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カテゴリー「萩原朔太郎Ⅱ」の427件の記事

2022/12/11

『明治大正文學全集 萩原朔太郞篇』萩原朔太郞自註

 

[やぶちゃん注:本篇は春陽堂が昭和六(一九三一)年十二月に刊行した、シリーズ『明治大正文學全集』の一冊『萩原朔太郞篇』に萩原朔太郎自身が、自作詩篇を掲げながら、註したものである。朔太郎が、このように纏まってかなり詳しい自註をしているのは、比較的珍しいものと思われる。但し、私は、以前に述べたが、萩原朔太郎は自身の旧作を、後の新しい詩集やアンソロジー採用の際に、盛んに手を入れて、改変してしまっている。而して、私はそれらは、長生きした志賀直哉が後に同じように改変してしまったのと同じように――老害的改悪傾向――が強いと感じている。但し、冒頭の前書で言っているように、以下の朔太郎が挙げる詩篇は、朔太郎が最も自身作とするもので、されば、大きな改変はないようではある(実際には、ミスか、確信犯か、判らない改変があるのだが、校訂本文では、その辺りが綿密に校訂・整序されてある)。一応、掲げた詩の初出形や決定稿・草稿等をリンクさせておく。

 底本は、筑摩書房版初版「萩原朔太郞全集」第十四卷(昭和五三(一九七八)年刊)の「詩論・講座」パートに載るそれを用いた。但し、詩篇提示の箇所では、全体が二字下げになっているものの、これだと、ブログ・ブラウザでは不都合が生じるので、全部、行頭に引き揚げてある。実は、この校訂本文は初出のものを驚くべき数の校訂が行われている。誤字・脱字その他、その中には引用詩篇の表記や読みにも及んでおり、当初は、初出に復元して示そうと思ったが、あまりに多過ぎ、それをいちいち注していると、痙攣的なエンドレスの注になりそうなので、今回は初出形(纏まって示されてはおらず、校異のリストが当該巻の後方に延々と続く形で纏められてある)ではなく、上記の校訂本文を採用した。この場合だけは、彼の改悪を批判する私には、底本全集の強制消毒に文句を言ってきた私としては、例外的に許される校訂本文ということになった(しかし、やはり「々」の正字化という校訂絶対規定は、日本語としては、却って違和感がある)。

 

 

      前書

 

 前に新潮社で編輯した「現代詩人全集」及び改造牡の「日本文學全集」中の詩人號に於て、私は過去の作品中から、比較的自信のある者だけを自選した。ところが私の自選は、友人間に甚だ不評であり、或る人からは惡詩惡選だとさへ非難された。しかし私としては、自分の藝術的批判に訴へ、今尙斷乎として自選の正しさを疑はない。それ故春陽堂編纂のこの書に於ても、同じくまた過去の作品から、槪ね前出の者を再選する外にないのである。しかしながら私としては、この機會に自選詩の自註を試み、過去の作品に於て内密に用意してゐた、自分の藝術的方法と構成と、倂せて主題の意識的に意圖した者とを、すべて種明しにして公表したいと思ふのである。もとよりさうした自註によつて、讀者が私を理解する者とは思つて居ないし、且つまたそんな事實も有り得はしない。ただ私自身として、自ら步いて來た藝術里程を、自註の形式で告白することに盡るのである。

 

 

    沼澤地方

 

蛙どものむらがつてゐる

さびしい沼澤地方をめぐり步いた。

日は空に寒く

どこでもぬかるみがじめじめした道につづいた。

わたしは獸(けだもの)のやうに靴をひきずり

あるいは悲しげなる部落をたづねて

だらしもなく 懶惰(らんだ)のおそろしい夢におぼれた。

 

ああ 浦!

もうぼくたちの別れをつげよう

あひびきの日の木小屋のほとりで

おまへは恐れにちぢまり 猫の子のやうにふるへてゐた。

あの灰色の空の下で

いつでも時計のやうに鳴つてゐる

浦!

ふしぎなさびしい心臟よ。

浦! ふたたび去りてまた逢ふ時もないのに。

 

[やぶちゃん注:「懶惰」の「懶」は(つくり)が「頼」の字になった異体字(「グリフウィキ」のこれ)であるが、表示出来ないので「懶」とした。]

 

 

    猫の死骸

 

海綿のやうな景色のなかで

しつとりと水氣にふくらんでゐる。

どこにも人畜のすがたは見えず

へんにかなしげなる水車が泣いてゐるやうす。

さうして朦朧とした柳のかげから

やさしい待びとのすがたが見えるよ。

うすい肩かけにからだをつつみ

びれいな瓦斯體の衣裳をひきずり

しづかに心靈のやうにさまよつてゐる。

ああ浦 さびしい女!

「あなた いつも遲いのね」

ぼくらは過去もない未來もない

さうして現實のものから消えてしまつた。……

浦!

このへんてこに見える景色のなかヘ

泥猫の死骸を埋めておやりよ。

 

[やぶちゃん注:以上の太字下線は、底本では、傍点「●」である。以下の自註の太字は傍点「﹅」である。]

 

(自註)

「猫の死骸」及び「沼澤地方」は、共に一種の象微的戀愛詩である。二篇を通じて、同じ一人の女Ula(浦)が出てくる。このUla(浦)は現實の女性でなく、戀愛詩のイメーヂの中で呼吸をして居る、瓦斯體の衣裳をきた幽靈の女、鮮血の情緖に塗られた戀しく惱ましい女である。そのなつかしい女性は、いつも私にとつて音樂のやうに感じられる。さうして、悲しくやるせなく、過去と現實と未來につらなる、時間の永遠の曆の中で、惱ましく呼吸してゐる音樂である。

 それ故に詩のモチーフは、主としてUlaといふ言葉の音韻にこめられてある。讀者にして、もしUlaの音樂的情緖を、その發韻から感受することが出來るならば、詩の主想をはつきりと摑むことが出來るだらうし、もしその惑受が及ばなかつたら、私の詩の現はす意味が、全體として解らないことになるでせう。つまり言ヘば私のUlaは、作詩の構成に於ける樣式上の手法として、ポオの「大鴉」に於けるNevermorae や、あのれおなあどやと同じ事になつてるのです。ポオの詩では、さうした言葉の反覆から來る、或る物侘しい墓場から吹いてくる風のやうなのすたるぢやの音樂的心像が、一篇のモチーフとなつて居るのです。

[やぶちゃん注:最終段落で常体が途中から敬体に変じてしまっているのは、ママである。

「沼澤地方」初出は大正一四(一九二五)年二月発行の『改造』。詩集の最初の決定稿は『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 沼澤地方』。私の電子化した草稿へのリンクも張ってある。

「猫の死骸」初出は大正一三(一九二四)年八月号『女性改造』。詩集の最初の決定稿は『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 猫の死骸』。同前(以下もほぼ同じなので、この注は附さない)。

『ポオの「大鴉」に於けるNevermorae』アメリカの詩人・小説家エドガー・アラン・ポー(Edgar Allan Poe 一八〇九年~一八四九年)が一八四五年に発表した特にポーの詩篇の中では最も優れた傑作である物語詩篇。‘The Raven’(大鴉(歴史的仮名遣:おほがらす))。主人公の青年は恋人レノーアを失い、嘆き悲しんでいるが、大鴉はパラス(PallasAthena(アテーナー))の胸像の上にとまって、「Nevermore」(「二度と無い」)という言葉を繰り返して、彼を絶望の果てへと導く。英文サイトのこちらで原詩が読める。また、国立国会図書館デジタルコレクションの佐藤一英訳「ポオ全詩集」(大正一二(一九二三)年聚英閣刊)のここから、訳詩が読める。

れおなあど」レオナルド・ディ・セル・ピエーロ・ダ・ヴィンチ(Leonardo di ser Piero da Vinci 一四五二年~一五一九年)の作品であるが、何を指しているのか、不明。私は個人的には、直ちに想起したのは、‘La Scapigliata(「ほつれ髪の女」)であった(英文の彼のウィキの当該作品の画像)。次に想起したのは、偏愛するアンドレイ・タルコフスキイ(Андре́й Арсе́ньевич Тарко́вский 一九三二年~一九八六年)の「鏡」(Зеркало:一九七五年)に使用されたGinevra de' Benci(「ジネーヴラ・デ・ベンチの肖像」)であった。]

 

 

    沿海地方

 

