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カテゴリー「続・怪奇談集」の211件の記事

2022/11/28

大和怪異記 卷之四 第十四 狐をおどして一家貧人となる事 / 卷之四~了

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第十四 狐をおどして一家(《いつ》け)貧人(ひんじん)となる事

 肥前の土民(どみん)甚六といふもの、五月なかば、子供二人、つれ、朝、とく出《いで》て、田をうゑ、ひるつかた、馬に草かひ、ものなど、くひ、やすみいたる所に、ひだりのかたの、そわに、きつね、よく、いねて、死(しに)たるごとくに、みゆ。

 子ども、見付《みつけ》、

「あれや。」

と、いふほどこそあれ、親子三人、地をたきて、おめき、さけべば、きつね、めをさまし、

「つ」

と、をきて、にげゆく。

 二人の子ども、ひろきのばらを、いちあし出して、追《おひ》かくれば、其邊(《その》あたり)に居(ゐ)けるわかきものは、

『おもしろき事。』

にして、聲をあげ、手をうちて、あとにつゞく。

 かくれがも、なければ、のちは、いばらのしげれるなかに、おひこまれ、足、なへて、うごかず。

「ころさん。」

といふものも、あり。

「不便なり、ころすな。」

といふも、あり。いづれも、わらひて、歸りぬ。

[やぶちゃん注:「そわ」には、「近世民間異聞怪談集成」ではママ注記があるが、誤りではない。これは「岨」で通常は「そば」「稜(そば)」と同語源で、「山の切り立った険しい所・崖・絶壁」の意であるが、古くは「そわ」と表記したからである。

「のばら」「野原」。

「いちあし」「逸足」。急いで走ること。]

 かくて、二、三日過(すぎ)、甚六、ゆめ、見しは、いかなる人とも、しらず、よに、たつときすがたにて、枕上にたち、

「汝、つねに正直にして、道をまもるゆへ、福をさづくべし。汝が、豆、うゑたる畑の中、五尺下に、「ぜにがめ」、あり。掘(ほり)て取《とる》べし。」

と見て、ゆめ、さめぬ。

[やぶちゃん注:「よに」助動詞「やうなり」の近世口語形「ようなり」の連用形「ように」の変化したもので、副詞的に「いかにも~のようで」の意。]

 又、あくる夜(よ)の夢も、おなじごとく、見つ。

 三夜めには、甚六が妻子共゙も、おなじやうに、ゆめ、見ければ、あさ、とく、おきて、「かく。」

と、かたりあひ、

「我(われ)、年ごろ、福神(ふくじん)に、つくれる初穗(はつ《ほ》)を奉るゆへ[やぶちゃん注:ママ。]、幸《さひはひ》をさづけ給ふにこそ。かならず、沙汰、なせそ。」と、さけなど、いはゐ、すき・くわを持《もち》て、うへ置《おき》たる豆を、ほりすて、おやこ、汗になりて、五尺ほど、ほりけれども、なにも、なし。

「爰(こゝ)にては、あらぬか。」

と、別の所を、ほれども、かはりたる事もなく、打腹立(うちはらたて)て、やどにかへり、つくれるものは、ほりかへして、物わらひになりぬ。

「沙汰、なせそ。」

といひて寢(ね)し。

 其夜、又、ゆめみるやう、

「汝、心、みじかし。祝ふ所に、福、來《きた》る。所の者どもにも、しらせ、よく、いわゐて[やぶちゃん注:ママ。]、地(ぢ)の底(そこ)、三間《さんげん》、ほりて見よ。かならず、有《ある》べし。」[やぶちゃん注:「三間」五メートル四十五センチ。]

と、みて、

「此上は。」

とて、近所の人を、よびあつめ、さけのませ、うたひ、たはふれ、十人ばかりにて、ほりけるに、はや、三間もほりたると、思ふとき、

「ぜにこそ、出《いづ》れ。」

といふ程こそあれ、土にまじりたるを、

「爰にもあり、かしこにもあれ、」

とて、十錢ばかり、ほり出《いだ》し、よろこび、いさみ、

「なを[やぶちゃん注:]、ひろく、ほれよ。」

とて、ひたほりに、ほる程に、

「かく。」

と、さたして、見に來《きた》る者ども、手に手に、十間[やぶちゃん注:十八メートル。]ばかり、ほりければ、暫く、ほりては、五錢、三錢、ほり出しける程に、其日、ぜに、五、六十、ほり出しぬ。

 さて、くれかたに歸り、人々、いへるは、

「げにも、土の内、二、三間下《した》に錢あること、ふしぎなり。つげのごとく、ぜにがめ、有べし。あけなば、人をやとひ、ほるべし。」

と云(いひ)て、あくる日は、二、三十人、やとひ、あさ、とく、あさ酒、したゝめさせ、又、終日(しうじつ)ほるに、五錢、三錢づゝ出ける程に、

「何(なに)さま、かめに、ほりつけん。」

と、日ごとに、家をすて、田うへ・草とる事を、やめ、夏のかてもの、たねあるかぎり、くらひ、もはや、食(しよく)すべき物、なければ、ほる事も、ならず。さらば、田うへつくりする事も、ならず。[やぶちゃん注:「かてもの」「糧物」。日々の糧食(りょうしょく)。]

 其年、家をうり、妻子、ちりぢりになり、後(のち)には、乞食(こつじき)となりにける。

「是は、かのきつねを追《おひ》、からき目、見せけるゆへ、かゝる「つげ」をなし、家を、ほろぼしけん。」

と沙汰し、あへりける。肥前土人物語

 

 

やまと怪異記巻之四終

[やぶちゃん注:今までの例から、原拠のそれは書名ではなく、「肥前の土人(どじん)の物語り」になる、との意と、とる。今回は注は、読み易さを考慮して、総て文中に配した。]

2022/11/27

大和怪異記 卷之四 第十三 愛執によつて女のくびぬくる事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから次のページにかけてである。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。

 挿絵があるが、これは「近世民間異聞怪談集成」にあるものが、状態が非常によいので、読み取ってトリミング補正し、適切と思われる箇所に挿入する。因みに、平面的に撮影されたパブリック・ドメインの画像には著作権は発生しないというのが、文化庁の公式見解である。底本の画像はここ。]

 

