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カテゴリー「続・怪奇談集」の346件の記事

2023/03/26

「曾呂利物語」正規表現版 第三 四 色好みなる男見ぬ戀に手を執る事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどく見え難くなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]

 

     四 色好みなる男見ぬ戀に手を執る事

 

 京より、北陸道を指して、下(くだ)る商人(あきうど)ありけるが、ある宿(やど)に泊まり侍るに、亭主、心ありて、さまざまに歡待(もてな)し、奧の間に請じ入れけるが、連れも無く、すごすごと、臥して居たりけるが、小夜更(さよふ)け方(がた)に、次の間に、如何なる者とは知らず、如何にも氣高き音聲(おんじやう)にて、小唄を唄ひけり。

 男、

『さても、斯樣(かやう)の面白き事は、都にても、未だ聞かざる聲音(こわね)なり。

斯かる田舍にては、不思議なるものかな。」

と、いとゞ寐覺(ねざ)めて、次の間に行き、

「如何なる人にて御入(おい)り候へば、是れへ、御越しありて。」

とて、傍(そば)近く寄りたれば、女の聲にて、

「奧の間には、誰れも坐せぬと思ひ、片腹痛き事どもを申し、返す返すも、御恥(おはづ)かしく候へ。」

とて、なよやかに臥したる御姿(おすがた)なり。

「今宵は、添ひ臥して、御音聲(ごおんじやう)をも承り、御伽(おとぎ)致し候はん。」

と云ふ。

 女、

「是れは、思ひも寄らぬ事を承り候ふものかな。左樣に宣(のたま)はば、はや、外に出でなん。」

と行く。

 男、いとゞ、憬(あこが)れ、

「これに不思議に泊まり候ふも、出雲路の御結び合はせにてこそ、候はめ。」

と、いろいろ、言ひ、恨みければ、女、言ふやう、

「寔(まこと)に左樣に思召(おぼしめ)され候はば、我々、未だ良人(をつと)を持ち參らせ候はねば、永き妻と御定(おさだ)め候はば、兎も角も、御計ひに從ひ候べし。さりながら、堅き御誓言(ごせいごん)無くしては、仇(あだ)し心(こゝろ)は、まことしからず。」

と云へば、あらゆる神に佛(ほとけ)に、誓ひこめて、

「童(わらは)も、妻を持ち候はねば、幸ひに、我が國に伴ひ侍らん。」

と云ふ程に、流石、岩木(いはき)ならねば、打解(うちと)けて、妹背(いもせ)の契り、淺からず、秋の夜(よ)の、千夜(ちよ)も一夜(ひとよ)と歎(かこ)ちける。

 斯(か)くて、夜(よ)も、ほのぼのと明け行く儘に、彼(か)の女を、よくよく見れば、其の姿、あさましく、眉目(みめ)の惡(あ)しき瞽女(ごぜ)にてぞ、坐(いは)しける。

 男、大いに、肝(きも)を消し、亭主に暇(いとま)を乞ひ、奧へは下(くだ)らずして、上方(かみがた)指してぞ上りける。

 ある大河(おほかは)を渡りて、後(あと)を返り見れば、件(くだん)の瞽女、杖、二本に縋(すが)り、

「やるまじ、やるまじ、」

とて、追掛(おつか)くる。

 男、これを見て、馬方に言ふやう、

「其方(そのはう)を、平(ひら)に賴み候ふ間(あひだ)、才覺をもつて、彼(か)の瞽女を、此の川へ、沈めて給はれ。」

とて、やがて、料足(れうそく)を取らせけり。

 これも、慾(よく)、深く、不得心(ふとくしん)なる者なれば、易々(やすやす)と賴まれ、彼の女を、深みに、突き倒(たふ)し、さらぬ體(てい)にて、歸りけり。

 其の後(のち)、商人(あきうど)は、日、暮れければ、ある宿に泊まり侍りけるに、夜半(よは)ばかりに、門を、荒らかに敲き、

「これに、商人の泊まり給ふか。」

と問ひければ、亭主、立ち出で、これを見るに、彼の者の氣色(けしき)、世の常ならず、凄(すさ)まじかりければ、頓(やが)て門を閉(た)て、

「左樣の人は、これには、御泊まりなき。」

由、答ふ。

 そこにて、瞽女、愈(いよいよ)、忿(いか)りをなし、

「いやいや、何と言ふとも、此の内になくては、叶ふまじ。」

とて、戶を押し破り、内へ入り、旅人の隱れてゐたる土藏の中へ、押し込み、鳴神(なるかみ)の如く、震動(しんどう)すること、稍(やゝ)久し。

 

Gozenihikisakarukoto

 

[やぶちゃん注:右上端のキャプションは、「大藏」(おほくら)「にてこせ」(瞽女(ごぜ))「あき人お引さく」(を引き裂く)「事」である。]

 

 餘りの怖ろしさに、其の夜(よ)は、亭主も近づかず。

 夜明けて見れば、彼の男、其の身、寸々(すんずん)に、裂けて、首(くび)は、見えずなりにけり。

[やぶちゃん注:「諸國百物語卷之二 一 遠江の國見付の宿御前の執心の事」はロケーションを変えただけの転用。まあ、しかし、本篇自体が「道成寺縁起」を下敷きにしているのは、見え見えである。

「出雲路」岩波文庫版の高田氏注に、『出雲路の神の略。縁結びの神。出雲路は京の北部の地名』とある。

「童」私。商人の台詞としては、自身を若く見せるための自称か。

「瞽女」小学館「日本大百科全書」より引く。『盲目の女性旅芸人。三味線を弾き、歌を歌って門付(かどづけ)をしながら、山里を巡行し暮らしをたてた。「ごぜ」の名は、中世の盲御前(めくらごぜ)から出たといわれるが』、『確証はない。座頭のような全国的組織はもたず、地方ごとに集団を組織して統率するとともに、一定の縄張りを歩くことが多かった。近世の諸藩では、駿府』『や越後』『の高田、長岡などのように、瞽女屋敷を与えて』、『これを保護し、集団生活を営ませることによって支配する所もあった』。『今日』、『わずかに命脈を伝える越後の高田瞽女からの聞き書きによれば、高田では親方とよばれる十数人の家持ちの瞽女がいて、親方は』、『さらに座と称する組織を結成し、修業年数の多い瞽女が座元になって座をまとめていたという。仲間内には掟(おきて)があっ』て、『違反者は罰せられて追放された。それを「はなれ」といった。「縁起」や「式目」を伝えている所もある。瞽女は』三『人』、乃至、『数人が一団になって巡遊した。娯楽に乏しい山村では大いに歓迎された。昼間は門付に回り、夜は定宿に集まった人々を前に芸を披露した。葛(くず)の葉(は)子別れや』、『小栗判官(おぐりはんがん)などの段物をはじめ、口説(くどき)、流行唄(はやりうた)というように』、『語物(かたりもの)や』、『多くの唄を管理した。近年は昔話や世間話の伝播(でんぱ)者としても注目を集めている』とあった。]

