」)の撥音は本来的に原日本人に備わっていたと考えるものであり、私は思想家としては独善的ファシストである宣長が嫌いであるからでもある。]

 凄味を目的の怪奇小說は通常短いことがその特徵となつて居るやうである。寸鐵人を殺すといふ言葉のあるとほり、人の心をびりつと戰慄せしめるにはなるべく短い方が效果が多いやうに思はれる。然しいふ迄もなく短か過ぎてはやはりいけない。長過ぎず短か過ぎず適當に書くのが作者の腕である。了意の御伽婢子が雨月物語に及ばぬのは、各々の物語が一般に短か過ぎるといふこともその原因の一つであらう。雨月物語に收められた九篇の物語は、四百字詰原稿用紙十枚乃至二十枚のもので一番長番長い『蛇性の婬』も約三十枚のものである、モーリス・ルヴェルの恐怖小說が日本語に飜譯して十枚乃至二十枚であることゝ比較して見ると頗る興味があると思ふ。もとより物語の長短などは、内容によつて定まることであるから、兎や角言ふのは野暮であるかも知れぬが、俳句や川柳が限られたる字數の藝術であるところを見ると、怪奇小說の長さといふことに一考を費すのも、無意義なことではあるまいと思ふ。

 短かい紙數の中に、作者の狙つた氣分を十分に漂はせることは甚だむづかしいことであつて、其處に怪奇小說作者の特別な技倆が必要となつて來る。

[やぶちゃん注:以下、底本では引用部は全体が一字下げである。言うまでもないが、以下は「伽婢子」の中の名篇中の名篇「伽婢子卷之三 牡丹燈籠」である。リンク先は私がこの春に行ったブログ版の電子化注である。]

『戌申の歲、五條京極に荻原新之丞と云者あり、近き比妻に後れて、愛執(あいしふ)の淚、袖に餘り、戀慕の焰、胸を焦し、獨淋しき窓の下《もと》に、ありし世の事を思ひ續くるに、いとゞ悲しさかぎりもなし。聖靈祭りの營みも、今年は取わき、此妻さへ無き名の數に入ける事よと、經讀み囘向して、終に出《いで》ても遊ばず、友だちの誘ひ來《く》れども、心、唯、浮立たず、門《かど》に彳立《たたずみたち》て、浮れをるより外はなし。

  いかなれば立《たち》もはれなず面影の

     身にそひながらかなしかるらむ

と打詠《うちなが》め、淚を押拭《をしぬぐ》ふ。十五日の夜いたく更けて、遊び步《あり》く人も稀になり、物音も靜かなりけるに、一人の美人、その年、二十《はたち》許と見ゆるが、十四五許の女《め》の童《わらは》に、美しき牡丹花《ぼたんくわ》の燈籠持たせ、さしも徐やかに打過ぐる。芙蓉の眥《まなじり》あざやかに、楊柳《やうりう》の姿、たをやかなり。桂の黛《まゆずみ》、碧《みどり》の髮、いふ許りなくあてやか也。萩原、月の下《もと》に是を見て、是はそも天津乙女《あまつをとめ》の天降《あまくだ》りて、人間《じんかん》に遊ぶにや、龍の宮の乙姬の渡津海《わたつみ》より出で慰むにや、誠に、人の種《たね》ならずと覺えて、魂《たましひ》、飛び、心、浮かれ、自《みづから》をさへ留むる思ひなく愛で惑ひつゝ後《うしろ》に隨ひ行く。』

 とは、御伽婢子の中の、有名な『牡丹燈籠』の一節である。これを讀むと、この窈窕《えうてう》たる[やぶちゃん注:美しく上品で奥床しいさま。]美人が幽靈であると知れない前に、何となくこの世のものでないやうな氣がする。又『野路忠太が妻の幽靈物語の事』の一節には、同じく妻を失つた男が妻の幽靈に訪ねられる有樣を敍して、

[やぶちゃん注:以下、底本では引用部は全体が一字下げである。なお、以下のそれは「伽婢子卷之四 幽靈逢夫話」。リンク先は同じく私のブログ版電子化注。]

『三日の後、便りにつけて聞けば、妻、風氣《ふうき》をいたはりて死せりと言《いふ》。忠太、悲しさ限りなし。とかくして江州に歸り、其跡を慕ひ、妻が手馴れし調度を見るに、今更のやうに思はれ、淚の落《おつ》る事、隙なし。日比《ひごろ》の心ざし、わりなき中の、其の期《ご》に及びては、さこそ思ひぬらんと思ひやるにも、なにはにつけて歎きの色こそ深く成けれ。寢ても覺めても面影をだに戀しくて、

  思ひ寢の夢のうき橋とだえして

     さむる枕にきゆるおもかげ

と打ち詠じ、若しわが戀悲しむ心を感ぜば、せめて夢の中にだにも見え來りてよかしと、獨言して日をくらす。比《ころ》は秋も半ば、月、朗かに、風、淸し、壁に吟ずるきりぎりす、草村にすだく蟲の聲、折にふれ、事によそへて、露も淚も置き爭ひ、枕を傾《かたぶ》けれども、いも寢《ね》られず、はや更かたに及びて、女の泣く聲かすかに聞えて、漸々に近くなれり、よくよく聞《きけ》ば、我妻が聲に似たり。忠太、心に誓ひけるは、我妻の幽靈ならば、何ぞ一たび我にまみえざる。裟婆と迷途と隔《へだて》ありとは云へ共、其かみのわりなき契り、死すとも忘れめやと。其の時、妻は窓近く來り、我はこれ君が妻なり。君が悲しみ欺く心ざし、黃泉《よみぢ》にあれども堪がたくて、今夜《こよひ》こゝに來り侍べりと。』

と書いたあたり、幽靈の出て來る雰圍氣が、その美しい文章によつて巧みに醗酵させられて居る。

 たゞあまりに文章がなだらかであるために出て來る幽靈が現實のやさしい人間と變りがなく、ために陰森凄愴たる感じを與へることが少ない。一口にいふと美しい刺繡の幽靈を見て居るやうであつて、この點から考へても、了意は眞の幽靈信者ではなかつたかも知れない。これに比べると、秋成の幽靈には一段の凄味がある。

[やぶちゃん注:以下同前。]

『よもすがら、供養したてまつらばやと、御墓《みはか》の前のたひらなる石の上に座をしめて、經文、徐《しづか》に誦《ず》しつゝも、かつ歌よみてたてまつる。

  松山の浪のけしきは變らじを

       かたなく君はなりまさりけり

猶、心怠らず、供養す。露いかばかり袂にふかゝりけん、日は没しほどに、山深き夜のさま、常ならで、石の床《ゆか》、木葉《このは》の衾《ふすま》、いと寒く。神《しん》淸《すみ》骨《ほね》冷えて、物とはなしに凄《すざま》じきここちせらる。月は出しかど、茂きが林は影をもらさねば、あやなき闇にうらぶれて、眠るともなきに、まさしく、圓位《ゑんゐ》、圓位、とよぶ聲、す。眼をひらきて、すかし見れば、其《その》形《さま》、異《こと》なる人の、背高く、瘦《やせ》おとろへたるが、顏のかたち、著《き》たる衣の色紋《いろあや》も見えで、こなたにむかひて立てるを、西行、もとより道心の法師なれば、恐《おそろ》しともなくて、こゝに來たるは誰《た》ぞと問ふ。』[やぶちゃん注:最後は原本では「答ふ」である。]

 とは、『白峯』の一節であるが、その凄味に於ては、同じ題材を取り扱つた露伴の『二日物語』に、優るとも劣つては居ないやうな氣がする。『菊花の契《ちぎり》』に於て、赤穴宗右衞門の亡靈が左門を訪ねて來るところなどは、まだ亡靈とはわからないのに、一種の凄味が漂つて居る。

[やぶちゃん注:「露伴の『二日物語』」前半は明治二五(一八九二)年五月『國會』初出で、後半は九年後の明治三四(一九〇一)年一月『文藝倶樂部』である。私は不木に言おう! 並べられては上田秋成の方が可哀そうだ! 露伴の怪談など、全然、話にならない愚作である。彼の怪談で慄然としたことは私は一作もない!