 第十三 愛執(あい《しふ》)によつて女《をんな》のくびぬくる事

 越中国に有德(うとく)なる人あり。男子(なんし)一人、女子(によし)一人を、もてり。

 かのむすめは、かたち人にこえ、すでに十四になりぬ。

 また、となりに十五になる美少人(びしやうじん)あり。

 かのむすめ、此男子に、れんぼして、度々《たびたび》、玉づさをおくりしかども、男子、返事をもせず。

 此事、いかゞして聞えけん、むすめが父母(ちゝはゝ)、かたく、たんせいして、むすめをほかに出さず。

 むすめ、かなしみ、うらみて、くひものを、たち、すでに死《しぬ》べく見えければ、うば、歎(なけき[やぶちゃん注:ママ。])て、いかにもして、男子にあはせんことをはかりしに、その事とても、かなふべくもあらねば、ひとしほ、なげきのいろ、まさりけり。

 

Kubinuke

 

 あるとき、男子、ゑん[やぶちゃん注:ママ。「緣」。縁側。]に出て、にはを、ながめけるに、むすめ、『いかにもして、あひたき』と思ふ心にや、くび、をのれと[やぶちゃん注:ママ。]、ぬけいで、へいのうへに居て、少人を、まもれり。

 これなん、世にいふ「轆轤首(ろくろくび)」とかや、いふものなるべし。

 かゝる所に、女子が兄(あに)、これをみるに、むすめがからだは、せうじ[やぶちゃん注:ママ。「しやうじ」で「障子」。]のうちに有《あり》ながら、くびは、かべの上にあり。

 ほそき糸、引《ひき》、はへたり。

 兄、おどろき、をそれ[やぶちゃん注:ママ。]、刀(かたな)をぬきて、いとを、切《きり》ければ、くびは、むなしく、へいより、ころびおちぬ。

 それより、となりの男子も、風のこゝちといひしが、四、五日、煩(わづら)て、つゐに[やぶちゃん注:ママ。]むなしくなれりとかや。

 轆轤首は「本草」・「五雜祖」などに記(しる)せる「飛頭蛮(ひとうばん)」の事なり。「叢談」

[やぶちゃん注:本文内の「轆轤首」の「轆」の字は、底本では「車」+「𢈘」(「鹿」の異体字)であるが、表字出来ないので、通常のそれを当てた。典拠とする「叢談」は私は不詳。

 さて、この話は、以下に見る通り、私は結構な数の「轆轤首」譚を電子化注してきているが、このシチュエーション――娘が隣家の美少年に恋をして、遂にその思いのために轆轤首に突発的に変じて、それを見てしまった実兄が驚き、迂闊にも糸を斬ってしまい死に(「死んだ」とは本文には書かれていないが、これは間違いなく死んでいる。「にょろにょろ」型の本邦の轆轤首ではなく、首だけが外れて飛び出して夜間に飛び回って、しかも、一本の糸で首と胴体が繋がっているというのは、実は唐(から)渡りの由緒ある「飛頭蠻」の古式の知られた属性なのである。私の『「和漢三才圖會」巻第十四「外夷人物」より「飛頭蠻」』を参照されたい)、ほどなく、その魅入られた少年も亡くなってしまう――という悲しい展開は他にあまり例を見ないものと思う。但し、若主人と腰元という設定で、挿絵がかなり似ているものに、私の

「太平百物語卷四 卅六 百々茂左衞門ろくろ首に逢し事」

がある(腰元は轆轤首に変じたことを恥ずかしく思い、致仕し、出家して尼になるという展開である)。

 轆轤首譚は、何よりも、小泉八雲の‘ ROKURO-KUBI ’にトドめを刺す。私の小学校三年生以来の永遠の遺愛の名品、

「小泉八雲 ろくろ首  (田部隆次訳) 附・ちょいと負けない強力(!)注」

を参照されたい。この注は、二〇一九年の公開当時の私の注としては、これ以上のものはないと思うリキを入れた「轆轤首」注であり、今も、その自信は基本、変わっていない。八雲のものでは、英文で「轆轤首」を訳すのに苦労したという語りで始まる、彼の、

『小泉八雲 化け物の歌 「五 ロクロクビ」  (大谷正信訳)』

は、面白い割に、あまり読まれていないと思うので、特に掲げておく。

 他に、総合的な意味では、公開の二〇一七年の私のブログの状況下では、頑張った注を附してある(ユニコード使用の前で正字化に不全があるのが恨みであるが)、

「柴田宵曲 妖異博物館 轆轤首」

が、一記事で手っ取り早く、本邦での「轆轤首」変遷を掻い摘んで読める便宜はある。以下、単発独立電子化注では、

「古今百物語評判卷之一 第二 絕岸和尚肥後にて轆轤首見給ひし事」

「諸國百物語卷之二 三 越前の國府中ろくろくびの事」

が、比較的読み応えがあり、また、ちょっと触れているだけであるが、

「宗祇諸國物語 附やぶちゃん注   千變萬化」

も参考になる。また、番外編としてお勧めなのは、噂で「ろくろ首」と差別された娘の珍しいハッピィー・エンドの快作、

「耳嚢 巻之五 怪病の沙汰にて果福を得し事」

と、小泉八雲がそうした噂を立てられた、自宅に出入りする髪結「オコトサン」の一件(やはりはハッピィー・エンド)を記した、

『小泉八雲 落合貞三郎他訳 「知られぬ日本の面影」 第十八章 女の髮について (五)』

も、是非、読まれたい。

「玉づさ」「玉梓」「玉章」で「手紙」(時に「使者・使い」の意もある)。「たまあずさ」の転。昔、使者が梓(あずさ)の木の枝に結びつけて便りを運んだことによる。

「本草」明の李時珍撰で江戸時代まで本邦の本草学のバイブル的存在であった「本草綱目」のこと。「小泉八雲 ろくろ首  (田部隆次訳)」の注で原文の一部を引いたが、同書の巻五十二の「人之一」の掉尾(「本草綱目」本文の部の終りである)に配された「人傀」(じんくわい(じんかい):「人の怪異なる者」の意)のまさに最後の最後に、