2023/03/25

「曾呂利物語」正規表現版 卷二 三 蓮臺野にて化け物に逢ふ事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇の挿絵は、状態がかなりいいので、その岩波文庫版からトリミング補正したものを用いた。]

 

     三 蓮臺野にて化け物に逢ふ事

 

 都、蓮臺野に、大いなる塚の中に、不思議なる塚、二つ、ありけり。

 其の間、二町[やぶちゃん注:二百十八メートル。]ばかりありけるが、一つの塚は、夜な夜な、燃えけり。

 今一つの塚は、夜每に如何にも凄(すさ)まじき聲して、

「こはや、こはや、」

と呼ばはる。

 京中の貴賤、恐れ戰(おのゝ)き、夕(ゆふべ)になれば、其の邊(へん)に立ち寄る者、なし。

 爰(こゝ)に、若き者、集(あつ)まりて、

「さても。誰(たれ)れか、今夜、蓮臺野に行きて、彼(か)の塚にて、呼ばはる聲の、不審を霽(は)らしなんや。」

と云ひければ、其の中(なか)に、力、勝れ、心、あくまで不敵なる男、進み出でて、云ひけるは、

「我こそ、行きて、見屆け侍らん。」

と、云ひも敢へず、座敷を立ち、蓮臺野にぞ、赴きける。

 其の夜、折しも、殊に暗く、めざすとも知らぬに、雨さヘ降りて、もの凄まじとも云はん方、なし。

 則ち、彼の塚に立寄りつつ、聞きけるに、言ひしに違はず、

「こはや、こはや、」

とぞ、呼ばはりける。

 

Rendaino

 

[やぶちゃん注:以上では右上端の「キャプションが半分切れてしまって見えないが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の当該画像で、「れんだい野にて二ツつかばけ物の事」と読める。]

 

 此の男、

「何者なれば、夜每に、斯くは、言ふぞ。」

と罵(のゝし)りければ、其の時、塚の内より、年頃四十餘りなる女の、色靑く、黃ばみたるが、立ち出でて、

「斯樣(かやう)に申す事、別の仔細にても、なし。あれに見えたる燃ゆる塚に、我を具(ぐ)して、行き給へ。」

と云ひければ、男、恐ろしくは思へども、思ひ設(まふ)けたる事なれば、易々(やすやす)と請け合ひて、彼の塚へと、伴ひ行きぬ。

 さる程に、彼の者、塚の内に入るかと思へば、鳴動すること、稍(やゝ)久し。

 暫くあれば、彼の女、鬼神(きじん)の姿と成りて、眼(まなこ)は、日月(じつげつ)の如くにて、光り輝き、身には、鱗、生(お)ひ、眞(まこと)に面(おもて)を向くべきやうも、なし。

 さりければ、又、

「舊(もと)の塚に、連れて歸れ。」

と云ふ。

 此の度(たび)は、氣も、魂(たましひ)も、失せけれども、兎角、遁(のが)るべき方(かた)なければ、舊の塚に、負ひて、歸る。

 扠(さて)、彼(か)の塚へ入(い)り、少し、程經(ほどへ)て、又、元の姿に現はれて、

「さてさて、其方(そのはう)のやうなる、剛(がう)なる人こそ、おはせね。今は、望みを達し、滿足、身(み)に餘り候。」

とて、小さき袋に、何とは知らず、重き物を入れて、與(あた)ヘけるが、彼の男、鰐(わに)の口を遁(のが)れたる心地してぞ、急ぎ、家路に歸りける。

 前の友達に逢ひ、

「爾々(しかじか)。」

と語りければ、各(おのおの)、手がらの程を感じける。

 彼(か)の袋に入れたる物は、如何なる物にかありけん、知らまほし。

[やぶちゃん注:この手の短い怪談集では、こうした最後の最後まで引っ張っておいて、消化不良にさせることが、続いて話を読ませるナニクソ力(ぢから)を発揮させるから、上手い手である。「諸國百物語卷之一 七 蓮臺野二つ塚ばけ物の事」は転用。但し、袋の中身を最後に明らかにしている。やはり、それは、お読みになれば、誰もが、「つまならない」と感じられるであろう。寧ろ、ブラック・ボックスであることが、怪奇の余韻を燻ぶらせるとも言えるよい例なのである。

「蓮臺野」洛北の船岡山西麓から現在の天神川(旧称は紙屋川)に至る一帯にあった野。古来、東の「鳥辺野(鳥辺山)」、西の「化野(あだしの)」とともに葬地として知られた。後冷泉天皇・近衛天皇の火葬塚がある。この附近(グーグル・マップ・データ航空写真)

「思ひ設けたる」ある程度までの覚悟や、心構えはしていたことを指す。]

「曾呂利物語」正規表現版 第三 二 離魂と云ふ病ひの事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]

 

     二 離魂(りこん)と云ふ病(わづら)ひの事

 

 何時(いつ)の頃にかありけん、出羽國(ではのくに)守護何某(なにがし)とかや、ある夜(よ)の事なるに、妻女、雪隱(せつちん)に行きけるに、稍(やゝ)ありて、歸り、戶をたてて、寢(い)ねけり。

 又、暫く、女の聲して、戶を開けて、内に入りぬ。

 彼(か)の何某、不思議に思ひ、夜(よ)明くるまで、守(まも)り明かして、彼の女を、二所(ふたところ)に分けて、色々、詮索しけれども、いづれに、疑はしき事、なかりしかば、

『如何(いかゞ)せん。』

と、案じ煩(わづら)ふところに、ある者、

「一人の女體(によたい)、疑はしき事、侍り。」

と、申しければ、猶、詮索致してより後(のち)、卽ち、頸(くび)をぞ、刎(は)ねてける。

 疑ふ所もなき、人間にてぞ、坐(おは)しける。

「今一人こそ、變化(へんげ)の物なるべし。」

とて、それをも、頓(やが)て切りたりけり。

 これも又、同じ人間にてぞ候ひける。

 扠(さて)、死骸を、數日(すじつ)、置きて見たれども、變はる事、なし。

 如何なる事とも、辨(わきま)へ兼ねたるが、或(ある)人の曰く、

「『離魂』と云ふ病(わづら)ひなり。」

と。

[やぶちゃん注:ここで言う「離魂病」とは、江戸時代になって一般的に「影の病ひ」などと呼称された、奇体な離人症(通常の精神疾患では自身の見当識があるにも拘わらず、自分にそっくりな人物を垣間見たり、その人物が自分の意志とは無関係に異なった行動をとったりするように見える視覚型の重い妄想を指すが、最近では、旧「多重人格」、「解離性同一性障害」の産物と見做すことが多いようである)である。芥川龍之介が自ら蒐集した怪奇談集「椒圖志異」にも、正篇の最後に引用している、

   *

      3 影の病

 

