『明治大正文學全集 萩原朔太郞篇』萩原朔太郞自註
[やぶちゃん注:本篇は春陽堂が昭和六(一九三一)年十二月に刊行した、シリーズ『明治大正文學全集』の一冊『萩原朔太郞篇』に萩原朔太郎自身が、自作詩篇を掲げながら、註したものである。朔太郎が、このように纏まってかなり詳しい自註をしているのは、比較的珍しいものと思われる。但し、私は、以前に述べたが、萩原朔太郎は自身の旧作を、後の新しい詩集やアンソロジー採用の際に、盛んに手を入れて、改変してしまっている。而して、私はそれらは、長生きした志賀直哉が後に同じように改変してしまったのと同じように――老害的改悪傾向――が強いと感じている。但し、冒頭の前書で言っているように、以下の朔太郎が挙げる詩篇は、朔太郎が最も自身作とするもので、されば、大きな改変はないようではある(実際には、ミスか、確信犯か、判らない改変があるのだが、校訂本文では、その辺りが綿密に校訂・整序されてある)。一応、掲げた詩の初出形や決定稿・草稿等をリンクさせておく。
底本は、筑摩書房版初版「萩原朔太郞全集」第十四卷(昭和五三(一九七八)年刊)の「詩論・講座」パートに載るそれを用いた。但し、詩篇提示の箇所では、全体が二字下げになっているものの、これだと、ブログ・ブラウザでは不都合が生じるので、全部、行頭に引き揚げてある。実は、この校訂本文は初出のものを驚くべき数の校訂が行われている。誤字・脱字その他、その中には引用詩篇の表記や読みにも及んでおり、当初は、初出に復元して示そうと思ったが、あまりに多過ぎ、それをいちいち注していると、痙攣的なエンドレスの注になりそうなので、今回は初出形(纏まって示されてはおらず、校異のリストが当該巻の後方に延々と続く形で纏められてある)ではなく、上記の校訂本文を採用した。この場合だけは、彼の改悪を批判する私には、底本全集の強制消毒に文句を言ってきた私としては、例外的に許される校訂本文ということになった(しかし、やはり「々」の正字化という校訂絶対規定は、日本語としては、却って違和感がある)。]
前書
前に新潮社で編輯した「現代詩人全集」及び改造牡の「日本文學全集」中の詩人號に於て、私は過去の作品中から、比較的自信のある者だけを自選した。ところが私の自選は、友人間に甚だ不評であり、或る人からは惡詩惡選だとさへ非難された。しかし私としては、自分の藝術的批判に訴へ、今尙斷乎として自選の正しさを疑はない。それ故春陽堂編纂のこの書に於ても、同じくまた過去の作品から、槪ね前出の者を再選する外にないのである。しかしながら私としては、この機會に自選詩の自註を試み、過去の作品に於て内密に用意してゐた、自分の藝術的方法と構成と、倂せて主題の意識的に意圖した者とを、すべて種明しにして公表したいと思ふのである。もとよりさうした自註によつて、讀者が私を理解する者とは思つて居ないし、且つまたそんな事實も有り得はしない。ただ私自身として、自ら步いて來た藝術里程を、自註の形式で告白することに盡るのである。
沼澤地方
蛙どものむらがつてゐる
さびしい沼澤地方をめぐり步いた。
日は空に寒く
どこでもぬかるみがじめじめした道につづいた。
わたしは獸(けだもの)のやうに靴をひきずり
あるいは悲しげなる部落をたづねて
だらしもなく 懶惰(らんだ)のおそろしい夢におぼれた。
ああ 浦!
もうぼくたちの別れをつげよう
あひびきの日の木小屋のほとりで
おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるへてゐた。
あの灰色の空の下で
いつでも時計のやうに鳴つてゐる
浦!