   *

人具四肢七竅常理也而荒裔之外有三首比肩飛頭埀尾之民此雖邉徼餘氣所生同于鳥獸不可與吾同胞之民例論然亦異矣【山海經云三首國一身三首在崑崙東○爾雅云北方有比肩民半體相合迭食而迭望○南方異物志云嶺南溪峒中有飛頭蠻項有赤痕至夜以耳爲翼飛去食蟲物將曉復還如故也搜神記載吳將軍朱桓一婢頭能夜飛卽此種也欲○永昌志云西南徼外有濮人生尾如龜長三四寸坐則先穿地作孔若誤折之便死也】是故天地之造化無窮人物之變化亦無窮賈誼賦所謂天地爲爐兮造化爲工隂陽爲炭兮萬物爲銅合散消息兮安有常則千變萬化兮未始有極忽然爲人兮何足控摶化爲異物兮又何足患此亦言變化皆由于一氣也膚學之士豈可恃一隅之見而㮣指古今六合無窮變化之事物爲迂怪耶

   *

とある。今回は以上を国立国会図書館デジタルコレクションの風月莊左衞門寛文九(一六六九)板行の画像(ここから次の掉尾まで)を参考にしつつ、私の訓読を示しておく。

   *

人、四肢・七竅を具ふは、常の理(ことわり)なり。而しれども、荒裔の外(そと)[やぶちゃん注:辺境のさらにその外側。]に、三首・比肩・飛頭・埀尾の民、有り。此れ、邉徼(へんけう[やぶちゃん注:辺境。])、餘氣の生ずる所と雖も、鳥獸と同じくして、吾が同胞の民として例(くら)べて論ずべからず。然(しか)も亦、異なり。【「山海經」に云はく、『三首國、一身に三首たり。崑崙の東に在り。』と。○「爾雅」に云はく、『北方に比肩の民、有り。半體、相ひ合(がつ)し、迭(たが)ひに食しては、迭(たが)ひに望(なが)む。』と。○「南方異物志」に云はく、『嶺南の溪峒(けいどう)の中、飛頭蠻、有り。項(うなじ)に赤き痕(あと)有り。夜に至りて、耳を以つて翼(つばさ)と爲(な)し、飛び去りて、蟲や物を食らふ。將に曉(あかつき)に復(ま)や還(かへ)りて、故(かく)のごときなり。』と。「搜神記」に、『吳の將軍朱桓の一婢(いちひ)、頭、能く、夜、飛ぶ。卽ち、此の種なり。』と。』と。○「永昌志」に云はく、『西南徼外(けうがい)に濮人(ぼくじん)有り。尾(を)を生ずること、龜のごとく、長さ、三、四寸。坐せんと欲するときは、則ち、先づ、地を穿ちて、孔(あな)を作(な)す。若(も)し誤りて之れを折れば、便(すなは)ち、死す。』と。】是の故に、天地の造化、窮(きはま)り無く、人物の變化も亦、窮り無し。賈誼(かぎ)が賦(ふ)に、所謂(いは)ゆる、「天地を爐と爲(な)し、造化を工と爲し、隂陽を炭(たん)と爲し、萬物を銅と爲して、合散(がふさん)消息して、常(つね)有ることを安(やす)んずるときは、則ち、千變萬化、未だ始めより極(きはま)り有らず、忽然として、人と爲(な)る。何ぞ控摶(こうたん)する[やぶちゃん注:保持する。]に足(た)りてん。化して、異物と爲る。又、何ぞ患(わづら)ふに足らん。此れを亦、言はく、變化、皆、一氣に由(よ)るなり。」と。膚學(ふがく)の士[やぶちゃん注:浅学の徒。]、豈に一隅の見(けん)を恃(たの)んで、㮣(おほむ)ね古今六合・無窮の變化の事物を指(さ)して、「迂怪(うくわい)なり。」[やぶちゃん注:怪しく邪(よこし)まである。]と爲すべけんや。

   *

「五雜組」調べたが、同書には「飛頭蠻」或いは「飛頭」の文字列は存在しない。当初から気になっていたが、これは本書の作者の添書であろうからして、しばしば、私もふと勘違いする「酉陽雜組(俎)」の誤りではないかと踏んで、調べたところ、図に当たった。「酉陽雜俎」には「巻四」の「堺異」の中に、整理すると、五種の飛頭人(但し、「飛頭蠻」ではなく、「飛頭者」及び、一部の通称で「飛頭獠子」(ひとうりょうし)とする)の記載が並んであった。「中國哲學書電子化計劃」の影印本の当該部で起こす。句読点は同サイトの振ったものと、所持する東洋文庫の今村与志雄先生の訳を参考にした。訓読は今村先生のものをもとに自然流で行った。

   *

嶺南溪洞中往往有飛頭者。故有飛頭獠子之號。頭將飛一日前、頸有痕匝、項如紅縷。妻子遂看守之。其人及夜狀如病、頭忽生翼、脫身而去。乃於岸泥尋蟹蚓之類食、將曉飛還。如夢覺、其腹實矣。

梵僧菩薩勝又言、闍婆國中有飛頭者。其人目無瞳子、聚落時有一人。據于氏「志怪」、『南方落民、其頭能飛。其俗所祠、名曰蟲落。因號落民。』。

晉朱桓有一婢。其頭夜飛。

「王子年拾遺」言、『漢武時、因墀國使南方、有解形之民、能先使頭飛南海、左手飛東海、右手飛西澤。至暮、頭還肩上、兩手遇疾風、飄於海水外。

   *

①嶺南の溪洞の中(なか)に、往往にして、頭を飛ばす者、有り。故に「飛頭獠子」(ひとうりやうし)の號(な)有り。頭、將に飛ばんとする一日前、頸に、痕匝(こんそう)[やぶちゃん注:ぐるっと首を回った筋のような痕(あと)。]有りて、項(うなじ)の、紅縷(こうる)のごときものなり。妻子、遂(そのまま)に之れを看守(みまも)れり。其の人、夜に及び、狀(じやう)、病ひのごとくなりて、頭、忽ちに翼(つばさ)を生やし、身(からだ)から脫して去る。乃(すなは)ち、岸(かはぎし)に於いて、泥より、蟹・蚓(みみず)の類(たぐゐ)を尋(さが)し食(くら)ひ、將に曉(あかつき)にならんとするに、飛び還る。夢の覺めたるがごとく、其の腹、實(みて)り。

②梵僧[やぶちゃん注:インド出身の僧。]の菩薩勝(ぼさつしやう)、又、言はく、『闍婆國(じやばこく)[やぶちゃん注:ジャワ。]の中に、頭を飛ばす者、有り。其の人は目に瞳子(ひとみ)が無く、聚落には、時に一人は有り。』と。