 以下同前。「菊花の約(ちぎり)」は「白峯」に次いで名篇であり、私の偏愛するものである。以下のシークエンスは実際にその場に私が左門になって実際に体験したようなデジャ・ヴュがあるほどである。]

『午時《ひる》もやゝかたふきぬれど、待つる人は來らず。西に沈む日に、宿《やどり》急ぐ足のせはしげなるを見るにも、外の方のみまもられて、心、醉へるが如し。老母、左門をよびて、人の心の秋にはあらずとも、菊の色こきは、けふのみかは。歸り來る信《まこと》だにあらば、空は時雨にうつりゆくとも、何をか怨べき。入りて臥《ふし》もして、又、翌の日を待つべし、とあるに、否みがたく、母をすかして、前《さき》に臥さしめ、もしやと、戶の外に出でて見れば、銀河、影、きえきえに、氷輪《ひやうりん》[やぶちゃん注:月の異名。]、我のみを照して淋しきに、軒守《もきも》る犬の吼《ほ》ゆる聲、すみわたり、浦浪の音ぞ、こゝもとにたちくるやうなり。月の光も山の際《は》に陰《くら》くなれば、今は、とて、戶を閉《た》てて入らんとするに、たゞ看る、おぼろなる黑影《かげろひ》の中に、人ありて、風のまにまに來る《く》を、あやし、と見れば、赤穴宗右衞門なり。』

 簡潔にして要を得て居る所、ポオの文章を思ひ起せる。

 すべて、超自然な事柄を取り扱ふに際し、西洋の作者でも東洋の作者でも、同じやうな背景を選ぶやうである。先づ最も多く選ばれるのは、前揭の諸例に見られるやうに夜分、しかも月を配した夜である。次は人通りなき山中か或は訪ふ人もなき癈墟である。更にその次には暴風雨や霧である。秋成はそれ等のものを自由自在に組み合せて、愈々作品の印象を深からしめることに成功した。

[やぶちゃん注:以下、二つの引用は同前。]

『五更の空明ゆく頃、現《うつつ》なき心にも、すゞろに寒かりければ、衾被《かづき》んと搜《さぐ》る手に何物にや、さやさやと音するに目さめぬ。面に冷々《ひやひや》と物の零《こぼ》るゝを、雨や漏りぬるかと見れば、屋根はの風に捲くられてあれば、有明の月の白みて殘りたるも見ゆ。家は扉《と》もあるやなし、簀垣、朽頽《くちくずれ》たる間《ひま》より、荻・薄、高く生《を》ひ出《いで》て、朝露、うちこぼるゝに、袖、濕《ひ》ぢて、絞るばかりなり。壁には蔦葛延びかゝり、庭は葎《むぐら》に埋《うづも》れて、秋ならねども、野らなる宿なりけり。』(淺茅が宿)

『松ふく風、物をたふすがごとく、雨さへふりて、常ならぬ夜のさまに、壁を距てて、聲を掛合ひ、既に四更に至る。下屋の窓の紙に、さ、と、赤き光さして、あな憎くや、こゝにも貼《おし》しつるよ、といふ聲、深き夜には、いとゞ凄《すざま》じく、髪も生毛《うぶげ》も、悉く聳立《そばだ》ちて、暫くは死入《しにいり》たり。』(吉備津の釜)

 など、例をあげればまだ幾らもあるが、同じやうな筆をつかひ乍ら、しかも巧みに一々の情緖を描きわけて居るのは、さすがに巨匠の腕かなと驚嘆せざるを得ないのである。

 かやうな筆法はポオによつても採用された。かの『アシャー家の沒落』の中には、廢墟に似た荒びた建物、嵐の夜の音又は月光などが、巧みに按排されて、いふにいへぬ美しい凄味が描き出されて居る。たゞポオの作品にありては、彼自身の内側から發する病的恐怖が中心となつて居るために、一層深刻に描き出されて居るのであつて、超自然的怪奇小說の效果は、どうしても、作者自身の先天的性質の如何によつて定まるものと考へざるを得ない。だから同じ材料を取り扱つても、作者の素質次第でいくらでも、凄味を深からしめることが出來るのであつて、現に雨月物語に收められた作品の題材の中には、後に說くやうに、御伽婢子その他の怪奇小說から取つたものが可なりにある。だから現今に於て、雨月物語の内容をそのまゝ書き直しても、書き手によりては雨月物語よりも遙かに物凄いものが出來るかも知れない。このことは强ち怪異小說に限らず、一般の文藝作品に就ても言ひ得ることであるけれども、同じ凄味を取り扱つたルヴェルの作品の如きは怪奇の發見そのものに價値があるのであつて、もし同じ題材を取り扱つたならば單なる剽窃になつてしまふから、特に注意したまでである。之に反して御伽婢子に收められた物語の約三分の一が、支那の剪燈新話の飜案であり乍ら、それ自身に獨特の凄味をもつて居るのは、超自然的題材の剽窃が所謂換骨奪胎たり得ることを示すものといつてよい。

 然しながら、現代に於ても、超自然的題材を取り扱つた小說が、果して喜ばれるか否かといふことは全くの別問題である。雨月物語やポオの作品からは、いはばたゞ美しい凄味を得るだけであつて、近代人が要求するところの、身震ひするやうな戰慄といふものは得られないから、追々ルヴェルの作品のやうなものが、好まれるだらうと思はれるけれど、それはいまこゝで委しく論ずべき範圍ではないのである。

2021/09/26

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (18) 淺井了意と上田秋成

 

     淺井了意と上田秋成

 

 淺井了意と上田秋成とは江戶時代に於ける怪奇小說の兩巨擘《きよはく》である。前者は伽婢子と狗張子を著はして怪奇小說の元祖の地位を占め、後者は雨月物語を著はして中興の祖となつた。雨月物語一集は、日本古今を通じての怪奇小說の白眉といつてよいから、中興の祖といふ言葉は或は適當でないかも知れない。適當でなければ何とでも改める。兎に角、怪奇小說の作者としての上田秋成は第一人者として奉つてもよいであらう。實に秋成の作品のあるものはポオの作品に比肩すべきであつて、而も秋成にはポオの作品に見られない秋成獨得の味がある。かの歷史的人物の亡靈を引つ張り出して、一層讀者の感興をそゝるあたりは彼獨得の味といつてよいのであらう。否、彼獨得といふよりも、日本の怪奇小說に獨得な點であつて、すでに英草紙あたりにも見られるところであるが、この點はむしろ目本人の好みから出て居るといつてもよく、現代でも所謂髷物が愛好せられるのは興味ある現象といはねばならない。

[やぶちゃん注:「巨擘」(きょはく)の原義は「親指」。転じて「同類中で特に優れた人・指導的立場にある人・巨頭・首魁」の意。

「かの歷史的人物の亡靈を引つ張り出して、一層讀者の感興をそゝるあたり」巻頭巻之一の「白峯」のことであろう。西行と旧主崇徳院の怨霊と対面・論争する展開は、今以って鮮烈である。次いで巻之三の「佛法僧」に豊臣秀次の一行の怨霊が出現するのも挙げてよかろう。]

 超自然的な事件を取扱つて凄味を多く出さうとするには、作者自身が超自然的なことを信ずる程度が深くなくてはならない。從つて怪奇小說を硏究するには、作者の怪奇に對する信仰の如何をたしかめて置く必要がある。で、私は淺井了意と上田秋成の性格の一端を述べて見たいと思ふのである。

 ところがこの二人とも、その傳記があまりはつきりして居ないのである。ことに淺井了意に至つては、シェクスピーアと同じように、不明な點があつて、その性格などはむしろ、その作物から覗はねばならぬくらいである。之に反して上田秋成には自敍傳風な著作があるので、可なりにはつきりその性格が覗はれ、その性格を知れば、雨月物語を生んだのも强ち偶然ではないと思はれる。

 秋成が曾根崎の娼家の妓女の子で、その父が知れぬといふことがたとひ虛傳であつても、幼より身體が弱く時々驚癇を發し、世間的にも隨分苦勞して育つたことは事實であるらしく、又病的に近いほどの癇癖を持つて居て、世に背き人にすねたことも事實である。靑年時代には遊蕩に耽つたが、酒は嫌ひであつて、この點が、ポオやボードレールのやうな怪奇小說作者とちがつた點である。秋成を天才 genius とするには異存のある人も多からうが、少なくとも彼が能才 talent であることは爭はれぬところであつて、天才と能才とを混同したロンブロゾーの天才論式に觀察したならば、秋成が所謂天才型の人物であつたことは認めなければならない。それは、彼の『膽大小心錄』を讀んでも、十分察することが出來るやうに思ふ。ポオは酒精中毒患者であつて、加ふるに阿片を溺愛し種々幻覺に惱んだ。ことにその「動物幻覺」は著しかつたらしく、ビルンバウムは彼の名詩『大鴉』もその幻覺から生れたものであると言つて居る。かような性質をもつた藝術家がアラペスクなまたグロテスクな多くの傑作を生んだのは無理もないが、酒の嫌ひであつた秋成が、雨月物語のやうなすぐれた怪奇小說を殘し得たのは、彼自身に深い靈怪信仰を持つて居たからであらう。まつたく秋成は迷はし神や狐狸が人につくことを信じ切つて居たらしく、さういふ事の決して無いことを主張した中井履軒を口を極めて罵つた。『膽大小心錄』の中には次の一節がある。