ふしぎなさびしい心臟よ。
浦! ふたたび去りてまた逢ふ時もないのに。
[やぶちゃん注:「懶惰」の「懶」は(つくり)が「頼」の字になった異体字(「グリフウィキ」のこれ)であるが、表示出来ないので「懶」とした。]
猫の死骸
海綿のやうな景色のなかで
しつとりと水氣にふくらんでゐる。
どこにも人畜のすがたは見えず
へんにかなしげなる水車が泣いてゐるやうす。
さうして朦朧とした柳のかげから
やさしい待びとのすがたが見えるよ。
うすい肩かけにからだをつつみ
びれいな瓦斯體の衣裳をひきずり
しづかに心靈のやうにさまよつてゐる。
ああ浦 さびしい女!
「あなた いつも遲いのね」
ぼくらは過去もない未來もない
さうして現實のものから消えてしまつた。……
浦!
このへんてこに見える景色のなかヘ
泥猫の死骸を埋めておやりよ。
[やぶちゃん注:以上の太字下線は、底本では、傍点「●」である。以下の自註の太字は傍点「﹅」である。]
(自註)
「猫の死骸」及び「沼澤地方」は、共に一種の象微的戀愛詩である。二篇を通じて、同じ一人の女Ula(浦)が出てくる。このUla(浦)は現實の女性でなく、戀愛詩のイメーヂの中で呼吸をして居る、瓦斯體の衣裳をきた幽靈の女、鮮血の情緖に塗られた戀しく惱ましい女である。そのなつかしい女性は、いつも私にとつて音樂のやうに感じられる。さうして、悲しくやるせなく、過去と現實と未來につらなる、時間の永遠の曆の中で、惱ましく呼吸してゐる音樂である。
それ故に詩のモチーフは、主としてUlaといふ言葉の音韻にこめられてある。讀者にして、もしUlaの音樂的情緖を、その發韻から感受することが出來るならば、詩の主想をはつきりと摑むことが出來るだらうし、もしその惑受が及ばなかつたら、私の詩の現はす意味が、全體として解らないことになるでせう。つまり言ヘば私のUlaは、作詩の構成に於ける樣式上の手法として、ポオの「大鴉」に於けるNevermorae や、あのれおなあどやと同じ事になつてるのです。ポオの詩では、さうした言葉の反覆から來る、或る物侘しい墓場から吹いてくる風のやうなのすたるぢやの音樂的心像が、一篇のモチーフとなつて居るのです。
[やぶちゃん注:最終段落で常体が途中から敬体に変じてしまっているのは、ママである。
「沼澤地方」初出は大正一四(一九二五)年二月発行の『改造』。詩集の最初の決定稿は『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 沼澤地方』。私の電子化した草稿へのリンクも張ってある。
「猫の死骸」初出は大正一三(一九二四)年八月号『女性改造』。詩集の最初の決定稿は『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 猫の死骸』。同前(以下もほぼ同じなので、この注は附さない)。
『ポオの「大鴉」に於けるNevermorae』アメリカの詩人・小説家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe 一八〇九年~一八四九年)が一八四五年に発表した特にポーの詩篇の中では最も優れた傑作である物語詩篇。‘The Raven’(大鴉(歴史的仮名遣:おほがらす))。主人公の青年は恋人レノーアを失い、嘆き悲しんでいるが、大鴉はパラス(Pallas=Athena(アテーナー))の胸像の上にとまって、「Nevermore」(「二度と無い」)という言葉を繰り返して、彼を絶望の果てへと導く。英文サイトのこちらで原詩が読める。また、国立国会図書館デジタルコレクションの佐藤一英訳「ポオ全詩集」(大正一二(一九二三)年聚英閣刊)のここから、訳詩が読める。
「れおなあど」レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci 一四五二年~一五一九年)の作品であるが、何を指しているのか、不明。私は個人的には、直ちに想起したのは、‘La Scapigliata(「ほつれ髪の女」)であった(英文の彼のウィキの当該作品の画像)。次に想起したのは、偏愛するアンドレイ・タルコフスキイ(Андре́й Арсе́ньевич Тарко́вский 一九三二年~一九八六年)の「鏡」(Зеркало:一九七五年)に使用された‘Ginevra de' Benci’ (「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像」)であった。]
沿海地方
馬や駱駝のあちこちする
光線のわびしい沿海地方にまぎれてきた。
交易をする市場はないし