③于氏(うし)が「志怪」に據(よ)れば、『南方の落民は、其の頭、能く飛ぶ。其の俗、祠(まつ)れる所のものを、名づけて「蟲落(ちゆうらく)」と曰ふ。因りて「落民」と號(なづ)く。』と。

④晉の朱桓(しゆかん)、一婢(いつぴ)有り。其の頭、夜、飛べり。[やぶちゃん注:今村先生の注によれば、この原拠は知られた晋の宝(かんぽう)の「搜神記」かとされ、それに従うなら、朱桓は呉の将軍である。]

⑤「王子年(わうしねん)拾遺」[やぶちゃん注:東晋の頃の志怪小説集。]に言はく、『漢の武の時、因墀國(いんちこく)の使(つかひ)いはく、『南方に、形を解(わ)くるの民、有り、能く、先づ、頭をして南海に飛ばしめ、左手は東海に飛ばしめ、右手は西の澤(さは)に飛ばしむ。暮れに至りて、頭、肩の上に還るも、兩手、遇(たまた)ま、疾風ありて、海の水外に飄(ただよ)へり。』と。

   *]

大和怪異記 卷之四 第十二 女鬼となる事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第十二 女鬼となる事

 江戶、中橋《なかはし》に、庄右衞門といふ者あり。

 其妻、をつとを、ねたむ事、つもり、いつとなく、わづらひ、日かずふるまゝに、をとろへはて[やぶちゃん注:ママ。]、死すべきほども、ちかく見えしかば、をつとも、そばをはなれず、まもり居けるが、ある夜、

「がは」

と、おきあがり、

「あら、腹立(はらたち)や。」

と、いひて、双(さう)のゆびを、おのが口にいれ、引《ひき》ければ、みゝのねまで、さけ、かみ、さかさまにたちて、しゆろの葉のごとくなるを、みだし、をつとに、とびかゝるを、前なるふとんを取(とつ)て、なげかけ、

「むず」

と、くみ、

「よれや、ものども。」

と、聲をたてければ、下人も、となりのものも、かけつけ、よぎ・ふとん、うちかけ、六、七人、をりかさなり、

「ゑいや。」

声を出《いだ》し、をしころしける[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]。

 されども、よぎ・ふとん、とりのくる事、おそろしく、そのまゝふるきながびつに、をし入《いれ》、寺にをくりしを[やぶちゃん注:ママ。]、法師ども、

「かみ、そらん。」

とて、取出《とりいだ》し、みるに、眼(まなこ)を見ひらき、口は、みゝのねまで、きれ、かみは、ゑりける[やぶちゃん注:「彫(ゑ)りける」で「像として彫刻された」の意。]羅刹のごとくなりしかば、をそれ、わなゝき、ふたをし、燒塲(やきば)につかはし、火葬としける。

 是より、をつとも、わづらひつきて、百日ばかり後に、身まかりけり。

[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第十一 執心篇」にある「妬女(ねたみをんな)鬼(をに[やぶちゃん注:ママ。])となる」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。ここと、ここ。そこでは夫の名を姓も添えて『高野庄(こうのせふ[やぶちゃん注:ママ。])左ヱ門』となっている。

「江戶、中橋」中橋は京橋の東西にあった橋で、江戸歌舞伎の始祖中村勘三郎が江戸で初めて芝居小屋を掛けた(寛永元(一六二四)年。但し、当時、彼は猿若勘三郎と名乗っていた)場所に近い。ここ(グーグル・マップ・データ)。

「しゆろの葉のごとくなるを、みだし」この「みだし」を「近世民間異聞怪談集成」では「見だし」と翻刻しているが、ここは「見だし」では意味が通らない。これは「見」を崩した平仮名の「み」であって、「亂し」として、初めて意味が通る。 ]

大和怪異記 卷之四 第十一 孕女死して子を產育する事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここと、ここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第十一 孕女(はらみ《をんな》)死して子を產育する事

 土佐国、浦邊にあるもの、懷姙《くわいにん》にて、身まかりぬ。

 しかるを、染(そめ)かたびらを、きせて、葬れり。

 其のち、近邊に「もちや」ありしに、夜(よ)ごとに、錢壱匁づゝもちて、もちを、かい[やぶちゃん注:ママ。]に來《きた》る女、あり。

 六日、來《きたり》て、七日めには、「かたびら」をもち來り、

「これに、あたるほど、たまはれ。」

とて、もちにかへて、歸りぬ。

 翌日、かたびらを見れば、あまりによごれし程に、あらいて、ほしけるとき、かの女のをつと、通りあはせ、これをみ、

『もし、塚をほりて取(とり)たるか。』

と、うたがひ、ゆへをとひければ、

「しかしか。」

と、かたりしかば、ふしぎの事におもひ、其夜、「もちや」がかたに、女、來るを、うかゞひみるに、をのが[やぶちゃん注:ママ。]妻なりしかば、あとを、したゐ[やぶちゃん注:ママ。]ゆくに、はか所《しよ》に入《いり》けるを、心しづかに、耳をよせて、きけば、あか子のなく聲、しけるほどに、いよいよ、あやしみ、つかを、ほりかへし見れば、子をうみて、ひざのうへに、すへたり[やぶちゃん注:ママ。]。

 その子を、つれかへり、はごくみしに、成人して、寬文元年の比(ころ)、十八、九歲にて、船頭と成(なり)、大坂に來りしを、見たり。

 死しても、子をおもふみちに、まよふ。

 おやのこゝろほど、あはれなる事は、あらじ。「犬著聞」

[やぶちゃん注:「犬著聞集」の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」にも採られていないようであるが、これは「子育て幽霊」として頓に知られる話柄であり、私の記事でも枚挙に遑がないほど、甚だ多い。個人的には好きな類譚である(「餅」の代わりに「飴」であるものも本邦では多い)。蘊蓄物で個人的には好かぬが、原拠の一つなどを注で探っておいた「古今百物語評判卷之二 第五 うぶめの事附幽靈の事」や、「伽婢子卷之十三 幽鬼嬰兒に乳す」、また、民俗学からの「うぶめ」の考証物では、『柳田國男「一目小僧その他」 附やぶちゃん注 橋姫(3) 産女(うぶめ)など』を挙げておこう。また、当該ウィキの「子育て幽霊」もあり、その「餅を買う女」の項を見て戴くと、本譚の濫觴が南宋の洪邁の撰になる怪奇談集「夷堅志」(一一九八年成立)に載せるものと酷似することが紹介されてある。これは同書の「夷堅丁志」の「宣城死婦」である。「中國哲學書電子化計劃」の影印本の当該部で起こす。暴虎馮河の自然流で訓読する