[やぶちゃん注:「秋成が曾根崎の娼家の妓女の子で、その父が知れぬ」秋成は享保一九(一七三四)年に大坂曾根崎で大和国樋野村(現在の奈良県御所市)出身の未婚の母松尾ヲサキの私生児として生まれた。父は不明。ヲサキは妓家の娘ともされるが、秋成は実母について殆んど語っていない。亡くなる前年文化五(一八〇八)年に書かれた自伝「自像筥記」(じぞうきょき)にも「父ナシ、ソノ故ヲ知ラズ。四歲、母、マタ、捨ツ。」とあるように、元文二(一七三七)年には堂島永来町(えらまち:現在の大阪市北区堂島一丁目)の紙油商嶋屋上田茂助の養子にされ、仙次郎と呼ばれた。翌元文三年には重い疱瘡を病み、命は取り留めたものの、両手指が奇形を起こし、不自由になった。宝暦一〇(一七六〇)年、京都生まれの植山たまと結婚した(間に子はいない)。翌年茂助が没し、嶋屋を継いでいる。前後と以降の作家デビューは、以上で一部を参考にした当該ウィキを見られたい。

「驚癇」「驚風」とも。漢方で小児の「ひきつけ」を起こす病気の総称。現在の先天性・後天性の癲癇(てんかん)や脳髄膜炎の類いを指す。

「ビルンバウム」ドイツの精神医学者カール・ビルンバウム(Karl Birnbaum 一八七八年~一九五〇年?)。ベルリンのブーフ精神病院長で、ベルリン大学員外教授。主著「精神病の構成」(Der Aufbau der Psychose. Grundzüge der Psychiatrischen Strukturanalyse.  :精神病の構成・精神医学的構造分析の基本的特徴:一九二三年)は、精神病の病像形成の理解に対する新しい見方を示したものとして評価された。そこでは精神病像を構成する因子として、本来の疾病過程に直接関連する病像成因的な要素と、病像の内容に色彩と特別な形姿とを与える体質・年齢・性別・環境・状況・諸体験などのような病像形成的な要素とを概念的に区別し、さらに補助概念として病像成因的準備状態に関連する素因、病像形成的準備状態に関連する病前形質、疾病の誘発と活動化に関連する誘発の三概念を挙げている。一九三六年にアメリカに移住した。

「膽大小心錄」同じく最晩年の心境を文化五年に綴った随筆。百六十三条の短文からなり、自筆本の他、数種の写本が伝えられている。和歌・俳諧に関する意見・考証、国史に対する感想や儒仏の説、或いは、知友についての批評・自伝的回想、世俗の見聞への見解等、内心の関心事が平易な口語で記されており、秋成の人となりを知る上で欠かせない資料とされる。題名は「唐書」の「隠逸」中の孫思邈(しばく)の言葉「膽は大なるを欲し、心は小[やぶちゃん注:「細心」の意。]なるを欲す」に基づく。

 以下の引用は底本では全体か一字下げ。読点の一部を句点に私が変更している。]

『履軒[やぶちゃん注:秋成と同時代の儒者中井履軒(享保一七(一七三二)年~文化一四(一八一七)年)。大坂生まれ。名は積徳(せきとく)。父は懐徳堂(享保九(一七二四)年に大坂に設立された町人出資の学校)の第二代学主中井甃庵(しゅうあん)。兄は竹山。五井蘭洲に師事し、程朱学を主とする道学を学んだが、彼の学風は折衷学的であった。明和三(一七六六)年に大坂和泉町に学塾水哉館(すいさいかん)を開いて教授した。後の享和四(一八〇四)年には兄の死を受けて懐徳堂の学主となったが、兄竹山に比べて交際範囲が少なく、専ら、研究と著述に従事した。また蘭学にも興味を示し、医師で天文学者もあった麻田剛立(ごうりゅう)と交わり、人体解剖所見「越俎弄筆」(安永二(一七七三)年成立)を纏めている。他に多数の著述がある。]曰、狐《きつね》人に近よる事なし、もとより彼等に魅《み》せらるゝといふ事はなき事なりとぞ、細谷半齋[やぶちゃん注:不木或いは植字のミスで「細谷」ではなく「細合(ほそあひ)」が正しい。細合半斎(ほそあいはんさい 享保一二(一七二七)年~享和三(一八〇三)年)は同時代の伊勢出身の儒学者・書家・漢詩人。名は離又は方明。書は松花堂昭乗の流れを汲む滝本流に私淑し、のちにこの流派の中興の祖とされた。詩文結社「混沌詩社」に加わり、多くの文人墨客と交わった。博物学者的町人文人木村蒹葭堂の婚姻の際には媒酌人を務めている。私塾学半塾を主催した。また、彼は江嶋庄六或いは細合八郎衛門の名義で書肆としても活躍し、同じく書肆であった藤屋弥兵衛とも親しかった。]は性慇懃にて禮正しき人也、世人是を却りて疎むは、世人の性亂怠なる者なり、京師に在りて西本願寺へ拜走す、あした三條の油小路を出て、晝過ぐるに到らず、終に日暮れしかば、恍忙[やぶちゃん注:「くわうはう」。「忙」は「茫」或いは「惘」の当て字と思われ、「ぼんやりとして・薄気味悪く感じて」の意であるらしい。]として家に歸りし事あり、是性の靜なるをさへ狐狸道を失はす。翁(秋成)又一日鴨堤《かもづつみ》の庵を出《いで》て、銀閣寺の淨土院[やぶちゃん注:ここ(グーグル・マップ・データ)。]に行くに、吉田の丘の北をめぐりて、又東に行く順路なり。道尤も狹からず。さるにいかにしてか白川の里に來りぬ。物思ひて感ひしと心得て、やうやう東南の淨土寺村に來りて、和上《わじやう》圖南[やぶちゃん注:「和上」は和尚に同じ。浄土寺の住持と思われるが、不詳。読みは「となん」であろう。]と談話のついでに此事を語る。和上、病なるべしよく愼み給へとぞ。歸路又、吉田の丘の北に來て、大道につきて西に庵に歸らんとす。いかにしてか百萬遍の寺前に至る。こゝに知る、狐《きつね》道を失はせしよと。然れども心忙然[やぶちゃん注:「茫然」に同じ。当時は転用字として用いられた。]たらずして、午後歸り着きぬ。また一日北野の神にまうづ。あしたに出て拜し、東をさすに、春雨蕭々と降り來りて、老の足弱く、眼氣つのりて[やぶちゃん注:私の所持する「日本古典文学大系」版(昭和三四(一九五九)年刊)では『眼又くらきに煩ひ、大賀伊賀をとむらひて、午飯を食しぬ。雨いよゝつのりて、』とあって以下に続く。注に『秋成は六十前から始終眼が悪かった』とある。左眼は寛政二(一七九〇)年五十七の時に失明し、寛政十年には右眼も失明して全盲となったが、眼科医の尽力で左眼の明を得た。]、頭さし出づべからず、今夜はこゝに宿すか、さらずば乘輿をめさんと云程、雨少しやむ。庵には十二三町[やぶちゃん注:千三百~千四百メートル強。]の所也。常に通ひなるゝに勞なく思へば、雨おもしろ[やぶちゃん注:ママ。「雨、をもしろ」であるべきところ。]とて門を出て東をさす。一條堀川に至りて雨又しきり也、傘を雨にかたぶけて行くに、苦しかれども行くに、大道のみにて迷ふべからず。雨に興じて來る程に堀川の椹木町《さわらぎちやう》に至りぬ。こゝに始て心づきて、傘の傾きに東南をたがへし也と思ひ、又東をさすに、圖らずも堀川の西に步む步む。又所を知りたれば、いかにしてとて心をすまして、遂に丸太町をたゞに東をさして庵に歸りぬ。日將に暮れんとす。病尼[やぶちゃん注:養女で尼体で病弱であったという。詳しい養子縁組の経緯などは不明。なお、妻は寛政九年に亡くなっている。]待ちわびて辻立したり。大賀(宗文の家)に在りしとのみ答へて入りたるが、足疲れ眼暗み心いよく暗し。燈下に牀《とこ》のべさせて臥して、曉天に至るまでうまいしたり、是又狐の道失はせしか。半齋も我も精神たがはずして、一日忘る事、狐の術の人にこえたる所也。學校のふところ親父[やぶちゃん注:「世間知らず」の意。本来は「學校の懷ろ子」でその意味となるが、ここは挑戦的に批判した履軒が年嵩であったために戯れたもの。]、たまたまにも門戶を出ずして狐人を魅せずと定む、笑ふべし笑ふべし。」