北勇治と云ひし人外より歸り來て我居間の戶を開き見れば机におしかゝりし人有り 誰ならむとしばし見居たるに髮の結ひ樣衣類帶に至る迄我が常につけし物にて、我後姿を見し事なけれど寸分たがはじと思はれたり 面見ばやとつかつかとあゆみよりしに あなたをむきたるまゝにて障子の細くあき間より椽先に走り出でしが 追かけて障子をひらきし時は既に何地ゆきけむ見えず、家内にその由を語りしが母は物をも云はず眉をひそめてありしとぞ それより勇治病みて其年のうちに死せり 是迄三代其身の姿を見れば必ず主死せしとなん

  奧州波奈志(唯野眞葛女著 仙台の醫工藤氏の女也)

   *

が、創作ではない貴重な「影の病ひ」=「離魂病」の事実(但し、聞き書きではある)記載である。私は真葛の「奥州ばなし」を「附・曲亭馬琴註 附・藪野直史注」を縦書ルビ附・PDF版で電子化しているが、その「二十一 影の病」(69コマ目)が、その引用元である。PDFが見られない方は、ブログ版「奥州ばなし 影の病」もある。近年はドイツ語由来の「ドッペルゲンガー」(Doppelgänger:「Doppel」(合成用語で名詞や形容詞を作り、英語の double と同語源。意味は「二重」「二倍」「写し」「コピー」の意)+「gänger」(「歩く人・行く者」))の方が一般化した。これは狭義には自分自身の姿を自分で見る幻覚の一種で、「自己像幻視」とも呼ばれる現象を指す。しかし、本篇はそれを完全に突き抜けて、妻が二人に分離し、しかも、孰れも夫や家人にも見える状態にあるという点で、完全にブッ飛んでいる怪奇談で、さらに、結果的に、二人ともに夫が化け物と断じて、殺害してしまっている。しかも最後まで二体の死体には何らの変容もなく、二体ともに同じ妻の遺体なのである。これは最早、怪奇異というより、猟奇というべきスプラッター的死体変相的リアリズムの凄惨である。また、私には敬愛する芥川龍之介の向こうを張った怪奇蒐集「淵藪志異」があるが、その中の「十五」は、私が直に沖縄出身の女性から聴き取った二重身で、自身は風邪をひいて学校を休んだのに、同級生がその日、ガジュマルの上にいる彼女と話しをしたという驚愕のもので、沖縄では「生きまぶい」(生霊の分離出現)と呼ぶ現象である。彼女がユタから受けたそれを鎮める呪法も、簡単だが、記してある。未見の方は、是非、読まれたい。なお、芥川龍之介自身、自ら自分のドッペルゲンガーを見たと、晩年に証言している。これは、二年前にブログで『芥川龍之介が自身のドッペルゲンガーを見たと発言した原拠の座談会記録「芥川龍之介氏の座談」(葛巻義敏編「芥川龍之介未定稿集」版)』として公開してある。これは、一つにネット上に、「芥川龍之介が自殺した原因は彼が自分のドッペルゲンガーを見たからである」などという、無責任極まりない非科学的な糞都市伝説が横行していることを正したいという思いから電子化したものであるが、未見の方は読まれたい。なお、「諸國百物語卷之一 十一 出羽の國杉山兵部が妻かげの煩の事」は本篇の転用である。因みに、近代幻想小説中で、離人症を扱った嚆矢は芥川龍之介が敬愛してやまなかった泉鏡花で、それは鎌倉を舞台とした「星あかり」(明治三一(一八九八)年八月発表)である(リンク先は昨年五月に公開した私の正規表現版・オリジナル注附・PDF縦書版である)。]

「曾呂利物語」正規表現版 第三 / 第三目録・一 いかなる化生の物も名作の物には怖るゝ事

「曾呂利物語」正規表現版 第三 一 いかなる化生の物も名作の物には怖るゝ事

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇には挿絵があるので、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどくみえにくくなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。

 

曾呂利物語卷第三目錄

 

 一 いかなる化生(けしやう)の物も名作の物には怖るゝ事

 二 離魂と云ふ病(わづら)ひの事

 三 蓮臺野にて化物(ばけもの)に遇ふ事

 四 色好みなる男見ぬ戀に手を執る事

 五 猫またの事

 六 をんじやくの事

 七 山居(さんきよ)の事

 

 

曾 呂 利 物 語 卷 第 三

 

     一 いかなる化生の物も名作の物には怖るゝ事

 

 ある座頭、都の者にておはしけるが、

「田舍へ下り侍る。」

とて、山里を通りしが、道に行き暮れて、とある辻堂にぞ泊りける。

 弟子一人を召し具しけるが、夜半ばかりに、女の聲して、

「こは。何處(いづく)よりの客人(きやくじん)にて、渡らせ給ふぞ。妾(わらは)が庵(いほ)、見苦しくは候へども、是れに御入り候はんよりは、一夜(や)を明し給へ。」

と云ふ。

 座頭、

「御志(おこゝろざし)は有り難(がた)う侍れども、旅の習ひにて候へば、是れとても、苦しからず。其の上、早(はや)、夜の程もなく候間、參るまじ。」

と云ふ。

「さあらば、此の子を少しの間、預け參らせ候べし。」

とてさし出す。

「いやいや盲目の事にて候へば、御子(みこ)など、えこそ預り候まじ。」

と云へば、

「それは、情なし。すこしの間にて候まゝ、平(ひら)に賴み奉る。」

とて、さし出せば、弟子なる座頭ぞ、あづかりける。

 師匠の座頭、

「沙汰の限りなること。」

と忿(いか)りければ、

「少しの程。よも、別の事は、あらじ。」

とて、懷に入れにけり。

 扠(さて)、彼(か)の女は何處(いづこ)ともなう歸りぬ。

 とかくする中(うち)に、

「此の子、少し大きになり候は、如何に。」

と云へば、

「さればこそ、無用の事を、しつる。」

と云ひも敢へぬに、十二、三、四程に、なりぬ。

 

Satoumeisakunitetasukarukoto

[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「めいさくのかたなにて命たすかる事」とある。]

 