馬や駱駝のあちこちする

光線のわびしい沿海地方にまぎれてきた。

交易をする市場はないし

どこで毛布(けつと)を賣りつけることもできはしない。

店舖もなく

さびしい天幕(てんまく)が砂地の上にならんでゐる。

どうしてこんな時刻を通行しよう

土人のおそろしい兇器のやうに

いろいろな呪文がそこらいつぱいにかかつてしまつた。

景色はもうろうとして暗くなるし

へんてこなる砂風(すなかぜ)がぐるぐるとうづをまいてる。

どこにぶらさげた招牌(かんばん)があるではなし

交易をしてどうなるといふあてもありはしない。

いつそぐだらくにつかれきつて

白砂の上にながながとあふむきに倒れてゐよう。

さうして色の黑い娘たちと

あてもない情熱の戀でもさがしに行かう。

 

 

    荒寥地方

 

散步者のうろうろと步いてゐる

十八世紀頃の物さびしい裏街の通りがあるではないか

靑や綠や赤やの旗がびらびらして

むかしの出窓に鐵葉(ぶりき)が飾つてある。

どうしてこんな情感の深い市街があるのだらう

日時計の時刻はとまり

どこに買物をする店や市場もありはしない。

古い砲彈の碎片などが掘り出されて

それが要塞區域の砂の中でまつくろに錆びついてゐたではないか

どうすれば好いのか知らない

かうして人間どもの生活する 荒寥の地方ばかりを步いてゐよう。

年をとつた婦人のすがたは

家鴨(あひる)や鷄(にはとり)によく似てゐて

網膜の映るところに眞紅(しんく)の布(きれ)がひらひらする。

なんたるかなしげな黃昏だらう

象のやうなものが群がつてゐて

郵便局の前をあちこちと彷徨してゐる。

「ああどこに 私の音づれの手紙を書かう!」

 

(自註)

「沿海地方」「荒寥地方」共に同じやうな想の主題を取り扱つて居る。それはパノラマ館の中で見る、油畫の物佗しい風景と、あの妙にうら悲しく寂しい靑空を目に浮べて、私の或る鄕愁をさそふところの、心の哀切な抒情詩を書いたのである。

 此等の詩を通じて、私が書かうとしたものは「音樂」だつた。あのオルゴールの音色に漂ふ、音樂のやるせない情愁の心像だつた。この一つの目的からして、私は言葉を出來るだけ柔らかく、抒情的に、丁度音樂時計のゼンマイが、自然にとけてくるやうな工合に用ゐた。例に就いて種を明かせば、[やぶちゃん注:以下の三行の二字下げは再現した。太字は底本では傍点「﹅」。]

  交易をする市場はないし

  どこで毛布を賣りつけることもできはしない

  店舖もなく

の如く、「ないし」「できはしない」「なく」等で同韻の反覆重律をして居る。單に反覆重韻をするばかりでなく、此等の日本語の語韻に於ける、或る重苦しい、自墮落で退屈さうな調子を、特に意識的に强調した。その目的は、詩それ自體の主想となつてる、一種の人生的倦怠と物憂さとを、言葉の音韻上に於て正しく寫象しようとしたからである。

 口語に於ける「行かう」「しよう」「ゐよう」等の語調の中には、妙に投げ出したやうなアンニユイの感があるので、私は特に好んでそれを用ゐた。「無いし」「居るし」「暗くなるし」等の言葉も、輕いリリカルの好い味があるので私の詩の常用語に使用した。またSōshite(さうして)Yōni(やうに)Aru-dewa-naika(あるではないか)等の言葉には、日本語としての特殊な柔らかな響があり、耳に訴へて美くしくリリカルに感じられるので、これらもまた私の詩語に常用し、意識的に抒情的效果を强調した。

 此等の言語は、單に以上の詩に限らず、以下選出する私の詩の殆んど全體に使用され、私の詩の特殊なスタイルを風貌づけてる。讀者にして、もしかうした言葉のリリカルな風情を理解し、私の詩語に於ける特殊な音樂を感受し得れば、その人々にとつて私の詩は、一つの「音樂」として心像されることが出來るでせう。反對にもし、それが音樂として心像されない櫛合に於て、私の詩篇全體は、多分つまらぬ無意味な者にしか過ぎないでせう。

[やぶちゃん注:最終段落内の常体が敬体に変じているのはママ。

「沿海地方」初出は大正一二(一〇二三)年六月号『新潮』。『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他) 正規表現版 「靑猫(以後)」 沿海地方』を参照されたい。

「荒寥地方」初出は大正一二(一九二三)年一月号『極光』。ここでは、最悪の老害改変のそれを『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 荒寥地方』で見られるがよい。]

 

 

    綠色の笛

 

この黃昏の野原のなかを

耳のながい象たちがぞろりぞろりと步いて居る。

黃色い夕月が風にゆらいで

あちこちに帽子のやうな草つぱがひらひらする。

さびしいですか お孃さん!

ここに小さな笛があつて その音色は澄んだ綠です。

やさしく歌口(うたぐち)をお吹きなさい

とうめいなる空にふるへて

あなたの蜃氣樓をよびよせなさい

思慕のはるかな海の方から

ひとつの幻像がしだいにちかづいてくるやうだ。

それはくびのない猫のやうで 墓場の草影にふらふらする

いつそこんな悲しい暮景の中で 私は死んでしまひたいのです。お孃さん!

 

 

    貝殼の内壁から

 

どこにこの情慾は口をひらいたら好いだらう

大海龜(うみがめ)は山のやうに眠つてゐるし

古生代の海に近く

厚さ千貫目ほどもある硨磲(しやこ)の貝殼が眺望してゐる。

なんといふ鈍暗な日ざしだらう

しぶきにけむれる岬岬の島かげから

ふしぎな病院船のかたちが現はれ

それが沈沒した錨の纜(ともづな)をずるずると曳いてゐるではないか。

ねえ! お孃さん

いつまで僕等は此處に坐り 此處の悲しい岩に竝んで居るのでせう

太陽は無限に遠く

光線のさしてくるところにぼうぼうといふほら貝が鳴る。

お孃さん!

かうして寂しくぺんぎん島のやうにならんでゐると

愛も 肝臟も つららになつてしまふやうだ。

やさしいお孃さん!

もう僕には希望(のぞみ)もなく 平和な生活(らいふ)の慰めもないのだよ

あらゆることが僕をきちがひじみた憂鬱にかりたてる

へんに季節は轉轉して

もう春も李(すもも)もめちやくちやな妄想の網にこんがらかつた。

どうすれば好いのだらう お孃さん!

ぼくらはおそろしい孤獨の海邊で 大きな貝肉のやうにふるへてゐる。

そのうへ情慾の言ひやうもありはしないし

これほどにもせつない心がわからないの? お孃さん!

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。以下の自註も同じ。]

 

(自註)

 以上二篇の詩で、私はOjōsan(お孃さん)といふ語をモチーフの主語に用ゐた。現代日本の日常口語には、戀人を呼びかける好い言葉がない。「あなた」は無内容で空々しく、少しも親愛の情がない言葉であるし、「お前」は對手を賤しめて輕蔑して居る。昔の古い文章語には、「君」とか、「妹」といふ優しく情愛のこもつた言葉があつたが、今の猥雜な日本語には、さうした美しい言葉が全く無い。活動寫眞のラヴシーンを見ても、戀人同士の話の中で、辯士が「お前」「あなた」など言ふ語を使ふと幻滅で、戀の美しく甘い情緖がすつかり破壞されてしまふ。どうも現代の日本語は猥雜であり、單にこの一事だけでも、詩のやうな藝術的表現に使用し得べく、あまりに過渡期的未完成の粗雜語であることが了解される。かうした未完成の非藝術語を使用して多少でも藝術的な詩らしい者を書かうとするところに、僕等の時代の詩人たちに共通してゐる、悲壯な冒險と犧牲とがあることを、讀者に了察してもらはねば困るのである。

 さて私としては、Ojōsanといふ言語の響に、音韻の特殊な美しさを感じて居る。その音韻には、何かしら浪漫的で、遠くから聽える音樂の縹渺たる情趣が感じられる。そしてまたこの音樂が、私の詩の内容と一致してゐるので特にそれを主語として用ゐたのである。

 「貝殼の内壁から」は、原題「ある風景の内殼から」の改題である。この詩は貝殼の内部に於ける、一種の錯迷した不思議な空間――その中にはぐにやぐにやした、軟體動物の惱ましい肉が悶えてゐる。――と、さうした貝殼の海に於ける或る鄕愁とを、純粹抒情詩の音樂心像で象徵した。