 この文を讀まれた讀者は、『學校のふところ親父』たる履軒を笑つてよいか、又は秋成その人を笑つてよいかに迷はれるであらう。もし秋成が眞に上記のやうな經驗をしたとするならば、彼に多少の精神異常があつたと認めて差支なく、却つて彼が所謂天才型の人であつたことを裏書きして居ると言つてよいかも知れない。彼はなほこの外に色々の實例を擧げて履軒に喰つてかゝつて居るが、いづれにしても彼が妖怪とか幽靈とかを信じ切つて居たことは明かであつて、信じ切つて居つたればこそ、雨月物語のやうな凄味の多いものが書けたのである。勿論怪奇小說の目的は、凄味をあらわすことばかりではないかも知れぬが、凄味を唯一の目的として怪奇小說を書かうと思つたならば、作者自身が、怪奇を信じ切らなければならない。もし、冷靜な、所謂科學的態度をもつて書いたならば、恐らく十分な凄味は出ないと思ふのである。

[やぶちゃん注:以下の引用前の文章は、後の引用とともに一字下げであるが、これは版組みの誤りと推定される。なお、今まで通り、引用は引き上げてある。]

 例へばかの山岡元隣の『古今百物語評判』は、『御伽婢子』の少し後に公にされた怪奇小說であるが、元隣は學者肌の男であつて、自分の宅で催ほされた百物語の一々に批評解說を加へ、その一斑を擧げるならば、

『哲人は狐にばかされずと言はゞよし、哲人の前に狐化けずと言はゞよからず、是眞人は火に人つても、燒けずと言はゞよし、眞人の前には火燃えずと言はゞ非なるが如し。燃ゆるは火の性、やけぬは眞人の德、化くるは狐の術、ばかされぬは哲人の德なり。』

 といつたやうな書き振りであるから、物語そのものに凄味が頗る少なくなる譯である。言ふ迄もなく、モーリス・ルヴェルの作品のやうに自然的な事件から凄味を發見したものは、書き方が科學的であればある程、却つてその凄味は强くなるのであるが、超自然的な事件によつて凄味を出すためには作者が科學的態度卽ち冷靜な客觀的態度を取ることは危險であらうと思ふ。尤も、前囘に述べたやうに主觀的な幽靈、例へば犯罪者が良心の呵責によつて見るやうな幽靈を取り扱ふ場合は別物であつて、德川時代の怪奇小說のうち、主觀的幽靈を取り扱つたものが、文學的作物として比較的見どころのあるのは、作者が幽靈を眞に信ずると否とに關係しないからであらう。

[やぶちゃん注:「山岡元隣の『古今百物語評判』」江戸前期の俳人で仮名草子作家でもあった国学者山岡元隣(げんりん 寛永八(一六三一)年~寛文一二(一六七二)年)の遺稿による怪談本。全四巻。私は既にブログ・カテゴリ「怪奇談集」で全電子化注を終えている。正直、インキ臭くて、しかも蘊蓄の語り部分が如何にも勿体ぶっていて不快であり、全体に面白くない。引用は「古今百物語評判卷之二 第一 狐の沙汰附百丈禪師の事」である。

「モーリス・ルヴェル」(Maurice Level 一八七五年~一九二六年)は「フランスのポオ」と賞賛された怪奇小説家。]

『御伽婢子』の作者淺井了意が秋成のやうに幽靈や化物の信者であつたかどうかといふことははつきり傳はつていない。晚年には洛陽本性寺の住職となつたといはれて居るが、僧侶であつたことが必ずしも幽靈の信者であつたといふ證明にはならぬのである。彼は怪奇小說ばかりでなく、『堪忍記』や『浮世物語』のやうな敎訓小說に加ふるに『東海道名所記』のやうな旅行文學をも著はして居つて、それ等の作物を通じて作者の心を推察して見るならば、少くとも秋成ほどの幽靈信者ではなかつたと思はれる。それにも拘はらず、彼が、秋成に次での怪奇小說作者であるのは、彼の文章の巧《たくみ》さが然らしめて居ると言ふべきであらう。後に委しく說くやうに、超自然的の事柄を取り扱つて凄味を多く出すためには、作者の主觀狀態と同じく文章の力卽ち文章によつて作られる氣分が非常に大切なものとなつて居るのである。

 なお又、怪奇小說、ことに超自然的な事柄を取り扱つた作品の出來ばえは、作者の年齡が多少の關係を持つて居るやうに思はれる。ポオは四十歲の若さで斃れ、それ迄に約七十種の物語を作つたが『アシャー家の沒落』、『リジア』の如き傑作は三十歲になるかならぬかに作られて居る。秋成の雨月物語が三十五歲の時に出來上つたことを考へると、二十五歲から四十五六歲迄の間が怪奇小說を書くに最も適當でないかと思はれる。これは主として年齡と文章との關係から考察すべきものであつて、老齡になつて、所謂枯淡な文章を書くやうになつては、凄味を出すことが困難となるであらう。同じく淺井了意の作でも、狗張子は、御伽婢子より二十數年後に作られたのであつて、御伽婢子よりも劣つて居るといふ定評のあるのは、主としてやはり文章の枯淡になつた爲ではないかと思はれる。御伽婢子そのものも、よくはわからぬが了意の五十以後の作であるらしく、若し彼が三十代に筆を執つたならば或は、もつともつと凄味の多いものとなつたかも知れない。怪奇小說に志す人は、須らく、年の若いうちに多くの作品を殘すことに心懸くべきであらう。

[やぶちゃん注:「アシャー家の沒落」「アッシャー家の崩壊 」(The Fall of the House of Usher :一八三九年)。

「リジア」「ライジーア 」(Ligeia :一八三八年)。前書の前年の発表である。但し、この作品はポオが偏愛した短編で何度も改稿し、作品集や雑誌に再掲している。後の「御伽婢子と雨月物語の内容」(私の電子化では「20」を予定)の本文でごく簡単な梗概が出るが、ウィキの「ライジーア」の方が詳しい。但し、当該ウィキは完全なネタバレであるから、ポーの偏愛者である私としては、未読の方には、絶対にお薦め出来ない。

2021/09/23

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (17) 古今奇談英草子

 

[やぶちゃん注:標題が「紙」でなく、「子」となっているのはママ。]

 

     古今奇談英草子

 

 英草紙《はなぶさざうし》は前に述べた如く、雨月物語と共に江戶時代怪異小說の双璧である。作者近路行者《きんろぎやうじや》は本名を都賀庭鐘《つがていしよう》といつて大阪の醫者である。水滸傳最初の譯者たる岡島冠山、小說精言、奇言等の著者たる岡白駒《をかはつく》と共に、同時代の支那小說紹介の三大功勞者と稱せられて居る。彼は英草紙の外に、「古今奇談繁野話《しべしげやわ》」と稱する怪異小說を書いているが、讀本としては前者の方が面白いやうである。

 英草紙は五卷九話から成つて居て、各々の物語がその長さに於ても、御伽婢子などより遙かにまさつて居るから頗る讀みごたへがある。歷史を取り扱つたものと世事を取り扱つたものとの二種類にわかれて居るが、いづれも比較的現實味に富んで居るから、これを怪異小說の中へ數えぬ人さへある。ことに歷史物は世事を取り扱つたものよりも現實味に富んでいて、怪異分子に乏しいから、私は世事を取り扱つたものの中から、その一つを選んで述べて見ようと思ふ。

 英草紙の文章は支那小說の影響を受けて居るだけに、漢文口調であつて、多少ごつごつしたところがある。以下私は、『白水翁が賣卜《まいぼく》直言《ちよくげん》奇を示す話』の一篇によつて、その文章と構想とに就て述ベて見よう。

[やぶちゃん注:原文は国立国会図書館デジタルコレクションの寛延二(一七四九)年初版で、ここから読める。読みはそれ及び所持する昭和二(一九二七)年刊の日本名著全集刊行會編になる同全集の第一期の「江戶文藝之部」の第十巻である「怪談名作集」(正字正仮名)に載るものを参照した(後者をも使用したのは、初版と表記が異なる箇所があったり、初版に歴史的仮名遣の誤りがあるためである)。不木の引用に句読点があったりなかったりするのはママである。

 以下、底本では最後の不木の言い添えまで、ずっと全体が一字下げ。]