 扠、座頭を頭(あたま)より喰(く)ひまはる程に、

「あら、悲しや、何(なに)となるべき。」

と、泣き悲しむ中(うち)に、はや、喰(く)ひ殺しぬ。

 斯かりけるところに、女、來り、

「何とてあの師匠の座頭は、喰はぬぞ。」

と云ひければ、「何としても、寄られ候はぬ。」

と云ふ。

 其の中(うち)に、座頭の家に傳はる三條の小鍛冶宗近(むねちか)を、琵琶箱より取り出して、

「何者なりとも、たゞ、一うちたるべし。」

とて、四方八方を、盲切りに、切り拂へば、あへて近づく者も、なし。

 しばらくあつて、彼の女は何處(いづく)ともなく、失せぬ。

 扠も、

『怖ろしき事にて、ありける物かな。』

と思ひて、猶も、脇差を離さで居(ゐ)たる中(うち)に、早、夜(よ)も明けぬ。

『さらば、立ち出でん。』

と思ひ、道にかゝりて、行く。

 又、女ありて、云ふやうは、

「座頭は何處(いづく)に泊られ候。」

と云へば、

「あれに候ひつる。」

と答ふ。

「それは。化物ありて、容易(たやす)く人の泊る所にては、なし。不思議の命、助かり給ふことから。此方(こなた)へ入らせ給へ。」

とて、吾が家(いへ)へ連れて行く。

 扠、

「彼(か)の脇差を、ちと、御見せあれ。」

と云ふ。

 座頭、分別して、

「此の脇差は、總別(そうべつ)、人に見せ候はず。」

とて、鎺元(はゞきもと)を拔きくつろげてぞ、ゐたりける。

 又、そばより云ふやう、

「見せずは、唯(たゞ)喰ひ殺せ。」

とて、數多(あまた)の聲こそ、したりけれ。

「扠は。化物、ついたり。」

と云ふ儘に、脇差を拔き、四方を拂へば、彼の者共、かゝり得ず。

 少時(しばし)、戰へば、眞(まこと)の夜(よ)こそ、明けにけれ。

 邊[やぶちゃん注:「あたり」。]を探れば、元の辻堂に、唯、一人ぞ、居たりける。

 それより、座頭、辛き命、助かりて、斯くぞ、語り侍るとぞ。

[やぶちゃん注:「諸國百物語卷之一 二 座頭旅にてばけ物にあひし事」は完全転用。

「夜の程もなく候間」「夜半」になっているから、「夜も程なく明くる頃合いで御座いますから」という謂いであろう。

「三條の小鍛冶宗近」は平安時代の刀工。当該ウィキによれば、『山城国京の三条に住んでいたことから、「三条宗近」の呼称がある』。『古来、一条天皇の治世、永延頃』(九八七年~九八九年)『の刀工と伝える。観智院本』「銘尽」には、『「一条院御宇」の項に、「宗近 三条のこかちといふ、後とはのゐんの御つるきうきまるといふ太刀を作、少納言しんせいのこきつねおなし作也(三条の小鍛冶と言う。後鳥羽院の御剣うきまると云う太刀を作り、少納言信西の小狐同じ作なり)」とある』。『日本刀が直刀から反りのある彎刀に変化した時期の代表的名工として知られている。一条天皇の宝刀「小狐丸」を鍛えたことが謡曲「小鍛冶」に取り上げられているが、作刀にこのころの年紀のあるものは皆無であり、その他の確証もなく、ほとんど伝説的に扱われている』。『実年代については、資料によって』十~十二世紀と『幅がある』。『現存する有銘の作刀は極めて少なく』、『「宗近銘」と「三条銘」とがある。代表作は、「天下五剣」の一つに数えられる、徳川将軍家伝来の国宝「三日月宗近」』であるとある。

「總別」副詞で「総じて・概して・およそ・だいたい」の意。

「鎺元(はゞきもと)」刀剣などの鍔元(つばもと)。鎺金(はばきがね:刀や薙刀などの刀身の区際(まちぎわ:刀剣の柄に出ている本体の刃と背の部分)に嵌めて、鍔(つば)の動きを止め、刀身が抜けないようにする、鞘口の形をした金具を指す語。]

「曾呂利物語」正規表現版 第二 八 越前の國白鬼女の由來の事 / 第二~了

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]

 

      八 越前國白鬼女(はくきぢよ)の由來の事

 越前國(ゑちぜんのくに)、平泉寺(へいせんじ)に住める出家、若き時、京うちまゐりを、おもひ立ち、彼方此方(かなたこなた)を見物して、歸りがてに、かいづの浦に泊まりしが、其の宿に、女旅人(をんなたびびと)ぞ、泊まり合はせける。

 かの出家、美僧なる故、件(くだん)の女、僧の閨(ねや)に行き、思ひ入りたる體(てい)なり。

『けしからず。』

とは思へども、其の夜(よ)は、一所(しよ)にぞ、宿りける。

 夜あけて、彼の女は巫女(みこ)にて、年の程六十ばかり、かみ、すほに、さも、凄(すさ)まじき姿なり。

 則ち、

「いづくまでも、御後(おんあと)を慕ひ申さん。」

とて、又、同じまとり[やぶちゃん注:ママ。岩波文庫版は訂して『泊まり』とする。]にぞ、つきにける。

 女房、伴ひ、寺に歸らんこと、いかにも迷惑に思ひければ、

「ここに、逗留し侍らん。」

とて、女を欺(あざむ)き、夜(よ)の明方(あけがた)に、「ひやきち」といふ所まで逃げのびぬ。

 巫女の事なれば、珠數(じゆず)を引き、神下(かみおろし)して占ひもてゆくほどに、やがて、追ひつき、かなたこなた、尋ぬれば、大きなる木の空(そら)にかゞみゐたるを、

「さてもさても、情けなきことや。とても、そなたに離るる身にてもあらばこそ。命の内は、離れまじきものを。」

と云ふ。

 僧、

「此の上は、力、なし。さらば、同道申さん。」

とて、いまだ夜(よ)をこめて、立ちいで、船渡(ふなわたり)の深みにて、取つて引き寄せ、其のまゝ、淵に沈め、平泉寺をさしてぞ、歸りける。

 くたびれける儘に、まづ、我が寮に入りて、晝寐(ひるね)をしゐたり。

 師匠の坊、

「新發意(しんぼち)、歸りたるに、逢はん。」

とて、寮へ行きて見れば、長(たけ)十丈ばかりなる白き大蛇、新發意を呑まんとて、かゝりけるに、何(なん)としてか持(も)たれけん、新發意、家に傳はるとて、よしみつの脇差しの有りけるが、己(おのれ)れと拔け出で、彼(か)の大蛇を、切り拂ふ。

 これ故、大蛇、左右(さう)なく、寄り得ず。

 其の體(てい)ぞ、見て、急ぎ歸り、人々をして、新發意をおこし、都の物語(ものがた[やぶちゃん注:ママ。])など申させ侍る。

 師匠、彼(か)の吉光を、常々、望みの有るに、また、奇特を見ければ、いよいよ、欲(ほ)しさぞ、まさりける。

 師匠も黃金作(こがねづくり)を持たれけるが、いろいろ、云ひて、よしみつに換へて、取りたりけるに、大蛇、思ひの儘に、寮へ、押し入り、彼の僧を、引き裂きて、やがて、食ひてげり。

 それより、彼(か)の所を「はくきぢよ」といふは、此のいはれとぞ、申し侍る。

[やぶちゃん注:「白鬼女」岩波文庫の高田氏の注に、『現在』、『福井県鯖江市の日野川東岸に、北陸道ヘ向かう白鬼女(しらきじょ)の舟渡しがあった』とある。現在、その渡しがあった附近にまさしく「白鬼女橋」が架かる(福井県越前市家久町(いえひさちょう)と鯖江市舟津町(ふなつちょう)を結ぶ。グーグル・マップ・データ)。同橋の右岸直近に「白鬼女観世音菩薩」の小さな堂(昭和三八(一九六三)年建立)がある。その説明板がサイド・パネルのこちらで読めるので、そちらを参照されたい。恐るべき鬼女伝説があったとする説が記されてある一方、この菩薩は「渡河往来の守り神」として古くに建立されてあったが、十七世紀末の大洪水で流出してしまった。ところが、昭和三十七年の災害復旧工事中に、直近下流の福井鉄道日野川橋梁から約八十メートル下流の川底の約三メートル下から菩薩像が発見され、今に至るとあった。菩薩像はこれ。なんとも惹かれる優しい菩薩像である。