「ねえ! お孃さん」

「どうすれば好いのだらう」

「これほどにもせつない心がわからないの? お孃さん!」

の三行を、一篇の首腦として强調した。これらの日常口語の中に、私として特殊の美しい音樂的調律を感じて居るからです。

[やぶちゃん注:末尾「です」はママ。

「綠色の笛」初出は大正一一(一九二二)年五月号『詩聖』。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 綠色の笛」と、『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 綠色の笛』を比較されたい。後者の最終行「いつそこんな悲しい景色の中で 私は死んでしまひたいのよう! お孃さん!」を見た瞬間、私は、吐き気を感じた。

『「貝殼の内壁から」は、原題「ある風景の内殼から」の改題である。』大正一二(一九三七)年二月号『日本詩人』初出。『萩原朔太郎 ある風景の内壁から (「ある風景の内殼から」初期形)』、及び、『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 ある風景の内殼から』を参照されたいが、実は「貝殼の内壁から」という詩篇は、初版「第十五卷」、及び、後に出た「補卷」の両索引にも出てこない。あるのは、「ある風景の内殼から」ばかりであるから、ここは思うに、

「ある風景の内殼から」は、原題「貝殼の内壁から」の改題である。

とあるべきところで、前掲詩篇の標題も、

「貝殼の内壁から」はではなく、「ある風景の内殼から」とあるべき

ところではないか? だが、投げ込みなどを見ても、この第十五卷のここの訂正は、どこにも、ない。

 しかし、調べたところ、菅邦男氏の論考「第三章 萩原朔太郎の詩的表現」(原本不詳・ネット上でその部分だけをPDFで見つけた)の中の「95」ページの、二行目からの箇所で、この部分を引用しておられるのだが(注記(5)に『筑摩書房版萩原朔太郎全集第一四巻 九五ページ』とはっきり書かれてある)、それが、まさに、私が示した『「ある風景の内殼から」は、原題「貝殼の内壁から」の改題である。』となっているのである。私が不審に思った通り、筑摩版初版のここは、本自註内の詩篇標題が転倒しており、及び、引用の詩篇の標題も萩原朔太郎の勘違いと考えられる。くどいが、

「貝殼の内壁から」という草稿は現存していない

のである。因みに、本篇の『生活(らいふ)』というルビは、しばしば、好んで朔太郎が用い、既存の詩篇に盛んに後からのこのルビを振ったりしているが、これは、彼のルビの中で唯一、嘔吐を催す気持ちの悪くなるルビであることを言っておく。

 

 

    佛陀

 

赭土の多い丘陵地方の

さびしい洞窟の中に眠つてゐる人よ

君は貝でもない 骨でもない 物でもない。

さうして磯草の枯れた砂地に

ふるく錆びついた時計のやうでもないではないか。

ああ 君は「眞理」の影か 幽靈か

いくとせもいくとせもそこに坐つてゐる

ふしぎの魚のやうに生きてゐる木乃伊(みいら)よ。

このたへがたく寂しい荒野の涯で

海はかうかうと空に鳴り

大海嘯(おほつなみ)の遠く押しよせてくるひびきがきこえる。

君の耳はそれを聽くか?

久遠(くをん)のひと 佛陀よ!

 

 

    蒼ざめた馬

 

冬の曇天の 凍りついた天氣の下で

そんなに憂鬱な自然の中で

だまつて道ばたの草を食つてる

みじめな しよんぼりした 宿命の 因果の蒼ざめた馬の影です

わたしは影の方へうごいて行き

馬の影はわたしを眺めてゐるやうす。

 

ああはやく動いてそこを去れ

わたしの生涯(らいふ)の映畫幕(すくりーん)から

すぐに すぐに外(ず)り去つてこんな幻像を消してしまヘ

私の「意志」を信じたいのだ。馬よ!

因果の 宿命の 定法の みじめなる

絕望の凍りついた風景の乾板から

蒼ざめた影を逃走しろ。

 

 

    輪𢌞と樹木

 

輪𢌞の曆をかぞへてみれば

わたしの過去は魚でもない 猫でもない 花でもない

さうして草木(さうもく)の祭祀に捧げる器物(うつは)や瓦の類でもない。

金(かね)でもなく 畠でもなく 隕石でもなく 鹿でもない

ああ ただひろびろとしてゐる無限の「時」の哀傷よ。

わたしのはてない生涯(らいふ)を追うて

どこにこの因果の車を𢌞して行かう

とりとめもない意志の惱みが あとからあとからとやつてくるではないか。

なんたるあいせつの笛の音(ね)だらう

鬼のやうなものがゐて木の間で吹いてる。

まるでしかたのない夕暮れになつてしまつた

燈火(ともしび)をともして窓からみれば

靑草むらの中にべらべらと燃える提灯がある

風もなく

星宿のめぐりもしづかに美しい夜(よる)ではないか。

ひつそりと魂の祕密をみれば

わたしの轉生はみじめな乞食で

星でもなく 犀でもなく 毛衣(けごろも)をきた聖人の類でもありはしない。

宇宙はくるくるとまはつてゐて

永世輪𢌞のわびしい時刻がうかんでゐる。

さうしてべにがらいろにぬられた恐怖の谷では

獸(けもの)のやうな榛(はん)の木が腕を突き出し

あるいはぞの根にいろいろな祭壇が乾(ひ)からびてる。

どういふ人間どもの妄想だらう。

 

[やぶちゃん注:太字は底本では傍点「﹅」。以下も同じ。]

 

 

    野鼠

 

どこに私らの幸福があるのだらう

泥土(でいど)の砂を掘れば掘るほど

悲しみはいよいよふかく湧いてくるではないか。

春は幔幕の影にゆらゆらとして

遠く俥にゆすられながら行つてしまつた。

どこに私らの戀人があるのだらう

ばうばうとした野原に立つて口笛を吹いてみても

もう永遠に空想の娘らは來やしない。

なみだによごれためるとんのづぼんをはいて

私は日傭人(ひようとり)のやうに步いてゐる

ああもう希望もない 名譽もない 未來もない。

さうしてとりかへしのつかない悔恨ばかりが

野鼠のやうに走つて行つた。

 

 

    艷めかしい墓場

 

風は柳を吹いてゐます

どこにこんな薄暗い墓地の景色があるのだらう。

なめくぢは垣根を這ひあがり

みはらしの方から生(なま)あつたかい潮みづがにほつてくる。

どうして貴女(あなた)はここに來たの

やさしい 靑ざめた 草のやうにふしぎな影よ

貴女は貝でもない 雉でもない 猫でもない

さうしてさびしげなる亡靈よ

貴女のさまよふからだの影から

まづしい漁村の裏通りで 魚(さかな)のくさつた臭ひがする

その腸(はらわた)は日にとけてどろどろと生臭く

かなしく せつなく ほんとにたへがたい哀傷のにほひである。

 

ああ この春夜のやうになまぬるく

べにいろのあでやかな着物をきてさまよふひとよ

妹のやうにやさしいひとよ

それは墓場の月でもない 燐でもない 影でもない 眞理でもない

さうしてただなんといふ悲しさだらう。

かうして私の生命(いのち)や肉體(からだ)はくさつてゆき

「虛無」のおぼろげな景色のかげで

艶めかしくも ねばねばとしなだれて居るのですよ。

 

 

    月夜

 

重たいおほきな羽をばたばたして

ああ なんといふ弱弱しい心臟の所有者だ。

花瓦斯のやうな明るい月夜に

白くながれて行く生物の群をみよ

そのしづかな方角をみよ

この生物のもつひとつのせつなる情緖を見よ

あかるい花瓦斯のやうな月夜に

ああ なんといふ悲しげな いぢらしい蝶類の騷擾だ。

 

(自註)

 以上、數篇の詩を通じて、私は自分の哲學する宿命論を、特殊の抒情的モチーフにこめて歌つた。私はかつてシヨーペンハウエルに惑溺し、抒情詩の主題にその思想的影響を可成受けた。シヨーペンハウエルの異常な魅力はその論理的な方面よりも、むしろその詩人的性格の中に本質して居た。それは東洋的虛無思想を多分に持つてる、一種の惱ましい意志否定の哲學であり、人間的なあらゆる情慾の惱みから出發し、血だらけの艶かしい衣裳を着て、春の夜の墓地にさ迷ふ厭世主義の哲學である。げにシヨーペンハウエルの哲學ほどにも、憂鬱で、厭世的で、しかも惱ましく艶かしいものがどこにあらうか。それはあの熱帶の情慾に惱まされた印度人が、菩提樹の花の下で幻想したところの、原始的佛敎の禁慾主義や涅槃の思想を聯想させる。私の第二詩集「靑猫」は、主としてこの種の主題――春の夜に龍く橫笛の昔――の惱みから書かれて居た。