『文明の頃、泉州堺に白水翁といへるものあり。よく人の禍福吉凶を決し、成敗興衰を指すこと差《たが》はず、常に大鳥《おほとり》の社《やしろ》の邊《ほとり》に行きてトを賣る。一日《あるひ》一人の士《さむらひ》こゝに來りて其卦《くわ》を問ふ。白水翁其年月日時《じつじ》を聞いて、卦を舖下《しきくだ》し、考を施して言ふ。『此卦占ひがたし、早く歸られよ』といふ。此士心得ぬ體にて、『我《わが》卦何のゆゑに占ひがたき。察するに、卦のいづる所よろしからず、あらはにしめしがたきことあるか。いむことなく示されよ』といふ。翁もとより言葉を飾らず『拙道《せつだう》が卦による時は、貴君まさに死し給ふべし』此士いふ『人死せざる道理なし。我《われ》幾年の後か死すべき。』翁云ふ『今年死し給はん。』『今年の中、幾の月に死すべき』『今年今月に死にたまふべし』『今月幾日に死するや。』『今年今月今日死にたまふべし。』此人心中怒《いかり》を帶びて再び問ふ『時刻は幾時《いくとき》ぞ』『今夜三更子の時死に給はん。』此人おぼえず言葉を勵《はげし》くしていふ『今夜眞《しん》に死せば萬事皆休す。若し死せずんば明日爾をゆるさじ。』翁いふ『貴君明日《みやうにち》恙なくば、來つて翁が頭《くび》とり給へ。』此人彼が詞の强きを聞いていよいよいかり、翁を床《ゆか》より引きおろし、拳《こぶし》をあげて打たんとす。近邊のものはしり集りてなだめ、此士をこしらへかへし[やぶちゃん注:宥めとりなして落ち着かせ。]、翁にむかひ『爾《なんぢ》しらずや、彼人は此所に執りはやす侍なり彼人の氣色《きしよく》を損じては、爰にあつて卦店《くわてん/うらなひみせ[やぶちゃん注:右/左のルビ。以下同じ。]》をひらき難からん。かへすぐも、爾應變《おうへん》なき人かな、人の貧富壽夭《ひんぷじゆえう/ながいきわかじに》は數《すう》の定《さだま》る所ならんに、卦には如何に出づるともすこしは詞をひかへてこそよからん』といふ。翁一口《いつこう》の氣を歎じて言ふ。『人の心に應ぜんとすれば卦の言《こと》にそむく。卦の實《じつ》を告ぐれば人の怒をおこす。此所にとゞまらずとも己自《おのづから》留《とどま》る所あらん」と、卦舖《くわてん/うらなひみせ》を拾收《とりをさ》めて別所に去りゆきぬ』

といつたような文章であつて、その會話など、近代文學的色彩が頗る濃厚に出て居る。

『さて、この白水翁に卜つてもらつた侍は、當所郡代の別官をつとめて居る茅沼官平というものであつたが、白水翁の言葉がひどく癪にさはつたので、ぷんぷんして家に歸ると女房の小瀨《こせ》は心配して、何か上役の御機嫌でも惡かつたのですかとたずねた。そこで彼が白水翁の話をすると、小瀨は眉をひそめて、『そんないい加減なことを言ふものを、何故追つ拂ひになりませんでしたか」といつた。

『隨分腹は立つたが、人がとめたからゆるしてやつたよ。今日死ななかつたら、明日は彼をたずねていたしめてやろう[やぶちゃん注:「痛いしめてやらう」(痛い目にあわせてやる!)であろう。]。』

『ほんとにさうなさいまし、そんなにぴんぴんしていらつしやるのに、今夜死ぬなどとよくも言へたものです。もうもうそんなけがらはしい言葉は、酒を飮んでお忘れなさいませ。』

 官平は女房のすゝめた晚酌に醉つて、まだ日も暮れきらぬにその場で假寢した。小瀨は女中の安《やす》を呼んで二人で官平を運んで、正しく寢させ、それから女中に、易者の話をして、今夜は針仕事しながら寢ずの番をしようと云ひ出した。さて段々夜が更けて行くと、安がくらりくらりと眠り出したので、小瀨は搖り起しては夜の更けるのを待つと、やがて三更[やぶちゃん注:午前零時頃。]の太皷がなつたので、『もう三更が過ぎたから大丈夫、さあ二人がもた人がもたれ合つて寢よう。』と告げた。

 するとその時、奧の間から、官平が白裝束で寢間から飛び出して來て、あつといふまに、戶外へ走り出して行つた。すはとばかり、小瀨は安と共に手燭をともして良人の跡を追ひかけたが、女の足では追ひつくことが出來ず、あれよあれよという間に官平は、ある大川の橋の上まで走つて、まんなかどころから、どぶんと飛び込んでしまつた。

 二人の女は橋の上で、泣き悲しみ乍ら、聲をかけたが、丁度水の多い時分だつたので忽ち良人の姿は見えなくなつてしまつた。かれこれするうち近邊の人たちは物音を聞いて駈け集つて來たが、最早如何ともすることが出來ず、小瀨をなだめて家に送りかへし、白水翁の言葉のあたつたことに皆々舌を捲いた。

 あくる日近邊のものは死骸をさがしに行つたけれども海へ流されたと見えて行方が知れず、官平は狂氣して死んだと取沙汰されて事件は落着した。小瀨は安と共に亡夫の位牌を設けて追善に日を送つたが、百ケ日も過ぎると、小瀨の親里から再緣のことをすゝめて來た。小瀨はどうしてもそれを受けなかつたが、あまりに勸められるので、『この家へ養子を迎へるならば兎に角、他家へ嫁《よめい》ることは、どうしても厭だ』と、その心底を打明けた。そこで父親も尤もに思つて、然るべき養子を物色すると、丁度同じ國守の郡役を承る岸某の弟に權藤太《ごんとうだ》といふのがあつて、官平夫婦をまんざら知らぬ間でもなかつたから、話をすゝめて見ると双方乘氣になり、こゝに緣談は首尾よくまとまつて、權藤太は名を官平と改めて、茅沼の家を相續したが、夫婦の間は至つて圓滿であつた。

 或る夜夫婦は寢酒を飮まうと思つて、女中の安に酒の𤏐を命じた。安は眠たい眼をこすり乍ら、竃のそばへ寄ると驚いたことにその竃がぐらぐらと搖れて、一尺ほども地を離れた。見ると竃の下には人間らしいものがいて、髮を亂し、舌を吐き、眼に血の淚をうかべて、『安、安』と呼んだ。安はびつくりして悲鳴をあげて氣絕したので、夫婦が水をそゝいで甦らせて事情をたずねると、安は『前の且那樣が竃の下から御呼びになつた』と答へた。これをきいた小瀨は大に怒つて『厭々酒を溫めるものだから、そういう恐ろしい目にあふのだ。』とたしなめ、ぶつぶつ言つて二人は寢室へかへつた。

 そのことがあつてから、小瀨は安をきらい、どこかへ嫁らせようと思つて居ると、幸ひに同じ郡に段介《だんすけ》といふ商人があつたので其處へ仲人して安をかたづけてやつた。ところがこの段介という男は非常な酒好きで博奕を好み、いつも安を官平の家に遣して金を借りさせたが、ある夜、また酒に醉つて、今からすぐ金を借りて來いと言ひ出した。で安は厭々ながら官平の家の門まで來ると、ふと上の方から『お前に金をやらう』といふものがあつた。見ると、屋根の上に一人の男が立つて居て、

『俺は死んだ官平だ。この袋の中に金があるからつかふがよい。それから、この紙に俺の末期の一句が書いてある。』

 といいながら、その袋を投げて、何處ともなく消え去つた。安は恐ろしい思ひをしながらも、取り上げて見ると、先の主人の火打袋であつたので、家に歸つて事の次第を告げたが、段介はその金を消費したので、人には語らずそのまゝ日を送つた。

 話變つて、ある夜、國守は、夢に髮をのばした男が、頭に井戶をいたゞき、眼中血の淚をながして一枚の願狀を奉つたのを見た。その文に、

   要ㇾ知三更事  可ㇾ開火下水

とあつたことを覺めて後も覺えて居たのでそれを紙に書いて市門《しもん》に掛け、懸賞で、この意味を說くものを募集した。これを見た段介は、先夜火打袋にあつた一句がこれと全く同じだつたので、早速訴え出ると、國守はその書附を出させて御覽になつた。ところがその書附は白紙になつて居たので段介は大に恐縮して、事の次第を逐一申述べた。