どこで毛布(けつと)を賣りつけることもできはしない。
店舖もなく
さびしい天幕(てんまく)が砂地の上にならんでゐる。
どうしてこんな時刻を通行しよう
土人のおそろしい兇器のやうに
いろいろな呪文がそこらいつぱいにかかつてしまつた。
景色はもうろうとして暗くなるし
へんてこなる砂風(すなかぜ)がぐるぐるとうづをまいてる。
どこにぶらさげた招牌(かんばん)があるではなし
交易をしてどうなるといふあてもありはしない。
いつそぐだらくにつかれきつて
白砂の上にながながとあふむきに倒れてゐよう。
さうして色の黑い娘たちと
あてもない情熱の戀でもさがしに行かう。
荒寥地方
散步者のうろうろと步いてゐる
十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか
靑や綠や赤やの旗がびらびらして
むかしの出窓に鐵葉(ぶりき)が飾つてある。
どうしてこんな情感の深い市街があるのだらう
日時計の時刻はとまり
どこに買物をする店や市場もありはしない。
古い砲彈の碎片などが掘り出されて
それが要塞區域の砂の中でまつくろに錆びついてゐたではないか
どうすれば好いのか知らない
かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを步いてゐよう。
年をとつた婦人のすがたは
家鴨(あひる)や鷄(にはとり)によく似てゐて
網膜の映るところに眞紅(しんく)の布(きれ)がひらひらする。
なんたるかなしげな黃昏だらう
象のやうなものが群がつてゐて
郵便局の前をあちこちと彷徨してゐる。
「ああどこに 私の音づれの手紙を書かう!」
(自註)
「沿海地方」「荒寥地方」共に同じやうな想の主題を取り扱つて居る。それはパノラマ館の中で見る、油畫の物佗しい風景と、あの妙にうら悲しく寂しい靑空を目に浮べて、私の或る鄕愁をさそふところの、心の哀切な抒情詩を書いたのである。
此等の詩を通じて、私が書かうとしたものは「音樂」だつた。あのオルゴールの音色に漂ふ、音樂のやるせない情愁の心像だつた。この一つの目的からして、私は言葉を出來るだけ柔らかく、抒情的に、丁度音樂時計のゼンマイが、自然にとけてくるやうな工合に用ゐた。例に就いて種を明かせば、[やぶちゃん注:以下の三行の二字下げは再現した。太字は底本では傍点「﹅」。]
交易をする市場はないし
どこで毛布を賣りつけることもできはしない
店舖もなく
の如く、「ないし」「できはしない」「なく」等で同韻の反覆重律をして居る。單に反覆重韻をするばかりでなく、此等の日本語の語韻に於ける、或る重苦しい、自墮落で退屈さうな調子を、特に意識的に强調した。その目的は、詩それ自體の主想となつてる、一種の人生的倦怠と物憂さとを、言葉の音韻上に於て正しく寫象しようとしたからである。
口語に於ける「行かう」「しよう」「ゐよう」等の語調の中には、妙に投げ出したやうなアンニユイの感があるので、私は特に好んでそれを用ゐた。「無いし」「居るし」「暗くなるし」等の言葉も、輕いリリカルの好い味があるので私の詩の常用語に使用した。またSōshite(さうして)Yōni(やうに)Aru-dewa-naika(あるではないか)等の言葉には、日本語としての特殊な柔らかな響があり、耳に訴へて美くしくリリカルに感じられるので、これらもまた私の詩語に常用し、意識的に抒情的效果を强調した。
此等の言語は、單に以上の詩に限らず、以下選出する私の詩の殆んど全體に使用され、私の詩の特殊なスタイルを風貌づけてる。讀者にして、もしかうした言葉のリリカルな風情を理解し、私の詩語に於ける特殊な音樂を感受し得れば、その人々にとつて私の詩は、一つの「音樂」として心像されることが出來るでせう。反對にもし、それが音樂として心像されない櫛合に於て、私の詩篇全體は、多分つまらぬ無意味な者にしか過ぎないでせう。
[やぶちゃん注:最終段落内の常体が敬体に変じているのはママ。
「沿海地方」初出は大正一二(一〇二三)年六月号『新潮』。『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他) 正規表現版 「靑猫(以後)」 沿海地方』を参照されたい。
「荒寥地方」初出は大正一二(一九二三)年一月号『極光』。ここでは、最悪の老害改変のそれを『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 荒寥地方』で見られるがよい。]
綠色の笛
この黃昏の野原のなかを
耳のながい象たちがぞろりぞろりと步いて居る。
黃色い夕月が風にゆらいで
あちこちに帽子のやうな草つぱがひらひらする。
さびしいですか お孃さん!