[やぶちゃん注:「佛陀」初出は大正一二(一九二三)年二月号『日本詩人』だが、添え題があって『或は「世界の謎」』である。『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 佛陀 或は「世界の謎」』を参照されたい。

「蒼ざめた馬」大正一〇(一九二一)年十月号『日本詩人』(創刊号)初出。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 蒼ざめた馬」と、『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 蒼ざめた馬』を比較されたい。

「輪𢌞と樹木」初出は大正一二(一九二三)年二月号『日本詩人』。『第一書房版「萩原朔太郞詩集」(初収録詩篇二十一篇分その他)正規表現版 「靑猫(以後)」 輪廻と樹木』を参照。

「野鼠」大正一二(一九二三)年五月刊『日本詩集』初出。『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 野鼠』及びリンク先の私の別電子化物も参照されたい。

「艶めかしい墓場」大正一一(一九二二)年六月号『詩聖』初出。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 艶めかしい墓場」参照。

「月夜」大正六(一九一七)年四月号『詩歌』初出だが、初出時の標題は「深酷なる悲哀」であった。「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 月夜」を参照。]

 

 

    

 

しののめきたるまヘ

家家の戶の外で鳴いてるのは鷄(にはとり)です

聲をばながくふるはして

さむしい田舍の自然からよびあげる母の聲です

とをてくう、とをるもう、とをるもう。

 

朝のつめたい臥床(ふしど)の中で

私のたましひは羽ばたきをする

この雨戶の隙間からみれば

よもの景色はあかるくかがやいてゐるやうです

 

されどもののめきたるまヘ

私の臥床にしのびこむひとつの憂愁

けぶれる木木の梢をこえ

遠い田舍の自然からよびあげる鷄(とり)のこゑです

とをてくう、とをるもう、とをるもう。

 

戀びとよ

戀びとよ

有明のつめたい障子のかげに

私はかぐ ほのかなる菊のにほひを

病みたる心靈のにほひのやうに

かすかにくされゆく白菊のはなのにほひを

戀びとよ

戀びとよ。

 

しののめきたるまヘ

私の心は墓場のかげをさまよひあるく

ああ なにものか私をよぶ苦しきひとつの焦燥

このうすい紅(べに)いろの空氣にはたへられない

戀びとよ

母上よ

早く來てともしびの光を消してよ

私はきく 遠い地角のはてを吹く大風(たいふう)のひびきを

とをてくう、とをるもう、とをるもう。

 

 

(自註)

 黎明の時、臥床の中から遠く聽える鷄の朝鳴を、私はtoo-ru-mor, too-te-kurといふ音表によつて書き、且つそれを詩の主想語として用ゐた。元來、動物の鳴聲、機械の𢌞轉する物音などは、純粹の聽覺的音響であつて、言語の如く、それ自身の意義を說明する槪念がないのであるから、聽く人の主觀によつて、何とでも勝手に音表することが出來るわけである。したがつて音樂的效果を主とする詩の表現では、かうしたものが、最も自由性の利く好取材となる。私もまたその理由から、好んでこの種の音響的主題を用ゐた。例へば「猫」と題する詩で、私は戀猫の鳴聲を

 ――おわああ! おぎやあ!

として音表した。また「軍隊」と題する他の詩で、武裝した兵士等の行軍する靴音を

 ――づしり、ばたり。どたり、ばたり

とし、また「時計」と題する詩では、柱時計のゼンマイがとけて時刻を報ずる音を

 ――じぼあん・じやん! じぼあん・じやん!

として音象した。また「遺傳」と題する詩で、夜鳴きをする犬の氣味惡い遠吠を

 ――のをあある やわあ!

といふ音表で書いた。

[やぶちゃん注:「鷄」大正七(一九一八)年一月号『文章世界』初出。『萩原朔太郎詩集「定本 靑猫」正規表現版 鷄』参照。

「猫」『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 猫』参照。但し、「おわああ! おぎやあ!」のセット文字列では出現しない。「!」なしの「おわああ」と「おぎやあ」で出る。

「軍隊」『萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 軍隊』参照。但し、「づしり、ばたり。どたり、ばたり」のセット文字列では出現しない。

「時計」『時計 萩原朔太郎 (初出形及び決定稿「定本靑猫」版)』参照。私は萩原朔太郎のオノマトペイアでは、この「じぼあん・じやん! じぼあん・じやん!」が特異点で好きである。

「遺傳」「萩原朔太郞 靑猫(初版・正規表現版) 遺傳」参照。但し、「のをあある やわあ!」のセット文字列では出現しない。]

 

萩原朔太郞 憂愁の森 (筑摩版「萩原朔太郞全集」補卷所収)

 

[やぶちゃん注:筑摩版初版「萩原朔太郞全集」の昭和六三(一九八八)年五月(最終巻「第十五卷」のクレジットの)の後、「補卷」として一九八九年二月に発刊されたものを底本とする。その巻頭に置かれた詩篇であるが、これは、明治四五(一九一二)年六月三日附の従兄萩原榮次宛書簡内に示された詩篇である(同「補卷」に書簡も載る)。なお、詩の「補遺」としては、この一篇のみが載る。

 萩原榮次(明治一一(一八七八)年~昭和一一(一九三六)年:朔太郎より八つ年上)は朔太郎の父密藏の兄で医家を継いだ玄碩の長男で、医師(萩原家医家十二代目)。萩原朔太郎が非常に慕った親族である。ネット上の記事では、山田兼士氏の論文「大阪八尾と萩原朔太郎」(『詩界』二百六十号・日本詩人クラブ)が詳しい。

 本来なら、書簡も一緒に電子化するべきであろうが、実はこの書簡、異様に長いので、諦めた。「J-STAGE」の阿毛久芳氏の論文『萩原朔太郎・「憂愁の森」を読む』(『日本文学』第三十四 巻第七号・一九八五年発行。PDFでダウン・ロード出来る)によれば、『ノート三十二頁の表裏にびっしりと書き込まれ、四百字詰原稿用紙で八十二枚分にもなる』とある。以下の「憂愁の森」は、その書簡の末尾に『詩(近作)』として記されてある。同論文では、書簡内に吐露された朔太郎の心象との関連性が述べられてある。

 電子化に際しては、底本の冒頭の下に示された書簡底本のそのままの表記と、後に載る書簡の部分のそれをも、参考にした。

 なお、本篇はネット上では電子化されていない模様である。

 太字は底本では傍点「﹅」。

 本篇を以って、今まで漏れていた萩原朔太郎の詩篇の電子化は概ね終わったと考えている。

 

 

 憂愁の森

 

途は矢の如く直(なほ)きにはすれ共

心は悲嘆の雲に閉されて述路の方にと思ひ煩ふ。

太陽は木立の影にひそみて笑み輝けども

我が戀は闇くして北極圈の夜の如し。

小鳥は木々に歌ひ、河流は涼しき葉影に朝の讚美歌をかなづれども

我はうなだれて暗き地上のまぼろしを追ふなり、

 

いつまでかさ述ひて、いづこにか我は行くらん、

憂愁の森には人の杳音(くつおと)なく、我が胸には來りて巢くヘる鳥もなし。

思ひ出の戶は風なきに開きかあてんは微かにそよげとも、

眼に入るもの、すべて荒廢の埃(ホコリ)にすぎす

 

空想はあてなき空のかなたに漂ひ

寄望は地獄の底にすゝり泣く

 

既にして我は飢えたり、勞れはてたり、

夕まぐれ、路傍に伏して叫へども

憂愁の森は深くして今は天日も及びがたし。

苦痛は針の如く腦みは銀鎚の如く下りて責むれ共

此處は人間の來り住むべき森にあらず。

 

されぱ我こそは一人なり、げに只一人……

犬の如く、のたれ死ぬとも

我が悲愁は人より人に傳ふる由もなし、

 

見よ、かしこに海のかゞやく

憂愁の森のつくるところ……我が生命のつくるところ……

途は矢の如く直きにはせて導けり、

 