 國守はそれから安を呼んで一切の事情をきゝとり、官平の家へ數人の人夫を遣して竃を毀《こわ》させると、下には一個の石があり、更にその石を取りのけると井戶があらはれたので、中を探ると官平の絞殺死體が出て來た。そこで國守は官平夫婦を詰問し、その結果夫婦は包み切れずして白狀した。それによると、二人は先の官平の生きて居る頃、不義をして居たが、ある日官平が八卦を見て貰つて歸り、易者の言葉を告げたので、その家にかくれていた權藤太は三更の頃、醉ひふした官平を絞殺して井戶の中へかくし、それから、髮をふりみだし、官平のやうに裝つて、橋まで走り行き、大石を投げて、身を投げたように見せかけ、それから小瀨と計つて、井戶の上に竃をうつし、次で首尾よく養子をして不義の目的を達したのである。』

[やぶちゃん注:「要ㇾ知三更事  可ㇾ開火下水」「三更の事を知らんと要(えう)せば 火下(くわか)の水を開くべし」である。]

 これがこの物語の梗槪であつて、可なりに超自然的な分子が濃厚であるけれども、探偵小說としては上乘のものである。易者の言を巧みに應用して、人々の眼をくらますやうな狂言を書いたところは頗る面白い。現代の探偵小說家ならば後半の超自然的分子を科學的にして相當な探偵小說を作るであろう。

2021/09/12

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (16) ラフカヂオ・ハーンの飜譯

 

      ラフカヂオ・ハーンの飜譯

 德川時代の怪異小說は、前にも述べたごとくそれ自身さほどの文藝價値を持たないのに、一たびラフカヂオ・ハーン(小泉八雲)の手に飜譯されて、英米に紹介されると、世界的の名聲を博することが出來た。それはいふまでもなくハーンの天才によつて、飜譯とはいふものの一種獨得の詩味を持たされ、到底原作からは得られないやうな夢幻的な美感を與へられるからである。私は英米の怪異小說を愛好さるゝ讀者に、是非、ハーンの作物を御勸めしたいと思ふので、特にこゝに紹介して置くのである。

 怪異小說を取り入れたハーンの物語集にはKwaidan, Kotto, A Japanese Misellany,  Shadowing, ln Ghostly Japan などがあるが、この中 Kwaidan が最もポピュラーになつて居る。この中には臥遊奇談から取つた『耳なし保一の話』夜窗鬼談から取つた『お貞の話』『鏡と鐘』怪物輿論から取つた『ろくろ首』百物語から取つた『貉』新選百物語から取つた『極祕』玉すだれから取つた『靑柳の話』の外に、ハーンが直接、地方の農夫などから聞いた話が收められている。中にも『貉』は極めて短いけれども、珠玉のような作品である。

[やぶちゃん注:以下、底本では引用部は全体が二字下げ。但し、版組みの誤りと思われるが、エンディングに近い、長い一文「かういつたかと思ふと、蕎麥賣りの男は、その手で顏をつるりと撫でた。見ると、眼も鼻も口もない、のつぺら棒。」のみ、二行目が行頭から書かれてある。]

『京橋の某商人が、ある夜遲く紀伊國坂をとほりかゝると御堀のそばに一人の女が、頻りに泣いて居た。彼はそれを哀れに思つて、近づいてよく見ると、立派な服裝をした良家の若い娘であつた。

『お女中、どうしたのですか。』と、彼は聲をかけたが、彼女は袖に顏を埋めて、泣き續けた。

『お女中、どうしましたか。お話なさい。』

 彼女は立ち上つたけれども、相も變らず彼に背を向け、袖に顏を埋めて泣いた。やがて彼は彼女の肩に手をかけて『お女中、お女中』と頻りに呼ぶと、彼女ははじめて振り向いて袖をおとし、手をもつてその顏をつるりと撫でた。見ると眼も鼻も口もないのつぺら棒の顏であつた。

『ヒヤツ!』と言つて彼は夢中になつて駈け出した。紀伊國坂にはそのとき人一人とほつて居なかつたが、彼は驀地《まつしぐら》に走り走つた。と、前方に提燈の灯が見えたので、ほつと思つてかけつけて見ると、それは蕎麥賣りの灯であつた。

『あゝ、あゝ、あゝ』と彼は叫んだ。

『これ、もし、どうしたんです?』と蕎麥賣りの男はたづねた。

『あゝ、あゝ』

『强盜にでも逢つたのですか。』

『いや、いや、お堀のそばで、若い女に、あゝ、その顏が……』

『えゝ? ではその顏は、こんなでしたか?』

 かういつたかと思ふと、蕎麥賣りの男は、その手で顏をつるりと撫でた。見ると、眼も鼻も口もない、のつぺら棒。

 はつと思ふと提燈の燈が消えた。』

 これはもとより逐字譯ではないが、全篇がみな、かうした鹽梅に引きしめて書かれてある上に、ハーン獨特の詩的な而もわかり易い文章を以て物されてあるから、思はず釣りこまれて讀んでしまふのである。

[やぶちゃん注:私はまず、古くに『柴田宵曲 續妖異博物館 ノツペラポウ 附 小泉八雲「貉」原文+戸田明三(正字正仮名訳)』を電子化注しており、英語原文もそこに載せてある。後に、別底本を用いた電子化「小泉八雲 貉 (戸川明三訳) 附・原拠「百物語」第三十三席(御山苔松・話)」では、小泉八雲が原拠としたものも電子化して示してある。

 というより、私は、

私のブログ・カテゴリ「小泉八雲」に於いて、小泉八雲が来日して以来、亡くなるまでに書かれた全公刊作品を、「Internet archive」等にある邦版「小泉八雲全集」を元にして、それを総て、電子化注として既に、昨年の二〇二〇年一月十五日に完遂している

のである。更に言えば、もっと古くには、サイト版で、

OF A PROMISE BROKEN(英文原文)

「破られし約束」 藪野直史現代語訳

及び

JIKININKI(英文原文)

「食人鬼」 藪野直史現代語訳

も公開している。]

小酒井不木「犯罪文學研究」(単行本・正字正仮名版準拠・オリジナル注附) (15) 主觀的怪異を取扱つた物語

 

      主觀的怪異を取扱つた物語

 順序としては當然、淺井了意の伽婢子を紹介すべきであるが、江戶時代の怪異小說の元祖とその大成者たる上田秋成を對照せしめて述べた方が面白いと思ふから、後に雨月物語を紹介するときに一しよに述べ、こゝでは先づ、櫻陰比事の作者たる西鶴の諸國咄から二三の物語を讀んで見ようと思ふ。

[やぶちゃん注:「諸國咄」「西鶴諸國ばなし」とも。浮世草子で井原西鶴作画。貞享二(一六八五)年に大坂池田屋三郎右衛門刊。大本五巻五冊。各巻七話で全三十五話から成る。上質な創作怪奇談集として私の好きなものである。これについては、読みは、リンク先ではなく、所持する平成四(一九九二)年明治書院刊「決定版 対訳 西鶴全集」第五巻を使用した。]

 諸國咄は一一名大下馬《おふげば》とも呼び、怪異小說と稱することの出來ぬ物語も澤山はひつて居る。又、怪異を取扱つたものでも曩に櫻陰比事を紹介したときに述べたやうな、西鶴一流の冷やかかな筆づかひがしであるので、怪異小說の要素たる凄味があまり出て居ないのである。例へば『鯉にちらし紋』と第する一篇を見ても、よくその全般を知ることが出來よう。

[やぶちゃん注:「鯉にちらし紋」昭和一五(一九四〇)年日本古典全集刊行会刊の「西鶴全集第三」の「諸國咄」の巻四のここから。挿絵もある。

 以下、引用は底本では全体が一字下げ。]

『川魚は淀を名物といへども、河内ノ國の内助《ないすけ》が淵《ぶち》の雜魚までしすぐれて見えける。この池昔よりに今に水かはく事なし。此堤に一つ家をつくりて内助といふ獵師、妻子も持たず只ひとり世を暮しける。つねづね取溜《とりため》めし鯉の中に、女魚《めす》なれども凛々しく、慥に目見じるし[やぶちゃん注:個体識別出来る目印。]あつて、そればかりを賣殘して置くに、いつのまかは鱗《いろこ》に一つ巴《どもへ》出來《でき》て、名をともゑと呼べば、人の如くに聞さわけて、自然となづき後には水を離れて一夜《ひとよ》も家《や》のうちに寢させ、後にはめしをも食ひ習ひ、また手池《ていけ》[やぶちゃん注:自家内に設けた生簀。]に放ち置く。はや年月を重ね、十八年になれば、尾頭《をかしら》[やぶちゃん注:全長。]かけて十四五なる娘のせい程になりぬ。或時、内助にあはせ[やぶちゃん注:縁組み。]の事ありて、同じ里より年がまへなる[やぶちゃん注:年配の。]女房を持ちしに、内助は獵船《りやうせん》に出しに、その夜の留守にうるはしき女の、水色の著物に立浪《たつなみ》のつきしを上に掛け、裏の口よりかけ込み、我は内助殿とは久々の馴染にして、かく腹には子もある中なるに、またぞろや此方を迎へたまふ。この恨やむ事なし、いそいて親里へ歸へりたまへ、さもなくば三日のうちに大浪をうたせ、此家をそのまゝ池に沈めんと申し捨てゝ行方しれず。妻は内助を待ちかね、恐しきはじめを語れば、さらさら身に覺えのない事なり、大かた其方も合點して見よ、この淺ましき内助に、さやうな美人靡き申すべきや、もし在鄕まはりの紅や針賣りかゝには思ひ當る事もあり、それも當座々々に濟ましければ別の事なし、何かまぼろしに見えつらんと、又夕暮より舟さして出るに、俄かにさゞなみ立つてすさまじく、浮藻の中より大鯉舟に飛び乘り、口より子の形なる物を吐き出し失せける。やうやうに遁げに歸りて、生簀を見るに彼の鯉はなし、惣じて生類を深く手馴れる事なかれと、その里人の語りぬ。』