   *

宣城經戚方之亂、郡守劉龍圖被害、郡人爲立祠。城中蹀血之餘、往往多丘墟。民家婦任娠、未產而死。瘞廟後、廟旁人家、或夜見草間燈火、及聞兒啼。久之。近街餅店、常有婦人抱嬰兒來買餅。無日不然。不知何人也。頗疑焉。嘗伺其去、躡以行、至廟左而沒。他日再至、留與語、密施紅線綴其裙、復隨而往、婦覺有追者、遺其子而隱。獨紅線在草間塚上。因收此兒歸。訪得其夫家、告之故、共發塚驗視、婦人容體如生、孕已空矣。舉而火化之。自育其子、聞至今猶存。荊山編亦有一事小異。

   *

 宣城、「戚方の亂」を經て、郡守劉龍圖、害せられ、郡人、祠(ほこら)を立てんと爲(す)るも、城中、蹀血(てうけつ)の餘り[やぶちゃん注:血の海となって。]、往往、丘墟[やぶちゃん注:荒れ果てた野。]、多し。

 民家の婦(をんな)、任娠して、未だ產せずして、死す。

 瘞廟(えいびやう)[やぶちゃん注:廟を設けて埋葬すること。]の後(のち)、廟の旁らの人家、或る夜、草の間(あひだ)に燈火を見、兒の啼くを聞くに及ぶ。

 之れ、久し。

 近街の餅(もちう)る店に、常に婦人の嬰兒を抱きて來たりて餅を買へる有り。然らざる日、無し。何人(なんぴと)なるか知らざるなり。

 頗(すこぶ)る、疑へり。

 嘗(こころ)みに、其の去れるを伺ひ、以つて、躡(あとお)ひ行くに、廟の左に至りて、沒(うしな)へり。

 他日、再び至れば、留めて與(とも)に語り、密(ひそ)かに紅き線-綴(いと)を、其の裙(すそ)に施し、復た、隨ひて往(ゆ)きたるに、婦、追へる者、有るを覺え、其の子を遺(のこ)して隱れたり。

 獨(ただ)、紅線のみ、草の間の塚の上に、在り。

 因りて、此の兒を收(いだ)きて歸る。

 其の夫(をつと)の家を訪ね得て、之れを告げし故、共に塚を發(あば)き、驗(こころ)み視るに、婦人の容體(やうたい)、生けるがごとく、孕(はら)は、已に空(くう)たり。

 舉(とりあ)げて、火にて、之れを化(おく)れり。

 自(みづか)ら、其の子を育み、聞くに、今に至りて、猶ほ、存すと。

 「荊山編」に『亦、一事の小異、有り。」と。

   *

「寬文元年」一六六一年。徳川家綱の治世。

「死しても、子をおもふみちに、まよふ」と一見、辛口に批評しつつ(仏教では父母の子を思う心を最大の妄執の一つとして戒めている)、糞「徒然草」の辛気臭いそれに終らず。「おやのこゝろほど、あはれなる事は、あらじ」と思いやって感じは、いい。]

大和怪異記 卷之四 第十 蜘蛛石の事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第十 蜘蛛石(くもいし)の事

 紀伊国那賀郡貴志庄《きいのくになかのこほりきしのしやう》北山村の西北山の半腹に、「蜘蛛石」とて、大小、數十(す《とう》)、皆、白色(しろいろ)なり。

『むかし、此所に「大くも」ありて、徃來(わうらい)の人を、なやますとき、貴志正平といふ者、かの「くも」を、退治す。蜘蛛がほね、石となれり。』と云傳(《いひ》つた)ふ。「紀州志」

[やぶちゃん注:「紀州志」既出既注であるが、再掲すると、「南紀名勝志」或いは「紀州名勝志」・「南紀名勝略志」という名で伝わる紀州藩地誌の写本の中の一冊であろう。底本と同じ「新日本古典籍総合データベース」の「南紀名勝志」を参看したところ、同書の「那賀郡」のここにあった。本篇の内容とほぼ同様であるが、一点、原拠では、退治した貴志正平を『社司』としている。

「紀伊国那賀郡貴志庄北山村の西北山」現在の地名としては、和歌山県紀の川市貴志川町北山となるのだが、「ひなたGPS」で戦前の地図を見てみると、「北山」は大字名であることが判り、この時には、「那賀郡中貴志村」に統合されていたことが判る。さらに、その西部分には「口北」・「西出」・「西山」の地名が確認されることから、私は、この蜘蛛石の比定地を現在の北山の西方の、この辺りではないかと、一旦は考えた。ところが、それを再検証しようと、調べてみたところ、サイト「ニュース和歌山」の「妖怪大図鑑」の「其の百弐拾〜蜘蛛血石(くもちいし)」に酷似する怪石が、この同じ貴志川町にあるとする記事があるのを見つけた。そこには、『紀の川市貴志川町、高畑山にある白岩には、白い肌に点々と血で染めたような斑がついていて、地元で「蜘蛛血石」と呼ばれている。かつて高畑山に棲んでいた大蜘蛛を坂上田村麻呂が退治した時、大蜘蛛が流した血の痕だという。現在なお、この山には「蜘蛛血石」がごろごろあるというが、ある男がこの石を持ち帰ったところ、石から夜な夜な「高畑山へ帰してくれ」と声が聞こえてきた。他にも、夜中に泣き出すとか、色が変わるとか、奇妙な現象が絶えなかった。』とあるのである。これは退治者が高名な人物であるが、間違いなく、本篇の石であると考えてよいだろう。そこで「高畑山」がポイントになる。調べた結果、山の名は見出せなかったものの、「紀の川市役所」の「農林整備課」の作成になる詳細を極めた「紀の川市ため池マップ」PDF)の「3」の「302085197」番の溜め池の名に貴志川町「高畑池」が載っていた。しかも、これをグーグル・マップ・データで見ると、貴志川町北山に辛うじて含まれてある、北の山間の池(中央の種型の小さなもので東の貴志川町丸栖に突き出ている。これはこの池の水が北山地区の水利用であることを示すものである)であることが判明した。さればこそ、やはり、この比定地は和歌山県紀の川市貴志川町北山でよかったのであった。而して、北山地区の産土神の『社司』であると仮定すれば、一つ、北山地区にあって、高畑池の南麓にある北山妙見宮(グーグル・マップ・データ)が候補となるか。ゆきまる氏のブログ「ゆきまるのブログ」の「北山妙見宮(紀の川市貴志川町北山)」を見ると、『旧那賀郡貴志荘北山村に鎮座とあるが、『紀伊続風土記』に記載なし。明治時代以降の造営と思われるが、境内に昭和53年(1978年)4月に改築した記念碑があり、これ以前にはすでに存在していたと思われる』とあったので、候補たり得るものと私は考える。先の「ひなたGPS」で見ると、山の名が「御茶屋御殿山」とあるのだが、その南の山腹に実に「白岩」とあるのを発見した。ますますここの可能性が、いや高である。私は高校時代地理Bまで、三年間、地理を習った地理フリークで、旅行は好まないものの、地図を調べるのは、頗る好きで、こうした検証は、只管、面白いのである。]