[やぶちゃん注:底本編者によって補正された校訂本文を示す。題名を外した本文で連と行を示す。但し、校訂本文の踊り字の正字化は指摘しない。

第一連二行目「心は悲嘆の雲に閉されて述路の方にと思ひ煩ふ。」の「述路」はママ。校訂本文は『迷路』の誤記とする。

第一連五行目「小鳥は木々に歌ひ、河流は涼しき葉影に朝の讚美歌をかなづれども」校訂本文は「葉影」を『葉陰』とする。

第一連六行目「我はうなだれて暗き地上のまぼろしを追ふなり、」の最後の読点を校訂本文は除去する。

第二連一行目「いつまでかさ述ひて、いづこにか我は行くらん、」校訂本文は「述」は前と同じく、『迷』に補正。

題二連二行目「憂愁の森には人の杳音(くつおと)なく、我が胸には來りて巢くヘる鳥もなし。」の「杳音」はママ。明らかに「沓」の誤字。無論、校訂本文は『沓音(くつおと)』に補正されてある。

第二連三行目「思ひ出の戶は風なきに開きかあてんは微かにそよげとも、」の「とも」はママ。校訂本文は『ども』に補正されてある。

第二連四行目「眼に入るもの、すべて荒廢の埃(ホコリ)にすぎす」の末尾の「す」はママ。校訂本文は「すぎず。」と、字を補正した上、末尾に句点を打ってある。

題三連二行目「寄望は地獄の底にすゝり泣く」の「寄望」はママ。校訂本文は『希望』と補正された上、末尾に句点が打たれてある。

第四連一行目「既にして我は飢えたり、勞れはてたり、」の「飢え」はママ。校訂本文は『餓ゑ』に補正されてある。

第四連二行目「夕まぐれ、路傍に伏して叫へども」の「叫へども」はママ。校訂本文は『叫べども』に補正されてある。

第四連四行目「苦痛は針の如く腦みは銀鎚の如く下りて責むれ共」の「腦み」はママ。校訂本文は『惱み』に補正されてある。

第五連三行目「我が悲愁は人より人に傳ふる由もなし、」の読点は校訂本文では、句点に変えられてある。

第六連終行「途は矢の如く直きにはせて導けり、」の末尾読点は句点に変えられてある。]

2022/12/10

萩原朔太郎 卷頭言(神を見るものは幼兒より外にない。神とは『詩』である。……) (筑摩書房版「萩原朔太郞全集」第十四卷「補遺」所収)

 

[やぶちゃん注:所持する底本としている昭和五三(一九七八)年二月筑摩書房刊の初版「萩原朔太郞全集」第十四卷(全第十五卷の内)の冒頭「補遺」の二番前に置かれている。

 これは大正三(一九一四)年十二月号『文會』第四巻第四号に掲載されたものである。

 個人的には、これは明白なアフォリズムであり、詩篇ではないと判断されるが、同巻は同全集が刊行途中、洩れたものを「補遺」として追加したものであり、私自身が、この一文は未読であったことから、萩原朔太郎の、この当時の詩想の在り方を知るものとして、参考として掲げることとした。

 太字は底本では傍点「﹅」である。]

 

 

卷頭言

 

      ○

神を見るものは幼兒より外にない。神とは『詩』である。

 

      ○

 

韻律の道は道德である。

 

      ○

 

愛とは美である。

 

萩原朔太郎 幼兒と基督 (筑摩書房版「萩原朔太郞全集」第十四卷「補遺」所収)

 

[やぶちゃん注:所持する底本としている昭和五三(一九七八)年二月筑摩書房刊の初版「萩原朔太郞全集」第十四卷(全第十五卷の内)の冒頭「補遺」の最初に置かれている。

 これは大正三(一九一四)年九月号『異端』創刊号に掲載されたものである。末尾にある「人魚詩社」というのは、同年六月に室生犀星・山村暮鳥・萩原朔太郎の三人で設立した詩人結社で、詩・宗教・音楽の研究を目的としていたとされる。

 個人的には、これは明白なアフォリズムであり、詩篇ではないと判断されるが、同巻は同全集が刊行途中、洩れたものを「補遺」として追加したものであり、私自身が、この一文は未読であったことから、萩原朔太郎の、この当時の詩想の在り方を知るものとして、参考として掲げることとした。

 太字は底本では傍点「﹅」である。]

 

 

  幼兒と基督

 

         ×

自分はいつもセンチメンタルでありたい、キリストのやうに、十字架上のキリストのやうに、センチメンタルでありたい。

         ×

をさな兒の至純の心と、白熱したセンチメンタルが私の生命の全部である、同時に、私の生活の全部である、同時に、私の詩の全部である。

         ×

私の所有する、或は所有せんとする、感傷の極致は、ラジウムと螢光線の放射である。いぢらしい幼兒の靈魂は、往々にして異樣な幽靈と交歡する、成人は幽靈を知らない。

         ×

至純な心と、透純なセンチメンタルとを持たない人には、決して何物の幽靈も見えない。

         ×

キリストは、よく幽靈を見た、

キリストは、よく奇蹟をおこなつた、

あらゆる地上の奇蹟は、「センチメンタルのみによつて行はれる

         ×

人間の所有する、最上の『權威』はセンチメンタルである。

         ×

不純な、凡俗の、感傷の淚は、外にながれる、

白熱した、聖者の、感傷の淚は内部にながれる、

流れてやまない、感傷の淚が、地上に晶結したときに、耶蘇の第一の奇蹟が行はれる。自分の、第一の詩が生れる。

         ×

白熱した、センチメンタルが、電光のやうに、かがやく時、自分の四肢は、玻璃のやうに透純となる、其の刹那、あらゆる槪念の蛇は、その醜惡な姿を、沒却する。

         ×

自分のセンチメンタルが、每日、晶玉の塔を築いて居る、塔の第一階で、私は靑白い生靈と、妖怪のやうな肉體が、めすをすの蛇のやうに、もつれあつて、つるみあつて、白晝に、遊戲をする。

         ×

をさな兒の、いぢらしい心は、なにものにも、おそれをののく、をさな兒の、至純な成長は、すなはち、神になる意志である。をさな兒と、成人のまじはりは傷ましい。

         ×

センチメンタルが、私の邪宗門の、涅槃である。

をさな兒の、私の手が、見て居ると、ラジウムになる。

奇蹟と光が、私を成長させるのである。

         ×

詩は、地上の奇蹟である。

            ――人魚詩社宣言其一――

 

萩原朔太郎 貝 (筑摩書房版「萩原朔太郞全集」第十四卷「補遺」所収・附 原雑誌初出形)

 

[やぶちゃん注:所持する底本としている昭和五三(一九七八)年二月筑摩書房刊の初版「萩原朔太郞全集」第十四卷(全第十五卷の内)の「補遺」の中に置かれている。

 これは昭和一六(一九四一)年九月号『コクミン二年生』に掲載されたもの。本雑誌は小学館発行の少年少女向けの雑誌である。

 この詩篇は私の知る限りでは、筑摩版全集の詩篇パートには見当たらないので、ここに萩原朔太郎の詩篇の追加として電子化する。]

 

 

  貝

 

雨のふる日のつれづれに

海でひろつた櫻貝

つの貝靑貝ほたて貝

大貝小貝のいろいろを

まどにならべて遊びませう。

 

一つ一つの貝がらに

海のにほひがのこつてる。

耳をあてればかうかうと

なみのとどろくもの音が、

ほのかにとほくきこえます。

 

雨はしとしとまどのそと、

おもひはとほい海の空。

いつしよに遊んだともだちの

こひしいかたみもとりまぜて、

いそのにほひのなつかしく、

大貝小貝櫻貝。

 

[やぶちゃん注:ネット検索をかけた結果、「古書 古群洞」のこちらに、原雑誌のカラー画像があったが、表記に違いがあったので、それを以下に電子化する。

   *

 

  貝

         萩原朔太郞(はぎはらさくたらう)

 

雨の ふる日の つれづれに

海でひろった櫻貝

つの貝 靑貝 ほたて貝

大貝 小貝の いろいろを

まどに ならべて 遊びませう。

 

一つ一つの 貝がらに

海の にほひが のこってる。

耳を あてれば かうかうと

なみの とどろく もの音が、

ほのかに とほく きこえます。

 

雨は しとしと まど のそと、

おもひは とほい 海の 空。

いっしよに 遊んだ ともだちの

こひしい かたみも とりまぜて、

   いその にほひの

      なつかしく、

        大貝 小貝 櫻貝。

 