ここに小さな笛があつて その音色は澄んだ綠です。
やさしく歌口(うたぐち)をお吹きなさい
とうめいなる空にふるへて
あなたの蜃氣樓をよびよせなさい
思慕のはるかな海の方から
ひとつの幻像がしだいにちかづいてくるやうだ。
それはくびのない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする
いつそこんな悲しい暮景の中で 私は死んでしまひたいのです。お孃さん!
貝殼の内壁から
どこにこの情慾は口をひらいたら好いだらう
大海龜(うみがめ)は山のやうに眠つてゐるし
古生代の海に近く
厚さ千貫目ほどもある硨磲(しやこ)の貝殼が眺望してゐる。
なんといふ鈍暗な日ざしだらう
しぶきにけむれる岬岬の島かげから
ふしぎな病院船のかたちが現はれ
それが沈沒した錨の纜(ともづな)をずるずると曳いてゐるではないか。
ねえ! お孃さん
いつまで僕等は此處に坐り 此處の悲しい岩に竝んで居るのでせう
太陽は無限に遠く
光線のさしてくるところにぼうぼうといふほら貝が鳴る。
お孃さん!
かうして寂しくぺんぎん島のやうにならんでゐると
愛も 肝臟も つららになつてしまふやうだ。
やさしいお孃さん!
もう僕には希望(のぞみ)もなく 平和な生活(らいふ)の慰めもないのだよ
あらゆることが僕をきちがひじみた憂鬱にかりたてる
へんに季節は轉轉して
もう春も李(すもも)もめちやくちやな妄想の網にこんがらかつた。
どうすれば好いのだらう お孃さん!
ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で 大きな貝肉のやうにふるへてゐる。
そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし
これほどにもせつない心がわからないの? お孃さん!
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。以下の自註も同じ。]
(自註)
以上二篇の詩で、私はOjōsan(お孃さん)といふ語をモチーフの主語に用ゐた。現代日本の日常口語には、戀人を呼びかける好い言葉がない。「あなた」は無内容で空々しく、少しも親愛の情がない言葉であるし、「お前」は對手を賤しめて輕蔑して居る。昔の古い文章語には、「君」とか、「妹」といふ優しく情愛のこもつた言葉があつたが、今の猥雜な日本語には、さうした美しい言葉が全く無い。活動寫眞のラヴシーンを見ても、戀人同士の話の中で、辯士が「お前」「あなた」など言ふ語を使ふと幻滅で、戀の美しく甘い情緖がすつかり破壞されてしまふ。どうも現代の日本語は猥雜であり、單にこの一事だけでも、詩のやうな藝術的表現に使用し得べく、あまりに過渡期的未完成の粗雜語であることが了解される。かうした未完成の非藝術語を使用して多少でも藝術的な詩らしい者を書かうとするところに、僕等の時代の詩人たちに共通してゐる、悲壯な冒險と犧牲とがあることを、讀者に了察してもらはねば困るのである。
さて私としては、Ojōsanといふ言語の響に、音韻の特殊な美しさを感じて居る。その音韻には、何かしら浪漫的で、遠くから聽える音樂の縹渺たる情趣が感じられる。そしてまたこの音樂が、私の詩の内容と一致してゐるので特にそれを主語として用ゐたのである。
「貝殼の内壁から」は、原題「ある風景の内殼から」の改題である。この詩は貝殼の内部に於ける、一種の錯迷した不思議な空間――その中にはぐにやぐにやした、軟體動物の惱ましい肉が悶えてゐる。――と、さうした貝殼の海に於ける或る鄕愁とを、純粹抒情詩の音樂心像で象徵した。
「ねえ! お孃さん」