2022/11/26

大和怪異記 卷之四 第九 蜂蜘にあだをむくふ事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第九 蜂(はち)蜘(くも)にあだをむくふ事

 相刕小田原の蓮池に、ふねを入《いれ》て、

「盆前(ぼんぜん)に葉花(ははな)を切(きり)する。」

とて、舟に乘居(のりゐ)ける者ども、船ばたに、手うちかけ。しばらく休(やすら)ひけるに、蜂、一つ、來て、花をすひけるが、蜘のゐにかゝりけるを、葉の下より、蜘、出《いで》て、ゐにて、まきけるに、蜂も、しばしは、ゐをやぶりかねしが、とかくして、やうやう、にげさりける。

 其後《そののち》、此くも、蓮花(はすの《はな》)の、半《はん》びらきたるにのぼり、ゐをもつて、まきよせ、はなのうへを、とぢあはせ、其内に、かくる。

「いかに、かくは、するぞ。」

と心をつけ、見ける所に、しばらくありて、蜂一つ、來《きた》ると思へば、あとより、百ばかり、

「どつ」

と、來て、蜘のかくれ居(ゐ)たる花のあたりを尋《たづぬ》ると見へけるが、蛛のかくれたる花にとりつき、みるうちに、花を、あみのごとくに、さしやぶり、

「ばつ」

と、立《たち》て、さりぬ。

 人々、舟をよせて、此花のうちをみるに、かくれたる蛛、

「ずだずだ」

になりて、死《しし》けり。

 前に、ゐにかゝりたる蛛、出《いで》て、ゐにてまかれし意趣を思ひ、ともを、もよほし、あだをむくゐける、と見えたり。相刕圡人物語

[やぶちゃん注:これも原拠は書名とは見做さない。「相刕(さうしう)の圡人(どじん)の物語り」である。

「相刕小田原の蓮池」これはまず、候補としては、小田原城南堀の別名「蓮池」(グーグル・マップ・データ)ととっておくべきか。城の北直近に明日池弁財天社もある。

「ゐ」「圍」(囲)で蜘蛛の網のこと。]

大和怪異記 卷之四 第八 蛇塚の事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第八 蛇塚の事

 奧刕二本松領塩田郡(しほたごほり)宮本といふ所の明神の前にて、ある人、三、四尺ばかりの蛇をころしければ、それより、蛇、むらがり來り、われと、はらを、くひやぶりて、一万ばかり、いやがうへに、かさなり、死す。

「これ、たゞことに、あらず。」

とて、つきこめ、「蛇塚」とて、今にあり。

 かの蛇ころしける者は、程なく、一家(いつけ)、滅亡せり。いかなるゆへか有《あり》けん。

[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第六 勝蹟篇」にある「奥州蛇塚(じゃづか)」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。同合巻「二」PDF)の64コマ目から。

「奧刕二本松領塩田郡(しほたごほり)宮本」福島県二本松市宮本

「明神」現在は見当たらない。]

大和怪異記 卷之四 第七 異形の二子をうむ事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第七 異形(い《ぎやう》)の二子(ふたご)をうむ事

 奧州南部盛岡の妙泉寺門前の百性が女房、延宝八年夏のころ、二子をうみしに、一人(ひとり)は、片手、ながく、片手、短く、足、かゞまり、身に、毛、生《おひ》ければ、さながら猿猴(《えん》こう)に、ことならず。

 いまひとりは、目・鼻、なくして、手、七つ、足、四十三本あり。

「かゝることやうなる者は、はぢをさらさずれば、あとのため、よし。」

とて、捨《すて》たりしを、ある人、

「やしなひみん。」

とて、乳(ち)をのませけるに、五、六日へて、死しけり。

[やぶちゃん注:「犬著聞集」原拠。これは、幸いにして、後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」に所収する。「第十 奇怪篇」にある「異形(いぎやう)の二子(ふたご)を同產(どふさん[やぶちゃん注:ママ。])す」である。早稲田大学図書館「古典総合データベース」の寛延二(一七四九)年刊の後刷版をリンクさせておく。ここ。にしても、二人目の奇形は甚だしい。これをも育てようとしたというのは、奇特の極みである。

「妙泉寺」現在の岩手県盛岡市加賀野にある寺(グーグル・マップ・データ)。

「延宝八年」一六八〇年。は徳川家綱(延宝八年五月八日(一六八〇年六月四日)没)・徳川綱吉の治世。

「猿猴」猿。]

大和怪異記 卷之四 第六 女の尸蝶となる事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここ。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第六 女の尸(かばね)蝶《てふ》となる事

 ちかき比《ころ》にや、會津に何がしとかやいふものゝ婢女(げじよ)、朝(あさ)け[やぶちゃん注:ママ。]の米をかしくとて、ふと、わらひ出《いで》、聲のかぎり、どよみ、たをれて[やぶちゃん注:ママ。]、いき絕《たえ》たりしを、火葬になせるに、火も、漸く、めぐる、と見えしとき、鐵砲のごとく、鳴出(なり《いだし》)、たちまちに、火(ひ)消《きえ》、ちいさき蝶、いく千万となく、飛出(とび《いで》)、四方にちりしを、ふしんに思ひ、よりてみれば、はねも、のこらず。