「平泉寺」同じく高田氏の注に、『現在』の『福井県勝山市にあった天台宗霊応山平泉寺。白山の大御前(おおみさき)の山神を祀る。修験道道場』として名を馳せたが、明治の悪しき神仏分離で『白山神社と平泉寺に分離』されてしまい、結局、今は平泉寺白山神社(グーグル・マップ・データ)として残る。私も高校時代、奥の弁ヶ滝(べんがたき)まで延々と徒歩で両親と行ったことがある。

「かいづ」「海津」現在の滋賀県高島市マキノ町海津(グーグル・マップ・データ)。同前の高田氏の注に、『琵琶湖北岸。古代から大和、山城と北陸を結ぶ湖上運送の要港』とある。

「かみ、すほに」岩波文庫では「すほに」は『すぼに』とするが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の写本でも「すほに」である(左丁後ろから五行目冒頭)。高田氏は、『不詳。「髮すぼみ」(髮がばさばさになって、薄いさま)の訛か』とされる。

「ひやきち」同前の高田氏には、『不詳。地名であろう』とある。私も少し探してみたが、この部分、地方が示されておらず、滋賀から福井と広汎であるから、結局、諦めた。

「木の空」高田氏注に『木のてっぺん』とある。しかし、この部分、どうも表現が上手くない。「大きなる木の空(そら)にかゞみゐたるを」は、或いは、「大きなる木の空(そら)にかゞみ」たる、その根元に「ゐたるを」の意ではなかろうか?

「新發意」新たに発心して仏門に入った者。仏門に入って間もない僧を言う。

「十丈」三十・二九メートル。蟒蛇の類いである。しかし、寮の僧の内室で、この長さはちょっと無理がある。蟠っていたのを、推定で延ばして述べたものか。

「よしみつ」「吉光」粟田口吉光(あわたぐちよしみつ 十三世紀頃)は鎌倉中期に京都の粟田口で活動した刀工で、相州鎌倉の岡崎正宗と並ぶ名工とされ、特に短刀作りの名手として知られる。京都の粟田口には古くから刀の名工がいたが、吉光は、安土桃山時代に豊臣秀吉によって正宗・郷義弘(ごうよしひ)とともに「天下の三名工」と称され、徳川吉宗が編纂を命じた「享保名物帳」でも、正宗・郷義弘とともに、最も多くの刀剣が記載され、「名物三作(天下三作)」と呼ばれている。殆んどの作には「吉光」の二字銘を流暢に切っているが、年期銘のある作がなく、あくまで、親や兄弟の作からの類推で鎌倉時代中期に活動したと見られている(ウィキの「粟田口吉光」に拠った)。しかし、この「吉光」を口八丁手八丁で強引に取り替えさせた師匠、地獄に落ちるべきではあろう。]

2023/03/24

「曾呂利物語」正規表現版 第二 七 天狗の鼻つまみの事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどくみえにくくなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(左丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]

 

     七 天狗の鼻つまみの事

 

 參河國(みかはのくに)に「だうしん」といふ坊主、萬(よろづ)に付け、恐ろしきといふこと、露ほども、なかりしこそ、不審なれ。

 平岡の奧に、一つの宮、有りけるに、此所(こゝ)は、人跡絕えて、深山幽谷なれば、いつしか、宮(みや)つ子も、いづちともなく失せて、跡を、とどめず。

 しか、しけるほどに、「だうしん」、社僧となりて、年月(としつき)、仕へ侍りしが、糧料(かてれう)など、乏しくて、有りけり。人家まで程遠しといへども、心ざし有る人にたよりて、齋(とき)・非時(ひじ)を乞ひ侍る。

 ある時、在所に出でて、暮れ程に歸り侍りけるに、寺近き所に、死人(しにん)、有り。

 道のほとりなりければ、腹、蹈(ふ)みて通るに、彼(か)の死人、坊主の裾をくはへて、引きとどむ。

 立ちもどり、腹をおさへければ、放しけり。

『蹈みけるとき、口を開き、足を擧(あ)げたるに、くはへ侍る。さも、有りぬべき事。』

と思ひ、通りしが、

『何者なれば、路頭に、斯(か)く。』

と、不審におぼえ、

『まづ、夜(よ)、あけば、取り置き侍らん。』

と思ひ、寺の門前なる大木(たいぼく)に、したたかに縛(いまし)め置き、「だうしん」は、内に入りて、いね侍る。

 夜更けて、

「だうしん、だうしん、」

といふもの、有り。

 例の、萬に驚かぬ者なれば、ねぶさに、音(おと)もせでゐたり。

 されども、彼(か)のもの、呼びやまで、

「我を、何(なに)とて、縛りけるぞ、解けや、解けや、」

といへども、猶、とりあはず。

「さらば、解かん。」

とて、繩を、

「ふつふつ」

と、切りて、寺に入り、戶、二重(ふたへ)を入(い)りける時、

「何者なれば、憎(にく)し。」

とて、太刀を拔き、はひる所を斬りけるが、右の腕を、節(ふし)の際(きは)より、

「ふつ」

と、切り落とす。

「あ。」

といふ聲より、姿も、見えずなりぬ。

 程なく、五更の空も明けにけり。[やぶちゃん注:「五更」午前三時から五時までの間。ここは既に曙の頃。]

 

Tenguninattaotoko
[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「参川の国の天狗のはなつまみの事」か。]

 

 彼(か)の社(やしろ)に、朝な朝な、詣でくる老女の有りけるが、いつも、音づれ侍るが、此の度(たび)も來たりて、云ふやう、

「今夜(こよひ)、御坊(おばう)さまは、恐ろしき事に逢はせ給ふよし、聞き侍る。まことか。」

と云ふ。

「いやいや、恐ろしくはなく候ふが、過ぎし夜、しかじかの事、侍る。」

と語り、

「その手を、見せ給へ。」

と云ひけるほどに、取り出(いだ)し見せければ、

「我等が手にて、はべる。」

とて、我が手に、さし接(つ)ぎ、門外へ出でけると思へば、又、もとの暗闇(くらやみ)になりぬ。

 此の時にこそ、初めて驚き、消え入るばかりに成りにけり。

 次第に、夜(よ)、あけて、いつもの老女が來たつて、音づれければ、人心地、おはせざりけるほどに、在所に行つて、人、多く、呼び寄せ、養生しければ、生き出でぬ。

 それより、此の坊主、世の常の臆病になりて、此所(こゝ)にもゐ侍らざりしとかや。

「常に自慢しける故、天狗の、鼻を、つまみける。」

とぞ。

 何事によらず、よろづ、高慢なる者、わざはひに逢へること、これに限るべからず。

[やぶちゃん注:時制を眩惑して騙すというところが、実にワイドな幻術として読者に意外感を与える。「諸國百物語卷之一 三 河内の國闇峠道珍天狗に鼻はぢかるゝ事」と、「宿直草卷二 第六 女は天性、肝ふとき事」は本篇のインスパイア。後者は、主人公を男の元に通う女の疑似的怪異体験に変え、それを物理的現象として説明し、それを別に現実的に、本来の女性が汎用属性として持っている(と筆者の主張するところの)現実に対する先天的な〈肝の太さ〉という〈女の本性の恐ろしさ〉への指弾(というか、その「げに恐ろしきは女の本性」というホラー性という点では立派に怪談ではある)というテーマへとずらしてある。