[やぶちゃん注:脅したような大津波によるカタストロフは起らないのは、人の子として生まれた子を託す女型妖怪の不憫というべきか。]

 すなはち、一種の敎訓小說であつて、凄味などは眼中に置かれて居ないかの觀がある。なほ又、この外に、怪異を取扱つた物語でも現實味が頗る多い。『傘の御託宣』では、慶安二年[やぶちゃん注:一六四九年。]の暮、紀州掛作《かけづくり》の觀音の貸傘を、藤代の里人が借りて和歌吹上にかゝると、玉津島の方から、神風がどつと吹いて來て、それがためその傘が吹きとばされ、肥後の國の奥山、穴里《あなざと》といふ所へ落ちた話が書かれてある。さて穴里の人々は、傘を見たことがないので、何だらうかと色々評議をするとその中に小賢しい男があつて、この竹の數は四十本、紙も常のとはちがつて居るから、名に聞いた日の神内宮の御神體だらうというたので、皆々大に怖れ鹽水を打つて、荒笊の上に据ゑ奉り、宮を作つて御まつり申上げた。するとこの傘に性根が入つたと見え、五月雨の頃になつて社壇が頻りに鳴き出したので、御託宣をきいて見ると近頃里人は竃《かまど》の前を汚なくして油蟲をわかしたからいけない、早く一疋も居もいないやうにせよ、なほ、里の美しい娘を二人神宮に奉仕させよ、さもなくば七日が中に車軸を流して人種《ひとだね》のなくなる迄降り殺すぞとの事に、人々は怖氣をふるつて、娘どもを集めて相談すると、誰一人進んで出るものがなかつた。するとその里に一人の美しい後家があつたが、これをきいて、神樣の事だから、私が若い娘の身代りになると申出て、宮所《みやどころ》に夜もすがら待つて居た、ところが一向神樣の御情けがなかつたので、件の後家は大に腹を立て、御殿の中へ驅け入つて、彼の傘を握り上げ、『この身體《からだ》たふし奴《め》が!』と叫んで、引き破つて捨てた。

[やぶちゃん注:国立国会図書館デジタルコレクションの同前掲書の巻一の「傘(からかさ)の御託宣」でここから。

「紀州掛作の觀音」現在の和歌山県和歌山市嘉家作丁(かけづくりちょう:グーグル・マップ・データ。以下同じ)にあった真言宗不二山一乗院観音寺であるが、太平洋戦争の戦災で焼け、現在は南直近の和歌山市元寺町東ノ丁に移転している。

「藤代」和歌山県海南市藤白

「和歌吹上」和歌の浦から紀ノ川左岸にあった吹上の浜にかけて。

「玉津島」玉津島神社。古来、玉津島明神と称され、和歌の神として知られる。

「神風」ここは単に玉津島神社への敬意を添えた春一番の風のこと。

「肥後の國の奥山」「穴里」後半の意は所謂「隠れ里」の意か。とすれば、「肥後」からは、隠田集落村で平家落ち武者伝説で知られる五家荘地区が想起される。因みに、ここから和歌山市嘉家作丁までは、直線で四百三十六キロメートル超である。

「日の神内宮」伊勢神宮内宮。原本では「内宮」を「ないく」と読んでいる。

「荒笊」不木の「荒菰(あらこも)」の誤字。初出に従ったとする国書刊行会刊本でも誤ったままであり、ご丁寧に『あらざる』とルビが振られてある。

「この身體たふし奴が!」原本は「おもへば、からだだをし目」で、「お前さんは、よくよく! 見掛け倒しな奴だねえ!!」という罵詈雑言である。これは太くがたいの大きな唐傘をファルスに見立てて、かく痛罵しているのである。明治書院の解説に、『傘を陽物とするのは、広く一般的なもので、道祖神・賽の神などの土俗信仰に関連があり、一部は形の類似から傘地蔵・傘権現などと名付けられている』。『なお、宗政五十緒氏によると、紀州「和歌吹上」付近の雑賀庄は室町時代一向宗門徒の根拠地であり、一方肥後の奥山は相良領で、同領では一向宗門徒が禁教下に』(南九州の薩摩藩や人吉藩では、三百年に亙って浄土真宗が禁教とされた。ウィキの「隠れ念仏」を参照されたいが、それによれば、戦国時代の「加賀一向一揆」や「石山合戦」の実情が伝えられるに従い、一向宗徒が各地の大名によって恐れられたことや、島津忠良などの儒仏に篤い武将にとっては、忠を軽んじ、妻帯肉食する一向宗が嫌悪の対象となっていたことなどが原因と考えられるとある)、『傘仏という、傘の形をした木の内に、名号「南無阿弥陀仏」などを書き、周囲に光背四十八条の線を描いた懸け仏を籠め、この本尊を隠れて信仰していたという。本話の背景として参照すべきあろう』という興味深い附記がある。]

 この短かい物語にも西鶴の人生觀が浮み出て居るやうに思はれる。ちやうど『好色五人女』[やぶちゃん注:貞享三(一六八六)年刊。]の三の卷で、おさんと茂右衞門の駈落ちを叙し、『やうやう日數ふりて丹後路に入て、切戶《きりど》の文殊堂に通夜《つや》してまどろみしに、夜半とおもふ時、あらたに靈夢あり、汝等世になきいたづらして、何國《いづこ》までか其難をのがれ難し、されどもかへらぬ昔なり、向後《きやうこう》浮世の姿をやめて、惜しきと思ふ黑髮を切り、出家となり、二人別々に住みて惡心去つて菩提の道に入らば、人も命を助くべしと、ありがたき心に、すゑずゑは何にならうともかまはしやるな。こちや是れがすきにて身に替へでの脇心《わきごころ》、文殊さまは衆道ばかりの御合點《ごがてん》、女道《によだう》は曾てしろしめさるまじと言ふかと思へばいやな夢覺めて、橋立の松の風ふけば塵の世ぢや物と、なほなほやむ事のなかりし』と同じ筆法である。夢の中で文殊さまにまで盾つかせて居るなどは、隨分徹底して居ると思ふ。

[やぶちゃん注:以上の原文は、巻の三の「小判しらぬ休み茶屋」の掉尾の部分で、国立国会図書館デジタルコレクションの昭和四(一九二九)年国民図書刊の「近代日本文學大系」第三巻のここの右ページ後ろから三行目から。]

 いや、思はずも話が橫道にそれたが、西鶴の怪異を取り扱ふ態度は、怪異を種に人生を揶揄して居ると認めても差支ないであろう。從つて、怪異小說の本來の目的からは少々遠《よほざ》かつて居ると言つてよい。これに反して御伽婢子の流れを汲んだ『玉箒木』の如きは、少くともそのか體裁に於て、怪異小說の目的にかなつて居る。卽ち、その文章の一例をあげるならば、『果心幻術』と稱する物語に、

[やぶちゃん注:「玉箒木」浮世草子作家で書肆も兼ねていた林義端(はやし ぎたん ?~正徳元(一七一一)年:京都で両替商をしていた貞享二(一六八五)年に伊藤仁斎の古義堂に入門し、元禄二(一六八九)年までには書肆に転業したらしい)が、元禄八(一六九五)年に出した怪談集「玉櫛笥」に続いて翌九年に出した怪談集。

 以下、引用は底本では全体が一字下げ。]