『さては。しがゐ[やぶちゃん注:ママ。]、蝶になりし。』

と、おのおの、きゐ[やぶちゃん注:ママ。]の思ひをなす。

 其蝶、二つ、ほしからびたるを、信州高遠、月岡宗二といふ人のもとに、緣有人《えんあるひと》、をくり[やぶちゃん注:ママ。]侍《はべり》ぬ。「犬著聞」

[やぶちゃん注:原拠は「犬著聞集」。本書は本書最大のネタ元で既に注済み。「犬著聞集」自体は所持せず、ネット上にもない。また、前話の最後で示した同書の後代の再編集版である神谷養勇軒編の「新著聞集」にも採られていないようである。同様の場合は、以下ではこの前振りは略すこととする。さて、本篇、甚だ短いが、その中に、複数の怪異要素があるため、逆に一読、かなり印象に残る怪奇談である。まず、

①「笑い死にの不思議」。この下女、或いはマジック・マッシュルームの一種である担子菌門真正担子菌綱ハラタケ目オキナタケ科ヒカゲタケ属ワライタケ Panaeolus papilionaceus をこっそり食べて、幻覚性のかなりあるサイロシビン(Psilocybin)中毒になったものか? しかし、本邦産では死亡例はないようである(当該ウィキを参照)。或いは、基礎疾患があったか? 不思議。

②「鉄砲のように爆(は)ぜる火葬体の不思議」。現代のように高温で短時間で焼かれる場合には、しばしば遺体は爆ぜる。しかし、ここは古い野焼きのそれで、およそ鉄砲のように鳴りだすというのは、怪異(けい)に他ならない。極めて考え難いが、遺体とともに火葬に附した彼女の帷子或いは副葬で燃やしたものの中に、火薬様(よう)の物が含まれていたものか? 山猟の若者が恋人で、お守り代わりにそんなものを渡していたというのは、現在の弾丸ならまだしも、ポンポンと鳴りだすことなどは、ない。今の医療の場合なら、死の直前に特殊な薬剤を注入していたなどという原因可能性も考え得るかも知れないが。不思議。

③「火葬後の遺体から幾千万となく翔び立っていった蝶の不思議」。たまたま御棺に用いていた木板が古い安物で、白アリに喰われていたとかぐらいしか思い浮かばぬ。或いは、焼く場所の下に古木に根が残っており、彼らが熱とともにワーンと飛び立ったものか? 不思議。

④「後日にその蝶の二羽の干乾びた標本が会津から高遠まで送られた事実とその受領者の姓名が月岡宗二と明記されているリアリズム」。怪奇談の御約束事の超リアル(に見える)附帯後日談のこれは、実にニクいじゃないの!

「高遠」長野県伊那市高遠(グーグル・マップ・データ。但し、指示されたそこは高遠町西高遠)附近。桜の名所として知られる。私は行ったことがないが、私がただ一編、読んで気に入った井上靖の小説「化石」で記憶に刻まれている。

「朝け」「朝餉(あさげ)」。

「かしく」「炊(かし)ぐ」。

「月岡宗二」不詳。]

大和怪異記 卷之四 第五 古井に入て死る事

 

[やぶちゃん注:底本は「国文学研究資料館」の「新日本古典籍総合データベース」の「お茶の水女子大学図書館」蔵の宝永六年版「出所付 大和怪異記」(絵入版本。「出所付」とは各篇の末尾に原拠を附記していることを示す意であろう)を視認して使用する。今回の本文部分はここから。但し、加工データとして、所持する二〇〇三年国書刊行会刊の『江戸怪異綺想文芸大系』第五の「近世民間異聞怪談集成」の土屋順子氏の校訂になる同書(そちらの底本は国立国会図書館本。ネットでは現認出来ない)をOCRで読み取ったものを使用する。

 正字か異体字か迷ったものは、正字とした。読みは、かなり多く振られているが、難読或いは読みが振れると判断したものに限った。それらは( )で示した。逆に、読みがないが、読みが振れると感じた部分は私が推定で《 》を用いて歴史的仮名遣の読みを添えた。また、本文は完全なベタであるが、読み易さを考慮し、「近世民間異聞怪談集成」を参考にして段落を成形し、句読点・記号を打ち、直接話法及びそれに準ずるものは改行して示した。注は基本は最後に附すこととする。踊り字「く」「〲」は正字化した。なお、底本のルビは歴史的仮名遣の誤りが激しく、ママ注記を入れると、連続してワサワサになるため、歴史的仮名遣を誤ったものの一部では、( )で入れずに、私が正しい歴史的仮名遣で《 》で入れた部分も含まれてくることをお断りしておく。]

 

 第五 古井(ふる《ゐ》)に入《いり》て死(しす)る事

 奧州の者、かたりけるは、我国に、あるもの、

「井の水を、かゆる。」

とて、奴僕(ぬぼく)をあつめ、かへさせけるに、下の、にごり、つきず。

 とかく、

「人をおろし、掃除させよ。」

とて、井底におろしけるに、ひかへたる繩、かろければ、

『定(さだめ)て、おりゐたるらん。』

と思ひ、まて共゙まて共゙、おと、なければ、不思議におもひ、又、人を、おろすに、なわ[やぶちゃん注:ママ。後も同じ。]、かろくなりて、かの者は、いづちゆきけん、しらず。

 みなみな、奇異の思ひをなし、あきれ、まどへり。

 其中に、をごの者、ありて、

「いざ、我をおろし給へ。いかなる變化(へんげ)の所爲(しよ《ゐ》)にもあれ、我は左《さ》は、せられじ。正躰を見とゞけん。」

と望み、手縄、二すぢ、より合せ、つよく帶(おび)し、かまを、こしにさし、桶の内に、足をふみ入《いれ》、おろせる繩に、をのが[やぶちゃん注:ママ。]こしを、つよく、ゆひ付、

「もし、かはれることあらば、此なわを、うごかさん。」

と、いひて、井に入《いり》しに、

『そこに、つきぬ。』

と思ふ時、かすかに、なわ、うごきしを、皆人(みな《ひと》)、手に手をかさね、引《ひき》あぐるに、ことの外にかろし。

 急《いそぎ》て、縄をくり上《あげ》たれば、又、人は、なく、こしに付《つけ》たる、なは、むすびたるまゝにて、もぬけせしごとし。

「こは、いかに。」

と、あきれ、まどゐぬれども、せんかたなし。

 井、ふかければ、そこ、見ゆるまでほらせんには、隣家(りんか)までも、くづれなん。

 もはや、「入れ」といふ事もなく、「入《いら》ん」といふ人も、なし。

「あたら、人を、おほく、ころせしよ。」

と、悔(くやみ)ながら、此井を、うづめし、となむ。

 是、「酉陽雜俎」・「輟畊錄」等に、古井ありて、人をうしなふ、と記(しる)せるたぐゐ成《なる》べし。陸奥国人ノ物語

[やぶちゃん注:原拠は書名とは思われない。本怪異は最後の志願者が縄を厳重に二重巻きで強く締めたのに遺体が抜けてしまっている点が不審乍ら、所謂、酸欠或いは一酸化炭素か二酸化炭素中毒で説明がつくであろう。