「どうすれば好いのだらう」
「これほどにもせつない心がわからないの? お孃さん!」
の三行を、一篇の首腦として强調した。これらの日常口語の中に、私として特殊の美しい音樂的調律を感じて居るからです。
[やぶちゃん注:末尾「です」はママ。
「綠色の笛」初出は大正一一(一九二二)年五月号『詩聖』。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 綠色の笛」と、『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 綠色の笛』を比較されたい。後者の最終行「いつそこんな悲しい景色の中で 私は死んでしまひたいのよう! お孃さん!」を見た瞬間、私は、吐き気を感じた。
『「貝殼の内壁から」は、原題「ある風景の内殼から」の改題である。』大正一二(一九三七)年二月号『日本詩人』初出。『萩原朔太郎 ある風景の内壁から (「ある風景の内殼から」初期形)』、及び、『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 ある風景の内殼から』を参照されたいが、実は「貝殼の内壁から」という詩篇は、初版「第十五卷」、及び、後に出た「補卷」の両索引にも出てこない。あるのは、「ある風景の内殼から」ばかりであるから、ここは思うに、
「ある風景の内殼から」は、原題「貝殼の内壁から」の改題である。
とあるべきところで、前掲詩篇の標題も、
「貝殼の内壁から」はではなく、「ある風景の内殼から」とあるべき
ところではないか? だが、投げ込みなどを見ても、この第十五卷のここの訂正は、どこにも、ない。
しかし、調べたところ、菅邦男氏の論考「第三章 萩原朔太郎の詩的表現」(原本不詳・ネット上でその部分だけをPDFで見つけた)の中の「95」ページの、二行目からの箇所で、この部分を引用しておられるのだが(注記(5)に『筑摩書房版萩原朔太郎全集第一四巻 九五ページ』とはっきり書かれてある)、それが、まさに、私が示した『「ある風景の内殼から」は、原題「貝殼の内壁から」の改題である。』となっているのである。私が不審に思った通り、筑摩版初版のここは、本自註内の詩篇標題が転倒しており、及び、引用の詩篇の標題も萩原朔太郎の勘違いと考えられる。くどいが、
「貝殼の内壁から」という草稿は現存していない
のである。因みに、本篇の『生活(らいふ)』というルビは、しばしば、好んで朔太郎が用い、既存の詩篇に盛んに後からのこのルビを振ったりしているが、これは、彼のルビの中で唯一、嘔吐を催す気持ちの悪くなるルビであることを言っておく。]
佛陀
赭土の多い丘陵地方の
さびしい洞窟の中に眠つてゐる人よ
君は貝でもない 骨でもない 物でもない。
さうして磯草の枯れた砂地に
ふるく錆びついた時計のやうでもないではないか。
ああ 君は「眞理」の影か 幽靈か
いくとせもいくとせもそこに坐つてゐる
ふしぎの魚のやうに生きてゐる木乃伊(みいら)よ。
このたへがたく寂しい荒野の涯で
海はかうかうと空に鳴り
大海嘯(おほつなみ)の遠く押しよせてくるひびきがきこえる。
君の耳はそれを聽くか?
久遠(くをん)のひと 佛陀よ!
蒼ざめた馬
冬の曇天の 凍りついた天氣の下で
そんなに憂鬱な自然の中で
だまつて道ばたの草を食つてる
みじめな しよんぼりした 宿命の 因果の蒼ざめた馬の影です
わたしは影の方へうごいて行き
馬の影はわたしを眺めてゐるやうす。
ああはやく動いてそこを去れ
わたしの生涯(らいふ)の映畫幕(すくりーん)から
すぐに すぐに外(ず)り去つてこんな幻像を消してしまヘ
私の「意志」を信じたいのだ。馬よ!