「平岡」岩波文庫の高田氏の注に、『不詳。三河一の宮に近い平尾村(現豊川市)の誤記か』とされる。愛知県豊川市平尾町はここ(グーグル・マップ・データ航空写真)。豊川の市街の北西であるが、南を除く三方は元山間である。「ひなたGPS」の戦前図を参照されたい。もしここならば、「奥」にある「宮」としては、現存するものでは、この稲束(いねづか)神社(グーグル・マップ・データ航空写真)が候補となろうか。近くに寺もある(江戸時代までは神社は別当寺を持つのが普通であり、廃れた社祠の管理を寺が請け負うのは普通であった)。但し、現社地は昭和三(一九一八)年に移されたものとあり、それ以前の元地は判らない。しかし、グーグル・マップ・データのサイド・パネルの境内地写真を見るに、それほど新しくは見えないし、山奥では全くないが、それらしい淋しい雰囲気はある。

「宮(みや)つ子」神主。

「齋(とき)・非時(ひじ)」ここは「僧侶の食事・その糧」の意。狭義のそれは以下。仏教徒は原則、食事は午前中に一度しか摂れないとされ、それを「斎時(とき)」と呼ぶ。実際には、それでは身が持たないので「非時」と称して午後も食事をした。

「節(ふし)の際(きは)」肘を指す。

「天狗の、鼻を、つまみける」同前の高田氏の注に、『天狗が来て、自慢の鼻をひしぎ折った』とある。]

2023/03/23

「曾呂利物語」正規表現版 第二 六 將棊倒しの事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にし、さらに、挿絵については、底本では抄録になってしまっているので、今回は、「国文学研究資料館」の「国書データベース」にある立教大学池袋図書館の「乱歩文庫デジタル」所収の画像(使用許可がなされてある)を最大でダウン・ロードし、補正せず(裏写りを消すと、絵の中の複数の人物の表情が、ひどくみえにくくなってしまうため)適切と思われる位置に挿入した(ここ(右丁)がそれ)。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。]

 

     六 將棊倒(しやうぎだふ)しの事

 

 關東に、ある侍(あぶらひ)、主(しう)の命(めい)に背き、とうがん寺といふ寺にて、腹を切りけるを、

「明日(あす)、葬禮をせん。」

とて、庫裏(くり)には、其の用意をし、彼(か)の死人(しにん)を棺(くわん)に入れ、客殿におき、坊主十人ばかり、番をしてゐたりけり。

 更けゆく儘(まゝ)に、皆、壁に寄りかゝり、居睡(ゐねぶ)りけるに、其の中に、下座なる坊主二人は、未(いま)だ寢入(ねい)らで、物語りして侍るに、かの棺、震動して、死人、棺を打破(うちやぶ)り、立ち出で、さも、凄まじき有樣(ありさま)にて、燈火(ともしび)の下(もと)に行き、紙燭(しそく)をして、火を付け、土器(かはらけ)なる油を、ねぶる。[やぶちゃん注:この「ねぶる」は通常の「舐める」の意。]

 

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[やぶちゃん注:右上端のキャプションは「しやうぎたふしの事ひそくはな入る所」(「ひそく」はママ。)である。亡者からは未だに切腹の血が鮮やかに滴っているのも奇異を添えている。]

 

 其の後(のち)、上座(かみざ)にある坊主の鼻へ、紙燭を入れて、ねぶり、次第に、下座(げざ)まで、鼻へ入れて、ねぶりねぶり、しける。[やぶちゃん注:ここに出る「ねぶる」は特異な用法で、「吸引して舐める」のであるが、岩波文庫の高田氏の脚注に、『鼻の穴へ、こよりをさして、生者の「気」をなめ取ることをい』っているのである。挿絵も、その一瞬を切り取っているのである。]

 二人の僧、あまり、恐ろしさに、息も立てず居(ゐ)たりけるが、次第に、近づきければ、逃ぐるともなく、走るともなく、庫裏へ倒れ入りぬ。

 各(おのおの)、肝を潰し、

「これは、如何なる事ぞ。」

と、いひければ、

「しかじか。」

と云ふ。おのおの、急ぎ行き見れば、彼(か)の幽靈も、なし。

 棺を見れば、別の事も、なし。

 坊主たちを、起こしければ、將棊倒しの如く、いづれも死に入りにけり。

 いろいろ、氣を付けけれども、遂に、生き出でずなりにけり。

[やぶちゃん注:「諸國百物語卷之二 四 仙臺にて侍の死靈の事」は芸のない転用物。

「東岸寺」岩波文庫の高田氏の注に、『不詳。同名の寺は下野国都賀』(つが)『郡、下総国海上』(古くは「うなかみ」、近代は「かいじょう」)『郡などにあったが、いずれも該当せず』とある。]

2023/03/22

「曾呂利物語」正規表現版 卷二 五 行の達したる僧には必ずしるしある事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。]

 

     五 行(ぎやう)の達したる僧には必ずしるしある事

 

 一所不住の僧、武藏國を修行しはべりしが、をりふし、道に行き暮れて、泊るべき宿(やど)もなし、野原の露に、袖を片敷きて、明しける。

 をりしも、秋のなかば、月の夜すがら、まどろむひまもなかりけるに、笛の音、幽(かすか)に聞えけり。

『不思議や。此の邊には、人里も、なかりつるに、いかなる物やらん。』

と思ひけるが、次第に近づきて、程なく、僧のあたりへ來(く)るを見れば、年の程、二八(にはち)ばかりなる少人(せうじん)の、其のさま、優なるよそほひなり。

 やんごとなき姿を見るに付けても、

『疑ひなき、變化の物なるべし。』

と思ひをる。彼の少人、いひけるは、

「お僧は、何(なに)とて、かかる野原に、たゞ一人、ましますぞ。」

と、有りければ、僧、答へて曰く、

「かかる、里離れなる所とも存ぜず、行きくれて候。御身は、いかなる人にてわたらせ給ふぞ。」

と、いうて、おそろげなる有樣なり。此のけしきを見て、

「我をば、變化(へんげ)の物とや、おぼしめすらん。さやうの物にては、候はず、月夜になれば、笛を吹きありき、心を慰むる者なり。さいはひに、童(わらは)が宿にともなひ奉らん。いざ、給へ。」