   *

左上に『初山(はつやま) 滋(しげる)・ゑ』とある。初山滋(明治三〇(一八九七)年~昭和三八(一九七三)年)は童画画家。本名は繁蔵。当該ウィキによれば、『生涯にわたってひとつの画風に留まることのない自由奔放ぶりで知られ』、『版画作品は二十数年に』亙って、『小学校の国語教科書の表紙に使われた』とある。最終連の最後の三行は、絵の貝の関係上、編集者が字下げを行ったものと見做されるが、筑摩版全集のものより、遙かに、韻律を示す空欄が効果的であり、促音も以上の通りで示されており、最後のパートも抒情的効果を上げていて、よい。

「櫻貝」数種あるが、タイプ種のマルスダレガイ目ニッコウガイ科サクラガイ属サクラガイ Nitidotellina hokkaidoensis としていいだろう。私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類  櫻貝・サクラガイ / サクラガイ』を参照されたい。

「つの貝」複数の種があるが、タイプ種は軟体動物門掘足綱ツノガイ目ゾウゲツノガイ科ツノガイAntalis weinkauffi 。房総半島から九州まで分布し、水深三十~百メートルの砂泥底に棲息する。殻長十センチメートル、殻口径八ミリメートルに達し、殻は背方へ弓形に湾曲し、黄橙(こうとう)色の個体と白色の個体がある。殻頂部には九本の縦肋があり、その間に細い肋もあるが、殻口に向かって弱くなり、遂には消失する。以上とは異なる種の博物画と思われるが、私の『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 角貝(ツノカイ) / ツノガイ(ヤカドツノガイとムカドツノガイか)』を参照されたい。

「靑貝」「あをがひ」。通常は、螺鈿の材料に用いるヤコウガイ・オウムガイ・アワビなどを指すが、ここは子どもがビーチ・コーミングする対象を挙げていることから、潮間帯の岩礁域で普通に見られる笠貝の一種で、北海道から九州南部及び朝鮮半島・中国に分布する、腹足綱前鰓亜綱カサガイ目ユキノカサガイ科アオガイ属アオガイ Nipponacmea schrenckii に比定する。殻は楕円形の笠形を成し、殻径は約三センチメートル。表面は暗緑色、内面は光沢のある青緑色を呈する。参照した「ぼうずコンニャクの市場魚類図鑑」のこちらを見られたい。

「ほたて貝」「帆立貝」は種名としては斧足綱翼形亜綱イタヤガイ目イタヤガイ上科イタヤガイ科 Mizuhopecten 属ホタテガイ Mizuhopecten yessoensis であるが、同種の本邦での南限は、日本海側で能登半島、太平洋側が千葉県とされている北方種であり、本州の以上の地域より南で我々が通常にビーチ・コーミングすることは、まず、ない。されば、これは広義の帆立型(扇形状)の貝殻を指しており、容易に見つけることが可能なそれは、イタヤガイ科イタヤガイ属イタヤガイ Pecten albicans がまずは挙げられる。驚くべき多数の色彩を持つことから、蒐集家には好まれる一種である。私の「大和本草卷之十四 水蟲 介類 海扇」及び『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 錦貝(ニシキガイ)・イタヤ貝 / イタヤガイ・ヒオウギ』『毛利梅園「梅園介譜」 蛤蚌類 酌子貝(シヤクシガイ)・イタラ貝 / イタヤガイ(四度目)』等で他種も挙げてある。]

萩原朔太郎 槪念敍情詩 六篇 (筑摩書房版「萩原朔太郞全集」第十四卷「補遺」所収)

 

[やぶちゃん注:所持する底本としている昭和五三(一九七八)年二月筑摩書房刊の初版「萩原朔太郞全集」第十四卷(全第十五卷の内)の冒頭「補遺」の中に置かれている。

 これは大正一〇(一九二一)年十月号『内在』第六輯に掲載されたもの。

 詩論であるが、文末に萩原朔太郎の「槪念敍情詩」なるものが、標題と異なるが、五篇置かれてあり(或いは、冒頭の解説自体を「槪念敍情詩」の散文詩の一種と認識しているのかも知れない)、この五篇は私の知る限りでは、筑摩版全集の詩篇パートには見当たらないので、ここに萩原朔太郎の詩篇の追加として電子化する。太字は底本では傍点「●」である。]

 

  槪念敍情詩 六篇

 

 槪念敍情詩について  槪念敍情詩(又は觀念敍情詩)とは調子を落して書いた敍情詩である。この「調子を落す」といふ謂は、つまり詩の發想に於ける VISIONを稀薄させることであつて、言はば「より散文的な氣分」でかかれた一種の詩である。[やぶちゃん注:欧文は横書。以下同じ。]

 普通の敍情詩にあつては、思想それ自らが、一つの完全なVISIONであり、趣味であり、情感でなければならぬ。卽ち純粹の敍情詩としては、所謂「思想」――通俗に言ふ意味での――といふものはない。何故ならば、直感の一元的叡智に於ては「思想卽感情」「感情卽思想」であつて、この境地に於ける心意は、畢竟「趣味」に外ならないからである。然り、すべての藝術は趣味である。美である。しかもこの一つの一元的境地を反省し、之れを批判的に分析するならば、そこで一方には思想が割り出され、一方からは感情が發見される。

 この一つの事實は、すべての藝術――音樂、繪畫、彫刻、小說、演劇等――に通じて平等の眞理である。しかしながら、就中、音樂、繪畫、敍情詩等にて一層明白である。諸君はどういふ仕方で美術を觀照するか。繪畫から直接に受取るものは、ただ一つの單純な心意「美」にすぎない。しかしてこの「美」を感得するものは諸君の「趣味性」に外ならない。しかしながら、一度もし諸君が必要に迫られて、或は自己を反省する目的から、そこに何等かの說明――趣味そのものには說明がない――を求めようと欲するならば、諸君は退いて、その單一な感動である「美」を分析し、その美感のよつて來る由所を反省せねばならぬ。ここに於てか卽ち純一の趣味は分析されて、一方では作品の内容を語る思想の發見となり、一方ではその意味されたる感情が理解される。この方法は、繪畫と音樂の觀照批評家が常に經驗してゐる所であるが、敍情詩に於ても、全く同樣である。何となれば、眞の純粹の敍情詩は、本質上、繪畫や音樂と同質であつて、絕對に「說明」や「槪念」を含まないからである。

 敍情詩とは、先づかういつた性質の者である。しかしながら、その表現の中には、調子の强さに於て、種々の程度がある。我々は、その比較的「調子の弱い」ものを稱して、普通に「散文詩」――所謂「自由詩」とは別の意味で――と言つてゐる。この所謂「散文詩」は、本質上からみて調子が低いのみならず、形式の上での韻律も低くて、むしろ散文に近いのが普通である。そこで此所に若し、形式上の韻律は、さほどにまで弱められなくつて、しかも本質上に於て甚だしく調子を弱めたるもの――卽ち一層槪念的であり、說明的であるもの――があつたとすれば、何と名づくべきであらうか、之れが卽ちここで問題とする「槪念敍情詩」である。

 槪念敍情詩の標本的なものは、ニイチエの論集『悅ばしき智識』の卷頭にかかげられた十數篇の短詩であらう。それらの詩は、すべて立派な押韻を踏み、詩の規則正しき格調を守つた者であるにかかはらず、世評は之れを純粹の敍情詩と眺めてゐない。何故といふに、それは純粹の趣味といふには餘りに智識的、觀念的でありすぎる。純粹の趣味――卽ち一元的の直感――は、決してそんなに固くるしい議論めいたものではない。たとへそこにどんな深玄な哲學が暗示されてあるにもせよ、趣味としての顯現は、その周圍に一種の言ふべからざる情緖、感情の濃やかな色合ひを帶びるのである。その理由は、前に述べた如く、直感の境地に於ては「思想卽感情」「感情卽思想」であつて、兩者一如の眞如を現出するから、若しそこで明らかに、之れは思想、之れは感情、として觀念される者があつたとすれば、何よりもそれが純一の直感でない證據、不純の槪念物たる證據である。

 とはいへ、若し少しく觀照者の側での調子を弱めていふならば、既に純粹の槪念といふべきものはないのだから、從つて、どんな調子の弱い詩でも、之れを敍情詩の圈内に繰りあげて差支へないとも考へられる。しかし私は、敍情詩人としての私の良心から判斷して、自分自身に恥かしいもの、卽ち純粹の直感的、人格的の趣味になりきらないもの、未だ多少なりとも槪念や智識のカスを濁した思想は、純粹の敍情詩として發表する勇氣をもたない。すべての思想は、それが完全に人格となりきつた時、全くその思想らしさを失つてむしろ溫かい感情となり、また趣味となつて發顯される。故に趣味で書かれない藝術はすべて虛僞の――若しくは調子を弱めたる――藝術である。以下發表する六篇の詩は、勿論私にとつて虛僞の詩ではない。それは實際の經驗であり、僞らざる告白である。しかし乍ら、純粹の敍情詩といふべく、あまりに調子を弱めすぎてゐる。卽ちあまりに說明的でありすぎる。所で所謂、それが「槪念敍情詩」なのである。

 

   古くなつた思想

 

古くなつた思想は

丁度 靴のやうなものである。

足の方で成長しないのなら

だれにだつて

慣れた靴ははきいい。

 

   自由詩人の迷信

 

汽車は軌道をはしつて行く

あんなにも心持よげに

まるで軌道の リズムの上をすべつて行くやうだ。

だがもし軌道がないならば

汽車はもつと早く

そしてもつと自由に飛ぶだらう。

おお立派な推理!