因果の 宿命の 定法の みじめなる
絕望の凍りついた風景の乾板から
蒼ざめた影を逃走しろ。
輪𢌞と樹木
輪𢌞の曆をかぞへてみれば
わたしの過去は魚でもない 猫でもない 花でもない
さうして草木(さうもく)の祭祀に捧げる器物(うつは)や瓦の類でもない。
金(かね)でもなく 畠でもなく 隕石でもなく 鹿でもない
ああ ただひろびろとしてゐる無限の「時」の哀傷よ。
わたしのはてない生涯(らいふ)を追うて
どこにこの因果の車を𢌞して行かう
とりとめもない意志の惱みが あとからあとからとやつてくるではないか。
なんたるあいせつの笛の音(ね)だらう
鬼のやうなものがゐて木の間で吹いてる。
まるでしかたのない夕暮れになつてしまつた
燈火(ともしび)をともして窓からみれば
靑草むらの中にべらべらと燃える提灯がある
風もなく
星宿のめぐりもしづかに美しい夜(よる)ではないか。
ひつそりと魂の祕密をみれば
わたしの轉生はみじめな乞食で
星でもなく 犀でもなく 毛衣(けごろも)をきた聖人の類でもありはしない。
宇宙はくるくるとまはつてゐて
永世輪𢌞のわびしい時刻がうかんでゐる。
さうしてべにがらいろにぬられた恐怖の谷では
獸(けもの)のやうな榛(はん)の木が腕を突き出し
あるいはぞの根にいろいろな祭壇が乾(ひ)からびてる。
どういふ人間どもの妄想だらう。
[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。以下も同じ。]
野鼠
どこに私らの幸福があるのだらう
泥土(でいど)の砂を掘れば掘るほど
悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。
春は幔幕の影にゆらゆらとして
遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。
どこに私らの戀人があるのだらう
ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても
もう永遠に空想の娘らは來やしない。
なみだによごれためるとんのづぼんをはいて
私は日傭人(ひようとり)のやうに步いてゐる
ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。
さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが
野鼠のやうに走つて行つた。
艷めかしい墓場
風は柳を吹いてゐます
どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。
なめくぢは垣根を這ひあがり
みはらしの方から生(なま)あつたかい潮みづがにほつてくる。
どうして貴女(あなた)はここに來たの
やさしい 靑ざめた 草のやうにふしぎな影よ
貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない
さうしてさびしげなる亡靈よ
貴女のさまよふからだの影から
まづしい漁村の裏通りで 魚(さかな)のくさつた臭ひがする
その腸(はらわた)は日にとけてどろどろと生臭く
かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。
ああ この春夜のやうになまぬるく
べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ
妹のやうにやさしいひとよ
それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない
さうしてただなんといふ悲しさだらう。
かうして私の生命(いのち)や肉體(からだ)はくさつてゆき
「虛無」のおぼろげな景色のかげで
艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。
月夜
重たいおほきな羽をばたばたして
ああ なんといふ弱弱しい心臟の所有者だ。
花瓦斯のやうな明るい月夜に
白くながれて行く生物の群をみよ
そのしづかな方角をみよ
この生物のもつひとつのせつなる情緖を見よ
あかるい花瓦斯のやうな月夜に
ああ なんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。
(自註)
以上、數篇の詩を通じて、私は自分の哲學する宿命論を、特殊の抒情的モチーフにこめて歌つた。私はかつてシヨーペンハウエルに惑溺し、抒情詩の主題にその思想的影響を可成受けた。シヨーペンハウエルの異常な魅力はその論理的な方面よりも、むしろその詩人的性格の中に本質して居た。それは東洋的虛無思想を多分に持つてる、一種の惱ましい意志否定の哲學であり、人間的なあらゆる情慾の惱みから出發し、血だらけの艶かしい衣裳を着て、春の夜の墓地にさ迷ふ厭世主義の哲學である。げにシヨーペンハウエルの哲學ほどにも、憂鬱で、厭世的で、しかも惱ましく艶かしいものがどこにあらうか。それはあの熱帶の情慾に惱まされた印度人が、菩提樹の花の下で幻想したところの、原始的佛敎の禁慾主義や涅槃の思想を聯想させる。私の第二詩集「靑猫」は、主としてこの種の主題――春の夜に龍く橫笛の昔――の惱みから書かれて居た。