と有りければ、僧、おぼつかなく思ひながら、

『變化の物ならば、こゝに有りても、よも安穩(あんをん)にては、おかじ。』

と思ひ、

「御心ざし、有り難う侍る。」

とて、則ち、連れたちて、行きにけり。

 とある里に至りぬれば、ゆゝしき一つの、城郭、有り、彼(か)の内に誘(いざな)ひ入りぬ。

 宮殿・樓閣を通り、奧に小さく設(しつら)ひたる座敷、有り。

 少人、いひけるは、

「此處(こゝ)に、御泊りあれ。旅の疲れにや、おはすらん。」

とて、障子を、あけられ、火を持ちて出で、僧に與へ、 茶など、參らせて、心、殊にもてなし、

「我は此の障子の內に寢(い)ね參らせ候。御用の事候はば、我等が臥(ふ)しどへ、音なひ給へ。」

とて、入りぬ。

 僧は、

『かかる不思議なる所へも、きつる物かな。』

と、まどろむ暇(ひま)もなく、光明眞言などを唱へ、心を澄ましけるが、やうやう、八聲(やこゑ)の鳥も告げわたり、鐘の音(ね)も、物すごくこそ、聞えけれ。

 しかる所に、人、あまた、來りて、

「こゝに不思議なる坊主有り。何者なれば、かやうの奧まで、忍び入りけるぞや。たゞ事にあらず。いかさま、變化の物なるべし。蟇目(ひきめ)にて射よ。さらずば、鼻を、ふすべよ。」

とて、まづ、諫めんとす。

 僧、

「ことわりを申さん程の、いとまを、賜はれ。」

とて、宵のありさま、こまごまと語りけり。

 咎めつる者ども、これを聞いて、思ひの外に、うちしめlり、淚をながす人も有り。

 ことを、委しく尋ぬるに、其の城主の若君、其の年の春の比(ころ)、身まかり給ひけるが、その亡靈にてぞおはしける。

 常に、笛を手なれるに、佛前に、漢竹(かんちく)の横笛を置きけるなり。

 茶の具、靈供を供へおきはべるを、僧には、與へ給ふらん。

「お僧、貴(たつと)う思はれける故なれば、しばらく、爰に逗留し給へ。」

とて、色々の追善を營み、其の後(のち)、僧は歸り給ひけり。

[やぶちゃん注:本話は、個人的には好みである。但し、ややあっさりとしている感じはする。これを換骨奪胎して優れて映像的に、しかも設定をリアルに細敍して見事にインスパイアしたものが、「伽婢子卷之八 幽靈出て僧にまみゆ」であり、そちらに軍配を挙げたいと思う。なお、「諸國百物語卷之一 十 下野の國にて修行者亡靈にあひし事」は、ほぼ転用。

「八聲(やこゑ)の鳥」「八」は多いことを示し、夜の明け方にしばしば鳴く鷄を指す。]

2023/03/21

「曾呂利物語」正規表現版 卷二 四 足高蜘の變化の事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇の挿絵は、その岩波文庫版からトリミング補正したものである。]

 

     足高蜘(あしたかぐも)の變化(へんげ)の事

 

Asidakagumonokai

 

[やぶちゃん注:上では、右上端にあるキャプションが完全に切れて映っていないが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで見ると、「ある山里にて大也くもばける事」と読める。]

 

 ある山里に住みける者、いと靜かなる夕月夜に、慰みに出でたるに、大きなる栗の木の叉(また)に、六十許りになる女(をんな)、鐵漿(かね)をつけ、髮のかすかに見えたるを、四方に亂し、彼(か)の男を見て、けしからず、笑ふ。

 男、肝(きも)を消し、家に歸りて後(のち)、少しまどろみけるに、さきに見えける女、現(うつゝ)のやうに遮(さへぎ)りける故、心凄くて、起きもせず、寢もせで、ゐたる所に、月影に、うつろふ者、あり。

 晝、見つる女の姿、髮の亂れたる體(てい)、少しも變はらず、恐ろしさ、比(たぐひ)なくて、刀(かたな)を拔きかけて、

『いかさま、内(うち)に入りなば、斬らんずるものを。』

と、思ひ設(まう)けてゐたる所に、明障子(あかりしやうじ)をあけて、内に入りぬ。

 男、刀を拔き、胴中(どうなか)を、かけて切つて落としたり。

 化け物、斬られて弱るかと見えしが、男も、一刀(かたな)切つて、心を取り失ひける時、

「や。」

といふ聲に驚き、各(おのおの)、出であひ見るに、男、死に入りてぞ、ゐたりける。[やぶちゃん注:気絶・失神したのである。]

 やうやう、氣をつけられ、舊(もと)の如くになりにけり。

 化け物と覺しき物は無かりしが、大(だい)なる蜘蛛の足ぞ、切り散らしてぞ、侍る。

 かかる物も、星霜(せいさう)經(ふ)れば、化け侍るものとぞ。

[やぶちゃん注:「足高蜘」挿絵の右上には巣の網が描かれてあり、変化の原様態の形状を描いたそれを見るに、私は節足動物門鋏角亜門蛛形(クモ)綱クモ綱クモ目クモ亜目クモ下目コガネグモ上科ジョロウグモ科ジョロウグモ属ジョロウグモ Trichonephila clavata をモデルとするものであろうと推理する。なお、現在の本邦には、クモ目アシダカグモ科アシダカグモ属アシダカグモHeteropoda venatoria がおり、現在の本邦に棲息する徘徊性のクモとしては最大種で、人家に棲息する最大級のクモとしてもよく知られるそれがいる。我が家では昔からの馴染みで、若い頃、深夜、寝ていたところ、顔に掌大の彼が登り、その八つの脚のクッと構えた感じが顔面全体で、ありありと感じられて、眼を覚まし、大乱闘の末、外に逃がしたこともあった。しかし、本篇の蜘蛛は、このアシダカグモでは、ないのである。何故なら、江戸時代にはアシダカグモは本邦いなかったからである。当該ウィキによれば、『原産地はインドと考えられるが、全世界の熱帯・亜熱帯・温帯に広く分布している』。『アシダカグモは外来種で、元来は日本には生息していなかったが』、明治一一(一八七八)年に『長崎県で初めて報告された』。『移入した原因としては、輸入品に紛れ込んでいた可能性が考えられる』とあるのである。]

2023/03/20

「曾呂利物語」正規表現版 卷二 三 怨念深き者の魂迷ひ步く事

 

[やぶちゃん注:本書の書誌及び電子化注の凡例は初回の冒頭注を見られたい。

 底本は国立国会図書館デジタルコレクションの『近代日本文學大系』第十三巻 「怪異小説集 全」(昭和二(一九二七)年国民図書刊)の「曾呂利物語」を視認するが、他に非常に状態がよく、画像も大きい早稲田大学図書館「古典総合データベース」の江戸末期の正本の後刷本をも参考にした。但し、所持する一九八九年岩波文庫刊の高田衛編・校注の「江戸怪談集(中)」に抄録するものは、OCRで読み込み、本文の加工データとした。本篇の挿絵は、その岩波文庫版からトリミング補正したものである。]

 

     三 怨念深き者の魂迷ひ步く事

 