そこで汽車が顚覆したといふわけ

見られる通り。

 

   美學者と藝術家

 

君たち 流行おくれの婦人よ

君の新しい衣裝は

いつでも流行の趣味に遲れてゐる。

君の今日知つてゐる美

僕らが昨日感じた美

君らは永遠に追ひつかない。

 

   實用的でない議論

 

「かれが水に這入るまへから

子供は溺れるにきまつてゐた」

と決定論者が主張した。

「否(いや)。子供は選擇をあやまつた

さうでなく 淺い方へ泳いだならば

子供は此所に立つてゐた」

と反對者が、自由意志の論者がわめいた

「いづれにせよ」

あはれな犧牲の父親が怒り出した

「いづれにせよ子供は死んだ

いづれにせよ この議論は實用的でない」

 

   厭世思想家の趣味

 

日あたりのいい庭では

どんな菌(きのこ)も發育しない。

だから菌は

どんな天氣にも 日向(ひなた)をすかない。

これは自然に適つた趣味だ。

 

[やぶちゃん注:底本には編者注があり、『同時發表の「有神論のヂレンマ」は「全集第四卷(『新しき欲情』)」に收錄』とある。国立国会図書館デジタルコレクションの同原本のここ。電子化しておく。

 

   *

 

  212

 

有神論のヂレンマ 神がもし人間であるならば! と無神論者が言つた。愛したり、憎んだり、罰したり、怒つたりする人間であるならば、おお、私は神を輕蔑する、神がもし人間でないならば、自然のやうな、宇宙のやうな、實在のやうな、無限のやうな創造者のやうな、雲をつかむやうなものであるならば、神の存在に就いて、私にまで何の關係があらうぞ。

 

   *

「ニイチエの論集『悅ばしき智識』」「悦ばしき知識」(Die fröhliche Wissenschaft)は一八八二年刊。ウィキの「ニーチェ」によれば、『ニーチェの中期の著作の中では最も大部かつ包括的なものであり、引き続き』、『アフォリズム形式をとりながら、他の諸作よりも多くの思索を含んでいる。中心となるテーマは、「悦ばしい生の肯定」と「生から美的な歓喜を引き出す気楽な学識への没頭」である(タイトルはトルバドゥールの作詩法を表すプロヴァンス語からつけられたもの)』。『たとえば、ニーチェは、有名な永劫回帰説を本書で提示する。これは、世界とその中で生きる人間の生は一回限りのものではなく、いま生きているのと同じ生、いま過ぎて行くのと同じ瞬間が未来永劫繰り返されるという世界観である。これは、来世での報酬のために現世での幸福を犠牲にすることを強いるキリスト教的世界観と真っ向から対立するものである』。『永劫回帰説もさることながら、『悦ばしき知識』を最も有名にしたのは、伝統的宗教からの自然主義的・美学的離別を決定づける「神は死んだ」という主張である』とある。私は邦訳全集を所持するが、ドイツ語は読めない。原文が読める方は、こちらに電子化されてある。]

2022/12/06

萩原朔太郞 一九一三、九 習作集第九卷 病兒と靑い紐 / 一九一三、九 習作集第九卷~電子化注~了 / 筑摩版「萩原朔太郞全集」初版第一卷・第二卷・第三卷所収詩篇(正規表現版)電子化注~ほぼ完遂

 

[やぶちゃん注:電子化注の意図及び底本の解題と私の解説は初回のこちらを参照されたい。

 底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いるが、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。

 当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。

 前の「狼殺し」の後は、以下で電子化注済み。

「顏」→『顏 萩原朔太郎』の本文、及び、『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 顏』の私の注

「(かくしも我が身のおとろへ來り……)」→『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 蝕金光路 / 附・別稿その他(幻しの「東京遊行詩篇」について)』の私の注の二番目に詩篇

「病氣の探偵」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 病氣の探偵 / 筑摩版全集所収の「病氣の探偵」の草稿原稿と同一と推定』の私の注の最初の詩篇

 なお、この「病兒と靑い紐」の後は、以下の、

「九月の外光」→「萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 九月の外光」の私の注

「土地を堀る人」(「堀」はママ)→『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 土地を掘るひと』の私の注

「つみびと」→『萩原朔太郎詩集「月に吠える」正規表現版 卵』の私の注の最後の詩篇

で電子化注済みで、この「つみびと」を以って、「一九一三、九 習作集第九卷」は終わっている。

 これを以って、筑摩版「萩原朔太郞全集」初版の第一卷・第二卷・第三卷に所収する詩篇の殆んどの電子化注を終えたと考えている。暫らくしたら、漏れがないか検証する。

 なお、私が「ほぼ完遂」と言っているのは、萩原朔太郎が先行する詩集で発表したものの、後の詩集の中でチョイスして再録した際に、手を加えているものが有意にあるのだが、それは、以前に述べた通り、表現の〈改悪〉を伴うものが甚だ多く、そうした若き日の詩想の霊感の消失の失望させる改悪作品まで、私は再現する気は、もともと、さらさら、ないからである。全集では、それらの多くは、初出の校異で示すに留めてある。私は後発の再録を多く含む詩集の正規表現版でも、そうした理由から、再録作品を原則として電子化していないし、向後も、まさに、そうした〈老害の醜悪なる改変詩篇〉までわざわざ示すことは、ない、であろうからである。

 

 

 病兒と靑い紐

 

窓からさがった紐

靑い紐

はてしもなく廊下がつゞき

厚い壁のうしろに

ラセン梯子の光る光る施囘

登る二階

三階

四階

五階

その床は月光にぬれ

月光の中にBEDがある

いつも眠るところの

遠い哀しい寢臺がある

行けども行けども

はてしもない病院の廊下の

ひとつひとつの高い窓から

靑い絹糸の紐がさがつて居るよ、

 

[やぶちゃん注:「施囘」はママ。「旋囘」の誤記。「BED」は縦書。]

萩原朔太郞 一九一三、九 習作集第九卷 狼殺し

 

[やぶちゃん注:電子化注の意図及び底本の解題と私の解説は初回のこちらを参照されたい。

 底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いるが、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。

 当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。

 前の「(いはん方なきさびしさに……)」の後は、以下で電子化注済み。

「おもいで」→「おもいで 萩原朔太郎」本文

「寫眞」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 遺稿詩篇 編者前書・「靜夜」』の私の注の一番最後の詩篇

「もみぢ」→『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 もみぢ』の私の注及び『萩原朔太郞「拾遺詩篇」初出形 正規表現版 もみじ』の私の注

「冬をまつひと」→『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第一(「愛憐詩篇」時代)」 (無題)(こほれる利根のみなかみに) 「冬を待つひと」の草稿の一つ』の私の注の中の二番目の詩篇]

 

 

 狼殺し

 

疾患背隨の心棒より光を發し

その反映をもて殺さんとするの狼だ

ゆうべとなれば

素つ裸となして殺戮するの狼だ

狼を血みどろにし

われの心棒をば血みどろにし

そこに菊をうえ

そこに松をうえ

そこに電針をうえ

その怖るべき疾行をとめ

狼をやぶり殺さんとして

われの心棒にも砥石をぬり

しづかにこらへきたらんとするの日暮をまてば

井戶の底にもその水のすべてを涸れつくしぬ、

 