「おごの者」「おこの者」「おこ」は当て字では「嗚呼」「烏滸」が一般的で、他に「癡」(痴)「尾籠」などとも書く。古代からあった「愚かなこと・馬鹿げたこと・思慮の足りないことを行なうこと」、また、「そのさまや、そうしたその人」を意味する。小学館「日本国語大辞典」によれば、「うこ」の母音交替形で、奈良時代から盛んに用いられるようになり、漢字を当てて、日本漢文の中でも多く使われた。多くの漢字表記が残っているが、それぞれの時代で使う漢字が定まっていたらしい。平安時代の漢字資料では「𢞬𢠇」「溩滸」など、「烏許」を基本にこれに色々な(へん)を附した漢字を用い、院政期には「嗚呼」が優勢となり、鎌倉時代には「尾籠」が現われ、これを音読した和製漢語「びろう(尾籠)」も生まれた、とある。

「酉陽雜俎」唐の段成式(八〇三年~八六三年)が撰した怪異記事を多く集録した書物。二十巻・続集十巻。八六〇年頃の成立。「中國哲學書電子化計劃」の影印本で示すと、十一巻の「廣知」の中の「隱訣」の引用中、まず、ここの終りから二行目下方から、「井戸の水で、沸騰しているのは、飲んではいけない」とあり、次の丁の頭に、「凡そ、冢(墓)や井戸の閉じられた気は夏・秋に中(あた)ると、人を殺す。予め、雞(にわとり)の毛を投げ入れ、その毛が真っ直ぐ落ちていったなら、無毒であるが、それがぐるぐると旋回して下りていったら、無理をして危険を犯してはならない。醋(酢)を数斗[やぶちゃん注:唐代の「一斗」は五・九リットル。]注いで初めて、方(まさ)に入れるようになる。」とある

「輟畊錄」「輟耕錄」に同じ。元末の一三六六年に書かれた学者で文人の陶宗儀の随筆。正式には「南村輟耕錄」(「南村」は宗儀の号)である。世俗風物の雑記であるが、志怪小説的要素もある。当該話は多分、第十一の「枯井有毒」である。ここでは、早稲田大学図書館「古典総合データベース」の承応元(一六五二)年板行の本邦の板本(訓点附き)を元に電子化して示すここ(巻十から十二の合本一括版)PDF)の31コマ目からである。但し、私の以下の訓読は、必ずしも訓点に従ってはいない。表記は若干、疑問があったので、「中國哲學書電子化計劃」の影印本と校合して一部を変えた。

   *

  枯井有毒(こせいうどく)

 平江の在城、峨嵋橋(がびきやう)に、葉剃(えふてい)といふ者の門首(もんしゆ)の簷(ひさし)の下に、一つの枯れ井、有り。深さ、丈(じやう)許(ばか)りなるべし。

 偶(たまた)ま、畜(か)ふ所の猫(ねこ)、墮ち入る。

 隣家、井を浚(さら)ふに適(あた)れば、遂に、井夫に錢一緡(さし)を與へ、下(お)りて猫を取らしむ。

 夫(そ)の父子、諾(だく)す。

 子、既に井に入りて、久しく出でず。

 父、繼(つづ)いて入り、之れを視るも、亦、出でず。

 葉、惶-恐(きやうこう)して、索(なは)を腰に繫ぎて、家人をして、次第に索を放たしめ、將に井の底に及ばんとして、亟(きふ)に、

「命(いのち)を、救へ。」

と、呼ばふ。

 拽(ひ)き、比(なら)べて、起こすに、體の下、已に僵木(きやうぼく)となること、屍(かばね)のごとく、而(しか)も、氣息、奄奄(えんえん)たり。

 鄕里(がうり)、救ひて、之れを活(い)かしめんとして、官に白(まを)す。

 官、來たりて、驗視(けんし)す。

 火をして、下を燭(てら)さしむに、仿佛(ほうふつ)として、旁(かたは)らに空(あ)ける者、有るがごとく見ゆ。

 向(さき)の死人、一(ひと)りは、橫に地上に臥(ぐわ)し、一りは、斜めに倚(よ)りかかりて、倒れず。

 其の髮を、鉤(ひきか)けて提(あ)げ出だせり。

 遍身、恙無(つつがな)くして、止(ただ)、紫黑なるのみ。

 衆議して以(おもへ)らく、

「恐らくは、是れ、蛟蜃(かうしん)の屬(ぞく)ならん。之れ、土(ど)を實(じつ)とす。餘意、山崗(さんこう)の蠻瘴(ばんしやう)すら、尚ほ、能(よ)く人を殺す。何ぞ況んや、久しき年、乾涸(かんこ)して、陰の毒、凝結し、其の氣を納(い)れて、而して死すを、復(ま)た奚(なん)ぞ疑はんや。」

と。

 此の事、至正己亥(きがい)の秋八月初旬に在り。後に「酉陽雜俎」を讀むに、云へる有りて、

『凡そ、冢(はか)・井(ゐ)の間氣(かんき)、秋、夏、多く、人を殺す。先づ、雞(にはとり)の毛を以つて、之れに投じて、直ちに下れば、毒、無し。廻り舞ひして下る者は、犯すべからず、當(まさ)に泔(ゆする)[やぶちゃん注:米の研ぎ汁。]數斗を以つて、之れに澆(そそ)ぎ、方(まさ)に入るべし。』

と。此の一章を得て、餘意の誠(まこと)に是れなるを信ず。

   *

この「鄕里」は当該地方の現地の実務官吏であろう。「土(ど)を實(じつ)とす」は『五行の「土」を本性・本質とする』の意でとる。「蠻瘴」蛮地の自然の悪しき瘴気。「至正己亥」は元の至正十九年。ユリウス暦一三五九年。トゴン・テムルの治世。中和剤が異なるのは御愛嬌。ここで遺体が「紫黑」というのは、一酸化炭素中毒の遺体によく似ている。同中毒死の直後は遺体がピンク色を呈するのである。]

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