 會津若松といふ所に、「いよ」と云ふ者、有り。

 彼(かれ)が家に、色々、不思議なる事多き中に、まづ、一番に、ある日の酉の刻[やぶちゃん注:午後六時前後。]に、大きなる家を、地震の搖(ゆ)る樣(やう)に、動かす。

 次の日の同じ時に、何とは知らず、家の内へ入り、裏口の戶を叩き、

「初花(はつはな)、初花。」

と、よばはる。

 主(あるじ)の女房、聞きつけて。

「なんぢ、何ものなれば、夜中に來たり、斯くは云ふぞ。」

と叱(しか)らる。

 ばけもの、叱れて、右の方(かた)に、又、口、有りけるが、折りしも、戶をあけおきけるに、其所(そこ)へ、きたりける。

 

Iyokewnokaii

 

[やぶちゃん注:上では、右上端にあるキャプションが完全に切れて映っていないが、早稲田大学図書館「古典総合データベース」のこちらで見ると、「おんねんふかき者のたましいまよふ事」と読め、また、家の女房が右手に持つ「御祓箱」(以下の本文に出る)の蓋の上には、「太神宮」の文字が書かれているのもはっきりと判る。なお、この「御祓箱」とは、中世から近世にかけて、伊勢神宮の御師(おんし:「御師」(おし)は特定の社寺に所属して、その社寺への参詣者や信者の求める護符の配布や祈禱、或いは、実際の参拝時の案内及び宿泊などの世話をする別当僧や神職を指すが、特に伊勢神宮の場合のみ、差別化して「おし」と呼ぶ)が、毎年、諸国の信者に配って歩いた伊勢神宮の厄除けの大麻(たいま:本来は「おおぬさ」と読むが、「ぬさ」とは「木綿・麻」などを指す。「大麻」とは、お祓いに用いられる用具である細い木に細かく切った紙片をつけた「祓串」(はらえぐし)を指す)を納めた小箱。「はらへ(え)ばこ」とも呼ぶ。]

 

 その姿を見れば、肌には、白き物を著(き)、上には、黑き物を著て、いかにも色白き女房、髮を捌(さば)き、内へ入(い)らんとしけるを、あるじの女房、

『これは、只事ならず。』[やぶちゃん注:後に助詞の「と」が欲しい。]

思ひて、御祓箱(おはらひばこ[やぶちゃん注:ママ。])の有りけるを、取りいだし、

「汝、これに、恐れずや。」

とて、投げつけければ、其のまゝ消えぬ。

 三日目には、申の刻[やぶちゃん注:午前四時前後。]許りに、かの女房[やぶちゃん注:ここは変化の女のこと。]、臺所の大釜の前に來りて、火を焚きて、ゐたり。

 うちの者ども、これを、

「いかに。」

と騷ぎければ、又、消え亡(う)せぬ。

 四日めの晚のことなるに、鄰(となり)の女房、裏へ出でければ、彼(か)の女、垣(かき)に立ちそひ、家の内を見入(みい)れてゐたりけるを見付けて、肝(きも)を消し、

「鄰の化物こそ、こゝに、居て候へ。」

と呼ばはれば、化物、いひけるは、

「汝が所へさへ行かずば、音もせで、ゐよ。」[やぶちゃん注:「お前の所には、さらさら行く気はないのだから、五月蠅い声を挙げずに、黙って、おれよ。」の意。中古以来の「ずは」(「~でなくて」、或いは打消の順接仮定条件を示す「もし~でないならば」。打消の助動詞「ず」の連用形+係助詞「は」か、接続助詞「ば」とする説もある)が近世初期に打消の確定条件に転用されてしまった慣用表現である。真正の物の怪の、抑制した制止であり、それが、また、なかなか、キョワい!]

と云ひて、又、消え亡せぬ。

 五日めの事なるに、臺所の庭に來て、打杵(うちきね)をもつて、庭を、

「とうとう」

と、打ちて、𢌞る。

「此の上は、御念佛(ごねんぶつ)ごとより外の事は、有るまじ。」

とて、さまざまの祈りをぞ、初めける。

 眞に神明(しんめい)・佛陀の納受(なふじゆ)有る故か、其の次の日は、來(きた)らざり。

「すべて、ばけ物、こゝに來(きた)る事、五たびなり。此の上は、何事も、あらじ。」

と、いひもはてぬに、虛空(こくう)より、女の聲にて、

「五たびには、限り候はじ。」

と呼ばはりける。[やぶちゃん注:追い打ちをかける凄みのあるキレのある台詞である。なかなか、心理戦に長けた物の怪と見える。]

 扠(さて)、其の夜(よ)の事なるに、いつも、主の女房、いねざま[やぶちゃん注:「寢ね態」で「就寝する頃合い」の意。]になれば、蠟燭を立ておきけるを、彼(か)の化け物、姿を現はして、蠟燭を、吹き消しぬ。

 主(あるじ)の女房、肝を消し、絕入(ぜつじゆ)[やぶちゃん注:失神。気絶。]する折りも、有り。

 七日めの夜は、女夫(めをと)臥したる枕許に立ち寄り、頭(あたま)どちを、寄せがまちにし、其の上、夜(よる)の物を、裾よりまくり、冷(つめた)き手にて、足を撫でければ、夫婦(ふうふ)の者は、魂(たましひ)を消すのみならず、しばし、物ぐるはしくなりける、とぞ。

[やぶちゃん注:この波状的な怪異の襲来は、なかなかに名品と言える。特に、六日目の物の怪の本領発揮の巧妙な仕儀も、確信犯で、人間どもを油断させるための巧妙な手段であって、実は出現はしなかったのは、「神明・佛陀の納受」のお蔭でも何でもなく、サウンド・エフェクトだけで、震えあがらせているところなど、実にホラーとしての勘所を、逆に押さえているとさえ言えるのである。さても、本書の後に怪奇談を書く作者なら、これを再話しない手は、ない。「諸國百物語卷之一 四 松浦伊予が家にばけ物すむ事」がそれである。ただ、この話、虚心に読むと、「いよ」というのが、女の名のように錯覚させる(ただ、冒頭「彼(かれ)の家」とあるから、男主人が「いよ」なんだろうとは思うのだが)。確かに再話のように、旦那の通り名が「伊予」なのだろうかも知れぬが、本篇は、最後まで「いよ」の家の主人の姿が、これ、まともに見えてこないのでる。七日目の閨房のシーンでも、夫の映像が浮かばないように意図的に描かれているように感ずる。ここに何らかの作者の隠された意図、或いは、特別なある心理上の拘りがあるように思われるのだが、その核心は、私には、未だよく判らないのである。或いは、霊が呼びかける「初花」(女房の名ではないことは、彼女の反応からみて間違いない)という言葉に何かヒントがあるような気がする。

「寄せがまちにし」「寄せがまち」は「寄せ框(がまち)」で、商家などの入り口の取り外しが出来る敷居のことで、昼間は外しておき、夜、戸を閉める時に取り付けるようにしたもの指す。岩波文庫の高田氏の注によれば、『寄框のように直角に頭を突き合わせること』とある。]

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