[やぶちゃん注:「疾患背隨」「背隨」はママで、「脊髓」の誤記。「ゆうべ」もママ。「菊をうえ」以下の三箇所の「うえ」もママ。]

萩原朔太郞 一九一三、九 習作集第九卷 (いはん方なきさびしさに……)

 

[やぶちゃん注:電子化注の意図及び底本の解題と私の解説は初回のこちらを参照されたい。

 底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いるが、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。

 当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。

 前の「春子に」の後は、以下で電子化注済み。

「遍路道心」→『「萩原朔太郎詩集 Ⅴ 遺稿詩集」(小学館版)「第三(『月に吠える』時代)」 遍路道心 / 現在知られた「習作集第九卷(愛憐詩篇ノート)」の「遍路道心」とは別原稿と推定される』の私の注

「水尾」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇』の中の「水尾」の私の注

「こゝろ」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇』の中の「心」の私の注

「銀」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇』の中の「銀」の私の注

「釣」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇』の中の「釣」の私の注

「命」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇』の中の「心」の私の注

「雀」→『萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇』の中の「雀」の私の注]

 

 

 ×

 

いはん方なきさびしさに

てんねん自然とたくらみし

さんぎやく非道の親殺し

淚が流れてとまり申さず

 

萩原朔太郞 一九一三、九 習作集第九卷 春子に

 

[やぶちゃん注:電子化注の意図及び底本の解題と私の解説は初回のこちらを参照されたい。

 底本は以上の昭和五二(一九七七)年五月筑摩書房刊「萩原朔太郞全集」第二卷を用いるが、電子化では、下段に配されある誤字などを編者が修正していない原ノートの表記形を元とした。

 当初は、既に決定稿の注で私が電子化したものは、単純に飛ばして電子化しようと思ったが、読者に対して「習作集」の内容を順列で確認出来る便宜を図るため、既注のそれを標題とともにリンクを貼ることに敢えてした。

 前の「九月の市街」の後は、以下で電子化注済み。

「遊泳」→『萩原朔太郞詩集「蝶を夢む」正規表現版 遊泳』の私の注の最後の詩篇

「おもいで」(歴史的仮名遣の誤りはママ。編者注に『全篇が斜線で抹消されている。』とある)→「萩原朔太郎詩集 遺珠 小學館刊 小曲十篇」の本文中の一篇「おもひで」とほぼ同じ(私の解説で「一九一三、九 習作集第九卷」のそれと異同・全抹消を言及)]

 

 

 春子に

 

きららに鮎をはしらせむ

ひとりしあれば悲しきものを

ひねもす利根を岸そびに

凍れる鮎をはしらせむ

ゆきの水上光る日に

まだ見ぬきみがいたいけの

素足のうへをはしらせむ

 

[やぶちゃん注:「春子」この女性は萩原朔太郎の恋愛対象者ではなく、当時、金沢にいた室生犀星が恋した女性である。石川敏夫氏のブログ「詩のある暮らし Blog」の「室生犀星 3」の「第3話  女ひと」に、『犀星が激しい愛の言葉をぶつけた石尾春子とは、犀星が金沢の登記所に勤めていた頃に知り合い、当時犀星』二十『歳、春子は』十三『歳でした。登記所の所長の家でかるたを取ったことのある仲で』、六『年振りに巡り会った犀星と春子は、以前から知り合いであったことから急速に親密となり、愛が芽生えました。しかし、この恋は、春子の母の反対にあって実らずに終わりました。定収入のない詩人の求婚に反対するのは、人の子の親として当時は当然の理由でした。』とある女性で、室生犀星が彼女に捧げた「愛人野菊に贈る詩」は大正三(一九一四)年『詩歌』に発表されたとある。この詩は長詩で、そちらでは抜粋で載るが、yukiko seike氏のブログ「月吠ノート」の『作品紹介「ワイルド時代の犀星詩」』に『定本室生犀星全詩集』(全三巻・冬樹社一九七八年刊)を底本とした全篇が電子化されてある。なお、石川氏もseike氏も大正三年発表とされてあるのだが、本文は見られないものの、国立国会図書館デジタルコレクションのこちらの雑誌『詩歌』のサイド・パネルの詳細版の「書誌情報」を見ると、大正三年九月発行の同誌に掲載されていることが判った。また、渡辺和靖氏の論文『萩原朔太郎 ―「愛憐詩篇」から「浄罪詩篇」へ』(『愛知教育大学研究報告・人文科学』第三十九輯所収。「愛知教育大学学術情報リポジトリ AUE Repository」のこちらからダウン・ロード出来る)によれば、我々が感じる萩原朔太郎のエレナ(妹ワカの友だちであった馬場ナカ。明治四二(一九〇九)年に高崎の医師佐藤清と結婚して当時は佐藤ナカ。)詩篇に対する異様なまでに昇華された聖女化や、書簡や日記(論文に引用有り)に見られる、夫佐藤には自分は知られていない「祕密」の存在であったとか、『「エレナ」にかんする主観的な朔太郎の記述』は、『朔太郎の側の一方的な思い込みであった可能性がつよくなる』とあり、この犀星の石尾春子を詠じた本篇についても、『朔太郎が白秋に報告している』、十一月七日附の『の夜の〈破局〉は』十一月五日『付白秋宛「書簡」に記された』、『室生犀星が』『好意をよせていた石尾春子』『という女性に結婚を申し出てことわられ』、『「春子」を「暗殺」すると公言した事件』(『萩原朔太郞全集」第十三巻・六十六頁)『などに剌激されて』、『自ら演出したドラマにすぎないと考えられる。』とされておられる。以上の渡辺氏の指示される二通の書簡と、後者の次の書簡もやや萩原朔太郎の想いに関連があるので全集から以下に電子化しておく。順に底本書簡番号「五八」、「六一」、「六二」で、孰れも『東京都麻布區坂下町十三 北原白秋樣』宛。

   *

 

大正三年十一月五日・前橋消印・葉書・『至急 まへばし SAKUTARO』

 

 まさかと思つたことがいよいよ事實になるらしい、大變な事件です、

 室生が春子を殺すのです、拒絕したんで兇惡少年の部下をシソオ[やぶちゃん注:使嗾。]して暗殺する計畫なんです、勿論しはしば[やぶちゃん注:ママ。]僕は忠告しましたが今夜「汝の忠告何するものぞ余は必らず遂行すべし云々」といふ急報が來なんで[やぶちゃん注:ママ。]すつかり氣を失つてしまつた、彼をして殺人罪より救ふために全力を盡して御援助願ひます、大至急ねがひます、たのむ、

[やぶちゃん注:編者注があり、『春子 室生犀星が金洋で好意を寄せていた女性。』とある。なお、次の同じ十一月五日附白秋宛葉書の一節には、『室生君はことによると本月中に前橋へ脱走してくるかも知れません、』とある。]

   *

 

大正三年十一月七日・前橋消印・葉書・『高崎にて SAKUTARO』

 

 今夜高崎ヘ[やぶちゃん注:ママ。]ヱレナに逢つた、口笛を吹いたけれども出て來ない、二時間あまりも家の前で樣子をうかがつたけれども要領を得ないので引きあげました、いま高崎柳川町、菊のバア(原名喜笑亭)で飲んで居ます、癪にさわつて[やぶちゃん注:ママ。]たまらない、ヱレナとも絕交だ、

 あなたは男四人に惣[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]れられて憔悴の由、僕もその一人です、僕は倂し浮氣ものではありません、一たん惣れたら生命がけです、室生とあなたに朔太郎の身命をささぐ、

   七日夜、

 

   *

 

大正三年十一月八日・前橋消印・葉書・(発信者名なし)

 

 ゆうべあれから大へんなことをしてしまひました、また未練にもヱレナに逢ひに行つたのが失敗のもとです、今朝あたりはヱレナの家で大騷ぎをして居るにちがひない、惡くすると私はもう鄕里に居ることが出來なくなるかも知れない、ああもう考へると苦しくなる、死にたい、ピストルで一發ずどんとやりたい、私はヱレナのハズ[やぶちゃん注:ハズバンド。]に本名を知らした、長い間祕密にして居た二人の歡もこれておしまひだ、酔つぱらつたとは言ひながら何といふ馬鹿なことをしたものだ、死にたい、死にたい、

 

   *

朔太郎(満二十八)も犀星(満二十四)も『何だかな~』って感じは拭えない。]

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