[やぶちゃん注:「佛陀」初出は大正一二(一九二三)年二月号『日本詩人』だが、添え題があって『或は「世界の謎」』である。『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 佛陀 或は「世界の謎」』を参照されたい。
「蒼ざめた馬」大正一〇(一九二一)年十月号『日本詩人』(創刊号)初出。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 蒼ざめた馬」と、『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 蒼ざめた馬』を比較されたい。
「輪𢌞と樹木」初出は大正一二(一九二三)年二月号『日本詩人』。『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 輪廻と樹木』を参照。
「野鼠」大正一二(一九二三)年五月刊『日本詩集』初出。『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 野鼠』及びリンク先の私の別電子化物も参照されたい。
「艶めかしい墓場」大正一一(一九二二)年六月号『詩聖』初出。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 艶めかしい墓場」参照。
「月夜」大正六(一九一七)年四月号『詩歌』初出だが、初出時の標題は「深酷なる悲哀」であった。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 月夜」を参照。]
鷄
しののめきたるまヘ
家家の戶の外で鳴いてるのは鷄(にはとり)です
聲をばながくふるはして
さむしい田舍の自然からよびあげる母の聲です
とをてくう、とをるもう、とをるもう。
朝のつめたい臥床(ふしど)の中で
私のたましひは羽ばたきをする
この雨戶の隙間からみれば
よもの景色はあかるくかがやいてゐるやうです
されどもののめきたるまヘ
私の臥床にしのびこむひとつの憂愁
けぶれる木木の梢をこえ
遠い田舍の自然からよびあげる鷄(とり)のこゑです
とをてくう、とをるもう、とをるもう。
戀びとよ
戀びとよ
有明のつめたい障子のかげに
私はかぐ ほのかなる菊のにほひを
病みたる心靈のにほひのやうに
かすかにくされゆく白菊のはなのにほひを
戀びとよ
戀びとよ。
しののめきたるまヘ
私の心は墓場のかげをさまよひあるく
ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥
このうすい紅(べに)いろの空氣にはたへられない
戀びとよ
母上よ
早く來てともしびの光を消してよ
私はきく 遠い地角のはてを吹く大風(たいふう)のひびきを
とをてくう、とをるもう、とをるもう。
(自註)
黎明の時、臥床の中から遠く聽える鷄の朝鳴を、私はtoo-ru-mor, too-te-kurといふ音表によつて書き、且つそれを詩の主想語として用ゐた。元來、動物の鳴聲、機械の𢌞轉する物音などは、純粹の聽覺的音響であつて、言語の如く、それ自身の意義を說明する槪念がないのであるから、聽く人の主觀によつて、何とでも勝手に音表することが出來るわけである。したがつて音樂的效果を主とする詩の表現では、かうしたものが、最も自由性の利く好取材となる。私もまたその理由から、好んでこの種の音響的主題を用ゐた。例へば「猫」と題する詩で、私は戀猫の鳴聲を
――おわああ! おぎやあ!
として音表した。また「軍隊」と題する他の詩で、武裝した兵士等の行軍する靴音を
――づしり、ばたり。どたり、ばたり
とし、また「時計」と題する詩では、柱時計のゼンマイがとけて時刻を報ずる音を
――じぼあん・じやん! じぼあん・じやん!
として音象した。また「遺傳」と題する詩で、夜鳴きをする犬の氣味惡い遠吠を
――のをあある やわあ!
といふ音表で書いた。
[やぶちゃん注:「鷄」大正七(一九一八)年一月号『文章世界』初出。『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 鷄』参照。
「猫」『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 猫』参照。但し、「おわああ! おぎやあ!」のセット文字列では出現しない。「!」なしの「おわああ」と「おぎやあ」で出る。
「軍隊」『萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 軍隊』参照。但し、「づしり、ばたり。どたり、ばたり」のセット文字列では出現しない。
「時計」『時計 萩原朔太郎 (初出形及び決定稿「定本靑猫」版)』参照。私は萩原朔太郎のオノマトペイアでは、この「じぼあん・じやん! じぼあん・じやん!」が特異点で好きである。
「遺傳」「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 遺傳」参照。但し、「のをあある やわあ!」のセット文字列では出現しない。]