 『居士(果心居士)つと座をたち出、廣緣《ひろえん》をあゆみ、前栽《せんざい》の方へ行くとぞ見へし、俄かに月くらく雨そぼふりて風さらに蕭々たり。蓬《よもぎ》窓の裡にして瀟湘《せうしやう》にたゞよひ、荻花の下にして潯陽《じんやう》に彷徨ふらんも、かくやと思ふばかり、物悲しくあぢきなき事云ふばかりなし。さしも强力武勇の彈正も氣弱く心細うして堪へ難く、如何にしてかくはなりぬるやらんと、遙かに外を見やりたれば。廣緣に佇む人あり、雲透きに誰《たれ》やらんと見出しぬれば、細く瘦せたる女の髮長くゆり下げたるが、よろよろと步み寄り、彈正に向ひ坐しけり。何人《なんぴと》ぞと問へば、女、大息つき、苦しげなる聲して、今夜はいとさびしくやおはすらん、御前に人さえなくてといふを聞けば、疑ふべくもあらぬ、五年以前病死して飽かぬ別れを悲しみぬる妻女なりけり。彈正、餘りに凄まじく堪へ難きに、果心居士、いづくにあるぞや。もはや、止めよ、やめよ、とよばはるに、件の女、たちまち、居士が聲となり、これに侍るなり、といふをみれば、居士なりけり。もとより雨もふらず、月も晴れ渡りて曇らざりけり。』とあつて、きびきびした漢文口調をまじへ、凄味もかなりに出て居ると思ふ。この玉箒木の中には史實を取り入れた物語が甚だ多く、このことは後に說く英草紙にも影響して居るやうである。題材は多く支那小說から取つたものらしく、離魂、幻術、孤妖、因果の理など、別に目新らしいものはないが、中に現實味の豐かなものが數篇加はつて居るので、それを特に紹介して置かうと思ふ。

[やぶちゃん注:以上は、私は「柴田宵曲 妖異博物館 果心居士」の注で全文を電子化してある。果心居士はこの手の話ではかなりメジャーに有名が幻術師である。

 以下は前と同じ国立国会図書館デジタルコレクションの「近代日本文學大系」の第十三巻の活字本の画像でここから読める。目録では以下の標題だが、本文では「觀音身を現ず」となっている。

 以下、二つの段落の梗概紹介は、底本では全体が一字下げとなっている。]

『東叡山觀音出現利益の事』では、ある老人が孫娘の行末を祈らうとして淸水堂[やぶちゃん注:東叡山寛永寺清水堂。]に參籠すると、ある夜觀音樣から夢の御告げがあつた。それによると、汝の誠心に感じたから來月十七日の拂曉に姿をあらはさう、不忍池のほとりを、靑い衣を着て白い馬に跨つてとほるものがあつたら、わが身だと思へといふことであつた。で、愈よその日になつて近隣の人に語りあひ、百人あまりの者が不忍池に行くと果して、御告げのとほりの若武者が通りかゝつたので、一同はその場に、ひざまづき手を合せて禮拜した。すると伴の武士は大に驚いて、走り過ぎようとすると、一同は彼を幾重にも取り圍んだので、詮方なく刀を拔いて、圍みを切り拔け、一目散に逃げて行つた。群集もびつくりして散々になつて歸つたが實はその武士は比類のない惡人で、その朝偶然そこを通りかゝつたに過ぎないのである[やぶちゃん注:底本は「取りかゝつた」。国書刊行会本で訂した。]。その後彼は不審が晴れずいろいろと聞き探つて見たところ、上記の事情がわかり、扨は觀音さまが自分を救ふための方便にあのやうな方法を御取りになつたにちがひないと、それからは大に改心して別人の如き正直な人間になり、後にはかの老人の孫娘を妻として榮えた。

 次に『山中妖物實驗《ばけものじつけん》の事』では、ある武士が、讃州金比羅山は怖ろしい魔所で登ることが出來ぬときいて、冒險を試みるために、ひとりで出かけてその絕頂に一夜を明さうとした。すると別に、何の怪しいこともなかつたが、明け方になつて歸らうとすると、怪しい物音がして、誰かゞ步み寄つて來るやうであるから、いち早く物蔭にかくれて樣子を覗ふと、何者とも知れず息使ひ荒く登つて來て、不にもつて居たものをポトン[やぶちゃん注:底本「ポント」。国書刊行会本で訂した。]と草蔭に投げすてゝ、また慌しく引き返して行つた。手搜りに拾ひ上げて見ると生々しい人の首だつたので、傍の堂の緣の下に投げこんでそのまゝ山を下つた。それから四十年の歲月が經て、彼は藝州に仕へて居たが、ある日詰所て奇談を話しあふ序に、この話をすると、その座に默つて聞いて居た七十ばかりの侍が、その首を捨てたのは自分だと言ひ出した。事情をきいて見ると、その一時父の仇を打つたのであるが、一旦山に逃れて首を棄て、一里ばかり歸つてから、人に發見されては不利益だと思つて引き返して見ると、首がない。定めし[やぶちゃん注:底本「定めして」。国書刊行会本で訂した。]天狗でもさらつて行つたのだらうと思つたが、今御話で四十年來の疑念が晴れたといふのであつた。

[やぶちゃん注:同前で原拠は第一巻のここから。]

 この後者の物語は現代の探偵小說の構想としても立派に通用するのである。ことに『禪僧船中橫死附(つけたり)白晝幽靈の事』となると、犯罪學の立場から見ても頑る興味がある。

[やぶちゃん注:この原拠は第六巻のここから。本文では「白晝の幽靈」とのみある。

 以下、同前で一段落は底本では全体が一字下げ。]

 篠塚某という武士が、ある禪憎と同道して京に上る途上琵琶湖を渡る船中で、僧の所持金に目がくらみ、闇を利用して金を奪って海に突き落した。その後、彼は仕官して榮えたが殺した僧の怨念に附き纏はれて遂に大病に罹り、露命が旦夕に迫つた。そこで彼の息子は心配して、江州多賀神社[やぶちゃん注:ここ。]に參籠して父の命に代らうと祈つた。するとある日一人の旅僧が瓢然として篠塚の邸をたずねて來たので、取次のものが重病だといつて斷ると、僧は、その病氣のことで逢ひに來たのだと告げて押し通つて病室へはいつた。これを見た篠塚は、あれこそ殺した僧の亡靈だといつていよいよ苦悶し展轉したので、旅僧はにつこり笑つて、實はあの時自分は死ななかつたのだと語り始めた。水練が達者であつたために命が助かり、それから東國を行脚することに決し、貴殿が都に時めいておられることは噂にきいていたけれど何も因緣とあきらめて、少しも怨まず御たずねもしなかつた。ところが先日多賀の神から御告げがあつて委細を知つたので、今日御訪ねした譯であるが、貴殿の病は貴殿の心のために起つたのであるから本心に立ち歸りなさいと忠告するのであつた。それを聞いた篠塚は大に前非を侮い、先年奪つた金に利息をつけて僧に返し、僧は初願のごとくそれで觀音像を作つた。

 この物語の興味は、白晝の幽靈だと思つたものが、實在の人間に過ぎなかつたという點にある。良心の呵責に惱んで居るものが、まのあたりに殺したものを見たときの驚きは如何ばかりであつたであらう。其處がこの物語の中心となつているのである。孝行の志を語り、利慾を誡める敎訓小說である外に探偵小說としても見どころのある作品である。

 御伽婢子の流れを汲むもの、諸國物語の流れを汲むもの、百物語の流れを汲むもののうちこの外には取りたてていうべきものはないやうである。たゞ百物語の形式について一言述べて置くならば、御伽婢子に、『百物語には法式があり、月暗き夜、行燈の火を點じ、その行燈は靑き紙にて張りたて、百筋の燈火を點じ、一つの物語に燈心一筋づつ引取りぬれば、座中、漸々暗くなり、それを語り續くれば、必ず怪しき事、恐ろしき事、現はるゝとかや』とあつて、ビーストンの小說に出て來る『何々クラブ』の談話の模樣と頗る似寄つて居る。探偵小說の形式にも昔も今も變らぬところのあることは頗る興味が深い。

[やぶちゃん注:「ビーストン」イギリスの小説家・放送作家レオナルド・ジョン・ビーストン(Leonard John Beeston 一八七四年~一九六三年)。ロンドン出身。本邦の探偵推理小説雑誌『新靑年』で、創刊された翌年の大正一〇(一九二一)年に発行された増刊号に於いて、邦訳「マイナスの夜光珠」が掲載された(恐らく訳者は西田政治)のを始めとして、『新靑年』に邦訳が多数掲載され、人気を博したという(当該ウィキに拠る)。サイト「翻訳作品集成」(Google提供)の彼のページを見るに、邦訳作品に「決闘家クラブ」「興奮クラブ」というのが見られる。]

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